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軍神と農神と産業獣

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 写真ブログとして始めているのだが、最近はまともな写真を載せていないなと思う。チコたちを失って、撮影しなきゃみたいな情熱がかなり失われてしまったことは確かだ。それでも、ちょっと頑張った画を思い出した。尤もチコが生きていた時のものだが。
 Twitter=Xで、ねこ太朗さんという方のアカウント(https://x.com/nekotaro1601)による、猫のフォークロアのツイートが興味深い。狼・猫・犬・蛇の民俗、伊達宗高を調べておられる。中世石造物、板碑なども紹介されている。
 拝見していて、養蚕加害獣のネズミを捕獲してくれる守護神としての猫を祀るものが日本の各地に点在しているのを知った。
 狛犬が色々他の動物だったりするのを、写真で見たことはあるが、あまりそういう史跡などとの遭遇もない。可愛らしい猫の碑や石像が非常に羨ましい。
 こんな文献も見つけた。

 良いよね、「猫聖地」。なんて良い名前だ。


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 こっちは口減らしで猫を川に投げ殺してたということにちなんで付けられた身も蓋もない「猫橋」ぐらいしか見つけられていない。

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 むしろ、こんなコンクリの代物よりも、ここの川に降り注ぐ上流の多彩な瀑布を見ている方が、楽しいかなと思う(トップの画像含め)。実は、三つ四つ、瀑布があるのだが、ここが一番鑑賞しやすい。ここのは想像していたよりもかなり立派なもので、楽しげであるのだが、学生さんがこの滝壺で夏休み水浴しているときに亡くなってから、水浴する者も今は、あまりいない。一度見てみたかったが、ようやく来れたのは2年前の夏だった。近くに遺構などもあるが、猫の碑も勿論ない。

 そうだ、猫の話だった。
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 少し焼き直しになる話だが、こちらならではのレッドタビー、雉猫に「ヤス」の呼び名が付いたのは、島津氏十七代目当主の夭折した次子久保の名前からとられていたとのことだ。これは以前にエントリで上げたが、随分前になる(「ヤス猫神社参拝」)。友人が、本当に、雉猫に普通にヤスって名前をつけていたのが、最初は不思議だったのだが、「だってこの子、ヤス猫でしょ?」って言われて、こちらではそう呼ぶのかって思ったぐらいだった。謂れまでをきちんと知ることになるのは随分後だった。
 猫の瞳の変化を時計代わりの機能として、部隊の作戦行動を同期させるための軍事兵器として使ったときの7個体の猫、朝鮮出兵で戦士した猫の墓ならある。こちらで雉猫のことをヤス猫と呼ぶのは、戦地に連れて行かれた猫の内、生還した二匹が,いわゆる「ヤス猫」のいわれとなった,明るいレッドタビーであったためである。彼らは長く守護神的なものであり、人により勝手な使い方をされて殺されてやがて神として祀られるという(酷いことをしましたけど神様として奉るんで儂らを恨んだり祟らんでください。弱い人間ですけぇ、毎日拝みますからそれでチャラに、みたいなのは、聖徳太子の時代からのやつ)、日本人のパターンのそれではある。でも、当時の価値観で色々あるものの、猫たちはそれなりに愛されたというのは間違いないところではあると思いたい。
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 産業獣、ミリタリーアニマルというのが、当地の猫の明確な位置づけとしてはよく見るものである。もちろん現代の話ではないので誤解なきよう。ただ、産業獣的感覚の尻尾が長く続いた例外もある。もちろん人と猫との関係は、個人のものだが、奄美諸島では人の生死に係る深刻なハブ害を防ぐためにその餌となりハブを引き付けるネズミ類の人家及びその周辺への侵入を防ぐために、猫を使って「結界」を作っていた。そのためのいわば「産業獣」であったという特異な産業獣文化は、環境省が自然遺産の島として、外来種としてのネコのコントロールを始めようとしたときに、当初、かなり苦労した部分の一つだと訊いている。この話は、全国で外飼いから部屋飼いに猫の飼い方がシフトしていったときの、タイミングのようなものもあると思う。あまり良くない言葉だが、産業獣的な猫の飼い方の名残りのようなやり方を島飼いと呼ぶ人も居る。
 我が家も、圃場が使える状況においてチコとユッチが最後の「ラスト・ボーイスカウト」として、「ファームランド・キャット」という、本来の猫の役割を果たせる最後のタイミングで、あの子たちは天寿を全うした。

 史跡や歴史に関しては、猫が養蚕に対する守護神的な位置づけの話を訊いていない。これは産業として養蚕が盛んではなかったということではない。大島紬など、地元産絹を使った絹織物であるし、農研機構のページを見ると、蚕業試験場や蚕糸試験場の設置や拡充も、今は指宿市となった山川地域にて戦後すぐに行われている。ただ、特に本土では養蚕が盛んだったという話はあまり聞かない。歌に歌われる♫花は霧島、タバコは国分で♪、絹の話しは出てこないし、地元の人に聞いても、昔は蚕沢山飼ってて、ネズミに食われて大変だったけど猫が頑張ってくれたよみたいな話は、ついぞ訊いたことがない。東北のような絹生産の要所になった話も聞かないので、あるいはそういうことなのかもしれない。

 レッドタビーはヤスと名付けられたりして愛されたりもしたので、これは、ひょっとしたらお殿様が軍神として扱った結果、そういう民間での農業神としての位置づけを避けたのじゃないかとか勝手な仮説を考えてみたりした。
 ネズミ類、特にハツカネズミ、クマネズミ、ドブネズミは、人が思っている以上に昆虫食を普通にする。特にクマネズミは本来森林性であるということで立体空間利用に長け、容易に家屋に侵入することができるため、養蚕には大敵であったと思われる。我が家の公陳丸、チコ、ユッチの三銃士がお隣のクマネズミを鶏舎や侵入した母屋の天井裏からも、完全に駆逐してお隣から感謝状が来たということも、その効果が絶大だったことを証明してくれた。

 この滝の探査は、息子の一人を連れて行ったのだが、ブログにも、ブログ二関連した写真フォルダー内にも残ってなくて、その頃の日付を確認しようと持ったら、よく考えたら、ここへのアクセスがブランクになっている期間だったのを思い出した。チコたちとの暮らしをずっと綴ってきたこのブログにおいて、チコへのターミナルケアの生活を、ここにアップするかどうか迷っていて、結局、停止した時期だった。


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by complex_cat | 2024-09-29 17:58 | Year of the Cat | Trackback | Comments(0)

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