『 ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る 』(文春新書)の著者で米ハーバード大小児精神科医の内田舞さんが、読者の子育ての悩みに答える本連載。今回の悩みは「スマホ依存の子にスマホとの付き合い方をどう伝え、一緒に考えるか」。
連載4回目も皆さんからの質問にお答えします。今回は現代の子育てにおいて最大の悩みとも言える「スマホとタブレット」について考えたいと思います。
Q1 中2の娘がいますが、とにかくスマホ依存が強く、食事中、移動中、寝るときもギリギリまで、暇さえあればスマホを見ています。就寝時間も遅く、朝起きるのも一苦労。以前、無理やり取り上げようとしたら号泣しました。新型コロナウイルス禍では友達と遊べず、スマホしかよりどころがなかった弊害もあるように感じ、娘だけを責められず、対応に悩んでいます。
スマホやタブレットを全面禁止にするのは現実的ではない
今の時代、「子どもがスマホやタブレットばかり見ていて勉強しない」「SNS依存が心配」と悩む親御さんも多いのではないでしょうか。いっそ、禁止にしてしまおうか──と思うかもしれませんが、スマホやタブレットが友達とのコミュニケーションや学校の勉強に役立っている一面もあり、本当に対応が難しいですよね。
まず、スマホやタブレット、SNS(交流サイト)に関しては数年単位でリテラシーが更新されています。親世代が追いつけないほど、変化が激しいことを実感されている人も多いのではないでしょうか。
私には8歳、6歳、2歳の子どもがいますが、上の子たちのタブレットの使い方を見ていると「えっ、そんな機能があったの?」と驚くほどで、もう私以上に知識があるかもしれません。子どもたちは親世代からは想像もできないような世界を生きているのですね。今となっては情報を得るため、また情報を処理するために必須にもなってきたテクノロジーなので、「全面禁止」という対応は、短期的にはあってもいいものの、現実的ではないと思います。だからこそ、うまく付き合っていく方法を我々一人ひとりが模索しなければならないのだと思うのです。
学校の課題などの「やるべきこと」への集中力がそがれてしまわないように、しかし友人との会話や課題のための情報収集のために役立つスマホやタブレットなどを使うには、どのようなことを意識したらいいのでしょうか?
例えるならば、スマホやタブレットは一昔前における車のようなものかもしれません。確かに事故は起きるし、環境にもプラスとは言えない。でも、便利な一面があり、私たちの社会や生活に溶け込んでいる。それならばなるべく害のない方法で、うまくバランスを取りながら使いこなすのがベストだと考えている方が多いと思います。
まず、スマホやタブレットのデメリットとして第一に考えられるのは、「待てない」「すぐに答えが出ないことに我慢できない」ことです。例えば、友達にメッセージを送って既読になっているのに、返事が来ない。相手がメッセージを見ているかどうかがすぐに分かるので、返事が来ないと、何か自分が気分を害することをしてしまったのではないか、嫌われているのではないか──と、子どもたちは1分1秒単位で不安や苦痛が増大してしまう心理状態になりやすいのです。これは大人も同じですよね。
一昔前なら、電話をしたら留守だった。仕方ないから、明日会った時に話そう、というゆっくりとした時間が流れていましたが、今の子どもたちは「ほどよく諦める」ことが難しいスピード感の中で人間関係を築いています。
そうすると2番目のデメリットとして、瞬時に答えが得られないことに関して、集中力を保ちにくくなるということがあります。昔ならどんなにつまらない授業でもそれを聞いていないと「テストに出る問題に答えられないから、とりあえず聞くか」と無理やり授業に集中しようとしている人もいたでしょう。あるいは、自分が必要な情報を得るためには、本のどこにその情報が出てくるかは分からないので、仕方なく最初から最後まで本を読んだ、という方もいたでしょう。効率が悪い面もありましたが、その過程で「つまらないことも少し我慢して、できるだけ集中する」という習慣が築かれただけでなく、探していた情報ではなかったけど思わぬ知識を得ることもあったはずです。
しかし、今や、何か学びや情報を得るにも、動画やコンテンツを倍速で見たり、ネット検索で自分が得たい情報だけを入手したりします。そうなると新聞の紙面でさまざまな見出しを見る時のように、本来自分が求めていた情報とは違うけれども、幅広い情報や知識に触れるということが少なくなってきてしまいます。そして、「つまらないこと」が耐えられないと感じる子どもも増えてきているようです。
ただ、一方でデメリットばかりではなく、スマホやタブレットのおかげで、注意欠如・多動症(ADHD)やディスレクシア(識字障害)の子どもたちが必要な情報に触れられる機会は昔よりも増えています。また、YouTubeなどの動画には優れた学習コンテンツもあり、学びの形態が増えるのは良いことだと感じます。
やはり大事なのは、良い、悪いの2択で判断するのではなく、いかにバランスを取りながら取り入れていくかだと思います。
SNSには虚構が含まれていることを教えるのは親の責務
では、次にSNSについて考えたいと思います。今の子どもたちは友達とのコミュニケーションもSNSを通じて行いますし、パンデミック時の孤独を救った一面もありますから、悪いことばかりではありません。ただ、こちらも使い方や接し方に気をつけないと、制御不能のモンスターとなってしまい、子どもたちが傷つく恐れがあります。
まず、日常的に接している友人であれば、SNSに投稿されているような姿もあれば、対面で見る違う顔もあると自然と学べるものですが、SNSだけのコンタクトになってしまうと、多面的な姿ではなく、つい「人に見てもらいたい」という意図のもとに投稿された姿しか目に入らなくなってしまいがちです。
そのため、本当は経験しているかもしれない失敗や苦しみに思いが至らず、他者が投稿した内容を見て「他の人はこんなにキラキラした毎日を送っているのに、自分はダメだ」と落ち込んだり、加工された写真に映る他者の容姿を見て「私の肌はこんなにきれいじゃない」と思ったり、それがうつや摂食障害の原因となることもあります。こういった現象を大人がまずはしっかり認識して、子どもたちにも「SNSで見えている世界が全てではない」と教えてあげる必要があるのです。
だからといって、逆にSNSを見ることを禁止したり、自分の投稿への「いいね」の反応に関してうれしいと感じたりする気持ちを否定する必要はありません。
太古の昔から「自分が属する社会のメンバーからよく見られたい」「尊敬されたい」「つながっていたい」と思うのは人間にとっての本能で、それが人としての進化を支えてきました。誰でも承認欲求を持っていることが自然であり、「誰かに『いいね』してもらいたい」と思うことも悪いことではないのです。
承認欲求を満たす上でSNSほど便利なものはなく、半面、「自分は誰からも認められない」という不安をあおるにもこれ以上のものはありません。なので、このバランスをうまくコントロールする必要があるのです。
これまでにも私は何度か「外的評価」と「内的評価」についてお話をしてきましたが、SNSが典型的な外的評価だとすると、子どもたちが大事にしなくてはいけないのは「内的評価」です。誰かに認められたいという承認欲求はあって当然だけれども、「自分が大切とする軸は何か」「どういった努力をしているのか」「どういった姿勢を大事にして社会とつながりたいのか」という内的評価を育てていくべきです。そうすれば外的評価によって必要以上に傷つくことは避けられます。
例えば、受験文化の中での「外的評価」は合否や偏差値、進学先によって友人や親戚から受ける称賛の言葉に違いがあるかもしれません。しかし、試験に受からなかった場合、今まで頑張って勉強してきたことに対する価値はなかったことになるのでしょうか? そんなことはありません。何かに挑戦したこと、努力したこと、継続して課題に向かった経験は、合否にかかわらず、とても価値のあるものなのです。外からの評価に左右されない、そういった自分の努力や経験自体の価値に目を向けることこそが「内的評価」なのです。
SNSでは、自分が好きなこと、自分が情熱を持っていることをシェアしたいという思いに正直であれば、どんなに「いいね」が少なくて多少残念な気持ちになることがあっても、「内的評価」によって心が大きく傷つくことはないかもしれません。
「スマホか勉強か」の2択を迫るのは酷
それでは、具体的にスマホやタブレット、SNSを使いこなすうえで、どうバランスを取ればいいのでしょうか。
わが家で取り入れている方法は、シンプルですが「通知をオフにする」ことです。一番望ましいのは全ての通知をオフにすることですが、難しければ緊急性の高いものだけを残して、SNSやメッセージの通知をオフにしてみましょう。そうすれば、スマホやタブレットを見る時間が物理的に減りますし、自分のタイミングでメッセージをやりとりしたり、通知を見たりすることができます。その中で、返事というものはすぐ来るかもしれないし、3時間後かもしれない。でも、それで構わないし、自分も今すぐ返事をする必要がない──と少しずつ、意識を変えていくことができるようになります。
そして、「スマホばかり見てないで、勉強しなさい」という文句はよく耳にするものですが、スマホやタブレットを手放した時間で何をするかということについて、ここで「スマホやタブレットか、勉強か」の2択になってしまうのは酷だと思います。「それならスマホやタブレットがいい」となってしまうのは目に見えています。子どもに対してスマホを少し手放してほしいと働きかけるには、何かスマホやタブレットの代わりにワクワクするもの、外出でもレクリエーションでもいいので、代替案を用意しておくといいでしょう。
また、「家族で出掛ける時はスマホやタブレットを見ない」「食事中は見ない」と制限時間を設けておくのもいいと思います。それから、子どもと一緒に、スマホやタブレットを仮想敵にするという手もあります。スマホやタブレット、SNSやオンラインゲームをつくっているのは、資本主義の中で巨額マネーを稼ぐ大企業です。彼らは人をいかに夢中にさせるか、人々の使用時間が増えることによって収益を増やすかに専念していますから、「その罠にはまってしまうのは悔しいよね」と子どものプライドをくすぐってみるのです。ティーンエージャーは「大人や社会から自分の行動をコントロールさせること」を嫌いますから、この作戦も使えるかもしれません。
1.スマホやタブレットを全面的に禁止するのは現実的ではない
2.SNSの影響を受けすぎないように「SNSには虚構も含まれている」と諭す
3.スマホやタブレットに変わる代替案を用意する
4.親子で「仮想敵」を設定して、罠にはまらないようにする
文/三浦香代子 構成/木村やえ(日経BOOKプラス編集部)