最近、夫婦関係がギクシャクしている。会話がなくて冷え切っている。子どもが独立したら熟年離婚か、と思ったりする…。そんな不安がある人は、無自覚のうちに相手の怒りに触れる何かをやらかしているかもしれません。
日経BOOKプラスで大人気の 「昭和人間のトリセツ」 という連載では、コラムニストの石原壮一郎さんが時代の変遷とともに変わってきたコミュニケーションに焦点を当て、その背景や世代を超えた関係構築のヒントを一緒に考えてくれます。そんな石原さんが今、注目しているのが、「夫婦の関係」です。
夫婦の関係性も時間の経過とともに変わるのが自然ですが、安心感や安定感は失いたくないですよね。いったい自分は何をやらかしているのか。その「何か」を自覚できる本を、石原さんに選んでもらいました。いずれも、夫婦間に限らず、コミュニケーションのヒントが詰まっています。
平成から令和にかけて、働き方や生き方、ジェンダー観などの価値観の変化が目まぐるしく、それに準じて結婚観や結婚生活も変化を余儀なくされています。夫婦も人間関係の一種ですから、良好な関係を築くには、相手に対する思いやりや気遣いが必要不可欠です。
が、夫婦となると「察してほしい」「言わなくても分かるだろう」といった気持ちが生じて手を抜きがちになるんですよね。どんなに仲のいい友達や同僚に対してもちゃんと伝えようとするのに、相手が夫・妻となると油断するという…。結婚して35年になる私も反省の気持ちがこみ上げます。
手抜きをしても関係を維持できるなら問題ないじゃないか、という意見もあるでしょう。確かにその通りですが、問題が一つあります。それが、冒頭に書いた平成から令和にかけてのさまざまな価値観の変化です。私たちは、時代の影響から逃れることはできません。昭和の価値観のままでいようとすることは、変化の波にあらがって溺れることとイコールで、生きづらさを感じる結果に至るのです。
なぜ、夫のほうが価値観ギャップが大きいのか
そこで、時代とともに価値観がどのように変わり、夫婦というものはどう変わってきたのか(変わらないといけないのか)を考えて書いたのが、 『押してはいけない 妻のスイッチ』(青春出版社) です。
現在30代後半以上の40代、50代の夫婦はもちろん、30代前半の夫婦も両親の多くは昭和ど真ん中の生まれです。その親を“大人の見本”として育てば、価値観のベースは昭和でできます。自分で新たな価値観を獲得してもベースが変わることはなく、結婚したら家事や子育てのやり方、夫婦での外出や会話の量まで昭和の親のやり方をなぞることが多いでしょう。
本人に昭和をなぞっている自覚はありませんが、平成および令和の価値観とのギャップがあるのは必然で、そのギャップは夫のほうが大きいでしょう。なぜなら、家庭における夫の役割が大きく変わったからです。
妻は令和の価値観に切り換えたほうが得をする
昭和までは男性社会の世の中で、夫は経済的に家庭を支えていさえすれば、家事や育児をしなくても許されていました。それが平成に入って女性の社会進出が進み、共働き夫婦が増えると、夫も家事や育児をするのが当たり前に。が、この価値観のバージョンアップがなかなか難しく、何もしなくても許されていた昭和の価値観を引きずる夫が多いのです。
気持ちは分かります、昭和のままでいたほうがラクですから。逆に、妻は平成・令和の価値観に切り替えたほうが得をするので、早々にバージョンアップをはかります。この差分に「押してはいけない妻のスイッチ」が多く存在するわけです。
例えば、妻からお風呂掃除や子どものおむつ替えを頼まれたとき、「分かった」と言いながら「でも俺、こういうの苦手なんだよね」とか言っていませんか? この言葉の背後には、家事や育児は男の仕事じゃない、なんで男の俺がこんなことをさせられなきゃいけないんだ、という不満がチラついて見えます。甘えたつもりで苦手だと言えば、妻が「しょうがないわね」と苦笑しながら代わりにやってくれる、という母親的なイメージを期待しているのも考えものです。どうしてもできないことの場合は、「代わりに洗濯と買い物、それから料理もするから!」と代案を多めに提案することが賢明だったりします。
また、妻の留守中に洗濯物を畳んで、それを帰宅した妻に「畳んでおいたよ」と報告していませんか? 一方、妻は、洗濯物を畳んだからといっていちいち夫に報告しません。報告するのは「ちゃんとやって偉いでしょ、褒めて褒めて」と言っているようなもの。報告しないほうが、妻の「畳んでおいてくれたのね、ありがとう!」という感激と称賛の言葉につながります。
スーパーで特売になったアイスや冷凍食品を見つけたら、まとめ買いすれば妻が喜ぶに違いない、と思うのは早計です。「これで夫としての株が上がるな」という下心からたくさん買いたくなるものですが、すでに冷凍庫がいっぱいの状態だったら迷惑行為にほかなりません。特売品を見つけたら、妻にLINEでもして確認を。こうした「よかれと思って」の行動が、裏目に出ることが多々あります。よかれと思って仕事のアドバイスする、よかれと思って自分の母親の味付けを教える、よかれと思って育児に疲れた妻を「他のお母さんはみんなやってるんだから」と励ます…etc。
夫の自分も、妻にしょっちゅうスイッチを押されてるんだから、なんで自分ばかり気を使わなくちゃいけないんだ、と不服に思う人もいるでしょう。確かに「押してはいけない夫のスイッチ」も存在します。が、お互いさまなんだから気を使う必要はない、などと言っていたらギクシャクした関係の溝は深まるばかりです。また前述したとおり、妻は平成・令和の価値観にバージョンアップ済みの可能性が高いことを忘れてはいけません。昭和の価値観にどっぷり浸ったままでいると、置いてきぼりにされて見放される恐れもあるのです。
やっぱり必要なのはアップデートなのか
もっとも、スイッチを押さないように、夫婦間での役割分担を徹底させて、ビジネスライクな関係になるといいか、といったらそれも違う気がします。夫婦も1つのチームで、2人はチームメートではありますが、たくさんいる異性のなかから選んだ特別な存在のはずです。特別だから、2人の間でしか通じない話や、許されないやりとりとかがたくさんあって、それが一緒にいる楽しさに違いありません。
そうした唯一無二の楽しさを共有し続けるためにも、押してはいけないスイッチの所在を把握することをお勧めします。よければ、拙著を夫婦2人で読んでみるのはいかがでしょう。「あなたって、このスイッチをよく押すよねー」「いやいや、そういうキミはこういうスイッチを押しがち」という感じで、お互いにたまった不満を平和に吐き出すきっかけになれば幸いです。
また、この本を書くのに大変参考になった本がいくつかあります。価値観の違いによるコミュニケーションの課題を解決するヒントが詰まっていました。次回から、それらの本を紹介したいと思います。
取材・文/茅島奈緒深 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子