fc2ブログ

蒼天剣 第7部


    Index ~作品もくじ~

    • 530
    • 531
    • 532
    • 533
    • 535
    • 536
    • 537
    • 538
    • 539
    • 540
    • 542
    • 543
    • 544
    • 545
    • 546
    • 547
    • 548
    • 549
    • 550
    • 551
    • 552
    • 553
    • 556
    • 557
    • 558
    • 559
    • 560
    • 562
    • 563
    • 564
    • 565
    • 566
    • 567
    • 568
    • 569
    • 570
    • 571
    • 572
    • 573
    • 574
      
    晴奈の話、第407話。
    遠路はるばる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、3月初め。
     中央政府とジーン王国の戦いは、膠着状態にあった。

     と言っても、別に克大火と日上風が熾烈な戦いを繰り広げていたとか、幾多の軍艦が海を駆け回っていたとか、そんな躍動的な事情があったわけではない。
     央北と北方の間にある海、北海が凍りついており、双方とも船が出せないのだ。いかに大火やフーに人知を超えた力がついていようと、自然が相手ではどうにもならない。
     氷が解けるまでの間、戦況も凍結状態にあった。



     話は変わるが――北海全域を覆う、この分厚い氷。時に、央北・北方、双方の岸をつなぐことがあると言われている。
     とは言え現実的な観点から考えて、ここを渡ろうと言う酔狂な人間はいない。陸より海の方が若干気温が高いとは言え、寒風吹き荒ぶ極寒の海域である。
     それに人が乗れるほど分厚いものの、海に浮かぶ流氷である。ところどころに亀裂があり、万一割れて海に落ちた場合、助かる確率は0に等しい。
     さらに、実際歩くとなると直線距離でも、全長2000キロ以上もの旅路となる。まともな人間なら、歩こうなどとは思いもしない。
    「この海を『歩く』など、自殺行為に等しい。生きて渡りおおせるわけが無い」と、北方沿岸に住む者は皆、そう信じて疑わない。それは北方史始まって以来覆されたことの無い常識であり、定説と言っても過言ではなかった。

     だからその日、ウインドフォート砦の高台にいた見張りは、海に立つその影を見て、それが何なのか理解できなかったのだ。



    「……ん?」
    「どした?」
     毛布に包まりながら見張りを続けていた兵士が、相棒の様子がおかしいことに気が付いた。
    「あれ、見てくれ」
    「どれだよ」
    「ほら、あそこ」
    「あそこって、海か?」
    「ああ。……ほら」
     怪訝な顔をする相棒が指差す先を、兵士は双眼鏡で追った。
    「……?」
     双眼鏡に、黒い影が映る。
    「……!?」
     その影が何であるか認識した瞬間、兵士は全身に冷汗をかいた。
    「なんだ、ありゃ……?」
    「何かが、……歩いてくる?」
     双眼鏡のレンズの中には、背後にそりを付けた黒い影が、吹雪と海の向こうから歩いてくるのが見えていた。
     その光景は二人がまったく想像したことの無いものであり、現状を把握し、対応することにすら、数分を要した。
    「……け、警鐘をっ」
     相棒の方が我に返り、叫ぶ。
    「えっ?」
    「警鐘、な、鳴らそう。モンスターの襲撃かも」
    「あ、ああ。そう、……だよな」
     兵士二人はかじかむ手を必死で動かし、緊急事態を告げる警鐘を力いっぱい叩いた。
     ウインドフォートの砦全体にその鐘の音は響き渡り、すぐさま「海の向こうからモンスターが歩いてくる」と言う前代未聞の情報が伝わった。
    「本当かよ……」
    「ああ、マジらしいぜ。俺もさっき、双眼鏡で見てみたんだけど」
    「私にも見えました。本当に何か、黒いのが歩いてきてるんですよ」
    「それ、本当にモンスターなのか?」
    「現在確認中らしいです。中佐の側近の方が今、確認に向かっているとか」
     砦の中にいた兵士たちは皆、騒然としていた。



     分厚い毛皮のコートに身を包んだ、背の高い短耳の将校――日上中佐の側近の一人、ハインツ・シュトルム中尉が、兵士数人を連れてその場に向かう。
     その影は、ハインツたちが一列に並び、仁王立ちになって威嚇してもなお、足を止めなかった。
    「止まれッ!」
     ハインツが声を張り上げて制止するが、吹雪に紛れてほとんど伝わらない。
     影が静止することなく、そのまま近付いて来るのを確認し、ハインツは部下たちに命令した。
    「全員、武器を構えろ! 奴の顔が目視できる程度に接近したらもう一度警告し、従わなければ射殺して構わん!」
    「はっ!」
     兵士たちは小銃を構え、その影に照準を定めた。
    「……」
     と、影の方も、兵士たちが銃を向けてきたのに気が付いたらしく、足を止め、すっと両手を挙げた。
    「よし、そこで止まれ! 動くんじゃないぞッ!」
     ハインツは剣を構え、少しずつ影ににじり寄っていく。
    「お前は、……モンスターか? それとも、人間か?」
     尋ねながら、じりじりと距離を詰める。
    「人間よ」
     女の声がする。どうやら、その影は女性であるらしかった。
     だがその顔は帽子とマフラーに半分ほど覆われ、さらに仮面をかぶっているため、確認できない。
    「どこから来た?」
    「中央大陸の、ノースポートから」
    「嘘をつけ! この海域は現在凍結している! 船で来られるわけが無いだろう!」
    「誰が船で来たって言ったかしら?」
     女は腕を挙げたまま、ハインツに向かって歩き出した。
    「止まれッ!」
     女は自分が引っ張ってきたそりを指差し、平然と答える。
    「歩いてきたのよ。人間が乗れるくらい凍ってるんだから、歩くのなんてわけないわ」
    「ふざけるな! 本当のことを言え! それから手を下げるな! 挙げろ!」
    「正真正銘、私は歩いてここまで来たのよ。……ねえ、いい加減寒いから、手を下げてもいいかしら?」
    「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
     ハインツの制止も聞かず、女は距離を詰める。
    「撃つ? 別にいいけど、当たらないわよ。こんな強風の中じゃ、絶対に」
    「な……」
     女に挑発され、ハインツの頭に血が上る。
    「……撃てッ! 構わん、撃てッ!」
     ハインツの命令に従い、兵士たちは小銃を撃った。
     だが、女の言う通り銃弾は風にあおられ、一発もまともに直進しない。
    「だから言ったのに。……あーあ、下っ端がこんなバカじゃ、上も知れたもんね。折角遠路はるばる、このクソ寒い大陸まで来たのに」
    「ぬッ……! 我らがヒノカミ中佐を愚弄すると、容赦せんぞッ!」
    「アッタマ悪いわね……」
     女は手を下げ、腰に佩いていた剣を抜く。
    「かかってくるって言うなら、相手になるわよ」
    「りゃーッ!」
     ハインツが先に仕掛け、女の頭を狙って剣を振り下ろす。
     ところが女はひらりとかわし、ハインツに足払いをかける。
    「お、おっ……!?」
    「いい加減寒いんだからさっさと案内しなさいよ、このノロマ」
     ハインツが立ち上がろうとした時には既に、女の剣が彼の首に当てられていた。
    蒼天剣・風来録 1
    »»  2009.10.28.
    晴奈の話、第408話。
    もう一人の女傑。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……それで、そいつは?」
     砦の主、日上風――フーは、私室の豪奢な椅子で斜に構えたまま、青ざめた顔のハインツに尋ねた。
    「はっ……。何と言うか、その、……吾輩ではまったく歯が立ちませんで」
    「そうか。で、今は?」
    「まだ困惑しておりますが、取り急ぎ、こちらに伺った次第でして。まったく、面目ない」
    「あのな」
     フーはハインツをにらみつけ、いらだたしげに尋ね直した。
    「お前のことなんか知ったこっちゃねーんだよ。そいつが、今、どこにいるのか、って聞いてんだよ」
    「あ、しっ、失礼しました! ……その、ともかく砦に連行し、現在1階の、食堂に」
    「そうか。分かった」
     フーは恐縮するハインツを尻目に、食堂へと向かった。

     フーが食堂の扉を開けた途端、ざわざわと騒ぐ兵士たちの姿が視界に入る。
    「本当に海から?」
    「そう言ってるじゃない、しつこいわね」
    「シュトルム中尉を倒すなんて、アンタ何者だ?」
    「ノーコメント」
    「なーなー、顔見せてくれよー」
    「イヤ」
    「何でそんな仮面かぶってんだ」
    「ノーコメント」
    「さっきからそればっかりだなぁ」
    「何で私がアンタたちの質問に、一々真面目に答えなくちゃいけないのよ?」
     フーは兵士たちと女のやり取りをじっと見ていたが、一向に収まる気配が無いので大声を出してさえぎった。
    「お前ら、邪魔だッ! さっさとどけッ!」
    「あっ、か、閣下!」
    「し、失礼いたしました!」
     兵士たちはフーの姿を確認するなり、バタバタと食堂から出て行った。

    「やれやれ……」
     人払いをしたところで、フーは女の前に座った。フーの服装と徽章を見て、女が声をかける。
    「あなたが、フー・ヒノカミ中佐?」
    「そうだ。……いくつか質問させてもらうぜ。まず、お前の名前は?」
    「巴景よ。トモエ・ホウドウ」
    「央南人なのか?」
    「ええ。あなたも血を引いていると聞いたけど」
    「そうだ。生まれも育ちも、北方だけどな」
     フーは巴景の仮面をじっと眺め、尋ねてみる。
    「仮面、取らないのか?」
    「ええ。閣下さんの前で悪いけれど、昔大ケガをしてしまったのよ。その跡がまだ、残っているから」
    「取らなきゃ美人かどうか分かんねーなぁ……」
     女好きのフーは、ひょいと仮面に手を伸ばそうとする。だがその手を、巴景につかまれた。
    「ん……?」
     振りほどこうとしたが、異様に力が強く、離れない。
    「お前、本当に女か? 力、すげえ強えな……?」
    「ええ。正真正銘、女性よ。この腕力は、修行と魔術の賜物」
    「……へぇ。まんざら、海を歩いて渡ったってのも嘘じゃなさそうだな」
     フーは巴景の体を上から下に、なめるように眺める。
    「コート、脱げよ」
    「イヤよ。寒いもの」
    「あ、そうだな。ずっと吹雪の中、歩いてきたんだからそりゃ、凍えてるよな。……俺が暖めてやろうか?」
    「あなた、女を枕か何かだと思ってない? お生憎様、私はそんなつもりであなたに会いに来たんじゃないのよ」
    「……って言うと?」
     巴景はフーから手を離し、立ち上がった。
    「私は武者修行をしているの。それでこの戦争で直接戦ってるこの軍閥を率いている閣下さんに、傭兵として雇ってもらおうと思ってね」
    「へぇ……?」
     好奇の目で巴景を見ていたフーは、今度は品定めをするように注意深い目を向けた。
    「腕は……、確かだろうな。
     さっきお前が倒した奴、あれは俺の側近だ。この砦内でも有数の実力を持ってたんだが……」
    「あの程度で?」
     鼻で笑った巴景に、フーも苦笑して返す。
    「まあ、そう言ってやるなよ。……それで、だ。お前はそれよりも、確かに強い。
     よし、採用だ」
     フーの言葉を受け、巴景は小さく頭を下げかけた。
    「よろしく……」「待て待て待てぇーい!」
     ドタドタと足音を立てて、何者かが食堂に飛び込んできた。
    「ハインツか? 何の用だ?」
     フーはうざったそうに振り返り、ゼェゼェと荒い息を立てるハインツに目を向けた。
    「その女の採用、異議申し立てます!」
    「は?」
    「先程は吾輩の不覚によって、押し切られる形となってしまいました、がっ!」
     ハインツはゴツゴツと足音を立てて、巴景の前に立つ。
    「正面から正々堂々戦えば、この吾輩が負けることなど万に一つもありません! この女は不意打ちで勝ったに過ぎません! 不意打ちで勝つなど、騎士道にあるまじき……」「あ?」
     唾を散らして言い訳するハインツに、フーは斜に構えてにらみつける。
    「お前、頭がマヌケか?」
    「なっ……」
    「戦場のど真ん中で同じこと言ってみろよ。お前みたいな馬鹿、一瞬で蜂の巣だぞ?」
    「いやいや、それはありません!」
     ブルブルと首を振るハインツの態度に、フーは呆れ返った。
    「お前なぁ……。ま、いいか。
     そんなにギャーギャー言うなら、戦ってみろよ」
    「……むっ?」
    「このトモエ・ホウドウって女武芸者と戦って、正々堂々となら勝てるってことを証明してみろよ」
    蒼天剣・風来録 2
    »»  2009.10.29.
    晴奈の話、第409話。
    巴景の実力発揮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フーの一声で、巴景とハインツは砦地下の修練場で仕合をすることになった。
    「それではぁ、始めますねぇ」
     たまたま暇だったと言うフーの側近の一人が、のたのたとしたしゃべり方で審判を勤める。
    「それではぁ、開始ぃー」
    「どりゃあッ!」
     開始が告げられるなり、ハインツは槍をうならせて突進してきた。
    (さっきは剣を使っていたのに、今度は槍?)
     武器が違うことを疑問に思ったが、ともかく巴景は剣を構えて受ける。
    「ふんっ、ふんっ、ふぬうッ!」
     まるで怒り狂った野牛のように、ハインツは突進と打突を繰り返す。
    「はぁ、……めんどくさい」
     四太刀ほど受けたところで、巴景はけりを付けようとした。
    「『ライオンアイ』」
     殺刹峰時代に手に入れた身体強化の魔術で腕力を倍化させ、ミューズが忘れていった剣、「ファイナル・ビュート」を力いっぱいに薙ぐ。
    「ぬお……っ!?」
     恐らく鋼鉄製であった槍が、まるで飴のようにぽっきりと折られた。
    「どうかしら、……と」
     勝ち誇ろうとした巴景は、ハインツの殺気が消えていないことに気付いて剣を構え直した。
    「ま、まだまだぁッ!」
     ハインツは柄だけになった槍を捨て、腰に佩いていた剣を抜いた。
    「往生際悪いわね、このバカ」
    「あ、そうじゃないんですよぉ」
     巴景の独り言を聞き拾ったらしい紫髪の側近が、ゆったりと訂正する。
    「シュトルム中尉さんはぁ、『人間武器庫』って呼ばれててぇ、一人でいくつもぉ、武器を操るんですよぉ」
    「……へーぇ」
     巴景は改めて、ハインツの装備を確認してみた。
    (さっき潰した槍に、今握ってる剣。
     ふーん、背中にももう一本、剣持ってるのね。脇差、って感じかしら。
     あら? 後ろからチラチラ見えてるのは尻尾、……ってわけじゃなさそうね。鞭かしら?
     あと片方の太腿に5本、いえ6本。両腿で計12本、ナイフを着けてる。小さいし数が多いから、投擲用ナイフってところね。
     他にも袖とか裾にも、変なふくらみがある。なるほどね、『人間武器庫』ってのも言い得て妙、か)
    「ほら、ほらっ、ほらほらほらあッ!」
     剣をビュンビュンとうならせて、ハインツは距離を詰める。
     巴景はそれをひらひらと避けながら、紫髪の側近の背後で、椅子へ斜めに掛けていたフーに声をかけた。
    「ねえ、閣下」
    「ん?」
     巴景は冗談めかした口調で尋ねてみる。
    「こいつの武器、全部見たことはある?」
    「ん……。そう言えば、無いな」
    「見たくない?」
    「……ハハ、見せてくれるのか?」
    「ええ、見せてご覧に入れますわ」
     その言葉を聞いたハインツが激昂する。
    「吾輩を愚弄するか、女ッ!」
    「愚弄? いいえ違うわ」
     巴景は剣の腹で、ハインツの剣を思い切りはたいた。
    (『愚弄』は同じ人間に対してするものでしょう? ……クスクス)
     ハインツの剣は簡単に弾き飛ばされ、部屋の端まで転がっていった。
    「さあ、次は何を出すのかしら?」
    「ぬ、がっ……」
     巴景は心の中で、ハインツを嘲笑していた。
    (アンタみたいな単細胞と私が同じ人間だと、本気で思ってるのかしら?)

     結局、ハインツは最終的に8種類の武器を放出し、それでも巴景に傷一筋付けることができずに敗北した。
     巴景は凄腕の傭兵として、フーの新たな側近に迎えられた。



     ハインツをあっさり下した巴景は、すぐにうわさ話の中心に上った。
     元々、ここ数年で英雄になったフーを間近で見ようと、彼の拠点である砦周辺に集まった好事家たちが築いたのが、このウインドフォートである。
     うわさ好きの住民たちは皆、巴景について語り合っていた。
    「それにしても、あの仮面……」
    「うんうん、気になるよねー」
    「顔にすっごい傷がついてるらしいけど、いっぺん見てみたいわよねぇ」
    「うんうん、分かる分かるよー」
     街のあちこちで、こんな話が繰り返される。
     その側を通りかかった巴景は内心、有頂天になっていた。
    (ふふっ……。みんなが私に注目してるわ。
     そうよ、世界最強の女はこの私よ。間違っても、あの……)「そう言えばさー」
     だが――時折、こんな言葉も耳にする。
    「央南人の女傑って言えば、もう一人いたわよね?」
    「うんうん、いたよねー」
    「何だっけ、名前? えーと……」
    「確か、猫獣人で、えー……」
     そのうわさを聞く度に、巴景は仮面越しに彼らをにらみつける。
     だが、彼らはその視線に気付かない。平然と、巴景が憎み続けている女の名を口にする。
    「コウ、だっけ? 確かそんな感じの名前」
    「うんうん、そんな感じそんな感じー」
    「……ッ」
     巴景は仮面の裏で、ギリギリと歯軋りした。
    (何でよ? 何で、この街にまであいつの名前が伝わってるの?
     ちょっと戦争で活躍して、どこかの大会で準優勝したくらいで、後はほんのちょっと犯罪捜査に協力しただけじゃない。
     どうしてそれだけで、それくらいのことで、話題になるのよ……ッ)
     巴景は腹立ち紛れに、裏路地の壁を素手で叩き割った。
    「……見てなさいよ。この戦争が終わる頃には晴奈の名前なんて、北方人の記憶から綺麗さっぱり消し去ってやるわ!
     歴史に名前を遺すのは、この私よ!」
    蒼天剣・風来録 3
    »»  2009.10.30.
    晴奈の話、第410話。
    したたかな剣姫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ウインドフォートに来てから3日が経ち、巴景は側近の一人と仲良くなった。
    「それでですねぇ、そのお店のタルトが本当に美味しくてぇ……」
     ハインツと闘った時に審判を勤めた、あの紫髪の短耳である。名前はミラ・トラックス。水と土を得意とする魔術師である。
    「へぇ……」
     おっとりした性格を裏付けるかのように、彼女の体型もややふっくらしている。とは言え――。
    「良くそれだけ食べて、……そこだけしか太らないわね」
    「えへへ、よく言われますぅ」
     ミラは話題に上った胸をぽよ、と隠す。晴奈同様――こう比較されるのも、彼女にとっては不愉快だろうが――巴景もそれほど魅力的な体型ではないので、その仕草は多少イラつかせるものがあったが、それを態度には出さない。
    「ねぇ、今度一緒に行きましょうよぉ、トモエさぁん」
    「ええ、機会があれば是非、ね」
     巴景はいかにも「共感した」「興味を持った」と言う口ぶりで、ミラに応えた。

     巴景はこうした点において、非常にしたたかで狡猾な面を見せる。
     本来の楓藤巴景と言う人物の性格は、一言で言うなら「唯我独尊」である。自分の身、自分の利益がいつ、いかなる時においても最優先であり、他人への興味や情など、無いも同然である。
     フーのことは「閣下」と敬称で呼んではいるが、内心では「粗暴でスケベなクズ」と見下しているし、他の側近にもまったく敬意を抱いていない。今、目の前にいるミラに対しても、「とろくさい胸デブ」としか思っていない。
     だが、巴景はそんな感情をまったく、表に出したりはしない。出せば嫌われることを、十二分に理解しているからだ。勿論、巴景個人は他人からどう思われようと知ったことではないし、気にも留めない。嫌われたところで、それ自体は構わないのだ。
     しかし緊急時――例えば、実力が拮抗した者との死闘を続け、疲弊しきったところで、自分に悪感情を抱く味方がその場に現れた時など――味方が寝返るかも知れないし、見て見ぬ振りをする可能性もある。そうなれば、自分は決定的な逆境に立たされることになる。
     極限状態で「嫌われる」ことは、即ち死を意味する。

     が――逆にその極限状態で「好かれて」いれば、どうだろうか?
    「それにしてもぉ、トモエさんってぇ、もっと怖い人かなって思ってましたぁ」
    「あら、そう?」
    「はぁい、あ、でもですねぇ、今はいい人だと思ってますよぉ」
    「ふふ、ありがと」
     ミラは嬉しそうな笑顔を、巴景に向けてくる。
    「良かったらまた、お茶しましょぉ?」
    「ええ、今度は私が誘うわね。……それじゃ、今日はこの辺で」
     巴景が席を立ったところで、ミラはまた人懐こい笑顔になった。
    「はぁい、またよろしくですぅ」
     その笑顔を見て、巴景は仮面の裏でほくそ笑んでいた。
    (コイツも私の味方――『駒』、ね。
     ……ふふ、ふ。コイツもバカよね。私が『いい人』のわけないじゃない)



     こんな風にして、巴景は着実に砦内での味方を増やしていった。とは言え、(今のところ)己の主人であるフーにたてついたりも、反目したりもしない。
    「よお、トモエ。最近、調子乗って……」「ええ、調子は上々ですよ」
     巴景の人気が高まっていることに不安を覚えたらしいフーが探りを入れようとする前に、巴景は口を挟んだ。
    「お、おう。そっか」
    「閣下には非常に感謝しております。私のような余所者にこんな活躍の機会を与えてくださった恩、必ずや次の戦いで報いて見せます」
    「……うん。なら、まあ、……いいや。じゃ、頑張ってくれ」
    「はい」
     出鼻をくじかれ、口を開く間も与えられずに忠誠の言葉を聞かされたフーは、そのまま帰ってしまった。
    (余計な勘繰りしてんじゃないわよ。アンタは戦争のことだけ考えてりゃいいのよ)
     フーをやんわりと追い返した巴景は、仮面の裏で彼の背中をにらみつけていた。

     と――。
    「私をだませると思うな、ホウドウ」
     まったく気配を感じなかった背後から、低い男の声がかけられた。
    「……!?」
     振り向いた先には、フーの参謀であるフードの男、アランが立っていた。
    「な、……コホン。何のことかしら?」
    「独りになった途端、邪心を浮かべたな?」
    「さあ?」
     巴景はごまかすが、アランの追及は続く。
    「いいか、出し抜こうなどとは考えるな」
    「だから、何のこと? 変な邪推はやめてほしいわね」
    「……ふん」
     アランはそれ以上何も言わず、巴景の前から姿を消した。
    「……」
     アランの姿が見えなくなったところで、巴景の額に汗が浮き出す。
    (何なの……? 気配がまったく無いなんて、あいつは、……人間なの? この私が、欠片も気配を感じられないなんて)
     巴景は戦慄していたが、その様子も分厚い仮面に隠されていた。



     中央政府との戦闘再開まで、後二ヶ月を切っていた。

    蒼天剣・風来録 終
    蒼天剣・風来録 4
    »»  2009.10.31.
    晴奈の話、第411話。
    アランの風評と、もう一人のナイジェル博士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     アランに「出し抜こうとは考えるな」と言われた巴景だが、そもそも彼女はそんなことを考えてはいない。
     フーの下に就いたのは、あくまでも「立身出世」のためである。即ち、北方で戦果を挙げることにより世界に己の名を知らしめ、名声の面においても晴奈を超えようと考えており――巴景は技量や天運など、ほとんどの面において彼女より優れていると確信している。あくまでも「『アイツ』にあって私に無いのは『戦果を挙げた』と言う名誉だけよ」と考えている――フーを出し抜いて自分が軍閥の主になろうなどとは露ほども思っていない。
     とは言え、アランは軍閥のナンバー2である。彼の信用を得られなければ、この砦における地位確立もおぼつかない。ひいてはフーに重用されることもなく、立身出世には到底至らないだろう。
    (それは困るわ。もうすぐ、中央政府との戦いが再開されると言うのに)

     アランの存在を少なからず「自分の立身出世に対する脅威」と見た巴景は、何とか彼に取り入り、信用を得られないかと、彼の素性に付いて調べることにした。



     まずは仲良くなった側近の魔術師、ミラから話を聞くことにした。
    「あー……、アランさん、ですかぁ」
     聞いた途端に、ミラは表情を曇らせる。
    「何か、嫌な思い出でもあったのかしら?」
    「えー、まあ、はい。あの人ですねぇ、何て言うかぁ、ヤな人なんですよねぇ」
    「やな、人?」
    「はぁい。すっごく、そのぉ、態度がですねぇ……」
     ミラは辺りをきょろきょろと見回しながら、小声で話す。
    「中佐のことも平気で顎で使ってますしぃ、その下にいるアタシたちなんてぇ、空気扱いですよぉ。人間だって、全然思ってないみたいなんですぅ」
    「そう……」
     ミラの話を聞きながら、巴景はアランの姿を思い出す。
    (人間じゃない、か。……私からすれば、あいつの方が人間離れしてるわ。この私がどう神経を張り巡らせても、あいつの気配が全然つかめないんだから。
     顔もフードと鉄仮面で隠してるし。……って、仮面で隠してるのは私も同じか)
    「トモエさぁん?」
    「え? ……あ、ごめんなさいね。ちょっと考え事をしていたものだから」
    「あ、はぁい。それでですね、あの人のせいで投獄された人も、何人かいるんですよぉ」
    「へぇ?」
    「例えばですね、ナイジェル博士とか。あの人、首都からわざわざ出向してきてくれたのにぃ、袋叩きにされてぇ、牢屋に入れられたんですよぉ」
    「牢に入れるよう命じたのは、閣下なの?」
    「直接はそうなんですけどぉ、指示したのは多分アランさんですよぉ、きっと」
     それを聞いて、巴景はそのナイジェル博士と言う人物に興味を持った。
    (アランによって投獄された人物、か。……もしかしたら、アランについて何かつかめるかも)

     ミラに頼み、巴景はそのナイジェル博士に会ってみることにした。
    「あの、内緒にしてくださいねぇ。勝手に面会したって言うことがばれたらぁ、アタシも牢屋行きになっちゃいますからぁ」
    「はい、了解しております」
     心配そうに頼み込むミラの目、いや、胸を見ながら敬礼した看守に苦笑しつつ、巴景は牢の奥へと進んだ。
    「あの人?」
    「はぁい。あの人がナイジェル博士ですぅ」
     一番奥の独房に、生気を失った顔のエルフが座っていた。
     エルフは青年期が長い種族なので、見た目からはその正確な年齢はつかめない。その上童顔のため、前もって24だと知らされていなければ、彼は二十歳前の少年にすら見えた。
    「……誰かな?」
    「アタシですぅ。ミラ・トラックス少尉ですぅ」
    「トラックスさんか。今日は、何の用?」
    「えっとですねぇ、あなたに会いたいって言う人がいるんですよぉ。この前側近になった傭兵さんなんですけどねぇ」
    「傭兵、……が、側近に? へぇ、珍しいね」
     長い間投獄されているらしく、顔も服も垢じみており、平常時ならば聡明さを表していたであろう丸眼鏡も右眼側がひび割れ、悲壮感しか伝わってこない。
     それでもまだ、知性は失われていないらしい。彼は賢しげな目を、巴景に向けてきた。
    「ふーん……。央南の剣士か。腕は相当立つみたいだね」
    「え?」
     いきなり素性を言い当てられ、流石の巴景も驚いた。博士と呼ばれたエルフは、素性を言い当てた根拠を話し始める。
    「女性にしては体格ががっしりしているし、体全体の脂肪も妙に少ない。非常に運動量の多い生活をしていると言うことだ。
     それに左手の指、小指以外にたこがある。何か棒状のものを、しょっちゅう握っているってことだ。でも左利きじゃないな、右手の中指にペンだこがあるもの。小指の力を抜いて、左手にウェイトを置いて握る――これは央南地方の剣術に特有の、刀剣の構え方だ」
    「……ご明察ね」
    「それは良かった。ああ、自己紹介が遅れたね。
     僕はトマス。トマス・ナイジェルと言うんだ」
     トマスは汚れた顔を袖で拭い、軽く頭を下げた。
    「私はトモエ・ホウドウ。よろしくね、博士。……それで、一つ質問したいことがあるんだけど、いいかしら?」
    「何だい?」
    「何故あなたは投獄されたの?」
    「うー……ん」
     尋ねた途端、トマスは暗い顔を向けてきた。
    「それは……、言えば君にとって、非常に困ることになると思う。それでも聞きたい?」
    「……それなら、いいわ。わざわざ危ない橋を渡るのもバカらしいし」
    「そうだろうね。他に聞きたいことは?」
     巴景はトマスのつっけんどんな態度に、内心苛立ちを感じていた。
    (コイツ……、さっきから人のこと、『女にしては』とか『脂肪が妙に少ない』とか、ズケズケ無神経に言ってくれるわね。
     案外、投獄されたのも単純に、フーの機嫌を損ねたからじゃないの?)
    「無い? あるなら早く言ってね」
     トマスはうざったそうに眉をひそめる。プライドの高い巴景は、相手にそんな態度を取られてまで話を聞こうとする気にはなれなかった。
    「別に。……さ、戻りましょ、ミラ」
    「あ、はぁい。……それじゃお元気で、トマスさん」
    「元気にしていられるわけないじゃないか、ははは……」
     笑いながら言っているので彼にとっては軽口や冗談だったのだろうが、背を向けたミラはほんの少し顔をしかめていた。
    「あなたが気を使ってくれてるって言うのに、無神経ねアイツ」
    「え? いえ、そんな……」
    「もう聞こえてないだろうし、素直に言っていいんじゃない?」
     巴景にそう言われ、ミラは牢の奥を振り返る。
    「……いい人なんですけどぉ、もうちょっと周りの空気を読んでほしいですねぇ」
     トマスは本に目を通していた。巴景の言う通り、トマスの方も既に、二人への興味を失ったらしい。
    蒼天剣・風評録 1
    »»  2009.11.02.
    晴奈の話、第412話。
    おっとり&のっそり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     うわさ好きの住民が集まるこの街では、情報を集めるのもたやすい。
     が、その真偽となると話は別である。
    「アラン・グレイ参謀? ……ああ、あのフードの。ええ、……まあ、ここだけの話ですけどね、側近の皆さん、嫌ってるみたいですよ。
     何でって? うーん、嫌味が多いとか、人の都合を考えないとか、ま、よくあるヤな上司の典型みたいな人みたいだから、嫌われるのも当然じゃないんですか?」
     誰に聞いても、ここまでは皆、異口同音に答えてくれる。
    「なるほど……。それじゃ、もう一つ質問なんだけど。グレイ参謀って、どこの人なのかしら?」
    「え、……うーん、さあ?」
     ところが彼の出自や個人情報となると、突然情報が途絶えてしまう。
    「北方人じゃないの?」
    「そうかも知れませんけど、何しろ顔を見たことが無いし」
    「うわさじゃあの人、人間じゃないって」
    「うんうん、聞いたことあるよー」
    「ええ、悪魔とか何とか言う人もいますしね」
     聞いた話のどれもが根拠の無い、信憑性に欠ける情報ばかりであり、1週間かけて情報収集を行ってもなお、アランの素性はまるで判明しなかった。
     しかし、その性格と評判については十分過ぎるほど情報が集まった。誰も彼も、口を揃えてこう言っていたからである。
    「自分の主君も含めて、すべての人間を見下している、すごく嫌な奴」

     巴景はアランに取り入ることを諦めた。
     アランが非常に冷徹、排他的で、結局他人を利用しようとしか考えていないことが分かり、取り入ったところで、特にメリットが無さそうだったからである。
    (でも、……逆にアリね、こう言う奴も)
     誰からも嫌われる権力者――他人の信用を集めるには、非常に利用できる人材だった。



     巴景は側近たちの元を訪れ、友好関係を築くことにした。
    「こんにちは、バリー」
    「あ、……ども」
     手始めに訪ねたのは、ミラのサポート役をしている寡黙な熊獣人、バリー・ブライアン軍曹。
     この時も都合のいいことに、ミラが彼の横にいた。
    「あれぇ、トモエさんじゃないですかぁ」
    「こんにちは、ミラ」
    「どしたんですかぁ?」
    「ええ、……そうね、あなたを探してたの」
    「ふぇ? アタシですかぁ?」
     とっさに口実を作り、自然な会話に持って行く。
    「ええ。ほら、この前言ってた喫茶店。あそこ、行ってみたいなって」
    「あ、そうですねぇ。ちょうど今日、アタシ暇だったんで、行っちゃいましょうかぁ」
    「ええ、お願いね。そうだ、バリーも行かない?」
    「俺? えっと、喫茶店、に?」
     話を振られ、バリーは目を白黒させている。
    「ええ。一度、あなたともお話してみたいと思ってたんだけど。何か予定、あった?」
    「え、いや、ない、けど」
    「それなら行きましょう、ね? 三人の方が、話も弾むし」
    「あ、う、うん、分かった」
     バリーは困惑した顔をしながらも、小さくうなずいた。

     喫茶店に場所を移したところで、巴景は話を切り出した。
    「ねえ、ミラ、バリー。私のこと、どう思う?」
    「え?」
    「いきなり、どしたんですかぁ?」
     巴景は声を落とし、やや悲しげな口調を作る。
    「実はね、グレイ参謀から疑いを掛けられてるみたいなの」
    「えぇ?」
     人のいいミラは、それを聞いて悲しそうな顔になる。
    「そんな、ひどい……」
    「きっと私が外国人だからね。中央のスパイとでも思ってるんじゃないかしら」
    「そんなわけないじゃないですかぁ……。央北と央南じゃ、全然別のところだし」
     ミラは明らかに、巴景の話に憤慨してくれている。巴景は内心ほくそ笑みながら、依然悲しそうな口調は崩さない。
    「そう言ってくれて嬉しいわ。でも、みんなはそう思ってくれないかも知れないわ」
    「そんなコトないですよぉ。アタシ、トモエさんはいい人だって分かってますもん」
    「ありがとね、ミラ」
     巴景は仮面の端から見える口をわずかに曲げ、嬉しそうな笑みを二人に見せた。それを見たミラは、ますます優しく接してくる。
    「もし何かあっても、アタシはトモエさんの味方ですからね。ねぇ、バリー?」
    「え?」
     ぼんやりと話を聞いていたバリーは目を丸くし、ミラと巴景の顔を交互に見る。
    「バリーも、トモエさんの味方ですよねぇ?」
    「あ、え、……うん。味方だ」
     困った顔をしつつも、バリーはうなずいた。
    (よし……。やっぱり、バリーはミラに流されてるわね。ミラを抱き込んでおけばきっと、コイツは私に協力するわ)
     その後2時間ほど、巴景は二人とじっくり歓談し、ミラと、そしてミラに付いているバリーの友好関係、信頼を築いた。
    蒼天剣・風評録 2
    »»  2009.11.03.
    晴奈の話、第413話。
    ギャンブラー、トモちゃん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     続いて巴景は、来訪してすぐに痛めつけた側近、ハインツ中尉の所を訪れた。
    「ふむ、では吾輩は雷と土の5、それから水の6と氷の6で2ペアだ」
    「へっへ、じゃ俺の勝ちだ。こっちは3、4、5、6、7でストレート」
    「うぬっ……」
     ハインツは食堂で狐獣人の男とカードゲームに興じていた。と、その狐獣人が巴景に気付いた。
    「お。仮面女だぜ、ハインツの旦那」
    「何? ……ぬう、貴様は」
     ハインツは巴景を見た途端、不機嫌そうに額にシワを寄せる。
    「何の用だ?」
    「ええ、少し謝らなくちゃと思って」
    「……何だと?」
     巴景はぺこりと頭を下げ、ハインツに謝罪の言葉をかけた。
    「あなたのおかげでこの砦に入れたのに、ずっとお礼もしなくて。ごめんなさいね」
    「あ、う、うむ」
     下手に出られ、ハインツの怒りは行き先を失ったらしい。複雑な表情を浮かべ、ぎこちなくうなずいている。
    「あの、もし良かったらこれ、どうぞ」
    「む……?」
     巴景は先程喫茶店で購入したケーキを、ハインツに渡す。
    「む、む、これは……」
    「おわび、……って言ってしまうのはおこがましいけれど、せめてこれくらいはしないと、と思って。嫌いだったかしら、甘いもの」
    「あ、いや。……うむ、喜んでいただくとしよう」
     横で二人のやり取りを見ていた狐獣人が、呆れた顔で煙草をふかす。
    「鼻の下伸びてんぜ、ハインツの旦那」
    「うっ? ……いやいや、失敬」
    「そんでさトモちゃん、俺には何かないの?」
     巴景は口元をにっこりと曲げて、その狐獣人――こちらもバリー同様、ハインツのサポート役で、ルドルフ・ブリッツェン准尉と言う――に包みを渡した。
    「ええ、会った時に渡そうと思ったんだけど、丁度良かったわ。はい、これ」
    「お、ありがとよ。……でも旦那のに比べりゃ、ちっちぇえな」
    「ええ。ハインツさんにはおわびも込めて、だから」
    「そか。……じゃ、俺もオイタしてもらおっかなぁ、へへっ」
     ニタニタ笑うルドルフに向かって、巴景はクスクスと愛想笑いをしてやる。
    「まあ、ご冗談。……ところで、ゲーム中だったみたいね。私も混ぜてもらっていいかしら?」
    「ん? いいぜ。トモちゃん、ルール分かるか?」
    「ええ。ポーカーでしょ?」
    「知ってるみたいだな。んじゃ、軽くやりますか、っと」

     ルドルフはカードを切り、席に付いた巴景とハインツ、それから自分に配る。
    「あ、そう言えばどうする? 賭けるか?」
    「ええ、その方が面白いでしょう?」
    「いいねぇ、いいノリだ。……よし、それじゃチェック」
     ルドルフのかけ声に合わせ、ハインツと巴景は配られた手札を見る。
    (火の4、水の4、雷の6と7、それと風の5。……どうしようかしら?)
     ハインツはいつも通りのしかめっ面をしている。どうやらあまり手は良くないらしい。対して、ルドルフはニヤニヤしている。そこそこいい手が入っているようだ。
    (ワンペアとか、そんな安い手じゃ無さそうね。さっきもストレート出してたみたいだし。……となると、ワンペアじゃ多分負けるわね)
    「むう……、3枚チェンジだ」
     ハインツがカードを捨てる。
    (あら……。雷の4と8、それと水の3ね。確率としては、4のスリーカードとストレート、それから雷のフラッシュは出にくくなりそうね)
    「トモちゃん、アンタの番だぜ。捨てるか?」
     ルドルフが依然、ニヤニヤしながら尋ねてくる。
    「そうね……」
     相槌を打ちながら、巴景はカードを捨てるかどうか考える。
    (ま、勝負すること自体は問題じゃないし、適当でいいわ)
    「ええ、3枚交換で」
     巴景は「4」以外のカードを捨てた。
    「ほい、3枚と」
     ルドルフがカードを渡す。
    「俺はこのまんまで行くぜ。……それじゃ、セット」
     どうやらルドルフは相当の好手らしい。交換せず、そのまま勝負に出た。
    「吾輩は……、ううむ……」
     逆に、ハインツは3枚交換したにもかかわらず、手は良くないらしい。
    「……ドロップ」
     ハインツはカードを机に置き、銀貨を1枚出した。これは勝負を降りた時の罰金、100ステラ――北方大陸で使われる通貨――である。
    「トモちゃんは?」
    「セット。賭けさせてもらうわ、100ステラ」
     巴景も銀貨を1枚出した。
    「よっしゃ。じゃ俺は300ステラで。……オープン」
     ルドルフが見せたカードは火と氷の2、そして雷と土、風の9――フルハウスである。
    「んでトモちゃん、アンタは?」
    「……ふふっ」
     巴景もカードを開ける。
    「火の4、氷の4、水の4、風の4、あと氷の8。フォーカードよ」
    「あちゃ、負けたぁ……」
     ルドルフは天井を仰ぎ見て、銀貨を3枚机に投げ出した。



     ここでも、晴奈に対抗心を燃やしているのか――勝負運も、巴景は強かった。結局、巴景は1500ステラの大勝を収めた。
     さらにこの二人との仲も円満にすることができ、巴景の「下準備」も着々と進んでいた。
    蒼天剣・風評録 3
    »»  2009.11.04.
    晴奈の話、第414話。
    ちっちゃい姐さん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ミラ、バリー、ハインツ、ルドルフの4人と仲良くなった後も、さらに巴景は懐柔を続けた。
     今度は兎獣人の魔術師、ドール・ホーランド大尉。何でもフーの、北方における最近の「お気に入り」だと言う。

     会ってみた巴景は、内心「なるほど」と納得した。
    「アナタが最近ウワサのサムライさん? へー、……ふーん」
     ドールは少女かと見紛うほど背が低かったが、どう考えても子供ではなかった。なぜなら非常に魅力的な体型と仕草をしており――同性の巴景でさえ、その妖艶さに一瞬目を奪われた――その声も、非常になまめかしかった。
    「ヒノカミ君、女だから雇ったってワケじゃなさそうね」
    「ええ。紛れもなく、剣の腕で、よ」
    「そのようね。仮面と厚着で隠れてるケド、何か強そうな雰囲気があるもの」
     ドールはにっこり笑って巴景に握手を求める。巴景もそれに応じ、彼女の手を握った。
     するとドールは、「あら?」と小さくつぶやいた。
    「……? どうかしたの?」
    「いえ……。ねえアナタ、魔術も使えるの?」
     そう問われ、巴景は素直にうなずく。
    「ええ。風の魔術剣を、ね」
    「それだけ? ホントに?」
     何故か、ドールは疑い深そうに見上げてくる。
    「どう言う意味かしら?」
    「風の魔術だけ、って感じがしないわ、アナタの雰囲気が。他に何か……、誰も知らないよーなモノも、使えるんじゃない?」
    「……」
     鋭く指摘され、巴景は一瞬戸惑った。
    (強化術のことを言ってるのかしら? ……そうね、あの術は間違いなく、殺刹峰以外の人間は知る由も無い術のはず。
     ……でも、それをこの女に言うメリットがあるかしら?)
     言えば恐らく、フーと親しいドールはこのことを話すだろう。そこでフーが「頼もしいな」と思ってくれれば巴景にとってプラスになるが、「怪しい術を使う……?」といぶかしがれば、マイナスになる。
     何より会って二言目の発言で、「フーが巴景を雇った理由」を、「新しい夜伽を得たのか」と邪推したことを暗に示している。
    (割と独占欲が強いっぽいし、ここで変にアピールすれば、逆に彼女、『あの女を使わないで』とかアイツに頼みかねないわね。
     不用意な真似は、しないに越したことないわ)
     巴景は正直に言わず、ごまかしておくことにした。
    「……さあ? 思い当たるようなことは無いわね。まあ、魔術剣だから、正統派の魔術に比べたら異質に思えるのかも」
    「……そーね。そーかも」
     どうやら、ドールは納得してくれたらしい。にこっと笑い、椅子にちょこんと腰掛けた。
    「それで、アタシに何か用だったの?」
    「あ、まだちゃんと挨拶もできてないと思って、これを」
     ハインツたちに渡したように、巴景はケーキが入った箱をドールに差し出す。
    「あら、『ビーナス』のショートケーキ?」
     中身を見た途端、ドールの顔は嬉しそうにほころんだ。
    「嬉しいわぁ。大好きなの、コレ」
    「喜んでもらえて嬉しいわ、ドール」
    「うふふっ……。2個あるから、一緒にお茶しましょ」
     疑いも晴れたらしい。ドールは終始ニコニコしながら、巴景とケーキを食べていた。

     話しているうちに、ドールは別の側近のことも教えてくれた。
    「ふーん、ミラちゃんとはもう仲良しなのね。んじゃさ、もう一人魔術師がいるんだけど、その子のコトは聞いてる?」
    「もう一人? あなたと、ミラの他にもいるの?」
    「ええ。ノーラ・フラメルって言うエルフで、アタシのサポート。あ、でも魔術師って言ったケド、格闘術も割と得意だし、結構万能な子よ。実力で言えば、側近の中で3位以内じゃないかしら。
     ま、ちょっと前に……」
     言いかけて、ドールは言葉を切る。
    「前に?」
    「……あー、うん、ま、色々あってね。基本、人間ギライだから、ヒノカミ君も重用してないのよ、あんまり」
    「そんな子が、何故側近に?」
    「……色々、よ。ま、一応声だけかけてみたらどうかな、って」

     ケーキを食べた後、ドールはそのノーラと言うエルフのところに案内してくれた。
     ちなみにノーラは砦の宿舎ではなく、市街地の外れに住んでいる。そのことだけでも、彼女が軍に溶け込んでいないと言うことが良く分かる。
    「こんにちはー、ノーラちゃん。ドールよ」
    「……」
     玄関前から呼びかけたドールに、わずかに応じる声が返ってきた。
    「……何の用ですか?」
     扉越しに、やや高めの女性の声が返ってきた。
    「ノーラちゃんに会いたいって人がいるのよ。ホラ、この前そ、……軍に入った、トモエ・ホウドウって子」
    「そうですか。……今、鍵を開けます」
     カチャ、と軽い音を立てて、扉が開く。
    「はじめまして、ホウドウさん」
     出てきたのはどこか暗い印象を与える、銀髪に銀目のエルフだった。
    蒼天剣・風評録 4
    »»  2009.11.05.
    晴奈の話、第415話。
    ダークエルフ(心と性格が)。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ノーラの家に通された巴景は、家に入ったその一歩目から、ほのかに嫌な気配を感じていた。
    (何よこの、うっすらと感じる圧力は……? まるで家全体が、『帰れ』と言っているみたいな……)
     ドールが「人間ギライ」と言っていた通り、ノーラは巴景に対しても、ドールに対しても、ほとんど笑顔を見せない。見せたのは挨拶の時の会釈くらいだったし、それもわずかに口の端を歪ませた程度だった。
    「今、軍の目ぼしい人に挨拶回りしてるのよ、トモちゃん」
    「そうですか」
     ノーラは巴景と目を合わせようとしない。ずっと、自分が両手で抱えているカップに目を向けたままだ。
    「あ、自己紹介が遅れたわね。私はトモエ・ホウドウ、央南の剣士よ」
    「そうですか」
     巴景が自己紹介しても、ノーラは応じない。
    「あ、えーと、ノーラちゃん?」
    「何ですか?」
    「この子、軍に入ったばかりで知らないことばかりだから、アナタの名前も教えてあげてほしいんだけど」
    「……ああ、はい。
     私の名前はノーラ・ソリテナ・フラメル。階級は伍長です。雷の魔術を得意としてます」
     それだけ言って、ノーラはまたカップに視線を落とした。この態度に、巴景は内心かなりイライラとしていた。
    (何よ、この女? さっきからウザそうにして……)
     しかし、その感情を口には出さない。
    「よろしくね、ノーラさん」
     握手をしようと手を差し出したが、ノーラは応じない。
    「ねえ、ノーラちゃん。握手くらい、してあげてもいいんじゃない?」
     ドールに促され、ノーラはようやく手を挙げた。
    「ああ、はい。……よろしく」
    「……よろしくね、ノーラさん」

     トマスの時もそうだったが、相手に不躾な対応をされて、鷹揚に構えていられる巴景ではない。ノーラの家から軍舎に戻った後、巴景はドールに不満をぶつけていた。
    「何なの、アイツ? ずーっと人の顔も見ないで……」
    「まー、まー。……理由があんのよ、アレには」
    「理由?」
    「ええ。あの子には、ちょっと歳の離れた、父親違いのお兄さんがいたのよ。名前はリロイ。アタシたちと同じように、軍にいたの。アタシの、昔の恋人でもあったわ。
     すごく優秀な諜報員で、これまでに何度も難関、不可能とされてきた潜入作戦を成功させてきた英雄だったわ。ま、その優れた作戦遂行能力の代償として、昔の訓練で――ほんの、ちょこっと――精神を病んで、笑い顔しか作れなくなったんだけどね。
     それでも、兄妹の仲はすごく良かったわ。アタシもあの子のコトは気に入ってたし、妹みたいに思ってた。……ま、リロイとは2年くらいで別れちゃったんだけどね。アイツ、浮気性だったし。
     ともかく、リロイとノーラ、それとアタシは仲良くしてた。……515年の、あの事件までは」
    「あの、事件?」
     巴景の問いに、ドールは一枚の紙を差し出して答えた。
    「リロイはその年、中央大陸のとある場所から一振りの剣を盗み出した。その剣はあの『黒い悪魔』タイカ・カツミを倒せると言う魔剣、『バニッシャー』。
     長年カツミを倒そうと目論んでいた軍はリロイの働きを称賛し、大喜び。……で、そのままカツミを倒そうとしたのよ。
     でも冷静に考えれば、無茶もいいところ。武器があっても、それに見合うよーな人材はまだ、軍にはいなかったのよ――ま、今ならヒノカミ君がいるけどね――そのまんま戦いになれば、十中八九カツミの怒りを買って、北方が焼き払われておしまい。それを軍の頭脳だったナイジェル博士も、その弟子のリロイも分かっていたのよ。
     だから、盗んだ。自分が盗んできた剣を、もう一度、自分の軍から。博士と、そしてリロイは、この国を離れたわ。……自分の妹であるノーラと、教え子であるヒノカミ君を残してね」
    「……?」
     巴景は話の途中から、首をかしげていた。
    「ねえ、ドール? 弟子がいるって言ったけど、ナイジェル博士って、まだ20代じゃないの? それに今、牢につながれてるわよね?」
    「あ、ソッチじゃないわ。そのおじいさんの、エドムント・ナイジェル博士。今牢にいるのは、孫の方のトマス・ナイジェル博士ね」
    「ああ……」
    「アンタ、トマス君も知ってんのね。ドコから聞いたの?」
     巴景はトマスと会うのを手引きしてくれたミラのことを考え、ぼかして説明した。
    「ああ、風のうわさで聞いたのよ。そう言う人がいるって」
    「ふーん……。ま、それが元で、ヒノカミ君は軍から一時期冷遇されたし、ノーラへの風当たりもきつかったわ。ヒノカミ君が出世して護ってやらなきゃ、ノーラは多分、今でも迫害されてるでしょうね」
    「それで、あんな風に引きこもっちゃってるのね」
    「そう言うコト。まあ、あのまんま閉じこもらせても、また何やかや言われるかも知れないから、人手がほしい時には、ヒノカミ君から呼び出されてるわ」
    「なるほど、ね」
     話を聞きながら、巴景はこの、ノーラと言うエルフは懐柔しないことを決めていた。
    (軍から半ば切り離されてるような奴を抱きこんでも、無意味ね)
    蒼天剣・風評録 5
    »»  2009.11.06.
    晴奈の話、第416話。
    軍閥の密かな亀裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ノーラの他にももう一人、巴景が懐柔をしなかった人物がいた。いや、しなかったと言うより、したくなかったのである。
    「まったくヒノカミ中佐も困ったもんだよ。なぁ、トモちゃん」
    「ええ、そうね」
     それは7人目の側近、スミス・エストン軍曹である。
     彼の場合、向こうから話しかけてきたのだが、会って5分で、巴景はこの男のことが嫌いになった。
    「あの人のせいで俺たちの評判も悪いしさー、あのケバい兎もそれに拍車かけるし」
     話の半分が、目上の人間や業績を上げる同僚に対する愚痴なのである。
    「ま、俺なんかが言えた義理じゃないしさ、そこら辺は謙虚にしとかないと、目ぇ付けられるしな。そこら辺は頭使わないとさ、頭を」
     そして己を卑下し、それが美徳であるかのように、また、美徳だと思わせたいように自慢するのが残り半分である。
    (あー……、ウザい)
     巴景は半ばうんざりしながら話を聞いており、頃合を見て席を立とうと考えていた。
    「じゃないとさ、トマスみたいなことになるんだよ」
    「え?」
     が、話が気になっていた件に触れたので、巴景はもう少し話を聞いてみることにした。
    「トマスって、ナイジェル博士のことかしら」
    「そうそう、そのトマス。あいつ、俺の親戚なんだ。
     ま、博士なんて言ってもさ、絶対頭でっかちで知識しかないんだよ。頭の良さって言うので言えば、良くないんだよ、絶対」
    (ナイジェル博士の頭が悪い? フン、どっちが愚かかしらね。自分以外は案山子か何かだとでも思ってるのかしらね、このお馬鹿さんは)
     巴景はスミスの発言を内心、鼻で笑いながら、話に耳を傾けた。

     スミスの話は過分に過小評価、誇張、中傷、罵倒が多く、良識ある者には眉をひそめるような発言ばかりなので、ここではそれらの余分な情報を排除し、要約することにする。
     トマス・ナイジェル博士は祖父、エド博士が北方から亡命した後その跡を継いで、軍の戦略研究の最高責任者、及び軍事行動決定の最高顧問となった。かつて「エド博士をそのまま若くしたような人物」と評された通り、トマスは十二分にその職務を全うしていた。
     だが、フーが台頭し始めた辺りから、彼との間で確執が生じていた。周りにチヤホヤされ、有頂天になって独断専横を繰り返すフーと、綿密な配慮と計算の上で軍事行動を計画したいと考えるトマスの間で度々、意見の衝突があったのだ。
     それをフーも、フーの参謀であるアランも疎ましく思ったのだろう。昨年の半ばに、ウインドフォートを訪ねたトマスを無理矢理に拘束し、投獄してしまったのだ。
     もちろん、これは軍本部の意向を無視した独断行動であり、発覚すれば即刻、日上軍閥は解体され、フーをはじめとする軍閥の主要人物は軒並み罰せられる。
     だから軍本部には「トマス博士はウインドフォートに来ていない。途中で蒸発してしまったのではないか」と報告し、トマスを監禁していることを隠しているのだ。

    「いまだに本部の奴らも気付いてないみたいだし、トマスはもうおしまいだよ。あのまま死ぬんじゃないか?」
    「……」
     そこまで聞いたところで、巴景は席を立った。



     巴景は自分の部屋に戻り、椅子に腰掛ける。
    (この軍閥には大きな弱点があるわ。それは『あまりにもブレーンが強引過ぎる』と言うこと。
     フーの、……いいえ、アランの思惑と方針に、側近全員が引きずられている。そう、軍閥宗主のフーも、恐らくは言いなりになっている。
     でも、納得はしていないはずよ。『自分には自分の考え、やり方がある。指図するな』と、誰もが思っているわ。
     特に、周りからもてはやされたフーは、その思いが特に強いでしょうね。早晩、アランのことを疎ましく感じるわ。いいえ、もう既に疎ましく思っているかも知れない。20歳そこそこでこれだけの大組織のトップに立っているのだから、自尊心もそれなりのはず。
     そんな彼が一々指図を受けていて、疎ましく思わないわけがないわ。機会に恵まれれば必ず、アランを排斥しようとするでしょうね。
     ……そしてそれが、私にとってもチャンスになる)
     巴景は仮面を外し、ニヤリと笑った。

    蒼天剣・風評録 終
    蒼天剣・風評録 6
    »»  2009.11.07.
    晴奈の話、第417話。
    演習中の騒動。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     北方と、中央政府との戦争が再開されるのは、双月暦520年の4月下旬と予想されている。その辺りになれば海上の氷も溶け、巨大な軍艦も航行可能になるからだ。
     そこで日上軍閥は、戦争再開の予定日を4月20日と定めた。この日を目処として、砦の各所で軍事物資の調達と補充、訓練内容の強化、進攻計画の検討などが入念に行われていた。

     それだけ砦内は緊張が高まっており、いつもは何と言うことのない、特に問われるようなこともないような物事が、この時だけは並々ならぬ警戒と処罰を受けていた。
     そう、この一件――スミス・エストン軍曹の強制除隊も、その影響を少なからず受けていたのだ。



     そのきっかけは、軍閥内の剣士を集めた合同演習からだった。
    「1! 2! 1! 2!」
     上官の号令に従い、剣士たち全員が素振りをしている。それ自体は何と言うこともない、きわめて通常の訓練だった。
     が、その最中。
    「1! 2! い、……ッ!?」
     ある剣士が剣を振り下ろした直後、突然こめかみを抑え、倒れ込んだ。
    「お、おい!?」
     周りの剣士たちが慌てて、倒れた者に近付く。
    「大丈夫か!?」
    「う、うう……」
     彼の足元には爪先ほどの小石が転がっており、血もにじんでいる。明らかに彼は、これを頭に投げつけられのだ。
    「どうした!?」
     号令していた上官が駆けつけ、その石を拾い上げて頭上に掲げ、周りに怒鳴る。
    「誰だッ! 演習の真っ最中、同僚に石を投げつけた卑怯者はッ!?」
    「……」「……」「……」
     上官が周りの剣士たちをにらみつけるが、誰も首を横に振るばかりである。
    「正直に言え! 誰がやった!? お前か!? それともお前かッ!」
    「いえ……」「違います」
     次々怒鳴りつけられるが、依然誰も名乗り出ない。
     業を煮やしたらしく、上官は更に声を荒げた。
    「では聞き方を変える! 誰か、この石が飛んできたのを見た者は!?」
    「よ、横、から……」
     倒れていた者がフラフラと手を挙げ、左を指差す。
    「横?」
     その情報に、周囲にいた全員が左を向いた。
    「お前か?」
     最も遠巻きに見ていた剣士――スミスに、全員の目が向けられた。
    「はぁ!? お、俺じゃないですよ! 何で俺なんですか!?」
    「正直に言えば、まだ厳罰には処さん」
    「違いますって!」
     スミスは怒りに満ちた目で、上官に食ってかかる。
    「意識がもうろうとしてるような奴の言葉を信じて、たまたま横にいた俺が犯人ですか! そりゃないでしょう、無茶苦茶もいいところだ!」
    「貴様は日頃から、態度が良くない。側近に選ばれたとは言え、素行には大いに問題が……」「ざけんな、目玉!」「……何だとぉ?」
     スミスの侮辱に、上官の大きな目がぎょろ、といらだたしげに動いた。

     ここまで行くと、もはやスミスが「本当に犯人なのか」は問題ではなくなってしまう。そこにいるのは、「限りなく悪者に見えるスミス」である。
     なお、彼はこの直後怒り狂った上官によって鉄拳制裁を受け、彼が犯人なのかどうかは結局、うやむやになった。



     傭兵の身分である巴景は、この演習への参加を強制されてはいないし、かと言って側近であるから、見学を断られるような立場でもない。
     だから演習場の外にいても、何ら不審に思われることはない。
    「……ふふ」
     演習場の端で、巴景はわずかに口の端を緩めながら、その騒動を遠目に見ていた。その足元には、小さな石がいくつか転がっている。
    「まずは上々、と言ったところかしら」
     足元の小石を器用に蹴り上げ、己の掌に載せる。
    「誰も気付かないものね――演習と言う『枠の中』でしか騒いでいないのだから、当然かも知れないけれど」
     巴景はポン、と小石を放り投げる。
     女性にしては、いや、人間にしては見事すぎる飛距離を出し、小石は遠くへ飛んでいった。
    蒼天剣・風紀録 1
    »»  2009.11.09.
    晴奈の話、第418話。
    スミスいじめ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     スミスを巡る事件は、その後も続発した。



    「あづっ、あぢゃちゃちゃちゃ!」
     スミスが前を通り過ぎてまもなく、熱いスープの入った皿がひっくり返り、兵士の顔にかかる。

    「それでさ、賭けに負けて、……うおぁ!?」
     談笑しながら砦の外を歩いていると、花瓶が目の前を落ちてくる。上を向いたところ、3階の窓際にスミスの顔がある。

    「おかしいなー……」
     兵士の財布が消え、同僚たちが共に探す。
    「おい、あっちに落ちてたぜ」
     同僚が見つけてくれた。
    「でもさ、これ拾うちょっと前に、スミスの野郎がいたんだ」
    「……そうか」
     あったはずの中身は、銀貨一枚も残っていなかった。



     確実に、スミスが犯人だと言えるものは一件もない。しかし、状況的には非常に怪しい。そんな事件が頻発し、スミスの評判は極めて悪くなった。

     と言うよりも元々、彼の評判はそれほど良くなかった。
     軍曹と言う低い階級で、バリーやルドルフのように上官のサポート扱いでもなく、フーの正式な側近になれたのは、彼の剣術がそこそこ優れており、また、北方の名門ナイジェル家の遠縁であると言うのが理由である。
     が、人柄・人格の面では「他人をけなす」「己の自慢ばかりする」「上官に対して反抗的な態度が多い」と、あまり評価できる人物ではなかった。さらに彼が側近になったことで、不快感を抱いた者も少なくない。
     そこに、これらの事件である。彼の評判は、一気に下落した。



    「フー。エストン軍曹のことだが」
     軍閥内でスミスに対する不満、不信が高まった頃になって、アランが動き出した。
    「スミスのこと?」
    「最近の軍曹の素行について、大いに問題視すべき点が多々ある。それにより、軍閥内の士気も徐々に低下しつつある」
    「ああ、まあ、確かにな。どうしたもんかな」
    「私の意見を率直に述べれば、即刻除隊すべきだ」
    「除隊だと?」
     それを聞いて、フーは顔をしかめた。
    「そりゃ、やり過ぎじゃないか? いくらあいつに悪い噂が立ってるからって、軍から追い出すほどじゃないだろ? せめて側近からの解任くらいで、いいんじゃないか?」
    「いや、現況を鑑みれば、除隊しかあるまい」
    「普段から冷静だとは思うけどさ、もうちょい冷静になれよ、アラン。
     評判が悪いっつったって、それは前の俺と同じだろ? 俺も上から勝手な奴とか反抗的なクズとか言われてたけどよ、ちゃんとやることやってんだからさ。
     あいつもそれなりに、軍の役には立ってるはずだ。違うか?」
    「いいや、フー」
     アランは抑揚のない声で、淡々と反論する。
    「剣の腕や名家との縁を考え、軍曹と言う階級ながら特別職たる側近に格上げした。
     しかし実際、央南での作戦では重傷を負うと言う体たらくを見せ、また、ナイジェル家の現宗主たるトマス・ナイジェル博士を監禁している今、その縁を手繰ることは不可能と言っていい。彼が今後、我々の組織に寄与できる可能性は無いのだ。
     それに加えて、この騒動だ。最早彼は我々にとって、不利益しかもたらさない。側近から解任するだけでは、足りないのだ」
    「そうは言うけどよ、アラン」
     依然、スミスの除隊を容認できないフーに対し、アランはなお、己の案を強く推す。
    「ともかく、最善の策は除隊しかあるまい。私の案以上に理想的な解決策があるのならば、それを採用するが」
    「……いや、でも、……」
    「早急に判断しろ、フー。中央との再戦は、刻一刻と迫っているのだ。今ここで軍閥内の風紀が乱れては、満足に戦うことなどできない」
     フーは頭を抱え、低くうなる。
    「……くそっ」
     フーは逡巡した末に舌打ちし、アランの意見を呑んだ。
    「分かったよ……。
     本日を以って、スミス・エストン軍曹は素行不良及び軍紀撹乱(ぐんきこうらん――軍の風紀を大きく乱すこと)のため、ジーン王国軍ウインドフォート基地より除隊する」



    「……なん、です、って?」
     フーからの辞令を聞き、スミスは顔を真っ青にした。
    「うそ、でしょう?」
    「……いや、嘘や冗談ではない。正式に、辞令が下ったのだ」
     辞令を伝えたハインツは、複雑な表情でスミスを見つめている。
    「その、なんだ、うむ。気を落とすな」
    「……」
     スミスの目がうつろになり、体がブルブルと震え出す。
     その異状を見て、ハインツは一歩退き、剣に手をかけた。
    「待て、落ち着け、スミス」
    「……ふざけんなぁッ!」
     スミスはハインツを突き飛ばし、砦の最上階――フーとアランのいる部屋まで走り出した。
    「待て! 止まれ、スミス!」
     後ろからハインツが追いかけるが、普段から重装備を身に付けている彼では、怒り心頭に発したスミスには到底追いつけない。
     ハインツは大声を上げて、周りの者に助けを求めた。
    「エストン軍曹が乱心した! 誰か、誰かあいつを止めろーッ!」
     その声に応え、砦中の兵士がスミスを追いかけ、立ちはだかる。
    「邪魔するなッ!」
     だが、並の兵士ではスミスの相手にならない。次々と、スミスの振り回す剣に薙ぎ倒されていく。
    「ふざ……けるな……ッ、ふざけるなーッ!」
     スミスは怒りに身を任せ、階段を駆け上がっていった。
    蒼天剣・風紀録 2
    »»  2009.11.10.
    晴奈の話、第419話。
    怒りに怒りで火を注ぐ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     砦の最上階、フーの私室。
    「そう言うわけだからさ、ノーラ。協力してほしいんだ」
    「……」
     フーはノーラを呼び、スミスの代打を頼んでいた。
     当初、中央との海戦に同行させる側近は参謀のアラン、遠隔攻撃担当にドール、そして白兵戦担当にスミスの、計3名としていた。しかしスミスを除隊せざるを得なくなったため、急遽ノーラを入れることにしたのである。
     だが、ノーラはまったく乗り気ではない。
    「なぜ私なんですか?」
    「いや、まあ、お前じゃなきゃってわけじゃないんだけどさ」
    「じゃあ、他の人にしてください。私は行きたくありません」
    「そう言うなって。たまにゃ戦線に出ておかないと、ほら、何言われるか分かんないだろ?」
    「……もう、どうでもいいんです。もう兄が犯罪を犯してから、5年も経ちますし。いい加減みんな、私なんかのことは忘れてしまってるでしょうし」
     固辞するノーラに、フーは頭を抱える。
    「そうつっけんどんにしないでくれよ、ノーラ。俺だってさ、あんまりお前を戦争に出したくないんだって。元々、軍人向きな性格してないしさ。
     だけどお前、最近ずっと引きこもってるって言うし、たまには外に出なきゃ、頭がどうにかなっちまうぜ」
    「こうしてここにいるんですから、引きこもりじゃありません。余計な心配しないでください」
     ノーラは非常に嫌そうな顔をして、椅子から立ち上がった。
    「お話は以上ですよね。失礼します」
    「あ、待てって……」
     フーが引き止めようとした、その時だった。

     部屋の扉が乱暴に開けられ、スミスが剣を片手に押し入ってきた。
    「中佐ッ! どう言うことですか、俺が除隊って!」
    「スミス……」
     フーはノーラの前に立ち、スミスと対峙する。
    「剣を収めろ、スミス。話をしに来たんだろ?」
    「説明してください、なぜ俺が軍から追放されなきゃいけないんですか!?」
    「収めろと言ってるだろう? それとも何か、俺を斬るつもりか?」
     フーがなだめようとするが、怒りで我を忘れているスミスは応じようとしない。
    「答えろ、中佐ッ!」
    「だから、話をするのか戦うのか、どっちかって聞いてんだよ、俺は」
    「……」
     二人のやり取りを、ノーラは困った顔で眺めていた。
     と、スミスがフーの背後にいたノーラに気付く。
    「……そうか、そうですか」
    「あ?」
    「そうだったんですね、中佐。そいつを入れるために、俺に難癖付けて除隊させようって」
    「何言ってんだ、お前?」
    「この女たらしめ! お前のくだらない欲情で、俺の人生を潰そうとするんじゃねえッ!」
     スミスの怒りはさらに膨れ上がり、剣を振り上げてフーに襲い掛かった。
    「この、馬鹿がッ!」
     だが、軍のエースであるフーが、格下の攻撃を素直に食らうわけがない。紙一重でかわし、顔面を殴りつけた。
    「ぐべッ!」
     スミスは前歯を一本飛ばしながら転倒し、ゴロゴロとじゅうたんの上を転がり、壁際にぶつかった。
    「おい、そいつを砦から放り出せ!」
     フーはようやく私室に入ってきたハインツ他数名に命じ、スミスを追い出そうとした。
     ところが、兵士が倒れたスミスに近付いた途端――。
    「……ざけんな、ざけんなあああッ!」
    「ひっ……!?」
     兵士の頭をつかんで引きずり倒し、スミスはその兵士の剣を抜き取って再度襲い掛かる。
    「そこの売女もだ! まとめて切り捨ててやるッ!」
    「ば、いた……っ!?」
    「てめえ……!」
     フーも剣を抜き、スミスをにらみつける。
    「正気じゃねえな、この大馬鹿」
    「どっちが狂ってるんだ! 罪人の妹を囲って俺を追い出すなんて、この色狂いめッ!」
     スミスはフーをにらみつけ、罵詈雑言を撒き散らす。

     だが、その言葉に冷静さを失ったのは、フーではなかった。
    「……ッ!」
     ベキ、と言う鈍い音がスミスのあごから発せられた。
    「ご、ぉあ、っ」
    「誰が……、誰がッ!」
     倒れたスミスを、ノーラが馬乗りになって殴りつける。
    「誰が、誰が『売女』よ! 誰が『罪人の妹』よッ! ふざけんじゃないわよッ!」
    「お、おい、ノーラ」
     フーが唖然としつつ止めようとするが、ノーラはなおも殴り続ける。
    「私は、私は罪人じゃない! 何も罪なんか犯してない! なのに何よ、あんたたち! そんなに、誰かに罪を着せて嬲るのが面白いの!? 楽しいの!?」
    「がっ、げ、うぐっ」
     何度も殴られ、スミスの顔は紫色に変色し、腫れ上がっている。
    「いい加減にしてよ! もういい加減、私を犯罪者と呼ばないでよ! 私は無実なのよ! 何もしてないのよーッ!」
    「もうよせ、ノーラ!」
     ここでようやく、フーがノーラを羽交い絞めにしてスミスから引き離した。
    「離して、離してよ! まだ、気が済まないのよ!」
    「やめろ、ノーラ! こいつ一人に怒鳴って、何が変わるってんだ!」
    「……っ」
     ノーラはバタバタともがいていたが、やがて静かになった。
    「ともかく、そこの馬鹿は放り出せ。……俺はもう一度、ノーラと話をするから」
    「……了解です」
     呆気にとられていたハインツは思い出したように敬礼し、気絶したスミスを引きずって部屋を出て行った。
    蒼天剣・風紀録 3
    »»  2009.11.11.
    晴奈の話、第420話。
    巴景の策略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ようやく落ち着いたノーラを椅子に座らせ、フーは先程の要請をもう一度伝えた。
    「……ノーラ。お前が本当に悔しい思いをしてるってのは、俺も良く分かってる、……つもりだった。
     でもそれ以上だった。あそこまでボコボコにするなんてな」
    「……」
     ノーラはうつむいたまま、応えない。
    「でもさ、ノーラ。お前はそれだけ悔しいって感じてて、何で行動しない?」
    「……」
    「このまんま何もしなかったら、10年経っても20年経っても、いつまでも陰口叩かれるぞ。そんなの嫌だろ?」
    「……」
     ノーラはわずかに頭を下げ、うなずく。
    「だったらさ、行動してみろよ。……いい機会だと思うぜ、今度の海戦は」
    「……そう、ですね」
     ノーラは顔を上げ、フーの要請を受けた。
    「行きます、私。本当に悔しかったから、……見返してやりたい」
    「……おう。よろしく頼むぜ、ノーラ・フラメル伍長」

     ノーラが部屋を出た後、フーはテーブルに足を乗せてため息をついた。
    「ふー……。実は滅茶苦茶激しいんだな、ノーラは。
     あの人の妹さんだってこと、一瞬忘れちまうよ。あの人、いっつもニコニコ笑ってたしなぁ」



     一連の騒動をミラから伝え聞いた巴景は、「へぇ……」と驚いた声を上げた。
    「ホント、大変だったみたいですよぉ。ケガ人も、何人か出ちゃったそうですしぃ」
    「最後までお騒がせだったのね、彼」
     茶をすすりながら、巴景はしみじみとそう言ってみせた。
     が――内心は非常に喜んでいた。
    (計画通りね……。これで後々の手が打てるわ)
     巴景の考えた「アラン下ろし」の計画はこうだった。
     まず、誰かを貶めることで、アランを刺激する。再戦が迫っている現在、軍の風紀を乱す者がいれば排除するのが普通である。しかし、ただの兵士を除隊するだけでは、街のうわさにも上らない。側近クラスの重要人物が排除されることが、何より重要だったのだ。
     そこで標的に挙げられたのが、スミスである。彼は元から素行が悪かったため、貶めるのには好都合だった。巴景はスミスの周りにそれとなく近付き、彼が犯人だと思われるような行動を繰り返した。
     例えば彼が合同演習に参加している時に石を飛ばし、彼が投げたように思わせた。
     彼が食堂を歩いている時には、スープを飲んでいる者の前を通りかかった瞬間に氷を投げ、皿をひっくり返した。彼が3階の窓から顔を出して外を眺めている時、2階から花瓶を落とした。兵士の財布を盗み、金を抜き取った上で、彼の側に投げ捨てた。
     こう言った小さな悪事を繰り返し、次第にスミスの印象を悪くしていったのだ。
    (そして、今日の辞令。アランがそう指示したか、決定に関与したのは確か。
     ここで、次に打つ手は……)



     ウインドフォート砦から追い出されて以降、スミスは街の酒場で飲んだくれていた。
    「くそっ……、何で俺が……」
     毎日入り浸り、既に店の者からは無視されている。初めは同情してくれていた客たちも、近付くと管を巻かれるため、遠巻きに眺めている。
     そんな中で、帽子をかぶった女がそっと、彼の横に座る。
    「すみません、モルト酒をストレートで」
     その女の声が耳に入り、スミスはカウンターから頭を上げた。
    「……ん……」
     スミスは自分の横に座った女の顔を覗き込もうとしたが、帽子を深くかぶっているため、顔立ちは良く分からない。
    (だけど、……この声、どこかで聞いたような……?)
     酔いが回った頭を動かそうとした矢先、女の方から声をかけてくる。
    「あなた、スミス・エストン元軍曹よね?」
    「……だったら何だよ」
    「少し、話があるの」
    「……あ?」
     スミスは顔を上げ、座り直した。
    「あなたの除隊、実は裏があるのよ」
    「あんた、誰なんだ?」
    「……少し前まで、あの砦に出入りしていた者よ。日上閣下のところに」
    「……帰れ」
     スミスは顔をしかめ、女に背を向けた。
    「奴の枕になんか興味ねえよ」
    「そう言わないで……。私、知っているの。アラン・グレイが、今回の件に関わっていることを」
    「そりゃ関わってるだろうさ。あいつは、参謀だからな」
    「そう、あなたを追い出すのが、彼の策略だったのよ」
    「……策略だと?」
     スミスはもう一度、女に顔を向けた。
    蒼天剣・風紀録 4
    »»  2009.11.12.
    晴奈の話、第421話。
    噂が真実を駆逐する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     女はスミスに近寄り、詳しく話し始めた。
    「評判の悪いあなたをまず除隊し、その次は軍へあまり顔を出さない、フラメル伍長を。
     軍への寄与度が低いと思われているあなたたち二人を除隊することで、本来の目的をぼかそうとしているのよ」
    「本来の目的? 何だそりゃ」
     きな臭い話を聞かされ、スミスの酔いが段々と醒めていく。
    「現体制の一新、……と言うか、粛清よ。
     あなたも数日前まで側近だったから、分かるでしょう? 今の側近たちは、一癖も二癖もある人ばかり。上の人間としては、使い辛いのよ」
    「確かに、まあ、言われてみれば……」
    「でしょう? だから、もっと使いやすい人間と入れ替えるために、そして、入れ替えた後で反抗させないように、現行の側近を全員、見せしめとして除隊するつもりなのよ」
    「……バカ言うなよ、いくらなんでも有り得ないだろ。そんなことしたら、再戦の前に軍閥が分解しちまう」
    「あら、そう思うの? それじゃ、確認してきたら?」
    「何?」
     女は運ばれてきたモルト酒を一息に飲み干し、その息をスミスに吹きかけた。
    「フラメル伍長のところよ。もう打診なり何なり、されてるはずよ」
    「……」
     女の言葉に半信半疑ながらも、スミスはカウンターを離れた。

     スミスは恐る恐る、ノーラの家の玄関をノックする。
    「フラメル、いるか?」
    「……誰ですか?」
     ノーラの声がしたので、スミスは玄関越しに尋ねてみた。
    「お前が除隊されると聞いたんだけど、本当か?」
    「……誰です?」
    「本当なのか?」
    「誰か、って聞いてるんですけど」
     そのまま、両者とも沈黙する。
    「……俺だよ、スミスだ」
    「帰ってください。話すことなんか何もありません」
    「なあ、教えてくれよ」
    「帰って!」
     ノーラの声が険を帯びてくる。前回滅多打ちされたこともあり、スミスはそれ以上尋ねることができなかった。

     スミスは酒場に戻り、先程の女にノーラの様子を伝えた。
    「……そう。やっぱりね」
    「やっぱり? どう言う意味だ?」
    「閣下から辞令を出されて、混乱してるんじゃない? 閣下の庇護がなければ、あの子はまた非難を受けるだろうから」
    「……そう、かな」
     スミスはフーの私室でノーラに殴られたことと、彼女が叫んでいた言葉を思い出す。
    ――私は無実なのよ! 何もしてないのよーッ!――
    「……そうだな。今でも、それを恐れてる感じはあった。……とすると、本当なのかな」
    「きっとそうよ。そしてこれから、グレイ参謀の策略が本格的に……」「それ、本当?」
     いつの間にか、酒場の客が聞き耳を寄せている。
    「さっき、ちょっと話を聞いてたんだけど。グレイ参謀が側近を全員粛清って、本当に?」
    「可能性は高いわ。現にこうして、軍曹が除隊されたわけだし」
    「うんうん、確かにねー」
    「除隊……。それだけで納まるかしらね?」
     女の言葉に、スミスを含めた周りの者は全員硬直する。
    「え……?」
    「粛清、と言ったでしょう? もしかしたら参謀は、あなたが後々反乱しないように、何らかの対策を講じるかも知れないわ」
    「対策って、まさか……」
    「ええ、恐らくは」
     それだけ言って、女は席を立った。
    「……みなさん。私が、こんなことを言ったなんて、誰にも言わないでくださいね」



     女にそう口止めされたが、元々うわさ好きの好事家たちが集まってできた街である。「これ、内緒だからね」を枕詞に、うわさは瞬く間に広がっていった。
     そのうわさに辟易したのは、他ならぬアランである。
    「グレイ参謀、本当なのか?」
    「そんなわけがないだろう。今、この状況で再編などしている余裕はない」
    「……今はぁ、余裕がないんですかぁ?」
     アランに詰め寄っていた側近たちが、顔色を変える。
    「では余裕があれば、やると言うことなのか?」
    「そうは言っていない」
    「ちゃんと答えてくださいよ、参謀殿。俺たちゃ靴やかばんじゃないんですよ。そんな簡単に、取っかえ引っかえされちゃたまりませんよ」
    「だからその考えはないと、何度も言っているだろう。これだけ言っているのに、お前たちは理解できないのか?」
    「……」
     アランの言葉に、側近全員がしかめっ面になる。
     誰の顔にも、「アランは我々を見下している。やはり、粛清は本当なのかも知れない」と書いてあった。
    蒼天剣・風紀録 5
    »»  2009.11.13.
    晴奈の話、第422話。
    アラン下ろし、完了。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     アランのうわさが広がって数日後、その疑惑を決定的なものにする事件が起こった。
    「殺されねえぞ……。殺されてたまるか……」
     女の話に怯えきったスミスは今日も酒場で痛飲し、ヨロヨロとした足取りで家路を急いでいた。
    「来るなら来いよ……。返り討ちにしてやる……」
     腰に佩いた剣をさすりながら、スミスは夜の通りを歩いていく。
     と、彼の前方数メートルのところに、人影がある。その人物が発する殺気を、スミスは感じ取った。
    「……来たな、刺客め!」
    「……」
     夜空には雲が分厚く広がり、相手の姿は良く見えない。
     だが既に抜刀しており、明らかにスミスを殺そうとしているのが分かった。
    「来い! 返り討ちに……」
     怒鳴りかけたところで、彼の言葉は唐突に切れる。
    「……ごぼ、ぼっ」
     代わりに口から出たのは、大量の血だった。
     スミスの脚から、急速に力が抜けていく。そして、体中に寒気が押し寄せてくる。
    「……な……んだ……と……」
     スミスが倒れる直前、分厚い雲がすっと切れた。
     彼の目の前に、まるでスポットライトのように敵の顔が――いや、仮面が照らし出される。
     そこにいたのは、巴景だった。
    「これでほぼ、完了ね」
     その声は、どこかで聞いたことがあった。
    「……そう……か……全部……お前の……」
     その声は、酒場で出会ったあの女の声だった。



     スミスが殺されたことで、街を流れるうわさはより過激になった。
    「ねえ、エストン軍曹の話、聞いた?」
    「うんうん、聞いたよ聞いたよー」
    「路上で斬り殺されてたんだってねぇ」
    「おぉ、こわいこわい」
    「やっぱりさ、グレイ参謀の粛清って本当なのかなぁ」
    「本当でしょうね。あの女性が言っていた通りになっちゃったわけですから」
    「それじゃ今、側近のみんなは戦々恐々としてるんでしょうねぇ」
    「うんうん、絶対してるよー」

    「……アラン。お前が悪くないのは、分かってる。でもな、何とかしなきゃまずいぞ、この流れは」
     うわさはもちろん、フーの耳にも入っていた。
    「そうだな。このまま評判が下がれば、軍閥の維持も危うい」
    「ああ、今度はお前が進退を考えなきゃな」
    「……何だト? 私の、進退ヲ?」
     アランの声が、異様に甲高くなる。
    「お前は自分で言ったよな、スミスを除隊する時に『スミスは軍閥内の風紀を乱し、士気を下げている。即刻除隊、それ以上の策は無い』って。
     今のお前が、まさにその状況だろ?」
    「何ヲ、……何を言うか、フー」
     アランの声が元に戻るが、それでも動揺は隠し切れない。
    「私が貢献していないとでも言うのか?」
    「いいや、貢献してくれたさ。武器も防具も、情報を持ってきてくれた。何より、俺にすげー力をくれたんだ。お前には感謝してるさ」
    「ならば……」「でも、だ」
     フーは複雑な表情で、アランを見つめる。
    「今のこの状況を、どうやって改善する? 何かいい方法があるのか?」
    「……検討する」
     アランはフーに背を向け、部屋を出て行った。

     巴景の策は、見事に功を奏した。
     側近と参謀の間に深い溝を作り、そして今、トップとの間にも亀裂が生じようとしていた。
    (これでいい……。これで、完璧。もう私を脅かす人間はいない。後は隙を見て、いくらでも人を動かせるわ)
     アランへの不信感が募った今、彼の言葉を心から信用する者はいない。巴景の存在を危険視していたアランが彼女を排除しようと企んでも、フーや側近がその動きを阻むのは確実である。
     さらに参謀の信用が失われた今、フーが彼の策を採用することは考えにくい。そうなれば、側近の声が重要視されるのは明らかである。
     周囲の信頼を手に入れ、発言力も高まった巴景がこの先台頭していくことは、非常に容易になっていた。

    蒼天剣・風紀録 終
    蒼天剣・風紀録 6
    »»  2009.11.14.
    晴奈の話、第423話。
    戦争再開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     何も起きまいとも、何が起きようとも、それでも時間は進む。
     アランへの不信感が募り、軍閥は大きく揺らいでいたが、それでもこの日はやってきた。
     双月暦520年4月20日。中央政府との再戦を開始する日である。



     砦での観測の通り、北海は氷が溶け、大きな軍艦も航行可能であると判断された。
    「本日より、中央政府軍との交戦を再開する! 各自、所定の艦に乗り、北海を西南西へ航行せよ!」
     フーの号令に従い、大勢の兵士が軍艦に乗り込む。
     今回出撃する軍艦は、3隻。そのうちフーと側近たちが乗り込むのは旗艦である「クラウス号」である。クラウス号は軍艦2隻を引き連れ、順調に外海へと進んでいく。
     その甲板に、巴景とドールが並んで立っていた。「アラン下ろし」の後、フーはさらに側近2名を海戦に参加させることを決め、それに銃士のルドルフと、巴景が選ばれたのだ。
    「とうとう出発ね。腕が鳴るわ、ふふ……」
     訪れてからわずか2ヶ月と言う短い時間で権謀術数の限りを尽くし、軍閥内での地位を確立した巴景は、そ知らぬ顔でドールと談笑している。
    「ええ、頑張りましょうね」
     ドールも気付いているのかいないのか、にっこりと笑って返している。
    「……にしても、なぜ側近を全員連れて来なかったのかしら?」
    「ま、アタシらがいない間の守りを、ってコトもあるけど……」
     ドールは一瞬周りに目を配り、巴景に向き直る。
    「連れて来なかったハインツ、バリー、それからミラなんだけど、最近ヒノカミ君はあんまり『お気に』じゃないらしいのよ」
    「お気に……?」
    「ハインツはアンタに負けちゃって落ち目気味だったし、バリーとミラは、のったりのったりしたしゃべり方が癇に障るみたい。悪いヤツらじゃないんだけどねぇ」
    「ふーん……」
     この時、また巴景の中で他人に対する優先順位が変更された。
    (じゃ、もうハインツに媚売る必要ないか。ミラたちも、もう縁切っちゃっていいわね)
    「……ふーん」
     巴景が思案していると、ドールが意地悪そうに微笑んできた。
    「何?」
    「切る気でしょ?」
    「……何をかしら?」
    「ううん、何でもない。あ、でもトモちゃん」
     ドールは妖しく笑い、巴景の仮面を触る。
    「な、何……」「隠してもダメよ。その下にあるもの、見える人には見えてるわ」
     そう言ってドールは仮面に指を立て、左目の穴の上から、右頬のところまですうっと線を引いた。
    「……!」
    「隠すより、紛らわせた方が分かりにくいものよ」
    「……参考に、させて、もらうわ」
     巴景はゴクリと唾を飲んだが、それもどうやらドールにはお見通しのようだった。

     と――。
    「……あら?」
     ドールが急に顔を上げた。
    「どうしたの?」
    「何だか、風が冷たいわ」
    「そうね、……と言っても、私には違いが良く分からないけれど」
    「まずいかも知れないわね。この季節の風にしては、妙に冷たすぎるわ」
     不安そうに空を仰ぐドールを見て、巴景も目を向ける。確かに春先の穏やかな雲ではなく、冬に良く見る鉛の塊のような雲が、水平線の端に見え隠れしていた。
    「もしかしたら、寒気が戻ってくるのかも。最悪、また海が凍りついてしまう可能性があるわ」
     ドールはひょこひょこと兎耳を揺らしながら、軍艦の中に入っていく。巴景もその後を追いかけた。
    「どこに行くの、ドール?」
    「ヒノカミ君のところ。航行計画の見直しが要るわ」
     巴景とドールはフーのいる中心部の船室へと急ぐ。と、良く見ればあちこちから人が集まり、巴景たちと同じ方向に歩いていく。
    「あなたたちも、気付いた?」
    「ええ。進行方向から、寒気が近付いてきています」
    「このまま進むと、その寒気の真っ只中に突っ込むことになるかも」
    「そうなると……」
    「恐らくは、嵐に見舞われるでしょう。最悪、凍った海上で足止め、と言うことになるかも知れません」
     天気の急変に気付いた者たちが、大勢でフーのところに押し寄せていった。
    蒼天剣・風立録 1
    »»  2009.11.15.
    晴奈の話、第424話。
    ずれた歯車。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     巴景たちがフーの船室の前に到着すると同時に、フーと艦長、そしてアランが船室から出てきた。
    「おう、お前ら。寒気のことだろ?」
    「あ、はい」
     集まった者たちは一様にうなずく。フーも眉にしわを寄せながら、腕組みをしてうなずいた。
    「それを今、艦長と話してたんだが……」
     フーの横に立った艦長が、この先の航行計画を説明した。
    「迂回するとなれば、少なくとも3日ないし4日は、交戦予定海域への到着が遅れる。それよりも、多少のリスクを冒してでも寒気の中を進んだ方が、予定通りに到着できる。
     万が一海が凍りついたとしても、この艦には十分な砕氷設備が付けられている。この時期の氷ならば、それで十分に砕いて進むことができるだろう。
     よって進路変更はせず、このまま西南西への進路を執り続けることを提案する」
    「ってわけだ。だけど……」
     フーが苦い顔をして、アランをあごでしゃくって指し示す。
    「グレイ参謀は反対だそうだ」
    「ああ。現状で最も懸念すべきは、敵軍に北海諸島での主導権を握られることだ。数少ない陸地を先に押さえられてしまえば、我々の侵攻は非常に難しいものとなる。
     そしてもし、氷海に足を止められてしまえば、その懸念は間違いなく現実のものとなる。その危険性はできる限り回避すべきだ。4日と言うロスは痛いが、ここは迂回して確実に進むべきだと、私は考えている」
    「だそうだ。……ここにいる奴らだけでいいや。決を採ろうぜ」
     フーは左手を挙げ、兵士たちに尋ねた。
    「艦長の意見に賛成の奴」
     こちらには、巴景やドールを始めとして、ほとんどの者が手を挙げた。フーは続いて右手を挙げ、もう一度尋ねる。
    「じゃ、参謀に賛成の奴」
     こちらにはほとんど、手が挙げられなかった。恐らく「早く着くには」と言う風に、理論的に考えてはいない。「アランの意見」なので、感情的に拒否したのだろう。
    「……」
     アランから苦みばしったうなり声が聞こえてくる。フーはそれを気にせず、艦長の肩を叩いた。
    「決まりだな。このまま進むぞ」



     ところがこの判断は3日後、誤りだと分かった。
    「ダメか?」
    「ええ……。ほとんど身動きが取れませんね」
     やはり寒気の下には、氷海があった。それでも4月下旬の気候ならば、さほど厚く張ることも無いだろうと思われていたのだが、それが大きな誤算だった。
    「厚さはどのくらいなんだ?」
    「2メートル弱と推定されます。砕いて進むのは、かなり困難かと」
    「マジか……」
     報告を聞かされたフーは深いため息をついて椅子にもたれかかる。
    「だから言っただろう、迂回するべきだと」
     横にいたアランがここぞとばかりに非難してきたが、フーは背を向けて応えない。
    「仕方ない。気温が高くなって、氷が割れるようになるまでここで停まるしかないな」
    「はい。……ですが恐らく、この寒気も一時的なものと思われますし、そう時間はかからないかと」
    「どのくらいだ?」
    「長くても、3日ないし4日かと」
    「分かった。じゃ、みんなに伝えておいてくれ」
    「了解です」
     兵士が敬礼し、下がったところで、またアランが口を開く。
    「それでフー、今後はどうするつもりだ?」
    「ん?」
    「これによって、迂回した時よりもさらに2日程度、到着が遅れることになる。恐らくその間に、敵は昨年の交戦地だったブルー島を陥落させているだろう。
     敵の先制を許した責任を、どうやって償う?」「責任? お前がそんなこと言うのか?」
     苦言を呈したアランに、フーが食ってかかる。
    「そもそも、だ。俺は航行計画の変更の時、決を採っただけだ。『お前の案と艦長の案、どっちがいいか』ってな。それで、みんなはお前のことを嫌ってたから、艦長の案を採用したわけだ」
    「何だと?」
    「何だと、じゃないだろ? お前、ちゃんと自分の今の信用度、把握してるのか?
     こないだのスミスの件で、お前は大きく信用を落とした。そのフォローも無いまま、こうして船に乗ってる。兵士の気持ちになって考えてみろよ、アラン。『いつ自分たちに対して難癖を付けて処罰しようとしてくるかも分からない奴がすぐ近くでにらんでる』って考えたら、士気も下がるし統率も乱れる。
     当然、反発もする。もしお前の意見を、あの時他の奴が言ってたら、もしかしたら迂回を選んだかも知れない。『お前が』言ったから、みんな反対したんだ。
     邪魔なんだよ、お前は」
    「……ッ!」
     フーの叱咤に、アランは明らかに憤慨した様子を見せた。
    「貴様、私に対して何と言う……」「一参謀に過ぎないお前が、軍閥宗主の俺に対して、何のつもりだ?」
     フーは立ち上がり、アランをにらみつける。
    「お前が俺の力を引き出し、何度も出世の機会をくれたのは感謝してる。だけどな、それは過去のことだ。現在、お前は俺に対してどんな貢献をした? 言ってみろよ、アラン!」
    「く……」
    「貢献してるのか? 成果を挙げてるのか? 俺に何か、プラスになるようなことを今現在、してるのか?」
    「それ、は……」
    「聞いてるんだよ! 言ってみろッ!」
    「……」
    「話はこれで終わりだ。出てけ」
     フーはもう一度椅子に座り、アランに背を向けた。
     アランはブルブルと怒りに震えていたが、何も言い返さずにそのまま船室を後にした。
    蒼天剣・風立録 2
    »»  2009.11.16.
    晴奈の話、第425話。
    どん底だったフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フーとアランの確執のうわさは、すぐに艦内に広まった。
    「ヒノカミ閣下とグレイ参謀の関係はかなり冷え込んでいるらしいぞ」
    「らしいですね。でも……」
    「私は閣下を支持します」
    「ええ、自分も同意見です」
     兵士たちの雑談の輪に加わっていたルドルフも、それにうなずく。
    「だよなぁ。ヒノカミの御大、自分勝手でイケイケだけど……」
    「元々が我々と同じ一兵卒ですからねぇ。下の人間をよくかばってくれますし、気さくに声をかけてくれますし」
    「ああ。あの人なら付いていこうって気にはなるよな。……しかしグレイ参謀殿は」
     一瞬場が静まり、一呼吸おいて全員がうなずく。
    「私、キライです」
    「同じく。それなりに見識はあるようだし、参謀としては適任だが……」
    「何て言うか、冷たいんですよね。血の通ってない作戦を立てる、と言うか」
    「『自軍のミスを抑える』が前提ですもんね。私たち、そんなにグズで役立たずに見られてるんでしょうか」
    「それは自分もそう思う。あいつ、……あ、『あいつ』って言ってしまったが、まあ、参謀は兵卒のこと、歯車くらいにしか思っていないようだからな」
    「側近の方も、嫌ってるみたいですよ。ね、ルドルフさん」
     話を振られ、ルドルフは大きくうなずいた。
    「あー、うん。俺も嫌いだ、参謀殿は。
     つーか、御大も嫌いだと思うよ。あの人はあんまり、意見されるの好きじゃないだろうし。なのに口うるさく突っかかるしさ、あの参謀殿。
     ベストパートナーとは、全然言いがたいよ」
    「でも、何でヒノカミ閣下は参謀を解任しないんでしょうね? もう軍閥ができてから、3年は経つのに」
    「……うーん。謎だよなぁ」
     その意見にまた、全員が深々とうなずいた。

    「ヒノカミ君と、アランの関係?」
     巴景に尋ねられたドールは、あごに指を付けながら答える。
    「うーん、実はアタシも良く分からないのよねぇ。一応、ヒノカミ君からそう言う話はチョコチョコっと聞いてはいるんだけどね。内容が、今ひとつはっきりしないって言うか」
    「ふーん……?」
     要領を得ない答えに、巴景は首をかしげる。
    「ま、ヒノカミ君が半分寝ながらしてた話だから、ドコまでホントか分かんないんだけどね」
     そう前置きしつつ、ドールはフーから伝え聞いた、アランとの出会いを話してくれた。



     双月暦515年、秋。
     日上風は最悪だった。
    (……寂しい……)
     その頃、彼の心の中には始終寒風が吹き荒んでいた。
     己の師であり、上官でもあった男が重大な軍務規定違反を犯した――軍が保管していた魔剣、「バニッシャー」を盗み出し、国外逃亡した――ため、軍はその怒りの矛先をフーや、男の妹であるノーラなど、男の関係者に向けていたのだ。
     フーの場合は、まず仕事がもらえなくなった。軍から半年近くに渡って、何の通達もされなくなってしまったのだ。さらにその上で、毎日軍本部には顔を出すようにとだけ命じられた。
     しかし行っても、何もやらせてもらえない。ただ黙々と、朝から夕方までトレーニングだけして終わり、と言う日が続いた。そのせいで、周りからは「何の働きもせず遊んでいるだけ」と言う目で見られ、「早く除隊を申し出ろ」と、無言の圧力がかけられ続けた。
     だが、その圧力に従って軍を離れることもできない。彼には年老いた祖母がいたのだ。認知症が進んでおり、既にフーが誰なのかも分かっていない状態にあり、フーの給与と介護なしには生活ができなかった。

     そしてこの件も、フーにストレスを与えていた。何しろ、自分がなぜ北方にいるのかも忘れてしまっている状態なのだ。
    「ただいま、ばーちゃん」
    「……? あ、おかえり、雷」
     そう声をかけられ、フーは頭を抱える。
    「だから、何度も言ってんだろ。俺は風だってば。雷は親父だって」
    「……あ、そうそう。そうだったね、雷」
    「……もういいや。風呂入ってくる」
    「ああ、沸かしておいたよ。今日は一段と冷え込むからねぇ」
    「まだ9月だぜ、ばーちゃん。そんなに寒くねーって」
     祖母の言葉に苦笑したが、祖母は大真面目な顔である。
    「何言ってんだい、この子は。こんな寒さで、9月のわけないだろう」
    「……ああ、そうだな。央南だったら、真冬の寒さなんだろうな、きっと」
    「そうだよ。ほら、……えーと、雷、早く入っておいて」
    「……ああ……」
     フーは訂正する気力も無くし、そそくさと風呂に駆け込んだ。

     恩師の裏切り、軍での冷遇、会話の成り立たない肉親――誰にも相談ができないフーのストレスは、日ごとに増していった。

     そして515年の末、さらにフーは追い込まれた。祖母が老衰のため、亡くなったのである。
    「……」
     この時点でフーは、本当に孤立した。耐え難い絶望感が彼の足を止め、未来への希望を閉ざした。
     彼の目にはもう、真っ暗な闇しか見えていなかった。
    「……寂しいよ……」
    蒼天剣・風立録 3
    »»  2009.11.17.
    晴奈の話、第426話。
    悪魔との出会い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フーは何もかもを失い、絶望の淵にいた。
     だが――その無限の寂寥感、真っ暗な絶望感が、まるでブラックホールのように、悪魔を吸い寄せたのかも知れない。



     フーは絶望のあまり、吹雪の吹き荒れる夜道を、当ても無くさまよっていた。
    (このままずっと、こうやってうろついていたら。そのうち、凍死するかな)
     この頃になると、既に軍では空気扱いされており、最早圧力をかけてくるような者もいなかった。だが逆に、温かい言葉をかけてくれるような者もいない。そう、肉親を亡くしたばかりだと言うのに、軍でも、街中でも、お悔やみの声ひとつかからなかったのだ。
     彼はまさしく、空気同然となっていた。
    (……消えたい……)

     そんな状態だったから、突然後ろから肩を叩かれた時、フーは非常に驚いた。
    「……探したぞ、『4番目』」「……!?」
     フーは後ろを振り返った。そこには、「怪しい」としか言いようの無い者が立っていた。
    「だ……、誰だ、アンタ!?」
    「私の名はアル、……アラン・グレイだ」
    「アラン? 俺なんかに、何か用なのか?」
    「『なんか』、だと? ……謙遜するな、御子よ。お前ほどの人物が、何と矮小なものの言い方をするのか」
    「……何言ってんだ?」
     フーはただぽかんと、そのフードの男、アランを眺めていた。

     他にどうしようもないので、フーはその異常に怪しい男を家へと招き入れた。
    「んで、その、アランさん、だっけ。俺が、何ですって?」
    「お前は御子なのだ」
    「……はあ、そうスか」
     フーはこの時、頭の中で「やべーコイツ、頭おかしいぜ」と警戒していた。
    「えーと、まあ、今日くらいは泊めてもいいんで、明日になったら病院行ってくださいね」
    「私の言が信じられんようだな」
    「はいはい、病院行ってくださいっスね、……明日と言わず、今からでもいいっスけどね」
    「信じられないのも無理は無い。突然押しかけた男に、『お前は救世主だ』などといきなり言われて、誰が信じようか」
    「……分かってんなら、さっさと帰ってほしいんスけどね」
     会話の成り立たないこの男と延々話し続けるのに精神的限界を感じ、フーはそっと、剣を手に取った。
    「その剣で私を斬るつもりか?」
    「……だったらどーなんスか。このまま素直に帰ってくれるんスか?」
    「まずは、話を聞いてもらわねばな」
     アランはそう言うと、フーの前からふっと姿を消した。
    「……!?」
     突然消えたアランに面食らい、フーは辺りをきょろきょろと見回す。
    「ここだ」「……ッ」
     背後からアランの声がする。振り向こうとした瞬間、剣を握っていた右手に一瞬、電気的な痛みが走った。
    「いだ……っ」
     痛みに耐え切れず、フーは剣から手を離してしまう。アランは宙に浮いた剣を、がっしりと握り締める。
    「ともかく、攻撃手段は封じさせてもらう。冷静な話し合いに、剣は不要だ」
     アランがそう言った次の瞬間、ビキッと言う異様な音が響いた。
    「な、……!?」
     アランが握っていた剣が、まるで紙粘土をねじったように、グズグズに折られていた。
    「話をしてもいいか?」
    「……わか、った」
     フーはそれ以上何も言えず、素直に話を聞くしかなかった。

     フーが大人しくなったところで、アランはとんでもないスケールの話をし始めた。
    「北方神話は知っているか?」
    「知ってる、って言えば知ってます。その、大体の、さわりって部分くらいは」
    「ならば『神の御子』の伝説も聞いているな?」
    「ええ、まあ。世界が危機に見舞われた時に現れて、平和をもたらすってアレでしょ?」
     フーの回答に、アランは短くうなずく。
    「概ね、その通りだ。世界に悪がはびこり、混乱するその時に降臨し、悪を滅ぼし世界を善く導く存在。それが『御子』だ。
     今、この世界は混乱に満ちている。中央大陸では各地で戦乱、混乱が起こり、他の地域においても騒乱が絶えない。お前が巻き込まれたこの度の騒動も、こうした混乱の一つと言ってもいいだろう」
    「そんなもんっスかねぇ……」
    「思い返してみるといい。常識的な展開だったか?」
    「……まあ、言われてみりゃ、一軍人がいきなり軍に反旗を翻すなんて、並の出来事じゃないっスけど」
    「そうだろう? 並々ならぬことが次々に起こることこそ、混乱の世の常だ」
     眉唾くさい話の展開に辟易しながらも、フーは尋ねてみる。
    「それで、その御子が俺って言うんスか?」
    「そうだ」
    「そーは思えないんっスけどねぇ。俺、はっきり言ってカスみたいなもんですし」
     フーの言い方に、アランは大きく頭を振り、嘆息する。
    「……ああ、何と萎縮したものの考え方だ!」
    「普通だと思うんスけど……」
    「何が普通なものか! 周りからの圧力に精神がねじれ、縮こまっているではないか! これではまるで、雨に怯える子羊だ!」
     そう言うなりアランは、フーの頭をがしっとつかんだ。
    「な、何するんスか」
    「本当のお前はそんな小さな器ではない――今、本当の『虎』にしてやろう」
    「へっ……?」

     次の瞬間、フーの脳内が煮えたぎった。
    「……がッ……かっ……くぁ……ッ……」
     頭の中を、尋常ではない電撃が走り抜ける。
    (なんだなんんだんあなんだこおえらこえれはこれはなんだ)
     まるで脳みそが頭蓋の中で爆発し、耳目や口から噴き出したのではないかと思うほどの衝撃だった。
    (いったいたいいたいなにななにいがぎがどううづどうなって)
     そしてそのまま、フーの意識はそこで途切れた。
    蒼天剣・風立録 4
    »»  2009.11.18.
    晴奈の話、第427話。
    超人になったフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……ん、んん」
     フーが目を覚ました頃には、すでに夜が明け始めていた。床に寝そべっていたフーは、よろよろと立ち上がる。
    「何だったんだ? 今の? ……アランさん?」
     辺りを見回すが、アランの姿は無い。
    「夢……、か? いや、……何だ? 何か、頭……体……の奥が、チリチリする」
     昨日までの憂鬱な気持ちはどこかへ消えうせ、体の奥底から力が湧き出ているような爽快感が、全身に巡り回っている。
    「何なんだ? ……力が、みなぎってる」
     その日から、彼の人生はガラリと変わった。
     彼の中で、「力」が目覚めたのだ。

     ともかく朝になっていたし、軍からは――依然、何の命令も下されないままだが――毎朝本部に来るよう指示されている。
     本部に向かい、出勤したことを告げた後、いつも通りに訓練場へと向かった。そしていつも通りに、錘(おもり)の付いた模擬剣で素振りをしようと、訓練場の受付に声をかけた。
    「あの」
    「……」
    「すいません」
    「……」
    「剣、お願いします」
    「……はい」
     そしていつも通り、半分無視されたような状態で剣を渡される。
     いつもと違ったのは、妙に軽い剣を渡されたことだ。
    「……すいません。もっと重いもの、お願いします」
    「……いつものだよ」
    「なわけないじゃないっスか。やめてくださいよ、一々こんなくだらないことすんの」
    「……チッ」
     係員はうざったそうに舌打ちし、奥から台車で剣を運んできた。
    「ならこの25キロのでも使ったらどうだ。重たいぞ」
    「に、25、っスか」
     普段使っているものより、数段重たいものを示される。恐らくは、よほど筋骨隆々とした戦士でもなければ扱うことのできない、半ばジョークのつもりで置いてあるものだろう。
    (嫌な奴……)
     だが、ここまでコケにされて退く気にもなれない。
    「……じゃ、それで」
    「ケケケ……」
     内心「ふざけんな」と思いつつも、フーはそれを手に取った。
     ところが――。
    「……? あの」
    「何だ? やっぱり変えるのか? ひひ……」
    「アンタ、何がしたいんっスか?」
    「あ?」
     フーは手にした剣を、片手でひょいと上に掲げた。
    「こんな風に持ち上げられる剣が、25のわけないじゃないっスか。どうせからかうなら、本当に25の渡せばいいじゃないっスか。人をバカにすんのも、いい加減にしてほしいんスけどね」
    「いや、あの」
     先程まで小馬鹿にしていた係員が、目を丸くしている。
    「それ、本当に、25キロ、なんだけど」
    「……へ?」

     係員の勧めにより、フーは体力測定を行った。
     その結果、驚くべきことが分かった。なんとフーの筋力は、これまでの5倍以上に跳ね上がっていたのだ。単純に言えば、これまで20キロの砂袋を肩に乗せてフラフラ担ぐのが精一杯だったフーは、100キロの鉄骨を片手で楽々持ち上げられるようになっていた。
     さらに他の測定も行い、彼の能力は全体的に、飛躍的に上昇していることが判明した。頭脳も、五感も、そして魔力も――弱い部類に入る「虎」のはずだが――少なからず、むしろ常人より非常に強くなっていた。
     一夜にして、彼は超人に変化していたのである。



     こんな逸材を、軍が放っておくわけが無い。これまで冷遇されたことが嘘のように、軍は彼に手厚い扱いを施した。
    「特別訓練プログラム?」
    「ああ。最近、中央との関係が悪化しつつあるからね。戦争になる可能性が高い。それを見越して、優れた兵士を育成するための訓練を計画してるんだ」
     フーに強化訓練を勧めたのは、この当時既に祖父の汚名を返上し、新たな軍の頭脳となっていたトマス・ナイジェル博士だった。「バニッシャー強奪事件」の関係者近辺で軍からの誹謗を免れた、数少ない人物である。
     フーの師とトマスは祖父との関係で親しくしており、その関係でフーとトマスも顔見知りだった。この勧めは冷遇されていたフーを憐れんでのことである。
    「これを受ければ、数ヵ月後には間違いなく王国軍の将校になれる。これまでの冷遇から、完全に開放されるはずだ」
    「なるほど……」
    「それだけじゃない。もし佐官クラスになれば、相当の社会的地位も得られる。今後の働きによっては、沿岸部の基地を任されるかもしれないよ」
    「沿岸基地の責任者、っスか」
     極寒の地である北方において、恵まれた土地は非常に少ない。王国の首都フェルタイルや観光都市ミラーフィールド周辺、そして南東部の沿岸以外は、満足に作物も実らない不毛の地なのである。
     その沿岸部にある基地を任されると言うことは、裕福な生活が送れると言うことでもある。
    「いいっスね」
    「でも訓練は非常にハードになることが予想される。下手すれば、あの『黒い悪魔』を相手にしなきゃいけなくなるかも知れないからね」
    「確かにそうっスよね。カツミは最近、中央政府から離れてるらしいっスけど、気紛れで参加する可能性もありますからね」
    「へぇ……」
     トマスはフーの見識に舌を巻き、眼鏡をつい、と直しながら感心した。
    「どうしたの、ヒノカミ君? こないだまでこんな話振ってたら、『へー、そうなんスか』しか言わなかったのに」
    「成長したんスよ、……ハハ」



     その強化訓練を、フーはわずか二ヶ月で修了した。たった二ヶ月で、彼は軍のエースになれたのだ。
     もちろん、他の兵士たちが凡庸だったと言うわけではない。王国軍全体から集められた優秀な兵士たちを凌駕するほど、フーの力がずば抜けていたのである。
     フーの階級は、一気に大尉へと上がった。かつて彼の師が20代半ばで就いていた階級に、たった18歳のフーが並んだのだ。
    蒼天剣・風立録 5
    »»  2009.11.19.
    晴奈の話、第428話。
    ドールの好みの子。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     そしてトマスの予想通り双月暦516年の5月、北方ジーン王国と中央政府との戦争が始まった。
     開戦の大まかな口実としては、「中央政府の権力者であるカツミ討伐を考えており、また、その実行手段も手に入れているジーン王国を看過することはできない。実力行使により、その手段・戦力の奪取、封印を行う」と言うものである。
     行間にチラホラと中央政府側の思惑が見て取れる内容であり、仕掛けたのは間違いなく、中央政府側だった。

     開戦の前日。
     フーの元に、再びアランが現れた。
    「いよいよ活躍する時が来たな、フー」
    「……お久しぶりっスね、アランさん」
     フーにそう呼ばれ、アランはわずかに首を振った。
    「御子たるお前が、私に敬語を使う必要はない。アランで構わない」
    「そうっスか。……アラン、何の用だ?」
    「そう、それでいい。
     これより私は、お前を導く参謀となろう。私の指示に従い、その通りに動けば、お前はこの世の王、英雄、偉人――御子になれる」



    「……でー、それから4年間、ヒノカミ君はアランの指示に従い、軍閥を形成したり、央中に飛んでネール大公から神器をもらったり、央南から『バニッシャー』を取り返したり、色々やったワケよ」
    「ふうん……」
     巴景はうなずきかけたが、話の最後にさらっと言われたことが気にかかった。
    「……え、じゃあ。もう『バニッシャー』って武器は、中佐のところに?」
    「ええ。アタシも一緒に行って取ってきたから、確かよ」
    「そんな話、聞いたことないわ。その、何だっけ、リロイって人が奪って、そのままになってるって」
    「そうよ。公には、ね。軍本部は、まったく関与してないわ」
    「……それは、軍務規定違反になるんじゃないの? 中佐といえど、そんな武器を隠し持ってたら……」
    「そーよ。バレたら大問題になるわね」
    「……何でそれを私に言うの?」
     巴景はドールの思惑が分からず、当惑する。
    「ふふ……。アナタが気に入ったからかしら、ね」
     そう言って、ドールはひょいと巴景の仮面に手をかけ、取りさらった。
    「あっ……」
    「アラ、キレイな顔してるじゃない。フェイスペイントみたいでかっこいいわよ、その傷跡も」
    「ちょ、ちょっと、返してよ」
     巴景は慌てて手を伸ばすが、ドールはひょいひょいと仮面を持った手を振り、返そうとしない。
    「いいじゃない、今ここには、アタシとアナタしかいないんだもの」
    「そう言う問題じゃ……」
     顔を真っ赤にする巴景に、ドールは仮面を持っていないもう一方の手を近付けた。
    「な、何?」
    「アタシはね、トモエ」
     ドールは巴景の首に手を回し、引き寄せる。互いの顔が触れそうなところにまで近付けたところで、熱っぽく口を開いた。
    「いつもニコニコヘラヘラしてる人より、そうやって感情的に動く人の方が好きなの。だからヒノカミ君とも付き合ってるし、『おかしくなっちゃう』前のリロイも好きだった。
     アナタも……、なかなか魅力的よ」
     そう言ってドールは、巴景の頬に口付けした。
    「な、なっ……」
    「うふふふ……。はい、仮面」
    「……っ!」
     仮面を返され、巴景は慌てて付け直した。
    「アナタ、可愛いわね。クスクス……」
    「かっ、からかわないでよ、もおっ!」
     巴景はその場にへたり込み、仮面を押さえつけるように両手で顔を覆った。

    「……はぁ」
     何とか平静を取り戻し、巴景は顔を伏せたまま、椅子に座り込んだ。
    「……それにしても、リロイって人。あなたの話によく出てくるけれど、いったいどんな人だったの?
     聞いた感じでは、いつもヘラヘラしてる人って言う印象しかないんだけど、そんな人が黒鳥宮に侵入したり、『バニッシャー』を軍から盗み出したりするなんて、私には思えないわ」
    「ああ……。そこが、リロイのすごいトコよ。あの人は感情を押し殺せる。そのヘラヘラした笑顔の裏に、ね。その点は仮面で感情を隠すアナタにも、どこか似てるわね」
    「でも、その話。他の人に聞くと、何かおかしいのよ。別の人は、エルスって人がやったとか」
    「『エルス(L‘s)』って言うのは、リロイのコードネームよ。
     本名が『リロイ・リキテン・グラッド(Lliroy Liquiten Glad)』だから。Lばっかりでしょ?」
    「なるほど……」
    「ま、そのコードネームもらってから、リロイは『自分の長い本名をサインしたり名乗ったりするのは面倒だから』って、エルスって名乗ってたけどね」
     ドールの昔話は、リロイ――エルスの話へと移っていった。

    蒼天剣・風立録 終
    蒼天剣・風立録 6
    »»  2009.11.20.
    晴奈の話、第429話。
    コードネーム、L。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「名前には、意味がある」
     ジーン王立大学の学長室。黒板と書物に囲まれたその部屋の中央に、3人の人間が座っていた。
    「例えば古代、ジーン第一王朝以前の、豪族割拠の時代。有力な人間の名前には、数字が用いられることがあった。
     第一王朝、唯一の王であったレン・ジーンの名前、『レン』も、現代の言葉では『0』を意味する。つまり世界で唯一の王であり神である、自分以外の王の存在は無い、0であると言いたかったのだろう」
     弁舌を振るっているのは兎獣人の大学教授、ラルフ・ホーランド。眼鏡をかけた老エルフと、銀髪の短耳とを前にして、黒板に自分の説を書き連ねている。
    「彼は古代神話における『御子』をも名乗っていた。その名残が、その後現れた『猫姫』こと、イール・サンドラ氏にも現れている。
     彼女の『イール』と言う名もまた、古代語で『1』を表しており、また、彼女も死ぬ1年ほど前から、自分のことを『御子』と名乗っていた」
    「御子と言えば、その後にも2度、出現したと言われておるな」
     手を挙げ黒板を指差したのは、わずかに白髪の残った眼鏡のエルフ。「知多星」と呼ばれた大学者、エドムント・ナイジェル博士だ。
    「330年の屏風山脈騒乱にも、リューク・ドワイトと言う中央軍の兵士がそう名乗っておったそうじゃ」
    「それと460年頃にも、南海にあったと言われているトライン教団の教祖が名乗っていたらしいですね」
     残る一人も手を挙げる。
    「そう、その通り。実はその2名の名前――『リューク』と『ゼルー』も、それぞれ『2』『3』を表しているんだ。
     この共通点から、この4名は正当な御子たちの系譜であると言う説が有力だ。そして恐らく、次に現れるであろう御子は、こう名乗るだろうと予測できる」
     ラルフは黒板に、「4番目=Fuet」と書いた。
    「どう読むんですか?」
    「『フェット』か、『フューエ』、もしくはもっと簡単に、『フー』だな」
    「ふむ」
    「と……。話は若干それたが、ともかく、名前には何らかの意味がある。
     君のコードネームを考える上でも、単純に番号を振り当てるだけでは、何の意味も成さない。ひいては存在理由など、哲学的意味においても……」「いいんじゃて、そんな細かいことは」
     ラルフの話を、ずっと苦い顔をしていたエドがさえぎった。
    「わしらはお前さんの長ったらしい講義を聞きに来たわけではない。シンプルかつ諜報員に似つかわしいコードネームを付ける上で、お前さんの意見を聞きに来ただけじゃ」
    「分かってる、分かってる。……コホン」
     ラルフも苦虫を噛み潰したような顔で、エドをにらむ。
    「それでリロイ君、君の名前は何て言ったっけな」
    「はい。リロイ・リキテン・グラッドです」
     その名前を聞きながら、ラルフは黒板に書き付ける。
    「リキテンって、スペルはLichtenかな?」
    「いえ、Liquitenです」
    「ふーん、『流体(Liquid)』からかな」
    「あと、リロイも違います。Leroyじゃなくて、Lliroyです」
    「Lばっかりだなぁ。……ふーん、Lか。じゃ、Lばっかりと言うことで、L‘sと言うのはどうだろう?」
    「エル、ス?」
    「そう。単純に番号を振り当てられるよりは、はるかに名前の体を成していると思わないか?」
    「なるほど。悪くは無い。よし、それではリロイ、お前さんのコードネームは『エルス』じゃ」
    「エルス……。はい、分かりました」
     リロイ――エルスは素直にうなずき、その名前を受け入れた。



    「へぇ……。ドールのおじいさんって、大学教授だったのね」
    「え、感心したトコそこぉ?」
     苦笑するドールを見て、巴景も口元を緩ませる。
    「ああ、いえ、ちょっと意外だなって。……それじゃ中佐がエルスに会ったのは、その後なのね」
    「ええ。結構、すぐだったんじゃないかしら」



    「さて、リロイ改め、エルス少尉。いきなりじゃが、チームを組んでもらいたい」
    「チーム、ですか」
     エドは黒板に2枚の写真を貼り付ける。
    「あれ? こっちの青い髪の女の子、リストちゃんじゃないですか」
    「そうじゃ。今年で16になるんじゃが、跳ねっ返りでのー」
    「それで、博士のお膝元で、ってことですか」
    「そう言うことじゃ」
     続いてエドは、もう一枚の写真を指差す。
    「そしてこちらは、新兵のフー・ヒノカミ。央南系の3世で、虎獣人の子じゃが……」
    「何だかワルそうな顔してますねー」
    「うむ。素行が悪く、これまでに何度も問題を起こしておる。軍の人事部は即刻辞めさせるべきじゃと言うとるが、戦闘能力はそれなりにある。15歳とまだ若く可能性はあるし、団体行動を学ばせれば使い物になる人材だと、わしは見ておる」
     二人の評価を聞き、エルスは腕を組んだ。
    「……つまり、人格的に問題のある人間2名を僕の下に就かせて、監視及び矯正させようと」
    「そうなる。ま、他に理由を挙げるとすれば、お前さん以外に適任がおらんのじゃ。他の候補者は皆、自分勝手でプライドの高い奴か、考え無しで粗暴なアホばかりじゃからのう」
    「なるほど、そう言われれば僕だけかも知れませんね」

     これが513年のことである。
     ここから2年後の515年まで、エルスはその2名とチームを組むことになった。
    蒼天剣・風師録 1
    »»  2009.11.23.
    晴奈の話、第430話。
    L'sチームの誕生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     エルスとエドの前に立たされたその2名は、始終エルスたちをにらみつけていた。
    「こんにちは、リストちゃん。それからはじめまして、ヒノカミ君」
    「……」「……」
     エルスが会釈したが、依然二人はにらみ続けている。
    「これからこの3名で、チームを組んで行動してもらう。何か質問はあるか?」
     エドの言葉に、まずリストが手を挙げた。
    「帰っていい?」
    「ダメじゃ」
    「帰るわ」
    「ダメじゃと言うとろうが!」
     怒るエドに対し、リストはぷい、と顔を背ける。
    「何でアタシが、こんなヘラヘラした奴の下に就かなきゃいけないのよ」
    「お前さんが家で癇癪起こして、お母さんを殴ったからじゃろうが」
    「だって、あれはあの女が……」「自分の肉親を『あの女』呼ばわりするでない!」「……フン」
     リストは非常に反抗的な態度ばかりで、話を聞こうとしない。
     そしてもう一人、フーもずっとエルスをにらみ続けている。
    「……」
    「どうしたのかな?」
    「アンタ、エルス・グラッドっつったよな。聞いた通りのアホ面だな」
    「うん、そうだね」
     エルスはニコニコしたまま、フーに尋ねる。
    「君のうわさも聞いたよ。訓練中、同僚4名を殴り倒したんだってね」
    「ヘッ」
     フーも斜に構え、エルスとまともに話をしようとしない。
    「んー」
     エルスはエドに向き直り、質問した。
    「最初の任務って、何ですか?」
    「あ、いや。まずはチームに慣れてもらって……」
     エドが説明しかけた、次の瞬間。
    「うっ……?」「げっ……!」
     リストとフーが、突然倒れた。
    「お、おい? いきなり何をするんじゃリロ、……エルス?」
     リストたちを気絶させたのは、エルスだった。
    「慣れるって言うことなら、ともかく任務に就かせた方が早いんじゃないですか? これじゃ話もできそうにないし」
    「……うーむ」



    「ん……」「う……」
     リストとフーは、同時に目を覚ました。
    「え、……あれ? ここ、ドコよ」
    「知るかよ。……ん?」
     辺りを見回すと、そこは雪の無い林の中だった。明らかに王国の首都でも、首都周辺の山間部でもない。
    「暖かい……。ここって、沿岸部?」
    「知るかって」
     二人から少し離れたところで、エルスが単眼鏡を覗いている。エルスは覗きながら、二人に声をかけた。
    「やあ、おはよう」
    「おはよう、……じゃないわよ、何なのよアンタ!?」
    「ここ、どこだよ! いきなり何しやがるんだ、クソ野郎!」
    「……クスっ」
     依然単眼鏡を覗きながら、エルスは苦笑する。
    「何がおかしいんだよ、おい!」
    「ヒノカミ君……、フーって呼ばせてもらうけど、フー。『いきなり何しやがるんだ』ってその台詞、戦場の真っ只中でも言えると思う?」
    「あ?」
    「ここが戦場で、あっちこっちで斬り合い、撃ち合いになってたら、そんなのんきなこと言ってられないと思うよ。そんな悠長な台詞吐いてたら、あっと言う間に蜂の巣になっちゃうよ」
     エルスの言を、リストが鼻で笑う。
    「何それ? 屁理屈こねないでよね、バカっぽい顔のクセして。で、ここはドコなのよ?」
    「それからリストちゃん、君もだよ。現状を自分で把握しようともしないで、誰彼構わず『ここドコなのよ、教えなさいよタコ』みたいなことばっかり言ってちゃ、生き残れないよ」
    「……バカっぽいんじゃなくて、バカなのねアンタ。会話が成り立たないわ」
    「君が話を聞こうとしないんだろう? 聞きたければ教えるけれど、それで満足するとは思えないなぁ」
     つかみどころの無いエルスの話に、二人は次第にイラつき始めた。
    「いいから教えろよ、ボケが!」「言えって言ってんのよ、耳ついてんでしょ!?」
    「それからもう一つ。軍隊において団体行動は基本中の基本、第一に守るべきルールだ。部下は上官に従ってもらう。これが鉄則だよ」
    「偉そうにしてんじゃねーよ!」「何が団体行動よ、やってらんないわ!」
     ここでようやく、エルスは単眼鏡から目を離した。
    「もっかい気絶したいの? 今度気を失ったら多分、君たちは人間辞めちゃうことになるけど」
    「……は?」「何つった?」
     エルスは二人に手招きし、単眼鏡を渡した。
    「これで、あっちの方を見てごらん」
    「……?」
     二人は何を言いたいのかといぶかしがりながらも、エルスの示した方向を覗いてみた。
    「……何? あれ」
    「コンテナ」
    「それは分かってるわよ。……何を、詰めてるの?」
    「いい質問だね」
     エルスはにっこりと笑い、答えを述べた。
    「人間が積み込まれてるんだ。
     君たちが気絶したままここに放っておかれたら、目が覚めた時にはきっと袋詰めにされて、あのコンテナに乗ってると思うよ」
    蒼天剣・風師録 2
    »»  2009.11.24.
    晴奈の話、第431話。
    はじめての作戦会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     二人が青ざめて黙りこくったところで、エルスはのほほんと説明を始めた。
    「じゃ、ブリーフィング(作戦の要旨説明)に入ろうか。
     ここは北海諸島の第5島、フロスト島。知ってると思うけど、中央大陸と北方大陸の間には、5つの島がある。ここはその中でも、最も北方に近い島だ。
     で、あいつらは誰なのかって言うと、分かりやすく言えば海賊。あちこちの島や沿岸部の街でさらってきた人間を眠らせてからあーやって箱詰めにして、南海とか西方の貴族や富豪たちに、奴隷として売りつけてるんだ」
    「そ、そんな非人道的なコト、許されるワケないじゃないの!?」
    「そう。公には、そうなんだ。でもこれは秘密裏に行われる取引だし、奴隷になった人たちはどこかの趣味の悪い貴族だか王族だかの屋敷の地下深くで強制労働させられた末に衰弱死するから、どこにもその事実は漏れない。
     でもリストちゃんの言った通り、公にさらせば大問題になるし、買った人間にとっては地位と名誉、財産を失うほどの大打撃になる。この作戦は北方の王室政府と関係の悪い、西方のある王族の失脚を狙っているんだ。ついでに国際問題を解決して、王国の世界的地位の向上を図ると言う目的もある」
    「……で、何で俺たちはここに? ここで犯罪が行われてることを知らせるだけなら、アンタ一人でいいでしょ?」
     フーの質問に、エルスはチ、チ、と指を振った。
    「そうも行かない。僕一人の力だけじゃ、あれを運びきれないからね」
    「あれ?」
     エルスはにっこり笑い、部屋一つ分くらいのコンテナを指差す。
    「……あれを運ぶ?」
    「うん」
    「6個あるわよ」
    「うん」
    「全部っスか」
    「うん」
    「……マジっスか」
    「うん、マジ。
     だってさ、あの中にいるのは、罪も無い人たちだよ? 普通に港町で暮らしてたり、楽しい観光に来てたりした人たちだ。
     それをいきなり、はるか彼方の地下深くに追いやられて、こき使われて死んじゃうのを黙って見過ごすって言うのは、気分が悪いよね?」
    「そりゃ、まあ……」
     うなずいた二人を見て、エルスはうんうんとうなずいた。
    「じゃ、早速……」「ちょ、ちょっと待ってってば!」
     立ち上がりかけたエルスを、リストが慌てて引き止める。
    「何かな?」
    「何でアタシたちがやらなきゃいけないのよ? 他にもいるじゃない、もっと、その、こーゆーコトに向いてる人とか」
    「うん。だから、僕たちが来たんだ。僕たちはそーゆーことをするチームなんだよ」
     これ以上エルスに反論しても無駄だと悟ったのか、リストとフーは無言になった。

     エルスの立てた救出作戦は、次の通り。
     まずコンテナがすべて海賊船に運び込まれたところで、二手に分かれて攻撃を仕掛ける。片方は陽動役、そしてもう片方は船を奪う役である。
     敵は一斉に拿捕するか、もしくは――。
    「……殺せってことっスか」
    「やむなしと判断した場合には、ね」
    「それで、陽動は誰が? アンタ?」
    「考えてしゃべろうね、リストちゃん」
     エルスは苦笑しつつ、所見を述べる。
    「僕が陽動に回ったら、君とフーだけになるよね。どうやって船までたどり着いて、どうやって船を動かすつもりかな?」
    「あ……、そう、よね」
    「陽動はフー、君にお願いするよ。とりあえず、僕の指示をこなすまで暴れ回ってくれればいいから」
    「……俺が、っスか」
    「リストちゃんは女の子だし、囲まれたら多分、どうしようもなくなるからね。
     で、リストちゃんは僕と一緒に、船を奪う役に就いてもらう」
    「陽動を2人、ってワケには……」
    「行かないよ? 船を奪う間、防衛線を張ってもらわなきゃいけないから。確か君、エドさんから銃について教えられてたよね?」
    「じゅ、銃? ……まあ、そりゃ、教えてもらったけど」
     リストは不安げな表情で、腰に提げた銃を触る。
    「僕が船を奪っている間、それを使って近寄ってくる敵を叩いてほしいんだ」
    「つ、つまり、アタシに、人を撃てって?」
    「うん。あ、でも無理矢理殺さなくてもいいよ。脚とかを撃って行動不能にしてくれれば、それでいい」
    「あ、うん。……うん」
     リストもフーも、ゴクリと唾を飲んだ。
    蒼天剣・風師録 3
    »»  2009.11.25.
    晴奈の話、第432話。
    海賊撃破作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     コンテナの中に皮袋――中身はジーン王国の沿岸部でさらってきた人間である――を詰め込んでいた海賊たちは、林の方からガサガサと何かが走ってくる音を聞きつけ、作業の手を止めた。
    「……ん?」「何だ?」
     海賊たちがいぶかしがり、顔を上げると同時に、林から飛び出してきたフーが、その顔に拳をめり込ませた。
    「ぐえっ!?」
    「な、何者だ!?」
    「おっ、俺はっ、ジーン王国軍の、……えっと何だっけ、あ、沿岸警備隊の者だッ! お、お前らおとなしくしろッ!」
    「軍……!?」
     海賊たちの顔に緊張が走る。フーは剣を構え、彼らと対峙する。
    「く……!」
    「構うこたねぇ、やっちまえッ!」
     海賊の一人が剣を振り上げ、号令をかける。そして、号令を聞きつけ、新たに海賊がやってくる。
     この間、フーはエルスから指示されたことを、頭の中で繰り返し唱えていた。
    (まず、奇襲で一人か二人倒す。で、王国の警備隊って名乗って、そんで、周りに向かって怒鳴り散らしてる奴がいたら絶対にそいつを倒す、だっけか。
     怒鳴った奴って、あいつだよな。あの、赤いシャツの短耳倒せばいいんだよな?)
    「うらああッ!」
     まず、近くにいた海賊2名がフーに襲い掛かってくる。
    「……ッ! くそ、このッ!」
     フーは攻撃をギリギリでかわし、剣を垂直に構えて、剣の腹で海賊の腹と胸を叩く。
    「げぼッ!?」「うぐぁ……」
     刃は当てていないが、金属の塊である。まだ15歳とは言え、虎獣人の筋力でそれをぶつけられては、立っていられない。
     あっと言う間に仲間が3人動かなくなり、残った海賊たちは怖気付く。
    「やべぇ、強いぞコイツ!」
    「も、戻るか!?」
     その言葉にフーは一瞬ヒヤリとするが、先程の短耳が叫ぶ。
    「いや、見たところまだ経験の浅いガキだ! 囲んじまえば楽勝だろう!」
     短耳の言葉に、他の海賊たちも退却をやめた。
    「よ、……よし! 囲むぞ!」
    「く……っ」
     人生初めての「修羅場」にフーは強いプレッシャーを感じていたが、ここでまた、エルスの言葉がよみがえってくる。
    (『相手が4名以上残ってたら、囲みに来る。そのまま戦うと袋叩きにされるだろうし、そこは逃げながら敵を一人ずつ叩く作戦にして』、……って言ってたな。
     残ってるのは7人。……あいつの言った通り、囲もうとしてる。すげえな、何でもお見通しか?)
     体の震えを押さえ込み、フーは身を翻した。
    「あっ、逃げるぞ!」
    「逃がすな、追え、追うんだ!」
     海賊たちは逃げるフーを追いかけてくる。フーは時々振り返りながら、追ってくる敵を倒していく。
    「……くそ、俺だけかよ!」
     気が付いた時には、海賊の数は1名――赤シャツの短耳だけになっていた。
    「ハァ、ハァ……」
     この時、フーは9人倒していたのだが、不思議と疲れを感じていなかった。訓練中に乱闘騒ぎを起こした時よりも、余裕で呼吸ができる。
    (そっか、あの時は一度に4人相手だったもんな。こっちは奇襲やら何やらで、俺にとっちゃ、結局一対一ばっかりだし)
     こうなると、心にも余裕ができてくる。フーは剣を構え直し、短耳と向かい合った。
    「くそ……! このままやられてたまっかよ!」
     対する短耳は、奇襲で虚を突かれたことと、あっと言う間に仲間を倒されたことで、ひどく狼狽している。構えた剣もガクガクと振るえ、構えが定まっていない。
     若輩者ながら虎獣人であり、それなりに訓練も受けたフーの敵ではなかった。



     一方、こちらはエルスとリスト。海岸近くの林から、海賊船の様子を伺っている。
    「敵の数は……、4名か。距離はおよそ、30メートル。リストちゃん、銃の射程距離はどのくらい?」
    「え、っと……、多分、10メートルくらい。必中は3メートルかな」
    「そっか。じゃ、もうちょっと近付かないとダメだね。当たるところまで近付いたら、僕が船に乗り込むから、リストちゃんは援護してね」
    「わ、分かった」
     リストがぎこちなくうなずいたのを見て、エルスは優しく頭を撫でる。
    「ひゃ……っ」
    「大丈夫、大丈夫。多分僕が、全員倒せるから。リストちゃんは僕が危ないと思った時だけ、撃ってくれればいいからね」
    「……う、うん」
    「よし、それじゃ行こうか」
     エルスは立ち上がり、一気に駆け出した。リストもビクビクしながら、それについて行く。
    「ん……? だ、誰だっ!?」
     海賊船にいた者がエルスたちに気付き、剣を持って大慌てで船から降りてきた。
    「よ、っと」
     だが、百戦錬磨のエルスの敵ではない。いつの間にか手にしていた旋棍で、敵の急所を的確に突いて倒していく。
     降りてきた3名はあっと言う間に、浜辺に伸びていた。
    「君が船長かな?」
     エルスはまだ船に残っていた、ひげ面の短耳に声をかける。
    「う……っ」
     その短耳は浜辺に倒れた仲間を見て、うろたえている。エルスは確認することなく、船に乗り込もうとした。
     だが――。
    「俺が、船長だッ!」
     船の陰から現れた狐獣人の男が、エルスに向かってナイフを投げつけた。エルスの位置からは完全に盲点となっており、エルスの動作は完全に遅れた。
    「あ」
     避け損なったナイフが左肩に刺さる。
    「う、……いてて」
    「おりゃああッ!」
     エルスがナイフに注意を向けた瞬間、船の上にいた男は剣を振り下ろし、エルスを頭から斬り裂こうとした。
     ところが――。
    「うぐっ!?」
     上にいた男は突然肩を押さえ、うずくまる。
     その間にエルスは肩のナイフを抜き、旋棍を船長の「狐」に投げつけていた。
    「ぎゃっ……」
     船長の顔面に旋棍がめり込み、そのまま仰向けに倒れる。
    「ありがとう、リストちゃん。今のは本当に助かったよ」
     エルスは船の甲板に上がったところで、援護射撃してくれたリストに礼を述べた。
    「どっ、どう、いたしまして……」
     顔を真っ赤にしたリストはそう言うと、しゃがみこんだ。どうやら緊張の糸が切れ、腰が抜けたらしい。
    蒼天剣・風師録 4
    »»  2009.11.26.
    晴奈の話、第433話。
    作戦の顛末と黒い巴景。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     コンテナからさらわれた人間を解放し、海賊たちを縛り上げ、エルスたちは彼ら全員を船に乗せた。
    「それじゃこれから、グリーンプールに戻ります。気分の悪い方はいらっしゃいませんか?」
     さらわれてきた者たちに、エルスは優しく声をかける。
    「い、いえ……」
    「大丈夫です……」
     まだ事態の把握ができていないらしく、皆呆然とした顔をしている。
    「ご安心ください。皆さんはきっちり、家に帰して差し上げます。ジーン王国軍の誇りにかけて」
    「……あ、ありがとう」
    「た、助かり、ました」
     無事らしいことを確かめたエルスはにっこり笑い、リストたちに指示した。
    「それじゃ錨を揚げてくれ、フー。リストちゃんは帆を張って」
    「了解っス!」
     万事エルスの言う通りに進み、成功したためか、フーはエルスに対してすっかり従順になっていた。
    「帆って、コレ引けばいいの?」
     リストも話し方は変わらないが、チームを組んだ当初エルスに見せていたトゲは、随分少なくなっていた。
    「そう、それ。……よし、準備万端。それじゃ全速前進、よーそろー、……なんてね」
     エルスはおどけた様子で、船を発進させた。

     船が風に乗ったところで、エルスはリストとフーを呼んだ。
    「さて、僕らのチームの初仕事は、大成功に終わったわけだ」
    「そう、っスね」
    「……終わっちゃえば、『こんなもん?』って感じだけどね」
     減らず口を叩くリストを見て、エルスは苦笑する。
    「そりゃ、これは『レベル1』だもん」
    「レベル……1?」
    「そう。エドさんに無理矢理、『何でもいいから簡単な仕事を』って頼んだんだ。で、最も任務達成が容易だろうと判断された、『レベル1』の案件をもらったわけなんだ」
    「え、じゃあ、この仕事って」
    「うん。軍にしてみれば、『子供のお使い』みたいなもんだよ」
     エルスにさらっと言われ、リストとフーは顔を見合わせる。
    「マジ?」「大変だったのに」
    「ま、そんなもんだよ。……これからどんどん、もっと大変な任務もこなしていくからね。
     よろしくね、リストちゃん、それからフー」
     エルスがにっこり笑って手を差し出す。フーは素直につかんだが、リストは口を尖らせる。
    「ん?」
    「……その、エルス。いっこ、お願いしてもいい?」
    「何かな?」
    「アタシのコト、ちゃん付けはやめて。身の毛がよだつわ」
    「あー、うん。分かった。それじゃリスト、よろしくね」
     エルスはもう一度、手を差し出す。リストは、今度は素直に握った。



    「……と、コレがリロイとヒノカミ君の初仕事だったのよ。
     その後も失敗した任務は0件。成功率100%って言う、辣腕チームになったワケ」
    「ふーん……」
     フーの師、エルスの話を聞き終え、巴景は椅子から立ち上がった。
    「央南に亡命したってことは、あなたはもう一度会ったことが?」
    「ううん。ちょうどその日は留守にしてたから――まあ、だから盗みに入ったんだけどね――剣だけ奪ってさっさと逃げたのよ。まあ、変な女に邪魔されたりしたんだけどね」
     女、と聞いて巴景の勘が働いた。
    「その女……、猫獣人じゃなかった?」
    「え? ……そう言われれば、確かヒノカミ君はそんな風に言ってたわね。三毛耳の猫女だったって」
    「……晴奈……」
     巴景の中に、どす黒い感情が噴き出す。
    「……やっぱり魅力的ね、あなた。そうやって怒りに震える姿、素敵よ」
    「からかわないで」
     巴景はもう一度椅子に座り直し、己の数奇な運命を実感していた。
    (やはり、あの女と私とは、どこかでつながっている……。どこにいても――それこそ、こんな北の果てにいようとも――必ずあの女とのつながりが見えてくる。
     それなら、それでいい。いつか必ず、私と晴奈は再び相見えるでしょうね。必ずもう一度、戦うことになる。そう、必ず。必ず……)

     ドールの目には、巴景の姿が見えていた。
     その仮面の奥の本性――晴奈を倒すことだけを生きがいにする、修羅と化した「剣姫」の姿が。
    (ふふ……。ゾクゾクしてくるわ。いい表情をしているわね、トモエ。ヒノカミ君の猪突猛進さもすごく素敵だけど、その黒い感情に身を任せ、『化物』になろうとしているあなたも、本当に魅力的。
     見てみたいわね――あなたがセイナを倒し、その黒い思いを成就させた瞬間を)
     ドールはうっすらと笑みを浮かべ、巴景を眺めていた。

    蒼天剣・風師録 終
    蒼天剣・風師録 5
    »»  2009.11.27.
    晴奈の話、第434話。
    眠るフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     氷海に入ってから5日が経ち、ようやく氷が薄くなってきた。
     軍艦は持てる砕氷設備のすべてをフル稼働させ、その海域からの脱出を試みていた。しかし自然の気紛れさには敵わず、ところどころで硬く、分厚い氷に行く手を阻まれていた。
    「急げ! もたもたしてるとまた動けなくなるぞ!」
    「了解! ……よし、割れた! 微速前進、用意!」
    「了解! 微速前進!」
     氷を割った兵士が船に乗っている者たちに声をかけ、進めさせる。
    「……ダメだ! 止まれ、止まれ!」
    「りょ、了解! 停止!」
     だが、300メートルも進まないうちにまた、分厚い氷が迫ってくる。兵士たちは落胆した表情を浮かべながら、ハンマーを手にその氷へと向かった。

    「うぇー……、気持ち悪い」
     進んでは停まり、停まっては進むと言う不安定な動きのせいで、ドールはひどい船酔いに陥り、船室でぐったりしていた。
     いつものように、横には巴景がいる。
    「大丈夫?」
    「だ、い、じょ……、ぶじゃない」
    「はい、バケツ」
     巴景が差し出したバケツを抱え込み、ドールは切なげな声を出す。
    「うぇ、ええ……」
    「水、持ってきた方がいいかしら?」
    「うん……」
     普段の妖艶な姿は、見る影も無い。しかしなぜか、巴景はそんなドールを可愛らしく思った。
    (何か、安心したわ。やっぱり人間なのね、ドールも)
     巴景はクスッと小さく笑い、水を取りに部屋を出た。
     と、部屋から出たところであの「嫌われ者」と鉢合わせする。
    「あ……」
    「……」
     アランの方も巴景に気が付くが、何も言わずに通り過ぎる。
    「忙しいのね、参謀さん」
    「……」
     巴景はこの艦内で、フーとアランが諍いを起こしていることを知っている。そして、そのためにフーから距離を置かれ、現在何の指示も与えられていないことも十分承知である。
     その上で、そう声をかけている。アランはもう一度巴景の方を振り返ったが、やはり何も言わない。しかし、非常に不機嫌そうなのは伝わってきた。
    「何かお手伝いでも?」
    「……不要だ」
    「あら、そう」
    「……」
     アランは三度、巴景に振り返る。だがやはり何も言わず、そのまま去っていった。
    「……ふふ」

     アランはフーのいる船室の前に立ち、声をかける。
    「フー。入るぞ」
    「……」
     中からは何の返事も無い。
    「フー?」
     もう一度声をかけるが、やはり反応は無い。アランはフード越しに、ドアに頭を当てた。
    「……呼吸音は聞こえている。規則的だ。……ベッドのスプリングが軋む音がする。布ずれの音も――眠っている、か」
     アランは頭を離し、そのまま歩き去った。
    「……すー……すー……」
     アランの予想通り、フーは昏々と眠っていた。船がようやく動き出してからずっと、彼はベッドの上で眠りに就いていた。その間、彼は夢を見ていた。
     かつて、「黒い悪魔」克大火と戦った時のことを。



     その頃、フーの地位は既に少佐になっていた。
     アランの指示により央中クラフトランドに潜入し、ランニャ卿から鎧と篭手、兜――通称「ガーディアン」と呼ばれる武具を譲り受けたばかりであり、「これでカツミと互角に勝負ができる」と意気込んでいた頃だった。
     そんな時に、ちょうどトマスからの声がかかった。
    「大変だよ、フー!」
    「どうしたんっスか?」
    「カツミがいよいよ、北海に乗り込んできたそうだ。現在は北海諸島の第1島にいるらしい」
     第1島と聞き、フーは指折り数える。
    「って言うと、セレスタ島っスか」
    「そうだ。まもなくホープ島を経由し、現在戦闘が激化しているブルー島に侵入してくるだろう。……しかもなぜか、軍を率いているとか」
    「マジすか……? あのカツミが軍隊を、ねぇ」
     フーはいぶかしげに腕を組んでうなる。
     大火は自分の利益や興味に関わること以外は、滅多に積極的な行動に出ようとしない人物である。それに、基本的に個人主義であり、彼が軍隊を率いて戦うことなど――。
    「まず、ありえないことだよ。軍も僕も、この珍事に驚いているんだ」
     トマスはしきりに眼鏡を直している。よほど緊張しているらしい。
    「そうっスか……、カツミが、ねぇ」
     だが、逆にフーは冷静に状況を飲み込んでいる。フーは傍らにいたアランに、小声で尋ねてみた。
    「アラン、防具は手に入ったんだ。やってもいいか?」
    蒼天剣・風夢録 1
    »»  2009.11.29.
    晴奈の話、第435話。
    最初の対峙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フーの自信たっぷりな言葉に、アランはピク、と動く。一瞬反対しようと考えたのだろう。
     だがそのまま静止し、間を置いて答えた。
    「……いいだろう。一度、相手との力量差を測っておかねばならんと考えていた。防具もあることであるし、安全に測れるだろう」
    「よし」
     ふたたび、トマスに向き直る。
    「トマスさん、こっちも応戦しましょうよ。俺がカツミを止めます」
    「……え? 君、が?」
     トマスは目を丸くして、聞き返してきた。
    「ええ、俺が。任せてください、何なら打ち破って見せますよ」
    「残念だけどちょっと笑えないな、そのジョークは」
     トマスは眼鏡をまた直し、顔を引きつらせる。
    「カツミの力量がどれほどのものか、君はまったく分かってない。
     いいかい、彼の強さはすでに伝説、神話の域に達しているんだ。中世央北地域で初めてその姿が確認された時、彼は投獄されていたファスタ卿を脱獄させるために、20人近い兵士を一瞬で惨殺した。
     それから、ファスタ卿を旧中央政府に対する反乱軍のリーダーに仕立て上げるために、ジーン王朝以前の、北方の軍閥を一つ丸ごと壊滅させてその力を誇示し、続いて央南東部で軍港を占拠、西方の軍事工場を爆破、さらには天帝廟の占拠、旧中央政府の本拠地だった宮殿の破壊と、その力量と凶行は留まるところを知らない。
     おまけに、反乱が成功した直後にリーダーだったファスタ卿を暗殺してその座を奪うと言った残虐さも持ち合わせている。しかも――当時の反乱軍の助けを借りたとは言え――これほどの悪事を、ほぼ彼が一人でやっているんだよ?」
    「はは……、歴史のお勉強っスか?」
     トマスの意見を笑い飛ばし、フーは不敵な態度を見せた。
    「そんな神話は俺が終わらせてやりますよ。現代に神や悪魔なんか、いりません」

     反対するトマスをねじ伏せ、フーは対大火の部隊を結成した。程なく大火の率いた中央軍が北海諸島を北上し、フーの部隊も同地域を南下。
     フーと大火は北海諸島第3島、ブルー島の沖合で、直接対決することとなった。



    「日上風と言うのは、お前か?」
     砲撃の白煙が包み込む洋上、王国軍の軍艦・甲板に、黒い影が降り立った。目の前に現れた男を、フーはギロリとにらみつける。
    「そうだ。お前が、タイカ・カツミか?」
    「いかにも。……なるほど、それっぽい顔だな」
     大火はフーの顔を見て、クク、とあの鳥のような笑いを漏らす。
    「あぁん?」
    「いかにも後先を考えない、突っ走ることしか知らぬ顔だ」
    「ヘッ」
     フーは唾を吐き、大火に挑発し返す。
    「お前こそ、聞いた通りの風体だな。真っ黒で煤みたいな、薄汚い面してやがる」
     だがこの挑発に、大火は乗ってこない。
    「安い切り返しだな。なかなかの手練と聞いて、わざわざ軍を連れてやって来たものの……」
     パシュ、と何かが飛んでくる音がする。次の瞬間、フーは後方に2メートルほど弾き飛ばされた。大火の剣術、「一閃」である。
    「……!? っぐ、くそッ!」
     空中で姿勢を変え、何とか海に落ちずに済んだ。
    「……? ふむ」
     いつの間にか刀を抜いていた大火は、けげんな顔をして刀を納める。
    「なるほど。頭は悪そうだが、多少は楽しめるか」
     フーはそっと自分の体の無事を確かめる。左胸から右脇腹にかけて、鈍い痛みがある。しかし、気力はまったく萎えてはいない。
    「……お前の遊び道具になるために、ここに来たんじゃない」
     体勢を立て直し、フーは素早く立ち上がった。
    「お前を倒すためだ、カツミ!」
     先ほどの挑発には大して反応しなかった大火だが、この言葉にはピクリと眉を動かした。
    「……身の程を知らん餓鬼め。この俺を、倒すだと?」
     もう一度、大火は刀に手をかけた。
    「俺が誰だか知らぬわけでもあるまい。俺に敵うと思うのか?」
    「お前の素性なんか知ったこっちゃねえよ。一々お前を調べておくほど、俺は暇じゃない」
     大火の細い目が、より細くなる。額には青筋も浮かんでいる。
    「愚かにも程があるな。もういい」
     大火は刀を抜いた。
    「お前と話す意義など欠片も無かった。さっさと消えろ」
    蒼天剣・風夢録 2
    »»  2009.11.30.
    晴奈の話、第436話。
    量産神器と真の神器のぶつかり合い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「神器」とは何か。

     以前にも、晴奈が使っていた「大蛇」や、巴景が奪った「ファイナル・ビュート」をそう称したが、世に出回る神器のほとんどは次の定義を完全には満たしておらず、「まがい物」に近い。

    「本物」と称されるものの定義は、大きく分けて3つある。それについて、大火の持つ「妖艶刀 雪月花」を用いて説明しよう。
     一つ目、優れた性能を持っていること。「雪月花」は非常に希少な金属、ミスリル化鋼――ミスリル化銀、ミスリル化銅など、蓄魔力性の高いミスリル系化合は柔らかい金属との化合物として良く見られるが、鋼鉄などの硬い金属と化合した例は、現代までにおいて、これ以外には無い――を使っており、その切れ味はあらゆるものを切り裂く。
     二つ目、何らかの伝説や歴史を持っていること。「雪月花」は央中ネール公国の祖、ネール大公と大火が共に創り上げ、以来200年もの間ずっと、大火の愛刀として使われている。言い換えれば、それだけの実績がある逸品と言うことでもある。
     単純に高性能なだけでは、神器とは呼べないのだ。

     そして三つ目――これが何よりも、重要なことである――何者にも、破壊できないこと。



     また、パシュと言う音が飛んだ。
    (やっぱり刀か! 掟破りな攻撃だな、刀で飛び道具並みの攻撃ってか……!)
     先程の先制攻撃とは違い、今度のフーには剣を抜いて防ごうか、それとも避けようかと考える余裕があった。
    (でも、多分剣で受けたら折れるな、こりゃ)
     とっさに身をよじり、「一閃」を避ける。が、次の瞬間ミシっと音を立てて肋骨が軋む。
    「甘いぜ、虎小僧」
     一太刀目の剣閃が飛んだ直後に、大火はもう一太刀放っていた。二太刀目をまともに受けたフーは、またも弾き飛ばされる。
    「……が、防具は一流か。俺の一撃を受けきるとはな」
     大火は刀を構え直し、フーを凝視している。フーは立ち上がり、自分の体が切れていないことを確認し、ため息をついた。
    「お前、なめてんのか」
    「うん?」
     剣を抜きながら尋ねてきたフーに、大火は短く聞き返す。
    「何で俺が起き上がるまで、じーっと見てやがる」
    「俺にとってこれは、単なる観察に過ぎんから、な」
    「なめてんだな。見せてやるぜ、俺の実力。……りゃあああッ!」
     フーは雄たけびを上げ、大火のすぐ側まで踏み込んだ。
    「ふむ」
     大火はすっと右腕一本で刀を上げ、フーの剣を止める。
    「……!?」
     フーは己の両腕と、大火の刀を交互に見て戦慄した。
    (何だと……!? 『虎』の、超人の、俺の渾身の一撃が……、こんな、簡単に、しかも片手で、止められただと……!?)
    「なめているのはお前の方だ。この体たらくでまだ、俺に敵うと思っているのか?」
     大火の言葉にフーの心はぐら、と揺れた。
     が、それでもフーは無理矢理に己を奮い立たせる。
    (アランが、やってもいいと許可してくれたんだ。……こんなところで心を折られてちゃ、意味ねえんだよ!)
     フーは一歩後ろに飛び、剣を構え直す。大火も刀を構え直し、また振り下ろす。
    (三度も同じ攻撃喰らってりゃ、見切れるっつーの!)
     飛んできた剣閃を避け、二太刀目を喰らわないよう周り込み、大火の胸を狙って剣を突き入れる。
    「む……」
     全速力での攻撃に、流石の大火も避けきれなかった。
    「……クク」
     だが、剣が大火のコートの表面で止まり、大火の体内には1ミリも入っていかない。
    「くそ、刀だけじゃなくコートまで神器かよ」
    「何を今さら嘆いている? もしも俺のことを少しばかりでも知っていたならば、こうなることくらい予想できただろうに」
     至近距離で、二人は短く会話する。涼しげな顔の大火とは逆に、フーの心中は激しく動揺している。
    「う……るせえ、知るか、お前のことなんかッ!」
     もう一度離れ、すぐに斬り込む。大火もこの辺りから、本格的に攻撃を仕掛け始めた。
    「ぉおおおおッ!」「りゃああァッ!」
     そのまま何十合と打ち合い、二人は軍艦の上を飛び回る。
    「はあッ!」
     大火の放った一撃が、甲板に大きな溝を作る。紙一重で避けたフーは、甲板を激しく蹴って飛び上がり、剣を振りかぶる。
    「こ、のおおおおッ!」
     飛び込んできたフーの攻撃を、大火も紙一重でかわす。
    「……いいかげんに」
     大火は刀から左手を離し、フーの頭をつかんで空高く飛び上がる。
    「が、あ、ああ……っ」
     大火は空中でフーから手を離し、刀を振りかぶる。
    「沈め……ッ!」
     零距離で「一閃」を叩きつけられたフーは、そのまま甲板に、飛び上がった時以上の速度で落ちていった。
    蒼天剣・風夢録 3
    »»  2009.12.01.
    晴奈の話、第437話。
    敗勢必至。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「わあっ!?」
    「ふ、船が割れた!?」
     フーが叩きつけられたことによって甲板が割れ、そこにいた兵士たちが下に落ちる。
    「いてて……、大丈夫か、お前ら?」
    「あ、ああ。……しかし無茶苦茶だな、少佐もカツミも」
    「少佐のジャンプも強烈だったが……。一体何だったんだ、カツミのあの技は?」
    「聞いたことがある。剣閃が『飛ぶ』と言う、カツミ特有の剣技があると。カツミ自身はそれを、『一閃』と呼んでいるらしい」
    「効果はこの通り、ってわけか」
    「ああ。しかももっと、すごい剣技があるとか……」
    「恐ろしい話だな、そりゃ」
     下に落ち、戦線離脱状態になったことで半ば安堵しつつ話していた兵士たちのすぐ横に、また甲板が落ちてきた。

    「ふむ」
     戦いが始まってから、1時間が経過していた。大火は腑に落ちないような顔で、フーの鎧を見つめている。
    「何故だろうな……?」
    「あ?」
     突然、大火が問いかけてくる。
    「既に何度か、致命傷を与えているはずだ。そもそも一太刀目から、殺すつもりで斬りつけていた。だが一向に鎧も、兜も割れる気配が無い」
    「それは、……お前の剣技が」「未熟とでも? 何を馬鹿な。……む?」
     大火が何かに気付き、目を若干見開く。
    「良く見れば、それはネール公家の紋章か。世界に唯一、俺の『神器造り』を伝えた国の武具ならば、刀も通らんわけだ。
     ……なるほど。少し前公国に押し入り、神器を奪った賊と言うのは、お前のことだったのか」
    「……!」
     フーは慌てて半身を引き、その紋章を隠す。
    「それとも大公合意の上で手に入れたのか、その反応からすると?
     ……まあいい。そのことは放っておくとしよう。わざわざ大公に詰問するのも面倒だからな。それに……」
     フーは大火の周りに、黒い煤のようなものが沸きあがるのを見た。
    (煤のような、……何だ? これは……、オーラとでも言うのか?)
     煤はどんどん色濃くなり、そして放射状に弾ける。次の瞬間大火は刀を納め、すぐに抜き払った。
    「俺が少し本気を出せば、そんなものは何の障害でも無い」
    「一閃」を放った時に聞いたパシュと言う風切り音が、何十にも連なって聞こえてきた。
    「……!」
     これまでとは比較にならない殺気を感じ、フーは反射的に剣を構える。すぐに、普通ではありえない量の斬撃が、彼の体全体にぶつかってきた。

     幾重にも連なる剣閃を喰らった瞬間、フーの時間感覚は非常にゆっくりと流れ始めた。
    (い、……痛い? 痛さが、鈍いけど、……パチパチ弾けるように、来るッ)
     鎧がギシギシと音を上げている。兜からもビシビシと、何か鋭いものが当たる音が響いてくる。剣は一瞬で粉々になり、振動だけが篭手を通して伝わってきた。
    (剣が……、やばい、まだ攻撃は、来てる……! 避けなきゃ、いや……)
     頬に一発、攻撃が当たる。目の前を血のしずくが二、三滴飛んで行く。そしてそのしずくも、それぞれ二つに切り裂かれてフーへと戻っていく。
    (避けられない……ッ! だ、ダメだ、これは……)
     左目の視界が一瞬、真っ赤に染まって光る。飛び散った血が目に入ったのかと思ったが、次の瞬間真っ暗になり、目を一杯に見開いても、何も見えなくなった。その代わり、ボタボタと血が流れる感覚がほほから首、鎧の中へと滑り込んでいく。
    「……! うぐ、あああぁッ!」
     そこでフーの感覚が、いつも通りに流れ出す。倒れ込むと同時に、兜が真っ二つに割れてどこかへ転がっていく。鎧と篭手は無事なようだが、しびれるような痛みが広がってくる。
    「剣と片目を失っては戦えまい、虎小僧」
    「一閃」の連撃――「五月雨」を放った大火は、ニヤリと笑って刀を振り上げた。
    (やべぇ……!)
     フーの心臓が死を覚悟しドクン、と縮んだ。

     フーの頭の中を、思い出が駆け巡る。
    (やべぇな、本当に走馬灯ってあるんだな……)
     荒んだ少年時代、初めてエルスと組んだ時のこと、アランとの出会い――様々な思い出が、彼の脳内をかけめぐる。
    (本当に、ヤツは悪魔だった……。くそ、馬鹿すぎたぜ、俺は……。何が『神話なんか終わらせてみせる』だよ、アホタレ)
     1秒も無い、ごく短い間に、フーの記憶は何年も巻き戻されていく。
    (もう無理だ……! 剣も折れちまったし、エルスさんみたく素手で戦うなんて、俺には無理だ、し、……!)
     巻き戻されていく記憶の中で、フーはエルスから教わったことを思い出した。
    蒼天剣・風夢録 4
    »»  2009.12.02.
    晴奈の話、第438話。
    そして二度目の対決へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     フーの脳内で駆け巡る走馬灯が、一つの記憶を映し出す。

    「だからさ、できないよりできた方がいいんだよねー」
    「そりゃ、理屈はそうっすけど……。俺、剣士っすから格闘とか、ちょっと」
     フーは口をとがらせて反発するが、エルスは気にとめる様子もなく、話を続ける。
    「ま、いいからいいから。それでね、格闘術の中には敵の防御を『打ち抜く』技があるんだ」
     エルスは右腕を振り、殴る仕草を見せる。
    「打ち抜くって、鎧とかをぶち破るんすか?」
     半信半疑のフーに、エルスは握りしめていた手を開いてパタパタと振る。
    「んー、ちょっと違う。そんなの普通、無理だって。
    『打ち抜く』って言うのは、厳密に言うと『衝撃を鎧に伝わらせて、その内部に叩き込む』っていう感じかな」
    「それ、って……、どう言う?」
     うまく想像できず、きょとんとするフーに、エルスは苦笑いしながら噛み砕いて説明する。
    「ま、簡単に言うと。うまい具合に打撃を打ち込めば、鎧の上から心臓を――一瞬だけど――止めることができる。
     これは、生物にとっちゃ地獄の苦しみだよ」

     フーの意識が、現実へと戻ってくる。それと同時に、刀を振り上げた大火の胴が一瞬、がら空きになったのが確認できた。
     フーは目の痛みを懸命にこらえ、残った右目で辛うじてそれを確認する。
    (相手が相手だし、そもそもまともな生物かどーか分かんねーけど――エルスさん、あなたの話信じてみます!)
     大火が刀を振り下ろすその直前、フーはその懐に飛び込んだ。
    「だあああああッ!」
     フーの拳が大火のコートにめり込む。刃を防ぎ切ったコートも、衝撃を防ぐことはできなかったらしい。
     大火の肋骨が折れるパキ、と言う音を、フーは確かに聞いた。
    「く、っ……、通打、か」
     大火の顔が一瞬歪む。先程の、怒りのにじんだものとも違う、痛みをこらえる表情だ。
     フーは勝機を見出し、ほんの少し希望を持つ。
    「もう、一発……ッ!」
     すかさずもう一度攻撃しようと、フーは拳を振り上げる。
    「……小賢しい、ッ」
     だが大火は予想以上に早く立ち直り、蹴りを放ってきた。
    「ぐえ……ッ」
     喉笛を蹴り上げられ、フーの拳は大火に届くことなく宙を舞う。フー自身もぐるりとのけぞり、頭から甲板に突っ込んだ。
    「く、そぉ……」
     意識が飛ぶ直前、大火が何かをつぶやくのが聞こえたような気がした。
    「このまま殺すには惜しいな。様子見、としておくか」
     その言葉が何を意味するのか理解できないまま、フーは気を失った。



    「……また、あの夢か」
     長い夢から覚め、フーはむくりと起き上がった。
    「あー、体が痛ぇ」
     ずっと眠ったままだったので、少し動くと体がポキポキと鳴る。いつも通りに屈伸し、体を解し終え、船室から出る。
     と、青い顔をしたドールと、付き添っている巴景の姿を見つけ、声をかけた。
    「おう、お前ら。……ドール、なんか顔色悪いけど、大丈夫か?」
    「うん……」
     ドールは無表情でボソッとつぶやく。どうやら、うなずく気力も無いらしい。
    「船、今はどこら辺まで進んでるんだ?」
     ドールの代わりに、巴景が答える。
    「ついさっき氷海を抜けて、もうすぐ第4島、スタリー島に着くところよ。乗組員の話では、後2時間くらいだそうよ」
    「そっか。……降りたら2日くらい休もうぜ。
     敵にはもうブルー島を占拠されてるだろうけど、そんなフラフラの状態で慌てて行っても、戦力になりゃしねーからな。
     相手が待ち構えてるなら待ち構えてるで、こっちは逆にさ、余裕綽々に構えて行こうぜ」
    「ありがと……、ヒノカミ君……」
    「いいって、いいって」
     フーはにこやかに手を振り、甲板に向かった。

     寒気を抜けたせいか、空は鮮やかに晴れ渡っていた。
    「ふー……。暑いくらいだな」
     暦の上では5月の始めであり、中央大陸では既に春の半ばを向かえているところもある。南下しているため、気候も徐々に、央北の雰囲気を帯びてきている。
    (ま、なんとかなるさ)
     暖かい洋上に立っていると、気持ちも楽観的になってくる。
    (何だかんだ言って生きてるし、ランニャに頼んで『ガーディアン』も直してもらったしな。目はいっこ潰れたけど、ま……、大丈夫だよな。
     今度こそアイツを倒して、俺が世界最強――王になってやる)

     ドールを休ませた後、巴景も船の中をうろついていた。
     と、またもアランと鉢合わせする。フーに冷たくされ、兵士たちからも遠ざけられているせいか、ひどく不機嫌そうだ。
    「何だ?」
     何も言っていないのに、向こうから声をかけられる。
    「何が?」
    「……何でもない」
    「困っているなら、手を貸すけど?」
    「……お前に借りるようなものなど無い」
     にべも無いアランの言葉に、巴景はクスクスと笑う。
    「じゃ、何か手が?」
    「無論だ。結果として中佐の助けができれば、私はそれでいい」
    「ふーん」
     アランはそれだけ言って、そのまま去っていった。
    「……結果として、ね。何をする気かしら? ……ま、大体想像は付くけれど」



     大火とフーの、二度目の直接対決が――ひいては、世界の趨勢を決める戦いが、まもなく始まろうとしていた。

    蒼天剣・風夢録 終
    蒼天剣・風夢録 5
    »»  2009.12.03.
    晴奈の話、第439話。
    巴景とあの人との邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年5月21日。
     その日、歴史が動いた。

     氷海に足を取られたために、ジーン王国軍は交戦地域である北海諸島第3島、ブルー島における主導権を失い、ブルー島沖合に到着した直後から苦戦を強いられていた。
     銃火器の性能と、それを使用した戦術に関しては王国軍に一日の長があったものの、入念に防衛線を張ることのできた中央軍を破ることができなかった。
     また、中央軍も本土の軍事物資不足から、王国軍を退けられるだけの火力を装備することができなかった。
     両者の状況が拮抗し、交戦開始から1週間が過ぎた現在においても、状況は一向に変化する様子がなかった。



    「くっそ、埒が明かねーなぁ」
     銃火器部隊の責任者であるルドルフが悪態をつきながら、全銃士に射撃を指示し続けている。海上が真っ白に染まるほどの硝煙が立ち込めているのだが、中央軍の防御は依然、破れない。
    「大尉殿、伍長ちゃん、どうにかできない?」
    「うーん、どうにかしたいんだけどね」
    「……」
     横にいたドールが肩をすくめ、ノーラも無言で首を振る。
     彼女の率いる部隊も魔術で支援しているのだが、効果は一向に表れてこない。どうやらこちらも、拮抗しあっているらしい。
    「こんなんじゃ、接近もできやしねー」
    「ウチは白兵戦に持ち込めれば、相当なんだけどねぇ」
    「敵さんもそれを分かってんでしょーねぇ。『何としてでも近づけさせねー』って雰囲気がプンプンしてきますぜ」
    「あの壁さえ崩せればねぇ」
    「ですねぇ」
     ドールたちはため息をつきつつ、白煙に染まる海と、その先にいる中央軍を眺めていた。

     一方、こちらは軍艦内の会議室。
    「戦闘開始から1週間、状況は膠着状態にある。そして敵にしてみれば、俺たちを待っていた数日分、余計に臨戦態勢を取らされていたはずだ。そろそろ相手は疲れて、緊張の糸が切れてくる頃だろう。
     そこで今夜、奇襲を仕掛ける。小舟で島に上陸し、側近を中心とした少数精鋭のチームで、敵を内部から切り崩す。そして機を伺って艦上からも援護射撃を行い、一気に敵を潰す」
    「了解です」
     フーの作戦を聞き、側近たちがうなずく。
    「それじゃ、時間までゆっくり英気を養ってくれ。解散!」
     締めの言葉を受け、側近たちはゾロゾロと会議室を後にした。
     一人残ったフーは、扉に向かって声をかける。
    「アラン。いるんだろ?」
    「……ああ」
     扉を開け、アランが入ってきた。
    「いよいよ、なんだけどな」
    「ああ、聞いていた」
    「お前は来るか? それとも……」
     フーはそこで言葉を切り、アランをじっと見つめる。
    「……」
    「……まあ、任せるわ」
     フーはアランから視線を外し、そのまま会議室から離れた。



     そして半日後、日付が変わった頃。
     ブルー島の一角で、火の手が上がった。
    「敵襲! 敵襲!」
    「防衛線が破られた!」
     半分寝静まっていた島が、にわかに騒がしくなる。あちこちで刃の交わる音と銃声が響き始め、中央軍は大急ぎで灯りを増やし、迎撃準備を進めていた。
     しかし王国軍の勢いはすさまじく、準備が間に合わない。おまけに沖合からの援護射撃が始まり、中央軍は中と外、両方からの攻撃に潰され始めた。
    「だ、ダメだ! 抑え切れない!」
     電撃的な攻勢に、中央軍は一気に駆逐されていく。敗北を悟った中央軍の兵士たちは、南に留めていた軍艦に乗り込み始めた。

     この電撃作戦に、巴景も勿論参加していた。島の南方に広がる林の中を回りながら敵の姿を探すが、粗方片付けたらしく、周りに人影は無い。
    「もうこの辺りに、敵はいなさそうね」
     耳を澄ましてみても、争う音はほとんど聞こえてこない。どうやら戦いは終結しつつあるようだった。
    「作戦成功ね。それじゃ、戻ると……」
     巴景が踵を返しかけた、その時だった。
    「……!」
     林の作る闇の中に、誰かが立っている。
    「……」
     真夜中のため正確な格好は分からないが、どうやら真っ黒なコートを着ているようだった。そして、腰の辺りには刀剣のようなものを佩いているのが見える。
     巴景は直感で、彼が誰なのか理解した。
    (克大火……!)
    蒼天剣・火風録 1
    »»  2009.12.04.
    晴奈の話、第440話。
    日上V.S.大火、最終決戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     巴景は非常に驚いてはいたが、それでも戦慄したり、蛮勇を奮って斬りかかったりはしなかった。
     彼は自分に対して、いや、「襲ってこない者」に対して敵意を持たないことを、知識・情報として分かっていたからだ。
    (フローラがいつか言ってたわね……。
     克は『影』のような存在。こちらの動きに合わせて、その形を変える。剣を振り上げれば、克も刀を抜く。魔術を唱えれば、克も唱える。
     ……何もしなければ、何もしてこない)
     巴景の本能と感情は懸命に危険信号を発し、攻撃するように叫んでいたが、理性と知性でそれを押し留める。じっと大火の顔を見つめ、相手の出方をうかがっていた。
    「……ふむ」
     大火が声を発した。
    「面白いオーラを発しているな、お前」
    「……」
     大火の言葉に、巴景は動じない。
    「混乱し、今にも爆発しかけているが、その実、非常に高度な理性でそれを覆い、平静に振舞っている。恐らく普段から、そんな態度なのだろうな。
     非常に珍しい――修羅に呑まれることもなく、修羅を殺すことも無く。修羅を飼い慣らし、必要に応じて解放・発揮できる人間と言うのは、なかなか見る機会が無い」
    「……そう」
     ようやくそれだけ言うことができた。
    「非常に興味深い。……今は残念ながら暇が無いが、また改めて話をしてみたいものだ」
     そう言って大火は闇の中からすっと抜け出し、巴景の側をすり抜け、音も無く歩き去っていった。



     電撃作戦の成功を確信し、フーは高揚していた。
    「よっしゃーっ! ブルー島奪取成功だーッ!」
     フーの意気揚々とした叫びに、周りの側近たちや兵士も応じて叫ぶ。
    「やったーッ!」
    「勝ったぞーッ!」
    「やりましたね、中佐!」
     兵士たちは手を取り合い、抱き合って勝利を喜んでいた。
    「やったわね、ヒノカミ君!」
     ドールもいつの間にかフーの側に寄り、腕に抱きついてきた。
    「おう。……お疲れさん、ドール」
    「ありがと」
    「それからみんなも……」
     フーが兵士全員を労おうと声を張り上げかけた、その瞬間。
    「……ッ!?」
     フーは自分に向けられた、鋭く、重い、そして幾十もの腕に体中をガシガシとつかまれたような、強烈な殺気を感じ取った。
     フーはドールを突き飛ばし、同時にあらん限りの大声で叫んだ。
    「……やばい、全員離れろーッ!」
    「!?」
     突き飛ばされたドールは何が起こったのかよく分からないまま、ころころんと2回転ほど転がされた。
    「な、なに、何なの!?」
    「分かりません、突然……」
     ドールを抱き起こしたノーラも、慌てた様子で答える。
     そこにいたはずのフーの姿が消え、そして地面からは強烈な摩擦で焦げる臭いが立ち上っている。
     そこにいた全員が、今の一瞬で何が起きたのか、何が起きているのかを瞬時に理解し、一様に戦慄した。
    「……か、かつっ、カツミが……ッ!?」

     ドールを突き飛ばすのと同時に、フーも吹き飛ばされていた。
     身にまとっていた神器「ガーディアン」がギシギシと軋みながらも、フーにぶつけられた膨大な衝撃のエネルギーを吸収してくれたおかげで、フーは何とか体勢を立て直して着地することができた。
    「き、や、がった、か……ッ!」
     衝撃を受けた方角に向き直り、走り出す。
    「今度こそ、ブッ倒してやる!」
     走っていくうちに、地面の焦げる臭いが濃くなっていく。10数メートルは引かれたと思われるその焦げ跡の先に、真っ黒な男が刀を抜いて立っていた。
    「勝負だ、タイカ・カツミいいいぃーッ!」
     フーは魔剣「バニッシャー」を抜き払い、大火に斬りかかった。



     大火がそこにいた理由は、いくらでも考えられる。中央政府からの要請、己に楯突く者の排除、それとも単に暇つぶし――そこにいる理由は、いくらでも付けられた。
     だが、フーたちも、中央軍の兵士たちも、大火が本当に来るとは思っていなかった。可能性としての想定はできたが、実際に、この島に乗り込んでくるとは、誰もが心のどこかで「あり得ない」と考えていた。
     だから、彼の姿を見た者は一様に恐怖した。王国軍も、味方であるはずの中央軍さえも。
    「ひっ……」
    「で、出たっ!」
    「あわわ……」
    「た、助けて……!」
     周りの慌てふためく様子を、大火はクク、と鳥のような笑い方を立てながら面白がっていた。
    「子供が魑魅魍魎に遭ったような怯え方をして、その体たらくでどう戦っていたのやら。死ぬ可能性の少なくない、この剣林弾雨の戦場で。……ククク」
     そうつぶやいてまた、大火はニヤリと笑う。それだけで兵士たちの戦意はあっと言う間に喪失され、ついさっきまで戦勝ムードに包まれていた彼らは、バタバタと逃げ始めた。
     と、一人だけ大声を上げて飛び掛ってくる者がいる。先程弾き飛ばした敵将――フーだ。
    「お前か……。さて、今度こそまともに張り合える器になったか」
     剣を振り上げて飛び込んできたフーを軽くいなし、ぼそっとつぶやいた。
    「……それともまるで成長せず、か?」
    「見せてやるよ、カツミ……!」
     初太刀を弾かれてすぐ、フーは体勢を変えて再び斬り込む。
    「俺の力をなッ!」
    蒼天剣・火風録 2
    »»  2009.12.05.
    晴奈の話、第441話。
    悪魔と英雄。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     島に上陸していた王国軍のほとんどは、上陸地点のすぐ側まで退却してしまっていた。
     ところが、ドールとノーラ、そして巴景の姿はそこには無かった。

    「あら? アナタ……」
    「……」
     隠れてフーと大火の戦いを見ていたドールとノーラが、すぐ後ろまで歩いてきていた巴景に気付く。
    「……見ての通りよ。今、戦っているわ」
    「そう」
    「……驚かないん、ですか?」
     青い顔をして尋ねるノーラに、巴景は一瞬言いよどむ。
    「え? ……いいえ、……ううん、驚いて、ないわね」
    「世界中の人間が恐れおののく悪魔が、目の前にいるのに? それでも冷静で、いられるなんて。……思っていたより、すごい人なんですね、トモエさんって」
    「……」
     巴景はノーラの方を見ようとせず、じっと戦いを眺めていた。

     フーは滅多やたらに剣を振り回し、大火へと斬り込んでいく。
    「りゃああーッ!」
     流石に一太刀、一太刀が重たいため、大火も受けることはせず、わずかに身をひねってかわしている。
    「ふむ……」
     が、その顔には特に辛そうとも、苦しんでいるとも取れない。極めて、けだるそうな目つきをしている。
    「腕は上がっている。その防具も、以前より強度は増しているようだ」
     冷静に、淡々と、大火はフーを見定めている。
     その態度が、フーの闘志を倍化させた。
    (スカしてんじゃねえ……ッ! 何でもかんでも、お前の思い通りに事が運ぶと思うなよ!)
     フーは以前、大火に唯一ダメージらしいダメージを与えた「通打」――素手で相手の体の外側から、内臓に衝撃を与える武術――を試みる。
    「はッ!」
     剣でフェイントをかけ、大火がそれをかわした瞬間を狙って、ズンと地面を踏みつけ、勢いよく間合いを詰める。
    「……!」
     大火は、今度は刀で受けようとしたが、フーの拳が滑り込む方がわずかに早かった。ミシ、と大火の肋骨が軋む音がする。
    「またか……ッ」
     大火はわずかに目を細めたが、体勢を崩さない。どうやら折るまでには至らなかったらしい。
    「もう一丁!」
     フーは退かず、もう一度体術を仕掛ける。今度は大火の右腕を折るつもりで、手刀を下ろした。
    「そんな付け焼刃が……」
     だが、大火は避けない。刀を左手一本で持ち、自由になった右手でフーの手刀をつかんだ。
    「通用すると思うな、この虎小僧がッ!」
     大火はつかんだ手を思い切り振り上げ、同時に脚払いをかける。
    「……っ!」
     フーの体は浮き上がり、わずかに回転する。大火もぐるんと横に一回転し、フーのこめかみを狙って蹴りを放った。
    「が……ッ」
     蹴られた衝撃で、フーの体は縦に一回転する。だが――。
    「……?」
     蹴った脚を半ば上げたまま、大火は腑に落ちない、と言う顔をした。
     その間にフーは地面に手を付き、もう半回転回って着地する。そして間髪入れず、大火にもう一度、拳を叩き込む。
     今度は綺麗に、大火のあごに拳がめりこむ。大火の頭ががくんと揺さぶられ、大きくのけぞった。

     戦いを見守っていた巴景が「あら?」と声を上げた。
    「どしたの?」
    「閣下って、央南の武術も使えるの? 今の動きって……」
    「え? ああ、まあ。昔リロイに教わったらしい、ケド」
    「……」
     兄の名前を出され、ノーラは嫌そうに顔をしかめる。それを見て、ドールは言葉を継ぎ足す。
    「……あ、うん、そうそう。『バニッシャー』手に入れた直後から、急に勉強し直してたのよね、そう言えば。そこら辺から、上達したっぽいわね」
    「ふーん」
     巴景たちには知る由もないが、これは晴奈の影響である。
     晴奈が「バニッシャー」を奪い返そうとフーと戦った際に、晴奈はフーの攻撃を体術の要領で受け流したことがある。
     その時に受けたカルチャーショックがフーに武術を学ばせ、それがこの戦いで活かされているのだ。

    「……む、う」
     大火の方が一歩退く。フーの打撃で口の中を切ったらしく、その唇にはわずかに血がにじんでいる。
    「なるほど……。確かに腕を上げたようだ。この俺が――ほんのわずかではあるが――ダメージを負うとは」
     そう言うと大火はトン、と後ろに跳び、フーとの距離をさらに開ける。
    「では、これはどうだ? 前回お前を嬲った、剣閃の雨だ……!」
    「……!」
     大火から噴き上がる黒い煤のような気配を感じ、フーは剣を構えた。
    「行くぞ――『五月雨』!」
    蒼天剣・火風録 3
    »»  2009.12.06.
    晴奈の話、第442話。
    黒い悪魔が倒せない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     巴景は何が起こるか、以前に得た情報である程度理解していた。
    「ドール、ノーラ、逃げて!」
    「え? え?」
     巴景は叫びながら、二人の襟をつかんで走り出す。
    「うきゅっ、く、くる、しっ」
    「な、なにす、るん、ですかっ」
    「我慢して!」
     巴景たちがその場から走り去った直後、身を隠していた木々が細切れになった。

     フーも何が起きるか、経験で理解していた。
    「まずい……!」
     無数の飛ぶ剣閃が、フーに襲い掛かる。
    (『ガーディアン』、『バニッシャー』、頼む! 俺を守ってくれ!)
     フーは飛んでくる剣閃を「バニッシャー」で叩き落とす。弾き切れなかった剣閃は容赦なくフーにぶつかっていくが、「ガーディアン」は十二分にその性能を発揮し、フーの体を守ってくれた。
    「五月雨」の発射時間は5秒も無かったが、それでもフーの背後にあった林は、あっと言う間に丸坊主になってしまった。
    「……ふむ」
     剣閃の掃射を終えた大火が短くうなり、細い目をさらに細めた。
    「この程度では最早、効かんと言うわけか」
    「ハァ、ハァ……」
     凌ぎきったフーは剣を構え直し、大火に向き直る。
    「まだまだこれからだぜ、鴉野郎……!」
     フーは本物の虎のように吼え、大火に斬りかかった。
    「うおおおらあああああッ!」
    「……ッ!」
     その気迫に一瞬気取られ、大火の動作が遅れる。それこそがまさに、フーにとって千載一遇のチャンスだった。
    「死ねえええッ!」
     フーの「バニッシャー」は大火の持つもう一つの神器、「漆黒のコート」をやすやすと貫き、大火の右胸に突き刺さった。
    「が、はッ……!?」
     悪魔といえども、流石に効いたらしい――大火の口から、真っ赤な血が吐き出された。



    「ゼェ、ゼェ……」
    「ひゅー、ひゃー……」
    「けほ、げほっ……」
     波打ち際まで逃げた巴景たちは、肩で息をしている。
    「な、何だったのよ、今の……」
    「『五月雨』、よ……」
    「さみ、だれ?」
     巴景は呼吸を整えながら、かつて殺刹峰の残党、ミューズと大火が戦った時の話を伝えた。
    「どう言う理屈か良く分からないけど、克は剣閃を――私みたいに、火や風に変えることなく、まるで『剣の切れ味をそのままワープさせるように』――飛ばせるのよ。克自身はそれを『一閃』と呼んでいたわ。
     その『一閃』を連射したのよ。それがさっきの、『五月雨』」
    「なる、ほど……」
     ドールものどを押さえながら、呼吸を落ち着かせる。
    「……その言い方だとアナタ、カツミに以前、会ったコトがあるのね?」
    「ええ」
    「道理で、驚いてないワケね。……ヒノカミ君、無事かしら?」
     二人は走ってきた方向を振り返り、同時に首を横に振る。
    「……さあ、ね」
    「……」
     一方、ノーラは両腕で己を抱きしめ、ガタガタと震え出す。
    「怖い……! 怖い、怖い……! 何なのよ……!」
    「ちょ、ちょっと? ノーラちゃん?」
     ドールが肩を叩くが、ノーラは反応しない。
    「嫌、嫌っ……! あんなの、無理……!」
    「……完璧、参っちゃってるわね。しばらく動けそーにないわ、この様子じゃ」
    「……じゃあ二人とも、そこでじっとしていて」
     巴景は立ち上がり、深呼吸する。
    「……え? まさか」
    「もう一回、行ってくる。ここで休んでいて」
    「そんな、トモちゃん……!?」
     巴景は首をもう一度振り、ドールに優しく声をかけた。
    「大丈夫よ。絶対生きて戻ってくるわ」
    「トモちゃん……」
    「……じゃなきゃ意味が無いじゃない、私がここにいる意味が」
    「……?」
     この時、ドールも少なからず恐怖で混乱しており、その頭では、巴景のこの言葉が何を意味しているのか、さっぱり推測できなかった。



     胸と口から鮮血をダラダラと垂らし、大火は硬直していた。
    「どうだ、鴉め……!」
     フーは勝利を確信し、ニヤリと笑う。
    「……ク……ク……」
     だが、相手の口から漏れたのはさらなる血ではなく、平然とした言葉だった。
    「……クク……俺を……こんなもので……殺したつもりか……虎小僧……」
    「な……に?」
     大火が「バニッシャー」に手をかける。
    「ク……ゴホッ……ククク……」
    「な、何を」
    「心配するな……こいつも紛れも無い神器……この俺の力を以ってしても破壊できない……」
     大火は血を吐きながら、体をひねっている。だが、相手の常識を超えた行動に、フーはまったく反応できない。
    「……が……一本の棒として考えれば……ただ……抜け出せば……それでいい」
     大火が身をひねる度に、地面にボタボタと赤い水たまりが増えていく。
    「な……何で……、何で死なない!?」
    「お前は……何も分かっていない……何も知らぬ虎児だ……」
     ブシュ、と小さい血しぶきを立てて、大火は「バニッシャー」から体を引き抜いた。
    「ゲホ……。一つ聞こう。
     お前は何故、この世界に月が二つあるのか答えられるか?」
    「えっ?」
     きょとんとするフーを見て、大火は鳥のようにクク、と笑う。
    「続いて問う。何故、この世界に四季が訪れる?
     何故、海は青い?
     何故、空は蒼い?
     何故、時間は過ぎる?
     何故? 何故? 何故だ?
     一つでも答えられるのか、お前に?」
    「な、何を言って……?」
    「それと同じことなのだ」
     大火は刀を構え、フーを下目ににらみつける。
    「俺が死なぬのもそれと同じこと――俺を『殺す』など、冬に火を燃やし、夏にしようと試みるようなもの。雨天に槍を放ち、雲を晴らそうと試みるようなもの。
     この世を動かす理(ことわり)を何一つ知らぬお前が、俺を殺せると思うな……!」
     次の瞬間、フーはまた弾き飛ばされた。
     大火の言うことがまるで理解できず、放心状態にあったフーは、先程よりもさらに遠く、激しく飛んで行った。
    蒼天剣・火風録 4
    »»  2009.12.07.
    晴奈の話、第443話。
    千年級の会話;悪魔と悪魔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     まだ木々の残っていた林の中を突っ切り、フーは飛ばされていった。何本もの木にぶつけられ、その痛みでついに気絶してしまう。
    「う……ぐ……」
     その頭の中に残っていたのは、「大火が何故死なないのか」と言う疑問だけだった。



    「……とは言え」
     大火は刀を納め、胸元に手を置いた。
    「もう少しばかりダメージが深ければ、危うかったかも知れん、な」
     胸から離した手には、べっとりと血が付いていた。
    「のどの奥から、ゴロゴロと不快な音がする。肺に穴が開いているようだな。
     決着したことではあるし、さっさと帰るとするか」
     大火はのどに残った血を吐き捨て、呪文を唱えようと試みた。
     だが、途中で詠唱を止める。
    「……いい加減にしたらどうだ、アル」
     大火の背後から、アランが現れた。



     フーのところに戻ろうと林の中を進んでいた巴景は、すぐ横をバキバキと音を立てて何かが飛んでいくのを察知した。
    「何……?」
     口ではそう言いつつも、頭のどこかでは何が起こったか、何となく分かっていた。
     音のした方に向かってみると、傷だらけになったフーの姿がある。
    「……そう、負けたのね」
     巴景はため息をつき、フーに近付いた。
    (まあ、どちらにしても)
     フーの意識があるかどうか確認しつつ、巴景は頭の中で算段を巡らせる。
    (フーが勝っていれば、そのまま付いていって戦場を駆け巡っていれば英雄になれる。
     大火が勝っていたら――何だか気に入られたっぽいし――大火に付いて行けばいい。
     この戦い、どっちが勝っても私に損はないわ)
     声をかけてみたり、頬を叩いたり、腹を軽く蹴ってみたりしたが、フーの意識が戻る気配は無い。
     巴景はフーを見下ろし、鼻で笑った。
    「フン、無様ね」



    「何度も何度も、俺の前に現れては殺される。いい加減、己の存在を無様だとは思わないのか?」
    「思わない」
     アランは足音も立てず、静かに大火との距離を詰める。
    「10の失敗など、11度目に成功すれば帳消しになる。お前がいなくなりさえすれば、私の天下なのだ」
    「天下だと? 歴史からことごとくつまはじきにされ続けた哀れな鉄人形が、何を偉そうに」
     大火はクク、と笑い、アランを見下す。
    「そもそも1度目の挑戦の時、俺を相手にしていないと言うのに。お前は負け、歴史を奪取する最初の機会を失った。
     俺より格下の相手にまずやられ、それから格上の俺を相手に回し、そしてまた負けて。お前は負けるために生きているのか?」
    「違ウ!」
     アランは甲高い叫び声を上げ、大火に反論する。
    「私に言ワせれバ、お前がずっト邪魔をしていルのだ! 始めの失敗ハ単なる情報不足ニよるものでシかない! 総合力デは、私は勝ってイたのだ!
     データを集め、その失敗を克服でキたと思っタら、お前が延々ト邪魔をし始メたのだ! 何故だ!? 何故我々の、千年王国建立ノ邪魔をする!?」
    「前にも言っただろう、鉄クズ」
     大火は刀を抜き、「一閃」を放った。
    「お前が俺の邪魔をしているのだ。俺は気ままに生きようとしているだけなのに、な」
    「グゴッ!?」
     大火の攻撃をまともに食らい、アランは弾き飛ばされる。だがすぐに立ち上がり、大火に飛びついた。
    「嘘をつケ……、嘘ヲつけ……!」
    「嘘? 俺が?」
    「何が気まマに生キたい、ダ!
     それなラ私から逃ゲればイいだけノ話……! 己ガ最強だと言いフらさなケればいいダけの話……!
     隠棲しテ暮らせば、狙わレるこトもあるマい……!」
    「ふむ、確かに」
     大火はクク、と笑い、アランを引き剥がそうと力を入れる。
    「だがアル、俺はコソコソと生きるのは性に合わん。今生きているように、神出鬼没に世界を巡り回るのが、何より性に合っているのだ。
     ましてやお前如き三下から逃げるように隠れ住もうなどとは、到底思わん、な」
     不敵に笑いながら、左腕でアランの腕を剥がそうとする。だが――。
    「……? 何だ? 動かん……」
    「フ、フハハ……」
     アランの笑い声が響く。
    「腕関節を内部で溶かシ、固メた! これデもう、お前ヲ離さなイ……!」
    「何のつもりだ、アル?」
     アランの体から、ブスブスと黒い煙が立ち始めた。
    「……まさか?」
    「私ガ……オ前ヲ倒セズトモ……御子ガ……御子コソガ……オ前ヲ倒……ス……」
     次の瞬間、アランのフードの中から真っ赤な光が弾けた。
    蒼天剣・火風録 5
    »»  2009.12.08.
    晴奈の話、第444話。
    悪魔殺しの日上風。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     巴景が気絶したままのフーを置いて、大火のところに進もうとしたその時だった。
     ズドンと言う、島全体を揺るがす炸裂音が轟いた。
    「……アランね」
     巴景にはアランが何をするのか、ある程度の予想はできていた。
     フーを「御子」に仕立て上げようと、あらゆることをやってきたアランのことである。フーからの信用を失って進退窮まり、また、フーが敗れようとしているこの局面で、アランがやることはただ一つ――敵である大火を巻き添えにしての自爆である。
    (そして今、フーは後ろで倒れているし、この爆音。間違いなく爆死したわね、……少なくともアランは)
     巴景は仮面の下でニヤリと笑い、自分好みの展開になったことを喜んでいた。
    (うるさいアランが死に、フーも起きてこない。とどめを刺そうと思ったら、いつでも刺せる状態。
     考えてみると、ここで私が日上軍閥を乗っ取ることもできるのよね。それはそれで、私の立身出世につながるわ)
     そうして一人、ほくそ笑んでいると――。
    「……う、あ?」
     背後でフーが起き上がる物音がする。
    「……チッ」
    「あ、トモエ」
     フーはヨロヨロとした足取りで、巴景に近付く。
    「……お前今、舌打ちしなかったか?」
    「いいえ?」
     とぼける巴景に「そうか」と答えつつ、フーはきょろきょろと辺りを見回す。
    「……あ、あった」
     近くに落ちていた「バニッシャー」を回収し、フーは両手で頬をポンポンと叩いた。
    「こんなところでボーっとしちゃいられねー……! まだ勝負は付いてないぜ、カツミ!」
     フーは「バニッシャー」を片手に走り出す。巴景も仕方なく、フーの跡を付いて行った。



     二人はさっきの場所に戻り、様子を伺う。辺りの様子は先程フーが戦っていた時とは比べようが無いほど、荒れきっていた。
     大火の「五月雨」で丸坊主になった林は爆発によってさらにえぐられ、焦土と化している。辺りにはアランが装備していたと思われる鉄製品の欠片が転がっており、それが榴散弾のように飛び散ったために、この惨状を作り上げたようだ。

     そしてその中心にまだ、大火は立っていた。
    「……カツミ……!」
    「……ク……ク……。戻って……来たか……」
     神器であるはずのコートは無残に千切れてただのボロ切れと化し、その中身が露出している。さらにその中身の、中身も。
     左腕は肘から先が見当たらない。どうやらアランの爆発に巻き込まれ、消し飛んだようだ。
     左足も無数の鉄片が突き刺さり、逆にその異物を一欠片でも抜いてしまえば、そのまま崩れていきそうな様相を呈している。
     さらに顔の半分も皮膚が千切れ、真っ赤な血がとめどなく滴り続けている。
     普通の人間ならば、間違いなく死んでいる状態だった。
    「……アル……は……お前が……俺を倒す……と……言っていた……」
     しかし、大火は倒れない。倒れていない。
    「……クク……どこまでも御子を……己の人形を信じ続ける……哀れな人形め……」
     そしてまだ、戦う意思は失っていなかった。
    「来い……虎小僧……!」
     大火は口から大量の血ヘドを吐きつつも、刀を振り上げた。
    「勝てると、……思ってんのかよ」
     フーは目の前の、真っ赤に染まった「黒い悪魔」に尋ねながらも、剣を構えた。
    「さあ……な」
     大火は右手一本で刀を上段に構え、静止する。
    「だが……一つ……言っておこう……」
     大火は静かに、こう言い切った。
    「お前に俺は、殺せない」



     双月暦520年5月21日、午前4時。
     その時、歴史が動いた。

     日上風は22歳の若さにして、世界の頂点に立った。
    蒼天剣・火風録 6
    »»  2009.12.09.
    晴奈の話、第445話。
    フーと巴景の大出世。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     ブルー島から再び軍艦に戻ったフーは、そのままバタリと倒れこんだ。
    「中佐!」「ヒノカミ閣下!」
     フーは甲板に膝を着きながらも、張りのある声で周りに応える。
    「大丈夫だ。……ああ、俺は生きてる。生きてるんだ。
     悪魔は……、『黒い悪魔』タイカ・カツミは、俺が間違いなく、この手で、この剣で、倒したんだ。
     ……ああ、倒した。倒した! 倒したぞ……ッ!」
     フーはヨロヨロと立ち上がり、軍艦全体を揺らすかのような大声で叫んだ。
    「倒した! 俺は、悪魔を、倒したぞーッ!」



     まさかの事態に、ブルー島の沖合に逃れた中央軍は慌てふためいていた。そしてその様子は、フーたちの乗っているクラウス号からも確認できた。
    「蛇行してる……?」
    「混乱してるのが、丸分かりだな」
    「そうね。……ねえ、閣下。チャンスじゃない?」
    「あ……?」
     甲板に椅子を用意され、そこに伸びていたフーが巴景の声に顔を上げた。
    「あそこにいる中央軍はひどく混乱し、怯えているはずよ。今威圧すれば、こちらに下る可能性は高いわ。蛇行している今なら、接近して制圧することは十分に可能よ」
    「んなことして、何か意味あんのか?」
    「あるわ。少なくとも今逃げられたら、また増員して襲ってくるじゃない」
    「……そうだな。よし、お前ら! すぐにあの船を捕まえるぞ!」
    「イエッサー!」
     巴景の献策に従い、フーは中央軍の船を拿捕した。

     そして巴景の予想通り、彼らは全員フーの元に下った。
    「……で、どうする気なんだ、トモエ?」
    「決まってるじゃない。このまま中央政府を目指すのよ。彼らをカモフラージュに使ってね」
    「何だって……!?」
     巴景の策に、周囲がざわめいた。
    「ちょ、ちょっと待てよトモちゃん! 俺ら、もうヘットヘトだぜ!?」
    「本来はこのブルー島制圧までしか考えてないのよ? それを、央北本土まで……!?」
    「無茶だ! あまりに遠すぎる!」
     フーも巴景の策には否定的だった。
    「何考えてんだよ、トモエ……。いくら何でも、無謀すぎるだろ」
    「そうとも限らないわよ」
     巴景は甲板の縁に腰かけ、反論する。
    「ここで休息を取りながら、ウインドフォートに連絡して物資を送ってもらい、この島を備蓄基地、中継地点にすればいいのよ。
     中央政府は自分たちが送った軍と克がまさか負けているなんて、あまつさえ自軍が相手に吸収されたなんて、思いもしないわ。だから、何もしてこないはずよ。相手がボンヤリしている間に、私たちはここを拠点にして、ノースポートに攻撃を仕掛ける。味方が帰ってきたと思って油断した相手は成す術無く、港を奪われるわ。
     港を奪い、そこの兵士も接収してしまえば後は簡単。向こうは長い戦いで物資が少なくなり、現在央北中からかき集めてヴァーチャスボックス他、各地の備蓄基地に運んでいる最中。備蓄の少ない首都、クロスセントラルに直行して攻め込まれれば、応戦なんてできるはずもない。
     でも逆に今、この機を逃してしまえば。いつまで経っても戻ってこない軍を怪しんで、中央政府は人員を送り込んでくるわ。そうなれば相手も事態に気付き、慌ててノースポートの防御を固めるでしょうね。
     そうなったらおしまい――今年もまた、我々ジーン王国軍は攻め入る機会を失うでしょう」
    「おいおい、トモちゃん王国軍じゃ……」
     茶々を入れようとしたルドルフを片手でさえぎり、フーが口を開いた。
    「なるほどな。一理あると言えば、ある」
     フーは立ち上がり、決を採った。
    「トモエの意見に賛成し、このままブルー島に基地を建設するのに同意する奴は俺の左。
     反対だ、今すぐ帰りたいって奴は俺の右に並べ」
     兵士たちはざわついていたが、しばらくしてほぼ全員がフーの左に並んだ。

     フーはこの場で巴景を新たな参謀に格上げし、彼女の意見を積極的に取り入れることにした。
     そして巴景のにらんだ通り、中央政府は慢性的な物資不足のため積極的に動くことができず、ずるずると敗北を重ねていった。
     物資を運んできたハインツも加え、さらに行く先々で敗残兵たちを接収していった結果、日上軍閥はついに7月30日、大軍を率いて中央政府の首都、クロスセントラルを陥落させた。



     そして翌月、8月1日。
     中央政府は消滅し、フーを元首とする新しい国家、「第三中央政府」、通称「ヘブン(日上=太陽の上、つまり天国)」が誕生した。
     フーは名実共に、世界の王となった。
    蒼天剣・火風録 7
    »»  2009.12.10.
    晴奈の話、第446話。
    夢の始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「ねえ、陛下。ウインドフォートの件は……」「あぁ? ……任せる」
    「ヘブン」が誕生して1ヶ月が経ち、フーはだらけきっていた。かねてより「世界の王になったら娶る」と宣言した通り、央中ネール公国の主だったランニャ・ネール6世を迎え、フーは毎日甘く暮らしていた。
     政務に関しては半ば側近に任せ、フーは今日も玉座でランニャにべったりとしている。その甘ったるい空気に辟易しながら、巴景は書状を掲げた。
    「ジーン王国から抗議文、来てるわよ」
    「……んー。見せてみ」
     フーは巴景から受け取った書状を眺め、「……めんどくせえ」とつぶやいた。
    「適当に処理しといてくれよ」
    「そう言うわけには行かないわよ。あっちはあっちで、大変なことになってるんだから」
    「って言うと?」
    「トラックス少尉とブライアン曹長が裏切って、ナイジェル博士の監禁が発覚したのよ。で、あなたが独断専行で軍と中央政府を私物化したことも、怒りを買ってるみたい」
    「っつっても、中央政府攻めろって言ったのは」
    「私だけどね。……ま、適当にって言うなら、適当に処理しておくわ」
     巴景の言葉にうなずき、フーはまたランニャとイチャイチャし始めた。



    (あー……、何か複雑な気分ね)
     このところすっかり政務処理を任され、巴景のストレスはじわじわと溜まっていた。元々の性分が剣士であり、こうした机仕事は彼女の性に合わないのだ。
    (偉くはなったけど、何か違う。……もうある程度名声と金は得たし、また風来坊になるのもいいかしらね)
     そう思い、机に座ってため息をついた瞬間だった。
    「ならば私が後を継ごうか、トモエ・ホウドウ」
    「……!?」
     その声に、巴景はのどから心臓が出るかと思うほどに驚いた。
    「……そんな。あなたはあの島で、……確かに」
    「どうする?」
     巴景は席を立ち、声をかけた男に向き直る。予想通りの姿が、そこにあった。
    「なぜあなたが、ここに?」
     巴景は恐怖を押さえ込み、落ち着いた声でその男に尋ねた。
    「アラン。なぜ、生きているの?」

     王の間。
    「あー……。幸せだなぁ」
    「そうね、うふふ……」
     フーがランニャに抱きつき、甘い言葉をささやいていたその時だった。
    「陛下、案件が……」
    「あぁ? 適当に処理しとけ、って、……」
     巴景の声に顔を上げたフーは凍りついた。
     巴景の横に、見知ったフードの男が立っていたからだ。
    「……アラン……?」
    「案件は2つだ。
     一つ、参謀を務めていたホウドウに代わり、私が元通り、参謀を務めることとなった。
     そしてもう一つ。『ヘブン』勢力拡大のため、北方を侵略するぞ」
    「ば……バカ……な」
     フーは立ち上がり、呆然とした目でアランを見つめた。
     その「バカな」と言う台詞が、アランが現れたことに対してだったのか、巴景が解任されたことに対してだったのか、それともアランが、故郷に対して戦争を引き起こそうとすることに対してだったのか――それは誰にも分からなかった。



     520年、末。
     世界に再び、戦乱の相が訪れた。
     フーの夢は、悪夢となり始めた。

    蒼天剣・火風録 終
    蒼天剣・火風録 8
    »»  2009.12.11.

    晴奈の話、第407話。
    遠路はるばる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、3月初め。
     中央政府とジーン王国の戦いは、膠着状態にあった。

     と言っても、別に克大火と日上風が熾烈な戦いを繰り広げていたとか、幾多の軍艦が海を駆け回っていたとか、そんな躍動的な事情があったわけではない。
     央北と北方の間にある海、北海が凍りついており、双方とも船が出せないのだ。いかに大火やフーに人知を超えた力がついていようと、自然が相手ではどうにもならない。
     氷が解けるまでの間、戦況も凍結状態にあった。



     話は変わるが――北海全域を覆う、この分厚い氷。時に、央北・北方、双方の岸をつなぐことがあると言われている。
     とは言え現実的な観点から考えて、ここを渡ろうと言う酔狂な人間はいない。陸より海の方が若干気温が高いとは言え、寒風吹き荒ぶ極寒の海域である。
     それに人が乗れるほど分厚いものの、海に浮かぶ流氷である。ところどころに亀裂があり、万一割れて海に落ちた場合、助かる確率は0に等しい。
     さらに、実際歩くとなると直線距離でも、全長2000キロ以上もの旅路となる。まともな人間なら、歩こうなどとは思いもしない。
    「この海を『歩く』など、自殺行為に等しい。生きて渡りおおせるわけが無い」と、北方沿岸に住む者は皆、そう信じて疑わない。それは北方史始まって以来覆されたことの無い常識であり、定説と言っても過言ではなかった。

     だからその日、ウインドフォート砦の高台にいた見張りは、海に立つその影を見て、それが何なのか理解できなかったのだ。



    「……ん?」
    「どした?」
     毛布に包まりながら見張りを続けていた兵士が、相棒の様子がおかしいことに気が付いた。
    「あれ、見てくれ」
    「どれだよ」
    「ほら、あそこ」
    「あそこって、海か?」
    「ああ。……ほら」
     怪訝な顔をする相棒が指差す先を、兵士は双眼鏡で追った。
    「……?」
     双眼鏡に、黒い影が映る。
    「……!?」
     その影が何であるか認識した瞬間、兵士は全身に冷汗をかいた。
    「なんだ、ありゃ……?」
    「何かが、……歩いてくる?」
     双眼鏡のレンズの中には、背後にそりを付けた黒い影が、吹雪と海の向こうから歩いてくるのが見えていた。
     その光景は二人がまったく想像したことの無いものであり、現状を把握し、対応することにすら、数分を要した。
    「……け、警鐘をっ」
     相棒の方が我に返り、叫ぶ。
    「えっ?」
    「警鐘、な、鳴らそう。モンスターの襲撃かも」
    「あ、ああ。そう、……だよな」
     兵士二人はかじかむ手を必死で動かし、緊急事態を告げる警鐘を力いっぱい叩いた。
     ウインドフォートの砦全体にその鐘の音は響き渡り、すぐさま「海の向こうからモンスターが歩いてくる」と言う前代未聞の情報が伝わった。
    「本当かよ……」
    「ああ、マジらしいぜ。俺もさっき、双眼鏡で見てみたんだけど」
    「私にも見えました。本当に何か、黒いのが歩いてきてるんですよ」
    「それ、本当にモンスターなのか?」
    「現在確認中らしいです。中佐の側近の方が今、確認に向かっているとか」
     砦の中にいた兵士たちは皆、騒然としていた。



     分厚い毛皮のコートに身を包んだ、背の高い短耳の将校――日上中佐の側近の一人、ハインツ・シュトルム中尉が、兵士数人を連れてその場に向かう。
     その影は、ハインツたちが一列に並び、仁王立ちになって威嚇してもなお、足を止めなかった。
    「止まれッ!」
     ハインツが声を張り上げて制止するが、吹雪に紛れてほとんど伝わらない。
     影が静止することなく、そのまま近付いて来るのを確認し、ハインツは部下たちに命令した。
    「全員、武器を構えろ! 奴の顔が目視できる程度に接近したらもう一度警告し、従わなければ射殺して構わん!」
    「はっ!」
     兵士たちは小銃を構え、その影に照準を定めた。
    「……」
     と、影の方も、兵士たちが銃を向けてきたのに気が付いたらしく、足を止め、すっと両手を挙げた。
    「よし、そこで止まれ! 動くんじゃないぞッ!」
     ハインツは剣を構え、少しずつ影ににじり寄っていく。
    「お前は、……モンスターか? それとも、人間か?」
     尋ねながら、じりじりと距離を詰める。
    「人間よ」
     女の声がする。どうやら、その影は女性であるらしかった。
     だがその顔は帽子とマフラーに半分ほど覆われ、さらに仮面をかぶっているため、確認できない。
    「どこから来た?」
    「中央大陸の、ノースポートから」
    「嘘をつけ! この海域は現在凍結している! 船で来られるわけが無いだろう!」
    「誰が船で来たって言ったかしら?」
     女は腕を挙げたまま、ハインツに向かって歩き出した。
    「止まれッ!」
     女は自分が引っ張ってきたそりを指差し、平然と答える。
    「歩いてきたのよ。人間が乗れるくらい凍ってるんだから、歩くのなんてわけないわ」
    「ふざけるな! 本当のことを言え! それから手を下げるな! 挙げろ!」
    「正真正銘、私は歩いてここまで来たのよ。……ねえ、いい加減寒いから、手を下げてもいいかしら?」
    「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
     ハインツの制止も聞かず、女は距離を詰める。
    「撃つ? 別にいいけど、当たらないわよ。こんな強風の中じゃ、絶対に」
    「な……」
     女に挑発され、ハインツの頭に血が上る。
    「……撃てッ! 構わん、撃てッ!」
     ハインツの命令に従い、兵士たちは小銃を撃った。
     だが、女の言う通り銃弾は風にあおられ、一発もまともに直進しない。
    「だから言ったのに。……あーあ、下っ端がこんなバカじゃ、上も知れたもんね。折角遠路はるばる、このクソ寒い大陸まで来たのに」
    「ぬッ……! 我らがヒノカミ中佐を愚弄すると、容赦せんぞッ!」
    「アッタマ悪いわね……」
     女は手を下げ、腰に佩いていた剣を抜く。
    「かかってくるって言うなら、相手になるわよ」
    「りゃーッ!」
     ハインツが先に仕掛け、女の頭を狙って剣を振り下ろす。
     ところが女はひらりとかわし、ハインツに足払いをかける。
    「お、おっ……!?」
    「いい加減寒いんだからさっさと案内しなさいよ、このノロマ」
     ハインツが立ち上がろうとした時には既に、女の剣が彼の首に当てられていた。

    蒼天剣・風来録 1

    2009.10.28.[Edit]
    晴奈の話、第407話。 遠路はるばる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年、3月初め。 中央政府とジーン王国の戦いは、膠着状態にあった。 と言っても、別に克大火と日上風が熾烈な戦いを繰り広げていたとか、幾多の軍艦が海を駆け回っていたとか、そんな躍動的な事情があったわけではない。 央北と北方の間にある海、北海が凍りついており、双方とも船が出せないのだ。いかに大火やフーに人知を超え...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第408話。
    もう一人の女傑。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……それで、そいつは?」
     砦の主、日上風――フーは、私室の豪奢な椅子で斜に構えたまま、青ざめた顔のハインツに尋ねた。
    「はっ……。何と言うか、その、……吾輩ではまったく歯が立ちませんで」
    「そうか。で、今は?」
    「まだ困惑しておりますが、取り急ぎ、こちらに伺った次第でして。まったく、面目ない」
    「あのな」
     フーはハインツをにらみつけ、いらだたしげに尋ね直した。
    「お前のことなんか知ったこっちゃねーんだよ。そいつが、今、どこにいるのか、って聞いてんだよ」
    「あ、しっ、失礼しました! ……その、ともかく砦に連行し、現在1階の、食堂に」
    「そうか。分かった」
     フーは恐縮するハインツを尻目に、食堂へと向かった。

     フーが食堂の扉を開けた途端、ざわざわと騒ぐ兵士たちの姿が視界に入る。
    「本当に海から?」
    「そう言ってるじゃない、しつこいわね」
    「シュトルム中尉を倒すなんて、アンタ何者だ?」
    「ノーコメント」
    「なーなー、顔見せてくれよー」
    「イヤ」
    「何でそんな仮面かぶってんだ」
    「ノーコメント」
    「さっきからそればっかりだなぁ」
    「何で私がアンタたちの質問に、一々真面目に答えなくちゃいけないのよ?」
     フーは兵士たちと女のやり取りをじっと見ていたが、一向に収まる気配が無いので大声を出してさえぎった。
    「お前ら、邪魔だッ! さっさとどけッ!」
    「あっ、か、閣下!」
    「し、失礼いたしました!」
     兵士たちはフーの姿を確認するなり、バタバタと食堂から出て行った。

    「やれやれ……」
     人払いをしたところで、フーは女の前に座った。フーの服装と徽章を見て、女が声をかける。
    「あなたが、フー・ヒノカミ中佐?」
    「そうだ。……いくつか質問させてもらうぜ。まず、お前の名前は?」
    「巴景よ。トモエ・ホウドウ」
    「央南人なのか?」
    「ええ。あなたも血を引いていると聞いたけど」
    「そうだ。生まれも育ちも、北方だけどな」
     フーは巴景の仮面をじっと眺め、尋ねてみる。
    「仮面、取らないのか?」
    「ええ。閣下さんの前で悪いけれど、昔大ケガをしてしまったのよ。その跡がまだ、残っているから」
    「取らなきゃ美人かどうか分かんねーなぁ……」
     女好きのフーは、ひょいと仮面に手を伸ばそうとする。だがその手を、巴景につかまれた。
    「ん……?」
     振りほどこうとしたが、異様に力が強く、離れない。
    「お前、本当に女か? 力、すげえ強えな……?」
    「ええ。正真正銘、女性よ。この腕力は、修行と魔術の賜物」
    「……へぇ。まんざら、海を歩いて渡ったってのも嘘じゃなさそうだな」
     フーは巴景の体を上から下に、なめるように眺める。
    「コート、脱げよ」
    「イヤよ。寒いもの」
    「あ、そうだな。ずっと吹雪の中、歩いてきたんだからそりゃ、凍えてるよな。……俺が暖めてやろうか?」
    「あなた、女を枕か何かだと思ってない? お生憎様、私はそんなつもりであなたに会いに来たんじゃないのよ」
    「……って言うと?」
     巴景はフーから手を離し、立ち上がった。
    「私は武者修行をしているの。それでこの戦争で直接戦ってるこの軍閥を率いている閣下さんに、傭兵として雇ってもらおうと思ってね」
    「へぇ……?」
     好奇の目で巴景を見ていたフーは、今度は品定めをするように注意深い目を向けた。
    「腕は……、確かだろうな。
     さっきお前が倒した奴、あれは俺の側近だ。この砦内でも有数の実力を持ってたんだが……」
    「あの程度で?」
     鼻で笑った巴景に、フーも苦笑して返す。
    「まあ、そう言ってやるなよ。……それで、だ。お前はそれよりも、確かに強い。
     よし、採用だ」
     フーの言葉を受け、巴景は小さく頭を下げかけた。
    「よろしく……」「待て待て待てぇーい!」
     ドタドタと足音を立てて、何者かが食堂に飛び込んできた。
    「ハインツか? 何の用だ?」
     フーはうざったそうに振り返り、ゼェゼェと荒い息を立てるハインツに目を向けた。
    「その女の採用、異議申し立てます!」
    「は?」
    「先程は吾輩の不覚によって、押し切られる形となってしまいました、がっ!」
     ハインツはゴツゴツと足音を立てて、巴景の前に立つ。
    「正面から正々堂々戦えば、この吾輩が負けることなど万に一つもありません! この女は不意打ちで勝ったに過ぎません! 不意打ちで勝つなど、騎士道にあるまじき……」「あ?」
     唾を散らして言い訳するハインツに、フーは斜に構えてにらみつける。
    「お前、頭がマヌケか?」
    「なっ……」
    「戦場のど真ん中で同じこと言ってみろよ。お前みたいな馬鹿、一瞬で蜂の巣だぞ?」
    「いやいや、それはありません!」
     ブルブルと首を振るハインツの態度に、フーは呆れ返った。
    「お前なぁ……。ま、いいか。
     そんなにギャーギャー言うなら、戦ってみろよ」
    「……むっ?」
    「このトモエ・ホウドウって女武芸者と戦って、正々堂々となら勝てるってことを証明してみろよ」

    蒼天剣・風来録 2

    2009.10.29.[Edit]
    晴奈の話、第408話。 もう一人の女傑。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「……それで、そいつは?」 砦の主、日上風――フーは、私室の豪奢な椅子で斜に構えたまま、青ざめた顔のハインツに尋ねた。「はっ……。何と言うか、その、……吾輩ではまったく歯が立ちませんで」「そうか。で、今は?」「まだ困惑しておりますが、取り急ぎ、こちらに伺った次第でして。まったく、面目ない」「あのな」 フーはハインツをにらみつけ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第409話。
    巴景の実力発揮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フーの一声で、巴景とハインツは砦地下の修練場で仕合をすることになった。
    「それではぁ、始めますねぇ」
     たまたま暇だったと言うフーの側近の一人が、のたのたとしたしゃべり方で審判を勤める。
    「それではぁ、開始ぃー」
    「どりゃあッ!」
     開始が告げられるなり、ハインツは槍をうならせて突進してきた。
    (さっきは剣を使っていたのに、今度は槍?)
     武器が違うことを疑問に思ったが、ともかく巴景は剣を構えて受ける。
    「ふんっ、ふんっ、ふぬうッ!」
     まるで怒り狂った野牛のように、ハインツは突進と打突を繰り返す。
    「はぁ、……めんどくさい」
     四太刀ほど受けたところで、巴景はけりを付けようとした。
    「『ライオンアイ』」
     殺刹峰時代に手に入れた身体強化の魔術で腕力を倍化させ、ミューズが忘れていった剣、「ファイナル・ビュート」を力いっぱいに薙ぐ。
    「ぬお……っ!?」
     恐らく鋼鉄製であった槍が、まるで飴のようにぽっきりと折られた。
    「どうかしら、……と」
     勝ち誇ろうとした巴景は、ハインツの殺気が消えていないことに気付いて剣を構え直した。
    「ま、まだまだぁッ!」
     ハインツは柄だけになった槍を捨て、腰に佩いていた剣を抜いた。
    「往生際悪いわね、このバカ」
    「あ、そうじゃないんですよぉ」
     巴景の独り言を聞き拾ったらしい紫髪の側近が、ゆったりと訂正する。
    「シュトルム中尉さんはぁ、『人間武器庫』って呼ばれててぇ、一人でいくつもぉ、武器を操るんですよぉ」
    「……へーぇ」
     巴景は改めて、ハインツの装備を確認してみた。
    (さっき潰した槍に、今握ってる剣。
     ふーん、背中にももう一本、剣持ってるのね。脇差、って感じかしら。
     あら? 後ろからチラチラ見えてるのは尻尾、……ってわけじゃなさそうね。鞭かしら?
     あと片方の太腿に5本、いえ6本。両腿で計12本、ナイフを着けてる。小さいし数が多いから、投擲用ナイフってところね。
     他にも袖とか裾にも、変なふくらみがある。なるほどね、『人間武器庫』ってのも言い得て妙、か)
    「ほら、ほらっ、ほらほらほらあッ!」
     剣をビュンビュンとうならせて、ハインツは距離を詰める。
     巴景はそれをひらひらと避けながら、紫髪の側近の背後で、椅子へ斜めに掛けていたフーに声をかけた。
    「ねえ、閣下」
    「ん?」
     巴景は冗談めかした口調で尋ねてみる。
    「こいつの武器、全部見たことはある?」
    「ん……。そう言えば、無いな」
    「見たくない?」
    「……ハハ、見せてくれるのか?」
    「ええ、見せてご覧に入れますわ」
     その言葉を聞いたハインツが激昂する。
    「吾輩を愚弄するか、女ッ!」
    「愚弄? いいえ違うわ」
     巴景は剣の腹で、ハインツの剣を思い切りはたいた。
    (『愚弄』は同じ人間に対してするものでしょう? ……クスクス)
     ハインツの剣は簡単に弾き飛ばされ、部屋の端まで転がっていった。
    「さあ、次は何を出すのかしら?」
    「ぬ、がっ……」
     巴景は心の中で、ハインツを嘲笑していた。
    (アンタみたいな単細胞と私が同じ人間だと、本気で思ってるのかしら?)

     結局、ハインツは最終的に8種類の武器を放出し、それでも巴景に傷一筋付けることができずに敗北した。
     巴景は凄腕の傭兵として、フーの新たな側近に迎えられた。



     ハインツをあっさり下した巴景は、すぐにうわさ話の中心に上った。
     元々、ここ数年で英雄になったフーを間近で見ようと、彼の拠点である砦周辺に集まった好事家たちが築いたのが、このウインドフォートである。
     うわさ好きの住民たちは皆、巴景について語り合っていた。
    「それにしても、あの仮面……」
    「うんうん、気になるよねー」
    「顔にすっごい傷がついてるらしいけど、いっぺん見てみたいわよねぇ」
    「うんうん、分かる分かるよー」
     街のあちこちで、こんな話が繰り返される。
     その側を通りかかった巴景は内心、有頂天になっていた。
    (ふふっ……。みんなが私に注目してるわ。
     そうよ、世界最強の女はこの私よ。間違っても、あの……)「そう言えばさー」
     だが――時折、こんな言葉も耳にする。
    「央南人の女傑って言えば、もう一人いたわよね?」
    「うんうん、いたよねー」
    「何だっけ、名前? えーと……」
    「確か、猫獣人で、えー……」
     そのうわさを聞く度に、巴景は仮面越しに彼らをにらみつける。
     だが、彼らはその視線に気付かない。平然と、巴景が憎み続けている女の名を口にする。
    「コウ、だっけ? 確かそんな感じの名前」
    「うんうん、そんな感じそんな感じー」
    「……ッ」
     巴景は仮面の裏で、ギリギリと歯軋りした。
    (何でよ? 何で、この街にまであいつの名前が伝わってるの?
     ちょっと戦争で活躍して、どこかの大会で準優勝したくらいで、後はほんのちょっと犯罪捜査に協力しただけじゃない。
     どうしてそれだけで、それくらいのことで、話題になるのよ……ッ)
     巴景は腹立ち紛れに、裏路地の壁を素手で叩き割った。
    「……見てなさいよ。この戦争が終わる頃には晴奈の名前なんて、北方人の記憶から綺麗さっぱり消し去ってやるわ!
     歴史に名前を遺すのは、この私よ!」

    蒼天剣・風来録 3

    2009.10.30.[Edit]
    晴奈の話、第409話。 巴景の実力発揮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. フーの一声で、巴景とハインツは砦地下の修練場で仕合をすることになった。「それではぁ、始めますねぇ」 たまたま暇だったと言うフーの側近の一人が、のたのたとしたしゃべり方で審判を勤める。「それではぁ、開始ぃー」「どりゃあッ!」 開始が告げられるなり、ハインツは槍をうならせて突進してきた。(さっきは剣を使っていたのに、今度...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第410話。
    したたかな剣姫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ウインドフォートに来てから3日が経ち、巴景は側近の一人と仲良くなった。
    「それでですねぇ、そのお店のタルトが本当に美味しくてぇ……」
     ハインツと闘った時に審判を勤めた、あの紫髪の短耳である。名前はミラ・トラックス。水と土を得意とする魔術師である。
    「へぇ……」
     おっとりした性格を裏付けるかのように、彼女の体型もややふっくらしている。とは言え――。
    「良くそれだけ食べて、……そこだけしか太らないわね」
    「えへへ、よく言われますぅ」
     ミラは話題に上った胸をぽよ、と隠す。晴奈同様――こう比較されるのも、彼女にとっては不愉快だろうが――巴景もそれほど魅力的な体型ではないので、その仕草は多少イラつかせるものがあったが、それを態度には出さない。
    「ねぇ、今度一緒に行きましょうよぉ、トモエさぁん」
    「ええ、機会があれば是非、ね」
     巴景はいかにも「共感した」「興味を持った」と言う口ぶりで、ミラに応えた。

     巴景はこうした点において、非常にしたたかで狡猾な面を見せる。
     本来の楓藤巴景と言う人物の性格は、一言で言うなら「唯我独尊」である。自分の身、自分の利益がいつ、いかなる時においても最優先であり、他人への興味や情など、無いも同然である。
     フーのことは「閣下」と敬称で呼んではいるが、内心では「粗暴でスケベなクズ」と見下しているし、他の側近にもまったく敬意を抱いていない。今、目の前にいるミラに対しても、「とろくさい胸デブ」としか思っていない。
     だが、巴景はそんな感情をまったく、表に出したりはしない。出せば嫌われることを、十二分に理解しているからだ。勿論、巴景個人は他人からどう思われようと知ったことではないし、気にも留めない。嫌われたところで、それ自体は構わないのだ。
     しかし緊急時――例えば、実力が拮抗した者との死闘を続け、疲弊しきったところで、自分に悪感情を抱く味方がその場に現れた時など――味方が寝返るかも知れないし、見て見ぬ振りをする可能性もある。そうなれば、自分は決定的な逆境に立たされることになる。
     極限状態で「嫌われる」ことは、即ち死を意味する。

     が――逆にその極限状態で「好かれて」いれば、どうだろうか?
    「それにしてもぉ、トモエさんってぇ、もっと怖い人かなって思ってましたぁ」
    「あら、そう?」
    「はぁい、あ、でもですねぇ、今はいい人だと思ってますよぉ」
    「ふふ、ありがと」
     ミラは嬉しそうな笑顔を、巴景に向けてくる。
    「良かったらまた、お茶しましょぉ?」
    「ええ、今度は私が誘うわね。……それじゃ、今日はこの辺で」
     巴景が席を立ったところで、ミラはまた人懐こい笑顔になった。
    「はぁい、またよろしくですぅ」
     その笑顔を見て、巴景は仮面の裏でほくそ笑んでいた。
    (コイツも私の味方――『駒』、ね。
     ……ふふ、ふ。コイツもバカよね。私が『いい人』のわけないじゃない)



     こんな風にして、巴景は着実に砦内での味方を増やしていった。とは言え、(今のところ)己の主人であるフーにたてついたりも、反目したりもしない。
    「よお、トモエ。最近、調子乗って……」「ええ、調子は上々ですよ」
     巴景の人気が高まっていることに不安を覚えたらしいフーが探りを入れようとする前に、巴景は口を挟んだ。
    「お、おう。そっか」
    「閣下には非常に感謝しております。私のような余所者にこんな活躍の機会を与えてくださった恩、必ずや次の戦いで報いて見せます」
    「……うん。なら、まあ、……いいや。じゃ、頑張ってくれ」
    「はい」
     出鼻をくじかれ、口を開く間も与えられずに忠誠の言葉を聞かされたフーは、そのまま帰ってしまった。
    (余計な勘繰りしてんじゃないわよ。アンタは戦争のことだけ考えてりゃいいのよ)
     フーをやんわりと追い返した巴景は、仮面の裏で彼の背中をにらみつけていた。

     と――。
    「私をだませると思うな、ホウドウ」
     まったく気配を感じなかった背後から、低い男の声がかけられた。
    「……!?」
     振り向いた先には、フーの参謀であるフードの男、アランが立っていた。
    「な、……コホン。何のことかしら?」
    「独りになった途端、邪心を浮かべたな?」
    「さあ?」
     巴景はごまかすが、アランの追及は続く。
    「いいか、出し抜こうなどとは考えるな」
    「だから、何のこと? 変な邪推はやめてほしいわね」
    「……ふん」
     アランはそれ以上何も言わず、巴景の前から姿を消した。
    「……」
     アランの姿が見えなくなったところで、巴景の額に汗が浮き出す。
    (何なの……? 気配がまったく無いなんて、あいつは、……人間なの? この私が、欠片も気配を感じられないなんて)
     巴景は戦慄していたが、その様子も分厚い仮面に隠されていた。



     中央政府との戦闘再開まで、後二ヶ月を切っていた。

    蒼天剣・風来録 終

    蒼天剣・風来録 4

    2009.10.31.[Edit]
    晴奈の話、第410話。 したたかな剣姫。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ウインドフォートに来てから3日が経ち、巴景は側近の一人と仲良くなった。「それでですねぇ、そのお店のタルトが本当に美味しくてぇ……」 ハインツと闘った時に審判を勤めた、あの紫髪の短耳である。名前はミラ・トラックス。水と土を得意とする魔術師である。「へぇ……」 おっとりした性格を裏付けるかのように、彼女の体型もややふっくらし...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第411話。
    アランの風評と、もう一人のナイジェル博士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     アランに「出し抜こうとは考えるな」と言われた巴景だが、そもそも彼女はそんなことを考えてはいない。
     フーの下に就いたのは、あくまでも「立身出世」のためである。即ち、北方で戦果を挙げることにより世界に己の名を知らしめ、名声の面においても晴奈を超えようと考えており――巴景は技量や天運など、ほとんどの面において彼女より優れていると確信している。あくまでも「『アイツ』にあって私に無いのは『戦果を挙げた』と言う名誉だけよ」と考えている――フーを出し抜いて自分が軍閥の主になろうなどとは露ほども思っていない。
     とは言え、アランは軍閥のナンバー2である。彼の信用を得られなければ、この砦における地位確立もおぼつかない。ひいてはフーに重用されることもなく、立身出世には到底至らないだろう。
    (それは困るわ。もうすぐ、中央政府との戦いが再開されると言うのに)

     アランの存在を少なからず「自分の立身出世に対する脅威」と見た巴景は、何とか彼に取り入り、信用を得られないかと、彼の素性に付いて調べることにした。



     まずは仲良くなった側近の魔術師、ミラから話を聞くことにした。
    「あー……、アランさん、ですかぁ」
     聞いた途端に、ミラは表情を曇らせる。
    「何か、嫌な思い出でもあったのかしら?」
    「えー、まあ、はい。あの人ですねぇ、何て言うかぁ、ヤな人なんですよねぇ」
    「やな、人?」
    「はぁい。すっごく、そのぉ、態度がですねぇ……」
     ミラは辺りをきょろきょろと見回しながら、小声で話す。
    「中佐のことも平気で顎で使ってますしぃ、その下にいるアタシたちなんてぇ、空気扱いですよぉ。人間だって、全然思ってないみたいなんですぅ」
    「そう……」
     ミラの話を聞きながら、巴景はアランの姿を思い出す。
    (人間じゃない、か。……私からすれば、あいつの方が人間離れしてるわ。この私がどう神経を張り巡らせても、あいつの気配が全然つかめないんだから。
     顔もフードと鉄仮面で隠してるし。……って、仮面で隠してるのは私も同じか)
    「トモエさぁん?」
    「え? ……あ、ごめんなさいね。ちょっと考え事をしていたものだから」
    「あ、はぁい。それでですね、あの人のせいで投獄された人も、何人かいるんですよぉ」
    「へぇ?」
    「例えばですね、ナイジェル博士とか。あの人、首都からわざわざ出向してきてくれたのにぃ、袋叩きにされてぇ、牢屋に入れられたんですよぉ」
    「牢に入れるよう命じたのは、閣下なの?」
    「直接はそうなんですけどぉ、指示したのは多分アランさんですよぉ、きっと」
     それを聞いて、巴景はそのナイジェル博士と言う人物に興味を持った。
    (アランによって投獄された人物、か。……もしかしたら、アランについて何かつかめるかも)

     ミラに頼み、巴景はそのナイジェル博士に会ってみることにした。
    「あの、内緒にしてくださいねぇ。勝手に面会したって言うことがばれたらぁ、アタシも牢屋行きになっちゃいますからぁ」
    「はい、了解しております」
     心配そうに頼み込むミラの目、いや、胸を見ながら敬礼した看守に苦笑しつつ、巴景は牢の奥へと進んだ。
    「あの人?」
    「はぁい。あの人がナイジェル博士ですぅ」
     一番奥の独房に、生気を失った顔のエルフが座っていた。
     エルフは青年期が長い種族なので、見た目からはその正確な年齢はつかめない。その上童顔のため、前もって24だと知らされていなければ、彼は二十歳前の少年にすら見えた。
    「……誰かな?」
    「アタシですぅ。ミラ・トラックス少尉ですぅ」
    「トラックスさんか。今日は、何の用?」
    「えっとですねぇ、あなたに会いたいって言う人がいるんですよぉ。この前側近になった傭兵さんなんですけどねぇ」
    「傭兵、……が、側近に? へぇ、珍しいね」
     長い間投獄されているらしく、顔も服も垢じみており、平常時ならば聡明さを表していたであろう丸眼鏡も右眼側がひび割れ、悲壮感しか伝わってこない。
     それでもまだ、知性は失われていないらしい。彼は賢しげな目を、巴景に向けてきた。
    「ふーん……。央南の剣士か。腕は相当立つみたいだね」
    「え?」
     いきなり素性を言い当てられ、流石の巴景も驚いた。博士と呼ばれたエルフは、素性を言い当てた根拠を話し始める。
    「女性にしては体格ががっしりしているし、体全体の脂肪も妙に少ない。非常に運動量の多い生活をしていると言うことだ。
     それに左手の指、小指以外にたこがある。何か棒状のものを、しょっちゅう握っているってことだ。でも左利きじゃないな、右手の中指にペンだこがあるもの。小指の力を抜いて、左手にウェイトを置いて握る――これは央南地方の剣術に特有の、刀剣の構え方だ」
    「……ご明察ね」
    「それは良かった。ああ、自己紹介が遅れたね。
     僕はトマス。トマス・ナイジェルと言うんだ」
     トマスは汚れた顔を袖で拭い、軽く頭を下げた。
    「私はトモエ・ホウドウ。よろしくね、博士。……それで、一つ質問したいことがあるんだけど、いいかしら?」
    「何だい?」
    「何故あなたは投獄されたの?」
    「うー……ん」
     尋ねた途端、トマスは暗い顔を向けてきた。
    「それは……、言えば君にとって、非常に困ることになると思う。それでも聞きたい?」
    「……それなら、いいわ。わざわざ危ない橋を渡るのもバカらしいし」
    「そうだろうね。他に聞きたいことは?」
     巴景はトマスのつっけんどんな態度に、内心苛立ちを感じていた。
    (コイツ……、さっきから人のこと、『女にしては』とか『脂肪が妙に少ない』とか、ズケズケ無神経に言ってくれるわね。
     案外、投獄されたのも単純に、フーの機嫌を損ねたからじゃないの?)
    「無い? あるなら早く言ってね」
     トマスはうざったそうに眉をひそめる。プライドの高い巴景は、相手にそんな態度を取られてまで話を聞こうとする気にはなれなかった。
    「別に。……さ、戻りましょ、ミラ」
    「あ、はぁい。……それじゃお元気で、トマスさん」
    「元気にしていられるわけないじゃないか、ははは……」
     笑いながら言っているので彼にとっては軽口や冗談だったのだろうが、背を向けたミラはほんの少し顔をしかめていた。
    「あなたが気を使ってくれてるって言うのに、無神経ねアイツ」
    「え? いえ、そんな……」
    「もう聞こえてないだろうし、素直に言っていいんじゃない?」
     巴景にそう言われ、ミラは牢の奥を振り返る。
    「……いい人なんですけどぉ、もうちょっと周りの空気を読んでほしいですねぇ」
     トマスは本に目を通していた。巴景の言う通り、トマスの方も既に、二人への興味を失ったらしい。

    蒼天剣・風評録 1

    2009.11.02.[Edit]
    晴奈の話、第411話。 アランの風評と、もう一人のナイジェル博士。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. アランに「出し抜こうとは考えるな」と言われた巴景だが、そもそも彼女はそんなことを考えてはいない。 フーの下に就いたのは、あくまでも「立身出世」のためである。即ち、北方で戦果を挙げることにより世界に己の名を知らしめ、名声の面においても晴奈を超えようと考えており――巴景は技量や天運など、ほとんどの...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第412話。
    おっとり&のっそり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     うわさ好きの住民が集まるこの街では、情報を集めるのもたやすい。
     が、その真偽となると話は別である。
    「アラン・グレイ参謀? ……ああ、あのフードの。ええ、……まあ、ここだけの話ですけどね、側近の皆さん、嫌ってるみたいですよ。
     何でって? うーん、嫌味が多いとか、人の都合を考えないとか、ま、よくあるヤな上司の典型みたいな人みたいだから、嫌われるのも当然じゃないんですか?」
     誰に聞いても、ここまでは皆、異口同音に答えてくれる。
    「なるほど……。それじゃ、もう一つ質問なんだけど。グレイ参謀って、どこの人なのかしら?」
    「え、……うーん、さあ?」
     ところが彼の出自や個人情報となると、突然情報が途絶えてしまう。
    「北方人じゃないの?」
    「そうかも知れませんけど、何しろ顔を見たことが無いし」
    「うわさじゃあの人、人間じゃないって」
    「うんうん、聞いたことあるよー」
    「ええ、悪魔とか何とか言う人もいますしね」
     聞いた話のどれもが根拠の無い、信憑性に欠ける情報ばかりであり、1週間かけて情報収集を行ってもなお、アランの素性はまるで判明しなかった。
     しかし、その性格と評判については十分過ぎるほど情報が集まった。誰も彼も、口を揃えてこう言っていたからである。
    「自分の主君も含めて、すべての人間を見下している、すごく嫌な奴」

     巴景はアランに取り入ることを諦めた。
     アランが非常に冷徹、排他的で、結局他人を利用しようとしか考えていないことが分かり、取り入ったところで、特にメリットが無さそうだったからである。
    (でも、……逆にアリね、こう言う奴も)
     誰からも嫌われる権力者――他人の信用を集めるには、非常に利用できる人材だった。



     巴景は側近たちの元を訪れ、友好関係を築くことにした。
    「こんにちは、バリー」
    「あ、……ども」
     手始めに訪ねたのは、ミラのサポート役をしている寡黙な熊獣人、バリー・ブライアン軍曹。
     この時も都合のいいことに、ミラが彼の横にいた。
    「あれぇ、トモエさんじゃないですかぁ」
    「こんにちは、ミラ」
    「どしたんですかぁ?」
    「ええ、……そうね、あなたを探してたの」
    「ふぇ? アタシですかぁ?」
     とっさに口実を作り、自然な会話に持って行く。
    「ええ。ほら、この前言ってた喫茶店。あそこ、行ってみたいなって」
    「あ、そうですねぇ。ちょうど今日、アタシ暇だったんで、行っちゃいましょうかぁ」
    「ええ、お願いね。そうだ、バリーも行かない?」
    「俺? えっと、喫茶店、に?」
     話を振られ、バリーは目を白黒させている。
    「ええ。一度、あなたともお話してみたいと思ってたんだけど。何か予定、あった?」
    「え、いや、ない、けど」
    「それなら行きましょう、ね? 三人の方が、話も弾むし」
    「あ、う、うん、分かった」
     バリーは困惑した顔をしながらも、小さくうなずいた。

     喫茶店に場所を移したところで、巴景は話を切り出した。
    「ねえ、ミラ、バリー。私のこと、どう思う?」
    「え?」
    「いきなり、どしたんですかぁ?」
     巴景は声を落とし、やや悲しげな口調を作る。
    「実はね、グレイ参謀から疑いを掛けられてるみたいなの」
    「えぇ?」
     人のいいミラは、それを聞いて悲しそうな顔になる。
    「そんな、ひどい……」
    「きっと私が外国人だからね。中央のスパイとでも思ってるんじゃないかしら」
    「そんなわけないじゃないですかぁ……。央北と央南じゃ、全然別のところだし」
     ミラは明らかに、巴景の話に憤慨してくれている。巴景は内心ほくそ笑みながら、依然悲しそうな口調は崩さない。
    「そう言ってくれて嬉しいわ。でも、みんなはそう思ってくれないかも知れないわ」
    「そんなコトないですよぉ。アタシ、トモエさんはいい人だって分かってますもん」
    「ありがとね、ミラ」
     巴景は仮面の端から見える口をわずかに曲げ、嬉しそうな笑みを二人に見せた。それを見たミラは、ますます優しく接してくる。
    「もし何かあっても、アタシはトモエさんの味方ですからね。ねぇ、バリー?」
    「え?」
     ぼんやりと話を聞いていたバリーは目を丸くし、ミラと巴景の顔を交互に見る。
    「バリーも、トモエさんの味方ですよねぇ?」
    「あ、え、……うん。味方だ」
     困った顔をしつつも、バリーはうなずいた。
    (よし……。やっぱり、バリーはミラに流されてるわね。ミラを抱き込んでおけばきっと、コイツは私に協力するわ)
     その後2時間ほど、巴景は二人とじっくり歓談し、ミラと、そしてミラに付いているバリーの友好関係、信頼を築いた。

    蒼天剣・風評録 2

    2009.11.03.[Edit]
    晴奈の話、第412話。 おっとり&のっそり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. うわさ好きの住民が集まるこの街では、情報を集めるのもたやすい。 が、その真偽となると話は別である。「アラン・グレイ参謀? ……ああ、あのフードの。ええ、……まあ、ここだけの話ですけどね、側近の皆さん、嫌ってるみたいですよ。 何でって? うーん、嫌味が多いとか、人の都合を考えないとか、ま、よくあるヤな上司の典型みたいな...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第413話。
    ギャンブラー、トモちゃん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     続いて巴景は、来訪してすぐに痛めつけた側近、ハインツ中尉の所を訪れた。
    「ふむ、では吾輩は雷と土の5、それから水の6と氷の6で2ペアだ」
    「へっへ、じゃ俺の勝ちだ。こっちは3、4、5、6、7でストレート」
    「うぬっ……」
     ハインツは食堂で狐獣人の男とカードゲームに興じていた。と、その狐獣人が巴景に気付いた。
    「お。仮面女だぜ、ハインツの旦那」
    「何? ……ぬう、貴様は」
     ハインツは巴景を見た途端、不機嫌そうに額にシワを寄せる。
    「何の用だ?」
    「ええ、少し謝らなくちゃと思って」
    「……何だと?」
     巴景はぺこりと頭を下げ、ハインツに謝罪の言葉をかけた。
    「あなたのおかげでこの砦に入れたのに、ずっとお礼もしなくて。ごめんなさいね」
    「あ、う、うむ」
     下手に出られ、ハインツの怒りは行き先を失ったらしい。複雑な表情を浮かべ、ぎこちなくうなずいている。
    「あの、もし良かったらこれ、どうぞ」
    「む……?」
     巴景は先程喫茶店で購入したケーキを、ハインツに渡す。
    「む、む、これは……」
    「おわび、……って言ってしまうのはおこがましいけれど、せめてこれくらいはしないと、と思って。嫌いだったかしら、甘いもの」
    「あ、いや。……うむ、喜んでいただくとしよう」
     横で二人のやり取りを見ていた狐獣人が、呆れた顔で煙草をふかす。
    「鼻の下伸びてんぜ、ハインツの旦那」
    「うっ? ……いやいや、失敬」
    「そんでさトモちゃん、俺には何かないの?」
     巴景は口元をにっこりと曲げて、その狐獣人――こちらもバリー同様、ハインツのサポート役で、ルドルフ・ブリッツェン准尉と言う――に包みを渡した。
    「ええ、会った時に渡そうと思ったんだけど、丁度良かったわ。はい、これ」
    「お、ありがとよ。……でも旦那のに比べりゃ、ちっちぇえな」
    「ええ。ハインツさんにはおわびも込めて、だから」
    「そか。……じゃ、俺もオイタしてもらおっかなぁ、へへっ」
     ニタニタ笑うルドルフに向かって、巴景はクスクスと愛想笑いをしてやる。
    「まあ、ご冗談。……ところで、ゲーム中だったみたいね。私も混ぜてもらっていいかしら?」
    「ん? いいぜ。トモちゃん、ルール分かるか?」
    「ええ。ポーカーでしょ?」
    「知ってるみたいだな。んじゃ、軽くやりますか、っと」

     ルドルフはカードを切り、席に付いた巴景とハインツ、それから自分に配る。
    「あ、そう言えばどうする? 賭けるか?」
    「ええ、その方が面白いでしょう?」
    「いいねぇ、いいノリだ。……よし、それじゃチェック」
     ルドルフのかけ声に合わせ、ハインツと巴景は配られた手札を見る。
    (火の4、水の4、雷の6と7、それと風の5。……どうしようかしら?)
     ハインツはいつも通りのしかめっ面をしている。どうやらあまり手は良くないらしい。対して、ルドルフはニヤニヤしている。そこそこいい手が入っているようだ。
    (ワンペアとか、そんな安い手じゃ無さそうね。さっきもストレート出してたみたいだし。……となると、ワンペアじゃ多分負けるわね)
    「むう……、3枚チェンジだ」
     ハインツがカードを捨てる。
    (あら……。雷の4と8、それと水の3ね。確率としては、4のスリーカードとストレート、それから雷のフラッシュは出にくくなりそうね)
    「トモちゃん、アンタの番だぜ。捨てるか?」
     ルドルフが依然、ニヤニヤしながら尋ねてくる。
    「そうね……」
     相槌を打ちながら、巴景はカードを捨てるかどうか考える。
    (ま、勝負すること自体は問題じゃないし、適当でいいわ)
    「ええ、3枚交換で」
     巴景は「4」以外のカードを捨てた。
    「ほい、3枚と」
     ルドルフがカードを渡す。
    「俺はこのまんまで行くぜ。……それじゃ、セット」
     どうやらルドルフは相当の好手らしい。交換せず、そのまま勝負に出た。
    「吾輩は……、ううむ……」
     逆に、ハインツは3枚交換したにもかかわらず、手は良くないらしい。
    「……ドロップ」
     ハインツはカードを机に置き、銀貨を1枚出した。これは勝負を降りた時の罰金、100ステラ――北方大陸で使われる通貨――である。
    「トモちゃんは?」
    「セット。賭けさせてもらうわ、100ステラ」
     巴景も銀貨を1枚出した。
    「よっしゃ。じゃ俺は300ステラで。……オープン」
     ルドルフが見せたカードは火と氷の2、そして雷と土、風の9――フルハウスである。
    「んでトモちゃん、アンタは?」
    「……ふふっ」
     巴景もカードを開ける。
    「火の4、氷の4、水の4、風の4、あと氷の8。フォーカードよ」
    「あちゃ、負けたぁ……」
     ルドルフは天井を仰ぎ見て、銀貨を3枚机に投げ出した。



     ここでも、晴奈に対抗心を燃やしているのか――勝負運も、巴景は強かった。結局、巴景は1500ステラの大勝を収めた。
     さらにこの二人との仲も円満にすることができ、巴景の「下準備」も着々と進んでいた。

    蒼天剣・風評録 3

    2009.11.04.[Edit]
    晴奈の話、第413話。 ギャンブラー、トモちゃん。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 続いて巴景は、来訪してすぐに痛めつけた側近、ハインツ中尉の所を訪れた。「ふむ、では吾輩は雷と土の5、それから水の6と氷の6で2ペアだ」「へっへ、じゃ俺の勝ちだ。こっちは3、4、5、6、7でストレート」「うぬっ……」 ハインツは食堂で狐獣人の男とカードゲームに興じていた。と、その狐獣人が巴景に気付いた。「お。仮...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第414話。
    ちっちゃい姐さん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ミラ、バリー、ハインツ、ルドルフの4人と仲良くなった後も、さらに巴景は懐柔を続けた。
     今度は兎獣人の魔術師、ドール・ホーランド大尉。何でもフーの、北方における最近の「お気に入り」だと言う。

     会ってみた巴景は、内心「なるほど」と納得した。
    「アナタが最近ウワサのサムライさん? へー、……ふーん」
     ドールは少女かと見紛うほど背が低かったが、どう考えても子供ではなかった。なぜなら非常に魅力的な体型と仕草をしており――同性の巴景でさえ、その妖艶さに一瞬目を奪われた――その声も、非常になまめかしかった。
    「ヒノカミ君、女だから雇ったってワケじゃなさそうね」
    「ええ。紛れもなく、剣の腕で、よ」
    「そのようね。仮面と厚着で隠れてるケド、何か強そうな雰囲気があるもの」
     ドールはにっこり笑って巴景に握手を求める。巴景もそれに応じ、彼女の手を握った。
     するとドールは、「あら?」と小さくつぶやいた。
    「……? どうかしたの?」
    「いえ……。ねえアナタ、魔術も使えるの?」
     そう問われ、巴景は素直にうなずく。
    「ええ。風の魔術剣を、ね」
    「それだけ? ホントに?」
     何故か、ドールは疑い深そうに見上げてくる。
    「どう言う意味かしら?」
    「風の魔術だけ、って感じがしないわ、アナタの雰囲気が。他に何か……、誰も知らないよーなモノも、使えるんじゃない?」
    「……」
     鋭く指摘され、巴景は一瞬戸惑った。
    (強化術のことを言ってるのかしら? ……そうね、あの術は間違いなく、殺刹峰以外の人間は知る由も無い術のはず。
     ……でも、それをこの女に言うメリットがあるかしら?)
     言えば恐らく、フーと親しいドールはこのことを話すだろう。そこでフーが「頼もしいな」と思ってくれれば巴景にとってプラスになるが、「怪しい術を使う……?」といぶかしがれば、マイナスになる。
     何より会って二言目の発言で、「フーが巴景を雇った理由」を、「新しい夜伽を得たのか」と邪推したことを暗に示している。
    (割と独占欲が強いっぽいし、ここで変にアピールすれば、逆に彼女、『あの女を使わないで』とかアイツに頼みかねないわね。
     不用意な真似は、しないに越したことないわ)
     巴景は正直に言わず、ごまかしておくことにした。
    「……さあ? 思い当たるようなことは無いわね。まあ、魔術剣だから、正統派の魔術に比べたら異質に思えるのかも」
    「……そーね。そーかも」
     どうやら、ドールは納得してくれたらしい。にこっと笑い、椅子にちょこんと腰掛けた。
    「それで、アタシに何か用だったの?」
    「あ、まだちゃんと挨拶もできてないと思って、これを」
     ハインツたちに渡したように、巴景はケーキが入った箱をドールに差し出す。
    「あら、『ビーナス』のショートケーキ?」
     中身を見た途端、ドールの顔は嬉しそうにほころんだ。
    「嬉しいわぁ。大好きなの、コレ」
    「喜んでもらえて嬉しいわ、ドール」
    「うふふっ……。2個あるから、一緒にお茶しましょ」
     疑いも晴れたらしい。ドールは終始ニコニコしながら、巴景とケーキを食べていた。

     話しているうちに、ドールは別の側近のことも教えてくれた。
    「ふーん、ミラちゃんとはもう仲良しなのね。んじゃさ、もう一人魔術師がいるんだけど、その子のコトは聞いてる?」
    「もう一人? あなたと、ミラの他にもいるの?」
    「ええ。ノーラ・フラメルって言うエルフで、アタシのサポート。あ、でも魔術師って言ったケド、格闘術も割と得意だし、結構万能な子よ。実力で言えば、側近の中で3位以内じゃないかしら。
     ま、ちょっと前に……」
     言いかけて、ドールは言葉を切る。
    「前に?」
    「……あー、うん、ま、色々あってね。基本、人間ギライだから、ヒノカミ君も重用してないのよ、あんまり」
    「そんな子が、何故側近に?」
    「……色々、よ。ま、一応声だけかけてみたらどうかな、って」

     ケーキを食べた後、ドールはそのノーラと言うエルフのところに案内してくれた。
     ちなみにノーラは砦の宿舎ではなく、市街地の外れに住んでいる。そのことだけでも、彼女が軍に溶け込んでいないと言うことが良く分かる。
    「こんにちはー、ノーラちゃん。ドールよ」
    「……」
     玄関前から呼びかけたドールに、わずかに応じる声が返ってきた。
    「……何の用ですか?」
     扉越しに、やや高めの女性の声が返ってきた。
    「ノーラちゃんに会いたいって人がいるのよ。ホラ、この前そ、……軍に入った、トモエ・ホウドウって子」
    「そうですか。……今、鍵を開けます」
     カチャ、と軽い音を立てて、扉が開く。
    「はじめまして、ホウドウさん」
     出てきたのはどこか暗い印象を与える、銀髪に銀目のエルフだった。

    蒼天剣・風評録 4

    2009.11.05.[Edit]
    晴奈の話、第414話。 ちっちゃい姐さん。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ミラ、バリー、ハインツ、ルドルフの4人と仲良くなった後も、さらに巴景は懐柔を続けた。 今度は兎獣人の魔術師、ドール・ホーランド大尉。何でもフーの、北方における最近の「お気に入り」だと言う。 会ってみた巴景は、内心「なるほど」と納得した。「アナタが最近ウワサのサムライさん? へー、……ふーん」 ドールは少女かと見紛うほ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第415話。
    ダークエルフ(心と性格が)。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ノーラの家に通された巴景は、家に入ったその一歩目から、ほのかに嫌な気配を感じていた。
    (何よこの、うっすらと感じる圧力は……? まるで家全体が、『帰れ』と言っているみたいな……)
     ドールが「人間ギライ」と言っていた通り、ノーラは巴景に対しても、ドールに対しても、ほとんど笑顔を見せない。見せたのは挨拶の時の会釈くらいだったし、それもわずかに口の端を歪ませた程度だった。
    「今、軍の目ぼしい人に挨拶回りしてるのよ、トモちゃん」
    「そうですか」
     ノーラは巴景と目を合わせようとしない。ずっと、自分が両手で抱えているカップに目を向けたままだ。
    「あ、自己紹介が遅れたわね。私はトモエ・ホウドウ、央南の剣士よ」
    「そうですか」
     巴景が自己紹介しても、ノーラは応じない。
    「あ、えーと、ノーラちゃん?」
    「何ですか?」
    「この子、軍に入ったばかりで知らないことばかりだから、アナタの名前も教えてあげてほしいんだけど」
    「……ああ、はい。
     私の名前はノーラ・ソリテナ・フラメル。階級は伍長です。雷の魔術を得意としてます」
     それだけ言って、ノーラはまたカップに視線を落とした。この態度に、巴景は内心かなりイライラとしていた。
    (何よ、この女? さっきからウザそうにして……)
     しかし、その感情を口には出さない。
    「よろしくね、ノーラさん」
     握手をしようと手を差し出したが、ノーラは応じない。
    「ねえ、ノーラちゃん。握手くらい、してあげてもいいんじゃない?」
     ドールに促され、ノーラはようやく手を挙げた。
    「ああ、はい。……よろしく」
    「……よろしくね、ノーラさん」

     トマスの時もそうだったが、相手に不躾な対応をされて、鷹揚に構えていられる巴景ではない。ノーラの家から軍舎に戻った後、巴景はドールに不満をぶつけていた。
    「何なの、アイツ? ずーっと人の顔も見ないで……」
    「まー、まー。……理由があんのよ、アレには」
    「理由?」
    「ええ。あの子には、ちょっと歳の離れた、父親違いのお兄さんがいたのよ。名前はリロイ。アタシたちと同じように、軍にいたの。アタシの、昔の恋人でもあったわ。
     すごく優秀な諜報員で、これまでに何度も難関、不可能とされてきた潜入作戦を成功させてきた英雄だったわ。ま、その優れた作戦遂行能力の代償として、昔の訓練で――ほんの、ちょこっと――精神を病んで、笑い顔しか作れなくなったんだけどね。
     それでも、兄妹の仲はすごく良かったわ。アタシもあの子のコトは気に入ってたし、妹みたいに思ってた。……ま、リロイとは2年くらいで別れちゃったんだけどね。アイツ、浮気性だったし。
     ともかく、リロイとノーラ、それとアタシは仲良くしてた。……515年の、あの事件までは」
    「あの、事件?」
     巴景の問いに、ドールは一枚の紙を差し出して答えた。
    「リロイはその年、中央大陸のとある場所から一振りの剣を盗み出した。その剣はあの『黒い悪魔』タイカ・カツミを倒せると言う魔剣、『バニッシャー』。
     長年カツミを倒そうと目論んでいた軍はリロイの働きを称賛し、大喜び。……で、そのままカツミを倒そうとしたのよ。
     でも冷静に考えれば、無茶もいいところ。武器があっても、それに見合うよーな人材はまだ、軍にはいなかったのよ――ま、今ならヒノカミ君がいるけどね――そのまんま戦いになれば、十中八九カツミの怒りを買って、北方が焼き払われておしまい。それを軍の頭脳だったナイジェル博士も、その弟子のリロイも分かっていたのよ。
     だから、盗んだ。自分が盗んできた剣を、もう一度、自分の軍から。博士と、そしてリロイは、この国を離れたわ。……自分の妹であるノーラと、教え子であるヒノカミ君を残してね」
    「……?」
     巴景は話の途中から、首をかしげていた。
    「ねえ、ドール? 弟子がいるって言ったけど、ナイジェル博士って、まだ20代じゃないの? それに今、牢につながれてるわよね?」
    「あ、ソッチじゃないわ。そのおじいさんの、エドムント・ナイジェル博士。今牢にいるのは、孫の方のトマス・ナイジェル博士ね」
    「ああ……」
    「アンタ、トマス君も知ってんのね。ドコから聞いたの?」
     巴景はトマスと会うのを手引きしてくれたミラのことを考え、ぼかして説明した。
    「ああ、風のうわさで聞いたのよ。そう言う人がいるって」
    「ふーん……。ま、それが元で、ヒノカミ君は軍から一時期冷遇されたし、ノーラへの風当たりもきつかったわ。ヒノカミ君が出世して護ってやらなきゃ、ノーラは多分、今でも迫害されてるでしょうね」
    「それで、あんな風に引きこもっちゃってるのね」
    「そう言うコト。まあ、あのまんま閉じこもらせても、また何やかや言われるかも知れないから、人手がほしい時には、ヒノカミ君から呼び出されてるわ」
    「なるほど、ね」
     話を聞きながら、巴景はこの、ノーラと言うエルフは懐柔しないことを決めていた。
    (軍から半ば切り離されてるような奴を抱きこんでも、無意味ね)

    蒼天剣・風評録 5

    2009.11.06.[Edit]
    晴奈の話、第415話。 ダークエルフ(心と性格が)。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ノーラの家に通された巴景は、家に入ったその一歩目から、ほのかに嫌な気配を感じていた。(何よこの、うっすらと感じる圧力は……? まるで家全体が、『帰れ』と言っているみたいな……) ドールが「人間ギライ」と言っていた通り、ノーラは巴景に対しても、ドールに対しても、ほとんど笑顔を見せない。見せたのは挨拶の時の会釈く...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第416話。
    軍閥の密かな亀裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ノーラの他にももう一人、巴景が懐柔をしなかった人物がいた。いや、しなかったと言うより、したくなかったのである。
    「まったくヒノカミ中佐も困ったもんだよ。なぁ、トモちゃん」
    「ええ、そうね」
     それは7人目の側近、スミス・エストン軍曹である。
     彼の場合、向こうから話しかけてきたのだが、会って5分で、巴景はこの男のことが嫌いになった。
    「あの人のせいで俺たちの評判も悪いしさー、あのケバい兎もそれに拍車かけるし」
     話の半分が、目上の人間や業績を上げる同僚に対する愚痴なのである。
    「ま、俺なんかが言えた義理じゃないしさ、そこら辺は謙虚にしとかないと、目ぇ付けられるしな。そこら辺は頭使わないとさ、頭を」
     そして己を卑下し、それが美徳であるかのように、また、美徳だと思わせたいように自慢するのが残り半分である。
    (あー……、ウザい)
     巴景は半ばうんざりしながら話を聞いており、頃合を見て席を立とうと考えていた。
    「じゃないとさ、トマスみたいなことになるんだよ」
    「え?」
     が、話が気になっていた件に触れたので、巴景はもう少し話を聞いてみることにした。
    「トマスって、ナイジェル博士のことかしら」
    「そうそう、そのトマス。あいつ、俺の親戚なんだ。
     ま、博士なんて言ってもさ、絶対頭でっかちで知識しかないんだよ。頭の良さって言うので言えば、良くないんだよ、絶対」
    (ナイジェル博士の頭が悪い? フン、どっちが愚かかしらね。自分以外は案山子か何かだとでも思ってるのかしらね、このお馬鹿さんは)
     巴景はスミスの発言を内心、鼻で笑いながら、話に耳を傾けた。

     スミスの話は過分に過小評価、誇張、中傷、罵倒が多く、良識ある者には眉をひそめるような発言ばかりなので、ここではそれらの余分な情報を排除し、要約することにする。
     トマス・ナイジェル博士は祖父、エド博士が北方から亡命した後その跡を継いで、軍の戦略研究の最高責任者、及び軍事行動決定の最高顧問となった。かつて「エド博士をそのまま若くしたような人物」と評された通り、トマスは十二分にその職務を全うしていた。
     だが、フーが台頭し始めた辺りから、彼との間で確執が生じていた。周りにチヤホヤされ、有頂天になって独断専横を繰り返すフーと、綿密な配慮と計算の上で軍事行動を計画したいと考えるトマスの間で度々、意見の衝突があったのだ。
     それをフーも、フーの参謀であるアランも疎ましく思ったのだろう。昨年の半ばに、ウインドフォートを訪ねたトマスを無理矢理に拘束し、投獄してしまったのだ。
     もちろん、これは軍本部の意向を無視した独断行動であり、発覚すれば即刻、日上軍閥は解体され、フーをはじめとする軍閥の主要人物は軒並み罰せられる。
     だから軍本部には「トマス博士はウインドフォートに来ていない。途中で蒸発してしまったのではないか」と報告し、トマスを監禁していることを隠しているのだ。

    「いまだに本部の奴らも気付いてないみたいだし、トマスはもうおしまいだよ。あのまま死ぬんじゃないか?」
    「……」
     そこまで聞いたところで、巴景は席を立った。



     巴景は自分の部屋に戻り、椅子に腰掛ける。
    (この軍閥には大きな弱点があるわ。それは『あまりにもブレーンが強引過ぎる』と言うこと。
     フーの、……いいえ、アランの思惑と方針に、側近全員が引きずられている。そう、軍閥宗主のフーも、恐らくは言いなりになっている。
     でも、納得はしていないはずよ。『自分には自分の考え、やり方がある。指図するな』と、誰もが思っているわ。
     特に、周りからもてはやされたフーは、その思いが特に強いでしょうね。早晩、アランのことを疎ましく感じるわ。いいえ、もう既に疎ましく思っているかも知れない。20歳そこそこでこれだけの大組織のトップに立っているのだから、自尊心もそれなりのはず。
     そんな彼が一々指図を受けていて、疎ましく思わないわけがないわ。機会に恵まれれば必ず、アランを排斥しようとするでしょうね。
     ……そしてそれが、私にとってもチャンスになる)
     巴景は仮面を外し、ニヤリと笑った。

    蒼天剣・風評録 終

    蒼天剣・風評録 6

    2009.11.07.[Edit]
    晴奈の話、第416話。 軍閥の密かな亀裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. ノーラの他にももう一人、巴景が懐柔をしなかった人物がいた。いや、しなかったと言うより、したくなかったのである。「まったくヒノカミ中佐も困ったもんだよ。なぁ、トモちゃん」「ええ、そうね」 それは7人目の側近、スミス・エストン軍曹である。 彼の場合、向こうから話しかけてきたのだが、会って5分で、巴景はこの男のことが嫌い...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第417話。
    演習中の騒動。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     北方と、中央政府との戦争が再開されるのは、双月暦520年の4月下旬と予想されている。その辺りになれば海上の氷も溶け、巨大な軍艦も航行可能になるからだ。
     そこで日上軍閥は、戦争再開の予定日を4月20日と定めた。この日を目処として、砦の各所で軍事物資の調達と補充、訓練内容の強化、進攻計画の検討などが入念に行われていた。

     それだけ砦内は緊張が高まっており、いつもは何と言うことのない、特に問われるようなこともないような物事が、この時だけは並々ならぬ警戒と処罰を受けていた。
     そう、この一件――スミス・エストン軍曹の強制除隊も、その影響を少なからず受けていたのだ。



     そのきっかけは、軍閥内の剣士を集めた合同演習からだった。
    「1! 2! 1! 2!」
     上官の号令に従い、剣士たち全員が素振りをしている。それ自体は何と言うこともない、きわめて通常の訓練だった。
     が、その最中。
    「1! 2! い、……ッ!?」
     ある剣士が剣を振り下ろした直後、突然こめかみを抑え、倒れ込んだ。
    「お、おい!?」
     周りの剣士たちが慌てて、倒れた者に近付く。
    「大丈夫か!?」
    「う、うう……」
     彼の足元には爪先ほどの小石が転がっており、血もにじんでいる。明らかに彼は、これを頭に投げつけられのだ。
    「どうした!?」
     号令していた上官が駆けつけ、その石を拾い上げて頭上に掲げ、周りに怒鳴る。
    「誰だッ! 演習の真っ最中、同僚に石を投げつけた卑怯者はッ!?」
    「……」「……」「……」
     上官が周りの剣士たちをにらみつけるが、誰も首を横に振るばかりである。
    「正直に言え! 誰がやった!? お前か!? それともお前かッ!」
    「いえ……」「違います」
     次々怒鳴りつけられるが、依然誰も名乗り出ない。
     業を煮やしたらしく、上官は更に声を荒げた。
    「では聞き方を変える! 誰か、この石が飛んできたのを見た者は!?」
    「よ、横、から……」
     倒れていた者がフラフラと手を挙げ、左を指差す。
    「横?」
     その情報に、周囲にいた全員が左を向いた。
    「お前か?」
     最も遠巻きに見ていた剣士――スミスに、全員の目が向けられた。
    「はぁ!? お、俺じゃないですよ! 何で俺なんですか!?」
    「正直に言えば、まだ厳罰には処さん」
    「違いますって!」
     スミスは怒りに満ちた目で、上官に食ってかかる。
    「意識がもうろうとしてるような奴の言葉を信じて、たまたま横にいた俺が犯人ですか! そりゃないでしょう、無茶苦茶もいいところだ!」
    「貴様は日頃から、態度が良くない。側近に選ばれたとは言え、素行には大いに問題が……」「ざけんな、目玉!」「……何だとぉ?」
     スミスの侮辱に、上官の大きな目がぎょろ、といらだたしげに動いた。

     ここまで行くと、もはやスミスが「本当に犯人なのか」は問題ではなくなってしまう。そこにいるのは、「限りなく悪者に見えるスミス」である。
     なお、彼はこの直後怒り狂った上官によって鉄拳制裁を受け、彼が犯人なのかどうかは結局、うやむやになった。



     傭兵の身分である巴景は、この演習への参加を強制されてはいないし、かと言って側近であるから、見学を断られるような立場でもない。
     だから演習場の外にいても、何ら不審に思われることはない。
    「……ふふ」
     演習場の端で、巴景はわずかに口の端を緩めながら、その騒動を遠目に見ていた。その足元には、小さな石がいくつか転がっている。
    「まずは上々、と言ったところかしら」
     足元の小石を器用に蹴り上げ、己の掌に載せる。
    「誰も気付かないものね――演習と言う『枠の中』でしか騒いでいないのだから、当然かも知れないけれど」
     巴景はポン、と小石を放り投げる。
     女性にしては、いや、人間にしては見事すぎる飛距離を出し、小石は遠くへ飛んでいった。

    蒼天剣・風紀録 1

    2009.11.09.[Edit]
    晴奈の話、第417話。 演習中の騒動。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 北方と、中央政府との戦争が再開されるのは、双月暦520年の4月下旬と予想されている。その辺りになれば海上の氷も溶け、巨大な軍艦も航行可能になるからだ。 そこで日上軍閥は、戦争再開の予定日を4月20日と定めた。この日を目処として、砦の各所で軍事物資の調達と補充、訓練内容の強化、進攻計画の検討などが入念に行われていた。 そ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第418話。
    スミスいじめ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     スミスを巡る事件は、その後も続発した。



    「あづっ、あぢゃちゃちゃちゃ!」
     スミスが前を通り過ぎてまもなく、熱いスープの入った皿がひっくり返り、兵士の顔にかかる。

    「それでさ、賭けに負けて、……うおぁ!?」
     談笑しながら砦の外を歩いていると、花瓶が目の前を落ちてくる。上を向いたところ、3階の窓際にスミスの顔がある。

    「おかしいなー……」
     兵士の財布が消え、同僚たちが共に探す。
    「おい、あっちに落ちてたぜ」
     同僚が見つけてくれた。
    「でもさ、これ拾うちょっと前に、スミスの野郎がいたんだ」
    「……そうか」
     あったはずの中身は、銀貨一枚も残っていなかった。



     確実に、スミスが犯人だと言えるものは一件もない。しかし、状況的には非常に怪しい。そんな事件が頻発し、スミスの評判は極めて悪くなった。

     と言うよりも元々、彼の評判はそれほど良くなかった。
     軍曹と言う低い階級で、バリーやルドルフのように上官のサポート扱いでもなく、フーの正式な側近になれたのは、彼の剣術がそこそこ優れており、また、北方の名門ナイジェル家の遠縁であると言うのが理由である。
     が、人柄・人格の面では「他人をけなす」「己の自慢ばかりする」「上官に対して反抗的な態度が多い」と、あまり評価できる人物ではなかった。さらに彼が側近になったことで、不快感を抱いた者も少なくない。
     そこに、これらの事件である。彼の評判は、一気に下落した。



    「フー。エストン軍曹のことだが」
     軍閥内でスミスに対する不満、不信が高まった頃になって、アランが動き出した。
    「スミスのこと?」
    「最近の軍曹の素行について、大いに問題視すべき点が多々ある。それにより、軍閥内の士気も徐々に低下しつつある」
    「ああ、まあ、確かにな。どうしたもんかな」
    「私の意見を率直に述べれば、即刻除隊すべきだ」
    「除隊だと?」
     それを聞いて、フーは顔をしかめた。
    「そりゃ、やり過ぎじゃないか? いくらあいつに悪い噂が立ってるからって、軍から追い出すほどじゃないだろ? せめて側近からの解任くらいで、いいんじゃないか?」
    「いや、現況を鑑みれば、除隊しかあるまい」
    「普段から冷静だとは思うけどさ、もうちょい冷静になれよ、アラン。
     評判が悪いっつったって、それは前の俺と同じだろ? 俺も上から勝手な奴とか反抗的なクズとか言われてたけどよ、ちゃんとやることやってんだからさ。
     あいつもそれなりに、軍の役には立ってるはずだ。違うか?」
    「いいや、フー」
     アランは抑揚のない声で、淡々と反論する。
    「剣の腕や名家との縁を考え、軍曹と言う階級ながら特別職たる側近に格上げした。
     しかし実際、央南での作戦では重傷を負うと言う体たらくを見せ、また、ナイジェル家の現宗主たるトマス・ナイジェル博士を監禁している今、その縁を手繰ることは不可能と言っていい。彼が今後、我々の組織に寄与できる可能性は無いのだ。
     それに加えて、この騒動だ。最早彼は我々にとって、不利益しかもたらさない。側近から解任するだけでは、足りないのだ」
    「そうは言うけどよ、アラン」
     依然、スミスの除隊を容認できないフーに対し、アランはなお、己の案を強く推す。
    「ともかく、最善の策は除隊しかあるまい。私の案以上に理想的な解決策があるのならば、それを採用するが」
    「……いや、でも、……」
    「早急に判断しろ、フー。中央との再戦は、刻一刻と迫っているのだ。今ここで軍閥内の風紀が乱れては、満足に戦うことなどできない」
     フーは頭を抱え、低くうなる。
    「……くそっ」
     フーは逡巡した末に舌打ちし、アランの意見を呑んだ。
    「分かったよ……。
     本日を以って、スミス・エストン軍曹は素行不良及び軍紀撹乱(ぐんきこうらん――軍の風紀を大きく乱すこと)のため、ジーン王国軍ウインドフォート基地より除隊する」



    「……なん、です、って?」
     フーからの辞令を聞き、スミスは顔を真っ青にした。
    「うそ、でしょう?」
    「……いや、嘘や冗談ではない。正式に、辞令が下ったのだ」
     辞令を伝えたハインツは、複雑な表情でスミスを見つめている。
    「その、なんだ、うむ。気を落とすな」
    「……」
     スミスの目がうつろになり、体がブルブルと震え出す。
     その異状を見て、ハインツは一歩退き、剣に手をかけた。
    「待て、落ち着け、スミス」
    「……ふざけんなぁッ!」
     スミスはハインツを突き飛ばし、砦の最上階――フーとアランのいる部屋まで走り出した。
    「待て! 止まれ、スミス!」
     後ろからハインツが追いかけるが、普段から重装備を身に付けている彼では、怒り心頭に発したスミスには到底追いつけない。
     ハインツは大声を上げて、周りの者に助けを求めた。
    「エストン軍曹が乱心した! 誰か、誰かあいつを止めろーッ!」
     その声に応え、砦中の兵士がスミスを追いかけ、立ちはだかる。
    「邪魔するなッ!」
     だが、並の兵士ではスミスの相手にならない。次々と、スミスの振り回す剣に薙ぎ倒されていく。
    「ふざ……けるな……ッ、ふざけるなーッ!」
     スミスは怒りに身を任せ、階段を駆け上がっていった。

    蒼天剣・風紀録 2

    2009.11.10.[Edit]
    晴奈の話、第418話。 スミスいじめ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. スミスを巡る事件は、その後も続発した。「あづっ、あぢゃちゃちゃちゃ!」 スミスが前を通り過ぎてまもなく、熱いスープの入った皿がひっくり返り、兵士の顔にかかる。「それでさ、賭けに負けて、……うおぁ!?」 談笑しながら砦の外を歩いていると、花瓶が目の前を落ちてくる。上を向いたところ、3階の窓際にスミスの顔がある。「おかしいな...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第419話。
    怒りに怒りで火を注ぐ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     砦の最上階、フーの私室。
    「そう言うわけだからさ、ノーラ。協力してほしいんだ」
    「……」
     フーはノーラを呼び、スミスの代打を頼んでいた。
     当初、中央との海戦に同行させる側近は参謀のアラン、遠隔攻撃担当にドール、そして白兵戦担当にスミスの、計3名としていた。しかしスミスを除隊せざるを得なくなったため、急遽ノーラを入れることにしたのである。
     だが、ノーラはまったく乗り気ではない。
    「なぜ私なんですか?」
    「いや、まあ、お前じゃなきゃってわけじゃないんだけどさ」
    「じゃあ、他の人にしてください。私は行きたくありません」
    「そう言うなって。たまにゃ戦線に出ておかないと、ほら、何言われるか分かんないだろ?」
    「……もう、どうでもいいんです。もう兄が犯罪を犯してから、5年も経ちますし。いい加減みんな、私なんかのことは忘れてしまってるでしょうし」
     固辞するノーラに、フーは頭を抱える。
    「そうつっけんどんにしないでくれよ、ノーラ。俺だってさ、あんまりお前を戦争に出したくないんだって。元々、軍人向きな性格してないしさ。
     だけどお前、最近ずっと引きこもってるって言うし、たまには外に出なきゃ、頭がどうにかなっちまうぜ」
    「こうしてここにいるんですから、引きこもりじゃありません。余計な心配しないでください」
     ノーラは非常に嫌そうな顔をして、椅子から立ち上がった。
    「お話は以上ですよね。失礼します」
    「あ、待てって……」
     フーが引き止めようとした、その時だった。

     部屋の扉が乱暴に開けられ、スミスが剣を片手に押し入ってきた。
    「中佐ッ! どう言うことですか、俺が除隊って!」
    「スミス……」
     フーはノーラの前に立ち、スミスと対峙する。
    「剣を収めろ、スミス。話をしに来たんだろ?」
    「説明してください、なぜ俺が軍から追放されなきゃいけないんですか!?」
    「収めろと言ってるだろう? それとも何か、俺を斬るつもりか?」
     フーがなだめようとするが、怒りで我を忘れているスミスは応じようとしない。
    「答えろ、中佐ッ!」
    「だから、話をするのか戦うのか、どっちかって聞いてんだよ、俺は」
    「……」
     二人のやり取りを、ノーラは困った顔で眺めていた。
     と、スミスがフーの背後にいたノーラに気付く。
    「……そうか、そうですか」
    「あ?」
    「そうだったんですね、中佐。そいつを入れるために、俺に難癖付けて除隊させようって」
    「何言ってんだ、お前?」
    「この女たらしめ! お前のくだらない欲情で、俺の人生を潰そうとするんじゃねえッ!」
     スミスの怒りはさらに膨れ上がり、剣を振り上げてフーに襲い掛かった。
    「この、馬鹿がッ!」
     だが、軍のエースであるフーが、格下の攻撃を素直に食らうわけがない。紙一重でかわし、顔面を殴りつけた。
    「ぐべッ!」
     スミスは前歯を一本飛ばしながら転倒し、ゴロゴロとじゅうたんの上を転がり、壁際にぶつかった。
    「おい、そいつを砦から放り出せ!」
     フーはようやく私室に入ってきたハインツ他数名に命じ、スミスを追い出そうとした。
     ところが、兵士が倒れたスミスに近付いた途端――。
    「……ざけんな、ざけんなあああッ!」
    「ひっ……!?」
     兵士の頭をつかんで引きずり倒し、スミスはその兵士の剣を抜き取って再度襲い掛かる。
    「そこの売女もだ! まとめて切り捨ててやるッ!」
    「ば、いた……っ!?」
    「てめえ……!」
     フーも剣を抜き、スミスをにらみつける。
    「正気じゃねえな、この大馬鹿」
    「どっちが狂ってるんだ! 罪人の妹を囲って俺を追い出すなんて、この色狂いめッ!」
     スミスはフーをにらみつけ、罵詈雑言を撒き散らす。

     だが、その言葉に冷静さを失ったのは、フーではなかった。
    「……ッ!」
     ベキ、と言う鈍い音がスミスのあごから発せられた。
    「ご、ぉあ、っ」
    「誰が……、誰がッ!」
     倒れたスミスを、ノーラが馬乗りになって殴りつける。
    「誰が、誰が『売女』よ! 誰が『罪人の妹』よッ! ふざけんじゃないわよッ!」
    「お、おい、ノーラ」
     フーが唖然としつつ止めようとするが、ノーラはなおも殴り続ける。
    「私は、私は罪人じゃない! 何も罪なんか犯してない! なのに何よ、あんたたち! そんなに、誰かに罪を着せて嬲るのが面白いの!? 楽しいの!?」
    「がっ、げ、うぐっ」
     何度も殴られ、スミスの顔は紫色に変色し、腫れ上がっている。
    「いい加減にしてよ! もういい加減、私を犯罪者と呼ばないでよ! 私は無実なのよ! 何もしてないのよーッ!」
    「もうよせ、ノーラ!」
     ここでようやく、フーがノーラを羽交い絞めにしてスミスから引き離した。
    「離して、離してよ! まだ、気が済まないのよ!」
    「やめろ、ノーラ! こいつ一人に怒鳴って、何が変わるってんだ!」
    「……っ」
     ノーラはバタバタともがいていたが、やがて静かになった。
    「ともかく、そこの馬鹿は放り出せ。……俺はもう一度、ノーラと話をするから」
    「……了解です」
     呆気にとられていたハインツは思い出したように敬礼し、気絶したスミスを引きずって部屋を出て行った。

    蒼天剣・風紀録 3

    2009.11.11.[Edit]
    晴奈の話、第419話。 怒りに怒りで火を注ぐ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 砦の最上階、フーの私室。「そう言うわけだからさ、ノーラ。協力してほしいんだ」「……」 フーはノーラを呼び、スミスの代打を頼んでいた。 当初、中央との海戦に同行させる側近は参謀のアラン、遠隔攻撃担当にドール、そして白兵戦担当にスミスの、計3名としていた。しかしスミスを除隊せざるを得なくなったため、急遽ノーラを入れる...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第420話。
    巴景の策略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ようやく落ち着いたノーラを椅子に座らせ、フーは先程の要請をもう一度伝えた。
    「……ノーラ。お前が本当に悔しい思いをしてるってのは、俺も良く分かってる、……つもりだった。
     でもそれ以上だった。あそこまでボコボコにするなんてな」
    「……」
     ノーラはうつむいたまま、応えない。
    「でもさ、ノーラ。お前はそれだけ悔しいって感じてて、何で行動しない?」
    「……」
    「このまんま何もしなかったら、10年経っても20年経っても、いつまでも陰口叩かれるぞ。そんなの嫌だろ?」
    「……」
     ノーラはわずかに頭を下げ、うなずく。
    「だったらさ、行動してみろよ。……いい機会だと思うぜ、今度の海戦は」
    「……そう、ですね」
     ノーラは顔を上げ、フーの要請を受けた。
    「行きます、私。本当に悔しかったから、……見返してやりたい」
    「……おう。よろしく頼むぜ、ノーラ・フラメル伍長」

     ノーラが部屋を出た後、フーはテーブルに足を乗せてため息をついた。
    「ふー……。実は滅茶苦茶激しいんだな、ノーラは。
     あの人の妹さんだってこと、一瞬忘れちまうよ。あの人、いっつもニコニコ笑ってたしなぁ」



     一連の騒動をミラから伝え聞いた巴景は、「へぇ……」と驚いた声を上げた。
    「ホント、大変だったみたいですよぉ。ケガ人も、何人か出ちゃったそうですしぃ」
    「最後までお騒がせだったのね、彼」
     茶をすすりながら、巴景はしみじみとそう言ってみせた。
     が――内心は非常に喜んでいた。
    (計画通りね……。これで後々の手が打てるわ)
     巴景の考えた「アラン下ろし」の計画はこうだった。
     まず、誰かを貶めることで、アランを刺激する。再戦が迫っている現在、軍の風紀を乱す者がいれば排除するのが普通である。しかし、ただの兵士を除隊するだけでは、街のうわさにも上らない。側近クラスの重要人物が排除されることが、何より重要だったのだ。
     そこで標的に挙げられたのが、スミスである。彼は元から素行が悪かったため、貶めるのには好都合だった。巴景はスミスの周りにそれとなく近付き、彼が犯人だと思われるような行動を繰り返した。
     例えば彼が合同演習に参加している時に石を飛ばし、彼が投げたように思わせた。
     彼が食堂を歩いている時には、スープを飲んでいる者の前を通りかかった瞬間に氷を投げ、皿をひっくり返した。彼が3階の窓から顔を出して外を眺めている時、2階から花瓶を落とした。兵士の財布を盗み、金を抜き取った上で、彼の側に投げ捨てた。
     こう言った小さな悪事を繰り返し、次第にスミスの印象を悪くしていったのだ。
    (そして、今日の辞令。アランがそう指示したか、決定に関与したのは確か。
     ここで、次に打つ手は……)



     ウインドフォート砦から追い出されて以降、スミスは街の酒場で飲んだくれていた。
    「くそっ……、何で俺が……」
     毎日入り浸り、既に店の者からは無視されている。初めは同情してくれていた客たちも、近付くと管を巻かれるため、遠巻きに眺めている。
     そんな中で、帽子をかぶった女がそっと、彼の横に座る。
    「すみません、モルト酒をストレートで」
     その女の声が耳に入り、スミスはカウンターから頭を上げた。
    「……ん……」
     スミスは自分の横に座った女の顔を覗き込もうとしたが、帽子を深くかぶっているため、顔立ちは良く分からない。
    (だけど、……この声、どこかで聞いたような……?)
     酔いが回った頭を動かそうとした矢先、女の方から声をかけてくる。
    「あなた、スミス・エストン元軍曹よね?」
    「……だったら何だよ」
    「少し、話があるの」
    「……あ?」
     スミスは顔を上げ、座り直した。
    「あなたの除隊、実は裏があるのよ」
    「あんた、誰なんだ?」
    「……少し前まで、あの砦に出入りしていた者よ。日上閣下のところに」
    「……帰れ」
     スミスは顔をしかめ、女に背を向けた。
    「奴の枕になんか興味ねえよ」
    「そう言わないで……。私、知っているの。アラン・グレイが、今回の件に関わっていることを」
    「そりゃ関わってるだろうさ。あいつは、参謀だからな」
    「そう、あなたを追い出すのが、彼の策略だったのよ」
    「……策略だと?」
     スミスはもう一度、女に顔を向けた。

    蒼天剣・風紀録 4

    2009.11.12.[Edit]
    晴奈の話、第420話。 巴景の策略。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ようやく落ち着いたノーラを椅子に座らせ、フーは先程の要請をもう一度伝えた。「……ノーラ。お前が本当に悔しい思いをしてるってのは、俺も良く分かってる、……つもりだった。 でもそれ以上だった。あそこまでボコボコにするなんてな」「……」 ノーラはうつむいたまま、応えない。「でもさ、ノーラ。お前はそれだけ悔しいって感じてて、何で行動し...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第421話。
    噂が真実を駆逐する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     女はスミスに近寄り、詳しく話し始めた。
    「評判の悪いあなたをまず除隊し、その次は軍へあまり顔を出さない、フラメル伍長を。
     軍への寄与度が低いと思われているあなたたち二人を除隊することで、本来の目的をぼかそうとしているのよ」
    「本来の目的? 何だそりゃ」
     きな臭い話を聞かされ、スミスの酔いが段々と醒めていく。
    「現体制の一新、……と言うか、粛清よ。
     あなたも数日前まで側近だったから、分かるでしょう? 今の側近たちは、一癖も二癖もある人ばかり。上の人間としては、使い辛いのよ」
    「確かに、まあ、言われてみれば……」
    「でしょう? だから、もっと使いやすい人間と入れ替えるために、そして、入れ替えた後で反抗させないように、現行の側近を全員、見せしめとして除隊するつもりなのよ」
    「……バカ言うなよ、いくらなんでも有り得ないだろ。そんなことしたら、再戦の前に軍閥が分解しちまう」
    「あら、そう思うの? それじゃ、確認してきたら?」
    「何?」
     女は運ばれてきたモルト酒を一息に飲み干し、その息をスミスに吹きかけた。
    「フラメル伍長のところよ。もう打診なり何なり、されてるはずよ」
    「……」
     女の言葉に半信半疑ながらも、スミスはカウンターを離れた。

     スミスは恐る恐る、ノーラの家の玄関をノックする。
    「フラメル、いるか?」
    「……誰ですか?」
     ノーラの声がしたので、スミスは玄関越しに尋ねてみた。
    「お前が除隊されると聞いたんだけど、本当か?」
    「……誰です?」
    「本当なのか?」
    「誰か、って聞いてるんですけど」
     そのまま、両者とも沈黙する。
    「……俺だよ、スミスだ」
    「帰ってください。話すことなんか何もありません」
    「なあ、教えてくれよ」
    「帰って!」
     ノーラの声が険を帯びてくる。前回滅多打ちされたこともあり、スミスはそれ以上尋ねることができなかった。

     スミスは酒場に戻り、先程の女にノーラの様子を伝えた。
    「……そう。やっぱりね」
    「やっぱり? どう言う意味だ?」
    「閣下から辞令を出されて、混乱してるんじゃない? 閣下の庇護がなければ、あの子はまた非難を受けるだろうから」
    「……そう、かな」
     スミスはフーの私室でノーラに殴られたことと、彼女が叫んでいた言葉を思い出す。
    ――私は無実なのよ! 何もしてないのよーッ!――
    「……そうだな。今でも、それを恐れてる感じはあった。……とすると、本当なのかな」
    「きっとそうよ。そしてこれから、グレイ参謀の策略が本格的に……」「それ、本当?」
     いつの間にか、酒場の客が聞き耳を寄せている。
    「さっき、ちょっと話を聞いてたんだけど。グレイ参謀が側近を全員粛清って、本当に?」
    「可能性は高いわ。現にこうして、軍曹が除隊されたわけだし」
    「うんうん、確かにねー」
    「除隊……。それだけで納まるかしらね?」
     女の言葉に、スミスを含めた周りの者は全員硬直する。
    「え……?」
    「粛清、と言ったでしょう? もしかしたら参謀は、あなたが後々反乱しないように、何らかの対策を講じるかも知れないわ」
    「対策って、まさか……」
    「ええ、恐らくは」
     それだけ言って、女は席を立った。
    「……みなさん。私が、こんなことを言ったなんて、誰にも言わないでくださいね」



     女にそう口止めされたが、元々うわさ好きの好事家たちが集まってできた街である。「これ、内緒だからね」を枕詞に、うわさは瞬く間に広がっていった。
     そのうわさに辟易したのは、他ならぬアランである。
    「グレイ参謀、本当なのか?」
    「そんなわけがないだろう。今、この状況で再編などしている余裕はない」
    「……今はぁ、余裕がないんですかぁ?」
     アランに詰め寄っていた側近たちが、顔色を変える。
    「では余裕があれば、やると言うことなのか?」
    「そうは言っていない」
    「ちゃんと答えてくださいよ、参謀殿。俺たちゃ靴やかばんじゃないんですよ。そんな簡単に、取っかえ引っかえされちゃたまりませんよ」
    「だからその考えはないと、何度も言っているだろう。これだけ言っているのに、お前たちは理解できないのか?」
    「……」
     アランの言葉に、側近全員がしかめっ面になる。
     誰の顔にも、「アランは我々を見下している。やはり、粛清は本当なのかも知れない」と書いてあった。

    蒼天剣・風紀録 5

    2009.11.13.[Edit]
    晴奈の話、第421話。 噂が真実を駆逐する。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 女はスミスに近寄り、詳しく話し始めた。「評判の悪いあなたをまず除隊し、その次は軍へあまり顔を出さない、フラメル伍長を。 軍への寄与度が低いと思われているあなたたち二人を除隊することで、本来の目的をぼかそうとしているのよ」「本来の目的? 何だそりゃ」 きな臭い話を聞かされ、スミスの酔いが段々と醒めていく。「現体制の...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第422話。
    アラン下ろし、完了。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     アランのうわさが広がって数日後、その疑惑を決定的なものにする事件が起こった。
    「殺されねえぞ……。殺されてたまるか……」
     女の話に怯えきったスミスは今日も酒場で痛飲し、ヨロヨロとした足取りで家路を急いでいた。
    「来るなら来いよ……。返り討ちにしてやる……」
     腰に佩いた剣をさすりながら、スミスは夜の通りを歩いていく。
     と、彼の前方数メートルのところに、人影がある。その人物が発する殺気を、スミスは感じ取った。
    「……来たな、刺客め!」
    「……」
     夜空には雲が分厚く広がり、相手の姿は良く見えない。
     だが既に抜刀しており、明らかにスミスを殺そうとしているのが分かった。
    「来い! 返り討ちに……」
     怒鳴りかけたところで、彼の言葉は唐突に切れる。
    「……ごぼ、ぼっ」
     代わりに口から出たのは、大量の血だった。
     スミスの脚から、急速に力が抜けていく。そして、体中に寒気が押し寄せてくる。
    「……な……んだ……と……」
     スミスが倒れる直前、分厚い雲がすっと切れた。
     彼の目の前に、まるでスポットライトのように敵の顔が――いや、仮面が照らし出される。
     そこにいたのは、巴景だった。
    「これでほぼ、完了ね」
     その声は、どこかで聞いたことがあった。
    「……そう……か……全部……お前の……」
     その声は、酒場で出会ったあの女の声だった。



     スミスが殺されたことで、街を流れるうわさはより過激になった。
    「ねえ、エストン軍曹の話、聞いた?」
    「うんうん、聞いたよ聞いたよー」
    「路上で斬り殺されてたんだってねぇ」
    「おぉ、こわいこわい」
    「やっぱりさ、グレイ参謀の粛清って本当なのかなぁ」
    「本当でしょうね。あの女性が言っていた通りになっちゃったわけですから」
    「それじゃ今、側近のみんなは戦々恐々としてるんでしょうねぇ」
    「うんうん、絶対してるよー」

    「……アラン。お前が悪くないのは、分かってる。でもな、何とかしなきゃまずいぞ、この流れは」
     うわさはもちろん、フーの耳にも入っていた。
    「そうだな。このまま評判が下がれば、軍閥の維持も危うい」
    「ああ、今度はお前が進退を考えなきゃな」
    「……何だト? 私の、進退ヲ?」
     アランの声が、異様に甲高くなる。
    「お前は自分で言ったよな、スミスを除隊する時に『スミスは軍閥内の風紀を乱し、士気を下げている。即刻除隊、それ以上の策は無い』って。
     今のお前が、まさにその状況だろ?」
    「何ヲ、……何を言うか、フー」
     アランの声が元に戻るが、それでも動揺は隠し切れない。
    「私が貢献していないとでも言うのか?」
    「いいや、貢献してくれたさ。武器も防具も、情報を持ってきてくれた。何より、俺にすげー力をくれたんだ。お前には感謝してるさ」
    「ならば……」「でも、だ」
     フーは複雑な表情で、アランを見つめる。
    「今のこの状況を、どうやって改善する? 何かいい方法があるのか?」
    「……検討する」
     アランはフーに背を向け、部屋を出て行った。

     巴景の策は、見事に功を奏した。
     側近と参謀の間に深い溝を作り、そして今、トップとの間にも亀裂が生じようとしていた。
    (これでいい……。これで、完璧。もう私を脅かす人間はいない。後は隙を見て、いくらでも人を動かせるわ)
     アランへの不信感が募った今、彼の言葉を心から信用する者はいない。巴景の存在を危険視していたアランが彼女を排除しようと企んでも、フーや側近がその動きを阻むのは確実である。
     さらに参謀の信用が失われた今、フーが彼の策を採用することは考えにくい。そうなれば、側近の声が重要視されるのは明らかである。
     周囲の信頼を手に入れ、発言力も高まった巴景がこの先台頭していくことは、非常に容易になっていた。

    蒼天剣・風紀録 終

    蒼天剣・風紀録 6

    2009.11.14.[Edit]
    晴奈の話、第422話。 アラン下ろし、完了。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. アランのうわさが広がって数日後、その疑惑を決定的なものにする事件が起こった。「殺されねえぞ……。殺されてたまるか……」 女の話に怯えきったスミスは今日も酒場で痛飲し、ヨロヨロとした足取りで家路を急いでいた。「来るなら来いよ……。返り討ちにしてやる……」 腰に佩いた剣をさすりながら、スミスは夜の通りを歩いていく。 と、彼の...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第423話。
    戦争再開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     何も起きまいとも、何が起きようとも、それでも時間は進む。
     アランへの不信感が募り、軍閥は大きく揺らいでいたが、それでもこの日はやってきた。
     双月暦520年4月20日。中央政府との再戦を開始する日である。



     砦での観測の通り、北海は氷が溶け、大きな軍艦も航行可能であると判断された。
    「本日より、中央政府軍との交戦を再開する! 各自、所定の艦に乗り、北海を西南西へ航行せよ!」
     フーの号令に従い、大勢の兵士が軍艦に乗り込む。
     今回出撃する軍艦は、3隻。そのうちフーと側近たちが乗り込むのは旗艦である「クラウス号」である。クラウス号は軍艦2隻を引き連れ、順調に外海へと進んでいく。
     その甲板に、巴景とドールが並んで立っていた。「アラン下ろし」の後、フーはさらに側近2名を海戦に参加させることを決め、それに銃士のルドルフと、巴景が選ばれたのだ。
    「とうとう出発ね。腕が鳴るわ、ふふ……」
     訪れてからわずか2ヶ月と言う短い時間で権謀術数の限りを尽くし、軍閥内での地位を確立した巴景は、そ知らぬ顔でドールと談笑している。
    「ええ、頑張りましょうね」
     ドールも気付いているのかいないのか、にっこりと笑って返している。
    「……にしても、なぜ側近を全員連れて来なかったのかしら?」
    「ま、アタシらがいない間の守りを、ってコトもあるけど……」
     ドールは一瞬周りに目を配り、巴景に向き直る。
    「連れて来なかったハインツ、バリー、それからミラなんだけど、最近ヒノカミ君はあんまり『お気に』じゃないらしいのよ」
    「お気に……?」
    「ハインツはアンタに負けちゃって落ち目気味だったし、バリーとミラは、のったりのったりしたしゃべり方が癇に障るみたい。悪いヤツらじゃないんだけどねぇ」
    「ふーん……」
     この時、また巴景の中で他人に対する優先順位が変更された。
    (じゃ、もうハインツに媚売る必要ないか。ミラたちも、もう縁切っちゃっていいわね)
    「……ふーん」
     巴景が思案していると、ドールが意地悪そうに微笑んできた。
    「何?」
    「切る気でしょ?」
    「……何をかしら?」
    「ううん、何でもない。あ、でもトモちゃん」
     ドールは妖しく笑い、巴景の仮面を触る。
    「な、何……」「隠してもダメよ。その下にあるもの、見える人には見えてるわ」
     そう言ってドールは仮面に指を立て、左目の穴の上から、右頬のところまですうっと線を引いた。
    「……!」
    「隠すより、紛らわせた方が分かりにくいものよ」
    「……参考に、させて、もらうわ」
     巴景はゴクリと唾を飲んだが、それもどうやらドールにはお見通しのようだった。

     と――。
    「……あら?」
     ドールが急に顔を上げた。
    「どうしたの?」
    「何だか、風が冷たいわ」
    「そうね、……と言っても、私には違いが良く分からないけれど」
    「まずいかも知れないわね。この季節の風にしては、妙に冷たすぎるわ」
     不安そうに空を仰ぐドールを見て、巴景も目を向ける。確かに春先の穏やかな雲ではなく、冬に良く見る鉛の塊のような雲が、水平線の端に見え隠れしていた。
    「もしかしたら、寒気が戻ってくるのかも。最悪、また海が凍りついてしまう可能性があるわ」
     ドールはひょこひょこと兎耳を揺らしながら、軍艦の中に入っていく。巴景もその後を追いかけた。
    「どこに行くの、ドール?」
    「ヒノカミ君のところ。航行計画の見直しが要るわ」
     巴景とドールはフーのいる中心部の船室へと急ぐ。と、良く見ればあちこちから人が集まり、巴景たちと同じ方向に歩いていく。
    「あなたたちも、気付いた?」
    「ええ。進行方向から、寒気が近付いてきています」
    「このまま進むと、その寒気の真っ只中に突っ込むことになるかも」
    「そうなると……」
    「恐らくは、嵐に見舞われるでしょう。最悪、凍った海上で足止め、と言うことになるかも知れません」
     天気の急変に気付いた者たちが、大勢でフーのところに押し寄せていった。

    蒼天剣・風立録 1

    2009.11.15.[Edit]
    晴奈の話、第423話。 戦争再開。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 何も起きまいとも、何が起きようとも、それでも時間は進む。 アランへの不信感が募り、軍閥は大きく揺らいでいたが、それでもこの日はやってきた。 双月暦520年4月20日。中央政府との再戦を開始する日である。 砦での観測の通り、北海は氷が溶け、大きな軍艦も航行可能であると判断された。「本日より、中央政府軍との交戦を再開する! 各...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第424話。
    ずれた歯車。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     巴景たちがフーの船室の前に到着すると同時に、フーと艦長、そしてアランが船室から出てきた。
    「おう、お前ら。寒気のことだろ?」
    「あ、はい」
     集まった者たちは一様にうなずく。フーも眉にしわを寄せながら、腕組みをしてうなずいた。
    「それを今、艦長と話してたんだが……」
     フーの横に立った艦長が、この先の航行計画を説明した。
    「迂回するとなれば、少なくとも3日ないし4日は、交戦予定海域への到着が遅れる。それよりも、多少のリスクを冒してでも寒気の中を進んだ方が、予定通りに到着できる。
     万が一海が凍りついたとしても、この艦には十分な砕氷設備が付けられている。この時期の氷ならば、それで十分に砕いて進むことができるだろう。
     よって進路変更はせず、このまま西南西への進路を執り続けることを提案する」
    「ってわけだ。だけど……」
     フーが苦い顔をして、アランをあごでしゃくって指し示す。
    「グレイ参謀は反対だそうだ」
    「ああ。現状で最も懸念すべきは、敵軍に北海諸島での主導権を握られることだ。数少ない陸地を先に押さえられてしまえば、我々の侵攻は非常に難しいものとなる。
     そしてもし、氷海に足を止められてしまえば、その懸念は間違いなく現実のものとなる。その危険性はできる限り回避すべきだ。4日と言うロスは痛いが、ここは迂回して確実に進むべきだと、私は考えている」
    「だそうだ。……ここにいる奴らだけでいいや。決を採ろうぜ」
     フーは左手を挙げ、兵士たちに尋ねた。
    「艦長の意見に賛成の奴」
     こちらには、巴景やドールを始めとして、ほとんどの者が手を挙げた。フーは続いて右手を挙げ、もう一度尋ねる。
    「じゃ、参謀に賛成の奴」
     こちらにはほとんど、手が挙げられなかった。恐らく「早く着くには」と言う風に、理論的に考えてはいない。「アランの意見」なので、感情的に拒否したのだろう。
    「……」
     アランから苦みばしったうなり声が聞こえてくる。フーはそれを気にせず、艦長の肩を叩いた。
    「決まりだな。このまま進むぞ」



     ところがこの判断は3日後、誤りだと分かった。
    「ダメか?」
    「ええ……。ほとんど身動きが取れませんね」
     やはり寒気の下には、氷海があった。それでも4月下旬の気候ならば、さほど厚く張ることも無いだろうと思われていたのだが、それが大きな誤算だった。
    「厚さはどのくらいなんだ?」
    「2メートル弱と推定されます。砕いて進むのは、かなり困難かと」
    「マジか……」
     報告を聞かされたフーは深いため息をついて椅子にもたれかかる。
    「だから言っただろう、迂回するべきだと」
     横にいたアランがここぞとばかりに非難してきたが、フーは背を向けて応えない。
    「仕方ない。気温が高くなって、氷が割れるようになるまでここで停まるしかないな」
    「はい。……ですが恐らく、この寒気も一時的なものと思われますし、そう時間はかからないかと」
    「どのくらいだ?」
    「長くても、3日ないし4日かと」
    「分かった。じゃ、みんなに伝えておいてくれ」
    「了解です」
     兵士が敬礼し、下がったところで、またアランが口を開く。
    「それでフー、今後はどうするつもりだ?」
    「ん?」
    「これによって、迂回した時よりもさらに2日程度、到着が遅れることになる。恐らくその間に、敵は昨年の交戦地だったブルー島を陥落させているだろう。
     敵の先制を許した責任を、どうやって償う?」「責任? お前がそんなこと言うのか?」
     苦言を呈したアランに、フーが食ってかかる。
    「そもそも、だ。俺は航行計画の変更の時、決を採っただけだ。『お前の案と艦長の案、どっちがいいか』ってな。それで、みんなはお前のことを嫌ってたから、艦長の案を採用したわけだ」
    「何だと?」
    「何だと、じゃないだろ? お前、ちゃんと自分の今の信用度、把握してるのか?
     こないだのスミスの件で、お前は大きく信用を落とした。そのフォローも無いまま、こうして船に乗ってる。兵士の気持ちになって考えてみろよ、アラン。『いつ自分たちに対して難癖を付けて処罰しようとしてくるかも分からない奴がすぐ近くでにらんでる』って考えたら、士気も下がるし統率も乱れる。
     当然、反発もする。もしお前の意見を、あの時他の奴が言ってたら、もしかしたら迂回を選んだかも知れない。『お前が』言ったから、みんな反対したんだ。
     邪魔なんだよ、お前は」
    「……ッ!」
     フーの叱咤に、アランは明らかに憤慨した様子を見せた。
    「貴様、私に対して何と言う……」「一参謀に過ぎないお前が、軍閥宗主の俺に対して、何のつもりだ?」
     フーは立ち上がり、アランをにらみつける。
    「お前が俺の力を引き出し、何度も出世の機会をくれたのは感謝してる。だけどな、それは過去のことだ。現在、お前は俺に対してどんな貢献をした? 言ってみろよ、アラン!」
    「く……」
    「貢献してるのか? 成果を挙げてるのか? 俺に何か、プラスになるようなことを今現在、してるのか?」
    「それ、は……」
    「聞いてるんだよ! 言ってみろッ!」
    「……」
    「話はこれで終わりだ。出てけ」
     フーはもう一度椅子に座り、アランに背を向けた。
     アランはブルブルと怒りに震えていたが、何も言い返さずにそのまま船室を後にした。

    蒼天剣・風立録 2

    2009.11.16.[Edit]
    晴奈の話、第424話。 ずれた歯車。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 巴景たちがフーの船室の前に到着すると同時に、フーと艦長、そしてアランが船室から出てきた。「おう、お前ら。寒気のことだろ?」「あ、はい」 集まった者たちは一様にうなずく。フーも眉にしわを寄せながら、腕組みをしてうなずいた。「それを今、艦長と話してたんだが……」 フーの横に立った艦長が、この先の航行計画を説明した。「迂回すると...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第425話。
    どん底だったフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フーとアランの確執のうわさは、すぐに艦内に広まった。
    「ヒノカミ閣下とグレイ参謀の関係はかなり冷え込んでいるらしいぞ」
    「らしいですね。でも……」
    「私は閣下を支持します」
    「ええ、自分も同意見です」
     兵士たちの雑談の輪に加わっていたルドルフも、それにうなずく。
    「だよなぁ。ヒノカミの御大、自分勝手でイケイケだけど……」
    「元々が我々と同じ一兵卒ですからねぇ。下の人間をよくかばってくれますし、気さくに声をかけてくれますし」
    「ああ。あの人なら付いていこうって気にはなるよな。……しかしグレイ参謀殿は」
     一瞬場が静まり、一呼吸おいて全員がうなずく。
    「私、キライです」
    「同じく。それなりに見識はあるようだし、参謀としては適任だが……」
    「何て言うか、冷たいんですよね。血の通ってない作戦を立てる、と言うか」
    「『自軍のミスを抑える』が前提ですもんね。私たち、そんなにグズで役立たずに見られてるんでしょうか」
    「それは自分もそう思う。あいつ、……あ、『あいつ』って言ってしまったが、まあ、参謀は兵卒のこと、歯車くらいにしか思っていないようだからな」
    「側近の方も、嫌ってるみたいですよ。ね、ルドルフさん」
     話を振られ、ルドルフは大きくうなずいた。
    「あー、うん。俺も嫌いだ、参謀殿は。
     つーか、御大も嫌いだと思うよ。あの人はあんまり、意見されるの好きじゃないだろうし。なのに口うるさく突っかかるしさ、あの参謀殿。
     ベストパートナーとは、全然言いがたいよ」
    「でも、何でヒノカミ閣下は参謀を解任しないんでしょうね? もう軍閥ができてから、3年は経つのに」
    「……うーん。謎だよなぁ」
     その意見にまた、全員が深々とうなずいた。

    「ヒノカミ君と、アランの関係?」
     巴景に尋ねられたドールは、あごに指を付けながら答える。
    「うーん、実はアタシも良く分からないのよねぇ。一応、ヒノカミ君からそう言う話はチョコチョコっと聞いてはいるんだけどね。内容が、今ひとつはっきりしないって言うか」
    「ふーん……?」
     要領を得ない答えに、巴景は首をかしげる。
    「ま、ヒノカミ君が半分寝ながらしてた話だから、ドコまでホントか分かんないんだけどね」
     そう前置きしつつ、ドールはフーから伝え聞いた、アランとの出会いを話してくれた。



     双月暦515年、秋。
     日上風は最悪だった。
    (……寂しい……)
     その頃、彼の心の中には始終寒風が吹き荒んでいた。
     己の師であり、上官でもあった男が重大な軍務規定違反を犯した――軍が保管していた魔剣、「バニッシャー」を盗み出し、国外逃亡した――ため、軍はその怒りの矛先をフーや、男の妹であるノーラなど、男の関係者に向けていたのだ。
     フーの場合は、まず仕事がもらえなくなった。軍から半年近くに渡って、何の通達もされなくなってしまったのだ。さらにその上で、毎日軍本部には顔を出すようにとだけ命じられた。
     しかし行っても、何もやらせてもらえない。ただ黙々と、朝から夕方までトレーニングだけして終わり、と言う日が続いた。そのせいで、周りからは「何の働きもせず遊んでいるだけ」と言う目で見られ、「早く除隊を申し出ろ」と、無言の圧力がかけられ続けた。
     だが、その圧力に従って軍を離れることもできない。彼には年老いた祖母がいたのだ。認知症が進んでおり、既にフーが誰なのかも分かっていない状態にあり、フーの給与と介護なしには生活ができなかった。

     そしてこの件も、フーにストレスを与えていた。何しろ、自分がなぜ北方にいるのかも忘れてしまっている状態なのだ。
    「ただいま、ばーちゃん」
    「……? あ、おかえり、雷」
     そう声をかけられ、フーは頭を抱える。
    「だから、何度も言ってんだろ。俺は風だってば。雷は親父だって」
    「……あ、そうそう。そうだったね、雷」
    「……もういいや。風呂入ってくる」
    「ああ、沸かしておいたよ。今日は一段と冷え込むからねぇ」
    「まだ9月だぜ、ばーちゃん。そんなに寒くねーって」
     祖母の言葉に苦笑したが、祖母は大真面目な顔である。
    「何言ってんだい、この子は。こんな寒さで、9月のわけないだろう」
    「……ああ、そうだな。央南だったら、真冬の寒さなんだろうな、きっと」
    「そうだよ。ほら、……えーと、雷、早く入っておいて」
    「……ああ……」
     フーは訂正する気力も無くし、そそくさと風呂に駆け込んだ。

     恩師の裏切り、軍での冷遇、会話の成り立たない肉親――誰にも相談ができないフーのストレスは、日ごとに増していった。

     そして515年の末、さらにフーは追い込まれた。祖母が老衰のため、亡くなったのである。
    「……」
     この時点でフーは、本当に孤立した。耐え難い絶望感が彼の足を止め、未来への希望を閉ざした。
     彼の目にはもう、真っ暗な闇しか見えていなかった。
    「……寂しいよ……」

    蒼天剣・風立録 3

    2009.11.17.[Edit]
    晴奈の話、第425話。 どん底だったフー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. フーとアランの確執のうわさは、すぐに艦内に広まった。「ヒノカミ閣下とグレイ参謀の関係はかなり冷え込んでいるらしいぞ」「らしいですね。でも……」「私は閣下を支持します」「ええ、自分も同意見です」 兵士たちの雑談の輪に加わっていたルドルフも、それにうなずく。「だよなぁ。ヒノカミの御大、自分勝手でイケイケだけど……」「元々が...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第426話。
    悪魔との出会い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フーは何もかもを失い、絶望の淵にいた。
     だが――その無限の寂寥感、真っ暗な絶望感が、まるでブラックホールのように、悪魔を吸い寄せたのかも知れない。



     フーは絶望のあまり、吹雪の吹き荒れる夜道を、当ても無くさまよっていた。
    (このままずっと、こうやってうろついていたら。そのうち、凍死するかな)
     この頃になると、既に軍では空気扱いされており、最早圧力をかけてくるような者もいなかった。だが逆に、温かい言葉をかけてくれるような者もいない。そう、肉親を亡くしたばかりだと言うのに、軍でも、街中でも、お悔やみの声ひとつかからなかったのだ。
     彼はまさしく、空気同然となっていた。
    (……消えたい……)

     そんな状態だったから、突然後ろから肩を叩かれた時、フーは非常に驚いた。
    「……探したぞ、『4番目』」「……!?」
     フーは後ろを振り返った。そこには、「怪しい」としか言いようの無い者が立っていた。
    「だ……、誰だ、アンタ!?」
    「私の名はアル、……アラン・グレイだ」
    「アラン? 俺なんかに、何か用なのか?」
    「『なんか』、だと? ……謙遜するな、御子よ。お前ほどの人物が、何と矮小なものの言い方をするのか」
    「……何言ってんだ?」
     フーはただぽかんと、そのフードの男、アランを眺めていた。

     他にどうしようもないので、フーはその異常に怪しい男を家へと招き入れた。
    「んで、その、アランさん、だっけ。俺が、何ですって?」
    「お前は御子なのだ」
    「……はあ、そうスか」
     フーはこの時、頭の中で「やべーコイツ、頭おかしいぜ」と警戒していた。
    「えーと、まあ、今日くらいは泊めてもいいんで、明日になったら病院行ってくださいね」
    「私の言が信じられんようだな」
    「はいはい、病院行ってくださいっスね、……明日と言わず、今からでもいいっスけどね」
    「信じられないのも無理は無い。突然押しかけた男に、『お前は救世主だ』などといきなり言われて、誰が信じようか」
    「……分かってんなら、さっさと帰ってほしいんスけどね」
     会話の成り立たないこの男と延々話し続けるのに精神的限界を感じ、フーはそっと、剣を手に取った。
    「その剣で私を斬るつもりか?」
    「……だったらどーなんスか。このまま素直に帰ってくれるんスか?」
    「まずは、話を聞いてもらわねばな」
     アランはそう言うと、フーの前からふっと姿を消した。
    「……!?」
     突然消えたアランに面食らい、フーは辺りをきょろきょろと見回す。
    「ここだ」「……ッ」
     背後からアランの声がする。振り向こうとした瞬間、剣を握っていた右手に一瞬、電気的な痛みが走った。
    「いだ……っ」
     痛みに耐え切れず、フーは剣から手を離してしまう。アランは宙に浮いた剣を、がっしりと握り締める。
    「ともかく、攻撃手段は封じさせてもらう。冷静な話し合いに、剣は不要だ」
     アランがそう言った次の瞬間、ビキッと言う異様な音が響いた。
    「な、……!?」
     アランが握っていた剣が、まるで紙粘土をねじったように、グズグズに折られていた。
    「話をしてもいいか?」
    「……わか、った」
     フーはそれ以上何も言えず、素直に話を聞くしかなかった。

     フーが大人しくなったところで、アランはとんでもないスケールの話をし始めた。
    「北方神話は知っているか?」
    「知ってる、って言えば知ってます。その、大体の、さわりって部分くらいは」
    「ならば『神の御子』の伝説も聞いているな?」
    「ええ、まあ。世界が危機に見舞われた時に現れて、平和をもたらすってアレでしょ?」
     フーの回答に、アランは短くうなずく。
    「概ね、その通りだ。世界に悪がはびこり、混乱するその時に降臨し、悪を滅ぼし世界を善く導く存在。それが『御子』だ。
     今、この世界は混乱に満ちている。中央大陸では各地で戦乱、混乱が起こり、他の地域においても騒乱が絶えない。お前が巻き込まれたこの度の騒動も、こうした混乱の一つと言ってもいいだろう」
    「そんなもんっスかねぇ……」
    「思い返してみるといい。常識的な展開だったか?」
    「……まあ、言われてみりゃ、一軍人がいきなり軍に反旗を翻すなんて、並の出来事じゃないっスけど」
    「そうだろう? 並々ならぬことが次々に起こることこそ、混乱の世の常だ」
     眉唾くさい話の展開に辟易しながらも、フーは尋ねてみる。
    「それで、その御子が俺って言うんスか?」
    「そうだ」
    「そーは思えないんっスけどねぇ。俺、はっきり言ってカスみたいなもんですし」
     フーの言い方に、アランは大きく頭を振り、嘆息する。
    「……ああ、何と萎縮したものの考え方だ!」
    「普通だと思うんスけど……」
    「何が普通なものか! 周りからの圧力に精神がねじれ、縮こまっているではないか! これではまるで、雨に怯える子羊だ!」
     そう言うなりアランは、フーの頭をがしっとつかんだ。
    「な、何するんスか」
    「本当のお前はそんな小さな器ではない――今、本当の『虎』にしてやろう」
    「へっ……?」

     次の瞬間、フーの脳内が煮えたぎった。
    「……がッ……かっ……くぁ……ッ……」
     頭の中を、尋常ではない電撃が走り抜ける。
    (なんだなんんだんあなんだこおえらこえれはこれはなんだ)
     まるで脳みそが頭蓋の中で爆発し、耳目や口から噴き出したのではないかと思うほどの衝撃だった。
    (いったいたいいたいなにななにいがぎがどううづどうなって)
     そしてそのまま、フーの意識はそこで途切れた。

    蒼天剣・風立録 4

    2009.11.18.[Edit]
    晴奈の話、第426話。 悪魔との出会い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. フーは何もかもを失い、絶望の淵にいた。 だが――その無限の寂寥感、真っ暗な絶望感が、まるでブラックホールのように、悪魔を吸い寄せたのかも知れない。 フーは絶望のあまり、吹雪の吹き荒れる夜道を、当ても無くさまよっていた。(このままずっと、こうやってうろついていたら。そのうち、凍死するかな) この頃になると、既に軍では空気...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第427話。
    超人になったフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……ん、んん」
     フーが目を覚ました頃には、すでに夜が明け始めていた。床に寝そべっていたフーは、よろよろと立ち上がる。
    「何だったんだ? 今の? ……アランさん?」
     辺りを見回すが、アランの姿は無い。
    「夢……、か? いや、……何だ? 何か、頭……体……の奥が、チリチリする」
     昨日までの憂鬱な気持ちはどこかへ消えうせ、体の奥底から力が湧き出ているような爽快感が、全身に巡り回っている。
    「何なんだ? ……力が、みなぎってる」
     その日から、彼の人生はガラリと変わった。
     彼の中で、「力」が目覚めたのだ。

     ともかく朝になっていたし、軍からは――依然、何の命令も下されないままだが――毎朝本部に来るよう指示されている。
     本部に向かい、出勤したことを告げた後、いつも通りに訓練場へと向かった。そしていつも通りに、錘(おもり)の付いた模擬剣で素振りをしようと、訓練場の受付に声をかけた。
    「あの」
    「……」
    「すいません」
    「……」
    「剣、お願いします」
    「……はい」
     そしていつも通り、半分無視されたような状態で剣を渡される。
     いつもと違ったのは、妙に軽い剣を渡されたことだ。
    「……すいません。もっと重いもの、お願いします」
    「……いつものだよ」
    「なわけないじゃないっスか。やめてくださいよ、一々こんなくだらないことすんの」
    「……チッ」
     係員はうざったそうに舌打ちし、奥から台車で剣を運んできた。
    「ならこの25キロのでも使ったらどうだ。重たいぞ」
    「に、25、っスか」
     普段使っているものより、数段重たいものを示される。恐らくは、よほど筋骨隆々とした戦士でもなければ扱うことのできない、半ばジョークのつもりで置いてあるものだろう。
    (嫌な奴……)
     だが、ここまでコケにされて退く気にもなれない。
    「……じゃ、それで」
    「ケケケ……」
     内心「ふざけんな」と思いつつも、フーはそれを手に取った。
     ところが――。
    「……? あの」
    「何だ? やっぱり変えるのか? ひひ……」
    「アンタ、何がしたいんっスか?」
    「あ?」
     フーは手にした剣を、片手でひょいと上に掲げた。
    「こんな風に持ち上げられる剣が、25のわけないじゃないっスか。どうせからかうなら、本当に25の渡せばいいじゃないっスか。人をバカにすんのも、いい加減にしてほしいんスけどね」
    「いや、あの」
     先程まで小馬鹿にしていた係員が、目を丸くしている。
    「それ、本当に、25キロ、なんだけど」
    「……へ?」

     係員の勧めにより、フーは体力測定を行った。
     その結果、驚くべきことが分かった。なんとフーの筋力は、これまでの5倍以上に跳ね上がっていたのだ。単純に言えば、これまで20キロの砂袋を肩に乗せてフラフラ担ぐのが精一杯だったフーは、100キロの鉄骨を片手で楽々持ち上げられるようになっていた。
     さらに他の測定も行い、彼の能力は全体的に、飛躍的に上昇していることが判明した。頭脳も、五感も、そして魔力も――弱い部類に入る「虎」のはずだが――少なからず、むしろ常人より非常に強くなっていた。
     一夜にして、彼は超人に変化していたのである。



     こんな逸材を、軍が放っておくわけが無い。これまで冷遇されたことが嘘のように、軍は彼に手厚い扱いを施した。
    「特別訓練プログラム?」
    「ああ。最近、中央との関係が悪化しつつあるからね。戦争になる可能性が高い。それを見越して、優れた兵士を育成するための訓練を計画してるんだ」
     フーに強化訓練を勧めたのは、この当時既に祖父の汚名を返上し、新たな軍の頭脳となっていたトマス・ナイジェル博士だった。「バニッシャー強奪事件」の関係者近辺で軍からの誹謗を免れた、数少ない人物である。
     フーの師とトマスは祖父との関係で親しくしており、その関係でフーとトマスも顔見知りだった。この勧めは冷遇されていたフーを憐れんでのことである。
    「これを受ければ、数ヵ月後には間違いなく王国軍の将校になれる。これまでの冷遇から、完全に開放されるはずだ」
    「なるほど……」
    「それだけじゃない。もし佐官クラスになれば、相当の社会的地位も得られる。今後の働きによっては、沿岸部の基地を任されるかもしれないよ」
    「沿岸基地の責任者、っスか」
     極寒の地である北方において、恵まれた土地は非常に少ない。王国の首都フェルタイルや観光都市ミラーフィールド周辺、そして南東部の沿岸以外は、満足に作物も実らない不毛の地なのである。
     その沿岸部にある基地を任されると言うことは、裕福な生活が送れると言うことでもある。
    「いいっスね」
    「でも訓練は非常にハードになることが予想される。下手すれば、あの『黒い悪魔』を相手にしなきゃいけなくなるかも知れないからね」
    「確かにそうっスよね。カツミは最近、中央政府から離れてるらしいっスけど、気紛れで参加する可能性もありますからね」
    「へぇ……」
     トマスはフーの見識に舌を巻き、眼鏡をつい、と直しながら感心した。
    「どうしたの、ヒノカミ君? こないだまでこんな話振ってたら、『へー、そうなんスか』しか言わなかったのに」
    「成長したんスよ、……ハハ」



     その強化訓練を、フーはわずか二ヶ月で修了した。たった二ヶ月で、彼は軍のエースになれたのだ。
     もちろん、他の兵士たちが凡庸だったと言うわけではない。王国軍全体から集められた優秀な兵士たちを凌駕するほど、フーの力がずば抜けていたのである。
     フーの階級は、一気に大尉へと上がった。かつて彼の師が20代半ばで就いていた階級に、たった18歳のフーが並んだのだ。

    蒼天剣・風立録 5

    2009.11.19.[Edit]
    晴奈の話、第427話。 超人になったフー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……ん、んん」 フーが目を覚ました頃には、すでに夜が明け始めていた。床に寝そべっていたフーは、よろよろと立ち上がる。「何だったんだ? 今の? ……アランさん?」 辺りを見回すが、アランの姿は無い。「夢……、か? いや、……何だ? 何か、頭……体……の奥が、チリチリする」 昨日までの憂鬱な気持ちはどこかへ消えうせ、体の奥底から力...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第428話。
    ドールの好みの子。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     そしてトマスの予想通り双月暦516年の5月、北方ジーン王国と中央政府との戦争が始まった。
     開戦の大まかな口実としては、「中央政府の権力者であるカツミ討伐を考えており、また、その実行手段も手に入れているジーン王国を看過することはできない。実力行使により、その手段・戦力の奪取、封印を行う」と言うものである。
     行間にチラホラと中央政府側の思惑が見て取れる内容であり、仕掛けたのは間違いなく、中央政府側だった。

     開戦の前日。
     フーの元に、再びアランが現れた。
    「いよいよ活躍する時が来たな、フー」
    「……お久しぶりっスね、アランさん」
     フーにそう呼ばれ、アランはわずかに首を振った。
    「御子たるお前が、私に敬語を使う必要はない。アランで構わない」
    「そうっスか。……アラン、何の用だ?」
    「そう、それでいい。
     これより私は、お前を導く参謀となろう。私の指示に従い、その通りに動けば、お前はこの世の王、英雄、偉人――御子になれる」



    「……でー、それから4年間、ヒノカミ君はアランの指示に従い、軍閥を形成したり、央中に飛んでネール大公から神器をもらったり、央南から『バニッシャー』を取り返したり、色々やったワケよ」
    「ふうん……」
     巴景はうなずきかけたが、話の最後にさらっと言われたことが気にかかった。
    「……え、じゃあ。もう『バニッシャー』って武器は、中佐のところに?」
    「ええ。アタシも一緒に行って取ってきたから、確かよ」
    「そんな話、聞いたことないわ。その、何だっけ、リロイって人が奪って、そのままになってるって」
    「そうよ。公には、ね。軍本部は、まったく関与してないわ」
    「……それは、軍務規定違反になるんじゃないの? 中佐といえど、そんな武器を隠し持ってたら……」
    「そーよ。バレたら大問題になるわね」
    「……何でそれを私に言うの?」
     巴景はドールの思惑が分からず、当惑する。
    「ふふ……。アナタが気に入ったからかしら、ね」
     そう言って、ドールはひょいと巴景の仮面に手をかけ、取りさらった。
    「あっ……」
    「アラ、キレイな顔してるじゃない。フェイスペイントみたいでかっこいいわよ、その傷跡も」
    「ちょ、ちょっと、返してよ」
     巴景は慌てて手を伸ばすが、ドールはひょいひょいと仮面を持った手を振り、返そうとしない。
    「いいじゃない、今ここには、アタシとアナタしかいないんだもの」
    「そう言う問題じゃ……」
     顔を真っ赤にする巴景に、ドールは仮面を持っていないもう一方の手を近付けた。
    「な、何?」
    「アタシはね、トモエ」
     ドールは巴景の首に手を回し、引き寄せる。互いの顔が触れそうなところにまで近付けたところで、熱っぽく口を開いた。
    「いつもニコニコヘラヘラしてる人より、そうやって感情的に動く人の方が好きなの。だからヒノカミ君とも付き合ってるし、『おかしくなっちゃう』前のリロイも好きだった。
     アナタも……、なかなか魅力的よ」
     そう言ってドールは、巴景の頬に口付けした。
    「な、なっ……」
    「うふふふ……。はい、仮面」
    「……っ!」
     仮面を返され、巴景は慌てて付け直した。
    「アナタ、可愛いわね。クスクス……」
    「かっ、からかわないでよ、もおっ!」
     巴景はその場にへたり込み、仮面を押さえつけるように両手で顔を覆った。

    「……はぁ」
     何とか平静を取り戻し、巴景は顔を伏せたまま、椅子に座り込んだ。
    「……それにしても、リロイって人。あなたの話によく出てくるけれど、いったいどんな人だったの?
     聞いた感じでは、いつもヘラヘラしてる人って言う印象しかないんだけど、そんな人が黒鳥宮に侵入したり、『バニッシャー』を軍から盗み出したりするなんて、私には思えないわ」
    「ああ……。そこが、リロイのすごいトコよ。あの人は感情を押し殺せる。そのヘラヘラした笑顔の裏に、ね。その点は仮面で感情を隠すアナタにも、どこか似てるわね」
    「でも、その話。他の人に聞くと、何かおかしいのよ。別の人は、エルスって人がやったとか」
    「『エルス(L‘s)』って言うのは、リロイのコードネームよ。
     本名が『リロイ・リキテン・グラッド(Lliroy Liquiten Glad)』だから。Lばっかりでしょ?」
    「なるほど……」
    「ま、そのコードネームもらってから、リロイは『自分の長い本名をサインしたり名乗ったりするのは面倒だから』って、エルスって名乗ってたけどね」
     ドールの昔話は、リロイ――エルスの話へと移っていった。

    蒼天剣・風立録 終

    蒼天剣・風立録 6

    2009.11.20.[Edit]
    晴奈の話、第428話。 ドールの好みの子。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. そしてトマスの予想通り双月暦516年の5月、北方ジーン王国と中央政府との戦争が始まった。 開戦の大まかな口実としては、「中央政府の権力者であるカツミ討伐を考えており、また、その実行手段も手に入れているジーン王国を看過することはできない。実力行使により、その手段・戦力の奪取、封印を行う」と言うものである。 行間にチラ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第429話。
    コードネーム、L。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「名前には、意味がある」
     ジーン王立大学の学長室。黒板と書物に囲まれたその部屋の中央に、3人の人間が座っていた。
    「例えば古代、ジーン第一王朝以前の、豪族割拠の時代。有力な人間の名前には、数字が用いられることがあった。
     第一王朝、唯一の王であったレン・ジーンの名前、『レン』も、現代の言葉では『0』を意味する。つまり世界で唯一の王であり神である、自分以外の王の存在は無い、0であると言いたかったのだろう」
     弁舌を振るっているのは兎獣人の大学教授、ラルフ・ホーランド。眼鏡をかけた老エルフと、銀髪の短耳とを前にして、黒板に自分の説を書き連ねている。
    「彼は古代神話における『御子』をも名乗っていた。その名残が、その後現れた『猫姫』こと、イール・サンドラ氏にも現れている。
     彼女の『イール』と言う名もまた、古代語で『1』を表しており、また、彼女も死ぬ1年ほど前から、自分のことを『御子』と名乗っていた」
    「御子と言えば、その後にも2度、出現したと言われておるな」
     手を挙げ黒板を指差したのは、わずかに白髪の残った眼鏡のエルフ。「知多星」と呼ばれた大学者、エドムント・ナイジェル博士だ。
    「330年の屏風山脈騒乱にも、リューク・ドワイトと言う中央軍の兵士がそう名乗っておったそうじゃ」
    「それと460年頃にも、南海にあったと言われているトライン教団の教祖が名乗っていたらしいですね」
     残る一人も手を挙げる。
    「そう、その通り。実はその2名の名前――『リューク』と『ゼルー』も、それぞれ『2』『3』を表しているんだ。
     この共通点から、この4名は正当な御子たちの系譜であると言う説が有力だ。そして恐らく、次に現れるであろう御子は、こう名乗るだろうと予測できる」
     ラルフは黒板に、「4番目=Fuet」と書いた。
    「どう読むんですか?」
    「『フェット』か、『フューエ』、もしくはもっと簡単に、『フー』だな」
    「ふむ」
    「と……。話は若干それたが、ともかく、名前には何らかの意味がある。
     君のコードネームを考える上でも、単純に番号を振り当てるだけでは、何の意味も成さない。ひいては存在理由など、哲学的意味においても……」「いいんじゃて、そんな細かいことは」
     ラルフの話を、ずっと苦い顔をしていたエドがさえぎった。
    「わしらはお前さんの長ったらしい講義を聞きに来たわけではない。シンプルかつ諜報員に似つかわしいコードネームを付ける上で、お前さんの意見を聞きに来ただけじゃ」
    「分かってる、分かってる。……コホン」
     ラルフも苦虫を噛み潰したような顔で、エドをにらむ。
    「それでリロイ君、君の名前は何て言ったっけな」
    「はい。リロイ・リキテン・グラッドです」
     その名前を聞きながら、ラルフは黒板に書き付ける。
    「リキテンって、スペルはLichtenかな?」
    「いえ、Liquitenです」
    「ふーん、『流体(Liquid)』からかな」
    「あと、リロイも違います。Leroyじゃなくて、Lliroyです」
    「Lばっかりだなぁ。……ふーん、Lか。じゃ、Lばっかりと言うことで、L‘sと言うのはどうだろう?」
    「エル、ス?」
    「そう。単純に番号を振り当てられるよりは、はるかに名前の体を成していると思わないか?」
    「なるほど。悪くは無い。よし、それではリロイ、お前さんのコードネームは『エルス』じゃ」
    「エルス……。はい、分かりました」
     リロイ――エルスは素直にうなずき、その名前を受け入れた。



    「へぇ……。ドールのおじいさんって、大学教授だったのね」
    「え、感心したトコそこぉ?」
     苦笑するドールを見て、巴景も口元を緩ませる。
    「ああ、いえ、ちょっと意外だなって。……それじゃ中佐がエルスに会ったのは、その後なのね」
    「ええ。結構、すぐだったんじゃないかしら」



    「さて、リロイ改め、エルス少尉。いきなりじゃが、チームを組んでもらいたい」
    「チーム、ですか」
     エドは黒板に2枚の写真を貼り付ける。
    「あれ? こっちの青い髪の女の子、リストちゃんじゃないですか」
    「そうじゃ。今年で16になるんじゃが、跳ねっ返りでのー」
    「それで、博士のお膝元で、ってことですか」
    「そう言うことじゃ」
     続いてエドは、もう一枚の写真を指差す。
    「そしてこちらは、新兵のフー・ヒノカミ。央南系の3世で、虎獣人の子じゃが……」
    「何だかワルそうな顔してますねー」
    「うむ。素行が悪く、これまでに何度も問題を起こしておる。軍の人事部は即刻辞めさせるべきじゃと言うとるが、戦闘能力はそれなりにある。15歳とまだ若く可能性はあるし、団体行動を学ばせれば使い物になる人材だと、わしは見ておる」
     二人の評価を聞き、エルスは腕を組んだ。
    「……つまり、人格的に問題のある人間2名を僕の下に就かせて、監視及び矯正させようと」
    「そうなる。ま、他に理由を挙げるとすれば、お前さん以外に適任がおらんのじゃ。他の候補者は皆、自分勝手でプライドの高い奴か、考え無しで粗暴なアホばかりじゃからのう」
    「なるほど、そう言われれば僕だけかも知れませんね」

     これが513年のことである。
     ここから2年後の515年まで、エルスはその2名とチームを組むことになった。

    蒼天剣・風師録 1

    2009.11.23.[Edit]
    晴奈の話、第429話。 コードネーム、L。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「名前には、意味がある」 ジーン王立大学の学長室。黒板と書物に囲まれたその部屋の中央に、3人の人間が座っていた。「例えば古代、ジーン第一王朝以前の、豪族割拠の時代。有力な人間の名前には、数字が用いられることがあった。 第一王朝、唯一の王であったレン・ジーンの名前、『レン』も、現代の言葉では『0』を意味する。つまり世界で...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第430話。
    L'sチームの誕生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     エルスとエドの前に立たされたその2名は、始終エルスたちをにらみつけていた。
    「こんにちは、リストちゃん。それからはじめまして、ヒノカミ君」
    「……」「……」
     エルスが会釈したが、依然二人はにらみ続けている。
    「これからこの3名で、チームを組んで行動してもらう。何か質問はあるか?」
     エドの言葉に、まずリストが手を挙げた。
    「帰っていい?」
    「ダメじゃ」
    「帰るわ」
    「ダメじゃと言うとろうが!」
     怒るエドに対し、リストはぷい、と顔を背ける。
    「何でアタシが、こんなヘラヘラした奴の下に就かなきゃいけないのよ」
    「お前さんが家で癇癪起こして、お母さんを殴ったからじゃろうが」
    「だって、あれはあの女が……」「自分の肉親を『あの女』呼ばわりするでない!」「……フン」
     リストは非常に反抗的な態度ばかりで、話を聞こうとしない。
     そしてもう一人、フーもずっとエルスをにらみ続けている。
    「……」
    「どうしたのかな?」
    「アンタ、エルス・グラッドっつったよな。聞いた通りのアホ面だな」
    「うん、そうだね」
     エルスはニコニコしたまま、フーに尋ねる。
    「君のうわさも聞いたよ。訓練中、同僚4名を殴り倒したんだってね」
    「ヘッ」
     フーも斜に構え、エルスとまともに話をしようとしない。
    「んー」
     エルスはエドに向き直り、質問した。
    「最初の任務って、何ですか?」
    「あ、いや。まずはチームに慣れてもらって……」
     エドが説明しかけた、次の瞬間。
    「うっ……?」「げっ……!」
     リストとフーが、突然倒れた。
    「お、おい? いきなり何をするんじゃリロ、……エルス?」
     リストたちを気絶させたのは、エルスだった。
    「慣れるって言うことなら、ともかく任務に就かせた方が早いんじゃないですか? これじゃ話もできそうにないし」
    「……うーむ」



    「ん……」「う……」
     リストとフーは、同時に目を覚ました。
    「え、……あれ? ここ、ドコよ」
    「知るかよ。……ん?」
     辺りを見回すと、そこは雪の無い林の中だった。明らかに王国の首都でも、首都周辺の山間部でもない。
    「暖かい……。ここって、沿岸部?」
    「知るかって」
     二人から少し離れたところで、エルスが単眼鏡を覗いている。エルスは覗きながら、二人に声をかけた。
    「やあ、おはよう」
    「おはよう、……じゃないわよ、何なのよアンタ!?」
    「ここ、どこだよ! いきなり何しやがるんだ、クソ野郎!」
    「……クスっ」
     依然単眼鏡を覗きながら、エルスは苦笑する。
    「何がおかしいんだよ、おい!」
    「ヒノカミ君……、フーって呼ばせてもらうけど、フー。『いきなり何しやがるんだ』ってその台詞、戦場の真っ只中でも言えると思う?」
    「あ?」
    「ここが戦場で、あっちこっちで斬り合い、撃ち合いになってたら、そんなのんきなこと言ってられないと思うよ。そんな悠長な台詞吐いてたら、あっと言う間に蜂の巣になっちゃうよ」
     エルスの言を、リストが鼻で笑う。
    「何それ? 屁理屈こねないでよね、バカっぽい顔のクセして。で、ここはドコなのよ?」
    「それからリストちゃん、君もだよ。現状を自分で把握しようともしないで、誰彼構わず『ここドコなのよ、教えなさいよタコ』みたいなことばっかり言ってちゃ、生き残れないよ」
    「……バカっぽいんじゃなくて、バカなのねアンタ。会話が成り立たないわ」
    「君が話を聞こうとしないんだろう? 聞きたければ教えるけれど、それで満足するとは思えないなぁ」
     つかみどころの無いエルスの話に、二人は次第にイラつき始めた。
    「いいから教えろよ、ボケが!」「言えって言ってんのよ、耳ついてんでしょ!?」
    「それからもう一つ。軍隊において団体行動は基本中の基本、第一に守るべきルールだ。部下は上官に従ってもらう。これが鉄則だよ」
    「偉そうにしてんじゃねーよ!」「何が団体行動よ、やってらんないわ!」
     ここでようやく、エルスは単眼鏡から目を離した。
    「もっかい気絶したいの? 今度気を失ったら多分、君たちは人間辞めちゃうことになるけど」
    「……は?」「何つった?」
     エルスは二人に手招きし、単眼鏡を渡した。
    「これで、あっちの方を見てごらん」
    「……?」
     二人は何を言いたいのかといぶかしがりながらも、エルスの示した方向を覗いてみた。
    「……何? あれ」
    「コンテナ」
    「それは分かってるわよ。……何を、詰めてるの?」
    「いい質問だね」
     エルスはにっこりと笑い、答えを述べた。
    「人間が積み込まれてるんだ。
     君たちが気絶したままここに放っておかれたら、目が覚めた時にはきっと袋詰めにされて、あのコンテナに乗ってると思うよ」

    蒼天剣・風師録 2

    2009.11.24.[Edit]
    晴奈の話、第430話。 L'sチームの誕生。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. エルスとエドの前に立たされたその2名は、始終エルスたちをにらみつけていた。「こんにちは、リストちゃん。それからはじめまして、ヒノカミ君」「……」「……」 エルスが会釈したが、依然二人はにらみ続けている。「これからこの3名で、チームを組んで行動してもらう。何か質問はあるか?」 エドの言葉に、まずリストが手を挙げた。「帰って...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第431話。
    はじめての作戦会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     二人が青ざめて黙りこくったところで、エルスはのほほんと説明を始めた。
    「じゃ、ブリーフィング(作戦の要旨説明)に入ろうか。
     ここは北海諸島の第5島、フロスト島。知ってると思うけど、中央大陸と北方大陸の間には、5つの島がある。ここはその中でも、最も北方に近い島だ。
     で、あいつらは誰なのかって言うと、分かりやすく言えば海賊。あちこちの島や沿岸部の街でさらってきた人間を眠らせてからあーやって箱詰めにして、南海とか西方の貴族や富豪たちに、奴隷として売りつけてるんだ」
    「そ、そんな非人道的なコト、許されるワケないじゃないの!?」
    「そう。公には、そうなんだ。でもこれは秘密裏に行われる取引だし、奴隷になった人たちはどこかの趣味の悪い貴族だか王族だかの屋敷の地下深くで強制労働させられた末に衰弱死するから、どこにもその事実は漏れない。
     でもリストちゃんの言った通り、公にさらせば大問題になるし、買った人間にとっては地位と名誉、財産を失うほどの大打撃になる。この作戦は北方の王室政府と関係の悪い、西方のある王族の失脚を狙っているんだ。ついでに国際問題を解決して、王国の世界的地位の向上を図ると言う目的もある」
    「……で、何で俺たちはここに? ここで犯罪が行われてることを知らせるだけなら、アンタ一人でいいでしょ?」
     フーの質問に、エルスはチ、チ、と指を振った。
    「そうも行かない。僕一人の力だけじゃ、あれを運びきれないからね」
    「あれ?」
     エルスはにっこり笑い、部屋一つ分くらいのコンテナを指差す。
    「……あれを運ぶ?」
    「うん」
    「6個あるわよ」
    「うん」
    「全部っスか」
    「うん」
    「……マジっスか」
    「うん、マジ。
     だってさ、あの中にいるのは、罪も無い人たちだよ? 普通に港町で暮らしてたり、楽しい観光に来てたりした人たちだ。
     それをいきなり、はるか彼方の地下深くに追いやられて、こき使われて死んじゃうのを黙って見過ごすって言うのは、気分が悪いよね?」
    「そりゃ、まあ……」
     うなずいた二人を見て、エルスはうんうんとうなずいた。
    「じゃ、早速……」「ちょ、ちょっと待ってってば!」
     立ち上がりかけたエルスを、リストが慌てて引き止める。
    「何かな?」
    「何でアタシたちがやらなきゃいけないのよ? 他にもいるじゃない、もっと、その、こーゆーコトに向いてる人とか」
    「うん。だから、僕たちが来たんだ。僕たちはそーゆーことをするチームなんだよ」
     これ以上エルスに反論しても無駄だと悟ったのか、リストとフーは無言になった。

     エルスの立てた救出作戦は、次の通り。
     まずコンテナがすべて海賊船に運び込まれたところで、二手に分かれて攻撃を仕掛ける。片方は陽動役、そしてもう片方は船を奪う役である。
     敵は一斉に拿捕するか、もしくは――。
    「……殺せってことっスか」
    「やむなしと判断した場合には、ね」
    「それで、陽動は誰が? アンタ?」
    「考えてしゃべろうね、リストちゃん」
     エルスは苦笑しつつ、所見を述べる。
    「僕が陽動に回ったら、君とフーだけになるよね。どうやって船までたどり着いて、どうやって船を動かすつもりかな?」
    「あ……、そう、よね」
    「陽動はフー、君にお願いするよ。とりあえず、僕の指示をこなすまで暴れ回ってくれればいいから」
    「……俺が、っスか」
    「リストちゃんは女の子だし、囲まれたら多分、どうしようもなくなるからね。
     で、リストちゃんは僕と一緒に、船を奪う役に就いてもらう」
    「陽動を2人、ってワケには……」
    「行かないよ? 船を奪う間、防衛線を張ってもらわなきゃいけないから。確か君、エドさんから銃について教えられてたよね?」
    「じゅ、銃? ……まあ、そりゃ、教えてもらったけど」
     リストは不安げな表情で、腰に提げた銃を触る。
    「僕が船を奪っている間、それを使って近寄ってくる敵を叩いてほしいんだ」
    「つ、つまり、アタシに、人を撃てって?」
    「うん。あ、でも無理矢理殺さなくてもいいよ。脚とかを撃って行動不能にしてくれれば、それでいい」
    「あ、うん。……うん」
     リストもフーも、ゴクリと唾を飲んだ。

    蒼天剣・風師録 3

    2009.11.25.[Edit]
    晴奈の話、第431話。 はじめての作戦会議。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 二人が青ざめて黙りこくったところで、エルスはのほほんと説明を始めた。「じゃ、ブリーフィング(作戦の要旨説明)に入ろうか。 ここは北海諸島の第5島、フロスト島。知ってると思うけど、中央大陸と北方大陸の間には、5つの島がある。ここはその中でも、最も北方に近い島だ。 で、あいつらは誰なのかって言うと、分かりやすく言えば...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第432話。
    海賊撃破作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     コンテナの中に皮袋――中身はジーン王国の沿岸部でさらってきた人間である――を詰め込んでいた海賊たちは、林の方からガサガサと何かが走ってくる音を聞きつけ、作業の手を止めた。
    「……ん?」「何だ?」
     海賊たちがいぶかしがり、顔を上げると同時に、林から飛び出してきたフーが、その顔に拳をめり込ませた。
    「ぐえっ!?」
    「な、何者だ!?」
    「おっ、俺はっ、ジーン王国軍の、……えっと何だっけ、あ、沿岸警備隊の者だッ! お、お前らおとなしくしろッ!」
    「軍……!?」
     海賊たちの顔に緊張が走る。フーは剣を構え、彼らと対峙する。
    「く……!」
    「構うこたねぇ、やっちまえッ!」
     海賊の一人が剣を振り上げ、号令をかける。そして、号令を聞きつけ、新たに海賊がやってくる。
     この間、フーはエルスから指示されたことを、頭の中で繰り返し唱えていた。
    (まず、奇襲で一人か二人倒す。で、王国の警備隊って名乗って、そんで、周りに向かって怒鳴り散らしてる奴がいたら絶対にそいつを倒す、だっけか。
     怒鳴った奴って、あいつだよな。あの、赤いシャツの短耳倒せばいいんだよな?)
    「うらああッ!」
     まず、近くにいた海賊2名がフーに襲い掛かってくる。
    「……ッ! くそ、このッ!」
     フーは攻撃をギリギリでかわし、剣を垂直に構えて、剣の腹で海賊の腹と胸を叩く。
    「げぼッ!?」「うぐぁ……」
     刃は当てていないが、金属の塊である。まだ15歳とは言え、虎獣人の筋力でそれをぶつけられては、立っていられない。
     あっと言う間に仲間が3人動かなくなり、残った海賊たちは怖気付く。
    「やべぇ、強いぞコイツ!」
    「も、戻るか!?」
     その言葉にフーは一瞬ヒヤリとするが、先程の短耳が叫ぶ。
    「いや、見たところまだ経験の浅いガキだ! 囲んじまえば楽勝だろう!」
     短耳の言葉に、他の海賊たちも退却をやめた。
    「よ、……よし! 囲むぞ!」
    「く……っ」
     人生初めての「修羅場」にフーは強いプレッシャーを感じていたが、ここでまた、エルスの言葉がよみがえってくる。
    (『相手が4名以上残ってたら、囲みに来る。そのまま戦うと袋叩きにされるだろうし、そこは逃げながら敵を一人ずつ叩く作戦にして』、……って言ってたな。
     残ってるのは7人。……あいつの言った通り、囲もうとしてる。すげえな、何でもお見通しか?)
     体の震えを押さえ込み、フーは身を翻した。
    「あっ、逃げるぞ!」
    「逃がすな、追え、追うんだ!」
     海賊たちは逃げるフーを追いかけてくる。フーは時々振り返りながら、追ってくる敵を倒していく。
    「……くそ、俺だけかよ!」
     気が付いた時には、海賊の数は1名――赤シャツの短耳だけになっていた。
    「ハァ、ハァ……」
     この時、フーは9人倒していたのだが、不思議と疲れを感じていなかった。訓練中に乱闘騒ぎを起こした時よりも、余裕で呼吸ができる。
    (そっか、あの時は一度に4人相手だったもんな。こっちは奇襲やら何やらで、俺にとっちゃ、結局一対一ばっかりだし)
     こうなると、心にも余裕ができてくる。フーは剣を構え直し、短耳と向かい合った。
    「くそ……! このままやられてたまっかよ!」
     対する短耳は、奇襲で虚を突かれたことと、あっと言う間に仲間を倒されたことで、ひどく狼狽している。構えた剣もガクガクと振るえ、構えが定まっていない。
     若輩者ながら虎獣人であり、それなりに訓練も受けたフーの敵ではなかった。



     一方、こちらはエルスとリスト。海岸近くの林から、海賊船の様子を伺っている。
    「敵の数は……、4名か。距離はおよそ、30メートル。リストちゃん、銃の射程距離はどのくらい?」
    「え、っと……、多分、10メートルくらい。必中は3メートルかな」
    「そっか。じゃ、もうちょっと近付かないとダメだね。当たるところまで近付いたら、僕が船に乗り込むから、リストちゃんは援護してね」
    「わ、分かった」
     リストがぎこちなくうなずいたのを見て、エルスは優しく頭を撫でる。
    「ひゃ……っ」
    「大丈夫、大丈夫。多分僕が、全員倒せるから。リストちゃんは僕が危ないと思った時だけ、撃ってくれればいいからね」
    「……う、うん」
    「よし、それじゃ行こうか」
     エルスは立ち上がり、一気に駆け出した。リストもビクビクしながら、それについて行く。
    「ん……? だ、誰だっ!?」
     海賊船にいた者がエルスたちに気付き、剣を持って大慌てで船から降りてきた。
    「よ、っと」
     だが、百戦錬磨のエルスの敵ではない。いつの間にか手にしていた旋棍で、敵の急所を的確に突いて倒していく。
     降りてきた3名はあっと言う間に、浜辺に伸びていた。
    「君が船長かな?」
     エルスはまだ船に残っていた、ひげ面の短耳に声をかける。
    「う……っ」
     その短耳は浜辺に倒れた仲間を見て、うろたえている。エルスは確認することなく、船に乗り込もうとした。
     だが――。
    「俺が、船長だッ!」
     船の陰から現れた狐獣人の男が、エルスに向かってナイフを投げつけた。エルスの位置からは完全に盲点となっており、エルスの動作は完全に遅れた。
    「あ」
     避け損なったナイフが左肩に刺さる。
    「う、……いてて」
    「おりゃああッ!」
     エルスがナイフに注意を向けた瞬間、船の上にいた男は剣を振り下ろし、エルスを頭から斬り裂こうとした。
     ところが――。
    「うぐっ!?」
     上にいた男は突然肩を押さえ、うずくまる。
     その間にエルスは肩のナイフを抜き、旋棍を船長の「狐」に投げつけていた。
    「ぎゃっ……」
     船長の顔面に旋棍がめり込み、そのまま仰向けに倒れる。
    「ありがとう、リストちゃん。今のは本当に助かったよ」
     エルスは船の甲板に上がったところで、援護射撃してくれたリストに礼を述べた。
    「どっ、どう、いたしまして……」
     顔を真っ赤にしたリストはそう言うと、しゃがみこんだ。どうやら緊張の糸が切れ、腰が抜けたらしい。

    蒼天剣・風師録 4

    2009.11.26.[Edit]
    晴奈の話、第432話。 海賊撃破作戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. コンテナの中に皮袋――中身はジーン王国の沿岸部でさらってきた人間である――を詰め込んでいた海賊たちは、林の方からガサガサと何かが走ってくる音を聞きつけ、作業の手を止めた。「……ん?」「何だ?」 海賊たちがいぶかしがり、顔を上げると同時に、林から飛び出してきたフーが、その顔に拳をめり込ませた。「ぐえっ!?」「な、何者だ!?」「...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第433話。
    作戦の顛末と黒い巴景。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     コンテナからさらわれた人間を解放し、海賊たちを縛り上げ、エルスたちは彼ら全員を船に乗せた。
    「それじゃこれから、グリーンプールに戻ります。気分の悪い方はいらっしゃいませんか?」
     さらわれてきた者たちに、エルスは優しく声をかける。
    「い、いえ……」
    「大丈夫です……」
     まだ事態の把握ができていないらしく、皆呆然とした顔をしている。
    「ご安心ください。皆さんはきっちり、家に帰して差し上げます。ジーン王国軍の誇りにかけて」
    「……あ、ありがとう」
    「た、助かり、ました」
     無事らしいことを確かめたエルスはにっこり笑い、リストたちに指示した。
    「それじゃ錨を揚げてくれ、フー。リストちゃんは帆を張って」
    「了解っス!」
     万事エルスの言う通りに進み、成功したためか、フーはエルスに対してすっかり従順になっていた。
    「帆って、コレ引けばいいの?」
     リストも話し方は変わらないが、チームを組んだ当初エルスに見せていたトゲは、随分少なくなっていた。
    「そう、それ。……よし、準備万端。それじゃ全速前進、よーそろー、……なんてね」
     エルスはおどけた様子で、船を発進させた。

     船が風に乗ったところで、エルスはリストとフーを呼んだ。
    「さて、僕らのチームの初仕事は、大成功に終わったわけだ」
    「そう、っスね」
    「……終わっちゃえば、『こんなもん?』って感じだけどね」
     減らず口を叩くリストを見て、エルスは苦笑する。
    「そりゃ、これは『レベル1』だもん」
    「レベル……1?」
    「そう。エドさんに無理矢理、『何でもいいから簡単な仕事を』って頼んだんだ。で、最も任務達成が容易だろうと判断された、『レベル1』の案件をもらったわけなんだ」
    「え、じゃあ、この仕事って」
    「うん。軍にしてみれば、『子供のお使い』みたいなもんだよ」
     エルスにさらっと言われ、リストとフーは顔を見合わせる。
    「マジ?」「大変だったのに」
    「ま、そんなもんだよ。……これからどんどん、もっと大変な任務もこなしていくからね。
     よろしくね、リストちゃん、それからフー」
     エルスがにっこり笑って手を差し出す。フーは素直につかんだが、リストは口を尖らせる。
    「ん?」
    「……その、エルス。いっこ、お願いしてもいい?」
    「何かな?」
    「アタシのコト、ちゃん付けはやめて。身の毛がよだつわ」
    「あー、うん。分かった。それじゃリスト、よろしくね」
     エルスはもう一度、手を差し出す。リストは、今度は素直に握った。



    「……と、コレがリロイとヒノカミ君の初仕事だったのよ。
     その後も失敗した任務は0件。成功率100%って言う、辣腕チームになったワケ」
    「ふーん……」
     フーの師、エルスの話を聞き終え、巴景は椅子から立ち上がった。
    「央南に亡命したってことは、あなたはもう一度会ったことが?」
    「ううん。ちょうどその日は留守にしてたから――まあ、だから盗みに入ったんだけどね――剣だけ奪ってさっさと逃げたのよ。まあ、変な女に邪魔されたりしたんだけどね」
     女、と聞いて巴景の勘が働いた。
    「その女……、猫獣人じゃなかった?」
    「え? ……そう言われれば、確かヒノカミ君はそんな風に言ってたわね。三毛耳の猫女だったって」
    「……晴奈……」
     巴景の中に、どす黒い感情が噴き出す。
    「……やっぱり魅力的ね、あなた。そうやって怒りに震える姿、素敵よ」
    「からかわないで」
     巴景はもう一度椅子に座り直し、己の数奇な運命を実感していた。
    (やはり、あの女と私とは、どこかでつながっている……。どこにいても――それこそ、こんな北の果てにいようとも――必ずあの女とのつながりが見えてくる。
     それなら、それでいい。いつか必ず、私と晴奈は再び相見えるでしょうね。必ずもう一度、戦うことになる。そう、必ず。必ず……)

     ドールの目には、巴景の姿が見えていた。
     その仮面の奥の本性――晴奈を倒すことだけを生きがいにする、修羅と化した「剣姫」の姿が。
    (ふふ……。ゾクゾクしてくるわ。いい表情をしているわね、トモエ。ヒノカミ君の猪突猛進さもすごく素敵だけど、その黒い感情に身を任せ、『化物』になろうとしているあなたも、本当に魅力的。
     見てみたいわね――あなたがセイナを倒し、その黒い思いを成就させた瞬間を)
     ドールはうっすらと笑みを浮かべ、巴景を眺めていた。

    蒼天剣・風師録 終

    蒼天剣・風師録 5

    2009.11.27.[Edit]
    晴奈の話、第433話。 作戦の顛末と黒い巴景。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. コンテナからさらわれた人間を解放し、海賊たちを縛り上げ、エルスたちは彼ら全員を船に乗せた。「それじゃこれから、グリーンプールに戻ります。気分の悪い方はいらっしゃいませんか?」 さらわれてきた者たちに、エルスは優しく声をかける。「い、いえ……」「大丈夫です……」 まだ事態の把握ができていないらしく、皆呆然とした顔をし...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第434話。
    眠るフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     氷海に入ってから5日が経ち、ようやく氷が薄くなってきた。
     軍艦は持てる砕氷設備のすべてをフル稼働させ、その海域からの脱出を試みていた。しかし自然の気紛れさには敵わず、ところどころで硬く、分厚い氷に行く手を阻まれていた。
    「急げ! もたもたしてるとまた動けなくなるぞ!」
    「了解! ……よし、割れた! 微速前進、用意!」
    「了解! 微速前進!」
     氷を割った兵士が船に乗っている者たちに声をかけ、進めさせる。
    「……ダメだ! 止まれ、止まれ!」
    「りょ、了解! 停止!」
     だが、300メートルも進まないうちにまた、分厚い氷が迫ってくる。兵士たちは落胆した表情を浮かべながら、ハンマーを手にその氷へと向かった。

    「うぇー……、気持ち悪い」
     進んでは停まり、停まっては進むと言う不安定な動きのせいで、ドールはひどい船酔いに陥り、船室でぐったりしていた。
     いつものように、横には巴景がいる。
    「大丈夫?」
    「だ、い、じょ……、ぶじゃない」
    「はい、バケツ」
     巴景が差し出したバケツを抱え込み、ドールは切なげな声を出す。
    「うぇ、ええ……」
    「水、持ってきた方がいいかしら?」
    「うん……」
     普段の妖艶な姿は、見る影も無い。しかしなぜか、巴景はそんなドールを可愛らしく思った。
    (何か、安心したわ。やっぱり人間なのね、ドールも)
     巴景はクスッと小さく笑い、水を取りに部屋を出た。
     と、部屋から出たところであの「嫌われ者」と鉢合わせする。
    「あ……」
    「……」
     アランの方も巴景に気が付くが、何も言わずに通り過ぎる。
    「忙しいのね、参謀さん」
    「……」
     巴景はこの艦内で、フーとアランが諍いを起こしていることを知っている。そして、そのためにフーから距離を置かれ、現在何の指示も与えられていないことも十分承知である。
     その上で、そう声をかけている。アランはもう一度巴景の方を振り返ったが、やはり何も言わない。しかし、非常に不機嫌そうなのは伝わってきた。
    「何かお手伝いでも?」
    「……不要だ」
    「あら、そう」
    「……」
     アランは三度、巴景に振り返る。だがやはり何も言わず、そのまま去っていった。
    「……ふふ」

     アランはフーのいる船室の前に立ち、声をかける。
    「フー。入るぞ」
    「……」
     中からは何の返事も無い。
    「フー?」
     もう一度声をかけるが、やはり反応は無い。アランはフード越しに、ドアに頭を当てた。
    「……呼吸音は聞こえている。規則的だ。……ベッドのスプリングが軋む音がする。布ずれの音も――眠っている、か」
     アランは頭を離し、そのまま歩き去った。
    「……すー……すー……」
     アランの予想通り、フーは昏々と眠っていた。船がようやく動き出してからずっと、彼はベッドの上で眠りに就いていた。その間、彼は夢を見ていた。
     かつて、「黒い悪魔」克大火と戦った時のことを。



     その頃、フーの地位は既に少佐になっていた。
     アランの指示により央中クラフトランドに潜入し、ランニャ卿から鎧と篭手、兜――通称「ガーディアン」と呼ばれる武具を譲り受けたばかりであり、「これでカツミと互角に勝負ができる」と意気込んでいた頃だった。
     そんな時に、ちょうどトマスからの声がかかった。
    「大変だよ、フー!」
    「どうしたんっスか?」
    「カツミがいよいよ、北海に乗り込んできたそうだ。現在は北海諸島の第1島にいるらしい」
     第1島と聞き、フーは指折り数える。
    「って言うと、セレスタ島っスか」
    「そうだ。まもなくホープ島を経由し、現在戦闘が激化しているブルー島に侵入してくるだろう。……しかもなぜか、軍を率いているとか」
    「マジすか……? あのカツミが軍隊を、ねぇ」
     フーはいぶかしげに腕を組んでうなる。
     大火は自分の利益や興味に関わること以外は、滅多に積極的な行動に出ようとしない人物である。それに、基本的に個人主義であり、彼が軍隊を率いて戦うことなど――。
    「まず、ありえないことだよ。軍も僕も、この珍事に驚いているんだ」
     トマスはしきりに眼鏡を直している。よほど緊張しているらしい。
    「そうっスか……、カツミが、ねぇ」
     だが、逆にフーは冷静に状況を飲み込んでいる。フーは傍らにいたアランに、小声で尋ねてみた。
    「アラン、防具は手に入ったんだ。やってもいいか?」

    蒼天剣・風夢録 1

    2009.11.29.[Edit]
    晴奈の話、第434話。 眠るフー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 氷海に入ってから5日が経ち、ようやく氷が薄くなってきた。 軍艦は持てる砕氷設備のすべてをフル稼働させ、その海域からの脱出を試みていた。しかし自然の気紛れさには敵わず、ところどころで硬く、分厚い氷に行く手を阻まれていた。「急げ! もたもたしてるとまた動けなくなるぞ!」「了解! ……よし、割れた! 微速前進、用意!」「了解! 微...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第435話。
    最初の対峙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フーの自信たっぷりな言葉に、アランはピク、と動く。一瞬反対しようと考えたのだろう。
     だがそのまま静止し、間を置いて答えた。
    「……いいだろう。一度、相手との力量差を測っておかねばならんと考えていた。防具もあることであるし、安全に測れるだろう」
    「よし」
     ふたたび、トマスに向き直る。
    「トマスさん、こっちも応戦しましょうよ。俺がカツミを止めます」
    「……え? 君、が?」
     トマスは目を丸くして、聞き返してきた。
    「ええ、俺が。任せてください、何なら打ち破って見せますよ」
    「残念だけどちょっと笑えないな、そのジョークは」
     トマスは眼鏡をまた直し、顔を引きつらせる。
    「カツミの力量がどれほどのものか、君はまったく分かってない。
     いいかい、彼の強さはすでに伝説、神話の域に達しているんだ。中世央北地域で初めてその姿が確認された時、彼は投獄されていたファスタ卿を脱獄させるために、20人近い兵士を一瞬で惨殺した。
     それから、ファスタ卿を旧中央政府に対する反乱軍のリーダーに仕立て上げるために、ジーン王朝以前の、北方の軍閥を一つ丸ごと壊滅させてその力を誇示し、続いて央南東部で軍港を占拠、西方の軍事工場を爆破、さらには天帝廟の占拠、旧中央政府の本拠地だった宮殿の破壊と、その力量と凶行は留まるところを知らない。
     おまけに、反乱が成功した直後にリーダーだったファスタ卿を暗殺してその座を奪うと言った残虐さも持ち合わせている。しかも――当時の反乱軍の助けを借りたとは言え――これほどの悪事を、ほぼ彼が一人でやっているんだよ?」
    「はは……、歴史のお勉強っスか?」
     トマスの意見を笑い飛ばし、フーは不敵な態度を見せた。
    「そんな神話は俺が終わらせてやりますよ。現代に神や悪魔なんか、いりません」

     反対するトマスをねじ伏せ、フーは対大火の部隊を結成した。程なく大火の率いた中央軍が北海諸島を北上し、フーの部隊も同地域を南下。
     フーと大火は北海諸島第3島、ブルー島の沖合で、直接対決することとなった。



    「日上風と言うのは、お前か?」
     砲撃の白煙が包み込む洋上、王国軍の軍艦・甲板に、黒い影が降り立った。目の前に現れた男を、フーはギロリとにらみつける。
    「そうだ。お前が、タイカ・カツミか?」
    「いかにも。……なるほど、それっぽい顔だな」
     大火はフーの顔を見て、クク、とあの鳥のような笑いを漏らす。
    「あぁん?」
    「いかにも後先を考えない、突っ走ることしか知らぬ顔だ」
    「ヘッ」
     フーは唾を吐き、大火に挑発し返す。
    「お前こそ、聞いた通りの風体だな。真っ黒で煤みたいな、薄汚い面してやがる」
     だがこの挑発に、大火は乗ってこない。
    「安い切り返しだな。なかなかの手練と聞いて、わざわざ軍を連れてやって来たものの……」
     パシュ、と何かが飛んでくる音がする。次の瞬間、フーは後方に2メートルほど弾き飛ばされた。大火の剣術、「一閃」である。
    「……!? っぐ、くそッ!」
     空中で姿勢を変え、何とか海に落ちずに済んだ。
    「……? ふむ」
     いつの間にか刀を抜いていた大火は、けげんな顔をして刀を納める。
    「なるほど。頭は悪そうだが、多少は楽しめるか」
     フーはそっと自分の体の無事を確かめる。左胸から右脇腹にかけて、鈍い痛みがある。しかし、気力はまったく萎えてはいない。
    「……お前の遊び道具になるために、ここに来たんじゃない」
     体勢を立て直し、フーは素早く立ち上がった。
    「お前を倒すためだ、カツミ!」
     先ほどの挑発には大して反応しなかった大火だが、この言葉にはピクリと眉を動かした。
    「……身の程を知らん餓鬼め。この俺を、倒すだと?」
     もう一度、大火は刀に手をかけた。
    「俺が誰だか知らぬわけでもあるまい。俺に敵うと思うのか?」
    「お前の素性なんか知ったこっちゃねえよ。一々お前を調べておくほど、俺は暇じゃない」
     大火の細い目が、より細くなる。額には青筋も浮かんでいる。
    「愚かにも程があるな。もういい」
     大火は刀を抜いた。
    「お前と話す意義など欠片も無かった。さっさと消えろ」

    蒼天剣・風夢録 2

    2009.11.30.[Edit]
    晴奈の話、第435話。 最初の対峙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. フーの自信たっぷりな言葉に、アランはピク、と動く。一瞬反対しようと考えたのだろう。 だがそのまま静止し、間を置いて答えた。「……いいだろう。一度、相手との力量差を測っておかねばならんと考えていた。防具もあることであるし、安全に測れるだろう」「よし」 ふたたび、トマスに向き直る。「トマスさん、こっちも応戦しましょうよ。俺がカ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第436話。
    量産神器と真の神器のぶつかり合い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「神器」とは何か。

     以前にも、晴奈が使っていた「大蛇」や、巴景が奪った「ファイナル・ビュート」をそう称したが、世に出回る神器のほとんどは次の定義を完全には満たしておらず、「まがい物」に近い。

    「本物」と称されるものの定義は、大きく分けて3つある。それについて、大火の持つ「妖艶刀 雪月花」を用いて説明しよう。
     一つ目、優れた性能を持っていること。「雪月花」は非常に希少な金属、ミスリル化鋼――ミスリル化銀、ミスリル化銅など、蓄魔力性の高いミスリル系化合は柔らかい金属との化合物として良く見られるが、鋼鉄などの硬い金属と化合した例は、現代までにおいて、これ以外には無い――を使っており、その切れ味はあらゆるものを切り裂く。
     二つ目、何らかの伝説や歴史を持っていること。「雪月花」は央中ネール公国の祖、ネール大公と大火が共に創り上げ、以来200年もの間ずっと、大火の愛刀として使われている。言い換えれば、それだけの実績がある逸品と言うことでもある。
     単純に高性能なだけでは、神器とは呼べないのだ。

     そして三つ目――これが何よりも、重要なことである――何者にも、破壊できないこと。



     また、パシュと言う音が飛んだ。
    (やっぱり刀か! 掟破りな攻撃だな、刀で飛び道具並みの攻撃ってか……!)
     先程の先制攻撃とは違い、今度のフーには剣を抜いて防ごうか、それとも避けようかと考える余裕があった。
    (でも、多分剣で受けたら折れるな、こりゃ)
     とっさに身をよじり、「一閃」を避ける。が、次の瞬間ミシっと音を立てて肋骨が軋む。
    「甘いぜ、虎小僧」
     一太刀目の剣閃が飛んだ直後に、大火はもう一太刀放っていた。二太刀目をまともに受けたフーは、またも弾き飛ばされる。
    「……が、防具は一流か。俺の一撃を受けきるとはな」
     大火は刀を構え直し、フーを凝視している。フーは立ち上がり、自分の体が切れていないことを確認し、ため息をついた。
    「お前、なめてんのか」
    「うん?」
     剣を抜きながら尋ねてきたフーに、大火は短く聞き返す。
    「何で俺が起き上がるまで、じーっと見てやがる」
    「俺にとってこれは、単なる観察に過ぎんから、な」
    「なめてんだな。見せてやるぜ、俺の実力。……りゃあああッ!」
     フーは雄たけびを上げ、大火のすぐ側まで踏み込んだ。
    「ふむ」
     大火はすっと右腕一本で刀を上げ、フーの剣を止める。
    「……!?」
     フーは己の両腕と、大火の刀を交互に見て戦慄した。
    (何だと……!? 『虎』の、超人の、俺の渾身の一撃が……、こんな、簡単に、しかも片手で、止められただと……!?)
    「なめているのはお前の方だ。この体たらくでまだ、俺に敵うと思っているのか?」
     大火の言葉にフーの心はぐら、と揺れた。
     が、それでもフーは無理矢理に己を奮い立たせる。
    (アランが、やってもいいと許可してくれたんだ。……こんなところで心を折られてちゃ、意味ねえんだよ!)
     フーは一歩後ろに飛び、剣を構え直す。大火も刀を構え直し、また振り下ろす。
    (三度も同じ攻撃喰らってりゃ、見切れるっつーの!)
     飛んできた剣閃を避け、二太刀目を喰らわないよう周り込み、大火の胸を狙って剣を突き入れる。
    「む……」
     全速力での攻撃に、流石の大火も避けきれなかった。
    「……クク」
     だが、剣が大火のコートの表面で止まり、大火の体内には1ミリも入っていかない。
    「くそ、刀だけじゃなくコートまで神器かよ」
    「何を今さら嘆いている? もしも俺のことを少しばかりでも知っていたならば、こうなることくらい予想できただろうに」
     至近距離で、二人は短く会話する。涼しげな顔の大火とは逆に、フーの心中は激しく動揺している。
    「う……るせえ、知るか、お前のことなんかッ!」
     もう一度離れ、すぐに斬り込む。大火もこの辺りから、本格的に攻撃を仕掛け始めた。
    「ぉおおおおッ!」「りゃああァッ!」
     そのまま何十合と打ち合い、二人は軍艦の上を飛び回る。
    「はあッ!」
     大火の放った一撃が、甲板に大きな溝を作る。紙一重で避けたフーは、甲板を激しく蹴って飛び上がり、剣を振りかぶる。
    「こ、のおおおおッ!」
     飛び込んできたフーの攻撃を、大火も紙一重でかわす。
    「……いいかげんに」
     大火は刀から左手を離し、フーの頭をつかんで空高く飛び上がる。
    「が、あ、ああ……っ」
     大火は空中でフーから手を離し、刀を振りかぶる。
    「沈め……ッ!」
     零距離で「一閃」を叩きつけられたフーは、そのまま甲板に、飛び上がった時以上の速度で落ちていった。

    蒼天剣・風夢録 3

    2009.12.01.[Edit]
    晴奈の話、第436話。 量産神器と真の神器のぶつかり合い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「神器」とは何か。 以前にも、晴奈が使っていた「大蛇」や、巴景が奪った「ファイナル・ビュート」をそう称したが、世に出回る神器のほとんどは次の定義を完全には満たしておらず、「まがい物」に近い。「本物」と称されるものの定義は、大きく分けて3つある。それについて、大火の持つ「妖艶刀 雪月花」を用いて説明しよ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第437話。
    敗勢必至。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「わあっ!?」
    「ふ、船が割れた!?」
     フーが叩きつけられたことによって甲板が割れ、そこにいた兵士たちが下に落ちる。
    「いてて……、大丈夫か、お前ら?」
    「あ、ああ。……しかし無茶苦茶だな、少佐もカツミも」
    「少佐のジャンプも強烈だったが……。一体何だったんだ、カツミのあの技は?」
    「聞いたことがある。剣閃が『飛ぶ』と言う、カツミ特有の剣技があると。カツミ自身はそれを、『一閃』と呼んでいるらしい」
    「効果はこの通り、ってわけか」
    「ああ。しかももっと、すごい剣技があるとか……」
    「恐ろしい話だな、そりゃ」
     下に落ち、戦線離脱状態になったことで半ば安堵しつつ話していた兵士たちのすぐ横に、また甲板が落ちてきた。

    「ふむ」
     戦いが始まってから、1時間が経過していた。大火は腑に落ちないような顔で、フーの鎧を見つめている。
    「何故だろうな……?」
    「あ?」
     突然、大火が問いかけてくる。
    「既に何度か、致命傷を与えているはずだ。そもそも一太刀目から、殺すつもりで斬りつけていた。だが一向に鎧も、兜も割れる気配が無い」
    「それは、……お前の剣技が」「未熟とでも? 何を馬鹿な。……む?」
     大火が何かに気付き、目を若干見開く。
    「良く見れば、それはネール公家の紋章か。世界に唯一、俺の『神器造り』を伝えた国の武具ならば、刀も通らんわけだ。
     ……なるほど。少し前公国に押し入り、神器を奪った賊と言うのは、お前のことだったのか」
    「……!」
     フーは慌てて半身を引き、その紋章を隠す。
    「それとも大公合意の上で手に入れたのか、その反応からすると?
     ……まあいい。そのことは放っておくとしよう。わざわざ大公に詰問するのも面倒だからな。それに……」
     フーは大火の周りに、黒い煤のようなものが沸きあがるのを見た。
    (煤のような、……何だ? これは……、オーラとでも言うのか?)
     煤はどんどん色濃くなり、そして放射状に弾ける。次の瞬間大火は刀を納め、すぐに抜き払った。
    「俺が少し本気を出せば、そんなものは何の障害でも無い」
    「一閃」を放った時に聞いたパシュと言う風切り音が、何十にも連なって聞こえてきた。
    「……!」
     これまでとは比較にならない殺気を感じ、フーは反射的に剣を構える。すぐに、普通ではありえない量の斬撃が、彼の体全体にぶつかってきた。

     幾重にも連なる剣閃を喰らった瞬間、フーの時間感覚は非常にゆっくりと流れ始めた。
    (い、……痛い? 痛さが、鈍いけど、……パチパチ弾けるように、来るッ)
     鎧がギシギシと音を上げている。兜からもビシビシと、何か鋭いものが当たる音が響いてくる。剣は一瞬で粉々になり、振動だけが篭手を通して伝わってきた。
    (剣が……、やばい、まだ攻撃は、来てる……! 避けなきゃ、いや……)
     頬に一発、攻撃が当たる。目の前を血のしずくが二、三滴飛んで行く。そしてそのしずくも、それぞれ二つに切り裂かれてフーへと戻っていく。
    (避けられない……ッ! だ、ダメだ、これは……)
     左目の視界が一瞬、真っ赤に染まって光る。飛び散った血が目に入ったのかと思ったが、次の瞬間真っ暗になり、目を一杯に見開いても、何も見えなくなった。その代わり、ボタボタと血が流れる感覚がほほから首、鎧の中へと滑り込んでいく。
    「……! うぐ、あああぁッ!」
     そこでフーの感覚が、いつも通りに流れ出す。倒れ込むと同時に、兜が真っ二つに割れてどこかへ転がっていく。鎧と篭手は無事なようだが、しびれるような痛みが広がってくる。
    「剣と片目を失っては戦えまい、虎小僧」
    「一閃」の連撃――「五月雨」を放った大火は、ニヤリと笑って刀を振り上げた。
    (やべぇ……!)
     フーの心臓が死を覚悟しドクン、と縮んだ。

     フーの頭の中を、思い出が駆け巡る。
    (やべぇな、本当に走馬灯ってあるんだな……)
     荒んだ少年時代、初めてエルスと組んだ時のこと、アランとの出会い――様々な思い出が、彼の脳内をかけめぐる。
    (本当に、ヤツは悪魔だった……。くそ、馬鹿すぎたぜ、俺は……。何が『神話なんか終わらせてみせる』だよ、アホタレ)
     1秒も無い、ごく短い間に、フーの記憶は何年も巻き戻されていく。
    (もう無理だ……! 剣も折れちまったし、エルスさんみたく素手で戦うなんて、俺には無理だ、し、……!)
     巻き戻されていく記憶の中で、フーはエルスから教わったことを思い出した。

    蒼天剣・風夢録 4

    2009.12.02.[Edit]
    晴奈の話、第437話。 敗勢必至。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「わあっ!?」「ふ、船が割れた!?」 フーが叩きつけられたことによって甲板が割れ、そこにいた兵士たちが下に落ちる。「いてて……、大丈夫か、お前ら?」「あ、ああ。……しかし無茶苦茶だな、少佐もカツミも」「少佐のジャンプも強烈だったが……。一体何だったんだ、カツミのあの技は?」「聞いたことがある。剣閃が『飛ぶ』と言う、カツミ特有の剣技...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第438話。
    そして二度目の対決へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     フーの脳内で駆け巡る走馬灯が、一つの記憶を映し出す。

    「だからさ、できないよりできた方がいいんだよねー」
    「そりゃ、理屈はそうっすけど……。俺、剣士っすから格闘とか、ちょっと」
     フーは口をとがらせて反発するが、エルスは気にとめる様子もなく、話を続ける。
    「ま、いいからいいから。それでね、格闘術の中には敵の防御を『打ち抜く』技があるんだ」
     エルスは右腕を振り、殴る仕草を見せる。
    「打ち抜くって、鎧とかをぶち破るんすか?」
     半信半疑のフーに、エルスは握りしめていた手を開いてパタパタと振る。
    「んー、ちょっと違う。そんなの普通、無理だって。
    『打ち抜く』って言うのは、厳密に言うと『衝撃を鎧に伝わらせて、その内部に叩き込む』っていう感じかな」
    「それ、って……、どう言う?」
     うまく想像できず、きょとんとするフーに、エルスは苦笑いしながら噛み砕いて説明する。
    「ま、簡単に言うと。うまい具合に打撃を打ち込めば、鎧の上から心臓を――一瞬だけど――止めることができる。
     これは、生物にとっちゃ地獄の苦しみだよ」

     フーの意識が、現実へと戻ってくる。それと同時に、刀を振り上げた大火の胴が一瞬、がら空きになったのが確認できた。
     フーは目の痛みを懸命にこらえ、残った右目で辛うじてそれを確認する。
    (相手が相手だし、そもそもまともな生物かどーか分かんねーけど――エルスさん、あなたの話信じてみます!)
     大火が刀を振り下ろすその直前、フーはその懐に飛び込んだ。
    「だあああああッ!」
     フーの拳が大火のコートにめり込む。刃を防ぎ切ったコートも、衝撃を防ぐことはできなかったらしい。
     大火の肋骨が折れるパキ、と言う音を、フーは確かに聞いた。
    「く、っ……、通打、か」
     大火の顔が一瞬歪む。先程の、怒りのにじんだものとも違う、痛みをこらえる表情だ。
     フーは勝機を見出し、ほんの少し希望を持つ。
    「もう、一発……ッ!」
     すかさずもう一度攻撃しようと、フーは拳を振り上げる。
    「……小賢しい、ッ」
     だが大火は予想以上に早く立ち直り、蹴りを放ってきた。
    「ぐえ……ッ」
     喉笛を蹴り上げられ、フーの拳は大火に届くことなく宙を舞う。フー自身もぐるりとのけぞり、頭から甲板に突っ込んだ。
    「く、そぉ……」
     意識が飛ぶ直前、大火が何かをつぶやくのが聞こえたような気がした。
    「このまま殺すには惜しいな。様子見、としておくか」
     その言葉が何を意味するのか理解できないまま、フーは気を失った。



    「……また、あの夢か」
     長い夢から覚め、フーはむくりと起き上がった。
    「あー、体が痛ぇ」
     ずっと眠ったままだったので、少し動くと体がポキポキと鳴る。いつも通りに屈伸し、体を解し終え、船室から出る。
     と、青い顔をしたドールと、付き添っている巴景の姿を見つけ、声をかけた。
    「おう、お前ら。……ドール、なんか顔色悪いけど、大丈夫か?」
    「うん……」
     ドールは無表情でボソッとつぶやく。どうやら、うなずく気力も無いらしい。
    「船、今はどこら辺まで進んでるんだ?」
     ドールの代わりに、巴景が答える。
    「ついさっき氷海を抜けて、もうすぐ第4島、スタリー島に着くところよ。乗組員の話では、後2時間くらいだそうよ」
    「そっか。……降りたら2日くらい休もうぜ。
     敵にはもうブルー島を占拠されてるだろうけど、そんなフラフラの状態で慌てて行っても、戦力になりゃしねーからな。
     相手が待ち構えてるなら待ち構えてるで、こっちは逆にさ、余裕綽々に構えて行こうぜ」
    「ありがと……、ヒノカミ君……」
    「いいって、いいって」
     フーはにこやかに手を振り、甲板に向かった。

     寒気を抜けたせいか、空は鮮やかに晴れ渡っていた。
    「ふー……。暑いくらいだな」
     暦の上では5月の始めであり、中央大陸では既に春の半ばを向かえているところもある。南下しているため、気候も徐々に、央北の雰囲気を帯びてきている。
    (ま、なんとかなるさ)
     暖かい洋上に立っていると、気持ちも楽観的になってくる。
    (何だかんだ言って生きてるし、ランニャに頼んで『ガーディアン』も直してもらったしな。目はいっこ潰れたけど、ま……、大丈夫だよな。
     今度こそアイツを倒して、俺が世界最強――王になってやる)

     ドールを休ませた後、巴景も船の中をうろついていた。
     と、またもアランと鉢合わせする。フーに冷たくされ、兵士たちからも遠ざけられているせいか、ひどく不機嫌そうだ。
    「何だ?」
     何も言っていないのに、向こうから声をかけられる。
    「何が?」
    「……何でもない」
    「困っているなら、手を貸すけど?」
    「……お前に借りるようなものなど無い」
     にべも無いアランの言葉に、巴景はクスクスと笑う。
    「じゃ、何か手が?」
    「無論だ。結果として中佐の助けができれば、私はそれでいい」
    「ふーん」
     アランはそれだけ言って、そのまま去っていった。
    「……結果として、ね。何をする気かしら? ……ま、大体想像は付くけれど」



     大火とフーの、二度目の直接対決が――ひいては、世界の趨勢を決める戦いが、まもなく始まろうとしていた。

    蒼天剣・風夢録 終

    蒼天剣・風夢録 5

    2009.12.03.[Edit]
    晴奈の話、第438話。 そして二度目の対決へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. フーの脳内で駆け巡る走馬灯が、一つの記憶を映し出す。「だからさ、できないよりできた方がいいんだよねー」「そりゃ、理屈はそうっすけど……。俺、剣士っすから格闘とか、ちょっと」 フーは口をとがらせて反発するが、エルスは気にとめる様子もなく、話を続ける。「ま、いいからいいから。それでね、格闘術の中には敵の防御を『打ち抜...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第439話。
    巴景とあの人との邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年5月21日。
     その日、歴史が動いた。

     氷海に足を取られたために、ジーン王国軍は交戦地域である北海諸島第3島、ブルー島における主導権を失い、ブルー島沖合に到着した直後から苦戦を強いられていた。
     銃火器の性能と、それを使用した戦術に関しては王国軍に一日の長があったものの、入念に防衛線を張ることのできた中央軍を破ることができなかった。
     また、中央軍も本土の軍事物資不足から、王国軍を退けられるだけの火力を装備することができなかった。
     両者の状況が拮抗し、交戦開始から1週間が過ぎた現在においても、状況は一向に変化する様子がなかった。



    「くっそ、埒が明かねーなぁ」
     銃火器部隊の責任者であるルドルフが悪態をつきながら、全銃士に射撃を指示し続けている。海上が真っ白に染まるほどの硝煙が立ち込めているのだが、中央軍の防御は依然、破れない。
    「大尉殿、伍長ちゃん、どうにかできない?」
    「うーん、どうにかしたいんだけどね」
    「……」
     横にいたドールが肩をすくめ、ノーラも無言で首を振る。
     彼女の率いる部隊も魔術で支援しているのだが、効果は一向に表れてこない。どうやらこちらも、拮抗しあっているらしい。
    「こんなんじゃ、接近もできやしねー」
    「ウチは白兵戦に持ち込めれば、相当なんだけどねぇ」
    「敵さんもそれを分かってんでしょーねぇ。『何としてでも近づけさせねー』って雰囲気がプンプンしてきますぜ」
    「あの壁さえ崩せればねぇ」
    「ですねぇ」
     ドールたちはため息をつきつつ、白煙に染まる海と、その先にいる中央軍を眺めていた。

     一方、こちらは軍艦内の会議室。
    「戦闘開始から1週間、状況は膠着状態にある。そして敵にしてみれば、俺たちを待っていた数日分、余計に臨戦態勢を取らされていたはずだ。そろそろ相手は疲れて、緊張の糸が切れてくる頃だろう。
     そこで今夜、奇襲を仕掛ける。小舟で島に上陸し、側近を中心とした少数精鋭のチームで、敵を内部から切り崩す。そして機を伺って艦上からも援護射撃を行い、一気に敵を潰す」
    「了解です」
     フーの作戦を聞き、側近たちがうなずく。
    「それじゃ、時間までゆっくり英気を養ってくれ。解散!」
     締めの言葉を受け、側近たちはゾロゾロと会議室を後にした。
     一人残ったフーは、扉に向かって声をかける。
    「アラン。いるんだろ?」
    「……ああ」
     扉を開け、アランが入ってきた。
    「いよいよ、なんだけどな」
    「ああ、聞いていた」
    「お前は来るか? それとも……」
     フーはそこで言葉を切り、アランをじっと見つめる。
    「……」
    「……まあ、任せるわ」
     フーはアランから視線を外し、そのまま会議室から離れた。



     そして半日後、日付が変わった頃。
     ブルー島の一角で、火の手が上がった。
    「敵襲! 敵襲!」
    「防衛線が破られた!」
     半分寝静まっていた島が、にわかに騒がしくなる。あちこちで刃の交わる音と銃声が響き始め、中央軍は大急ぎで灯りを増やし、迎撃準備を進めていた。
     しかし王国軍の勢いはすさまじく、準備が間に合わない。おまけに沖合からの援護射撃が始まり、中央軍は中と外、両方からの攻撃に潰され始めた。
    「だ、ダメだ! 抑え切れない!」
     電撃的な攻勢に、中央軍は一気に駆逐されていく。敗北を悟った中央軍の兵士たちは、南に留めていた軍艦に乗り込み始めた。

     この電撃作戦に、巴景も勿論参加していた。島の南方に広がる林の中を回りながら敵の姿を探すが、粗方片付けたらしく、周りに人影は無い。
    「もうこの辺りに、敵はいなさそうね」
     耳を澄ましてみても、争う音はほとんど聞こえてこない。どうやら戦いは終結しつつあるようだった。
    「作戦成功ね。それじゃ、戻ると……」
     巴景が踵を返しかけた、その時だった。
    「……!」
     林の作る闇の中に、誰かが立っている。
    「……」
     真夜中のため正確な格好は分からないが、どうやら真っ黒なコートを着ているようだった。そして、腰の辺りには刀剣のようなものを佩いているのが見える。
     巴景は直感で、彼が誰なのか理解した。
    (克大火……!)

    蒼天剣・火風録 1

    2009.12.04.[Edit]
    晴奈の話、第439話。 巴景とあの人との邂逅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年5月21日。 その日、歴史が動いた。 氷海に足を取られたために、ジーン王国軍は交戦地域である北海諸島第3島、ブルー島における主導権を失い、ブルー島沖合に到着した直後から苦戦を強いられていた。 銃火器の性能と、それを使用した戦術に関しては王国軍に一日の長があったものの、入念に防衛線を張ることのできた...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第440話。
    日上V.S.大火、最終決戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     巴景は非常に驚いてはいたが、それでも戦慄したり、蛮勇を奮って斬りかかったりはしなかった。
     彼は自分に対して、いや、「襲ってこない者」に対して敵意を持たないことを、知識・情報として分かっていたからだ。
    (フローラがいつか言ってたわね……。
     克は『影』のような存在。こちらの動きに合わせて、その形を変える。剣を振り上げれば、克も刀を抜く。魔術を唱えれば、克も唱える。
     ……何もしなければ、何もしてこない)
     巴景の本能と感情は懸命に危険信号を発し、攻撃するように叫んでいたが、理性と知性でそれを押し留める。じっと大火の顔を見つめ、相手の出方をうかがっていた。
    「……ふむ」
     大火が声を発した。
    「面白いオーラを発しているな、お前」
    「……」
     大火の言葉に、巴景は動じない。
    「混乱し、今にも爆発しかけているが、その実、非常に高度な理性でそれを覆い、平静に振舞っている。恐らく普段から、そんな態度なのだろうな。
     非常に珍しい――修羅に呑まれることもなく、修羅を殺すことも無く。修羅を飼い慣らし、必要に応じて解放・発揮できる人間と言うのは、なかなか見る機会が無い」
    「……そう」
     ようやくそれだけ言うことができた。
    「非常に興味深い。……今は残念ながら暇が無いが、また改めて話をしてみたいものだ」
     そう言って大火は闇の中からすっと抜け出し、巴景の側をすり抜け、音も無く歩き去っていった。



     電撃作戦の成功を確信し、フーは高揚していた。
    「よっしゃーっ! ブルー島奪取成功だーッ!」
     フーの意気揚々とした叫びに、周りの側近たちや兵士も応じて叫ぶ。
    「やったーッ!」
    「勝ったぞーッ!」
    「やりましたね、中佐!」
     兵士たちは手を取り合い、抱き合って勝利を喜んでいた。
    「やったわね、ヒノカミ君!」
     ドールもいつの間にかフーの側に寄り、腕に抱きついてきた。
    「おう。……お疲れさん、ドール」
    「ありがと」
    「それからみんなも……」
     フーが兵士全員を労おうと声を張り上げかけた、その瞬間。
    「……ッ!?」
     フーは自分に向けられた、鋭く、重い、そして幾十もの腕に体中をガシガシとつかまれたような、強烈な殺気を感じ取った。
     フーはドールを突き飛ばし、同時にあらん限りの大声で叫んだ。
    「……やばい、全員離れろーッ!」
    「!?」
     突き飛ばされたドールは何が起こったのかよく分からないまま、ころころんと2回転ほど転がされた。
    「な、なに、何なの!?」
    「分かりません、突然……」
     ドールを抱き起こしたノーラも、慌てた様子で答える。
     そこにいたはずのフーの姿が消え、そして地面からは強烈な摩擦で焦げる臭いが立ち上っている。
     そこにいた全員が、今の一瞬で何が起きたのか、何が起きているのかを瞬時に理解し、一様に戦慄した。
    「……か、かつっ、カツミが……ッ!?」

     ドールを突き飛ばすのと同時に、フーも吹き飛ばされていた。
     身にまとっていた神器「ガーディアン」がギシギシと軋みながらも、フーにぶつけられた膨大な衝撃のエネルギーを吸収してくれたおかげで、フーは何とか体勢を立て直して着地することができた。
    「き、や、がった、か……ッ!」
     衝撃を受けた方角に向き直り、走り出す。
    「今度こそ、ブッ倒してやる!」
     走っていくうちに、地面の焦げる臭いが濃くなっていく。10数メートルは引かれたと思われるその焦げ跡の先に、真っ黒な男が刀を抜いて立っていた。
    「勝負だ、タイカ・カツミいいいぃーッ!」
     フーは魔剣「バニッシャー」を抜き払い、大火に斬りかかった。



     大火がそこにいた理由は、いくらでも考えられる。中央政府からの要請、己に楯突く者の排除、それとも単に暇つぶし――そこにいる理由は、いくらでも付けられた。
     だが、フーたちも、中央軍の兵士たちも、大火が本当に来るとは思っていなかった。可能性としての想定はできたが、実際に、この島に乗り込んでくるとは、誰もが心のどこかで「あり得ない」と考えていた。
     だから、彼の姿を見た者は一様に恐怖した。王国軍も、味方であるはずの中央軍さえも。
    「ひっ……」
    「で、出たっ!」
    「あわわ……」
    「た、助けて……!」
     周りの慌てふためく様子を、大火はクク、と鳥のような笑い方を立てながら面白がっていた。
    「子供が魑魅魍魎に遭ったような怯え方をして、その体たらくでどう戦っていたのやら。死ぬ可能性の少なくない、この剣林弾雨の戦場で。……ククク」
     そうつぶやいてまた、大火はニヤリと笑う。それだけで兵士たちの戦意はあっと言う間に喪失され、ついさっきまで戦勝ムードに包まれていた彼らは、バタバタと逃げ始めた。
     と、一人だけ大声を上げて飛び掛ってくる者がいる。先程弾き飛ばした敵将――フーだ。
    「お前か……。さて、今度こそまともに張り合える器になったか」
     剣を振り上げて飛び込んできたフーを軽くいなし、ぼそっとつぶやいた。
    「……それともまるで成長せず、か?」
    「見せてやるよ、カツミ……!」
     初太刀を弾かれてすぐ、フーは体勢を変えて再び斬り込む。
    「俺の力をなッ!」

    蒼天剣・火風録 2

    2009.12.05.[Edit]
    晴奈の話、第440話。 日上V.S.大火、最終決戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 巴景は非常に驚いてはいたが、それでも戦慄したり、蛮勇を奮って斬りかかったりはしなかった。 彼は自分に対して、いや、「襲ってこない者」に対して敵意を持たないことを、知識・情報として分かっていたからだ。(フローラがいつか言ってたわね……。 克は『影』のような存在。こちらの動きに合わせて、その形を変える。剣を振り上げ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第441話。
    悪魔と英雄。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     島に上陸していた王国軍のほとんどは、上陸地点のすぐ側まで退却してしまっていた。
     ところが、ドールとノーラ、そして巴景の姿はそこには無かった。

    「あら? アナタ……」
    「……」
     隠れてフーと大火の戦いを見ていたドールとノーラが、すぐ後ろまで歩いてきていた巴景に気付く。
    「……見ての通りよ。今、戦っているわ」
    「そう」
    「……驚かないん、ですか?」
     青い顔をして尋ねるノーラに、巴景は一瞬言いよどむ。
    「え? ……いいえ、……ううん、驚いて、ないわね」
    「世界中の人間が恐れおののく悪魔が、目の前にいるのに? それでも冷静で、いられるなんて。……思っていたより、すごい人なんですね、トモエさんって」
    「……」
     巴景はノーラの方を見ようとせず、じっと戦いを眺めていた。

     フーは滅多やたらに剣を振り回し、大火へと斬り込んでいく。
    「りゃああーッ!」
     流石に一太刀、一太刀が重たいため、大火も受けることはせず、わずかに身をひねってかわしている。
    「ふむ……」
     が、その顔には特に辛そうとも、苦しんでいるとも取れない。極めて、けだるそうな目つきをしている。
    「腕は上がっている。その防具も、以前より強度は増しているようだ」
     冷静に、淡々と、大火はフーを見定めている。
     その態度が、フーの闘志を倍化させた。
    (スカしてんじゃねえ……ッ! 何でもかんでも、お前の思い通りに事が運ぶと思うなよ!)
     フーは以前、大火に唯一ダメージらしいダメージを与えた「通打」――素手で相手の体の外側から、内臓に衝撃を与える武術――を試みる。
    「はッ!」
     剣でフェイントをかけ、大火がそれをかわした瞬間を狙って、ズンと地面を踏みつけ、勢いよく間合いを詰める。
    「……!」
     大火は、今度は刀で受けようとしたが、フーの拳が滑り込む方がわずかに早かった。ミシ、と大火の肋骨が軋む音がする。
    「またか……ッ」
     大火はわずかに目を細めたが、体勢を崩さない。どうやら折るまでには至らなかったらしい。
    「もう一丁!」
     フーは退かず、もう一度体術を仕掛ける。今度は大火の右腕を折るつもりで、手刀を下ろした。
    「そんな付け焼刃が……」
     だが、大火は避けない。刀を左手一本で持ち、自由になった右手でフーの手刀をつかんだ。
    「通用すると思うな、この虎小僧がッ!」
     大火はつかんだ手を思い切り振り上げ、同時に脚払いをかける。
    「……っ!」
     フーの体は浮き上がり、わずかに回転する。大火もぐるんと横に一回転し、フーのこめかみを狙って蹴りを放った。
    「が……ッ」
     蹴られた衝撃で、フーの体は縦に一回転する。だが――。
    「……?」
     蹴った脚を半ば上げたまま、大火は腑に落ちない、と言う顔をした。
     その間にフーは地面に手を付き、もう半回転回って着地する。そして間髪入れず、大火にもう一度、拳を叩き込む。
     今度は綺麗に、大火のあごに拳がめりこむ。大火の頭ががくんと揺さぶられ、大きくのけぞった。

     戦いを見守っていた巴景が「あら?」と声を上げた。
    「どしたの?」
    「閣下って、央南の武術も使えるの? 今の動きって……」
    「え? ああ、まあ。昔リロイに教わったらしい、ケド」
    「……」
     兄の名前を出され、ノーラは嫌そうに顔をしかめる。それを見て、ドールは言葉を継ぎ足す。
    「……あ、うん、そうそう。『バニッシャー』手に入れた直後から、急に勉強し直してたのよね、そう言えば。そこら辺から、上達したっぽいわね」
    「ふーん」
     巴景たちには知る由もないが、これは晴奈の影響である。
     晴奈が「バニッシャー」を奪い返そうとフーと戦った際に、晴奈はフーの攻撃を体術の要領で受け流したことがある。
     その時に受けたカルチャーショックがフーに武術を学ばせ、それがこの戦いで活かされているのだ。

    「……む、う」
     大火の方が一歩退く。フーの打撃で口の中を切ったらしく、その唇にはわずかに血がにじんでいる。
    「なるほど……。確かに腕を上げたようだ。この俺が――ほんのわずかではあるが――ダメージを負うとは」
     そう言うと大火はトン、と後ろに跳び、フーとの距離をさらに開ける。
    「では、これはどうだ? 前回お前を嬲った、剣閃の雨だ……!」
    「……!」
     大火から噴き上がる黒い煤のような気配を感じ、フーは剣を構えた。
    「行くぞ――『五月雨』!」

    蒼天剣・火風録 3

    2009.12.06.[Edit]
    晴奈の話、第441話。 悪魔と英雄。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 島に上陸していた王国軍のほとんどは、上陸地点のすぐ側まで退却してしまっていた。 ところが、ドールとノーラ、そして巴景の姿はそこには無かった。「あら? アナタ……」「……」 隠れてフーと大火の戦いを見ていたドールとノーラが、すぐ後ろまで歩いてきていた巴景に気付く。「……見ての通りよ。今、戦っているわ」「そう」「……驚かないん、です...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第442話。
    黒い悪魔が倒せない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     巴景は何が起こるか、以前に得た情報である程度理解していた。
    「ドール、ノーラ、逃げて!」
    「え? え?」
     巴景は叫びながら、二人の襟をつかんで走り出す。
    「うきゅっ、く、くる、しっ」
    「な、なにす、るん、ですかっ」
    「我慢して!」
     巴景たちがその場から走り去った直後、身を隠していた木々が細切れになった。

     フーも何が起きるか、経験で理解していた。
    「まずい……!」
     無数の飛ぶ剣閃が、フーに襲い掛かる。
    (『ガーディアン』、『バニッシャー』、頼む! 俺を守ってくれ!)
     フーは飛んでくる剣閃を「バニッシャー」で叩き落とす。弾き切れなかった剣閃は容赦なくフーにぶつかっていくが、「ガーディアン」は十二分にその性能を発揮し、フーの体を守ってくれた。
    「五月雨」の発射時間は5秒も無かったが、それでもフーの背後にあった林は、あっと言う間に丸坊主になってしまった。
    「……ふむ」
     剣閃の掃射を終えた大火が短くうなり、細い目をさらに細めた。
    「この程度では最早、効かんと言うわけか」
    「ハァ、ハァ……」
     凌ぎきったフーは剣を構え直し、大火に向き直る。
    「まだまだこれからだぜ、鴉野郎……!」
     フーは本物の虎のように吼え、大火に斬りかかった。
    「うおおおらあああああッ!」
    「……ッ!」
     その気迫に一瞬気取られ、大火の動作が遅れる。それこそがまさに、フーにとって千載一遇のチャンスだった。
    「死ねえええッ!」
     フーの「バニッシャー」は大火の持つもう一つの神器、「漆黒のコート」をやすやすと貫き、大火の右胸に突き刺さった。
    「が、はッ……!?」
     悪魔といえども、流石に効いたらしい――大火の口から、真っ赤な血が吐き出された。



    「ゼェ、ゼェ……」
    「ひゅー、ひゃー……」
    「けほ、げほっ……」
     波打ち際まで逃げた巴景たちは、肩で息をしている。
    「な、何だったのよ、今の……」
    「『五月雨』、よ……」
    「さみ、だれ?」
     巴景は呼吸を整えながら、かつて殺刹峰の残党、ミューズと大火が戦った時の話を伝えた。
    「どう言う理屈か良く分からないけど、克は剣閃を――私みたいに、火や風に変えることなく、まるで『剣の切れ味をそのままワープさせるように』――飛ばせるのよ。克自身はそれを『一閃』と呼んでいたわ。
     その『一閃』を連射したのよ。それがさっきの、『五月雨』」
    「なる、ほど……」
     ドールものどを押さえながら、呼吸を落ち着かせる。
    「……その言い方だとアナタ、カツミに以前、会ったコトがあるのね?」
    「ええ」
    「道理で、驚いてないワケね。……ヒノカミ君、無事かしら?」
     二人は走ってきた方向を振り返り、同時に首を横に振る。
    「……さあ、ね」
    「……」
     一方、ノーラは両腕で己を抱きしめ、ガタガタと震え出す。
    「怖い……! 怖い、怖い……! 何なのよ……!」
    「ちょ、ちょっと? ノーラちゃん?」
     ドールが肩を叩くが、ノーラは反応しない。
    「嫌、嫌っ……! あんなの、無理……!」
    「……完璧、参っちゃってるわね。しばらく動けそーにないわ、この様子じゃ」
    「……じゃあ二人とも、そこでじっとしていて」
     巴景は立ち上がり、深呼吸する。
    「……え? まさか」
    「もう一回、行ってくる。ここで休んでいて」
    「そんな、トモちゃん……!?」
     巴景は首をもう一度振り、ドールに優しく声をかけた。
    「大丈夫よ。絶対生きて戻ってくるわ」
    「トモちゃん……」
    「……じゃなきゃ意味が無いじゃない、私がここにいる意味が」
    「……?」
     この時、ドールも少なからず恐怖で混乱しており、その頭では、巴景のこの言葉が何を意味しているのか、さっぱり推測できなかった。



     胸と口から鮮血をダラダラと垂らし、大火は硬直していた。
    「どうだ、鴉め……!」
     フーは勝利を確信し、ニヤリと笑う。
    「……ク……ク……」
     だが、相手の口から漏れたのはさらなる血ではなく、平然とした言葉だった。
    「……クク……俺を……こんなもので……殺したつもりか……虎小僧……」
    「な……に?」
     大火が「バニッシャー」に手をかける。
    「ク……ゴホッ……ククク……」
    「な、何を」
    「心配するな……こいつも紛れも無い神器……この俺の力を以ってしても破壊できない……」
     大火は血を吐きながら、体をひねっている。だが、相手の常識を超えた行動に、フーはまったく反応できない。
    「……が……一本の棒として考えれば……ただ……抜け出せば……それでいい」
     大火が身をひねる度に、地面にボタボタと赤い水たまりが増えていく。
    「な……何で……、何で死なない!?」
    「お前は……何も分かっていない……何も知らぬ虎児だ……」
     ブシュ、と小さい血しぶきを立てて、大火は「バニッシャー」から体を引き抜いた。
    「ゲホ……。一つ聞こう。
     お前は何故、この世界に月が二つあるのか答えられるか?」
    「えっ?」
     きょとんとするフーを見て、大火は鳥のようにクク、と笑う。
    「続いて問う。何故、この世界に四季が訪れる?
     何故、海は青い?
     何故、空は蒼い?
     何故、時間は過ぎる?
     何故? 何故? 何故だ?
     一つでも答えられるのか、お前に?」
    「な、何を言って……?」
    「それと同じことなのだ」
     大火は刀を構え、フーを下目ににらみつける。
    「俺が死なぬのもそれと同じこと――俺を『殺す』など、冬に火を燃やし、夏にしようと試みるようなもの。雨天に槍を放ち、雲を晴らそうと試みるようなもの。
     この世を動かす理(ことわり)を何一つ知らぬお前が、俺を殺せると思うな……!」
     次の瞬間、フーはまた弾き飛ばされた。
     大火の言うことがまるで理解できず、放心状態にあったフーは、先程よりもさらに遠く、激しく飛んで行った。

    蒼天剣・火風録 4

    2009.12.07.[Edit]
    晴奈の話、第442話。 黒い悪魔が倒せない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 巴景は何が起こるか、以前に得た情報である程度理解していた。「ドール、ノーラ、逃げて!」「え? え?」 巴景は叫びながら、二人の襟をつかんで走り出す。「うきゅっ、く、くる、しっ」「な、なにす、るん、ですかっ」「我慢して!」 巴景たちがその場から走り去った直後、身を隠していた木々が細切れになった。 フーも何が起きるか...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第443話。
    千年級の会話;悪魔と悪魔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     まだ木々の残っていた林の中を突っ切り、フーは飛ばされていった。何本もの木にぶつけられ、その痛みでついに気絶してしまう。
    「う……ぐ……」
     その頭の中に残っていたのは、「大火が何故死なないのか」と言う疑問だけだった。



    「……とは言え」
     大火は刀を納め、胸元に手を置いた。
    「もう少しばかりダメージが深ければ、危うかったかも知れん、な」
     胸から離した手には、べっとりと血が付いていた。
    「のどの奥から、ゴロゴロと不快な音がする。肺に穴が開いているようだな。
     決着したことではあるし、さっさと帰るとするか」
     大火はのどに残った血を吐き捨て、呪文を唱えようと試みた。
     だが、途中で詠唱を止める。
    「……いい加減にしたらどうだ、アル」
     大火の背後から、アランが現れた。



     フーのところに戻ろうと林の中を進んでいた巴景は、すぐ横をバキバキと音を立てて何かが飛んでいくのを察知した。
    「何……?」
     口ではそう言いつつも、頭のどこかでは何が起こったか、何となく分かっていた。
     音のした方に向かってみると、傷だらけになったフーの姿がある。
    「……そう、負けたのね」
     巴景はため息をつき、フーに近付いた。
    (まあ、どちらにしても)
     フーの意識があるかどうか確認しつつ、巴景は頭の中で算段を巡らせる。
    (フーが勝っていれば、そのまま付いていって戦場を駆け巡っていれば英雄になれる。
     大火が勝っていたら――何だか気に入られたっぽいし――大火に付いて行けばいい。
     この戦い、どっちが勝っても私に損はないわ)
     声をかけてみたり、頬を叩いたり、腹を軽く蹴ってみたりしたが、フーの意識が戻る気配は無い。
     巴景はフーを見下ろし、鼻で笑った。
    「フン、無様ね」



    「何度も何度も、俺の前に現れては殺される。いい加減、己の存在を無様だとは思わないのか?」
    「思わない」
     アランは足音も立てず、静かに大火との距離を詰める。
    「10の失敗など、11度目に成功すれば帳消しになる。お前がいなくなりさえすれば、私の天下なのだ」
    「天下だと? 歴史からことごとくつまはじきにされ続けた哀れな鉄人形が、何を偉そうに」
     大火はクク、と笑い、アランを見下す。
    「そもそも1度目の挑戦の時、俺を相手にしていないと言うのに。お前は負け、歴史を奪取する最初の機会を失った。
     俺より格下の相手にまずやられ、それから格上の俺を相手に回し、そしてまた負けて。お前は負けるために生きているのか?」
    「違ウ!」
     アランは甲高い叫び声を上げ、大火に反論する。
    「私に言ワせれバ、お前がずっト邪魔をしていルのだ! 始めの失敗ハ単なる情報不足ニよるものでシかない! 総合力デは、私は勝ってイたのだ!
     データを集め、その失敗を克服でキたと思っタら、お前が延々ト邪魔をし始メたのだ! 何故だ!? 何故我々の、千年王国建立ノ邪魔をする!?」
    「前にも言っただろう、鉄クズ」
     大火は刀を抜き、「一閃」を放った。
    「お前が俺の邪魔をしているのだ。俺は気ままに生きようとしているだけなのに、な」
    「グゴッ!?」
     大火の攻撃をまともに食らい、アランは弾き飛ばされる。だがすぐに立ち上がり、大火に飛びついた。
    「嘘をつケ……、嘘ヲつけ……!」
    「嘘? 俺が?」
    「何が気まマに生キたい、ダ!
     それなラ私から逃ゲればイいだけノ話……! 己ガ最強だと言いフらさなケればいいダけの話……!
     隠棲しテ暮らせば、狙わレるこトもあるマい……!」
    「ふむ、確かに」
     大火はクク、と笑い、アランを引き剥がそうと力を入れる。
    「だがアル、俺はコソコソと生きるのは性に合わん。今生きているように、神出鬼没に世界を巡り回るのが、何より性に合っているのだ。
     ましてやお前如き三下から逃げるように隠れ住もうなどとは、到底思わん、な」
     不敵に笑いながら、左腕でアランの腕を剥がそうとする。だが――。
    「……? 何だ? 動かん……」
    「フ、フハハ……」
     アランの笑い声が響く。
    「腕関節を内部で溶かシ、固メた! これデもう、お前ヲ離さなイ……!」
    「何のつもりだ、アル?」
     アランの体から、ブスブスと黒い煙が立ち始めた。
    「……まさか?」
    「私ガ……オ前ヲ倒セズトモ……御子ガ……御子コソガ……オ前ヲ倒……ス……」
     次の瞬間、アランのフードの中から真っ赤な光が弾けた。

    蒼天剣・火風録 5

    2009.12.08.[Edit]
    晴奈の話、第443話。 千年級の会話;悪魔と悪魔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. まだ木々の残っていた林の中を突っ切り、フーは飛ばされていった。何本もの木にぶつけられ、その痛みでついに気絶してしまう。「う……ぐ……」 その頭の中に残っていたのは、「大火が何故死なないのか」と言う疑問だけだった。「……とは言え」 大火は刀を納め、胸元に手を置いた。「もう少しばかりダメージが深ければ、危うかったかも...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第444話。
    悪魔殺しの日上風。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     巴景が気絶したままのフーを置いて、大火のところに進もうとしたその時だった。
     ズドンと言う、島全体を揺るがす炸裂音が轟いた。
    「……アランね」
     巴景にはアランが何をするのか、ある程度の予想はできていた。
     フーを「御子」に仕立て上げようと、あらゆることをやってきたアランのことである。フーからの信用を失って進退窮まり、また、フーが敗れようとしているこの局面で、アランがやることはただ一つ――敵である大火を巻き添えにしての自爆である。
    (そして今、フーは後ろで倒れているし、この爆音。間違いなく爆死したわね、……少なくともアランは)
     巴景は仮面の下でニヤリと笑い、自分好みの展開になったことを喜んでいた。
    (うるさいアランが死に、フーも起きてこない。とどめを刺そうと思ったら、いつでも刺せる状態。
     考えてみると、ここで私が日上軍閥を乗っ取ることもできるのよね。それはそれで、私の立身出世につながるわ)
     そうして一人、ほくそ笑んでいると――。
    「……う、あ?」
     背後でフーが起き上がる物音がする。
    「……チッ」
    「あ、トモエ」
     フーはヨロヨロとした足取りで、巴景に近付く。
    「……お前今、舌打ちしなかったか?」
    「いいえ?」
     とぼける巴景に「そうか」と答えつつ、フーはきょろきょろと辺りを見回す。
    「……あ、あった」
     近くに落ちていた「バニッシャー」を回収し、フーは両手で頬をポンポンと叩いた。
    「こんなところでボーっとしちゃいられねー……! まだ勝負は付いてないぜ、カツミ!」
     フーは「バニッシャー」を片手に走り出す。巴景も仕方なく、フーの跡を付いて行った。



     二人はさっきの場所に戻り、様子を伺う。辺りの様子は先程フーが戦っていた時とは比べようが無いほど、荒れきっていた。
     大火の「五月雨」で丸坊主になった林は爆発によってさらにえぐられ、焦土と化している。辺りにはアランが装備していたと思われる鉄製品の欠片が転がっており、それが榴散弾のように飛び散ったために、この惨状を作り上げたようだ。

     そしてその中心にまだ、大火は立っていた。
    「……カツミ……!」
    「……ク……ク……。戻って……来たか……」
     神器であるはずのコートは無残に千切れてただのボロ切れと化し、その中身が露出している。さらにその中身の、中身も。
     左腕は肘から先が見当たらない。どうやらアランの爆発に巻き込まれ、消し飛んだようだ。
     左足も無数の鉄片が突き刺さり、逆にその異物を一欠片でも抜いてしまえば、そのまま崩れていきそうな様相を呈している。
     さらに顔の半分も皮膚が千切れ、真っ赤な血がとめどなく滴り続けている。
     普通の人間ならば、間違いなく死んでいる状態だった。
    「……アル……は……お前が……俺を倒す……と……言っていた……」
     しかし、大火は倒れない。倒れていない。
    「……クク……どこまでも御子を……己の人形を信じ続ける……哀れな人形め……」
     そしてまだ、戦う意思は失っていなかった。
    「来い……虎小僧……!」
     大火は口から大量の血ヘドを吐きつつも、刀を振り上げた。
    「勝てると、……思ってんのかよ」
     フーは目の前の、真っ赤に染まった「黒い悪魔」に尋ねながらも、剣を構えた。
    「さあ……な」
     大火は右手一本で刀を上段に構え、静止する。
    「だが……一つ……言っておこう……」
     大火は静かに、こう言い切った。
    「お前に俺は、殺せない」



     双月暦520年5月21日、午前4時。
     その時、歴史が動いた。

     日上風は22歳の若さにして、世界の頂点に立った。

    蒼天剣・火風録 6

    2009.12.09.[Edit]
    晴奈の話、第444話。 悪魔殺しの日上風。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 巴景が気絶したままのフーを置いて、大火のところに進もうとしたその時だった。 ズドンと言う、島全体を揺るがす炸裂音が轟いた。「……アランね」 巴景にはアランが何をするのか、ある程度の予想はできていた。 フーを「御子」に仕立て上げようと、あらゆることをやってきたアランのことである。フーからの信用を失って進退窮まり、また、...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第445話。
    フーと巴景の大出世。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     ブルー島から再び軍艦に戻ったフーは、そのままバタリと倒れこんだ。
    「中佐!」「ヒノカミ閣下!」
     フーは甲板に膝を着きながらも、張りのある声で周りに応える。
    「大丈夫だ。……ああ、俺は生きてる。生きてるんだ。
     悪魔は……、『黒い悪魔』タイカ・カツミは、俺が間違いなく、この手で、この剣で、倒したんだ。
     ……ああ、倒した。倒した! 倒したぞ……ッ!」
     フーはヨロヨロと立ち上がり、軍艦全体を揺らすかのような大声で叫んだ。
    「倒した! 俺は、悪魔を、倒したぞーッ!」



     まさかの事態に、ブルー島の沖合に逃れた中央軍は慌てふためいていた。そしてその様子は、フーたちの乗っているクラウス号からも確認できた。
    「蛇行してる……?」
    「混乱してるのが、丸分かりだな」
    「そうね。……ねえ、閣下。チャンスじゃない?」
    「あ……?」
     甲板に椅子を用意され、そこに伸びていたフーが巴景の声に顔を上げた。
    「あそこにいる中央軍はひどく混乱し、怯えているはずよ。今威圧すれば、こちらに下る可能性は高いわ。蛇行している今なら、接近して制圧することは十分に可能よ」
    「んなことして、何か意味あんのか?」
    「あるわ。少なくとも今逃げられたら、また増員して襲ってくるじゃない」
    「……そうだな。よし、お前ら! すぐにあの船を捕まえるぞ!」
    「イエッサー!」
     巴景の献策に従い、フーは中央軍の船を拿捕した。

     そして巴景の予想通り、彼らは全員フーの元に下った。
    「……で、どうする気なんだ、トモエ?」
    「決まってるじゃない。このまま中央政府を目指すのよ。彼らをカモフラージュに使ってね」
    「何だって……!?」
     巴景の策に、周囲がざわめいた。
    「ちょ、ちょっと待てよトモちゃん! 俺ら、もうヘットヘトだぜ!?」
    「本来はこのブルー島制圧までしか考えてないのよ? それを、央北本土まで……!?」
    「無茶だ! あまりに遠すぎる!」
     フーも巴景の策には否定的だった。
    「何考えてんだよ、トモエ……。いくら何でも、無謀すぎるだろ」
    「そうとも限らないわよ」
     巴景は甲板の縁に腰かけ、反論する。
    「ここで休息を取りながら、ウインドフォートに連絡して物資を送ってもらい、この島を備蓄基地、中継地点にすればいいのよ。
     中央政府は自分たちが送った軍と克がまさか負けているなんて、あまつさえ自軍が相手に吸収されたなんて、思いもしないわ。だから、何もしてこないはずよ。相手がボンヤリしている間に、私たちはここを拠点にして、ノースポートに攻撃を仕掛ける。味方が帰ってきたと思って油断した相手は成す術無く、港を奪われるわ。
     港を奪い、そこの兵士も接収してしまえば後は簡単。向こうは長い戦いで物資が少なくなり、現在央北中からかき集めてヴァーチャスボックス他、各地の備蓄基地に運んでいる最中。備蓄の少ない首都、クロスセントラルに直行して攻め込まれれば、応戦なんてできるはずもない。
     でも逆に今、この機を逃してしまえば。いつまで経っても戻ってこない軍を怪しんで、中央政府は人員を送り込んでくるわ。そうなれば相手も事態に気付き、慌ててノースポートの防御を固めるでしょうね。
     そうなったらおしまい――今年もまた、我々ジーン王国軍は攻め入る機会を失うでしょう」
    「おいおい、トモちゃん王国軍じゃ……」
     茶々を入れようとしたルドルフを片手でさえぎり、フーが口を開いた。
    「なるほどな。一理あると言えば、ある」
     フーは立ち上がり、決を採った。
    「トモエの意見に賛成し、このままブルー島に基地を建設するのに同意する奴は俺の左。
     反対だ、今すぐ帰りたいって奴は俺の右に並べ」
     兵士たちはざわついていたが、しばらくしてほぼ全員がフーの左に並んだ。

     フーはこの場で巴景を新たな参謀に格上げし、彼女の意見を積極的に取り入れることにした。
     そして巴景のにらんだ通り、中央政府は慢性的な物資不足のため積極的に動くことができず、ずるずると敗北を重ねていった。
     物資を運んできたハインツも加え、さらに行く先々で敗残兵たちを接収していった結果、日上軍閥はついに7月30日、大軍を率いて中央政府の首都、クロスセントラルを陥落させた。



     そして翌月、8月1日。
     中央政府は消滅し、フーを元首とする新しい国家、「第三中央政府」、通称「ヘブン(日上=太陽の上、つまり天国)」が誕生した。
     フーは名実共に、世界の王となった。

    蒼天剣・火風録 7

    2009.12.10.[Edit]
    晴奈の話、第445話。 フーと巴景の大出世。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. ブルー島から再び軍艦に戻ったフーは、そのままバタリと倒れこんだ。「中佐!」「ヒノカミ閣下!」 フーは甲板に膝を着きながらも、張りのある声で周りに応える。「大丈夫だ。……ああ、俺は生きてる。生きてるんだ。 悪魔は……、『黒い悪魔』タイカ・カツミは、俺が間違いなく、この手で、この剣で、倒したんだ。 ……ああ、倒した。倒した...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第446話。
    夢の始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「ねえ、陛下。ウインドフォートの件は……」「あぁ? ……任せる」
    「ヘブン」が誕生して1ヶ月が経ち、フーはだらけきっていた。かねてより「世界の王になったら娶る」と宣言した通り、央中ネール公国の主だったランニャ・ネール6世を迎え、フーは毎日甘く暮らしていた。
     政務に関しては半ば側近に任せ、フーは今日も玉座でランニャにべったりとしている。その甘ったるい空気に辟易しながら、巴景は書状を掲げた。
    「ジーン王国から抗議文、来てるわよ」
    「……んー。見せてみ」
     フーは巴景から受け取った書状を眺め、「……めんどくせえ」とつぶやいた。
    「適当に処理しといてくれよ」
    「そう言うわけには行かないわよ。あっちはあっちで、大変なことになってるんだから」
    「って言うと?」
    「トラックス少尉とブライアン曹長が裏切って、ナイジェル博士の監禁が発覚したのよ。で、あなたが独断専行で軍と中央政府を私物化したことも、怒りを買ってるみたい」
    「っつっても、中央政府攻めろって言ったのは」
    「私だけどね。……ま、適当にって言うなら、適当に処理しておくわ」
     巴景の言葉にうなずき、フーはまたランニャとイチャイチャし始めた。



    (あー……、何か複雑な気分ね)
     このところすっかり政務処理を任され、巴景のストレスはじわじわと溜まっていた。元々の性分が剣士であり、こうした机仕事は彼女の性に合わないのだ。
    (偉くはなったけど、何か違う。……もうある程度名声と金は得たし、また風来坊になるのもいいかしらね)
     そう思い、机に座ってため息をついた瞬間だった。
    「ならば私が後を継ごうか、トモエ・ホウドウ」
    「……!?」
     その声に、巴景はのどから心臓が出るかと思うほどに驚いた。
    「……そんな。あなたはあの島で、……確かに」
    「どうする?」
     巴景は席を立ち、声をかけた男に向き直る。予想通りの姿が、そこにあった。
    「なぜあなたが、ここに?」
     巴景は恐怖を押さえ込み、落ち着いた声でその男に尋ねた。
    「アラン。なぜ、生きているの?」

     王の間。
    「あー……。幸せだなぁ」
    「そうね、うふふ……」
     フーがランニャに抱きつき、甘い言葉をささやいていたその時だった。
    「陛下、案件が……」
    「あぁ? 適当に処理しとけ、って、……」
     巴景の声に顔を上げたフーは凍りついた。
     巴景の横に、見知ったフードの男が立っていたからだ。
    「……アラン……?」
    「案件は2つだ。
     一つ、参謀を務めていたホウドウに代わり、私が元通り、参謀を務めることとなった。
     そしてもう一つ。『ヘブン』勢力拡大のため、北方を侵略するぞ」
    「ば……バカ……な」
     フーは立ち上がり、呆然とした目でアランを見つめた。
     その「バカな」と言う台詞が、アランが現れたことに対してだったのか、巴景が解任されたことに対してだったのか、それともアランが、故郷に対して戦争を引き起こそうとすることに対してだったのか――それは誰にも分からなかった。



     520年、末。
     世界に再び、戦乱の相が訪れた。
     フーの夢は、悪夢となり始めた。

    蒼天剣・火風録 終

    蒼天剣・火風録 8

    2009.12.11.[Edit]
    晴奈の話、第446話。 夢の始まり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「ねえ、陛下。ウインドフォートの件は……」「あぁ? ……任せる」「ヘブン」が誕生して1ヶ月が経ち、フーはだらけきっていた。かねてより「世界の王になったら娶る」と宣言した通り、央中ネール公国の主だったランニャ・ネール6世を迎え、フーは毎日甘く暮らしていた。 政務に関しては半ば側近に任せ、フーは今日も玉座でランニャにべったりとして...

    »» 続きを読む

    ▲page top


     関連もくじ一覧  双月千年世界 5;緑綺星
     関連もくじ一覧  双月千年世界 4;琥珀暁
     関連もくじ一覧  双月千年世界 短編・掌編・設定など
     関連もくじ一覧  WESTERN STORIES
     関連もくじ一覧  イラスト練習/実践