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黄輪雑貨本店 新館

琥珀暁 第6部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    神様たちの話、第276話。
    存在感の無さ。

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    1.
    「なーんかなぁ」
     憂鬱そうな声で、エリザが話を切り出して来た。
    「何も無しやねんな」
    「何がです?」
     エリザの言わんとすることがさっぱり分からず、ハンは首をかしげる。
    「や、アレから結構経ったやん?」
    「アレってなんですか」
    「西山間部を掌握してから。ほんで、その直後からアタシな、東山間部の方へも商売の手ぇ伸ばして、その裏でソレとなく帝国さんの動きを探っとったんやけどもな」
    「帝国の動きが何も無い、と言うことですか」
    「せやねん」
     エリザはうんうんとうなずきつつ、煙管を口にくわえる。
    「ええ加減、アタシがウロウロしとるコトと、遠征隊が情報収集しとるコトをつなげて考えるヤツも出てきておかしないやろと思うんやけどな」
    「異邦人が商売しに来たなんて、そう考えない方がおかしいでしょうからね。俺ならその可能性を念頭に置くでしょう」
    「せやろ? せやからな、向こうで商売する時もロウくんやら何やら、護衛を仰山付けて回っとるんやけども、なーんも危険な目に遭わへん。や、危険な目に遭いたいっちゅうワケちゃうけども、ほんでも起きてもおかしないはずのコトがまったく起こらへんっちゅうのんはなー……」
    「ふむ」
     ハンはもう一度首をかしげ、エリザの話を吟味する。
    「既にあれから半年以上、いや、もっとになりますよね」
    「せやな」
    「未だ帝国が動かない、と言うのは確かに妙です。事実として現在、帝国はその陣地を大きく奪われ、相当不利な形勢に追い込まれていますし、となればこちらと停戦交渉を行うなり、覚悟を決めて決戦に出るなりしても、何らおかしくないでしょう。
     一方、このまま沈黙を続けることは、帝国にとって不利でしか無いはずです。こちら側の勢力は――厳密に言えば西山間部の豪族らとミェーチ軍団、いや、現在はミェーチ王国でしたか――帝国に対し、強い敵対心を持っています。であれば当然、防衛策を採る。事実、ゼルカノゼロの南側は既に、ミェーチ軍団が防衛線の構築に取り掛かっていると聞いています」
    「取り掛かっとるっちゅうか、もうソレ、ほぼほぼ完成しとるな。……ま、そやな。ソコが妙やねんな。何もせんとじっとしとったら、敵のアタシらは防御を完璧に固めるし、そしたら攻撃しても無駄になる。ちゅうコトはこっちとの政治的な交渉材料が1個、潰れるワケやん?」
    「確かに。攻撃に効果があるからこそ、停戦交渉の意味があるわけですしね。効果が無くなれば、『攻めるぞ』とおどしたところで無意味でしょう」
    「せやろ? ソレやのに自分から交渉材料潰すなんて、自分の状況も分からへんくらいのアホなんか、ソレともまだ挽回でけるっちゅう、よほどの自信があるかやけども」
    「前者であるとは考えにくいでしょう。実際に、20年前に北方征服を完遂させた相手ですからね」
    「ソレとも他に何や理由があるんか、やな。……なーんかなぁ」
     エリザは煙管から口を離し、ふう、と紫煙を吐き出した。
    「ホンマにいとるんかっちゅう気がしてきたわ」
    「誰がです?」
    「帝国の皇帝さん。レン・ジーン言うたっけ」
    「ええ、そんな名前だったと。……ふむ」
     エリザの言葉に、ハンも不可解なものを感じ始めた。
    「確かに上陸から今まで、名前や業績は嫌と言うほど聞きましたし、彼の命令を――間接的にせよ――受けたと言う軍隊とも交戦してきましたが、彼本人の姿を見たことはありませんし、沿岸部や西山間部で見たと言う人間も皆無です」
    「ミェーチ王さんやノルド王さんにしたかて、命令やら何やらは皇帝さんから直接や無しに、その皇帝さんから命令を受けた将軍さんから又聞きしたっちゅう形らしいからな。……コレ、もしかしたらもしかするんとちゃうか?」
    「まさか本当に、皇帝は存在しないと?」
    「おかしすぎるやろ? ココまで何の動きも無いやなんて。もしかしたら今、とっくに死んではったりするんちゃうやろか」
    「帝国の象徴であり、最高指導者である皇帝が後継者も指名せず亡くなれば、帝国は崩壊を余儀なくされる。故に死を公表することなどできない――それで帝国の実務者層も動くに動けず、こうして沈黙した状況が続いている、と?」
    「可能性は高いと思うで、アタシは」
     エリザはすっかり燃え尽きた煙管の灰をトン、と灰皿に落とし、胸元にしまい込んだ。
    「今後はソレを想定して調査してみるわ。ホンマに死んではるんやったら、帝国さんと取引したはる店屋さんが、何かしらつかんどるかも分からんからな」
    「お願いします」
    琥珀暁・空位伝 1
    »»  2020.06.08.
    神様たちの話、第277話。
    皇帝不在論の浮上。

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    2.
    「皇帝がいない、……ですって?」
    「かも知れない、だ」
     エリザから皇帝不在論を聞かされたその晩、ハンは班員たちにその話を聞かせ、皆の意見を仰いでいた。
    「だが可能性は考えられると、俺も思っている。そりゃ確かに皇帝と称されるような相手だし、そうそう簡単に人前に出るようなものでもないだろう。俺たちの側にしても、陛下ご自身は気さくな方だが、街へお出でになることはあまり無いし、そもそもクロスセントラルから離れられたことも、ここ十数年無いと聞いている」
    「お忙しい方ですからね。こちらの皇帝も同様の身と考えれば、姿を見ないのは納得できます」
    「そうだな」
     ビートに同意しつつも、ハンはかぶりを振って返す。
    「だが、東山間部の人間でさえ一度も見たことが無いと言うのはおかしい。エリザさんから聞いたが、西山間部での戦いで捕虜にした人間も、将軍以下、誰も姿を見たことが無いと言っていたそうだ」
    「将軍でもですか? 偉いはずなのに」
     きょとんとするマリアに、ハンは「いや」と注釈を入れる。
    「帝国の将軍は上級、下級に分かれているらしい。捕虜にしたのは下将軍だ。聞いたところによれば、拝謁を許されるのは上将軍と大臣だけだそうだ。それ以外は会えば不敬と見なされ、即刻処刑されると言っていた」
    「ひどいですね」
     悲しそうな顔でつぶやくメリーに、ハンも大きくうなずく。
    「確かに残忍と取れる。だが見方によれば、かなり極端な情報統制を敷いていると言うことでもある」
    「情報統制、……つまり、皇帝がいないことを隠そうとしている、と?」
    「可能性はある。実際処刑された者がいるかどうかまでは聞いていないし、本当にいないとするならば、これは皇帝の存在を探る者が現れぬよう定められた法だとも考えられる。と言うか実際、目にしただけで処刑はやりすぎだろう。そんな極端なことをしていたんじゃ、誰も皇帝に信頼を寄せるはずが無い。いくらこの邦に最高指導者が一人しかいない、他に従う者がいない地であるとは言え、仕打ちがあまりにも過酷すぎるからな」
    「内情を聞けば聞くほど、確かに、皇帝の存在が疑わしくなってくるような気がします」
     メリーがこくこくとうなずく一方、マリアは首をかしげている。
    「じゃあ本当に、皇帝はいないってことなんですかね?」
    「断言はできない。だが、いないとするなら、一連の行動があまりにも消極的であったこととつじつまが合う。状況的に、最も自然と言えるだろう」
     ハンの言葉を受けてもなお、マリアは納得しかねた様子でいる。
    「でもそれだと、変なとこもありますよね」
    「と言うと?」
    「だって、それって突き詰めると、リーダーって言うかトップって言うか、あたしたちの方で言えば尉官とかエリザさんとか、そう言う人たちがずーっと不在のままってことですよね?」
    「まあ、そうなるな」
    「もし今、急にエリザさんがいなくなるとかしたら、あたしたち即パニックでしょ?」
     マリアにそう問われ、ハンは一瞬顔をしかめかけたが、うなずいて返す。
    「だろうな。俺も少なからず戸惑うだろう。俺が残っていたとしてもな」
    「でもそう言う様子、全然無いんですよね。この2年戦ってきて、その間、帝国が混乱してた様子も無かったですし。もし混乱してたならですよ、沿岸部の戦いだって、西山間部の話だって、あんなに抵抗されることも無かったんじゃないかなーって」
    「……ふむ」
     マリアの意見を受け、ハンは中空に目をやる。
    「となると、不在になったのはここ最近のことだと考えられるな。もし俺たちが上陸する前から不在だったと言うなら、マリアの言う通り、もっと動揺していてもおかしくない。……いや、しかしそれだと、皇帝を探らぬよう配慮していたことに説明が付けられないか」
    「元々から人嫌いだったからそう言うことしてた、とかじゃないですか?」
    「そうだな、その可能性は高い。これまでの行動を考えても、他人に対する苛烈な措置を鑑みれば、その節が見て取れる。
     つまり――まだ推測、予想の域を出ない話だが――征服後20数年、俺たちが上陸して以降も人を避け続けていた皇帝が、ここ最近になって死亡。明確な指針を失った帝国は進退を窮め、動くに動けないでいる、……と言ったところか」
    「じゃあもし今、我々が積極的攻勢に出れば……」
     ビートの言葉に、ハンは小さくうなずいた。
    「それを陛下がお許しになるとは考えづらいが、もし俺たちが積極策を講じれば、向こうは簡単に折れるかも知れないな。一度、エリザさんに相談してみよう」
    琥珀暁・空位伝 2
    »»  2020.06.09.
    神様たちの話、第278話。
    タテとヨコ。

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    3.
    「微妙なトコやなー」
     ハンによって積極策がエリザに打診されたが、彼女は首をかしげてきた。
    「らしくないですね。てっきりエリザさんであれば、『よっしゃ』みたいなことを言って賛成するかと思っていたんですが」
    「や、アタシは構へんねん。そらケリ付けるんやったらちゃっちゃと付けたいからな。でもな、結局は『上』がええでって言うかどうかやん。勝手に動いたらまた揉めるしな」
    「確かに」
    「そらな、エマの件やらお偉方集めての傍聴やらで、立て続けにゼロさんの失策があったし、相当ヘコんどるかも分からんから、ココでアタシらが『やりまっせ』言うて進めようとしても、もしかしたら『ええよもう』言うて、投げやりにされるかも知れへんけども、逆にな、最後の意地っちゅうもんがあるやろしな」
    「最後の?」
     部屋の中をうろうろと歩き回りつつ、エリザは私見を述べる。
    「『帝国本国を攻撃する』っちゅうのんは、遠征隊の活動で言うたら、ホンマに最後の最後の話やん? ゼロさんにしたら、自分のええトコ見せる最後のチャンスやないの。ソコでしくじるのんも嫌やろけども、このままアタシらをほっといて最大最後の成果を勝手に挙げられるっちゅうのんも、そら嫌やろしな」
    「なるほど」
     自然、ハンもエリザの動きを追う形となり、その場でくるくると回り出す。
    「……エリザさん」
    「なんや?」
    「止まってもらえますか?」
    「考え事しとると手持ち無沙汰やねん。こっち見んかったらええやないの」
    「人と話しているのに、相手の顔を見ないのはどうかと」
    「ま、ソレもそやな」
     立ち止まり、エリザは話を続ける。
    「とりあえず、現状でいきなり攻めるやら何やらの話はせえへん方がええやろ。アタシの方の調査もあるから、不在説がホンマの話やと確定してからでも遅くないやろな」
    「確かにそうですね。やはり性急でしょう」
    「とりあえず次の定例報告ん時、ソレとなく打診してみる程度やな。『こんなうわさもあるんやけど』くらいで。ま、どっちにしても次まで間あるから、アタシちょっと西山間部の方行ってくるわ」
    「情報収集ですか?」
    「半分はな。残り半分はアタシの商売やね。ミェーチさんトコまで行く予定やから、1ヶ月くらい留守にするし、後はよろしゅうな」
    「承知しました」
     ハンがうなずき、踵を返しかけたところで――エリザが「あ、ちょっと」と呼び止めた。
    「なんです?」
    「最近どないなん?」
    「何がですか?」
    「プライベートの方や。仲良うしとるんか?」
     要点をぼかした問いに、ハンは自分なりに気を利かせたつもりで答える。
    「クーのことですか? 仲良くしてますよ」
    「59点」
    「ギリギリ落第点ですか。模範解答を教えてもらえるとありがたいですね」
    「アタシが聞きたかったんはメリーちゃんの方やな。そっちはどないやの」
    「ん、……んん」
     答えに詰まり、ハンは思わず目をそらしてしまう。
    「人と話する時は顔見るんやなかったんかいな」
    「揚げ足を取らないで下さい。……ええ、まあ、仲良くしてます、はい」
    「クーちゃんと囃(はや)しとる時より嬉しそうな口ぶりやな。そんな気ぃ合うてんの?」
    「そうですね、はい。クーと違って、どこへ行く時も笑顔で、素直に付いて来てくれますからね。変に嫌味を言われたりもせず」
    「さよか。そらよろしいな」
     エリザの返答に、ハンは引っかかるものを感じる。
    「何か不満が? やはりクーとくっつけたいと?」
    「ちゃうがな」
     エリザはハンに詰め寄り、強い口調で諭してきた。
    「アンタな、メリーちゃんがどんな娘なんか全然分かってへんやろ」
    「どう言う意味です?」
    「アタシは『気ぃ合うてるんか』ちゅうて聞いたけど、アンタの答えは『気が合う』やなくて、『言うコト聞いてくれる』やん。そんなん、アンタ本位の答えやんか。メリーちゃんがどう思てはるかの答え、アンタから出て来おへんのはなんでや?」
    「え……? いや、それは他人の意見ですから」
    「ソコが『分かってへん』言うてんねや。とぼけたコト言いよって、ホンマに」
     エリザはハンの額をぺちっと叩きつつ、こう続けた。
    「あの娘はタテ関係に弱いねん」
    「タテ?」
    「上のもんから何されても、あの娘は受け取ってまうタイプやねん。褒められたら素直に喜ぶし、怒られたら素直に反省する。そう言う娘や。でもな、ソレは逆に言うたら拒む方法を知らんっちゅうコトや。
     ソレを踏まえて、アンタの、いや、『尉官殿』『隊長殿』のしとるコト、してきよるコトに何も言わへんのは、なんでか分かるか? 普通に考えたら、雨ん中雪ん中まで測量行かされたら何かしら文句もあるやろうに、アンタはホンマに何にも思てへんと思とるんか?」
    「不満が無い、……のではなく、不満を口に出せない、と?」
     叩かれた額を押さえるハンに、エリザは「せや」とうなずく。
    「例え冗談のつもりでも、もしアンタが『捨て身で突撃しろ』言うたら、あの娘はホンマに突っ込むタイプやで。下手したら『死ね』言うても自殺しかねへん。アンタから受け取ったもんは――ええもんにしろ悪いもんにしろ――返す方法が分からへんのんや。
     あの娘にとってアンタはヨコの人やなくタテの人、ウエにおる人や。ソコ忘れてあの娘と付き合おうとしたら、絶対にアカン。分かったな?」
    「え、ええ、はい。肝に銘じます」
    「頼むで」
     面食らいつつも、ハンは深くうなずき、その場を後にした。
    琥珀暁・空位伝 3
    »»  2020.06.10.
    神様たちの話、第279話。
    相性。

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    4.
     エリザからの忠告を受けてすぐ、ハンはマリアの部屋を訪ねていた。
    「珍しいですねー、尉官があたし一人に用があるなんて。いつもなら皆でご飯食べに行くのに」
    「ああ。内々で相談したいことがあってな」
    「どっちのお話でしょ? クーちゃん? メリー?」
     あっさり見透かされ、ハンは二の足を踏んでしまう。
    「あ、……あー、と。なんでそうなる?」
    「尉官があたしに内々で相談なんて、それ関係しか無いでしょ?」
    「……そうなるよな」
    「で、どっちなんですか?」
    「メリーの方だ」
     こう答えた途端、マリアの眼差しに冷えた色が混じる。
    「お付き合いしたいと?」
    「そう考えてはいる」
    「だとしたらあたしは反対です」
     きっぱりと否定され、ハンは苦々しげにうなる。
    「どうしてもクーとくっつけたいのか?」
    「それ以前の問題です」
    「と言うと?」
    「別に尉官が誰と付き合おうが、それは反対しません。でもメリーと付き合うのはダメです。や、メリーが悪い娘だってことじゃないです。めちゃくちゃいい娘です。だからこそ尉官が付き合うって言うのがダメなんです。尉官じゃ相性が悪すぎるんです」
    「よく分からないな。何故俺じゃ駄目なんだ?」
     尋ねたハンに、マリアは残念そうな目を向けてくる。
    「あのですね、普段から尉官がどう言う風にメリーと接してるか、あたしもビートも間近で見てますけど、はっきり言って『押し付け』なんですよね、尉官の態度って」
    「押し付け?」
    「こないだの測量の時だって、メリーにああしろこうしろって次々指示してましたけど、あの娘、結構疲れた顔してましたよ。気付いてました?」
    「……いや」
    「でしょうね。メリーって上の人に自分の意見言うのが苦手な娘ですから、尉官に対しては『疲れた』とか言わないで、ニコニコしてるんですよね。あたしたちにもニコニコ接してましたけど、でも本当に疲れてるんだろうなーってのは、歩き方とか汗のかき方で分かります。そう言うとこ、尉官は本気で気付いてなかったんでしょ」
    「あ、ああ」
     ハンの返答に、マリアははーっと呆れたようなため息を漏らした。
    「言わなきゃ分かんないタイプでしょ、尉官って。で、メリーは言えない性格の娘なんですよ。相性が絶望的に悪いんです。絶対付き合わせちゃダメな組み合わせです。もし尉官がメリーとお付き合いする、結婚するって話になったら彼女、死んじゃいますよ。ほぼ間違い無く尉官のせいで」
    「俺のせいだって? まるで俺が彼女を殺すみたいな……」「そう言ってるんです」
     ハンの抗弁をぴしゃりとさえぎり、マリアはハンをにらみつけた。
    「尉官のメリーに対する接し方って、ぶっちゃけ『お人形遊び』なんですよね。何にも言わないお人形を自分勝手に愛でて、遊んで、弄んでるって感じの。本当にお人形相手にやってるならあたし、別に何も言いませんけど、それを人間相手にやってることが問題なんです。
     そんな態度でお付き合いしたいって言ってるんなら、あたしはどんな手段使ってでも反対しますよ。じゃなきゃメリーが可愛そうですもん」
    「……」
     散々打ちのめされ、ハンは黙り込むしかなかった。
    「話はそれだけですか?」
     マリアに尋ねられ、ハンは「ああ」と返す。
    「本当に?」
    「何でだ?」
    「もういっこの選択肢は、相談しないんですね」
    「クーのことか?」
    「相談したいなら勿論付き合いますけど、したくないなら、もう話は終わりですよ」
     そのままマリアにじっと見つめられていたが――ハンは無言で、彼女の部屋を後にする。ドアに向かって、マリアは小さく吐き捨てた。
    「なにさ、意気地無し。クーちゃんから逃げてるだけじゃん。逃げの方便に使われる方が10倍、かわいそうだよ」
    琥珀暁・空位伝 4
    »»  2020.06.11.
    神様たちの話、第280話。
    クーとメリー。

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    5.
     めっきりハンから声がかからなくなって以降も、クーはそれ以外の人間――エリザやマリアたちと親しくしていたが、エリザが商売と情報収集のために遠出してしまった上、この日はマリアもビートも非番では無く――。
    「ごきげんよう」
    「あ、殿下! こんなところにまで足を運んでいただけて、大変恐縮です」
     この日は一人で、街の喫茶店を訪れていた。
    「お気遣い無く。ティーセットを」
    「かしこまりました。お好きな席にどうぞ」
     言われるまま、クーは店の奥に進む。と――。
    「あっ」
    「え?」
     一番奥でひっそりとお茶を飲んでいたメリーと目が合い、クーは思わず目をそらしてしまう。
    「あ、あの、殿下?」
     当然、メリーは困った顔をし、立ち上がって頭を下げる。
    「申し訳ありません、何かわたし、至らぬことを……」
    「あっ、ち、違います、そうではなくて、……いえ、本当に何でもございませんの。お気になさらず、メリー」
    「そ、そうですか、すみません」
     気まずくなり、クーは店から出ようとしかけたが――。
    「殿下、お待たせいたしました。ティーセットです」
    「あ」
     そこで店員が、注文した品を持ってやって来る。仕方無く、クーは返しかけた踵を戻し、メリーに声をかける。
    「ご一緒してよろしいかしら?」
    「えっ? あ、はい」
     慌てた様子でメリーが机を片付け、クーの席を作る。
    「どっ、どうぞ」
    「ありがとう存じます、メリー」
     メリーの対面に座り、クーはもう一度会釈する。が、その一方で、心の中では少なからず戸惑っていた。
    (ああもう、間の悪いこと。一人で落ち着こうと存じておりましたのに)
     メリーを疎ましく思いつつ、クーは彼女に目を合わせないよう、机の上にある物を一瞥する。
    (あれは……、『三角法初級』ですわね。お父様の記したご本。測量のお勉強をなさっていたのね。メモにもそれらしい数式がチラホラと。……でも妙ですわね? 測量なさるのなら、もっと高度な知識が必要なはずですけれど)
     自分の領分でもある分野の知識が目に入り、出しゃばりの彼女は当然、口を出す。
    「苦労してらっしゃるご様子ですわね」
    「え?」
    「そこはここに線を引くと、理解いたしやすいと存じますわよ」
     メリーからペンを借り、クーはメモ上の三角形にすっ、すっと線を描き足す。
    「えっと……どう……言う?」
    「直角三角形にしてしまえば、計算がいたしやすいでしょう? あなた、元の形から無理矢理計算しようとなさっているから、混乱なさっているご様子ですもの」
    「あ、……あー、あー! そっか、そうですね!」
    「基本中の基本ですわ。……それも理解されないで、よく測量がいたせますわね」
     クーに冷たく指摘され、メリーはしゅんとした表情を浮かべる。
    「本当ですよね……。わたし、本当は苦手なんです、こう言うの」
    「えっ? でもあなた、自分から……」
    「最初はそうだったんですけど、あの、数字得意だと思ってたんですけど、その、複雑な計算が多いって分かってなくて。何回か行ってみて、それで、向いてないなって思ったんですけど」
    「ではそう仰ればよろしいのに」
     そう返したクーに、メリーは困った顔を向ける。
    「なんか、その、言い出しにくくて。わたしが自分でやると言ってしまいましたし、それに尉官が、嬉しそうにしてるので」
    「あー……」
     困った様子のメリーを眺めつつ、クーは彼女に対する意識を改めていた。
    (ハンにべったり追従している、……とばかり存じておりましたけれど、もしかして彼女、ハンの誘いを断れずに連れ回されていただけなのかしら。八方美人なところがあるように存じておりましたけれど、それは単に、頼みを断れない性格なだけ……?)
     察したクーは、メリーにこんな提案をした。
    「よろしければ、わたくしからハンに伝えますわよ。別の作業を割り振ってはと」
    「えっ、……あ、でも」
     メリーは一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに首を振る。
    「ご迷惑をかけてしまいます。殿下にも、尉官にも」
    「わたくしは迷惑だなどとは存じておりません。一言託(ことづけ)ければ済むお話ですもの。ハンにしても、あなたが大変苦労なさっていることが分かれば、彼の方から同様の提案をなさると存じますわ。あの方は気が利きませんし、特に他人のことに関しては、直接お耳に入れないと分からない方ですもの」
    「そ、そうですか。では、その、お願いしてもいいですか?」
     恐る恐る尋ねてきたメリーに、クーはにこっと笑みを返した。
    「ええ、承りました。ご安心なさい。わたくしがきっちり伝えます」
    琥珀暁・空位伝 5
    »»  2020.06.12.
    神様たちの話、第281話。
    クーのきづかい。

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    6.
     この数ヶ月――主にハンのせいで――メリーに対して悪い印象を抱いていたクーだったが、彼女と面と向かって話す内、その印象を改めつつあった。
    「ねえ、メリー?」
    「はい、なんでしょうか」
    「あなた、今日は非番? お一人なのかしら」
    「はい、非番です。今日は誰からもお誘いが無かったので」
    「あなたから誰かを誘ったりはなさらないのかしら?」
    「ご迷惑かなと思って」
     メリーの答えに、クーは面食らった。
    「ご迷惑? そんなことで?」
    「相手の都合があるでしょうから」
    「お声をかけるだけなら迷惑でも何でも無いと存じますけれど」
    「でも申し訳無いって思わせたら、なんか、その」
    「あなた……」
     クーは思わず、メリーの手を取っていた。
    「えっ、……あの、で、殿下?」
    「あなたは距離の求め方よりも、人との付き合い方を学ぶべきと存じますわ。今日はもう、お勉強はおしまいになさい。それより今日は、わたくしと一緒にお過ごしなさい」
    「は、はい」

     クーはメリーを連れ、街を散策することにした。
    「そう言えばわたくし、あなたについて何も存じませんわね。歳はおいくつでしたかしら? 19?」
    「いえ、20歳になりました」
    「ああ、マリアと同い年と仰ってましたわね。ご出身は?」
    「イーストフィールドです。12歳の時に軍の学校に入って、17歳で卒配しました」
    「最初はあの、……エマのところに?」
    「え、ええ」
     これを聞いて、クーは肩をすくめた。
    「それはまあ、お気の毒としか申せませんわね。最初に就いたのが別の方のところであれば、あなたももう少し、気楽に人生を過ごせるようになっていたでしょうに」
    「そうですよね。お気を遣わせてしまって……」
     しゅんとした表情を見せるメリーに、クーは「そうではなくて」と返す。
    「わたくしはあの人でなしとは違います。一々顔色をうかがったり、謝ったりなさらなくて結構ですわ」
    「あっ、そ、その、申し訳……」
     なおも謝ろうとしたメリーの口に、クーは人差し指をちょん、と当てる。
    「メリー。わたくしはあなたの上司ではございませんし、歳もあなたより下です。わたくしに対しては、もっと親しい態度で接しなさい。わたくしのことも、『殿下』などと他人行儀なものではなく、……そうですわね、マリアのように『クーちゃん』と」
    「えっ、で、でも」
     戸惑うメリーの手を両手で包むように握り、クーはにっこりと笑みを浮かべて見せた。
    「よろしくね、メリー」
    「は、はい。では、……く、クーちゃん」
    「はい、よくできました。では――そうね、お茶は先程いただきましたから――お買い物はいかがかしら? エリザさんのお店を訪ねたことは?」
    「い、いえ」
    「ではそちらに。可愛いアクセサリがたくさんございますわよ。……一時期、丹念に店内を回ったことがございますから、案内もお任せなさい」
     その後も一日中、すっかり日が暮れるまで、クーはメリーをあちこちに案内した。最初は申し訳無さそうにしていたメリーも、クーが本心から仲良くしたいと思っていることが伝わったらしく、夕食を食べ終える頃には自然な笑顔を見せてくれた。
    「ごちそうさまです、……クーちゃん」
     まだ若干ぎこちないながらも、親しげに自分の名を呼んでくれたメリーに、クーも笑顔を向ける。
    「ええ。ご満足いただけたようで何よりですわ」
    「そんな、ご満足なんて、……あ、いえ、満足してないわけじゃないです。とても嬉しいです。あの、……こんなことを言ったら、クーちゃんは気を悪くしてしまうかも知れませんが」
     遠慮がちにしつつも、メリーは自分の気持ちを素直に打ち明けてくれた。
    「初めてお会いした時、その……、クーちゃんはわたしにあんまり、今日みたいに笑いかけてくれなかったので、嫌われていたんじゃないかって」
    「あー……」
     言われて振り返ってみると、確かに初対面の際、クーはメリーに対してあまりいい印象を持っていなかったのである。
    (ハンがこの娘の方ばかり見ていらっしゃいましたものね)
    「あの、でも、今日色々お話して、すごく優しいんだなって」
    「そう仰っていただければ幸いですわ」
    「……その、……そのですね」
     と、メリーが――やはり、遠慮がちながらも――こう続けた。
    「良ければまた、こうして誘っていただけると嬉しいです、あの、本当に」
    「ええ、勿論」
    琥珀暁・空位伝 6
    »»  2020.06.13.
    神様たちの話、第282話。
    ブレーキの不在。

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    7.
     メリーと街を散策したその翌日、クーは早速ハンの元へ向かった。
    「……どうした、クー? 何の用だ?」
     しばらくまともに話していなかったからか、ハンはどことなく、きまり悪そうな様子で出迎える。
    「あなたにお話しておきたいことがございまして」
     そんな冷ややかな態度に構わず、クーは率直に、昨日メリーと約束していた内容を伝えた。
    「メリーのことです」
    「なに?」
    「あなたは最近、彼女をあちこちに連れ回してお仕事をさせていらっしゃるようですけれど、はっきり申せば、彼女は迷惑なさっていますわ。特に距離計算について、彼女は苦手と仰っています。これ以上、測量に同行させないよう、強く進言いたします」
    「何故そんなことを君に言われなきゃならない?」
     途端に、ハンは目に見えて不機嫌な様子になった。
    「それは遠征隊、いや、俺たちの班の仕事だ。その仕事の裁量は俺に任されている。君にどうこう言われる筋合いは無い」
    「ではハン、あなたはメリーが何の不満も抱えていないと?」
    「本人からそう言われたなら勿論、検討も対処もする。だが第三者にそんな込み入ったことを言われて、はいそうですかと素直に応じると思うのか、君は? 君がメリーに嫉妬して、彼女のことを悪く吹聴している可能性は皆無とは言えないだろう?」
     この発言を聞いて、となりにいたマリアが信じられないと言いたげな、呆れた表情を浮かべていたが、ハンに気付いた様子は無い。
    「嫉妬!? わたくしがそんなことで……」
    「ともかく、メリーが不満に思っていると言うのなら、本人をここに連れて来て話をするように言ってくれ。俺からは以上だ」
    「以上? わたくしの話を聞かない、と?」
    「そう言っただろう? 君が他人のことをどうこう言う筋合いは無いはずだ。違うか?」
    「あなたっ……!」
     あからさまに邪険な扱いをされた上、メリーに対するあまりにぞんざいな言葉を受けて、クーの頭に血が上った。
    「いい加減になさい! わたくしのことを遠ざけるのはまだ容赦いたせますけれど、他の人間にまでその無神経を向けるおつもり!?」
    「無神経? 俺が?」
    「あなた以外に誰がいらっしゃるの!? あなた、メリーのことをちっともご理解なさっていらっしゃらないじゃない!」
    「……ッ」
     クーに指摘された途端、ハンの顔に、明らかに怒りの色が浮かんだ。
    「君までそんなことを言うのか」
    「はい?」
    「俺が彼女のことを分かってないって? 分かってるさ、俺にモノを言えない性格だって言いたいんだろ? だが俺はそんな話、メリー本人から聞いてない。周りの予想に過ぎないだろ? 本人からそうだって、聞いたと言うのか?」
    「聞いたからそう伝えているのです!」
    「嘘を付け!」
     ハンは顔を真っ赤にし、クーに怒鳴りつけた。
    「君が彼女と話をしたって? そんなことがあるわけないだろう!?」
    「え、ちょっと、ちょっと、尉官?」
     と、ここまで成り行きを見守っていたマリアが、口を挟む。
    「そんなの変でしょ? クーちゃんだってそりゃ、メリーと話くらいするでしょーし」
    「お前は黙っていろ!」
     が、ハンはマリアにまで怒りを向ける。
    「……尉官、あのですね」
    「黙れと言ったのが分からないのか!? お前に関係無い話だろう!?」
    「あっ、そー」
     次の瞬間――マリアはべちっ、とハンに平手打ちした。
    「う……っ」
    「じゃ、あたし懲罰房行ってきます。どうせ命令不服従と上官への反抗でブチ込むでしょ?」
    「な……いや……」
     ほおを押さえ、呆気に取られた様子のハンに背を向けつつ、マリアはクーに告げた。
    「クーちゃん、もうこの人に何言ったって無駄だよ。この人、自分の勝手な意見以外、聴く気無くなっちゃったみたいだから」
    「ええ、まったくそのようですわね。ではわたくしも、これで失礼させていただきます。でもマリア、あなたが房に入ることはございませんわ。わたくしの命により、その措置は免除いたします」
    「どーも」
    「しばらくわたくしと一緒に行動なさい。この方はもう、あなたの上官にはふさわしくございませんわ」
    「はーい」
     そのまま二人が去って行った後も、ハンは憮然としたまま、その場に立ち尽くしていた。

    (……最悪だ)
     と、この騒ぎをこっそり見ていたビートは、頭を抱える。
    (これ、放っといたらまずいことになるよな。……すぐエリザ先生に伝えなきゃ)
     まだ突っ立ったままのハンをもう一度確認し、それから慌てて、ビートは魔術頭巾を取りに行った。

    琥珀暁・空位伝 終
    琥珀暁・空位伝 7
    »»  2020.06.14.
    神様たちの話、第283話。
    東部戦線異状なし?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     エリザは沿岸部での諸用をハンたちに任せて、いつものようにロウと丁稚たちを伴い西山間部を周っていた。
    「さよでっか。つまり何も動きは無し、ちゅうコトですな」
     その外遊の途中、新たな王国を立ち上げたミェーチの元に立ち寄り、彼から近況報告を受けていたが――いつも通り、大仰かつ取り留めの無い話ばかりされたので――エリザは途中で口を挟み、話を切り上げさせた。
    「うむ。この地に居を構えてより半年以上が経つも、帝国は依然として動きを見せるどころか、付近に兵を差し向ける気配すら無い。女史が懸念しておられた防衛線構築も先月、何の妨害もされぬまま完了したところである。故に今後、帝国が本腰を上げて攻め入ったとしても、恐らくたやすく撃破・撃退してしまえるであろう」
    「アタシの方でも確認させてもらいましたけども、確かにあんだけ固めとったら十分やろと思います」
    「女史のお墨付きがあるなら安心である。防衛に関しては問題無しと考えて良いだろうな」
    「ほな、統治の方はどないです? 今まで『軍団』でしたけども、『王国』と名乗ったからには、そっちも考えていかんとあきませんやろと思うんですけども」
     エリザに問われ、ミェーチは恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
    「うむ、まったくご心配の通りでな。吾輩一人では手が回らず、婿に頼りっぱなしの有様である。いや、本当にシェロにはすっかり頭が上がらんわい。この間も……」「そら結構ですな」
     話が長引きそうなことを察し、エリザはさくっと差し込む。
    「ほんなら今んとこ、大きな問題は無いっちゅうコトですな」
    「であるな。他の西山間部諸国との交流も円満であるし、女史より依頼されておった西山間部全域の街道整備も、はや半分が終了したと報告を受けておる」
    「そうですな。アタシらも通りましたけども、去年に比べたら全然、通りやすさが違いましたわ。馬車もそない跳ねたりもハマったりもしませんでしたし。ほな、予定よりずっと工事完了は早そうですな。当初は年末までかかるんちゃうやろかと言うてましたけども」
    「うむ。この具合ならもう半年もしないうち、峠まで延伸できるであろう。整備計画の本懐である西山間部諸国および沿岸部からの援軍招致の高速化も、現実のものとなるであろうな」
    「万事つつがなし、っちゅうワケですな。……問題無く行き過ぎて、むしろ心配になってくるくらいですわ」
     そう返したエリザに、ミェーチが首をかしげる。
    「何故であるか?」
    「帝国さんが何の交渉もせん、何の邪魔もせんっちゅうのんは不自然ですやろ? 防衛線構築も街道整備も、完成したら帝国にとっては大打撃どころのハナシやありませんからな。どっちも完成してしもたら、帝国は攻撃がまともに通らへんくなる上、速攻で反撃に出られてまうコトになるんですからな」
    「ふむ、確かに」
    「ソレでですな、コレはまだ確証を得てへん話になるんですけども」
     エリザは沿岸部でハンと話していた皇帝不在論を、ミェーチに話した。
    「……ちゅうワケで、もしかしたら進軍や妨害工作を指示でける人間がおらんせいで、帝国さんは動くに動けへんのちゃうやろか、と」
    「なるほど、……ふーむ、一理あるやも知れんな」
     話を聞いたミェーチは腕を組み、考え込む様子を見せる。
    「承知した。吾輩の方でも斥候を出し、東山間部の様子を探るとしよう」
    「よろしゅうお願いします」
     エリザがぺち、と両手を合わせて頼んだところで――ミェーチが「あっ」と声を上げた。
    「いやいや、大事な話を忘れておった。いや、先程シェロの件に触れた際に、あいつについて話しておこうと思っておったのだが、なかなか話が切り出せんでな」
    「なんです? あの子、何や粗相でもしよったんですか?」
    「いやいやいや、粗相どころか!」
     心配するエリザにぶんぶんと手を振って返し、ミェーチは満面の笑みでこう続けた。
    「実はな、シェロとリディアの間に子供ができたと言うのだ」
    「……あら、あらあらあら!」
     一転、エリザも顔をほころばせる。
    「そらホンマにええお話やないですの」
    「うむ、今年一番の吉報である! それで女史、良ければ二人に会ってもらえんだろうか? シェロもリディアも、女史には大恩がある。きっと報告したがっていると思うのでな」
    「そらもう、勿論ですわ」
    琥珀暁・遠望伝 1
    »»  2020.06.16.
    神様たちの話、第284話。
    希望のニュース。

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    2.
     ミェーチからの報告を受けてすぐ、エリザはシェロ夫妻の元を訪ねた。
    「お久しぶりです、先生」
     シェロに深々と頭を下げられ、エリザは吹き出した。
    「ふっふ……、そんな似合わんコトせんでもええやないの。アンタらしくないわ」
    「ど、ども」
     もう一度、今度は軽めに頭を下げられたところで、エリザが切り出す。
    「聞いたで、アンタら子供できたんやってな」
    「あっ、は、はい」
    「今どんくらいなん?」
    「4ヶ月です」
     リディアが答え、エリザはぽんぽんと彼女の頭を撫でる。
    「ほんなら産まれるんは10月くらいか。顔色は良さそうやね。つわりとかは?」
    「少しあります。あまりご飯が食べられなくて」
    「って言っても、今までかご一杯に食べてたパンが半分になったくらいなんスけどね」
     シェロに突っ込まれ、リディアは顔を赤くする。
    「もう、そんなことばらさないで下さいな」
    「悪り、悪り」
    「ふっふふふ……」
     二人のやり取りを見て、エリザがまた笑い出す。
    「仲ええみたいやな。国の状況も悪くないみたいやし、アンタらに関しては全然心配いらへんな」
    「どうもです」
    「コレもチラッと聞いたけどアンタ、ミェーチさんの手伝いしとるって? ……いや、こんな言い方したら失礼やね。アンタは頭のええ子やから、相当の働きをしとるんやろうな。ホンマ、ようやっとるわ」
    「恐縮っス」
     照れた様子を見せたシェロの頭にも、エリザは手を載せる。
    「恐縮なんかせんでええ。アンタはよおやった。その点に関しては、アンタはハンくんを超えたな」
     と、その言葉を聞いた途端、シェロが真顔になる。
    「なんでアイツの名前が……」「アタシが分からんアホと思うとったんか?」
     が、シェロが声を荒げかけたところで、エリザがやんわりと差し込む。
    「アンタがいつもハンくんの影を追っとったコトは、アタシはよお知っとるで」
    「……っ」
     口をつぐんだシェロに、エリザが続ける。
    「剣の腕でも、戦闘指揮でも、アンタはハンくんに遅れを取った、よお追いつけへんと、事あるごとに歯噛みしとったやろ」
    「……はい」
    「そのせいでアホなコトもしでかしたけども、今のアンタは間違い無く、ハンくんを超えとる。実際な、アンタは結婚しとるけど、ハンくんはまだコドモみたいなコトわーわー言うて逃げ回っとるくらいやからな。その一点だけでも、アンタとハンくんのどっちが格上か、誰でも分かるやろ?」
    「……そっスかね」
     うつむきつつも、シェロの耳は真っ赤に染まっている。
    「アタシが保証したる。ハンくんはもう、アンタの足元にも及ばへん。もうあの子の影なんか、追う必要無い。コレからは奥さんと子供の方、ちゃんと向いたげや」
    「……はい。銘肝します」
    「うん、うん。気張いや」

     と――。
    「……ん?」
     耳に付けていたピアスにぴり、と刺激を感じ、エリザはシェロの頭から手を離す。
    「どしたんスか?」
    「連絡や。ちょとゴメンやで」
     エリザはかばんから「魔術頭巾」を取り出し、頭に巻き付けた。
    「『トランスワード:リプライ』、……誰や?」
    《あっ、先生! ビートです》
    「ビートくんか? どないしたん、そんな慌てた声出して?」
    《大変なんです! 尉官がマリアさんと殿下とケンカして……》
    「ただのケンカでアンタがそんな慌てるようなコトにはならんやろ? 何があったん?」
    《それが……》
     ビートから諍(いさか)いの内容を聞き、エリザは「アホか」と声を漏らした。
    「つまりハンくんがクーちゃんからメリーちゃんのコトでやいやい言われてキレよった上、横で聞いてたマリアちゃんが売り言葉に買い言葉で逆ギレしたっちゅうコトやな」
    《そうなります》
    「あんのアホ……。まあ、分かったわ。この後東山間部の行けるトコまで行こかと思とったけど、放っといたら変な飛び火するかも分からんからな。急いで戻るわ」
    《ありがとうございます》
    「後、本国への連絡は絶対させんときや」
    《本国へ? 流石にそれは無いと思いますが……》
    「アタシがおらん間に相談でけるような相手は、ゼロさんかゲートだけやからな。今はアカンと思てても、一人でイライラ抱えて変にこじらせたら、うっかりとんでもない手を打ちかねへんもんや」
    《そうですね……確かに》
    「こんな騒ぎが知れ渡ったら、ゼロさんが大喜びするだけやからな。非難の格好の口実になってまう」
    《分かりました。尉官と殿下から、目を離さないようにします》
    「待ち。力ずくで出張って止めるみたいなコトしたら、アンタにも迷惑かかるやろ。そもそもケンカ別れした二人を同時に監視するんも無茶な話やしな。しばらく『フォースオフ』使て妨害しとくんや。当面、ソレで十分やろ」
    《しかしそれだと、先生との連絡も……》
    「正午から1時間くらいとか、時間限定で魔術を解除しといたら大丈夫やろ。使える時間が分かっとったら連絡取るのんに問題無いしな」
    《了解です。では今から妨害します。次の連絡は明日の正午頃に。先生もお気を付けて》
    「ありがとさん。ほなな」
     通話が終わったところで、横で聞いていたシェロが苦い顔をした。
    「マジで俺よかコドモなのかも知れませんね、アイツ」
    「調子に乗らんの。言うてアンタも、まだ21歳やろ」
    「へへ……、すんません」
    琥珀暁・遠望伝 2
    »»  2020.06.17.
    神様たちの話、第285話。
    夜が来る。

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    3.
     エリザが帰ったその日の晩――と言っても一年を通して日照時間の短い北方であるため、まだ夕飯の支度が済んでいないくらいの時間である――ミェーチは己の居城をうろついていた。
    (ふむー……。今夜はどうやら肉料理のようであるな。猪か、鹿か……)
     廊下に漂う匂いから夕飯の内容をぼんやり推理しつつ、ミェーチは窓の外に目をやる。
    (そう言えば女史が色々と持って来てくれたようだったが、今晩はそれが食卓に並ぶと見た。ならば相当の馳走であることは間違い無かろう。ふふふ……、楽しみである。
     しかし吾輩も随分、呑気なことを考えるようになったものよ。昨年の今頃は明日をも知れぬ身と、日々焦燥しておったものだが。重ね重ね、女史とシェロには感謝せねばな)
     エリザと、そして娘婿のことを考え、ミェーチはため息をつく。
    (考えてみれば、吾輩はどれだけ彼らの世話になっておるやら。いや、吾輩だけでは無い。娘も、そして吾輩に付いて来てくれた皆も、二人に受けてきた恩は並大抵の言葉では言い表せんほどに大きい。……その恩に報いるためにも、これからの戦いはより一層、奮起せねばな。孫も産まれることであるし)
     そのことを考えた途端、ミェーチは自分のほおが緩むのを感じた。
    (孫、か。まあ、確かにいつかはできるものと思ってはおったが、もうその時が来るのだな。しかも異邦の者との間に、か。いや、それが不満であるとか、望ましくないだとか、そんなことは思ってはおらん。むしろ誇らしいことである。
     いつか吾輩の孫は、この邦と南の邦との架け橋になってくれるだろう。それを思えば、誇りとせぬ道理は無かろうよ)
     あれこれと夢想じみた思索を続けているうちに、ぐう、と腹の音が鳴る。
    「……流石にこれだけ飯の匂いを嗅ぎ続けては、腹が減ってならんな。どれ、厨房を覗いてみるか」
     そうつぶやき、ミェーチはくる、と踵を返した。

     と――振り向いたその先に、何者かが立っていた。
    「うぬ?」
    「……」
     肩まである銀髪から伸びた長い裸の耳を見て、ミェーチは一瞬、彼がエリザやシェロと同じ、異邦の人間かと考えた。
    (いや、肌が白い。女史やシェロと同郷であれば、もっと色が濃いはずだが。服装も簡素だ。寒がりの女史はこの季節でも厚手のケープを羽織っているし、シェロも分厚い生地の軍服を常に着込んでおるが、こいつは薄手のシャツ程度だ。はて……?)
     相手の素性が今ひとつつかめず、ミェーチは声をかけた。
    「吾輩に何か用であるか?」
    「確認させてもらおう」
     と、相手が口を開く。
    「お前が沿岸部や西山間部で暴れ回った、エリコ・ミェーチで間違い無いのだな?」
    「いかにも。吾輩がミェーチである」
    「お前は許可を得たのか?」
     相手は何の感情も浮かべていない、氷のように真っ青な目を、ミェーチに向けている。
    「許可? 何のだ?」
    「余の許しを得ぬまま王を名乗ることは重罪である。そう言っているのだ」
    「なに……?」
    「もう一度問う。お前は余の許可を得て、この地で王を名乗っているのか?」
     その言葉に、耳から尻尾の先に至るまで、ミェーチの全身の毛がびりっと震えた。
    「貴様……は……!?」
    「余のことを『貴様』と呼ぶか。不敬の罪も重ねたな」
     相手は腰に佩いていた剣を抜き、ミェーチに向けた。
    「情状酌量の余地は無し。この場で成敗してくれる」
    「……レン・ジーン!」
     瞬間、相手が飛びかかってくる。だが歴戦の覇者であるミェーチも即応し、すぐさま剣を抜いて初太刀を受けた。
    「おう……っ!?」
     だが、自分より二周りは背の低い、まだ若造にも見えるジーンのこの一撃は、ミェーチの巨躯をぐらりと揺らし、そのまま弾き飛ばした。
    「な……、何だと?」
     どうにかひざを着くことは免れ、体勢を整え直したものの、相手の技量と力が自分の手に余ることを察し、ミェーチはばっと身を翻した。
    「逃がすかッ!」
     すぐさま、ジーンが追いかけてくる。
    (速い! このままでは……)
     ミェーチは意を決し、窓から飛び出した。
    「ぬおおおおっ!」
     窓から地面まで3メートルはあり、着地するまでの一瞬、ミェーチは自分の肝がぎゅっと締まるのを感じる。
    (し、……しかしっ、彼奴の手にかかるよりはっ)
     どすんと重たい音を立て、ミェーチは地面に転がる。
    「くう、……痛たた、ひざをやったか」
     それでも脚を無理矢理立たせ、腰を上げて、ミェーチはジーンとの距離を取る。
    「だっ、……誰か、誰か! て、敵襲である! 賊が出たぞ!」
     ほうほうの体ながらも声を張り上げ、応援を呼ぶ。
    「敵襲!?」
    「ご無事ですか、陛下!」
     間も無く兵士たちが得物を手にし、ぞろぞろと集まって来る。30人ほど集まったところで、ミェーチが震える声で続けた。
    「敵はこうて、……い、いや、銀髪で細身の、長い裸耳の男だ。だがシェロの邦の者では無い。ひと目でそうと分かるくらい、肌の青白い者だ。この吾輩を腕の力だけで弾き飛ばすほどの、並外れた膂力(りょりょく)の持ち主である。
     全員、心してかかれ!」
    「はっ!」「了解です!」「御意!」
     兵士たちはミェーチを守る形を取り、円形に陣を組んだ。
    琥珀暁・遠望伝 3
    »»  2020.06.18.
    神様たちの話、第286話。
    一対百。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     陣を組むとほぼ同時に、先程までミェーチがいた廊下の壁が爆ぜ、ジーンが飛び出してくる。
    「来たぞ!」
     廊下に最も近い位置にいた兵士たちが剣を構え、ジーンを阻もうとする。だが、ジーンはいとも簡単にその隙を抜け、かわしざまに兵士たちを斬り付ける。
    「ぎゃあっ!」
    「げぼ……っ」
     一瞬で4人が腹や胸、のどを突かれ、ジーンの周りに血の海が出来上がる。
    「余をこんな雑兵の10や20で止めようと言うのか」
    「う……っ」
     瞬く間に現れた地獄のような光景に、兵士たちの顔が一様にひきつり、揃って一歩、後方へ退く。ミェーチも同様に怯んでいたが、いち早く我に返り、大喝する。
    「やっ、槍で牽制しろ! 距離を取るのだ!」
    「は、はい!」
     命じられた通り、槍を持った兵士が前に進み、二列横隊に並ぶ。槍の長さ2メートルと、さらに2メートルの間合いを取るが、誰の顔にも安堵の様子は無い。その背後、兵士に囲まれ守られているミェーチも例外ではなく、目の前にたたずむジーンの姿に、底しれぬ恐怖を抱いていた。
    (彼奴の言をそのまま信じるとすれば――いや、信じる他無いのだが――こいつが、あの皇帝だと言うのか。鬼神の如き強さもさることながら、何より恐ろしいのは、一瞬でこんな修羅場を築いておき、これほど敵と得物に囲まれていると言うのに、その間一切、表情をちらりとも変えておらぬことだ。
     なんと恐ろしいものか……! あの薄い笑みが、こらえがたいほど気味悪く感じる)
     そうこうする内にひざの手当てが終わり、ミェーチは手当てをしてくれた従者から弓を受け取る。
    (時間を稼いだ間に、兵が集まってくれたか。この中庭を囲む形で三方、彼奴の背後と左右に弓兵が構えてくれておる。庭の出入り口にも大勢寄っておる。恐らく合計して100人と言ったところか。
     だが、下手に動けば吾輩を含めたこの100人すべて、先の4人と同じ末路をたどるであろう。それほどの手練だ。どう動くべきだ? どう動けば、この鬼神を退けられる?)
     と、崩れた廊下の窓から、ミェーチがこの砦の中で、いや、この世で最も篤(あつ)い信頼を置く者の顔がのぞく。
    (シェロ! この騒ぎを聞き付けて、やって来てくれたか! ……どうする?)
     シェロに目配せすると、彼はこくんと小さくうなずき、右手を左右に振り、続けてその手を、ミェーチに手招きする形に引いた。
    (左右から攻める間、吾輩らは押して動きを止めさせろ、か。相分かった)
     ミェーチは弓を構え、号令を発した。
    「弓兵、全員攻撃せよ! 槍兵はそのまま前進だ! 彼奴を押し潰せーッ!」
     号令に従い、ジーンに向かって一斉に矢が放たれる。だが――。
    「うっ……!」
    「ひでえ!」
    「な、何と言うことを!」
     ジーンは先程斬り殺した兵士の体を持ち上げ、それを盾にして矢を全弾防いでしまった。
    「何と言う邪悪……! 殺すだけでは飽き足らず、そこまで嬲りよるかッ!」
     ミェーチの頭にかっと血が上った次の瞬間、ほとんど無意識に、彼は矢を放っていた。
    「ふん」
     が、これもジーンは遺体を盾にして防ぎ、全身くまなく矢が突き刺さったその残骸を、ぽいと投げ捨てた。
    「次はどうする? このまま槍兵を進めさせるか? それとも上にいる奴らをけしかけるか? 好きなように攻めるが良い」
    「う……ぐ……」
     あまりにも平然とした態度を続けるジーンに、ミェーチも、そしてシェロも、次の手を打ちあぐねた。
    「来ぬか。無駄だと悟ったようだな。であれば余の手番であるな」
     そう言って、ジーンは槍兵たちの方へと自ら歩いてきた。
    「あ……わわ……」
    「へ、陛下、ご命令をっ」
     悠然と歩いてくるジーンに恐れをなし、槍兵たちの隊列が乱れる。その瞬間、ジーンは一気に距離を詰め、兵士たちの中へと飛び込んで来た。
    「ひぎゃ……」
    「がはっ……」
    「うわっ、うわっ、う」
    「く、来るな、来るっ……」
     周囲の兵士たちはこま切れにされ、簡単に包囲が破られた。
    「陛下!」
     絶叫にも近い声を上げ、シェロが指示を送る。
    「逃げて下さい! 敵いません! 皆もだ! 全員撤退! 全員、撤退せよ!」
    「先程からぶんぶん、ぶんぶんと」
     20人ほどを惨殺したところで、ジーンがぐるん、と後ろを向いた。
    「小うるさい蝿がいるようだな。察するにお前がこの砦の次官、シェロ・ナイトマンか」
    「……っ」
     次の瞬間、ジーンは4メートル以上も跳躍し、自分が断ち割った廊下にふたたび入り込んだ。
    琥珀暁・遠望伝 4
    »»  2020.06.19.
    神様たちの話、第287話。
    梟雄と暴君。

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    5.
     ほんの2、3秒前まで階下にいたはずのジーンが目の前に降り立ち、シェロは狼狽する。
    「うわ……!?」
     慌てて剣を構え、ジーンと対峙するが、シェロはこの時、己の末路を直感していた。
    (……やべえな。こんなのとマジにやり合ったら、どんなに考えても俺が死ぬ予感しか無えよ)
    「わざわざ海の向こうより訪れ、賤民共に味方する狂人がおると耳にしていたが、実際会ってみれば何のことは無し、年端も行かぬ小童ではないか。まあ、道理の分からぬ痴れ者と言う点では、同じことだが」
     ジーンは剣を下ろしたまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
    「しかし余の世界にいらぬ波風を立ててくれた者共の一人であることだ。生半可な処罰では、余の心は到底満足できぬ。となればどうするか? ふーむ、首を落とす程度ではつまらぬな。八つ裂きでもちと物足りぬ。焼いた石で挟むのはそこそこと言ったところであるが、今の気分では無い。腹を裂いて放っておくのは中々の愉悦であったが、流石に見飽きたし。はて、今回はどのように処したものか」
    「……っ」
     自分をなぶり殺しにする言葉を平然と連ねられ、シェロの背筋に冷たいものが走る。
    (冗談じゃねえ……! 何を楽しそうにッ!)
     シェロはジーンから視線を外さないようにしつつ、周囲の気配を探って打開策を考える。
    (簡単には逃げられない。中庭からココまでジャンプしてきやがった奴だぞ? 俺が背中見せて逃げようもんなら、2秒とかからず追いついて、そのまんま一刀両断だろうな。
     勿論、正面切って一対一で戦うのも無理だ。コイツの強さは、間違い無くアイツ以上だ。となりゃ絶対負ける。義父(おやじ)と一緒なら何とかなるかも知れねえけど、さっき手当てしてもらってたみたいだし、ソレが足とかひざとかだったら、こっちに駆け付けるには時間がかかるだろう。来てくれるまでコイツが呑気に待っててくれるってのか? 絶対無えよ)
     シェロは周囲の弓兵たちをチラ、と見て、策を組み立てる。
    (さっきと違って、ココには矢をさえぎれるようなモノは無い。コイツが廊下に入ってきた時、弓兵はビビって後退してくれたおかげで、俺以外の誰を盾にしようにも、流石に遠すぎる。さっきみたいに他人を盾にしようなんてクソみたいなコトはやらせねえ。……なら、コレだ!)
     思い付くと同時に、シェロは周囲に命令した。
    「弓兵、全員掃射! コイツを討てッ!」
     命じられるがまま、弓兵は矢を放つ。
    「ふん」
     飛んで来た矢を避けつつ、ジーンはシェロとの距離を詰める。
    (やっぱり来たな。今、完全に防御しようと思ったら、俺を盾にするしか無えもんな)
     矢の雨の中、ジーンは後一歩でシェロの体をつかめると言うところまで肉薄してきた。
    (今だッ!)
     シェロはわざと剣を遅めに、そしてジーンの顔を狙って振る。
    「なんだ? それで攻撃しているつもりか?」
     ジーンはその剣の切っ先を右の親指と人差し指でつまみ、事も無げに止めた。
    「それとも余に怯え……」「らああッ!」
     ジーンが何か言いかけたその瞬間、シェロは剣から手を離し、がら空きになっていたジーンの右胸に、目一杯拳を突き込んだ。
    「うっ、ぬ……ぅ」
     ぱき、と乾いた音を立てると共に、これまで薄ら笑いを浮かべていたジーンの顔に、初めて苦しげな色が差した。
    「き、さ……まっ」
     ジーンはつかんでいた剣を落とし、折れたであろうあばらに手をかざす。
    (ケッ、攻めるのは大好きでも攻められんのは苦手か? このクソ野郎ッ)
     大きな隙を見せたジーンの顔に、シェロはもう一度拳を叩き込んだ。
    「ぐぬっ!?」
     シェロより頭半分ほど低いジーンの体が、一瞬浮き上がる。
    (ものすげえジャンプだとか滅多切りだとかでちょっとビビってたけど、……なんだよ? 肉弾戦に持ち込んだらイケるのか?)
     ジーンは鼻から血を垂らし、ひざを着く。
    「……ぐ……くく……」
    「オラ、俺をブッ殺すんじゃねえのか!? んなトコでうずくまってないで、かかって来いよ!」
     優勢と見て、シェロは猛った声を上げる。
    「来ねえってんならッ……!」
     シェロは床に落ちていた剣を拾い、そのままジーンに斬りかかろうとした。

     だが、完全にジーンの頭に振り下ろしたはずの剣は、依然、床の上に落ちたままだった。
    「……え」
     とっさにもう一度つかもうとして――そこでようやく、シェロは自分の右腕が、剣の隣に転がっていることに気付いた。
    琥珀暁・遠望伝 5
    »»  2020.06.20.
    神様たちの話、第288話。
    希望は遠く、消え去るのか。

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    6.
    「う……うわあああっ!?」
     おびただしい血を噴き出していた自分の右腕をようやく確認し、シェロは絶叫する。
    「どう……した? 貴様の言う通り、仕掛けてやった……ぞ」
     まだボタボタと鼻血を流しつつも、ジーンはいつの間にか剣を抜いており、フラフラと立ち上がった。
    「て、てめっ、お、俺の、腕をっ」
    「どの道……貴様は、死ぬ運命だ。腕の一本や二本、失ったとて……どうと言うことはあるまい?」
    「ああ、あ、ううっ」
     呼吸を乱し、気を失いそうになりながらも、シェロは踏みとどまり、自分の右腕を拾って距離を取る。
    「はう、うっ、……ふうっ、……はあっ」
     荒れた息を整え、止血を施しつつ、シェロはジーンに目をやる。
    (わ……らって……やが……るっ)
     ジーンはこの間ずっと攻撃もせず、近寄りもせず、薄気味悪い笑みを浮かべて、シェロの行動を眺めていた。
    「ふむ」
     と、ジーンがその顔のまま口を開く。
    「そう言えば貴様らには妙なうわさが立っておったな。何やら、人知を超えた術を使うそうではないか。触れもせずに人を吹き飛ばし、たちどころに人を眠らせるとか。
     普通、腕を失えばそれきりだ。元通りにつなげられはせん。拾ったところで、何の意味も無い。ましてや小知恵を振りかざして軍を動かす貴様のこと、ここで無為な所業をするとは思えぬ。問おう。何故貴様は役に立たぬはずの己の右腕を拾った? 腕が元通りになる術があるとでも言うのか?」
    「……っ」
    「答えぬか。流石に小賢しいだけある。己の手の内は簡単にさらさぬと言うわけだ。だが沈黙は結局、答えているのと変わりあるまい。つまり『ある』と言うことだ。ふーむ……」
     ジーンはそこでようやく、シェロとの距離を詰め始めた。
    「つまり貴様らは多少の負傷を与えたところで治癒できる、と言うわけだな。なるほど、なるほど、……くくく、なるほど」
     シェロも逃げ続けるが、ジーンとの距離はじわじわと詰まっていく。
    「実に面白い。それを手に入れれば、余の処刑もより一層愉悦(ゆえつ)が増すと言うものだ。加減なぞ考える必要無く、何度でもなぶれると言うことだからな。くくく、くくくくく」
    「……~ッ」
     さらりと恐ろしげな言葉を吐かれ、シェロはふたたびぞっとさせられた。
    (コイツ……狂ってやがる)
     耐え切れず、シェロは全速力で逃げ出す。
    「くくくくく……逃さんぞ!」
     続いてジーンも、シェロの後を追おうと動きかけた。

     と――。
    「させんぞッ!」
     がん、と強い糸を弾く音が廊下に響き、ジーンの脚に矢が突き刺さる。
    「うぐう……っ」
     ジーンが倒れたところで、ミェーチの怒鳴る声がシェロに届いた。
    「シェロ! この場は吾輩が止める! お前はリディアを連れて外へ!」
    「陛下!」
     ミェーチは多数の兵士を連れ、ジーンを取り囲んだ。
    「お、俺も……」
     戻りかけたシェロを、ミェーチがもう一度怒鳴り付ける。
    「バカモン! その腕でどうにかできるのか!? 早くリディアに治してもらえ! そして直ちに逃げるのだ!」
    「逃げ、……そんなこと!」
    「吾輩らには抑えるので精一杯だ! 今、お前やリディアまで死ねば、一体誰が後に残ると言うのだ!?
     逃げるのだ、息子よ!」
    「……っ」
     それ以上何も言えず、シェロはその場から逃げ去った。



     シェロはリディアと、そして十数名の兵士らと共に、砦から脱出した。
    「……くそ……」
     リディアの術で治してもらった腕で手綱を握り、馬車で街道を駆ける最中、シェロは砦の方角を振り返り――砦のあちこちからごうごうと火柱が上がり、燃え盛っているのを確認した。
    「……ねえ、あなた」
     リディアが震える手で、シェロの袖を引く。
    「お父様は……無事ですよね?」
    「……」
     何も答えられず、シェロは黙り込むしか無かった。

    琥珀暁・遠望伝 終
    琥珀暁・遠望伝 6
    »»  2020.06.21.
    神様たちの話、第289話。
    落ち延びて。

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    1.
     城下町、と言うと城のすぐ近くに形成される印象があるが、それは平和な時代の話である。いつ攻め込まれるか分からないこの暗黒の時代において、敵が優先的に攻撃目標にするような、そんな危険地帯に居を構えたがる民は――兵役に就いている者を除き――そうそうおらず、ミェーチ王国の城下町に当たるこの村も、砦から西北西へ20キロほど離れた川向いに築かれていた。
    「若、報告いたします」
     どうにかこの村に逃げ込んだシェロの元に、同様に逃げ延びてきた兵士たちから、襲撃の経緯が伝えられていた。
    「結論から申し上げますと、砦は陥落しました。殿は我々に逃げるよう命じ、最後まで戦っておられましたが、恐らく今はもう……」
    「そうか。……そうか」
     シェロは顔を覆い、もたれかかるように椅子に座り込んだ。
    「敵は何名いたんだ? まさか1人だけじゃないよな」
    「……1名です」
    「こんな時に冗談なんか聞きたくない。たった1人で陛下を討ち取り、多くの兵をなぶり殺しにし、その上砦を焼き討ちしたって言うのか?」
    「冗談でも、嘘でもございません。私も、他の者も、あの銀髪の男以外に敵を見た者はおりません。……その、銀髪の男に関して、もう一つ報告がございます」
    「なんだ?」
    「あの男が、自分でこう名乗っておりました。『余はレン・ジーン。帝国の最頂上に君臨する、天の星である』と」
    「……なんだと?」
     シェロは立ち上がり、兵士の襟をつかんだ。
    「ふざけてんのか!? いきなり敵の総大将が単騎で俺たちの砦に乗り込んで来てムチャクチャやりやがったって言うのかよ!?」
    「……そうで、あると、しか」
    「ぐっ……」
     シェロはふたたび座り込み、深いため息をついた。
    「ああ……、マジかよ? マジで一人で、乗り込んで来たってのか? 大体、防衛線が破られたなんて話も無いってのに、どうやって西山間部まで侵入してきたんだ?」
    「防衛線に駐留している者と『頭巾』での連絡を行ったところ、異常は見られなかったと。どの箇所も、問題無く機能していたそうです」
    「ああ、俺もそう聞いた。……怒鳴ったよ。『んなワケあるか』って」
    「私も、同じ気持ちです」
     と、そこへリディアがやって来る。
    「エリザ先生との連絡が終わりました」
    「そうか。……何て言ってた?」
    「『急いで向かう』と。今はオルトラ王国東部にいらっしゃるそうです。そちらからも兵士を集めて、こちらへ戻って来ていただけるとのことです」
    「分かった。……悪いな、お前にまでそんなことを頼んで」
     頭を下げるシェロに、リディアは首を横に振った。
    「今は大変な時ですもの。わたしにもできることがあれば、何でも言って下さい」
    「ああ。ありがとう、リディア」
     ひとまず危機を脱し、愛する者と会話を交わしたせいか、シェロの心も若干の落ち着きを取り戻す。
    「……よし、……じゃあ、まずは、……そうだな、防衛線ともう一度連絡を取ろう。こっちの混乱に乗じて攻め込まれるってコトは十分有り得るからな。まだ俺が残ってるコトを伝えれば、混乱も収まるだろう。……考えてみれば砦を襲ったのはむしろ、そのためなのかもな」
    「と申しますと?」
     けげんな表情を浮かべる兵士らに、シェロは細かく説明する。
    「今、帝国にとって重要なのは、防衛線の突破だ。アレがある以上、西山間部への再侵攻はできないからな。だからっていきなり防衛線を攻撃するのは、無謀もいいところだ。皇帝、……いや、ジーンは確かにムチャクチャ強かったけど、いくらなんでもあの防衛線を一人で破壊できるワケが無い。
     だけど機能させなくするってコトなら、指示を出すヤツを消しちまうだけで事足りる。だからこそ司令中枢である砦が襲われ、最高責任者である陛下が狙われたんだ」
    「でもそれだと、今度はあなたが狙われるんじゃないですか?」
     リディアの言葉に、シェロははっとする。
    「確かにな。うかつに動けば、今度は俺が、……か。だけどこのまま放っておけば防衛線の連中は混乱するだろう。そうなりゃいずれ突破される。指示は出さなきゃならない。
     だからその間に、俺たちは急いで先生と合流しよう。攻撃魔術の大家でもある先生と一緒にいれば、あんなヤツに不足を取るコトは絶対無い。当座の危機は、ソレで何とかしのげるはずだ」
    琥珀暁・夜騎伝 1
    »»  2020.06.23.
    神様たちの話、第290話。
    長い夜。

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    2.
     既に日は落ちていたが、シェロたちは早急にエリザと合流すべく、村を出発した。
    「先生とは、どのくらいで落ち合えるのですか?」
     手綱を握る部下に尋ねられ、シェロは頭の中で計算を立てつつ答える。
    「そうだな……、連絡してからもう30分は経ってるし、先生がいたトコからココまでは普通に馬車を走らせて3時間ってトコだから、こっちとあっちが同じくらいの速度で進んでるとして、……まあ、1時間とちょっとってトコだろう」
    「それまでに襲撃されることは……」
     不安げな様子でつぶやくリディアに、シェロは首を横に振って見せる。
    「あるワケ無いさ。ヤツははるか後方だ。俺たちが村にいる間に迫ってきたって報告は無いし、村の横を通り過ぎて待ち構えてるなんてコトも、する意味が無い。んなコトやるなら村に直接乗り込めばいいんだからな。そのどっちも起こってないなら、ともかく前方に危険は無いってコトになる。
     不安になるのは分かる。分かるけど、気にしすぎってヤツだよ、リディア」
    「そう……ですよね」
     そう答えてはいたが、依然としてリディアの顔から不安の色は抜けていない。シェロは何か言って、彼女の気を紛らわせようかとも考えたものの――。
    (何て言やいいんだよ? 親父が死んだ直後だぜ? どんなコトを言ったって、俺じゃきっと、リディアを安心させられねえよ。……あーあ、マジにエリザ先生みたいな話術だとか、ものスゴい魔力だとか、そんな才能が俺にあったらいいのに。そのどっちかでも今日の俺に備わってたら――今、リディアにこんな顔させやしないし、そもそも義父は死ななかったかも知れない。
     悔しいぜ……。悔しくてたまんねえ。尉官に張り合ってた時なんかよりもっと、俺は力が欲しいよ。俺にもっと力があれば、こんなコトにならなかっただろうに)
     いくら考えを巡らせても、シェロの脳内には何一つ、楽天的な発想が浮かんでくるようなことは無かった。

     その時だった。
    「……ん?」
     馬車を引いていた馬2頭の、右にいた方が体を震わせて立ち止まる。
    「どうした?」
    「さあ……? おい、止まるな」
     御者台に座っていた兵士が手綱を繰るが、馬は立ち止まったまま、ぴくりとも動かない。それどころか、がくんと膝を着いてその場にうずくまってしまう。
     それにより、シェロたちは馬に起こったその異常に、ようやく気付くことができた。
    「うっ……!?」
    「く、くっ、首が……」
    「……無い!?」
     うずくまった馬の頭が、どこにも見当たらない。
    「……て、……敵襲! 敵襲だ!」
     シェロがいち早く立ち上がり、声を上げる。それに応じ、馬車の中にいた兵士たちが慌ただしく武器を取り始めた。
    「なるほど、手慣れておる。危急の際にも冷静であるな」
     と、馬車の外から声が響く。と同時に、兵士の一人の腹の中から、剣の切っ先が飛び出した。
    「は……うっ……」
     ずるんと剣先が消えると共に、その兵士の口と腹からおびただしい血が流れ出る。
    「だが、鈍(のろ)い。手を打つまでが致命的に遅い。そんな体たらくでは、余を討つなど絵空事も同然ぞ」
     兵士が倒れ、その後ろに空いた幌(ほろ)の穴からもう一度剣先が覗き、そのまま幌が縦に切り裂かれる。
     そこに現れたのは紛れも無く、レン・ジーンだった。
    「ど、どうして……?」
     状況について行けず、シェロはうめくようにつぶやく。それを受けて、ジーンが尋ね返す。
    「それは何についての問いだ? 馬車を襲ったことか? それとも余がここにいることか? 前者は答えるまでも無かろう。貴様らを逃がすつもりが余には無いからだ。後者についても、今更論じるまでもあるまい。余が全知全能の、天の星であるからだ」
    「あ……あなた……っ」
    「お、俺の後ろにいろ!」
     リディアをかばい、シェロが前に出る。それを見て、ジーンは薄い笑みをシェロに向けて来た。
    「それは貴様の女か? ケダモノを伴侶にするとは、下劣な趣味よの」
    「けだも……っ!?」
     自分の妻を罵られ、シェロは憤る。
    「てめえにそんなコトは言われたくねえなあ……! 20年、他人を散々面白半分にいたぶってきたヤツの方がよっぽど、ケダモノじゃねえかッ!」
    「皇帝たる余の所業が、お前のごとき小人に理解できるとは思うておらぬ。憤りをさえずりたくば好きなようにさえずるが良い。余は構わぬぞ」
     薄い笑いを浮かべたまま、ジーンはたった今刺し殺した兵士の首をつかみ、外へと放り投げる。
    「残りは1人と4匹か。さてさて、如何様に処してやろうか」
    「……させねえッ」
     ジーンの動きが止まったその一瞬の隙を突き――シェロはジーンに飛びかかった。
    琥珀暁・夜騎伝 2
    »»  2020.06.24.
    神様たちの話、第291話。
    "Night" become "Knight"。

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    3.
    「あなた!?」「若!」
     妻や部下たちの声を背中に受けながら、シェロはジーンと共に馬車の外へと飛び出した。
    「行け! 俺に構わず逃げろ!」
     地面を転がりながら、シェロは馬車に向かって叫ぶ。
    「そ、そんな……」「俺が止める! 逃げるんだッ!」
     加勢しようとした部下に叫び返し、シェロは馬車を背にする形で立ち上がった。
    「き……さま」
     流石のジーンも、シェロが捨て身の行動に出るとは予想していなかったらしい。どうやら受け身も取れなかったらしく、よろよろとした仕草で立ち上がった。
    「余の玉体をこうまで傷付けた男は、貴様が初めてだぞ」
    「そりゃあ良かったな、クソが」
     シェロは剣を抜き、ジーンと対峙する。
    (……行ったか)
     その間に背後の気配を探り、馬車が動き出したことを確認する。
    「この屈辱、どうして晴らしてくれようか」
    「じゃあ俺は恨みを晴らしてやるよ。てめえのせいで俺は今日、大事な人や仲間を何十人も失ったんだからな」
    「取るに足らぬ。ケダモノの数十匹がどうだと言うのだ」
     ジーンも剣を構え直し、シェロとの距離を詰め始めた。
    「問おう。貴様は本当に、あのようなケダモノどもが、自分と同じヒトだと思っておるのか?」
    「思うさ」
     シェロもにじり寄りつつ、相手の出方を探る。
    「道具を使える、服も着てる、言葉を交わせる。コレだけアタマ使えるコトができて、てめえは耳や目の形が違うだの、尻尾が付いてるだのって理由だけで、あいつらが人間じゃないって言うのか?
     てめえのちっぽけな常識が世界の常識だと思ってんじゃねえぞ、カス野郎」
    「ヒトはそのわずかな違いこそが許容できぬ生き物だ」
     ジーンも出方を図っているらしく、構えたままで会話に応じてくる。
    「己の使う手が右か左か。己の食らう物が肉か魚か。己の着る服が布か革か――ヒトはそんな些末なことで一々、くだらぬ争いを繰り広げる生き物だ。争う限り、ヒトはまとまりはせぬ。であればどんな細かなことであれ、『差異』は取り除くべし。我が世の平和を築くためには、だ」
    「ソレがちっぽけだっつってんだよ」
     両者とも牽制し合い、円を描くように動いていたが、ここでシェロが一歩前に出る。
    「てめえはそのちょっとした趣味の違いとやらで人を殺すのか? 他の人間もみんなそうだってのか? 少なくとも俺の周りにそんなバカはいねえよ。ヒトは話し合う生き物だからな。ケンカするはるか手前で、どうすりゃいいかって話し合うのがマトモな人間だろ?
     左利きがいるんなら、どっちの手でも使える道具を作りゃいい。肉好きに魚を勧めたら、案外食うかも知れねえさ。布と革を合わせてみりゃ、イケてる服ができるかも知れねえ。ドレもコレも全部、意見が違う、趣味が違うってヤツらが話し合って、意見を出し合ってやるコトだ。
     てめえはソレをやらねえ。話し合う前に殺す。他人の意見を、いいや、他人そのものを顧みねえ。自分の常識が世界基準だと思ってる、ちっぽけなアホだからだ」
    「やはり貴様は、余の崇高たる考えを理解できぬ小人であるな。これ以上の会話は無為であろう」
     ジーンも一歩、前に踏み出す。その瞬間、シェロが強く踏み込み、一気に間合いを詰めた。
    「はあああッ!」
     大きく横薙ぎに振りかぶり、シェロはジーンの首を狙う――と見せかけた。
    (業を煮やして俺が飛び掛かってきた、……と思わせる)
     当然、ジーンは即応し、一歩引いて攻撃をかわす。と同時に剣を垂直に振り上げ、シェロの腹を狙ってくる。
    (ほらな、そう来た)
     その剣閃の一歩手前で右足を着き、シェロはぐるんと一回転する。
    「うぬ?」
     ジーンの剣は完全に空振りし、シェロの着ていたコートのフードを裂くに留まる。その間に一回転してきたシェロの剣が、ざく、とジーンのほおをかすめた。
    「おう……っ!?」
     反応したジーンに、シェロは舌打ちする。
    (コレも避けるってのか……どんな反射神経してんだよ、コイツ?)
     もう半回転したところで、シェロはばっと跳び、ジーンとの間合いを空ける。
    「ふむ……ふむ……そうか……くくくく」
     一方、ジーンはほおから流れた血を拭いもせず、薄い笑いを浮かべている。
    「思っていたよりしたたかな男よ。この余をたばかるとはな」
    「言ったろ? てめえはちっぽけなカスだってな」
     そう返し、シェロは剣を構え直した。
    琥珀暁・夜騎伝 3
    »»  2020.06.25.
    神様たちの話、第292話。
    身を賭した一撃。

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    4.
     相手をなじり、優位を取り繕おうとはしていたものの、シェロの内心には苦い思いがにじんでいた。
    (やり辛くなった……! 油断してる間に、初太刀で殺るつもりだったが)
     それでもシェロは、懸命に次の手を打つ。
    「そらよッ!」
    「食らうかッ!」
     シェロの予想通り、二太刀目はあっさり防がれ、間髪入れずにジーンの反撃が飛んで来る。
    「ぐ……っ」
     どうにか受けるも、剣に伝わるその感触から、シェロは己の攻撃の機会が狭められつつあることを察していた。
    (クソが……剣が欠けやがった! こっちは鉄製だってのに! 向こうで製鉄してるって話は聞いてねえぞ!?)
    「顔色が悪いぞ、海外人」
     シェロが感じた劣勢をジーンも気取ったらしく、薄い笑みを歪めてくる。
    「何か不都合でも生じたか?」
    「ヘッ」
     ジーンの問いには答えず、シェロはもう一度斬り掛かる。
    「先程より太刀筋に勢いが無いぞ。察するに剣が折れるか欠けるかしたようだな」
     ばきん、と音を立て、ジーンはシェロの剣を叩き折った。
    「う……っ」
     真っ二つになり、元の半分以下になってしまった剣を見て、シェロは状況が絶望的になったことを悟った。
    「剣が無くては最早、余を討つ機はあるまい。万策尽きたな」
    「……」
     シェロは剣を捨て、懐から短剣を取り出す。
    「まだだ。まだ、手は残ってる」
    「無駄なあがきだ」
     明らかに興が冷めたような顔をし、ジーンはシェロとの間合いを詰める。
    「これで決着だ、海外人」
     どす、とシェロの胸をジーンの剣が貫き、シェロの動きが止まる。
    「か……は……」
     が――シェロの意識はまだ、辛うじて保たれていた。
    (……よっ……しゃ……来やがった……!)
     力を振り絞り、シェロは握っていた短剣をジーンの胸に刺した。
    「うあ……!?」
     ばっと体を離し、ジーンは己の胸に突き立てられた短剣をつかむ。
    「き……きさ……まっ……」
    「……や……った……ぜ……」
     シェロはがくんと膝を着き、その場に座り込む。
    「うぐ……ぐ……ぐっ……ふぐっ……」
     ジーンは慌てた様子で短剣を胸から抜くが、途端に鮮血が地面に降り注ぐ。
    「ごば……っ」
     口からも大量に吐血し、ジーンも倒れる。
    「貴様……まさか……相討ちを……!」
    「……へっ……へへ……」
     既に意識がかすみ始めていたが、シェロは笑い声を絞り出した。
    「何故だ……何故……貴様は……そうまで……!?」
    「……だから……だ……」
     自分の中から力が抜けて行くのを無理矢理押し留めながら、シェロは最期に吐き捨てた。
    「……てめえと違って……俺は人間だからだ……好きなヤツの……ために……なんか……しなきゃ……って……思うのが……」
     台詞を吐き切るまでには息が続かなかったが――意識が消えゆくその瞬間、シェロは満足感を抱いていた。

     2つの血溜まりの中、両者とも、ぴくりとも動かない。どちらも事切れているのは明らかだった。
     いや――。
    「起きろ、レン」
    「……」
     うつ伏せに倒れている方に、一つの黒い影が近付く。
    「胸を刺された程度で、『御子』たるお前が死ぬはずもあるまい。起きろ、レン」
    「……あ……るか」
     びくん、と体を震わせ、血溜まりの中から起き上がる。
    「……すまぬ……不覚を取った」
     ふらふらと立ち上がったジーンは、傍らの黒いフードに向き直る。
    「まさかこの小童に、こうまでしてやられるとはな」
    「精進することだ。二度は許さんぞ」
    「承知しておるわ」
     ジーンは穴の空いた血まみれのシャツを破り、己の胸を確かめる。
    「うむ……痕も残らず塞がっておる。貴様にはつくづく感謝せねばならぬようだな、アル」
    「その意を示すのであれば、覇業を全うすることだ」
    「うむ」
     ジーンはフードの男、アルから替えのシャツを受け取りつつ、もう一つの血溜まりに目を向ける。
    「敵ながら見事な男であった。余は特別の敬意を向けてやろう。貴様には……」
     シャツを着終えたジーンはその亡骸に近付き――剣を振り上げた。
    「我が帝都を見渡す名誉をくれてやる! その首一つで余の栄華を、心ゆくまで味わうが良いッ!」



     翌日より、帝国首都フェルタイルの宮殿前広場に敵将シェロ・ナイトマンの首と、ジーンの剣を突き立てられたままの体が並んで置かれた。
     寒冷地であるためその首と体とが腐り切るまでに十数日を要し、その十数日に渡って群衆の目と風雨に晒され、徹底的に辱められることとなった。
    琥珀暁・夜騎伝 4
    »»  2020.06.26.
    神様たちの話、第293話。
    一縷の望み。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     シェロがリディアたちをジーンから逃がした、その30分ほど後――。
    「おっ……? アレ、ミェーチさんトコの子らやないか?」
     リディアの連絡を受け、街道を引き返していたエリザたちは、彼女らと合流することができた。そして聡明なエリザは、幌が破られボロボロになった馬車と、その大きさの割に馬が1頭しかいないことから、彼女らの身に何が起こったかを察した。
    「シェロくんは?」
     尋ねたエリザに、兵士たちの一人が答える。
    「若は、……皇帝から我々を逃がすために、一人で残られ……」
    「……そうかー」
     エリザは馬車の中に目をやり、リディアが真っ青な顔で震えているのを確認してから、兵士たちと周りの者にてきぱきと指示を送った。
    「みんなアタシの馬車に乗り。アンタらの馬車はココら辺に放っとき。残った馬はアタシの馬車につないで。イサクくん、お茶4人分出して。ロウくんも毛布出したってや。リディアちゃん、立てそうか?」
    「は、はい」
    「気分は? や、そら悪いやろけど、吐きそうとかお腹痛いとか、そんな感じはあるか?」
    「いえ、大丈夫です」
    「ほんならこっち来て」
    「はい」
     リディアはエリザの手を取って馬車を降り、彼女に引かれるまま歩き出す。
    「しっかりしいや」
     うつろな目をしていたリディアに、エリザが声をかける。
    「一日で、いや、半日もせん内の間に色んなコトが起こって、アタマん中ぐわんぐわんなっとるやろけどな、アンタが今しっかりせな、お腹の子が危ななるで」
    「はい」
    「少なくともな、アタシがおる今なら何も不安になるコトはあらへん。ソレはアタシが保証したる。安心し」
    「……はい」
     エリザはリディアの肩に手を置き、もう一言付け加えた。
    「今は何も考えんとき。考えそうになったらアタシに声を掛け。気ぃ紛らわすくらいのコトやったらなんぼでもしたるから」
    「……ありがとうございます」

     エリザは元々泊まっていた町までリディアたちを送り、手早く手配と情報収集を進めた。
    「ロウくん、ご飯もん買うて来て。全員分やで。……うん、うん、やっぱりソイツ、皇帝さんや言うてたんやね。……アンタは新しい馬の調達よろしゅう。カネは言い値で構へん。……そうか、防衛線は異状無し、と。……ほんでユーリくん、宿屋さんに予約の変更伝えといて。で、リディアちゃんらはしばらく逗留するように言うとってな」
     と、宿について指示された丁稚がきょとんとする。
    「ミェーチさんはここに残すんですか?」
    「身重の子やで? しかもダンナとお父さんがついさっき殺されたところやし、どんだけショック受けとるか。ココから沿岸部までの道のり考えたら、無理矢理連れてくよりココで安静にさせといた方がええやろ」
    「分かりました」
    「……あー、と」
     宿の受付に向かいかけた丁稚の手を引き、エリザはこう付け加えた。
    「アタシらはこのまま沿岸部向かうけど、アンタはココに残っといてくれへん?」
    「俺ですか?」
    「2個な、気になるコトもあるし。このまんまリディアちゃんを放っとく言うのんも具合悪いやろ? どんな様子か、一日一回『頭巾』で連絡よこして欲しいんよ」
    「あ、なるほど」
    「後もいっこは、言うたら『監視』やね。一応な、リディアちゃんにもゼロさんやらゲートやらとお話さしたコトがあるし、向こうと連絡しようと思えばできるねん。リディアちゃんも心細うなっとるやろし、アタシがいなくなった後で、もしかしたら連絡するかも分からんしな。でも下手にこの現状を知らせたら、ちょとまずいコトになるかも分からへんやろ?」
    「ああ……そっちの王様が神経質になってるって言ってたヤツですか」
    「せや。正直、ゼロさんがどんな行動に出ようとするかは読み切れんし、過敏に反応して全軍引き上げみたいなコトを言い出すかも分からん。そんなんされたら撤回させるにしても無視するにしても、後々困ったコトになるやろし。そんなめんどいコトになる前に、連絡自体させへんようにしとった方がええやろ」
    「じゃあ、俺がずっと見張ってる感じですか」
    「や、ソレはアカンやろ。リディアちゃんも嫌がるやろし。隣部屋で『フォースオフ』くらいでええやろ」
    「え? でもそれだと、女将さんへの連絡も……」
    「ほら、昼くらいに話しとったやん? 正午だけグリーンプールからの連絡受ける、て。その後くらいに連絡くれれば問題無いやろ」
    「了解っす」
    「頼んだで」



     こうして密かに連絡遮断を仕込んだ上でリディアを西山間部に残し、エリザは沿岸部へと戻って行ったが――このことがエリザと、そして遠征隊全軍に、思わぬ幸運をもたらすこととなった。

    琥珀暁・夜騎伝 終
    琥珀暁・夜騎伝 5
    »»  2020.06.27.
    神様たちの話、第294話。
    騒ぐ遠征隊。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     大急ぎで沿岸部、グリーンプールに戻って来たエリザたち一行を、兵士たちが出迎えた。
    「お、ご苦労さん」
     会釈しつつ、エリザは彼らの表情を見定める。
    (ビートくんの話聞いてからもう1週間ちょい経っとるし、トップの仲違いは下にももう伝わっとる頃や。となると下の人間が出る行動は3つ。混乱をきたして解決策――ま、アタシやな――が現れるまでまごついて困った顔しとるか、自分たちだけでも平静を繕おうとして疲れ切った顔しとるか、さもなくば……)
     と、兵士たちは意を決したような表情をエリザに向け、彼女が予測していた3つ目の行動に出た。
    「先生! 先生はどちらに付くのですか!?」
    「なんて?」
    「ご存知では無いかも知れませんが、今現在、遠征隊はシモン隊長派とタイムズ殿下派に分かれて対立しております! 直接の戦闘こそ起きてはおりませんが、それもまもなくのことではないかと……」「あー、と」
     エリザはにこっと笑みを返し、やんわりとさえぎった。
    「疲れとるんよ。ゴメンけど通してくれるか?」
    「す、すみません! ですが今、城の方へ向かうとなると、ご自分の立場をはっきりさせねばかえって危険ではないかと……」「なあ」
     なお話を続けようとする兵士に、今度はやや強めの語調で諭す。
    「アタシ疲れとる言うたやんな? そんな大事なコトをぼんやりしたアタマで聞いて、ハキハキっと答えられると思うか? よしんば答えたとして、ソレがちゃんとした理屈の上で出て来た、マトモな答えやと思うか? 今聞いてもろくなコトにならんで」
    「お、仰ることは理解できますが、しかし……」「ほんでな、アンタ」
     それでもまだ話を続けようとしたので、エリザはばっさりと言い切った。
    「その話、アタシの身が危険やなんや言うとったけど、アタシの心配して切り出したんや無いやろ? アタシがどっちに付くかで自分もそっち付こかと思てるんやろ? アタシが乗っかった側が安全やろと、そらみんな思うやろしな」
    「あ、う……」
     どうやら図星だったらしく、兵士はようやく口をつぐんだ。
    「ほな行くわ。変な気は起こさんようにな。後で恥かくで」
    「……りょ、了解です」
     敬礼し、それ以上しゃべらなくなった兵士に背を向け、エリザはそのまま丁稚を伴って城へと向かった。

     エリザが戻って来たことはすぐに兵士たちの間に伝わり、彼らは城の周りに集まって来ていた。
    「先生!」
    「お帰りなさい!」
    「お待ちしておりました!」
    「あー、はいはいはいはい、ただいま」
     居並ぶ兵士たちにぺらぺらと手を振りつつ、エリザは釘を差した。
    「アンタらもどっち派とか言うとるクチか? 言うとくけどな、そんなもんアタシが真面目に考えると思とるんか?」
    「えっ? ……い、いや、しかし」
    「その辺のしょうもない話は今、この場で忘れよし。アタシが何とかしたるさかいな。分かったか?」
    「しょ、承知しました」
    「分かったら持ち場に戻り。街の人が心配しよるで」
    「はっ、はい!」
     敬礼し、応じたものの、兵士たちの大半がまだ、その場から動こうとしない。
    (……あーっ、しょうもな!)
     白けた思いを懐きつつ、エリザは城の中に入り、中庭まで進んだ。
    「あー……、コホン」
     中庭の中央で立ち止まり、エリザは奥へ呼びかけた。
    「ハンくーん、クーちゃーん、ちょっとこっち来てんかー」
     日中の、騒然としているはずの城の中に、エリザの声がこだまする。しかし返事が無く、エリザはもう一度呼びかけた。
    「早よ来てやー。アタシがどんな回答するか、アンタら気ぃ揉んどるはずやろー? 聞こえてへんはずも無いよなー? アタシが帰って来たっちゅう話はもう伝わっとるはずやしなー? 近いトコで様子見とるはずやんなー?」
     と、ようやく中庭に、ハンとクー、そしてクーの後ろにマリアが付く形で現れた。
    「ただいまー」
     やって来た3人にエリザはぺら、と手を振るが、3人とも硬い表情を崩さず、応じない。そのまま対峙していたが、やがてハンが口を開いた。
    「エリザさん。既に聞き及んでいるでしょうが、現在この城、いえ、遠征隊は俺とそっちの2人とで対立した状況にあります。これは明らかな軍規違反、反逆行為です。俺に付くのが道理と言うものでしょう」
    「わたくしはそうは存じませんわね」
     クーが口を挟む。
    「あなたが統率能力を喪失していることは明白ですもの。この状況を看過すれば遠征隊の崩壊は目に見えております。であれば実力行使を伴ってでも、正しい状況に戻す努力をいたすべきであると、わたくしは存じます」
    「いい加減にしろ。俺が無能だと言うのか? 君こそ子供じみた勝手なわがままで、全軍を振り回す攪乱者だ」
    「その言葉、そっくりあなたにお返しいたします。あなたこそ勝手な理屈で皆に多大な迷惑をかける恥知らずですわ」
    「なんだと……!?」
     途端に喧嘩し始めた二人に、エリザがやんわりと、しかし強い語調で割って入った。
    「アンタら、ソコまでにしとき。相手とやいやい言うためにココに集まって来たワケやないわな? アタシから答えを聞きたいんやろ? 違うか?」
    「……ええ。はっきりとお願いします」
    「どうぞ、エリザさん」
     両者が静まったところで、エリザはハンの前に歩み出て、手を差し出した。
    「……!」
     クーが信じられない、と言いたげな顔をしたが、エリザは構うことなく――その手をハンの右ほおに叩き付けた。
    琥珀暁・内乱伝 1
    »»  2020.06.29.
    神様たちの話、第295話。
    おかんの両成敗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ばっちん、と乾いた音が中庭にこだまする。
    「う……っ」
     一瞬前まで得意げだったハンの表情が、愕然としたものに変わる。
    「な、何故です?」
     ほおを押さえ、尋ねるハンに構わず、エリザはくるんと踵を返してクーの方へと歩く。
    「ありがとうございま……」
     頭を下げかけたクーの横をすり抜け、エリザは彼女の背後にいたマリアのすぐ前に立つ。
    「え?」
     きょとんとするマリアにも、エリザは平手を見舞った。
    「ひゃっ……!?」
    「え? えっ?」
     頭を下げかけた姿勢のまま硬直したクーに向き直り、エリザは彼女のあごを右手でつかんだ。
    「アンタもや」
    「え、ちょ、あっ」
     目を白黒させるクーのひたいに、エリザはデコピンを放った。
    「きゃ……っ」
     3人揃って自分の顔を押さえたところで、エリザは大声で怒鳴りつけた。
    「アンタらこんなしょうもないコトで皆に迷惑かけんなや! 大概にせえや、大概に!」
    「う……」
    「アタシがどっちに付く、どっちの味方するとか、そんなアタマ悪いコトやってくれるて、アンタら本気で思うとったんか!? はーっ、しょうもな! そんな子供のケンカに真面目に付き合うと思うんか!? 『お母ちゃーん、あの子がいじめよんねん、うぇーん』て泣き付いたら、アタシがアタマ撫でて味方してくれるとでも思てたんか! アンタらええトシこいた大人やろが! しかも隊長や、お姫様やとお偉い肩書き持った人間やろ!? ソレがなんや、向こうが悪いー、こっちは絶対間違ってませーんて、アタマの悪いケンカしくさりよって! しかもソレを軍規攪乱やの統率の乱れやの、もっともらしいコト抜かして正当化しようと、皆巻き込んでこんな大騒ぎしよって!
     ええか、はっきり言うたる! アンタらのやっとるコトはただのケンカや! そんなもんにアタシが真面目な顔してどっちの側に付く、どっちの側を支持するて言うてくれると、本気で思とったんか!? アホちゃうかッ!」
    「……」
     揃ってうつむき、黙り込んだ3人に背を向け、エリザは丁稚たちに命じた。
    「ロウくん、机と椅子持って来て。アタシとこの3人の分な。イワンくん、お茶とお菓子持って来て。あと……」
     エリザは辺りを見回しつつ、声をかけた。
    「ビートくーん、おるかー? ちょとこっち来てー」
    「……はい」
     どこからかビートが現れ、エリザの側に来る。
    「大変やったね。ありがとさん」
    「いえ、先生のためであれば」
    「ど……どう言うことだ? ビート、お前は一体どこで、何を……?」
     うつろな目をして尋ねたハンに、エリザが代わりに答えた。
    「今回のケンカで自分の側を正当化しようと思たら、アタシを味方に付けるか、さもなくばゼロさんを味方に付けるかしか無いわな。となればどっちかに『魔術頭巾』で連絡取ろうとするやろな、っちゅうコトくらいは想像できる。
     ただ、下手に話通してゼロさんの怒りを買ったら元も子も無い。普段の冷静なアンタらやったらソレくらいは考えるやろけど、にらみ合って何日も経ったら、理屈より感情が前に出てまうやろうからな。いっぺん、連絡取ろうとしたやろ?」
    「な、何故それを、……いや、そう、ですね。エリザさんなら、思い当たってしかるべき話でしょうね」
     素直にうなずいたハンに、マリアも続く。
    「あたしたちもです。てっきり、尉官側の工作と思ってたんですが……」
    「はっきり分かったやろ?」
     そう尋ねたエリザの意図が読めないらしく、ハンも、クーたちもきょとんとする。それを受けて、エリザはこう続けた。
    「アンタらがどんだけしょうもないコトでアタマ一杯になっとったかが、や。アタシの工作やと、コレっぽっちも思うてへんかったコトがええ証拠や」
    「……どうやら、そうですね」
     辛うじてハンがそう答え、うなだれたところで、丁稚たちが席の準備を終えた。
    琥珀暁・内乱伝 2
    »»  2020.06.30.
    神様たちの話、第296話。
    みにくいあらそい。

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    3.
     ハンとクーがメリーを巡るいさかいを起こしたその日から、遠征隊全軍を巻き込む騒動は幕を開けた。
    「ハンニバル・シモンは現在錯乱状態にあり、到底軍務を全うできる状態にはございません! にもかかわらず職を辞さないばかりか、職権を濫用して遠征隊を私物化しようと画策しています! このままでは隊の本懐、所期の目的である北方との友好関係を築くどころか、我々がこの北方にとって悪逆非道の輩として認識されることとなり、お父様、いいえ、ゼロ・タイムズ陛下の顔に泥を塗るような自体にも発展いたしかねません! ひいては実力行使を以てハンニバル・シモンを隊長の座から引き下ろし、隊の状態を正常なものに戻すべきです!」
     クーはマリアを伴って城の中を周り、賛同者を募っていた。一方、ハンも隊の瓦解を防ぐべく、クーへの非難も構わず弁舌を奮っていた。
    「またあのお姫様が自分勝手なことをしているようだが、これは言うまでも無く越権行為、彼女の裁量では許されざる行動だ。決して耳を貸すな。彼女に加担すれば間違い無く服務規程違反をはじめとする、数々の罪が問われるだろう。帰郷すれば直ちに軍法会議にかけられ、決して軽くないであろう刑に処されることは明らかだ。彼女自身にしても、彼女が陛下の娘だからと言って恩赦が認められるようなことは、陛下の清廉潔白な心情からすればまず、有り得ない処置だ。彼女も含め、全員が公明正大な判断の下、等しく罰を受けることになるだろう。そうなりたくなければ、今まで通りに俺の側に付くことを強く勧める。いや、これは命令だ。決して彼女に協力するんじゃない」
     ハンのこの一方的な主張も当然、クーたちの側に伝わり、それを受けてさらに罵り合いを重ねるうち、両者の対立は次第に激化していった。
     無論、両者とも「ええトシこいた」大人であり、どちらも相手に面と向かって罵ったり、直接攻撃を加えたりするようなことはしなかったものの、城内・街中問わず、自分たちの正当性と相手の不当性を喧伝することに躍起になっており、街の空気は瞬く間に、険悪で陰鬱な色に染まっていった。
    (うわー……なんか大事になってきてる)
     この間、ビートは両者のどちらにも与せず、のらりくらりと逃げ回りつつ、エリザからの指示を忠実に守っていた。
    (あ、……と、正午になる。解除、解除、と)
     街のあちこちに仕掛けておいた魔法陣を一斉解除し、ビートはエリザに連絡を取る。
    「『トランスワード:エリザ』、……どうも、ビートです。……ええ、はい。先生の仰っていた通りになってきてます。……やっぱりシェロの件は確かですか。……ええ、分かってます。勿論、どちらにも伝えません。妨害に気付かれたら、僕の立場も危なくなりますし。……はい、……はい、了解です。はい、……はい」
     通信を終えてすぐ、ビートは魔法陣を再起動させた。

     対立から3日、4日と経過し、ビートと、そしてエリザの予想した通り、どちらからともなく通信を行ったものの――。
    「つながらないんですか?」
    「ええ。まったく反応がございません」
    「クーちゃんの調子の問題ですか? それとも、向こうで何かあったとか?」
     尋ねたマリアに、クーは忌々しげな表情を向ける。
    「恐らく、妨害術を仕掛けられておりますわね。言うまでもなく、ハンの仕業でしょう」
    「あー……、でしょうね。陛下がクーちゃんから今の状況聞かされたら、絶対陛下、尉官を更迭するでしょうしね。先生にしたって、こんな状況で尉官の肩持ったりしないでしょうし」
    「まったく、あの方はどこまで陰険なのかしら! こんな姑息な根回しまでして、自分の地位を保とうとされるなんて!」
    「本当ですよねー」
     なお――当然ながらハンの側でも通信妨害に気付いており、同様にクーへの非難を吐いている。
     両者とも、この妨害が他ならぬエリザの仕業であるなどとは夢にも思わず、エリザが帰還するまでの一週間余りを、醜い内輪揉めに費やしていた。



    「アンタらアホちゃうか、ホンマに」
     その連日に渡る愚行をエリザに手厳しく叱咤され、当事者三人は揃ってうつむくしかなかった。
    琥珀暁・内乱伝 3
    »»  2020.07.01.
    神様たちの話、第297話。
    エリザの事情聴取。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ともかくや」
     ハンたち三人を黙らせたところで、エリザは静かに尋ねた。
    「今めっちゃめちゃ大事な用件がいっこあるけども、こっちの問題をどうにかせな、その話するどころやないからな。いっぺん、きっちりハラ割って話しよか。事の発端はそもそも何やねんな?」
    「それは……」
     言い淀むハンに対し、クーははっきりと答える。
    「メリーの件ですわ。この方、メリーをあちこちに連れ回すばかりでなく、自分の伴侶にしようとお考えのようです。本人の了承無く」
    「い、いや、そこまでは」
    「ほな、ドコまでがホンマや?」
     尋ねたエリザに、ハンは困った顔を向ける。それを見て、エリザはようやくにこっと笑みを向けた。
    「いや、別に責め立てるつもりはあらへんよ。長い付き合いやからな、アンタが相手の返事無しに結婚するもんと決め付けるような、アタマおかしいコトするとは思てへん。流石にアンタは、そんなクズとちゃう。ソレは十分分かっとる。その上で、アンタはドコまで考えとったか。ソレを聞きたいねん」
    「そうですね、……その、一部は、彼女の言った通りでしょう」
     言葉を濁しかけたハンを、今度はにらみつける。
    「はっきり言い。まず、あっちこっち連れ回したっちゅうのんは? 任務名目で付き合わせたっちゅうコトか?」
    「それは、ええ、確かに、はい」
    「で、アンタはホンマに結婚したいと思てるん?」
    「それは、……それは、その」
    「はっきり言えへんか? いや、責めてるんやないで。なんちゅうたらええかな、ソレ、自分でも本気でそう思っとったんか、ソレとも周りにやいやい言われてムキになってきとったせいか、判断付かへんっちゅう感じか?」
     そう言われて、ハンははっとしたような顔をした。
    「……確かに、その、後者の指摘に、当てはまると思います。……ええ、強情を張ってしまった点は、少なからずあります」
    「やろなぁ。うまいコト相談もでけへんまま、アタマん中でこじれてしもたんやな。ま、アンタの気持ちはソレでよお分かったわ。で、次はクーちゃんの方やけども」
    「は、はい」
    「メリーちゃんの気持ちをくんでやっとったっちゅうようなコトを言って回っとったみたいやけど、ホンマにか?」
    「ええ、間違いございません。わたくしはメリーのためを思って……」「ほんならや」
     クーの主張をさえぎり、エリザはやんわりとした口調を作って尋ねる。
    「今、メリーちゃんドコにおるんか、当然分かるやんな? アンタの主張が正しいとすれば、放っといたらハンくんに言い寄られて何やかんやされてまうっちゅう可能性も大アリやもんな。ほんなら安全なトコにかくまっとくくらいのコトは、ホンマにあの娘のコトを考えとるんやったら、してるはずやもんなぁ?」
    「あ……、と」
    「で、ドコにおるん? アンタの部屋か? ソレともマリアちゃんトコか?」
    「えっと、その……」
     口ごもるクーに、エリザは依然やんわりと、しかしトゲのある言い方で追求する。
    「まさかなー、知らんっちゅうコトはあらへんよなー? まさかまさか、ハンくんの非難に躍起になるあまり、すっかりメリーちゃんのコトを忘れとったなんてはしたないコト、お姫サマがやるワケ無いもんなー? ほんで、ドコにいはるん?」
    「……そ、その、あの、ですね」
    「あら? ホンマのホンマにアンタ、メリーちゃんのコト放っぽってたんか? まさかなぁ? ま・さ・か・や・ん・なぁ!?」
    「……ご、ごめんなさい」
    「いや、ゴメンなんか聞きたないねん。アタシが聞いとるんは、ドコにおるかっちゅうコトや。どないやねんな?」
     次第に丸みが消えていくエリザの語勢に、クーは泣きそうな顔になる。
    「……わ、……分かり、ません」
    「ホンマにか? アンタ、メリーちゃんのためにこんな大騒ぎしとったんやないのんか? そんな大義名分吐いといて、その中心の人間のコト、今の今までコロっと忘れとったっちゅうんか?」
    「……ご、ごめ」「ゴメンなんか聞きたないねん! 謝って自分勝手に話終わらそうとすな!」
     バン、とエリザはテーブルを叩く。
    「ひっ……」
    「ほんならアンタはメリーちゃんのために、人のためにやったって言いながら、結局自分のワガママ通そうとしとっただけやっちゅうんやな!? ソレでどんだけの人間に迷惑かかっとるか、分からへんのか!?」
    「……うっ、う……」
     ついにクーはうつむき、顔を両手で覆って泣き出してしまった。その縮こまった姿を見て、エリザはため息を付く。
    「はあ……。もうええ、部屋に帰り。アンタから聞くコトはもうあらへんから。反省しいや」
    「……グス……グス……ひっく……」
     エリザに退席の許可を得たが、クーはまだ椅子に固まったままである。見かねて、エリザは傍らのロウを手招きした。
    「ロウくん、クーちゃんを部屋に送ってもろてええか?」
    「うっス」
     ロウに手を引かれるまま、クーはその場から立ち去った。
    琥珀暁・内乱伝 4
    »»  2020.07.02.
    神様たちの話、第298話。
    四者四様、思いは絡んで。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「で、マリアちゃんやけども」
     クーが去ったところで、エリザは残ったマリアに尋ねる。
    「ドコまで計算しとった?」
    「え?」
    「クーちゃんに付いとったくせに、あの娘にメリーちゃんの話いっこもせえへんかったんは、わざとやろ?」
    「あー……、はい。言いませんでした」
     マリアはばつが悪そうな顔をして、素直に白状した。
    「せやろな。アンタはそーゆートコにはよお気が付く娘やし。ほんで、言わへんかった理由は、どうせハンくんの出方を見たいとか、その辺のコトやろ?」
    「はい」
    「どう言うことだ?」
     尋ねたハンに、エリザが答える。
    「アンタが本気でメリーちゃん口説こうとするんやったら、クーちゃんからどんだけののしられようと実行するわな。でもこの1週間、せえへんかったみたいやし――ハンくんが保護しとったんやったら、クーちゃん側がソレ察知してへんワケが無いからな――本気っぽさが無いな、っちゅうコトくらいは読めたワケや。
     その上でマリアちゃんは、この騒動の収め方も図っとったやろ?」
    「はい。あたしの考えとしては、エリザさんが帰って来たら多分、尉官に味方するだろうなーって。そしたら尉官の側が正しいって見られるじゃないですか。その辺りで、あたしがクーちゃんを説得する形で仲直りさせようかなって」
    「ソコでもしアタシがクーちゃんの肩持っとったら、アンタは孤立したハンくんに『メリーちゃんとは本気で付き合いたいと思てへんのやろ』、『素直にクーちゃんに謝ったら許してもらえるで』みたいなコト言って説得する、と」
    「そのつもりでした。……まさか尉官もあたしも、揃ってビンタされるとは思ってませんでしたけど」
    「そらな。仮にアタシがどっちかに付いたら、もう一方がものすごい困るやろ? 少なくとも対等、公平な関係ではなくなってまう。『負い目』がでけた後でお付き合いやなんや言い出したところで、ソレは片っぽがもう一方を縛り付けるだけになるわ。ソレはアンタも望んでへんかったやろ?」
    「そうですね。……エリザさんには敵いませんね、ホントに」
     ぺろっと舌を出したマリアに、エリザは笑みを浮かべつつ、フン、と鼻を鳴らして返した。
    「ま、ともかくや」
     エリザはハンに向き直り、こう尋ねた。
    「もっかい確認するけども、アンタ、メリーちゃんと付き合う気無いやろ? 前にソレっぽいコト言うてたけど」
    「……そうですね。改めて思い返してみれば、そんな気持ちとは、全く違います」
    「周りがやいやい言うてたせいで、『うるさいなー、ほんならコイツと付き合うから』みたいに、意地になってしもたっちゅうワケやな。ま、その点に関してはアタシも謝るわ。ホンマ、グイグイやりすぎてしもたみたいやな。ゴメンなぁ、ハンくん」
    「いえ、そんな……」「ほんでや」
     エリザはテーブルに身を乗り出し、ハンに詰め寄る。
    「アンタがホンマに付き合いたいんは、結局誰やねんな? ソコがはっきりせな、またこう言うしょうもない騒ぎが起こるで」
    「う……」
     苦い顔をするハンに、エリザは畳み掛けた。
    「先に言うとくけどもな、この期に及んでまだ、『誰とも付き合う気はありません』なんて強情張ろうとすなよ? ホンマに最初からそんなつもりやったらそもそも、今回の騒ぎなんか起こらんからな。『メリーと付き合う? んなワケあらへんやないか』であしらったらおしまいなんやからな。その気があるからこんだけこじれたワケやし」
    「しかし、その」
    「ええトシした大人が惚れた腫れたを言い辛いなんてコトあるか? ソレともアレか?」
     エリザはハンの顔をじっと見つめ、こう続けた。
    「『今の今までケンカしとった相手に今更、やっぱり君だったなんて言い辛い』っちゅうコトか?」
    「……!」
     再度、はっとした顔をするハンを見て、エリザはふう、と息を吐いた。
    「アンタはその変なプライド、どうにかでけへんのんか? 今のうちどうにかせな、コレから先もしんどい思いするで?」
    「……猛省します」
     頭を下げるハンに、エリザは肩をすくめる。
    「クーちゃんにも言うたやんか。ゴメンで話をおしまいにせんといてや。コレからアンタが何するんか、言うてくれな。ソレが『話し合い』っちゅうもんやんか」
    「そう……ですね」
     ハンはしばらく顔を伏せ、黙っていたが、やがて意を決したように顔を挙げた。
    「俺は……」

     その瞬間――3人が座っていたテーブルの上に突然、銀髪の男が現れた。
    琥珀暁・内乱伝 5
    »»  2020.07.03.
    神様たちの話、第299話。
    内奥への襲来。

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    6.
    「へ?」「なっ」「えっ」
     突然現れたその男に、エリザもハンも、そしてマリアも、唖然とする。しかし――。
    「なっ、……んだ?」
     突如出現したその男もまた、驚いた表情を浮かべていた。

     その時、最も早く反応したのはマリアだった。彼女は突然目の前に現れたその小男を、明らかな脅威・危険と見なし、攻撃に出た。
    「やあッ!」
     瞬時に椅子から飛び上がり、ぐるんと回転しつつ椅子を蹴っ飛ばす。
    「うおっ!?」
     椅子は男の胸に当たり、そのままテーブルの上から弾き出した。
    「き、きさっ」
     男が立ち上がりかけるその一瞬の間に、マリアはテーブルを乗り越えて男に肉薄し、両脚で踏みつけるように飛び蹴りを叩き込んでいた。
    「うぐおっ!?」
     受け身も取れず、男は簡単にその場から吹っ飛び、庭を転がる。
    「よ、余を誰だと……」
     そしてその男にとってさらに不幸だったのは、そこに丁度、ロウが帰って来たことだった。
    「送って来たっスよ、エリザさ……」「ロウくん! パンチ!」
     ロウを見て、エリザがすぐさま命じる。
    「へっ? ……うっス!」
     ロウは命じられるまま、目の前に転がり込みつつもどうにか立ち上がってきたその男のあごを、目一杯殴り付けた。
    「うごおっ……!?」
     男は宙を舞い――そのまますとんと着地したものの、途端にひざを着いた。
    「はっ、はっ……、はあっ」
    「アンタ誰や」
     うずくまったままの男に、エリザが魔杖を向けて尋ねる。
    「はぁ、はぁ……、お、驚いた……ぞ。余の襲撃を、察したか、め、女狐」
    「アンタ、まさか皇帝やっちゅうんやないやろな?」
    「その、……その、まさか、だ」
     ようやく男は立ち上がり、もったいぶった仕草で名乗りを上げた。
    「余はレン・ジーン。この地を統べる、天の星である」
    「はっ」
     対するエリザは、それを鼻で笑う。
    「『この庭でスベる』の間違いやろ。しょうもな」
    「……っ」
     ジーンの額に青筋が一瞬浮かぶが、すぐに平静を装った様子で続ける。
    「余を愚弄したこと、今は容赦してやろう。じきに報いは受けさせるがな。それよりも、……そうか、貴様があの『狐の女将』だな? なるほど、その姿は確かに『狐』だ。単なる通り名では無かったと言うことか。
     元来の余であればケダモノ風情、単に侮(あなど)るだけであるが、こうして余の強襲を迎撃された今、その認識を改めてやろうではないか。なるほど、なかなかの智将であるな」
    「そらどーも」
     エリザは不敵に笑いつつ、話を促す。
    「ほんで、皇帝直々に笑いを取りに来たっちゅうワケやないわなぁ? アタシに用事があるんか?」
    「結論から言おう。余にその首を差し出せ」
     ジーンは剣を抜き、エリザに切っ先を向ける。
    「貴様の画策によって、この沿岸部と西山間部は海外人の手に陥(お)ちた。その深謀遠慮、確かに驚嘆に値する。だが、余にはただのうっとうしい蝿に過ぎぬ。たかが蝿一匹、この余が統べる帝国、余が率いる大軍勢に太刀打ちできるものでは無いこと、容易に察せられるはずだ。貴様もこれから余の居城まで攻め込むまでの途方も無い手間を考えれば、ここできっぱりすべてを捨て去ってしまった方がはるかに楽であろう? これは余の慈悲だ」
    「アタマおかしいヤツがなんやキモチワルいコトわーわー抜かしとるけど」
     エリザは斜に構えたまま、こう答えた。
    「ココであっさり死ぬよりアンタをボッコボコにしたった方が、100倍楽しいやろなぁ? そんなお楽しみ、捨てる方がどうかしとるわ」
    「余の命令が聞けぬと言うのか」
    「アンタに命令されるいわれは無いな。寝言は寝て言うてんか」
    「そうか。では……」
     ジーンは一歩踏み出したが、ハンとマリアがエリザの前に立ちはだかる。同時にロウも構え、ジーンを遠巻きながらも囲む形となった。
    「……ふむ」
    「どないした? アタシを殺すんやないんか?」
    「兵(つわもの)に守られて安泰と思うなよ、女狐」
     ジーンは剣を振り上げ――その切っ先から、炎を飛ばしてきた。
    「……!」
     飛んで来た火球を見て、ハンもマリアも面食らった様子を見せる。
    「魔術!?」「北の人間が……!?」
     が、二人の背後からにゅっと魔杖が伸び、魔術の盾が作られる。
    「ぬ……!?」
     盾に防がれ、火球はぽん、と弾けた。
    「もっかい言うけども」
     エリザは魔杖を掲げたままで、さきほどと一言一句違わず、同じことを尋ねた。
    「どないした? アタシを殺すんやないんか?」
    「……」
     先程まで見せていた余裕の表情が、ジーンの顔から消える。
    「貴様、何者だ? 余の秘術のことごとくを破るとは……!? そうか、今日まで余がこの地へ飛ぶことができなかったのは、貴様の仕業だったのか?」
    「さあ、どないやろな? で? 今やったら帰したるけど?」
    「……」
     ジーンは答えず――現れた時のように、その場から突然、姿を消した。
    琥珀暁・内乱伝 6
    »»  2020.07.04.
    神様たちの話、第300話。
    皇帝の戦略とは。

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    7.
     ジーンが去った後も、一同は動けずにいた。
    「……今の、は」
     ようやくハンが口を開き、エリザがそれに続く。
    「自分で言うてはった通りやろな。アレが皇帝や」
    「まさか! ……と言いたいところですが、どうやらエリザさんは、本当にそう思っているみたいですね」
    「そら、な。……そもそもこの話をまずせなアカンと思っとったんやけども」
     そう前置きし、エリザはミェーチ王国が陥落したこと、ミェーチとシェロが討死したことをハンたちに伝えた。
    「壊滅ですって!? 何故それを先に言わないんですか!?」
    「アホ抜かすなや。アンタ、アタシに会うなり『どっち付くんですか』言い出したやろが。そんな態度のヤツに、アタシから『ちょい待ちいや、大事な話があんねん』ちゅうたところで、『いや、こちらの件の方が重要です』てはねつけるやろが」
    「う……」
    「ともかく、現時点で対外的に最も大きな脅威としては、いよいよ帝国が動き出しよったっちゅうコトや。いや、正確に言うたら皇帝本人が、っちゅうところか」
    「同じこと、……ではないですね。比喩ではなく、本当に皇帝が一人でここを訪れたわけですから」
    「ソレや」
     エリザはまだ中庭に置かれたままのテーブルをつい、と指でなでつつ、今起こったことを整理し始めた。
    「事実として、皇帝を名乗るヤツが単騎で、沿岸部の、この中庭に突然現れよった。ソレが何を意味するか、アンタ分かるか?」
    「山間部の東西結節点に築いた防衛線が、何の意味も成さない、……と言うことですね」
     ハンの回答に、エリザは深くうなずく。
    「そうなる可能性はめちゃ高やな。や、ソレ以前に、アタシら全員が常に暗殺の危機にさらされとるっちゅうコトや。ソレが皇帝の、最大の狙いやったんやろうな」
    「最大の?」
     尋ねたハンに、エリザは東――山間部の稜線を指し示す。
    「アタシらがどんだけ攻め込もうと、どんだけ陣地を固めようと――そしてどんだけ結束を強めようと、アイツには無意味っちゅうコトや。そしてこうしてアタシらの前に堂々と現れて、その事実をアタシら全員に痛感させる。もしコレが巷のうわさになったら、みんなどう思う?」
    「……!」
     ハンは普段から青い顔を、さらに青ざめさせた。
    「そんなことになれば、……つまり我々が無力な存在だと、そう思われれば、我々がこれまで培い、築き上げてきた信用、信頼が、一瞬で崩れ去ってしまう。我々に傾いていた世論、形勢が、一気に逆転する。そうなれば人民は皇帝が与える恐怖に操られ、我々を攻撃、排斥する流れへと傾くことになる、……と?」
    「せや。遠征隊が皇帝に対してさっぱり相手にならんわ、っちゅうようにみんなが思たら、もう誰もアタシらに協力なんかせえへんわ。そんなコトして、さて家に帰ってきたら、なんと皇帝が剣持って玄関から出てきました、……みたいなコトを、嫌でも想像するやろからな。
     コレはホンマに参ったわ。ご飯より色恋よりカネよりも、『ヤバい』『コワい』が100倍効くからな。や、ホンマによお考えたもんやで。軍隊ウロウロさせるより全然効率ええわな」
    「どうするんですか……?」
     恐る恐る尋ねたハンに、エリザは――どう言うわけか、ニヤッと笑って返した。
    「言うた通りや。恐怖の方がよっぽど効く。ソレが恐怖やと思うとる限りはな」
    「……ど、どう言うことですか?」
    「皇帝さんの狙いは、みんなに『皇帝怖いから言うコト聞いとこ』と思わせるコトや。でもその皇帝さん、今この場でどうなった?」
    「……追い返しましたね。事実として」
    「ソレや」
     エリザはニヤニヤと笑みを浮かべながら、大声で――恐らく、中庭の様子を戦々恐々として眺めていた者たちに向かって――こう言い放った。
    「なーんやアレ! しょうもなあーっ! 皇帝陛下がなんぼのもんじゃい!? わざわざアタシらの前にノコノコ現れて、無様晒しただけのアホやないか! アタシを殺すとか寝ぼけたコト抜かしとったけど、結局その本人にしっしって追い払われとるやないか! あーっ、アホくさーっ! 程度が知れるっちゅうもんやわ、あっはははははははっ!」
    「え、エリザさん」
     一瞬、ハンは止めようとしたものの――周囲の張り詰めた気配が安堵に満ちていくのを察して、乗っかることにした。
    「……そ、そうですね! エリザさんの力があれば、何の問題も起こらないでしょう! 我々に恐れるものなど、何一つありませんね!」
    「おーおー、そう言うこっちゃ、うわっははははは、はははーっ!」
     二人で仁王立ちになり、高笑いを飛ばしたことで、エリザが懸念した恐怖の伝播と言う事態は、ともかく回避することができた。

    琥珀暁・内乱伝 終
    琥珀暁・内乱伝 7
    »»  2020.07.05.
    神様たちの話、第301話。
    遠い反応。

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    1.
     皇帝の、突然の単騎での襲撃と言う異様な事態を受け、ハンとエリザはゼロに緊急連絡を行った。
    《とても信じられない。率直に言わせてもらうなら、君たち二人の正気を疑っているところだ》
    「でしょうな。実際に見たアタシら自身、ありえへんコトやと思いますからな。でも事実は事実です。目撃者も多数あるコトですし、そして実際、西山間部において被害が出とります」
    《それもこれも、すべて君からの伝達に過ぎない。……しかし君からの報告以上に、信憑性のある情報など無い。仮に君から『異世界から現れた巨人が突如、北の大陸を引きちぎり始めた』などと突拍子も無い報告を受けたとしても、現時点で私は、それを信じることしかできない。だから君たちが報告したことは、私は原則的かつ全面的に、ただ事実として受け止める。
     それを踏まえて、私の回答を聞いて欲しい》
    「なんです?」
     尋ねたエリザに、ゼロは呆れ切った様子の声色で答えた。
    《静観を続けてくれ。こちらからの進軍は決して行ってはならない》
    「……言うと思いましたわ。ほな、皇帝はアタシらにも、ゼロさん本人にとっても、コレっぽっちも脅威や無いと?」
    《そうは言っていない。確かに君たちの言葉を信じるのであれば、皇帝はいついかなる場所へも出撃することができ、誰が相手であろうと暗殺することができると言うことになる。君たちの身が危ういことは確かだし、もしかしたら私が直接狙われる危険もある。その点は認めよう。
     だが遠征隊を山間部へ向かわせることは、事態の不可逆的な悪化を意味することにもなる。聡明な君であれば、その懸念に当然思い当たっているはずだ》
    「確かに遠征隊が帝国を攻めに行くぞとなれば、コレは最終も最終、ゼロさんが望まない形での結末を迎えるコトになるでしょうな。アタシらが全滅するにせよ、実力行使で帝国首都を陥落させるにせよ。でもですな、このままじーっとしとったら全滅は必至です。現状、皇帝の襲撃を防ぐ手立ては何一つありませんからな。となれば攻撃は最大の防御、即ち討たれる前に皇帝を討つしか……」
    《理屈は分かる。だが、我々はあくまで友好関係を結ぶべく来訪したのであって、侵略のためでは無い。その前提を覆すような行為は、私には認められない》
    「……ええ加減にして下さいよ、ゼロさん」
     エリザの声に、怒りの色がにじむ。
    「ほんならなんですか、アタシらはただただココでボーッとして、皇帝に殺されるんを待っとけっちゅうんですか?」
    《そうは言っていない。勿論、襲撃してきた場合には自衛を前提として応戦することは認める。君たちならそれは可能だろう? あくまでこちらからの攻撃は行わないように、と言いたいんだ。分かったね?》
    「あのですな、もっぺん同じコト言わなあきませんか? いつ皇帝が襲って来るか分からんっちゅうのんに……」《それじゃ。以上。またね。じゃあ》「あっ、ちょ、待っ、……ああ!?」
     無理矢理ゼロに通信を切られ、エリザは口をあんぐりと開ける。
    「あのおっさん、アタマおかしいんか!?」
    「ふ、不敬ですよ、エリザさん」
    「不敬も滑稽もあるかいなッ! ちーともこっちが危ないっちゅうのんが伝わってへんな、もおっ! 本気でアタシやハンくんが殺されでもせえへん限り、ホンマに何もせえへんつもりか」
    「しないつもりでしょう。むしろそれを望んでいるかも知れません」
     ハンの言葉に、エリザは目を剥く。
    「アタシに死んでほしいっちゅうコトか。せやろな、あのおっさんの思惑やと」
    「はなはだ遺憾ですが、恐らくは。……いや、そこまでは思わないまでも、やはり我々の報告は嘘と思われているんでしょう。陛下は我々が帝国を攻撃したがっていると思い込んでいるようですからね」
    「『帝国が手ぇ出してきよったからこっちもお返しや』、を口実に開戦するつもりやと思われとる、……っちゅうコトか。まあ、せやろなぁ。アタシも――仮にゲートやアンタから――こうして口頭で同じ話聞かされたら、疑うやろからな。はっきり証拠を出すか、もっと切羽詰まった状況にならへん限りは、ゼロさんは動こうとせえへんやろな」
    「……困りましたね」
     ハンもエリザも揃って黙り込み、同時にため息を付いた。
    琥珀暁・決意伝 1
    »»  2020.07.07.
    神様たちの話、第302話。
    一転。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「ともかく、このまんま二人で苦い顔しとってもラチ明かへん。明日また連絡するとして、説得の材料を整えなな」
    「ふむ。……でも、どうするんです? 経緯をすべて伝えてあの返事ですよ」
    「せやな。となると、……ちょと体裁悪いけども、泣き落としかなー」
     エリザは胸元から煙管を取り出し、火を点ける。
    「さっき叱り飛ばしたばっかりやけど、クーちゃんにも説得に回ってもらおか。アタシからはアカンかっても、娘からやったら多少は聞く耳持つかも分からんし」
    「しかしクーは先程の襲撃を知らないはずです。恐らく部屋で泣き崩れていたでしょうから」
    「ソコから説明せなアカンなぁ。しゃあないけど」
     二人は連れ立って、クーの部屋へと向かった。
    「クーちゃーん、ゴメンけどちょとええかなー?」
     エリザが猫なで声を出しつつトントンとドアを叩――こうとして、「あら?」と声を上げた。
    「開いとるわ。おらんのかな」
    「え?」
     ハンもドアに目をやり、首をかしげる。
    「妙ですね。流石にあれだけ平静を崩していれば、閉じこもっているものと……」
    「アタシもそう思ててんけど」
     エリザはドアを開け、中の様子を確かめる。
    「クーちゃん、ゴメンやで。……おらんな?」
    「……エリザさん」
     ハンも部屋の中を一瞥し、神妙な顔になった。
    「嫌な予感がします」
    「奇遇やな」
     エリザも真剣な目を向け、深くうなずいた。
    「アタシもや」

     城内はおろか、街中へも人をやって調べさせたものの、クーの姿はどこにも見当たらなかった。
    「これは……まさか」
    「その、まさかやろな」
     エリザはハンに背を向け、うなずいた。
    「皇帝さんがさらったんや。ドコにもおらんとなれば、ソレしか無いやろ」
    「な……」
     ハンは顔を真っ青にしつつも、どうにか言葉を絞り出す。
    「どうして、そんなことに?」
    「正攻法、つまりアタシやハンくんを暗殺するのんが難しそうやと見て、策を打ってよったんや。じきに連絡が来るやろな。『お姫様の命が惜しかったらこっちの言うコトを聞け』と」
    「そんな……!」
     すっかり蒼白になった顔を両手で覆い、ハンはへたり込んでしまった。
    「一体、どうすれば?」
    「しゃんとしいや、情けない」
     エリザはハンの手を引いて、無理矢理に立たせる。
    「やるコトはいっこしか無いやろ。向こうがまたアタシらを訪ねて来る前に、全力・総力を以て帝国を攻撃するしか無い。向こうに交渉の余地なんか出させてみいや、どう転んでもアタシらの負けやで」
    「えっ?」
    「交渉っちゅうのんは結局、勢力なり実力なりがトントンの相手同士でやるもんや。逆に言うたら、武力やなく交渉で物事の解決に臨むとなれば、巷は『ゼロさんトコの軍勢は帝国に敵わへんと見て日和りよった』と思うやろな。その瞬間、帝国が元来進めとった恐怖による支配は復活する。もう誰もアタシらを頼りにせえへんやろな」
    「そんな極端な話に……」
     反論しかけたハンをさえぎる形で、エリザは持論を続けた。
    「そもそも今回の遠征自体、ゼロさんからして相手をナメとったから始めたコトやろ?」
    「なんですって?」
    「本気で相手が手強いと思っとったら、ノコノコ相手の陣地に乗り込むか? 交渉するにしても、手前にあった島に居とけっちゅうとは思わへんか? でもゼロさんは島があったコトを報告しても、そのままグリーンプールまで進め言うてたやろ」
    「それは、確かに」
    「『自分たちには魔術っちゅう超兵器があるから最悪、力づくでどうとでもなる』っちゅう考えがうっすらアタマん中にあったからこそ、呑気に敵陣地の中に乗り込ませたんや。実際、グリーンプールに乗り込んでややこしいコトになったけども、結局アタシらが強引かまして実効支配になったやないの」
    「あれはエリザさんが、……いや、……そうですね、確かに陛下の指示内容にも驕(おご)った節があったところは否めません。エリザさんの言う通り、本当に侮っていないと言うなら、決して上陸はさせなかったでしょう」
    「で、話を戻すとや」
     エリザは煙管をくわえ、ふう、と紫煙を吐く。
    「今まではゼロさんが優勢や、絶対負けへんとなっとったから、こっちは『仲良くしてやってもええで』と言えたワケや。でもその優勢が消えてしもたら? 同じコト言うたかて、向こうは鼻で笑うわ。そんなふざけたコトがヌケヌケと言えるんは、圧倒的に有利な側からだけやからな。トントンの立場になったらもう、そんな相手をナメきった戦略は破綻するんや。
     いや、実際今んトコ、もうソレは破綻寸前や。今までアタシらはその優位を使て、色んな計画やら人心掌握やらを進めてきたんや。それが破綻したとなれば、元のように『仲良うしてや』言うて動いても、どないもならへんやろな。全部おしまいやで」
    「……つまり結局、最速での攻めが最善、と」
    「そう言うこっちゃ。仮に、真面目に交渉するにしたかて、ソレでクーちゃんが無事に戻って来る保証なんかドコにもあらへんのやからな。反面、向こうが交渉を持ちかけてくる前に全軍挙げて攻めれば、こっちがまだ優位のまま仕掛けられるし、今すぐ動いて速攻で倒せば、クーちゃんが無事で帰ってくる可能性は高い。
     となればもういっぺん、ゼロさんとお話せなな」
    琥珀暁・決意伝 2
    »»  2020.07.08.
    神様たちの話、第303話。
    揉める中枢。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    《今度は何?》
     明らかにうっとうしそうに応じてきたゼロに、エリザは真面目な声色を作って告げた。
    「単刀直入に言います。緊急事態です」
    《緊急? また皇帝が攻めて来たとでも?》
    「ソレやったらまだ良かったんですけどもな」
    《……何があったの?》
     エリザの真剣な気配を察したらしく、ようやくゼロもまともな態度で返した。
    「クーちゃん……、クラム・タイムズ殿下が誘拐されました」
    《……何だって? も、もう一度言ってくれないか?》
    「クラム殿下が誘拐されました。恐らく、皇帝が交渉材料を作るために連れ去ったものやと」
    《じょ、……冗談に、しては、笑えない。まさか、だよね》
    「アタシがこんな冗談抜かすほどしょうもないヤツやと思とるんですか?」
    《……本当に?》
    「ホンマです」
     エリザもゼロも互いに無言になり、ハンが口を開こうとする。
    「陛下、これは本当に……」「しっ」
     が、エリザがそれを止め、ふたたび口を開く。
    「ハンくんも今言いかけましたが、ホンマにホンマのコトです。事実として、遠征隊と王国兵が総出で街中を探しましたが、ドコにもおらへんのです。その事実と、皇帝がこの国に突然出現し、襲撃した事実とを合わせて考えれば、クーちゃんが誘拐されたコトは自明でしょう」
    《何故、……何故そんなことに?》
    「帝国側も正攻法で我々を攻略するコトは無理やと見たんでしょうな。となれば交渉材料を作るんは、戦略として当然やないでしょうか」
    《ぐっ……!》
     憤ったようなうなり声が漏れたきり、ゼロからの返事が途切れる。
    「陛下?」
     もう一度ハンが声をかけたが、ゼロは応じず、代わりにゲートの声が返って来た。
    《ハン、今の話はマジなのか?》
    「マジだよ。クーは見付からない。エリザさんと話し合ったが、やはり誘拐されたとしか思えない」
    《だとしたらまずいな。……おいゼロ、いつまで呆けてんだよ? こうなったらやることは一つしか無いだろうが》
    《しゅ、出撃させろって言うのか? 娘一人のために? そ、そんなことを、僕が命じろと?》
    《何言ってんだ!? クーがどうなったって構わないって言うのか、お前!?》
    《だけどそんな理由で、じ、実力行使に出るだなんて、他の皆が……》
     弱腰のゼロに対し、ゲートは声を荒げて主張する。
    《クーがヤバいってのに、誰が反対なんかするってんだ! そもそもお前だけだぞ、『反対する人の気持ちも考えたら』とか『現地民の感情を煽るようなことは』とか言ってグズってんのは! 居もしない反対派やら会ってもいない人間の言葉やらをでっち上げてまで、一体なんでそんなに攻めたがらないんだよ!?》
    《い、いないとは断言できないだろう? も、もしいたら、後になって、か、必ず、せ、せ、責める材料に……》
    《なら言ってみろよ! その反対派とやらの名前を! 怒ってるって現地民の名前を! 俺が直接行って、一人ひとり説得してやらあッ!》
     ふたたび沈黙が訪れ、ハンとエリザは「頭巾」を外し、顔を見合わせた。
    「揉めとるな」
    「そのようですね。『反対派』と言うのは……?」
    「おっさんのコトや、自分の主張を『みんな言うとるもん』っちゅうコトにしたくて工作したんやろ」
    「それもエリザさんを貶めるために、……ですか」
    「しょうもないな。……さ、続きや」
     二人が「頭巾」をかぶり直したところで、ゲートの声が飛んで来る。
    《悪いな、ちょっと頭に血が上っちまった。……まあ、アレだ。今、ゼロから言質取ったぞ。今後しばらくは俺が遠征隊の総指揮権を受け持つことになった》
    「あら、ホンマに?」
    《ああ。ゼロは『僕にはもう荷が重すぎる』だとさ。だもんで、今後しばらくの間、俺が監督することになった。ま、『しばらく』つっても遠征が終わるまでだろうし、もしかしたらすぐ終わりかも知れないけどな》
    「アンタが任されたんやったら、願ったり叶ったりやな」
     嬉しそうな声を上げたエリザに、ゲートも照れ臭そうに返事する。
    《おう。ま、よろしくな。だが正直言って、俺はそっちの事情に詳しくない。だから基本、お前らの行動は全面的に許可するものとする。よっぽどメチャクチャじゃなければな。……俺の首がかかっちまったから、なるべく無茶しないでくれると助かる》
    「分かってる。それは俺も一緒だしな」
     ハンの言葉に、ゲートは笑いながら答える。
    《もし親子揃ってクビになったら、一緒に農家やって過ごすとすっか、ははは……》
    「ははは……、だな。……じゃあ」
     ハンは殊更堅い口調を作り、申請を行った。
    「シモン遠征隊は全軍これより帝国首都の陥落、および皇帝討伐を目的とした進軍を行うべく、許可を求めます」
    《ああ。ゲート・シモン将軍は、それを許可するものとする。ハンニバル・シモン尉官、そしてエリザ・ゴールドマン顧問。両名はその目的の達成のため、粉骨砕身の努力をされたし》
    「了解であります」
    《あいよー》
     遠く離れたゲートに向かって、ハンとエリザは敬礼した。
    琥珀暁・決意伝 3
    »»  2020.07.09.
    神様たちの話、第304話。
    壮行演説。

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    4.
     帝国への進撃が許可されてすぐに、遠征隊は全軍を挙げて東山間部への出撃準備を始めた。
    「一気に慌ただしくなりましたね」
    「ああ。……ところで」
     ハンは横に付いた二人――ビートと、そしてマリアに尋ねた。
    「メリーはどこにいる? 結局、聞いてないが……」
    「まだ狙ってるんですか、まさか?」
     尋ね返したマリアに、ハンは首を振って返す。
    「いや、それはもう無い。その件については、エリザさんと一緒に話した時に言ったことがすべてだ。俺はどうかしてたよ」
    「それで済むと?」
    「済ませてくれないのか」
     ハンの返事に、マリアはとがった視線を向けてくる。
    「全軍が真っ二つになるかどうかって騒動を、『気の迷いだった』『今のナシ』で終わりにできると思ってるんですか? それで皆納得すると思います?」
    「思ってないから尋ねたんだ」
     そう返され、マリアの険が薄まる。
    「じゃ、この後どうするか教えて下さい」
    「まず、メリーに謝りたい。こんな馬鹿な騒動の中心人物にしてしまったことを、誠心誠意謝罪したいと考えている。その上で、今後のことを話し合いたい。お前たちと一緒に。争いはしたが、マリア、お前と俺はチームだからな。ケンカ別れなんて、……その、何と言うか、情けなさすぎるし」
    「……ま、61点ってとこにしといてあげます」
     マリアは肩をすくめ、こう続けた。
    「メリーは一応、あたしが保護した形ですね。でもあたしの部屋に閉じ込めるとか、そーゆーことはしてません。騒ぎになる直前、あたしが命令でっち上げて『ノルド王国への視察』って形で、そっちに行ってもらってました。あそこまで離れてもらえば、もしこっちで最悪、戦闘にまで発展しちゃったとしても、確実に安全ですからね。こんなことに巻き込んだら、本当にメリーが可哀想ですから」
    「そうだったのか。……済まなかった、本当に」
    「あとですね、100点にしたいなら『皆の前で正式に謝る』も追加でお願いしますよ」
    「……ああ、そうするよ。ありがとう、マリア」
    「お互い様です」



     このくだらない内乱が功を奏していたとすれば、それは両陣営の対立が戦闘に発展することを互いに想定しており、それに備えて軍備を備蓄していたことだった。
     その内乱をエリザが両成敗したこと、直後に皇帝が突然現れるも即時撃退されたこと、まもなくクーが行方不明になったこと、そしてそれを皇帝が誘拐したものと断定し、その奪還のため出撃が決定されたことなど、一連の経緯は全軍に逐次伝わっており、用意されていた軍備はそのまま、出撃に回されたのである。
     結果として、通常であれば数日を要するはずの準備は半日と経たずに完了し、出撃の辞令が下ったその日の内に、遠征隊と王国兵の混成軍1000名が、グリーンプール郊外に整列した。

     ハンとエリザが整列する兵士たちの前に立ち、全体を見渡す。
    「今作戦の実行に至った経緯と内容を、改めて説明する」
     全員の視線が自分たちに集まったところで、ハンが口を開いた。
    「既に全員が知っていることだろうが、本日午前、クラム・タイムズ殿下が帝国皇帝、レン・ジーンによって誘拐された。このことを軍上層部、そしてゼロ・タイムズ陛下に報告し、ゲート・シモン将軍を交え協議を行った結果、可及的速やかに帝国への侵攻を行い皇帝を撃破し、殿下の身柄を奪還することが決定された。諸君らは今作戦に従軍し、目的遂行のために全力を尽くすこと。以上だ。
     ……と言いたいところだが、諸君らの中に、誘拐の直前に起こっていたことについて詳細な説明が欲しいと考えている者は、決して少なくないと考えている。それについても、この場を借りて説明する」
     ここで言葉を切り、ハンは皆に対して、深々と頭を下げた。
    「まず第一に、皆に謝罪する。今回の件は、俺に大きな失点、失態があった。本当に済まなかった」
     自分たちの上官が頭を下げるのを見て、一同にざわめきが広がる。いつものハンであればそれを、規律の乱れだと叱咤するところだったが、彼は静かに頭を上げ、淡々と話を続けた。
    「そもそもの原因は、俺の直轄の班員に対し、俺が不当に過酷な労働を強いているとして、クラム殿下から叱責を受けたことだ。その班員と殿下は親しくしていたらしく、その行動は、彼女がその班員を慮ってのものだった。だが俺は殿下の諌めに聞く耳を持たず、邪険に扱った。その結果、他の班員が殿下の側に付き、遠征隊を二分する騒動に発展してしまった。最初から俺が、殿下の言葉をよく聞いていれば、騒動は起こり得なかったであろうことは、自明のことだ。
     すべては俺の不寛容ゆえに起こったことだ。今後はこのようなことが起こらないよう、誰に対しても公平な態度で臨むよう、心がけるつもりだ。以上」「と言いたいところやけども」
     ハンが話を締めようとしたところで、エリザが口を挟んできた。
    「アンタはアホか」
    「な……」
     ふたたびどよめく兵士たちを背にしたエリザが、ぺちん、とハンの額を叩いた。
    琥珀暁・決意伝 4
    »»  2020.07.10.
    神様たちの話、第305話。
    Off the Wall。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     額を押さえ、唖然とした顔を向けるハンに、エリザがまくし立てる。
    「グダグダグダグダと、ぼんやりした話しくさりよって。なーにが『班員が』『殿下が』や。大事なトコぼやかしてもったいぶって、偉そうな口ぶりでしょうもない話しよる方がよっぽど恥ずかしいで? 見てみいや、みんなの顔。『何言うてんねんコイツ』思とる顔しとるやないの」
     エリザはハンに背を向け、兵士たちに目をやりながら、こう続ける。
    「『意固地になってしくじりました』? そんなもん、みんな知っとるわ。いつものコトやからな。ソレで反省しますーっちゅうのんも当たり前の話やないの。失敗したヤツが反省せんでどないすんねん。みんな分かっとるコト、当たり前のコトをさも大事な話打ち明けますみたいに、べちゃくちゃべちゃくちゃと……。
     みんなが聞きたいんは、そんなコトちゃうな? 要は『遠征隊隊長殿』や無く、この『ハンニバル・シモン』っちゅう一人のオトコが、一体何をどうしたいんかっちゅう話の方が1000倍、直に聞いてみたいコトやんな?」
     エリザの問いかけに、兵士たちのあちこちで、うなずく者が現れる。
    「な? みんな聞きたいんはソコや。もう騒ぎやなんやとか、誰が悪かったとか、そんなんはどうでもええコトや。そんなん振り返って繰り返し繰り返し話しても、何の足しにもならん。もっと大事なコト言わなアカンやろ? みんなが聞きたいっちゅうコトを懇切丁寧に、真剣に、真面目に、心を込めて」
     くる、と振り返り、エリザはハンの目を見据えた。
    「はっきりと、ココでしゃべりよし」
    「……」
     ハンののどが、ごく、と動く。
    「その、……俺は、その」
    「まずアンタは何したいんや? 今から皇帝倒しに行くでオラァ、ってだけや無いやろ? 倒しておしまいか?」
    「それだけでは、ありません」
    「せやな? アンタの、一番の目的は何や? 皇帝を倒すコトでもあらへん。帝国を潰すコトでもあらへん。ましてや、戦果を上げて故郷に凱旋するコトでもあらへんやろ? ほんなら今一番、アンタがやりたいコトは何や?」
    「……クーを、救うことです」
    「ソレはなんでや? 今朝までいがみ合うてた相手やろ?」
    「それは、……エリザさんが仰った通り、俺が意固地になったせいです。元より彼女のことは、……そこまで憎いなんて思ってはいません。むしろ、好意的に、と言うか、……その、憎からず、いや、……」
     言葉が途切れ、ハンはとても困ったような顔を、エリザに見せた。
    「俺は何故、素直になれないんでしょうね、エリザさん」
    「アンタの心ん中に溝やら柵やら壁やらが、仰山あるからや。二重、三重に自分のコト守ろう守ろうとするせいで、ひとつのコトしゃべろうとする度、ふたつもみっつも余計な言葉足して、本心をごまかそうとしとんねん。でもなアンタ、その壁で今まで自分を守ってきたつもりやろけども、結局その壁のせいで、いっつも揉め事起こしてるやないの。ほんならいっぺん、そんな邪魔なもん取っ払ってみいや」
    「……はい」
     ハンはすう、と深呼吸し、もう一度皆の方を向いた。
    「正直に言う。変なごまかしはもうしない。俺は、……俺は、クーのことが好きだ。ずっと前から、好きだったんだ。
     だけど俺のこの面倒な性格のせいで、いつも距離を置こう、遠ざけようとしてばかりだった。そのせいでクーを怒らせたり、泣かせたりして、……本当に、これじゃただの嫌な奴だ。その挙句、クーを一人にさせて、そのせいで皇帝にさらわれるなんてな。俺は今、心の底から、自分のバカさ加減に呆れ返っている。本当に、本当に情けなくて仕方無い。だから今はただ、素直に、クーのことを助けたい。助けて、今までのことをすべて、謝りたいんだ。
     本当に、正直に言ってしまえば、皇帝なんかどうだっていい。俺にはクーの方が、……100000000倍大事なんだ!」
    「ふっ、アハハ、1億かー、さよかー」
     ハンの告白を聞いた途端、エリザはゲラゲラ笑い出した。
    「よお言うた。よお頑張ったわ。うんうん、1億はどんな思いにも敵わへんな。……ま、そう言うワケや、みんな。ろくに見たコトも無い皇帝をどうこうなんかより、お姫様助けるっちゅう目的の方が、よっぽど納得行くやろ? そう言うワケやから、みんな気張りよし。
     ほな今度こそ、以上や。すぐ出撃やで」
     エリザの締めの言葉に、兵士たちは一斉に、使命感を帯びた顔つきで敬礼を返した。

     壇上から降りた途端、ハンは城の壁に顔を向け、そのまま固まってしまった。
    「……言ってしまった」
    「お疲れ様でーす」
     マリアがニヤニヤと笑みを浮かべながら声をかけたが、ハンは応じない。
    「言うに事欠いて、あんな個人的なことを公の場で叫ぶなんて……」
    「結局、ソレが一番やったやろ?」
     ハンの肩を、エリザがぽんぽんと叩く。
    「ごまかしてソレっぽいキレイゴト並べて取り繕うより、素直にやりたいコト言うた方がみんな納得するわ。結局、素直が一番やで。さ、いつまでも壁とおしゃべりしてへんと、進軍の音頭取りいや。遠征隊隊長殿のお仕事やで」
    「……そ、そうですね。では」
     まだカクカクとした足取りながらも、ハンは先頭に向かって行った。

    琥珀暁・決意伝 終
    琥珀暁・決意伝 5
    »»  2020.07.11.
    神様たちの話、第306話。
    久々のシモン班集合。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     皇帝討伐、いや、クー救出を目的として行軍を開始した遠征隊は、まずは沿岸部の隣国、ノルド王国へ到着した。
    「事情は聞いておる。我が国も協力は惜しまん。……と言っても軍備はいつもの如くすっからかん同然であるので、せいぜい人的援助、兵士200名程度でしかないが」
    「いえ、大変ありがたい申し出です。ご厚意、痛み入ります」
     堅い挨拶を交わし、ハンが頭を下げたところで、ノルド王はニヤニヤとした笑みを向けて来た。
    「して、隊長殿」
    「はい」
    「壮行演説の内容、わしも聞き及んでおるよ」
    「……はい?」
    「『姫を救う方が1億倍大事だ』、と。なかなか感動的ではないか。漢を見せたのう」
    「きょ、恐縮至極です」
     ハンは顔を真っ赤にし、もう一度頭を下げた。

    「行く先々でこんな風にいじられてはたまらない。やってしまったよ、本当に……」
     一通りの話し合いを終え、その日の宿を取ったところで、ハンは班の皆の前で頭を抱えてテーブルに突っ伏した。ちなみにマリアが言っていた通り、メリーはこの国に出張していたため、班員が全員揃うのは約半月ぶりとなった。
    「あの、本当に、お疲れ様です。どうぞ、お酒です」
     そのメリー本人が、どことなく困った様子でハンに酌をする。
    「いや」
     と、ハンは進められた杯を押し返す。
    「クーを救うまで、酒は呑まんと決めた。一々体調を崩してられないしな」
    「すみません、差し出がましいことを……」
    「いや、いいんだ。誰にもまだ、伝えていなかったからな。……その、それで、だ」
     ハンは姿勢を正し、メリーに向き直った。
    「グリーンプールで騒動が起きていたことは、君も聞いていただろう? その原因も、恐らくは」
    「はい。尉官とクーちゃん、……いえ、殿下がわたしの処遇をめぐって対立したことが原因だと。本当に、申し訳ありません」
     メリーに謝られ、ハンはぎょっとした顔をした。
    「なんで君が謝る?」
    「わたしのせいですから」
    「いや、そうじゃない。君は何も悪くない。俺がクーの言葉を悪い方に受け止めてしまったせいだ。最初から俺が、どんな時も素直に行動していれば、こんなことにはならなかったんだから」
    「でも……」
    「そもそも、それについて、君に謝らなくちゃならないことがある」
     ハンの言葉に、メリーはきょとんとする。
    「えっ? えーと、……わたしにですか?」
    「俺がこんな性格だから、君に直接言い寄ったりはしなかったが、でも多分、俺が君と付き合いたいと考えていたと言うようなことは、君も勘付いていたかも知れない。だけど、それは結局『逃げ』だったんだ。クーとの関係をはっきりさせたくなかったってだけの、くだらない理由で、君に多大な迷惑をかけてしまった。誠心誠意、それを謝りたい。本当に済まなかった」
    「はあ、……えーと、はい」
     メリーは終始困った顔のまま、ハンの謝罪を聞いていた。と、その様子を眺めていたビートとマリアが、耳打ちし合う。
    (まさかと思いますけど、もしかしてメリーさんは尉官の気持ちに気付いてなかったんじゃないでしょうか?)
    (まさかとは思うけどねー。でもあの様子だと、マジで気付いてなかったっぽいよ)
    (ですよね。どう見たって、『自分がそんな対象に見られてたなんて思っても見なかった』って言いたそうな顔ですし)
    (そんなんで『お前にコクろうとしてたけどやめた』なーんて言われても、そりゃぽかんとするよねー)
    (こんな言い方したら失礼ですけど、メリーさんって、何と言うかその、すごくニブい人なんじゃないかって。案外、マリアさんの口実だって、本当に軍務上の理由だと受け止めてたのかも知れませんよ)
    (あたしがこっちに行かせたアレ? まさかぁ。いくら何でも……)
    (でも合流した第一声が、『お久しぶりです。こちらでの調査結果を報告します』でしたよ? そもそも騒動の原因を本当に分かってたら、いきなり尉官本人に話しかけませんって)
     まだ困った顔で固まっているメリーの様子を見て、二人は再び顔を見合わせた。
    (……マジっぽいね)
    (でしょう?)
    琥珀暁・北征伝 1
    »»  2020.07.13.
    神様たちの話、第307話。
    皇帝の謎。

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    2.
     遠征隊の進軍は一気呵成かつ一直線に帝国まで突き進むようなことはせず、これまで友好関係を築いてきた各国、各拠点に前後しつつ立ち寄る形で進められていた。
     理由の一つは、戦力の増強である。遠征隊の兵力は1000名であるが、これまでのエリザの調査から、帝国本軍及び東山間部の配下国を合わせたそれは、3000名を超えることが予想されている。そのまままともにぶつかることがあっては返り討ちに遭うことは明白であるため、友好国と連携を取り兵力を拡大することが提案・採択された。
    「ココも皇帝さんの襲撃はされてへんっぽいな」
    「そのようですね」
     そしてもう一つは、皇帝の襲撃がどこから来るか予想できるものではなく、直線的な進軍では進路を読まれ強襲されるおそれがあると警戒してのことである。
    「ま、そうは言うてもあんまり気にはしてへんっちゅうのんが、正直なトコやねんけどな」
     西山間部のある街を一通り視察して回ったところで、エリザがそんなことを言い出した。帯同していたハンは当然目を丸くし、その真意を問う。
    「どう言うことです? 皇帝のあの異能は、どう考えても脅威でしょう? それとも実際に一戦交えてみて、相手にならないと判断したと言うことですか?」
    「や、そうや無くてな。その脅威の『術』そのものが、多分使おうにも使えへんのとちゃうかなって」
     エリザの返事に、ハンは首をかしげた。
    「術? あれはやはり、魔術であると?」
    「可能性は大やな。自分でも言うてはったやろ、『今日まで飛べへんかったんは』て」
    「言ってましたね。では、あれは本当に、エリザさんが何か仕掛けていたと?」
    「期せずしてっちゅう感じでやけどな」
     エリザは魔杖をひょいと掲げ、空中にくるくると輪を描きながら説明する。
    「そもそもな、アンタとクーちゃんがケンカしとったやろ? アレがこじれて、本土にヘンな連絡されたらかなわんなー思て、ビートくんに妨害術を仕掛けてもろてたワケやけども、その影響で皇帝さん、クラム王国に来られへんくなっとったんやないやろか」
    「ふむ……?」
    「その証拠に、アタシが帰って来たその日――ビートくんに頼んでた妨害術止めたその途端に、皇帝さんがいきなり現れよったやろ? しかも中庭のド真ん中、アタシらが話し合いしとる、その目の前にやで。強襲や暗殺やっちゅうんやったら、こっそり忍び込まな話にならんやないの。しかも現れたその瞬間、相手も『なんでやねん』みたいな顔しとったし」
    「確かに。何と言うか、相手も予期していなかったような様子でしたね」
    「アレは傑作やったなぁ」
     揃ってクスクスと笑いながら、二人は話を続ける。
    「多分アレな、何回かこっち来ようとしてはいたんやろ。でも何べんやっても上手く行かへんから、しまいには『一日一回くらいは試すだけ試しとこか』くらいになっとったんかもな。そしたらいきなり飛べてしもたから、あっちもアワ食ったんやろな」
    「辻褄は合いますね。しかしそれだと結局、グリーンプール以外では強襲の危険があると言うことになるのでは?」
    「ソレなんやけどな」
     エリザは杖の先を空に向けたり、肩に掛けたりと、手持ち無沙汰な様子を見せつつ、話を続ける。
    「ミェーチ砦が壊滅したっちゅう話もしてたやん? アレでな、リディアちゃん――シェロくんの奥さんも保護して、近くの村に泊まらせるコトにしてんな。ほんであの娘にも元々、ゼロさんとかの連絡先教えてたんやけど、もしあのタイミングで連絡されたらややこしいコトになるかも分からんと思てな。丁稚のユーリくんに妨害術仕掛けとくよう頼んでてん。
     で、後で状況聞いたら、ソレ以来襲撃やら何やらは、自分トコでは起きてへんて言うてたんよ。他の街はちょくちょく現れた、襲われたっちゅう報告もあった割にな」
    「妨害術の効果らしきものが、結果的に確認できたわけですね」
    「ちゅうワケで、ユーリくんには引き続き妨害術を仕掛けてもろとるし、他のトコにも、アタシの店の子通じて術掛けといてって連絡したんよ。勿論、ココでもな」
    「なるほど。その効果が確かであるならば、皇帝の襲撃は防げると言うわけですか」
    「そう言うこっちゃ。で、もしかしたらなんやけど」
     魔杖をいじることにも飽きたらしく、エリザは胸元から煙管を取り出す。
    「コレが皇帝さん、と言うか帝国軍の足止めになるかも知れへんで」
    琥珀暁・北征伝 2
    »»  2020.07.14.
    神様たちの話、第308話。
    一本槍戦法のデメリット。

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    3.
    「足止め?」
    「せや」
     エリザは煙管に火を点けつつ、相手についての予測を語った。
    「突然敵の陣地のド真ん中に入り込んで引っ掻き回し、ガチガチに守られとるはずのトップをあっさり狩る。ソレが相手の――皇帝さんの基本戦術やろ。そしてソレが、『皇帝に対する恐怖と無力感を与えて従わせる』っちゅう戦略にもつながるワケや。逆に言うたら、その戦略を成立させるためには、皇帝さんが一人で乗り込まなアカンっちゅうコトやん?」
    「まあ、そうなるでしょうね。仮に軍勢を率いて乗り込んだとすれば、その軍勢全体を恐れこそすれ、一人ひとりに恐怖を感じることは無いでしょう。ましてや皇帝一人を、直接恐れるようなことにはならないでしょうし」
    「ほんで皇帝さんは、その戦略一本でこの20年、君臨してきたワケやん? ソレはなんでや?」
    「ふむ……」
     ハンはあごに手を当て、思案する。
    「費用対効果ですか? 集団で動くより一人で動く方がコストがかからないのは道理ですし、それでいて、効果は軍勢を率いるよりも高いとなれば、他の方法を選択する必要は無いのでは」
    「ソレもあるやろけども、アタシが言いたいんはソコやなくてな、20年その方法『しか』使わへんのはなんでや、っちゅうトコやねん」
    「それも今、俺が言った通りな気がしますね。わざわざ他の方法を考える必要が無かったからじゃないですか?」
    「ソレは戦略的に危ないと思わへんか?」
     エリザに問い返され、ハンはきょとんとする。
    「危ない?」
    「例えばや、『ファイアランス』やとか『エクスプロード』やとか、火の術で今まで出て来とったバケモノを瞬殺でけてたとしてや、次に現れたバケモノが、火の一切効かへん相手やったら? その途端に詰むやないの。
     一本槍戦法は折れたら後が無いで。武器は2つ、3つ持っとかんと」
    「つまり皇帝には、代替案を持っている様子が見られない、と?」
    「そう言うこっちゃ。アンタの言う通り、単独潜入が効果的すぎて、他の手段を講じる必要が無かったからやろな。せやから前回飛び込んで来た時も単独潜入でアタシらを討っておしまいにしたかったやろうし、今でもそう思ってはるやろな。でもその方法は今、封じられとる。となれば他の方法を講じなアカン。
     封じられとるコトが皇帝さんに分かっとったら、の話やけどな」
     エリザの言葉に、ハンはまた「ふむ」とうなる。
    「確かに各地で妨害術が展開されているこの状況を、皇帝が把握しているとは思えませんね。皇帝が魔術を使えることは確かとしても、それを部下や臣民に伝授していた節は全く見られませんでしたし、我々のように通信術で連絡を取り合い即時対応すると言うようなことは、到底不可能でしょう」
    「せやろ? となると相手には、いきなり瞬間移動がでけへんようになった原因がつかめへんワケや。そらまあ、アタシが何かしらしとると言う予測は立てられるやろうけども、ソレはあくまでも『予測』や。『確信』、『確定』や無い。
     人間はどないしても確実や、絶対に間違い無いっちゅう判断がでけへん以上は、『もしかしたら』と期待してまう生き物や。せやから『ホンマに必要か分からへんけど20年頼ってきたやり方通じひんような気ぃするからきっぱり辞めます』なんちゅうブッ飛んだ判断、まともな人間であればあるほど、するワケあらへん。ましてや他に方法を知らんっちゅうのんであれば、尚更や」
    「では、皇帝は今後も単独潜入に固執し続け、我々が本当に眼前、帝国首都近辺に迫るまで、他の対策を講じることは全く無いだろう、と?」
    「最低でもアタシらが防衛線に到達するまでは、ずーっとウジウジこだわるやろな」
     エリザは自信たっぷりに、そう言い切った。



     西山間部の西部から中部、そして東部へと移るに伴い、西山間部5ヶ国からもノルド王国と同様に人員や物資の援助を受けたことで、行軍の規模は沿岸部出発時の倍以上、2200名に拡大した。
     そしてエリザの予測通り、帝国軍が行軍・戦力増強の妨害や防衛線突破など、積極的に動き出すことは一切無く、遠征隊側は何の懸念もせずに、進攻準備を完全な形で整えることができた。
    琥珀暁・北征伝 3
    »»  2020.07.15.
    神様たちの話、第309話。
    彼女の、最後の希望。

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    4.
    「お久しぶりやね」
    「はい……」
     西山間部オルトラ王国、その東辺縁に位置する村を、エリザは約1ヶ月ぶりに訪れていた。
    「気分はどないや?」
    「……あまり」
     その村に逗留させ続けていたリディアとも、久々に会ったものの――。
    「やつれとるな、随分。ご飯もちゃんと食べてへんのやないか?」
    「食欲が無くて……」
    「しんどいやろけども、ちゃんと食べや。お腹の子に悪いで」
    「……ええ」
     場の空気は重く、エリザに随行して来た丁稚たちは揃って、居心地の悪そうな表情を浮かべている。その中で一人、エリザだけは明るく振る舞い、リディアを励まそうとしていた。
    「あの」
     と、それまでうつむきがちに応じていたリディアが、顔を上げる。
    「ん? なんや?」
    「ユーリさんから伺いましたが、先生は遠征隊の方たちと共に来られたのですよね?」
    「せやで」
    「やはり帝国と……?」
    「その予定やね」
     うなずいたエリザの両腕を、リディアが突然、がばっとつかんだ。
    「先生! 駄目です……!」
    「な、なんやの」
    「父も、シェロも、皇帝に殺されたことをもう、お忘れなんですか!? 戦っては……」
    「あー、はいはい」
     つかまれたまま、エリザはにこ、と笑って見せる。
    「そう言えばリディアちゃん、クラム王国での話聞いてへんのやな」
    「え……?」
    「皇帝さんな、アタシらの前にも現れたんやけども、その場で追い返したったんよ。アタシが」
    「……どう言う意味ですか?」
    「言うたまんまや。アタシの首を狩るやのなんやの偉そうなコト抜かしとったけども、ボッコボコにしたったんよ。な、ロウくん」
    「あ、はい。オレも一発殴らせてもらったんス」
    「え……っと」
     エリザとロウの顔を交互に見比べてから、リディアはようやくエリザから手を離す。
    「嘘、……ですよね? わたしを安心させようとしてるんですよね?」
    「その気持ちは勿論あるけども、そんなんでウソなんか付くかいな。ホンマにソレ目的で何か言うんやったら、『おっさんシバいたった』みたいな辛気臭い話するより、もうちょっと景気のええコト言うわ」
    「……本当の話、……なんですか?」
    「ホンマや。せやからね」
     エリザはリディアの頭を優しく撫でながら、やんわりとした声で話を続ける。
    「アンタは何も心配せんで、ココでゆっくりしとき。めんどいコトは全部、アタシらが引き受けたるから」
    「……」
     リディアは無言で、こくんとうなずいた。
    「ほなもうちょっと、ココにおってや。帝国さんやっつけたら、戻って来るからな」
    「……はい」
     エリザもこれ以上は彼女の雰囲気を良くできそうには無いと判断し、そこで話を切り上げようと、腰を上げかけた。
    「ほな、また……」「あの」
     と、リディアがもう一度、エリザの手を引く。
    「おん?」
    「お願いがあるんです」
    「ん、何や? 何でも言うてみ」
    「……あの、今、ミェーチ軍団は、指揮権と言うか、動かす権限と言うか、そう言うようなものを、父もシェロももういないので、……わたしが、持っています。でも、わたしに動かせるような能力も、勇気もありません。ですので、先生、……どうか、わたしの代わりに、軍団を率いていただけませんか?」
    「あー、はいはい」
     エリザはもう一度座り直し、リディアに深くうなずいて返した。
    「ええよ。とりあえず、遠征隊に参加させるわ。みんなこっち来てはるんかな?」
    「はい。半数は防衛線に残っていますが、もう半分は」
    「よっしゃ、ほな声掛けてくるわ。後のコトはみんな、アタシに任しとき」
    「はい。お願いします」

     こうして生き残っていたミェーチ砦の兵たちも遠征隊に加わることとなり、その兵力は2500名にも上った。
    琥珀暁・北征伝 4
    »»  2020.07.16.
    神様たちの話、第310話。
    決戦の舞台へ。

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    5.
     双月暦25年7月、遠征隊はついに山間部の東西結節点、ゼルカノゼロ塩湖南岸の前線基地に到着した。
    「お待ちしておりました、女将さん! ……と、隊長どの!」
     防衛線を守っていた兵士に出迎えられ、ハンは――表情には出さないものの――どことなく憮然とした様子で応じる。
    「俺が隊長のハンニバル・シモンだ。正式な軍事的通達・連絡は俺が受け持つ。状況はどうなっている?」
    「あ、はい。現在、帝国軍の動きはほぼ見られません。防衛線の付近を何度か、斥候がうろついていた程度です」
    「まだ見付かるような偵察体制のままなのか。学習の気配が全く見られないな。……と、そうだ」
     ハンは塩湖の方に一瞬目をやり、兵士に向き直る。
    「一つ聞いておきたいんだが、この湖は塩湖だそうだな?」
    「はい。山間部における塩の供給源となっています」
    「この湖の深さは? 人が渡ることは可能なのか?」
    「不可能です」
     断言され、ハンはもう一度塩湖を確認する。
    「あれは塩田だな? ここから見る限りでは、人が入っているようだが……?」
    「確かに湖沿岸は浅瀬ですが、奥へ進むと我々の身長の2倍、3倍以上も深くなります」
     自分の虎耳の上を手で指し示した兵士の頭を眺めつつ、ハンはざっくり計算する。
    「となると5~6メートルと言ったところか。重装備で泳いで渡るのは難しいだろうな。しかしここは寒冷地だろう? 凍ってしまえばその上を……」
    「無理です。塩水が濃いせいで、真冬でも薄く氷が張るか張らないかと言った程度ですし、ましてや今は夏ですから。あ、ちなみに舟で渡るのも難しいです」
    「何故だ?」
    「浮力が強すぎて、簡単に転覆するからです。一度、殿と若が連れ立って試されたことがありましたが、岸を離れてすぐ、揃って舟から投げ出され、一晩悶絶しておりました」
    「殿と若、……と言うと、ミェーチ王とシェロか。シェロは60キロ半ばだったし、ミェーチ王は……あの見た目からして、120キロは超えていただろう。舟自体と装備も含めれば250キロ以上はあっただろうが、……それが簡単に転覆、か。なるほど、確かに難しそうだ。
     一人ずつ舟に乗れば、何とか制御できるかも知れんが……」
    「そら無いな」
     エリザも湖に目をやりつつ、口を挟む。
    「一人ひとりでえっちらおっちらフヨフヨ~っと近付いて来たら、格好のマトになるんは目に見えとるからな。岸から矢ぁ射掛けられておしまいや」
    「確かに。では湖からの襲撃については、考える必要は無さそうですね。北岸は崖ですし」
    「この南岸の道が今んトコ、山間部の東西を結ぶ唯一のルートっちゅうワケや。ひいてはこのルートを守り切れるかどうかが、この戦いの分岐点にもなるっちゅうこっちゃ」
    「とは言え、そのルートを破ろうとしてくる相手が未だ現れないのでは、対策の取りようが無いでしょう」
     ハンの言葉に、エリザは肩をすくめて返す。
    「ま、ボチボチ動くやろ。なんぼなんでも、アタシらが着いたっちゅうコトは斥候さんらも確認でけはるやろし、ココまで来たらええ加減動かな、皇帝さんも本国でナメられてまうわ」
    「ふむ」
    「対策取るんはその後からでええやろ。少なくとも妨害術のおかげで防衛線のこっち側にいきなり来るっちゅうコトは無いやろし、ましてや魔術無しで2000人以上を相手しようなんて、そんなもん自殺と一緒や。流石に皇帝さんもそんなアホとちゃうやろ」
    「では、相手は軍で動くと?」
    「ココまで来たら、ええ加減踏ん切りも付くやろ。言うたら皇帝さんにとっては、『司令官としての』初陣になるな」
     その言い回しに、ハンはまた、「ふむ」とうなった。
    「となれば、こちらに相当有利となりそうですね。こちらは軍としての経験も豊富ですし、エリザさんの知恵もありますし」
    「お、頼りにしてくれとるんか?」
     ニヤニヤと笑って見せたエリザに、ハンも苦笑して返した。
    「ええ、何かと」

    琥珀暁・北征伝 終
    琥珀暁・北征伝 5
    »»  2020.07.17.
    神様たちの話、第311話。
    ブリーフィング。

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    1.
     これもエリザの読み通りとなったが――遠征隊が防衛線に到着して5日後、帝国軍が防衛線から東南東に10キロ強の地点に陣取ったことが、遠征隊側の斥候によって確認された。
    「とは言え、士気は低いっちゅう話やったな」
    「ええ。一様に怯えた様子であったと」
     斥候からの報告を受け、エリザとハン、そしてイサコをはじめとする分隊の指揮官たちは作戦会議を開いた。
    「恐らく、皇帝が威圧しているんでしょうね」
    「せやろね。大方、『戦わな殺す。逃げたら殺す。討たれても殺す』みたいなムチャ言うて、無理矢理けしかけとんのやろ」
    「想像に難くないですな」
     指揮官たちが一様に苦い顔を並べる一方、ハンは別の理由から顔をしかめている。
    「それでこの地図を参考にするとして――どこまで正確なのかは疑問だが――敵陣とこちらの間に、特に障害となるような地点は無く、いわゆる平地・交地となっているわけだ。この一点だけでも敵の、『軍としての』戦闘能力が著しく低いことは明らかだろう」
    「どう言う意味です?」
     指揮官の何人かは首をかしげるが、緒戦から参加してきたイサコは理解したような様子でうなずいている。
    「『攻め』については辛うじて考慮した様子は見られても、『守り』に関してその配慮が見られない、と言うことか」
    「その通りだ」
     ハンもうなずいて返し、指揮官たちに詳しく説明した。
    「この布陣からは相手が抵抗、あるいは攻撃に出ることを想定した気配が全く見られない。恐らく皇帝が20年前に組み立てた――既に大勢が決し、敵にもならなくなったボロボロの相手を押し潰すことを目的とした攻め一辺倒の布陣を、そのまま流用したものなんだろう。
     だが、繰り返すがこの布陣に防御力は皆無だ。いち早く攻め込めば、恐らく相当早い段階で決着が付くだろう。以上の理由から、今夜中にも出撃することを提案する」
     と、エリザが手を挙げる。
    「アンタにしては積極的やけども、今ひとつやな」
    「まずいですか?」
     憮然とするハンに、エリザが肩をすくめて返す。
    「確かに決着はするやろな。でもこっちにも、結構な被害が出るコトは予想でけるやろ?」
    「それはまあ、確かに」
    「ソレはもったいなさすぎるで。アタシの案やったら、もっと被害を少なくでける。上手いコト行ったら被害無しも有り得る手や」
    「そんな手が?」
     目を丸くするハンと指揮官たちに、エリザはニヤッと笑って見せた。
    「相手の士気は低いっちゅう話やったな? せやのにこうして最前線まで追いやられとるっちゅうコトやったら、ちょっと『誘惑』したったら転ぶんとちゃうか?」
    「誘惑?」
     ざわめく指揮官たちを見て、エリザはケラケラと笑う。
    「や、何も色仕掛けっちゅう話とちゃうで? もっと別の欲で釣るっちゅう作戦や」
    「別の? まさかノルド王国や西山間部でやったように、食事で、と?」
    「ソレや。ちゅうても、まさか直で『うまいもんあるでー』って呼ぶワケやないで」
    「それはそうでしょう。皇帝が真後ろにいる状況では、流石に応じないでしょうからね。そんな状況で動こうものなら即、処罰されてしまうでしょうから」
    「ソコもチョイチョイってなもんでな。皇帝さんもある程度、動きを操れるやろと目論んどるんよ」
    「操る? そんな魔術があるんですか?」
    「ちゃうちゃう」
     ふたたびざわついた場を抑えつつ、エリザはこう説明した。
    「みんなももう知っとるやろけども、皇帝さんは一瞬で、かつ、自由自在に好きなトコ行ける術を持っとるらしいんよ。ほんで、この術にはアタシらの妨害術が効くらしいっちゅうコトも分かっとる。で、この2ヶ月ずーっと妨害術で防ぎ続けとるワケやけども、皇帝さんにしてみたらこの状況、イライラしてしゃあないやろな、っちゅうコトや」
    「ふむ……?」
    「向こうにしてみたら、『何で今まで好き勝手やっとったのにでけへんようなってんねん』、やんか? ソコで急にポンと使えるようになったとしたら?」
    「迷わず使うでしょうね。罠と警戒する可能性もあるでしょうが、単騎潜入と暗殺が相手の戦略の要、主要な戦闘手段となれば、どちらにせよ使わざるを得ないでしょう」
     ハンの回答に、エリザは満面の笑みでうなずいて見せる。
    「そう言うこっちゃ。つまりこの一点に関しては、皇帝さんの行動を操れるっちゅうワケや」
    琥珀暁・湖戦伝 1
    »»  2020.07.19.
    神様たちの話、第312話。
    決戦初日。

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    2.
     帝国軍が到着したその翌日から、戦闘が始まった。
    「交渉も宣戦布告も無く、いきなり襲ってくるとは」
    「話し合いっちゅう考えが無いんやろな、皇帝さん」
     遠征隊側、即ち防衛線西側の本営にて、ハンとエリザは状況を逐一報告されていた。
    「現在、関所東側各所で交戦中です。ただし女将さんに厳命された通り、こちらからの攻撃・反撃は一切行わず、防御を徹底し防衛線を堅持しています」
    「うんうん、引き続きその調子でよろしゅうな」
     伝令が下がったところで、ハンが苦い顔をする。
    「一応、俺がここのトップなはずなんですがね」
    「ここぞと言う時にはビシッと命令してもらうから、ソレまでのんびりしとき。細かいトコはアタシがやるさかい」
    「やれやれ……。そんな調子でいいんでしょうかね?」
    「えーねんえーねん。焦った顔してピリピリイライラしとるのんを見せるより、こうしてのんびりどっしり構えとるトコ見せたった方が、みんな安心するで。想像してみ、皇帝さんなんか向こうで十中八九、辺り構わず怒鳴り散らしとるやろで。そんなん下の者はうっとうしくてしゃあないやろ」
    「なるほど。容易に想像が付きますね」
    「ちゅうワケで、のんびりお話でもしよか。どのみち、防御を徹底しとるっちゅうコトやったら、誰も死にはせんやろしな」
     エリザが煙管を口にくわえる一方で、ハンも手元の地図の清書を始める。
    「元から壁が重厚長大な上、その手前であれだけ頑丈で巨大な、防壁同然の盾を持って陣取られては、敵も味方も容易に動けないでしょうしね。
     それでエリザさん、防御を徹底させた理由は? 被害を極力抑えると言う目的は分かりますが、あなたのことですからそれだけではないんでしょう?」
    「おっ、よお分かってるやないの」
     ぷか、と紫煙の輪っかを宙に飛ばし、エリザはニコニコと笑う。
    「ま、一言で言うたら無力感を与えるっちゅうヤツやね。目一杯押せど叩けど、一人も倒せん、なんもでけへん、ただただ疲れるだけとなれば、やる気も失せてくるやろ?」
    「ふむ」
    「今日、明日はその調子で攻めるだけ攻めさせて、消耗させるんや。となれば明後日辺り、皇帝さんが何かしら出張って来て、すっかりヘトヘトになった向こうの兵隊さんらにやいやい言い出す。アタシはそう読んどるんよ」
    「十分有り得る流れですね」
    「何にも成果も勲功も上がらへんのに、一方的に文句だけ言われてみいや? ただでさえすり減っとる士気が、余計無くなっていくやんか。で、ソコにご飯の匂いがフワーッと漂ってきたら、向こうさんはどんな顔するやろな?」
     これを聞いて、ハンは苦笑する。
    「相当辛いことになりますね、それは」
    「その翌日辺りから、向こうさんの人数減ってくはずやで。上からは殺す殺す言われて、前は一向に破られへん。もう限界やっちゅうトコにそんな誘惑受けてみいや。逃げたくもなるやんか」
    「なるほど。となれば決着は4日、5日と言うところですか」
    「や、まだもうひと手間っちゅうトコやな。人数減ってきたら、皇帝さんが自分で動くやろからな。なんぼなんでも皇帝さんが出陣するとなったら、向こうさんももうひと頑張りせなアカンくなるやろし」
    「そこで皇帝を操る策を発動、と言うことですか」
    「そう言うこっちゃ。で、上手いコト皇帝さんを遠ざけたところで、アタシらが残った向こうさんらに『やめにせえへんか』と呼びかけるワケや。ソコで向こうが投降すれば、皇帝さんにもう武器はあらへん。丸々残ったアタシら2500人を、一人で相手せなアカン状況になる」
    「まともな思考が相手にあるなら、その時点で逃亡するでしょうね。と言って、まともじゃなければ……」
    「そんなもん……」
     エリザは煙管の先を机にこつん、と置き、こう続けた。
    「そのままプチっとやっておしまいや」
    琥珀暁・湖戦伝 2
    »»  2020.07.20.
    神様たちの話、第313話。
    狐の女将、先知を得る。

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    3.
     ゼルカノゼロ南岸の平地は最も狭い場所で幅5~600メートルと、その周辺に比べて急に狭まる隘路(あいろ)となっており、20年前の戦いにおいても戦略上重要な地点となっていた。
     そのため20年前の、帝国による北方統一戦争が終息してまもなく、帝国は西山間部以西から進攻される可能性を排除すべく、近隣の開けた土地に基地を築き、それと並行してこの隘路にも関所を設けていた。とは言え敵対勢力が全滅した、統一後のことであり、守りを堅くすることは実質的には求められておらず、その壁は石を組んだ程度の、簡素なものでしかなかった。
     その後、ミェーチ軍団と豪族が結託して西山間部を奪取したことにより、この関所には帝国の進軍を阻む役目を要求され、大幅な補強工事が行われることになった。これが、これまで語っていた「防衛線構築」の経緯である。

     この防衛線構築の時点で既に、エリザは帝国軍に2つの弱点があることを――いつものごとく「商売がてらの情報収集」などによって――見抜いていた。
     一つは、以前にも触れた通り、非常に消極的で行動が遅いこと。そしてもう一つは、継戦能力の低さである。物資の流通ルートを把握する過程で、エリザは食糧の流れが沿岸部側から東山間部側への一方通行となっており、帝国が食糧自給を沿岸部と西山間部に少なからず依存していることに気付いていた。
     これは即ち、防衛線の完成によって物資の流れが完全に遮断されれば、帝国が遠からず飢えに苦しむことを示唆しており、もしこの状況で帝国軍が動いたとしても、採れる策が短期決戦の一択しか無いことも暗示していた。



     エリザのその予測通り、開戦当初こそがむしゃらに攻めて来ていた帝国軍も、2日、3日と経たずして、みるみる勢いが衰えていった。
    「くそ……もう日が暮れる」
    「これ以上は無理だ。今日のところは引き上げよう」
    「撤退! 撤退!」
     夏とは言え北方の昼は短く、その日も戦い始めてから四半日もしない内に辺りが茜色に染まってきたため、帝国軍はやむなく攻撃をやめて拠点へ引き返して行った。
    「あーあ……。今日の晩飯も芋1つと塩のスープだけか?」
    「仕方あるまい。3000人も兵がいるとなっては、飯代も馬鹿にならん」
    「そりゃ理屈ではそうだ。理屈ではな」
    「そうだよ、理屈はさ、理屈はそうだけどさ、……分かるだろ? あいつらのいる方角から……」
    「ああ……うん」
     ぎゅうぎゅうに人が詰まったテントの中に、うんざりした雰囲気が立ち込める。
    「なんかさあ……なんか……もう……なんかがさあ!」
    「分かる。メチャクチャいい匂いしてくんだよな」
    「あれ本当なんなんだよ、クソが……!」
    「こっちは必死だってのに、あいつらずーっと何か、もぐもぐ食ってんだよ」
    「関所の上でな。俺見たもん。チラッとだけど」
    「マジふざけんなって話だよな。……畜生、こんなもんで食った気になるかっつーの!」
     3分もしないうちにその日の夕食も終わってしまい、彼らはのろのろとした足取りでテントを出た。
    「後は寝て起きて芋いっこ食って、まーた関所に向かって、かぁ。……あーあ、もううんざりだよ」
    「だよなぁ。あんな分厚い壁やら盾やら、どうやったって破れるかってんだよ」
    「上は全然分かってないんだよな、前線の状況なんて」
    「大体さあ、何で俺たちがこんなところで戦わなきゃならないんだよ?」
    「だよなぁ。そう言うのは沿岸部だとか、湖の向こう側でやってたことだろ?」
     兵士たちから漏れる言葉は現状への不満から、上層への愚痴へと変わる。
    「結局、上が下手打ったせいで海外人がここまで来たってことだよな」
    「それだよな。海外人が来たって時点ですぐ動いてりゃ、こんなギリギリのとこで戦わずに済んだわけだしさ」
    「それまで何やってたんだろうな、本当」
    「普段偉そうにふんぞり返ってるクセして、有事には何にもできないってか」
    「本当、それだよ。マジでバカみてえ……」
     と――愚痴を並べていた彼らの前に、仰々しい鎧を着込んだ男が現れた。
    「……っ、な、何か御用でしょうか、じょ、上将軍閣下?」
     自分たちの上司であることに気付き、つい先程まで非難の言葉を吐いていた彼らは背筋を正す。
    「皇帝陛下より直々の命令が下った」
     その将軍が沈鬱な表情を浮かべつつ、彼らに通達した。
    「今すぐ全員体制で出撃せよとのご命令だ」
    「い、……今すぐ、ですか!?」
    「たった今、撤退したところなのに!?」
     騒然となる兵士たちに、将軍はこう続ける。
    「朝までに彼奴らの防衛線を突破できなければ、全員その場で自決せよ、……と」
    「なっ……!?」
    「そ、そんな無茶な!」
    「やらねばこの拠点に火を放つ、と仰られている。いや、既にもう……」
     話している間に、辺りに焦げ臭い臭いが漂い始めた。
    「な……なっ……」
    「諸君が帰投する場所はもう無い。私も同様だ。であれば戦い、彼らを滅ぼす方がまだ、生き残る可能性はある。戻ったところで、陛下に誅されるだろうからな。
     諸君、やるしかないのだ」
    「……っ」
     兵士たちは顔を見合わせていたが――やがて揃って絶望に満ちた表情を浮かべながら、燃え盛る炎の中へと武具を取りに向かった。
    琥珀暁・湖戦伝 3
    »»  2020.07.21.
    神様たちの話、第314話。
    急変の夜。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     敵陣からの出火の報を聞き、エリザは寝間着姿のまま、本営に飛び込んだ。
    「向こうが燃えとるって?」
    「ええ、ですがこちらが独断で動いた形跡はありません。どうやら相手が自ら火をかけたようです」
     ハンから状況を伝えられ、エリザは腕を組んでうなる。
    「ちゅうコトは皇帝さんがけしかけよったな。ひどいコトしはるわ。兵隊さんの退路断って、無理矢理こっちを陥とさせようとしとんのやろ」
    「どうしますか?」
    「どうもこうも、やな。昼間やってたように、防御を徹底や。ただし……」
     エリザは上を指差し、こう付け加えた。
    「今、白い月が西の方におったな? アレが山の向こうに隠れるくらいの辺りで、妨害術解除や。同時に『ショックビート』使て、攻めて来とるヤツを全員鎮圧してしまおか」
    「解除? では……」
    「せや。ボチボチ皇帝さんを、こっちにおびき寄せるで」



     拠点を焼き出され、帝国軍は必死の形相で防衛線に食らい付いていた。だが、初日のまだ余力があった頃でさえびくともしなかった防御が、この期に至って急に崩せるようになるはずも無く、攻撃開始から2時間もしない内に、その虚勢はすっかりしぼんでしまった。
    「はぁ……はぁ……」
    「ひっ……ひい……ダメだぁ」
    「どうにもならねえ……!」
     辛うじて彼らを突き動かしていた皇帝への恐怖も、やがて積み重なった疲労に押しやられてしまい、兵士たちはその場にうずくまってしまった。
    「も……もう……いい……」
    「どっちにしたって死ぬんだ……」
    「好きにしてくれや、畜生……!」
     すっかり意気消沈してしまい、辺りは沈黙に包まれた。いや――。
    「用意!」
     ここで初めて、関所の方から鋭く声が響く。
    「あ……? 用意って?」
    「知るかよ」
    「どうせ矢でも……」
     次の瞬間、彼ら全員の耳奥にとてつもない重低音が響き渡り――その全員が、声も上げずにバタバタと倒れていった。

    「敵、完全に沈黙しました!」
    「よっしゃ、急いで……」「急いで回収し拘束せよ! 後続勢力への警戒も怠るな!」
     エリザを押しのける形で号令を発し、ハンははっとした顔を彼女に向ける。
    「あ、……すみません」
    「アハハ……、ええよええよ。ま、そう言う感じでよろしゅう」
    「はっ……」
     伝令が去ったところで、エリザはハンが清書した地図を机に広げた。
    「ほんで、現状やけども」
    「『後続を警戒せよ』とは言いましたが、恐らく敵兵士については、防衛線付近にいた者で全員でしょう。彼らの事情を鑑みれば、残存勢力を残しておけるような状況ではないでしょうからね」
    「せやね。となればいよいよお出ましやろ」
    「こちらが何ら物理的手段を講じていないにもかかわらず、いきなり自陣が瓦解したと知れば、相手も妨害術が解除されていることに気付くでしょうからね」
    「ソコで、や」
     エリザは地図上の、現在自分たちがいる地点を煙管の先で指し示した。
    「皇帝さんが現状を知った、魔術使えるんちゃうかと思い立った、と。ほなドコに現れるやろ?」
    「流石にこちらの中心部や本営にいきなり現れることはしないでしょう。それじゃ暗殺になりませんからね」
    「仮にド真ん中に来たとて、精鋭揃いや。クラム王国ん時みたく、ボコボコにされるだけやしな。どんだけアホやとしても、流石に自分が経験したコトは忘れへんやろ」
    「となれば離れた場所から接近、と考えるのが常道でしょう」
    「そうなるやろな。せやけども、ソレがドコかまでは流石に分からん。ソコでや」
     エリザは拠点の西に煙管の先を向け、こう続けた。
    「あらかじめな、こっち側の警備しとる子らに頼んで、今回の作戦が始まったら全員撤収するように言うてあんねん。もうボチボチ、みんな引き上げとる頃やろ」
    「それは流石に危ないんじゃ……」
     不安そうな目を向けるハンに、エリザはニヤ、と笑みを返す。
    「勿論、罠も仕掛けとる。真っ正直に飛び込んで来よったら、あっちゅう間におしまいやっちゅうくらいにはな。仮に罠に気付いて引き返しよっても、ソレはソレでもう終わりやん? もう兵隊さんは全員ウチん中やしな」
    「なるほど。どうあれ、飛び込むしか相手に手は無い、と」
    琥珀暁・湖戦伝 4
    »»  2020.07.22.
    神様たちの話、第315話。
    帝国軍、最後の一手。

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    5.
     既に日をまたぎ、あと3、4時間もすればようやく東の稜線から光が漏れてくるかと言う頃になって、拠点西側に人影が現れた。
    (現れました!)
     物陰に潜み、周囲の警戒に務めていた斥候らが、「頭巾」で報告する。彼らにとっては運のいいことに、その相手は気付いていないらしく――あるいは気付いていても、攻撃する余裕を失っているのか――その影はまっすぐ、拠点へと駆けていく。
    (まっすぐ拠点へ向かっています! まもなく罠のあるポイントに……)
     報告が終わらない内に、炸裂音が響き渡る。
    「ぐっ……!」
     相手から苦しそうなうなり声が漏れるが、影は止まることなく、罠の中を突き進んでいった。
    「……小癪な……」
     二度、三度と爆発が起こったところで、影は短く叫び、空高く跳躍した。
    (あっ……も、目標、突破しました! 罠のポイントを抜けました! ジャンプして! 向かってます! 警戒! 警戒されたし!)

     報告を受け、マリアをはじめとする遠征隊内の精鋭たちが、拠点の西側に陣取る。
    「皇帝がこっちに来ているそうです! 全員、臨戦用意!」
     伝令役のビートの号令に従い、マリアは槍を構えた。
    「いつでも来なさいよ、皇帝……!」
     他の者も各々武器を構え、敵の襲来に備える。まもなく西から影が現れ、空高く飛び上って、皆の前に着地した。
    「かかれーッ!」
     号令をかけつつ、マリア自身も槍を振り上げ、その影に振り下ろした。ところが――。
    「うっ……!?」
     頭に振り下ろした槍が、ばきんと音を立てて砕け散る。
    「……あいつじゃない!」
     マリアはとっさに後ろへ飛び退き、その影から距離を取ろうとする。
    「逃さんぞ」
     だが、影は瞬時にマリアへ肉薄し、そのまま弾き飛ばす。
    「あうっ……!」
     地面を転がり、そのままマリアは動かなくなった。
    「マリアさん!」
     ビートが顔を青ざめさせる一方、他の者が影へ攻撃を仕掛けた。
    「うおらあッ!」
    「食らいやがれえッ!」
    「んなろおおッ!」
     だが、戦鎚や矢を胴に受け、頭に剣を叩き付けられても、影の勢いは衰えない。それどころか、仕掛けた者たちを順々に、甲冑を付けた腕で殴り飛ばして行った。
    「うごぉっ!?」
    「がは……っ!?」
    「ば、バカなっ」
     屈強な男たちが、まるで小石を投げるかのように弾かれ、あっと言うまに半数以下になってしまった。
    「そ、そんな……!」
     残りの者たちが呆然とする中、影のまとっていたフードがぼろりと落ち、中の姿があらわになった。
    「う……!?」
    「な、なんだあの甲冑は!?」
    「こいつ、……が、皇帝?」
     と、その全身甲冑姿の者が、無機質な声で応じる。
    「お前ら如き有象無象の相手をするほど、皇帝は暇ではない。この皇帝第一の側近、アル・ノゾンが相手をしてやろう」
     がしゃん、がしゃんと足音を立てながら、アルと名乗ったその男は拠点に近付いて来る。
    「お、囮か!?」
    「じゃあ皇帝は……!?」
    「ハーベイ! 隊長に報告……」
     慌てふためき、皆の隊列が乱れた瞬間、アルはがきん、と金属音を鳴らして、その中に飛び込んで来た。
    「死ぬが良い」
    「うわああっ……!」
     残った者たちは果敢に立ち向かうも、アルに全く攻撃が通らず、一人、また一人と返り討ちにされてしまう。
    「あ……あわわ……」
     精鋭だったはずの者たちが次々と、行動不能になっていく。ただ一人、ビートだけは無傷のままだったものの、無防備な状態で取り残されていた。
    「く……くそっ」
     それでもどうにか口を動かし、魔術を放つが、それもアルには全く効かず、一歩、また一歩と迫って来る。
    「く……来るな、来るなーっ!」
     ビートはついに腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
    「た……助けて……助けて、マリアさん……!」

     ばっ、とビートの前にもう一つ、影が現れる。
    「あ……う……」
     恐怖で前後不覚になりながらも、ビートは心のどこかで、その影がマリアではないかと期待を抱いた。だが――影は明らかにマリアのものとは違う、少年のように高い声で答えてきた。
    「情けないねぇ、君。もうちょっとカッコいいトコ見せろってね。ま、どーでもいいけどね」
    琥珀暁・湖戦伝 5
    »»  2020.07.23.
    神様たちの話、第316話。
    千年級の会話;"ROCKKEY"。

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    6.
    「あ……え……だ、誰?」
     しどろもどろながらも尋ねたビートに、その影はフンと、鼻を鳴らして答える。
    「君の想い人じゃないってコトは確かだね。ま、でも逆にソレでいいんじゃないね? そんなみっともない姿、見せたくないだろ?」
    「……あっ、……は、はい」
     立ち上がろうとしたが、完全に腰が抜けてしまったらしく、立つことができない。それを見抜いたらしく、影はまた嘲笑った。
    「ソコでじっとしてな。もう安全だしね」
     そう言われて、ビートはつい先程までアルが迫って来ていた方向に目をやる。
    「え?」
     そこでようやくビートは、そのアルが前方はるか遠くに転がっていることに気付いた。
    「な……何を? 何をしたんですか?」
    「そりゃもう、チョイチョイってなもんだね」
     その言葉遣いに既視感を覚え、ビートは思わずこう尋ねていた。
    「せ、先生? ……いや、……やっぱり違う」
    「先生じゃなくても、その先生かも知れないねぇ」
     そんな風に返しつつ、影はふたたび迫って来たアルに向けて魔杖を構える。
    「ヘッ、バカの一つ覚えだねぇ。『ウロボロスポール』」
     直後、またもアルは彼方に弾き飛ばされ、今度こそ動かなくなった。
    「いくらクソデカ装甲で高出力でも、その高出力を自分自身にぶつけられちゃ、たまったもんじゃないらしいね」
     影は魔杖を構えたまま、アルの側に近付く。
    「よお、お兄ちゃん。お元気かい?」
    「ナ……何者ダ……キサ……マ」
     壊れた管楽器のような声を上げたアルに、影はこう返す。
    「お前が誰かってコトは、私ゃよおく知ってるね」
    「答エロ……何者ダ!」
    「へっへへ……」
     アルを見下し、嘲笑いながら、影は魔杖を相手の胸に突き付けた。
    「緑綺(ロッキー)の息子だろ、君?」
    「……ロッキー……?」
    「おや? 生みの親の名前を知らないって? んなワケ無いね。あの自信過剰の自意識過剰が君みたいな秀作・傑作に自分の名前を刻み込んどかないなんて謙虚な真似、するワケないだろ? よく思い出しな。お前のメモリのどこか片隅に、こっそり埋め込まれてるはずさね」
    「……該当……《C.C.2774 ROCKKEY》……何故オ前ガ……コノ私自身デサエモ……今ノ今マデ認識シテイナカッタ……コンナ20バイトニモ満タヌ……チッポケナ情報ヲ……?」
    「さあね。ソコまでは教えてやるもんか。ともかく」
     魔杖が光り輝き、真っ赤な熱線がアルの腹から胸に向かって放たれる。
    「お前の野望はココでおしまいだね」
    「ウゴオォ……ッ!」
     瞬間――閃光と共に、アルと、その影は消え去った。

     すっかり静まり返ったところで、ビートはようやく立ち上がり、慌ててマリアのところへ駆け寄った。
    「ま……マリアさん! 大丈夫ですか!?」
    「う……ん……」
     どうやら右肩が外れているらしく、不自然な垂れ下がり方をしていたが、それ以外にマリアには目立った外傷も無く、出血も見られなかった。
    (どうにか受け身を取りはしたけど、脱臼の痛みで気絶したって感じだ。……じゃなくて)
     ビートはマリアの肩を入れてやり、ぽんぽんとほおを叩いて声を掛けた。
    「マリアさん! 起きて! マリアさん!」
    「……う……う? ……あっ!?」
     目を覚ますなり、マリアは跳ねるようにその場から飛び起き、警戒態勢を執る。
    「あいつはッ!?」
    「た……倒しました」
    「倒した!? ……誰が?」
    「えっと……」
     そう問われてビートはアルがいた方に目をやるが、やはりアルも、あの影もおらず、答えに窮する。
    (『良く分からないけどいきなり誰かが現れて助けてくれました』、……なんて言ってもワケ分からないよなぁ)
    「……まさか、あんたが?」
     と、続けてマリアに問われ、ビートは曖昧に答える。
    「え? あっ、いや、えーと、そのー……」
    「マジで? マジであんたがあいつ、やっつけたの? マジで殺せたの?」
    「いや、殺したって言うか、爆発して……」
    「自爆した……? そ、そう」
     ようやくマリアは警戒を解き、ビートを抱きしめた。
    「やるじゃん、あんた! 見直したよ」
    「あ、あへっ、や、ま、マリアさん、ちょ」
    「……あ! そうだ、皇帝!」
     ビートがどさくさに紛れて抱き返そうとした瞬間、マリアはビートから離れ、その場から駆け出した。
    「今のが皇帝じゃないとしたら、きっと東側に来てる! 行こう、ビート!」
    「あ……そ、そうですね! 急がないと!」
     ビートも足元に落ちていた魔杖を拾い、慌ててマリアの後を追った。
    琥珀暁・湖戦伝 6
    »»  2020.07.24.
    神様たちの話、第317話。
    ゼルカノゼロ南岸戦、決着。

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    7.
     西側が騒がしくなり、拠点にいた者たちは続々、そちらへと向かっていた。
    「おい、行こうぜ!」
    「え? いや、でも」
    「何だよ? 西に出たってんなら、こっちから来るヤツは誰もいないだろ?」
    「……それもそうか。よし、行くか!」
     防衛線の守りに付いていた者たちも次第に持ち場を離れ、やがて東側を監視する者は一人もいなくなってしまった。

     もぬけの殻になった防衛線を飛び越え、関所の上に皇帝レン・ジーンが降り立った。
    「陽動に惑わされ、自ら守りを緩めるとは。智将と聞いていたが、こう易々と余の仕掛けた策にはまるか。くくく……!」
     高笑いしつつ、ジーンは関所から飛び降りる。と同時に――。
    「今の言葉、そっくりそのまんま返したろか?」
     すぐ背後から声がかけられ、ジーンは驚愕の声を上げる。
    「うぬっ!?」
    「ロウくん、一発」
    「うっス!」
     ジーンが振り向くとほぼ同時に、ロウのパンチがジーンの顔面を捉える。
    「ぐあっ……!」
     ジーンの鼻から血しぶきが上がり、彼は3メートル近く地面を滑って行った。
    「あ……がっ……」
     どうにか立ち上がるも、続けてハンが斬り掛かる。
    「うおおぉ……っ!」
     ハンの一太刀を、ジーンもどうにか剣を抜いて防いだものの、そのたった一撃で、剣は真っ二つに折られてしまった。
    「青銅製か? ソレとも黒曜石か何かか? どっちにせよ、まともに受けたら鋼鉄には敵わんな」
    「う……うう……」
     ほぼ柄だけになった剣を捨て、ジーンは3人から距離を取る。
    「何故だ!? 何故余がここに来ることを……!?」
    「策っちゅうもんは十重二十重に仕掛けてナンボや。一個目が潰れた時のために二個目、二個目がバレた時のために三個目や。
     アンタがバカ正直に西から来るんやったらソレでよし。向こうで張っとった子に総攻撃してもろて終わりやった。そして今みたいに、西と見せかけて東やったとしてもや。アタシがソレを見抜けへんアホやと思とったんか?」
    「く……女狐が!」
    「ちゅうワケで3対1や。しかももう、アンタの後ろに人はおらん。反面、こっちは続々応援が来るで。どんどん不利になるけども、アンタどないするつもりや?」
    「く……く……くくく」
     エリザの威圧に対し、ジーンはなお笑いを浮かべている。
    「馬鹿め……! 余がたった一人で敵陣に現れる愚鈍と思っているのか! 今頃その精鋭とやらは、余の第一の側近によって……!」
     が――居丈高に振る舞っているその最中に、彼の背後からバタバタと、足音が響いて来る。
    「先生! 尉官! ご無事ですか!?」
    「西側から来たのは囮でしたー! だから多分、皇帝がこっちに……!」
     途端にジーンの顔がこわばり、後ろを振り返る。
    「……あの……あの女は! 貴様の言う精鋭、……か!? では……アルは……どこに?」
    「その第一の側近とか言うのん、マリアちゃんらがやっつけてしもたらしいな。で?」
    「……馬鹿な……アルを……!?」
     もう一度、ジーンはエリザたちの方を振り返る。つい先程まで見せていた余裕は最早、どこにも無かった。
     そうこうしている間に、やがてマリアとビートだけではなく、他の兵士たちも続々と駆け付けて来る。
    「あれが、……皇帝?」
    「……恐ろしい、……と、思ってたけど」
    「何かもう、ボロボロになってないか?」
    「うわ、鼻血ダラダラ出てるよ」
    「……ぷっ……だっせ」
     恐らく、本来の彼であればその嘲笑じみたざわめきを聞き逃すはずも、放っておくはずも無いのだろうが、進退を窮めた彼には、どうやらその余裕は無いようだった。
    「ほら、どないするんや? 大人しく投降するか? 今やったら鎖で全身グルグル巻きにして宙吊りにするくらいで許したるで」
     集まって来た兵士たちは、誰からともなくジーンの周りに武器を構えて並び、三重、四重に包囲を固める。
    「ソレともココの全員を素手で相手にするか? でも良く考えや? 誰かに指一本でも触ろうとしよったら、ココにおる2000人が、アンタを挽肉にするまでボコ殴りにするで」
    「ぐ……」
     ジーンは右手を挙げるが、その手からは何も放たれることは無かった。
    「何や? 気付いてへんのか? こうしてアンタがノコノコ乗り込んで来たんやから、誰かしら魔術封じするんは当たり前やんか。ま、どっちにしてもや、媒体にしとる剣が折れとるんやから、魔術使ても大した威力は出えへんで」
    「……くっ……」
     ジーンはしばらく硬直したままだったが――やがて両手を下ろし、「好きにするが良い」と吐き捨てた。

    琥珀暁・湖戦伝 終
    琥珀暁・湖戦伝 7
    »»  2020.07.25.
    神様たちの話、第318話。
    語らぬ皇帝。

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    1.
    「何や吐いたか、皇帝さん?」
    「何も、……ですね」
     ゼルカノゼロ南岸の戦いで皇帝レン・ジーンを拘束して以降、ハンは彼に、毎日のように尋問を行っていた。
    「最後の意地、と言う奴でしょうかね。帝国の残存兵力についても、魔術を学んだ経緯についても、……そしてクーの安否について尋ねても、一言もしゃべりません」
    「この期に及んでふてぶてしいやっちゃな。……ま、ええわ。後もうちょいで首都への道も開けるやろしな」
    「……そうですね。……今はただ、クーの無事を祈りましょう」
    「せやな」



     エリザの情報網によってゼルカノゼロ南岸戦の結果と、そして皇帝が遠征隊の手に堕ちたことは、北方各地に喧伝された。その効果は非常に大きく、戦闘から半月後、東山間部の帝国属国であった二ヶ国から、遠征隊に帰順する旨の文書が届けられた。遠征隊はすぐにその二ヶ国と連絡を取り、友好条約を結んで帝国から離反させた。
     この時点で帝国の支配圏はほぼ消滅し、帝国の領土は首都フェルタイルを残すのみとなった。事実上帝国への、そして皇帝への恐怖は、過去のものとなったのである。

    「……と言うことまで、逐一伝えたんだが」
    「何も反応無し、ですか」
    「ああ」
     半月の間に、遠征隊は東山間部のほぼ中心地、フェルタイルまで東北東へ十数キロのところまで進軍しており、ハンたちはこの時、とある村に駐留していた。
     なお、この村もエリザが昨年の時点で接触し、人心掌握を仕掛けていたため、村人たちはとても友好的に遠征隊を持て成してくれており、シモン班はいつも沿岸部でそうしていたように、村の酒場で晩餐を楽しむことができた。
    「普通、自分が築いてきたモノを全部失ったぞって言ったら、相当ショック受けると思うんですけどねー」
    「俺もそう思う。だが妙に泰然としていると言うか、まるで意に介していないと言うか……。そもそも――本当に有言実行するのがエリザさんらしいが――鎖で両手両足を拘束した上、馬車の上にわざわざ小屋まで建てて、その中で宙吊りにしてるんだぞ? あれで堪(こた)えない人間は、そうそういるもんじゃない。飯も2日に1回しか食べさせてないってのに」
    「鋼の精神、……なんてかっこいいことを言いたい相手じゃないですけどね」
    「ああ。これまで奴がしてきたこと、そして今まさにやっていることを顧みれば、奴を少しでも人間扱いしようなどと言い出すような奇特な者は、一人としていやしないだろう。俺にしても、だ」
     ハンは水をぐい、とあおり、席を立った。
    「今日はもう寝る。これ以上あいつの話をしても、俺が勝手に不愉快になっていくだけって気がするからな」
    「おやすみなさーい」
     ハンが退出したところで、残った3人は顔を見合わせる。
    「大分消耗してますね、尉官」
     メリーの言葉に、ビートとマリアは同時にうなずく。
    「本当にねー。相当辛そう」
    「嫌な感じです。ああまで完全に拘束したはずなのに、僕らの方が振り回されてるような……」
     そう言ったビートの手を取り、マリアが首を横に振る。
    「そんな風に考えないの。……考えたくないってのもあるし、さ」
    「……そうですね」
     と、メリーが首をかしげているのに気付き、ビートが顔を向ける。
    「どうしたんですか、メリーさん?」
    「お二人って、そんなに仲が良かったでしたっけ?」
    「え?」
    「あ、いえ、今まで仲が悪かったって言うことじゃなくてですね、えっと、雰囲気って言うか、何と言うか、……今まで以上に、と言う感じで」
    「そう?」
     そう言いつつも、マリアはまだビートの手を握ったままである。その手を振り払う気になど到底なれないものの――ビートは内心、申し訳無い気持ちで一杯だった。
    (側近を僕が倒したってことになっちゃったもんなぁ……。皆にもそう伝わっちゃったし、もう訂正しようが無いよなぁ。マリアさんが僕のことを良く思ってくれるのは本当に嬉しいけど、……でも、何だか騙してるみたいだ)
    琥珀暁・虜帝伝 1
    »»  2020.07.27.
    神様たちの話、第319話。
    嘘と嘘。

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    2.
     ある晩、ビートは密かにエリザの元を訪れ、自身の嘘を告白した。
    「……ですから、僕が側近を倒したのは誤解なんです」
    「さよか」
     が、あまりに気の無い返事をされ、ビートは面食らう。
    「え……と、あの」
    「そんなコトでアタシが怒ると思たか?」
     エリザはクスクス笑いながら、ビートの頭をぽんぽんと撫でた。
    「ええやないの。ホンマに仕留めたっちゅうヤツがどっか行ったっちゅうんやったら、手柄はアンタに譲ったっちゅうコトやん。もらって困るもんでもあらへんのやし、遠慮せずにもろときもろとき」
    「で、でも」
    「黙っといたらええんや、そんなもん」
     エリザはパチ、とウインクし、ビートの長い耳にこしょこしょとささやいた。
    「折角マリアちゃんがええ感じになついて来とんねやろ? そのまま『カッコええビートくん』のフリして射止めたったらええやんか」
    「はぇ?」
     間の抜けた声を漏らし、ビートは思わず口を両手で覆う。
    「ど、どうしてそれを?」
    「見てたら分かるわ。明らかにマリアちゃん、アンタにべったりやんか。アンタもまんざらや無い顔しとったし。ま、後ろめたそうにしとるのんもチョコチョコ見え隠れしとったけども」
    「……気付かれてますかね?」
     そう尋ねたビートに、エリザは肩をすくめて返す。
    「気付いとるかも知れへんけど、その理由までは流石に分からんやろ。大方、恥ずかしがっとるとか照れとるとか、そんくらいにしか思てへんのやないか?」
    「だといいですけど」
    「ふっふふ……」
     エリザはビートの肩を抱き、ニヤニヤと笑みを向ける。
    「すっかりその気やな、ビートくん」
    「え、えへへへ、へへ……」
     ビートは自分の顔が熱くなっているのを感じつつ、エリザから離れた。
    「え、えっと、まあ、じゃあ、今後は、それで通します」
    「ん、そうしとき」
    「はい……」
     トテトテとした足取りで、ビートはエリザの部屋を後にした。

     心の中にあった重荷がすっかり消え、ビートは天にも登りそうな心地になっていた。
    (あー……すっきりしたよ、本当。先生に相談して、本当に良かった)
     と、いくらか冷静になってきたところで、ビートはきちんと挨拶を交わさず部屋を出てしまったことに気付く。
    (あ、……と。挨拶してなかったっけ、そう言えば。舞い上がりすぎだよな、もう)
     慌てて踵を返し、ビートはエリザの部屋のドアを叩こうとする。と――。
    「……ホンマに……変わってへん……」
     エリザの声が聞こえ、ビートは首をかしげた。
    (誰かいる? ……いや、『頭巾』か。誰と話してるんだろう?)
     話が終わってから改めて挨拶しようと、ビートは何の気無しに聞き耳を立てた。
    「目立ちたがりで自信家なんは、ホンマ筋金入りやな。死んでも治らんのとちゃうか? ビートくんが困った顔しとったで。アンタの手柄取ってええもんかって。……せや。とりあえず黙っときとは言うといたから、アンタのコトがバレるっちゅうコトは無いと思うけどな」
     話が進むにつれて、ビートの心がざわめいていく。
    (え、……え? 今話してる相手って、まさか、側近を倒したあの人? 先生、知り合いだったのか……!?)
     聞き耳を立てる目的が、挨拶のタイミングを図ることから、内容を聞くことに切り替わる。
    「大体な、こっそりやろかって言い出したん、アンタやないの。ソレが自分からノコノコ人前に出て来るとか、……分かってへんのはアンタやんか。もっぺん言うとくで? この件がバレたら、全部ワヤになるんやで?」
    (な……何が?)
     背筋に冷たいものを感じつつも、ビートはドアの側から離れることができなかった。
    「アンタも分かるやろ、ソレくらい? コレがハンくんにバレてみいや。アタシ、間違い無く殺されるわ」
    (!?)
     思いも寄らない話に、ビートの心臓がどくんと跳ね上がった。
    「ん? ……ゴメン、ちょと外すで」
     エリザの足音が近付いて来るのを察し、ビートは慌てて周囲を見回し、廊下の端にあるものを見付けた。
    「誰かおるんか?」
     まもなくエリザがドアを開け、首だけ出して廊下を確認する。と――。
    「……あらぁ、かわええ子やん。にゃんちゃーん?」
    「にゃーん」
     廊下を歩いていた黒い猫を見付けたらしく、エリザはその猫に手招きする。
    「おやつあげよかー?」
    「にゃーん」
    「お、欲しいかー? ええよ、こっちおいでー」
     エリザは足元にやって来た黒猫を抱き上げ、頭を撫でながら部屋へと戻って行った。
    (……た……助かった)
     黒猫がいた廊下から、エリザの部屋を挟んで反対側にあった掃除用具入れから、ビートが恐る恐る姿を現す。
    (尉官にバレたら殺されるようなこと、って……。詳しく聞いてみたいけど、……雰囲気が尋常じゃなかった。とてもじゃないけど、これ以上は聞く勇気無いよ……)
     ビートは忍び足で、その場から離れた。
    琥珀暁・虜帝伝 2
    »»  2020.07.28.
    神様たちの話、第320話。
    和平へ至る、……か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     暦は8月に入り、北方情勢はついに、一大局面を迎えることとなった。
    「先程、帝国からの使節が接触してきた。向こうからは『皇帝不在により、その権力・権威の代行者を選出するのに日数を要したが、どうにか折り合いが付いたため、南の邦の代表代行たる諸君らと協議を行いたい』だそうだ」
     集められたシモン班の中から、マリアが手を挙げる。
    「皇帝はどうするんですか? 引き渡しを?」
    「それについてだが、向こうからはやたら言葉を濁された。要約すると、どうやら向こうとしては戦死したものとして扱ってほしいらしい」
     これを聞いて、班員たちは揃って「あー……」と声を上げ、うなずく。
    「向こうも皇帝の帰還・復位を嫌がったんですね」
    「ま、そりゃそーですよね。あんな暴君、戻って来たら地獄に逆戻りでしょうし」
    「それでは尉官は、現在拘束中の皇帝をどうされるんですか?」
    「無論、あくまでも人道的に適切な処置を考えている」
     そう返しつつ、ハンはため息をついた。
    「皇帝は現在の拘束状態を維持したまま、本国へ移送する。クロスセントラルへ到着後、陛下の判断・判決に則って、然るべき処罰を加える。……と言うのが、エリザさんと陛下と親父とを交えて行った相談の結果だ。
     ただ、結論はもう見えていると言っていいが」
    「この邦で20年間続けられた非人道的行為と、僕たちと友好条約を結んだ国や組織に対する攻撃、そして何より、殿下を拐(かどわ)かしたことを考えたら、極刑はやむなしでしょうね」
    「だろうな。俺も基本的には博愛主義であろうと努力はしているつもりだが、奴に関して言えば、その余地はこれっぽっちも無い」
    「尉官……」
     明らかに憤った様子のハンを見て、メリーがおずおずと手を挙げる。
    「まだ、クーちゃんの居場所は分からないんですか?」
    「そうだ。使節に聞いてみたが、初耳と言われたよ。向こうにも尋ねると言っていたが、そんな重大な情報をこの流れで伝えないわけが無い。恐らく知らないだろう。改めて皇帝にも尋ねてみたが、やはり無言のままだ。それどころか、さっきお前たちに伝えたことと同じ内容を奴に告げたにも関わらず、奴は表情一つ変えなかった。耳が聞こえてないんじゃないかと疑ったくらいだが、ふてぶてしいことに、飯だと告げると口を開けやがった」
    「うわぁ……。腹立ちますね、それ」
     マリアの同意を受けて、ハンは小さくうなずく。
    「全くだ。しかしどれだけこちらがイラついたとしても、恐らく奴は動じまい。であれば怒るだけ体力と気力の無駄だ。奴にはもう、本国移送準備が整うまで会うつもりは無い。と言うよりも、会いたくないと言った方が正しいが」
    「でも……」
     ビートは反論しかけたものの、マリアが袖を引いてきたため、それ以上は続けなかった。



     その後も遠征隊と帝国は何度か事前協議を行い、8月下旬、首都フェルタイルにおいて正式な停戦交渉を行うことが決定した。
    「陛下からこの協議に対して、俺とエリザさんに全権を委ねることを伝えられた。と言っても、俺もエリザさんも変な要求をするつもりは無い。これまで他の国とそうしてきたように、友好条約を結ぶだけだ。今回はそれに、帝国の無条件降伏も付け加える。後、さらに付け足すとすれば、エリザさんが商売関係で何かしらの優遇措置を設けるよう提案する程度だろう。
     これで北方での戦いは、完全に終息する。恐らく後1ヶ月、2ヶ月で遠征隊の役目は終わりとなる。俺たちも2年半ぶりに、故郷へ帰れるわけだ。……それまでにクーの居場所が判明すれば、他にはもう言うことは無いんだが」
     班員たちにそう告げたハンの顔色は依然として青く、とても帰郷を喜んでいるようには見えない。
    「あたしやビートも何度か尋問に参加しましたけど、本っ当に何にも反応しないですよね、あいつ。ボーッと前の方を見つめてばっかりだし」
    「エリザさんでもどうにもならなかったんだ。他に誰が、奴の口を割れるって言うんだ?」
    「……ですよねぇ」
    「とは言え」
     ハンはうんざりしたような顔をし、こう続けた。
    「名実ともに帝国の最高権力者であった者に、その帝国が降伏した旨くらいは伝えておくのが筋だろう。例によって奴は何の反応もしないだろうが、これまでの事前協議でまとまった内容を聞かせるくらいのことはしておこうと思う。だが正直に言えば、とてもじゃないがもう一度だって会いたくない。
     だからお前たち3人と一緒に、伝えに行こうと思う。その方がまだ、いくらか気分がマシだ」
    「あ、はーい」
     3人は素直に応じ、連れ立ってジーンが囚われている小屋付き馬車を訪ねた。
    「異状は?」
     尋ねたハンに、番をしていた兵士たちは無言で首を横に振る。
    (敬礼とか経過報告とか色々端折ったけど、面倒になってきてるんだろうな、どっちも)
     ビートがそんなことをぼんやり考えている間に、番兵が小屋の錠を外し、戸を開けた。
    琥珀暁・虜帝伝 3
    »»  2020.07.29.
    神様たちの話、第321話。
    吊られた男。

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    4.
     小屋の中央でぶらぶらと揺れている皇帝レン・ジーンを見て、ビートはとても嫌なものを感じていた。
    (何て言ったらいいんだろう……。空気が違うんだよな。外と、中とで。……地獄の入口なんてものがあったら、こんな感じなんだろうなって)
     その地獄の主とも言うべき相手に、ハンは入口に立ったままで告げた。
    「帝国との正式協議が3日後に行われることになった。これにより、我々は北方全域と友好関係を結ぶこととなる。今後永久に、両者は互いに争わず、また、互いの領土を侵すことが無いよう、対等な関係を築き続けるべく、不断の努力を以て臨む、……と言うようなことを綱領とする予定だ。つまりこの邦の人間も、俺たちも、お前のこの20年における所業・足跡を全否定し、あらゆる観点での価値を認めないとともに、お前に関するそのすべてを永遠に消去・封印し、後の歴史には一切残さないことを決断した。
     お前はもうこの世にも人の記憶にも、いてはならない人間だと言うことだ」
    「……」
     横で聞いていたビートも、この宣告には少なからず悪意と侮蔑が含まれていることを感じていた。
    (ただただ辛辣だな……。僕がこんなこと言われたら、絶対立ち直れないよ)
     だが、「全歴史から抹殺する」と宣言されてもなお、ジーンは虚空を見つめたままであり、何ら反応を示さない。
    「……以上だ」
     ハンもこれ以上は無駄だと思ったらしく、そこで話を切り上げる。
    「帰るぞ」
    「了解です」
     踵を返したハンに続く形で、ビートたちもその場を後にしようとした。

     その時だった。
    「貴様たちは悪魔なるものを知っているか?」
     これまで一言も発さなかったジーンが、唐突に口を開いた。
    「……なに?」
    「悪魔、だ。知っているかと問うておる」
    「いきなり何を言うのかと思えば、そんなことか。いよいよ頭がどうかしてきたらしいな」
    「知らぬのか?」
     尋ね直してきたジーンに、ハンが吐き捨てるように答えた。
    「お前のことだろう」
    「余か。……くくく、……余は悪魔では無い。余は人に過ぎぬ身よ」
     ぶらぶらと揺れたまま、ジーンは語り始めた。
    「真の悪魔は余にこう告げた。『自分の導くままに振る舞い、進み続ければ、お前はいずれ、この世の王となるであろう』と。それが20年前のことだ。悪魔の導きに従い、余はこの大地を蹂躙し尽くし、確かに王となることができた。
     王となった余に、悪魔はさらに告げた。『大地はここ一つでは無く、ここより南の世界にも三つあるのだ』と。あると言うのであれば、この世の王である余がそこに君臨せぬ理由は無い。故に兵を差し向け、諸君らの土地へと歩を進めたのだ」
    「ああそうかい、そりゃ良かったな」
     ハンははあ、と苛立たしげなため息を付き、ジーンをにらみつけた。
    「で? 自分の悪行はすべて悪魔のせいだ、自分は悪くないって?」
    「そうではない」
     ジーンはニタリと顔を歪ませ、こう続けた。
    「悪魔は常に余の味方、守護者であると言うことだ。悪魔は――余の第一の側近たるアル・ノゾンは約束してくれておる。『もし自分が倒れたとしても、お前がその生命さえ永らえていれば、私は28日の後に復活し、ふたたびお前の元に現れよう』と。
     さて、海外人よ。余が貴様らの手に堕ちて、今日で何日目となるか?」
    「……!」
     ビートは頭の中で日数を数え、それが丁度28日であることに気付いた。

     ドン、と小屋の天井から音が響き、そのまま崩落する。
    「なっ……!?」
     床に倒れ込んだジーンの側に、黒いフードを身に着けた何者かが立っていた。
    「助けに来たぞ、レン」
    「うむ。大儀であったぞ、アル」
     アルはジーンの体を縛っていた鎖に手をかけ、そのまま引きちぎる。
    「では戻るぞ。だが敵が妨害術を仕掛けたようだ。このままでは『テレポート』は使用できない。術者の位置は不明だ」
    「この距離なら徒歩でも問題あるまい」
    「うむ」
     そのまま立ち去ろうとするジーンたちの前に、シモン班が立ちふさがった。
    「そのまま行かせると思うか!」
    「まだ自分が優位のつもりであるか、賊将」
     次の瞬間、ハンの懐にジーンが滑り込み、拳を突き込んでいた。
    「がは……っ」
    「尉官!」
     ハンが弾かれると同時に、アルも周りにいた他の班員に攻撃を仕掛ける。
    「死ぬが……」「やらせるかあッ!」
     だが、その初撃をマリアが槍の柄で受け流しつつ、蹴りを頭部に叩き込む。
    「ウヌ……ッ!?」
     具足で覆われたマリアの脚がアルの側頭部を捉え、相手の首が一瞬、がくんと斜めに傾いた。
    琥珀暁・虜帝伝 4
    »»  2020.07.30.
    神様たちの話、第322話。
    兵(つわもの)。

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    5.
     前回、簡単にあしらったはずの相手から一撃を受け、アルは膝を着いた。
    「……ガ……ッ……ガピュ、……ナ、……何だ、この威力は?」
     相当に効いたらしく、アルから戸惑った声が漏れる。
    「二度もあんたにやられてたまるかっての!」
     マリアは槍を構え直し、アルの喉元を狙って突きを放った。だがアルは身を翻し、マリアから距離を取った。
    「脅威と判定するに値する。単独でのお前との戦闘は得策では無いと判断した。プランを変更する」
    「あ?」
    「レン。二人でこの女を倒すことを提案する」
    「ほう?」
     気を失ったハンから剣を奪い取り、今にも振り下ろそうとしていたジーンが、意外そうな顔でアルに振り向いた。
    「お前ほどの者が余の救援を請うか。その猫女、それほどの手練か?」
    「前回交戦時より筋出力及び神経反射速度が50%以上増加していると推定される。どうやら超適応能力を有しているようだ。戦えば戦うほど、脅威を増す類の人間だろう」
    「相変わらずお前の言っていることが一体何を示すのか、さっぱり分からぬな。まあ良い、お前が余を恃(たの)みにするなど稀有なことだ。であればその提案、乗らぬのは勿体無い」
     ジーンは踵を返し、アルの横に並ぶ。
    「2対1ならば問題無かろう?」
    「うむ」
     ジーンに剣を向けられるが、マリアは不敵に笑って返す。
    「2対1? こっちにはあんたを倒した奴がいるって忘れてない?」
    「なに?」
     マリアは背後のビートを親指で示し、啖呵を切った。
    「こいつよ。こいつは一人でそいつを――あんたが言う悪魔を倒したのよ」
    「私を?」
     アルはマリアの陰にいたビートを一瞥し、それをあっさり否定した。
    「そのような事実は存在しない。私を破壊したのは別の者だ」
    「……え?」
     マリアはジーンたちに槍を向けたまま、ビートに尋ねる。
    「ねえ、あんた? あんたが倒したって言ったわよね? そうよね?」
    「あ……そ、それは」
    「……あんた、まさか」
     マリアが振り向き、憤怒に満ちた目をビートに向けた、その瞬間――。
    「くくく……」
     ジーンは剣を薙ぎ、マリアの首を狙ってきた。
    「……ッ」
     それでもマリアは即応し、槍の柄で受け流して反撃する。
    「らああッ!」
     柄で剣先を絡め取り、ジーンが前のめりになったところで、回し蹴りの体勢を取る。
    「く……っ」
     ジーンもまた瞬時に動き、剣をぱっと手放して、空いたその手でマリアの脚をつかんだ。
    「なるほど、なるほど。確かに速い。だがつかんでしまえばそれまでだ」
    「う……ぐっ」
     ギチギチと音を立て、具足がジーンの手の形に歪んで行く。同時にマリアの顔も、痛みで歪み始めた。
    「ああ……ああああッ!」
    「どれ、このまま握り潰して……」
     と――ジーンはその手を離し、ぐるんと振り返った。
    「驚いたぞ。もう目を覚ましておったか」
    「訓練してるんでな」
     ジーンはすぐ側まで迫っていた短剣を素手でつかみ、その短剣を握るハンににやぁ、と笑いかけた。
    「将からして手練であったか。なかなかに手強い」
     ジーンは右手で短剣をつかんだまま、左手でハンの腕を殴る。
    「ぐ……っ」
     ボキ、と痛々しい音が響き、ハンの腕が折れる。ハンとマリアの攻めが途切れたところで、ジーンはアルに向き直った。
    「アルよ。もうそろそろ、救援が現れよう。100や200程度ならどうと言うことも無いが、その十倍でかかられるとなれば、ちと骨が折れる。その上、28日もの間宙吊りにされ、飯もろくに食わされておらぬのでな。これ以上の相手は御免被るところだ。こいつらは捨て置くぞ」
    「了解した」
     行動不能になったシモン班に背を向け、ジーンとアルはその場から姿を消した。
    琥珀暁・虜帝伝 5
    »»  2020.07.31.
    神様たちの話、第323話。
    責任追及。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「腕は折れとったけど、しっかりくっつけたったで。せやけど一晩は安静にしいや。流石に今夜くらいは休まな」
    「承知しました。ありがとうございます、エリザさん」
    「マリアちゃんも脚折られとったけど、こっちもキレイに治したった。心配いらんで。あと、メリーちゃんと小屋守っとった子らも、気絶しただけやったわ。人的被害無し、っちゅうヤツやな。ただ、問題はや」
     そこまではニコニコしながら伝えていたエリザも、流石にここで顔をしかめた。
    「皇帝さんが逃げよった、と。しかもやっつけたはずの側近さんが助けに来よったって?」
    「ええ。……極めて遺憾な点がいくつも出て来ましたね」
     ハンは右手を開いたり、閉じたりしつつ、エリザとともに状況を整理する。
    「皇帝の行先は不明と言えば不明ですが、推理するまでもないでしょう」
    「十中八九、帝国首都やろ。一応、向こうにも話し合いのために人を送っとったし、何かあったら緊急警報送るようにしとったから、今回の件は既に伝わっとるはずや」
    「助かります」
    「ほんで、側近さんが生きとったっちゅうのんもびっくりやな」
    「常識的に考えれば、ビートが死んだものと誤認したのでしょう。ビートの処罰は不可避です。彼は自分が側近を倒したと吹聴し、既に報奨も得ていますからね。その返還は当然行わせますが、それで問題無しとは行きません。事実として彼は虚偽報告を行ったわけですし、状況を正確に報告していれば――少なくとも彼から『死亡を確認した』と報告されなければ――より厳重な守備体制を敷いたでしょうからね。
     現時点で彼には、不名誉除隊の処分を下すことを検討しています」
    「や、そらちょっとキツすぎやろ。ちょっと勘違いした程度やないの。しゃあないやんか、そんな状況で死んだと思ってしもても。前にも言うたやんか、寛容が肝心やでって」
     エリザの弁護を、ハンは頑として聞き入れない。
    「無論、これが単なる一兵卒がした失敗で、逃がした相手が皇帝やその側近で無ければ、訓告程度で済みます。大きな問題にはしません。ですが事実として、この遠征隊における重要な地位を与えられた人間が、敵側の重要人物の死亡を確認したと嘘を付いたために、事態が深刻化したわけですからね。その責任を彼自身に取らせなければ、皆も納得しないでしょう。決してこのまま、この地位を維持させるわけには行きません」
    「そらな、うん、そう言う意見もあるやろうけども、でもな……」
     ビートに真実を告げることを止めさせたのは他ならぬエリザであり、その後ろめたさもあって、エリザは処分を差し止めるよう説得を重ねたが、ハン、そして怒りに満ちた遠征隊全体の意見を曲げさせることは、エリザにも困難であった。
     その結果、どうにかビートの不名誉除隊と無期限の禁固処分は一時見送らせたものの、正式処分が決定されるまでの拘留は、回避できなかった。

     とは言え、現時点での最優先事項は皇帝への対策である。ビートを拘留しておく場所については、ひとまずエリザが取っていた宿の一室を借りることとなった。
    「……ゴメンな」
     エリザはその部屋を密かに訪ね、ビートに深々と頭を下げて謝罪した。
    「まさかこんなコトになるとは……」「僕がどんな目に遭ったか、知ってますか?」
     謝るエリザに、ビートはとげとげしく言葉を連ねる。
    「殴られましたよ、マリアさんに。『このウソツキ』って。尉官にはもう、目も合わせてもらえなくなりましたしね。それにこんなことがあった以上、除隊以外に選択肢はありません。全部、あなたのせいだ。先生の甘言に乗ったせいで、僕はすべてを失ったんですよ? それで頭下げてごめんなんて言われて、許すと思うんですか?」
    「う……」
     ビートはエリザに背を向け、こう続けた。
    「でもまた後1つ、交渉材料があるんですよね」
    「え?」
    「僕も虚偽報告を行ったって話ですけど、エリザさんもですよね? 何か尉官に、嘘を付いてるって」
    「……やっぱりアレ聞いとったか」
     振り向いたビートと、頭を上げたエリザの視線が交錯する。
    「ソレをバラされたくなかったら、アタシに何かせえって?」
    「そうです。このまま手をこまねいてたんじゃ、本土に帰っても牢獄暮らしが待ってるだけですからね」
    「しゃあないな。何してほしいんや?」
     尋ねたエリザの狐耳に、ビートは顔を寄せた。
    「教えて下さい。あなたが何を隠してるのか。それから……」
    「ソレから?」
    「あなたの持ってる、一番強力な術を」
    「……は?」
     顔を向けたエリザに、ビートは真剣な表情を見せた。
    「虚偽報告じゃなけりゃいい。僕が本当に側近を倒せば、多少は処分も減免されるでしょう?」
    「……アンタ、……何ちゅうか」
     エリザは顔に手を当て、げらげらと笑い出す。
    「悪人にはなられへんな」
    「なりたくないです、そんなもの」
    「……よっしゃ、分かった。どっちも、ちゃんと教えたる」
     エリザは笑いながら、ビートの頭をぽんぽんと叩いた。
    琥珀暁・虜帝伝 6
    »»  2020.08.01.
    神様たちの話、第324話。
    討伐の覚悟。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     皇帝逃亡の翌日、帝国に派遣していた者からの連絡が届いた。
    「向こうの人間と共に首都から逃亡し、今はここから東の村に滞在しているそうです。また、斥候からは既に皇帝が戻って来たと報告されています。ただし事前に首都内の人間を逃がすよう、エリザさんが手配してくれていたおかげで、彼ら以外の姿は無いとのことです。つまり敵の数は皇帝と側近、その2名だけと考えていいでしょう。
     それが最大の問題であるとも言えますが」
     頭を抱えるハンに続き、エリザも憂鬱そうな顔で煙管を口にくわえる。
    「めちゃめちゃ強いらしいやんか、側近さん。皇帝さんも相当やし。こっちの精鋭全員ぶつけて、どうにかなるかやな。しかも側近さん、生き返るらしいし」
    「そんな与太話を信じるんですか?」
    「アンタ、ビートくんが丸っきりウソつきやと思とるんか? そんな子やったか?」
    「虚偽報告は事実でしょう」
    「ソレかて、相手が死んだと思とったからそう言うてしもたって話やんか。普段から真面目でちゃんとしとった子やないの。……ともかく、今まで持っとった常識はこの際置いといて、今回の場合だけとして考えたら、や。
     死んでも復活するとなると、コレはめんどくさい相手やで。何遍(なんべん)やっつけてもキリが無いっちゅう話やからな。ただ、皇帝さんは『死んでから28日後に』て言うてはったんやな?」
    「ええ、そんなことを言っていましたが、……それも信じると?」
    「実際、きっちり28日経ってから来たやないの。そら勿論、皇帝さんが示し合わせてたとか、そう言うコトも考えられるけども、でもすぐ助けに来られるんやったらそうしたらええやんかって話やん? 防衛線構築までボーッとしとった時と違て、待っとる理由は無いやろし」
    「自分が不在の期間を作り、その間に独断専行する者がいないか確かめていた、とか。……いや、それも変と言えば変か。最初から部下を信用していないような奴が、わざわざあぶり出しを行う理由は無いでしょうし。気に入らない点があれば即刻処刑するでしょう」
    「皇帝さんが偉そうに言うてたその話は、真実やとアタシはにらんどる。せやからこそ、この情報は大きいと思うで」
     エリザは煙管に新しい煙草を詰めつつ、自分の予測を話す。
    「逆の見方をしたら、側近さんをやっつけたら28日間は復活でけへんっちゅうコトになる。その間に、討つんが得策やろな。
     いや、そもそもの話――ゼルカノゼロ南岸でさっさと討っといたら、こうはならんかったんや。アンタは人道的観点やら、不誠実に思われるやらゴチャゴチャ言うて拘束に留めたけども、結局はこうなった。ずっと捕まえとくっちゅう考えが、そもそも下策やったんやろ」
    「しかし……」
    「ソレにアンタはクーちゃんの居場所を聞き出そうとしとったけども、結局一言もしゃべりよらんかったやろ? あんだけ拷問スレスレのコトしてしゃべりよらんとなると、後はもうホンマにガチの拷問にかけな、どないもならんかったんやないか? でもクーちゃんの命がかかっとるにもかかわらず、アンタはソレをせえへんかった。一体何でや?」
    「それは……」
     口ごもるハンの鼻先に、エリザは煙管を突き付ける。
    「はっきり言うたる。アンタはまだクーちゃんの無事より、自分の手を汚さん方を選んどるんや。せやからアンタは、いつまで経っても決定的な手を打とうとせえへんのや。その煮え切らへんアンタのヌルさ、ニブさを、皇帝さんは見抜いてたんやろな。せやからあん時、抵抗せんと投降しよったんやろ。『どうせ生かしとく』と高をくくってたんや。
     ナメられとるんや、アンタは」
    「……っ」
     憮然とした顔をし、黙り込んだハンに、エリザが畳み掛けた。
    「ええ加減、覚悟決めえや。アンタはクーちゃんを助け出すって宣言したんやろ? ほんなら、ソレを第一に考えて行動せな。この期に及んでしょうもないコト考えてる場合か? そう言う日和見が結局、クーちゃんを取り戻すっちゅう一番大事な目的からどんどん遠ざかる原因になっとると、まだ分からへんのんか?」
    「……」
     何も答えないハンに、エリザは一転、優しい声で続ける。
    「仮にや、アンタが皇帝さんを殺したとして、ソレでもう、クーちゃんの居場所が分からへんくなると思うか?」
    「え?」
    「アタシがおるんやで? アタシの情報網と知恵があったら、いくらでも見付け出したる。皇帝の顔色うかがいながら、根掘り葉掘り聞く必要なんか無いで」
    「……」
     ハンはまた黙り込んだが――やがて意を決した顔で立ち上がり、エリザに答えた。
    「エリザさんの言う通りです。俺にはまだ、覚悟が足りていなかったんでしょう。今度こそ俺は、皇帝を討ちます」
    「ん、頑張りや」
     エリザはにこ、と笑みを返し、こう答えた。
    「側近さんについてはアタシに策がある。アンタは皇帝さんを倒すコトに専念するんや」
    「承知しました。頼みました、エリザさん」
    「ん、任しとき」

    琥珀暁・虜帝伝 終
    琥珀暁・虜帝伝 7
    »»  2020.08.02.
    神様たちの話、第325話。
    帝都制圧。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     皇帝の逃亡と言う非常事態に見舞われたものの、智将エリザがこの事態を想定していないはずは無かった。
    「緊急警報が発令されました!」
    「きんきゅうけいほう?」
     協議のため、帝国首都フェルタイルに駐留していた遠征隊の兵士たちからその報せを告げられ、帝国側の代表らは尋ね返す。
    「何かあったのか?」
    「ま、まさか!?」
    「皇帝が脱走した場合、自動で彼の瞬間移動を妨害する術を展開すると共に、我々に警報が届く手筈となっています。つまり……」
    「や、やはり陛下、いや、皇帝が!?」
    「ああ、何と言うことだ!」
     嘆く大臣や将軍たちに、兵士が「落ち着いて下さい」と返す。
    「警報が届いた場合に取るべき行動を、エリザ先生より指示されています」
    「エリザ先生? ……と言うと」
    「おお、あの狐の女将殿か!」
    「先程申し上げた通り、皇帝が一瞬でこちらに戻る術(すべ)は封じています。よって我々には、避難できるだけの猶予があると言うことです」
    「な、なるほど」
    「その避難場所についても、皇帝との遭遇を回避するべく、南に点在する村落を指定されています。急ぎましょう」
    「あ、ああ」
    「承知した!」
     遠征隊の者たちに先導される形で、彼らは大急ぎで首都から逃げ出した。その慌ただしい様子を見ていた市民たちも次々付いていき――半日もしない内に、首都に人の姿は無くなった。

     その上で遠征隊は空っぽになった首都へ拠点を移し、事実上、帝国は遠征隊に下ることとなった。
    「これが緊急事態でなければ、絶対に認可しなかったでしょう。これではまるで火事場泥棒も同然ですし」
    「緊急事態や。やらなアカンやろ」
     まだわだかまった様子のハンを尻目に、エリザは事実上支配下に置いた宮殿を、バルコニーの上から見渡す。
    「にしてもあっさりやったな。ココまで来るにはもっと、苦労するかと思てたけど」
    「こうして帝国を下すような事態になるとは、思いもよりませんでしたよ。2年半前であれば全力で止めていたでしょうね」
    「覚悟の現れ、……て言いたいんか?」
    「そう思っていただいて、差し支えありません。
     それに、あれを見ればこの行動に、誤りなど無いと確信できます。あんな所業を行うような非道を野放しにしておくことは、到底できませんからね」
     二人の眼下に設けられた広場には、布を被せた机が置かれていた。
    「皇帝が拘束された時点で、丁重に埋葬したと伝えられましたが……」
    「つまりソレまで、ずーっと野ざらしやったんやろ? いくら寒い目の北方やっちゅうても、もうぐっちょぐちょに腐っとったやろな」
    「騒動を起こして無許可離隊した人間の末路ですから、どんな扱いをされていようと構うものかと思っていたんですが、……正直、嫌な気持ちですね」
    「できそうやったら」
     エリザはふーっ、と煙管の紫煙を吐き、空を仰いだ。
    「ミェーチさんもこっちに移して、シェロくんの横に並べたいもんやな。二人ともめちゃめちゃ仲良うしとったし。倒した帝国に来られるんやったら、本望やろしな」
    「……そうですね。この戦いが終わったら、是非」
     と、二人の下にメリーがやって来た。
    「尉官、先生。失礼します」
    「ん、何や報告か?」
    「はい。マリアさんの隊から、『皇帝と接触。拘束すべく襲撃したが逃げられた』と」
    「ありがとさん。ハンくん、ちょと地図見して」
    「どうぞ」
     ハンから地図を受け取り、エリザは煙管の先でとん、とんと3ヶ所を叩いた。
    「見付けた場所はこう、こう、こうか。北へ北へ逃げとるな」
    「そのようですね。しぶといと言うか……」
    「相手も最後の最後や。そら必死にもなるわな。捕まったら今度こそ、その場で首落とされると覚悟しとるんやろ」
    「長引くようでしたら、俺も出ます」
     真剣な面持ちでそう告げたハンに、エリザは肩をすくめつつ、地図をくるくると丸めて返した。
    「ま、準備だけはしときよし。アタシもしとくわ」
    琥珀暁・追討伝 1
    »»  2020.08.04.

    神様たちの話、第276話。
    存在感の無さ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「なーんかなぁ」
     憂鬱そうな声で、エリザが話を切り出して来た。
    「何も無しやねんな」
    「何がです?」
     エリザの言わんとすることがさっぱり分からず、ハンは首をかしげる。
    「や、アレから結構経ったやん?」
    「アレってなんですか」
    「西山間部を掌握してから。ほんで、その直後からアタシな、東山間部の方へも商売の手ぇ伸ばして、その裏でソレとなく帝国さんの動きを探っとったんやけどもな」
    「帝国の動きが何も無い、と言うことですか」
    「せやねん」
     エリザはうんうんとうなずきつつ、煙管を口にくわえる。
    「ええ加減、アタシがウロウロしとるコトと、遠征隊が情報収集しとるコトをつなげて考えるヤツも出てきておかしないやろと思うんやけどな」
    「異邦人が商売しに来たなんて、そう考えない方がおかしいでしょうからね。俺ならその可能性を念頭に置くでしょう」
    「せやろ? せやからな、向こうで商売する時もロウくんやら何やら、護衛を仰山付けて回っとるんやけども、なーんも危険な目に遭わへん。や、危険な目に遭いたいっちゅうワケちゃうけども、ほんでも起きてもおかしないはずのコトがまったく起こらへんっちゅうのんはなー……」
    「ふむ」
     ハンはもう一度首をかしげ、エリザの話を吟味する。
    「既にあれから半年以上、いや、もっとになりますよね」
    「せやな」
    「未だ帝国が動かない、と言うのは確かに妙です。事実として現在、帝国はその陣地を大きく奪われ、相当不利な形勢に追い込まれていますし、となればこちらと停戦交渉を行うなり、覚悟を決めて決戦に出るなりしても、何らおかしくないでしょう。
     一方、このまま沈黙を続けることは、帝国にとって不利でしか無いはずです。こちら側の勢力は――厳密に言えば西山間部の豪族らとミェーチ軍団、いや、現在はミェーチ王国でしたか――帝国に対し、強い敵対心を持っています。であれば当然、防衛策を採る。事実、ゼルカノゼロの南側は既に、ミェーチ軍団が防衛線の構築に取り掛かっていると聞いています」
    「取り掛かっとるっちゅうか、もうソレ、ほぼほぼ完成しとるな。……ま、そやな。ソコが妙やねんな。何もせんとじっとしとったら、敵のアタシらは防御を完璧に固めるし、そしたら攻撃しても無駄になる。ちゅうコトはこっちとの政治的な交渉材料が1個、潰れるワケやん?」
    「確かに。攻撃に効果があるからこそ、停戦交渉の意味があるわけですしね。効果が無くなれば、『攻めるぞ』とおどしたところで無意味でしょう」
    「せやろ? ソレやのに自分から交渉材料潰すなんて、自分の状況も分からへんくらいのアホなんか、ソレともまだ挽回でけるっちゅう、よほどの自信があるかやけども」
    「前者であるとは考えにくいでしょう。実際に、20年前に北方征服を完遂させた相手ですからね」
    「ソレとも他に何や理由があるんか、やな。……なーんかなぁ」
     エリザは煙管から口を離し、ふう、と紫煙を吐き出した。
    「ホンマにいとるんかっちゅう気がしてきたわ」
    「誰がです?」
    「帝国の皇帝さん。レン・ジーン言うたっけ」
    「ええ、そんな名前だったと。……ふむ」
     エリザの言葉に、ハンも不可解なものを感じ始めた。
    「確かに上陸から今まで、名前や業績は嫌と言うほど聞きましたし、彼の命令を――間接的にせよ――受けたと言う軍隊とも交戦してきましたが、彼本人の姿を見たことはありませんし、沿岸部や西山間部で見たと言う人間も皆無です」
    「ミェーチ王さんやノルド王さんにしたかて、命令やら何やらは皇帝さんから直接や無しに、その皇帝さんから命令を受けた将軍さんから又聞きしたっちゅう形らしいからな。……コレ、もしかしたらもしかするんとちゃうか?」
    「まさか本当に、皇帝は存在しないと?」
    「おかしすぎるやろ? ココまで何の動きも無いやなんて。もしかしたら今、とっくに死んではったりするんちゃうやろか」
    「帝国の象徴であり、最高指導者である皇帝が後継者も指名せず亡くなれば、帝国は崩壊を余儀なくされる。故に死を公表することなどできない――それで帝国の実務者層も動くに動けず、こうして沈黙した状況が続いている、と?」
    「可能性は高いと思うで、アタシは」
     エリザはすっかり燃え尽きた煙管の灰をトン、と灰皿に落とし、胸元にしまい込んだ。
    「今後はソレを想定して調査してみるわ。ホンマに死んではるんやったら、帝国さんと取引したはる店屋さんが、何かしらつかんどるかも分からんからな」
    「お願いします」

    琥珀暁・空位伝 1

    2020.06.08.[Edit]
    神様たちの話、第276話。存在感の無さ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「なーんかなぁ」 憂鬱そうな声で、エリザが話を切り出して来た。「何も無しやねんな」「何がです?」 エリザの言わんとすることがさっぱり分からず、ハンは首をかしげる。「や、アレから結構経ったやん?」「アレってなんですか」「西山間部を掌握してから。ほんで、その直後からアタシな、東山間部の方へも商売の手ぇ伸ばして、その裏でソレ...

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    神様たちの話、第277話。
    皇帝不在論の浮上。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「皇帝がいない、……ですって?」
    「かも知れない、だ」
     エリザから皇帝不在論を聞かされたその晩、ハンは班員たちにその話を聞かせ、皆の意見を仰いでいた。
    「だが可能性は考えられると、俺も思っている。そりゃ確かに皇帝と称されるような相手だし、そうそう簡単に人前に出るようなものでもないだろう。俺たちの側にしても、陛下ご自身は気さくな方だが、街へお出でになることはあまり無いし、そもそもクロスセントラルから離れられたことも、ここ十数年無いと聞いている」
    「お忙しい方ですからね。こちらの皇帝も同様の身と考えれば、姿を見ないのは納得できます」
    「そうだな」
     ビートに同意しつつも、ハンはかぶりを振って返す。
    「だが、東山間部の人間でさえ一度も見たことが無いと言うのはおかしい。エリザさんから聞いたが、西山間部での戦いで捕虜にした人間も、将軍以下、誰も姿を見たことが無いと言っていたそうだ」
    「将軍でもですか? 偉いはずなのに」
     きょとんとするマリアに、ハンは「いや」と注釈を入れる。
    「帝国の将軍は上級、下級に分かれているらしい。捕虜にしたのは下将軍だ。聞いたところによれば、拝謁を許されるのは上将軍と大臣だけだそうだ。それ以外は会えば不敬と見なされ、即刻処刑されると言っていた」
    「ひどいですね」
     悲しそうな顔でつぶやくメリーに、ハンも大きくうなずく。
    「確かに残忍と取れる。だが見方によれば、かなり極端な情報統制を敷いていると言うことでもある」
    「情報統制、……つまり、皇帝がいないことを隠そうとしている、と?」
    「可能性はある。実際処刑された者がいるかどうかまでは聞いていないし、本当にいないとするならば、これは皇帝の存在を探る者が現れぬよう定められた法だとも考えられる。と言うか実際、目にしただけで処刑はやりすぎだろう。そんな極端なことをしていたんじゃ、誰も皇帝に信頼を寄せるはずが無い。いくらこの邦に最高指導者が一人しかいない、他に従う者がいない地であるとは言え、仕打ちがあまりにも過酷すぎるからな」
    「内情を聞けば聞くほど、確かに、皇帝の存在が疑わしくなってくるような気がします」
     メリーがこくこくとうなずく一方、マリアは首をかしげている。
    「じゃあ本当に、皇帝はいないってことなんですかね?」
    「断言はできない。だが、いないとするなら、一連の行動があまりにも消極的であったこととつじつまが合う。状況的に、最も自然と言えるだろう」
     ハンの言葉を受けてもなお、マリアは納得しかねた様子でいる。
    「でもそれだと、変なとこもありますよね」
    「と言うと?」
    「だって、それって突き詰めると、リーダーって言うかトップって言うか、あたしたちの方で言えば尉官とかエリザさんとか、そう言う人たちがずーっと不在のままってことですよね?」
    「まあ、そうなるな」
    「もし今、急にエリザさんがいなくなるとかしたら、あたしたち即パニックでしょ?」
     マリアにそう問われ、ハンは一瞬顔をしかめかけたが、うなずいて返す。
    「だろうな。俺も少なからず戸惑うだろう。俺が残っていたとしてもな」
    「でもそう言う様子、全然無いんですよね。この2年戦ってきて、その間、帝国が混乱してた様子も無かったですし。もし混乱してたならですよ、沿岸部の戦いだって、西山間部の話だって、あんなに抵抗されることも無かったんじゃないかなーって」
    「……ふむ」
     マリアの意見を受け、ハンは中空に目をやる。
    「となると、不在になったのはここ最近のことだと考えられるな。もし俺たちが上陸する前から不在だったと言うなら、マリアの言う通り、もっと動揺していてもおかしくない。……いや、しかしそれだと、皇帝を探らぬよう配慮していたことに説明が付けられないか」
    「元々から人嫌いだったからそう言うことしてた、とかじゃないですか?」
    「そうだな、その可能性は高い。これまでの行動を考えても、他人に対する苛烈な措置を鑑みれば、その節が見て取れる。
     つまり――まだ推測、予想の域を出ない話だが――征服後20数年、俺たちが上陸して以降も人を避け続けていた皇帝が、ここ最近になって死亡。明確な指針を失った帝国は進退を窮め、動くに動けないでいる、……と言ったところか」
    「じゃあもし今、我々が積極的攻勢に出れば……」
     ビートの言葉に、ハンは小さくうなずいた。
    「それを陛下がお許しになるとは考えづらいが、もし俺たちが積極策を講じれば、向こうは簡単に折れるかも知れないな。一度、エリザさんに相談してみよう」

    琥珀暁・空位伝 2

    2020.06.09.[Edit]
    神様たちの話、第277話。皇帝不在論の浮上。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「皇帝がいない、……ですって?」「かも知れない、だ」 エリザから皇帝不在論を聞かされたその晩、ハンは班員たちにその話を聞かせ、皆の意見を仰いでいた。「だが可能性は考えられると、俺も思っている。そりゃ確かに皇帝と称されるような相手だし、そうそう簡単に人前に出るようなものでもないだろう。俺たちの側にしても、陛下ご自身は気...

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    神様たちの話、第278話。
    タテとヨコ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「微妙なトコやなー」
     ハンによって積極策がエリザに打診されたが、彼女は首をかしげてきた。
    「らしくないですね。てっきりエリザさんであれば、『よっしゃ』みたいなことを言って賛成するかと思っていたんですが」
    「や、アタシは構へんねん。そらケリ付けるんやったらちゃっちゃと付けたいからな。でもな、結局は『上』がええでって言うかどうかやん。勝手に動いたらまた揉めるしな」
    「確かに」
    「そらな、エマの件やらお偉方集めての傍聴やらで、立て続けにゼロさんの失策があったし、相当ヘコんどるかも分からんから、ココでアタシらが『やりまっせ』言うて進めようとしても、もしかしたら『ええよもう』言うて、投げやりにされるかも知れへんけども、逆にな、最後の意地っちゅうもんがあるやろしな」
    「最後の?」
     部屋の中をうろうろと歩き回りつつ、エリザは私見を述べる。
    「『帝国本国を攻撃する』っちゅうのんは、遠征隊の活動で言うたら、ホンマに最後の最後の話やん? ゼロさんにしたら、自分のええトコ見せる最後のチャンスやないの。ソコでしくじるのんも嫌やろけども、このままアタシらをほっといて最大最後の成果を勝手に挙げられるっちゅうのんも、そら嫌やろしな」
    「なるほど」
     自然、ハンもエリザの動きを追う形となり、その場でくるくると回り出す。
    「……エリザさん」
    「なんや?」
    「止まってもらえますか?」
    「考え事しとると手持ち無沙汰やねん。こっち見んかったらええやないの」
    「人と話しているのに、相手の顔を見ないのはどうかと」
    「ま、ソレもそやな」
     立ち止まり、エリザは話を続ける。
    「とりあえず、現状でいきなり攻めるやら何やらの話はせえへん方がええやろ。アタシの方の調査もあるから、不在説がホンマの話やと確定してからでも遅くないやろな」
    「確かにそうですね。やはり性急でしょう」
    「とりあえず次の定例報告ん時、ソレとなく打診してみる程度やな。『こんなうわさもあるんやけど』くらいで。ま、どっちにしても次まで間あるから、アタシちょっと西山間部の方行ってくるわ」
    「情報収集ですか?」
    「半分はな。残り半分はアタシの商売やね。ミェーチさんトコまで行く予定やから、1ヶ月くらい留守にするし、後はよろしゅうな」
    「承知しました」
     ハンがうなずき、踵を返しかけたところで――エリザが「あ、ちょっと」と呼び止めた。
    「なんです?」
    「最近どないなん?」
    「何がですか?」
    「プライベートの方や。仲良うしとるんか?」
     要点をぼかした問いに、ハンは自分なりに気を利かせたつもりで答える。
    「クーのことですか? 仲良くしてますよ」
    「59点」
    「ギリギリ落第点ですか。模範解答を教えてもらえるとありがたいですね」
    「アタシが聞きたかったんはメリーちゃんの方やな。そっちはどないやの」
    「ん、……んん」
     答えに詰まり、ハンは思わず目をそらしてしまう。
    「人と話する時は顔見るんやなかったんかいな」
    「揚げ足を取らないで下さい。……ええ、まあ、仲良くしてます、はい」
    「クーちゃんと囃(はや)しとる時より嬉しそうな口ぶりやな。そんな気ぃ合うてんの?」
    「そうですね、はい。クーと違って、どこへ行く時も笑顔で、素直に付いて来てくれますからね。変に嫌味を言われたりもせず」
    「さよか。そらよろしいな」
     エリザの返答に、ハンは引っかかるものを感じる。
    「何か不満が? やはりクーとくっつけたいと?」
    「ちゃうがな」
     エリザはハンに詰め寄り、強い口調で諭してきた。
    「アンタな、メリーちゃんがどんな娘なんか全然分かってへんやろ」
    「どう言う意味です?」
    「アタシは『気ぃ合うてるんか』ちゅうて聞いたけど、アンタの答えは『気が合う』やなくて、『言うコト聞いてくれる』やん。そんなん、アンタ本位の答えやんか。メリーちゃんがどう思てはるかの答え、アンタから出て来おへんのはなんでや?」
    「え……? いや、それは他人の意見ですから」
    「ソコが『分かってへん』言うてんねや。とぼけたコト言いよって、ホンマに」
     エリザはハンの額をぺちっと叩きつつ、こう続けた。
    「あの娘はタテ関係に弱いねん」
    「タテ?」
    「上のもんから何されても、あの娘は受け取ってまうタイプやねん。褒められたら素直に喜ぶし、怒られたら素直に反省する。そう言う娘や。でもな、ソレは逆に言うたら拒む方法を知らんっちゅうコトや。
     ソレを踏まえて、アンタの、いや、『尉官殿』『隊長殿』のしとるコト、してきよるコトに何も言わへんのは、なんでか分かるか? 普通に考えたら、雨ん中雪ん中まで測量行かされたら何かしら文句もあるやろうに、アンタはホンマに何にも思てへんと思とるんか?」
    「不満が無い、……のではなく、不満を口に出せない、と?」
     叩かれた額を押さえるハンに、エリザは「せや」とうなずく。
    「例え冗談のつもりでも、もしアンタが『捨て身で突撃しろ』言うたら、あの娘はホンマに突っ込むタイプやで。下手したら『死ね』言うても自殺しかねへん。アンタから受け取ったもんは――ええもんにしろ悪いもんにしろ――返す方法が分からへんのんや。
     あの娘にとってアンタはヨコの人やなくタテの人、ウエにおる人や。ソコ忘れてあの娘と付き合おうとしたら、絶対にアカン。分かったな?」
    「え、ええ、はい。肝に銘じます」
    「頼むで」
     面食らいつつも、ハンは深くうなずき、その場を後にした。

    琥珀暁・空位伝 3

    2020.06.10.[Edit]
    神様たちの話、第278話。タテとヨコ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「微妙なトコやなー」 ハンによって積極策がエリザに打診されたが、彼女は首をかしげてきた。「らしくないですね。てっきりエリザさんであれば、『よっしゃ』みたいなことを言って賛成するかと思っていたんですが」「や、アタシは構へんねん。そらケリ付けるんやったらちゃっちゃと付けたいからな。でもな、結局は『上』がええでって言うかどうか...

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    神様たちの話、第279話。
    相性。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     エリザからの忠告を受けてすぐ、ハンはマリアの部屋を訪ねていた。
    「珍しいですねー、尉官があたし一人に用があるなんて。いつもなら皆でご飯食べに行くのに」
    「ああ。内々で相談したいことがあってな」
    「どっちのお話でしょ? クーちゃん? メリー?」
     あっさり見透かされ、ハンは二の足を踏んでしまう。
    「あ、……あー、と。なんでそうなる?」
    「尉官があたしに内々で相談なんて、それ関係しか無いでしょ?」
    「……そうなるよな」
    「で、どっちなんですか?」
    「メリーの方だ」
     こう答えた途端、マリアの眼差しに冷えた色が混じる。
    「お付き合いしたいと?」
    「そう考えてはいる」
    「だとしたらあたしは反対です」
     きっぱりと否定され、ハンは苦々しげにうなる。
    「どうしてもクーとくっつけたいのか?」
    「それ以前の問題です」
    「と言うと?」
    「別に尉官が誰と付き合おうが、それは反対しません。でもメリーと付き合うのはダメです。や、メリーが悪い娘だってことじゃないです。めちゃくちゃいい娘です。だからこそ尉官が付き合うって言うのがダメなんです。尉官じゃ相性が悪すぎるんです」
    「よく分からないな。何故俺じゃ駄目なんだ?」
     尋ねたハンに、マリアは残念そうな目を向けてくる。
    「あのですね、普段から尉官がどう言う風にメリーと接してるか、あたしもビートも間近で見てますけど、はっきり言って『押し付け』なんですよね、尉官の態度って」
    「押し付け?」
    「こないだの測量の時だって、メリーにああしろこうしろって次々指示してましたけど、あの娘、結構疲れた顔してましたよ。気付いてました?」
    「……いや」
    「でしょうね。メリーって上の人に自分の意見言うのが苦手な娘ですから、尉官に対しては『疲れた』とか言わないで、ニコニコしてるんですよね。あたしたちにもニコニコ接してましたけど、でも本当に疲れてるんだろうなーってのは、歩き方とか汗のかき方で分かります。そう言うとこ、尉官は本気で気付いてなかったんでしょ」
    「あ、ああ」
     ハンの返答に、マリアははーっと呆れたようなため息を漏らした。
    「言わなきゃ分かんないタイプでしょ、尉官って。で、メリーは言えない性格の娘なんですよ。相性が絶望的に悪いんです。絶対付き合わせちゃダメな組み合わせです。もし尉官がメリーとお付き合いする、結婚するって話になったら彼女、死んじゃいますよ。ほぼ間違い無く尉官のせいで」
    「俺のせいだって? まるで俺が彼女を殺すみたいな……」「そう言ってるんです」
     ハンの抗弁をぴしゃりとさえぎり、マリアはハンをにらみつけた。
    「尉官のメリーに対する接し方って、ぶっちゃけ『お人形遊び』なんですよね。何にも言わないお人形を自分勝手に愛でて、遊んで、弄んでるって感じの。本当にお人形相手にやってるならあたし、別に何も言いませんけど、それを人間相手にやってることが問題なんです。
     そんな態度でお付き合いしたいって言ってるんなら、あたしはどんな手段使ってでも反対しますよ。じゃなきゃメリーが可愛そうですもん」
    「……」
     散々打ちのめされ、ハンは黙り込むしかなかった。
    「話はそれだけですか?」
     マリアに尋ねられ、ハンは「ああ」と返す。
    「本当に?」
    「何でだ?」
    「もういっこの選択肢は、相談しないんですね」
    「クーのことか?」
    「相談したいなら勿論付き合いますけど、したくないなら、もう話は終わりですよ」
     そのままマリアにじっと見つめられていたが――ハンは無言で、彼女の部屋を後にする。ドアに向かって、マリアは小さく吐き捨てた。
    「なにさ、意気地無し。クーちゃんから逃げてるだけじゃん。逃げの方便に使われる方が10倍、かわいそうだよ」

    琥珀暁・空位伝 4

    2020.06.11.[Edit]
    神様たちの話、第279話。相性。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. エリザからの忠告を受けてすぐ、ハンはマリアの部屋を訪ねていた。「珍しいですねー、尉官があたし一人に用があるなんて。いつもなら皆でご飯食べに行くのに」「ああ。内々で相談したいことがあってな」「どっちのお話でしょ? クーちゃん? メリー?」 あっさり見透かされ、ハンは二の足を踏んでしまう。「あ、……あー、と。なんでそうなる?」「尉...

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    神様たちの話、第280話。
    クーとメリー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     めっきりハンから声がかからなくなって以降も、クーはそれ以外の人間――エリザやマリアたちと親しくしていたが、エリザが商売と情報収集のために遠出してしまった上、この日はマリアもビートも非番では無く――。
    「ごきげんよう」
    「あ、殿下! こんなところにまで足を運んでいただけて、大変恐縮です」
     この日は一人で、街の喫茶店を訪れていた。
    「お気遣い無く。ティーセットを」
    「かしこまりました。お好きな席にどうぞ」
     言われるまま、クーは店の奥に進む。と――。
    「あっ」
    「え?」
     一番奥でひっそりとお茶を飲んでいたメリーと目が合い、クーは思わず目をそらしてしまう。
    「あ、あの、殿下?」
     当然、メリーは困った顔をし、立ち上がって頭を下げる。
    「申し訳ありません、何かわたし、至らぬことを……」
    「あっ、ち、違います、そうではなくて、……いえ、本当に何でもございませんの。お気になさらず、メリー」
    「そ、そうですか、すみません」
     気まずくなり、クーは店から出ようとしかけたが――。
    「殿下、お待たせいたしました。ティーセットです」
    「あ」
     そこで店員が、注文した品を持ってやって来る。仕方無く、クーは返しかけた踵を戻し、メリーに声をかける。
    「ご一緒してよろしいかしら?」
    「えっ? あ、はい」
     慌てた様子でメリーが机を片付け、クーの席を作る。
    「どっ、どうぞ」
    「ありがとう存じます、メリー」
     メリーの対面に座り、クーはもう一度会釈する。が、その一方で、心の中では少なからず戸惑っていた。
    (ああもう、間の悪いこと。一人で落ち着こうと存じておりましたのに)
     メリーを疎ましく思いつつ、クーは彼女に目を合わせないよう、机の上にある物を一瞥する。
    (あれは……、『三角法初級』ですわね。お父様の記したご本。測量のお勉強をなさっていたのね。メモにもそれらしい数式がチラホラと。……でも妙ですわね? 測量なさるのなら、もっと高度な知識が必要なはずですけれど)
     自分の領分でもある分野の知識が目に入り、出しゃばりの彼女は当然、口を出す。
    「苦労してらっしゃるご様子ですわね」
    「え?」
    「そこはここに線を引くと、理解いたしやすいと存じますわよ」
     メリーからペンを借り、クーはメモ上の三角形にすっ、すっと線を描き足す。
    「えっと……どう……言う?」
    「直角三角形にしてしまえば、計算がいたしやすいでしょう? あなた、元の形から無理矢理計算しようとなさっているから、混乱なさっているご様子ですもの」
    「あ、……あー、あー! そっか、そうですね!」
    「基本中の基本ですわ。……それも理解されないで、よく測量がいたせますわね」
     クーに冷たく指摘され、メリーはしゅんとした表情を浮かべる。
    「本当ですよね……。わたし、本当は苦手なんです、こう言うの」
    「えっ? でもあなた、自分から……」
    「最初はそうだったんですけど、あの、数字得意だと思ってたんですけど、その、複雑な計算が多いって分かってなくて。何回か行ってみて、それで、向いてないなって思ったんですけど」
    「ではそう仰ればよろしいのに」
     そう返したクーに、メリーは困った顔を向ける。
    「なんか、その、言い出しにくくて。わたしが自分でやると言ってしまいましたし、それに尉官が、嬉しそうにしてるので」
    「あー……」
     困った様子のメリーを眺めつつ、クーは彼女に対する意識を改めていた。
    (ハンにべったり追従している、……とばかり存じておりましたけれど、もしかして彼女、ハンの誘いを断れずに連れ回されていただけなのかしら。八方美人なところがあるように存じておりましたけれど、それは単に、頼みを断れない性格なだけ……?)
     察したクーは、メリーにこんな提案をした。
    「よろしければ、わたくしからハンに伝えますわよ。別の作業を割り振ってはと」
    「えっ、……あ、でも」
     メリーは一瞬嬉しそうな表情を浮かべたが、すぐに首を振る。
    「ご迷惑をかけてしまいます。殿下にも、尉官にも」
    「わたくしは迷惑だなどとは存じておりません。一言託(ことづけ)ければ済むお話ですもの。ハンにしても、あなたが大変苦労なさっていることが分かれば、彼の方から同様の提案をなさると存じますわ。あの方は気が利きませんし、特に他人のことに関しては、直接お耳に入れないと分からない方ですもの」
    「そ、そうですか。では、その、お願いしてもいいですか?」
     恐る恐る尋ねてきたメリーに、クーはにこっと笑みを返した。
    「ええ、承りました。ご安心なさい。わたくしがきっちり伝えます」

    琥珀暁・空位伝 5

    2020.06.12.[Edit]
    神様たちの話、第280話。クーとメリー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. めっきりハンから声がかからなくなって以降も、クーはそれ以外の人間――エリザやマリアたちと親しくしていたが、エリザが商売と情報収集のために遠出してしまった上、この日はマリアもビートも非番では無く――。「ごきげんよう」「あ、殿下! こんなところにまで足を運んでいただけて、大変恐縮です」 この日は一人で、街の喫茶店を訪れていた...

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    神様たちの話、第281話。
    クーのきづかい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     この数ヶ月――主にハンのせいで――メリーに対して悪い印象を抱いていたクーだったが、彼女と面と向かって話す内、その印象を改めつつあった。
    「ねえ、メリー?」
    「はい、なんでしょうか」
    「あなた、今日は非番? お一人なのかしら」
    「はい、非番です。今日は誰からもお誘いが無かったので」
    「あなたから誰かを誘ったりはなさらないのかしら?」
    「ご迷惑かなと思って」
     メリーの答えに、クーは面食らった。
    「ご迷惑? そんなことで?」
    「相手の都合があるでしょうから」
    「お声をかけるだけなら迷惑でも何でも無いと存じますけれど」
    「でも申し訳無いって思わせたら、なんか、その」
    「あなた……」
     クーは思わず、メリーの手を取っていた。
    「えっ、……あの、で、殿下?」
    「あなたは距離の求め方よりも、人との付き合い方を学ぶべきと存じますわ。今日はもう、お勉強はおしまいになさい。それより今日は、わたくしと一緒にお過ごしなさい」
    「は、はい」

     クーはメリーを連れ、街を散策することにした。
    「そう言えばわたくし、あなたについて何も存じませんわね。歳はおいくつでしたかしら? 19?」
    「いえ、20歳になりました」
    「ああ、マリアと同い年と仰ってましたわね。ご出身は?」
    「イーストフィールドです。12歳の時に軍の学校に入って、17歳で卒配しました」
    「最初はあの、……エマのところに?」
    「え、ええ」
     これを聞いて、クーは肩をすくめた。
    「それはまあ、お気の毒としか申せませんわね。最初に就いたのが別の方のところであれば、あなたももう少し、気楽に人生を過ごせるようになっていたでしょうに」
    「そうですよね。お気を遣わせてしまって……」
     しゅんとした表情を見せるメリーに、クーは「そうではなくて」と返す。
    「わたくしはあの人でなしとは違います。一々顔色をうかがったり、謝ったりなさらなくて結構ですわ」
    「あっ、そ、その、申し訳……」
     なおも謝ろうとしたメリーの口に、クーは人差し指をちょん、と当てる。
    「メリー。わたくしはあなたの上司ではございませんし、歳もあなたより下です。わたくしに対しては、もっと親しい態度で接しなさい。わたくしのことも、『殿下』などと他人行儀なものではなく、……そうですわね、マリアのように『クーちゃん』と」
    「えっ、で、でも」
     戸惑うメリーの手を両手で包むように握り、クーはにっこりと笑みを浮かべて見せた。
    「よろしくね、メリー」
    「は、はい。では、……く、クーちゃん」
    「はい、よくできました。では――そうね、お茶は先程いただきましたから――お買い物はいかがかしら? エリザさんのお店を訪ねたことは?」
    「い、いえ」
    「ではそちらに。可愛いアクセサリがたくさんございますわよ。……一時期、丹念に店内を回ったことがございますから、案内もお任せなさい」
     その後も一日中、すっかり日が暮れるまで、クーはメリーをあちこちに案内した。最初は申し訳無さそうにしていたメリーも、クーが本心から仲良くしたいと思っていることが伝わったらしく、夕食を食べ終える頃には自然な笑顔を見せてくれた。
    「ごちそうさまです、……クーちゃん」
     まだ若干ぎこちないながらも、親しげに自分の名を呼んでくれたメリーに、クーも笑顔を向ける。
    「ええ。ご満足いただけたようで何よりですわ」
    「そんな、ご満足なんて、……あ、いえ、満足してないわけじゃないです。とても嬉しいです。あの、……こんなことを言ったら、クーちゃんは気を悪くしてしまうかも知れませんが」
     遠慮がちにしつつも、メリーは自分の気持ちを素直に打ち明けてくれた。
    「初めてお会いした時、その……、クーちゃんはわたしにあんまり、今日みたいに笑いかけてくれなかったので、嫌われていたんじゃないかって」
    「あー……」
     言われて振り返ってみると、確かに初対面の際、クーはメリーに対してあまりいい印象を持っていなかったのである。
    (ハンがこの娘の方ばかり見ていらっしゃいましたものね)
    「あの、でも、今日色々お話して、すごく優しいんだなって」
    「そう仰っていただければ幸いですわ」
    「……その、……そのですね」
     と、メリーが――やはり、遠慮がちながらも――こう続けた。
    「良ければまた、こうして誘っていただけると嬉しいです、あの、本当に」
    「ええ、勿論」

    琥珀暁・空位伝 6

    2020.06.13.[Edit]
    神様たちの話、第281話。クーのきづかい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. この数ヶ月――主にハンのせいで――メリーに対して悪い印象を抱いていたクーだったが、彼女と面と向かって話す内、その印象を改めつつあった。「ねえ、メリー?」「はい、なんでしょうか」「あなた、今日は非番? お一人なのかしら」「はい、非番です。今日は誰からもお誘いが無かったので」「あなたから誰かを誘ったりはなさらないのかしら?...

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    神様たちの話、第282話。
    ブレーキの不在。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     メリーと街を散策したその翌日、クーは早速ハンの元へ向かった。
    「……どうした、クー? 何の用だ?」
     しばらくまともに話していなかったからか、ハンはどことなく、きまり悪そうな様子で出迎える。
    「あなたにお話しておきたいことがございまして」
     そんな冷ややかな態度に構わず、クーは率直に、昨日メリーと約束していた内容を伝えた。
    「メリーのことです」
    「なに?」
    「あなたは最近、彼女をあちこちに連れ回してお仕事をさせていらっしゃるようですけれど、はっきり申せば、彼女は迷惑なさっていますわ。特に距離計算について、彼女は苦手と仰っています。これ以上、測量に同行させないよう、強く進言いたします」
    「何故そんなことを君に言われなきゃならない?」
     途端に、ハンは目に見えて不機嫌な様子になった。
    「それは遠征隊、いや、俺たちの班の仕事だ。その仕事の裁量は俺に任されている。君にどうこう言われる筋合いは無い」
    「ではハン、あなたはメリーが何の不満も抱えていないと?」
    「本人からそう言われたなら勿論、検討も対処もする。だが第三者にそんな込み入ったことを言われて、はいそうですかと素直に応じると思うのか、君は? 君がメリーに嫉妬して、彼女のことを悪く吹聴している可能性は皆無とは言えないだろう?」
     この発言を聞いて、となりにいたマリアが信じられないと言いたげな、呆れた表情を浮かべていたが、ハンに気付いた様子は無い。
    「嫉妬!? わたくしがそんなことで……」
    「ともかく、メリーが不満に思っていると言うのなら、本人をここに連れて来て話をするように言ってくれ。俺からは以上だ」
    「以上? わたくしの話を聞かない、と?」
    「そう言っただろう? 君が他人のことをどうこう言う筋合いは無いはずだ。違うか?」
    「あなたっ……!」
     あからさまに邪険な扱いをされた上、メリーに対するあまりにぞんざいな言葉を受けて、クーの頭に血が上った。
    「いい加減になさい! わたくしのことを遠ざけるのはまだ容赦いたせますけれど、他の人間にまでその無神経を向けるおつもり!?」
    「無神経? 俺が?」
    「あなた以外に誰がいらっしゃるの!? あなた、メリーのことをちっともご理解なさっていらっしゃらないじゃない!」
    「……ッ」
     クーに指摘された途端、ハンの顔に、明らかに怒りの色が浮かんだ。
    「君までそんなことを言うのか」
    「はい?」
    「俺が彼女のことを分かってないって? 分かってるさ、俺にモノを言えない性格だって言いたいんだろ? だが俺はそんな話、メリー本人から聞いてない。周りの予想に過ぎないだろ? 本人からそうだって、聞いたと言うのか?」
    「聞いたからそう伝えているのです!」
    「嘘を付け!」
     ハンは顔を真っ赤にし、クーに怒鳴りつけた。
    「君が彼女と話をしたって? そんなことがあるわけないだろう!?」
    「え、ちょっと、ちょっと、尉官?」
     と、ここまで成り行きを見守っていたマリアが、口を挟む。
    「そんなの変でしょ? クーちゃんだってそりゃ、メリーと話くらいするでしょーし」
    「お前は黙っていろ!」
     が、ハンはマリアにまで怒りを向ける。
    「……尉官、あのですね」
    「黙れと言ったのが分からないのか!? お前に関係無い話だろう!?」
    「あっ、そー」
     次の瞬間――マリアはべちっ、とハンに平手打ちした。
    「う……っ」
    「じゃ、あたし懲罰房行ってきます。どうせ命令不服従と上官への反抗でブチ込むでしょ?」
    「な……いや……」
     ほおを押さえ、呆気に取られた様子のハンに背を向けつつ、マリアはクーに告げた。
    「クーちゃん、もうこの人に何言ったって無駄だよ。この人、自分の勝手な意見以外、聴く気無くなっちゃったみたいだから」
    「ええ、まったくそのようですわね。ではわたくしも、これで失礼させていただきます。でもマリア、あなたが房に入ることはございませんわ。わたくしの命により、その措置は免除いたします」
    「どーも」
    「しばらくわたくしと一緒に行動なさい。この方はもう、あなたの上官にはふさわしくございませんわ」
    「はーい」
     そのまま二人が去って行った後も、ハンは憮然としたまま、その場に立ち尽くしていた。

    (……最悪だ)
     と、この騒ぎをこっそり見ていたビートは、頭を抱える。
    (これ、放っといたらまずいことになるよな。……すぐエリザ先生に伝えなきゃ)
     まだ突っ立ったままのハンをもう一度確認し、それから慌てて、ビートは魔術頭巾を取りに行った。

    琥珀暁・空位伝 終

    琥珀暁・空位伝 7

    2020.06.14.[Edit]
    神様たちの話、第282話。ブレーキの不在。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. メリーと街を散策したその翌日、クーは早速ハンの元へ向かった。「……どうした、クー? 何の用だ?」 しばらくまともに話していなかったからか、ハンはどことなく、きまり悪そうな様子で出迎える。「あなたにお話しておきたいことがございまして」 そんな冷ややかな態度に構わず、クーは率直に、昨日メリーと約束していた内容を伝えた。「...

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    神様たちの話、第283話。
    東部戦線異状なし?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     エリザは沿岸部での諸用をハンたちに任せて、いつものようにロウと丁稚たちを伴い西山間部を周っていた。
    「さよでっか。つまり何も動きは無し、ちゅうコトですな」
     その外遊の途中、新たな王国を立ち上げたミェーチの元に立ち寄り、彼から近況報告を受けていたが――いつも通り、大仰かつ取り留めの無い話ばかりされたので――エリザは途中で口を挟み、話を切り上げさせた。
    「うむ。この地に居を構えてより半年以上が経つも、帝国は依然として動きを見せるどころか、付近に兵を差し向ける気配すら無い。女史が懸念しておられた防衛線構築も先月、何の妨害もされぬまま完了したところである。故に今後、帝国が本腰を上げて攻め入ったとしても、恐らくたやすく撃破・撃退してしまえるであろう」
    「アタシの方でも確認させてもらいましたけども、確かにあんだけ固めとったら十分やろと思います」
    「女史のお墨付きがあるなら安心である。防衛に関しては問題無しと考えて良いだろうな」
    「ほな、統治の方はどないです? 今まで『軍団』でしたけども、『王国』と名乗ったからには、そっちも考えていかんとあきませんやろと思うんですけども」
     エリザに問われ、ミェーチは恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
    「うむ、まったくご心配の通りでな。吾輩一人では手が回らず、婿に頼りっぱなしの有様である。いや、本当にシェロにはすっかり頭が上がらんわい。この間も……」「そら結構ですな」
     話が長引きそうなことを察し、エリザはさくっと差し込む。
    「ほんなら今んとこ、大きな問題は無いっちゅうコトですな」
    「であるな。他の西山間部諸国との交流も円満であるし、女史より依頼されておった西山間部全域の街道整備も、はや半分が終了したと報告を受けておる」
    「そうですな。アタシらも通りましたけども、去年に比べたら全然、通りやすさが違いましたわ。馬車もそない跳ねたりもハマったりもしませんでしたし。ほな、予定よりずっと工事完了は早そうですな。当初は年末までかかるんちゃうやろかと言うてましたけども」
    「うむ。この具合ならもう半年もしないうち、峠まで延伸できるであろう。整備計画の本懐である西山間部諸国および沿岸部からの援軍招致の高速化も、現実のものとなるであろうな」
    「万事つつがなし、っちゅうワケですな。……問題無く行き過ぎて、むしろ心配になってくるくらいですわ」
     そう返したエリザに、ミェーチが首をかしげる。
    「何故であるか?」
    「帝国さんが何の交渉もせん、何の邪魔もせんっちゅうのんは不自然ですやろ? 防衛線構築も街道整備も、完成したら帝国にとっては大打撃どころのハナシやありませんからな。どっちも完成してしもたら、帝国は攻撃がまともに通らへんくなる上、速攻で反撃に出られてまうコトになるんですからな」
    「ふむ、確かに」
    「ソレでですな、コレはまだ確証を得てへん話になるんですけども」
     エリザは沿岸部でハンと話していた皇帝不在論を、ミェーチに話した。
    「……ちゅうワケで、もしかしたら進軍や妨害工作を指示でける人間がおらんせいで、帝国さんは動くに動けへんのちゃうやろか、と」
    「なるほど、……ふーむ、一理あるやも知れんな」
     話を聞いたミェーチは腕を組み、考え込む様子を見せる。
    「承知した。吾輩の方でも斥候を出し、東山間部の様子を探るとしよう」
    「よろしゅうお願いします」
     エリザがぺち、と両手を合わせて頼んだところで――ミェーチが「あっ」と声を上げた。
    「いやいや、大事な話を忘れておった。いや、先程シェロの件に触れた際に、あいつについて話しておこうと思っておったのだが、なかなか話が切り出せんでな」
    「なんです? あの子、何や粗相でもしよったんですか?」
    「いやいやいや、粗相どころか!」
     心配するエリザにぶんぶんと手を振って返し、ミェーチは満面の笑みでこう続けた。
    「実はな、シェロとリディアの間に子供ができたと言うのだ」
    「……あら、あらあらあら!」
     一転、エリザも顔をほころばせる。
    「そらホンマにええお話やないですの」
    「うむ、今年一番の吉報である! それで女史、良ければ二人に会ってもらえんだろうか? シェロもリディアも、女史には大恩がある。きっと報告したがっていると思うのでな」
    「そらもう、勿論ですわ」

    琥珀暁・遠望伝 1

    2020.06.16.[Edit]
    神様たちの話、第283話。東部戦線異状なし?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. エリザは沿岸部での諸用をハンたちに任せて、いつものようにロウと丁稚たちを伴い西山間部を周っていた。「さよでっか。つまり何も動きは無し、ちゅうコトですな」 その外遊の途中、新たな王国を立ち上げたミェーチの元に立ち寄り、彼から近況報告を受けていたが――いつも通り、大仰かつ取り留めの無い話ばかりされたので――エリザは途中で...

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    神様たちの話、第284話。
    希望のニュース。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ミェーチからの報告を受けてすぐ、エリザはシェロ夫妻の元を訪ねた。
    「お久しぶりです、先生」
     シェロに深々と頭を下げられ、エリザは吹き出した。
    「ふっふ……、そんな似合わんコトせんでもええやないの。アンタらしくないわ」
    「ど、ども」
     もう一度、今度は軽めに頭を下げられたところで、エリザが切り出す。
    「聞いたで、アンタら子供できたんやってな」
    「あっ、は、はい」
    「今どんくらいなん?」
    「4ヶ月です」
     リディアが答え、エリザはぽんぽんと彼女の頭を撫でる。
    「ほんなら産まれるんは10月くらいか。顔色は良さそうやね。つわりとかは?」
    「少しあります。あまりご飯が食べられなくて」
    「って言っても、今までかご一杯に食べてたパンが半分になったくらいなんスけどね」
     シェロに突っ込まれ、リディアは顔を赤くする。
    「もう、そんなことばらさないで下さいな」
    「悪り、悪り」
    「ふっふふふ……」
     二人のやり取りを見て、エリザがまた笑い出す。
    「仲ええみたいやな。国の状況も悪くないみたいやし、アンタらに関しては全然心配いらへんな」
    「どうもです」
    「コレもチラッと聞いたけどアンタ、ミェーチさんの手伝いしとるって? ……いや、こんな言い方したら失礼やね。アンタは頭のええ子やから、相当の働きをしとるんやろうな。ホンマ、ようやっとるわ」
    「恐縮っス」
     照れた様子を見せたシェロの頭にも、エリザは手を載せる。
    「恐縮なんかせんでええ。アンタはよおやった。その点に関しては、アンタはハンくんを超えたな」
     と、その言葉を聞いた途端、シェロが真顔になる。
    「なんでアイツの名前が……」「アタシが分からんアホと思うとったんか?」
     が、シェロが声を荒げかけたところで、エリザがやんわりと差し込む。
    「アンタがいつもハンくんの影を追っとったコトは、アタシはよお知っとるで」
    「……っ」
     口をつぐんだシェロに、エリザが続ける。
    「剣の腕でも、戦闘指揮でも、アンタはハンくんに遅れを取った、よお追いつけへんと、事あるごとに歯噛みしとったやろ」
    「……はい」
    「そのせいでアホなコトもしでかしたけども、今のアンタは間違い無く、ハンくんを超えとる。実際な、アンタは結婚しとるけど、ハンくんはまだコドモみたいなコトわーわー言うて逃げ回っとるくらいやからな。その一点だけでも、アンタとハンくんのどっちが格上か、誰でも分かるやろ?」
    「……そっスかね」
     うつむきつつも、シェロの耳は真っ赤に染まっている。
    「アタシが保証したる。ハンくんはもう、アンタの足元にも及ばへん。もうあの子の影なんか、追う必要無い。コレからは奥さんと子供の方、ちゃんと向いたげや」
    「……はい。銘肝します」
    「うん、うん。気張いや」

     と――。
    「……ん?」
     耳に付けていたピアスにぴり、と刺激を感じ、エリザはシェロの頭から手を離す。
    「どしたんスか?」
    「連絡や。ちょとゴメンやで」
     エリザはかばんから「魔術頭巾」を取り出し、頭に巻き付けた。
    「『トランスワード:リプライ』、……誰や?」
    《あっ、先生! ビートです》
    「ビートくんか? どないしたん、そんな慌てた声出して?」
    《大変なんです! 尉官がマリアさんと殿下とケンカして……》
    「ただのケンカでアンタがそんな慌てるようなコトにはならんやろ? 何があったん?」
    《それが……》
     ビートから諍(いさか)いの内容を聞き、エリザは「アホか」と声を漏らした。
    「つまりハンくんがクーちゃんからメリーちゃんのコトでやいやい言われてキレよった上、横で聞いてたマリアちゃんが売り言葉に買い言葉で逆ギレしたっちゅうコトやな」
    《そうなります》
    「あんのアホ……。まあ、分かったわ。この後東山間部の行けるトコまで行こかと思とったけど、放っといたら変な飛び火するかも分からんからな。急いで戻るわ」
    《ありがとうございます》
    「後、本国への連絡は絶対させんときや」
    《本国へ? 流石にそれは無いと思いますが……》
    「アタシがおらん間に相談でけるような相手は、ゼロさんかゲートだけやからな。今はアカンと思てても、一人でイライラ抱えて変にこじらせたら、うっかりとんでもない手を打ちかねへんもんや」
    《そうですね……確かに》
    「こんな騒ぎが知れ渡ったら、ゼロさんが大喜びするだけやからな。非難の格好の口実になってまう」
    《分かりました。尉官と殿下から、目を離さないようにします》
    「待ち。力ずくで出張って止めるみたいなコトしたら、アンタにも迷惑かかるやろ。そもそもケンカ別れした二人を同時に監視するんも無茶な話やしな。しばらく『フォースオフ』使て妨害しとくんや。当面、ソレで十分やろ」
    《しかしそれだと、先生との連絡も……》
    「正午から1時間くらいとか、時間限定で魔術を解除しといたら大丈夫やろ。使える時間が分かっとったら連絡取るのんに問題無いしな」
    《了解です。では今から妨害します。次の連絡は明日の正午頃に。先生もお気を付けて》
    「ありがとさん。ほなな」
     通話が終わったところで、横で聞いていたシェロが苦い顔をした。
    「マジで俺よかコドモなのかも知れませんね、アイツ」
    「調子に乗らんの。言うてアンタも、まだ21歳やろ」
    「へへ……、すんません」

    琥珀暁・遠望伝 2

    2020.06.17.[Edit]
    神様たちの話、第284話。希望のニュース。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ミェーチからの報告を受けてすぐ、エリザはシェロ夫妻の元を訪ねた。「お久しぶりです、先生」 シェロに深々と頭を下げられ、エリザは吹き出した。「ふっふ……、そんな似合わんコトせんでもええやないの。アンタらしくないわ」「ど、ども」 もう一度、今度は軽めに頭を下げられたところで、エリザが切り出す。「聞いたで、アンタら子供でき...

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    神様たちの話、第285話。
    夜が来る。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     エリザが帰ったその日の晩――と言っても一年を通して日照時間の短い北方であるため、まだ夕飯の支度が済んでいないくらいの時間である――ミェーチは己の居城をうろついていた。
    (ふむー……。今夜はどうやら肉料理のようであるな。猪か、鹿か……)
     廊下に漂う匂いから夕飯の内容をぼんやり推理しつつ、ミェーチは窓の外に目をやる。
    (そう言えば女史が色々と持って来てくれたようだったが、今晩はそれが食卓に並ぶと見た。ならば相当の馳走であることは間違い無かろう。ふふふ……、楽しみである。
     しかし吾輩も随分、呑気なことを考えるようになったものよ。昨年の今頃は明日をも知れぬ身と、日々焦燥しておったものだが。重ね重ね、女史とシェロには感謝せねばな)
     エリザと、そして娘婿のことを考え、ミェーチはため息をつく。
    (考えてみれば、吾輩はどれだけ彼らの世話になっておるやら。いや、吾輩だけでは無い。娘も、そして吾輩に付いて来てくれた皆も、二人に受けてきた恩は並大抵の言葉では言い表せんほどに大きい。……その恩に報いるためにも、これからの戦いはより一層、奮起せねばな。孫も産まれることであるし)
     そのことを考えた途端、ミェーチは自分のほおが緩むのを感じた。
    (孫、か。まあ、確かにいつかはできるものと思ってはおったが、もうその時が来るのだな。しかも異邦の者との間に、か。いや、それが不満であるとか、望ましくないだとか、そんなことは思ってはおらん。むしろ誇らしいことである。
     いつか吾輩の孫は、この邦と南の邦との架け橋になってくれるだろう。それを思えば、誇りとせぬ道理は無かろうよ)
     あれこれと夢想じみた思索を続けているうちに、ぐう、と腹の音が鳴る。
    「……流石にこれだけ飯の匂いを嗅ぎ続けては、腹が減ってならんな。どれ、厨房を覗いてみるか」
     そうつぶやき、ミェーチはくる、と踵を返した。

     と――振り向いたその先に、何者かが立っていた。
    「うぬ?」
    「……」
     肩まである銀髪から伸びた長い裸の耳を見て、ミェーチは一瞬、彼がエリザやシェロと同じ、異邦の人間かと考えた。
    (いや、肌が白い。女史やシェロと同郷であれば、もっと色が濃いはずだが。服装も簡素だ。寒がりの女史はこの季節でも厚手のケープを羽織っているし、シェロも分厚い生地の軍服を常に着込んでおるが、こいつは薄手のシャツ程度だ。はて……?)
     相手の素性が今ひとつつかめず、ミェーチは声をかけた。
    「吾輩に何か用であるか?」
    「確認させてもらおう」
     と、相手が口を開く。
    「お前が沿岸部や西山間部で暴れ回った、エリコ・ミェーチで間違い無いのだな?」
    「いかにも。吾輩がミェーチである」
    「お前は許可を得たのか?」
     相手は何の感情も浮かべていない、氷のように真っ青な目を、ミェーチに向けている。
    「許可? 何のだ?」
    「余の許しを得ぬまま王を名乗ることは重罪である。そう言っているのだ」
    「なに……?」
    「もう一度問う。お前は余の許可を得て、この地で王を名乗っているのか?」
     その言葉に、耳から尻尾の先に至るまで、ミェーチの全身の毛がびりっと震えた。
    「貴様……は……!?」
    「余のことを『貴様』と呼ぶか。不敬の罪も重ねたな」
     相手は腰に佩いていた剣を抜き、ミェーチに向けた。
    「情状酌量の余地は無し。この場で成敗してくれる」
    「……レン・ジーン!」
     瞬間、相手が飛びかかってくる。だが歴戦の覇者であるミェーチも即応し、すぐさま剣を抜いて初太刀を受けた。
    「おう……っ!?」
     だが、自分より二周りは背の低い、まだ若造にも見えるジーンのこの一撃は、ミェーチの巨躯をぐらりと揺らし、そのまま弾き飛ばした。
    「な……、何だと?」
     どうにかひざを着くことは免れ、体勢を整え直したものの、相手の技量と力が自分の手に余ることを察し、ミェーチはばっと身を翻した。
    「逃がすかッ!」
     すぐさま、ジーンが追いかけてくる。
    (速い! このままでは……)
     ミェーチは意を決し、窓から飛び出した。
    「ぬおおおおっ!」
     窓から地面まで3メートルはあり、着地するまでの一瞬、ミェーチは自分の肝がぎゅっと締まるのを感じる。
    (し、……しかしっ、彼奴の手にかかるよりはっ)
     どすんと重たい音を立て、ミェーチは地面に転がる。
    「くう、……痛たた、ひざをやったか」
     それでも脚を無理矢理立たせ、腰を上げて、ミェーチはジーンとの距離を取る。
    「だっ、……誰か、誰か! て、敵襲である! 賊が出たぞ!」
     ほうほうの体ながらも声を張り上げ、応援を呼ぶ。
    「敵襲!?」
    「ご無事ですか、陛下!」
     間も無く兵士たちが得物を手にし、ぞろぞろと集まって来る。30人ほど集まったところで、ミェーチが震える声で続けた。
    「敵はこうて、……い、いや、銀髪で細身の、長い裸耳の男だ。だがシェロの邦の者では無い。ひと目でそうと分かるくらい、肌の青白い者だ。この吾輩を腕の力だけで弾き飛ばすほどの、並外れた膂力(りょりょく)の持ち主である。
     全員、心してかかれ!」
    「はっ!」「了解です!」「御意!」
     兵士たちはミェーチを守る形を取り、円形に陣を組んだ。

    琥珀暁・遠望伝 3

    2020.06.18.[Edit]
    神様たちの話、第285話。夜が来る。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. エリザが帰ったその日の晩――と言っても一年を通して日照時間の短い北方であるため、まだ夕飯の支度が済んでいないくらいの時間である――ミェーチは己の居城をうろついていた。(ふむー……。今夜はどうやら肉料理のようであるな。猪か、鹿か……) 廊下に漂う匂いから夕飯の内容をぼんやり推理しつつ、ミェーチは窓の外に目をやる。(そう言えば女史が...

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    神様たちの話、第286話。
    一対百。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     陣を組むとほぼ同時に、先程までミェーチがいた廊下の壁が爆ぜ、ジーンが飛び出してくる。
    「来たぞ!」
     廊下に最も近い位置にいた兵士たちが剣を構え、ジーンを阻もうとする。だが、ジーンはいとも簡単にその隙を抜け、かわしざまに兵士たちを斬り付ける。
    「ぎゃあっ!」
    「げぼ……っ」
     一瞬で4人が腹や胸、のどを突かれ、ジーンの周りに血の海が出来上がる。
    「余をこんな雑兵の10や20で止めようと言うのか」
    「う……っ」
     瞬く間に現れた地獄のような光景に、兵士たちの顔が一様にひきつり、揃って一歩、後方へ退く。ミェーチも同様に怯んでいたが、いち早く我に返り、大喝する。
    「やっ、槍で牽制しろ! 距離を取るのだ!」
    「は、はい!」
     命じられた通り、槍を持った兵士が前に進み、二列横隊に並ぶ。槍の長さ2メートルと、さらに2メートルの間合いを取るが、誰の顔にも安堵の様子は無い。その背後、兵士に囲まれ守られているミェーチも例外ではなく、目の前にたたずむジーンの姿に、底しれぬ恐怖を抱いていた。
    (彼奴の言をそのまま信じるとすれば――いや、信じる他無いのだが――こいつが、あの皇帝だと言うのか。鬼神の如き強さもさることながら、何より恐ろしいのは、一瞬でこんな修羅場を築いておき、これほど敵と得物に囲まれていると言うのに、その間一切、表情をちらりとも変えておらぬことだ。
     なんと恐ろしいものか……! あの薄い笑みが、こらえがたいほど気味悪く感じる)
     そうこうする内にひざの手当てが終わり、ミェーチは手当てをしてくれた従者から弓を受け取る。
    (時間を稼いだ間に、兵が集まってくれたか。この中庭を囲む形で三方、彼奴の背後と左右に弓兵が構えてくれておる。庭の出入り口にも大勢寄っておる。恐らく合計して100人と言ったところか。
     だが、下手に動けば吾輩を含めたこの100人すべて、先の4人と同じ末路をたどるであろう。それほどの手練だ。どう動くべきだ? どう動けば、この鬼神を退けられる?)
     と、崩れた廊下の窓から、ミェーチがこの砦の中で、いや、この世で最も篤(あつ)い信頼を置く者の顔がのぞく。
    (シェロ! この騒ぎを聞き付けて、やって来てくれたか! ……どうする?)
     シェロに目配せすると、彼はこくんと小さくうなずき、右手を左右に振り、続けてその手を、ミェーチに手招きする形に引いた。
    (左右から攻める間、吾輩らは押して動きを止めさせろ、か。相分かった)
     ミェーチは弓を構え、号令を発した。
    「弓兵、全員攻撃せよ! 槍兵はそのまま前進だ! 彼奴を押し潰せーッ!」
     号令に従い、ジーンに向かって一斉に矢が放たれる。だが――。
    「うっ……!」
    「ひでえ!」
    「な、何と言うことを!」
     ジーンは先程斬り殺した兵士の体を持ち上げ、それを盾にして矢を全弾防いでしまった。
    「何と言う邪悪……! 殺すだけでは飽き足らず、そこまで嬲りよるかッ!」
     ミェーチの頭にかっと血が上った次の瞬間、ほとんど無意識に、彼は矢を放っていた。
    「ふん」
     が、これもジーンは遺体を盾にして防ぎ、全身くまなく矢が突き刺さったその残骸を、ぽいと投げ捨てた。
    「次はどうする? このまま槍兵を進めさせるか? それとも上にいる奴らをけしかけるか? 好きなように攻めるが良い」
    「う……ぐ……」
     あまりにも平然とした態度を続けるジーンに、ミェーチも、そしてシェロも、次の手を打ちあぐねた。
    「来ぬか。無駄だと悟ったようだな。であれば余の手番であるな」
     そう言って、ジーンは槍兵たちの方へと自ら歩いてきた。
    「あ……わわ……」
    「へ、陛下、ご命令をっ」
     悠然と歩いてくるジーンに恐れをなし、槍兵たちの隊列が乱れる。その瞬間、ジーンは一気に距離を詰め、兵士たちの中へと飛び込んで来た。
    「ひぎゃ……」
    「がはっ……」
    「うわっ、うわっ、う」
    「く、来るな、来るっ……」
     周囲の兵士たちはこま切れにされ、簡単に包囲が破られた。
    「陛下!」
     絶叫にも近い声を上げ、シェロが指示を送る。
    「逃げて下さい! 敵いません! 皆もだ! 全員撤退! 全員、撤退せよ!」
    「先程からぶんぶん、ぶんぶんと」
     20人ほどを惨殺したところで、ジーンがぐるん、と後ろを向いた。
    「小うるさい蝿がいるようだな。察するにお前がこの砦の次官、シェロ・ナイトマンか」
    「……っ」
     次の瞬間、ジーンは4メートル以上も跳躍し、自分が断ち割った廊下にふたたび入り込んだ。

    琥珀暁・遠望伝 4

    2020.06.19.[Edit]
    神様たちの話、第286話。一対百。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 陣を組むとほぼ同時に、先程までミェーチがいた廊下の壁が爆ぜ、ジーンが飛び出してくる。「来たぞ!」 廊下に最も近い位置にいた兵士たちが剣を構え、ジーンを阻もうとする。だが、ジーンはいとも簡単にその隙を抜け、かわしざまに兵士たちを斬り付ける。「ぎゃあっ!」「げぼ……っ」 一瞬で4人が腹や胸、のどを突かれ、ジーンの周りに血の海が出...

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    神様たちの話、第287話。
    梟雄と暴君。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ほんの2、3秒前まで階下にいたはずのジーンが目の前に降り立ち、シェロは狼狽する。
    「うわ……!?」
     慌てて剣を構え、ジーンと対峙するが、シェロはこの時、己の末路を直感していた。
    (……やべえな。こんなのとマジにやり合ったら、どんなに考えても俺が死ぬ予感しか無えよ)
    「わざわざ海の向こうより訪れ、賤民共に味方する狂人がおると耳にしていたが、実際会ってみれば何のことは無し、年端も行かぬ小童ではないか。まあ、道理の分からぬ痴れ者と言う点では、同じことだが」
     ジーンは剣を下ろしたまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
    「しかし余の世界にいらぬ波風を立ててくれた者共の一人であることだ。生半可な処罰では、余の心は到底満足できぬ。となればどうするか? ふーむ、首を落とす程度ではつまらぬな。八つ裂きでもちと物足りぬ。焼いた石で挟むのはそこそこと言ったところであるが、今の気分では無い。腹を裂いて放っておくのは中々の愉悦であったが、流石に見飽きたし。はて、今回はどのように処したものか」
    「……っ」
     自分をなぶり殺しにする言葉を平然と連ねられ、シェロの背筋に冷たいものが走る。
    (冗談じゃねえ……! 何を楽しそうにッ!)
     シェロはジーンから視線を外さないようにしつつ、周囲の気配を探って打開策を考える。
    (簡単には逃げられない。中庭からココまでジャンプしてきやがった奴だぞ? 俺が背中見せて逃げようもんなら、2秒とかからず追いついて、そのまんま一刀両断だろうな。
     勿論、正面切って一対一で戦うのも無理だ。コイツの強さは、間違い無くアイツ以上だ。となりゃ絶対負ける。義父(おやじ)と一緒なら何とかなるかも知れねえけど、さっき手当てしてもらってたみたいだし、ソレが足とかひざとかだったら、こっちに駆け付けるには時間がかかるだろう。来てくれるまでコイツが呑気に待っててくれるってのか? 絶対無えよ)
     シェロは周囲の弓兵たちをチラ、と見て、策を組み立てる。
    (さっきと違って、ココには矢をさえぎれるようなモノは無い。コイツが廊下に入ってきた時、弓兵はビビって後退してくれたおかげで、俺以外の誰を盾にしようにも、流石に遠すぎる。さっきみたいに他人を盾にしようなんてクソみたいなコトはやらせねえ。……なら、コレだ!)
     思い付くと同時に、シェロは周囲に命令した。
    「弓兵、全員掃射! コイツを討てッ!」
     命じられるがまま、弓兵は矢を放つ。
    「ふん」
     飛んで来た矢を避けつつ、ジーンはシェロとの距離を詰める。
    (やっぱり来たな。今、完全に防御しようと思ったら、俺を盾にするしか無えもんな)
     矢の雨の中、ジーンは後一歩でシェロの体をつかめると言うところまで肉薄してきた。
    (今だッ!)
     シェロはわざと剣を遅めに、そしてジーンの顔を狙って振る。
    「なんだ? それで攻撃しているつもりか?」
     ジーンはその剣の切っ先を右の親指と人差し指でつまみ、事も無げに止めた。
    「それとも余に怯え……」「らああッ!」
     ジーンが何か言いかけたその瞬間、シェロは剣から手を離し、がら空きになっていたジーンの右胸に、目一杯拳を突き込んだ。
    「うっ、ぬ……ぅ」
     ぱき、と乾いた音を立てると共に、これまで薄ら笑いを浮かべていたジーンの顔に、初めて苦しげな色が差した。
    「き、さ……まっ」
     ジーンはつかんでいた剣を落とし、折れたであろうあばらに手をかざす。
    (ケッ、攻めるのは大好きでも攻められんのは苦手か? このクソ野郎ッ)
     大きな隙を見せたジーンの顔に、シェロはもう一度拳を叩き込んだ。
    「ぐぬっ!?」
     シェロより頭半分ほど低いジーンの体が、一瞬浮き上がる。
    (ものすげえジャンプだとか滅多切りだとかでちょっとビビってたけど、……なんだよ? 肉弾戦に持ち込んだらイケるのか?)
     ジーンは鼻から血を垂らし、ひざを着く。
    「……ぐ……くく……」
    「オラ、俺をブッ殺すんじゃねえのか!? んなトコでうずくまってないで、かかって来いよ!」
     優勢と見て、シェロは猛った声を上げる。
    「来ねえってんならッ……!」
     シェロは床に落ちていた剣を拾い、そのままジーンに斬りかかろうとした。

     だが、完全にジーンの頭に振り下ろしたはずの剣は、依然、床の上に落ちたままだった。
    「……え」
     とっさにもう一度つかもうとして――そこでようやく、シェロは自分の右腕が、剣の隣に転がっていることに気付いた。

    琥珀暁・遠望伝 5

    2020.06.20.[Edit]
    神様たちの話、第287話。梟雄と暴君。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ほんの2、3秒前まで階下にいたはずのジーンが目の前に降り立ち、シェロは狼狽する。「うわ……!?」 慌てて剣を構え、ジーンと対峙するが、シェロはこの時、己の末路を直感していた。(……やべえな。こんなのとマジにやり合ったら、どんなに考えても俺が死ぬ予感しか無えよ)「わざわざ海の向こうより訪れ、賤民共に味方する狂人がおると耳にし...

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    神様たちの話、第288話。
    希望は遠く、消え去るのか。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「う……うわあああっ!?」
     おびただしい血を噴き出していた自分の右腕をようやく確認し、シェロは絶叫する。
    「どう……した? 貴様の言う通り、仕掛けてやった……ぞ」
     まだボタボタと鼻血を流しつつも、ジーンはいつの間にか剣を抜いており、フラフラと立ち上がった。
    「て、てめっ、お、俺の、腕をっ」
    「どの道……貴様は、死ぬ運命だ。腕の一本や二本、失ったとて……どうと言うことはあるまい?」
    「ああ、あ、ううっ」
     呼吸を乱し、気を失いそうになりながらも、シェロは踏みとどまり、自分の右腕を拾って距離を取る。
    「はう、うっ、……ふうっ、……はあっ」
     荒れた息を整え、止血を施しつつ、シェロはジーンに目をやる。
    (わ……らって……やが……るっ)
     ジーンはこの間ずっと攻撃もせず、近寄りもせず、薄気味悪い笑みを浮かべて、シェロの行動を眺めていた。
    「ふむ」
     と、ジーンがその顔のまま口を開く。
    「そう言えば貴様らには妙なうわさが立っておったな。何やら、人知を超えた術を使うそうではないか。触れもせずに人を吹き飛ばし、たちどころに人を眠らせるとか。
     普通、腕を失えばそれきりだ。元通りにつなげられはせん。拾ったところで、何の意味も無い。ましてや小知恵を振りかざして軍を動かす貴様のこと、ここで無為な所業をするとは思えぬ。問おう。何故貴様は役に立たぬはずの己の右腕を拾った? 腕が元通りになる術があるとでも言うのか?」
    「……っ」
    「答えぬか。流石に小賢しいだけある。己の手の内は簡単にさらさぬと言うわけだ。だが沈黙は結局、答えているのと変わりあるまい。つまり『ある』と言うことだ。ふーむ……」
     ジーンはそこでようやく、シェロとの距離を詰め始めた。
    「つまり貴様らは多少の負傷を与えたところで治癒できる、と言うわけだな。なるほど、なるほど、……くくく、なるほど」
     シェロも逃げ続けるが、ジーンとの距離はじわじわと詰まっていく。
    「実に面白い。それを手に入れれば、余の処刑もより一層愉悦(ゆえつ)が増すと言うものだ。加減なぞ考える必要無く、何度でもなぶれると言うことだからな。くくく、くくくくく」
    「……~ッ」
     さらりと恐ろしげな言葉を吐かれ、シェロはふたたびぞっとさせられた。
    (コイツ……狂ってやがる)
     耐え切れず、シェロは全速力で逃げ出す。
    「くくくくく……逃さんぞ!」
     続いてジーンも、シェロの後を追おうと動きかけた。

     と――。
    「させんぞッ!」
     がん、と強い糸を弾く音が廊下に響き、ジーンの脚に矢が突き刺さる。
    「うぐう……っ」
     ジーンが倒れたところで、ミェーチの怒鳴る声がシェロに届いた。
    「シェロ! この場は吾輩が止める! お前はリディアを連れて外へ!」
    「陛下!」
     ミェーチは多数の兵士を連れ、ジーンを取り囲んだ。
    「お、俺も……」
     戻りかけたシェロを、ミェーチがもう一度怒鳴り付ける。
    「バカモン! その腕でどうにかできるのか!? 早くリディアに治してもらえ! そして直ちに逃げるのだ!」
    「逃げ、……そんなこと!」
    「吾輩らには抑えるので精一杯だ! 今、お前やリディアまで死ねば、一体誰が後に残ると言うのだ!?
     逃げるのだ、息子よ!」
    「……っ」
     それ以上何も言えず、シェロはその場から逃げ去った。



     シェロはリディアと、そして十数名の兵士らと共に、砦から脱出した。
    「……くそ……」
     リディアの術で治してもらった腕で手綱を握り、馬車で街道を駆ける最中、シェロは砦の方角を振り返り――砦のあちこちからごうごうと火柱が上がり、燃え盛っているのを確認した。
    「……ねえ、あなた」
     リディアが震える手で、シェロの袖を引く。
    「お父様は……無事ですよね?」
    「……」
     何も答えられず、シェロは黙り込むしか無かった。

    琥珀暁・遠望伝 終

    琥珀暁・遠望伝 6

    2020.06.21.[Edit]
    神様たちの話、第288話。希望は遠く、消え去るのか。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「う……うわあああっ!?」 おびただしい血を噴き出していた自分の右腕をようやく確認し、シェロは絶叫する。「どう……した? 貴様の言う通り、仕掛けてやった……ぞ」 まだボタボタと鼻血を流しつつも、ジーンはいつの間にか剣を抜いており、フラフラと立ち上がった。「て、てめっ、お、俺の、腕をっ」「どの道……貴様は、死ぬ運命だ...

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    神様たちの話、第289話。
    落ち延びて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     城下町、と言うと城のすぐ近くに形成される印象があるが、それは平和な時代の話である。いつ攻め込まれるか分からないこの暗黒の時代において、敵が優先的に攻撃目標にするような、そんな危険地帯に居を構えたがる民は――兵役に就いている者を除き――そうそうおらず、ミェーチ王国の城下町に当たるこの村も、砦から西北西へ20キロほど離れた川向いに築かれていた。
    「若、報告いたします」
     どうにかこの村に逃げ込んだシェロの元に、同様に逃げ延びてきた兵士たちから、襲撃の経緯が伝えられていた。
    「結論から申し上げますと、砦は陥落しました。殿は我々に逃げるよう命じ、最後まで戦っておられましたが、恐らく今はもう……」
    「そうか。……そうか」
     シェロは顔を覆い、もたれかかるように椅子に座り込んだ。
    「敵は何名いたんだ? まさか1人だけじゃないよな」
    「……1名です」
    「こんな時に冗談なんか聞きたくない。たった1人で陛下を討ち取り、多くの兵をなぶり殺しにし、その上砦を焼き討ちしたって言うのか?」
    「冗談でも、嘘でもございません。私も、他の者も、あの銀髪の男以外に敵を見た者はおりません。……その、銀髪の男に関して、もう一つ報告がございます」
    「なんだ?」
    「あの男が、自分でこう名乗っておりました。『余はレン・ジーン。帝国の最頂上に君臨する、天の星である』と」
    「……なんだと?」
     シェロは立ち上がり、兵士の襟をつかんだ。
    「ふざけてんのか!? いきなり敵の総大将が単騎で俺たちの砦に乗り込んで来てムチャクチャやりやがったって言うのかよ!?」
    「……そうで、あると、しか」
    「ぐっ……」
     シェロはふたたび座り込み、深いため息をついた。
    「ああ……、マジかよ? マジで一人で、乗り込んで来たってのか? 大体、防衛線が破られたなんて話も無いってのに、どうやって西山間部まで侵入してきたんだ?」
    「防衛線に駐留している者と『頭巾』での連絡を行ったところ、異常は見られなかったと。どの箇所も、問題無く機能していたそうです」
    「ああ、俺もそう聞いた。……怒鳴ったよ。『んなワケあるか』って」
    「私も、同じ気持ちです」
     と、そこへリディアがやって来る。
    「エリザ先生との連絡が終わりました」
    「そうか。……何て言ってた?」
    「『急いで向かう』と。今はオルトラ王国東部にいらっしゃるそうです。そちらからも兵士を集めて、こちらへ戻って来ていただけるとのことです」
    「分かった。……悪いな、お前にまでそんなことを頼んで」
     頭を下げるシェロに、リディアは首を横に振った。
    「今は大変な時ですもの。わたしにもできることがあれば、何でも言って下さい」
    「ああ。ありがとう、リディア」
     ひとまず危機を脱し、愛する者と会話を交わしたせいか、シェロの心も若干の落ち着きを取り戻す。
    「……よし、……じゃあ、まずは、……そうだな、防衛線ともう一度連絡を取ろう。こっちの混乱に乗じて攻め込まれるってコトは十分有り得るからな。まだ俺が残ってるコトを伝えれば、混乱も収まるだろう。……考えてみれば砦を襲ったのはむしろ、そのためなのかもな」
    「と申しますと?」
     けげんな表情を浮かべる兵士らに、シェロは細かく説明する。
    「今、帝国にとって重要なのは、防衛線の突破だ。アレがある以上、西山間部への再侵攻はできないからな。だからっていきなり防衛線を攻撃するのは、無謀もいいところだ。皇帝、……いや、ジーンは確かにムチャクチャ強かったけど、いくらなんでもあの防衛線を一人で破壊できるワケが無い。
     だけど機能させなくするってコトなら、指示を出すヤツを消しちまうだけで事足りる。だからこそ司令中枢である砦が襲われ、最高責任者である陛下が狙われたんだ」
    「でもそれだと、今度はあなたが狙われるんじゃないですか?」
     リディアの言葉に、シェロははっとする。
    「確かにな。うかつに動けば、今度は俺が、……か。だけどこのまま放っておけば防衛線の連中は混乱するだろう。そうなりゃいずれ突破される。指示は出さなきゃならない。
     だからその間に、俺たちは急いで先生と合流しよう。攻撃魔術の大家でもある先生と一緒にいれば、あんなヤツに不足を取るコトは絶対無い。当座の危機は、ソレで何とかしのげるはずだ」

    琥珀暁・夜騎伝 1

    2020.06.23.[Edit]
    神様たちの話、第289話。落ち延びて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 城下町、と言うと城のすぐ近くに形成される印象があるが、それは平和な時代の話である。いつ攻め込まれるか分からないこの暗黒の時代において、敵が優先的に攻撃目標にするような、そんな危険地帯に居を構えたがる民は――兵役に就いている者を除き――そうそうおらず、ミェーチ王国の城下町に当たるこの村も、砦から西北西へ20キロほど離れた川向...

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    神様たちの話、第290話。
    長い夜。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     既に日は落ちていたが、シェロたちは早急にエリザと合流すべく、村を出発した。
    「先生とは、どのくらいで落ち合えるのですか?」
     手綱を握る部下に尋ねられ、シェロは頭の中で計算を立てつつ答える。
    「そうだな……、連絡してからもう30分は経ってるし、先生がいたトコからココまでは普通に馬車を走らせて3時間ってトコだから、こっちとあっちが同じくらいの速度で進んでるとして、……まあ、1時間とちょっとってトコだろう」
    「それまでに襲撃されることは……」
     不安げな様子でつぶやくリディアに、シェロは首を横に振って見せる。
    「あるワケ無いさ。ヤツははるか後方だ。俺たちが村にいる間に迫ってきたって報告は無いし、村の横を通り過ぎて待ち構えてるなんてコトも、する意味が無い。んなコトやるなら村に直接乗り込めばいいんだからな。そのどっちも起こってないなら、ともかく前方に危険は無いってコトになる。
     不安になるのは分かる。分かるけど、気にしすぎってヤツだよ、リディア」
    「そう……ですよね」
     そう答えてはいたが、依然としてリディアの顔から不安の色は抜けていない。シェロは何か言って、彼女の気を紛らわせようかとも考えたものの――。
    (何て言やいいんだよ? 親父が死んだ直後だぜ? どんなコトを言ったって、俺じゃきっと、リディアを安心させられねえよ。……あーあ、マジにエリザ先生みたいな話術だとか、ものスゴい魔力だとか、そんな才能が俺にあったらいいのに。そのどっちかでも今日の俺に備わってたら――今、リディアにこんな顔させやしないし、そもそも義父は死ななかったかも知れない。
     悔しいぜ……。悔しくてたまんねえ。尉官に張り合ってた時なんかよりもっと、俺は力が欲しいよ。俺にもっと力があれば、こんなコトにならなかっただろうに)
     いくら考えを巡らせても、シェロの脳内には何一つ、楽天的な発想が浮かんでくるようなことは無かった。

     その時だった。
    「……ん?」
     馬車を引いていた馬2頭の、右にいた方が体を震わせて立ち止まる。
    「どうした?」
    「さあ……? おい、止まるな」
     御者台に座っていた兵士が手綱を繰るが、馬は立ち止まったまま、ぴくりとも動かない。それどころか、がくんと膝を着いてその場にうずくまってしまう。
     それにより、シェロたちは馬に起こったその異常に、ようやく気付くことができた。
    「うっ……!?」
    「く、くっ、首が……」
    「……無い!?」
     うずくまった馬の頭が、どこにも見当たらない。
    「……て、……敵襲! 敵襲だ!」
     シェロがいち早く立ち上がり、声を上げる。それに応じ、馬車の中にいた兵士たちが慌ただしく武器を取り始めた。
    「なるほど、手慣れておる。危急の際にも冷静であるな」
     と、馬車の外から声が響く。と同時に、兵士の一人の腹の中から、剣の切っ先が飛び出した。
    「は……うっ……」
     ずるんと剣先が消えると共に、その兵士の口と腹からおびただしい血が流れ出る。
    「だが、鈍(のろ)い。手を打つまでが致命的に遅い。そんな体たらくでは、余を討つなど絵空事も同然ぞ」
     兵士が倒れ、その後ろに空いた幌(ほろ)の穴からもう一度剣先が覗き、そのまま幌が縦に切り裂かれる。
     そこに現れたのは紛れも無く、レン・ジーンだった。
    「ど、どうして……?」
     状況について行けず、シェロはうめくようにつぶやく。それを受けて、ジーンが尋ね返す。
    「それは何についての問いだ? 馬車を襲ったことか? それとも余がここにいることか? 前者は答えるまでも無かろう。貴様らを逃がすつもりが余には無いからだ。後者についても、今更論じるまでもあるまい。余が全知全能の、天の星であるからだ」
    「あ……あなた……っ」
    「お、俺の後ろにいろ!」
     リディアをかばい、シェロが前に出る。それを見て、ジーンは薄い笑みをシェロに向けて来た。
    「それは貴様の女か? ケダモノを伴侶にするとは、下劣な趣味よの」
    「けだも……っ!?」
     自分の妻を罵られ、シェロは憤る。
    「てめえにそんなコトは言われたくねえなあ……! 20年、他人を散々面白半分にいたぶってきたヤツの方がよっぽど、ケダモノじゃねえかッ!」
    「皇帝たる余の所業が、お前のごとき小人に理解できるとは思うておらぬ。憤りをさえずりたくば好きなようにさえずるが良い。余は構わぬぞ」
     薄い笑いを浮かべたまま、ジーンはたった今刺し殺した兵士の首をつかみ、外へと放り投げる。
    「残りは1人と4匹か。さてさて、如何様に処してやろうか」
    「……させねえッ」
     ジーンの動きが止まったその一瞬の隙を突き――シェロはジーンに飛びかかった。

    琥珀暁・夜騎伝 2

    2020.06.24.[Edit]
    神様たちの話、第290話。長い夜。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 既に日は落ちていたが、シェロたちは早急にエリザと合流すべく、村を出発した。「先生とは、どのくらいで落ち合えるのですか?」 手綱を握る部下に尋ねられ、シェロは頭の中で計算を立てつつ答える。「そうだな……、連絡してからもう30分は経ってるし、先生がいたトコからココまでは普通に馬車を走らせて3時間ってトコだから、こっちとあっちが同...

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    神様たちの話、第291話。
    "Night" become "Knight"。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「あなた!?」「若!」
     妻や部下たちの声を背中に受けながら、シェロはジーンと共に馬車の外へと飛び出した。
    「行け! 俺に構わず逃げろ!」
     地面を転がりながら、シェロは馬車に向かって叫ぶ。
    「そ、そんな……」「俺が止める! 逃げるんだッ!」
     加勢しようとした部下に叫び返し、シェロは馬車を背にする形で立ち上がった。
    「き……さま」
     流石のジーンも、シェロが捨て身の行動に出るとは予想していなかったらしい。どうやら受け身も取れなかったらしく、よろよろとした仕草で立ち上がった。
    「余の玉体をこうまで傷付けた男は、貴様が初めてだぞ」
    「そりゃあ良かったな、クソが」
     シェロは剣を抜き、ジーンと対峙する。
    (……行ったか)
     その間に背後の気配を探り、馬車が動き出したことを確認する。
    「この屈辱、どうして晴らしてくれようか」
    「じゃあ俺は恨みを晴らしてやるよ。てめえのせいで俺は今日、大事な人や仲間を何十人も失ったんだからな」
    「取るに足らぬ。ケダモノの数十匹がどうだと言うのだ」
     ジーンも剣を構え直し、シェロとの距離を詰め始めた。
    「問おう。貴様は本当に、あのようなケダモノどもが、自分と同じヒトだと思っておるのか?」
    「思うさ」
     シェロもにじり寄りつつ、相手の出方を探る。
    「道具を使える、服も着てる、言葉を交わせる。コレだけアタマ使えるコトができて、てめえは耳や目の形が違うだの、尻尾が付いてるだのって理由だけで、あいつらが人間じゃないって言うのか?
     てめえのちっぽけな常識が世界の常識だと思ってんじゃねえぞ、カス野郎」
    「ヒトはそのわずかな違いこそが許容できぬ生き物だ」
     ジーンも出方を図っているらしく、構えたままで会話に応じてくる。
    「己の使う手が右か左か。己の食らう物が肉か魚か。己の着る服が布か革か――ヒトはそんな些末なことで一々、くだらぬ争いを繰り広げる生き物だ。争う限り、ヒトはまとまりはせぬ。であればどんな細かなことであれ、『差異』は取り除くべし。我が世の平和を築くためには、だ」
    「ソレがちっぽけだっつってんだよ」
     両者とも牽制し合い、円を描くように動いていたが、ここでシェロが一歩前に出る。
    「てめえはそのちょっとした趣味の違いとやらで人を殺すのか? 他の人間もみんなそうだってのか? 少なくとも俺の周りにそんなバカはいねえよ。ヒトは話し合う生き物だからな。ケンカするはるか手前で、どうすりゃいいかって話し合うのがマトモな人間だろ?
     左利きがいるんなら、どっちの手でも使える道具を作りゃいい。肉好きに魚を勧めたら、案外食うかも知れねえさ。布と革を合わせてみりゃ、イケてる服ができるかも知れねえ。ドレもコレも全部、意見が違う、趣味が違うってヤツらが話し合って、意見を出し合ってやるコトだ。
     てめえはソレをやらねえ。話し合う前に殺す。他人の意見を、いいや、他人そのものを顧みねえ。自分の常識が世界基準だと思ってる、ちっぽけなアホだからだ」
    「やはり貴様は、余の崇高たる考えを理解できぬ小人であるな。これ以上の会話は無為であろう」
     ジーンも一歩、前に踏み出す。その瞬間、シェロが強く踏み込み、一気に間合いを詰めた。
    「はあああッ!」
     大きく横薙ぎに振りかぶり、シェロはジーンの首を狙う――と見せかけた。
    (業を煮やして俺が飛び掛かってきた、……と思わせる)
     当然、ジーンは即応し、一歩引いて攻撃をかわす。と同時に剣を垂直に振り上げ、シェロの腹を狙ってくる。
    (ほらな、そう来た)
     その剣閃の一歩手前で右足を着き、シェロはぐるんと一回転する。
    「うぬ?」
     ジーンの剣は完全に空振りし、シェロの着ていたコートのフードを裂くに留まる。その間に一回転してきたシェロの剣が、ざく、とジーンのほおをかすめた。
    「おう……っ!?」
     反応したジーンに、シェロは舌打ちする。
    (コレも避けるってのか……どんな反射神経してんだよ、コイツ?)
     もう半回転したところで、シェロはばっと跳び、ジーンとの間合いを空ける。
    「ふむ……ふむ……そうか……くくくく」
     一方、ジーンはほおから流れた血を拭いもせず、薄い笑いを浮かべている。
    「思っていたよりしたたかな男よ。この余をたばかるとはな」
    「言ったろ? てめえはちっぽけなカスだってな」
     そう返し、シェロは剣を構え直した。

    琥珀暁・夜騎伝 3

    2020.06.25.[Edit]
    神様たちの話、第291話。"Night" become "Knight"。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「あなた!?」「若!」 妻や部下たちの声を背中に受けながら、シェロはジーンと共に馬車の外へと飛び出した。「行け! 俺に構わず逃げろ!」 地面を転がりながら、シェロは馬車に向かって叫ぶ。「そ、そんな……」「俺が止める! 逃げるんだッ!」 加勢しようとした部下に叫び返し、シェロは馬車を背にする形で立ち上がった。「...

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    神様たちの話、第292話。
    身を賭した一撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     相手をなじり、優位を取り繕おうとはしていたものの、シェロの内心には苦い思いがにじんでいた。
    (やり辛くなった……! 油断してる間に、初太刀で殺るつもりだったが)
     それでもシェロは、懸命に次の手を打つ。
    「そらよッ!」
    「食らうかッ!」
     シェロの予想通り、二太刀目はあっさり防がれ、間髪入れずにジーンの反撃が飛んで来る。
    「ぐ……っ」
     どうにか受けるも、剣に伝わるその感触から、シェロは己の攻撃の機会が狭められつつあることを察していた。
    (クソが……剣が欠けやがった! こっちは鉄製だってのに! 向こうで製鉄してるって話は聞いてねえぞ!?)
    「顔色が悪いぞ、海外人」
     シェロが感じた劣勢をジーンも気取ったらしく、薄い笑みを歪めてくる。
    「何か不都合でも生じたか?」
    「ヘッ」
     ジーンの問いには答えず、シェロはもう一度斬り掛かる。
    「先程より太刀筋に勢いが無いぞ。察するに剣が折れるか欠けるかしたようだな」
     ばきん、と音を立て、ジーンはシェロの剣を叩き折った。
    「う……っ」
     真っ二つになり、元の半分以下になってしまった剣を見て、シェロは状況が絶望的になったことを悟った。
    「剣が無くては最早、余を討つ機はあるまい。万策尽きたな」
    「……」
     シェロは剣を捨て、懐から短剣を取り出す。
    「まだだ。まだ、手は残ってる」
    「無駄なあがきだ」
     明らかに興が冷めたような顔をし、ジーンはシェロとの間合いを詰める。
    「これで決着だ、海外人」
     どす、とシェロの胸をジーンの剣が貫き、シェロの動きが止まる。
    「か……は……」
     が――シェロの意識はまだ、辛うじて保たれていた。
    (……よっ……しゃ……来やがった……!)
     力を振り絞り、シェロは握っていた短剣をジーンの胸に刺した。
    「うあ……!?」
     ばっと体を離し、ジーンは己の胸に突き立てられた短剣をつかむ。
    「き……きさ……まっ……」
    「……や……った……ぜ……」
     シェロはがくんと膝を着き、その場に座り込む。
    「うぐ……ぐ……ぐっ……ふぐっ……」
     ジーンは慌てた様子で短剣を胸から抜くが、途端に鮮血が地面に降り注ぐ。
    「ごば……っ」
     口からも大量に吐血し、ジーンも倒れる。
    「貴様……まさか……相討ちを……!」
    「……へっ……へへ……」
     既に意識がかすみ始めていたが、シェロは笑い声を絞り出した。
    「何故だ……何故……貴様は……そうまで……!?」
    「……だから……だ……」
     自分の中から力が抜けて行くのを無理矢理押し留めながら、シェロは最期に吐き捨てた。
    「……てめえと違って……俺は人間だからだ……好きなヤツの……ために……なんか……しなきゃ……って……思うのが……」
     台詞を吐き切るまでには息が続かなかったが――意識が消えゆくその瞬間、シェロは満足感を抱いていた。

     2つの血溜まりの中、両者とも、ぴくりとも動かない。どちらも事切れているのは明らかだった。
     いや――。
    「起きろ、レン」
    「……」
     うつ伏せに倒れている方に、一つの黒い影が近付く。
    「胸を刺された程度で、『御子』たるお前が死ぬはずもあるまい。起きろ、レン」
    「……あ……るか」
     びくん、と体を震わせ、血溜まりの中から起き上がる。
    「……すまぬ……不覚を取った」
     ふらふらと立ち上がったジーンは、傍らの黒いフードに向き直る。
    「まさかこの小童に、こうまでしてやられるとはな」
    「精進することだ。二度は許さんぞ」
    「承知しておるわ」
     ジーンは穴の空いた血まみれのシャツを破り、己の胸を確かめる。
    「うむ……痕も残らず塞がっておる。貴様にはつくづく感謝せねばならぬようだな、アル」
    「その意を示すのであれば、覇業を全うすることだ」
    「うむ」
     ジーンはフードの男、アルから替えのシャツを受け取りつつ、もう一つの血溜まりに目を向ける。
    「敵ながら見事な男であった。余は特別の敬意を向けてやろう。貴様には……」
     シャツを着終えたジーンはその亡骸に近付き――剣を振り上げた。
    「我が帝都を見渡す名誉をくれてやる! その首一つで余の栄華を、心ゆくまで味わうが良いッ!」



     翌日より、帝国首都フェルタイルの宮殿前広場に敵将シェロ・ナイトマンの首と、ジーンの剣を突き立てられたままの体が並んで置かれた。
     寒冷地であるためその首と体とが腐り切るまでに十数日を要し、その十数日に渡って群衆の目と風雨に晒され、徹底的に辱められることとなった。

    琥珀暁・夜騎伝 4

    2020.06.26.[Edit]
    神様たちの話、第292話。身を賭した一撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 相手をなじり、優位を取り繕おうとはしていたものの、シェロの内心には苦い思いがにじんでいた。(やり辛くなった……! 油断してる間に、初太刀で殺るつもりだったが) それでもシェロは、懸命に次の手を打つ。「そらよッ!」「食らうかッ!」 シェロの予想通り、二太刀目はあっさり防がれ、間髪入れずにジーンの反撃が飛んで来る。「ぐ……...

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    神様たちの話、第293話。
    一縷の望み。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     シェロがリディアたちをジーンから逃がした、その30分ほど後――。
    「おっ……? アレ、ミェーチさんトコの子らやないか?」
     リディアの連絡を受け、街道を引き返していたエリザたちは、彼女らと合流することができた。そして聡明なエリザは、幌が破られボロボロになった馬車と、その大きさの割に馬が1頭しかいないことから、彼女らの身に何が起こったかを察した。
    「シェロくんは?」
     尋ねたエリザに、兵士たちの一人が答える。
    「若は、……皇帝から我々を逃がすために、一人で残られ……」
    「……そうかー」
     エリザは馬車の中に目をやり、リディアが真っ青な顔で震えているのを確認してから、兵士たちと周りの者にてきぱきと指示を送った。
    「みんなアタシの馬車に乗り。アンタらの馬車はココら辺に放っとき。残った馬はアタシの馬車につないで。イサクくん、お茶4人分出して。ロウくんも毛布出したってや。リディアちゃん、立てそうか?」
    「は、はい」
    「気分は? や、そら悪いやろけど、吐きそうとかお腹痛いとか、そんな感じはあるか?」
    「いえ、大丈夫です」
    「ほんならこっち来て」
    「はい」
     リディアはエリザの手を取って馬車を降り、彼女に引かれるまま歩き出す。
    「しっかりしいや」
     うつろな目をしていたリディアに、エリザが声をかける。
    「一日で、いや、半日もせん内の間に色んなコトが起こって、アタマん中ぐわんぐわんなっとるやろけどな、アンタが今しっかりせな、お腹の子が危ななるで」
    「はい」
    「少なくともな、アタシがおる今なら何も不安になるコトはあらへん。ソレはアタシが保証したる。安心し」
    「……はい」
     エリザはリディアの肩に手を置き、もう一言付け加えた。
    「今は何も考えんとき。考えそうになったらアタシに声を掛け。気ぃ紛らわすくらいのコトやったらなんぼでもしたるから」
    「……ありがとうございます」

     エリザは元々泊まっていた町までリディアたちを送り、手早く手配と情報収集を進めた。
    「ロウくん、ご飯もん買うて来て。全員分やで。……うん、うん、やっぱりソイツ、皇帝さんや言うてたんやね。……アンタは新しい馬の調達よろしゅう。カネは言い値で構へん。……そうか、防衛線は異状無し、と。……ほんでユーリくん、宿屋さんに予約の変更伝えといて。で、リディアちゃんらはしばらく逗留するように言うとってな」
     と、宿について指示された丁稚がきょとんとする。
    「ミェーチさんはここに残すんですか?」
    「身重の子やで? しかもダンナとお父さんがついさっき殺されたところやし、どんだけショック受けとるか。ココから沿岸部までの道のり考えたら、無理矢理連れてくよりココで安静にさせといた方がええやろ」
    「分かりました」
    「……あー、と」
     宿の受付に向かいかけた丁稚の手を引き、エリザはこう付け加えた。
    「アタシらはこのまま沿岸部向かうけど、アンタはココに残っといてくれへん?」
    「俺ですか?」
    「2個な、気になるコトもあるし。このまんまリディアちゃんを放っとく言うのんも具合悪いやろ? どんな様子か、一日一回『頭巾』で連絡よこして欲しいんよ」
    「あ、なるほど」
    「後もいっこは、言うたら『監視』やね。一応な、リディアちゃんにもゼロさんやらゲートやらとお話さしたコトがあるし、向こうと連絡しようと思えばできるねん。リディアちゃんも心細うなっとるやろし、アタシがいなくなった後で、もしかしたら連絡するかも分からんしな。でも下手にこの現状を知らせたら、ちょとまずいコトになるかも分からへんやろ?」
    「ああ……そっちの王様が神経質になってるって言ってたヤツですか」
    「せや。正直、ゼロさんがどんな行動に出ようとするかは読み切れんし、過敏に反応して全軍引き上げみたいなコトを言い出すかも分からん。そんなんされたら撤回させるにしても無視するにしても、後々困ったコトになるやろし。そんなめんどいコトになる前に、連絡自体させへんようにしとった方がええやろ」
    「じゃあ、俺がずっと見張ってる感じですか」
    「や、ソレはアカンやろ。リディアちゃんも嫌がるやろし。隣部屋で『フォースオフ』くらいでええやろ」
    「え? でもそれだと、女将さんへの連絡も……」
    「ほら、昼くらいに話しとったやん? 正午だけグリーンプールからの連絡受ける、て。その後くらいに連絡くれれば問題無いやろ」
    「了解っす」
    「頼んだで」



     こうして密かに連絡遮断を仕込んだ上でリディアを西山間部に残し、エリザは沿岸部へと戻って行ったが――このことがエリザと、そして遠征隊全軍に、思わぬ幸運をもたらすこととなった。

    琥珀暁・夜騎伝 終

    琥珀暁・夜騎伝 5

    2020.06.27.[Edit]
    神様たちの話、第293話。一縷の望み。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. シェロがリディアたちをジーンから逃がした、その30分ほど後――。「おっ……? アレ、ミェーチさんトコの子らやないか?」 リディアの連絡を受け、街道を引き返していたエリザたちは、彼女らと合流することができた。そして聡明なエリザは、幌が破られボロボロになった馬車と、その大きさの割に馬が1頭しかいないことから、彼女らの身に何が起...

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    神様たちの話、第294話。
    騒ぐ遠征隊。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     大急ぎで沿岸部、グリーンプールに戻って来たエリザたち一行を、兵士たちが出迎えた。
    「お、ご苦労さん」
     会釈しつつ、エリザは彼らの表情を見定める。
    (ビートくんの話聞いてからもう1週間ちょい経っとるし、トップの仲違いは下にももう伝わっとる頃や。となると下の人間が出る行動は3つ。混乱をきたして解決策――ま、アタシやな――が現れるまでまごついて困った顔しとるか、自分たちだけでも平静を繕おうとして疲れ切った顔しとるか、さもなくば……)
     と、兵士たちは意を決したような表情をエリザに向け、彼女が予測していた3つ目の行動に出た。
    「先生! 先生はどちらに付くのですか!?」
    「なんて?」
    「ご存知では無いかも知れませんが、今現在、遠征隊はシモン隊長派とタイムズ殿下派に分かれて対立しております! 直接の戦闘こそ起きてはおりませんが、それもまもなくのことではないかと……」「あー、と」
     エリザはにこっと笑みを返し、やんわりとさえぎった。
    「疲れとるんよ。ゴメンけど通してくれるか?」
    「す、すみません! ですが今、城の方へ向かうとなると、ご自分の立場をはっきりさせねばかえって危険ではないかと……」「なあ」
     なお話を続けようとする兵士に、今度はやや強めの語調で諭す。
    「アタシ疲れとる言うたやんな? そんな大事なコトをぼんやりしたアタマで聞いて、ハキハキっと答えられると思うか? よしんば答えたとして、ソレがちゃんとした理屈の上で出て来た、マトモな答えやと思うか? 今聞いてもろくなコトにならんで」
    「お、仰ることは理解できますが、しかし……」「ほんでな、アンタ」
     それでもまだ話を続けようとしたので、エリザはばっさりと言い切った。
    「その話、アタシの身が危険やなんや言うとったけど、アタシの心配して切り出したんや無いやろ? アタシがどっちに付くかで自分もそっち付こかと思てるんやろ? アタシが乗っかった側が安全やろと、そらみんな思うやろしな」
    「あ、う……」
     どうやら図星だったらしく、兵士はようやく口をつぐんだ。
    「ほな行くわ。変な気は起こさんようにな。後で恥かくで」
    「……りょ、了解です」
     敬礼し、それ以上しゃべらなくなった兵士に背を向け、エリザはそのまま丁稚を伴って城へと向かった。

     エリザが戻って来たことはすぐに兵士たちの間に伝わり、彼らは城の周りに集まって来ていた。
    「先生!」
    「お帰りなさい!」
    「お待ちしておりました!」
    「あー、はいはいはいはい、ただいま」
     居並ぶ兵士たちにぺらぺらと手を振りつつ、エリザは釘を差した。
    「アンタらもどっち派とか言うとるクチか? 言うとくけどな、そんなもんアタシが真面目に考えると思とるんか?」
    「えっ? ……い、いや、しかし」
    「その辺のしょうもない話は今、この場で忘れよし。アタシが何とかしたるさかいな。分かったか?」
    「しょ、承知しました」
    「分かったら持ち場に戻り。街の人が心配しよるで」
    「はっ、はい!」
     敬礼し、応じたものの、兵士たちの大半がまだ、その場から動こうとしない。
    (……あーっ、しょうもな!)
     白けた思いを懐きつつ、エリザは城の中に入り、中庭まで進んだ。
    「あー……、コホン」
     中庭の中央で立ち止まり、エリザは奥へ呼びかけた。
    「ハンくーん、クーちゃーん、ちょっとこっち来てんかー」
     日中の、騒然としているはずの城の中に、エリザの声がこだまする。しかし返事が無く、エリザはもう一度呼びかけた。
    「早よ来てやー。アタシがどんな回答するか、アンタら気ぃ揉んどるはずやろー? 聞こえてへんはずも無いよなー? アタシが帰って来たっちゅう話はもう伝わっとるはずやしなー? 近いトコで様子見とるはずやんなー?」
     と、ようやく中庭に、ハンとクー、そしてクーの後ろにマリアが付く形で現れた。
    「ただいまー」
     やって来た3人にエリザはぺら、と手を振るが、3人とも硬い表情を崩さず、応じない。そのまま対峙していたが、やがてハンが口を開いた。
    「エリザさん。既に聞き及んでいるでしょうが、現在この城、いえ、遠征隊は俺とそっちの2人とで対立した状況にあります。これは明らかな軍規違反、反逆行為です。俺に付くのが道理と言うものでしょう」
    「わたくしはそうは存じませんわね」
     クーが口を挟む。
    「あなたが統率能力を喪失していることは明白ですもの。この状況を看過すれば遠征隊の崩壊は目に見えております。であれば実力行使を伴ってでも、正しい状況に戻す努力をいたすべきであると、わたくしは存じます」
    「いい加減にしろ。俺が無能だと言うのか? 君こそ子供じみた勝手なわがままで、全軍を振り回す攪乱者だ」
    「その言葉、そっくりあなたにお返しいたします。あなたこそ勝手な理屈で皆に多大な迷惑をかける恥知らずですわ」
    「なんだと……!?」
     途端に喧嘩し始めた二人に、エリザがやんわりと、しかし強い語調で割って入った。
    「アンタら、ソコまでにしとき。相手とやいやい言うためにココに集まって来たワケやないわな? アタシから答えを聞きたいんやろ? 違うか?」
    「……ええ。はっきりとお願いします」
    「どうぞ、エリザさん」
     両者が静まったところで、エリザはハンの前に歩み出て、手を差し出した。
    「……!」
     クーが信じられない、と言いたげな顔をしたが、エリザは構うことなく――その手をハンの右ほおに叩き付けた。

    琥珀暁・内乱伝 1

    2020.06.29.[Edit]
    神様たちの話、第294話。騒ぐ遠征隊。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 大急ぎで沿岸部、グリーンプールに戻って来たエリザたち一行を、兵士たちが出迎えた。「お、ご苦労さん」 会釈しつつ、エリザは彼らの表情を見定める。(ビートくんの話聞いてからもう1週間ちょい経っとるし、トップの仲違いは下にももう伝わっとる頃や。となると下の人間が出る行動は3つ。混乱をきたして解決策――ま、アタシやな――が現れるま...

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    神様たちの話、第295話。
    おかんの両成敗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ばっちん、と乾いた音が中庭にこだまする。
    「う……っ」
     一瞬前まで得意げだったハンの表情が、愕然としたものに変わる。
    「な、何故です?」
     ほおを押さえ、尋ねるハンに構わず、エリザはくるんと踵を返してクーの方へと歩く。
    「ありがとうございま……」
     頭を下げかけたクーの横をすり抜け、エリザは彼女の背後にいたマリアのすぐ前に立つ。
    「え?」
     きょとんとするマリアにも、エリザは平手を見舞った。
    「ひゃっ……!?」
    「え? えっ?」
     頭を下げかけた姿勢のまま硬直したクーに向き直り、エリザは彼女のあごを右手でつかんだ。
    「アンタもや」
    「え、ちょ、あっ」
     目を白黒させるクーのひたいに、エリザはデコピンを放った。
    「きゃ……っ」
     3人揃って自分の顔を押さえたところで、エリザは大声で怒鳴りつけた。
    「アンタらこんなしょうもないコトで皆に迷惑かけんなや! 大概にせえや、大概に!」
    「う……」
    「アタシがどっちに付く、どっちの味方するとか、そんなアタマ悪いコトやってくれるて、アンタら本気で思うとったんか!? はーっ、しょうもな! そんな子供のケンカに真面目に付き合うと思うんか!? 『お母ちゃーん、あの子がいじめよんねん、うぇーん』て泣き付いたら、アタシがアタマ撫でて味方してくれるとでも思てたんか! アンタらええトシこいた大人やろが! しかも隊長や、お姫様やとお偉い肩書き持った人間やろ!? ソレがなんや、向こうが悪いー、こっちは絶対間違ってませーんて、アタマの悪いケンカしくさりよって! しかもソレを軍規攪乱やの統率の乱れやの、もっともらしいコト抜かして正当化しようと、皆巻き込んでこんな大騒ぎしよって!
     ええか、はっきり言うたる! アンタらのやっとるコトはただのケンカや! そんなもんにアタシが真面目な顔してどっちの側に付く、どっちの側を支持するて言うてくれると、本気で思とったんか!? アホちゃうかッ!」
    「……」
     揃ってうつむき、黙り込んだ3人に背を向け、エリザは丁稚たちに命じた。
    「ロウくん、机と椅子持って来て。アタシとこの3人の分な。イワンくん、お茶とお菓子持って来て。あと……」
     エリザは辺りを見回しつつ、声をかけた。
    「ビートくーん、おるかー? ちょとこっち来てー」
    「……はい」
     どこからかビートが現れ、エリザの側に来る。
    「大変やったね。ありがとさん」
    「いえ、先生のためであれば」
    「ど……どう言うことだ? ビート、お前は一体どこで、何を……?」
     うつろな目をして尋ねたハンに、エリザが代わりに答えた。
    「今回のケンカで自分の側を正当化しようと思たら、アタシを味方に付けるか、さもなくばゼロさんを味方に付けるかしか無いわな。となればどっちかに『魔術頭巾』で連絡取ろうとするやろな、っちゅうコトくらいは想像できる。
     ただ、下手に話通してゼロさんの怒りを買ったら元も子も無い。普段の冷静なアンタらやったらソレくらいは考えるやろけど、にらみ合って何日も経ったら、理屈より感情が前に出てまうやろうからな。いっぺん、連絡取ろうとしたやろ?」
    「な、何故それを、……いや、そう、ですね。エリザさんなら、思い当たってしかるべき話でしょうね」
     素直にうなずいたハンに、マリアも続く。
    「あたしたちもです。てっきり、尉官側の工作と思ってたんですが……」
    「はっきり分かったやろ?」
     そう尋ねたエリザの意図が読めないらしく、ハンも、クーたちもきょとんとする。それを受けて、エリザはこう続けた。
    「アンタらがどんだけしょうもないコトでアタマ一杯になっとったかが、や。アタシの工作やと、コレっぽっちも思うてへんかったコトがええ証拠や」
    「……どうやら、そうですね」
     辛うじてハンがそう答え、うなだれたところで、丁稚たちが席の準備を終えた。

    琥珀暁・内乱伝 2

    2020.06.30.[Edit]
    神様たちの話、第295話。おかんの両成敗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ばっちん、と乾いた音が中庭にこだまする。「う……っ」 一瞬前まで得意げだったハンの表情が、愕然としたものに変わる。「な、何故です?」 ほおを押さえ、尋ねるハンに構わず、エリザはくるんと踵を返してクーの方へと歩く。「ありがとうございま……」 頭を下げかけたクーの横をすり抜け、エリザは彼女の背後にいたマリアのすぐ前に立つ。...

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    神様たちの話、第296話。
    みにくいあらそい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ハンとクーがメリーを巡るいさかいを起こしたその日から、遠征隊全軍を巻き込む騒動は幕を開けた。
    「ハンニバル・シモンは現在錯乱状態にあり、到底軍務を全うできる状態にはございません! にもかかわらず職を辞さないばかりか、職権を濫用して遠征隊を私物化しようと画策しています! このままでは隊の本懐、所期の目的である北方との友好関係を築くどころか、我々がこの北方にとって悪逆非道の輩として認識されることとなり、お父様、いいえ、ゼロ・タイムズ陛下の顔に泥を塗るような自体にも発展いたしかねません! ひいては実力行使を以てハンニバル・シモンを隊長の座から引き下ろし、隊の状態を正常なものに戻すべきです!」
     クーはマリアを伴って城の中を周り、賛同者を募っていた。一方、ハンも隊の瓦解を防ぐべく、クーへの非難も構わず弁舌を奮っていた。
    「またあのお姫様が自分勝手なことをしているようだが、これは言うまでも無く越権行為、彼女の裁量では許されざる行動だ。決して耳を貸すな。彼女に加担すれば間違い無く服務規程違反をはじめとする、数々の罪が問われるだろう。帰郷すれば直ちに軍法会議にかけられ、決して軽くないであろう刑に処されることは明らかだ。彼女自身にしても、彼女が陛下の娘だからと言って恩赦が認められるようなことは、陛下の清廉潔白な心情からすればまず、有り得ない処置だ。彼女も含め、全員が公明正大な判断の下、等しく罰を受けることになるだろう。そうなりたくなければ、今まで通りに俺の側に付くことを強く勧める。いや、これは命令だ。決して彼女に協力するんじゃない」
     ハンのこの一方的な主張も当然、クーたちの側に伝わり、それを受けてさらに罵り合いを重ねるうち、両者の対立は次第に激化していった。
     無論、両者とも「ええトシこいた」大人であり、どちらも相手に面と向かって罵ったり、直接攻撃を加えたりするようなことはしなかったものの、城内・街中問わず、自分たちの正当性と相手の不当性を喧伝することに躍起になっており、街の空気は瞬く間に、険悪で陰鬱な色に染まっていった。
    (うわー……なんか大事になってきてる)
     この間、ビートは両者のどちらにも与せず、のらりくらりと逃げ回りつつ、エリザからの指示を忠実に守っていた。
    (あ、……と、正午になる。解除、解除、と)
     街のあちこちに仕掛けておいた魔法陣を一斉解除し、ビートはエリザに連絡を取る。
    「『トランスワード:エリザ』、……どうも、ビートです。……ええ、はい。先生の仰っていた通りになってきてます。……やっぱりシェロの件は確かですか。……ええ、分かってます。勿論、どちらにも伝えません。妨害に気付かれたら、僕の立場も危なくなりますし。……はい、……はい、了解です。はい、……はい」
     通信を終えてすぐ、ビートは魔法陣を再起動させた。

     対立から3日、4日と経過し、ビートと、そしてエリザの予想した通り、どちらからともなく通信を行ったものの――。
    「つながらないんですか?」
    「ええ。まったく反応がございません」
    「クーちゃんの調子の問題ですか? それとも、向こうで何かあったとか?」
     尋ねたマリアに、クーは忌々しげな表情を向ける。
    「恐らく、妨害術を仕掛けられておりますわね。言うまでもなく、ハンの仕業でしょう」
    「あー……、でしょうね。陛下がクーちゃんから今の状況聞かされたら、絶対陛下、尉官を更迭するでしょうしね。先生にしたって、こんな状況で尉官の肩持ったりしないでしょうし」
    「まったく、あの方はどこまで陰険なのかしら! こんな姑息な根回しまでして、自分の地位を保とうとされるなんて!」
    「本当ですよねー」
     なお――当然ながらハンの側でも通信妨害に気付いており、同様にクーへの非難を吐いている。
     両者とも、この妨害が他ならぬエリザの仕業であるなどとは夢にも思わず、エリザが帰還するまでの一週間余りを、醜い内輪揉めに費やしていた。



    「アンタらアホちゃうか、ホンマに」
     その連日に渡る愚行をエリザに手厳しく叱咤され、当事者三人は揃ってうつむくしかなかった。

    琥珀暁・内乱伝 3

    2020.07.01.[Edit]
    神様たちの話、第296話。みにくいあらそい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ハンとクーがメリーを巡るいさかいを起こしたその日から、遠征隊全軍を巻き込む騒動は幕を開けた。「ハンニバル・シモンは現在錯乱状態にあり、到底軍務を全うできる状態にはございません! にもかかわらず職を辞さないばかりか、職権を濫用して遠征隊を私物化しようと画策しています! このままでは隊の本懐、所期の目的である北方との...

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    神様たちの話、第297話。
    エリザの事情聴取。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ともかくや」
     ハンたち三人を黙らせたところで、エリザは静かに尋ねた。
    「今めっちゃめちゃ大事な用件がいっこあるけども、こっちの問題をどうにかせな、その話するどころやないからな。いっぺん、きっちりハラ割って話しよか。事の発端はそもそも何やねんな?」
    「それは……」
     言い淀むハンに対し、クーははっきりと答える。
    「メリーの件ですわ。この方、メリーをあちこちに連れ回すばかりでなく、自分の伴侶にしようとお考えのようです。本人の了承無く」
    「い、いや、そこまでは」
    「ほな、ドコまでがホンマや?」
     尋ねたエリザに、ハンは困った顔を向ける。それを見て、エリザはようやくにこっと笑みを向けた。
    「いや、別に責め立てるつもりはあらへんよ。長い付き合いやからな、アンタが相手の返事無しに結婚するもんと決め付けるような、アタマおかしいコトするとは思てへん。流石にアンタは、そんなクズとちゃう。ソレは十分分かっとる。その上で、アンタはドコまで考えとったか。ソレを聞きたいねん」
    「そうですね、……その、一部は、彼女の言った通りでしょう」
     言葉を濁しかけたハンを、今度はにらみつける。
    「はっきり言い。まず、あっちこっち連れ回したっちゅうのんは? 任務名目で付き合わせたっちゅうコトか?」
    「それは、ええ、確かに、はい」
    「で、アンタはホンマに結婚したいと思てるん?」
    「それは、……それは、その」
    「はっきり言えへんか? いや、責めてるんやないで。なんちゅうたらええかな、ソレ、自分でも本気でそう思っとったんか、ソレとも周りにやいやい言われてムキになってきとったせいか、判断付かへんっちゅう感じか?」
     そう言われて、ハンははっとしたような顔をした。
    「……確かに、その、後者の指摘に、当てはまると思います。……ええ、強情を張ってしまった点は、少なからずあります」
    「やろなぁ。うまいコト相談もでけへんまま、アタマん中でこじれてしもたんやな。ま、アンタの気持ちはソレでよお分かったわ。で、次はクーちゃんの方やけども」
    「は、はい」
    「メリーちゃんの気持ちをくんでやっとったっちゅうようなコトを言って回っとったみたいやけど、ホンマにか?」
    「ええ、間違いございません。わたくしはメリーのためを思って……」「ほんならや」
     クーの主張をさえぎり、エリザはやんわりとした口調を作って尋ねる。
    「今、メリーちゃんドコにおるんか、当然分かるやんな? アンタの主張が正しいとすれば、放っといたらハンくんに言い寄られて何やかんやされてまうっちゅう可能性も大アリやもんな。ほんなら安全なトコにかくまっとくくらいのコトは、ホンマにあの娘のコトを考えとるんやったら、してるはずやもんなぁ?」
    「あ……、と」
    「で、ドコにおるん? アンタの部屋か? ソレともマリアちゃんトコか?」
    「えっと、その……」
     口ごもるクーに、エリザは依然やんわりと、しかしトゲのある言い方で追求する。
    「まさかなー、知らんっちゅうコトはあらへんよなー? まさかまさか、ハンくんの非難に躍起になるあまり、すっかりメリーちゃんのコトを忘れとったなんてはしたないコト、お姫サマがやるワケ無いもんなー? ほんで、ドコにいはるん?」
    「……そ、その、あの、ですね」
    「あら? ホンマのホンマにアンタ、メリーちゃんのコト放っぽってたんか? まさかなぁ? ま・さ・か・や・ん・なぁ!?」
    「……ご、ごめんなさい」
    「いや、ゴメンなんか聞きたないねん。アタシが聞いとるんは、ドコにおるかっちゅうコトや。どないやねんな?」
     次第に丸みが消えていくエリザの語勢に、クーは泣きそうな顔になる。
    「……わ、……分かり、ません」
    「ホンマにか? アンタ、メリーちゃんのためにこんな大騒ぎしとったんやないのんか? そんな大義名分吐いといて、その中心の人間のコト、今の今までコロっと忘れとったっちゅうんか?」
    「……ご、ごめ」「ゴメンなんか聞きたないねん! 謝って自分勝手に話終わらそうとすな!」
     バン、とエリザはテーブルを叩く。
    「ひっ……」
    「ほんならアンタはメリーちゃんのために、人のためにやったって言いながら、結局自分のワガママ通そうとしとっただけやっちゅうんやな!? ソレでどんだけの人間に迷惑かかっとるか、分からへんのか!?」
    「……うっ、う……」
     ついにクーはうつむき、顔を両手で覆って泣き出してしまった。その縮こまった姿を見て、エリザはため息を付く。
    「はあ……。もうええ、部屋に帰り。アンタから聞くコトはもうあらへんから。反省しいや」
    「……グス……グス……ひっく……」
     エリザに退席の許可を得たが、クーはまだ椅子に固まったままである。見かねて、エリザは傍らのロウを手招きした。
    「ロウくん、クーちゃんを部屋に送ってもろてええか?」
    「うっス」
     ロウに手を引かれるまま、クーはその場から立ち去った。

    琥珀暁・内乱伝 4

    2020.07.02.[Edit]
    神様たちの話、第297話。エリザの事情聴取。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ともかくや」 ハンたち三人を黙らせたところで、エリザは静かに尋ねた。「今めっちゃめちゃ大事な用件がいっこあるけども、こっちの問題をどうにかせな、その話するどころやないからな。いっぺん、きっちりハラ割って話しよか。事の発端はそもそも何やねんな?」「それは……」 言い淀むハンに対し、クーははっきりと答える。「メリーの件...

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    神様たちの話、第298話。
    四者四様、思いは絡んで。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「で、マリアちゃんやけども」
     クーが去ったところで、エリザは残ったマリアに尋ねる。
    「ドコまで計算しとった?」
    「え?」
    「クーちゃんに付いとったくせに、あの娘にメリーちゃんの話いっこもせえへんかったんは、わざとやろ?」
    「あー……、はい。言いませんでした」
     マリアはばつが悪そうな顔をして、素直に白状した。
    「せやろな。アンタはそーゆートコにはよお気が付く娘やし。ほんで、言わへんかった理由は、どうせハンくんの出方を見たいとか、その辺のコトやろ?」
    「はい」
    「どう言うことだ?」
     尋ねたハンに、エリザが答える。
    「アンタが本気でメリーちゃん口説こうとするんやったら、クーちゃんからどんだけののしられようと実行するわな。でもこの1週間、せえへんかったみたいやし――ハンくんが保護しとったんやったら、クーちゃん側がソレ察知してへんワケが無いからな――本気っぽさが無いな、っちゅうコトくらいは読めたワケや。
     その上でマリアちゃんは、この騒動の収め方も図っとったやろ?」
    「はい。あたしの考えとしては、エリザさんが帰って来たら多分、尉官に味方するだろうなーって。そしたら尉官の側が正しいって見られるじゃないですか。その辺りで、あたしがクーちゃんを説得する形で仲直りさせようかなって」
    「ソコでもしアタシがクーちゃんの肩持っとったら、アンタは孤立したハンくんに『メリーちゃんとは本気で付き合いたいと思てへんのやろ』、『素直にクーちゃんに謝ったら許してもらえるで』みたいなコト言って説得する、と」
    「そのつもりでした。……まさか尉官もあたしも、揃ってビンタされるとは思ってませんでしたけど」
    「そらな。仮にアタシがどっちかに付いたら、もう一方がものすごい困るやろ? 少なくとも対等、公平な関係ではなくなってまう。『負い目』がでけた後でお付き合いやなんや言い出したところで、ソレは片っぽがもう一方を縛り付けるだけになるわ。ソレはアンタも望んでへんかったやろ?」
    「そうですね。……エリザさんには敵いませんね、ホントに」
     ぺろっと舌を出したマリアに、エリザは笑みを浮かべつつ、フン、と鼻を鳴らして返した。
    「ま、ともかくや」
     エリザはハンに向き直り、こう尋ねた。
    「もっかい確認するけども、アンタ、メリーちゃんと付き合う気無いやろ? 前にソレっぽいコト言うてたけど」
    「……そうですね。改めて思い返してみれば、そんな気持ちとは、全く違います」
    「周りがやいやい言うてたせいで、『うるさいなー、ほんならコイツと付き合うから』みたいに、意地になってしもたっちゅうワケやな。ま、その点に関してはアタシも謝るわ。ホンマ、グイグイやりすぎてしもたみたいやな。ゴメンなぁ、ハンくん」
    「いえ、そんな……」「ほんでや」
     エリザはテーブルに身を乗り出し、ハンに詰め寄る。
    「アンタがホンマに付き合いたいんは、結局誰やねんな? ソコがはっきりせな、またこう言うしょうもない騒ぎが起こるで」
    「う……」
     苦い顔をするハンに、エリザは畳み掛けた。
    「先に言うとくけどもな、この期に及んでまだ、『誰とも付き合う気はありません』なんて強情張ろうとすなよ? ホンマに最初からそんなつもりやったらそもそも、今回の騒ぎなんか起こらんからな。『メリーと付き合う? んなワケあらへんやないか』であしらったらおしまいなんやからな。その気があるからこんだけこじれたワケやし」
    「しかし、その」
    「ええトシした大人が惚れた腫れたを言い辛いなんてコトあるか? ソレともアレか?」
     エリザはハンの顔をじっと見つめ、こう続けた。
    「『今の今までケンカしとった相手に今更、やっぱり君だったなんて言い辛い』っちゅうコトか?」
    「……!」
     再度、はっとした顔をするハンを見て、エリザはふう、と息を吐いた。
    「アンタはその変なプライド、どうにかでけへんのんか? 今のうちどうにかせな、コレから先もしんどい思いするで?」
    「……猛省します」
     頭を下げるハンに、エリザは肩をすくめる。
    「クーちゃんにも言うたやんか。ゴメンで話をおしまいにせんといてや。コレからアンタが何するんか、言うてくれな。ソレが『話し合い』っちゅうもんやんか」
    「そう……ですね」
     ハンはしばらく顔を伏せ、黙っていたが、やがて意を決したように顔を挙げた。
    「俺は……」

     その瞬間――3人が座っていたテーブルの上に突然、銀髪の男が現れた。

    琥珀暁・内乱伝 5

    2020.07.03.[Edit]
    神様たちの話、第298話。四者四様、思いは絡んで。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「で、マリアちゃんやけども」 クーが去ったところで、エリザは残ったマリアに尋ねる。「ドコまで計算しとった?」「え?」「クーちゃんに付いとったくせに、あの娘にメリーちゃんの話いっこもせえへんかったんは、わざとやろ?」「あー……、はい。言いませんでした」 マリアはばつが悪そうな顔をして、素直に白状した。「せやろな。...

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    神様たちの話、第299話。
    内奥への襲来。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「へ?」「なっ」「えっ」
     突然現れたその男に、エリザもハンも、そしてマリアも、唖然とする。しかし――。
    「なっ、……んだ?」
     突如出現したその男もまた、驚いた表情を浮かべていた。

     その時、最も早く反応したのはマリアだった。彼女は突然目の前に現れたその小男を、明らかな脅威・危険と見なし、攻撃に出た。
    「やあッ!」
     瞬時に椅子から飛び上がり、ぐるんと回転しつつ椅子を蹴っ飛ばす。
    「うおっ!?」
     椅子は男の胸に当たり、そのままテーブルの上から弾き出した。
    「き、きさっ」
     男が立ち上がりかけるその一瞬の間に、マリアはテーブルを乗り越えて男に肉薄し、両脚で踏みつけるように飛び蹴りを叩き込んでいた。
    「うぐおっ!?」
     受け身も取れず、男は簡単にその場から吹っ飛び、庭を転がる。
    「よ、余を誰だと……」
     そしてその男にとってさらに不幸だったのは、そこに丁度、ロウが帰って来たことだった。
    「送って来たっスよ、エリザさ……」「ロウくん! パンチ!」
     ロウを見て、エリザがすぐさま命じる。
    「へっ? ……うっス!」
     ロウは命じられるまま、目の前に転がり込みつつもどうにか立ち上がってきたその男のあごを、目一杯殴り付けた。
    「うごおっ……!?」
     男は宙を舞い――そのまますとんと着地したものの、途端にひざを着いた。
    「はっ、はっ……、はあっ」
    「アンタ誰や」
     うずくまったままの男に、エリザが魔杖を向けて尋ねる。
    「はぁ、はぁ……、お、驚いた……ぞ。余の襲撃を、察したか、め、女狐」
    「アンタ、まさか皇帝やっちゅうんやないやろな?」
    「その、……その、まさか、だ」
     ようやく男は立ち上がり、もったいぶった仕草で名乗りを上げた。
    「余はレン・ジーン。この地を統べる、天の星である」
    「はっ」
     対するエリザは、それを鼻で笑う。
    「『この庭でスベる』の間違いやろ。しょうもな」
    「……っ」
     ジーンの額に青筋が一瞬浮かぶが、すぐに平静を装った様子で続ける。
    「余を愚弄したこと、今は容赦してやろう。じきに報いは受けさせるがな。それよりも、……そうか、貴様があの『狐の女将』だな? なるほど、その姿は確かに『狐』だ。単なる通り名では無かったと言うことか。
     元来の余であればケダモノ風情、単に侮(あなど)るだけであるが、こうして余の強襲を迎撃された今、その認識を改めてやろうではないか。なるほど、なかなかの智将であるな」
    「そらどーも」
     エリザは不敵に笑いつつ、話を促す。
    「ほんで、皇帝直々に笑いを取りに来たっちゅうワケやないわなぁ? アタシに用事があるんか?」
    「結論から言おう。余にその首を差し出せ」
     ジーンは剣を抜き、エリザに切っ先を向ける。
    「貴様の画策によって、この沿岸部と西山間部は海外人の手に陥(お)ちた。その深謀遠慮、確かに驚嘆に値する。だが、余にはただのうっとうしい蝿に過ぎぬ。たかが蝿一匹、この余が統べる帝国、余が率いる大軍勢に太刀打ちできるものでは無いこと、容易に察せられるはずだ。貴様もこれから余の居城まで攻め込むまでの途方も無い手間を考えれば、ここできっぱりすべてを捨て去ってしまった方がはるかに楽であろう? これは余の慈悲だ」
    「アタマおかしいヤツがなんやキモチワルいコトわーわー抜かしとるけど」
     エリザは斜に構えたまま、こう答えた。
    「ココであっさり死ぬよりアンタをボッコボコにしたった方が、100倍楽しいやろなぁ? そんなお楽しみ、捨てる方がどうかしとるわ」
    「余の命令が聞けぬと言うのか」
    「アンタに命令されるいわれは無いな。寝言は寝て言うてんか」
    「そうか。では……」
     ジーンは一歩踏み出したが、ハンとマリアがエリザの前に立ちはだかる。同時にロウも構え、ジーンを遠巻きながらも囲む形となった。
    「……ふむ」
    「どないした? アタシを殺すんやないんか?」
    「兵(つわもの)に守られて安泰と思うなよ、女狐」
     ジーンは剣を振り上げ――その切っ先から、炎を飛ばしてきた。
    「……!」
     飛んで来た火球を見て、ハンもマリアも面食らった様子を見せる。
    「魔術!?」「北の人間が……!?」
     が、二人の背後からにゅっと魔杖が伸び、魔術の盾が作られる。
    「ぬ……!?」
     盾に防がれ、火球はぽん、と弾けた。
    「もっかい言うけども」
     エリザは魔杖を掲げたままで、さきほどと一言一句違わず、同じことを尋ねた。
    「どないした? アタシを殺すんやないんか?」
    「……」
     先程まで見せていた余裕の表情が、ジーンの顔から消える。
    「貴様、何者だ? 余の秘術のことごとくを破るとは……!? そうか、今日まで余がこの地へ飛ぶことができなかったのは、貴様の仕業だったのか?」
    「さあ、どないやろな? で? 今やったら帰したるけど?」
    「……」
     ジーンは答えず――現れた時のように、その場から突然、姿を消した。

    琥珀暁・内乱伝 6

    2020.07.04.[Edit]
    神様たちの話、第299話。内奥への襲来。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「へ?」「なっ」「えっ」 突然現れたその男に、エリザもハンも、そしてマリアも、唖然とする。しかし――。「なっ、……んだ?」 突如出現したその男もまた、驚いた表情を浮かべていた。 その時、最も早く反応したのはマリアだった。彼女は突然目の前に現れたその小男を、明らかな脅威・危険と見なし、攻撃に出た。「やあッ!」 瞬時に椅子から...

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    神様たちの話、第300話。
    皇帝の戦略とは。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     ジーンが去った後も、一同は動けずにいた。
    「……今の、は」
     ようやくハンが口を開き、エリザがそれに続く。
    「自分で言うてはった通りやろな。アレが皇帝や」
    「まさか! ……と言いたいところですが、どうやらエリザさんは、本当にそう思っているみたいですね」
    「そら、な。……そもそもこの話をまずせなアカンと思っとったんやけども」
     そう前置きし、エリザはミェーチ王国が陥落したこと、ミェーチとシェロが討死したことをハンたちに伝えた。
    「壊滅ですって!? 何故それを先に言わないんですか!?」
    「アホ抜かすなや。アンタ、アタシに会うなり『どっち付くんですか』言い出したやろが。そんな態度のヤツに、アタシから『ちょい待ちいや、大事な話があんねん』ちゅうたところで、『いや、こちらの件の方が重要です』てはねつけるやろが」
    「う……」
    「ともかく、現時点で対外的に最も大きな脅威としては、いよいよ帝国が動き出しよったっちゅうコトや。いや、正確に言うたら皇帝本人が、っちゅうところか」
    「同じこと、……ではないですね。比喩ではなく、本当に皇帝が一人でここを訪れたわけですから」
    「ソレや」
     エリザはまだ中庭に置かれたままのテーブルをつい、と指でなでつつ、今起こったことを整理し始めた。
    「事実として、皇帝を名乗るヤツが単騎で、沿岸部の、この中庭に突然現れよった。ソレが何を意味するか、アンタ分かるか?」
    「山間部の東西結節点に築いた防衛線が、何の意味も成さない、……と言うことですね」
     ハンの回答に、エリザは深くうなずく。
    「そうなる可能性はめちゃ高やな。や、ソレ以前に、アタシら全員が常に暗殺の危機にさらされとるっちゅうコトや。ソレが皇帝の、最大の狙いやったんやろうな」
    「最大の?」
     尋ねたハンに、エリザは東――山間部の稜線を指し示す。
    「アタシらがどんだけ攻め込もうと、どんだけ陣地を固めようと――そしてどんだけ結束を強めようと、アイツには無意味っちゅうコトや。そしてこうしてアタシらの前に堂々と現れて、その事実をアタシら全員に痛感させる。もしコレが巷のうわさになったら、みんなどう思う?」
    「……!」
     ハンは普段から青い顔を、さらに青ざめさせた。
    「そんなことになれば、……つまり我々が無力な存在だと、そう思われれば、我々がこれまで培い、築き上げてきた信用、信頼が、一瞬で崩れ去ってしまう。我々に傾いていた世論、形勢が、一気に逆転する。そうなれば人民は皇帝が与える恐怖に操られ、我々を攻撃、排斥する流れへと傾くことになる、……と?」
    「せや。遠征隊が皇帝に対してさっぱり相手にならんわ、っちゅうようにみんなが思たら、もう誰もアタシらに協力なんかせえへんわ。そんなコトして、さて家に帰ってきたら、なんと皇帝が剣持って玄関から出てきました、……みたいなコトを、嫌でも想像するやろからな。
     コレはホンマに参ったわ。ご飯より色恋よりカネよりも、『ヤバい』『コワい』が100倍効くからな。や、ホンマによお考えたもんやで。軍隊ウロウロさせるより全然効率ええわな」
    「どうするんですか……?」
     恐る恐る尋ねたハンに、エリザは――どう言うわけか、ニヤッと笑って返した。
    「言うた通りや。恐怖の方がよっぽど効く。ソレが恐怖やと思うとる限りはな」
    「……ど、どう言うことですか?」
    「皇帝さんの狙いは、みんなに『皇帝怖いから言うコト聞いとこ』と思わせるコトや。でもその皇帝さん、今この場でどうなった?」
    「……追い返しましたね。事実として」
    「ソレや」
     エリザはニヤニヤと笑みを浮かべながら、大声で――恐らく、中庭の様子を戦々恐々として眺めていた者たちに向かって――こう言い放った。
    「なーんやアレ! しょうもなあーっ! 皇帝陛下がなんぼのもんじゃい!? わざわざアタシらの前にノコノコ現れて、無様晒しただけのアホやないか! アタシを殺すとか寝ぼけたコト抜かしとったけど、結局その本人にしっしって追い払われとるやないか! あーっ、アホくさーっ! 程度が知れるっちゅうもんやわ、あっはははははははっ!」
    「え、エリザさん」
     一瞬、ハンは止めようとしたものの――周囲の張り詰めた気配が安堵に満ちていくのを察して、乗っかることにした。
    「……そ、そうですね! エリザさんの力があれば、何の問題も起こらないでしょう! 我々に恐れるものなど、何一つありませんね!」
    「おーおー、そう言うこっちゃ、うわっははははは、はははーっ!」
     二人で仁王立ちになり、高笑いを飛ばしたことで、エリザが懸念した恐怖の伝播と言う事態は、ともかく回避することができた。

    琥珀暁・内乱伝 終

    琥珀暁・内乱伝 7

    2020.07.05.[Edit]
    神様たちの話、第300話。皇帝の戦略とは。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. ジーンが去った後も、一同は動けずにいた。「……今の、は」 ようやくハンが口を開き、エリザがそれに続く。「自分で言うてはった通りやろな。アレが皇帝や」「まさか! ……と言いたいところですが、どうやらエリザさんは、本当にそう思っているみたいですね」「そら、な。……そもそもこの話をまずせなアカンと思っとったんやけども」 そう前...

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    神様たちの話、第301話。
    遠い反応。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     皇帝の、突然の単騎での襲撃と言う異様な事態を受け、ハンとエリザはゼロに緊急連絡を行った。
    《とても信じられない。率直に言わせてもらうなら、君たち二人の正気を疑っているところだ》
    「でしょうな。実際に見たアタシら自身、ありえへんコトやと思いますからな。でも事実は事実です。目撃者も多数あるコトですし、そして実際、西山間部において被害が出とります」
    《それもこれも、すべて君からの伝達に過ぎない。……しかし君からの報告以上に、信憑性のある情報など無い。仮に君から『異世界から現れた巨人が突如、北の大陸を引きちぎり始めた』などと突拍子も無い報告を受けたとしても、現時点で私は、それを信じることしかできない。だから君たちが報告したことは、私は原則的かつ全面的に、ただ事実として受け止める。
     それを踏まえて、私の回答を聞いて欲しい》
    「なんです?」
     尋ねたエリザに、ゼロは呆れ切った様子の声色で答えた。
    《静観を続けてくれ。こちらからの進軍は決して行ってはならない》
    「……言うと思いましたわ。ほな、皇帝はアタシらにも、ゼロさん本人にとっても、コレっぽっちも脅威や無いと?」
    《そうは言っていない。確かに君たちの言葉を信じるのであれば、皇帝はいついかなる場所へも出撃することができ、誰が相手であろうと暗殺することができると言うことになる。君たちの身が危ういことは確かだし、もしかしたら私が直接狙われる危険もある。その点は認めよう。
     だが遠征隊を山間部へ向かわせることは、事態の不可逆的な悪化を意味することにもなる。聡明な君であれば、その懸念に当然思い当たっているはずだ》
    「確かに遠征隊が帝国を攻めに行くぞとなれば、コレは最終も最終、ゼロさんが望まない形での結末を迎えるコトになるでしょうな。アタシらが全滅するにせよ、実力行使で帝国首都を陥落させるにせよ。でもですな、このままじーっとしとったら全滅は必至です。現状、皇帝の襲撃を防ぐ手立ては何一つありませんからな。となれば攻撃は最大の防御、即ち討たれる前に皇帝を討つしか……」
    《理屈は分かる。だが、我々はあくまで友好関係を結ぶべく来訪したのであって、侵略のためでは無い。その前提を覆すような行為は、私には認められない》
    「……ええ加減にして下さいよ、ゼロさん」
     エリザの声に、怒りの色がにじむ。
    「ほんならなんですか、アタシらはただただココでボーッとして、皇帝に殺されるんを待っとけっちゅうんですか?」
    《そうは言っていない。勿論、襲撃してきた場合には自衛を前提として応戦することは認める。君たちならそれは可能だろう? あくまでこちらからの攻撃は行わないように、と言いたいんだ。分かったね?》
    「あのですな、もっぺん同じコト言わなあきませんか? いつ皇帝が襲って来るか分からんっちゅうのんに……」《それじゃ。以上。またね。じゃあ》「あっ、ちょ、待っ、……ああ!?」
     無理矢理ゼロに通信を切られ、エリザは口をあんぐりと開ける。
    「あのおっさん、アタマおかしいんか!?」
    「ふ、不敬ですよ、エリザさん」
    「不敬も滑稽もあるかいなッ! ちーともこっちが危ないっちゅうのんが伝わってへんな、もおっ! 本気でアタシやハンくんが殺されでもせえへん限り、ホンマに何もせえへんつもりか」
    「しないつもりでしょう。むしろそれを望んでいるかも知れません」
     ハンの言葉に、エリザは目を剥く。
    「アタシに死んでほしいっちゅうコトか。せやろな、あのおっさんの思惑やと」
    「はなはだ遺憾ですが、恐らくは。……いや、そこまでは思わないまでも、やはり我々の報告は嘘と思われているんでしょう。陛下は我々が帝国を攻撃したがっていると思い込んでいるようですからね」
    「『帝国が手ぇ出してきよったからこっちもお返しや』、を口実に開戦するつもりやと思われとる、……っちゅうコトか。まあ、せやろなぁ。アタシも――仮にゲートやアンタから――こうして口頭で同じ話聞かされたら、疑うやろからな。はっきり証拠を出すか、もっと切羽詰まった状況にならへん限りは、ゼロさんは動こうとせえへんやろな」
    「……困りましたね」
     ハンもエリザも揃って黙り込み、同時にため息を付いた。

    琥珀暁・決意伝 1

    2020.07.07.[Edit]
    神様たちの話、第301話。遠い反応。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 皇帝の、突然の単騎での襲撃と言う異様な事態を受け、ハンとエリザはゼロに緊急連絡を行った。《とても信じられない。率直に言わせてもらうなら、君たち二人の正気を疑っているところだ》「でしょうな。実際に見たアタシら自身、ありえへんコトやと思いますからな。でも事実は事実です。目撃者も多数あるコトですし、そして実際、西山間部において...

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    神様たちの話、第302話。
    一転。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「ともかく、このまんま二人で苦い顔しとってもラチ明かへん。明日また連絡するとして、説得の材料を整えなな」
    「ふむ。……でも、どうするんです? 経緯をすべて伝えてあの返事ですよ」
    「せやな。となると、……ちょと体裁悪いけども、泣き落としかなー」
     エリザは胸元から煙管を取り出し、火を点ける。
    「さっき叱り飛ばしたばっかりやけど、クーちゃんにも説得に回ってもらおか。アタシからはアカンかっても、娘からやったら多少は聞く耳持つかも分からんし」
    「しかしクーは先程の襲撃を知らないはずです。恐らく部屋で泣き崩れていたでしょうから」
    「ソコから説明せなアカンなぁ。しゃあないけど」
     二人は連れ立って、クーの部屋へと向かった。
    「クーちゃーん、ゴメンけどちょとええかなー?」
     エリザが猫なで声を出しつつトントンとドアを叩――こうとして、「あら?」と声を上げた。
    「開いとるわ。おらんのかな」
    「え?」
     ハンもドアに目をやり、首をかしげる。
    「妙ですね。流石にあれだけ平静を崩していれば、閉じこもっているものと……」
    「アタシもそう思ててんけど」
     エリザはドアを開け、中の様子を確かめる。
    「クーちゃん、ゴメンやで。……おらんな?」
    「……エリザさん」
     ハンも部屋の中を一瞥し、神妙な顔になった。
    「嫌な予感がします」
    「奇遇やな」
     エリザも真剣な目を向け、深くうなずいた。
    「アタシもや」

     城内はおろか、街中へも人をやって調べさせたものの、クーの姿はどこにも見当たらなかった。
    「これは……まさか」
    「その、まさかやろな」
     エリザはハンに背を向け、うなずいた。
    「皇帝さんがさらったんや。ドコにもおらんとなれば、ソレしか無いやろ」
    「な……」
     ハンは顔を真っ青にしつつも、どうにか言葉を絞り出す。
    「どうして、そんなことに?」
    「正攻法、つまりアタシやハンくんを暗殺するのんが難しそうやと見て、策を打ってよったんや。じきに連絡が来るやろな。『お姫様の命が惜しかったらこっちの言うコトを聞け』と」
    「そんな……!」
     すっかり蒼白になった顔を両手で覆い、ハンはへたり込んでしまった。
    「一体、どうすれば?」
    「しゃんとしいや、情けない」
     エリザはハンの手を引いて、無理矢理に立たせる。
    「やるコトはいっこしか無いやろ。向こうがまたアタシらを訪ねて来る前に、全力・総力を以て帝国を攻撃するしか無い。向こうに交渉の余地なんか出させてみいや、どう転んでもアタシらの負けやで」
    「えっ?」
    「交渉っちゅうのんは結局、勢力なり実力なりがトントンの相手同士でやるもんや。逆に言うたら、武力やなく交渉で物事の解決に臨むとなれば、巷は『ゼロさんトコの軍勢は帝国に敵わへんと見て日和りよった』と思うやろな。その瞬間、帝国が元来進めとった恐怖による支配は復活する。もう誰もアタシらを頼りにせえへんやろな」
    「そんな極端な話に……」
     反論しかけたハンをさえぎる形で、エリザは持論を続けた。
    「そもそも今回の遠征自体、ゼロさんからして相手をナメとったから始めたコトやろ?」
    「なんですって?」
    「本気で相手が手強いと思っとったら、ノコノコ相手の陣地に乗り込むか? 交渉するにしても、手前にあった島に居とけっちゅうとは思わへんか? でもゼロさんは島があったコトを報告しても、そのままグリーンプールまで進め言うてたやろ」
    「それは、確かに」
    「『自分たちには魔術っちゅう超兵器があるから最悪、力づくでどうとでもなる』っちゅう考えがうっすらアタマん中にあったからこそ、呑気に敵陣地の中に乗り込ませたんや。実際、グリーンプールに乗り込んでややこしいコトになったけども、結局アタシらが強引かまして実効支配になったやないの」
    「あれはエリザさんが、……いや、……そうですね、確かに陛下の指示内容にも驕(おご)った節があったところは否めません。エリザさんの言う通り、本当に侮っていないと言うなら、決して上陸はさせなかったでしょう」
    「で、話を戻すとや」
     エリザは煙管をくわえ、ふう、と紫煙を吐く。
    「今まではゼロさんが優勢や、絶対負けへんとなっとったから、こっちは『仲良くしてやってもええで』と言えたワケや。でもその優勢が消えてしもたら? 同じコト言うたかて、向こうは鼻で笑うわ。そんなふざけたコトがヌケヌケと言えるんは、圧倒的に有利な側からだけやからな。トントンの立場になったらもう、そんな相手をナメきった戦略は破綻するんや。
     いや、実際今んトコ、もうソレは破綻寸前や。今までアタシらはその優位を使て、色んな計画やら人心掌握やらを進めてきたんや。それが破綻したとなれば、元のように『仲良うしてや』言うて動いても、どないもならへんやろな。全部おしまいやで」
    「……つまり結局、最速での攻めが最善、と」
    「そう言うこっちゃ。仮に、真面目に交渉するにしたかて、ソレでクーちゃんが無事に戻って来る保証なんかドコにもあらへんのやからな。反面、向こうが交渉を持ちかけてくる前に全軍挙げて攻めれば、こっちがまだ優位のまま仕掛けられるし、今すぐ動いて速攻で倒せば、クーちゃんが無事で帰ってくる可能性は高い。
     となればもういっぺん、ゼロさんとお話せなな」

    琥珀暁・決意伝 2

    2020.07.08.[Edit]
    神様たちの話、第302話。一転。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「ともかく、このまんま二人で苦い顔しとってもラチ明かへん。明日また連絡するとして、説得の材料を整えなな」「ふむ。……でも、どうするんです? 経緯をすべて伝えてあの返事ですよ」「せやな。となると、……ちょと体裁悪いけども、泣き落としかなー」 エリザは胸元から煙管を取り出し、火を点ける。「さっき叱り飛ばしたばっかりやけど、クーちゃんに...

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    神様たちの話、第303話。
    揉める中枢。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    《今度は何?》
     明らかにうっとうしそうに応じてきたゼロに、エリザは真面目な声色を作って告げた。
    「単刀直入に言います。緊急事態です」
    《緊急? また皇帝が攻めて来たとでも?》
    「ソレやったらまだ良かったんですけどもな」
    《……何があったの?》
     エリザの真剣な気配を察したらしく、ようやくゼロもまともな態度で返した。
    「クーちゃん……、クラム・タイムズ殿下が誘拐されました」
    《……何だって? も、もう一度言ってくれないか?》
    「クラム殿下が誘拐されました。恐らく、皇帝が交渉材料を作るために連れ去ったものやと」
    《じょ、……冗談に、しては、笑えない。まさか、だよね》
    「アタシがこんな冗談抜かすほどしょうもないヤツやと思とるんですか?」
    《……本当に?》
    「ホンマです」
     エリザもゼロも互いに無言になり、ハンが口を開こうとする。
    「陛下、これは本当に……」「しっ」
     が、エリザがそれを止め、ふたたび口を開く。
    「ハンくんも今言いかけましたが、ホンマにホンマのコトです。事実として、遠征隊と王国兵が総出で街中を探しましたが、ドコにもおらへんのです。その事実と、皇帝がこの国に突然出現し、襲撃した事実とを合わせて考えれば、クーちゃんが誘拐されたコトは自明でしょう」
    《何故、……何故そんなことに?》
    「帝国側も正攻法で我々を攻略するコトは無理やと見たんでしょうな。となれば交渉材料を作るんは、戦略として当然やないでしょうか」
    《ぐっ……!》
     憤ったようなうなり声が漏れたきり、ゼロからの返事が途切れる。
    「陛下?」
     もう一度ハンが声をかけたが、ゼロは応じず、代わりにゲートの声が返って来た。
    《ハン、今の話はマジなのか?》
    「マジだよ。クーは見付からない。エリザさんと話し合ったが、やはり誘拐されたとしか思えない」
    《だとしたらまずいな。……おいゼロ、いつまで呆けてんだよ? こうなったらやることは一つしか無いだろうが》
    《しゅ、出撃させろって言うのか? 娘一人のために? そ、そんなことを、僕が命じろと?》
    《何言ってんだ!? クーがどうなったって構わないって言うのか、お前!?》
    《だけどそんな理由で、じ、実力行使に出るだなんて、他の皆が……》
     弱腰のゼロに対し、ゲートは声を荒げて主張する。
    《クーがヤバいってのに、誰が反対なんかするってんだ! そもそもお前だけだぞ、『反対する人の気持ちも考えたら』とか『現地民の感情を煽るようなことは』とか言ってグズってんのは! 居もしない反対派やら会ってもいない人間の言葉やらをでっち上げてまで、一体なんでそんなに攻めたがらないんだよ!?》
    《い、いないとは断言できないだろう? も、もしいたら、後になって、か、必ず、せ、せ、責める材料に……》
    《なら言ってみろよ! その反対派とやらの名前を! 怒ってるって現地民の名前を! 俺が直接行って、一人ひとり説得してやらあッ!》
     ふたたび沈黙が訪れ、ハンとエリザは「頭巾」を外し、顔を見合わせた。
    「揉めとるな」
    「そのようですね。『反対派』と言うのは……?」
    「おっさんのコトや、自分の主張を『みんな言うとるもん』っちゅうコトにしたくて工作したんやろ」
    「それもエリザさんを貶めるために、……ですか」
    「しょうもないな。……さ、続きや」
     二人が「頭巾」をかぶり直したところで、ゲートの声が飛んで来る。
    《悪いな、ちょっと頭に血が上っちまった。……まあ、アレだ。今、ゼロから言質取ったぞ。今後しばらくは俺が遠征隊の総指揮権を受け持つことになった》
    「あら、ホンマに?」
    《ああ。ゼロは『僕にはもう荷が重すぎる』だとさ。だもんで、今後しばらくの間、俺が監督することになった。ま、『しばらく』つっても遠征が終わるまでだろうし、もしかしたらすぐ終わりかも知れないけどな》
    「アンタが任されたんやったら、願ったり叶ったりやな」
     嬉しそうな声を上げたエリザに、ゲートも照れ臭そうに返事する。
    《おう。ま、よろしくな。だが正直言って、俺はそっちの事情に詳しくない。だから基本、お前らの行動は全面的に許可するものとする。よっぽどメチャクチャじゃなければな。……俺の首がかかっちまったから、なるべく無茶しないでくれると助かる》
    「分かってる。それは俺も一緒だしな」
     ハンの言葉に、ゲートは笑いながら答える。
    《もし親子揃ってクビになったら、一緒に農家やって過ごすとすっか、ははは……》
    「ははは……、だな。……じゃあ」
     ハンは殊更堅い口調を作り、申請を行った。
    「シモン遠征隊は全軍これより帝国首都の陥落、および皇帝討伐を目的とした進軍を行うべく、許可を求めます」
    《ああ。ゲート・シモン将軍は、それを許可するものとする。ハンニバル・シモン尉官、そしてエリザ・ゴールドマン顧問。両名はその目的の達成のため、粉骨砕身の努力をされたし》
    「了解であります」
    《あいよー》
     遠く離れたゲートに向かって、ハンとエリザは敬礼した。

    琥珀暁・決意伝 3

    2020.07.09.[Edit]
    神様たちの話、第303話。揉める中枢。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.《今度は何?》 明らかにうっとうしそうに応じてきたゼロに、エリザは真面目な声色を作って告げた。「単刀直入に言います。緊急事態です」《緊急? また皇帝が攻めて来たとでも?》「ソレやったらまだ良かったんですけどもな」《……何があったの?》 エリザの真剣な気配を察したらしく、ようやくゼロもまともな態度で返した。「クーちゃん……、ク...

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    神様たちの話、第304話。
    壮行演説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     帝国への進撃が許可されてすぐに、遠征隊は全軍を挙げて東山間部への出撃準備を始めた。
    「一気に慌ただしくなりましたね」
    「ああ。……ところで」
     ハンは横に付いた二人――ビートと、そしてマリアに尋ねた。
    「メリーはどこにいる? 結局、聞いてないが……」
    「まだ狙ってるんですか、まさか?」
     尋ね返したマリアに、ハンは首を振って返す。
    「いや、それはもう無い。その件については、エリザさんと一緒に話した時に言ったことがすべてだ。俺はどうかしてたよ」
    「それで済むと?」
    「済ませてくれないのか」
     ハンの返事に、マリアはとがった視線を向けてくる。
    「全軍が真っ二つになるかどうかって騒動を、『気の迷いだった』『今のナシ』で終わりにできると思ってるんですか? それで皆納得すると思います?」
    「思ってないから尋ねたんだ」
     そう返され、マリアの険が薄まる。
    「じゃ、この後どうするか教えて下さい」
    「まず、メリーに謝りたい。こんな馬鹿な騒動の中心人物にしてしまったことを、誠心誠意謝罪したいと考えている。その上で、今後のことを話し合いたい。お前たちと一緒に。争いはしたが、マリア、お前と俺はチームだからな。ケンカ別れなんて、……その、何と言うか、情けなさすぎるし」
    「……ま、61点ってとこにしといてあげます」
     マリアは肩をすくめ、こう続けた。
    「メリーは一応、あたしが保護した形ですね。でもあたしの部屋に閉じ込めるとか、そーゆーことはしてません。騒ぎになる直前、あたしが命令でっち上げて『ノルド王国への視察』って形で、そっちに行ってもらってました。あそこまで離れてもらえば、もしこっちで最悪、戦闘にまで発展しちゃったとしても、確実に安全ですからね。こんなことに巻き込んだら、本当にメリーが可哀想ですから」
    「そうだったのか。……済まなかった、本当に」
    「あとですね、100点にしたいなら『皆の前で正式に謝る』も追加でお願いしますよ」
    「……ああ、そうするよ。ありがとう、マリア」
    「お互い様です」



     このくだらない内乱が功を奏していたとすれば、それは両陣営の対立が戦闘に発展することを互いに想定しており、それに備えて軍備を備蓄していたことだった。
     その内乱をエリザが両成敗したこと、直後に皇帝が突然現れるも即時撃退されたこと、まもなくクーが行方不明になったこと、そしてそれを皇帝が誘拐したものと断定し、その奪還のため出撃が決定されたことなど、一連の経緯は全軍に逐次伝わっており、用意されていた軍備はそのまま、出撃に回されたのである。
     結果として、通常であれば数日を要するはずの準備は半日と経たずに完了し、出撃の辞令が下ったその日の内に、遠征隊と王国兵の混成軍1000名が、グリーンプール郊外に整列した。

     ハンとエリザが整列する兵士たちの前に立ち、全体を見渡す。
    「今作戦の実行に至った経緯と内容を、改めて説明する」
     全員の視線が自分たちに集まったところで、ハンが口を開いた。
    「既に全員が知っていることだろうが、本日午前、クラム・タイムズ殿下が帝国皇帝、レン・ジーンによって誘拐された。このことを軍上層部、そしてゼロ・タイムズ陛下に報告し、ゲート・シモン将軍を交え協議を行った結果、可及的速やかに帝国への侵攻を行い皇帝を撃破し、殿下の身柄を奪還することが決定された。諸君らは今作戦に従軍し、目的遂行のために全力を尽くすこと。以上だ。
     ……と言いたいところだが、諸君らの中に、誘拐の直前に起こっていたことについて詳細な説明が欲しいと考えている者は、決して少なくないと考えている。それについても、この場を借りて説明する」
     ここで言葉を切り、ハンは皆に対して、深々と頭を下げた。
    「まず第一に、皆に謝罪する。今回の件は、俺に大きな失点、失態があった。本当に済まなかった」
     自分たちの上官が頭を下げるのを見て、一同にざわめきが広がる。いつものハンであればそれを、規律の乱れだと叱咤するところだったが、彼は静かに頭を上げ、淡々と話を続けた。
    「そもそもの原因は、俺の直轄の班員に対し、俺が不当に過酷な労働を強いているとして、クラム殿下から叱責を受けたことだ。その班員と殿下は親しくしていたらしく、その行動は、彼女がその班員を慮ってのものだった。だが俺は殿下の諌めに聞く耳を持たず、邪険に扱った。その結果、他の班員が殿下の側に付き、遠征隊を二分する騒動に発展してしまった。最初から俺が、殿下の言葉をよく聞いていれば、騒動は起こり得なかったであろうことは、自明のことだ。
     すべては俺の不寛容ゆえに起こったことだ。今後はこのようなことが起こらないよう、誰に対しても公平な態度で臨むよう、心がけるつもりだ。以上」「と言いたいところやけども」
     ハンが話を締めようとしたところで、エリザが口を挟んできた。
    「アンタはアホか」
    「な……」
     ふたたびどよめく兵士たちを背にしたエリザが、ぺちん、とハンの額を叩いた。

    琥珀暁・決意伝 4

    2020.07.10.[Edit]
    神様たちの話、第304話。壮行演説。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 帝国への進撃が許可されてすぐに、遠征隊は全軍を挙げて東山間部への出撃準備を始めた。「一気に慌ただしくなりましたね」「ああ。……ところで」 ハンは横に付いた二人――ビートと、そしてマリアに尋ねた。「メリーはどこにいる? 結局、聞いてないが……」「まだ狙ってるんですか、まさか?」 尋ね返したマリアに、ハンは首を振って返す。「いや、...

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    神様たちの話、第305話。
    Off the Wall。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     額を押さえ、唖然とした顔を向けるハンに、エリザがまくし立てる。
    「グダグダグダグダと、ぼんやりした話しくさりよって。なーにが『班員が』『殿下が』や。大事なトコぼやかしてもったいぶって、偉そうな口ぶりでしょうもない話しよる方がよっぽど恥ずかしいで? 見てみいや、みんなの顔。『何言うてんねんコイツ』思とる顔しとるやないの」
     エリザはハンに背を向け、兵士たちに目をやりながら、こう続ける。
    「『意固地になってしくじりました』? そんなもん、みんな知っとるわ。いつものコトやからな。ソレで反省しますーっちゅうのんも当たり前の話やないの。失敗したヤツが反省せんでどないすんねん。みんな分かっとるコト、当たり前のコトをさも大事な話打ち明けますみたいに、べちゃくちゃべちゃくちゃと……。
     みんなが聞きたいんは、そんなコトちゃうな? 要は『遠征隊隊長殿』や無く、この『ハンニバル・シモン』っちゅう一人のオトコが、一体何をどうしたいんかっちゅう話の方が1000倍、直に聞いてみたいコトやんな?」
     エリザの問いかけに、兵士たちのあちこちで、うなずく者が現れる。
    「な? みんな聞きたいんはソコや。もう騒ぎやなんやとか、誰が悪かったとか、そんなんはどうでもええコトや。そんなん振り返って繰り返し繰り返し話しても、何の足しにもならん。もっと大事なコト言わなアカンやろ? みんなが聞きたいっちゅうコトを懇切丁寧に、真剣に、真面目に、心を込めて」
     くる、と振り返り、エリザはハンの目を見据えた。
    「はっきりと、ココでしゃべりよし」
    「……」
     ハンののどが、ごく、と動く。
    「その、……俺は、その」
    「まずアンタは何したいんや? 今から皇帝倒しに行くでオラァ、ってだけや無いやろ? 倒しておしまいか?」
    「それだけでは、ありません」
    「せやな? アンタの、一番の目的は何や? 皇帝を倒すコトでもあらへん。帝国を潰すコトでもあらへん。ましてや、戦果を上げて故郷に凱旋するコトでもあらへんやろ? ほんなら今一番、アンタがやりたいコトは何や?」
    「……クーを、救うことです」
    「ソレはなんでや? 今朝までいがみ合うてた相手やろ?」
    「それは、……エリザさんが仰った通り、俺が意固地になったせいです。元より彼女のことは、……そこまで憎いなんて思ってはいません。むしろ、好意的に、と言うか、……その、憎からず、いや、……」
     言葉が途切れ、ハンはとても困ったような顔を、エリザに見せた。
    「俺は何故、素直になれないんでしょうね、エリザさん」
    「アンタの心ん中に溝やら柵やら壁やらが、仰山あるからや。二重、三重に自分のコト守ろう守ろうとするせいで、ひとつのコトしゃべろうとする度、ふたつもみっつも余計な言葉足して、本心をごまかそうとしとんねん。でもなアンタ、その壁で今まで自分を守ってきたつもりやろけども、結局その壁のせいで、いっつも揉め事起こしてるやないの。ほんならいっぺん、そんな邪魔なもん取っ払ってみいや」
    「……はい」
     ハンはすう、と深呼吸し、もう一度皆の方を向いた。
    「正直に言う。変なごまかしはもうしない。俺は、……俺は、クーのことが好きだ。ずっと前から、好きだったんだ。
     だけど俺のこの面倒な性格のせいで、いつも距離を置こう、遠ざけようとしてばかりだった。そのせいでクーを怒らせたり、泣かせたりして、……本当に、これじゃただの嫌な奴だ。その挙句、クーを一人にさせて、そのせいで皇帝にさらわれるなんてな。俺は今、心の底から、自分のバカさ加減に呆れ返っている。本当に、本当に情けなくて仕方無い。だから今はただ、素直に、クーのことを助けたい。助けて、今までのことをすべて、謝りたいんだ。
     本当に、正直に言ってしまえば、皇帝なんかどうだっていい。俺にはクーの方が、……100000000倍大事なんだ!」
    「ふっ、アハハ、1億かー、さよかー」
     ハンの告白を聞いた途端、エリザはゲラゲラ笑い出した。
    「よお言うた。よお頑張ったわ。うんうん、1億はどんな思いにも敵わへんな。……ま、そう言うワケや、みんな。ろくに見たコトも無い皇帝をどうこうなんかより、お姫様助けるっちゅう目的の方が、よっぽど納得行くやろ? そう言うワケやから、みんな気張りよし。
     ほな今度こそ、以上や。すぐ出撃やで」
     エリザの締めの言葉に、兵士たちは一斉に、使命感を帯びた顔つきで敬礼を返した。

     壇上から降りた途端、ハンは城の壁に顔を向け、そのまま固まってしまった。
    「……言ってしまった」
    「お疲れ様でーす」
     マリアがニヤニヤと笑みを浮かべながら声をかけたが、ハンは応じない。
    「言うに事欠いて、あんな個人的なことを公の場で叫ぶなんて……」
    「結局、ソレが一番やったやろ?」
     ハンの肩を、エリザがぽんぽんと叩く。
    「ごまかしてソレっぽいキレイゴト並べて取り繕うより、素直にやりたいコト言うた方がみんな納得するわ。結局、素直が一番やで。さ、いつまでも壁とおしゃべりしてへんと、進軍の音頭取りいや。遠征隊隊長殿のお仕事やで」
    「……そ、そうですね。では」
     まだカクカクとした足取りながらも、ハンは先頭に向かって行った。

    琥珀暁・決意伝 終

    琥珀暁・決意伝 5

    2020.07.11.[Edit]
    神様たちの話、第305話。Off the Wall。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 額を押さえ、唖然とした顔を向けるハンに、エリザがまくし立てる。「グダグダグダグダと、ぼんやりした話しくさりよって。なーにが『班員が』『殿下が』や。大事なトコぼやかしてもったいぶって、偉そうな口ぶりでしょうもない話しよる方がよっぽど恥ずかしいで? 見てみいや、みんなの顔。『何言うてんねんコイツ』思とる顔しとるやないの」...

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    神様たちの話、第306話。
    久々のシモン班集合。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     皇帝討伐、いや、クー救出を目的として行軍を開始した遠征隊は、まずは沿岸部の隣国、ノルド王国へ到着した。
    「事情は聞いておる。我が国も協力は惜しまん。……と言っても軍備はいつもの如くすっからかん同然であるので、せいぜい人的援助、兵士200名程度でしかないが」
    「いえ、大変ありがたい申し出です。ご厚意、痛み入ります」
     堅い挨拶を交わし、ハンが頭を下げたところで、ノルド王はニヤニヤとした笑みを向けて来た。
    「して、隊長殿」
    「はい」
    「壮行演説の内容、わしも聞き及んでおるよ」
    「……はい?」
    「『姫を救う方が1億倍大事だ』、と。なかなか感動的ではないか。漢を見せたのう」
    「きょ、恐縮至極です」
     ハンは顔を真っ赤にし、もう一度頭を下げた。

    「行く先々でこんな風にいじられてはたまらない。やってしまったよ、本当に……」
     一通りの話し合いを終え、その日の宿を取ったところで、ハンは班の皆の前で頭を抱えてテーブルに突っ伏した。ちなみにマリアが言っていた通り、メリーはこの国に出張していたため、班員が全員揃うのは約半月ぶりとなった。
    「あの、本当に、お疲れ様です。どうぞ、お酒です」
     そのメリー本人が、どことなく困った様子でハンに酌をする。
    「いや」
     と、ハンは進められた杯を押し返す。
    「クーを救うまで、酒は呑まんと決めた。一々体調を崩してられないしな」
    「すみません、差し出がましいことを……」
    「いや、いいんだ。誰にもまだ、伝えていなかったからな。……その、それで、だ」
     ハンは姿勢を正し、メリーに向き直った。
    「グリーンプールで騒動が起きていたことは、君も聞いていただろう? その原因も、恐らくは」
    「はい。尉官とクーちゃん、……いえ、殿下がわたしの処遇をめぐって対立したことが原因だと。本当に、申し訳ありません」
     メリーに謝られ、ハンはぎょっとした顔をした。
    「なんで君が謝る?」
    「わたしのせいですから」
    「いや、そうじゃない。君は何も悪くない。俺がクーの言葉を悪い方に受け止めてしまったせいだ。最初から俺が、どんな時も素直に行動していれば、こんなことにはならなかったんだから」
    「でも……」
    「そもそも、それについて、君に謝らなくちゃならないことがある」
     ハンの言葉に、メリーはきょとんとする。
    「えっ? えーと、……わたしにですか?」
    「俺がこんな性格だから、君に直接言い寄ったりはしなかったが、でも多分、俺が君と付き合いたいと考えていたと言うようなことは、君も勘付いていたかも知れない。だけど、それは結局『逃げ』だったんだ。クーとの関係をはっきりさせたくなかったってだけの、くだらない理由で、君に多大な迷惑をかけてしまった。誠心誠意、それを謝りたい。本当に済まなかった」
    「はあ、……えーと、はい」
     メリーは終始困った顔のまま、ハンの謝罪を聞いていた。と、その様子を眺めていたビートとマリアが、耳打ちし合う。
    (まさかと思いますけど、もしかしてメリーさんは尉官の気持ちに気付いてなかったんじゃないでしょうか?)
    (まさかとは思うけどねー。でもあの様子だと、マジで気付いてなかったっぽいよ)
    (ですよね。どう見たって、『自分がそんな対象に見られてたなんて思っても見なかった』って言いたそうな顔ですし)
    (そんなんで『お前にコクろうとしてたけどやめた』なーんて言われても、そりゃぽかんとするよねー)
    (こんな言い方したら失礼ですけど、メリーさんって、何と言うかその、すごくニブい人なんじゃないかって。案外、マリアさんの口実だって、本当に軍務上の理由だと受け止めてたのかも知れませんよ)
    (あたしがこっちに行かせたアレ? まさかぁ。いくら何でも……)
    (でも合流した第一声が、『お久しぶりです。こちらでの調査結果を報告します』でしたよ? そもそも騒動の原因を本当に分かってたら、いきなり尉官本人に話しかけませんって)
     まだ困った顔で固まっているメリーの様子を見て、二人は再び顔を見合わせた。
    (……マジっぽいね)
    (でしょう?)

    琥珀暁・北征伝 1

    2020.07.13.[Edit]
    神様たちの話、第306話。久々のシモン班集合。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 皇帝討伐、いや、クー救出を目的として行軍を開始した遠征隊は、まずは沿岸部の隣国、ノルド王国へ到着した。「事情は聞いておる。我が国も協力は惜しまん。……と言っても軍備はいつもの如くすっからかん同然であるので、せいぜい人的援助、兵士200名程度でしかないが」「いえ、大変ありがたい申し出です。ご厚意、痛み入ります」 堅...

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    神様たちの話、第307話。
    皇帝の謎。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     遠征隊の進軍は一気呵成かつ一直線に帝国まで突き進むようなことはせず、これまで友好関係を築いてきた各国、各拠点に前後しつつ立ち寄る形で進められていた。
     理由の一つは、戦力の増強である。遠征隊の兵力は1000名であるが、これまでのエリザの調査から、帝国本軍及び東山間部の配下国を合わせたそれは、3000名を超えることが予想されている。そのまままともにぶつかることがあっては返り討ちに遭うことは明白であるため、友好国と連携を取り兵力を拡大することが提案・採択された。
    「ココも皇帝さんの襲撃はされてへんっぽいな」
    「そのようですね」
     そしてもう一つは、皇帝の襲撃がどこから来るか予想できるものではなく、直線的な進軍では進路を読まれ強襲されるおそれがあると警戒してのことである。
    「ま、そうは言うてもあんまり気にはしてへんっちゅうのんが、正直なトコやねんけどな」
     西山間部のある街を一通り視察して回ったところで、エリザがそんなことを言い出した。帯同していたハンは当然目を丸くし、その真意を問う。
    「どう言うことです? 皇帝のあの異能は、どう考えても脅威でしょう? それとも実際に一戦交えてみて、相手にならないと判断したと言うことですか?」
    「や、そうや無くてな。その脅威の『術』そのものが、多分使おうにも使えへんのとちゃうかなって」
     エリザの返事に、ハンは首をかしげた。
    「術? あれはやはり、魔術であると?」
    「可能性は大やな。自分でも言うてはったやろ、『今日まで飛べへんかったんは』て」
    「言ってましたね。では、あれは本当に、エリザさんが何か仕掛けていたと?」
    「期せずしてっちゅう感じでやけどな」
     エリザは魔杖をひょいと掲げ、空中にくるくると輪を描きながら説明する。
    「そもそもな、アンタとクーちゃんがケンカしとったやろ? アレがこじれて、本土にヘンな連絡されたらかなわんなー思て、ビートくんに妨害術を仕掛けてもろてたワケやけども、その影響で皇帝さん、クラム王国に来られへんくなっとったんやないやろか」
    「ふむ……?」
    「その証拠に、アタシが帰って来たその日――ビートくんに頼んでた妨害術止めたその途端に、皇帝さんがいきなり現れよったやろ? しかも中庭のド真ん中、アタシらが話し合いしとる、その目の前にやで。強襲や暗殺やっちゅうんやったら、こっそり忍び込まな話にならんやないの。しかも現れたその瞬間、相手も『なんでやねん』みたいな顔しとったし」
    「確かに。何と言うか、相手も予期していなかったような様子でしたね」
    「アレは傑作やったなぁ」
     揃ってクスクスと笑いながら、二人は話を続ける。
    「多分アレな、何回かこっち来ようとしてはいたんやろ。でも何べんやっても上手く行かへんから、しまいには『一日一回くらいは試すだけ試しとこか』くらいになっとったんかもな。そしたらいきなり飛べてしもたから、あっちもアワ食ったんやろな」
    「辻褄は合いますね。しかしそれだと結局、グリーンプール以外では強襲の危険があると言うことになるのでは?」
    「ソレなんやけどな」
     エリザは杖の先を空に向けたり、肩に掛けたりと、手持ち無沙汰な様子を見せつつ、話を続ける。
    「ミェーチ砦が壊滅したっちゅう話もしてたやん? アレでな、リディアちゃん――シェロくんの奥さんも保護して、近くの村に泊まらせるコトにしてんな。ほんであの娘にも元々、ゼロさんとかの連絡先教えてたんやけど、もしあのタイミングで連絡されたらややこしいコトになるかも分からんと思てな。丁稚のユーリくんに妨害術仕掛けとくよう頼んでてん。
     で、後で状況聞いたら、ソレ以来襲撃やら何やらは、自分トコでは起きてへんて言うてたんよ。他の街はちょくちょく現れた、襲われたっちゅう報告もあった割にな」
    「妨害術の効果らしきものが、結果的に確認できたわけですね」
    「ちゅうワケで、ユーリくんには引き続き妨害術を仕掛けてもろとるし、他のトコにも、アタシの店の子通じて術掛けといてって連絡したんよ。勿論、ココでもな」
    「なるほど。その効果が確かであるならば、皇帝の襲撃は防げると言うわけですか」
    「そう言うこっちゃ。で、もしかしたらなんやけど」
     魔杖をいじることにも飽きたらしく、エリザは胸元から煙管を取り出す。
    「コレが皇帝さん、と言うか帝国軍の足止めになるかも知れへんで」

    琥珀暁・北征伝 2

    2020.07.14.[Edit]
    神様たちの話、第307話。皇帝の謎。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 遠征隊の進軍は一気呵成かつ一直線に帝国まで突き進むようなことはせず、これまで友好関係を築いてきた各国、各拠点に前後しつつ立ち寄る形で進められていた。 理由の一つは、戦力の増強である。遠征隊の兵力は1000名であるが、これまでのエリザの調査から、帝国本軍及び東山間部の配下国を合わせたそれは、3000名を超えることが予想され...

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    神様たちの話、第308話。
    一本槍戦法のデメリット。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「足止め?」
    「せや」
     エリザは煙管に火を点けつつ、相手についての予測を語った。
    「突然敵の陣地のド真ん中に入り込んで引っ掻き回し、ガチガチに守られとるはずのトップをあっさり狩る。ソレが相手の――皇帝さんの基本戦術やろ。そしてソレが、『皇帝に対する恐怖と無力感を与えて従わせる』っちゅう戦略にもつながるワケや。逆に言うたら、その戦略を成立させるためには、皇帝さんが一人で乗り込まなアカンっちゅうコトやん?」
    「まあ、そうなるでしょうね。仮に軍勢を率いて乗り込んだとすれば、その軍勢全体を恐れこそすれ、一人ひとりに恐怖を感じることは無いでしょう。ましてや皇帝一人を、直接恐れるようなことにはならないでしょうし」
    「ほんで皇帝さんは、その戦略一本でこの20年、君臨してきたワケやん? ソレはなんでや?」
    「ふむ……」
     ハンはあごに手を当て、思案する。
    「費用対効果ですか? 集団で動くより一人で動く方がコストがかからないのは道理ですし、それでいて、効果は軍勢を率いるよりも高いとなれば、他の方法を選択する必要は無いのでは」
    「ソレもあるやろけども、アタシが言いたいんはソコやなくてな、20年その方法『しか』使わへんのはなんでや、っちゅうトコやねん」
    「それも今、俺が言った通りな気がしますね。わざわざ他の方法を考える必要が無かったからじゃないですか?」
    「ソレは戦略的に危ないと思わへんか?」
     エリザに問い返され、ハンはきょとんとする。
    「危ない?」
    「例えばや、『ファイアランス』やとか『エクスプロード』やとか、火の術で今まで出て来とったバケモノを瞬殺でけてたとしてや、次に現れたバケモノが、火の一切効かへん相手やったら? その途端に詰むやないの。
     一本槍戦法は折れたら後が無いで。武器は2つ、3つ持っとかんと」
    「つまり皇帝には、代替案を持っている様子が見られない、と?」
    「そう言うこっちゃ。アンタの言う通り、単独潜入が効果的すぎて、他の手段を講じる必要が無かったからやろな。せやから前回飛び込んで来た時も単独潜入でアタシらを討っておしまいにしたかったやろうし、今でもそう思ってはるやろな。でもその方法は今、封じられとる。となれば他の方法を講じなアカン。
     封じられとるコトが皇帝さんに分かっとったら、の話やけどな」
     エリザの言葉に、ハンはまた「ふむ」とうなる。
    「確かに各地で妨害術が展開されているこの状況を、皇帝が把握しているとは思えませんね。皇帝が魔術を使えることは確かとしても、それを部下や臣民に伝授していた節は全く見られませんでしたし、我々のように通信術で連絡を取り合い即時対応すると言うようなことは、到底不可能でしょう」
    「せやろ? となると相手には、いきなり瞬間移動がでけへんようになった原因がつかめへんワケや。そらまあ、アタシが何かしらしとると言う予測は立てられるやろうけども、ソレはあくまでも『予測』や。『確信』、『確定』や無い。
     人間はどないしても確実や、絶対に間違い無いっちゅう判断がでけへん以上は、『もしかしたら』と期待してまう生き物や。せやから『ホンマに必要か分からへんけど20年頼ってきたやり方通じひんような気ぃするからきっぱり辞めます』なんちゅうブッ飛んだ判断、まともな人間であればあるほど、するワケあらへん。ましてや他に方法を知らんっちゅうのんであれば、尚更や」
    「では、皇帝は今後も単独潜入に固執し続け、我々が本当に眼前、帝国首都近辺に迫るまで、他の対策を講じることは全く無いだろう、と?」
    「最低でもアタシらが防衛線に到達するまでは、ずーっとウジウジこだわるやろな」
     エリザは自信たっぷりに、そう言い切った。



     西山間部の西部から中部、そして東部へと移るに伴い、西山間部5ヶ国からもノルド王国と同様に人員や物資の援助を受けたことで、行軍の規模は沿岸部出発時の倍以上、2200名に拡大した。
     そしてエリザの予測通り、帝国軍が行軍・戦力増強の妨害や防衛線突破など、積極的に動き出すことは一切無く、遠征隊側は何の懸念もせずに、進攻準備を完全な形で整えることができた。

    琥珀暁・北征伝 3

    2020.07.15.[Edit]
    神様たちの話、第308話。一本槍戦法のデメリット。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「足止め?」「せや」 エリザは煙管に火を点けつつ、相手についての予測を語った。「突然敵の陣地のド真ん中に入り込んで引っ掻き回し、ガチガチに守られとるはずのトップをあっさり狩る。ソレが相手の――皇帝さんの基本戦術やろ。そしてソレが、『皇帝に対する恐怖と無力感を与えて従わせる』っちゅう戦略にもつながるワケや。逆に言...

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    神様たちの話、第309話。
    彼女の、最後の希望。

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    4.
    「お久しぶりやね」
    「はい……」
     西山間部オルトラ王国、その東辺縁に位置する村を、エリザは約1ヶ月ぶりに訪れていた。
    「気分はどないや?」
    「……あまり」
     その村に逗留させ続けていたリディアとも、久々に会ったものの――。
    「やつれとるな、随分。ご飯もちゃんと食べてへんのやないか?」
    「食欲が無くて……」
    「しんどいやろけども、ちゃんと食べや。お腹の子に悪いで」
    「……ええ」
     場の空気は重く、エリザに随行して来た丁稚たちは揃って、居心地の悪そうな表情を浮かべている。その中で一人、エリザだけは明るく振る舞い、リディアを励まそうとしていた。
    「あの」
     と、それまでうつむきがちに応じていたリディアが、顔を上げる。
    「ん? なんや?」
    「ユーリさんから伺いましたが、先生は遠征隊の方たちと共に来られたのですよね?」
    「せやで」
    「やはり帝国と……?」
    「その予定やね」
     うなずいたエリザの両腕を、リディアが突然、がばっとつかんだ。
    「先生! 駄目です……!」
    「な、なんやの」
    「父も、シェロも、皇帝に殺されたことをもう、お忘れなんですか!? 戦っては……」
    「あー、はいはい」
     つかまれたまま、エリザはにこ、と笑って見せる。
    「そう言えばリディアちゃん、クラム王国での話聞いてへんのやな」
    「え……?」
    「皇帝さんな、アタシらの前にも現れたんやけども、その場で追い返したったんよ。アタシが」
    「……どう言う意味ですか?」
    「言うたまんまや。アタシの首を狩るやのなんやの偉そうなコト抜かしとったけども、ボッコボコにしたったんよ。な、ロウくん」
    「あ、はい。オレも一発殴らせてもらったんス」
    「え……っと」
     エリザとロウの顔を交互に見比べてから、リディアはようやくエリザから手を離す。
    「嘘、……ですよね? わたしを安心させようとしてるんですよね?」
    「その気持ちは勿論あるけども、そんなんでウソなんか付くかいな。ホンマにソレ目的で何か言うんやったら、『おっさんシバいたった』みたいな辛気臭い話するより、もうちょっと景気のええコト言うわ」
    「……本当の話、……なんですか?」
    「ホンマや。せやからね」
     エリザはリディアの頭を優しく撫でながら、やんわりとした声で話を続ける。
    「アンタは何も心配せんで、ココでゆっくりしとき。めんどいコトは全部、アタシらが引き受けたるから」
    「……」
     リディアは無言で、こくんとうなずいた。
    「ほなもうちょっと、ココにおってや。帝国さんやっつけたら、戻って来るからな」
    「……はい」
     エリザもこれ以上は彼女の雰囲気を良くできそうには無いと判断し、そこで話を切り上げようと、腰を上げかけた。
    「ほな、また……」「あの」
     と、リディアがもう一度、エリザの手を引く。
    「おん?」
    「お願いがあるんです」
    「ん、何や? 何でも言うてみ」
    「……あの、今、ミェーチ軍団は、指揮権と言うか、動かす権限と言うか、そう言うようなものを、父もシェロももういないので、……わたしが、持っています。でも、わたしに動かせるような能力も、勇気もありません。ですので、先生、……どうか、わたしの代わりに、軍団を率いていただけませんか?」
    「あー、はいはい」
     エリザはもう一度座り直し、リディアに深くうなずいて返した。
    「ええよ。とりあえず、遠征隊に参加させるわ。みんなこっち来てはるんかな?」
    「はい。半数は防衛線に残っていますが、もう半分は」
    「よっしゃ、ほな声掛けてくるわ。後のコトはみんな、アタシに任しとき」
    「はい。お願いします」

     こうして生き残っていたミェーチ砦の兵たちも遠征隊に加わることとなり、その兵力は2500名にも上った。

    琥珀暁・北征伝 4

    2020.07.16.[Edit]
    神様たちの話、第309話。彼女の、最後の希望。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「お久しぶりやね」「はい……」 西山間部オルトラ王国、その東辺縁に位置する村を、エリザは約1ヶ月ぶりに訪れていた。「気分はどないや?」「……あまり」 その村に逗留させ続けていたリディアとも、久々に会ったものの――。「やつれとるな、随分。ご飯もちゃんと食べてへんのやないか?」「食欲が無くて……」「しんどいやろけども、ちゃん...

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    神様たちの話、第310話。
    決戦の舞台へ。

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    5.
     双月暦25年7月、遠征隊はついに山間部の東西結節点、ゼルカノゼロ塩湖南岸の前線基地に到着した。
    「お待ちしておりました、女将さん! ……と、隊長どの!」
     防衛線を守っていた兵士に出迎えられ、ハンは――表情には出さないものの――どことなく憮然とした様子で応じる。
    「俺が隊長のハンニバル・シモンだ。正式な軍事的通達・連絡は俺が受け持つ。状況はどうなっている?」
    「あ、はい。現在、帝国軍の動きはほぼ見られません。防衛線の付近を何度か、斥候がうろついていた程度です」
    「まだ見付かるような偵察体制のままなのか。学習の気配が全く見られないな。……と、そうだ」
     ハンは塩湖の方に一瞬目をやり、兵士に向き直る。
    「一つ聞いておきたいんだが、この湖は塩湖だそうだな?」
    「はい。山間部における塩の供給源となっています」
    「この湖の深さは? 人が渡ることは可能なのか?」
    「不可能です」
     断言され、ハンはもう一度塩湖を確認する。
    「あれは塩田だな? ここから見る限りでは、人が入っているようだが……?」
    「確かに湖沿岸は浅瀬ですが、奥へ進むと我々の身長の2倍、3倍以上も深くなります」
     自分の虎耳の上を手で指し示した兵士の頭を眺めつつ、ハンはざっくり計算する。
    「となると5~6メートルと言ったところか。重装備で泳いで渡るのは難しいだろうな。しかしここは寒冷地だろう? 凍ってしまえばその上を……」
    「無理です。塩水が濃いせいで、真冬でも薄く氷が張るか張らないかと言った程度ですし、ましてや今は夏ですから。あ、ちなみに舟で渡るのも難しいです」
    「何故だ?」
    「浮力が強すぎて、簡単に転覆するからです。一度、殿と若が連れ立って試されたことがありましたが、岸を離れてすぐ、揃って舟から投げ出され、一晩悶絶しておりました」
    「殿と若、……と言うと、ミェーチ王とシェロか。シェロは60キロ半ばだったし、ミェーチ王は……あの見た目からして、120キロは超えていただろう。舟自体と装備も含めれば250キロ以上はあっただろうが、……それが簡単に転覆、か。なるほど、確かに難しそうだ。
     一人ずつ舟に乗れば、何とか制御できるかも知れんが……」
    「そら無いな」
     エリザも湖に目をやりつつ、口を挟む。
    「一人ひとりでえっちらおっちらフヨフヨ~っと近付いて来たら、格好のマトになるんは目に見えとるからな。岸から矢ぁ射掛けられておしまいや」
    「確かに。では湖からの襲撃については、考える必要は無さそうですね。北岸は崖ですし」
    「この南岸の道が今んトコ、山間部の東西を結ぶ唯一のルートっちゅうワケや。ひいてはこのルートを守り切れるかどうかが、この戦いの分岐点にもなるっちゅうこっちゃ」
    「とは言え、そのルートを破ろうとしてくる相手が未だ現れないのでは、対策の取りようが無いでしょう」
     ハンの言葉に、エリザは肩をすくめて返す。
    「ま、ボチボチ動くやろ。なんぼなんでも、アタシらが着いたっちゅうコトは斥候さんらも確認でけはるやろし、ココまで来たらええ加減動かな、皇帝さんも本国でナメられてまうわ」
    「ふむ」
    「対策取るんはその後からでええやろ。少なくとも妨害術のおかげで防衛線のこっち側にいきなり来るっちゅうコトは無いやろし、ましてや魔術無しで2000人以上を相手しようなんて、そんなもん自殺と一緒や。流石に皇帝さんもそんなアホとちゃうやろ」
    「では、相手は軍で動くと?」
    「ココまで来たら、ええ加減踏ん切りも付くやろ。言うたら皇帝さんにとっては、『司令官としての』初陣になるな」
     その言い回しに、ハンはまた、「ふむ」とうなった。
    「となれば、こちらに相当有利となりそうですね。こちらは軍としての経験も豊富ですし、エリザさんの知恵もありますし」
    「お、頼りにしてくれとるんか?」
     ニヤニヤと笑って見せたエリザに、ハンも苦笑して返した。
    「ええ、何かと」

    琥珀暁・北征伝 終

    琥珀暁・北征伝 5

    2020.07.17.[Edit]
    神様たちの話、第310話。決戦の舞台へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 双月暦25年7月、遠征隊はついに山間部の東西結節点、ゼルカノゼロ塩湖南岸の前線基地に到着した。「お待ちしておりました、女将さん! ……と、隊長どの!」 防衛線を守っていた兵士に出迎えられ、ハンは――表情には出さないものの――どことなく憮然とした様子で応じる。「俺が隊長のハンニバル・シモンだ。正式な軍事的通達・連絡は俺が受け...

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    神様たちの話、第311話。
    ブリーフィング。

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    1.
     これもエリザの読み通りとなったが――遠征隊が防衛線に到着して5日後、帝国軍が防衛線から東南東に10キロ強の地点に陣取ったことが、遠征隊側の斥候によって確認された。
    「とは言え、士気は低いっちゅう話やったな」
    「ええ。一様に怯えた様子であったと」
     斥候からの報告を受け、エリザとハン、そしてイサコをはじめとする分隊の指揮官たちは作戦会議を開いた。
    「恐らく、皇帝が威圧しているんでしょうね」
    「せやろね。大方、『戦わな殺す。逃げたら殺す。討たれても殺す』みたいなムチャ言うて、無理矢理けしかけとんのやろ」
    「想像に難くないですな」
     指揮官たちが一様に苦い顔を並べる一方、ハンは別の理由から顔をしかめている。
    「それでこの地図を参考にするとして――どこまで正確なのかは疑問だが――敵陣とこちらの間に、特に障害となるような地点は無く、いわゆる平地・交地となっているわけだ。この一点だけでも敵の、『軍としての』戦闘能力が著しく低いことは明らかだろう」
    「どう言う意味です?」
     指揮官の何人かは首をかしげるが、緒戦から参加してきたイサコは理解したような様子でうなずいている。
    「『攻め』については辛うじて考慮した様子は見られても、『守り』に関してその配慮が見られない、と言うことか」
    「その通りだ」
     ハンもうなずいて返し、指揮官たちに詳しく説明した。
    「この布陣からは相手が抵抗、あるいは攻撃に出ることを想定した気配が全く見られない。恐らく皇帝が20年前に組み立てた――既に大勢が決し、敵にもならなくなったボロボロの相手を押し潰すことを目的とした攻め一辺倒の布陣を、そのまま流用したものなんだろう。
     だが、繰り返すがこの布陣に防御力は皆無だ。いち早く攻め込めば、恐らく相当早い段階で決着が付くだろう。以上の理由から、今夜中にも出撃することを提案する」
     と、エリザが手を挙げる。
    「アンタにしては積極的やけども、今ひとつやな」
    「まずいですか?」
     憮然とするハンに、エリザが肩をすくめて返す。
    「確かに決着はするやろな。でもこっちにも、結構な被害が出るコトは予想でけるやろ?」
    「それはまあ、確かに」
    「ソレはもったいなさすぎるで。アタシの案やったら、もっと被害を少なくでける。上手いコト行ったら被害無しも有り得る手や」
    「そんな手が?」
     目を丸くするハンと指揮官たちに、エリザはニヤッと笑って見せた。
    「相手の士気は低いっちゅう話やったな? せやのにこうして最前線まで追いやられとるっちゅうコトやったら、ちょっと『誘惑』したったら転ぶんとちゃうか?」
    「誘惑?」
     ざわめく指揮官たちを見て、エリザはケラケラと笑う。
    「や、何も色仕掛けっちゅう話とちゃうで? もっと別の欲で釣るっちゅう作戦や」
    「別の? まさかノルド王国や西山間部でやったように、食事で、と?」
    「ソレや。ちゅうても、まさか直で『うまいもんあるでー』って呼ぶワケやないで」
    「それはそうでしょう。皇帝が真後ろにいる状況では、流石に応じないでしょうからね。そんな状況で動こうものなら即、処罰されてしまうでしょうから」
    「ソコもチョイチョイってなもんでな。皇帝さんもある程度、動きを操れるやろと目論んどるんよ」
    「操る? そんな魔術があるんですか?」
    「ちゃうちゃう」
     ふたたびざわついた場を抑えつつ、エリザはこう説明した。
    「みんなももう知っとるやろけども、皇帝さんは一瞬で、かつ、自由自在に好きなトコ行ける術を持っとるらしいんよ。ほんで、この術にはアタシらの妨害術が効くらしいっちゅうコトも分かっとる。で、この2ヶ月ずーっと妨害術で防ぎ続けとるワケやけども、皇帝さんにしてみたらこの状況、イライラしてしゃあないやろな、っちゅうコトや」
    「ふむ……?」
    「向こうにしてみたら、『何で今まで好き勝手やっとったのにでけへんようなってんねん』、やんか? ソコで急にポンと使えるようになったとしたら?」
    「迷わず使うでしょうね。罠と警戒する可能性もあるでしょうが、単騎潜入と暗殺が相手の戦略の要、主要な戦闘手段となれば、どちらにせよ使わざるを得ないでしょう」
     ハンの回答に、エリザは満面の笑みでうなずいて見せる。
    「そう言うこっちゃ。つまりこの一点に関しては、皇帝さんの行動を操れるっちゅうワケや」

    琥珀暁・湖戦伝 1

    2020.07.19.[Edit]
    神様たちの話、第311話。ブリーフィング。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. これもエリザの読み通りとなったが――遠征隊が防衛線に到着して5日後、帝国軍が防衛線から東南東に10キロ強の地点に陣取ったことが、遠征隊側の斥候によって確認された。「とは言え、士気は低いっちゅう話やったな」「ええ。一様に怯えた様子であったと」 斥候からの報告を受け、エリザとハン、そしてイサコをはじめとする分隊の指揮官た...

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    神様たちの話、第312話。
    決戦初日。

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    2.
     帝国軍が到着したその翌日から、戦闘が始まった。
    「交渉も宣戦布告も無く、いきなり襲ってくるとは」
    「話し合いっちゅう考えが無いんやろな、皇帝さん」
     遠征隊側、即ち防衛線西側の本営にて、ハンとエリザは状況を逐一報告されていた。
    「現在、関所東側各所で交戦中です。ただし女将さんに厳命された通り、こちらからの攻撃・反撃は一切行わず、防御を徹底し防衛線を堅持しています」
    「うんうん、引き続きその調子でよろしゅうな」
     伝令が下がったところで、ハンが苦い顔をする。
    「一応、俺がここのトップなはずなんですがね」
    「ここぞと言う時にはビシッと命令してもらうから、ソレまでのんびりしとき。細かいトコはアタシがやるさかい」
    「やれやれ……。そんな調子でいいんでしょうかね?」
    「えーねんえーねん。焦った顔してピリピリイライラしとるのんを見せるより、こうしてのんびりどっしり構えとるトコ見せたった方が、みんな安心するで。想像してみ、皇帝さんなんか向こうで十中八九、辺り構わず怒鳴り散らしとるやろで。そんなん下の者はうっとうしくてしゃあないやろ」
    「なるほど。容易に想像が付きますね」
    「ちゅうワケで、のんびりお話でもしよか。どのみち、防御を徹底しとるっちゅうコトやったら、誰も死にはせんやろしな」
     エリザが煙管を口にくわえる一方で、ハンも手元の地図の清書を始める。
    「元から壁が重厚長大な上、その手前であれだけ頑丈で巨大な、防壁同然の盾を持って陣取られては、敵も味方も容易に動けないでしょうしね。
     それでエリザさん、防御を徹底させた理由は? 被害を極力抑えると言う目的は分かりますが、あなたのことですからそれだけではないんでしょう?」
    「おっ、よお分かってるやないの」
     ぷか、と紫煙の輪っかを宙に飛ばし、エリザはニコニコと笑う。
    「ま、一言で言うたら無力感を与えるっちゅうヤツやね。目一杯押せど叩けど、一人も倒せん、なんもでけへん、ただただ疲れるだけとなれば、やる気も失せてくるやろ?」
    「ふむ」
    「今日、明日はその調子で攻めるだけ攻めさせて、消耗させるんや。となれば明後日辺り、皇帝さんが何かしら出張って来て、すっかりヘトヘトになった向こうの兵隊さんらにやいやい言い出す。アタシはそう読んどるんよ」
    「十分有り得る流れですね」
    「何にも成果も勲功も上がらへんのに、一方的に文句だけ言われてみいや? ただでさえすり減っとる士気が、余計無くなっていくやんか。で、ソコにご飯の匂いがフワーッと漂ってきたら、向こうさんはどんな顔するやろな?」
     これを聞いて、ハンは苦笑する。
    「相当辛いことになりますね、それは」
    「その翌日辺りから、向こうさんの人数減ってくはずやで。上からは殺す殺す言われて、前は一向に破られへん。もう限界やっちゅうトコにそんな誘惑受けてみいや。逃げたくもなるやんか」
    「なるほど。となれば決着は4日、5日と言うところですか」
    「や、まだもうひと手間っちゅうトコやな。人数減ってきたら、皇帝さんが自分で動くやろからな。なんぼなんでも皇帝さんが出陣するとなったら、向こうさんももうひと頑張りせなアカンくなるやろし」
    「そこで皇帝を操る策を発動、と言うことですか」
    「そう言うこっちゃ。で、上手いコト皇帝さんを遠ざけたところで、アタシらが残った向こうさんらに『やめにせえへんか』と呼びかけるワケや。ソコで向こうが投降すれば、皇帝さんにもう武器はあらへん。丸々残ったアタシら2500人を、一人で相手せなアカン状況になる」
    「まともな思考が相手にあるなら、その時点で逃亡するでしょうね。と言って、まともじゃなければ……」
    「そんなもん……」
     エリザは煙管の先を机にこつん、と置き、こう続けた。
    「そのままプチっとやっておしまいや」

    琥珀暁・湖戦伝 2

    2020.07.20.[Edit]
    神様たちの話、第312話。決戦初日。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 帝国軍が到着したその翌日から、戦闘が始まった。「交渉も宣戦布告も無く、いきなり襲ってくるとは」「話し合いっちゅう考えが無いんやろな、皇帝さん」 遠征隊側、即ち防衛線西側の本営にて、ハンとエリザは状況を逐一報告されていた。「現在、関所東側各所で交戦中です。ただし女将さんに厳命された通り、こちらからの攻撃・反撃は一切行わず、...

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    神様たちの話、第313話。
    狐の女将、先知を得る。

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    3.
     ゼルカノゼロ南岸の平地は最も狭い場所で幅5~600メートルと、その周辺に比べて急に狭まる隘路(あいろ)となっており、20年前の戦いにおいても戦略上重要な地点となっていた。
     そのため20年前の、帝国による北方統一戦争が終息してまもなく、帝国は西山間部以西から進攻される可能性を排除すべく、近隣の開けた土地に基地を築き、それと並行してこの隘路にも関所を設けていた。とは言え敵対勢力が全滅した、統一後のことであり、守りを堅くすることは実質的には求められておらず、その壁は石を組んだ程度の、簡素なものでしかなかった。
     その後、ミェーチ軍団と豪族が結託して西山間部を奪取したことにより、この関所には帝国の進軍を阻む役目を要求され、大幅な補強工事が行われることになった。これが、これまで語っていた「防衛線構築」の経緯である。

     この防衛線構築の時点で既に、エリザは帝国軍に2つの弱点があることを――いつものごとく「商売がてらの情報収集」などによって――見抜いていた。
     一つは、以前にも触れた通り、非常に消極的で行動が遅いこと。そしてもう一つは、継戦能力の低さである。物資の流通ルートを把握する過程で、エリザは食糧の流れが沿岸部側から東山間部側への一方通行となっており、帝国が食糧自給を沿岸部と西山間部に少なからず依存していることに気付いていた。
     これは即ち、防衛線の完成によって物資の流れが完全に遮断されれば、帝国が遠からず飢えに苦しむことを示唆しており、もしこの状況で帝国軍が動いたとしても、採れる策が短期決戦の一択しか無いことも暗示していた。



     エリザのその予測通り、開戦当初こそがむしゃらに攻めて来ていた帝国軍も、2日、3日と経たずして、みるみる勢いが衰えていった。
    「くそ……もう日が暮れる」
    「これ以上は無理だ。今日のところは引き上げよう」
    「撤退! 撤退!」
     夏とは言え北方の昼は短く、その日も戦い始めてから四半日もしない内に辺りが茜色に染まってきたため、帝国軍はやむなく攻撃をやめて拠点へ引き返して行った。
    「あーあ……。今日の晩飯も芋1つと塩のスープだけか?」
    「仕方あるまい。3000人も兵がいるとなっては、飯代も馬鹿にならん」
    「そりゃ理屈ではそうだ。理屈ではな」
    「そうだよ、理屈はさ、理屈はそうだけどさ、……分かるだろ? あいつらのいる方角から……」
    「ああ……うん」
     ぎゅうぎゅうに人が詰まったテントの中に、うんざりした雰囲気が立ち込める。
    「なんかさあ……なんか……もう……なんかがさあ!」
    「分かる。メチャクチャいい匂いしてくんだよな」
    「あれ本当なんなんだよ、クソが……!」
    「こっちは必死だってのに、あいつらずーっと何か、もぐもぐ食ってんだよ」
    「関所の上でな。俺見たもん。チラッとだけど」
    「マジふざけんなって話だよな。……畜生、こんなもんで食った気になるかっつーの!」
     3分もしないうちにその日の夕食も終わってしまい、彼らはのろのろとした足取りでテントを出た。
    「後は寝て起きて芋いっこ食って、まーた関所に向かって、かぁ。……あーあ、もううんざりだよ」
    「だよなぁ。あんな分厚い壁やら盾やら、どうやったって破れるかってんだよ」
    「上は全然分かってないんだよな、前線の状況なんて」
    「大体さあ、何で俺たちがこんなところで戦わなきゃならないんだよ?」
    「だよなぁ。そう言うのは沿岸部だとか、湖の向こう側でやってたことだろ?」
     兵士たちから漏れる言葉は現状への不満から、上層への愚痴へと変わる。
    「結局、上が下手打ったせいで海外人がここまで来たってことだよな」
    「それだよな。海外人が来たって時点ですぐ動いてりゃ、こんなギリギリのとこで戦わずに済んだわけだしさ」
    「それまで何やってたんだろうな、本当」
    「普段偉そうにふんぞり返ってるクセして、有事には何にもできないってか」
    「本当、それだよ。マジでバカみてえ……」
     と――愚痴を並べていた彼らの前に、仰々しい鎧を着込んだ男が現れた。
    「……っ、な、何か御用でしょうか、じょ、上将軍閣下?」
     自分たちの上司であることに気付き、つい先程まで非難の言葉を吐いていた彼らは背筋を正す。
    「皇帝陛下より直々の命令が下った」
     その将軍が沈鬱な表情を浮かべつつ、彼らに通達した。
    「今すぐ全員体制で出撃せよとのご命令だ」
    「い、……今すぐ、ですか!?」
    「たった今、撤退したところなのに!?」
     騒然となる兵士たちに、将軍はこう続ける。
    「朝までに彼奴らの防衛線を突破できなければ、全員その場で自決せよ、……と」
    「なっ……!?」
    「そ、そんな無茶な!」
    「やらねばこの拠点に火を放つ、と仰られている。いや、既にもう……」
     話している間に、辺りに焦げ臭い臭いが漂い始めた。
    「な……なっ……」
    「諸君が帰投する場所はもう無い。私も同様だ。であれば戦い、彼らを滅ぼす方がまだ、生き残る可能性はある。戻ったところで、陛下に誅されるだろうからな。
     諸君、やるしかないのだ」
    「……っ」
     兵士たちは顔を見合わせていたが――やがて揃って絶望に満ちた表情を浮かべながら、燃え盛る炎の中へと武具を取りに向かった。

    琥珀暁・湖戦伝 3

    2020.07.21.[Edit]
    神様たちの話、第313話。狐の女将、先知を得る。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ゼルカノゼロ南岸の平地は最も狭い場所で幅5~600メートルと、その周辺に比べて急に狭まる隘路(あいろ)となっており、20年前の戦いにおいても戦略上重要な地点となっていた。 そのため20年前の、帝国による北方統一戦争が終息してまもなく、帝国は西山間部以西から進攻される可能性を排除すべく、近隣の開けた土地に基地を...

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    神様たちの話、第314話。
    急変の夜。

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    4.
     敵陣からの出火の報を聞き、エリザは寝間着姿のまま、本営に飛び込んだ。
    「向こうが燃えとるって?」
    「ええ、ですがこちらが独断で動いた形跡はありません。どうやら相手が自ら火をかけたようです」
     ハンから状況を伝えられ、エリザは腕を組んでうなる。
    「ちゅうコトは皇帝さんがけしかけよったな。ひどいコトしはるわ。兵隊さんの退路断って、無理矢理こっちを陥とさせようとしとんのやろ」
    「どうしますか?」
    「どうもこうも、やな。昼間やってたように、防御を徹底や。ただし……」
     エリザは上を指差し、こう付け加えた。
    「今、白い月が西の方におったな? アレが山の向こうに隠れるくらいの辺りで、妨害術解除や。同時に『ショックビート』使て、攻めて来とるヤツを全員鎮圧してしまおか」
    「解除? では……」
    「せや。ボチボチ皇帝さんを、こっちにおびき寄せるで」



     拠点を焼き出され、帝国軍は必死の形相で防衛線に食らい付いていた。だが、初日のまだ余力があった頃でさえびくともしなかった防御が、この期に至って急に崩せるようになるはずも無く、攻撃開始から2時間もしない内に、その虚勢はすっかりしぼんでしまった。
    「はぁ……はぁ……」
    「ひっ……ひい……ダメだぁ」
    「どうにもならねえ……!」
     辛うじて彼らを突き動かしていた皇帝への恐怖も、やがて積み重なった疲労に押しやられてしまい、兵士たちはその場にうずくまってしまった。
    「も……もう……いい……」
    「どっちにしたって死ぬんだ……」
    「好きにしてくれや、畜生……!」
     すっかり意気消沈してしまい、辺りは沈黙に包まれた。いや――。
    「用意!」
     ここで初めて、関所の方から鋭く声が響く。
    「あ……? 用意って?」
    「知るかよ」
    「どうせ矢でも……」
     次の瞬間、彼ら全員の耳奥にとてつもない重低音が響き渡り――その全員が、声も上げずにバタバタと倒れていった。

    「敵、完全に沈黙しました!」
    「よっしゃ、急いで……」「急いで回収し拘束せよ! 後続勢力への警戒も怠るな!」
     エリザを押しのける形で号令を発し、ハンははっとした顔を彼女に向ける。
    「あ、……すみません」
    「アハハ……、ええよええよ。ま、そう言う感じでよろしゅう」
    「はっ……」
     伝令が去ったところで、エリザはハンが清書した地図を机に広げた。
    「ほんで、現状やけども」
    「『後続を警戒せよ』とは言いましたが、恐らく敵兵士については、防衛線付近にいた者で全員でしょう。彼らの事情を鑑みれば、残存勢力を残しておけるような状況ではないでしょうからね」
    「せやね。となればいよいよお出ましやろ」
    「こちらが何ら物理的手段を講じていないにもかかわらず、いきなり自陣が瓦解したと知れば、相手も妨害術が解除されていることに気付くでしょうからね」
    「ソコで、や」
     エリザは地図上の、現在自分たちがいる地点を煙管の先で指し示した。
    「皇帝さんが現状を知った、魔術使えるんちゃうかと思い立った、と。ほなドコに現れるやろ?」
    「流石にこちらの中心部や本営にいきなり現れることはしないでしょう。それじゃ暗殺になりませんからね」
    「仮にド真ん中に来たとて、精鋭揃いや。クラム王国ん時みたく、ボコボコにされるだけやしな。どんだけアホやとしても、流石に自分が経験したコトは忘れへんやろ」
    「となれば離れた場所から接近、と考えるのが常道でしょう」
    「そうなるやろな。せやけども、ソレがドコかまでは流石に分からん。ソコでや」
     エリザは拠点の西に煙管の先を向け、こう続けた。
    「あらかじめな、こっち側の警備しとる子らに頼んで、今回の作戦が始まったら全員撤収するように言うてあんねん。もうボチボチ、みんな引き上げとる頃やろ」
    「それは流石に危ないんじゃ……」
     不安そうな目を向けるハンに、エリザはニヤ、と笑みを返す。
    「勿論、罠も仕掛けとる。真っ正直に飛び込んで来よったら、あっちゅう間におしまいやっちゅうくらいにはな。仮に罠に気付いて引き返しよっても、ソレはソレでもう終わりやん? もう兵隊さんは全員ウチん中やしな」
    「なるほど。どうあれ、飛び込むしか相手に手は無い、と」

    琥珀暁・湖戦伝 4

    2020.07.22.[Edit]
    神様たちの話、第314話。急変の夜。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 敵陣からの出火の報を聞き、エリザは寝間着姿のまま、本営に飛び込んだ。「向こうが燃えとるって?」「ええ、ですがこちらが独断で動いた形跡はありません。どうやら相手が自ら火をかけたようです」 ハンから状況を伝えられ、エリザは腕を組んでうなる。「ちゅうコトは皇帝さんがけしかけよったな。ひどいコトしはるわ。兵隊さんの退路断って、無...

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    神様たちの話、第315話。
    帝国軍、最後の一手。

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    5.
     既に日をまたぎ、あと3、4時間もすればようやく東の稜線から光が漏れてくるかと言う頃になって、拠点西側に人影が現れた。
    (現れました!)
     物陰に潜み、周囲の警戒に務めていた斥候らが、「頭巾」で報告する。彼らにとっては運のいいことに、その相手は気付いていないらしく――あるいは気付いていても、攻撃する余裕を失っているのか――その影はまっすぐ、拠点へと駆けていく。
    (まっすぐ拠点へ向かっています! まもなく罠のあるポイントに……)
     報告が終わらない内に、炸裂音が響き渡る。
    「ぐっ……!」
     相手から苦しそうなうなり声が漏れるが、影は止まることなく、罠の中を突き進んでいった。
    「……小癪な……」
     二度、三度と爆発が起こったところで、影は短く叫び、空高く跳躍した。
    (あっ……も、目標、突破しました! 罠のポイントを抜けました! ジャンプして! 向かってます! 警戒! 警戒されたし!)

     報告を受け、マリアをはじめとする遠征隊内の精鋭たちが、拠点の西側に陣取る。
    「皇帝がこっちに来ているそうです! 全員、臨戦用意!」
     伝令役のビートの号令に従い、マリアは槍を構えた。
    「いつでも来なさいよ、皇帝……!」
     他の者も各々武器を構え、敵の襲来に備える。まもなく西から影が現れ、空高く飛び上って、皆の前に着地した。
    「かかれーッ!」
     号令をかけつつ、マリア自身も槍を振り上げ、その影に振り下ろした。ところが――。
    「うっ……!?」
     頭に振り下ろした槍が、ばきんと音を立てて砕け散る。
    「……あいつじゃない!」
     マリアはとっさに後ろへ飛び退き、その影から距離を取ろうとする。
    「逃さんぞ」
     だが、影は瞬時にマリアへ肉薄し、そのまま弾き飛ばす。
    「あうっ……!」
     地面を転がり、そのままマリアは動かなくなった。
    「マリアさん!」
     ビートが顔を青ざめさせる一方、他の者が影へ攻撃を仕掛けた。
    「うおらあッ!」
    「食らいやがれえッ!」
    「んなろおおッ!」
     だが、戦鎚や矢を胴に受け、頭に剣を叩き付けられても、影の勢いは衰えない。それどころか、仕掛けた者たちを順々に、甲冑を付けた腕で殴り飛ばして行った。
    「うごぉっ!?」
    「がは……っ!?」
    「ば、バカなっ」
     屈強な男たちが、まるで小石を投げるかのように弾かれ、あっと言うまに半数以下になってしまった。
    「そ、そんな……!」
     残りの者たちが呆然とする中、影のまとっていたフードがぼろりと落ち、中の姿があらわになった。
    「う……!?」
    「な、なんだあの甲冑は!?」
    「こいつ、……が、皇帝?」
     と、その全身甲冑姿の者が、無機質な声で応じる。
    「お前ら如き有象無象の相手をするほど、皇帝は暇ではない。この皇帝第一の側近、アル・ノゾンが相手をしてやろう」
     がしゃん、がしゃんと足音を立てながら、アルと名乗ったその男は拠点に近付いて来る。
    「お、囮か!?」
    「じゃあ皇帝は……!?」
    「ハーベイ! 隊長に報告……」
     慌てふためき、皆の隊列が乱れた瞬間、アルはがきん、と金属音を鳴らして、その中に飛び込んで来た。
    「死ぬが良い」
    「うわああっ……!」
     残った者たちは果敢に立ち向かうも、アルに全く攻撃が通らず、一人、また一人と返り討ちにされてしまう。
    「あ……あわわ……」
     精鋭だったはずの者たちが次々と、行動不能になっていく。ただ一人、ビートだけは無傷のままだったものの、無防備な状態で取り残されていた。
    「く……くそっ」
     それでもどうにか口を動かし、魔術を放つが、それもアルには全く効かず、一歩、また一歩と迫って来る。
    「く……来るな、来るなーっ!」
     ビートはついに腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
    「た……助けて……助けて、マリアさん……!」

     ばっ、とビートの前にもう一つ、影が現れる。
    「あ……う……」
     恐怖で前後不覚になりながらも、ビートは心のどこかで、その影がマリアではないかと期待を抱いた。だが――影は明らかにマリアのものとは違う、少年のように高い声で答えてきた。
    「情けないねぇ、君。もうちょっとカッコいいトコ見せろってね。ま、どーでもいいけどね」

    琥珀暁・湖戦伝 5

    2020.07.23.[Edit]
    神様たちの話、第315話。帝国軍、最後の一手。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 既に日をまたぎ、あと3、4時間もすればようやく東の稜線から光が漏れてくるかと言う頃になって、拠点西側に人影が現れた。(現れました!) 物陰に潜み、周囲の警戒に務めていた斥候らが、「頭巾」で報告する。彼らにとっては運のいいことに、その相手は気付いていないらしく――あるいは気付いていても、攻撃する余裕を失っているのか...

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    神様たちの話、第316話。
    千年級の会話;"ROCKKEY"。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「あ……え……だ、誰?」
     しどろもどろながらも尋ねたビートに、その影はフンと、鼻を鳴らして答える。
    「君の想い人じゃないってコトは確かだね。ま、でも逆にソレでいいんじゃないね? そんなみっともない姿、見せたくないだろ?」
    「……あっ、……は、はい」
     立ち上がろうとしたが、完全に腰が抜けてしまったらしく、立つことができない。それを見抜いたらしく、影はまた嘲笑った。
    「ソコでじっとしてな。もう安全だしね」
     そう言われて、ビートはつい先程までアルが迫って来ていた方向に目をやる。
    「え?」
     そこでようやくビートは、そのアルが前方はるか遠くに転がっていることに気付いた。
    「な……何を? 何をしたんですか?」
    「そりゃもう、チョイチョイってなもんだね」
     その言葉遣いに既視感を覚え、ビートは思わずこう尋ねていた。
    「せ、先生? ……いや、……やっぱり違う」
    「先生じゃなくても、その先生かも知れないねぇ」
     そんな風に返しつつ、影はふたたび迫って来たアルに向けて魔杖を構える。
    「ヘッ、バカの一つ覚えだねぇ。『ウロボロスポール』」
     直後、またもアルは彼方に弾き飛ばされ、今度こそ動かなくなった。
    「いくらクソデカ装甲で高出力でも、その高出力を自分自身にぶつけられちゃ、たまったもんじゃないらしいね」
     影は魔杖を構えたまま、アルの側に近付く。
    「よお、お兄ちゃん。お元気かい?」
    「ナ……何者ダ……キサ……マ」
     壊れた管楽器のような声を上げたアルに、影はこう返す。
    「お前が誰かってコトは、私ゃよおく知ってるね」
    「答エロ……何者ダ!」
    「へっへへ……」
     アルを見下し、嘲笑いながら、影は魔杖を相手の胸に突き付けた。
    「緑綺(ロッキー)の息子だろ、君?」
    「……ロッキー……?」
    「おや? 生みの親の名前を知らないって? んなワケ無いね。あの自信過剰の自意識過剰が君みたいな秀作・傑作に自分の名前を刻み込んどかないなんて謙虚な真似、するワケないだろ? よく思い出しな。お前のメモリのどこか片隅に、こっそり埋め込まれてるはずさね」
    「……該当……《C.C.2774 ROCKKEY》……何故オ前ガ……コノ私自身デサエモ……今ノ今マデ認識シテイナカッタ……コンナ20バイトニモ満タヌ……チッポケナ情報ヲ……?」
    「さあね。ソコまでは教えてやるもんか。ともかく」
     魔杖が光り輝き、真っ赤な熱線がアルの腹から胸に向かって放たれる。
    「お前の野望はココでおしまいだね」
    「ウゴオォ……ッ!」
     瞬間――閃光と共に、アルと、その影は消え去った。

     すっかり静まり返ったところで、ビートはようやく立ち上がり、慌ててマリアのところへ駆け寄った。
    「ま……マリアさん! 大丈夫ですか!?」
    「う……ん……」
     どうやら右肩が外れているらしく、不自然な垂れ下がり方をしていたが、それ以外にマリアには目立った外傷も無く、出血も見られなかった。
    (どうにか受け身を取りはしたけど、脱臼の痛みで気絶したって感じだ。……じゃなくて)
     ビートはマリアの肩を入れてやり、ぽんぽんとほおを叩いて声を掛けた。
    「マリアさん! 起きて! マリアさん!」
    「……う……う? ……あっ!?」
     目を覚ますなり、マリアは跳ねるようにその場から飛び起き、警戒態勢を執る。
    「あいつはッ!?」
    「た……倒しました」
    「倒した!? ……誰が?」
    「えっと……」
     そう問われてビートはアルがいた方に目をやるが、やはりアルも、あの影もおらず、答えに窮する。
    (『良く分からないけどいきなり誰かが現れて助けてくれました』、……なんて言ってもワケ分からないよなぁ)
    「……まさか、あんたが?」
     と、続けてマリアに問われ、ビートは曖昧に答える。
    「え? あっ、いや、えーと、そのー……」
    「マジで? マジであんたがあいつ、やっつけたの? マジで殺せたの?」
    「いや、殺したって言うか、爆発して……」
    「自爆した……? そ、そう」
     ようやくマリアは警戒を解き、ビートを抱きしめた。
    「やるじゃん、あんた! 見直したよ」
    「あ、あへっ、や、ま、マリアさん、ちょ」
    「……あ! そうだ、皇帝!」
     ビートがどさくさに紛れて抱き返そうとした瞬間、マリアはビートから離れ、その場から駆け出した。
    「今のが皇帝じゃないとしたら、きっと東側に来てる! 行こう、ビート!」
    「あ……そ、そうですね! 急がないと!」
     ビートも足元に落ちていた魔杖を拾い、慌ててマリアの後を追った。

    琥珀暁・湖戦伝 6

    2020.07.24.[Edit]
    神様たちの話、第316話。千年級の会話;"ROCKKEY"。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「あ……え……だ、誰?」 しどろもどろながらも尋ねたビートに、その影はフンと、鼻を鳴らして答える。「君の想い人じゃないってコトは確かだね。ま、でも逆にソレでいいんじゃないね? そんなみっともない姿、見せたくないだろ?」「……あっ、……は、はい」 立ち上がろうとしたが、完全に腰が抜けてしまったらしく、立つことができな...

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    神様たちの話、第317話。
    ゼルカノゼロ南岸戦、決着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     西側が騒がしくなり、拠点にいた者たちは続々、そちらへと向かっていた。
    「おい、行こうぜ!」
    「え? いや、でも」
    「何だよ? 西に出たってんなら、こっちから来るヤツは誰もいないだろ?」
    「……それもそうか。よし、行くか!」
     防衛線の守りに付いていた者たちも次第に持ち場を離れ、やがて東側を監視する者は一人もいなくなってしまった。

     もぬけの殻になった防衛線を飛び越え、関所の上に皇帝レン・ジーンが降り立った。
    「陽動に惑わされ、自ら守りを緩めるとは。智将と聞いていたが、こう易々と余の仕掛けた策にはまるか。くくく……!」
     高笑いしつつ、ジーンは関所から飛び降りる。と同時に――。
    「今の言葉、そっくりそのまんま返したろか?」
     すぐ背後から声がかけられ、ジーンは驚愕の声を上げる。
    「うぬっ!?」
    「ロウくん、一発」
    「うっス!」
     ジーンが振り向くとほぼ同時に、ロウのパンチがジーンの顔面を捉える。
    「ぐあっ……!」
     ジーンの鼻から血しぶきが上がり、彼は3メートル近く地面を滑って行った。
    「あ……がっ……」
     どうにか立ち上がるも、続けてハンが斬り掛かる。
    「うおおぉ……っ!」
     ハンの一太刀を、ジーンもどうにか剣を抜いて防いだものの、そのたった一撃で、剣は真っ二つに折られてしまった。
    「青銅製か? ソレとも黒曜石か何かか? どっちにせよ、まともに受けたら鋼鉄には敵わんな」
    「う……うう……」
     ほぼ柄だけになった剣を捨て、ジーンは3人から距離を取る。
    「何故だ!? 何故余がここに来ることを……!?」
    「策っちゅうもんは十重二十重に仕掛けてナンボや。一個目が潰れた時のために二個目、二個目がバレた時のために三個目や。
     アンタがバカ正直に西から来るんやったらソレでよし。向こうで張っとった子に総攻撃してもろて終わりやった。そして今みたいに、西と見せかけて東やったとしてもや。アタシがソレを見抜けへんアホやと思とったんか?」
    「く……女狐が!」
    「ちゅうワケで3対1や。しかももう、アンタの後ろに人はおらん。反面、こっちは続々応援が来るで。どんどん不利になるけども、アンタどないするつもりや?」
    「く……く……くくく」
     エリザの威圧に対し、ジーンはなお笑いを浮かべている。
    「馬鹿め……! 余がたった一人で敵陣に現れる愚鈍と思っているのか! 今頃その精鋭とやらは、余の第一の側近によって……!」
     が――居丈高に振る舞っているその最中に、彼の背後からバタバタと、足音が響いて来る。
    「先生! 尉官! ご無事ですか!?」
    「西側から来たのは囮でしたー! だから多分、皇帝がこっちに……!」
     途端にジーンの顔がこわばり、後ろを振り返る。
    「……あの……あの女は! 貴様の言う精鋭、……か!? では……アルは……どこに?」
    「その第一の側近とか言うのん、マリアちゃんらがやっつけてしもたらしいな。で?」
    「……馬鹿な……アルを……!?」
     もう一度、ジーンはエリザたちの方を振り返る。つい先程まで見せていた余裕は最早、どこにも無かった。
     そうこうしている間に、やがてマリアとビートだけではなく、他の兵士たちも続々と駆け付けて来る。
    「あれが、……皇帝?」
    「……恐ろしい、……と、思ってたけど」
    「何かもう、ボロボロになってないか?」
    「うわ、鼻血ダラダラ出てるよ」
    「……ぷっ……だっせ」
     恐らく、本来の彼であればその嘲笑じみたざわめきを聞き逃すはずも、放っておくはずも無いのだろうが、進退を窮めた彼には、どうやらその余裕は無いようだった。
    「ほら、どないするんや? 大人しく投降するか? 今やったら鎖で全身グルグル巻きにして宙吊りにするくらいで許したるで」
     集まって来た兵士たちは、誰からともなくジーンの周りに武器を構えて並び、三重、四重に包囲を固める。
    「ソレともココの全員を素手で相手にするか? でも良く考えや? 誰かに指一本でも触ろうとしよったら、ココにおる2000人が、アンタを挽肉にするまでボコ殴りにするで」
    「ぐ……」
     ジーンは右手を挙げるが、その手からは何も放たれることは無かった。
    「何や? 気付いてへんのか? こうしてアンタがノコノコ乗り込んで来たんやから、誰かしら魔術封じするんは当たり前やんか。ま、どっちにしてもや、媒体にしとる剣が折れとるんやから、魔術使ても大した威力は出えへんで」
    「……くっ……」
     ジーンはしばらく硬直したままだったが――やがて両手を下ろし、「好きにするが良い」と吐き捨てた。

    琥珀暁・湖戦伝 終

    琥珀暁・湖戦伝 7

    2020.07.25.[Edit]
    神様たちの話、第317話。ゼルカノゼロ南岸戦、決着。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 西側が騒がしくなり、拠点にいた者たちは続々、そちらへと向かっていた。「おい、行こうぜ!」「え? いや、でも」「何だよ? 西に出たってんなら、こっちから来るヤツは誰もいないだろ?」「……それもそうか。よし、行くか!」 防衛線の守りに付いていた者たちも次第に持ち場を離れ、やがて東側を監視する者は一人もいなくなっ...

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    神様たちの話、第318話。
    語らぬ皇帝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「何や吐いたか、皇帝さん?」
    「何も、……ですね」
     ゼルカノゼロ南岸の戦いで皇帝レン・ジーンを拘束して以降、ハンは彼に、毎日のように尋問を行っていた。
    「最後の意地、と言う奴でしょうかね。帝国の残存兵力についても、魔術を学んだ経緯についても、……そしてクーの安否について尋ねても、一言もしゃべりません」
    「この期に及んでふてぶてしいやっちゃな。……ま、ええわ。後もうちょいで首都への道も開けるやろしな」
    「……そうですね。……今はただ、クーの無事を祈りましょう」
    「せやな」



     エリザの情報網によってゼルカノゼロ南岸戦の結果と、そして皇帝が遠征隊の手に堕ちたことは、北方各地に喧伝された。その効果は非常に大きく、戦闘から半月後、東山間部の帝国属国であった二ヶ国から、遠征隊に帰順する旨の文書が届けられた。遠征隊はすぐにその二ヶ国と連絡を取り、友好条約を結んで帝国から離反させた。
     この時点で帝国の支配圏はほぼ消滅し、帝国の領土は首都フェルタイルを残すのみとなった。事実上帝国への、そして皇帝への恐怖は、過去のものとなったのである。

    「……と言うことまで、逐一伝えたんだが」
    「何も反応無し、ですか」
    「ああ」
     半月の間に、遠征隊は東山間部のほぼ中心地、フェルタイルまで東北東へ十数キロのところまで進軍しており、ハンたちはこの時、とある村に駐留していた。
     なお、この村もエリザが昨年の時点で接触し、人心掌握を仕掛けていたため、村人たちはとても友好的に遠征隊を持て成してくれており、シモン班はいつも沿岸部でそうしていたように、村の酒場で晩餐を楽しむことができた。
    「普通、自分が築いてきたモノを全部失ったぞって言ったら、相当ショック受けると思うんですけどねー」
    「俺もそう思う。だが妙に泰然としていると言うか、まるで意に介していないと言うか……。そもそも――本当に有言実行するのがエリザさんらしいが――鎖で両手両足を拘束した上、馬車の上にわざわざ小屋まで建てて、その中で宙吊りにしてるんだぞ? あれで堪(こた)えない人間は、そうそういるもんじゃない。飯も2日に1回しか食べさせてないってのに」
    「鋼の精神、……なんてかっこいいことを言いたい相手じゃないですけどね」
    「ああ。これまで奴がしてきたこと、そして今まさにやっていることを顧みれば、奴を少しでも人間扱いしようなどと言い出すような奇特な者は、一人としていやしないだろう。俺にしても、だ」
     ハンは水をぐい、とあおり、席を立った。
    「今日はもう寝る。これ以上あいつの話をしても、俺が勝手に不愉快になっていくだけって気がするからな」
    「おやすみなさーい」
     ハンが退出したところで、残った3人は顔を見合わせる。
    「大分消耗してますね、尉官」
     メリーの言葉に、ビートとマリアは同時にうなずく。
    「本当にねー。相当辛そう」
    「嫌な感じです。ああまで完全に拘束したはずなのに、僕らの方が振り回されてるような……」
     そう言ったビートの手を取り、マリアが首を横に振る。
    「そんな風に考えないの。……考えたくないってのもあるし、さ」
    「……そうですね」
     と、メリーが首をかしげているのに気付き、ビートが顔を向ける。
    「どうしたんですか、メリーさん?」
    「お二人って、そんなに仲が良かったでしたっけ?」
    「え?」
    「あ、いえ、今まで仲が悪かったって言うことじゃなくてですね、えっと、雰囲気って言うか、何と言うか、……今まで以上に、と言う感じで」
    「そう?」
     そう言いつつも、マリアはまだビートの手を握ったままである。その手を振り払う気になど到底なれないものの――ビートは内心、申し訳無い気持ちで一杯だった。
    (側近を僕が倒したってことになっちゃったもんなぁ……。皆にもそう伝わっちゃったし、もう訂正しようが無いよなぁ。マリアさんが僕のことを良く思ってくれるのは本当に嬉しいけど、……でも、何だか騙してるみたいだ)

    琥珀暁・虜帝伝 1

    2020.07.27.[Edit]
    神様たちの話、第318話。語らぬ皇帝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「何や吐いたか、皇帝さん?」「何も、……ですね」 ゼルカノゼロ南岸の戦いで皇帝レン・ジーンを拘束して以降、ハンは彼に、毎日のように尋問を行っていた。「最後の意地、と言う奴でしょうかね。帝国の残存兵力についても、魔術を学んだ経緯についても、……そしてクーの安否について尋ねても、一言もしゃべりません」「この期に及んでふてぶてしい...

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    神様たちの話、第319話。
    嘘と嘘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ある晩、ビートは密かにエリザの元を訪れ、自身の嘘を告白した。
    「……ですから、僕が側近を倒したのは誤解なんです」
    「さよか」
     が、あまりに気の無い返事をされ、ビートは面食らう。
    「え……と、あの」
    「そんなコトでアタシが怒ると思たか?」
     エリザはクスクス笑いながら、ビートの頭をぽんぽんと撫でた。
    「ええやないの。ホンマに仕留めたっちゅうヤツがどっか行ったっちゅうんやったら、手柄はアンタに譲ったっちゅうコトやん。もらって困るもんでもあらへんのやし、遠慮せずにもろときもろとき」
    「で、でも」
    「黙っといたらええんや、そんなもん」
     エリザはパチ、とウインクし、ビートの長い耳にこしょこしょとささやいた。
    「折角マリアちゃんがええ感じになついて来とんねやろ? そのまま『カッコええビートくん』のフリして射止めたったらええやんか」
    「はぇ?」
     間の抜けた声を漏らし、ビートは思わず口を両手で覆う。
    「ど、どうしてそれを?」
    「見てたら分かるわ。明らかにマリアちゃん、アンタにべったりやんか。アンタもまんざらや無い顔しとったし。ま、後ろめたそうにしとるのんもチョコチョコ見え隠れしとったけども」
    「……気付かれてますかね?」
     そう尋ねたビートに、エリザは肩をすくめて返す。
    「気付いとるかも知れへんけど、その理由までは流石に分からんやろ。大方、恥ずかしがっとるとか照れとるとか、そんくらいにしか思てへんのやないか?」
    「だといいですけど」
    「ふっふふ……」
     エリザはビートの肩を抱き、ニヤニヤと笑みを向ける。
    「すっかりその気やな、ビートくん」
    「え、えへへへ、へへ……」
     ビートは自分の顔が熱くなっているのを感じつつ、エリザから離れた。
    「え、えっと、まあ、じゃあ、今後は、それで通します」
    「ん、そうしとき」
    「はい……」
     トテトテとした足取りで、ビートはエリザの部屋を後にした。

     心の中にあった重荷がすっかり消え、ビートは天にも登りそうな心地になっていた。
    (あー……すっきりしたよ、本当。先生に相談して、本当に良かった)
     と、いくらか冷静になってきたところで、ビートはきちんと挨拶を交わさず部屋を出てしまったことに気付く。
    (あ、……と。挨拶してなかったっけ、そう言えば。舞い上がりすぎだよな、もう)
     慌てて踵を返し、ビートはエリザの部屋のドアを叩こうとする。と――。
    「……ホンマに……変わってへん……」
     エリザの声が聞こえ、ビートは首をかしげた。
    (誰かいる? ……いや、『頭巾』か。誰と話してるんだろう?)
     話が終わってから改めて挨拶しようと、ビートは何の気無しに聞き耳を立てた。
    「目立ちたがりで自信家なんは、ホンマ筋金入りやな。死んでも治らんのとちゃうか? ビートくんが困った顔しとったで。アンタの手柄取ってええもんかって。……せや。とりあえず黙っときとは言うといたから、アンタのコトがバレるっちゅうコトは無いと思うけどな」
     話が進むにつれて、ビートの心がざわめいていく。
    (え、……え? 今話してる相手って、まさか、側近を倒したあの人? 先生、知り合いだったのか……!?)
     聞き耳を立てる目的が、挨拶のタイミングを図ることから、内容を聞くことに切り替わる。
    「大体な、こっそりやろかって言い出したん、アンタやないの。ソレが自分からノコノコ人前に出て来るとか、……分かってへんのはアンタやんか。もっぺん言うとくで? この件がバレたら、全部ワヤになるんやで?」
    (な……何が?)
     背筋に冷たいものを感じつつも、ビートはドアの側から離れることができなかった。
    「アンタも分かるやろ、ソレくらい? コレがハンくんにバレてみいや。アタシ、間違い無く殺されるわ」
    (!?)
     思いも寄らない話に、ビートの心臓がどくんと跳ね上がった。
    「ん? ……ゴメン、ちょと外すで」
     エリザの足音が近付いて来るのを察し、ビートは慌てて周囲を見回し、廊下の端にあるものを見付けた。
    「誰かおるんか?」
     まもなくエリザがドアを開け、首だけ出して廊下を確認する。と――。
    「……あらぁ、かわええ子やん。にゃんちゃーん?」
    「にゃーん」
     廊下を歩いていた黒い猫を見付けたらしく、エリザはその猫に手招きする。
    「おやつあげよかー?」
    「にゃーん」
    「お、欲しいかー? ええよ、こっちおいでー」
     エリザは足元にやって来た黒猫を抱き上げ、頭を撫でながら部屋へと戻って行った。
    (……た……助かった)
     黒猫がいた廊下から、エリザの部屋を挟んで反対側にあった掃除用具入れから、ビートが恐る恐る姿を現す。
    (尉官にバレたら殺されるようなこと、って……。詳しく聞いてみたいけど、……雰囲気が尋常じゃなかった。とてもじゃないけど、これ以上は聞く勇気無いよ……)
     ビートは忍び足で、その場から離れた。

    琥珀暁・虜帝伝 2

    2020.07.28.[Edit]
    神様たちの話、第319話。嘘と嘘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ある晩、ビートは密かにエリザの元を訪れ、自身の嘘を告白した。「……ですから、僕が側近を倒したのは誤解なんです」「さよか」 が、あまりに気の無い返事をされ、ビートは面食らう。「え……と、あの」「そんなコトでアタシが怒ると思たか?」 エリザはクスクス笑いながら、ビートの頭をぽんぽんと撫でた。「ええやないの。ホンマに仕留めたっちゅう...

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    神様たちの話、第320話。
    和平へ至る、……か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     暦は8月に入り、北方情勢はついに、一大局面を迎えることとなった。
    「先程、帝国からの使節が接触してきた。向こうからは『皇帝不在により、その権力・権威の代行者を選出するのに日数を要したが、どうにか折り合いが付いたため、南の邦の代表代行たる諸君らと協議を行いたい』だそうだ」
     集められたシモン班の中から、マリアが手を挙げる。
    「皇帝はどうするんですか? 引き渡しを?」
    「それについてだが、向こうからはやたら言葉を濁された。要約すると、どうやら向こうとしては戦死したものとして扱ってほしいらしい」
     これを聞いて、班員たちは揃って「あー……」と声を上げ、うなずく。
    「向こうも皇帝の帰還・復位を嫌がったんですね」
    「ま、そりゃそーですよね。あんな暴君、戻って来たら地獄に逆戻りでしょうし」
    「それでは尉官は、現在拘束中の皇帝をどうされるんですか?」
    「無論、あくまでも人道的に適切な処置を考えている」
     そう返しつつ、ハンはため息をついた。
    「皇帝は現在の拘束状態を維持したまま、本国へ移送する。クロスセントラルへ到着後、陛下の判断・判決に則って、然るべき処罰を加える。……と言うのが、エリザさんと陛下と親父とを交えて行った相談の結果だ。
     ただ、結論はもう見えていると言っていいが」
    「この邦で20年間続けられた非人道的行為と、僕たちと友好条約を結んだ国や組織に対する攻撃、そして何より、殿下を拐(かどわ)かしたことを考えたら、極刑はやむなしでしょうね」
    「だろうな。俺も基本的には博愛主義であろうと努力はしているつもりだが、奴に関して言えば、その余地はこれっぽっちも無い」
    「尉官……」
     明らかに憤った様子のハンを見て、メリーがおずおずと手を挙げる。
    「まだ、クーちゃんの居場所は分からないんですか?」
    「そうだ。使節に聞いてみたが、初耳と言われたよ。向こうにも尋ねると言っていたが、そんな重大な情報をこの流れで伝えないわけが無い。恐らく知らないだろう。改めて皇帝にも尋ねてみたが、やはり無言のままだ。それどころか、さっきお前たちに伝えたことと同じ内容を奴に告げたにも関わらず、奴は表情一つ変えなかった。耳が聞こえてないんじゃないかと疑ったくらいだが、ふてぶてしいことに、飯だと告げると口を開けやがった」
    「うわぁ……。腹立ちますね、それ」
     マリアの同意を受けて、ハンは小さくうなずく。
    「全くだ。しかしどれだけこちらがイラついたとしても、恐らく奴は動じまい。であれば怒るだけ体力と気力の無駄だ。奴にはもう、本国移送準備が整うまで会うつもりは無い。と言うよりも、会いたくないと言った方が正しいが」
    「でも……」
     ビートは反論しかけたものの、マリアが袖を引いてきたため、それ以上は続けなかった。



     その後も遠征隊と帝国は何度か事前協議を行い、8月下旬、首都フェルタイルにおいて正式な停戦交渉を行うことが決定した。
    「陛下からこの協議に対して、俺とエリザさんに全権を委ねることを伝えられた。と言っても、俺もエリザさんも変な要求をするつもりは無い。これまで他の国とそうしてきたように、友好条約を結ぶだけだ。今回はそれに、帝国の無条件降伏も付け加える。後、さらに付け足すとすれば、エリザさんが商売関係で何かしらの優遇措置を設けるよう提案する程度だろう。
     これで北方での戦いは、完全に終息する。恐らく後1ヶ月、2ヶ月で遠征隊の役目は終わりとなる。俺たちも2年半ぶりに、故郷へ帰れるわけだ。……それまでにクーの居場所が判明すれば、他にはもう言うことは無いんだが」
     班員たちにそう告げたハンの顔色は依然として青く、とても帰郷を喜んでいるようには見えない。
    「あたしやビートも何度か尋問に参加しましたけど、本っ当に何にも反応しないですよね、あいつ。ボーッと前の方を見つめてばっかりだし」
    「エリザさんでもどうにもならなかったんだ。他に誰が、奴の口を割れるって言うんだ?」
    「……ですよねぇ」
    「とは言え」
     ハンはうんざりしたような顔をし、こう続けた。
    「名実ともに帝国の最高権力者であった者に、その帝国が降伏した旨くらいは伝えておくのが筋だろう。例によって奴は何の反応もしないだろうが、これまでの事前協議でまとまった内容を聞かせるくらいのことはしておこうと思う。だが正直に言えば、とてもじゃないがもう一度だって会いたくない。
     だからお前たち3人と一緒に、伝えに行こうと思う。その方がまだ、いくらか気分がマシだ」
    「あ、はーい」
     3人は素直に応じ、連れ立ってジーンが囚われている小屋付き馬車を訪ねた。
    「異状は?」
     尋ねたハンに、番をしていた兵士たちは無言で首を横に振る。
    (敬礼とか経過報告とか色々端折ったけど、面倒になってきてるんだろうな、どっちも)
     ビートがそんなことをぼんやり考えている間に、番兵が小屋の錠を外し、戸を開けた。

    琥珀暁・虜帝伝 3

    2020.07.29.[Edit]
    神様たちの話、第320話。和平へ至る、……か?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 暦は8月に入り、北方情勢はついに、一大局面を迎えることとなった。「先程、帝国からの使節が接触してきた。向こうからは『皇帝不在により、その権力・権威の代行者を選出するのに日数を要したが、どうにか折り合いが付いたため、南の邦の代表代行たる諸君らと協議を行いたい』だそうだ」 集められたシモン班の中から、マリアが手を挙げ...

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    神様たちの話、第321話。
    吊られた男。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     小屋の中央でぶらぶらと揺れている皇帝レン・ジーンを見て、ビートはとても嫌なものを感じていた。
    (何て言ったらいいんだろう……。空気が違うんだよな。外と、中とで。……地獄の入口なんてものがあったら、こんな感じなんだろうなって)
     その地獄の主とも言うべき相手に、ハンは入口に立ったままで告げた。
    「帝国との正式協議が3日後に行われることになった。これにより、我々は北方全域と友好関係を結ぶこととなる。今後永久に、両者は互いに争わず、また、互いの領土を侵すことが無いよう、対等な関係を築き続けるべく、不断の努力を以て臨む、……と言うようなことを綱領とする予定だ。つまりこの邦の人間も、俺たちも、お前のこの20年における所業・足跡を全否定し、あらゆる観点での価値を認めないとともに、お前に関するそのすべてを永遠に消去・封印し、後の歴史には一切残さないことを決断した。
     お前はもうこの世にも人の記憶にも、いてはならない人間だと言うことだ」
    「……」
     横で聞いていたビートも、この宣告には少なからず悪意と侮蔑が含まれていることを感じていた。
    (ただただ辛辣だな……。僕がこんなこと言われたら、絶対立ち直れないよ)
     だが、「全歴史から抹殺する」と宣言されてもなお、ジーンは虚空を見つめたままであり、何ら反応を示さない。
    「……以上だ」
     ハンもこれ以上は無駄だと思ったらしく、そこで話を切り上げる。
    「帰るぞ」
    「了解です」
     踵を返したハンに続く形で、ビートたちもその場を後にしようとした。

     その時だった。
    「貴様たちは悪魔なるものを知っているか?」
     これまで一言も発さなかったジーンが、唐突に口を開いた。
    「……なに?」
    「悪魔、だ。知っているかと問うておる」
    「いきなり何を言うのかと思えば、そんなことか。いよいよ頭がどうかしてきたらしいな」
    「知らぬのか?」
     尋ね直してきたジーンに、ハンが吐き捨てるように答えた。
    「お前のことだろう」
    「余か。……くくく、……余は悪魔では無い。余は人に過ぎぬ身よ」
     ぶらぶらと揺れたまま、ジーンは語り始めた。
    「真の悪魔は余にこう告げた。『自分の導くままに振る舞い、進み続ければ、お前はいずれ、この世の王となるであろう』と。それが20年前のことだ。悪魔の導きに従い、余はこの大地を蹂躙し尽くし、確かに王となることができた。
     王となった余に、悪魔はさらに告げた。『大地はここ一つでは無く、ここより南の世界にも三つあるのだ』と。あると言うのであれば、この世の王である余がそこに君臨せぬ理由は無い。故に兵を差し向け、諸君らの土地へと歩を進めたのだ」
    「ああそうかい、そりゃ良かったな」
     ハンははあ、と苛立たしげなため息を付き、ジーンをにらみつけた。
    「で? 自分の悪行はすべて悪魔のせいだ、自分は悪くないって?」
    「そうではない」
     ジーンはニタリと顔を歪ませ、こう続けた。
    「悪魔は常に余の味方、守護者であると言うことだ。悪魔は――余の第一の側近たるアル・ノゾンは約束してくれておる。『もし自分が倒れたとしても、お前がその生命さえ永らえていれば、私は28日の後に復活し、ふたたびお前の元に現れよう』と。
     さて、海外人よ。余が貴様らの手に堕ちて、今日で何日目となるか?」
    「……!」
     ビートは頭の中で日数を数え、それが丁度28日であることに気付いた。

     ドン、と小屋の天井から音が響き、そのまま崩落する。
    「なっ……!?」
     床に倒れ込んだジーンの側に、黒いフードを身に着けた何者かが立っていた。
    「助けに来たぞ、レン」
    「うむ。大儀であったぞ、アル」
     アルはジーンの体を縛っていた鎖に手をかけ、そのまま引きちぎる。
    「では戻るぞ。だが敵が妨害術を仕掛けたようだ。このままでは『テレポート』は使用できない。術者の位置は不明だ」
    「この距離なら徒歩でも問題あるまい」
    「うむ」
     そのまま立ち去ろうとするジーンたちの前に、シモン班が立ちふさがった。
    「そのまま行かせると思うか!」
    「まだ自分が優位のつもりであるか、賊将」
     次の瞬間、ハンの懐にジーンが滑り込み、拳を突き込んでいた。
    「がは……っ」
    「尉官!」
     ハンが弾かれると同時に、アルも周りにいた他の班員に攻撃を仕掛ける。
    「死ぬが……」「やらせるかあッ!」
     だが、その初撃をマリアが槍の柄で受け流しつつ、蹴りを頭部に叩き込む。
    「ウヌ……ッ!?」
     具足で覆われたマリアの脚がアルの側頭部を捉え、相手の首が一瞬、がくんと斜めに傾いた。

    琥珀暁・虜帝伝 4

    2020.07.30.[Edit]
    神様たちの話、第321話。吊られた男。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 小屋の中央でぶらぶらと揺れている皇帝レン・ジーンを見て、ビートはとても嫌なものを感じていた。(何て言ったらいいんだろう……。空気が違うんだよな。外と、中とで。……地獄の入口なんてものがあったら、こんな感じなんだろうなって) その地獄の主とも言うべき相手に、ハンは入口に立ったままで告げた。「帝国との正式協議が3日後に行われる...

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    神様たちの話、第322話。
    兵(つわもの)。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     前回、簡単にあしらったはずの相手から一撃を受け、アルは膝を着いた。
    「……ガ……ッ……ガピュ、……ナ、……何だ、この威力は?」
     相当に効いたらしく、アルから戸惑った声が漏れる。
    「二度もあんたにやられてたまるかっての!」
     マリアは槍を構え直し、アルの喉元を狙って突きを放った。だがアルは身を翻し、マリアから距離を取った。
    「脅威と判定するに値する。単独でのお前との戦闘は得策では無いと判断した。プランを変更する」
    「あ?」
    「レン。二人でこの女を倒すことを提案する」
    「ほう?」
     気を失ったハンから剣を奪い取り、今にも振り下ろそうとしていたジーンが、意外そうな顔でアルに振り向いた。
    「お前ほどの者が余の救援を請うか。その猫女、それほどの手練か?」
    「前回交戦時より筋出力及び神経反射速度が50%以上増加していると推定される。どうやら超適応能力を有しているようだ。戦えば戦うほど、脅威を増す類の人間だろう」
    「相変わらずお前の言っていることが一体何を示すのか、さっぱり分からぬな。まあ良い、お前が余を恃(たの)みにするなど稀有なことだ。であればその提案、乗らぬのは勿体無い」
     ジーンは踵を返し、アルの横に並ぶ。
    「2対1ならば問題無かろう?」
    「うむ」
     ジーンに剣を向けられるが、マリアは不敵に笑って返す。
    「2対1? こっちにはあんたを倒した奴がいるって忘れてない?」
    「なに?」
     マリアは背後のビートを親指で示し、啖呵を切った。
    「こいつよ。こいつは一人でそいつを――あんたが言う悪魔を倒したのよ」
    「私を?」
     アルはマリアの陰にいたビートを一瞥し、それをあっさり否定した。
    「そのような事実は存在しない。私を破壊したのは別の者だ」
    「……え?」
     マリアはジーンたちに槍を向けたまま、ビートに尋ねる。
    「ねえ、あんた? あんたが倒したって言ったわよね? そうよね?」
    「あ……そ、それは」
    「……あんた、まさか」
     マリアが振り向き、憤怒に満ちた目をビートに向けた、その瞬間――。
    「くくく……」
     ジーンは剣を薙ぎ、マリアの首を狙ってきた。
    「……ッ」
     それでもマリアは即応し、槍の柄で受け流して反撃する。
    「らああッ!」
     柄で剣先を絡め取り、ジーンが前のめりになったところで、回し蹴りの体勢を取る。
    「く……っ」
     ジーンもまた瞬時に動き、剣をぱっと手放して、空いたその手でマリアの脚をつかんだ。
    「なるほど、なるほど。確かに速い。だがつかんでしまえばそれまでだ」
    「う……ぐっ」
     ギチギチと音を立て、具足がジーンの手の形に歪んで行く。同時にマリアの顔も、痛みで歪み始めた。
    「ああ……ああああッ!」
    「どれ、このまま握り潰して……」
     と――ジーンはその手を離し、ぐるんと振り返った。
    「驚いたぞ。もう目を覚ましておったか」
    「訓練してるんでな」
     ジーンはすぐ側まで迫っていた短剣を素手でつかみ、その短剣を握るハンににやぁ、と笑いかけた。
    「将からして手練であったか。なかなかに手強い」
     ジーンは右手で短剣をつかんだまま、左手でハンの腕を殴る。
    「ぐ……っ」
     ボキ、と痛々しい音が響き、ハンの腕が折れる。ハンとマリアの攻めが途切れたところで、ジーンはアルに向き直った。
    「アルよ。もうそろそろ、救援が現れよう。100や200程度ならどうと言うことも無いが、その十倍でかかられるとなれば、ちと骨が折れる。その上、28日もの間宙吊りにされ、飯もろくに食わされておらぬのでな。これ以上の相手は御免被るところだ。こいつらは捨て置くぞ」
    「了解した」
     行動不能になったシモン班に背を向け、ジーンとアルはその場から姿を消した。

    琥珀暁・虜帝伝 5

    2020.07.31.[Edit]
    神様たちの話、第322話。兵(つわもの)。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 前回、簡単にあしらったはずの相手から一撃を受け、アルは膝を着いた。「……ガ……ッ……ガピュ、……ナ、……何だ、この威力は?」 相当に効いたらしく、アルから戸惑った声が漏れる。「二度もあんたにやられてたまるかっての!」 マリアは槍を構え直し、アルの喉元を狙って突きを放った。だがアルは身を翻し、マリアから距離を取った。「脅威と判...

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    神様たちの話、第323話。
    責任追及。

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    6.
    「腕は折れとったけど、しっかりくっつけたったで。せやけど一晩は安静にしいや。流石に今夜くらいは休まな」
    「承知しました。ありがとうございます、エリザさん」
    「マリアちゃんも脚折られとったけど、こっちもキレイに治したった。心配いらんで。あと、メリーちゃんと小屋守っとった子らも、気絶しただけやったわ。人的被害無し、っちゅうヤツやな。ただ、問題はや」
     そこまではニコニコしながら伝えていたエリザも、流石にここで顔をしかめた。
    「皇帝さんが逃げよった、と。しかもやっつけたはずの側近さんが助けに来よったって?」
    「ええ。……極めて遺憾な点がいくつも出て来ましたね」
     ハンは右手を開いたり、閉じたりしつつ、エリザとともに状況を整理する。
    「皇帝の行先は不明と言えば不明ですが、推理するまでもないでしょう」
    「十中八九、帝国首都やろ。一応、向こうにも話し合いのために人を送っとったし、何かあったら緊急警報送るようにしとったから、今回の件は既に伝わっとるはずや」
    「助かります」
    「ほんで、側近さんが生きとったっちゅうのんもびっくりやな」
    「常識的に考えれば、ビートが死んだものと誤認したのでしょう。ビートの処罰は不可避です。彼は自分が側近を倒したと吹聴し、既に報奨も得ていますからね。その返還は当然行わせますが、それで問題無しとは行きません。事実として彼は虚偽報告を行ったわけですし、状況を正確に報告していれば――少なくとも彼から『死亡を確認した』と報告されなければ――より厳重な守備体制を敷いたでしょうからね。
     現時点で彼には、不名誉除隊の処分を下すことを検討しています」
    「や、そらちょっとキツすぎやろ。ちょっと勘違いした程度やないの。しゃあないやんか、そんな状況で死んだと思ってしもても。前にも言うたやんか、寛容が肝心やでって」
     エリザの弁護を、ハンは頑として聞き入れない。
    「無論、これが単なる一兵卒がした失敗で、逃がした相手が皇帝やその側近で無ければ、訓告程度で済みます。大きな問題にはしません。ですが事実として、この遠征隊における重要な地位を与えられた人間が、敵側の重要人物の死亡を確認したと嘘を付いたために、事態が深刻化したわけですからね。その責任を彼自身に取らせなければ、皆も納得しないでしょう。決してこのまま、この地位を維持させるわけには行きません」
    「そらな、うん、そう言う意見もあるやろうけども、でもな……」
     ビートに真実を告げることを止めさせたのは他ならぬエリザであり、その後ろめたさもあって、エリザは処分を差し止めるよう説得を重ねたが、ハン、そして怒りに満ちた遠征隊全体の意見を曲げさせることは、エリザにも困難であった。
     その結果、どうにかビートの不名誉除隊と無期限の禁固処分は一時見送らせたものの、正式処分が決定されるまでの拘留は、回避できなかった。

     とは言え、現時点での最優先事項は皇帝への対策である。ビートを拘留しておく場所については、ひとまずエリザが取っていた宿の一室を借りることとなった。
    「……ゴメンな」
     エリザはその部屋を密かに訪ね、ビートに深々と頭を下げて謝罪した。
    「まさかこんなコトになるとは……」「僕がどんな目に遭ったか、知ってますか?」
     謝るエリザに、ビートはとげとげしく言葉を連ねる。
    「殴られましたよ、マリアさんに。『このウソツキ』って。尉官にはもう、目も合わせてもらえなくなりましたしね。それにこんなことがあった以上、除隊以外に選択肢はありません。全部、あなたのせいだ。先生の甘言に乗ったせいで、僕はすべてを失ったんですよ? それで頭下げてごめんなんて言われて、許すと思うんですか?」
    「う……」
     ビートはエリザに背を向け、こう続けた。
    「でもまた後1つ、交渉材料があるんですよね」
    「え?」
    「僕も虚偽報告を行ったって話ですけど、エリザさんもですよね? 何か尉官に、嘘を付いてるって」
    「……やっぱりアレ聞いとったか」
     振り向いたビートと、頭を上げたエリザの視線が交錯する。
    「ソレをバラされたくなかったら、アタシに何かせえって?」
    「そうです。このまま手をこまねいてたんじゃ、本土に帰っても牢獄暮らしが待ってるだけですからね」
    「しゃあないな。何してほしいんや?」
     尋ねたエリザの狐耳に、ビートは顔を寄せた。
    「教えて下さい。あなたが何を隠してるのか。それから……」
    「ソレから?」
    「あなたの持ってる、一番強力な術を」
    「……は?」
     顔を向けたエリザに、ビートは真剣な表情を見せた。
    「虚偽報告じゃなけりゃいい。僕が本当に側近を倒せば、多少は処分も減免されるでしょう?」
    「……アンタ、……何ちゅうか」
     エリザは顔に手を当て、げらげらと笑い出す。
    「悪人にはなられへんな」
    「なりたくないです、そんなもの」
    「……よっしゃ、分かった。どっちも、ちゃんと教えたる」
     エリザは笑いながら、ビートの頭をぽんぽんと叩いた。

    琥珀暁・虜帝伝 6

    2020.08.01.[Edit]
    神様たちの話、第323話。責任追及。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「腕は折れとったけど、しっかりくっつけたったで。せやけど一晩は安静にしいや。流石に今夜くらいは休まな」「承知しました。ありがとうございます、エリザさん」「マリアちゃんも脚折られとったけど、こっちもキレイに治したった。心配いらんで。あと、メリーちゃんと小屋守っとった子らも、気絶しただけやったわ。人的被害無し、っちゅうヤツやな...

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    神様たちの話、第324話。
    討伐の覚悟。

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    7.
     皇帝逃亡の翌日、帝国に派遣していた者からの連絡が届いた。
    「向こうの人間と共に首都から逃亡し、今はここから東の村に滞在しているそうです。また、斥候からは既に皇帝が戻って来たと報告されています。ただし事前に首都内の人間を逃がすよう、エリザさんが手配してくれていたおかげで、彼ら以外の姿は無いとのことです。つまり敵の数は皇帝と側近、その2名だけと考えていいでしょう。
     それが最大の問題であるとも言えますが」
     頭を抱えるハンに続き、エリザも憂鬱そうな顔で煙管を口にくわえる。
    「めちゃめちゃ強いらしいやんか、側近さん。皇帝さんも相当やし。こっちの精鋭全員ぶつけて、どうにかなるかやな。しかも側近さん、生き返るらしいし」
    「そんな与太話を信じるんですか?」
    「アンタ、ビートくんが丸っきりウソつきやと思とるんか? そんな子やったか?」
    「虚偽報告は事実でしょう」
    「ソレかて、相手が死んだと思とったからそう言うてしもたって話やんか。普段から真面目でちゃんとしとった子やないの。……ともかく、今まで持っとった常識はこの際置いといて、今回の場合だけとして考えたら、や。
     死んでも復活するとなると、コレはめんどくさい相手やで。何遍(なんべん)やっつけてもキリが無いっちゅう話やからな。ただ、皇帝さんは『死んでから28日後に』て言うてはったんやな?」
    「ええ、そんなことを言っていましたが、……それも信じると?」
    「実際、きっちり28日経ってから来たやないの。そら勿論、皇帝さんが示し合わせてたとか、そう言うコトも考えられるけども、でもすぐ助けに来られるんやったらそうしたらええやんかって話やん? 防衛線構築までボーッとしとった時と違て、待っとる理由は無いやろし」
    「自分が不在の期間を作り、その間に独断専行する者がいないか確かめていた、とか。……いや、それも変と言えば変か。最初から部下を信用していないような奴が、わざわざあぶり出しを行う理由は無いでしょうし。気に入らない点があれば即刻処刑するでしょう」
    「皇帝さんが偉そうに言うてたその話は、真実やとアタシはにらんどる。せやからこそ、この情報は大きいと思うで」
     エリザは煙管に新しい煙草を詰めつつ、自分の予測を話す。
    「逆の見方をしたら、側近さんをやっつけたら28日間は復活でけへんっちゅうコトになる。その間に、討つんが得策やろな。
     いや、そもそもの話――ゼルカノゼロ南岸でさっさと討っといたら、こうはならんかったんや。アンタは人道的観点やら、不誠実に思われるやらゴチャゴチャ言うて拘束に留めたけども、結局はこうなった。ずっと捕まえとくっちゅう考えが、そもそも下策やったんやろ」
    「しかし……」
    「ソレにアンタはクーちゃんの居場所を聞き出そうとしとったけども、結局一言もしゃべりよらんかったやろ? あんだけ拷問スレスレのコトしてしゃべりよらんとなると、後はもうホンマにガチの拷問にかけな、どないもならんかったんやないか? でもクーちゃんの命がかかっとるにもかかわらず、アンタはソレをせえへんかった。一体何でや?」
    「それは……」
     口ごもるハンの鼻先に、エリザは煙管を突き付ける。
    「はっきり言うたる。アンタはまだクーちゃんの無事より、自分の手を汚さん方を選んどるんや。せやからアンタは、いつまで経っても決定的な手を打とうとせえへんのや。その煮え切らへんアンタのヌルさ、ニブさを、皇帝さんは見抜いてたんやろな。せやからあん時、抵抗せんと投降しよったんやろ。『どうせ生かしとく』と高をくくってたんや。
     ナメられとるんや、アンタは」
    「……っ」
     憮然とした顔をし、黙り込んだハンに、エリザが畳み掛けた。
    「ええ加減、覚悟決めえや。アンタはクーちゃんを助け出すって宣言したんやろ? ほんなら、ソレを第一に考えて行動せな。この期に及んでしょうもないコト考えてる場合か? そう言う日和見が結局、クーちゃんを取り戻すっちゅう一番大事な目的からどんどん遠ざかる原因になっとると、まだ分からへんのんか?」
    「……」
     何も答えないハンに、エリザは一転、優しい声で続ける。
    「仮にや、アンタが皇帝さんを殺したとして、ソレでもう、クーちゃんの居場所が分からへんくなると思うか?」
    「え?」
    「アタシがおるんやで? アタシの情報網と知恵があったら、いくらでも見付け出したる。皇帝の顔色うかがいながら、根掘り葉掘り聞く必要なんか無いで」
    「……」
     ハンはまた黙り込んだが――やがて意を決した顔で立ち上がり、エリザに答えた。
    「エリザさんの言う通りです。俺にはまだ、覚悟が足りていなかったんでしょう。今度こそ俺は、皇帝を討ちます」
    「ん、頑張りや」
     エリザはにこ、と笑みを返し、こう答えた。
    「側近さんについてはアタシに策がある。アンタは皇帝さんを倒すコトに専念するんや」
    「承知しました。頼みました、エリザさん」
    「ん、任しとき」

    琥珀暁・虜帝伝 終

    琥珀暁・虜帝伝 7

    2020.08.02.[Edit]
    神様たちの話、第324話。討伐の覚悟。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 皇帝逃亡の翌日、帝国に派遣していた者からの連絡が届いた。「向こうの人間と共に首都から逃亡し、今はここから東の村に滞在しているそうです。また、斥候からは既に皇帝が戻って来たと報告されています。ただし事前に首都内の人間を逃がすよう、エリザさんが手配してくれていたおかげで、彼ら以外の姿は無いとのことです。つまり敵の数は皇帝と...

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    神様たちの話、第325話。
    帝都制圧。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     皇帝の逃亡と言う非常事態に見舞われたものの、智将エリザがこの事態を想定していないはずは無かった。
    「緊急警報が発令されました!」
    「きんきゅうけいほう?」
     協議のため、帝国首都フェルタイルに駐留していた遠征隊の兵士たちからその報せを告げられ、帝国側の代表らは尋ね返す。
    「何かあったのか?」
    「ま、まさか!?」
    「皇帝が脱走した場合、自動で彼の瞬間移動を妨害する術を展開すると共に、我々に警報が届く手筈となっています。つまり……」
    「や、やはり陛下、いや、皇帝が!?」
    「ああ、何と言うことだ!」
     嘆く大臣や将軍たちに、兵士が「落ち着いて下さい」と返す。
    「警報が届いた場合に取るべき行動を、エリザ先生より指示されています」
    「エリザ先生? ……と言うと」
    「おお、あの狐の女将殿か!」
    「先程申し上げた通り、皇帝が一瞬でこちらに戻る術(すべ)は封じています。よって我々には、避難できるだけの猶予があると言うことです」
    「な、なるほど」
    「その避難場所についても、皇帝との遭遇を回避するべく、南に点在する村落を指定されています。急ぎましょう」
    「あ、ああ」
    「承知した!」
     遠征隊の者たちに先導される形で、彼らは大急ぎで首都から逃げ出した。その慌ただしい様子を見ていた市民たちも次々付いていき――半日もしない内に、首都に人の姿は無くなった。

     その上で遠征隊は空っぽになった首都へ拠点を移し、事実上、帝国は遠征隊に下ることとなった。
    「これが緊急事態でなければ、絶対に認可しなかったでしょう。これではまるで火事場泥棒も同然ですし」
    「緊急事態や。やらなアカンやろ」
     まだわだかまった様子のハンを尻目に、エリザは事実上支配下に置いた宮殿を、バルコニーの上から見渡す。
    「にしてもあっさりやったな。ココまで来るにはもっと、苦労するかと思てたけど」
    「こうして帝国を下すような事態になるとは、思いもよりませんでしたよ。2年半前であれば全力で止めていたでしょうね」
    「覚悟の現れ、……て言いたいんか?」
    「そう思っていただいて、差し支えありません。
     それに、あれを見ればこの行動に、誤りなど無いと確信できます。あんな所業を行うような非道を野放しにしておくことは、到底できませんからね」
     二人の眼下に設けられた広場には、布を被せた机が置かれていた。
    「皇帝が拘束された時点で、丁重に埋葬したと伝えられましたが……」
    「つまりソレまで、ずーっと野ざらしやったんやろ? いくら寒い目の北方やっちゅうても、もうぐっちょぐちょに腐っとったやろな」
    「騒動を起こして無許可離隊した人間の末路ですから、どんな扱いをされていようと構うものかと思っていたんですが、……正直、嫌な気持ちですね」
    「できそうやったら」
     エリザはふーっ、と煙管の紫煙を吐き、空を仰いだ。
    「ミェーチさんもこっちに移して、シェロくんの横に並べたいもんやな。二人ともめちゃめちゃ仲良うしとったし。倒した帝国に来られるんやったら、本望やろしな」
    「……そうですね。この戦いが終わったら、是非」
     と、二人の下にメリーがやって来た。
    「尉官、先生。失礼します」
    「ん、何や報告か?」
    「はい。マリアさんの隊から、『皇帝と接触。拘束すべく襲撃したが逃げられた』と」
    「ありがとさん。ハンくん、ちょと地図見して」
    「どうぞ」
     ハンから地図を受け取り、エリザは煙管の先でとん、とんと3ヶ所を叩いた。
    「見付けた場所はこう、こう、こうか。北へ北へ逃げとるな」
    「そのようですね。しぶといと言うか……」
    「相手も最後の最後や。そら必死にもなるわな。捕まったら今度こそ、その場で首落とされると覚悟しとるんやろ」
    「長引くようでしたら、俺も出ます」
     真剣な面持ちでそう告げたハンに、エリザは肩をすくめつつ、地図をくるくると丸めて返した。
    「ま、準備だけはしときよし。アタシもしとくわ」

    琥珀暁・追討伝 1

    2020.08.04.[Edit]
    神様たちの話、第325話。帝都制圧。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 皇帝の逃亡と言う非常事態に見舞われたものの、智将エリザがこの事態を想定していないはずは無かった。「緊急警報が発令されました!」「きんきゅうけいほう?」 協議のため、帝国首都フェルタイルに駐留していた遠征隊の兵士たちからその報せを告げられ、帝国側の代表らは尋ね返す。「何かあったのか?」「ま、まさか!?」「皇帝が脱走した場合...

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