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黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第8部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 1927
      
    麒麟の話、第8話。
    神の統治体制。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     央北の戦争が終わって以来、アオイはまるで女神サマのような扱いを受けている。
     ボクは実に気分がいい。自分の作品を、ソコまで評価してもらえたらね!

     白猫党はアオイに、完全に心酔している。アオイのために、せっせと働いてくれている。
     そう、ソコが大事なんだ。金や名誉、地位とか何とか、そう言う小さい視点、安い「見返り」で働いてない。
     あくまで「アオイのために」働いてくれている。
     ソコを抜きにしちゃ、この組織は維持できない。他の有象無象の組織のように、ただ金のために、権力のために動くようなヤツらばかりなら、その目的が満たされた途端に仲間割れしておしまいさ。
     この白猫党は、ボクの築こうとする世界の理想形を体現してくれている。ギブ・アンド・テイクを是としない、無償の愛と不満なき隷従で構成された集団なんだ。

     だからアイツらは幸せでいられる。
     党首のシエナも、その周りのヤツらも、みんながアオイと、アオイが率いる白猫党のために動いている。そしてアオイはボクのために動いている。
     その関係が続く限り、間違いなく、みんなが幸せでいられるだろう。



     逆に、だからこそアイツらはダメになったんだ。

     アオイに殺されたあのゲス軍人。アイツは自分のためにしか行動していなかった。
     自分のひねくれた欲望を満たすため、そして身の丈に合わない地位を求めたために、アオイたちを殺そうなんてバカなコトを考えてしまった。
     だからボクはアオイに命じ、殺させた。アイツを生かしてもろくなコトにならないと、ボクの方でも分かっていたからね。

     そしてあの金汚い、ペテン師『狐』もだ。
     アイツは一見、アオイや白猫党のために行動しているように見せかけていたけど、本心はまったくそうじゃなかった。アオイに恩を売って、党内での地位を確保しようとしてたのさ。
     他の目的――白猫党の重鎮となり、それを後ろ盾にして金火狐の総帥、もしくは金火狐財団の要職に立候補するためにね。
     結局、アイツも自分のためにアオイに取り入り、自分のために金集めしてたのさ。

     ボクにしてみりゃ、ソレは前々段階にやってた、相当原始的なやり方だ。
     分かりやすい見返りを与えて動かす、犬にエサをチラつかせて芸をさせるような手法だ。
     ソレは確かに、ほとんど確実に人を動かせるけど、一々こっちがエサを探してやらなきゃならない、面倒極まりない手法でもある。
     ソレにあのアホのシュウヤみたく、すごくいいエサを持ってきても、こっちの予想に反して噛み付いてくるコトもあるしね。
     ま、ボク個人としては、いまさらこの方法を執る気にはなれない。エサを見せなくても尻尾をパタパタ振ってくれる犬が、もう既に一杯いるんだし。

     で、だ。そのめんどくさい、コストのかかるような手法を、いまだにあの「狐」はやろうとしてる。
     バカだな、本気で。いまさらお前みたいなやっすい守銭奴に手を貸して、互助関係を築こうとするヤツは、最早あの党内にいないってコトを、まだ分かってないらしい。
     そんな時代遅れのアホがいるって言うだけでも、党の足かせだ。ソレどころか、アオイを狙ってる節もある。お前みたいなカスの分際で、アオイを口説こうだって?
     本気でバカだな、まったく!



     アイツはもう、用済みだな。コレ以上党にいさせても邪魔にしかならない、迷惑な駄犬だ。
     そろそろ適当にホネを放り投げて、谷底まで追いかけてってもらうとするか。
    白猫夢・麒麟抄 8
    »»  2014.05.01.
    麒麟を巡る話、第357話。
    「金火狐」とは。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ん?」
     その、自分と同い年くらいの、鮮やかな金と赤の毛並みをした狐獣人の少年は、自分を見るなり、こう言った。
    「ああ……、ニセモノやな」
    「に、……せ、もの?」
     相手が何を言っているのか分からず、聞き返す。
    「どう言う意味?」
    「そのままの意味や。君らみんな、ニセモノの金火狐や。
     ウチらトーナ家だけが、ホンモノや。君らはただ金髪で赤メッシュ入ってるだけの、パチモン狐や」
    「え? え?」
     あまりに高圧的な物言いに、それが最早、罵倒なのか何なのか分からないでいる。
    「分からへんか? 分からへんやろな。ニセモノやからな。本当の本当に、ホンモノがどれだけ偉いか、分かってへんのや。
     大体な、ウチらのご先祖は……」
     と、偉そうにしゃべっていた彼の頭を、がつっ、と殴りつける者が現れた。
    「ぎっ……」
    「だっ、誰がニセモノや、このガキッ!」
     殴ったのは、自分の叔父に当たる男だった。
    「い、痛い、痛いぃ……」
     殴られた少年は頭を抱え、うずくまる。その手の間からは、ポタポタと血が滴っていた。
    「俺は、おっ、俺もっ、き、金火狐やッ! お前らと何が違うッ!?」
    「いいや」
     そこへ豪華なスーツを着込んだ、威圧感のある、初老の狐獣人が現れた。
    「お前はもう金火狐やあらへん。この場で縁切りや」
    「なっ……」
    「文句でもあるんか? 人ん家の子供をいきなりコップでどつきよるような粗忽者に、『俺は金火狐やぞ』と好き勝手に吹聴させるんを、私が許すと思とるんか?」
    「……そらありますよ」
     叔父はそのスーツの狐獣人に、拳を振り上げた。
    「このパーティかてそうやないですか! 俺らも金火狐の一族のはずやのに、酒も飯も、回ってくるんは一番最後やったんですよ!?
     なんで一族内でこんな差別しよるんですか……!」
    「自分の身の程分かって言えや、そんなもん」
     老狐は子供を助け起こし、ハンカチを彼の額に当てながら、叔父にこう返した。
    「稼ぐもん稼いどったら、確かに金火狐や。稼ぐ人間であれば、そら勿論、金火狐やと認めたるよ。例え金と赤の毛並みやなくとも、や。
     でもお前、いっつもフラフラ遊んどるやろ? お前の兄貴から金借りて、それ使うばっかりやろ?
     今日のパーティかて、日頃汗水たらして仕事しとる一族を労うためのもんや。お前みたいに、毎日闘技場やらカジノやらでしけた賭けに明け暮れとるボンクラに飲ます酒は、一滴たりとも無い。
     金を稼がへんヤツが、金火狐を名乗るな。もう一度言うで。お前は勘当や。出てけ」
    「う……ぐ……ううううッ」
     叔父は相当、頭に血が上っていたのだろう――近くにあった酒瓶を割り、老狐に向かって振り上げ、襲いかかった。
     だが老狐の傍らにいた、その妻らしき狐獣人が叔父の手を取り、なんと投げ飛ばしてしまったのだ。
    「おゎっ……」
     叔父の体は弧を描き、ばたんと音を立てて、床に叩きつけられた。
    「おーお、痛そうやなぁ」
    「さ、流石に公安局長やな、あの奥さん」
    「尻尾がぞわっとしたわ……」
     と、一族が伸びてしまった叔父を囲んで眺めている間に、老狐が今度は、子供を叱りつけていた。
    「お前もお前や。金火狐がなんで世界から認められとるか、ろくに分かっとらん。
     なにが『ウチらはホンモノ』や。お前は今まで自分の頭と手足で、1エルでも稼いだことがあるんか? 無いやろ? お前はまだ、金火狐を名乗る資格を持ってへんわ。
     お前の言葉を借りれば、稼がへんうちはただの、金と赤の毛並みをしとるだけのパチモンや。金火狐は金を稼いでこそ、世間様に『ホンモノや』と認められるんや」
     これはスーツの老狐――第18代金火狐総帥、レオン6世が自分の孫に向けて語った言葉ではあったが、すぐ真横で成り行きを見守っていた自分にも、その言葉は心に深く刻み込まれていた。
    (金火狐は金を稼いでこそ、……か)



     マロは静かに目を覚ました。
    「……うー、……ん」
     重い頭をもたげ、机に置かれた時計を確認すると、まだ朝の5時だった。
    (全っ然、寝た気せえへん……)
     机の上、そして床には、破り捨てた新聞紙が散乱している。
    (……うえ)
     ひどいアルコール臭を感じ、布団の上を見てみると、ワインの空瓶とその中身が転がっている。
    (あー……、嫌やなぁ、今日の会議。間違いなく怒られるわ……)
     マロは瓶をつかみ、その口をぺろ、となめた。
    白猫夢・焦狐抄 1
    »»  2014.05.02.
    麒麟を巡る話、第358話。
    財務部長マロの失敗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     くたびれ始めたスーツを着込み、左目部分のみ黒く染めた眼鏡をかけ、マロは白猫党の本拠地、ドミニオン城の会議室に入った。
     中には既に、白猫党の幹部たちが揃っている。
    「おはよう、ゴールドマンくん」
    「おはようございます」
     ぺこ、と頭を下げて会釈したが、空気が非常に重苦しいものであることを、マロは下げた頭で感じていた。
    「着席する前に、まずはこれを読んでもらおうか」
     イビーザ幹事長が机の上に新聞を投げ、マロに送る。
    「……」
     マロはそれをつかみ、一面を読み上げようとした。
    「『第18代金火狐総帥 今年末での引退を表明』……」「そこじゃない。めくれ。経済面だ。赤ペンで示してあるところを読んでくれ」
     イビーザに指摘され、マロは渋々、経済面を読み上げた。
    「……えー、はい、読みますよ。『クラム最安値更新 白猫党のデノミ政策失敗か』」「それだよ」
     イビーザは机の上で両手を組み、マロをにらむ。
    「君はこのホワイト・クラムの価値を創造できると豪語していたな?」
    「ええ」
    「あれが568年のことだったが、それから2年。その価値は上がるどころか、下がり続ける一方だ」
    「はい」
    「これは我が白猫党の財政政策、そして君にとっては、新たな資金獲得が失敗した。そう捉えて間違いないか?」
    「……いえ」
    「では、何が成功している? このホワイト・クラムの価値下落によって我が党、あるいは君にとって、プラスになった点はあるのか?」
    「その、……まあ、今現在、かなり安いもんになっとるんは事実ですが、その分、ここから価値の高騰に成功すれば、大儲けに……」「では」
     イビーザが顔をさらにしかめさせ、続けて詰問する。
    「その高騰は、いつ起こる? 君がこのホワイト・クラムを発行し始めてから2年が経過しているが、高騰する兆候も様子も、いまだに見られない。
     君の言う大儲け、即ちホワイト・クラムが真に我々の資金として確立され、白猫党の支配圏における基軸通貨となるのは、一体いつになるのだ?」
    「……それは」
    「はっきり言おう」
     イビーザが立ち上がり、マロを指差す。
    「君が担当した政策、いや、『金儲け』は失敗している。
     我々の通貨として創造したはずのクラムは、巷では主たる通貨として使われていないと言う。未だに東側のコノン通貨が、大多数の庶民に使われる金として出回っているのが現状だ。
     君が余計な欲を出し、真摯に支配圏内の地域通貨として浸透させようとせず、単なる投機商品として野放図に、市場にバラ撒いてきた結果だ。
     庶民はこれを、カネと思っていないのだ」
    「……」
     何も言い返せず、マロは立ち尽くしていた。

     と、マロの背後のドアが、トントンとノックされる。
    「もう入室してよろしいですか?」
    「入ってきたまえ」
    「失礼します」
     静かな足取りで、いかにも堅そうな印象を抱かせる身なりの猫獣人が入ってくる。
    「あ……?」
     呆然としているマロをよそに、その猫獣人は、昨日までマロが着いていた席に座る。
    「お、おい? お前、誰やねん? そこ、俺の……」「君の席ではない」
     イビーザは猫獣人の肩をぽんと叩き、マロに紹介して見せた。
    「本日付で我々の党に、新たな財務部長として就任した、東部沿岸開発銀行元頭取のヤルマー・S・オラース氏だ。君の後任となる」
    「……へっ?」
    「当然の結果だろう? 君は党の威信を懸けた財政政策において、致命的な失敗をした。我々の党に貢献できず、それどころか被害を与えている以上、更迭は然るべき処置だ。
     マラネロ・アキュラ・ゴールドマン。君は本日を以て、白猫党財務部長の任を解く」
    「っ……」
     マロはすがる思いで、党首であり、かつての同窓生でもあるシエナ・チューリンを見る。
     しかしシエナは目をそらし、わずかに手を振った。
    (『こっちを見るな、しっ、しっ』……て。ちょ、助けてくれへん、……の?)
     マロはこの時、党内で孤立無援の存在となったことを悟った。
    「ああ、そうそう。
     そのですな、ゴールドマンさんには悪い印象を与えるかと思いますが、これだけは経済人として、はっきり言わせていただこうと思います」
     さらにこの直後――マロは己の信念さえも、この新任者オラースにぽっきりと折られることになった。
    「何故ゴールドマンさん、あなたは新造したばかりのお金で、投機に手を出してしまわれたのでしょう?
     あんなことをすれば間違いなく失敗すると、経済に明るい人なら誰でも分かるはずですが」
    白猫夢・焦狐抄 2
    »»  2014.05.03.
    麒麟を巡る話、第359話。
    金を稼げぬ金火狐。

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    3.
    「なんやと?」
     マロの口から、憤った言葉が勝手に漏れ出た。
    「俺が、経済を知らんアホやと言いたいんか?」
    「ええ。そう断じざるを得ません」
     オラース氏は持っていたかばんから、書類を取り出した。
    「これはそもそも本日、この席でしようと企画していた話ですが……。
     まず、このデータをご覧下さい。深刻なインフレのモデルとして有名な、4世紀に滅亡した北方ノルド王国(以下『ノ国』)と、それを征服したジーン王国(以下『ジ国』)のものです」
    「……!」
     それはかつて、マロがホワイト・クラムによるデノミ政策の手本とした、先祖の手柄の話だった。
    「ノ国では諸外国――まあ、当時だと主に中央政府ですかね――からの散々な経済圧力により、深刻なインフレが進んでいました。それはもう、国民全体の生活が困難になるほどに。
     で、4世紀のはじめにジ国が成立したのですが、当然新興国なので、新しく通貨を造ろうと言う動きがありました。ノ国の通貨を流用か、もしくは協定を結んで自国でも発行しようにも、その価値があまりにも低すぎたと言うのも、理由の一つです。
     と言うわけで、ジ国は新たな通貨を新造したのですが、ここでジ国はこの通貨の国外への持ち出しをしばらくの間、禁止していたのです。そうしなければ、新しい通貨も諸外国からの投機に使われて、餌食となるのは明白ですから」
    「……っ」
     オラース氏に指摘されたのはまさしく、マロが失敗した内容そのものである。
     マロは何も言い返せず、黙って立っているしか無かった。
    「ですので私は、ホワイト・クラムの価値が安定するまで、この通貨の域外持ち出しの禁止と、変動相場制から段階的かつ局所的、限定的な固定相場制への転換を推めようと考えています。
     同時に域内における商工会と連携して同通貨の使用奨励政策を打ち出し、まずは央北に浸透させることを優先させようかと」
    「なるほど」
     オラース氏の所見を聞き、イビーザは深くうなずいた。
    「くっくっく……、同じ歴史から、こうも違う結論が導かれるとは」
    「と言うと?」
    「そこの彼も同じことを引き合いに出し、どう言うわけか、投機に走ったのだ」
    「まさか!」
     オラース氏はマロをチラ、と見て、眉をひそめた。
    「それは無いでしょう。この話のどこをどう聞いたら、そんな結論に?」
     それを受け、イビーザもマロを見、鼻で笑った。
    「やはり経済観の無さが浮き彫りになったな、ゴールドマンくん?」

     その後の会議においても、マロは幹部陣に、執拗なまでに痛めつけられた。そしてその内容は党全体に広まり、マロの党における地位は、徹底的に貶められることとなった。
     そこまで経済家としての評価・評判を落とされては、マロはこれ以上、財務部で働くことはできない。
     いや、白猫党におけるどんな職務すらも与えらえず――マロは事実上の、除名処分を受けた。



     党幹部から一転、最下位の厄介者となったマロは自宅のアパートに籠り、日々酒に浸ることしかできなくなった。
    「ふへへ……へへへへ……」
     床もベッドもワインまみれになり、マロはその中央に倒れ込んでいる。
     左手にはワインの瓶が、そしてもう一方の手には新聞が握りしめられていた。
    「……もーアカン……どないもならんわ……くそぉ……」
     新聞の一面には、央中で、いや、世界全体で今、最も話題を集めている人物らが掲載されていた。



    「CCタイムズ 一面 570年2月某日
     金火狐総帥の後任選挙 最有力候補は孫のエミリオ氏か

     先月15日に総帥職からの引退が発表された18代金火狐財団総帥、レオン・M・T・ゴールドマン氏の後任を決定する選挙が、7月30日に決定した。
     関係者筋の情報によれば、選挙には既にゴールドマン総帥の孫であり、トーナ・ゴールドマン家の子息であるレオン・エミリオ・T・ゴールドマン氏と、ベント・ゴールドマン家の息女、ルーマ・V・ゴールドマン氏が立候補しており、現時点ではエミリオ氏が最有力候補と目されている。
     一方、総帥選挙に立候補する資格を持ち、かつ、前立候補者2名と同年代であるアキュラ・ゴールドマン家の子息、マラネロ・A・ゴールドマン氏は、現時点では立候補を行っていない模様」
    白猫夢・焦狐抄 3
    »»  2014.05.04.
    麒麟を巡る話、第360話。
    金火狐総帥選挙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     金火狐一族――ゴールドマン家の者に「あなたの家にとって『最も複雑な事情』とは何か」と尋ねれば、誰もがこう答えるだろう。
    「そらアンタ、総帥を選ぶ時の選挙やろ」

     次代総帥の選出方法を一族内での選挙制に定めたのは第10代総帥、ニコル3世である。
     ニコル3世が総帥になった頃には既に、金火狐財団総帥と言う地位は世界を左右するほどの権力と財力を有しており、単純に世襲や指名などで選ぶには、弊害が大きくなっていた。
     その上、この頃から金火狐一族は三つの家――トーナ家、ベント家、アキュラ家――に分化し始めており、総帥の意向だけで次代候補を指名しようとすれば、一族は大きく揉め、激しい争いを起こすことは必至だった。
     そこで「総帥の独断と偏見ではなく、一族の総意として選出すべき」と言う周囲の意見を取り入れ、選挙形式を執ることになったのである。

     この選挙に立候補できる資格を持つのは、次の者に限られる。
     まず第一に、金火狐一族の血族(血がつながっている者)であること。第二に、21歳から40歳までの者である。
     そして選挙の投票者だが、これは現総帥とその配偶者、そして金火狐財団の局長5名――監査局長、金火狐商会長、市政局長(ゴールドコースト市国の市長)、入出国管理局長、そして公安局長――の、計7名に限られている。
     この7名が認めた者、言い換えればこの7名に気に入られた者が、次の総帥となれるのだ。



     マロの場合、名目上の条件2項は満たしていたが、事実上3つ目となる条件、即ち7名からの信頼を集めることが困難であった。
     まず、御三家の中でも最も下位と見られているアキュラ家の出身であったことが、彼を苦しめていた。他の二家と比べられれば、どうしても見劣りするからだ。
     さらには、既に立候補を表明している2人は、今現在においても金火狐財団において、十分な成果を挙げている。彼らが今後も金火狐にとって、極めて重用される人材であることは明らかであり、現時点でマロが立候補しようとも、この2人に勝てる見込みは皆無だった。
     大きな後ろ盾を持たないマロにとって、白猫党における地位は、この2人に対抗できる武器になるはずだったのだが――自身の政治生命を賭けたデノミ政策の失敗により、それを追われてしまった。
     あと半年後には選挙が開始されると言うこの時期において、未だマロは、選挙に勝てるだけの材料を揃えられずにいた。

    (ひと昔前やったら、……まあ、諦めも付いとったわ。
     そもそも俺らアキュラ家には手も届かんような地位やし、選挙に立候補したかて、『身の程知らずのアホがおるわ』と思われる程度で、笑われて終わりやと分かっとったからな。
     せやから気楽に、元々好きやった魔術の勉強のんびりしとったし、割とええ成績出してたからテンコちゃんのゼミに推薦されたりとか、……ああ、ホンマに気楽やった。
     それが、……なんで今、こんな苦しんでんねやろ、俺。ゼミでそこそこの卒論出して、『後はまー気楽に隠居しとこかなー』とかヘラヘラ笑っとったとこに、アオイさんが来て、で、『きみの金火狐一族としての血を信じたい』とか言われて、……ああ、そうや。あの一言で俺、舞い上がってしもたんや。
     ずーっと一族の外様で、財団からはぬるい仕事しか振られへんで、ハナから『俺たちみーんな金火狐のパチモンや』と思て、本流に入る努力せんと暮らしてきた俺たちや。金火狐の誇り――カネを稼いでこそ、そうと認められる『オーロラテイル』の誇りを捨てて生きてたんや、俺たちは。
     でもアオイさんに頼まれた、その時や。俺はアオイさんに、金火狐として頼られとる。そう思った瞬間、目一杯頑張ったろうって、そう思ったんや。
     この世で最もカネを稼ぐと信じられとる一族。俺はカネを稼いで稼いで、アオイさんを助けたろうと思った。
     そしていつかは総帥になって、アオイさんと吊り合う人間になろうと思った、……のに、……、……くそッ)
    白猫夢・焦狐抄 4
    »»  2014.05.05.
    麒麟を巡る話、第361話。
    マロの焦り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     マロは実家、アキュラ家に電話をかけた。
    「……よお、親父」
    《お? なんや、マロかいな。何や、いきなり?》
     家を出た当時と変わらず、マロの父、モデノは気さくを装った、しかしどこかに陰気さを漂わせた声で、マロに応じた。
    「元気、しとった?」
    《あー、元気しとったけども、元気だけやな》
    「儲かっとる?」
    《ボチボチ以下やな。そら、損はしてへんけども、お前がゼミいた時みたいなことされたらきつなるわー》
    「あー……、あん時はホンマ、ごめんな。でも金は返したやろ。ノシ付けて」
    《あー、せやな。せやったわ、悪い悪い。
     ほんで、いきなりどないしたんや?》
    「あ、いや、……元気しとるかな、って」
    《そうかー》
     取り留めもないことを話しつつ、マロは本題を恐る恐る切り出した。
    「……あー、……あの、アレどないなった?」
    《アレって何やねんや? ボケたじいさんやあらへんのやから、はっきり言いなや》
    「お、おう。アレや、……あの、選挙、の」
    《選挙? ……あーあー、アレか》
    「親父も『アレ』言うてるやん」
    《細かいこと言うなや。ほんで、選挙やな。
     お前、新聞読んどるか?》
    「ああ」
    《大体それの通りや。トーナ家のエミリオと、ベント家のルーマが立候補しとる。
     トーナ家もベント家も、他の資格者は出馬せえへんみたいやな。2人の足を引っ張らへんように、ちゅう考えやろ。
     ほんで、お前どうすんねん? 今22やから、出れるやろ?》
    「お、俺な。うん、まあ、……せや、カルパは?」
     妹の名前を出してみたが、モデノは呆れた声で返してくる。
    《アホ、あの子はまだ17や。資格なんかあらへん。
     アキュラ家の筋で資格有りなんは、お前といとこのフランコとヴィニョンと、後はミランダくらいや。でも一応、お前が一番まともやろうっちゅうことで、今のところはお前を優先しよかっちゅうて話しとるところや》
    「そ、そうか」
    《まあ、出えへん言うんやったら、さっき言うた奴の誰かに打診するけども。どないする?》
    「う、まあ、……うーん、出たいけどな」
    《はっきりせえ。こっちかて、お前一人を優遇でけへんねからな》
    「あ、うん」
    《出るんか?》
    「……もうちょい、返事待ってもらえへん?」
    《あー? 何言うてんねや。……ちょっと待ちや》
     モデノから明らかに不機嫌そうな声が返り、しばらくしてこう続けてきた。
    《6月、……いや、5月末までやな。それでええか? それ以上返事せえへんかったら、こっちで勝手に決めさしてもらうで》
    「……分かった。また、電話するわ」
    《おう。早よ言うてな》
    「ほな、また」
    《ほなな》

     自分の置かれた状況を確認すればするほど、マロは己に失望し、未来に絶望せざるを得なかった。
    「……はー……」
     党内で何も仕事が与えられず、実家にも、到底手ぶらでは戻れない。
     何もやることが無く、どこへも行けないため、その日もマロは、自宅で一人、酒を呑んでいた。
    「どないしたらええねんやろ……」
     酔った頭で自分の今後を考えるが、素面の時にも何度か行ったその思索は、結局は同じ結論を導き出した。
    (……もうどないもならへん。
     何もさせてもらえへんなら、もう党を抜けるしか無いやろな。総帥選挙も、名実ともにパチモンになった俺なんかが出てもしゃーない。他の奴に出てもらうしか無いやろ。
     その後は、……全部放っぽって逃げるしかないな。もう俺はアカン)
     そしてぽつりと、こんな言葉が口を突いて出た。
    「……他に道は無いな。アカンわ、俺」



     その直後――マロの背後から突然、そして静かに、返事が返ってきた。
    「いえいえ、あなた様にはまだ進むことのできる道がございます」
    「……っ!?」
     その声に驚き、マロは慌てて振り向く。
     そこには黒と青のドレスに身を包んだ少女が立っていた。
    「だ、誰や!?」「お静かに」
     と、またも背後から声がかけられる。
     そちらを振り向くと、そこにも黒と赤のドレスに身を包んだ少女がいる。
    「あなた様にご依頼したい件がございます。どうかお聞き下さいますよう、お願いいたします」
    「……」
     呆気に取られたまま、マロは素直に従い、黙り込んだ。
     そしてまた、背後から声がかけられる。
    「マラネロ・アキュラ・ゴールドマン様。どうかわたくし共に、力をお貸しくださいませ」
     そこに現れたのは、白いローブを頭から被った女性だった。

    白猫夢・焦狐抄 終
    白猫夢・焦狐抄 5
    »»  2014.05.06.
    麒麟を巡る話、第362話。
    地道な一歩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、トラス王国。
     チーム「フェニックス」結成から4年が経過し、その研究は順調とは行かないまでも、着実に成果を挙げていた。
    「はぁ……、良かったー」
     ケージ内で寝息を立てている兎の左前足を確認し、チームの一員、シャラン・ネールはほっとした声を上げた。
    「ああ。良かった、本当に」
     その傍らに立っていた主任研究員、マーク・トラスも嬉しそうに笑う。
    「……付いてるよね? ちゃんと」
    「付いてる。ちゃんと」
     マークは兎の前足を触り、その「継ぎ目」をなぞる。
    「ではシャラ、……ネール研究員。今回の実験について確認を行うため、経緯を説明してくれ」
    「……クス」
     堅い口調で命じたマークに対し、シャランは笑い出した。
    「昨日同じこと言って、ルナさんに怒られたじゃないか。『堅苦しいやり取りは必要ない』ってさ」
    「……僕は真面目にやりたいんだ」
    「『口調が堅いからって真面目って証拠にはならないわよ』、とも言われたよね」
    「分かってるよ。行動で示せ、……だろ。
     じゃあ、まあ、シャラン。この実験の経緯を確認したいから、教えてくれる?」
    「はーい」
     シャランはクスクス笑いながら、レポートを開いた。
    「第9回、対生体接着剤臨床実験。開始は570年1月3日(雷曜)。被験体のウサちゃんに麻酔を投与し、左前足を切除。
     その直後に接着剤MT3―141を切除面に塗布した後、切除した左足をウサちゃん本体と接着し、魔術式ギプスにて切断箇所およびその周辺を固定。
     その後4週間を経た本日、2月1日(雷曜)。ウサちゃんのギプスを外し、目視と聴診および触診により、切断した左前足の組織すべてがウサちゃんの本体と接着、機能していることを確認。
     あたしは安心しました。……なんてね」
     シャランのおどけた報告に、マークは笑いながらこう返した。
    「あはは……、僕もだよ。僕も安心した。……いや、僕たちだけじゃない」
     マークは振り返り、ドアの隙間から自分たちを覗き見ている研究員たちに呼びかけた。
    「だよね?」
    「……ええ、勿論」
     はにかみながら、研究員たちが入ってきた。
    「成功おめでとうございます、主任!」
    「ありがとう」
     マークは会釈を返し、そしてこう続けた。
    「でも残念なことに……」「え、何か失敗してた?」
     真っ青な顔をしたシャランに、マークは首を横に振る。
    「いや、実験自体は満足行く結果を収めたよ。開発した接着剤が今後の研究において、大いに役立つことは証明できた。
     ただ、……これでようやく一歩だけ、前進なんだよね」
    「……だったね」
    「チームの結成から4年が経ち、研究員も僕とルナさんを含めて、合計8名になった。
     その間にも、この接着剤だけじゃなく、今後の展開も見据えた研究開発を3つ、合計4つの研究を進めていた。
     で、……成功したのがこれだけだ。他は全部失敗してる。いまだ最終目標である、完全に欠損した部位を復活させることは、達成できていない」
    「……」
     マークに水を差され、その場にいた全員が静まり返り、消沈する。

     が――そこでドアの向こうから、あっけらかんとした声が飛んできた。
    「いいじゃない、1個成功したんだから。4つ全部だなんて、欲張りすぎよ」
    「う」
     マークが顔をしかめるのにも構わず、その声の主――ルナ・フラウスが室内に入ってきた。
    「お疲れ様です、所長」
    「ありがと。
     じゃ、まずはこの接着剤の商品化を考えないといけないわね。この接着剤単体でも、市販化できればかなりの収益になるでしょうね。この研究所を作った時の費用も、多分これだけで返せるわ。って言うか、研究員が結構増えてきたから、もう一つ研究室を増設したいし。
     生産設備とか販売方法はあたしが考えとくわ。あなたたちは引き続き、研究に勤しんでちょうだい」
    「はい、所長!」
     シャランを含む研究員たちは、素直にうなずく。
    「……」
     マークはただ一人、憮然とした顔をしていた。
     と、それに気付いたシャランが、マークに耳打ちする。
    (大丈夫だよ)
    (何が?)
    (マークもちゃんと副リーダーしてるって、あたし分かってるから)
    (……どうも)
    白猫夢・訪賢抄 1
    »»  2014.05.07.
    麒麟を巡る話、第363話。
    規格外の魔力源。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     マークたちがこの4年、地道に研究を続けていたのと同様に、フィオとパラもこの日、いつもと同じように稽古を行っていた。
    「よーし! 空中コンボだ!」
    「分かりました」
     フィオの命令に従い、パラはふわりと跳び上がりながら、フィオに向かって何度も木刀を打ち下ろす。
     しかしフィオは、その3太刀目を強めに弾き、パラの体勢を崩す。
    「りゃあッ!」
     フィオはがら空きになったパラのあごに、木刀の先端をちょん、と当て、そのまま仰向けに倒れた。
    「素晴らしいです」
     パラは音もなく着地し、フィオに振り返って会釈した。
    「ありがとう。……あご、大丈夫?」
    「はい。損傷を受けるほどではありません」
     そう返し、パラはちょん、と自分のあごを指差した。
     その仕草を見て、フィオは黙り込んでしまう。
    「……」
    「どうされました」
    「いや……、なんか、……その」
     口ごもるフィオに、パラがこう続けた。
    「可愛かったでしょうか」「へっ!?」
     がばっと上半身を起こしたフィオに、パラは首を傾げる。
    「違いますか」
    「い、いや、確かに可愛いよ。……君の口からそんな言葉が出ると思ってなかっただけで」
    「シャランとクオラに教わりました」
    「あ、そ、そうなんだ。……びっくりした、本当に」
     フィオが立ち上がったところで、パラがまた尋ねる。
    「動揺しましたか」
    「えっ!? ……い、いや」
    「しているように見えます」
    「ま、まあ。君らしくない言葉を聞いたから」
    「わたくしらしくない、とは」
    「可愛いとか、そんなことを言うタイプじゃないと思ってたし」
    「そうですか」
     会釈とはどこか違う様子で、パラは頭を傾ける。
    「……」
     無言になったパラに、フィオはいつも通りに声をかけた。
    「今日はこの辺にしようか」
    「はい」
     パラも元通りに、顔を上げた。

     と――。
    「そこの水色頭」
     どこからか、声が飛んできた。
    「え?」
     フィオが辺りを見回すと、いつの間にか人影が一つ、すぐ近くにあった。
    「君、鈍感すぎやしないね?」
    「僕のことか?」
    「他にいるかってね」
     そのいかにも古典的な魔術師のような格好をした狐獣人は、フィオを指差した。
    「人形が相手とは言え、今のは女の子に対して吐くセリフじゃないね。マイナス3点ってとこだね」
    「誰だ、あんた?」
    「賢者サマさ」
    「は?」
     フィオが呆れる一方、パラは木刀を構える。
    「魔力値11000MPP以上を計測、極めて重篤な被害をもたらす対象と断定!
     フィオ! 至急、警戒態勢を取り、その対象から離れて下さい!」
    「え?」
     フィオはこの時、はじめてパラが声を荒げるのを聞いた。
     しかし木刀を向けられても、相手は特に動じた様子を見せない。
    「人を放射性物質みたいに言うもんじゃないね、人形ちゃん」
    「通常の人間ではあり得ない数値を記録しています! 警戒態勢、解除できません!」
    「あー、めんどくさいねぇ」
     相手は懐から、一枚の金属板を差し出した。
    「水色。コレ、その子に見せてあげな」
    「人を色で呼ぶな。僕はフィオリーノ・ギアトだ。あんたが見せればいいだろ?」
    「いいから。君じゃないと受け付けそうにないしね」
     差し出された金属板を、フィオは受け取ろうとする。しかしパラは依然、大声で注意を促してくる。
    「危険です! 接近を中止し、対象から退避して下さい! 危険です!」
    「いーから」
    「……」
     パラをチラチラと確認しつつ、フィオはその金属板を受け取り、パラに向けた。
    「危険です! きけ……『データダウンロード …… …… …… インストールを開始します』」
     見せた途端、パラの口から謎の文字の羅列が飛び出す。直後にパラの目から光が消え、そのまま黙りこんでしまった。
    「だ、大丈夫か、パラ!?」
    「問題無いね」
    「無いように見えるか! 一体、彼女に何をしたんだ!?」
     食ってかかるフィオに対し、相手は平然としている。
    「落ち着けってね。平たく言や、私が誰なのかってコトを教えてあげてるね」
    「はあ……?」
     と、パラの目に光が戻る。
    「失礼いたしました。モール様、認証完了いたしました」
    「どーも」
     パラの口からその名前を聞かされ、フィオは絶句した。
    「なっ……!?」
    「ご紹介の通りさね。賢者、モール様だ」
     そう言ってモールは、帽子のつばを上げてニヤッと笑った。
    白猫夢・訪賢抄 2
    »»  2014.05.08.
    麒麟を巡る話、第364話。
    魔女の不穏な動き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「その賢者様が、この研究所に何の用なの?」
     研究所に通されたモールは、ルナにこう切り出した。
    「なに、要件は2つさ。大したコトじゃないね」
    「2つ?」
    「1つは、君たちが研究してる、再生医療術についての助言を申し出たいんだけどね」
    「……!」
     ルナの横で話を伺っていたマークは、目を丸くした。
    「あなたが?」「マーク、黙ってて」
     一方、ルナは険しい表情を崩さない。
    「話をする前に、確認したいことがあるわ」
    「分かってるってね。私が本当の本当に、賢者モールかどうかってことだろ?」
    「分かってるなら証拠を見せ」
     と、途中でルナの言葉が切れる。
     次の瞬間、モールの魔杖とルナの刀とが、応接机の上で交錯していた。
    「……やるね。このスピードに付いてくるか。目一杯加速したつもりなんだけどね」
    「うわさに聞いてた通りの剣呑ぶりね」
     何が起こったのか分からず、マークは一瞬、呆気に取られる。
     が、机の上に置いてあったコーヒーが、いつの間にかモールの三角帽子と共に、壁に張り付いているのに気付き、ぶるっと身震いした。
    「とりあえず、コーヒーは元に戻しとくね」
     モールはルナから離れ、杖をかざす。
    「『ウロボロスポール:リバース』」
     瞬時に、壁に撒かれたコーヒーと三角帽子が、それぞれ元の位置に戻る。
    「これが証拠と言うわけね?」
    「ちょいと乱暴だけどもね。結果的にゃ被害なしだしね」
    「いいわ。とりあえず信用するわ。
     で、何であなたがあたしたちの手伝いを?」
    「要件の2つ目の報酬ってとこだね」
    「そう。それで、2つ目は?」
    「ちょっとした調査依頼だね」
    「うちは探偵事務所じゃないわよ」
    「知ってるってね。最初は友達に協力してもらおうと思ったんだけどね、その友達がケチ臭くってね。君も知ってるよね、そいつのどケチっぷりはね?」
    「……ああ。何となく分かったわ。で、その『友達』に断られたところで、その友達の弟子であるあたしの師匠から、ここを紹介されたってところでしょ」
    「大正解だね」
     モールはニヤッと笑い、こう続けた。
    「実はここ1年ほど、央中で気になるヤツらを目にしてるんだよね。
     ひらっひらのドレスを着た、一見ふつーの人間っぽい、だけど明らかに人間とは違うヤツをね」
    「……!」
     モールのこの言葉に、ルナとマークは顔を見合わせた。
    「実は君に依頼する理由は、ソレもあるんだよね。ま、先に出会っちゃったけども」
    「パラのこと?」
    「そう。君にとっちゃ可愛いお人形ちゃんだね。
     で、あの子にそっくりな人形が、央中各地をうろついてるんだよね。今まで確認したところでは、2体。黒と赤のドレスと、もう一方は黒と青だね。
     そのうち1体と接触したけども、こっちの質問に一言も答えず、いきなり襲いかかって来た上に、どさくさに紛れてソイツは消えちゃったんだよね。
     分かってると思うけども、あの人形はただの人形じゃないね。人と見紛う高性能ゴーレム、克難訓の忠実なる下僕であり、敵を見逃さぬ猟犬であり、そして千人力の騎士だ。
     重ねて分かってるだろうけども、難訓は……」
    「人に知られることを嫌う、でしょ? その『隠れたがり』が人形を動かしまくってるってことは……」
    「ああ。何かを企んでるっぽいんだよね。
     だけども克のヤツ、『すまんが別の件で忙しい。不確実な情報ではそちらに手は回せん、な』つって、調査協力を断りやがったんだよね。ついでにアンタの師匠もね」
    「ふうん……? あの『悪魔』や師匠が忙殺されるような件ってのが、気になるところだけど……」
    「私の知ったこっちゃないね。後で自分で聞いてみた方が早いと思うね」
    「そうさせてもらうわ。
     で、アンタの依頼だけど、受けるわ。そのパラそっくりの人形も気になるし、こっちの研究に、伝説の『賢者』が協力してくれるって言うなら、願ってもない話だもの」
    「どーも。んじゃ、前払いってコトで、ちょこっと研究室を見させてもらおうかね」
     モールは「よっこいしょー」とうめきながら、ソファから立ち上がった。
    白猫夢・訪賢抄 3
    »»  2014.05.09.
    麒麟を巡る話、第365話。
    賢者の評価。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     マークを伴い、研究室に入った白衣姿のモールは、きょろきょろと室内を見回す。
    「ふーん……、レトロな工房を想像してたけど、ソレなりに近代的だね」
    「ありがとうございます」
     モールが壁に貼られた注意書きを眺めたり、ケージ内の兎をからかったりしている間に、マークは書類を取り出し、机に置いた。
    「こちらがうちのチームでまとめた、これまでの研究成果です」
    「ん、よしよし」
     モールは書類を一束取って目を通し、「ふーん」とだけつぶやく。
    「どうでしょうか?」
    「どうって?」
     二冊目に手を伸ばしつつ、モールが尋ねる。
    「えーと、どうって言うのは、その」
    「何て言ってほしいね? 良く出来ましたって?」
    「……」
     馬鹿にしたようなような物言いに、マークはむっとする。
    「違います」
    「じゃあ何? 君さ、レストランでご飯を一口食べたトコで、シェフがニヤニヤしながら『いかがでございましょう?』なんてすり寄って来たとして、何か気の利いたコトが言えるね?」
    「……まあ、……それは」
    「感想はちゃんと言ってあげるから、しばらく黙ってなってね」
    「……分かりました」
     つっけんどんな態度を見せるモールにマークは最初、憮然としていた。
     しかし――研究レポートをすべて見終えるまで、モールは紙面から一度も目を離すことはなく、真剣に見入っていた。
     その様子を見て、マークが当初、モールに抱いていた悪感情は、いくらか薄まった。
    「……お茶いりますか?」
    「ありがとね」
     ちなみにマークが持ってきたそのお茶も、モールは最後まで口を付けなかった。

     モールがレポートを読み終わったところで、マークは再度、内容について尋ねてみた。
    「どうでしょうか?」
    「……あのね。だからさ、『どう』ってのは、何に対してどうって意味かって言ってるんだけどね」
    「え?」
    「君が言って欲しいのは何かって話だね。単にお世辞が聞きたいならいくらでも言ってやるけど、そうじゃないだろ? 何を聞きたいね、君は?」
    「それは勿論、僕たちの研究チームが目標通りの成果を出しているか」
     そう返したマークに対し、モールは冷笑して見せる。
    「はっ、何かと思えば、何をバカなコト聞いてるね?」
    「なっ」
     憮然とするマークに対し、モールは冷ややかな目を向ける。
    「自分で分かってるコトをわざわざ尋ねるのは、間抜けかグズのどっちかだね。そんなもん、聞かなくても君自身、分かってるんじゃないね?」
    「う……」
     一転、マークは深々と頭を下げ、謝罪した。
    「すみません。確かに仰る通り、今のはただの確認でした」
    「あるいはなぐさめを聞きたかったか、だね。
     なるほど、惨憺たる内容だ。まるで山登りの途中で頂上もふもとも見えなくなって遭難したみたいな、スケールのでかい迷子だね」
    「迷子……?」
    「大方、研究チームに人が増えたせいで、全員共通の目標、目的があやふやになってるってトコだね。
     はっきり言や、今、君のチームはまとまっているかのように見えて、その実、バラバラになりかけてるね。目指す目標は一緒でも、それを達成しようとする手法を、みんな自分勝手にまとめてるね。一見、協力してるように見えるけど、実際は非効率極まりないね。
     いっぺん全員集めて、軽くテーマを決めて座談会でもしてみな。ビックリするくらい、それぞれの認識がズレてるのに気付くはずさ。
     まずは全員の足並みを今一度揃えとかなきゃ、この先の研究はことごとく失敗するね。例え上手く行くのがあったとしても、遅々として進まないのは目に見えてるね」
    「はあ……」
    「ま、ソレは私があの……、なんだ、……あの猫獣人の名前、なんだっけね?」
    「ルナさんですか?」
    「そう、ソイツ。私がソイツと一緒に央中へ行ってる間にやっといてね。
     ちゃんとした話をするのは、そっちの体制が固まってからだね。今、仮に何やかや助言したとしても、せいぜい研究開発が1つ成功するかしないか程度にしか、効果は無いだろうね」
    「分かりました。仰る通りにしてみます」
    「ん、よろしゅー」
     モールは白衣を脱ぎつつ、研究室を後にした。
    白猫夢・訪賢抄 4
    »»  2014.05.10.
    麒麟を巡る話、第366話。
    ソリがあわない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     モールが廊下に出たところで、再びルナと顔を合わせた。
    「どうかしら、うちのレベルは? 賢者サマが満足行くほどじゃないでしょうけど」
    「そうとも」
     にべもなくそう言い放ったモールに、ルナはニヤッと笑って見せた。
    「でしょうね。特に気になったのはチームワークかしら」
    「……君、聞いてたね?」
    「いいえ? これはあたしなりの所見よ」
     そう前置きし、ルナはこう続けた。
    「最近、マークが――まあ、注意するほどじゃないけど――あたしに相談や報告もせずに、自分勝手な研究計画を立てることが度々あったのよね。ま、実行に移す前に、カノジョにやんわり止められてるみたいだけど。
     大方、あたしの鼻を明かしたいと思ってやってるんでしょうけどね」
    「目的を見誤ってるね、そりゃ。崇高に扱うべき学術研究を自分の名誉欲で濁してるね」
    「そんなところね。余計なものに囚われて本道を踏み外す好例よ」
    「だからここらで一旦、ちょっと離れて見守っててやろう、ってコトかね」
     モールの指摘に、ルナはまた、ニヤッと笑う。
    「ふふ……、流石の見識ね。
     ええ、そのつもりもあるわ。勿論あたしの本意はあなたを引き入れ、研究を大きく進めることにあるわ。
     そろそろあの子を人間にして、ためらってる一歩を踏み出させてあげたいもの」
    「あの子?」
    「パラよ。あなたにとってはただの人形でしかないでしょうけど」
    「ああ、ソレについて聞きたいんだけどもね」
     モールはぴっ、とルナを指差した。
    「あの人形、ドコで手に入れたね? 分かってると思うけど、アレはただの自律人形じゃないね」
    「百も承知よ。あの子はあたしにとって、とっても大事な愛娘よ」
    「ケッ」
     モールはルナをにらみ、にじり寄る。
    「何が愛娘だ、アイツの危険性を分かってもいないクセに」
    「危険? どこがよ?」
    「分かってるはずだね、アレは難訓の造った高性能ゴーレムだ。今は可愛がりしてても、いつ何時、難訓の支配下に戻って牙を剥くか分からない、物騒な代物だね。
     それはこの先、人間になったとしても同様だ。克の関係者なら、ソレを知ってるはずだろう?」
    「なったら、その時はその時よ。あたしが引導を渡してやるわ」
    「自分の思い通りにならなきゃ即、廃棄ってか? 勝手な親もあったもんだね」
    「ならないと確信しているが故に、よ。あの子は絶対にそんなこと、しないわ」
    「どうだかね」
    「アンタの思ってるより、あたしとパラの絆は強いってことよ。うわべの知識で物を測るアンタよりもね」
    「フン」
     モールは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ルナの横をすり抜けて、玄関へと歩いて行く。
    「話は平行線だ。コレ以上何を言い合っても無駄だね。
     また明日、同じ時間に来るね。詳しい予定を話し合いに来る。それじゃね」
    「はい、はい。じゃあね」
     ルナは背を向けたまま、モールに手を振った。

     バタン、と乱暴気味に玄関の戸が閉まったところで、ルナの寝室からパラが出てきた。
    「主様」
    「なに?」
    「……」
     パラは一見、いつも通りの無表情を浮かべているように見えるが、ルナは見透かした。
    「いいのよ、何も言わなくて。失礼な奴だったから、こっちも失礼で返しただけよ」
    「はい」
    「あなたのことは、あたしが一番信頼してる。あなたはどんな時も、あたしの味方であり、友であり、そして娘よ」
    「はい」
     パラはぎゅっと、ルナの手を握りしめた。



     市街地に入ったところで、モールはフィオとばったり出会った。
    「あっ」
    「ん?」
     しかし、フィオが驚いている一方、モールはきょとんとしている。
    「……あの、夕方はどうも」
    「夕方? ……あーあー、はいはい。あの時の君か」
    「忘れてた、……のか?」
    「色々やってたからね」
     モールは苛立たしげに、研究所でのルナとのやり取りを説明した。
    「ホントにあの猫女ときたらね、……ん?」
     が、話を聞いていたフィオが、神妙な顔をして黙りこんでしまったため、モールはけげんな顔をする。
    「どうしたね?」
    「……570年……そうか、よく考えれば今年だ……!」
    「あ?」
     突然、フィオはモールの手を握る。
    「お?」
    「モールさん、是非僕も、その調査に加わらせてくれ!」
    「はあ? いきなり何を……」
    「お願いだ! そうしなきゃ……」
     言いかけて、フィオは口をつぐむ。
    「そうしなきゃ、何なの? はっきり言いなってね」
    「詳しい事情は言えないが、僕はそれに参加しなきゃいけないんだ」
    「ワケ分からんね。その事情が何なのか、言わなきゃどうしようもないね」
    「……それは……」
     黙り込んだフィオを、モールはじっと眺めていたが、やがて「ま、いいさ」と返した。
    「え……」
    「パッと見、君は私が『ダメだね』っつっても無理やり来るタイプだね。なら最初から、目の届くトコにいててくれた方がマシってもんだね」
    「……ありがとう」
     フィオは再度、モールと堅い握手を交わした。
    白猫夢・訪賢抄 5
    »»  2014.05.11.
    麒麟を巡る話、第367話。
    交渉決裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     翌日、モールは再度、研究所を訪れた。
    「昨日言った通り、私と君で、央中を回って人形共と難訓が何やってるか、調査を行う。んで、そのメンバーにね、……えーと、何つったっけ、あの」
     モールはルナの傍らに立つパラに、渋々尋ねる。
    「人形。あの水色、なんて名前だっけね?」
    「候補が多岐に渡るため、お答えいたしかねます。ちなみにわたくしはパラと申します」
    「うぜぇ」
     モールは舌打ちし、ルナに尋ね直す。
    「君は知ってるかね? 水色の頭した長耳」
    「フィオのことかしら」
    「ああ、そう、そいつ。そいつも一緒に連れてく。構わないね?」
    「いえ、問題が一つあるわ」
     そう返したルナに、モールはけげんな顔をする。
    「ん? フィオがいちゃまずいね?」
    「そうじゃないわ」
     次の瞬間――ルナはモールの顔面に、拳を叩き込んでいた。

    「……ぐ……、な、んの、つもりだね」
     拳と顔の接触面から、わずかに紫色の光が明滅している。どうやらあらかじめ、防御魔術をかけていたらしい。
    「用意周到ね。……問題って言うのは、アンタのことよ。
     アンタ、自分を何様だと思ってるの? あたしや、あたしの友人に散々、失礼なことばかり言って。試すにしちゃ、度が過ぎるわよ。
     それとも単純に、気に入らないだけかしら?」
    「後者だね。どいつもこいつも、傍から見てて反吐が出そうなクソ甘ちゃんばっかりだったからね」
     拳がめり込んだまま、モールはそううそぶく。
    「どちらにしても、アンタがそんな態度続けるなら、この話は無しよ。あたしたちだけで勝手に調べるわ。
     自分勝手な奴が一人いるだけならまだしも、二人以上いちゃ、仕事なんかいっこもできやしないわよ」
    「……フン、自分が自分勝手だってのは自覚してるんだね」
     ようやく拳が顔から離れ、モールは真っ赤になった左目に手をかざす。
    「いてて……、まあ、私は一向に構わないけどね。
     君、交換条件のコトを忘れてるんじゃないね? 私の魔術が必要なんだろ? こんなコトするんなら、教えてやらないよ?」
    「こっちから願い下げよ、そんなもの」
     ルナはモールから離した右手を、彼の眼前に出したまま、親指を下にして見せつけた。
    「アンタの苔むした魔術に頼るより、あたしたちはあたしたちで道を切り開くわ」
    「フン、そうかい」
     モールは立ち上がり、ルナを見下ろす。
    「じゃあ話はご破算だ。コレで失礼するね」
    「二度とその顔見せんじゃないわよ?」
    「頼まれたって来てやるもんかね。勝手に家族ごっこでも学芸会でもやってろ」
     モールはソファを乱暴に蹴飛ばし、ルナがしたのと同様に親指を下げて見せつけ、それからドアも蹴飛ばして破り、ドスドスと足音を立てて出て行った。
    「……どーよ?」
     蝶番が弾け飛び、ぶらぶらと揺れるドアを見つめながら、ルナがつぶやく。
    「非常に素晴らしく魅惑的な対応です」
     相変わらず抑揚のない、しかしいつもより若干早口になったパラの言葉に、ルナは無言でニヤッと笑った。

     モールが研究所から出たところで、フィオと鉢合わせした。
     中での事情を知らないフィオは、何の気なしに挨拶する。
    「あ、モールさん。おはようございます」
     が、モールはフィオをにらみつけ、ペッと唾を吐きつけた。
    「死ね」
    「……え? え、ちょ、モールさん?」
     頬に唾をかけられ、目を丸くしたフィオに構わず、モールはそのまま歩き去ってしまった。



    「……どっちもどっちだ」
     事情をパラから聞いたフィオは、深いため息をついた。
    「申し訳ありません」
     パラはフィオの頬を拭いながら、ぺこりと頭を下げる。
    「いいよ、君が謝る必要無い。大人げない二人が悪いんだから」
    「悪かったわね。……いえ、本当に」
    「いえ……」
     フィオと同様に事情を聞いたマークも、肩をすくめて見せた。
    「正直、気が重かったのは事実です。これ以上リーダーが増えたら、それこそチームが分解しちゃいますよ」
    「そう言ってくれると、ほっとするわ。
     でも、どっちにしてもあたしとパラ、それからフィオの3人は、央中に行くわ」
    「え……」
     驚くマークに、フィオが説明する。
    「モールさんがいようといまいと、事態が怪しくなっていることに変わりはない。そして僕は、その事態がどんな結末を迎えるかも、知っているんだ」
    「どう言う、……いや、『未来の話』ってことだよね」
    「そうだ。570年、また世界に激震が走る。
     そう。僕が何故、天狐ゼミに来たか。何故、テンコちゃんと話をしたのか。その最大の理由はこの年に起きる、ある重大な事件にあるんだ」
    「事件? 何が起こるの?」
     尋ねたマークに、フィオは真剣な目でこう答えた。
    「央中・ミッドランドで、大規模な崩落が発生する。
     それは島の北部にあった丘が崩れ、その上に建てられていたラーガ邸を巻き込み、ラーガ家当主をはじめとして多数の犠牲者を出す、悲惨な結果をもたらす。
     その原因は――テンコちゃんの『本体』だ」

    白猫夢・訪賢抄 終
    白猫夢・訪賢抄 6
    »»  2014.05.12.
    麒麟を巡る話、第368話。
    与り知らぬ遊説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「妙って、何が?」
     そう尋ねたシエナに、イビーザは手紙を一通差し出した。
    「こちらの差出元は央中のティント王国、スタンマインと言う街となっております。
     内容は読んでいただければお分かりになるでしょうが、我が白猫党が当地で講演を開き、それが盛況であったことについての礼を述べるものです」
    「……ドコですって? 聞いたコトが無いわね」
    「それが問題なのです」
     イビーザは深いため息をつきつつ、長い耳をコリコリと掻く。
    「現在、我が党の活動は央北域内に限定しており、他地域への進出は今のところ、まだ行っておりません。それ故、党の活動として訪れたことが決して無いはずの央中からこのような礼状が送られることなど、論理的にあり得ないことです。
     にもかかわらず、ここに手紙が存在しているのです。いや、これだけに留まらず、他にも同様の内容が書かれた文書が、央中各地から我が党宛に、続々と送られております」
    「つまり……?」
     シエナは手紙から顔を上げ、イビーザに視線を移した。
    「党の誰かが勝手に遊説をしている、と?」
    「もしくは我が党の名を騙っているか、ですな」
    「考えられる悪影響は?」
    「まず第一に、我が党の信用を落とすおそれがあります。
     この、我々が関与しない遊説により、例えば無用な風説の流布が起こり、央中世論が混乱した場合、その責は名を騙った元、即ち我々に問われることは明白でしょう。そうなれば、今後の展望にも差し支えることは確実です。
     もし万が一、央中からの反響なり悪影響なりが無かったとしても、我が党、いや、我々最高幹部の意向を無視し独断専行、あるいは名を騙ろうとする不届き者がいると広く知れ渡れば、党全体の統率において、少なからず影響を及ぼすでしょう。
     私個人の意見といたしましては、早急に対応すべき案件と存じます」
     いつも以上に苦々しい顔を向けるイビーザに、シエナも同意する。
    「そうね。でも……」
    「ええ。主だって央中へ赴き、活動するのは時期尚早でしょう」
     依然として苦い顔を崩さず、イビーザはこう続ける。
    「確かに終戦より2年が経過し、情勢も落ち着きを見せてきてはおります。しかしまだ、『新央北』の存在を無視して央中へ進出できるほど、体制が整ってはおりません」
    「ええ、そうね。それはアタシも同意見だわ」
    「恐らくは他の幹部も同様でしょう。
     実際、もしも現状でうかつに央中へ進出するようなことをすれば、『新央北』は間違いなく、攻撃の機と見なすはず。強襲される危険性は、決して小さくないでしょうな。
     とは言え、先程申し上げた懸念もあります。放っておくのは、決して得策とは言えませんぞ」
    「ええ、ソレも分かってる。となると、秘密裏に動きたいところだけど……」
     シエナは口元に手を当て、しばらく間を置いてこう返した。
    「ロンダが諜報部を新設したわよね?」
    「ええ」
    「動いてもらおうかしら」
    「現状では最も良い選択ではないかと」

     シエナとイビーザは白猫軍司令、狼獣人のミゲル・ロンダの執務室を訪ねた。
    「これは総裁閣下に幹事長閣下! 如何されましたか?」
     シエナたちが部屋に入るなり、ロンダ司令は椅子から勢い良く立ち上がり、尻尾までいからせて敬礼した。
    「楽にしてちょうだい。あなたに頼みたいことがあるのよ」
    「閣下のご命令であれば、何なりとお申し付け下さい」
     ロンダは敬礼を解くが、直立姿勢は崩さない。
    「央中で我々最高幹部に何の報告もせず活動している者、もしくは我々の名を騙っている者がいる疑いがあるの。
    でも党としての主だった動きは避けたいから、秘密裏に調査をお願いしたいの? できるかしら」
    「なるほど」
     ロンダは再度、かっちりと敬礼する。
    「拝命いたしました! 早速諜報部に命じ、調査を行わせます!」
    「ええ、頼んだわよ。結果が出たら出来る限り早急に、知らせてちょうだい」
    「はい!」
     結局、シエナたちが執務室を後にするまで、ロンダは敬礼を崩さなかった。
    白猫夢・騙党抄 1
    »»  2014.05.15.
    麒麟を巡る話、第369話。
    央中での党評。

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    2.
     飛ぶ鳥を落とす勢いで成長・拡大を続ける白猫党は双月暦570年現在、既にただの政治結社ではなくなっている。
     豊富な財源と優秀なブレーンによる政治・経済指導、今や総勢3万人を超え、そしてそのすべてが最新装備で完全武装された強大な軍事力、そして何より「預言者」葵への、宗教にも近い信頼・信奉から来る絶大な結束力によって、央北の半分を手中に収めた彼らを「新たな帝国」、「第四の中央政府」と称する者さえ現れていた。

     当然、そんな彼らを危険視する者は少なくない。
     特に央中地域では、古来より央北の文化や体制を嫌う者が多く、その流れを踏襲するかのような行動を執る白猫党を忌避する者も多い。
     しかし、その一方で――。
    「いやー……、私としてはむしろ、白猫党の皆さんに拍手を送りたい気持ちが強いですけどねぇ」
     件の遊説者を探るため央中へと赴き、情報収集を行っていた諜報員たちは、そうした否定的意見とは正反対の、好意的な評価を何度か耳にした。
    「そんなものですか……? いや、我々はあくまで第三者的な立場としての意見を言っているだけですが」
     勿論、諜報員たちは余計な騒ぎを起こさないよう、身分を隠して行動している。その上での、相手のこの発言である。
    「まあ、私も中途半端にしか知らないですけど、ほら、央北天帝教の手先みたいなの、アレを倒したって話じゃないですか。その後を継いだ何とかって組織も、ついでに潰したらしいですし。
     央中天帝教徒たる我々からしてみれば『よくやった』、みたいな感じもあるんですよね」
    「なるほど」

     白猫党が「天政会」やその後身組織を易々と撃破したことは――それほど明確ではないにせよ――央中地域にも広く伝わっており、これを反央北天帝教の風潮、意思表示と見なす者も、決して少なくなかったのだ。



    「……そんなわけでして。『対象』の遊説活動も、こうした風潮に後押しされる形で、かなりの支持を集めている様子です」
    《そうか……》
     諜報員たちは、この調査依頼を直々に命じてきたロンダ司令への報告において、この好意的意見も、併せて伝えていた。
     その報告を、ロンダは嬉しそうな様子で聞いていたが、しかし一方で苦々しげな声で、こう返した。
    《この遊説が本当に、単に同志による、独断専行の喧伝活動であるのならば――勿論、勝手を咎めるべきではあるが――何とも喜ばしい話だ。我々の活動が遠い央中の地においても認められている、と言うことなのだからな。
     しかしこれが偽者、我々の権威と評判を笠に着た不埒者によるものであるならば、何とも許しがたい行為だ。我々の影響力のみならず、央中の方々の善意までも食い物にしているのだからな。
     引き続き、調査を続けてくれ》
    「了解です」



     結論から言えば、この調査の完遂には、手間はさほどかからなかった。
     諜報員たちはそれなりに優秀な者が揃っており、また、捜索対象も派手に遊説を繰り返していたため、その発見自体は実に容易だったのである。

     央中北西部から調査を始めてから2ヶ月、央中東部沿岸へと進んだところで、諜報員たちはその調査対象に追いついた。
    「ここで……、間違いないようだな」
    「みたいですね」
     諜報員たちはその「遊説者」の姿を確認するため、密かに講演会の会場へ潜入していた。
     評判のためか、会場は既に満員となっており、立ち見客の姿もチラホラと見受けられる。諜報員たちも席に着くことはできず、壁際に並んで会の開始を待っていた。
    「すごい数が集まったもんだ」
    「確かに。よほど宣伝に力を入れていたか……」
    「もしくは、よほど巷の評判になっているか、だな。……ま、両方かも知れんが」
     雑談している間に、壇上に司会者らしき短耳が現れる。
    「お待たせしました。これより白猫党最高幹部、エルナンド・イビーザ幹事長による講演会を開催いたします」
     出席者の名前を聞き、諜報員たちは一斉に噴き出した。
    「ぶっ……、よりによって幹事長閣下の名を騙ったか」
    「相当な恥知らずだな!」
    「あるいはものすごい度胸の持ち主か、ですね」
     司会の紹介を受け、その「遊説者」が壇上に現れた。
    「あれが『対象』だな」
    「狐獣人の男性で、20代半ば、……いや、前半? 髪は金髪に赤いメッシュが少し……、金火狐一族のようにも見えますね」
    「……ん?」
     と、諜報員たちはその狐獣人を見て、一様に既視感を覚えた。
    「見覚えが無いか……?」
    「あります」
    「同じく。確かに党本部で見た覚えがある」
     間を置いて、三人は同時に、同じ人物の名をつぶやいた。
    「……マラネロ・ゴールドマン元財務部長か?」
     壇上に立ち、大仰に話し始めたその人物は――要職を追われ、失意の底にあるはずのマロだった。
    白猫夢・騙党抄 2
    »»  2014.05.16.
    麒麟を巡る話、第370話。
    偽者の正体。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     講演会は盛況のうちに幕を閉じ、イビーザの名を騙って出席したマロは、ニコニコ笑いながら退出して行った。
     しかし諜報員たちは額に青筋を浮かべ、怒りを露わにした様子で会場を飛び出す。
    「ゴールドマンめ……! すぐに拘束してくれる!」
    「幹事長閣下の名を借りておいて、あんな話を展開するとは!」
    「どう考えても我々、白猫党全体の品位を損ねていることは明白ですよッ!」
     講演会においてマロが公言した内容は――確かに白猫党の党是・活動理念に、ある程度は沿ったものであったが――ここ数年で党の基本思想になりつつある、「預言者への無償かつ無限の信頼・信奉」に欠けた、いや、むしろそれに真っ向から対立するようなものだったのだ。
    「なにが『我が党に加盟すれば、今なら央北との取引に優先権が付くよう便宜させていただきまっさ』だッ!」
    「我が党は光輝ある政治結社であって、取引所やその代理人じゃない!」
    「ゴールドマンめ、もう魂胆が見えたぞ! 我が党で閑職に追いやられた腹いせに、我が党の権威を失墜させ、ついでに私腹を肥やすつもりだな!」
     三人は足早に廊下を進み、マロがいるであろう控室へと急いだ。

     と――三人の前に、黒と赤のドレスを着た少女が現れた。
    「うん……?」
     そのドレスの少女は三人に、やんわりとした口調で声をかけた。
    「幹事長さまにご面会でしょうか」
    「ふざけるな! 誰が幹事長だと!?」
     諜報員の一人がそう怒鳴ると、少女はやはり、落ち着いた声で返す。
    「なるほど。察しますに、あなた方は白猫党の関係者でございますね」
    「そうだと言ったら?」
    「幹事長さまが本来は、元財務部長であることもご存知でしょうか」
    「ああ」
    「あなた方の目的は、幹事長さまの拘束と考えて相違ございませんでしょうか」
    「くどい! あんな男を幹事長などと呼ぶな! いいからどけッ!」
     問答に苛立った諜報員の一人が、少女を突き飛ばそうとした。
     だが――。
    「あなた方は我々の計画遂行に悪影響を及ぼすと判断いたしました。よって、排除いたします」
     次の瞬間、少女を突き飛ばそうとした諜報員の胸から背中にかけて、大穴が開いた。
    「……え、っ……?」
     何が起こったのか分からず、その諜報員は自分の胸に手をやり――そしてどさっ、と重い音を立てて倒れた。
    「な、なっ、なんっ……」
    「ひ、いっ」
     一瞬にして仲間を殺され、残った二人は立ち竦む。
     そしてその一瞬後に、彼らも仲間の後を追うこととなった。

     三人が血の海に沈んだところで、控室のドアが開く。
    「……今の、何です?」
     部屋の中から、マロがけげんな顔を覗かせるが、廊下の惨状を見て「うっ……」とうめく。
    「計画は次の段階へ移行いたしました」
     振り返り、血まみれになった顔を見せた少女に、マロは青い顔をしつつも、こう応じた。
    「そう、ですか、……分かりました。ほんなら、……次は、ミッドランドでしたな?」
    「ええ。わたくしは『片付け』を行いますので、マロさまはこのまま宿へとお向かい下さい。
     明日の昼には出発いたします予定ですので、あまり夜更かしはなさらないよう、お願いいたします」
    「……分かりました」
     マロは一度控室に戻り、荷物をまとめてもう一度ドアを開け、そそくさと出て行った。
     なお――その時には既に、廊下には血の一滴も残っていなかった。



     それから二日後。
     白猫党本部、ドミニオン城に、非常に大きな木箱が送り付けられた。
    「宛先は『白猫党幹部ご一同』となっております」
    「そう」
     自動車一台分もの体積があったため、木箱は城の中庭へ置かれていた。
     シエナとイビーザ、そしてトレッドの三人はその前に集まり、木箱の中身を確かめようとしていた。
     と、そこへロンダが慌ててやって来る。
    「お待ちください、皆さん!」
    「あら、どうしたの?」
    「ハァ、ハァ……、どうしたの、ではございません! あまりにも怪しいと、お思いになりませんか!?」
     息せき切りつつそう尋ねられ、シエナは素直にうなずく。
    「思うわ。だから開けかねてたのよ」
    「そうでしたか、……それなら、はい、大丈夫ですね、はい。お見苦しいところをお見せしてしまいました」
    「構わないわよ。それでロンダ、コレをどうする気?」
    「我々白猫軍が重装備態勢の元、中身を改めます。よろしいでしょうか?」
    「ええ、お願い」
     この申し出も素直に、シエナはうなずいた。
    白猫夢・騙党抄 3
    »»  2014.05.17.
    麒麟を巡る話、第371話。
    司令の検分。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     鋼鉄製の防具と盾で防御を固めた兵士たちにより、木箱が開けられることとなった。
     しかし中に収められていたのは、そんな物理的な防御では防げない、恐るべき「攻撃」だった。

    「魔術反応、ありません」
    「爆弾の類も設置されていない模様です」
     兵士たちが木箱を検証し、罠が無いことを確認する。
    「分かった。慎重に開けてくれ」
     ロンダの命令に従い、兵士たちはバールを隙間にねじ込み、蓋を開ける。
    「よい、しょ……、っと」
     ギシギシと音を立てて、木箱は開かれた。
    「……!?」
     中身が顕わになったその瞬間、中庭にいた者たちは一様に、言葉を失った。

     木箱が開けられるその5分前、トレッドは笑いながら、こんなことを言っていた。
    「私の背丈より頭ひとつは大きいですな。人が悠々、隠れられそうだ」
    「あはは……」
     シエナはこの時、笑って返していたが――中身を目にした今、その冗談には二度と、笑みを浮かべることができなくなった。
    「……これ……は……」
    「……っ! 閣下! お下がり下さい! 見てはいけません!」
     ロンダが慌ててシエナの前に立ちはだかり、木箱から目を逸らさせる。
    「見ちゃ、った、……わよ」
     ぼそぼそとそうつぶやき、シエナはその場に倒れてしまった。
    「ああ、閣下! ……き、君! 閣下を医務室へ運びたまえ!」
     ロンダは兵士に命じ、倒れたシエナを運ばせる。
    「ほ、他の幹部の方もお戻り下さい! 我々が調べますので!」
    「う、……うむ」
    「そ、そう、させてもらおう」
     イビーザとトレッドも、顔を真っ青にして中庭から立ち去った。
     中庭にはロンダと兵士数名だけになり、そこでようやく、ロンダがつぶやいた。
    「……なんと、むごい」
     木箱の中には、央中へ調査に向かわせていたあの諜報員三名の死体が吊るされていた。
     その胸には太い杭が打ち付けられ、真っ赤に染まっている。また、三人の首を一度に結ぶ形で、麻でできた帯がくくりつけられていた。
    「こんなひどい死に方を……。戦地でもこれほどの惨死、目の当たりにしたことはそうそう無いぞ」
     央北における戦争に幾度と無く参加してきたため、ロンダはこの異様な光景に直面しても、流石に怯むような様子は見せない。
     既に腐臭を放っている死体に近寄り、ロンダは検分を行う。
    「死後2日と言うところだろうか。死因は間違いなく、胸に受けたこの杭だろうな」
     そう結論づけたところで、背後からぽんと、声が投げかけられた。
    「違うよ。杭を打たれたのは死んだ後だよ」
    「う、……うん?」
     いつの間にか、ロンダの背後には、緑髪に三毛耳の猫獣人が立っている。
    「君は?」
     ロンダの問いに答えず、その猫獣人――葵はこう続ける。
    「もし生きてるうちに杭を打たれたなら、相当苦しくて顔が歪むだろうし、血もいっぱい出るはずだよ。
     でもこの人の顔は、何て言うか、自分たちに何が起こったのか分からないうちに死んじゃった、……って言う感じだもん。
     それに杭に付いてる血が、生きたまま打たれたにしては少なすぎるよ。多分、殺した後でこんな風に『飾り付け』したんだと思う」
    「ふむ」
     乱暴で利己的な前任者とは違い、ロンダは他人の意見にじっくり耳を傾ける、協調的な性質を持っているらしい。
     突然現れた葵に、ロンダは執拗に素性を尋ねるようなことはせず、深くうなずいて応じた。
    「なるほど。確かにそう言われれば、そう見える。では彼らの、直接の死因は何だろうか?」
    「胸を一突き。それも剣や槍じゃない。素手をものすごい力で突き入れて、そのまま背中まで抜けたみたいな、かなり乱暴で非常識な殺し方だよ」
    「その論拠は?」
    「胸に空いた穴。剣とかでできた切創に杭を打ち込んだなら、傷跡は無理やり拡げたみたいになるはず。その傷跡、杭より大きいもの。ちょうど、あたしの手を広げたくらいの大きさ。それに」
     葵は死体のひとつに近付き、己の手をかざして見せた。
    「これ、手の形だよね」
    「……む、う」
     葵の言う通り、確かにその傷跡はヒトデのように、5方向の放射状に広がっていた。
    「これ、取っていい?」
     と、葵が死体の首に掛けられた麻帯を指差す。
    「うむ」
     ロンダの許可を得て、葵はその麻帯を手に取る。
    「うん? 裏側に何か書いてあるな」
    「……」
     葵は麻帯に書かれた文章に一瞬、視線を落とし、それからロンダに渡した。
    「ミゲルさん」
    「なんだ?」
    「これから忙しくなるよ。央中に多分、半年くらい詰めることになる。
     家の地下室の掃除と壁のペンキ塗り、今週中にやっとかないと、帰ってきた時に奥さんと大ゲンカすることになるから、央中に行く前にやりなよ」
    「む、む? 央中へ、だと? それに何故、私の家の事情を……」
     目を白黒させるロンダに構わず、葵はこう言い残し、その場から消えた。
    「それ、シエナに見せてあげて。見たらシエナはきっと、すごく怒る。
     それが央中攻略戦の幕開けになるから」
    白猫夢・騙党抄 4
    »»  2014.05.18.
    麒麟を巡る話、第372話。
    党首シエナの激昂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ロンダは葵に言われた通り、医務室で臥せっていたシエナと、付き添っていたイビーザたちに、死体に巻かれていた麻帯を見せた。
    「緑髪の『猫』から見せろと託りまして」
    「……そう」
    「面妖なことに、その『猫』、言うだけ言うとかき消えるように、その場から姿を……」
    「あの子はそう言う子よ」
     適当に応じながら、シエナは麻帯に書かれていた文章を読んだ。



    「白猫党幹部ご一同様へ
     来る5月4日(風曜)、我が白猫党の講演会を、央中における党首閣下および預言者様の思い出の地にて行います。
     皆様お誘い合わせの上、是非、ご参加下さいませ」



    「……これは、どう解釈すればよいのでしょうか」
     尋ねたロンダに、シエナは苛立った目を向ける。
    「ケンカ売ってんのよ。アタシたちの誰からも許可を取らずに、勝手きままに話を進めてる。コレがもし本当に党員なら、厳罰ものよ。いいえ、同志に対してあんな仕打ちをするような輩が、我が白猫党の党員であるわけが無いわ!
     まったく、ふざけてるわ!」
    「ふざけているのはそれだけに留まらんでしょう」
     イビーザもシエナに続き、苦々しげな表情を浮かべて憤る。
    「我が党党員が3名も、あのような形で惨殺され、あまつさえあれほどご大層な方法で送り付けてきたのです。これは宣戦布告ととっても、なんら差支えのないものでしょう」
    「宣戦布告ですと?」
     ロンダは目を丸くし、詳しく尋ねた。
    「一体どこの国が、我々に宣戦布告したと言うのですか?」
    「ソレは分からないわ。でも手紙には、アタシと預言者の思い出の地で講演会を開く、とある。ソコに行けば、確実にいるはずよ」
    「思い出の地、と言うと?」
    「央中で、アタシとあの子との共通の思い出がある場所なんて一箇所しかないわ。
     アタシとあの子が出会った、天狐ゼミのある街――ミッドランドよ」
     シエナはまだ蒼い顔をしつつも立ち上がり、医務室を出て行こうとする。
    「閣下、ご無理は……」「しない方が無理よッ!」
     心配するロンダに、シエナは怒鳴り返した。
    「アタシたち、本物の白猫党を差し置いて勝手きままに遊説するばかりか、こうして党員を殺されたのよ!?
     こんな屈辱を味わわされて、黙って寝てろって言うの!?」
    「そ、それはそうですが」
    「ミゲル・ロンダ司令!」
     シエナはロンダをにらみ、こう命じた。
    「早急に突撃部隊を編成してミッドランドへ向かい、このクソくだらない真似をしてくれた超大馬鹿野郎に鉄槌を下しなさいッ!」
    「か、閣下!」
     それを聞いて、トレッドが慌てて立ち上がる。
    「まさか、央中に兵を送るおつもりですか!?」
    「そうよ!? ソレがどうしたって言うの!?」
    「いくらなんでも、そこまでしてしまっては央中との関係が悪化します! 偽者騒ぎ程度ならともかく、直接的な武力を投入しては……!」
    「アンタは悔しくないの!?」
     シエナは突然、ボタボタと涙を流し始めた。
    「虚仮にされた挙句、同志をこんな無残な目に遭わされて、それでもヘラヘラ笑って構えてろって言うの!? アタシにはそんな選択はできない! そんな行動は執れないわ!」
    「し、しかし」
    「……私は」
     と、ロンダが顔をこわばらせながら、口を開いた。
    「私は、党首閣下のご意見に賛成いたします」
    「き、君まで! 落ち着きたまえ、ね?」
    「いいえ、落ち着いてなど……!」
     ロンダの目からも、つつ……、と涙が流れる。
    「党首閣下の心意気、我が心を強かに打ちました! 必ずやその無念、晴らしてご覧に入れましょうぞ!」
     びしっと敬礼し、涙を流すロンダに、トレッドは絶句するしかなかった。
    「……ありがとう、司令」
     シエナは涙を拭きながら、依然強い口調で、今度はトレッドに命じた。
    「フリオン・トレッド政務部長。これより白猫党の最優先課題は、央中の敵対勢力討伐とします。
     それに併せて、当該業務が円滑に遂行できるよう、白猫党の央中進出も優先して推めなさい」
    「……閣下、ですが、央北内の権力基盤はまだ、完全に安定したわけでは……」「あなたは『預言と党首命令には従う』と言ったはずよね?」「……っ」
     トレッドは終始、苦い顔を見せていたが――やがて、「……承知いたしました」と、諦め気味に答えた。
    白猫夢・騙党抄 5
    »»  2014.05.19.
    麒麟を巡る話、第373話。
    こっそり愚痴吐き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     央中進出がシエナの強い主張の元、正式に決定された、その日の晩。
    「これで、いいのよね?」
    「うん」
     シエナは密かに、葵と話していた。
    「多少後ろめたい思いが無いわけじゃないけど……、でも、央中進出論を皆に認めさせるには、一番の方法よね」
    「シエナ」
     ベッドに半身を潜らせたまま、葵はこう返した。
    「覚悟、決めたって言ったはずだよね」
    「……ええ、そう、そうよ。そう、決めたわ。確かに、そう。
     でも、……でも、こんなコトがある度、言わずにいられないのよ」
     シエナは顔を両手で覆い、ぼそぼそとつぶやく。
    「アタシは迷ってばっかりよ……。党員が犠牲になる度、なると知らされる度に、吐きそうなくらいにめまいを感じるのよ。
     でも、そんなコト、他の誰にも言えないもの。アンタ以外には」
    「ん」
     短くうなずいた葵に、シエナは続けて愚痴を漏らす。
    「党首である以上、党員にも幹部にも、アタシが動揺してるコトは知られるワケには行かないもの。
     でも、いくら装っても、本当のアタシは、本気で大泣きしたいくらいに戸惑ってるのよ。だから……」
    「分かってる。落ち着くまで、聞くよ」
    「……ありがと、アオイ」
     その後、十数分ほど愚痴を吐き続けて、シエナの顔にようやく穏やかな気配が差す。
    「はあ……。大分、楽になったわ。ホントにゴメンね、アオイ」
    「いいよ。シエナに落ち着いてもらわないと、困るもの」
    「ええ、そうね」
     シエナはにこっと笑い、葵の手を握った。
    「アンタに会わなきゃ、アタシは今でも片田舎の潰れかけた工房で、貧乏暮らししてたでしょうしね。こうして活躍の場をくれたコト、ホントに感謝してる。
     期待しててね、アオイ。20年、いえ、10年以内に、アンタの野望はアタシが叶えて見せるから」
    「……ん」
     葵がうなずいたところで、シエナはクス、と笑った。
    「そうだったわね。アンタに未来の話は野暮だったわ。
     じゃあ、教えて? アンタとアタシの計画は、成就するの?」
     そう問われ、葵は目を閉じ、しばらく間を置いてから答えた。
    「すると思う」
    「確実じゃないの?」
    「遠すぎるもの」
     葵は目を開け、こう続けた。
    「未来は現在から連なっているものだから、今の状態が変われば、未来も変わるよ。
     一応『見て』はみたけど、まだ、ぼんやりしてる。まだ、確実じゃない要素がいっぱいあるから。
     でも、確実じゃないってことは、成就の可能性もあるってことだよ」
    「……はっきりしないわね」
     口をとがらせたシエナに、葵は小さく頭を下げる。
    「ごめんね。でも、手近なところから固めていけば、きっと、狙った通りになるはずだよ」
    「そうね。……そのためにも、この央中攻略は絶対、成功させないとね」
    「ん」
    「じゃあ、教えてくれる? この後、央中、いえ、ミッドランドでは何が起こるのか」
     シエナの問いに、葵はもう一度、目をつぶった。
    「……はっきり見えてるのは、ミッドランドが無血開城したこと。強行突入した白猫軍に敵わないと諦めて、全面降伏するよ」
    「でも、アオイ? テンコちゃんがいる以上、ミッドランドは抗戦も辞さないと思うんだけど……」
    「戦闘は起こらないよ。テンコちゃんは、出てこないもの」
    「え?」
     意外な返答に、シエナは目を丸くする。
    「どうして? いくらアタシたちが昔の教え子だからって、軍をけしかけてきたら……」
    「あたしたちが突入する時、テンコちゃんはミッドランドにはいないみたい」
    「へえ……? 旅行か何かしてるってコト?」
    「……かも知れない。あたしにも、何がどうなるのか、……これだけははっきり分からないの」
    「そうなの?」
     ぼんやりと眠たげだった葵の顔に、ほんのわずかに、不快そうな色が差した。
    「不思議だよ。今まで『見よう』と思って、はっきり見えないことなんて無かったのに」
    「……不安ね」
     と、葵の表情がふたたび、ぼんやりしたものに戻る。
    「そこだけはね。それ以外は結構、はっきり見えてる。
     あたしたちがミッドランドを占領することは、間違い無いよ」
     葵の言葉を聞き、シエナは再度、にっこりと笑って見せた。
    「そう。……ソレだけ分かれば十分ね。
     分かったわ。アタシはいつも通り、自信満々に党の舵を切るわ」
    「ん、お願い」



     双月暦570年、白猫党は央中地域への進攻を開始した。

    白猫夢・騙党抄 終
    白猫夢・騙党抄 6
    »»  2014.05.20.
    麒麟を巡る話、第374話。
    ルナの不安。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「来ないのよね」
     唐突にそうつぶやいたルナに、マークはぎょっとした。
    「何がです?」
    「ん?」
     尋ねたマークに、ルナは一瞬間を置いて、こう尋ね返した。
    「何だと思ってんの?」
    「いや、まあ、その、何だか分からないですけど」
    「来ないって言うのは、師匠からの返事よ」
    「ああ……」
     ルナは腕組みし、いぶかしげにつぶやく。
    「おかしいのよね。今までこんなこと、一度も無かったのよ」
    「と言うと?」
    「いつもなら、師匠に通信魔術を送れば即、応答してくれるんだけどね。何度送っても、返事が返って来ないのよ。
     これが普通の『魔術頭巾』とかだったら、通信手が席を外してるとかってことも考えられるんだけど、師匠の場合、いつでも返事できるように術式を組んでるの。
     それなのに……」
    「何かで忙しくて手を離せない、とかじゃないんですか?」
    「それでも、よ。電話で言うなら、常に受話器を耳に当ててるような状態なのよ?
     それで応答できないって、耳が聞こえなくなったか舌が無くなったかでもしない限り、応答できるはずでしょ?」
    「『できない』じゃなく、『しない』って可能性は?」
     と、話の輪にフィオが入ってくる。
    「応答したくないってこと?」
    「それも考えられなくはないけど、マークが言うように、忙しいんじゃないかな。例えば修羅場の真っ只中、だとか」
    「誰かに襲われてる最中、ってこと? ……うーん」
     フィオの意見を聞いてなお、ルナはいぶかしげな表情を崩さない。
    「考えられなくはない、わね。でもあの師匠がてこずるような相手なんて、そうそういないはずなんだけど」
    「存在だけなら、いるじゃないか」
    「って言うと?」
    「師匠さんの師匠。つまり、カツミとか」
    「んー……。確かに克大火が相手だったら、そりゃ、まあ、苦戦どころじゃ済まないでしょうね。
     でも可能性としては、考えにくいわよ。二人ともすごく仲いいし」
    「そうなんだ? ……まあ、そりゃそうか。でなきゃ師匠と弟子の関係なんて築けないよな」
    「でも僕、実際にカツミさんを見たことがあったけど、何て言うか……」
     言いかけたマークに、フィオも同意する。
    「天狐ゼミの、アオイが消えた時だよね? 僕もあの時初めて目にしたけど、親しみのあるようなタイプじゃなかったもんな」
    「そうそう。すごいしかめっ面してたし、威圧感がものすごかったし」
     マークたちが思い出話に花を咲かせている一方、依然としてルナの顔からは、険が抜ける様子が無い。
    「……うーん」
     と、ルナは顔を挙げ、唐突にこう告げた。
    「見てくるわ、様子」
    「え?」
    「直に行って、何してんのか見てくるわ。このまま放っておいたら、気兼ねなく央中になんて行けやしないし」
    「いつ行くんです?」
    「すぐよ」
     そう返し、ルナはキッチンにいるパラに声をかけた。
    「パラ、ちょっと出かけるわ。明日か、明後日には戻ってくるから」
    「承知いたしました」
    「あれ?」
     これを聞いて、フィオは意外そうな顔をした。
    「パラは連れて行かないの?」
    「ちょっと行って帰ってくるだけだもの。あたし一人で十分よ」
    「まあ、そっか」
    「ま、1日か2日だけだけど、たまにはあたし抜きであの子と過ごせるわよ」
    「え? あ、うん」
     ルナは若干目を泳がせたフィオに背を向け、今度はマークに釘を刺した。
    「あたしがいないからって、自分勝手なことするんじゃないわよ?」
    「分かってますって」
    「戻ってきたらシャランちゃんから、何してたか聞くからね」
    「……大丈夫ですってば」
     マークが口を尖らせて応じたところで、ルナは居間を後にした。
    「じゃ、行ってくるわ」
    「はい。行ってらっしゃい、ルナさん」
    「行ってらっしゃいませ」
     居間のドアが閉まると同時に、マークがこうつぶやいた。
    「……どうする?」
    「どう、と申しますと」
    「うるさいのがいない、ってことだよ」
     マークのその発言に、フィオが噴き出した。
    「君、単純だなぁ」
    「なんでさ?」
    「僕の勘だけどさ、ルナさんはまだドアの向こうにいると思うぜ?」
    「えっ」
     フィオの予想通り――ドアの向こうから、ルナの笑う声が漏れ聞こえてきた。
    白猫夢・新月抄 1
    »»  2014.05.21.
    麒麟を巡る話、第375話。
    鬼のいぬ間に。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ルナにデコピンされた額をさすりながら――この時点でルナが本当に出かけたことは確認済みである――マークはフィオとパラに問いかける。
    「で、どうする?」
    「どうって」
    「そう仰られましても」
     ニヤニヤしているマークに対し、フィオとパラは顔を見合わせている。
    「ルナさんがいないのって、最長でも2日だろ? 勝手に研究進めるって言っても……」
    「マークのこれまでの平均研究期間から想定しますと、2日で何らかの研究を企画および実行し、かつ完了することは不可能と思われます」
    「だよな。他にルナさんの鼻を明かせるようなことって言っても、特に無いよな」
    「わたくしも全面的に、フィオの意見に賛成です」
    「せいぜいルナさんの机に蛾でも仕込むくらいじゃないか? あとはベッドに芋虫とか……」
    「ば、バカにしないでくれ」
     マークは顔を真っ赤にし、ぶんぶんと首を振る。
    「そんな子供みたいなこと、しないよ!」
    「まあ、そりゃそうだよな」
    「マークの年齢からは想定しづらい行動です」
    「……ん? いま、マークっていくつだっけ」
    「わたくしの保持する情報によれば20歳です」
    「あれ? もうそんなだっけ。まだ10代だと思ってた」
     フィオの言葉に、マークは今度は、憮然とした顔を見せた。
    「君と何年一緒にいると思ってるんだよ……」
    「そう言や、そうだ」

     マークが頬をふくらませつつ研究室へ戻っていったところで、フィオは改めて、パラに話しかけた。
    「あのさ、パラ」
    「何でしょう」
    「その……、こんなことを聞くのも、失礼かも知れないけど」
     フィオはチラ、とパラの顔を一瞥し、こう続けた。
    「一人きりで、困ったりしない?」
    「と申しますと」
    「いつもルナさんから命令を受けてるし、一人だと何していいか分かんなくなるんじゃないかって」
    「ご心配には及びません」
     そう返しながら、パラは自分の胸を指す。
    「わたくしには長時間命令を与えられない場合に備え、待機モードが設定されております故」
     その返答に、フィオはずっこける。
    「おいおい……。ルナさんが戻ってくるまで寝てるつもりなのか?」
    「……クス」
     と、パラがわずかに、唇の端をにじませた。
    「冗談です」
    「……参るな。君、段々ルナさんに似てきた気がするよ」
    「光栄です」
     小さく頭を下げつつ、パラはこう続けた。
    「この後の予定ですが、特に優先すべき事項が発生しない限り、屋内全域の掃除を行おうかと」
    「掃除? いつもやってるような気がするけど」
     尋ねたフィオに、パラはぴん、と人差し指を立てて見せた。
    「主様が1日以上不在であれば、主様のお部屋を最大限に掃除する、絶好の機会でございます故」
    「……あー、なるほど」
     フィオは何度か目にした、ルナのごちゃごちゃとした、小汚い部屋を思い出した。
    「じゃあさ、パラ。僕もそれ、手伝うからさ、……それが終わったら、ちょっと、二人で出かけないか?
     いや、特に行きたいってところも無いんだけど、まあ、ルナさんに茶化されずにあちこち見て回れるって言うんなら、その、行かないのは損かもなって思ってさ」
    「了承いたしました。しかしフィオ」
     と、パラがほんのわずか、心配そうな目を向ける。
    「わたくしの清潔度の基準は、一般的な平均より著しく高く設定しております。主様のお部屋の現状から算出するに、その基準を満たすためには、非常に時間を要することが予想されます。
     それでもよろしければ、是非、手伝っていただきたいのですが」
    「勿論さ。二人でやった方が早く済むだろ?」
    「ありがとうございます」
     ぺこ、と頭を下げたパラに見えないよう、フィオはぐっと握り拳を固めていた。

     一方、マークは研究所の机に頬杖を付きながら、ぼんやり思案していた。
    (どうやったら2日以内にルナさんの鼻を明かせるかなぁ)
     机上のメモ帳にぐりぐりと、絵とも単語とも付かないものを書き散らしつつ、そんなことを考えていると、背後からひょい、と両目を塞がれた。
    「おわっ」
    「さーて、誰かしら?」
     口調と声色を変えて尋ねてきた相手に、マークは苦笑しつつ答える。
    「ルナさんにしちゃ、声が高いよ。それにもっと可愛げがある」
    「じゃ、だーれだ?」
    「シャランだろ?」
    「はっずれー」
    「えっ?」
     顔からぱっと手を離され、マークは振り返る。
     そこにはニヤニヤ笑いながら離れて見ているシャランと、研究員の一人――昨年チームに入ってきた紫髪の短耳、クオラ・マキソフの姿があった。
    「だまされちゃいましたねぇ、主任」
     クオラはのったりとしたしゃべり方で、ケラケラ笑っている。
    「あー、うん、今のは完全に騙されたよ」
    「マーク、いつにもまして隙だらけだったもん。イタズラしてくださいって言わんばかりに」
    「ホントですよぅ」
    「参ったな……」
     マークも苦笑して返しつつ、このいたずら好きの二人に、ルナを驚かせる方法が無いか、尋ねてみることにした。
    白猫夢・新月抄 2
    »»  2014.05.22.
    麒麟を巡る話、第376話。
    イタズラ作戦会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「えぇ? 所長、いないんですかぁ?」
     マークからルナが不在であると聞かされたシャランとクオラは、顔を見合わせた。
    「まあ、2日だけなら特に支障も無いだろうけど」
     と、シャランはチラ、とマークの顔を見て、ニヤニヤ笑いながらこう尋ねる。
    「その間に所長をあっと言わせたい、……とか思ってるんだろ?」
    「う」
     図星を突かれ、マークは思わずうなる。それを見たシャランは、またニヤニヤと笑う。
    「だろうと思ったよ。いかにもマークの考えそうなことだもん」
    「うー……」
     苦笑いしつつ、マークは憮然としていた。
    (なんだよ、みんなして……。そんなに僕、子供っぽくて単純かな)
    「『そんなに子供っぽくないぞ』って顔してる」
     と、シャランが再度、図星を突いてくる。
    「し、してないよ」
    「ま、それはさておき。
     あたしの意見を率直に言うと、多分イタズラは無理」
    「え?」
    「所長、はっきり言って超人じゃん? ちょっとくらいビビらせようったって、すぐ見抜かれるよ、きっと。
     例えば机に蛾仕込むとかしてもさ、所長は多分、部屋に入る前に『なんかブブブって机ん中から聞こえるんだけど、マーク、あんた何かやったでしょ?』っつって、マークんとこに来るよ」
    「……ぐうの音も出ない完璧な推測だね。容易に想像できてしまうのが悲しい」
    「あたしもカンタンに想像できちゃいましたよぅ」
     しょんぼりするマークと、肩をすくめたクオラに対し、シャランはこう続けた。
    「だから、やるとしたら別の方向からのアプローチがいいと思う」
    「……え」
    「やりたいんでしょ? だったら手伝うよ、あたし」
    「あ、ありがとう」
    「どーいたしまして。
     で、話の続きだけどさ。何かを部屋に仕掛けるって言う感じのイタズラは、多分ダメ。所長は速攻、見破る。だからもっと別の……、んー」
     シャランはそこで、言葉を切る。そこで、今度はクオラが提案した。
    「別の、って言うとぉ、こっそり仕掛けるんじゃなくってぇ、むしろ堂々とぉ、真正面からって言う感じですかぁ?」
    「あー、……うーん? それって例えば、どう言う感じ……?」
     尋ねたマークに、クオラは首を横に振る。
    「……言ってみただけですぅ」
    「いや、それはアリかも」
     と、考え込んでいたシャランが口を開く。
    「例えばさ、いきなりパラちゃんがドレスじゃなく、スーツ姿になった、……とかってどう?」
    「あー」
    「それは驚くかも。あとは……」
     マークも考えてみるが、急には出てこない。
     と、クオラがポン、と手を叩く。
    「あ、そうだぁ。こんなのってぇ、どうでしょうかぁ?」
    「どんなの?」
    「主任とぉ、シャランさんってぇ、お付き合いされて随分長いって聞いてますけどぉ」
    「うん、確か2年くらいにはなるかな。知り合った頃から数えると7年くらい」
    「でしたらぁ、結婚してみたらどうですかぁ?」
    「へっ?」「ちょ、ちょっとクオラ」
     クオラの提案に、マークとシャランは、同時に尻尾を毛羽立たせた。
    「い、いや、それは……」
    「きっとものすごく驚くと思いますよぅ?」
    「そりゃ驚くよ。ルナさんがって言うより、まず僕が驚いたよ」
    「でしょぉ? これは一番なんじゃ……」「だーめ」
     と、シャランが尻尾を撫で付けつつ、それを却下した。
    「確かにそろそろしたい気持ちはあるよ。でも所長抜きで結婚式挙げちゃうなんて、不義理過ぎるって。所長、すごく悲しむと思う。
     何だかんだ言って、所長はマークのこと、すごく大事にしてるみたいだし」
    「う、うん。その意見には賛成だ。
     ……でも、まあ、……いつかはするとして……、揃って指輪付けるくらいのイタズラは、やっていいんじゃないかな」
    「あー……、そだね、それくらいならいいか」
     納得したシャランに、クオラは満面の笑みを浮かべる。
    「決まりですねぇ。じゃ、今日のお仕事が終わったらぁ、一緒に指輪とかぁ、見に行きましょぉ~」
    「いいね。それじゃ、ちゃちゃっと済ませよっか」
     そう言って、シャランたちは自分たちの作業机に移る。
     と――シャランはくる、とマークに振り返り、にこっと笑いながらこう言った。
    「指輪だけど、単なるイタズラ用って考えないでよ。あたし、婚約指輪のつもりでもらうからね」
    「……あ、うん。も、勿論、うん」
     マークは額に浮いていた汗を拭いながら、しどろもどろに答えた。
    白猫夢・新月抄 3
    »»  2014.05.23.
    麒麟を巡る話、第377話。
    一人相撲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……パラ」
    「何でしょう」
    「今の進捗状況をパーセントで表すとしたら、いくつくらいになる?」
    「16.22%です」
     パラの回答に、フィオはげんなりした声を漏らした。
    「まだ、それだけ?」
    「状況は依然、初期段階にあると言えるでしょう」
    「そっか……」
    「事前に、わたくしの清潔度の基準は一般平均よりも著しく高く設定している、とお伝えしたはずです」
    「う、うん。……そうだったね」
     フィオは内心、軽く呆れつつも、文句を言うことはせず、たんすの上の木箱をどかし、埃(ほこり)を拭おうとする。
    「フィオ」
     と、パラが呼び止める。
    「う、……まだまずかったかな、ここも」
    「はい。
     何度も申し上げました通り、まずは天井に近い箇所から順次、埃と脂(やに)を除去し……」
    「ちょ、ちょっと待ってくれよ? 天井に近いと思うんだけど、ここ」
    「まだたんす背面の壁の埃を払っておりません。そちらからお願いいたします」
    「え? 壁?」
    「微量ながら汚れが付着しております」
    「……あー、うん。……あー、だからまだ16%なのか。部屋の中の壁を全面、やるつもりなんだな?」
    「その通りです。主様は煙草を嗜まれることもあり、当室内の壁は屋内の他の箇所に比べ、平均46.81%程度、特に汚れが強く付着しております。
     わたくしの基準に適う程度まで汚れを除去するには、現状の進捗を鑑みるに、26時間41分を要するでしょう」
    「え……」
     作業時間を聞かされたフィオは内心、苛立ちを覚える。
    「……参考までに聞くけどさ」
    「何でしょう」
    「それ、僕がいなかったらどれくらいの時間になる? もしかしてさ、もっと早かったりするのか?」
     嫌味を込めてぶつけたその質問に、パラは淡々とした口調で答えた。
    「現状を鑑みれば、78.67%程度に短縮が可能です」
    「……あーそうかい、分かったよ」
     フィオははたきを投げ出し、パラに背を向けた。
    「じゃあ一人でやってろよ。付き合いきれない」
    「承知いたしました」
     淡々と返され、フィオはそれ以上怒りをぶつけることもできず、無言で部屋を出た。
    「……」
     残されたパラは、床に捨てられたはたきを手にし、そのまま黙々と作業を再開した。

    (二度とあいつの掃除手伝う、なんて言うもんか。やってられないっての!)
     フィオは怒りに任せ、市街地へ足を向ける。
    (あーあ……、あいつの神経質っぷりを甘く見てたよ、マジで!
     細かすぎるだろ、いくらなんでも!? 人形だのなんだのって言ったって、限度があるっての!
     いや、人形とかそう言うの、関係ないよな!? あれは絶対、あいつ個人の性格だっての! だって僕が……)
     と、大通りに入ったところで、とある店のショーウインドウがフィオの目に留まる。
    「あ」
     そこに展示されているワンピースを見て、フィオの感情は180度引っくり返った。
    (……しまったな。そうだよ、これがあったからパラを誘ったのに。
     いっつもケバケバしいドレス姿だし――微妙に似合ってないし。何考えてんだか、ルナさん――こう言うシンプルなワンピースの方が似合いそうだなって思ってたし、だからここに誘おうと思ってたのに。
     よくよく考えれば悪いことしちゃったよな……。僕がやるって言ったのに、それをほっぽり出して出て行っちゃったし。……バカ過ぎる)
     フィオは踵を返し、研究所へと戻っていった。

     研究所に戻り、フィオは急いでルナの部屋の扉を開く。
    「ごめん、パラ! 僕が悪かっ……」
     謝りかけたところで――フィオの目に、パラと、研究員4名の姿が映った。
    「……え?」
    「ども、ギアト君」
    「パラちゃんが大変そうだったんで、俺たち手伝ってました」
    「ギアト君も手伝いに?」
    「……」
     一片の曇りも見られない研究員たちの笑顔と、そして無表情のパラの目を見て、フィオは形容しがたい苛立ちを覚える。
    「……いいや、別に。なんでも。それじゃ」
     フィオはまた、怒りに任せて出て行った。



     その一時間後――市街地の公園に、頭を抱えたフィオの姿があった。
    白猫夢・新月抄 4
    »»  2014.05.24.
    麒麟を巡る話、第378話。
    所員たちの評価。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「そう言えば……」
     パラの手伝いをしていた研究員の一人が、唐突に口を開く。
    「ギアトさんって、普段は何してるんでしょう? あんまり話しないから、よく知らないんですけど……」
     ちなみにフィオとパラの素性については、シャランを除く研究員たちには明かされていない。あまり吹聴すれば、白猫党(特に葵)や克難訓など、厄介な相手にうわさが伝わる危険があるためだ。
    「あー」
     壁の脂を落としつつ、別の研究員が応じる。
    「俺が聞いた話だと、主任の護衛官らしいよ。主任、一応この国の第一王子だし」
    「そう言やそうでしたね」
    「いつも所長に小突かれてるイメージしかないから、あんまりピンと来ないけどな」
    「あはは……」
    「失礼だ、それは」
     と、ルナ参入以前からマークの研究チームに加わっていた古株、長耳のエイブ・リスターがたしなめる。
    「確かに殿下は王族らしさをあまり感じさせぬ方だが、言い換えれば別け隔てなく接してくださる、気さくな方だ。……まあ、確かに気さく過ぎる節はあるが。
     にしても、ギアト君はいささか職務怠慢ではないかとは、確かに私も感じている」
    「ですよね? いっつもパラちゃんと遊んでるイメージしか無いですよ」
    「ははは……」
     研究員たちが笑ったところで、パラが静かに口を開いた。
    「それは誤った認識と判断されます」
    「え?」
    「フィオは普段より、わたくしと各種戦闘技術の訓練を行っております。遊んでいると言う認識は、実際と大きく差異が生じているものと断言いたします。
     万が一マークを狙う者が現れた際には、その与えられた職責に足る行動を執るはずです。そのような存在が発生していないため、フィオの活躍は現在、確認できませんが」
    「……ごめん」
     素直に謝ってきた研究員に、パラは静かに首を振って見せた。
    「事実の再認識をしていただければ結構です」
    「まあ、確かに平和だからこそ、ギアト君がブラブラしていられるわけだ。むしろその太平楽な姿に安堵すべきか」
    「でも、なーんかダメなヤツだなって、俺は思いますけどね。カノジョがこうやって一所懸命に仕事してんのに、チラっと見るだけでどこか行っちゃうし」
    「確かに……」
    「女性の扱いを知らんな」
     研究員たちがうんうんとうなずく一方、パラの顔にほんのわずか、困った色が浮かぶ。
    「彼女とは、どなたのことでしょうか」
    「え?」
     パラの問いに、研究員たちは一斉に、パラの方を向く。
    「……パラちゃん?」
    「何でしょう」
    「君じゃないの?」
    「何がでしょう」
    「いや、俺たちずっと、パラちゃんがギアト君の彼女だと思ってたんだけど」
    「え」
     困惑する様子を見せたパラの顔に、やはりほんのわずかだが、嬉しそうな気配が浮かんだ。
    「それも、『誤った認識』だったかな?」
    「否定は、できかねます」
    「おや」
     パラの反応に、エイブが目を丸くした。
    「君がそんなに戸惑うとは」
    「いいえ、そんな」
    「あの奔放なフラウス所長の娘さんにしては、あまりにも無感動な子と思っていたが……、いやいや、やはり歳相応の感情はあるようだ。
     悪かったね、ギアト君を貶すようなことを言ってしまって」
    「い、いえ」
     パラは研究員たちにくるりと背を向け、そのまま黙り込んでしまった。

     と――部屋の外から、驚いたような声が飛んできた。
    「あーっ!? アンタたち、何してんのよ!?」
    「え? あ、所長」
     研究員たちとパラが振り返った先に、ルナの姿があった。
    「パラ、あたしの部屋で何やってんの?」
    「掃除を行っておりました。皆様はわたくしのお手伝いを」
    「もう、別にそんなのいいのに」
     唇を尖らせつつ、ルナはコートを脱ぐ。
    「ある、……お母様」
     パラはきょとんとした仕草で、ルナに尋ねる。
    「お帰りは明日、もしくは明後日と伺っておりましたが」
    「そのつもりだったんだけどねー」
     ルナは机に腰掛けつつ、煙草を口にくわえる。
    「いなかったのよね。師匠も、その師匠も。いそうなところ全部回ったんだけど、どこにもいなかったのよ。
     で、それ以上ウロウロしててもしょうがないから、さっさと切り上げて帰ってきたのよ」
    「そうですか」
     どことなくしょんぼりした様子のパラを見て、ルナは笑い出した。
    「アハハ……、そんなにあたしの部屋、綺麗にしたかった?」
    「はい」
    「いいわ、分かった分かった。じゃ、お願いしようかしらね」
    「ありがとうございます」
     パラはぺこりとお辞儀をし――ルナの口から煙草を抜き取り、灰皿とともに手渡す。
    「それでは屋外で喫煙をお願いいたします」
    「……ちぇ」
     ルナは苦笑しつつ、外に出た。
    白猫夢・新月抄 5
    »»  2014.05.25.
    麒麟を巡る話、第379話。
    20年越しの回答。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     外に出て煙草をくわえ、火を点けたところで、ルナはとぼとぼとした足取りで、袋を提げて戻ってきたフィオを見付けた。
    「あら、おかえりなさい」
    「ああ……ども……」
     フィオはそのまま研究所の中に入ろうとし、途中で引き返してきた。
    「……って、ルナさん!?」
    「ただいま。どうしたのよ、そんなガックリして」
    「あ、いや、……何でも」
    「アンタは何のきっかけもなしにいきなり落ち込むの? だったら病気ね」
    「……いや、まあ」
     フィオは研究所の入口をそっと開け、中の様子を確かめてから、ルナに小声で返した。
    「内緒にしててくれよ」
    「いいわよ」
     フィオは研究所の様子を伺いつつ、自分の失敗を打ち明けた。
     それを聞いたルナは、ケラケラと笑って返す。
    「アンタ、バカねぇ」
    「自分でも反省してるよ……」
    「ま、するだけマシね。で、埋め合わせは何か用意してきたの?」
    「それなんだけど……」
     フィオは恐る恐る、提げていた袋からワンピースを取り出した。
    「あら、かわいいじゃない」
    「そ、そうかな?」
     フィオはほっとした表情を浮かべたが、そこで真顔になる。
    「ちょっと聞きたいんだけど、ルナさん」
    「なに?」
    「パラって、いつも同じドレス着てるよね?」
    「そうね」
    「他には持ってないの? って言うか、買わないの?」
    「一応、買ってるわよ。でもね」
     ルナも研究所の方を一瞥し、小声で返す。
    「あの子、『わたくしが人間となった暁には、謹んで拝着いたします』つって、着ようとしないのよね」
    「あ……、そうなんだ。じゃあこれ……」
     しょんぼりした顔でワンピースを袋に戻したフィオに、ルナはポンポンと、彼の頭を優しく叩いた。
    「いいじゃない。着るかどうかは置いといて、あの子は絶対喜ぶわよ。あたしが保証する」
    「そう、かな」
     フィオのほっとした顔を見て、ルナはこう続けた。
    「つーか、それだけは無理矢理にでも着させるわ。あたしもドレス以外の格好したパラは見てみたいし、あの子にそう言うプレゼント贈ったのは、あたし以外にはアンタしかいないんだし、ね」
    「……ありがとう、ルナさん」
    「でも」
     ルナはもう一度、今度は自分の部屋の窓を確認して、肩をすくめた。
    「今はダメね。掃除中だし」
    「そうだね」
     と、研究所の扉が開き、中からマークとシャラン、クオラが出てきた。
    「あれ?」
    「所長だぁ」
    「もう帰ってきたの?」
     驚くマークに、ルナはニヤニヤと笑みを返す。
    「ただいま。お邪魔だったかしら?」
    「あ、いや、そんな」
    「もしかして」
     ルナは3人の顔をじっと見て、こう続けた。
    「あたしを驚かせようと、何かイタズラ仕込もうとしてた?」
    「……」
     3人は顔を見合わせ、そして観念したように、揃ってうなずいた。

     その後、マークたちも交えた研究所の全員で掃除が行われ、ルナの部屋を含む研究所の全箇所が綺麗に清掃された。



    「で、問題なのが」
    「師匠も克大火も見付からなかったってことよ」
     綺麗になったばかりの居間に早速、ルナは紫煙を浮かばせている。
    「考えられる可能性としては、まだあたしが知らない住処があって、そこに籠もってるのか、あのクソ賢者の言ってた『用事』が済んでないか、……ってとこね」
    「ルナさんは、どっちだと?」
     マークの問いに、ルナは手をぱたぱた振りながら答える。
    「後者の方が圧倒的に、可能性が高いわね。
     師匠のことは粗方知ってるつもりだし、師匠も克も生活習慣をコロコロ変えるほど短い人生送ってないから、今更あたしが知らないような研究所や工房なんかを作ってるとは思えないもの。
     となれば、その用事って言うのが相当厄介な代物ってことしか考えられないわ。第一、モールは克の古い友人だって言うし、そいつからの頼みを断らなきゃいけないほどの用事なら、そうそう早く片が付けられるとは考えにくいしね」
    「何なんでしょうね、その用事って」
    「さあね」
     ルナは煙草を灰皿に押し当て、揉み消す。
    「何にせよ、これで央中を訪ねる重要度が上がったわね。あたしでも見当が付かないようなことを知ってそうなのは、天狐ちゃんしかいないもの」
    「なるほど……」
     ルナは席を立ち、フィオに声をかけた。
    「フィオ、確か来月4日に出発だったわよね?」
    「ああ」
    「明日じゃダメなの?」
    「ああ。今行っても意味が無い」
    「ふーん……? ま、いいわ。
     で、どうよ?」
     ルナの問いかけに答える形で、ワンピース姿のパラが居間へとやって来た。
    「あら、いいじゃない」
    「ありがとうございます」
    「お礼はフィオに、でしょ」
     そう言われ、パラは傍らのフィオにくる、と振り向いてお辞儀する。
    「ありがとう、フィオ」
    「いや、こっちこそ。昼間は悪かったなって。……じゃ、僕はこれで。おやすみっ!」
     フィオは顔を真っ赤にして、そそくさと出て行った。
    「……」
     残ったパラは――やはり無表情だったが――どこか、嬉しそうに佇んでいた。
    「覚えてる?」
     と、ルナが声をかけてくる。
    「何をでしょう」
    「20年くらい前、あたしがアンタに言った言葉。『着飾るのには理由があるのよ』って、アンタに言ったこと」
    「はい」
    「今はその意味、分かるかしら?」
    「……」

     その時、傍で二人の様子を眺めていたマークは、後にこう語っている。
    「パラがあんな風に笑うのなんて、初めて見たよ」と。



     そして5月4日、ルナたち一行は央中へと向かった。

    白猫夢・新月抄 終
    白猫夢・新月抄 6
    »»  2014.05.26.
    麒麟を巡る話、第380話。
    襲来と不在。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、4月28日。
     当代ラーガ家当主、狼獣人のポエト・ナルキステイル・ラーガ氏は、大慌てで天狐の屋敷へ駆け込んだ。
    「テンコちゃん、大変だ! 白猫党が軍を……」
     ノックもせずに玄関をくぐり、突如発生した問題を説明しようとしたところで、ポエトはたむろしていた天狐ゼミ生の一人にぶつかった。
    「わっ!?」「あいたっ!」
     どすんと尻餅をついたポエトに、同様に倒れ込んだゼミ生が謝る。
    「す、すみません」
    「いや、私も動揺して、……あ、いや。こんなことをしている場合ではない」
     立ち上がったポエトに、別のゼミ生が声をかけた。
    「ラーガ卿、もしかしてテンコちゃんにご用事でしょうか?」
    「うむ、早急に手を借りたくてな」
     ポエトがそう返した途端、ゼミ生たちは顔を見合わせた。
    「どうした?」
    「その……、僕たちも困ってて」
    「何があった? いや、それよりもテンコちゃんは……」
    「それなんです」
     ゼミ生たちは異口同音に、異状を告げた。
    「テンコちゃんがいないんです。どこにも」



     時間は30分前に戻る。
     ポエト氏はその日もいつも通りに、朝食を優雅に楽しんでいた。
    「旦那様、今朝のデザートです」
    「うむ」
     運ばれてきたショコラシフォンケーキを見て、ポエトはぽつりとつぶやく。
    「またテンコちゃんと話がしたいものだ。特にこれがあると、彼女は饒舌になるからな」
    「お好きでしたものね、テンコちゃん」
     ちなみに天狐は堅苦しい挨拶や呼称を好まず、己のことも「ちゃん付けでいいからな」と周囲に伝えている。
     ラーガ邸の者たちも、当主以下全員が敬意を表する形で、あえて「テンコちゃん」と呼んでいるのだ。
    「今夜あたり、呼んでみようか」
    「どうでしょう? そろそろ今期のゼミも終盤に差し掛かるはずですし、卒論の確認などでお忙しくされているのでは?」
    「ああ……、そうか。もうそんな時期だったな。
     ……いや、ならばむしろ、これからの激務に備えて英気を養ってもらうと言う意味合いでお呼びできるかな。
     よし、後でテンコちゃんの家に連絡を……」
     と、メイドに命じかけたところで、執事が慌てて食堂に駆け込んできた。
    「どうした? 騒々しいな」
    「た、大変でございます、旦那様!」
    「そのようだな。何があった?」
     そう尋ねつつも、ポエトはケーキから視線を外さない。
     だが、執事が伝えたこの衝撃的な報告を受けては、目を向けずにはいられなかった。
    「げ、現在、フォルピア湖南岸において、多数の武装した兵士が現れ、南岸港を占拠した上に、こ、このミッドランドへと向かっているとのことです!」
    「なに……?」
     ようやく視線をケーキの上に乗ったショコラトリュフから、執事の真っ青な顔へと向け、ポエトは続けて尋ねる。
    「どこの兵士だ?」
    「じょ、情報が錯綜しておりまして、なにぶん、まだ確証は取れておりませんが……、どうやら、あの白猫党の有する軍ではないかと」
    「……しろ、ね、こ? と言うと……、2、3年前に央北で名を挙げたと言うあの、白猫党か?」
    「彼らが身に付けていた腕章や徽章などから、そうらしいと……」
    「馬鹿な。何故彼らが央北ではなく、央中の、それも南部・中部地域にあるこのミッドランドに現れると言うのだ?
     私もうわさに聞いた程度でしか無いが、白猫党は央北西部および中部を併合したとは聞いているが、依然、央北東部にその根は伸びていない。もし攻めを進めると言うのならば、そちらから進めるはずではないか。
     百歩譲って、彼らが央北から央中に侵攻せんとするのならば、北部からが常道だろう?」
    「ええ、そのはずですが……、しかし事実、彼らはこちらに向かっているようでして」
    「再度、入念に事実確認を行ってくれ。もしも事実であるならば、こちらも兵を港へ向け、上陸を阻むのだ。
     私は念のため、テンコちゃんのところへ向かい、応援を要請してくる」
     ポエトは卓に置いたままのケーキを一瞬、残念そうに一瞥して、それからラーガ邸を出た。



     そして現在。
    「何ですって……!? テンコちゃんが、いない!?」
    「ああ。助手のレイリン女史もいなかった」
     ポエトは執事や兵士長を集め、天狐の屋敷に起こっていた異状を説明した。
    「ゼミ生たちも、何も知らないとのことだ。一体彼女の屋敷で何が起こったのか、平時であれば直ちに究明したいところではあるのだが……」
    「後もう、1時間程度で白猫軍が港へ到着すると思われます。いや、最新の高速舟艇を使用しているとの情報も寄せられておりますし、到着はより早くになるやも知れません」
    「武装しているとのことだったな」
    「ええ。それに、相手は白猫党。武器も恐らく、最新鋭の銃火器を用意しているでしょう」
    「であれば……、いたずらに兵を送り、港の守りを固めたとしても、易々と突破されかねんな」
     ポエトはしばらく腕を組んで黙っていたが、やがて冷静な眼差しで、兵士長にこう命じた。
    「犠牲は最小限に留めたい。半端な抵抗や強硬な態度は、兵士を犬死にさせるだけだろう。
     港に白旗を掲げ、話し合いの場を設けるよう伝えてくれ。港に集まっている兵士たちは、市街地手前まで退かせろ。
     万一、話し合いが決裂するようなことがあっても、決して市街地を交戦の場にはするな」
    「了解です」
    白猫夢・陥湖抄 1
    »»  2014.05.28.
    麒麟を巡る話、第381話。
    どっちが先?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     白猫党が開発した、最新の舟艇に乗っていた党首シエナは、ロンダ司令からの報告を受けていた。
    「目標地点の港に白旗が掲げられております。どうやら交渉を申し出ているようです」
    「分かったわ。兵士1分隊をよこしてちょうだい。アタシとイビーザとトレッドで、交渉に臨むわ」
    「了解であります」
    「港の様子だけど、どうなって……」
     シエナはそこで言葉を切り、間を置いてこう続けた。
    「……いいえ、自分の目で確認したいから、双眼鏡かなにか貸してくれるかしら」
    「あ、はい。私のものでよろしければ、お使い下さい」
    「ありがとう」
     シエナはロンダから双眼鏡を借り、ミッドランドに向けた。
    「……懐かしいわね。全然、変わってないわ」
    「そう言えば、閣下はミッドランドでご勉学に励んでいらっしゃったとか」
    「ええ。天狐ゼミって言ってね、魔術専門のゼミだったの」
    「ほう……? 政治学などは、どちらで?」
    「独学ね、言ってみれば。まあ、アタシには優秀なブレーンが一杯付いてくれているから」
    「なるほど。……しかし、我々の懸念点はまさに、そのテンコであります」
     ロンダは緊張した面持ちで、裸眼でミッドランドに目を向ける。
    「テンコ・カツミの存在は、ミッドランド占拠と言う我々の第一目標において、非常に高い障壁となります。抵抗を受けた場合、それを押さえ込めるような兵力は、流石の我が軍も有してはおりませんからな。
     しかし事前の幹部会議で、『この日よりミッドランドに、テンコ・カツミの姿は無い』との預言をいただきましたが……、本当に有り得るのでしょうか?
     いや、預言者殿の言葉を疑うわけではありません。しかし我々の調査では、520年にあの地でテンコが活動を始めて以来、半世紀もの間、ミッドランド以外へ移動したことが無いとのことです。
     それが今、折しも我々が強襲しようとしているこのタイミングで、都合よく不在であるとは……」「逆ね」
     シエナはクスクス笑いながら、こう返した。
    「預言は『予言』なのよ。いついなくなるか分かっていたからこそ、あたしたちはこのタイミングでここに来たのよ」
    「む、む……?」
     ロンダは納得の行かない様子で、さらにこう返す。
    「我々の目的は、諜報員殺害に対する、偽白猫党への報復。
     あの手紙には、講演会の開催日は『5月4日』とありましたが、先んじて街を密かに掌握しておき、やって来た偽党員を待ち構えて拘束する、……と言う閣下らのご判断により、我々は本日、こうして向かっております。
     しかし失礼ながら、閣下の今のお言葉は、まるでテンコがいない時を見計らい、その隙に乗じて占拠に向かわれたと、そのように聞こえましたが……?」
    「勿論、本来の目的は偽党員の拘束よ。その目的を満たすために、一つの悪条件が除かれていることを、預言は教えてくれている。そう言うコトよ」
    「……む……う……?」
     まだ納得の行かなさそうな表情を浮かべるロンダをよそに、舟艇はまもなく、港に到着しようとしていた。

     港に着岸した舟艇から、兵士1分隊と、シエナたち最高幹部が上陸する。
    「ようこそ、白猫党の御方々」
     それを緊張した面持ちで、ポエトが出迎える。
    「お初にお目にかかる。私はこのミッドランド市国を治めるラーガ家の主、ポエト・ナルキステイル・ラーガだ」
     ポエトからの挨拶を受け、シエナも応じる。
    「初めまして、ラーガ卿。私は白猫原理主義世界共和党の党首を務めております、シエナ・チューリンと申します」
    「ご紹介、痛み入る。早速だが、こうして無理矢理に、我が街にやってきた理由をお聞かせ願いたい」
     ポエトの質問に、シエナは――党本部で見せたような激情に任せた振る舞いを、一切見せることなく――淡々と、しかし堂々とした態度で応じた。
    「単純な理由よ。我々の同志3名が、我々の名を騙る者によって惨殺され、さらにはその偽党員は貴国市内において、講演会を催そうとしていることが分かった。
     我々はその偽党員を、極めて非常識かつ異常な、決して許すべからざる輩であり、かつ、我々のみならず、貴国をはじめとする央中地域にとっても著しく害を及ぼす存在と断定したため、この地で拿捕すべく兵を率いた。以上が理由よ」
    「納得できかねる」
     威圧的な態度を見せたシエナに対し、ポエトも折れない。
    「その異常なる輩の拿捕だけであれば、我々に一筆送ってくれれば対応するものを、何故こうも大仰に人を送り込み、党首自らが乗り込んでくるのだ? あまつさえ、湖外周の港まで占拠したと聞く。
     到底、あなた方が仰ったような、義憤から来る事情だけが理由とは思えん」
    「これは我々に対する宣戦布告であると、我々は考えているわ。それなのに第三者の兵を当てにして放任しろ、と? 我々はそこまで無責任でも恥知らずでもないし、他国の兵を頼らなければいけないほど脆弱でもないわ。
     そう言うワケだから、我々がこの地に駐留するコトを許可してほしいのだけど」
    「であるから、納得できかねると申しているのだ。
     なるほど、あなた方のメンツが懸かっていることは理解した。あなた方の軍が世界最高水準の兵力と技術力を有していることも、かねがね存じている。
     だがそれと、我が国の所有地である港を奪われることに、何の関係があると言うのだ?」
    「敵に我々の行動を察知され、逃げられでもした場合、その次の足取りを追うことは容易でないコトは明白でしょう? その可能性を消すため、早急に動いたまでよ。
     とにかく、我々の要求は二つよ。ミッドランドに関係する全航路及びその集積地、即ち港を我々の管理下に置くこと。そしてあらゆる抵抗や実力行使をしないこと。
     この二項をラーガ家当主、即ち貴君が公的に容認すると、ここで宣言してちょうだい」
    「なんだと……ッ!?」
     ここまで冷静に応じてきたポエトも、この要求には憤った声を漏らした。
    白猫夢・陥湖抄 2
    »»  2014.05.29.
    麒麟を巡る話、第382話。
    ミッドランド制圧。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「か、閣下。それはあまりにも……」
     ここまで傍観していたトレッドが、慌ててシエナを止めた。
     何故ならその要求をポエトに呑ませることは、彼の地位と権威を貶めることになる。そして貶めさせた原因は白猫党である。
     それは実質的に、ポエトをミッドランド市国の最高権力者の座から引きずり下ろし、白猫党がその座を奪うことと同じ――即ち、力ずくで占領したも同然の結果となるからだ。
     当然、穏健派であるトレッドは、央中との決定的な関係悪化を避けるべく、シエナを止めようとした。
     しかし、シエナは意に介さない。
    「トレッド政務部長。あなたは黙っててちょうだい。
     さあ、ポエト・ラーガ卿。要求を呑むの? 呑まないの?」
     シエナは凄みながら、片手をそっと挙げる。
     それに同じるように、彼女が引き連れた1分隊が武器を構える。
    「貴様……!」
     当然、ポエトはそんな要求を呑むわけが無い。
    「私を虚仮にする気かッ! そんな要求が通ると、本気で思っているわけではあるまいな!?
     忘れているわけでは無いだろうな、この街にはあの、カツミ・タイカの弟子が……」「テンコちゃんでしょ?」「……っ」
     ポエトの脅しに対し、シエナは冷淡に応じて見せる。
    「勿論知ってるわよ。アタシは天狐ゼミ、564年下半期卒業生だもの。そうね、呼んでもらえると言うのならむしろ、ありがたい話だわ。恩師と久々に語り合えるもの。
     じゃあ、呼んでちょうだい。早めに、ね」
     そう言って、シエナは悪辣な笑みを浮かべた。
     対照的に、ポエトの顔色は――未だ堅い表情を崩しはしなかったものの――目に見えて蒼くなっていた。
    「……呼んできてくれ」
     ポエトは目を合わせず、執事にそう命令した。
    「旦那様ぁ……」
     執事は絞り出すような声で応じたが、ポエトは顔を向けようとはしなかった。
    「呼ぶ、……のだ」
    「……かしこまり……ました……」

     しかし、居ない者を呼べるはずもなく――1時間後、ミッドランド市国が有する入出国管理局、港湾施設および船舶は、すべて白猫党の管理下に置かれることとなった。
     そして同時に、ミッドランドにおける軍組織も武装を解除され、ミッドランドは白猫党に抵抗する術を、完全に奪われた。
     また、ポエトを筆頭とするラーガ家一族はラーガ邸に軟禁され、一切の外出と通信を禁じられた。
     即ち、これが白猫党の央中攻略の第一歩となった。



    「ついに……、ついに、やってしまいましたな、閣下」
     敵、味方ともに暴挙としか思えないこの一大政変の最中、シエナだけは平然と、コーヒーを口に運んでいた。
    「そうね。これでもう、後戻りはできないわ」
    「やはりこれが狙いだったのですか」
     恨みがましく睨んでくるイビーザとトレッドに対し、シエナは冷めた目を向ける。
    「占領はついでよ。容易にできそうだったからやったまでのコト。アタシたちの本来の目的は、あくまで報復でしょう?
     それで、ロンダ司令。偽党員は発見できたのかしら?」
    「はっ……。目下捜索中でありますが、未だそれらしい報告は上がっておりません」
    「そう」
     シエナはかちゃ、と音を立てて、カップをテーブルに置く。
    「引き続き、捜索を続けてちょうだい。首尾よく拿捕できた場合には、アタシ直々に褒賞を授けるわ」
    「ありがたき幸せにございます。ではより一層、力を尽くして捜査に当たります」
    「よろしく。……ところで」
     シエナはそれまでの鉄面皮を解き、不安そうな目をロンダに向けた。
    「テンコちゃんの屋敷、誰もいなかったって?」
    「ええ、もぬけの殻でした。預言者殿の啓示が的中しましたな」
    「気になるわね……。情勢に余裕が出てきてからで構わないから、いずれテンコちゃんたちについても、捜索をお願いね」
    「了解であります」

     しかし――市国及びその周辺を封鎖し、その全域をしらみ潰しに探し回ったものの、偽党員と思しき者も、また、天狐と鈴林も、ミッドランドのどこにも現れなかった。
    白猫夢・陥湖抄 3
    »»  2014.05.30.
    麒麟を巡る話、第383話。
    央中侵略、開始。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     月をまたぎ、5月1日を迎えても、一向に偽党員を発見できず、それでもなおミッドランドに居座り続ける白猫党に対し、ミッドランド周辺の国や都市では不満が高まりつつあった。
     ミッドランドを経由する交易路が軒並み、白猫党によって封鎖・凍結されているからである。

    「……」
     冷汗を流すロンダから、その日も成果を挙げられなかったと言う報告を受け、シエナはあからさまに苛立つ様子を見せていた。
    「いかがいたしましょうか……?」
    「何を?」
     ジロリとシエナににらまれ、ロンダはしどろもどろに答える。
    「そのですな、確かに党員が殺されたこと、これは許されざる凶行であります。しかし、軍の精鋭が三日三晩に渡って捜査を行ってなお、偽党員と思しき輩を発見できずにいるのです。
     これは、その、あくまで私の意見ではあるのですが、……その、我々がこの周辺を封鎖したことにより、その偽党員が警戒し、ミッドランドから逃げてしまったのではないか、と」
    「……」
     シエナは依然、苛立った目をロンダに向けている。
    「で、あればですな、これ以上、ミッドランドに駐留しても、何ら益のあるものではないのではないか、と、そう、思うのですが」
    「つまり?」
    「撤退すべき、では、ないかと」
    「へぇ」
     シエナはバン、とテーブルを叩く。
    「つまりアンタは、党員3名を殺害したヤツを放っておく、と言うのね?」
    「そっ、そうではありません! 勿論、追える限りは全力で追う所存であります!
     しかしですな、この街とその近隣に犯人がいないことは最早、明白であると思われます。ここでの捜査は切り上げ、他の国や街に捜査網を広げるべきではないか、と」
    「……」
     シエナはしばらく、無言でロンダをにらみつけていたが、やがてため息を漏らした。
    「分かったわ、ココからは撤収しましょう」
    「そ、そうですか」
     シエナの言葉に、ロンダ及び最高幹部らもほっとしかけたが、次の一言にまた、胃を痛めさせられた。
    「でもその代わり、近隣諸国を占領しなさい。少なくとも都市3ヶ所」
    「……えっ? な、なんですと?」
    「今回の遠征を、ただ央中の印象を悪くするだけで終わりにするつもり?
     どうせならこの機会、地理的有利を最大限に活かすのよ。毒を食らわば皿まで、ってヤツよ」
    「無茶です!」
     この提案にも、最高幹部たちは食い下がる。
    「今回率いてきた兵はたった1個中隊、250名程度です!」
    「いかに我々の装備や戦術が優れていようと、近隣の兵力、武力組織を撃破できるほどの数ではありません!」
    「そ、そうです! せめてその10倍は無ければ、到底話になりませんぞ」
    「あら、そう」
     シエナは薄く笑いを浮かべ、こう返した。
    「2日前に、党本部に5個大隊をミッドランドへ送るよう指示したわ。早くて明日には到着するでしょうね」
    「なっ……」
    「ソレだけ兵力があれば攻略可能なんでしょう?
     再度命令するわ、ミゲル・ロンダ司令。戦力が到着し次第近隣諸国を強襲し、占領しなさい」
    「……」
     ロンダは目を見開き、驚きと恐れに満ちた表情を浮かべていたが――やがて、「了解であります」と、いつもよりトーンの落ちた声で応じた。



     結果から言えば、この蛮行極まりない行為としか思えなかった侵攻作戦は、成功を収めた。
     白猫党はミッドランド市国に隣接する小国3ヶ国と、央中南部の中堅国、バイエル公国の港町、オリーブポートをはじめとする都市数ヶ所を電撃的に襲撃し、陥落・占領した。
     これにより、白猫党はこれまでより容易に、本国から大量の兵員を行き来させることが可能になるとともに、ミッドランド周辺の交易網を牛耳ることとなった。



     そして日は進み、5月4日。
     白猫党は既にミッドランドから兵を引き上げ、ラーガ家一族を解放させていたが――ミッドランドの周囲を白猫党が押さえている今、この島を取り巻く状況は占拠中と比べ、何の変化も無かった。
    「ああ、何ということだ……」
     ポエトは自らの足で市街地へと赴き、すっかり静まり返った街を目にし、苦々しくうめいた。
    「湖外周の港は、依然封鎖されたままなのか?」
     ポエトの問いに、兵士長が答える。
    「そのようです。厳密には『白猫党の管理下の元、運行されている』とのことですが、事実上は封鎖が継続されているも同然です。彼奴らが船を出すことを許可するとは、到底思えませんからな。
     近隣国も現在、白猫党との戦闘状態にあるとのことですが、恐らく党側の勝利に終わるでしょう。いずれの国も、彼らを撃退できるほどの力はありますまい」
    「となると、ミッドランド外の交易路も白猫党に握られたわけか……。央中が引っくり返るだろうな」
    「ええ……」
     ポエトはくる、と振り返り、丘の上に建つ自分の屋敷と、そのふもとに佇む天狐の屋敷を眺める。
    「……ラーガ家始まって以来の屈辱だ。央中域内の経済とその流通を司る我がラーガ家が、このような辱めを受けるとは!
     何故だ……! 何故テンコちゃんは、……テンコ・カツミは、この街から消え失せた!? 彼女がここに居てくれさえすれば、こんなことにはならなかったのに……!」
    「旦那様……」
     ポエトに付き従っていた者たちは、揃って苦渋の表情を浮かべていた。

    白猫夢・陥湖抄 終
    白猫夢・陥湖抄 4
    »»  2014.05.31.
    麒麟を巡る話、第384話。
    天狐を狙う邪悪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、4月28日――早朝。
     天狐と、そして鈴林はまだ、彼女たちの住まう屋敷で眠っていた。
    「……ッ!」
     だが突如、天狐が跳ねるように起き上がった。
    「鈴林! 鈴林ッ!」
     天狐は隣のベッドで眠る鈴林に声をかけて起こしつつ、壁にかけた自分の狩衣に向かってくい、と指を引く。
     すると寝間着が天狐の体から勝手にはだけ、脱げるとともに、狩衣が体に貼り付き、自動で着替えが終わる。それと同時に、鈴林がむくりと起き上がった。
    「なぁに……? まだこんな時間……」
    「地下へ行くぞ」
     天狐の言葉に、鈴林はぎょっとする。
    「地下っ? 地下って、『姉さん』のいる、地下のコトっ?」
    「そうだ。すぐ行くぞ」
     言った瞬間、二人は「テレポート」により、地下――天狐の本体が封印されている、ミッドランド丘陵地下の遺跡へと移動していた。
    「ふにゃっ!?」
     まだベッドから上半身を起こした姿勢のままだった鈴林は、どすんと尻もちを着く。
    「あいったー……。ひどいよっ、姉さんっ」
    「悪い。だが緊急なんだ。この魔法陣内に誰かが入ってきてる」
    「えっ……」

     二人が今いるこの地下遺跡は地下3階分にも及ぶ、巨大な魔法陣となっており、その中心に天狐の本体が封印されているのだ。
     しかし魔法陣は天狐を封印するだけのものではなく、彼女を核として魔力を集め、彼女の父であり師匠でもある克大火にそれを供給する、ある種の「発電所」のような役割も果たしている。
     厳重に封印が施されていることもあり、ここに誰かが入り込むようなことは、基本的に有り得ない。
     そんな場所にもし何者かがいるとすれば、それは即ち大火、もしくは天狐に害を成す存在であることは明白なのだ。

    「お師匠ってコトは……?」
     鈴林の問いに、天狐は首を振る。
    「こんな朝っぱらから、オレに声もかけずに、か? まあ、親父のコトだし有り得なくはないが、だとしても『無理矢理』ってコトは絶対ねーよ」
    「無理矢理ってっ?」
    「島に大穴を開けられてる。魔法陣にまで達するほどの、な」
    「穴……!?」
     鈴林は辺りを見回し、異状が無いか確認する。
    「でも、ちゃんと機能してるみたいだよっ?」
    「ああ。だからこそヤバいんだ」
     天狐は鉄扇を構え、歩き出す。
    「親父がこしらえた、この複雑極まりねー超巨大魔法陣の、そのほんのわずかな隙間を縫うようにして穴が穿たれてる。
     この魔法陣に異常が発生した場合には当然、センサーが働いてオレや親父に知らせるように設計してあるが、ソレが一切感知してねーんだ。恐らく親父も、異常には気付いてねーだろうな」
    「姉さんはどうやって気付いたの?」
    「勘、……ってヤツかな。いや、もっとはっきりした感じか。気配を感じたんだ。殺気と言った方がいいかな」
    「殺気……? 姉さんを、殺そうとしてるってコトっ?」
    「他に生き物なんていねーだろ?
     気を付けろよ、鈴林。センサーをほんの少しも感知させずに大穴をブチ抜く、精密さと大胆さを併せ持ち、そしてオレの本体の存在を知っていて、その上でオレを殺そうとするヤツだ――ものすげえ強い相手なのは、まず間違いないんだから、な」
    「……分かっ」
     鈴林がうなずきかけた、その直後――ばきん、と言う硬い破裂音が、鈴林の胸から響いた。

    「……あ……がっ……」
    「どうした、れい……」
     振り返った天狐の目に、背後から胸を剣で貫かれた、鈴林の姿が映る。
    「鈴林ッ!?」
    「流石にこれでは致命傷とは参りませんか」
     鈴林の背後から、抑揚のない声が聞こえてくる。
    「そこでじっとしていてくださいませ」
     鈴林の背後にいた者は、鈴林を刺し貫いたまま、壁へと突進する。
    「は……ぐ……あっ……」
     鈴林はそのまま、壁に打ち付けられた。
    「あ……ね……さん」
     血こそ流してはいないが、鈴林の動きは鈍い。
    「てめえ……ッ」
     天狐は鈴林を襲った者に向けて、鉄扇を構える。
    「さて、一聖(かずせ)様」
     鈴林を襲った黒と赤のドレスを着た少女も、もう一振り剣を抜いて構え、天狐と対峙した。
    「あなた様もお静かになさいませ」
    白猫夢・散狐抄 1
    »»  2014.06.01.
    麒麟を巡る話、第385話。
    禍々しき母。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「一聖、……だと?」
     天狐は構えたまま、少女と言葉を交わす。
    「人違いじゃねーのか? オレは天狐だ」
    「いいえ、一聖様。我らが主様より、真の名を伺っております」
    「ケッ」
     天狐は舌打ちし、少女との間合いを詰める。
    「ポンコツめ。人の区別も付きゃしねーのかよッ!」
     天狐に応じるように、少女も剣を振り上げて彼女に襲いかかる。
    「ふざけてんじゃねえぞ、このガラクタッ!」
     しかし次の瞬間、少女の握っていた剣は、その右腕ごと彼方へと飛んで行った。
    「あっ」
    「何が『あっ』だ、寝ぼけんのも……」
     続けざまに、天狐は魔術を放つ。
    「大概にしとけやあああッ!」
     極太の雷に撃ち抜かれ、少女は――己の名前、トリノを名乗る暇も与えられず――真っ二つに裂かれ、そして蒸発した。
    「……ケッ。あのイカレ女め、これしきのオモチャでオレをどうにかできると思ったか?」
     天狐は苛立つ様子を見せながらも、未だ壁に磔(はりつけ)にされたままの鈴林に目をやる。
    「生きてるか、鈴林?」
    「……い……生き……てる……」
    「しゃべり辛そうだな。いいよ、今抜いてやっから黙っとけ」
     天狐はコキコキと首を鳴らしつつ、鈴林の方へと近付いた。

     だが、その足が途中で止まる。
    「……」
     天狐はくる、と横を向き、再度鉄扇を構えた。
    「そんなにオレを怒らせて楽しいか、ババア」
    「その不躾な口、それ以上わたくしに開くな」
     天狐の視線の先には、白いローブに身を包んだ女性――克難訓が立っていた。
    「その言葉、そっくり返してやんぜ。
     そもそもババア、何故お前は今更、オレの前に現れた?」
    「知れたこと。お前を殺すためだ」
    「だから、何で今更なんだよ」
     天狐は一歩、難訓に詰め寄る。
    「親父から聞いた話だけど、お前は『契約』したらしいな。オレを殺さない、と」
    「何を聞いたのやら」
     難訓は大仰な仕草で、肩をすくめて見せた。
    「重要な点がいくつも欠けている。大事なことを何ら聞いていやしない。ああ、やはりお前は欠陥品だ。わたくしの血を分けたなどと考えたくもない、怖気の走る駄作!」
    「言ったはずだぞ、ババア。その躾のなってねえ口を、オレに利くなと!」
     天狐はさらに距離を詰め、難訓に斬りかかった。
     だが難訓はそれをすい、と紙一重で避け、嘲笑うように語りかける。
    「まず第一に、その『契約』は非常に限定的なものだ。『わたくしが手を出してはいけない』と言う、実行者のみ限定した内容だ」
     更に二度、三度と鉄扇を振り回し、難訓を追うが、彼女はひらりひらりとかわし、話し続ける。
    「第二にわたくしは、『一聖を殺さない』と言ったのだ。
     お前は、違う。お前は一聖本人ではない。駄作を更に劣化コピーしただけの、ただの肉人形だ」
    「ソレがどうしたッ!?」
     天狐は怒りに任せ、鉄扇を投げつける。
     だが難訓はそれを魔杖で弾き――。
    「である故に、人形たるお前をどうしようと、わたくしがあの方と交わした『契約』には、何ら抵触することはない」
     そのまま天狐に向けて、魔術を放った。
    「『バールマルム』」
     次の瞬間、びちゃっ、と廊下に水音が響く。
    「テ……メ……エ」
     続いて、天狐の声が弱々しくこだまする。
     その天狐の左上半身は肉塊となって、廊下にバラ撒かれていた。
    「まだ抗う気か、ゴミめ」
    「抗う……さ……テメエにゃ……死んでも……負けたく……ねえんだよ……」
     天狐の九つある尻尾が、1本光る。
     そしてその1本が消えると同時に、天狐の体は元通りに復元された。
    「ここで引導渡してやらあッ! 消し飛べ、ババアああああッ!」
     天狐はパン、と手を合わせ、そして引く。投げ付け、どこかに飛んで行った鉄扇が、再び彼女の掌中に現れた。
    「『ナインヘッダーサーペント』!」
     鉄扇の先から、9つの電撃がほとばしる。
    「クスクスクスクス」
     難訓は一歩も動くこと無く、その電撃に呑まれた。
    白猫夢・散狐抄 2
    »»  2014.06.02.
    麒麟を巡る話、第386話。
    千年級の会話;3^2。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「あね……さん……」
     未だ鈴林は剣に貫かれたまま、天狐たちに背を向ける形で壁につながれている。だがそれを助ける余裕は、今の天狐にはなかった。
    「……無傷かよ、クソ」
    「お前の児戯がわたくしに通用すると思ったか」
     天狐の放った電撃は、難訓にほんの少しの傷も付けることはできなかった。
    「力の差を思い知るがいい」
     再び、難訓が魔杖をかざし、魔術を放つ。
    「『ネメシスバルド』」
     大量の魔術の槍が、天狐を目がけて飛んで行く。
    「チッ……!」
     天狐も魔術で盾を作り、それを防ごうと構える。
    「ぐ……ぬ……がっ」
     世界の、どんな魔術師にも到底真似できないほどの硬さ、厚み、そして広さを併せ持ったその魔術の盾は、難訓の放つ槍によって、みるみるうちに削られていく。
    「……ッ!」
     そして盾は粉々になり、残った槍が天狐の体を幾度と無く串刺しにした。
    「ぐふ……っ」
     再度、天狐は体を修復する。
    「おや、もう音を上げるか。やはり話にならぬ、駄作めが」
    「駄作駄作、うっせえんだよ! 何べん言や気が済むんだッ! バカの一つ覚えか、あぁ!?」
     天狐は難訓から離れ、呪文を唱え始めた。
    「こんどはどんな手品を見せるつもりだ」
    「……そうやって高みの見物気取ってやがれ……!」
     呪文を唱え終わり、天狐は鉄扇を掲げ、魔術を放った。
    「オレのとっておきだ……! 『ナインヘッダーサーペント』」
     それに対し、難訓はクスクスと嘲笑う。
    「何がとっておきだと言うのだ。さっき放ったばかりではないか」
     9方向から出現した電撃を、難訓も魔術の盾で受ける。
     だが、その9発が防がれたところで、天狐はニヤリと笑い、こう付け足した。
    「……『:ノナプル』!」
    「なに?」
     これまでずっと見下し、罵倒し続けていた難訓の声に、わずかながらもブレが生じる。
     次の瞬間――またも9発、電撃が難訓めがけて飛んできた。
    「小癪な!」
     難訓は再び、防御術で電撃を防ぐ。
     しかし防いだ途端にまたも、電撃が襲ってくる。
    「ぬう……ッ」
     3度、4度と立て続けに9発ずつ、電撃が襲う。
     始めのうちは余裕綽々(しゃくしゃく)で防いでいた難訓だったが、何度も受けるうち、その魔術の盾は先程の天狐と同様、ボロボロになっていく。
     そして7度めの波状攻撃が、その盾を微塵に砕く。
    「なに……!?」
    「高慢ちきめ」
     天狐はニヤっと笑い、相手にこう言い捨てた。
    「人のコトを小馬鹿にしてっからそう言う目に遭うんだよ、バーカ」
     8度目、9度目の電撃波は何の妨害も受けること無く、難訓に直撃した。

     ブスブスと煙を上げ、その場に倒れた難訓に、天狐は――こちらも相当に疲労しているらしく、尻尾は既に残り1本となっている――フラフラとした足取りで近付く。
    「どうだ、ババア」
    「……クス……」
     引きつり気味ながらも、まだ嘲笑おうとする相手に、天狐は「フン」と鼻を鳴らす。
    「まだなめた態度執ってやがるか。食えねえババアだな」
    「……『9』……か……」
    「あん?」
     白ローブはクスクスと笑い、こう続けた。
    「『3』の自乗……まだお前は……あの人のことを……忘れられぬか……」
    「……そりゃそうだろ」
     天狐は鉄扇の先を、難訓に向けた。
    「アイツを忘れるような恩知らずなヤツは、克一門にゃ一人もいやしねーよ。
     ドレだけあの人は、オレたちを助けてくれたか。ドレだけあの人に、オレたちは救われたか。忘れるコトなんて、絶対あるワケねーよ。
     ……ああ、テメエは違うか。テメエだけが、アイツを裏切ったんだよな。そして巧みに人を動かして、アイツを親父に殺させようとした。
     反吐を吐きたくなるような外道だよな、マジで、テメエは」
    「……クスクス……」
     なおも嘲った笑いを浮かべる難訓に、天狐は再度舌打ちする。
    「ケッ、とことん気にいらねえな。
     今どんな顔してやがるんだ? ボコった今ならどんな術も、テメエ自身にゃかけられねーはずだからな……」
     そうつぶやきながら、天狐は鉄扇の先を、難訓のローブの縁に引っかけた。
    白猫夢・散狐抄 3
    »»  2014.06.03.
    麒麟を巡る話、第387話。
    天狐、散華する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     その瞬間――天狐の右手が、細切れになって消えた。
    「なっ……!?」
     難訓から慌てて距離を取り、天狐は周囲を見回す。そして廊下の奥に、魔杖を構えた、黒と青のドレスを着た少女が立っているのを確認した。
    「……まだいやがったか、ポンコツ人形」
     天狐は術を使い、右腕を修復する。
    「クスクスクスクス」
     難訓とドレスの少女が、同時に笑う。
    「癇に障るぜ……! ゲラゲラ笑ってんじゃねえッ!」
     天狐はもう一度、難訓に向けて魔術を放とうと構えた。
     だが――構えようとした右手が、ぼろっと崩れて落ちる。
    「……!?」
    「お前は人形。一聖が魔術で練り固めた、肉でできた人形だ」
    「ソレがどうし、……っ、そう言うコトかよ」
    「おや、何に気付いたつもりだ?」
     天狐の右肘が、白く染まっていく。
    「人形を操り、人間のように動かす術――ソレを解呪したな」
    「あらあら、思ったより少しばかりは賢しいようだ。ほんの少し、お前の評価を改めてやろうではないか」
    「……っざけんな、クソババア」
     真っ白に染まった腕、そして肘が、細かい灰状になってこぼれ落ちていく。
    「この程度のちゃちな解呪術、オレに跳ね返せないと思うのか?」
    「ああ。お前には無理だ。今の、魔力が尽きかけているお前では。そして、体が崩壊しつつあるお前では、な」
    「……見てやがれ」
     天狐の右肩が崩れ、狩衣の裾から流れる。
    「……***……***……ゲホッ、ゲホッ……」
    「既に肺も侵食されていよう。呪文を唱えることもできまい」
    「う、るせ、え……****……**、*、……ゲホッ」
     天狐の口から、灰が飛び散る。
    「他にどんな手があると言うのだ。
     呪文は唱えられない。手で魔法陣を組み、描くこともできない。体に仕込んだ魔法陣や魔術結晶も、今は既に溶けていよう」
    「……**……*……*……、ごほ、ごほっ、……ごぼっ」
     天狐の詠唱が止まる。
     代わりに口から出たのは、大量の灰だった。
    「クスクスクスクス」
     がくん、と天狐が膝を付く。その膝から下も既に、灰となっていた。
    「……れ……い……りん……」
     天狐は未だ磔にされたままの鈴林に、声をかけた。
    「あ……ねさ……ん……」
     鈴林は、弱々しい声で応じる。
    「いま……まりょ……くを……」
    「いい……聞け……」
     天狐の体全体が、白く染まり始めた。
    「……じっとしてろ……」
    「……いやっ……」
    「お前から……手を……出さねー限り……コイツは何も……しない……」
    「そう思うのか」
     難訓の言葉に、天狐は弱々しく応じた。
    「コイツは……ずっと……背を向けてた……はずだ……てめーの……顔も姿も……見えちゃいねー……」
    「ふむ」
    「だから……鈴林には……手を出すな……」
    「……ふむ」
     難訓はフラフラと立ち上がり、鈴林に顔を向ける。
    「なるほど。確かにお前の言うように、あの娘には未だ、わたくしの姿は見えてはいない。
     いいだろう。あの娘が、わたくしがこの場を立ち去るまでずっと背を向けていると言うのならば、殺さずにおいてやろう」
    「……け……い……やく……だぞ……」
    「お前は何を差し出す?」
    「……オレの……体だ……」
    「見合う代償だ。契約は結ばれた」
     難訓はドレスの少女に手招きし、歩き始めた。
    「では、失礼」
    「……」
     体の半分以上が灰になり、ほとんど原型を留めなくなった天狐に背を向け、難訓と少女はその場から消えた。
    「あね……さん……姉さんっ……!」
    「お前なら……頑張れば……どうにか剣を抜いて……壁から離れ……られるはずだ……。
     でも……頼む……一週間は……じっとしてて……くれねーか……?」
    「なんで……なんでよっ……」
    「あのババアなら……それくらいで……多分……オレの封印を……解き……殺す……はずだ」
     天狐の声が、段々と弱くなる。
    「待てない……よ……」
    「待つ……んだ……お前は……死なせ……たく……ない」
    「いやだ……いやだよ……」
    「……お前が……壁……向いてて……良かった……。
     オレが……消える……トコな……んて……見せ……た……く……」
     天狐の声が、途切れる。
    「姉さん……?」
     壁に貼り付いたまま、鈴林は声を上げる。
    「……姉さん……」
     鈴林はもう一度、天狐を呼ぶ。
    「……あね……さん……っ……」
     泣きながら、もう一度。
    「あねさああああん……っ」

     しかし――鈴林の言葉に応じる者は、もう誰もいなかった。

    白猫夢・散狐抄 終
    白猫夢・散狐抄 4
    »»  2014.06.04.
    麒麟を巡る話、第388話。
    歴史の歪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、5月4日。
     ルナたち一行は「テレポート」を使い、白猫党の占拠により封鎖されたミッドランドに進入していた。

    「ん……?」
     島に降り立ってすぐ、一行は街の異状に気付く。
    「おかしいわね」
    「ああ、静か過ぎる。僕が知ってるミッドランドは、もっと騒々しかったはずだけど」
    「テレポート」で突然人前に出現し、騒ぎになるのを避けるため、ルナたちは島の北東、人気の無い沿岸部に移動していたのだが、それでも街の異様な静けさは、そこからでも十分に伝わってくる。
    「……まさか」
     と、フィオが神妙な顔をする。
    「思い当たることがあるの?」
    「僕の『元いた世界』では、白猫党は今日、ここを占拠してたんだ。ちょうどテンコちゃんが消えて丘が崩落し、街が騒然としてる時に。
     もしかしたら……、白猫党がもう既に、ここに来てるのかも知れない」
    「どう言うことよ? 歴史が変わったってこと?」
    「有り得る。僕が行動を起こしてからもう何年も経ってるし、元の歴史とズレが出てきてるのかも知れない」
     それを聞いて、ルナは丘に目をやる。
    「丘はまだ、崩落してないみたいね。じゃあ、白猫党は天狐ちゃんがいなくなる前に来たってことになるわね」
    「いや……」
     と、フィオは首を振る。
    「もう死んでるはずだ。少なくとも、僕たちの知る『狐獣人のテンコちゃん』は」
    「どう言うこと?」
    「僕の母から聞いた話でしかないし、母もその時、状況をちゃんと確認できてはいないんだけど……。
     4月28日、テンコちゃんは難訓の襲撃に遭い、殺害されている。その、狐獣人の方がね」
    「……? よく分からないわね」
    「僕たちが目にしてきたテンコちゃんは、丘の地下にある遺跡に封印されている『本体』のテンコちゃんが造った、いわゆる『分身』なんだ。
     その分身の方は、既に死んでる。でもまだ、本体は生きてるかも知れない。本体の封印は相当堅固らしく、今月の4日、つまり今日まで破られなかったそうだから」
    「なるほどね。……で、ちょっと聞くけど」
     ルナは眉をひそめ、フィオに詰め寄る。
    「なんで28日に来なかったのよ、あんた。天狐ちゃん、助けられたかも知れないでしょ?」
    「母からの強い注意があったからだ。『難訓には絶対に会うな』と。会えば僕は勿論、多分ルナさんでも勝ち目は無い」
    「……まあ、理解はできるわね。確かに克大火と並ぶ魔女が相手じゃ、あたしたち3人でも分が悪過ぎるか。
     じゃあ、今なら難訓はいないってこと?」
    「いや、まだいるはずだ。でもこの日なら、難訓のところに『ある客』が来る」
    「客? ……つまりそれは」
    「そう。アオイだ」



     6日前に天狐を撃退した克難訓は、そのまま魔法陣の中枢、天狐本体が収められた部屋へと侵入していた。
     だが彼女は、そこからの作業に難航していた。
    「……」
     部屋のあちこちを動き回り、執拗に魔法陣に触れ、解除しようとしているのだが、どうやら彼女ですら手を焼くほど、高度な魔術が織り込まれているらしい。
    「……」
     その様子を、彼女の手下である人形、「フュージョン」と、マロが見守っていた。
    「あのー……」
    「何でしょう」
    「差支えなければ……、その……、ご飯とか、水とか……」
    「致しかねます。既に備蓄は尽きております故」
    「……そうでっか」
     当初、マロはこれまでと同様、ミッドランドにおいて遊説する予定だったのだが、白猫党の強襲に遭い、難訓が地下へと匿ったのだ。
     もしもマロが早期に発見され、拘束された場合、マロが「難訓の指示でやった」と口を割らないとも限らない。そうなれば当然、ラーガ邸の入口から地下へと兵が向けられることとなり、難訓の姿が見られるおそれがある。
     そうでなくともマロは、難訓の姿を間近で見ている。極度の秘密主義を貫く難訓が、この差し迫った事態において、彼を放っておくはずは無かった。
     なお、匿う際に3日分程度の食糧も持ち込んでいたのだが、既にそれらは食べ尽くしている。調達しようにも、白猫党が島全体を捜索している今、うかつに外へ出ることもできない。
     マロは何も無いこの部屋に監禁されたも同然であり、その顔には憔悴の色が濃く現れていた。
    「……いつまでかかるんや……」
     ボソ、とそうつぶやき、マロは慌てて口に手をやる。
    (やばっ、あのおばはんに聞かれたらまずい)
     が、難訓は壁に向かってぶつぶつと何かを唱えており、気付いた様子は無い。
    「……はあ」
     ため息をつくと同時に、マロの腹からもぐう、と音が漏れた。

     と、難訓が突然、ぐるん、と振り返る。
    「っ、あ、いや、今のんは」
    「やっと来たか、小娘」
     難訓はマロにではなく、部屋の入口に向かって声をかけた。
    「え……?」
     マロが振り返ったその先には――葵の姿があった。
    白猫夢・深闇抄 1
    »»  2014.06.05.
    麒麟を巡る話、第389話。
    デノミに絡む闇。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「招待状には4日と書いていたはずだが、よくもまあ、一週間も前から陣取ったものよ。いつ来るかと最早、飽いておったわ」
    「先に、あなたがうかつに外へ出られないように、包囲したかったから」
     難訓は抑揚のない、しかし威圧感を漂わせた声で、葵と会話する。
    「ものを知らぬ小娘め。わたくしに人の包囲など無意味だ」
    「いざとなったら『テレポート』で逃げよう、ってこと?」
     対する葵も、淡々とした、しかしはっきりと、凛とした声で応対する。
    「賢いあなたなら、それをやったらもう、ここに戻って来られないことは分かってるはずだよ。あたしがここを封印するから。あなたがどんな術を駆使しても、入れないように」
    「できるものか。お前などに何ができる」
    「あたしが15の時、あなたの術を破ってみせたこと、忘れてない? 今のあたしなら、あなたを退けられるよ」
    「他人の力量を正しく測れぬ愚か者め」
    「その言葉、お返しするよ。あなたは自分の実力が高すぎて、他人を正確に評価できなくなってる」
     と、葵と難訓の応酬に面食らいつつも、マロが口を開く。
    「あ、あの、アオイさん? この人、知ってはるんですか?」「マロくん」
     が、葵は何の感情も表さず、マロを制する。
    「黙ってて」
    「……あ、はい、すんません」
     マロがうつむいたところで、葵は話を続ける。
    「あたしの結論を言わせてもらうけど、あなたの目論見は全部、『見えてた』。
     あなたはマロくんを操って、わざと白猫党がここを襲うように仕向けてた。あなたの、お金儲けのために」
    「……へ?」
     葵にたしなめられたばかりのマロが、もう一度口を挟む。
    「どう言うことです? あ、いや、すんません、黙っとき……」「マロくんの造ったホワイト・クラム。あれをこの人は、大量に持ってるはずだよ。それも、数十億単位で」「……え?」
     が、今度は――葵のしようとする話に沿っていたためか――葵はマロに応じた。
    「マロくんが造ったクラムだけど、最初、マロくんは手っ取り早く価値を高めようとして、大量に発行して為替市場に流して、あっちこっちで交換しようとしてたよね。
     そこで皆がクラムを替えてくれればクラムの価値は騰がってたし、マロくんのデノミ政策は成功してたと思う。
     でも造った当時、まだ白猫党の信用ってそんなに無かったし、造っても造っても、誰も手に入れようとしなかった。そこで、この人が手を出してた」
     葵は難訓を指差し、難訓の企みを暴いた。
    「この人はクラムが発行されてすぐ、大量にかき集めてたんだよ。
     でも央北の戦争があったし、いくら勝ってたって言っても、戦争中の当事国が発行してるお金なんて不安定過ぎて、結局は誰も欲しがらない。ましてやその最中に大量発行してるなんて、戦費調達とか思われるだけだし、不安材料にしかならないもん。
     だからクラムの価値は暴落してた。数百億も刷ったクラムの価値は今、タダ同然だし、この人も現時点では大損してる。
     でも――そこで今、白猫党が央中進出を目指したら、どうなると思う?」
    「そら……、発行した当初に比べて、ウチの信用は上がってきとるはずですし、領土拡大が成功したらまあ、クラムの経済圏も拡がりますからな。
     価値は間違いなく上がると、……あ、そしたら!?」
    「そう。今度起きる戦争に勝って、白猫党の領地が倍に増えたら、クラム高騰の材料になる。一方で、央中通貨のエルは経済圏の縮小によって暴落を起こすから、この人が抱えてる数億クラムも、価値は何百倍にも跳ね上がるよ」
    「なる……、ほ、ど」
     マロは感心しつつも、内心では意気消沈していた。
    (アオイさんですらそう言う風になるって分かっとる話を、なんで俺、見抜けへんかってんやろ……。
     ホンマに凹むわ……)
    「クスクスクスクス」
     一方、難訓は口に手を当て、嫌味のある笑いを浮かべている。
    「なるほどなるほど、確かにお前の言う通りだ。
     特別に明かしてやろう、今わたくしは、66億クラムを有している。エルでの価値は今のところ6、70万と言うところだ。
     しかしお前の言うような大高騰が起これば、現在の価値にして50億エルを超える額に変化するだろう。
     そしてさらに、その価値は暴騰する。その『狐』を使役することでな」
    白猫夢・深闇抄 2
    »»  2014.06.06.
    麒麟を巡る話、第390話。
    難訓の策、葵の敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「え? 俺?」
     己を指差したマロに対し、葵が続けて説明する。
    「きみを今度の、金火狐総帥に立候補させて当選させれば、この人は金火狐財団を操れるようになる。
     そこに白猫党の央中侵略って言う事情が発生したら、財団はどう動くと思う?」
    「そらまあ、相手せえへんわけには……」
    「そう。央中を引っ張る立場にある財団は市国、ひとつの国として、白猫党と戦わざるを得なくなる。
     そこで新しい総帥になったマロくんが、戦わずに無条件降伏し、市国の無血開放を宣言したら?」
    「……っ!」
     マロは自分の顔から、ざあっと血の気が引くのを感じていた。
    「そんな……、無茶苦茶ですやん!?」
    「そう。誰だって央中政治経済の中枢である金火狐財団の総帥が、戦いもせずに平伏すなんて思わない。
     思わないからこそ、財団の権威は致命的に失墜する。財団が発行・管理してるエルも、それまでにない大暴落を起こす。それが致命傷になって、クラムとエルの価値は逆転するよ」
    「そしてそれが、相対的にクラムの価値を大きく引き上げる。わたくしの有するクラム資産は、途方も無い額に膨れ上がるだろう」
    「気になるのは」
     と、葵が難訓の方に向き直る。
    「大魔法使いのあなたが、何故そんなことをするのかなって」
    「答える必要は無い」
    「じゃあ推理だけど、単純に、いっぱいお金が欲しいんじゃない?
     あなたの研究開発は、ものすごくお金がかかりそうだから」
    「勝手に想像しておくがいい。
     ともかく――お前がここへ来た以上、わたくしは因縁の精算をせねばなるまい」
    「あたしも、折角8年ぶりにあなたと会ったし、前に言ってた決着を付けるには好都合だと思ってる。
     でも先に、そっちの仕事を終わらせた方がいいんじゃない?」
    「なに……?」
     それまで平坦に話していた難訓の声に、けげんな雰囲気が生じる。
    「あたしにとっても、テンコちゃんの存在は軽視できないもん。必要なら手を貸すよ」

    「な、……え、ちょ、アオイさん?」
     葵のその言葉が信じられず、マロは聞き返した。
    「それ、って、……つまり、アオイさんも、テンコちゃんを、こ、殺そうと思っとったんですか?」
    「うん」
     葵の素っ気ない返事に、マロはふたたび蒼ざめ、一方で難訓は驚いた声を漏らす。
    「ふむ……。流石のわたくしも、そんな答えは予想しておらなんだわ。
     敵の敵は友とは言うが、正直に言えば、貴様などとは手を組もうとは思わぬ。だが、魅力的な提案だ。このわたくしでも、手を焼いていたからな。無論、実際に何とかできると言うのであれば、だが。
     それで葵とやら、貴様には何ができると言うのだ」
    「その封印、壊せるよ。タイカ・カツミとは一度会ってるし、その時に捕縛術も受けそうになった。
     彼の術の組み方は、大体把握してる」
     そう言って、葵は刀を抜く。
    「ちょっと、下がってて」
    「いいとも。じっくり眺めておいてやろうではないか」
    「あ……、アオイさん! ま、待ってくださいよ!?」
     たまらず、マロが止めようとした。
    「なに?」
    「そ、その。テンコちゃんは、俺たちの先生やったんですよ? それを殺そうなんて言うのんは、ちょっと、アレとちゃうかって、その……」
    「あたしの計画にとっては邪魔な人だもん」
    「邪魔て、そんな……」
    「前にも言ったと思うけど」
     葵はくる、と振り向き、刀をマロに向ける。
    「あたしはギブ&テイクが嫌いなの。
     教わった恩なんて、感じたこと無い。義理人情とかも、あたしの中には無い。この子に対して、あたしはただ、邪魔な子としか思ってないよ」
    「……そんな……」
    「あなたも邪魔するの?」
     そう言って、葵は刀を構える。
    「……っ」
    「邪魔しないなら、黙ってて。邪魔するなら、片付けるよ」
    「それは許可できぬ。こいつはわたくしの計画に必要な駒だ」
     難訓の言葉に、葵は刀をマロに構えたまま、目だけを向ける。
    「代わりはいるでしょ?」
    「確かに。だがこいつを操るのが最も簡単に事が済むからな」
    「マロくんが黙っててくれれば、問題無いよ」
    「ふむ。
     ではお願い致しましょう、マラネロ様。どうかこの場は、お静かになさいませ」
     これまでの態度と打って変わって、しゃなりとした口調で命じられ、マロはこれまでにない気味の悪さを覚えた。
    「……」
     それ以上何も言うことはできず、マロはうつむき、黙り込むしかなかった。

    「じゃあ、やるよ」
     葵は難訓が陣取っていた壁に刻まれた、紫色に輝く魔法陣の前に立ち、刀を上段に構えた。
    「……すー……」
     広い空間に、葵の深い呼吸がこだまする。
    「『月輪』」
     次の瞬間――ぱきん、と硬く、薄い何かが割れる音が響き、壁の魔法陣は両断された。
    「……ほう」
     葵の剣技を眺めていた難訓は、ふたたび驚きの声を漏らす。
    「予想以上の剣の冴えだ。なるほど、これまでの言葉に嘘や誇張は無いようだな」
     真っ二つにされた魔法陣は輝きを失い、やがてただの、壁に彫られた溝と化した。
    白猫夢・深闇抄 3
    »»  2014.06.07.
    麒麟を巡る話、第391話。
    打ちのめされる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     魔法陣が消失すると同時に、天狐の本体が封印されている黒い水晶から、ぽたぽたと水が流れ始めた。
    「なん……です?」
     尋ねたマロに、難訓が答える。
    「半永久的に肉体を保存するための溶液だ。封印が解除されたために、結晶化されていた溶液が溶け出しているのだ」
    「つまりあと十数分もすれば、テンコちゃんの本体は解放される。
     これで心置きなく、戦えるね」
     そう言って、葵は刀を難訓に向けて構える。
    「ふむ」
     一方、難訓は腕を組み、思案する様子を見せていた。
    「どうしたの?」
    「葵。わたくしと契約を結ばぬか」
    「何について?」
    「まず、お前との決着云々を反故にしよう。
     先程の剣技、わたくしでさえ恐れ入る程の鋭さがあった。お前とまともに相対すれば、わたくしも無事では済むまい。さらに言うならば、お前を倒したとて、わたくしに得る物は無い。であれば、端からこんなものは反故にしてしまうのが良かろう。
     その代わりに、『あれ』へのとどめはわたくしに代わり、お前が刺せ」
     難訓はそう言って、魔杖で天狐を指し示した。
    「事情により、わたくし自身が『あれ』にとどめを刺すことはできぬ。お前ほどの力量がある者が現れたなら、好都合だ」
    「あたしに得る物は無いけど?」
    「あるではないか。これ以上わたくしと関わることは無い、と言うことだ」
    「……ふふっ」
     難訓の言葉に、葵ははにかんだ。
    「それはいいね。正直、あなたと戦うのは面倒だもん」
    「であろう? わたくしとて、一々お前を呼び付けて人形をけしかける手間が省けると言うもの」
    「いいよ、分かった。その契約、結ぶ」
    「痛み入る」
     難訓は両手を胸の前で合わせ、合掌して見せた。
    「では失礼、……ああ、そうそう。
     この『狐』についてだが、それについては不問でよいな?」
    「いいよ」
     さらりとマロの処遇について交わされ、当の本人は目を丸くする。
    「え、ちょ?」
    「何か不満あるの? 総帥になれるんでしょ?」
     葵の問に、マロはぶるぶると首を振る。
    「そうやないでしょ!? 俺、このままこの人の言いなりにされてもええんですか?」
    「あたしには関係ないよ」
    「あ、ありますて! 俺は白猫党員で……」
    「気にしなくていいよ」
    「いや、それは、ちょっと、あの……」
    「他に何かある?」
     葵の顔に、段々と面倒臭そうな気配が差す。
    「もしかして、あたしに『戻ってきて』って言って欲しいの?」
    「……っ」
     一転、顔を赤くしたマロに向かって、葵はとてつもなく冷たい言葉を浴びせた。
    「言わないよ。あなたはいてもいなくても、もうあたしの計画にとって、何の関係も無いもの。戻って来られても、邪魔」
    「なん、っ、……なんで、なんっでっ、そんな、ことっ」
     マロは自分の頬に、涙が流れ落ちているのを感じていた。
    「俺はっ、アオイさんの、ことっ……」
    「好きだった? それも、あたしには関係ないよ」
    「……ひどいやないですか……」
     拭っても拭っても、マロの目から涙は止まらない。
    「あたしにとっては」
     そしてその涙は――次の一言で、決定的に溢れ出した。
    「どうでもいいもん、きみのことなんて」
    「……~っ」
     声にならない叫びを上げ、マロはその場に崩れ落ちた。
    「もういい? さっさとテンコちゃんにとどめ刺したいんだけど」
    「うぐっ、うぐ、うえっ、ええ……」
     なおも冷たく言葉を投げ付ける葵に対し、マロはもう、泣くことしかできない。
    「いいみたいだね」
    「では、わたくしたちはこれで失礼させてもらう。『フュージョン』、マラネロ様を連れて行きなさい」
     そう言って、難訓はその場から消える。残った「フュージョン」は、先程まで難訓がいた空間に、恭しく頭を下げた。
    「かしこまりました」
    「フュージョン」はまだ泣きじゃくるマロの腕を強引に取って引っ張り上げ、そして彼女もマロと共に姿を消した。

     一人きりになった葵は、チラ、と天狐を一瞥する。
    「……」
     何も言葉を発さず、葵は刀を構えた。
     が――くるりと向きを変え、背後に現れた猫獣人の刀を受ける。
    「あなた、誰?」
     その猫獣人はさっと飛び退いて間合いを取り、刀を再度葵に向けた。
    「さあね。誰でもいいじゃない。
     アンタの邪魔をすることには、変わりないんだし」
     葵も刀を構え直し、猫獣人と対峙する。
     と、葵の視線が、猫獣人の背後に向かう。
    「……きみは」
     葵はその猫獣人――ルナの後方に立っているフィオに、静かに声をかけた。
    白猫夢・深闇抄 4
    »»  2014.06.08.
    麒麟を巡る話、第392話。
    「観測者」、葵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「久しぶり、……だね、アオイさん」
     フィオも剣を構えつつ、ルナの横に立つ。
    「どうしてここに?」
    「君はテンコちゃんを殺そうとしている。それを止めに来た」
    「……」
     葵はす、と一歩引き、続いて尋ねる。
    「フィオくん。あたし、きみのことは前からずっと、変な子だって思ってた。今、それをより、強く感じてる。
     きみは、あたしの『力』を知ってる気がする」
    「ああ、聞いてる。予知能力者なんだろ?」
    「……そしてその力を妨害する、そんな力もきみは持ってる」
    「え?」
     と、フィオはきょとんとする。
    「いや、そんなのは無い」
    「あるはずだよ」
     しかし、葵は強く尋ね返してくる。
    「あたしにはきみの未来が、全く見えないもの。
     やっとはっきりした。この辺りの未来が見えて来なかった、その理由。きみがここにいるせい」
    「いや……? 悪いけど、アオイさん。僕にはそんな『力』、見当が付かない。
     ともかく、君がここでテンコちゃんを殺すことははっきりしてる」
    「……?」
     フィオの言葉に、葵は一瞬、いぶかしげな目を向け――そして三度、尋ねた。
    「きみは、もしかして未来から来たの?」
    「!」
     その問いに、フィオはたじろぐ。
    「やっぱり、そっか。最初に会った時、初対面のはずの、あたしの名前を知ってたもんね。
     それで分かったよ、きみの未来が見えない理由が」
     一方、葵はすっきりしたような表情を、うっすらとながら浮かべた。
    「あたしの能力は、未来を観る力――言い換えれば『この世界』から派生した、『別の世界』をいくつも観られる力。
     だから『この世界』を出発点としてない、『別の、別の世界』から来たきみの未来を観ることは、できないみたい」
    「へぇ……?」
     フィオは若干戸惑った様子を見せながらも、剣を構え直した。
    「まあ、でも、それなら都合がいいな。君には僕の動きは、予知できないってことだ」
    「そうだね」
     葵も刀を構え直す。
    「でも、それが『勝てる』ってことには、つながらないよ」
    「何故?」
    「力量が違うもの」
     次の瞬間、フィオは壁に叩き付けられていた。
    「フィオ!?」
     ルナとパラの声が、同時に響く。
    「だ、大丈夫、……じゃないかも」
     壁からふらふらと離れたフィオが、膝を付く。
    「何とか受けたつもりだけど、……剣が折れた、って言うか斬られた」
    「斬鉄ですって、……ッ!」
     言いかけて、ルナはばっと身を翻し、葵の刀を受ける。
    「おっとと……、危なっ」
    「早いね、反応」
     ふたたび距離を開け、葵は淡々と会話を続ける。
    「フィオくんは防御が精一杯だったけど、あなたは威力を殺すことまでやってる。
     剣術だけじゃない、色んな技術を持ってるみたいだね」
    「放浪生活が長かったから、かしらね」
     一旦離れた間合いを、今度はルナの方から詰める。
    「はあッ!」
     ルナは一太刀、二太刀と続けざまに打ち込み、葵を押していく。
     だが、三太刀目を浴びせようと構えたところで、葵の姿がルナの前から消えた。
    「……そこだッ!」
     ギン、と鋭い金属音が響く。
     次の瞬間にはルナと葵が鍔競り合いになり、にらみ合っていた。
    「あなた、……ものすごく、強いね」
     と、刀を押し合った状態のまま、葵が口を開く。
    「普通の人じゃ無いみたい。ううん、普通じゃない」
    「あら、そう?」
    「でも」
     ふたたび、葵がルナの前から消える。
    「『見える』」
     その一瞬後――ルナの肩から、血が弾け散った。
    「うっ……!」
    「攻めも守りもものすごく早いけど、それでもあたしにはあなたが次にどう動くか、『見えてる』。
     このまま戦えば、あなたはあたしに殺されるけど」
     そしてまた、葵はルナの前に立ちはだかった。
    「それでも、やる?」
    「それも予知ってことかしら」
    「うん」
     ルナは短く呪文を唱え、肩の血を止める。右手を閉じたり開いたりしながら、ルナは葵と言葉を交わす。
    「いつくらい?」
    「大体、5分から7分後くらい」
    「へぇ。はっきりとはしてないのね」
    「未来は一つじゃないもの」
     葵も構えを崩さず、ルナの問いかけに応じる。
    「例えば、ここであなたが話を切り上げて攻撃してくる『未来』は、4通りくらい。正面から来るのが3。魔術を放つのが1。
     でもそれより、このまま話を続ける方がずっと多い。それで次の話題だけど、あたしは使えないよ」
    「……あら、そう。すごく似た動きだと思ってたんだけど」
     ルナは若干驚いた顔を見せつつも、不敵な態度を執る。
    「使えないって……、なにが?」
     尋ねたフィオに、ルナが答える。
    「『星剣舞』。誰にも見えない、不可視の剣舞って呼ばれてる技よ。アンタの血筋なら、使えてもおかしくないと思ってたんだけどね」
    「使えないよ」
     と――葵の顔に、ほんのわずかではあったが、不機嫌な色が差す。
    「怒ることないじゃない。そんなに使いたかったの?」
    「もういいでしょ?」
    「はーい、はい。
     じゃあ、あんたの予知を覆して見せましょうかしら、ね」
     そう言って、ルナは髪をアップにまとめ出した。
    白猫夢・深闇抄 5
    »»  2014.06.09.
    麒麟を巡る話、第393話。
    つめたいひとみ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ルナにはその長い髪を、あれこれといじる癖がある。
     普段、研究所にいる時には適当に紐で束ね、おさげにする程度だが、くつろいでいる時にはよく、パラに編み込みをさせているし、フィオに稽古を付ける時には後頭部で一まとめに固めている。
     そんな中で、彼女自身「これが一番気合い入んのよね」と評しているのが、脳天より少し後ろ辺りでアップにまとめる髪型である。
     それについて、ルナはマークやフィオたちに、こう付け加えていた。
    「あたし、母親のことは今でも本気で嫌いだけど、あの人がよくやってたこの髪型だけは好きなのよね。
     クソ真面目な性格とか口うるさいとことか偽善者ぶったとことかは本気で嫌いだったけど、この髪型にして稽古付けてくれてた時は、掛け値なしに『本物の剣士』だってとこを見せてくれてたからかしら、……ね」



     髪をアップにまとめ終え、ルナは刀を構える。
    「さーて、後何分残ってたかしら」
    「3分。多くて」
    「あ、そ。……じゃあその3分後に、吠え面かかせてやるわよッ!」
     そう言い放つなり、ルナは一足飛びに間合いを詰め、葵に斬りかかる。
    「えやああッ!」
    「てい」
     だが、葵は事も無げに、それを受ける。
     そして同時に、魔術を放った。
    「『ハルバードウイング』」
    「うっ……」
     空気の槍がルナの肩を貫き、先程止血した場所からふたたび血が飛び散る。
    「弱点は徹底的に突く、ってわけね」
    「そう」
     間髪入れず、葵はルナのすぐ眼前まで踏み込み、刀から左手を離して掌底を放つ。
    「やっ」
    「……うぐ、っ?」
     葵の、その今一つ気合いが乗っていないような声とは裏腹に、掌底を当てられたルナの体が一瞬、浮き上がる。
     何とか地面に降りたものの、ルナの口の端から、つつ……、と血が垂れていた。
    「これ、は……、ゲホ、ゲホッ」
     膝を付いたルナに、葵は淡々と返す。
    「発勁(はっけい)。痛かったでしょ?」
    「そう、ね、……ぺっ」
     びちゃっ、と多めの水音を立てて、ルナは血を吐き出す。
    「慢心してたわ。アンタ、思ってた以上に強い。短時間で高威力の魔術をポンと放ち、一片の無駄もない動作で強烈な体術を繰り出す、そのずば抜けた技術と底知れぬ才能。
     でも、何よりあたしがヤバいと思ってるのは……」
     立ち上がり、ルナは再度刀を構える。
    「殺気が無い、ってことよ。アンタからは、『何としてでも敵を殺してやる』って気配が感じられない。
     アンタ、あたしのことを『敵』と思っちゃいないのね」
    「うん」
     葵の素っ気ない返事に、この戦いを見守っていたフィオは、冷たいものを感じた。
    (そうだ……。僕がどうしても、アオイを好きになれなかった理由は、これだったんだ。
     半年とは言え、一緒に勉強した仲だ。それなりに好意を持ったとしてもおかしくない、……だろ? 普通は。
     でも僕は――確かに僕が見聞きした未来のアオイ・ハーミットとあの頃の彼女とは、大分雰囲気が違うけど――どうしてもアオイに、心を許せなかった。
     その原因はこれだったんだ。あいつは……、他人を自分と同じ『人間』だとは、これっぽっちも思っちゃいないんだ!)
     まるでダメージを受けていないかのような俊敏な動作で、再びルナが斬りかかる。しかしそれを紙一重でかわし、葵はルナの胸元をつかむ。
    「えい」
     バン、と重い音が響き、ルナの体は床に叩き付けられる。
    「う、っぐ」
    「とどめだよ」
     葵は――何のためらいも見せること無く――床に倒れたままのルナに向かって、脚を振り下ろした。

    「……なに?」
     だが、葵が蹴ったのはルナの顔ではなく、フィオの腹だった。
    「う……、うえ、ゲボッ」
     腹を押さえ、血反吐を吐くフィオに、葵は不快そうな顔を見せる。
    「邪魔だよ、フィオくん」
    「そう、だ、ろうな。邪魔、したんだ、から」
     顔を真っ青にしながらも、フィオは立ち上がる。
    「この人を、殺させやしない」
    「……イラつくよ」
     葵の顔に差していた険が深くなる。
    「きみにあたしの攻撃が防げると思ってるの?」
    「防ぐさ。何としてでも」
    「そう」
     次の瞬間、べきっ、と歯の折れる音が響く。
    「あ、う、……っ」
     フィオは口を押さえ、うめく。
    「あたしが、『未来』が見えない相手には手も足も出ないなんて思ってるの? 見えないなら見えないで、普通に叩けばいいだけ。
     きみが死ぬところは、実時間で見てあげるよ」
     葵は刀を振り上げ、フィオに斬りかかった。
    白猫夢・深闇抄 6
    »»  2014.06.10.
    麒麟を巡る話、第394話。
    死闘を制したのは……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……っ」
     フィオは死を直感し、身構えることもできない。
    (本気で、まずい)
     頭のどこか一方では、この危機的状況に対応しなければと考えてはいる。
     だがもう一方で、どんな対応を取ったとしても、葵の攻撃を防ぐ術が無いことも分かっている。
    (無茶苦茶早くて鋭い攻撃だ。多分もう、……詰んだな、これ)
     フィオは既に、諦めの境地に入りかけていた。
    「ダメですっ!」
     だが、フィオの前にパラが立ちはだり、葵の刀を受ける。
    「パラ!」
    「しっかりなさってください!」
    「あ、……ああ、そ、そうだ」
     萎えかけていた心が、パラの叱咤でもう一度引き締まる。
    「悪かった、パラ……」
     謝りかけて、フィオはパラの異状に気付いた。
    「……パラ!?」
     葵の刀を受けたものの、捌ききれなかったのだろう――その頬から右肩にかけて、深い傷が付けられていた。
    「大丈夫です。わたくしは修理が利きます故」
    「だからって! ……ああ、畜生ッ!」
     パラの、端正に整えられた顔が傷つけられたのを見て、フィオの中に、とてつもない怒りが沸き上がってくる。
    「アオイいいいいいッ!」
    「うるさいよ。あと、うざい」
     ふたたび、葵が斬りかかってくる。
     フィオはパラから剣を受け取り、それに応じた。
    「お前は、お前だけは……ッ!」
    「何しようって言うの?」
    「ここで止めてやる! お前の、野望をッ!」
     フィオは怒りに任せ、葵に向かって剣を振り回す。
     だが、葵は依然として、一片の本気も出す気配を見せない。
    「静かにして」
     フィオの目の前から、葵が消える。
    「……上かッ!」
     先程うろたえていた時とは比べものにならない速度で反応し、フィオは飛び上がる。
    「でやああああッ!」
    「ふーん」
     しかしそれでも、葵の反応は鈍く、希薄なものだった。
    「それっ」
     ざく、と肉を裂く音が、フィオの耳に入る。
    「う、あ……あああっ」
     フィオの左肩に、葵の刀が深々と突き刺さっていた。
    「えい」
     葵はそのまま刀を下方に引き、フィオの左腕を斬り落とす。
    「もう気は済んだでしょ?」
     そして葵はフィオの胸板を蹴り、床に叩きつけた。
    「……」
     すとんと床に降り立ち、葵は辺りを一瞥する。
     そして――先程まで倒れていたルナの姿が無いことに気付いたらしく、葵はつぶやいた。
    「いない……、どこ?」
     葵の死角から、ルナが飛び込んでくる。
    「はああああああッ!」
     ルナは刀に火を灯し、葵に肉薄する。
    「喰らえ……! 『炎剣舞』ッ!」
     ぼっ、と音を立て、ルナの刀に灯った火が爆発的に燃え広がった。
    「……焔流……?」
     葵のつぶやきは、その爆音でかき消された。

     数分前までじっとりと湿っていた室内の空気は、今はカラカラに乾いていた。
    「ふうっ……ふうっ……はあっ」
     ルナは刀を下ろし、深呼吸する。
    「久々に全力出したわ……。これでピンピンしてたら、もうどうしようも無いけど」
    「はあ……はあ……」
     ルナの視線は、膝を付いた葵に向けられている。どうやら防がれはしたものの、魔力が尽きたらしく、攻撃してくる気配は無い。
     ルナは葵の方を向いたまま、フィオに声をかけた。
    「フィオ、生きてる?」
    「あ、ああ」
     フィオの声は、左腕を断たれたと思えない程度に、はっきりとしている。
    「パラ、止血してあげた?」
     今度は、パラの戸惑った声が返ってきた。
    「いえ」
     それを聞き、ルナは一瞬、葵から視線を外した。
    「どう言うこと?」
    「出血しておりません」
    「何でよ? ……!」
     視線を葵の方へ向けた時には、既に葵の姿は無かった。
    「しまった!」
    「はあ……はあ……」
     部屋の出口から、葵の吐息と駆ける足音が、遠のいて聞こえてくる。どうやら不利を悟り、逃げたらしい。
    「追いかけるわ! アンタは……」
     再度振り向いて、ルナはフィオがダメージを受けていない理由、そしてパラが戸惑っていた理由を理解した。
    「アンタ、そうだったの」
    「……ああ」
     フィオの左肩から、綿と木片が飛び出している。落ちている左腕も、切断面から綿がこぼれていた。
    「人形、……じゃ無いわよね。ご飯食べてたし、汗もかいてたし、血も吐いてたし」
    「半分だけだ。半人半人形、ドランスロープってやつさ」
    「……詳しく聞くのはパラに任せるわ。あたしは葵を追う」
    「いや……、もうこれで、葵はチャンスを失ったはずだ。とりあえず現時点で、追う意味は無い」
    「どうして?」
     尋ねたルナに、フィオは右腕で、部屋の中央――封印から完全に解放され、床に倒れ伏している天狐の本体を指した。
    「テンコちゃんは、僕たちが保護するからさ。そうだ、あと、回廊のどこかにレイリンさんもいるはずだ。
     二人を回収して央北に戻ろう、ルナさん」
    「……そうね。それがいいか」



     30分後――ミッドランド、地上。
     数日間に渡る軟禁から解放されたラーガ邸関係者は揃って市街地に向かい、ポエトの嘆きに涙していた。
    「何故だ……! 何故テンコちゃんは、……テンコ・カツミは、この街から消え失せた!? 彼女がここに居てくれさえすれば、こんなことにはならなかったのに……!」
    「旦那様……」
     ポエトに付き従っていた者たちは皆、苦渋の表情を浮かべている。
     と――丘の方からゴゴゴ……、と地響きが聞こえてくる。
    「……なんだ?」
     ポエトが振り向いたその瞬間、丘がボコボコと凹み始める。
    「な、なな、なんとっ……!?」
     地響きは次第に大きくなり、やがて丘全体が、しぼむように沈んでいく。当然、丘の上に建っていたラーガ邸も、それに飲み込まれて消失した。
    「何が……、起こったんだ?」
     突然の出来事に、ポエトや他の者たちは、呆然とするしかなかった。

    白猫夢・深闇抄 終
    白猫夢・深闇抄 7
    »»  2014.06.11.
    麒麟を巡る話、第395話。
    ナゾ解き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     彼女が目を覚ましたのは5月7日、ミッドランド地下での戦いからルナの研究所に運び込まれ、3日が経ってのことだった。
    「……」
     むく、と起き上がったところで、ずっと側に付いていた鈴林が、涙目で抱き付いてきた。
    「姉さんっ!」
    「……おう」
     妹弟子を抱きしめながら――彼女はぼそ、とつぶやいた。
    「何百年、いや、千年以上なのかな……」
    「えっ?」
    「生身で誰かに触れたのって、本当に久しぶりだなって」
     それを聞いて、鈴林はにこっと笑った。
    「おはよう、姉さんっ」
     彼女もはにかみながら、それに応じた。
    「……ああ、おはよう」



     入浴と着替えを済ませ、彼女は居間で待つルナたちの前に現れた。
    「おはよう、天狐ちゃん」
    「……ん」
     彼女は黒い髪をわしゃ、と撫で付けながら、こう返した。
    「何て言ったらいいかな……。語弊があるって言ったらいいのかな」
    「え?」
    「とりあえずオレのコトは、『一聖』と呼んでくれ」
    「かずせ?」
    「オレの本名だよ。天狐ってのは、いわゆる克一門での『号』なんだ。今は本体って言うか、オリジナルのオレの体だし、ソッチで呼ばれた方がしっくり来る。
     こうして生身の耳や目を使うのは、下手すっと千年ぶりくらいなんだ。懐かしい呼ばれ方、したくってな」
    「それだけど」
     と、ルナが尋ねる。
    「狐獣人じゃなかったの?」
    「ああ」
     一聖は小さくうなずき、こう返す。
    「かわいかっただろ?」
     その返答に、一同はずっこける。
    「いや、そうじゃなくて」
    「ケケケ……」
     一聖は笑ってはぐらかし、話題を変えた。
    「まあそんなワケで、本物のオレは耳がツルツルでちっこいし、尻尾も無い。瞳だって真ん丸だ。
     ソレよりも、……久しぶりだよなぁ、フィオ、マーク。何年ぶりだっけ?」
    「え……」
     マークは目を丸くし、一聖に尋ねる。
    「僕たちのこと、覚えてて下さったんですか?」
    「当たり前だろ」
     一聖はフン、と鼻を鳴らす。
    「特にフィオ、お前さんは『超』特殊な事情があったからな。オレがもし忘れてたら、色々困るだろ?」
    「まあ、そりゃ……」
    「その腕のコトも、な」
     一聖はフィオの側に寄り、肩から先の無い左腕に手を当てた。
    「腕、持って返ってきてるか? あるんなら、治してやるぜ」
    「ありがとう、テン、……じゃない、カズセちゃん」

     一聖によって腕を修理してもらい、フィオは心底ほっとした顔をしていた。
    「本当にありがとう、カズセちゃん」
    「いいってコトよ。お前らに受けた恩はコレくらいじゃ、まだまだ返せねーしな。
     で、フィオ。そろそろお前さんの事情、全部話してもいいんじゃねーのか? もうオレたちに関して、デカい『分岐点』は超えたろ?」
    「ん……、うーん」
     二人のやり取りに、その場にいた全員がフィオの方を向く。
    「そう言えば……」
    「そうね。フィオとはずーっと一緒にいたけど」
    「フィオの素性について、わたくしたちは一切の情報を取得しておりません」
    「……ってことよ。あたしたちがアンタについて知ってることは、未来から来たってだけ。
     もうそろそろ、詳しく話してくれないかしら? アンタはいつの時代から、誰にどんな事情を聞いて、この時代にやって来たのか。
     そして未来では、何が起こるのか。そしてどうして、アンタはこの時代に来なくてはならなかったのか」
    「……」
     フィオはしばらく黙っていたが、やがてすっと立ち上がり、全員を見渡す形で、居間の中央に立った。
    「そうだな。そろそろ、全てを話す時が来たのかも知れない。こうしてカズセちゃんを救えたわけだし、そして、……鈴林さんも、皆もここにいる。
     分かった。話すよ。……でも」
     フィオは顔を赤らめ、ぼそぼそと付け加えた。
    「皆も知っての通り、僕は皆ほど、頭は良くない。分かりにくい話をするかも知れないし、きちんと説明できるか、……ちょっと、自信ない」
    「分かんなきゃ、その都度聞くわよ」
    「……あと、どこから話せばいいかなって。話すことが一杯あるから」
    「ぷっ」
     ルナはクスクス笑いながら、こう返した。
    「そんなの、一番大事なことから言えばいいのよ。
     そうね……、まず、アンタがどうやって『造られた』から、辺りかしら。アンタが『母』と呼んでるのは誰かってことから、聞かせてもらおうかしら」
    「分かった」
     フィオはチラ、と鈴林に目をやる。
    「……なあにっ?」
    「カズセちゃん、鈴林さん。僕が天狐ゼミを訪ねた時、紹介状を渡したよね」
    「ああ。カンパーナ・フォレスター・コンキストってヤツからの、な」
    「それ、実は母の名前を、央中風に無理矢理直したものなんだ。元は央南風の名前なんだ」
    「央南風っ?」
     鈴林はあごに人差し指を当てながら、その人名を訳す。
    「ええと……、フォレスター(Forester)は森とか、林でしょっ。コンキスト(Conquist)は、征服とか克服とかって意味だよねっ。
     カンパーナ(Campana)って、どんな意味かなっ?」
    「鐘とか、鈴になる」
    「……んっ?」
     一瞬、居間の空気が固まる。そしてその本人が、驚いた声を上げた。
    「鈴、林、克? ……アタシっ!?」
    白猫夢・覚聖抄 1
    »»  2014.06.12.
    麒麟を巡る話、第396話。
    鈴林の分岐点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     もう一つの――フィオが介入しなかった世界の、双月暦570年5月4日。



     鈴林は天狐に言われた通りに、一週間もの長い間、壁に磔にされたまま、じっとしていた。
    (姉さん……姉さん……)
     剣で背中から胸元を貫かれ、そのまま壁に向かう形で留められていたため、彼女は難訓の姿も、天狐が散華する様も見ていない。
     一週間もの間、彼女は暗黒の中にいたのだ。
    (何日……? もう、5日? 6日? 分かんなくなってきちゃったよ……)
     人ならざる彼女とは言え、何もない、目の前には壁しか無いような空間で、自我を保つことは至難の業と言えた。
     それでも、彼女は耐えた。背を向けていてもなお、難訓の恐ろしさは伝わっていたし、何より自分が敬愛する姉弟子の死骸など、見たくなかったからだ。

     どこからか、ゴゴゴ……、と地響きが聞こえてくる。
    「な……に……?」
     飛びかけていた意識が、戻ってくる。
     と――回廊の向こうから、コツ、コツと靴音が響いてくる。
    「だれ、……っ」
     問いかけて、鈴林は口をつぐむ。
    (難訓の可能性もあるのにっ……)
     靴音が止む。どうやら音を立てていたその相手は、鈴林の背後にいるらしい。
    「抜いた方がいい?」
    「……」
     その声に、鈴林は聞き覚えがあった。
    (この声……、誰だっけっ?)
    「抜かない方がいい?」
    「……抜いて……」
     自分ではまだ一週間経っているかどうか分からなかったが、鈴林の口から、ほとんど無意識に言葉が出てきた。
    「ん」
     ぎちっ、と音を立て、剣は鈴林の背中から抜かれた。
    「……う……はあ……っ……」
     一週間ぶりに床の感触を味わい、鈴林はそのまま倒れこむ。
    「逃げた方がいいよ」
     鈴林から剣を抜いた人物は、倒れたままの鈴林に、淡々と声をかける。
    「もうすぐここ、崩れるから。天狐ちゃんの本体が死んだのと、あたしがここの封印を無理矢理解除したせいで」
    「……え……」
     鈴林は重たい頭を上げ、その人物の顔を見た。
    「……死んだ……姉さんが……?」
    「あたしが殺した」
     回廊は暗かったが、それでも鈴林には、相手の顔が確認できた。
    「……殺し……っ……!?」
    「じゃあね」
     この時鈴林の目に、何ら感情を表さない、葵・ハーミットの能面のような顔が、はっきりと焼き付けられた。

     そしてこの30分後、葵の言葉通りに、ミッドランドの地下遺跡は崩落した。
     特に誰かが攻めてきたわけでもなく、何の拘束を受けたわけでもない、普段通りにラーガ邸に居た者たちは、為す術なくこの崩落に飲み込まれ、そのほとんどが命を落とした。
     体制的かつ物理的に政治機能が失われたその混乱に乗じるように、白猫党はこの日、島を占拠した。



     鈴林は姉弟子の仇である葵を追うためミッドランドを去り、旅立った。
     その旅の中で、彼女は白猫党の中核に葵がいること、葵は白猫、即ち己の姉弟子である克麒麟から預言を得て党を動かしていることを知った。
     そして白猫党が次々に央中を攻略し、つい先日、ゴールドコースト市国までをも陥落させ、意気揚々と央北へ凱旋したことを伝え聞いた彼女は、彼らの本拠地であるクロスセントラルへ赴いた。

     鈴林の読みは的中し、市街地には白猫党党首シエナをはじめとする党幹部たちが集い、戦勝パレードを催していた。
     そしてその中に仇敵、葵がいることも確認し――。
    「葵いいいいいッ!」
     鈴林はそのパレードの中に単身、突っ込んでいった。
     だが、鈴林はその中心、シエナたちが乗っている車輌に到達することはできなかった。何故なら狙っていた本人が突如、彼女の目の前に現れ、一瞬のうちに彼女を、彼方まで弾き飛ばしたからである。
     あまりに一瞬の出来事ゆえに――パレードに参加、参列していた者たちは、鈴林が武器を抜いたことも、パレードに割り込もうとしたことも、そして空中高く跳ね飛ばされたことすらも、誰一人として気付かなかった。



     そして目が覚めた時、鈴林は牢獄につながれていた。
    白猫夢・覚聖抄 2
    »»  2014.06.13.
    麒麟を巡る話、第397話。
    絶望の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     鈴林にとって幸運だったのは、葵が鈴林のことを単なる人間、どこにでもいる長耳だと思っていたことだった。
     投獄されたものの、鈴林には己の形をある程度自在に変えられる能力がある。
    (小鈴から聞いた、『縛返し』晴奈の武勇伝。アレ、今こそアタシがやる時だよねっ)
     鈴林は看守の目を盗み、何度も脱獄しては白猫党の本拠、ドミニオン城を歩き回り、情報を集めては、騒ぎにならぬよう、また、葵を警戒させぬように、元通りに牢獄へ戻る生活を始めた。

     敵の本陣でさらに情報収集を進めたが、鈴林にはいつしか、焦りと苛立ちが生じていた。
    (葵が見つからない……。ドコにいるのよっ?)
     耳にするのは、白猫党の活躍ばかりである。
    「こちらの世界」では、白猫党は既に「新央北」を配下に収めた上に央中の大部分を攻略し終え、さらにはなんと、央南や西方にまで手を伸ばしていた。
     しかし白猫党の絢爛たる快進撃を何十と聞いても、鈴林にとって肝心な情報、即ち葵がどこにおり、何をしているかについては、全く分からないままだった。
    (いつまでもココでウロウロしてるだけじゃ、きっと葵はアタシに気付く。そうなったら今度こそお終いだよ……。今度こそ、やられちゃうっ。
     そうなる前に、アタシの方から葵を見つけなきゃっ)



     だが、鈴林の焦りとは裏腹に、鈴林は葵を見つけられず、一方で葵も鈴林にとどめを刺そうと動くこともなく、何年もの時が過ぎていった。

     そのうちに、白猫党は内部崩壊を起こし始めた。
     怒涛の快進撃を続け、領土を野放図に拡大してきた白猫党だったが、それ故に領内を安寧に統治する意識が、いつの間にか薄まっていたらしい。
     これまでずっと沈黙してきた元「新央北」の宗主国、トラス王国の第三代国王となったマークの妹、ビクトリア・トラスが、白猫党と交戦中だった西方南部、そして央南西部と密かに連絡を取って連携し、大規模な反乱を企てたのだ。
     央北全土を支配して以降、配下に収めた地域に隷従を強制していた白猫党の圧制に対し、央北・央中諸国はこの動きに同調。反乱の火の手は、一気に広がった。

     そして――鈴林は、何故葵がこれまで党首を彼女自身ではなくシエナに務めさせ、非道な行いを繰り返させたかを、双月暦580年になってようやく、気付くこととなった。



     情勢は緊迫の一途をたどっていたが、鈴林はその日もいつも通りに脱獄し、情報収集を行うため、城内をうろついていた。
     と――城内が異様に騒がしいことに気付く。
    (えっ……? なんか、兵士の人がいっぱいいるっ?)
     本拠地であるし、一日に数名、十数名程度であれば、見かけることも多い。だがその日は、城内の至るところに兵士が詰め、仲間・同志であるはずの白猫党員を拘束していたのだ。
    (……あ、コレ反乱だっ!)
     鈴林が直感した通り、央北東部から拡がっていった反乱の火は、既に白猫党の本拠にまで到達していたのだ。
    「鬼畜シエナを許すなーッ!」
    「これ以上、あの独裁者を野放しにするなーッ!」
    「探せ探せぇ! 見つけ次第殺せーッ!」
     これまでの規律・統率が嘘のように、白猫兵たちが城内で叫び、殺戮を繰り返している。
    (このままじゃ危ない、……けどっ)
     身の危険を感じたものの、これだけ党内に混乱が生じた今、党の真の主である葵が動かないわけがない。
     そう考えた鈴林は城内に潜み、葵の出現を待った。


     そして、その日も終わろうかと言う頃、ようやく葵は城のバルコニーに現れた。
     だが――現れたのは、葵だけではなかった。
    「ひゅー……ひゅー……」
     葵の右手には全身あざだらけになり、血塗れになったシエナが引きずられていた。
    「皆、聞け。中庭に集合せよ」
     葵は静かに、しかし誰の反発をも許さない威圧感を以って、城内のスピーカーを使って呼びかける。
    「今、ここに新たな王が誕生された。それはあたしたちの、神様だ」
    「……っ」
     ざわついていた城内が、一挙に静まり返る。
    「神様は罰をお与えになられた。
     あたしたちの幸福、あたしたちの利益を忘れ、己の欲のままに暴虐の限りを尽くしたこの、シエナ・チューリンに鉄槌を下された」
    「……ふざ……け……ない……でよ……全部……アンタが……」
     虫の息ながら、シエナが何かをつぶやくのが聞こえたが、葵は構わず続ける。
    「繰り返す。皆、中庭に集まれ」
     葵に命じられるがままに、党員たちも、兵士たちも、中庭に集まる。
     党員が集まったのを確認し、葵は傍らのシエナの襟を握り、バルコニーの先に高々と掲げる。
    「これより戴冠式を行う。
     まずはこの罪人に罰を下し、新たな王への贄としよう!」
    「ひっ……」
     葵はそう叫び――シエナをバルコニーから投げ捨てた。

     葵の、もう一方の傍らに立っていた銀髪の猫獣人は、葵の行動をうっとりと眺めながら、高らかに拍手した。
    白猫夢・覚聖抄 3
    »»  2014.06.14.
    麒麟を巡る話、第398話。
    妄執の果てに。

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    4.
     新たな党首となった葵の粛清は、広範囲に及んだ。
     まず、反乱を指導したビクトリア・トラスをはじめとして、トラス王家の一族すべてを処刑。これによりトラス王国、そして「新央北」は完全に消滅した。
     続いて、シエナの独断専行におもねっていた者、反乱に加担していた者に対しても、厳罰を与えるとともに更迭・追放、あるいは処刑し、党内の意見・意思を統一させた。
     さらには長引いていた央南・西方での戦争を、ほとんど葵単騎で終結させ、世界の3分の2を白猫党の領地にしてしまった。



     鈴林は葵の暗殺を、諦めざるを得なかった。
     敵対するには既に、あまりにも強く、そしてあまりにも、恐ろしい存在となっていたからである。
     いや、恐ろしいと思ったのは葵だけではない。葵によってこの世の王となった克麒麟がなお一層、恐ろしかったのだ。
    (アタシたちの世界は、完全におかしくなっちゃったよ……。
     もう何をやっても、元通りになんか戻せっこない。アタシが今、何かしようとしたとしても、葵や麒麟の姉さんはすぐ、アタシを殺しに来る。もう葵に指を向けるコトすら、できないよ。
     ソレに……、これだけ姉さんが好き勝手やってるのに、お師匠はドコにもいない。きっと……、麒麟の姉さんが手を回して、殺してしまったんだ。
     もう全部、遅すぎたんだ……。アタシが10年も、城の中で時間を潰しちゃったばっかりに、何にも手が打てなくなっちゃったよっ……)
     鈴林は深い絶望に飲み込まれ――そしていつしか、妄執に取り憑かれた。
    (もう全部手遅れなんだ。今、何をやったって、どうにもならない。
     なら――手遅れになる前に、手を打てばいいんだよ……)

     普通の人間であれば絶望に打ちひしがれ、ただ狂うだけで終わっただろう。
     だが鈴林にはまだ冷静さが残っており、そして妄想を現実化できる程度には、明晰な頭脳を有していた。
     彼女はドミニオン城から離れ、そしてすっかり荒廃した央中のゴールドコーストに身を潜め、とある研究を始めた。
     その研究とは――過去へ戻るための時間跳躍術である。

     その研究の過程で、鈴林は問題にぶつかった。
     一つは、莫大な魔力を必要とすること。理論の目処は付いたのだが、それを実行に移すには、途方も無い魔力を発生させなければならないことが判明した。
     そしてもう一つは、過去へ戻れたとしても、未来で得た情報は役に立たなくなること。
     例えば過去に戻り、何かほんのちょっとした行いでもすれば、必ず何かしらの運命が変わり、その結果である未来は、大きく変化してしまう。そうなれば、そこは『別の世界』であり、『元の世界』では決して無い。
     即ち、どれだけ「この世界」について精密な歴史をかき集め、過去へ戻ったとしても、葵たちを倒すために行動を起こしたその瞬間から世界は変化し、そのデータが無意味となる可能性は極めて高い。

     鈴林は二つ目の問題に対し、人形を造る方法を採った。それも単なる人形ではなく、自律思考が可能であり、かつ成長のできる「半人半人形」である。
     これならば送り込んだ先の世界が変化し、自分が知る歴史と違う出来事が発生したとしても、それに対して臨機応変に対応することが可能であろうと、鈴林は考えたのだ。

     そしてもう一つの、莫大なエネルギー確保の問題についても、鈴林は覚悟を決めた。
    (この四半世紀に渡る失敗は、全部アタシのせいだ。
     ソレを償わなきゃ、お師匠にも天狐の姉さんにも、顔向けできないもん)



    「こちらの」――これまでの物語上の世界、双月暦562年1月30日。
     この世界に送られてすぐ、フィオは天狐の屋敷を訪ねた。

    「ココには誰の紹介で?」
     適当な嘘を並べて出自をごまかしたものの、紹介者を尋ねられ、フィオは内心ヒヤヒヤとしつつも、こう答えた。
    「ここの関係者だった、カンパーナ・フォレスター・コンキストさんです」
     と、ここでフィオは手紙を懐から出し、おずおずと天狐に渡す。
    「あ、これ、紹介状です」
    「あ?」
     名前を聞くなり、天狐は怪訝な顔をした。
    「誰だって? 聞いたコトねー名前だな」
    「えっと、紹介状……」
     天狐は手紙を受け取り、中身を確認する。
    「……」
     読み終えるなり、天狐は立ち上がり、「テレポート」でその場から消えた。

    「お前、バカなコトしたなぁ」
     フィオがこの世界に現れた地点に、天狐は移動していた。
    《うん……ゴメンね、姉さん》
     空中に、紫色に光る亀裂が走っている。
     その向こう側に、全身が赤茶けた鈴林の姿があった。
    《でも……こうするしか……なくって》
    「何があったんだ? 時間跳躍術なんてオレは教えてねーし、研究したコトもねー。
     ソレを自分で編み出して、起動魔力確保のために自爆するなんてメチャクチャなコトをやらざるを得なかったのは、何でなんだ?」
    《あの子に……聞いて》
     鈴林の体が、褐色からどんどん黒ずみ、ボロボロと崩れていく。
    「……分かったよ。安心しろ、鈴林」
     閉じていく亀裂に向かって、天狐は右親指を立てて見せた。
    「『こっちの』鈴林にゃ、お前がやったみてーなコト、絶対させねーからな」
    《……うん……お願いねっ……》
     亀裂は閉じ、鈴林の姿も見えなくなった。
    白猫夢・覚聖抄 4
    »»  2014.06.15.
    麒麟を巡る話、第399話。
    新しい歴史。

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    5.
    「じゃあ……、じゃあ、フィオくんって、アタシの?」
     未だ目を白黒させている鈴林に、フィオはしどろもどろに応じる。
    「ええ。……まあ、と言っても、『向こうの世界』では母だったけど、こっちではまだ、母じゃないし、そうなる契機も訪れなかった。
     だから、……まあ、……何て言ったらいいか分からないけれど、こっちの鈴林さんは、僕とはあんまり関係が無い、と言うか」
    「冷たいなあ、もうっ」
     鈴林はひょいと立ち上がり、フィオの額をぺちっと叩いた。
    「あいたっ」
    「そーゆーつながりが無くても、フィオくんはアタシの生徒だったじゃないっ。ちょっとくらい、親身になってほしいなっ」
    「……まあ、はい」
    「まあ、流石に『お母さん』はイメージ湧かないけど、『お姉さん』くらいはできると思うし、そーゆー風に思ってよねっ」
    「……はい」
     フィオは照れた顔をしつつ、小さくうなずいた。

     フィオからの話を聞き終え、マークとシャランは複雑な顔をしている。
    「ビッキーが女王に、ねえ……」
    「想像できないよね。確かに今だってしっかり者だけど、まだ16歳だし。あ、つっても10年後なら26歳か」
    「まあ、それくらいなら想像に難くないと言えば難くないけど。でも僕がいない世界の話だし、多分僕がなるんじゃないかな、次の国王って」
    「ふつーはそうだろうけどさ、マークってなりたい、王様?」
     シャランに尋ねられ、マークは肩をすくめて返す。
    「……いや、あんまり」
    「あたしも向いてない気がする」
     シャランはマークの手を取り、こう続けた。
    「やっぱりマークは研究者が一番似合ってるよ。ずーっとあたし、マークが勉強してるところとか、実験してるところとか見てきたし、絶対間違い無い。
     ……ま、あたしもそうだけど。一応ネール公家の出だけど、政治とかマジさっぱりだし」
    「似た者同士、って感じかな」
    「そ、そ。……でもさ」
     シャランはマークの手を握ったまま、ぽつりとつぶやいた。
    「フィオ先輩がもし、マークのコト助けて無かったら、あたしこうやって、ココで研究やってないかも知れないんだよな。ううん、絶対無い」
    「確かに……。この研究所は、僕がいなかったら存在しなかっただろうな」
    「感謝、しないとね」
     シャランの言葉に、マークは深々とうなずいた。
    「してるさ。どんなにしても、し足りないくらいに。フィオがいなかったら、僕の人生はもう終わってるんだから。
     だから彼が望み、僕にできることがあれば、何でもするつもりだ」

     一方、ルナは神妙な顔でテーブルに頬杖を付いている。
    「んー……」
    「いかがなさいました」
     尋ねたパラに、ルナはこう返す。
    「フィオの話だけどさ、あたしのことはなーんにも触れてないのよね。
     もしかして『向こう』じゃ、あたしって活躍してなかったのかしら」
    「フィオに聞いてみてはいかがでしょう」
    「……ま、いいや。『向こう』の話を聞いたって、特にあたしにとって得られるものは無さそうだし。
     行けもしない月の裏側の話なんて、聞くだけ無駄ってもんよ。……っと、そうそう」
     ルナはパラに手招きして近くに寄らせ、小声で尋ねた。
    「驚いたわよね」
    「何がでしょう」
    「フィオよ。まさか半人半人形とは思わなかったわ。ふつーにご飯食べてたし、アンタと比べたらアホだし」
    「わたくしも非常に驚いております」
    「だからアイツ、アンタに惹かれたのかもね」
    「……」
     黙り込んだパラに、ルナはイタズラっぽい目を向ける。
    「あら? アンタ、フィオがそう言う風に想ってるってこと、気付いてなかったの?」
    「想定していませんでした」
    「いません『でした』?」
     言葉尻を捕まえ、ルナはニヤニヤと笑う。
    「じゃあ今は気が付いてるのかしら」
    「少なくとも研究所の皆様は、わたくしとフィオが恋愛関係にあると見ているご様子です」
    「ちーがーうーでーしょー」
     ルナはぺちっ、とパラにデコピンする。
    「ごまかさないの。あんた自身の考えと言葉を言いなさい」
    「……」
     パラはうつむき、彼女らしからぬぼそぼそとした声で答えた。
    「……はい。好意は、感じております」
    「アンタに血潮があったら、今、きっと顔を真っ赤にしてるんでしょうね」
     ルナはずっと、ニヤニヤと笑っていた。
    白猫夢・覚聖抄 5
    »»  2014.06.16.
    麒麟を巡る話、第400話。
    フィオとパラの未来。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     その日の晩、フィオは研究所から離れた街外れに、パラを呼んだ。
    「パラ。……改めて告白するけど、僕は完全な人間じゃない。半分、人形だ。
     本来は、この戦いのために造られた存在なんだ」
    「はい」
    「だから……、本来なら、そのためだけに生きなきゃいけない。僕はすべて、アオイを倒すためだけに行動をしなければならない。……それが、母の望みだ。
     でも、君がアオイに傷付けられたあの時、僕はそれを忘れた。確かに行動自体はアオイを倒そうとしていたけど、理由は母のためじゃなかった。君を傷付けられ、それに憤ったからだ。
     だからこの時点で、僕は失格なんだ。母の、創造主の望むように動いていない。僕は人形として、欠陥品なんだろう」
    「それなら、わたくしも欠陥品です」
     パラはいつもより若干強い口調で、そう返した。
    「わたくしの本来の存在理由は、元の主である方の駒です。それを捨て、今の主様に付いた時点で、わたくしは人形としての本分を逸脱したのです。
     しかしそれが過ちとは、思っていません」
    「……あ、いや」
     と、フィオは手をパタパタ振る。
    「ごめん、勘違いさせたけど、それが悪いって話じゃないんだ。いや、むしろ、これからのことを考えたら、それはいいんじゃないかって思うんだ」
    「と言うと」
    「その、君のことも含めて、僕たちは人間に近付いてる、と思うんだ。
     パラ。僕は今、完全な人間になりたいと、とても強く願ってる。そして君にも、そうなってほしいと思ってるんだ」
    「……」
    「そして、そうなった暁には、パラ」
     フィオはパラの手を握り、こう続けた。
    「僕と、……その、……け、結婚してくれないか」
    「え」
     パラの無表情が、きょとんとしたものになる。
    「……ダメかな」
    「いえ」
     パラはいつものような無表情ながら、しかしかなりの早口で――どうやら、これは彼女の感情が相当昂った時の癖らしい――こう返した。
    「驚いておりますまさかあなたがそこまでわたくしを想ってくれていると思っておりませんでしたのでですがわたくしの中に確かにそうした希望はございますいえ強く抱いています非常に魅力的な提案ですぜひお受けしたいと考えています」
    「……落ち着いて?」
    「はい」
     パラは顔を両手で覆い、フィオと目を合わさずに、今度はゆっくりと答えた。
    「あなたの要求に対し、わたくしは全面的にお受けしたいと考えます」
    「……ありがとう。でもその言い方、問題がありそうに聞こえる」
    「あります。それは、前提条件が困難なことです」
    「ああ、そうだ。まず人間になること。それが僕たちにとって、何より難しい。……だけど彼女なら、どうにかできるんじゃないか?」
    「彼女、と申しますと」
     そろそろと目を合わせたパラに、フィオはこう続けた。
    「カズセちゃんだ。僕の腕を一瞬で直すことができるほどの魔術を持っているのなら、それくらいできるんじゃないか?」
    「可能性は非常に高いものと予測されます」
    「聞いてみよう。……ところで、パラ」
    「何でしょう」
     フィオは長い耳をかきながら、恐る恐る尋ねた。
    「僕も半分人形だけど、そんな堅いしゃべり方、してないだろ? もっと砕けて話すこともできると思うんだけど。……あと、完璧主義で潔癖症なところも」
    「それらはすべて、わたくし固有の癖です」
     にべもなく返され、フィオは言葉に詰まる。
    「えっと、その、……直せない?」
    「主様も仰っています。『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』と」
    「……まあ、いいか。ルナさんやシャランみたいな話し方するパラなんて、却っておかしいよな」
     諦めたフィオに、パラは薄い笑みを返した。
    「そう捉えていただけると助かります」



     翌日、フィオとパラは、まだ研究所の居間で寝泊まりしている一聖を訪ねた。
    「カズセちゃん、お願いが……」
     言いかけて、二人は絶句する。
    「おう、なんだ?」「なんか用か?」
     二人の前には、一聖が二人いた。
    白猫夢・覚聖抄 6
    »»  2014.06.17.
    麒麟を巡る話、第401話。
    オレがコイツでコイツもオレで。

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    7.
     その一聖「たち」は、フィオには一瞬同じように見えたが、落ち着いて観察すれば、一方は金髪に金色の毛並みをした、九尾の狐獣人――即ち、以前の克天狐そのものだった。
    「カズセちゃん、これって……?」
     尋ねたフィオに、黒い髪の短耳の方が答えた。
    「ああ。いきなりオレがミッドランドに戻ってきたら、『こいつ誰だ?』ってなるだろ?」
     それを継ぐ形で、金髪の狐獣人が続ける。
    「だからオレが復活した。オレがコイツの代理人ってワケさ。ラーガ家の方には『白猫党にとっ捕まってたが無理くり脱獄した』とか適当に言っとく」
    「あ、ああ、そう。……どう呼べば?」
    「これまで通りだ。オリジナルは一聖ちゃん。オレの方は天狐ちゃんで」
    「自分にちゃん付けするなよ。あんた、結構いい歳なんだろ?」
     天狐ゼミ時代から薄々思っていたことをうっかり口に出したが、一聖たちは意に介していないらしい。二人揃って、ぺろっと舌を出して見せた。
    「うっせ、オレは永遠の女の子だ」「てんこさんじゅうななさい、なんてな」
    「おいおい……。まあ、いいけどさ」
    「で、なんか用か?」
     尋ねた一聖に、フィオは天狐の方をチラ、と見て、こんな質問をぶつけた。
    「あのさ、テンコちゃんって丸っきり、元のまま?」
    「いや、ちょっと強めにいじった。こないだみたく、不意打ちでやられちゃかなわねーから、な。
     あと、コレまではオレ(一聖)と意識をリンクさせてたが、オレ自身が自由に動ける今、んなコトしてられねーからな。今度のコイツ(天狐)はスタンドアローン型、独立して行動できるタイプにしてある」
    「あ、そうじゃなくて。前と同じ、『生物』なのかなって」
    「おう。オレだってチョコ食いたいし」
     屈託なく笑う天狐に、フィオは恐る恐る用件を打ち明けた。
    「ってことはさ、いわゆる生命創造みたいなのができるってことだよね?」
    「みたい、って言うかそのまんまだけどな」
    「じゃ、じゃあさ、例えば僕とパラが人間になりたいってお願いしたら、できたりする?」
    「できるぜ」
     素直にうなずかれ、フィオは面食らった。
    「できるの?」
    「二回も聞くなよ。できるっつの」
    「じゃあ……」
    「ただし」
     だが、一聖が口を挟む。
    「克一門のモットーはおしなべてギブ&テイク、『契約は公平にして対等の理』の精神だ。
     平たく言や、『これこれこーゆーものを差し上げる、その代わりにそれそれそーゆーものをくれ』ってヤツだ。
     確かにお前らに助けてもらった恩義はある。だがソレはルナとお前らと、3人共同でのギブだ。ソレを2人前のテイクで返せ、なんて言わねーよな?」
    「う、……まあ、そうか。確かにそうだな。腕も直してもらったし」
    「だがあくまで、ギブ&テイクだ」
     再度、天狐が口を開く。
    「もう1人分助けてもらったとなれば、その契約は結んで当然のものだ。また何か助けてくれたら、その時はその願いを聞き入れてやんよ」
    「……分かった。じゃあ、また機会があれば」
     一縷(いちる)の希望を抱き、フィオとパラは居間を出ようとした。

    「あるわよ、きっと」
     と、ドアの向こうから声がかけられ、そしてルナが入ってきた。
    「どう言うコトだ?」
    「アンタの師匠と、その九番弟子兼あたしの師匠が見つからないのよ。何かあると思わない?」
    「なに……?」
     ルナから大火らが行方不明になっていることを聞き、一聖は表情を曇らせた。
    「気になるな……。今聞いた辺りの拠点はオレも知ってるトコだし――ミッドランドに縛られてたせいで行ったコトはねーけど――ソコにいないってなると、相当立て込んでる事情ってのは、確かにありそうだな。
     よし、探してみるか」
    「あたしも協力するわよ。……その代わりに、だけど」
     ルナはニヤッと笑い、一聖にこんな願いを申し出た。
    「天狐ちゃんと鈴林はミッドランドに戻るとして、アンタは大火探し以外には手が空いてるわよね?」
    「ああ、そうだな」
    「だけど探すって言っても当ては無いし、探してる間の旅費やら本拠地やら、必要よね?」
    「まあ、確かにな」
    「見つかるまで、あたしのところで働かない?」
    「は?」
     けげんな顔をした一聖に、ルナはこう続ける。
    「この街とこの研究所を本拠地にすれば、あたしたちの協力はいつでも得られるし、住むところや食べ物にも困らないわよ。
     その代わり、手が空いた時には研究手伝ってもらうけど」
    「……うーん」
     この申し出に、一聖は腕を組んでうなる。
    「まあ、確かにフラフラ旅に出るってのはしんどいしなぁ。オレ、旅行嫌いだし。どこか落ち着けるところがあるんなら、落ち着きたいし。
     分かった、ソレ受けるぜ」
    「ありがと。じゃあ早速、所員証を……」
     言いかけて、ルナは「あれ?」とつぶやく。
    「アンタの名前、『かつみ・かずせ』でいいの?」
    「あー」
     問われた一聖は、眉間にしわを寄せる。
    「じゃない、な。『克』ってのは魔術師学派の号だからな。つっても、元の苗字もあんまり好きくねーし。
     んー……、そうだな……、じゃ、『橘』で」
     それを聞いて、ルナはクスっと笑う。
    「なるほど。鈴林の、ね」
    「そーゆーコト」



     こうして570年、「フェニックス」に辣腕の研究顧問、橘一聖が参入した。
    白猫夢・覚聖抄 7
    »»  2014.06.18.
    麒麟を巡る話、第402話。
    賢王の判断と次代の女王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     一聖の参入で研究所が沸き立つ一方、近年造成されたトラス王国の本拠、セレスフォード城ではまたもマークが、父親かつ国王であるショウ・トラスに食って掛かっていた。
    「何故です父上、こんな好機は無いでしょう!?」
    「落ち着け、マーク」
     トラス王はやれやれと言いたげな顔で、マークをなだめる。
     いや、実際に彼は、それを口に出した。
    「やれやれ……。マークよ、何故今が、白猫党を攻める好機だと思うのだ?」
    「だってそうでしょう? 彼らは今まさに、央中を攻めている最中ではないですか! 言わば、敵に背中を向けているも同然! 今攻めずして、いつ攻めると言うのですか!?」
    「なるほど、確かにお前が今言った通りの理由で、攻めるべしと言う意見も上がってきている。だが私は、これを好機などとは到底思っておらんのだ」
    「どうして……!」
    「まず一つ。利益の面で考えてみれば、我々が白猫党を攻めても大した得にはならんのだ。白猫党に対して奪うものなどろくに無いし、むしろ余計な戦費と人員の浪費にしかならん。
     考えてもみろ、このトラス王国から彼奴らの本拠であるヘブン王国まで、どれだけの距離がある? 相手が有する最新鋭の軍用車輌を以ってしても、一週間は悠にかかる。
     ましてや車輌開発など手がけたことのない我々がそれを調達し、満足に運転できるよう訓練を行い、街道を整備して敵陣に攻め入るまでに、どれだけの時間を要すると思っている? 今、主力部隊が央中へ行っているとしてもだ、我々が戦える状態にまで訓練や整備を進めているうちに、戻ってきてしまうのがオチだ。
     こんな愚行は傍から見れば、喜劇に出てくるような間抜け軍隊そのものではないか!」
    「しかし……」
    「第二に、主力部隊が央北にいないとは言え、勝算は決して100%ではないと言うことだ。いいや、50%あるかも定かではないと、私は見ている。
     その体たらくで無謀に兵を差し向け、いたずらに犠牲を出すようなことは、私には到底命じられん。命じたくも無い。ましてや――何度も言うが――勝って何が得られる、と言う戦いでも無い」
    「あるじゃないですか!」
     一方、マークも折れない。
    「白猫党によって不遇を強いられた人々を解放する意義があります!」
    「馬鹿者」
     トラス王は呆れた目を、マークに向ける。
    「お前は自分が救世主にでもなったつもりなのか? そうであると吹聴するつもりか?
     万が一白猫党を撃退し、現在彼らの統治下にある国々が解放され、独立したとしても、決して彼らはお前をそうであるとは見なすまい。
     何故なら彼らにとって、圧力をかけてくる相手が白猫党からお前にすげ替わっただけなのだからな。
     力ずくで既存の政治機構を破壊し、独善を押し付けることには変わりないのだ。白猫党の行動も、お前の主張もな」
    「う……」
    「だから、我々は今回も動かんのだ。さして利益も大義も見出だせん、やったところで不興を買うだけ、では何の意味も無い。
     無意味なことに力を注ぐのは他にさしてやることのない道楽者か、人生をまともに生きる能の無い愚者だけだ。私はそのどちらでも無いつもりであるし、お前もそうでは無いはずだ。
     話はこれで終わりだ。頭を冷やしてよく考えろ、マークよ」
    「……分かりました」

     トラス王との話を終え、意気消沈しているマークのところに、狼獣人の女の子がやって来る。
    「珍しく興奮されてましたね」
    「ん? ああ……、ちょっとね」
     マークに、と言うよりもトラス王夫妻によく似たその狼獣人は、ぽんぽんとマークの尻尾を撫でる。
    「ほら、こんなに毛羽立ってる」
    「触らないでよ、ビッキー」
     兄に邪険にされ、その女の子――マークのすぐ下の妹、ビクトリア・トラス、通称ビッキーは頬をぷく、とふくらませる。
    「あら、冷たい。熱力学と言うのは、こんなところにも適用されるのですね」
    「は……?」
    「お兄様自身が熱くなってる分、周りに冷たくなってます。熱が偏ってます」
    「……まあ、悪かったよ」
     ビッキーのちょっと変わった、奇矯な話し方に面食らいつつ、マークはフィオから聞いた「未来の話」を思い出していた。
    (こいつが10年後、次の国王になるのか……。確かに頭はいいんだけど、ヘンな子なんだよなぁ。
     いや、それは父上も同じか。昔から変人、変人と言われてたらしいし)
    「お兄様?」
    「ん?」
     我に返ったマークに、ビッキーはきょとんとした目を向ける。
    「そんなに見つめられても困ります。そう言う熱い視線は、シャランさんだけに向けてくださいな」
    「ああ、ごめんごめん。考え事をしてたから」
     マークは立ち上がり、その場を去りかけて――ふと、ビッキーに尋ねてみた。
    「ねえ、ビッキー」
    「なんでしょう?」
    「他意は無いんだけどさ、君って、父上の跡を継ぎたいとか思ったことある?」
    「ありますよ」
     マークの問いに、ビッキーは素直にうなずく。
    「お兄様、頼りないですもの」
    「う……」
     ストレートな言い方に、マークは顔をしかめるしか無かった。

    白猫夢・覚聖抄 終
    白猫夢・覚聖抄 8
    »»  2014.06.19.
    麒麟を巡る話、第403話。
    選挙月間開始前日。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、6月30日の午後8時ちょうど。
    「ただいまを以って、第19代金火狐総帥選挙の立候補受付を終了します」
     財団監査局の選挙管理委員が、壁に掛かった時計を眺めながらそう告げる。
    「ごくろうさん。ほんで、今回の立候補者は?」
     尋ねた監査局長、ルカ・ベント・ゴールドマンに、管理委員はこう答えた。
    「3名です。御三家から1名ずつ」
    「ほな、エミリオとルーマと、……あと、えーと」
    「マラネロ様です」
    「おう、ソレやソレ。マロも入れて、3人か。
     しかし、エミリオとルーマが立候補すんのは元々決定事項みたいなもんやったけど、マロも来よったか。十中八九、何やかや理屈つけて辞退すると思うてたんやけどな」
    「ええ、我々も今回は2人での争いになるか、マラネロ様以外の方が立候補するかと思っていたのですが……、今月中頃に、ご本人がこちらに来られました。
     その時、少し気になることがありましたが……」
    「何やあったんか?」
    「ええ。ひどく顔色が悪く、お付きの方の肩を半ば借りるような形で現れまして……」
    「ふーん……? 確かに気になるな。
     まあ、これから色々準備せなアカンし、アキュラ邸にいとるやろ。今後の選挙戦でポカされてもかなわんから、ちょっと様子見てこよかな」
     そう言い残し、ルカは選挙管理事務所を後にした。

     ゴールドマン家、通称金火狐一族が三つの家に分かれて以降、ゴールドコースト市国のあちこちに、それぞれの屋敷が建てられていた。
     その中でも最も下位とされているアキュラ家も、一応は市国内に邸宅を構えている。しかし市国の一等地に堂々と居を構えるトーナ屋敷と違い、アキュラ屋敷は振り向けばすぐ山肌が見えるような、鉱山区と隣接した場所にある。
     そのため、道も市街地のように整備されてはおらず――。
    「……お、おっ、ちょっ、わっ、とまっ、とまっ、止まれっ」
     乗っていた自動車が、山道の途中でガタガタと震え出し、停車する。
    「な、なんや、パンクしたんか?」
    「そのようです」
    「砂利道どころや無いからなぁ……。かなわんわ、ホンマ」
     車の修理を運転手と付き人に任せ、ルカは一人、徒歩でアキュラ屋敷に向かった。
    「邪魔すんでー」
    「へ? ……ああ、ども」
     玄関に入ったところで、ちょうど居合わせたアキュラ家の主、モデノと出くわす。気さくに挨拶したルカに対し、モデノはどこか面倒臭そうな声で応じる。
    「なんや、辛気臭い。覇気が無いで、覇気が!」
    「ああ、まあ、はい。
     ほんで財団の監査局長さんが、うちに何か用でっか?」
    「他人行儀な言い方すんなや、モデノ。前みたいにルカでええがな」
    「ん、まあ……、じゃあ、ルカ。うちに何か用か?」
    「マロのことや。こないだ立候補しに来たって聞いたけども、何や暗い顔しとったらしいやないか。ちょっと様子見でもしとこか思てな。
     あとついでに、今夜はもう予定無いし、たまには交流の一つでもしとこかな、と」
     そう言って、ルカは脇に抱えていた木箱からワインを取り出す。
    「西方のワイン処、シャトー・メジャンの最高級ワイン、『チャット・ル・エジテ』の562年物、当たり年のヤツや。お前好きやったやろ、ワイン?」
     ワイン瓶を目にした途端、モデノの尻尾がぴくんと跳ねた。
    「おっ、おう。ええんか?」
    「よう無かったら持って来おへんやろ。お前も今日はもう、仕事無いやろ?」
    「あったけど……」
     モデノは陰気な表情をころっと変え、嬉しそうに笑う。
    「それ見てしもたら、もうどないでもええわ。明日に回すっ」
    「そうしとき。せや、マロも呼んでもろてええか?」
    「おう」
     モデノは先程まで見せていた憂鬱そうな様子から一転、駆け出すように奥へと消える。
     と、くる、と振り返り、ルカにこう返す。
    「客間行っといてくれ。先に呑むなよー」
    「わはは……、分かっとるわ、アホっ」
     モデノの態度の変わりように、ルカはげらげらと笑った。
    白猫夢・三狐抄 1
    »»  2014.06.22.
    麒麟を巡る話、第404話。
    なにわぶし。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、モデノがマロを連れて、客間に現れた。
    「よお、マロ。久しぶりやな」
     ルカが気さくに声をかけたが、マロは応じない。
    「……」
    「こら、マロ」
     その態度を、モデノが咎める。
    「目上に挨拶されて無視するアホがおるか」
    「……あ」
     と、マロはのろのろと顔を上げ、ルカと目を合わせる。
    「すんません、ボーっとしてました。お久しぶりです、ルカおじさん」
    「ああ、ええよええよ。やっぱり疲れとるみたいやな」
    「ええ、ちょっと……」
    「悪かったなぁ、いきなり呼び付けて。ま、これでも呑んで許したってくれや」
    「いやいや、そんな……」
     取り繕おうとするモデノに構わず、マロは父より先にソファに座り込んだ。
    「おい、マロ!」
    「はい?」
    「順序があるやろが。親より先に座るヤツがあるかいな」
    「……あ、ごめん」
     マロが立ち上がりかけたところで、モデノははあ、とため息を付いてそれを止める。
    「ええわ、もう。……お前、ホンマに大丈夫かいな?」
    「それや。俺も選管から話聞いて、心配になってな」
     ルカはワインのコルクを抜きながら、マロに尋ねる。
    「なんやあったんか? えらい落ち込んどるって聞いたけど」
    「いや……、別に」
    「何もあらへんことないやろ? 見抜けへんほど短い人生、俺らは送っとらへんで」
    「……」
     ルカの問いかけに対し、マロはうつむいたまま応じない。
     その態度にモデノは眉を潜めてはいたが、不意につぶやく。
    「女やろ」「……っ」
     顔を挙げたマロに、ルカがグラスを差し出した。
    「図星やな。それもものっすごい、手ひどいフラれ方をしたと見える」
    「……ええ」
    「まあ、どんな目に遭ったかは聞かんけども」
     モデノもグラスを受け取り、マロをやんわりとなぐさめる。
    「人生長いもんや。1回や2回フラれたかて、どうもあるかいな。わしなんか16回フラれとる。うち3回は離婚もんやし」
    「モデノ……。それは自分のガキに言う話やないやろ。見てみい、引いとるで」
     ルカは呆れつつ、二人のグラスにワインを注ぐ。
    「まあ、そんでもマロ。モデノの言う通り、人生色んなことが起こるもんや。
     そら確かに、好きや好きやと思っとった子にフラれるっちゅうのんはきついもんや。それはよお分かる。
     しかしや、人生楽あれば苦あり、苦あれば楽ありや。今、『もうあんなええ娘、二度と俺の前に現れんわ』と嘆いとる、……としてもや。そのうちまた、ええ娘に巡り会える。くじけず生きとったら、またそのうちええことあるもんや。
     せやからな、あんまり思いつめんときや。な?」
    「……ええ」
    「さ、とりあえず気ぃ取り直すっちゅうことで、や。呑も、呑も」
     ルカはグラスを掲げ、マロに向けた。
    「うちら金火狐の繁栄と、苦難に飲み込まれつつも勇気ある一歩を踏み出したマロに」
    「……ども」
    「乾杯!」
     ぼそぼそと礼を言ったマロに構わず、ルカとモデノは一息にワインをあおった。

     その後、立て続けに二度、三度とグラスを空にしたところで、ルカがとろんとした口調でマロに尋ねた。
    「ほんでや、マロぉ。お前がフラれたんって、どんな女やってん?」
    「その……、一言で言うたら」
     落ち込んでいたマロも、酒の効果が現れてくる。
    「超人っちゅうか、女神さんみたいな人でしたわ」
    「めがみぃ? 開祖さんみたいな、っちゅう感じか?」
    「いや……、それとは別方向にすごい人です。ゼミん時の同級生やったんですけど、勉強もめっちゃできるし、剣術の試合出た時も圧勝してはったし、党でも……」「党?」
     と、マロの言葉に、ルカは充血していた目を光らせた。
    「党ってアレかぁ? 最近大暴れしとる、白猫党のことか?」
    「ええ。知ってはるんですか?」
    「アホぉ、知っとるも知らんもあるかいな。ついこないだ、ミッドランドやらバイエルやらに攻め込んだアホタレどもや無いかぁ。
     まさかお前、そいつらと付き合いあるんとちゃうやろなぁ?」
    「付き合いっちゅうか、以前は、……あ、いえ」
     かつて党の幹部であったことを打ち明けそうになったが、マロは口をつぐんだ。
    「……まあ、そこら辺でこじれてフラれたようなもんですわ。今は何の関係もありまへん」
    「ん、……そうか。ならええねん、うん。
     ホンマ、とんでもない奴らやでぇ。こないだかて、モントの嫁さんの実家に攻め込んだらしいし、日を追うごとに版図を拡げてきとる。
     このまま放っといたら、いずれ市国にも攻めこんで来よるんや無いかっちゅうのが、もっぱらのうわさやでぇ」
    「……」
     憤るルカに、マロは目を合わせることができなかった。
    「せや、マロ」
     が、ルカはマロのそうした仕草に気付いた様子は無い。
    「もしもこのまま戦いが長引くようなことになったら、次の総帥が真っ先にやるであろう仕事はソレやろな。白猫党の奴らと真っ向から戦わなアカンことになる。
     ホンマ大変やで、総帥は」
    「……でしょうね」
     ルカの言葉を、マロは別の意味で捉えていた。
    白猫夢・三狐抄 2
    »»  2014.06.23.
    麒麟を巡る話、第405話。
    御曹司を狙う影。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     7月1日、朝。
    「あぁ……?」
     新聞を読んでいたトーナ家の御曹司、レオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンは、驚いたような声を漏らした。
    「いかがされましたか、若様」
     使用人の問いに、エミリオは新聞を指差す。
    「これや」
    「失礼いたします。
     ふむ、『総帥選挙 候補者出揃う』ですか。……おや、これは」
     エミリオから新聞を渡された使用人も、彼と同様に驚いた顔を見せた。
    「驚いたやろ?」
    「ええ。マラネロ様も出馬されるとは」
    「まあ、するかも知れへんとは考えとった。ごく低い可能性ではあったけれども、それでもゼロではあらへんからな。
     とは言え、無謀と言う他無いやろな、これは。勝つ見込みがどこにあんねん」
     エミリオは嘲笑いながら、新聞をテーブルに投げ出した。
    「こっちは本流中の本流、トーナ家やで? 代々総帥や商会長を輩出してきた、真に金火狐の精神を受け継ぐ名門や。
     アキュラ家なんぞ、ただのパチモン……」「ええかげんにしなさい」
     居丈高になったエミリオの背後から、呆れたような声が飛んでくる。
    「あんた、10年前と言うてることが変わってへんで。子供のままやね」
    「……おはようございます。お母様」
     エミリオはぶすっとした顔を作り、背後に現れた母、パルミラに背を向けたまま挨拶した。
    「ほら、そう言うとこが子供や。ちゃんと顔見て挨拶し」
    「……おはようございます」
     渋々と言いたげに振り返り、挨拶し直したエミリオを、パルミラはなおも注意する。
    「ご飯食べてる時に新聞読んだらアカンって、何度も言うたでしょ」
    「はい」
    「あと、ネクタイ曲がっとる」
    「はい」
    「耳も寝癖ついとる」
    「ええ」
    「それから」
    「まだありますか」
    「ありますよ。人のことをバカにしたらアカン、ってあたしは何度言いました?」
    「……」
     エミリオは母の言う通りにネクタイを締め直し、狐耳についた寝癖を撫で付け、それから新聞をつかんで、席を立った。
     と、そこでさらにパルミラがたしなめる。
    「ごちそうさん、言いました?」
    「……ごちそうさまです」
     エミリオはうんざりした顔で、食堂を後にした。
     残ったパルミラはふう、と軽いため息を付き、使用人に愚痴をこぼした。
    「ホンマにあの子はアカンね、ああ言うところ。あれさえ無かったら、仕事もバリバリできるし、ええ子やねんけど」
    「仰る通りです」
    「あの子だけやで、ああ言うとこあるのん。他の子は掛け値なしにええ子やのにねぇ」

     エミリオは若干23歳ながら、既に金火狐商会においては、一つの会社を任されている敏腕である。
    「落ち着いて新聞も読めんわ……」
     ジャケットを羽織りながら、片手につかんだ新聞に目を通す。
    「『白猫党 次の狙いは石油か ダーティマーシュを占領』……。ふーん、やることは無茶苦茶やけど、まあまあ押さえるべきもんは押さえとるな。
     まず交易の中心地、ミッドランドから。あっちこっちからモノとカネの集まる重要な土地のわりに、テンコとか言う魔術師の影響でどこの軍隊も手ぇ出せへんとこやったんを、電撃的に押さえよった。
     ほんでその後はオリーブポートをはじめとする港湾都市。輸送やら兵站を考えたら、これは最上の選択やろ。ええとこに目ぇ付けとる。
     その他食糧の一大生産地や、この新聞で言うとるみたいに石油・石炭。需要の高いモノを片っ端から押さえてもうてるから、既に市国の各市場相場は騰がり始めとる。
     おかげで僕らもヒィヒィ言う羽目になっとるわけや。原価が日に日に高うなっとるから……、っと」
     誰に聞かせるわけでもない持論をブツブツ唱えているうちに、エミリオは自分の会社に到着する。
    「おう、おはようさん」
    「おはようございます、社長」
     従業員たちの挨拶を受け、エミリオは社長室に入る。
    「さーて、今日もはりきって売り上げ伸ばしたるかな」
     デスクに座り、持っていた新聞をその上に投げ出したところで――ひた、と自分の肩に手が置かれた。
    「ん……? 何や」
     振り返ったその瞬間、エミリオは凍りついた。

    「……っ」
    「レオン・エミリオ・ゴールドマン様でございますね」
     自分の首に、ナイフを当てる者がいたからだ。
    「な……、なんっ」「お静かになさいませ」「……っ」
     エミリオにナイフを向ける、白と赤のドレスを身にまとったその少女は、うっすらと笑みを浮かべながらこう告げた。
    「わたくしどものお話をお聞きいただけますでしょうか」
    「……」
     エミリオが小さくうなずいたところで、少女は話を続ける。
    「では簡潔に。1つ、わたくしどもの存在を誰にも明かさぬように。そしてもう1つ」
     少女はエミリオの首からナイフを離し、胸元へ移す。
    「今月の25日より、急病を召して倒れてくださいませ」
    「は……?」
    「そして一週間の間、ご自室からお出でにならぬよう」
    「あ、アホな」
    「最後にもう1つ」
     少女はナイフを、今度はエミリオの顎に当てた。
    「今から付ける傷は、ひげを剃り損ねたせいでできたものだ、と申してくださいませ」
     直後、エミリオの顎からざく、と肉が切れる音がした。
    「うあっ……」
     デスクに広げられた新聞紙に、血がぱたたっ……、と飛び散る。
    「もしも今のどれか一つでも、反故になされた場合」
     そして少女も、次の一言を残して消えた。
    「二度とご自分の顎ひげを剃れぬ顔になる、とご覚悟の程を」
    「……っ」
     エミリオは顎を押さえ、呆然としていた。



     数分後――己の顎に付いた傷に驚いた従業員らに対し、エミリオは力なく、「……ひげ、剃り損ねたんや」と答えた。
    白猫夢・三狐抄 3
    »»  2014.06.24.

    麒麟の話、第8話。
    神の統治体制。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     央北の戦争が終わって以来、アオイはまるで女神サマのような扱いを受けている。
     ボクは実に気分がいい。自分の作品を、ソコまで評価してもらえたらね!

     白猫党はアオイに、完全に心酔している。アオイのために、せっせと働いてくれている。
     そう、ソコが大事なんだ。金や名誉、地位とか何とか、そう言う小さい視点、安い「見返り」で働いてない。
     あくまで「アオイのために」働いてくれている。
     ソコを抜きにしちゃ、この組織は維持できない。他の有象無象の組織のように、ただ金のために、権力のために動くようなヤツらばかりなら、その目的が満たされた途端に仲間割れしておしまいさ。
     この白猫党は、ボクの築こうとする世界の理想形を体現してくれている。ギブ・アンド・テイクを是としない、無償の愛と不満なき隷従で構成された集団なんだ。

     だからアイツらは幸せでいられる。
     党首のシエナも、その周りのヤツらも、みんながアオイと、アオイが率いる白猫党のために動いている。そしてアオイはボクのために動いている。
     その関係が続く限り、間違いなく、みんなが幸せでいられるだろう。



     逆に、だからこそアイツらはダメになったんだ。

     アオイに殺されたあのゲス軍人。アイツは自分のためにしか行動していなかった。
     自分のひねくれた欲望を満たすため、そして身の丈に合わない地位を求めたために、アオイたちを殺そうなんてバカなコトを考えてしまった。
     だからボクはアオイに命じ、殺させた。アイツを生かしてもろくなコトにならないと、ボクの方でも分かっていたからね。

     そしてあの金汚い、ペテン師『狐』もだ。
     アイツは一見、アオイや白猫党のために行動しているように見せかけていたけど、本心はまったくそうじゃなかった。アオイに恩を売って、党内での地位を確保しようとしてたのさ。
     他の目的――白猫党の重鎮となり、それを後ろ盾にして金火狐の総帥、もしくは金火狐財団の要職に立候補するためにね。
     結局、アイツも自分のためにアオイに取り入り、自分のために金集めしてたのさ。

     ボクにしてみりゃ、ソレは前々段階にやってた、相当原始的なやり方だ。
     分かりやすい見返りを与えて動かす、犬にエサをチラつかせて芸をさせるような手法だ。
     ソレは確かに、ほとんど確実に人を動かせるけど、一々こっちがエサを探してやらなきゃならない、面倒極まりない手法でもある。
     ソレにあのアホのシュウヤみたく、すごくいいエサを持ってきても、こっちの予想に反して噛み付いてくるコトもあるしね。
     ま、ボク個人としては、いまさらこの方法を執る気にはなれない。エサを見せなくても尻尾をパタパタ振ってくれる犬が、もう既に一杯いるんだし。

     で、だ。そのめんどくさい、コストのかかるような手法を、いまだにあの「狐」はやろうとしてる。
     バカだな、本気で。いまさらお前みたいなやっすい守銭奴に手を貸して、互助関係を築こうとするヤツは、最早あの党内にいないってコトを、まだ分かってないらしい。
     そんな時代遅れのアホがいるって言うだけでも、党の足かせだ。ソレどころか、アオイを狙ってる節もある。お前みたいなカスの分際で、アオイを口説こうだって?
     本気でバカだな、まったく!



     アイツはもう、用済みだな。コレ以上党にいさせても邪魔にしかならない、迷惑な駄犬だ。
     そろそろ適当にホネを放り投げて、谷底まで追いかけてってもらうとするか。

    白猫夢・麒麟抄 8

    2014.05.01.[Edit]
    麒麟の話、第8話。神の統治体制。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 央北の戦争が終わって以来、アオイはまるで女神サマのような扱いを受けている。 ボクは実に気分がいい。自分の作品を、ソコまで評価してもらえたらね! 白猫党はアオイに、完全に心酔している。アオイのために、せっせと働いてくれている。 そう、ソコが大事なんだ。金や名誉、地位とか何とか、そう言う小さい視点、安い「見返り」で働いてない。...

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    麒麟を巡る話、第357話。
    「金火狐」とは。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ん?」
     その、自分と同い年くらいの、鮮やかな金と赤の毛並みをした狐獣人の少年は、自分を見るなり、こう言った。
    「ああ……、ニセモノやな」
    「に、……せ、もの?」
     相手が何を言っているのか分からず、聞き返す。
    「どう言う意味?」
    「そのままの意味や。君らみんな、ニセモノの金火狐や。
     ウチらトーナ家だけが、ホンモノや。君らはただ金髪で赤メッシュ入ってるだけの、パチモン狐や」
    「え? え?」
     あまりに高圧的な物言いに、それが最早、罵倒なのか何なのか分からないでいる。
    「分からへんか? 分からへんやろな。ニセモノやからな。本当の本当に、ホンモノがどれだけ偉いか、分かってへんのや。
     大体な、ウチらのご先祖は……」
     と、偉そうにしゃべっていた彼の頭を、がつっ、と殴りつける者が現れた。
    「ぎっ……」
    「だっ、誰がニセモノや、このガキッ!」
     殴ったのは、自分の叔父に当たる男だった。
    「い、痛い、痛いぃ……」
     殴られた少年は頭を抱え、うずくまる。その手の間からは、ポタポタと血が滴っていた。
    「俺は、おっ、俺もっ、き、金火狐やッ! お前らと何が違うッ!?」
    「いいや」
     そこへ豪華なスーツを着込んだ、威圧感のある、初老の狐獣人が現れた。
    「お前はもう金火狐やあらへん。この場で縁切りや」
    「なっ……」
    「文句でもあるんか? 人ん家の子供をいきなりコップでどつきよるような粗忽者に、『俺は金火狐やぞ』と好き勝手に吹聴させるんを、私が許すと思とるんか?」
    「……そらありますよ」
     叔父はそのスーツの狐獣人に、拳を振り上げた。
    「このパーティかてそうやないですか! 俺らも金火狐の一族のはずやのに、酒も飯も、回ってくるんは一番最後やったんですよ!?
     なんで一族内でこんな差別しよるんですか……!」
    「自分の身の程分かって言えや、そんなもん」
     老狐は子供を助け起こし、ハンカチを彼の額に当てながら、叔父にこう返した。
    「稼ぐもん稼いどったら、確かに金火狐や。稼ぐ人間であれば、そら勿論、金火狐やと認めたるよ。例え金と赤の毛並みやなくとも、や。
     でもお前、いっつもフラフラ遊んどるやろ? お前の兄貴から金借りて、それ使うばっかりやろ?
     今日のパーティかて、日頃汗水たらして仕事しとる一族を労うためのもんや。お前みたいに、毎日闘技場やらカジノやらでしけた賭けに明け暮れとるボンクラに飲ます酒は、一滴たりとも無い。
     金を稼がへんヤツが、金火狐を名乗るな。もう一度言うで。お前は勘当や。出てけ」
    「う……ぐ……ううううッ」
     叔父は相当、頭に血が上っていたのだろう――近くにあった酒瓶を割り、老狐に向かって振り上げ、襲いかかった。
     だが老狐の傍らにいた、その妻らしき狐獣人が叔父の手を取り、なんと投げ飛ばしてしまったのだ。
    「おゎっ……」
     叔父の体は弧を描き、ばたんと音を立てて、床に叩きつけられた。
    「おーお、痛そうやなぁ」
    「さ、流石に公安局長やな、あの奥さん」
    「尻尾がぞわっとしたわ……」
     と、一族が伸びてしまった叔父を囲んで眺めている間に、老狐が今度は、子供を叱りつけていた。
    「お前もお前や。金火狐がなんで世界から認められとるか、ろくに分かっとらん。
     なにが『ウチらはホンモノ』や。お前は今まで自分の頭と手足で、1エルでも稼いだことがあるんか? 無いやろ? お前はまだ、金火狐を名乗る資格を持ってへんわ。
     お前の言葉を借りれば、稼がへんうちはただの、金と赤の毛並みをしとるだけのパチモンや。金火狐は金を稼いでこそ、世間様に『ホンモノや』と認められるんや」
     これはスーツの老狐――第18代金火狐総帥、レオン6世が自分の孫に向けて語った言葉ではあったが、すぐ真横で成り行きを見守っていた自分にも、その言葉は心に深く刻み込まれていた。
    (金火狐は金を稼いでこそ、……か)



     マロは静かに目を覚ました。
    「……うー、……ん」
     重い頭をもたげ、机に置かれた時計を確認すると、まだ朝の5時だった。
    (全っ然、寝た気せえへん……)
     机の上、そして床には、破り捨てた新聞紙が散乱している。
    (……うえ)
     ひどいアルコール臭を感じ、布団の上を見てみると、ワインの空瓶とその中身が転がっている。
    (あー……、嫌やなぁ、今日の会議。間違いなく怒られるわ……)
     マロは瓶をつかみ、その口をぺろ、となめた。

    白猫夢・焦狐抄 1

    2014.05.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第357話。「金火狐」とは。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ん?」 その、自分と同い年くらいの、鮮やかな金と赤の毛並みをした狐獣人の少年は、自分を見るなり、こう言った。「ああ……、ニセモノやな」「に、……せ、もの?」 相手が何を言っているのか分からず、聞き返す。「どう言う意味?」「そのままの意味や。君らみんな、ニセモノの金火狐や。 ウチらトーナ家だけが、ホンモノや。君らはただ金...

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    麒麟を巡る話、第358話。
    財務部長マロの失敗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     くたびれ始めたスーツを着込み、左目部分のみ黒く染めた眼鏡をかけ、マロは白猫党の本拠地、ドミニオン城の会議室に入った。
     中には既に、白猫党の幹部たちが揃っている。
    「おはよう、ゴールドマンくん」
    「おはようございます」
     ぺこ、と頭を下げて会釈したが、空気が非常に重苦しいものであることを、マロは下げた頭で感じていた。
    「着席する前に、まずはこれを読んでもらおうか」
     イビーザ幹事長が机の上に新聞を投げ、マロに送る。
    「……」
     マロはそれをつかみ、一面を読み上げようとした。
    「『第18代金火狐総帥 今年末での引退を表明』……」「そこじゃない。めくれ。経済面だ。赤ペンで示してあるところを読んでくれ」
     イビーザに指摘され、マロは渋々、経済面を読み上げた。
    「……えー、はい、読みますよ。『クラム最安値更新 白猫党のデノミ政策失敗か』」「それだよ」
     イビーザは机の上で両手を組み、マロをにらむ。
    「君はこのホワイト・クラムの価値を創造できると豪語していたな?」
    「ええ」
    「あれが568年のことだったが、それから2年。その価値は上がるどころか、下がり続ける一方だ」
    「はい」
    「これは我が白猫党の財政政策、そして君にとっては、新たな資金獲得が失敗した。そう捉えて間違いないか?」
    「……いえ」
    「では、何が成功している? このホワイト・クラムの価値下落によって我が党、あるいは君にとって、プラスになった点はあるのか?」
    「その、……まあ、今現在、かなり安いもんになっとるんは事実ですが、その分、ここから価値の高騰に成功すれば、大儲けに……」「では」
     イビーザが顔をさらにしかめさせ、続けて詰問する。
    「その高騰は、いつ起こる? 君がこのホワイト・クラムを発行し始めてから2年が経過しているが、高騰する兆候も様子も、いまだに見られない。
     君の言う大儲け、即ちホワイト・クラムが真に我々の資金として確立され、白猫党の支配圏における基軸通貨となるのは、一体いつになるのだ?」
    「……それは」
    「はっきり言おう」
     イビーザが立ち上がり、マロを指差す。
    「君が担当した政策、いや、『金儲け』は失敗している。
     我々の通貨として創造したはずのクラムは、巷では主たる通貨として使われていないと言う。未だに東側のコノン通貨が、大多数の庶民に使われる金として出回っているのが現状だ。
     君が余計な欲を出し、真摯に支配圏内の地域通貨として浸透させようとせず、単なる投機商品として野放図に、市場にバラ撒いてきた結果だ。
     庶民はこれを、カネと思っていないのだ」
    「……」
     何も言い返せず、マロは立ち尽くしていた。

     と、マロの背後のドアが、トントンとノックされる。
    「もう入室してよろしいですか?」
    「入ってきたまえ」
    「失礼します」
     静かな足取りで、いかにも堅そうな印象を抱かせる身なりの猫獣人が入ってくる。
    「あ……?」
     呆然としているマロをよそに、その猫獣人は、昨日までマロが着いていた席に座る。
    「お、おい? お前、誰やねん? そこ、俺の……」「君の席ではない」
     イビーザは猫獣人の肩をぽんと叩き、マロに紹介して見せた。
    「本日付で我々の党に、新たな財務部長として就任した、東部沿岸開発銀行元頭取のヤルマー・S・オラース氏だ。君の後任となる」
    「……へっ?」
    「当然の結果だろう? 君は党の威信を懸けた財政政策において、致命的な失敗をした。我々の党に貢献できず、それどころか被害を与えている以上、更迭は然るべき処置だ。
     マラネロ・アキュラ・ゴールドマン。君は本日を以て、白猫党財務部長の任を解く」
    「っ……」
     マロはすがる思いで、党首であり、かつての同窓生でもあるシエナ・チューリンを見る。
     しかしシエナは目をそらし、わずかに手を振った。
    (『こっちを見るな、しっ、しっ』……て。ちょ、助けてくれへん、……の?)
     マロはこの時、党内で孤立無援の存在となったことを悟った。
    「ああ、そうそう。
     そのですな、ゴールドマンさんには悪い印象を与えるかと思いますが、これだけは経済人として、はっきり言わせていただこうと思います」
     さらにこの直後――マロは己の信念さえも、この新任者オラースにぽっきりと折られることになった。
    「何故ゴールドマンさん、あなたは新造したばかりのお金で、投機に手を出してしまわれたのでしょう?
     あんなことをすれば間違いなく失敗すると、経済に明るい人なら誰でも分かるはずですが」

    白猫夢・焦狐抄 2

    2014.05.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第358話。財務部長マロの失敗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. くたびれ始めたスーツを着込み、左目部分のみ黒く染めた眼鏡をかけ、マロは白猫党の本拠地、ドミニオン城の会議室に入った。 中には既に、白猫党の幹部たちが揃っている。「おはよう、ゴールドマンくん」「おはようございます」 ぺこ、と頭を下げて会釈したが、空気が非常に重苦しいものであることを、マロは下げた頭で感じていた。「...

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    麒麟を巡る話、第359話。
    金を稼げぬ金火狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「なんやと?」
     マロの口から、憤った言葉が勝手に漏れ出た。
    「俺が、経済を知らんアホやと言いたいんか?」
    「ええ。そう断じざるを得ません」
     オラース氏は持っていたかばんから、書類を取り出した。
    「これはそもそも本日、この席でしようと企画していた話ですが……。
     まず、このデータをご覧下さい。深刻なインフレのモデルとして有名な、4世紀に滅亡した北方ノルド王国(以下『ノ国』)と、それを征服したジーン王国(以下『ジ国』)のものです」
    「……!」
     それはかつて、マロがホワイト・クラムによるデノミ政策の手本とした、先祖の手柄の話だった。
    「ノ国では諸外国――まあ、当時だと主に中央政府ですかね――からの散々な経済圧力により、深刻なインフレが進んでいました。それはもう、国民全体の生活が困難になるほどに。
     で、4世紀のはじめにジ国が成立したのですが、当然新興国なので、新しく通貨を造ろうと言う動きがありました。ノ国の通貨を流用か、もしくは協定を結んで自国でも発行しようにも、その価値があまりにも低すぎたと言うのも、理由の一つです。
     と言うわけで、ジ国は新たな通貨を新造したのですが、ここでジ国はこの通貨の国外への持ち出しをしばらくの間、禁止していたのです。そうしなければ、新しい通貨も諸外国からの投機に使われて、餌食となるのは明白ですから」
    「……っ」
     オラース氏に指摘されたのはまさしく、マロが失敗した内容そのものである。
     マロは何も言い返せず、黙って立っているしか無かった。
    「ですので私は、ホワイト・クラムの価値が安定するまで、この通貨の域外持ち出しの禁止と、変動相場制から段階的かつ局所的、限定的な固定相場制への転換を推めようと考えています。
     同時に域内における商工会と連携して同通貨の使用奨励政策を打ち出し、まずは央北に浸透させることを優先させようかと」
    「なるほど」
     オラース氏の所見を聞き、イビーザは深くうなずいた。
    「くっくっく……、同じ歴史から、こうも違う結論が導かれるとは」
    「と言うと?」
    「そこの彼も同じことを引き合いに出し、どう言うわけか、投機に走ったのだ」
    「まさか!」
     オラース氏はマロをチラ、と見て、眉をひそめた。
    「それは無いでしょう。この話のどこをどう聞いたら、そんな結論に?」
     それを受け、イビーザもマロを見、鼻で笑った。
    「やはり経済観の無さが浮き彫りになったな、ゴールドマンくん?」

     その後の会議においても、マロは幹部陣に、執拗なまでに痛めつけられた。そしてその内容は党全体に広まり、マロの党における地位は、徹底的に貶められることとなった。
     そこまで経済家としての評価・評判を落とされては、マロはこれ以上、財務部で働くことはできない。
     いや、白猫党におけるどんな職務すらも与えらえず――マロは事実上の、除名処分を受けた。



     党幹部から一転、最下位の厄介者となったマロは自宅のアパートに籠り、日々酒に浸ることしかできなくなった。
    「ふへへ……へへへへ……」
     床もベッドもワインまみれになり、マロはその中央に倒れ込んでいる。
     左手にはワインの瓶が、そしてもう一方の手には新聞が握りしめられていた。
    「……もーアカン……どないもならんわ……くそぉ……」
     新聞の一面には、央中で、いや、世界全体で今、最も話題を集めている人物らが掲載されていた。



    「CCタイムズ 一面 570年2月某日
     金火狐総帥の後任選挙 最有力候補は孫のエミリオ氏か

     先月15日に総帥職からの引退が発表された18代金火狐財団総帥、レオン・M・T・ゴールドマン氏の後任を決定する選挙が、7月30日に決定した。
     関係者筋の情報によれば、選挙には既にゴールドマン総帥の孫であり、トーナ・ゴールドマン家の子息であるレオン・エミリオ・T・ゴールドマン氏と、ベント・ゴールドマン家の息女、ルーマ・V・ゴールドマン氏が立候補しており、現時点ではエミリオ氏が最有力候補と目されている。
     一方、総帥選挙に立候補する資格を持ち、かつ、前立候補者2名と同年代であるアキュラ・ゴールドマン家の子息、マラネロ・A・ゴールドマン氏は、現時点では立候補を行っていない模様」

    白猫夢・焦狐抄 3

    2014.05.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第359話。金を稼げぬ金火狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「なんやと?」 マロの口から、憤った言葉が勝手に漏れ出た。「俺が、経済を知らんアホやと言いたいんか?」「ええ。そう断じざるを得ません」 オラース氏は持っていたかばんから、書類を取り出した。「これはそもそも本日、この席でしようと企画していた話ですが……。 まず、このデータをご覧下さい。深刻なインフレのモデルとして有名な...

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    麒麟を巡る話、第360話。
    金火狐総帥選挙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     金火狐一族――ゴールドマン家の者に「あなたの家にとって『最も複雑な事情』とは何か」と尋ねれば、誰もがこう答えるだろう。
    「そらアンタ、総帥を選ぶ時の選挙やろ」

     次代総帥の選出方法を一族内での選挙制に定めたのは第10代総帥、ニコル3世である。
     ニコル3世が総帥になった頃には既に、金火狐財団総帥と言う地位は世界を左右するほどの権力と財力を有しており、単純に世襲や指名などで選ぶには、弊害が大きくなっていた。
     その上、この頃から金火狐一族は三つの家――トーナ家、ベント家、アキュラ家――に分化し始めており、総帥の意向だけで次代候補を指名しようとすれば、一族は大きく揉め、激しい争いを起こすことは必至だった。
     そこで「総帥の独断と偏見ではなく、一族の総意として選出すべき」と言う周囲の意見を取り入れ、選挙形式を執ることになったのである。

     この選挙に立候補できる資格を持つのは、次の者に限られる。
     まず第一に、金火狐一族の血族(血がつながっている者)であること。第二に、21歳から40歳までの者である。
     そして選挙の投票者だが、これは現総帥とその配偶者、そして金火狐財団の局長5名――監査局長、金火狐商会長、市政局長(ゴールドコースト市国の市長)、入出国管理局長、そして公安局長――の、計7名に限られている。
     この7名が認めた者、言い換えればこの7名に気に入られた者が、次の総帥となれるのだ。



     マロの場合、名目上の条件2項は満たしていたが、事実上3つ目となる条件、即ち7名からの信頼を集めることが困難であった。
     まず、御三家の中でも最も下位と見られているアキュラ家の出身であったことが、彼を苦しめていた。他の二家と比べられれば、どうしても見劣りするからだ。
     さらには、既に立候補を表明している2人は、今現在においても金火狐財団において、十分な成果を挙げている。彼らが今後も金火狐にとって、極めて重用される人材であることは明らかであり、現時点でマロが立候補しようとも、この2人に勝てる見込みは皆無だった。
     大きな後ろ盾を持たないマロにとって、白猫党における地位は、この2人に対抗できる武器になるはずだったのだが――自身の政治生命を賭けたデノミ政策の失敗により、それを追われてしまった。
     あと半年後には選挙が開始されると言うこの時期において、未だマロは、選挙に勝てるだけの材料を揃えられずにいた。

    (ひと昔前やったら、……まあ、諦めも付いとったわ。
     そもそも俺らアキュラ家には手も届かんような地位やし、選挙に立候補したかて、『身の程知らずのアホがおるわ』と思われる程度で、笑われて終わりやと分かっとったからな。
     せやから気楽に、元々好きやった魔術の勉強のんびりしとったし、割とええ成績出してたからテンコちゃんのゼミに推薦されたりとか、……ああ、ホンマに気楽やった。
     それが、……なんで今、こんな苦しんでんねやろ、俺。ゼミでそこそこの卒論出して、『後はまー気楽に隠居しとこかなー』とかヘラヘラ笑っとったとこに、アオイさんが来て、で、『きみの金火狐一族としての血を信じたい』とか言われて、……ああ、そうや。あの一言で俺、舞い上がってしもたんや。
     ずーっと一族の外様で、財団からはぬるい仕事しか振られへんで、ハナから『俺たちみーんな金火狐のパチモンや』と思て、本流に入る努力せんと暮らしてきた俺たちや。金火狐の誇り――カネを稼いでこそ、そうと認められる『オーロラテイル』の誇りを捨てて生きてたんや、俺たちは。
     でもアオイさんに頼まれた、その時や。俺はアオイさんに、金火狐として頼られとる。そう思った瞬間、目一杯頑張ったろうって、そう思ったんや。
     この世で最もカネを稼ぐと信じられとる一族。俺はカネを稼いで稼いで、アオイさんを助けたろうと思った。
     そしていつかは総帥になって、アオイさんと吊り合う人間になろうと思った、……のに、……、……くそッ)

    白猫夢・焦狐抄 4

    2014.05.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第360話。金火狐総帥選挙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 金火狐一族――ゴールドマン家の者に「あなたの家にとって『最も複雑な事情』とは何か」と尋ねれば、誰もがこう答えるだろう。「そらアンタ、総帥を選ぶ時の選挙やろ」 次代総帥の選出方法を一族内での選挙制に定めたのは第10代総帥、ニコル3世である。 ニコル3世が総帥になった頃には既に、金火狐財団総帥と言う地位は世界を左右するほ...

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    麒麟を巡る話、第361話。
    マロの焦り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     マロは実家、アキュラ家に電話をかけた。
    「……よお、親父」
    《お? なんや、マロかいな。何や、いきなり?》
     家を出た当時と変わらず、マロの父、モデノは気さくを装った、しかしどこかに陰気さを漂わせた声で、マロに応じた。
    「元気、しとった?」
    《あー、元気しとったけども、元気だけやな》
    「儲かっとる?」
    《ボチボチ以下やな。そら、損はしてへんけども、お前がゼミいた時みたいなことされたらきつなるわー》
    「あー……、あん時はホンマ、ごめんな。でも金は返したやろ。ノシ付けて」
    《あー、せやな。せやったわ、悪い悪い。
     ほんで、いきなりどないしたんや?》
    「あ、いや、……元気しとるかな、って」
    《そうかー》
     取り留めもないことを話しつつ、マロは本題を恐る恐る切り出した。
    「……あー、……あの、アレどないなった?」
    《アレって何やねんや? ボケたじいさんやあらへんのやから、はっきり言いなや》
    「お、おう。アレや、……あの、選挙、の」
    《選挙? ……あーあー、アレか》
    「親父も『アレ』言うてるやん」
    《細かいこと言うなや。ほんで、選挙やな。
     お前、新聞読んどるか?》
    「ああ」
    《大体それの通りや。トーナ家のエミリオと、ベント家のルーマが立候補しとる。
     トーナ家もベント家も、他の資格者は出馬せえへんみたいやな。2人の足を引っ張らへんように、ちゅう考えやろ。
     ほんで、お前どうすんねん? 今22やから、出れるやろ?》
    「お、俺な。うん、まあ、……せや、カルパは?」
     妹の名前を出してみたが、モデノは呆れた声で返してくる。
    《アホ、あの子はまだ17や。資格なんかあらへん。
     アキュラ家の筋で資格有りなんは、お前といとこのフランコとヴィニョンと、後はミランダくらいや。でも一応、お前が一番まともやろうっちゅうことで、今のところはお前を優先しよかっちゅうて話しとるところや》
    「そ、そうか」
    《まあ、出えへん言うんやったら、さっき言うた奴の誰かに打診するけども。どないする?》
    「う、まあ、……うーん、出たいけどな」
    《はっきりせえ。こっちかて、お前一人を優遇でけへんねからな》
    「あ、うん」
    《出るんか?》
    「……もうちょい、返事待ってもらえへん?」
    《あー? 何言うてんねや。……ちょっと待ちや》
     モデノから明らかに不機嫌そうな声が返り、しばらくしてこう続けてきた。
    《6月、……いや、5月末までやな。それでええか? それ以上返事せえへんかったら、こっちで勝手に決めさしてもらうで》
    「……分かった。また、電話するわ」
    《おう。早よ言うてな》
    「ほな、また」
    《ほなな》

     自分の置かれた状況を確認すればするほど、マロは己に失望し、未来に絶望せざるを得なかった。
    「……はー……」
     党内で何も仕事が与えられず、実家にも、到底手ぶらでは戻れない。
     何もやることが無く、どこへも行けないため、その日もマロは、自宅で一人、酒を呑んでいた。
    「どないしたらええねんやろ……」
     酔った頭で自分の今後を考えるが、素面の時にも何度か行ったその思索は、結局は同じ結論を導き出した。
    (……もうどないもならへん。
     何もさせてもらえへんなら、もう党を抜けるしか無いやろな。総帥選挙も、名実ともにパチモンになった俺なんかが出てもしゃーない。他の奴に出てもらうしか無いやろ。
     その後は、……全部放っぽって逃げるしかないな。もう俺はアカン)
     そしてぽつりと、こんな言葉が口を突いて出た。
    「……他に道は無いな。アカンわ、俺」



     その直後――マロの背後から突然、そして静かに、返事が返ってきた。
    「いえいえ、あなた様にはまだ進むことのできる道がございます」
    「……っ!?」
     その声に驚き、マロは慌てて振り向く。
     そこには黒と青のドレスに身を包んだ少女が立っていた。
    「だ、誰や!?」「お静かに」
     と、またも背後から声がかけられる。
     そちらを振り向くと、そこにも黒と赤のドレスに身を包んだ少女がいる。
    「あなた様にご依頼したい件がございます。どうかお聞き下さいますよう、お願いいたします」
    「……」
     呆気に取られたまま、マロは素直に従い、黙り込んだ。
     そしてまた、背後から声がかけられる。
    「マラネロ・アキュラ・ゴールドマン様。どうかわたくし共に、力をお貸しくださいませ」
     そこに現れたのは、白いローブを頭から被った女性だった。

    白猫夢・焦狐抄 終

    白猫夢・焦狐抄 5

    2014.05.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第361話。マロの焦り。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. マロは実家、アキュラ家に電話をかけた。「……よお、親父」《お? なんや、マロかいな。何や、いきなり?》 家を出た当時と変わらず、マロの父、モデノは気さくを装った、しかしどこかに陰気さを漂わせた声で、マロに応じた。「元気、しとった?」《あー、元気しとったけども、元気だけやな》「儲かっとる?」《ボチボチ以下やな。そら、損はし...

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    麒麟を巡る話、第362話。
    地道な一歩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、トラス王国。
     チーム「フェニックス」結成から4年が経過し、その研究は順調とは行かないまでも、着実に成果を挙げていた。
    「はぁ……、良かったー」
     ケージ内で寝息を立てている兎の左前足を確認し、チームの一員、シャラン・ネールはほっとした声を上げた。
    「ああ。良かった、本当に」
     その傍らに立っていた主任研究員、マーク・トラスも嬉しそうに笑う。
    「……付いてるよね? ちゃんと」
    「付いてる。ちゃんと」
     マークは兎の前足を触り、その「継ぎ目」をなぞる。
    「ではシャラ、……ネール研究員。今回の実験について確認を行うため、経緯を説明してくれ」
    「……クス」
     堅い口調で命じたマークに対し、シャランは笑い出した。
    「昨日同じこと言って、ルナさんに怒られたじゃないか。『堅苦しいやり取りは必要ない』ってさ」
    「……僕は真面目にやりたいんだ」
    「『口調が堅いからって真面目って証拠にはならないわよ』、とも言われたよね」
    「分かってるよ。行動で示せ、……だろ。
     じゃあ、まあ、シャラン。この実験の経緯を確認したいから、教えてくれる?」
    「はーい」
     シャランはクスクス笑いながら、レポートを開いた。
    「第9回、対生体接着剤臨床実験。開始は570年1月3日(雷曜)。被験体のウサちゃんに麻酔を投与し、左前足を切除。
     その直後に接着剤MT3―141を切除面に塗布した後、切除した左足をウサちゃん本体と接着し、魔術式ギプスにて切断箇所およびその周辺を固定。
     その後4週間を経た本日、2月1日(雷曜)。ウサちゃんのギプスを外し、目視と聴診および触診により、切断した左前足の組織すべてがウサちゃんの本体と接着、機能していることを確認。
     あたしは安心しました。……なんてね」
     シャランのおどけた報告に、マークは笑いながらこう返した。
    「あはは……、僕もだよ。僕も安心した。……いや、僕たちだけじゃない」
     マークは振り返り、ドアの隙間から自分たちを覗き見ている研究員たちに呼びかけた。
    「だよね?」
    「……ええ、勿論」
     はにかみながら、研究員たちが入ってきた。
    「成功おめでとうございます、主任!」
    「ありがとう」
     マークは会釈を返し、そしてこう続けた。
    「でも残念なことに……」「え、何か失敗してた?」
     真っ青な顔をしたシャランに、マークは首を横に振る。
    「いや、実験自体は満足行く結果を収めたよ。開発した接着剤が今後の研究において、大いに役立つことは証明できた。
     ただ、……これでようやく一歩だけ、前進なんだよね」
    「……だったね」
    「チームの結成から4年が経ち、研究員も僕とルナさんを含めて、合計8名になった。
     その間にも、この接着剤だけじゃなく、今後の展開も見据えた研究開発を3つ、合計4つの研究を進めていた。
     で、……成功したのがこれだけだ。他は全部失敗してる。いまだ最終目標である、完全に欠損した部位を復活させることは、達成できていない」
    「……」
     マークに水を差され、その場にいた全員が静まり返り、消沈する。

     が――そこでドアの向こうから、あっけらかんとした声が飛んできた。
    「いいじゃない、1個成功したんだから。4つ全部だなんて、欲張りすぎよ」
    「う」
     マークが顔をしかめるのにも構わず、その声の主――ルナ・フラウスが室内に入ってきた。
    「お疲れ様です、所長」
    「ありがと。
     じゃ、まずはこの接着剤の商品化を考えないといけないわね。この接着剤単体でも、市販化できればかなりの収益になるでしょうね。この研究所を作った時の費用も、多分これだけで返せるわ。って言うか、研究員が結構増えてきたから、もう一つ研究室を増設したいし。
     生産設備とか販売方法はあたしが考えとくわ。あなたたちは引き続き、研究に勤しんでちょうだい」
    「はい、所長!」
     シャランを含む研究員たちは、素直にうなずく。
    「……」
     マークはただ一人、憮然とした顔をしていた。
     と、それに気付いたシャランが、マークに耳打ちする。
    (大丈夫だよ)
    (何が?)
    (マークもちゃんと副リーダーしてるって、あたし分かってるから)
    (……どうも)

    白猫夢・訪賢抄 1

    2014.05.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第362話。地道な一歩。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦570年、トラス王国。 チーム「フェニックス」結成から4年が経過し、その研究は順調とは行かないまでも、着実に成果を挙げていた。「はぁ……、良かったー」 ケージ内で寝息を立てている兎の左前足を確認し、チームの一員、シャラン・ネールはほっとした声を上げた。「ああ。良かった、本当に」 その傍らに立っていた主任研究員、マー...

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    麒麟を巡る話、第363話。
    規格外の魔力源。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     マークたちがこの4年、地道に研究を続けていたのと同様に、フィオとパラもこの日、いつもと同じように稽古を行っていた。
    「よーし! 空中コンボだ!」
    「分かりました」
     フィオの命令に従い、パラはふわりと跳び上がりながら、フィオに向かって何度も木刀を打ち下ろす。
     しかしフィオは、その3太刀目を強めに弾き、パラの体勢を崩す。
    「りゃあッ!」
     フィオはがら空きになったパラのあごに、木刀の先端をちょん、と当て、そのまま仰向けに倒れた。
    「素晴らしいです」
     パラは音もなく着地し、フィオに振り返って会釈した。
    「ありがとう。……あご、大丈夫?」
    「はい。損傷を受けるほどではありません」
     そう返し、パラはちょん、と自分のあごを指差した。
     その仕草を見て、フィオは黙り込んでしまう。
    「……」
    「どうされました」
    「いや……、なんか、……その」
     口ごもるフィオに、パラがこう続けた。
    「可愛かったでしょうか」「へっ!?」
     がばっと上半身を起こしたフィオに、パラは首を傾げる。
    「違いますか」
    「い、いや、確かに可愛いよ。……君の口からそんな言葉が出ると思ってなかっただけで」
    「シャランとクオラに教わりました」
    「あ、そ、そうなんだ。……びっくりした、本当に」
     フィオが立ち上がったところで、パラがまた尋ねる。
    「動揺しましたか」
    「えっ!? ……い、いや」
    「しているように見えます」
    「ま、まあ。君らしくない言葉を聞いたから」
    「わたくしらしくない、とは」
    「可愛いとか、そんなことを言うタイプじゃないと思ってたし」
    「そうですか」
     会釈とはどこか違う様子で、パラは頭を傾ける。
    「……」
     無言になったパラに、フィオはいつも通りに声をかけた。
    「今日はこの辺にしようか」
    「はい」
     パラも元通りに、顔を上げた。

     と――。
    「そこの水色頭」
     どこからか、声が飛んできた。
    「え?」
     フィオが辺りを見回すと、いつの間にか人影が一つ、すぐ近くにあった。
    「君、鈍感すぎやしないね?」
    「僕のことか?」
    「他にいるかってね」
     そのいかにも古典的な魔術師のような格好をした狐獣人は、フィオを指差した。
    「人形が相手とは言え、今のは女の子に対して吐くセリフじゃないね。マイナス3点ってとこだね」
    「誰だ、あんた?」
    「賢者サマさ」
    「は?」
     フィオが呆れる一方、パラは木刀を構える。
    「魔力値11000MPP以上を計測、極めて重篤な被害をもたらす対象と断定!
     フィオ! 至急、警戒態勢を取り、その対象から離れて下さい!」
    「え?」
     フィオはこの時、はじめてパラが声を荒げるのを聞いた。
     しかし木刀を向けられても、相手は特に動じた様子を見せない。
    「人を放射性物質みたいに言うもんじゃないね、人形ちゃん」
    「通常の人間ではあり得ない数値を記録しています! 警戒態勢、解除できません!」
    「あー、めんどくさいねぇ」
     相手は懐から、一枚の金属板を差し出した。
    「水色。コレ、その子に見せてあげな」
    「人を色で呼ぶな。僕はフィオリーノ・ギアトだ。あんたが見せればいいだろ?」
    「いいから。君じゃないと受け付けそうにないしね」
     差し出された金属板を、フィオは受け取ろうとする。しかしパラは依然、大声で注意を促してくる。
    「危険です! 接近を中止し、対象から退避して下さい! 危険です!」
    「いーから」
    「……」
     パラをチラチラと確認しつつ、フィオはその金属板を受け取り、パラに向けた。
    「危険です! きけ……『データダウンロード …… …… …… インストールを開始します』」
     見せた途端、パラの口から謎の文字の羅列が飛び出す。直後にパラの目から光が消え、そのまま黙りこんでしまった。
    「だ、大丈夫か、パラ!?」
    「問題無いね」
    「無いように見えるか! 一体、彼女に何をしたんだ!?」
     食ってかかるフィオに対し、相手は平然としている。
    「落ち着けってね。平たく言や、私が誰なのかってコトを教えてあげてるね」
    「はあ……?」
     と、パラの目に光が戻る。
    「失礼いたしました。モール様、認証完了いたしました」
    「どーも」
     パラの口からその名前を聞かされ、フィオは絶句した。
    「なっ……!?」
    「ご紹介の通りさね。賢者、モール様だ」
     そう言ってモールは、帽子のつばを上げてニヤッと笑った。

    白猫夢・訪賢抄 2

    2014.05.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第363話。規格外の魔力源。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. マークたちがこの4年、地道に研究を続けていたのと同様に、フィオとパラもこの日、いつもと同じように稽古を行っていた。「よーし! 空中コンボだ!」「分かりました」 フィオの命令に従い、パラはふわりと跳び上がりながら、フィオに向かって何度も木刀を打ち下ろす。 しかしフィオは、その3太刀目を強めに弾き、パラの体勢を崩す。「...

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    麒麟を巡る話、第364話。
    魔女の不穏な動き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「その賢者様が、この研究所に何の用なの?」
     研究所に通されたモールは、ルナにこう切り出した。
    「なに、要件は2つさ。大したコトじゃないね」
    「2つ?」
    「1つは、君たちが研究してる、再生医療術についての助言を申し出たいんだけどね」
    「……!」
     ルナの横で話を伺っていたマークは、目を丸くした。
    「あなたが?」「マーク、黙ってて」
     一方、ルナは険しい表情を崩さない。
    「話をする前に、確認したいことがあるわ」
    「分かってるってね。私が本当の本当に、賢者モールかどうかってことだろ?」
    「分かってるなら証拠を見せ」
     と、途中でルナの言葉が切れる。
     次の瞬間、モールの魔杖とルナの刀とが、応接机の上で交錯していた。
    「……やるね。このスピードに付いてくるか。目一杯加速したつもりなんだけどね」
    「うわさに聞いてた通りの剣呑ぶりね」
     何が起こったのか分からず、マークは一瞬、呆気に取られる。
     が、机の上に置いてあったコーヒーが、いつの間にかモールの三角帽子と共に、壁に張り付いているのに気付き、ぶるっと身震いした。
    「とりあえず、コーヒーは元に戻しとくね」
     モールはルナから離れ、杖をかざす。
    「『ウロボロスポール:リバース』」
     瞬時に、壁に撒かれたコーヒーと三角帽子が、それぞれ元の位置に戻る。
    「これが証拠と言うわけね?」
    「ちょいと乱暴だけどもね。結果的にゃ被害なしだしね」
    「いいわ。とりあえず信用するわ。
     で、何であなたがあたしたちの手伝いを?」
    「要件の2つ目の報酬ってとこだね」
    「そう。それで、2つ目は?」
    「ちょっとした調査依頼だね」
    「うちは探偵事務所じゃないわよ」
    「知ってるってね。最初は友達に協力してもらおうと思ったんだけどね、その友達がケチ臭くってね。君も知ってるよね、そいつのどケチっぷりはね?」
    「……ああ。何となく分かったわ。で、その『友達』に断られたところで、その友達の弟子であるあたしの師匠から、ここを紹介されたってところでしょ」
    「大正解だね」
     モールはニヤッと笑い、こう続けた。
    「実はここ1年ほど、央中で気になるヤツらを目にしてるんだよね。
     ひらっひらのドレスを着た、一見ふつーの人間っぽい、だけど明らかに人間とは違うヤツをね」
    「……!」
     モールのこの言葉に、ルナとマークは顔を見合わせた。
    「実は君に依頼する理由は、ソレもあるんだよね。ま、先に出会っちゃったけども」
    「パラのこと?」
    「そう。君にとっちゃ可愛いお人形ちゃんだね。
     で、あの子にそっくりな人形が、央中各地をうろついてるんだよね。今まで確認したところでは、2体。黒と赤のドレスと、もう一方は黒と青だね。
     そのうち1体と接触したけども、こっちの質問に一言も答えず、いきなり襲いかかって来た上に、どさくさに紛れてソイツは消えちゃったんだよね。
     分かってると思うけども、あの人形はただの人形じゃないね。人と見紛う高性能ゴーレム、克難訓の忠実なる下僕であり、敵を見逃さぬ猟犬であり、そして千人力の騎士だ。
     重ねて分かってるだろうけども、難訓は……」
    「人に知られることを嫌う、でしょ? その『隠れたがり』が人形を動かしまくってるってことは……」
    「ああ。何かを企んでるっぽいんだよね。
     だけども克のヤツ、『すまんが別の件で忙しい。不確実な情報ではそちらに手は回せん、な』つって、調査協力を断りやがったんだよね。ついでにアンタの師匠もね」
    「ふうん……? あの『悪魔』や師匠が忙殺されるような件ってのが、気になるところだけど……」
    「私の知ったこっちゃないね。後で自分で聞いてみた方が早いと思うね」
    「そうさせてもらうわ。
     で、アンタの依頼だけど、受けるわ。そのパラそっくりの人形も気になるし、こっちの研究に、伝説の『賢者』が協力してくれるって言うなら、願ってもない話だもの」
    「どーも。んじゃ、前払いってコトで、ちょこっと研究室を見させてもらおうかね」
     モールは「よっこいしょー」とうめきながら、ソファから立ち上がった。

    白猫夢・訪賢抄 3

    2014.05.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第364話。魔女の不穏な動き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「その賢者様が、この研究所に何の用なの?」 研究所に通されたモールは、ルナにこう切り出した。「なに、要件は2つさ。大したコトじゃないね」「2つ?」「1つは、君たちが研究してる、再生医療術についての助言を申し出たいんだけどね」「……!」 ルナの横で話を伺っていたマークは、目を丸くした。「あなたが?」「マーク、黙ってて」...

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    麒麟を巡る話、第365話。
    賢者の評価。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     マークを伴い、研究室に入った白衣姿のモールは、きょろきょろと室内を見回す。
    「ふーん……、レトロな工房を想像してたけど、ソレなりに近代的だね」
    「ありがとうございます」
     モールが壁に貼られた注意書きを眺めたり、ケージ内の兎をからかったりしている間に、マークは書類を取り出し、机に置いた。
    「こちらがうちのチームでまとめた、これまでの研究成果です」
    「ん、よしよし」
     モールは書類を一束取って目を通し、「ふーん」とだけつぶやく。
    「どうでしょうか?」
    「どうって?」
     二冊目に手を伸ばしつつ、モールが尋ねる。
    「えーと、どうって言うのは、その」
    「何て言ってほしいね? 良く出来ましたって?」
    「……」
     馬鹿にしたようなような物言いに、マークはむっとする。
    「違います」
    「じゃあ何? 君さ、レストランでご飯を一口食べたトコで、シェフがニヤニヤしながら『いかがでございましょう?』なんてすり寄って来たとして、何か気の利いたコトが言えるね?」
    「……まあ、……それは」
    「感想はちゃんと言ってあげるから、しばらく黙ってなってね」
    「……分かりました」
     つっけんどんな態度を見せるモールにマークは最初、憮然としていた。
     しかし――研究レポートをすべて見終えるまで、モールは紙面から一度も目を離すことはなく、真剣に見入っていた。
     その様子を見て、マークが当初、モールに抱いていた悪感情は、いくらか薄まった。
    「……お茶いりますか?」
    「ありがとね」
     ちなみにマークが持ってきたそのお茶も、モールは最後まで口を付けなかった。

     モールがレポートを読み終わったところで、マークは再度、内容について尋ねてみた。
    「どうでしょうか?」
    「……あのね。だからさ、『どう』ってのは、何に対してどうって意味かって言ってるんだけどね」
    「え?」
    「君が言って欲しいのは何かって話だね。単にお世辞が聞きたいならいくらでも言ってやるけど、そうじゃないだろ? 何を聞きたいね、君は?」
    「それは勿論、僕たちの研究チームが目標通りの成果を出しているか」
     そう返したマークに対し、モールは冷笑して見せる。
    「はっ、何かと思えば、何をバカなコト聞いてるね?」
    「なっ」
     憮然とするマークに対し、モールは冷ややかな目を向ける。
    「自分で分かってるコトをわざわざ尋ねるのは、間抜けかグズのどっちかだね。そんなもん、聞かなくても君自身、分かってるんじゃないね?」
    「う……」
     一転、マークは深々と頭を下げ、謝罪した。
    「すみません。確かに仰る通り、今のはただの確認でした」
    「あるいはなぐさめを聞きたかったか、だね。
     なるほど、惨憺たる内容だ。まるで山登りの途中で頂上もふもとも見えなくなって遭難したみたいな、スケールのでかい迷子だね」
    「迷子……?」
    「大方、研究チームに人が増えたせいで、全員共通の目標、目的があやふやになってるってトコだね。
     はっきり言や、今、君のチームはまとまっているかのように見えて、その実、バラバラになりかけてるね。目指す目標は一緒でも、それを達成しようとする手法を、みんな自分勝手にまとめてるね。一見、協力してるように見えるけど、実際は非効率極まりないね。
     いっぺん全員集めて、軽くテーマを決めて座談会でもしてみな。ビックリするくらい、それぞれの認識がズレてるのに気付くはずさ。
     まずは全員の足並みを今一度揃えとかなきゃ、この先の研究はことごとく失敗するね。例え上手く行くのがあったとしても、遅々として進まないのは目に見えてるね」
    「はあ……」
    「ま、ソレは私があの……、なんだ、……あの猫獣人の名前、なんだっけね?」
    「ルナさんですか?」
    「そう、ソイツ。私がソイツと一緒に央中へ行ってる間にやっといてね。
     ちゃんとした話をするのは、そっちの体制が固まってからだね。今、仮に何やかや助言したとしても、せいぜい研究開発が1つ成功するかしないか程度にしか、効果は無いだろうね」
    「分かりました。仰る通りにしてみます」
    「ん、よろしゅー」
     モールは白衣を脱ぎつつ、研究室を後にした。

    白猫夢・訪賢抄 4

    2014.05.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第365話。賢者の評価。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. マークを伴い、研究室に入った白衣姿のモールは、きょろきょろと室内を見回す。「ふーん……、レトロな工房を想像してたけど、ソレなりに近代的だね」「ありがとうございます」 モールが壁に貼られた注意書きを眺めたり、ケージ内の兎をからかったりしている間に、マークは書類を取り出し、机に置いた。「こちらがうちのチームでまとめた、これま...

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    麒麟を巡る話、第366話。
    ソリがあわない。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     モールが廊下に出たところで、再びルナと顔を合わせた。
    「どうかしら、うちのレベルは? 賢者サマが満足行くほどじゃないでしょうけど」
    「そうとも」
     にべもなくそう言い放ったモールに、ルナはニヤッと笑って見せた。
    「でしょうね。特に気になったのはチームワークかしら」
    「……君、聞いてたね?」
    「いいえ? これはあたしなりの所見よ」
     そう前置きし、ルナはこう続けた。
    「最近、マークが――まあ、注意するほどじゃないけど――あたしに相談や報告もせずに、自分勝手な研究計画を立てることが度々あったのよね。ま、実行に移す前に、カノジョにやんわり止められてるみたいだけど。
     大方、あたしの鼻を明かしたいと思ってやってるんでしょうけどね」
    「目的を見誤ってるね、そりゃ。崇高に扱うべき学術研究を自分の名誉欲で濁してるね」
    「そんなところね。余計なものに囚われて本道を踏み外す好例よ」
    「だからここらで一旦、ちょっと離れて見守っててやろう、ってコトかね」
     モールの指摘に、ルナはまた、ニヤッと笑う。
    「ふふ……、流石の見識ね。
     ええ、そのつもりもあるわ。勿論あたしの本意はあなたを引き入れ、研究を大きく進めることにあるわ。
     そろそろあの子を人間にして、ためらってる一歩を踏み出させてあげたいもの」
    「あの子?」
    「パラよ。あなたにとってはただの人形でしかないでしょうけど」
    「ああ、ソレについて聞きたいんだけどもね」
     モールはぴっ、とルナを指差した。
    「あの人形、ドコで手に入れたね? 分かってると思うけど、アレはただの自律人形じゃないね」
    「百も承知よ。あの子はあたしにとって、とっても大事な愛娘よ」
    「ケッ」
     モールはルナをにらみ、にじり寄る。
    「何が愛娘だ、アイツの危険性を分かってもいないクセに」
    「危険? どこがよ?」
    「分かってるはずだね、アレは難訓の造った高性能ゴーレムだ。今は可愛がりしてても、いつ何時、難訓の支配下に戻って牙を剥くか分からない、物騒な代物だね。
     それはこの先、人間になったとしても同様だ。克の関係者なら、ソレを知ってるはずだろう?」
    「なったら、その時はその時よ。あたしが引導を渡してやるわ」
    「自分の思い通りにならなきゃ即、廃棄ってか? 勝手な親もあったもんだね」
    「ならないと確信しているが故に、よ。あの子は絶対にそんなこと、しないわ」
    「どうだかね」
    「アンタの思ってるより、あたしとパラの絆は強いってことよ。うわべの知識で物を測るアンタよりもね」
    「フン」
     モールは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ルナの横をすり抜けて、玄関へと歩いて行く。
    「話は平行線だ。コレ以上何を言い合っても無駄だね。
     また明日、同じ時間に来るね。詳しい予定を話し合いに来る。それじゃね」
    「はい、はい。じゃあね」
     ルナは背を向けたまま、モールに手を振った。

     バタン、と乱暴気味に玄関の戸が閉まったところで、ルナの寝室からパラが出てきた。
    「主様」
    「なに?」
    「……」
     パラは一見、いつも通りの無表情を浮かべているように見えるが、ルナは見透かした。
    「いいのよ、何も言わなくて。失礼な奴だったから、こっちも失礼で返しただけよ」
    「はい」
    「あなたのことは、あたしが一番信頼してる。あなたはどんな時も、あたしの味方であり、友であり、そして娘よ」
    「はい」
     パラはぎゅっと、ルナの手を握りしめた。



     市街地に入ったところで、モールはフィオとばったり出会った。
    「あっ」
    「ん?」
     しかし、フィオが驚いている一方、モールはきょとんとしている。
    「……あの、夕方はどうも」
    「夕方? ……あーあー、はいはい。あの時の君か」
    「忘れてた、……のか?」
    「色々やってたからね」
     モールは苛立たしげに、研究所でのルナとのやり取りを説明した。
    「ホントにあの猫女ときたらね、……ん?」
     が、話を聞いていたフィオが、神妙な顔をして黙りこんでしまったため、モールはけげんな顔をする。
    「どうしたね?」
    「……570年……そうか、よく考えれば今年だ……!」
    「あ?」
     突然、フィオはモールの手を握る。
    「お?」
    「モールさん、是非僕も、その調査に加わらせてくれ!」
    「はあ? いきなり何を……」
    「お願いだ! そうしなきゃ……」
     言いかけて、フィオは口をつぐむ。
    「そうしなきゃ、何なの? はっきり言いなってね」
    「詳しい事情は言えないが、僕はそれに参加しなきゃいけないんだ」
    「ワケ分からんね。その事情が何なのか、言わなきゃどうしようもないね」
    「……それは……」
     黙り込んだフィオを、モールはじっと眺めていたが、やがて「ま、いいさ」と返した。
    「え……」
    「パッと見、君は私が『ダメだね』っつっても無理やり来るタイプだね。なら最初から、目の届くトコにいててくれた方がマシってもんだね」
    「……ありがとう」
     フィオは再度、モールと堅い握手を交わした。

    白猫夢・訪賢抄 5

    2014.05.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第366話。ソリがあわない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. モールが廊下に出たところで、再びルナと顔を合わせた。「どうかしら、うちのレベルは? 賢者サマが満足行くほどじゃないでしょうけど」「そうとも」 にべもなくそう言い放ったモールに、ルナはニヤッと笑って見せた。「でしょうね。特に気になったのはチームワークかしら」「……君、聞いてたね?」「いいえ? これはあたしなりの所見よ」...

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    麒麟を巡る話、第367話。
    交渉決裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     翌日、モールは再度、研究所を訪れた。
    「昨日言った通り、私と君で、央中を回って人形共と難訓が何やってるか、調査を行う。んで、そのメンバーにね、……えーと、何つったっけ、あの」
     モールはルナの傍らに立つパラに、渋々尋ねる。
    「人形。あの水色、なんて名前だっけね?」
    「候補が多岐に渡るため、お答えいたしかねます。ちなみにわたくしはパラと申します」
    「うぜぇ」
     モールは舌打ちし、ルナに尋ね直す。
    「君は知ってるかね? 水色の頭した長耳」
    「フィオのことかしら」
    「ああ、そう、そいつ。そいつも一緒に連れてく。構わないね?」
    「いえ、問題が一つあるわ」
     そう返したルナに、モールはけげんな顔をする。
    「ん? フィオがいちゃまずいね?」
    「そうじゃないわ」
     次の瞬間――ルナはモールの顔面に、拳を叩き込んでいた。

    「……ぐ……、な、んの、つもりだね」
     拳と顔の接触面から、わずかに紫色の光が明滅している。どうやらあらかじめ、防御魔術をかけていたらしい。
    「用意周到ね。……問題って言うのは、アンタのことよ。
     アンタ、自分を何様だと思ってるの? あたしや、あたしの友人に散々、失礼なことばかり言って。試すにしちゃ、度が過ぎるわよ。
     それとも単純に、気に入らないだけかしら?」
    「後者だね。どいつもこいつも、傍から見てて反吐が出そうなクソ甘ちゃんばっかりだったからね」
     拳がめり込んだまま、モールはそううそぶく。
    「どちらにしても、アンタがそんな態度続けるなら、この話は無しよ。あたしたちだけで勝手に調べるわ。
     自分勝手な奴が一人いるだけならまだしも、二人以上いちゃ、仕事なんかいっこもできやしないわよ」
    「……フン、自分が自分勝手だってのは自覚してるんだね」
     ようやく拳が顔から離れ、モールは真っ赤になった左目に手をかざす。
    「いてて……、まあ、私は一向に構わないけどね。
     君、交換条件のコトを忘れてるんじゃないね? 私の魔術が必要なんだろ? こんなコトするんなら、教えてやらないよ?」
    「こっちから願い下げよ、そんなもの」
     ルナはモールから離した右手を、彼の眼前に出したまま、親指を下にして見せつけた。
    「アンタの苔むした魔術に頼るより、あたしたちはあたしたちで道を切り開くわ」
    「フン、そうかい」
     モールは立ち上がり、ルナを見下ろす。
    「じゃあ話はご破算だ。コレで失礼するね」
    「二度とその顔見せんじゃないわよ?」
    「頼まれたって来てやるもんかね。勝手に家族ごっこでも学芸会でもやってろ」
     モールはソファを乱暴に蹴飛ばし、ルナがしたのと同様に親指を下げて見せつけ、それからドアも蹴飛ばして破り、ドスドスと足音を立てて出て行った。
    「……どーよ?」
     蝶番が弾け飛び、ぶらぶらと揺れるドアを見つめながら、ルナがつぶやく。
    「非常に素晴らしく魅惑的な対応です」
     相変わらず抑揚のない、しかしいつもより若干早口になったパラの言葉に、ルナは無言でニヤッと笑った。

     モールが研究所から出たところで、フィオと鉢合わせした。
     中での事情を知らないフィオは、何の気なしに挨拶する。
    「あ、モールさん。おはようございます」
     が、モールはフィオをにらみつけ、ペッと唾を吐きつけた。
    「死ね」
    「……え? え、ちょ、モールさん?」
     頬に唾をかけられ、目を丸くしたフィオに構わず、モールはそのまま歩き去ってしまった。



    「……どっちもどっちだ」
     事情をパラから聞いたフィオは、深いため息をついた。
    「申し訳ありません」
     パラはフィオの頬を拭いながら、ぺこりと頭を下げる。
    「いいよ、君が謝る必要無い。大人げない二人が悪いんだから」
    「悪かったわね。……いえ、本当に」
    「いえ……」
     フィオと同様に事情を聞いたマークも、肩をすくめて見せた。
    「正直、気が重かったのは事実です。これ以上リーダーが増えたら、それこそチームが分解しちゃいますよ」
    「そう言ってくれると、ほっとするわ。
     でも、どっちにしてもあたしとパラ、それからフィオの3人は、央中に行くわ」
    「え……」
     驚くマークに、フィオが説明する。
    「モールさんがいようといまいと、事態が怪しくなっていることに変わりはない。そして僕は、その事態がどんな結末を迎えるかも、知っているんだ」
    「どう言う、……いや、『未来の話』ってことだよね」
    「そうだ。570年、また世界に激震が走る。
     そう。僕が何故、天狐ゼミに来たか。何故、テンコちゃんと話をしたのか。その最大の理由はこの年に起きる、ある重大な事件にあるんだ」
    「事件? 何が起こるの?」
     尋ねたマークに、フィオは真剣な目でこう答えた。
    「央中・ミッドランドで、大規模な崩落が発生する。
     それは島の北部にあった丘が崩れ、その上に建てられていたラーガ邸を巻き込み、ラーガ家当主をはじめとして多数の犠牲者を出す、悲惨な結果をもたらす。
     その原因は――テンコちゃんの『本体』だ」

    白猫夢・訪賢抄 終

    白猫夢・訪賢抄 6

    2014.05.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第367話。交渉決裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 翌日、モールは再度、研究所を訪れた。「昨日言った通り、私と君で、央中を回って人形共と難訓が何やってるか、調査を行う。んで、そのメンバーにね、……えーと、何つったっけ、あの」 モールはルナの傍らに立つパラに、渋々尋ねる。「人形。あの水色、なんて名前だっけね?」「候補が多岐に渡るため、お答えいたしかねます。ちなみにわたくしはパ...

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    麒麟を巡る話、第368話。
    与り知らぬ遊説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「妙って、何が?」
     そう尋ねたシエナに、イビーザは手紙を一通差し出した。
    「こちらの差出元は央中のティント王国、スタンマインと言う街となっております。
     内容は読んでいただければお分かりになるでしょうが、我が白猫党が当地で講演を開き、それが盛況であったことについての礼を述べるものです」
    「……ドコですって? 聞いたコトが無いわね」
    「それが問題なのです」
     イビーザは深いため息をつきつつ、長い耳をコリコリと掻く。
    「現在、我が党の活動は央北域内に限定しており、他地域への進出は今のところ、まだ行っておりません。それ故、党の活動として訪れたことが決して無いはずの央中からこのような礼状が送られることなど、論理的にあり得ないことです。
     にもかかわらず、ここに手紙が存在しているのです。いや、これだけに留まらず、他にも同様の内容が書かれた文書が、央中各地から我が党宛に、続々と送られております」
    「つまり……?」
     シエナは手紙から顔を上げ、イビーザに視線を移した。
    「党の誰かが勝手に遊説をしている、と?」
    「もしくは我が党の名を騙っているか、ですな」
    「考えられる悪影響は?」
    「まず第一に、我が党の信用を落とすおそれがあります。
     この、我々が関与しない遊説により、例えば無用な風説の流布が起こり、央中世論が混乱した場合、その責は名を騙った元、即ち我々に問われることは明白でしょう。そうなれば、今後の展望にも差し支えることは確実です。
     もし万が一、央中からの反響なり悪影響なりが無かったとしても、我が党、いや、我々最高幹部の意向を無視し独断専行、あるいは名を騙ろうとする不届き者がいると広く知れ渡れば、党全体の統率において、少なからず影響を及ぼすでしょう。
     私個人の意見といたしましては、早急に対応すべき案件と存じます」
     いつも以上に苦々しい顔を向けるイビーザに、シエナも同意する。
    「そうね。でも……」
    「ええ。主だって央中へ赴き、活動するのは時期尚早でしょう」
     依然として苦い顔を崩さず、イビーザはこう続ける。
    「確かに終戦より2年が経過し、情勢も落ち着きを見せてきてはおります。しかしまだ、『新央北』の存在を無視して央中へ進出できるほど、体制が整ってはおりません」
    「ええ、そうね。それはアタシも同意見だわ」
    「恐らくは他の幹部も同様でしょう。
     実際、もしも現状でうかつに央中へ進出するようなことをすれば、『新央北』は間違いなく、攻撃の機と見なすはず。強襲される危険性は、決して小さくないでしょうな。
     とは言え、先程申し上げた懸念もあります。放っておくのは、決して得策とは言えませんぞ」
    「ええ、ソレも分かってる。となると、秘密裏に動きたいところだけど……」
     シエナは口元に手を当て、しばらく間を置いてこう返した。
    「ロンダが諜報部を新設したわよね?」
    「ええ」
    「動いてもらおうかしら」
    「現状では最も良い選択ではないかと」

     シエナとイビーザは白猫軍司令、狼獣人のミゲル・ロンダの執務室を訪ねた。
    「これは総裁閣下に幹事長閣下! 如何されましたか?」
     シエナたちが部屋に入るなり、ロンダ司令は椅子から勢い良く立ち上がり、尻尾までいからせて敬礼した。
    「楽にしてちょうだい。あなたに頼みたいことがあるのよ」
    「閣下のご命令であれば、何なりとお申し付け下さい」
     ロンダは敬礼を解くが、直立姿勢は崩さない。
    「央中で我々最高幹部に何の報告もせず活動している者、もしくは我々の名を騙っている者がいる疑いがあるの。
    でも党としての主だった動きは避けたいから、秘密裏に調査をお願いしたいの? できるかしら」
    「なるほど」
     ロンダは再度、かっちりと敬礼する。
    「拝命いたしました! 早速諜報部に命じ、調査を行わせます!」
    「ええ、頼んだわよ。結果が出たら出来る限り早急に、知らせてちょうだい」
    「はい!」
     結局、シエナたちが執務室を後にするまで、ロンダは敬礼を崩さなかった。

    白猫夢・騙党抄 1

    2014.05.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第368話。与り知らぬ遊説。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「妙って、何が?」 そう尋ねたシエナに、イビーザは手紙を一通差し出した。「こちらの差出元は央中のティント王国、スタンマインと言う街となっております。 内容は読んでいただければお分かりになるでしょうが、我が白猫党が当地で講演を開き、それが盛況であったことについての礼を述べるものです」「……ドコですって? 聞いたコトが無い...

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    麒麟を巡る話、第369話。
    央中での党評。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     飛ぶ鳥を落とす勢いで成長・拡大を続ける白猫党は双月暦570年現在、既にただの政治結社ではなくなっている。
     豊富な財源と優秀なブレーンによる政治・経済指導、今や総勢3万人を超え、そしてそのすべてが最新装備で完全武装された強大な軍事力、そして何より「預言者」葵への、宗教にも近い信頼・信奉から来る絶大な結束力によって、央北の半分を手中に収めた彼らを「新たな帝国」、「第四の中央政府」と称する者さえ現れていた。

     当然、そんな彼らを危険視する者は少なくない。
     特に央中地域では、古来より央北の文化や体制を嫌う者が多く、その流れを踏襲するかのような行動を執る白猫党を忌避する者も多い。
     しかし、その一方で――。
    「いやー……、私としてはむしろ、白猫党の皆さんに拍手を送りたい気持ちが強いですけどねぇ」
     件の遊説者を探るため央中へと赴き、情報収集を行っていた諜報員たちは、そうした否定的意見とは正反対の、好意的な評価を何度か耳にした。
    「そんなものですか……? いや、我々はあくまで第三者的な立場としての意見を言っているだけですが」
     勿論、諜報員たちは余計な騒ぎを起こさないよう、身分を隠して行動している。その上での、相手のこの発言である。
    「まあ、私も中途半端にしか知らないですけど、ほら、央北天帝教の手先みたいなの、アレを倒したって話じゃないですか。その後を継いだ何とかって組織も、ついでに潰したらしいですし。
     央中天帝教徒たる我々からしてみれば『よくやった』、みたいな感じもあるんですよね」
    「なるほど」

     白猫党が「天政会」やその後身組織を易々と撃破したことは――それほど明確ではないにせよ――央中地域にも広く伝わっており、これを反央北天帝教の風潮、意思表示と見なす者も、決して少なくなかったのだ。



    「……そんなわけでして。『対象』の遊説活動も、こうした風潮に後押しされる形で、かなりの支持を集めている様子です」
    《そうか……》
     諜報員たちは、この調査依頼を直々に命じてきたロンダ司令への報告において、この好意的意見も、併せて伝えていた。
     その報告を、ロンダは嬉しそうな様子で聞いていたが、しかし一方で苦々しげな声で、こう返した。
    《この遊説が本当に、単に同志による、独断専行の喧伝活動であるのならば――勿論、勝手を咎めるべきではあるが――何とも喜ばしい話だ。我々の活動が遠い央中の地においても認められている、と言うことなのだからな。
     しかしこれが偽者、我々の権威と評判を笠に着た不埒者によるものであるならば、何とも許しがたい行為だ。我々の影響力のみならず、央中の方々の善意までも食い物にしているのだからな。
     引き続き、調査を続けてくれ》
    「了解です」



     結論から言えば、この調査の完遂には、手間はさほどかからなかった。
     諜報員たちはそれなりに優秀な者が揃っており、また、捜索対象も派手に遊説を繰り返していたため、その発見自体は実に容易だったのである。

     央中北西部から調査を始めてから2ヶ月、央中東部沿岸へと進んだところで、諜報員たちはその調査対象に追いついた。
    「ここで……、間違いないようだな」
    「みたいですね」
     諜報員たちはその「遊説者」の姿を確認するため、密かに講演会の会場へ潜入していた。
     評判のためか、会場は既に満員となっており、立ち見客の姿もチラホラと見受けられる。諜報員たちも席に着くことはできず、壁際に並んで会の開始を待っていた。
    「すごい数が集まったもんだ」
    「確かに。よほど宣伝に力を入れていたか……」
    「もしくは、よほど巷の評判になっているか、だな。……ま、両方かも知れんが」
     雑談している間に、壇上に司会者らしき短耳が現れる。
    「お待たせしました。これより白猫党最高幹部、エルナンド・イビーザ幹事長による講演会を開催いたします」
     出席者の名前を聞き、諜報員たちは一斉に噴き出した。
    「ぶっ……、よりによって幹事長閣下の名を騙ったか」
    「相当な恥知らずだな!」
    「あるいはものすごい度胸の持ち主か、ですね」
     司会の紹介を受け、その「遊説者」が壇上に現れた。
    「あれが『対象』だな」
    「狐獣人の男性で、20代半ば、……いや、前半? 髪は金髪に赤いメッシュが少し……、金火狐一族のようにも見えますね」
    「……ん?」
     と、諜報員たちはその狐獣人を見て、一様に既視感を覚えた。
    「見覚えが無いか……?」
    「あります」
    「同じく。確かに党本部で見た覚えがある」
     間を置いて、三人は同時に、同じ人物の名をつぶやいた。
    「……マラネロ・ゴールドマン元財務部長か?」
     壇上に立ち、大仰に話し始めたその人物は――要職を追われ、失意の底にあるはずのマロだった。

    白猫夢・騙党抄 2

    2014.05.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第369話。央中での党評。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長・拡大を続ける白猫党は双月暦570年現在、既にただの政治結社ではなくなっている。 豊富な財源と優秀なブレーンによる政治・経済指導、今や総勢3万人を超え、そしてそのすべてが最新装備で完全武装された強大な軍事力、そして何より「預言者」葵への、宗教にも近い信頼・信奉から来る絶大な結束力によって、央北...

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    麒麟を巡る話、第370話。
    偽者の正体。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     講演会は盛況のうちに幕を閉じ、イビーザの名を騙って出席したマロは、ニコニコ笑いながら退出して行った。
     しかし諜報員たちは額に青筋を浮かべ、怒りを露わにした様子で会場を飛び出す。
    「ゴールドマンめ……! すぐに拘束してくれる!」
    「幹事長閣下の名を借りておいて、あんな話を展開するとは!」
    「どう考えても我々、白猫党全体の品位を損ねていることは明白ですよッ!」
     講演会においてマロが公言した内容は――確かに白猫党の党是・活動理念に、ある程度は沿ったものであったが――ここ数年で党の基本思想になりつつある、「預言者への無償かつ無限の信頼・信奉」に欠けた、いや、むしろそれに真っ向から対立するようなものだったのだ。
    「なにが『我が党に加盟すれば、今なら央北との取引に優先権が付くよう便宜させていただきまっさ』だッ!」
    「我が党は光輝ある政治結社であって、取引所やその代理人じゃない!」
    「ゴールドマンめ、もう魂胆が見えたぞ! 我が党で閑職に追いやられた腹いせに、我が党の権威を失墜させ、ついでに私腹を肥やすつもりだな!」
     三人は足早に廊下を進み、マロがいるであろう控室へと急いだ。

     と――三人の前に、黒と赤のドレスを着た少女が現れた。
    「うん……?」
     そのドレスの少女は三人に、やんわりとした口調で声をかけた。
    「幹事長さまにご面会でしょうか」
    「ふざけるな! 誰が幹事長だと!?」
     諜報員の一人がそう怒鳴ると、少女はやはり、落ち着いた声で返す。
    「なるほど。察しますに、あなた方は白猫党の関係者でございますね」
    「そうだと言ったら?」
    「幹事長さまが本来は、元財務部長であることもご存知でしょうか」
    「ああ」
    「あなた方の目的は、幹事長さまの拘束と考えて相違ございませんでしょうか」
    「くどい! あんな男を幹事長などと呼ぶな! いいからどけッ!」
     問答に苛立った諜報員の一人が、少女を突き飛ばそうとした。
     だが――。
    「あなた方は我々の計画遂行に悪影響を及ぼすと判断いたしました。よって、排除いたします」
     次の瞬間、少女を突き飛ばそうとした諜報員の胸から背中にかけて、大穴が開いた。
    「……え、っ……?」
     何が起こったのか分からず、その諜報員は自分の胸に手をやり――そしてどさっ、と重い音を立てて倒れた。
    「な、なっ、なんっ……」
    「ひ、いっ」
     一瞬にして仲間を殺され、残った二人は立ち竦む。
     そしてその一瞬後に、彼らも仲間の後を追うこととなった。

     三人が血の海に沈んだところで、控室のドアが開く。
    「……今の、何です?」
     部屋の中から、マロがけげんな顔を覗かせるが、廊下の惨状を見て「うっ……」とうめく。
    「計画は次の段階へ移行いたしました」
     振り返り、血まみれになった顔を見せた少女に、マロは青い顔をしつつも、こう応じた。
    「そう、ですか、……分かりました。ほんなら、……次は、ミッドランドでしたな?」
    「ええ。わたくしは『片付け』を行いますので、マロさまはこのまま宿へとお向かい下さい。
     明日の昼には出発いたします予定ですので、あまり夜更かしはなさらないよう、お願いいたします」
    「……分かりました」
     マロは一度控室に戻り、荷物をまとめてもう一度ドアを開け、そそくさと出て行った。
     なお――その時には既に、廊下には血の一滴も残っていなかった。



     それから二日後。
     白猫党本部、ドミニオン城に、非常に大きな木箱が送り付けられた。
    「宛先は『白猫党幹部ご一同』となっております」
    「そう」
     自動車一台分もの体積があったため、木箱は城の中庭へ置かれていた。
     シエナとイビーザ、そしてトレッドの三人はその前に集まり、木箱の中身を確かめようとしていた。
     と、そこへロンダが慌ててやって来る。
    「お待ちください、皆さん!」
    「あら、どうしたの?」
    「ハァ、ハァ……、どうしたの、ではございません! あまりにも怪しいと、お思いになりませんか!?」
     息せき切りつつそう尋ねられ、シエナは素直にうなずく。
    「思うわ。だから開けかねてたのよ」
    「そうでしたか、……それなら、はい、大丈夫ですね、はい。お見苦しいところをお見せしてしまいました」
    「構わないわよ。それでロンダ、コレをどうする気?」
    「我々白猫軍が重装備態勢の元、中身を改めます。よろしいでしょうか?」
    「ええ、お願い」
     この申し出も素直に、シエナはうなずいた。

    白猫夢・騙党抄 3

    2014.05.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第370話。偽者の正体。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 講演会は盛況のうちに幕を閉じ、イビーザの名を騙って出席したマロは、ニコニコ笑いながら退出して行った。 しかし諜報員たちは額に青筋を浮かべ、怒りを露わにした様子で会場を飛び出す。「ゴールドマンめ……! すぐに拘束してくれる!」「幹事長閣下の名を借りておいて、あんな話を展開するとは!」「どう考えても我々、白猫党全体の品位を損...

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    麒麟を巡る話、第371話。
    司令の検分。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     鋼鉄製の防具と盾で防御を固めた兵士たちにより、木箱が開けられることとなった。
     しかし中に収められていたのは、そんな物理的な防御では防げない、恐るべき「攻撃」だった。

    「魔術反応、ありません」
    「爆弾の類も設置されていない模様です」
     兵士たちが木箱を検証し、罠が無いことを確認する。
    「分かった。慎重に開けてくれ」
     ロンダの命令に従い、兵士たちはバールを隙間にねじ込み、蓋を開ける。
    「よい、しょ……、っと」
     ギシギシと音を立てて、木箱は開かれた。
    「……!?」
     中身が顕わになったその瞬間、中庭にいた者たちは一様に、言葉を失った。

     木箱が開けられるその5分前、トレッドは笑いながら、こんなことを言っていた。
    「私の背丈より頭ひとつは大きいですな。人が悠々、隠れられそうだ」
    「あはは……」
     シエナはこの時、笑って返していたが――中身を目にした今、その冗談には二度と、笑みを浮かべることができなくなった。
    「……これ……は……」
    「……っ! 閣下! お下がり下さい! 見てはいけません!」
     ロンダが慌ててシエナの前に立ちはだかり、木箱から目を逸らさせる。
    「見ちゃ、った、……わよ」
     ぼそぼそとそうつぶやき、シエナはその場に倒れてしまった。
    「ああ、閣下! ……き、君! 閣下を医務室へ運びたまえ!」
     ロンダは兵士に命じ、倒れたシエナを運ばせる。
    「ほ、他の幹部の方もお戻り下さい! 我々が調べますので!」
    「う、……うむ」
    「そ、そう、させてもらおう」
     イビーザとトレッドも、顔を真っ青にして中庭から立ち去った。
     中庭にはロンダと兵士数名だけになり、そこでようやく、ロンダがつぶやいた。
    「……なんと、むごい」
     木箱の中には、央中へ調査に向かわせていたあの諜報員三名の死体が吊るされていた。
     その胸には太い杭が打ち付けられ、真っ赤に染まっている。また、三人の首を一度に結ぶ形で、麻でできた帯がくくりつけられていた。
    「こんなひどい死に方を……。戦地でもこれほどの惨死、目の当たりにしたことはそうそう無いぞ」
     央北における戦争に幾度と無く参加してきたため、ロンダはこの異様な光景に直面しても、流石に怯むような様子は見せない。
     既に腐臭を放っている死体に近寄り、ロンダは検分を行う。
    「死後2日と言うところだろうか。死因は間違いなく、胸に受けたこの杭だろうな」
     そう結論づけたところで、背後からぽんと、声が投げかけられた。
    「違うよ。杭を打たれたのは死んだ後だよ」
    「う、……うん?」
     いつの間にか、ロンダの背後には、緑髪に三毛耳の猫獣人が立っている。
    「君は?」
     ロンダの問いに答えず、その猫獣人――葵はこう続ける。
    「もし生きてるうちに杭を打たれたなら、相当苦しくて顔が歪むだろうし、血もいっぱい出るはずだよ。
     でもこの人の顔は、何て言うか、自分たちに何が起こったのか分からないうちに死んじゃった、……って言う感じだもん。
     それに杭に付いてる血が、生きたまま打たれたにしては少なすぎるよ。多分、殺した後でこんな風に『飾り付け』したんだと思う」
    「ふむ」
     乱暴で利己的な前任者とは違い、ロンダは他人の意見にじっくり耳を傾ける、協調的な性質を持っているらしい。
     突然現れた葵に、ロンダは執拗に素性を尋ねるようなことはせず、深くうなずいて応じた。
    「なるほど。確かにそう言われれば、そう見える。では彼らの、直接の死因は何だろうか?」
    「胸を一突き。それも剣や槍じゃない。素手をものすごい力で突き入れて、そのまま背中まで抜けたみたいな、かなり乱暴で非常識な殺し方だよ」
    「その論拠は?」
    「胸に空いた穴。剣とかでできた切創に杭を打ち込んだなら、傷跡は無理やり拡げたみたいになるはず。その傷跡、杭より大きいもの。ちょうど、あたしの手を広げたくらいの大きさ。それに」
     葵は死体のひとつに近付き、己の手をかざして見せた。
    「これ、手の形だよね」
    「……む、う」
     葵の言う通り、確かにその傷跡はヒトデのように、5方向の放射状に広がっていた。
    「これ、取っていい?」
     と、葵が死体の首に掛けられた麻帯を指差す。
    「うむ」
     ロンダの許可を得て、葵はその麻帯を手に取る。
    「うん? 裏側に何か書いてあるな」
    「……」
     葵は麻帯に書かれた文章に一瞬、視線を落とし、それからロンダに渡した。
    「ミゲルさん」
    「なんだ?」
    「これから忙しくなるよ。央中に多分、半年くらい詰めることになる。
     家の地下室の掃除と壁のペンキ塗り、今週中にやっとかないと、帰ってきた時に奥さんと大ゲンカすることになるから、央中に行く前にやりなよ」
    「む、む? 央中へ、だと? それに何故、私の家の事情を……」
     目を白黒させるロンダに構わず、葵はこう言い残し、その場から消えた。
    「それ、シエナに見せてあげて。見たらシエナはきっと、すごく怒る。
     それが央中攻略戦の幕開けになるから」

    白猫夢・騙党抄 4

    2014.05.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第371話。司令の検分。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 鋼鉄製の防具と盾で防御を固めた兵士たちにより、木箱が開けられることとなった。 しかし中に収められていたのは、そんな物理的な防御では防げない、恐るべき「攻撃」だった。「魔術反応、ありません」「爆弾の類も設置されていない模様です」 兵士たちが木箱を検証し、罠が無いことを確認する。「分かった。慎重に開けてくれ」 ロンダの命令...

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    麒麟を巡る話、第372話。
    党首シエナの激昂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ロンダは葵に言われた通り、医務室で臥せっていたシエナと、付き添っていたイビーザたちに、死体に巻かれていた麻帯を見せた。
    「緑髪の『猫』から見せろと託りまして」
    「……そう」
    「面妖なことに、その『猫』、言うだけ言うとかき消えるように、その場から姿を……」
    「あの子はそう言う子よ」
     適当に応じながら、シエナは麻帯に書かれていた文章を読んだ。



    「白猫党幹部ご一同様へ
     来る5月4日(風曜)、我が白猫党の講演会を、央中における党首閣下および預言者様の思い出の地にて行います。
     皆様お誘い合わせの上、是非、ご参加下さいませ」



    「……これは、どう解釈すればよいのでしょうか」
     尋ねたロンダに、シエナは苛立った目を向ける。
    「ケンカ売ってんのよ。アタシたちの誰からも許可を取らずに、勝手きままに話を進めてる。コレがもし本当に党員なら、厳罰ものよ。いいえ、同志に対してあんな仕打ちをするような輩が、我が白猫党の党員であるわけが無いわ!
     まったく、ふざけてるわ!」
    「ふざけているのはそれだけに留まらんでしょう」
     イビーザもシエナに続き、苦々しげな表情を浮かべて憤る。
    「我が党党員が3名も、あのような形で惨殺され、あまつさえあれほどご大層な方法で送り付けてきたのです。これは宣戦布告ととっても、なんら差支えのないものでしょう」
    「宣戦布告ですと?」
     ロンダは目を丸くし、詳しく尋ねた。
    「一体どこの国が、我々に宣戦布告したと言うのですか?」
    「ソレは分からないわ。でも手紙には、アタシと預言者の思い出の地で講演会を開く、とある。ソコに行けば、確実にいるはずよ」
    「思い出の地、と言うと?」
    「央中で、アタシとあの子との共通の思い出がある場所なんて一箇所しかないわ。
     アタシとあの子が出会った、天狐ゼミのある街――ミッドランドよ」
     シエナはまだ蒼い顔をしつつも立ち上がり、医務室を出て行こうとする。
    「閣下、ご無理は……」「しない方が無理よッ!」
     心配するロンダに、シエナは怒鳴り返した。
    「アタシたち、本物の白猫党を差し置いて勝手きままに遊説するばかりか、こうして党員を殺されたのよ!?
     こんな屈辱を味わわされて、黙って寝てろって言うの!?」
    「そ、それはそうですが」
    「ミゲル・ロンダ司令!」
     シエナはロンダをにらみ、こう命じた。
    「早急に突撃部隊を編成してミッドランドへ向かい、このクソくだらない真似をしてくれた超大馬鹿野郎に鉄槌を下しなさいッ!」
    「か、閣下!」
     それを聞いて、トレッドが慌てて立ち上がる。
    「まさか、央中に兵を送るおつもりですか!?」
    「そうよ!? ソレがどうしたって言うの!?」
    「いくらなんでも、そこまでしてしまっては央中との関係が悪化します! 偽者騒ぎ程度ならともかく、直接的な武力を投入しては……!」
    「アンタは悔しくないの!?」
     シエナは突然、ボタボタと涙を流し始めた。
    「虚仮にされた挙句、同志をこんな無残な目に遭わされて、それでもヘラヘラ笑って構えてろって言うの!? アタシにはそんな選択はできない! そんな行動は執れないわ!」
    「し、しかし」
    「……私は」
     と、ロンダが顔をこわばらせながら、口を開いた。
    「私は、党首閣下のご意見に賛成いたします」
    「き、君まで! 落ち着きたまえ、ね?」
    「いいえ、落ち着いてなど……!」
     ロンダの目からも、つつ……、と涙が流れる。
    「党首閣下の心意気、我が心を強かに打ちました! 必ずやその無念、晴らしてご覧に入れましょうぞ!」
     びしっと敬礼し、涙を流すロンダに、トレッドは絶句するしかなかった。
    「……ありがとう、司令」
     シエナは涙を拭きながら、依然強い口調で、今度はトレッドに命じた。
    「フリオン・トレッド政務部長。これより白猫党の最優先課題は、央中の敵対勢力討伐とします。
     それに併せて、当該業務が円滑に遂行できるよう、白猫党の央中進出も優先して推めなさい」
    「……閣下、ですが、央北内の権力基盤はまだ、完全に安定したわけでは……」「あなたは『預言と党首命令には従う』と言ったはずよね?」「……っ」
     トレッドは終始、苦い顔を見せていたが――やがて、「……承知いたしました」と、諦め気味に答えた。

    白猫夢・騙党抄 5

    2014.05.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第372話。党首シエナの激昂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ロンダは葵に言われた通り、医務室で臥せっていたシエナと、付き添っていたイビーザたちに、死体に巻かれていた麻帯を見せた。「緑髪の『猫』から見せろと託りまして」「……そう」「面妖なことに、その『猫』、言うだけ言うとかき消えるように、その場から姿を……」「あの子はそう言う子よ」 適当に応じながら、シエナは麻帯に書かれていた...

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    麒麟を巡る話、第373話。
    こっそり愚痴吐き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     央中進出がシエナの強い主張の元、正式に決定された、その日の晩。
    「これで、いいのよね?」
    「うん」
     シエナは密かに、葵と話していた。
    「多少後ろめたい思いが無いわけじゃないけど……、でも、央中進出論を皆に認めさせるには、一番の方法よね」
    「シエナ」
     ベッドに半身を潜らせたまま、葵はこう返した。
    「覚悟、決めたって言ったはずだよね」
    「……ええ、そう、そうよ。そう、決めたわ。確かに、そう。
     でも、……でも、こんなコトがある度、言わずにいられないのよ」
     シエナは顔を両手で覆い、ぼそぼそとつぶやく。
    「アタシは迷ってばっかりよ……。党員が犠牲になる度、なると知らされる度に、吐きそうなくらいにめまいを感じるのよ。
     でも、そんなコト、他の誰にも言えないもの。アンタ以外には」
    「ん」
     短くうなずいた葵に、シエナは続けて愚痴を漏らす。
    「党首である以上、党員にも幹部にも、アタシが動揺してるコトは知られるワケには行かないもの。
     でも、いくら装っても、本当のアタシは、本気で大泣きしたいくらいに戸惑ってるのよ。だから……」
    「分かってる。落ち着くまで、聞くよ」
    「……ありがと、アオイ」
     その後、十数分ほど愚痴を吐き続けて、シエナの顔にようやく穏やかな気配が差す。
    「はあ……。大分、楽になったわ。ホントにゴメンね、アオイ」
    「いいよ。シエナに落ち着いてもらわないと、困るもの」
    「ええ、そうね」
     シエナはにこっと笑い、葵の手を握った。
    「アンタに会わなきゃ、アタシは今でも片田舎の潰れかけた工房で、貧乏暮らししてたでしょうしね。こうして活躍の場をくれたコト、ホントに感謝してる。
     期待しててね、アオイ。20年、いえ、10年以内に、アンタの野望はアタシが叶えて見せるから」
    「……ん」
     葵がうなずいたところで、シエナはクス、と笑った。
    「そうだったわね。アンタに未来の話は野暮だったわ。
     じゃあ、教えて? アンタとアタシの計画は、成就するの?」
     そう問われ、葵は目を閉じ、しばらく間を置いてから答えた。
    「すると思う」
    「確実じゃないの?」
    「遠すぎるもの」
     葵は目を開け、こう続けた。
    「未来は現在から連なっているものだから、今の状態が変われば、未来も変わるよ。
     一応『見て』はみたけど、まだ、ぼんやりしてる。まだ、確実じゃない要素がいっぱいあるから。
     でも、確実じゃないってことは、成就の可能性もあるってことだよ」
    「……はっきりしないわね」
     口をとがらせたシエナに、葵は小さく頭を下げる。
    「ごめんね。でも、手近なところから固めていけば、きっと、狙った通りになるはずだよ」
    「そうね。……そのためにも、この央中攻略は絶対、成功させないとね」
    「ん」
    「じゃあ、教えてくれる? この後、央中、いえ、ミッドランドでは何が起こるのか」
     シエナの問いに、葵はもう一度、目をつぶった。
    「……はっきり見えてるのは、ミッドランドが無血開城したこと。強行突入した白猫軍に敵わないと諦めて、全面降伏するよ」
    「でも、アオイ? テンコちゃんがいる以上、ミッドランドは抗戦も辞さないと思うんだけど……」
    「戦闘は起こらないよ。テンコちゃんは、出てこないもの」
    「え?」
     意外な返答に、シエナは目を丸くする。
    「どうして? いくらアタシたちが昔の教え子だからって、軍をけしかけてきたら……」
    「あたしたちが突入する時、テンコちゃんはミッドランドにはいないみたい」
    「へえ……? 旅行か何かしてるってコト?」
    「……かも知れない。あたしにも、何がどうなるのか、……これだけははっきり分からないの」
    「そうなの?」
     ぼんやりと眠たげだった葵の顔に、ほんのわずかに、不快そうな色が差した。
    「不思議だよ。今まで『見よう』と思って、はっきり見えないことなんて無かったのに」
    「……不安ね」
     と、葵の表情がふたたび、ぼんやりしたものに戻る。
    「そこだけはね。それ以外は結構、はっきり見えてる。
     あたしたちがミッドランドを占領することは、間違い無いよ」
     葵の言葉を聞き、シエナは再度、にっこりと笑って見せた。
    「そう。……ソレだけ分かれば十分ね。
     分かったわ。アタシはいつも通り、自信満々に党の舵を切るわ」
    「ん、お願い」



     双月暦570年、白猫党は央中地域への進攻を開始した。

    白猫夢・騙党抄 終

    白猫夢・騙党抄 6

    2014.05.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第373話。こっそり愚痴吐き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 央中進出がシエナの強い主張の元、正式に決定された、その日の晩。「これで、いいのよね?」「うん」 シエナは密かに、葵と話していた。「多少後ろめたい思いが無いわけじゃないけど……、でも、央中進出論を皆に認めさせるには、一番の方法よね」「シエナ」 ベッドに半身を潜らせたまま、葵はこう返した。「覚悟、決めたって言ったはずだ...

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    麒麟を巡る話、第374話。
    ルナの不安。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「来ないのよね」
     唐突にそうつぶやいたルナに、マークはぎょっとした。
    「何がです?」
    「ん?」
     尋ねたマークに、ルナは一瞬間を置いて、こう尋ね返した。
    「何だと思ってんの?」
    「いや、まあ、その、何だか分からないですけど」
    「来ないって言うのは、師匠からの返事よ」
    「ああ……」
     ルナは腕組みし、いぶかしげにつぶやく。
    「おかしいのよね。今までこんなこと、一度も無かったのよ」
    「と言うと?」
    「いつもなら、師匠に通信魔術を送れば即、応答してくれるんだけどね。何度送っても、返事が返って来ないのよ。
     これが普通の『魔術頭巾』とかだったら、通信手が席を外してるとかってことも考えられるんだけど、師匠の場合、いつでも返事できるように術式を組んでるの。
     それなのに……」
    「何かで忙しくて手を離せない、とかじゃないんですか?」
    「それでも、よ。電話で言うなら、常に受話器を耳に当ててるような状態なのよ?
     それで応答できないって、耳が聞こえなくなったか舌が無くなったかでもしない限り、応答できるはずでしょ?」
    「『できない』じゃなく、『しない』って可能性は?」
     と、話の輪にフィオが入ってくる。
    「応答したくないってこと?」
    「それも考えられなくはないけど、マークが言うように、忙しいんじゃないかな。例えば修羅場の真っ只中、だとか」
    「誰かに襲われてる最中、ってこと? ……うーん」
     フィオの意見を聞いてなお、ルナはいぶかしげな表情を崩さない。
    「考えられなくはない、わね。でもあの師匠がてこずるような相手なんて、そうそういないはずなんだけど」
    「存在だけなら、いるじゃないか」
    「って言うと?」
    「師匠さんの師匠。つまり、カツミとか」
    「んー……。確かに克大火が相手だったら、そりゃ、まあ、苦戦どころじゃ済まないでしょうね。
     でも可能性としては、考えにくいわよ。二人ともすごく仲いいし」
    「そうなんだ? ……まあ、そりゃそうか。でなきゃ師匠と弟子の関係なんて築けないよな」
    「でも僕、実際にカツミさんを見たことがあったけど、何て言うか……」
     言いかけたマークに、フィオも同意する。
    「天狐ゼミの、アオイが消えた時だよね? 僕もあの時初めて目にしたけど、親しみのあるようなタイプじゃなかったもんな」
    「そうそう。すごいしかめっ面してたし、威圧感がものすごかったし」
     マークたちが思い出話に花を咲かせている一方、依然としてルナの顔からは、険が抜ける様子が無い。
    「……うーん」
     と、ルナは顔を挙げ、唐突にこう告げた。
    「見てくるわ、様子」
    「え?」
    「直に行って、何してんのか見てくるわ。このまま放っておいたら、気兼ねなく央中になんて行けやしないし」
    「いつ行くんです?」
    「すぐよ」
     そう返し、ルナはキッチンにいるパラに声をかけた。
    「パラ、ちょっと出かけるわ。明日か、明後日には戻ってくるから」
    「承知いたしました」
    「あれ?」
     これを聞いて、フィオは意外そうな顔をした。
    「パラは連れて行かないの?」
    「ちょっと行って帰ってくるだけだもの。あたし一人で十分よ」
    「まあ、そっか」
    「ま、1日か2日だけだけど、たまにはあたし抜きであの子と過ごせるわよ」
    「え? あ、うん」
     ルナは若干目を泳がせたフィオに背を向け、今度はマークに釘を刺した。
    「あたしがいないからって、自分勝手なことするんじゃないわよ?」
    「分かってますって」
    「戻ってきたらシャランちゃんから、何してたか聞くからね」
    「……大丈夫ですってば」
     マークが口を尖らせて応じたところで、ルナは居間を後にした。
    「じゃ、行ってくるわ」
    「はい。行ってらっしゃい、ルナさん」
    「行ってらっしゃいませ」
     居間のドアが閉まると同時に、マークがこうつぶやいた。
    「……どうする?」
    「どう、と申しますと」
    「うるさいのがいない、ってことだよ」
     マークのその発言に、フィオが噴き出した。
    「君、単純だなぁ」
    「なんでさ?」
    「僕の勘だけどさ、ルナさんはまだドアの向こうにいると思うぜ?」
    「えっ」
     フィオの予想通り――ドアの向こうから、ルナの笑う声が漏れ聞こえてきた。

    白猫夢・新月抄 1

    2014.05.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第374話。ルナの不安。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「来ないのよね」 唐突にそうつぶやいたルナに、マークはぎょっとした。「何がです?」「ん?」 尋ねたマークに、ルナは一瞬間を置いて、こう尋ね返した。「何だと思ってんの?」「いや、まあ、その、何だか分からないですけど」「来ないって言うのは、師匠からの返事よ」「ああ……」 ルナは腕組みし、いぶかしげにつぶやく。「おかしいのよね。...

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    麒麟を巡る話、第375話。
    鬼のいぬ間に。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ルナにデコピンされた額をさすりながら――この時点でルナが本当に出かけたことは確認済みである――マークはフィオとパラに問いかける。
    「で、どうする?」
    「どうって」
    「そう仰られましても」
     ニヤニヤしているマークに対し、フィオとパラは顔を見合わせている。
    「ルナさんがいないのって、最長でも2日だろ? 勝手に研究進めるって言っても……」
    「マークのこれまでの平均研究期間から想定しますと、2日で何らかの研究を企画および実行し、かつ完了することは不可能と思われます」
    「だよな。他にルナさんの鼻を明かせるようなことって言っても、特に無いよな」
    「わたくしも全面的に、フィオの意見に賛成です」
    「せいぜいルナさんの机に蛾でも仕込むくらいじゃないか? あとはベッドに芋虫とか……」
    「ば、バカにしないでくれ」
     マークは顔を真っ赤にし、ぶんぶんと首を振る。
    「そんな子供みたいなこと、しないよ!」
    「まあ、そりゃそうだよな」
    「マークの年齢からは想定しづらい行動です」
    「……ん? いま、マークっていくつだっけ」
    「わたくしの保持する情報によれば20歳です」
    「あれ? もうそんなだっけ。まだ10代だと思ってた」
     フィオの言葉に、マークは今度は、憮然とした顔を見せた。
    「君と何年一緒にいると思ってるんだよ……」
    「そう言や、そうだ」

     マークが頬をふくらませつつ研究室へ戻っていったところで、フィオは改めて、パラに話しかけた。
    「あのさ、パラ」
    「何でしょう」
    「その……、こんなことを聞くのも、失礼かも知れないけど」
     フィオはチラ、とパラの顔を一瞥し、こう続けた。
    「一人きりで、困ったりしない?」
    「と申しますと」
    「いつもルナさんから命令を受けてるし、一人だと何していいか分かんなくなるんじゃないかって」
    「ご心配には及びません」
     そう返しながら、パラは自分の胸を指す。
    「わたくしには長時間命令を与えられない場合に備え、待機モードが設定されております故」
     その返答に、フィオはずっこける。
    「おいおい……。ルナさんが戻ってくるまで寝てるつもりなのか?」
    「……クス」
     と、パラがわずかに、唇の端をにじませた。
    「冗談です」
    「……参るな。君、段々ルナさんに似てきた気がするよ」
    「光栄です」
     小さく頭を下げつつ、パラはこう続けた。
    「この後の予定ですが、特に優先すべき事項が発生しない限り、屋内全域の掃除を行おうかと」
    「掃除? いつもやってるような気がするけど」
     尋ねたフィオに、パラはぴん、と人差し指を立てて見せた。
    「主様が1日以上不在であれば、主様のお部屋を最大限に掃除する、絶好の機会でございます故」
    「……あー、なるほど」
     フィオは何度か目にした、ルナのごちゃごちゃとした、小汚い部屋を思い出した。
    「じゃあさ、パラ。僕もそれ、手伝うからさ、……それが終わったら、ちょっと、二人で出かけないか?
     いや、特に行きたいってところも無いんだけど、まあ、ルナさんに茶化されずにあちこち見て回れるって言うんなら、その、行かないのは損かもなって思ってさ」
    「了承いたしました。しかしフィオ」
     と、パラがほんのわずか、心配そうな目を向ける。
    「わたくしの清潔度の基準は、一般的な平均より著しく高く設定しております。主様のお部屋の現状から算出するに、その基準を満たすためには、非常に時間を要することが予想されます。
     それでもよろしければ、是非、手伝っていただきたいのですが」
    「勿論さ。二人でやった方が早く済むだろ?」
    「ありがとうございます」
     ぺこ、と頭を下げたパラに見えないよう、フィオはぐっと握り拳を固めていた。

     一方、マークは研究所の机に頬杖を付きながら、ぼんやり思案していた。
    (どうやったら2日以内にルナさんの鼻を明かせるかなぁ)
     机上のメモ帳にぐりぐりと、絵とも単語とも付かないものを書き散らしつつ、そんなことを考えていると、背後からひょい、と両目を塞がれた。
    「おわっ」
    「さーて、誰かしら?」
     口調と声色を変えて尋ねてきた相手に、マークは苦笑しつつ答える。
    「ルナさんにしちゃ、声が高いよ。それにもっと可愛げがある」
    「じゃ、だーれだ?」
    「シャランだろ?」
    「はっずれー」
    「えっ?」
     顔からぱっと手を離され、マークは振り返る。
     そこにはニヤニヤ笑いながら離れて見ているシャランと、研究員の一人――昨年チームに入ってきた紫髪の短耳、クオラ・マキソフの姿があった。
    「だまされちゃいましたねぇ、主任」
     クオラはのったりとしたしゃべり方で、ケラケラ笑っている。
    「あー、うん、今のは完全に騙されたよ」
    「マーク、いつにもまして隙だらけだったもん。イタズラしてくださいって言わんばかりに」
    「ホントですよぅ」
    「参ったな……」
     マークも苦笑して返しつつ、このいたずら好きの二人に、ルナを驚かせる方法が無いか、尋ねてみることにした。

    白猫夢・新月抄 2

    2014.05.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第375話。鬼のいぬ間に。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ルナにデコピンされた額をさすりながら――この時点でルナが本当に出かけたことは確認済みである――マークはフィオとパラに問いかける。「で、どうする?」「どうって」「そう仰られましても」 ニヤニヤしているマークに対し、フィオとパラは顔を見合わせている。「ルナさんがいないのって、最長でも2日だろ? 勝手に研究進めるって言っても……...

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    麒麟を巡る話、第376話。
    イタズラ作戦会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「えぇ? 所長、いないんですかぁ?」
     マークからルナが不在であると聞かされたシャランとクオラは、顔を見合わせた。
    「まあ、2日だけなら特に支障も無いだろうけど」
     と、シャランはチラ、とマークの顔を見て、ニヤニヤ笑いながらこう尋ねる。
    「その間に所長をあっと言わせたい、……とか思ってるんだろ?」
    「う」
     図星を突かれ、マークは思わずうなる。それを見たシャランは、またニヤニヤと笑う。
    「だろうと思ったよ。いかにもマークの考えそうなことだもん」
    「うー……」
     苦笑いしつつ、マークは憮然としていた。
    (なんだよ、みんなして……。そんなに僕、子供っぽくて単純かな)
    「『そんなに子供っぽくないぞ』って顔してる」
     と、シャランが再度、図星を突いてくる。
    「し、してないよ」
    「ま、それはさておき。
     あたしの意見を率直に言うと、多分イタズラは無理」
    「え?」
    「所長、はっきり言って超人じゃん? ちょっとくらいビビらせようったって、すぐ見抜かれるよ、きっと。
     例えば机に蛾仕込むとかしてもさ、所長は多分、部屋に入る前に『なんかブブブって机ん中から聞こえるんだけど、マーク、あんた何かやったでしょ?』っつって、マークんとこに来るよ」
    「……ぐうの音も出ない完璧な推測だね。容易に想像できてしまうのが悲しい」
    「あたしもカンタンに想像できちゃいましたよぅ」
     しょんぼりするマークと、肩をすくめたクオラに対し、シャランはこう続けた。
    「だから、やるとしたら別の方向からのアプローチがいいと思う」
    「……え」
    「やりたいんでしょ? だったら手伝うよ、あたし」
    「あ、ありがとう」
    「どーいたしまして。
     で、話の続きだけどさ。何かを部屋に仕掛けるって言う感じのイタズラは、多分ダメ。所長は速攻、見破る。だからもっと別の……、んー」
     シャランはそこで、言葉を切る。そこで、今度はクオラが提案した。
    「別の、って言うとぉ、こっそり仕掛けるんじゃなくってぇ、むしろ堂々とぉ、真正面からって言う感じですかぁ?」
    「あー、……うーん? それって例えば、どう言う感じ……?」
     尋ねたマークに、クオラは首を横に振る。
    「……言ってみただけですぅ」
    「いや、それはアリかも」
     と、考え込んでいたシャランが口を開く。
    「例えばさ、いきなりパラちゃんがドレスじゃなく、スーツ姿になった、……とかってどう?」
    「あー」
    「それは驚くかも。あとは……」
     マークも考えてみるが、急には出てこない。
     と、クオラがポン、と手を叩く。
    「あ、そうだぁ。こんなのってぇ、どうでしょうかぁ?」
    「どんなの?」
    「主任とぉ、シャランさんってぇ、お付き合いされて随分長いって聞いてますけどぉ」
    「うん、確か2年くらいにはなるかな。知り合った頃から数えると7年くらい」
    「でしたらぁ、結婚してみたらどうですかぁ?」
    「へっ?」「ちょ、ちょっとクオラ」
     クオラの提案に、マークとシャランは、同時に尻尾を毛羽立たせた。
    「い、いや、それは……」
    「きっとものすごく驚くと思いますよぅ?」
    「そりゃ驚くよ。ルナさんがって言うより、まず僕が驚いたよ」
    「でしょぉ? これは一番なんじゃ……」「だーめ」
     と、シャランが尻尾を撫で付けつつ、それを却下した。
    「確かにそろそろしたい気持ちはあるよ。でも所長抜きで結婚式挙げちゃうなんて、不義理過ぎるって。所長、すごく悲しむと思う。
     何だかんだ言って、所長はマークのこと、すごく大事にしてるみたいだし」
    「う、うん。その意見には賛成だ。
     ……でも、まあ、……いつかはするとして……、揃って指輪付けるくらいのイタズラは、やっていいんじゃないかな」
    「あー……、そだね、それくらいならいいか」
     納得したシャランに、クオラは満面の笑みを浮かべる。
    「決まりですねぇ。じゃ、今日のお仕事が終わったらぁ、一緒に指輪とかぁ、見に行きましょぉ~」
    「いいね。それじゃ、ちゃちゃっと済ませよっか」
     そう言って、シャランたちは自分たちの作業机に移る。
     と――シャランはくる、とマークに振り返り、にこっと笑いながらこう言った。
    「指輪だけど、単なるイタズラ用って考えないでよ。あたし、婚約指輪のつもりでもらうからね」
    「……あ、うん。も、勿論、うん」
     マークは額に浮いていた汗を拭いながら、しどろもどろに答えた。

    白猫夢・新月抄 3

    2014.05.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第376話。イタズラ作戦会議。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「えぇ? 所長、いないんですかぁ?」 マークからルナが不在であると聞かされたシャランとクオラは、顔を見合わせた。「まあ、2日だけなら特に支障も無いだろうけど」 と、シャランはチラ、とマークの顔を見て、ニヤニヤ笑いながらこう尋ねる。「その間に所長をあっと言わせたい、……とか思ってるんだろ?」「う」 図星を突かれ、マーク...

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    麒麟を巡る話、第377話。
    一人相撲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……パラ」
    「何でしょう」
    「今の進捗状況をパーセントで表すとしたら、いくつくらいになる?」
    「16.22%です」
     パラの回答に、フィオはげんなりした声を漏らした。
    「まだ、それだけ?」
    「状況は依然、初期段階にあると言えるでしょう」
    「そっか……」
    「事前に、わたくしの清潔度の基準は一般平均よりも著しく高く設定している、とお伝えしたはずです」
    「う、うん。……そうだったね」
     フィオは内心、軽く呆れつつも、文句を言うことはせず、たんすの上の木箱をどかし、埃(ほこり)を拭おうとする。
    「フィオ」
     と、パラが呼び止める。
    「う、……まだまずかったかな、ここも」
    「はい。
     何度も申し上げました通り、まずは天井に近い箇所から順次、埃と脂(やに)を除去し……」
    「ちょ、ちょっと待ってくれよ? 天井に近いと思うんだけど、ここ」
    「まだたんす背面の壁の埃を払っておりません。そちらからお願いいたします」
    「え? 壁?」
    「微量ながら汚れが付着しております」
    「……あー、うん。……あー、だからまだ16%なのか。部屋の中の壁を全面、やるつもりなんだな?」
    「その通りです。主様は煙草を嗜まれることもあり、当室内の壁は屋内の他の箇所に比べ、平均46.81%程度、特に汚れが強く付着しております。
     わたくしの基準に適う程度まで汚れを除去するには、現状の進捗を鑑みるに、26時間41分を要するでしょう」
    「え……」
     作業時間を聞かされたフィオは内心、苛立ちを覚える。
    「……参考までに聞くけどさ」
    「何でしょう」
    「それ、僕がいなかったらどれくらいの時間になる? もしかしてさ、もっと早かったりするのか?」
     嫌味を込めてぶつけたその質問に、パラは淡々とした口調で答えた。
    「現状を鑑みれば、78.67%程度に短縮が可能です」
    「……あーそうかい、分かったよ」
     フィオははたきを投げ出し、パラに背を向けた。
    「じゃあ一人でやってろよ。付き合いきれない」
    「承知いたしました」
     淡々と返され、フィオはそれ以上怒りをぶつけることもできず、無言で部屋を出た。
    「……」
     残されたパラは、床に捨てられたはたきを手にし、そのまま黙々と作業を再開した。

    (二度とあいつの掃除手伝う、なんて言うもんか。やってられないっての!)
     フィオは怒りに任せ、市街地へ足を向ける。
    (あーあ……、あいつの神経質っぷりを甘く見てたよ、マジで!
     細かすぎるだろ、いくらなんでも!? 人形だのなんだのって言ったって、限度があるっての!
     いや、人形とかそう言うの、関係ないよな!? あれは絶対、あいつ個人の性格だっての! だって僕が……)
     と、大通りに入ったところで、とある店のショーウインドウがフィオの目に留まる。
    「あ」
     そこに展示されているワンピースを見て、フィオの感情は180度引っくり返った。
    (……しまったな。そうだよ、これがあったからパラを誘ったのに。
     いっつもケバケバしいドレス姿だし――微妙に似合ってないし。何考えてんだか、ルナさん――こう言うシンプルなワンピースの方が似合いそうだなって思ってたし、だからここに誘おうと思ってたのに。
     よくよく考えれば悪いことしちゃったよな……。僕がやるって言ったのに、それをほっぽり出して出て行っちゃったし。……バカ過ぎる)
     フィオは踵を返し、研究所へと戻っていった。

     研究所に戻り、フィオは急いでルナの部屋の扉を開く。
    「ごめん、パラ! 僕が悪かっ……」
     謝りかけたところで――フィオの目に、パラと、研究員4名の姿が映った。
    「……え?」
    「ども、ギアト君」
    「パラちゃんが大変そうだったんで、俺たち手伝ってました」
    「ギアト君も手伝いに?」
    「……」
     一片の曇りも見られない研究員たちの笑顔と、そして無表情のパラの目を見て、フィオは形容しがたい苛立ちを覚える。
    「……いいや、別に。なんでも。それじゃ」
     フィオはまた、怒りに任せて出て行った。



     その一時間後――市街地の公園に、頭を抱えたフィオの姿があった。

    白猫夢・新月抄 4

    2014.05.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第377話。一人相撲。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「……パラ」「何でしょう」「今の進捗状況をパーセントで表すとしたら、いくつくらいになる?」「16.22%です」 パラの回答に、フィオはげんなりした声を漏らした。「まだ、それだけ?」「状況は依然、初期段階にあると言えるでしょう」「そっか……」「事前に、わたくしの清潔度の基準は一般平均よりも著しく高く設定している、とお伝えしたはず...

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    麒麟を巡る話、第378話。
    所員たちの評価。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「そう言えば……」
     パラの手伝いをしていた研究員の一人が、唐突に口を開く。
    「ギアトさんって、普段は何してるんでしょう? あんまり話しないから、よく知らないんですけど……」
     ちなみにフィオとパラの素性については、シャランを除く研究員たちには明かされていない。あまり吹聴すれば、白猫党(特に葵)や克難訓など、厄介な相手にうわさが伝わる危険があるためだ。
    「あー」
     壁の脂を落としつつ、別の研究員が応じる。
    「俺が聞いた話だと、主任の護衛官らしいよ。主任、一応この国の第一王子だし」
    「そう言やそうでしたね」
    「いつも所長に小突かれてるイメージしかないから、あんまりピンと来ないけどな」
    「あはは……」
    「失礼だ、それは」
     と、ルナ参入以前からマークの研究チームに加わっていた古株、長耳のエイブ・リスターがたしなめる。
    「確かに殿下は王族らしさをあまり感じさせぬ方だが、言い換えれば別け隔てなく接してくださる、気さくな方だ。……まあ、確かに気さく過ぎる節はあるが。
     にしても、ギアト君はいささか職務怠慢ではないかとは、確かに私も感じている」
    「ですよね? いっつもパラちゃんと遊んでるイメージしか無いですよ」
    「ははは……」
     研究員たちが笑ったところで、パラが静かに口を開いた。
    「それは誤った認識と判断されます」
    「え?」
    「フィオは普段より、わたくしと各種戦闘技術の訓練を行っております。遊んでいると言う認識は、実際と大きく差異が生じているものと断言いたします。
     万が一マークを狙う者が現れた際には、その与えられた職責に足る行動を執るはずです。そのような存在が発生していないため、フィオの活躍は現在、確認できませんが」
    「……ごめん」
     素直に謝ってきた研究員に、パラは静かに首を振って見せた。
    「事実の再認識をしていただければ結構です」
    「まあ、確かに平和だからこそ、ギアト君がブラブラしていられるわけだ。むしろその太平楽な姿に安堵すべきか」
    「でも、なーんかダメなヤツだなって、俺は思いますけどね。カノジョがこうやって一所懸命に仕事してんのに、チラっと見るだけでどこか行っちゃうし」
    「確かに……」
    「女性の扱いを知らんな」
     研究員たちがうんうんとうなずく一方、パラの顔にほんのわずか、困った色が浮かぶ。
    「彼女とは、どなたのことでしょうか」
    「え?」
     パラの問いに、研究員たちは一斉に、パラの方を向く。
    「……パラちゃん?」
    「何でしょう」
    「君じゃないの?」
    「何がでしょう」
    「いや、俺たちずっと、パラちゃんがギアト君の彼女だと思ってたんだけど」
    「え」
     困惑する様子を見せたパラの顔に、やはりほんのわずかだが、嬉しそうな気配が浮かんだ。
    「それも、『誤った認識』だったかな?」
    「否定は、できかねます」
    「おや」
     パラの反応に、エイブが目を丸くした。
    「君がそんなに戸惑うとは」
    「いいえ、そんな」
    「あの奔放なフラウス所長の娘さんにしては、あまりにも無感動な子と思っていたが……、いやいや、やはり歳相応の感情はあるようだ。
     悪かったね、ギアト君を貶すようなことを言ってしまって」
    「い、いえ」
     パラは研究員たちにくるりと背を向け、そのまま黙り込んでしまった。

     と――部屋の外から、驚いたような声が飛んできた。
    「あーっ!? アンタたち、何してんのよ!?」
    「え? あ、所長」
     研究員たちとパラが振り返った先に、ルナの姿があった。
    「パラ、あたしの部屋で何やってんの?」
    「掃除を行っておりました。皆様はわたくしのお手伝いを」
    「もう、別にそんなのいいのに」
     唇を尖らせつつ、ルナはコートを脱ぐ。
    「ある、……お母様」
     パラはきょとんとした仕草で、ルナに尋ねる。
    「お帰りは明日、もしくは明後日と伺っておりましたが」
    「そのつもりだったんだけどねー」
     ルナは机に腰掛けつつ、煙草を口にくわえる。
    「いなかったのよね。師匠も、その師匠も。いそうなところ全部回ったんだけど、どこにもいなかったのよ。
     で、それ以上ウロウロしててもしょうがないから、さっさと切り上げて帰ってきたのよ」
    「そうですか」
     どことなくしょんぼりした様子のパラを見て、ルナは笑い出した。
    「アハハ……、そんなにあたしの部屋、綺麗にしたかった?」
    「はい」
    「いいわ、分かった分かった。じゃ、お願いしようかしらね」
    「ありがとうございます」
     パラはぺこりとお辞儀をし――ルナの口から煙草を抜き取り、灰皿とともに手渡す。
    「それでは屋外で喫煙をお願いいたします」
    「……ちぇ」
     ルナは苦笑しつつ、外に出た。

    白猫夢・新月抄 5

    2014.05.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第378話。所員たちの評価。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「そう言えば……」 パラの手伝いをしていた研究員の一人が、唐突に口を開く。「ギアトさんって、普段は何してるんでしょう? あんまり話しないから、よく知らないんですけど……」 ちなみにフィオとパラの素性については、シャランを除く研究員たちには明かされていない。あまり吹聴すれば、白猫党(特に葵)や克難訓など、厄介な相手にうわさ...

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    麒麟を巡る話、第379話。
    20年越しの回答。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     外に出て煙草をくわえ、火を点けたところで、ルナはとぼとぼとした足取りで、袋を提げて戻ってきたフィオを見付けた。
    「あら、おかえりなさい」
    「ああ……ども……」
     フィオはそのまま研究所の中に入ろうとし、途中で引き返してきた。
    「……って、ルナさん!?」
    「ただいま。どうしたのよ、そんなガックリして」
    「あ、いや、……何でも」
    「アンタは何のきっかけもなしにいきなり落ち込むの? だったら病気ね」
    「……いや、まあ」
     フィオは研究所の入口をそっと開け、中の様子を確かめてから、ルナに小声で返した。
    「内緒にしててくれよ」
    「いいわよ」
     フィオは研究所の様子を伺いつつ、自分の失敗を打ち明けた。
     それを聞いたルナは、ケラケラと笑って返す。
    「アンタ、バカねぇ」
    「自分でも反省してるよ……」
    「ま、するだけマシね。で、埋め合わせは何か用意してきたの?」
    「それなんだけど……」
     フィオは恐る恐る、提げていた袋からワンピースを取り出した。
    「あら、かわいいじゃない」
    「そ、そうかな?」
     フィオはほっとした表情を浮かべたが、そこで真顔になる。
    「ちょっと聞きたいんだけど、ルナさん」
    「なに?」
    「パラって、いつも同じドレス着てるよね?」
    「そうね」
    「他には持ってないの? って言うか、買わないの?」
    「一応、買ってるわよ。でもね」
     ルナも研究所の方を一瞥し、小声で返す。
    「あの子、『わたくしが人間となった暁には、謹んで拝着いたします』つって、着ようとしないのよね」
    「あ……、そうなんだ。じゃあこれ……」
     しょんぼりした顔でワンピースを袋に戻したフィオに、ルナはポンポンと、彼の頭を優しく叩いた。
    「いいじゃない。着るかどうかは置いといて、あの子は絶対喜ぶわよ。あたしが保証する」
    「そう、かな」
     フィオのほっとした顔を見て、ルナはこう続けた。
    「つーか、それだけは無理矢理にでも着させるわ。あたしもドレス以外の格好したパラは見てみたいし、あの子にそう言うプレゼント贈ったのは、あたし以外にはアンタしかいないんだし、ね」
    「……ありがとう、ルナさん」
    「でも」
     ルナはもう一度、今度は自分の部屋の窓を確認して、肩をすくめた。
    「今はダメね。掃除中だし」
    「そうだね」
     と、研究所の扉が開き、中からマークとシャラン、クオラが出てきた。
    「あれ?」
    「所長だぁ」
    「もう帰ってきたの?」
     驚くマークに、ルナはニヤニヤと笑みを返す。
    「ただいま。お邪魔だったかしら?」
    「あ、いや、そんな」
    「もしかして」
     ルナは3人の顔をじっと見て、こう続けた。
    「あたしを驚かせようと、何かイタズラ仕込もうとしてた?」
    「……」
     3人は顔を見合わせ、そして観念したように、揃ってうなずいた。

     その後、マークたちも交えた研究所の全員で掃除が行われ、ルナの部屋を含む研究所の全箇所が綺麗に清掃された。



    「で、問題なのが」
    「師匠も克大火も見付からなかったってことよ」
     綺麗になったばかりの居間に早速、ルナは紫煙を浮かばせている。
    「考えられる可能性としては、まだあたしが知らない住処があって、そこに籠もってるのか、あのクソ賢者の言ってた『用事』が済んでないか、……ってとこね」
    「ルナさんは、どっちだと?」
     マークの問いに、ルナは手をぱたぱた振りながら答える。
    「後者の方が圧倒的に、可能性が高いわね。
     師匠のことは粗方知ってるつもりだし、師匠も克も生活習慣をコロコロ変えるほど短い人生送ってないから、今更あたしが知らないような研究所や工房なんかを作ってるとは思えないもの。
     となれば、その用事って言うのが相当厄介な代物ってことしか考えられないわ。第一、モールは克の古い友人だって言うし、そいつからの頼みを断らなきゃいけないほどの用事なら、そうそう早く片が付けられるとは考えにくいしね」
    「何なんでしょうね、その用事って」
    「さあね」
     ルナは煙草を灰皿に押し当て、揉み消す。
    「何にせよ、これで央中を訪ねる重要度が上がったわね。あたしでも見当が付かないようなことを知ってそうなのは、天狐ちゃんしかいないもの」
    「なるほど……」
     ルナは席を立ち、フィオに声をかけた。
    「フィオ、確か来月4日に出発だったわよね?」
    「ああ」
    「明日じゃダメなの?」
    「ああ。今行っても意味が無い」
    「ふーん……? ま、いいわ。
     で、どうよ?」
     ルナの問いかけに答える形で、ワンピース姿のパラが居間へとやって来た。
    「あら、いいじゃない」
    「ありがとうございます」
    「お礼はフィオに、でしょ」
     そう言われ、パラは傍らのフィオにくる、と振り向いてお辞儀する。
    「ありがとう、フィオ」
    「いや、こっちこそ。昼間は悪かったなって。……じゃ、僕はこれで。おやすみっ!」
     フィオは顔を真っ赤にして、そそくさと出て行った。
    「……」
     残ったパラは――やはり無表情だったが――どこか、嬉しそうに佇んでいた。
    「覚えてる?」
     と、ルナが声をかけてくる。
    「何をでしょう」
    「20年くらい前、あたしがアンタに言った言葉。『着飾るのには理由があるのよ』って、アンタに言ったこと」
    「はい」
    「今はその意味、分かるかしら?」
    「……」

     その時、傍で二人の様子を眺めていたマークは、後にこう語っている。
    「パラがあんな風に笑うのなんて、初めて見たよ」と。



     そして5月4日、ルナたち一行は央中へと向かった。

    白猫夢・新月抄 終

    白猫夢・新月抄 6

    2014.05.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第379話。20年越しの回答。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 外に出て煙草をくわえ、火を点けたところで、ルナはとぼとぼとした足取りで、袋を提げて戻ってきたフィオを見付けた。「あら、おかえりなさい」「ああ……ども……」 フィオはそのまま研究所の中に入ろうとし、途中で引き返してきた。「……って、ルナさん!?」「ただいま。どうしたのよ、そんなガックリして」「あ、いや、……何でも」「アンタ...

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    麒麟を巡る話、第380話。
    襲来と不在。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、4月28日。
     当代ラーガ家当主、狼獣人のポエト・ナルキステイル・ラーガ氏は、大慌てで天狐の屋敷へ駆け込んだ。
    「テンコちゃん、大変だ! 白猫党が軍を……」
     ノックもせずに玄関をくぐり、突如発生した問題を説明しようとしたところで、ポエトはたむろしていた天狐ゼミ生の一人にぶつかった。
    「わっ!?」「あいたっ!」
     どすんと尻餅をついたポエトに、同様に倒れ込んだゼミ生が謝る。
    「す、すみません」
    「いや、私も動揺して、……あ、いや。こんなことをしている場合ではない」
     立ち上がったポエトに、別のゼミ生が声をかけた。
    「ラーガ卿、もしかしてテンコちゃんにご用事でしょうか?」
    「うむ、早急に手を借りたくてな」
     ポエトがそう返した途端、ゼミ生たちは顔を見合わせた。
    「どうした?」
    「その……、僕たちも困ってて」
    「何があった? いや、それよりもテンコちゃんは……」
    「それなんです」
     ゼミ生たちは異口同音に、異状を告げた。
    「テンコちゃんがいないんです。どこにも」



     時間は30分前に戻る。
     ポエト氏はその日もいつも通りに、朝食を優雅に楽しんでいた。
    「旦那様、今朝のデザートです」
    「うむ」
     運ばれてきたショコラシフォンケーキを見て、ポエトはぽつりとつぶやく。
    「またテンコちゃんと話がしたいものだ。特にこれがあると、彼女は饒舌になるからな」
    「お好きでしたものね、テンコちゃん」
     ちなみに天狐は堅苦しい挨拶や呼称を好まず、己のことも「ちゃん付けでいいからな」と周囲に伝えている。
     ラーガ邸の者たちも、当主以下全員が敬意を表する形で、あえて「テンコちゃん」と呼んでいるのだ。
    「今夜あたり、呼んでみようか」
    「どうでしょう? そろそろ今期のゼミも終盤に差し掛かるはずですし、卒論の確認などでお忙しくされているのでは?」
    「ああ……、そうか。もうそんな時期だったな。
     ……いや、ならばむしろ、これからの激務に備えて英気を養ってもらうと言う意味合いでお呼びできるかな。
     よし、後でテンコちゃんの家に連絡を……」
     と、メイドに命じかけたところで、執事が慌てて食堂に駆け込んできた。
    「どうした? 騒々しいな」
    「た、大変でございます、旦那様!」
    「そのようだな。何があった?」
     そう尋ねつつも、ポエトはケーキから視線を外さない。
     だが、執事が伝えたこの衝撃的な報告を受けては、目を向けずにはいられなかった。
    「げ、現在、フォルピア湖南岸において、多数の武装した兵士が現れ、南岸港を占拠した上に、こ、このミッドランドへと向かっているとのことです!」
    「なに……?」
     ようやく視線をケーキの上に乗ったショコラトリュフから、執事の真っ青な顔へと向け、ポエトは続けて尋ねる。
    「どこの兵士だ?」
    「じょ、情報が錯綜しておりまして、なにぶん、まだ確証は取れておりませんが……、どうやら、あの白猫党の有する軍ではないかと」
    「……しろ、ね、こ? と言うと……、2、3年前に央北で名を挙げたと言うあの、白猫党か?」
    「彼らが身に付けていた腕章や徽章などから、そうらしいと……」
    「馬鹿な。何故彼らが央北ではなく、央中の、それも南部・中部地域にあるこのミッドランドに現れると言うのだ?
     私もうわさに聞いた程度でしか無いが、白猫党は央北西部および中部を併合したとは聞いているが、依然、央北東部にその根は伸びていない。もし攻めを進めると言うのならば、そちらから進めるはずではないか。
     百歩譲って、彼らが央北から央中に侵攻せんとするのならば、北部からが常道だろう?」
    「ええ、そのはずですが……、しかし事実、彼らはこちらに向かっているようでして」
    「再度、入念に事実確認を行ってくれ。もしも事実であるならば、こちらも兵を港へ向け、上陸を阻むのだ。
     私は念のため、テンコちゃんのところへ向かい、応援を要請してくる」
     ポエトは卓に置いたままのケーキを一瞬、残念そうに一瞥して、それからラーガ邸を出た。



     そして現在。
    「何ですって……!? テンコちゃんが、いない!?」
    「ああ。助手のレイリン女史もいなかった」
     ポエトは執事や兵士長を集め、天狐の屋敷に起こっていた異状を説明した。
    「ゼミ生たちも、何も知らないとのことだ。一体彼女の屋敷で何が起こったのか、平時であれば直ちに究明したいところではあるのだが……」
    「後もう、1時間程度で白猫軍が港へ到着すると思われます。いや、最新の高速舟艇を使用しているとの情報も寄せられておりますし、到着はより早くになるやも知れません」
    「武装しているとのことだったな」
    「ええ。それに、相手は白猫党。武器も恐らく、最新鋭の銃火器を用意しているでしょう」
    「であれば……、いたずらに兵を送り、港の守りを固めたとしても、易々と突破されかねんな」
     ポエトはしばらく腕を組んで黙っていたが、やがて冷静な眼差しで、兵士長にこう命じた。
    「犠牲は最小限に留めたい。半端な抵抗や強硬な態度は、兵士を犬死にさせるだけだろう。
     港に白旗を掲げ、話し合いの場を設けるよう伝えてくれ。港に集まっている兵士たちは、市街地手前まで退かせろ。
     万一、話し合いが決裂するようなことがあっても、決して市街地を交戦の場にはするな」
    「了解です」

    白猫夢・陥湖抄 1

    2014.05.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第380話。襲来と不在。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦570年、4月28日。 当代ラーガ家当主、狼獣人のポエト・ナルキステイル・ラーガ氏は、大慌てで天狐の屋敷へ駆け込んだ。「テンコちゃん、大変だ! 白猫党が軍を……」 ノックもせずに玄関をくぐり、突如発生した問題を説明しようとしたところで、ポエトはたむろしていた天狐ゼミ生の一人にぶつかった。「わっ!?」「あいたっ!」 ...

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    麒麟を巡る話、第381話。
    どっちが先?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     白猫党が開発した、最新の舟艇に乗っていた党首シエナは、ロンダ司令からの報告を受けていた。
    「目標地点の港に白旗が掲げられております。どうやら交渉を申し出ているようです」
    「分かったわ。兵士1分隊をよこしてちょうだい。アタシとイビーザとトレッドで、交渉に臨むわ」
    「了解であります」
    「港の様子だけど、どうなって……」
     シエナはそこで言葉を切り、間を置いてこう続けた。
    「……いいえ、自分の目で確認したいから、双眼鏡かなにか貸してくれるかしら」
    「あ、はい。私のものでよろしければ、お使い下さい」
    「ありがとう」
     シエナはロンダから双眼鏡を借り、ミッドランドに向けた。
    「……懐かしいわね。全然、変わってないわ」
    「そう言えば、閣下はミッドランドでご勉学に励んでいらっしゃったとか」
    「ええ。天狐ゼミって言ってね、魔術専門のゼミだったの」
    「ほう……? 政治学などは、どちらで?」
    「独学ね、言ってみれば。まあ、アタシには優秀なブレーンが一杯付いてくれているから」
    「なるほど。……しかし、我々の懸念点はまさに、そのテンコであります」
     ロンダは緊張した面持ちで、裸眼でミッドランドに目を向ける。
    「テンコ・カツミの存在は、ミッドランド占拠と言う我々の第一目標において、非常に高い障壁となります。抵抗を受けた場合、それを押さえ込めるような兵力は、流石の我が軍も有してはおりませんからな。
     しかし事前の幹部会議で、『この日よりミッドランドに、テンコ・カツミの姿は無い』との預言をいただきましたが……、本当に有り得るのでしょうか?
     いや、預言者殿の言葉を疑うわけではありません。しかし我々の調査では、520年にあの地でテンコが活動を始めて以来、半世紀もの間、ミッドランド以外へ移動したことが無いとのことです。
     それが今、折しも我々が強襲しようとしているこのタイミングで、都合よく不在であるとは……」「逆ね」
     シエナはクスクス笑いながら、こう返した。
    「預言は『予言』なのよ。いついなくなるか分かっていたからこそ、あたしたちはこのタイミングでここに来たのよ」
    「む、む……?」
     ロンダは納得の行かない様子で、さらにこう返す。
    「我々の目的は、諜報員殺害に対する、偽白猫党への報復。
     あの手紙には、講演会の開催日は『5月4日』とありましたが、先んじて街を密かに掌握しておき、やって来た偽党員を待ち構えて拘束する、……と言う閣下らのご判断により、我々は本日、こうして向かっております。
     しかし失礼ながら、閣下の今のお言葉は、まるでテンコがいない時を見計らい、その隙に乗じて占拠に向かわれたと、そのように聞こえましたが……?」
    「勿論、本来の目的は偽党員の拘束よ。その目的を満たすために、一つの悪条件が除かれていることを、預言は教えてくれている。そう言うコトよ」
    「……む……う……?」
     まだ納得の行かなさそうな表情を浮かべるロンダをよそに、舟艇はまもなく、港に到着しようとしていた。

     港に着岸した舟艇から、兵士1分隊と、シエナたち最高幹部が上陸する。
    「ようこそ、白猫党の御方々」
     それを緊張した面持ちで、ポエトが出迎える。
    「お初にお目にかかる。私はこのミッドランド市国を治めるラーガ家の主、ポエト・ナルキステイル・ラーガだ」
     ポエトからの挨拶を受け、シエナも応じる。
    「初めまして、ラーガ卿。私は白猫原理主義世界共和党の党首を務めております、シエナ・チューリンと申します」
    「ご紹介、痛み入る。早速だが、こうして無理矢理に、我が街にやってきた理由をお聞かせ願いたい」
     ポエトの質問に、シエナは――党本部で見せたような激情に任せた振る舞いを、一切見せることなく――淡々と、しかし堂々とした態度で応じた。
    「単純な理由よ。我々の同志3名が、我々の名を騙る者によって惨殺され、さらにはその偽党員は貴国市内において、講演会を催そうとしていることが分かった。
     我々はその偽党員を、極めて非常識かつ異常な、決して許すべからざる輩であり、かつ、我々のみならず、貴国をはじめとする央中地域にとっても著しく害を及ぼす存在と断定したため、この地で拿捕すべく兵を率いた。以上が理由よ」
    「納得できかねる」
     威圧的な態度を見せたシエナに対し、ポエトも折れない。
    「その異常なる輩の拿捕だけであれば、我々に一筆送ってくれれば対応するものを、何故こうも大仰に人を送り込み、党首自らが乗り込んでくるのだ? あまつさえ、湖外周の港まで占拠したと聞く。
     到底、あなた方が仰ったような、義憤から来る事情だけが理由とは思えん」
    「これは我々に対する宣戦布告であると、我々は考えているわ。それなのに第三者の兵を当てにして放任しろ、と? 我々はそこまで無責任でも恥知らずでもないし、他国の兵を頼らなければいけないほど脆弱でもないわ。
     そう言うワケだから、我々がこの地に駐留するコトを許可してほしいのだけど」
    「であるから、納得できかねると申しているのだ。
     なるほど、あなた方のメンツが懸かっていることは理解した。あなた方の軍が世界最高水準の兵力と技術力を有していることも、かねがね存じている。
     だがそれと、我が国の所有地である港を奪われることに、何の関係があると言うのだ?」
    「敵に我々の行動を察知され、逃げられでもした場合、その次の足取りを追うことは容易でないコトは明白でしょう? その可能性を消すため、早急に動いたまでよ。
     とにかく、我々の要求は二つよ。ミッドランドに関係する全航路及びその集積地、即ち港を我々の管理下に置くこと。そしてあらゆる抵抗や実力行使をしないこと。
     この二項をラーガ家当主、即ち貴君が公的に容認すると、ここで宣言してちょうだい」
    「なんだと……ッ!?」
     ここまで冷静に応じてきたポエトも、この要求には憤った声を漏らした。

    白猫夢・陥湖抄 2

    2014.05.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第381話。どっちが先?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 白猫党が開発した、最新の舟艇に乗っていた党首シエナは、ロンダ司令からの報告を受けていた。「目標地点の港に白旗が掲げられております。どうやら交渉を申し出ているようです」「分かったわ。兵士1分隊をよこしてちょうだい。アタシとイビーザとトレッドで、交渉に臨むわ」「了解であります」「港の様子だけど、どうなって……」 シエナはそこ...

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    麒麟を巡る話、第382話。
    ミッドランド制圧。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「か、閣下。それはあまりにも……」
     ここまで傍観していたトレッドが、慌ててシエナを止めた。
     何故ならその要求をポエトに呑ませることは、彼の地位と権威を貶めることになる。そして貶めさせた原因は白猫党である。
     それは実質的に、ポエトをミッドランド市国の最高権力者の座から引きずり下ろし、白猫党がその座を奪うことと同じ――即ち、力ずくで占領したも同然の結果となるからだ。
     当然、穏健派であるトレッドは、央中との決定的な関係悪化を避けるべく、シエナを止めようとした。
     しかし、シエナは意に介さない。
    「トレッド政務部長。あなたは黙っててちょうだい。
     さあ、ポエト・ラーガ卿。要求を呑むの? 呑まないの?」
     シエナは凄みながら、片手をそっと挙げる。
     それに同じるように、彼女が引き連れた1分隊が武器を構える。
    「貴様……!」
     当然、ポエトはそんな要求を呑むわけが無い。
    「私を虚仮にする気かッ! そんな要求が通ると、本気で思っているわけではあるまいな!?
     忘れているわけでは無いだろうな、この街にはあの、カツミ・タイカの弟子が……」「テンコちゃんでしょ?」「……っ」
     ポエトの脅しに対し、シエナは冷淡に応じて見せる。
    「勿論知ってるわよ。アタシは天狐ゼミ、564年下半期卒業生だもの。そうね、呼んでもらえると言うのならむしろ、ありがたい話だわ。恩師と久々に語り合えるもの。
     じゃあ、呼んでちょうだい。早めに、ね」
     そう言って、シエナは悪辣な笑みを浮かべた。
     対照的に、ポエトの顔色は――未だ堅い表情を崩しはしなかったものの――目に見えて蒼くなっていた。
    「……呼んできてくれ」
     ポエトは目を合わせず、執事にそう命令した。
    「旦那様ぁ……」
     執事は絞り出すような声で応じたが、ポエトは顔を向けようとはしなかった。
    「呼ぶ、……のだ」
    「……かしこまり……ました……」

     しかし、居ない者を呼べるはずもなく――1時間後、ミッドランド市国が有する入出国管理局、港湾施設および船舶は、すべて白猫党の管理下に置かれることとなった。
     そして同時に、ミッドランドにおける軍組織も武装を解除され、ミッドランドは白猫党に抵抗する術を、完全に奪われた。
     また、ポエトを筆頭とするラーガ家一族はラーガ邸に軟禁され、一切の外出と通信を禁じられた。
     即ち、これが白猫党の央中攻略の第一歩となった。



    「ついに……、ついに、やってしまいましたな、閣下」
     敵、味方ともに暴挙としか思えないこの一大政変の最中、シエナだけは平然と、コーヒーを口に運んでいた。
    「そうね。これでもう、後戻りはできないわ」
    「やはりこれが狙いだったのですか」
     恨みがましく睨んでくるイビーザとトレッドに対し、シエナは冷めた目を向ける。
    「占領はついでよ。容易にできそうだったからやったまでのコト。アタシたちの本来の目的は、あくまで報復でしょう?
     それで、ロンダ司令。偽党員は発見できたのかしら?」
    「はっ……。目下捜索中でありますが、未だそれらしい報告は上がっておりません」
    「そう」
     シエナはかちゃ、と音を立てて、カップをテーブルに置く。
    「引き続き、捜索を続けてちょうだい。首尾よく拿捕できた場合には、アタシ直々に褒賞を授けるわ」
    「ありがたき幸せにございます。ではより一層、力を尽くして捜査に当たります」
    「よろしく。……ところで」
     シエナはそれまでの鉄面皮を解き、不安そうな目をロンダに向けた。
    「テンコちゃんの屋敷、誰もいなかったって?」
    「ええ、もぬけの殻でした。預言者殿の啓示が的中しましたな」
    「気になるわね……。情勢に余裕が出てきてからで構わないから、いずれテンコちゃんたちについても、捜索をお願いね」
    「了解であります」

     しかし――市国及びその周辺を封鎖し、その全域をしらみ潰しに探し回ったものの、偽党員と思しき者も、また、天狐と鈴林も、ミッドランドのどこにも現れなかった。

    白猫夢・陥湖抄 3

    2014.05.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第382話。ミッドランド制圧。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「か、閣下。それはあまりにも……」 ここまで傍観していたトレッドが、慌ててシエナを止めた。 何故ならその要求をポエトに呑ませることは、彼の地位と権威を貶めることになる。そして貶めさせた原因は白猫党である。 それは実質的に、ポエトをミッドランド市国の最高権力者の座から引きずり下ろし、白猫党がその座を奪うことと同じ――即ち...

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    麒麟を巡る話、第383話。
    央中侵略、開始。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     月をまたぎ、5月1日を迎えても、一向に偽党員を発見できず、それでもなおミッドランドに居座り続ける白猫党に対し、ミッドランド周辺の国や都市では不満が高まりつつあった。
     ミッドランドを経由する交易路が軒並み、白猫党によって封鎖・凍結されているからである。

    「……」
     冷汗を流すロンダから、その日も成果を挙げられなかったと言う報告を受け、シエナはあからさまに苛立つ様子を見せていた。
    「いかがいたしましょうか……?」
    「何を?」
     ジロリとシエナににらまれ、ロンダはしどろもどろに答える。
    「そのですな、確かに党員が殺されたこと、これは許されざる凶行であります。しかし、軍の精鋭が三日三晩に渡って捜査を行ってなお、偽党員と思しき輩を発見できずにいるのです。
     これは、その、あくまで私の意見ではあるのですが、……その、我々がこの周辺を封鎖したことにより、その偽党員が警戒し、ミッドランドから逃げてしまったのではないか、と」
    「……」
     シエナは依然、苛立った目をロンダに向けている。
    「で、あればですな、これ以上、ミッドランドに駐留しても、何ら益のあるものではないのではないか、と、そう、思うのですが」
    「つまり?」
    「撤退すべき、では、ないかと」
    「へぇ」
     シエナはバン、とテーブルを叩く。
    「つまりアンタは、党員3名を殺害したヤツを放っておく、と言うのね?」
    「そっ、そうではありません! 勿論、追える限りは全力で追う所存であります!
     しかしですな、この街とその近隣に犯人がいないことは最早、明白であると思われます。ここでの捜査は切り上げ、他の国や街に捜査網を広げるべきではないか、と」
    「……」
     シエナはしばらく、無言でロンダをにらみつけていたが、やがてため息を漏らした。
    「分かったわ、ココからは撤収しましょう」
    「そ、そうですか」
     シエナの言葉に、ロンダ及び最高幹部らもほっとしかけたが、次の一言にまた、胃を痛めさせられた。
    「でもその代わり、近隣諸国を占領しなさい。少なくとも都市3ヶ所」
    「……えっ? な、なんですと?」
    「今回の遠征を、ただ央中の印象を悪くするだけで終わりにするつもり?
     どうせならこの機会、地理的有利を最大限に活かすのよ。毒を食らわば皿まで、ってヤツよ」
    「無茶です!」
     この提案にも、最高幹部たちは食い下がる。
    「今回率いてきた兵はたった1個中隊、250名程度です!」
    「いかに我々の装備や戦術が優れていようと、近隣の兵力、武力組織を撃破できるほどの数ではありません!」
    「そ、そうです! せめてその10倍は無ければ、到底話になりませんぞ」
    「あら、そう」
     シエナは薄く笑いを浮かべ、こう返した。
    「2日前に、党本部に5個大隊をミッドランドへ送るよう指示したわ。早くて明日には到着するでしょうね」
    「なっ……」
    「ソレだけ兵力があれば攻略可能なんでしょう?
     再度命令するわ、ミゲル・ロンダ司令。戦力が到着し次第近隣諸国を強襲し、占領しなさい」
    「……」
     ロンダは目を見開き、驚きと恐れに満ちた表情を浮かべていたが――やがて、「了解であります」と、いつもよりトーンの落ちた声で応じた。



     結果から言えば、この蛮行極まりない行為としか思えなかった侵攻作戦は、成功を収めた。
     白猫党はミッドランド市国に隣接する小国3ヶ国と、央中南部の中堅国、バイエル公国の港町、オリーブポートをはじめとする都市数ヶ所を電撃的に襲撃し、陥落・占領した。
     これにより、白猫党はこれまでより容易に、本国から大量の兵員を行き来させることが可能になるとともに、ミッドランド周辺の交易網を牛耳ることとなった。



     そして日は進み、5月4日。
     白猫党は既にミッドランドから兵を引き上げ、ラーガ家一族を解放させていたが――ミッドランドの周囲を白猫党が押さえている今、この島を取り巻く状況は占拠中と比べ、何の変化も無かった。
    「ああ、何ということだ……」
     ポエトは自らの足で市街地へと赴き、すっかり静まり返った街を目にし、苦々しくうめいた。
    「湖外周の港は、依然封鎖されたままなのか?」
     ポエトの問いに、兵士長が答える。
    「そのようです。厳密には『白猫党の管理下の元、運行されている』とのことですが、事実上は封鎖が継続されているも同然です。彼奴らが船を出すことを許可するとは、到底思えませんからな。
     近隣国も現在、白猫党との戦闘状態にあるとのことですが、恐らく党側の勝利に終わるでしょう。いずれの国も、彼らを撃退できるほどの力はありますまい」
    「となると、ミッドランド外の交易路も白猫党に握られたわけか……。央中が引っくり返るだろうな」
    「ええ……」
     ポエトはくる、と振り返り、丘の上に建つ自分の屋敷と、そのふもとに佇む天狐の屋敷を眺める。
    「……ラーガ家始まって以来の屈辱だ。央中域内の経済とその流通を司る我がラーガ家が、このような辱めを受けるとは!
     何故だ……! 何故テンコちゃんは、……テンコ・カツミは、この街から消え失せた!? 彼女がここに居てくれさえすれば、こんなことにはならなかったのに……!」
    「旦那様……」
     ポエトに付き従っていた者たちは、揃って苦渋の表情を浮かべていた。

    白猫夢・陥湖抄 終

    白猫夢・陥湖抄 4

    2014.05.31.[Edit]
    麒麟を巡る話、第383話。央中侵略、開始。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 月をまたぎ、5月1日を迎えても、一向に偽党員を発見できず、それでもなおミッドランドに居座り続ける白猫党に対し、ミッドランド周辺の国や都市では不満が高まりつつあった。 ミッドランドを経由する交易路が軒並み、白猫党によって封鎖・凍結されているからである。「……」 冷汗を流すロンダから、その日も成果を挙げられなかったと言う...

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    麒麟を巡る話、第384話。
    天狐を狙う邪悪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、4月28日――早朝。
     天狐と、そして鈴林はまだ、彼女たちの住まう屋敷で眠っていた。
    「……ッ!」
     だが突如、天狐が跳ねるように起き上がった。
    「鈴林! 鈴林ッ!」
     天狐は隣のベッドで眠る鈴林に声をかけて起こしつつ、壁にかけた自分の狩衣に向かってくい、と指を引く。
     すると寝間着が天狐の体から勝手にはだけ、脱げるとともに、狩衣が体に貼り付き、自動で着替えが終わる。それと同時に、鈴林がむくりと起き上がった。
    「なぁに……? まだこんな時間……」
    「地下へ行くぞ」
     天狐の言葉に、鈴林はぎょっとする。
    「地下っ? 地下って、『姉さん』のいる、地下のコトっ?」
    「そうだ。すぐ行くぞ」
     言った瞬間、二人は「テレポート」により、地下――天狐の本体が封印されている、ミッドランド丘陵地下の遺跡へと移動していた。
    「ふにゃっ!?」
     まだベッドから上半身を起こした姿勢のままだった鈴林は、どすんと尻もちを着く。
    「あいったー……。ひどいよっ、姉さんっ」
    「悪い。だが緊急なんだ。この魔法陣内に誰かが入ってきてる」
    「えっ……」

     二人が今いるこの地下遺跡は地下3階分にも及ぶ、巨大な魔法陣となっており、その中心に天狐の本体が封印されているのだ。
     しかし魔法陣は天狐を封印するだけのものではなく、彼女を核として魔力を集め、彼女の父であり師匠でもある克大火にそれを供給する、ある種の「発電所」のような役割も果たしている。
     厳重に封印が施されていることもあり、ここに誰かが入り込むようなことは、基本的に有り得ない。
     そんな場所にもし何者かがいるとすれば、それは即ち大火、もしくは天狐に害を成す存在であることは明白なのだ。

    「お師匠ってコトは……?」
     鈴林の問いに、天狐は首を振る。
    「こんな朝っぱらから、オレに声もかけずに、か? まあ、親父のコトだし有り得なくはないが、だとしても『無理矢理』ってコトは絶対ねーよ」
    「無理矢理ってっ?」
    「島に大穴を開けられてる。魔法陣にまで達するほどの、な」
    「穴……!?」
     鈴林は辺りを見回し、異状が無いか確認する。
    「でも、ちゃんと機能してるみたいだよっ?」
    「ああ。だからこそヤバいんだ」
     天狐は鉄扇を構え、歩き出す。
    「親父がこしらえた、この複雑極まりねー超巨大魔法陣の、そのほんのわずかな隙間を縫うようにして穴が穿たれてる。
     この魔法陣に異常が発生した場合には当然、センサーが働いてオレや親父に知らせるように設計してあるが、ソレが一切感知してねーんだ。恐らく親父も、異常には気付いてねーだろうな」
    「姉さんはどうやって気付いたの?」
    「勘、……ってヤツかな。いや、もっとはっきりした感じか。気配を感じたんだ。殺気と言った方がいいかな」
    「殺気……? 姉さんを、殺そうとしてるってコトっ?」
    「他に生き物なんていねーだろ?
     気を付けろよ、鈴林。センサーをほんの少しも感知させずに大穴をブチ抜く、精密さと大胆さを併せ持ち、そしてオレの本体の存在を知っていて、その上でオレを殺そうとするヤツだ――ものすげえ強い相手なのは、まず間違いないんだから、な」
    「……分かっ」
     鈴林がうなずきかけた、その直後――ばきん、と言う硬い破裂音が、鈴林の胸から響いた。

    「……あ……がっ……」
    「どうした、れい……」
     振り返った天狐の目に、背後から胸を剣で貫かれた、鈴林の姿が映る。
    「鈴林ッ!?」
    「流石にこれでは致命傷とは参りませんか」
     鈴林の背後から、抑揚のない声が聞こえてくる。
    「そこでじっとしていてくださいませ」
     鈴林の背後にいた者は、鈴林を刺し貫いたまま、壁へと突進する。
    「は……ぐ……あっ……」
     鈴林はそのまま、壁に打ち付けられた。
    「あ……ね……さん」
     血こそ流してはいないが、鈴林の動きは鈍い。
    「てめえ……ッ」
     天狐は鈴林を襲った者に向けて、鉄扇を構える。
    「さて、一聖(かずせ)様」
     鈴林を襲った黒と赤のドレスを着た少女も、もう一振り剣を抜いて構え、天狐と対峙した。
    「あなた様もお静かになさいませ」

    白猫夢・散狐抄 1

    2014.06.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第384話。天狐を狙う邪悪。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦570年、4月28日――早朝。 天狐と、そして鈴林はまだ、彼女たちの住まう屋敷で眠っていた。「……ッ!」 だが突如、天狐が跳ねるように起き上がった。「鈴林! 鈴林ッ!」 天狐は隣のベッドで眠る鈴林に声をかけて起こしつつ、壁にかけた自分の狩衣に向かってくい、と指を引く。 すると寝間着が天狐の体から勝手にはだけ、脱げ...

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    麒麟を巡る話、第385話。
    禍々しき母。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「一聖、……だと?」
     天狐は構えたまま、少女と言葉を交わす。
    「人違いじゃねーのか? オレは天狐だ」
    「いいえ、一聖様。我らが主様より、真の名を伺っております」
    「ケッ」
     天狐は舌打ちし、少女との間合いを詰める。
    「ポンコツめ。人の区別も付きゃしねーのかよッ!」
     天狐に応じるように、少女も剣を振り上げて彼女に襲いかかる。
    「ふざけてんじゃねえぞ、このガラクタッ!」
     しかし次の瞬間、少女の握っていた剣は、その右腕ごと彼方へと飛んで行った。
    「あっ」
    「何が『あっ』だ、寝ぼけんのも……」
     続けざまに、天狐は魔術を放つ。
    「大概にしとけやあああッ!」
     極太の雷に撃ち抜かれ、少女は――己の名前、トリノを名乗る暇も与えられず――真っ二つに裂かれ、そして蒸発した。
    「……ケッ。あのイカレ女め、これしきのオモチャでオレをどうにかできると思ったか?」
     天狐は苛立つ様子を見せながらも、未だ壁に磔(はりつけ)にされたままの鈴林に目をやる。
    「生きてるか、鈴林?」
    「……い……生き……てる……」
    「しゃべり辛そうだな。いいよ、今抜いてやっから黙っとけ」
     天狐はコキコキと首を鳴らしつつ、鈴林の方へと近付いた。

     だが、その足が途中で止まる。
    「……」
     天狐はくる、と横を向き、再度鉄扇を構えた。
    「そんなにオレを怒らせて楽しいか、ババア」
    「その不躾な口、それ以上わたくしに開くな」
     天狐の視線の先には、白いローブに身を包んだ女性――克難訓が立っていた。
    「その言葉、そっくり返してやんぜ。
     そもそもババア、何故お前は今更、オレの前に現れた?」
    「知れたこと。お前を殺すためだ」
    「だから、何で今更なんだよ」
     天狐は一歩、難訓に詰め寄る。
    「親父から聞いた話だけど、お前は『契約』したらしいな。オレを殺さない、と」
    「何を聞いたのやら」
     難訓は大仰な仕草で、肩をすくめて見せた。
    「重要な点がいくつも欠けている。大事なことを何ら聞いていやしない。ああ、やはりお前は欠陥品だ。わたくしの血を分けたなどと考えたくもない、怖気の走る駄作!」
    「言ったはずだぞ、ババア。その躾のなってねえ口を、オレに利くなと!」
     天狐はさらに距離を詰め、難訓に斬りかかった。
     だが難訓はそれをすい、と紙一重で避け、嘲笑うように語りかける。
    「まず第一に、その『契約』は非常に限定的なものだ。『わたくしが手を出してはいけない』と言う、実行者のみ限定した内容だ」
     更に二度、三度と鉄扇を振り回し、難訓を追うが、彼女はひらりひらりとかわし、話し続ける。
    「第二にわたくしは、『一聖を殺さない』と言ったのだ。
     お前は、違う。お前は一聖本人ではない。駄作を更に劣化コピーしただけの、ただの肉人形だ」
    「ソレがどうしたッ!?」
     天狐は怒りに任せ、鉄扇を投げつける。
     だが難訓はそれを魔杖で弾き――。
    「である故に、人形たるお前をどうしようと、わたくしがあの方と交わした『契約』には、何ら抵触することはない」
     そのまま天狐に向けて、魔術を放った。
    「『バールマルム』」
     次の瞬間、びちゃっ、と廊下に水音が響く。
    「テ……メ……エ」
     続いて、天狐の声が弱々しくこだまする。
     その天狐の左上半身は肉塊となって、廊下にバラ撒かれていた。
    「まだ抗う気か、ゴミめ」
    「抗う……さ……テメエにゃ……死んでも……負けたく……ねえんだよ……」
     天狐の九つある尻尾が、1本光る。
     そしてその1本が消えると同時に、天狐の体は元通りに復元された。
    「ここで引導渡してやらあッ! 消し飛べ、ババアああああッ!」
     天狐はパン、と手を合わせ、そして引く。投げ付け、どこかに飛んで行った鉄扇が、再び彼女の掌中に現れた。
    「『ナインヘッダーサーペント』!」
     鉄扇の先から、9つの電撃がほとばしる。
    「クスクスクスクス」
     難訓は一歩も動くこと無く、その電撃に呑まれた。

    白猫夢・散狐抄 2

    2014.06.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第385話。禍々しき母。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「一聖、……だと?」 天狐は構えたまま、少女と言葉を交わす。「人違いじゃねーのか? オレは天狐だ」「いいえ、一聖様。我らが主様より、真の名を伺っております」「ケッ」 天狐は舌打ちし、少女との間合いを詰める。「ポンコツめ。人の区別も付きゃしねーのかよッ!」 天狐に応じるように、少女も剣を振り上げて彼女に襲いかかる。「ふざけて...

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    麒麟を巡る話、第386話。
    千年級の会話;3^2。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「あね……さん……」
     未だ鈴林は剣に貫かれたまま、天狐たちに背を向ける形で壁につながれている。だがそれを助ける余裕は、今の天狐にはなかった。
    「……無傷かよ、クソ」
    「お前の児戯がわたくしに通用すると思ったか」
     天狐の放った電撃は、難訓にほんの少しの傷も付けることはできなかった。
    「力の差を思い知るがいい」
     再び、難訓が魔杖をかざし、魔術を放つ。
    「『ネメシスバルド』」
     大量の魔術の槍が、天狐を目がけて飛んで行く。
    「チッ……!」
     天狐も魔術で盾を作り、それを防ごうと構える。
    「ぐ……ぬ……がっ」
     世界の、どんな魔術師にも到底真似できないほどの硬さ、厚み、そして広さを併せ持ったその魔術の盾は、難訓の放つ槍によって、みるみるうちに削られていく。
    「……ッ!」
     そして盾は粉々になり、残った槍が天狐の体を幾度と無く串刺しにした。
    「ぐふ……っ」
     再度、天狐は体を修復する。
    「おや、もう音を上げるか。やはり話にならぬ、駄作めが」
    「駄作駄作、うっせえんだよ! 何べん言や気が済むんだッ! バカの一つ覚えか、あぁ!?」
     天狐は難訓から離れ、呪文を唱え始めた。
    「こんどはどんな手品を見せるつもりだ」
    「……そうやって高みの見物気取ってやがれ……!」
     呪文を唱え終わり、天狐は鉄扇を掲げ、魔術を放った。
    「オレのとっておきだ……! 『ナインヘッダーサーペント』」
     それに対し、難訓はクスクスと嘲笑う。
    「何がとっておきだと言うのだ。さっき放ったばかりではないか」
     9方向から出現した電撃を、難訓も魔術の盾で受ける。
     だが、その9発が防がれたところで、天狐はニヤリと笑い、こう付け足した。
    「……『:ノナプル』!」
    「なに?」
     これまでずっと見下し、罵倒し続けていた難訓の声に、わずかながらもブレが生じる。
     次の瞬間――またも9発、電撃が難訓めがけて飛んできた。
    「小癪な!」
     難訓は再び、防御術で電撃を防ぐ。
     しかし防いだ途端にまたも、電撃が襲ってくる。
    「ぬう……ッ」
     3度、4度と立て続けに9発ずつ、電撃が襲う。
     始めのうちは余裕綽々(しゃくしゃく)で防いでいた難訓だったが、何度も受けるうち、その魔術の盾は先程の天狐と同様、ボロボロになっていく。
     そして7度めの波状攻撃が、その盾を微塵に砕く。
    「なに……!?」
    「高慢ちきめ」
     天狐はニヤっと笑い、相手にこう言い捨てた。
    「人のコトを小馬鹿にしてっからそう言う目に遭うんだよ、バーカ」
     8度目、9度目の電撃波は何の妨害も受けること無く、難訓に直撃した。

     ブスブスと煙を上げ、その場に倒れた難訓に、天狐は――こちらも相当に疲労しているらしく、尻尾は既に残り1本となっている――フラフラとした足取りで近付く。
    「どうだ、ババア」
    「……クス……」
     引きつり気味ながらも、まだ嘲笑おうとする相手に、天狐は「フン」と鼻を鳴らす。
    「まだなめた態度執ってやがるか。食えねえババアだな」
    「……『9』……か……」
    「あん?」
     白ローブはクスクスと笑い、こう続けた。
    「『3』の自乗……まだお前は……あの人のことを……忘れられぬか……」
    「……そりゃそうだろ」
     天狐は鉄扇の先を、難訓に向けた。
    「アイツを忘れるような恩知らずなヤツは、克一門にゃ一人もいやしねーよ。
     ドレだけあの人は、オレたちを助けてくれたか。ドレだけあの人に、オレたちは救われたか。忘れるコトなんて、絶対あるワケねーよ。
     ……ああ、テメエは違うか。テメエだけが、アイツを裏切ったんだよな。そして巧みに人を動かして、アイツを親父に殺させようとした。
     反吐を吐きたくなるような外道だよな、マジで、テメエは」
    「……クスクス……」
     なおも嘲った笑いを浮かべる難訓に、天狐は再度舌打ちする。
    「ケッ、とことん気にいらねえな。
     今どんな顔してやがるんだ? ボコった今ならどんな術も、テメエ自身にゃかけられねーはずだからな……」
     そうつぶやきながら、天狐は鉄扇の先を、難訓のローブの縁に引っかけた。

    白猫夢・散狐抄 3

    2014.06.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第386話。千年級の会話;3^2。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「あね……さん……」 未だ鈴林は剣に貫かれたまま、天狐たちに背を向ける形で壁につながれている。だがそれを助ける余裕は、今の天狐にはなかった。「……無傷かよ、クソ」「お前の児戯がわたくしに通用すると思ったか」 天狐の放った電撃は、難訓にほんの少しの傷も付けることはできなかった。「力の差を思い知るがいい」 再び、難訓が魔...

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    麒麟を巡る話、第387話。
    天狐、散華する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     その瞬間――天狐の右手が、細切れになって消えた。
    「なっ……!?」
     難訓から慌てて距離を取り、天狐は周囲を見回す。そして廊下の奥に、魔杖を構えた、黒と青のドレスを着た少女が立っているのを確認した。
    「……まだいやがったか、ポンコツ人形」
     天狐は術を使い、右腕を修復する。
    「クスクスクスクス」
     難訓とドレスの少女が、同時に笑う。
    「癇に障るぜ……! ゲラゲラ笑ってんじゃねえッ!」
     天狐はもう一度、難訓に向けて魔術を放とうと構えた。
     だが――構えようとした右手が、ぼろっと崩れて落ちる。
    「……!?」
    「お前は人形。一聖が魔術で練り固めた、肉でできた人形だ」
    「ソレがどうし、……っ、そう言うコトかよ」
    「おや、何に気付いたつもりだ?」
     天狐の右肘が、白く染まっていく。
    「人形を操り、人間のように動かす術――ソレを解呪したな」
    「あらあら、思ったより少しばかりは賢しいようだ。ほんの少し、お前の評価を改めてやろうではないか」
    「……っざけんな、クソババア」
     真っ白に染まった腕、そして肘が、細かい灰状になってこぼれ落ちていく。
    「この程度のちゃちな解呪術、オレに跳ね返せないと思うのか?」
    「ああ。お前には無理だ。今の、魔力が尽きかけているお前では。そして、体が崩壊しつつあるお前では、な」
    「……見てやがれ」
     天狐の右肩が崩れ、狩衣の裾から流れる。
    「……***……***……ゲホッ、ゲホッ……」
    「既に肺も侵食されていよう。呪文を唱えることもできまい」
    「う、るせ、え……****……**、*、……ゲホッ」
     天狐の口から、灰が飛び散る。
    「他にどんな手があると言うのだ。
     呪文は唱えられない。手で魔法陣を組み、描くこともできない。体に仕込んだ魔法陣や魔術結晶も、今は既に溶けていよう」
    「……**……*……*……、ごほ、ごほっ、……ごぼっ」
     天狐の詠唱が止まる。
     代わりに口から出たのは、大量の灰だった。
    「クスクスクスクス」
     がくん、と天狐が膝を付く。その膝から下も既に、灰となっていた。
    「……れ……い……りん……」
     天狐は未だ磔にされたままの鈴林に、声をかけた。
    「あ……ねさ……ん……」
     鈴林は、弱々しい声で応じる。
    「いま……まりょ……くを……」
    「いい……聞け……」
     天狐の体全体が、白く染まり始めた。
    「……じっとしてろ……」
    「……いやっ……」
    「お前から……手を……出さねー限り……コイツは何も……しない……」
    「そう思うのか」
     難訓の言葉に、天狐は弱々しく応じた。
    「コイツは……ずっと……背を向けてた……はずだ……てめーの……顔も姿も……見えちゃいねー……」
    「ふむ」
    「だから……鈴林には……手を出すな……」
    「……ふむ」
     難訓はフラフラと立ち上がり、鈴林に顔を向ける。
    「なるほど。確かにお前の言うように、あの娘には未だ、わたくしの姿は見えてはいない。
     いいだろう。あの娘が、わたくしがこの場を立ち去るまでずっと背を向けていると言うのならば、殺さずにおいてやろう」
    「……け……い……やく……だぞ……」
    「お前は何を差し出す?」
    「……オレの……体だ……」
    「見合う代償だ。契約は結ばれた」
     難訓はドレスの少女に手招きし、歩き始めた。
    「では、失礼」
    「……」
     体の半分以上が灰になり、ほとんど原型を留めなくなった天狐に背を向け、難訓と少女はその場から消えた。
    「あね……さん……姉さんっ……!」
    「お前なら……頑張れば……どうにか剣を抜いて……壁から離れ……られるはずだ……。
     でも……頼む……一週間は……じっとしてて……くれねーか……?」
    「なんで……なんでよっ……」
    「あのババアなら……それくらいで……多分……オレの封印を……解き……殺す……はずだ」
     天狐の声が、段々と弱くなる。
    「待てない……よ……」
    「待つ……んだ……お前は……死なせ……たく……ない」
    「いやだ……いやだよ……」
    「……お前が……壁……向いてて……良かった……。
     オレが……消える……トコな……んて……見せ……た……く……」
     天狐の声が、途切れる。
    「姉さん……?」
     壁に貼り付いたまま、鈴林は声を上げる。
    「……姉さん……」
     鈴林はもう一度、天狐を呼ぶ。
    「……あね……さん……っ……」
     泣きながら、もう一度。
    「あねさああああん……っ」

     しかし――鈴林の言葉に応じる者は、もう誰もいなかった。

    白猫夢・散狐抄 終

    白猫夢・散狐抄 4

    2014.06.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第387話。天狐、散華する。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. その瞬間――天狐の右手が、細切れになって消えた。「なっ……!?」 難訓から慌てて距離を取り、天狐は周囲を見回す。そして廊下の奥に、魔杖を構えた、黒と青のドレスを着た少女が立っているのを確認した。「……まだいやがったか、ポンコツ人形」 天狐は術を使い、右腕を修復する。「クスクスクスクス」 難訓とドレスの少女が、同時に笑う。...

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    麒麟を巡る話、第388話。
    歴史の歪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、5月4日。
     ルナたち一行は「テレポート」を使い、白猫党の占拠により封鎖されたミッドランドに進入していた。

    「ん……?」
     島に降り立ってすぐ、一行は街の異状に気付く。
    「おかしいわね」
    「ああ、静か過ぎる。僕が知ってるミッドランドは、もっと騒々しかったはずだけど」
    「テレポート」で突然人前に出現し、騒ぎになるのを避けるため、ルナたちは島の北東、人気の無い沿岸部に移動していたのだが、それでも街の異様な静けさは、そこからでも十分に伝わってくる。
    「……まさか」
     と、フィオが神妙な顔をする。
    「思い当たることがあるの?」
    「僕の『元いた世界』では、白猫党は今日、ここを占拠してたんだ。ちょうどテンコちゃんが消えて丘が崩落し、街が騒然としてる時に。
     もしかしたら……、白猫党がもう既に、ここに来てるのかも知れない」
    「どう言うことよ? 歴史が変わったってこと?」
    「有り得る。僕が行動を起こしてからもう何年も経ってるし、元の歴史とズレが出てきてるのかも知れない」
     それを聞いて、ルナは丘に目をやる。
    「丘はまだ、崩落してないみたいね。じゃあ、白猫党は天狐ちゃんがいなくなる前に来たってことになるわね」
    「いや……」
     と、フィオは首を振る。
    「もう死んでるはずだ。少なくとも、僕たちの知る『狐獣人のテンコちゃん』は」
    「どう言うこと?」
    「僕の母から聞いた話でしかないし、母もその時、状況をちゃんと確認できてはいないんだけど……。
     4月28日、テンコちゃんは難訓の襲撃に遭い、殺害されている。その、狐獣人の方がね」
    「……? よく分からないわね」
    「僕たちが目にしてきたテンコちゃんは、丘の地下にある遺跡に封印されている『本体』のテンコちゃんが造った、いわゆる『分身』なんだ。
     その分身の方は、既に死んでる。でもまだ、本体は生きてるかも知れない。本体の封印は相当堅固らしく、今月の4日、つまり今日まで破られなかったそうだから」
    「なるほどね。……で、ちょっと聞くけど」
     ルナは眉をひそめ、フィオに詰め寄る。
    「なんで28日に来なかったのよ、あんた。天狐ちゃん、助けられたかも知れないでしょ?」
    「母からの強い注意があったからだ。『難訓には絶対に会うな』と。会えば僕は勿論、多分ルナさんでも勝ち目は無い」
    「……まあ、理解はできるわね。確かに克大火と並ぶ魔女が相手じゃ、あたしたち3人でも分が悪過ぎるか。
     じゃあ、今なら難訓はいないってこと?」
    「いや、まだいるはずだ。でもこの日なら、難訓のところに『ある客』が来る」
    「客? ……つまりそれは」
    「そう。アオイだ」



     6日前に天狐を撃退した克難訓は、そのまま魔法陣の中枢、天狐本体が収められた部屋へと侵入していた。
     だが彼女は、そこからの作業に難航していた。
    「……」
     部屋のあちこちを動き回り、執拗に魔法陣に触れ、解除しようとしているのだが、どうやら彼女ですら手を焼くほど、高度な魔術が織り込まれているらしい。
    「……」
     その様子を、彼女の手下である人形、「フュージョン」と、マロが見守っていた。
    「あのー……」
    「何でしょう」
    「差支えなければ……、その……、ご飯とか、水とか……」
    「致しかねます。既に備蓄は尽きております故」
    「……そうでっか」
     当初、マロはこれまでと同様、ミッドランドにおいて遊説する予定だったのだが、白猫党の強襲に遭い、難訓が地下へと匿ったのだ。
     もしもマロが早期に発見され、拘束された場合、マロが「難訓の指示でやった」と口を割らないとも限らない。そうなれば当然、ラーガ邸の入口から地下へと兵が向けられることとなり、難訓の姿が見られるおそれがある。
     そうでなくともマロは、難訓の姿を間近で見ている。極度の秘密主義を貫く難訓が、この差し迫った事態において、彼を放っておくはずは無かった。
     なお、匿う際に3日分程度の食糧も持ち込んでいたのだが、既にそれらは食べ尽くしている。調達しようにも、白猫党が島全体を捜索している今、うかつに外へ出ることもできない。
     マロは何も無いこの部屋に監禁されたも同然であり、その顔には憔悴の色が濃く現れていた。
    「……いつまでかかるんや……」
     ボソ、とそうつぶやき、マロは慌てて口に手をやる。
    (やばっ、あのおばはんに聞かれたらまずい)
     が、難訓は壁に向かってぶつぶつと何かを唱えており、気付いた様子は無い。
    「……はあ」
     ため息をつくと同時に、マロの腹からもぐう、と音が漏れた。

     と、難訓が突然、ぐるん、と振り返る。
    「っ、あ、いや、今のんは」
    「やっと来たか、小娘」
     難訓はマロにではなく、部屋の入口に向かって声をかけた。
    「え……?」
     マロが振り返ったその先には――葵の姿があった。

    白猫夢・深闇抄 1

    2014.06.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第388話。歴史の歪。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦570年、5月4日。 ルナたち一行は「テレポート」を使い、白猫党の占拠により封鎖されたミッドランドに進入していた。「ん……?」 島に降り立ってすぐ、一行は街の異状に気付く。「おかしいわね」「ああ、静か過ぎる。僕が知ってるミッドランドは、もっと騒々しかったはずだけど」「テレポート」で突然人前に出現し、騒ぎになるのを避け...

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    麒麟を巡る話、第389話。
    デノミに絡む闇。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「招待状には4日と書いていたはずだが、よくもまあ、一週間も前から陣取ったものよ。いつ来るかと最早、飽いておったわ」
    「先に、あなたがうかつに外へ出られないように、包囲したかったから」
     難訓は抑揚のない、しかし威圧感を漂わせた声で、葵と会話する。
    「ものを知らぬ小娘め。わたくしに人の包囲など無意味だ」
    「いざとなったら『テレポート』で逃げよう、ってこと?」
     対する葵も、淡々とした、しかしはっきりと、凛とした声で応対する。
    「賢いあなたなら、それをやったらもう、ここに戻って来られないことは分かってるはずだよ。あたしがここを封印するから。あなたがどんな術を駆使しても、入れないように」
    「できるものか。お前などに何ができる」
    「あたしが15の時、あなたの術を破ってみせたこと、忘れてない? 今のあたしなら、あなたを退けられるよ」
    「他人の力量を正しく測れぬ愚か者め」
    「その言葉、お返しするよ。あなたは自分の実力が高すぎて、他人を正確に評価できなくなってる」
     と、葵と難訓の応酬に面食らいつつも、マロが口を開く。
    「あ、あの、アオイさん? この人、知ってはるんですか?」「マロくん」
     が、葵は何の感情も表さず、マロを制する。
    「黙ってて」
    「……あ、はい、すんません」
     マロがうつむいたところで、葵は話を続ける。
    「あたしの結論を言わせてもらうけど、あなたの目論見は全部、『見えてた』。
     あなたはマロくんを操って、わざと白猫党がここを襲うように仕向けてた。あなたの、お金儲けのために」
    「……へ?」
     葵にたしなめられたばかりのマロが、もう一度口を挟む。
    「どう言うことです? あ、いや、すんません、黙っとき……」「マロくんの造ったホワイト・クラム。あれをこの人は、大量に持ってるはずだよ。それも、数十億単位で」「……え?」
     が、今度は――葵のしようとする話に沿っていたためか――葵はマロに応じた。
    「マロくんが造ったクラムだけど、最初、マロくんは手っ取り早く価値を高めようとして、大量に発行して為替市場に流して、あっちこっちで交換しようとしてたよね。
     そこで皆がクラムを替えてくれればクラムの価値は騰がってたし、マロくんのデノミ政策は成功してたと思う。
     でも造った当時、まだ白猫党の信用ってそんなに無かったし、造っても造っても、誰も手に入れようとしなかった。そこで、この人が手を出してた」
     葵は難訓を指差し、難訓の企みを暴いた。
    「この人はクラムが発行されてすぐ、大量にかき集めてたんだよ。
     でも央北の戦争があったし、いくら勝ってたって言っても、戦争中の当事国が発行してるお金なんて不安定過ぎて、結局は誰も欲しがらない。ましてやその最中に大量発行してるなんて、戦費調達とか思われるだけだし、不安材料にしかならないもん。
     だからクラムの価値は暴落してた。数百億も刷ったクラムの価値は今、タダ同然だし、この人も現時点では大損してる。
     でも――そこで今、白猫党が央中進出を目指したら、どうなると思う?」
    「そら……、発行した当初に比べて、ウチの信用は上がってきとるはずですし、領土拡大が成功したらまあ、クラムの経済圏も拡がりますからな。
     価値は間違いなく上がると、……あ、そしたら!?」
    「そう。今度起きる戦争に勝って、白猫党の領地が倍に増えたら、クラム高騰の材料になる。一方で、央中通貨のエルは経済圏の縮小によって暴落を起こすから、この人が抱えてる数億クラムも、価値は何百倍にも跳ね上がるよ」
    「なる……、ほ、ど」
     マロは感心しつつも、内心では意気消沈していた。
    (アオイさんですらそう言う風になるって分かっとる話を、なんで俺、見抜けへんかってんやろ……。
     ホンマに凹むわ……)
    「クスクスクスクス」
     一方、難訓は口に手を当て、嫌味のある笑いを浮かべている。
    「なるほどなるほど、確かにお前の言う通りだ。
     特別に明かしてやろう、今わたくしは、66億クラムを有している。エルでの価値は今のところ6、70万と言うところだ。
     しかしお前の言うような大高騰が起これば、現在の価値にして50億エルを超える額に変化するだろう。
     そしてさらに、その価値は暴騰する。その『狐』を使役することでな」

    白猫夢・深闇抄 2

    2014.06.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第389話。デノミに絡む闇。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「招待状には4日と書いていたはずだが、よくもまあ、一週間も前から陣取ったものよ。いつ来るかと最早、飽いておったわ」「先に、あなたがうかつに外へ出られないように、包囲したかったから」 難訓は抑揚のない、しかし威圧感を漂わせた声で、葵と会話する。「ものを知らぬ小娘め。わたくしに人の包囲など無意味だ」「いざとなったら『テレ...

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    麒麟を巡る話、第390話。
    難訓の策、葵の敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「え? 俺?」
     己を指差したマロに対し、葵が続けて説明する。
    「きみを今度の、金火狐総帥に立候補させて当選させれば、この人は金火狐財団を操れるようになる。
     そこに白猫党の央中侵略って言う事情が発生したら、財団はどう動くと思う?」
    「そらまあ、相手せえへんわけには……」
    「そう。央中を引っ張る立場にある財団は市国、ひとつの国として、白猫党と戦わざるを得なくなる。
     そこで新しい総帥になったマロくんが、戦わずに無条件降伏し、市国の無血開放を宣言したら?」
    「……っ!」
     マロは自分の顔から、ざあっと血の気が引くのを感じていた。
    「そんな……、無茶苦茶ですやん!?」
    「そう。誰だって央中政治経済の中枢である金火狐財団の総帥が、戦いもせずに平伏すなんて思わない。
     思わないからこそ、財団の権威は致命的に失墜する。財団が発行・管理してるエルも、それまでにない大暴落を起こす。それが致命傷になって、クラムとエルの価値は逆転するよ」
    「そしてそれが、相対的にクラムの価値を大きく引き上げる。わたくしの有するクラム資産は、途方も無い額に膨れ上がるだろう」
    「気になるのは」
     と、葵が難訓の方に向き直る。
    「大魔法使いのあなたが、何故そんなことをするのかなって」
    「答える必要は無い」
    「じゃあ推理だけど、単純に、いっぱいお金が欲しいんじゃない?
     あなたの研究開発は、ものすごくお金がかかりそうだから」
    「勝手に想像しておくがいい。
     ともかく――お前がここへ来た以上、わたくしは因縁の精算をせねばなるまい」
    「あたしも、折角8年ぶりにあなたと会ったし、前に言ってた決着を付けるには好都合だと思ってる。
     でも先に、そっちの仕事を終わらせた方がいいんじゃない?」
    「なに……?」
     それまで平坦に話していた難訓の声に、けげんな雰囲気が生じる。
    「あたしにとっても、テンコちゃんの存在は軽視できないもん。必要なら手を貸すよ」

    「な、……え、ちょ、アオイさん?」
     葵のその言葉が信じられず、マロは聞き返した。
    「それ、って、……つまり、アオイさんも、テンコちゃんを、こ、殺そうと思っとったんですか?」
    「うん」
     葵の素っ気ない返事に、マロはふたたび蒼ざめ、一方で難訓は驚いた声を漏らす。
    「ふむ……。流石のわたくしも、そんな答えは予想しておらなんだわ。
     敵の敵は友とは言うが、正直に言えば、貴様などとは手を組もうとは思わぬ。だが、魅力的な提案だ。このわたくしでも、手を焼いていたからな。無論、実際に何とかできると言うのであれば、だが。
     それで葵とやら、貴様には何ができると言うのだ」
    「その封印、壊せるよ。タイカ・カツミとは一度会ってるし、その時に捕縛術も受けそうになった。
     彼の術の組み方は、大体把握してる」
     そう言って、葵は刀を抜く。
    「ちょっと、下がってて」
    「いいとも。じっくり眺めておいてやろうではないか」
    「あ……、アオイさん! ま、待ってくださいよ!?」
     たまらず、マロが止めようとした。
    「なに?」
    「そ、その。テンコちゃんは、俺たちの先生やったんですよ? それを殺そうなんて言うのんは、ちょっと、アレとちゃうかって、その……」
    「あたしの計画にとっては邪魔な人だもん」
    「邪魔て、そんな……」
    「前にも言ったと思うけど」
     葵はくる、と振り向き、刀をマロに向ける。
    「あたしはギブ&テイクが嫌いなの。
     教わった恩なんて、感じたこと無い。義理人情とかも、あたしの中には無い。この子に対して、あたしはただ、邪魔な子としか思ってないよ」
    「……そんな……」
    「あなたも邪魔するの?」
     そう言って、葵は刀を構える。
    「……っ」
    「邪魔しないなら、黙ってて。邪魔するなら、片付けるよ」
    「それは許可できぬ。こいつはわたくしの計画に必要な駒だ」
     難訓の言葉に、葵は刀をマロに構えたまま、目だけを向ける。
    「代わりはいるでしょ?」
    「確かに。だがこいつを操るのが最も簡単に事が済むからな」
    「マロくんが黙っててくれれば、問題無いよ」
    「ふむ。
     ではお願い致しましょう、マラネロ様。どうかこの場は、お静かになさいませ」
     これまでの態度と打って変わって、しゃなりとした口調で命じられ、マロはこれまでにない気味の悪さを覚えた。
    「……」
     それ以上何も言うことはできず、マロはうつむき、黙り込むしかなかった。

    「じゃあ、やるよ」
     葵は難訓が陣取っていた壁に刻まれた、紫色に輝く魔法陣の前に立ち、刀を上段に構えた。
    「……すー……」
     広い空間に、葵の深い呼吸がこだまする。
    「『月輪』」
     次の瞬間――ぱきん、と硬く、薄い何かが割れる音が響き、壁の魔法陣は両断された。
    「……ほう」
     葵の剣技を眺めていた難訓は、ふたたび驚きの声を漏らす。
    「予想以上の剣の冴えだ。なるほど、これまでの言葉に嘘や誇張は無いようだな」
     真っ二つにされた魔法陣は輝きを失い、やがてただの、壁に彫られた溝と化した。

    白猫夢・深闇抄 3

    2014.06.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第390話。難訓の策、葵の敵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「え? 俺?」 己を指差したマロに対し、葵が続けて説明する。「きみを今度の、金火狐総帥に立候補させて当選させれば、この人は金火狐財団を操れるようになる。 そこに白猫党の央中侵略って言う事情が発生したら、財団はどう動くと思う?」「そらまあ、相手せえへんわけには……」「そう。央中を引っ張る立場にある財団は市国、ひとつの国...

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    麒麟を巡る話、第391話。
    打ちのめされる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     魔法陣が消失すると同時に、天狐の本体が封印されている黒い水晶から、ぽたぽたと水が流れ始めた。
    「なん……です?」
     尋ねたマロに、難訓が答える。
    「半永久的に肉体を保存するための溶液だ。封印が解除されたために、結晶化されていた溶液が溶け出しているのだ」
    「つまりあと十数分もすれば、テンコちゃんの本体は解放される。
     これで心置きなく、戦えるね」
     そう言って、葵は刀を難訓に向けて構える。
    「ふむ」
     一方、難訓は腕を組み、思案する様子を見せていた。
    「どうしたの?」
    「葵。わたくしと契約を結ばぬか」
    「何について?」
    「まず、お前との決着云々を反故にしよう。
     先程の剣技、わたくしでさえ恐れ入る程の鋭さがあった。お前とまともに相対すれば、わたくしも無事では済むまい。さらに言うならば、お前を倒したとて、わたくしに得る物は無い。であれば、端からこんなものは反故にしてしまうのが良かろう。
     その代わりに、『あれ』へのとどめはわたくしに代わり、お前が刺せ」
     難訓はそう言って、魔杖で天狐を指し示した。
    「事情により、わたくし自身が『あれ』にとどめを刺すことはできぬ。お前ほどの力量がある者が現れたなら、好都合だ」
    「あたしに得る物は無いけど?」
    「あるではないか。これ以上わたくしと関わることは無い、と言うことだ」
    「……ふふっ」
     難訓の言葉に、葵ははにかんだ。
    「それはいいね。正直、あなたと戦うのは面倒だもん」
    「であろう? わたくしとて、一々お前を呼び付けて人形をけしかける手間が省けると言うもの」
    「いいよ、分かった。その契約、結ぶ」
    「痛み入る」
     難訓は両手を胸の前で合わせ、合掌して見せた。
    「では失礼、……ああ、そうそう。
     この『狐』についてだが、それについては不問でよいな?」
    「いいよ」
     さらりとマロの処遇について交わされ、当の本人は目を丸くする。
    「え、ちょ?」
    「何か不満あるの? 総帥になれるんでしょ?」
     葵の問に、マロはぶるぶると首を振る。
    「そうやないでしょ!? 俺、このままこの人の言いなりにされてもええんですか?」
    「あたしには関係ないよ」
    「あ、ありますて! 俺は白猫党員で……」
    「気にしなくていいよ」
    「いや、それは、ちょっと、あの……」
    「他に何かある?」
     葵の顔に、段々と面倒臭そうな気配が差す。
    「もしかして、あたしに『戻ってきて』って言って欲しいの?」
    「……っ」
     一転、顔を赤くしたマロに向かって、葵はとてつもなく冷たい言葉を浴びせた。
    「言わないよ。あなたはいてもいなくても、もうあたしの計画にとって、何の関係も無いもの。戻って来られても、邪魔」
    「なん、っ、……なんで、なんっでっ、そんな、ことっ」
     マロは自分の頬に、涙が流れ落ちているのを感じていた。
    「俺はっ、アオイさんの、ことっ……」
    「好きだった? それも、あたしには関係ないよ」
    「……ひどいやないですか……」
     拭っても拭っても、マロの目から涙は止まらない。
    「あたしにとっては」
     そしてその涙は――次の一言で、決定的に溢れ出した。
    「どうでもいいもん、きみのことなんて」
    「……~っ」
     声にならない叫びを上げ、マロはその場に崩れ落ちた。
    「もういい? さっさとテンコちゃんにとどめ刺したいんだけど」
    「うぐっ、うぐ、うえっ、ええ……」
     なおも冷たく言葉を投げ付ける葵に対し、マロはもう、泣くことしかできない。
    「いいみたいだね」
    「では、わたくしたちはこれで失礼させてもらう。『フュージョン』、マラネロ様を連れて行きなさい」
     そう言って、難訓はその場から消える。残った「フュージョン」は、先程まで難訓がいた空間に、恭しく頭を下げた。
    「かしこまりました」
    「フュージョン」はまだ泣きじゃくるマロの腕を強引に取って引っ張り上げ、そして彼女もマロと共に姿を消した。

     一人きりになった葵は、チラ、と天狐を一瞥する。
    「……」
     何も言葉を発さず、葵は刀を構えた。
     が――くるりと向きを変え、背後に現れた猫獣人の刀を受ける。
    「あなた、誰?」
     その猫獣人はさっと飛び退いて間合いを取り、刀を再度葵に向けた。
    「さあね。誰でもいいじゃない。
     アンタの邪魔をすることには、変わりないんだし」
     葵も刀を構え直し、猫獣人と対峙する。
     と、葵の視線が、猫獣人の背後に向かう。
    「……きみは」
     葵はその猫獣人――ルナの後方に立っているフィオに、静かに声をかけた。

    白猫夢・深闇抄 4

    2014.06.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第391話。打ちのめされる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 魔法陣が消失すると同時に、天狐の本体が封印されている黒い水晶から、ぽたぽたと水が流れ始めた。「なん……です?」 尋ねたマロに、難訓が答える。「半永久的に肉体を保存するための溶液だ。封印が解除されたために、結晶化されていた溶液が溶け出しているのだ」「つまりあと十数分もすれば、テンコちゃんの本体は解放される。 これで心置...

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    麒麟を巡る話、第392話。
    「観測者」、葵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「久しぶり、……だね、アオイさん」
     フィオも剣を構えつつ、ルナの横に立つ。
    「どうしてここに?」
    「君はテンコちゃんを殺そうとしている。それを止めに来た」
    「……」
     葵はす、と一歩引き、続いて尋ねる。
    「フィオくん。あたし、きみのことは前からずっと、変な子だって思ってた。今、それをより、強く感じてる。
     きみは、あたしの『力』を知ってる気がする」
    「ああ、聞いてる。予知能力者なんだろ?」
    「……そしてその力を妨害する、そんな力もきみは持ってる」
    「え?」
     と、フィオはきょとんとする。
    「いや、そんなのは無い」
    「あるはずだよ」
     しかし、葵は強く尋ね返してくる。
    「あたしにはきみの未来が、全く見えないもの。
     やっとはっきりした。この辺りの未来が見えて来なかった、その理由。きみがここにいるせい」
    「いや……? 悪いけど、アオイさん。僕にはそんな『力』、見当が付かない。
     ともかく、君がここでテンコちゃんを殺すことははっきりしてる」
    「……?」
     フィオの言葉に、葵は一瞬、いぶかしげな目を向け――そして三度、尋ねた。
    「きみは、もしかして未来から来たの?」
    「!」
     その問いに、フィオはたじろぐ。
    「やっぱり、そっか。最初に会った時、初対面のはずの、あたしの名前を知ってたもんね。
     それで分かったよ、きみの未来が見えない理由が」
     一方、葵はすっきりしたような表情を、うっすらとながら浮かべた。
    「あたしの能力は、未来を観る力――言い換えれば『この世界』から派生した、『別の世界』をいくつも観られる力。
     だから『この世界』を出発点としてない、『別の、別の世界』から来たきみの未来を観ることは、できないみたい」
    「へぇ……?」
     フィオは若干戸惑った様子を見せながらも、剣を構え直した。
    「まあ、でも、それなら都合がいいな。君には僕の動きは、予知できないってことだ」
    「そうだね」
     葵も刀を構え直す。
    「でも、それが『勝てる』ってことには、つながらないよ」
    「何故?」
    「力量が違うもの」
     次の瞬間、フィオは壁に叩き付けられていた。
    「フィオ!?」
     ルナとパラの声が、同時に響く。
    「だ、大丈夫、……じゃないかも」
     壁からふらふらと離れたフィオが、膝を付く。
    「何とか受けたつもりだけど、……剣が折れた、って言うか斬られた」
    「斬鉄ですって、……ッ!」
     言いかけて、ルナはばっと身を翻し、葵の刀を受ける。
    「おっとと……、危なっ」
    「早いね、反応」
     ふたたび距離を開け、葵は淡々と会話を続ける。
    「フィオくんは防御が精一杯だったけど、あなたは威力を殺すことまでやってる。
     剣術だけじゃない、色んな技術を持ってるみたいだね」
    「放浪生活が長かったから、かしらね」
     一旦離れた間合いを、今度はルナの方から詰める。
    「はあッ!」
     ルナは一太刀、二太刀と続けざまに打ち込み、葵を押していく。
     だが、三太刀目を浴びせようと構えたところで、葵の姿がルナの前から消えた。
    「……そこだッ!」
     ギン、と鋭い金属音が響く。
     次の瞬間にはルナと葵が鍔競り合いになり、にらみ合っていた。
    「あなた、……ものすごく、強いね」
     と、刀を押し合った状態のまま、葵が口を開く。
    「普通の人じゃ無いみたい。ううん、普通じゃない」
    「あら、そう?」
    「でも」
     ふたたび、葵がルナの前から消える。
    「『見える』」
     その一瞬後――ルナの肩から、血が弾け散った。
    「うっ……!」
    「攻めも守りもものすごく早いけど、それでもあたしにはあなたが次にどう動くか、『見えてる』。
     このまま戦えば、あなたはあたしに殺されるけど」
     そしてまた、葵はルナの前に立ちはだかった。
    「それでも、やる?」
    「それも予知ってことかしら」
    「うん」
     ルナは短く呪文を唱え、肩の血を止める。右手を閉じたり開いたりしながら、ルナは葵と言葉を交わす。
    「いつくらい?」
    「大体、5分から7分後くらい」
    「へぇ。はっきりとはしてないのね」
    「未来は一つじゃないもの」
     葵も構えを崩さず、ルナの問いかけに応じる。
    「例えば、ここであなたが話を切り上げて攻撃してくる『未来』は、4通りくらい。正面から来るのが3。魔術を放つのが1。
     でもそれより、このまま話を続ける方がずっと多い。それで次の話題だけど、あたしは使えないよ」
    「……あら、そう。すごく似た動きだと思ってたんだけど」
     ルナは若干驚いた顔を見せつつも、不敵な態度を執る。
    「使えないって……、なにが?」
     尋ねたフィオに、ルナが答える。
    「『星剣舞』。誰にも見えない、不可視の剣舞って呼ばれてる技よ。アンタの血筋なら、使えてもおかしくないと思ってたんだけどね」
    「使えないよ」
     と――葵の顔に、ほんのわずかではあったが、不機嫌な色が差す。
    「怒ることないじゃない。そんなに使いたかったの?」
    「もういいでしょ?」
    「はーい、はい。
     じゃあ、あんたの予知を覆して見せましょうかしら、ね」
     そう言って、ルナは髪をアップにまとめ出した。

    白猫夢・深闇抄 5

    2014.06.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第392話。「観測者」、葵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「久しぶり、……だね、アオイさん」 フィオも剣を構えつつ、ルナの横に立つ。「どうしてここに?」「君はテンコちゃんを殺そうとしている。それを止めに来た」「……」 葵はす、と一歩引き、続いて尋ねる。「フィオくん。あたし、きみのことは前からずっと、変な子だって思ってた。今、それをより、強く感じてる。 きみは、あたしの『力』を知...

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    麒麟を巡る話、第393話。
    つめたいひとみ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     ルナにはその長い髪を、あれこれといじる癖がある。
     普段、研究所にいる時には適当に紐で束ね、おさげにする程度だが、くつろいでいる時にはよく、パラに編み込みをさせているし、フィオに稽古を付ける時には後頭部で一まとめに固めている。
     そんな中で、彼女自身「これが一番気合い入んのよね」と評しているのが、脳天より少し後ろ辺りでアップにまとめる髪型である。
     それについて、ルナはマークやフィオたちに、こう付け加えていた。
    「あたし、母親のことは今でも本気で嫌いだけど、あの人がよくやってたこの髪型だけは好きなのよね。
     クソ真面目な性格とか口うるさいとことか偽善者ぶったとことかは本気で嫌いだったけど、この髪型にして稽古付けてくれてた時は、掛け値なしに『本物の剣士』だってとこを見せてくれてたからかしら、……ね」



     髪をアップにまとめ終え、ルナは刀を構える。
    「さーて、後何分残ってたかしら」
    「3分。多くて」
    「あ、そ。……じゃあその3分後に、吠え面かかせてやるわよッ!」
     そう言い放つなり、ルナは一足飛びに間合いを詰め、葵に斬りかかる。
    「えやああッ!」
    「てい」
     だが、葵は事も無げに、それを受ける。
     そして同時に、魔術を放った。
    「『ハルバードウイング』」
    「うっ……」
     空気の槍がルナの肩を貫き、先程止血した場所からふたたび血が飛び散る。
    「弱点は徹底的に突く、ってわけね」
    「そう」
     間髪入れず、葵はルナのすぐ眼前まで踏み込み、刀から左手を離して掌底を放つ。
    「やっ」
    「……うぐ、っ?」
     葵の、その今一つ気合いが乗っていないような声とは裏腹に、掌底を当てられたルナの体が一瞬、浮き上がる。
     何とか地面に降りたものの、ルナの口の端から、つつ……、と血が垂れていた。
    「これ、は……、ゲホ、ゲホッ」
     膝を付いたルナに、葵は淡々と返す。
    「発勁(はっけい)。痛かったでしょ?」
    「そう、ね、……ぺっ」
     びちゃっ、と多めの水音を立てて、ルナは血を吐き出す。
    「慢心してたわ。アンタ、思ってた以上に強い。短時間で高威力の魔術をポンと放ち、一片の無駄もない動作で強烈な体術を繰り出す、そのずば抜けた技術と底知れぬ才能。
     でも、何よりあたしがヤバいと思ってるのは……」
     立ち上がり、ルナは再度刀を構える。
    「殺気が無い、ってことよ。アンタからは、『何としてでも敵を殺してやる』って気配が感じられない。
     アンタ、あたしのことを『敵』と思っちゃいないのね」
    「うん」
     葵の素っ気ない返事に、この戦いを見守っていたフィオは、冷たいものを感じた。
    (そうだ……。僕がどうしても、アオイを好きになれなかった理由は、これだったんだ。
     半年とは言え、一緒に勉強した仲だ。それなりに好意を持ったとしてもおかしくない、……だろ? 普通は。
     でも僕は――確かに僕が見聞きした未来のアオイ・ハーミットとあの頃の彼女とは、大分雰囲気が違うけど――どうしてもアオイに、心を許せなかった。
     その原因はこれだったんだ。あいつは……、他人を自分と同じ『人間』だとは、これっぽっちも思っちゃいないんだ!)
     まるでダメージを受けていないかのような俊敏な動作で、再びルナが斬りかかる。しかしそれを紙一重でかわし、葵はルナの胸元をつかむ。
    「えい」
     バン、と重い音が響き、ルナの体は床に叩き付けられる。
    「う、っぐ」
    「とどめだよ」
     葵は――何のためらいも見せること無く――床に倒れたままのルナに向かって、脚を振り下ろした。

    「……なに?」
     だが、葵が蹴ったのはルナの顔ではなく、フィオの腹だった。
    「う……、うえ、ゲボッ」
     腹を押さえ、血反吐を吐くフィオに、葵は不快そうな顔を見せる。
    「邪魔だよ、フィオくん」
    「そう、だ、ろうな。邪魔、したんだ、から」
     顔を真っ青にしながらも、フィオは立ち上がる。
    「この人を、殺させやしない」
    「……イラつくよ」
     葵の顔に差していた険が深くなる。
    「きみにあたしの攻撃が防げると思ってるの?」
    「防ぐさ。何としてでも」
    「そう」
     次の瞬間、べきっ、と歯の折れる音が響く。
    「あ、う、……っ」
     フィオは口を押さえ、うめく。
    「あたしが、『未来』が見えない相手には手も足も出ないなんて思ってるの? 見えないなら見えないで、普通に叩けばいいだけ。
     きみが死ぬところは、実時間で見てあげるよ」
     葵は刀を振り上げ、フィオに斬りかかった。

    白猫夢・深闇抄 6

    2014.06.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第393話。つめたいひとみ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. ルナにはその長い髪を、あれこれといじる癖がある。 普段、研究所にいる時には適当に紐で束ね、おさげにする程度だが、くつろいでいる時にはよく、パラに編み込みをさせているし、フィオに稽古を付ける時には後頭部で一まとめに固めている。 そんな中で、彼女自身「これが一番気合い入んのよね」と評しているのが、脳天より少し後ろ辺りで...

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    麒麟を巡る話、第394話。
    死闘を制したのは……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「……っ」
     フィオは死を直感し、身構えることもできない。
    (本気で、まずい)
     頭のどこか一方では、この危機的状況に対応しなければと考えてはいる。
     だがもう一方で、どんな対応を取ったとしても、葵の攻撃を防ぐ術が無いことも分かっている。
    (無茶苦茶早くて鋭い攻撃だ。多分もう、……詰んだな、これ)
     フィオは既に、諦めの境地に入りかけていた。
    「ダメですっ!」
     だが、フィオの前にパラが立ちはだり、葵の刀を受ける。
    「パラ!」
    「しっかりなさってください!」
    「あ、……ああ、そ、そうだ」
     萎えかけていた心が、パラの叱咤でもう一度引き締まる。
    「悪かった、パラ……」
     謝りかけて、フィオはパラの異状に気付いた。
    「……パラ!?」
     葵の刀を受けたものの、捌ききれなかったのだろう――その頬から右肩にかけて、深い傷が付けられていた。
    「大丈夫です。わたくしは修理が利きます故」
    「だからって! ……ああ、畜生ッ!」
     パラの、端正に整えられた顔が傷つけられたのを見て、フィオの中に、とてつもない怒りが沸き上がってくる。
    「アオイいいいいいッ!」
    「うるさいよ。あと、うざい」
     ふたたび、葵が斬りかかってくる。
     フィオはパラから剣を受け取り、それに応じた。
    「お前は、お前だけは……ッ!」
    「何しようって言うの?」
    「ここで止めてやる! お前の、野望をッ!」
     フィオは怒りに任せ、葵に向かって剣を振り回す。
     だが、葵は依然として、一片の本気も出す気配を見せない。
    「静かにして」
     フィオの目の前から、葵が消える。
    「……上かッ!」
     先程うろたえていた時とは比べものにならない速度で反応し、フィオは飛び上がる。
    「でやああああッ!」
    「ふーん」
     しかしそれでも、葵の反応は鈍く、希薄なものだった。
    「それっ」
     ざく、と肉を裂く音が、フィオの耳に入る。
    「う、あ……あああっ」
     フィオの左肩に、葵の刀が深々と突き刺さっていた。
    「えい」
     葵はそのまま刀を下方に引き、フィオの左腕を斬り落とす。
    「もう気は済んだでしょ?」
     そして葵はフィオの胸板を蹴り、床に叩きつけた。
    「……」
     すとんと床に降り立ち、葵は辺りを一瞥する。
     そして――先程まで倒れていたルナの姿が無いことに気付いたらしく、葵はつぶやいた。
    「いない……、どこ?」
     葵の死角から、ルナが飛び込んでくる。
    「はああああああッ!」
     ルナは刀に火を灯し、葵に肉薄する。
    「喰らえ……! 『炎剣舞』ッ!」
     ぼっ、と音を立て、ルナの刀に灯った火が爆発的に燃え広がった。
    「……焔流……?」
     葵のつぶやきは、その爆音でかき消された。

     数分前までじっとりと湿っていた室内の空気は、今はカラカラに乾いていた。
    「ふうっ……ふうっ……はあっ」
     ルナは刀を下ろし、深呼吸する。
    「久々に全力出したわ……。これでピンピンしてたら、もうどうしようも無いけど」
    「はあ……はあ……」
     ルナの視線は、膝を付いた葵に向けられている。どうやら防がれはしたものの、魔力が尽きたらしく、攻撃してくる気配は無い。
     ルナは葵の方を向いたまま、フィオに声をかけた。
    「フィオ、生きてる?」
    「あ、ああ」
     フィオの声は、左腕を断たれたと思えない程度に、はっきりとしている。
    「パラ、止血してあげた?」
     今度は、パラの戸惑った声が返ってきた。
    「いえ」
     それを聞き、ルナは一瞬、葵から視線を外した。
    「どう言うこと?」
    「出血しておりません」
    「何でよ? ……!」
     視線を葵の方へ向けた時には、既に葵の姿は無かった。
    「しまった!」
    「はあ……はあ……」
     部屋の出口から、葵の吐息と駆ける足音が、遠のいて聞こえてくる。どうやら不利を悟り、逃げたらしい。
    「追いかけるわ! アンタは……」
     再度振り向いて、ルナはフィオがダメージを受けていない理由、そしてパラが戸惑っていた理由を理解した。
    「アンタ、そうだったの」
    「……ああ」
     フィオの左肩から、綿と木片が飛び出している。落ちている左腕も、切断面から綿がこぼれていた。
    「人形、……じゃ無いわよね。ご飯食べてたし、汗もかいてたし、血も吐いてたし」
    「半分だけだ。半人半人形、ドランスロープってやつさ」
    「……詳しく聞くのはパラに任せるわ。あたしは葵を追う」
    「いや……、もうこれで、葵はチャンスを失ったはずだ。とりあえず現時点で、追う意味は無い」
    「どうして?」
     尋ねたルナに、フィオは右腕で、部屋の中央――封印から完全に解放され、床に倒れ伏している天狐の本体を指した。
    「テンコちゃんは、僕たちが保護するからさ。そうだ、あと、回廊のどこかにレイリンさんもいるはずだ。
     二人を回収して央北に戻ろう、ルナさん」
    「……そうね。それがいいか」



     30分後――ミッドランド、地上。
     数日間に渡る軟禁から解放されたラーガ邸関係者は揃って市街地に向かい、ポエトの嘆きに涙していた。
    「何故だ……! 何故テンコちゃんは、……テンコ・カツミは、この街から消え失せた!? 彼女がここに居てくれさえすれば、こんなことにはならなかったのに……!」
    「旦那様……」
     ポエトに付き従っていた者たちは皆、苦渋の表情を浮かべている。
     と――丘の方からゴゴゴ……、と地響きが聞こえてくる。
    「……なんだ?」
     ポエトが振り向いたその瞬間、丘がボコボコと凹み始める。
    「な、なな、なんとっ……!?」
     地響きは次第に大きくなり、やがて丘全体が、しぼむように沈んでいく。当然、丘の上に建っていたラーガ邸も、それに飲み込まれて消失した。
    「何が……、起こったんだ?」
     突然の出来事に、ポエトや他の者たちは、呆然とするしかなかった。

    白猫夢・深闇抄 終

    白猫夢・深闇抄 7

    2014.06.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第394話。死闘を制したのは……。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「……っ」 フィオは死を直感し、身構えることもできない。(本気で、まずい) 頭のどこか一方では、この危機的状況に対応しなければと考えてはいる。 だがもう一方で、どんな対応を取ったとしても、葵の攻撃を防ぐ術が無いことも分かっている。(無茶苦茶早くて鋭い攻撃だ。多分もう、……詰んだな、これ) フィオは既に、諦めの境地に入...

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    麒麟を巡る話、第395話。
    ナゾ解き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     彼女が目を覚ましたのは5月7日、ミッドランド地下での戦いからルナの研究所に運び込まれ、3日が経ってのことだった。
    「……」
     むく、と起き上がったところで、ずっと側に付いていた鈴林が、涙目で抱き付いてきた。
    「姉さんっ!」
    「……おう」
     妹弟子を抱きしめながら――彼女はぼそ、とつぶやいた。
    「何百年、いや、千年以上なのかな……」
    「えっ?」
    「生身で誰かに触れたのって、本当に久しぶりだなって」
     それを聞いて、鈴林はにこっと笑った。
    「おはよう、姉さんっ」
     彼女もはにかみながら、それに応じた。
    「……ああ、おはよう」



     入浴と着替えを済ませ、彼女は居間で待つルナたちの前に現れた。
    「おはよう、天狐ちゃん」
    「……ん」
     彼女は黒い髪をわしゃ、と撫で付けながら、こう返した。
    「何て言ったらいいかな……。語弊があるって言ったらいいのかな」
    「え?」
    「とりあえずオレのコトは、『一聖』と呼んでくれ」
    「かずせ?」
    「オレの本名だよ。天狐ってのは、いわゆる克一門での『号』なんだ。今は本体って言うか、オリジナルのオレの体だし、ソッチで呼ばれた方がしっくり来る。
     こうして生身の耳や目を使うのは、下手すっと千年ぶりくらいなんだ。懐かしい呼ばれ方、したくってな」
    「それだけど」
     と、ルナが尋ねる。
    「狐獣人じゃなかったの?」
    「ああ」
     一聖は小さくうなずき、こう返す。
    「かわいかっただろ?」
     その返答に、一同はずっこける。
    「いや、そうじゃなくて」
    「ケケケ……」
     一聖は笑ってはぐらかし、話題を変えた。
    「まあそんなワケで、本物のオレは耳がツルツルでちっこいし、尻尾も無い。瞳だって真ん丸だ。
     ソレよりも、……久しぶりだよなぁ、フィオ、マーク。何年ぶりだっけ?」
    「え……」
     マークは目を丸くし、一聖に尋ねる。
    「僕たちのこと、覚えてて下さったんですか?」
    「当たり前だろ」
     一聖はフン、と鼻を鳴らす。
    「特にフィオ、お前さんは『超』特殊な事情があったからな。オレがもし忘れてたら、色々困るだろ?」
    「まあ、そりゃ……」
    「その腕のコトも、な」
     一聖はフィオの側に寄り、肩から先の無い左腕に手を当てた。
    「腕、持って返ってきてるか? あるんなら、治してやるぜ」
    「ありがとう、テン、……じゃない、カズセちゃん」

     一聖によって腕を修理してもらい、フィオは心底ほっとした顔をしていた。
    「本当にありがとう、カズセちゃん」
    「いいってコトよ。お前らに受けた恩はコレくらいじゃ、まだまだ返せねーしな。
     で、フィオ。そろそろお前さんの事情、全部話してもいいんじゃねーのか? もうオレたちに関して、デカい『分岐点』は超えたろ?」
    「ん……、うーん」
     二人のやり取りに、その場にいた全員がフィオの方を向く。
    「そう言えば……」
    「そうね。フィオとはずーっと一緒にいたけど」
    「フィオの素性について、わたくしたちは一切の情報を取得しておりません」
    「……ってことよ。あたしたちがアンタについて知ってることは、未来から来たってだけ。
     もうそろそろ、詳しく話してくれないかしら? アンタはいつの時代から、誰にどんな事情を聞いて、この時代にやって来たのか。
     そして未来では、何が起こるのか。そしてどうして、アンタはこの時代に来なくてはならなかったのか」
    「……」
     フィオはしばらく黙っていたが、やがてすっと立ち上がり、全員を見渡す形で、居間の中央に立った。
    「そうだな。そろそろ、全てを話す時が来たのかも知れない。こうしてカズセちゃんを救えたわけだし、そして、……鈴林さんも、皆もここにいる。
     分かった。話すよ。……でも」
     フィオは顔を赤らめ、ぼそぼそと付け加えた。
    「皆も知っての通り、僕は皆ほど、頭は良くない。分かりにくい話をするかも知れないし、きちんと説明できるか、……ちょっと、自信ない」
    「分かんなきゃ、その都度聞くわよ」
    「……あと、どこから話せばいいかなって。話すことが一杯あるから」
    「ぷっ」
     ルナはクスクス笑いながら、こう返した。
    「そんなの、一番大事なことから言えばいいのよ。
     そうね……、まず、アンタがどうやって『造られた』から、辺りかしら。アンタが『母』と呼んでるのは誰かってことから、聞かせてもらおうかしら」
    「分かった」
     フィオはチラ、と鈴林に目をやる。
    「……なあにっ?」
    「カズセちゃん、鈴林さん。僕が天狐ゼミを訪ねた時、紹介状を渡したよね」
    「ああ。カンパーナ・フォレスター・コンキストってヤツからの、な」
    「それ、実は母の名前を、央中風に無理矢理直したものなんだ。元は央南風の名前なんだ」
    「央南風っ?」
     鈴林はあごに人差し指を当てながら、その人名を訳す。
    「ええと……、フォレスター(Forester)は森とか、林でしょっ。コンキスト(Conquist)は、征服とか克服とかって意味だよねっ。
     カンパーナ(Campana)って、どんな意味かなっ?」
    「鐘とか、鈴になる」
    「……んっ?」
     一瞬、居間の空気が固まる。そしてその本人が、驚いた声を上げた。
    「鈴、林、克? ……アタシっ!?」

    白猫夢・覚聖抄 1

    2014.06.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第395話。ナゾ解き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 彼女が目を覚ましたのは5月7日、ミッドランド地下での戦いからルナの研究所に運び込まれ、3日が経ってのことだった。「……」 むく、と起き上がったところで、ずっと側に付いていた鈴林が、涙目で抱き付いてきた。「姉さんっ!」「……おう」 妹弟子を抱きしめながら――彼女はぼそ、とつぶやいた。「何百年、いや、千年以上なのかな……」「えっ?」...

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    麒麟を巡る話、第396話。
    鈴林の分岐点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     もう一つの――フィオが介入しなかった世界の、双月暦570年5月4日。



     鈴林は天狐に言われた通りに、一週間もの長い間、壁に磔にされたまま、じっとしていた。
    (姉さん……姉さん……)
     剣で背中から胸元を貫かれ、そのまま壁に向かう形で留められていたため、彼女は難訓の姿も、天狐が散華する様も見ていない。
     一週間もの間、彼女は暗黒の中にいたのだ。
    (何日……? もう、5日? 6日? 分かんなくなってきちゃったよ……)
     人ならざる彼女とは言え、何もない、目の前には壁しか無いような空間で、自我を保つことは至難の業と言えた。
     それでも、彼女は耐えた。背を向けていてもなお、難訓の恐ろしさは伝わっていたし、何より自分が敬愛する姉弟子の死骸など、見たくなかったからだ。

     どこからか、ゴゴゴ……、と地響きが聞こえてくる。
    「な……に……?」
     飛びかけていた意識が、戻ってくる。
     と――回廊の向こうから、コツ、コツと靴音が響いてくる。
    「だれ、……っ」
     問いかけて、鈴林は口をつぐむ。
    (難訓の可能性もあるのにっ……)
     靴音が止む。どうやら音を立てていたその相手は、鈴林の背後にいるらしい。
    「抜いた方がいい?」
    「……」
     その声に、鈴林は聞き覚えがあった。
    (この声……、誰だっけっ?)
    「抜かない方がいい?」
    「……抜いて……」
     自分ではまだ一週間経っているかどうか分からなかったが、鈴林の口から、ほとんど無意識に言葉が出てきた。
    「ん」
     ぎちっ、と音を立て、剣は鈴林の背中から抜かれた。
    「……う……はあ……っ……」
     一週間ぶりに床の感触を味わい、鈴林はそのまま倒れこむ。
    「逃げた方がいいよ」
     鈴林から剣を抜いた人物は、倒れたままの鈴林に、淡々と声をかける。
    「もうすぐここ、崩れるから。天狐ちゃんの本体が死んだのと、あたしがここの封印を無理矢理解除したせいで」
    「……え……」
     鈴林は重たい頭を上げ、その人物の顔を見た。
    「……死んだ……姉さんが……?」
    「あたしが殺した」
     回廊は暗かったが、それでも鈴林には、相手の顔が確認できた。
    「……殺し……っ……!?」
    「じゃあね」
     この時鈴林の目に、何ら感情を表さない、葵・ハーミットの能面のような顔が、はっきりと焼き付けられた。

     そしてこの30分後、葵の言葉通りに、ミッドランドの地下遺跡は崩落した。
     特に誰かが攻めてきたわけでもなく、何の拘束を受けたわけでもない、普段通りにラーガ邸に居た者たちは、為す術なくこの崩落に飲み込まれ、そのほとんどが命を落とした。
     体制的かつ物理的に政治機能が失われたその混乱に乗じるように、白猫党はこの日、島を占拠した。



     鈴林は姉弟子の仇である葵を追うためミッドランドを去り、旅立った。
     その旅の中で、彼女は白猫党の中核に葵がいること、葵は白猫、即ち己の姉弟子である克麒麟から預言を得て党を動かしていることを知った。
     そして白猫党が次々に央中を攻略し、つい先日、ゴールドコースト市国までをも陥落させ、意気揚々と央北へ凱旋したことを伝え聞いた彼女は、彼らの本拠地であるクロスセントラルへ赴いた。

     鈴林の読みは的中し、市街地には白猫党党首シエナをはじめとする党幹部たちが集い、戦勝パレードを催していた。
     そしてその中に仇敵、葵がいることも確認し――。
    「葵いいいいいッ!」
     鈴林はそのパレードの中に単身、突っ込んでいった。
     だが、鈴林はその中心、シエナたちが乗っている車輌に到達することはできなかった。何故なら狙っていた本人が突如、彼女の目の前に現れ、一瞬のうちに彼女を、彼方まで弾き飛ばしたからである。
     あまりに一瞬の出来事ゆえに――パレードに参加、参列していた者たちは、鈴林が武器を抜いたことも、パレードに割り込もうとしたことも、そして空中高く跳ね飛ばされたことすらも、誰一人として気付かなかった。



     そして目が覚めた時、鈴林は牢獄につながれていた。

    白猫夢・覚聖抄 2

    2014.06.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第396話。鈴林の分岐点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. もう一つの――フィオが介入しなかった世界の、双月暦570年5月4日。 鈴林は天狐に言われた通りに、一週間もの長い間、壁に磔にされたまま、じっとしていた。(姉さん……姉さん……) 剣で背中から胸元を貫かれ、そのまま壁に向かう形で留められていたため、彼女は難訓の姿も、天狐が散華する様も見ていない。 一週間もの間、彼女は暗黒の中...

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    麒麟を巡る話、第397話。
    絶望の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     鈴林にとって幸運だったのは、葵が鈴林のことを単なる人間、どこにでもいる長耳だと思っていたことだった。
     投獄されたものの、鈴林には己の形をある程度自在に変えられる能力がある。
    (小鈴から聞いた、『縛返し』晴奈の武勇伝。アレ、今こそアタシがやる時だよねっ)
     鈴林は看守の目を盗み、何度も脱獄しては白猫党の本拠、ドミニオン城を歩き回り、情報を集めては、騒ぎにならぬよう、また、葵を警戒させぬように、元通りに牢獄へ戻る生活を始めた。

     敵の本陣でさらに情報収集を進めたが、鈴林にはいつしか、焦りと苛立ちが生じていた。
    (葵が見つからない……。ドコにいるのよっ?)
     耳にするのは、白猫党の活躍ばかりである。
    「こちらの世界」では、白猫党は既に「新央北」を配下に収めた上に央中の大部分を攻略し終え、さらにはなんと、央南や西方にまで手を伸ばしていた。
     しかし白猫党の絢爛たる快進撃を何十と聞いても、鈴林にとって肝心な情報、即ち葵がどこにおり、何をしているかについては、全く分からないままだった。
    (いつまでもココでウロウロしてるだけじゃ、きっと葵はアタシに気付く。そうなったら今度こそお終いだよ……。今度こそ、やられちゃうっ。
     そうなる前に、アタシの方から葵を見つけなきゃっ)



     だが、鈴林の焦りとは裏腹に、鈴林は葵を見つけられず、一方で葵も鈴林にとどめを刺そうと動くこともなく、何年もの時が過ぎていった。

     そのうちに、白猫党は内部崩壊を起こし始めた。
     怒涛の快進撃を続け、領土を野放図に拡大してきた白猫党だったが、それ故に領内を安寧に統治する意識が、いつの間にか薄まっていたらしい。
     これまでずっと沈黙してきた元「新央北」の宗主国、トラス王国の第三代国王となったマークの妹、ビクトリア・トラスが、白猫党と交戦中だった西方南部、そして央南西部と密かに連絡を取って連携し、大規模な反乱を企てたのだ。
     央北全土を支配して以降、配下に収めた地域に隷従を強制していた白猫党の圧制に対し、央北・央中諸国はこの動きに同調。反乱の火の手は、一気に広がった。

     そして――鈴林は、何故葵がこれまで党首を彼女自身ではなくシエナに務めさせ、非道な行いを繰り返させたかを、双月暦580年になってようやく、気付くこととなった。



     情勢は緊迫の一途をたどっていたが、鈴林はその日もいつも通りに脱獄し、情報収集を行うため、城内をうろついていた。
     と――城内が異様に騒がしいことに気付く。
    (えっ……? なんか、兵士の人がいっぱいいるっ?)
     本拠地であるし、一日に数名、十数名程度であれば、見かけることも多い。だがその日は、城内の至るところに兵士が詰め、仲間・同志であるはずの白猫党員を拘束していたのだ。
    (……あ、コレ反乱だっ!)
     鈴林が直感した通り、央北東部から拡がっていった反乱の火は、既に白猫党の本拠にまで到達していたのだ。
    「鬼畜シエナを許すなーッ!」
    「これ以上、あの独裁者を野放しにするなーッ!」
    「探せ探せぇ! 見つけ次第殺せーッ!」
     これまでの規律・統率が嘘のように、白猫兵たちが城内で叫び、殺戮を繰り返している。
    (このままじゃ危ない、……けどっ)
     身の危険を感じたものの、これだけ党内に混乱が生じた今、党の真の主である葵が動かないわけがない。
     そう考えた鈴林は城内に潜み、葵の出現を待った。


     そして、その日も終わろうかと言う頃、ようやく葵は城のバルコニーに現れた。
     だが――現れたのは、葵だけではなかった。
    「ひゅー……ひゅー……」
     葵の右手には全身あざだらけになり、血塗れになったシエナが引きずられていた。
    「皆、聞け。中庭に集合せよ」
     葵は静かに、しかし誰の反発をも許さない威圧感を以って、城内のスピーカーを使って呼びかける。
    「今、ここに新たな王が誕生された。それはあたしたちの、神様だ」
    「……っ」
     ざわついていた城内が、一挙に静まり返る。
    「神様は罰をお与えになられた。
     あたしたちの幸福、あたしたちの利益を忘れ、己の欲のままに暴虐の限りを尽くしたこの、シエナ・チューリンに鉄槌を下された」
    「……ふざ……け……ない……でよ……全部……アンタが……」
     虫の息ながら、シエナが何かをつぶやくのが聞こえたが、葵は構わず続ける。
    「繰り返す。皆、中庭に集まれ」
     葵に命じられるがままに、党員たちも、兵士たちも、中庭に集まる。
     党員が集まったのを確認し、葵は傍らのシエナの襟を握り、バルコニーの先に高々と掲げる。
    「これより戴冠式を行う。
     まずはこの罪人に罰を下し、新たな王への贄としよう!」
    「ひっ……」
     葵はそう叫び――シエナをバルコニーから投げ捨てた。

     葵の、もう一方の傍らに立っていた銀髪の猫獣人は、葵の行動をうっとりと眺めながら、高らかに拍手した。

    白猫夢・覚聖抄 3

    2014.06.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第397話。絶望の降臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 鈴林にとって幸運だったのは、葵が鈴林のことを単なる人間、どこにでもいる長耳だと思っていたことだった。 投獄されたものの、鈴林には己の形をある程度自在に変えられる能力がある。(小鈴から聞いた、『縛返し』晴奈の武勇伝。アレ、今こそアタシがやる時だよねっ) 鈴林は看守の目を盗み、何度も脱獄しては白猫党の本拠、ドミニオン城を歩...

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    麒麟を巡る話、第398話。
    妄執の果てに。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     新たな党首となった葵の粛清は、広範囲に及んだ。
     まず、反乱を指導したビクトリア・トラスをはじめとして、トラス王家の一族すべてを処刑。これによりトラス王国、そして「新央北」は完全に消滅した。
     続いて、シエナの独断専行におもねっていた者、反乱に加担していた者に対しても、厳罰を与えるとともに更迭・追放、あるいは処刑し、党内の意見・意思を統一させた。
     さらには長引いていた央南・西方での戦争を、ほとんど葵単騎で終結させ、世界の3分の2を白猫党の領地にしてしまった。



     鈴林は葵の暗殺を、諦めざるを得なかった。
     敵対するには既に、あまりにも強く、そしてあまりにも、恐ろしい存在となっていたからである。
     いや、恐ろしいと思ったのは葵だけではない。葵によってこの世の王となった克麒麟がなお一層、恐ろしかったのだ。
    (アタシたちの世界は、完全におかしくなっちゃったよ……。
     もう何をやっても、元通りになんか戻せっこない。アタシが今、何かしようとしたとしても、葵や麒麟の姉さんはすぐ、アタシを殺しに来る。もう葵に指を向けるコトすら、できないよ。
     ソレに……、これだけ姉さんが好き勝手やってるのに、お師匠はドコにもいない。きっと……、麒麟の姉さんが手を回して、殺してしまったんだ。
     もう全部、遅すぎたんだ……。アタシが10年も、城の中で時間を潰しちゃったばっかりに、何にも手が打てなくなっちゃったよっ……)
     鈴林は深い絶望に飲み込まれ――そしていつしか、妄執に取り憑かれた。
    (もう全部手遅れなんだ。今、何をやったって、どうにもならない。
     なら――手遅れになる前に、手を打てばいいんだよ……)

     普通の人間であれば絶望に打ちひしがれ、ただ狂うだけで終わっただろう。
     だが鈴林にはまだ冷静さが残っており、そして妄想を現実化できる程度には、明晰な頭脳を有していた。
     彼女はドミニオン城から離れ、そしてすっかり荒廃した央中のゴールドコーストに身を潜め、とある研究を始めた。
     その研究とは――過去へ戻るための時間跳躍術である。

     その研究の過程で、鈴林は問題にぶつかった。
     一つは、莫大な魔力を必要とすること。理論の目処は付いたのだが、それを実行に移すには、途方も無い魔力を発生させなければならないことが判明した。
     そしてもう一つは、過去へ戻れたとしても、未来で得た情報は役に立たなくなること。
     例えば過去に戻り、何かほんのちょっとした行いでもすれば、必ず何かしらの運命が変わり、その結果である未来は、大きく変化してしまう。そうなれば、そこは『別の世界』であり、『元の世界』では決して無い。
     即ち、どれだけ「この世界」について精密な歴史をかき集め、過去へ戻ったとしても、葵たちを倒すために行動を起こしたその瞬間から世界は変化し、そのデータが無意味となる可能性は極めて高い。

     鈴林は二つ目の問題に対し、人形を造る方法を採った。それも単なる人形ではなく、自律思考が可能であり、かつ成長のできる「半人半人形」である。
     これならば送り込んだ先の世界が変化し、自分が知る歴史と違う出来事が発生したとしても、それに対して臨機応変に対応することが可能であろうと、鈴林は考えたのだ。

     そしてもう一つの、莫大なエネルギー確保の問題についても、鈴林は覚悟を決めた。
    (この四半世紀に渡る失敗は、全部アタシのせいだ。
     ソレを償わなきゃ、お師匠にも天狐の姉さんにも、顔向けできないもん)



    「こちらの」――これまでの物語上の世界、双月暦562年1月30日。
     この世界に送られてすぐ、フィオは天狐の屋敷を訪ねた。

    「ココには誰の紹介で?」
     適当な嘘を並べて出自をごまかしたものの、紹介者を尋ねられ、フィオは内心ヒヤヒヤとしつつも、こう答えた。
    「ここの関係者だった、カンパーナ・フォレスター・コンキストさんです」
     と、ここでフィオは手紙を懐から出し、おずおずと天狐に渡す。
    「あ、これ、紹介状です」
    「あ?」
     名前を聞くなり、天狐は怪訝な顔をした。
    「誰だって? 聞いたコトねー名前だな」
    「えっと、紹介状……」
     天狐は手紙を受け取り、中身を確認する。
    「……」
     読み終えるなり、天狐は立ち上がり、「テレポート」でその場から消えた。

    「お前、バカなコトしたなぁ」
     フィオがこの世界に現れた地点に、天狐は移動していた。
    《うん……ゴメンね、姉さん》
     空中に、紫色に光る亀裂が走っている。
     その向こう側に、全身が赤茶けた鈴林の姿があった。
    《でも……こうするしか……なくって》
    「何があったんだ? 時間跳躍術なんてオレは教えてねーし、研究したコトもねー。
     ソレを自分で編み出して、起動魔力確保のために自爆するなんてメチャクチャなコトをやらざるを得なかったのは、何でなんだ?」
    《あの子に……聞いて》
     鈴林の体が、褐色からどんどん黒ずみ、ボロボロと崩れていく。
    「……分かったよ。安心しろ、鈴林」
     閉じていく亀裂に向かって、天狐は右親指を立てて見せた。
    「『こっちの』鈴林にゃ、お前がやったみてーなコト、絶対させねーからな」
    《……うん……お願いねっ……》
     亀裂は閉じ、鈴林の姿も見えなくなった。

    白猫夢・覚聖抄 4

    2014.06.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第398話。妄執の果てに。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 新たな党首となった葵の粛清は、広範囲に及んだ。 まず、反乱を指導したビクトリア・トラスをはじめとして、トラス王家の一族すべてを処刑。これによりトラス王国、そして「新央北」は完全に消滅した。 続いて、シエナの独断専行におもねっていた者、反乱に加担していた者に対しても、厳罰を与えるとともに更迭・追放、あるいは処刑し、党内...

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    麒麟を巡る話、第399話。
    新しい歴史。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「じゃあ……、じゃあ、フィオくんって、アタシの?」
     未だ目を白黒させている鈴林に、フィオはしどろもどろに応じる。
    「ええ。……まあ、と言っても、『向こうの世界』では母だったけど、こっちではまだ、母じゃないし、そうなる契機も訪れなかった。
     だから、……まあ、……何て言ったらいいか分からないけれど、こっちの鈴林さんは、僕とはあんまり関係が無い、と言うか」
    「冷たいなあ、もうっ」
     鈴林はひょいと立ち上がり、フィオの額をぺちっと叩いた。
    「あいたっ」
    「そーゆーつながりが無くても、フィオくんはアタシの生徒だったじゃないっ。ちょっとくらい、親身になってほしいなっ」
    「……まあ、はい」
    「まあ、流石に『お母さん』はイメージ湧かないけど、『お姉さん』くらいはできると思うし、そーゆー風に思ってよねっ」
    「……はい」
     フィオは照れた顔をしつつ、小さくうなずいた。

     フィオからの話を聞き終え、マークとシャランは複雑な顔をしている。
    「ビッキーが女王に、ねえ……」
    「想像できないよね。確かに今だってしっかり者だけど、まだ16歳だし。あ、つっても10年後なら26歳か」
    「まあ、それくらいなら想像に難くないと言えば難くないけど。でも僕がいない世界の話だし、多分僕がなるんじゃないかな、次の国王って」
    「ふつーはそうだろうけどさ、マークってなりたい、王様?」
     シャランに尋ねられ、マークは肩をすくめて返す。
    「……いや、あんまり」
    「あたしも向いてない気がする」
     シャランはマークの手を取り、こう続けた。
    「やっぱりマークは研究者が一番似合ってるよ。ずーっとあたし、マークが勉強してるところとか、実験してるところとか見てきたし、絶対間違い無い。
     ……ま、あたしもそうだけど。一応ネール公家の出だけど、政治とかマジさっぱりだし」
    「似た者同士、って感じかな」
    「そ、そ。……でもさ」
     シャランはマークの手を握ったまま、ぽつりとつぶやいた。
    「フィオ先輩がもし、マークのコト助けて無かったら、あたしこうやって、ココで研究やってないかも知れないんだよな。ううん、絶対無い」
    「確かに……。この研究所は、僕がいなかったら存在しなかっただろうな」
    「感謝、しないとね」
     シャランの言葉に、マークは深々とうなずいた。
    「してるさ。どんなにしても、し足りないくらいに。フィオがいなかったら、僕の人生はもう終わってるんだから。
     だから彼が望み、僕にできることがあれば、何でもするつもりだ」

     一方、ルナは神妙な顔でテーブルに頬杖を付いている。
    「んー……」
    「いかがなさいました」
     尋ねたパラに、ルナはこう返す。
    「フィオの話だけどさ、あたしのことはなーんにも触れてないのよね。
     もしかして『向こう』じゃ、あたしって活躍してなかったのかしら」
    「フィオに聞いてみてはいかがでしょう」
    「……ま、いいや。『向こう』の話を聞いたって、特にあたしにとって得られるものは無さそうだし。
     行けもしない月の裏側の話なんて、聞くだけ無駄ってもんよ。……っと、そうそう」
     ルナはパラに手招きして近くに寄らせ、小声で尋ねた。
    「驚いたわよね」
    「何がでしょう」
    「フィオよ。まさか半人半人形とは思わなかったわ。ふつーにご飯食べてたし、アンタと比べたらアホだし」
    「わたくしも非常に驚いております」
    「だからアイツ、アンタに惹かれたのかもね」
    「……」
     黙り込んだパラに、ルナはイタズラっぽい目を向ける。
    「あら? アンタ、フィオがそう言う風に想ってるってこと、気付いてなかったの?」
    「想定していませんでした」
    「いません『でした』?」
     言葉尻を捕まえ、ルナはニヤニヤと笑う。
    「じゃあ今は気が付いてるのかしら」
    「少なくとも研究所の皆様は、わたくしとフィオが恋愛関係にあると見ているご様子です」
    「ちーがーうーでーしょー」
     ルナはぺちっ、とパラにデコピンする。
    「ごまかさないの。あんた自身の考えと言葉を言いなさい」
    「……」
     パラはうつむき、彼女らしからぬぼそぼそとした声で答えた。
    「……はい。好意は、感じております」
    「アンタに血潮があったら、今、きっと顔を真っ赤にしてるんでしょうね」
     ルナはずっと、ニヤニヤと笑っていた。

    白猫夢・覚聖抄 5

    2014.06.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第399話。新しい歴史。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「じゃあ……、じゃあ、フィオくんって、アタシの?」 未だ目を白黒させている鈴林に、フィオはしどろもどろに応じる。「ええ。……まあ、と言っても、『向こうの世界』では母だったけど、こっちではまだ、母じゃないし、そうなる契機も訪れなかった。 だから、……まあ、……何て言ったらいいか分からないけれど、こっちの鈴林さんは、僕とはあんまり関...

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    麒麟を巡る話、第400話。
    フィオとパラの未来。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     その日の晩、フィオは研究所から離れた街外れに、パラを呼んだ。
    「パラ。……改めて告白するけど、僕は完全な人間じゃない。半分、人形だ。
     本来は、この戦いのために造られた存在なんだ」
    「はい」
    「だから……、本来なら、そのためだけに生きなきゃいけない。僕はすべて、アオイを倒すためだけに行動をしなければならない。……それが、母の望みだ。
     でも、君がアオイに傷付けられたあの時、僕はそれを忘れた。確かに行動自体はアオイを倒そうとしていたけど、理由は母のためじゃなかった。君を傷付けられ、それに憤ったからだ。
     だからこの時点で、僕は失格なんだ。母の、創造主の望むように動いていない。僕は人形として、欠陥品なんだろう」
    「それなら、わたくしも欠陥品です」
     パラはいつもより若干強い口調で、そう返した。
    「わたくしの本来の存在理由は、元の主である方の駒です。それを捨て、今の主様に付いた時点で、わたくしは人形としての本分を逸脱したのです。
     しかしそれが過ちとは、思っていません」
    「……あ、いや」
     と、フィオは手をパタパタ振る。
    「ごめん、勘違いさせたけど、それが悪いって話じゃないんだ。いや、むしろ、これからのことを考えたら、それはいいんじゃないかって思うんだ」
    「と言うと」
    「その、君のことも含めて、僕たちは人間に近付いてる、と思うんだ。
     パラ。僕は今、完全な人間になりたいと、とても強く願ってる。そして君にも、そうなってほしいと思ってるんだ」
    「……」
    「そして、そうなった暁には、パラ」
     フィオはパラの手を握り、こう続けた。
    「僕と、……その、……け、結婚してくれないか」
    「え」
     パラの無表情が、きょとんとしたものになる。
    「……ダメかな」
    「いえ」
     パラはいつものような無表情ながら、しかしかなりの早口で――どうやら、これは彼女の感情が相当昂った時の癖らしい――こう返した。
    「驚いておりますまさかあなたがそこまでわたくしを想ってくれていると思っておりませんでしたのでですがわたくしの中に確かにそうした希望はございますいえ強く抱いています非常に魅力的な提案ですぜひお受けしたいと考えています」
    「……落ち着いて?」
    「はい」
     パラは顔を両手で覆い、フィオと目を合わさずに、今度はゆっくりと答えた。
    「あなたの要求に対し、わたくしは全面的にお受けしたいと考えます」
    「……ありがとう。でもその言い方、問題がありそうに聞こえる」
    「あります。それは、前提条件が困難なことです」
    「ああ、そうだ。まず人間になること。それが僕たちにとって、何より難しい。……だけど彼女なら、どうにかできるんじゃないか?」
    「彼女、と申しますと」
     そろそろと目を合わせたパラに、フィオはこう続けた。
    「カズセちゃんだ。僕の腕を一瞬で直すことができるほどの魔術を持っているのなら、それくらいできるんじゃないか?」
    「可能性は非常に高いものと予測されます」
    「聞いてみよう。……ところで、パラ」
    「何でしょう」
     フィオは長い耳をかきながら、恐る恐る尋ねた。
    「僕も半分人形だけど、そんな堅いしゃべり方、してないだろ? もっと砕けて話すこともできると思うんだけど。……あと、完璧主義で潔癖症なところも」
    「それらはすべて、わたくし固有の癖です」
     にべもなく返され、フィオは言葉に詰まる。
    「えっと、その、……直せない?」
    「主様も仰っています。『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』と」
    「……まあ、いいか。ルナさんやシャランみたいな話し方するパラなんて、却っておかしいよな」
     諦めたフィオに、パラは薄い笑みを返した。
    「そう捉えていただけると助かります」



     翌日、フィオとパラは、まだ研究所の居間で寝泊まりしている一聖を訪ねた。
    「カズセちゃん、お願いが……」
     言いかけて、二人は絶句する。
    「おう、なんだ?」「なんか用か?」
     二人の前には、一聖が二人いた。

    白猫夢・覚聖抄 6

    2014.06.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第400話。フィオとパラの未来。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. その日の晩、フィオは研究所から離れた街外れに、パラを呼んだ。「パラ。……改めて告白するけど、僕は完全な人間じゃない。半分、人形だ。 本来は、この戦いのために造られた存在なんだ」「はい」「だから……、本来なら、そのためだけに生きなきゃいけない。僕はすべて、アオイを倒すためだけに行動をしなければならない。……それが、母の...

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    麒麟を巡る話、第401話。
    オレがコイツでコイツもオレで。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     その一聖「たち」は、フィオには一瞬同じように見えたが、落ち着いて観察すれば、一方は金髪に金色の毛並みをした、九尾の狐獣人――即ち、以前の克天狐そのものだった。
    「カズセちゃん、これって……?」
     尋ねたフィオに、黒い髪の短耳の方が答えた。
    「ああ。いきなりオレがミッドランドに戻ってきたら、『こいつ誰だ?』ってなるだろ?」
     それを継ぐ形で、金髪の狐獣人が続ける。
    「だからオレが復活した。オレがコイツの代理人ってワケさ。ラーガ家の方には『白猫党にとっ捕まってたが無理くり脱獄した』とか適当に言っとく」
    「あ、ああ、そう。……どう呼べば?」
    「これまで通りだ。オリジナルは一聖ちゃん。オレの方は天狐ちゃんで」
    「自分にちゃん付けするなよ。あんた、結構いい歳なんだろ?」
     天狐ゼミ時代から薄々思っていたことをうっかり口に出したが、一聖たちは意に介していないらしい。二人揃って、ぺろっと舌を出して見せた。
    「うっせ、オレは永遠の女の子だ」「てんこさんじゅうななさい、なんてな」
    「おいおい……。まあ、いいけどさ」
    「で、なんか用か?」
     尋ねた一聖に、フィオは天狐の方をチラ、と見て、こんな質問をぶつけた。
    「あのさ、テンコちゃんって丸っきり、元のまま?」
    「いや、ちょっと強めにいじった。こないだみたく、不意打ちでやられちゃかなわねーから、な。
     あと、コレまではオレ(一聖)と意識をリンクさせてたが、オレ自身が自由に動ける今、んなコトしてられねーからな。今度のコイツ(天狐)はスタンドアローン型、独立して行動できるタイプにしてある」
    「あ、そうじゃなくて。前と同じ、『生物』なのかなって」
    「おう。オレだってチョコ食いたいし」
     屈託なく笑う天狐に、フィオは恐る恐る用件を打ち明けた。
    「ってことはさ、いわゆる生命創造みたいなのができるってことだよね?」
    「みたい、って言うかそのまんまだけどな」
    「じゃ、じゃあさ、例えば僕とパラが人間になりたいってお願いしたら、できたりする?」
    「できるぜ」
     素直にうなずかれ、フィオは面食らった。
    「できるの?」
    「二回も聞くなよ。できるっつの」
    「じゃあ……」
    「ただし」
     だが、一聖が口を挟む。
    「克一門のモットーはおしなべてギブ&テイク、『契約は公平にして対等の理』の精神だ。
     平たく言や、『これこれこーゆーものを差し上げる、その代わりにそれそれそーゆーものをくれ』ってヤツだ。
     確かにお前らに助けてもらった恩義はある。だがソレはルナとお前らと、3人共同でのギブだ。ソレを2人前のテイクで返せ、なんて言わねーよな?」
    「う、……まあ、そうか。確かにそうだな。腕も直してもらったし」
    「だがあくまで、ギブ&テイクだ」
     再度、天狐が口を開く。
    「もう1人分助けてもらったとなれば、その契約は結んで当然のものだ。また何か助けてくれたら、その時はその願いを聞き入れてやんよ」
    「……分かった。じゃあ、また機会があれば」
     一縷(いちる)の希望を抱き、フィオとパラは居間を出ようとした。

    「あるわよ、きっと」
     と、ドアの向こうから声がかけられ、そしてルナが入ってきた。
    「どう言うコトだ?」
    「アンタの師匠と、その九番弟子兼あたしの師匠が見つからないのよ。何かあると思わない?」
    「なに……?」
     ルナから大火らが行方不明になっていることを聞き、一聖は表情を曇らせた。
    「気になるな……。今聞いた辺りの拠点はオレも知ってるトコだし――ミッドランドに縛られてたせいで行ったコトはねーけど――ソコにいないってなると、相当立て込んでる事情ってのは、確かにありそうだな。
     よし、探してみるか」
    「あたしも協力するわよ。……その代わりに、だけど」
     ルナはニヤッと笑い、一聖にこんな願いを申し出た。
    「天狐ちゃんと鈴林はミッドランドに戻るとして、アンタは大火探し以外には手が空いてるわよね?」
    「ああ、そうだな」
    「だけど探すって言っても当ては無いし、探してる間の旅費やら本拠地やら、必要よね?」
    「まあ、確かにな」
    「見つかるまで、あたしのところで働かない?」
    「は?」
     けげんな顔をした一聖に、ルナはこう続ける。
    「この街とこの研究所を本拠地にすれば、あたしたちの協力はいつでも得られるし、住むところや食べ物にも困らないわよ。
     その代わり、手が空いた時には研究手伝ってもらうけど」
    「……うーん」
     この申し出に、一聖は腕を組んでうなる。
    「まあ、確かにフラフラ旅に出るってのはしんどいしなぁ。オレ、旅行嫌いだし。どこか落ち着けるところがあるんなら、落ち着きたいし。
     分かった、ソレ受けるぜ」
    「ありがと。じゃあ早速、所員証を……」
     言いかけて、ルナは「あれ?」とつぶやく。
    「アンタの名前、『かつみ・かずせ』でいいの?」
    「あー」
     問われた一聖は、眉間にしわを寄せる。
    「じゃない、な。『克』ってのは魔術師学派の号だからな。つっても、元の苗字もあんまり好きくねーし。
     んー……、そうだな……、じゃ、『橘』で」
     それを聞いて、ルナはクスっと笑う。
    「なるほど。鈴林の、ね」
    「そーゆーコト」



     こうして570年、「フェニックス」に辣腕の研究顧問、橘一聖が参入した。

    白猫夢・覚聖抄 7

    2014.06.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第401話。オレがコイツでコイツもオレで。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. その一聖「たち」は、フィオには一瞬同じように見えたが、落ち着いて観察すれば、一方は金髪に金色の毛並みをした、九尾の狐獣人――即ち、以前の克天狐そのものだった。「カズセちゃん、これって……?」 尋ねたフィオに、黒い髪の短耳の方が答えた。「ああ。いきなりオレがミッドランドに戻ってきたら、『こいつ誰だ?』ってな...

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    麒麟を巡る話、第402話。
    賢王の判断と次代の女王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     一聖の参入で研究所が沸き立つ一方、近年造成されたトラス王国の本拠、セレスフォード城ではまたもマークが、父親かつ国王であるショウ・トラスに食って掛かっていた。
    「何故です父上、こんな好機は無いでしょう!?」
    「落ち着け、マーク」
     トラス王はやれやれと言いたげな顔で、マークをなだめる。
     いや、実際に彼は、それを口に出した。
    「やれやれ……。マークよ、何故今が、白猫党を攻める好機だと思うのだ?」
    「だってそうでしょう? 彼らは今まさに、央中を攻めている最中ではないですか! 言わば、敵に背中を向けているも同然! 今攻めずして、いつ攻めると言うのですか!?」
    「なるほど、確かにお前が今言った通りの理由で、攻めるべしと言う意見も上がってきている。だが私は、これを好機などとは到底思っておらんのだ」
    「どうして……!」
    「まず一つ。利益の面で考えてみれば、我々が白猫党を攻めても大した得にはならんのだ。白猫党に対して奪うものなどろくに無いし、むしろ余計な戦費と人員の浪費にしかならん。
     考えてもみろ、このトラス王国から彼奴らの本拠であるヘブン王国まで、どれだけの距離がある? 相手が有する最新鋭の軍用車輌を以ってしても、一週間は悠にかかる。
     ましてや車輌開発など手がけたことのない我々がそれを調達し、満足に運転できるよう訓練を行い、街道を整備して敵陣に攻め入るまでに、どれだけの時間を要すると思っている? 今、主力部隊が央中へ行っているとしてもだ、我々が戦える状態にまで訓練や整備を進めているうちに、戻ってきてしまうのがオチだ。
     こんな愚行は傍から見れば、喜劇に出てくるような間抜け軍隊そのものではないか!」
    「しかし……」
    「第二に、主力部隊が央北にいないとは言え、勝算は決して100%ではないと言うことだ。いいや、50%あるかも定かではないと、私は見ている。
     その体たらくで無謀に兵を差し向け、いたずらに犠牲を出すようなことは、私には到底命じられん。命じたくも無い。ましてや――何度も言うが――勝って何が得られる、と言う戦いでも無い」
    「あるじゃないですか!」
     一方、マークも折れない。
    「白猫党によって不遇を強いられた人々を解放する意義があります!」
    「馬鹿者」
     トラス王は呆れた目を、マークに向ける。
    「お前は自分が救世主にでもなったつもりなのか? そうであると吹聴するつもりか?
     万が一白猫党を撃退し、現在彼らの統治下にある国々が解放され、独立したとしても、決して彼らはお前をそうであるとは見なすまい。
     何故なら彼らにとって、圧力をかけてくる相手が白猫党からお前にすげ替わっただけなのだからな。
     力ずくで既存の政治機構を破壊し、独善を押し付けることには変わりないのだ。白猫党の行動も、お前の主張もな」
    「う……」
    「だから、我々は今回も動かんのだ。さして利益も大義も見出だせん、やったところで不興を買うだけ、では何の意味も無い。
     無意味なことに力を注ぐのは他にさしてやることのない道楽者か、人生をまともに生きる能の無い愚者だけだ。私はそのどちらでも無いつもりであるし、お前もそうでは無いはずだ。
     話はこれで終わりだ。頭を冷やしてよく考えろ、マークよ」
    「……分かりました」

     トラス王との話を終え、意気消沈しているマークのところに、狼獣人の女の子がやって来る。
    「珍しく興奮されてましたね」
    「ん? ああ……、ちょっとね」
     マークに、と言うよりもトラス王夫妻によく似たその狼獣人は、ぽんぽんとマークの尻尾を撫でる。
    「ほら、こんなに毛羽立ってる」
    「触らないでよ、ビッキー」
     兄に邪険にされ、その女の子――マークのすぐ下の妹、ビクトリア・トラス、通称ビッキーは頬をぷく、とふくらませる。
    「あら、冷たい。熱力学と言うのは、こんなところにも適用されるのですね」
    「は……?」
    「お兄様自身が熱くなってる分、周りに冷たくなってます。熱が偏ってます」
    「……まあ、悪かったよ」
     ビッキーのちょっと変わった、奇矯な話し方に面食らいつつ、マークはフィオから聞いた「未来の話」を思い出していた。
    (こいつが10年後、次の国王になるのか……。確かに頭はいいんだけど、ヘンな子なんだよなぁ。
     いや、それは父上も同じか。昔から変人、変人と言われてたらしいし)
    「お兄様?」
    「ん?」
     我に返ったマークに、ビッキーはきょとんとした目を向ける。
    「そんなに見つめられても困ります。そう言う熱い視線は、シャランさんだけに向けてくださいな」
    「ああ、ごめんごめん。考え事をしてたから」
     マークは立ち上がり、その場を去りかけて――ふと、ビッキーに尋ねてみた。
    「ねえ、ビッキー」
    「なんでしょう?」
    「他意は無いんだけどさ、君って、父上の跡を継ぎたいとか思ったことある?」
    「ありますよ」
     マークの問いに、ビッキーは素直にうなずく。
    「お兄様、頼りないですもの」
    「う……」
     ストレートな言い方に、マークは顔をしかめるしか無かった。

    白猫夢・覚聖抄 終

    白猫夢・覚聖抄 8

    2014.06.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第402話。賢王の判断と次代の女王。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 一聖の参入で研究所が沸き立つ一方、近年造成されたトラス王国の本拠、セレスフォード城ではまたもマークが、父親かつ国王であるショウ・トラスに食って掛かっていた。「何故です父上、こんな好機は無いでしょう!?」「落ち着け、マーク」 トラス王はやれやれと言いたげな顔で、マークをなだめる。 いや、実際に彼は、それを口に...

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    麒麟を巡る話、第403話。
    選挙月間開始前日。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦570年、6月30日の午後8時ちょうど。
    「ただいまを以って、第19代金火狐総帥選挙の立候補受付を終了します」
     財団監査局の選挙管理委員が、壁に掛かった時計を眺めながらそう告げる。
    「ごくろうさん。ほんで、今回の立候補者は?」
     尋ねた監査局長、ルカ・ベント・ゴールドマンに、管理委員はこう答えた。
    「3名です。御三家から1名ずつ」
    「ほな、エミリオとルーマと、……あと、えーと」
    「マラネロ様です」
    「おう、ソレやソレ。マロも入れて、3人か。
     しかし、エミリオとルーマが立候補すんのは元々決定事項みたいなもんやったけど、マロも来よったか。十中八九、何やかや理屈つけて辞退すると思うてたんやけどな」
    「ええ、我々も今回は2人での争いになるか、マラネロ様以外の方が立候補するかと思っていたのですが……、今月中頃に、ご本人がこちらに来られました。
     その時、少し気になることがありましたが……」
    「何やあったんか?」
    「ええ。ひどく顔色が悪く、お付きの方の肩を半ば借りるような形で現れまして……」
    「ふーん……? 確かに気になるな。
     まあ、これから色々準備せなアカンし、アキュラ邸にいとるやろ。今後の選挙戦でポカされてもかなわんから、ちょっと様子見てこよかな」
     そう言い残し、ルカは選挙管理事務所を後にした。

     ゴールドマン家、通称金火狐一族が三つの家に分かれて以降、ゴールドコースト市国のあちこちに、それぞれの屋敷が建てられていた。
     その中でも最も下位とされているアキュラ家も、一応は市国内に邸宅を構えている。しかし市国の一等地に堂々と居を構えるトーナ屋敷と違い、アキュラ屋敷は振り向けばすぐ山肌が見えるような、鉱山区と隣接した場所にある。
     そのため、道も市街地のように整備されてはおらず――。
    「……お、おっ、ちょっ、わっ、とまっ、とまっ、止まれっ」
     乗っていた自動車が、山道の途中でガタガタと震え出し、停車する。
    「な、なんや、パンクしたんか?」
    「そのようです」
    「砂利道どころや無いからなぁ……。かなわんわ、ホンマ」
     車の修理を運転手と付き人に任せ、ルカは一人、徒歩でアキュラ屋敷に向かった。
    「邪魔すんでー」
    「へ? ……ああ、ども」
     玄関に入ったところで、ちょうど居合わせたアキュラ家の主、モデノと出くわす。気さくに挨拶したルカに対し、モデノはどこか面倒臭そうな声で応じる。
    「なんや、辛気臭い。覇気が無いで、覇気が!」
    「ああ、まあ、はい。
     ほんで財団の監査局長さんが、うちに何か用でっか?」
    「他人行儀な言い方すんなや、モデノ。前みたいにルカでええがな」
    「ん、まあ……、じゃあ、ルカ。うちに何か用か?」
    「マロのことや。こないだ立候補しに来たって聞いたけども、何や暗い顔しとったらしいやないか。ちょっと様子見でもしとこか思てな。
     あとついでに、今夜はもう予定無いし、たまには交流の一つでもしとこかな、と」
     そう言って、ルカは脇に抱えていた木箱からワインを取り出す。
    「西方のワイン処、シャトー・メジャンの最高級ワイン、『チャット・ル・エジテ』の562年物、当たり年のヤツや。お前好きやったやろ、ワイン?」
     ワイン瓶を目にした途端、モデノの尻尾がぴくんと跳ねた。
    「おっ、おう。ええんか?」
    「よう無かったら持って来おへんやろ。お前も今日はもう、仕事無いやろ?」
    「あったけど……」
     モデノは陰気な表情をころっと変え、嬉しそうに笑う。
    「それ見てしもたら、もうどないでもええわ。明日に回すっ」
    「そうしとき。せや、マロも呼んでもろてええか?」
    「おう」
     モデノは先程まで見せていた憂鬱そうな様子から一転、駆け出すように奥へと消える。
     と、くる、と振り返り、ルカにこう返す。
    「客間行っといてくれ。先に呑むなよー」
    「わはは……、分かっとるわ、アホっ」
     モデノの態度の変わりように、ルカはげらげらと笑った。

    白猫夢・三狐抄 1

    2014.06.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第403話。選挙月間開始前日。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦570年、6月30日の午後8時ちょうど。「ただいまを以って、第19代金火狐総帥選挙の立候補受付を終了します」 財団監査局の選挙管理委員が、壁に掛かった時計を眺めながらそう告げる。「ごくろうさん。ほんで、今回の立候補者は?」 尋ねた監査局長、ルカ・ベント・ゴールドマンに、管理委員はこう答えた。「3名です。御三...

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    麒麟を巡る話、第404話。
    なにわぶし。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、モデノがマロを連れて、客間に現れた。
    「よお、マロ。久しぶりやな」
     ルカが気さくに声をかけたが、マロは応じない。
    「……」
    「こら、マロ」
     その態度を、モデノが咎める。
    「目上に挨拶されて無視するアホがおるか」
    「……あ」
     と、マロはのろのろと顔を上げ、ルカと目を合わせる。
    「すんません、ボーっとしてました。お久しぶりです、ルカおじさん」
    「ああ、ええよええよ。やっぱり疲れとるみたいやな」
    「ええ、ちょっと……」
    「悪かったなぁ、いきなり呼び付けて。ま、これでも呑んで許したってくれや」
    「いやいや、そんな……」
     取り繕おうとするモデノに構わず、マロは父より先にソファに座り込んだ。
    「おい、マロ!」
    「はい?」
    「順序があるやろが。親より先に座るヤツがあるかいな」
    「……あ、ごめん」
     マロが立ち上がりかけたところで、モデノははあ、とため息を付いてそれを止める。
    「ええわ、もう。……お前、ホンマに大丈夫かいな?」
    「それや。俺も選管から話聞いて、心配になってな」
     ルカはワインのコルクを抜きながら、マロに尋ねる。
    「なんやあったんか? えらい落ち込んどるって聞いたけど」
    「いや……、別に」
    「何もあらへんことないやろ? 見抜けへんほど短い人生、俺らは送っとらへんで」
    「……」
     ルカの問いかけに対し、マロはうつむいたまま応じない。
     その態度にモデノは眉を潜めてはいたが、不意につぶやく。
    「女やろ」「……っ」
     顔を挙げたマロに、ルカがグラスを差し出した。
    「図星やな。それもものっすごい、手ひどいフラれ方をしたと見える」
    「……ええ」
    「まあ、どんな目に遭ったかは聞かんけども」
     モデノもグラスを受け取り、マロをやんわりとなぐさめる。
    「人生長いもんや。1回や2回フラれたかて、どうもあるかいな。わしなんか16回フラれとる。うち3回は離婚もんやし」
    「モデノ……。それは自分のガキに言う話やないやろ。見てみい、引いとるで」
     ルカは呆れつつ、二人のグラスにワインを注ぐ。
    「まあ、そんでもマロ。モデノの言う通り、人生色んなことが起こるもんや。
     そら確かに、好きや好きやと思っとった子にフラれるっちゅうのんはきついもんや。それはよお分かる。
     しかしや、人生楽あれば苦あり、苦あれば楽ありや。今、『もうあんなええ娘、二度と俺の前に現れんわ』と嘆いとる、……としてもや。そのうちまた、ええ娘に巡り会える。くじけず生きとったら、またそのうちええことあるもんや。
     せやからな、あんまり思いつめんときや。な?」
    「……ええ」
    「さ、とりあえず気ぃ取り直すっちゅうことで、や。呑も、呑も」
     ルカはグラスを掲げ、マロに向けた。
    「うちら金火狐の繁栄と、苦難に飲み込まれつつも勇気ある一歩を踏み出したマロに」
    「……ども」
    「乾杯!」
     ぼそぼそと礼を言ったマロに構わず、ルカとモデノは一息にワインをあおった。

     その後、立て続けに二度、三度とグラスを空にしたところで、ルカがとろんとした口調でマロに尋ねた。
    「ほんでや、マロぉ。お前がフラれたんって、どんな女やってん?」
    「その……、一言で言うたら」
     落ち込んでいたマロも、酒の効果が現れてくる。
    「超人っちゅうか、女神さんみたいな人でしたわ」
    「めがみぃ? 開祖さんみたいな、っちゅう感じか?」
    「いや……、それとは別方向にすごい人です。ゼミん時の同級生やったんですけど、勉強もめっちゃできるし、剣術の試合出た時も圧勝してはったし、党でも……」「党?」
     と、マロの言葉に、ルカは充血していた目を光らせた。
    「党ってアレかぁ? 最近大暴れしとる、白猫党のことか?」
    「ええ。知ってはるんですか?」
    「アホぉ、知っとるも知らんもあるかいな。ついこないだ、ミッドランドやらバイエルやらに攻め込んだアホタレどもや無いかぁ。
     まさかお前、そいつらと付き合いあるんとちゃうやろなぁ?」
    「付き合いっちゅうか、以前は、……あ、いえ」
     かつて党の幹部であったことを打ち明けそうになったが、マロは口をつぐんだ。
    「……まあ、そこら辺でこじれてフラれたようなもんですわ。今は何の関係もありまへん」
    「ん、……そうか。ならええねん、うん。
     ホンマ、とんでもない奴らやでぇ。こないだかて、モントの嫁さんの実家に攻め込んだらしいし、日を追うごとに版図を拡げてきとる。
     このまま放っといたら、いずれ市国にも攻めこんで来よるんや無いかっちゅうのが、もっぱらのうわさやでぇ」
    「……」
     憤るルカに、マロは目を合わせることができなかった。
    「せや、マロ」
     が、ルカはマロのそうした仕草に気付いた様子は無い。
    「もしもこのまま戦いが長引くようなことになったら、次の総帥が真っ先にやるであろう仕事はソレやろな。白猫党の奴らと真っ向から戦わなアカンことになる。
     ホンマ大変やで、総帥は」
    「……でしょうね」
     ルカの言葉を、マロは別の意味で捉えていた。

    白猫夢・三狐抄 2

    2014.06.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第404話。なにわぶし。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 5分後、モデノがマロを連れて、客間に現れた。「よお、マロ。久しぶりやな」 ルカが気さくに声をかけたが、マロは応じない。「……」「こら、マロ」 その態度を、モデノが咎める。「目上に挨拶されて無視するアホがおるか」「……あ」 と、マロはのろのろと顔を上げ、ルカと目を合わせる。「すんません、ボーっとしてました。お久しぶりです、ル...

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    麒麟を巡る話、第405話。
    御曹司を狙う影。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     7月1日、朝。
    「あぁ……?」
     新聞を読んでいたトーナ家の御曹司、レオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンは、驚いたような声を漏らした。
    「いかがされましたか、若様」
     使用人の問いに、エミリオは新聞を指差す。
    「これや」
    「失礼いたします。
     ふむ、『総帥選挙 候補者出揃う』ですか。……おや、これは」
     エミリオから新聞を渡された使用人も、彼と同様に驚いた顔を見せた。
    「驚いたやろ?」
    「ええ。マラネロ様も出馬されるとは」
    「まあ、するかも知れへんとは考えとった。ごく低い可能性ではあったけれども、それでもゼロではあらへんからな。
     とは言え、無謀と言う他無いやろな、これは。勝つ見込みがどこにあんねん」
     エミリオは嘲笑いながら、新聞をテーブルに投げ出した。
    「こっちは本流中の本流、トーナ家やで? 代々総帥や商会長を輩出してきた、真に金火狐の精神を受け継ぐ名門や。
     アキュラ家なんぞ、ただのパチモン……」「ええかげんにしなさい」
     居丈高になったエミリオの背後から、呆れたような声が飛んでくる。
    「あんた、10年前と言うてることが変わってへんで。子供のままやね」
    「……おはようございます。お母様」
     エミリオはぶすっとした顔を作り、背後に現れた母、パルミラに背を向けたまま挨拶した。
    「ほら、そう言うとこが子供や。ちゃんと顔見て挨拶し」
    「……おはようございます」
     渋々と言いたげに振り返り、挨拶し直したエミリオを、パルミラはなおも注意する。
    「ご飯食べてる時に新聞読んだらアカンって、何度も言うたでしょ」
    「はい」
    「あと、ネクタイ曲がっとる」
    「はい」
    「耳も寝癖ついとる」
    「ええ」
    「それから」
    「まだありますか」
    「ありますよ。人のことをバカにしたらアカン、ってあたしは何度言いました?」
    「……」
     エミリオは母の言う通りにネクタイを締め直し、狐耳についた寝癖を撫で付け、それから新聞をつかんで、席を立った。
     と、そこでさらにパルミラがたしなめる。
    「ごちそうさん、言いました?」
    「……ごちそうさまです」
     エミリオはうんざりした顔で、食堂を後にした。
     残ったパルミラはふう、と軽いため息を付き、使用人に愚痴をこぼした。
    「ホンマにあの子はアカンね、ああ言うところ。あれさえ無かったら、仕事もバリバリできるし、ええ子やねんけど」
    「仰る通りです」
    「あの子だけやで、ああ言うとこあるのん。他の子は掛け値なしにええ子やのにねぇ」

     エミリオは若干23歳ながら、既に金火狐商会においては、一つの会社を任されている敏腕である。
    「落ち着いて新聞も読めんわ……」
     ジャケットを羽織りながら、片手につかんだ新聞に目を通す。
    「『白猫党 次の狙いは石油か ダーティマーシュを占領』……。ふーん、やることは無茶苦茶やけど、まあまあ押さえるべきもんは押さえとるな。
     まず交易の中心地、ミッドランドから。あっちこっちからモノとカネの集まる重要な土地のわりに、テンコとか言う魔術師の影響でどこの軍隊も手ぇ出せへんとこやったんを、電撃的に押さえよった。
     ほんでその後はオリーブポートをはじめとする港湾都市。輸送やら兵站を考えたら、これは最上の選択やろ。ええとこに目ぇ付けとる。
     その他食糧の一大生産地や、この新聞で言うとるみたいに石油・石炭。需要の高いモノを片っ端から押さえてもうてるから、既に市国の各市場相場は騰がり始めとる。
     おかげで僕らもヒィヒィ言う羽目になっとるわけや。原価が日に日に高うなっとるから……、っと」
     誰に聞かせるわけでもない持論をブツブツ唱えているうちに、エミリオは自分の会社に到着する。
    「おう、おはようさん」
    「おはようございます、社長」
     従業員たちの挨拶を受け、エミリオは社長室に入る。
    「さーて、今日もはりきって売り上げ伸ばしたるかな」
     デスクに座り、持っていた新聞をその上に投げ出したところで――ひた、と自分の肩に手が置かれた。
    「ん……? 何や」
     振り返ったその瞬間、エミリオは凍りついた。

    「……っ」
    「レオン・エミリオ・ゴールドマン様でございますね」
     自分の首に、ナイフを当てる者がいたからだ。
    「な……、なんっ」「お静かになさいませ」「……っ」
     エミリオにナイフを向ける、白と赤のドレスを身にまとったその少女は、うっすらと笑みを浮かべながらこう告げた。
    「わたくしどものお話をお聞きいただけますでしょうか」
    「……」
     エミリオが小さくうなずいたところで、少女は話を続ける。
    「では簡潔に。1つ、わたくしどもの存在を誰にも明かさぬように。そしてもう1つ」
     少女はエミリオの首からナイフを離し、胸元へ移す。
    「今月の25日より、急病を召して倒れてくださいませ」
    「は……?」
    「そして一週間の間、ご自室からお出でにならぬよう」
    「あ、アホな」
    「最後にもう1つ」
     少女はナイフを、今度はエミリオの顎に当てた。
    「今から付ける傷は、ひげを剃り損ねたせいでできたものだ、と申してくださいませ」
     直後、エミリオの顎からざく、と肉が切れる音がした。
    「うあっ……」
     デスクに広げられた新聞紙に、血がぱたたっ……、と飛び散る。
    「もしも今のどれか一つでも、反故になされた場合」
     そして少女も、次の一言を残して消えた。
    「二度とご自分の顎ひげを剃れぬ顔になる、とご覚悟の程を」
    「……っ」
     エミリオは顎を押さえ、呆然としていた。



     数分後――己の顎に付いた傷に驚いた従業員らに対し、エミリオは力なく、「……ひげ、剃り損ねたんや」と答えた。

    白猫夢・三狐抄 3

    2014.06.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第405話。御曹司を狙う影。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 7月1日、朝。「あぁ……?」 新聞を読んでいたトーナ家の御曹司、レオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンは、驚いたような声を漏らした。「いかがされましたか、若様」 使用人の問いに、エミリオは新聞を指差す。「これや」「失礼いたします。 ふむ、『総帥選挙 候補者出揃う』ですか。……おや、これは」 エミリオから新聞を渡された使...

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