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黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第9部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

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    麒麟の話、第9話。
    ずれ始める歯車。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     おかしいな。なにかが、おかしい。
    「そうだね」
     ああ、キミもそう思うよね? そうだ、やっぱりおかしい。



    「もう一度、考えてみよう?」
     そうだな。ここで一度、気になってるポイントを振り返っておくコトが、案外大事なのかも知れない。

     まず、第一に。ボクたちの未来視は、相当の精度を誇るはずだ。コレを大前提として、ボクたちは行動してきた。
    「でも、最近見えなくなってる。ちょっとずつだけど」
     ソコなんだ。勿論、キミやボクの力が衰えたワケじゃない。「見れない」ヤツがいるせいだ。
    「フィオくんだね」
     そう、ソイツだ。あの水色頭め、未来から来ただって? ふざけたヤツだ!
     まさかそんな方法で、未来が見えなくなるとは思わなかった。アイツが何か行動するだけで、未来視の範囲がどんどん狭まるとはね! ろくに実力も無い半端者の癖して!

    「でも、心配ないよ。フィオくん、この時代に馴染んできてるもん」
     く、ふふっ……。ああ、そうだった。そうだったね。
     あの屈辱――カズセちゃんの暗殺に失敗した時は、いつもの3割程度までしか未来が見えなかったせいで思わぬ敗北を喫してしまったけど、今は既に5割、6割と回復してきている。アイツがこの、ボクたちの世界の因果律に組み込まれてきているからだ。
     恐らく後2、3年すれば完全に馴染むだろう。アイツの行動も、ボクたちの予知の範囲内に収まる。
    「その点は問題無さそうだね」
     ああ。



     第二に。あの猫女が面倒くさいってコトもある。
    「何て言ったっけ? ルナ?」
     ああ、そんな名前だったっけ、今は。
     コレもフィオがもたらした効果に似ている――ボクの未来視にいなかった女だ。どうもあの「人生実験」で、アイツの運命がガラリと変わったかららしい。
     はっ、間抜けな話だね! ボクがあの時、あの騒動の顛末を180度引っくり返したせいで、あんな不確定要素を作っちゃったワケだ! この、ボク自身が!
     だもんで、コイツの存在を完全に忘れていた。カズセちゃんの件は、コレにも一因がある。まったく、タイカさんをようやく消したってのに、なんであんなのが邪魔してくるんだ!

    「でも、二度は無いよ」
     その通りさ。ボクももう完全に、あの女を未来視の中に組み込んだからね。あの女をきちんとモニタリングできれば、二度とあんな無様は見せないさ。
    「あたしも気をつける」
     ああ、そうしてくれ。



     ソコで、だ。アイツら、今度はどう動くか。アオイ、キミにも見えてるよね?
    「うん。克大火を奪還に来る」
     そうだ。……だけど、ソレは放ってしまっていい。ミイラ取りがミイラになるだけだしね。
     そんなコトよりキミには、もう一方の問題を解決してほしい。
    「もう一方?」
     知ってるだろ? あのクソ、……ああ、いや。巷で「卿」と呼ばれてるアイツが、もうじき死ぬ。
    「……」
     その後に起こる、政変。その裏で、アイツを始末してくるんだ。
    「……」
     分かるだろ? アイツだ。ほんのわずかな確率だけど、キミが死ぬ可能性には、すべてアイツが関わっている。
    「……」
     アイツは脅威だ。
     今は雑魚だ。今は全く、相手にならない。取るに足らないゴミだ。
     だけどアイツが力を付け、そしてキミを討とうと意志を抱けば、キミの未来には遠からず、死が訪れる。
     ボクたちは無敵でなくてはならない。この先永遠に、世界の支配者でいるためには、だ。そのためには、どんな僅かで取るに足らない可能性も、見つけ次第に潰すべきだ。
    「……」
     だから――殺してこい。
    「……」
     分かった?
    「……」
     分かったか?
    「……」
     わ・か・っ・た・か、って聞いてるんだ。答えろ、アオイ。
    「……分かった」
     よし。それでいい。



     もう一回、言うぞ。

     分かってるだろうな、アオイ。
     アイツが家族だろうとなんだろうと、そんなコトは関係ないんだ。
     いずれ敵になるヤツらは、そうなる前に排除するんだ。
    「分かってるよ。……うん、分かってる」
    白猫夢・麒麟抄 9
    »»  2014.11.01.
    麒麟を巡る話、第432話。
    "The sir" last bow。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……ん……」
     ふと気が付くと、葛・ハーミットはどこかのベンチに座っていた。
    「……えっと?」
     辺りを見回してみると、見覚えがある。
    「駅、……かなー」
     確かにそこは、自分が良く使っている駅のホームだった。
     その駅の名前は、エルミット駅。己の祖父であり、この国の発展に尽力してきた偉大な宰相、ネロ・ハーミットの名を冠する、プラティノアールの中心であり、ランドマークともなっている駅である。
    「お嬢さん」
     と、声をかけてくる者がいる。振り向くと、黒いスーツに黒いコート、そして黒い帽子と言う、黒ずくめの格好をした兎獣人と目が合う。
    「そろそろ、列車が出る時間ですよ。急がないと」
    「あ、はーい」
     誘われるまま、葛は兎獣人に付いていく。

     付いていくうちに、あちこちから人が現れる。その誰もが、黒い服に黒い帽子と言う、彼女の前を歩く兎獣人と同じ出で立ちである。
     そのため、葛は案内してくれていた兎獣人と、いつの間にかはぐれてしまった。
    「ええと……」
     それでも人の流れに押されるように、葛は駅のホームを歩いて行く。
     やがて黒塗りの蒸気機関車が停車しているのが、彼女の視界に入る。そしてその前に、長い裸耳の老人が一人、立っていることに気付く。
     それは彼女の祖父、ネロその人だった。
    「あ、じーちゃん!」
     葛は手を振りながら、彼の側に駆け寄った。
    「やあ、カズラ」
     ネロも手を振り返し、葛に笑いかけた。
    「なんかあるの? 一杯、人がいるけどー」
     葛は周囲を見回し、祖父を中心として大勢の人だかりができていることを尋ねる。
    「ああ」
     ネロは依然、優しく笑いかけながら、こう答えた。
    「出かけてくる。皆は僕の見送りに来てくれたんだ」
    「そっかー。やっぱすごいねー、じーちゃん。こんなに人が集まってくれるなんて」
     葛はチラ、と列車を見て、続けて尋ねる。
    「ドコ行くのー?」
    「ちょっと、遠いところにね」
    「ふーん……?」
    「カズラ」
     と、ネロは一転、真面目な顔になる。
    「君は本当に、良く頑張ったよ」
    「え?」
    「アオイがいなくなってしまってから、アオイにかけられていた期待は全部、君の方へ流れこんでしまった。君にとっては相当の重荷だっただろうね。そのまま押し潰されてもおかしくないくらいの、傍から見れば狂気じみた重荷だった。
     でも、君はそれに対して十分に、いや、十分以上に応えて見せてくれた。剣術の国内大会でも優勝し、大学にも入った。君の書いた政治学のレポートは、僕も認める出来栄えだったよ。
     もう何年かすれば、きっと君は僕の跡を継げる実力を身に付けるだろう。……本当に、素晴らしい。僕の誇りだよ、君は。
     ……心残りがあるとすれば、アオイのことだけだ。それ以外は、一切悔いは無い。……いいや、君がいてくれただけで十分だな。君がいてくれさえすれば、僕は気がかりなく旅立てるよ。
     君なら任せられる。この後に起こるだろう、色んなことを、……ね」
     ネロは足元に置いていたかばんを手に取り、フロックコートの襟元を正した。
    「ありがとう、カズラ。
     ジーナと、それからベル、そしてシュウヤくんにも、よろしく伝えてくれ」
    「……じーちゃん?」
     言い様のない不安が、葛を襲う。
    「ねえ? ドコに、行くの?」
    「……遠い、ところさ」
     ネロは葛に背を向け、列車へと歩き出した。
    「待ってよ、じーちゃん」
    「……」
     葛はネロの後を追おうとしたが、足が動かない。地面に張り付いてしまったかのように、ぴくりとも動かせないのだ。
    「じーちゃん……、じーちゃん!」
    「……」
     やがてネロは、列車の入口に着く。
     そこでくる、と振り返り、取り巻く人々に向かって深々と頭を下げた。
    「プラティノアール王国民の皆様。私の門出のためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。
     この半世紀と言う長き間に渡り、不肖の私めをご重用いただけましたこと、心から感謝を申し上げます。
     それでは、いって参ります。ごきげんよう、皆様」
     そこで言葉を切り、ネロは後ろ手に列車の手すりをつかみながら、葛に再度、顔を向けた。
    「……さよなら、カズラ」
    「じー……」
     列車が動き出す。
     ネロはそのまま、列車の奥へと消えていった。
    「じーちゃああああん!」



     そこで、葛の目が覚めた。
    「……じーちゃん……」
     とてつもない不安に襲われ、葛は寝間着姿のまま居間に飛び入り、電話を手に取る。
     と、その電話が鳴った。
    「! ……はい」
     そのまま、葛は電話に出た。
    《カズラか?》
     祖母、ジーナの声だ。
    「なにか……あったの?」
    《……あ、ああ》
     祖母の声には、涙が混じっていた。
    《ネロが、……ネロが》
     その涙声で、葛は何が起こったのかを察した。
    白猫夢・宰遺抄 1
    »»  2014.11.02.
    麒麟を巡る話、第433話。
    おくやみ。

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    2.
     プラティノアール王国宰相、ネロ・ハーミット卿の逝去と言う悲報は、その日のうちに国内のみならず、西方全土にまで伝わった。
    《卿のご自宅にかけてみたが、まったくつながらん! 交換手から『電話回線がパンクした』と伝えられる始末だ!》
    「落ち着いて下さい、閣下」
    《これが落ち着いてなどいられるものか! 本当にお亡くなりになったのか!? いつのことだ!? 死因は一体!?》
     わめき立てる電話相手に、王室政府外務省の電話担当官が、丁寧に説明する。
    「極めて残念ですが、事実です。本日の未明、自宅において、急性心不全により亡くなられました」
    《……う、うぐっ》
     電話の向こうで、泣き出す声が聞こえてくる。
    《ああ、何と言うことだ!
     うぐっ、……吾輩にとって、ひっく、……吾輩にとってあの方は、命の恩人であり、長年に渡る諸事の鑑であった。まったく、……ひっく、此度のことは国家的、いや、世界的損失に違いなかろう。
     ぐすっ、ぐすっ……、し、失礼した。ま、また、……うぐ、また日を改め、弔問させていただく。葬儀の日程は決まっておるか?》
    「いえ、本日のことですので。近日中に当局広報より公表される予定です」
    《う、うう……、相分かった。……遅れたが、お悔やみ申し上げる》
    「痛み入ります、マーニュ将軍閣下」
     電話が切れたところで、ふたたび次の電話が鳴り響く。
    「……本当に、大人気だこと」
     電話担当官は軽く咳払いし、電話に出た。

     ハーミット邸にも大勢の客が押し寄せ、庭はおろか、通りにまで人があふれている。
    「出遅れた、……って感じね」
    「だな」
     いずれも黒いスーツ姿の、いかにも元軍人らしき集団が、人だかりの前で立ち往生していた。
    「これじゃ、話を聞いたりとかはできそうにないな」
    「ええ。恐らく明日か明後日、改めて葬儀が行われるでしょうし、今日は引き返した方がいいわね」
    「しゃーねーな」
     一同は揃って諦めの表情を浮かべ、踵を返しかける。
    「みんな、久しぶりね。コレだけ集まると、まるで同窓会って感じ」
     と、彼らに声をかける者が現れた。
    「チェスター将軍!」
     揃って敬礼した一同に対し、相手――リスト・チェスターも、敬礼して返す。
    「元将軍よ、退役したし」
     彼女がやって来た方角から見るに、どうやら一足先にハーミット邸を訪れていたらしい。
    「中に入れたんですか?」
    「ええ。現役じゃないけど、去年まで軍の最高司令だったもの。優先して入れてくれたわ」
    「様子はどうでしたか?」
    「誰の?」
     薄く笑ったリストに、茶色い兎耳がこう返す。
    「ベルちゃん、……じゃなくて、ご遺族です」
    「ベルは泣きっぱなし。未亡人もね。シュウヤは泣いてはなかったけど、上の空って感じだったわ。
     いつも通りだったのはカズラちゃんくらいよ。そりゃ、多少はショック受けてた様子はあったけど、すごくしっかりした感じで弔問客を相手してたわ」
    「そうですか……」
    「葬儀の日程も聞いたわ。……ソレなんだけどね」
    「何かあったんですか?」
     リストは被っていた帽子を脱ぎ、半ば呆れたような、そしてもう半分は納得したような顔を、一同に見せた。
    「邸内に、閣僚と軍司令部首脳が雁首揃えててね。その場で話し合って、国葬がほぼ決まったわ」
    「国葬!? ……ああ、いや」
     一同はどよめきかけたが、一様に納得した表情を浮かべた。
    「卿の偉業を考えれば、当然でしょうね」
    「アタシも同感。幹部陣も満場一致だったわ。話し合う前からみんな心に決めてた、って感じだったわね。
     まず明日、身内とごく親しい者で葬儀が行われるわ。国葬は政府首脳で協議した上で、改めて告知されるそうよ」
    「親しい者で、……ですか」
    「ま、そんなコト言ったって意味ないでしょうけどね」
     リストは肩をすくめ、こう続けた。
    「この国に住む人間で、卿を慕ってない人間なんて、ほとんどいるはずが無いもの。
     明日もきっと、今日みたいに人が押し寄せるわ」
    白猫夢・宰遺抄 2
    »»  2014.11.03.
    麒麟を巡る話、第434話。
    ハーミット家と国家の今後。

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    3.
     リストが予見していた通り、翌日の葬儀にもまた、大量の人が弔問に訪れていた。
     最初のうちは「あくまで家族とごく親しい者だけで」と断ろうとしていたのだが、あまりに弔問を希望する者が押し寄せたため、秋也・ベル夫妻が「挨拶だけなら」と言う制限を付けて、彼らも招き入れた。
    「ものすごい人だかりだけど、……まあ」
    「ああ。みんな落ち着いて並んでくれてるからな。
     ……ソレだけに、つくづく思うよ」
    「何を?」
    「お義父さん、本当にみんなから愛されてたんだなって」
    「……そだね」
     前日、ネロが亡くなった直後には茫然自失の状態にあった二人も、今はどうにか平静を取り戻していた。
    「ベルちゃん、シュウヤくん」
     と、その二人に、先端が少し茶色がかった、白い耳の兎獣人が声をかける。
    「あ、アルピナさんじゃないっスか」
     振り返った二人に、かつて共に戦った上官、アルピナが手を振って挨拶する。
    「お久しぶり。それと、……この度はご愁傷様でした」
    「痛み入ります」
    「……本当、悔やまれるわね。卿が亡くなって、王室政府は大騒ぎらしいし」
    「ええ。昨日も卿の屋敷で話し合ってましたよ。後継者をどうするかって。
     何しろ突然の話ですからね。卿は後継者について、何ら言及していなかったそうですし」
    「ふうん……?」
     意外そうな顔をしたアルピナを、秋也たちはいぶかしむ。
    「あの、何か……?」
    「卿らしくないな、って。こうなることを見越して、遺言状の一筆でも遺してあるかと思ってたわ。
     卿の性格上、考え得る可能性に対しては、でき得る限りの対処をしそうなものだけど」
    「……確かに」
    「パパならそうだよね……?」
     夫婦揃ってうなずいたところで、アルピナが続けて尋ねた。
    「カズラちゃんはどうしてるの?」
    「葛なら、今はオレたちの家で休んでます。……お恥ずかしい話、昨日はオレもベルも、おたおたしっぱなしだったんですが、葛がほとんど代わりに応対してくれてまして。
     その疲れもあるでしょうし、今日は何とかオレたちで対応できそうなんで、家に帰しました」
    「そう。……本当にしっかりした子になったわね、そう聞くと」
    「ええ。本当、しっかり者になりましたよ。昔は葵にべったりだったせいか、ちょっと抜けてたトコもありましたけど」
    「アオイちゃん、……ね」
     黙り込んだアルピナに、秋也はまた、けげんな顔をした。
    「葵がどうかしたんですか?」
    「……ううん、何でも。
     そうね、弔問も終わったし、良ければカズラちゃんの顔を見たいんだけど、家に寄ってもいいかしら?」
    「ええ、どうぞ。しっかり者とは言え、昨日の今日ですから、葛も不安がってると思います。声、かけてやってください」
    「ありがとね。それじゃ」



    「それでは臨時御前会議を始めます」
    「うむ」
     プラティノアール王宮、ブローネ城。
     閣僚と各省庁の高官らが国王、ロラン・ザンティア8世の前に集められていた。
    「知っての通り昨日、我が国総理大臣のネロ・ハーミット卿が亡くなった。大変悔やまれることだ。
     まずは皆で、卿に黙祷を捧げようと思う」
    「かしこまりました。……全員、黙祷」
     国王を含め、全員が立ち上がり、胸に手を当てて黙祷する。
     1分ほどの沈黙の後、国王が着席し、皆もそれに続いて席に着いた。
    「一つ目の議題だ。余は彼を弔うにあたり、国葬を行いたいと考えておる。
     この半世紀、彼の成した業績は先々代、先代、そして余の代に至るまで連綿と続くものであり、これは国葬を行うに値するものと考えておる。
     これに異論のある者はおるか?」
    「……」
     国王自らのその問いかけに、反対する者は一人もいない。それが国王の本意であることだけではなく、その内容が心から納得するものだったからであろう。
    「分かった。では日程など細かい点については、諸君らに一任する。
     二点目、彼の後任について。卿は遺言状などを遺していなかったそうだな?」
    「はい」
     その問に、ネロの第一秘書だった官僚、アテナ・エトワールが答えた。
    「卿の死去に伴い、私と秘書室職員とで卿の執務室およびご自宅を捜索しましたが、遺書もしくは今回の事態についての指示書に該当する書類等を発見することはできませんでした。
     そのため、卿の後任については、卿からの指示が一切無い状況となっています」
    「ふむ。……腑に落ちんな」
     アテナの報告に対し、ロラン王は表情を曇らせる。
    「我々とは比べ物にならぬほどの聡明さと先見の明を持っていた卿が、まさか自分の死と、その後の後釜について、何ら考えを遺していないとは。らしくない」
    「……」
    「しかし、遺書が存在していないのは事実、か。仕方あるまい」
     ロラン王は自分の前に並ぶ大臣たちに、続けてこう尋ねた。
    「では、後任はこの中から選出することになるな。立候補する者はおるか?」
    「……」
     大臣たちは顔を見合わせ、互いの表情を読み合う。
     その様子を見て、ロラン王はこう続けた。
    「何かしら、人には軽々に言えぬような野望を抱いているとしても、今は構わん。結果的に王国のためになるならば、余は容認しよう。
     その上で、なりたいと思う者は?」
    「……で、では」
     おずおずと、数名から手が上がる。
    「私も立候補いたします」
     そして、それらに続く形で、アテナも挙手した。
    白猫夢・宰遺抄 3
    »»  2014.11.04.
    麒麟を巡る話、第435話。
    宰相の椅子取りゲーム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うん?」
     それに対し、ロラン王や大臣たちがけげんな顔をする。
    「エトワール君?」
    「君が、……か?」
    「卿の第一の後継と目されていたのは、他ならぬ私です。
     卿自身より、今後の展望や計画を常日頃から聞き及んでおりますし、それを実行できるだけの手腕も培っていると自負しております。
     であれば、私がその任に就いても問題は無いと思われますが」
    「大有りだ!」
     アテナの主張に対し、大臣たちが挙って反論した。
    「若輩者ではないか、君は! 少しばかり卿の手助けをしたからと言って、それで務まるような職務ではないのだぞ!」
    「卿が総理大臣となったのは、現在の私とほぼ同年代の頃です。
     その若輩者の時分から半世紀に渡る業績を成している卿の前例があるにもかかわらず、何故わたくしがその座に就けないと判ずるのでしょうか?」
    「確かに卿は若くして総理となったが、しかしそれは、並々ならぬ彼の才気と、どんな者をも惹きつけてやまぬ人柄故だ。
     君がそれと同様のものを手にしているとは、私たちには、とてもそうは見えん」
    「才能に関しては、認めるところです。優れた手腕をお持ちであることは、常々聞き及んでおりますよ。
     ですが人柄とくれば、果たしてどうでしょうかね?」
    「同感です。卿はいつもにこにこと微笑んでおられ、終始さわやかで、親しみの持てるお方でした。
     しかし比べるにあなたは、少しばかり、いや、はっきりと強く、我々の目には冷淡に映る」
    「確かに。卿が君の能力を信頼していらっしゃったことは、良く存じている。
     しかし君の笑顔なるものを私も、同輩らも、どこの誰もが、見たことが無い。これも広く知られているところと思うが」
    「……」
     大臣らの評価に対し、アテナは――今まさに取り沙汰されている、その冷淡な無表情を浮かべつつ――無言で佇んでいる。
     と、成り行きを眺めていたロラン王が、ぱた、と手を打った。
    「よい、よい。言った通り、腹の底でどんな本意を抱えていようと、宰相を志す者があれば、余は積極的に応じるつもりだ。
     ついては、今立候補した者の中で誰が適任であるか、国民に問うてみてはどうだ?」
    「つまり、選挙と言うことでしょうか?」
    「うむ。余がその独断と偏見で指名すると言うのも方法の一つではあろうが、総理大臣は余一人だけを構っていれば済むような職ではない。我が国民すべてを賄わねばならぬ、我が国における要職中の要職だ。それを余の一存で決めては、国民も憤慨するだろう。
     してみるにこれは、最も公平な選出方法であると思うが、皆はどうだ?」
     この問いに対し、大臣たちは顔を見合わせる。
    「ええ、まあ……」
    「確かにそうでしょうな」
    「よし。では国葬の時期に合わせ、新たな宰相を決定するための選挙を告示することにしよう」
     こうして国王の鶴声により、ネロの後任を決めるための選挙が行われることになった。



     選挙には一時期、大勢の候補者が現れた。ハーミット卿の後釜に収まれば、絶大な権力が得られるからである。
     しかしそれも束の間――ある大臣が出馬を表明した途端、辞退者が続出した。
    「すみませーん、アニェント新聞の街頭アンケートです。今回の国民選挙ですが、ズバリ、誰を選びますか?」
    「うーん……。色々いるみたいだけど、やっぱりあの人かなぁ」
    「あの人、と申しますと?」
    「リヴィエル卿だろうなぁ。卿に並ぶって言ったら、あの人くらいだし」
    「はい、ありがとうございまーす」
    「ねえ?」
    「はい、なんでしょうか?」
    「今のところ、一位って誰?」
    「まあ、ご想像の通りですかねぇ」
    「あー、……やっぱり」
     前内閣で内務大臣を務めていたアンリ・リヴィエル氏は――ハーミット卿ほどの人気と実力は無いにせよ――優れた手腕を有しており、かねてから「ハーミット卿の右腕」と称されていた。
     その彼が出馬を表明したため、それまで出馬を目論んでいた者の多くは「彼には到底敵わない」と見切りを付け、軒並み辞退。
     残った候補者はリヴィエル卿と他4名、そしてアテナの計6名となった。
    白猫夢・宰遺抄 4
    »»  2014.11.05.
    麒麟を巡る話、第436話。
    国民投票。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     日は進み、選挙当日。
     ブローネ城の一室に設置された選挙委員会が、国内各地から集まってくる投票結果を集計していた。
    「ここまで約半分、第1選挙区から第5選挙区までの投票結果が集まったわけだけど……」
     集計された内容を確認し、選挙委員たちがうなる。
    「リヴィエル卿が30%で暫定トップ、なのは予想通り。でも一方……」
    「2位に付けているのはエトワール氏。しかも得票率は28%と、リヴィエル卿に迫る勢い」
    「てっきりリヴィエル卿の一人勝ちと思っていましたけど、意外に伸びてますね、エトワール氏も」
    「後半の結果次第では逆転もあり得るわね」
     と、そこへ選管委員の一人が、電報を持ってやって来る。
    「第6、第7、第8の投票結果が来ました」
    「これで全部ね」
     電報の内容を、その場にいた全員で確認し――全員が息を呑んだ。
    「……えっ」
    「6~8ですべて、エトワール氏優勢ですって?」
    「じゃあ、結果は……」
    「待って下さい、今、合わせます」
     慌てて集計を行う同僚に、全員の視線が集まる。
    「……出ました」
    「どうなった?」
    「リヴィエル卿が、37%です。……そしてエトワール氏が、38%」
    「と言うことは……」
    「僅差ながら、エトワール氏が当選、……です」



     政治家としての実績を持たない若手のアテナが、当選確実と言われたベテランのリヴィエル卿を抑えて総理大臣の座を得る――プラティノアール王国は、このニュースに騒然となった。
    「ちょっと不安、……ですね」
     当然、王国内の世論は激しく揺れた。各新聞社が行った街頭アンケートでも、次のような否定的意見が百出していた。
    「そりゃ、前総理も無名だったと聞いてますけど、半世紀前と今じゃ、事情が全然違うでしょうし」
    「全然名前聞いたことないです。何かの間違いじゃないんですか?」
    「選挙、もう一回やり直した方がいいんじゃないかなって」
     国民の総意であるはずの選挙結果から見れば、甚だ不思議なことなのだが――アテナが首相となることに、国民の誰もが不思議がり、そして不安に思っていることを、国内外すべての新聞が報道していた。

    「世論はこの通りだ。露骨に過ぎたようだな」
    「……」
     秘書室でデスクの整理を行っていたアテナの側に、長耳の男が新聞を手にして立っていた。
    「だがデータは、君の勝ちであると言っている。統計を取らない国民の声より、数字で出た得票率を信じるのは人間の性だ。
     である以上、明日から君はこの国の総理大臣だ。おめでとう、エトワール首相」
    「……」
     アテナは作業の手を止め、男に振り返る。
    「今回の件、お礼申し上げます。非常に助かりました」
    「なに、これから君に入ってくる利益、権益と、そこからこぼれてくる私への報酬を考えれば、お安い御用と言うものだ。
     しかし……」
     男は部屋の隅に置かれた電話を眺め、嫌味な笑みを浮かべる。
    「先進国として名の知れたプラティノアール王国が、こんなお粗末な電信・電話網しか持っていないとは。『どうぞ、ジャミング(通信妨害)をして下さい』と言っているようなものだ。
     ま、そのおかげで無名の君が、38%などと言う得票率を『作れた』わけだが」
    「今回の件について内密にしていただくよう、強くお願いします」
    「当たり前だ。これが明るみに出たら、君は即、牢屋行きだろうからな。そうなれば私の利益など雲散霧消する。
     わざわざ自分の利益を無くすような愚行を、私が犯すわけが無いだろう?」
    「……ええ、そうですね。今の私は少し、過敏になっているようです。あり得ないことまで考えてしまっています」
    「それは面白い」
     男はアテナに近付き、肩に手を回す。
    「いつも氷の塊のような君が敏感、とはね。どうだい、少しは感情に任せてみないか?」
    「と申しますと?」
    「こう言うことさ」
     見上げてきたアテナのあごに、男はくい、と手をかけ、そのままキスをする。
    「……っ」
     唇が離れ、アテナはどこかぽかんとした顔になる。
    「おや?」
     その表情のまま、アテナはぼそぼそとつぶやく。
    「……考えておきます。あなたには今後も、……少なからず、お世話になると思いますから」
    「そこまで考えているのか? 案外、君は欲深いな」
    「総理の座を狙うほどですから」
     答えたアテナに、男は再度、意地悪そうな笑みを浮かべて返した。
    「ああ、そうだった。
     何しろ君は、そのために前総理の遺書を密かに破棄し、そのために電信を傍受・妨害して、偽の投票結果を送るくらいの、稀代の悪女だからな」
    「……」
     アテナは男の腕から離れ、彼に背を向けて尋ねた。
    「悪い女は、お嫌いですか?」
    「いいや」
     男は肩をすくめ、こう返した。
    「悪人は私の大好物さ」



     アテナ・エトワールがプラティノアール王国の新総理となったこと――それが、この国の凋落と混乱のはじまりだった。

    白猫夢・宰遺抄 終
    白猫夢・宰遺抄 5
    »»  2014.11.06.
    麒麟を巡る話、第437話。
    笑顔の葛。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「思ったより、平気に見えるわね」
    「いえ、そんなには。結構、辛いですよー」
     来客であるアルピナに茶を差し出しながら、葛ははにかむ。
     状況に不釣合いなその仕草をアルピナは空元気と感じ、こう返した。
    「辛かったら、泣いてもいいのよ? 誰にも言わないから」
    「大丈夫ですよー」
     が、葛ははっきりとした声で答えた。
    「泣いてたってきっと、じーちゃんは喜ばないと思いますから」
    「……そう」

     葛を心配したアルピナは、ハーミット邸を後にしてすぐ、秋也たちの家を訪ねていた。
     だが、当の本人は――昨日もそうであったと聞いていたが――気丈に振る舞い、終始、アルピナに笑顔を見せていた。

     しかしアルピナには、それが却って痛々しいものに感じられた。
    「大変ね、これから」
    「ええ。リヴィエルさんから、『きっと後日、国葬が行われるだろう』って聞きました。その準備、しなきゃいけませんしねー」
    「いえ、そうじゃなくて」
     アルピナは首を振り、葛に尋ねる。
    「あなたの今後が、よ。卿が亡くなったことで、きっと今後、あなたにより一層の重圧が押し寄せてくるわ。
     これまでもあなたには、『天才アオイの妹』って期待が寄せられていたけど、これからは『偉人ハーミット卿の孫』って期待まで上乗せされるのよ? わたしだったら、きっと耐えられないわ」
    「大丈夫ですよー」
     依然として、葛はにこにこと笑っている。
    「あたしは『妹』としての期待にこれまで十分に応えてみせたと、強く確信してます。ソレができたんだから、『孫』としての期待にも、絶対に応えられますよー。
     見てて下さいよー、アルピナさん」
     葛の回答に、アルピナはため息をつく。
    「……本当、あたしにはできない生き方ね」
    「そんなコト無いと思いますよー。アルピナさん、あたしなんかよりずっと、すごい人じゃないですか。まだ誰も、スプリントシリーズ五冠なんて達成してないんでしょ?」
    「まあ、ねぇ。でもちょっと違うかしらね、それとは」
    「偉業って考えたら、一緒ですよー。そう簡単には、誰にもできないってトコでは一緒ですよー」
     笑顔をまったく崩さない葛に、アルピナは不安を感じた。
    「ねえ、カズラちゃん?」
    「はいー?」
    「あなたは笑ってばかりいて、人に弱みを見せないけれど、……本当に大丈夫? どこかで吐き出さないと、本当にどこか、おかしくなっちゃうわよ」
    「大丈夫ですよー」
     依然笑ったまま、葛はやはり、はっきりと答えた。
    「そりゃ、辛くは思ってます。苦しいなーって、いつも思ってます。
     でも、どんな辛く、苦しいコトも、あたしは乗り越えてきました。コレからも乗り越えます。コレまでずっとそうしてきましたし、コレからもその生き方を、絶対、続けて見せます。
     あたしは誰にも、どんなコトにも、負けたりなんかしませんよー」
    「……そう」
     それ以上尋ねることができず、アルピナは話を切り上げた。
    「もし本当に、自分の力だけではどうにもできないって思った時は、……わたしたちを、頼ってね?」
    「はいー。その時は、是非」
     やはりこの時も、葛はにっこりと笑った。
     その笑顔に――アルピナは再度、強い不安を覚えた。
    (『おかしくなっちゃう』って、言葉の綾のつもりだったけど……。
     この子はもう既に、どこか、おかしくなっちゃってるんじゃないかしら。常に笑顔を崩さないこの子は、もう、普通じゃないのかも……)「じーちゃんから色々、沢山教わったんですけど」
     と――アルピナの内心を察したのか――葛は一転、真顔で話し始めた。
    「一番覚えてる言葉は3つですねー。『笑え』『気にするな』『楽しくやれ』って」
    「え?」
    「じーちゃん、若い頃はすごく苦労したらしいんです。無実の罪で、牢屋に入れられたコトもあるって。
     でも、そーゆー目に遭って、ただ『あー苦しい。こんな目に遭うなんて、自分はなんて不幸なんだ。もう希望なんか無いや』ってしょげてるばっかりじゃ何にも起きないし、いつまでもそんな嫌な思い出を引きずってうつむいたままじゃ、道端に咲く綺麗な花一輪、美味しいパンの匂い、雲ひとつない爽やかな青空にさえ気付かない。
    『そんな悲しくて寂しい、得るものの少ない人生は絶対に送りたくない。嫌なことはさっさと心の中で整理を付けて、後は笑って呑気に過ごしてる方が断然、愉快で楽しいもんだよ』……って教わったんです」
    「卿から?」
    「はい。……あたしの記憶の中では、じーちゃんはいっつも笑ってるんです。その3つの言葉を、じーちゃんはずっと実践してたんですよ。
     あたしにとっては、ソレは総理大臣やってたコトよりも、王国興隆の父として皆に慕われたコトよりも、ずっと尊敬に値するコトです。この世に大臣さんは一杯いますけど、死ぬ間際まで笑顔を絶やさなかった人なんて、ソレよりずっと少ないはずですから」
     この言葉を聞いたアルピナも、ハーミット卿の顔を思い浮かべた。
    「……そうね。確かに、そう。新聞に載ってる顔も、あなたのお母さんの実家でお会いした時も、いつもニコニコと微笑んでいたわね」
    「あたしもじーちゃんみたいになりたいな、って。……だから、にっこり笑うんです。泣いてるよりよっぽど、じーちゃんは喜んでくれる気がしますし」
     そう言って――葛は満面の笑みを見せた。
    白猫夢・暗雲抄 1
    »»  2014.11.08.
    麒麟を巡る話、第438話。
    国士無双。

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    2.
     密葬から半月後、ハーミット卿の国葬が行われた。
     それは6世紀最大級と言っても過言ではない、文字通り国を挙げての大規模な葬儀となった。
     当然、国外からも多数の弔問客が訪れ――。

    「シュウヤ、ベル、久方ぶりであるな」
    「どもっス、サンデルさん。……あ、いや。マーニュ将軍ってお呼びした方がいいっスよね」
    「かっか、何を寝ぼけたことを!」
     何年か振りに秋也たちと顔を合わせ、サンデル・マーニュ中将は豪快に笑い飛ばした。
    「吾輩とお前たちの仲ではないか! 水臭い肩書きの掛け合いなぞ、我々には無用、無用!
     ……っと、挨拶がまだであったな。この度は誠に、愁傷であった」
    「痛み入ります」
     秋也とベルに揃って頭を下げられ、サンデルと、その傍らにいた兎獣人の女性も礼で返す。
    「しかし、既に冬に入ろうかと言う頃であるのに、この熱気はたまらんな。まるで熱帯ではないか。汗がまったく引かん」
    「人がいっぱいいますからね。もう会場、満員どころじゃないらしいっス」
     それを聞いて、サンデルはうんうんと深くうなずく。
    「うむ、やはり卿の人気、改めて実感するところであるな。
     ノエル、暑くはないか?」
     尋ねたサンデルに、彼の横にいた女性はこく、とうなずく。
    「ええ、少し暑いです」
    「脱がせてやろう」
     そう言って、サンデルは彼女の肩に手をかけた。
    「まだ奥さん、肩の方……?」
     ベルの問いに、サンデルはフン、と鼻を鳴らす。
    「あれだけの大怪我を負ってしまったのだ、そう簡単に治るものではない。いや、治ることなど、期待するべくもあるまい? もう30年は経つと言うのに、未だに肩より上に、腕が上がらんのだからな。……あ、いや」
     一転、ばつの悪そうな顔をしたサンデルに、ノエルと呼ばれた女性は笑って返す。
    「その事件が縁で、あなたと結ばれましたから。いい思い出ですよ。こうして何かにつけて、かいがいしくお世話もしてもらえますし」
    「う、うむ、そうで、あるな、うむ」
     顔を真っ赤にしながら、サンデルはノエルのコートを脱がせた。
    「お、オッホン。……まあ、なんだ。
     吾輩のことを指すわけではないが、西方のあちこちから著名人やら政財界の大物、将軍級や大臣級の重鎮、果ては各国首脳までもが続々やって来ておるようだな。
     本当に、卿の成した業(わざ)は並大抵のものではない。これが半世紀前であれば、大臣が死んだ程度でこれほどの人が集まりはしなかったであろうからな。いやむしろ、半世紀前なら西方三国時代のこと、隣国二国に嘲笑われて終いだったろう。
     それを考えれば――誠に、卿の業績は天下に誇れるものだ。こうして隣国将軍たる吾輩が、公然と彼を偲ぶことができるのだからな」
    「ええ、本当に。……本当に、義父は立派な人でした。
     ソレだけに、今後のコトが心配だって人も、大勢います。オレもその一人ですけどね」
    「うむ。卿ほどの実力と人柄を併せ持つ傑人が、果たしてこの国にいるものか……。
     いや、世界中を探したとて、卿に並ぶ者などそうそう、居はしないだろう。誠に国士無双と称されるべきお方であったからな」
    「一人、いたんスけどね……」
     秋也の言葉に、サンデルは目をむいた。
    「うん? そんな簡単にいると言うのか?」
    「いえ、……今はもう、ドコにいるかも、さっぱりっス」
    「アオイちゃん、……のことですか?」
     と、ノエルが口を挟んできた。
    「アオイ? 誰だ、それは?」
    「覚えていないんですか、貴方? シュウヤさんたちの……」「ああ、いえいえ、ソレ以上は」
     秋也が慌てて、話を遮る。
    「今はいない子のコトです。……そもそも、義父に並ぶと言ってしまっては、流石に言い過ぎっスから」
    「ふむ……?」
     サンデルは良く分からない、と言いたげな表情を浮かべたが、その疑問に答える者はいなかった。
    白猫夢・暗雲抄 2
    »»  2014.11.09.
    麒麟を巡る話、第439話。
    エトワール評。

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    3.
     ハーミット卿の国葬が済み、王国は落ち着きを取り戻しかけていた。
     しかし間もなく、巷は次の大きな話題――総理大臣選挙のうわさで持ちきりとなり、再び騒然とし始めた。

    「新聞では、リヴィエルさんが優勢って聞いてますよー」
    「そうらしいね」
     葛が大学のレポート作成のためにハーミット邸を訪れたところ、偶然、最有力候補と目されているリヴィエル卿に出会った。彼も今後の政治討論などに備えて、この屋敷の書斎を利用しようとしていたとのことだった。
    「あたしもリヴィエルさんが一番だと思いますよー。じーちゃんとよく話されているの、見たコトありますし。じーちゃんの後を継ぐなら、リヴィエルさんが適任だと思います」
    「ありがとう、カズラ君。君にそう言ってもらえれば、不安が吹き飛ぶよ」
     前総理である祖父との関係で、葛とリヴィエル卿には少なからず面識があり、相応に親しくしている。この時も互いの課題と資料作成を互いに手伝いながら、楽しく談笑していた。
    「しかし、卿の遺してくれたこの書斎には、本当に助けられる。
     卿自らの著書に加え、古今東西の名著が揃っているから、半端な図書館よりもずっと頼りになるよ」
    「ホントですよねー。もしこの書斎が無かったら、あたしが大学生になれたかも怪しいですよ」
    「このまま私と君だけの図書館にしておくには、惜しいものだ」
    「そうですねー」
     と、リヴィエル卿が筆を置く。
    「……そう。そこが少し、気になるところでもあるのだ」
    「え?」
    「君は、アテナ・エトワールと言う女性を知っているか?」
    「えっと……、確か今回の選挙に出てる人、ですよね?」
    「確かにその通りなのだが、かつては卿の秘書を務めていたこともあるのだ。即ち、卿がこれほどの蔵書を有していることも知っているはずだし、であれば私同様、彼女も選挙戦に備え、ここを訪れてもおかしくないと思っていたのだが……」
    「言われてみれば、あたしも何度もココに来てますけど、ソレっぽい人を見た覚え、全然無いですねー……?」
    「ここ以上に資料がある場所を抑えているのか、それとも単に近寄りづらいのか……。
     カズラ君、今から私が言うことは、誰にも話さないでほしいのだが――私はエトワール氏に、少なからず不信感を抱いているのだ」
    「どうしてですか?」
    「彼女は氷のような女だ。秘書であった頃も一切感情を示さず、我々に対し淡々と応対していた。その態度はまるで、彼女の中に心が存在しないかのようにさえ思えた。
     素晴らしく理知的であることは確かだし、その点では次期総理の資格はある。だがその人柄に関しては、卿とは比べるべくも無い。
     そんな彼女が万が一、この国の総理となったら、30年前に隣国で起こった悪夢が再現されるのではないか? ……そう思わずにはいられないのだ。
     かつて隣国において、心ない、悪魔のような男が国の実権を握った結果、隣国は一時、地獄の様相を呈することとなったと聞いているからね」
    「……」
     アテナの評判を聞き、葛もまた、寒々しいものを感じていた。
    「そう、ですねー……。国葬の時も密葬の時も、エトワールさんが来た覚え、無いですもん」
    「そうなのか? ……確かに弔問を強制するような義務はないが、それでも国家的大恩のある卿の葬儀に参加しないとは。
     やはり彼女には、人間らしい情が感じられないな」



     この半月後――新聞は矛盾する、2つの事実を報道した。
     一つは、アテナ・エトワールが国民投票の結果、新総理となったこと。そしてもう一つは、そのエトワール卿が国民の大多数の支持を得ていないことだった。
    (リヴィエルさんが、……負けちゃったの?)
     葛もこの事実を新聞によって知り、不安にかられていた。
    (まさか、とは思うけど。でも……、ホントに、リヴィエルさんの言ったコトが本当になりそうな気がする)

     姉と違って予知能力を持たない葛だったが――この予感は、残念ながら的中した。
    白猫夢・暗雲抄 3
    »»  2014.11.10.
    麒麟を巡る話、第440話。
    不穏。

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    4.
     アテナは総理大臣に就任してすぐ、自分の政治方針を次のように述べた。
    「まず大前提として、私は前総理の路線を踏襲することを宣言します。即ち、工業を軸とした大規模な産業振興と技術革新による、富国強兵政策です。
     そのためにはまず、都市部と地方との産業規模の格差を是正しなければなりません。私はまず、この1年で工業に従事する人口を3倍にし、さらなる工業力の上昇と生産力の拡大を目指すことを宣言します。
     それに伴い、かねてより不足気味とされていた食料自給率を大幅に補うべく、貿易の拡大も目指します。工業振興政策が成功すれば、貿易の拡大は容易に行えるでしょう。
     この国をさらに豊かに、そして強い国にするため、皆様のご理解とご協力を願います」

     この宣言を新聞で知った葛は顔を真っ青にして、リヴィエル卿のところに駆け込んだ。
    「リヴィエルさん、コレってホントに、エトワール卿がやろうとしてるの!?」
    「ああ。……私個人の意見としては、効果があるかは微妙だと思っているがね」
    「ソレどころの話じゃないです!」
     葛はぶんぶんと首を振り、新聞を叩く。
    「こんなコトしたら、王国は半世紀前に戻っちゃいますよ!?」
    「カズラ君」
     しかし、リヴィエル卿はばっと、葛の口に掌を当てて黙らせる。
    「むぐっ!?」
    「落ち着きなさい。エトワール閣下には閣下なりの考えがあるのだろう」
     リヴィエル卿はそっと、葛を屋敷の中に引き寄せる。
    「ともかく、往来では迷惑になる。中で話そう」
    「はい……?」
     リヴィエル卿の様子に、葛は不穏なものを感じ、素直に付いて行った。
    「……何かあるんですか?」
    「いや、特に何が、と言うわけではない。単に公共の迷惑ではないか、と、ね」
     そう口で言いつつ――リヴィエル卿は、手帳に何かを書き付け、懐の前に掲げた。
    《監視されている 適当に話を合わせて欲しい》
    「……!」
     葛は辺りを見回しかけ、慌ててリヴィエル卿に視線を戻す。
    「すみません、ちょっと、ニュースにびっくりしちゃったので」
    「いいんだ。若い君には、まだ理解できない部分もあるだろう」
    《エトワールがSSを掌握している まもなく君のご両親も更迭される だろう》
    「……っ、……あの、リヴィエルさん。やっぱり腑に落ちない点がありますから、ご意見を伺いたいんですが、お時間は大丈夫でしょうか?」
    「構わんよ」
    《SSが私を監視している エトワールは独裁制を敷くつもりだ 私は恐らく》「あ、あのっ!」
     葛は大声を上げ、リヴィエル卿を遮る。
    「な、何かね?」
    「どこか座れる場所、無いですか? 急いで走ってきたから、疲れちゃって」
    「ははは……、いいとも。応接間に案内しよう」
     葛も自分の手帳に、密かに書き付ける。
    《逃げましょう》
    《できない》
     当り障りのない会話を交わしながら、二人は筆談する。
    《妻と子供が昨日から帰ってきていない 恐らくSSに拉致されている 私はエトワールの言うことを聞く他無いのだ》
    《あたしが何とかします》
    「……っ」
     リヴィエル卿は目を見開き、震える字でこう続ける。
    《無茶だ》
    《何とかしてみせます》
    《危険過ぎる》
    《任せて下さい 絶対に助け出します あたしを信じて》
    「……」
     リヴィエル卿の手が止まり――そして口から、言葉が漏れた。
    「……君の意見を、是非、尊重したい、ところだ」
    「ありがとうございます」
     葛は立ち上がり、そしてリヴィエル卿に、深々と頭を下げた。
    「それじゃ、またっ!」



    「リヴィエル卿の動きは?」
    「前総理の孫と何か会話を交わしていた、とのことです。内容は、閣下の政策に対する批判を孫側が行い、それをリヴィエル卿がなだめていた、と」
     SS――王国が擁する特殊部隊からの報告を受け、アテナは冷たい目で尋ねる。
    「その、孫は? まだリヴィエル卿の屋敷に?」
    「いえ。リヴィエル卿に諭され、そのまま帰宅したそうです」
    「孫の行方は追っていますか?」
    「いえ」
    「何故?」
    「『元』隊長の家に戻るでしょうし、そこも既に、我々の監視下にありますから」
    「何故そのまま、まっすぐ帰ると?」
    「え……?」
    「彼女の性格とリヴィエル卿の現状から考えて、彼女はSS本部ないし拘置所を強襲し、両親とリヴィエル卿の家族を奪還するはずです」
    「ま、まさか?」
    「忘れたのですか? 10年前、当時たったの15歳であった彼女の姉が、あなた方SS以上の働きを見せたことを。
     同じ血を持つその妹が、このまま何もしないと思うのですか?」
    「……至急、警戒態勢を執らせます。万一拘束した場合、どういたしましょうか」
    「特別公務執行妨害ならびに機密侵害で逮捕しなさい」
    「了解です」
     SS隊員は敬礼し、アテナの前から去る。
     一人残ったアテナは――珍しく、うっすらと笑みを浮かべていた。
    「どう転ぼうと、ハーミット卿の縁者はこれで全滅でしょうね。
     これで、私の独裁が実現するでしょう」

    白猫夢・暗雲抄 終
    白猫夢・暗雲抄 4
    »»  2014.11.11.
    麒麟を巡る話、第441話。
    SS再編成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     葛がリヴィエル卿の家族を救うべくSS本部に向かう、その1時間前――秋也とベルもまた、新総理となったアテナから直々に、SS本部へと呼び出されていた。
    「何だろな……?」
    「さあ?」
     何も聞かされていない二人は、首を傾げながら向かう。
    「SSに呼び付けたってことは、それ絡みだよね」
    「って言うか、ソレ以外無いだろ? オレたち、アイツとソコ以外に関わり合い、まったく無いし」
    「だね。……ま、仲良くしたくないタイプだし」
    「同感。アイツ、オレたちのコトはみんな、バカか足手まといにしか思ってないっぽいし」
    「うんうん。なんでパパ、あんなヤツを秘書にしてたのかなぁ」
     夫婦揃ってアテナへの悪口をつぶやいていたところに、SS隊員が現れる。
    「おつかれさま、フレッド」
    「おつかれさまです、隊長。既に本部司令室にて、エトワール新総理がお待ちです。お早めに……」
    「うん、分かった。ありがとね」
     軽く敬礼を交わし、そのまますれ違う。
    「……?」
     と、秋也がけげんな顔をする。
    「どしたの?」
    「いや……、なんか、妙だなって」
    「何が?」
    「フレッドのヤツ、武器を装備してたぞ。今、特に指令なんか出して無いよな?」
    「うん。……変だね?」
    「アテナから何か言われたのかな……?」
    「かなぁ? ねえフレッド、……あ、もういないや」
     振り返ったが既に、隊員の姿は無い。
    「ま、いいや。もう来てるっつってたし、さっさと行こう」
    「うん」

     司令室に着き、秋也たちはアテナに敬礼して見せる。
    「就任おめでとうございます、新総理」
    「ありがとう。早速ですが、お二人に通知することがあります」
     これまでSSにおける、彼女の場所だった参事官席に座っていたアテナが、ゆっくりと立ち上がる。
    「私が総理となるに当たって、まずは前総理の裁量と権限において設置されていた各部署の統廃合と整理を行おうと考えています」
    「はあ……?」
    「それが、何か……?」
     何の話をしているか分からず、秋也もベルも、いぶかしげな声を上げた。
    「このセクレタ・セルヴィス、通称SSも、前総理の『重大な犯罪に対する対抗措置を設ける』と言う理念の元、設置されたものです。
     しかし設立より15年以上が経過し、その間、実際に犯罪捜査に動いたのはたった9件。うち2件はその理念に見合う働きができていません」
    「……」
     苦い顔をするベルに構わず、アテナは話を続ける。
    「これは軍事予算の無駄遣いであると判断せざるを得ません。である以上、より実行力と存在価値のある組織に編成し直すべきと、私はそう考えています」
    「えっ?」
    「じゃあ、まさか」
    「そのまさかです。調査隊としてのセクレタ・セルヴィスは、現時点を以って解散。
     同部隊はこれより総理大臣直属の戦闘部隊、即ち親衛隊として再編成します」
    「ソレって……」
    「つまり……」
    「ええ。こう言うことです」
     司令室の出入口がバン、と乱暴に蹴り開かれ、武装した隊員たちがなだれ込む。
     そして彼らは一斉に、秋也とベルに向けて小銃を構えた。
    「なっ……」
    「お前ら!?」
    「すみません、隊長、副隊長!」
     隊員たちは一様に、沈痛な表情を浮かべている。
    「コイツに、何を言われたんだ!?」
    「……すみません!」
     と、アテナが隊員たちの方へと歩きながら、こう告げた。
    「既にあなた方2名はSS隊長と副隊長ではありません。軍務規定違反の罪により更迭、除隊、および拘束します」
    「軍務規定違反だと!? オレたちが何したってんだ!」
    「総理である私の命令に背いた、と言うことにします」
    「『します』!? 何バカなこと言ってるのよ!?」
    「どの道、あなた方二人は私に背くでしょう。これまでにも幾度と無く、私と意見の対立がありましたから」
    「何だよ、そりゃ? お前一人の恨みのために、SSを弄ったのかよ?」
    「私怨が理由ではありません。これは今後の展望を見据えた上での、対抗措置です。
     ハーミット家の一員であるあなた方に自由に振る舞われては、今後の私の政治活動に少なからず支障が出ると予想されますので」
     その言葉に、二人の顔から血の気が引く。
    「テメエ、まさか……!」
    「独裁する気なの!?」
    「私が考える、最も合理的な政治体制です。
     この政治体制には事実上、一切の反対意見が発生しません。反対意見が無ければ、行動は容易です。行動が容易であるのなら、結果は迅速に出ます。そして結果が迅速に出るのなら、それによる利益もまた、速やかに得ることができます。
     この国は私によって、より素晴らしき大国へと変貌するでしょう。前総理体制以上の速度を伴って」
    「ふざけんな……! 全部テメエの、勝手な理屈じゃねーか!」
     秋也が反論しかけたところで、アテナが隊員に命じる。
    「二人を拘置所へ送りなさい。これは首相命令です」
    「……了解です」
     10を超える元同僚たちに囲まれては、流石の秋也とベルも従うしかなかった。
    白猫夢・飛葛抄 1
    »»  2014.11.12.
    麒麟を巡る話、第442話。
    ハーミット家の反逆。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     両腕を背中に回す形で縛られ、秋也たちは拘置所へと連行されていた。
    「なあ」
    「……」
    「なあって」
    「……」
    「無視すんなよ、ジャン。何であんなヤツに従うんだ」
    「……」
     元同僚たちは一切口を開かず、黙々と縄を引いている。
    「脅迫されたの?」
    「……っ」
     が、ベルの一言に、わずかに呼吸を乱した。
    「そっか……」
    「……すみません、それ以上は聞かないで下さい」
    「ああ、分かったよ」
     こうして秋也たちを連行している彼らもまた、何者かに監視されていると悟り、秋也たちは黙り込んだ。

     その時だった。
     一行の目の前に突然、黒い影が現れる。
    「……!?」
     とっさに小銃を構えた隊員の前に、その影はぴったりと張り付く。
     そして瞬時に手刀と足払いを加え、隊員の体勢を崩す。
    「うあっ……!?」
     影は宙に浮いた小銃をつかみ、銃床で隊員の頭をひっぱたいた。
    「か……」
     その影を見た秋也とベルは、同時に叫ぶ。
    「葛!?」
    「大丈夫だった、二人とも?」
    「ま、待てっ!」
     と、秋也たちの背後にいた隊員が小銃を構える。
    「待たないっ!」
     葛は小銃を投げつけ、隊員の顔に叩きつけた。
    「ぐえっ……」
     隊員は鼻血を噴き、仰向けに倒れて気絶してしまった。
    「お、お前、どうしてココに?」
    「ソレより、まずは二人とも武器を装備して。助けてほしいの」
     そう頼んだ葛に、二人は唖然とする。
    「『助けて』ってどう言うこと? たった今、あたしたちが助けてもらったんだけど……?」
    「うん。他に助けたい人がいるんだ。リヴィエル卿から、家族が人質になってるって聞いたから」
    「……マジかよ」
     葛から事情を聞き、秋也たちの顔に怒りの色が差す。
    「ふざけやがって……! マジで独裁者になるつもりかよ!?」
    「正気じゃないよ!」
    「怒るのは後。今はサッと行って、パッと奪還して、ちゃちゃっと逃げなきゃ」
    「……だな」
     気絶した隊員たちから武器を奪い、三人は拘置所へと向かった。



     秋也たちが見抜いていた通り、この時の様子は別のSS隊員によって確認されていた。
    「緊急連絡! 元隊長および元副隊長が、隊員2名の装備を奪って逃走しました!」
    《何だと!? 縛っていたはずじゃ……》
    「それが、突然何者かが現れ、連行していた隊員を……」
     と、通信にアテナが割り込んでくる。
    《想定の範囲内です。高い確率で、それはカズラ・ハーミットでしょう》
    「カズラ? と言うと、元隊長の娘さんの?」
    《ええ。彼女は恐らく、拘置所に向かいます。前日に拘束したリヴィエル卿の家族を奪還しに向かうはずです》
    「りょ、了解です。では追走し、再度拘束を試み……」
    《無駄でしょう。一瞬のうちに隊員2名を倒したカズラ嬢、そしてハーミット夫妻を総合した戦闘力を鑑みれば、あなた1名では返り討ちに遭うことは明白です。
     それよりも一度本部に戻り、完全武装して迎撃すべきです》
    「それは、……つまり」
    《全SS隊員に告ぐ。これは首相命令です。
     シュウヤ・コウ、ベル・ハーミット、そしてカズラ・ハーミットの3名を、特別公務執行妨害ならびに機密侵害、および国家反逆の罪で逮捕しなさい。武器の使用を許可します。もしも抵抗した場合、射殺を許可します。
     いいえ、見つけ次第射殺しなさい。抵抗の有無は問いません》
    「……っ」
     あまりにも冷徹な、恐るべき命令に、隊員の誰もが凍りつく。
    《応答しなさい》
     しかし、淡々と命じるアテナに、隊員たちは全員、「……了解しました」とうなずくしかなかった。



     一方、その頃――。
    「それで……?」
     市街地の外れに、大柄の車が一台停まっていた。
    「卿の、悪い予感が当たったわ。カズラちゃんは今、拘置所に向かってるそうよ」
    「そうか……」
     技術者風の男性が、腕を組んでうなる。
    「あなたも、来てくれる?」
    「そりゃ、勿論さ。……カリナがマチェレの寄宿舎に行ってて、良かったな」
    「この国にいないなら、むしろ安全よ。流石のエトワールも、そうそう手出しなんかできないはずだし。
     もし不穏を感じたのなら、わたしたちが確保に行けばいいのよ。カズラちゃんみたいに、ね」
    「……はは、そうだな」
     二人は会話を止め、車に乗り込んだ。
    白猫夢・飛葛抄 2
    »»  2014.11.13.
    麒麟を巡る話、第443話。
    人質救出作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     拘置所に着き、葛たち三人は物陰から周囲を警戒する。
    「……SSのヤツらはいないみたいだな」
    「他の兵士にも動きは無さそう。流石のアテナも、まだ全軍を掌握してはいないみたいね」
    「とは言え、うだうだしてられねーな。……ちょっと待ってろ」
     秋也がすい、と物陰から離れ――次の瞬間、拘置所前で立番していた兵士たちがぱた、と倒れた。
    「はやっ」
    「昔取ったナントカってヤツだ。金毛九尾の鬼コーチの背後取るより、百倍簡単だよ」
    「すごいね、パパ」
     夫婦二人で兵士を物陰に隠す間に、葛は入口をそっと開け、人の姿が無いことを確認する。
    「大丈夫、入れるよー」
    「おう」
     素早く中へと侵入し、三人は廊下を進む。
     途中で何度か兵士に出くわすが、ことごとく秋也が峰打ちや手刀で音もなく倒し、気絶させる。
    「パパってサムライだって聞いてたけど……、ニンジャみたい」
    「アホなコト言ってないで、こっち来いよ」
     ほとんど問題もなく、三人は拘置所の檻へとたどり着いた。
    「リヴィエル卿の奥さんと子供さん、ドコに閉じ込められてる?」
    「えーと……」
     葛は素早く管理簿を確認し、その名前を見付ける。
    「あった! E―4!」
     ベルに出入り口の見張りを任せ、秋也と葛はその房へ向かう。
    「助けに来ました! ご無事ですか!?」
    「……!」
     檻の中に閉じ込められていた、土気色の顔をしていた3人が、顔を上げる。
    「今出します!」
    「ほ、本当に……?」
    「助かるんですか? 主人は?」
    「……!」
     夫人の言葉に、葛は青ざめた。
    「……あっちゃー、そうだった」
    「葛?」
    「大変、パパ! もしかしたらリヴィエルさん……」
     それを聞いて、秋也の顔も真っ青になる。
    「って、お前、まさか」
    「うん。すぐにリヴィエルさんの家を飛び出しちゃったから、もしかしたら拘束されちゃってるかも」
    「……グズグズしてらんねーな」
     秋也は檻を開け、中の3人を連れ出す。
    「ベル! 外は大丈夫そうか?」
    「今のところは……」
     脱出ルートの安全を確認・確保しつつ、一行は拘置所の外へと向かう。
     そして出入口に着いたところで、ここでもベルが外をうかがい、手招きする。
    「うん、今は大丈夫そう。……いい? まず、あたしが出る。向こうの壁際まで行って、あたしが2回手を振ったら、みんな来て。でも1回だけだったら、しばらく出ないで」
    「分かった」
     全員がうなずくのを確認し、ベルがそっと扉を開けた。

     が、その直後――葛が彼女の襟をつかみ、乱暴に引き戻す。戻ってきたベルに全員が押される形となり、バタバタと倒れる。
    「おわっ!? ……何するのよ、カズラ!?」
     ベルが振り返ったその瞬間、扉に無数の穴が空く。つい一瞬前まで皆がいた場所に、大量の銃弾が突き刺さった。
    「……!」
    「待ち伏せ!?」
     気配を悟られぬよう、今度は恐る恐る、銃弾で開けられた穴から外を確認する。
     そこには多数の兵士がサーチライトを背に並んでいるのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「囲まれてる……!」
    「おい葛、なんで待ち伏せてるコトが分かったんだ? まさかお前も……」「違う違う、勘とか予知とかじゃないよー」
     葛はぱたぱたと手を振り、こう説明した。
    「さっきSSの人を倒してから10分か15分は経ってるし、パパたちを見張ってる人がいたなら多分エトワールさんに報告してるだろうし、ソレなら体勢を整え直してココで待ち構えさせるくらいは指示してるだろうなー、って思ったから。
     で、ママにフェイントさせてみた」
    「先に言いなさいよ、もう。寿命縮んじゃうってば」
    「ごめーん」
     胸に手を当て、冷汗をかいているベルにぺこっと頭を下げつつ、葛も外を注意深く確認する。
    「……眩しくて見えにくいけど、やっぱいるみたいだよー、エトワールさん。前に立ってるエルフの人がそうだよねー?」
    「チッ……」
     悪態をつきつつ、秋也も確認する。
    「確かにいやがるな。……で、どうする?」
     誰ともなしに尋ねた秋也に対し、ベルも葛も、何も答えられない。
    「……だよな。戻っても檻があるだけだし、アレだけ煌々と照らされちゃ、隙を見つけて飛び出す、ってのも無理だ。
     万策尽きたな……」
     秋也の言葉に反論することは、諦めの悪い葛にもできなかった。
    白猫夢・飛葛抄 3
    »»  2014.11.14.
    麒麟を巡る話、第444話。
    葛とアテナの議論。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     と、ぴいー……、と言う、金属を引っかいたような音が響く。
    「うひゃ、……あーっ、もお! 鳥肌ぶわって出た! 何、今の!?」
     猫耳を抑え、顔を引きつらせたベルに、葛が答える。
    「拡声器、……だったかなー? なんか音を電気信号にして、増幅してもっかい音に戻すって装置。電話のでっかい版みたいな感じ」
    「あー、そー。……あー、まだ鳥肌立ってる」
     葛の言った通り、アテナの声が大音量で聞こえてくる。
    《犯人に告ぐ。抵抗を止め、速やかに投降しなさい》
    「ケッ、犯人扱いかよ。何の犯人だっつーの!」
     負けじと怒鳴り返した秋也に、アテナの冷たい声が返ってくる。
    《特別公務執行妨害ならびに機密侵害、および国家反逆の罪があなた方に問われています。
     こうして政府管轄の建物内に無断で侵入し、拘置所にいる人間を不正規な方法で解放。さらには軍の人間、即ち公務に当たっていた者を襲撃し、傷害を追わせています。
     さらには総理たる私の意向に沿わない、こうした行動と思想。これはれっきとした、国家に対する反逆であると認識できます》
    「ふざけんな! お前みたいに非人道的なやり方を平然とやってのけるようなヤツなんかの意向に、誰が沿うかよッ!」
    《あなた方との議論は不要です。権力を有しているのは私であり、あなた方は犯罪者です。公に正当性を問うた場合、どちらに賛成が投じられるかは明白でしょう》
    「王様気取りだね、エトワールさん!」
     と、葛が口を開いた。
    「あなたのやろうとしてるコトは、ソレこそ、国家反逆罪に問われるコトじゃないの!?」
    《その論拠は?》
    「あなたは誰の意見も抹殺し、自分の意見だけを押し通そうとしてる! そう、きっとあなたは、いずれは王様さえ無視するつもりなんでしょ!?
     ソレこそ国家への、『王国』としてのこの国の在り方に、真っ向から対立してる! 反逆、そのものだよ!」
    《話が飛躍しています。論拠に値しません》
    「こんな話の論拠にならなくても、世論は間違いなく、そう思うよ! あなたは世論の結果である選挙によって、首相になったはずでしょ!?」
    《だから?》
    「こんなやり方、誰も賛成なんかしやしない! きっとあなたは失脚し、首相の地位を失うよ! 国民の総意で、ね!」
    《愚論です》
     アテナの冷え冷えとした声が、拘置所に響いた。
    《あなた方犯罪者が何をわめこうと、それが正当性を有することは決してありません。総理たる私にのみ、正義があるのです。
     国民の多く、いや、ほとんどすべては、無条件に正義を信じ、そして無条件に、そこに正当性があると信じます――それが道理です。
     SS全隊に告ぐ。犯人らの抵抗の意思は、極めて強いものと断定。投降の意思が一切見られないため、実力行使にて、彼らを排除しなさい》
    「……」
     押し黙ったままのSSたちに、アテナは再度命じた。
    《繰り返す。排除しなさい!》
    「……了解、……です」
     兵士たちは一斉に、小銃を構えた。

     その時だった。
     拘置所を照らしていたサーチライトが、突然ボン、と言う音とともに砕け散った。
    「なっ……!?」
    「何だ!?」
     サーチライトは次々に破壊され、その光を失う。
     さらには周囲の街灯も全て消え、辺りは闇に包まれた。
    「見えない!」
    「バカ、しゃべるな!」
     突然真っ暗になり、兵士たちは騒然としている。拡声器からも一瞬、アテナが息を呑んだ様子が漏れ聞こえた。
    「……今だ!」
     兵士たちに気付かれぬよう、秋也がそっと扉を開け、外へ飛び出す。ベルと葛もリヴィエル一家の手を引き、外へ出た。
    「な、何をしているのです! 排除しなさい!」
     アテナの混乱する様子が、地の声で聞こえてくる。
    「目標、視認できません! 今銃撃すれば、同士討ちの危険があります!」
    「くっ……!」
     相手が混乱しているうちに、秋也が拘置所の門前に陣取っていた兵士たちに、無言でタックルした。
    「おわっ!?」
    「痛えな、誰だよ!?」
    「勝手に動くな! 動くんじゃない!」
     どうやら味方同士でぶつかり合っていると勘違いしたらしく、兵士たちはあたふたとしている。
     その隙を縫うように、葛たちも続く。
    「落ち着きなさい! 誰か、誰か光を……」
     と、その中心にいたアテナを見つけ、葛はニヤ、と笑う。
    (えいっ)
     葛はそっと、アテナに足払いをかけて転ばせた。
    「きゃあっ!」
     首相の慌てふためいた声を背中で聞きながら、葛たちは全員、無事に拘置所から脱出した。
    白猫夢・飛葛抄 4
    »»  2014.11.15.
    麒麟を巡る話、第445話。
    ネロが遺した指示書。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     拘置所を後にしたところで、ちか、と一瞬だが、何かの灯りが光る。
    「今の……?」
    「行ってみよ?」
     いぶかしんだベルに対し、葛がそう提案する。
    「一瞬だけ、……ってんなら、少なくとも軍の増援とかじゃないな。行ってみるか」
     秋也が賛成し、全員が光の差した方へ向かう。

     間もなく一行は、その光源にたどり着いた。
    「遅かったじゃない、みんな」
    「……アルピナさん?」
     そこにはアルピナと、火術灯を持った短耳の男性がおり、そして二人の背後にはバン(貨物用自動車)が停められていた。
    「全員無事か?」
     短耳にそう問われ、秋也が答える。
    「ええ、ユーゲンさん」
    「良かった。もし一人でも欠けていたら、リヴィエル卿に怒られるところだ」
    「リヴィエル卿? もしかして……」
     尋ねかけた葛に、バンの中から声が返ってくる。
    「ああ、そうだ。君が拘置所前でひと暴れしてくれたお陰で、私への監視が切られたんだ。その隙を突いてスタッガート夫妻が助けに来てくれてね、どうにかここまで来られた」
     バンの中から、そろそろとした足取りでリヴィエル卿が現れる。
    「あなた!」
    「おお、無事で良かった……!」
     互いを抱きしめるリヴィエル夫妻を尻目に、もう一人、バンから顔を覗かせる。
    「わしもおるぞ」
    「あ、ばーちゃん!」
     葛はジーナの顔を見るなり、バンへと駆け出す。
    「無事で良かったー。でも、どうしてばーちゃんまで?」
    「スタッガート夫妻に連れ出してもらったんじゃ。ネロの遺言じゃと」
    「遺言?」
    「ええ、卿からこれを預かっていたの」
     そう言って、アルピナが手紙を見せる。
     アルピナの夫、ユーゲンに照らしてもらいながら、葛たちは手紙を読んだ。



    「ほとんどあり得ない事態と僕自身も思っている、いや、そう思い込もうとしていることだが、もしも僕の第一秘書官であるアテナ・エトワールが僕の死後において、屋敷の書斎に収められているはずの遺言状を破棄し、この国の主権を奪取しようと目論んだ場合、まず真っ先に行うであろうことは、自分の対抗勢力となる人間をことごとく排除することだ。
     つまり現在、僕と親しくしているアンリ・リヴィエルをはじめとする、我が内閣の中核を成す『エルミット派』と呼ばれる派閥の人間。そして僕の血を引くベルやカズラ。この両者が危険にさらされることは、ほぼ間違い無いだろう。
     そこでスタッガート夫妻、君たちに頼みたいことがある。まず、万が一アテナが遺言状の存在を一切公表することなく国政の舞台に踊り出た場合、速やかにアンリと彼の一家を保護し、続いて僕の妻ジーナと娘夫妻一家も、同様に保護してほしい。

     アテナは目的達成のためなら手段を選ばないタイプだ。
     僕の目が届く現在であれば彼女が持つその危険性を発揮させないよう対処できるし、彼女の持つ有用性の方が勝るから、秘書官として置いている。
     だがもし政治権力を得た場合、恐らく得てから一両日以内、あるいはその日の内に、実力行使の手段を得るため、何らかの集団――恐らく彼女が参事官を務めているセクレタ・セルヴィスがその標的となるだろう――を手中に収め、前述の人間を不当に監禁し、何らかの罪を捏造して投獄するはずだ。いや、最悪の場合、どさくさに紛れて殺害させる危険もある。
     願わくば僕の死後も、アテナにはそれらの危険性が発揮されないまま、引き続き次代総理の秘書官を務めていてもらいたいものだ。

     追伸
     残念だが、僕の懸念する最悪の事態が現実のものとなった場合、恐らくこっちの遺言状を公表したとしても、アテナは手練手管を用いて偽物と主張し、それを通してしまうだろう。
     あくまでこの手紙は、万が一の事態に備えた指示書であると考えてほしい」



    「じゃあやっぱり、お義父さんは遺書を遺してたのか」
    「まあ、パパの性格なら遺さないわけないよね」
     秋也とベルは顔を見合わせ、揃って落胆した表情を浮かべる。
    「その最悪の事態が、こうやって発生したってワケか……」
    「あーあ……」
    「落ち込んでる場合じゃないわよ」
     と、アルピナが声をかける。
    「サーチライトはわたしが破壊したけれど、街灯の方はガスを止めただけだし、もうそろそろ復旧するわ。その前に、この国を出ましょう」
    「あ、そうっスね。……って、国を?」
    「ええ。この国にいる限り、間違いなくエトワールは追っ手を差し向け、あなたたちを殺しに来るわ。
     勿論、百戦錬磨のあなたたちなら返り討ちにできるでしょうけど、相手はきっと、元同僚よ? 戦いたくないでしょう?」
    「あー……」
    「確かにヤダな、それ」
    「ましてやリヴィエル卿ご一家や、高齢のジーナさんは、襲われたら反抗する術はない。易々と殺されるわ。わたしとユーゲンにしても、あなたたちを助けたと発覚すれば、無事では済まないでしょうし。
     全員が生き延びるためには、隣国へ逃げるのが最善よ」
    「……そっスねぇ。ソレ以外、確かに無いか」
     秋也の返答に、葛とベル、リヴィエル卿もうなずく。
    「エトワール氏に追い払われるようで腹立たしいが……、仕方あるまい」
    「決まりね。じゃあみんな、車に乗って」
     アルピナに促され、葛たちはバンに乗り込んだ。
    白猫夢・飛葛抄 5
    »»  2014.11.16.
    麒麟を巡る話、第446話。
    ハーミット卿の功罪。

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    6.
     葛たちは隣国、グリスロージュ帝政連邦へと亡命した。
     秋也から事情を聞いた皇帝、フィッボ・モダスは、非常に落胆した様子を見せた。
    「そうか……。何と嘆かわしい。卿の遺志は潰された、と言うことか」
     フィッボは秋也の手を取り、力強く握りしめた。
    「シュウヤ君、君には大恩があるし、卿にも少なからず助けられてきた。是非とも歓迎するよ。この国で問題なく生活できるよう、あらゆる便宜と援助を惜しまないつもりだ」
    「ありがとうございます、陛下」
    「おいおい、シュウヤ君」
     フィッボはにこっと笑い、首を振った。
    「私と君の仲だ。気軽に呼んでくれて構わない。昔のようにね」
    「はは、ども。じゃあ、フィッボさん。これからしばらく、ご厄介になります」
    「うむ。当面は城の客間で生活するといい。諸君の家や仕事などについてはおいおい、検討するとしよう。
     ……しかし、王国がよもや、そのような愚行・蛮行を許すとは。一体ロラン王は何を考えているのか。
     そもそも国家の要、政治の中核と言える宰相を、己の裁量と判断で指名しようともしなかったこと自体、私には考えられないことだ」
    「多分、ですけどー」
     と、葛が手を挙げる。
    「うん?」
    「ロラン陛下、……だけじゃなくて、じーちゃんが居た頃に王様だった人はみんな、責任逃れしてたんじゃないかなって思うんです」
    「ほう……?」
    「こんなコト言ったらじーちゃん、嫌な顔するかも知れませんけど――じーちゃんはあんまりにもスゴ過ぎた気がします。
     ソレこそ、王様が何も考えなくていいくらいの仕事をし過ぎちゃったと思うんです」
    「なるほど、一理ある。
     確かに卿の手腕は素晴らしかった。彼がいれば勝手に国が豊かになる、とすら評されるほどに。
     しかしそれは、一方で甚(はなは)だしい放任を生むことにもなる。何しろ彼一人で経世済民の構想から発案、計画、策定までが済んでしまうのだからな。
     となればロラン王を含め、誰も能動的に政治に手を出そうとはしなくなるだろう。それよりも卿の意見に任せ、受動的でいた方が、よほど良い結果を生む。
     皆、そう考えてしまうだろうな」
    「お恥ずかしい話です。思い当たる節は、少なからずございます」
     フィッボの意見に、リヴィエル卿が苦々しい顔で同意する。
    「そしてそれは、危機意識をも鈍らせていたのでしょう。
     まさか今回のエトワールのように、卿の遺志を軒並み消し去り、己が欲と横暴を正当化するような人間の台頭を易々と許す結果になろうとは、国民の誰もが――恐らくは卿を除いて――危惧していなかったでしょう」
    「こんな意見は、諸君にはひどく辛辣であるとは思うが――『いい人』過ぎたのだろうな。卿も、王国の民も。
     然るに平和と言うものは、場合によっては恐ろしいものだな。長く続けば続くほど、突然の危機にまったく対応できなくなる。……かと言って不安が続くことも、それはそれで良しとは、到底言えないが」



     一方、プラティノアール王国では、いよいよアテナの独断専行が強まりつつあった。
     実はアルピナのように、ネロから遺書を預けられた者は若干名いたのだが、拘置所での「事件」でその存在に勘付いたアテナによっていち早く手を打たれ、そのほとんどが逮捕・投獄された。
     さらに、それと並行してSSの人員を大幅に拡大させ、アテナは総勢400名を超える「私兵団」を確立した。
     ネロの遺書とその実行者をことごとく葬り去り、己に反発する者を武力で黙らせ、完膚なきまでに敵対勢力を殲滅(せんめつ)したアテナは、公約していた政策を実行に移し始めた。

    「くくく……、今日も紙面は大混乱だな。『製造業さらに加熱 政府援助150億キュー追加を決定』。これは本気かね、総理殿?」
    「ええ。来月より実施します」
    「あと、これも本気か?」
     男は新聞をめくり、小さな記事を指差した。
    「『農業振興政策が完全凍結へ 工業従事人口の拡大が目的か』」
    「ええ。既に産業省内の該当部門は解体しています」
    「くくく……」
     男の笑い方が癇に障ったらしく、アテナの目がほんのわずかに吊り上がる。
    「何か問題が?」
    「いや、別に。思い切ったことをするな、とね」
    「改革は断行あるのみです。少しでも非合理性を感じたものは、即刻排除すべきでしょう」
    「なるほど、なるほど」
     男はニヤ、と笑みを浮かべ、アテナに近寄る。
    「では私との交流はどうだ? 合理的でない部分は少なくないと思うが?」
    「いいえ。あなたと交流を持つことは、私に多大な利益をもたらします。であれば総括して、合理的と言えるでしょう」
    「詭弁だな。一つの重大な非合理性を、もっともらしい理屈でごまかしているに過ぎん」
     男はアテナを背後から抱きしめながら、その長い耳にささやいた。
    「愛だの恋だのは、最も非合理的なものだ。私はそう思うがね」
    「……その意見に関しては、私の負けを認めましょう」
     アテナは男の腕に、自分の手を載せた。
    白猫夢・飛葛抄 6
    »»  2014.11.17.
    麒麟を巡る話、第447話。
    エトワール病。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     アテナが実施した政策は、徹頭徹尾に渡って「総工業化」と「貿易拡大」の方針を執っていた。
     まず彼女は、既に存在する工業・製造業関連の産業に対して、湯水のように助成金を出したり、破格の税制を設けたりと、阿漕な奨励策を打ち出した。
     その一方で農林業や水産業などの、いわゆる一次産業に対しては、助成金を止める、高率の税金を課すなど、真逆の政策を執って圧迫し、壊滅状態に追いやってしまった。

    「たった3ヶ月で農業従事者が8割減とは。いくらなんでもひどくないか?」
     あの長耳の男性も、流石に非難めいた言葉を口に出す。
     だが、彼女は頑として聞き入れなかった。
    「構いません。こうして一次産業に充てられていた労働力を都市部、即ち工業の盛んな地域へ集め、工業力を増大させるのが狙いですから」
    「しかし、食産関係が潰れたせいで、物価が大幅に跳ね上がっているらしいじゃないか。既に食糧難を迎えている街もちらほらあると言うが、それについてはどうするつもりだ?」
    「考えてあります。工業力の増加によって我が国の貿易は大幅な黒字を発生させるはずです。その黒字分で他国の安価な食糧を購入すれば良いのです。
     合理的に考えれば、我が国のような先進国はより生産性の高い産業を優先すべきなのです。生産性の低い農業などは設備に乏しく、かつ、人員が豊富な中進・後進国に任せておく方が、効率的と言えるでしょう」
    「合理的、効率的、……ね」
    「何か問題が?」
     アテナに問われ、長耳は肩をすくめる。
    「いいや。経済や政治は私の得意分野じゃないからな。政治家の君と比べれば、取るに足らん意見さ。
     君が自分の理論に自信を持っていると言うなら、迷わずやればいい」
    「ええ。無論、そうします」



     しかし――これらの政策はことごとく、失敗に終わった。

     まず第一に、ネロがいた時代から既に、工業関連の需要は頭打ちとなっており、工業製品を大量に製造し貿易の拡大を試みても、まったく輸出が伸びなかったのである。
     そんな状況にもかかわらず生産量を過剰に増やしたために、王国中の倉庫で工業製品の在庫があふれ返る事態が発生した。
     それ以上生産を続けても在庫が倉庫に詰め込まれるだけなので、工場は当然、軒並み操業を停止。人員も余ることとなり、大幅に解雇・削減されることとなった。

     だが本来――アテナが露骨な介入を行わなかったならば――他の産業に移っていくはずだったそれらの人員は、立ち往生する羽目になった。
     何故なら工業以外の産業がアテナにより壊滅させられてしまっており、他の職に就くことが、事実上不可能だったのだ。
     同様に、田舎から都市へ来た者たちも、既に農業をはじめとする一次産業が壊滅しているため、ふたたび田舎へ戻ったとしても、何もできない。
     職と故郷を失った人間は行き場を失って都市部に溜まり、その結果、街中に浮浪者が発生した。

     さらに追い打ちをかけるように、経済は一際悪化した。
     食物を生み出す一次産業を壊滅に追いやり、一方で杜撰な貿易拡大策を採ったことで、外国からの食糧輸入が何倍にも膨れ上がったのだ。
     そうなれば当然、貿易は大赤字を計上する。為替もそれに連動し、西方南部の通貨、シュッド・キューが暴落。国民はトマト1つ買うのに1日の稼ぎをすべて支払うような、貧しい生活を強いられることとなった。
     半世紀も前にネロが阻止したその政策を、アテナが自信満々に推し進めたことにより、王国の経済は簡単に崩壊した。

     まともな職に就けず、十分な金も得られず、住む場所も無い人間の急増――彼らはやがて生活に行き詰まり、次第に犯罪に手を染めていった。



     アテナが国政の舵を取ったその2年間で、プラティノアール王国は国内産業の壊滅とそれに伴う失業率の重篤な増加、それに加えて猛烈な物価高が続くと言う、重い「病」に冒された。
     統計的には――ネロが死去した570年に比べ、破綻が顕著になった572年は、失業率が2%から38%に増加し、国民一人辺りの所得は数字上だけで6割も減り、一方で物価は250倍に高騰、さらには都市部における月間の犯罪発生率は、1件未満から800件以上にまで激増した。

     これが後世において通称「エトワール病」として知られる社会問題であり、プラティノアール王国凋落の発端となった。
    白猫夢・飛葛抄 7
    »»  2014.11.18.
    麒麟を巡る話、第448話。
    アテナを操っていた男。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     ネロが50年もの長きにわたって安寧に統治し、安定して成長させてきた王国をたったの2年で潰したことにより、アテナは当然、国王をはじめとする政府首脳らに糾弾されることとなった。
     ところが――いざ問責されるかと言うところで、アテナは突如、首都シルバーレイクから姿を眩ませてしまった。

    「何故あなたは、こうなると教えてくれなかったのです?」
     シルバーレイク郊外に逃げたアテナは、同行した長耳の男性をなじっていた。
    「何を言うかと思えば」
     しかし、長耳は馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべるばかりである。
    「君がやったことだ。他でもない君が、自信満々に『この国をより一層反映させる手段だ』と言って、あれらの政策を強行したんじゃないか」
    「……っ」
    「私は預言者でも無ければ、経済アナリストでも無い。私に言えることなど、元から無いのだよ。
     そもそも君は元々、他人の意見に一切耳を傾けない性格だろう? 私が何を言ったとしても、なんやかやと反論して追い払われるのが関の山だったろう」
    「それは……」
     返答に窮し、アテナは顔を伏せる。
    「まあ、しかしだ。助けてやれないことも無い」
     男の言葉に、アテナは一転して顔を上げる。
    「本当ですか?」
    「本当だとも。私の古いツテを頼れば、どんな不況もすぐ好景気に変わる」
    「お願いします。そのツテを、私に紹介して下さい」
    「それは構わんが、勿論タダとは言わん。分かるな、アテナ?」
    「……何が望みです?」
    「分かるはずだ。聡明な君だ、予想は付くだろう?」
    「私自身を、でしょうか」
    「そう。そしてもう一つ、私が、いや、ある団体が欲しがっているものがあるんだ」
     男のギラギラとした、欲深い瞳に射抜かれ、アテナはぐったりとした声を出した。
    「……この国の政治権力を、と言うわけですか」
    「そう。ご明察だ」
    「……あなたは……」
     アテナの表情が歪む。
    「あなたは、そのために私を籠絡し、この国を傾けた、と?」
    「君がもし健闘できていれば、それはそれで私の利益になったのだがね。あいつらを介入させずにも済んだだろう。
     しかしまあ、こうなることはいずれ分かっていた。思い返してみれば、何もかも『預言』通りだったよ」
    「えっ……?」
    「『預言者』氏が4年ほど前に、私に預言したのさ。『あなたがこの国に潜り込んでアテナさんを操れば、あたしたちはこの国を手に入れられる』とね」
    「よげ……ん……しゃ?」
     顔を真っ青にしたアテナに、長耳はニヤリと笑って、その名を告げた。
    「君もよく知っている女性だよ。アオイ・ハーミット嬢だ」
    「……あ……お……い……」
     その名を聞いた瞬間――アテナ・エトワール女史は壊れた。
    「……あ……あ……あお……アオイ……が……わた……わたくし……わたくしを……」
    「おや、どうした?」
    「わたくしを……にど……も……こけに……っ」
    「……くくくく……」
    「こけ……こけっ……こけっ、こっこ……」
    「くく……ははっ、あはははは……」
     目をうつろにし、へたり込んだアテナを見下ろし、長耳はげらげらと笑い出した。



     1時間後――長耳は電話線に機械を取り付け、ダイヤルを回した。すると機械からガリガリと音が鳴り、やがて人の声が聞こえてくる。
    《ドミニオン城通信局です》
     長耳は機械に備え付けられていた受話器を取り、応答した。
    「白猫党党首、シエナ・チューリン閣下を呼んでくれ。ヴィッカーと言えば分かる」
    《かしこまりました。少々お待ちください》
     少し間を置いて、相手が出た。
    《ヴィッカー博士? チューリンよ》
    「お久しぶりです、閣下。4年前に『預言者』氏から命じられていた作戦が、『第二段階』に移行しました」
    《そう。じゃ、すぐに準備するわ。エトワール氏は?》
    「残念ながら……」
    《『預言』通りってワケね。じゃ、先にあの子を送っとくわ。
     それじゃ、また》
    「ええ。また一週間後、この時間に連絡します。お忘れなきよう」
     電話を切り、長耳の男――4年前の568年、白猫党を追われたはずのデリック・ヴィッカー博士は、唐突に笑い出した。
    「ふふっ、ふっ、く、くくく、はははは……! すべてが思い通りだ!
     この国はもう既に――我らが白猫党のものだッ!」

    白猫夢・飛葛抄 終
    白猫夢・飛葛抄 8
    »»  2014.11.19.
    麒麟を巡る話、第449話。
    三人の登城者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦572年の暮れ、「エトワール病」により混乱の渦中にあったプラティノアール王国、ブローネ城に、三人の人間が現れた。
     一人は、国を傾けたその責任を逃れ、どこかへ逃亡したはずの、アテナ・エトワール女史。
    「現在起こっている国内不安を解決するべく、私は一時、央北に渡っておりました」
    「何を今更……!」
     淡々と弁解するアテナに対し、当然、ロラン国王をはじめとする首脳陣は非難の言葉を並べる。
    「これほど国を引っかき回しておいて、よくもまあ、戻って来られたものだな!
     ハーミット卿の頃と同様、貴様の裁量に一任したその結果、国民は日々の食べ物にすら困るほどの、困窮した生活を送る羽目になったのだ!
     こやつを即刻、引っ捕らえよ! 即日、縛り首にしてくれる!」
    「まあ、お待ちください、陛下」
     アテナと共に現れた長耳の工学博士、デリック・ヴィッカー氏が手を挙げる。
    「確かにお怒りはごもっともです。このまま放っておくと言うのならば、それは確かに、万死に値する行為でしょう。
     しかし現在起こっている問題を、完全に解消できる策を持参してきたのです。その案を聞いてから処分を言い渡しても、まだ間に合うのでは?
     それとも陛下、あなたご自身がこの問題に対し、積極的に介入するおつもりだったのでしょうか?」
    「……む……う」
     ヴィッカー博士がそう尋ねた途端、ロラン王は言葉を濁す。
    「いや……うむ……そうだな、聞くだけ聞いてみようではないか」
    「陛下!?」
     唖然とする閣僚たちを尻目に、アテナが話し始めた。
    「現在、央北の大部分をその統治下に置いている、白猫党と呼ばれる組織をご存知でしょうか?」
    「いや……、詳しくは知らぬ。相当強引な方法で、領土を拡大しているとしか」
    「その認識はさておき、事実として白猫党は、相当の資金と需要を有しております。そう、この国にあふれ返る工業製品を、丸ごと受け入れられる程度には」
     ヴィッカー博士の説明を、アテナが継ぐ。
    「現在、貿易におけるネックとなっている、工業製品の供給過剰を解消することができれば、当然の結果として、我が国には大量の外貨が流入し、下落傾向にあったキューの価値も回復します。
     そうなれば食糧品の輸入を円滑に行うことができ、国民の大多数が苦しんでいる食糧問題を解決することが可能です」
    「ああ……うむ……そう……か、うむ」
     明らかに理解しきっていない様子を見せたロラン王に対し、ヴィッカー博士が畳み掛ける。
    「如何でしょう、陛下? 我が白猫党と関係を結べば、国民は救われるのです。これ以上の良策は、そうは無いものと思いますが」
    「ううむ……」
     渋るロラン王に、閣僚が反対意見を述べる。
    「白猫党などの意見に耳を傾けてはなりませんぞ、陛下!」
    「彼奴らはことごとく卑怯な手段で、多数の国を乗っ取ってきた卑劣漢どもです!」
    「一度、こんな輩の侵入を許せば、我が国は骨の髄まで喰らい尽くされ、跡形も残らんでしょう!」
     と、ヴィッカー博士がそれらを遮る。
    「批判は結構。そんなものは何の利益ももたらしません。
     今、国王陛下があなた方に望まれているのは、白猫党への誹謗中傷や悪口雑言では無いはず。困窮するこの国を救う方法でしょう?
     我々と手を結ぶ以外に、この国の経済を鮮やかに復活させ、国民を貧困から救う方法をお持ちであるならば、益体もない我々への悪口など怒鳴り散らさず、それだけを陛下にお伝えすれば良いのです。陛下も二つ返事で了承されることでしょう。
     さあ、どうです? 何か良案がおありなら、どうぞ述べて下さい」
    「うぐ……」
    「ぬう……」
    「それは……」
     ヴィッカー博士の意見に、誰も言い返せない。
     場が静まり返ったところで、三人目の登城者――白猫党党首、シエナ・チューリンが口を開いた。
    「如何でしょうか? 我々と手を結び、国民を救うか。我々を排斥し、国民を見捨てるか。
     陛下、お答え下さい」
    「……他に手は無いようだ。閣僚らも黙った以上、貴君らの提案を受け入れるしかあるまい」
    「賢明なご判断を下されたこと、誠にありがたく存じます、陛下」
     シエナはロラン王に向かって、静かに、しかし会釈程度に、頭を下げた。
    白猫夢・腐国抄 1
    »»  2014.11.21.
    麒麟を巡る話、第450話。
    タカ傾向。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「交渉は大成功よ。この国は白猫党との貿易に同意したわ」
    「おめでとうございます、総裁」
     シエナをはじめとする白猫党幹部陣はプラティノアール市内のホテルにて、今回の作戦成功を祝っていた。
    「コレで来年には、このプラティノアール王国は我々の手中に収まるわね」
    「でしょうな」
     党の財務対策本部長、オラースが深々とうなずく。
    「確かに我々との貿易により、倉庫と言う倉庫に積み上げられた工業製品は順次消化され、この国は大量の外貨を獲得できるでしょう。
     しかし一方で、2年続いた大不況の爪痕は、国民の予想以上に深い。入ってきた外貨はまず、国家体制の立て直しに使われることでしょう。どれほど多くの額が入ってきたとしても、です。
     国民経済への波及、即ち国民の懐にカネが入り景気が回復すると言うような効果は、ほぼ見られないと考えて間違いないでしょうな」
    「そうなれば、国民の不満はさらに増すことになるでしょう」
     オラースの所見を、政務対策本部長であるトレッドが継ぐ。
    「国民からすれば、ようやく獲得できた外貨を国王や王室政府が横取り、独占しているように映るのは明白。
     早晩、国中で反王政の風潮が沸き立つでしょう」
    「その世論を我が党が背負い、王国側を糾弾・非難。
     それをさらに世論が認め、容認し、あおり立て――こうした双方の活動が循環したその結果、国民の信頼を失った王室政府は、倒れることになるでしょう。
     後はヘブン王国などのように、王族を軟禁してその権力を封じ込め、政治には一切、関与させないように図る。政府閣僚・大臣らもその任を解き、更迭する。
     プラティノアール王国の息の根は、確実に止まるはずです」
     幹事長、イビーザの言葉を聞き、シエナは嬉しそうにうなずいた。
    「ええ。いくら西方人が同族主義的だからって、『自分たちを虐げるような王様』を許すはずが無いわ。
     そして『悪者』を退治した我々こそが、この国の新たな正義、権威となるのよ」
     そこで一旦言葉を切り、そしてシエナはニヤッと笑って見せた。
    「ソレが、『第三段階』の終了。そして……」
    「この国を足がかりに、我々は東方向へ侵攻を開始すると言うわけですな」
    「そうよ。
     半世紀にわたって安全路線、独立路線で進んできたこの国が、まさか侵略を始めるなんて誰も思ってないわ。今は、ね。
     ましてや西方三国で何百年も内輪もめしてたって言うのに、反対側へ攻め入るなんて、西方人の誰もが、夢にも思わないでしょうね。
     コレ以上無いくらいに油断してる西方各国を、ガッツリ喰らう。ソレこそが我々の最終目標、西方攻略における『最終段階』なのよ」
    「……素晴らしいことです」



     央中を侵略した570年以降、白猫党内の空気は、他国・他地域侵略に傾いていた。

     当初から侵略論に反対の姿勢を取っていたトレッドやイビーザなどの穏健派も、党全体の空気に呑まれる形となり、やがて公然と反対することは無くなった。
     これに加え、「預言者」の言葉にも他地域侵略に言及したものが目立ち始め、「預言者の言葉と党首決定に従う」ことを党是とする党員らは、侵略を嬉々として容認するようになっていた。
     反対意見が公の場から消え、預言者をはじめとして党全体の意見が侵略推進に傾いたことで、シエナを軸とする好戦派の勢いはさらに加熱。
     今回のように、シエナが西方攻略に乗り出すことを発表した時も、万雷の拍手が党首と預言者に送られこそすれ、彼女らを咎めるような意見は一切、上がることはなかった。



     とは言え、それでも懸命にブレーキをかけようとする者は、いなくなったわけではない。
    「しかし総裁」
     いつものように硬い表情を浮かべつつ、イビーザが挙手する。
    「実際に侵攻するにあたっては、やはりロンダ司令による統率が不可欠でしょう。
     党首命令で軍を動かすことは可能でしょうが、軍の最高権力者たる司令を無視した行動を執られては、党の体制維持にひびが入る恐れがあります」
    「ええ。勿論、分かってるわ。ロンダには動いてもらう予定よ。
     例え今は、反戦に固執してるとしてもね」
    白猫夢・腐国抄 2
    »»  2014.11.22.
    麒麟を巡る話、第451話。
    頑固者司令への説得。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    《納得が行かんのです》
     電話に出たミゲル・ロンダ司令はいきなり、シエナに食ってかかった。
    《私は党支配圏内の安寧秩序を維持するために、白猫軍司令の職を拝領したつもりです。決して無用な争いを自ら起こし、戦火を広げるために就いたのではありません。
     ましてや今回、西方進出を手引きしたのは、かつて央北西部戦争で非人道的兵器を開発し、多くの人間を必要以上に殺傷・殺戮(さつりく)する結果を生んだ、あのヴィッカー博士だと言うではありませんか!
     私は、彼と党とは既に手を切った関係であるとそう考えて、いや、信じていたのに――まさかその裏でずっと連携を取り、あまつさえ今回の騒動を起こすべく、閣下御自らが指示していたとは!
     これは私に対する、二重の裏切りに他なりません! これに対する釈明も無しに、恥知らずにも『軍を率いよ』などと仰るのであれば、私は軍司令の職を辞させていただきます!》
    「そうね、……確かに、あなたには裏切りに映るでしょうね」
     長年に渡って党首を務め、増上慢になっていたシエナも、自分に真っ向から噛み付いてくるロンダを容赦なく更迭することは、流石にできなかった。
     何故ならロンダも党内では少なからず人気を得ており、彼をいきなり党から追放するようなことをすれば、確実に党が分裂するからである。
    「でもコレは預言者の……」《例え預言者殿のお言葉としても、です!》
     なだめようとするシエナに対し、ロンダはあくまで態度を崩さない。
    《はっきり言わせていただきますが、私は党の方向性について、懐疑的であります!
     無論、預言者殿のお言葉が遥か未来を見通した、正しき道を示すものであることは、何ら疑ってなどおりません。それに関しては、私は堅く正当性があるものと信じております。
     信じられぬのは総裁閣下、あなたの言動です。その正当なる預言を牽強・曲解し、己の政治思想に都合のいいように読み替えているのではないか、と、私は少なからず疑っておるのです》
    「……」
    《どうかお答え下さい、閣下。どうか私があなたを信じるに足るだけの、正当性のある理由を、述べていただきたいのです。
     でなければ今度という今度は、袂を分かつ所存であります》
    「……落ち着いて、聞いて欲しいのよ。いいかしら?」
     極めて落ち着き払ったシエナの声色に、ロンダも応じ始める。
    《ええ、沈着冷静な態度で拝聴させていただきます》
    「まず、あなたにデリック・ヴィッカー博士のコトをずっと秘密にしていた件。
     コレは西方進出の足がかりのための極秘任務であり、最高幹部にすら伝えていなかった、アタシと預言者だけが関わっていた案件だったのよ。だからコレは、あなただけに伝えていなかったワケじゃないの」
    《なるほど。しかし……》「待って。まだ続きがあるの」《……分かりました。どうぞ》
     ロンダが再度黙り込んだのを確認して、シエナは説明を続ける。
    「あなたにはこの案件は、アタシが西方侵略を目論んでいる何よりの証拠だと、そう思っているコトは良く分かってるわ。誰だってそう思うでしょうしね。
     でも、何度も言ったけど、コレは預言者からの言葉、……いいえ、お願いだったのよ」
    《『お願い』と言うのは、どう言う意味ですか?》
    「そのままの意味よ。預言者は、『そうしなければ、プラティノアールは潰れてしまう』と言っていたわ。ソレは、彼女にとっては何より回避したいコトだったのよ」
    《何故です?》
    「プラティノアール王国は、彼女の故郷だからよ」
    《……ふむ》
    「あなたも覚えがあるはずよ。あなたの故郷、チェビー王国でも我が白猫党が介入する以前は、『天政会』の自分勝手な金融政策と国王自ら主導した杜撰な産業改革で、国内経済はズタズタ。内戦が起こる寸前だった。
     ソレと同じコトが起こると、預言者は見抜いていた。だから故郷を守るために、何としてでも国政に介入したかったし、そのための極秘計画だったのよ。
     そして今まさに、プラティノアールはかつてのチェビーになろうとしている。そしてその周辺国も、放っておけばいずれは同じ道をたどると、預言者は言っているわ」
    《その根拠は?》
    「政治経済の話ならアタシに聞くより、トレッドとオラースに聞いた方が早いわよ。
     ともかくアタシが、いいえ、アタシたち白猫党がやろうとしているコトは、今も昔も同じよ。愚劣な権力者の下で腐りゆく国を彼らから奪い、その構造を糺(ただ)し、その下にある国民、市民を救う。アタシたちの統治の下、人民が等しく公平に生きられる社会を形成する。
     コレまでもその理念で行動してきたつもりだし、コレからもその理念の下で、アタシは党を動かすつもりよ」
    《……》
     しばらく沈黙が続いた後、ロンダが口を開いた。
    《分かりました。今一度、閣下を信じることにいたしましょう。
     ですが、閣下。もしもその理念すら嘘であったその場合には、今度こそ、私は見限ります。どうか私にそんな真似をさせぬよう、清廉潔白であるよう努めていただきたい》
    「言われなくても分かってるわ。それじゃ、計画が進行したらまた連絡するわね」
    《了解であります。では、また》
     電話が切れたところで、シエナはふーっ、とため息をついた。
    「骨が折れるわね、まったく! 頑固者なんだから……」
    白猫夢・腐国抄 3
    »»  2014.11.23.
    麒麟を巡る話、第452話。
    腐りゆく国へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     党内の意見調整に成功し、白猫党とプラティノアール王国との貿易が開始された頃になって、シエナたち最高幹部は密かに、アテナの私邸を訪ねた。

    「貿易に関しては順調、かつ、アタシたちの予想通りに進んでるわ。
     王国はこの貿易に対し、関税を掛け始めた。平均80%程度の、ね」
    「政府側としては仕方の無いこと、と思っているだろう。『本物の』エトワール氏が断行した各種改革の失敗は、国の構造をスカスカにし、傾かせたわけだからな。
     政府も現在、以前の体制に戻そうと躍起になっている。『エトワール氏』もそれに同意した。そうだな?」
    「はい」
     ヴィッカー博士の横に座るアテナは、こくりとうなずく。それを見て、博士が続ける。
    「しかし国内産業はご存知の通り、ほぼ壊滅状態にある。国内からカネを集めようにも、集まらないのが現状だ。
     となれば活発化し始めた貿易に頼るしかない。その結果が80%の関税と言うわけだ」
    「これでは国民にとっては、景気回復など露ほども実感できないでしょうな。入ってくるカネの大部分が、政府に吸い取られているわけですから。
     事実、国内の各種新聞は混沌とした情勢を伝えています。貿易拡大や国内産業の業績回復を伝える一方で、失業者の増加や物価の高騰が依然として続いていることを嘆いており、国民からの投書欄にも、それに対する不満、ひいては王政に対する疑念や不信感が、ぎゅうぎゅうに詰まっています」
    「この状況が何ヶ月も続けば、いずれ国民が暴動を起こすことは必至でしょう」
    「と言うワケよ」
     シエナはニヤっと、笑いを浮かべる。
    「預言者によれば、最初の暴動は3月に起こるわ。勿論、王国はソレを鎮圧するけど、間もなく第二、第三の騒ぎが起こり、国内情勢は一気に悪くなる。
     ソコでアタシたちが、国民側に加担する。アタシたちの支援によって、国民たちの暴動は王室政府を倒すクーデターへと変貌するわ。アタシたちの力添えがあれば当然、達成されるでしょうね。
     後はアタシたちが、彼らに代わって支配するだけ。プラティノアール王国は、今年中に倒れるわ」
    「そう言うことだ。君の責務は4、5ヶ月もすれば消える。『エトワール氏』役を演じるのは、そこで終わりだ」
    「本当、助かります」
     そう言ってアテナは――いや、アテナに扮した白猫党員はふう、とため息をついた。
    「一応、政治経済は前もって勉強してましたけど、いつボロが出るかとヒヤヒヤしっぱなしですから」
    「おまけに閣僚たちは、『エトワール氏』を諸悪の根源と扱っているからな。
     主だって非難しはしないまでも、ちょっとした嫌がらせはちょくちょく受けているそうじゃないか」
    「ええ。届くはずの書類が届かなかったり、命令しても無視してきたりで。
     関税の件も一応、私は止めたんですけどね。みんな勝手に進めちゃってました」
    「クク……、馬鹿な奴らだ。それが自分の首を締めるとも知らずにな」
     ヴィッカー博士が嫌味な笑みを浮かべたところで、シエナが尋ねる。
    「ちなみに『本物の』エトワール氏は今、ドコにいるの?」
    「この屋敷の中に居ますよ。ただ、私に操られていたことと、預言者氏が彼女の失敗を見抜いていたことを知ったせいで発狂し、今も床に伏せっていますが、ね」
    「あの人、もう『こけっ、こけっ』としかしゃべらないですよ。私や博士が何しても、まったく反応しませんし」
    「あははは……、何それ、ニワトリ?」
     本物のアテナの末路を聞き、シエナはゲラゲラと笑う。それを受けて、ヴィッカー博士もニヤニヤと笑って返した。
    「まあ、言い得て妙ですな。
     こうして『アテナ・エトワール』を別の人間が演じ、その権力を我々白猫党が掌握している以上、あの女には最早、卵を産むくらいの存在価値しかありませんからな」
    「……あっそ。結構なご発言だこと」
     ヴィッカー博士のこの皮肉に対しては、流石のシエナも顔をしかめていた。



    「預言」と白猫党幹部陣の所見の通り、王国には次第に国民の怒りが渦巻き始め、やがて暴動が頻発し始めた。
     そしてその後の展開もまた、白猫党の思惑通りとなり――双月暦573年4月、プラティノアール王室政府は、大多数の国民からの支持を得た白猫党によって、その権力を奪われることとなった。
    白猫夢・腐国抄 4
    »»  2014.11.24.
    麒麟を巡る話、第453話。
    シエナの理想。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「国王とその一族は首都郊外に軟禁、閣僚は全員更迭して内閣解散、軍は司令部以下その全てが白猫軍の統治下――いつも通りね」
     つい数日前までプラティノアール王国のものだったブローネ城で、シエナは淡々と報告を受けていた。
    「一応、今回も『王国』として残しはするけれど、王族には二度と、この城に立ち入らせないコト。案の定この国の王族も、政治音痴のアホ揃いだったし」
    「こうして制圧・征服する度に思うのですが……」
     そう前置きし、トレッドが苦々しくこぼす。
    「一体、『国王』とは何なのでしょうな? 主だって政治に介入すれば失策を繰り返し、この国のように他人任せで平然と税をむさぼる者も、少なくない。
     彼らの存在意義を考えるに、私には無用のものとしか思えないのですがね」
     トレッドの言葉に、シエナは肩をすくめる。
    「そりゃ『新央北』のトラス王みたいに、中にはそこそこ真面目に、堅実に政治を取り仕切ってる王様ってのもいるけど、大部分は親や先祖の七光りで、玉座にあぐらかいてるってのばっかりだったわね。
     ……本当、そう言うのはムカつくわ」
    「総裁?」
     苛立った目で宙をにらみ付けるシエナに、トレッドが尋ねる。
    「アタシが何故、白猫党にいるのか。あなたは知ってる?」
    「いえ……? そう言えば、その辺りの経緯は存じませんな」
    「ココのボンクラ国王みたいに、自分には大して実力も見識も無いクセして、玉座に偉そうにふんぞり返ってるヤツを、その玉座から蹴っ飛ばしたかったからよ。
     昔のコト、あんまり話したくないけど――アタシも白猫党に入る前は、何の地位も持たない貧民だったのよ。独学で魔術の勉強して工房に入って、どうにか生計立てて、で、カネ貯めて天狐ゼミに逃げて……」「逃げて?」
     トレッドが尋ね返した途端、シエナの顔に険が差す。
    「そう、逃げたのよ。工房の親方から、色々ひどいコトされたからね」
     シエナはスーツの袖をめくり、左腕を見せた。
    「……っ」
     その傷だらけの腕を見て、トレッドは口をつぐむ。
    「魔術の腕はアタシの方が断然良かったから、妬まれたのよ。オマケに多少殴られたって、他に行くトコも無かったし。好き放題されても、何もやり返せなかった。
     地位しか持ってないヤツが、その地位を笠に着て、何も持たないアタシを、無力な人たちを嬲り者にする――そう言うのが憎くて憎くて仕方無かった。だからアオイに白猫党への加盟を打診された時は、嬉しかった。本当に、嬉しかったわ。
     だからアタシは、コレからも国を潰して回るつもりよ。ろくでもないヤツがトップに収まってる国を、ね」
    「なる……ほど」
     シエナの過去を聞き、トレッドは表情を硬くする。
    「何故、あなたがこれほどまでに侵略を強行するのか、ようやく分かった気がします」
    「……ゴメンね、変な話しちゃって」
    「いえ。……私こそ、謝らなければなりません」
    「え?」
     トレッドは小さく頭を下げ、こう続けた。
    「私は、あなたが権力を得て暴走しているのではないかと、少なからず危惧していましたが、しかし実際は理想を叶えんがため、ひたすら邁進しているだけなのですな。
     失礼な考えを抱いていたこと、謝罪します」
    「いいのよ。暴走って言われたら、否定しづらいトコあるし。実際、ロンダとかイビーザには、かなり迷惑かけてるもの。……後、あなたにも、大分」
     照れた顔を見せたシエナに、トレッドは笑って返した。
    「苦になりません。あなたに確固とした理想があり、それを達成しようとされているのなら、私はこれからも、身を粉にしてお助けしていく所存です」
    「……ありがとね」

     と――。
    「おはよ」
    「……アオイ?」
     シエナたちの前に、いつの間にか葵が立っていた。
    「これはアオイ嬢。お目覚めは如何ですか?」
     恭しく挨拶したトレッドに、葵は目をこすりながら返す。
    「ねむぃ」
     その返事に、シエナはクスクスと笑う。
    「あはは……、5日も寝てたクセして、まだ眠いの?」
    「うん。……でも、そろそろ起きなきゃなって」
    「何かある、と?」
    「んーん」
     ぷあ、と欠伸をしながら、葵はこう返した。
    「今のところ、政治的には動きは無いよ。マチェレ王国以東も、あたしたちが何かするなんて夢にも思ってない。だから今は、しっかり準備してて大丈夫だよ。
     あたし、ちょっと用事があるから、3日くらい出かけるよ」
    「ほう?」
    「実家にでも顔出すの?」
    「そんなとこ。……じゃ、行ってくるね」
     踵を返しかけた葵に、シエナが声をかける。
    「ちょっと待って、アオイ」
    「なに?」
    「その格好で行くつもり? まだパジャマじゃない」
    「あれ?」
     葵は自分の着ている服をのろのろと確認し、「……あー」と声を上げた。
    「とりあえず、服着替えてきなさいよ。ソレから一緒に、ご飯でも食べない?」
    「……そうする」
     二人のやり取りを見ていたトレッドが、ぷっと噴き出す。
    「姉妹か母娘のようですな」
    「みたいなもんよ。手がかからないようでかかるから、この子」
    「……ふあっ」
     葵は眠たそうに、また欠伸をした。

    白猫夢・腐国抄 終
    白猫夢・腐国抄 5
    »»  2014.11.25.
    麒麟を巡る話、第454話。
    二人の教官。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     グリスロージュ帝政連邦に亡命して以降の2年半、秋也たち一家は平和に過ごしていた。



     秋也とベルはモダス帝の口添えにより、それぞれ帝国軍の剣術および格闘教官と、射撃教官を務めていた。
    「オラ、もう一丁ッ!」
    「はいッ!」
     秋也は6人の新兵を相手に――かつて自分が19歳の頃、そうされたように――素手での取り組みを行っていた。
    「おりゃあっ!」「アホかッ!」
     腰を落とし、つかみかかって来る兵士の懐に滑り込み、ぐい、と立ち上がる。
     当然、兵士は秋也に担ぎ上げられる形となり、そのままくるんと引っくり返り、背中から叩き落とされる。
    「いでえっ!?」
    「来いって言ってまっすぐ来てどうすんだ! 工夫しろ、工夫! 次だッ!」
    「はいッ!」
     斜め方向から殴りかかってきた兵士の腕をとん、と左腕で受け止めて流し、一方の右腕で相手の襟をつかみ、引き倒す。
    「うわっ!?」
    「甘い! カウンターに気ぃ付けろっつってんだろ!」
     タックルしようと突っ込んできた兵士の頭上を飛び越え、その背中にべちん、と痛そうな音を立てて平手を叩きつける。
    「お、おわー!?」
    「捨て身で飛び込めば何とかなるなんて思うなッ! 当たらなきゃただの間抜けだぞ!」
     背後から飛びかかってきた兵士の手が肩に触れたその瞬間、その腕と腰のベルトをつかんで背負い投げを極める。
    「気配を立て過ぎだ! ソレじゃ相手に『返り討ちにして下さい』って言ってるようなもんだ!
     ……っと、もうこんな時間か」
     6人全員が地面に倒れたところで、秋也が時計を見上げ、コホンと空咳をする。
    「今日はこの辺にしとくか。18時までに各自、レポート提出するように」
    「……え?」「れ、レポートって?」
     目を丸くして起き上がった兵士たちに、秋也はこう返す。
    「今日の訓練で何やったかってのと、そしてその反省点。ソレから、その反省点を踏まえて今後の課題を設定しろ。
     18時までに出せなかったヤツは、明日の訓練に20キロ走を追加するからな」
    「えーっ……」
    「そっちの方がきっつい……」

    「いい? 狙撃で一番重要なのは、視力でも精密な動きでもないの。標的を捉え、引き金を引くその瞬間に、どれだけ集中力を発揮できるか、よ」
    「はい!」
     一方、こちらはベル。
    「冷静に考えれば、ここから的までの距離はたった50メートル。10倍率のスコープが付いた、最新式のスナイパーライフルの扱いに慣れてれば、大した距離じゃない。風も振動も、強い光も無い室内でなら、みんな苦も無く命中させられるはず。
     でも実際に、実戦で狙撃を行う場合は、こんな好条件で撃てるなんてことはまず無いよ。あたしの実体験だけど、荒れたあぜ道を全力疾走する自動車に乗った状態で、300メートル以上離れた人間大の標的を、スコープも付いてない旧式のボルトアクションで狙う羽目になることもある。
     だからまず、どんな環境でも、射撃場にいる今この時と同じくらいの集中力を引き出す。そう言う技術をまず、養うこと。そこで……」
     ベルは壁に立てかけていた板と小さなドラム缶を取り、射撃台の前に置く。
    「この上に乗って、的を撃って。合計50点取れれば、今日の訓練は終了でいいよ」
    「はい!」
     ベルに命じられた通り、兵士たちはドラム缶の上に板を載せ、その上に乗って小銃を構えようとする。
     ところが――。
    「あ、あっ、あっ、ちょっ」
    「こける、こけるっ!」
    「ね、狙うどころじゃ……」
     板の上に乗ることはできても、小銃を構えた途端にバランスを崩し、落ちてしまう。辛うじてバランスを保ち、的を狙おうとしても、照準を合わせることができない。
    「難しい……」
     兵士たちのほとんどは、揃ってそうつぶやく。
     当然、その中に一人、こんな愚痴をこぼす者が現れる。
    「こんなのただの曲芸じゃ……」
    「そーゆーことはね」
     ベルは咎める代わりに、自ら板の上に乗り、小銃を構える。
     彼女が板の上にいたのはほんの5、6秒で、眺めていた兵士たちにはあっと言う間にしか感じられない程度の間だったが――その6秒の間にベルは小銃を撃ち、見事に的の真ん中に当てて見せた。
    「できてから言うのよ?」
    「……すげ」
     目を丸くした兵士たちに、ベルはこう返す。
    「これができるようになれば、それこそ揺れる車上でも、弾を当てられるようになるよ。
     繰り返すけど、これに必要なのは視力でもバランス感覚でもない。あの一瞬で的を捉え、そこに弾を当てる集中力よ」



     秋也もベルも、辛い修行や訓練を乗り越え、共に熾烈な修羅場を潜った経験を持つ、「伝説の兵士」である。
     二人が教官に就いたことで帝国の訓練は非常に充実したと、評判になっていた。
    白猫夢・晩秋抄 1
    »»  2014.11.27.
    麒麟を巡る話、第455話。
    順調な生活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「そろそろさ」
     ある日の夕食後、秋也が嬉しそうに話し始めた。
    「予定額が貯まりそうなんだよ、道場開こうって言ってたヤツの」
    「おめでとー、パパ」
     葛はにっこりと笑い、秋也を労う。
    「へへ……、ありがとな。
     明日は休みだから、不動産屋行ってくるよ」
    「あたしも行こっか?」
     そう尋ねたベルに、秋也は「あ、いや」と返す。
    「行ってすぐ買うってワケじゃないし、話して物件のメモもらうだけのつもりだから。二人で行くほどじゃねーよ」
    「そっか。……たまにはデートしようかなー、なんて思ってたのに」
     いたずらっぽく笑う妻に、秋也は表情をにへら、と崩す。
    「まあ、そうだな。たまにはいいな。
     つっても、ほら、ただメモもらうだけのために不動産屋に付き合わせるのも悪いし、だからさ、その後で合流して、……ってのはどうかな?」
    「……そんなにあたしと一緒に見るの、嫌なの?」
     口を尖らせたベルに、秋也は慌てて答える。
    「い、いや、そうじゃなくって、……あー、何て言ったらいいかなぁ、……いや、さ。
     ちょっとアレだよ、何て言うか、その、……さ、サプライズプレゼントとか用意して、驚かせようかなって、……あー、くっそ、言っちまった」
    「……ぷっ」
     夫の言葉に、ベルは口を押さえて笑い出した。
    「あははは……。あなたって、本当に隠し事できないね」
    「単純だからな」
    「うふふ、ふふ……。うん、分かった、いいよ。どんなステキなプレゼント贈ってくれるのか、楽しみに待ってる」
    「……おう」
     照れる秋也と、嬉しそうに微笑むベルを横目で眺めながら、葛とジーナは二人に聞かれないよう、こそこそと会話を交わしていた。
    「……歳考えなよー……見てるこっちが恥ずいわー……」
    「いやいや、まだ若い」
    「かなぁ」

     その晩。
    「ふあー……っ」
     葛は欠伸をしながら廊下を進み、自分の部屋へ戻ろうとしていた。
    (……あれ)
     と、灯りの消えた居間に誰かがいるのに気付く。
    「パパ?」
    「うぉっ……、お、おお? 葛か?」
     火術灯にほんのりと照らされた、父の驚いた顔が見える。
    「どしたの? 部屋の灯り、点けたらいいのに」
    「いや、もう寝ようかなって思ってたところだったし」
    「何してたの?」
    「ん……、いやな、コイツがなんか、気になった」
     そう言って秋也は、居間に飾られた刀を指差した。
    「気になった……?」
    「オレも何でだか、分かんねーけどな。……そう言やお前に、コレのコト話したっけ?」
    「ううん。おばーちゃんからもらったってコトくらい」
    「そっか。……元々はそのばーちゃん、つまりオレのお袋が尊敬してた、楢崎って大先輩が持ってた刀らしいんだ。
     で、その楢崎さんが亡くなって、お袋の手に渡ったのが519年、つまり50年以上前の話なんだ」
    「50年!? もう骨董品じゃない、その刀」
    「だよな。だけど……」
     秋也は刀を手に取り、鞘から抜く。
    「見ての通りだ。全然、キレイなんだよ。錆一つ浮いてねーし、ドコも刃こぼれしてねー。
     一応、オレも手入れはしてるけど、ソレでも未だにこうして使える状態だってのは、相当不思議なんだよな」
    「んー」
     葛はぴん、と人差し指を立てる。
    「神器ってヤツじゃない?」
    「神器、か。ココまで綺麗に残ってるんなら、確かにソレっぽい気がするな。けど、お袋はそんなコト、全然言ってなかったけどなー」
    「そのナラサキって人から譲り受けてたって言うなら、セイナばーちゃんも知らなかったんじゃない?」
    「かもな。……ま、今度渾沌が来たら、調べてもらうかな」
    「コントンさんかー。……最近、って言うか3年くらい、見てないよね?」
    「言われてみれば……」
     刀を元に戻しながら、秋也もいぶかしむ。
    「随分会ってないな。こっちに亡命したとは言え、アイツがソレを知ったら、こっちに来るはずだろうし」
    「なんかあったのかな?」
    「あったかも知れねーけど……、渾沌だからなぁ。例え街が一つ引っくり返るような事件があっても、ひょいっとかわして戻ってきそうなもんだけど」
    「だよねー」
     二人でクスクスと笑い合い、葛がぱたぱた、と手を振った。
    「じゃ、あたしそろそろ寝るね。おやすみー」
    「おう。おやすみ、葛」
    白猫夢・晩秋抄 2
    »»  2014.11.28.
    麒麟を巡る話、第456話。
    壊れる日常。

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    3.
     翌日、昼前。
     秋也は上機嫌で、街を歩いていた。
    (へっへー……。今日はマジ、ツイてるな)
     まず、不動産屋で予算より大分安い値で、物件を提示されたこと。
     元々の持ち主が早々に処分したいと申し出たため、値が下げられたのだ。当然、秋也はこの提案に乗り、物件を購入した。
     さらに幸運だったのが、プレゼントを買いに寄った店で、1万人目の来店者として祝されたことだ。
     その特典として、買おうと思っていたプレゼントを無料で手に入れることができたため、秋也は今、プレゼントと余った金、約100万キューをその懐に収めていた。
    (こんなに幸運が続くなんてな~。
     ま、金はちゃんと貯金に回しとくか。今、特に使うようなコトも無いし。……あー、いや、待てよ。一応道場で使う竹刀とか防具とかは予算に入れてるけど、何人来るか分かんねーしな。多少予算オーバーしちまうかも知れない。ソレか、全然人が集まらなくて赤字になるか。
     いやいや、アホなコト考えんな、オレ。プラティノアールでも割と盛況だったんだから、こっちでも入門者は一杯いるさ、……多分)
     最も大きい買い物と、最も重要な買い物を済ませた秋也の心は既に、明日のことへと向いている。
     心が浮ついていることに自分でも気付き、秋也は軽く、ふるふると頭を振る。
    (その前に、だ。とりあえず、ベルとデートだな。ドコ行こうかなー……)
     秋也は懐に収めたプレゼント――ベルが以前に「かわいい」と評していた、ルビーのおごられた指輪をコートの上から撫で、微笑んでいた。

     その微笑みが凍りついたのは、前方から歩いてくる、緑髪の猫獣人の姿を確認した瞬間だった。
    「……え?」
     すれ違った瞬間、秋也の心の中に様々な疑問と、そして直感が湧き上がる。
    (今のは……見覚えあるぞ……え……いや……まさか……まさか!?)
     疑問が彼を立ち止まらせ、そして直感が、彼を大きくのけぞらせた。
    「うおっ!?」
     のけぞったその瞬間、彼の鼻先をひゅん、と刃が通り抜ける。
    (……っぶねえッ! おい、お前なんで、オレを攻撃するんだ!? なんで何も言わねーんだよッ!?)
     秋也はのけぞった状態からそのまま後方に倒れて手を付き、ぐるんと一回転して着地する。
    「てめっ……、このッ!」
     秋也は怒りに任せ、猫獣人の肩をつかもうと手を伸ばす。
     だが、その瞬間には既に、猫獣人の姿はどこにも無かった。
    「……葵……ッ」

     帰宅した秋也に、ベルは明るく声をかける。
    「おっかえりー、シュウヤ! ね、ね、道場はどう……」「悪い」
     それに対し、秋也は――自分でも驚くほど――凍てついた声で返した。
    「……シュウヤ?」
    「ちょっと、……用事が、できた。悪いけど、デートはもうちょっと待っててくれ。すぐ、帰ってくるから、……さ」
    「う、うん? 待つけど、どれくらいかかるの?」
     ベルの問いに、秋也は一瞬黙り込み、ぼそ、と返した。
    「……すぐ、だよ」
     秋也はそのまま居間へ入り、そして刀を持ち出して、家を飛び出した。



     それから20分ほど後、秋也は郊外にたどり着いた。
    「……」
     そこに、彼女は静かに佇んでいた。
    「葵」
     呼びかけた秋也に、葵はくる、と振り返る。
    「久しぶり」
    「久しぶり、……じゃねーだろうが」
     秋也は急いで佩いた刀に、右手をかける。
    「どう言うつもりだ? 街中でいきなり、オレに斬りかかりやがって」
    「その答えはもう、知ってるんじゃない?」
    「知らねーよ」
     そう答えてはみたが、実際は、秋也には心当たりがあった。
     秋也の返答に何も言わない葵に、秋也はしびれを切らし、その心当たりを口に出す。
    「チッ、……白猫だな」
    「そう」
     葵が刀を抜く。
    「あの方に、命じられた。パパ――あなたを、狙えと」
    「アホか」
     秋也も刀を抜き、構える。
    「そんなバカみてーな命令、白猫を一発ブン殴って、断りゃいいんだよ」
    「パパはそうしたけど、あたしにはできない」
    「やりゃいいじゃねーか」
    「あたしがそれをやったら、今度は誰が不幸になると思う?」
    「は?」
     葵も刀を構え、秋也と対峙した。
    「パパはあの方からの命令に背いた。そしてあたしが、その代わりに選ばれた。
     じゃああたしがあの方を裏切ったら、誰があたしとパパの代わりに選ばれると思う?」
    「……なにを」
     秋也の返答を聞かず、葵は秋也に襲いかかった。
    白猫夢・晩秋抄 3
    »»  2014.11.29.
    麒麟を巡る話、第457話。
    秋也と葵、父娘対決。

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    4.
     ひゅん、と音を立てて向かってきた刃をかわし、秋也は刀の峰で葵の脇腹を叩く。
    「……っ」
     わずかながら、葵が息を詰まらせるのが聞こえる。
    「なめんなよ」
     秋也は葵との距離を取り、淡々と声をかける。
    「お前は確かに、オレの道場じゃ一番だったし、アレから10年は経ってるから、さらに腕を上げただろうな。
     だがソレでもバカ娘の初太刀を見切って隙を突くくらい、ワケねーよ。オレは何十年も剣士やってんだ。年季が違うぜ」
    「……」
     葵は叩かれた右脇腹を軽くさすりながら、秋也をうっすらとにらむ。
    「本当に、パパは変わらないね」
    「あん?」
    「自分勝手。乱暴。人のこと、すぐバカって言う。自分が気に食わないもの、全部バカだって思ってるでしょ」
    「なワケねーだろ」
    「ううん、そう。あの方のこともパパは大嫌いだったし、だからバカにしてた」
    「実際、バカだからだよ。アイツは自分が世界のカミサマだと勘違いしてた。そんなもん、バカ以外の何でもねーだろ?」
    「了見が狭いよ。未来を見通せるってことは、そのまま、未来の知識を持ってるってことだよ。
     いくらでも未来のことが分かるなら、それは、無限の知識を持ってるってことだよ」
    「オレの考えは違うな。未来が分かるってコトは、その未来に縛られるってコトだ。
     もしかしたら自分の妄想かも知れねー『予知した未来』なんてモノを頭っから信じきって、他のコト、他の可能性を考えようともしない。
     オレに言わせりゃ、そっちの方が了見が狭いってもんだ」
    「未来が間違いなく本物だったら? それ以外を考えるのは無駄じゃないの?」
    「じゃあ逆に聞くぜ。その未来を選ぶのは誰だ? 選ばなきゃ、その未来はやって来ねーだろ?
     第一、お前がここに来なきゃ、オレが死ぬなんて予知は実現しないんじゃないのか?」
    「予知じゃない。これは、実際に今日、起こることだよ。
     ううん、あたしが起こす」
     葵は刀を構え直し、秋也との距離を詰める。
    「あたしの予知では、パパが死ぬのは4割。死なないまでも、剣士として生きられなくなるのは6割。それ以外の未来は、今のところ見えない」
    「ご大層なお言葉、ありがとよ。だけどオレは、予知なんてもんは白猫をブン殴った時から信じねーコトにしてるんだよ」
     秋也も刀を正眼に構え、にじり寄る。
    「予知なんて結局、今現在の自分の行動で、どうとでも覆せるんだよ。
     明日散歩に出た時に犬に噛まれるって分かってりゃ、誰も散歩なんかしねーだろ? じゃあ予知は外れるってコトだ。
     葵、お前も未来だの何だの言う前に、今この時、自分が何しようとしてんのか、ちゃんと把握しろよ」
     次の瞬間、秋也が一気に葵に迫る。
    「いつまで寝ぼけてやがるんだッ!」
    「もう起きてるよ」
     秋也の一撃を、葵はぎりぎりで受け止め、横にいなす。
    「っ……」
     秋也は体勢を崩してよろけ、葵の脇にそれる。
     わずかに下がった秋也の頭を、葵は刀の柄で殴りつけた。
    「うぐっ……」
     鋭い痛みを覚え、秋也の視界がかすむ。その一瞬の隙に、葵が刀を振り下ろす。
     しかし秋也は痛みをこらえ、自分から体勢を大きく崩し、ごろっと転がって避けた。
    「痛ってえなぁ、くそっ」
    「目、覚めた?」
    「意趣返しのつもりか? 元から覚めてるっつの」
     フラフラと立ち上がった秋也の額から、つつ……、と血が滴る。
    「ふー……。でも、まあ、そうだな、お前の言う通りだった。
     確かにちっと寝ボケてたな、オレ。平和過ぎて忘れてたぜ、こーゆー戦いを」
     秋也は大きく深呼吸し、刀を一旦、鞘に納める。
    「本気出してやるよ。大先生直伝の、居合い斬りだ」
    「……」
     葵はとん、と後方に跳んで距離を取り、刀を正眼に構える。
    「いいよ。やって」
    「言ったな」
     秋也の姿が、その場から消えた。

     そして次の瞬間――葵は刀を弾き飛ばされ、数メートルほど転がっていった。
    白猫夢・晩秋抄 4
    »»  2014.11.30.
    麒麟を巡る話、第458話。
    葵の黄家仮説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     再びその場に現れた秋也は、大きく一息をつく。
    「ふー……っ」
     もう一度刀を納め、遠くに転がったままの葵を眺めて、声をかけた。
    「葵、どうだ? 今度こそ、目ぇ醒めただろ?」
    「……」
     葵は答えない。
    「お前がこの10年、何してたかなんて聞かねー。そんなコト、オレにはどうでもいいしな。……戻ってこいよ、葵。また母さんと葛に、顔見せてやれよ」
    「ううん」
     何事も無かったかのように、葵が起き上がる。
     しかし秋也と同様、葵も頭から血を流しており、まったく無事と言うわけでは無いらしい。
    「あたしにはやるべきことがある。それまで、あたしに帰る場所は無いよ」
    「何べんも言わせんな。んなもん放っぽって、帰ってくればいいんだよ」
    「堂々巡りだね、話が」
     葵は鞘を手に取り、構えて見せる。
    「まだやる気か?」
    「ちょっと、試しにね」
    「あん?」
     葵の言わんとすることが分からず、秋也は首を傾げた。

     直後――今度は秋也の方が、弾き飛ばされた。
    「ぐっ……!?」
     どうやら、葵が刀の鞘を使い、居合い斬りを放ったらしい。
    (マジかよ……!? 一瞬だったが、今の太刀筋――まんま、オレのじゃねーかッ!)
     どうにか体勢を立て直し、秋也は刀を抜こうとする。
     だが、腰に当てた右手が、刀の柄を捕まえられない。そこでようやく、秋也は刀が鞘に無いこと、そしてその刀を、葵が構えていることに気付いた。
    「なんであたしが、パパのとこに来たと思う?」
    「あ……?」
     動揺を隠そうと、秋也は声を作ってごまかそうとする。
     しかしそれも、葵には見通されていたらしい。
    「分からない? あたしは、パパの技が欲しかった」
    「……だから、わざとオレの前に姿を見せたと? だから、わざとオレを挑発して、オレの奥義を見て、……覚えたって言うのか」
    「うん」
     葵は刀を右手一本で上げ、ぼそ、とつぶやいた。
    「これ、返しとくね」
     ひゅっ、と音を立て、葵は刀を投げ付けた。
    「……がは……っ……」
     秋也の胸に、刀が突き刺さる。
    「あ……お……い……っ」
     秋也は立ちすくんでいたが、やがて仰向けに倒れた。



    「仮説だけど」
     秋也が動かなくなったのを確認して、葵はまた、ぼそぼそとしゃべりだした。
    「パパの血筋――コウ家の血筋だけど、ばーちゃんの代くらいから、変な伝説があるよね」
    「……」
    「セイナばーちゃんは央北の事件で一回殺されたけど復活して、殺した相手を返り討ちにしたって。
     パパもトッドレール皇帝僭称事件でトッドレールに殺されかけたけど、いつの間にか傷一つ無くなってて、逆にトッドレールを討ったって。
     おかしいって、思わない? 死んだはずの人、死にそうな人が、いつの間にか復活してるなんて。自分を簡単に殺すような相手を、ほんの数分で返り討ちにしてしまえるなんて。
     あたしはこう考えてる――コウ家の血筋には、並外れた『超回復力』と『適応能力』があるんじゃないか、って」
     葵は独り言のようにしゃべりながら歩き出し、遠くに飛んで行った自分の刀を取る。
    「死ぬほどのダメージを受けても、到底敵わない相手に相見えても、それらをすべて克服し、乗り越える力。それこそがコウ家が二代に渡って英雄になれた、その大きな理由。
     ……3分も時間をあげたんだから、もうそろそろ、復活するでしょ? この3分間、パパは死の淵で葛藤してたはずだよね。『こんなトコで死んでたまるかッ』とか、『このバカ娘め、いっぺん説教してやるッ』とか、そんなこと考えてたでしょ?
     それとも、もう諦める? あたしに負けて死んで、それでパパの人生、満足?」
     葵が刀を納めたところで、秋也の声が弱々しくながらも、聞こえてくる。
    「……な……ワケ……」
     自分で胸に刺さった刀を抜き、秋也が上半身を起こした。
    「ねえ……だろが……ッ」
    「やっぱり」
     葵は再び、刀を抜いた。
    「仮説は実証されたね。やっぱりあたしたちの血筋には、その力がある。
     で、これはあたしの仮説の延長だけど、いくら死ぬ寸前から一気に回復できる力があったとしても、二度も耐えられると思う? 今度あたしが致命傷を負わせたら、流石に耐えられないんじゃないかな。
     その実証にも、協力してくれるの?」
    「するかよ」
     秋也は立ち上がり、自分の血で濡れた刀を構えた。
    白猫夢・晩秋抄 5
    »»  2014.12.01.
    麒麟を巡る話、第459話。
    終わりと、始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     立ち上がったとは言え、秋也の顔色は未だ、悪い。やや浅黒かった肌は、今は異様に青白く染まっている。
    「真っ青だね。立ってるのもやっと、……じゃないよね。
     多分体が、急速に回復してきてるから、かな。今、パパの体は体力と魔力を目一杯使ってる。エネルギー的なものがいっぺん、全部空になるくらいに。
     だから本当に仕留めるのは、今。もう一回立ち上がるチャンスを無くした、今しか無い」
    「ゴチャゴチャうるせえええッ!」
     一転、秋也の顔色に、急速に紅が差していく。葵の言う回復に加え、秋也の怒りが相乗されているのだろう。
    「いい加減にしやがれ、葵いいいいッ!」
     先程より数段早く、秋也が跳ぶ。
     その瞬間、ぼんやりとしていた葵がわずかに、表情を強張らせた。
    「……!」
     ガキン、と金属音を響かせ、秋也と葵の刀が交錯する。
     しかしどこにも、秋也の姿が無い。
    「……ちょっとやりすぎたかな」
     葵は後方に跳びつつ、周囲を警戒する。再度放たれた斬撃を受け、葵は呪文を唱えた。
    「『エアリアル』」
     葵は風をまとい、上空高く飛び上がる。
    「『星剣舞』。パパは完全に習得できたわけじゃないって言ってたけど、今、本当にギリギリだからかな。ほとんど無意識で『星剣舞』を発動させて、駆け回ってるっぽい。
     でも、本当に完全じゃないみたいだね。……見切った」
     葵は空中で刀を構え、ぐるんと縦回転しながら地上に降りた。
    「やっ」
    「……ッ!?」
     地表が裂け、血しぶきが飛ぶ。
     秋也は再び姿を表し、血塗れで転がっていった。

    「……ぐ……うっ……」
     秋也は左肩を抑え、荒い息を立てている。
    「完全には捉えられなかったけど、肩はやったみたいだね。それに、超回復から全力で動き回ってたから、体力は今度こそ空っぽ。もう一歩も動けないでしょ?」
    「……っ……ざけんなっ……」
     秋也の強がった言葉も弱々しい声のために、ほとんど聞こえない。
    「とどめ刺そうか? 放っておこうか?
     どっちにしても、パパはもう、完全に負ける。剣士としての人生は、ここで終わる。
     娘に、完膚なきまでに負けたあなたを、誰が剣士として尊敬するかな?」
    「……っ……の……」
    「何よりパパ自身の心が、もう折れてる。もうこれで、終わりだよ」
    「……」
     辛うじて上半身を起こしていた秋也はやがて、ばたりと倒れた。



     葵は刀を納め、くるりと振り返る。
    「カズラ。いるんでしょ」
    「……」
     木の陰から、葛が姿を表す。
    「見てた?」
    「……見てた」
    「あたしのこと、許せないって思ってる?」
    「思ってるよ」
    「だよね。でも、あたしと戦おうと思わないで。戦えば、あんたはパパと同じ目に、ううん、それ以上の痛い目に遭う。死ぬかも知れない。
     だから、そこから動かないで」
     葵の言葉に構わず、葛は木の陰から飛び出し、秋也の側に駆け寄る。
    「パパ、大丈夫?」
    「……」
     秋也は空を見つめ、何も答えない。
    「借りるね、刀」
    「……」
     葛は秋也の手から刀を取り、葵に向けて構える。
    「バカにしないでよ」
    「バカになんか、してない。本当にそうなる、って言ってるの」
    「ソレがバカにしてるって言ってるのよ!」
     葛は怒りに満ちた声で、葵に叫ぶ。
    「ドコからどう見ても、バカにしてるじゃない!
     パパを散々いたぶって、あんなひどいコト言って! その上あたしと戦えば死ぬ? お姉ちゃんが殺すんじゃない!」
    「そう。だから、させないで」
    「パパも言ってたでしょ!? お姉ちゃんがココからいなくなれば、そんなコトなんか絶対起こらないはずだった!
     ソレを実際にやったのは他でもない、お姉ちゃんじゃないの! こんなひどいコトをしたのは他の誰でもない――アンタだーッ!」
    「……っ」
     葵の顔が、ほんのわずかだが強張る。
    「カズラ……」「もう何も言うな! アンタは、あたしの手で仕留めてやるッ!」
     葛は刀を振り上げ、葵に向かって駆け出した。

     だが、次の瞬間――葛の目の前が、真っ白に染まった。
    「なに……っ!?」
    「ソコまでだ」
     光の中から、何者かが声をかけてくる。
    「葵。オレに勝てると思うのか?」
    「……」
    「いいや、その未来が見えるか? 見えねーだろう? じゃあ退いとけ」
     葵は答えない。いや、息づかいや衣ずれの音もしない――どうやら既に、逃げたらしい。
    「葛、……だっけ?」
     光が弱まっていく。
     現れたのは、黒髪に黒い肌、そして黒衣と黒い帽子をまとった、短耳の少女だった。
    「そうだけど、……誰?」
     きょとんとしつつ尋ねた葛に対し、黒衣の少女はパチ、とウインクして返した。
    「おっと、こりゃ失礼。
     申し遅れたな、オレはカズセ・タチバナって者だ。ちっと手を貸してもらいてーコトがある。勿論、ソレだけの見返りはさせてもらうが、な」
    「カズセ、ちゃん?」
     葛は面食らいつつも、その少女――一聖に応じた。

    白猫夢・晩秋抄 終
    白猫夢・晩秋抄 6
    »»  2014.12.02.
    麒麟を巡る話、第460話。
    来訪者、一聖。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ふらっと自宅に戻ってきた秋也を見て、ベルが慌てて駆け寄ってきた。
    「あっ、シュウヤ! やーっと帰ってきた! ねえ、何があったの?」
    「……」
    「シュウヤってば!」
    「……ん? あれ? ……家?」
    「はい?」
     きょとんとしている秋也の額に、ベルがぴと、と手を当てる。
    「熱は無いね。……ボーっとしてるだけ?」
    「……ああ。……ボーっとしてる、かも」
    「どこ行ってたの?」
    「ほら、不動産屋行って、お前へのプレゼント買って、……で、……えーと?」
    「体調悪そうだね……。あれ?」
     と、ベルが気付く。
    「刀は?」
    「刀? オレのか?」
    「さっき持って行ったじゃない」
    「誰が?」
    「あなたが持って行ったじゃない。今持ってないけど、どうしたの?」
    「は? いや、床の間に……」
    「だーかーらー、持って行ったじゃないってば、さっき」
    「何の話だよ……?」
     と、開いたままの玄関から、葛が入ってくる。
    「ただいまー」
    「おう、お帰り、葛」
    「お帰りなさい。……あっ!」
     葛が刀を持っているのに気付き、ベルが口をとがらせる。
    「なんであなたが持ってるのよ、カズラ」
    「持ってるって言うか、パパがボーっとしてたから、ココまで引っ張って連れてきたのよ。刀も足元に落としてたしー」
    「……マジで?」
    「マジだよー」
     葛の言葉に、秋也は顔をしかめた。
    「マジで今日のオレ、何かおかしいみてーだな……。
     悪い、ベル。今日のデート、また今度でいいか?」
    「いいよ。シュウヤ、本当に疲れてるみたいだし」
    「悪いな……」
     夫婦揃って居間へ向かったところで、葛が玄関の陰に隠れていた一聖に声をかける。
    「大丈夫そう。ありがとね、カズセちゃん」
    「おう。ま、オレの術だし、今日起きたコトは死ぬまで、いいや、死んでも思い出さねーはずだ」

     秋也と葵の一戦の直後、突如葛の前に現れた一聖は、茫然自失となっていた秋也に治療術を施し、さらにこの1、2時間の間に起こった出来事を全て忘れるよう、忘却術をかけた。
     そのため今の秋也は、葵に敗北し剣士としての挟持を粉々に打ち砕かれたことなど、まったく覚えていない。

    「コレから道場やるって言うのに、自信無くしちゃってたらどうしようも無いもんねー」
    「だな。ソレに、葵のコトも覚えてちゃ色々まずいだろうし、な」
    「どうして?」
    「考えても見ろよ。葵がいるって分かったら、秋也はどうする?」
    「……追いかけるだろうねー」
    「そうなりゃ同じコトの繰り返しだ。葵は既に、秋也の力量、技量を見切ってる。能力も桁違いだ。
     もっぺん戦えば、今度こそ秋也は殺される」
    「……」
     葛は握っていた刀をわずかに鞘から抜き、刀身を覗き込みながら尋ねる。
    「お姉ちゃんは、どうしてパパを襲ったの?」
    「恐らくだが、理由は3つだ」
    「3つ?」
    「一つ、秋也から技を盗みたかったからだろう。
     葵には予知能力なんて言うふざけた力の他に、他人の技や術を一目見ただけで完璧に習得できちまう、いわゆる『ラーニング』能力も持ってる。
     葵は秋也の技を覚えたかったんだろう。特に晴奈の姉(あね)さんが極めたって言う、『星剣舞』をな」
    「せいけんぶ?」
    「知らねーのか? 秋也から、何にも聞いてねーの?」
    「うん」
     うなずいた葛に、一聖は腕を組んでうなる。
    「ま、秋也も完全にできたワケじゃねーっつってたしな。伝えようにも伝えられねーか」
    「って言うかカズセちゃんさー」
     葛は口をとがらせ、一聖をたしなめようとする。
    「パパを呼び捨てにしないでよ。パパの半分、3分の1も生きてないのに」
     その言葉に、一聖はニヤッと笑う。
    「そう見えるか? 実際にゃ秋也の方がオレの半分、3分の1どころか、10分の1にも満たねーんだぜ?」
    「マジで?」
    「おうよ」
     一聖がふふん、と薄い胸を反らせたところで、ベルが戻ってくる。
    「その子、誰?」
    「あ、えっとー、ソコで会った友達。カズセちゃんって言うのー」
    「お邪魔してまーす」
     一転、一聖は(見た目の)年相応の、あどけない少女を演じ、にっこりと笑って見せる。
    「あら、そうだったの? いらっしゃい、カズセちゃん」
    「えへへ」
    「もう夕方だけど、良かったらご飯食べてく?」
    「いいんですか?」
    「いいよ。お友達ってことは、同じ大学の子? 下宿かな?」
    「あ、はい。そうなんですー」
    「じゃ、たっぷり食べて行ってね」
    「はーい、ごちそうになりますー」
     にこにこ笑う一聖の横で、葛は呆気に取られていた。
    (コイツ、……図々しーなー)
    白猫夢・探葵抄 1
    »»  2014.12.04.
    麒麟を巡る話、第461話。
    半世紀ぶりの……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「うーむ……」
     食卓を囲みながら、ジーナがうなっている。
    「どしたの、ばーちゃん?」
     尋ねた葛に対し、ジーナは首をかしげつつ、一聖に話しかける。
    「いや……。カズセと言うたか、お主の声はどこかで聞いた覚えがある、と思うてのう」
    「え? ……あ」
    「うん?」
    「いや、何でもねー、……何でもないです。人違いじゃないでしょうか?」
    「ふーむ……?」
     腑に落ち無さそうな顔をしつつ、鮭のスープを口に運ぶジーナを見て、葛は一聖に耳打ちする。
    (ドコで会ったの?)
    (50年くらい前にな。コイツの旦那さんと一緒に会ったコトがある)
    (うっそぉ)
    (いや、マジ。ミッドランドの天狐事変ってヤツ)
    「テンコ?」
     と、ジーナが顔を挙げる。その言葉に釣られ、秋也も目を向けてきた。
    「天狐って?」
    「へ? あ、いえ、……あー、と、わたしと葛さん、今、6世紀前半のミッドランドの政治経済について調べてまして」
    「ああ、天狐事変の話か? ソレならオレ、割と詳しいぜ? オレの知り合いが何人も関わってたし、オレのお袋やお義母さんも、その場にいたから」
    「おお、知っておるぞ。何でも聞いてくれ」
    「(知ってるっつーの。オレが張本人だっつーの)じゃあ、えーと……」
     一聖は当たり障りのない会話をしつつ、夕食の場をどうにか乗り切った。

    「ふへー……、疲れたぜ」
     夕食後、葛のベッドにぽふんと体を預けた一聖に呆れながら、葛が尋ねる。
    「じゃあなんで、『ごちそうになります』とか言ったのよー」
    「うまいメシがあるなら食べるだろ?」
    「図々しいねー、ホント」
    「うっせ。……んで、だ。
     葵が秋也を襲った理由の二つ目だが、恐らく葛、お前を引き寄せるためだ」
    「あたしを?」
     きょとんとする葛に、一聖が枕に顔を埋めたまま、ピンと人差し指を立てて答える。
    「お前も葵と同様、晴奈の姉さんとハーミット夫妻の血筋を引いている。どんな才能、潜在能力を秘めてるか、あるいは既に開花してるか、葵にとっちゃ不気味でならねーはずだ。何しろ葵自身が才能と異能の塊なんだから、な。
     だから秋也を呼び水にして、お前を引き寄せたんだ。実際、お前は秋也の異状を察して、あの場に来ただろ?」
    「うん、まあ、そうだけど」
    「オレが来なきゃ、葵はあの場でお前を殺したはずだ。秋也みたくわざわざ復活させて力を引き出させたりせずに、一撃で仕留めて、な」
     その言葉に、葛はぶるっと身震いする。
    「お姉ちゃんは、本当にあたしを殺すんだ、……よね」
    「葵は白猫の言いなりだ。『やれ』と言われたら、葵はやる。例えソレが、自分の家族を殺せって話でもだ」
     一聖はベッドから起き上がり、その上にあぐらをかく。
    「葵がオレのせいで仕留め損なったとして、ソレで白猫は諦めると思うか?」
    「……まさか?」
    「ああ。オレがいる限りは狙ってきたりしねーだろうが、少しでもオレと離れたら、即座に殺しにかかるだろう。
     だから今後、オレと一緒に行動しろ。って言うかココからはオレのお願いに関わってくる話だが、ちっと一緒に来てもらいてートコがあるんだ」
    「え?」
     一聖は懐から金色と紫色に光る金属質の板を取り出し、そこに何かの地図を映す。
    「今は別の国になっちまってるが、ココにはかつて、エカルラット王国ってのがあった。ソコのスカーレットヒルって街に、掘り出したい物がある。
     ソレが、オレがお前を頼ってきた理由でもある。そしてもしかしたら、葵が秋也を襲った三つ目の理由かも知れない」
    「掘り出したい物……? 何があるの?」
    「刀だ。オレが打った神器でな、まだソコに眠ってるはずだ。
     とは言え、オレに剣術の心得はあんまり無い。葵と剣術で戦おうとしても、確実に負ける。ま、魔術勝負ならまだ分はあるだろうが」
    「その刀で、あたしが戦えってコト?」
    「そうだ。……もう戦えるのが、お前しかいねーんだ」
    「どゆコト?」
     話の展開が見えず、葛はこめかみを手で押さえ始めた。
    白猫夢・探葵抄 2
    »»  2014.12.05.
    麒麟を巡る話、第462話。
    マーク王子のスキャンダル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     双月暦573年のはじめ、プラティノアールでは「エトワール病」が蔓延していた頃。
     ルナたち「チーム・フェニックス」の実働部隊――ルナ、パラ、フィオ、そして一聖の4人は、央中と央南の境、屏風山脈のとある場所にいた。
    「蒸し暑い……」
    「そう? ちょうどいいくらいだと思うけど」
    「気温28度前後、湿度65%前後。不快指数77.78を計測いたしました。大半の人間が不快と感じる数値です」
    「詳しく言わなくても不快だよ」
    「まーた始まったか、いつもの夫婦漫才が」
    「まだ結婚してないよっ」
     取り留めのない会話を交わしつつ、ルナが地図を確認する。
    「パラ、この辺りで間違いないわね?」
    「はい。わたくしと主様、カズセちゃんの三者で行った、三点交差法による空間振動測定調査の結果、この周辺に『テレポート』と思われる、空間の異常振動を数回感知しました。
     当該魔術の使用がアオイ・ハーミットによるものであれば、何らかの施設が密かに建設されていることは確実と思われます。確率は……」「確率はいいわ。この周辺の、どこにありそう?」
     問われたパラは、きょろきょろと辺りを見回す。
    「……計測中……」
     そしてやや右を向き、その方向を指し示した。
    「ここより2時方向、約2.72キロメートル先に、微力な魔力源を検知しました。200~300MPP、周囲一帯の平均値よりもわずかながら大きな数値です」
    「多分そこね。……一息ついてから行きましょ」
     ルナの提案により、一行はそこで小休止をとることにした。

     昼食に持ってきたサンドイッチを頬張りながら、フィオがこんなことを言い出した。
    「もぐ……、そう言やさ、ルナさん。マークとシャランのことなんだけど」
    「ん?」
    「事実上、まだ結婚してないわけだけどさ」
    「そうね。……あー」
     そこで、ルナがケラケラと笑い出す。
    「シャラン、3ヶ月なんだって?」
    「らしいよ。……だから今、すごく揉めてるらしい。
     特にトラス陛下から『王族ともあろう者が結婚前に子供を設けるとは、恥ずかしいと思わんのかっ』って、めっちゃくちゃ怒られてるらしい」
    「じゃあさっさと結婚しちゃえばいいじゃない。しちゃえばどうとでもごまかせるでしょ?」
    「プレタ陛下も同意見だってさ。でも肝心のマークが、うんって言わないんだよ」
    「なんでよ?」
     ルナはけげんな表情を浮かべかけ、そして「ああ」と納得した声を上げ、フィオとパラを指差す。
    「あんたらね、その原因」
    「みたいだね。『親友で同窓のフィオがパラとまだなのに、僕たちだけ先になんて』って言って聞かないんだよ。
     まったく、変なところで意固地なんだから」
    「違うわね」
     ルナは紅茶をくい、と飲みつつ、フィオの意見を否定する。
    「あの子のことだから何やかや理由付けて、先延ばしにしようとしてんのよ。ビビってんのよ、要するに」
    「……あり得る」
     うなずいたフィオに、パラがこうつぶやく。
    「であればわたくしたちも、急がねばなりませんね」
    「だなぁ。さっさと退路断って決断させなきゃ、シャランがかわいそうだ」
    「『かわいそう』っつーか」
     と、フルーツサンドを飲み込み終えて、一聖が口を開く。
    「その話って、マークが自分から迫ったワケじゃねーよな? どう考えてもシャランからアプローチした気がすんだけど」
     これを受けて、3人は同時にうなずく。
    「だろうね」
    「多分そーでしょ」
    「可能性は限りなく濃厚です」
    「だったら『かわいそう』ってのは……」「あーら、カズちゃん」「もごっ」
     核心を突こうとした一聖の口に、ルナは新たなサンドイッチを押し付ける。
    「そう言うことは、言わない方が楽しいじゃない」
    「……ひっでーヤツらだなぁ、お前ら」
     自分の口の型が付いたたまごサンドを手に取り、一聖は苦笑いを浮かべる。
     それに対し、ルナはしれっとこう言ってのけた。
    「ひどいのはマークよ。そうしとかないと、またマークがあーだこーだ言い訳して、結婚を先延ばしするに決まってるわ」
    「あー……、ソレもそっか。じゃ、言わね」
     一聖は、今度はいたずらっぽく笑いながら、たまごサンドを頬張った。
    白猫夢・探葵抄 3
    »»  2014.12.06.
    麒麟を巡る話、第463話。
    秘密施設、発見。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     休憩を終えたルナたち一行は、パラが感知した「謎の魔力源」に向かって歩き始めた。
    「で、さ」
     と、フィオが口を開く。
    「もしもここにカツミがいたら、こないだ言ってたあの『契約』、果たしてくれるんだよな?」
    「ん?」
    「ほら、僕とパラを人間にって言う、あれ」
    「ちょっと違うぜ」
     一聖は人差し指をピン、と立て、こう訂正する。
    「親父を発見できて、そして『何らかの事情で動けない状況にあれば、それを助けてから』、……だ。
     勿論、ただソコでのんびり渾沌とメシ食ってて団欒(だんらん)してるだけで、すぐ連れて帰れそうな状況だったら、ソレで契約履行としていいけど、な」
    「ああ、勿論分かってるさ」
    「無論ココが外れ、つまり親父も渾沌もいねーってコトであれば、話は振り出しに戻る。
     お前さんらの応援はしてやりてーが、克一門の契約に『先物』は無い。お前さんたちがきちんとやるコトやってくれなきゃ、こっちもちゃんとしたコトはしてやれねー」
    「いいよ、仕方無いさ。むしろそう言うところがきちんとしてるからこそ、信頼できるってもんだ」
    「物分かりが良くて助かるぜ。
     ……お?」
     やがて一行の前に、建ってから10年も経っていないと思われる、煉瓦造りの建物が姿を表した。
     しかし不思議なことに、その外壁は蔦(つた)でびっしりと覆われており、それだけを見れば、この建物は数十年、あるいは数百年は経っているようにも思わせていた。
    「カモフラージュしてあるな。遠くから望遠鏡で見たくらいじゃ分からねーようにしてある。ソレにこうして近付いても、距離感がつかめねー。魔術で視覚認識をごまかしてるらしいな。
     ソレ以外にも、色々と発見されにくいように擬装対策を施してあるらしい。パラみてーに細かく正確に計測ができるヤツがいなきゃ、ココは中央大陸を100年うろつき回っても、きっと見付けられなかっただろう、な」
    「お褒めに預かり光栄です」
     ぺこりとお辞儀をして、パラが建物を指し示す。
    「センサー類は検知できません。一方で、入り口の類も同じく、発見できません」
    「ふーん?」
     ルナたちが近付いて調べてみても、確かに扉が見付けられない。
    「『テレポート』で中に入ってたのかな」
    「ソレだとオレたちが空間振動を検知できねーだろ? コレだけ厳重に密閉されてるんだからな。
     ……そっか。密閉、ね」
     一聖は呪文を唱え、煙を立ち上らせた。
    「『ホワイトアウト:ピンク』」
    「なんでピンク?」
    「目立つからな。後はオレの好み」
     ピンク色の煙が周囲にたなびいたところで、一聖が建物のある箇所を指差した。
    「あそこから空気が漏れてる」
    「壁しかないように見えるけど」
    「さっきも言ったろ? この建物は、術で視覚認識を狂わせてる。つまりドアを『ドアだ』と認識できないってコトだ」
     一聖は壁をぺたぺたと触り、一箇所をトントンと叩く。
    「オレの目にも確かに煉瓦と見えるが――ココだけ材質が違う」
     そう言ってもう一度、呪文を唱える。
    「……**……**……****……よっしゃ、解錠キー見っけ」
     ガコン、と音を立てて、一面煉瓦だった壁に穴が開いた。
    「さっすがー」
    「へっへー」
     一聖は得意げな顔で、胸を反らす。
     その間にルナが、パラに尋ねる。
    「中の様子はどう? 罠はありそうかしら?」
    「検知できません」
    「そう。……『ライトボール』」
     ルナが光球を作り、中へと飛ばす。
     光球は廊下をぐんぐんと奥に進み、やがて見えなくなってしまった。
    「見た目より広いわね。地中に続いてるみたい」
    「……」
     一聖は中にそっと首を突っ込み、目を凝らす。
    「中にもセンサーみたいなのは無いらしいな。奥へ進んでみるか」
     一聖の言葉に、三人は無言でうなずいた。

     一聖の言った通り、進んでも特に罠や仕掛けなどは無く、一行は廊下の最奥にあるドアの前に到着した。
    「このドアにも罠は無さそうね。……開けるわよ」
    「おう」
     ルナがドアノブをひねり、そっと開ける。
     奥の様子を確かめるため、今度も一聖が覗き見る。
    「うげっ」
    「どうしたの? ガスか何か?」
    「いや、……胸クソ悪いものを見ただけだ」
    「何が……?」
     一聖は答えず、中へ入っていく。三人も続いて中へ入り――そして一聖と同様、嫌悪感に満ちたため息を漏らした。
    「うっ……!」
    「何よ……これ」
    「幼体、と言うべきでしょうか」
     部屋の中には、猫獣人の形をした「何か」が納められたガラス瓶が、ずらりと並んでいた。
    白猫夢・探葵抄 4
    »»  2014.12.07.
    麒麟を巡る話、第464話。
    白猫製造工場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……気持ち悪い」
     その光景に対し率直な感想を述べたフィオに、全員が無言でうなずき、同意した。
    「これ、何?」
     尋ねたフィオに、一聖が答える。
    「人工の、人間だな。ホムンクルスってヤツだ」
    「どう言うこと?」
    「どう、って?」
    「色々。『人工の人間』って、どう言う意味さ?」
    「そのまんまだよ。男と女の間から生まれた子供じゃない、土や水やらから練り上げて造った、人工の生物ってコトだ」
    「これを造ったのがアオイとして……、なんでこんなの造ったんだ?」
    「麒麟の姉さん――白猫の魂を、コイツらのドレかに移すつもりなんだろう」
    「なんでそんなことを?」
     今度はルナが尋ねる。
    「フィオが持ってたあの写真が答えだ。白猫はいつまでも、夢の世界なんかに引き籠もってるつもりは無いらしい。
     現世に蘇るべく、自分の体を造ってるんだ。ソレも、ただ蘇るだけじゃない」
     一聖はコンコンと、ガラス瓶を叩く。
    「人工的に、より強い肉体を造って乗り移るつもりらしい。
     パラ、コイツらの魔力は?」
    「平均6000MPPを計測しています」
    「6000!?」
     とんでもない値を返され、フィオが仰天する。
    「6000って、ルナさんの2倍近いじゃないか!」
    「そう言うコトだ。だが恐らく、ココら辺にあるのはどちらかと言えば、失敗作だろうな」
    「え?」
     一聖は通路の奥へ進み、辺りを見回す。
    「麒麟の姉さんは、コイツらの3~4倍は魔力を持ってた。新しい体を造ろうってのに、本物より弱くしてどうすんだ?」
    「マジか……」
    「奥にも扉がある。あの向こうにも、ものすげー強い魔力を感じる。あっちにあるのが恐らく、その本命だろうな」
    「じゃあ、もしかしたら」
    「ああ。その奥に何か、手がかりがあるかも知れねー。もしくは、目的のモノが、な」
     一聖の言葉に、一行は顔を見合わせ、装備を再確認する。
    「……行ってみましょう」
    「ああ」
     4人は警戒しつつ、奥の部屋に移った。

     扉の向こうにも同様に、ガラス瓶がずらりと並んでいる。だが、その半分以上が空であり、残り半分にも一聖がホムンクルスと呼んでいたものはほとんど入っておらず、水しか無い。
    「取り出して実験したらしいな」
    「実験?」
    「ただ魔力を詰めりゃ、魔力のある人間ができるってワケじゃねー。うまいコト調整しなきゃ、その魔力で自家中毒を起こすんだ。
     その調整がうまく行ってるか、取り出して検査なり何なりしてたんだろう。……ま、オレたちにとっては運の良いコトに、まだ成功しちゃいねーらしいが」
    「なんで分かるんだ?」
    「ココにあるのは前の部屋以上の失敗作だ。魔力もさっきの半分か3分の1か、もっと低いか。
     もっといいのがまだゴロゴロ残ってるってのにそんなので実験してるってのは、成功した後でやるコトじゃねーからな」
    「なるほど」
    「……しかし、となると」
     一聖は首をかしげ、空になった瓶をぺたぺたと触る。
    「さっき感じた強い魔力ってのが何だったのか……?」
    「カツミさんとか?」
    「かも知れねーが、今はほとんど、……いや」
     と、一聖が黙り込む。
    「カズセちゃん?」
    「しっ」
     一聖はフィオを黙らせ、さらに奥をじっと見つめる。
    「……フィオ。どうやら当たりだぜ」
    「え?」
    「わずかだが今、気配を感じた。奥だ」
     一聖はどこからか鉄扇を取り出し、そろりと歩き出す。
    「気配を感じたり、かと思えばふっと消えたり……。どうやら封印か何かされて、まともに魔術を発するコトもできねーらしい」
    「気を付けて進みましょう」
    「ああ」
     4人は最大限に警戒しつつ、一歩一歩、足元を確かめるように進んでいった。
    「……開けるぞ」
     一聖の言葉に、ルナたちは無言でうなずく。
     それを確認し、一聖はゆっくりとドアを開けた。

     奥の部屋が露わになった途端、一聖は息を呑む。
    「……親父!」
     部屋の中央に、この3年探し回ったあの克大火とその九番弟子、克渾沌の姿があった。
     だが、何か様子がおかしい。二人は微塵も動く様子を見せないのだ。いや、それどころか、まるで絵に描いてあるかのように、平面的に見える。
    「……! やべ」
     一聖は慌てて、鉄扇を真横の壁に突き刺した。
     そして次の瞬間――とてつもなく強い引力が、一聖たちの体にまとわりついてきた。
    白猫夢・探葵抄 5
    »»  2014.12.08.
    麒麟を巡る話、第465話。
    きっと彼女ならば。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「きゃっ……」「うゎっ……」「これ……は……」
     ルナ、フィオ、そしてパラの声が、異様に遠のきつつ、鈍く響いてくる。
    「ちっくしょー……! こんな大掛かりな罠仕掛けやがって!」
     一聖の体も、部屋の奥へと吸い込まれそうになる。
     しかし壁に突き刺した鉄扇に何とかつかまり、ルナたち3人のように吸い込まれずに済む。
    「コレは多分、次元操作術の一種――麒麟の姉さんと昔ちょこっとだけ研究して、結局どのアイデアも実現不可能だって結論に至って、放っぽってたヤツだな。
     まさか完成させてたとは、思ってもみなかったぜ」
     ルナたち3人もぺたりと壁に貼り付き、まるで壁画のように、ピクリとも動かなくなる。
     一聖は魔術で壁から鋼線を造りつつ、周囲を見回す。
    「解除用のスイッチとかコンソールとか、制御装置みたいなのは、……見当たらねーな。葵がいない時だけ罠が発動、って感じか」
     一聖は首を横に振って、大火たちに声をかけた。
    「聞こえてっか分かんねーが、とりあえず言っとくぜ。
     ソイツがどう動いてるかは分かんねー。だが相当の魔力源を必要とするってコトは、理論上で明らかにはしてある。だからその魔力源を絶てば術は効力を失い、解除されるはずだ。
     多分この近くにある。ソレさえ見つけりゃ何とかなる。……と思う」
     一聖は鋼線を造り終え、それを部屋の反対側に引っ掛けてよじ登り、どうにかその場から脱出した。



    「……え? ソレでその話、終わり?」
     時間は、葛と一聖が出会った日に戻る。
     話し終えた一聖は、残念そうに首を振った。
    「ああ。結論から言うとな、解除できなかったんだよ、オレには」
    「どうして?」
    「魔力源が見つからなかった」
    「どう言うコト?」
    「その手前の部屋のドコにも、ソレらしい設備やら装置やらが見つからなかったんだよ。
     恐らく魔力源は、罠が仕掛けてある部屋の奥にあるらしい」
    「ソレって……、どうしようも無いんじゃないの? 通らなきゃ入れないってコトでしょ?」
    「そうなる」
     うなずいた一聖に、葛は唖然とする。
    「どうすんのよ?」
    「ソコでお前さんを頼ってきたワケだ」
    「どう言う意味よ?」
    「お前さんなら、あの部屋を通らずにその奥へ行けるんじゃねーかと思って、な」
    「できるワケないじゃない」
    「いや、お前さんならきっとできるはずなんだ」
    「……?」
     一聖の言葉に、葛は首をかしげた。
    「だから、どう言う意味なのよ? あたしに何ができるって言うのよ」
    「『星剣舞』だ。あの技がお前さんに使えるなら、その部屋を通らずに奥へ行くコトは、簡単にできるはずなんだ」
    「は?」
     一聖が何を言っているのか分からず、葛は頭を抱える。
    「もうちょっと、……ううん、もっと分かりやすく説明してくれない? あたし大学生だし、そこそこ頭いいつもりだけど、アンタの言ってるコト、ちっとも分かんないよー……」
    「ああ、悪い悪い。ついつい話を端折っちまった」
     一聖はひょい、とベッドから離れ、立ち上がって話を続ける。
    「まず、『星剣舞』ってのが何か、お前さんは知ってるか?」
    「ソコから分かんない」
    「そっか。まあ、『星剣舞』ってのは、かつて晴奈の姉さん……、お前の父方のばーちゃんの黄晴奈って人が使った技だ。
     ソレはマジで反則的な技でな。誰にも気取られるコトなく、敵を滅多斬りにできるんだ」
    「へぇ?」
    「この技のすごいトコはな、仮にこの世の全てを見通す目を持ってるヤツがいたとしても、その技を見切るコトは、ソイツにすら不可能なんだ」
    「どうして?」
    「ソレはな……」
     一聖はまた、どこからかあの光る金属板を取り出し、そこに図を描いて説明する。
    「……ってワケだ」
    「うーん……?」
     しかし、葛にはその話が理解ができなかった。
    「どう……うーん……ちょっと、良く、……うーん、分かんない」
    「まあ、そもそも荒唐無稽な話だからな。オレだって実証しろって言われたらお手上げだ」
    「ちょっ……、ソレをどうやって、あたしが使えるようになれって言うのよ? 無茶ばっかり言わないでよ、もおー……」
     葛は頭を抱え、うなだれる。
    「無茶は承知だ。だけどお前さんが使えないと、お前さんもオレも困るだろ?」
    「何言ってんのよ? アンタの事情なんかあたしに関係ないでしょ?」
     にらむ葛に対し、一聖は肩をすくめながらこう返す。
    「関係あるぜ。葵のコトだ」
    「……」
    「お前さんはいずれ、アイツと戦わなきゃならない。でも今のままの状態で、葵に勝てると思うのか?」
    「ソレは……」
    「無論、戦いたくなきゃ一生戦わなくてもいいさ。アイツから逃げまわって、象牙の塔でコソコソ生きてりゃいいんだ。
     葵だってお前さんに戦う意志がコレっぽっちもねーと分かれば、無理矢理攻めてきたりしねーだろうし、な」
    「……ムカつく言い方するなぁ。そりゃ、このままにはしておけないけどさー」
    「だろ? じゃあ、何の武器も技も用意しないまま、ってワケにゃ行かないよな」
    「まあ、そうね。理屈はそう。でもさー……」
    「とりあえず、だ」
     一聖は人差し指をピンと立て、こう締めくくった。
    「まずは武器だ。明日スカーレットヒルに、取りに行くぜ」

    白猫夢・探葵抄 終
    白猫夢・探葵抄 6
    »»  2014.12.09.
    麒麟を巡る話、第466話。
    西方の東。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     正直なところ――葛は当初、一聖のことを信用していなかったし、好意を覚えていたわけでも無かった。
    (図々しーし、態度デカいし、ムチャクチャ言ってくるしー……)
     だが結局、葛は一聖と西方東部のこの国、サングフェル共和国を訪れている。
    (なーんか……、断れなかったのよね。
     まあ、お姉ちゃんの件もあるし、コイツの言う『神器』がどんなのか気になるって言うのもあるけど、……なーんか、さ)
    「なあ、葛」
    「なーに?」
    「ハラ減らね?」
    「減ってるよー」
    「丁度さ、あそこ。屋台みたいなのあるじゃん?」
    「あるねー」
    「……うまそうに見えね?」
    「見えるよ。食べたいの?」
    「おう」
     目をキラキラさせる一聖に、葛は内心、苦笑していた。
    (なーんか……、構っちゃうのよねー。
     偉ぶってる割に、コドモだし。目を離すと何するか分かんなくて、放っとけないし)
    「いいよ、食べよっかー」
    「おうっ」
     葛が答えるや否や、一聖はバタバタと屋台に駆け出していく。
    (なーんか、なー。……妹がいたらこんな感じ?)
     そんなことをぼんやり考えていると、既に屋台の前に並んでいた一聖が声を張り上げる。
    「おーい! 早く来いよー!」
    「はーい、はい」

     屋台でサンドイッチを買った二人は、そのまま近くの公園へと移動する。
    「もぐ……、そう言えばこの国って」
     葛はハムとレタスとトマトを挟んだサンドイッチをぱくつきながら、半ば世間話のつもりで、この国の情勢を話し始めた。
    「旧エカルラット王国が今のサングフェル共和国に変わったのって、20年くらい前なんだってー」
    「ふーん」
     一方の一聖は、チョコレートソースをたっぷり塗ったサンドイッチを頬張りながら、生返事で返す。
    「元々、おじーちゃん――ハーミット卿がプラティノアールで王政内閣制をうまくやってたから、この国の人たちが30年くらい前に、ソレを真似したんだけどねー」
    「ほむ」
    「でも結果は散々だったんだって。権力を得た大臣層が勝手なコトばっかりしだして、経済は急落するし、政治はマヒするし」
    「んぐ……、アホだなぁ」
    「ホントだよねー。で、政治権力を私物化した大臣派と、ソレに反発した市民派とで、内戦になっちゃったのよ。
     内戦は結局10年近く続いて、ようやく市民派が勝利。当時の大臣たちは全員処刑されちゃった上に、彼らに好き勝手やらせてた王様も終身刑で投獄。
     一方で勝った方の首脳陣も、誰が王様になるかで大揉めに揉めて、2、3人殺されちゃったらしいのよ」
    「どっちもどっち、って感じだな」
    「だねー。ま、そんなワケで、誰か一人が王様になろうとしたら話がまとまらないってコトになって、残った首脳陣で共和制を採択。
     コレは何とかうまくいったっぽくて、現在までの20年間、大きな争いは特に起こっていない、……って学校で習った」
    「歴史のお勉強、どーも。……んー」
     一聖はサンドイッチを包んでいた紙ナプキンで口をゴシゴシ拭きながら、残念そうにつぶやく。
    「西方のチョコって、ドコもこんななのか?」
    「え?」
    「まずい。変な臭いするし、気色悪い甘みがあるし。変な混ぜ物がてんこ盛りって感じだぜ」
    「屋台のだもん、安物なんでしょ。美味しいトコのはホントに美味しいよー」
    「口直しに食いたいなー」
    「まだ食べるの?」
     尋ねた葛に、一聖はいたずらっぽく笑って返した。
    「こんなもんで食べた気にならねーよ。さ、口直し口直しっと」
     ひょいっとベンチを離れ、市街地へと歩き出した一聖に、葛は苛立った声をぶつけた。
    「待ってよ。あたし、まだ食べてるじゃない」
     その言葉に、一聖はくる、と踵を返した。
    「あ、悪りい。ゴメンな、せっかちなもんで」
    「もー」
     一転、一聖はぺこっと頭を下げる。
    「食べ終わるまで待つからさ、他にも何か聞かせてくれよ」
    「だから食べてるんだってば。あたし、口の中にモノ入れて、もごもごしゃべりたくないもん」
    「そりゃそうか、悪り悪り」
    「今度はカズセちゃんがしゃべってよー」
    「オレ?」
     きょとんとした目を向けた一聖に、葛はこう続けた。
    「何だかんだ言って、あたしカズセちゃんのコト、全然知らないもん」
    「そー言や自己紹介も、半端にしかしてなかったっけ。
     いいぜ。さらっとで良けりゃ、話してやるよ」
    白猫夢・聖媒抄 1
    »»  2014.12.10.
    麒麟を巡る話、第467話。
    橘一聖の人物評。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     双月暦570年6月、トラス王国再生医療研究所、通称「フェニックス」。
    「この子が本日からうちの研究顧問として参加する、橘一聖ちゃん。よろしくね、みんな」
    「よろ……し、く」
     まだ10代にしか見えない彼女の姿に、研究員一同は一様に、面食らった表情を浮かべている。
     その動揺を見て取った一聖は、こんな質問をぶつけた。
    「そこの長耳のおっさん。オレの見た目、いくつに見える?」
    「お、おっさん? 私のことか?」
     指差されたエイブが、憮然とした顔をしながらも答える。
    「そうだな……、14、15と言うところだろうか」
    「ほーぉ」
     ニヤッと笑い、一聖はこう返した。
    「オレが15歳だってんなら、アンタはまだ2ヶ月、3ヶ月の赤ん坊だぜ?」
    「なに?」
    「オレの見た目の若さは、魔術研究の賜物(たまもの)ってヤツさぁ。実際にゃその何倍も歳食ってんだぜ?」
    「まさか!」
     鼻で笑ったエイブに対し、一聖は笑みを崩さない。
    「ま、ホントかウソかは、オレの仕事で評価してくれ。よろしくな、みんな」
    「……よろしく」
     初対面からいきなりこんな剣呑な調子で挨拶したため、一聖に対する研究員からの評価は当初、総じて低いものだった。



     しかし彼女が、魔術に関して本当に高い技術と知識を持っていたことと、そしてどこか憎めない性格から、次第に打ち解けていった。
    「……ってワケだ。土術は単に『鉱物を操る魔術』ってだけじゃないんだぜ?」
    「いや、でも僕のいた大学院では……」
    「下手クソな教え方されたもんだな。一体ドコの馬の骨なんだか」
     一聖にこき下ろされ、研究員は顔を真っ赤にして怒鳴りかける。
    「ば、馬鹿にするな! テスラー教授は天狐ゼミを出た英才……」「テスラー? もじゃもじゃ頭にビン底メガネでガリガリの短耳、ヘス・テスラーのコトか?」「えっ?」
     きょとんとした研究員に、一聖はニヤニヤしながらこう返す。
    「アイツから教わったのか。ゼミにいた当時から教えるのに苦労したもんだぜ」
    「知ってるんですか? って言うか、『教えた』って……?」
    「ま、一緒に勉強したってコトさ。でもこっちの意見にまったく耳貸そうとしなくてさ、『いや、こうあるべきなのだ!』つって、聞きゃしねー」
    「……ぷっ」
     途端に、研究員の顔から険が消える。
    「確かに良く言ってましたね、それ。講義の時いつも、3回は聞きましたよ」
    「ま、頭は悪くねーんだけど、カタくてな。思い込みが激しいっつーか」
    「あれ? でも教授と同窓ってことは、タチバナさんって」
    「ケケケ、女の子の歳を邪推するもんじゃねーぜ? そもそも同窓生どころじゃねーし。
     あと、『一聖ちゃん』って呼んでくれて構わねーから、な」
    「あ、はい」

    「ふーん、お前のばあちゃんって晴奈の姉さ……、『蒼天剣』と一緒に戦争で戦ってたのか」
    「そうなんですよぅ」
     クオラと世間話をしていた一聖が、不意に笑い出す。
    「……くく」
    「どしたんですかぁ、カズセちゃん?」
    「いやな、その『蒼天剣』のコトで、いっこ思い出したコトがあるんだ。
     ある時オレが、その『蒼天剣』に雷術を真正面から当てたコトがあったんだが、その時『蒼天剣』はどうしたと思う?」
    「えぇ!? 『蒼天剣』と戦ったんですかぁ!?」
    「おう」
    「えーっとぉ……、雷術って、電気のアレですよねぇ?」
    「ああ、ソレだ」
    「それはぁー……、まぁ、逃げますよねぇ、普通は」
    「普通は、な。だが『蒼天剣』は普通じゃない。
     って言うか魔術系の知識に関しては、てんでからっきしだったらしくてな。オレの放った電撃に対して、真正面から突っ込んできたんだ」
    「えーっ!? し、死んじゃいますよぅ、そんなことしたら!?」
     目を丸くしたクオラに、一聖はチッチッ、ともったいぶって否定する。
    「ところがソコは『蒼天剣』だ。あろうコトか、オレの魔術をブッた斬りやがったのさ」
    「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ。魔術って切れるものなんですかぁ?」
    「だから言ったろ、『蒼天剣』は普通じゃねーって。だからこそ伝説にもなるってもんだ」
    「……ホントに伝説って言うか、眉唾って言うか、ぶっちゃけ胡散臭いですよぅ」
    「いや、コレにもちゃんと理論的説明は付けられるんだ。まず彼女が持ってた武器ってのが……」



     元々の知識の深さと観察眼の鋭さに加えて、長年ゼミの教師として培ってきた話術もあり、彼女が語る話は造詣が深く、そして明解であり、何より機知に富んでいて面白い。
     そのため一聖の参与から3ヶ月が過ぎる頃には、彼女はすっかり、所内の人気者になっていた。
    白猫夢・聖媒抄 2
    »»  2014.12.11.
    麒麟を巡る話、第468話。
    イタズラっ娘と変人娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     マーク自身は一聖が研究所に参与したことについては、非常に喜ばしく、そして心強く思っていたし、何より率直に嬉しかった。
     何故なら、彼女の中身はそっくりそのまま、ゼミ時代の恩師なのである。色々と込み入ったことも気軽に話すことができたし、自分の専門に対しても、これ以上求めようが無いくらい的確に答え、教えてくれるのだ。
     それを抜きにしても、これまでどちらかと言えばくすぶっていた感じのあった「フェニックス」が、一聖の参与以後、明らかに調子を上げていたことが、(名目上の)オーナーであるマークを喜ばせていた。
     実際、これまでは1~2年かけてようやく研究開発が1つ成功するかしないかと言う具合だったものが、一聖参与以後の2年で、3件もの開発成功の実績を挙げており、一聖が「フェニックス」にもたらした効果は、非常に大きいものと言えた。



     とは言え――その一方で、マークと、そして彼の父であるトラス王が頭を悩ませる問題もまた、一聖を原因として発生していた。

    「マーク。最近、なんだ、お前の研究所も、あれだ、人が増えたそうではないか」
     ある日、トラス王が突然、マークの部屋を訪れた。
    「ええ、大分増えましたね。生体接着剤の商品化に成功してから、働きたいと言う人が大勢来られまして。
     今のところ20人くらいと言うところですね、所員の数は」
    「ふむ……。ああいや、お前が望んだ仕事で成功を収めていることは、非常に喜ばしいことだと思っているのだ。元よりお前には王としての執務より、そうした研究者としての生き方が適うと思っていたからな。
     その点に関しては、あれだ、不満だとかそう言った悪感情の類は抱いてはおらん。それは確かだ。安心してくれ」
    「……?」
     トラス王が何かを言いたそうにしていることをマークは察したが、とりあえず何も聞かず、うなずいておく。
    (父上のことだし、何かにかこつけて説教する気だろうしなぁ。自分から厄介事を聞き出すのも面倒だし)
    「しかしだな。何と言うか、なんだ、その……」
     トラス王はもごもごとつぶやいていたが、やがて意を決したように、しかし依然として曖昧な口調で尋ねてきた。
    「妙な人間も入り込んでいると言う、その、うわさと言うかだな、評判をだな、方々で聞いているのだ」
    「妙な人間?」
    「聞いた話だが、見た目は10代半ばの少女然としていて、全身真っ黒と言う奇怪な出で立ちで、色目を振りつつ軽佻浮薄な会話をあちこちで立て並べ、いたずらに評判を集めている者がいる、とか、何とか」
    (あー、カズセちゃんか)
     マークはどう答えようか迷ったが、ある程度は肯定しておくことにした。
    「ええ、思い当たる人物は確かにおります。
     ただ、父上が聞き及んだ悪評は事実無根です。確かに性根の明るい方で、面白く、かつ有意義な話であれば聞いた覚えがありますが、その出処不明なうわさに上っているような、はしたない発言をしていたと言う覚えは、僕には一切ありません」
    「ふーむ、そうか……」
     息子にきっぱりと否定されたためか、トラス王はうなずきかける。
     だが一転、ぶるぶると首を振り、こう続けてきた。
    「いや、しかしだな。ビッキーがどうも、件のその人物に感化されておるようなのだ」
    「ビッキーが?」
    「うむ。いや、確かに元々からあの子は多少、変わったところが無いわけではなかった。親の欲目を差し引いても、あの子には扱いかねる性質があると言うことは、認めないわけにはいかん。ただ、その性質が最近悪化、ああいや、強まっていると言うか。
     この間もあの子の部屋からボン、と異様な破裂音が響き、すわ一大事、と思って駆け込んでみれば、あの子がケラケラ笑いながら、『お兄様の研究所にいらっしゃる方、なかなか面白い魔術をご存知ですね。おかげで美味しいお菓子ができました』などと、訳の分からんことを言い出す始末だ!」
    「お菓子?」
    「うむ」
     トラス王は懐から、一包みの袋を取り出す。
    「何でも小麦に圧力をかけて作ったものだとか。いや、確かに今まで食べたことの無い、不可思議な食感で、その実、香り豊かな風味がある。うまいと言えばうまい」
    「僕にも分けていただけますか?」
    「そのつもりで持ってきた」
    「いただきます」
     マークがその菓子を受け取ったところで、トラス王が続いてこう嘆いてきた。
    「しかしだな、まだ歴史が浅いとは言え、このセレスフォード城は我々トラス家の住む王宮なのだ。
     その誇りある城で白昼堂々、ボンは無いだろう、ボンは! 戦争でも始まったのかと、国民にいらぬ不安を与えてしまうではないか!」
    「まあ、確かに」
    「事実、事件のあったその時、私の他にも衛兵やら官吏やらが大勢武器を手に取り、詰めかけて来ていたのだ。
     それだけでも顔から火を噴くかと言う失態であるのに、ビッキーときたら『折角ですから皆様もお召し上がりくださいな』などと言って、お前にやったその菓子袋を、その場に集まった皆に配る始末だ!
     ああ、嘆かわしい! 無論、その場で即刻ビッキーを説教したが、全く意に介しておらんのだ! 平然と『これは科学の勉強です。王族たるもの、十分な教養を身に付けて置かねばならんと仰ったのは、お父上ご自身でございましょう?』と返してきよる!」
    「ああ……でしょうね」
    「マーク!」
     もそもそと小麦菓子を頬張っていたマークの肩をぐい、とつかみ、トラス王は半ば悲哀を帯びた怒鳴り声を上げた。
    「頼むから、ビッキーに変なことを教えないように、その黒少女を諭してくれ! 万が一できないと言うのならば、実力行使で研究所を閉鎖させるからな!」
    「はあ、まあ、一応言ってみます」
     口ではそう答えたものの、マークは内心では、説得を諦めていた。
    (どっちも無理ですってば、父上……。
     カズセちゃんやビッキーがそんなの聞くわけ無いし、ルナさんたちの実力なら、この国の一個大隊だろうが一個連隊だろうが、1時間かそこらで壊滅しちゃえるだろうし)
    白猫夢・聖媒抄 3
    »»  2014.12.12.
    麒麟を巡る話、第469話。
    変人学を得て不善を成す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     マークが予想していた通り、ビッキーの件を聞いた一聖は、しれっとこう返して来た。
    「お、成功したのか。じゃあビッキーに『ソレにチョコ付けて送ってくれ』つっといてくれ」
    「そうじゃないです」
     マークは頭を抱えながら、恐る恐るこう続ける。
    「あんまりビッキーに、変なことを教えないで下さい。と言うか、みだりにあっちこっちで腕を振るったり、魔術を吹聴したりしないでほしいんです」
    「なんで?」
     尋ねられ、マークはぼそぼそと答える。
    「なんでって……、そりゃ、ただでさえビッキーは変わり者で、いきなり何しだすか分からない子なんです。
     そこにカズセちゃんの入れ知恵が加わったら、もう僕や父上には制御できなくなっちゃうんですよ」
    「情けねーなぁ。ビシッと言えばいいじゃねーか」
    「言っても聞かないんですよ。ああ言えばこう言う、って感じで。一応、女の子だから、まさか折檻するわけにも行かないし。
     それを置いてもですね、父上の耳に入るくらい悪目立ちしてるみたいですし、カズセちゃん、もうちょっと自省してほしいんですが」
    「してるぜ、ソレなりに。
     街中で魔術ブッ放しもしてねーし、白猫党やら麒麟の姉さんやらの話も一切してねー。あくまでこの研究所の関係者の本分を逸脱するよーなコトは、やってねーはずだけどな。
     ソレともマーク、お前さんはオレに『この研究所から一歩も外に出るな』とでも言うつもりか?」
    「い、いや、そこまでは……。でも、評判が立ち過ぎてるのは事実ですし……。
     あんまりうわさが広まると、それこそあの、アオイさんとか、ナンクン? でしたっけ、その人たちの耳に入るかも知れませんし……」
     二人の名前を出した途端、一聖は一転、苦い顔をする。
    「……あー、まあ、ソレはめんどいな。ココを強襲されたら、ソレこそとんでもない迷惑かけちまうだろーし、な。
     分かった、もうちょい自重する。……ただ」
     一聖は申し訳無さそうな表情を浮かべながら、マークに小さく頭を下げた。
    「ビッキーとの話はさせてくれねーか? アイツは面白いヤツだからな、構いたくなるんだ」
    「あ、いえ、するなって話じゃないんで、それは大丈夫なんですけど、……まあ、あんまり変なことを吹きこまないでって話で」
    「ああ、気を付けるさ」



     一応は約束し、一聖も気を付けてくれていたようだが――ビッキーの奇行は、留まるところを知らなかった。
    「勘弁して下さい、本気で」
    「……いや、マジで今回のは悪かった」
     マークの説得からわずか3日後、ビッキーがまたも事件を起こしたのである。
     城内に飾られていたトラス王の銅像を、なんとビッキーが破壊してしまったのだ。
    「オレが思ってた以上にムチャクチャするヤツだったわ、アイツ……。
     そりゃまあ、電磁誘導や雷術と土術の組み合わせの話をしたのは確かにオレだけどさ、ソコから自分で応用利かせて電磁加速砲を組むとは予想外だったぜ……」
    「おかげで父上、倒れちゃいましたよ……。銅像も、本人も。
     今回ばかりは母上からきつく叱られて、ビッキーは今、自分の部屋で謹慎させられてます。多分今後も、カズセちゃんとの接触は禁じられると思います」
    「済まねーな、本当。……まあ、しばらくほとぼりを冷ますしかねーな。
     ちょうど遠出する用事もできたし、ビッキーにはうまく伝えといてくれ」
    「用事?」
     尋ねたマークに、一聖は壁に貼っていた地図を指差した。
    「ほら、去年の暮れにフィオが持ってた写真からアレコレ検討してたろ? あの延長線上の話だ。
     葵が何か画策してるとすれば、何かしらの痕跡をドコかに残してるはずだ。だけど、どーにも葵の足取りがつかめねーからな。ルナとパラとオレの3人で広域に散って、捜索するつもりなんだ。
     交差法っつって、複数地点から現象の観測を行ってその発生地点を割り出す方法でな。『テレポート』で葵がドコかに痕跡を残してないか、調べるコトにしたんだ」
    「なるほど……」
     と、ここでマークが、話題をビッキーのことに戻す。
    「ビッキーは、僕みたいな感じなんですよね」
    「ん?」
    「研究熱心で、こうと決めたら突き進む。王族よりも研究者が似合うタイプなんですよ。
     ただ、僕がこの仕事をやってるせいで、父上は――口では『構わん』とか『気にせず務めよ』とか言ってますが――がっかりしてるんですよね。跡を継ぐ意思が全く無いって、落胆してるんですよ。
     だから妹には期待してたと思うんです、『自分の跡を継いでくれるだろう』って。……それが、こんなことになってますからね。そりゃ、倒れもしますよね」
    「でもフィオによれば、次の国王は……」
    「フィオの、元いた世界では、ですよ。僕が生きてて、カズセちゃんとビッキーが出会ったこっちの世界じゃ、あの子は研究者をやるかも知れません」
     それを聞いて、一聖がケラケラと笑う。
    「そうなったらそうなったで、今度はフィオが真っ青になりそうだな。『歴史と違う』つって」
    「いやぁ……、彼自身が元々、歴史を変えるために来たわけですし、これはこれでと思ってるかも知れません」
    「アハハ、かもな」
    白猫夢・聖媒抄 4
    »»  2014.12.13.
    麒麟を巡る話、第470話。
    化学反応。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「これはこれで、面白い流れになってるのかも知れない」
     一応、トラス王国に軍籍を置いているフィオも、城内におけるビッキーの奇行は耳にしていた。
    「どう言う意味?」
     尋ねたルナに、フィオはこう説明する。
    「僕の元いた世界の歴史ではビッキー、即ちビクトリア・トラスが女王に即位するのは577年。その1年後に央南における白猫軍との交戦相手、そして従属させられていた央中諸国の権力者たちと密かに連絡を取る。
     さらにその1年後の579年、中央大陸を挙げての大規模な反乱・反撃計画、通称『コンチネンタル』作戦を決行する。その勢いに西方も加わり、白猫党は結党以来の窮地に見舞われ、そしてアオイが新たな党首となり……、と言う流れになった。
     その、ビクトリアが即位を志したきっかけは、死んだ兄の恨みと、そして『新央北』全土を征服されて打ちひしがれた父への反発からだ。……しかし」
    「あたしたちの世界ではマークは死んでないし、『新央北』もトラス王の下にあるまま。ビッキーが女王になろうなんて要素が、無くなっちゃってるのよね」
    「そう、だから懸念してたんだ。このままじゃビクトリアが女王にならず、『コンチネンタル』も決行されないんじゃないかって。
     元の歴史では、確かにこの作戦は失敗に終わる。でも白猫党を揺るがしたのは確かだ。現在その地盤を固め、既に盤石の体制を築きつつある白猫党にダメージを与えるには、これが決行されるしか無い。
     だからここ数年の流れは――勿論そう促したのは他でもない、僕なんだけども――かなり不安な流れでもあった。
     でも、カズセちゃんが僕らの仲間になって以降、僕が全く知らない流れが、明らかに生まれている」
    「それが今回の銅像破壊事件、ってこと?」
    「ああ。元々、父親以上の風雲児だったビクトリアが、カズセちゃんとの邂逅で、明らかにその片鱗を見せるのが早まってる。
     僕の世界じゃ即位は577年、彼女が24歳の時だったけど、もっと早くに名乗りを挙げるかも知れないよ」
    「『化学反応』ってワケか」
     と、そこへ一聖がやって来た。
    「かがくはんのう?」
    「オレが触媒になって、本来よりずっと早く、ビッキーの変化が起こってるってワケだ」
    「まあ、そうなるかな」
    「だけどマークは、そうは思ってねーらしいぜ」
    「って言うと?」
     一聖は先程マークと話した内容を、ルナたちに伝えた。
    「あー……、それも有り得るな」
    「それはそれで、心強い兵器開発者が誕生するけどね」
    「いや、そうなると『コンチネンタル』作戦を考える人が……」
    「ケケケ……、どう転んでも悩みもの、か」



    「……と、まあ。央北でのオレの生活は、そんなもんだ」
    「ふーん」
     サンドイッチを食べ終えた葛は、一聖に尋ねる。
    「ソレが570年、571年くらいの話だっけ?」
    「ああ。翌年からほぼ2年間、中央大陸のあっちこっちで観測してたからな。ソコら辺の話まですると、晩メシまで引っ張るぜ?」
    「ソレは遠慮かなー。また今度、ヒマがある時で」
    「おう」
     一聖は立ち上がり、街の北、丘になっている場所を指差す。
    「アレがオレたちが目指す、スカーレットヒル工場跡だ。
     調べによれば、今は中央の黒炎教団ってトコが工場跡一帯を買い占めてるらしい」
    「なんで?」
    「オレたちと同じモノを探してるからさ。
     双月暦4世紀に親父があそこで死にかけて、オレが打った刀を真っ二つにされちまった挙句、溶鉱炉に落としちまったんだ。その直後、工場は大爆発。周囲300メートルに渡って焦土と化す、ものすげー被害をもたらしたとか何とか。
     で、親父を信奉してる教団のヤツらからすりゃ、その刀は二つとない神器だ。絶対ドコかに埋まってるって信じて、土地を買い占めてからの約80年、ずーっと掘り続けてるらしい。
     とは言え一方で、ソコまで本気では掘ってないらしいってコトも聞いてる」
    「カミサマの刀なのに?」
    「親父は別に刀を打っちまったからな。『既に刀を得ている今、そう対して重要なものでもない、な』つったせいで、教団のヤツらは掘る気が失せたらしい。
     としても、万が一他の誰かに刀が見つけられちまったら、ソレはソレでオオゴトだ。だから土地を手放さず、かと言って積極的に発掘もせず、ずーっと放置しっぱなしってコトらしいぜ」
    「へー」
     葛はしばらく丘を眺めていたが、くる、と一聖に振り返る。
    「でも、溶鉱炉に落ちたって話なんでしょ? 刀だったら溶けちゃってるんじゃ……」
    「フン、折れても神器だぜ? 5000度の炎で炙ろうが、濃塩酸を吹きかけようが、壊れるワケがねー。折れたのは、相手の得物も神器だったからさ」
    「神器って、ソコまですごいの?」
    「耐久性だけじゃねーぜ? 持ち主と神器の相性によっては、尋常じゃねー力を引き出してくれる。
     そしてソレが、オレがお前に期待してるコトなんだ。お前がその刀を手にするコトで、何かしらの『化学反応』が起こってくれねーか。オレはそう、期待してるんだ」
    「できるかなぁ……」
     難色を示した葛に、一聖は自信満々そうにうなずく。
    「できるさ。……さ、メシも食ったし、いざ出発だ」
    「はーい」
     葛と一聖は、丘へ向かって歩いて行った。

    白猫夢・聖媒抄 終
    白猫夢・聖媒抄 5
    »»  2014.12.14.
    麒麟を巡る話、第471話。
    西方の中の黒炎教団。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     市街地からバスにのんびり揺られて30分後、葛と一聖は目的地、スカーレットヒル工場跡に到着した。
    「黒炎教団の人たちがいるって言うから、物々しい感じなのかなーって思ってたけど」
    「言ったろ? 特に重要な場所じゃなくなって久しいって」
     工場跡周辺は柵で囲まれており、その入口には黒衣の短耳や狼耳がうろうろしている。
    「お、アイツ……?」
    「え? 知り合い?」
    「いや、そうじゃない。あそこに黒い毛並みの狼獣人がいるだろ?」
    「うん。口ヒゲとあごヒゲ生やしてて、あたしよりちょっと年上くらいの人だよねー?」
    「ああ。黒炎教団の僧兵長服を着て、しかもあの黒い耳。もしかしたらアイツ、教団の教主一族かも知れねーなって」
    「へー……?」
     遠巻きに観察すると、その狼獣人は周囲の者に何かを命じるように動いており、確かに人の上に立つ類の者であることが察せられた。
     と、その狼獣人がこちらに気付き、いぶかしげに眺めてくる。
    「どーも」
     それに対し、一聖はひょい、と手を挙げて会釈した。
    「何者だ?」
     一方、狼獣人はいぶかしげな表情を崩さず、堅い口調で尋ねてくる。
    「観光客だよ。入っちゃまずいか?」
    「そうか、失礼した。いやなに、こちらをじろじろと見てくるものだから」
    「ケケ……、お兄ちゃん、割りとイケてる顔してるからさ」
    「な、なに?」
     ぎょっとした顔を見せた狼獣人にぺらぺらと手を振りながら、一聖はそのまま柵の内側へ進む。
    「葛、早く来いよー」
    「あ、うん。お邪魔しますー」
     葛も狼獣人に軽く会釈してから、一聖に続いた。
    「ねえ、カズセちゃん」
    「ん?」
     一聖に追い付いたところで、葛が尋ねる。
    「ココ、入っちゃっていいの?」
    「今、許可もらったろ?」
    「そうだけどさー」
    「心配すんなって。さっき言った通り、ココは教団もどう扱っていいか持て余してる物件なんだよ。
     発掘するにもコストがかかる、かと言って放棄して誰かが神器を掘り出しても困る、じゃあどうしようかってんで、アレコレ試行錯誤してるらしい。
     で、観光資源にしてみちゃどうかって話も出たらしい。だもんで、こうして試しに一般開放してるってワケだ」
    「へー」
     観光地と聞かされ、葛は辺りをきょろきょろと眺める。
     と、そこで先程の狼獣人が、自分たちのすぐ後ろに立っていることに気付いた。
    「あの……?」
    「そちらの短耳の子は、我々の事情を良く存じているようだな。概ねその通りだ。
     確かに我々の方でも、この地を持て余しているのは確かだ。特にこの国が共和国化されて以降は土地にかかる資産税や維持費が、著しく高騰している。
     現教主、ウィリアム5世――私の叔父だが――は吝嗇家で知られていてな、ささやかな出費が積み上がることを嫌っている。無論、教団全体の出納としては十分に黒字ではあるのだが、この土地のように漫然と維持費・管理費や税を支払い、何ら益をもたらさぬものをことごとく忌み嫌い、総じて収入源に転化できぬかと常々考えている。
     この地はその試みの一環として、観光地にできぬかと試みているのだ。……とは言え、私が派遣されて既に3年経つが、相変わらず赤字続きだ」
    「はあ……」
     突如ぺらぺらと話しだした狼獣人に、葛は面食らっている。
     その様子を察したらしく、狼獣人は「おっと」と声を漏らした。
    「失礼した。前述の通り、ここは未だ観光地としての成果を挙げられずにいてな、……率直に言えばヒマなのだ。珍しく観光客が来たから、少し話でもと思ったのだ。
     申し遅れた。私の名はウォーレン・ウィルソン。このスカーレットヒル工場跡の管理を任されている者だ」
    「あ、……はい、どうも。あたしはカズラ・ハーミットです」
    「橘一聖だ」
    「ほう?」
     二人から名前を聞いたウォーレンは、目を丸くする。
    「ハーミットと言うのは、もしやプラティノアールの?」
    「あ、はい。そのハーミット家ですー」
    「そしてそちらは、央南人か? 不思議な組み合わせだな」
    「大学が一緒なんだ。コッチにはその研究で、な」
    「大学?」
     ウォーレンは再度いぶかしげな表情で、一聖をじろじろと見る。
    「見たところ14、5歳と言うところだが……?」
    「若作りってヤツさぁ。中身はコイツよりオトナだぜ」
    「むむむ……?」
     煙に巻かれ、ウォーレンは面食らっていた。
    白猫夢・跳猫抄 1
    »»  2014.12.16.
    麒麟を巡る話、第472話。
    古戦場考察。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ウォーレンはその若干無骨な見た目と口調とは裏腹に、気さくな性格を持っており、気配りも細やかだった。
     珍しく訪れた観光客、葛と一聖を、彼自らがもてなし、案内してくれたのだ。
    「君は存じているかも知れないが、我が黒炎教団とプラティノアール王国、と言うよりもネロ・ハーミット卿には繋がりがあるのだ」
    「あ、聞いたコトありますー。なんでか知らないけど、おじーちゃんとタイカ・カツミが仲良かったって」
    「うむ。その関係により、教団と王国との間に貿易路が作られていた。
     もっともここ2、3年の騒ぎで、貿易は封鎖されてしまったと聞いているがな」
    「実はあたしの家も、その騒ぎで隣国に引っ越したんですよねー」
    「と言うと、グリスロージュへか」
    「はいー。元々パパ……、あ、いえ、父が向こうの人たちと親しかったので」
    「ふむ……、大変な目に遭ったのだな。
     おっと、ここだ」
     一見、ただのゴツゴツした岩山にしか見えないところで、ウォーレンが立ち止まる。
    「ここが、黒炎様の刀が落ちたのではないかと推定されている溶鉱炉跡だ。
     工場を建てた者が遺した設計図や、ここで行われた戦いに参加したとされる英雄、ニコル3世の日記などの古い文献を綜合し、その上で綿密な計算・計測を行った結果、ほぼ間違いなく、この『ミスリル化珪素』と言われる物質の下に、刀が落ちていると考えられている」
    「ミス……、リル、化?」
    「私も詳しいことは、良くは知らない。何でも魔術、とりわけ錬金術の類に使う合成樹脂の一種だそうだ。
     しかしそのことが、様々な物議をかもしてもいる。知っての通り、合成樹脂などと言うものは、ここ数十年で研究・開発された新素材だ。それが何故、4世紀前半に建設されたはずのこの工場に、岩と見紛うほど大量に存在しているのか? 残念ながら前述の文献にも、詳しく言及したものは一切、見つからなかった。
     無論、私もそれに目を通してみたが、この工場で精製されていたものに関しては、それらしい記述や言及が何ら見つからず、今もって不明のままなのだ。
     それに、黒炎様がここで瀕死の重傷を負ったと言うこと。それは我々黒炎教団の人間には、天地が引っくり返るよりも信じられぬ出来事だ。しかもニコル3世の日記によれば、重傷を負わせたのはこの工場の所有者であった、アバント・スパスとか言う無名の人間だと言う。何故そのような者が、黒炎様に深手を負わせるほどに肉薄できたのか。それも謎だ。
     何より、その重傷を負わせた武器だ。現在は我々が所蔵し、教団本拠の奥深くに封印している代物だが、何度か研究したところ、紛れも無く神器であろうと言う結論に達した。ではその神器を、一体誰が造ったのか? それもまた、今なお解けぬ謎のままだ」
    「へー……」
    「……あ、すまない」
     と、ウォーレンはぺこりと頭を下げる。
    「またぺらぺらと、一人で話してしまったな。
     私の悪い癖だと常々承知してはいるのだが、どうも直せない。この悪癖で猊下にも不興を買ってしまい、中央大陸から追いやられる始末だ。
     ……あ、いや、別にこの国が嫌いだと言うわけではない。むしろ3年この地に住んでいるが、すっかり馴染んだ覚えがある。西方語も上手いだろう?」
    「ええ、自然に聞けますねー。ちょっと堅い感じがありますけど」
    「それは良かった。……ん?」
     二人が話している一方、一聖はその、ミスリル化珪素の山をじっとにらんでいた。
     それにウォーレンが気付き、声をかける。
    「タチバナさん?」
    「一聖ちゃんでいいぜ。……深さ30メートルってトコか」
    「ん? ああ、そのくらいだろうと予想しているが」
    「ちっと硬そうだな」
    「加工すれば人の肌のような滑らかさと柔軟性を発するそうだが、あまりに長い間風雨にさらされているからな。珪素本来の硬度を取り戻してしまったようだ」
    「あー、そっか、加工な」
     そう返し、一聖は山のすぐ前に進む。
    「言っておくが、手を触れては……」
     ウォーレンが注意しかけたところで、一聖が呪文を詠唱し始めた。
    「まっ、待て! 何をしようとしている!?」
    「黙ってろ」
     一聖は意に介さず、魔術を放った。
    「『ホールドピラー:トリプル』!」
     岩山からにょきにょきと、そのミスリル化珪素でできた柱が伸びていく。
    「待て! やめろ! 遺跡が……!」
     責任者のウォーレンは顔を真っ青にし、一聖を止めようとする。
     しかし彼が一聖の肩をつかんだ瞬間、一聖はくい、と体をひねり、鳩尾に蹴りを入れて突き放す。
    「おげっ!?」
    「邪魔すんな。……ほれ、ソレっぽいのが出てきたぜ」
     そう言って一聖は術を止め、高さ20メートルほどに伸びたいつくもの柱の一つを指差す。
     その中には確かに、黒く長細い塊が2つ見えた。
    白猫夢・跳猫抄 2
    »»  2014.12.17.
    麒麟を巡る話、第473話。
    克大火の弟子;神器を造りし者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「な、何と言うことを、……い、いや、それよりも、何と言う魔力だ。
     完全に岩と化していたはずのミスリル化珪素を一瞬で活性状態に引き戻し、しかもこの数秒であれほどまでに変形させるとは」
    「ケケケ、手間が省けたろ?」
     尻餅を着き、まだ唖然としているウォーレンに背を向け、一聖は石柱に向かう。
    「ふむ……。お、やっぱアレだな」
     もう一度術を使い、一聖は柱の中からその塊を取り出した。
    「葛、コイツがオレの打った刀、『黒花刀 夜桜』だ。
     真っ二つにはなっちゃいるが、オレが言った通り、2世紀半以上経っても刃の輝きは、ちっとも失われちゃいねーだろ?」
    「でも使いものになるの? 真っ二つじゃ……」
    「おいおい、オレを誰だと思ってる? 神器造りにかけちゃ、克一門でオレの右に出るヤツはいねーんだぜ?」
     その言葉に、ウォーレンは目を丸くして立ち上がる。
    「か、カツミ? カツミ一門と言ったのか?」
     ウォーレンには答えず、一聖はその塊を手に取り、破断部分を合わせて呪文を唱え始めた。
    「***……****……**……**……****」
     すると刀の表面がぼんやりと紫色に輝き出し、破断面に光が集まっていく。
     光が消えた頃には、それは一振りの刀に姿を変えていた。
    「ほれ、修理完了だ。ついでにあのミスリル化珪素で、鞘も作ってやったぜ」
     一聖からその刀を受け取り、葛は恐る恐る、鞘から抜いてみた。
    「……っ!」



     鼻孔に、桜の匂いを感じる。
     ふと気が付くと、葛は真っ暗な闇夜の中に立っていた。
    「えっ、えっ? なに?」
     何も見えず、葛はその場に立ちすくむ。
     と、空を覆っていた雲が晴れ、白い月が覗く。
     その光に照らされ、葛は正面に、大きな、そして身震いするほどに美しい、巨大な桜を見た。
    「う、わ……ぁ」
     葛は思わず、感嘆の声を漏らしていた。
    (すごい……! こんなすごいもの、見たコト無いよ!
     ぞっとしちゃうほど――きれい)



    「どーよ?」
     一聖に肩を叩かれ、葛は我に返った。
    「えっ、あ……、あ、うん、……綺麗だね、すごく」
    「だろ?」
     と、まだ高揚冷めやらぬ葛のところに、ウォーレンが戻ってくる。
    「き、君たちは何者なのだ? カツミと言うのは、まさか……」
    「そのまさかって言ったら?」
     一聖に尋ね返され、ウォーレンの狼耳と尻尾が目に見えて毛羽立つ。
    「……そんな。……いや、……そんな、……ああ、もう、何も言葉が出ないっ!」
     一転、ウォーレンはその場に平伏し、がばっと頭を下げる。
    「畏れ多くも黒炎様の御門下に拝しまして、恐悦至極に存じます。甚だ不遜、不躾な振る舞いをいたしましたことを……」「やめれやめれ、やーめーれーっ!」
     一聖は顔をしかめさせながら、ウォーレンの頭に手刀を下ろす。
    「あいたっ!?」
    「オレはそーゆー堅っ苦しい挨拶やら土下座やらは大嫌いなんだ! さっきみてーに普通に話してくれりゃいいんだよ!」
    「あ、す、すみません。誠に失礼を……」「だーかーらぁ」
     立ち上がりつつ謝るウォーレンに、一聖は再度手刀をぶつける。
    「一言、『ごめん』でいいじゃねーか。まったく、ウィルソン家ってのはなんでこー、どいつもこいつも杓子定規で融通利かねーのばっかなんだよ?」
    「……御免」
     先程とは打って変わって恐る恐ると言った様子で、ウォーレンが尋ねる。
    「すると、こうしてやって来たのは、その刀を回収するため、と?」
    「ああ。葛にちっと、『化学反応』を与えたくって、な」
    「と言うと……?」
     葛は刀を腰に佩き、これまでの経緯――自分の姉、葵が白猫党の中枢奥深くで白猫から預言を受け、それに従って己の父を手にかけ殺そうとしたこと、さらには自分をも殺そうとすべく強襲してきたことを話した。
    「なんと、そんな事情が……」
    「葵はめちゃくちゃ強い。このまま葛になんもしなきゃ、瞬殺されるのは目に見えてる。オレが守るっつっても限度があるしな。
     だからこの刀を与えたし、そしてある能力を開花させてーんだ」
    「ある能力、とは?」
    「ソレはな……」
     一聖が説明しかけた、その時――遠くから、誰かの悲鳴が響いてきた。
    白猫夢・跳猫抄 3
    »»  2014.12.18.
    麒麟を巡る話、第474話。
    僧兵ウォーレン、奮戦す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うわ……っ」
    「ひ……」
     聞こえてきた悲鳴に、ウォーレンが血相を変える。
    「なんだ!?」
    「……チッ」
     一聖はどこからか鉄扇を取り出し、葛たちの前に立つ。
    「恐らく葵だろう。オレたちを追ってきたらしい。ウォーレンって言ったっけか、腕に自信あるか?」
    「うん? あ、ああ。教団の秘義、武芸十般は全て修めている。21の時には黒炎擂台賽で優勝もした」
    「おや、そりゃ大したもんだな。じゃあそこいらの兵士や何かよりはマシってコトだ。ソレじゃ手伝え」
    「手伝う?」
    「今の悲鳴が聞こえたろ? 敵襲ってヤツだ。ソレとも僧兵長サマともあろう者が、敵が来てるってのに何もしねーって?」
    「馬鹿な! 戦うに決まって、……あ」
     と、ウォーレンは腰に手をやり、困った表情を浮かべる。
    「武器が無いのか?」
    「用も無いのに振り回すわけにも行かんからな。……自室で埃をかぶっている。いや、無論たゆまず鍛錬は……」「言い訳すんな。何使ってた?」
     ウォーレンは顔を真っ赤にしつつ、ぼそっとつぶやく。
    「三節棍だ」
    「しゃーねーな、サービスで造ってやんよ」
     一聖はもう一度、柱に術をかけて武器を造る。
    「ほれ」
    「か、かたじけない」
    「……あーあ。もう来やがった」
     と、ここで一聖がため息をつく。目の前に、葵が現れたからだ。

     刀を手にし、静かに現れた葵の他には、誰も現れない。
    「他の者は? さっきの悲鳴は貴様の仕業か?」
     即席の三節棍を構えつつ尋ねたウォーレンに、葵が淡々と答える。
    「人払いさせてもらったよ。誰にも邪魔、されたくないから」
    「ふざけたことを!」
     ウォーレンは憤って見せたが、葵はまったく意に介した様子を見せない。
    「あなたも邪魔しないでくれる? これはあたしと、カズラの問題だから」
    「そんな勝手を通すと思うのか!」
     ウォーレンは葵に向かって駆け出し、三節棍を振るう。
     だが――自分に向かって飛んできた棍の先端を、葵は事も無げにつかむ。
    「なっ!?」
    「邪魔しないでって、注意したよ」
     葵はぐい、と棍を引っ張り、ウォーレンを自分のすぐ側まで寄せる。
     予想外の葵の対応でウォーレンは体勢を崩し、その直後、棍を掴んでいた葵の左腕が、ウォーレンの顔に深々とめり込む。
    「ぐぉっ、……ん、があッ!」
     しかし、ウォーレンは鼻と口から血をほとばしらせながらも、倒れない。
    「おー、言うだけあるな。タフなヤツ」
     一聖の軽口を背にしつつ、ウォーレンは三節棍を捨て、葵の左腕を取る。
    「……っ」
     ほんのわずかだが、葵が息を呑む。
     そのわずかな間にウォーレンは葵の脚を払い、腕をつかんだまま体を勢い良くひねる。
    「うあっ……」
     葵は慣性に流されるまま、ばたん、と床を転がっていった。
    「やるぅ。流石だな、ウォーレン。……だが油断すんなよ。相手は並の人間じゃねー」
    「承知している」
     ウォーレンは三節棍を拾い上げ、葵との距離を取る。
    「数瞬立ち回っただけだが、あの身のこなしと動体視力。間違いなく私が出会った中で、最強の女だ」
    「分かってりゃいい」
     その間に葵は音もなく跳び、立ち上がる。
    「割りと、強いね」
    「なめてもらっては困る」
     ウォーレンは棍を構え、再度葵と対峙した。
    「それはこっちのセリフだよ」
     今度は葵が距離を詰める。
    「はあッ!」
     迫ってきた葵に、ウォーレンは棍を振るう。
     だが――葵は今度は避けず、刀で斬りかかる。
    「……何だと!?」
    「忘れてたぜ……。アイツはオレの神器を、斬ったコトがあったんだよな」
     三節の中の棍が真っ二つに切り裂かれ、葵のはるか右方向へと飛んで行く。
     攻めと守りの両方を失ったウォーレンを、葵は何の躊躇も見せることなく、一刀のもとに斬り捨てる。
    「ぐふっ……」
     ウォーレンは、今度は胸から血しぶきを上げて、その場に倒れた。

    「……ひ……どい」
     姉の凶行を目の当たりにし、葛の口から自然に言葉が漏れる。
    「何てコトするのよ!」
    「邪魔しないでって言ったのに、この人は襲いかかって来た。当然の報いだよ」
    「報い、って何よ……!?」
     葛は無意識に、「夜桜」を抜いていた。
    白猫夢・跳猫抄 4
    »»  2014.12.19.
    麒麟を巡る話、第475話。
    姉妹対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     葵は刀を下げ、淡々と声をかける。
    「カズラ、やめて」
     だが、葛は激昂に任せ、怒鳴り返す。
    「バカばっかり言ってんじゃないわよ!」
     葛は「夜桜」を構え、葵と対峙する。
    「こないだから思ってたけど、ずーっと自分勝手なコトばっかり言ってるって、自分で分かんないの!?
     パパを斬った時も、あたしと再会した時も! 今のもよ! 全部アンタの自分本位な考えと理屈で通そう、通そうってしてる! 『こうなるのは自分には見えてた』? 『これはそうなるべき流れ』? 『あたしと戦えば死ぬしか無い』? ……ふざけるな!
     全部アンタがその場にいたから起こったんだ! アンタがソコにいさえしなかったら、パパは傷つかなかったし、ウォーレンさんも殺されたりしなかった! ましてや、あたしが死ぬなんてコトも絶対、起こったりなんかしない!
     全部、全部、全部! 全部アンタが原因だ! 何もかもアンタが、アンタが……ッ」
     葛の刀に、すっと火が走る。
    「来い、アオイ・ハーミット!
     そんなにあたしが死ぬのが見たいなら、かかって来いーッ!」
    「……」
     葵はまだ何かを言おうとしていたが、やがて口を閉ざし、刀を構えた。
    「分かった。あんたがそう決意したんなら、あたしは、あんたを――殺す」
     その瞬間、葵がこれまで見せていた、気だるげな様子が一変した。
    「……っ」
     無意識に、葛は固唾を飲んでいた。
    (なに……コレ? 一瞬、体が底の方から凍ったかと思った。コレ……もしかして、『殺気』ってヤツなのかな)
     表情こそ、いつも見てきたように眠たそうで、やる気を欠片も見せないものではあったが、彼女の体全体から冷え冷えとした、突き刺すような気配が感じられる。
     その威圧感に押され、葛は刀を構え直しつつ、一歩後ずさった。
    「来ないの?」
     その様子を見ていた葵が、ぼそっと尋ねる。
    「口だけだった?」
    「……っ」
     葛の中で、葵に対する怒りと恐れが交錯する。
     1秒か、2秒か――心の中で何度も感情がせめぎ合い、そして怒りが勝った。
    「りゃああッ!」
     葛は刀を振り上げ、葵に迫る。
     それに対し葵は、刀を構えようともせず、すたすたと近付いて行く。
    「カズラ」
     ぼそ、と葵が――この上なく残念そうに――つぶやく。
    「見苦しいよ」
     葛の耳に、ざく、と音が響く。
    「……ごぼ……」
     自分では、何が、と言ったつもりだったが、それはただの水音として喉からあふれる。
     己の胸の奥に冷たいものを感じながら、葛はその場に倒れた。

     葵は自分の妹に背を向け、またぼそぼそとつぶやく。
    「生きてたんだね、その人」
    「元々タフだったし、オレが治したからな」
     血塗れのウォーレンに肩を貸しながら、一聖が答える。
    「とうとうやりやがったってワケだ」
    「そうなるね。やりたく、なかったけど」
    「ふざけんな」
     一聖は憤った顔で、葵をにらみつける。
    「やりたくない、だと? だったら、やらなきゃいいだけだろ。葛が言った通りじゃねーか。
     はっきり言ってやる。お前さんの精神は分裂・破綻しかかってるんだ。その原因は、強度のストレスだ。ソレも尋常なものじゃない、少しでも気を緩めれば、たちどころに発狂しかねない域の、な。そのストレスの根源は、白猫からの重圧に他ならねー。
     一体なんで、お前さんは白猫に粛々と付き従う? お前さんほどの力と知恵、才能があれば、白猫に隷属する理由は無いはずだ」
    「あるんだよ」
     葵は刀に付いた葛の血を振り払いつつ、こう返す。
    「もしもあたしがいなかったら、あの方は誰を手先にすると思う?」
    「……その懸念のために、お前は結局、最悪の選択をしたってワケだ。
     自分で自分のコトを、愚か者だと分からねーのか?」
    「分かってるよ。分かってるけど、もう、他には……」
    「しかかってる、じゃねーな。もう破綻してる。お前さんは、おかしくなってるよ」
    「そうだね」
     葵は刀を構え、一聖たちに近付く。
    「あたしの心はもう死んでるも同然だよ。この手でパパをひどく傷付け、そして今、カズラも殺した。
     あたしにはもう、まともに生きる資格なんか無い。この先ずっと、あたしはあの方の人形でいなきゃならないだろうね」
    「ヘッ、……バカが」
     一聖はウォーレンを投げ、鉄扇を構えた。
    白猫夢・跳猫抄 5
    »»  2014.12.20.
    麒麟を巡る話、第476話。
    あの、暗い駅で。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……ん……」
     ふと気が付くと、葛はどこかのベンチに座っていた。
    「……えっと?」
     辺りを見回してみると、見覚えがある。
    「駅、……かなー」
     確かにそこは、自分がかつて良く使っていた、エルミット駅のホームだった。
    「お嬢さん」
     と、声をかけてくる者がいる。振り向くと、黒いスーツに黒いコート、そして黒い帽子と言う、黒ずくめの格好をした兎獣人と目が合う。
    「そろそろ、列車が出る時間ですよ。急がないと」
    「あ、はーい」
     誘われるまま、葛は兎獣人に付いていく。

     付いていくうちに、葛はぼんやりと考える。
    (……あたし……なんでこんなトコにいるんだろー……?)
     自分の記憶を振り返ろうとするが、ぼんやりと霞がかかっているかのように、頭がはっきりしない。
    「あのー」
     葛は先導する兎獣人に、声をかける。
    「どうされましたか?」
    「ココ、ドコですか? あたし、どうしてココに……?」
    「ああ」
     兎獣人はぴた、と立ち止まる。
    「覚えていらっしゃらないようですね」
    「ごめんなさい、さっぱり」
    「無理も無い。思い出したくも無いことでしょうからね」
    「え……?」
     兎獣人は右手に持っていた黒いステッキの先端を、葛の胸にとん、と当てた。
    「あなたは殺されたのですよ」
    「……どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味です。
     カズラ・ハーミットさん。あなたはあなたのお姉さん、アオイ・ハーミットにより胸を刺し貫かれ、殺されたのですよ」
    「……!」
     思い出したその瞬間、葛は全身が冷たく、そして固くなっていくのを感じた。
    「あ……ああ……」
    「もう少しばかり、お気を確かに。まだ列車まで、しばらくありますから」
    「そんな……そんな!」
     その場に崩れ落ちかけた葛の手を、兎獣人がつかむ。
    「残念ですが、これは事実なのです。あなたは亡くなりました。そして間もなく、列車に乗ることとなります。
     さあ、お立ちください。まだもうしばらく、お付き合いいただかなければ」
    「うそっ……うそ……そんな……」
     よろめきつつも、葛の足は勝手に、前へと動き始めた。
    「待ってよ! あたし、まだ、やるコトが……」
    「ございませんよ。そんなものは、一切」
     兎獣人は首を大きく横に振り、葛に残酷な言葉を放った。
    「死んだ者に課せられるべき役目など、ありはしないのです」
    「……っ」
     その言葉に、葛の心は折れた。
     葛は何も言えなくなり、そのまま兎獣人の後へ付いて行った。

     無言で歩く葛の横を、誰かが歩いている。
    「あっ、あの……」
     声をかけようとして、葛は途中で言葉に詰まる。その誰かも、黒ずくめの者に先導されていたからだ。
     いや、その人だけではない。駅構内のあちこちから、葛と同様黒ずくめに連れられた人々が、ぞろぞろと同じ方向に向かって歩いてきていた。
    「……あの」
     葛は自分を率いる兎獣人に声をかける。
    「なんでしょう?」
    「ココってエルミット駅、……じゃないんです、……よね」
    「ええ」
    「他の人たちも……」
    「その通りです」
    「みんな、同じ列車に?」
    「はい」
    「……あの」
    「どなたか、お探しですか?」
    「あ、はい」
     葛は逡巡しつつ、兎獣人に尋ねる。
    「あたしが来る前に、黒髪で色黒で黒い毛並みの、口ヒゲとあごヒゲを生やした狼獣人の方って、こちらに来られましたか? ウォーレンさんって言うんですが」
    「いいえ。申し訳ありませんが、他の方のことは存じません」
    「……そうですか」
     辺りを確認してみたが、それらしい者も見当たらなかった。
    「ウォーレンさん、あたしのせいで死んじゃったんです」
    「それはお気の毒に」
    「謝らなきゃいけないなって」
    「お気にされぬよう。全ての功罪が、それによって抹消される。死と言うものは、そう言うものです。
     あなたのせいで死んだ者があったとしても、彼岸において、その責を問われることはありません」
    「……そうですか……」
     葛は口を閉ざし――かけたが、そこでまた、疑問が生じた。
    「功罪が消えると言いましたよね」
    「ええ」
    「じゃあ、生前に成した業績も評価されないってコトですか?」
    「ええ」
    「……ソレが例え、世界を変えるほどの偉業であっても?」
    「そうです。死は万物にとって等しく、そして等しさをもたらすものですから」
    白猫夢・跳猫抄 6
    »»  2014.12.21.
    麒麟を巡る話、第477話。
    葛、発奮。

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    7.
     兎獣人のその言葉に、葛は思わず怒鳴っていた。
    「なんでそうなるのよッ!」
    「どうされました?」
     表情を変えず、そう尋ねてきた兎獣人に、葛はこう主張する。
    「じゃあ、じーちゃんがやったコトも全部無かったコトになるって、そう言うコトなの?」
    「じーちゃん、とは?」
    「ネロ・ハーミット卿よ! じーちゃんはソレこそ、世界を変えるほどのコトをした人だった! その業績も無かったコトになるって言うの?」
    「ですから、彼岸においては一切関係の無い……」
     言いかけた兎獣人が、そこで黙り込む。
    「……なに?」
     葛が尋ねたが、兎獣人は答えない。
    「どうしたの?」
     再度尋ねたところで、兎獣人はばつが悪そうに、こう返した。
    「まあ、そのですな。無論、原則的に、例外無く、此岸(しがん:この世のこと)における業績は、彼岸において何ら関係の無いこととなります。それは動かしようの無い事実です。
     ですが、まあ、それはそれとして、彼岸において業績を成したと言うのであれば、無論、それはそれで、彼岸で評価されると言うことに、まあ、ええ、……なりますね」
    「どう言うコト?」
     三度目の問いにははっきりとは答えず、兎獣人は一瞬、そっぽを向く。
    「『向こう』に着けば、いくらでも分かることです。さあ、そろそろお急ぎくだ……」
     兎獣人が振り返ったところで、彼は絶句した。
     何故ならその時既に、葛は逆方向に駆け出していたからである。
    「ま、待ちなさい!」
     兎獣人は慌てて追いかける。だが、葛は止まらない。
    「待てって言われて待つ人なんかいる!?」
     周りの黒ずくめや、それらに連行される者たちが唖然と眺めている中を、葛は全速力で駆け抜けて行く。
    「待ちなさい! 待って! 待って下さい!」
    「ソレしか言えないの!? じゃーねっ!」
     葛は先程まで座っていたベンチも越え、遠くへ、遠くへと走って行った。

     祖父の功績を無碍にされたことで激昂し、怒鳴ったせいか、葛にまとわりついていた怖気や寒気、倦怠感は消えていた。
     それらが消えると共に、葛は自分の中に、煌々とした火が点るのを感じた。その途端、彼女は強い衝動に突き動かされた。
     それは紛れも無い、生への欲求だった。
    (こんなトコで、こんなトコで……!)
     葛はあらん限りの声で、絶叫していた。
    「誰がこんなトコで、死んでやるもんかーッ!」
     駆けに駆けて、葛は駅の外に出る。
    「……え、っと」
     しかし――それ以上は前に進めなかった。
     目の前には、真っ暗な空間が広がっていたからである。
    「ど、……どうしよっかな」
     駅を一歩出た辺りから既に、足元も見えないほどに暗い。それはまるで、そこに地面が無いかのようだった。
     いや、恐る恐る駅の階段から一歩だけ脚を出し、探ってみても、何の感触も無い。
    「止まりなさい! そこで止まって!」
     背後から、あの兎獣人が追いかけてくる。さらにその後方からも、警吏風のコートを着た黒ずくめたちが走ってくるのが見える。
    「……」
     葛は前後を何度も繰り返し、きょろきょろと見返し、逡巡する。
    (どうしよー……。パッと駆け出して来ちゃったけど、……まさかこんな風になってるなんて、想像してなかったもんなー)
     葛は足元の虚空を見つめ、ごくりと喉を鳴らす。
    「……うーん」
     それでも、元来決断が早い方である。
    「行っちゃえっ」
     葛は意を決し、その暗闇へと飛び込んだ。



     葛はがばっ、と勢い良く起き上がった。
    「……!」
     そしてすぐ、自分の胸を確認する。
    (んー、……少なくともココはアイツに勝ってるな。一回りくらいおっきいかな?
     ……じゃないって)
     刺し貫かれたはずの胸には、今は痛み一つ感じられない。
    「……カズラ」
     数メートル先に、葵が立っている。
     その前には肩を押さえ、うずくまる一聖がいた。
    「ケケ……、やーっと目ぇ覚ましたか。どーよ、『向こう』に行った気分は」
    「行ってないよ、ギリギリだったけど」
     葛は立ち上がり、落ちていた刀を手に取る。
    「寸前で逃げてきた」
    「逃げたぁ? ……はっは、すげーなお前。
     まあ、場はつないでやったんだ。そろそろ活躍してくれなきゃ、困るぜ?」
     一聖は鉄扇を葵に向けつつ、後ずさる。
    「行け、葛!」
     その声に応じる代わりに、葛は葵目がけて跳躍した。
    白猫夢・跳猫抄 7
    »»  2014.12.22.
    麒麟を巡る話、第478話。
    「予知」と現実をつなぐもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     跳びかかってはみたが、葛は攻めの手を見出せないでいた。
    (さっきのだって、何がなんだか分かんないうちにやられちゃったしなー)
     それでも刀を振りかぶり、葵に袈裟斬りを仕掛ける。
     しかし、やはり容易にかわされ、葵が突きを放ってきた。
    「わわ、っと」
     先程と違ったのは、ここからだった。
     まったく把握できなかった葵の太刀筋を、この時の葛は完全に見切り、空中で体をひねってかわしていた。
    「それッ!」
     そして着地した瞬間、葛は刀を横に薙ぐ。
    「……っ」
     ギン、と鋭い金属音が鳴る。葛はその向こうに、姉が息を呑んだそのわずかな音を、はっきりと確認した。
    「油断してたよ」
     葵は一歩後方へ跳び、刀を構え直す。その右手からは、血がポタポタとこぼれていた。
    「そうだよね。あんたにも黄家の血が流れてる。だったらばーちゃんやパパと同じ力が備わってても、何にもおかしくない。
     ……でも、ここまではあたしの予知の範囲内。4割か、5割弱くらいは、あんたが蘇ってくるって未来を見たことがある。そして、その後のことも」
     今度は、葵の方から仕掛けてきた。
    「あんたは、ここで死ぬよ。もう、その未来しか無い」
     幾太刀もの鋭い斬撃が、葛を襲う。
    「そんなの、誰が信じるもんか!」
     葛も刀を目まぐるしく振り回し、その全てを防ぎきる。
    「予知? 未来? 予定調和? 誰がそんなの、信じると思ってるのよ!?
     あたしは絶対信じない! そんな寝言を信じてるのは、この世でただ2人だけよ! アンタと、アンタの間抜けな雇い主だけ!
     ううん、ソレどころかその雇い主すら、自分の予知が絶対実現するなんて、コレっぽっちも信じてないはずよ!」
    「どう言う意味?」
     再び、二人は間合いを取る。
    「あたしはこう思ってた。白猫はあたしたちがどうあがこうと結果が確定してるような、絶対的に不変の未来を見てるんじゃない。
     無数に存在する色んな未来、ううん、単なる『可能性』って言っていいようなものたちの中から、自分に都合のいいものを選んで、ソコに行き着くように誘導してるだけだ、って。
     その未来を決定するのは、今、ココにいるあたしたちよ。この世界に体を持たない白猫には、決定権が無い。ココとは遠い世界にいる白猫は、口を出すコトしかできない。だから延々アンタに指示を送って、軌道修正しまくってるのよ。
     何度も言ったコトだけど、アンタがそのバカみたいな指示を聞きさえしなければ、そんなあやふや極まりない『予知』なんて、絶対外れる。ソレを現実のものにしてるのは、他でもないアンタよ」
    「同じ答えは何度も返してるはずだよ」
     葵が、刀に火を灯す。
    「そうしなきゃ、もっと悪い未来になる。あんたも、あたしも、他の皆も、もっと悪い目に遭う」
    「ソレも予知? 違うよね」
     葛も、応じるように火を灯す。
    「その言い訳をする度、言葉を濁してごまかしてる。はっきり何が起こるなんて、全然言わない。何故ならソレは、断言できないから。つまりソレって『絶対来ると確信してる予知』じゃなくて、『もしかしたら来るかも知れない予測』だからでしょ?
     アンタは怖がってる――自分の予知を超えた、不確定の未来を。だから悪い結果になると分かってて、ソレでもその予知を現実にしようとする。
     どんなに望まない未来でも、その方が自分に扱えると思ってるから。アンタはその素晴らしい予知能力のせいで、却って何にもできない、人並み以下の木偶の坊になってるのよ」
    「……ッ!」
     葛が指摘したその瞬間、葵のぼんやりとしていた顔に、初めて険が差した。
    「それ以上、言わないでくれる?」
     声色も、今までのようなぼんやりしたものではない。明らかに不快感を漂わせた、荒い声だった。
    「『言わないで』? ソレは当たってるから? 自分は敷かれたレールの外を歩けない臆病者だって、認めるの?」
    「黙れ!」
     再度、葵が仕掛ける。
    「『月輪』!」
     ひゅぱっ、と音を立て、葵の前方に亀裂が走る。
    「キレんな、このバカ姉貴ッ!」
     葛は空中に跳び、ぐるんと体をひねって斬撃をかわす。
    「アンタの預言、ブッ壊してやる。
     あたしは死なない。あたし以外の誰かが死んだりもしない。ううん、誰も死なせたりなんかしない。
     あたしはアンタだけを、アンタ一人だけを、……討つッ!」
     そう叫び――そのまま、葛はその場から消えた。
    白猫夢・跳猫抄 8
    »»  2014.12.23.
    麒麟を巡る話、第479話。
    Beat The Oracle!;預言をブッ壊せ!

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「……消えた。『星剣舞』だね」
     葛が目の前から消えても、葵にうろたえた様子は無い。
    「でもそれはもう、パパの時に見切ってる」
     葵は刀を構え直し、周囲を警戒する様子を見せた。



     この時、葵は周囲だけではなく、別のものを見ていた。
     これまで散々と語ってきた、あの恐るべき予知能力によってもたらされた「複数の未来」――彼女たちが「スクリーン」と呼んでいたものである。

    (『どの』カズラかな)
     その何十もの「スクリーン」に、それぞれ違う世界が映し出される。その中の半分以上で、既に葛は事切れており、ぴくりとも動かない。
    (これは、さっき仕留めた時のまま。カズラは生き返らなかった)
     他の「スクリーン」にもまた、別の死に方をした葛が映し出されている。
    (こっちは、復活しかけたカズラにとどめを刺してる。これも、生き返ったカズラに即、刀を投げつけて串刺しにしてる。これは、……そう、これだ)
     やがて葵は、葛が生きている世界を発見する。そしてそこからたぐり寄せるように、別の、葛が生きている並行世界を比較対照していく。
    (これも。
     これも。これも。
     これも。これも。これも。
     これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。
     そして、これも。……19通り、カズラはあたしの背後から斬りつけてくる)
     葵はぐるんと踵を返し、やって来るはずの斬撃を待ち構える。
    「……?」
     しかし、数瞬待っても、葵は来るはずの衝撃を受けない。
    「……いた……いっ!?」
     肩から突然、痛みを感じる。思わず手を当て、そして愕然とした。
    (今のは、なに? こんな未来は、一つも見えなかった)
     それでもなお、葵は冷静さを失わず、次の予知を行う。
    (ここから派生する未来は――待って? これ、どう言うこと?)
     葵の目には、先程と変わらない世界が映っている。
     相変わらず、別のある世界では、葵が葛の死骸を抱えて泣いている。別のある世界では、一聖が血塗れの葛を抱え、微動だにすること無くうずくまっている。また別のある世界では、復活した葛の首を、葵が刎ねている。
     その30通り、40通りもの並行世界のどこにも、今、葵が受けたものと同じ事象は発生していなかった。
     それを確認した途端、葵は生まれて初めて、刀を構えられないほどに狼狽した。
    「なんで? なんで、あたしに分からないの?」
     無意識に、言葉が漏れる。
    「カズラ! あんた、どこにいるの!? 今、何をしてるの!?」
     それは、彼女らしからぬ叫びだった。
    「……くっ!」
     混乱しつつも、葵はもう一度、未来を見ようと試みた。
    「……えっ……?」
     その瞬間、葵は信じられないものを見た。

     葛が壁に磔にされた別の世界で、その前を一瞬、葛が横切ったのだ。
    「いまの、なに……!?」
     さらに別の、葛と一聖が並んで串刺しになった世界にも、葛が一瞬だけ現れて、すぐに消える。
     いや、消えたのではなく――「スクリーン」から「スクリーン」へ飛び移るように、葛が移動しているのだ。
    「なに……これ」



     葵が、その場から弾かれる。
    「ぐはっ……!」
     刀が葵の手を離れ、遠くへ飛んで行く。
     どうにか立ち上がるが、体のあちこちからボタボタと血を流しており、葵はすぐに膝を着いた。
    「ど……どうして……?」
     それに応じたのは、一聖だった。
    「見えなかったか? お前の未来視の中に、『この世界の』葛は見当たらなかったか?」
    「……!」
     葵は一聖をにらみ、焦りきった声色で尋ねる。
    「何か知ってるの!?」
    「仮説ってレベルでだが、な」
     一聖はニヤニヤと笑っていた。
    「だけど教えてやんねー。そのままブッ飛ばされてろ」
    「……ぅぅぅうう、うあ、ああああッ!」
     葵は半ば野獣じみたうめき声を漏らし、踵を返す。
    「分かってるか、葵?」
     ふらふらとした足取りで逃げ出すその背中に、一聖は嘲った声をぶつけた。
    「葛は死ななかったし、お前にはもう殺せない。
     つまりお前さんが100%起こると豪語した予知、妹君に対してご大層に言い放ったあの預言は、完膚なきまでに外れたってワケだ。
     この勝負、葛の完全勝利だ。言い訳したいってんなら聞くぜ?」
    「……」
     葵は振り返ることなく、その場から走り去った。
    白猫夢・跳猫抄 9
    »»  2014.12.24.
    麒麟を巡る話、第480話。
    跳び猫が跳んだ理屈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     いつの間にか床にへたり込んでいた葛に気付き、一聖が声をかける。
    「よお」
    「……」
    「どうだった? 次元を飛び越えた気分は」
    「アンタの話、……ようやく分かった気がする」
     辛うじて上半身を起こしていた葛は、そこで仰向けに寝転がった。
    「もー無理。マジ動けないー」
    「そのまま寝てていい。もう葵は襲ってなんかきやしねーよ」
    「そう?」
    「葵にとっちゃコレ以上無いってくらいにショックを与えたんだ。立ち直るには時間がかかるさ」
    「だといーけど」
     と、ここで恐る恐る、ウォーレンが近付いてきた。
    「すまないが……」
    「お、目ぇ覚めたか」
    「あれ? ……ウォーレンさん、生きてたの!?」
    「ええ、何とか。
     私は死人がいないか、少々見て回ってくる。その後で水か何か、持ってくる。それまで安静にしているといい」
    「おう。後、食い物もあれば。できればチョコとか。とびきりうまいのがほしい」
    「相分かった」
     ウォーレンが去ったところで、葛はちょいちょい、と一聖に手招きする。
    「ねえ、カズセちゃん」
    「ん?」
    「もう一回、整理させてもらっていい?」
    「何をだ?」
    「『星剣舞』ってどんな技かって言う、カズセちゃんの仮説」
    「ああ、いいぜ」
     一聖が傍らに座ったところで、葛は横になったまま、彼女に尋ね始めた。



    「この技のすごいトコはな」
     昨晩、葛の部屋。
     一聖は「星剣舞」がどんな技であるか、その仮説を葛に聞かせていた。
    「仮にこの世の全てを見通す目を持ってるヤツがいたとしても、その技を見切るコトは、ソイツにすら不可能なんだ」
    「どうして?」
    「ソレはな……」
     一聖はどこからか光る金属板を取り出し、そこに図を描いて説明する。
    「例えば今、この地点Pにお前さんが立ってるとする。そしてちょっと離れた地点Qに、葵のヤツが立ってるとする。
     この状況において、お前さんは葵に攻撃を行おうとしている。……と言うのが、話の前提だ」
    「うん」
    「葵はこの平面上の、すべての場所を観測するコトができる。
     当然、お前さんの動きもはっきり見えてて、お前さんがP地点からQ地点へどう動こうと、葵にはお見通しってワケだ。そしてその高々精度の観測によって、葵は万全の防衛体制を整えるコトができる。
     その『観測』ってのが即ち、葵の予知能力だ。このままだと、お前さんは葵に傷一つ与えられないまま迎撃を受け、返り討ちにされる。ココまでは大丈夫だな?」
    「うん」
    「しかし葵のこの防衛体制には、一つの欠陥がある。ソレは『観測』によって得た情報を基にしている、ってコトだ。
     逆に言えば、『観測』できないモノに対しては、全くの無防備なんだ」
    「でもあたしがどう動こうと、観測できるんでしょ? じゃあ、観測できないモノって何も無いんじゃないの?」
    「言ったろ? 葵は『この平面上の』すべての場所を観測してる、と。
     ソコで、こうだ」
     一聖は葛の机にあったメモ用紙を手に取り、そこに「R」と書いて金属板に貼り付ける。
    「このR地点は見ての通り、このPとQが書かれた場所とは別のトコ、つまり別の次元にある。
     お前さんがこのR地点に移れば、たちまち葵はお前さんを『観測』できなくなるし、そして何の防御策も講じられなくなる。
     つまり、『星剣舞』ってのはそう言う技なんだ。別次元と自分の世界とを瞬間的に、須臾(しゅゆ)のうちに移動し、相手がどんな察知能力を持とうとも、無関係に攻撃できる。
     この説はかなり有力だと思うぜ。何しろ昔、オレが晴奈の姉さんと戦った時、オレは誰にも真似できねーような、ソレこそさっき言ってた『全てを見通す目』に近い索敵術を使ったんだが、ソレでもまるで、姉さんの位置を捉えられなかったんだから、な。ソレはもう、この世から消えたとしか思えないくらいだったぜ。
     勿論、この仮説にはちゃんと根拠がある。姉さんと戦った場所を後で調べてみたコトがあったんだが、ソコで夥しい数の空間振動痕が検出されたんだ。だけど、その時オレは『テレポート』を使ってなかったし、そもそも『テレポート』にしちゃ、あまりにも回数が多過ぎる。
     何しろ計算上、1秒間に平均5~60回も使ってたコトになるからな。オレや親父でも、一瞬でそんなにポンポン移動できねー、って言うかそんな使い方する術じゃねーし。
     世界最高レベルの索敵術ですら、姿を捉えられなかったコト。あり得ない数の、空間振動痕。ソコから導き出せる仮説は、一つだ――晴奈の姉さんはあの戦いの最中、『星剣舞』によってこの世界と別の世界を瞬間的に行き来し、敵にまったく気配を悟らせなかったんだろう。
     つまりお前さんがもしも『星剣舞』を会得できれば、葵の予知能力を無力化できるし、罠の部屋を通らずに別の世界を経由し、その奥へ行けるってワケだ」
    「うーん……?」



    「あの時は何が何だか分かんなかった。……ううん、今でも自分が本当に、そんなコトしてたのかって言うのも、良く分かんない。
     でも、……一回死にかけて、別の世界に逝きそうになったからかな。コツみたいなのは、つかんだ気がする」
    「そっか。……疲れたから、オレもちっと横になるぜ」
     一聖は素っ気なく返し、葛に背を向けて寝転んたが――葛はその一瞬、一聖がとても満足気に、そして嬉しそうに笑っているのを、確かに見た。

    白猫夢・跳猫抄 終
    白猫夢・跳猫抄 10
    »»  2014.12.25.

    麒麟の話、第9話。
    ずれ始める歯車。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     おかしいな。なにかが、おかしい。
    「そうだね」
     ああ、キミもそう思うよね? そうだ、やっぱりおかしい。



    「もう一度、考えてみよう?」
     そうだな。ここで一度、気になってるポイントを振り返っておくコトが、案外大事なのかも知れない。

     まず、第一に。ボクたちの未来視は、相当の精度を誇るはずだ。コレを大前提として、ボクたちは行動してきた。
    「でも、最近見えなくなってる。ちょっとずつだけど」
     ソコなんだ。勿論、キミやボクの力が衰えたワケじゃない。「見れない」ヤツがいるせいだ。
    「フィオくんだね」
     そう、ソイツだ。あの水色頭め、未来から来ただって? ふざけたヤツだ!
     まさかそんな方法で、未来が見えなくなるとは思わなかった。アイツが何か行動するだけで、未来視の範囲がどんどん狭まるとはね! ろくに実力も無い半端者の癖して!

    「でも、心配ないよ。フィオくん、この時代に馴染んできてるもん」
     く、ふふっ……。ああ、そうだった。そうだったね。
     あの屈辱――カズセちゃんの暗殺に失敗した時は、いつもの3割程度までしか未来が見えなかったせいで思わぬ敗北を喫してしまったけど、今は既に5割、6割と回復してきている。アイツがこの、ボクたちの世界の因果律に組み込まれてきているからだ。
     恐らく後2、3年すれば完全に馴染むだろう。アイツの行動も、ボクたちの予知の範囲内に収まる。
    「その点は問題無さそうだね」
     ああ。



     第二に。あの猫女が面倒くさいってコトもある。
    「何て言ったっけ? ルナ?」
     ああ、そんな名前だったっけ、今は。
     コレもフィオがもたらした効果に似ている――ボクの未来視にいなかった女だ。どうもあの「人生実験」で、アイツの運命がガラリと変わったかららしい。
     はっ、間抜けな話だね! ボクがあの時、あの騒動の顛末を180度引っくり返したせいで、あんな不確定要素を作っちゃったワケだ! この、ボク自身が!
     だもんで、コイツの存在を完全に忘れていた。カズセちゃんの件は、コレにも一因がある。まったく、タイカさんをようやく消したってのに、なんであんなのが邪魔してくるんだ!

    「でも、二度は無いよ」
     その通りさ。ボクももう完全に、あの女を未来視の中に組み込んだからね。あの女をきちんとモニタリングできれば、二度とあんな無様は見せないさ。
    「あたしも気をつける」
     ああ、そうしてくれ。



     ソコで、だ。アイツら、今度はどう動くか。アオイ、キミにも見えてるよね?
    「うん。克大火を奪還に来る」
     そうだ。……だけど、ソレは放ってしまっていい。ミイラ取りがミイラになるだけだしね。
     そんなコトよりキミには、もう一方の問題を解決してほしい。
    「もう一方?」
     知ってるだろ? あのクソ、……ああ、いや。巷で「卿」と呼ばれてるアイツが、もうじき死ぬ。
    「……」
     その後に起こる、政変。その裏で、アイツを始末してくるんだ。
    「……」
     分かるだろ? アイツだ。ほんのわずかな確率だけど、キミが死ぬ可能性には、すべてアイツが関わっている。
    「……」
     アイツは脅威だ。
     今は雑魚だ。今は全く、相手にならない。取るに足らないゴミだ。
     だけどアイツが力を付け、そしてキミを討とうと意志を抱けば、キミの未来には遠からず、死が訪れる。
     ボクたちは無敵でなくてはならない。この先永遠に、世界の支配者でいるためには、だ。そのためには、どんな僅かで取るに足らない可能性も、見つけ次第に潰すべきだ。
    「……」
     だから――殺してこい。
    「……」
     分かった?
    「……」
     分かったか?
    「……」
     わ・か・っ・た・か、って聞いてるんだ。答えろ、アオイ。
    「……分かった」
     よし。それでいい。



     もう一回、言うぞ。

     分かってるだろうな、アオイ。
     アイツが家族だろうとなんだろうと、そんなコトは関係ないんだ。
     いずれ敵になるヤツらは、そうなる前に排除するんだ。
    「分かってるよ。……うん、分かってる」

    白猫夢・麒麟抄 9

    2014.11.01.[Edit]
    麒麟の話、第9話。ずれ始める歯車。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. おかしいな。なにかが、おかしい。「そうだね」 ああ、キミもそう思うよね? そうだ、やっぱりおかしい。「もう一度、考えてみよう?」 そうだな。ここで一度、気になってるポイントを振り返っておくコトが、案外大事なのかも知れない。 まず、第一に。ボクたちの未来視は、相当の精度を誇るはずだ。コレを大前提として、ボクたちは行動してき...

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    麒麟を巡る話、第432話。
    "The sir" last bow。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……ん……」
     ふと気が付くと、葛・ハーミットはどこかのベンチに座っていた。
    「……えっと?」
     辺りを見回してみると、見覚えがある。
    「駅、……かなー」
     確かにそこは、自分が良く使っている駅のホームだった。
     その駅の名前は、エルミット駅。己の祖父であり、この国の発展に尽力してきた偉大な宰相、ネロ・ハーミットの名を冠する、プラティノアールの中心であり、ランドマークともなっている駅である。
    「お嬢さん」
     と、声をかけてくる者がいる。振り向くと、黒いスーツに黒いコート、そして黒い帽子と言う、黒ずくめの格好をした兎獣人と目が合う。
    「そろそろ、列車が出る時間ですよ。急がないと」
    「あ、はーい」
     誘われるまま、葛は兎獣人に付いていく。

     付いていくうちに、あちこちから人が現れる。その誰もが、黒い服に黒い帽子と言う、彼女の前を歩く兎獣人と同じ出で立ちである。
     そのため、葛は案内してくれていた兎獣人と、いつの間にかはぐれてしまった。
    「ええと……」
     それでも人の流れに押されるように、葛は駅のホームを歩いて行く。
     やがて黒塗りの蒸気機関車が停車しているのが、彼女の視界に入る。そしてその前に、長い裸耳の老人が一人、立っていることに気付く。
     それは彼女の祖父、ネロその人だった。
    「あ、じーちゃん!」
     葛は手を振りながら、彼の側に駆け寄った。
    「やあ、カズラ」
     ネロも手を振り返し、葛に笑いかけた。
    「なんかあるの? 一杯、人がいるけどー」
     葛は周囲を見回し、祖父を中心として大勢の人だかりができていることを尋ねる。
    「ああ」
     ネロは依然、優しく笑いかけながら、こう答えた。
    「出かけてくる。皆は僕の見送りに来てくれたんだ」
    「そっかー。やっぱすごいねー、じーちゃん。こんなに人が集まってくれるなんて」
     葛はチラ、と列車を見て、続けて尋ねる。
    「ドコ行くのー?」
    「ちょっと、遠いところにね」
    「ふーん……?」
    「カズラ」
     と、ネロは一転、真面目な顔になる。
    「君は本当に、良く頑張ったよ」
    「え?」
    「アオイがいなくなってしまってから、アオイにかけられていた期待は全部、君の方へ流れこんでしまった。君にとっては相当の重荷だっただろうね。そのまま押し潰されてもおかしくないくらいの、傍から見れば狂気じみた重荷だった。
     でも、君はそれに対して十分に、いや、十分以上に応えて見せてくれた。剣術の国内大会でも優勝し、大学にも入った。君の書いた政治学のレポートは、僕も認める出来栄えだったよ。
     もう何年かすれば、きっと君は僕の跡を継げる実力を身に付けるだろう。……本当に、素晴らしい。僕の誇りだよ、君は。
     ……心残りがあるとすれば、アオイのことだけだ。それ以外は、一切悔いは無い。……いいや、君がいてくれただけで十分だな。君がいてくれさえすれば、僕は気がかりなく旅立てるよ。
     君なら任せられる。この後に起こるだろう、色んなことを、……ね」
     ネロは足元に置いていたかばんを手に取り、フロックコートの襟元を正した。
    「ありがとう、カズラ。
     ジーナと、それからベル、そしてシュウヤくんにも、よろしく伝えてくれ」
    「……じーちゃん?」
     言い様のない不安が、葛を襲う。
    「ねえ? ドコに、行くの?」
    「……遠い、ところさ」
     ネロは葛に背を向け、列車へと歩き出した。
    「待ってよ、じーちゃん」
    「……」
     葛はネロの後を追おうとしたが、足が動かない。地面に張り付いてしまったかのように、ぴくりとも動かせないのだ。
    「じーちゃん……、じーちゃん!」
    「……」
     やがてネロは、列車の入口に着く。
     そこでくる、と振り返り、取り巻く人々に向かって深々と頭を下げた。
    「プラティノアール王国民の皆様。私の門出のためにお集まりいただき、誠にありがとうございます。
     この半世紀と言う長き間に渡り、不肖の私めをご重用いただけましたこと、心から感謝を申し上げます。
     それでは、いって参ります。ごきげんよう、皆様」
     そこで言葉を切り、ネロは後ろ手に列車の手すりをつかみながら、葛に再度、顔を向けた。
    「……さよなら、カズラ」
    「じー……」
     列車が動き出す。
     ネロはそのまま、列車の奥へと消えていった。
    「じーちゃああああん!」



     そこで、葛の目が覚めた。
    「……じーちゃん……」
     とてつもない不安に襲われ、葛は寝間着姿のまま居間に飛び入り、電話を手に取る。
     と、その電話が鳴った。
    「! ……はい」
     そのまま、葛は電話に出た。
    《カズラか?》
     祖母、ジーナの声だ。
    「なにか……あったの?」
    《……あ、ああ》
     祖母の声には、涙が混じっていた。
    《ネロが、……ネロが》
     その涙声で、葛は何が起こったのかを察した。

    白猫夢・宰遺抄 1

    2014.11.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第432話。"The sir" last bow。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「……ん……」 ふと気が付くと、葛・ハーミットはどこかのベンチに座っていた。「……えっと?」 辺りを見回してみると、見覚えがある。「駅、……かなー」 確かにそこは、自分が良く使っている駅のホームだった。 その駅の名前は、エルミット駅。己の祖父であり、この国の発展に尽力してきた偉大な宰相、ネロ・ハーミットの名を冠する、プラ...

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    麒麟を巡る話、第433話。
    おくやみ。

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    2.
     プラティノアール王国宰相、ネロ・ハーミット卿の逝去と言う悲報は、その日のうちに国内のみならず、西方全土にまで伝わった。
    《卿のご自宅にかけてみたが、まったくつながらん! 交換手から『電話回線がパンクした』と伝えられる始末だ!》
    「落ち着いて下さい、閣下」
    《これが落ち着いてなどいられるものか! 本当にお亡くなりになったのか!? いつのことだ!? 死因は一体!?》
     わめき立てる電話相手に、王室政府外務省の電話担当官が、丁寧に説明する。
    「極めて残念ですが、事実です。本日の未明、自宅において、急性心不全により亡くなられました」
    《……う、うぐっ》
     電話の向こうで、泣き出す声が聞こえてくる。
    《ああ、何と言うことだ!
     うぐっ、……吾輩にとって、ひっく、……吾輩にとってあの方は、命の恩人であり、長年に渡る諸事の鑑であった。まったく、……ひっく、此度のことは国家的、いや、世界的損失に違いなかろう。
     ぐすっ、ぐすっ……、し、失礼した。ま、また、……うぐ、また日を改め、弔問させていただく。葬儀の日程は決まっておるか?》
    「いえ、本日のことですので。近日中に当局広報より公表される予定です」
    《う、うう……、相分かった。……遅れたが、お悔やみ申し上げる》
    「痛み入ります、マーニュ将軍閣下」
     電話が切れたところで、ふたたび次の電話が鳴り響く。
    「……本当に、大人気だこと」
     電話担当官は軽く咳払いし、電話に出た。

     ハーミット邸にも大勢の客が押し寄せ、庭はおろか、通りにまで人があふれている。
    「出遅れた、……って感じね」
    「だな」
     いずれも黒いスーツ姿の、いかにも元軍人らしき集団が、人だかりの前で立ち往生していた。
    「これじゃ、話を聞いたりとかはできそうにないな」
    「ええ。恐らく明日か明後日、改めて葬儀が行われるでしょうし、今日は引き返した方がいいわね」
    「しゃーねーな」
     一同は揃って諦めの表情を浮かべ、踵を返しかける。
    「みんな、久しぶりね。コレだけ集まると、まるで同窓会って感じ」
     と、彼らに声をかける者が現れた。
    「チェスター将軍!」
     揃って敬礼した一同に対し、相手――リスト・チェスターも、敬礼して返す。
    「元将軍よ、退役したし」
     彼女がやって来た方角から見るに、どうやら一足先にハーミット邸を訪れていたらしい。
    「中に入れたんですか?」
    「ええ。現役じゃないけど、去年まで軍の最高司令だったもの。優先して入れてくれたわ」
    「様子はどうでしたか?」
    「誰の?」
     薄く笑ったリストに、茶色い兎耳がこう返す。
    「ベルちゃん、……じゃなくて、ご遺族です」
    「ベルは泣きっぱなし。未亡人もね。シュウヤは泣いてはなかったけど、上の空って感じだったわ。
     いつも通りだったのはカズラちゃんくらいよ。そりゃ、多少はショック受けてた様子はあったけど、すごくしっかりした感じで弔問客を相手してたわ」
    「そうですか……」
    「葬儀の日程も聞いたわ。……ソレなんだけどね」
    「何かあったんですか?」
     リストは被っていた帽子を脱ぎ、半ば呆れたような、そしてもう半分は納得したような顔を、一同に見せた。
    「邸内に、閣僚と軍司令部首脳が雁首揃えててね。その場で話し合って、国葬がほぼ決まったわ」
    「国葬!? ……ああ、いや」
     一同はどよめきかけたが、一様に納得した表情を浮かべた。
    「卿の偉業を考えれば、当然でしょうね」
    「アタシも同感。幹部陣も満場一致だったわ。話し合う前からみんな心に決めてた、って感じだったわね。
     まず明日、身内とごく親しい者で葬儀が行われるわ。国葬は政府首脳で協議した上で、改めて告知されるそうよ」
    「親しい者で、……ですか」
    「ま、そんなコト言ったって意味ないでしょうけどね」
     リストは肩をすくめ、こう続けた。
    「この国に住む人間で、卿を慕ってない人間なんて、ほとんどいるはずが無いもの。
     明日もきっと、今日みたいに人が押し寄せるわ」

    白猫夢・宰遺抄 2

    2014.11.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第433話。おくやみ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. プラティノアール王国宰相、ネロ・ハーミット卿の逝去と言う悲報は、その日のうちに国内のみならず、西方全土にまで伝わった。《卿のご自宅にかけてみたが、まったくつながらん! 交換手から『電話回線がパンクした』と伝えられる始末だ!》「落ち着いて下さい、閣下」《これが落ち着いてなどいられるものか! 本当にお亡くなりになったのか!?...

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    麒麟を巡る話、第434話。
    ハーミット家と国家の今後。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     リストが予見していた通り、翌日の葬儀にもまた、大量の人が弔問に訪れていた。
     最初のうちは「あくまで家族とごく親しい者だけで」と断ろうとしていたのだが、あまりに弔問を希望する者が押し寄せたため、秋也・ベル夫妻が「挨拶だけなら」と言う制限を付けて、彼らも招き入れた。
    「ものすごい人だかりだけど、……まあ」
    「ああ。みんな落ち着いて並んでくれてるからな。
     ……ソレだけに、つくづく思うよ」
    「何を?」
    「お義父さん、本当にみんなから愛されてたんだなって」
    「……そだね」
     前日、ネロが亡くなった直後には茫然自失の状態にあった二人も、今はどうにか平静を取り戻していた。
    「ベルちゃん、シュウヤくん」
     と、その二人に、先端が少し茶色がかった、白い耳の兎獣人が声をかける。
    「あ、アルピナさんじゃないっスか」
     振り返った二人に、かつて共に戦った上官、アルピナが手を振って挨拶する。
    「お久しぶり。それと、……この度はご愁傷様でした」
    「痛み入ります」
    「……本当、悔やまれるわね。卿が亡くなって、王室政府は大騒ぎらしいし」
    「ええ。昨日も卿の屋敷で話し合ってましたよ。後継者をどうするかって。
     何しろ突然の話ですからね。卿は後継者について、何ら言及していなかったそうですし」
    「ふうん……?」
     意外そうな顔をしたアルピナを、秋也たちはいぶかしむ。
    「あの、何か……?」
    「卿らしくないな、って。こうなることを見越して、遺言状の一筆でも遺してあるかと思ってたわ。
     卿の性格上、考え得る可能性に対しては、でき得る限りの対処をしそうなものだけど」
    「……確かに」
    「パパならそうだよね……?」
     夫婦揃ってうなずいたところで、アルピナが続けて尋ねた。
    「カズラちゃんはどうしてるの?」
    「葛なら、今はオレたちの家で休んでます。……お恥ずかしい話、昨日はオレもベルも、おたおたしっぱなしだったんですが、葛がほとんど代わりに応対してくれてまして。
     その疲れもあるでしょうし、今日は何とかオレたちで対応できそうなんで、家に帰しました」
    「そう。……本当にしっかりした子になったわね、そう聞くと」
    「ええ。本当、しっかり者になりましたよ。昔は葵にべったりだったせいか、ちょっと抜けてたトコもありましたけど」
    「アオイちゃん、……ね」
     黙り込んだアルピナに、秋也はまた、けげんな顔をした。
    「葵がどうかしたんですか?」
    「……ううん、何でも。
     そうね、弔問も終わったし、良ければカズラちゃんの顔を見たいんだけど、家に寄ってもいいかしら?」
    「ええ、どうぞ。しっかり者とは言え、昨日の今日ですから、葛も不安がってると思います。声、かけてやってください」
    「ありがとね。それじゃ」



    「それでは臨時御前会議を始めます」
    「うむ」
     プラティノアール王宮、ブローネ城。
     閣僚と各省庁の高官らが国王、ロラン・ザンティア8世の前に集められていた。
    「知っての通り昨日、我が国総理大臣のネロ・ハーミット卿が亡くなった。大変悔やまれることだ。
     まずは皆で、卿に黙祷を捧げようと思う」
    「かしこまりました。……全員、黙祷」
     国王を含め、全員が立ち上がり、胸に手を当てて黙祷する。
     1分ほどの沈黙の後、国王が着席し、皆もそれに続いて席に着いた。
    「一つ目の議題だ。余は彼を弔うにあたり、国葬を行いたいと考えておる。
     この半世紀、彼の成した業績は先々代、先代、そして余の代に至るまで連綿と続くものであり、これは国葬を行うに値するものと考えておる。
     これに異論のある者はおるか?」
    「……」
     国王自らのその問いかけに、反対する者は一人もいない。それが国王の本意であることだけではなく、その内容が心から納得するものだったからであろう。
    「分かった。では日程など細かい点については、諸君らに一任する。
     二点目、彼の後任について。卿は遺言状などを遺していなかったそうだな?」
    「はい」
     その問に、ネロの第一秘書だった官僚、アテナ・エトワールが答えた。
    「卿の死去に伴い、私と秘書室職員とで卿の執務室およびご自宅を捜索しましたが、遺書もしくは今回の事態についての指示書に該当する書類等を発見することはできませんでした。
     そのため、卿の後任については、卿からの指示が一切無い状況となっています」
    「ふむ。……腑に落ちんな」
     アテナの報告に対し、ロラン王は表情を曇らせる。
    「我々とは比べ物にならぬほどの聡明さと先見の明を持っていた卿が、まさか自分の死と、その後の後釜について、何ら考えを遺していないとは。らしくない」
    「……」
    「しかし、遺書が存在していないのは事実、か。仕方あるまい」
     ロラン王は自分の前に並ぶ大臣たちに、続けてこう尋ねた。
    「では、後任はこの中から選出することになるな。立候補する者はおるか?」
    「……」
     大臣たちは顔を見合わせ、互いの表情を読み合う。
     その様子を見て、ロラン王はこう続けた。
    「何かしら、人には軽々に言えぬような野望を抱いているとしても、今は構わん。結果的に王国のためになるならば、余は容認しよう。
     その上で、なりたいと思う者は?」
    「……で、では」
     おずおずと、数名から手が上がる。
    「私も立候補いたします」
     そして、それらに続く形で、アテナも挙手した。

    白猫夢・宰遺抄 3

    2014.11.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第434話。ハーミット家と国家の今後。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. リストが予見していた通り、翌日の葬儀にもまた、大量の人が弔問に訪れていた。 最初のうちは「あくまで家族とごく親しい者だけで」と断ろうとしていたのだが、あまりに弔問を希望する者が押し寄せたため、秋也・ベル夫妻が「挨拶だけなら」と言う制限を付けて、彼らも招き入れた。「ものすごい人だかりだけど、……まあ」「ああ。...

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    麒麟を巡る話、第435話。
    宰相の椅子取りゲーム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うん?」
     それに対し、ロラン王や大臣たちがけげんな顔をする。
    「エトワール君?」
    「君が、……か?」
    「卿の第一の後継と目されていたのは、他ならぬ私です。
     卿自身より、今後の展望や計画を常日頃から聞き及んでおりますし、それを実行できるだけの手腕も培っていると自負しております。
     であれば、私がその任に就いても問題は無いと思われますが」
    「大有りだ!」
     アテナの主張に対し、大臣たちが挙って反論した。
    「若輩者ではないか、君は! 少しばかり卿の手助けをしたからと言って、それで務まるような職務ではないのだぞ!」
    「卿が総理大臣となったのは、現在の私とほぼ同年代の頃です。
     その若輩者の時分から半世紀に渡る業績を成している卿の前例があるにもかかわらず、何故わたくしがその座に就けないと判ずるのでしょうか?」
    「確かに卿は若くして総理となったが、しかしそれは、並々ならぬ彼の才気と、どんな者をも惹きつけてやまぬ人柄故だ。
     君がそれと同様のものを手にしているとは、私たちには、とてもそうは見えん」
    「才能に関しては、認めるところです。優れた手腕をお持ちであることは、常々聞き及んでおりますよ。
     ですが人柄とくれば、果たしてどうでしょうかね?」
    「同感です。卿はいつもにこにこと微笑んでおられ、終始さわやかで、親しみの持てるお方でした。
     しかし比べるにあなたは、少しばかり、いや、はっきりと強く、我々の目には冷淡に映る」
    「確かに。卿が君の能力を信頼していらっしゃったことは、良く存じている。
     しかし君の笑顔なるものを私も、同輩らも、どこの誰もが、見たことが無い。これも広く知られているところと思うが」
    「……」
     大臣らの評価に対し、アテナは――今まさに取り沙汰されている、その冷淡な無表情を浮かべつつ――無言で佇んでいる。
     と、成り行きを眺めていたロラン王が、ぱた、と手を打った。
    「よい、よい。言った通り、腹の底でどんな本意を抱えていようと、宰相を志す者があれば、余は積極的に応じるつもりだ。
     ついては、今立候補した者の中で誰が適任であるか、国民に問うてみてはどうだ?」
    「つまり、選挙と言うことでしょうか?」
    「うむ。余がその独断と偏見で指名すると言うのも方法の一つではあろうが、総理大臣は余一人だけを構っていれば済むような職ではない。我が国民すべてを賄わねばならぬ、我が国における要職中の要職だ。それを余の一存で決めては、国民も憤慨するだろう。
     してみるにこれは、最も公平な選出方法であると思うが、皆はどうだ?」
     この問いに対し、大臣たちは顔を見合わせる。
    「ええ、まあ……」
    「確かにそうでしょうな」
    「よし。では国葬の時期に合わせ、新たな宰相を決定するための選挙を告示することにしよう」
     こうして国王の鶴声により、ネロの後任を決めるための選挙が行われることになった。



     選挙には一時期、大勢の候補者が現れた。ハーミット卿の後釜に収まれば、絶大な権力が得られるからである。
     しかしそれも束の間――ある大臣が出馬を表明した途端、辞退者が続出した。
    「すみませーん、アニェント新聞の街頭アンケートです。今回の国民選挙ですが、ズバリ、誰を選びますか?」
    「うーん……。色々いるみたいだけど、やっぱりあの人かなぁ」
    「あの人、と申しますと?」
    「リヴィエル卿だろうなぁ。卿に並ぶって言ったら、あの人くらいだし」
    「はい、ありがとうございまーす」
    「ねえ?」
    「はい、なんでしょうか?」
    「今のところ、一位って誰?」
    「まあ、ご想像の通りですかねぇ」
    「あー、……やっぱり」
     前内閣で内務大臣を務めていたアンリ・リヴィエル氏は――ハーミット卿ほどの人気と実力は無いにせよ――優れた手腕を有しており、かねてから「ハーミット卿の右腕」と称されていた。
     その彼が出馬を表明したため、それまで出馬を目論んでいた者の多くは「彼には到底敵わない」と見切りを付け、軒並み辞退。
     残った候補者はリヴィエル卿と他4名、そしてアテナの計6名となった。

    白猫夢・宰遺抄 4

    2014.11.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第435話。宰相の椅子取りゲーム。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「うん?」 それに対し、ロラン王や大臣たちがけげんな顔をする。「エトワール君?」「君が、……か?」「卿の第一の後継と目されていたのは、他ならぬ私です。 卿自身より、今後の展望や計画を常日頃から聞き及んでおりますし、それを実行できるだけの手腕も培っていると自負しております。 であれば、私がその任に就いても問題は無い...

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    麒麟を巡る話、第436話。
    国民投票。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     日は進み、選挙当日。
     ブローネ城の一室に設置された選挙委員会が、国内各地から集まってくる投票結果を集計していた。
    「ここまで約半分、第1選挙区から第5選挙区までの投票結果が集まったわけだけど……」
     集計された内容を確認し、選挙委員たちがうなる。
    「リヴィエル卿が30%で暫定トップ、なのは予想通り。でも一方……」
    「2位に付けているのはエトワール氏。しかも得票率は28%と、リヴィエル卿に迫る勢い」
    「てっきりリヴィエル卿の一人勝ちと思っていましたけど、意外に伸びてますね、エトワール氏も」
    「後半の結果次第では逆転もあり得るわね」
     と、そこへ選管委員の一人が、電報を持ってやって来る。
    「第6、第7、第8の投票結果が来ました」
    「これで全部ね」
     電報の内容を、その場にいた全員で確認し――全員が息を呑んだ。
    「……えっ」
    「6~8ですべて、エトワール氏優勢ですって?」
    「じゃあ、結果は……」
    「待って下さい、今、合わせます」
     慌てて集計を行う同僚に、全員の視線が集まる。
    「……出ました」
    「どうなった?」
    「リヴィエル卿が、37%です。……そしてエトワール氏が、38%」
    「と言うことは……」
    「僅差ながら、エトワール氏が当選、……です」



     政治家としての実績を持たない若手のアテナが、当選確実と言われたベテランのリヴィエル卿を抑えて総理大臣の座を得る――プラティノアール王国は、このニュースに騒然となった。
    「ちょっと不安、……ですね」
     当然、王国内の世論は激しく揺れた。各新聞社が行った街頭アンケートでも、次のような否定的意見が百出していた。
    「そりゃ、前総理も無名だったと聞いてますけど、半世紀前と今じゃ、事情が全然違うでしょうし」
    「全然名前聞いたことないです。何かの間違いじゃないんですか?」
    「選挙、もう一回やり直した方がいいんじゃないかなって」
     国民の総意であるはずの選挙結果から見れば、甚だ不思議なことなのだが――アテナが首相となることに、国民の誰もが不思議がり、そして不安に思っていることを、国内外すべての新聞が報道していた。

    「世論はこの通りだ。露骨に過ぎたようだな」
    「……」
     秘書室でデスクの整理を行っていたアテナの側に、長耳の男が新聞を手にして立っていた。
    「だがデータは、君の勝ちであると言っている。統計を取らない国民の声より、数字で出た得票率を信じるのは人間の性だ。
     である以上、明日から君はこの国の総理大臣だ。おめでとう、エトワール首相」
    「……」
     アテナは作業の手を止め、男に振り返る。
    「今回の件、お礼申し上げます。非常に助かりました」
    「なに、これから君に入ってくる利益、権益と、そこからこぼれてくる私への報酬を考えれば、お安い御用と言うものだ。
     しかし……」
     男は部屋の隅に置かれた電話を眺め、嫌味な笑みを浮かべる。
    「先進国として名の知れたプラティノアール王国が、こんなお粗末な電信・電話網しか持っていないとは。『どうぞ、ジャミング(通信妨害)をして下さい』と言っているようなものだ。
     ま、そのおかげで無名の君が、38%などと言う得票率を『作れた』わけだが」
    「今回の件について内密にしていただくよう、強くお願いします」
    「当たり前だ。これが明るみに出たら、君は即、牢屋行きだろうからな。そうなれば私の利益など雲散霧消する。
     わざわざ自分の利益を無くすような愚行を、私が犯すわけが無いだろう?」
    「……ええ、そうですね。今の私は少し、過敏になっているようです。あり得ないことまで考えてしまっています」
    「それは面白い」
     男はアテナに近付き、肩に手を回す。
    「いつも氷の塊のような君が敏感、とはね。どうだい、少しは感情に任せてみないか?」
    「と申しますと?」
    「こう言うことさ」
     見上げてきたアテナのあごに、男はくい、と手をかけ、そのままキスをする。
    「……っ」
     唇が離れ、アテナはどこかぽかんとした顔になる。
    「おや?」
     その表情のまま、アテナはぼそぼそとつぶやく。
    「……考えておきます。あなたには今後も、……少なからず、お世話になると思いますから」
    「そこまで考えているのか? 案外、君は欲深いな」
    「総理の座を狙うほどですから」
     答えたアテナに、男は再度、意地悪そうな笑みを浮かべて返した。
    「ああ、そうだった。
     何しろ君は、そのために前総理の遺書を密かに破棄し、そのために電信を傍受・妨害して、偽の投票結果を送るくらいの、稀代の悪女だからな」
    「……」
     アテナは男の腕から離れ、彼に背を向けて尋ねた。
    「悪い女は、お嫌いですか?」
    「いいや」
     男は肩をすくめ、こう返した。
    「悪人は私の大好物さ」



     アテナ・エトワールがプラティノアール王国の新総理となったこと――それが、この国の凋落と混乱のはじまりだった。

    白猫夢・宰遺抄 終

    白猫夢・宰遺抄 5

    2014.11.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第436話。国民投票。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 日は進み、選挙当日。 ブローネ城の一室に設置された選挙委員会が、国内各地から集まってくる投票結果を集計していた。「ここまで約半分、第1選挙区から第5選挙区までの投票結果が集まったわけだけど……」 集計された内容を確認し、選挙委員たちがうなる。「リヴィエル卿が30%で暫定トップ、なのは予想通り。でも一方……」「2位に付けている...

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    麒麟を巡る話、第437話。
    笑顔の葛。

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    1.
    「思ったより、平気に見えるわね」
    「いえ、そんなには。結構、辛いですよー」
     来客であるアルピナに茶を差し出しながら、葛ははにかむ。
     状況に不釣合いなその仕草をアルピナは空元気と感じ、こう返した。
    「辛かったら、泣いてもいいのよ? 誰にも言わないから」
    「大丈夫ですよー」
     が、葛ははっきりとした声で答えた。
    「泣いてたってきっと、じーちゃんは喜ばないと思いますから」
    「……そう」

     葛を心配したアルピナは、ハーミット邸を後にしてすぐ、秋也たちの家を訪ねていた。
     だが、当の本人は――昨日もそうであったと聞いていたが――気丈に振る舞い、終始、アルピナに笑顔を見せていた。

     しかしアルピナには、それが却って痛々しいものに感じられた。
    「大変ね、これから」
    「ええ。リヴィエルさんから、『きっと後日、国葬が行われるだろう』って聞きました。その準備、しなきゃいけませんしねー」
    「いえ、そうじゃなくて」
     アルピナは首を振り、葛に尋ねる。
    「あなたの今後が、よ。卿が亡くなったことで、きっと今後、あなたにより一層の重圧が押し寄せてくるわ。
     これまでもあなたには、『天才アオイの妹』って期待が寄せられていたけど、これからは『偉人ハーミット卿の孫』って期待まで上乗せされるのよ? わたしだったら、きっと耐えられないわ」
    「大丈夫ですよー」
     依然として、葛はにこにこと笑っている。
    「あたしは『妹』としての期待にこれまで十分に応えてみせたと、強く確信してます。ソレができたんだから、『孫』としての期待にも、絶対に応えられますよー。
     見てて下さいよー、アルピナさん」
     葛の回答に、アルピナはため息をつく。
    「……本当、あたしにはできない生き方ね」
    「そんなコト無いと思いますよー。アルピナさん、あたしなんかよりずっと、すごい人じゃないですか。まだ誰も、スプリントシリーズ五冠なんて達成してないんでしょ?」
    「まあ、ねぇ。でもちょっと違うかしらね、それとは」
    「偉業って考えたら、一緒ですよー。そう簡単には、誰にもできないってトコでは一緒ですよー」
     笑顔をまったく崩さない葛に、アルピナは不安を感じた。
    「ねえ、カズラちゃん?」
    「はいー?」
    「あなたは笑ってばかりいて、人に弱みを見せないけれど、……本当に大丈夫? どこかで吐き出さないと、本当にどこか、おかしくなっちゃうわよ」
    「大丈夫ですよー」
     依然笑ったまま、葛はやはり、はっきりと答えた。
    「そりゃ、辛くは思ってます。苦しいなーって、いつも思ってます。
     でも、どんな辛く、苦しいコトも、あたしは乗り越えてきました。コレからも乗り越えます。コレまでずっとそうしてきましたし、コレからもその生き方を、絶対、続けて見せます。
     あたしは誰にも、どんなコトにも、負けたりなんかしませんよー」
    「……そう」
     それ以上尋ねることができず、アルピナは話を切り上げた。
    「もし本当に、自分の力だけではどうにもできないって思った時は、……わたしたちを、頼ってね?」
    「はいー。その時は、是非」
     やはりこの時も、葛はにっこりと笑った。
     その笑顔に――アルピナは再度、強い不安を覚えた。
    (『おかしくなっちゃう』って、言葉の綾のつもりだったけど……。
     この子はもう既に、どこか、おかしくなっちゃってるんじゃないかしら。常に笑顔を崩さないこの子は、もう、普通じゃないのかも……)「じーちゃんから色々、沢山教わったんですけど」
     と――アルピナの内心を察したのか――葛は一転、真顔で話し始めた。
    「一番覚えてる言葉は3つですねー。『笑え』『気にするな』『楽しくやれ』って」
    「え?」
    「じーちゃん、若い頃はすごく苦労したらしいんです。無実の罪で、牢屋に入れられたコトもあるって。
     でも、そーゆー目に遭って、ただ『あー苦しい。こんな目に遭うなんて、自分はなんて不幸なんだ。もう希望なんか無いや』ってしょげてるばっかりじゃ何にも起きないし、いつまでもそんな嫌な思い出を引きずってうつむいたままじゃ、道端に咲く綺麗な花一輪、美味しいパンの匂い、雲ひとつない爽やかな青空にさえ気付かない。
    『そんな悲しくて寂しい、得るものの少ない人生は絶対に送りたくない。嫌なことはさっさと心の中で整理を付けて、後は笑って呑気に過ごしてる方が断然、愉快で楽しいもんだよ』……って教わったんです」
    「卿から?」
    「はい。……あたしの記憶の中では、じーちゃんはいっつも笑ってるんです。その3つの言葉を、じーちゃんはずっと実践してたんですよ。
     あたしにとっては、ソレは総理大臣やってたコトよりも、王国興隆の父として皆に慕われたコトよりも、ずっと尊敬に値するコトです。この世に大臣さんは一杯いますけど、死ぬ間際まで笑顔を絶やさなかった人なんて、ソレよりずっと少ないはずですから」
     この言葉を聞いたアルピナも、ハーミット卿の顔を思い浮かべた。
    「……そうね。確かに、そう。新聞に載ってる顔も、あなたのお母さんの実家でお会いした時も、いつもニコニコと微笑んでいたわね」
    「あたしもじーちゃんみたいになりたいな、って。……だから、にっこり笑うんです。泣いてるよりよっぽど、じーちゃんは喜んでくれる気がしますし」
     そう言って――葛は満面の笑みを見せた。

    白猫夢・暗雲抄 1

    2014.11.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第437話。笑顔の葛。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「思ったより、平気に見えるわね」「いえ、そんなには。結構、辛いですよー」 来客であるアルピナに茶を差し出しながら、葛ははにかむ。 状況に不釣合いなその仕草をアルピナは空元気と感じ、こう返した。「辛かったら、泣いてもいいのよ? 誰にも言わないから」「大丈夫ですよー」 が、葛ははっきりとした声で答えた。「泣いてたってきっと、じ...

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    麒麟を巡る話、第438話。
    国士無双。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     密葬から半月後、ハーミット卿の国葬が行われた。
     それは6世紀最大級と言っても過言ではない、文字通り国を挙げての大規模な葬儀となった。
     当然、国外からも多数の弔問客が訪れ――。

    「シュウヤ、ベル、久方ぶりであるな」
    「どもっス、サンデルさん。……あ、いや。マーニュ将軍ってお呼びした方がいいっスよね」
    「かっか、何を寝ぼけたことを!」
     何年か振りに秋也たちと顔を合わせ、サンデル・マーニュ中将は豪快に笑い飛ばした。
    「吾輩とお前たちの仲ではないか! 水臭い肩書きの掛け合いなぞ、我々には無用、無用!
     ……っと、挨拶がまだであったな。この度は誠に、愁傷であった」
    「痛み入ります」
     秋也とベルに揃って頭を下げられ、サンデルと、その傍らにいた兎獣人の女性も礼で返す。
    「しかし、既に冬に入ろうかと言う頃であるのに、この熱気はたまらんな。まるで熱帯ではないか。汗がまったく引かん」
    「人がいっぱいいますからね。もう会場、満員どころじゃないらしいっス」
     それを聞いて、サンデルはうんうんと深くうなずく。
    「うむ、やはり卿の人気、改めて実感するところであるな。
     ノエル、暑くはないか?」
     尋ねたサンデルに、彼の横にいた女性はこく、とうなずく。
    「ええ、少し暑いです」
    「脱がせてやろう」
     そう言って、サンデルは彼女の肩に手をかけた。
    「まだ奥さん、肩の方……?」
     ベルの問いに、サンデルはフン、と鼻を鳴らす。
    「あれだけの大怪我を負ってしまったのだ、そう簡単に治るものではない。いや、治ることなど、期待するべくもあるまい? もう30年は経つと言うのに、未だに肩より上に、腕が上がらんのだからな。……あ、いや」
     一転、ばつの悪そうな顔をしたサンデルに、ノエルと呼ばれた女性は笑って返す。
    「その事件が縁で、あなたと結ばれましたから。いい思い出ですよ。こうして何かにつけて、かいがいしくお世話もしてもらえますし」
    「う、うむ、そうで、あるな、うむ」
     顔を真っ赤にしながら、サンデルはノエルのコートを脱がせた。
    「お、オッホン。……まあ、なんだ。
     吾輩のことを指すわけではないが、西方のあちこちから著名人やら政財界の大物、将軍級や大臣級の重鎮、果ては各国首脳までもが続々やって来ておるようだな。
     本当に、卿の成した業(わざ)は並大抵のものではない。これが半世紀前であれば、大臣が死んだ程度でこれほどの人が集まりはしなかったであろうからな。いやむしろ、半世紀前なら西方三国時代のこと、隣国二国に嘲笑われて終いだったろう。
     それを考えれば――誠に、卿の業績は天下に誇れるものだ。こうして隣国将軍たる吾輩が、公然と彼を偲ぶことができるのだからな」
    「ええ、本当に。……本当に、義父は立派な人でした。
     ソレだけに、今後のコトが心配だって人も、大勢います。オレもその一人ですけどね」
    「うむ。卿ほどの実力と人柄を併せ持つ傑人が、果たしてこの国にいるものか……。
     いや、世界中を探したとて、卿に並ぶ者などそうそう、居はしないだろう。誠に国士無双と称されるべきお方であったからな」
    「一人、いたんスけどね……」
     秋也の言葉に、サンデルは目をむいた。
    「うん? そんな簡単にいると言うのか?」
    「いえ、……今はもう、ドコにいるかも、さっぱりっス」
    「アオイちゃん、……のことですか?」
     と、ノエルが口を挟んできた。
    「アオイ? 誰だ、それは?」
    「覚えていないんですか、貴方? シュウヤさんたちの……」「ああ、いえいえ、ソレ以上は」
     秋也が慌てて、話を遮る。
    「今はいない子のコトです。……そもそも、義父に並ぶと言ってしまっては、流石に言い過ぎっスから」
    「ふむ……?」
     サンデルは良く分からない、と言いたげな表情を浮かべたが、その疑問に答える者はいなかった。

    白猫夢・暗雲抄 2

    2014.11.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第438話。国士無双。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 密葬から半月後、ハーミット卿の国葬が行われた。 それは6世紀最大級と言っても過言ではない、文字通り国を挙げての大規模な葬儀となった。 当然、国外からも多数の弔問客が訪れ――。「シュウヤ、ベル、久方ぶりであるな」「どもっス、サンデルさん。……あ、いや。マーニュ将軍ってお呼びした方がいいっスよね」「かっか、何を寝ぼけたことを!」...

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    麒麟を巡る話、第439話。
    エトワール評。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ハーミット卿の国葬が済み、王国は落ち着きを取り戻しかけていた。
     しかし間もなく、巷は次の大きな話題――総理大臣選挙のうわさで持ちきりとなり、再び騒然とし始めた。

    「新聞では、リヴィエルさんが優勢って聞いてますよー」
    「そうらしいね」
     葛が大学のレポート作成のためにハーミット邸を訪れたところ、偶然、最有力候補と目されているリヴィエル卿に出会った。彼も今後の政治討論などに備えて、この屋敷の書斎を利用しようとしていたとのことだった。
    「あたしもリヴィエルさんが一番だと思いますよー。じーちゃんとよく話されているの、見たコトありますし。じーちゃんの後を継ぐなら、リヴィエルさんが適任だと思います」
    「ありがとう、カズラ君。君にそう言ってもらえれば、不安が吹き飛ぶよ」
     前総理である祖父との関係で、葛とリヴィエル卿には少なからず面識があり、相応に親しくしている。この時も互いの課題と資料作成を互いに手伝いながら、楽しく談笑していた。
    「しかし、卿の遺してくれたこの書斎には、本当に助けられる。
     卿自らの著書に加え、古今東西の名著が揃っているから、半端な図書館よりもずっと頼りになるよ」
    「ホントですよねー。もしこの書斎が無かったら、あたしが大学生になれたかも怪しいですよ」
    「このまま私と君だけの図書館にしておくには、惜しいものだ」
    「そうですねー」
     と、リヴィエル卿が筆を置く。
    「……そう。そこが少し、気になるところでもあるのだ」
    「え?」
    「君は、アテナ・エトワールと言う女性を知っているか?」
    「えっと……、確か今回の選挙に出てる人、ですよね?」
    「確かにその通りなのだが、かつては卿の秘書を務めていたこともあるのだ。即ち、卿がこれほどの蔵書を有していることも知っているはずだし、であれば私同様、彼女も選挙戦に備え、ここを訪れてもおかしくないと思っていたのだが……」
    「言われてみれば、あたしも何度もココに来てますけど、ソレっぽい人を見た覚え、全然無いですねー……?」
    「ここ以上に資料がある場所を抑えているのか、それとも単に近寄りづらいのか……。
     カズラ君、今から私が言うことは、誰にも話さないでほしいのだが――私はエトワール氏に、少なからず不信感を抱いているのだ」
    「どうしてですか?」
    「彼女は氷のような女だ。秘書であった頃も一切感情を示さず、我々に対し淡々と応対していた。その態度はまるで、彼女の中に心が存在しないかのようにさえ思えた。
     素晴らしく理知的であることは確かだし、その点では次期総理の資格はある。だがその人柄に関しては、卿とは比べるべくも無い。
     そんな彼女が万が一、この国の総理となったら、30年前に隣国で起こった悪夢が再現されるのではないか? ……そう思わずにはいられないのだ。
     かつて隣国において、心ない、悪魔のような男が国の実権を握った結果、隣国は一時、地獄の様相を呈することとなったと聞いているからね」
    「……」
     アテナの評判を聞き、葛もまた、寒々しいものを感じていた。
    「そう、ですねー……。国葬の時も密葬の時も、エトワールさんが来た覚え、無いですもん」
    「そうなのか? ……確かに弔問を強制するような義務はないが、それでも国家的大恩のある卿の葬儀に参加しないとは。
     やはり彼女には、人間らしい情が感じられないな」



     この半月後――新聞は矛盾する、2つの事実を報道した。
     一つは、アテナ・エトワールが国民投票の結果、新総理となったこと。そしてもう一つは、そのエトワール卿が国民の大多数の支持を得ていないことだった。
    (リヴィエルさんが、……負けちゃったの?)
     葛もこの事実を新聞によって知り、不安にかられていた。
    (まさか、とは思うけど。でも……、ホントに、リヴィエルさんの言ったコトが本当になりそうな気がする)

     姉と違って予知能力を持たない葛だったが――この予感は、残念ながら的中した。

    白猫夢・暗雲抄 3

    2014.11.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第439話。エトワール評。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ハーミット卿の国葬が済み、王国は落ち着きを取り戻しかけていた。 しかし間もなく、巷は次の大きな話題――総理大臣選挙のうわさで持ちきりとなり、再び騒然とし始めた。「新聞では、リヴィエルさんが優勢って聞いてますよー」「そうらしいね」 葛が大学のレポート作成のためにハーミット邸を訪れたところ、偶然、最有力候補と目されているリ...

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    麒麟を巡る話、第440話。
    不穏。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     アテナは総理大臣に就任してすぐ、自分の政治方針を次のように述べた。
    「まず大前提として、私は前総理の路線を踏襲することを宣言します。即ち、工業を軸とした大規模な産業振興と技術革新による、富国強兵政策です。
     そのためにはまず、都市部と地方との産業規模の格差を是正しなければなりません。私はまず、この1年で工業に従事する人口を3倍にし、さらなる工業力の上昇と生産力の拡大を目指すことを宣言します。
     それに伴い、かねてより不足気味とされていた食料自給率を大幅に補うべく、貿易の拡大も目指します。工業振興政策が成功すれば、貿易の拡大は容易に行えるでしょう。
     この国をさらに豊かに、そして強い国にするため、皆様のご理解とご協力を願います」

     この宣言を新聞で知った葛は顔を真っ青にして、リヴィエル卿のところに駆け込んだ。
    「リヴィエルさん、コレってホントに、エトワール卿がやろうとしてるの!?」
    「ああ。……私個人の意見としては、効果があるかは微妙だと思っているがね」
    「ソレどころの話じゃないです!」
     葛はぶんぶんと首を振り、新聞を叩く。
    「こんなコトしたら、王国は半世紀前に戻っちゃいますよ!?」
    「カズラ君」
     しかし、リヴィエル卿はばっと、葛の口に掌を当てて黙らせる。
    「むぐっ!?」
    「落ち着きなさい。エトワール閣下には閣下なりの考えがあるのだろう」
     リヴィエル卿はそっと、葛を屋敷の中に引き寄せる。
    「ともかく、往来では迷惑になる。中で話そう」
    「はい……?」
     リヴィエル卿の様子に、葛は不穏なものを感じ、素直に付いて行った。
    「……何かあるんですか?」
    「いや、特に何が、と言うわけではない。単に公共の迷惑ではないか、と、ね」
     そう口で言いつつ――リヴィエル卿は、手帳に何かを書き付け、懐の前に掲げた。
    《監視されている 適当に話を合わせて欲しい》
    「……!」
     葛は辺りを見回しかけ、慌ててリヴィエル卿に視線を戻す。
    「すみません、ちょっと、ニュースにびっくりしちゃったので」
    「いいんだ。若い君には、まだ理解できない部分もあるだろう」
    《エトワールがSSを掌握している まもなく君のご両親も更迭される だろう》
    「……っ、……あの、リヴィエルさん。やっぱり腑に落ちない点がありますから、ご意見を伺いたいんですが、お時間は大丈夫でしょうか?」
    「構わんよ」
    《SSが私を監視している エトワールは独裁制を敷くつもりだ 私は恐らく》「あ、あのっ!」
     葛は大声を上げ、リヴィエル卿を遮る。
    「な、何かね?」
    「どこか座れる場所、無いですか? 急いで走ってきたから、疲れちゃって」
    「ははは……、いいとも。応接間に案内しよう」
     葛も自分の手帳に、密かに書き付ける。
    《逃げましょう》
    《できない》
     当り障りのない会話を交わしながら、二人は筆談する。
    《妻と子供が昨日から帰ってきていない 恐らくSSに拉致されている 私はエトワールの言うことを聞く他無いのだ》
    《あたしが何とかします》
    「……っ」
     リヴィエル卿は目を見開き、震える字でこう続ける。
    《無茶だ》
    《何とかしてみせます》
    《危険過ぎる》
    《任せて下さい 絶対に助け出します あたしを信じて》
    「……」
     リヴィエル卿の手が止まり――そして口から、言葉が漏れた。
    「……君の意見を、是非、尊重したい、ところだ」
    「ありがとうございます」
     葛は立ち上がり、そしてリヴィエル卿に、深々と頭を下げた。
    「それじゃ、またっ!」



    「リヴィエル卿の動きは?」
    「前総理の孫と何か会話を交わしていた、とのことです。内容は、閣下の政策に対する批判を孫側が行い、それをリヴィエル卿がなだめていた、と」
     SS――王国が擁する特殊部隊からの報告を受け、アテナは冷たい目で尋ねる。
    「その、孫は? まだリヴィエル卿の屋敷に?」
    「いえ。リヴィエル卿に諭され、そのまま帰宅したそうです」
    「孫の行方は追っていますか?」
    「いえ」
    「何故?」
    「『元』隊長の家に戻るでしょうし、そこも既に、我々の監視下にありますから」
    「何故そのまま、まっすぐ帰ると?」
    「え……?」
    「彼女の性格とリヴィエル卿の現状から考えて、彼女はSS本部ないし拘置所を強襲し、両親とリヴィエル卿の家族を奪還するはずです」
    「ま、まさか?」
    「忘れたのですか? 10年前、当時たったの15歳であった彼女の姉が、あなた方SS以上の働きを見せたことを。
     同じ血を持つその妹が、このまま何もしないと思うのですか?」
    「……至急、警戒態勢を執らせます。万一拘束した場合、どういたしましょうか」
    「特別公務執行妨害ならびに機密侵害で逮捕しなさい」
    「了解です」
     SS隊員は敬礼し、アテナの前から去る。
     一人残ったアテナは――珍しく、うっすらと笑みを浮かべていた。
    「どう転ぼうと、ハーミット卿の縁者はこれで全滅でしょうね。
     これで、私の独裁が実現するでしょう」

    白猫夢・暗雲抄 終

    白猫夢・暗雲抄 4

    2014.11.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第440話。不穏。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. アテナは総理大臣に就任してすぐ、自分の政治方針を次のように述べた。「まず大前提として、私は前総理の路線を踏襲することを宣言します。即ち、工業を軸とした大規模な産業振興と技術革新による、富国強兵政策です。 そのためにはまず、都市部と地方との産業規模の格差を是正しなければなりません。私はまず、この1年で工業に従事する人口を3倍に...

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    麒麟を巡る話、第441話。
    SS再編成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     葛がリヴィエル卿の家族を救うべくSS本部に向かう、その1時間前――秋也とベルもまた、新総理となったアテナから直々に、SS本部へと呼び出されていた。
    「何だろな……?」
    「さあ?」
     何も聞かされていない二人は、首を傾げながら向かう。
    「SSに呼び付けたってことは、それ絡みだよね」
    「って言うか、ソレ以外無いだろ? オレたち、アイツとソコ以外に関わり合い、まったく無いし」
    「だね。……ま、仲良くしたくないタイプだし」
    「同感。アイツ、オレたちのコトはみんな、バカか足手まといにしか思ってないっぽいし」
    「うんうん。なんでパパ、あんなヤツを秘書にしてたのかなぁ」
     夫婦揃ってアテナへの悪口をつぶやいていたところに、SS隊員が現れる。
    「おつかれさま、フレッド」
    「おつかれさまです、隊長。既に本部司令室にて、エトワール新総理がお待ちです。お早めに……」
    「うん、分かった。ありがとね」
     軽く敬礼を交わし、そのまますれ違う。
    「……?」
     と、秋也がけげんな顔をする。
    「どしたの?」
    「いや……、なんか、妙だなって」
    「何が?」
    「フレッドのヤツ、武器を装備してたぞ。今、特に指令なんか出して無いよな?」
    「うん。……変だね?」
    「アテナから何か言われたのかな……?」
    「かなぁ? ねえフレッド、……あ、もういないや」
     振り返ったが既に、隊員の姿は無い。
    「ま、いいや。もう来てるっつってたし、さっさと行こう」
    「うん」

     司令室に着き、秋也たちはアテナに敬礼して見せる。
    「就任おめでとうございます、新総理」
    「ありがとう。早速ですが、お二人に通知することがあります」
     これまでSSにおける、彼女の場所だった参事官席に座っていたアテナが、ゆっくりと立ち上がる。
    「私が総理となるに当たって、まずは前総理の裁量と権限において設置されていた各部署の統廃合と整理を行おうと考えています」
    「はあ……?」
    「それが、何か……?」
     何の話をしているか分からず、秋也もベルも、いぶかしげな声を上げた。
    「このセクレタ・セルヴィス、通称SSも、前総理の『重大な犯罪に対する対抗措置を設ける』と言う理念の元、設置されたものです。
     しかし設立より15年以上が経過し、その間、実際に犯罪捜査に動いたのはたった9件。うち2件はその理念に見合う働きができていません」
    「……」
     苦い顔をするベルに構わず、アテナは話を続ける。
    「これは軍事予算の無駄遣いであると判断せざるを得ません。である以上、より実行力と存在価値のある組織に編成し直すべきと、私はそう考えています」
    「えっ?」
    「じゃあ、まさか」
    「そのまさかです。調査隊としてのセクレタ・セルヴィスは、現時点を以って解散。
     同部隊はこれより総理大臣直属の戦闘部隊、即ち親衛隊として再編成します」
    「ソレって……」
    「つまり……」
    「ええ。こう言うことです」
     司令室の出入口がバン、と乱暴に蹴り開かれ、武装した隊員たちがなだれ込む。
     そして彼らは一斉に、秋也とベルに向けて小銃を構えた。
    「なっ……」
    「お前ら!?」
    「すみません、隊長、副隊長!」
     隊員たちは一様に、沈痛な表情を浮かべている。
    「コイツに、何を言われたんだ!?」
    「……すみません!」
     と、アテナが隊員たちの方へと歩きながら、こう告げた。
    「既にあなた方2名はSS隊長と副隊長ではありません。軍務規定違反の罪により更迭、除隊、および拘束します」
    「軍務規定違反だと!? オレたちが何したってんだ!」
    「総理である私の命令に背いた、と言うことにします」
    「『します』!? 何バカなこと言ってるのよ!?」
    「どの道、あなた方二人は私に背くでしょう。これまでにも幾度と無く、私と意見の対立がありましたから」
    「何だよ、そりゃ? お前一人の恨みのために、SSを弄ったのかよ?」
    「私怨が理由ではありません。これは今後の展望を見据えた上での、対抗措置です。
     ハーミット家の一員であるあなた方に自由に振る舞われては、今後の私の政治活動に少なからず支障が出ると予想されますので」
     その言葉に、二人の顔から血の気が引く。
    「テメエ、まさか……!」
    「独裁する気なの!?」
    「私が考える、最も合理的な政治体制です。
     この政治体制には事実上、一切の反対意見が発生しません。反対意見が無ければ、行動は容易です。行動が容易であるのなら、結果は迅速に出ます。そして結果が迅速に出るのなら、それによる利益もまた、速やかに得ることができます。
     この国は私によって、より素晴らしき大国へと変貌するでしょう。前総理体制以上の速度を伴って」
    「ふざけんな……! 全部テメエの、勝手な理屈じゃねーか!」
     秋也が反論しかけたところで、アテナが隊員に命じる。
    「二人を拘置所へ送りなさい。これは首相命令です」
    「……了解です」
     10を超える元同僚たちに囲まれては、流石の秋也とベルも従うしかなかった。

    白猫夢・飛葛抄 1

    2014.11.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第441話。SS再編成。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 葛がリヴィエル卿の家族を救うべくSS本部に向かう、その1時間前――秋也とベルもまた、新総理となったアテナから直々に、SS本部へと呼び出されていた。「何だろな……?」「さあ?」 何も聞かされていない二人は、首を傾げながら向かう。「SSに呼び付けたってことは、それ絡みだよね」「って言うか、ソレ以外無いだろ? オレたち、アイツとソ...

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    麒麟を巡る話、第442話。
    ハーミット家の反逆。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     両腕を背中に回す形で縛られ、秋也たちは拘置所へと連行されていた。
    「なあ」
    「……」
    「なあって」
    「……」
    「無視すんなよ、ジャン。何であんなヤツに従うんだ」
    「……」
     元同僚たちは一切口を開かず、黙々と縄を引いている。
    「脅迫されたの?」
    「……っ」
     が、ベルの一言に、わずかに呼吸を乱した。
    「そっか……」
    「……すみません、それ以上は聞かないで下さい」
    「ああ、分かったよ」
     こうして秋也たちを連行している彼らもまた、何者かに監視されていると悟り、秋也たちは黙り込んだ。

     その時だった。
     一行の目の前に突然、黒い影が現れる。
    「……!?」
     とっさに小銃を構えた隊員の前に、その影はぴったりと張り付く。
     そして瞬時に手刀と足払いを加え、隊員の体勢を崩す。
    「うあっ……!?」
     影は宙に浮いた小銃をつかみ、銃床で隊員の頭をひっぱたいた。
    「か……」
     その影を見た秋也とベルは、同時に叫ぶ。
    「葛!?」
    「大丈夫だった、二人とも?」
    「ま、待てっ!」
     と、秋也たちの背後にいた隊員が小銃を構える。
    「待たないっ!」
     葛は小銃を投げつけ、隊員の顔に叩きつけた。
    「ぐえっ……」
     隊員は鼻血を噴き、仰向けに倒れて気絶してしまった。
    「お、お前、どうしてココに?」
    「ソレより、まずは二人とも武器を装備して。助けてほしいの」
     そう頼んだ葛に、二人は唖然とする。
    「『助けて』ってどう言うこと? たった今、あたしたちが助けてもらったんだけど……?」
    「うん。他に助けたい人がいるんだ。リヴィエル卿から、家族が人質になってるって聞いたから」
    「……マジかよ」
     葛から事情を聞き、秋也たちの顔に怒りの色が差す。
    「ふざけやがって……! マジで独裁者になるつもりかよ!?」
    「正気じゃないよ!」
    「怒るのは後。今はサッと行って、パッと奪還して、ちゃちゃっと逃げなきゃ」
    「……だな」
     気絶した隊員たちから武器を奪い、三人は拘置所へと向かった。



     秋也たちが見抜いていた通り、この時の様子は別のSS隊員によって確認されていた。
    「緊急連絡! 元隊長および元副隊長が、隊員2名の装備を奪って逃走しました!」
    《何だと!? 縛っていたはずじゃ……》
    「それが、突然何者かが現れ、連行していた隊員を……」
     と、通信にアテナが割り込んでくる。
    《想定の範囲内です。高い確率で、それはカズラ・ハーミットでしょう》
    「カズラ? と言うと、元隊長の娘さんの?」
    《ええ。彼女は恐らく、拘置所に向かいます。前日に拘束したリヴィエル卿の家族を奪還しに向かうはずです》
    「りょ、了解です。では追走し、再度拘束を試み……」
    《無駄でしょう。一瞬のうちに隊員2名を倒したカズラ嬢、そしてハーミット夫妻を総合した戦闘力を鑑みれば、あなた1名では返り討ちに遭うことは明白です。
     それよりも一度本部に戻り、完全武装して迎撃すべきです》
    「それは、……つまり」
    《全SS隊員に告ぐ。これは首相命令です。
     シュウヤ・コウ、ベル・ハーミット、そしてカズラ・ハーミットの3名を、特別公務執行妨害ならびに機密侵害、および国家反逆の罪で逮捕しなさい。武器の使用を許可します。もしも抵抗した場合、射殺を許可します。
     いいえ、見つけ次第射殺しなさい。抵抗の有無は問いません》
    「……っ」
     あまりにも冷徹な、恐るべき命令に、隊員の誰もが凍りつく。
    《応答しなさい》
     しかし、淡々と命じるアテナに、隊員たちは全員、「……了解しました」とうなずくしかなかった。



     一方、その頃――。
    「それで……?」
     市街地の外れに、大柄の車が一台停まっていた。
    「卿の、悪い予感が当たったわ。カズラちゃんは今、拘置所に向かってるそうよ」
    「そうか……」
     技術者風の男性が、腕を組んでうなる。
    「あなたも、来てくれる?」
    「そりゃ、勿論さ。……カリナがマチェレの寄宿舎に行ってて、良かったな」
    「この国にいないなら、むしろ安全よ。流石のエトワールも、そうそう手出しなんかできないはずだし。
     もし不穏を感じたのなら、わたしたちが確保に行けばいいのよ。カズラちゃんみたいに、ね」
    「……はは、そうだな」
     二人は会話を止め、車に乗り込んだ。

    白猫夢・飛葛抄 2

    2014.11.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第442話。ハーミット家の反逆。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 両腕を背中に回す形で縛られ、秋也たちは拘置所へと連行されていた。「なあ」「……」「なあって」「……」「無視すんなよ、ジャン。何であんなヤツに従うんだ」「……」 元同僚たちは一切口を開かず、黙々と縄を引いている。「脅迫されたの?」「……っ」 が、ベルの一言に、わずかに呼吸を乱した。「そっか……」「……すみません、それ以上は聞...

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    麒麟を巡る話、第443話。
    人質救出作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     拘置所に着き、葛たち三人は物陰から周囲を警戒する。
    「……SSのヤツらはいないみたいだな」
    「他の兵士にも動きは無さそう。流石のアテナも、まだ全軍を掌握してはいないみたいね」
    「とは言え、うだうだしてられねーな。……ちょっと待ってろ」
     秋也がすい、と物陰から離れ――次の瞬間、拘置所前で立番していた兵士たちがぱた、と倒れた。
    「はやっ」
    「昔取ったナントカってヤツだ。金毛九尾の鬼コーチの背後取るより、百倍簡単だよ」
    「すごいね、パパ」
     夫婦二人で兵士を物陰に隠す間に、葛は入口をそっと開け、人の姿が無いことを確認する。
    「大丈夫、入れるよー」
    「おう」
     素早く中へと侵入し、三人は廊下を進む。
     途中で何度か兵士に出くわすが、ことごとく秋也が峰打ちや手刀で音もなく倒し、気絶させる。
    「パパってサムライだって聞いてたけど……、ニンジャみたい」
    「アホなコト言ってないで、こっち来いよ」
     ほとんど問題もなく、三人は拘置所の檻へとたどり着いた。
    「リヴィエル卿の奥さんと子供さん、ドコに閉じ込められてる?」
    「えーと……」
     葛は素早く管理簿を確認し、その名前を見付ける。
    「あった! E―4!」
     ベルに出入り口の見張りを任せ、秋也と葛はその房へ向かう。
    「助けに来ました! ご無事ですか!?」
    「……!」
     檻の中に閉じ込められていた、土気色の顔をしていた3人が、顔を上げる。
    「今出します!」
    「ほ、本当に……?」
    「助かるんですか? 主人は?」
    「……!」
     夫人の言葉に、葛は青ざめた。
    「……あっちゃー、そうだった」
    「葛?」
    「大変、パパ! もしかしたらリヴィエルさん……」
     それを聞いて、秋也の顔も真っ青になる。
    「って、お前、まさか」
    「うん。すぐにリヴィエルさんの家を飛び出しちゃったから、もしかしたら拘束されちゃってるかも」
    「……グズグズしてらんねーな」
     秋也は檻を開け、中の3人を連れ出す。
    「ベル! 外は大丈夫そうか?」
    「今のところは……」
     脱出ルートの安全を確認・確保しつつ、一行は拘置所の外へと向かう。
     そして出入口に着いたところで、ここでもベルが外をうかがい、手招きする。
    「うん、今は大丈夫そう。……いい? まず、あたしが出る。向こうの壁際まで行って、あたしが2回手を振ったら、みんな来て。でも1回だけだったら、しばらく出ないで」
    「分かった」
     全員がうなずくのを確認し、ベルがそっと扉を開けた。

     が、その直後――葛が彼女の襟をつかみ、乱暴に引き戻す。戻ってきたベルに全員が押される形となり、バタバタと倒れる。
    「おわっ!? ……何するのよ、カズラ!?」
     ベルが振り返ったその瞬間、扉に無数の穴が空く。つい一瞬前まで皆がいた場所に、大量の銃弾が突き刺さった。
    「……!」
    「待ち伏せ!?」
     気配を悟られぬよう、今度は恐る恐る、銃弾で開けられた穴から外を確認する。
     そこには多数の兵士がサーチライトを背に並んでいるのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「囲まれてる……!」
    「おい葛、なんで待ち伏せてるコトが分かったんだ? まさかお前も……」「違う違う、勘とか予知とかじゃないよー」
     葛はぱたぱたと手を振り、こう説明した。
    「さっきSSの人を倒してから10分か15分は経ってるし、パパたちを見張ってる人がいたなら多分エトワールさんに報告してるだろうし、ソレなら体勢を整え直してココで待ち構えさせるくらいは指示してるだろうなー、って思ったから。
     で、ママにフェイントさせてみた」
    「先に言いなさいよ、もう。寿命縮んじゃうってば」
    「ごめーん」
     胸に手を当て、冷汗をかいているベルにぺこっと頭を下げつつ、葛も外を注意深く確認する。
    「……眩しくて見えにくいけど、やっぱいるみたいだよー、エトワールさん。前に立ってるエルフの人がそうだよねー?」
    「チッ……」
     悪態をつきつつ、秋也も確認する。
    「確かにいやがるな。……で、どうする?」
     誰ともなしに尋ねた秋也に対し、ベルも葛も、何も答えられない。
    「……だよな。戻っても檻があるだけだし、アレだけ煌々と照らされちゃ、隙を見つけて飛び出す、ってのも無理だ。
     万策尽きたな……」
     秋也の言葉に反論することは、諦めの悪い葛にもできなかった。

    白猫夢・飛葛抄 3

    2014.11.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第443話。人質救出作戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 拘置所に着き、葛たち三人は物陰から周囲を警戒する。「……SSのヤツらはいないみたいだな」「他の兵士にも動きは無さそう。流石のアテナも、まだ全軍を掌握してはいないみたいね」「とは言え、うだうだしてられねーな。……ちょっと待ってろ」 秋也がすい、と物陰から離れ――次の瞬間、拘置所前で立番していた兵士たちがぱた、と倒れた。「はや...

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    麒麟を巡る話、第444話。
    葛とアテナの議論。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     と、ぴいー……、と言う、金属を引っかいたような音が響く。
    「うひゃ、……あーっ、もお! 鳥肌ぶわって出た! 何、今の!?」
     猫耳を抑え、顔を引きつらせたベルに、葛が答える。
    「拡声器、……だったかなー? なんか音を電気信号にして、増幅してもっかい音に戻すって装置。電話のでっかい版みたいな感じ」
    「あー、そー。……あー、まだ鳥肌立ってる」
     葛の言った通り、アテナの声が大音量で聞こえてくる。
    《犯人に告ぐ。抵抗を止め、速やかに投降しなさい》
    「ケッ、犯人扱いかよ。何の犯人だっつーの!」
     負けじと怒鳴り返した秋也に、アテナの冷たい声が返ってくる。
    《特別公務執行妨害ならびに機密侵害、および国家反逆の罪があなた方に問われています。
     こうして政府管轄の建物内に無断で侵入し、拘置所にいる人間を不正規な方法で解放。さらには軍の人間、即ち公務に当たっていた者を襲撃し、傷害を追わせています。
     さらには総理たる私の意向に沿わない、こうした行動と思想。これはれっきとした、国家に対する反逆であると認識できます》
    「ふざけんな! お前みたいに非人道的なやり方を平然とやってのけるようなヤツなんかの意向に、誰が沿うかよッ!」
    《あなた方との議論は不要です。権力を有しているのは私であり、あなた方は犯罪者です。公に正当性を問うた場合、どちらに賛成が投じられるかは明白でしょう》
    「王様気取りだね、エトワールさん!」
     と、葛が口を開いた。
    「あなたのやろうとしてるコトは、ソレこそ、国家反逆罪に問われるコトじゃないの!?」
    《その論拠は?》
    「あなたは誰の意見も抹殺し、自分の意見だけを押し通そうとしてる! そう、きっとあなたは、いずれは王様さえ無視するつもりなんでしょ!?
     ソレこそ国家への、『王国』としてのこの国の在り方に、真っ向から対立してる! 反逆、そのものだよ!」
    《話が飛躍しています。論拠に値しません》
    「こんな話の論拠にならなくても、世論は間違いなく、そう思うよ! あなたは世論の結果である選挙によって、首相になったはずでしょ!?」
    《だから?》
    「こんなやり方、誰も賛成なんかしやしない! きっとあなたは失脚し、首相の地位を失うよ! 国民の総意で、ね!」
    《愚論です》
     アテナの冷え冷えとした声が、拘置所に響いた。
    《あなた方犯罪者が何をわめこうと、それが正当性を有することは決してありません。総理たる私にのみ、正義があるのです。
     国民の多く、いや、ほとんどすべては、無条件に正義を信じ、そして無条件に、そこに正当性があると信じます――それが道理です。
     SS全隊に告ぐ。犯人らの抵抗の意思は、極めて強いものと断定。投降の意思が一切見られないため、実力行使にて、彼らを排除しなさい》
    「……」
     押し黙ったままのSSたちに、アテナは再度命じた。
    《繰り返す。排除しなさい!》
    「……了解、……です」
     兵士たちは一斉に、小銃を構えた。

     その時だった。
     拘置所を照らしていたサーチライトが、突然ボン、と言う音とともに砕け散った。
    「なっ……!?」
    「何だ!?」
     サーチライトは次々に破壊され、その光を失う。
     さらには周囲の街灯も全て消え、辺りは闇に包まれた。
    「見えない!」
    「バカ、しゃべるな!」
     突然真っ暗になり、兵士たちは騒然としている。拡声器からも一瞬、アテナが息を呑んだ様子が漏れ聞こえた。
    「……今だ!」
     兵士たちに気付かれぬよう、秋也がそっと扉を開け、外へ飛び出す。ベルと葛もリヴィエル一家の手を引き、外へ出た。
    「な、何をしているのです! 排除しなさい!」
     アテナの混乱する様子が、地の声で聞こえてくる。
    「目標、視認できません! 今銃撃すれば、同士討ちの危険があります!」
    「くっ……!」
     相手が混乱しているうちに、秋也が拘置所の門前に陣取っていた兵士たちに、無言でタックルした。
    「おわっ!?」
    「痛えな、誰だよ!?」
    「勝手に動くな! 動くんじゃない!」
     どうやら味方同士でぶつかり合っていると勘違いしたらしく、兵士たちはあたふたとしている。
     その隙を縫うように、葛たちも続く。
    「落ち着きなさい! 誰か、誰か光を……」
     と、その中心にいたアテナを見つけ、葛はニヤ、と笑う。
    (えいっ)
     葛はそっと、アテナに足払いをかけて転ばせた。
    「きゃあっ!」
     首相の慌てふためいた声を背中で聞きながら、葛たちは全員、無事に拘置所から脱出した。

    白猫夢・飛葛抄 4

    2014.11.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第444話。葛とアテナの議論。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. と、ぴいー……、と言う、金属を引っかいたような音が響く。「うひゃ、……あーっ、もお! 鳥肌ぶわって出た! 何、今の!?」 猫耳を抑え、顔を引きつらせたベルに、葛が答える。「拡声器、……だったかなー? なんか音を電気信号にして、増幅してもっかい音に戻すって装置。電話のでっかい版みたいな感じ」「あー、そー。……あー、まだ鳥肌...

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    麒麟を巡る話、第445話。
    ネロが遺した指示書。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     拘置所を後にしたところで、ちか、と一瞬だが、何かの灯りが光る。
    「今の……?」
    「行ってみよ?」
     いぶかしんだベルに対し、葛がそう提案する。
    「一瞬だけ、……ってんなら、少なくとも軍の増援とかじゃないな。行ってみるか」
     秋也が賛成し、全員が光の差した方へ向かう。

     間もなく一行は、その光源にたどり着いた。
    「遅かったじゃない、みんな」
    「……アルピナさん?」
     そこにはアルピナと、火術灯を持った短耳の男性がおり、そして二人の背後にはバン(貨物用自動車)が停められていた。
    「全員無事か?」
     短耳にそう問われ、秋也が答える。
    「ええ、ユーゲンさん」
    「良かった。もし一人でも欠けていたら、リヴィエル卿に怒られるところだ」
    「リヴィエル卿? もしかして……」
     尋ねかけた葛に、バンの中から声が返ってくる。
    「ああ、そうだ。君が拘置所前でひと暴れしてくれたお陰で、私への監視が切られたんだ。その隙を突いてスタッガート夫妻が助けに来てくれてね、どうにかここまで来られた」
     バンの中から、そろそろとした足取りでリヴィエル卿が現れる。
    「あなた!」
    「おお、無事で良かった……!」
     互いを抱きしめるリヴィエル夫妻を尻目に、もう一人、バンから顔を覗かせる。
    「わしもおるぞ」
    「あ、ばーちゃん!」
     葛はジーナの顔を見るなり、バンへと駆け出す。
    「無事で良かったー。でも、どうしてばーちゃんまで?」
    「スタッガート夫妻に連れ出してもらったんじゃ。ネロの遺言じゃと」
    「遺言?」
    「ええ、卿からこれを預かっていたの」
     そう言って、アルピナが手紙を見せる。
     アルピナの夫、ユーゲンに照らしてもらいながら、葛たちは手紙を読んだ。



    「ほとんどあり得ない事態と僕自身も思っている、いや、そう思い込もうとしていることだが、もしも僕の第一秘書官であるアテナ・エトワールが僕の死後において、屋敷の書斎に収められているはずの遺言状を破棄し、この国の主権を奪取しようと目論んだ場合、まず真っ先に行うであろうことは、自分の対抗勢力となる人間をことごとく排除することだ。
     つまり現在、僕と親しくしているアンリ・リヴィエルをはじめとする、我が内閣の中核を成す『エルミット派』と呼ばれる派閥の人間。そして僕の血を引くベルやカズラ。この両者が危険にさらされることは、ほぼ間違い無いだろう。
     そこでスタッガート夫妻、君たちに頼みたいことがある。まず、万が一アテナが遺言状の存在を一切公表することなく国政の舞台に踊り出た場合、速やかにアンリと彼の一家を保護し、続いて僕の妻ジーナと娘夫妻一家も、同様に保護してほしい。

     アテナは目的達成のためなら手段を選ばないタイプだ。
     僕の目が届く現在であれば彼女が持つその危険性を発揮させないよう対処できるし、彼女の持つ有用性の方が勝るから、秘書官として置いている。
     だがもし政治権力を得た場合、恐らく得てから一両日以内、あるいはその日の内に、実力行使の手段を得るため、何らかの集団――恐らく彼女が参事官を務めているセクレタ・セルヴィスがその標的となるだろう――を手中に収め、前述の人間を不当に監禁し、何らかの罪を捏造して投獄するはずだ。いや、最悪の場合、どさくさに紛れて殺害させる危険もある。
     願わくば僕の死後も、アテナにはそれらの危険性が発揮されないまま、引き続き次代総理の秘書官を務めていてもらいたいものだ。

     追伸
     残念だが、僕の懸念する最悪の事態が現実のものとなった場合、恐らくこっちの遺言状を公表したとしても、アテナは手練手管を用いて偽物と主張し、それを通してしまうだろう。
     あくまでこの手紙は、万が一の事態に備えた指示書であると考えてほしい」



    「じゃあやっぱり、お義父さんは遺書を遺してたのか」
    「まあ、パパの性格なら遺さないわけないよね」
     秋也とベルは顔を見合わせ、揃って落胆した表情を浮かべる。
    「その最悪の事態が、こうやって発生したってワケか……」
    「あーあ……」
    「落ち込んでる場合じゃないわよ」
     と、アルピナが声をかける。
    「サーチライトはわたしが破壊したけれど、街灯の方はガスを止めただけだし、もうそろそろ復旧するわ。その前に、この国を出ましょう」
    「あ、そうっスね。……って、国を?」
    「ええ。この国にいる限り、間違いなくエトワールは追っ手を差し向け、あなたたちを殺しに来るわ。
     勿論、百戦錬磨のあなたたちなら返り討ちにできるでしょうけど、相手はきっと、元同僚よ? 戦いたくないでしょう?」
    「あー……」
    「確かにヤダな、それ」
    「ましてやリヴィエル卿ご一家や、高齢のジーナさんは、襲われたら反抗する術はない。易々と殺されるわ。わたしとユーゲンにしても、あなたたちを助けたと発覚すれば、無事では済まないでしょうし。
     全員が生き延びるためには、隣国へ逃げるのが最善よ」
    「……そっスねぇ。ソレ以外、確かに無いか」
     秋也の返答に、葛とベル、リヴィエル卿もうなずく。
    「エトワール氏に追い払われるようで腹立たしいが……、仕方あるまい」
    「決まりね。じゃあみんな、車に乗って」
     アルピナに促され、葛たちはバンに乗り込んだ。

    白猫夢・飛葛抄 5

    2014.11.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第445話。ネロが遺した指示書。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 拘置所を後にしたところで、ちか、と一瞬だが、何かの灯りが光る。「今の……?」「行ってみよ?」 いぶかしんだベルに対し、葛がそう提案する。「一瞬だけ、……ってんなら、少なくとも軍の増援とかじゃないな。行ってみるか」 秋也が賛成し、全員が光の差した方へ向かう。 間もなく一行は、その光源にたどり着いた。「遅かったじゃない...

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    麒麟を巡る話、第446話。
    ハーミット卿の功罪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     葛たちは隣国、グリスロージュ帝政連邦へと亡命した。
     秋也から事情を聞いた皇帝、フィッボ・モダスは、非常に落胆した様子を見せた。
    「そうか……。何と嘆かわしい。卿の遺志は潰された、と言うことか」
     フィッボは秋也の手を取り、力強く握りしめた。
    「シュウヤ君、君には大恩があるし、卿にも少なからず助けられてきた。是非とも歓迎するよ。この国で問題なく生活できるよう、あらゆる便宜と援助を惜しまないつもりだ」
    「ありがとうございます、陛下」
    「おいおい、シュウヤ君」
     フィッボはにこっと笑い、首を振った。
    「私と君の仲だ。気軽に呼んでくれて構わない。昔のようにね」
    「はは、ども。じゃあ、フィッボさん。これからしばらく、ご厄介になります」
    「うむ。当面は城の客間で生活するといい。諸君の家や仕事などについてはおいおい、検討するとしよう。
     ……しかし、王国がよもや、そのような愚行・蛮行を許すとは。一体ロラン王は何を考えているのか。
     そもそも国家の要、政治の中核と言える宰相を、己の裁量と判断で指名しようともしなかったこと自体、私には考えられないことだ」
    「多分、ですけどー」
     と、葛が手を挙げる。
    「うん?」
    「ロラン陛下、……だけじゃなくて、じーちゃんが居た頃に王様だった人はみんな、責任逃れしてたんじゃないかなって思うんです」
    「ほう……?」
    「こんなコト言ったらじーちゃん、嫌な顔するかも知れませんけど――じーちゃんはあんまりにもスゴ過ぎた気がします。
     ソレこそ、王様が何も考えなくていいくらいの仕事をし過ぎちゃったと思うんです」
    「なるほど、一理ある。
     確かに卿の手腕は素晴らしかった。彼がいれば勝手に国が豊かになる、とすら評されるほどに。
     しかしそれは、一方で甚(はなは)だしい放任を生むことにもなる。何しろ彼一人で経世済民の構想から発案、計画、策定までが済んでしまうのだからな。
     となればロラン王を含め、誰も能動的に政治に手を出そうとはしなくなるだろう。それよりも卿の意見に任せ、受動的でいた方が、よほど良い結果を生む。
     皆、そう考えてしまうだろうな」
    「お恥ずかしい話です。思い当たる節は、少なからずございます」
     フィッボの意見に、リヴィエル卿が苦々しい顔で同意する。
    「そしてそれは、危機意識をも鈍らせていたのでしょう。
     まさか今回のエトワールのように、卿の遺志を軒並み消し去り、己が欲と横暴を正当化するような人間の台頭を易々と許す結果になろうとは、国民の誰もが――恐らくは卿を除いて――危惧していなかったでしょう」
    「こんな意見は、諸君にはひどく辛辣であるとは思うが――『いい人』過ぎたのだろうな。卿も、王国の民も。
     然るに平和と言うものは、場合によっては恐ろしいものだな。長く続けば続くほど、突然の危機にまったく対応できなくなる。……かと言って不安が続くことも、それはそれで良しとは、到底言えないが」



     一方、プラティノアール王国では、いよいよアテナの独断専行が強まりつつあった。
     実はアルピナのように、ネロから遺書を預けられた者は若干名いたのだが、拘置所での「事件」でその存在に勘付いたアテナによっていち早く手を打たれ、そのほとんどが逮捕・投獄された。
     さらに、それと並行してSSの人員を大幅に拡大させ、アテナは総勢400名を超える「私兵団」を確立した。
     ネロの遺書とその実行者をことごとく葬り去り、己に反発する者を武力で黙らせ、完膚なきまでに敵対勢力を殲滅(せんめつ)したアテナは、公約していた政策を実行に移し始めた。

    「くくく……、今日も紙面は大混乱だな。『製造業さらに加熱 政府援助150億キュー追加を決定』。これは本気かね、総理殿?」
    「ええ。来月より実施します」
    「あと、これも本気か?」
     男は新聞をめくり、小さな記事を指差した。
    「『農業振興政策が完全凍結へ 工業従事人口の拡大が目的か』」
    「ええ。既に産業省内の該当部門は解体しています」
    「くくく……」
     男の笑い方が癇に障ったらしく、アテナの目がほんのわずかに吊り上がる。
    「何か問題が?」
    「いや、別に。思い切ったことをするな、とね」
    「改革は断行あるのみです。少しでも非合理性を感じたものは、即刻排除すべきでしょう」
    「なるほど、なるほど」
     男はニヤ、と笑みを浮かべ、アテナに近寄る。
    「では私との交流はどうだ? 合理的でない部分は少なくないと思うが?」
    「いいえ。あなたと交流を持つことは、私に多大な利益をもたらします。であれば総括して、合理的と言えるでしょう」
    「詭弁だな。一つの重大な非合理性を、もっともらしい理屈でごまかしているに過ぎん」
     男はアテナを背後から抱きしめながら、その長い耳にささやいた。
    「愛だの恋だのは、最も非合理的なものだ。私はそう思うがね」
    「……その意見に関しては、私の負けを認めましょう」
     アテナは男の腕に、自分の手を載せた。

    白猫夢・飛葛抄 6

    2014.11.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第446話。ハーミット卿の功罪。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 葛たちは隣国、グリスロージュ帝政連邦へと亡命した。 秋也から事情を聞いた皇帝、フィッボ・モダスは、非常に落胆した様子を見せた。「そうか……。何と嘆かわしい。卿の遺志は潰された、と言うことか」 フィッボは秋也の手を取り、力強く握りしめた。「シュウヤ君、君には大恩があるし、卿にも少なからず助けられてきた。是非とも歓迎...

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    麒麟を巡る話、第447話。
    エトワール病。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     アテナが実施した政策は、徹頭徹尾に渡って「総工業化」と「貿易拡大」の方針を執っていた。
     まず彼女は、既に存在する工業・製造業関連の産業に対して、湯水のように助成金を出したり、破格の税制を設けたりと、阿漕な奨励策を打ち出した。
     その一方で農林業や水産業などの、いわゆる一次産業に対しては、助成金を止める、高率の税金を課すなど、真逆の政策を執って圧迫し、壊滅状態に追いやってしまった。

    「たった3ヶ月で農業従事者が8割減とは。いくらなんでもひどくないか?」
     あの長耳の男性も、流石に非難めいた言葉を口に出す。
     だが、彼女は頑として聞き入れなかった。
    「構いません。こうして一次産業に充てられていた労働力を都市部、即ち工業の盛んな地域へ集め、工業力を増大させるのが狙いですから」
    「しかし、食産関係が潰れたせいで、物価が大幅に跳ね上がっているらしいじゃないか。既に食糧難を迎えている街もちらほらあると言うが、それについてはどうするつもりだ?」
    「考えてあります。工業力の増加によって我が国の貿易は大幅な黒字を発生させるはずです。その黒字分で他国の安価な食糧を購入すれば良いのです。
     合理的に考えれば、我が国のような先進国はより生産性の高い産業を優先すべきなのです。生産性の低い農業などは設備に乏しく、かつ、人員が豊富な中進・後進国に任せておく方が、効率的と言えるでしょう」
    「合理的、効率的、……ね」
    「何か問題が?」
     アテナに問われ、長耳は肩をすくめる。
    「いいや。経済や政治は私の得意分野じゃないからな。政治家の君と比べれば、取るに足らん意見さ。
     君が自分の理論に自信を持っていると言うなら、迷わずやればいい」
    「ええ。無論、そうします」



     しかし――これらの政策はことごとく、失敗に終わった。

     まず第一に、ネロがいた時代から既に、工業関連の需要は頭打ちとなっており、工業製品を大量に製造し貿易の拡大を試みても、まったく輸出が伸びなかったのである。
     そんな状況にもかかわらず生産量を過剰に増やしたために、王国中の倉庫で工業製品の在庫があふれ返る事態が発生した。
     それ以上生産を続けても在庫が倉庫に詰め込まれるだけなので、工場は当然、軒並み操業を停止。人員も余ることとなり、大幅に解雇・削減されることとなった。

     だが本来――アテナが露骨な介入を行わなかったならば――他の産業に移っていくはずだったそれらの人員は、立ち往生する羽目になった。
     何故なら工業以外の産業がアテナにより壊滅させられてしまっており、他の職に就くことが、事実上不可能だったのだ。
     同様に、田舎から都市へ来た者たちも、既に農業をはじめとする一次産業が壊滅しているため、ふたたび田舎へ戻ったとしても、何もできない。
     職と故郷を失った人間は行き場を失って都市部に溜まり、その結果、街中に浮浪者が発生した。

     さらに追い打ちをかけるように、経済は一際悪化した。
     食物を生み出す一次産業を壊滅に追いやり、一方で杜撰な貿易拡大策を採ったことで、外国からの食糧輸入が何倍にも膨れ上がったのだ。
     そうなれば当然、貿易は大赤字を計上する。為替もそれに連動し、西方南部の通貨、シュッド・キューが暴落。国民はトマト1つ買うのに1日の稼ぎをすべて支払うような、貧しい生活を強いられることとなった。
     半世紀も前にネロが阻止したその政策を、アテナが自信満々に推し進めたことにより、王国の経済は簡単に崩壊した。

     まともな職に就けず、十分な金も得られず、住む場所も無い人間の急増――彼らはやがて生活に行き詰まり、次第に犯罪に手を染めていった。



     アテナが国政の舵を取ったその2年間で、プラティノアール王国は国内産業の壊滅とそれに伴う失業率の重篤な増加、それに加えて猛烈な物価高が続くと言う、重い「病」に冒された。
     統計的には――ネロが死去した570年に比べ、破綻が顕著になった572年は、失業率が2%から38%に増加し、国民一人辺りの所得は数字上だけで6割も減り、一方で物価は250倍に高騰、さらには都市部における月間の犯罪発生率は、1件未満から800件以上にまで激増した。

     これが後世において通称「エトワール病」として知られる社会問題であり、プラティノアール王国凋落の発端となった。

    白猫夢・飛葛抄 7

    2014.11.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第447話。エトワール病。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. アテナが実施した政策は、徹頭徹尾に渡って「総工業化」と「貿易拡大」の方針を執っていた。 まず彼女は、既に存在する工業・製造業関連の産業に対して、湯水のように助成金を出したり、破格の税制を設けたりと、阿漕な奨励策を打ち出した。 その一方で農林業や水産業などの、いわゆる一次産業に対しては、助成金を止める、高率の税金を課す...

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    麒麟を巡る話、第448話。
    アテナを操っていた男。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     ネロが50年もの長きにわたって安寧に統治し、安定して成長させてきた王国をたったの2年で潰したことにより、アテナは当然、国王をはじめとする政府首脳らに糾弾されることとなった。
     ところが――いざ問責されるかと言うところで、アテナは突如、首都シルバーレイクから姿を眩ませてしまった。

    「何故あなたは、こうなると教えてくれなかったのです?」
     シルバーレイク郊外に逃げたアテナは、同行した長耳の男性をなじっていた。
    「何を言うかと思えば」
     しかし、長耳は馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべるばかりである。
    「君がやったことだ。他でもない君が、自信満々に『この国をより一層反映させる手段だ』と言って、あれらの政策を強行したんじゃないか」
    「……っ」
    「私は預言者でも無ければ、経済アナリストでも無い。私に言えることなど、元から無いのだよ。
     そもそも君は元々、他人の意見に一切耳を傾けない性格だろう? 私が何を言ったとしても、なんやかやと反論して追い払われるのが関の山だったろう」
    「それは……」
     返答に窮し、アテナは顔を伏せる。
    「まあ、しかしだ。助けてやれないことも無い」
     男の言葉に、アテナは一転して顔を上げる。
    「本当ですか?」
    「本当だとも。私の古いツテを頼れば、どんな不況もすぐ好景気に変わる」
    「お願いします。そのツテを、私に紹介して下さい」
    「それは構わんが、勿論タダとは言わん。分かるな、アテナ?」
    「……何が望みです?」
    「分かるはずだ。聡明な君だ、予想は付くだろう?」
    「私自身を、でしょうか」
    「そう。そしてもう一つ、私が、いや、ある団体が欲しがっているものがあるんだ」
     男のギラギラとした、欲深い瞳に射抜かれ、アテナはぐったりとした声を出した。
    「……この国の政治権力を、と言うわけですか」
    「そう。ご明察だ」
    「……あなたは……」
     アテナの表情が歪む。
    「あなたは、そのために私を籠絡し、この国を傾けた、と?」
    「君がもし健闘できていれば、それはそれで私の利益になったのだがね。あいつらを介入させずにも済んだだろう。
     しかしまあ、こうなることはいずれ分かっていた。思い返してみれば、何もかも『預言』通りだったよ」
    「えっ……?」
    「『預言者』氏が4年ほど前に、私に預言したのさ。『あなたがこの国に潜り込んでアテナさんを操れば、あたしたちはこの国を手に入れられる』とね」
    「よげ……ん……しゃ?」
     顔を真っ青にしたアテナに、長耳はニヤリと笑って、その名を告げた。
    「君もよく知っている女性だよ。アオイ・ハーミット嬢だ」
    「……あ……お……い……」
     その名を聞いた瞬間――アテナ・エトワール女史は壊れた。
    「……あ……あ……あお……アオイ……が……わた……わたくし……わたくしを……」
    「おや、どうした?」
    「わたくしを……にど……も……こけに……っ」
    「……くくくく……」
    「こけ……こけっ……こけっ、こっこ……」
    「くく……ははっ、あはははは……」
     目をうつろにし、へたり込んだアテナを見下ろし、長耳はげらげらと笑い出した。



     1時間後――長耳は電話線に機械を取り付け、ダイヤルを回した。すると機械からガリガリと音が鳴り、やがて人の声が聞こえてくる。
    《ドミニオン城通信局です》
     長耳は機械に備え付けられていた受話器を取り、応答した。
    「白猫党党首、シエナ・チューリン閣下を呼んでくれ。ヴィッカーと言えば分かる」
    《かしこまりました。少々お待ちください》
     少し間を置いて、相手が出た。
    《ヴィッカー博士? チューリンよ》
    「お久しぶりです、閣下。4年前に『預言者』氏から命じられていた作戦が、『第二段階』に移行しました」
    《そう。じゃ、すぐに準備するわ。エトワール氏は?》
    「残念ながら……」
    《『預言』通りってワケね。じゃ、先にあの子を送っとくわ。
     それじゃ、また》
    「ええ。また一週間後、この時間に連絡します。お忘れなきよう」
     電話を切り、長耳の男――4年前の568年、白猫党を追われたはずのデリック・ヴィッカー博士は、唐突に笑い出した。
    「ふふっ、ふっ、く、くくく、はははは……! すべてが思い通りだ!
     この国はもう既に――我らが白猫党のものだッ!」

    白猫夢・飛葛抄 終

    白猫夢・飛葛抄 8

    2014.11.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第448話。アテナを操っていた男。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. ネロが50年もの長きにわたって安寧に統治し、安定して成長させてきた王国をたったの2年で潰したことにより、アテナは当然、国王をはじめとする政府首脳らに糾弾されることとなった。 ところが――いざ問責されるかと言うところで、アテナは突如、首都シルバーレイクから姿を眩ませてしまった。「何故あなたは、こうなると教えてくれ...

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    麒麟を巡る話、第449話。
    三人の登城者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦572年の暮れ、「エトワール病」により混乱の渦中にあったプラティノアール王国、ブローネ城に、三人の人間が現れた。
     一人は、国を傾けたその責任を逃れ、どこかへ逃亡したはずの、アテナ・エトワール女史。
    「現在起こっている国内不安を解決するべく、私は一時、央北に渡っておりました」
    「何を今更……!」
     淡々と弁解するアテナに対し、当然、ロラン国王をはじめとする首脳陣は非難の言葉を並べる。
    「これほど国を引っかき回しておいて、よくもまあ、戻って来られたものだな!
     ハーミット卿の頃と同様、貴様の裁量に一任したその結果、国民は日々の食べ物にすら困るほどの、困窮した生活を送る羽目になったのだ!
     こやつを即刻、引っ捕らえよ! 即日、縛り首にしてくれる!」
    「まあ、お待ちください、陛下」
     アテナと共に現れた長耳の工学博士、デリック・ヴィッカー氏が手を挙げる。
    「確かにお怒りはごもっともです。このまま放っておくと言うのならば、それは確かに、万死に値する行為でしょう。
     しかし現在起こっている問題を、完全に解消できる策を持参してきたのです。その案を聞いてから処分を言い渡しても、まだ間に合うのでは?
     それとも陛下、あなたご自身がこの問題に対し、積極的に介入するおつもりだったのでしょうか?」
    「……む……う」
     ヴィッカー博士がそう尋ねた途端、ロラン王は言葉を濁す。
    「いや……うむ……そうだな、聞くだけ聞いてみようではないか」
    「陛下!?」
     唖然とする閣僚たちを尻目に、アテナが話し始めた。
    「現在、央北の大部分をその統治下に置いている、白猫党と呼ばれる組織をご存知でしょうか?」
    「いや……、詳しくは知らぬ。相当強引な方法で、領土を拡大しているとしか」
    「その認識はさておき、事実として白猫党は、相当の資金と需要を有しております。そう、この国にあふれ返る工業製品を、丸ごと受け入れられる程度には」
     ヴィッカー博士の説明を、アテナが継ぐ。
    「現在、貿易におけるネックとなっている、工業製品の供給過剰を解消することができれば、当然の結果として、我が国には大量の外貨が流入し、下落傾向にあったキューの価値も回復します。
     そうなれば食糧品の輸入を円滑に行うことができ、国民の大多数が苦しんでいる食糧問題を解決することが可能です」
    「ああ……うむ……そう……か、うむ」
     明らかに理解しきっていない様子を見せたロラン王に対し、ヴィッカー博士が畳み掛ける。
    「如何でしょう、陛下? 我が白猫党と関係を結べば、国民は救われるのです。これ以上の良策は、そうは無いものと思いますが」
    「ううむ……」
     渋るロラン王に、閣僚が反対意見を述べる。
    「白猫党などの意見に耳を傾けてはなりませんぞ、陛下!」
    「彼奴らはことごとく卑怯な手段で、多数の国を乗っ取ってきた卑劣漢どもです!」
    「一度、こんな輩の侵入を許せば、我が国は骨の髄まで喰らい尽くされ、跡形も残らんでしょう!」
     と、ヴィッカー博士がそれらを遮る。
    「批判は結構。そんなものは何の利益ももたらしません。
     今、国王陛下があなた方に望まれているのは、白猫党への誹謗中傷や悪口雑言では無いはず。困窮するこの国を救う方法でしょう?
     我々と手を結ぶ以外に、この国の経済を鮮やかに復活させ、国民を貧困から救う方法をお持ちであるならば、益体もない我々への悪口など怒鳴り散らさず、それだけを陛下にお伝えすれば良いのです。陛下も二つ返事で了承されることでしょう。
     さあ、どうです? 何か良案がおありなら、どうぞ述べて下さい」
    「うぐ……」
    「ぬう……」
    「それは……」
     ヴィッカー博士の意見に、誰も言い返せない。
     場が静まり返ったところで、三人目の登城者――白猫党党首、シエナ・チューリンが口を開いた。
    「如何でしょうか? 我々と手を結び、国民を救うか。我々を排斥し、国民を見捨てるか。
     陛下、お答え下さい」
    「……他に手は無いようだ。閣僚らも黙った以上、貴君らの提案を受け入れるしかあるまい」
    「賢明なご判断を下されたこと、誠にありがたく存じます、陛下」
     シエナはロラン王に向かって、静かに、しかし会釈程度に、頭を下げた。

    白猫夢・腐国抄 1

    2014.11.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第449話。三人の登城者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦572年の暮れ、「エトワール病」により混乱の渦中にあったプラティノアール王国、ブローネ城に、三人の人間が現れた。 一人は、国を傾けたその責任を逃れ、どこかへ逃亡したはずの、アテナ・エトワール女史。「現在起こっている国内不安を解決するべく、私は一時、央北に渡っておりました」「何を今更……!」 淡々と弁解するアテナに...

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    麒麟を巡る話、第450話。
    タカ傾向。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「交渉は大成功よ。この国は白猫党との貿易に同意したわ」
    「おめでとうございます、総裁」
     シエナをはじめとする白猫党幹部陣はプラティノアール市内のホテルにて、今回の作戦成功を祝っていた。
    「コレで来年には、このプラティノアール王国は我々の手中に収まるわね」
    「でしょうな」
     党の財務対策本部長、オラースが深々とうなずく。
    「確かに我々との貿易により、倉庫と言う倉庫に積み上げられた工業製品は順次消化され、この国は大量の外貨を獲得できるでしょう。
     しかし一方で、2年続いた大不況の爪痕は、国民の予想以上に深い。入ってきた外貨はまず、国家体制の立て直しに使われることでしょう。どれほど多くの額が入ってきたとしても、です。
     国民経済への波及、即ち国民の懐にカネが入り景気が回復すると言うような効果は、ほぼ見られないと考えて間違いないでしょうな」
    「そうなれば、国民の不満はさらに増すことになるでしょう」
     オラースの所見を、政務対策本部長であるトレッドが継ぐ。
    「国民からすれば、ようやく獲得できた外貨を国王や王室政府が横取り、独占しているように映るのは明白。
     早晩、国中で反王政の風潮が沸き立つでしょう」
    「その世論を我が党が背負い、王国側を糾弾・非難。
     それをさらに世論が認め、容認し、あおり立て――こうした双方の活動が循環したその結果、国民の信頼を失った王室政府は、倒れることになるでしょう。
     後はヘブン王国などのように、王族を軟禁してその権力を封じ込め、政治には一切、関与させないように図る。政府閣僚・大臣らもその任を解き、更迭する。
     プラティノアール王国の息の根は、確実に止まるはずです」
     幹事長、イビーザの言葉を聞き、シエナは嬉しそうにうなずいた。
    「ええ。いくら西方人が同族主義的だからって、『自分たちを虐げるような王様』を許すはずが無いわ。
     そして『悪者』を退治した我々こそが、この国の新たな正義、権威となるのよ」
     そこで一旦言葉を切り、そしてシエナはニヤッと笑って見せた。
    「ソレが、『第三段階』の終了。そして……」
    「この国を足がかりに、我々は東方向へ侵攻を開始すると言うわけですな」
    「そうよ。
     半世紀にわたって安全路線、独立路線で進んできたこの国が、まさか侵略を始めるなんて誰も思ってないわ。今は、ね。
     ましてや西方三国で何百年も内輪もめしてたって言うのに、反対側へ攻め入るなんて、西方人の誰もが、夢にも思わないでしょうね。
     コレ以上無いくらいに油断してる西方各国を、ガッツリ喰らう。ソレこそが我々の最終目標、西方攻略における『最終段階』なのよ」
    「……素晴らしいことです」



     央中を侵略した570年以降、白猫党内の空気は、他国・他地域侵略に傾いていた。

     当初から侵略論に反対の姿勢を取っていたトレッドやイビーザなどの穏健派も、党全体の空気に呑まれる形となり、やがて公然と反対することは無くなった。
     これに加え、「預言者」の言葉にも他地域侵略に言及したものが目立ち始め、「預言者の言葉と党首決定に従う」ことを党是とする党員らは、侵略を嬉々として容認するようになっていた。
     反対意見が公の場から消え、預言者をはじめとして党全体の意見が侵略推進に傾いたことで、シエナを軸とする好戦派の勢いはさらに加熱。
     今回のように、シエナが西方攻略に乗り出すことを発表した時も、万雷の拍手が党首と預言者に送られこそすれ、彼女らを咎めるような意見は一切、上がることはなかった。



     とは言え、それでも懸命にブレーキをかけようとする者は、いなくなったわけではない。
    「しかし総裁」
     いつものように硬い表情を浮かべつつ、イビーザが挙手する。
    「実際に侵攻するにあたっては、やはりロンダ司令による統率が不可欠でしょう。
     党首命令で軍を動かすことは可能でしょうが、軍の最高権力者たる司令を無視した行動を執られては、党の体制維持にひびが入る恐れがあります」
    「ええ。勿論、分かってるわ。ロンダには動いてもらう予定よ。
     例え今は、反戦に固執してるとしてもね」

    白猫夢・腐国抄 2

    2014.11.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第450話。タカ傾向。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「交渉は大成功よ。この国は白猫党との貿易に同意したわ」「おめでとうございます、総裁」 シエナをはじめとする白猫党幹部陣はプラティノアール市内のホテルにて、今回の作戦成功を祝っていた。「コレで来年には、このプラティノアール王国は我々の手中に収まるわね」「でしょうな」 党の財務対策本部長、オラースが深々とうなずく。「確かに我々...

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    麒麟を巡る話、第451話。
    頑固者司令への説得。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    《納得が行かんのです》
     電話に出たミゲル・ロンダ司令はいきなり、シエナに食ってかかった。
    《私は党支配圏内の安寧秩序を維持するために、白猫軍司令の職を拝領したつもりです。決して無用な争いを自ら起こし、戦火を広げるために就いたのではありません。
     ましてや今回、西方進出を手引きしたのは、かつて央北西部戦争で非人道的兵器を開発し、多くの人間を必要以上に殺傷・殺戮(さつりく)する結果を生んだ、あのヴィッカー博士だと言うではありませんか!
     私は、彼と党とは既に手を切った関係であるとそう考えて、いや、信じていたのに――まさかその裏でずっと連携を取り、あまつさえ今回の騒動を起こすべく、閣下御自らが指示していたとは!
     これは私に対する、二重の裏切りに他なりません! これに対する釈明も無しに、恥知らずにも『軍を率いよ』などと仰るのであれば、私は軍司令の職を辞させていただきます!》
    「そうね、……確かに、あなたには裏切りに映るでしょうね」
     長年に渡って党首を務め、増上慢になっていたシエナも、自分に真っ向から噛み付いてくるロンダを容赦なく更迭することは、流石にできなかった。
     何故ならロンダも党内では少なからず人気を得ており、彼をいきなり党から追放するようなことをすれば、確実に党が分裂するからである。
    「でもコレは預言者の……」《例え預言者殿のお言葉としても、です!》
     なだめようとするシエナに対し、ロンダはあくまで態度を崩さない。
    《はっきり言わせていただきますが、私は党の方向性について、懐疑的であります!
     無論、預言者殿のお言葉が遥か未来を見通した、正しき道を示すものであることは、何ら疑ってなどおりません。それに関しては、私は堅く正当性があるものと信じております。
     信じられぬのは総裁閣下、あなたの言動です。その正当なる預言を牽強・曲解し、己の政治思想に都合のいいように読み替えているのではないか、と、私は少なからず疑っておるのです》
    「……」
    《どうかお答え下さい、閣下。どうか私があなたを信じるに足るだけの、正当性のある理由を、述べていただきたいのです。
     でなければ今度という今度は、袂を分かつ所存であります》
    「……落ち着いて、聞いて欲しいのよ。いいかしら?」
     極めて落ち着き払ったシエナの声色に、ロンダも応じ始める。
    《ええ、沈着冷静な態度で拝聴させていただきます》
    「まず、あなたにデリック・ヴィッカー博士のコトをずっと秘密にしていた件。
     コレは西方進出の足がかりのための極秘任務であり、最高幹部にすら伝えていなかった、アタシと預言者だけが関わっていた案件だったのよ。だからコレは、あなただけに伝えていなかったワケじゃないの」
    《なるほど。しかし……》「待って。まだ続きがあるの」《……分かりました。どうぞ》
     ロンダが再度黙り込んだのを確認して、シエナは説明を続ける。
    「あなたにはこの案件は、アタシが西方侵略を目論んでいる何よりの証拠だと、そう思っているコトは良く分かってるわ。誰だってそう思うでしょうしね。
     でも、何度も言ったけど、コレは預言者からの言葉、……いいえ、お願いだったのよ」
    《『お願い』と言うのは、どう言う意味ですか?》
    「そのままの意味よ。預言者は、『そうしなければ、プラティノアールは潰れてしまう』と言っていたわ。ソレは、彼女にとっては何より回避したいコトだったのよ」
    《何故です?》
    「プラティノアール王国は、彼女の故郷だからよ」
    《……ふむ》
    「あなたも覚えがあるはずよ。あなたの故郷、チェビー王国でも我が白猫党が介入する以前は、『天政会』の自分勝手な金融政策と国王自ら主導した杜撰な産業改革で、国内経済はズタズタ。内戦が起こる寸前だった。
     ソレと同じコトが起こると、預言者は見抜いていた。だから故郷を守るために、何としてでも国政に介入したかったし、そのための極秘計画だったのよ。
     そして今まさに、プラティノアールはかつてのチェビーになろうとしている。そしてその周辺国も、放っておけばいずれは同じ道をたどると、預言者は言っているわ」
    《その根拠は?》
    「政治経済の話ならアタシに聞くより、トレッドとオラースに聞いた方が早いわよ。
     ともかくアタシが、いいえ、アタシたち白猫党がやろうとしているコトは、今も昔も同じよ。愚劣な権力者の下で腐りゆく国を彼らから奪い、その構造を糺(ただ)し、その下にある国民、市民を救う。アタシたちの統治の下、人民が等しく公平に生きられる社会を形成する。
     コレまでもその理念で行動してきたつもりだし、コレからもその理念の下で、アタシは党を動かすつもりよ」
    《……》
     しばらく沈黙が続いた後、ロンダが口を開いた。
    《分かりました。今一度、閣下を信じることにいたしましょう。
     ですが、閣下。もしもその理念すら嘘であったその場合には、今度こそ、私は見限ります。どうか私にそんな真似をさせぬよう、清廉潔白であるよう努めていただきたい》
    「言われなくても分かってるわ。それじゃ、計画が進行したらまた連絡するわね」
    《了解であります。では、また》
     電話が切れたところで、シエナはふーっ、とため息をついた。
    「骨が折れるわね、まったく! 頑固者なんだから……」

    白猫夢・腐国抄 3

    2014.11.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第451話。頑固者司令への説得。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.《納得が行かんのです》 電話に出たミゲル・ロンダ司令はいきなり、シエナに食ってかかった。《私は党支配圏内の安寧秩序を維持するために、白猫軍司令の職を拝領したつもりです。決して無用な争いを自ら起こし、戦火を広げるために就いたのではありません。 ましてや今回、西方進出を手引きしたのは、かつて央北西部戦争で非人道的兵器...

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    麒麟を巡る話、第452話。
    腐りゆく国へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     党内の意見調整に成功し、白猫党とプラティノアール王国との貿易が開始された頃になって、シエナたち最高幹部は密かに、アテナの私邸を訪ねた。

    「貿易に関しては順調、かつ、アタシたちの予想通りに進んでるわ。
     王国はこの貿易に対し、関税を掛け始めた。平均80%程度の、ね」
    「政府側としては仕方の無いこと、と思っているだろう。『本物の』エトワール氏が断行した各種改革の失敗は、国の構造をスカスカにし、傾かせたわけだからな。
     政府も現在、以前の体制に戻そうと躍起になっている。『エトワール氏』もそれに同意した。そうだな?」
    「はい」
     ヴィッカー博士の横に座るアテナは、こくりとうなずく。それを見て、博士が続ける。
    「しかし国内産業はご存知の通り、ほぼ壊滅状態にある。国内からカネを集めようにも、集まらないのが現状だ。
     となれば活発化し始めた貿易に頼るしかない。その結果が80%の関税と言うわけだ」
    「これでは国民にとっては、景気回復など露ほども実感できないでしょうな。入ってくるカネの大部分が、政府に吸い取られているわけですから。
     事実、国内の各種新聞は混沌とした情勢を伝えています。貿易拡大や国内産業の業績回復を伝える一方で、失業者の増加や物価の高騰が依然として続いていることを嘆いており、国民からの投書欄にも、それに対する不満、ひいては王政に対する疑念や不信感が、ぎゅうぎゅうに詰まっています」
    「この状況が何ヶ月も続けば、いずれ国民が暴動を起こすことは必至でしょう」
    「と言うワケよ」
     シエナはニヤっと、笑いを浮かべる。
    「預言者によれば、最初の暴動は3月に起こるわ。勿論、王国はソレを鎮圧するけど、間もなく第二、第三の騒ぎが起こり、国内情勢は一気に悪くなる。
     ソコでアタシたちが、国民側に加担する。アタシたちの支援によって、国民たちの暴動は王室政府を倒すクーデターへと変貌するわ。アタシたちの力添えがあれば当然、達成されるでしょうね。
     後はアタシたちが、彼らに代わって支配するだけ。プラティノアール王国は、今年中に倒れるわ」
    「そう言うことだ。君の責務は4、5ヶ月もすれば消える。『エトワール氏』役を演じるのは、そこで終わりだ」
    「本当、助かります」
     そう言ってアテナは――いや、アテナに扮した白猫党員はふう、とため息をついた。
    「一応、政治経済は前もって勉強してましたけど、いつボロが出るかとヒヤヒヤしっぱなしですから」
    「おまけに閣僚たちは、『エトワール氏』を諸悪の根源と扱っているからな。
     主だって非難しはしないまでも、ちょっとした嫌がらせはちょくちょく受けているそうじゃないか」
    「ええ。届くはずの書類が届かなかったり、命令しても無視してきたりで。
     関税の件も一応、私は止めたんですけどね。みんな勝手に進めちゃってました」
    「クク……、馬鹿な奴らだ。それが自分の首を締めるとも知らずにな」
     ヴィッカー博士が嫌味な笑みを浮かべたところで、シエナが尋ねる。
    「ちなみに『本物の』エトワール氏は今、ドコにいるの?」
    「この屋敷の中に居ますよ。ただ、私に操られていたことと、預言者氏が彼女の失敗を見抜いていたことを知ったせいで発狂し、今も床に伏せっていますが、ね」
    「あの人、もう『こけっ、こけっ』としかしゃべらないですよ。私や博士が何しても、まったく反応しませんし」
    「あははは……、何それ、ニワトリ?」
     本物のアテナの末路を聞き、シエナはゲラゲラと笑う。それを受けて、ヴィッカー博士もニヤニヤと笑って返した。
    「まあ、言い得て妙ですな。
     こうして『アテナ・エトワール』を別の人間が演じ、その権力を我々白猫党が掌握している以上、あの女には最早、卵を産むくらいの存在価値しかありませんからな」
    「……あっそ。結構なご発言だこと」
     ヴィッカー博士のこの皮肉に対しては、流石のシエナも顔をしかめていた。



    「預言」と白猫党幹部陣の所見の通り、王国には次第に国民の怒りが渦巻き始め、やがて暴動が頻発し始めた。
     そしてその後の展開もまた、白猫党の思惑通りとなり――双月暦573年4月、プラティノアール王室政府は、大多数の国民からの支持を得た白猫党によって、その権力を奪われることとなった。

    白猫夢・腐国抄 4

    2014.11.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第452話。腐りゆく国へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 党内の意見調整に成功し、白猫党とプラティノアール王国との貿易が開始された頃になって、シエナたち最高幹部は密かに、アテナの私邸を訪ねた。「貿易に関しては順調、かつ、アタシたちの予想通りに進んでるわ。 王国はこの貿易に対し、関税を掛け始めた。平均80%程度の、ね」「政府側としては仕方の無いこと、と思っているだろう。『本物...

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    麒麟を巡る話、第453話。
    シエナの理想。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「国王とその一族は首都郊外に軟禁、閣僚は全員更迭して内閣解散、軍は司令部以下その全てが白猫軍の統治下――いつも通りね」
     つい数日前までプラティノアール王国のものだったブローネ城で、シエナは淡々と報告を受けていた。
    「一応、今回も『王国』として残しはするけれど、王族には二度と、この城に立ち入らせないコト。案の定この国の王族も、政治音痴のアホ揃いだったし」
    「こうして制圧・征服する度に思うのですが……」
     そう前置きし、トレッドが苦々しくこぼす。
    「一体、『国王』とは何なのでしょうな? 主だって政治に介入すれば失策を繰り返し、この国のように他人任せで平然と税をむさぼる者も、少なくない。
     彼らの存在意義を考えるに、私には無用のものとしか思えないのですがね」
     トレッドの言葉に、シエナは肩をすくめる。
    「そりゃ『新央北』のトラス王みたいに、中にはそこそこ真面目に、堅実に政治を取り仕切ってる王様ってのもいるけど、大部分は親や先祖の七光りで、玉座にあぐらかいてるってのばっかりだったわね。
     ……本当、そう言うのはムカつくわ」
    「総裁?」
     苛立った目で宙をにらみ付けるシエナに、トレッドが尋ねる。
    「アタシが何故、白猫党にいるのか。あなたは知ってる?」
    「いえ……? そう言えば、その辺りの経緯は存じませんな」
    「ココのボンクラ国王みたいに、自分には大して実力も見識も無いクセして、玉座に偉そうにふんぞり返ってるヤツを、その玉座から蹴っ飛ばしたかったからよ。
     昔のコト、あんまり話したくないけど――アタシも白猫党に入る前は、何の地位も持たない貧民だったのよ。独学で魔術の勉強して工房に入って、どうにか生計立てて、で、カネ貯めて天狐ゼミに逃げて……」「逃げて?」
     トレッドが尋ね返した途端、シエナの顔に険が差す。
    「そう、逃げたのよ。工房の親方から、色々ひどいコトされたからね」
     シエナはスーツの袖をめくり、左腕を見せた。
    「……っ」
     その傷だらけの腕を見て、トレッドは口をつぐむ。
    「魔術の腕はアタシの方が断然良かったから、妬まれたのよ。オマケに多少殴られたって、他に行くトコも無かったし。好き放題されても、何もやり返せなかった。
     地位しか持ってないヤツが、その地位を笠に着て、何も持たないアタシを、無力な人たちを嬲り者にする――そう言うのが憎くて憎くて仕方無かった。だからアオイに白猫党への加盟を打診された時は、嬉しかった。本当に、嬉しかったわ。
     だからアタシは、コレからも国を潰して回るつもりよ。ろくでもないヤツがトップに収まってる国を、ね」
    「なる……ほど」
     シエナの過去を聞き、トレッドは表情を硬くする。
    「何故、あなたがこれほどまでに侵略を強行するのか、ようやく分かった気がします」
    「……ゴメンね、変な話しちゃって」
    「いえ。……私こそ、謝らなければなりません」
    「え?」
     トレッドは小さく頭を下げ、こう続けた。
    「私は、あなたが権力を得て暴走しているのではないかと、少なからず危惧していましたが、しかし実際は理想を叶えんがため、ひたすら邁進しているだけなのですな。
     失礼な考えを抱いていたこと、謝罪します」
    「いいのよ。暴走って言われたら、否定しづらいトコあるし。実際、ロンダとかイビーザには、かなり迷惑かけてるもの。……後、あなたにも、大分」
     照れた顔を見せたシエナに、トレッドは笑って返した。
    「苦になりません。あなたに確固とした理想があり、それを達成しようとされているのなら、私はこれからも、身を粉にしてお助けしていく所存です」
    「……ありがとね」

     と――。
    「おはよ」
    「……アオイ?」
     シエナたちの前に、いつの間にか葵が立っていた。
    「これはアオイ嬢。お目覚めは如何ですか?」
     恭しく挨拶したトレッドに、葵は目をこすりながら返す。
    「ねむぃ」
     その返事に、シエナはクスクスと笑う。
    「あはは……、5日も寝てたクセして、まだ眠いの?」
    「うん。……でも、そろそろ起きなきゃなって」
    「何かある、と?」
    「んーん」
     ぷあ、と欠伸をしながら、葵はこう返した。
    「今のところ、政治的には動きは無いよ。マチェレ王国以東も、あたしたちが何かするなんて夢にも思ってない。だから今は、しっかり準備してて大丈夫だよ。
     あたし、ちょっと用事があるから、3日くらい出かけるよ」
    「ほう?」
    「実家にでも顔出すの?」
    「そんなとこ。……じゃ、行ってくるね」
     踵を返しかけた葵に、シエナが声をかける。
    「ちょっと待って、アオイ」
    「なに?」
    「その格好で行くつもり? まだパジャマじゃない」
    「あれ?」
     葵は自分の着ている服をのろのろと確認し、「……あー」と声を上げた。
    「とりあえず、服着替えてきなさいよ。ソレから一緒に、ご飯でも食べない?」
    「……そうする」
     二人のやり取りを見ていたトレッドが、ぷっと噴き出す。
    「姉妹か母娘のようですな」
    「みたいなもんよ。手がかからないようでかかるから、この子」
    「……ふあっ」
     葵は眠たそうに、また欠伸をした。

    白猫夢・腐国抄 終

    白猫夢・腐国抄 5

    2014.11.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第453話。シエナの理想。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「国王とその一族は首都郊外に軟禁、閣僚は全員更迭して内閣解散、軍は司令部以下その全てが白猫軍の統治下――いつも通りね」 つい数日前までプラティノアール王国のものだったブローネ城で、シエナは淡々と報告を受けていた。「一応、今回も『王国』として残しはするけれど、王族には二度と、この城に立ち入らせないコト。案の定この国の王族も...

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    麒麟を巡る話、第454話。
    二人の教官。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     グリスロージュ帝政連邦に亡命して以降の2年半、秋也たち一家は平和に過ごしていた。



     秋也とベルはモダス帝の口添えにより、それぞれ帝国軍の剣術および格闘教官と、射撃教官を務めていた。
    「オラ、もう一丁ッ!」
    「はいッ!」
     秋也は6人の新兵を相手に――かつて自分が19歳の頃、そうされたように――素手での取り組みを行っていた。
    「おりゃあっ!」「アホかッ!」
     腰を落とし、つかみかかって来る兵士の懐に滑り込み、ぐい、と立ち上がる。
     当然、兵士は秋也に担ぎ上げられる形となり、そのままくるんと引っくり返り、背中から叩き落とされる。
    「いでえっ!?」
    「来いって言ってまっすぐ来てどうすんだ! 工夫しろ、工夫! 次だッ!」
    「はいッ!」
     斜め方向から殴りかかってきた兵士の腕をとん、と左腕で受け止めて流し、一方の右腕で相手の襟をつかみ、引き倒す。
    「うわっ!?」
    「甘い! カウンターに気ぃ付けろっつってんだろ!」
     タックルしようと突っ込んできた兵士の頭上を飛び越え、その背中にべちん、と痛そうな音を立てて平手を叩きつける。
    「お、おわー!?」
    「捨て身で飛び込めば何とかなるなんて思うなッ! 当たらなきゃただの間抜けだぞ!」
     背後から飛びかかってきた兵士の手が肩に触れたその瞬間、その腕と腰のベルトをつかんで背負い投げを極める。
    「気配を立て過ぎだ! ソレじゃ相手に『返り討ちにして下さい』って言ってるようなもんだ!
     ……っと、もうこんな時間か」
     6人全員が地面に倒れたところで、秋也が時計を見上げ、コホンと空咳をする。
    「今日はこの辺にしとくか。18時までに各自、レポート提出するように」
    「……え?」「れ、レポートって?」
     目を丸くして起き上がった兵士たちに、秋也はこう返す。
    「今日の訓練で何やったかってのと、そしてその反省点。ソレから、その反省点を踏まえて今後の課題を設定しろ。
     18時までに出せなかったヤツは、明日の訓練に20キロ走を追加するからな」
    「えーっ……」
    「そっちの方がきっつい……」

    「いい? 狙撃で一番重要なのは、視力でも精密な動きでもないの。標的を捉え、引き金を引くその瞬間に、どれだけ集中力を発揮できるか、よ」
    「はい!」
     一方、こちらはベル。
    「冷静に考えれば、ここから的までの距離はたった50メートル。10倍率のスコープが付いた、最新式のスナイパーライフルの扱いに慣れてれば、大した距離じゃない。風も振動も、強い光も無い室内でなら、みんな苦も無く命中させられるはず。
     でも実際に、実戦で狙撃を行う場合は、こんな好条件で撃てるなんてことはまず無いよ。あたしの実体験だけど、荒れたあぜ道を全力疾走する自動車に乗った状態で、300メートル以上離れた人間大の標的を、スコープも付いてない旧式のボルトアクションで狙う羽目になることもある。
     だからまず、どんな環境でも、射撃場にいる今この時と同じくらいの集中力を引き出す。そう言う技術をまず、養うこと。そこで……」
     ベルは壁に立てかけていた板と小さなドラム缶を取り、射撃台の前に置く。
    「この上に乗って、的を撃って。合計50点取れれば、今日の訓練は終了でいいよ」
    「はい!」
     ベルに命じられた通り、兵士たちはドラム缶の上に板を載せ、その上に乗って小銃を構えようとする。
     ところが――。
    「あ、あっ、あっ、ちょっ」
    「こける、こけるっ!」
    「ね、狙うどころじゃ……」
     板の上に乗ることはできても、小銃を構えた途端にバランスを崩し、落ちてしまう。辛うじてバランスを保ち、的を狙おうとしても、照準を合わせることができない。
    「難しい……」
     兵士たちのほとんどは、揃ってそうつぶやく。
     当然、その中に一人、こんな愚痴をこぼす者が現れる。
    「こんなのただの曲芸じゃ……」
    「そーゆーことはね」
     ベルは咎める代わりに、自ら板の上に乗り、小銃を構える。
     彼女が板の上にいたのはほんの5、6秒で、眺めていた兵士たちにはあっと言う間にしか感じられない程度の間だったが――その6秒の間にベルは小銃を撃ち、見事に的の真ん中に当てて見せた。
    「できてから言うのよ?」
    「……すげ」
     目を丸くした兵士たちに、ベルはこう返す。
    「これができるようになれば、それこそ揺れる車上でも、弾を当てられるようになるよ。
     繰り返すけど、これに必要なのは視力でもバランス感覚でもない。あの一瞬で的を捉え、そこに弾を当てる集中力よ」



     秋也もベルも、辛い修行や訓練を乗り越え、共に熾烈な修羅場を潜った経験を持つ、「伝説の兵士」である。
     二人が教官に就いたことで帝国の訓練は非常に充実したと、評判になっていた。

    白猫夢・晩秋抄 1

    2014.11.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第454話。二人の教官。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. グリスロージュ帝政連邦に亡命して以降の2年半、秋也たち一家は平和に過ごしていた。 秋也とベルはモダス帝の口添えにより、それぞれ帝国軍の剣術および格闘教官と、射撃教官を務めていた。「オラ、もう一丁ッ!」「はいッ!」 秋也は6人の新兵を相手に――かつて自分が19歳の頃、そうされたように――素手での取り組みを行っていた。「おりゃ...

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    麒麟を巡る話、第455話。
    順調な生活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「そろそろさ」
     ある日の夕食後、秋也が嬉しそうに話し始めた。
    「予定額が貯まりそうなんだよ、道場開こうって言ってたヤツの」
    「おめでとー、パパ」
     葛はにっこりと笑い、秋也を労う。
    「へへ……、ありがとな。
     明日は休みだから、不動産屋行ってくるよ」
    「あたしも行こっか?」
     そう尋ねたベルに、秋也は「あ、いや」と返す。
    「行ってすぐ買うってワケじゃないし、話して物件のメモもらうだけのつもりだから。二人で行くほどじゃねーよ」
    「そっか。……たまにはデートしようかなー、なんて思ってたのに」
     いたずらっぽく笑う妻に、秋也は表情をにへら、と崩す。
    「まあ、そうだな。たまにはいいな。
     つっても、ほら、ただメモもらうだけのために不動産屋に付き合わせるのも悪いし、だからさ、その後で合流して、……ってのはどうかな?」
    「……そんなにあたしと一緒に見るの、嫌なの?」
     口を尖らせたベルに、秋也は慌てて答える。
    「い、いや、そうじゃなくって、……あー、何て言ったらいいかなぁ、……いや、さ。
     ちょっとアレだよ、何て言うか、その、……さ、サプライズプレゼントとか用意して、驚かせようかなって、……あー、くっそ、言っちまった」
    「……ぷっ」
     夫の言葉に、ベルは口を押さえて笑い出した。
    「あははは……。あなたって、本当に隠し事できないね」
    「単純だからな」
    「うふふ、ふふ……。うん、分かった、いいよ。どんなステキなプレゼント贈ってくれるのか、楽しみに待ってる」
    「……おう」
     照れる秋也と、嬉しそうに微笑むベルを横目で眺めながら、葛とジーナは二人に聞かれないよう、こそこそと会話を交わしていた。
    「……歳考えなよー……見てるこっちが恥ずいわー……」
    「いやいや、まだ若い」
    「かなぁ」

     その晩。
    「ふあー……っ」
     葛は欠伸をしながら廊下を進み、自分の部屋へ戻ろうとしていた。
    (……あれ)
     と、灯りの消えた居間に誰かがいるのに気付く。
    「パパ?」
    「うぉっ……、お、おお? 葛か?」
     火術灯にほんのりと照らされた、父の驚いた顔が見える。
    「どしたの? 部屋の灯り、点けたらいいのに」
    「いや、もう寝ようかなって思ってたところだったし」
    「何してたの?」
    「ん……、いやな、コイツがなんか、気になった」
     そう言って秋也は、居間に飾られた刀を指差した。
    「気になった……?」
    「オレも何でだか、分かんねーけどな。……そう言やお前に、コレのコト話したっけ?」
    「ううん。おばーちゃんからもらったってコトくらい」
    「そっか。……元々はそのばーちゃん、つまりオレのお袋が尊敬してた、楢崎って大先輩が持ってた刀らしいんだ。
     で、その楢崎さんが亡くなって、お袋の手に渡ったのが519年、つまり50年以上前の話なんだ」
    「50年!? もう骨董品じゃない、その刀」
    「だよな。だけど……」
     秋也は刀を手に取り、鞘から抜く。
    「見ての通りだ。全然、キレイなんだよ。錆一つ浮いてねーし、ドコも刃こぼれしてねー。
     一応、オレも手入れはしてるけど、ソレでも未だにこうして使える状態だってのは、相当不思議なんだよな」
    「んー」
     葛はぴん、と人差し指を立てる。
    「神器ってヤツじゃない?」
    「神器、か。ココまで綺麗に残ってるんなら、確かにソレっぽい気がするな。けど、お袋はそんなコト、全然言ってなかったけどなー」
    「そのナラサキって人から譲り受けてたって言うなら、セイナばーちゃんも知らなかったんじゃない?」
    「かもな。……ま、今度渾沌が来たら、調べてもらうかな」
    「コントンさんかー。……最近、って言うか3年くらい、見てないよね?」
    「言われてみれば……」
     刀を元に戻しながら、秋也もいぶかしむ。
    「随分会ってないな。こっちに亡命したとは言え、アイツがソレを知ったら、こっちに来るはずだろうし」
    「なんかあったのかな?」
    「あったかも知れねーけど……、渾沌だからなぁ。例え街が一つ引っくり返るような事件があっても、ひょいっとかわして戻ってきそうなもんだけど」
    「だよねー」
     二人でクスクスと笑い合い、葛がぱたぱた、と手を振った。
    「じゃ、あたしそろそろ寝るね。おやすみー」
    「おう。おやすみ、葛」

    白猫夢・晩秋抄 2

    2014.11.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第455話。順調な生活。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「そろそろさ」 ある日の夕食後、秋也が嬉しそうに話し始めた。「予定額が貯まりそうなんだよ、道場開こうって言ってたヤツの」「おめでとー、パパ」 葛はにっこりと笑い、秋也を労う。「へへ……、ありがとな。 明日は休みだから、不動産屋行ってくるよ」「あたしも行こっか?」 そう尋ねたベルに、秋也は「あ、いや」と返す。「行ってすぐ買う...

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    麒麟を巡る話、第456話。
    壊れる日常。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     翌日、昼前。
     秋也は上機嫌で、街を歩いていた。
    (へっへー……。今日はマジ、ツイてるな)
     まず、不動産屋で予算より大分安い値で、物件を提示されたこと。
     元々の持ち主が早々に処分したいと申し出たため、値が下げられたのだ。当然、秋也はこの提案に乗り、物件を購入した。
     さらに幸運だったのが、プレゼントを買いに寄った店で、1万人目の来店者として祝されたことだ。
     その特典として、買おうと思っていたプレゼントを無料で手に入れることができたため、秋也は今、プレゼントと余った金、約100万キューをその懐に収めていた。
    (こんなに幸運が続くなんてな~。
     ま、金はちゃんと貯金に回しとくか。今、特に使うようなコトも無いし。……あー、いや、待てよ。一応道場で使う竹刀とか防具とかは予算に入れてるけど、何人来るか分かんねーしな。多少予算オーバーしちまうかも知れない。ソレか、全然人が集まらなくて赤字になるか。
     いやいや、アホなコト考えんな、オレ。プラティノアールでも割と盛況だったんだから、こっちでも入門者は一杯いるさ、……多分)
     最も大きい買い物と、最も重要な買い物を済ませた秋也の心は既に、明日のことへと向いている。
     心が浮ついていることに自分でも気付き、秋也は軽く、ふるふると頭を振る。
    (その前に、だ。とりあえず、ベルとデートだな。ドコ行こうかなー……)
     秋也は懐に収めたプレゼント――ベルが以前に「かわいい」と評していた、ルビーのおごられた指輪をコートの上から撫で、微笑んでいた。

     その微笑みが凍りついたのは、前方から歩いてくる、緑髪の猫獣人の姿を確認した瞬間だった。
    「……え?」
     すれ違った瞬間、秋也の心の中に様々な疑問と、そして直感が湧き上がる。
    (今のは……見覚えあるぞ……え……いや……まさか……まさか!?)
     疑問が彼を立ち止まらせ、そして直感が、彼を大きくのけぞらせた。
    「うおっ!?」
     のけぞったその瞬間、彼の鼻先をひゅん、と刃が通り抜ける。
    (……っぶねえッ! おい、お前なんで、オレを攻撃するんだ!? なんで何も言わねーんだよッ!?)
     秋也はのけぞった状態からそのまま後方に倒れて手を付き、ぐるんと一回転して着地する。
    「てめっ……、このッ!」
     秋也は怒りに任せ、猫獣人の肩をつかもうと手を伸ばす。
     だが、その瞬間には既に、猫獣人の姿はどこにも無かった。
    「……葵……ッ」

     帰宅した秋也に、ベルは明るく声をかける。
    「おっかえりー、シュウヤ! ね、ね、道場はどう……」「悪い」
     それに対し、秋也は――自分でも驚くほど――凍てついた声で返した。
    「……シュウヤ?」
    「ちょっと、……用事が、できた。悪いけど、デートはもうちょっと待っててくれ。すぐ、帰ってくるから、……さ」
    「う、うん? 待つけど、どれくらいかかるの?」
     ベルの問いに、秋也は一瞬黙り込み、ぼそ、と返した。
    「……すぐ、だよ」
     秋也はそのまま居間へ入り、そして刀を持ち出して、家を飛び出した。



     それから20分ほど後、秋也は郊外にたどり着いた。
    「……」
     そこに、彼女は静かに佇んでいた。
    「葵」
     呼びかけた秋也に、葵はくる、と振り返る。
    「久しぶり」
    「久しぶり、……じゃねーだろうが」
     秋也は急いで佩いた刀に、右手をかける。
    「どう言うつもりだ? 街中でいきなり、オレに斬りかかりやがって」
    「その答えはもう、知ってるんじゃない?」
    「知らねーよ」
     そう答えてはみたが、実際は、秋也には心当たりがあった。
     秋也の返答に何も言わない葵に、秋也はしびれを切らし、その心当たりを口に出す。
    「チッ、……白猫だな」
    「そう」
     葵が刀を抜く。
    「あの方に、命じられた。パパ――あなたを、狙えと」
    「アホか」
     秋也も刀を抜き、構える。
    「そんなバカみてーな命令、白猫を一発ブン殴って、断りゃいいんだよ」
    「パパはそうしたけど、あたしにはできない」
    「やりゃいいじゃねーか」
    「あたしがそれをやったら、今度は誰が不幸になると思う?」
    「は?」
     葵も刀を構え、秋也と対峙した。
    「パパはあの方からの命令に背いた。そしてあたしが、その代わりに選ばれた。
     じゃああたしがあの方を裏切ったら、誰があたしとパパの代わりに選ばれると思う?」
    「……なにを」
     秋也の返答を聞かず、葵は秋也に襲いかかった。

    白猫夢・晩秋抄 3

    2014.11.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第456話。壊れる日常。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 翌日、昼前。 秋也は上機嫌で、街を歩いていた。(へっへー……。今日はマジ、ツイてるな) まず、不動産屋で予算より大分安い値で、物件を提示されたこと。 元々の持ち主が早々に処分したいと申し出たため、値が下げられたのだ。当然、秋也はこの提案に乗り、物件を購入した。 さらに幸運だったのが、プレゼントを買いに寄った店で、1万人目...

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    麒麟を巡る話、第457話。
    秋也と葵、父娘対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ひゅん、と音を立てて向かってきた刃をかわし、秋也は刀の峰で葵の脇腹を叩く。
    「……っ」
     わずかながら、葵が息を詰まらせるのが聞こえる。
    「なめんなよ」
     秋也は葵との距離を取り、淡々と声をかける。
    「お前は確かに、オレの道場じゃ一番だったし、アレから10年は経ってるから、さらに腕を上げただろうな。
     だがソレでもバカ娘の初太刀を見切って隙を突くくらい、ワケねーよ。オレは何十年も剣士やってんだ。年季が違うぜ」
    「……」
     葵は叩かれた右脇腹を軽くさすりながら、秋也をうっすらとにらむ。
    「本当に、パパは変わらないね」
    「あん?」
    「自分勝手。乱暴。人のこと、すぐバカって言う。自分が気に食わないもの、全部バカだって思ってるでしょ」
    「なワケねーだろ」
    「ううん、そう。あの方のこともパパは大嫌いだったし、だからバカにしてた」
    「実際、バカだからだよ。アイツは自分が世界のカミサマだと勘違いしてた。そんなもん、バカ以外の何でもねーだろ?」
    「了見が狭いよ。未来を見通せるってことは、そのまま、未来の知識を持ってるってことだよ。
     いくらでも未来のことが分かるなら、それは、無限の知識を持ってるってことだよ」
    「オレの考えは違うな。未来が分かるってコトは、その未来に縛られるってコトだ。
     もしかしたら自分の妄想かも知れねー『予知した未来』なんてモノを頭っから信じきって、他のコト、他の可能性を考えようともしない。
     オレに言わせりゃ、そっちの方が了見が狭いってもんだ」
    「未来が間違いなく本物だったら? それ以外を考えるのは無駄じゃないの?」
    「じゃあ逆に聞くぜ。その未来を選ぶのは誰だ? 選ばなきゃ、その未来はやって来ねーだろ?
     第一、お前がここに来なきゃ、オレが死ぬなんて予知は実現しないんじゃないのか?」
    「予知じゃない。これは、実際に今日、起こることだよ。
     ううん、あたしが起こす」
     葵は刀を構え直し、秋也との距離を詰める。
    「あたしの予知では、パパが死ぬのは4割。死なないまでも、剣士として生きられなくなるのは6割。それ以外の未来は、今のところ見えない」
    「ご大層なお言葉、ありがとよ。だけどオレは、予知なんてもんは白猫をブン殴った時から信じねーコトにしてるんだよ」
     秋也も刀を正眼に構え、にじり寄る。
    「予知なんて結局、今現在の自分の行動で、どうとでも覆せるんだよ。
     明日散歩に出た時に犬に噛まれるって分かってりゃ、誰も散歩なんかしねーだろ? じゃあ予知は外れるってコトだ。
     葵、お前も未来だの何だの言う前に、今この時、自分が何しようとしてんのか、ちゃんと把握しろよ」
     次の瞬間、秋也が一気に葵に迫る。
    「いつまで寝ぼけてやがるんだッ!」
    「もう起きてるよ」
     秋也の一撃を、葵はぎりぎりで受け止め、横にいなす。
    「っ……」
     秋也は体勢を崩してよろけ、葵の脇にそれる。
     わずかに下がった秋也の頭を、葵は刀の柄で殴りつけた。
    「うぐっ……」
     鋭い痛みを覚え、秋也の視界がかすむ。その一瞬の隙に、葵が刀を振り下ろす。
     しかし秋也は痛みをこらえ、自分から体勢を大きく崩し、ごろっと転がって避けた。
    「痛ってえなぁ、くそっ」
    「目、覚めた?」
    「意趣返しのつもりか? 元から覚めてるっつの」
     フラフラと立ち上がった秋也の額から、つつ……、と血が滴る。
    「ふー……。でも、まあ、そうだな、お前の言う通りだった。
     確かにちっと寝ボケてたな、オレ。平和過ぎて忘れてたぜ、こーゆー戦いを」
     秋也は大きく深呼吸し、刀を一旦、鞘に納める。
    「本気出してやるよ。大先生直伝の、居合い斬りだ」
    「……」
     葵はとん、と後方に跳んで距離を取り、刀を正眼に構える。
    「いいよ。やって」
    「言ったな」
     秋也の姿が、その場から消えた。

     そして次の瞬間――葵は刀を弾き飛ばされ、数メートルほど転がっていった。

    白猫夢・晩秋抄 4

    2014.11.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第457話。秋也と葵、父娘対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ひゅん、と音を立てて向かってきた刃をかわし、秋也は刀の峰で葵の脇腹を叩く。「……っ」 わずかながら、葵が息を詰まらせるのが聞こえる。「なめんなよ」 秋也は葵との距離を取り、淡々と声をかける。「お前は確かに、オレの道場じゃ一番だったし、アレから10年は経ってるから、さらに腕を上げただろうな。 だがソレでもバカ娘の初...

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    麒麟を巡る話、第458話。
    葵の黄家仮説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     再びその場に現れた秋也は、大きく一息をつく。
    「ふー……っ」
     もう一度刀を納め、遠くに転がったままの葵を眺めて、声をかけた。
    「葵、どうだ? 今度こそ、目ぇ醒めただろ?」
    「……」
     葵は答えない。
    「お前がこの10年、何してたかなんて聞かねー。そんなコト、オレにはどうでもいいしな。……戻ってこいよ、葵。また母さんと葛に、顔見せてやれよ」
    「ううん」
     何事も無かったかのように、葵が起き上がる。
     しかし秋也と同様、葵も頭から血を流しており、まったく無事と言うわけでは無いらしい。
    「あたしにはやるべきことがある。それまで、あたしに帰る場所は無いよ」
    「何べんも言わせんな。んなもん放っぽって、帰ってくればいいんだよ」
    「堂々巡りだね、話が」
     葵は鞘を手に取り、構えて見せる。
    「まだやる気か?」
    「ちょっと、試しにね」
    「あん?」
     葵の言わんとすることが分からず、秋也は首を傾げた。

     直後――今度は秋也の方が、弾き飛ばされた。
    「ぐっ……!?」
     どうやら、葵が刀の鞘を使い、居合い斬りを放ったらしい。
    (マジかよ……!? 一瞬だったが、今の太刀筋――まんま、オレのじゃねーかッ!)
     どうにか体勢を立て直し、秋也は刀を抜こうとする。
     だが、腰に当てた右手が、刀の柄を捕まえられない。そこでようやく、秋也は刀が鞘に無いこと、そしてその刀を、葵が構えていることに気付いた。
    「なんであたしが、パパのとこに来たと思う?」
    「あ……?」
     動揺を隠そうと、秋也は声を作ってごまかそうとする。
     しかしそれも、葵には見通されていたらしい。
    「分からない? あたしは、パパの技が欲しかった」
    「……だから、わざとオレの前に姿を見せたと? だから、わざとオレを挑発して、オレの奥義を見て、……覚えたって言うのか」
    「うん」
     葵は刀を右手一本で上げ、ぼそ、とつぶやいた。
    「これ、返しとくね」
     ひゅっ、と音を立て、葵は刀を投げ付けた。
    「……がは……っ……」
     秋也の胸に、刀が突き刺さる。
    「あ……お……い……っ」
     秋也は立ちすくんでいたが、やがて仰向けに倒れた。



    「仮説だけど」
     秋也が動かなくなったのを確認して、葵はまた、ぼそぼそとしゃべりだした。
    「パパの血筋――コウ家の血筋だけど、ばーちゃんの代くらいから、変な伝説があるよね」
    「……」
    「セイナばーちゃんは央北の事件で一回殺されたけど復活して、殺した相手を返り討ちにしたって。
     パパもトッドレール皇帝僭称事件でトッドレールに殺されかけたけど、いつの間にか傷一つ無くなってて、逆にトッドレールを討ったって。
     おかしいって、思わない? 死んだはずの人、死にそうな人が、いつの間にか復活してるなんて。自分を簡単に殺すような相手を、ほんの数分で返り討ちにしてしまえるなんて。
     あたしはこう考えてる――コウ家の血筋には、並外れた『超回復力』と『適応能力』があるんじゃないか、って」
     葵は独り言のようにしゃべりながら歩き出し、遠くに飛んで行った自分の刀を取る。
    「死ぬほどのダメージを受けても、到底敵わない相手に相見えても、それらをすべて克服し、乗り越える力。それこそがコウ家が二代に渡って英雄になれた、その大きな理由。
     ……3分も時間をあげたんだから、もうそろそろ、復活するでしょ? この3分間、パパは死の淵で葛藤してたはずだよね。『こんなトコで死んでたまるかッ』とか、『このバカ娘め、いっぺん説教してやるッ』とか、そんなこと考えてたでしょ?
     それとも、もう諦める? あたしに負けて死んで、それでパパの人生、満足?」
     葵が刀を納めたところで、秋也の声が弱々しくながらも、聞こえてくる。
    「……な……ワケ……」
     自分で胸に刺さった刀を抜き、秋也が上半身を起こした。
    「ねえ……だろが……ッ」
    「やっぱり」
     葵は再び、刀を抜いた。
    「仮説は実証されたね。やっぱりあたしたちの血筋には、その力がある。
     で、これはあたしの仮説の延長だけど、いくら死ぬ寸前から一気に回復できる力があったとしても、二度も耐えられると思う? 今度あたしが致命傷を負わせたら、流石に耐えられないんじゃないかな。
     その実証にも、協力してくれるの?」
    「するかよ」
     秋也は立ち上がり、自分の血で濡れた刀を構えた。

    白猫夢・晩秋抄 5

    2014.12.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第458話。葵の黄家仮説。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 再びその場に現れた秋也は、大きく一息をつく。「ふー……っ」 もう一度刀を納め、遠くに転がったままの葵を眺めて、声をかけた。「葵、どうだ? 今度こそ、目ぇ醒めただろ?」「……」 葵は答えない。「お前がこの10年、何してたかなんて聞かねー。そんなコト、オレにはどうでもいいしな。……戻ってこいよ、葵。また母さんと葛に、顔見せてや...

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    麒麟を巡る話、第459話。
    終わりと、始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     立ち上がったとは言え、秋也の顔色は未だ、悪い。やや浅黒かった肌は、今は異様に青白く染まっている。
    「真っ青だね。立ってるのもやっと、……じゃないよね。
     多分体が、急速に回復してきてるから、かな。今、パパの体は体力と魔力を目一杯使ってる。エネルギー的なものがいっぺん、全部空になるくらいに。
     だから本当に仕留めるのは、今。もう一回立ち上がるチャンスを無くした、今しか無い」
    「ゴチャゴチャうるせえええッ!」
     一転、秋也の顔色に、急速に紅が差していく。葵の言う回復に加え、秋也の怒りが相乗されているのだろう。
    「いい加減にしやがれ、葵いいいいッ!」
     先程より数段早く、秋也が跳ぶ。
     その瞬間、ぼんやりとしていた葵がわずかに、表情を強張らせた。
    「……!」
     ガキン、と金属音を響かせ、秋也と葵の刀が交錯する。
     しかしどこにも、秋也の姿が無い。
    「……ちょっとやりすぎたかな」
     葵は後方に跳びつつ、周囲を警戒する。再度放たれた斬撃を受け、葵は呪文を唱えた。
    「『エアリアル』」
     葵は風をまとい、上空高く飛び上がる。
    「『星剣舞』。パパは完全に習得できたわけじゃないって言ってたけど、今、本当にギリギリだからかな。ほとんど無意識で『星剣舞』を発動させて、駆け回ってるっぽい。
     でも、本当に完全じゃないみたいだね。……見切った」
     葵は空中で刀を構え、ぐるんと縦回転しながら地上に降りた。
    「やっ」
    「……ッ!?」
     地表が裂け、血しぶきが飛ぶ。
     秋也は再び姿を表し、血塗れで転がっていった。

    「……ぐ……うっ……」
     秋也は左肩を抑え、荒い息を立てている。
    「完全には捉えられなかったけど、肩はやったみたいだね。それに、超回復から全力で動き回ってたから、体力は今度こそ空っぽ。もう一歩も動けないでしょ?」
    「……っ……ざけんなっ……」
     秋也の強がった言葉も弱々しい声のために、ほとんど聞こえない。
    「とどめ刺そうか? 放っておこうか?
     どっちにしても、パパはもう、完全に負ける。剣士としての人生は、ここで終わる。
     娘に、完膚なきまでに負けたあなたを、誰が剣士として尊敬するかな?」
    「……っ……の……」
    「何よりパパ自身の心が、もう折れてる。もうこれで、終わりだよ」
    「……」
     辛うじて上半身を起こしていた秋也はやがて、ばたりと倒れた。



     葵は刀を納め、くるりと振り返る。
    「カズラ。いるんでしょ」
    「……」
     木の陰から、葛が姿を表す。
    「見てた?」
    「……見てた」
    「あたしのこと、許せないって思ってる?」
    「思ってるよ」
    「だよね。でも、あたしと戦おうと思わないで。戦えば、あんたはパパと同じ目に、ううん、それ以上の痛い目に遭う。死ぬかも知れない。
     だから、そこから動かないで」
     葵の言葉に構わず、葛は木の陰から飛び出し、秋也の側に駆け寄る。
    「パパ、大丈夫?」
    「……」
     秋也は空を見つめ、何も答えない。
    「借りるね、刀」
    「……」
     葛は秋也の手から刀を取り、葵に向けて構える。
    「バカにしないでよ」
    「バカになんか、してない。本当にそうなる、って言ってるの」
    「ソレがバカにしてるって言ってるのよ!」
     葛は怒りに満ちた声で、葵に叫ぶ。
    「ドコからどう見ても、バカにしてるじゃない!
     パパを散々いたぶって、あんなひどいコト言って! その上あたしと戦えば死ぬ? お姉ちゃんが殺すんじゃない!」
    「そう。だから、させないで」
    「パパも言ってたでしょ!? お姉ちゃんがココからいなくなれば、そんなコトなんか絶対起こらないはずだった!
     ソレを実際にやったのは他でもない、お姉ちゃんじゃないの! こんなひどいコトをしたのは他の誰でもない――アンタだーッ!」
    「……っ」
     葵の顔が、ほんのわずかだが強張る。
    「カズラ……」「もう何も言うな! アンタは、あたしの手で仕留めてやるッ!」
     葛は刀を振り上げ、葵に向かって駆け出した。

     だが、次の瞬間――葛の目の前が、真っ白に染まった。
    「なに……っ!?」
    「ソコまでだ」
     光の中から、何者かが声をかけてくる。
    「葵。オレに勝てると思うのか?」
    「……」
    「いいや、その未来が見えるか? 見えねーだろう? じゃあ退いとけ」
     葵は答えない。いや、息づかいや衣ずれの音もしない――どうやら既に、逃げたらしい。
    「葛、……だっけ?」
     光が弱まっていく。
     現れたのは、黒髪に黒い肌、そして黒衣と黒い帽子をまとった、短耳の少女だった。
    「そうだけど、……誰?」
     きょとんとしつつ尋ねた葛に対し、黒衣の少女はパチ、とウインクして返した。
    「おっと、こりゃ失礼。
     申し遅れたな、オレはカズセ・タチバナって者だ。ちっと手を貸してもらいてーコトがある。勿論、ソレだけの見返りはさせてもらうが、な」
    「カズセ、ちゃん?」
     葛は面食らいつつも、その少女――一聖に応じた。

    白猫夢・晩秋抄 終

    白猫夢・晩秋抄 6

    2014.12.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第459話。終わりと、始まり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 立ち上がったとは言え、秋也の顔色は未だ、悪い。やや浅黒かった肌は、今は異様に青白く染まっている。「真っ青だね。立ってるのもやっと、……じゃないよね。 多分体が、急速に回復してきてるから、かな。今、パパの体は体力と魔力を目一杯使ってる。エネルギー的なものがいっぺん、全部空になるくらいに。 だから本当に仕留めるのは、今...

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    麒麟を巡る話、第460話。
    来訪者、一聖。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ふらっと自宅に戻ってきた秋也を見て、ベルが慌てて駆け寄ってきた。
    「あっ、シュウヤ! やーっと帰ってきた! ねえ、何があったの?」
    「……」
    「シュウヤってば!」
    「……ん? あれ? ……家?」
    「はい?」
     きょとんとしている秋也の額に、ベルがぴと、と手を当てる。
    「熱は無いね。……ボーっとしてるだけ?」
    「……ああ。……ボーっとしてる、かも」
    「どこ行ってたの?」
    「ほら、不動産屋行って、お前へのプレゼント買って、……で、……えーと?」
    「体調悪そうだね……。あれ?」
     と、ベルが気付く。
    「刀は?」
    「刀? オレのか?」
    「さっき持って行ったじゃない」
    「誰が?」
    「あなたが持って行ったじゃない。今持ってないけど、どうしたの?」
    「は? いや、床の間に……」
    「だーかーらー、持って行ったじゃないってば、さっき」
    「何の話だよ……?」
     と、開いたままの玄関から、葛が入ってくる。
    「ただいまー」
    「おう、お帰り、葛」
    「お帰りなさい。……あっ!」
     葛が刀を持っているのに気付き、ベルが口をとがらせる。
    「なんであなたが持ってるのよ、カズラ」
    「持ってるって言うか、パパがボーっとしてたから、ココまで引っ張って連れてきたのよ。刀も足元に落としてたしー」
    「……マジで?」
    「マジだよー」
     葛の言葉に、秋也は顔をしかめた。
    「マジで今日のオレ、何かおかしいみてーだな……。
     悪い、ベル。今日のデート、また今度でいいか?」
    「いいよ。シュウヤ、本当に疲れてるみたいだし」
    「悪いな……」
     夫婦揃って居間へ向かったところで、葛が玄関の陰に隠れていた一聖に声をかける。
    「大丈夫そう。ありがとね、カズセちゃん」
    「おう。ま、オレの術だし、今日起きたコトは死ぬまで、いいや、死んでも思い出さねーはずだ」

     秋也と葵の一戦の直後、突如葛の前に現れた一聖は、茫然自失となっていた秋也に治療術を施し、さらにこの1、2時間の間に起こった出来事を全て忘れるよう、忘却術をかけた。
     そのため今の秋也は、葵に敗北し剣士としての挟持を粉々に打ち砕かれたことなど、まったく覚えていない。

    「コレから道場やるって言うのに、自信無くしちゃってたらどうしようも無いもんねー」
    「だな。ソレに、葵のコトも覚えてちゃ色々まずいだろうし、な」
    「どうして?」
    「考えても見ろよ。葵がいるって分かったら、秋也はどうする?」
    「……追いかけるだろうねー」
    「そうなりゃ同じコトの繰り返しだ。葵は既に、秋也の力量、技量を見切ってる。能力も桁違いだ。
     もっぺん戦えば、今度こそ秋也は殺される」
    「……」
     葛は握っていた刀をわずかに鞘から抜き、刀身を覗き込みながら尋ねる。
    「お姉ちゃんは、どうしてパパを襲ったの?」
    「恐らくだが、理由は3つだ」
    「3つ?」
    「一つ、秋也から技を盗みたかったからだろう。
     葵には予知能力なんて言うふざけた力の他に、他人の技や術を一目見ただけで完璧に習得できちまう、いわゆる『ラーニング』能力も持ってる。
     葵は秋也の技を覚えたかったんだろう。特に晴奈の姉(あね)さんが極めたって言う、『星剣舞』をな」
    「せいけんぶ?」
    「知らねーのか? 秋也から、何にも聞いてねーの?」
    「うん」
     うなずいた葛に、一聖は腕を組んでうなる。
    「ま、秋也も完全にできたワケじゃねーっつってたしな。伝えようにも伝えられねーか」
    「って言うかカズセちゃんさー」
     葛は口をとがらせ、一聖をたしなめようとする。
    「パパを呼び捨てにしないでよ。パパの半分、3分の1も生きてないのに」
     その言葉に、一聖はニヤッと笑う。
    「そう見えるか? 実際にゃ秋也の方がオレの半分、3分の1どころか、10分の1にも満たねーんだぜ?」
    「マジで?」
    「おうよ」
     一聖がふふん、と薄い胸を反らせたところで、ベルが戻ってくる。
    「その子、誰?」
    「あ、えっとー、ソコで会った友達。カズセちゃんって言うのー」
    「お邪魔してまーす」
     一転、一聖は(見た目の)年相応の、あどけない少女を演じ、にっこりと笑って見せる。
    「あら、そうだったの? いらっしゃい、カズセちゃん」
    「えへへ」
    「もう夕方だけど、良かったらご飯食べてく?」
    「いいんですか?」
    「いいよ。お友達ってことは、同じ大学の子? 下宿かな?」
    「あ、はい。そうなんですー」
    「じゃ、たっぷり食べて行ってね」
    「はーい、ごちそうになりますー」
     にこにこ笑う一聖の横で、葛は呆気に取られていた。
    (コイツ、……図々しーなー)

    白猫夢・探葵抄 1

    2014.12.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第460話。来訪者、一聖。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ふらっと自宅に戻ってきた秋也を見て、ベルが慌てて駆け寄ってきた。「あっ、シュウヤ! やーっと帰ってきた! ねえ、何があったの?」「……」「シュウヤってば!」「……ん? あれ? ……家?」「はい?」 きょとんとしている秋也の額に、ベルがぴと、と手を当てる。「熱は無いね。……ボーっとしてるだけ?」「……ああ。……ボーっとしてる、かも...

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    麒麟を巡る話、第461話。
    半世紀ぶりの……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「うーむ……」
     食卓を囲みながら、ジーナがうなっている。
    「どしたの、ばーちゃん?」
     尋ねた葛に対し、ジーナは首をかしげつつ、一聖に話しかける。
    「いや……。カズセと言うたか、お主の声はどこかで聞いた覚えがある、と思うてのう」
    「え? ……あ」
    「うん?」
    「いや、何でもねー、……何でもないです。人違いじゃないでしょうか?」
    「ふーむ……?」
     腑に落ち無さそうな顔をしつつ、鮭のスープを口に運ぶジーナを見て、葛は一聖に耳打ちする。
    (ドコで会ったの?)
    (50年くらい前にな。コイツの旦那さんと一緒に会ったコトがある)
    (うっそぉ)
    (いや、マジ。ミッドランドの天狐事変ってヤツ)
    「テンコ?」
     と、ジーナが顔を挙げる。その言葉に釣られ、秋也も目を向けてきた。
    「天狐って?」
    「へ? あ、いえ、……あー、と、わたしと葛さん、今、6世紀前半のミッドランドの政治経済について調べてまして」
    「ああ、天狐事変の話か? ソレならオレ、割と詳しいぜ? オレの知り合いが何人も関わってたし、オレのお袋やお義母さんも、その場にいたから」
    「おお、知っておるぞ。何でも聞いてくれ」
    「(知ってるっつーの。オレが張本人だっつーの)じゃあ、えーと……」
     一聖は当たり障りのない会話をしつつ、夕食の場をどうにか乗り切った。

    「ふへー……、疲れたぜ」
     夕食後、葛のベッドにぽふんと体を預けた一聖に呆れながら、葛が尋ねる。
    「じゃあなんで、『ごちそうになります』とか言ったのよー」
    「うまいメシがあるなら食べるだろ?」
    「図々しいねー、ホント」
    「うっせ。……んで、だ。
     葵が秋也を襲った理由の二つ目だが、恐らく葛、お前を引き寄せるためだ」
    「あたしを?」
     きょとんとする葛に、一聖が枕に顔を埋めたまま、ピンと人差し指を立てて答える。
    「お前も葵と同様、晴奈の姉さんとハーミット夫妻の血筋を引いている。どんな才能、潜在能力を秘めてるか、あるいは既に開花してるか、葵にとっちゃ不気味でならねーはずだ。何しろ葵自身が才能と異能の塊なんだから、な。
     だから秋也を呼び水にして、お前を引き寄せたんだ。実際、お前は秋也の異状を察して、あの場に来ただろ?」
    「うん、まあ、そうだけど」
    「オレが来なきゃ、葵はあの場でお前を殺したはずだ。秋也みたくわざわざ復活させて力を引き出させたりせずに、一撃で仕留めて、な」
     その言葉に、葛はぶるっと身震いする。
    「お姉ちゃんは、本当にあたしを殺すんだ、……よね」
    「葵は白猫の言いなりだ。『やれ』と言われたら、葵はやる。例えソレが、自分の家族を殺せって話でもだ」
     一聖はベッドから起き上がり、その上にあぐらをかく。
    「葵がオレのせいで仕留め損なったとして、ソレで白猫は諦めると思うか?」
    「……まさか?」
    「ああ。オレがいる限りは狙ってきたりしねーだろうが、少しでもオレと離れたら、即座に殺しにかかるだろう。
     だから今後、オレと一緒に行動しろ。って言うかココからはオレのお願いに関わってくる話だが、ちっと一緒に来てもらいてートコがあるんだ」
    「え?」
     一聖は懐から金色と紫色に光る金属質の板を取り出し、そこに何かの地図を映す。
    「今は別の国になっちまってるが、ココにはかつて、エカルラット王国ってのがあった。ソコのスカーレットヒルって街に、掘り出したい物がある。
     ソレが、オレがお前を頼ってきた理由でもある。そしてもしかしたら、葵が秋也を襲った三つ目の理由かも知れない」
    「掘り出したい物……? 何があるの?」
    「刀だ。オレが打った神器でな、まだソコに眠ってるはずだ。
     とは言え、オレに剣術の心得はあんまり無い。葵と剣術で戦おうとしても、確実に負ける。ま、魔術勝負ならまだ分はあるだろうが」
    「その刀で、あたしが戦えってコト?」
    「そうだ。……もう戦えるのが、お前しかいねーんだ」
    「どゆコト?」
     話の展開が見えず、葛はこめかみを手で押さえ始めた。

    白猫夢・探葵抄 2

    2014.12.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第461話。半世紀ぶりの……。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「うーむ……」 食卓を囲みながら、ジーナがうなっている。「どしたの、ばーちゃん?」 尋ねた葛に対し、ジーナは首をかしげつつ、一聖に話しかける。「いや……。カズセと言うたか、お主の声はどこかで聞いた覚えがある、と思うてのう」「え? ……あ」「うん?」「いや、何でもねー、……何でもないです。人違いじゃないでしょうか?」「ふーむ……...

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    麒麟を巡る話、第462話。
    マーク王子のスキャンダル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     双月暦573年のはじめ、プラティノアールでは「エトワール病」が蔓延していた頃。
     ルナたち「チーム・フェニックス」の実働部隊――ルナ、パラ、フィオ、そして一聖の4人は、央中と央南の境、屏風山脈のとある場所にいた。
    「蒸し暑い……」
    「そう? ちょうどいいくらいだと思うけど」
    「気温28度前後、湿度65%前後。不快指数77.78を計測いたしました。大半の人間が不快と感じる数値です」
    「詳しく言わなくても不快だよ」
    「まーた始まったか、いつもの夫婦漫才が」
    「まだ結婚してないよっ」
     取り留めのない会話を交わしつつ、ルナが地図を確認する。
    「パラ、この辺りで間違いないわね?」
    「はい。わたくしと主様、カズセちゃんの三者で行った、三点交差法による空間振動測定調査の結果、この周辺に『テレポート』と思われる、空間の異常振動を数回感知しました。
     当該魔術の使用がアオイ・ハーミットによるものであれば、何らかの施設が密かに建設されていることは確実と思われます。確率は……」「確率はいいわ。この周辺の、どこにありそう?」
     問われたパラは、きょろきょろと辺りを見回す。
    「……計測中……」
     そしてやや右を向き、その方向を指し示した。
    「ここより2時方向、約2.72キロメートル先に、微力な魔力源を検知しました。200~300MPP、周囲一帯の平均値よりもわずかながら大きな数値です」
    「多分そこね。……一息ついてから行きましょ」
     ルナの提案により、一行はそこで小休止をとることにした。

     昼食に持ってきたサンドイッチを頬張りながら、フィオがこんなことを言い出した。
    「もぐ……、そう言やさ、ルナさん。マークとシャランのことなんだけど」
    「ん?」
    「事実上、まだ結婚してないわけだけどさ」
    「そうね。……あー」
     そこで、ルナがケラケラと笑い出す。
    「シャラン、3ヶ月なんだって?」
    「らしいよ。……だから今、すごく揉めてるらしい。
     特にトラス陛下から『王族ともあろう者が結婚前に子供を設けるとは、恥ずかしいと思わんのかっ』って、めっちゃくちゃ怒られてるらしい」
    「じゃあさっさと結婚しちゃえばいいじゃない。しちゃえばどうとでもごまかせるでしょ?」
    「プレタ陛下も同意見だってさ。でも肝心のマークが、うんって言わないんだよ」
    「なんでよ?」
     ルナはけげんな表情を浮かべかけ、そして「ああ」と納得した声を上げ、フィオとパラを指差す。
    「あんたらね、その原因」
    「みたいだね。『親友で同窓のフィオがパラとまだなのに、僕たちだけ先になんて』って言って聞かないんだよ。
     まったく、変なところで意固地なんだから」
    「違うわね」
     ルナは紅茶をくい、と飲みつつ、フィオの意見を否定する。
    「あの子のことだから何やかや理由付けて、先延ばしにしようとしてんのよ。ビビってんのよ、要するに」
    「……あり得る」
     うなずいたフィオに、パラがこうつぶやく。
    「であればわたくしたちも、急がねばなりませんね」
    「だなぁ。さっさと退路断って決断させなきゃ、シャランがかわいそうだ」
    「『かわいそう』っつーか」
     と、フルーツサンドを飲み込み終えて、一聖が口を開く。
    「その話って、マークが自分から迫ったワケじゃねーよな? どう考えてもシャランからアプローチした気がすんだけど」
     これを受けて、3人は同時にうなずく。
    「だろうね」
    「多分そーでしょ」
    「可能性は限りなく濃厚です」
    「だったら『かわいそう』ってのは……」「あーら、カズちゃん」「もごっ」
     核心を突こうとした一聖の口に、ルナは新たなサンドイッチを押し付ける。
    「そう言うことは、言わない方が楽しいじゃない」
    「……ひっでーヤツらだなぁ、お前ら」
     自分の口の型が付いたたまごサンドを手に取り、一聖は苦笑いを浮かべる。
     それに対し、ルナはしれっとこう言ってのけた。
    「ひどいのはマークよ。そうしとかないと、またマークがあーだこーだ言い訳して、結婚を先延ばしするに決まってるわ」
    「あー……、ソレもそっか。じゃ、言わね」
     一聖は、今度はいたずらっぽく笑いながら、たまごサンドを頬張った。

    白猫夢・探葵抄 3

    2014.12.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第462話。マーク王子のスキャンダル。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 双月暦573年のはじめ、プラティノアールでは「エトワール病」が蔓延していた頃。 ルナたち「チーム・フェニックス」の実働部隊――ルナ、パラ、フィオ、そして一聖の4人は、央中と央南の境、屏風山脈のとある場所にいた。「蒸し暑い……」「そう? ちょうどいいくらいだと思うけど」「気温28度前後、湿度65%前後。不快指数...

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    麒麟を巡る話、第463話。
    秘密施設、発見。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     休憩を終えたルナたち一行は、パラが感知した「謎の魔力源」に向かって歩き始めた。
    「で、さ」
     と、フィオが口を開く。
    「もしもここにカツミがいたら、こないだ言ってたあの『契約』、果たしてくれるんだよな?」
    「ん?」
    「ほら、僕とパラを人間にって言う、あれ」
    「ちょっと違うぜ」
     一聖は人差し指をピン、と立て、こう訂正する。
    「親父を発見できて、そして『何らかの事情で動けない状況にあれば、それを助けてから』、……だ。
     勿論、ただソコでのんびり渾沌とメシ食ってて団欒(だんらん)してるだけで、すぐ連れて帰れそうな状況だったら、ソレで契約履行としていいけど、な」
    「ああ、勿論分かってるさ」
    「無論ココが外れ、つまり親父も渾沌もいねーってコトであれば、話は振り出しに戻る。
     お前さんらの応援はしてやりてーが、克一門の契約に『先物』は無い。お前さんたちがきちんとやるコトやってくれなきゃ、こっちもちゃんとしたコトはしてやれねー」
    「いいよ、仕方無いさ。むしろそう言うところがきちんとしてるからこそ、信頼できるってもんだ」
    「物分かりが良くて助かるぜ。
     ……お?」
     やがて一行の前に、建ってから10年も経っていないと思われる、煉瓦造りの建物が姿を表した。
     しかし不思議なことに、その外壁は蔦(つた)でびっしりと覆われており、それだけを見れば、この建物は数十年、あるいは数百年は経っているようにも思わせていた。
    「カモフラージュしてあるな。遠くから望遠鏡で見たくらいじゃ分からねーようにしてある。ソレにこうして近付いても、距離感がつかめねー。魔術で視覚認識をごまかしてるらしいな。
     ソレ以外にも、色々と発見されにくいように擬装対策を施してあるらしい。パラみてーに細かく正確に計測ができるヤツがいなきゃ、ココは中央大陸を100年うろつき回っても、きっと見付けられなかっただろう、な」
    「お褒めに預かり光栄です」
     ぺこりとお辞儀をして、パラが建物を指し示す。
    「センサー類は検知できません。一方で、入り口の類も同じく、発見できません」
    「ふーん?」
     ルナたちが近付いて調べてみても、確かに扉が見付けられない。
    「『テレポート』で中に入ってたのかな」
    「ソレだとオレたちが空間振動を検知できねーだろ? コレだけ厳重に密閉されてるんだからな。
     ……そっか。密閉、ね」
     一聖は呪文を唱え、煙を立ち上らせた。
    「『ホワイトアウト:ピンク』」
    「なんでピンク?」
    「目立つからな。後はオレの好み」
     ピンク色の煙が周囲にたなびいたところで、一聖が建物のある箇所を指差した。
    「あそこから空気が漏れてる」
    「壁しかないように見えるけど」
    「さっきも言ったろ? この建物は、術で視覚認識を狂わせてる。つまりドアを『ドアだ』と認識できないってコトだ」
     一聖は壁をぺたぺたと触り、一箇所をトントンと叩く。
    「オレの目にも確かに煉瓦と見えるが――ココだけ材質が違う」
     そう言ってもう一度、呪文を唱える。
    「……**……**……****……よっしゃ、解錠キー見っけ」
     ガコン、と音を立てて、一面煉瓦だった壁に穴が開いた。
    「さっすがー」
    「へっへー」
     一聖は得意げな顔で、胸を反らす。
     その間にルナが、パラに尋ねる。
    「中の様子はどう? 罠はありそうかしら?」
    「検知できません」
    「そう。……『ライトボール』」
     ルナが光球を作り、中へと飛ばす。
     光球は廊下をぐんぐんと奥に進み、やがて見えなくなってしまった。
    「見た目より広いわね。地中に続いてるみたい」
    「……」
     一聖は中にそっと首を突っ込み、目を凝らす。
    「中にもセンサーみたいなのは無いらしいな。奥へ進んでみるか」
     一聖の言葉に、三人は無言でうなずいた。

     一聖の言った通り、進んでも特に罠や仕掛けなどは無く、一行は廊下の最奥にあるドアの前に到着した。
    「このドアにも罠は無さそうね。……開けるわよ」
    「おう」
     ルナがドアノブをひねり、そっと開ける。
     奥の様子を確かめるため、今度も一聖が覗き見る。
    「うげっ」
    「どうしたの? ガスか何か?」
    「いや、……胸クソ悪いものを見ただけだ」
    「何が……?」
     一聖は答えず、中へ入っていく。三人も続いて中へ入り――そして一聖と同様、嫌悪感に満ちたため息を漏らした。
    「うっ……!」
    「何よ……これ」
    「幼体、と言うべきでしょうか」
     部屋の中には、猫獣人の形をした「何か」が納められたガラス瓶が、ずらりと並んでいた。

    白猫夢・探葵抄 4

    2014.12.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第463話。秘密施設、発見。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 休憩を終えたルナたち一行は、パラが感知した「謎の魔力源」に向かって歩き始めた。「で、さ」 と、フィオが口を開く。「もしもここにカツミがいたら、こないだ言ってたあの『契約』、果たしてくれるんだよな?」「ん?」「ほら、僕とパラを人間にって言う、あれ」「ちょっと違うぜ」 一聖は人差し指をピン、と立て、こう訂正する。「親父...

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    麒麟を巡る話、第464話。
    白猫製造工場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……気持ち悪い」
     その光景に対し率直な感想を述べたフィオに、全員が無言でうなずき、同意した。
    「これ、何?」
     尋ねたフィオに、一聖が答える。
    「人工の、人間だな。ホムンクルスってヤツだ」
    「どう言うこと?」
    「どう、って?」
    「色々。『人工の人間』って、どう言う意味さ?」
    「そのまんまだよ。男と女の間から生まれた子供じゃない、土や水やらから練り上げて造った、人工の生物ってコトだ」
    「これを造ったのがアオイとして……、なんでこんなの造ったんだ?」
    「麒麟の姉さん――白猫の魂を、コイツらのドレかに移すつもりなんだろう」
    「なんでそんなことを?」
     今度はルナが尋ねる。
    「フィオが持ってたあの写真が答えだ。白猫はいつまでも、夢の世界なんかに引き籠もってるつもりは無いらしい。
     現世に蘇るべく、自分の体を造ってるんだ。ソレも、ただ蘇るだけじゃない」
     一聖はコンコンと、ガラス瓶を叩く。
    「人工的に、より強い肉体を造って乗り移るつもりらしい。
     パラ、コイツらの魔力は?」
    「平均6000MPPを計測しています」
    「6000!?」
     とんでもない値を返され、フィオが仰天する。
    「6000って、ルナさんの2倍近いじゃないか!」
    「そう言うコトだ。だが恐らく、ココら辺にあるのはどちらかと言えば、失敗作だろうな」
    「え?」
     一聖は通路の奥へ進み、辺りを見回す。
    「麒麟の姉さんは、コイツらの3~4倍は魔力を持ってた。新しい体を造ろうってのに、本物より弱くしてどうすんだ?」
    「マジか……」
    「奥にも扉がある。あの向こうにも、ものすげー強い魔力を感じる。あっちにあるのが恐らく、その本命だろうな」
    「じゃあ、もしかしたら」
    「ああ。その奥に何か、手がかりがあるかも知れねー。もしくは、目的のモノが、な」
     一聖の言葉に、一行は顔を見合わせ、装備を再確認する。
    「……行ってみましょう」
    「ああ」
     4人は警戒しつつ、奥の部屋に移った。

     扉の向こうにも同様に、ガラス瓶がずらりと並んでいる。だが、その半分以上が空であり、残り半分にも一聖がホムンクルスと呼んでいたものはほとんど入っておらず、水しか無い。
    「取り出して実験したらしいな」
    「実験?」
    「ただ魔力を詰めりゃ、魔力のある人間ができるってワケじゃねー。うまいコト調整しなきゃ、その魔力で自家中毒を起こすんだ。
     その調整がうまく行ってるか、取り出して検査なり何なりしてたんだろう。……ま、オレたちにとっては運の良いコトに、まだ成功しちゃいねーらしいが」
    「なんで分かるんだ?」
    「ココにあるのは前の部屋以上の失敗作だ。魔力もさっきの半分か3分の1か、もっと低いか。
     もっといいのがまだゴロゴロ残ってるってのにそんなので実験してるってのは、成功した後でやるコトじゃねーからな」
    「なるほど」
    「……しかし、となると」
     一聖は首をかしげ、空になった瓶をぺたぺたと触る。
    「さっき感じた強い魔力ってのが何だったのか……?」
    「カツミさんとか?」
    「かも知れねーが、今はほとんど、……いや」
     と、一聖が黙り込む。
    「カズセちゃん?」
    「しっ」
     一聖はフィオを黙らせ、さらに奥をじっと見つめる。
    「……フィオ。どうやら当たりだぜ」
    「え?」
    「わずかだが今、気配を感じた。奥だ」
     一聖はどこからか鉄扇を取り出し、そろりと歩き出す。
    「気配を感じたり、かと思えばふっと消えたり……。どうやら封印か何かされて、まともに魔術を発するコトもできねーらしい」
    「気を付けて進みましょう」
    「ああ」
     4人は最大限に警戒しつつ、一歩一歩、足元を確かめるように進んでいった。
    「……開けるぞ」
     一聖の言葉に、ルナたちは無言でうなずく。
     それを確認し、一聖はゆっくりとドアを開けた。

     奥の部屋が露わになった途端、一聖は息を呑む。
    「……親父!」
     部屋の中央に、この3年探し回ったあの克大火とその九番弟子、克渾沌の姿があった。
     だが、何か様子がおかしい。二人は微塵も動く様子を見せないのだ。いや、それどころか、まるで絵に描いてあるかのように、平面的に見える。
    「……! やべ」
     一聖は慌てて、鉄扇を真横の壁に突き刺した。
     そして次の瞬間――とてつもなく強い引力が、一聖たちの体にまとわりついてきた。

    白猫夢・探葵抄 5

    2014.12.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第464話。白猫製造工場。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……気持ち悪い」 その光景に対し率直な感想を述べたフィオに、全員が無言でうなずき、同意した。「これ、何?」 尋ねたフィオに、一聖が答える。「人工の、人間だな。ホムンクルスってヤツだ」「どう言うこと?」「どう、って?」「色々。『人工の人間』って、どう言う意味さ?」「そのまんまだよ。男と女の間から生まれた子供じゃない、土や...

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    麒麟を巡る話、第465話。
    きっと彼女ならば。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「きゃっ……」「うゎっ……」「これ……は……」
     ルナ、フィオ、そしてパラの声が、異様に遠のきつつ、鈍く響いてくる。
    「ちっくしょー……! こんな大掛かりな罠仕掛けやがって!」
     一聖の体も、部屋の奥へと吸い込まれそうになる。
     しかし壁に突き刺した鉄扇に何とかつかまり、ルナたち3人のように吸い込まれずに済む。
    「コレは多分、次元操作術の一種――麒麟の姉さんと昔ちょこっとだけ研究して、結局どのアイデアも実現不可能だって結論に至って、放っぽってたヤツだな。
     まさか完成させてたとは、思ってもみなかったぜ」
     ルナたち3人もぺたりと壁に貼り付き、まるで壁画のように、ピクリとも動かなくなる。
     一聖は魔術で壁から鋼線を造りつつ、周囲を見回す。
    「解除用のスイッチとかコンソールとか、制御装置みたいなのは、……見当たらねーな。葵がいない時だけ罠が発動、って感じか」
     一聖は首を横に振って、大火たちに声をかけた。
    「聞こえてっか分かんねーが、とりあえず言っとくぜ。
     ソイツがどう動いてるかは分かんねー。だが相当の魔力源を必要とするってコトは、理論上で明らかにはしてある。だからその魔力源を絶てば術は効力を失い、解除されるはずだ。
     多分この近くにある。ソレさえ見つけりゃ何とかなる。……と思う」
     一聖は鋼線を造り終え、それを部屋の反対側に引っ掛けてよじ登り、どうにかその場から脱出した。



    「……え? ソレでその話、終わり?」
     時間は、葛と一聖が出会った日に戻る。
     話し終えた一聖は、残念そうに首を振った。
    「ああ。結論から言うとな、解除できなかったんだよ、オレには」
    「どうして?」
    「魔力源が見つからなかった」
    「どう言うコト?」
    「その手前の部屋のドコにも、ソレらしい設備やら装置やらが見つからなかったんだよ。
     恐らく魔力源は、罠が仕掛けてある部屋の奥にあるらしい」
    「ソレって……、どうしようも無いんじゃないの? 通らなきゃ入れないってコトでしょ?」
    「そうなる」
     うなずいた一聖に、葛は唖然とする。
    「どうすんのよ?」
    「ソコでお前さんを頼ってきたワケだ」
    「どう言う意味よ?」
    「お前さんなら、あの部屋を通らずにその奥へ行けるんじゃねーかと思って、な」
    「できるワケないじゃない」
    「いや、お前さんならきっとできるはずなんだ」
    「……?」
     一聖の言葉に、葛は首をかしげた。
    「だから、どう言う意味なのよ? あたしに何ができるって言うのよ」
    「『星剣舞』だ。あの技がお前さんに使えるなら、その部屋を通らずに奥へ行くコトは、簡単にできるはずなんだ」
    「は?」
     一聖が何を言っているのか分からず、葛は頭を抱える。
    「もうちょっと、……ううん、もっと分かりやすく説明してくれない? あたし大学生だし、そこそこ頭いいつもりだけど、アンタの言ってるコト、ちっとも分かんないよー……」
    「ああ、悪い悪い。ついつい話を端折っちまった」
     一聖はひょい、とベッドから離れ、立ち上がって話を続ける。
    「まず、『星剣舞』ってのが何か、お前さんは知ってるか?」
    「ソコから分かんない」
    「そっか。まあ、『星剣舞』ってのは、かつて晴奈の姉さん……、お前の父方のばーちゃんの黄晴奈って人が使った技だ。
     ソレはマジで反則的な技でな。誰にも気取られるコトなく、敵を滅多斬りにできるんだ」
    「へぇ?」
    「この技のすごいトコはな、仮にこの世の全てを見通す目を持ってるヤツがいたとしても、その技を見切るコトは、ソイツにすら不可能なんだ」
    「どうして?」
    「ソレはな……」
     一聖はまた、どこからかあの光る金属板を取り出し、そこに図を描いて説明する。
    「……ってワケだ」
    「うーん……?」
     しかし、葛にはその話が理解ができなかった。
    「どう……うーん……ちょっと、良く、……うーん、分かんない」
    「まあ、そもそも荒唐無稽な話だからな。オレだって実証しろって言われたらお手上げだ」
    「ちょっ……、ソレをどうやって、あたしが使えるようになれって言うのよ? 無茶ばっかり言わないでよ、もおー……」
     葛は頭を抱え、うなだれる。
    「無茶は承知だ。だけどお前さんが使えないと、お前さんもオレも困るだろ?」
    「何言ってんのよ? アンタの事情なんかあたしに関係ないでしょ?」
     にらむ葛に対し、一聖は肩をすくめながらこう返す。
    「関係あるぜ。葵のコトだ」
    「……」
    「お前さんはいずれ、アイツと戦わなきゃならない。でも今のままの状態で、葵に勝てると思うのか?」
    「ソレは……」
    「無論、戦いたくなきゃ一生戦わなくてもいいさ。アイツから逃げまわって、象牙の塔でコソコソ生きてりゃいいんだ。
     葵だってお前さんに戦う意志がコレっぽっちもねーと分かれば、無理矢理攻めてきたりしねーだろうし、な」
    「……ムカつく言い方するなぁ。そりゃ、このままにはしておけないけどさー」
    「だろ? じゃあ、何の武器も技も用意しないまま、ってワケにゃ行かないよな」
    「まあ、そうね。理屈はそう。でもさー……」
    「とりあえず、だ」
     一聖は人差し指をピンと立て、こう締めくくった。
    「まずは武器だ。明日スカーレットヒルに、取りに行くぜ」

    白猫夢・探葵抄 終

    白猫夢・探葵抄 6

    2014.12.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第465話。きっと彼女ならば。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「きゃっ……」「うゎっ……」「これ……は……」 ルナ、フィオ、そしてパラの声が、異様に遠のきつつ、鈍く響いてくる。「ちっくしょー……! こんな大掛かりな罠仕掛けやがって!」 一聖の体も、部屋の奥へと吸い込まれそうになる。 しかし壁に突き刺した鉄扇に何とかつかまり、ルナたち3人のように吸い込まれずに済む。「コレは多分、次元操作...

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    麒麟を巡る話、第466話。
    西方の東。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     正直なところ――葛は当初、一聖のことを信用していなかったし、好意を覚えていたわけでも無かった。
    (図々しーし、態度デカいし、ムチャクチャ言ってくるしー……)
     だが結局、葛は一聖と西方東部のこの国、サングフェル共和国を訪れている。
    (なーんか……、断れなかったのよね。
     まあ、お姉ちゃんの件もあるし、コイツの言う『神器』がどんなのか気になるって言うのもあるけど、……なーんか、さ)
    「なあ、葛」
    「なーに?」
    「ハラ減らね?」
    「減ってるよー」
    「丁度さ、あそこ。屋台みたいなのあるじゃん?」
    「あるねー」
    「……うまそうに見えね?」
    「見えるよ。食べたいの?」
    「おう」
     目をキラキラさせる一聖に、葛は内心、苦笑していた。
    (なーんか……、構っちゃうのよねー。
     偉ぶってる割に、コドモだし。目を離すと何するか分かんなくて、放っとけないし)
    「いいよ、食べよっかー」
    「おうっ」
     葛が答えるや否や、一聖はバタバタと屋台に駆け出していく。
    (なーんか、なー。……妹がいたらこんな感じ?)
     そんなことをぼんやり考えていると、既に屋台の前に並んでいた一聖が声を張り上げる。
    「おーい! 早く来いよー!」
    「はーい、はい」

     屋台でサンドイッチを買った二人は、そのまま近くの公園へと移動する。
    「もぐ……、そう言えばこの国って」
     葛はハムとレタスとトマトを挟んだサンドイッチをぱくつきながら、半ば世間話のつもりで、この国の情勢を話し始めた。
    「旧エカルラット王国が今のサングフェル共和国に変わったのって、20年くらい前なんだってー」
    「ふーん」
     一方の一聖は、チョコレートソースをたっぷり塗ったサンドイッチを頬張りながら、生返事で返す。
    「元々、おじーちゃん――ハーミット卿がプラティノアールで王政内閣制をうまくやってたから、この国の人たちが30年くらい前に、ソレを真似したんだけどねー」
    「ほむ」
    「でも結果は散々だったんだって。権力を得た大臣層が勝手なコトばっかりしだして、経済は急落するし、政治はマヒするし」
    「んぐ……、アホだなぁ」
    「ホントだよねー。で、政治権力を私物化した大臣派と、ソレに反発した市民派とで、内戦になっちゃったのよ。
     内戦は結局10年近く続いて、ようやく市民派が勝利。当時の大臣たちは全員処刑されちゃった上に、彼らに好き勝手やらせてた王様も終身刑で投獄。
     一方で勝った方の首脳陣も、誰が王様になるかで大揉めに揉めて、2、3人殺されちゃったらしいのよ」
    「どっちもどっち、って感じだな」
    「だねー。ま、そんなワケで、誰か一人が王様になろうとしたら話がまとまらないってコトになって、残った首脳陣で共和制を採択。
     コレは何とかうまくいったっぽくて、現在までの20年間、大きな争いは特に起こっていない、……って学校で習った」
    「歴史のお勉強、どーも。……んー」
     一聖はサンドイッチを包んでいた紙ナプキンで口をゴシゴシ拭きながら、残念そうにつぶやく。
    「西方のチョコって、ドコもこんななのか?」
    「え?」
    「まずい。変な臭いするし、気色悪い甘みがあるし。変な混ぜ物がてんこ盛りって感じだぜ」
    「屋台のだもん、安物なんでしょ。美味しいトコのはホントに美味しいよー」
    「口直しに食いたいなー」
    「まだ食べるの?」
     尋ねた葛に、一聖はいたずらっぽく笑って返した。
    「こんなもんで食べた気にならねーよ。さ、口直し口直しっと」
     ひょいっとベンチを離れ、市街地へと歩き出した一聖に、葛は苛立った声をぶつけた。
    「待ってよ。あたし、まだ食べてるじゃない」
     その言葉に、一聖はくる、と踵を返した。
    「あ、悪りい。ゴメンな、せっかちなもんで」
    「もー」
     一転、一聖はぺこっと頭を下げる。
    「食べ終わるまで待つからさ、他にも何か聞かせてくれよ」
    「だから食べてるんだってば。あたし、口の中にモノ入れて、もごもごしゃべりたくないもん」
    「そりゃそうか、悪り悪り」
    「今度はカズセちゃんがしゃべってよー」
    「オレ?」
     きょとんとした目を向けた一聖に、葛はこう続けた。
    「何だかんだ言って、あたしカズセちゃんのコト、全然知らないもん」
    「そー言や自己紹介も、半端にしかしてなかったっけ。
     いいぜ。さらっとで良けりゃ、話してやるよ」

    白猫夢・聖媒抄 1

    2014.12.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第466話。西方の東。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 正直なところ――葛は当初、一聖のことを信用していなかったし、好意を覚えていたわけでも無かった。(図々しーし、態度デカいし、ムチャクチャ言ってくるしー……) だが結局、葛は一聖と西方東部のこの国、サングフェル共和国を訪れている。(なーんか……、断れなかったのよね。 まあ、お姉ちゃんの件もあるし、コイツの言う『神器』がどんなのか気...

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    麒麟を巡る話、第467話。
    橘一聖の人物評。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     双月暦570年6月、トラス王国再生医療研究所、通称「フェニックス」。
    「この子が本日からうちの研究顧問として参加する、橘一聖ちゃん。よろしくね、みんな」
    「よろ……し、く」
     まだ10代にしか見えない彼女の姿に、研究員一同は一様に、面食らった表情を浮かべている。
     その動揺を見て取った一聖は、こんな質問をぶつけた。
    「そこの長耳のおっさん。オレの見た目、いくつに見える?」
    「お、おっさん? 私のことか?」
     指差されたエイブが、憮然とした顔をしながらも答える。
    「そうだな……、14、15と言うところだろうか」
    「ほーぉ」
     ニヤッと笑い、一聖はこう返した。
    「オレが15歳だってんなら、アンタはまだ2ヶ月、3ヶ月の赤ん坊だぜ?」
    「なに?」
    「オレの見た目の若さは、魔術研究の賜物(たまもの)ってヤツさぁ。実際にゃその何倍も歳食ってんだぜ?」
    「まさか!」
     鼻で笑ったエイブに対し、一聖は笑みを崩さない。
    「ま、ホントかウソかは、オレの仕事で評価してくれ。よろしくな、みんな」
    「……よろしく」
     初対面からいきなりこんな剣呑な調子で挨拶したため、一聖に対する研究員からの評価は当初、総じて低いものだった。



     しかし彼女が、魔術に関して本当に高い技術と知識を持っていたことと、そしてどこか憎めない性格から、次第に打ち解けていった。
    「……ってワケだ。土術は単に『鉱物を操る魔術』ってだけじゃないんだぜ?」
    「いや、でも僕のいた大学院では……」
    「下手クソな教え方されたもんだな。一体ドコの馬の骨なんだか」
     一聖にこき下ろされ、研究員は顔を真っ赤にして怒鳴りかける。
    「ば、馬鹿にするな! テスラー教授は天狐ゼミを出た英才……」「テスラー? もじゃもじゃ頭にビン底メガネでガリガリの短耳、ヘス・テスラーのコトか?」「えっ?」
     きょとんとした研究員に、一聖はニヤニヤしながらこう返す。
    「アイツから教わったのか。ゼミにいた当時から教えるのに苦労したもんだぜ」
    「知ってるんですか? って言うか、『教えた』って……?」
    「ま、一緒に勉強したってコトさ。でもこっちの意見にまったく耳貸そうとしなくてさ、『いや、こうあるべきなのだ!』つって、聞きゃしねー」
    「……ぷっ」
     途端に、研究員の顔から険が消える。
    「確かに良く言ってましたね、それ。講義の時いつも、3回は聞きましたよ」
    「ま、頭は悪くねーんだけど、カタくてな。思い込みが激しいっつーか」
    「あれ? でも教授と同窓ってことは、タチバナさんって」
    「ケケケ、女の子の歳を邪推するもんじゃねーぜ? そもそも同窓生どころじゃねーし。
     あと、『一聖ちゃん』って呼んでくれて構わねーから、な」
    「あ、はい」

    「ふーん、お前のばあちゃんって晴奈の姉さ……、『蒼天剣』と一緒に戦争で戦ってたのか」
    「そうなんですよぅ」
     クオラと世間話をしていた一聖が、不意に笑い出す。
    「……くく」
    「どしたんですかぁ、カズセちゃん?」
    「いやな、その『蒼天剣』のコトで、いっこ思い出したコトがあるんだ。
     ある時オレが、その『蒼天剣』に雷術を真正面から当てたコトがあったんだが、その時『蒼天剣』はどうしたと思う?」
    「えぇ!? 『蒼天剣』と戦ったんですかぁ!?」
    「おう」
    「えーっとぉ……、雷術って、電気のアレですよねぇ?」
    「ああ、ソレだ」
    「それはぁー……、まぁ、逃げますよねぇ、普通は」
    「普通は、な。だが『蒼天剣』は普通じゃない。
     って言うか魔術系の知識に関しては、てんでからっきしだったらしくてな。オレの放った電撃に対して、真正面から突っ込んできたんだ」
    「えーっ!? し、死んじゃいますよぅ、そんなことしたら!?」
     目を丸くしたクオラに、一聖はチッチッ、ともったいぶって否定する。
    「ところがソコは『蒼天剣』だ。あろうコトか、オレの魔術をブッた斬りやがったのさ」
    「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ。魔術って切れるものなんですかぁ?」
    「だから言ったろ、『蒼天剣』は普通じゃねーって。だからこそ伝説にもなるってもんだ」
    「……ホントに伝説って言うか、眉唾って言うか、ぶっちゃけ胡散臭いですよぅ」
    「いや、コレにもちゃんと理論的説明は付けられるんだ。まず彼女が持ってた武器ってのが……」



     元々の知識の深さと観察眼の鋭さに加えて、長年ゼミの教師として培ってきた話術もあり、彼女が語る話は造詣が深く、そして明解であり、何より機知に富んでいて面白い。
     そのため一聖の参与から3ヶ月が過ぎる頃には、彼女はすっかり、所内の人気者になっていた。

    白猫夢・聖媒抄 2

    2014.12.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第467話。橘一聖の人物評。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 双月暦570年6月、トラス王国再生医療研究所、通称「フェニックス」。「この子が本日からうちの研究顧問として参加する、橘一聖ちゃん。よろしくね、みんな」「よろ……し、く」 まだ10代にしか見えない彼女の姿に、研究員一同は一様に、面食らった表情を浮かべている。 その動揺を見て取った一聖は、こんな質問をぶつけた。「そこの長...

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    麒麟を巡る話、第468話。
    イタズラっ娘と変人娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     マーク自身は一聖が研究所に参与したことについては、非常に喜ばしく、そして心強く思っていたし、何より率直に嬉しかった。
     何故なら、彼女の中身はそっくりそのまま、ゼミ時代の恩師なのである。色々と込み入ったことも気軽に話すことができたし、自分の専門に対しても、これ以上求めようが無いくらい的確に答え、教えてくれるのだ。
     それを抜きにしても、これまでどちらかと言えばくすぶっていた感じのあった「フェニックス」が、一聖の参与以後、明らかに調子を上げていたことが、(名目上の)オーナーであるマークを喜ばせていた。
     実際、これまでは1~2年かけてようやく研究開発が1つ成功するかしないかと言う具合だったものが、一聖参与以後の2年で、3件もの開発成功の実績を挙げており、一聖が「フェニックス」にもたらした効果は、非常に大きいものと言えた。



     とは言え――その一方で、マークと、そして彼の父であるトラス王が頭を悩ませる問題もまた、一聖を原因として発生していた。

    「マーク。最近、なんだ、お前の研究所も、あれだ、人が増えたそうではないか」
     ある日、トラス王が突然、マークの部屋を訪れた。
    「ええ、大分増えましたね。生体接着剤の商品化に成功してから、働きたいと言う人が大勢来られまして。
     今のところ20人くらいと言うところですね、所員の数は」
    「ふむ……。ああいや、お前が望んだ仕事で成功を収めていることは、非常に喜ばしいことだと思っているのだ。元よりお前には王としての執務より、そうした研究者としての生き方が適うと思っていたからな。
     その点に関しては、あれだ、不満だとかそう言った悪感情の類は抱いてはおらん。それは確かだ。安心してくれ」
    「……?」
     トラス王が何かを言いたそうにしていることをマークは察したが、とりあえず何も聞かず、うなずいておく。
    (父上のことだし、何かにかこつけて説教する気だろうしなぁ。自分から厄介事を聞き出すのも面倒だし)
    「しかしだな。何と言うか、なんだ、その……」
     トラス王はもごもごとつぶやいていたが、やがて意を決したように、しかし依然として曖昧な口調で尋ねてきた。
    「妙な人間も入り込んでいると言う、その、うわさと言うかだな、評判をだな、方々で聞いているのだ」
    「妙な人間?」
    「聞いた話だが、見た目は10代半ばの少女然としていて、全身真っ黒と言う奇怪な出で立ちで、色目を振りつつ軽佻浮薄な会話をあちこちで立て並べ、いたずらに評判を集めている者がいる、とか、何とか」
    (あー、カズセちゃんか)
     マークはどう答えようか迷ったが、ある程度は肯定しておくことにした。
    「ええ、思い当たる人物は確かにおります。
     ただ、父上が聞き及んだ悪評は事実無根です。確かに性根の明るい方で、面白く、かつ有意義な話であれば聞いた覚えがありますが、その出処不明なうわさに上っているような、はしたない発言をしていたと言う覚えは、僕には一切ありません」
    「ふーむ、そうか……」
     息子にきっぱりと否定されたためか、トラス王はうなずきかける。
     だが一転、ぶるぶると首を振り、こう続けてきた。
    「いや、しかしだな。ビッキーがどうも、件のその人物に感化されておるようなのだ」
    「ビッキーが?」
    「うむ。いや、確かに元々からあの子は多少、変わったところが無いわけではなかった。親の欲目を差し引いても、あの子には扱いかねる性質があると言うことは、認めないわけにはいかん。ただ、その性質が最近悪化、ああいや、強まっていると言うか。
     この間もあの子の部屋からボン、と異様な破裂音が響き、すわ一大事、と思って駆け込んでみれば、あの子がケラケラ笑いながら、『お兄様の研究所にいらっしゃる方、なかなか面白い魔術をご存知ですね。おかげで美味しいお菓子ができました』などと、訳の分からんことを言い出す始末だ!」
    「お菓子?」
    「うむ」
     トラス王は懐から、一包みの袋を取り出す。
    「何でも小麦に圧力をかけて作ったものだとか。いや、確かに今まで食べたことの無い、不可思議な食感で、その実、香り豊かな風味がある。うまいと言えばうまい」
    「僕にも分けていただけますか?」
    「そのつもりで持ってきた」
    「いただきます」
     マークがその菓子を受け取ったところで、トラス王が続いてこう嘆いてきた。
    「しかしだな、まだ歴史が浅いとは言え、このセレスフォード城は我々トラス家の住む王宮なのだ。
     その誇りある城で白昼堂々、ボンは無いだろう、ボンは! 戦争でも始まったのかと、国民にいらぬ不安を与えてしまうではないか!」
    「まあ、確かに」
    「事実、事件のあったその時、私の他にも衛兵やら官吏やらが大勢武器を手に取り、詰めかけて来ていたのだ。
     それだけでも顔から火を噴くかと言う失態であるのに、ビッキーときたら『折角ですから皆様もお召し上がりくださいな』などと言って、お前にやったその菓子袋を、その場に集まった皆に配る始末だ!
     ああ、嘆かわしい! 無論、その場で即刻ビッキーを説教したが、全く意に介しておらんのだ! 平然と『これは科学の勉強です。王族たるもの、十分な教養を身に付けて置かねばならんと仰ったのは、お父上ご自身でございましょう?』と返してきよる!」
    「ああ……でしょうね」
    「マーク!」
     もそもそと小麦菓子を頬張っていたマークの肩をぐい、とつかみ、トラス王は半ば悲哀を帯びた怒鳴り声を上げた。
    「頼むから、ビッキーに変なことを教えないように、その黒少女を諭してくれ! 万が一できないと言うのならば、実力行使で研究所を閉鎖させるからな!」
    「はあ、まあ、一応言ってみます」
     口ではそう答えたものの、マークは内心では、説得を諦めていた。
    (どっちも無理ですってば、父上……。
     カズセちゃんやビッキーがそんなの聞くわけ無いし、ルナさんたちの実力なら、この国の一個大隊だろうが一個連隊だろうが、1時間かそこらで壊滅しちゃえるだろうし)

    白猫夢・聖媒抄 3

    2014.12.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第468話。イタズラっ娘と変人娘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. マーク自身は一聖が研究所に参与したことについては、非常に喜ばしく、そして心強く思っていたし、何より率直に嬉しかった。 何故なら、彼女の中身はそっくりそのまま、ゼミ時代の恩師なのである。色々と込み入ったことも気軽に話すことができたし、自分の専門に対しても、これ以上求めようが無いくらい的確に答え、教えてくれるのだ...

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    麒麟を巡る話、第469話。
    変人学を得て不善を成す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     マークが予想していた通り、ビッキーの件を聞いた一聖は、しれっとこう返して来た。
    「お、成功したのか。じゃあビッキーに『ソレにチョコ付けて送ってくれ』つっといてくれ」
    「そうじゃないです」
     マークは頭を抱えながら、恐る恐るこう続ける。
    「あんまりビッキーに、変なことを教えないで下さい。と言うか、みだりにあっちこっちで腕を振るったり、魔術を吹聴したりしないでほしいんです」
    「なんで?」
     尋ねられ、マークはぼそぼそと答える。
    「なんでって……、そりゃ、ただでさえビッキーは変わり者で、いきなり何しだすか分からない子なんです。
     そこにカズセちゃんの入れ知恵が加わったら、もう僕や父上には制御できなくなっちゃうんですよ」
    「情けねーなぁ。ビシッと言えばいいじゃねーか」
    「言っても聞かないんですよ。ああ言えばこう言う、って感じで。一応、女の子だから、まさか折檻するわけにも行かないし。
     それを置いてもですね、父上の耳に入るくらい悪目立ちしてるみたいですし、カズセちゃん、もうちょっと自省してほしいんですが」
    「してるぜ、ソレなりに。
     街中で魔術ブッ放しもしてねーし、白猫党やら麒麟の姉さんやらの話も一切してねー。あくまでこの研究所の関係者の本分を逸脱するよーなコトは、やってねーはずだけどな。
     ソレともマーク、お前さんはオレに『この研究所から一歩も外に出るな』とでも言うつもりか?」
    「い、いや、そこまでは……。でも、評判が立ち過ぎてるのは事実ですし……。
     あんまりうわさが広まると、それこそあの、アオイさんとか、ナンクン? でしたっけ、その人たちの耳に入るかも知れませんし……」
     二人の名前を出した途端、一聖は一転、苦い顔をする。
    「……あー、まあ、ソレはめんどいな。ココを強襲されたら、ソレこそとんでもない迷惑かけちまうだろーし、な。
     分かった、もうちょい自重する。……ただ」
     一聖は申し訳無さそうな表情を浮かべながら、マークに小さく頭を下げた。
    「ビッキーとの話はさせてくれねーか? アイツは面白いヤツだからな、構いたくなるんだ」
    「あ、いえ、するなって話じゃないんで、それは大丈夫なんですけど、……まあ、あんまり変なことを吹きこまないでって話で」
    「ああ、気を付けるさ」



     一応は約束し、一聖も気を付けてくれていたようだが――ビッキーの奇行は、留まるところを知らなかった。
    「勘弁して下さい、本気で」
    「……いや、マジで今回のは悪かった」
     マークの説得からわずか3日後、ビッキーがまたも事件を起こしたのである。
     城内に飾られていたトラス王の銅像を、なんとビッキーが破壊してしまったのだ。
    「オレが思ってた以上にムチャクチャするヤツだったわ、アイツ……。
     そりゃまあ、電磁誘導や雷術と土術の組み合わせの話をしたのは確かにオレだけどさ、ソコから自分で応用利かせて電磁加速砲を組むとは予想外だったぜ……」
    「おかげで父上、倒れちゃいましたよ……。銅像も、本人も。
     今回ばかりは母上からきつく叱られて、ビッキーは今、自分の部屋で謹慎させられてます。多分今後も、カズセちゃんとの接触は禁じられると思います」
    「済まねーな、本当。……まあ、しばらくほとぼりを冷ますしかねーな。
     ちょうど遠出する用事もできたし、ビッキーにはうまく伝えといてくれ」
    「用事?」
     尋ねたマークに、一聖は壁に貼っていた地図を指差した。
    「ほら、去年の暮れにフィオが持ってた写真からアレコレ検討してたろ? あの延長線上の話だ。
     葵が何か画策してるとすれば、何かしらの痕跡をドコかに残してるはずだ。だけど、どーにも葵の足取りがつかめねーからな。ルナとパラとオレの3人で広域に散って、捜索するつもりなんだ。
     交差法っつって、複数地点から現象の観測を行ってその発生地点を割り出す方法でな。『テレポート』で葵がドコかに痕跡を残してないか、調べるコトにしたんだ」
    「なるほど……」
     と、ここでマークが、話題をビッキーのことに戻す。
    「ビッキーは、僕みたいな感じなんですよね」
    「ん?」
    「研究熱心で、こうと決めたら突き進む。王族よりも研究者が似合うタイプなんですよ。
     ただ、僕がこの仕事をやってるせいで、父上は――口では『構わん』とか『気にせず務めよ』とか言ってますが――がっかりしてるんですよね。跡を継ぐ意思が全く無いって、落胆してるんですよ。
     だから妹には期待してたと思うんです、『自分の跡を継いでくれるだろう』って。……それが、こんなことになってますからね。そりゃ、倒れもしますよね」
    「でもフィオによれば、次の国王は……」
    「フィオの、元いた世界では、ですよ。僕が生きてて、カズセちゃんとビッキーが出会ったこっちの世界じゃ、あの子は研究者をやるかも知れません」
     それを聞いて、一聖がケラケラと笑う。
    「そうなったらそうなったで、今度はフィオが真っ青になりそうだな。『歴史と違う』つって」
    「いやぁ……、彼自身が元々、歴史を変えるために来たわけですし、これはこれでと思ってるかも知れません」
    「アハハ、かもな」

    白猫夢・聖媒抄 4

    2014.12.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第469話。変人学を得て不善を成す。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. マークが予想していた通り、ビッキーの件を聞いた一聖は、しれっとこう返して来た。「お、成功したのか。じゃあビッキーに『ソレにチョコ付けて送ってくれ』つっといてくれ」「そうじゃないです」 マークは頭を抱えながら、恐る恐るこう続ける。「あんまりビッキーに、変なことを教えないで下さい。と言うか、みだりにあっちこっち...

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    麒麟を巡る話、第470話。
    化学反応。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「これはこれで、面白い流れになってるのかも知れない」
     一応、トラス王国に軍籍を置いているフィオも、城内におけるビッキーの奇行は耳にしていた。
    「どう言う意味?」
     尋ねたルナに、フィオはこう説明する。
    「僕の元いた世界の歴史ではビッキー、即ちビクトリア・トラスが女王に即位するのは577年。その1年後に央南における白猫軍との交戦相手、そして従属させられていた央中諸国の権力者たちと密かに連絡を取る。
     さらにその1年後の579年、中央大陸を挙げての大規模な反乱・反撃計画、通称『コンチネンタル』作戦を決行する。その勢いに西方も加わり、白猫党は結党以来の窮地に見舞われ、そしてアオイが新たな党首となり……、と言う流れになった。
     その、ビクトリアが即位を志したきっかけは、死んだ兄の恨みと、そして『新央北』全土を征服されて打ちひしがれた父への反発からだ。……しかし」
    「あたしたちの世界ではマークは死んでないし、『新央北』もトラス王の下にあるまま。ビッキーが女王になろうなんて要素が、無くなっちゃってるのよね」
    「そう、だから懸念してたんだ。このままじゃビクトリアが女王にならず、『コンチネンタル』も決行されないんじゃないかって。
     元の歴史では、確かにこの作戦は失敗に終わる。でも白猫党を揺るがしたのは確かだ。現在その地盤を固め、既に盤石の体制を築きつつある白猫党にダメージを与えるには、これが決行されるしか無い。
     だからここ数年の流れは――勿論そう促したのは他でもない、僕なんだけども――かなり不安な流れでもあった。
     でも、カズセちゃんが僕らの仲間になって以降、僕が全く知らない流れが、明らかに生まれている」
    「それが今回の銅像破壊事件、ってこと?」
    「ああ。元々、父親以上の風雲児だったビクトリアが、カズセちゃんとの邂逅で、明らかにその片鱗を見せるのが早まってる。
     僕の世界じゃ即位は577年、彼女が24歳の時だったけど、もっと早くに名乗りを挙げるかも知れないよ」
    「『化学反応』ってワケか」
     と、そこへ一聖がやって来た。
    「かがくはんのう?」
    「オレが触媒になって、本来よりずっと早く、ビッキーの変化が起こってるってワケだ」
    「まあ、そうなるかな」
    「だけどマークは、そうは思ってねーらしいぜ」
    「って言うと?」
     一聖は先程マークと話した内容を、ルナたちに伝えた。
    「あー……、それも有り得るな」
    「それはそれで、心強い兵器開発者が誕生するけどね」
    「いや、そうなると『コンチネンタル』作戦を考える人が……」
    「ケケケ……、どう転んでも悩みもの、か」



    「……と、まあ。央北でのオレの生活は、そんなもんだ」
    「ふーん」
     サンドイッチを食べ終えた葛は、一聖に尋ねる。
    「ソレが570年、571年くらいの話だっけ?」
    「ああ。翌年からほぼ2年間、中央大陸のあっちこっちで観測してたからな。ソコら辺の話まですると、晩メシまで引っ張るぜ?」
    「ソレは遠慮かなー。また今度、ヒマがある時で」
    「おう」
     一聖は立ち上がり、街の北、丘になっている場所を指差す。
    「アレがオレたちが目指す、スカーレットヒル工場跡だ。
     調べによれば、今は中央の黒炎教団ってトコが工場跡一帯を買い占めてるらしい」
    「なんで?」
    「オレたちと同じモノを探してるからさ。
     双月暦4世紀に親父があそこで死にかけて、オレが打った刀を真っ二つにされちまった挙句、溶鉱炉に落としちまったんだ。その直後、工場は大爆発。周囲300メートルに渡って焦土と化す、ものすげー被害をもたらしたとか何とか。
     で、親父を信奉してる教団のヤツらからすりゃ、その刀は二つとない神器だ。絶対ドコかに埋まってるって信じて、土地を買い占めてからの約80年、ずーっと掘り続けてるらしい。
     とは言え一方で、ソコまで本気では掘ってないらしいってコトも聞いてる」
    「カミサマの刀なのに?」
    「親父は別に刀を打っちまったからな。『既に刀を得ている今、そう対して重要なものでもない、な』つったせいで、教団のヤツらは掘る気が失せたらしい。
     としても、万が一他の誰かに刀が見つけられちまったら、ソレはソレでオオゴトだ。だから土地を手放さず、かと言って積極的に発掘もせず、ずーっと放置しっぱなしってコトらしいぜ」
    「へー」
     葛はしばらく丘を眺めていたが、くる、と一聖に振り返る。
    「でも、溶鉱炉に落ちたって話なんでしょ? 刀だったら溶けちゃってるんじゃ……」
    「フン、折れても神器だぜ? 5000度の炎で炙ろうが、濃塩酸を吹きかけようが、壊れるワケがねー。折れたのは、相手の得物も神器だったからさ」
    「神器って、ソコまですごいの?」
    「耐久性だけじゃねーぜ? 持ち主と神器の相性によっては、尋常じゃねー力を引き出してくれる。
     そしてソレが、オレがお前に期待してるコトなんだ。お前がその刀を手にするコトで、何かしらの『化学反応』が起こってくれねーか。オレはそう、期待してるんだ」
    「できるかなぁ……」
     難色を示した葛に、一聖は自信満々そうにうなずく。
    「できるさ。……さ、メシも食ったし、いざ出発だ」
    「はーい」
     葛と一聖は、丘へ向かって歩いて行った。

    白猫夢・聖媒抄 終

    白猫夢・聖媒抄 5

    2014.12.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第470話。化学反応。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「これはこれで、面白い流れになってるのかも知れない」 一応、トラス王国に軍籍を置いているフィオも、城内におけるビッキーの奇行は耳にしていた。「どう言う意味?」 尋ねたルナに、フィオはこう説明する。「僕の元いた世界の歴史ではビッキー、即ちビクトリア・トラスが女王に即位するのは577年。その1年後に央南における白猫軍との交戦相...

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    麒麟を巡る話、第471話。
    西方の中の黒炎教団。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     市街地からバスにのんびり揺られて30分後、葛と一聖は目的地、スカーレットヒル工場跡に到着した。
    「黒炎教団の人たちがいるって言うから、物々しい感じなのかなーって思ってたけど」
    「言ったろ? 特に重要な場所じゃなくなって久しいって」
     工場跡周辺は柵で囲まれており、その入口には黒衣の短耳や狼耳がうろうろしている。
    「お、アイツ……?」
    「え? 知り合い?」
    「いや、そうじゃない。あそこに黒い毛並みの狼獣人がいるだろ?」
    「うん。口ヒゲとあごヒゲ生やしてて、あたしよりちょっと年上くらいの人だよねー?」
    「ああ。黒炎教団の僧兵長服を着て、しかもあの黒い耳。もしかしたらアイツ、教団の教主一族かも知れねーなって」
    「へー……?」
     遠巻きに観察すると、その狼獣人は周囲の者に何かを命じるように動いており、確かに人の上に立つ類の者であることが察せられた。
     と、その狼獣人がこちらに気付き、いぶかしげに眺めてくる。
    「どーも」
     それに対し、一聖はひょい、と手を挙げて会釈した。
    「何者だ?」
     一方、狼獣人はいぶかしげな表情を崩さず、堅い口調で尋ねてくる。
    「観光客だよ。入っちゃまずいか?」
    「そうか、失礼した。いやなに、こちらをじろじろと見てくるものだから」
    「ケケ……、お兄ちゃん、割りとイケてる顔してるからさ」
    「な、なに?」
     ぎょっとした顔を見せた狼獣人にぺらぺらと手を振りながら、一聖はそのまま柵の内側へ進む。
    「葛、早く来いよー」
    「あ、うん。お邪魔しますー」
     葛も狼獣人に軽く会釈してから、一聖に続いた。
    「ねえ、カズセちゃん」
    「ん?」
     一聖に追い付いたところで、葛が尋ねる。
    「ココ、入っちゃっていいの?」
    「今、許可もらったろ?」
    「そうだけどさー」
    「心配すんなって。さっき言った通り、ココは教団もどう扱っていいか持て余してる物件なんだよ。
     発掘するにもコストがかかる、かと言って放棄して誰かが神器を掘り出しても困る、じゃあどうしようかってんで、アレコレ試行錯誤してるらしい。
     で、観光資源にしてみちゃどうかって話も出たらしい。だもんで、こうして試しに一般開放してるってワケだ」
    「へー」
     観光地と聞かされ、葛は辺りをきょろきょろと眺める。
     と、そこで先程の狼獣人が、自分たちのすぐ後ろに立っていることに気付いた。
    「あの……?」
    「そちらの短耳の子は、我々の事情を良く存じているようだな。概ねその通りだ。
     確かに我々の方でも、この地を持て余しているのは確かだ。特にこの国が共和国化されて以降は土地にかかる資産税や維持費が、著しく高騰している。
     現教主、ウィリアム5世――私の叔父だが――は吝嗇家で知られていてな、ささやかな出費が積み上がることを嫌っている。無論、教団全体の出納としては十分に黒字ではあるのだが、この土地のように漫然と維持費・管理費や税を支払い、何ら益をもたらさぬものをことごとく忌み嫌い、総じて収入源に転化できぬかと常々考えている。
     この地はその試みの一環として、観光地にできぬかと試みているのだ。……とは言え、私が派遣されて既に3年経つが、相変わらず赤字続きだ」
    「はあ……」
     突如ぺらぺらと話しだした狼獣人に、葛は面食らっている。
     その様子を察したらしく、狼獣人は「おっと」と声を漏らした。
    「失礼した。前述の通り、ここは未だ観光地としての成果を挙げられずにいてな、……率直に言えばヒマなのだ。珍しく観光客が来たから、少し話でもと思ったのだ。
     申し遅れた。私の名はウォーレン・ウィルソン。このスカーレットヒル工場跡の管理を任されている者だ」
    「あ、……はい、どうも。あたしはカズラ・ハーミットです」
    「橘一聖だ」
    「ほう?」
     二人から名前を聞いたウォーレンは、目を丸くする。
    「ハーミットと言うのは、もしやプラティノアールの?」
    「あ、はい。そのハーミット家ですー」
    「そしてそちらは、央南人か? 不思議な組み合わせだな」
    「大学が一緒なんだ。コッチにはその研究で、な」
    「大学?」
     ウォーレンは再度いぶかしげな表情で、一聖をじろじろと見る。
    「見たところ14、5歳と言うところだが……?」
    「若作りってヤツさぁ。中身はコイツよりオトナだぜ」
    「むむむ……?」
     煙に巻かれ、ウォーレンは面食らっていた。

    白猫夢・跳猫抄 1

    2014.12.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第471話。西方の中の黒炎教団。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 市街地からバスにのんびり揺られて30分後、葛と一聖は目的地、スカーレットヒル工場跡に到着した。「黒炎教団の人たちがいるって言うから、物々しい感じなのかなーって思ってたけど」「言ったろ? 特に重要な場所じゃなくなって久しいって」 工場跡周辺は柵で囲まれており、その入口には黒衣の短耳や狼耳がうろうろしている。「お、...

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    麒麟を巡る話、第472話。
    古戦場考察。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ウォーレンはその若干無骨な見た目と口調とは裏腹に、気さくな性格を持っており、気配りも細やかだった。
     珍しく訪れた観光客、葛と一聖を、彼自らがもてなし、案内してくれたのだ。
    「君は存じているかも知れないが、我が黒炎教団とプラティノアール王国、と言うよりもネロ・ハーミット卿には繋がりがあるのだ」
    「あ、聞いたコトありますー。なんでか知らないけど、おじーちゃんとタイカ・カツミが仲良かったって」
    「うむ。その関係により、教団と王国との間に貿易路が作られていた。
     もっともここ2、3年の騒ぎで、貿易は封鎖されてしまったと聞いているがな」
    「実はあたしの家も、その騒ぎで隣国に引っ越したんですよねー」
    「と言うと、グリスロージュへか」
    「はいー。元々パパ……、あ、いえ、父が向こうの人たちと親しかったので」
    「ふむ……、大変な目に遭ったのだな。
     おっと、ここだ」
     一見、ただのゴツゴツした岩山にしか見えないところで、ウォーレンが立ち止まる。
    「ここが、黒炎様の刀が落ちたのではないかと推定されている溶鉱炉跡だ。
     工場を建てた者が遺した設計図や、ここで行われた戦いに参加したとされる英雄、ニコル3世の日記などの古い文献を綜合し、その上で綿密な計算・計測を行った結果、ほぼ間違いなく、この『ミスリル化珪素』と言われる物質の下に、刀が落ちていると考えられている」
    「ミス……、リル、化?」
    「私も詳しいことは、良くは知らない。何でも魔術、とりわけ錬金術の類に使う合成樹脂の一種だそうだ。
     しかしそのことが、様々な物議をかもしてもいる。知っての通り、合成樹脂などと言うものは、ここ数十年で研究・開発された新素材だ。それが何故、4世紀前半に建設されたはずのこの工場に、岩と見紛うほど大量に存在しているのか? 残念ながら前述の文献にも、詳しく言及したものは一切、見つからなかった。
     無論、私もそれに目を通してみたが、この工場で精製されていたものに関しては、それらしい記述や言及が何ら見つからず、今もって不明のままなのだ。
     それに、黒炎様がここで瀕死の重傷を負ったと言うこと。それは我々黒炎教団の人間には、天地が引っくり返るよりも信じられぬ出来事だ。しかもニコル3世の日記によれば、重傷を負わせたのはこの工場の所有者であった、アバント・スパスとか言う無名の人間だと言う。何故そのような者が、黒炎様に深手を負わせるほどに肉薄できたのか。それも謎だ。
     何より、その重傷を負わせた武器だ。現在は我々が所蔵し、教団本拠の奥深くに封印している代物だが、何度か研究したところ、紛れも無く神器であろうと言う結論に達した。ではその神器を、一体誰が造ったのか? それもまた、今なお解けぬ謎のままだ」
    「へー……」
    「……あ、すまない」
     と、ウォーレンはぺこりと頭を下げる。
    「またぺらぺらと、一人で話してしまったな。
     私の悪い癖だと常々承知してはいるのだが、どうも直せない。この悪癖で猊下にも不興を買ってしまい、中央大陸から追いやられる始末だ。
     ……あ、いや、別にこの国が嫌いだと言うわけではない。むしろ3年この地に住んでいるが、すっかり馴染んだ覚えがある。西方語も上手いだろう?」
    「ええ、自然に聞けますねー。ちょっと堅い感じがありますけど」
    「それは良かった。……ん?」
     二人が話している一方、一聖はその、ミスリル化珪素の山をじっとにらんでいた。
     それにウォーレンが気付き、声をかける。
    「タチバナさん?」
    「一聖ちゃんでいいぜ。……深さ30メートルってトコか」
    「ん? ああ、そのくらいだろうと予想しているが」
    「ちっと硬そうだな」
    「加工すれば人の肌のような滑らかさと柔軟性を発するそうだが、あまりに長い間風雨にさらされているからな。珪素本来の硬度を取り戻してしまったようだ」
    「あー、そっか、加工な」
     そう返し、一聖は山のすぐ前に進む。
    「言っておくが、手を触れては……」
     ウォーレンが注意しかけたところで、一聖が呪文を詠唱し始めた。
    「まっ、待て! 何をしようとしている!?」
    「黙ってろ」
     一聖は意に介さず、魔術を放った。
    「『ホールドピラー:トリプル』!」
     岩山からにょきにょきと、そのミスリル化珪素でできた柱が伸びていく。
    「待て! やめろ! 遺跡が……!」
     責任者のウォーレンは顔を真っ青にし、一聖を止めようとする。
     しかし彼が一聖の肩をつかんだ瞬間、一聖はくい、と体をひねり、鳩尾に蹴りを入れて突き放す。
    「おげっ!?」
    「邪魔すんな。……ほれ、ソレっぽいのが出てきたぜ」
     そう言って一聖は術を止め、高さ20メートルほどに伸びたいつくもの柱の一つを指差す。
     その中には確かに、黒く長細い塊が2つ見えた。

    白猫夢・跳猫抄 2

    2014.12.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第472話。古戦場考察。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ウォーレンはその若干無骨な見た目と口調とは裏腹に、気さくな性格を持っており、気配りも細やかだった。 珍しく訪れた観光客、葛と一聖を、彼自らがもてなし、案内してくれたのだ。「君は存じているかも知れないが、我が黒炎教団とプラティノアール王国、と言うよりもネロ・ハーミット卿には繋がりがあるのだ」「あ、聞いたコトありますー。な...

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    麒麟を巡る話、第473話。
    克大火の弟子;神器を造りし者。

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    3.
    「な、何と言うことを、……い、いや、それよりも、何と言う魔力だ。
     完全に岩と化していたはずのミスリル化珪素を一瞬で活性状態に引き戻し、しかもこの数秒であれほどまでに変形させるとは」
    「ケケケ、手間が省けたろ?」
     尻餅を着き、まだ唖然としているウォーレンに背を向け、一聖は石柱に向かう。
    「ふむ……。お、やっぱアレだな」
     もう一度術を使い、一聖は柱の中からその塊を取り出した。
    「葛、コイツがオレの打った刀、『黒花刀 夜桜』だ。
     真っ二つにはなっちゃいるが、オレが言った通り、2世紀半以上経っても刃の輝きは、ちっとも失われちゃいねーだろ?」
    「でも使いものになるの? 真っ二つじゃ……」
    「おいおい、オレを誰だと思ってる? 神器造りにかけちゃ、克一門でオレの右に出るヤツはいねーんだぜ?」
     その言葉に、ウォーレンは目を丸くして立ち上がる。
    「か、カツミ? カツミ一門と言ったのか?」
     ウォーレンには答えず、一聖はその塊を手に取り、破断部分を合わせて呪文を唱え始めた。
    「***……****……**……**……****」
     すると刀の表面がぼんやりと紫色に輝き出し、破断面に光が集まっていく。
     光が消えた頃には、それは一振りの刀に姿を変えていた。
    「ほれ、修理完了だ。ついでにあのミスリル化珪素で、鞘も作ってやったぜ」
     一聖からその刀を受け取り、葛は恐る恐る、鞘から抜いてみた。
    「……っ!」



     鼻孔に、桜の匂いを感じる。
     ふと気が付くと、葛は真っ暗な闇夜の中に立っていた。
    「えっ、えっ? なに?」
     何も見えず、葛はその場に立ちすくむ。
     と、空を覆っていた雲が晴れ、白い月が覗く。
     その光に照らされ、葛は正面に、大きな、そして身震いするほどに美しい、巨大な桜を見た。
    「う、わ……ぁ」
     葛は思わず、感嘆の声を漏らしていた。
    (すごい……! こんなすごいもの、見たコト無いよ!
     ぞっとしちゃうほど――きれい)



    「どーよ?」
     一聖に肩を叩かれ、葛は我に返った。
    「えっ、あ……、あ、うん、……綺麗だね、すごく」
    「だろ?」
     と、まだ高揚冷めやらぬ葛のところに、ウォーレンが戻ってくる。
    「き、君たちは何者なのだ? カツミと言うのは、まさか……」
    「そのまさかって言ったら?」
     一聖に尋ね返され、ウォーレンの狼耳と尻尾が目に見えて毛羽立つ。
    「……そんな。……いや、……そんな、……ああ、もう、何も言葉が出ないっ!」
     一転、ウォーレンはその場に平伏し、がばっと頭を下げる。
    「畏れ多くも黒炎様の御門下に拝しまして、恐悦至極に存じます。甚だ不遜、不躾な振る舞いをいたしましたことを……」「やめれやめれ、やーめーれーっ!」
     一聖は顔をしかめさせながら、ウォーレンの頭に手刀を下ろす。
    「あいたっ!?」
    「オレはそーゆー堅っ苦しい挨拶やら土下座やらは大嫌いなんだ! さっきみてーに普通に話してくれりゃいいんだよ!」
    「あ、す、すみません。誠に失礼を……」「だーかーらぁ」
     立ち上がりつつ謝るウォーレンに、一聖は再度手刀をぶつける。
    「一言、『ごめん』でいいじゃねーか。まったく、ウィルソン家ってのはなんでこー、どいつもこいつも杓子定規で融通利かねーのばっかなんだよ?」
    「……御免」
     先程とは打って変わって恐る恐ると言った様子で、ウォーレンが尋ねる。
    「すると、こうしてやって来たのは、その刀を回収するため、と?」
    「ああ。葛にちっと、『化学反応』を与えたくって、な」
    「と言うと……?」
     葛は刀を腰に佩き、これまでの経緯――自分の姉、葵が白猫党の中枢奥深くで白猫から預言を受け、それに従って己の父を手にかけ殺そうとしたこと、さらには自分をも殺そうとすべく強襲してきたことを話した。
    「なんと、そんな事情が……」
    「葵はめちゃくちゃ強い。このまま葛になんもしなきゃ、瞬殺されるのは目に見えてる。オレが守るっつっても限度があるしな。
     だからこの刀を与えたし、そしてある能力を開花させてーんだ」
    「ある能力、とは?」
    「ソレはな……」
     一聖が説明しかけた、その時――遠くから、誰かの悲鳴が響いてきた。

    白猫夢・跳猫抄 3

    2014.12.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第473話。克大火の弟子;神器を造りし者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「な、何と言うことを、……い、いや、それよりも、何と言う魔力だ。 完全に岩と化していたはずのミスリル化珪素を一瞬で活性状態に引き戻し、しかもこの数秒であれほどまでに変形させるとは」「ケケケ、手間が省けたろ?」 尻餅を着き、まだ唖然としているウォーレンに背を向け、一聖は石柱に向かう。「ふむ……。お、やっぱアレ...

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    麒麟を巡る話、第474話。
    僧兵ウォーレン、奮戦す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「うわ……っ」
    「ひ……」
     聞こえてきた悲鳴に、ウォーレンが血相を変える。
    「なんだ!?」
    「……チッ」
     一聖はどこからか鉄扇を取り出し、葛たちの前に立つ。
    「恐らく葵だろう。オレたちを追ってきたらしい。ウォーレンって言ったっけか、腕に自信あるか?」
    「うん? あ、ああ。教団の秘義、武芸十般は全て修めている。21の時には黒炎擂台賽で優勝もした」
    「おや、そりゃ大したもんだな。じゃあそこいらの兵士や何かよりはマシってコトだ。ソレじゃ手伝え」
    「手伝う?」
    「今の悲鳴が聞こえたろ? 敵襲ってヤツだ。ソレとも僧兵長サマともあろう者が、敵が来てるってのに何もしねーって?」
    「馬鹿な! 戦うに決まって、……あ」
     と、ウォーレンは腰に手をやり、困った表情を浮かべる。
    「武器が無いのか?」
    「用も無いのに振り回すわけにも行かんからな。……自室で埃をかぶっている。いや、無論たゆまず鍛錬は……」「言い訳すんな。何使ってた?」
     ウォーレンは顔を真っ赤にしつつ、ぼそっとつぶやく。
    「三節棍だ」
    「しゃーねーな、サービスで造ってやんよ」
     一聖はもう一度、柱に術をかけて武器を造る。
    「ほれ」
    「か、かたじけない」
    「……あーあ。もう来やがった」
     と、ここで一聖がため息をつく。目の前に、葵が現れたからだ。

     刀を手にし、静かに現れた葵の他には、誰も現れない。
    「他の者は? さっきの悲鳴は貴様の仕業か?」
     即席の三節棍を構えつつ尋ねたウォーレンに、葵が淡々と答える。
    「人払いさせてもらったよ。誰にも邪魔、されたくないから」
    「ふざけたことを!」
     ウォーレンは憤って見せたが、葵はまったく意に介した様子を見せない。
    「あなたも邪魔しないでくれる? これはあたしと、カズラの問題だから」
    「そんな勝手を通すと思うのか!」
     ウォーレンは葵に向かって駆け出し、三節棍を振るう。
     だが――自分に向かって飛んできた棍の先端を、葵は事も無げにつかむ。
    「なっ!?」
    「邪魔しないでって、注意したよ」
     葵はぐい、と棍を引っ張り、ウォーレンを自分のすぐ側まで寄せる。
     予想外の葵の対応でウォーレンは体勢を崩し、その直後、棍を掴んでいた葵の左腕が、ウォーレンの顔に深々とめり込む。
    「ぐぉっ、……ん、があッ!」
     しかし、ウォーレンは鼻と口から血をほとばしらせながらも、倒れない。
    「おー、言うだけあるな。タフなヤツ」
     一聖の軽口を背にしつつ、ウォーレンは三節棍を捨て、葵の左腕を取る。
    「……っ」
     ほんのわずかだが、葵が息を呑む。
     そのわずかな間にウォーレンは葵の脚を払い、腕をつかんだまま体を勢い良くひねる。
    「うあっ……」
     葵は慣性に流されるまま、ばたん、と床を転がっていった。
    「やるぅ。流石だな、ウォーレン。……だが油断すんなよ。相手は並の人間じゃねー」
    「承知している」
     ウォーレンは三節棍を拾い上げ、葵との距離を取る。
    「数瞬立ち回っただけだが、あの身のこなしと動体視力。間違いなく私が出会った中で、最強の女だ」
    「分かってりゃいい」
     その間に葵は音もなく跳び、立ち上がる。
    「割りと、強いね」
    「なめてもらっては困る」
     ウォーレンは棍を構え、再度葵と対峙した。
    「それはこっちのセリフだよ」
     今度は葵が距離を詰める。
    「はあッ!」
     迫ってきた葵に、ウォーレンは棍を振るう。
     だが――葵は今度は避けず、刀で斬りかかる。
    「……何だと!?」
    「忘れてたぜ……。アイツはオレの神器を、斬ったコトがあったんだよな」
     三節の中の棍が真っ二つに切り裂かれ、葵のはるか右方向へと飛んで行く。
     攻めと守りの両方を失ったウォーレンを、葵は何の躊躇も見せることなく、一刀のもとに斬り捨てる。
    「ぐふっ……」
     ウォーレンは、今度は胸から血しぶきを上げて、その場に倒れた。

    「……ひ……どい」
     姉の凶行を目の当たりにし、葛の口から自然に言葉が漏れる。
    「何てコトするのよ!」
    「邪魔しないでって言ったのに、この人は襲いかかって来た。当然の報いだよ」
    「報い、って何よ……!?」
     葛は無意識に、「夜桜」を抜いていた。

    白猫夢・跳猫抄 4

    2014.12.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第474話。僧兵ウォーレン、奮戦す。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「うわ……っ」「ひ……」 聞こえてきた悲鳴に、ウォーレンが血相を変える。「なんだ!?」「……チッ」 一聖はどこからか鉄扇を取り出し、葛たちの前に立つ。「恐らく葵だろう。オレたちを追ってきたらしい。ウォーレンって言ったっけか、腕に自信あるか?」「うん? あ、ああ。教団の秘義、武芸十般は全て修めている。21の時には黒炎...

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    麒麟を巡る話、第475話。
    姉妹対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     葵は刀を下げ、淡々と声をかける。
    「カズラ、やめて」
     だが、葛は激昂に任せ、怒鳴り返す。
    「バカばっかり言ってんじゃないわよ!」
     葛は「夜桜」を構え、葵と対峙する。
    「こないだから思ってたけど、ずーっと自分勝手なコトばっかり言ってるって、自分で分かんないの!?
     パパを斬った時も、あたしと再会した時も! 今のもよ! 全部アンタの自分本位な考えと理屈で通そう、通そうってしてる! 『こうなるのは自分には見えてた』? 『これはそうなるべき流れ』? 『あたしと戦えば死ぬしか無い』? ……ふざけるな!
     全部アンタがその場にいたから起こったんだ! アンタがソコにいさえしなかったら、パパは傷つかなかったし、ウォーレンさんも殺されたりしなかった! ましてや、あたしが死ぬなんてコトも絶対、起こったりなんかしない!
     全部、全部、全部! 全部アンタが原因だ! 何もかもアンタが、アンタが……ッ」
     葛の刀に、すっと火が走る。
    「来い、アオイ・ハーミット!
     そんなにあたしが死ぬのが見たいなら、かかって来いーッ!」
    「……」
     葵はまだ何かを言おうとしていたが、やがて口を閉ざし、刀を構えた。
    「分かった。あんたがそう決意したんなら、あたしは、あんたを――殺す」
     その瞬間、葵がこれまで見せていた、気だるげな様子が一変した。
    「……っ」
     無意識に、葛は固唾を飲んでいた。
    (なに……コレ? 一瞬、体が底の方から凍ったかと思った。コレ……もしかして、『殺気』ってヤツなのかな)
     表情こそ、いつも見てきたように眠たそうで、やる気を欠片も見せないものではあったが、彼女の体全体から冷え冷えとした、突き刺すような気配が感じられる。
     その威圧感に押され、葛は刀を構え直しつつ、一歩後ずさった。
    「来ないの?」
     その様子を見ていた葵が、ぼそっと尋ねる。
    「口だけだった?」
    「……っ」
     葛の中で、葵に対する怒りと恐れが交錯する。
     1秒か、2秒か――心の中で何度も感情がせめぎ合い、そして怒りが勝った。
    「りゃああッ!」
     葛は刀を振り上げ、葵に迫る。
     それに対し葵は、刀を構えようともせず、すたすたと近付いて行く。
    「カズラ」
     ぼそ、と葵が――この上なく残念そうに――つぶやく。
    「見苦しいよ」
     葛の耳に、ざく、と音が響く。
    「……ごぼ……」
     自分では、何が、と言ったつもりだったが、それはただの水音として喉からあふれる。
     己の胸の奥に冷たいものを感じながら、葛はその場に倒れた。

     葵は自分の妹に背を向け、またぼそぼそとつぶやく。
    「生きてたんだね、その人」
    「元々タフだったし、オレが治したからな」
     血塗れのウォーレンに肩を貸しながら、一聖が答える。
    「とうとうやりやがったってワケだ」
    「そうなるね。やりたく、なかったけど」
    「ふざけんな」
     一聖は憤った顔で、葵をにらみつける。
    「やりたくない、だと? だったら、やらなきゃいいだけだろ。葛が言った通りじゃねーか。
     はっきり言ってやる。お前さんの精神は分裂・破綻しかかってるんだ。その原因は、強度のストレスだ。ソレも尋常なものじゃない、少しでも気を緩めれば、たちどころに発狂しかねない域の、な。そのストレスの根源は、白猫からの重圧に他ならねー。
     一体なんで、お前さんは白猫に粛々と付き従う? お前さんほどの力と知恵、才能があれば、白猫に隷属する理由は無いはずだ」
    「あるんだよ」
     葵は刀に付いた葛の血を振り払いつつ、こう返す。
    「もしもあたしがいなかったら、あの方は誰を手先にすると思う?」
    「……その懸念のために、お前は結局、最悪の選択をしたってワケだ。
     自分で自分のコトを、愚か者だと分からねーのか?」
    「分かってるよ。分かってるけど、もう、他には……」
    「しかかってる、じゃねーな。もう破綻してる。お前さんは、おかしくなってるよ」
    「そうだね」
     葵は刀を構え、一聖たちに近付く。
    「あたしの心はもう死んでるも同然だよ。この手でパパをひどく傷付け、そして今、カズラも殺した。
     あたしにはもう、まともに生きる資格なんか無い。この先ずっと、あたしはあの方の人形でいなきゃならないだろうね」
    「ヘッ、……バカが」
     一聖はウォーレンを投げ、鉄扇を構えた。

    白猫夢・跳猫抄 5

    2014.12.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第475話。姉妹対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 葵は刀を下げ、淡々と声をかける。「カズラ、やめて」 だが、葛は激昂に任せ、怒鳴り返す。「バカばっかり言ってんじゃないわよ!」 葛は「夜桜」を構え、葵と対峙する。「こないだから思ってたけど、ずーっと自分勝手なコトばっかり言ってるって、自分で分かんないの!? パパを斬った時も、あたしと再会した時も! 今のもよ! 全部アンタの...

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    麒麟を巡る話、第476話。
    あの、暗い駅で。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……ん……」
     ふと気が付くと、葛はどこかのベンチに座っていた。
    「……えっと?」
     辺りを見回してみると、見覚えがある。
    「駅、……かなー」
     確かにそこは、自分がかつて良く使っていた、エルミット駅のホームだった。
    「お嬢さん」
     と、声をかけてくる者がいる。振り向くと、黒いスーツに黒いコート、そして黒い帽子と言う、黒ずくめの格好をした兎獣人と目が合う。
    「そろそろ、列車が出る時間ですよ。急がないと」
    「あ、はーい」
     誘われるまま、葛は兎獣人に付いていく。

     付いていくうちに、葛はぼんやりと考える。
    (……あたし……なんでこんなトコにいるんだろー……?)
     自分の記憶を振り返ろうとするが、ぼんやりと霞がかかっているかのように、頭がはっきりしない。
    「あのー」
     葛は先導する兎獣人に、声をかける。
    「どうされましたか?」
    「ココ、ドコですか? あたし、どうしてココに……?」
    「ああ」
     兎獣人はぴた、と立ち止まる。
    「覚えていらっしゃらないようですね」
    「ごめんなさい、さっぱり」
    「無理も無い。思い出したくも無いことでしょうからね」
    「え……?」
     兎獣人は右手に持っていた黒いステッキの先端を、葛の胸にとん、と当てた。
    「あなたは殺されたのですよ」
    「……どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味です。
     カズラ・ハーミットさん。あなたはあなたのお姉さん、アオイ・ハーミットにより胸を刺し貫かれ、殺されたのですよ」
    「……!」
     思い出したその瞬間、葛は全身が冷たく、そして固くなっていくのを感じた。
    「あ……ああ……」
    「もう少しばかり、お気を確かに。まだ列車まで、しばらくありますから」
    「そんな……そんな!」
     その場に崩れ落ちかけた葛の手を、兎獣人がつかむ。
    「残念ですが、これは事実なのです。あなたは亡くなりました。そして間もなく、列車に乗ることとなります。
     さあ、お立ちください。まだもうしばらく、お付き合いいただかなければ」
    「うそっ……うそ……そんな……」
     よろめきつつも、葛の足は勝手に、前へと動き始めた。
    「待ってよ! あたし、まだ、やるコトが……」
    「ございませんよ。そんなものは、一切」
     兎獣人は首を大きく横に振り、葛に残酷な言葉を放った。
    「死んだ者に課せられるべき役目など、ありはしないのです」
    「……っ」
     その言葉に、葛の心は折れた。
     葛は何も言えなくなり、そのまま兎獣人の後へ付いて行った。

     無言で歩く葛の横を、誰かが歩いている。
    「あっ、あの……」
     声をかけようとして、葛は途中で言葉に詰まる。その誰かも、黒ずくめの者に先導されていたからだ。
     いや、その人だけではない。駅構内のあちこちから、葛と同様黒ずくめに連れられた人々が、ぞろぞろと同じ方向に向かって歩いてきていた。
    「……あの」
     葛は自分を率いる兎獣人に声をかける。
    「なんでしょう?」
    「ココってエルミット駅、……じゃないんです、……よね」
    「ええ」
    「他の人たちも……」
    「その通りです」
    「みんな、同じ列車に?」
    「はい」
    「……あの」
    「どなたか、お探しですか?」
    「あ、はい」
     葛は逡巡しつつ、兎獣人に尋ねる。
    「あたしが来る前に、黒髪で色黒で黒い毛並みの、口ヒゲとあごヒゲを生やした狼獣人の方って、こちらに来られましたか? ウォーレンさんって言うんですが」
    「いいえ。申し訳ありませんが、他の方のことは存じません」
    「……そうですか」
     辺りを確認してみたが、それらしい者も見当たらなかった。
    「ウォーレンさん、あたしのせいで死んじゃったんです」
    「それはお気の毒に」
    「謝らなきゃいけないなって」
    「お気にされぬよう。全ての功罪が、それによって抹消される。死と言うものは、そう言うものです。
     あなたのせいで死んだ者があったとしても、彼岸において、その責を問われることはありません」
    「……そうですか……」
     葛は口を閉ざし――かけたが、そこでまた、疑問が生じた。
    「功罪が消えると言いましたよね」
    「ええ」
    「じゃあ、生前に成した業績も評価されないってコトですか?」
    「ええ」
    「……ソレが例え、世界を変えるほどの偉業であっても?」
    「そうです。死は万物にとって等しく、そして等しさをもたらすものですから」

    白猫夢・跳猫抄 6

    2014.12.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第476話。あの、暗い駅で。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「……ん……」 ふと気が付くと、葛はどこかのベンチに座っていた。「……えっと?」 辺りを見回してみると、見覚えがある。「駅、……かなー」 確かにそこは、自分がかつて良く使っていた、エルミット駅のホームだった。「お嬢さん」 と、声をかけてくる者がいる。振り向くと、黒いスーツに黒いコート、そして黒い帽子と言う、黒ずくめの格好をし...

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    麒麟を巡る話、第477話。
    葛、発奮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     兎獣人のその言葉に、葛は思わず怒鳴っていた。
    「なんでそうなるのよッ!」
    「どうされました?」
     表情を変えず、そう尋ねてきた兎獣人に、葛はこう主張する。
    「じゃあ、じーちゃんがやったコトも全部無かったコトになるって、そう言うコトなの?」
    「じーちゃん、とは?」
    「ネロ・ハーミット卿よ! じーちゃんはソレこそ、世界を変えるほどのコトをした人だった! その業績も無かったコトになるって言うの?」
    「ですから、彼岸においては一切関係の無い……」
     言いかけた兎獣人が、そこで黙り込む。
    「……なに?」
     葛が尋ねたが、兎獣人は答えない。
    「どうしたの?」
     再度尋ねたところで、兎獣人はばつが悪そうに、こう返した。
    「まあ、そのですな。無論、原則的に、例外無く、此岸(しがん:この世のこと)における業績は、彼岸において何ら関係の無いこととなります。それは動かしようの無い事実です。
     ですが、まあ、それはそれとして、彼岸において業績を成したと言うのであれば、無論、それはそれで、彼岸で評価されると言うことに、まあ、ええ、……なりますね」
    「どう言うコト?」
     三度目の問いにははっきりとは答えず、兎獣人は一瞬、そっぽを向く。
    「『向こう』に着けば、いくらでも分かることです。さあ、そろそろお急ぎくだ……」
     兎獣人が振り返ったところで、彼は絶句した。
     何故ならその時既に、葛は逆方向に駆け出していたからである。
    「ま、待ちなさい!」
     兎獣人は慌てて追いかける。だが、葛は止まらない。
    「待てって言われて待つ人なんかいる!?」
     周りの黒ずくめや、それらに連行される者たちが唖然と眺めている中を、葛は全速力で駆け抜けて行く。
    「待ちなさい! 待って! 待って下さい!」
    「ソレしか言えないの!? じゃーねっ!」
     葛は先程まで座っていたベンチも越え、遠くへ、遠くへと走って行った。

     祖父の功績を無碍にされたことで激昂し、怒鳴ったせいか、葛にまとわりついていた怖気や寒気、倦怠感は消えていた。
     それらが消えると共に、葛は自分の中に、煌々とした火が点るのを感じた。その途端、彼女は強い衝動に突き動かされた。
     それは紛れも無い、生への欲求だった。
    (こんなトコで、こんなトコで……!)
     葛はあらん限りの声で、絶叫していた。
    「誰がこんなトコで、死んでやるもんかーッ!」
     駆けに駆けて、葛は駅の外に出る。
    「……え、っと」
     しかし――それ以上は前に進めなかった。
     目の前には、真っ暗な空間が広がっていたからである。
    「ど、……どうしよっかな」
     駅を一歩出た辺りから既に、足元も見えないほどに暗い。それはまるで、そこに地面が無いかのようだった。
     いや、恐る恐る駅の階段から一歩だけ脚を出し、探ってみても、何の感触も無い。
    「止まりなさい! そこで止まって!」
     背後から、あの兎獣人が追いかけてくる。さらにその後方からも、警吏風のコートを着た黒ずくめたちが走ってくるのが見える。
    「……」
     葛は前後を何度も繰り返し、きょろきょろと見返し、逡巡する。
    (どうしよー……。パッと駆け出して来ちゃったけど、……まさかこんな風になってるなんて、想像してなかったもんなー)
     葛は足元の虚空を見つめ、ごくりと喉を鳴らす。
    「……うーん」
     それでも、元来決断が早い方である。
    「行っちゃえっ」
     葛は意を決し、その暗闇へと飛び込んだ。



     葛はがばっ、と勢い良く起き上がった。
    「……!」
     そしてすぐ、自分の胸を確認する。
    (んー、……少なくともココはアイツに勝ってるな。一回りくらいおっきいかな?
     ……じゃないって)
     刺し貫かれたはずの胸には、今は痛み一つ感じられない。
    「……カズラ」
     数メートル先に、葵が立っている。
     その前には肩を押さえ、うずくまる一聖がいた。
    「ケケ……、やーっと目ぇ覚ましたか。どーよ、『向こう』に行った気分は」
    「行ってないよ、ギリギリだったけど」
     葛は立ち上がり、落ちていた刀を手に取る。
    「寸前で逃げてきた」
    「逃げたぁ? ……はっは、すげーなお前。
     まあ、場はつないでやったんだ。そろそろ活躍してくれなきゃ、困るぜ?」
     一聖は鉄扇を葵に向けつつ、後ずさる。
    「行け、葛!」
     その声に応じる代わりに、葛は葵目がけて跳躍した。

    白猫夢・跳猫抄 7

    2014.12.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第477話。葛、発奮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 兎獣人のその言葉に、葛は思わず怒鳴っていた。「なんでそうなるのよッ!」「どうされました?」 表情を変えず、そう尋ねてきた兎獣人に、葛はこう主張する。「じゃあ、じーちゃんがやったコトも全部無かったコトになるって、そう言うコトなの?」「じーちゃん、とは?」「ネロ・ハーミット卿よ! じーちゃんはソレこそ、世界を変えるほどのコト...

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    麒麟を巡る話、第478話。
    「予知」と現実をつなぐもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     跳びかかってはみたが、葛は攻めの手を見出せないでいた。
    (さっきのだって、何がなんだか分かんないうちにやられちゃったしなー)
     それでも刀を振りかぶり、葵に袈裟斬りを仕掛ける。
     しかし、やはり容易にかわされ、葵が突きを放ってきた。
    「わわ、っと」
     先程と違ったのは、ここからだった。
     まったく把握できなかった葵の太刀筋を、この時の葛は完全に見切り、空中で体をひねってかわしていた。
    「それッ!」
     そして着地した瞬間、葛は刀を横に薙ぐ。
    「……っ」
     ギン、と鋭い金属音が鳴る。葛はその向こうに、姉が息を呑んだそのわずかな音を、はっきりと確認した。
    「油断してたよ」
     葵は一歩後方へ跳び、刀を構え直す。その右手からは、血がポタポタとこぼれていた。
    「そうだよね。あんたにも黄家の血が流れてる。だったらばーちゃんやパパと同じ力が備わってても、何にもおかしくない。
     ……でも、ここまではあたしの予知の範囲内。4割か、5割弱くらいは、あんたが蘇ってくるって未来を見たことがある。そして、その後のことも」
     今度は、葵の方から仕掛けてきた。
    「あんたは、ここで死ぬよ。もう、その未来しか無い」
     幾太刀もの鋭い斬撃が、葛を襲う。
    「そんなの、誰が信じるもんか!」
     葛も刀を目まぐるしく振り回し、その全てを防ぎきる。
    「予知? 未来? 予定調和? 誰がそんなの、信じると思ってるのよ!?
     あたしは絶対信じない! そんな寝言を信じてるのは、この世でただ2人だけよ! アンタと、アンタの間抜けな雇い主だけ!
     ううん、ソレどころかその雇い主すら、自分の予知が絶対実現するなんて、コレっぽっちも信じてないはずよ!」
    「どう言う意味?」
     再び、二人は間合いを取る。
    「あたしはこう思ってた。白猫はあたしたちがどうあがこうと結果が確定してるような、絶対的に不変の未来を見てるんじゃない。
     無数に存在する色んな未来、ううん、単なる『可能性』って言っていいようなものたちの中から、自分に都合のいいものを選んで、ソコに行き着くように誘導してるだけだ、って。
     その未来を決定するのは、今、ココにいるあたしたちよ。この世界に体を持たない白猫には、決定権が無い。ココとは遠い世界にいる白猫は、口を出すコトしかできない。だから延々アンタに指示を送って、軌道修正しまくってるのよ。
     何度も言ったコトだけど、アンタがそのバカみたいな指示を聞きさえしなければ、そんなあやふや極まりない『予知』なんて、絶対外れる。ソレを現実のものにしてるのは、他でもないアンタよ」
    「同じ答えは何度も返してるはずだよ」
     葵が、刀に火を灯す。
    「そうしなきゃ、もっと悪い未来になる。あんたも、あたしも、他の皆も、もっと悪い目に遭う」
    「ソレも予知? 違うよね」
     葛も、応じるように火を灯す。
    「その言い訳をする度、言葉を濁してごまかしてる。はっきり何が起こるなんて、全然言わない。何故ならソレは、断言できないから。つまりソレって『絶対来ると確信してる予知』じゃなくて、『もしかしたら来るかも知れない予測』だからでしょ?
     アンタは怖がってる――自分の予知を超えた、不確定の未来を。だから悪い結果になると分かってて、ソレでもその予知を現実にしようとする。
     どんなに望まない未来でも、その方が自分に扱えると思ってるから。アンタはその素晴らしい予知能力のせいで、却って何にもできない、人並み以下の木偶の坊になってるのよ」
    「……ッ!」
     葛が指摘したその瞬間、葵のぼんやりとしていた顔に、初めて険が差した。
    「それ以上、言わないでくれる?」
     声色も、今までのようなぼんやりしたものではない。明らかに不快感を漂わせた、荒い声だった。
    「『言わないで』? ソレは当たってるから? 自分は敷かれたレールの外を歩けない臆病者だって、認めるの?」
    「黙れ!」
     再度、葵が仕掛ける。
    「『月輪』!」
     ひゅぱっ、と音を立て、葵の前方に亀裂が走る。
    「キレんな、このバカ姉貴ッ!」
     葛は空中に跳び、ぐるんと体をひねって斬撃をかわす。
    「アンタの預言、ブッ壊してやる。
     あたしは死なない。あたし以外の誰かが死んだりもしない。ううん、誰も死なせたりなんかしない。
     あたしはアンタだけを、アンタ一人だけを、……討つッ!」
     そう叫び――そのまま、葛はその場から消えた。

    白猫夢・跳猫抄 8

    2014.12.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第478話。「予知」と現実をつなぐもの。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 跳びかかってはみたが、葛は攻めの手を見出せないでいた。(さっきのだって、何がなんだか分かんないうちにやられちゃったしなー) それでも刀を振りかぶり、葵に袈裟斬りを仕掛ける。 しかし、やはり容易にかわされ、葵が突きを放ってきた。「わわ、っと」 先程と違ったのは、ここからだった。 まったく把握できなかった葵...

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    麒麟を巡る話、第479話。
    Beat The Oracle!;預言をブッ壊せ!

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「……消えた。『星剣舞』だね」
     葛が目の前から消えても、葵にうろたえた様子は無い。
    「でもそれはもう、パパの時に見切ってる」
     葵は刀を構え直し、周囲を警戒する様子を見せた。



     この時、葵は周囲だけではなく、別のものを見ていた。
     これまで散々と語ってきた、あの恐るべき予知能力によってもたらされた「複数の未来」――彼女たちが「スクリーン」と呼んでいたものである。

    (『どの』カズラかな)
     その何十もの「スクリーン」に、それぞれ違う世界が映し出される。その中の半分以上で、既に葛は事切れており、ぴくりとも動かない。
    (これは、さっき仕留めた時のまま。カズラは生き返らなかった)
     他の「スクリーン」にもまた、別の死に方をした葛が映し出されている。
    (こっちは、復活しかけたカズラにとどめを刺してる。これも、生き返ったカズラに即、刀を投げつけて串刺しにしてる。これは、……そう、これだ)
     やがて葵は、葛が生きている世界を発見する。そしてそこからたぐり寄せるように、別の、葛が生きている並行世界を比較対照していく。
    (これも。
     これも。これも。
     これも。これも。これも。
     これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。これも。
     そして、これも。……19通り、カズラはあたしの背後から斬りつけてくる)
     葵はぐるんと踵を返し、やって来るはずの斬撃を待ち構える。
    「……?」
     しかし、数瞬待っても、葵は来るはずの衝撃を受けない。
    「……いた……いっ!?」
     肩から突然、痛みを感じる。思わず手を当て、そして愕然とした。
    (今のは、なに? こんな未来は、一つも見えなかった)
     それでもなお、葵は冷静さを失わず、次の予知を行う。
    (ここから派生する未来は――待って? これ、どう言うこと?)
     葵の目には、先程と変わらない世界が映っている。
     相変わらず、別のある世界では、葵が葛の死骸を抱えて泣いている。別のある世界では、一聖が血塗れの葛を抱え、微動だにすること無くうずくまっている。また別のある世界では、復活した葛の首を、葵が刎ねている。
     その30通り、40通りもの並行世界のどこにも、今、葵が受けたものと同じ事象は発生していなかった。
     それを確認した途端、葵は生まれて初めて、刀を構えられないほどに狼狽した。
    「なんで? なんで、あたしに分からないの?」
     無意識に、言葉が漏れる。
    「カズラ! あんた、どこにいるの!? 今、何をしてるの!?」
     それは、彼女らしからぬ叫びだった。
    「……くっ!」
     混乱しつつも、葵はもう一度、未来を見ようと試みた。
    「……えっ……?」
     その瞬間、葵は信じられないものを見た。

     葛が壁に磔にされた別の世界で、その前を一瞬、葛が横切ったのだ。
    「いまの、なに……!?」
     さらに別の、葛と一聖が並んで串刺しになった世界にも、葛が一瞬だけ現れて、すぐに消える。
     いや、消えたのではなく――「スクリーン」から「スクリーン」へ飛び移るように、葛が移動しているのだ。
    「なに……これ」



     葵が、その場から弾かれる。
    「ぐはっ……!」
     刀が葵の手を離れ、遠くへ飛んで行く。
     どうにか立ち上がるが、体のあちこちからボタボタと血を流しており、葵はすぐに膝を着いた。
    「ど……どうして……?」
     それに応じたのは、一聖だった。
    「見えなかったか? お前の未来視の中に、『この世界の』葛は見当たらなかったか?」
    「……!」
     葵は一聖をにらみ、焦りきった声色で尋ねる。
    「何か知ってるの!?」
    「仮説ってレベルでだが、な」
     一聖はニヤニヤと笑っていた。
    「だけど教えてやんねー。そのままブッ飛ばされてろ」
    「……ぅぅぅうう、うあ、ああああッ!」
     葵は半ば野獣じみたうめき声を漏らし、踵を返す。
    「分かってるか、葵?」
     ふらふらとした足取りで逃げ出すその背中に、一聖は嘲った声をぶつけた。
    「葛は死ななかったし、お前にはもう殺せない。
     つまりお前さんが100%起こると豪語した予知、妹君に対してご大層に言い放ったあの預言は、完膚なきまでに外れたってワケだ。
     この勝負、葛の完全勝利だ。言い訳したいってんなら聞くぜ?」
    「……」
     葵は振り返ることなく、その場から走り去った。

    白猫夢・跳猫抄 9

    2014.12.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第479話。Beat The Oracle!;預言をブッ壊せ!- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9.「……消えた。『星剣舞』だね」 葛が目の前から消えても、葵にうろたえた様子は無い。「でもそれはもう、パパの時に見切ってる」 葵は刀を構え直し、周囲を警戒する様子を見せた。 この時、葵は周囲だけではなく、別のものを見ていた。 これまで散々と語ってきた、あの恐るべき予知能力によってもたらされた「複数の未来...

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    麒麟を巡る話、第480話。
    跳び猫が跳んだ理屈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     いつの間にか床にへたり込んでいた葛に気付き、一聖が声をかける。
    「よお」
    「……」
    「どうだった? 次元を飛び越えた気分は」
    「アンタの話、……ようやく分かった気がする」
     辛うじて上半身を起こしていた葛は、そこで仰向けに寝転がった。
    「もー無理。マジ動けないー」
    「そのまま寝てていい。もう葵は襲ってなんかきやしねーよ」
    「そう?」
    「葵にとっちゃコレ以上無いってくらいにショックを与えたんだ。立ち直るには時間がかかるさ」
    「だといーけど」
     と、ここで恐る恐る、ウォーレンが近付いてきた。
    「すまないが……」
    「お、目ぇ覚めたか」
    「あれ? ……ウォーレンさん、生きてたの!?」
    「ええ、何とか。
     私は死人がいないか、少々見て回ってくる。その後で水か何か、持ってくる。それまで安静にしているといい」
    「おう。後、食い物もあれば。できればチョコとか。とびきりうまいのがほしい」
    「相分かった」
     ウォーレンが去ったところで、葛はちょいちょい、と一聖に手招きする。
    「ねえ、カズセちゃん」
    「ん?」
    「もう一回、整理させてもらっていい?」
    「何をだ?」
    「『星剣舞』ってどんな技かって言う、カズセちゃんの仮説」
    「ああ、いいぜ」
     一聖が傍らに座ったところで、葛は横になったまま、彼女に尋ね始めた。



    「この技のすごいトコはな」
     昨晩、葛の部屋。
     一聖は「星剣舞」がどんな技であるか、その仮説を葛に聞かせていた。
    「仮にこの世の全てを見通す目を持ってるヤツがいたとしても、その技を見切るコトは、ソイツにすら不可能なんだ」
    「どうして?」
    「ソレはな……」
     一聖はどこからか光る金属板を取り出し、そこに図を描いて説明する。
    「例えば今、この地点Pにお前さんが立ってるとする。そしてちょっと離れた地点Qに、葵のヤツが立ってるとする。
     この状況において、お前さんは葵に攻撃を行おうとしている。……と言うのが、話の前提だ」
    「うん」
    「葵はこの平面上の、すべての場所を観測するコトができる。
     当然、お前さんの動きもはっきり見えてて、お前さんがP地点からQ地点へどう動こうと、葵にはお見通しってワケだ。そしてその高々精度の観測によって、葵は万全の防衛体制を整えるコトができる。
     その『観測』ってのが即ち、葵の予知能力だ。このままだと、お前さんは葵に傷一つ与えられないまま迎撃を受け、返り討ちにされる。ココまでは大丈夫だな?」
    「うん」
    「しかし葵のこの防衛体制には、一つの欠陥がある。ソレは『観測』によって得た情報を基にしている、ってコトだ。
     逆に言えば、『観測』できないモノに対しては、全くの無防備なんだ」
    「でもあたしがどう動こうと、観測できるんでしょ? じゃあ、観測できないモノって何も無いんじゃないの?」
    「言ったろ? 葵は『この平面上の』すべての場所を観測してる、と。
     ソコで、こうだ」
     一聖は葛の机にあったメモ用紙を手に取り、そこに「R」と書いて金属板に貼り付ける。
    「このR地点は見ての通り、このPとQが書かれた場所とは別のトコ、つまり別の次元にある。
     お前さんがこのR地点に移れば、たちまち葵はお前さんを『観測』できなくなるし、そして何の防御策も講じられなくなる。
     つまり、『星剣舞』ってのはそう言う技なんだ。別次元と自分の世界とを瞬間的に、須臾(しゅゆ)のうちに移動し、相手がどんな察知能力を持とうとも、無関係に攻撃できる。
     この説はかなり有力だと思うぜ。何しろ昔、オレが晴奈の姉さんと戦った時、オレは誰にも真似できねーような、ソレこそさっき言ってた『全てを見通す目』に近い索敵術を使ったんだが、ソレでもまるで、姉さんの位置を捉えられなかったんだから、な。ソレはもう、この世から消えたとしか思えないくらいだったぜ。
     勿論、この仮説にはちゃんと根拠がある。姉さんと戦った場所を後で調べてみたコトがあったんだが、ソコで夥しい数の空間振動痕が検出されたんだ。だけど、その時オレは『テレポート』を使ってなかったし、そもそも『テレポート』にしちゃ、あまりにも回数が多過ぎる。
     何しろ計算上、1秒間に平均5~60回も使ってたコトになるからな。オレや親父でも、一瞬でそんなにポンポン移動できねー、って言うかそんな使い方する術じゃねーし。
     世界最高レベルの索敵術ですら、姿を捉えられなかったコト。あり得ない数の、空間振動痕。ソコから導き出せる仮説は、一つだ――晴奈の姉さんはあの戦いの最中、『星剣舞』によってこの世界と別の世界を瞬間的に行き来し、敵にまったく気配を悟らせなかったんだろう。
     つまりお前さんがもしも『星剣舞』を会得できれば、葵の予知能力を無力化できるし、罠の部屋を通らずに別の世界を経由し、その奥へ行けるってワケだ」
    「うーん……?」



    「あの時は何が何だか分かんなかった。……ううん、今でも自分が本当に、そんなコトしてたのかって言うのも、良く分かんない。
     でも、……一回死にかけて、別の世界に逝きそうになったからかな。コツみたいなのは、つかんだ気がする」
    「そっか。……疲れたから、オレもちっと横になるぜ」
     一聖は素っ気なく返し、葛に背を向けて寝転んたが――葛はその一瞬、一聖がとても満足気に、そして嬉しそうに笑っているのを、確かに見た。

    白猫夢・跳猫抄 終

    白猫夢・跳猫抄 10

    2014.12.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第480話。跳び猫が跳んだ理屈。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. いつの間にか床にへたり込んでいた葛に気付き、一聖が声をかける。「よお」「……」「どうだった? 次元を飛び越えた気分は」「アンタの話、……ようやく分かった気がする」 辛うじて上半身を起こしていた葛は、そこで仰向けに寝転がった。「もー無理。マジ動けないー」「そのまま寝てていい。もう葵は襲ってなんかきやしねーよ」「そう...

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