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黄輪雑貨本店 新館

火紅狐 第3部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    フォコの話、76話目。
    堕落した神童。

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    1.
     空には満天の星。
     背中には堅いレンガ。
     右手には酒瓶。
     左手には穴の空いた財布。
     しかしその身には――何も宿さず。何も有さず。



     彼は生きていた。
     師匠であり、もう一人の親のようであった、「冷静かつ、熱くあれ」と教えた男の亡骸を洋上に葬り、難破した船を無理矢理に着岸させて、彼は生き延びた。

     彼は生き抜いた。
     流れ着いた街で働き、日に銀貨2枚、3枚の仕事をこなして一日をしのぎ、やがて辞め、旅をし、別の街で同じように過ごし、また離れ、漂った。

     彼の火は消えた。
     彼が必ず倒すと誓った敵は、彼のはるか遠くにいた。どの街にいても、敵のうわさを耳にしない日は無かった。それは紛れも無く敵の強大さを示すものであった。
     それが彼の心を折り、わずかに残っていた心中の火を、消させてしまった。

     彼の心は死んだ。
     敵に追いつけないと痛感した瞬間から、彼は生きる意味を失ったのだ。そうなれば毎日が無為であり、何をしても生きている実感が味わえない。
     それはもう、死んでいるのと同じことだった。



     彼はつぶやいた。
    「……クズ……」
     それは己のことだ。
    「……この……クズ……」
     昔、素晴らしい才能にあふれていたことなど、思い出せない。記憶のほとんどが、酒の霞の向こうへ漂っている。
    「……もう……ええかな……」
     彼は空の酒瓶を割った。
    「……ええよな……」
     割れた破片をぼんやりと眺め、もう一言つぶやいた。
    「……僕がおらんでも……何も変わらんよな……」
     彼は諦めに満ちたため息を吐き、破片を両手で握った。



     彼の名はニコル・フォコ・ゴールドマン。
     かつて世界の大商家、ゴールドマン家に生まれた神童であり、また、南海で火紅・ソレイユと言う名で船を造った経験もある青年だった。

     だがもう、彼の心には何も無かった。
    火紅狐・啓示記 1
    »»  2010.11.14.
    フォコの話、77話目。
    女神の降臨。

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    2.
     フォコは意を決し、酒瓶の破片を喉に突き刺そうとした。
    「……ッ」
     目を閉じて寝転んだまま、両手に力を込める。
    「……さよならや……」
     ブツ、と自分のあごの下から音がした。



    (……あ……苦しい……)
     フォコは強い息苦しさを感じていた。
    (まあ……そらそうやんな……喉突いたら苦しいよな……)
     が――妙なことに気付く。
    (……あれ? 僕、喉から破片、抜いたっけ?)
     突いたと言うのに、喉の中には異物感が無い。感じる異物感は何故かその外から――手でつかまれたような圧迫感なのだ。
    「……へ、っ?」
     不思議に思ったフォコは、目を開けた。

    《この、ボケが……ッ》
     目の前には、フォコをものすごい形相でにらむ、金髪に赤いメッシュの入った、狐獣人の女がいた。
    《何がさいならや、何が変わらん言うんや、おい、このドアホはあああ……ッ!》
    「あ、あん、た、……ゲホッ、あんた、だ、誰や、ゴホッ」
     女はギリギリと、フォコの喉を絞め上げている。
    《アンタに尋ねる権利なんかある思てんのか、この酔っ払いが!》
    「ぐえ、っ、く、くる、っし、い」
    《苦しい? 苦しい言うたか? あ? どないやねんな!》
    「い、うた、言うた、って、は、離して、っ」
     あまりに強く絞めてくるので、フォコの頭は混乱していた。
    「こ、ころ、殺さん、とい、てっ」
    《はぁ? 殺すな? ついさっきまで死にたい死にたい言うとったアホが、何を抜かすか!?》
    「し、死に、たくな、いっ」
     思わず、フォコはそう言ってしまった。
    《あぁ!? 死にたいんとちゃうんか!? 酒瓶で喉かっ切って、死のう思てたんとちゃうんかい!?》
    「す、すみまっ、せん、でし、たっ」
    《何がすまんねんや、コラ!?》
    「死にたい、って、言って、すみません、でしたっ、ご、めんな、さ、いっ」
     謝り倒すフォコに対して、女は依然喉を絞める手を緩めない。
    《よし、よー言うた。ほんなら、これからアタシの言うコト、しっかり復誦しいや》
    「へ?」
    《繰り返せっちゅうてんねや! 分からんのんか、あ!?》
    「へ、あ、はいっ」
     女は喉をギリギリと絞め上げながら、こう告げた。
    《卓に着く者は生ける者なり》
    「た、卓に、着く者、は、……?」
     言いかけて、フォコはこの一文をどこかで聞いた気がすると感じた。
    《早よ誦めや!》
    「たっ、卓に、着く者は、生ける、者なりっ」
    《卓から離れる者は死せる者なり》
    「卓から、離れる者は、死せる者なり」
    《卓で挑み勝つ者は幸いなり》
    「卓で挑み勝つ者は、幸いなり」
     復誦しながら、フォコはこれをどこで聞いたのか考えていた。
    《卓で挑み負けども汝離れること無かれ》
    「卓で挑み負けども汝離れること無かれ」
    《挑まず離れる時こそ死せる時》
    「挑まず離れる時こそ死せる時」
     そしてようやく、思い出す。
    (あ……、これ……)
    《離れず挑めばいずれ汝は幸いを得ん》
    「離れず挑めばいずれ汝は幸いを得ん」
    《もっかい》
    「はい、卓に着く者は……」
    (そうや、これは金火狐の玉文集――大始祖、エリザ・ゴールドマンが言うてたっちゅう言葉をまとめたもんの一つや。ちっちゃい頃、何度も復誦しとったなぁ……)
    「……汝はいずれ幸いを得ん」
     そこでようやく、金狐はフォコから手を離した。
    《意味、言うてみい》
    「はい。生きていると言うことは、何かに挑めると言うこと。挑んで勝利すれば幸せを得られる。
     でも、負けてそのまま勝負から逃げれば、それはもう幸せが得られず、死んでいるのと同じこと。
     だから勝負を諦めず、勝つまで挑み続けろ、……と言う意味ですよね」
    《そうや。アンタには、金火狐の血が流れとるんやろ? 何で今、この言葉を思い出さん?》
    「……すみませんでした。すっかり、忘れていました。毎日が、何て言うか、……その、本当にゴミみたいで……」
    《そうしてしもたんはアンタや。ゴミみたいな毎日過ごさなあかん羽目になったんは、他の誰でも無い、アンタのせいやで?》
    「でも挑めるものなんて、……何にも無いんですよ。じゃあぼんやり生活するしか無いって話で……」《ボケ》
     金狐はフォコの頭をゴツンと殴り、まくし立てる。
    《いとるやろが、あのふざけた短耳が。アタシらの財産がっつり食い荒らして、その上まだ足りひん、まだ足りひんって駄々こねとるゲスがおるやろが》
    「あいつに、挑めと?」
    《そうや。元々からアイツはアンタの親を殺しいの、師匠も殺しいのして、ことごとくアンタから幸せを奪ってきた極悪人や。
     ソイツに挑まへんで、他に誰にケンカ売るっちゅうんや》
    「……そりゃ、挑みたいですよ。勝ちたいですよ!」
     フォコは涙を流しながら、金狐に怒鳴り返す。
    「でもどうしろって言うんですか!? 僕にはもう、何も無い!
     お金も無い! 職も無い! 家も、親しい友達も、愛する人も、何も無いんだ!
     そんな僕に、あなたは何をしろと言うんですか!?」
    《あのなぁ》
     金狐はぎゅっと左拳を丸め、フォコを思い切りぶん殴った。
    「ふぎゃっ!?」
    《無い無い無い無いうるさいんじゃ! 無いんやったら作れ! ソレがアタシらの掟やろ!》
    「つ、作れ、って」
    《……はぁ。ほなな、いっこだけ助けたる。ソコから後は、自力で何とかせえ》
     金狐は軽くため息をつき、殴り飛ばされたフォコを見下ろしていた。
    火紅狐・啓示記 2
    »»  2010.11.15.
    フォコの話、78話目。
    伏龍、目覚める。

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    3.
     金狐は仰向けに倒れたフォコの側に座り込み、こう告げた。
    《この街に、男の二人組が来とる。
     一人は全身真っ黒で目ぇめっちゃ細い、背ぇ高いヤツ。もう一人は金髪の長耳で、いかにも頭良さそーにしとる眼鏡のヤツや。
     こいつら、困っとるんや。港からさっさと出たいんやけど、金が無いねん。ソレ、助けたり》
    「た、助けろって言うても、僕もお金無いんですけど」
    《聞いたから知っとるわ。せやから、ソコは自力で何とかせえ》
    「えー……」
     困った声を出したフォコを、金狐はにらみつける。
    《ちょっとはシャッキリせえや、アンタ。アタシの弟の名前付いとるクセに、……あー》
    「……?」
     金狐はそこでようやく、表情を崩した。
    《そう言えば弟も大分ヘタレやったわ。こら、遺伝かなぁ……。
     ま、とにかく気張りいや。うまく行けば、明日から路上で寝転ばんで済むんやし》



     目を覚ますと、フォコは路上で大の字になっていた。
    「……くしゅっ」
     くしゃみで無意識に上半身を起こしながら、フォコは自分の喉元を確かめた。
    「……? 切れてへんな」
     切れてはいないが、妙な違和感がある。フォコは立ち上がり、表通りに出て鏡を探す。
    「あ、あの窓でええかな。……うわ!?」
     窓に自分の姿を映したフォコは驚いた。
     喉にはくっきりと、両手で絞められた跡が残っていたからだ。
    「あ、あれ……、夢や、無かったんか?
     ぼ、僕は……。僕はなんてお方と、話をしてたんや……!」
     フォコは喉を押さえ、戦慄した。
    (……ふ、二人組、やったっけ。探さな……!
     折角『あの方』が、こんなクズ同然の奴に啓示をくださったんや。活用せえへんで、どないするんや!?)
     フォコは思考を切り替え、井戸を探す。
    (まずシャッキリせな! こんな酒臭い顔、しとったらあかん!)
     井戸を見つけ、顔と髪をバシャバシャと激しく洗う。
    「……うわ」
     地面に滴り落ちた水滴は、赤黒く染まっている。
    (最後に顔洗ったんて、そう言えば……、半年? 一年前? ……ものすごい昔やな。
     ……うーん、落ちひん)
     頭と上着を一通り洗い終えたものの、フォコの喉にはくっきりと、手の形をした痣が残っている。
    (洗っても無駄やろな。……しゃあない)
     とりあえず耳の出るフードを被り、喉元を隠す。
    「……さー、心機一転や。……探そか」
     フォコはプルプルと頭を振り、井戸を後にした。

     すっきりした頭で街中を歩きながら、フォコは頭の中を整理していた。
    (そうや、この2年、3年、ぼんやり過ごしとったから、……そもそも、あれから3年も経ってしもとるんやな。
     僕は20歳の、ニコル・フォコ・ゴールドマン。……やけどまだ、名乗れへん。まだ僕は火紅や。ホコウ・ソレイユのまま。
     今いてるんは、央北の港町。ノースポートっちゅうところや。あっちこっち適当にうろついとった。
     そや……、あいつと、ケネスと勝負なんかでけへんと諦めて、離れよう離れようとしとったんや。
     央北の中心地、クロスセントラルの周りの、端っこの街をグルグル回って、できる限りケネス関係と会わへんようにしとった。
     ……そら『あの方』も怒って首絞めてくるっちゅう話や。ホンマ、僕はヘタレやったなぁ)
     フォコは自分の不甲斐なさに、久々に諦観ではなく、憤りを感じていた。
    (ホンマに、何から何まで『あの方』の言う通りや。
     僕はもっと、あいつに対して敵意と執念を持ってなあかんのや。そうや無かったら、今まであいつのせいで死んでしもた皆が、あんまりにも可哀想過ぎるやろ?
     みんなの遺志を、僕が、僕一人が、一手に引き受けとるようなもんなんやし。それも忘れて、逃げて逃げて……。
     どんだけ情けないんや、この大バカ……っ!)
     と、嘆いていたところへ――裏通りへの曲がり角の向こうから、こんな話し声が聞こえてきた。

    「すごいね、君。そんなこともできるのかい?」
    「む、……まあ、まだこの術は不完全だ。精々、30分が限界と言うところか」
    「そうなの? ……残念だな、折角の黄金なのに」
     黄金と聞いて、フォコの狐耳がぴょこりと動く。
    (金?)
     そっと裏通りを覗いて見て、フォコは目を丸くした。
    (こ、この二人!?)
     そこにいたのは黒いコートを着込んだ長身の男と、金髪のエルフだった。
    「じゃあ、他の方法を考えないといけないね。何とかしてお金を調達しなきゃ、いつ追っ手が来るか」
    「まあ、来ても返り討ちだが、な」
    「平和的に対応をお願いしたいんだけどなぁ」
    「そうしても俺は構わないが、お前は困るだろう?」
    「まあ、そうなんだけどさ」
     どうやら、エルフの方は追われている身らしい。コソコソと、黒い男の掌に視線を留め、何かを相談している。
    「……!」
     黒い男の掌に乗っている物を見て、フォコはもう一度驚いた。
    「金!?」
     思わず、フォコは声を漏らしてしまう。
    「……っ」
     エルフの方は怯えた目を向けてきた。
    「ひゃ……」
     と、フォコの方も怯えさせられる。
     黒い方が、刀身の真っ黒な刀を向けてきたからだ。
    火紅狐・啓示記 3
    »»  2010.11.16.
    フォコの話、79話目。
    二人の男と寸借詐欺。

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    4.
    「何者だ?」
     黒い男は刀――央南風の、長細い刀身がわずかに反り返った片刃の武器だ――をフォコの鼻先に向け、尋ねてくる。
    「あ、いえ、その、……声が聞こえたので」
    「……ふむ。兵士や官吏の類では無さそうだ」
     フォコの垢じみた身なりを見て、男は刀を下げた。そこで、フォコは尋ね返してみる。
    「あの、今あなたが持ってたのって、金ですよね」
    「……そうだ。だがもう既に……」
     男は地面の砂を蹴ってみせる。
    「あれ?」
    「元の状態に戻ってしまっている。この術の効果は、30分と持たない」
    「……え、それって」
     フォコは目を丸くし、もう一度黒い男に尋ねた。
    「錬金術ってやつじゃないですか!?」
    「まあ、そうなるな」
    「そうなるどころか、そのものド真ん中じゃないですか! 黄金を造れるなんて……!」
    「……厳密には、造れていない。30分しかその光を留めておけん金など、金とは呼べん」
     男は憮然とした顔になり、フォコをうざったそうに眺める。
    「説明は終わりだ。消えろ」
    「え、……いや、その」
     だがそう言われても、フォコには従えない理由がある。
    「何だ? 30分で土に還る金が、欲しいとでも言うのか?」
    「いや、まあ、金は欲しいのは欲しいですけど、でも、30分じゃ……」「消えろ」
     男はフォコの喉元に、す、と刀の切っ先を当てる。
    「ちょ、ちょっとタイカ」
     と、エルフの方が止めに入った。
    「何だ?」
    「揉め事はよそう。ここで彼に叫ばれでもしたら、面倒なことになる」
    「……それもそうか」
     タイカと呼ばれた男は、ひょいと黒い刀を下げた。
    「見逃してやる。さっさと消えろ」
    「……」
     フォコはフードの下でボタボタと冷や汗をかきながら、二人のことを観察していた。
    (『タイカ』? 央北の名前や無さそうやな。刀持っとるし、おやっさんの故郷と同じ、央南辺りの人やろか。
     こっちのエルフさんは……、どー見ても央中北部か、央北あたりの顔やな。この街の人や無さそうやし、旅人にしては、装備が少なすぎる。
     言うてることからして、どこかから逃げてきはったんかな……?)
     観察するに従って、フォコの頭も落ち着いてくる。
    (……にしても、練金術かぁ。この黒い短耳――かどうか分からへんなぁ。髪の毛とコートで隠れとるし――魔術師なんかな。
     僕も詳しくは知らへんけど、金って誰も造ったこと無いんやろ? たった30分でも、それが造れるって……、ものすごいことなんちゃうん?
     えーなぁ……。そんなんできるんやったら、僕なら――あ)
     フォコはここで、あるアイデアを閃いた。
     と、タイカがうざったそうにフォコをにらんでいる。
    「お前の耳はハリボテか?」
    「へ?」
    「何度俺は、お前に『消えろ』と言った? いい加減、どこかへ行け」
    「あ、えーと……」
     フォコは気圧されつつも、思い切って話を切り出してみた。
    「あの、良ければなんですけど」
    「何だ?」
    「もっかい、さっきの砂金作ってみてもらっても、いいですか?」
    「……?」
     タイカはけげんな表情をする。
    「何故だ?」
    「ちょっと考えがありまして」



     タイカから砂金一袋分をもらったフォコは、街を走り回って人を探した。
    (なるべくがめつそうな奴……、金汚そうな奴は、と……。
     お、あいつなんか良さそうやな)
     フォコはいかにも意地の汚そうな旅人を見つけ、声をかけた。
    「す、すみません!」
    「あ?」
     旅人はうるさそうに返事をしてくる。
    「何だ? 俺に用か?」
    「お金を貸していただけませんか!?」
    「は? なんで?」
     当然、旅人は馬鹿にしたような顔をする。
    「実は、早急にお金を作らなくてはならないんです! でも当てがなくて……」
    「知るか」
     背を向けようとする旅人に、フォコは砂金を見せる。
    「勿論ただとは言いません! 我が家の家宝にしている砂金を、担保にしますから!」
    「……砂金?」
     フォコの狙い通り、旅人は目の色を変える。
    「お願いします! どうか少しだけでも……!」
    「……お、おう。まあ、人助けになるんなら、うん。で、いくらほしいんだ?」
    「はい! 5000クラムあれば、何とか……」
    「5000でいいの?」
    「えっ」
    「えっ」
     旅人はしまったと言う顔をしつつも、コホンと咳をして取り繕う。
    「あ、いや。じゃあ、5000ね。はい」
     旅人はフォコの要求通り、5000クラムを渡してくれた。
    「ありがとうございます! あの、すぐ戻ってきますから、どうかお待ちになっていてください! あ、こちら担保の砂金です。じゃ、ありがとうございました! すぐ戻りますから!」
     そう言って、フォコはそそくさとその場を立ち去った。

     フォコは曲がり角に入ったところで、そっと旅人の様子を眺めた。
    「……ま、そらそうするやろな」
     旅人はフォコの狙い通り、意地汚そうな笑みを浮かべ、そのままどこかに走り去っていった。
     フォコは受け取った金を数え、ぽつりとこうつぶやいた。
    「……さてと。次は誰に声、かけよかな」



     この日、ノースポートの質屋に、ただの砂が入った袋を「砂金だ」と偽り持って来た旅人が、8名現れた。
     当然、質屋は怒り、全員を追い返したそうだ。
    火紅狐・啓示記 4
    »»  2010.11.17.
    フォコの話、80話目。
    ノースポート出港。

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    5.
    「締めて4万2千クラム弱、か。……やるな」
     フォコが持って来た金を見て、初めは邪険にしていたタイカも、見直してくれたらしい。
    「いえ、あなたのおかげです。……あの、ところで」
     フォコは二人に、素性を尋ねてみた。
    「お二人とも、早くこの港から逃げたがっているご様子でしたけど、何かあったんですか?」
    「え、っと……、まあ、色々と、ね」
     エルフの方は、言葉を濁して逃れようとする。
    「お前には関係の無いことだ」
     タイカも、まともに答えてくれそうに無い。そこでフォコは、カマをかけてみることにした。
    「まあ、いいんですけどね。……大声、出しても」
     さっと、エルフの顔色が変わる。
    「ちょ、ちょっと」
    「いや、出す気は無いんですけどね、まだ。ああ、でもさっき」
     フォコは懐から、寒さしのぎに抱えていた紙を取り出す。
    「さっきこれ拾った時は、流石に驚いちゃいました。思わず大声出しちゃいそうになりましたよ」
    「……それは?」
     タイカがにらんでくるが、フォコは怯まずに演技を押し通す。
    「いや、お二人のお顔が描かれてるだけなんですけどね、これ。何かその下に、賞金とか書いてますけど、人違いですよね」
    「……!」
    「あ、言いませんよ、何にも。ええ、言いませんとも。中央軍の詰所に行ったりなんかしませんし、安心してください」
    「……何が望みだ?」
     ようやく、タイカが譲歩してくれた。
    「いや、まあ……。お二人とも、ノースポートを発つ予定ですよね? 僕も、一緒に付いて行っていいですか?」
    「え?」
     この頼みは予想外だったらしく、エルフは目を丸くする。タイカの方も、細い目をわずかに見開いていた。
    「そんなのでいいの? ……いや、それで済むんならいいんだけど」
    「ありがとうございます。
     あ、僕は、火紅・ソレイユって言います。よろしくお願いします」
     ぺこりと頭を下げ、挨拶したフォコに、タイカが応じる。
    「ふむ。俺は克大火だ。大火と呼べ」
     大火に続いて、エルフの方も挨拶を返そうとした。
    「僕は、……と、知ってるんだよね、手配書見たんなら」
    「あー、と」
     街を発つ前に明かすわけにも行かず、フォコはしれっとごまかした。
    「ええ、勿論。さ、早く港に行きましょう。早いとこ出ちゃいましょう、街」
    「それもそうだね。いつまでも雑談しているわけにも行かないし」
     三人は足早に、ノースポートの港に向かった。

     追われているのは確からしく、大火たちは安価で安全な官業船ではなく、高価な割に設備や対応の悪い民間船を選んだ。
    「うへ、一人5000クラムですかぁ」
    「高いけど、登録は適当だからね。聞いた話じゃこの船を管理してる商会、経営破綻しかかってるんだとか。末端の管理は無茶苦茶らしい」
     そう聞いて、フォコは船体に描かれている商会のマークを見る。
    (えーと、虹と太陽、それに雲に乗る兎。これ、エール商会のんやったっけ。どこかで聞いたけど、前経営者が死んだ後、……『あいつ』が半分以上乗っ取ったらしいな。
     昔は西方を代表する大商会やったらしいのにな……)
     一抹の寂しさとケネスに対する嫌悪感を覚えつつ、フォコは船に乗った。



     船が港を離れたところで、フォコは白状した。
    「……あの、すみません」
    「うん?」
    「実はこれ、ただのチラシでした」
    「え?」
     フォコは先程手配書に見せた紙をエルフに見せ、頭を下げる。
    「じゃあ、さっきのって」
    「全部嘘です。どうしても、お二人に付いて行きたくて」
    「……何で?」
     けげんな顔をするエルフに、フォコはまたごまかした。
    「えっと、何て言えばいいのかな、……まあ、その、旅、ですかね。お二人に付いて行けば、楽しそうかなって」
    「楽しくないと思うよ」
     フォコの答えに、エルフは表情を暗くした。
    「これから僕たちがやることは、下手すると大量虐殺だから」
    「えっ?」
    「今からでも戻ったほうが良い。ホープ島で停泊したら、すぐ帰ってくれ」
    「いや、その」
    「関係ない人を巻き込みたくないんだ、あんまり。
     そりゃ、お金を工面してくれたことには感謝するよ。でも僕とタイカの旅には、そんな面白おかしいような要素は全く無い。場合によっては、命の危険もある。
     だから……」「でもですね」
     フォコも金狐からの啓示を守ろうと、食い下がる。
    「その工面したお金、使いましたよね? 連れて行ってくれないなら、返してくださいよ」
    「1万を?」
    「それだけじゃなく、4万2千……、ああ、僕の使った額を差し引いて、3万7千クラム全額。あなたにお渡ししてますよね」
    「まあ、そうだけど」
    「連れてって下さいよ」
    「だから、そんな軽い気持ちで付いて来られても……」「お願いします!」
     フォコはがばっとしゃがみ、土下座した。
    「え、ちょっ?」
    「嘘ばかりで済みません! でも一緒に行きたいんです!」
    「……ランド」
     と、成り行きを見ていた大火が口を開いた。
    「事情は分からないが、どうしても付いて行きたいらしい。ここまでされて、断る理由もあるまい?」
    「……まあ、そうだけど。……じゃあ、分かったよ。一緒に行こう」
    「ありがとうございます!」
     もう一度頭を下げたフォコに対し、エルフもしゃがみ込む。
    「もういいから、そんなにペコペコしなくて。……頼むよ、目立ちたくないんだってば」
    「あ、すみません」
     フォコはひょいと顔を上げ、そそくさと立ち上がった。
    「えっと……、そんなわけでお名前、知らないんです。
     教えていただいてもいいですか?」
    「ああ、うん」
     エルフは憮然とした顔をしながら――こう名乗った。
    「僕は元、中央政府政務大臣。ランド・ファスタだ」

    火紅狐・啓示録 終
    火紅狐・啓示記 5
    »»  2010.11.18.
    フォコの話、81話目。
    ありえない起用。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……かねてよりサイモン政務大臣の病状が懸念されていましたが、本日早朝、残念ながらお亡くなりになりました」
     その発表に、政務院の官僚と職員たちは騒然となった。
    「ほ、本当ですか!?」
    「そんな……」
     騒ぐ職員たちを前に、伝達に来た官僚は小さく咳払いし、今後の対応を伝える。
    「よって本日、議会を緊急招集し、後任の大臣を高級官僚の中から選出します。それまでは通常業務を遂行するよう……」
     と、そこにもう一名、官僚がやってくる。
    「たった今、後任が決定した」
    「え? まだ議会は召集されて……」「前政務大臣からの遺言状があったそうだ」
     それを聞き、職員の一人がつぶやく。
    「……執政法第6条、『大臣の選出は、前任者の推薦、もしくは議会の決定による』か」
    「その通りだ。前大臣は遺言状により、次の大臣に……」
     遺言状を持って来た官僚は、息を呑んで発表に耳を傾けていた職員たちの一人に目をやった。
    「ファスタ君、君を指名した」
    「……えっ?」
     名前を呼ばれた本人は、目を丸くした。
    「ぼ、僕、ですか? なんで? まだ僕、25歳で……、まだ、高級官僚になって、1年も、……えぇ?」
    「……それは我々一同、まったく同じ思いだ。いくらなんでも若すぎる。
     しかし法律は法律だ。本日より君は、政務大臣となった」
    「……は、はあ」

     中央政府の本拠地、クロスセントラルの某所。
    「……本当に、君の仕業ではないんだな」
     バーミー卿に詰問されたケネスは、フンと鼻を鳴らした。
    「勿論ですとも。本当に、自然死です。
     まあ、元々の計画からして、彼の病弱さに付け入ろうとしていたくらいですからな」
    「ふーむ、確かに。あのじじいは、いつ死んでもおかしくは無かった」
     ようやく納得してくれたバーミー卿に肩をすくめて見せながら、ケネスは自分が執っていた対応を説明した。
    「ま、死んだのは予想外でしたが、それでも我々の付け入る余地が無かったかと言うと、そんなことも無く。
     遺言状はしっかり、すり替えておきました」
     それを聞いて、バーミー卿は首をかしげた。
    「と言うことは、あの若僧を指定したのは君なのか?」
    「ええ、私です」
     ケネスの返答に、バーミー卿は腑に落ちない、と言う顔になる。
    「何故だ? あんな若僧を登用して、計画にプラスになるのか?」
    「プラスにもマイナスにもならんでしょう。計画の進行としては、原案通りですな」
    「なら、何故……?」
    「政務院の中枢に入って1年やそこらと言う、院内の右も左も分からん若僧なら、貧弱で他人に任せきりにしていた元大臣と変わらんと言うことです。
     元々の計画通り、政務院をいいように操るには好都合かと」
    「……ふ、む」
     ケネスの所見に、バーミー卿はまだ納得していないような顔をしていたが、そこで話は終わった。



     ケネスの「計画」は、中央政府の中枢、各執務院クラスへも及んでいた。
     各院を掌握し、自分の意のままに操れるよう画策していたのだが、ここで一つのイレギュラー、想定外の事態が発生した。
     かねてより健康が不安視されていた政務大臣が、病のために亡くなってしまったのだ。いくらケネスが優れた手練手管を用いようと、操る人間がいなければどうしようもない。
     そこで代わりの人材を、いち早く手配したのだ。

     が、このランド・ファスタと言う人間は、ケネスたちが思っているよりも聡明で実務能力に長け、かつ、高い理想を抱く青年だった。
    (こんな大任を任されるなんて思ってもいなかったけど……、これは人生最大のチャンスだ。この地位を活かさない手は無い!
     僕の目標――中央政府の腐敗を糺すのは、今しかない!)
     理想を実現させるため、ランドは就任した直後から、全力で執務に当たり始めた。
    火紅狐・政争記 1
    »»  2010.11.20.
    フォコの話、82話目。
    二人の大商人。

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    2.
    「よう、大臣くん」
     ランドの義理の母であり、央中の大商家、ネール職人組合の長であるルピアは、ランドに会うなり、彼の髪をクシャクシャと撫でてきた。
     息子が政務大臣になったと聞き、央中クラフトランドからはるばる、ルピアが祝いに来てくれたのだ。
    「わ、わ、ちょっと、ルピアさん」
    「なんだなんだ、いきなり大物になったもんだなぁ、お前は~」
     嬉しそうに髪をかき混ぜてくるルピアから逃れつつ、ランドははにかんだ。
    「あはは……、僕もびっくりしてます」
    「20半ばの若造が就く職じゃないからなぁ、大臣なんて」
    「……ですよねぇ」
     突然、ランドは神妙な顔になる。
    「どうした?」
    「あの、……やってないと思いますが」「勿論さ」
     息子の言いたいことを察したらしく、ルピアは首を振った。
    「私がやる人間と思うか? そんな面倒なこと」
    「……ですよね」
    「お前が大臣に就任したのはきっと、お前の実力でだよ。誰かが根回しなんて、そんなことをして何のメリットがある?」
    「無いですね」
    「だろう? 仮に私がやったとして、自己満足以上の利益は無い。そんな損な投資、私はやらんよ。
     そもそも、そんなことをしなくても、お前はいずれなれる器だと信じていたしな」
    「……ありがとう、ルピアさん」
     ランドはようやく、ほっとした顔になった。
    「……しっかし、お前」
     ルピアは書類だらけの執務室に目をやり、呆れ気味に尋ねる。
    「大丈夫か? 初っ端からこんなに飛ばしてたら、そのうち参ってしまうぞ」
    「大丈夫ですよ」
     ルピアの問いに、ランドはにっこりと笑って返した。
    「僕の理想が叶う時が来たんですから、頑張らないと」
    「……そうだな。応援してるよ」

     ランドの執務室を後にしたルピアは、自分の頭をクシャクシャと軽くかき回しながら思案した。
    (とは言え、不自然過ぎる。まだ25だぞ、ランドは。
     そりゃノイマン塾を21で主席卒業、その直後に政務院の高級官僚になっちまった天才だ。
     だけれども、大臣なんて職は、海千山千の経験を積んだ老獪な政治屋のやるもんだ。それを20代の青二才に任せるなんて、無謀、無策にも程があるってもんだ。
     一体誰なんだ? こんな無謀人事で得をするのは……?)
     考えながら政務院を抜け、ドミニオン城の庭園を歩いていると、向かいから多少見知った顔が歩いてきた。
    「おや……?」
    「よう、エンターゲート」
     今や中央大陸最大クラスの商人となった男、ケネスである。
    「こんなところで会うとは」
     ケネスは――演技ではなさそうな――驚いた顔をしている。
     ルピアもケネスも、特に相手に対して悪感情も好意も持っておらず、単なる同業者、商売敵である。そのため、互いに何の含みも無く言葉を交わした。
    「ああ、うん。ちょっと私の息子がな」
    「息子さん? ああ、こちらにお勤めなんですか」
    「そうなんだ。ついこの前、昇進したって言うからさ。祝いに来てやってたんだ」
    「ほう、それはおめでたい」
    「それじゃ、私はこれで失礼するよ」
    「ええ。また今度、入札の時にでも」
    「ああ。今度は負けないぜ」
     ルピアは軽く手を挙げてケネスに別れを告げ、庭園から立ち去った。

     ケネスが向かったのは軍務院――軍務大臣バーミー卿の本拠、中央軍の本営である。
    「どうも、閣下。南海再軍備計画関係の発注書と、ウエストポート軍港への件の納品書をお届けに参りました、……と」
     執務室の扉をしっかりと施錠し、ケネスはそそくさと書類を渡す。
    「うむ、……これでいいか」
    「ええ、ありがとうございます」
     書類にサインし、ケネスに返したところで、バーミー卿は本題を切り出す。
    「済まんな、いきなり呼びつけてしまって」
    「いえいえ、構いません。私の方も、こちらへ伺う用事がありましたからな」
    「それなんだ」
     バーミー卿は肩をすくめ、困った口ぶりになる。
    「政務院が財務院・司法院と共同で、不透明な官業・政策に対して討議・是正勧告を行うと発表してきた。その中には現在君が推し進めている『計画』に関わるものも、数多くある」
    「ほう」
    「これが討議対象の一覧だ」
     書類を一瞥したケネスは、「ふむ」と声を上げた。
    「これは……、ほとんど、槍玉に上がっていると言っていいくらいですな、バーミー卿」
    「『いいくらい』どころか実際、上げられているのだよ。
     特にファスタ卿が執心しているのは、南海や央南などでの軍事行動の際に発生する、君との取引に関してだ。どうやら取引で交わされる特別手数料、いわゆるマージンに関して糾弾するつもりらしい」
    「なるほど。いかにも政治腐敗、汚職に絡むネタですからな」
     そう前置きし、ケネスはこう結論付けた。
    「まあ、問題は無いでしょう。マージンを減らせ、無くせと言うのなら、その通りにすればいいのです。
     もっと重要なのは、この取引で起こる『ゴタゴタ』ですからな。二束三文のマージンなど、無視しても構いませんし」
    「そうか。……ふむ、では取引自体は存続させる方向で、対応していくことにしようか」
    「ええ。……ああ、万が一」
     ケネスはつい、と眼鏡を直し、付け加えた。
    「あの青二才が、この『取引』の真意・本意に気付くようなら、処理することを推奨します」
    「……うむ、分かった」
    火紅狐・政争記 2
    »»  2010.11.21.
    フォコの話、83話目。
    戦争屋への弾劾。

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    3.
     ランドは自分の地位を最大限に活用し、国内の官業・公共事業にはびこる汚職を撤廃しようと努めていた。
     やや理想論の先行する主張・行動ではあったが、それが却って、議会の年配層に好評を博していた。
     その後援もあって、汚職を議会で追及する機会が与えられた。

    「次の議題です。昨年、304年より南海で起きている紛争への軍事介入が度々行われておりますが、その内容に関して不明な点、不可解な点があります」
     壇上に立ったランドは、議会の最前列、大臣席に座るバーミー卿を見据えて詰問を始めた。
    「まず、この紛争の中心となっているレヴィア王国に対し、中央軍は三回、議会承認も、天帝陛下への承認も得ず、独断で軍を動かし、閣僚級会談を行っていたと言う情報が、我々の元に入っています。ご存知かと思いますが、これは軍務法、執政法、及び世界平定憲法に抵触する行為です。
     さらに調査を行った結果、これはバーミー卿、あなたの指示によるものだと判明しています。これは紛れも無く、議会、ひいては中央政府の政治運営をないがしろにした独断専横、越権行為に当たります」
    「ふむ」
     ランドにまくし立てられるが、バーミー卿は動じていない。
    「しかし君の言っていることは、平時における場合を前提として、だろう?
     南海での紛争は現在も激化の一途を辿っている。それを放っておくことは南海の、即ち世界の一地域全体の平和を揺るがすことになるのは間違いないはずだ。それを防ぐための行動であるし、この件は緊急時の行動と取れなくはないはずだ」
    「お言葉を返すようですが」
     ランドはさらにまくし立てる。
    「会談の後、レヴィア王国の動きは変化なし、もしくはさらに激化していると言う見解が非常に多く寄せられています。会談によって彼らを刺激させている、とは考えられませんか?」
    「短期的な見方でしかないだろう。こう言うことは、長期的に討議し、やんわりと火を消していくものではないのか? それを一瞬、一時期の動きで云々するのは、無意味なことでは無いだろうか」
     予期していたケネスとの取引を取り沙汰されず、バーミー卿は内心ほっとしていた。
     だがランドの追求はむしろ、ケネスが懸念していた方向へと向かい始めた。
    「それだけではありません」
    「と言うと?」
    「会談後に必ず、レヴィア王国は軍備を再編しています。それも配置を換える、縮小すると言う平和的なものではなく、既存の基地に物資を大量に送ると言うような、いわゆる軍備の拡大を行っています。三回の会談の後に、必ず、です。
     これはもう、関連性があると見て間違いない――言わば、会談で『軍備を拡大するように』と提言しているようなものです。紛争激化を防ぐための行動と言いながら、何故、煽るような行動を?」
    「口を慎みたまえ、ファスタ卿」
     バーミー卿は顔を真っ赤にして反論する。
    「君の言うことは憶測だろう? 我々は間違いなく、防ぐように行動している。会談でも、これ以上増やさないようにと苦言を呈しているくらいだ! その行動を、『煽るような』だと!?」
    「会談の詳しい内容を秘密にされている以上、我々は憶測ででしか話ができません。もし違うと断言されるなら、内容を克明に公表していただきたい。
     それに――会談の内容がどうにせよ、確実に起こっていることは、紛争の激化です。結果的に、あなた方の行動は事態を悪化させていることに他ならない」
    「何度も言うが、それはあくまで短期的な……」
    「もう1年経っています! それをあなたは短期的、と仰るんですか!?」
     のらりくらりとしたバーミー卿の弁明に、ランドは声を荒げた。
    「1年間、南海の人々が苦しめられているのは事実ですよ! 1年を短期的と仰るなら、あなたは一体何年かけて問題を解決するおつもりですか!? 10年? 20年? もっとですか!? 何年、罪も無い人々を苦しめるつもりですかっ!?」
    「無礼なことを! 私は平和のために……」
    「もう一つ」
     と、ランドは冷静な口調に戻って、さらに指摘を重ねた。
    「こうした動きは、あなたが軍務大臣になった296年辺りから顕著になっています。度々、中央政府の意向を無視して会談を行い、実質的に問題のある国家の軍備を増強させて、世界各地の紛争を激化させている。
     そこから考えれば、もう10年に届く。あなたの独断のために、紛争が長引いていると言っても過言ではない。いや、言い換えれば――まるであなたは、とっくに終わるはずの紛争を長引かせているようだ」
    「ふっ、ふざけるな……っ」
     バーミー卿は机を蹴飛ばして立ち上がり、ランドに怒鳴った。
    「私が、この私が無闇に争いの種を増やしていると言うのか、この若僧がッ!」
     と、議会のあちこちから声が飛ぶ。
    「落ち着きなさい、大臣!」
    「何が『この若僧が』だ! 暴言だぞ、暴言!」
    「きちんと釈明しろ!」
     気付けばバーミー卿に向かって、議会中から野次が飛んでいる。
    「……ぐ、っ」
     それ以上反論できる空気ではなく、バーミー卿は黙って座るしかなかった。
    火紅狐・政争記 3
    »»  2010.11.22.
    フォコの話、84話目。
    人を駒にする。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     散々糾弾を受け、流石のバーミー卿も疲労困憊になっていた。
    「災難ですな」
    「まったくだ……」
     ほうほうの体で執務室に戻ったバーミー卿のところに、またケネスが現れた。
    「それで彼は、気付いていましたか?」
    「それを聞く必要があるのか?」
     バーミー卿は濡らしたタオルで顔を拭きながら、ケネスをジロリと横目に見る。
    「君がここにいる、と言うことは、こうなると読んでいたのだろう?」
    「ええ、まあ。私の予想以上に、彼は賢しい人間だったようで」
    「それでも君の方が一枚上手だった、……とあってほしいのだが」
    「ご安心ください。その通りです」
     にっこりと笑うケネスに、バーミー卿もようやく安堵した。
    「では、対策を?」
    「ええ。既に彼を攻め落とす準備はできています。
     ……が、少しばかりお待ちいただきたい」
    「うん?」
    「政情不安を懸念しての、陛下からのお達しです。『朕も近年の卿のやり方には不安と疑念を感じておる。あの若い政務大臣の言う通りにせよ』と」
    「何だと? ……何故、私の耳に入ってこなかったのだ」
    「つい先程仰られたからです。私に、伝えるようにと」
    「……ぬう」
     バーミー卿の顔が曇る。
    「どうも……、面倒とは思わんか?」
    「と言うと?」
    「陛下の横槍がだよ。積極的に動きはしないが、何かに付け、ああしろ、こうするなと、細かく口を挟んでくる」
    「ま、それが陛下なりの政治運営なのでしょう。自分は前に出ず、背後で人を操作する。そうやってこの30余年、天帝と言う地位を守ってきたのでしょうな。
     とは言え確かに、卿の言う通りではある。少々、目障りに過ぎますな」
    「ああ。こう言っては何だが、陛下がいなければ、君と私の計画はもっと早く進んでいた。……まあ、陛下の許可と根回し、黙認があってこそ、計画が動かせたわけだが」
    「荷車と同じですな。重い荷車をいきなり引っ張るのは難しいですし、初めは人手がいる。が、一旦動いてしまえば、人は何人もいらない。
     そろそろお役御免ですな、陛下は」



     半年後、中央政府の第7代天帝であったソロン・タイムズ帝が崩御した。主な原因は病死と伝えられたが、不可解な点もあったと言う。
     だがそれ以上に不可解であると話題になったのは、次代の天帝が、最も愚鈍であると評判だったオーヴェル・タイムズになったことだった。
     言うまでも無く、ケネスはこれらに関与していた。そして愚鈍な帝を、彼が利用しないわけが無い。

     306年、前回の討議から1年後のこと。
    「前年に論じられた『305年是正勧告』討議について、朕は異議を申し立てる」
     議会においてオーヴェル帝は、ランドが主導していた汚職への討議・是正勧告を無理矢理に引っくり返した。
    「朕を初めとする歴代天帝の成す『世界平定』を脅かす輩は、早い内から叩き潰すべきであろう。バーミー卿はその慧眼を以って、早々に対策をしてくれていた。
     だがファスタ卿、貴君の小手先、目先の行動で、その折角の対策が無碍になってしまった。閣僚級会談が行われなくなって以降、多くの紛争や混乱はひどくなる一方。これは紛れも無く、貴君の責任ぞ」
     あまりに一方的、一局的な言われ方に、ランドは面食らった。
    「な、何を仰いますか!? 事実として、バーミー卿の独断専横によって……」「黙れ!」
     反論しようとするランドを、帝は怒鳴りつける。
    「貴様は信用できぬ! 即刻去れ!」
    「は……!?」
    「いいや、去るだけでは足らぬ! 朕の城を、国を騒がせた国賊だ! 捕らえて罰を与えよ!」
    「な、……何ですって!?」
     呆然とするランドの周りに、兵士が集まってくる。
    「貴様だけではない、こいつに与した者も同罪だ! こいつに賛同した者も、捕らえるのだ!」
    「な……」
     ランドは両腕をつかまれながら、後ろを向いた。
    「……っ」
     一年前、自分に賛同してくれた者たちは皆、自分と目を合わせようとしなかった。
    「お前はどうだ!?」
     帝が一人を指差す。
    「……いえ、賛同など」
    「お前は?」
    「懐疑的でした」
    「お前はどうなのだ?」
    「現実を無視した理想論です。片腹痛い」
    「ではお前は?」
    「周りの雰囲気がそんな感じだったので……。自分は反対でした」
    「そうか。……ではファスタ卿、お前だけだな」
    「……そんな」
     一斉に掌を返され、ランドは絶句した。
    「さあ連れて行け!」
     帝の命令により、ランドはずるずると引きずられながら、議事堂を去って行った。

    「フハハ……」
     すれ違いざまにその様子を眺めていたケネスは、ニヤニヤと笑っていた。
    (やはり青二才っ……! 自分一人で何でもできると思い、自分一人でやっているつもりでいるっ……!
     馬鹿がっ……! お前が相手にしているのは何だ? 家畜か? 野菜か? 違うだろう? 人だろう、相手はっ……!
     人を味方に付けたからこそ、去年の会議は成功したのだ。だがお前は肝心な人物を抱き込まなかった。それは紛れも無いミス! 大ミスだっ……!
     私は根回ししていたのだよ。そう、オーヴェル帝を抱き込み、議会でお前を糾弾するよう仕組んだのだ。中央政府を動かす上で最も重要な駒、最も力ある駒を、お前は軽視、無視していた。
     どうせ青臭いお前のこと、いずれは半ば傀儡化していた天帝をも叩こうと考えていたのだろう。ハナから敵と断じ、味方に付けなかった。
     それがお前の敗因だ――昨日味方だった人間がそのまま、今日も味方でいてくれるなどと思っているから、こうなるっ……!
     明日、敵に回すつもりの人間でも、今日は味方に付けておく。その発想が無かったお前は、こうなって当然、当然、至極当然っ……!)
     引きずられていくランドの背中を眺めながら、ケネスは彼を嘲笑った。
    火紅狐・政争記 4
    »»  2010.11.23.
    フォコの話、85話目。
    ルピアの逆襲。

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    5.
     政務大臣が短い期間で立て続けに変わったことで、先代のソロン帝が危惧していた通り、政情は不安定になった。
     元々ランドの前任者が推し進めていた政策――その多くはケネスとバーミー卿にとって都合がいいものだった――を、ランドは全面的に見直した上で半分以上を廃し、新たな政策を立てて進めていた。ところがランドも更迭されたため、ランドの次に政務大臣となった人物は先々代の状況に戻そうと試みた。
     それが中央政府の内外に、大きな混乱を呼んだ。立ち上がりかけた計画が頓挫したり、休眠、もしくは廃止した事業を立ち上げ直したりと、下部組織はくるくると変わる方針に振り回された。
     ランド更迭の一件とこの混乱は、中央政府、そして天帝への不信感を募る一因となり、内外からの反発を高めることとなった。

     そしてここにはもう一つ、混乱の火種があった。
     ケネスはランドが央中の大商家、ルピア・ネールの息子だと知らなかったことだ。



    「……な、ん、だ、とぉ」
     ランドが更迭・投獄された報告を受け、ルピアは激怒した。
    「ふざけるなッ! 何故、何故あいつが投獄なんぞされにゃならんのだ!」
    「し、しかし姉さん」
     この一報を持って来たルピアの弟、ポーロはなだめようとする。が、ルピアの怒りは収まらない。
    「しかしもかかしもあるかッ! すぐ調べろッ!」
    「し、調べる? 何を?」
    「考えてもみろ! 25歳で大臣になって、そこから1年もしないうちに、いきなり更迭されて投獄だと? こんな出来の悪い三文芝居みたいな話があるか?
     誰かが仕組んだのでなけりゃ、こんな滅茶苦茶なことなど起こりえない! そして、その仕組んだ奴には何らかのメリットもあるはずだ!
     この茶番劇で得をする奴が誰か、調べて来い!」
    「わ、分かったっ」
     姉の剣幕に逆らえず、ポーロは飛ぶようにして央北へと渡った。

     と言っても、その利害関係は明らかなものである。すぐにバーミー卿にとってメリットのある話だと分かり、すぐに伝えられた。
    「カーチス・バーミー卿が? ……解せんな」
    「しかし、この件で彼は、去年から停止させられていたいくつかの権限を復活させている。その上、無断で行っていた閣僚級会談に関してのお咎めも受けずに済むように……」
    「ああ、それは確かだ。だが気になるのは、バーミー卿の政治手腕だ。
     あの男は直情径行、傲慢不遜の軍人バカだ。こんな手の込んだことのできる器でも頭でもない」
    「まあ、そりゃ、そうだな」
    「ぶっちゃけ、あいつにはこの件を計画するのは無理だ。となればあいつの腹心か、あいつと懇意にしてる奴がこの計画を立てていた、と考えるのが妥当か。
     ……ポーロ。……調べてほしいことがある」
    「またかよ……。俺だってそう何度も、央北と央中を行ったり来たりしたくないんだが」
    「そう言うな。……私の息子に罪を着せたのも許せんが、それ以上に気になるのが、この混乱を――中央政府がガタつくほどの騒ぎを起こしたことだ。
     放っておけば、いずれ我がネール職人組合にも悪影響が出るかも知れん。そうなってからでは遅い、……かも分からんからな。
     中央政府や天帝を動かせる奴が、小物だとは思えん」
    「……分かった。調べてみる」
     真剣な面持ちの当主ルピアに、ポーロは素直に従った。



     この後――央中ではある抗争が勃発した。
     ネール職人組合はゴールドマン商会に対し、一切の提携を破棄した。また、総帥であるケネスが今回の混乱を招いた張本人であると言う出所不明の告発文書が、中央大陸各地に出回った。
     この2つの出来事がゴールドマン商会の、央中における信用度を落とし、また、後の世につながる「狼と狐の対立」を生んだ。

    (やれやれ……、これは予想外のダメージを負ったものだ)
     思わぬ攻撃を受けたケネスは、軽くため息をつきながら、手に入れたその告発文の一つを、くしゃくしゃと丸めて捨てた。
    「アンタ、あのうわさってホンマなん?」
     そこに、ケネスの「正妻」リンダが、不安げな面持ちで声をかけてきた。
    「まさか」
     ケネスは笑顔を作り、否定してみせる。
    「私が……、いや、ゴールドマン商会が急成長を遂げていることに対しての、嫌がらせだろう。
     第一、こないだの政争と一商人でしかない私に、どう関係があると? こじつけもいいところだよ」
    「……そうやんな」
     リンダは上目遣いに夫を見上げ、彼の手を握りしめた。
    「でもな、うわさちゅうても……」
    「何だ?」
    「ここら辺のみんな、疑っとるみたいやねん。……フォブがな、こないだ」
    「フォブが? 何かされたのか?」
     フォブと言うのは、ケネスとリンダの息子である。
    「……顔にあざ、作っとってん。なんや、いきなり殴られたらしいねん」
    「本当か?」
     息子が殴られたと聞き、ケネスは憤った顔と声を作ってみせる。
    「何と言う卑怯なことを! 私に攻撃するのではなく、私の息子を攻撃するとは!」
     だが冷血漢のケネスである――その心中は、特に憤りも、侮蔑も感じていない。
     考えているのは、今後の身の振り方だった。
    (評判を落とした、か。これは少し、計画にとってマイナスになるか)
    「……なあ、アンタ」
     リンダは困った顔をしながら、こうつぶやく。
    「あたし、アンタがかなりアコギなコトしよるっちゅうのんは、何も文句言わへん。でもな、ソレであたしらに迷惑かかるっちゅうのん、嫌やねん。
     何とかならへん? ならへんのやったら、もうせんといてほしいねん」
    「……むう」
     妻に、目に涙をたたえつつそう言われてしまっては、流石のケネスも閉口するしかない。
    「手は、考える。……少し、我慢をしていてほしい」
    火紅狐・政争記 5
    »»  2010.11.24.
    フォコの話、86話目。
    金火狐一族の大移動。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     いかに神算鬼謀を用いるケネスといえど、信用を失っては商人としての活動に支障が出る。
     ルピアの市場攻撃と告発により失った信用を回復し、また、一連の騒ぎから回避するため、ケネスは大規模な手を打ち出した。

    「居を移す?」
    「ええ。皆、知っていると思うが、このカレイドマインはもう、資源が枯渇しかかっている」
    「まあ、確かに」
     ケネスは金火狐一族を集め、その本拠をカレイドマインから移転する計画を発表した。
    「このままここでじっとしていれば我々の本業、拠り所である鉱業は成り立たなくなる。
     そこでここから南下し、大きな貴金属鉱床があると目されているイエローコーストへ陣取ろうと考えている。どうだろうか?」
    「イエローコーストちゅうたら……、コリンじいさんのおったところか」
    「でもあのじいさん、『ずーっと掘っとるけど、全然出てきよらんわ』てこぼしとったけどな」
     懐疑的な金火狐たちに対し、ケネスは持論を強く推す。
    「一度、商会再編のために、一族の事業を一時的に凍結したことがあっただろう? あの際に調べてみたのだが、コリン叔父貴の採掘方法は、非常に古臭かったのだ」
    「ほう……」
    「現在我々が持っている最新鋭の採掘技術をもってすれば、おそらく1~2年以内には、往年のカレイドマイン以上の採掘量が望めるだろう」
     ケネスの主張に、一族はまだ首を縦に振ろうとしない。
    「ホンマかいな」
    「アンタいっつも強引やからなぁ」
    「ただ単にアンタ、中央さんとかネールさんトコとかから、ちょっとでも離れたいと思てるんと違うん?」
    「あそこら辺、他にでかい商人おらへんもんな」
     痛いところを突かれ、ケネスはほんの少し顔をしかめる。
     だがそれでも、ケネスは引こうとしない。
    「それも無いと言えば嘘になる。だが、このままでいいと、引き下がるわけにもいかない。
     繰り返すが、いずれはカレイドマインの資源は枯渇する。主管事業である鉱業が成り立たなくなったら、我々は果たして金火狐の看板を維持できるだろうか?」
    「それは……、まあ……」
    「不安ちゅうたら不安やけども」
     迷いを見せた一族に、ケネスはダメ押しした。
    「決断していただきたい。痩せた故郷を取るか、これからの歴史と看板を取るか、を」

    「ゴールドマン商会が移転した?」
     その報せを受けたルピアは、自分の頭をクシャクシャとかいた。
    「どう捉えたものかな……。撤退したと見るべきか、態勢の立て直しと見るべきか」
    「俺には何とも言えないが、……まあ、とりあえずは向こうも、大きな動きはできないわけだ」
    「確かに。本拠を移すとなると、一月、二月じゃとても足りんからな。しばらくは、中央政府に構ってなんかいられんだろう。
     しかし……、イエローコーストだったか? どこなんだ、そこは?」
     いぶかしげな顔をするルピアに、ポーロは説明した。
    「央中の、かなり南の方だったはずだ。えーと、確か……、カーテンロック山脈の、南端くらい」
    「そりゃまたド田舎だな。一体何でそんなとこに……? 他の商会とバッティングするのを避けたかったんだろうか?」
    「うわさによれば、黄金が出るとか出ないとか」
     それを聞いて、ルピアは鼻で笑う。
    「はっ。逃げた先には黄金郷、か? そんな都合のいい話があってたまるものか」



     ところが1年後――本当に、黄金が出たのである。これにより、央中事情は再び激変した。
     ケネスの予測通り、イエローコーストの鉱産資源は非常に豊かなものであり、その年間産出量は、中央政府が同期間に発行する貨幣の2倍以上にもなっていた。
     それだけの量が出るのだから、資金と信用には困らない。取引においても、いくらでも補填と補償が効く。そのため商会の取引量と相手数は、あっと言う間にケネス告発以前を上回った。
     そしてその取引の中に、ネール家は介入できなくなってしまった。

    「まずいな……。下手するとうちはこのまま、孤立しかねない」
     取引相手の半分近くを奪われ、ネール職人組合は身動きが取れなくなくなりつつあった。
    「資金力で圧倒的不利だし、ゴールドマンよりもいい条件なんて出せない。……そりゃ、発注も断ってくるし、入札でも負けっぱなしになるわな」
    「どうするんだ、これから」
    「まあ、……まだ手はある。いくら中央大陸のあちこちに手を伸ばそうと、他の大陸にまでは手を出し切れないさ。
     今後しばらくは、中央大陸外との取引を強化しよう。……本拠の央中が、おろそかにならない程度に、な」
     そう結論付けたルピアだったが、その内心はひどく苛立っていた。
    (くそ……っ! まるで神か悪魔が味方に付いてるようだ、エンターゲートの奴!
     どうしてこうも、あいつのやることなすこと、うまく運ぶんだ……!? 世界があいつ中心に回ってるとしか思えない!
     ああ、くそ……っ! すまない、ランド……! 私はまだ、お前を救ってやれない……!)
     ルピアは心の中で、投獄されたままの息子を案じていた。

    火紅狐・政争記 終
    火紅狐・政争記 6
    »»  2010.11.25.
    フォコの話、87話目。
    牢の中の知性。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ルピアとケネスが争っている間も、ランドはずっと牢獄につながれていた。
    (何故こんなことに……?)
     ランドは愚帝、オーヴェルによって政治犯の烙印を押され、牢の奥深くに投獄された。
     天帝直々に「中央政府を危険にさらした極悪犯」と蔑まれ、最早彼を助けようとする人間は、中央政府内にいなかった。
    (こうなったのは、何故なんだ?)
     彼の周りは頑丈で殺風景な壁と扉に囲まれ、彼に一切の情報を与えない。明り取りの狭い窓からわずかに見える地面ぎりぎりの景色と、一日二回の食事とが、何とか彼を正常に保っていた。
    (……何故……?)
     そして彼自身も、自分を正常に保たせようと、ひたすら思案に暮れていた。

     どこまでも、考える。
    (何故僕は投獄された?)
     考え続ける。
    (直接の原因、それはオーヴェル帝の勅令だ。彼が僕を捕らえよと言ったから、僕は捕らわれた)
     ひたすら思考の渦に、身をゆだねる。
    (じゃあ、何故? 何故、オーヴェル帝は僕を捕らえさせたんだろう?
     彼は僕の政策を、全面否定した。それは何故? 本当に、僕のやっていることが中央政府の害になると?
     それはない。だってそうだろう? 僕なりに、どの懸案も真剣に考え、修正案を提示した。その後、議会の皆で微調整もしたし。その点に関しては、僕に間違いは無かったはずだし、間違いがあれば皆、指摘しないはずが無い。
     それに間違っていたなら先帝、ソロン陛下が口を挟んでいたはずだ。あの方は自分で意見を発するよりも、他人の意見を推敲するタイプの方だった。僕が間違っていたなら、それを咎めないわけがない。
     それでも、もし、間違っていたとするなら、……それはもう、陛下の御心が先帝や僕たちと、あまりにも乖離してしまっている、としか言えない)
     思考の渦に呑まれ、また浮き上がる。
    (……僕が正しかったのに、投獄されたとしたら?
     それはもう、何かしらの陰謀があったとしか思えない。でも僕を陥れることで、陛下は得をしたんだろうか? ……いや、それもない。陛下と僕との間に、接点が無いもの。
     オーヴェル帝は即位して間も無いし、僕だって政務大臣になって1年ほどだった。利害関係なんて、築けてない。
     なのに彼は、僕を投獄した。それは何故?)
     何も無い独房の中で、ランドの思考から感情が削ぎ落とされていく。初めは戸惑いや怒り、恐れや不安に満ちていたランドの脳内が、純粋な思考、思索に満たされていく。
    (オーヴェル帝は……、あまり、頭のいいタイプじゃない。政治や経済のことに、あまり明るいとは言えない。元々、さほど興味も無かったみたいだし。
     そんな彼がそもそも、僕の政策を理解した上で異議を唱えたんだろうか? それは……、考えにくい。誰かが『この政策は陛下のためにならない』なんて口ぞえでもしない限り、あんな風に僕を罵り、糾弾なんてしないし、できるはずもない。
     ……いたんだろうな。オーヴェル帝に口ぞえし、彼を誘導した人物が。それは誰だろう?)
     すぐに、ランドはその人物に思い当たる。
    (あの時、陛下が異議を唱えた時、賞賛されたのはバーミー卿だった。……じゃあ、彼なんだろうか?
     ……それもおかしい。彼は根っからの軍人だし、直情径行型で傲慢なタイプだ。自分から策を弄して人を陥れるなんてことを、するタイプの人間じゃない。
     となると、彼の腹心か、彼と深い利害関係にあり、かつ、非常に根回しの利く、頭のいい人間がバックにいたんだろうな)
     母ルピアと同じ思考を辿り、続いて彼は、母が調べさせたその先へ、自力で辿り着いた。
    (バーミー卿はこの数年、エンターゲートと言う商人と懇意にしていた。中央軍の装備は、ほとんど彼のところから卸されていたし、前述の深い利害関係が、確かに存在する。
     ……ケネス・エンターゲートだったっけ。塾長が不思議がってたな、そう言えば。『塾にいた時はぱっとしなかったが、この数年で急激に成り上がった奇才だ』って評価してたな。
     もしかしたら、彼が黒幕なのかな……?)
     ランドはついに、真実へと辿り着いた。

     だが、その深い洞察力、驚くべき推理力も――この何も無い空間の中では、何の意味も無かった。
    火紅狐・逢魔記 1
    »»  2010.11.27.
    フォコの話、88話目。
    悪魔がやってくる。

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    2.
     投獄から1年が過ぎ、ランドのことを覚えている者は次第にいなくなっていった。
    「……」
     いや、覚えている余裕など無いのだろう。
     何も無い独房の中で、耳を澄ませば時折、扉の閉まる音が響いてくる。それと前後して、人の嘆き悲しみ、あるいは怒り狂う声も。
    (次々と、投獄されている)
     外の事情は知る由も無いが、何が起こっているのかは何となくは把握できた。
    (陛下が次々に、人を消しているのだろうな。僕を皮切りに、恐らくは大臣級、高級官僚級の人間が、次々と。
     そして多分、陛下はバーミー卿とエンターゲート氏に操られている。それはつまり、あの二人が中央政府を、世界全体を動かしているんだ。
     ……! そうか、まさか……!?)
     不意に、ランドの頭に閃きが走った。
    (バーミー卿は、戦争を誘発させるような軍事行動を執っていた。そしてエンターゲート氏は武器商人。戦争が起これば、儲からないはずが無い。
     この流れを、仕組んでいるのか……!? 戦いの火種をあちこちに撒き、燃え上がればそれを消しに回り、一方でまた、どこかに火種を撒く。それが繰り返されれば、……どうなる?
     バーミー卿は『緊急時の行動』と言う大義名分の下、好き勝手に軍と政府を動かせる。エンターゲート氏は自分の商品を、いくらでも買ってもらえる。バーミー卿属する中央政府側にも、戦争を起こしている当事国にもだ。
     ……何て恐ろしいことをッ! あの二人の権力と利益のために、世界中が振り回されると言うのか!? そんな……)
     ランドは思わず独房の中で立ち上がり、叫んだ。
    「そんな非道が許されてたまるかッ……! あの二人が、たった二人だけが美味しい思いをするために、世界中が犠牲になると言うのか!?」
    「おい、うるさいぞ!」
     ガンガンと扉を蹴る音が独房中に響いたが、ランドは呆然と立ち尽くしたままだった。

     その結論に行き着いて以降、ランドは居ても立ってもいられなくなった。
    (何とかしなきゃ……! このまま放っておいたら、世界はどうしようもなく傷付けられ、蹂躙され、いずれは破滅する!
     どうにかしてこの牢獄を脱出し、彼らを抑えなければ! そうしなきゃ、世界は破滅してしまう!)
     ランドは扉や窓に目をやるが、その途端、気持ちがしぼんでしまう。
    (……どうやって出るって言うんだ? 誰かが出してくれると?
     誰が? 議会の誰かが嘆願を? ……そんなわけが無い。あの時手を差し伸べてくれなかったんだし、きっともう、何人かは投獄されている。そして残った人も萎縮してるだろうな。そんな冒険、してくれるわけがない。
     ルピアさんが保釈金を……、なんて、それも無いだろうな。何とかして助けてやりたいとは思ってくれてるだろうけど、いくらなんでも政治犯を簡単に釈放しようなんて、中央政府や陛下は容認しない。いくらお金を積もうと、出してはくれないだろう。
     ……はは、は。結局、出られないんじゃ、なぁ……)
     ランドは諦めに満ちたため息をつき、横になる。しかしじっとしていると、世界の危機と言う不安が、頭をよぎる。
     ランドは狭い独房の中で立ったり座ったりと、せわしなく動いていた。



     そんな独り相撲にも疲れ、ランドはぐったりと横になった。
    (いくら僕に優れた頭脳があろうと、この中じゃどうしようもない。何も出来ないんだ。
     ……でも、諦められない。このまま世界が腐っていくのを、黙って見ているなんてできやしないんだ。
     ……誰か……)
     無駄とは分かっていながらも、ランドはそれを口にした。
    「……誰か、僕をここから出してくれ。ここから出して、僕に世界を救わせてくれ。
     そのためなら、何でもする。何でもあげるから」
     返事が返って来るはずの無い願いを口にし、ランドは目をつぶった。

     だが――返事が返って来た。
    「今の言葉、本心だろうな?」
    「……!?」
     どこかから、声が聞こえてきた。
    「だ、誰?」
    「もう一度聞くぞ。お前は『そこから出られるなら、何でもやる』と言ったな?」
    「……ここから出て、世界を救えるなら、だよ」
     誰が声をかけているのかは分からないが、ランドは応じてみた。
    「いいだろう。契約成立だ」
    「……なんだって?」
     ランドは目を開け、むくりと起き上がった。
    「契約?」
    「扉の近くでしゃがめ。そこは危険だ」
    「え?」
     戸惑いつつも、ランドは言われた通り、扉に張り付くようにしゃがみ込んだ。
     次の瞬間――。
    「『五月雨』」
     明り取りの窓の面積が、一千倍に広がった。
    「……~っ!?」
     頑丈なはずの漆喰の壁が、あっと言う間に瓦礫になる。
     目を丸くしたランドの前に、その瓦礫の向こうから何かが降り立った。
    「立て」
    「な、な……!?」
    「二度も言わせるな」
    「……あ、う、うん」
     ランドは突然の事態に混乱しつつも、相手の言う通りに立ち上がる。
    「さっさと逃げるぞ」
     壁を壊してくれたらしい、真っ黒なコートを羽織った男が、ランドに促した。
    火紅狐・逢魔記 2
    »»  2010.11.28.
    フォコの話、89話目。
    恐怖の顕現。

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    3.
     壊された壁を抜け、えぐり取られた地面を登って地上に上ると、そこはドミニオン城の横、頑丈な鉄柵で囲まれた牢獄の庭だった。
    「……外……なの? 本当に?」
    「俺が幻でごまかすと思うのか?」
    「『俺が』、……って言われても」
     ランドは自分を助けた、髪から肌、服装、靴に至るまで真っ黒な男に向かって口をとがらせる。
    「君、誰なんだい?」
    「ああ、自己紹介が遅れたな。……と」
     男はランドから視線を離し、辺りを見回す。
    「流石に騒がしくしすぎたようだ」
     ランドたちを囲むように、看守の兵士たちが集まってくる。
    「脱獄だ! 脱獄だーッ!」
    「捕らえろ! 逃がすな!」
     兵士たちはそれぞれ手に槍や縄を持ち、バタバタと足音を立てて寄って来る。
    「ど、どうするのさ!?」
    「……」
     ランドの問いに、男は答えない。何かを考えているような顔をしている。
    「囲まれるよ!? 逃げなきゃ!」
    「騒々しい」
     男はうざったそうに顔をしかめ、ランドに向き直った。
    「ここで待っていろ。10秒で片付ける」
    「片付ける?」
     ランドがそう尋ねるより先に、男は刀を抜いて駆け出した。

     男が駆け出したのを見て、兵士たちは武器を構え――ようとした。
    「……、っ」
     だが、その3分の1がばたりと倒れる。そしていつの間にか、彼らの足元には血の池ができていた。
    「は、やい……っ」
    「ゆ、油断する、な……」
     続く3分の1も、糸が切れた操り人形のように、かくんと崩れ落ちる。
    「……ひ、いっ」
     残った3分の1は、それで戦意を喪失した。一様にがくりと膝を付き、血ではない液体で池を作っている。
     それほどまでに、男の力は圧倒的過ぎた。

    「片付いた。行くぞ」
     呆然と見ていたランドに、男は何も無かったかのように淡々と声をかける。
    「き、君、……人をっ」
    「ああ。……二度も言わせるなと、さっきも言ったはずだが?」
     ランドは男の所業を咎めようとしたが、脱獄のチャンスは今しかないし、何より咎めて改めてくれそうなタイプでも無さそうである。
     ランドは何も言えず、男に付いていった。
    「……と、自己紹介だったな」
     そこで、男が思い出したようにランドに向き直った。
    「俺の名は克大火。大火と呼べ」
    「あ、う、うん。僕は、ランド・ファスタ。ちょっと前まで、大臣だった」
    「そうか」
     そう返され、ランドは面食らった。
    「君って……、僕が大臣だったから、とか、強い正義感があったから、とか、そんな理由で助けたんじゃないんだね」
    「そうだ」
     それだけ返し、大火と名乗った男は背を向け、鉄柵の方へと歩いていく。
    「融かせ、『テルミット』」
     大火が手をかざした瞬間、鉄柵が真っ赤に光ってドロドロに融け、「燃え上がる」。
    「う、わ……」
     魔術や化学に関しては、ノイマン塾の一般教養でほんの少しかじった程度のランドだったが、それでも大火の力がどれほどのものか、先程の凶行も含め、はっきりと理解できた。
    (鉄柵が、鉄の塊が燃えるなんて……。鉄が燃える温度は――まだ、誰もそんな実験を成功させてないから、理論上だったはずなんだけど――2千、いや、3千度くらいだって聞いたことがある。
     それほどの火力を出すには……、高炉や溶鉱炉なら、クラフトランドのネール職人組合にあったやつの数倍、十数倍の大きさがいる。それを魔力に換算すれば、何百、何千人分もの量が必要になる。
     ……つまり、タイカはそれなんだ。まさに、一騎当千の……)「……あ、あく、ま、だ」
     へたり込んでいた兵士の一人が、わななく声でそうつぶやいた。
    「あの、あの黒い男……、あいつは、悪魔だ……っ」
    「ひ、ひいいっ……」
    「た、助けて、助けて……」
    「殺さないで、死にたくない……」
     兵士たちは恐怖に押し潰され、ランドたちを追うことも、逃げることもできないでいる。
    「燃え尽きた。行くぞ」
     そんな彼らにまったく構うことなく、大火は跡形も無く燃え落ちた鉄柵の跡を踏み越え、牢獄の外へ出た。
    (悪魔……、か。僕はとんでもないものと、契約してしまったみたいだ)
     ランドは――今度は急かされる前に――大火の後に付いていった。



     この事件に関わり、生き残った兵士は全員、除隊を申し出た。また、軍も除隊せざるを得なくなった。
     あまりの恐怖に心身を患い、とても兵役に就ける状態ではなくなってしまったからである。

     軍はただちに、ランドとこの「黒い悪魔」克大火に、指名手配をかけた。
    火紅狐・逢魔記 3
    »»  2010.11.29.
    フォコの話、90話目。
    世界と大火への思索。

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    4.
     脱獄に成功し、そのまま中央政府の首都、クロスセントラルを脱出したランドと大火は、一旦街道を外れて森に入り、そこで一息つくことにした。
    「……まさか外に出られるとは思わなかった。ありがとう、タイカ」
    「礼を言うのはまだ早いだろう」
     ぺこりと頭を下げたランドに対し、大火は肩をすくめて見せる。
    「お前が獄を抜けたら、それで世界は平和になると?」
    「なるわけないじゃないか。……ああ、そう言うことか」
     ランドは眼鏡を服の裾で拭きながら、大火との「契約」を確認する。
    「君が助けてくれたのは、世界平和のため、だよね」
    「お前が望んだのだろう? 世界を平和にする、と」
    「ま、そうだね。……ま、そりゃそうか。君は平和にしてくれそうにないし。僕がやらなきゃいけないわけだ、それは」
     ランドは近くの岩に腰かけ、考えをめぐらせる。
    「さて、と。どうしたらいいかな」
    「俺に聞いているのか?」
    「いいや。自分に問いかけてるんだよ。……ま、答えてくれてもいいけどね」
    「……おかしな奴だな」
     大火はここでようやく、ランドに興味を持ったらしい。不思議そうな目を、ランドに向けてきた。
    「さっきの兵士のように怯えているわけでもなく、かと言って助けた俺にひれ伏したわけでもなく。
     俺と対等のつもり……、でもなく。ただの隣人程度にしか見ていないようだ、な」
    「ま、そんな感じかな。助けてくれたことには感謝してるけど、君、危ない人っぽいし。そこまで敬服できないよ」
    「……」
     大火は憮然とした顔をするが、ランドは構わず自問自答にふける。
    「ま、今この世界で何が起こってるか、って言うのをちゃんと把握しなきゃいけないな。随分長い間、牢屋の中にいたし。
     とりあえず、中央政府の圏内にはいられないかな。間違いなく、指名手配されてるだろうし。クロスセントラルから遠い央南か、北方大陸、西方大陸、南海地域のどこかに高飛びしないといけない。
     でも南海は無いな。僕が大臣やってた時からきな臭かったし、中央政府から逃げても、今度は現地で命の危険に晒されるだろう。それじゃ高飛びの意味が無い。同じ理由から、央南も無い。あそこももめてるから。後は北方と、西方か。
     ……まあ、手元に判断材料の無い今、あれこれ考えても無意味かな。とりあえず、港町に行こう。まずは央北から出なきゃ、何にもならない」
    「ふむ」
     と、そこで大火が質問する。
    「悪いが、俺はあまりこのせ……、辺りの、地理に詳しくない」
    (『せ』?)
     ランドの心に引っかかるものがあったが、そのまま大火の話を聞く。
    「ここから近い港町は、どの辺りだ?」
    「えっと……。クロスセントラルからだと、主なところでは北北東にノースポートと、北西にウエストポートって言う街があるけど、……うーん、距離的にはどっちもどっちかな」
    「ふむ。どちらに向かう?」
    「そうだな……、まあ、ノースポートかな。そっちの方がほんの少し近い。
     となれば、北方に行くのがいいかな。ノースポートからなら、北方の方が近いし」
    「なるほど。
     ……向かう前に、服を用意した方がいいか。そんな垢じみた貫頭服では、脱獄犯と宣伝して回っているようなものだからな」
    「あー、……うん、そうだね」
    「調達してくる。ここで待っていろ」
     そう言うなり、大火はランドの前から――文字通り、一瞬で――姿を消した。
    「えっ」
     ランドは辺りを見回すが、どこにも大火の姿は無い。
    「……つくづく彼は人間じゃないな」
     ランドは苦笑し、大火の帰りを待つことにした。

     大火が戻ってくるまで、ランドは大火の素性について推理してみることにした。
    (まず気になるのは、あの強さだ。兵士20数人を、あっと言う間に片付けたあの強さ。とても並の兵士とか傭兵とか、そんな感じじゃない。まるで別次元のものだ。
     魔力も半端じゃない。魔術師の人とあんまり面識ないけど、それでもあそこまですごい力を持った人は二人といない、って言うのははっきり分かる。
     そう言う異次元的、人間離れした力量を抜きにしても、あの物腰と性格も隔世の感がある。人をあそこまでばっさり、事も無げに斬り捨てておいて、まるで精神にブレが無い。動揺もしてないし、高揚してた感じも無い。本当に、『邪魔だからどかした』くらいの感覚しか無いらしい。
     ……ダメだなぁ。動揺してるのは僕だ。落ち着いて物を考えていられない。どうも、上ずってる)
     そうしているうちに、大火が袋を提げて――これも唐突に、目の前に現れて――戻ってきた。
    「着ろ。それと、簡単だが食事も持って来た」
    「ありがとう」
    (……ま、とりあえず、いいか。いいか悪いかで言えば極悪だけど、僕に対してはそうじゃないし)
     ランドは思索をやめ、ともかく大火の厚意に甘えることにした。
    火紅狐・逢魔記 4
    »»  2010.11.30.
    フォコの話、91話目。
    九枚舌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……ま、僕の経緯はそんなところだね」
     時間はフォコとランドが出会い、共に北方行きの船に乗り込んだ時点に戻る。
    「ああ……、大臣さんだったんですね。確かに、どこかで聞いたような気が」
     残念ながら、酒と絶望にまみれた生活を3年続けていたフォコは、ナラン島以前のことをはっきりとは覚えていない。
     だから、かつて目の前にいる青年とクラフトランドで出会っていたこと、すなわち彼がネール家の一員であることに、全く気付いていない。
    「じゃあ、ランドさんもタイカさんのこと、良く知らないんですね?」
    「そうなんだ。央南人っぽいなぁ、くらいにしか分からない」
     二人は海を眺めている大火にチラ、と目をやる。
    「……央南人なんですか? 確かに名前もそれっぽいし、顔つきもそう見えなくはないですけど」
    「まあ、僕も見た目だけでしか言ってないし。……何者なんだろうね?」
    「さあ……?」
     と、二人の視線に気付いた大火が、こちらを向く。
    「何だ?」
    「あの、タイカさんて」
    「うん?」
     大火に興味を持ったフォコは、質問をぶつけてみた。
    「何でランドさんを助けようと? 何か理由があって……?」
    「何のことは無い、単なる偶然だ。
     偶然、俺があの牢獄近くを通りかかった。そこでそいつの声が聞こえてきたから、契約した。それだけだ」
    「契約……?」
    「俺は魔術師だ。この世で商人と同じくらいに、契約を重んじる。……理由については、それしか言えんな」
    「……?」
     良く分からない答えに、フォコもランドも首をかしげるしかなかった。
    「……そう言えばさ」
     と、今度はランドがフォコについて質問する。
    「何でフード被ってるの? 暑くないの?」
    「え? あ、ええ、別に、その、脱ぐ必要も無いかなって」
     そうは言ってみせるが、実際は非常に暑い。
     寒冷地の北方大陸に向かう途上とは言え、今はまだ夏盛りの中央圏内である。フォコの被るフードの中は、汗でぐっしょりと濡れていた。
    「……君も結構、わけありそうだよね」
     当然、ランドはいぶかしげな目を向けてきた。
    「良かったら、聞かせてくれるかい?」
    「あ、と……」
     フォコは真実を――仇敵・ケネスに対抗するため、金火狐に誘われ、ランドたちに付いて来たことを話すべきか、逡巡した。
    (自分の体験やけど、……ウソ臭いなぁ)
     フォコは真実には一切触れず、ごまかすことにした。
    「……まあ、さっきも言いましたけど、僕は特に目的、無いんですよ。お二人に付いて来たのも、興味本位です。このフードについては、単に好きだからです。
     これで納得してください」
    「う……、ん」
     言葉の裏に仄見える圧力を感じてくれたらしく、ランドはそれ以上聞こうとしなかった。
     だが、大火は逆に興味を抱いたらしい。
    「二枚舌、と言う言葉があるが」
    「へ?」
    「お前は九枚舌だな。狐らしいと言うか」
    「9?」
    「さっきから嘘ばかり言っているな、お前。
     目的が無い? 楽しそう? 好み? どれもこれも、嘘だろう? お前のオーラ、心は、まるで正反対に光っているぞ」
    「……」
     大火の言うオーラと言うのが何かは分からなかったが、確かに今、フォコはごまかしの裏で、本懐を唱えていたのだ。
    「その裏で考えていたのは、もっと真剣味のあることのはずだ。それも何か、激しい感情を伴うような――例えば、憎むべき相手を倒すとか、仇討ちのようなものを」
    「……!」
     大火の鋭い看破に、フォコは言葉を失った。
    「まあ、いい。言いたくないと言うなら、それで構わんさ」
    「……ええ」
     フォコはこの底知れぬ男に不気味な何かを感じつつも、あくまで白を切り通した。
    (ウソ臭いちゅうのんもあるけど……、まだ明かすわけにはいかへん。
     そら、『あの方』が示してくれた二人やけど、せやからって丸っきり信用できるか? ……さっきランドさんが言うてた話かて、どこまで本当かどうか。もしかしたら、それも嘘かも知れへんやろ?
     いや、それに――さっきの話が本当やったとして、この人は大臣さんやったんや。そんな偉い奴やったら、もしかしたらアイツ……、ケネスと関わりがあるかも知れへん。
     困ってるのんは本当っぽいし、それやったらいずれ、ケネスに助けを求めるかも、やろ? そん時、僕が取引の材料にされるかも知れへん。
     ……何にせよ、用心するに越したことは無いんや)



     これまでの人生で何度も痛めつけられたために、フォコはとても用心深くなっていた。
     あのただただ熱く、無鉄砲に駆け出すだけの「お坊ちゃま」はもう、フォコの中にいない。
     より周到に、冷静に歩を進める男の――後の英雄、ニコル3世の片鱗を、フォコはこの頃から既に、見せ始めていた。

    火紅狐・逢魔記 終
    火紅狐・逢魔記 5
    »»  2010.12.01.
    フォコの話、92話目。
    腐敗した軍。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたち一行は一ヶ月の船旅を終え、北方の港町、グリーンプールに降り立った。
    「8月……、なのに」
    「大分、涼しいね」
     中央大陸圏内では暑苦しく見えたフォコのフード姿も、ここではそれなりに馴染んで見える。
    「僕も何か、上着を買わないとな。カーディガン程度じゃ、肌寒いくらいだ」
    「まだお金は2万くらい残ってます。でも、あんまり無駄遣いもできないですよ」
    「ま、そうだね。収入の当ても無いのに、散財はできない。これから長居するのに、ノースポートでやったようなことを何度もやれば、足が付くだろうし」
     そう言って、ランドは辺りを見回した。
    「これからどうするんです?」
    「とりあえず、首都がある山間部に向かう。大臣時代に面識のあった人間を頼ろうと思ってね」
    「それって……、大丈夫なんですか?」
     フォコはその人間に、ランドの居場所を密告されたりはしないかと不安がる。が、ランドはちゃんと見越しているらしい。
    「大丈夫、大丈夫。元々から北方って、中央政府とあんまり仲が良くないんだ。二天戦争って言う古い戦争で、中央は北方を打ち負かしちゃった側だからね。
     今この大陸の大部分を治めてるノルド王国の祖は中央側に味方してたんだけど、今はそれが仇になってる」
    「って言うと?」
    「中央政府はここ数年、世界各地の紛争を収め切れて無いからさ。
     北方もここ数十年、ノルド王室の権威が低下しつつある。それに伴って、各地で軍人が勝手に地方を支配して、我が物顔でいるんだ。で、中央政府……、と言うか、中央軍はその風潮を止めに入って見せてるけど、実際は余計に事態を悪化させている。
     こっちの人間にとっては、中央政府は『いらない口を挟んで状況を悪化させているよそ者』なわけだよ。そしてそれに与するノルド王室も、同罪ってわけさ。
     これから会う予定のキルシュ卿って人は、どちらかと言うとそのノルド王室と対立関係にある人なんだ。だから中央政府から逃げてきた僕を拘束して引き渡すとか、そう言うことにはまず、ならないよ」
    「なるほど。……それにしても、どこも物々しいんですねぇ」
     フォコも先程のランド同様、辺りを見回してみる。

     確かに港から市街地へ続く道中、どこを見ても軍人の姿が目に付いた。
     そして、その質はあまり良くないらしい。
    「おっ、うまそうな魚だな」
    「へえ、獲れたてです」
     道端で魚を売っていた漁師風の、短耳の老人を、軍服姿の男たち2、3人が囲んでいる。
    「じゃ、もらおう」
    「どうも、42万グランで……」「あ?」
     と、漁師が売値を口にしたところで、3人は態度を豹変させる。
    「金を取るのか、俺たちから?」
    「え? いや、商売ですし……」
    「俺たちを誰だと思ってる!? 泣く子も黙る、イドゥン軍閥の者だぞ!」
    「で、でも。ちゃんと買ってもらわないと、俺が困るんですが……」「ええい、うるさい!」
     困り顔の漁師を、軍人たちはいきなり蹴り飛ばした。
    「うげっ……」
    「軍にたてついた罪で、この物資は徴発する!」
    「そうだそうだ、素直に渡せ!」
     滅茶苦茶な言い分を暴力で通し、軍人たちはそのまま魚を持っていってしまった。

    「……何ですか、今の」
     修羅場を幾度と無く潜ったフォコも、これには唖然とした。
    「今、ノルド王国内の軍閥は半分近くが野放し状態だからね。うわさには聞いてたけど、これほどひどいとは」
     ともかく、目の前で人が傷つけられて、素通りできる二人ではない。
    「大丈夫ですか?」
     散々蹴られ、ピクリとも動かない漁師に声をかけた。
    「……」
    「とりあえず、休めるところを探そう。この人も、ここに放置したままにはできないし」
    「じゃ、僕が背負います」
    「お願いするよ」
     フォコとランドは漁師を連れ、宿を探すことにした。

     と、フォコの背後から、ぽつりと声が聞こえてきた。
    「……許さねえ……絶対に許さねえぞ……」
    「……っ」
     恨みのこもったその漁師のつぶやきに、フォコの狐耳は総毛だった。
    火紅狐・乱北記 1
    »»  2010.12.03.
    フォコの話、93話目。
    未来の想定。

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    2.
     宿を取り、漁師を休ませたところで、フォコたちは彼からこの国の情勢を聞きだした。
    「いやもう、最近じゃ商売もまともにできないんだわ」
    「無理矢理奪うなんて、まるで盗賊ですよ」
    「本当だよ……。特に今は、イドゥン軍閥ってのがこの辺りを占拠しちまってね。ノルド峠も封鎖しちまったし、やりたい放題なんだ、本当」
    「え……。峠を、封鎖?」
     これを聞いて、ランドの顔が曇った。
    「峠を越えた先にある、ギジュン軍閥ってのと仲違いしちまったんだよ。で、封鎖しちまったらしちまったで、首都と完璧に縁が切れちまったもんだから、日に日にムチャクチャするようになって……」
    「まったくですね……」
     相槌を打ちながら、フォコは先程漁師を背負った時に聞いたつぶやきを思い出していた。
    (『絶対に許さない』……、って、あんなボコボコにされとったのに、何でそう言えるんや?
     このおっちゃん、確かに筋肉はあるっちゃあるねんけど、年寄りやし、実際さっきもやられっ放しやった。それやのに、どうやって仕返しするんやろか?)
    「あの、峠を封鎖したって言うのは……?」
     と、ランドが困った顔で尋ねてくる。
    「そのまんまの意味だよ。行き来できないように、土嚢積んだり関所増やしたりして、通行不能にしちまったんだ」
    「そうですか……」
     これを聞いて、ランドは腕を組んでうなった。
    「どうしたんですか?」
    「どうもこうも。
     君も港に着いたところで分かったと思うけど、この大陸は非常に山が険しいんだ。首都のある山間部へ行く方法は、その封鎖された峠を通るしかない。
     でもそこが封鎖されちゃったって言うなら……」
    「僕らが山間部へ行くのは不可能、……ってわけですか」

     思い悩むランドを残し、フォコは宿の外に出た。
    (おっちゃん、何するつもりなんやろ?)
     漁師の言葉が耳から離れず、フォコは考えをめぐらせた。
    (あのおっちゃん一人では無理やろし……、誰かに助けを? 例えば……)「例えば仲間と共謀して闇討ち、か?」「……っ!」
     いつの間にか、横に大火が並んでいる。
    「俺も気にはなっていた。普通、屈強な男に――言い換えれば、己の力ではどうにもならん相手に囲まれて袋叩きにされれば、大抵は心が折れる。
     だがあの漁師、反撃する意思が見て取れた。と言うことは、その手段を明確に持っていると言うことだ」
    「なるほど、確かに。……タイカさんも、それは仲間と組んで行動に出ること、と見ているんですか?」
    「ああ。……少し、泳がせてみよう」
    「あの人を帰して、後をつけるってことですね」
    「そうだ。……火紅、お前もなかなか聡い男だな」
    「へへ、良く言われます」
    「そうか」
     それだけ返し、大火は宿に戻っていった。



     夕闇が迫る頃になって、漁師はフォコたちの部屋を後にした。
    「俺が後をつける。お前らは休んでいるといい」
    「頼んだ」
     大火に尾行を任せ、フォコとランドは会話に興じた。
    「ランドさんって、これからどうしようと思ってるんですか?」
    「うん?」
    「えっと、キルシュ卿でしたっけ、その人のところへ行って、まあ、安全が確保されたとしますよね。で、それからどうするのかなって」
    「態勢の立て直し、かな。僕は世界最大・最強の組織を相手にしなきゃならない。それならこっち側も、相応の組織固めをしなきゃ対抗できない。
     だからまず、キルシュ卿に協力し、彼がノルド王国で最大の実権を得られるように手助けをする。それが成功したら、今度は僕のために協力してもらおうかな、って」
    「……まあ、確かに、それは確実と言えば、確実な方法ですけど」
     話を聞いて、フォコは首をかしげる。
    「すごく時間がかかりそうですね、年単位で」
    「それは仕方ない。そうそう都合よく、強力なバックアップを得ることなんてできないさ」
    「でも……」
     フォコは納得行かず、食い下がる。
    「悠長にしてたら、どうしようもなくなることもありますよ」
    「他に僕たちが取れる方法は無い。いくら時間がかかりそうでも、これ以外にはやれることはないんだ。
     ……ホコウ、ちょっと聞くけど」
    「はい?」
    「君はどこまで、僕たちに付いて来る気だい?」
    「え?」
    「何度も言ったことだけど、君は僕たちに関係が無い。言ってしまえば、僕たちがどうなろうと君は逃げてしまえば済む話なんだ。
     なのに何故、君は僕たちに協力しようとするんだい?」
    「……言っても、納得しないですよ」
     そう返したフォコに、ランドはいぶかしげな目を向けた。
    「やっぱり、何かしらの理由があるんだね。単に興味本位ってだけじゃない、もっと大きな、切実な理由が」
    「そう思ってくれていいです」
    「そうさせてもらうよ」
    火紅狐・乱北記 2
    »»  2010.12.04.
    フォコの話、94話目。
    轟くカリスマ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     宿を離れた漁師をこっそりと尾行していた大火は、彼が裏通りへ入っていくのを確認した。
    (いかにも治安の悪そうなところへ、こんな時間に向かうとは。
     こちらに住処があるのか、それとも官憲の目の届かない何かに用があるか……)
     どうやら、後者だったらしい。
     漁師はある建物の前で立ち止まり、中から出てきた者と二言、三言交わして、そのまま中へ入っていった。
    (今出てきた奴ら……、どうみても堅気などではなさそうだ。裏事に通じていそうな顔をしている)
     大火はそこで、ぼそ、と呪文を唱えた。
    「……『インビジブル』」
     大火の姿がすっと消える。
    (何を相談する気……、まあ、言うまでも無いか。兵士の横暴を、吐露するのだろう)
     誰にも見えなくなった状態で、建物の奥へそっと入る。
    (ふむ)
     建物の中にはあちこちに武器が積まれており、そのあちこちで、物騒な話も聞こえてくる。
    「軍港はどう攻める?」
    「沖と陸、両面だそうだ。沖でおびき寄せて、艦が出るか出ないかのとこで火を放てば、そのまま落とせる」
    「軍港はイドゥン軍閥の要だからな。落ちれば勝利に大きく近付く」
     大火はそれらのヒソヒソ話を流し聞きつつ、建物の奥、ドアの無い広い部屋の前で立ち止まった。
    「本当にもう、今日と言う今日は」
    「わかる、わかるよー」
     先程の漁師を中心に、黒いフードを被った者たちが彼を囲んで話をしていた。
    「もうそろそろ、準備も整うから」
    「本当に?」
    「もちろんもちろん。それに今回は、助っ人も用意してる」
    「助っ人? ……まさか、あの?」
    「その通り。『猫姫』一派が来てくれるそうだ」
    「そりゃすごい……! これでイドゥン軍閥もおしまいだな」
    「うんうん、落とせるよー」
     一同に、喜びの雰囲気が漂った。
    (『猫姫』……?)
     話に上った人物がどんな人間なのか詳しく聞きたいと思ったが、話は別のところへ流れてしまった。
    「で、襲撃はいつに?」
    「明日の真夜中だ。『猫姫』が到着次第、彼らと合同で焼き討ちを決行する」

    「だそうだ」
     大火から話を聞き終えたランドは、短くうなった。
    「暴動騒ぎまで起きるなんて……、この国の混乱ぶりは相当だね」
    「にしても」
     フォコは話題に上った「猫姫」に興味を持った。
    「誰なんでしょうね、『猫姫』って。そんな、来ただけで士気の上がるようなカリスマなんでしょうか」
    「判断材料の無い今は、何とも言えないね」
    「ともかく、明日だ。それまではじっとしているとしよう」



     そして日が変わった、真夜中過ぎ。
    「軍港を攻めると言っていた。ここからなら、戦況を見渡しやすい」
     フォコとランドは大火に連れられ、グリーンプール港の廃倉庫に潜んでいた。
    「まだ、攻め込まれた様子はないですね」
    「みたいだね」
     と、ランドが何かに気付く。
    「……おかしいな?」
    「え?」
    「何だか、妙に肌寒い。湿度が急に上がってるような……?」
    「そう言われれば……」
     確かにランドの言う通り、尻尾が妙にしっとりと毛羽立ってくる。
    「……あの雨雲」
     と、大火が空を見上げてそうつぶやく。
    「あれは人工物だ。自然に発生・発達したものではない」
    「人工物? どうやって……?」
     大火は軍港の真上でもこもこと膨れ上がっていく、べっとりと黒ずんだ雨雲を指差した。
    「雲の切れ間に見える、あの紫色の光。雷ではない――魔力の光だ」
     次の瞬間、雨雲から極太の雷が、恐ろしげな音を立てて落ちていった。
    「わ、っ……」
     辺りに轟いた爆音に、フォコは思わずしゃがみ込む。
    「なるほど、カリスマか。確かにこれだけの力があれば、そう賞賛されていてもおかしくはない」
     大火は珍しく、口角をわずかに上げてニヤリと笑った。
    「面白い。蘇った甲斐があったと言うものだ、な」
    「蘇った……?」
     ランドが尋ねるが、大火は答えず、代わりに状況の説明に入る。
    「あの一撃で、恐らく軍港内は火の海だ。沖から攻めてくる船を迎撃しようと出港しかけた艦が燃え上がり、辺りに飛び火。敵兵は迎撃と消火活動に挟まれ、身動きが取れんだろう。
     『猫姫』側の勝利だ」
     大火の言う通り、やがて軍港から真っ黒な煙と、それを橙色に照らす炎が噴き出し始めた。
    火紅狐・乱北記 3
    »»  2010.12.05.
    フォコの話、95話目。
    「猫姫」の素顔。

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    4.
     続いて大火は、こんなことを言い出した。
    「沖に船がいる。あれに乗り込むぞ」
    「え……」
     フォコたちが戸惑った声を出したのは、その意図が分からなかったわけではない。
     二人とも聡明なので、沖にいたその船に「猫姫」が乗っていることと、彼女に会う意義には察しが付いていた。
    (そら、沖から様子見てへんかったら、軍港ん中の船、いつ攻撃したらええんか分からへんやろしなぁ……。ちゅうことは、あそこに船を攻撃した『猫姫』さんがおるっちゅうことになる。
     ほんで、その『猫姫』さんに会うっちゅうのも分かる話や。軍閥に峠を封鎖されとる今、そいつらを倒さな、封鎖は解かれへん。ほんなら、実力を持っとる『猫姫』さんらに協力するっちゅうのんが今、封鎖を解く一番手っ取り早い手段や。
     でも、ここからどうやって船に乗るんやろ?)
     ランドも同じ結論に至ったらしい。
    「確かにあの船には恐らく『猫姫』なる人物が乗っているだろうし、彼女――だか分かんないけど――に協力することが、現状の打開に結びつくのは確実だろう。
     でもどうやって、あんなところまで? ここには船も何も……」
     大火は答えず、二人の背後に回り込んで襟をつかんでくる。
    「え?」「じっとしていろ」
     次の瞬間、二人は宙を浮いた。

    「へ、……うひゃああああ!?」
     突然空高く舞い上がり、流石のフォコも狼狽する。
    「……っ」
     隣のランドも真っ青な顔になっている。
    「しゃべるな。舌を噛むぞ」
     どうやら、これも大火の魔術によるものらしい。
     三人は3分も経たない内に、沖に停まっていた船に到着した。
    「……も、もう、着いたんですか」
    「静かにしていろ」
    「……」
     二人とも声を挙げてへたり込んでしまいたいところだったが、確かにここで見つかれば騒ぎになる。何とかこらえ、物陰に潜んだ。
    「あいつだな」
     大火は甲板の中央に立つ、耳と尻尾の黒い、緑髪の猫獣人を指差した。
    「あの子が……?」
     一見した感じでは、その女性は少女とも取れるくらいに若かった。
    (どう見ても、一撃で船を丸焼きにするくらいに強いとは思えへんねけどなぁ……?)
     だが、大火は確信に満ちた声で返答する。
    「オーラが尋常ではない。あの中で最も、強い魔力を持っている」
    「オーラ……?」
     そう言われてもう一度目をやるが、フォコの目にはやはり、ただの少女としか見えない。
     と――。
    「……そこ、誰かいるの?」
     その少女が、こちらに目を向けてきた。
    「……っ」
     フォコたちは見つかったかと舌打ちしかけたが、大火が先手を打つ。
    「術をかける。口を開くな」
    「え、……」
     尋ねかけたが、言われた通りに黙る。
    「『インビジブル』」
     大火が術を発動した途端に、三人の姿は見えなくなった。
    (……ホンマ、何でもできるなぁ、この人)
     そうこうしている内に「猫姫」と何人かが、こちらに向かってきた。
    「あれ? ……気のせい?」
    「イールさん、本当に誰かいたんですか?」
     どうやら、「猫姫」はイールと言う名前らしい。
    「うー……ん、いたと思ったんだけど」
     イールはきょろきょろと辺りを見回し――本当に、そこにはフォコたちがうずくまっていたのだが――誰もいないことを確認して、肩をすくめた。
    「ゴメン、気のせいだったみたい」
    「はは……」
    「まあ、心配のし過ぎってことは無いっスよ」
    「相手は悪名高き四大軍閥の一角だからなぁ」
    「そう、ね。……ま、グリーンプール軍港は落としたし、これでしばらく、イドゥン将軍も大人しくなるわよね。帰りましょう、みんな」
    「はい!」
     そうして密かにフォコたちを乗せたまま、「猫姫」一派の船は動き出した。
    火紅狐・乱北記 4
    »»  2010.12.06.
    フォコの話、96話目。
    砦からの脱出。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     1時間ほどで、船はどこかの港に停泊した。
    「さ、今夜はもう遅いから、さっさと寝ましょ。片付けは明日でいいわ」
    「うーっす」
    「おやすみなさーい」
     ぞろぞろと人が消え、船に残ったのはフォコたち三人だけになった。
    「……もういいぞ」
     大火の声が聞こえると同時に術が解除され、三人の姿が現れた。
    「ふう……。潜入成功ですね」
    「ああ。これからどうする?」
    「そうだな……」
     ランドは物陰から辺りを見回しつつ、今後の行動を決める。
    「とりあえず、ここがどこだか確認して、一旦グリーンプールに戻ろう。それでまた、改めてここを訪れて、協力を申し出ることにしようかな、と。
     丁度ホコウ、君がノースポートで僕らにやったみたいな感じで」
    「……ああ、なるほど。『脅しと頼み込み』ってことですか」
    「そう言うこと。実際、あれは非常に揺さぶりが効くよ。
     頼みを受けてもとりあえずマイナスは無いけど、断れば明確なマイナスが発生する。まともな人間なら、十中八九要望を呑む作戦だよ。
     見た目に合わず、君って狡猾だよね」
    「へへ……」
     笑みを漏らしたフォコを見て、ランドは少しだけ苦い顔をした。
    「……ほめたつもりは無いんだけどなぁ」

     フォコたちはドックを抜け、そろそろと通路を歩く。
    「さっきの術……、えーと、何だっけ」
    「『インビジブル』か?」
    「そう、それ。あれは使えないの? 今使ったら、便利だと思うんだけど」
     大火は肩をすくめ、こう返した。
    「使ってもいいが、互いの姿が見えん上に、一言も発せなくなる。何らかのイレギュラーが起これば、致命的な状況に陥るぞ」
    「何でしゃべっちゃダメなんですか?」
    「術の特性上、だ。あれは風の術をベースにしている。
     風の術は風、即ち空気を操っている。術の対象の外から来る力には非常に強いが、内側、つまりかけた対象自身からの力には弱い。少しの空気振動でも、非常に不安定になるのだ」
    「つまりしゃべることで、その振動が起きちゃうってことですね」
    「ああ。……?」
     と、大火が怪訝な顔になる。
    「妙だな」
    「え?」
    「……いや」
     大火は軽く首を振り、そのまま歩き出した。
    「どうしたんですか?」
    「何でもない、……とは言い切れんか。
     足音がした。ガチャガチャと、重たい甲冑を着けて動き回っているような音だ。だが妙なのは……」
    「妙なのは?」
    「そいつの気配が無いのだ」
    「って言うと、つまり……?」
    「……」
     大火はそれについて説明せず、歩を進めた。

     数人の見回り、見張りはいたものの、それほど警戒もしていないのか、それらに見つかることなく、三人は砦の外に出ることができた。
    「なるほど……、崖にできた洞窟を砦に造り変えてたのか。沖から見たら、ただの洞穴にしか見えないだろうな」
    「陸からも、この位置なら発見は難しいだろう。人間の視覚の盲点になった、砦にするには都合のいい場所だな」
    「えーと、……それで、ここはどこなんでしょうか?」
     フォコの問いに、ランドははっとした表情を浮かべた。
    「……そうだな、どこなんだろう?」
    「船の動きは南へ向いていた。……が、そこまでしか分からんな。まあ、海沿いに北上すれば恐らく、グリーンプールへ戻れるだろう」
    「だろうね。船で一時間くらいだったから、徒歩だと……」
     計算しかけたランドに、大火が提案する。
    「俺が魔術で飛ばしてやろう。こんな右も左も分からん土地で長時間うろついていては、何かと困りごとに出くわすかも知れんから、な」
    「それもそうだね。じゃあ、お願いするよ」
    「ああ。では……」
     と、手を差し伸べかけた大火が動きを止める。
    「……ん?」
    「どうしたの?」
    「あの妙な――気配の無い、だが足音を立てて近付いてくる何かが、こちらに近付いてくる」
    「えっ」
     その言葉に、フォコとランドは辺りを見回そうとした。だが――。
    「……そこから離れろ!」
     大火が突然、二人を蹴り飛ばした。
    火紅狐・乱北記 5
    »»  2010.12.07.
    フォコの話、97話目。
    黒い悪魔と鉄の悪魔の邂逅。

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    6.
     大火に蹴飛ばされ、二人はゴロゴロと転げ回る。
    「い、いてて……」
    「いきなり何を……」
     文句を言いかけて、フォコは口をつぐむ。
     フォコの目に映ったのは黒い大火と、彼の構える刀の上に乗った、真っ黒なフードを被った何かだった。
    「く、っ」
     大火の表情がこわばり、彼の両腕が小刻みに震えている。人間離れした大火の力を以ってしても、相当に重たい何かのようだ。
    「何の、用、だ?」
    「お前たちだな」
     と、そのフードから感情に乏しい声が聞こえてきた。
    「我々の船に忍び込み、偵察していたのは。
     軍閥の者か? それにしては軍人らしからぬ格好ではあるが」
    「不正解、だ」
     大火は依然顔をこわばらせながらも、飄々とした口ぶりで答えた。
    「軍なんぞに、関係は無いし、軍人でも無い。ましてや、偵察の、つもりも無い」
    「ならば何故、ここに来た」
    「そうだな、『契約』と、言うところか。俺とお前らの、欲求を満たすための、交渉に、な」
    「不要だ。消えろ」
     そう言って、その黒フードは刀の切っ先から飛び上がった。
    「……ッ」
     次の瞬間、大火の体がわずかに跳ねる。
    「む……?」
     地面に降り立った黒フードから、ガシャンと言う金属の揺れる音がした。
    「何故死なぬ?」
    「こんな撫でるような蹴りで、俺が死ぬと思うのか?」
    「知ったことか」
     黒フードはそう吐き捨てるように返し、そのまま大火に襲い掛かった。
    「た、タイカ!?」
    「すまんな、徒歩でしばらく歩いてくれ。すぐ追いつく」
     大火は遠巻きに見守るフォコたちにそれだけ言って、黒フードに応戦した。



     何度目かの打撃をかわしたところで、大火は黒フードに尋ねてみた。
    「で、何者だ、お前は?」
    「言う必要など無い」
    「そうか。ならば……」
     大火は黒フードから5メートルほど離れたところで、ひゅっと音を立てて刀を払った。
     すると――。
    「……う、ぐゥッ!?」
     パシュ、と言う鋭い音と共に、黒フードが裂けた。
    「な、何ヲシタ……!?」
    「何だその、壊れたラッパのような声は?
     ……さっきの言葉、そっくり返させてもらおう」
     大火はニヤリと笑い、こう返した。
    「言う必要など無い」
    「フ……、フザケタ真似ヲッ!」
     黒フードは大火に飛びかかろうとするが、先程の攻撃が余程効いたらしく、数歩歩いたところでガクリと膝を着いた。
    「ウ……、動カン、ダト?」
    「ふむ」
     大火は刀を下ろし、黒フードを観察した。
    「なるほど、……この世界に似つかわしいよう古臭く言えば、『自律人形』と言う奴か。そんなものがまだ、この時代に残っているとは」
    「オ前ハ何者ダ!? 何故、何故私ノ正体ヲ!?」
    「二度も言わせるな、鉄クズ」
     大火は刀を上段に構え直し、そのまま黒フードのすぐ側まで一足飛びに迫り、振り下ろした。
    「言う必要など、無い」
     大火はその一振りで一刀両断する気満々だったが、ぎち、と言う怖気の走る音が、大火の刀と黒フードの腕との間で響くだけに留まる。
    「ガ、ガガ……、こんな、こんな程度の棒切れで、私を斬れると思うなッ!」
     黒フードはそう吐き捨てると、ばっと後ろに飛びのいて間合いを取った。

     しかし――そこで黒フードは動けなくなった。
    「……ッ……」
    「棒切れだと?」
     大火は細い目をわずかに見開き、黒フードをにらみつけていた。
    「棒切れと言ったか? 俺の刀を、この名刀『夜桜』を、棒切れだと?」
     そこには普段の、飄々と、淡々とした、人間味と気配の薄い大火はいなかった。
    「……グ……ヌ……」
     そのすべてを黒く塗りつぶすような殺気に、黒フードは攻め手を見失う。
    「鉄クズ。二つ教えておいてやろう」
     次の瞬間、黒フードの首が飛んだ。
    「グゲ……ッ」
    「この刀は俺が弟子たちと研究・研鑽し、己の持てる技術を余すところ無く注ぎ込んだ逸品だ。神器と評してもいい。
     それを『棒切れ』とは、あまりにも愚かしい侮辱だ」
    「コ、コノ……私ガ……何故ダ……ナゼ……コンナ……カンタン……ニ……ッ」
     首と胴体とに別れた黒フードは、そのまま爆発した。
    「そしてもう一つ――俺を侮辱することは、死を意味する」



    「……何、今の音?」
    「何でしょう……?」
     黒フードから逃げていたフォコたちは、背後から聞こえてきた爆発音に振り返った。
    「逃げて……、良かったんでしょうか?」
    「それ以外に方法があると? あの場で最も戦闘力のあるタイカが『先に行け』って言ったんだ。なら、戦力にならない僕たちができることは、それ以外に無いんだよ」
    「……うーん」
     その説明に納得が行かず、フォコは向かっていた方角に、再度振り返った。
    「あ」
     と、その先に人がいるのに気付く。
     辺りを見回せば、同様の人影が二人をそれとなく囲んでいるのが分かった。
    「えーと、ランドさん」
    「うん。……前言撤回するよ。もっと策を講じれば良かった」
     そして二人の目の前に、あの「猫姫」――イール嬢が現れた。
    「あの……、とりあえず、来てもらっても、……いい?」
    「……はい」
     困惑気味に告げてきたイールに、二人は素直に従った。

    火紅狐・乱北記 終
    火紅狐・乱北記 6
    »»  2010.12.08.
    フォコの話、98話目。
    猫姫の素顔。

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    1.
    「えーと……、名前から聞いていい?」
     拘束され、砦に連れ戻されたフォコとランドは、目の前の「猫姫」の質問に、淡々と従った。
    「火紅・ソレイユです」
    「ランド・ファスタだ」
    「ホコウと、ランドね? あ、あたしはイール。イール・サンドラ。よろしくね」
     にこりと笑いかけるイールに、フォコたちは困惑した。
    (え……? 怒ってたり、してへんみたいやな?)
    「それじゃホコウとランド、何であなたたちはここに?」
    「え、と……」
     口を開きかけたランドが、そこで言葉に詰まる。
     フォコたちとイールとを囲んでいた男たちが、一斉に武器を構え出したからだ。
    「ちょっと、やめてよみんな」
     それを見て、イールが口をとがらせた。
    「尋問はあたしがするから。あなたたちは、そこでじっとしてて」
    「うっす」
     男たちは武器を下げたが、依然表情は堅いままだ。
    (……怒ってないわけないわな。そら、侵入者やもんな、僕ら)
    「で、何でここに?」
     イールにもう一度尋ねられ、ランドは小さく咳払いをして答えた。
    「ん、ん……、その、僕たちは山間部に行きたいんだ」
    「山間部?」
    「そこに住んでる人に、用があってね。で、中央から遠路はるばる来てみたら、封鎖されてるって言うじゃないか」
     ランドはぺらぺらとしゃべりつつも、当たり障りなく話を進める。
    「それでどうしようかって、彼と相談しながら情報収集してたんだ。そしたらさ、どうも封鎖元と対立してる組織があるってことが分かったから、軍港をずっと見張ってた。
     で、丁度良く君たちがいたから、小舟でそっと乗り込んで、ここまで来たってわけさ」
    「へー」
     が、ランドの説明に対し、イールはさほど興味を示していない。
    「まあ、ここの場所は分かったし、皆今夜はもう寝ようってことらしかったから、僕らも一旦帰って、また日を改めてお願いに来ようかなって思って……」「アルコンはどこ?」
     ランドの弁解をさえぎり、イールがとげとげしく尋ねてきた。
    「ある、こん?」
    「あなたたちを追ってきた、黒いフードの同志よ。何であなたたち、彼に捕まってないの?」
     ランドは動揺しつつも、無理矢理に口を回して話をつなぐ。
    「いや、知らないよ、そんな人。誰だか分からないな」
    「そんなわけないでしょ? あいつが獲物を取り逃がすなんてこと、ありっこないのよ」
    「そんな人が僕たちを追っていたら、こうして君たちに捕まっているなんてことは、無いだろう? じゃあ会ってない、そう結論は付けられないかい?」
    「そんなの詭弁よ!」
     イールは立ち上がり、ランドの襟元をつかんで怒鳴るように言い放った。
    「あんたたちがちゃんと捕まってくれてなきゃ、あたしたちが困るのよ!」
    「……どう言うことだい?」

    「つまりは、そのアルコンと言う黒フードがお前らを制御・統制していた、と」
     と、どこからか声が聞こえてきた。
    「な、何者だ!?」
     イールとフォコたちが囲んでいる机の上に突如降り立った影に、ランドは安堵の声を漏らす。
    「タイカ、戻ってきてくれたのか」
    「それなら吉報となるかな。その黒フードは、俺が倒したぞ」
    「……えっ?」
     大火の一言に、イールも、周りの男たちも目を丸くした。
    「どう言う意味よ?」
    「そのままの意味だ。あいつが襲い掛かってきたから、俺が返り討ちにしたのだ」
    「できるわけないじゃない!」
    「できたとも。先程の詭弁云々を繰り返すのも馬鹿馬鹿しいが、そいつがここにいないと言うことは、俺の言が正しいと言うことになる」
    「……本当に、あなたが倒したの? あいつは悪魔よ?」
    「悪魔? あの鉄クズが?」
     大火は鼻で笑い、手にしていた焦げた布――と言っても、元が黒いので焦げているのかどうか、臭いでしか判断できないが――をイールに投げつけた。
    「わ、っぷ……、ってこれ、まさか」
    「その通りだ、猫姫とやら」
     ニヤリと笑った大火に対し、イールは布を投げ捨て、しばらく頭を抱えて黙り込んでいたが、やがてそのまま、ぼそりとつぶやいた。
    「……やめて、それ」
    「ん?」
     イールは猫耳をプルプルさせながら、うざったそうに話を続ける。
    「『猫姫』って言われるの、すっごく嫌なのよ。あたしそもそも姫じゃないし。
     そんなの、あいつが勝手に『お前はこの世界を統べる御子、女王となるのだ』とか抜かしてただけよ。
     それを周りが適当に拾って、『猫姫』『猫姫サマ』『猫姫ちゃん』って……!」
    「あ、そうなんだ」
     ランドはポリポリと頭をかきながら、イールを上目遣いに見る形でしゃがみ、謝った。
    「それは悪かった。僕から謝るよ。……タイカ、言わないようにしてくれよ」
    「ああ、善処しよう」
     大火は机の端に座り込み、肩をすくめて同意する。
    「それでイール、その、アルコンだっけ。彼に脅されて、反乱軍を率いてたの?」
    「うん、そう。……まあ、あたしは、何て言うか、アルコンが言ってたんだけど、他の人に比べて、すごく魔力が強くて、おまけに魔術についてのセンスがいいんだって。
     だから、魔術をアルコンから教わって、で、それを使って四大軍閥のあっちこっちの拠点を攻撃してたら、人が付いてきちゃって……」
    「そうしていつの間にか、『猫姫』扱いか。……おっと失礼、ククク」
    「……あんた、底意地悪いわね」
     ようやく顔を挙げたイールは、今度はふくれっ面をしていた。
    火紅狐・猫姫記 1
    »»  2010.12.10.
    フォコの話、99話目。
    四大軍閥。

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    2.
     反乱軍を実質的に支配・掌握していたアルコンが消え、名実共にリーダーとなったイールは、フォコたち三人を快く迎え入れてくれた。
    「まあ、アルコンに指示されなくっても、今やあたしたちは四大軍閥の、最大の敵だもん。反乱軍は解散しないし、あたしたちはやるとこまでやるわよ」
    「それについて聞いておきたいんだけどさ」
     と、ランドが手を挙げる。
    「四大軍閥って、何なの?」
    「あ、そうよね。中央から来たって言ってたもんね。
     えっと、あんた頭良さそうだし、今この大陸がどんなことになってるかは、どのくらい知ってる?」
    「どうも。……僕が知る限り、王室政府と軍部との間に軋轢が生じていて、山間部・沿岸部の各拠点を中心にして、軍の重鎮たちが勝手な政治体制を敷いて、好き放題やってるくらい、かな」
    「そう、その通り。それだけ知ってれば話がしやすいわ。
     その重鎮、中でも特に強い影響力と、私情で動かせる軍隊を持ってるのが、ギジュン准将、イドゥン少将、スノッジ少将、ロドン中将の4人。こいつらが率いてるのを、四大軍閥って呼んでるのよ。
     他にもこいつら系列の小軍閥がゴロゴロしてて、大小合わせて10以上の軍閥がそれぞれ独断専横を決めてるのよ。もうほとんど、無政府状態もいいところね」
     話を聞き、フォコは腕を組んで「うーん……」とうなる。
    「ひどいですねぇ。何でそこまでなってて、王室政府は動き出さないんでしょうか? いくらなんでも、王室寄りの将軍だっているはずじゃ……?」
    「あんたこの国を、地図でしか見たこと無い口でしょ」
     イールにビシ、と鼻を指差され、フォコは口ごもる。
    「あ、はい、まあ」
    「標高差5000メートル。一日ヘトヘトになってようやく100万グラン稼ぐ人がいる一方で、あごでポイと命令するだけで十兆、二十兆グランを動かす奴もいるくらいの所得格差。
     軍の階級だって二等兵から一等兵、上等兵、伍長、軍曹、曹長、士官が准尉から大佐まで7階級、その上に准将、少将、中将、大将、司令に総司令と、全部合わせて22階級。
     この国の沿岸部と山間部の標高の格差は、そのまんま上と下の格差になってるのよ」
    「……な、なるほど」
    「その『標高差』が、この大陸で一番の問題なのよ。物資も交通も、通るところはガンガンに通ってるけど、通んないところは本当に通んないのよ、ここはね。
     昔、まだ他の大陸との交流が無い頃は、沿岸部の資源は魚だけだったし、山間部の肥沃な土地で取れる食糧は、そのまま山間部の強さにつながってたわ。
     でも貿易網の発達した今じゃ、その強さは逆転してきてるのよ。沿岸部は貿易で潤ってるし、山間部はその潤いを一割、二割、細々と吸ってる程度。しかもそれも、峠封鎖と軍閥の横取りで余計に細っていってる。
     それでも王室政府が持ってる鉱山から金銀は出るから何とかお金は発行できてるし、それで政治をギリギリ賄ってるけど、それを超える量のお金が沿岸部からドバドバ流れ込んでくるから、価値は無いも同然。
     このままじゃ王室も、王室付きの将軍も、共倒れになるでしょうね」
    「話を聞いてる感じだと、君は王室側なの?」
     そう尋ねたランドに、イールはぷるぷると首を振る。
    「違うわ。あたしたちは王室政府の、ある大臣さんの側に付いてるの。
     その人は王室に対して批判的な立場を執っているし、ゆくゆくはその人にこの国を統べさせたいと思ってるわ。
     ま、アルコンがいなくなった今だから、そう素直に言えるけど」
     ある大臣、と聞いてランドに直感が走る。
    「それ、もしかしてエルネスト・キルシュ卿かい?」
    「え? あんた、キルシュのおじいさんと知り合い?」
    火紅狐・猫姫記 2
    »»  2010.12.11.
    フォコの話、100話目。
    フォコの叱咤。

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    3.
     ランドの事情を聞き、イールは深々とうなずいた。
    「なるほどねー……。元中央政府の大臣さん、ね。でもちょっと、頼ってくるにはタイミングが悪すぎたわね」
    「確かに。よりによって、峠封鎖で山間部が孤立している時に来てしまうなんて、運が悪いにもほどがあるよ」
    「とにかく、いくらあんたがキルシュじいさんと知り合いでも無理よ、会わせるのは。あたしたちだって、そう簡単に山を登ったり下りたりできる状態じゃないもの。
     実を言えば、あたしたちは密かに峠を一つ抑えてるの。だから山間部へ行くのは可能と言えば可能よ。だけど今はイドゥン軍閥と戦ってる最中だし、ここでこの砦を離れたら、勢力を盛り返されることもありうる。折角軍港を潰したのが無駄になっちゃうわ」
    「だよねぇ……」
     ランドは眼鏡を服の裾で拭きながら、ぽつりと漏らした。
    「じゃあどうしようかな……? 他に、頼れるところって言ったら……」
     その一言に、フォコは心の中で引っかかるものを感じた。
    「頼る、って何ですか?」
     フォコは思わず、そう尋ねてしまった。
    「え?」
    「ランドさん、何のためにこの国に来たんです?」
    「言ったじゃないか、キルシュ卿のところに匿ってもらって……」「それから?」
     続けてそう尋ねられ、ランドは肩をすくめる。
    「それも言ったはずだよ。態勢を立て直して、中央政府と……」「そんな偉そうなこと言うんやったら!」
     フォコはランドをキッとにらみ、こう怒鳴りつけた。
    「頼る頼るばっかり言ってたって仕方ないでしょう!? ランドさん、ずーっとそればっかりやないですか!
     タイカさん頼って、キルシュ卿頼って、イールさん頼ってって、自分は結局口しか出してないやないですか!」
    「……それは、まあ」
    「何で自分で頑張ろうとせえへんのですか! 口だけ出しとって、自分は十分頑張りましたー、って言えますか!?
     そんなん『やった』って言いませんで! 血も汗も流さんと、他人にわーわー言うて唾撒き散らしとるだけやないですか! 汚いわ、そんなん!」
    「う……」
     思わぬ攻撃に、流石のランドも言葉を失ってしまう。
    「『やる』『やる』て口で言うだけやったら誰にでもできますで!? 『やる』言うんやったら、ちょっとは自分でどうにかしようとせなあきませんよ!」
    「……」
     ランドは黙り込み、そのまま座り込んだ。
    「……イールさん」
     フォコは呆気に取られていたイールに声をかける。
    「は、はい? ……あ、うん、何?」
    「僕、協力させてもらいます」
    「え? あたしたちに?」
    「はい。僕も格差がひどく、強者が弱者をいじめる世界で暮らしてた経験があります。そこで見てきた仕打ちは、本当にひどかった。
     ここでまた、同じことが起こってる。それを知っておいて、そんなのを黙って見ているほど、僕は冷淡でも臆病でも無いです」
    「……ありがとう。協力してくれるって言うなら、とっても助かるわ」
     イールはぺこりと頭を下げ、フォコを歓迎した。
     と、渋い顔をしていたランドがようやく口を開く。
    「僕も協力するよ」
    「ランドさん」
     ランドはフォコに顔を向け、困ったような笑顔を向ける。
    「確かに君の言う通りだ。僕は口出ししかしてない。それで中央政府を倒そうなんて、虫が良すぎる話だ。
     僕にも何かさせてくれないか、イール?」
     真摯な顔を向けてきたランドを見て、イールはうれしそうに微笑み返した。
    「……ありがとう。2人も協力してくれる人が増えるなんて、大歓迎よ」
    「2人? ……あ、そうか」
     ランドは大火に向き直り、尋ねてみた。
    「タイカ、君は協力してくれるかい?」
    「ああ、吝かではない」
    「これで3人だ。特にタイカは一騎当千の腕を持ってる。役に立つ人材だよ」
    「よろしくね、みんな」
     イールは深々と、三人に頭を下げた。
    火紅狐・猫姫記 3
    »»  2010.12.12.
    フォコの話、101話目。
    未来の進め方。

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    4.
     フォコたち三人を迎え入れ、イールは改めて、現在自分たちが戦っている相手について説明してくれた。
    「今、あたしたちが相手してるイドゥン少将の本拠地は、大陸沿岸部からちょっと南に行った島、北海諸島第5島のフロスト島にあるの。
     イドゥン少将の軍閥は、沿岸部方面艦師団――ま、中央軍とかで言うところの海軍を主軸とした一個旅団で編成されてるわ。だから少将の本拠地も、北海上にあるってわけ。で、そこからグリーンプールや他の港町にある軍港及び駐屯地に命令を飛ばして、沿岸部を牛耳ってるの。
     ま、牛耳るって言っても、ここしばらくは弟分だったギジュン准将との取引を優先させるため、港町の治安が悪くなるようなことはしてこなかったんだけど、つい二ヶ月前に仲違いしちゃったのよ」
    「仲違いって?」
     ランドの質問に、イールは肩をすくめる。
    「准将の妹さんを自分の砦に招待した少将が、そのまま彼女を軟禁しちゃったのよ。どうしても奥さんにしたいっつって」
    「下衆だな」
    「で、准将の襲撃に備えて峠を封鎖し、武具を大量に買い付けて迎撃態勢を整えてるとこなのよ。
     あんたたちが見た兵士の乱暴ってのも、それが原因ね」
    「って言うと?」
    「さっきは沿岸部に金が入ってきてるって言ったけど、イドゥン軍閥の経済状況は割と厳しいのよ。封鎖と買い付けのせいで、ここ最近の懐具合はかなり寂しいみたい。
     兵士一人ひとりに出す給料も、三ヶ月前の半分以下になってるらしいわよ」
    「それで生活苦のために、巷で強盗まがいの騒ぎを起こしてるってわけか。……責任ある人間のやることじゃないな」
    「まったくですよ。自分の欲望のために、軍閥2つと沿岸部を巻き込んでるわけですしね」
    「それだけじゃないさ」
     ランドは眼鏡を拭きながら、悲しそうな顔をした。
    「本来不必要な峠の封鎖や迎撃準備やらさせられた上に給料まで減らされたら、兵士たちの制御が利かなくなるって、ちゃんと管理のできる人間なら分かるはずだ。
     それを、仮にも大組織のリーダーである人間が配慮の一つもせず、代わりに今熱心なのは異性を口説くこと、……だなんて、呆れるよ。
     放っておいても潰れるよ、そんな組織」
    「ま、あたしもそう思うけどね」
     イールは軽く首を振り、こう結論付けた。
    「放っておいたら放っておいた分、力の無い人たちが嫌な目に遭うのよ?
     毒で全体が冒されて死ぬより、毒の回ったところだけ切り落として命をつなぎとめた方が、それこそ懸命でしょ」
    「ま、そりゃそうだね」
    「だから近いうち、あたしたちはイドゥン軍閥を襲撃し、壊滅させる予定よ」
     拳を固め、そう宣言したイールを見て、ランドはイールを眺めたまま黙り込んだ。

    「……な、何?」
     じっと見つめられ、イールは顔を赤くする。
    「一つ、聞かせて欲しい」
     ランドは眼鏡を外し、イールに真剣な眼差しを向けた。
    「な、何を?」
    「君は……、と言うか、キルシュ卿は、この国をどうしたいんだろう?」
    「何言ってんのよ」
     イールはフン、と鼻で笑い、表情を戻してこう返す。
    「この国を立て直すのよ。この国を弱らせてる原因、軍閥の独断専横を解消することで」「それなんだよね」
     ランドは眼鏡をかけ直し、あごに手を当てながらぽつぽつと話す。
    「確かに言わんとすること、理念は分かる。納得行くし、賛同もできる。
     でもその方法は、果たして戦うことが最善だろうか?」
    「はい?」
    「君はさっき、沿岸部は外国との貿易で潤ってるって言ったよね。ここで反乱軍が海に出張って軍閥と交戦したら、その貿易はどうなる?」
    「まあ、止まるでしょうね。港町の目と鼻の先で戦闘するんだし」
    「だろう? それはこの国にとってプラスになるだろうか?」
    「なるわよ。外国からのお金が来なくなれば、沿岸部と山間部のバランスが元に戻る。そうすれば沿岸部付近の軍閥は、みんな資金繰りが悪くなって瓦解するわ。そうなれば……」
    「軍閥だけじゃない。沿岸部、いや、この国全体が痩せ細ることになる」
    「はあ?」
     ランドはイールに歩み寄り、強い口調で主張する。
    「君はこの国の内部にだけ焦点を当てて考えてるみたいだけど、もっと広い視点で考えてみてくれ。
     沿岸部での貿易拡大によって――そりゃ、軍閥にピンハネされてはいるだろうけど――そこに住む人たちの懐は暖まっている。豊かになってるってことだ。
     それが止まってしまったらどうなる? 君の言う通り、沿岸部に入って来ていたお金はストップするだろう。沿岸部に住む人たちは、それで喜ぶと思うかい?」
    「……それは……」
    「それにそのお金は、仮に軍閥が無ければ、いずれは山間部にも入ってくるはずだ。そうなれば山間部も豊かになる。
     それを君たちの都合で止めてしまったら、皆は喜ぶだろうか? 君たちのことを、この国に住む多くの、一日100万グランしか稼げない人たちは賞賛すると思うかい? 『もっと稼げたはずだったのに』と恨んでこないと、断言できるのかい?」
    「……」
    「もっと皆のことを考えるべきだ。今君たちが溺れているのは、ただのヒロイズム――自分たちが英雄になることばかり考えた、自分本位の欲望でしかない」
     イールは苦い顔をし、椅子に座る。
    「……じゃあ、どうするのよ? 折角軍港も潰したって言うのに、尻尾巻いて逃げろって言うの?」
    「そうとも言ってない。僕に、考えがあるんだ」
     ランドはイールの手を取り、真剣な眼差しで頼み込んだ。
    「会わせてくれないか、キルシュ卿に」
    火紅狐・猫姫記 4
    »»  2010.12.13.
    フォコの話、102話目。
    とっておきの隠し峠。

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    5.
     ランドの言い分に納得したイールは、フォコたち三人を伴って沿岸部南端のある村に来ていた。
    「ここはブラックウッド。表向きは、杉の伐採と麦農業で細々と生計を立ててる村よ」
    「ふーん」
     確かにイールの言う通り、傍目にはのどかな農村にしか見えない。
     が、かつて海賊と造船所員を兼業し、武具のカモフラージュに精通しているフォコの目はごまかされなかった。
    「……多いですね、農具」
    「えっ?」
    「あんなちっちゃな納屋一つ一つに、何で鍬や鎌が7つも8つもかかってるんです? しかも刃が妙にギラギラ尖ってますし。
     あれってもしかして、『いざと言う時』には形を組み替えて、曲刀とか槍とかにできたりしません?」
    「す、鋭いわね」
     看破されたイールは、驚いた目を向けてくる。
    「そう、その通りよ。ここはあたしたち反乱軍の拠点の一つでもあるの。前に言ってた隠し峠を発見されないように、こうして農村を装ってるってわけ」
    「じゃ、あそこでのんびり畑を耕してる人たちも……」
    「そう、あたしたちの同志」
     イールはそう答えつつ、畑を耕す老夫婦に手を振る。老夫婦は嬉しそうに、手を振り返してくれた。
    「あの人たちも? 言い方は悪いかも知れないけど、戦闘の役に立つとは思えないけど……?」
     そう尋ねたランドに、イールはほんの少し顔をしかめた。
    「そりゃ、戦えないわよ。
     でも戦争って、前線に出てる兵士だけの問題じゃないでしょ? 兵糧とか後方支援、司令塔もあって、それでちゃんと戦えるようになるってもんでしょ。
     あの人たちはあたしたちの休める場所と食べれるご飯を守り、管理してくれてるのよ。……それに、戦いで犠牲になった同志の子供の世話も、ね」
    「……なるほど。そっか、ごめんね」
    「いいわよ、別に」
     話しているうちに、一行は崖を背にして建てられた納屋の前に到着した。
    「これもカモフラージュ。見た目も中も、ただの納屋」
     中に入ると、確かにどこにでもありそうな納屋にしか見えない。
     が、イールは納屋の壁の前で立ち止まり、格子上に組まれた木板の一枚を剥ぎ取り、中にあったレバーを引く。
    「でもこの裏には……」
     ガタンと音を立て、壁の一部が外向きに開く。
    「あたしたちの切り札の一つ、山間部への隠し峠の道があるってわけ。
     さ、行きましょ。結構険しいから、気を付けてね」

     確かにイールの言う通り、峠道は険しかった。
     四人の中で最も体力の無いランドが、真っ先にへばる。
    「きゅ、きゅう、けい……」
    「何言ってんの。まだ30分も登ってないわよ」
    「嘘だろぉ……。僕の中じゃもう、2時間は経ってるよ……」
    「……はぁ」
     イールが呆れた様子で、ランドの背中に手をやる。
    「背中押してあげるから、もうちょっと頑張んなさいよ」
    「うぐうぅ……」
    「もお……。まったく、こんなんじゃ半月くらいかかるわよ。あたしたちの脚でも、3、4日はかかるのに」
    「うへぇ」
     辛そうにしているランドを見て、フォコはふと、大火に尋ねてみた。
    「タイカさんなら空飛ぶとか瞬間移動とか、ホイホイっとできそうな気しますけどね」
    「……」
     と、そう言ってみた途端、大火がほんのわずかにではあるが、ニヤリと笑みを返してきた。
    「そう思うか?」
    「え? ええ、はい」
    「そうか。ならば見せてやろう」
     大火はそう言うなり、へばっているランドの襟をぐい、とつかむ。
    「へ、何……っ、わあああぁぁぁぁ……」
     次の瞬間、大火とランドの姿は空高くに移る。
    「少し行ったところで待っている。ゆっくり来るがいい」
    「はーい」
    「……」
     素直に返事するフォコの横で、イールが憮然とした顔をしていた。
    「何よアイツ……。調子乗りすぎでしょ」
    「ま、ま。……おだてたら予想以上にノってくるタイプなんですね、タイカさん」



     その後、大火を散々おだてたフォコの働きにより、一行はイールの見立てより随分早く、山間部に到着することができた。
    「あれがノルド王国の首都、フェルタイルよ」
    「首都? 本当に? ……なんだか静かな気がするんだけど。活気が無さすぎるって言うか」
    「ま、ね。……到着したからって、気を抜いちゃダメよ。この国の政情は、ホントに不安定なんだからね」
    「ああ。……行こう」
     一行は街に向かい、歩を進めた。

    火紅狐・猫姫記 終
    火紅狐・猫姫記 5
    »»  2010.12.14.
    フォコの話、103話目。
    荒んだ街。

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    1.
     何度か触れた話だが――北方大陸は山間部と沿岸部の二地域に大別される。

     寒冷地である北方大陸なので、沿岸部に面している海岸のほとんどは、一年に渡ってほぼ氷が張り、他の地域のように船舶の通行はできない。
     わずかにグリーンプールやその他、いくつかの港町が、年間を通してほぼ凍らない港、不凍港として重宝され、そこを軸とした社会が形成されている。とは言え貿易が活発化するまで、北方がいわゆる「鎖国状態」にあった頃は、資源に乏しい土地として、あまり重要視されてはいなかった。
     だが、海外との交流が活発化するにつれ、その地位は逆転の一途を辿った。沿岸部には冬を除き、毎日のように物資と外貨が入ってくる。その量は、山間部で発行・生産される量を大幅に上回っており、北方内の通貨、グランを駆逐し始めた。
     王室は自国通貨が駆逐され、国内市場が操作不能になることを回避しようと、それを上回る額の通貨を無理矢理に発行。それを皮切りに、王室政府の財政はみるみる悪化していき、双月暦3世紀の中頃、1クラム当たり100000グラン以上と言う凶悪な水ぶくれ――ハイパーインフレが発生し、ついにパンクした。
     さらにはその危機的状況を打開しようと、王室政府があの手この手を繰り返して疲労していくうちに、北方の地方自治も連動して停滞・破綻。
     無秩序となった地域をまとめたのは、武力と組織力を持つ軍閥であった。



     そして4世紀、307年現在。
     政治機能が壊れた首都フェルタイルは、荒れ果てていた。
    「おわっ!?」
     ランドがひび割れたレンガ道に足を取られ、勢いよく前のめりに倒れる。
    「あいたた……」
    「気を付けてね。もう半世紀は、道の舗装なんてしてないもの」
    「そ、そんなに?」
    「余裕ないもの。道や建物の補修までやってらんないわ」
    「ひどいですねぇ」
     イールの言う通り、街のあちこちには亀裂やひび割れが生じ、一見しただけでは廃墟なのかさびれた街なのか、見分けがつかないほどだった。
    「……ランド、あなたの言う通りかもね」
     と、イールがしんみりした声を出す。
    「って言うと?」
    「もしあたしたちが無理矢理に軍閥を叩きのめしても、お金はどこにも入ってこない。
     そしたらずーっと、街はこのまんまなのよね」
    「そうだね。大事なのはトップ同士の勝ち負けじゃないよ。みんなが豊かになることだ」
    「そう、ね」

     やがて一行は、小ぢんまりした家に到着した。
    「ここがあたしの、フェルタイルでの家。さ、入って」
     そう促し、イールは中へと入る。
    「見た目は、ただの家ですね」
     フォコの言う通り、家の中には特に、目を引くようなものはない。
    「ここもブラックウッドみたいに、隠し通路とかが?」
    「そうよ。こっち来て」
     イールは三人を連れ、地下室に降りた。
    「この本棚をどかして、……と」
     本棚の裏に、扉が現れる。
    「この地下道が、キルシュ卿の屋敷に通じてるの」
     地下道を進みつつ、イールはキルシュ卿について話してくれた。
    「キルシュ卿は、反王室派として広く知られているわ。それでも大臣職に就いてるのは、彼以上のまとめ役と、金ヅルがいないから」
    「金ヅル?」
    「実業家でもあるのよ、キルシュ卿は。
     山間部にミラーフィールドって州があるんだけど、そこで取れる野菜とか塩とかを、キルシュ卿の家が卸してるの。ギリギリで首都を維持してられるのは、卿の流通網のおかげってわけ。
     それに交渉事もうまいから、ただでさえ武力介入されかねない首都を、卿は商業取引で守ってるの。
     もし卿がいなくなれば、首都は三ヶ月と持たないでしょうね」
     話しているうちに、一行は地下道を抜けた。
    「ここは、屋敷の納屋ね。ここを出たところが、屋敷の庭よ」
     と、納屋を出たところで、一行は草木に水をやる、エルフの老人と出くわした。
    「うん? ……おお、君は」
     そのエルフはにっこりと、柔らかく微笑みかけた。
    「お久しぶりです、キルシュ卿」
    「うん、うん。元気にしていたかね、イール」
     イールは老人――ノルド王国の要、エルネスト・キルシュ卿にぺこりと頭を下げた。
    「おかげさまで。……あの、今日は客人を連れて来ました」
    「客人? ……おや、あなたは」
     キルシュ卿はランドに目を留め、驚いた顔を見せた。
    「ご無沙汰しておりました」
    「ええ、ええ、こちらこそ。確か、以前にお会いしたのは……、そう、305年度貿易協定会議の時、でしたね」
    「そうです。その節はどうも……」
     互いに堅い挨拶を交わした後、ランドの方から話を切り出した。
    「実はキルシュ卿、私は……」
    「ええ、聞いています。新しい天帝陛下のご機嫌を損ねた、とか」
    「その通りです。その後投獄されたのですが、その……、脱獄に成功し、こちらまで向かった次第です」
    「ふむ……?」
     キルシュ卿はランドの真意を測りかねたらしく、戸惑った顔をする。
    「ともかく……、私の屋敷まで、どうぞお入りください」
    火紅狐・合従記 1
    »»  2010.12.16.
    フォコの話、104話目。
    統治論。

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    2.
     ランドの経緯を聞き終えたキルシュ卿は、腕を組んでうなった。
    「ふうむ……、なるほど、それで私のところに」
    「ええ。しばらく、サンドラ氏と行動を共にするつもりです」
    「ほう……。つまり、彼女の率いる反乱軍に参加する、と言うことですか。しかし……」
     キルシュ卿は口ひげをもみながら、ランドに質問をぶつけてくる。
    「あなたほどの英才が、何故そのような道を?
     話の是非はともかくとして、私の口添えで側近になってもらい、政治面でこの国を立ち直させる。そうした手も、無いわけではないのですが」
    「ええ。恐らくそちらの方が、私に似つかわしく、かつ、適した手法でしょう。
     ですが、その手段は何年の時を費やすことになるでしょうか?」
     問い返され、キルシュ卿は「ううむ……」とうなる。
    「サンドラ氏に連れられ、私はこの国の中核を観察させていただきました。
     以前お会いした時、その時は沿岸部の、そこそこには豊かな場所での会談でした。その街は道も整備され、木々も青々としており、すれ違う人々の顔は活力に満ちていました。
     ところがどうでしょう、この国の中核、この街の惨状ときたら。道は割れ、家々の壁は崩れ、人々は皆何かにもたれかかるようにして歩いている。
     キルシュ卿、あなたが今の職、商政大臣と言う地位に就いて、何年になりますか?」
    「6年、……ですな」
    「優秀な卿でも、この現状を覆しきれていない。あなたの言に従い、私が政治面で活躍しようとも、恐らくもう10年、20年はかかるでしょう。
     それを待っていてくれるでしょうか、人民は?」
    「……」
     キルシュ卿は渋い顔をし、顔の前で腕を組んでうなった。
    「確かに、確かに……。あなたの言う通りでしょうな、何もかも。
     私ももう80近い身ですし、私自身もそこまで持ちはしますまい。いや、むしろ年波に押されて、現状の維持すらできなくなるでしょうな。確かに、時間はもういくらも、待ってはくれんでしょう。
     しかし……、これもまた、あなた自身が仰ったことです。反乱軍に入って戦うなど、あなたの執るべき策ではないはずだ」
     と――ランドは、その言葉に首を振った。
    「いいえ、キルシュ卿。私は戦いません」
    「……うむ?」
     ランドの発言に、キルシュ卿も、イールも、そしてフォコも目を丸くする。
    「ちょ、ちょっとランドさん? 話、違うやないですか?」
    「そうよ! 散々偉そうなこと言って、戦わないってなんなのよ!?」
     騒ぐ周囲に、ランドはパタパタと手を振ってなだめる。
    「聞いてくれ、皆。もう一度言うけど、僕は戦わない。何故なら、僕には力も度胸もないからだ。魔力もないし。
     でもその代わり、僕には知恵がある。この北方の戦乱を収められるだけの、知恵がね」
    「……?」
    「それを検討しに、僕はここまで来たんだ。
     キルシュ卿に、こう進めていいかと。イールに、反乱軍の皆をこう使っていいかと、尋ねるためにね」

     周りが落ち着いたところで、ランドは己の考えを説明し始めた。
    「まず、反乱軍の認識――イールの主張をそれと仮定して、話を進めるけど――北方、ノルド王国は四大軍閥とその下っ端により、王国の支配を外れて好き勝手している。だから彼らは悪者であり、それを何とかしなければ平和は訪れない。
     これで合ってるかな?」
    「ええ。大体みんな、そう思ってるでしょうね」
    「それが間違いの元だと思うんだ。いや、間違いと言うより、泥沼化した原因かな」
    「え……?」
     ランドは椅子を持ち上げ、説明を続ける。
    「これは椅子だ。四本の脚で支えている」
    「見りゃ分かるわよ」
    「でもこれだけを椅子とは呼ばない。太い一本足で支えられていても、皆はそれを椅子と認識している。違うかい?」
    「まあ、そうでしょうね」
    「でも君たちは、そうしているんだ。『一本足じゃなきゃ椅子じゃない。四本足なんて認められない』、と主張している」
    「はい?」
     ランドは椅子を下ろし、立ち上がったまま語り続ける。
    「つまりは、ノルド王室とか、自分たちの軍とか、どこか一つの組織の独裁でなきゃこの国は成り立たない、成立・維持し得ないと主張しているんだ。
     でも現状はどうだろうか? 四大軍閥なり、これまで築かれていた軍閥なりが、地方を統治していた。それで北方大陸の政治・経済は維持されてきたはずだ」
    「……!」
     この説明に、キルシュ卿は目を見開いた。
    「それでうまく行ってたって言うなら、これからもそうさせればいいんだ。
     一つの地域を支配している組織を『敵』と見なして攻撃するよりは、『この国を共同で統治する協力者』と扱えばいい。
     相手だって、周りのみんなが全部敵であるよりも、協力者であってくれた方がどれだけ安心するだろうか? 少なくとも、これまでのようにいがみ合ったりはしないはずだ。
     事実、沿岸部においても、イドゥン軍閥とギジュン軍閥とが協力関係にあった時は、それなりに平和だったんだろう?」
    「それは……、確かに」
     複雑な表情を浮かべながらも、イールはうなずく。
    「それが敵対したから、平和じゃなくなった。この因果関係は、他の軍閥に対しても通用するんじゃないだろうか?」
    「確かに」
     キルシュ卿は深々とうなずき、ランドの主張に同意する。
    「私と取引関係にある軍閥は、攻めてこようとはしない。協力する価値のある相手、と見ているからでしょうな」
    「そう。その関係を、北方全域に応用すればいいんだ」
    火紅狐・合従記 2
    »»  2010.12.17.
    フォコの話、105話目。
    砦乗っ取り計画。

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    3.
     ランドの主張に、イールは反論する。
    「できるわけないじゃない!」
    「なぜ?」
    「だって、王室は絶対納得しないわよ? 反発して、全域を支配したいって軍閥もあるし、まとまりっこないわ!」
    「そうさせたいなら、させればいい。僕らだけで、新しく国を作ればいいんだ」
     自分の常識の範疇を飛び越えた発想に、イールは唖然とした。
    「く、国を作る?」
    「そう。ノルド王国が同意しないなら、同意した者同士で国を抜けて、新しく立国すればいいんだ。
     冷静に考えれば、手を組むメリットが非常に大きく、デメリットが非常に小さいことは誰にでも分かる。敵対して余計な戦費を使うよりも、協力して取引関係を築く方が、どれだけ得になるか――必ず、協力してくれるはずだ。
     そして万一、協力できないところがあれば、その国、その共同体から締め出す。好きなだけ敵対させとけばいい。そうすればそのうち疲弊して、僕たちに協力を願い出るようになるさ。
     この策が実れば、きっと『皆が』幸せになる」
    「でも……、今さら敵対してきた奴らが、納得なんて」
    「それを達成させるために、僕はこれからお願いするんだ。反乱軍を、そのために使ってもいいか、と」
     ランドはキルシュ卿とイールに、深々と頭を下げた。
    「お願いします。この策を、実行させていただけませんか?」
     壮大な戦略に言葉を失ったイールを置いて、キルシュ卿は静かに尋ねてきた。
    「その策には、……大きな問題がありますな」
    「何でしょうか?」
    「我々の国、と言えば聞こえはいい。ですが、国を構成するには、国王、人民、そして領土が必要になる。
     人民は、反乱軍とすればよろしいでしょう。国王も、……まあ、イールや、私の息子なりを据えればいいでしょう。
     ですが、領土は? まさか、この屋敷を領土と主張すると言うのですか?」
    「……ふむ」
     ランドはそこでもう一度、椅子に座り込んだ。
    「確かにその点は、憂慮すべきではある。……ですが、手は無いわけではない。
     イール」
     ランドは呆然としたままのイールに声をかける。
    「……え、な、なに?」
    「どうやっても、間違いなく、絶対、この提案に乗らないだろう軍閥って、どこか無いかい?」
    「何個もあるわよ」
    「この近くだと?」
    「そうね……、例えば四大軍閥の、ロドン中将。ここから西の、ミラーフィールド大塩湖北部を牛耳ってる、超が付くほどの野心家。絶対、協力なんてしやしないわ」
    「そりゃいいや」
     思いもよらない反応に、イールはまた呆然とする。
    「何がいいのよ?」
    「潰すには持って来い、ってことさ」
    「潰すって……。反乱軍を使って? 無理よ、まだノルド峠は封鎖されたままだし、みんな登って来られないわ」
    「いや、反乱軍の皆は別のことに使う。……タイカ、ちょっといいかな?」
     ランドはくい、と顔を傍観していた大火に向けた。
    「なんだ?」
    「無理だと思うけどさ」



    「言っただろう? 俺に無理なことなどない」
     半日後、フォコたち一行はミラーフィールドと呼ばれる土地に立っていた。
    「そっか、それなら良かった。流石だよ、タイカ」
    「……」
     どことなく得意げな大火を背に、ランドは眼下にそびえる砦を指差した。
    「あれが、中将の本拠地?」
    「そう、通称イスタス砦。2世紀くらいに造られた砦だけど、中将が金に飽かせて整備したおかげで、今じゃ難攻不落の場所よ。
     どうやって陥とすつもり?」
    「まあ、やりようによっては、たった一名の犠牲を出すだけで済むかな」
    「一名? ……あんたまさか」
     イールはランドが考えていることを推察する。
    「中将を暗殺しようってんじゃないわよね!?」
    「最悪の場合、そうしなきゃいけなくなるだろうけど、それよりももっと穏やかに事を済ませるつもりさ」
    「あたしが言ったこと、忘れてないわよね? ここ、警備が半端じゃなく厳重なのよ? 何百人、いいえ、千、二千を超える兵士たちにガッチガチに守られてるのに、暗殺なんてできるわけないじゃない」
    「だから、それは最悪の場合だってば。
     僕だって何度も言うけどさ。力も度胸もないんだ、僕には。実力行使で押し通そうとするには、命が何個あったって足りやしない。
     だからもっと別の、得意な方面から内部を切り崩す。……そのためには、やっぱり僕の、なけなしの度胸を使わなきゃいけないけど」

     大火の術を使って内部に侵入した四人は、密かに倉庫へ押し入った。
    「武器と食糧、か。金に飽かせて、って言ってただけはあるな。いっぱいある」
    「どうするの、ここで?」
     イールの問いに、ランドはすぐには答えず、腕を組んでしばらく考え込む。
    「ねえ?」
    「……そうだな、……タイカ」
    「なんだ?」
    「こんなことってできる? ここと、別の場所を瞬時に行き来できる方法、あるかな?」
    「ある」
    「そりゃいい」
     ランドはいたずらっぽく、イールに笑いかけた。
    「……あ!」
     イールは辺りを見回し、思わず大声を出しかける。
    「あんた、ここの備蓄を全部……」「しー」「むぐ」
     それを抑えつつ、ランドは話を続ける。
    「大体その通り。君が何度も教えてくれたように、ロドン中将の強みはこの堅固な砦と、大量の備蓄にある。
     それをそっくり奪わせてもらうんだ。……と言っても、ただ単に、物理的にここから奪うって話じゃない。ちょっと、効果的な手を盛り込ませてもらう」
    火紅狐・合従記 3
    »»  2010.12.18.
    フォコの話、106話目。
    上兵無兵。

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    4.
     フォコたち一行がキルシュ卿と会ってから、2ヶ月ほどが経った頃。

    「横流し……、だと?」
     イスタス砦の主、熊獣人のロドン将軍の耳に、不穏な噂が入った。
    「はい。ここしばらくの間、倉庫からちょくちょく、物資が消えていると言う情報をお伝えしましたが……」
    「ああ、覚えている。小麦や芋が一袋、二袋など、非常にわずかずつではあるが、毎日のように消えていると言うことだったな」
     側近は短くうなずき、報告を続ける。
    「はい。それで調べましたところ、どうも近辺の町村に、その消えた物資が出回っているようでして……」
    「むう」
     将軍は渋い顔をし、側近にこう命令した。
    「事実ならば、我が軍閥の規律を大きく歪ませる由々しき事態だ。その近隣町村に出向き、真否を確認しろ」
    「了解です」

     一方、ノルド王国の首都、フェルタイル。
    「塾では色んなこと学んだけど……」
     イールの家で彼女と話していたランドが、こんな話をし始めた。
    「一番衝撃的だったのは、戦略理論だったな」
    「せん……りゃく?」
     イールは聞いたこともない、と言うような顔をする。
    「簡単に言うと、戦いをどう持っていくかって言う考え方だよ」
    「あの、さ、ランド。あんたの言うこと、あたしはいっつも、よく分かんないって気持ちで聞いてるんだけど」
     イールは肩をすくめ、自分の考えを述べる。
    「戦いをどう持っていくって、どう考えても、結局は相手を倒して、自分が生き残るようにするもんでしょ?」
    「それがもういけない。落第点だよ」
    「はい?」
     ランドも肩をすくめ、こう返した。
    「戦いにおいて『戦う』『相手を潰す』って選択がもう既に、最低の方策なんだよ。ま、僕も最初、先生からこれを尋ねられた時は、そう返したけどさ」
    「何それ……?」
    「戦えばお金やモノを使うし、人も使う。消耗品、って意味で。
     でもそれが何を生み出す? モノや金、人を消費しつくして、その先に何が生まれるだろうか?
     『自分たちの軍が勝利した』、と言う達成感の他に、何を得られるだろう?」
    「そりゃ、相手の陣地とか、お金とかでしょ?」
    「相手も疲労してるんだ。ましてや、負けてボロボロになってる。豊かな土地や有り余るお金なんて、あるだろうか?」
    「……そうね、そう言われたら、確かに」
     深くうなずいたイールに、ランドはさらに自説を語る。
    「だから戦いにおける最良の策は、『戦わずして勝つ』。無闇に争うことなく、ただ、勝利と利益のみを手にする」
    「……ずっるー」
     口をとがらせたイールに、ランドは「はは……」と苦笑した。
    「そうだね、戦略って時にはずるいものだ。でも殴り合って互いに大ケガするよりは、随分マシな話だろ?」
    「まあ、そう考えればそうだけど。
     じゃあ、2か月前からあんたがやってることも、そう言うつもりなの?」
    「うん」
     そこでイールが、さらに深く尋ねてくる。
    「それもあたし、よく分かんないのよ。なんで全部、一度に奪わないの? しかもあたしたちの懐に一切入れず、あの砦の周りの街にバラ撒いたりして……。
     それもセンリャクなの?」
    「そうだよ」

    「調査した結果、やはり近隣に物資が出回っていたのは確かでした。ただ、横流しをしたのが何者か、までは……」「決まっている!」
     側近の報告を、ロドン将軍は途中で遮った。
    「この砦は堅固だ! 外からの侵入者など有り得ん!
     犯人は我が軍の者以外になかろう!? それも下級の兵士どもだ!」
    「そう、でしょうか……?」
    「それ以外に誰が、こんな汚いことをすると言うのだ!?
     わしか? お前か? せんだろう!? しなくとも、金をたんまり持っている! そんな下衆なことをするのは、金のない下の者だ!
     徹底的に調べ上げるぞ! 下衆者を、我が軍に居させてたまるかッ!」
     こうしてロドン将軍の主導により、イスタス砦中に監査が入った。
     が、当然これは空振りに終わる。犯人はランドたちであり、砦内の兵士ではないのだ。犯人の見当がまるで外れているのに、監査の成果が挙がるわけもない。
     そのうちに――砦内の空気に、不穏・不和の色が現れ始めた。
    火紅狐・合従記 4
    »»  2010.12.19.
    フォコの話、107話目。
    内部の亀裂。

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    5.
    「また監査だよ……」
    「またかよ」
     毎日のように持ち場や自室をほじくり返され、イスタス砦の兵士たちはうんざりしていた。
    「ねーっつーの、横流し品なんて」
    「あいつら目の敵にして、俺たちを追い回して……」
    「そんなに俺たちが信用できないのかっつーの」
     監査を行う士官と、監査される兵士たちとの間には、いつしか軋轢が生じていた。
    「俺、思うんだけどさ」
    「ん?」
    「俺たちを犯人にして、実はあいつらが横流ししてんじゃねーか?」
    「まさか」
    「まさか、と思うか? いくら俺たちの部屋やら何やらを荒らし回っても、何にも出てこねーんだぞ。じゃあもう、俺たちの中に犯人、いねーってことじゃねーのか?
     でも中将や側近がこんなことするわけねーし、じゃあ、残る容疑者って言ったら」
    「……士官組ってこと、か?」
    「だと思うんだよ、俺は」
     こうした考えは、次第に砦内の兵士たちに伝播していった。

     そしてじわじわと、その対立は深まりつつあった。
    「これより諸君らの持ち場監査を行う! 各自作業を止め、両手と、尻尾のある者は尻尾も挙げ、壁に直立! 監査が終わるまで、待機せよ!」
     が、兵士たちはいぶかしげな視線を監査役の士官たちに向けてくる。
    「……どうした? 早く並べ!」
    「思うんスけど」
     と、兵士の一人が士官をにらむ。
    「なんだ」
    「まさかまだ、俺たちが軍備ちょろまかしてるなんて思ってないでしょうね?」
    「何を寝ぼけているかッ! 実際に軍備は消え、横流しされているのだ! お前たちの中にいるはずだ、犯人が!」
    「なんで俺たちなんですか?」
     その一言に、場がざわめく。
    「俺たちが犯人って、誰が言ってました? 誰か自白でも? それとも証拠があるって?」
    「馬鹿者、それを今から……」「誰がバカだと、おい!」
     兵士が声を荒げ、士官を非難し始めた。
    「証拠の一つもないってのに、俺たちみんな悪者かよ!? 出てから言えよ、んなこたぁ!
     それに俺たちも疑ってんだよ、アンタらをなぁ!」
    「なっ……!?」
    「何度も何度も監査、監査、監査! それでも何も出なかっただろうがよ、え!? いい加減、俺たちじゃねーって分かれや!? どっちがバカだか分かんねーなぁ!?」
    「き、貴様……ッ」
    「むしろ俺たちゃ、アンタら士官の中に犯人がいると思ってんだよ! だからそのごまかしに、何べんも監査してんだろ? 俺たちをどーしても犯人に……」「貴様ァッ!」
     突然、士官が兵士を殴り倒した。
    「私を愚弄するかッ! これは軍法会議ものだぞッ!」
    「……いきなり殴るってことは、図星なのか?」
     と、別の兵士が口を開く。
    「なに……?」
    「図星なのか? 本当にアンタらが?」
    「そんなわけがあるか!」
    「じゃあなんで殴った? 反論できないから殴ったんじゃないのか?」
    「違う! 軍規を乱す者が……」
    「それはアンタじゃないのかッ!?」
     場がしんと静まり返り、士官たちと兵士たちの間に、ただならぬ空気が漂い始めた。
    「……」
    「……」
     と、殴られた兵士が立ち上がり、士官をにらむ。
    「出てけよ」
    「……っ」
    「俺たちは真偽がちゃんと分かるまで、アンタらの指示には従わねーぞ」
    「ぐっ……」
     士官たちはしばらく周囲をにらみ付けていたが、やがてその場を後にした。

     こんな小競り合いが幾度となく続き――ついには、決定的に破綻することとなった。
    「なんだ、騒がしいぞ!」
    「暴動です! 南監視塔の兵士たちが、監査に来た士官たちに反発し、乱闘騒ぎを起こしているそうです!」
    「何だと……! すぐに鎮圧しろ! 片っ端から拘束するんだ!」
     士官と兵士との対立は深刻化し、砦の防衛機能が満足に動かなくなるところまで来ていた。



    「そっか。今がチャンスかな」
     その話を反乱軍の斥候から聞いたランドは、次の手を打ち出した。
    「どうする気なの?」
     イールに尋ねられ、ランドはにやっと笑ってこう答えた。
    「いよいよ収穫の時さ。イスタス砦、そっくりいただいちゃおう」
    火紅狐・合従記 5
    »»  2010.12.20.
    フォコの話、108話目。
    千里眼鏡の夜討ち。

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    6.
     双月暦307年、暮れ。
     反乱軍が密かに、ミラーフィールドに集結しつつあった。
    「ねえ、ランド」
     それを指揮するイールが、ランドに尋ねた。
    「集めるのはできたけど……、ここからどうすんの? いくらイスタス砦の中が混乱してるからって、そう簡単に破れるような門じゃないわよ」
    「門は破らないさ。向こうから開けてもらう」
    「え?」
    「イール、皆が集まったら、数名ほど中に忍び込ませて、獄舎に拘束されている兵士たちを解放してやってほしいんだ。
     ……そっちには、僕も一緒に付いていく」
    「え? あんたが?」
     ランドは額にじんわりと浮かぶ汗を拭き、小さくうなずいた。
    「そうしなきゃ、この作戦の成功は無いから」



     監査に抗い拘束された兵士たちは皆、獄舎の中で押し黙っていた。
    「……」
    「……」
     誰の顔にも、不満が見て取れる。
    「ふざけてるよな」
     と、兵士の一人が口を開く。
    「……ああ」
     誰ともなく、それに同意する。
    「なんで俺たちが悪者なんだよ、なぁ?」
    「その通りだ!」
    「俺たちゃ中将閣下のために、汗水垂らして働いてたんだぜ? それが何だよ、こうして反逆者扱いだ! やってられっかよ、全く!」
     一人が不満をぶちまけたところで、他の者もそれに同調する。
    「そうだそうだ!」
    「もううんざりだ!」
    「こうなりゃ本格的に反乱起こしてやる!」
     獄舎で騒ぎ立てるうち、一人がふと気付いた。
    「……あれ?」
    「どうした?」
    「誰も……、来ないな」
    「……そう言えば」
     兵士たちは牢から首を出し、辺りの様子を伺う。
     だが、騒げば止めに入ってくるはずの牢番が、一人もやって来ないのだ。
    「何かあったのか……?」
     不気味な静寂に、兵士たちはまた、押し黙った。

     と、牢の外から声がかけられた。
    「君たち、ちょっと」
    「……?」
     兵士たちは、声のした方へ一斉に振り返った。
     そこには、緊張で顔を蒼くしたランドの姿があった。
    「だ、誰だお前は!?」
    「一言で言うと、侵入者だ。その……、最近話題の、反乱軍の者なんだけど」
    「何……!?」
     にらみつけてくる兵士たちに辟易しつつ、ランドは話を続ける。
    「ま、ま、ちょっと話だけでも。
     今さ、君たち、『こうなりゃ反乱してやる』って言ったよね」
    「……ああ、まあ、そう言った、けど」
    「手伝ってくれるなら、そこから出してあげるよ」
    「手伝うって……」
     ランドは一歩、牢に近付き、声を潜めて話す。
    「このイスタス砦、僕たち反乱軍が乗っ取ろうと思ってるんだ。『キルシュ王国』建国のために」
    「キルシュ? ……商政大臣のキルシュ卿のことか!?」
     牢の中の兵士たちは、一様にざわめいた。
    「まさか反乱軍って……」
    「ま、ま。その議論は後にしてほしいんだ」
     ランドは自分の考え――ノルド王国を離れ、自分たちで別個に国を作る計画を兵士たちに伝えた。
    「……考えもしなかったな」
    「まさか、ノルド王国を捨てて、新たな国を建国するとは。……でも確かに」
    「ああ。悪くない。……じゃあアンタは、その足掛かりに」
     兵士たちに向かって、ランドは深くうなずく。
    「そうなんだ。まずはイスタス砦とその周辺、つまりロドン中将の所有地を奪って、僕たちの国にしようかと」
    「……協力してくれ、と言ったな」
     兵士の一人が、ランドに手を差し出した。
    「俺は協力する。『ノルド離反』と『中将一派追い出し』、おまけに『国作り』なんて、ワクワクさせてくれるじゃねーか……!」
    「お、俺も!」
    「同じく! 同じく!」
     一人、また一人と牢の中から手を伸ばし、全員がランドに協力する姿勢を示した。

    「大変です!」
     さらに時間は進み、深夜過ぎ。
     ロドン将軍の寝室に、側近たちが駆け込んできた。
    「むにゃ……うう、む……なんだ、騒々しい」
    「謀反です! 拘束していた兵士たちが反乱軍と共謀し、我が砦を襲撃しています!」
    「……む、むにゃっ!?」
     この報せに、夢うつつだったロドン将軍は飛び起きた。
    「げ、現状はどうなっている!?」
    「現在正門と西門が破られ、……と言うか、中から開放され、続々と反乱軍が押し寄せてきております!
     さらに下級の兵士たちが次々に反旗を翻し、反乱軍に合流! 既に南・西兵舎と全ての倉庫が制圧されております!」
    「な……」
     ロドン将軍は慌てて軍服を羽織りつつ、怒鳴りつけた。
    「兵の残りは!? わしに従う意思のある兵士はどれだけいる!?」
    「お、……恐らく、……100に満たないかと」
    「……バカな……っ」
     ロドン将軍は舌打ちし、兵士たちをなじる。
    「何故わしに刃を向けるのだ、愚か者どもめがッ!
     このわしが、散々世話をしてきてやったでは、……っ!」
     そこまで口にしたところで、将軍は自分がこの数か月の間兵士たちに向けてきた、辛辣な態度を思い出した。
    「……く、そっ! 何と間の悪い……っ!
     まさかこんな、……こんな、兵士の心が冷え込んでいた丁度その時に、攻め込んでくるとは……!」
     自分の失態と敵のタイミングの良さを呪ったところで――開け放たれたままだった寝室のドアから、多数の兵士がなだれ込んできた。

     こうして襲撃から一晩のうちに、難攻不落のはずだったイスタス砦は陥落。ロドン将軍とその側近たちは放逐された。
     これが後の世に伝わる、「千里眼鏡の夜討ち」である。
    火紅狐・合従記 6
    »»  2010.12.21.
    フォコの話、109話目。
    活動基盤の完成。

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    7.
     308年の初め。
     イスタス砦とその周辺、ミラーフィールド大塩湖北部を掌握したキルシュ卿と反乱軍は、その地を領土として、新たに国を作ることを宣言した。
     国王には、当初キルシュ卿が立てられるものと思われていたが、卿はこれを、高齢のために辞去。自分の息子、クラウスを擁立することで、話はまとまった。
     そして、その国の名は――。

    「ジーン王国?」
    「ああ。皆、二天戦争を知っているかね?」
     キルシュ卿の問いに、イールたちはうなずく。
    「ええ。大昔、中央大陸の『天帝』と、この北方大陸を支配してた『天星』とが戦った戦争ですよね」
    「その通り。……実は、私の家系は、その『天星』の末裔なのだ」
     この告白に、ランドと大火、フォコを除く反乱軍の皆、北方人たちはざわめいた。
    「そうだったんですか?」
    「でも確か、『天星』レン・ジーンって……」
    「そう。一般には、二天戦争で討たれ、死亡したと伝えられている。しかし実際には落ち延び、子孫を作ったと、私の家には伝わっているのだ。
     実を言えば、私がずっと反ノルド王室派だったのは、それに起因する。言わば、ご先祖様を失脚させ、追い回した家だからな、ノルド家は。
     だからこの機に、息子にはジーン姓を名乗らせ、今再びジーン王朝を復活させてもらおうと思っているのだ」

     こうして二天戦争から2世紀半を経て、再びジーン王国がよみがえることとなった。



     時間は少し戻るが――。
    「ふむ……。ファスタ卿も素晴らしい頭脳を持っていらっしゃるが、君もなかなか」
    「どもども」
     ランドたちがイスタス砦から軍備を盗んで横流ししている間、フォコはキルシュ卿としきりに議論を交わしていた。
     キルシュ卿は元々、商人である。そしてフォコにも大商人の血が流れているし、南海時代にもジョーヌ海運総裁・クリオの手伝いをしていた経験がある。
     経営術や商売の計画・手法など、共通の話題には事欠かなかったのだ。
    「いや……、君に相談して正解だったよ。これでまた、新たな経国済民の道が拓けそうだ」
    「そんな、僕なんて……」
     謙遜するフォコに、キルシュ卿はゆるやかに首を振った。
    「いやいや、君ほどの若さでその頭脳と知識は、非常に価値の高いものだ。それこそ、巨額の財産に等しい人材だ。
     ……どうだろう、ソレイユ君。今後も私の手助けを、してくれないか?」
    「へ……?」
    「恐らく、今イールやファスタ卿が進めている計画が実れば、私の息子が国王になる、と言う話になるだろう。
     しかし私の息子が王になった場合、一つの、困る問題が起こる。私の商会、『キルシュ流通』の跡継ぎがいなくなってしまうんだ。とはいえ、まさか王と商人とを、一人二役でこなさせるわけにも行かない。
     そうなった時、もし君が良ければの話なんだが――今後の経営は、君と私、二人で進めたいんだ。で……、私も歳だから、いずれは隠居し、君に全権を委ねるつもりだ。どうだろうか?」
    「え、え……、ええ?」
     困惑するフォコを見て、キルシュ卿は苦笑した。
    「まあ、もし……、イールが女王にと言う話になったら、この件は忘れてほしい。その時はこれまで通り、跡継ぎはクラウス。君は単なる、相談役のままだね」
    「はあ、はい」

     そしてキルシュ卿が懸念していた通り、跡継ぎになる予定だった息子、クラウスが王になることが決定し――。
    「よろしく頼むよ、ソレイユ君」
    「は、はあ……」
     いつの間にかキルシュ卿の商会のナンバー2、大番頭に据えられたフォコは、困惑するばかりだった。



     転落ばかりだったフォコ。
     絶望に沈んでいたランド。
     どん底だった二人に、大きな転機が訪れた。
     これより二人は、この砦と国を軸に、波乱万丈の快進撃を繰り広げることになる。

    火紅狐・合従記 終
    火紅狐・合従記 7
    »»  2010.12.22.
    フォコの話、110話目。
    活気付く、新しい国。

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    1.
    「そうか」
     自分たちの本拠地から追い出され、その窮状を訴えてきたロドン将軍たちの話を聞き終えたノルド国王、虎獣人のバトラー・ノルドはそれだけ言って返した。
    「そうか、ではございません! すぐに兵を集め、反乱軍と逆臣キルシュを皆殺しに……!」
    「ああ、うむ」
     猛々しく怒鳴り散らすロドン将軍に対し、バトラー王はぼんやりした返事を返すばかりだった。
    「聞いておりますか、陛下ッ!」
    「うむ。聞いている、が……」
     バトラー王は眉をひそめ、ロドンにこう返した。
    「3つの理由から、それは延期せざるを得ないのだ」
    「なんですか、その理由とは!?」
    「一つ、我が国の国庫はいつも通りの緊縮財政にあり、余計な挙兵はできぬ」
    「余計ですと!? 領土が奪われたのですぞ!?」
    「二つ、その奪われた領土は元々将軍、お前が私物化していたではないか。取り返さずとも、余にとっては今まで通りと言うことだ」
    「う……、ぬ」
    「そして三つ、その領土と資産を奪われたお前に、利用価値なぞない。最早将軍として飼っておく理由はない。ゆえに、お前に手を貸す気はさらさら無い。
     即刻、去れ」
    「なんと……! それはあんまりではないですか!」
     そう叫んだロドン将軍に、バトラー王が怒鳴り返した。
    「『あんまり』、だと!? その言葉、余が何度お前に投げかけたか覚えているのか!?
     貸し与えた領土を私物化した時も! ギジュン准将やスノッジ少将らと共謀し、ノルド峠へ勝手に関所を作って通行料を徴発し始めた時も!
     さらには得た利益を我が国へろくに献上せず、ぬけぬけと懐に蓄えた時も! 余は何度も何度も、『それはあんまりであろう』と諌めたであろう! そしてお前は、それらすべてにのらりくらりと言い訳を立てて誤魔化し、無視を通したではないかッ!
     それが何だ、いざ自分が窮地に陥ったら、恥も外聞もなく助けを乞うのか、仮にも将軍の地位にあった者が!? 恥を知れ、恥をッ!
     もうお前の顔なぞ見たくもない! 去らねばここで、その猪首をはねるぞッ!」
    「……う、ぐうう」
     これ以上嘆願は無駄と悟ったのか、ロドン将軍はすごすごと謁見の間を離れていった。
    「……ふう」
     ロドン将軍が消えたところで、バトラー王は玉座にしなだれかかる。
    「金はない、将も兵もろくに言うことを聞かぬ、さらにはキルシュ卿の離反と別の王朝の台頭、か。窮地などと言う言葉では、足らぬ足らぬ」
     バトラー王は頭を抱え、ぼそ、とつぶやいた。
    「……俺には分からん。この先どうすれば、この全てを解決できるか」



     ノルド王国とは対照的に、ジーン王国は活気づいていた。
    「さーさー安いよ安いよ、塩湖で取れた塩だよ、肉の臭み取りと味付けには持って来いだよ!」
    「北の狩場で今朝獲ったばっかり! 新鮮な兎肉! 食べなきゃ力付かないよー!」
    「これであんたも今日から狩人! この弓さえあれば、獲物が狩り放題だ!」
     元々、ミラーフィールド塩湖周辺の土は栄養分が豊富であり、動植物が多かった。そして塩湖自身も、良質の塩を産出している。土地の面で言えば、かなり恵まれていたのだ。
     そして軍閥を挙げて独断専横を行っていたロドン将軍が消えた今、あちこちから人が集まりつつあった。
    「とは言え、税率はかなり高くしないと、追いつかないでしょうね」
     フォコは街の活気を砦の窓から眺めながら、キルシュ卿と財政の相談をしていた。
    「うむ……。折角集まってくれた皆には重荷になるかも知れん。しかし、我々の国庫もそう潤沢ではないからな」
     ロドン将軍の資産を丸ごと手に入れた王国だったが、あくまでも一将軍が贅沢できる程度の資産である。国家予算として見れば到底、足りる額では無かった。
     そのため、資金の確保を急がねばならなかったが――。
    「王室政府が十分回転できるくらいの額を一年で徴収するとなったら、商業税は多分30%以上、住民税も40%近くに設定しないといけませんが……」
    「それは無理だろう。折角集まった民が、悲鳴を上げて逃げてしまう」
    「現実的に見れば、10%が限界ですよね。……となると、活動が十分にできるまで、4年はかかる計算になりますね」
    「もっとかかるだろう。その間、収支も変動するだろうし、今は貧窮しているノルド王国も、いつ攻めに入るか分からんからな」
    「ともかく、早くお金を貯めないと。それが第一の課題ですね」
    火紅狐・創星記 1
    »»  2010.12.25.
    フォコの話、111話目。
    裏切りと蹂躙。

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    2.
     ジーン王国の財政大臣となったキルシュ卿の片腕として本格的に活動し始めたフォコは、初っ端から大きな問題と向き合わねばならなかった。
    「とりあえず、税金は10%前後で推移させるとして……。その上で早急に動ける程度の額を貯めなきゃいけない、ってなると……」
     自分に割り当てられた執務室で、フォコは壁にかけてある大きな黒板にチョークで数字を書き連ね、計算を重ねていく。
     だが、何度やっても出てくる額は、年単位の辛抱を必要とする大きさだった。
    「アカンなぁ……。どこをどう引っ張ってきても足りひん」
     フォコは真っ白になった左手――金火狐一族にはなぜか、左利きが多い。フォコもその例に漏れず、左利きなのだ――をローブの裾ではたき、「うへ」と声を出した。
    「しもた、服が真っ白になってもた」
     フォコはローブを脱ぎ、バサバサと揺すって、チョークの粉を落とそうとした。
     と――。
    「ソレイユ君、入るよ」
    「へっ」
     キルシュ卿が、ひょいと部屋の中に入ってきてしまった。
    「わ、わわわ」
     フォコは慌ててローブを被り直そうとしたが、キルシュ卿はばっちりフォコの髪と狐耳、尻尾を見てしまったらしい。
    「うん? ……もしかして、君?」
    「あ、あわわわ、見てませんよね? 見てはりませんよね?」
    「いや……、悪いが確認できてしまった」
     キルシュ卿は後ろ手にドアを閉め、そっと尋ねてきた。
    「私も商売人だし、大臣として、諸外国の視察も何度か行っている。それほど特徴的な髪と耳尾は、央中の『あそこ』以外で目にかけたことはない。
     君は、金火狐一族の者、かな」
    「……はい」
     フォコは観念し、被りかけていたローブを脱いだ。
    「ソレイユ、と言う姓は偽名かな」
    「ええ」
    「何故身分を?」
    「諸事情がありまして」
     その答えに、キルシュ卿は「ふうむ……」とうなった。
    「良ければ聞かせてほしい。私としては、あまり……、その、金火狐にはいい印象を持っていないのだ」
    「そう、ですか」
     キルシュ卿はばつの悪そうな顔を向け、こう続ける。
    「彼らのために、ここ数年の経済状況は加速的に悪化したと言っても過言ではないからな」
    「『ここ数年』、ですか。……じゃあ、誤解のないように、そこだけ釈明します。
     僕はここ数年、金火狐とは縁が切れています。14から17まで南海にいましたし、その後は央北をぐるぐる回ってましたから」
    「それは何故かね?」
    「……現、金火狐一族の、……当主。彼には、……僕の親しい人を、次々に殺されましたから」
    「殺された? ……思っていたような話ではないな。詳しく、聞かせてはくれないか?」
    「でも……」
     言いよどむフォコに、キルシュ卿は表情を崩した。
    「どうせ老い先短い身だ。どんな話を聞かされたとしても、数年のうちに秘密は守られる」
    「……そう言われては、話さないわけには行きませんね」

     フォコの事情を聞いたキルシュ卿は、悲しそうに目を細めた。
    「何とむごい……! そうか、ジョーヌ海運の経営縮小も、ケネス・ゴールド……、いや、ケネス・エンターゲート氏のせいだったか」
    「ええ。……って、縮小ってことはまだ、ジョーヌ海運はあるんですか?」
    「一応は、ある。だが、経営者が奥方に代わった後、まったくうわさを聞かなくなってしまった。恐らく、業績は芳しくないだろうな。
     まあ、経営悪化の理由はジョーヌ氏の死だけではないだろうが」
    「と言うと?」
    「3年ほど前、エール商会を半分以上、まるで食いちぎるようにして買収した、スパス産業と言う商会が現れた。
     以降、西方の商工業網はほとんど、そこ一店に牛耳られてしまっているのだ。それとジョーヌ海運の凋落は、無関係とは言えまい」
    「す、……スパス、ですって」
     フォコの脳裏に、クリオを裏切った造船所の若頭、アバント・スパスの顔がよみがえる。
    「……どうしたのかね?」
    「そいつは……、そいつが裏切ったせいで、おやっさんは拉致されて、死んだって言うのに……! そいつは、のうのうと西方に居座っている、なんて……ッ」
    「そうか……。ではあのうわさも、恐らく真実なのだろうな」
    「うわさ?」
    「その、スパスと言う商会主。金火狐当主とつながっていて、彼の指示のもと、あちこちの買収を続けている。そう言ううわさが流れているのだ。
     エンターゲート氏は何を考えているのか……? 金と権力に任せ、あちこちで非道な商売を展開している。
     北方の経済危機にも、彼は一枚噛んでいるし……」
    「それ、詳しく聞かせてくれませんか?」
    「うむ」
    火紅狐・創星記 2
    »»  2010.12.26.
    フォコの話、112話目。
    恐喝金融。

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    3.
     ケネスが中央軍と通じて世界各地で紛争を起こし、長引かせるとともに、武具を大量に売りつけることでマッチポンプ式に荒稼ぎしていると言ううわさは、既に広く知られるところとなっていた。
     が、それを知りつつも、中央政府は何も言わない。言ったところで、中央政府には何のメリットも無いし、そもそも中央政府の主、オーヴェル帝は今一つ、その因果関係が分かっていないからだ。ケネスに「領土拡大、ひいては世界再平定を成すための行為」と誤魔化され、諌めるどころか嬉々として奨励している有様である。
     それをいいことに、ケネスはますます増長していた。



    「いやいや……、私も女には汚い性質と自負してはおりますが、閣下も相当ですな」
    「そんな言い方はよしてくれ、当主殿」
     北方大陸と中央大陸の間にある海、北海。その第5島、フロスト島にあるイドゥン少将の本拠地、フリメア砦にて。
     ケネスがイドゥン将軍と、密かに会談していた。
    「どうしても、振り向いてほしくての行動なのだ。せめて純情と言ってほしい」
    「どちらでもよろしいことです。
     それよりも、依頼してあった件。あちらは、どうなりましたかな?」
     ケネスの問いに、イドゥン将軍は顔をしかめた。
    「どうにもならん。レブの奴めが峠を閉じてしまったからな。首都との連絡は止まったままだ」
     レブ、と言うのはギジュン准将の名前である。
     元々イドゥン将軍とギジュン准将は兄弟分だったのだが、将軍が准将の妹、イリアを娶りたいと自分の砦に軟禁したために、その仲を悪化させていた。
    「それは困りますな、閣下。覚えていらっしゃるとは思いますが……」
     ケネスは懐から、証文書をチラ、と見せた。
    「む……」
    「あなたに5000万クラムを無利子でお貸しする代わりに、山間部における鉱山を売却するよう、王室に働きかけてもらう。それが契約の内容でしたがね」
    「分かっている。だが奴も頑として、『妹はやらん。無傷で返してもらうぞ』と突っぱねていてだな……」
    「まどろっこしいですな」
     ケネスは口の端を歪ませ、イドゥン将軍を鼻で笑う。
    「さっさと既成事実を作れば、准将も諦めがつくでしょう」
    「そ、そんなわけに行くか! 吾輩は少将だ! 大軍を任された将軍なのだ! そんな、下卑た真似をするわけには……」「それなら」
     ケネスは拳骨でゴツゴツと机を叩きながら、脅しにかかる。
    「准将が動かず、首都と連絡が取れない以上、この証文は不履行となりますな。であれば無利子、とは行きますまい」
    「うぐ……」
     ケネスは先程見せた証文書を、イドゥン将軍の鼻先に突きつける。
    「ほら、ここ。ここに、不履行の際の処置を書いていますでしょう? 不履行の場合、年35%複利で、きっちりと、返済していただく、と。
     私が閣下に貸し付けたのは3年前、すると複利計算はどうなりますかな? ……おおっと、これは大変な額だ」
     サラサラとメモに書きつけた額は、とんでもない額に膨れ上がっていた。
    「ん、がっ」
    「おやどうしました、間抜けな音を鼻から出して? それほど望外の額だと?
     ご納得いただけないなら、もう一度計算いたしましょうか? 5000万が1年で6750万に。そしてもう1年で9112万。
     そしてさらに1年、計3年でほら、1億2301万クラムです。計算に間違いがございますかな、閣下?」
    「こ、こんな額、払えるわけが……」
    「払えない? おやおやおやおや? そうですか、払えないと。いやぁ、困りましたなぁ」
     ケネスはすい、と席を立つ。
    「ど、どこへ」
    「これ以上議論の余地はありますまい。私も何かと忙しい身ですからな。本国に帰り、中央軍のバーミー卿と会談しなくてはなりません。
     なにせ、1億2000万もの大金を踏み倒す不敬な方がおりますからな。制裁を受けてもらわねば、世界に示しが付かぬと言うもの」
    「まままま、待て待て、待て!」
    「なんですか? まだ何か?」
    「分かった! 何としてでも、吾輩はレブを倒す! そうすれば首都との連絡も回復するし、イリアも諦めてくれるだろう!」
    「そうなれば、私との契約も履行できる、と。そう言うお考えですな。……で?」
     ケネスはイドゥン将軍の言わんとすることを察し、こう尋ねた。
    「そのためにはいかほどご入り用です、閣下?」
    火紅狐・創星記 3
    »»  2010.12.27.
    フォコの話、113話目。
    経済復興案。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「なるほど……。つまり、『ノルド王室側の将軍』と『野心を持ち独断専横を続ける将軍』、そして『ケネスに債権を握られて侵略活動を行う将軍』との3種類の軍閥で、対立が続いているわけですか」
    「その通り。性質が悪いのは、2番目よりもむしろ、3番目に当たる将軍だ。2番目のタイプはまだ、自身の活動を抑制できる。自分の意思で、軍閥を動かせる。
     だが3番目、これはもう自分で動けない。エンターゲート氏に多額の借金をしているために、催促されれば簡単に兵を動かしてしまう。
     そして二次災害的に、もう一つ問題が発生する。その、莫大な借金だ。その返済を行うには、ノルド王国の国庫からでは到底支払えない。当然、何らかの税を設け、民から徴収することとなる」
    「それがみんなの首を絞め、さらに経済が悪化。そうなればまた借金をして……、と言うわけですか」
    「その通りだ。このままではいずれ中央軍、もしくは中央政府が本土に攻め込んでくるだろう。その違いは武器で攻めるか、債権で攻めるか、だ」
     話を聞いたフォコは、もう一度黒板に向かった。
    「問題は、……とてつもなく大きく、そして、絶対に解決しなければいけない問題は」
     フォコは黒板に、「北方の経済復興と独立」と書き込んだ。
    「これです、ね」
    「その通りだ。中央の経済圏から独立しなければ、そう遠くない将来、北方は滅ぶ」
    「……」
     フォコは黒板の前に座り込み、腕を組んで考え込んだ。
    「中央の経済圏から離れるには……。それはすなわち、『クラム』と言う通貨から離れなきゃいけない、ってことですよね」
    「ふむ」
    「このままクラムが、ただ流れ込むだけじゃ、こっちで使われてるグラン通貨はどんどん価値を失ってしまう。
     でも北方に出回ってるクラムのほとんどは、大商人や軍閥に流れ込むばかりで、多くの人には行き渡らない。価値が日を追うごとに下がっていくグランだけが、みんなの手元に残るばかりですよね」
    「確かにそうだ」
     フォコは立ち上がり、黒板にカリカリと問題点を書き連ねていく。
    「つまり、逆に言えば――北方の通貨の価値が上がれば、いわば『底上げ』が起こる。みんなの裕福度が、一斉に上がる。
     そうなればクラム通貨は相対的に価値を失い、撤退していってくれる。それで、北方の経済独立が達成できるはずですよね」



     と、大風呂敷を広げたはいいものの――。
    「……ちゅうても、アイデアなんてあらへんよなぁ」
     妙案がすぐに浮かぶわけもなく、フォコは街へ繰り出していた。
     往来のにぎわいを座って眺めつつ、フォコは自分の懐から、クラム銀貨とグラン銀貨とを取出し、見比べる。
    「クラム、か。……この『お嬢さま』も災難やなぁ。人によっては、ホンマに汚く扱われて……」
     銀貨の裏面に刻まれたエルフの女性――初代天帝の娘、クラム・タイムズと言うそうだ――を見て、フォコはため息をつく。
    (ホンマに、僕はお金に悩まされるなぁ。それも、明日パンやらパスタやら買う金がない、っちゅう次元やなくて、もっと別の、ヘンテコな次元で。
     ナラン島ん時は、レヴィア兵から奪ったガニー使うてええんかって逡巡しとったし、ノースポートとかグリーンプールとかでは、寸借詐欺がバレたりせーへんかって、持っとって逆に苦しかったし。
     ほんで今は、『あの外道』がバラ撒いとる金をどうやって駆逐するか、や。……もっと庶民的に悩みたい、っちゅうか、庶民的に暮らしたいもんやけどなぁ)
     何の気なく、フォコはその銀貨二枚をぽいぽいと宙に投げ、ジャグリングをする。
    「ほい、ほい、ほい、……っと」
     そうして空虚に時間を潰していると――。
    「おい、兄ちゃん」
    「ふえ?」
     いつの間にか、フォコの前に中年の短耳と虎獣人が立っていた。
    「金、大事にしなきゃ」
    「遊ぶなよ、金で」
    「あ、すんません」
     フォコはジャグリングをやめ、銀貨を懐にしまう。が、中年二人は立ち去らない。
    「兄ちゃん、器用だな」
    「あ、ども。昔、船造ってましたから」
    「兄ちゃん、船乗りなのか? こんな山奥で何してんだよ、ははは……」
     中年二人はフォコの横にしゃがみ込み、親しげに話しかけてくる。フォコもそれに、なんとなく応じてみた。
    「いや、船乗りじゃなくて造船所にいたんですよ。ジョーヌ海運ってとこ」
    「じょーぬ? 知らんなぁ」
    「西方とか南海じゃ、結構でっかいところだったんですけどねー」
    「あー、西方かぁ。兄ちゃん、西方人なのか?」
    「えーと、まあ、そんな感じです」
    「西方の奴ら、おしゃれしてるとかキザなやつが多いって聞いたけど……」
     虎獣人はフォコの服装を眺め、鼻で笑う。
    「だっせえな」
    「へへ……、すんません。貧乏なもんで」
    「と……、火打石、あるかい? どっか行っちまって」
     いつの間にか短耳が、煙草をくわえている。
    「あ、魔術かじってたんで、……はい」
     フォコは魔術を唱え、指先に小さな火球を作った。
    「お、悪いな。……ふー」
     短耳はにっこり笑いながら、煙草の煙を吹く。
     と――虎獣人が、妙なことを短耳に言った。
    「おい、もったいねえぞ。グランよりよっぽど金になるんだし」
    火紅狐・創星記 4
    »»  2010.12.28.
    フォコの話、114話目。
    金銀でなくとも。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    (煙草が……、金になる?)
     フォコはその言葉の意味が何を示しているのか分からなかったが、とりあえず聞き耳を立ててみた。
    「いいじゃねえか、一本くらいよ」
    「10本ありゃ、セムノフじいさんが野菜いっこくれるんだぜ。とっとけよ」
    「お前は煙草吸わないからそんなこと言えんだよ。じいさんだって煙草好きだから、煙草と野菜交換してくれるんだし」
    「俺には分かんねーなー、煙吸って何がうまいんだか。そんなのより食い物だろ」
     ピンときたフォコは、二人に尋ねてみた。
    「そのおじいさん、煙草で野菜を売ってくれるんですか?」
    「ま、そんな感じだな。ほら、普通に蕪やらほうれん草やら買うと、30万グランとか余裕で超えるだろ? 俺たちの稼ぎが、捌いた兎やら鳥やら売って、ようやく100万行くか行かないかだしな。まともに買ってらんねーしよ。
     で、セムノフのじいさん、自分で畑持っててよ。自分ひとりじゃ食うには困るってことはねーけど、煙草好きでな。でも煙草も、普通に買うと高い。10巻き一まとめで、50万くらいだ。じいさんだから体力ねーし、商売はできない。金、持ってねーんだよ」
    「でもな、俺たち煙草売りの奴とも友達でよ、俺たちの獲ってきた肉と交換で、100巻き分くらいばーっとくれるんだ。で、それをじいさんに渡す。そしたら代わりに、野菜をくれるってわけだ」
     その説明に、短耳が得意げにこう付け足す。
    「ま、セムノフじいさん以外にも、煙草でモノ売ってくれるって奴は結構いるんだ。この世の中、金はむしろ回んなかったりするんだよな。
     他にも俺たちみたいに、煙草でモノの売り買いしてる奴は何人かいるぜ」
    「……なるほど」
     二人の話を聞いて、フォコの頭にあるアイデアが浮かんだ。



    「現状の問題としては、資金難も大きいけど、交通網も気になるな」
     イスタス砦の会議室で、ランドとイール、他数名が、反乱軍改めジーン王国の、今後の行動を検討していた。
    「そうね。いずれ、他の勢力とも戦う時が来るでしょうし、自分たちの行動範囲は広げておきたいところだけど……」
    「ノルド王国の財政破綻が長すぎたね。峠や街道は荒れに荒れて、けもの道も同然だ。これじゃ行軍しても、ほとんど進めないだろうな。
     だから、できる限り道の整備をして行きたいところなんだけど……」
     そこで全員が、同時にため息をついた。
    「……金かかるよなぁ、それ」
    「うんうん、かかるねー……」
    「今の財政じゃ、兵士の給料だけで一杯一杯だし」
    「どうしようかしらね……」
     と、全員で悩んでいたところに、フォコが飛び込んできた。
    「ランドさんランドさん! 今、僕、めっちゃいいアイデアできたんですよ!」
    「おわっ!? ……な、なんだホコウか。驚かせないでくれよ」
     目を白黒させるランドに構わず、フォコは嬉しそうにまくし立てた。
    「これがあれば、金なんていらないって言うアイデアがあるんです!
     あ、いや、金はいらないって言うか、グランはいらないって言うか、やっぱり金みたいなものはいるんですけども」
    「な、何? どう言うこと?」

     フォコは皆に、街で会った中年二人の話をした。
    「つまり……、物々交換で賄うってこと? ……ホコウ、それは無理だよ」
     話を聞いたランドは、がっかりした顔になる。
    「物々交換は、『自分がほしいモノを相手が持っていて、なおかつ、相手がほしいモノを自分が持っている』ことが前提だ。
     僕たちがほしいのは――勿論お金だけど、そのお金で買うものは何かって言えば――兵士の装備や周辺の整備に使う道具や石材、その他諸々。それを持ってる人と交渉して、成立するかどうかは難しいところだと思うよ。
     それに王室政府である以上、大量に人を使う。人件費と言う名目で、やっぱりお金はいるんだ。物々交換じゃ、この問題をクリアすることは不可能だよ」
    「ちゃいますて」
     が、フォコは得意満面にそれを否定した。
    「誰も物々交換で解決するって言うてませんよ。僕がさっきの話で言いたいのんは、『金はそれ自体に価値が無くてもええ』っちゅうことですわ」
    「え……?」
     これには、イールが反発した。
    「そんなわけないじゃない。そんな理屈通るんだったら、そこら辺の石を相手に渡して『これでパンくれ』って言っても通るってことでしょ?
     でもそんなの、誰もくれないに決まってるじゃない。石は石なんだし」
    「そら、ただの石使たらそうなりますけども。……それもちゃうんですって。
     じゃあ、まあ、その例えをそのまま使いますけども、その石を、僕が『後でちゃんとしたお金に換えるって約束します』って言って渡したら、どうですか?」
     この理屈には、何人かうなずいてくれた。
    「それを信用するなら、パンをくれるかもねー」
    「でも信じない人だっているだろう? ただの石じゃ……」
     これについても、フォコはこう説明する。
    「そら、僕かて単なる石渡されたら、嫌やって言いますよ。
     でも、……例えば、証文みたいなん渡して、『この紙と引き換えに、キルシュ流通の品物が買えますよ』って言う約束を付けたらどうでしょう?」
    「ああ、なるほど」
    「ほんで、例えば証文1枚やったらパン1個、5枚やったら野菜一かご、10枚やったら……、っちゅう感じに渡していくんです」
     それを聞いて、ランドは首をかしげた。
    「……それ、結局は、お金ってこと?」
    火紅狐・創星記 5
    »»  2010.12.29.
    フォコの話、115話目。
    「星」の席巻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     フォコはランドの問いに、深くうなずいた。
    「突き詰めていけば、そうなります。
     さっきも言いましたけど、『お金自体が価値あるもんで無くてもええ』んです。何かと交換できるとしっかり約束されていれば、どんなものでもお金にできるはずです」
    「金や銀無しに、約束によって金を作る、……か」
     いつの間にか、会議室にキルシュ卿の姿があった。
    「全く考えもよらなかった。なるほど、確かにその考えなら、貴金属を持たない我々が通貨を作ることができる」
    「しかし……」
     依然、ランドは納得しかねているようだ。
    「その約束・契約が信用されなければ、まったく意味がないだろうね。いや、この辺り一帯に販売網を持つキルシュ流通なら、信用されるだろうけど。
     よしんば、その新しく作ったお金が信用されたとしても。キルシュ流通以外のものは、買えないんだろう? 他に使い道がないんじゃ、お金としては無価値じゃないかな」
    「だから、僕は煙草の話をしたんですよ」
     この意見にも、フォコはきっちりと反論した。
    「虎獣人の方は、自分で吸わへんのに煙草を貯めていました。それは、野菜と交換できるから。つまり『煙草で野菜を買える』と言う、約束みたいなもんがあったからです。
     また、彼らは他にも交換できるものがあると言っていました。そして、同じようなことをしている人も何人かいる、と。
     なぜかって言えば、煙草が確実に野菜に換えられる、と言う約束があるからです。他の何とも取引できなくなっても、それだけは確実に守られるだろう、と考えているから、煙草との交換に応じるんだと思います。
     なら――その人たちの間では、煙草は単なる野菜との交換材料と言うだけではない、ちゃんとしたお金としての機能を持っているんじゃないでしょうか?」
    「つまり君は、確実に何かと交換できる約束・保証があるなら、どんなものでもお金として通用するはずだ、と言いたいわけだね」
    「そうです。
     僕らが作ったお金は、最初はキルシュ流通の品を買う価値しかないでしょう。でも、これはさっきの煙草のように、キルシュ流通が関係しない取引においても、使われるようになると思います。
     これらが実現すれば、僕たちは――まあ、無限にとは言いませんが――お金をいくらでも作れるようになるはずです」
    「うーん……」
     ランドはまだ納得した顔をしなかったが、小さくうなずいた。
    「まあ……、ともかく、キルシュ流通が取引できる間は、お金として扱ってもらえるかもなぁ」

     一応の可決を見て、フォコとキルシュ卿は、安価な真鍮で作った新たな通貨「ステラ」――北方の言葉で「星」を意味する――を、王室政府で働く者たちに支給することにした。
     と同時に、懸念されていた交通整備の問題にも、新通貨を以って対処することとなった。この工事のために雇った人夫への日当に、このステラを使ったのだ。
    「なんだこれ?」
    「軽っ」
    「コドモのオモチャか?」
     新しく見る貨幣に、人夫たちは首をかしげる。
    「我々ジーン王国が新たに発行した通貨です。あ、ご不満ならグランで支給しますよ」
     とフォコが説明したが、人夫たちは納得しない。
    「新しい通貨ぁ?」
    「こんなオモチャが金になるかっつーの」
    「ちゃんとした金寄こせや」
     が、続けてこう言うと、半数程度は納得してくれた。
    「あ、キルシュ流通の加盟店で使うとですね、オマケ付きますよ。
     1ステラ辺り、10000グランで換金できますけども、今なら加盟店で使うと500グラン分のオマケ、付けます。ちゃんと話、通してありますので」
    「……ふーん」
    「じゃあ試しにもらってみるか」
    「ちゃんと交換できるんだろうな?」
    「お釣り出ないとかないよな?」
     まだ半信半疑そうな人夫たちに、フォコはこれまたにっこりと笑って対処した。
    「もちろん。これは我々ジーン王国とキルシュ流通が、正式なお金であると保証します」

     初めはグランでの支給を望む声が多かったが、日を追うごとにステラを好む者が増えてきた。
     と言うのも、グランでは凶悪なインフレにより、一度の買い物に使う額が10万、20万とかさばる上、かなり純度は低いもの金や銀が含まれているため、重たい。それよりも同じ買い物が数枚程度で済むステラの方が、非常に持ち歩きやすかったのだ。
     そして、皆がステラを手にし始めたことで、フォコの読み通り、ステラを一度グランに戻して取引、もしくはグランを受け取りグランで取引、と言う流れは次第に消え、代わりにステラを受け取り、ステラのまま取引を行う、と言う流れになり始めた。

     次第にイスタス砦周辺に出回るグランの量は減り始め、ステラが席巻していった。
    火紅狐・創星記 6
    »»  2010.12.30.
    フォコの話、116話目。
    大番頭の快挙。

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    7.
    「何です、これは……?」
     ミラーフィールド大塩湖南部一帯を支配するソーリン砦の主、スノッジ将軍は提示された金袋を見て、首をかしげた。
    「あ。……すみません、閣下。こちらではまだ、使われておりませんでしたね」
    「使われていない、と言うのは?」
     塩湖北部、イスタス砦から食糧を卸しに来た商人は、ステラが入った金袋をそそくさとしまいながら、自分たちの国でこの通貨が使われ始めたことを説明した。
    「つまり、キルシュ卿がこれを使うようにと広めたのですか?」
    「あ、いえ。指示したのは大番頭です。今年の初めに入った、ソレイユって狐獣人がいまして」
    「ほう」

    「そりゃ楽だな。いちいち何千億も用意しなくて済む」
     一方、こちらはノルド峠とミラーフィールドとを結ぶ街道の中間にあるアーゼル砦。
     ここを守るギジュン将軍もスノッジ将軍同様、ステラの存在を商人から聞きつけていた。
    「んー」
    「どうされました、閣下?」
    「その、ソレイユって商人、こっちに呼べるかな……」
    「いや……、申し訳ございませんが、大番頭は王室の財政を切り盛りしている状態でして、こちらへ参らせることはできかねます」
    「そうか。……じゃあ、俺から出向くとするか」
     それを聞いて、商人は首をかしげる。
    「何かご入り用で?」
    「ああ。近く、俺たちはフリメア砦に侵攻しようと考えている。
     イリア……、俺の妹がさらわれて随分経つし、イドゥン卿も、近々攻めてくるかも知れないと聞く。この膠着した状況が、いつ崩れてもおかしくない。
     そこで対策として、……まあ、借り入れを行おうかと」
    「なるほど。……あ」
     と、話を聞いた商人はぺち、と額を叩いた。
    「申し訳ございません、閣下。その申し出は恐らく、……本当に申し訳ございませんが、断られてしまうかも知れません」
    「何故だ?」
    「大番頭は現在、金融業を全面的に凍結、禁止しているのです」



     ステラの発行と流通が進み、ジーン王室の資金繰りは日を追うごとに順調になっていた。
    「分かりました。そちらへは、5百億グランでお支払いすると言うことで話を進めます。で、南西の鉱山についてもグランで支払いする方向で押してください。それから……」
     懸命にステラを広め、グランを回収した結果、ミラーフィールド近隣に出回っていたグランは人々の手を離れ、王室とキルシュ流通の懐に流れ込むようになっていた。
     そのため、ミラーフィールド周辺ではステラで支払いを行いグランを回収、ステラがまだ通用しない地域では、その大量に回収したグランで支払う、と使い分けることができ、キルシュ流通はその事業をどんどんと拡大し、ステラ通貨の信用をさらに確固たるものにしていた。
     通貨の価値が増し、支払い能力が増大することで、それがさらに通貨の力を強める――経済拡大のスパイラルを築き、王国は急速に力を付けていた。
    「……ふう。これで今日の仕事は、しまいにしときますか」
    「そうだな。わたしも流石にへとへとだ」
     商売と財政が順調なため、最近のフォコたちはほとんど休む間もなく執務に追われていた。
    「どうかな、ソレイユ君。たまには休みを取っては」
    「いやいや、まだまだですわ。それより卿の健康が心配ですよ」
    「はは、わたしのことなら心配しなくともいい。ノルド王国の時に比べて、やることがすべて好調だからな。苦にならんよ」
     そう言って笑い飛ばした後、キルシュ卿は冗談めかしてこう述べた。
    「が、懸念することが一つ、あると言えばある。金庫がもう、グランでパンパンなのだ」
    「あー……、ですよねぇ。今いくら入ってましたっけ」
    「確か、150兆ほどだったはずだ」
    「150兆、ですか。……額だけ聞いたら、ものすごい気ぃするんですけどねぇ」
    「いや……、それでもクラム換算で、15億ほどにはなる。……これなら各地の、借金であえぐ軍閥を救済し、我々の側に引き込めるな」
    「ええ。パンパンになりそう、っちゅうことでしたら、それで消化してしまいましょう」
    「いや、それよりもステラとグラン、この両方で為替取引をしていけば……」
     商人らしく、そうつぶやいたキルシュ卿に、フォコは首を振った。
    「あきませんよ、それは」
    「……ははは、分かっている。折角我々の手で馬鹿げたインフレが終息しそうだと言うのに、また火を点けてはな」
    「ええ。せやから、貸し付けも全面禁止にしとりますし、今後峠が開けた後の貿易でも、クラム建てで取引していこか、って話でしたしな」
    「うん、うん。分かっている、分かっている」

     1クラム辺り10万グランと言う「馬鹿げたインフレ」が起こった背景には、金融業の存在も深く関わっている。
     まだインフレが激化する前にグランをクラムに換えた商人たちは、インフレが進んだ後にクラムからグランに戻して、その利鞘を荒稼ぎしていたのだ。
     例えば、1クラム500グランだった頃、1000万グランをクラムに換えれば2万クラムとなる。そしてインフレが進み、1クラム800グランとなった頃にまたグランへと戻せば、その額は1600万グランとなり、何もしないうちに600万グランの利益が生まれるのだ。
     そんなマネーゲームが何度となく繰り返され、その結果、グランの価値は異様に安くなってしまったのだ。

    「ジーン王国はまだ、立国したばっかりですしな。今ここで不用意な金儲けしたら、間違いなく大コケしますで」
    「うんうん、分かる、分かるよ」
     キルシュ卿は深くうなずき、この大番頭の手腕と見識に安心していた。



     後に、フォコが金火狐の総帥となり、商会を「金火狐財団」として再編することになるのだが、彼はこのキルシュ流通をはじめとして、他の商会数店をもこの傘下に収めた。
     と言っても、ケネスやその手下のように暴力的な買収を行ったわけではない。すべて、彼の人柄と経営手腕に惚れ込んだオーナーからの、好意的な譲渡によるものである。
     もしも――フォコがケネスのように、利己的で身勝手な振る舞いを執っていれば、金火狐財団を立ち上げるどころか、このジーン王国で立身することも無かっただろう。

    金火狐・創星記 終
    火紅狐・創星記 7
    »»  2010.12.31.
    フォコの話、117話目。
    バッティング。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     順風満帆に地域経済を立て直していくジーン王国に転機が訪れたのは308年、極寒の北方大陸山間部に、ようやく春の兆しが仄見えようかと言う頃だった。
    「え……? どっちなの?」
    「両方です」
    「両方って……、ギジュン准将とスノッジ少将が、同時に?」
     連絡を受けたイールは、非常に驚いた。
     なんと、残る四大軍閥のトップ2名が、同時にジーン王国を訪れたと言うのだ。
    「じゃあ、今この砦に、二人が来てるって言うの?」
    「はい。……それでサンドラ閣下、あの」
    「何よ?」
    「間違えて、お二方を同じ待合室に案内してしまったんです。……どうか、仲立ちを」
    「あたしが? えー……」
     イールは猫耳を伏せ、嫌そうな声を漏らした。

    「……」
    「……」
     その待合室にて。
     四大軍閥、とくくられてはいるが、全員の仲がいいわけではない。元々反発して、個別に領土を牛耳った者たちである。
     待合室の空気は、険悪そのものだった。
    「……なんです?」
     先に口を開いたのは、スノッジ将軍の方だった。
    「何も言ってねーだろ、おばはん」
    「……」
     それきり、両者ともそっぽを向いてしまう。
    「……ったく、なんでこの俺がこんな年増と相席しなきゃなんねーんだか」
     と、今度はギジュン将軍がぼそ、とつぶやく。
    「わたくしも、あなたのような野蛮人と同席など、したくもありません」
     じわじわと、両者の間に火花が散り始める。
    「あ……? 誰が野蛮人だ? 気取りやがって」
    「おお、なんと口汚いことでしょう。耳が腐ってしまいますわ」
    「いいじゃねーか。長すぎるくらいだし、腐らせちまえよ」
    「あなたの尻尾も少しは整えらしては? まるで古びたモップのようですし」
    「ケンカ売ってんのか、おばはん」
    「それはあなたの方でしょう? まったく、気は短い、口は汚い、尻尾も汚い。よく将軍などと名乗れますね」
    「……てめえ」
     ガタ、と椅子を倒し、ギジュン将軍が立ち上がる。と同時に、スノッジ将軍が魔杖を構える。
    「そのケンカ、買ってやる!」
    「望むところです」
     と、今にもつかみかかろうとしたところで――。
    「やめなさいよ、あんたたち! 人の砦で、そんなことさせないわよ!」
     イールが仲裁に入り、高まっていた二人の緊張が解けた。
    「……フン」「……」
     席に着き直した両者を確認し、イールは彼らに尋ねた。
    「で、何の用なの? 宣戦布告でもしに来たの?」
    「なわけねーだろ。……内々で話したいことがあって尋ねた。人払いを頼む」
     と、この言葉にスノッジ将軍が反発した。
    「人払い? わたくしのことですか? お断りします。
     サンドラ、……卿、わたくしも密かに伺いたいことがあるので、人払いを」
    「俺の方が先だ。すっこんでろ、ババア」
    「わたくしの方が年長ですよ。従いなさい、お坊ちゃん」
    「ざけんな!」
     またも飛びかかろうとしたギジュン将軍に、イールは平手打ちを食らわせた。
    「バカじゃないの、あんたたち」
    「何すんだよ!」
    「こんなケダモノと一緒にしないでください」
    「もっかい言うわよ、バカなのねあんたたち。
     ここはソーリン砦でも、アーゼル砦でもないわ。あんたらのお家じゃないのよ? それなのにまあ、ギャーギャー騒いで。んなことやりたいなら、外でやんなさいよ。
     で、話って何よ? 今ここで説明しなきゃ、二人とも追い出すわよ」
    「……」
     イールの剣幕に、二人は黙り込んだ。
    「話しなさいよ。それとも日が暮れるまでずーっと、あたしをにらむつもり?」
    「……では、わたくしから」
     ようやくスノッジ将軍が折れ、口を開いた。
    「サンドラ卿もご存じの通り、わたくしの守る砦はミラーフィールド南岸部にあります。そして同時に、ノルド王国首都であるフェルタイルにも近い場所です。
     そのフェルタイルにて、最近また、グランの増発が行われたようなのです」
    「ふうん……?」
    「つまり、まとまったお金が必要になる行動を執ろうとしている、ってわけさ」
     と、そこにランドがやってきて、助け舟を出してくれた。
    「それは何か? 半世紀やってない道路の整備? 困ってる人民の救済?
     いや、それよりも、最近裕福になりつつあるミラーフィールド、即ちこのジーン王国への侵攻、と考えた方が自然だ」
    「あら、お分かりになる方がいらっしゃったのですね」
    「あまり我々を愚弄しないでいただきたいですね、将軍閣下。
     で、つまるところは閣下、あなたも資金繰りのためにいらっしゃったのでしょう?」
    「そうです。概ねは」
     スノッジ将軍は含みのあるセリフとともに、こくりとうなずいた。
    火紅狐・融計記 1
    »»  2011.01.02.
    フォコの話、118話目。
    腹黒おばはん。

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    2.
     ランドたちとスノッジ将軍は場を変え、ギジュン将軍に聞かれないよう、密談に進んだ。
    「名目上、ソーリン砦もノルド王国の領地ですし、首都の本軍がやってくれば、我々のところに駐留することになるでしょう。
     が、通貨を増発しているとは言え、相手は極貧の大軍。となると我々が何かと面倒を見なければならなくなるのは、明白。試算の結果、我々の資産だけでは足りなくなるだろう、と言う意見が出たので、わたくし自らがこうして、あなた方のところに出向いたわけです」
    「ほう。しかしそう言うことであれば、あなたがこちらへいらっしゃるのは、まずいことなのでは? ジーン王国は、ノルド王国にとって敵になりますし」
    「名目上は、です。実質的には敵でも味方でもなく、ただの取引相手です。
     万が一ノルド王国があなた方を倒すなら、そのままノルド王国に付いていればいい。このまま順当にジーン王国が成長を続けるなら、そのままジーン王国と取引を続ければいい。
     ただそれだけの話です」
     スノッジ将軍は、にべもなくそう言ってのけた。
    「では今回、こちらへいらっしゃったのは、単に無心だけではない、と言うことですね」
     ランドの問いに、スノッジ将軍はうなずいた。
    「ええ。今リークした通り、近々ノルド王国は軍を率いて、あなた方のところに侵攻してきます。これは値千金の情報でしょう?」
    「確かに」
    「これに千金でなくとも、いくらかの値をつけていただきたいのですが」
    「ふむ」
     スノッジ将軍の慇懃無礼な態度と、あまりの厚かましさに、イールは目を吊り上らせる。
    「あんたねぇ……。こっちは別に、そんな情報ほしいって言って……」「イール、いいよ」
     が、ランドはそれを遮り、同意した。
    「分かりました。我々の財務担当を呼んでまいりますので、少々お待ちを」
    「いいの?」
    「ああ。確かに今聞いた情報の価値は高い。対価を要求されるのならば、応じないわけには行かない」

     数分後、フォコがその場にやってきた。
    「すみません、お待たせしまして」
    「いえいえ」
    「情報料を、ちゅうことでしたね。お支払いは何でさせてもらいましょうか? グランで? それともステラにしましょか?」
     そう問われ、スノッジ将軍はこう返した。
    「クラムでお願いいたします。確かな価値がありますし」
     これには普段は温厚なフォコも、内心カチンと来た。
    (どこまで失礼なおばはんやねん……。ステラ通貨圏のド真ん中で、それを言うんか)
     が、後々のことを考え、平静を装ってうなずいた。
    「かしこまりました。それでは1000万クラムを」
    「そんなに……!?」
     驚くイールに、フォコはにっこりと笑って返す。
    「ええ。敵さんが攻めてくる、ちゅうのんは早めに知っておけば知っておくほど、色々と対策が打てますし。1000万の価値はあります」
    「ありがとうございます」
    「すぐにご用意させていただきます。これからもどうぞ、良い取引相手と言うことで、ごひいきに」
     フォコはぺこりと頭を下げ、スノッジ将軍との話を切り上げようとした。
     ところが――。
    「ああ、まだお話は終わりではないですよ」
    「はい?」
    「もう一つ、耳寄りな提案があります。
     その、攻め込んでくるノルド軍。当然、わたくしの軍もそれに参加することになりますが、もしあなた方が何らかの誠意を見せてくれるのならば、その侵攻を妨害できます」
     この提案に、イールとフォコはそれぞれ、嫌なものを感じた。
    (どこまで腹黒いねん、このおばはん……。そら、将軍になれるわな)
    (攻めてこさせないように取引って……。あくまでも、敵じゃないって言うのね、ジーン王国は。どんだけなめてんのよ、あたしらを)
     が、確かに魅力的な案だと言える。ランドはこの提案に、即座に応じた。
    「なるほど。……そうですね、ではこうしましょう。
     まず、前渡しで1000万クラム。妨害に成功し、ノルド王国軍が撤退すれば、もう1000万。
     そして……」
     ランドはわずかに口の端を歪ませ、こう提案し返した。
    「妨害だけではなく、戦闘中に我々に寝返っていただければ――1億」
    「お、く……っ!?」
     この提案に、イールは目を丸くする。そしてふてぶてしい態度を執っていたスノッジ将軍も、流石に面食らったらしい。
    「それは……、本当に、1億を? 1億クラムで? 確約していただけますか?」
    「ええ、勿論。構わないよね、ホコウ」
    「は、い。本当に、我々の完全な味方になってもらえるちゅうことでしたら、まあ……」
     それを聞いて、スノッジ将軍はゴクリと喉を鳴らす。
    「……寝返る、と言うことは、つまり戦闘中に、ノルド王国軍を攻撃しろ、と、そう言うことですね?」
    「はい」
    「そして、それはつまり、ジーン王国の傘下に収まれ、と?」
    「いいえ」
     ランドはこの質問に、横に首を振る。
    「私たちはあくまで取引相手、でしょう? ノルド王国に反旗を翻した後は、スノッジ王国でも何でもお作りになればいい。
     勿論、我々の傘下に収まっていただいても、それはそれでありがたいことですが」
    「……」
     スノッジ将軍はしばらくして、ニヤッと笑った。
    「……引き受けましょう。念のため、証文もお願いします」
    「ええ」
    火紅狐・融計記 2
    »»  2011.01.03.
    フォコの話、119話目。
    金融と計略。

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    3.
     スノッジ将軍との会談を終え、フォコたちは続いてギジュン将軍の話を聞くことにした。
    「頼む! 金、貸してくれ!」
     スノッジ将軍と違い、ギジュン将軍は熱血漢の、直情径行な性質だった。
    「え、と。閣下、今我々が行っている政策、経営方針はご存じですよね? でなければ閣下自らが、こちらへお越しになるわけがない、……と思うんですけども」
    「分かっている。……承知で、言ってる」
     ギジュン将軍は、深々と頭を下げた。
    「この通りだ!」
    「……何や、事情がありそうな感じしますね? 良かったら、聞かせてもろてもええですか?」
     そう問いかけたフォコに、ギジュン将軍は妙な顔をして頭を上げた。
    「アンタ……、変なしゃべり方だな。妙な訛りがあると言うか。……ああ、関係のないことだな、すまん」
    「いえいえ」
    「その、つまりだな。サンドラ、……卿は知っているよな、俺に妹がいることを」
    「あんたらね……。一々あたしにケンカ売らないと話できないの?」
     取って付けたような敬称に、イールはいらだたしげに尻尾を震わせる。
    「すまん。だってあの『猫姫』が、よもや将軍になるなんて思いも、……す、すまん。俺は口が悪いんだ」
    「いいけどさ……。
     まあ、知ってるっちゃ知ってるわよ。あんた、妹がいるのよね。で、その子はイドゥン少将に軟禁されて、もう半年以上経ってる。そうよね?」
    「そうだ。……もしかしたらもう手籠めにされて、無理矢理結婚させられているかも分からん。それでも俺のたった一人の肉親、大事な妹だ。助けられるなら、何としてでも助けてやりたいんだ。
     そう思っていたところに、イドゥン卿の動向について、情報が飛び込んできた。どうも俺を打ち負かし、峠の封鎖を解かせたいらしい。そしてイリア……、妹にとってたった一人の肉親である俺を亡き者にして、諦めを付けさせたいらしい、とも」
    「それだけやないでしょうね。聞くところによれば、中央の商人から多額の借金をしてて、その形にあれやこれや指図されとるらしいですし、これも恐らくは……」
    「それも関係しているだろうな。……何にせよ、イドゥン卿は攻めてくる。
     地の利は俺にあるが、人の利、すなわち兵士の数や装備は、イドゥン卿に大きく分がある。激戦、泥沼になることは必至だ。
     長引けば資金や備蓄の多寡が勝敗を分ける。借金まみれにはなるが、イドゥン卿には金ヅルがいるからな。俺の方が不利になるのは明白なんだ。だからこうして、無心に来たんだ。
     頼む! これ以上イドゥン卿に下衆な振る舞いはしてほしくないし、妹の身も気がかりなんだ。少しだけでもいいから、貸してくれ」
    「振る舞いは……、してほしくない?」
     尋ねたフォコに、イールが代わりに答える。
    「ギジュン卿がこの若さで准将になれたのは、その武勲も大きいけど、イドゥン将軍の根回しがあったからなのよ。借金まみれになる前は、それなりに気骨のあった人だし。
     さっきのスノッジ将軍や、あたしたちが追い出したロドン将軍みたいな、ろくでもない奴らばっかりだったノルド王国軍の立て直しを、数年前の彼は真面目に考えてたのよ」
    「だけど、立て直しには金がいる。それで借金したら、そいつに縛られたってわけさ」
     ギジュン将軍はもう一度、深々と頭を下げた。
    「頼む……! もうこれ以上、俺の恩人が最低の奴になっていくのを見るのは、耐えられないんだ……!」
    「……」
     フォコはしばらく自分の尻尾を撫でながら思案していたが、意を決した。
    「……分かりました。お貸ししましょう」
    「いいのか? ……恩に着る!」
    「でも、条件があります」
    「……やっぱり、そうだよな」
     ギジュン将軍は開き直ったように椅子に座り、ばし、と自分の両膝を叩いた。
    「煮るなり焼くなり好きにしてくれ! 俺は妹を助け、イドゥン卿の暴走を止められるなら、何でもする!」
    「じゃあ、これです」
     フォコはピンと指を立て、条件を提示した。
    「アーゼル砦とその周辺、つまり閣下が現在私有している土地。それから閣下が率いている兵と、閣下自身。
     それをすべて持って、我々の傘下に下ってください。その代わりに、我々は全軍を挙げてイドゥン軍閥に対抗します」
    「……やっぱ、そう来たか。まあ……、そうだよな。俺が持ってる財産って言えば、それくらいだもんな」
     ギジュン将軍はガリガリと虎耳をかき、うなずいた。
    「分かった。今日から俺は、あんたたちの軍門に下る」
    「……ダメ元で言うてみたんですけど、ホンマにええんですか?」
    「ああ。どっちみち、ノルド王国からは半分抜けてたんだ。
     と言って、俺の采配じゃ回り切ってなかったし、そんならもっと、しっかりした奴に委ねた方がいい」
    「……じゃ、ま。よろしくね、ギジュン卿」
     はにかみながら手を差し出したイールに、ギジュン将軍はこう返して手を握った。
    「レブでいい。下ったって言うなら、アンタとは同輩なんだし、卿って言われるのも、言うのも気恥ずかしかったしな」
    火紅狐・融計記 3
    »»  2011.01.04.
    フォコの話、120話目。
    卑劣な死の商人たち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     レブと、彼の持つ軍閥と土地を併合したジーン王国は、すぐにイドゥン軍閥への対抗措置を執ることにした。
    「まず、ノルド峠ですけども、306年以降に建てられた関所は全部、撤廃しときましょか。
     もうアーゼル砦との間に壁は不要ですし、それでなくてもあんな、6つも7つもいりません。関税と交通税を絞り取るより、自由に行き来して商売してくれた方が、よっぽど金になりますしな」
    「そうだね。だけど、まだ沿岸部との関所は維持しないといけない。関所本来の役割――不審者と敵軍の侵入を阻んでもらわないといけないし」
     敵軍、と聞き、レブの表情は暗くなる。
    「……決着付けなきゃな」
     その発言に対し、ランドは肩をすくめる。
    「付けるにしても、それが戦いによって、とも限らない。君も言ってただろ、イドゥン将軍は借金漬けでおかしくなっちゃったって。
     幸い、僕たちにはかなりの額の蓄えがある。ホコウの尽力で、7~80億クラム程度の支払い能力はあるのさ。
     借金をきっちり清算できたら、イドゥン将軍も立ち直れるかも知れない」
     途方もない額を聞かされ、レブの尻尾は毛羽立った。
    「80だと……!? お前ら、そんなに持ってたのか……!?」
    「ええ。ちゅうても、クラム通貨自体はせいぜい4、5億程度ですけどもね。
     僕たちが発行してきたステラ通貨と、それと交換で集めてきたグラン通貨を全部両替したら、総額でそんくらいにはなります。
     まあ、問題はありますけどな」
    「問題って?」
     イールに尋ねられ、ランドが眼鏡を拭きながら答える。
    「ステラとグランが両替できないんだよ。
     さっきの試算は、あくまでもまだ、まともな交易があった頃のレートだし、今はもっと価値を下げている可能性が高い。ステラ通貨もまだ、対外的には全く知られてないから、国外での信用度は無い。
     もしイドゥン将軍の借金が5億クラム以上、つまり僕らの支払い能力分を超えていたら、その不足分をグランやステラで……、と提案しても、相手は受け取ってくれないだろう」
    「そこまで増えてないことを祈るしかないわね」
    「ああ。それに、場合によればスノッジ将軍へも、1億1000万の支払いをしなければいけないだろうし、実質、僕たちが支払える額は、3億ちょっとくらいさ。
     それに借金してるのは、イドゥン将軍だけじゃない。他の軍閥も、細々と借金があるだろうし、その総額がいくらになるか……」
    「5億持ってても、カッツカツなんだな……」
    「まあ、あれこれ対策は講じてみるけど。……もし実らなければ、直接対決になる。それは、心しておいてほしい」



    「手筈は整ったかね、スパス総裁」
     西方の工業都市、スカーレットヒル。
     ケネスはあの裏切り者――クリオの拉致に加担し、ジョーヌ海運とエール商会を貶めた男、アバントと会っていた。
    「整えてあります、ゴールドマン様」
     彼は南海で何とか命拾いした後にケネスと改めて手を組み、彼の身代として西方で猛威を奮っていた。
     ここ、スカーレットヒルの軍事工場も、彼の管轄である。
    「直剣、短槍、短弓各2000単位、大剣、長槍、魔杖各1200単位、そして火薬4トン、既に用意してございます。
     また、設営用の資材も、予定の500セットのうち、既に400弱が完成しております」
    「完成はいつかね?」
    「もう間もなく。来週の配送までには、十分に間に合います」
    「よろしい。……その件に関しては、問題なさそうだな」
     ケネスは工場の天井近くに張られた金属製の空中通路を、カツカツと威圧的な音を立てて歩いていく。その後ろからアバントの、卑屈そうなコンコンとした足音が続く。
     眼下に広がる製造ラインを楽しそうに望みながら、ケネスはアバントに尋ねる。
    「追加発注を頼みたいのだが、今、聞けるかね?」
    「少しお待ちを」
     アバントはそそくさとメモを取り出――そうとして、通路に落としてしまった。
    「あ……」
    「まだ指は不自由なのか?」
    「え、ええ。……忌々しいことです。あのゴミどものせいで」
     アバントは微妙に曲がったままの指で、足元に落ちたメモをヨタヨタとつかむ。
    「発注でございましたね。どうぞ、お申し付けください」
    「うむ。……そうだな、今回の2倍ほど、用意してほしい。納期は二ヶ月以内だ」
    「2倍、でございますか」
    「ああ。今回のイドゥン軍閥への配送を皮切りに、そろそろ沿岸部にいる奴隷……、おっと、軍閥宗主たちに揺さぶりをかけていこうかと、そう考えているのだ」
     奴隷、と言う言葉に、アバントは引きつったように笑う。
    「はは、は……」
    「奴らはもう、進退窮まっている。ここでちょっと『金を返せ』と怒鳴れば、簡単に言うことを聞かせられる」
    「進退窮まる、ですか。一体、どれほどの額で……?」
     そう尋ねたアバントに、ケネスはクックッと笑いながら答えた。
    「総額……、ざっと、14億クラムと言うところだな。もうどこにも、払ってもらうアテなぞないだろう。
     そろそろ北方を丸ごと、買い叩く時が来たと言うわけだ」
    火紅狐・融計記 4
    »»  2011.01.05.
    フォコの話、121話目。
    仕組まれる同士討ち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     レブが参入して、半月後。
    「来たか……」
     ノルド峠の麓に、イドゥン軍閥と、その他いくつかの小さな軍閥数点とで混成された軍が集まっていると言う情報が入った。
    「どうする?」
     レブの問いに、ランドは渋い顔をした。
    「間に合ってくれるかと期待してたんだけどな……」
    「あん?」
    「いや、こっちの話だ。……そうだな、地の利を活かし、防衛に努めてほしい」
    「分かった」
     ランドはイールとフォコに振り向き、顔をこわばらせつつ指示を出す。
    「僕たちも、一緒に向かおう」
    「分かったわ」
    「あのー」
     と、ここでフォコが手を挙げる。
    「何かな?」
    「タイカさんは? ずーと、姿見てませんけど。あの人、半端なく強いんですし、こう言う時にいてへんと意味無いやないですか」
    「それなんだよね」
     ランドは眼鏡を外し、服の裾で拭きながらつぶやいた。
    「間に合わなかったみたいだ」
    「何がです?」
    「いや、こっちの話」

     ともかく、一行はさらに一週間をかけ、防衛の最前線である、ノルド峠の関所へ到着した。
    「もう、門の向こうは兵士だらけです」
     門番の言葉に、フォコは門の隙間から、そっと覗いてみた。
    「……うへぇ」
     確かに門の向こう、沿岸部側には、関所を囲むように、扇状に軍営が立ち並んでいる。
    「よぉ、かき集めたもんやなぁ」
    「斥候の情報によれば、イドゥン閣下が号令をかけ、集めたそうです。表向きは」
    「じゃ、裏向きは?」
     イールはそう尋ねてはみたが、これまでの話の流れで、答えは大体分かっている。
    「それぞれ、借金の形に軍を動かさせられている、との情報が入っています」
    「でしょうね」
    「と言うことは、ここに借金持ちの軍閥宗主が集合してる、ってわけか。……うーん」
     ランドは顎に手を当て、しばらく逡巡していたが、やがて意を決したようにうなずいた。
    「……彼らと交渉の場を設けたい。相手にそう、打診できるかな」
    「可能です」
    「それは良かった」
    「交渉って……」
     イールは不安げな顔を、ランドに向けた。
    「借金の肩代わりをする代わりに、兵士をここから撤退させてくれないか、ってね」
    「この前言ってたアレね。……でも、5億で足りるかしら」
    「分からない。……でも、難しいかも知れない」
     ランドも門の隙間から、相手を観察する。
    「装備が新調されているグループが、いくつかある。恐らくまた借金を重ねて、整えたんだろう。となるとその額は、想定していたものより高くなっている可能性が、非常に高い」
    「……ひでえよ、マジひでえ」
     レブは地面を蹴り、悔しそうにうなった。
    「借金背負わせて、北方人同士で戦わせるのかよ! ひどすぎんだろ、んなの……ッ!」
    「ホンマですわ。
     ……ホンマに、怖気が走りますわ。自分たちは一切手を汚さんと、一滴の血ぃも流さんと、金に物言わせて、海の向こうで行われる同士討ちを、高みの見物。
     外道にも程があるで、ケネス――こんな悪魔みたいなこと、どんな神経してたらやり通せるんや……ッ!」
     フォコも全身を震わせ、ケネスへの怒りを吐露した。

     と――。
    「待たせたな」
     どこからか、声が飛んできた。
    「え……?」
    「ギリギリじゃないか、タイカ。ヒヤヒヤさせないでくれよ」
    「集めるのに苦労していたようだ。
     伝言も託っている。『流石にこの額は、お前の頼みでも苦しかったぞ。……頼ってくれて、うれしいのは本当だけどな』だそうだ」
     いつの間にか、陣中に大火の姿があった。
     その両脇には、ジャラジャラと音を立てる大きな箱が抱えられている。
    「そっか。……後で、できれば顔を見せに行きたいな」
    「事が一通り済んだら、連れて来てやろう」
    「ありがとう。……よし、交渉の場をすぐ、立ててくれ!」
     先程の不安げな様子をガラリと変え、ランドはハキハキとした口調で命令した。



    「とうとう……、やる時が来たのか……」
     一方、こちらは沿岸部側の陣中。
     イドゥン将軍は、沈痛な面持ちで本営の椅子に座っていた。
    「許せ、レブ……。せめてイリアは、幸せに、……ああ、くそっ!」
     自分でつぶやいた言葉に、自分で憤る。
    「何がせめて幸せに、……だ! これから彼女の兄を、たった一人の肉親を殺そうとしている、この吾輩に! この吾輩に、そんなことを言う資格など……!」
     そしてまた、落ち込んでいく。
    「……許してくれ、許してくれ、レブ。この戦いが終わったら、吾輩も後を追うからな……!」
     イドゥン将軍は震える手で、胸に隠しているナイフを服の上からさすった。
     と――本営内に、伝令が飛び込んできた。
    「閣下! ギジュン准将より、『交渉したい』との連絡が入りました!」
    「む、こ、交渉? そ、そうか。……分かった、すぐに応じると伝えてくれ!」
     その伝達に、イドゥン将軍は心底ほっとした。
    火紅狐・融計記 5
    »»  2011.01.06.
    フォコの話、122話目。
    借金完済。

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    6.
     交渉の場は、門のちょうど中間で行われることとなった。
     門を開き、周囲を天幕で覆った簡単な部屋に机と椅子が設置され、両軍の将軍が同時に席に着いた。
    「レブ、その……、久しいな」
     イドゥン将軍がカチコチと挨拶をする一方、レブは単刀直入に話を切り出した。
    「兄貴、……いや、イドゥン卿。すぐ、撤退してくれ」
    「ああ、そうだろうな、そうだろうよ。……だが、吾輩は決心したのだ。どうあっても、吾輩はイリアを……」「んな話は今、いいよ」「……何?」
     てっきりイリアをめぐる問題に触れると思っていたイドゥン将軍は、完全に虚を突かれてしまった。
    「お前、その、妹のこと……」
    「そんなことより、兄貴よ。金に、困ってんだろ?」
    「な、何故それを」
    「誰でも知ってるっつの。……いくらいるんだ?」
    「い、言えるわけなかろうが」
     顔を赤くするイドゥン将軍に対し、レブはそれを笑い飛ばしてやる。
    「ははっ……、見栄張らないでくれよ、兄貴。俺は、あんたを助けたいんだよ」
    「……その気持ちは、ありがたい。本当に、ありがたい」
     イドゥン将軍は、悲しそうな顔で首を横に振る。
    「だが、もう遅すぎたのだ。とても、お前に払える額ではなくなって……」「20億ある」
     と、イドゥン将軍の言葉を遮り、レブはそう告げる。だがそれでも、イドゥン将軍の表情は沈んだままだ。
    「……そんなはした金では、無理なのだ。とても20億グランやそこらでは……」「ちげーって」
     レブはまた、クスクスと笑う。
    「20億、クラムだ。グランでも、ステラでもない。20億クラム、俺たちは用意している」
    「……」
     何を言っているのか分からず、イドゥン将軍は硬直した。
    「……に? く? ……に、にじゅ、にじゅうおくッ!? クラムでかッ!?」
    「ああ」
     と、そこに先程大火が持ってきた木箱が運ばれてきた。がしゃんと音を立てる木箱に、イドゥン将軍は思わず立ち上がって中身を確かめる。
    「……な、な、ななな、なん、と……っ」
    「この通り、20億クラムある。俺の同輩たちが、集めてきてくれたんだ。
     そうだ、他の宗主も呼んできてくれよ。そいつらも、金に困ってんだろ? きれいさっぱり、返してやるよ」
    「……れ、レブ……っ」
     突然、イドゥン将軍はレブに向かって土下座した。
    「お、おいおい」
    「すまなかった! 本当にすまなかった!
     借金で首が回らなくなった吾輩は、とんでもないことばかりしてしまった! 不安で不安でたまらず、その挙句にイリアを軟禁するなど……!
     許してくれレブ、この通りだ……!」
     謝り倒すイドゥン将軍に、レブはしゃがみ込み、ポンポンと肩を叩きつつ、優しく声をかけた。
    「いいって。それより、みんなを呼んできてくれよ。
     もうこれ以上、同じ北方人同士で争うの、よそうぜ」



     ノルド峠麓での一件から、一か月後。
    「どう言うことか、詳しく説明していただきたいですな」
     イドゥン将軍や他の沿岸部軍閥が突然、ノルド峠から撤退したと言う話を聞きつけ、ケネスが大慌てで北方へ飛んできた。
    「……」
     居丈高に振る舞うケネスに対し、イドゥン将軍は口を真一文字に結び、黙り込んでいる。
    「将軍閣下、あなたは確約したはずですな? 私どもからの借金を返済する代わりに、ギジュン軍閥を倒し、首都との連絡を回復、そして山間部の鉱山を渡すように働きかける、と」
    「……」
    「ところが何です? 突然、撤退ですって? 何故です!? 怖気づいたのですか、そんな土壇場で! なんとまあ、意気地のない! 軍人失格ですな、イドゥン将軍閣下殿!」
    「……」
    「それとも何ですか、まさか『吾輩、やはり皆に祝福されて婚姻に臨みたいのである』とでも仰るおつもりで?」
    「……」
     前回同様に、ケネスはすい、と立ち上がり、交渉が決裂したかのように振る舞おうとする。
    「どこへ行こうというのだ、当主殿?」
    「契約を履行する気がないと判断させていただきました。即刻、中央軍に働きかけ、あなたを抹殺させていただきます」
     前回と違い、ケネスの言動には直接的な表現が多い。流石に狼狽しているようだ。
    「く、くくっ……」
     それに気付き、イドゥン将軍は思わず笑ってしまった。
    「……なんです、その態度は?」
     憤った顔を見せたケネスに、イドゥン将軍は立ち上がり、こう尋ねた。
    「確か当主殿、吾輩が負った借金の額は、1億2301万、いいや、端数まで入れれば1億2301万8750クラム。
     そして追加の借り入れの2000万に利子を加えた、合計1億4901万8750クラムであったな?」
    「はい? まさか払うとでも言うおつもりですか? 一体どこから? 本国に泣き付いてグランでも発行しましたか? 足りない分はそれで、などと言うおつもりではないでしょうな? そんな不確かな通貨、私は願い下げですよ」
    「まさか」
     イドゥン将軍はフン、と鼻を鳴らし、パンパンと手を叩いて側近を呼び寄せた。
    「……っ!?」
     ケネスの目に、有り得ないものが映る。
    「この通り、1億4901万8750クラム、確かに用意したぞ!
     さあ、とっととこれを持ってお引き取り願おうか、当主殿ッ!」
    「バカな……!?」
     流石の老獪なケネスも、これには唖然とする。
    「どうした!? まさか受け取りを拒否するつもりか!? そうなればそちらが、契約不履行になるな?
     かっか、これは大珍事であるな! 大商人たるケネス・ゴールドマンが、まさか受け取りを拒否、契約を守ろうとせぬとは!」
    「ぐ、っ」
    「そう言うわけには行きますまい、当主殿? 商人であるならば、契約は確固として守らねば沽券に係わると言うもの。
     さあ、とっとと受け取るがいい! そして即刻立ち去り、二度とその下卑た眼鏡面を吾輩の前に見せるなッ!」
    「ぬ、ぐ、くく、くううう……ッ」
     ケネスの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
     だが確かに、イドゥン将軍の言う通り――契約を守らねば、それはもう商人ではない。「契約を自ら破棄し、金を受け取るのを拒否した」などと言ううわさが広まれば、ケネスの商人としての信用は地に墜ちる。
    「……分かり、ました。それでは、お受け取り、致しま、しょうか、な」
     ケネスは折れ、その1億5000万近い額のクラムを受け取った。
    火紅狐・融計記 6
    »»  2011.01.07.
    フォコの話、123話目。
    大金の出所。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     イドゥン軍閥と同様のことが沿岸部の、借金を負っていた軍閥すべてで起こった。どの軍閥も、綺麗さっぱり借金を返済してしまったのだ。
     ケネスは利息で膨れ上がった借金、総額14億クラムを回収しはしたものの、本懐――借金の形に沿岸部の軍を操って北方を攻め、ノルド王国と北方全土を隷属させる計画は完全に瓦解、水泡に帰した。

     ケネスは北方隷属計画が成功していればケネスに次ぎ、最も利権を得られるはずだった人物――バーミー卿からの糾弾を受けていた。
    「どう言うことだ、ケネス」
    「私にも、……皆目見当が付きません」
    「まさか、北方の奴らがクラムを偽造したか?」
     その問いに、ケネスは首を振る。
    「確かに、本物でした。詳しく調べてみましたが、体積、比重、含有物、意匠……、どれをとっても、間違いなく中央政府発行のクラム通貨に間違いありませんでした」
    「ならば、どこかと取引をしたか」
    「それもあり得ません。クラムが余分に流入しないよう、あちこちで制御していたはずですから」
     答えの出ない会話に、いよいよバーミー卿が怒り出す。
    「では、どう言うわけなのだ!? 返答によっては、ただでは済ますまいぞ!」
    「『ただでは』? それは私に言っているのですか?」
     ケネスも反発する。
    「それは、私の過去、現在、そして未来の貢献を無視しての発言ですか?」
     その一言に、バーミー卿はばつの悪そうな顔をした。
    「……ゴホン、ゴホン。いや、……まあ、うむ。
     とにかく、調べておいてくれ。二度と、こんなわけのわからぬ大失態が起こらぬよう」
    「言われずとも。原因が判明し次第、報告させていただきます。
     あいつらに多額の資金を供給した、そのふざけた富豪には、それ相応の制裁を加えていただかねばなりますまい……!」
     ケネスは怒りに満ちた顔で、そう答えた。



     時間と場所は、衝突が回避され、安堵の雰囲気が漂うノルド峠に戻る。
    「で、説明してもらわな、僕には何が何やらさっぱりなんですけども。
     どうやって、20億クラムを用意したんです?」
     帰途の途中、そう尋ねてきたフォコに、ランドはニコニコしながら答えた。
    「実質的にさ、僕たちは時価80億クラムの資産を持ってた。だろ?」
    「ええ」
    「でもそのほとんどは、グランやステラと言った通貨であり、この一件を解決するためには、どうしてもクラムに換える必要があった。
     だけども沿岸部との交通は封鎖されてたし、為替取引ができる状況じゃなかった。このままじゃ僕たちは、クラムを手にできない。
     そこでタイカに、協力してもらってたんだ」
     その説明を、大火が継ぐ。
    「ランドからグラン通貨とステラ通貨を預かった俺は『テレポート』――一言で言うと、世界を自在に飛び回れる術だ――を使い、こいつの生家を訪問した」
    「また掟破りな技、持っとりますな。……って、生家?」
    「あれ、言ってなかったっけ。僕のとこ、央中じゃ結構大きな商家なんだよ」
    「聞いてまへん」
    「じゃ、今言った。ま、それはともかく。
     僕の母が商家の当主をやってるんだけど、彼女に両替をお願いしたんだ。流石に市場に出回ってない通貨だし、了承してくれるかどうか分からなかった。
     了承してくれたとしても、流石に20億も集めてくれるか。不安要素はかなりいっぱいだったんだけど……」
    「結果は、良しですな」
     事の顛末を聞き、フォコの疑問はようやく晴れた。
    「ほんなら、もう沿岸部との問題は解決して、次はいよいよ、ノルド王国との対決になりますな」
    「ああ。……だけどきっと、これも僕たちの勝ちになるよ」
    「なんや策でも?」
    「うん。もう講じてある。
     ほら、今さ、ここにジーン王国の主要人物のほとんどが集まってるだろ?」
    「そうですね。……って、まずいんやないですか、それ?」
     そう尋ねたフォコに、ランドはまたにっこり笑った。
    「普通はね。だけど、事前に一つの楔を打ってある。覚えてるかな?」
    「ん……?」
     フォコは自分たちがここ最近取った行動を思い返してみる。
    「……ああ、もしかしてアレですか」
    「そう、それ」
    「何だ?」
     尋ねた大火に、フォコとランドは同時にニヤッと笑った。
    「腹黒おばはんの金汚さのせいで、ノルド王国軍は困ったことになる、ちゅうことですわ」
    「……?」
     北方を離れていた大火には、何が起ころうとしているのか、皆目分からなかった。

    火紅狐・融計記 終
    火紅狐・融計記 7
    »»  2011.01.08.
    フォコの話、124話目。
    でまかせ兵法。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたちがノルド峠へ出向き、沿岸部との衝突回避に努めていた頃。
    「何故だ、スノッジ卿? 何故今、イスタス砦を落とさぬ?」
     首都からやってきた本軍の最高幹部たちが並ぶ会議室にて、あの「腹黒おばはん」、スノッジ将軍が質問攻めに遭っていた。
     ブレーンであるランドとフォコや、将軍のイール、レブらと言った主要人物が離れ、手薄になっているはずのジーン王国へ攻め込むことに、彼女が強く反対しているからだ。
    「何故かと? いえいえ、これは少し落ち着いて考えていただければ、自ずと見えてくること。ご同輩一同、今一度、よくよくご検討のほどを」
    「何度もやった! 砦が今、もぬけの殻であることは明白!
     今、イスタス砦には王を僭称(せんしょう)するクラウス・キルシュ、そして元商政大臣のエルネスト・キルシュ親子しかいないのは分かり切っている!
     奴らにはまったく、戦闘経験はない! さらには相手軍の半数以上、ノルド峠へ向かっている! 兵も、将も手薄! 紙細工同然の相手に、何を逡巡する必要があるのか!?」
    「で、ございましょう? それが却って、怪しゅうございます」
     そう返したスノッジ将軍に、一同は首をかしげる。
    「どう言うことだ?」
    「『空城計』と言う言葉をご存じですか?」
    「くう、じょう……?」
     スノッジ将軍は何とか軍を留めさせようと、ランドからあらかじめ吹き込まれていた方便を伝える。
    「敵があえて、わざと我々に攻め込ませようと、いない振りをすると言う策のことです。
     こうして我々がすぐ、目の前にいるこの状況で、敵は今、本陣にいないことを、隠し立てもせず、あからさまに広く報せています。
     これが罠でなくて、なんでしょうか?」
    「何をバカな……!」
     大半はスノッジ将軍の意見を鼻で笑ったが、それでも数人は納得し始めた。
    「いや、そうとも言い切れんよ」
    「何ですと?」
    「あのイスタス砦、元々はロドン元将軍が持っていたものだったが、キルシュ卿ら、現在のジーン王国の中心人物らに陥落させられたそうではないか。
     そして陥落のタイミングも、異様に良かったと聞く。降って湧いたように軍備の横流し騒ぎが起き、その犯人探しで砦内の空気が険悪になったところで、その不仲を狙ったように攻め込んだと言うではないか。
     これはあまりにもできすぎた流れと思わんかね――ブレーンになっていると言うファスタ卿の仕業ではないかと、わしは思うのだ」
    「むう……」
    「そしてノルド峠でいざこざが起こっているとは言え、今まさに、我々が迫っていると言うのに。相手は砦を留守にしておいて、それを隠そうともしない。
     この防御のなさは、余りにも不気味だ。罠の可能性は、捨てきれんだろう」
    「確かにそうかも……」
    「しかし……、そのファスタ卿も、砦にはいないと」
    「そこがまた怪しい。戦闘に参加しないはずの人間が何故、戦地の最前線に向かうと言うのか? 冷静に考えれば、そんな行動は理屈に合わん。
     例えば影武者を立てるなどして、実際のところはあの砦に籠っており、そして、我々がノコノコ襲ってくるのを、手ぐすね引いて待っているのではなかろうか?
     罠の臭いを、感じずにはいられん」
    「そう考えれば、そうとも取れなくは……」
    「いやしかし、兵がいないのは間違いなく……」
    「だがそれも引っかけ、と思えなくも……」
     会議は煮詰まり、結論は一向に出ない。

     この流れに、スノッジ卿は心の中で、ほっと溜息をついた。
    (これなら思惑通り、本軍の足止めができそうね)
     何しろ、1億クラムの取引である。
     スノッジ将軍としては、1億の獲得のため、何としてでも成功させなければならなかったし、何より相手はポンと1億を出せる「お客」なのだ。
     ここで本軍に潰されてしまっては、1億の取引は丸つぶれになるし、さらに今後の取引を考えれば、相手に残ってもらわなければならない。
    (こいつらの戦果や利権など、どうでもいい。肝心なのは、わたくし。
     わたくしの、利益。わたくしの、権利。わたくしの、お金。それがちゃんと確保されなければ、何にもなりはしないもの)
     膠着した会議の中、スノッジ将軍は自分の懐を潤わせることに、考えを巡らせていた。
    火紅狐・挟策記 1
    »»  2011.01.10.
    フォコの話、125話目。
    白熱するだけの会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、こちらはノルド峠を上る、フォコたち一行。
    「うまく行けば、敵はソーリン砦で硬直したままのはずさ。
     万一、攻め込んだとしても、キルシュ卿とクラウス陛下、あと、資産とかはアーゼル砦まで撤退、移送できるように、手筈は整えてる。
     相手がどう動こうとも、こちらの負けは無い。この防衛戦は、実を言えばそんなに重要でもないし、痛手もない。
     本当に重要なのは、彼らが僕らに対しどう動くのか、見せてもらうことにある」
     ランドの言葉に、レブが噛みつく。
    「重要じゃねーって……、砦いっこ落とされてもか?」
    「うん。そりゃ確かに、一時的にせよ、ミラーフィールドと言う裕福な領地を失うのは痛いさ。でもそんな損失よりも、敵の動きを観察して得るものの方が、非常に大きい。
     お金や土地は現在の価値でしか測れないけど、敵の情報は後々になればなるほど、その価値を高めていく。これは言い換えれば、投資なんだ」
    「投資ぃ……?」
     まだ納得の行かない顔をするレブに、ランドはニコニコ笑いながら説明する。
    「例えばさ、カードゲームで、相手の持ってるカードが全部見えてたらさ、負けると思う?」
    「いやぁ……、そりゃ勝つだろ。んなもん分かってたら、相手が何切ってくるか、丸わかりだし」
    「だろ? 今回狙ってるのは、それさ。
     この一件で、僕たちは敵の手持ちカードをすべて、確認させてもらうのさ」



     結局、ソーリン砦に集まったノルド王国軍は、攻め込むこともせず、かと言って撤退して態勢を整え直す、と言うこともせず、ソーリン砦に駐留したままだった。
    「まったく……! 無駄な論議の間に、敵は戻ってきてしまったぞ! どうするおつもりか、各々方!」
     まったく成果が挙がらず、苛立っていた将軍の一人が声を荒げる。
    「どうするもこうするもない。機が悪かったと言うことだ。ここは一旦戻って……」
    「馬鹿な! 敵を目の前にして、すごすご引き下がれるかッ!」
    「落ち着け落ち着け! これは敵の罠だ!」
     憶測に憶測が重なり、会議は混沌とし始める。
    「罠、罠、罠! 何でもかんでも罠だと言うのか! そんなもの、最初からありはしなかったのだ! 我々は踊らされたのだ、無様にな!」
    「そんな証拠がどこにある! 我々は賢明だった! 罠にかからなかったのだからな!」
    「だったら罠があったと証明してみせろ! あったのなら謝罪してやる!」
    「何でそんな話になる!? そんなことを論じて何になるのだ!?」
    「いいから証明だ! 敵が罠を張ってたなら、今後も張る! それなら今度こそ看破して攻められると言うもの!」
    「無い無い無い! そんなものは、無い! いいからもう、さっさと攻め込むぞ!」
    「何でお前に命令されなきゃならんのだ!」
     混沌とした会議は、次第に険悪な様相を呈していく。
    「して悪いか!? お前ら全員、グズグズしてるからこんな体たらくなんだぞ! 誰かが音頭取って進めなきゃ、どうしようもないだろう!?」
    「だからって、なんでお前が指図する!? 黙ってろ!」
    「黙れ!? 一体誰に向かってものを言って……」「『グレイブファング』ッ!」
     突然、ドス、と言う音を立て、円卓の中心に石柱が突き立てられた。
    「な、なんだ……!?」
    「お静まりください! どうか、お静かに!」
     石柱を突き立てたのは、スノッジ将軍だった。
     自分の砦でこれ以上いさかいが起きるのを嫌った彼女は、場を無理矢理にまとめる。
    「ともかく、会議は一旦、ここでおしまいになさってください! これ以上続ければ、会議ではなく殴り合いになってしまいます!
     また後日、各自冷静になってから、対応を考えることにいたしましょう! 異議、異論はございますか、みなさん!?」
     魔杖を振り上げるスノッジ将軍の剣幕に、他の将軍たちは一斉に沈黙し、円卓を後にした。

     思わぬ事態になり、スノッジ将軍は自室で頭を抱えていた。
    (もう……! 誰も彼も愚か者、愚か者! 何と言う愚か者だこと!
     攻めるにしても攻めないにしても、みんなわがままに口出しするものだから、会議を行えば行うほど、空気がおかしくなるだけ。
     まあ、そうよね……、それが北方の気質なのよね。権力者層がみんな、我が強くてわがままなんだもの。目的が一致すれば、一丸となって兵士をグイグイ精力的に引っ張っていくけれど、こうして意見が割れたら、もうどうしようもない。とことん対立して、関係が崩れていくばかり。
     ……こんなことを考えてる場合じゃないわよね。ともかく意見をまとめて、攻めるか戻るかしてもらわないと。
     もうジーン王国からもらった1000万、半分以上が溶けてきているし……。本軍があんまりにも長居するものだから、その接待のせいで、折角のお金がどんどん無くなってしまうわ。
     さっさと追い出さなきゃ、1億どころではなくなってしまう)
    火紅狐・挟策記 2
    »»  2011.01.11.

    フォコの話、76話目。
    堕落した神童。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     空には満天の星。
     背中には堅いレンガ。
     右手には酒瓶。
     左手には穴の空いた財布。
     しかしその身には――何も宿さず。何も有さず。



     彼は生きていた。
     師匠であり、もう一人の親のようであった、「冷静かつ、熱くあれ」と教えた男の亡骸を洋上に葬り、難破した船を無理矢理に着岸させて、彼は生き延びた。

     彼は生き抜いた。
     流れ着いた街で働き、日に銀貨2枚、3枚の仕事をこなして一日をしのぎ、やがて辞め、旅をし、別の街で同じように過ごし、また離れ、漂った。

     彼の火は消えた。
     彼が必ず倒すと誓った敵は、彼のはるか遠くにいた。どの街にいても、敵のうわさを耳にしない日は無かった。それは紛れも無く敵の強大さを示すものであった。
     それが彼の心を折り、わずかに残っていた心中の火を、消させてしまった。

     彼の心は死んだ。
     敵に追いつけないと痛感した瞬間から、彼は生きる意味を失ったのだ。そうなれば毎日が無為であり、何をしても生きている実感が味わえない。
     それはもう、死んでいるのと同じことだった。



     彼はつぶやいた。
    「……クズ……」
     それは己のことだ。
    「……この……クズ……」
     昔、素晴らしい才能にあふれていたことなど、思い出せない。記憶のほとんどが、酒の霞の向こうへ漂っている。
    「……もう……ええかな……」
     彼は空の酒瓶を割った。
    「……ええよな……」
     割れた破片をぼんやりと眺め、もう一言つぶやいた。
    「……僕がおらんでも……何も変わらんよな……」
     彼は諦めに満ちたため息を吐き、破片を両手で握った。



     彼の名はニコル・フォコ・ゴールドマン。
     かつて世界の大商家、ゴールドマン家に生まれた神童であり、また、南海で火紅・ソレイユと言う名で船を造った経験もある青年だった。

     だがもう、彼の心には何も無かった。

    火紅狐・啓示記 1

    2010.11.14.[Edit]
    フォコの話、76話目。堕落した神童。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 空には満天の星。 背中には堅いレンガ。 右手には酒瓶。 左手には穴の空いた財布。 しかしその身には――何も宿さず。何も有さず。 彼は生きていた。 師匠であり、もう一人の親のようであった、「冷静かつ、熱くあれ」と教えた男の亡骸を洋上に葬り、難破した船を無理矢理に着岸させて、彼は生き延びた。 彼は生き抜いた。 流れ着いた街で...

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    フォコの話、77話目。
    女神の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フォコは意を決し、酒瓶の破片を喉に突き刺そうとした。
    「……ッ」
     目を閉じて寝転んだまま、両手に力を込める。
    「……さよならや……」
     ブツ、と自分のあごの下から音がした。



    (……あ……苦しい……)
     フォコは強い息苦しさを感じていた。
    (まあ……そらそうやんな……喉突いたら苦しいよな……)
     が――妙なことに気付く。
    (……あれ? 僕、喉から破片、抜いたっけ?)
     突いたと言うのに、喉の中には異物感が無い。感じる異物感は何故かその外から――手でつかまれたような圧迫感なのだ。
    「……へ、っ?」
     不思議に思ったフォコは、目を開けた。

    《この、ボケが……ッ》
     目の前には、フォコをものすごい形相でにらむ、金髪に赤いメッシュの入った、狐獣人の女がいた。
    《何がさいならや、何が変わらん言うんや、おい、このドアホはあああ……ッ!》
    「あ、あん、た、……ゲホッ、あんた、だ、誰や、ゴホッ」
     女はギリギリと、フォコの喉を絞め上げている。
    《アンタに尋ねる権利なんかある思てんのか、この酔っ払いが!》
    「ぐえ、っ、く、くる、っし、い」
    《苦しい? 苦しい言うたか? あ? どないやねんな!》
    「い、うた、言うた、って、は、離して、っ」
     あまりに強く絞めてくるので、フォコの頭は混乱していた。
    「こ、ころ、殺さん、とい、てっ」
    《はぁ? 殺すな? ついさっきまで死にたい死にたい言うとったアホが、何を抜かすか!?》
    「し、死に、たくな、いっ」
     思わず、フォコはそう言ってしまった。
    《あぁ!? 死にたいんとちゃうんか!? 酒瓶で喉かっ切って、死のう思てたんとちゃうんかい!?》
    「す、すみまっ、せん、でし、たっ」
    《何がすまんねんや、コラ!?》
    「死にたい、って、言って、すみません、でしたっ、ご、めんな、さ、いっ」
     謝り倒すフォコに対して、女は依然喉を絞める手を緩めない。
    《よし、よー言うた。ほんなら、これからアタシの言うコト、しっかり復誦しいや》
    「へ?」
    《繰り返せっちゅうてんねや! 分からんのんか、あ!?》
    「へ、あ、はいっ」
     女は喉をギリギリと絞め上げながら、こう告げた。
    《卓に着く者は生ける者なり》
    「た、卓に、着く者、は、……?」
     言いかけて、フォコはこの一文をどこかで聞いた気がすると感じた。
    《早よ誦めや!》
    「たっ、卓に、着く者は、生ける、者なりっ」
    《卓から離れる者は死せる者なり》
    「卓から、離れる者は、死せる者なり」
    《卓で挑み勝つ者は幸いなり》
    「卓で挑み勝つ者は、幸いなり」
     復誦しながら、フォコはこれをどこで聞いたのか考えていた。
    《卓で挑み負けども汝離れること無かれ》
    「卓で挑み負けども汝離れること無かれ」
    《挑まず離れる時こそ死せる時》
    「挑まず離れる時こそ死せる時」
     そしてようやく、思い出す。
    (あ……、これ……)
    《離れず挑めばいずれ汝は幸いを得ん》
    「離れず挑めばいずれ汝は幸いを得ん」
    《もっかい》
    「はい、卓に着く者は……」
    (そうや、これは金火狐の玉文集――大始祖、エリザ・ゴールドマンが言うてたっちゅう言葉をまとめたもんの一つや。ちっちゃい頃、何度も復誦しとったなぁ……)
    「……汝はいずれ幸いを得ん」
     そこでようやく、金狐はフォコから手を離した。
    《意味、言うてみい》
    「はい。生きていると言うことは、何かに挑めると言うこと。挑んで勝利すれば幸せを得られる。
     でも、負けてそのまま勝負から逃げれば、それはもう幸せが得られず、死んでいるのと同じこと。
     だから勝負を諦めず、勝つまで挑み続けろ、……と言う意味ですよね」
    《そうや。アンタには、金火狐の血が流れとるんやろ? 何で今、この言葉を思い出さん?》
    「……すみませんでした。すっかり、忘れていました。毎日が、何て言うか、……その、本当にゴミみたいで……」
    《そうしてしもたんはアンタや。ゴミみたいな毎日過ごさなあかん羽目になったんは、他の誰でも無い、アンタのせいやで?》
    「でも挑めるものなんて、……何にも無いんですよ。じゃあぼんやり生活するしか無いって話で……」《ボケ》
     金狐はフォコの頭をゴツンと殴り、まくし立てる。
    《いとるやろが、あのふざけた短耳が。アタシらの財産がっつり食い荒らして、その上まだ足りひん、まだ足りひんって駄々こねとるゲスがおるやろが》
    「あいつに、挑めと?」
    《そうや。元々からアイツはアンタの親を殺しいの、師匠も殺しいのして、ことごとくアンタから幸せを奪ってきた極悪人や。
     ソイツに挑まへんで、他に誰にケンカ売るっちゅうんや》
    「……そりゃ、挑みたいですよ。勝ちたいですよ!」
     フォコは涙を流しながら、金狐に怒鳴り返す。
    「でもどうしろって言うんですか!? 僕にはもう、何も無い!
     お金も無い! 職も無い! 家も、親しい友達も、愛する人も、何も無いんだ!
     そんな僕に、あなたは何をしろと言うんですか!?」
    《あのなぁ》
     金狐はぎゅっと左拳を丸め、フォコを思い切りぶん殴った。
    「ふぎゃっ!?」
    《無い無い無い無いうるさいんじゃ! 無いんやったら作れ! ソレがアタシらの掟やろ!》
    「つ、作れ、って」
    《……はぁ。ほなな、いっこだけ助けたる。ソコから後は、自力で何とかせえ》
     金狐は軽くため息をつき、殴り飛ばされたフォコを見下ろしていた。

    火紅狐・啓示記 2

    2010.11.15.[Edit]
    フォコの話、77話目。女神の降臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. フォコは意を決し、酒瓶の破片を喉に突き刺そうとした。「……ッ」 目を閉じて寝転んだまま、両手に力を込める。「……さよならや……」 ブツ、と自分のあごの下から音がした。(……あ……苦しい……) フォコは強い息苦しさを感じていた。(まあ……そらそうやんな……喉突いたら苦しいよな……) が――妙なことに気付く。(……あれ? 僕、喉から破片、抜いたっ...

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    フォコの話、78話目。
    伏龍、目覚める。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     金狐は仰向けに倒れたフォコの側に座り込み、こう告げた。
    《この街に、男の二人組が来とる。
     一人は全身真っ黒で目ぇめっちゃ細い、背ぇ高いヤツ。もう一人は金髪の長耳で、いかにも頭良さそーにしとる眼鏡のヤツや。
     こいつら、困っとるんや。港からさっさと出たいんやけど、金が無いねん。ソレ、助けたり》
    「た、助けろって言うても、僕もお金無いんですけど」
    《聞いたから知っとるわ。せやから、ソコは自力で何とかせえ》
    「えー……」
     困った声を出したフォコを、金狐はにらみつける。
    《ちょっとはシャッキリせえや、アンタ。アタシの弟の名前付いとるクセに、……あー》
    「……?」
     金狐はそこでようやく、表情を崩した。
    《そう言えば弟も大分ヘタレやったわ。こら、遺伝かなぁ……。
     ま、とにかく気張りいや。うまく行けば、明日から路上で寝転ばんで済むんやし》



     目を覚ますと、フォコは路上で大の字になっていた。
    「……くしゅっ」
     くしゃみで無意識に上半身を起こしながら、フォコは自分の喉元を確かめた。
    「……? 切れてへんな」
     切れてはいないが、妙な違和感がある。フォコは立ち上がり、表通りに出て鏡を探す。
    「あ、あの窓でええかな。……うわ!?」
     窓に自分の姿を映したフォコは驚いた。
     喉にはくっきりと、両手で絞められた跡が残っていたからだ。
    「あ、あれ……、夢や、無かったんか?
     ぼ、僕は……。僕はなんてお方と、話をしてたんや……!」
     フォコは喉を押さえ、戦慄した。
    (……ふ、二人組、やったっけ。探さな……!
     折角『あの方』が、こんなクズ同然の奴に啓示をくださったんや。活用せえへんで、どないするんや!?)
     フォコは思考を切り替え、井戸を探す。
    (まずシャッキリせな! こんな酒臭い顔、しとったらあかん!)
     井戸を見つけ、顔と髪をバシャバシャと激しく洗う。
    「……うわ」
     地面に滴り落ちた水滴は、赤黒く染まっている。
    (最後に顔洗ったんて、そう言えば……、半年? 一年前? ……ものすごい昔やな。
     ……うーん、落ちひん)
     頭と上着を一通り洗い終えたものの、フォコの喉にはくっきりと、手の形をした痣が残っている。
    (洗っても無駄やろな。……しゃあない)
     とりあえず耳の出るフードを被り、喉元を隠す。
    「……さー、心機一転や。……探そか」
     フォコはプルプルと頭を振り、井戸を後にした。

     すっきりした頭で街中を歩きながら、フォコは頭の中を整理していた。
    (そうや、この2年、3年、ぼんやり過ごしとったから、……そもそも、あれから3年も経ってしもとるんやな。
     僕は20歳の、ニコル・フォコ・ゴールドマン。……やけどまだ、名乗れへん。まだ僕は火紅や。ホコウ・ソレイユのまま。
     今いてるんは、央北の港町。ノースポートっちゅうところや。あっちこっち適当にうろついとった。
     そや……、あいつと、ケネスと勝負なんかでけへんと諦めて、離れよう離れようとしとったんや。
     央北の中心地、クロスセントラルの周りの、端っこの街をグルグル回って、できる限りケネス関係と会わへんようにしとった。
     ……そら『あの方』も怒って首絞めてくるっちゅう話や。ホンマ、僕はヘタレやったなぁ)
     フォコは自分の不甲斐なさに、久々に諦観ではなく、憤りを感じていた。
    (ホンマに、何から何まで『あの方』の言う通りや。
     僕はもっと、あいつに対して敵意と執念を持ってなあかんのや。そうや無かったら、今まであいつのせいで死んでしもた皆が、あんまりにも可哀想過ぎるやろ?
     みんなの遺志を、僕が、僕一人が、一手に引き受けとるようなもんなんやし。それも忘れて、逃げて逃げて……。
     どんだけ情けないんや、この大バカ……っ!)
     と、嘆いていたところへ――裏通りへの曲がり角の向こうから、こんな話し声が聞こえてきた。

    「すごいね、君。そんなこともできるのかい?」
    「む、……まあ、まだこの術は不完全だ。精々、30分が限界と言うところか」
    「そうなの? ……残念だな、折角の黄金なのに」
     黄金と聞いて、フォコの狐耳がぴょこりと動く。
    (金?)
     そっと裏通りを覗いて見て、フォコは目を丸くした。
    (こ、この二人!?)
     そこにいたのは黒いコートを着込んだ長身の男と、金髪のエルフだった。
    「じゃあ、他の方法を考えないといけないね。何とかしてお金を調達しなきゃ、いつ追っ手が来るか」
    「まあ、来ても返り討ちだが、な」
    「平和的に対応をお願いしたいんだけどなぁ」
    「そうしても俺は構わないが、お前は困るだろう?」
    「まあ、そうなんだけどさ」
     どうやら、エルフの方は追われている身らしい。コソコソと、黒い男の掌に視線を留め、何かを相談している。
    「……!」
     黒い男の掌に乗っている物を見て、フォコはもう一度驚いた。
    「金!?」
     思わず、フォコは声を漏らしてしまう。
    「……っ」
     エルフの方は怯えた目を向けてきた。
    「ひゃ……」
     と、フォコの方も怯えさせられる。
     黒い方が、刀身の真っ黒な刀を向けてきたからだ。

    火紅狐・啓示記 3

    2010.11.16.[Edit]
    フォコの話、78話目。伏龍、目覚める。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 金狐は仰向けに倒れたフォコの側に座り込み、こう告げた。《この街に、男の二人組が来とる。 一人は全身真っ黒で目ぇめっちゃ細い、背ぇ高いヤツ。もう一人は金髪の長耳で、いかにも頭良さそーにしとる眼鏡のヤツや。 こいつら、困っとるんや。港からさっさと出たいんやけど、金が無いねん。ソレ、助けたり》「た、助けろって言うても、僕も...

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    フォコの話、79話目。
    二人の男と寸借詐欺。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「何者だ?」
     黒い男は刀――央南風の、長細い刀身がわずかに反り返った片刃の武器だ――をフォコの鼻先に向け、尋ねてくる。
    「あ、いえ、その、……声が聞こえたので」
    「……ふむ。兵士や官吏の類では無さそうだ」
     フォコの垢じみた身なりを見て、男は刀を下げた。そこで、フォコは尋ね返してみる。
    「あの、今あなたが持ってたのって、金ですよね」
    「……そうだ。だがもう既に……」
     男は地面の砂を蹴ってみせる。
    「あれ?」
    「元の状態に戻ってしまっている。この術の効果は、30分と持たない」
    「……え、それって」
     フォコは目を丸くし、もう一度黒い男に尋ねた。
    「錬金術ってやつじゃないですか!?」
    「まあ、そうなるな」
    「そうなるどころか、そのものド真ん中じゃないですか! 黄金を造れるなんて……!」
    「……厳密には、造れていない。30分しかその光を留めておけん金など、金とは呼べん」
     男は憮然とした顔になり、フォコをうざったそうに眺める。
    「説明は終わりだ。消えろ」
    「え、……いや、その」
     だがそう言われても、フォコには従えない理由がある。
    「何だ? 30分で土に還る金が、欲しいとでも言うのか?」
    「いや、まあ、金は欲しいのは欲しいですけど、でも、30分じゃ……」「消えろ」
     男はフォコの喉元に、す、と刀の切っ先を当てる。
    「ちょ、ちょっとタイカ」
     と、エルフの方が止めに入った。
    「何だ?」
    「揉め事はよそう。ここで彼に叫ばれでもしたら、面倒なことになる」
    「……それもそうか」
     タイカと呼ばれた男は、ひょいと黒い刀を下げた。
    「見逃してやる。さっさと消えろ」
    「……」
     フォコはフードの下でボタボタと冷や汗をかきながら、二人のことを観察していた。
    (『タイカ』? 央北の名前や無さそうやな。刀持っとるし、おやっさんの故郷と同じ、央南辺りの人やろか。
     こっちのエルフさんは……、どー見ても央中北部か、央北あたりの顔やな。この街の人や無さそうやし、旅人にしては、装備が少なすぎる。
     言うてることからして、どこかから逃げてきはったんかな……?)
     観察するに従って、フォコの頭も落ち着いてくる。
    (……にしても、練金術かぁ。この黒い短耳――かどうか分からへんなぁ。髪の毛とコートで隠れとるし――魔術師なんかな。
     僕も詳しくは知らへんけど、金って誰も造ったこと無いんやろ? たった30分でも、それが造れるって……、ものすごいことなんちゃうん?
     えーなぁ……。そんなんできるんやったら、僕なら――あ)
     フォコはここで、あるアイデアを閃いた。
     と、タイカがうざったそうにフォコをにらんでいる。
    「お前の耳はハリボテか?」
    「へ?」
    「何度俺は、お前に『消えろ』と言った? いい加減、どこかへ行け」
    「あ、えーと……」
     フォコは気圧されつつも、思い切って話を切り出してみた。
    「あの、良ければなんですけど」
    「何だ?」
    「もっかい、さっきの砂金作ってみてもらっても、いいですか?」
    「……?」
     タイカはけげんな表情をする。
    「何故だ?」
    「ちょっと考えがありまして」



     タイカから砂金一袋分をもらったフォコは、街を走り回って人を探した。
    (なるべくがめつそうな奴……、金汚そうな奴は、と……。
     お、あいつなんか良さそうやな)
     フォコはいかにも意地の汚そうな旅人を見つけ、声をかけた。
    「す、すみません!」
    「あ?」
     旅人はうるさそうに返事をしてくる。
    「何だ? 俺に用か?」
    「お金を貸していただけませんか!?」
    「は? なんで?」
     当然、旅人は馬鹿にしたような顔をする。
    「実は、早急にお金を作らなくてはならないんです! でも当てがなくて……」
    「知るか」
     背を向けようとする旅人に、フォコは砂金を見せる。
    「勿論ただとは言いません! 我が家の家宝にしている砂金を、担保にしますから!」
    「……砂金?」
     フォコの狙い通り、旅人は目の色を変える。
    「お願いします! どうか少しだけでも……!」
    「……お、おう。まあ、人助けになるんなら、うん。で、いくらほしいんだ?」
    「はい! 5000クラムあれば、何とか……」
    「5000でいいの?」
    「えっ」
    「えっ」
     旅人はしまったと言う顔をしつつも、コホンと咳をして取り繕う。
    「あ、いや。じゃあ、5000ね。はい」
     旅人はフォコの要求通り、5000クラムを渡してくれた。
    「ありがとうございます! あの、すぐ戻ってきますから、どうかお待ちになっていてください! あ、こちら担保の砂金です。じゃ、ありがとうございました! すぐ戻りますから!」
     そう言って、フォコはそそくさとその場を立ち去った。

     フォコは曲がり角に入ったところで、そっと旅人の様子を眺めた。
    「……ま、そらそうするやろな」
     旅人はフォコの狙い通り、意地汚そうな笑みを浮かべ、そのままどこかに走り去っていった。
     フォコは受け取った金を数え、ぽつりとこうつぶやいた。
    「……さてと。次は誰に声、かけよかな」



     この日、ノースポートの質屋に、ただの砂が入った袋を「砂金だ」と偽り持って来た旅人が、8名現れた。
     当然、質屋は怒り、全員を追い返したそうだ。

    火紅狐・啓示記 4

    2010.11.17.[Edit]
    フォコの話、79話目。二人の男と寸借詐欺。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「何者だ?」 黒い男は刀――央南風の、長細い刀身がわずかに反り返った片刃の武器だ――をフォコの鼻先に向け、尋ねてくる。「あ、いえ、その、……声が聞こえたので」「……ふむ。兵士や官吏の類では無さそうだ」 フォコの垢じみた身なりを見て、男は刀を下げた。そこで、フォコは尋ね返してみる。「あの、今あなたが持ってたのって、金ですよね...

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    フォコの話、80話目。
    ノースポート出港。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「締めて4万2千クラム弱、か。……やるな」
     フォコが持って来た金を見て、初めは邪険にしていたタイカも、見直してくれたらしい。
    「いえ、あなたのおかげです。……あの、ところで」
     フォコは二人に、素性を尋ねてみた。
    「お二人とも、早くこの港から逃げたがっているご様子でしたけど、何かあったんですか?」
    「え、っと……、まあ、色々と、ね」
     エルフの方は、言葉を濁して逃れようとする。
    「お前には関係の無いことだ」
     タイカも、まともに答えてくれそうに無い。そこでフォコは、カマをかけてみることにした。
    「まあ、いいんですけどね。……大声、出しても」
     さっと、エルフの顔色が変わる。
    「ちょ、ちょっと」
    「いや、出す気は無いんですけどね、まだ。ああ、でもさっき」
     フォコは懐から、寒さしのぎに抱えていた紙を取り出す。
    「さっきこれ拾った時は、流石に驚いちゃいました。思わず大声出しちゃいそうになりましたよ」
    「……それは?」
     タイカがにらんでくるが、フォコは怯まずに演技を押し通す。
    「いや、お二人のお顔が描かれてるだけなんですけどね、これ。何かその下に、賞金とか書いてますけど、人違いですよね」
    「……!」
    「あ、言いませんよ、何にも。ええ、言いませんとも。中央軍の詰所に行ったりなんかしませんし、安心してください」
    「……何が望みだ?」
     ようやく、タイカが譲歩してくれた。
    「いや、まあ……。お二人とも、ノースポートを発つ予定ですよね? 僕も、一緒に付いて行っていいですか?」
    「え?」
     この頼みは予想外だったらしく、エルフは目を丸くする。タイカの方も、細い目をわずかに見開いていた。
    「そんなのでいいの? ……いや、それで済むんならいいんだけど」
    「ありがとうございます。
     あ、僕は、火紅・ソレイユって言います。よろしくお願いします」
     ぺこりと頭を下げ、挨拶したフォコに、タイカが応じる。
    「ふむ。俺は克大火だ。大火と呼べ」
     大火に続いて、エルフの方も挨拶を返そうとした。
    「僕は、……と、知ってるんだよね、手配書見たんなら」
    「あー、と」
     街を発つ前に明かすわけにも行かず、フォコはしれっとごまかした。
    「ええ、勿論。さ、早く港に行きましょう。早いとこ出ちゃいましょう、街」
    「それもそうだね。いつまでも雑談しているわけにも行かないし」
     三人は足早に、ノースポートの港に向かった。

     追われているのは確からしく、大火たちは安価で安全な官業船ではなく、高価な割に設備や対応の悪い民間船を選んだ。
    「うへ、一人5000クラムですかぁ」
    「高いけど、登録は適当だからね。聞いた話じゃこの船を管理してる商会、経営破綻しかかってるんだとか。末端の管理は無茶苦茶らしい」
     そう聞いて、フォコは船体に描かれている商会のマークを見る。
    (えーと、虹と太陽、それに雲に乗る兎。これ、エール商会のんやったっけ。どこかで聞いたけど、前経営者が死んだ後、……『あいつ』が半分以上乗っ取ったらしいな。
     昔は西方を代表する大商会やったらしいのにな……)
     一抹の寂しさとケネスに対する嫌悪感を覚えつつ、フォコは船に乗った。



     船が港を離れたところで、フォコは白状した。
    「……あの、すみません」
    「うん?」
    「実はこれ、ただのチラシでした」
    「え?」
     フォコは先程手配書に見せた紙をエルフに見せ、頭を下げる。
    「じゃあ、さっきのって」
    「全部嘘です。どうしても、お二人に付いて行きたくて」
    「……何で?」
     けげんな顔をするエルフに、フォコはまたごまかした。
    「えっと、何て言えばいいのかな、……まあ、その、旅、ですかね。お二人に付いて行けば、楽しそうかなって」
    「楽しくないと思うよ」
     フォコの答えに、エルフは表情を暗くした。
    「これから僕たちがやることは、下手すると大量虐殺だから」
    「えっ?」
    「今からでも戻ったほうが良い。ホープ島で停泊したら、すぐ帰ってくれ」
    「いや、その」
    「関係ない人を巻き込みたくないんだ、あんまり。
     そりゃ、お金を工面してくれたことには感謝するよ。でも僕とタイカの旅には、そんな面白おかしいような要素は全く無い。場合によっては、命の危険もある。
     だから……」「でもですね」
     フォコも金狐からの啓示を守ろうと、食い下がる。
    「その工面したお金、使いましたよね? 連れて行ってくれないなら、返してくださいよ」
    「1万を?」
    「それだけじゃなく、4万2千……、ああ、僕の使った額を差し引いて、3万7千クラム全額。あなたにお渡ししてますよね」
    「まあ、そうだけど」
    「連れてって下さいよ」
    「だから、そんな軽い気持ちで付いて来られても……」「お願いします!」
     フォコはがばっとしゃがみ、土下座した。
    「え、ちょっ?」
    「嘘ばかりで済みません! でも一緒に行きたいんです!」
    「……ランド」
     と、成り行きを見ていた大火が口を開いた。
    「事情は分からないが、どうしても付いて行きたいらしい。ここまでされて、断る理由もあるまい?」
    「……まあ、そうだけど。……じゃあ、分かったよ。一緒に行こう」
    「ありがとうございます!」
     もう一度頭を下げたフォコに対し、エルフもしゃがみ込む。
    「もういいから、そんなにペコペコしなくて。……頼むよ、目立ちたくないんだってば」
    「あ、すみません」
     フォコはひょいと顔を上げ、そそくさと立ち上がった。
    「えっと……、そんなわけでお名前、知らないんです。
     教えていただいてもいいですか?」
    「ああ、うん」
     エルフは憮然とした顔をしながら――こう名乗った。
    「僕は元、中央政府政務大臣。ランド・ファスタだ」

    火紅狐・啓示録 終

    火紅狐・啓示記 5

    2010.11.18.[Edit]
    フォコの話、80話目。ノースポート出港。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「締めて4万2千クラム弱、か。……やるな」 フォコが持って来た金を見て、初めは邪険にしていたタイカも、見直してくれたらしい。「いえ、あなたのおかげです。……あの、ところで」 フォコは二人に、素性を尋ねてみた。「お二人とも、早くこの港から逃げたがっているご様子でしたけど、何かあったんですか?」「え、っと……、まあ、色々と、ね...

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    フォコの話、81話目。
    ありえない起用。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……かねてよりサイモン政務大臣の病状が懸念されていましたが、本日早朝、残念ながらお亡くなりになりました」
     その発表に、政務院の官僚と職員たちは騒然となった。
    「ほ、本当ですか!?」
    「そんな……」
     騒ぐ職員たちを前に、伝達に来た官僚は小さく咳払いし、今後の対応を伝える。
    「よって本日、議会を緊急招集し、後任の大臣を高級官僚の中から選出します。それまでは通常業務を遂行するよう……」
     と、そこにもう一名、官僚がやってくる。
    「たった今、後任が決定した」
    「え? まだ議会は召集されて……」「前政務大臣からの遺言状があったそうだ」
     それを聞き、職員の一人がつぶやく。
    「……執政法第6条、『大臣の選出は、前任者の推薦、もしくは議会の決定による』か」
    「その通りだ。前大臣は遺言状により、次の大臣に……」
     遺言状を持って来た官僚は、息を呑んで発表に耳を傾けていた職員たちの一人に目をやった。
    「ファスタ君、君を指名した」
    「……えっ?」
     名前を呼ばれた本人は、目を丸くした。
    「ぼ、僕、ですか? なんで? まだ僕、25歳で……、まだ、高級官僚になって、1年も、……えぇ?」
    「……それは我々一同、まったく同じ思いだ。いくらなんでも若すぎる。
     しかし法律は法律だ。本日より君は、政務大臣となった」
    「……は、はあ」

     中央政府の本拠地、クロスセントラルの某所。
    「……本当に、君の仕業ではないんだな」
     バーミー卿に詰問されたケネスは、フンと鼻を鳴らした。
    「勿論ですとも。本当に、自然死です。
     まあ、元々の計画からして、彼の病弱さに付け入ろうとしていたくらいですからな」
    「ふーむ、確かに。あのじじいは、いつ死んでもおかしくは無かった」
     ようやく納得してくれたバーミー卿に肩をすくめて見せながら、ケネスは自分が執っていた対応を説明した。
    「ま、死んだのは予想外でしたが、それでも我々の付け入る余地が無かったかと言うと、そんなことも無く。
     遺言状はしっかり、すり替えておきました」
     それを聞いて、バーミー卿は首をかしげた。
    「と言うことは、あの若僧を指定したのは君なのか?」
    「ええ、私です」
     ケネスの返答に、バーミー卿は腑に落ちない、と言う顔になる。
    「何故だ? あんな若僧を登用して、計画にプラスになるのか?」
    「プラスにもマイナスにもならんでしょう。計画の進行としては、原案通りですな」
    「なら、何故……?」
    「政務院の中枢に入って1年やそこらと言う、院内の右も左も分からん若僧なら、貧弱で他人に任せきりにしていた元大臣と変わらんと言うことです。
     元々の計画通り、政務院をいいように操るには好都合かと」
    「……ふ、む」
     ケネスの所見に、バーミー卿はまだ納得していないような顔をしていたが、そこで話は終わった。



     ケネスの「計画」は、中央政府の中枢、各執務院クラスへも及んでいた。
     各院を掌握し、自分の意のままに操れるよう画策していたのだが、ここで一つのイレギュラー、想定外の事態が発生した。
     かねてより健康が不安視されていた政務大臣が、病のために亡くなってしまったのだ。いくらケネスが優れた手練手管を用いようと、操る人間がいなければどうしようもない。
     そこで代わりの人材を、いち早く手配したのだ。

     が、このランド・ファスタと言う人間は、ケネスたちが思っているよりも聡明で実務能力に長け、かつ、高い理想を抱く青年だった。
    (こんな大任を任されるなんて思ってもいなかったけど……、これは人生最大のチャンスだ。この地位を活かさない手は無い!
     僕の目標――中央政府の腐敗を糺すのは、今しかない!)
     理想を実現させるため、ランドは就任した直後から、全力で執務に当たり始めた。

    火紅狐・政争記 1

    2010.11.20.[Edit]
    フォコの話、81話目。ありえない起用。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「……かねてよりサイモン政務大臣の病状が懸念されていましたが、本日早朝、残念ながらお亡くなりになりました」 その発表に、政務院の官僚と職員たちは騒然となった。「ほ、本当ですか!?」「そんな……」 騒ぐ職員たちを前に、伝達に来た官僚は小さく咳払いし、今後の対応を伝える。「よって本日、議会を緊急招集し、後任の大臣を高級官僚の中...

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    フォコの話、82話目。
    二人の大商人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「よう、大臣くん」
     ランドの義理の母であり、央中の大商家、ネール職人組合の長であるルピアは、ランドに会うなり、彼の髪をクシャクシャと撫でてきた。
     息子が政務大臣になったと聞き、央中クラフトランドからはるばる、ルピアが祝いに来てくれたのだ。
    「わ、わ、ちょっと、ルピアさん」
    「なんだなんだ、いきなり大物になったもんだなぁ、お前は~」
     嬉しそうに髪をかき混ぜてくるルピアから逃れつつ、ランドははにかんだ。
    「あはは……、僕もびっくりしてます」
    「20半ばの若造が就く職じゃないからなぁ、大臣なんて」
    「……ですよねぇ」
     突然、ランドは神妙な顔になる。
    「どうした?」
    「あの、……やってないと思いますが」「勿論さ」
     息子の言いたいことを察したらしく、ルピアは首を振った。
    「私がやる人間と思うか? そんな面倒なこと」
    「……ですよね」
    「お前が大臣に就任したのはきっと、お前の実力でだよ。誰かが根回しなんて、そんなことをして何のメリットがある?」
    「無いですね」
    「だろう? 仮に私がやったとして、自己満足以上の利益は無い。そんな損な投資、私はやらんよ。
     そもそも、そんなことをしなくても、お前はいずれなれる器だと信じていたしな」
    「……ありがとう、ルピアさん」
     ランドはようやく、ほっとした顔になった。
    「……しっかし、お前」
     ルピアは書類だらけの執務室に目をやり、呆れ気味に尋ねる。
    「大丈夫か? 初っ端からこんなに飛ばしてたら、そのうち参ってしまうぞ」
    「大丈夫ですよ」
     ルピアの問いに、ランドはにっこりと笑って返した。
    「僕の理想が叶う時が来たんですから、頑張らないと」
    「……そうだな。応援してるよ」

     ランドの執務室を後にしたルピアは、自分の頭をクシャクシャと軽くかき回しながら思案した。
    (とは言え、不自然過ぎる。まだ25だぞ、ランドは。
     そりゃノイマン塾を21で主席卒業、その直後に政務院の高級官僚になっちまった天才だ。
     だけれども、大臣なんて職は、海千山千の経験を積んだ老獪な政治屋のやるもんだ。それを20代の青二才に任せるなんて、無謀、無策にも程があるってもんだ。
     一体誰なんだ? こんな無謀人事で得をするのは……?)
     考えながら政務院を抜け、ドミニオン城の庭園を歩いていると、向かいから多少見知った顔が歩いてきた。
    「おや……?」
    「よう、エンターゲート」
     今や中央大陸最大クラスの商人となった男、ケネスである。
    「こんなところで会うとは」
     ケネスは――演技ではなさそうな――驚いた顔をしている。
     ルピアもケネスも、特に相手に対して悪感情も好意も持っておらず、単なる同業者、商売敵である。そのため、互いに何の含みも無く言葉を交わした。
    「ああ、うん。ちょっと私の息子がな」
    「息子さん? ああ、こちらにお勤めなんですか」
    「そうなんだ。ついこの前、昇進したって言うからさ。祝いに来てやってたんだ」
    「ほう、それはおめでたい」
    「それじゃ、私はこれで失礼するよ」
    「ええ。また今度、入札の時にでも」
    「ああ。今度は負けないぜ」
     ルピアは軽く手を挙げてケネスに別れを告げ、庭園から立ち去った。

     ケネスが向かったのは軍務院――軍務大臣バーミー卿の本拠、中央軍の本営である。
    「どうも、閣下。南海再軍備計画関係の発注書と、ウエストポート軍港への件の納品書をお届けに参りました、……と」
     執務室の扉をしっかりと施錠し、ケネスはそそくさと書類を渡す。
    「うむ、……これでいいか」
    「ええ、ありがとうございます」
     書類にサインし、ケネスに返したところで、バーミー卿は本題を切り出す。
    「済まんな、いきなり呼びつけてしまって」
    「いえいえ、構いません。私の方も、こちらへ伺う用事がありましたからな」
    「それなんだ」
     バーミー卿は肩をすくめ、困った口ぶりになる。
    「政務院が財務院・司法院と共同で、不透明な官業・政策に対して討議・是正勧告を行うと発表してきた。その中には現在君が推し進めている『計画』に関わるものも、数多くある」
    「ほう」
    「これが討議対象の一覧だ」
     書類を一瞥したケネスは、「ふむ」と声を上げた。
    「これは……、ほとんど、槍玉に上がっていると言っていいくらいですな、バーミー卿」
    「『いいくらい』どころか実際、上げられているのだよ。
     特にファスタ卿が執心しているのは、南海や央南などでの軍事行動の際に発生する、君との取引に関してだ。どうやら取引で交わされる特別手数料、いわゆるマージンに関して糾弾するつもりらしい」
    「なるほど。いかにも政治腐敗、汚職に絡むネタですからな」
     そう前置きし、ケネスはこう結論付けた。
    「まあ、問題は無いでしょう。マージンを減らせ、無くせと言うのなら、その通りにすればいいのです。
     もっと重要なのは、この取引で起こる『ゴタゴタ』ですからな。二束三文のマージンなど、無視しても構いませんし」
    「そうか。……ふむ、では取引自体は存続させる方向で、対応していくことにしようか」
    「ええ。……ああ、万が一」
     ケネスはつい、と眼鏡を直し、付け加えた。
    「あの青二才が、この『取引』の真意・本意に気付くようなら、処理することを推奨します」
    「……うむ、分かった」

    火紅狐・政争記 2

    2010.11.21.[Edit]
    フォコの話、82話目。二人の大商人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「よう、大臣くん」 ランドの義理の母であり、央中の大商家、ネール職人組合の長であるルピアは、ランドに会うなり、彼の髪をクシャクシャと撫でてきた。 息子が政務大臣になったと聞き、央中クラフトランドからはるばる、ルピアが祝いに来てくれたのだ。「わ、わ、ちょっと、ルピアさん」「なんだなんだ、いきなり大物になったもんだなぁ、お前...

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    フォコの話、83話目。
    戦争屋への弾劾。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ランドは自分の地位を最大限に活用し、国内の官業・公共事業にはびこる汚職を撤廃しようと努めていた。
     やや理想論の先行する主張・行動ではあったが、それが却って、議会の年配層に好評を博していた。
     その後援もあって、汚職を議会で追及する機会が与えられた。

    「次の議題です。昨年、304年より南海で起きている紛争への軍事介入が度々行われておりますが、その内容に関して不明な点、不可解な点があります」
     壇上に立ったランドは、議会の最前列、大臣席に座るバーミー卿を見据えて詰問を始めた。
    「まず、この紛争の中心となっているレヴィア王国に対し、中央軍は三回、議会承認も、天帝陛下への承認も得ず、独断で軍を動かし、閣僚級会談を行っていたと言う情報が、我々の元に入っています。ご存知かと思いますが、これは軍務法、執政法、及び世界平定憲法に抵触する行為です。
     さらに調査を行った結果、これはバーミー卿、あなたの指示によるものだと判明しています。これは紛れも無く、議会、ひいては中央政府の政治運営をないがしろにした独断専横、越権行為に当たります」
    「ふむ」
     ランドにまくし立てられるが、バーミー卿は動じていない。
    「しかし君の言っていることは、平時における場合を前提として、だろう?
     南海での紛争は現在も激化の一途を辿っている。それを放っておくことは南海の、即ち世界の一地域全体の平和を揺るがすことになるのは間違いないはずだ。それを防ぐための行動であるし、この件は緊急時の行動と取れなくはないはずだ」
    「お言葉を返すようですが」
     ランドはさらにまくし立てる。
    「会談の後、レヴィア王国の動きは変化なし、もしくはさらに激化していると言う見解が非常に多く寄せられています。会談によって彼らを刺激させている、とは考えられませんか?」
    「短期的な見方でしかないだろう。こう言うことは、長期的に討議し、やんわりと火を消していくものではないのか? それを一瞬、一時期の動きで云々するのは、無意味なことでは無いだろうか」
     予期していたケネスとの取引を取り沙汰されず、バーミー卿は内心ほっとしていた。
     だがランドの追求はむしろ、ケネスが懸念していた方向へと向かい始めた。
    「それだけではありません」
    「と言うと?」
    「会談後に必ず、レヴィア王国は軍備を再編しています。それも配置を換える、縮小すると言う平和的なものではなく、既存の基地に物資を大量に送ると言うような、いわゆる軍備の拡大を行っています。三回の会談の後に、必ず、です。
     これはもう、関連性があると見て間違いない――言わば、会談で『軍備を拡大するように』と提言しているようなものです。紛争激化を防ぐための行動と言いながら、何故、煽るような行動を?」
    「口を慎みたまえ、ファスタ卿」
     バーミー卿は顔を真っ赤にして反論する。
    「君の言うことは憶測だろう? 我々は間違いなく、防ぐように行動している。会談でも、これ以上増やさないようにと苦言を呈しているくらいだ! その行動を、『煽るような』だと!?」
    「会談の詳しい内容を秘密にされている以上、我々は憶測ででしか話ができません。もし違うと断言されるなら、内容を克明に公表していただきたい。
     それに――会談の内容がどうにせよ、確実に起こっていることは、紛争の激化です。結果的に、あなた方の行動は事態を悪化させていることに他ならない」
    「何度も言うが、それはあくまで短期的な……」
    「もう1年経っています! それをあなたは短期的、と仰るんですか!?」
     のらりくらりとしたバーミー卿の弁明に、ランドは声を荒げた。
    「1年間、南海の人々が苦しめられているのは事実ですよ! 1年を短期的と仰るなら、あなたは一体何年かけて問題を解決するおつもりですか!? 10年? 20年? もっとですか!? 何年、罪も無い人々を苦しめるつもりですかっ!?」
    「無礼なことを! 私は平和のために……」
    「もう一つ」
     と、ランドは冷静な口調に戻って、さらに指摘を重ねた。
    「こうした動きは、あなたが軍務大臣になった296年辺りから顕著になっています。度々、中央政府の意向を無視して会談を行い、実質的に問題のある国家の軍備を増強させて、世界各地の紛争を激化させている。
     そこから考えれば、もう10年に届く。あなたの独断のために、紛争が長引いていると言っても過言ではない。いや、言い換えれば――まるであなたは、とっくに終わるはずの紛争を長引かせているようだ」
    「ふっ、ふざけるな……っ」
     バーミー卿は机を蹴飛ばして立ち上がり、ランドに怒鳴った。
    「私が、この私が無闇に争いの種を増やしていると言うのか、この若僧がッ!」
     と、議会のあちこちから声が飛ぶ。
    「落ち着きなさい、大臣!」
    「何が『この若僧が』だ! 暴言だぞ、暴言!」
    「きちんと釈明しろ!」
     気付けばバーミー卿に向かって、議会中から野次が飛んでいる。
    「……ぐ、っ」
     それ以上反論できる空気ではなく、バーミー卿は黙って座るしかなかった。

    火紅狐・政争記 3

    2010.11.22.[Edit]
    フォコの話、83話目。戦争屋への弾劾。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ランドは自分の地位を最大限に活用し、国内の官業・公共事業にはびこる汚職を撤廃しようと努めていた。 やや理想論の先行する主張・行動ではあったが、それが却って、議会の年配層に好評を博していた。 その後援もあって、汚職を議会で追及する機会が与えられた。「次の議題です。昨年、304年より南海で起きている紛争への軍事介入が度々...

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    フォコの話、84話目。
    人を駒にする。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     散々糾弾を受け、流石のバーミー卿も疲労困憊になっていた。
    「災難ですな」
    「まったくだ……」
     ほうほうの体で執務室に戻ったバーミー卿のところに、またケネスが現れた。
    「それで彼は、気付いていましたか?」
    「それを聞く必要があるのか?」
     バーミー卿は濡らしたタオルで顔を拭きながら、ケネスをジロリと横目に見る。
    「君がここにいる、と言うことは、こうなると読んでいたのだろう?」
    「ええ、まあ。私の予想以上に、彼は賢しい人間だったようで」
    「それでも君の方が一枚上手だった、……とあってほしいのだが」
    「ご安心ください。その通りです」
     にっこりと笑うケネスに、バーミー卿もようやく安堵した。
    「では、対策を?」
    「ええ。既に彼を攻め落とす準備はできています。
     ……が、少しばかりお待ちいただきたい」
    「うん?」
    「政情不安を懸念しての、陛下からのお達しです。『朕も近年の卿のやり方には不安と疑念を感じておる。あの若い政務大臣の言う通りにせよ』と」
    「何だと? ……何故、私の耳に入ってこなかったのだ」
    「つい先程仰られたからです。私に、伝えるようにと」
    「……ぬう」
     バーミー卿の顔が曇る。
    「どうも……、面倒とは思わんか?」
    「と言うと?」
    「陛下の横槍がだよ。積極的に動きはしないが、何かに付け、ああしろ、こうするなと、細かく口を挟んでくる」
    「ま、それが陛下なりの政治運営なのでしょう。自分は前に出ず、背後で人を操作する。そうやってこの30余年、天帝と言う地位を守ってきたのでしょうな。
     とは言え確かに、卿の言う通りではある。少々、目障りに過ぎますな」
    「ああ。こう言っては何だが、陛下がいなければ、君と私の計画はもっと早く進んでいた。……まあ、陛下の許可と根回し、黙認があってこそ、計画が動かせたわけだが」
    「荷車と同じですな。重い荷車をいきなり引っ張るのは難しいですし、初めは人手がいる。が、一旦動いてしまえば、人は何人もいらない。
     そろそろお役御免ですな、陛下は」



     半年後、中央政府の第7代天帝であったソロン・タイムズ帝が崩御した。主な原因は病死と伝えられたが、不可解な点もあったと言う。
     だがそれ以上に不可解であると話題になったのは、次代の天帝が、最も愚鈍であると評判だったオーヴェル・タイムズになったことだった。
     言うまでも無く、ケネスはこれらに関与していた。そして愚鈍な帝を、彼が利用しないわけが無い。

     306年、前回の討議から1年後のこと。
    「前年に論じられた『305年是正勧告』討議について、朕は異議を申し立てる」
     議会においてオーヴェル帝は、ランドが主導していた汚職への討議・是正勧告を無理矢理に引っくり返した。
    「朕を初めとする歴代天帝の成す『世界平定』を脅かす輩は、早い内から叩き潰すべきであろう。バーミー卿はその慧眼を以って、早々に対策をしてくれていた。
     だがファスタ卿、貴君の小手先、目先の行動で、その折角の対策が無碍になってしまった。閣僚級会談が行われなくなって以降、多くの紛争や混乱はひどくなる一方。これは紛れも無く、貴君の責任ぞ」
     あまりに一方的、一局的な言われ方に、ランドは面食らった。
    「な、何を仰いますか!? 事実として、バーミー卿の独断専横によって……」「黙れ!」
     反論しようとするランドを、帝は怒鳴りつける。
    「貴様は信用できぬ! 即刻去れ!」
    「は……!?」
    「いいや、去るだけでは足らぬ! 朕の城を、国を騒がせた国賊だ! 捕らえて罰を与えよ!」
    「な、……何ですって!?」
     呆然とするランドの周りに、兵士が集まってくる。
    「貴様だけではない、こいつに与した者も同罪だ! こいつに賛同した者も、捕らえるのだ!」
    「な……」
     ランドは両腕をつかまれながら、後ろを向いた。
    「……っ」
     一年前、自分に賛同してくれた者たちは皆、自分と目を合わせようとしなかった。
    「お前はどうだ!?」
     帝が一人を指差す。
    「……いえ、賛同など」
    「お前は?」
    「懐疑的でした」
    「お前はどうなのだ?」
    「現実を無視した理想論です。片腹痛い」
    「ではお前は?」
    「周りの雰囲気がそんな感じだったので……。自分は反対でした」
    「そうか。……ではファスタ卿、お前だけだな」
    「……そんな」
     一斉に掌を返され、ランドは絶句した。
    「さあ連れて行け!」
     帝の命令により、ランドはずるずると引きずられながら、議事堂を去って行った。

    「フハハ……」
     すれ違いざまにその様子を眺めていたケネスは、ニヤニヤと笑っていた。
    (やはり青二才っ……! 自分一人で何でもできると思い、自分一人でやっているつもりでいるっ……!
     馬鹿がっ……! お前が相手にしているのは何だ? 家畜か? 野菜か? 違うだろう? 人だろう、相手はっ……!
     人を味方に付けたからこそ、去年の会議は成功したのだ。だがお前は肝心な人物を抱き込まなかった。それは紛れも無いミス! 大ミスだっ……!
     私は根回ししていたのだよ。そう、オーヴェル帝を抱き込み、議会でお前を糾弾するよう仕組んだのだ。中央政府を動かす上で最も重要な駒、最も力ある駒を、お前は軽視、無視していた。
     どうせ青臭いお前のこと、いずれは半ば傀儡化していた天帝をも叩こうと考えていたのだろう。ハナから敵と断じ、味方に付けなかった。
     それがお前の敗因だ――昨日味方だった人間がそのまま、今日も味方でいてくれるなどと思っているから、こうなるっ……!
     明日、敵に回すつもりの人間でも、今日は味方に付けておく。その発想が無かったお前は、こうなって当然、当然、至極当然っ……!)
     引きずられていくランドの背中を眺めながら、ケネスは彼を嘲笑った。

    火紅狐・政争記 4

    2010.11.23.[Edit]
    フォコの話、84話目。人を駒にする。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 散々糾弾を受け、流石のバーミー卿も疲労困憊になっていた。「災難ですな」「まったくだ……」 ほうほうの体で執務室に戻ったバーミー卿のところに、またケネスが現れた。「それで彼は、気付いていましたか?」「それを聞く必要があるのか?」 バーミー卿は濡らしたタオルで顔を拭きながら、ケネスをジロリと横目に見る。「君がここにいる、と言...

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    フォコの話、85話目。
    ルピアの逆襲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     政務大臣が短い期間で立て続けに変わったことで、先代のソロン帝が危惧していた通り、政情は不安定になった。
     元々ランドの前任者が推し進めていた政策――その多くはケネスとバーミー卿にとって都合がいいものだった――を、ランドは全面的に見直した上で半分以上を廃し、新たな政策を立てて進めていた。ところがランドも更迭されたため、ランドの次に政務大臣となった人物は先々代の状況に戻そうと試みた。
     それが中央政府の内外に、大きな混乱を呼んだ。立ち上がりかけた計画が頓挫したり、休眠、もしくは廃止した事業を立ち上げ直したりと、下部組織はくるくると変わる方針に振り回された。
     ランド更迭の一件とこの混乱は、中央政府、そして天帝への不信感を募る一因となり、内外からの反発を高めることとなった。

     そしてここにはもう一つ、混乱の火種があった。
     ケネスはランドが央中の大商家、ルピア・ネールの息子だと知らなかったことだ。



    「……な、ん、だ、とぉ」
     ランドが更迭・投獄された報告を受け、ルピアは激怒した。
    「ふざけるなッ! 何故、何故あいつが投獄なんぞされにゃならんのだ!」
    「し、しかし姉さん」
     この一報を持って来たルピアの弟、ポーロはなだめようとする。が、ルピアの怒りは収まらない。
    「しかしもかかしもあるかッ! すぐ調べろッ!」
    「し、調べる? 何を?」
    「考えてもみろ! 25歳で大臣になって、そこから1年もしないうちに、いきなり更迭されて投獄だと? こんな出来の悪い三文芝居みたいな話があるか?
     誰かが仕組んだのでなけりゃ、こんな滅茶苦茶なことなど起こりえない! そして、その仕組んだ奴には何らかのメリットもあるはずだ!
     この茶番劇で得をする奴が誰か、調べて来い!」
    「わ、分かったっ」
     姉の剣幕に逆らえず、ポーロは飛ぶようにして央北へと渡った。

     と言っても、その利害関係は明らかなものである。すぐにバーミー卿にとってメリットのある話だと分かり、すぐに伝えられた。
    「カーチス・バーミー卿が? ……解せんな」
    「しかし、この件で彼は、去年から停止させられていたいくつかの権限を復活させている。その上、無断で行っていた閣僚級会談に関してのお咎めも受けずに済むように……」
    「ああ、それは確かだ。だが気になるのは、バーミー卿の政治手腕だ。
     あの男は直情径行、傲慢不遜の軍人バカだ。こんな手の込んだことのできる器でも頭でもない」
    「まあ、そりゃ、そうだな」
    「ぶっちゃけ、あいつにはこの件を計画するのは無理だ。となればあいつの腹心か、あいつと懇意にしてる奴がこの計画を立てていた、と考えるのが妥当か。
     ……ポーロ。……調べてほしいことがある」
    「またかよ……。俺だってそう何度も、央北と央中を行ったり来たりしたくないんだが」
    「そう言うな。……私の息子に罪を着せたのも許せんが、それ以上に気になるのが、この混乱を――中央政府がガタつくほどの騒ぎを起こしたことだ。
     放っておけば、いずれ我がネール職人組合にも悪影響が出るかも知れん。そうなってからでは遅い、……かも分からんからな。
     中央政府や天帝を動かせる奴が、小物だとは思えん」
    「……分かった。調べてみる」
     真剣な面持ちの当主ルピアに、ポーロは素直に従った。



     この後――央中ではある抗争が勃発した。
     ネール職人組合はゴールドマン商会に対し、一切の提携を破棄した。また、総帥であるケネスが今回の混乱を招いた張本人であると言う出所不明の告発文書が、中央大陸各地に出回った。
     この2つの出来事がゴールドマン商会の、央中における信用度を落とし、また、後の世につながる「狼と狐の対立」を生んだ。

    (やれやれ……、これは予想外のダメージを負ったものだ)
     思わぬ攻撃を受けたケネスは、軽くため息をつきながら、手に入れたその告発文の一つを、くしゃくしゃと丸めて捨てた。
    「アンタ、あのうわさってホンマなん?」
     そこに、ケネスの「正妻」リンダが、不安げな面持ちで声をかけてきた。
    「まさか」
     ケネスは笑顔を作り、否定してみせる。
    「私が……、いや、ゴールドマン商会が急成長を遂げていることに対しての、嫌がらせだろう。
     第一、こないだの政争と一商人でしかない私に、どう関係があると? こじつけもいいところだよ」
    「……そうやんな」
     リンダは上目遣いに夫を見上げ、彼の手を握りしめた。
    「でもな、うわさちゅうても……」
    「何だ?」
    「ここら辺のみんな、疑っとるみたいやねん。……フォブがな、こないだ」
    「フォブが? 何かされたのか?」
     フォブと言うのは、ケネスとリンダの息子である。
    「……顔にあざ、作っとってん。なんや、いきなり殴られたらしいねん」
    「本当か?」
     息子が殴られたと聞き、ケネスは憤った顔と声を作ってみせる。
    「何と言う卑怯なことを! 私に攻撃するのではなく、私の息子を攻撃するとは!」
     だが冷血漢のケネスである――その心中は、特に憤りも、侮蔑も感じていない。
     考えているのは、今後の身の振り方だった。
    (評判を落とした、か。これは少し、計画にとってマイナスになるか)
    「……なあ、アンタ」
     リンダは困った顔をしながら、こうつぶやく。
    「あたし、アンタがかなりアコギなコトしよるっちゅうのんは、何も文句言わへん。でもな、ソレであたしらに迷惑かかるっちゅうのん、嫌やねん。
     何とかならへん? ならへんのやったら、もうせんといてほしいねん」
    「……むう」
     妻に、目に涙をたたえつつそう言われてしまっては、流石のケネスも閉口するしかない。
    「手は、考える。……少し、我慢をしていてほしい」

    火紅狐・政争記 5

    2010.11.24.[Edit]
    フォコの話、85話目。ルピアの逆襲。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 政務大臣が短い期間で立て続けに変わったことで、先代のソロン帝が危惧していた通り、政情は不安定になった。 元々ランドの前任者が推し進めていた政策――その多くはケネスとバーミー卿にとって都合がいいものだった――を、ランドは全面的に見直した上で半分以上を廃し、新たな政策を立てて進めていた。ところがランドも更迭されたため、ランドの...

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    フォコの話、86話目。
    金火狐一族の大移動。

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    6.
     いかに神算鬼謀を用いるケネスといえど、信用を失っては商人としての活動に支障が出る。
     ルピアの市場攻撃と告発により失った信用を回復し、また、一連の騒ぎから回避するため、ケネスは大規模な手を打ち出した。

    「居を移す?」
    「ええ。皆、知っていると思うが、このカレイドマインはもう、資源が枯渇しかかっている」
    「まあ、確かに」
     ケネスは金火狐一族を集め、その本拠をカレイドマインから移転する計画を発表した。
    「このままここでじっとしていれば我々の本業、拠り所である鉱業は成り立たなくなる。
     そこでここから南下し、大きな貴金属鉱床があると目されているイエローコーストへ陣取ろうと考えている。どうだろうか?」
    「イエローコーストちゅうたら……、コリンじいさんのおったところか」
    「でもあのじいさん、『ずーっと掘っとるけど、全然出てきよらんわ』てこぼしとったけどな」
     懐疑的な金火狐たちに対し、ケネスは持論を強く推す。
    「一度、商会再編のために、一族の事業を一時的に凍結したことがあっただろう? あの際に調べてみたのだが、コリン叔父貴の採掘方法は、非常に古臭かったのだ」
    「ほう……」
    「現在我々が持っている最新鋭の採掘技術をもってすれば、おそらく1~2年以内には、往年のカレイドマイン以上の採掘量が望めるだろう」
     ケネスの主張に、一族はまだ首を縦に振ろうとしない。
    「ホンマかいな」
    「アンタいっつも強引やからなぁ」
    「ただ単にアンタ、中央さんとかネールさんトコとかから、ちょっとでも離れたいと思てるんと違うん?」
    「あそこら辺、他にでかい商人おらへんもんな」
     痛いところを突かれ、ケネスはほんの少し顔をしかめる。
     だがそれでも、ケネスは引こうとしない。
    「それも無いと言えば嘘になる。だが、このままでいいと、引き下がるわけにもいかない。
     繰り返すが、いずれはカレイドマインの資源は枯渇する。主管事業である鉱業が成り立たなくなったら、我々は果たして金火狐の看板を維持できるだろうか?」
    「それは……、まあ……」
    「不安ちゅうたら不安やけども」
     迷いを見せた一族に、ケネスはダメ押しした。
    「決断していただきたい。痩せた故郷を取るか、これからの歴史と看板を取るか、を」

    「ゴールドマン商会が移転した?」
     その報せを受けたルピアは、自分の頭をクシャクシャとかいた。
    「どう捉えたものかな……。撤退したと見るべきか、態勢の立て直しと見るべきか」
    「俺には何とも言えないが、……まあ、とりあえずは向こうも、大きな動きはできないわけだ」
    「確かに。本拠を移すとなると、一月、二月じゃとても足りんからな。しばらくは、中央政府に構ってなんかいられんだろう。
     しかし……、イエローコーストだったか? どこなんだ、そこは?」
     いぶかしげな顔をするルピアに、ポーロは説明した。
    「央中の、かなり南の方だったはずだ。えーと、確か……、カーテンロック山脈の、南端くらい」
    「そりゃまたド田舎だな。一体何でそんなとこに……? 他の商会とバッティングするのを避けたかったんだろうか?」
    「うわさによれば、黄金が出るとか出ないとか」
     それを聞いて、ルピアは鼻で笑う。
    「はっ。逃げた先には黄金郷、か? そんな都合のいい話があってたまるものか」



     ところが1年後――本当に、黄金が出たのである。これにより、央中事情は再び激変した。
     ケネスの予測通り、イエローコーストの鉱産資源は非常に豊かなものであり、その年間産出量は、中央政府が同期間に発行する貨幣の2倍以上にもなっていた。
     それだけの量が出るのだから、資金と信用には困らない。取引においても、いくらでも補填と補償が効く。そのため商会の取引量と相手数は、あっと言う間にケネス告発以前を上回った。
     そしてその取引の中に、ネール家は介入できなくなってしまった。

    「まずいな……。下手するとうちはこのまま、孤立しかねない」
     取引相手の半分近くを奪われ、ネール職人組合は身動きが取れなくなくなりつつあった。
    「資金力で圧倒的不利だし、ゴールドマンよりもいい条件なんて出せない。……そりゃ、発注も断ってくるし、入札でも負けっぱなしになるわな」
    「どうするんだ、これから」
    「まあ、……まだ手はある。いくら中央大陸のあちこちに手を伸ばそうと、他の大陸にまでは手を出し切れないさ。
     今後しばらくは、中央大陸外との取引を強化しよう。……本拠の央中が、おろそかにならない程度に、な」
     そう結論付けたルピアだったが、その内心はひどく苛立っていた。
    (くそ……っ! まるで神か悪魔が味方に付いてるようだ、エンターゲートの奴!
     どうしてこうも、あいつのやることなすこと、うまく運ぶんだ……!? 世界があいつ中心に回ってるとしか思えない!
     ああ、くそ……っ! すまない、ランド……! 私はまだ、お前を救ってやれない……!)
     ルピアは心の中で、投獄されたままの息子を案じていた。

    火紅狐・政争記 終

    火紅狐・政争記 6

    2010.11.25.[Edit]
    フォコの話、86話目。金火狐一族の大移動。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. いかに神算鬼謀を用いるケネスといえど、信用を失っては商人としての活動に支障が出る。 ルピアの市場攻撃と告発により失った信用を回復し、また、一連の騒ぎから回避するため、ケネスは大規模な手を打ち出した。「居を移す?」「ええ。皆、知っていると思うが、このカレイドマインはもう、資源が枯渇しかかっている」「まあ、確かに」 ...

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    フォコの話、87話目。
    牢の中の知性。

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    1.
     ルピアとケネスが争っている間も、ランドはずっと牢獄につながれていた。
    (何故こんなことに……?)
     ランドは愚帝、オーヴェルによって政治犯の烙印を押され、牢の奥深くに投獄された。
     天帝直々に「中央政府を危険にさらした極悪犯」と蔑まれ、最早彼を助けようとする人間は、中央政府内にいなかった。
    (こうなったのは、何故なんだ?)
     彼の周りは頑丈で殺風景な壁と扉に囲まれ、彼に一切の情報を与えない。明り取りの狭い窓からわずかに見える地面ぎりぎりの景色と、一日二回の食事とが、何とか彼を正常に保っていた。
    (……何故……?)
     そして彼自身も、自分を正常に保たせようと、ひたすら思案に暮れていた。

     どこまでも、考える。
    (何故僕は投獄された?)
     考え続ける。
    (直接の原因、それはオーヴェル帝の勅令だ。彼が僕を捕らえよと言ったから、僕は捕らわれた)
     ひたすら思考の渦に、身をゆだねる。
    (じゃあ、何故? 何故、オーヴェル帝は僕を捕らえさせたんだろう?
     彼は僕の政策を、全面否定した。それは何故? 本当に、僕のやっていることが中央政府の害になると?
     それはない。だってそうだろう? 僕なりに、どの懸案も真剣に考え、修正案を提示した。その後、議会の皆で微調整もしたし。その点に関しては、僕に間違いは無かったはずだし、間違いがあれば皆、指摘しないはずが無い。
     それに間違っていたなら先帝、ソロン陛下が口を挟んでいたはずだ。あの方は自分で意見を発するよりも、他人の意見を推敲するタイプの方だった。僕が間違っていたなら、それを咎めないわけがない。
     それでも、もし、間違っていたとするなら、……それはもう、陛下の御心が先帝や僕たちと、あまりにも乖離してしまっている、としか言えない)
     思考の渦に呑まれ、また浮き上がる。
    (……僕が正しかったのに、投獄されたとしたら?
     それはもう、何かしらの陰謀があったとしか思えない。でも僕を陥れることで、陛下は得をしたんだろうか? ……いや、それもない。陛下と僕との間に、接点が無いもの。
     オーヴェル帝は即位して間も無いし、僕だって政務大臣になって1年ほどだった。利害関係なんて、築けてない。
     なのに彼は、僕を投獄した。それは何故?)
     何も無い独房の中で、ランドの思考から感情が削ぎ落とされていく。初めは戸惑いや怒り、恐れや不安に満ちていたランドの脳内が、純粋な思考、思索に満たされていく。
    (オーヴェル帝は……、あまり、頭のいいタイプじゃない。政治や経済のことに、あまり明るいとは言えない。元々、さほど興味も無かったみたいだし。
     そんな彼がそもそも、僕の政策を理解した上で異議を唱えたんだろうか? それは……、考えにくい。誰かが『この政策は陛下のためにならない』なんて口ぞえでもしない限り、あんな風に僕を罵り、糾弾なんてしないし、できるはずもない。
     ……いたんだろうな。オーヴェル帝に口ぞえし、彼を誘導した人物が。それは誰だろう?)
     すぐに、ランドはその人物に思い当たる。
    (あの時、陛下が異議を唱えた時、賞賛されたのはバーミー卿だった。……じゃあ、彼なんだろうか?
     ……それもおかしい。彼は根っからの軍人だし、直情径行型で傲慢なタイプだ。自分から策を弄して人を陥れるなんてことを、するタイプの人間じゃない。
     となると、彼の腹心か、彼と深い利害関係にあり、かつ、非常に根回しの利く、頭のいい人間がバックにいたんだろうな)
     母ルピアと同じ思考を辿り、続いて彼は、母が調べさせたその先へ、自力で辿り着いた。
    (バーミー卿はこの数年、エンターゲートと言う商人と懇意にしていた。中央軍の装備は、ほとんど彼のところから卸されていたし、前述の深い利害関係が、確かに存在する。
     ……ケネス・エンターゲートだったっけ。塾長が不思議がってたな、そう言えば。『塾にいた時はぱっとしなかったが、この数年で急激に成り上がった奇才だ』って評価してたな。
     もしかしたら、彼が黒幕なのかな……?)
     ランドはついに、真実へと辿り着いた。

     だが、その深い洞察力、驚くべき推理力も――この何も無い空間の中では、何の意味も無かった。

    火紅狐・逢魔記 1

    2010.11.27.[Edit]
    フォコの話、87話目。牢の中の知性。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ルピアとケネスが争っている間も、ランドはずっと牢獄につながれていた。(何故こんなことに……?) ランドは愚帝、オーヴェルによって政治犯の烙印を押され、牢の奥深くに投獄された。 天帝直々に「中央政府を危険にさらした極悪犯」と蔑まれ、最早彼を助けようとする人間は、中央政府内にいなかった。(こうなったのは、何故なんだ?) 彼の...

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    フォコの話、88話目。
    悪魔がやってくる。

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    2.
     投獄から1年が過ぎ、ランドのことを覚えている者は次第にいなくなっていった。
    「……」
     いや、覚えている余裕など無いのだろう。
     何も無い独房の中で、耳を澄ませば時折、扉の閉まる音が響いてくる。それと前後して、人の嘆き悲しみ、あるいは怒り狂う声も。
    (次々と、投獄されている)
     外の事情は知る由も無いが、何が起こっているのかは何となくは把握できた。
    (陛下が次々に、人を消しているのだろうな。僕を皮切りに、恐らくは大臣級、高級官僚級の人間が、次々と。
     そして多分、陛下はバーミー卿とエンターゲート氏に操られている。それはつまり、あの二人が中央政府を、世界全体を動かしているんだ。
     ……! そうか、まさか……!?)
     不意に、ランドの頭に閃きが走った。
    (バーミー卿は、戦争を誘発させるような軍事行動を執っていた。そしてエンターゲート氏は武器商人。戦争が起これば、儲からないはずが無い。
     この流れを、仕組んでいるのか……!? 戦いの火種をあちこちに撒き、燃え上がればそれを消しに回り、一方でまた、どこかに火種を撒く。それが繰り返されれば、……どうなる?
     バーミー卿は『緊急時の行動』と言う大義名分の下、好き勝手に軍と政府を動かせる。エンターゲート氏は自分の商品を、いくらでも買ってもらえる。バーミー卿属する中央政府側にも、戦争を起こしている当事国にもだ。
     ……何て恐ろしいことをッ! あの二人の権力と利益のために、世界中が振り回されると言うのか!? そんな……)
     ランドは思わず独房の中で立ち上がり、叫んだ。
    「そんな非道が許されてたまるかッ……! あの二人が、たった二人だけが美味しい思いをするために、世界中が犠牲になると言うのか!?」
    「おい、うるさいぞ!」
     ガンガンと扉を蹴る音が独房中に響いたが、ランドは呆然と立ち尽くしたままだった。

     その結論に行き着いて以降、ランドは居ても立ってもいられなくなった。
    (何とかしなきゃ……! このまま放っておいたら、世界はどうしようもなく傷付けられ、蹂躙され、いずれは破滅する!
     どうにかしてこの牢獄を脱出し、彼らを抑えなければ! そうしなきゃ、世界は破滅してしまう!)
     ランドは扉や窓に目をやるが、その途端、気持ちがしぼんでしまう。
    (……どうやって出るって言うんだ? 誰かが出してくれると?
     誰が? 議会の誰かが嘆願を? ……そんなわけが無い。あの時手を差し伸べてくれなかったんだし、きっともう、何人かは投獄されている。そして残った人も萎縮してるだろうな。そんな冒険、してくれるわけがない。
     ルピアさんが保釈金を……、なんて、それも無いだろうな。何とかして助けてやりたいとは思ってくれてるだろうけど、いくらなんでも政治犯を簡単に釈放しようなんて、中央政府や陛下は容認しない。いくらお金を積もうと、出してはくれないだろう。
     ……はは、は。結局、出られないんじゃ、なぁ……)
     ランドは諦めに満ちたため息をつき、横になる。しかしじっとしていると、世界の危機と言う不安が、頭をよぎる。
     ランドは狭い独房の中で立ったり座ったりと、せわしなく動いていた。



     そんな独り相撲にも疲れ、ランドはぐったりと横になった。
    (いくら僕に優れた頭脳があろうと、この中じゃどうしようもない。何も出来ないんだ。
     ……でも、諦められない。このまま世界が腐っていくのを、黙って見ているなんてできやしないんだ。
     ……誰か……)
     無駄とは分かっていながらも、ランドはそれを口にした。
    「……誰か、僕をここから出してくれ。ここから出して、僕に世界を救わせてくれ。
     そのためなら、何でもする。何でもあげるから」
     返事が返って来るはずの無い願いを口にし、ランドは目をつぶった。

     だが――返事が返って来た。
    「今の言葉、本心だろうな?」
    「……!?」
     どこかから、声が聞こえてきた。
    「だ、誰?」
    「もう一度聞くぞ。お前は『そこから出られるなら、何でもやる』と言ったな?」
    「……ここから出て、世界を救えるなら、だよ」
     誰が声をかけているのかは分からないが、ランドは応じてみた。
    「いいだろう。契約成立だ」
    「……なんだって?」
     ランドは目を開け、むくりと起き上がった。
    「契約?」
    「扉の近くでしゃがめ。そこは危険だ」
    「え?」
     戸惑いつつも、ランドは言われた通り、扉に張り付くようにしゃがみ込んだ。
     次の瞬間――。
    「『五月雨』」
     明り取りの窓の面積が、一千倍に広がった。
    「……~っ!?」
     頑丈なはずの漆喰の壁が、あっと言う間に瓦礫になる。
     目を丸くしたランドの前に、その瓦礫の向こうから何かが降り立った。
    「立て」
    「な、な……!?」
    「二度も言わせるな」
    「……あ、う、うん」
     ランドは突然の事態に混乱しつつも、相手の言う通りに立ち上がる。
    「さっさと逃げるぞ」
     壁を壊してくれたらしい、真っ黒なコートを羽織った男が、ランドに促した。

    火紅狐・逢魔記 2

    2010.11.28.[Edit]
    フォコの話、88話目。悪魔がやってくる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 投獄から1年が過ぎ、ランドのことを覚えている者は次第にいなくなっていった。「……」 いや、覚えている余裕など無いのだろう。 何も無い独房の中で、耳を澄ませば時折、扉の閉まる音が響いてくる。それと前後して、人の嘆き悲しみ、あるいは怒り狂う声も。(次々と、投獄されている) 外の事情は知る由も無いが、何が起こっているのかは...

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    フォコの話、89話目。
    恐怖の顕現。

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    3.
     壊された壁を抜け、えぐり取られた地面を登って地上に上ると、そこはドミニオン城の横、頑丈な鉄柵で囲まれた牢獄の庭だった。
    「……外……なの? 本当に?」
    「俺が幻でごまかすと思うのか?」
    「『俺が』、……って言われても」
     ランドは自分を助けた、髪から肌、服装、靴に至るまで真っ黒な男に向かって口をとがらせる。
    「君、誰なんだい?」
    「ああ、自己紹介が遅れたな。……と」
     男はランドから視線を離し、辺りを見回す。
    「流石に騒がしくしすぎたようだ」
     ランドたちを囲むように、看守の兵士たちが集まってくる。
    「脱獄だ! 脱獄だーッ!」
    「捕らえろ! 逃がすな!」
     兵士たちはそれぞれ手に槍や縄を持ち、バタバタと足音を立てて寄って来る。
    「ど、どうするのさ!?」
    「……」
     ランドの問いに、男は答えない。何かを考えているような顔をしている。
    「囲まれるよ!? 逃げなきゃ!」
    「騒々しい」
     男はうざったそうに顔をしかめ、ランドに向き直った。
    「ここで待っていろ。10秒で片付ける」
    「片付ける?」
     ランドがそう尋ねるより先に、男は刀を抜いて駆け出した。

     男が駆け出したのを見て、兵士たちは武器を構え――ようとした。
    「……、っ」
     だが、その3分の1がばたりと倒れる。そしていつの間にか、彼らの足元には血の池ができていた。
    「は、やい……っ」
    「ゆ、油断する、な……」
     続く3分の1も、糸が切れた操り人形のように、かくんと崩れ落ちる。
    「……ひ、いっ」
     残った3分の1は、それで戦意を喪失した。一様にがくりと膝を付き、血ではない液体で池を作っている。
     それほどまでに、男の力は圧倒的過ぎた。

    「片付いた。行くぞ」
     呆然と見ていたランドに、男は何も無かったかのように淡々と声をかける。
    「き、君、……人をっ」
    「ああ。……二度も言わせるなと、さっきも言ったはずだが?」
     ランドは男の所業を咎めようとしたが、脱獄のチャンスは今しかないし、何より咎めて改めてくれそうなタイプでも無さそうである。
     ランドは何も言えず、男に付いていった。
    「……と、自己紹介だったな」
     そこで、男が思い出したようにランドに向き直った。
    「俺の名は克大火。大火と呼べ」
    「あ、う、うん。僕は、ランド・ファスタ。ちょっと前まで、大臣だった」
    「そうか」
     そう返され、ランドは面食らった。
    「君って……、僕が大臣だったから、とか、強い正義感があったから、とか、そんな理由で助けたんじゃないんだね」
    「そうだ」
     それだけ返し、大火と名乗った男は背を向け、鉄柵の方へと歩いていく。
    「融かせ、『テルミット』」
     大火が手をかざした瞬間、鉄柵が真っ赤に光ってドロドロに融け、「燃え上がる」。
    「う、わ……」
     魔術や化学に関しては、ノイマン塾の一般教養でほんの少しかじった程度のランドだったが、それでも大火の力がどれほどのものか、先程の凶行も含め、はっきりと理解できた。
    (鉄柵が、鉄の塊が燃えるなんて……。鉄が燃える温度は――まだ、誰もそんな実験を成功させてないから、理論上だったはずなんだけど――2千、いや、3千度くらいだって聞いたことがある。
     それほどの火力を出すには……、高炉や溶鉱炉なら、クラフトランドのネール職人組合にあったやつの数倍、十数倍の大きさがいる。それを魔力に換算すれば、何百、何千人分もの量が必要になる。
     ……つまり、タイカはそれなんだ。まさに、一騎当千の……)「……あ、あく、ま、だ」
     へたり込んでいた兵士の一人が、わななく声でそうつぶやいた。
    「あの、あの黒い男……、あいつは、悪魔だ……っ」
    「ひ、ひいいっ……」
    「た、助けて、助けて……」
    「殺さないで、死にたくない……」
     兵士たちは恐怖に押し潰され、ランドたちを追うことも、逃げることもできないでいる。
    「燃え尽きた。行くぞ」
     そんな彼らにまったく構うことなく、大火は跡形も無く燃え落ちた鉄柵の跡を踏み越え、牢獄の外へ出た。
    (悪魔……、か。僕はとんでもないものと、契約してしまったみたいだ)
     ランドは――今度は急かされる前に――大火の後に付いていった。



     この事件に関わり、生き残った兵士は全員、除隊を申し出た。また、軍も除隊せざるを得なくなった。
     あまりの恐怖に心身を患い、とても兵役に就ける状態ではなくなってしまったからである。

     軍はただちに、ランドとこの「黒い悪魔」克大火に、指名手配をかけた。

    火紅狐・逢魔記 3

    2010.11.29.[Edit]
    フォコの話、89話目。恐怖の顕現。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 壊された壁を抜け、えぐり取られた地面を登って地上に上ると、そこはドミニオン城の横、頑丈な鉄柵で囲まれた牢獄の庭だった。「……外……なの? 本当に?」「俺が幻でごまかすと思うのか?」「『俺が』、……って言われても」 ランドは自分を助けた、髪から肌、服装、靴に至るまで真っ黒な男に向かって口をとがらせる。「君、誰なんだい?」「ああ、...

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    フォコの話、90話目。
    世界と大火への思索。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     脱獄に成功し、そのまま中央政府の首都、クロスセントラルを脱出したランドと大火は、一旦街道を外れて森に入り、そこで一息つくことにした。
    「……まさか外に出られるとは思わなかった。ありがとう、タイカ」
    「礼を言うのはまだ早いだろう」
     ぺこりと頭を下げたランドに対し、大火は肩をすくめて見せる。
    「お前が獄を抜けたら、それで世界は平和になると?」
    「なるわけないじゃないか。……ああ、そう言うことか」
     ランドは眼鏡を服の裾で拭きながら、大火との「契約」を確認する。
    「君が助けてくれたのは、世界平和のため、だよね」
    「お前が望んだのだろう? 世界を平和にする、と」
    「ま、そうだね。……ま、そりゃそうか。君は平和にしてくれそうにないし。僕がやらなきゃいけないわけだ、それは」
     ランドは近くの岩に腰かけ、考えをめぐらせる。
    「さて、と。どうしたらいいかな」
    「俺に聞いているのか?」
    「いいや。自分に問いかけてるんだよ。……ま、答えてくれてもいいけどね」
    「……おかしな奴だな」
     大火はここでようやく、ランドに興味を持ったらしい。不思議そうな目を、ランドに向けてきた。
    「さっきの兵士のように怯えているわけでもなく、かと言って助けた俺にひれ伏したわけでもなく。
     俺と対等のつもり……、でもなく。ただの隣人程度にしか見ていないようだ、な」
    「ま、そんな感じかな。助けてくれたことには感謝してるけど、君、危ない人っぽいし。そこまで敬服できないよ」
    「……」
     大火は憮然とした顔をするが、ランドは構わず自問自答にふける。
    「ま、今この世界で何が起こってるか、って言うのをちゃんと把握しなきゃいけないな。随分長い間、牢屋の中にいたし。
     とりあえず、中央政府の圏内にはいられないかな。間違いなく、指名手配されてるだろうし。クロスセントラルから遠い央南か、北方大陸、西方大陸、南海地域のどこかに高飛びしないといけない。
     でも南海は無いな。僕が大臣やってた時からきな臭かったし、中央政府から逃げても、今度は現地で命の危険に晒されるだろう。それじゃ高飛びの意味が無い。同じ理由から、央南も無い。あそこももめてるから。後は北方と、西方か。
     ……まあ、手元に判断材料の無い今、あれこれ考えても無意味かな。とりあえず、港町に行こう。まずは央北から出なきゃ、何にもならない」
    「ふむ」
     と、そこで大火が質問する。
    「悪いが、俺はあまりこのせ……、辺りの、地理に詳しくない」
    (『せ』?)
     ランドの心に引っかかるものがあったが、そのまま大火の話を聞く。
    「ここから近い港町は、どの辺りだ?」
    「えっと……。クロスセントラルからだと、主なところでは北北東にノースポートと、北西にウエストポートって言う街があるけど、……うーん、距離的にはどっちもどっちかな」
    「ふむ。どちらに向かう?」
    「そうだな……、まあ、ノースポートかな。そっちの方がほんの少し近い。
     となれば、北方に行くのがいいかな。ノースポートからなら、北方の方が近いし」
    「なるほど。
     ……向かう前に、服を用意した方がいいか。そんな垢じみた貫頭服では、脱獄犯と宣伝して回っているようなものだからな」
    「あー、……うん、そうだね」
    「調達してくる。ここで待っていろ」
     そう言うなり、大火はランドの前から――文字通り、一瞬で――姿を消した。
    「えっ」
     ランドは辺りを見回すが、どこにも大火の姿は無い。
    「……つくづく彼は人間じゃないな」
     ランドは苦笑し、大火の帰りを待つことにした。

     大火が戻ってくるまで、ランドは大火の素性について推理してみることにした。
    (まず気になるのは、あの強さだ。兵士20数人を、あっと言う間に片付けたあの強さ。とても並の兵士とか傭兵とか、そんな感じじゃない。まるで別次元のものだ。
     魔力も半端じゃない。魔術師の人とあんまり面識ないけど、それでもあそこまですごい力を持った人は二人といない、って言うのははっきり分かる。
     そう言う異次元的、人間離れした力量を抜きにしても、あの物腰と性格も隔世の感がある。人をあそこまでばっさり、事も無げに斬り捨てておいて、まるで精神にブレが無い。動揺もしてないし、高揚してた感じも無い。本当に、『邪魔だからどかした』くらいの感覚しか無いらしい。
     ……ダメだなぁ。動揺してるのは僕だ。落ち着いて物を考えていられない。どうも、上ずってる)
     そうしているうちに、大火が袋を提げて――これも唐突に、目の前に現れて――戻ってきた。
    「着ろ。それと、簡単だが食事も持って来た」
    「ありがとう」
    (……ま、とりあえず、いいか。いいか悪いかで言えば極悪だけど、僕に対してはそうじゃないし)
     ランドは思索をやめ、ともかく大火の厚意に甘えることにした。

    火紅狐・逢魔記 4

    2010.11.30.[Edit]
    フォコの話、90話目。世界と大火への思索。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 脱獄に成功し、そのまま中央政府の首都、クロスセントラルを脱出したランドと大火は、一旦街道を外れて森に入り、そこで一息つくことにした。「……まさか外に出られるとは思わなかった。ありがとう、タイカ」「礼を言うのはまだ早いだろう」 ぺこりと頭を下げたランドに対し、大火は肩をすくめて見せる。「お前が獄を抜けたら、それで世界...

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    フォコの話、91話目。
    九枚舌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……ま、僕の経緯はそんなところだね」
     時間はフォコとランドが出会い、共に北方行きの船に乗り込んだ時点に戻る。
    「ああ……、大臣さんだったんですね。確かに、どこかで聞いたような気が」
     残念ながら、酒と絶望にまみれた生活を3年続けていたフォコは、ナラン島以前のことをはっきりとは覚えていない。
     だから、かつて目の前にいる青年とクラフトランドで出会っていたこと、すなわち彼がネール家の一員であることに、全く気付いていない。
    「じゃあ、ランドさんもタイカさんのこと、良く知らないんですね?」
    「そうなんだ。央南人っぽいなぁ、くらいにしか分からない」
     二人は海を眺めている大火にチラ、と目をやる。
    「……央南人なんですか? 確かに名前もそれっぽいし、顔つきもそう見えなくはないですけど」
    「まあ、僕も見た目だけでしか言ってないし。……何者なんだろうね?」
    「さあ……?」
     と、二人の視線に気付いた大火が、こちらを向く。
    「何だ?」
    「あの、タイカさんて」
    「うん?」
     大火に興味を持ったフォコは、質問をぶつけてみた。
    「何でランドさんを助けようと? 何か理由があって……?」
    「何のことは無い、単なる偶然だ。
     偶然、俺があの牢獄近くを通りかかった。そこでそいつの声が聞こえてきたから、契約した。それだけだ」
    「契約……?」
    「俺は魔術師だ。この世で商人と同じくらいに、契約を重んじる。……理由については、それしか言えんな」
    「……?」
     良く分からない答えに、フォコもランドも首をかしげるしかなかった。
    「……そう言えばさ」
     と、今度はランドがフォコについて質問する。
    「何でフード被ってるの? 暑くないの?」
    「え? あ、ええ、別に、その、脱ぐ必要も無いかなって」
     そうは言ってみせるが、実際は非常に暑い。
     寒冷地の北方大陸に向かう途上とは言え、今はまだ夏盛りの中央圏内である。フォコの被るフードの中は、汗でぐっしょりと濡れていた。
    「……君も結構、わけありそうだよね」
     当然、ランドはいぶかしげな目を向けてきた。
    「良かったら、聞かせてくれるかい?」
    「あ、と……」
     フォコは真実を――仇敵・ケネスに対抗するため、金火狐に誘われ、ランドたちに付いて来たことを話すべきか、逡巡した。
    (自分の体験やけど、……ウソ臭いなぁ)
     フォコは真実には一切触れず、ごまかすことにした。
    「……まあ、さっきも言いましたけど、僕は特に目的、無いんですよ。お二人に付いて来たのも、興味本位です。このフードについては、単に好きだからです。
     これで納得してください」
    「う……、ん」
     言葉の裏に仄見える圧力を感じてくれたらしく、ランドはそれ以上聞こうとしなかった。
     だが、大火は逆に興味を抱いたらしい。
    「二枚舌、と言う言葉があるが」
    「へ?」
    「お前は九枚舌だな。狐らしいと言うか」
    「9?」
    「さっきから嘘ばかり言っているな、お前。
     目的が無い? 楽しそう? 好み? どれもこれも、嘘だろう? お前のオーラ、心は、まるで正反対に光っているぞ」
    「……」
     大火の言うオーラと言うのが何かは分からなかったが、確かに今、フォコはごまかしの裏で、本懐を唱えていたのだ。
    「その裏で考えていたのは、もっと真剣味のあることのはずだ。それも何か、激しい感情を伴うような――例えば、憎むべき相手を倒すとか、仇討ちのようなものを」
    「……!」
     大火の鋭い看破に、フォコは言葉を失った。
    「まあ、いい。言いたくないと言うなら、それで構わんさ」
    「……ええ」
     フォコはこの底知れぬ男に不気味な何かを感じつつも、あくまで白を切り通した。
    (ウソ臭いちゅうのんもあるけど……、まだ明かすわけにはいかへん。
     そら、『あの方』が示してくれた二人やけど、せやからって丸っきり信用できるか? ……さっきランドさんが言うてた話かて、どこまで本当かどうか。もしかしたら、それも嘘かも知れへんやろ?
     いや、それに――さっきの話が本当やったとして、この人は大臣さんやったんや。そんな偉い奴やったら、もしかしたらアイツ……、ケネスと関わりがあるかも知れへん。
     困ってるのんは本当っぽいし、それやったらいずれ、ケネスに助けを求めるかも、やろ? そん時、僕が取引の材料にされるかも知れへん。
     ……何にせよ、用心するに越したことは無いんや)



     これまでの人生で何度も痛めつけられたために、フォコはとても用心深くなっていた。
     あのただただ熱く、無鉄砲に駆け出すだけの「お坊ちゃま」はもう、フォコの中にいない。
     より周到に、冷静に歩を進める男の――後の英雄、ニコル3世の片鱗を、フォコはこの頃から既に、見せ始めていた。

    火紅狐・逢魔記 終

    火紅狐・逢魔記 5

    2010.12.01.[Edit]
    フォコの話、91話目。九枚舌。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……ま、僕の経緯はそんなところだね」 時間はフォコとランドが出会い、共に北方行きの船に乗り込んだ時点に戻る。「ああ……、大臣さんだったんですね。確かに、どこかで聞いたような気が」 残念ながら、酒と絶望にまみれた生活を3年続けていたフォコは、ナラン島以前のことをはっきりとは覚えていない。 だから、かつて目の前にいる青年とクラフトラ...

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    フォコの話、92話目。
    腐敗した軍。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたち一行は一ヶ月の船旅を終え、北方の港町、グリーンプールに降り立った。
    「8月……、なのに」
    「大分、涼しいね」
     中央大陸圏内では暑苦しく見えたフォコのフード姿も、ここではそれなりに馴染んで見える。
    「僕も何か、上着を買わないとな。カーディガン程度じゃ、肌寒いくらいだ」
    「まだお金は2万くらい残ってます。でも、あんまり無駄遣いもできないですよ」
    「ま、そうだね。収入の当ても無いのに、散財はできない。これから長居するのに、ノースポートでやったようなことを何度もやれば、足が付くだろうし」
     そう言って、ランドは辺りを見回した。
    「これからどうするんです?」
    「とりあえず、首都がある山間部に向かう。大臣時代に面識のあった人間を頼ろうと思ってね」
    「それって……、大丈夫なんですか?」
     フォコはその人間に、ランドの居場所を密告されたりはしないかと不安がる。が、ランドはちゃんと見越しているらしい。
    「大丈夫、大丈夫。元々から北方って、中央政府とあんまり仲が良くないんだ。二天戦争って言う古い戦争で、中央は北方を打ち負かしちゃった側だからね。
     今この大陸の大部分を治めてるノルド王国の祖は中央側に味方してたんだけど、今はそれが仇になってる」
    「って言うと?」
    「中央政府はここ数年、世界各地の紛争を収め切れて無いからさ。
     北方もここ数十年、ノルド王室の権威が低下しつつある。それに伴って、各地で軍人が勝手に地方を支配して、我が物顔でいるんだ。で、中央政府……、と言うか、中央軍はその風潮を止めに入って見せてるけど、実際は余計に事態を悪化させている。
     こっちの人間にとっては、中央政府は『いらない口を挟んで状況を悪化させているよそ者』なわけだよ。そしてそれに与するノルド王室も、同罪ってわけさ。
     これから会う予定のキルシュ卿って人は、どちらかと言うとそのノルド王室と対立関係にある人なんだ。だから中央政府から逃げてきた僕を拘束して引き渡すとか、そう言うことにはまず、ならないよ」
    「なるほど。……それにしても、どこも物々しいんですねぇ」
     フォコも先程のランド同様、辺りを見回してみる。

     確かに港から市街地へ続く道中、どこを見ても軍人の姿が目に付いた。
     そして、その質はあまり良くないらしい。
    「おっ、うまそうな魚だな」
    「へえ、獲れたてです」
     道端で魚を売っていた漁師風の、短耳の老人を、軍服姿の男たち2、3人が囲んでいる。
    「じゃ、もらおう」
    「どうも、42万グランで……」「あ?」
     と、漁師が売値を口にしたところで、3人は態度を豹変させる。
    「金を取るのか、俺たちから?」
    「え? いや、商売ですし……」
    「俺たちを誰だと思ってる!? 泣く子も黙る、イドゥン軍閥の者だぞ!」
    「で、でも。ちゃんと買ってもらわないと、俺が困るんですが……」「ええい、うるさい!」
     困り顔の漁師を、軍人たちはいきなり蹴り飛ばした。
    「うげっ……」
    「軍にたてついた罪で、この物資は徴発する!」
    「そうだそうだ、素直に渡せ!」
     滅茶苦茶な言い分を暴力で通し、軍人たちはそのまま魚を持っていってしまった。

    「……何ですか、今の」
     修羅場を幾度と無く潜ったフォコも、これには唖然とした。
    「今、ノルド王国内の軍閥は半分近くが野放し状態だからね。うわさには聞いてたけど、これほどひどいとは」
     ともかく、目の前で人が傷つけられて、素通りできる二人ではない。
    「大丈夫ですか?」
     散々蹴られ、ピクリとも動かない漁師に声をかけた。
    「……」
    「とりあえず、休めるところを探そう。この人も、ここに放置したままにはできないし」
    「じゃ、僕が背負います」
    「お願いするよ」
     フォコとランドは漁師を連れ、宿を探すことにした。

     と、フォコの背後から、ぽつりと声が聞こえてきた。
    「……許さねえ……絶対に許さねえぞ……」
    「……っ」
     恨みのこもったその漁師のつぶやきに、フォコの狐耳は総毛だった。

    火紅狐・乱北記 1

    2010.12.03.[Edit]
    フォコの話、92話目。腐敗した軍。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. フォコたち一行は一ヶ月の船旅を終え、北方の港町、グリーンプールに降り立った。「8月……、なのに」「大分、涼しいね」 中央大陸圏内では暑苦しく見えたフォコのフード姿も、ここではそれなりに馴染んで見える。「僕も何か、上着を買わないとな。カーディガン程度じゃ、肌寒いくらいだ」「まだお金は2万くらい残ってます。でも、あんまり無駄遣...

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    フォコの話、93話目。
    未来の想定。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     宿を取り、漁師を休ませたところで、フォコたちは彼からこの国の情勢を聞きだした。
    「いやもう、最近じゃ商売もまともにできないんだわ」
    「無理矢理奪うなんて、まるで盗賊ですよ」
    「本当だよ……。特に今は、イドゥン軍閥ってのがこの辺りを占拠しちまってね。ノルド峠も封鎖しちまったし、やりたい放題なんだ、本当」
    「え……。峠を、封鎖?」
     これを聞いて、ランドの顔が曇った。
    「峠を越えた先にある、ギジュン軍閥ってのと仲違いしちまったんだよ。で、封鎖しちまったらしちまったで、首都と完璧に縁が切れちまったもんだから、日に日にムチャクチャするようになって……」
    「まったくですね……」
     相槌を打ちながら、フォコは先程漁師を背負った時に聞いたつぶやきを思い出していた。
    (『絶対に許さない』……、って、あんなボコボコにされとったのに、何でそう言えるんや?
     このおっちゃん、確かに筋肉はあるっちゃあるねんけど、年寄りやし、実際さっきもやられっ放しやった。それやのに、どうやって仕返しするんやろか?)
    「あの、峠を封鎖したって言うのは……?」
     と、ランドが困った顔で尋ねてくる。
    「そのまんまの意味だよ。行き来できないように、土嚢積んだり関所増やしたりして、通行不能にしちまったんだ」
    「そうですか……」
     これを聞いて、ランドは腕を組んでうなった。
    「どうしたんですか?」
    「どうもこうも。
     君も港に着いたところで分かったと思うけど、この大陸は非常に山が険しいんだ。首都のある山間部へ行く方法は、その封鎖された峠を通るしかない。
     でもそこが封鎖されちゃったって言うなら……」
    「僕らが山間部へ行くのは不可能、……ってわけですか」

     思い悩むランドを残し、フォコは宿の外に出た。
    (おっちゃん、何するつもりなんやろ?)
     漁師の言葉が耳から離れず、フォコは考えをめぐらせた。
    (あのおっちゃん一人では無理やろし……、誰かに助けを? 例えば……)「例えば仲間と共謀して闇討ち、か?」「……っ!」
     いつの間にか、横に大火が並んでいる。
    「俺も気にはなっていた。普通、屈強な男に――言い換えれば、己の力ではどうにもならん相手に囲まれて袋叩きにされれば、大抵は心が折れる。
     だがあの漁師、反撃する意思が見て取れた。と言うことは、その手段を明確に持っていると言うことだ」
    「なるほど、確かに。……タイカさんも、それは仲間と組んで行動に出ること、と見ているんですか?」
    「ああ。……少し、泳がせてみよう」
    「あの人を帰して、後をつけるってことですね」
    「そうだ。……火紅、お前もなかなか聡い男だな」
    「へへ、良く言われます」
    「そうか」
     それだけ返し、大火は宿に戻っていった。



     夕闇が迫る頃になって、漁師はフォコたちの部屋を後にした。
    「俺が後をつける。お前らは休んでいるといい」
    「頼んだ」
     大火に尾行を任せ、フォコとランドは会話に興じた。
    「ランドさんって、これからどうしようと思ってるんですか?」
    「うん?」
    「えっと、キルシュ卿でしたっけ、その人のところへ行って、まあ、安全が確保されたとしますよね。で、それからどうするのかなって」
    「態勢の立て直し、かな。僕は世界最大・最強の組織を相手にしなきゃならない。それならこっち側も、相応の組織固めをしなきゃ対抗できない。
     だからまず、キルシュ卿に協力し、彼がノルド王国で最大の実権を得られるように手助けをする。それが成功したら、今度は僕のために協力してもらおうかな、って」
    「……まあ、確かに、それは確実と言えば、確実な方法ですけど」
     話を聞いて、フォコは首をかしげる。
    「すごく時間がかかりそうですね、年単位で」
    「それは仕方ない。そうそう都合よく、強力なバックアップを得ることなんてできないさ」
    「でも……」
     フォコは納得行かず、食い下がる。
    「悠長にしてたら、どうしようもなくなることもありますよ」
    「他に僕たちが取れる方法は無い。いくら時間がかかりそうでも、これ以外にはやれることはないんだ。
     ……ホコウ、ちょっと聞くけど」
    「はい?」
    「君はどこまで、僕たちに付いて来る気だい?」
    「え?」
    「何度も言ったことだけど、君は僕たちに関係が無い。言ってしまえば、僕たちがどうなろうと君は逃げてしまえば済む話なんだ。
     なのに何故、君は僕たちに協力しようとするんだい?」
    「……言っても、納得しないですよ」
     そう返したフォコに、ランドはいぶかしげな目を向けた。
    「やっぱり、何かしらの理由があるんだね。単に興味本位ってだけじゃない、もっと大きな、切実な理由が」
    「そう思ってくれていいです」
    「そうさせてもらうよ」

    火紅狐・乱北記 2

    2010.12.04.[Edit]
    フォコの話、93話目。未来の想定。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 宿を取り、漁師を休ませたところで、フォコたちは彼からこの国の情勢を聞きだした。「いやもう、最近じゃ商売もまともにできないんだわ」「無理矢理奪うなんて、まるで盗賊ですよ」「本当だよ……。特に今は、イドゥン軍閥ってのがこの辺りを占拠しちまってね。ノルド峠も封鎖しちまったし、やりたい放題なんだ、本当」「え……。峠を、封鎖?」 これ...

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    フォコの話、94話目。
    轟くカリスマ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     宿を離れた漁師をこっそりと尾行していた大火は、彼が裏通りへ入っていくのを確認した。
    (いかにも治安の悪そうなところへ、こんな時間に向かうとは。
     こちらに住処があるのか、それとも官憲の目の届かない何かに用があるか……)
     どうやら、後者だったらしい。
     漁師はある建物の前で立ち止まり、中から出てきた者と二言、三言交わして、そのまま中へ入っていった。
    (今出てきた奴ら……、どうみても堅気などではなさそうだ。裏事に通じていそうな顔をしている)
     大火はそこで、ぼそ、と呪文を唱えた。
    「……『インビジブル』」
     大火の姿がすっと消える。
    (何を相談する気……、まあ、言うまでも無いか。兵士の横暴を、吐露するのだろう)
     誰にも見えなくなった状態で、建物の奥へそっと入る。
    (ふむ)
     建物の中にはあちこちに武器が積まれており、そのあちこちで、物騒な話も聞こえてくる。
    「軍港はどう攻める?」
    「沖と陸、両面だそうだ。沖でおびき寄せて、艦が出るか出ないかのとこで火を放てば、そのまま落とせる」
    「軍港はイドゥン軍閥の要だからな。落ちれば勝利に大きく近付く」
     大火はそれらのヒソヒソ話を流し聞きつつ、建物の奥、ドアの無い広い部屋の前で立ち止まった。
    「本当にもう、今日と言う今日は」
    「わかる、わかるよー」
     先程の漁師を中心に、黒いフードを被った者たちが彼を囲んで話をしていた。
    「もうそろそろ、準備も整うから」
    「本当に?」
    「もちろんもちろん。それに今回は、助っ人も用意してる」
    「助っ人? ……まさか、あの?」
    「その通り。『猫姫』一派が来てくれるそうだ」
    「そりゃすごい……! これでイドゥン軍閥もおしまいだな」
    「うんうん、落とせるよー」
     一同に、喜びの雰囲気が漂った。
    (『猫姫』……?)
     話に上った人物がどんな人間なのか詳しく聞きたいと思ったが、話は別のところへ流れてしまった。
    「で、襲撃はいつに?」
    「明日の真夜中だ。『猫姫』が到着次第、彼らと合同で焼き討ちを決行する」

    「だそうだ」
     大火から話を聞き終えたランドは、短くうなった。
    「暴動騒ぎまで起きるなんて……、この国の混乱ぶりは相当だね」
    「にしても」
     フォコは話題に上った「猫姫」に興味を持った。
    「誰なんでしょうね、『猫姫』って。そんな、来ただけで士気の上がるようなカリスマなんでしょうか」
    「判断材料の無い今は、何とも言えないね」
    「ともかく、明日だ。それまではじっとしているとしよう」



     そして日が変わった、真夜中過ぎ。
    「軍港を攻めると言っていた。ここからなら、戦況を見渡しやすい」
     フォコとランドは大火に連れられ、グリーンプール港の廃倉庫に潜んでいた。
    「まだ、攻め込まれた様子はないですね」
    「みたいだね」
     と、ランドが何かに気付く。
    「……おかしいな?」
    「え?」
    「何だか、妙に肌寒い。湿度が急に上がってるような……?」
    「そう言われれば……」
     確かにランドの言う通り、尻尾が妙にしっとりと毛羽立ってくる。
    「……あの雨雲」
     と、大火が空を見上げてそうつぶやく。
    「あれは人工物だ。自然に発生・発達したものではない」
    「人工物? どうやって……?」
     大火は軍港の真上でもこもこと膨れ上がっていく、べっとりと黒ずんだ雨雲を指差した。
    「雲の切れ間に見える、あの紫色の光。雷ではない――魔力の光だ」
     次の瞬間、雨雲から極太の雷が、恐ろしげな音を立てて落ちていった。
    「わ、っ……」
     辺りに轟いた爆音に、フォコは思わずしゃがみ込む。
    「なるほど、カリスマか。確かにこれだけの力があれば、そう賞賛されていてもおかしくはない」
     大火は珍しく、口角をわずかに上げてニヤリと笑った。
    「面白い。蘇った甲斐があったと言うものだ、な」
    「蘇った……?」
     ランドが尋ねるが、大火は答えず、代わりに状況の説明に入る。
    「あの一撃で、恐らく軍港内は火の海だ。沖から攻めてくる船を迎撃しようと出港しかけた艦が燃え上がり、辺りに飛び火。敵兵は迎撃と消火活動に挟まれ、身動きが取れんだろう。
     『猫姫』側の勝利だ」
     大火の言う通り、やがて軍港から真っ黒な煙と、それを橙色に照らす炎が噴き出し始めた。

    火紅狐・乱北記 3

    2010.12.05.[Edit]
    フォコの話、94話目。轟くカリスマ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 宿を離れた漁師をこっそりと尾行していた大火は、彼が裏通りへ入っていくのを確認した。(いかにも治安の悪そうなところへ、こんな時間に向かうとは。 こちらに住処があるのか、それとも官憲の目の届かない何かに用があるか……) どうやら、後者だったらしい。 漁師はある建物の前で立ち止まり、中から出てきた者と二言、三言交わして、そのま...

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    フォコの話、95話目。
    「猫姫」の素顔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     続いて大火は、こんなことを言い出した。
    「沖に船がいる。あれに乗り込むぞ」
    「え……」
     フォコたちが戸惑った声を出したのは、その意図が分からなかったわけではない。
     二人とも聡明なので、沖にいたその船に「猫姫」が乗っていることと、彼女に会う意義には察しが付いていた。
    (そら、沖から様子見てへんかったら、軍港ん中の船、いつ攻撃したらええんか分からへんやろしなぁ……。ちゅうことは、あそこに船を攻撃した『猫姫』さんがおるっちゅうことになる。
     ほんで、その『猫姫』さんに会うっちゅうのも分かる話や。軍閥に峠を封鎖されとる今、そいつらを倒さな、封鎖は解かれへん。ほんなら、実力を持っとる『猫姫』さんらに協力するっちゅうのんが今、封鎖を解く一番手っ取り早い手段や。
     でも、ここからどうやって船に乗るんやろ?)
     ランドも同じ結論に至ったらしい。
    「確かにあの船には恐らく『猫姫』なる人物が乗っているだろうし、彼女――だか分かんないけど――に協力することが、現状の打開に結びつくのは確実だろう。
     でもどうやって、あんなところまで? ここには船も何も……」
     大火は答えず、二人の背後に回り込んで襟をつかんでくる。
    「え?」「じっとしていろ」
     次の瞬間、二人は宙を浮いた。

    「へ、……うひゃああああ!?」
     突然空高く舞い上がり、流石のフォコも狼狽する。
    「……っ」
     隣のランドも真っ青な顔になっている。
    「しゃべるな。舌を噛むぞ」
     どうやら、これも大火の魔術によるものらしい。
     三人は3分も経たない内に、沖に停まっていた船に到着した。
    「……も、もう、着いたんですか」
    「静かにしていろ」
    「……」
     二人とも声を挙げてへたり込んでしまいたいところだったが、確かにここで見つかれば騒ぎになる。何とかこらえ、物陰に潜んだ。
    「あいつだな」
     大火は甲板の中央に立つ、耳と尻尾の黒い、緑髪の猫獣人を指差した。
    「あの子が……?」
     一見した感じでは、その女性は少女とも取れるくらいに若かった。
    (どう見ても、一撃で船を丸焼きにするくらいに強いとは思えへんねけどなぁ……?)
     だが、大火は確信に満ちた声で返答する。
    「オーラが尋常ではない。あの中で最も、強い魔力を持っている」
    「オーラ……?」
     そう言われてもう一度目をやるが、フォコの目にはやはり、ただの少女としか見えない。
     と――。
    「……そこ、誰かいるの?」
     その少女が、こちらに目を向けてきた。
    「……っ」
     フォコたちは見つかったかと舌打ちしかけたが、大火が先手を打つ。
    「術をかける。口を開くな」
    「え、……」
     尋ねかけたが、言われた通りに黙る。
    「『インビジブル』」
     大火が術を発動した途端に、三人の姿は見えなくなった。
    (……ホンマ、何でもできるなぁ、この人)
     そうこうしている内に「猫姫」と何人かが、こちらに向かってきた。
    「あれ? ……気のせい?」
    「イールさん、本当に誰かいたんですか?」
     どうやら、「猫姫」はイールと言う名前らしい。
    「うー……ん、いたと思ったんだけど」
     イールはきょろきょろと辺りを見回し――本当に、そこにはフォコたちがうずくまっていたのだが――誰もいないことを確認して、肩をすくめた。
    「ゴメン、気のせいだったみたい」
    「はは……」
    「まあ、心配のし過ぎってことは無いっスよ」
    「相手は悪名高き四大軍閥の一角だからなぁ」
    「そう、ね。……ま、グリーンプール軍港は落としたし、これでしばらく、イドゥン将軍も大人しくなるわよね。帰りましょう、みんな」
    「はい!」
     そうして密かにフォコたちを乗せたまま、「猫姫」一派の船は動き出した。

    火紅狐・乱北記 4

    2010.12.06.[Edit]
    フォコの話、95話目。「猫姫」の素顔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 続いて大火は、こんなことを言い出した。「沖に船がいる。あれに乗り込むぞ」「え……」 フォコたちが戸惑った声を出したのは、その意図が分からなかったわけではない。 二人とも聡明なので、沖にいたその船に「猫姫」が乗っていることと、彼女に会う意義には察しが付いていた。(そら、沖から様子見てへんかったら、軍港ん中の船、いつ攻撃し...

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    フォコの話、96話目。
    砦からの脱出。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     1時間ほどで、船はどこかの港に停泊した。
    「さ、今夜はもう遅いから、さっさと寝ましょ。片付けは明日でいいわ」
    「うーっす」
    「おやすみなさーい」
     ぞろぞろと人が消え、船に残ったのはフォコたち三人だけになった。
    「……もういいぞ」
     大火の声が聞こえると同時に術が解除され、三人の姿が現れた。
    「ふう……。潜入成功ですね」
    「ああ。これからどうする?」
    「そうだな……」
     ランドは物陰から辺りを見回しつつ、今後の行動を決める。
    「とりあえず、ここがどこだか確認して、一旦グリーンプールに戻ろう。それでまた、改めてここを訪れて、協力を申し出ることにしようかな、と。
     丁度ホコウ、君がノースポートで僕らにやったみたいな感じで」
    「……ああ、なるほど。『脅しと頼み込み』ってことですか」
    「そう言うこと。実際、あれは非常に揺さぶりが効くよ。
     頼みを受けてもとりあえずマイナスは無いけど、断れば明確なマイナスが発生する。まともな人間なら、十中八九要望を呑む作戦だよ。
     見た目に合わず、君って狡猾だよね」
    「へへ……」
     笑みを漏らしたフォコを見て、ランドは少しだけ苦い顔をした。
    「……ほめたつもりは無いんだけどなぁ」

     フォコたちはドックを抜け、そろそろと通路を歩く。
    「さっきの術……、えーと、何だっけ」
    「『インビジブル』か?」
    「そう、それ。あれは使えないの? 今使ったら、便利だと思うんだけど」
     大火は肩をすくめ、こう返した。
    「使ってもいいが、互いの姿が見えん上に、一言も発せなくなる。何らかのイレギュラーが起これば、致命的な状況に陥るぞ」
    「何でしゃべっちゃダメなんですか?」
    「術の特性上、だ。あれは風の術をベースにしている。
     風の術は風、即ち空気を操っている。術の対象の外から来る力には非常に強いが、内側、つまりかけた対象自身からの力には弱い。少しの空気振動でも、非常に不安定になるのだ」
    「つまりしゃべることで、その振動が起きちゃうってことですね」
    「ああ。……?」
     と、大火が怪訝な顔になる。
    「妙だな」
    「え?」
    「……いや」
     大火は軽く首を振り、そのまま歩き出した。
    「どうしたんですか?」
    「何でもない、……とは言い切れんか。
     足音がした。ガチャガチャと、重たい甲冑を着けて動き回っているような音だ。だが妙なのは……」
    「妙なのは?」
    「そいつの気配が無いのだ」
    「って言うと、つまり……?」
    「……」
     大火はそれについて説明せず、歩を進めた。

     数人の見回り、見張りはいたものの、それほど警戒もしていないのか、それらに見つかることなく、三人は砦の外に出ることができた。
    「なるほど……、崖にできた洞窟を砦に造り変えてたのか。沖から見たら、ただの洞穴にしか見えないだろうな」
    「陸からも、この位置なら発見は難しいだろう。人間の視覚の盲点になった、砦にするには都合のいい場所だな」
    「えーと、……それで、ここはどこなんでしょうか?」
     フォコの問いに、ランドははっとした表情を浮かべた。
    「……そうだな、どこなんだろう?」
    「船の動きは南へ向いていた。……が、そこまでしか分からんな。まあ、海沿いに北上すれば恐らく、グリーンプールへ戻れるだろう」
    「だろうね。船で一時間くらいだったから、徒歩だと……」
     計算しかけたランドに、大火が提案する。
    「俺が魔術で飛ばしてやろう。こんな右も左も分からん土地で長時間うろついていては、何かと困りごとに出くわすかも知れんから、な」
    「それもそうだね。じゃあ、お願いするよ」
    「ああ。では……」
     と、手を差し伸べかけた大火が動きを止める。
    「……ん?」
    「どうしたの?」
    「あの妙な――気配の無い、だが足音を立てて近付いてくる何かが、こちらに近付いてくる」
    「えっ」
     その言葉に、フォコとランドは辺りを見回そうとした。だが――。
    「……そこから離れろ!」
     大火が突然、二人を蹴り飛ばした。

    火紅狐・乱北記 5

    2010.12.07.[Edit]
    フォコの話、96話目。砦からの脱出。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 1時間ほどで、船はどこかの港に停泊した。「さ、今夜はもう遅いから、さっさと寝ましょ。片付けは明日でいいわ」「うーっす」「おやすみなさーい」 ぞろぞろと人が消え、船に残ったのはフォコたち三人だけになった。「……もういいぞ」 大火の声が聞こえると同時に術が解除され、三人の姿が現れた。「ふう……。潜入成功ですね」「ああ。これから...

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    フォコの話、97話目。
    黒い悪魔と鉄の悪魔の邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     大火に蹴飛ばされ、二人はゴロゴロと転げ回る。
    「い、いてて……」
    「いきなり何を……」
     文句を言いかけて、フォコは口をつぐむ。
     フォコの目に映ったのは黒い大火と、彼の構える刀の上に乗った、真っ黒なフードを被った何かだった。
    「く、っ」
     大火の表情がこわばり、彼の両腕が小刻みに震えている。人間離れした大火の力を以ってしても、相当に重たい何かのようだ。
    「何の、用、だ?」
    「お前たちだな」
     と、そのフードから感情に乏しい声が聞こえてきた。
    「我々の船に忍び込み、偵察していたのは。
     軍閥の者か? それにしては軍人らしからぬ格好ではあるが」
    「不正解、だ」
     大火は依然顔をこわばらせながらも、飄々とした口ぶりで答えた。
    「軍なんぞに、関係は無いし、軍人でも無い。ましてや、偵察の、つもりも無い」
    「ならば何故、ここに来た」
    「そうだな、『契約』と、言うところか。俺とお前らの、欲求を満たすための、交渉に、な」
    「不要だ。消えろ」
     そう言って、その黒フードは刀の切っ先から飛び上がった。
    「……ッ」
     次の瞬間、大火の体がわずかに跳ねる。
    「む……?」
     地面に降り立った黒フードから、ガシャンと言う金属の揺れる音がした。
    「何故死なぬ?」
    「こんな撫でるような蹴りで、俺が死ぬと思うのか?」
    「知ったことか」
     黒フードはそう吐き捨てるように返し、そのまま大火に襲い掛かった。
    「た、タイカ!?」
    「すまんな、徒歩でしばらく歩いてくれ。すぐ追いつく」
     大火は遠巻きに見守るフォコたちにそれだけ言って、黒フードに応戦した。



     何度目かの打撃をかわしたところで、大火は黒フードに尋ねてみた。
    「で、何者だ、お前は?」
    「言う必要など無い」
    「そうか。ならば……」
     大火は黒フードから5メートルほど離れたところで、ひゅっと音を立てて刀を払った。
     すると――。
    「……う、ぐゥッ!?」
     パシュ、と言う鋭い音と共に、黒フードが裂けた。
    「な、何ヲシタ……!?」
    「何だその、壊れたラッパのような声は?
     ……さっきの言葉、そっくり返させてもらおう」
     大火はニヤリと笑い、こう返した。
    「言う必要など無い」
    「フ……、フザケタ真似ヲッ!」
     黒フードは大火に飛びかかろうとするが、先程の攻撃が余程効いたらしく、数歩歩いたところでガクリと膝を着いた。
    「ウ……、動カン、ダト?」
    「ふむ」
     大火は刀を下ろし、黒フードを観察した。
    「なるほど、……この世界に似つかわしいよう古臭く言えば、『自律人形』と言う奴か。そんなものがまだ、この時代に残っているとは」
    「オ前ハ何者ダ!? 何故、何故私ノ正体ヲ!?」
    「二度も言わせるな、鉄クズ」
     大火は刀を上段に構え直し、そのまま黒フードのすぐ側まで一足飛びに迫り、振り下ろした。
    「言う必要など、無い」
     大火はその一振りで一刀両断する気満々だったが、ぎち、と言う怖気の走る音が、大火の刀と黒フードの腕との間で響くだけに留まる。
    「ガ、ガガ……、こんな、こんな程度の棒切れで、私を斬れると思うなッ!」
     黒フードはそう吐き捨てると、ばっと後ろに飛びのいて間合いを取った。

     しかし――そこで黒フードは動けなくなった。
    「……ッ……」
    「棒切れだと?」
     大火は細い目をわずかに見開き、黒フードをにらみつけていた。
    「棒切れと言ったか? 俺の刀を、この名刀『夜桜』を、棒切れだと?」
     そこには普段の、飄々と、淡々とした、人間味と気配の薄い大火はいなかった。
    「……グ……ヌ……」
     そのすべてを黒く塗りつぶすような殺気に、黒フードは攻め手を見失う。
    「鉄クズ。二つ教えておいてやろう」
     次の瞬間、黒フードの首が飛んだ。
    「グゲ……ッ」
    「この刀は俺が弟子たちと研究・研鑽し、己の持てる技術を余すところ無く注ぎ込んだ逸品だ。神器と評してもいい。
     それを『棒切れ』とは、あまりにも愚かしい侮辱だ」
    「コ、コノ……私ガ……何故ダ……ナゼ……コンナ……カンタン……ニ……ッ」
     首と胴体とに別れた黒フードは、そのまま爆発した。
    「そしてもう一つ――俺を侮辱することは、死を意味する」



    「……何、今の音?」
    「何でしょう……?」
     黒フードから逃げていたフォコたちは、背後から聞こえてきた爆発音に振り返った。
    「逃げて……、良かったんでしょうか?」
    「それ以外に方法があると? あの場で最も戦闘力のあるタイカが『先に行け』って言ったんだ。なら、戦力にならない僕たちができることは、それ以外に無いんだよ」
    「……うーん」
     その説明に納得が行かず、フォコは向かっていた方角に、再度振り返った。
    「あ」
     と、その先に人がいるのに気付く。
     辺りを見回せば、同様の人影が二人をそれとなく囲んでいるのが分かった。
    「えーと、ランドさん」
    「うん。……前言撤回するよ。もっと策を講じれば良かった」
     そして二人の目の前に、あの「猫姫」――イール嬢が現れた。
    「あの……、とりあえず、来てもらっても、……いい?」
    「……はい」
     困惑気味に告げてきたイールに、二人は素直に従った。

    火紅狐・乱北記 終

    火紅狐・乱北記 6

    2010.12.08.[Edit]
    フォコの話、97話目。黒い悪魔と鉄の悪魔の邂逅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 大火に蹴飛ばされ、二人はゴロゴロと転げ回る。「い、いてて……」「いきなり何を……」 文句を言いかけて、フォコは口をつぐむ。 フォコの目に映ったのは黒い大火と、彼の構える刀の上に乗った、真っ黒なフードを被った何かだった。「く、っ」 大火の表情がこわばり、彼の両腕が小刻みに震えている。人間離れした大火の力を以ってし...

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    フォコの話、98話目。
    猫姫の素顔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「えーと……、名前から聞いていい?」
     拘束され、砦に連れ戻されたフォコとランドは、目の前の「猫姫」の質問に、淡々と従った。
    「火紅・ソレイユです」
    「ランド・ファスタだ」
    「ホコウと、ランドね? あ、あたしはイール。イール・サンドラ。よろしくね」
     にこりと笑いかけるイールに、フォコたちは困惑した。
    (え……? 怒ってたり、してへんみたいやな?)
    「それじゃホコウとランド、何であなたたちはここに?」
    「え、と……」
     口を開きかけたランドが、そこで言葉に詰まる。
     フォコたちとイールとを囲んでいた男たちが、一斉に武器を構え出したからだ。
    「ちょっと、やめてよみんな」
     それを見て、イールが口をとがらせた。
    「尋問はあたしがするから。あなたたちは、そこでじっとしてて」
    「うっす」
     男たちは武器を下げたが、依然表情は堅いままだ。
    (……怒ってないわけないわな。そら、侵入者やもんな、僕ら)
    「で、何でここに?」
     イールにもう一度尋ねられ、ランドは小さく咳払いをして答えた。
    「ん、ん……、その、僕たちは山間部に行きたいんだ」
    「山間部?」
    「そこに住んでる人に、用があってね。で、中央から遠路はるばる来てみたら、封鎖されてるって言うじゃないか」
     ランドはぺらぺらとしゃべりつつも、当たり障りなく話を進める。
    「それでどうしようかって、彼と相談しながら情報収集してたんだ。そしたらさ、どうも封鎖元と対立してる組織があるってことが分かったから、軍港をずっと見張ってた。
     で、丁度良く君たちがいたから、小舟でそっと乗り込んで、ここまで来たってわけさ」
    「へー」
     が、ランドの説明に対し、イールはさほど興味を示していない。
    「まあ、ここの場所は分かったし、皆今夜はもう寝ようってことらしかったから、僕らも一旦帰って、また日を改めてお願いに来ようかなって思って……」「アルコンはどこ?」
     ランドの弁解をさえぎり、イールがとげとげしく尋ねてきた。
    「ある、こん?」
    「あなたたちを追ってきた、黒いフードの同志よ。何であなたたち、彼に捕まってないの?」
     ランドは動揺しつつも、無理矢理に口を回して話をつなぐ。
    「いや、知らないよ、そんな人。誰だか分からないな」
    「そんなわけないでしょ? あいつが獲物を取り逃がすなんてこと、ありっこないのよ」
    「そんな人が僕たちを追っていたら、こうして君たちに捕まっているなんてことは、無いだろう? じゃあ会ってない、そう結論は付けられないかい?」
    「そんなの詭弁よ!」
     イールは立ち上がり、ランドの襟元をつかんで怒鳴るように言い放った。
    「あんたたちがちゃんと捕まってくれてなきゃ、あたしたちが困るのよ!」
    「……どう言うことだい?」

    「つまりは、そのアルコンと言う黒フードがお前らを制御・統制していた、と」
     と、どこからか声が聞こえてきた。
    「な、何者だ!?」
     イールとフォコたちが囲んでいる机の上に突如降り立った影に、ランドは安堵の声を漏らす。
    「タイカ、戻ってきてくれたのか」
    「それなら吉報となるかな。その黒フードは、俺が倒したぞ」
    「……えっ?」
     大火の一言に、イールも、周りの男たちも目を丸くした。
    「どう言う意味よ?」
    「そのままの意味だ。あいつが襲い掛かってきたから、俺が返り討ちにしたのだ」
    「できるわけないじゃない!」
    「できたとも。先程の詭弁云々を繰り返すのも馬鹿馬鹿しいが、そいつがここにいないと言うことは、俺の言が正しいと言うことになる」
    「……本当に、あなたが倒したの? あいつは悪魔よ?」
    「悪魔? あの鉄クズが?」
     大火は鼻で笑い、手にしていた焦げた布――と言っても、元が黒いので焦げているのかどうか、臭いでしか判断できないが――をイールに投げつけた。
    「わ、っぷ……、ってこれ、まさか」
    「その通りだ、猫姫とやら」
     ニヤリと笑った大火に対し、イールは布を投げ捨て、しばらく頭を抱えて黙り込んでいたが、やがてそのまま、ぼそりとつぶやいた。
    「……やめて、それ」
    「ん?」
     イールは猫耳をプルプルさせながら、うざったそうに話を続ける。
    「『猫姫』って言われるの、すっごく嫌なのよ。あたしそもそも姫じゃないし。
     そんなの、あいつが勝手に『お前はこの世界を統べる御子、女王となるのだ』とか抜かしてただけよ。
     それを周りが適当に拾って、『猫姫』『猫姫サマ』『猫姫ちゃん』って……!」
    「あ、そうなんだ」
     ランドはポリポリと頭をかきながら、イールを上目遣いに見る形でしゃがみ、謝った。
    「それは悪かった。僕から謝るよ。……タイカ、言わないようにしてくれよ」
    「ああ、善処しよう」
     大火は机の端に座り込み、肩をすくめて同意する。
    「それでイール、その、アルコンだっけ。彼に脅されて、反乱軍を率いてたの?」
    「うん、そう。……まあ、あたしは、何て言うか、アルコンが言ってたんだけど、他の人に比べて、すごく魔力が強くて、おまけに魔術についてのセンスがいいんだって。
     だから、魔術をアルコンから教わって、で、それを使って四大軍閥のあっちこっちの拠点を攻撃してたら、人が付いてきちゃって……」
    「そうしていつの間にか、『猫姫』扱いか。……おっと失礼、ククク」
    「……あんた、底意地悪いわね」
     ようやく顔を挙げたイールは、今度はふくれっ面をしていた。

    火紅狐・猫姫記 1

    2010.12.10.[Edit]
    フォコの話、98話目。猫姫の素顔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「えーと……、名前から聞いていい?」 拘束され、砦に連れ戻されたフォコとランドは、目の前の「猫姫」の質問に、淡々と従った。「火紅・ソレイユです」「ランド・ファスタだ」「ホコウと、ランドね? あ、あたしはイール。イール・サンドラ。よろしくね」 にこりと笑いかけるイールに、フォコたちは困惑した。(え……? 怒ってたり、してへんみた...

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    フォコの話、99話目。
    四大軍閥。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     反乱軍を実質的に支配・掌握していたアルコンが消え、名実共にリーダーとなったイールは、フォコたち三人を快く迎え入れてくれた。
    「まあ、アルコンに指示されなくっても、今やあたしたちは四大軍閥の、最大の敵だもん。反乱軍は解散しないし、あたしたちはやるとこまでやるわよ」
    「それについて聞いておきたいんだけどさ」
     と、ランドが手を挙げる。
    「四大軍閥って、何なの?」
    「あ、そうよね。中央から来たって言ってたもんね。
     えっと、あんた頭良さそうだし、今この大陸がどんなことになってるかは、どのくらい知ってる?」
    「どうも。……僕が知る限り、王室政府と軍部との間に軋轢が生じていて、山間部・沿岸部の各拠点を中心にして、軍の重鎮たちが勝手な政治体制を敷いて、好き放題やってるくらい、かな」
    「そう、その通り。それだけ知ってれば話がしやすいわ。
     その重鎮、中でも特に強い影響力と、私情で動かせる軍隊を持ってるのが、ギジュン准将、イドゥン少将、スノッジ少将、ロドン中将の4人。こいつらが率いてるのを、四大軍閥って呼んでるのよ。
     他にもこいつら系列の小軍閥がゴロゴロしてて、大小合わせて10以上の軍閥がそれぞれ独断専横を決めてるのよ。もうほとんど、無政府状態もいいところね」
     話を聞き、フォコは腕を組んで「うーん……」とうなる。
    「ひどいですねぇ。何でそこまでなってて、王室政府は動き出さないんでしょうか? いくらなんでも、王室寄りの将軍だっているはずじゃ……?」
    「あんたこの国を、地図でしか見たこと無い口でしょ」
     イールにビシ、と鼻を指差され、フォコは口ごもる。
    「あ、はい、まあ」
    「標高差5000メートル。一日ヘトヘトになってようやく100万グラン稼ぐ人がいる一方で、あごでポイと命令するだけで十兆、二十兆グランを動かす奴もいるくらいの所得格差。
     軍の階級だって二等兵から一等兵、上等兵、伍長、軍曹、曹長、士官が准尉から大佐まで7階級、その上に准将、少将、中将、大将、司令に総司令と、全部合わせて22階級。
     この国の沿岸部と山間部の標高の格差は、そのまんま上と下の格差になってるのよ」
    「……な、なるほど」
    「その『標高差』が、この大陸で一番の問題なのよ。物資も交通も、通るところはガンガンに通ってるけど、通んないところは本当に通んないのよ、ここはね。
     昔、まだ他の大陸との交流が無い頃は、沿岸部の資源は魚だけだったし、山間部の肥沃な土地で取れる食糧は、そのまま山間部の強さにつながってたわ。
     でも貿易網の発達した今じゃ、その強さは逆転してきてるのよ。沿岸部は貿易で潤ってるし、山間部はその潤いを一割、二割、細々と吸ってる程度。しかもそれも、峠封鎖と軍閥の横取りで余計に細っていってる。
     それでも王室政府が持ってる鉱山から金銀は出るから何とかお金は発行できてるし、それで政治をギリギリ賄ってるけど、それを超える量のお金が沿岸部からドバドバ流れ込んでくるから、価値は無いも同然。
     このままじゃ王室も、王室付きの将軍も、共倒れになるでしょうね」
    「話を聞いてる感じだと、君は王室側なの?」
     そう尋ねたランドに、イールはぷるぷると首を振る。
    「違うわ。あたしたちは王室政府の、ある大臣さんの側に付いてるの。
     その人は王室に対して批判的な立場を執っているし、ゆくゆくはその人にこの国を統べさせたいと思ってるわ。
     ま、アルコンがいなくなった今だから、そう素直に言えるけど」
     ある大臣、と聞いてランドに直感が走る。
    「それ、もしかしてエルネスト・キルシュ卿かい?」
    「え? あんた、キルシュのおじいさんと知り合い?」

    火紅狐・猫姫記 2

    2010.12.11.[Edit]
    フォコの話、99話目。四大軍閥。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 反乱軍を実質的に支配・掌握していたアルコンが消え、名実共にリーダーとなったイールは、フォコたち三人を快く迎え入れてくれた。「まあ、アルコンに指示されなくっても、今やあたしたちは四大軍閥の、最大の敵だもん。反乱軍は解散しないし、あたしたちはやるとこまでやるわよ」「それについて聞いておきたいんだけどさ」 と、ランドが手を挙げる...

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    フォコの話、100話目。
    フォコの叱咤。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ランドの事情を聞き、イールは深々とうなずいた。
    「なるほどねー……。元中央政府の大臣さん、ね。でもちょっと、頼ってくるにはタイミングが悪すぎたわね」
    「確かに。よりによって、峠封鎖で山間部が孤立している時に来てしまうなんて、運が悪いにもほどがあるよ」
    「とにかく、いくらあんたがキルシュじいさんと知り合いでも無理よ、会わせるのは。あたしたちだって、そう簡単に山を登ったり下りたりできる状態じゃないもの。
     実を言えば、あたしたちは密かに峠を一つ抑えてるの。だから山間部へ行くのは可能と言えば可能よ。だけど今はイドゥン軍閥と戦ってる最中だし、ここでこの砦を離れたら、勢力を盛り返されることもありうる。折角軍港を潰したのが無駄になっちゃうわ」
    「だよねぇ……」
     ランドは眼鏡を服の裾で拭きながら、ぽつりと漏らした。
    「じゃあどうしようかな……? 他に、頼れるところって言ったら……」
     その一言に、フォコは心の中で引っかかるものを感じた。
    「頼る、って何ですか?」
     フォコは思わず、そう尋ねてしまった。
    「え?」
    「ランドさん、何のためにこの国に来たんです?」
    「言ったじゃないか、キルシュ卿のところに匿ってもらって……」「それから?」
     続けてそう尋ねられ、ランドは肩をすくめる。
    「それも言ったはずだよ。態勢を立て直して、中央政府と……」「そんな偉そうなこと言うんやったら!」
     フォコはランドをキッとにらみ、こう怒鳴りつけた。
    「頼る頼るばっかり言ってたって仕方ないでしょう!? ランドさん、ずーっとそればっかりやないですか!
     タイカさん頼って、キルシュ卿頼って、イールさん頼ってって、自分は結局口しか出してないやないですか!」
    「……それは、まあ」
    「何で自分で頑張ろうとせえへんのですか! 口だけ出しとって、自分は十分頑張りましたー、って言えますか!?
     そんなん『やった』って言いませんで! 血も汗も流さんと、他人にわーわー言うて唾撒き散らしとるだけやないですか! 汚いわ、そんなん!」
    「う……」
     思わぬ攻撃に、流石のランドも言葉を失ってしまう。
    「『やる』『やる』て口で言うだけやったら誰にでもできますで!? 『やる』言うんやったら、ちょっとは自分でどうにかしようとせなあきませんよ!」
    「……」
     ランドは黙り込み、そのまま座り込んだ。
    「……イールさん」
     フォコは呆気に取られていたイールに声をかける。
    「は、はい? ……あ、うん、何?」
    「僕、協力させてもらいます」
    「え? あたしたちに?」
    「はい。僕も格差がひどく、強者が弱者をいじめる世界で暮らしてた経験があります。そこで見てきた仕打ちは、本当にひどかった。
     ここでまた、同じことが起こってる。それを知っておいて、そんなのを黙って見ているほど、僕は冷淡でも臆病でも無いです」
    「……ありがとう。協力してくれるって言うなら、とっても助かるわ」
     イールはぺこりと頭を下げ、フォコを歓迎した。
     と、渋い顔をしていたランドがようやく口を開く。
    「僕も協力するよ」
    「ランドさん」
     ランドはフォコに顔を向け、困ったような笑顔を向ける。
    「確かに君の言う通りだ。僕は口出ししかしてない。それで中央政府を倒そうなんて、虫が良すぎる話だ。
     僕にも何かさせてくれないか、イール?」
     真摯な顔を向けてきたランドを見て、イールはうれしそうに微笑み返した。
    「……ありがとう。2人も協力してくれる人が増えるなんて、大歓迎よ」
    「2人? ……あ、そうか」
     ランドは大火に向き直り、尋ねてみた。
    「タイカ、君は協力してくれるかい?」
    「ああ、吝かではない」
    「これで3人だ。特にタイカは一騎当千の腕を持ってる。役に立つ人材だよ」
    「よろしくね、みんな」
     イールは深々と、三人に頭を下げた。

    火紅狐・猫姫記 3

    2010.12.12.[Edit]
    フォコの話、100話目。フォコの叱咤。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ランドの事情を聞き、イールは深々とうなずいた。「なるほどねー……。元中央政府の大臣さん、ね。でもちょっと、頼ってくるにはタイミングが悪すぎたわね」「確かに。よりによって、峠封鎖で山間部が孤立している時に来てしまうなんて、運が悪いにもほどがあるよ」「とにかく、いくらあんたがキルシュじいさんと知り合いでも無理よ、会わせるのは...

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    フォコの話、101話目。
    未来の進め方。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フォコたち三人を迎え入れ、イールは改めて、現在自分たちが戦っている相手について説明してくれた。
    「今、あたしたちが相手してるイドゥン少将の本拠地は、大陸沿岸部からちょっと南に行った島、北海諸島第5島のフロスト島にあるの。
     イドゥン少将の軍閥は、沿岸部方面艦師団――ま、中央軍とかで言うところの海軍を主軸とした一個旅団で編成されてるわ。だから少将の本拠地も、北海上にあるってわけ。で、そこからグリーンプールや他の港町にある軍港及び駐屯地に命令を飛ばして、沿岸部を牛耳ってるの。
     ま、牛耳るって言っても、ここしばらくは弟分だったギジュン准将との取引を優先させるため、港町の治安が悪くなるようなことはしてこなかったんだけど、つい二ヶ月前に仲違いしちゃったのよ」
    「仲違いって?」
     ランドの質問に、イールは肩をすくめる。
    「准将の妹さんを自分の砦に招待した少将が、そのまま彼女を軟禁しちゃったのよ。どうしても奥さんにしたいっつって」
    「下衆だな」
    「で、准将の襲撃に備えて峠を封鎖し、武具を大量に買い付けて迎撃態勢を整えてるとこなのよ。
     あんたたちが見た兵士の乱暴ってのも、それが原因ね」
    「って言うと?」
    「さっきは沿岸部に金が入ってきてるって言ったけど、イドゥン軍閥の経済状況は割と厳しいのよ。封鎖と買い付けのせいで、ここ最近の懐具合はかなり寂しいみたい。
     兵士一人ひとりに出す給料も、三ヶ月前の半分以下になってるらしいわよ」
    「それで生活苦のために、巷で強盗まがいの騒ぎを起こしてるってわけか。……責任ある人間のやることじゃないな」
    「まったくですよ。自分の欲望のために、軍閥2つと沿岸部を巻き込んでるわけですしね」
    「それだけじゃないさ」
     ランドは眼鏡を拭きながら、悲しそうな顔をした。
    「本来不必要な峠の封鎖や迎撃準備やらさせられた上に給料まで減らされたら、兵士たちの制御が利かなくなるって、ちゃんと管理のできる人間なら分かるはずだ。
     それを、仮にも大組織のリーダーである人間が配慮の一つもせず、代わりに今熱心なのは異性を口説くこと、……だなんて、呆れるよ。
     放っておいても潰れるよ、そんな組織」
    「ま、あたしもそう思うけどね」
     イールは軽く首を振り、こう結論付けた。
    「放っておいたら放っておいた分、力の無い人たちが嫌な目に遭うのよ?
     毒で全体が冒されて死ぬより、毒の回ったところだけ切り落として命をつなぎとめた方が、それこそ懸命でしょ」
    「ま、そりゃそうだね」
    「だから近いうち、あたしたちはイドゥン軍閥を襲撃し、壊滅させる予定よ」
     拳を固め、そう宣言したイールを見て、ランドはイールを眺めたまま黙り込んだ。

    「……な、何?」
     じっと見つめられ、イールは顔を赤くする。
    「一つ、聞かせて欲しい」
     ランドは眼鏡を外し、イールに真剣な眼差しを向けた。
    「な、何を?」
    「君は……、と言うか、キルシュ卿は、この国をどうしたいんだろう?」
    「何言ってんのよ」
     イールはフン、と鼻で笑い、表情を戻してこう返す。
    「この国を立て直すのよ。この国を弱らせてる原因、軍閥の独断専横を解消することで」「それなんだよね」
     ランドは眼鏡をかけ直し、あごに手を当てながらぽつぽつと話す。
    「確かに言わんとすること、理念は分かる。納得行くし、賛同もできる。
     でもその方法は、果たして戦うことが最善だろうか?」
    「はい?」
    「君はさっき、沿岸部は外国との貿易で潤ってるって言ったよね。ここで反乱軍が海に出張って軍閥と交戦したら、その貿易はどうなる?」
    「まあ、止まるでしょうね。港町の目と鼻の先で戦闘するんだし」
    「だろう? それはこの国にとってプラスになるだろうか?」
    「なるわよ。外国からのお金が来なくなれば、沿岸部と山間部のバランスが元に戻る。そうすれば沿岸部付近の軍閥は、みんな資金繰りが悪くなって瓦解するわ。そうなれば……」
    「軍閥だけじゃない。沿岸部、いや、この国全体が痩せ細ることになる」
    「はあ?」
     ランドはイールに歩み寄り、強い口調で主張する。
    「君はこの国の内部にだけ焦点を当てて考えてるみたいだけど、もっと広い視点で考えてみてくれ。
     沿岸部での貿易拡大によって――そりゃ、軍閥にピンハネされてはいるだろうけど――そこに住む人たちの懐は暖まっている。豊かになってるってことだ。
     それが止まってしまったらどうなる? 君の言う通り、沿岸部に入って来ていたお金はストップするだろう。沿岸部に住む人たちは、それで喜ぶと思うかい?」
    「……それは……」
    「それにそのお金は、仮に軍閥が無ければ、いずれは山間部にも入ってくるはずだ。そうなれば山間部も豊かになる。
     それを君たちの都合で止めてしまったら、皆は喜ぶだろうか? 君たちのことを、この国に住む多くの、一日100万グランしか稼げない人たちは賞賛すると思うかい? 『もっと稼げたはずだったのに』と恨んでこないと、断言できるのかい?」
    「……」
    「もっと皆のことを考えるべきだ。今君たちが溺れているのは、ただのヒロイズム――自分たちが英雄になることばかり考えた、自分本位の欲望でしかない」
     イールは苦い顔をし、椅子に座る。
    「……じゃあ、どうするのよ? 折角軍港も潰したって言うのに、尻尾巻いて逃げろって言うの?」
    「そうとも言ってない。僕に、考えがあるんだ」
     ランドはイールの手を取り、真剣な眼差しで頼み込んだ。
    「会わせてくれないか、キルシュ卿に」

    火紅狐・猫姫記 4

    2010.12.13.[Edit]
    フォコの話、101話目。未来の進め方。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. フォコたち三人を迎え入れ、イールは改めて、現在自分たちが戦っている相手について説明してくれた。「今、あたしたちが相手してるイドゥン少将の本拠地は、大陸沿岸部からちょっと南に行った島、北海諸島第5島のフロスト島にあるの。 イドゥン少将の軍閥は、沿岸部方面艦師団――ま、中央軍とかで言うところの海軍を主軸とした一個旅団で編成さ...

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    フォコの話、102話目。
    とっておきの隠し峠。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ランドの言い分に納得したイールは、フォコたち三人を伴って沿岸部南端のある村に来ていた。
    「ここはブラックウッド。表向きは、杉の伐採と麦農業で細々と生計を立ててる村よ」
    「ふーん」
     確かにイールの言う通り、傍目にはのどかな農村にしか見えない。
     が、かつて海賊と造船所員を兼業し、武具のカモフラージュに精通しているフォコの目はごまかされなかった。
    「……多いですね、農具」
    「えっ?」
    「あんなちっちゃな納屋一つ一つに、何で鍬や鎌が7つも8つもかかってるんです? しかも刃が妙にギラギラ尖ってますし。
     あれってもしかして、『いざと言う時』には形を組み替えて、曲刀とか槍とかにできたりしません?」
    「す、鋭いわね」
     看破されたイールは、驚いた目を向けてくる。
    「そう、その通りよ。ここはあたしたち反乱軍の拠点の一つでもあるの。前に言ってた隠し峠を発見されないように、こうして農村を装ってるってわけ」
    「じゃ、あそこでのんびり畑を耕してる人たちも……」
    「そう、あたしたちの同志」
     イールはそう答えつつ、畑を耕す老夫婦に手を振る。老夫婦は嬉しそうに、手を振り返してくれた。
    「あの人たちも? 言い方は悪いかも知れないけど、戦闘の役に立つとは思えないけど……?」
     そう尋ねたランドに、イールはほんの少し顔をしかめた。
    「そりゃ、戦えないわよ。
     でも戦争って、前線に出てる兵士だけの問題じゃないでしょ? 兵糧とか後方支援、司令塔もあって、それでちゃんと戦えるようになるってもんでしょ。
     あの人たちはあたしたちの休める場所と食べれるご飯を守り、管理してくれてるのよ。……それに、戦いで犠牲になった同志の子供の世話も、ね」
    「……なるほど。そっか、ごめんね」
    「いいわよ、別に」
     話しているうちに、一行は崖を背にして建てられた納屋の前に到着した。
    「これもカモフラージュ。見た目も中も、ただの納屋」
     中に入ると、確かにどこにでもありそうな納屋にしか見えない。
     が、イールは納屋の壁の前で立ち止まり、格子上に組まれた木板の一枚を剥ぎ取り、中にあったレバーを引く。
    「でもこの裏には……」
     ガタンと音を立て、壁の一部が外向きに開く。
    「あたしたちの切り札の一つ、山間部への隠し峠の道があるってわけ。
     さ、行きましょ。結構険しいから、気を付けてね」

     確かにイールの言う通り、峠道は険しかった。
     四人の中で最も体力の無いランドが、真っ先にへばる。
    「きゅ、きゅう、けい……」
    「何言ってんの。まだ30分も登ってないわよ」
    「嘘だろぉ……。僕の中じゃもう、2時間は経ってるよ……」
    「……はぁ」
     イールが呆れた様子で、ランドの背中に手をやる。
    「背中押してあげるから、もうちょっと頑張んなさいよ」
    「うぐうぅ……」
    「もお……。まったく、こんなんじゃ半月くらいかかるわよ。あたしたちの脚でも、3、4日はかかるのに」
    「うへぇ」
     辛そうにしているランドを見て、フォコはふと、大火に尋ねてみた。
    「タイカさんなら空飛ぶとか瞬間移動とか、ホイホイっとできそうな気しますけどね」
    「……」
     と、そう言ってみた途端、大火がほんのわずかにではあるが、ニヤリと笑みを返してきた。
    「そう思うか?」
    「え? ええ、はい」
    「そうか。ならば見せてやろう」
     大火はそう言うなり、へばっているランドの襟をぐい、とつかむ。
    「へ、何……っ、わあああぁぁぁぁ……」
     次の瞬間、大火とランドの姿は空高くに移る。
    「少し行ったところで待っている。ゆっくり来るがいい」
    「はーい」
    「……」
     素直に返事するフォコの横で、イールが憮然とした顔をしていた。
    「何よアイツ……。調子乗りすぎでしょ」
    「ま、ま。……おだてたら予想以上にノってくるタイプなんですね、タイカさん」



     その後、大火を散々おだてたフォコの働きにより、一行はイールの見立てより随分早く、山間部に到着することができた。
    「あれがノルド王国の首都、フェルタイルよ」
    「首都? 本当に? ……なんだか静かな気がするんだけど。活気が無さすぎるって言うか」
    「ま、ね。……到着したからって、気を抜いちゃダメよ。この国の政情は、ホントに不安定なんだからね」
    「ああ。……行こう」
     一行は街に向かい、歩を進めた。

    火紅狐・猫姫記 終

    火紅狐・猫姫記 5

    2010.12.14.[Edit]
    フォコの話、102話目。とっておきの隠し峠。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ランドの言い分に納得したイールは、フォコたち三人を伴って沿岸部南端のある村に来ていた。「ここはブラックウッド。表向きは、杉の伐採と麦農業で細々と生計を立ててる村よ」「ふーん」 確かにイールの言う通り、傍目にはのどかな農村にしか見えない。 が、かつて海賊と造船所員を兼業し、武具のカモフラージュに精通しているフォコの...

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    フォコの話、103話目。
    荒んだ街。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     何度か触れた話だが――北方大陸は山間部と沿岸部の二地域に大別される。

     寒冷地である北方大陸なので、沿岸部に面している海岸のほとんどは、一年に渡ってほぼ氷が張り、他の地域のように船舶の通行はできない。
     わずかにグリーンプールやその他、いくつかの港町が、年間を通してほぼ凍らない港、不凍港として重宝され、そこを軸とした社会が形成されている。とは言え貿易が活発化するまで、北方がいわゆる「鎖国状態」にあった頃は、資源に乏しい土地として、あまり重要視されてはいなかった。
     だが、海外との交流が活発化するにつれ、その地位は逆転の一途を辿った。沿岸部には冬を除き、毎日のように物資と外貨が入ってくる。その量は、山間部で発行・生産される量を大幅に上回っており、北方内の通貨、グランを駆逐し始めた。
     王室は自国通貨が駆逐され、国内市場が操作不能になることを回避しようと、それを上回る額の通貨を無理矢理に発行。それを皮切りに、王室政府の財政はみるみる悪化していき、双月暦3世紀の中頃、1クラム当たり100000グラン以上と言う凶悪な水ぶくれ――ハイパーインフレが発生し、ついにパンクした。
     さらにはその危機的状況を打開しようと、王室政府があの手この手を繰り返して疲労していくうちに、北方の地方自治も連動して停滞・破綻。
     無秩序となった地域をまとめたのは、武力と組織力を持つ軍閥であった。



     そして4世紀、307年現在。
     政治機能が壊れた首都フェルタイルは、荒れ果てていた。
    「おわっ!?」
     ランドがひび割れたレンガ道に足を取られ、勢いよく前のめりに倒れる。
    「あいたた……」
    「気を付けてね。もう半世紀は、道の舗装なんてしてないもの」
    「そ、そんなに?」
    「余裕ないもの。道や建物の補修までやってらんないわ」
    「ひどいですねぇ」
     イールの言う通り、街のあちこちには亀裂やひび割れが生じ、一見しただけでは廃墟なのかさびれた街なのか、見分けがつかないほどだった。
    「……ランド、あなたの言う通りかもね」
     と、イールがしんみりした声を出す。
    「って言うと?」
    「もしあたしたちが無理矢理に軍閥を叩きのめしても、お金はどこにも入ってこない。
     そしたらずーっと、街はこのまんまなのよね」
    「そうだね。大事なのはトップ同士の勝ち負けじゃないよ。みんなが豊かになることだ」
    「そう、ね」

     やがて一行は、小ぢんまりした家に到着した。
    「ここがあたしの、フェルタイルでの家。さ、入って」
     そう促し、イールは中へと入る。
    「見た目は、ただの家ですね」
     フォコの言う通り、家の中には特に、目を引くようなものはない。
    「ここもブラックウッドみたいに、隠し通路とかが?」
    「そうよ。こっち来て」
     イールは三人を連れ、地下室に降りた。
    「この本棚をどかして、……と」
     本棚の裏に、扉が現れる。
    「この地下道が、キルシュ卿の屋敷に通じてるの」
     地下道を進みつつ、イールはキルシュ卿について話してくれた。
    「キルシュ卿は、反王室派として広く知られているわ。それでも大臣職に就いてるのは、彼以上のまとめ役と、金ヅルがいないから」
    「金ヅル?」
    「実業家でもあるのよ、キルシュ卿は。
     山間部にミラーフィールドって州があるんだけど、そこで取れる野菜とか塩とかを、キルシュ卿の家が卸してるの。ギリギリで首都を維持してられるのは、卿の流通網のおかげってわけ。
     それに交渉事もうまいから、ただでさえ武力介入されかねない首都を、卿は商業取引で守ってるの。
     もし卿がいなくなれば、首都は三ヶ月と持たないでしょうね」
     話しているうちに、一行は地下道を抜けた。
    「ここは、屋敷の納屋ね。ここを出たところが、屋敷の庭よ」
     と、納屋を出たところで、一行は草木に水をやる、エルフの老人と出くわした。
    「うん? ……おお、君は」
     そのエルフはにっこりと、柔らかく微笑みかけた。
    「お久しぶりです、キルシュ卿」
    「うん、うん。元気にしていたかね、イール」
     イールは老人――ノルド王国の要、エルネスト・キルシュ卿にぺこりと頭を下げた。
    「おかげさまで。……あの、今日は客人を連れて来ました」
    「客人? ……おや、あなたは」
     キルシュ卿はランドに目を留め、驚いた顔を見せた。
    「ご無沙汰しておりました」
    「ええ、ええ、こちらこそ。確か、以前にお会いしたのは……、そう、305年度貿易協定会議の時、でしたね」
    「そうです。その節はどうも……」
     互いに堅い挨拶を交わした後、ランドの方から話を切り出した。
    「実はキルシュ卿、私は……」
    「ええ、聞いています。新しい天帝陛下のご機嫌を損ねた、とか」
    「その通りです。その後投獄されたのですが、その……、脱獄に成功し、こちらまで向かった次第です」
    「ふむ……?」
     キルシュ卿はランドの真意を測りかねたらしく、戸惑った顔をする。
    「ともかく……、私の屋敷まで、どうぞお入りください」

    火紅狐・合従記 1

    2010.12.16.[Edit]
    フォコの話、103話目。荒んだ街。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 何度か触れた話だが――北方大陸は山間部と沿岸部の二地域に大別される。 寒冷地である北方大陸なので、沿岸部に面している海岸のほとんどは、一年に渡ってほぼ氷が張り、他の地域のように船舶の通行はできない。 わずかにグリーンプールやその他、いくつかの港町が、年間を通してほぼ凍らない港、不凍港として重宝され、そこを軸とした社会が形成さ...

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    フォコの話、104話目。
    統治論。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ランドの経緯を聞き終えたキルシュ卿は、腕を組んでうなった。
    「ふうむ……、なるほど、それで私のところに」
    「ええ。しばらく、サンドラ氏と行動を共にするつもりです」
    「ほう……。つまり、彼女の率いる反乱軍に参加する、と言うことですか。しかし……」
     キルシュ卿は口ひげをもみながら、ランドに質問をぶつけてくる。
    「あなたほどの英才が、何故そのような道を?
     話の是非はともかくとして、私の口添えで側近になってもらい、政治面でこの国を立ち直させる。そうした手も、無いわけではないのですが」
    「ええ。恐らくそちらの方が、私に似つかわしく、かつ、適した手法でしょう。
     ですが、その手段は何年の時を費やすことになるでしょうか?」
     問い返され、キルシュ卿は「ううむ……」とうなる。
    「サンドラ氏に連れられ、私はこの国の中核を観察させていただきました。
     以前お会いした時、その時は沿岸部の、そこそこには豊かな場所での会談でした。その街は道も整備され、木々も青々としており、すれ違う人々の顔は活力に満ちていました。
     ところがどうでしょう、この国の中核、この街の惨状ときたら。道は割れ、家々の壁は崩れ、人々は皆何かにもたれかかるようにして歩いている。
     キルシュ卿、あなたが今の職、商政大臣と言う地位に就いて、何年になりますか?」
    「6年、……ですな」
    「優秀な卿でも、この現状を覆しきれていない。あなたの言に従い、私が政治面で活躍しようとも、恐らくもう10年、20年はかかるでしょう。
     それを待っていてくれるでしょうか、人民は?」
    「……」
     キルシュ卿は渋い顔をし、顔の前で腕を組んでうなった。
    「確かに、確かに……。あなたの言う通りでしょうな、何もかも。
     私ももう80近い身ですし、私自身もそこまで持ちはしますまい。いや、むしろ年波に押されて、現状の維持すらできなくなるでしょうな。確かに、時間はもういくらも、待ってはくれんでしょう。
     しかし……、これもまた、あなた自身が仰ったことです。反乱軍に入って戦うなど、あなたの執るべき策ではないはずだ」
     と――ランドは、その言葉に首を振った。
    「いいえ、キルシュ卿。私は戦いません」
    「……うむ?」
     ランドの発言に、キルシュ卿も、イールも、そしてフォコも目を丸くする。
    「ちょ、ちょっとランドさん? 話、違うやないですか?」
    「そうよ! 散々偉そうなこと言って、戦わないってなんなのよ!?」
     騒ぐ周囲に、ランドはパタパタと手を振ってなだめる。
    「聞いてくれ、皆。もう一度言うけど、僕は戦わない。何故なら、僕には力も度胸もないからだ。魔力もないし。
     でもその代わり、僕には知恵がある。この北方の戦乱を収められるだけの、知恵がね」
    「……?」
    「それを検討しに、僕はここまで来たんだ。
     キルシュ卿に、こう進めていいかと。イールに、反乱軍の皆をこう使っていいかと、尋ねるためにね」

     周りが落ち着いたところで、ランドは己の考えを説明し始めた。
    「まず、反乱軍の認識――イールの主張をそれと仮定して、話を進めるけど――北方、ノルド王国は四大軍閥とその下っ端により、王国の支配を外れて好き勝手している。だから彼らは悪者であり、それを何とかしなければ平和は訪れない。
     これで合ってるかな?」
    「ええ。大体みんな、そう思ってるでしょうね」
    「それが間違いの元だと思うんだ。いや、間違いと言うより、泥沼化した原因かな」
    「え……?」
     ランドは椅子を持ち上げ、説明を続ける。
    「これは椅子だ。四本の脚で支えている」
    「見りゃ分かるわよ」
    「でもこれだけを椅子とは呼ばない。太い一本足で支えられていても、皆はそれを椅子と認識している。違うかい?」
    「まあ、そうでしょうね」
    「でも君たちは、そうしているんだ。『一本足じゃなきゃ椅子じゃない。四本足なんて認められない』、と主張している」
    「はい?」
     ランドは椅子を下ろし、立ち上がったまま語り続ける。
    「つまりは、ノルド王室とか、自分たちの軍とか、どこか一つの組織の独裁でなきゃこの国は成り立たない、成立・維持し得ないと主張しているんだ。
     でも現状はどうだろうか? 四大軍閥なり、これまで築かれていた軍閥なりが、地方を統治していた。それで北方大陸の政治・経済は維持されてきたはずだ」
    「……!」
     この説明に、キルシュ卿は目を見開いた。
    「それでうまく行ってたって言うなら、これからもそうさせればいいんだ。
     一つの地域を支配している組織を『敵』と見なして攻撃するよりは、『この国を共同で統治する協力者』と扱えばいい。
     相手だって、周りのみんなが全部敵であるよりも、協力者であってくれた方がどれだけ安心するだろうか? 少なくとも、これまでのようにいがみ合ったりはしないはずだ。
     事実、沿岸部においても、イドゥン軍閥とギジュン軍閥とが協力関係にあった時は、それなりに平和だったんだろう?」
    「それは……、確かに」
     複雑な表情を浮かべながらも、イールはうなずく。
    「それが敵対したから、平和じゃなくなった。この因果関係は、他の軍閥に対しても通用するんじゃないだろうか?」
    「確かに」
     キルシュ卿は深々とうなずき、ランドの主張に同意する。
    「私と取引関係にある軍閥は、攻めてこようとはしない。協力する価値のある相手、と見ているからでしょうな」
    「そう。その関係を、北方全域に応用すればいいんだ」

    火紅狐・合従記 2

    2010.12.17.[Edit]
    フォコの話、104話目。統治論。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ランドの経緯を聞き終えたキルシュ卿は、腕を組んでうなった。「ふうむ……、なるほど、それで私のところに」「ええ。しばらく、サンドラ氏と行動を共にするつもりです」「ほう……。つまり、彼女の率いる反乱軍に参加する、と言うことですか。しかし……」 キルシュ卿は口ひげをもみながら、ランドに質問をぶつけてくる。「あなたほどの英才が、何故そのよ...

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    フォコの話、105話目。
    砦乗っ取り計画。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ランドの主張に、イールは反論する。
    「できるわけないじゃない!」
    「なぜ?」
    「だって、王室は絶対納得しないわよ? 反発して、全域を支配したいって軍閥もあるし、まとまりっこないわ!」
    「そうさせたいなら、させればいい。僕らだけで、新しく国を作ればいいんだ」
     自分の常識の範疇を飛び越えた発想に、イールは唖然とした。
    「く、国を作る?」
    「そう。ノルド王国が同意しないなら、同意した者同士で国を抜けて、新しく立国すればいいんだ。
     冷静に考えれば、手を組むメリットが非常に大きく、デメリットが非常に小さいことは誰にでも分かる。敵対して余計な戦費を使うよりも、協力して取引関係を築く方が、どれだけ得になるか――必ず、協力してくれるはずだ。
     そして万一、協力できないところがあれば、その国、その共同体から締め出す。好きなだけ敵対させとけばいい。そうすればそのうち疲弊して、僕たちに協力を願い出るようになるさ。
     この策が実れば、きっと『皆が』幸せになる」
    「でも……、今さら敵対してきた奴らが、納得なんて」
    「それを達成させるために、僕はこれからお願いするんだ。反乱軍を、そのために使ってもいいか、と」
     ランドはキルシュ卿とイールに、深々と頭を下げた。
    「お願いします。この策を、実行させていただけませんか?」
     壮大な戦略に言葉を失ったイールを置いて、キルシュ卿は静かに尋ねてきた。
    「その策には、……大きな問題がありますな」
    「何でしょうか?」
    「我々の国、と言えば聞こえはいい。ですが、国を構成するには、国王、人民、そして領土が必要になる。
     人民は、反乱軍とすればよろしいでしょう。国王も、……まあ、イールや、私の息子なりを据えればいいでしょう。
     ですが、領土は? まさか、この屋敷を領土と主張すると言うのですか?」
    「……ふむ」
     ランドはそこでもう一度、椅子に座り込んだ。
    「確かにその点は、憂慮すべきではある。……ですが、手は無いわけではない。
     イール」
     ランドは呆然としたままのイールに声をかける。
    「……え、な、なに?」
    「どうやっても、間違いなく、絶対、この提案に乗らないだろう軍閥って、どこか無いかい?」
    「何個もあるわよ」
    「この近くだと?」
    「そうね……、例えば四大軍閥の、ロドン中将。ここから西の、ミラーフィールド大塩湖北部を牛耳ってる、超が付くほどの野心家。絶対、協力なんてしやしないわ」
    「そりゃいいや」
     思いもよらない反応に、イールはまた呆然とする。
    「何がいいのよ?」
    「潰すには持って来い、ってことさ」
    「潰すって……。反乱軍を使って? 無理よ、まだノルド峠は封鎖されたままだし、みんな登って来られないわ」
    「いや、反乱軍の皆は別のことに使う。……タイカ、ちょっといいかな?」
     ランドはくい、と顔を傍観していた大火に向けた。
    「なんだ?」
    「無理だと思うけどさ」



    「言っただろう? 俺に無理なことなどない」
     半日後、フォコたち一行はミラーフィールドと呼ばれる土地に立っていた。
    「そっか、それなら良かった。流石だよ、タイカ」
    「……」
     どことなく得意げな大火を背に、ランドは眼下にそびえる砦を指差した。
    「あれが、中将の本拠地?」
    「そう、通称イスタス砦。2世紀くらいに造られた砦だけど、中将が金に飽かせて整備したおかげで、今じゃ難攻不落の場所よ。
     どうやって陥とすつもり?」
    「まあ、やりようによっては、たった一名の犠牲を出すだけで済むかな」
    「一名? ……あんたまさか」
     イールはランドが考えていることを推察する。
    「中将を暗殺しようってんじゃないわよね!?」
    「最悪の場合、そうしなきゃいけなくなるだろうけど、それよりももっと穏やかに事を済ませるつもりさ」
    「あたしが言ったこと、忘れてないわよね? ここ、警備が半端じゃなく厳重なのよ? 何百人、いいえ、千、二千を超える兵士たちにガッチガチに守られてるのに、暗殺なんてできるわけないじゃない」
    「だから、それは最悪の場合だってば。
     僕だって何度も言うけどさ。力も度胸もないんだ、僕には。実力行使で押し通そうとするには、命が何個あったって足りやしない。
     だからもっと別の、得意な方面から内部を切り崩す。……そのためには、やっぱり僕の、なけなしの度胸を使わなきゃいけないけど」

     大火の術を使って内部に侵入した四人は、密かに倉庫へ押し入った。
    「武器と食糧、か。金に飽かせて、って言ってただけはあるな。いっぱいある」
    「どうするの、ここで?」
     イールの問いに、ランドはすぐには答えず、腕を組んでしばらく考え込む。
    「ねえ?」
    「……そうだな、……タイカ」
    「なんだ?」
    「こんなことってできる? ここと、別の場所を瞬時に行き来できる方法、あるかな?」
    「ある」
    「そりゃいい」
     ランドはいたずらっぽく、イールに笑いかけた。
    「……あ!」
     イールは辺りを見回し、思わず大声を出しかける。
    「あんた、ここの備蓄を全部……」「しー」「むぐ」
     それを抑えつつ、ランドは話を続ける。
    「大体その通り。君が何度も教えてくれたように、ロドン中将の強みはこの堅固な砦と、大量の備蓄にある。
     それをそっくり奪わせてもらうんだ。……と言っても、ただ単に、物理的にここから奪うって話じゃない。ちょっと、効果的な手を盛り込ませてもらう」

    火紅狐・合従記 3

    2010.12.18.[Edit]
    フォコの話、105話目。砦乗っ取り計画。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ランドの主張に、イールは反論する。「できるわけないじゃない!」「なぜ?」「だって、王室は絶対納得しないわよ? 反発して、全域を支配したいって軍閥もあるし、まとまりっこないわ!」「そうさせたいなら、させればいい。僕らだけで、新しく国を作ればいいんだ」 自分の常識の範疇を飛び越えた発想に、イールは唖然とした。「く、国を作...

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    フォコの話、106話目。
    上兵無兵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フォコたち一行がキルシュ卿と会ってから、2ヶ月ほどが経った頃。

    「横流し……、だと?」
     イスタス砦の主、熊獣人のロドン将軍の耳に、不穏な噂が入った。
    「はい。ここしばらくの間、倉庫からちょくちょく、物資が消えていると言う情報をお伝えしましたが……」
    「ああ、覚えている。小麦や芋が一袋、二袋など、非常にわずかずつではあるが、毎日のように消えていると言うことだったな」
     側近は短くうなずき、報告を続ける。
    「はい。それで調べましたところ、どうも近辺の町村に、その消えた物資が出回っているようでして……」
    「むう」
     将軍は渋い顔をし、側近にこう命令した。
    「事実ならば、我が軍閥の規律を大きく歪ませる由々しき事態だ。その近隣町村に出向き、真否を確認しろ」
    「了解です」

     一方、ノルド王国の首都、フェルタイル。
    「塾では色んなこと学んだけど……」
     イールの家で彼女と話していたランドが、こんな話をし始めた。
    「一番衝撃的だったのは、戦略理論だったな」
    「せん……りゃく?」
     イールは聞いたこともない、と言うような顔をする。
    「簡単に言うと、戦いをどう持っていくかって言う考え方だよ」
    「あの、さ、ランド。あんたの言うこと、あたしはいっつも、よく分かんないって気持ちで聞いてるんだけど」
     イールは肩をすくめ、自分の考えを述べる。
    「戦いをどう持っていくって、どう考えても、結局は相手を倒して、自分が生き残るようにするもんでしょ?」
    「それがもういけない。落第点だよ」
    「はい?」
     ランドも肩をすくめ、こう返した。
    「戦いにおいて『戦う』『相手を潰す』って選択がもう既に、最低の方策なんだよ。ま、僕も最初、先生からこれを尋ねられた時は、そう返したけどさ」
    「何それ……?」
    「戦えばお金やモノを使うし、人も使う。消耗品、って意味で。
     でもそれが何を生み出す? モノや金、人を消費しつくして、その先に何が生まれるだろうか?
     『自分たちの軍が勝利した』、と言う達成感の他に、何を得られるだろう?」
    「そりゃ、相手の陣地とか、お金とかでしょ?」
    「相手も疲労してるんだ。ましてや、負けてボロボロになってる。豊かな土地や有り余るお金なんて、あるだろうか?」
    「……そうね、そう言われたら、確かに」
     深くうなずいたイールに、ランドはさらに自説を語る。
    「だから戦いにおける最良の策は、『戦わずして勝つ』。無闇に争うことなく、ただ、勝利と利益のみを手にする」
    「……ずっるー」
     口をとがらせたイールに、ランドは「はは……」と苦笑した。
    「そうだね、戦略って時にはずるいものだ。でも殴り合って互いに大ケガするよりは、随分マシな話だろ?」
    「まあ、そう考えればそうだけど。
     じゃあ、2か月前からあんたがやってることも、そう言うつもりなの?」
    「うん」
     そこでイールが、さらに深く尋ねてくる。
    「それもあたし、よく分かんないのよ。なんで全部、一度に奪わないの? しかもあたしたちの懐に一切入れず、あの砦の周りの街にバラ撒いたりして……。
     それもセンリャクなの?」
    「そうだよ」

    「調査した結果、やはり近隣に物資が出回っていたのは確かでした。ただ、横流しをしたのが何者か、までは……」「決まっている!」
     側近の報告を、ロドン将軍は途中で遮った。
    「この砦は堅固だ! 外からの侵入者など有り得ん!
     犯人は我が軍の者以外になかろう!? それも下級の兵士どもだ!」
    「そう、でしょうか……?」
    「それ以外に誰が、こんな汚いことをすると言うのだ!?
     わしか? お前か? せんだろう!? しなくとも、金をたんまり持っている! そんな下衆なことをするのは、金のない下の者だ!
     徹底的に調べ上げるぞ! 下衆者を、我が軍に居させてたまるかッ!」
     こうしてロドン将軍の主導により、イスタス砦中に監査が入った。
     が、当然これは空振りに終わる。犯人はランドたちであり、砦内の兵士ではないのだ。犯人の見当がまるで外れているのに、監査の成果が挙がるわけもない。
     そのうちに――砦内の空気に、不穏・不和の色が現れ始めた。

    火紅狐・合従記 4

    2010.12.19.[Edit]
    フォコの話、106話目。上兵無兵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. フォコたち一行がキルシュ卿と会ってから、2ヶ月ほどが経った頃。「横流し……、だと?」 イスタス砦の主、熊獣人のロドン将軍の耳に、不穏な噂が入った。「はい。ここしばらくの間、倉庫からちょくちょく、物資が消えていると言う情報をお伝えしましたが……」「ああ、覚えている。小麦や芋が一袋、二袋など、非常にわずかずつではあるが、毎日のよう...

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    フォコの話、107話目。
    内部の亀裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「また監査だよ……」
    「またかよ」
     毎日のように持ち場や自室をほじくり返され、イスタス砦の兵士たちはうんざりしていた。
    「ねーっつーの、横流し品なんて」
    「あいつら目の敵にして、俺たちを追い回して……」
    「そんなに俺たちが信用できないのかっつーの」
     監査を行う士官と、監査される兵士たちとの間には、いつしか軋轢が生じていた。
    「俺、思うんだけどさ」
    「ん?」
    「俺たちを犯人にして、実はあいつらが横流ししてんじゃねーか?」
    「まさか」
    「まさか、と思うか? いくら俺たちの部屋やら何やらを荒らし回っても、何にも出てこねーんだぞ。じゃあもう、俺たちの中に犯人、いねーってことじゃねーのか?
     でも中将や側近がこんなことするわけねーし、じゃあ、残る容疑者って言ったら」
    「……士官組ってこと、か?」
    「だと思うんだよ、俺は」
     こうした考えは、次第に砦内の兵士たちに伝播していった。

     そしてじわじわと、その対立は深まりつつあった。
    「これより諸君らの持ち場監査を行う! 各自作業を止め、両手と、尻尾のある者は尻尾も挙げ、壁に直立! 監査が終わるまで、待機せよ!」
     が、兵士たちはいぶかしげな視線を監査役の士官たちに向けてくる。
    「……どうした? 早く並べ!」
    「思うんスけど」
     と、兵士の一人が士官をにらむ。
    「なんだ」
    「まさかまだ、俺たちが軍備ちょろまかしてるなんて思ってないでしょうね?」
    「何を寝ぼけているかッ! 実際に軍備は消え、横流しされているのだ! お前たちの中にいるはずだ、犯人が!」
    「なんで俺たちなんですか?」
     その一言に、場がざわめく。
    「俺たちが犯人って、誰が言ってました? 誰か自白でも? それとも証拠があるって?」
    「馬鹿者、それを今から……」「誰がバカだと、おい!」
     兵士が声を荒げ、士官を非難し始めた。
    「証拠の一つもないってのに、俺たちみんな悪者かよ!? 出てから言えよ、んなこたぁ!
     それに俺たちも疑ってんだよ、アンタらをなぁ!」
    「なっ……!?」
    「何度も何度も監査、監査、監査! それでも何も出なかっただろうがよ、え!? いい加減、俺たちじゃねーって分かれや!? どっちがバカだか分かんねーなぁ!?」
    「き、貴様……ッ」
    「むしろ俺たちゃ、アンタら士官の中に犯人がいると思ってんだよ! だからそのごまかしに、何べんも監査してんだろ? 俺たちをどーしても犯人に……」「貴様ァッ!」
     突然、士官が兵士を殴り倒した。
    「私を愚弄するかッ! これは軍法会議ものだぞッ!」
    「……いきなり殴るってことは、図星なのか?」
     と、別の兵士が口を開く。
    「なに……?」
    「図星なのか? 本当にアンタらが?」
    「そんなわけがあるか!」
    「じゃあなんで殴った? 反論できないから殴ったんじゃないのか?」
    「違う! 軍規を乱す者が……」
    「それはアンタじゃないのかッ!?」
     場がしんと静まり返り、士官たちと兵士たちの間に、ただならぬ空気が漂い始めた。
    「……」
    「……」
     と、殴られた兵士が立ち上がり、士官をにらむ。
    「出てけよ」
    「……っ」
    「俺たちは真偽がちゃんと分かるまで、アンタらの指示には従わねーぞ」
    「ぐっ……」
     士官たちはしばらく周囲をにらみ付けていたが、やがてその場を後にした。

     こんな小競り合いが幾度となく続き――ついには、決定的に破綻することとなった。
    「なんだ、騒がしいぞ!」
    「暴動です! 南監視塔の兵士たちが、監査に来た士官たちに反発し、乱闘騒ぎを起こしているそうです!」
    「何だと……! すぐに鎮圧しろ! 片っ端から拘束するんだ!」
     士官と兵士との対立は深刻化し、砦の防衛機能が満足に動かなくなるところまで来ていた。



    「そっか。今がチャンスかな」
     その話を反乱軍の斥候から聞いたランドは、次の手を打ち出した。
    「どうする気なの?」
     イールに尋ねられ、ランドはにやっと笑ってこう答えた。
    「いよいよ収穫の時さ。イスタス砦、そっくりいただいちゃおう」

    火紅狐・合従記 5

    2010.12.20.[Edit]
    フォコの話、107話目。内部の亀裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「また監査だよ……」「またかよ」 毎日のように持ち場や自室をほじくり返され、イスタス砦の兵士たちはうんざりしていた。「ねーっつーの、横流し品なんて」「あいつら目の敵にして、俺たちを追い回して……」「そんなに俺たちが信用できないのかっつーの」 監査を行う士官と、監査される兵士たちとの間には、いつしか軋轢が生じていた。「俺、思うん...

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    フォコの話、108話目。
    千里眼鏡の夜討ち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     双月暦307年、暮れ。
     反乱軍が密かに、ミラーフィールドに集結しつつあった。
    「ねえ、ランド」
     それを指揮するイールが、ランドに尋ねた。
    「集めるのはできたけど……、ここからどうすんの? いくらイスタス砦の中が混乱してるからって、そう簡単に破れるような門じゃないわよ」
    「門は破らないさ。向こうから開けてもらう」
    「え?」
    「イール、皆が集まったら、数名ほど中に忍び込ませて、獄舎に拘束されている兵士たちを解放してやってほしいんだ。
     ……そっちには、僕も一緒に付いていく」
    「え? あんたが?」
     ランドは額にじんわりと浮かぶ汗を拭き、小さくうなずいた。
    「そうしなきゃ、この作戦の成功は無いから」



     監査に抗い拘束された兵士たちは皆、獄舎の中で押し黙っていた。
    「……」
    「……」
     誰の顔にも、不満が見て取れる。
    「ふざけてるよな」
     と、兵士の一人が口を開く。
    「……ああ」
     誰ともなく、それに同意する。
    「なんで俺たちが悪者なんだよ、なぁ?」
    「その通りだ!」
    「俺たちゃ中将閣下のために、汗水垂らして働いてたんだぜ? それが何だよ、こうして反逆者扱いだ! やってられっかよ、全く!」
     一人が不満をぶちまけたところで、他の者もそれに同調する。
    「そうだそうだ!」
    「もううんざりだ!」
    「こうなりゃ本格的に反乱起こしてやる!」
     獄舎で騒ぎ立てるうち、一人がふと気付いた。
    「……あれ?」
    「どうした?」
    「誰も……、来ないな」
    「……そう言えば」
     兵士たちは牢から首を出し、辺りの様子を伺う。
     だが、騒げば止めに入ってくるはずの牢番が、一人もやって来ないのだ。
    「何かあったのか……?」
     不気味な静寂に、兵士たちはまた、押し黙った。

     と、牢の外から声がかけられた。
    「君たち、ちょっと」
    「……?」
     兵士たちは、声のした方へ一斉に振り返った。
     そこには、緊張で顔を蒼くしたランドの姿があった。
    「だ、誰だお前は!?」
    「一言で言うと、侵入者だ。その……、最近話題の、反乱軍の者なんだけど」
    「何……!?」
     にらみつけてくる兵士たちに辟易しつつ、ランドは話を続ける。
    「ま、ま、ちょっと話だけでも。
     今さ、君たち、『こうなりゃ反乱してやる』って言ったよね」
    「……ああ、まあ、そう言った、けど」
    「手伝ってくれるなら、そこから出してあげるよ」
    「手伝うって……」
     ランドは一歩、牢に近付き、声を潜めて話す。
    「このイスタス砦、僕たち反乱軍が乗っ取ろうと思ってるんだ。『キルシュ王国』建国のために」
    「キルシュ? ……商政大臣のキルシュ卿のことか!?」
     牢の中の兵士たちは、一様にざわめいた。
    「まさか反乱軍って……」
    「ま、ま。その議論は後にしてほしいんだ」
     ランドは自分の考え――ノルド王国を離れ、自分たちで別個に国を作る計画を兵士たちに伝えた。
    「……考えもしなかったな」
    「まさか、ノルド王国を捨てて、新たな国を建国するとは。……でも確かに」
    「ああ。悪くない。……じゃあアンタは、その足掛かりに」
     兵士たちに向かって、ランドは深くうなずく。
    「そうなんだ。まずはイスタス砦とその周辺、つまりロドン中将の所有地を奪って、僕たちの国にしようかと」
    「……協力してくれ、と言ったな」
     兵士の一人が、ランドに手を差し出した。
    「俺は協力する。『ノルド離反』と『中将一派追い出し』、おまけに『国作り』なんて、ワクワクさせてくれるじゃねーか……!」
    「お、俺も!」
    「同じく! 同じく!」
     一人、また一人と牢の中から手を伸ばし、全員がランドに協力する姿勢を示した。

    「大変です!」
     さらに時間は進み、深夜過ぎ。
     ロドン将軍の寝室に、側近たちが駆け込んできた。
    「むにゃ……うう、む……なんだ、騒々しい」
    「謀反です! 拘束していた兵士たちが反乱軍と共謀し、我が砦を襲撃しています!」
    「……む、むにゃっ!?」
     この報せに、夢うつつだったロドン将軍は飛び起きた。
    「げ、現状はどうなっている!?」
    「現在正門と西門が破られ、……と言うか、中から開放され、続々と反乱軍が押し寄せてきております!
     さらに下級の兵士たちが次々に反旗を翻し、反乱軍に合流! 既に南・西兵舎と全ての倉庫が制圧されております!」
    「な……」
     ロドン将軍は慌てて軍服を羽織りつつ、怒鳴りつけた。
    「兵の残りは!? わしに従う意思のある兵士はどれだけいる!?」
    「お、……恐らく、……100に満たないかと」
    「……バカな……っ」
     ロドン将軍は舌打ちし、兵士たちをなじる。
    「何故わしに刃を向けるのだ、愚か者どもめがッ!
     このわしが、散々世話をしてきてやったでは、……っ!」
     そこまで口にしたところで、将軍は自分がこの数か月の間兵士たちに向けてきた、辛辣な態度を思い出した。
    「……く、そっ! 何と間の悪い……っ!
     まさかこんな、……こんな、兵士の心が冷え込んでいた丁度その時に、攻め込んでくるとは……!」
     自分の失態と敵のタイミングの良さを呪ったところで――開け放たれたままだった寝室のドアから、多数の兵士がなだれ込んできた。

     こうして襲撃から一晩のうちに、難攻不落のはずだったイスタス砦は陥落。ロドン将軍とその側近たちは放逐された。
     これが後の世に伝わる、「千里眼鏡の夜討ち」である。

    火紅狐・合従記 6

    2010.12.21.[Edit]
    フォコの話、108話目。千里眼鏡の夜討ち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 双月暦307年、暮れ。 反乱軍が密かに、ミラーフィールドに集結しつつあった。「ねえ、ランド」 それを指揮するイールが、ランドに尋ねた。「集めるのはできたけど……、ここからどうすんの? いくらイスタス砦の中が混乱してるからって、そう簡単に破れるような門じゃないわよ」「門は破らないさ。向こうから開けてもらう」「え?」「イ...

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    フォコの話、109話目。
    活動基盤の完成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     308年の初め。
     イスタス砦とその周辺、ミラーフィールド大塩湖北部を掌握したキルシュ卿と反乱軍は、その地を領土として、新たに国を作ることを宣言した。
     国王には、当初キルシュ卿が立てられるものと思われていたが、卿はこれを、高齢のために辞去。自分の息子、クラウスを擁立することで、話はまとまった。
     そして、その国の名は――。

    「ジーン王国?」
    「ああ。皆、二天戦争を知っているかね?」
     キルシュ卿の問いに、イールたちはうなずく。
    「ええ。大昔、中央大陸の『天帝』と、この北方大陸を支配してた『天星』とが戦った戦争ですよね」
    「その通り。……実は、私の家系は、その『天星』の末裔なのだ」
     この告白に、ランドと大火、フォコを除く反乱軍の皆、北方人たちはざわめいた。
    「そうだったんですか?」
    「でも確か、『天星』レン・ジーンって……」
    「そう。一般には、二天戦争で討たれ、死亡したと伝えられている。しかし実際には落ち延び、子孫を作ったと、私の家には伝わっているのだ。
     実を言えば、私がずっと反ノルド王室派だったのは、それに起因する。言わば、ご先祖様を失脚させ、追い回した家だからな、ノルド家は。
     だからこの機に、息子にはジーン姓を名乗らせ、今再びジーン王朝を復活させてもらおうと思っているのだ」

     こうして二天戦争から2世紀半を経て、再びジーン王国がよみがえることとなった。



     時間は少し戻るが――。
    「ふむ……。ファスタ卿も素晴らしい頭脳を持っていらっしゃるが、君もなかなか」
    「どもども」
     ランドたちがイスタス砦から軍備を盗んで横流ししている間、フォコはキルシュ卿としきりに議論を交わしていた。
     キルシュ卿は元々、商人である。そしてフォコにも大商人の血が流れているし、南海時代にもジョーヌ海運総裁・クリオの手伝いをしていた経験がある。
     経営術や商売の計画・手法など、共通の話題には事欠かなかったのだ。
    「いや……、君に相談して正解だったよ。これでまた、新たな経国済民の道が拓けそうだ」
    「そんな、僕なんて……」
     謙遜するフォコに、キルシュ卿はゆるやかに首を振った。
    「いやいや、君ほどの若さでその頭脳と知識は、非常に価値の高いものだ。それこそ、巨額の財産に等しい人材だ。
     ……どうだろう、ソレイユ君。今後も私の手助けを、してくれないか?」
    「へ……?」
    「恐らく、今イールやファスタ卿が進めている計画が実れば、私の息子が国王になる、と言う話になるだろう。
     しかし私の息子が王になった場合、一つの、困る問題が起こる。私の商会、『キルシュ流通』の跡継ぎがいなくなってしまうんだ。とはいえ、まさか王と商人とを、一人二役でこなさせるわけにも行かない。
     そうなった時、もし君が良ければの話なんだが――今後の経営は、君と私、二人で進めたいんだ。で……、私も歳だから、いずれは隠居し、君に全権を委ねるつもりだ。どうだろうか?」
    「え、え……、ええ?」
     困惑するフォコを見て、キルシュ卿は苦笑した。
    「まあ、もし……、イールが女王にと言う話になったら、この件は忘れてほしい。その時はこれまで通り、跡継ぎはクラウス。君は単なる、相談役のままだね」
    「はあ、はい」

     そしてキルシュ卿が懸念していた通り、跡継ぎになる予定だった息子、クラウスが王になることが決定し――。
    「よろしく頼むよ、ソレイユ君」
    「は、はあ……」
     いつの間にかキルシュ卿の商会のナンバー2、大番頭に据えられたフォコは、困惑するばかりだった。



     転落ばかりだったフォコ。
     絶望に沈んでいたランド。
     どん底だった二人に、大きな転機が訪れた。
     これより二人は、この砦と国を軸に、波乱万丈の快進撃を繰り広げることになる。

    火紅狐・合従記 終

    火紅狐・合従記 7

    2010.12.22.[Edit]
    フォコの話、109話目。活動基盤の完成。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 308年の初め。 イスタス砦とその周辺、ミラーフィールド大塩湖北部を掌握したキルシュ卿と反乱軍は、その地を領土として、新たに国を作ることを宣言した。 国王には、当初キルシュ卿が立てられるものと思われていたが、卿はこれを、高齢のために辞去。自分の息子、クラウスを擁立することで、話はまとまった。 そして、その国の名は――。...

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    フォコの話、110話目。
    活気付く、新しい国。

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    1.
    「そうか」
     自分たちの本拠地から追い出され、その窮状を訴えてきたロドン将軍たちの話を聞き終えたノルド国王、虎獣人のバトラー・ノルドはそれだけ言って返した。
    「そうか、ではございません! すぐに兵を集め、反乱軍と逆臣キルシュを皆殺しに……!」
    「ああ、うむ」
     猛々しく怒鳴り散らすロドン将軍に対し、バトラー王はぼんやりした返事を返すばかりだった。
    「聞いておりますか、陛下ッ!」
    「うむ。聞いている、が……」
     バトラー王は眉をひそめ、ロドンにこう返した。
    「3つの理由から、それは延期せざるを得ないのだ」
    「なんですか、その理由とは!?」
    「一つ、我が国の国庫はいつも通りの緊縮財政にあり、余計な挙兵はできぬ」
    「余計ですと!? 領土が奪われたのですぞ!?」
    「二つ、その奪われた領土は元々将軍、お前が私物化していたではないか。取り返さずとも、余にとっては今まで通りと言うことだ」
    「う……、ぬ」
    「そして三つ、その領土と資産を奪われたお前に、利用価値なぞない。最早将軍として飼っておく理由はない。ゆえに、お前に手を貸す気はさらさら無い。
     即刻、去れ」
    「なんと……! それはあんまりではないですか!」
     そう叫んだロドン将軍に、バトラー王が怒鳴り返した。
    「『あんまり』、だと!? その言葉、余が何度お前に投げかけたか覚えているのか!?
     貸し与えた領土を私物化した時も! ギジュン准将やスノッジ少将らと共謀し、ノルド峠へ勝手に関所を作って通行料を徴発し始めた時も!
     さらには得た利益を我が国へろくに献上せず、ぬけぬけと懐に蓄えた時も! 余は何度も何度も、『それはあんまりであろう』と諌めたであろう! そしてお前は、それらすべてにのらりくらりと言い訳を立てて誤魔化し、無視を通したではないかッ!
     それが何だ、いざ自分が窮地に陥ったら、恥も外聞もなく助けを乞うのか、仮にも将軍の地位にあった者が!? 恥を知れ、恥をッ!
     もうお前の顔なぞ見たくもない! 去らねばここで、その猪首をはねるぞッ!」
    「……う、ぐうう」
     これ以上嘆願は無駄と悟ったのか、ロドン将軍はすごすごと謁見の間を離れていった。
    「……ふう」
     ロドン将軍が消えたところで、バトラー王は玉座にしなだれかかる。
    「金はない、将も兵もろくに言うことを聞かぬ、さらにはキルシュ卿の離反と別の王朝の台頭、か。窮地などと言う言葉では、足らぬ足らぬ」
     バトラー王は頭を抱え、ぼそ、とつぶやいた。
    「……俺には分からん。この先どうすれば、この全てを解決できるか」



     ノルド王国とは対照的に、ジーン王国は活気づいていた。
    「さーさー安いよ安いよ、塩湖で取れた塩だよ、肉の臭み取りと味付けには持って来いだよ!」
    「北の狩場で今朝獲ったばっかり! 新鮮な兎肉! 食べなきゃ力付かないよー!」
    「これであんたも今日から狩人! この弓さえあれば、獲物が狩り放題だ!」
     元々、ミラーフィールド塩湖周辺の土は栄養分が豊富であり、動植物が多かった。そして塩湖自身も、良質の塩を産出している。土地の面で言えば、かなり恵まれていたのだ。
     そして軍閥を挙げて独断専横を行っていたロドン将軍が消えた今、あちこちから人が集まりつつあった。
    「とは言え、税率はかなり高くしないと、追いつかないでしょうね」
     フォコは街の活気を砦の窓から眺めながら、キルシュ卿と財政の相談をしていた。
    「うむ……。折角集まってくれた皆には重荷になるかも知れん。しかし、我々の国庫もそう潤沢ではないからな」
     ロドン将軍の資産を丸ごと手に入れた王国だったが、あくまでも一将軍が贅沢できる程度の資産である。国家予算として見れば到底、足りる額では無かった。
     そのため、資金の確保を急がねばならなかったが――。
    「王室政府が十分回転できるくらいの額を一年で徴収するとなったら、商業税は多分30%以上、住民税も40%近くに設定しないといけませんが……」
    「それは無理だろう。折角集まった民が、悲鳴を上げて逃げてしまう」
    「現実的に見れば、10%が限界ですよね。……となると、活動が十分にできるまで、4年はかかる計算になりますね」
    「もっとかかるだろう。その間、収支も変動するだろうし、今は貧窮しているノルド王国も、いつ攻めに入るか分からんからな」
    「ともかく、早くお金を貯めないと。それが第一の課題ですね」

    火紅狐・創星記 1

    2010.12.25.[Edit]
    フォコの話、110話目。活気付く、新しい国。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「そうか」 自分たちの本拠地から追い出され、その窮状を訴えてきたロドン将軍たちの話を聞き終えたノルド国王、虎獣人のバトラー・ノルドはそれだけ言って返した。「そうか、ではございません! すぐに兵を集め、反乱軍と逆臣キルシュを皆殺しに……!」「ああ、うむ」 猛々しく怒鳴り散らすロドン将軍に対し、バトラー王はぼんやりした返...

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    フォコの話、111話目。
    裏切りと蹂躙。

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    2.
     ジーン王国の財政大臣となったキルシュ卿の片腕として本格的に活動し始めたフォコは、初っ端から大きな問題と向き合わねばならなかった。
    「とりあえず、税金は10%前後で推移させるとして……。その上で早急に動ける程度の額を貯めなきゃいけない、ってなると……」
     自分に割り当てられた執務室で、フォコは壁にかけてある大きな黒板にチョークで数字を書き連ね、計算を重ねていく。
     だが、何度やっても出てくる額は、年単位の辛抱を必要とする大きさだった。
    「アカンなぁ……。どこをどう引っ張ってきても足りひん」
     フォコは真っ白になった左手――金火狐一族にはなぜか、左利きが多い。フォコもその例に漏れず、左利きなのだ――をローブの裾ではたき、「うへ」と声を出した。
    「しもた、服が真っ白になってもた」
     フォコはローブを脱ぎ、バサバサと揺すって、チョークの粉を落とそうとした。
     と――。
    「ソレイユ君、入るよ」
    「へっ」
     キルシュ卿が、ひょいと部屋の中に入ってきてしまった。
    「わ、わわわ」
     フォコは慌ててローブを被り直そうとしたが、キルシュ卿はばっちりフォコの髪と狐耳、尻尾を見てしまったらしい。
    「うん? ……もしかして、君?」
    「あ、あわわわ、見てませんよね? 見てはりませんよね?」
    「いや……、悪いが確認できてしまった」
     キルシュ卿は後ろ手にドアを閉め、そっと尋ねてきた。
    「私も商売人だし、大臣として、諸外国の視察も何度か行っている。それほど特徴的な髪と耳尾は、央中の『あそこ』以外で目にかけたことはない。
     君は、金火狐一族の者、かな」
    「……はい」
     フォコは観念し、被りかけていたローブを脱いだ。
    「ソレイユ、と言う姓は偽名かな」
    「ええ」
    「何故身分を?」
    「諸事情がありまして」
     その答えに、キルシュ卿は「ふうむ……」とうなった。
    「良ければ聞かせてほしい。私としては、あまり……、その、金火狐にはいい印象を持っていないのだ」
    「そう、ですか」
     キルシュ卿はばつの悪そうな顔を向け、こう続ける。
    「彼らのために、ここ数年の経済状況は加速的に悪化したと言っても過言ではないからな」
    「『ここ数年』、ですか。……じゃあ、誤解のないように、そこだけ釈明します。
     僕はここ数年、金火狐とは縁が切れています。14から17まで南海にいましたし、その後は央北をぐるぐる回ってましたから」
    「それは何故かね?」
    「……現、金火狐一族の、……当主。彼には、……僕の親しい人を、次々に殺されましたから」
    「殺された? ……思っていたような話ではないな。詳しく、聞かせてはくれないか?」
    「でも……」
     言いよどむフォコに、キルシュ卿は表情を崩した。
    「どうせ老い先短い身だ。どんな話を聞かされたとしても、数年のうちに秘密は守られる」
    「……そう言われては、話さないわけには行きませんね」

     フォコの事情を聞いたキルシュ卿は、悲しそうに目を細めた。
    「何とむごい……! そうか、ジョーヌ海運の経営縮小も、ケネス・ゴールド……、いや、ケネス・エンターゲート氏のせいだったか」
    「ええ。……って、縮小ってことはまだ、ジョーヌ海運はあるんですか?」
    「一応は、ある。だが、経営者が奥方に代わった後、まったくうわさを聞かなくなってしまった。恐らく、業績は芳しくないだろうな。
     まあ、経営悪化の理由はジョーヌ氏の死だけではないだろうが」
    「と言うと?」
    「3年ほど前、エール商会を半分以上、まるで食いちぎるようにして買収した、スパス産業と言う商会が現れた。
     以降、西方の商工業網はほとんど、そこ一店に牛耳られてしまっているのだ。それとジョーヌ海運の凋落は、無関係とは言えまい」
    「す、……スパス、ですって」
     フォコの脳裏に、クリオを裏切った造船所の若頭、アバント・スパスの顔がよみがえる。
    「……どうしたのかね?」
    「そいつは……、そいつが裏切ったせいで、おやっさんは拉致されて、死んだって言うのに……! そいつは、のうのうと西方に居座っている、なんて……ッ」
    「そうか……。ではあのうわさも、恐らく真実なのだろうな」
    「うわさ?」
    「その、スパスと言う商会主。金火狐当主とつながっていて、彼の指示のもと、あちこちの買収を続けている。そう言ううわさが流れているのだ。
     エンターゲート氏は何を考えているのか……? 金と権力に任せ、あちこちで非道な商売を展開している。
     北方の経済危機にも、彼は一枚噛んでいるし……」
    「それ、詳しく聞かせてくれませんか?」
    「うむ」

    火紅狐・創星記 2

    2010.12.26.[Edit]
    フォコの話、111話目。裏切りと蹂躙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ジーン王国の財政大臣となったキルシュ卿の片腕として本格的に活動し始めたフォコは、初っ端から大きな問題と向き合わねばならなかった。「とりあえず、税金は10%前後で推移させるとして……。その上で早急に動ける程度の額を貯めなきゃいけない、ってなると……」 自分に割り当てられた執務室で、フォコは壁にかけてある大きな黒板にチョークで...

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    フォコの話、112話目。
    恐喝金融。

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    3.
     ケネスが中央軍と通じて世界各地で紛争を起こし、長引かせるとともに、武具を大量に売りつけることでマッチポンプ式に荒稼ぎしていると言ううわさは、既に広く知られるところとなっていた。
     が、それを知りつつも、中央政府は何も言わない。言ったところで、中央政府には何のメリットも無いし、そもそも中央政府の主、オーヴェル帝は今一つ、その因果関係が分かっていないからだ。ケネスに「領土拡大、ひいては世界再平定を成すための行為」と誤魔化され、諌めるどころか嬉々として奨励している有様である。
     それをいいことに、ケネスはますます増長していた。



    「いやいや……、私も女には汚い性質と自負してはおりますが、閣下も相当ですな」
    「そんな言い方はよしてくれ、当主殿」
     北方大陸と中央大陸の間にある海、北海。その第5島、フロスト島にあるイドゥン少将の本拠地、フリメア砦にて。
     ケネスがイドゥン将軍と、密かに会談していた。
    「どうしても、振り向いてほしくての行動なのだ。せめて純情と言ってほしい」
    「どちらでもよろしいことです。
     それよりも、依頼してあった件。あちらは、どうなりましたかな?」
     ケネスの問いに、イドゥン将軍は顔をしかめた。
    「どうにもならん。レブの奴めが峠を閉じてしまったからな。首都との連絡は止まったままだ」
     レブ、と言うのはギジュン准将の名前である。
     元々イドゥン将軍とギジュン准将は兄弟分だったのだが、将軍が准将の妹、イリアを娶りたいと自分の砦に軟禁したために、その仲を悪化させていた。
    「それは困りますな、閣下。覚えていらっしゃるとは思いますが……」
     ケネスは懐から、証文書をチラ、と見せた。
    「む……」
    「あなたに5000万クラムを無利子でお貸しする代わりに、山間部における鉱山を売却するよう、王室に働きかけてもらう。それが契約の内容でしたがね」
    「分かっている。だが奴も頑として、『妹はやらん。無傷で返してもらうぞ』と突っぱねていてだな……」
    「まどろっこしいですな」
     ケネスは口の端を歪ませ、イドゥン将軍を鼻で笑う。
    「さっさと既成事実を作れば、准将も諦めがつくでしょう」
    「そ、そんなわけに行くか! 吾輩は少将だ! 大軍を任された将軍なのだ! そんな、下卑た真似をするわけには……」「それなら」
     ケネスは拳骨でゴツゴツと机を叩きながら、脅しにかかる。
    「准将が動かず、首都と連絡が取れない以上、この証文は不履行となりますな。であれば無利子、とは行きますまい」
    「うぐ……」
     ケネスは先程見せた証文書を、イドゥン将軍の鼻先に突きつける。
    「ほら、ここ。ここに、不履行の際の処置を書いていますでしょう? 不履行の場合、年35%複利で、きっちりと、返済していただく、と。
     私が閣下に貸し付けたのは3年前、すると複利計算はどうなりますかな? ……おおっと、これは大変な額だ」
     サラサラとメモに書きつけた額は、とんでもない額に膨れ上がっていた。
    「ん、がっ」
    「おやどうしました、間抜けな音を鼻から出して? それほど望外の額だと?
     ご納得いただけないなら、もう一度計算いたしましょうか? 5000万が1年で6750万に。そしてもう1年で9112万。
     そしてさらに1年、計3年でほら、1億2301万クラムです。計算に間違いがございますかな、閣下?」
    「こ、こんな額、払えるわけが……」
    「払えない? おやおやおやおや? そうですか、払えないと。いやぁ、困りましたなぁ」
     ケネスはすい、と席を立つ。
    「ど、どこへ」
    「これ以上議論の余地はありますまい。私も何かと忙しい身ですからな。本国に帰り、中央軍のバーミー卿と会談しなくてはなりません。
     なにせ、1億2000万もの大金を踏み倒す不敬な方がおりますからな。制裁を受けてもらわねば、世界に示しが付かぬと言うもの」
    「まままま、待て待て、待て!」
    「なんですか? まだ何か?」
    「分かった! 何としてでも、吾輩はレブを倒す! そうすれば首都との連絡も回復するし、イリアも諦めてくれるだろう!」
    「そうなれば、私との契約も履行できる、と。そう言うお考えですな。……で?」
     ケネスはイドゥン将軍の言わんとすることを察し、こう尋ねた。
    「そのためにはいかほどご入り用です、閣下?」

    火紅狐・創星記 3

    2010.12.27.[Edit]
    フォコの話、112話目。恐喝金融。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ケネスが中央軍と通じて世界各地で紛争を起こし、長引かせるとともに、武具を大量に売りつけることでマッチポンプ式に荒稼ぎしていると言ううわさは、既に広く知られるところとなっていた。 が、それを知りつつも、中央政府は何も言わない。言ったところで、中央政府には何のメリットも無いし、そもそも中央政府の主、オーヴェル帝は今一つ、その因...

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    フォコの話、113話目。
    経済復興案。

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    4.
    「なるほど……。つまり、『ノルド王室側の将軍』と『野心を持ち独断専横を続ける将軍』、そして『ケネスに債権を握られて侵略活動を行う将軍』との3種類の軍閥で、対立が続いているわけですか」
    「その通り。性質が悪いのは、2番目よりもむしろ、3番目に当たる将軍だ。2番目のタイプはまだ、自身の活動を抑制できる。自分の意思で、軍閥を動かせる。
     だが3番目、これはもう自分で動けない。エンターゲート氏に多額の借金をしているために、催促されれば簡単に兵を動かしてしまう。
     そして二次災害的に、もう一つ問題が発生する。その、莫大な借金だ。その返済を行うには、ノルド王国の国庫からでは到底支払えない。当然、何らかの税を設け、民から徴収することとなる」
    「それがみんなの首を絞め、さらに経済が悪化。そうなればまた借金をして……、と言うわけですか」
    「その通りだ。このままではいずれ中央軍、もしくは中央政府が本土に攻め込んでくるだろう。その違いは武器で攻めるか、債権で攻めるか、だ」
     話を聞いたフォコは、もう一度黒板に向かった。
    「問題は、……とてつもなく大きく、そして、絶対に解決しなければいけない問題は」
     フォコは黒板に、「北方の経済復興と独立」と書き込んだ。
    「これです、ね」
    「その通りだ。中央の経済圏から独立しなければ、そう遠くない将来、北方は滅ぶ」
    「……」
     フォコは黒板の前に座り込み、腕を組んで考え込んだ。
    「中央の経済圏から離れるには……。それはすなわち、『クラム』と言う通貨から離れなきゃいけない、ってことですよね」
    「ふむ」
    「このままクラムが、ただ流れ込むだけじゃ、こっちで使われてるグラン通貨はどんどん価値を失ってしまう。
     でも北方に出回ってるクラムのほとんどは、大商人や軍閥に流れ込むばかりで、多くの人には行き渡らない。価値が日を追うごとに下がっていくグランだけが、みんなの手元に残るばかりですよね」
    「確かにそうだ」
     フォコは立ち上がり、黒板にカリカリと問題点を書き連ねていく。
    「つまり、逆に言えば――北方の通貨の価値が上がれば、いわば『底上げ』が起こる。みんなの裕福度が、一斉に上がる。
     そうなればクラム通貨は相対的に価値を失い、撤退していってくれる。それで、北方の経済独立が達成できるはずですよね」



     と、大風呂敷を広げたはいいものの――。
    「……ちゅうても、アイデアなんてあらへんよなぁ」
     妙案がすぐに浮かぶわけもなく、フォコは街へ繰り出していた。
     往来のにぎわいを座って眺めつつ、フォコは自分の懐から、クラム銀貨とグラン銀貨とを取出し、見比べる。
    「クラム、か。……この『お嬢さま』も災難やなぁ。人によっては、ホンマに汚く扱われて……」
     銀貨の裏面に刻まれたエルフの女性――初代天帝の娘、クラム・タイムズと言うそうだ――を見て、フォコはため息をつく。
    (ホンマに、僕はお金に悩まされるなぁ。それも、明日パンやらパスタやら買う金がない、っちゅう次元やなくて、もっと別の、ヘンテコな次元で。
     ナラン島ん時は、レヴィア兵から奪ったガニー使うてええんかって逡巡しとったし、ノースポートとかグリーンプールとかでは、寸借詐欺がバレたりせーへんかって、持っとって逆に苦しかったし。
     ほんで今は、『あの外道』がバラ撒いとる金をどうやって駆逐するか、や。……もっと庶民的に悩みたい、っちゅうか、庶民的に暮らしたいもんやけどなぁ)
     何の気なく、フォコはその銀貨二枚をぽいぽいと宙に投げ、ジャグリングをする。
    「ほい、ほい、ほい、……っと」
     そうして空虚に時間を潰していると――。
    「おい、兄ちゃん」
    「ふえ?」
     いつの間にか、フォコの前に中年の短耳と虎獣人が立っていた。
    「金、大事にしなきゃ」
    「遊ぶなよ、金で」
    「あ、すんません」
     フォコはジャグリングをやめ、銀貨を懐にしまう。が、中年二人は立ち去らない。
    「兄ちゃん、器用だな」
    「あ、ども。昔、船造ってましたから」
    「兄ちゃん、船乗りなのか? こんな山奥で何してんだよ、ははは……」
     中年二人はフォコの横にしゃがみ込み、親しげに話しかけてくる。フォコもそれに、なんとなく応じてみた。
    「いや、船乗りじゃなくて造船所にいたんですよ。ジョーヌ海運ってとこ」
    「じょーぬ? 知らんなぁ」
    「西方とか南海じゃ、結構でっかいところだったんですけどねー」
    「あー、西方かぁ。兄ちゃん、西方人なのか?」
    「えーと、まあ、そんな感じです」
    「西方の奴ら、おしゃれしてるとかキザなやつが多いって聞いたけど……」
     虎獣人はフォコの服装を眺め、鼻で笑う。
    「だっせえな」
    「へへ……、すんません。貧乏なもんで」
    「と……、火打石、あるかい? どっか行っちまって」
     いつの間にか短耳が、煙草をくわえている。
    「あ、魔術かじってたんで、……はい」
     フォコは魔術を唱え、指先に小さな火球を作った。
    「お、悪いな。……ふー」
     短耳はにっこり笑いながら、煙草の煙を吹く。
     と――虎獣人が、妙なことを短耳に言った。
    「おい、もったいねえぞ。グランよりよっぽど金になるんだし」

    火紅狐・創星記 4

    2010.12.28.[Edit]
    フォコの話、113話目。経済復興案。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「なるほど……。つまり、『ノルド王室側の将軍』と『野心を持ち独断専横を続ける将軍』、そして『ケネスに債権を握られて侵略活動を行う将軍』との3種類の軍閥で、対立が続いているわけですか」「その通り。性質が悪いのは、2番目よりもむしろ、3番目に当たる将軍だ。2番目のタイプはまだ、自身の活動を抑制できる。自分の意思で、軍閥を動かせる...

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    フォコの話、114話目。
    金銀でなくとも。

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    5.
    (煙草が……、金になる?)
     フォコはその言葉の意味が何を示しているのか分からなかったが、とりあえず聞き耳を立ててみた。
    「いいじゃねえか、一本くらいよ」
    「10本ありゃ、セムノフじいさんが野菜いっこくれるんだぜ。とっとけよ」
    「お前は煙草吸わないからそんなこと言えんだよ。じいさんだって煙草好きだから、煙草と野菜交換してくれるんだし」
    「俺には分かんねーなー、煙吸って何がうまいんだか。そんなのより食い物だろ」
     ピンときたフォコは、二人に尋ねてみた。
    「そのおじいさん、煙草で野菜を売ってくれるんですか?」
    「ま、そんな感じだな。ほら、普通に蕪やらほうれん草やら買うと、30万グランとか余裕で超えるだろ? 俺たちの稼ぎが、捌いた兎やら鳥やら売って、ようやく100万行くか行かないかだしな。まともに買ってらんねーしよ。
     で、セムノフのじいさん、自分で畑持っててよ。自分ひとりじゃ食うには困るってことはねーけど、煙草好きでな。でも煙草も、普通に買うと高い。10巻き一まとめで、50万くらいだ。じいさんだから体力ねーし、商売はできない。金、持ってねーんだよ」
    「でもな、俺たち煙草売りの奴とも友達でよ、俺たちの獲ってきた肉と交換で、100巻き分くらいばーっとくれるんだ。で、それをじいさんに渡す。そしたら代わりに、野菜をくれるってわけだ」
     その説明に、短耳が得意げにこう付け足す。
    「ま、セムノフじいさん以外にも、煙草でモノ売ってくれるって奴は結構いるんだ。この世の中、金はむしろ回んなかったりするんだよな。
     他にも俺たちみたいに、煙草でモノの売り買いしてる奴は何人かいるぜ」
    「……なるほど」
     二人の話を聞いて、フォコの頭にあるアイデアが浮かんだ。



    「現状の問題としては、資金難も大きいけど、交通網も気になるな」
     イスタス砦の会議室で、ランドとイール、他数名が、反乱軍改めジーン王国の、今後の行動を検討していた。
    「そうね。いずれ、他の勢力とも戦う時が来るでしょうし、自分たちの行動範囲は広げておきたいところだけど……」
    「ノルド王国の財政破綻が長すぎたね。峠や街道は荒れに荒れて、けもの道も同然だ。これじゃ行軍しても、ほとんど進めないだろうな。
     だから、できる限り道の整備をして行きたいところなんだけど……」
     そこで全員が、同時にため息をついた。
    「……金かかるよなぁ、それ」
    「うんうん、かかるねー……」
    「今の財政じゃ、兵士の給料だけで一杯一杯だし」
    「どうしようかしらね……」
     と、全員で悩んでいたところに、フォコが飛び込んできた。
    「ランドさんランドさん! 今、僕、めっちゃいいアイデアできたんですよ!」
    「おわっ!? ……な、なんだホコウか。驚かせないでくれよ」
     目を白黒させるランドに構わず、フォコは嬉しそうにまくし立てた。
    「これがあれば、金なんていらないって言うアイデアがあるんです!
     あ、いや、金はいらないって言うか、グランはいらないって言うか、やっぱり金みたいなものはいるんですけども」
    「な、何? どう言うこと?」

     フォコは皆に、街で会った中年二人の話をした。
    「つまり……、物々交換で賄うってこと? ……ホコウ、それは無理だよ」
     話を聞いたランドは、がっかりした顔になる。
    「物々交換は、『自分がほしいモノを相手が持っていて、なおかつ、相手がほしいモノを自分が持っている』ことが前提だ。
     僕たちがほしいのは――勿論お金だけど、そのお金で買うものは何かって言えば――兵士の装備や周辺の整備に使う道具や石材、その他諸々。それを持ってる人と交渉して、成立するかどうかは難しいところだと思うよ。
     それに王室政府である以上、大量に人を使う。人件費と言う名目で、やっぱりお金はいるんだ。物々交換じゃ、この問題をクリアすることは不可能だよ」
    「ちゃいますて」
     が、フォコは得意満面にそれを否定した。
    「誰も物々交換で解決するって言うてませんよ。僕がさっきの話で言いたいのんは、『金はそれ自体に価値が無くてもええ』っちゅうことですわ」
    「え……?」
     これには、イールが反発した。
    「そんなわけないじゃない。そんな理屈通るんだったら、そこら辺の石を相手に渡して『これでパンくれ』って言っても通るってことでしょ?
     でもそんなの、誰もくれないに決まってるじゃない。石は石なんだし」
    「そら、ただの石使たらそうなりますけども。……それもちゃうんですって。
     じゃあ、まあ、その例えをそのまま使いますけども、その石を、僕が『後でちゃんとしたお金に換えるって約束します』って言って渡したら、どうですか?」
     この理屈には、何人かうなずいてくれた。
    「それを信用するなら、パンをくれるかもねー」
    「でも信じない人だっているだろう? ただの石じゃ……」
     これについても、フォコはこう説明する。
    「そら、僕かて単なる石渡されたら、嫌やって言いますよ。
     でも、……例えば、証文みたいなん渡して、『この紙と引き換えに、キルシュ流通の品物が買えますよ』って言う約束を付けたらどうでしょう?」
    「ああ、なるほど」
    「ほんで、例えば証文1枚やったらパン1個、5枚やったら野菜一かご、10枚やったら……、っちゅう感じに渡していくんです」
     それを聞いて、ランドは首をかしげた。
    「……それ、結局は、お金ってこと?」

    火紅狐・創星記 5

    2010.12.29.[Edit]
    フォコの話、114話目。金銀でなくとも。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.(煙草が……、金になる?) フォコはその言葉の意味が何を示しているのか分からなかったが、とりあえず聞き耳を立ててみた。「いいじゃねえか、一本くらいよ」「10本ありゃ、セムノフじいさんが野菜いっこくれるんだぜ。とっとけよ」「お前は煙草吸わないからそんなこと言えんだよ。じいさんだって煙草好きだから、煙草と野菜交換してくれるん...

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    フォコの話、115話目。
    「星」の席巻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     フォコはランドの問いに、深くうなずいた。
    「突き詰めていけば、そうなります。
     さっきも言いましたけど、『お金自体が価値あるもんで無くてもええ』んです。何かと交換できるとしっかり約束されていれば、どんなものでもお金にできるはずです」
    「金や銀無しに、約束によって金を作る、……か」
     いつの間にか、会議室にキルシュ卿の姿があった。
    「全く考えもよらなかった。なるほど、確かにその考えなら、貴金属を持たない我々が通貨を作ることができる」
    「しかし……」
     依然、ランドは納得しかねているようだ。
    「その約束・契約が信用されなければ、まったく意味がないだろうね。いや、この辺り一帯に販売網を持つキルシュ流通なら、信用されるだろうけど。
     よしんば、その新しく作ったお金が信用されたとしても。キルシュ流通以外のものは、買えないんだろう? 他に使い道がないんじゃ、お金としては無価値じゃないかな」
    「だから、僕は煙草の話をしたんですよ」
     この意見にも、フォコはきっちりと反論した。
    「虎獣人の方は、自分で吸わへんのに煙草を貯めていました。それは、野菜と交換できるから。つまり『煙草で野菜を買える』と言う、約束みたいなもんがあったからです。
     また、彼らは他にも交換できるものがあると言っていました。そして、同じようなことをしている人も何人かいる、と。
     なぜかって言えば、煙草が確実に野菜に換えられる、と言う約束があるからです。他の何とも取引できなくなっても、それだけは確実に守られるだろう、と考えているから、煙草との交換に応じるんだと思います。
     なら――その人たちの間では、煙草は単なる野菜との交換材料と言うだけではない、ちゃんとしたお金としての機能を持っているんじゃないでしょうか?」
    「つまり君は、確実に何かと交換できる約束・保証があるなら、どんなものでもお金として通用するはずだ、と言いたいわけだね」
    「そうです。
     僕らが作ったお金は、最初はキルシュ流通の品を買う価値しかないでしょう。でも、これはさっきの煙草のように、キルシュ流通が関係しない取引においても、使われるようになると思います。
     これらが実現すれば、僕たちは――まあ、無限にとは言いませんが――お金をいくらでも作れるようになるはずです」
    「うーん……」
     ランドはまだ納得した顔をしなかったが、小さくうなずいた。
    「まあ……、ともかく、キルシュ流通が取引できる間は、お金として扱ってもらえるかもなぁ」

     一応の可決を見て、フォコとキルシュ卿は、安価な真鍮で作った新たな通貨「ステラ」――北方の言葉で「星」を意味する――を、王室政府で働く者たちに支給することにした。
     と同時に、懸念されていた交通整備の問題にも、新通貨を以って対処することとなった。この工事のために雇った人夫への日当に、このステラを使ったのだ。
    「なんだこれ?」
    「軽っ」
    「コドモのオモチャか?」
     新しく見る貨幣に、人夫たちは首をかしげる。
    「我々ジーン王国が新たに発行した通貨です。あ、ご不満ならグランで支給しますよ」
     とフォコが説明したが、人夫たちは納得しない。
    「新しい通貨ぁ?」
    「こんなオモチャが金になるかっつーの」
    「ちゃんとした金寄こせや」
     が、続けてこう言うと、半数程度は納得してくれた。
    「あ、キルシュ流通の加盟店で使うとですね、オマケ付きますよ。
     1ステラ辺り、10000グランで換金できますけども、今なら加盟店で使うと500グラン分のオマケ、付けます。ちゃんと話、通してありますので」
    「……ふーん」
    「じゃあ試しにもらってみるか」
    「ちゃんと交換できるんだろうな?」
    「お釣り出ないとかないよな?」
     まだ半信半疑そうな人夫たちに、フォコはこれまたにっこりと笑って対処した。
    「もちろん。これは我々ジーン王国とキルシュ流通が、正式なお金であると保証します」

     初めはグランでの支給を望む声が多かったが、日を追うごとにステラを好む者が増えてきた。
     と言うのも、グランでは凶悪なインフレにより、一度の買い物に使う額が10万、20万とかさばる上、かなり純度は低いもの金や銀が含まれているため、重たい。それよりも同じ買い物が数枚程度で済むステラの方が、非常に持ち歩きやすかったのだ。
     そして、皆がステラを手にし始めたことで、フォコの読み通り、ステラを一度グランに戻して取引、もしくはグランを受け取りグランで取引、と言う流れは次第に消え、代わりにステラを受け取り、ステラのまま取引を行う、と言う流れになり始めた。

     次第にイスタス砦周辺に出回るグランの量は減り始め、ステラが席巻していった。

    火紅狐・創星記 6

    2010.12.30.[Edit]
    フォコの話、115話目。「星」の席巻。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. フォコはランドの問いに、深くうなずいた。「突き詰めていけば、そうなります。 さっきも言いましたけど、『お金自体が価値あるもんで無くてもええ』んです。何かと交換できるとしっかり約束されていれば、どんなものでもお金にできるはずです」「金や銀無しに、約束によって金を作る、……か」 いつの間にか、会議室にキルシュ卿の姿があった。...

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    フォコの話、116話目。
    大番頭の快挙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「何です、これは……?」
     ミラーフィールド大塩湖南部一帯を支配するソーリン砦の主、スノッジ将軍は提示された金袋を見て、首をかしげた。
    「あ。……すみません、閣下。こちらではまだ、使われておりませんでしたね」
    「使われていない、と言うのは?」
     塩湖北部、イスタス砦から食糧を卸しに来た商人は、ステラが入った金袋をそそくさとしまいながら、自分たちの国でこの通貨が使われ始めたことを説明した。
    「つまり、キルシュ卿がこれを使うようにと広めたのですか?」
    「あ、いえ。指示したのは大番頭です。今年の初めに入った、ソレイユって狐獣人がいまして」
    「ほう」

    「そりゃ楽だな。いちいち何千億も用意しなくて済む」
     一方、こちらはノルド峠とミラーフィールドとを結ぶ街道の中間にあるアーゼル砦。
     ここを守るギジュン将軍もスノッジ将軍同様、ステラの存在を商人から聞きつけていた。
    「んー」
    「どうされました、閣下?」
    「その、ソレイユって商人、こっちに呼べるかな……」
    「いや……、申し訳ございませんが、大番頭は王室の財政を切り盛りしている状態でして、こちらへ参らせることはできかねます」
    「そうか。……じゃあ、俺から出向くとするか」
     それを聞いて、商人は首をかしげる。
    「何かご入り用で?」
    「ああ。近く、俺たちはフリメア砦に侵攻しようと考えている。
     イリア……、俺の妹がさらわれて随分経つし、イドゥン卿も、近々攻めてくるかも知れないと聞く。この膠着した状況が、いつ崩れてもおかしくない。
     そこで対策として、……まあ、借り入れを行おうかと」
    「なるほど。……あ」
     と、話を聞いた商人はぺち、と額を叩いた。
    「申し訳ございません、閣下。その申し出は恐らく、……本当に申し訳ございませんが、断られてしまうかも知れません」
    「何故だ?」
    「大番頭は現在、金融業を全面的に凍結、禁止しているのです」



     ステラの発行と流通が進み、ジーン王室の資金繰りは日を追うごとに順調になっていた。
    「分かりました。そちらへは、5百億グランでお支払いすると言うことで話を進めます。で、南西の鉱山についてもグランで支払いする方向で押してください。それから……」
     懸命にステラを広め、グランを回収した結果、ミラーフィールド近隣に出回っていたグランは人々の手を離れ、王室とキルシュ流通の懐に流れ込むようになっていた。
     そのため、ミラーフィールド周辺ではステラで支払いを行いグランを回収、ステラがまだ通用しない地域では、その大量に回収したグランで支払う、と使い分けることができ、キルシュ流通はその事業をどんどんと拡大し、ステラ通貨の信用をさらに確固たるものにしていた。
     通貨の価値が増し、支払い能力が増大することで、それがさらに通貨の力を強める――経済拡大のスパイラルを築き、王国は急速に力を付けていた。
    「……ふう。これで今日の仕事は、しまいにしときますか」
    「そうだな。わたしも流石にへとへとだ」
     商売と財政が順調なため、最近のフォコたちはほとんど休む間もなく執務に追われていた。
    「どうかな、ソレイユ君。たまには休みを取っては」
    「いやいや、まだまだですわ。それより卿の健康が心配ですよ」
    「はは、わたしのことなら心配しなくともいい。ノルド王国の時に比べて、やることがすべて好調だからな。苦にならんよ」
     そう言って笑い飛ばした後、キルシュ卿は冗談めかしてこう述べた。
    「が、懸念することが一つ、あると言えばある。金庫がもう、グランでパンパンなのだ」
    「あー……、ですよねぇ。今いくら入ってましたっけ」
    「確か、150兆ほどだったはずだ」
    「150兆、ですか。……額だけ聞いたら、ものすごい気ぃするんですけどねぇ」
    「いや……、それでもクラム換算で、15億ほどにはなる。……これなら各地の、借金であえぐ軍閥を救済し、我々の側に引き込めるな」
    「ええ。パンパンになりそう、っちゅうことでしたら、それで消化してしまいましょう」
    「いや、それよりもステラとグラン、この両方で為替取引をしていけば……」
     商人らしく、そうつぶやいたキルシュ卿に、フォコは首を振った。
    「あきませんよ、それは」
    「……ははは、分かっている。折角我々の手で馬鹿げたインフレが終息しそうだと言うのに、また火を点けてはな」
    「ええ。せやから、貸し付けも全面禁止にしとりますし、今後峠が開けた後の貿易でも、クラム建てで取引していこか、って話でしたしな」
    「うん、うん。分かっている、分かっている」

     1クラム辺り10万グランと言う「馬鹿げたインフレ」が起こった背景には、金融業の存在も深く関わっている。
     まだインフレが激化する前にグランをクラムに換えた商人たちは、インフレが進んだ後にクラムからグランに戻して、その利鞘を荒稼ぎしていたのだ。
     例えば、1クラム500グランだった頃、1000万グランをクラムに換えれば2万クラムとなる。そしてインフレが進み、1クラム800グランとなった頃にまたグランへと戻せば、その額は1600万グランとなり、何もしないうちに600万グランの利益が生まれるのだ。
     そんなマネーゲームが何度となく繰り返され、その結果、グランの価値は異様に安くなってしまったのだ。

    「ジーン王国はまだ、立国したばっかりですしな。今ここで不用意な金儲けしたら、間違いなく大コケしますで」
    「うんうん、分かる、分かるよ」
     キルシュ卿は深くうなずき、この大番頭の手腕と見識に安心していた。



     後に、フォコが金火狐の総帥となり、商会を「金火狐財団」として再編することになるのだが、彼はこのキルシュ流通をはじめとして、他の商会数店をもこの傘下に収めた。
     と言っても、ケネスやその手下のように暴力的な買収を行ったわけではない。すべて、彼の人柄と経営手腕に惚れ込んだオーナーからの、好意的な譲渡によるものである。
     もしも――フォコがケネスのように、利己的で身勝手な振る舞いを執っていれば、金火狐財団を立ち上げるどころか、このジーン王国で立身することも無かっただろう。

    金火狐・創星記 終

    火紅狐・創星記 7

    2010.12.31.[Edit]
    フォコの話、116話目。大番頭の快挙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「何です、これは……?」 ミラーフィールド大塩湖南部一帯を支配するソーリン砦の主、スノッジ将軍は提示された金袋を見て、首をかしげた。「あ。……すみません、閣下。こちらではまだ、使われておりませんでしたね」「使われていない、と言うのは?」 塩湖北部、イスタス砦から食糧を卸しに来た商人は、ステラが入った金袋をそそくさとしまいなが...

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    フォコの話、117話目。
    バッティング。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     順風満帆に地域経済を立て直していくジーン王国に転機が訪れたのは308年、極寒の北方大陸山間部に、ようやく春の兆しが仄見えようかと言う頃だった。
    「え……? どっちなの?」
    「両方です」
    「両方って……、ギジュン准将とスノッジ少将が、同時に?」
     連絡を受けたイールは、非常に驚いた。
     なんと、残る四大軍閥のトップ2名が、同時にジーン王国を訪れたと言うのだ。
    「じゃあ、今この砦に、二人が来てるって言うの?」
    「はい。……それでサンドラ閣下、あの」
    「何よ?」
    「間違えて、お二方を同じ待合室に案内してしまったんです。……どうか、仲立ちを」
    「あたしが? えー……」
     イールは猫耳を伏せ、嫌そうな声を漏らした。

    「……」
    「……」
     その待合室にて。
     四大軍閥、とくくられてはいるが、全員の仲がいいわけではない。元々反発して、個別に領土を牛耳った者たちである。
     待合室の空気は、険悪そのものだった。
    「……なんです?」
     先に口を開いたのは、スノッジ将軍の方だった。
    「何も言ってねーだろ、おばはん」
    「……」
     それきり、両者ともそっぽを向いてしまう。
    「……ったく、なんでこの俺がこんな年増と相席しなきゃなんねーんだか」
     と、今度はギジュン将軍がぼそ、とつぶやく。
    「わたくしも、あなたのような野蛮人と同席など、したくもありません」
     じわじわと、両者の間に火花が散り始める。
    「あ……? 誰が野蛮人だ? 気取りやがって」
    「おお、なんと口汚いことでしょう。耳が腐ってしまいますわ」
    「いいじゃねーか。長すぎるくらいだし、腐らせちまえよ」
    「あなたの尻尾も少しは整えらしては? まるで古びたモップのようですし」
    「ケンカ売ってんのか、おばはん」
    「それはあなたの方でしょう? まったく、気は短い、口は汚い、尻尾も汚い。よく将軍などと名乗れますね」
    「……てめえ」
     ガタ、と椅子を倒し、ギジュン将軍が立ち上がる。と同時に、スノッジ将軍が魔杖を構える。
    「そのケンカ、買ってやる!」
    「望むところです」
     と、今にもつかみかかろうとしたところで――。
    「やめなさいよ、あんたたち! 人の砦で、そんなことさせないわよ!」
     イールが仲裁に入り、高まっていた二人の緊張が解けた。
    「……フン」「……」
     席に着き直した両者を確認し、イールは彼らに尋ねた。
    「で、何の用なの? 宣戦布告でもしに来たの?」
    「なわけねーだろ。……内々で話したいことがあって尋ねた。人払いを頼む」
     と、この言葉にスノッジ将軍が反発した。
    「人払い? わたくしのことですか? お断りします。
     サンドラ、……卿、わたくしも密かに伺いたいことがあるので、人払いを」
    「俺の方が先だ。すっこんでろ、ババア」
    「わたくしの方が年長ですよ。従いなさい、お坊ちゃん」
    「ざけんな!」
     またも飛びかかろうとしたギジュン将軍に、イールは平手打ちを食らわせた。
    「バカじゃないの、あんたたち」
    「何すんだよ!」
    「こんなケダモノと一緒にしないでください」
    「もっかい言うわよ、バカなのねあんたたち。
     ここはソーリン砦でも、アーゼル砦でもないわ。あんたらのお家じゃないのよ? それなのにまあ、ギャーギャー騒いで。んなことやりたいなら、外でやんなさいよ。
     で、話って何よ? 今ここで説明しなきゃ、二人とも追い出すわよ」
    「……」
     イールの剣幕に、二人は黙り込んだ。
    「話しなさいよ。それとも日が暮れるまでずーっと、あたしをにらむつもり?」
    「……では、わたくしから」
     ようやくスノッジ将軍が折れ、口を開いた。
    「サンドラ卿もご存じの通り、わたくしの守る砦はミラーフィールド南岸部にあります。そして同時に、ノルド王国首都であるフェルタイルにも近い場所です。
     そのフェルタイルにて、最近また、グランの増発が行われたようなのです」
    「ふうん……?」
    「つまり、まとまったお金が必要になる行動を執ろうとしている、ってわけさ」
     と、そこにランドがやってきて、助け舟を出してくれた。
    「それは何か? 半世紀やってない道路の整備? 困ってる人民の救済?
     いや、それよりも、最近裕福になりつつあるミラーフィールド、即ちこのジーン王国への侵攻、と考えた方が自然だ」
    「あら、お分かりになる方がいらっしゃったのですね」
    「あまり我々を愚弄しないでいただきたいですね、将軍閣下。
     で、つまるところは閣下、あなたも資金繰りのためにいらっしゃったのでしょう?」
    「そうです。概ねは」
     スノッジ将軍は含みのあるセリフとともに、こくりとうなずいた。

    火紅狐・融計記 1

    2011.01.02.[Edit]
    フォコの話、117話目。バッティング。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 順風満帆に地域経済を立て直していくジーン王国に転機が訪れたのは308年、極寒の北方大陸山間部に、ようやく春の兆しが仄見えようかと言う頃だった。「え……? どっちなの?」「両方です」「両方って……、ギジュン准将とスノッジ少将が、同時に?」 連絡を受けたイールは、非常に驚いた。 なんと、残る四大軍閥のトップ2名が、同時にジーン...

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    フォコの話、118話目。
    腹黒おばはん。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ランドたちとスノッジ将軍は場を変え、ギジュン将軍に聞かれないよう、密談に進んだ。
    「名目上、ソーリン砦もノルド王国の領地ですし、首都の本軍がやってくれば、我々のところに駐留することになるでしょう。
     が、通貨を増発しているとは言え、相手は極貧の大軍。となると我々が何かと面倒を見なければならなくなるのは、明白。試算の結果、我々の資産だけでは足りなくなるだろう、と言う意見が出たので、わたくし自らがこうして、あなた方のところに出向いたわけです」
    「ほう。しかしそう言うことであれば、あなたがこちらへいらっしゃるのは、まずいことなのでは? ジーン王国は、ノルド王国にとって敵になりますし」
    「名目上は、です。実質的には敵でも味方でもなく、ただの取引相手です。
     万が一ノルド王国があなた方を倒すなら、そのままノルド王国に付いていればいい。このまま順当にジーン王国が成長を続けるなら、そのままジーン王国と取引を続ければいい。
     ただそれだけの話です」
     スノッジ将軍は、にべもなくそう言ってのけた。
    「では今回、こちらへいらっしゃったのは、単に無心だけではない、と言うことですね」
     ランドの問いに、スノッジ将軍はうなずいた。
    「ええ。今リークした通り、近々ノルド王国は軍を率いて、あなた方のところに侵攻してきます。これは値千金の情報でしょう?」
    「確かに」
    「これに千金でなくとも、いくらかの値をつけていただきたいのですが」
    「ふむ」
     スノッジ将軍の慇懃無礼な態度と、あまりの厚かましさに、イールは目を吊り上らせる。
    「あんたねぇ……。こっちは別に、そんな情報ほしいって言って……」「イール、いいよ」
     が、ランドはそれを遮り、同意した。
    「分かりました。我々の財務担当を呼んでまいりますので、少々お待ちを」
    「いいの?」
    「ああ。確かに今聞いた情報の価値は高い。対価を要求されるのならば、応じないわけには行かない」

     数分後、フォコがその場にやってきた。
    「すみません、お待たせしまして」
    「いえいえ」
    「情報料を、ちゅうことでしたね。お支払いは何でさせてもらいましょうか? グランで? それともステラにしましょか?」
     そう問われ、スノッジ将軍はこう返した。
    「クラムでお願いいたします。確かな価値がありますし」
     これには普段は温厚なフォコも、内心カチンと来た。
    (どこまで失礼なおばはんやねん……。ステラ通貨圏のド真ん中で、それを言うんか)
     が、後々のことを考え、平静を装ってうなずいた。
    「かしこまりました。それでは1000万クラムを」
    「そんなに……!?」
     驚くイールに、フォコはにっこりと笑って返す。
    「ええ。敵さんが攻めてくる、ちゅうのんは早めに知っておけば知っておくほど、色々と対策が打てますし。1000万の価値はあります」
    「ありがとうございます」
    「すぐにご用意させていただきます。これからもどうぞ、良い取引相手と言うことで、ごひいきに」
     フォコはぺこりと頭を下げ、スノッジ将軍との話を切り上げようとした。
     ところが――。
    「ああ、まだお話は終わりではないですよ」
    「はい?」
    「もう一つ、耳寄りな提案があります。
     その、攻め込んでくるノルド軍。当然、わたくしの軍もそれに参加することになりますが、もしあなた方が何らかの誠意を見せてくれるのならば、その侵攻を妨害できます」
     この提案に、イールとフォコはそれぞれ、嫌なものを感じた。
    (どこまで腹黒いねん、このおばはん……。そら、将軍になれるわな)
    (攻めてこさせないように取引って……。あくまでも、敵じゃないって言うのね、ジーン王国は。どんだけなめてんのよ、あたしらを)
     が、確かに魅力的な案だと言える。ランドはこの提案に、即座に応じた。
    「なるほど。……そうですね、ではこうしましょう。
     まず、前渡しで1000万クラム。妨害に成功し、ノルド王国軍が撤退すれば、もう1000万。
     そして……」
     ランドはわずかに口の端を歪ませ、こう提案し返した。
    「妨害だけではなく、戦闘中に我々に寝返っていただければ――1億」
    「お、く……っ!?」
     この提案に、イールは目を丸くする。そしてふてぶてしい態度を執っていたスノッジ将軍も、流石に面食らったらしい。
    「それは……、本当に、1億を? 1億クラムで? 確約していただけますか?」
    「ええ、勿論。構わないよね、ホコウ」
    「は、い。本当に、我々の完全な味方になってもらえるちゅうことでしたら、まあ……」
     それを聞いて、スノッジ将軍はゴクリと喉を鳴らす。
    「……寝返る、と言うことは、つまり戦闘中に、ノルド王国軍を攻撃しろ、と、そう言うことですね?」
    「はい」
    「そして、それはつまり、ジーン王国の傘下に収まれ、と?」
    「いいえ」
     ランドはこの質問に、横に首を振る。
    「私たちはあくまで取引相手、でしょう? ノルド王国に反旗を翻した後は、スノッジ王国でも何でもお作りになればいい。
     勿論、我々の傘下に収まっていただいても、それはそれでありがたいことですが」
    「……」
     スノッジ将軍はしばらくして、ニヤッと笑った。
    「……引き受けましょう。念のため、証文もお願いします」
    「ええ」

    火紅狐・融計記 2

    2011.01.03.[Edit]
    フォコの話、118話目。腹黒おばはん。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ランドたちとスノッジ将軍は場を変え、ギジュン将軍に聞かれないよう、密談に進んだ。「名目上、ソーリン砦もノルド王国の領地ですし、首都の本軍がやってくれば、我々のところに駐留することになるでしょう。 が、通貨を増発しているとは言え、相手は極貧の大軍。となると我々が何かと面倒を見なければならなくなるのは、明白。試算の結果、我...

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    フォコの話、119話目。
    金融と計略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     スノッジ将軍との会談を終え、フォコたちは続いてギジュン将軍の話を聞くことにした。
    「頼む! 金、貸してくれ!」
     スノッジ将軍と違い、ギジュン将軍は熱血漢の、直情径行な性質だった。
    「え、と。閣下、今我々が行っている政策、経営方針はご存じですよね? でなければ閣下自らが、こちらへお越しになるわけがない、……と思うんですけども」
    「分かっている。……承知で、言ってる」
     ギジュン将軍は、深々と頭を下げた。
    「この通りだ!」
    「……何や、事情がありそうな感じしますね? 良かったら、聞かせてもろてもええですか?」
     そう問いかけたフォコに、ギジュン将軍は妙な顔をして頭を上げた。
    「アンタ……、変なしゃべり方だな。妙な訛りがあると言うか。……ああ、関係のないことだな、すまん」
    「いえいえ」
    「その、つまりだな。サンドラ、……卿は知っているよな、俺に妹がいることを」
    「あんたらね……。一々あたしにケンカ売らないと話できないの?」
     取って付けたような敬称に、イールはいらだたしげに尻尾を震わせる。
    「すまん。だってあの『猫姫』が、よもや将軍になるなんて思いも、……す、すまん。俺は口が悪いんだ」
    「いいけどさ……。
     まあ、知ってるっちゃ知ってるわよ。あんた、妹がいるのよね。で、その子はイドゥン少将に軟禁されて、もう半年以上経ってる。そうよね?」
    「そうだ。……もしかしたらもう手籠めにされて、無理矢理結婚させられているかも分からん。それでも俺のたった一人の肉親、大事な妹だ。助けられるなら、何としてでも助けてやりたいんだ。
     そう思っていたところに、イドゥン卿の動向について、情報が飛び込んできた。どうも俺を打ち負かし、峠の封鎖を解かせたいらしい。そしてイリア……、妹にとってたった一人の肉親である俺を亡き者にして、諦めを付けさせたいらしい、とも」
    「それだけやないでしょうね。聞くところによれば、中央の商人から多額の借金をしてて、その形にあれやこれや指図されとるらしいですし、これも恐らくは……」
    「それも関係しているだろうな。……何にせよ、イドゥン卿は攻めてくる。
     地の利は俺にあるが、人の利、すなわち兵士の数や装備は、イドゥン卿に大きく分がある。激戦、泥沼になることは必至だ。
     長引けば資金や備蓄の多寡が勝敗を分ける。借金まみれにはなるが、イドゥン卿には金ヅルがいるからな。俺の方が不利になるのは明白なんだ。だからこうして、無心に来たんだ。
     頼む! これ以上イドゥン卿に下衆な振る舞いはしてほしくないし、妹の身も気がかりなんだ。少しだけでもいいから、貸してくれ」
    「振る舞いは……、してほしくない?」
     尋ねたフォコに、イールが代わりに答える。
    「ギジュン卿がこの若さで准将になれたのは、その武勲も大きいけど、イドゥン将軍の根回しがあったからなのよ。借金まみれになる前は、それなりに気骨のあった人だし。
     さっきのスノッジ将軍や、あたしたちが追い出したロドン将軍みたいな、ろくでもない奴らばっかりだったノルド王国軍の立て直しを、数年前の彼は真面目に考えてたのよ」
    「だけど、立て直しには金がいる。それで借金したら、そいつに縛られたってわけさ」
     ギジュン将軍はもう一度、深々と頭を下げた。
    「頼む……! もうこれ以上、俺の恩人が最低の奴になっていくのを見るのは、耐えられないんだ……!」
    「……」
     フォコはしばらく自分の尻尾を撫でながら思案していたが、意を決した。
    「……分かりました。お貸ししましょう」
    「いいのか? ……恩に着る!」
    「でも、条件があります」
    「……やっぱり、そうだよな」
     ギジュン将軍は開き直ったように椅子に座り、ばし、と自分の両膝を叩いた。
    「煮るなり焼くなり好きにしてくれ! 俺は妹を助け、イドゥン卿の暴走を止められるなら、何でもする!」
    「じゃあ、これです」
     フォコはピンと指を立て、条件を提示した。
    「アーゼル砦とその周辺、つまり閣下が現在私有している土地。それから閣下が率いている兵と、閣下自身。
     それをすべて持って、我々の傘下に下ってください。その代わりに、我々は全軍を挙げてイドゥン軍閥に対抗します」
    「……やっぱ、そう来たか。まあ……、そうだよな。俺が持ってる財産って言えば、それくらいだもんな」
     ギジュン将軍はガリガリと虎耳をかき、うなずいた。
    「分かった。今日から俺は、あんたたちの軍門に下る」
    「……ダメ元で言うてみたんですけど、ホンマにええんですか?」
    「ああ。どっちみち、ノルド王国からは半分抜けてたんだ。
     と言って、俺の采配じゃ回り切ってなかったし、そんならもっと、しっかりした奴に委ねた方がいい」
    「……じゃ、ま。よろしくね、ギジュン卿」
     はにかみながら手を差し出したイールに、ギジュン将軍はこう返して手を握った。
    「レブでいい。下ったって言うなら、アンタとは同輩なんだし、卿って言われるのも、言うのも気恥ずかしかったしな」

    火紅狐・融計記 3

    2011.01.04.[Edit]
    フォコの話、119話目。金融と計略。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. スノッジ将軍との会談を終え、フォコたちは続いてギジュン将軍の話を聞くことにした。「頼む! 金、貸してくれ!」 スノッジ将軍と違い、ギジュン将軍は熱血漢の、直情径行な性質だった。「え、と。閣下、今我々が行っている政策、経営方針はご存じですよね? でなければ閣下自らが、こちらへお越しになるわけがない、……と思うんですけども」「...

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    フォコの話、120話目。
    卑劣な死の商人たち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     レブと、彼の持つ軍閥と土地を併合したジーン王国は、すぐにイドゥン軍閥への対抗措置を執ることにした。
    「まず、ノルド峠ですけども、306年以降に建てられた関所は全部、撤廃しときましょか。
     もうアーゼル砦との間に壁は不要ですし、それでなくてもあんな、6つも7つもいりません。関税と交通税を絞り取るより、自由に行き来して商売してくれた方が、よっぽど金になりますしな」
    「そうだね。だけど、まだ沿岸部との関所は維持しないといけない。関所本来の役割――不審者と敵軍の侵入を阻んでもらわないといけないし」
     敵軍、と聞き、レブの表情は暗くなる。
    「……決着付けなきゃな」
     その発言に対し、ランドは肩をすくめる。
    「付けるにしても、それが戦いによって、とも限らない。君も言ってただろ、イドゥン将軍は借金漬けでおかしくなっちゃったって。
     幸い、僕たちにはかなりの額の蓄えがある。ホコウの尽力で、7~80億クラム程度の支払い能力はあるのさ。
     借金をきっちり清算できたら、イドゥン将軍も立ち直れるかも知れない」
     途方もない額を聞かされ、レブの尻尾は毛羽立った。
    「80だと……!? お前ら、そんなに持ってたのか……!?」
    「ええ。ちゅうても、クラム通貨自体はせいぜい4、5億程度ですけどもね。
     僕たちが発行してきたステラ通貨と、それと交換で集めてきたグラン通貨を全部両替したら、総額でそんくらいにはなります。
     まあ、問題はありますけどな」
    「問題って?」
     イールに尋ねられ、ランドが眼鏡を拭きながら答える。
    「ステラとグランが両替できないんだよ。
     さっきの試算は、あくまでもまだ、まともな交易があった頃のレートだし、今はもっと価値を下げている可能性が高い。ステラ通貨もまだ、対外的には全く知られてないから、国外での信用度は無い。
     もしイドゥン将軍の借金が5億クラム以上、つまり僕らの支払い能力分を超えていたら、その不足分をグランやステラで……、と提案しても、相手は受け取ってくれないだろう」
    「そこまで増えてないことを祈るしかないわね」
    「ああ。それに、場合によればスノッジ将軍へも、1億1000万の支払いをしなければいけないだろうし、実質、僕たちが支払える額は、3億ちょっとくらいさ。
     それに借金してるのは、イドゥン将軍だけじゃない。他の軍閥も、細々と借金があるだろうし、その総額がいくらになるか……」
    「5億持ってても、カッツカツなんだな……」
    「まあ、あれこれ対策は講じてみるけど。……もし実らなければ、直接対決になる。それは、心しておいてほしい」



    「手筈は整ったかね、スパス総裁」
     西方の工業都市、スカーレットヒル。
     ケネスはあの裏切り者――クリオの拉致に加担し、ジョーヌ海運とエール商会を貶めた男、アバントと会っていた。
    「整えてあります、ゴールドマン様」
     彼は南海で何とか命拾いした後にケネスと改めて手を組み、彼の身代として西方で猛威を奮っていた。
     ここ、スカーレットヒルの軍事工場も、彼の管轄である。
    「直剣、短槍、短弓各2000単位、大剣、長槍、魔杖各1200単位、そして火薬4トン、既に用意してございます。
     また、設営用の資材も、予定の500セットのうち、既に400弱が完成しております」
    「完成はいつかね?」
    「もう間もなく。来週の配送までには、十分に間に合います」
    「よろしい。……その件に関しては、問題なさそうだな」
     ケネスは工場の天井近くに張られた金属製の空中通路を、カツカツと威圧的な音を立てて歩いていく。その後ろからアバントの、卑屈そうなコンコンとした足音が続く。
     眼下に広がる製造ラインを楽しそうに望みながら、ケネスはアバントに尋ねる。
    「追加発注を頼みたいのだが、今、聞けるかね?」
    「少しお待ちを」
     アバントはそそくさとメモを取り出――そうとして、通路に落としてしまった。
    「あ……」
    「まだ指は不自由なのか?」
    「え、ええ。……忌々しいことです。あのゴミどものせいで」
     アバントは微妙に曲がったままの指で、足元に落ちたメモをヨタヨタとつかむ。
    「発注でございましたね。どうぞ、お申し付けください」
    「うむ。……そうだな、今回の2倍ほど、用意してほしい。納期は二ヶ月以内だ」
    「2倍、でございますか」
    「ああ。今回のイドゥン軍閥への配送を皮切りに、そろそろ沿岸部にいる奴隷……、おっと、軍閥宗主たちに揺さぶりをかけていこうかと、そう考えているのだ」
     奴隷、と言う言葉に、アバントは引きつったように笑う。
    「はは、は……」
    「奴らはもう、進退窮まっている。ここでちょっと『金を返せ』と怒鳴れば、簡単に言うことを聞かせられる」
    「進退窮まる、ですか。一体、どれほどの額で……?」
     そう尋ねたアバントに、ケネスはクックッと笑いながら答えた。
    「総額……、ざっと、14億クラムと言うところだな。もうどこにも、払ってもらうアテなぞないだろう。
     そろそろ北方を丸ごと、買い叩く時が来たと言うわけだ」

    火紅狐・融計記 4

    2011.01.05.[Edit]
    フォコの話、120話目。卑劣な死の商人たち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. レブと、彼の持つ軍閥と土地を併合したジーン王国は、すぐにイドゥン軍閥への対抗措置を執ることにした。「まず、ノルド峠ですけども、306年以降に建てられた関所は全部、撤廃しときましょか。 もうアーゼル砦との間に壁は不要ですし、それでなくてもあんな、6つも7つもいりません。関税と交通税を絞り取るより、自由に行き来して商...

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    フォコの話、121話目。
    仕組まれる同士討ち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     レブが参入して、半月後。
    「来たか……」
     ノルド峠の麓に、イドゥン軍閥と、その他いくつかの小さな軍閥数点とで混成された軍が集まっていると言う情報が入った。
    「どうする?」
     レブの問いに、ランドは渋い顔をした。
    「間に合ってくれるかと期待してたんだけどな……」
    「あん?」
    「いや、こっちの話だ。……そうだな、地の利を活かし、防衛に努めてほしい」
    「分かった」
     ランドはイールとフォコに振り向き、顔をこわばらせつつ指示を出す。
    「僕たちも、一緒に向かおう」
    「分かったわ」
    「あのー」
     と、ここでフォコが手を挙げる。
    「何かな?」
    「タイカさんは? ずーと、姿見てませんけど。あの人、半端なく強いんですし、こう言う時にいてへんと意味無いやないですか」
    「それなんだよね」
     ランドは眼鏡を外し、服の裾で拭きながらつぶやいた。
    「間に合わなかったみたいだ」
    「何がです?」
    「いや、こっちの話」

     ともかく、一行はさらに一週間をかけ、防衛の最前線である、ノルド峠の関所へ到着した。
    「もう、門の向こうは兵士だらけです」
     門番の言葉に、フォコは門の隙間から、そっと覗いてみた。
    「……うへぇ」
     確かに門の向こう、沿岸部側には、関所を囲むように、扇状に軍営が立ち並んでいる。
    「よぉ、かき集めたもんやなぁ」
    「斥候の情報によれば、イドゥン閣下が号令をかけ、集めたそうです。表向きは」
    「じゃ、裏向きは?」
     イールはそう尋ねてはみたが、これまでの話の流れで、答えは大体分かっている。
    「それぞれ、借金の形に軍を動かさせられている、との情報が入っています」
    「でしょうね」
    「と言うことは、ここに借金持ちの軍閥宗主が集合してる、ってわけか。……うーん」
     ランドは顎に手を当て、しばらく逡巡していたが、やがて意を決したようにうなずいた。
    「……彼らと交渉の場を設けたい。相手にそう、打診できるかな」
    「可能です」
    「それは良かった」
    「交渉って……」
     イールは不安げな顔を、ランドに向けた。
    「借金の肩代わりをする代わりに、兵士をここから撤退させてくれないか、ってね」
    「この前言ってたアレね。……でも、5億で足りるかしら」
    「分からない。……でも、難しいかも知れない」
     ランドも門の隙間から、相手を観察する。
    「装備が新調されているグループが、いくつかある。恐らくまた借金を重ねて、整えたんだろう。となるとその額は、想定していたものより高くなっている可能性が、非常に高い」
    「……ひでえよ、マジひでえ」
     レブは地面を蹴り、悔しそうにうなった。
    「借金背負わせて、北方人同士で戦わせるのかよ! ひどすぎんだろ、んなの……ッ!」
    「ホンマですわ。
     ……ホンマに、怖気が走りますわ。自分たちは一切手を汚さんと、一滴の血ぃも流さんと、金に物言わせて、海の向こうで行われる同士討ちを、高みの見物。
     外道にも程があるで、ケネス――こんな悪魔みたいなこと、どんな神経してたらやり通せるんや……ッ!」
     フォコも全身を震わせ、ケネスへの怒りを吐露した。

     と――。
    「待たせたな」
     どこからか、声が飛んできた。
    「え……?」
    「ギリギリじゃないか、タイカ。ヒヤヒヤさせないでくれよ」
    「集めるのに苦労していたようだ。
     伝言も託っている。『流石にこの額は、お前の頼みでも苦しかったぞ。……頼ってくれて、うれしいのは本当だけどな』だそうだ」
     いつの間にか、陣中に大火の姿があった。
     その両脇には、ジャラジャラと音を立てる大きな箱が抱えられている。
    「そっか。……後で、できれば顔を見せに行きたいな」
    「事が一通り済んだら、連れて来てやろう」
    「ありがとう。……よし、交渉の場をすぐ、立ててくれ!」
     先程の不安げな様子をガラリと変え、ランドはハキハキとした口調で命令した。



    「とうとう……、やる時が来たのか……」
     一方、こちらは沿岸部側の陣中。
     イドゥン将軍は、沈痛な面持ちで本営の椅子に座っていた。
    「許せ、レブ……。せめてイリアは、幸せに、……ああ、くそっ!」
     自分でつぶやいた言葉に、自分で憤る。
    「何がせめて幸せに、……だ! これから彼女の兄を、たった一人の肉親を殺そうとしている、この吾輩に! この吾輩に、そんなことを言う資格など……!」
     そしてまた、落ち込んでいく。
    「……許してくれ、許してくれ、レブ。この戦いが終わったら、吾輩も後を追うからな……!」
     イドゥン将軍は震える手で、胸に隠しているナイフを服の上からさすった。
     と――本営内に、伝令が飛び込んできた。
    「閣下! ギジュン准将より、『交渉したい』との連絡が入りました!」
    「む、こ、交渉? そ、そうか。……分かった、すぐに応じると伝えてくれ!」
     その伝達に、イドゥン将軍は心底ほっとした。

    火紅狐・融計記 5

    2011.01.06.[Edit]
    フォコの話、121話目。仕組まれる同士討ち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. レブが参入して、半月後。「来たか……」 ノルド峠の麓に、イドゥン軍閥と、その他いくつかの小さな軍閥数点とで混成された軍が集まっていると言う情報が入った。「どうする?」 レブの問いに、ランドは渋い顔をした。「間に合ってくれるかと期待してたんだけどな……」「あん?」「いや、こっちの話だ。……そうだな、地の利を活かし、防衛に...

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    フォコの話、122話目。
    借金完済。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     交渉の場は、門のちょうど中間で行われることとなった。
     門を開き、周囲を天幕で覆った簡単な部屋に机と椅子が設置され、両軍の将軍が同時に席に着いた。
    「レブ、その……、久しいな」
     イドゥン将軍がカチコチと挨拶をする一方、レブは単刀直入に話を切り出した。
    「兄貴、……いや、イドゥン卿。すぐ、撤退してくれ」
    「ああ、そうだろうな、そうだろうよ。……だが、吾輩は決心したのだ。どうあっても、吾輩はイリアを……」「んな話は今、いいよ」「……何?」
     てっきりイリアをめぐる問題に触れると思っていたイドゥン将軍は、完全に虚を突かれてしまった。
    「お前、その、妹のこと……」
    「そんなことより、兄貴よ。金に、困ってんだろ?」
    「な、何故それを」
    「誰でも知ってるっつの。……いくらいるんだ?」
    「い、言えるわけなかろうが」
     顔を赤くするイドゥン将軍に対し、レブはそれを笑い飛ばしてやる。
    「ははっ……、見栄張らないでくれよ、兄貴。俺は、あんたを助けたいんだよ」
    「……その気持ちは、ありがたい。本当に、ありがたい」
     イドゥン将軍は、悲しそうな顔で首を横に振る。
    「だが、もう遅すぎたのだ。とても、お前に払える額ではなくなって……」「20億ある」
     と、イドゥン将軍の言葉を遮り、レブはそう告げる。だがそれでも、イドゥン将軍の表情は沈んだままだ。
    「……そんなはした金では、無理なのだ。とても20億グランやそこらでは……」「ちげーって」
     レブはまた、クスクスと笑う。
    「20億、クラムだ。グランでも、ステラでもない。20億クラム、俺たちは用意している」
    「……」
     何を言っているのか分からず、イドゥン将軍は硬直した。
    「……に? く? ……に、にじゅ、にじゅうおくッ!? クラムでかッ!?」
    「ああ」
     と、そこに先程大火が持ってきた木箱が運ばれてきた。がしゃんと音を立てる木箱に、イドゥン将軍は思わず立ち上がって中身を確かめる。
    「……な、な、ななな、なん、と……っ」
    「この通り、20億クラムある。俺の同輩たちが、集めてきてくれたんだ。
     そうだ、他の宗主も呼んできてくれよ。そいつらも、金に困ってんだろ? きれいさっぱり、返してやるよ」
    「……れ、レブ……っ」
     突然、イドゥン将軍はレブに向かって土下座した。
    「お、おいおい」
    「すまなかった! 本当にすまなかった!
     借金で首が回らなくなった吾輩は、とんでもないことばかりしてしまった! 不安で不安でたまらず、その挙句にイリアを軟禁するなど……!
     許してくれレブ、この通りだ……!」
     謝り倒すイドゥン将軍に、レブはしゃがみ込み、ポンポンと肩を叩きつつ、優しく声をかけた。
    「いいって。それより、みんなを呼んできてくれよ。
     もうこれ以上、同じ北方人同士で争うの、よそうぜ」



     ノルド峠麓での一件から、一か月後。
    「どう言うことか、詳しく説明していただきたいですな」
     イドゥン将軍や他の沿岸部軍閥が突然、ノルド峠から撤退したと言う話を聞きつけ、ケネスが大慌てで北方へ飛んできた。
    「……」
     居丈高に振る舞うケネスに対し、イドゥン将軍は口を真一文字に結び、黙り込んでいる。
    「将軍閣下、あなたは確約したはずですな? 私どもからの借金を返済する代わりに、ギジュン軍閥を倒し、首都との連絡を回復、そして山間部の鉱山を渡すように働きかける、と」
    「……」
    「ところが何です? 突然、撤退ですって? 何故です!? 怖気づいたのですか、そんな土壇場で! なんとまあ、意気地のない! 軍人失格ですな、イドゥン将軍閣下殿!」
    「……」
    「それとも何ですか、まさか『吾輩、やはり皆に祝福されて婚姻に臨みたいのである』とでも仰るおつもりで?」
    「……」
     前回同様に、ケネスはすい、と立ち上がり、交渉が決裂したかのように振る舞おうとする。
    「どこへ行こうというのだ、当主殿?」
    「契約を履行する気がないと判断させていただきました。即刻、中央軍に働きかけ、あなたを抹殺させていただきます」
     前回と違い、ケネスの言動には直接的な表現が多い。流石に狼狽しているようだ。
    「く、くくっ……」
     それに気付き、イドゥン将軍は思わず笑ってしまった。
    「……なんです、その態度は?」
     憤った顔を見せたケネスに、イドゥン将軍は立ち上がり、こう尋ねた。
    「確か当主殿、吾輩が負った借金の額は、1億2301万、いいや、端数まで入れれば1億2301万8750クラム。
     そして追加の借り入れの2000万に利子を加えた、合計1億4901万8750クラムであったな?」
    「はい? まさか払うとでも言うおつもりですか? 一体どこから? 本国に泣き付いてグランでも発行しましたか? 足りない分はそれで、などと言うおつもりではないでしょうな? そんな不確かな通貨、私は願い下げですよ」
    「まさか」
     イドゥン将軍はフン、と鼻を鳴らし、パンパンと手を叩いて側近を呼び寄せた。
    「……っ!?」
     ケネスの目に、有り得ないものが映る。
    「この通り、1億4901万8750クラム、確かに用意したぞ!
     さあ、とっととこれを持ってお引き取り願おうか、当主殿ッ!」
    「バカな……!?」
     流石の老獪なケネスも、これには唖然とする。
    「どうした!? まさか受け取りを拒否するつもりか!? そうなればそちらが、契約不履行になるな?
     かっか、これは大珍事であるな! 大商人たるケネス・ゴールドマンが、まさか受け取りを拒否、契約を守ろうとせぬとは!」
    「ぐ、っ」
    「そう言うわけには行きますまい、当主殿? 商人であるならば、契約は確固として守らねば沽券に係わると言うもの。
     さあ、とっとと受け取るがいい! そして即刻立ち去り、二度とその下卑た眼鏡面を吾輩の前に見せるなッ!」
    「ぬ、ぐ、くく、くううう……ッ」
     ケネスの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
     だが確かに、イドゥン将軍の言う通り――契約を守らねば、それはもう商人ではない。「契約を自ら破棄し、金を受け取るのを拒否した」などと言ううわさが広まれば、ケネスの商人としての信用は地に墜ちる。
    「……分かり、ました。それでは、お受け取り、致しま、しょうか、な」
     ケネスは折れ、その1億5000万近い額のクラムを受け取った。

    火紅狐・融計記 6

    2011.01.07.[Edit]
    フォコの話、122話目。借金完済。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 交渉の場は、門のちょうど中間で行われることとなった。 門を開き、周囲を天幕で覆った簡単な部屋に机と椅子が設置され、両軍の将軍が同時に席に着いた。「レブ、その……、久しいな」 イドゥン将軍がカチコチと挨拶をする一方、レブは単刀直入に話を切り出した。「兄貴、……いや、イドゥン卿。すぐ、撤退してくれ」「ああ、そうだろうな、そうだろう...

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    フォコの話、123話目。
    大金の出所。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     イドゥン軍閥と同様のことが沿岸部の、借金を負っていた軍閥すべてで起こった。どの軍閥も、綺麗さっぱり借金を返済してしまったのだ。
     ケネスは利息で膨れ上がった借金、総額14億クラムを回収しはしたものの、本懐――借金の形に沿岸部の軍を操って北方を攻め、ノルド王国と北方全土を隷属させる計画は完全に瓦解、水泡に帰した。

     ケネスは北方隷属計画が成功していればケネスに次ぎ、最も利権を得られるはずだった人物――バーミー卿からの糾弾を受けていた。
    「どう言うことだ、ケネス」
    「私にも、……皆目見当が付きません」
    「まさか、北方の奴らがクラムを偽造したか?」
     その問いに、ケネスは首を振る。
    「確かに、本物でした。詳しく調べてみましたが、体積、比重、含有物、意匠……、どれをとっても、間違いなく中央政府発行のクラム通貨に間違いありませんでした」
    「ならば、どこかと取引をしたか」
    「それもあり得ません。クラムが余分に流入しないよう、あちこちで制御していたはずですから」
     答えの出ない会話に、いよいよバーミー卿が怒り出す。
    「では、どう言うわけなのだ!? 返答によっては、ただでは済ますまいぞ!」
    「『ただでは』? それは私に言っているのですか?」
     ケネスも反発する。
    「それは、私の過去、現在、そして未来の貢献を無視しての発言ですか?」
     その一言に、バーミー卿はばつの悪そうな顔をした。
    「……ゴホン、ゴホン。いや、……まあ、うむ。
     とにかく、調べておいてくれ。二度と、こんなわけのわからぬ大失態が起こらぬよう」
    「言われずとも。原因が判明し次第、報告させていただきます。
     あいつらに多額の資金を供給した、そのふざけた富豪には、それ相応の制裁を加えていただかねばなりますまい……!」
     ケネスは怒りに満ちた顔で、そう答えた。



     時間と場所は、衝突が回避され、安堵の雰囲気が漂うノルド峠に戻る。
    「で、説明してもらわな、僕には何が何やらさっぱりなんですけども。
     どうやって、20億クラムを用意したんです?」
     帰途の途中、そう尋ねてきたフォコに、ランドはニコニコしながら答えた。
    「実質的にさ、僕たちは時価80億クラムの資産を持ってた。だろ?」
    「ええ」
    「でもそのほとんどは、グランやステラと言った通貨であり、この一件を解決するためには、どうしてもクラムに換える必要があった。
     だけども沿岸部との交通は封鎖されてたし、為替取引ができる状況じゃなかった。このままじゃ僕たちは、クラムを手にできない。
     そこでタイカに、協力してもらってたんだ」
     その説明を、大火が継ぐ。
    「ランドからグラン通貨とステラ通貨を預かった俺は『テレポート』――一言で言うと、世界を自在に飛び回れる術だ――を使い、こいつの生家を訪問した」
    「また掟破りな技、持っとりますな。……って、生家?」
    「あれ、言ってなかったっけ。僕のとこ、央中じゃ結構大きな商家なんだよ」
    「聞いてまへん」
    「じゃ、今言った。ま、それはともかく。
     僕の母が商家の当主をやってるんだけど、彼女に両替をお願いしたんだ。流石に市場に出回ってない通貨だし、了承してくれるかどうか分からなかった。
     了承してくれたとしても、流石に20億も集めてくれるか。不安要素はかなりいっぱいだったんだけど……」
    「結果は、良しですな」
     事の顛末を聞き、フォコの疑問はようやく晴れた。
    「ほんなら、もう沿岸部との問題は解決して、次はいよいよ、ノルド王国との対決になりますな」
    「ああ。……だけどきっと、これも僕たちの勝ちになるよ」
    「なんや策でも?」
    「うん。もう講じてある。
     ほら、今さ、ここにジーン王国の主要人物のほとんどが集まってるだろ?」
    「そうですね。……って、まずいんやないですか、それ?」
     そう尋ねたフォコに、ランドはまたにっこり笑った。
    「普通はね。だけど、事前に一つの楔を打ってある。覚えてるかな?」
    「ん……?」
     フォコは自分たちがここ最近取った行動を思い返してみる。
    「……ああ、もしかしてアレですか」
    「そう、それ」
    「何だ?」
     尋ねた大火に、フォコとランドは同時にニヤッと笑った。
    「腹黒おばはんの金汚さのせいで、ノルド王国軍は困ったことになる、ちゅうことですわ」
    「……?」
     北方を離れていた大火には、何が起ころうとしているのか、皆目分からなかった。

    火紅狐・融計記 終

    火紅狐・融計記 7

    2011.01.08.[Edit]
    フォコの話、123話目。大金の出所。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. イドゥン軍閥と同様のことが沿岸部の、借金を負っていた軍閥すべてで起こった。どの軍閥も、綺麗さっぱり借金を返済してしまったのだ。 ケネスは利息で膨れ上がった借金、総額14億クラムを回収しはしたものの、本懐――借金の形に沿岸部の軍を操って北方を攻め、ノルド王国と北方全土を隷属させる計画は完全に瓦解、水泡に帰した。 ケネスは北方...

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    フォコの話、124話目。
    でまかせ兵法。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたちがノルド峠へ出向き、沿岸部との衝突回避に努めていた頃。
    「何故だ、スノッジ卿? 何故今、イスタス砦を落とさぬ?」
     首都からやってきた本軍の最高幹部たちが並ぶ会議室にて、あの「腹黒おばはん」、スノッジ将軍が質問攻めに遭っていた。
     ブレーンであるランドとフォコや、将軍のイール、レブらと言った主要人物が離れ、手薄になっているはずのジーン王国へ攻め込むことに、彼女が強く反対しているからだ。
    「何故かと? いえいえ、これは少し落ち着いて考えていただければ、自ずと見えてくること。ご同輩一同、今一度、よくよくご検討のほどを」
    「何度もやった! 砦が今、もぬけの殻であることは明白!
     今、イスタス砦には王を僭称(せんしょう)するクラウス・キルシュ、そして元商政大臣のエルネスト・キルシュ親子しかいないのは分かり切っている!
     奴らにはまったく、戦闘経験はない! さらには相手軍の半数以上、ノルド峠へ向かっている! 兵も、将も手薄! 紙細工同然の相手に、何を逡巡する必要があるのか!?」
    「で、ございましょう? それが却って、怪しゅうございます」
     そう返したスノッジ将軍に、一同は首をかしげる。
    「どう言うことだ?」
    「『空城計』と言う言葉をご存じですか?」
    「くう、じょう……?」
     スノッジ将軍は何とか軍を留めさせようと、ランドからあらかじめ吹き込まれていた方便を伝える。
    「敵があえて、わざと我々に攻め込ませようと、いない振りをすると言う策のことです。
     こうして我々がすぐ、目の前にいるこの状況で、敵は今、本陣にいないことを、隠し立てもせず、あからさまに広く報せています。
     これが罠でなくて、なんでしょうか?」
    「何をバカな……!」
     大半はスノッジ将軍の意見を鼻で笑ったが、それでも数人は納得し始めた。
    「いや、そうとも言い切れんよ」
    「何ですと?」
    「あのイスタス砦、元々はロドン元将軍が持っていたものだったが、キルシュ卿ら、現在のジーン王国の中心人物らに陥落させられたそうではないか。
     そして陥落のタイミングも、異様に良かったと聞く。降って湧いたように軍備の横流し騒ぎが起き、その犯人探しで砦内の空気が険悪になったところで、その不仲を狙ったように攻め込んだと言うではないか。
     これはあまりにもできすぎた流れと思わんかね――ブレーンになっていると言うファスタ卿の仕業ではないかと、わしは思うのだ」
    「むう……」
    「そしてノルド峠でいざこざが起こっているとは言え、今まさに、我々が迫っていると言うのに。相手は砦を留守にしておいて、それを隠そうともしない。
     この防御のなさは、余りにも不気味だ。罠の可能性は、捨てきれんだろう」
    「確かにそうかも……」
    「しかし……、そのファスタ卿も、砦にはいないと」
    「そこがまた怪しい。戦闘に参加しないはずの人間が何故、戦地の最前線に向かうと言うのか? 冷静に考えれば、そんな行動は理屈に合わん。
     例えば影武者を立てるなどして、実際のところはあの砦に籠っており、そして、我々がノコノコ襲ってくるのを、手ぐすね引いて待っているのではなかろうか?
     罠の臭いを、感じずにはいられん」
    「そう考えれば、そうとも取れなくは……」
    「いやしかし、兵がいないのは間違いなく……」
    「だがそれも引っかけ、と思えなくも……」
     会議は煮詰まり、結論は一向に出ない。

     この流れに、スノッジ卿は心の中で、ほっと溜息をついた。
    (これなら思惑通り、本軍の足止めができそうね)
     何しろ、1億クラムの取引である。
     スノッジ将軍としては、1億の獲得のため、何としてでも成功させなければならなかったし、何より相手はポンと1億を出せる「お客」なのだ。
     ここで本軍に潰されてしまっては、1億の取引は丸つぶれになるし、さらに今後の取引を考えれば、相手に残ってもらわなければならない。
    (こいつらの戦果や利権など、どうでもいい。肝心なのは、わたくし。
     わたくしの、利益。わたくしの、権利。わたくしの、お金。それがちゃんと確保されなければ、何にもなりはしないもの)
     膠着した会議の中、スノッジ将軍は自分の懐を潤わせることに、考えを巡らせていた。

    火紅狐・挟策記 1

    2011.01.10.[Edit]
    フォコの話、124話目。でまかせ兵法。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. フォコたちがノルド峠へ出向き、沿岸部との衝突回避に努めていた頃。「何故だ、スノッジ卿? 何故今、イスタス砦を落とさぬ?」 首都からやってきた本軍の最高幹部たちが並ぶ会議室にて、あの「腹黒おばはん」、スノッジ将軍が質問攻めに遭っていた。 ブレーンであるランドとフォコや、将軍のイール、レブらと言った主要人物が離れ、手薄にな...

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    フォコの話、125話目。
    白熱するだけの会議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、こちらはノルド峠を上る、フォコたち一行。
    「うまく行けば、敵はソーリン砦で硬直したままのはずさ。
     万一、攻め込んだとしても、キルシュ卿とクラウス陛下、あと、資産とかはアーゼル砦まで撤退、移送できるように、手筈は整えてる。
     相手がどう動こうとも、こちらの負けは無い。この防衛戦は、実を言えばそんなに重要でもないし、痛手もない。
     本当に重要なのは、彼らが僕らに対しどう動くのか、見せてもらうことにある」
     ランドの言葉に、レブが噛みつく。
    「重要じゃねーって……、砦いっこ落とされてもか?」
    「うん。そりゃ確かに、一時的にせよ、ミラーフィールドと言う裕福な領地を失うのは痛いさ。でもそんな損失よりも、敵の動きを観察して得るものの方が、非常に大きい。
     お金や土地は現在の価値でしか測れないけど、敵の情報は後々になればなるほど、その価値を高めていく。これは言い換えれば、投資なんだ」
    「投資ぃ……?」
     まだ納得の行かない顔をするレブに、ランドはニコニコ笑いながら説明する。
    「例えばさ、カードゲームで、相手の持ってるカードが全部見えてたらさ、負けると思う?」
    「いやぁ……、そりゃ勝つだろ。んなもん分かってたら、相手が何切ってくるか、丸わかりだし」
    「だろ? 今回狙ってるのは、それさ。
     この一件で、僕たちは敵の手持ちカードをすべて、確認させてもらうのさ」



     結局、ソーリン砦に集まったノルド王国軍は、攻め込むこともせず、かと言って撤退して態勢を整え直す、と言うこともせず、ソーリン砦に駐留したままだった。
    「まったく……! 無駄な論議の間に、敵は戻ってきてしまったぞ! どうするおつもりか、各々方!」
     まったく成果が挙がらず、苛立っていた将軍の一人が声を荒げる。
    「どうするもこうするもない。機が悪かったと言うことだ。ここは一旦戻って……」
    「馬鹿な! 敵を目の前にして、すごすご引き下がれるかッ!」
    「落ち着け落ち着け! これは敵の罠だ!」
     憶測に憶測が重なり、会議は混沌とし始める。
    「罠、罠、罠! 何でもかんでも罠だと言うのか! そんなもの、最初からありはしなかったのだ! 我々は踊らされたのだ、無様にな!」
    「そんな証拠がどこにある! 我々は賢明だった! 罠にかからなかったのだからな!」
    「だったら罠があったと証明してみせろ! あったのなら謝罪してやる!」
    「何でそんな話になる!? そんなことを論じて何になるのだ!?」
    「いいから証明だ! 敵が罠を張ってたなら、今後も張る! それなら今度こそ看破して攻められると言うもの!」
    「無い無い無い! そんなものは、無い! いいからもう、さっさと攻め込むぞ!」
    「何でお前に命令されなきゃならんのだ!」
     混沌とした会議は、次第に険悪な様相を呈していく。
    「して悪いか!? お前ら全員、グズグズしてるからこんな体たらくなんだぞ! 誰かが音頭取って進めなきゃ、どうしようもないだろう!?」
    「だからって、なんでお前が指図する!? 黙ってろ!」
    「黙れ!? 一体誰に向かってものを言って……」「『グレイブファング』ッ!」
     突然、ドス、と言う音を立て、円卓の中心に石柱が突き立てられた。
    「な、なんだ……!?」
    「お静まりください! どうか、お静かに!」
     石柱を突き立てたのは、スノッジ将軍だった。
     自分の砦でこれ以上いさかいが起きるのを嫌った彼女は、場を無理矢理にまとめる。
    「ともかく、会議は一旦、ここでおしまいになさってください! これ以上続ければ、会議ではなく殴り合いになってしまいます!
     また後日、各自冷静になってから、対応を考えることにいたしましょう! 異議、異論はございますか、みなさん!?」
     魔杖を振り上げるスノッジ将軍の剣幕に、他の将軍たちは一斉に沈黙し、円卓を後にした。

     思わぬ事態になり、スノッジ将軍は自室で頭を抱えていた。
    (もう……! 誰も彼も愚か者、愚か者! 何と言う愚か者だこと!
     攻めるにしても攻めないにしても、みんなわがままに口出しするものだから、会議を行えば行うほど、空気がおかしくなるだけ。
     まあ、そうよね……、それが北方の気質なのよね。権力者層がみんな、我が強くてわがままなんだもの。目的が一致すれば、一丸となって兵士をグイグイ精力的に引っ張っていくけれど、こうして意見が割れたら、もうどうしようもない。とことん対立して、関係が崩れていくばかり。
     ……こんなことを考えてる場合じゃないわよね。ともかく意見をまとめて、攻めるか戻るかしてもらわないと。
     もうジーン王国からもらった1000万、半分以上が溶けてきているし……。本軍があんまりにも長居するものだから、その接待のせいで、折角のお金がどんどん無くなってしまうわ。
     さっさと追い出さなきゃ、1億どころではなくなってしまう)

    火紅狐・挟策記 2

    2011.01.11.[Edit]
    フォコの話、125話目。白熱するだけの会議。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一方、こちらはノルド峠を上る、フォコたち一行。「うまく行けば、敵はソーリン砦で硬直したままのはずさ。 万一、攻め込んだとしても、キルシュ卿とクラウス陛下、あと、資産とかはアーゼル砦まで撤退、移送できるように、手筈は整えてる。 相手がどう動こうとも、こちらの負けは無い。この防衛戦は、実を言えばそんなに重要でもないし...

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