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黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第3部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    麒麟の話、第3話。
    100年の計画。

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    3.
     ボクには目標がある。
     その目標のためには、どんな苦労も厭わないし、どんな犠牲も払うつもり、……だった。

     ところが残念ながら、その目標を達成しようとした矢先に、タイカさんに邪魔されてしまった。勿論タイカさんだってタイカさんなりの考えがあったんだろうけど、そんなコト、ボクに関係あるか? いや、無いね。あってたまるもんか。
     ともかくボクの試みは一度、ソレで潰されてしまった。流石に犠牲がボク自身じゃ、ソレは御免こうむりたいし。
     ソレにどうも、ボクが自分から出張ると、すぐタイカさんにバレちゃうみたいでね。そうなるとまた、封印だ何だってコトになりかねない。
     だから回りくどく、密かに、そして周到に計画を練り、こっそりと実行していく必要があった。ボクらしくない。めんどくさい。本当にめんどくさい。



     ま、そんなワケで。
     以来はタイカさんにバレないように、こっそりやってきたんだ。主に、夢を使ってね。
     ボクは色んな人の夢に出て、色んな指示を出した。ほとんどの人は夢のコトなんか覚えてないけど、でもデジャヴ(既視感:初見の出来事に対し、以前にそれを体験したように錯覚すること)みたいな感じで「あれっ?」と思ってくれる、ソレだけで随分未来は変わるもんさ。

     実例を挙げよう。とある英雄の話だ。彼は覚えていないようだったけど、夢の中でボクにこう言われたのさ。「明日の朝に訪ねてくる、水色の着物を着た猫獣人の姉妹のお願いに、全部『はい』と答えるんだ」って。
     ソレがどう言う効果を生んだか? なんと彼は、その姉妹のお願いを聞いた結果、世界で最も偉い人物になってしまった。今現在、世界最大の政治組織となっている、「西大海洋同盟」の初代総長にね。
     ヒマがあったら調べてみるといい。それが誰なのか。あと、そのお願いをした姉妹とかも、ね。きっとビックリするんじゃないかな。く、ふふっ。

     万事そうやってこっそりと口出しして、ボクは狙った未来へと、世界をちょこちょこと軌道修正させ続けてきた。
     ソレはとても骨の折れる、面倒極まりない作業の連続だったけど、まだ到底、目標を達成するに至らない。どれほどイライラさせられてきたか!
     ボクが自分でやれば10年で終わるような話を、100年も200年もかけてやって、まだ5%も達成できないなんて! ああ、めんどくさい! 面倒極まりないよ!



     その上、一つの問題が発生した。
     こないだの戦争――タイカさんがまさかの敗北を喫したあの戦争で、ボクの体が封印されてるのとは別の「システム」が、緊急停止したコトだ。
     ボクの時と同様、アイツは「システム」から解き放たれた。しかも最悪なコトに、心も体も、その身全てが解放された状態で。
     さらになお悪いコトに、どうやら「システム」なり何なり、タイカさん関係に深く関わったヤツはみんな、ボクの干渉を受けなくなっている。どうもタイカさんが、何かしらのプロテクトをかけてるみたいだ。まったく、あの人はボクの邪魔ばかりしてくれる!

     とにかく、放っておけばきっとアイツは、ボクの目標実現にとって非常に面倒な存在になるだろう。
     アイツの実力は、黒白戦争の時によく見ている。アイツは無理だ、不可能だと――このボクも含めて――思われてたコトをやってのけた。もしあのまま、タイカさんに封印されずにいたら、アイツは簡単に、世界の王になっていただろう。
     そのまま放っておけばどうなる? ……答えは簡単だ、再びヤツの、ナンクンの操り人形になって、ソレで今の世界は終わる。そしてまた、あの、混沌たる世界に逆戻りだ。そうなればボクの目標達成は、また100年も200年も、あるいは1000年も先に延びることになるだろう。

     アイツは仕留めなければならない。
     だからボクの手先、ボクが育て上げ、導いてきた「天使」を、アイツを狙うように差し向けた。



     さあ――アイツを仕留めるんだ、シュウヤ。
    白猫夢・麒麟抄 3
    »»  2012.10.01.
    麒麟を巡る話、第99話。
    ならず者一味の捕物と、傾きつつある敵国。

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    1.
     西方南部を騒がせた、あの皇帝亡命事件から3ヶ月が経ち、厳しかった冬もようやく、寒さが和らぐ頃に差し掛かった。

    「『マチェレ王国、トッドレール一味に懸賞金。総額7千万キュー』、……か」
     西方で最も忙しい男、プラティノアール王国宰相ネロ・ハーミット卿は、ようやく取れた一日だけの休みを、自分の屋敷で紅茶と新聞を楽しみつつ過ごしていた。
    「思ったより対応が遅いように思えるが、卿」
     と、その背後から声がかけられる。声をかけてきたのは、現在ハーミット卿の屋敷にて保護および監視をされている敵国グリスロージュ皇帝、フィッボ・モダスである。
    「仕方のないことです」
     ハーミット卿は新聞を四つに折り畳み、フィッボに顔を向ける。
    「向こうでも国家威信をかけた、相当な大捕物となったようですからね。ここに来てようやく、自分たちの国からも逃亡せしめたことを認めざるを得なくなったのでしょう。
     しかしまあ、向こうの捜査当局も最大限の働きを見せたようです。一味のナンバー2で、仕事の斡旋と管理を担当していたオーガスト・ラピニエル氏をはじめとして、30名近くを拿捕したそうですから。……ははは、これをご覧ください」
    「うん?」
    「そのラピニエル氏ですが、ここ、このコラムにこれまでの行状が載せられてますね。
     なんでも代々大酒飲みの家系で、彼自身もなんと8歳の頃からずっと酒を飲み続け、ワインを切らした日は無かったそうですよ」
    「それはすごいな。相当の酒豪と言うわけか」
     3ヶ月が経ち、元々から柔和で温厚なフィッボと、気さくなハーミット卿との仲は、非常に良好なものとなっていた。
    「今は独房に送られ、そこでようやく30年分の酔いが醒めたとか」
    「ははは……、30年は長いな」
    「そうですね、確かに長い。人が生まれてからようやく、ひとかどの人物になるくらいの時間です。
     そう考えれば――こんな言い方はそのラピニエル氏には失礼でしょうが、その30年はまるで無為なものとなっただろうと、私にはそう思われてなりませんね」
    「ふむ?」
    「今回の事件に至って、彼はすべてを失ったわけですからね。それまでに何を築いていようと、その一件ですべてが無かったことになるわけですから。
     トッドレール氏にしても同様です。今回の事件で、『パスポーター』として集めていた名声をすべて失った。今や彼は、ただのならず者に過ぎません」
    「なるほど」
     ハーミット卿は肩をすくめつつ、紅茶を一口飲み込む。
    「やはり人の道を外れれば、それなりの罰を負うと言うことでしょう。
     あの件に関しても、彼には相応の報いを受けていただきたいところですね」
    「うん? ……それはもしかして、私の国の、参謀のことだろうか」
    「ええ。陛下からのお話や、各地から寄せられた報告を総合するに、今現在に置いても相当の非道を働いているそうですからね。
     先月にも陛下を奪還しようと、ローバーウォード西で武力衝突がありました」
    「そうだったな……」
    「あれはひどいものです。特に、徴兵された者たちの扱いは」
    「と言うと?」
     ハーミット卿は深いため息と共に、その状況をかいつまんで説明した。
    「戦術、戦法は無いに等しく、武器の扱いもままならない。それ以前に半数が、衝突寸前に逃げ出していた。
     これらの事実から帰納的に考えるに、そこに投入された者たちは恐らく数日前まで戦争とはまるで関わりなく暮らしていた一般人、ただの平民でしょうね」
    「なに……!?」
    「どうやらまともな戦力がほとんどない状態にあるようです。
     帝国の政府高官や将軍らも、陛下の身柄がこちらにあると分かって以降の3ヶ月で、大量に亡命して来られましたからね。
     残るは国境を越える手段も資金も有していない、貧困にあえぐ層だけと言うわけです」
    「なんと……」
     フィッボは頭を抱え、ハーミット卿の向かい側の椅子に座る。
    「それほどまでに悪化しているのか」
    「ええ。あまり芳しくない、いや、はっきり言えば最悪に近い、無政府も同然の状態です。
     とは言え、我々もただただ手をこまねいていたわけではありません。この3ヶ月で、ようやくこの状況を打破できる手段を講じることができました」
    「それは一体……?」
    「残念ながら」
     ハーミット卿は新聞を傍らに置き、碁石と碁盤を取りに立ち上がる。
    「本日はたまの休暇でしてね。詳しい話は公務中にさせていただきたいのですが」
    「……そうだな。焦っても解決にはつながらない。努めて冷静に対処するべき件だ。
     だが卿よ、すまないが私は『それ』の相手にはならないよ」
    「おや?」
    「卿は強すぎる。私が相手ではどうにもならない。私の腕は、ようやくシュウヤ君と互角に打てるくらいにしか上達していないのだ」
    「それは残念」
     ハーミット卿は苦笑して返したが、碁盤はそのまま卓上へと持って来る。
    「では今日は、詰碁の研究でもすることにしましょう。もしもお相手していただけるのであれば、すぐにでも応対しますので」
    「……ああ、うん」
    白猫夢・曇春抄 1
    »»  2012.10.02.
    麒麟を巡る話、第100話。
    秋也の家庭事情。

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    2.
    「へっくしゅん!」
     一方――王国首都、シルバーレイク市街地。
    「風邪引いた?」
    「ああ、いや、なんかムズっと来ただけ」
     秋也はベルと共に、街へ遊びに出ていた。
    「うわさでもされたかな」
    「うわさ?」
    「オレの故郷じゃ、誰かがうわさしてると、そのうわさされたヤツがくしゃみするって言われてるんだ」
    「へぇー」
     他愛もない話を交わしながら、二人は街を歩いている。この3ヶ月の間、秋也はそんな風に、どこかぼんやりと、そして平和に過ごしていた。
     リスト寄宿舎で訓練がある時は精力的に参加し、無ければ寄宿舎の訓練生たちと遊ぶか、ハーミット邸でフィッボやハーミット卿を相手に囲碁を打ちに行くか、もしくはハーミット邸から離れ、居を移したロガン卿父娘とサンデルのところへ機嫌を伺うか――一言で括れば、極めてのんきな生活を送っていた。
    「オレの故郷って言えば、今くらいだともう春っぽくなってくる頃なんだよな」
    「そなの?」
    「央南は四季が1年の間でほとんど均等、3ヶ月ずつくらいに分かれてる感じなんだよ。大体12月から2月くらいが冬で」
    「いいなぁー。こっち、9月の終わりから4月に入るくらいまで、すっごく寒いもん」
    「あー、だから防寒グッズが一杯あるんだな」
     秋也はチラ、と店に並ぶ商品に目を向ける。そこにはマフラーや手袋、兎獣人用の耳袋、尾袋が整然と並んでいるのが見えた。
    「でも、ほとんど『兎』用だな」
    「そーそー、『猫』用ってあんまりないんだよね。だからこれ、自分で作ってるの」
     そう言ってベルは、自分の耳当てを指差す。
    「へぇ……、可愛いな」
    「でしょ? お気に入りなんだ」
     屈託なく微笑むベルに、秋也も笑顔になる。
    「ああ、似合ってるな」
    「うふふっ。……シュウヤくんのは、なんかボロだね」
     言われて秋也は、自分のマフラーを手に取る。
    「……確かに、結構使い込んでんなぁ」
    「もしかして、お母さんに編んでもらったの?」
    「いや……、母さんはあんまりそう言うの、得意じゃなくって。コレは母さんの友達の、橘って人にもらったんだ」
    「へぇー」
    「その橘さんと母さんと、母さんの師匠――オレにとっては大先生になるんだけど――はずっと昔から仲が良くて、今でも色々連絡したり、一緒にお茶したりしてるんだ。
     もしかしたらその橘さんとこの子と、オレの兄貴が結婚するかもって話もあるんだ、実は」
    「そうなんだ。あれ、って言うかシュウヤくん、お兄さんいたの?」
     目を丸くするベルに、秋也は詳しく答える。
    「ああ、春司って言って、オレと双子なんだ。でもオレとは違って父さん似で、今は政治家秘書みたいなのを、父さんのところでやってる。どっちとも、もう何年も会ってないな」
    「何年も?」
    「父さん、メチャクチャ忙しい人だから。ほとんど家では見たコト無いんだ。兄貴もここ5年か6年くらい、顔見てない」
    「うちのパパみたいだね。他には兄弟、いるの?」
    「ああ、後は月乃って妹が一人。でもこいつとも、あんまり仲良くないんだ」
    「……変なこと聞いちゃった?」
     しょんぼりした顔になったベルに、秋也はぶんぶんと首を横に振る。
    「い、いや、そんなコトないって」
    「あ、だからなんだ」
     と、ベルは急に表情を明るく変える。
    「シュウヤくんの話、お母さんのことばっかりなのって、だからなんだね」
    「え?」
    「お父さんともお兄さんとも、妹さんとも仲良くないから、……だからなのかなって」
    「……そうかもな。言われてみれば、そうだよな」
     今度は秋也の方が気落ちする。それを察したらしく、ベルがぎゅっと、秋也の手を握り締めてきた。
    「あ、じゃあさ、じゃあさ。あたしのこと、妹みたいに思っていいよ?」
    「ぅへ?」
     妙な声がのどから漏れ、またベルは笑い出す。
    「あはは……、変な声」
    「はは、……は」
     秋也は照れくさくなり、慌ててベルから手を放す。
    「そんな風に言われるの、悪くないな」
    「変な声が?」
    「違う違う、妹みたいに、ってヤツ。ホントの妹とすげー仲悪いから、なんか、そんな風に言ってくれるヤツがいると、すごくうれしいなって」
     はにかむ秋也に、ベルはいたずらっぽい笑顔を向けた。
    「じゃ、お兄ちゃん。かわいい妹に、さ。何か美味しいもの、おごって?」
    「ははは……、仕方ねーなー」
     秋也は自分の顔が勝手に緩んでいくのを感じながら、周りに出店や喫茶店などが無いか見渡した。

    「……っ!」
     そして秋也は視界の端に、顔の大部分をマフラーと帽子とで覆い隠した兎獣人らしき背丈の男が、こちらをじっと見ているのを捉えた。
     それは紛れもなく、皇帝亡命事件の首謀者――「パスポーター(何でも屋)」アルト・トッドレールその人だった。
    白猫夢・曇春抄 2
    »»  2012.10.03.
    麒麟を巡る話、第101話。
    パスポーター、再び。

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    3.
    「これはこれは、ゼェ、シュウヤのお坊ちゃん、ゼェ」
     3か月ぶりに遭遇したアルトの声色には、怪我と捜査を受け、さらに指名手配されたこととで相当の疲労を負った様子が聞いて取れた。
     そして首に受けた傷は未だ治っていないらしく、その引きつった声の端々に、気味の悪い風音が混じっている。
    「アルト、お前……!」
    「俺が、ゼェ、死ぬ思いで西方中を、ゼェ、逃げ回ってた時に、ゼェ、お前さんは女と楽しくイチャイチャ、ゼェ、やってるってわけか」
    「……そんなんじゃねーよ」
     秋也はそっと、ベルの前に立って彼女を護ろうとする。しかしベルはそれをかわし、秋也の横に立つ。
    「大丈夫だよ、あたしも兵士、……見習いだから」
    「けっ。ゼェ、何が兵士だ、戦争の『せ』の字も知らなさそうな、ゼェ、のんきな顔してやがるくせに。
     まあいい、ゼェ、用があるのはシュウヤ、ゼェ、お前さんの方だ」
     アルトは歩み寄り、秋也のすぐ前にまで迫る。
    「……ッ」
     秋也は腰に佩いた刀を抜こうとしたが、アルトはニヤニヤと笑ってそれを止める。
    「ゼェ、お前さん、相変わらずのアホか? こんな人ごみの中でナガモノ振り回そうなんざ、ゼェ、どっちが悪者になるか、分からないと見えるな」
    「チッ……」
     なじられたものの、確かにアルトの言う通りではある。
     続いてアルトは、ベルにも目を向ける。
    「そっちのお嬢ちゃんも、ゼェ、その可愛らしいコートの下に提げてる銃なんか、ゼェ、取り出そうなんて思うなよ?」
    「……!」
    「恐らく持ってるのは王国制式採用小型拳銃、ゼェ、『エルミットMk.6 ミリタリー』だろうが、その銃に装填されてるだろう、ゼェ、6ミリ真鍮被覆弾の威力なら、ゼェ、俺を貫通して向こう側まですっ飛んじまうぜ?
     まさかお嬢ちゃん、敵兵士と犯罪者と、善良な一般市民との区別が、ゼェ、付かないわけじゃねーよな? それともチンピラ一人片付けるために、『多少の犠牲』はやむを得ないってか?」
    「う……」
     二人を牽制したところで、アルトは目をニヤッと歪ませた。
    「こないだは邪魔されちまったが、ゼェ、もう一度俺たちは、フィッボ・モダス帝を狙うつもりだ」
    「何だと!?」
    「既にどこにいるか、ゼェ、調べも付いてる。お前さんが最近、ゼェ、ハーミット卿の囲碁相手になってるってこともな。
     だから伝えといてくれや、ゼェ、……俺たちがハーミット邸を襲撃するってな」
    「……」
     秋也もベルも、この恐るべき予告に顔を蒼ざめさせる。
    「そ、そんなことさせない!」
     ベルは辛うじて口を開き、吠えかかるが、アルトは意に介していないらしい。
    「てめーに何ができるってんだ、ゼェ、空き缶や人形相手に鉄砲遊びしてるだけの小娘が」
    「……ッ」
     ベルを罵倒され、秋也は憤った。
    「アルト……!」
    「あ?」
    「襲って来てみろよ。返り討ちにしてやる」
     そう言って秋也は、ベルの手を取った。
    「こいつと二人でなッ……!」
    「へっ、笑わせるぜ」
     アルトはくる、と背を向け、そのまま離れていった。



     秋也とベルからの報告を受け、ハーミット卿は苦い顔を返した。
    「僕の家を襲う、か。つくづくマチェレ王国で逮捕されなかったことが悔やまれるな」
    「どうしよう、パパ?」
     不安げな表情を浮かべた娘に尋ねられ、ハーミット卿はこう返す。
    「執るべき対策は3つだ。1つ目は警察庁に連絡し、首都圏内にトッドレール一味が潜伏していることを伝える。
     2つ目は首都・北部方面司令のバーレットさんに連絡し、首都内の警備を最大限に強化してもらう。一味の無法ぶりは西方中でニュースになってるからね、すぐに手配してくれるだろう。
     3つ目はモダス陛下の警護体制の強化だ。バーレットさんと、他の司令のチェスターさんとザウエルさんからも、兵士を貸してもらおう」
    「そんなことできるの?」
     そう尋ねられるが、ハーミット卿はこんな風にうそぶいて見せる。
    「ああ。僕が頼めば、今日中に2分隊ずつは寄越してくれるさ。それだけいれば、野盗の襲撃に不覚を取るようなことは無いだろう。
     それよりベル。君はもう、寄宿舎に戻った方がいい。いつ襲撃されるか分からないからね」
     そう諭されたが、ベルは首を横に振る。
    「ううん、あたしも戦う」
    「それは駄目だ」
    「だって、あたしだって訓練受けてるもん」
    「訓練中だからこそ、だよ。生兵法は怪我の元だ。君をむざむざ危険に晒したくはない」
    「だったら、オレも一緒にいます!」
     思わず、秋也はそう叫んでいた。
     しかし、これを受けてもハーミット卿は、依然として応じない。
    「確かにシュウヤ君、君がいてくれれば心強い。元から君には頼もうと思っていた。
     でも娘を危険に晒したくない。これは分かってもらわなきゃ困るよ」
    「お願い」
     と、ベルが深々と頭を下げ、頼み込む。
    「あいつは家を襲うって言ったのよ。あたしたちの家をよ? あたしが生まれ育った家、絶対、壊されたくないの」
    「……ベル、聞き分けてくれないかい?」
    「無理」
     頑なな態度を執る娘に、ようやく卿は折れた。
    「分かった。じゃあ、君はシュウヤ君と一緒に、モダス陛下の身辺警護に回ってくれ」
    「ありがと、パパ!」
     ベルはぎゅっと卿に抱き着き、頬にキスをする。
    「……」
     その間ずっと、卿は顔をしかめていた。
    白猫夢・曇春抄 3
    »»  2012.10.04.
    麒麟を巡る話、第102話。
    アルトの過去。

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    4.
     ハーミット卿がうそぶいていた通り、その日のうちに、ハーミット邸は武装した兵士で固められた。
    「これで容易に襲撃されることは無くなった。とは言え油断はできないけどね」
    「そうっスか? コレだけ固めてるのに?」
     あちこちで立番する兵士を三階の窓から見下ろしながら、ハーミット卿は不安点を述べる。
    「トッドレール一味はマチェレ王国での執拗な捜査網をかいくぐり、この国まで侵入してきた事実がある。よって、潜入スキルは非常に高いものと想定できる。
     対するこちらは、確かに攻撃にも防衛にも長けた人材はずらりと揃っている。しかし敵国兵士は今まで何人も相手にしてきた彼らも、今回の相手はそれとは全然違う。一見取るに足らない野盗たちだけど、前述した点での懸念がある。
     彼らの油断と相まって、突破される可能性は決して0とは言えないよ」
    「そんなもんスかね……?」
    「事実、君はトッドレール氏と共に、僕らの警備網を突破したじゃないか」
    「あ、そっか」
     頭をポリポリとかく秋也に、ハーミット卿はクスっと笑って返した。
    「本当に君は純真と言うか、単純と言うか」
    「あはは……」
    「でもそれくらいの方がいいよ。人生を楽しく生きたければ、ね。
     生きていれば嫌なことは多くあるけど、それに囚われてしまうと、途端につまらなく、苦しいものになってしまうものだ。多少は忘れる度量と懐の深さと、割り切り方がないと」
     ハーミット卿は肩をすくめ、こう続ける。
    「今回のトッドレール氏は、相当楽しくない人生を送ってきたようだし、これからもずっと、送り続けることになるだろう。
     この前の事件で彼を目にしたけど、彼は何と言うか、飢えているような雰囲気があった。名声や富や、慕ってくれる人なんかを渇望している感じだった。彼の人生は、彼にとってはものすごく、何もかもが足りないものと、そう感じていたんだろうね」
    「あー……、そっか」
     それを聞いて、秋也の中で一つの合点が行った。
    「うん?」
    「あいつ、フィッボさんにこれでもかってくらい難癖付けてたんです。
     ソレって多分、今ハーミットさんが言ってたみたいに、フィッボさんのコトが妬ましくてたまらなかったんだろうなって」
    「ふむ。確かにその要因は小さいものではないだろう。
     だけど彼にはモダス陛下を憎むべき、もっと大きな要因があるんだ」
    「え?」
     ハーミット卿は黒眼鏡を外し、袖で拭きながらこう話す。
    「皇帝亡命事件の直後、僕は彼の逮捕のため、情報をいくつか集めていたんだ。それで分かったんだが、彼は14年前までロージュマーブル王国に住んでいたらしい」
    「え、じゃあ」
    「そう、故郷を滅ぼされたんだ。帝国の手によってね」
    「……!」
    「当時の彼は12歳。モダス陛下には相当な恨みを抱いただろう。それこそ、その心の奥底に刻み付けられるくらいに」
    「で、でも」
     秋也は複雑な思いを抱えつつ、反論する。
    「その戦争ってフィッボさんの参謀だった、クサーラ卿が主導したんでしょう?」
    「対内的にはその通りだ。しかし対外的には結局『皇帝が起こした戦争』であり、責任を負い、恨みを買うのは参謀ではなく、国家元首たる皇帝になる」
    「……ずるいっスね、ソレ」
     秋也は言いようのない嫌な感情を、アロイスに対して抱く。
    「口と手を勝手に出しといて、責任は他人に被せて、自分だけは平気な顔、ってワケっスか」
     ハーミット卿は黒眼鏡をかけ直し、こう返した。
    「そうだね、まったくその通りだ。僕は彼を許す気には、到底なれない。卑劣漢であるし、非人道的過ぎるし、利己的過ぎる。彼の存在自体が異様に歪んでいると言っていい。
     彼をそのまま放っておくことはこの国、いや、この世界全体にとって大きなマイナスにしかならないだろうね」
     そこでハーミット卿はくる、と扉の方に顔を向けた。
    「ジーナ、今開けるよ。じっとしていて」
     ハーミット卿は扉に歩み寄り、それを開けた。
    「すまんのう、お前様や」
     ひどく古風な言葉遣いと共に、深い緑色の髪の、黒い毛並みの猫獣人の女性が、紅茶の乗ったトレーを持って入ってきた。
    「あ、ども。お邪魔してます」
     秋也はその女性――ハーミット卿の妻、ジーナ・ルーカスにぺこりと頭を下げた。
    白猫夢・曇春抄 4
    »»  2012.10.05.
    麒麟を巡る話、第103話。
    ハーミット夫妻。

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    5.
     以前にベルが言っていた通り、確かに彼女は母親、ジーナに良く似ている。
     ベルより髪の緑色が深いことと瞳の色――これもベルが言っていたが、ほとんど失明しているらしい――を除けば、外見上はほとんど見分けが付かない。
    (何て言うか、ベルちゃんが今のまんま歳取ったら、そのままジーナさんになりそうって感じだよな)
     そんなことを何となく考えているところに、ジーナが声をかけてくる。
    「シュウヤ君は、お茶で良かったかの?」
    「はい、いただきます」
     ジーナから紅茶を受け取り、秋也はもう一度ぺこっと頭を下げる。
    「ありがとうございます、ジーナさん」
    「よい、よい」
     ハーミット卿を初めて見た際には――青年期が長いと言われている長耳のせいか、それとも始終飄々と振る舞う人柄のせいか――とても年頃の娘がいるような年齢には見えなかったが、ジーナの方はそれなりに歳を取って見える。
     それを踏まえても、彼女の言葉遣いは桁違いに古臭く感じた。
    「お前様や、この物々しい空気はいつまで続くのかの?」
    「そうだね、早くて5日、長くても1週間ってとこかな」
    「ほう。何故に?」
    「トッドレール氏はいつ襲うか、指定してなかったそうだ。
     彼の性格と行状はシュウヤ君やモダス陛下などから聞いてるけど、彼は変に律儀なところがある。そんな彼が『うちを襲う』とわざわざ宣言しておいて、なのにいつ襲うかは言わなかった。
     それは恐らく、あえて言わなかったものだと思われる」
    「あえて?」
    「いつでも迎え撃てるよう、こうして早々に警備体制を敷いたけど、襲ってこない限りはずっとこの状況が続く。となると緊張感の低下や疲労が、そう時間がかからないうちに――恐らく3日か、4日かくらいで――起こるだろう。
     氏の狙いは恐らくそこにある。緊張が薄れ、本当に襲ってくるのか怪しく感じ始め、ついつい気を抜いてしまいがちになる、そんな瞬間を狙って、強襲するつもりなんだろう。
     とは言え、それが10日にも20日にもなることはない。長引けば長引くほど、首都警備網は堅牢性を増す。のんびりできる状況じゃなくなってくるし、相手も手早く終わらせたいはずだ」
    「なるほどのう。じゃが、気になることが一つある」
    「と言うと?」
     秋也は夫妻の会話をすぐ横で聞いていたが、それは仲睦まじい男女の、と言うよりはむしろ、軍の士官同士が職場で意見交換をしているように感じられた。
    (夫婦って言うより、何て言うか、同僚みたいな感じなんだよな。元々がそうだったのかも知れないな)
    「わざわざ予告した意図が読めぬ。追われる身なのじゃ、密かに乗り込めば良いものを、何故に予告したのか、とな」
    「その疑問は確かにある。しかし残念ながら、まだ納得の行く回答は用意できてないな」
    「陽動とは考えられぬか? ここに兵を集めておいて、別の場所を襲うとか」
    「その線は薄いよ。氏の目的がモダス陛下であることは、昨年末の事件で分かっている。その目的である人物がここにあり、居ると言う調べも付いていると言っていたのに、いたずらに他を襲うような理由は無いさ。
     それにうちには6分隊分の兵士がいるけど、他の重要拠点にはその十数倍から百倍は、兵士ないし官吏が詰めてる。陽動作戦として一ヶ所に兵士を集めさせるって言うなら、もっと他の手段を使うさ」
    「さもなくば、お前様をここに閉じ込めておくのが狙いか」
    「なるほど。でもそうだとした場合、彼が僕を閉じ込めて、彼の利益にどうつながるのかが分からない。いや、それはモダス陛下を拉致しようとするのも同じことか。
     結局、彼が万難を忍んでまで、執拗に陛下を付け狙うに値する理由は、まだ見つかってないんだよね。シュウヤ君、君の意見はどうかな?」
    「え?」
     急に話を振られ、秋也はまごつく。
    「どうって、うーん、例えば?」
    「彼と1ヶ月、共に過ごした君なら、彼の思考なり何なりから逆算して、彼がやりそうなこと、何か思い付くかなって」
    「うーん……、そう言われても、特には……」
    「そっか。まあ、そのうち何かピンと来たら、いつでも教えてくれ」
     彼は一旦言葉を切り、妻が持って来た紅茶を口に運ぶ。
    「話は変わるけど、シュウヤ君」
    「はい?」
    「娘とは仲良くしてくれてるみたいだけど、変なことはしてないよね?」
    「は、はぁ?」
     次の瞬間、ジーナは持っていた銀製のトレーで、ぱこん、とハーミット卿の頭を軽く叩いた。
    「何を聞いておるんじゃ、お前様は!」
    「あいてて」
    「すまぬのう、シュウヤ君。こやつは頭こそ明晰じゃし政治にも長けておる英才じゃが、細かな人間関係の礼儀、礼節を分かっておらん朴念仁でな」
    「いえ、そんな。あの、普通に友達として付き合ってるだけですから」
    「そうか。下衆な勘繰りなどして、大変すまぬことをしたのう」
    「あ、はい、ども」
     秋也はしどろもどろな返答をしつつ、確かにこの二人は夫婦であると納得した。
    白猫夢・曇春抄 5
    »»  2012.10.06.
    麒麟を巡る話、第104話。
    プレゼンテーションの意義。

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    6.
    「あはは……」
     ハーミット夫妻の様子を秋也から伝え聞いたベルは、ころころと笑って返した。
    「何だかんだでパパ、心配してるんだね」
    「まあ、そりゃそうだろ。屋敷に残るって言った時も、いい顔してなかったし」
    「そだね。でもあんまり、話とかできないから。君がお兄さんとかお父さんとあんまり会えないって言ってた、そんな感じみたいに」
    「あー、そっか。だよな、オレも卿と会ったの、去年の暮れから今までで5回か6回くらいかだし」
     指折り数える秋也を見て、ベルはクスッと笑う。
    「ねえ、もしかしてシュウヤくんって」
    「え?」
    「考えたり計算したりするの、苦手?」
    「ああ、実を言うとあんまり。なんで?」
    「それ」
     ベルは半分開いた秋也の手に、自分の手を乗せる。
    「あ、うん、……だよな、こんなのコドモだよな」
    「結構多いよ? マーニュ大尉も囲碁教えてもらってた時、顔真っ赤にして数えてた」
    「う、うーん……。あの人とソコで比較されてもなぁ」
    「あたしは好きだけどな。そーゆーコドモっぽいの」
     ベルは秋也の手を握ったまま、ニコニコ笑っている。
    「子供の時からさ、パパ関係で大臣さんとか将軍さんとか、アタマいいけどしかめっ面ばっかりしてる人たちに会ってるから、そーゆー人苦手なんだ、あたし。
     それよりもすっきり、さっぱりした分かりやすい人の方がいいし、あたしもそーゆー風に将来なれたらなって思って。だから自分から、リスト司令の寄宿舎に入りたいって、パパたちにお願いしたの」
    「そうなんだ」
    「銃を撃つのも性に合ってたし、体動かすのも好きだし。このまま士官になれたらなって。
     ……ねえ、シュウヤくんは将来、何になりたいの?」
    「オレ? オレは……」
     秋也は腰に佩いている刀をトンと叩き、こう返す。
    「剣士になりたいなって思ってる。でもなぁ……」
    「でも?」
    「この国でもそうだけど、今じゃ戦争って言ったら銃を使うもんだろ? 剣士になっても、その先仕事口も活躍の場も無くなって、どうしようもなくなるんじゃないかって思うと、どうしても何て言うか、二の足踏んじゃうって言うか」
    「ふーん……」
     ベルは一瞬、困った顔を見せたが、すぐにころっと表情を変える。
    「ねえ、知ってる? この国、今シュウヤくんが言ってた通り、戦争にいっぱい銃を使ってるけど、そうなったのってどのくらい前の話だと思う?」
    「え? んー、銃が本格的に使われたのって、確か日上戦争辺りからだって聞いたから……、20年くらい前かな」
    「はずれー」
     ベルはにこっと笑って、答えを述べた。
    「正解は7、8年前くらいから。チェスター司令が招聘(しょうへい)された2、3年後からなんだよ」
    「8年前? じゃあ、帝国と戦争し始めた辺りじゃ、まだ使ってなかったってコトか?」
    「そーゆーこと。
     司令が王国の将軍として招かれた時、実は銃の有用性ってあんまり、この国の人はピンと来てなかったらしいの。接近戦なら剣や槍を、遠くを攻撃するなら弓や魔術を使えばいいんじゃ、って感じで。
     でも司令は『剣も魔術も相当の訓練を積まなきゃ軍用レベルに達しないけど、銃ならその5分の1、10分の1程度の訓練期間で、同等の効果を発揮できる』って説得して、採用させたの。
     この国の兵士が銃を持つようになったのは、司令の説得があったからなんだよ?」
    「そうだったのか……」
    「だからさ、シュウヤくん」
     ベルは秋也から手を放して軽く上半身を屈ませ、上目遣いになってこう続けた。
    「価値や効果があっても、それを知らなきゃただの金属の筒だけど、『使える』って主張して、実際に証拠を見せてくれた人がいたから、あたしたちは銃を使うようになったんだよ。
     それと同じで、シュウヤくんが『自分の剣には価値がある』って主張して、その証拠を見せれば、きっと誰かが認めてくれると、あたしは思う。
     主張もしないで、証拠も見せないうちから『使えない』って自分勝手に諦めちゃうの、良くないと思うんだ」
    「……そうだな」
    「あたしは応援するよ。シュウヤくんがすっごい剣士になって、大活躍できるように」
    「ありがとう、ベルちゃん」
     秋也は顔が赤くなるのを感じつつ、ベルに礼を言った。
    白猫夢・曇春抄 6
    »»  2012.10.07.
    麒麟を巡る話、第105話。
    冷酷な白猫。

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    7.
     アルトの襲撃予告から3日、4日と経ち、卿が危惧していた通り、ハーミット邸の警備陣からわずかながらではあるが、緊張の糸が緩む兆候が出始めていた。
    「ふあ、あ……」
    「ヒマですねー」
     小銃を背負い、立番していた兵士たちから、欠伸とダレた声が漏れてくる。
    「本当に来るんですかねー」
    「情報提供元は確かとは聞いてるが……」
    「つっても、卿の娘さんと、……えーと、なんでしたっけ」
    「コウとか言う、央南の剣士だそうだ。『パスポーター』と直に会って話を聞いたそうだ」
    「それなんですけど、例えばウソみたいなもんじゃないのかなって」
    「と言うと?」
    「話の聞き間違いとか、聞いたのは確かだけど『パスポーター』がウソを吹き込んだとか」
    「無くはないが……」
     と、そこへ警備の陣頭指揮を執っていたリスト司令の「一番弟子」、アルピナ・レデル少佐が通りかかる。
    「その点の心配は不要よ。わたしが保証するわ」
    「あ、はい」
    「だから気を抜かず、警備に徹していてちょうだい」
    「失礼しました!」
     慌てて敬礼した兵士たちに軽く敬礼を返してその場を去りつつ、アルピナは彼らに見えないようにため息をついた。
    (卿が言っていた通りね。そろそろ集中力が落ち込んでくる頃。
     これが軍事行動だったら警備陣の入れ替えをして、陣中の気合いを入れ直すところだけど、宰相の屋敷が狙われているとは言え、みんなが言うように確実な情報とは言い切れないし、流石にそこまで本腰を入れ切れないわよね。
     ……いけない、いけない。わたしも気が緩んでるみたいね)

     そしてこの緩んだ空気に、のんきな秋也も勿論、あてられていた。
     フィッボのいる部屋の隣にある談話室にて休憩している最中、秋也は2日前にベルから言われた言葉を思い出していた。
    (『自分の価値を自分で諦めちゃダメ』、かあ~……)
     思い出す度に、秋也の顔はにへらと緩む。その顔に、緊張の色は無い。
    (いいコト言うなぁ、ベルちゃん。そうだよな、まだ誰もオレを否定なんかしてないんだから、オレが諦めちゃおかしいよな。
     よし、ココで一発、いいトコ見せて……)
     と、一人で意気込んでいたところに――。
    《じゃあ、ボクの話を聞いた方がいいんじゃないか?》
    「……!」
     気が付くと秋也は、あの白猫といつも会う、夢の世界の中にいた。
     そして正面には、にやにやと笑う白猫の姿がある。
    《もうそろそろ踏ん切りは付いただろ? さあ、答えを聞こうじゃないか》
    「……っ」
    《この3ヶ月、キミはちゃんと考えてくれてたかな? ボクから指示されたコトを、守るか、守らないかを。
     ずいぶん待たされたんだ、ソレなりにまともな答えは出ただろ?》
     白猫の責めるような目ににらまれ、秋也は口ごもる。
    「ソレ、は、……その」
    《まさかまだ、決めかねてるなんてコトは言わないよな?》
     す、と白猫が一歩近付く。
    「いや、その……」
    《キミは名を世界に轟かせたいんだろ? 称賛を浴びたいんだろ? セイナみたいな英雄、凄腕の剣士になりたいんだろ?
     だったらボクの指示を受けるべきだ。ソレとも陳腐な倫理観や安っぽい常識に邪魔されて、人を殺すなんて大それたコトできないとか、いかにも脳みその薄っぺらな、バカみたいな答えを出すつもりか?
     やれよ、シュウヤ。ボクの指示通りにアイツを殺せば、後は全部うまく行くよう、ボクが便宜してやるんだぜ? アイツを殺したって誰からも恨まれないし、誰からも責められない。ソレどころか、3年後、5年後にはキミは英雄となり、誰もがこの事件のコトを、諸手を挙げて正当化するだろう。
     こんなうまい話なんて、滅多にあるもんじゃない。ちょっと勇気を出せば、ソレで終わりだ。さあ、どうだいシュウヤ? やる気になったかい?
     ソレとも……》
     白猫は秋也のすぐ目の前にまで近寄り、彼の胸倉をぐい、とつかんだ。
    《キミはどうしようもないグズなのか?》
    「なっ……」
     あからさまに罵られ、秋也の頭に血が上る。
    《殺人の一つもできない腰抜けか? 手を汚す度量もないボンクラか? ソレとも違うって言うのか? ちゃんとやれると、そう言えるか?
     言えるって言うなら、証明してみせろよ。ブッ殺すんだ、あの大嘘吐きの長耳野郎をな!》
    「……なんでだよ」
     辛うじて、秋也はその一言をのどから絞り出す。
    《まだ分かんないのか? ボクがなんでキミの質問に一々バカ丁寧に答える必要がある?》
    「……だったら、お前がやれよ」
     秋也は心に湧き上がってきた激情を、白猫からの挑発に乗る形ではなく、白猫に真っ向から反発する形で吐き出した。
    白猫夢・曇春抄 7
    »»  2012.10.08.
    麒麟を巡る話、第106話。
    憤慨する秋也。

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    8.
    《あ?》
    「お前がやれって、そう言ったんだ! そんな下衆な命令、誰が聞いてやるかッ!」
     秋也は白猫の手を振り払い、叫ぶ。
    「何の恨みがあって、卿を殺せなんて言うんだ!?
     あんないい人が、そしてあんないい政治家が、他にあるか!? あの人がこの国に来て、どれだけの人が幸せになったか知ってるのか!?
     ベルちゃんから、……人から聞いた話だけどさ、卿が大臣になる前は、ココも西の2国と変わらない、戦争ばっかりの荒れた土地だったらしいんだ。
     あの人はソレを根本から変えて、今もより良くしようと頑張ってる! そんなすごい人を、どうしてお前は殺せなんて!?」
    《はっ》
     憤る秋也に対し、白猫は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
    《ソレがどうした? そんな目くらましで、アイツがいい人に見えるのか? とことんまでバカだな、キミは》
    「なに……!?」
    《アイツは結局、自分の立身出世のために動いてるだけさ。分かりやすい実績を挙げて、自分はすごい人間だと周りに認めさせたいだけ。
     そうして万人から認められたら、アイツはきっと図に乗って、その国を乗っ取る。そしてより権力を強めようと、きっと戦争を起こすだろう。
     結局、あのボンクラ皇帝やアルの鉄クズ野郎と一緒さ! ボクはその芽を摘もうとしてるんだ。そんなコトも分からないのか?》
    「分かるワケあるかよ……! 分かりたくもねえッ!」
     秋也はなおも憤り、叫ぶ。
    「ソレも予知だって言うのか? 絶対に起こる未来だと、そう言うのか!?」
    《いいや、コレはまだ予測の域さ。でもきっと起こるだろう。アイツはそう言うヤツなんだ。過去にも世界を一度、手にしかけた。だが幸い、タイカさんがその芽を摘んだ。
     だから今回もボクが摘んでやるのさ。ヤツの薄汚い企みの芽を、ね》
    「んなワケあるかよッ!」
     白猫の言葉に、秋也はさらに怒りを燃え上がらせる。
    「お前の言ってるコトは全部、自分の勝手な思い込みじゃねえかッ! そんなもん、『あの花は枯れて腐って毒を出すかも知れないから』ってつぼみを引きちぎるような話だろうが!?
     お前こそバカなんじゃねーのか!? 自分勝手にぎゃーぎゃーわめきやがって!」
    《わめいてるのはキミだよ、シュウヤ。キミは分かってない、分かってないんだ。アイツの危険性を。
     まあいい。どの道、決断の時はすぐだ》
    「……? どう言う……」
    《キミが目を覚ましてすぐ、アルトたちが侵入する。その時がチャンスだ。
     キミはその直後、アイツと鉢合わせする。騒ぎの最中で、周りには人がいない。アイツと二人っきりになるタイミングが、1分ほどある。そのタイミングなら、殺してもアルトのせいにできる。最大のチャンスなんだ。
     その間に殺せ》



    「……!」
     談話室のソファでうたた寝していた秋也は、目を覚ました。
    「……チッ……」
     ぽた、と床に汗が落ちる。まだ寒さの残るこの時期に、びっしょりと寝汗をかいていた。
    「……すぐ? 今すぐに?」
     白猫に言われたことを反芻し、秋也は立ち上がる。
     その瞬間――破裂音が轟き渡り、秋也の後方に並んでいた窓と言う窓が、一斉にビリビリと震えた。
    「!?」
     秋也は慌てて窓から庭を見下ろし、様子を確かめる。
    「爆発……!?」
     庭から黒い煙が上がり、その周辺には兵士が何名か倒れている。
    「くそっ、マジかよ!?」
     フィッボを護るため、秋也は窓から離れ、談話室を飛び出そうとする。
     と――先程まで秋也がいたその窓を破り、黒いマスクを被った兎獣人が侵入してきた。
    「……ッ!」
     しかし床に着地する寸前、秋也は敵の左頬に拳をめり込ませる。
    「ぐえ……っ」
     兎獣人は床を転がり、ピクリとも動かなくなる。
    「侵入……、上と正面からか!?」
     刀を抜き、警戒するが、窓からは誰も入って来ない。
     と――談話室の扉が開き、誰かが入ってくる。
    「シュウヤ君!」
     入ってきたのは、ハーミット卿だった。
    「きょ、……う」
     彼を目にした瞬間、秋也の脳裏に白猫の言葉がよみがえった。

    ――キミはハーミットと鉢合わせする。その時がチャンスだ。その間に殺せ――

    「とうとう来たらしい! シュウヤ君、すぐ応援に……」
     ハーミット卿の言葉が、とてつもなく遠くに感じられた。

    白猫夢・曇春抄 終
    白猫夢・曇春抄 8
    »»  2012.10.09.
    麒麟を巡る話、第107話。
    興国の立役者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     これは秋也が、ベルから又聞きした話だが――ハーミット卿が宰相になる前、プラティノアール王国の高官、閣僚たちの多くはやはり、こぞってこの人事に反対したそうだ。
     元より異邦人を毛嫌いする傾向の強い西方人であるし、そうでなくとも、政治家としての必要条件のいくつかを満たしていない――王国に何らかのコネクションや政治基盤、権力を一切持たない人間がいきなり国政のトップに収まるなど、誰も認めたがらないのは当然と言えた。
     しかしそれでも、王国に対し何のコネも権力も持たない、異邦人の卿が宰相として認められたのは、反対派がずらりと並んだ議事堂で、前宰相と国王とを背にした彼が熱心に、雄弁に、そして真摯に皆を説き伏せたからだと言う。
     その際に卿がどんなことを述べたかはベルも詳しくは知らないが、この演説によって卿は反対派を沈黙させ、その半数以上を賛成派に転じさせることに成功したのだと言う。
     そして宰相就任が認められた際にも、卿は皆を前にしてもう一度演説を行い、その結びにこう宣言したそうだ。

    「確約いたします。私の知恵と経験、知識、手腕があれば四半世紀後、この国は山に囲まれ矮小な戦争を重ねるばかりの小国から、世界へ広く門戸を開放し、そして世界の国々と対等に渡り合える、素晴らしい強国になると。
     そして重ねて確約いたします。さらにそこから四半世紀後には、この国は世界を動かすほどの大国に成長していることを」



     卿が宣言した通り、就任してから20年近くが経った現在、王国は驚くほどの成長を遂げた。
     かつて銃の存在も知らず、前世紀からの、古式めいた白兵戦に終始していた軍は今や、世界最高水準とも言える軍備を備えるに至った。
     移動手段においても、世界を置いてけぼりにするほどの進化を見せた。馬車をはるかに凌駕する速度を誇るガソリンエンジン車や蒸気機関車の開発に成功し、それに合わせて近代的な交通網も整備され始めている。
     その他、食糧事情も、経済規模も、20年前とは比べ物にならないほどの、飛躍的発展を遂げた。
     ネロ・ハーミット卿は確かにその宣言通りに、王国を「素晴らしい国」へと変えて見せたのだ。



     偉業を成し遂げ、そしてこれからさらに、王国を飛躍・発展させていく力を確かに持つこの偉人を前に、秋也は硬直していた。
    「シュウヤ君? どうかしたのかい?」
     秋也の挙動を訝しんだらしく、卿が声をかける。
    「……そ、……その、……いや」
    「うん?」
    「……っ」
     この時秋也の心の中は、激しく、目まぐるしく揺れ動いていた。
    (白猫に言われた通り、この人を殺さなきゃいけないのか? それともあんなふざけた預言なんか無視して、さっさと応戦しに行くか?
     ……いや、分かってる。無視すりゃいいんだ。……でも)
     白猫の顔を思い出す度、秋也の体はまるで凍りついたように、小指一本も動かせなくなる。
    (アイツの言う通りにしたら、確かに、アイツの言う通りになった。本当にアイツは、未来が見えるんだろう。なら、アイツの言う通りにし続ければ、オレは本当に、英雄になれる、……かも知れない。
     オレだって、……なりたい。なれるって言うなら、英雄になりたい。でも剣士としての活躍の場がドンドン消えてる今の世の中で、そう簡単に英雄になんて、なれるワケが無い。ソレも、分かってるコトなんだ。
     言う通りにすればきっと、白猫はオレを、英雄にしてくれる)
    「大丈夫かい? 顔色がひどく悪いけど……」
    (でも、だからって人を殺せって言うのか?
     白猫は、この殺人は正当化されると言った。だから卿を殺しても、何の罪も、罰も負わないはずだと。
     でも、そんな理屈じゃないだろっ……!? 人を殺すのが悪いコトじゃないなんて、オレにはどう考えても納得できねーよ!
     そりゃ、場合によっては殺さなきゃ殺されるだとか、殺した方がいいヤツがいるだとか、そんな話もある。あるけど、この場合はそのドレでもないだろ!?
     卿は悪人じゃない。オレにはそう見えない。死んだ方がいい、殺されるべきヤツだなんて白猫は言ってたけど、オレにはそんな風に見えないんだ!)
    「シュウヤ君!」
    「……!」
     きつい口調で呼びかけられ、秋也はようやく反応した。
    「は、はい」
    「どうしたんだ? 顔は真っ青だし、体は震えてるし。まるで何かに怯えているみたいだけど、戦えるかい?」
    「あ、いえ、はい、……!」
     うなずきかけて、秋也はハーミット卿の背後――開け放たれたままのドアから、黒い布で顔を覆った兎獣人がナイフを手に、書斎へ入ってくるのに気付いた。
    白猫夢・賊襲抄 1
    »»  2012.10.10.
    麒麟を巡る話、第108話。
    秋也とアルトの対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     その兎獣人はナイフを振り上げ、投げようとする。
    「……危ないッ!」
     秋也はとっさに卿の腕をつかみ、目一杯引っ張った。
    「うわっ!?」
     卿が前のめりに倒れるとほぼ同時に、兎獣人がナイフを投げ付ける。
     しかしナイフは一瞬前まで卿が立っていた場所を飛び、そのまま本棚にがつっ、と音を立てて突き刺さった。
    「な、何やってんだ、シュウヤ!?」
     その兎獣人は驚いた声を出す。その声で、秋也は彼の正体に気が付いた。
    「アルト!? いきなり何を……!」
    「……ゼェ、やかましい! 敵を目にして攻撃しねー、ゼェ、アホがいるかッ!」
     アルトはそう返しつつ、ナイフをもう一本取り出し、ハーミット卿へ襲いかかろうとした。
    「行きがけの駄賃だ、ゼェ、そいつくらいは殺させてもらうぜ!」
    「させるかッ!」
     秋也は――白猫から散々「殺せ」と命じられた――ハーミット卿を護ろうと、アルトの前に立ちはだかった。
    「どけよ、シュウヤ」
    「ざけんな、誰がどくか」
    「どかなきゃ、痛い目見るぜ?」
    「見せてやんのは……」
     秋也は刀を正眼に構え、アルトを牽制する。
    「こっちの方だ!」
     そのまま刀を振り上げ、アルトの頭目がけて振り下ろす。
     しかし間一髪でアルトは後ろへ飛びのき、ナイフを投げ付けてくる。
    「そらよッ」
    「……!」
     刀を振り下ろした直後で、弾くには間に合わない。避けようかと一瞬考えたが、避ければ背後のハーミット卿に直撃する。
    (……や、やるしかねえ!)
     秋也は覚悟を決め、刀から手を放し、飛んでくるナイフに向けて両手を突き出す。
    「だあああッ!」
    「なっ、……ゼッ、ゲホッ、マジかよ!?」
     秋也の両掌の間で、ナイフが止まる。
    「し、白刃取り、せ、せ、成功、っ」
     自分でも成功するとは思わず、秋也はガチガチと歯を鳴らしていた。
    「……チッ」
     アルトは舌打ちし、踵を返す。
    「まっ、待て!」
    「待てって言って、ゼェ、待つアホがどこにいるってんだ!」
     そのままアルトは、書斎を飛び出す。
    「逃がすかッ!」
     秋也は刀を拾い、ハーミット卿を書斎に置いたまま、アルトを追いかけた。

     アルトは廊下を駆け抜け、フィッボがいる部屋の前で立番をしていた兵士たちを投げナイフで軽々と蹴散らし、そのまま彼らの小銃を奪ってドアの錠を撃ち抜く。
     ただの分厚い板と化したドアを蹴破り、アルトは部屋の中へと侵入した。
    「おこんばんは、ゼェ、フィッボ・モダス皇帝陛下殿」
     部屋の中央に佇んでいたフィッボに悪意のふんだんに込もった挨拶をしつつ、アルトは銃のボルトを引く。
    「……」
    「手短に言いますぜ。俺と一緒に来てもらいやしょうか」
    「断ると言ったら?」
    「無理矢理にでも言うことを聞かせるだけでさ」
     アルトはフィッボに小銃を向け、一歩近寄る。
    「さあ、来てもらいやしょうか」
    「できない相談だ」
     フィッボは首を横に振り、アルトの背後を指差した。
    「私の騎士が、それを許すまい」
    「……チッ」
     アルトはぴょんと横に跳び、背後にいた秋也に銃を向ける。
    「アルト、ここまでだ! 大人しく捕まれ!」
    「アホか」
     秋也の呼びかけを、アルトは鼻で笑う。
    「捕まれ、だ? ここで捕まってどうなる? ただのチンピラとして、ゼェ、首をはねられるだけじゃねえか。なんだ、そりゃよ? 俺がそんな死に方で、ゼェ、満足すると思ってんのか?
     俺はまだ死なねえ。まだ誰にも捕まりゃしねえよ。俺の人生は、まだ、ゼェ、……いいとこまで行ってねえんだッ!」
     そう返すなり、アルトは銃の引き金を引く。パン、と乾いた音が部屋に響き渡るが、銃弾の飛んで行った先には既に、秋也の姿は無かった。
    「チッ、すばしっこいな!」
     アルトはもう一度ボルトを引き、次の銃弾を装填する。
    「出てこいや、シュウヤ! こいつを殺しちまってもいいのか!?」
     そう叫び、銃口をフィッボに向けたところで、秋也が背後から現れる。
    「……! いつの間に!?」
     慌てて銃口を秋也へと向け直すが、秋也はそれより早く、刀をアルトではなく、小銃に向けて振り下ろした。
    「……や、べ」
     そう口走ったが、もう遅い。
     引き金を絞るよりわずかに早く、秋也の刀が銃身にめり込み、鉄製の銃身をめき、と潰す。
     わずかではあるが楕円形に曲がったその銃身内を、変形しにくいよう加工された真鍮被覆の硬い銃弾が無理矢理に通過しようとした、その結果――ぼごん、と鈍く重たい破裂音が部屋中に響き渡ると共に小銃は腔発、四散した。
    「ぐはあ……っ」「うわ……っ」
     秋也にも、アルトにも、小銃の破片が襲いかかる。
     しかし間一髪か、秋也は頬や右手、右腕に軽い怪我を負う程度で済んだ。
    「……し、死ぬかと思った」
     一方、アルトはぐったりとしている。
     その右肩にはボルト部分が貫通して突き刺さっており、深手を負ったのは明らかだった。
    白猫夢・賊襲抄 2
    »»  2012.10.11.
    麒麟を巡る話、第109話。
    不可思議な状況。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「大丈夫か、シュウヤ君!?」
    「いてて……、ええ、はい、何とか」
     わずかに刺さった鉄片を抜きながら、秋也は応答する。
    「どうにか、任務成功……、ですかね」
    「そうだな。彼を拿捕すれば、話は終わりだ」
     フィッボはそう言って辺りを見回し、適当な衣類を使ってアルトの手を縛る。
    「手当てもしないと……」
     そうつぶやいた秋也に、フィッボは一瞬きょとんとした顔を見せるが、続いて苦笑する。
    「……優しいな、君は」
    「え?」
    「いや、そうだな。敵とは言え、いたずらに苦しめるようなものでもあるまい。
     しかし……、破片が肩を貫通しているのは、彼にとっては逆に幸いだったな。貫通せず、中途半端に食い込んでいれば、大量に出血していただろう。我々には応急処置しかできないし、そこには極力、触れないようにしておこう」
     そう言いつつ、フィッボはアルトの衣服やマスクを脱がし、他に怪我が無いか確認しようとした。
     ところが――。
    「うん?」「あれ?」
     マスクを脱がせたところで、アルトの髪の色と髪形、そして兎耳の色が、以前とは全く変わっていることに気が付いた。
    「確か以前、彼の耳は茶色だったと記憶していたが……?」
    「ええ、髪も赤かったはずです。ソレにこの色と髪形って、まるで……」
     と、その時だった。
     またも庭の方から、猛烈な炸裂音が轟く。つられて二人は、そちらに顔を向けた。
    「まだ残党が動いているようだな」
    「オレ、行ってきます!」
    「ああ、彼は私に任せて……」
     と、二人がアルトのいた方に視線を戻したところで――アルトが姿を消していることに気付いた。
    「……!」
    「ゼェ、ゼェ……、ここさぁ」
     声のした方を向くと、そこには肩に銃片が突き刺さったまま、額に脂汗を浮かべてニヤニヤと笑う、アルトの姿があった。
    「くそ、まだナイフ持ってたのか?」
    「そう言うこった。まあ、……ゼェ、陛下、あんたを殺せなかったのは残念だが、作戦は概ね成功した。
     これで俺の勝ちだ。すべてがな!」
     そう言ってアルトは窓へと駆け、そのまま破って外へと飛び出した。
    「なっ……」
    「さ、3階だぞココ!?」
     しかし秋也のずれた心配は無用だったらしい。窓枠に鉤爪が引っかかっており、アルトはそれを使って無事に着地していた。
     秋也とフィッボが庭を見下ろしたところで、アルトの声が聞こえる。
    「作戦成功だ! 引き上げるぞ! 集合場所は例の場所だ、急いで向かえッ!」
    「おうっ!」
     アルトが率いてきたならず者たちは、あっと言う間にハーミット邸から逃げ出していった。
    「……どう言うことだ?」
    「作戦成功、……って、何が?」
     秋也とフィッボは互いに顔を見合わせ、呆然としていた。
     と――秋也の耳に、聞きなれた声が届く。
    「嫌っ! やめて、放してっ!」
    「え?」
     その声は庭の方、今まさに逃げ去ろうとする一味らの方から聞こえてくる。
    「ベル!?」
     思わず叫び、秋也は窓から身を乗り出そうとする。
     それと当時に、開け放たれたままのドアから、真っ青な顔をしたハーミット卿と、アルピナが入ってきた。
    「卿! 今、あいつらの方からベルちゃんの声が! まさか……!?」
    「ああ、察しの通りだよ、シュウヤ君。狙いは……、どうやら陛下の身柄や命では無かったようだ。
     ベルが、……さらわれた」
    「何ですって……!?」
     ハーミット卿からそう伝えられ、秋也たちも真っ青になった。

     未だ邸内のあちこちからぶすぶすと黒煙が上がる中、秋也たちは居間に集まり状況の確認を行った。
     そして、依然真っ青な顔色の卿が、それを総括する。
    「モダス陛下については、シュウヤ君が頑張ってくれたおかげで、十分にお守りすることができた。しかし妙なことに、トッドレール氏は陛下を殺害するつもりだったことが判明した。どうやら前回のように、誘拐するつもりではなかったらしい。
     そして今回の騒動を起こした本当の理由は、ベルを誘拐することにあったようだ。今にしてみれば、彼は僕や陛下だけではなく、僕の家族に対しても観察の目を向けていたらしい。でなければ――これはシュウヤ君から聞いたことだけど――彼女がリスト寄宿舎にいたことや、そこでの訓練内容に言及できるはずがないからね。
     誘拐した理由は恐らく、僕の権限を何らかの形で使用しようとしているのだと思う。例えば僕が誘拐され何らかの要求を突き付けたところで、それを融通できる人間がいなきゃ話にならない。
     その点、僕の娘が誘拐され、彼女の身柄の無事を条件に交渉されれば、嫌とは言い切れない。
     もっと早く、気が付くべきだった……!」
     と、ここでフィッボが手を挙げる。
    「しかし気になるのは、アルト君が卿に対し、何を要求するのかだ。
     卿は確かに庶民よりは裕福であるとは言え、金銭が目的であればわざわざ厳重警戒で迎え撃たれるようなところに押し入ったりはしない。
     となればやはり卿が言った通り、何らかの権限を行使させるのが目当てではないかと思うのだが」
    「そうですね、その線が濃厚です。しかし何に対して行使させるつもりなのか、判断材料が無さ過ぎます。
     シュウヤ君、もう一度聞くけど、彼について何か気になった点とか、言動とか、無かったかい?」
     そう問われ、秋也は先程フィッボと確認したことを伝えようとした。
    「えーと……、さっき戦った後にですね、……いや、でも関係ないかな」
    「うん? ……何でもいい、何かの手掛かりになるかも知れない。聞かせてくれ」
    「あのですね、あいつの髪と耳の色が変わってたんです。染めたのかな」
    「色が?」
    「ええ」
     秋也はフィッボの方をチラ、と見て、こう続けた。
    「フィッボさんみたいに、髪は白地にちょっと桃色、耳も同じように、真っ白になってたんです。あ、髪形もそっくりになってました」
    「陛下そっくりに?」
     そう問い返し――直後、ハーミット卿は「あっ!? そうか!」と声を挙げた。
    白猫夢・賊襲抄 3
    »»  2012.10.12.
    麒麟を巡る話、第110話。
    対帝国用、最大政治戦略。

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    4.
     ハーミット卿が何を悟ったのか分からない周囲は、それを尋ねようと口を開きかける。
     だがそれより早く、卿がまくし立てた。
    「チェスター司令下の者は、すぐに一味の行方を追ってくれ! 西部方面に逃げたはずだ!
     バーレット司令下の者、それからシュウヤ君は僕と共に城へ来てくれ! 陛下もお願いします!
     ザウエル司令下の者は閣僚に召集をかけてくれ! 僕が『国家レベルの緊急事態が発生した』と伝えてくれれば動いてくれるはずだ!」
     この言葉に、一同はざわめく。
    「国家レベルの、緊急……?」
    「あんなならず者が?」
     それを受け、卿は短くこう返した。
    「我が国が西方最大の大嘘吐き呼ばわりされ、国際的に孤立するかどうかの瀬戸際なんだ! 可及的速やかに行動してくれ!」
    「は、はいっ!」
     普段目にしないような卿の剣幕に圧され、皆はバタバタと散った。



     一方――アルトたちは強奪した蒸気機関車を駆り、西へと猛進していた。
    「おい、てめえ何しようとしてやがったッ!?」
     その車中で、拘束されて身動きのできないベルの体を触ろうとした手下を、アルトが殴りつけていた。
    「い、いや、その」
     鼻血を流しながら弁解しようとした手下をもう一度殴りつけ、アルトが怒鳴る。
    「何べんも言っただろう、ゼェ、作戦が完璧に成功するまで、こいつにゃ指一本触れんじゃねえッ!」
    「へ、へえ、すいやせん、兄貴」
     すごすごと引き下がった手下を尻目に、アルトはベルの方へ向き直る。
    「そんなわけだ。さらいはしたがよ、ゼェ、当面のあんたの身の安全は、俺が保証するぜ」
    「なら、放しなさいよ!」
     そう怒鳴って返したベルに、アルトはチッチッと舌打ちを返す。
    「そうもいかねーんだ、お嬢ちゃん。あんたの存在は俺たちの計画にとって、ゼェ、かなり重要だからよ。
     お隣の国に到着するまで、黙っててくれると嬉しいんだがねぇ」
    「黙ってろ? いきなり縛られて連れ去られて、黙ってろって言うの!?」
    「無理を承知で言ってるのは十分に分かっちゃいるが、それでもこれは、あんたのためを思って言ってることなんだぜ?
     今は俺が冷静に対処してるからいいが、今のままわめき散らして俺や、ゼェ、俺の手下の機嫌を損ないまくって、その上で俺がもし『うっかり』寝ちまったりしたら、あんたはどうやって自分の身を守る?」
    「う……」
    「そんなわけだからよ、ゼェ、大人しくしててくんな」
    「……」
     ベルが静かになったところで、アルトの方から声をかける。
    「まあ、計画ってのが何なのか、多少は気になってるだろうからよ、ゼェ、ちょっとばかり話してやってもいい。
     あんたもあいつの娘だってんなら、親父さんが今、グリスロージュに対して何をしてるか、ちょっとくらいは聞いてるよな?」
    「ううん、全然。あたしずっと寄宿舎にいたし、家にいてもパパ、囲碁の話しかしないし」
    「ふーん、そうか。まあ、用心深い卿のことだ、うかつに機密をしゃべらねーってことか。
     まあいい、ゼェ、そこから説明してやるか。3ヶ月前、卿は帝国との戦争において最強のカードを手に入れた。何かって言うと、ズバリ帝国のトップ、フィッボ・モダス帝だ。
     そして皇帝を追うようにして、グリスロージュの高官や閣僚、将軍が相次いで亡命してきた。ゼェ、これが両方の国にとってどんな意味を持つか、分かるか?」
    「え? えーと……、王国が困る?」
    「アホ」
     アルトはベルの回答を鼻で笑い、こう続けた。
    「困るどころか、卿にとっちゃこれ以上ない好機だったんだよ。何故なら向こうさんの政治および軍事の中枢にいた奴らが、ゼェ、こぞって王国側に集まってきたわけだからな。
     敵国の大臣も将軍も、さらには主権である皇帝までもが王国に身を寄せてきた。となりゃ、王国内に帝国の亡命政府が樹立できる。言い換えりゃ、ゼェ、現在『グリスロージュ帝国』と名乗ってる隣国には政治的な正当性が無い、王国内に逃げた奴らこそが正当な統治権を持つ政府であると主張できるわけだ。
     つまり、既に空洞化してる帝国に対し、政治的、軍事的にとどめを刺すことができて、ゼェ、さらにそれを全世界から正当視してもらえるチャンスを、卿は得たわけだ」
    白猫夢・賊襲抄 4
    »»  2012.10.13.
    麒麟を巡る話、第111話。
    国を盗む男。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「つまりここで、陛下をはじめとして、現在我が国に亡命している要人の方々を擁立して亡命政府を立て、『グリスロージュはアロイス・クサーラ卿の陰謀によって、その統治権を奪われた』と吹聴すれば、悪者はクサーラ卿ただ一人になる。
     そこで総攻撃を仕掛け、首尾よくクサーラ卿を拿捕なり放逐なりすることができれば、彼はモダス帝を傀儡として操れる立場を、永久に失うことになる。
     例え百回殺しても死なないような悪魔だろうと、『参謀の振りをして王に近付き、その地位を乗っ取ろうとする不埒者』だなんてレッテルを貼られちゃ、今後どこに現れようが、参謀としての活動は到底、できやしないからね。
     ……これが元々、僕が立てた計画だったんだけど」
     プラティノアール王宮、ブローネ城の会議室に集まった秋也とフィッボ、そして司令官3名と閣僚は、依然として顔色の悪いままのハーミット卿から、今回の事件とはまるで関係の無さそうな政治戦略を聞かされ、一様にきょとんとしている。
    「え、と……、卿?」
     手を挙げたリスト司令に、卿は掌を見せて制する。
    「質問は後で。とにかく今回の流れを説明したい。僕自身、今にも叫び出しそうなくらい混乱してるんだ。……いいね?
     それでだ、その計画を実行しようと言う矢先に、この事件だ。この事件におけるトッドレール氏の目的は、モダス陛下の誘拐ではなく、暗殺だった。そしてもう一つ、僕の娘も狙われていて、そしてさらわれた。
     さらにトッドレール氏は、モダス陛下と同じ髪形と毛色になっており、陛下の部屋に押し入ったところで『作戦成功』と言い切り、逃亡した。
     ここから一つの仮説が導き出せる。それは何か?」
     この問いに、王国首都の防衛を任されているバーレット司令が答える。
    「直感的な回答で恐縮だが、モダス陛下に成りすまそうとした、と?」
    「そう。しかしそれは目的ではなく、手段だ。彼がモダス陛下に成りすまし、僕の娘を伴ってどこへ逃亡したか? 恐らくは……」
     と、ここで東部方面の司令官、ザウエルが手を挙げる。
    「マチェレ王国でしょうか? ご令嬢の身柄と引き換えとして卿にマチェレ王国と交渉させ、己の罪を帳消しにしてもらおうとしているのではないでしょうか」
    「それも考えたけど、それだとわざわざ僕の家に押し入って見せたことの説明が付かない。トッドレール氏はリスト寄宿舎や街中で何度も、娘の観察をしていた節がある。たださらおうと言うのなら、そこでさらってしまえば話は早い。
     わざわざモダス陛下と同じ格好をし、わざわざ僕の家に押し入って娘をさらい、そして彼らは西へと逃げた。……だね?」
     この問いに、リスト司令はうなずいた。
    「ええ、仰る通りです。しかも蒸気機関車を使った上に、線路を爆破していました」
    「容易に追えなくしたわけか。やはり向こうも、時間との戦いと考えているのだろうね」
    「と仰ると?」
     尋ねた閣僚に、ハーミット卿はこう答えた。
    「今述べた要素を集約するに、答えは一つだ。
     アルト・トッドレール氏はフィッボ・モダス陛下になるつもりなんだ。皇帝不在の帝国を乗っ取ってね」
    「なっ……!?」
     この答えに一番驚いたのは、他ならぬフィッボだった。
    「馬鹿な! そんな荒唐無稽な話が……!?」
    「ところがある条件を2つ、いや3つか、それを満たすと、事は容易に運ぶのです。
     まず1つ、『皇帝が帝国にいないこと』。暮れに起こった亡命事件は、その布石だったのです」



    「国を逃げ出しがってる王様がいて、しかも側近やら閣僚やらも、逃げ出すような状況だ。
     ここで『俺が代役やってやるよ』と名乗り出りゃ、向こうも歓迎するさ。しかもホンモノの王様が誰なのか、どんな格好してるのか、ゼェ、国民は詳しくまでは知らないし、知ってる側近や閣僚も粗方、国を飛び出しちまってると来た」
     ゲラゲラと笑いながら説明するアルトに、ベルは毒づく。
    「だから皇帝に取って代わろうって言うの? ふざけてる!」
     そう返したベルに、アルトはにやあ、と笑って見せた。
    「時にはおふざけもアリさ。しかも愉快なことに、それで国盗りできちまうんだからな」
    「でも、できるわけないじゃない! 本物のモダス帝は生きてるんでしょ!?」
    「生きてるさ。敵国のど真ん中でな。そしてそれが致命傷になる」
    「え……?」
     合点の行かないベルに、アルトは肩をすくめつつ、説明を続ける。
    「敵が『お前らの王様は俺たちが捕まえた』っつってお前さん、信じるのか? ましてや本国に、王様を名乗るヤツがいるのに?
     数日後に、ゼェ、ハーミット卿は『帝国の亡命政府が王国内に発足した』って声明を出す予定だったのさ。そうすりゃ、帝国に一人残ったクサーラ卿は政治的、国際的に孤立し、ゼェ、帝国でただ一人の悪者になる。
     ところが俺が、それをぶち壊しにする。俺が皇帝に成りすますことでな。となりゃ一転、ハーミット卿は西方一番の大嘘吐きになる。
     お前の親父さんは、ニセ皇帝を仕立て上げててめーの家に囲い込むなんて阿漕な偽装をした、ゼェ、とんでもないゲス野郎として蔑まれるのさ」
    白猫夢・賊襲抄 5
    »»  2012.10.14.
    麒麟を巡る話、第112話。
    奪還準備。

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    6.
    「ひどい……!」
     アルトの話に、ベルは蔑んだ目を向ける。
     しかしアルトに、まったく意に介した様子は無い。
    「ひどくて結構。これは子供の道徳授業じゃねえんだ。ど汚い戦争なんだよ。ゼェ、しかもとんでもない利益が絡んでる。
     手ぇ汚すんなら、それくらいは見合うもんがなきゃな」
    「利益って何? お金?」
    「それもある。今度の計画でハーミット卿を撃ち落とせば、これまで経済封鎖でがんじがらめになってた帝国は、その枷から解放される。ゼェ、そうなりゃ10年前みたいに、希少金属の輸出がバンバンできるようになる。売るもんは腐るほど、いや、錆びるほどある。金はたんまり手に入るだろうな。
     だが利益ってのはそれだけじゃない。今のプラティノアールはハーミット卿にべったり依存してると言っても過言じゃない。ゼェ、そこでハーミット卿がガタガタになれば、国は一気に混乱する。そこで皇帝になった俺が、総攻撃を仕掛けて攻め落とすのさ。幻の三国統一、実現させちまえるんだよ。
     権力も金も、国も手に入るんだ。そりゃあ、やるしかないってわけさ」



    「なるほど……、私の不在と、それを喧伝した卿の外交策。確かにこの局面で彼が皇帝に成りすませば、西方の世論は逆転するだろうな。
     しかし、依然として私には荒唐無稽な策としか思えない。アロイスがそんな話に乗るとは、到底思えない」
    「確かにその問題はあります。前例もありませんしね」
    「うん?」
    「いや、なんでも。……しかし、万が一これが成功した場合、我が国は1ヶ月以内に大きく傾くこととなるでしょうね。
     私の命も、あらゆる意味で絶たれるでしょう。それも、もっとも屈辱的な方法で」
    「と言うと?」
     ハーミット卿は首を大きく横に振り、こう答えた。
    「何故、私の娘がさらわれたか? その答えであり、皇帝に取って代わると言う荒唐無稽な作戦の成功要因の、3つ目でもあります。
     トッドレール氏は私に自ら、『皇帝の所在や亡命政府発足はすべて嘘だ』と言わせるつもりなのでしょう。娘の身柄と引き換えにね」
    「汚ねえ……!」
    「卑劣なことを……!」
     フィッボだけでなく、閣僚らも司令たちも、秋也も憤る。
    「確かに卿がそう公言してしまえば、王国の信頼は一挙に損なわれる。西方諸国が一丸となって取り組んできた経済制裁や条約、条項も、すべて破棄されるだろうな。
     それだけの条件が付けば、あのアロイスでもうなずくかも知れん」
    「ええ。故に王国は今、非常に危険な状態にあります。いや、王国だけではない。陛下の御身も、我々の首も。
     そして何より、娘の命もです。仮に彼の要求通りに行動したとして、娘が無事に返ってくる保証はありません。……それを踏まえ冷徹な判断をするならば、娘ごと機関車を襲撃、爆破すれば話は早いのかも知れませんが」
    「そんな……!」
     蒼ざめる秋也に、ハーミット卿も蒼い顔を返す。
    「勿論、そんなことはできない。いくら僕が王国の全責任を負う立場にあるからと言って、そんな非人道的なことはできない。いや、したくない。
     しかし――このままでは王国の破滅です。それを阻止するために採れる策は、2つです。1つは今言ったように、娘を見殺しにして亡命政府発足の声明を先んじて発表し、帝国に牽制をかけるか。
     そしてもう1つは、全力を以てトッドレール氏を追跡し暗殺した後、娘を奪還するか、です」
    「……」
     悲痛な面持ちの卿を前に、一同は静まり返る。
     その沈黙を破ったのは、秋也だった。
    「……オレが助けに行きます」
    「……」
     ところが、この答えに卿は首を横に振った。
    「君は駄目だ」
    「何故です!?」
    「君には疑惑がある。そのためここまで同行してもらった」
     そんな言葉をぶつけられ、秋也は面食らう。
    「疑惑? 疑惑って、一体なんですか?」
    「僕が邸内でトッドレール氏に襲われた際、彼は僕への攻撃を防いだ君に対し、『何やってんだ、シュウヤ!?』と言っていた。この言葉はおかしい。
     何故ならその言葉は、『あらかじめ決められていた筋書きと違う行動をとった人間に対して』かけるようなニュアンスにとれるからだ」
     いつの間にか兵士が2人、秋也の背後に佇んでおり、この瞬間、秋也の両脇をがっしりとつかんで拘束してきた。
    「なっ……!?」
    「そして襲撃のタイミングも、偶然にしてはあまりにも良過ぎる。亡命政府発足案がまとまり、これから声明を出そうと言うこの時期を狙ったかのように、彼らはやって来た。
     僕は話した覚えはないけど、僕の家をしきりに訪ねていた君だ。隙を見て僕の書斎を盗み見るなり何なりして、計画を察知できたんじゃないか?
     そこからこの疑惑が浮かぶ――君はトッドレール氏の一味で、これまでスパイとして潜り込んでいたんじゃないか? とね」
    白猫夢・賊襲抄 6
    »»  2012.10.15.
    麒麟を巡る話、第113話。
    疑われた秋也。

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    7.
    「バカなコト言わないでください! なんでオレが!?」
     思わず、秋也は叫ぶ。
     しかし叫んだ瞬間、両脇の兵士がぎりぎりと肩の関節を極め、秋也を押さえつける。
    「ぐ、あっ」
    「緩めてくれ」
     ハーミット卿がそう命じ、兵士は力を緩める。
    「いてて……」
    「シュウヤ君。この疑惑に対し反論があるのなら、言ってくれ。是非とも君が無実と信じるに足る、合理的な説明をしてくれ」
     そう返されるが、秋也にはまるで見当が付かない。
    「……一つ目の、『何やってんだ』って言うのは分かりません。あいつがオレを見て動転してたのかも知れませんし」
    「ふむ。確かに一理あると言えばある。しかし君が僕の屋敷にいるであろうことは予想できないことではないし、納得はし切れないな。
     じゃあ、彼らの襲撃のタイミングについては?」
    「オレは何も知りません。卿もご存知でしょうけど、オレは卿のお宅へは、囲碁を打ちにしか行ってません。書斎に入ったのも、今日の休憩場所に宛がわれて入った、その一回だけです。重ねて言いますが、オレは何も分からないんです」
    「では、これは偶然であると?」
    「分かりません。そもそもオレは一味でも何でもないんです。あいつには裏切られて殺されかけましたし、今日だって刺されそう、撃たれそうになるし。
     あいつと仲間扱いされるなんて、ソレはオレにとって、大変な侮辱です」
    「……ふむ」
     卿は立ち上がり、背を向ける。
    「確かに仲間と考えれば、それはそれで整合性の合わない点が多く出てくる。
     皇帝亡命事件の際に君は彼と行動したそうだけど、それなら共謀して陛下やロガン卿らを殺害する機会は、いくらでもあったはずだからね。
     今日の件にしても、君はトッドレール氏と二度も対峙し、逃げられはしたが、結果的には怪我を負わせ、撃退した。仮に仲間であるなら、標的と自分たちしかいない状況で、あえて首領を危険に晒すようなことはしないだろう。
     もしかしたらこの一件は君へ余計な嫌疑を負わせ、少しでも時間稼ぎをしようと言うトッドレール氏の策略なのかも知れない。その可能性は確かにある。
     そしてその策に引っかからないようにする最善手は、君をこの件から排除することだ」
     卿は振り返り、秋也を拘束している兵士に命じた。
    「どこでもいい、事件が解決するまで彼を軟禁してくれ」
    「了解しました」
    「待ってください、卿!」
     秋也はなおも弁解しようとしたが、兵士たちは淡々と、彼を会議の場から引きずり出した。

     秋也が退場させられた後、元通り会議が続けられた。
    「線路が破壊されている以上、蒸気機関車を使って追走することは不可能だ。しかし現在軍に配備されているガソリン車では、追いつくのには恐らく3日か4日以上はかかる。
     しかし配備されていないもの、いわゆる試作品に関しては、蒸気機関車に比類する性能を持ったものがあるとは聞いている」
     そこで卿は兵士らに顔を向け、こう命じた。
    「スタッガート博士に連絡を。まだ眠っているとは思うが、緊急事態だからね。何としてでも起こしてくれ」
    「了解しました」
    「それからバーレット司令、リスト司令、ザウエル司令。君たちの管轄の中から、追跡および潜入に長けた精鋭部隊を選抜してくれ。
     本日中にアルト・トッドレール氏の暗殺およびベル・ハーミットの奪還作戦を開始できるよう、今から動いてくれ」
    「了解!」
     司令3人は立ち上がって敬礼し、会議室を後にした。
    「陛下と閣僚諸君は声明発表の準備を。一両日中に済ませてくれ」
    「かしこまりました」
     閣僚も退出し、部屋にはハーミット卿とフィッボだけになる。
    「……卿」
    「なんでしょう」
    「私には、シュウヤ君が怪しいとは思えない」
    「私もそうです」
     卿は机の上で両手を組み、そこに額を付ける。
    「疑わしい点はあります。……ですが確かに、彼の善性は信じて間違い無いとも思っています。
     とは言えこのまま黙認すれば、恐らくここまでの結果は同じでしょうし、かつ、私の手が行き届かなくなってしまいますからね」
    「……どう言う意味だ?」

     秋也は城内の使っていない倉庫へパンと水筒、毛布と共に放り込まれ、そこでじっとうずくまっていた。
    「くそ、なんでだよ」
     まさか卿から疑いをかけられていたとは少しも思っておらず、秋也の受けたショックは相当なものだった。
    (そりゃ、若輩者だし余所者だし、知り合ってからそんなに経ってないしさ、信用されないってのは仕方ないけど、……ソレでもオレは、無実なんだって。
     どうして信じてくれないんだ、卿……!)《だろう?》
     また、頭の中に声が響く。白猫の声だ。
     白猫は秋也を見て、ニヤニヤと嘲笑っていた。
    白猫夢・賊襲抄 7
    »»  2012.10.16.
    麒麟を巡る話、第114話。
    Beat The Oracle!;預言者をブッ飛ばせ!

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     秋也を見下しながら、白猫は耳を塞ぎたくなるような悪口を並べ立てる。
    《言ったじゃないか。アイツは結局、我が身のコトしか考えてない下衆な小物なんだよ。
     見ただろ、アイツのうろたえ様を。自分の権益が損なわれると思って、みっともなくビクついた! その上キミを信じず、しかし処罰する勇気もなく、こうして牢屋じゃなく、小汚い倉庫に放り込んだ!
     コレでもう、ありありと分かったじゃないか! アイツは世のために動いてるんじゃない、自分だけのために動く外道だって!》
     ハーミット卿を口汚く罵る白猫に対し、秋也は何も言わず、じっと構えている。
    「……」
    《ココまでされて、まだアイツを善人だ、聖人君子だなんて思ってるのかい? 思ってたとしたらキミは相当のバカだ! いいやバカどころじゃない、ケモノだ! ご主人サマに散々ブッ叩かれておいて、まだ餌をもらえると期待してハァハァよだれ垂らす、犬や猫と同じだ!
     さあ、ようやく分かっただろ? もうアイツに義理立てなんて、する意味が無い》
    「……」
    《いいかい、コレが最後のチャンスだ。もう少ししたら、兵士がキミの様子を見に来る。そして少ししてから、アイツもやって来る。
     まずは兵士の装備を奪い、そいつを殺せ。それから兵士の格好になってアイツを待ち構え、そして隙を突いて殺すんだ。
     その後のコトは全部、ボクの言う通りにするんだ。そうすればキミは……》「皇帝になれるのか?」《……え?》
     秋也は白猫をキッとにらみ、詰問し返した。
    「おかしいと思ってた。ずっと。アンタの話を聞いてから、ずっとだ。
     今、ピンと来た。アンタ、もしかしたら」《ソレ以上は口を開かない方がいいぜ、シュウヤ》
     白猫は依然ニヤニヤとした笑みを浮かべてはいるが、その左にはまる銀色の目は、ギラギラと悪意に満ちた輝きを放っている。
    《キミはただ、ボクの言うコトに従ってりゃいいんだ。そうすりゃいずれは英雄になる。
     だけど言うコトを聞かなきゃ、大変な目に遭うんだよ》
    「ほーお、そっか。そりゃ、首に穴開けられたりするコトかよ?」
     初めて白猫が動揺するのを察し、秋也は強気に出た。
    《……思ってたほどバカじゃ無かったか。ドコで気付いた?》
    「卿に詰問された時に確信した。確かにオレの聞き間違いじゃなく、アルトは『何やってんだ』って言ってたんだ。
     そりゃ言うよな――アンタから『絶対にシュウヤの助けになるコトだから』とか何とか言われてたんだろうからな」
    《……っ》
    「ところが本人のオレが、その攻撃を阻止した上に、おまけに攻撃まで加えたと来た。そりゃ、『何やってんだ』って言いたくもなるよな。
     となりゃ、アルトが妙にタイミング良く襲撃してきたのもうなずける。いや、それ以前に偶然マチェレ王国を訪れたロガン卿をうまく捕まえて、荷運びの仕事に就くコトができた理由もだ。
     アンタが全部、アルトに吹き込んだんだ。アルトは全部ソレに則って荷運びをし、フィッボさんを連れ出して、そしてオレを置き去りにさせ、皆殺しにしようと……」《ソレは違う! ソレだけはアイツが勝手にやったんだ!》
     白猫は今まで見せたことのない、狼狽した顔になる。
    《アイツはキミのコトを重要視してなかったんだ。むしろ邪魔者の若造と勝手に判断して、あわよくば見殺しにしようとしていた。
     だけどソレに関しては、ボクは止めたんだ。絶対に見捨てたりするなって念を押した。……ソレがあのザマさ。裏切ったアイツは首に穴を開けられて、文字通り息も絶え絶えな状態になった。
     でも、まあ、そのおかげかな。今回は忠実に、ボクの言うコトを聞いてくれた》
    「じゃあ、ベルをさらったのはお前の指示なんだな」
    《さあね、でもどうせあの下衆野郎の娘だし、成長したところで邪魔者になるだけ。なら早めに処分しときゃ……》「ざけんな」
     次の瞬間――秋也は白猫の顔面に、思い切り拳を突き入れていた。
    《ごあ……っ!?》
    「この……ッ、カミサマ気取りのド下衆野郎めッ!
     てめえみたいなクズの言うコトなんか、誰が聞いてやるかああああッ!」



    「……!」
     目を覚ますと、秋也は依然として、あのひなびた倉庫の中にいた。
     がばっと起き上がり、右拳を確認してみると、ジンジンとした痛みと、わずかな血が付いていた。
     それが自分が寝ている間に引っかいたものなのか、それとも夢の中で付いたものかは分からなかったが――秋也は近くにあった毛布でゴシゴシと拳を拭き、そしてこうつぶやいた。
    「……ざまあ見やがれ」
     それと同時に、トントンと扉をノックする音が聞こえてくる。
     白猫が言った通り、兵士は確かにやって来た。

    白猫夢・賊襲抄 終
    白猫夢・賊襲抄 8
    »»  2012.10.17.
    麒麟を巡る話、第115話。
    新型車輌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「どう言うわけでこの私を叩き起こしたか、是非とも納得の行く説明をしていただきたいものだな、ハーミット卿」
     現在は夜の3時を回っている。普通の人間であれば、ぐっすり眠っている時間である。
     王立技術研究所、運輸開発局の局長である彼――短耳のカール・スタッガート博士も当然、この時間には夢の中にいたのだが、それを多数の兵士によって無理矢理に、現実の世界に引き戻されたため、あからさまに不機嫌な目をハーミット卿に向けていた。
    「では簡潔に。巷で評判になっているならず者、トッドレール一味が私の屋敷を襲撃し、娘をさらって機関車にて逃亡しました。
     彼は恐らく王国にとって非常に不利益となる内容の要求を送って来るでしょう。そしてそれを拒否できる手段は私にはありません。
     そのため早急に、彼らを追跡できる車が欲しいのですが」
    「なんだ、そんなことでか! 君らも機関車を使えば良かろう!」
    「トッドレール一味が線路を破壊しました。短時間で修復することは不可能です」
    「ふむ、……なるほど」
     依然として不機嫌な顔のまま、スタッガート博士は口ヒゲに手を当て、ぶつぶつとつぶやき始めた。
    「となると君らに貸与しているガソリン車、G50M2では追いつけまい。現在汎用化されている蒸気機関車、S1280T6の25分の1程度の出力しか持たんからな。
     仮に追いつける程度の出力を出そうものなら、即座にエンジンが爆発、炎上するだろう。なら無理だ。諦めるんだな」「何故です?」
     にべもなく追い返そうとした博士に、卿が突っかかる。
    「手段が無ければ諦めますが、あるからこそお願いしているわけです」
    「……2G230E0のことか」
    「それです」
    「君も強情な奴だな」
     博士はさらに苦い顔を返し、こう述べた。
    「確かにあれの性能であれば、S1280T6には2時間、3時間のタイムラグがあろうと、十分に追いつける速度は出せる。
     しかし、あれはまだ実験段階だ。まだ3台しか製造しておらん、研究所の最高機密だぞ」
    「なら走行限界距離の実験をしましょうか。最高速度がどれだけ出るかも併せて見てみましょう」
    「ふざけてもらっては困る、卿。まだそんな段階ではないのだ」
    「ほう」
     と、今度は卿が強気に出る。
    「以前、博士は2G230E0について『最高の発明だ。現時点でも、今すぐに王国を一周できる』と吹聴し、その早期実用化のために、予算増額のお願いをされていたと思いますが」
    「ただ一周するだけなら猿にだってできるわい! 私が言いたいのは、軍の乱暴で粗雑な奴ら共には指一本触れさせたくない、と言うことだ!」
    「その点であれば心配はご無用です。こちらも軍の中で最も優秀な運転ができる者に任せますので」
    「それは誰だ。名を言ってみろ」
     ハーミット卿は手帳をチラ、と見て、名前を挙げる。
    「アルピナ・レデル少佐。ルネ・グレン少佐。パスコ・プロスト中佐。イベル・テリエ中佐。アリゼー・ベルトン中佐。以上の5名を待機させています。
     この5名は研究所にて何度かテスト走行も行っていますから、博士もご存知と思いますが」
    「ふむ、……おい待て、卿。こっちには3台しか無いのだ。5人も来られても困る」
    「おや、貸していただけるのですか?」
    「う、……まあいい、その5人ならよく知っている。しかしだ、3台全部は貸せんぞ。1台だけだ」
    「ありがとうございます」
     ハーミット卿はぺこりと頭を下げ、博士の手をぎゅっと握った。
    「……?」
     ほんの一瞬怪訝な顔をした博士に背を向け、ハーミット卿は周りの兵士らに命じる。
    「運転はテリエ中佐とベルトン中佐にお願いしよう。交代で行うよう伝えてくれ。
     それから精鋭部隊8名と十分な燃料、そして銃器など装備が乗せられるよう、リヤカーを取り付け、および調整しておいてくれ。
     恐らくそろそろ、精鋭部隊の選抜も終わると……」
     言いかけたところで、城からの伝令がやって来るのに気付く。
    「終わったようだ。後は準備の方、よろしく頼む。僕は城に戻って、政治面の準備を進めるから」
     ハーミット卿は急ぎ足で、城の方へと戻っていった。



     研究所の倉庫に向かう途中、スタッガート博士は首を傾げつつ、ハーミット卿から密かに渡されたメモを確認していた。
    (『もう一台 密かに義理の娘君へ貸与されたし 代わりに研究費 前年比12%増を約束する 王室政府総理大臣 N・ハーミット』……、なんだこりゃ)
    白猫夢・追走抄 1
    »»  2012.10.19.
    麒麟を巡る話、第116話。
    密かな部隊編成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ハーミット卿が城に戻ったところで、司令官3名が揃って敬礼し、出迎えた。
    「精鋭部隊の選抜、完了しました!」
    「ありがとう。こちらも博士に話を付けてきた。まもなくやって来るだろう」
     そう言っている間に、リヤカーを付けた巨大な自動車がドドド……、と重低音を響かせながら向かってきた。
    「車輌準備、完了しました!」
     車に乗ってやって来た士官2名に続き、城内から精鋭部隊も集まってくる。
    「すべて整ったみたいだね。では改めて、今回の作戦について説明する。
     君たち10名はこれより西部方面へ向かい、アルト・トッドレール氏を追ってもらう。トッドレール氏は私の一人娘、ベル・ハーミットを誘拐し、それを元に王室政府に対し、何らかの交渉を行おうとしていると見られる。詳しい内容については言及できないが、この交渉がなされた場合、王国が致命的打撃を受けるのは確実だろう。それを阻止するため、何としてでもトッドレール氏およびその一味を追跡した後暗殺し、そして娘を無事に救出してほしい。
     対象は蒸気機関車を奪って逃走し、かつ、使用した線路を破壊しているため、同型機の機関車で追うことは不可能だ。そのため今回、特別に研究開発中の新型ガソリン車を手配している。博士の計算によれば、この新型機であれば十分追いつけるはずだそうだ。
     なおトッドレール氏は隣国、グリスロージュに向かっていると予想されている。万が一領内に逃げられた場合、追跡は非常に困難になるだろう。しかし現在、状況は非常に切迫しているため、隣国へ入られた場合でも任務を中止せず、引き続き追跡すること。
     以上だ。直ちに任務に就いてくれ」
     説明を受け、兵士たちは車に乗り込む。
     車は闇夜を震わせるような轟音を発し、あっと言う間に走り去って行った。
    「とんでもない爆音ですな。確かに速そうですが……」
    「あのエンジン音じゃ、まともに乗ってられんでしょうな」
    「まだ研究中だしね。あんなの街中で乗ってたらヒンシュクものでしょ」
     のんきなことをつぶやく三司令に、ハーミット卿はぱん、ぱんと手を打って見せる。
    「夜分に済まなかったね、三人とも。とりあえず君たちに現時点でしてもらうことは、全てやってもらった。今日はこれで解散してくれ」
    「はい」
     卿の命令を受け、三人はそれぞれ城から離れ、家路に就こうとする。
     と――卿はリスト司令の腕を静かに取り、小声でこう伝えた。
    「済まないがチェスターさん、もう一仕事頼めるかな」
    「え?」
    「なるべく内密に進めたい件がある。レデル少佐には僕から伝えて、既に動いてもらっている」
    「何をしろ、と?」
    「精鋭部隊を選抜したと思うけど、もう一名追加してほしいんだ」
    「どう言うコトですか?」
    「それは中で話す。来てくれ」

     倉庫内に入ってきた女性を見て、秋也は「あれ」と声を挙げた。
    「アルピナさん?」
    「ええ。ごめんなさいね、こんなところに閉じ込めさせて」
     頭を下げられ、秋也は恐縮する。
    「あ、いや、そんな」
    「卿からの本意を伝えるわ」
    「本意、……って?」
    「あなたに疑いを持っていたことを皆の前で話し、糾弾したのは、他の誰かから疑いをかけられる前に、自分の裁量で処理したかったからだそうよ。今のあなたは誰からもマークされてないわ」
    「はあ……?」
     話の意図がつかめず、秋也はきょとんとするしかない。
    「卿が言うには」
     それを見越して、アルピナが説明を続ける。
    「敵国領内に入り、その地理をある程度は理解している。そして単騎の戦闘力が高く、何よりベルちゃんのために、命を懸けて敵陣へ飛び込んでくれるであろう人材。
     その得難い人材を、他の人間に妙な勘繰りをされて手の届かない場所にやられてしまうよりは、……とのことよ」
    「ソレって、まさかオレのコトっスか?」
    「そうよ?」
    「え、じゃあ、卿はオレのコトを……」
    「敵意があったわけじゃないわ。むしろ、逆ね。
     既に精鋭部隊が向かっているけど、卿としては正規部隊だけではグリスロージュ領内に入られた場合、非常に困難な局面を迎えるだろうと予想したの。
     そこでその万一の場合に備え、敵国領内に侵入するための非正規部隊を編制しようと言うわけ。
     わたしとあなたはそのメンバーに選抜されたのよ。わたしの場合、向こうの地理は分からないけれど、運転手としての腕を買われたのよ」
    「……マジっスか」
    「マジ」
     アルピナはそっと倉庫の扉から周囲を伺い、秋也に手招きする。
    「付いて来て。静かにね」
    「はい」
     秋也はアルピナに案内され、そっと城を抜け、夜道を進む。
     すると間もなく、見覚えのある薬缶刈りの短耳に出くわした。
    「おう、シュウヤ」
    「サンデルさん?」
    「彼も卿に声をかけられたの。さっきの条件に、ほとんど適うから」
    「あ、なるほど。元々向こうの兵士ですし、腕も立ちますもんね」
    「そう言うことだ。それに卿には大恩がある。これくらいの任務を引き受けなくては、恩義が返せんと言うものだ」
    「よろしくお願いします」
    「おう」
     サンデルと合流した秋也たちは、そのまま研究所まで向かった。
    白猫夢・追走抄 2
    »»  2012.10.20.
    麒麟を巡る話、第117話。
    アルピナ班、西へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     研究所に着いたところで、秋也たちはむすっとした顔の、中年の短耳――スタッガート博士に出迎えられた。
    「お前らか、図々しい」
    「え?」
    「まったく、研究費12%増では割に合うものか! 15、いや、20%は増やしてもらわんとな! ……まあこんなことをお前らに言ってもどうしようも無かろう。付いてこい」
    「あ、はい」
     博士に案内され、秋也たちは倉庫に向かう。
     そこにはドドド……、と重苦しい音を轟かせる、巨大なガソリン車が納められていた。
    「卿の依頼で貸してはやるが、まだ試作品だ。乱暴に扱うなよ、アルピナ」
    「承知しています。ありがとうございます、博士」
    「ふん。……ああ、それからな」
     博士は車体後方に設置されているリヤカーを指し、こう付け加えた。
    「燃料と弾薬も積んでおいた。それからあれだが」
    「あれ?」
     博士はリヤカーに固定されている、巨大なライフルを指差した。
    「あれも試作品だが、まあそうだな、機関車の車輪をブチ抜くくらいの威力はある。
     ただし反動が並外れてでかいから、いくら固定してるとは言え、無暗やたらに使うとリヤカーが吹っ飛ぶ。気を付けて使え」
    「重ね重ね、ありがとうございます」
    「……内緒だぞ。あれは銃火器開発局のやつで、私の管理物ではないが、お前が来ると聞いたからな。だからこっそり付けてやったんだ。感謝しろよ、アルピナ」
    「うふふ」
     にこりと笑うアルピナに、博士はくる、と背を向けた。
    「私は寝る。後は勝手にやれ。気を付けて向かえよ」
    「はい。……それじゃみんな、乗ってちょうだい」
     車に乗り込み、発進したところで、秋也がそっと尋ねる。
    「博士、アルピナさんを気に入ってるみたいですね」
    「そりゃ、ね。義理の娘だもの」
    「へ?」
     アルピナは左手を挙げ、結婚指輪を秋也に見せる。
    「旦那のお父さんなの」
    「あ……、そうなんスか」
    「そうなの」

     研究所を後にし、三人はもう一度城の方へ向かう。
     と、城門から大分離れた場所で、アルピナが車を停車させる。
    「どしたんスか?」
    「この車、思ったよりうるさいのよね。城まで行ったら、隠密行動にならないわ」
    「確かに。まるで化け物の咆哮だ」
     車には前後にエンジンが搭載されており、一行は絶え間ない爆音に辟易していた。
    「まあ、後一名もすぐ来ると思うけど」
     彼女の言う通り、兵士と思われる黒髪の兎獣人が一名、こちらにやって来る。
    「ここよ。……あら、サンク?」
    「どもー」
     サンクと呼ばれた兵士はにこやかに敬礼し、車に乗り込んだ。
    「うわ、アイドリングしててこの騒々しさ? きっついなぁ」
    「我慢するしかないわね」
    「そうらしい。……おっと、お二人とは初めて会うかな。
     俺はサンク・エール。銃士で、階級は大尉。彼女とは寄宿舎時代からの同期だけど、去年追い越された。と言っても腕は確かだ。よろしく、……えーと」
    「シュウヤ・コウです」
    「サンデル・マーニュだ。階級は貴君と同じである」
    「よろしく、シュウヤ、サンデル」
     サンクはにこにこしながら握手を交わし、背負ってきた小銃を座席に引っかける。
    「じゃあ早速出発だ」
    「リーダーはわたしよ。……コホン、出発するわ」
     アルピナはペダルを踏み込み、車を発進させた。



     一方その頃――アルトたちは機関車を一時停止させていた。
    「なんで止まったの?」
     ベルにそう問われ、アルトは肩をすくめる。
    「理由は2つだ。1つは全速力で機関車を走らせたからな、ゼェ、炉が灼けかけちまってさ。今冷やしてるところだ。
     もう1つは帝国との線路をつなげてる最中だからだ。このまま走らせちまうと、線路からすっぽ抜けちまう」
     そこでアルトはニヤ、と笑う。
    「本来なら今まで走ってきた線路はプラティノアール国内にしか通じてねえんだけれっども、ゼェ、俺たちは密かに線路の資材を奪って、帝国領にまでつなげてたんだ。
     今じゃ向こうの防衛網なんてものは紙みたいなもんでな、ゼェ、ちょっと外れでトントンカンカンやっても気付きやしねえ。
     で、帝国内からこの近くまで引っ張って来たわけだが、ゼェ、流石につなげたままにすると、王国の方に気付かれる恐れがあるからな。
     だから今日までつなげずに置いたわけなんだが……」
     ゼェゼェと引きつった呼吸を置きながら、アルトは饒舌になっている。よほど計画の成功に確信を抱き、歓喜しているらしかった。
    (線路が帝国にまで? じゃあ、向こうまで一気に連れ去られちゃうってこと? そんな……! 嫌だよ、そんなの。
     早く助けに来て、……シュウヤくん)
     ベルは心の中で、秋也に祈った。
    白猫夢・追走抄 3
    »»  2012.10.21.
    麒麟を巡る話、第118話。
    先発部隊、追い付くも……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     夜が明ける頃にはグリスロージュ方面への線路の敷設が完了し、アルトは一味に号令をかける。
    「よし、出発だ! グズグズしてんじゃねえぞッ!」
    「おうッ!」
     一味はバタバタと乱暴な足音を立て、機関車に乗り込む。間もなく先頭車両の煙突から煙が上がり、ゆっくりと動き始めた。
    「よし、爆破だ!」
     最後尾の車輌から線路地中へと伸びていた導火線に、一味の一人が火を点ける。
     機関車がその地点から離れて10秒ほど経ったところで、敷設したばかりの線路は爆音と共に、木っ端みじんに吹き飛んだ。
    「これで良し。……ゼェ、後は帝国領までまっしぐらだ」
    「……」
     ニヤニヤと笑っているアルトに対し、ベルは依然として不安げな表情を浮かべていた。

     と――機関車後方から、グオオ……、とまるで怪物の咆哮のような音が近付いてくる。
    「……チッ、意外に早く追い付かれちまったか。手間取ったせいもあるが、……どうやら王国の新型車輌みてーだな。
     まさか機関車に追い付くほどのものがあるとは思ってなかったが、ゼェ、『こんなこともあろうかと』ってやつだな」
     窓の外に身を乗り出し、その音の発生源を確かめたアルトは、手下たちに命じる。
    「後方から敵車輌接近中! 大型のガソリン車だ! あれを持ってこい!」
    「おうッ!」
     ベルはこれから銃撃戦が始まると思い、車輌の壁を確認する。
    「ね、ねえ、ちょっと!?」
    「あ?」
    「客車のこの壁じゃ、弾が貫通するわよ!?」
    「ああ。ま、大丈夫だろ」
    「だ、大丈夫って? どう見ても薄いよ?」
    「相手に撃たせるまでもねー、ってこった」
     話している間に、手下2名が貨物車から何かを担いで戻ってきた。
    「……な、何あれ!?」
    「外国から取り寄せた、『戦術兵器』ってやつさ。
     よーしお前ら、派手にブチかましてやれ!」
    「へへへ……」
     その2名が担いできたのは、まるで馬上槍のような、異様に長く、大口径の銃だった。
    「金火狐の対重装甲用の銃で、なんつったっけな……、確か『アンカースロアー』とか言う名前だったな。
     簡単に言うとだ、ゼェ、鋼板だろうが何だろうが関係無しにブチ抜ける、馬鹿デカい銃だな」
     手下たちは開け放したドアから銃口をだし、そして銃身をがっしりと抱え込んで固定する。
     そして一名がベルの尻尾ほどの太さのある弾を込め、ボルトを引いた。
    「方向良し! 撃てッ!」
     次の瞬間、ドゴンと言う重たい発射音が車内に響き渡り――次いで何かが爆発する音が、機関車のはるか後方から聞こえてくる。
     そして先程まで轟いていたエンジン音は、まったく聞こえなくなった。
    「……ムチャクチャじゃない。あんな……、巨大な銃で」
    「それが戦争って奴さ。下衆、卑劣、汚いは褒め言葉だ」



     それから4時間後――秋也たち一行が、その地点に到達した。
    「こ、……コレは!?」
    「ひどいな……」
     アルピナが車を停め、秋也たちはその現場に近寄る。
    「……アルピナ。これは、間違いないな」
     現場を確認したサンクに、アルピナが同意する。
    「そう、ね。……わたしたちが乗ってきた車と、同じ部品ばかり。後方に積んでいたと思われるエンジンはまだ原型、留めてはいるけど……」
    「もういっこの方は、跡形も無さそうだな。……車体と、乗ってた奴らも」
     現場には車の部品と思われるものが散乱しており、また、乗車していた兵士も、その「欠片」があちこちに飛び散っている。
    「なんと、……なんとむごいことをッ!」
     惨状を目にしたサンデルは、顔を覆って叫ぶ。
    「これが人間の所業か……! 鬼畜としか思えん!」
    「オレも……、同意見です」
     秋也もこのひどい光景を前に、顔を蒼ざめさせることしかできなかった。

     と――誰かが秋也たちの方へ近付いてくる。
    「……生存者か!?」
     サンクが尋ねると、相手はコク、とうなずいた。
    「君たちは、一体……?」
     傷だらけの兵士に尋ねられ、アルピナが答える。
    「救出作戦の後発支援部隊です。……しかし、この様子だと」
    「ああ、部隊は敵の攻撃を受け、全滅した……。
     運転手2名はエンジンの爆発に巻き込まれ、即死だった。リヤカーに乗っていた我々も、猛スピードで車から放り出されて、半分以上が死んだよ……。
     俺と、もう2名は何とか助かったが、足が千切れたり腕が折れたりで、まともに動けるのは俺だけだ」
    「……救援は呼べましたか?」
    「ああ、何とか『頭巾』で呼べた。……だが、作戦続行は不可能だ」
     そこまで答えたところで、兵士はしゃがみ込んだ。
    「何と言うざまだ……! 俺たちがならず者相手に、手も足も出せずにやられるとは!」
    「……後はわたしたちに任せて下さい」
     アルピナは軍帽を脱ぎ、粉々になった車の残骸に向けて敬礼する。
     それを見たサンクも、同じように敬礼する。そしてサンデルと秋也も、彼女らにならって敬礼を向けた。
     10秒か、20秒ほど経ち、アルピナは軍帽を被り直し、全員に声をかける。
    「……行くわよ」
    「はい……!」
     秋也の心にあったアルトに対する怒りの炎は、一層燃え上がっていた。

    白猫夢・追走抄 終
    白猫夢・追走抄 4
    »»  2012.10.22.
    麒麟を巡る話、第119話。
    絶望的状況。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「現場検証の結果、迎撃に使用されたのは特大径のライフル、恐らくジーン王国兵器廠の『R536APX』か、もしくは金火狐商会武器開発部の『アンカースロアーV3』と思われます。
     王立技研より貸与された車輌、2G230E0は正面よりこの大型ライフルに狙撃されたために前部エンジンが破壊され爆発、それにより大破したものと思われます」
    「乗っていた兵士は?」
    「運転席および助手席に乗っていた兵士はエンジンの爆発に巻き込まれ、即死した模様です。
     また、機関車に追い付いていた形跡から推定するに、被弾した時点で少なくとも、時速180キロ以上に達していたと思われます。その速度でリヤカーから投げ出されたため、乗っていた8名中5名が頭や体を強く打つなどして死亡。残る3名も重軽傷を負っており、任務の続行は不可能な状態です」
     報告を聞き、三司令は揃って沈痛な面持ちになる。
    「全滅……、だと」
    「逃走と迎撃の手際の良さ。さらにそんな代物を調達できる人脈と資金」
    「卿の予想通り、単なるならず者などでは無かった、と言うことね」
     三司令のうち、バーレット司令とザウエル司令は顔を見合わせ、今後の対応を相談する。
    「今からもう一度研究所に掛け合って車を調達し、兵士を揃えて再出撃、……は」
    「現実的ではないな。スタッガート博士がこの話を聞けば、恐らく激怒するだろう。よしんばなだめすかして調達できても、今からでは最早、機関車には追い付けまい」
    「……となると敵は既に帝国領にいるものとして対応しなければならなくなるな。実質、敵の陣地に踏み込むことになる」
    「卿は『基本的、原則的に敵陣への進入はするな』と言ってはいたが、……致し方あるまい。あわよくば戦争ではなく、犯罪者追跡として処理されればいいが……」
    「そうは行かんだろうな。帝国は間違いなく侵略行為と見なして逆襲するだろう」
    「何と言うことになったものか……」
     二人が揃って頭を抱えているところに、リスト司令が手を挙げる。
    「卿から極力口外するなと命じられてたんだけど、緊急事態だから打ち明けるわ」
    「何をだ?」
    「既に卿の命令で、後発部隊を送ってるの」
    「何、本当か……!?」
    「と言っても、4人だけど」
    「たった4人!?」
    「4人で何ができるものか!」
     呆れた顔をする二人に、リスト司令も同意する。
    「同感ね。コレだけの悪党が相手だし、期待しない方がいいわ。
     事態はもう、最悪の局面に向かおうとしてる。アタシたちも肚、括らないといけないわね」



     追跡してきた部隊を撃破したアルト一味はそのまますんなりと隣国、グリスロージュ帝国領内に進入し、その勢いのまま帝都まで猛進していた。
    「この辺りはとっくに資源が掘り尽くされてるところばっかりだからな、ゼェ、だーれもいやしねえ。おかげで仕事がスイスイはかどったってもんだ。
     もう、あと2時間か3時間くらいで到着する。そこからが俺の、ゼェ、下克上計画の最終段階突入だ」
     アルトは窓から顔を出し、大声で叫んだ。
    「見ていやがれ、ボンクラどもめッ! ゼェ、俺が、この俺が王者、覇者なんだーッ! ひれ伏せ愚民どもめッ、ぎゃはははははーッ!」
    「ちょ、アルトさん!?」
     流石に手下たちが止めに入ろうとするが、アルトは意に介しない。
    「大丈夫だっつーの、どうせまともに人なんかいやしねーんだし、ゼェ、いたところで機関車の方がよっぽどでかい音出してんだ。何言ったって聞こえやしねーし、そもそも咎められるわけもねえ。
     お前らも好き勝手叫べよ。やりたい放題だぜ、今なら」
    「……なら、ちょっと」
     普段から乱暴なことを好む彼らも、調子に乗り始めた。
    「うおーっ!」
    「俺たちが勝ち組だーっ!」
    「ざまみろ、バーカ!」
    「これで酒も肉も飲み放題、食らいたい放題だー!」
    「金、金、金ー!」
    「……ばっかみたい」
     ベルが呆れ気味につぶやいた言葉も、機関車からの爆音で紛れていた。
    白猫夢・荒野抄 1
    »»  2012.10.24.
    麒麟を巡る話、第120話。
    皇帝の椅子、引き受け致し候。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     散々好き放題に怒鳴り散らすのにも疲れたところで、アルト一味はようやく帝国首都、カプラスランドに到着した。
    「つくづく思うけれっどもよ、ゼェ、俺たちみてーなならず者がここまで好き勝手に線路敷いといて、だーれも気付かねーんだよな。
     荒れるところまで荒れた、って感じだな」
    「……」
     3ヶ月前まで辛うじて人の往来があったその通りには、今はまったく人影がいない。多少物音はあるため、まだ人がいる様子ではあるが、アルトたちを訝しげに思うだけの余裕は誰にも無さそうだった。
     アルトが言ったように、そこはまさに、荒野も同然の街だった。

    「邪魔するぜぇ」
     城門などで兵士に止められることを想定し、アルトたちは武装していたものの、残っている兵士たちの上層にまともな指揮系統などなく、誰もが棒立ちか座り込むか、あるいは寝転んでいるかと言う有様だった。
     結局ろくなお咎めや制止も無く、アルトたちは玉座まで到着してしまった。
    「お前は?」
     空になった玉座の傍らに佇んでいたアロイスが、アルトに顔を向ける。
    「……確か、アルト・トッドレールだったか?」
     その問いかけに対し、アルトはにやぁ、と笑って見せる。
    「ご明察でございます。しかし10分後には、ゼェ、その名前は捨てておりましょう」
    「何の話だ?」
    「アロイス・クサーラ卿。私めを『フィッボ・モダス』とお呼びになっていただけますでしょうか?」
    「……」
     アロイスはゴツゴツと足音を立て、アルトのすぐ前にまで寄ってきた。
    「何の話をしている? お前がフィッボだと? 違う、お前はトッドレールだ」
    「そうですな。しかし今、そのフィッボ・モダスなる人物はあなたのお側にいらっしゃらない。そうでしょう?」
    「そうだ。それ故現在、帝国の総力を挙げて奪還に……」「おや、あのボンクラに対して総力を、ですか! これはまあ、愚行も甚だしい!」
     アロイスの言葉を遮り、アルトは嘲って見せる。
    「……」
    「あの意気地なし、腰抜けのお飾り皇帝一人奪い返すのに、ゼェ、あなたは『総力を以て』と仰る! 十把一絡げの平民をかき集めて無理矢理に鎧兜を着せてけしかける、あれを、ゼェ、『帝国の総力』ですと!
     いやいやいやいや、まったく、まったくもって! クサーラ卿はご冗談がお好きと見える!」
    「冗談ではない。現時点で投入できる総力を以て攻撃しているのは事実だ」
    「でしょうなあ! しかしクサーラ卿、その総力を以てしての効果・結果は一体、いかほどになるでしょうな?」
     アルトはアロイスに一歩詰めより、馬鹿にした目を向ける。
    「一度でも奪還できると確信が持てたのですか? あの雑兵とも呼べぬ陣営で!」
    「……」
    「お答えいただけませんか。できるなどとは到底、ゼェ、確信できなかったのでしょう? ああ、そうでしょうとも!」
    「……」
    「はっきり申し上げましょう。そんな戦いにかまけるなんてのは、まったくの無為ですぜ。鹿や鴨なんかを射るよりも益体の無い行為だ!」
    「何故そう言える? 奪還のために私は全力を投じて……」「分からんお方ですな!」
     アルトは再度アロイスの返答を遮り、こうまくしたてる。
    「いいですかクサーラ卿、今一度、よくよく、入念に、お考えいただきたい。
     仮に卿の奪還大作戦が成功し、あの臆病者の皇帝を復位させたとして、それでどうなると言うのです? あなたの唱える侵略論に、ゼェ、彼が今更耳を貸すとでも?
     この10年嫌だ嫌だと駄々をこね続けてきて、しかもその念極まり、国を逃げ出しまでしたと言うのに、ここに連れ戻せば大人しく言うことを聞くと、あなたはそう思うのですか?」
    「……」
     ここでアルトは一歩引き、自分の胸板を両掌でバン、と叩いて見せる。
    「そこで私が名乗りを挙げたのですよ、クサーラ卿!
     私めなら、あなたの望むように動いて見せましょう! なぁに、乱暴、揉め事、チャンバラ、荒事、何でもござれ、『パスポーター』と呼ばれたこの私だ! 戦争の10や20、嬉々として進めて見せますぜ! 10年止まっていたあなたの計画は、私を皇帝に立てれば元通り、計画通りに進むんです!
     さらにはここにいる娘、これが何とあの憎き隣国の宰相、ハーミット卿の愛娘! こいつがこちらにいる限り、ハーミット卿は何にも出来ぬ木偶と化す! 今こそ再起、大逆転、西方南部、いやいや西方全土制覇の、未曽有のチャンスなのです!
     さあ、私を『本物のフィッボ・モダス』と認め、それを公布しておくんなさい! そうすりゃ全部、解決しますぜ!? さあ、さあ! さあッ!」
    「戯言をベラベラと並べるな、ならず者風情が。私の目の前から、消えろ」
     余程、アルトの剣呑な振る舞いが癇に障ったのか――アロイスは腕を挙げ、彼に振り下ろそうとした。
    白猫夢・荒野抄 2
    »»  2012.10.25.
    麒麟を巡る話、第121話。
    アルト、御子になる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     と――その振り上げた腕が、途中で止まる。
    「……」
    「……ん、ん? い、如何されました、クサーラ卿?」
     両腕を掲げ、アロイスの攻撃から身を護ろうとしていたアルトは、相手が突然ピクリとも動かなくなったのを確認し、その手を広げる。
    「卿?」
    「……」
     まるで物言わぬ飾り鎧のように静止したアロイスを不気味に感じ、アルトは後ずさる。
    「……了解」
     と、これも突然、アロイスは――何者かに向けるかのように――一言だけ返した。
    「へ?」
     きょとんとするアルトに、アロイスは淡々と返事を返した。
    「こちらの話だ。なるほど、一理ある。確かにフィッボが戻ってきたとて、私の計画はまったく進むことは無いだろう。
     ならばお前の提案に乗ることにしよう。今からお前が、フィッボ・モダスだ」
     そう言ってアロイスは、アルトに詰め寄ってくる。
    「へっへ……、そりゃあどう、……も?」
     喜びかけたアルトだったが、アロイスにすぐ目の前、腕半分の距離にまで歩み寄られ、にやけた顔が当惑の表情に変わる。
    「な、何を?」
    「お前がフィッボだと言うのならば、中身もそうでなければ意味が無い。
     お前の力を開放してやろう、新たなフィッボよ」
    「へ……?」
     問い返す間も無く、アルトの額にアロイスの掌が押し付けられ――そしてばぢっ、と言う鋭い音が、玉座の間に響き渡った。

    「あ、兄貴!?」
     頭から煙を吹き出し、仰向けに倒れたアルトを見て、手下たちは騒然となる。
    「て、てめえ何しやがった!?」
    「まさか兄貴をこ、こ、殺し……」
    「……違う」
     騒ぐ手下たちに答えたのは、倒れたアルトだった。
    「あ、兄貴! 生きてたんですか!?」
    「生きてるどころか、……何だよ、こりゃあ!?」
     次の瞬間、アルトが倒れていた周辺がぼこ、と凹む。
    「……ぅぅうういいイヤッハアアアアアーッ!」
    「え、あ、兄貴!?」
    「な、何だ今の!?」
     アルトはゲラゲラと笑いながら、天井の燭台につかまっていた。
    「おいおい、何だこりゃ、何だこりゃあよぉ!? 全身のあっちこっちから力が噴き出してくるみてーな、このすげえ感覚はよぉ!?」
    「お前の中で眠っていた能力を覚醒させたのだ。今のお前は、覚醒前の5倍強の身体能力を有しているはずだ」
    「ほぉ、5倍と来たか! ……んなら」
     アルトは床に音も無く下り立ち、手下の一人に呼びかける。
    「おい、お前!」
    「へ、へえ?」
    「俺に殴りかかってみろ。全力でだ」
    「い、いや、そう言うのはちょっと」
    「いいから。一発ガツンと、いいのかましてみろ」
    「わ、分かりやした」
     呼ばれた手下は、ぐっと握り拳を作り、アルトに拳骨を繰り出す。
     ところが――アルトは避けもせず、顔面からそれを受け止めた。
    「わ、ちょっ、兄貴!?」
    「……ふ、ふへへ、はは、はははははははっ! 全っ然だ! 痛くもかゆくもねえ!
     オラ、もう一発来いよ!」
    「い、……も、もう一発?」
     言われるがまま、手下はもう一度殴りつける。
    「いっ、……痛ぇー」
     根負けしたのは、手下の方だった。
    「ま、まるででけえ丸太かなんかだ。ビクともしねぇ」
     アルトは鼻血一滴も流すことなく、ヘラヘラ笑っていた。
    「なるほど、なるほど。『前』皇帝の超人伝説は、マジに卿のお力によるわけだ」
    「……」
     アルトはニヤニヤと笑いながら、自分の首を指す。
    「おかげで喉の調子もいいぜ。完全に穴、塞がっちまった」
    「上出来だな」
    「ああ、上出来でさぁ。……それじゃ、ま、約束したことですし。
     これから国の立て直しと行くか。今の軍の状況はどうなっておいでで、クサーラ卿?」
    「アロイスで構わん」
     アロイスにそう返され、アルトは途端に慇懃な態度をやめる。
    「そうか、……ならアロイス。兵力から聞こうか」
    「現在の兵力は2万弱、うち正規の兵士は300程度だ」
    「残りは民間人か?」
    「そうだ」
    「逃がせ。んなもん邪魔なだけだ」
    「承知した。だが不足した兵力はどう補うつもりだ?」
    「てめーの目は節穴か? いるだろーが、ここに、ずらーっとよ」
     アルトは周囲に並ぶ手下たちを指差し、ニヤッと笑った。
    「半端な兵隊よりよっぽど役に立つ荒くれ者共だ。こいつらがいりゃ、どうとでもならぁ。
     まあ、見てな。丁度これから敵が忍び込んでくる。ハーミット卿の娘救出にな。手始めにそいつらを血祭りに上げて、俺の皇帝としての経歴、覇業の第一歩としてやろうじゃねえか」
    白猫夢・荒野抄 3
    »»  2012.10.26.
    麒麟を巡る話、第122話。
    戦地の晩餐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     アルトたちが首都に到着して半日後、夕暮れが迫ろうかと言う頃になって、秋也たちもカプラスランド郊外に到着した。
    「ああ、腕が痛い。脚もつりそうだったわ。帰ったらお義父さんに『もっとステアリングとクラッチ軽くして』って言っとこう」
    「尻も痛えよ。やっぱり線路の上を走るってのはきつかったな。事実上ここまでの直通とは言え、枕木乗ってる時のガクガク来る感じはなぁ。
     もうちょっとショックの軽減、どうにかならないもんかな」
    「ええ、それも伝えてみるわ」
     アルピナとサンクが車を降り、手や足をぷらぷらさせてほぐしているところに、サンデルのダミ声が飛ぶ。
    「市街地はまだまだ先であるぞ! 何故ここで止まる!?」
    「もう夜が近いからよ。あなたとシュウヤ君は街や城の地理に明るいかも知れないけれど、わたしたちはそうじゃないもの。見通しの悪い状況で無暗に動くのは、得策とは言えないわ。
     それにお腹も空いたし、半日走り通しだから眠たいし。疲労困憊で敵陣に突入なんて、そこまで侮れるような敵ではなさそうだしね」
    「……なるほど、もっともか。吾輩も腹が鳴っているところだ」
     サンデルが納得したところで、サンクがリヤカーから食材と調理器具を取り出す。
    「そう言うことだ。まずは飯にしよう」
    「ういーっす」

     近代化政策を推し進めている王国らしく、野外での調理にも、相当に高い技術が使われていた。
    「近くに井戸があって良かったわね。パスタゆで放題だわ」
    「同感。……っと、ソースはこんなもんでいいかな」
     組み立て式の簡易コンロを使って調理する二人を見て、サンデルがうめく。
    「まさかこんな場所で、缶詰や野の禽獣以外のものが食えるとは思わなんだ」
    「兵士の精神衛生にも卿は気を配ってくれてるからな。戦場での数少ない楽しみを少しでも増やそうって言う、卿の温情さ。
     それにギリギリの精神状態じゃ弾ひとつ、まともに当たらないってことは最近の研究でも明らかになってるそうだし。こうしてうまいもん食って、緊張を適度にほぐさないとな。
     味見してみるか、サンデル、シュウヤ?」
    「うん?」
     サンクが向けた玉杓子の中のソースに、二人はスプーンをちょん、と付けて味を見る。
    「うめぇー」
    「うむ、うまいな。まるで本職並だ」
    「何故か軍では調理実習も徹底してるのよね。変なもの食べてお腹壊さないようにって配慮なのかしら」
     そんなことを言っているうちに調理が済み、4人は食事に着いた。
    「いただきまーす」
     秋也は手を合わせ、ミートソースのかかったパスタをちゅるる、と音を立ててすすり込む。
    「……うまぁ」
     至福に満ちた言葉が、勝手に口から漏れる。サンデルも口に運んだ途端、岩のような顔面をほころばせた。
    「むむむ、確かにこれは、……うまいと言う他に言葉が無い」
     二人の様子を見て、アルピナたちはにこっと微笑む。
    「一杯作ったから、じゃんじゃん食べてくれ」
    「かたじけない」
    「……ってかシュウヤ君」
    「ずずー。……はい?」
    「君は西方のマナー、あんまり詳しくないみたいだな」
    「そうね。音が……」
     ズルズルと音を立てて麺をすする秋也に、アルピナとサンクが苦笑する。
    「……立てちゃまずかったっスか?」
    「ああ」「あんまりね」
     秋也がチラ、と横のサンデルに目をやると、彼は肩を揺らして笑っていた。

     アルピナたちから西方の礼儀作法を教わっているうちに、辺りに夕闇が迫る。
    「……っと、そろそろ寝るとしよう。車と寝床は……、どうする?」
    「空になった民家と納屋があっちにあるから、そこに隠しましょう。それにここなら、すぐ側で寝られるわ」
    「では、吾輩がまず見張りに付こう」
     手を挙げたサンデルに、アルピナはわずかに首を傾げる。
    「うーん……、あんまり必要はないかもね」
    「何故だ?」
    「相手はわたしたちのこと、知ってるどころか予期すらしてないんじゃないか、って。軍本営の中ですら卿とチェスター司令しか知らない存在、非正規部隊よ?
     相手は確かに我々のことを、それなりに研究して対策を練ってるとは思うけれど、それは正規活動に限ってのことでしょうし」
    「いやしかし、やはり敵陣の真っ只中であるし、そこまで気を抜いてはどうかと」
    「そうね、確かにマーニュ大尉の言う通りかも。気を付け過ぎ、ってことは無いし。
     じゃあ、屋内の目立たない場所でお願いするわね。2時間半ずつの交代で、大尉のあとはわたし、それからシュウヤ君、サンクの順にしましょう」
    「相分かった」
    白猫夢・荒野抄 4
    »»  2012.10.27.
    麒麟を巡る話、第123話。
    気になる問題、あれこれ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     アルピナの言う通り、アルトたちは秋也たちのようなイレギュラーな戦力が既に帝国領内に入っていることなど、予想もしていないらしい。サンデルが見張りに付いてから秋也が起こされるまで、何も起こらなかったからだ。
     秋也が見張りに立っている間も、民家の軒先にぶら下がったまますっかり萎びてしまっている干し肉を、山猫が二、三匹、ちょろちょろと食べに来るくらいのことしか起こらず、秋也は欠伸を噛み殺しながら民家の庭を眺めていた。
    「ふあ、……あ~、あ」
     この家からは庭より遠くの様子は分からず、帝都がどうなっているのかなど、さっぱり目視できない。
     とは言えプラティノアール首都、シルバーレイクでの夜間に比べれば、その闇の濃度の違いははっきりと感じられた。
    (向こうじゃ夜でも結構、ポツポツ灯りがあったけど、こっちは真っ暗だな。今日は曇ってるから、月は二つとも見えないし。
     マジ暗い。猫獣人のオレでも何が何だか分かんねーくらい、暗い)
     べっとりとした暗闇に、秋也はぼんやりと視線を泳がせていた。

     と――秋也はその暗闇の向こう、林になっているところに、ほんのり白いものを見たような気がした。
    (……ん? なんだ?)
     目を瞬かせ、もう一度確認しようとしたが、やはり何も無いように見えた。
    (気のせい? ……だよな?)
     秋也は思わずぷるっと身を震わせ、逆立った耳と尻尾の毛を撫でつけた。

     これ以外にはまったく特筆するようなことも起こらないまま、秋也は見張りを2時間こなし、それからサンクを起こして、そのまま眠りに就いた。



     秋也にとっては横になって目を閉じ、開けたくらいの感覚だったが、どうやら2時間半経ったらしい。
    「おい、起きろ! 出発するぞ!」
    「ふ……んにゃ……」
    「起きろと言ってるだろうが、まったく!」
     べちべちとサンデルに頭を叩かれ、秋也はようやく目を覚ます。
    「……ふ、ふあ!? ……あ、おはようございます」
    「やっと目を覚ましたか! ほら、井戸で顔を洗ってこい! すぐ出発だ!」
    「ふあ……、はーい」
     まだぼんやりしている頭で、秋也は井戸の方へ向かう。
    「……あれ?」
     その途中、納屋の方に目を向けると、アルピナとサンクが真剣な顔で何かを話し合っているのが見えた。
    「おはようございます、アルピナさん、サンクさん」
    「あら、おはようシュウヤ君」
    「よう、おはよう」
     爽やかに挨拶を返してきたものの、二人の顔には困ったような色が浮かんでいる。
    「どうしたんスか?」
    「車の調子が悪いのよ。やっぱり研究用車輌だからかしら」
    「え、じゃあ走れないんスか?」
    「いや、そうでもないんだ。
     詳しく言うとだな、後方に付いてたエンジンが半分、灼け付いてるみたいなんだよ。こうなると出力は半分以下になっちまう。熱膨張で中の部品が歪んで、滑らかに動かなくなってくるからな。
     俺としちゃ、外した方がいいんじゃないかと思うんだが……」
    「確かにエンジン一つ分軽くなればもう一方のエンジンの負担が減るし、長持ちするとは思うけれど、それでもまだ動くし、外すとなると手間だし、車のバランスがおかしくなっちゃうから。
     それに勝手に部品外したらお義父さん、怒りそうだし」
    「ですよねぇ」
     と、サンクが車を指差し、こう提案した。
    「決を採らないか? 外すか、このまま行くか」
    「そうね。どちらにもメリットとデメリットはあるし、選ぶ価値はあるわ」
    「あ、じゃあオレ、サンデルさん呼んで、……っと、来た」
     やって来たサンデルに改めて状況を説明し、4人で決を採る。
    「外す方に2。このままに、……2」
    「割れちゃったわね」
    「割れるよな、そりゃ。4人なんだし。……うーん」
     サンクは頭をコリコリとかきながら、自分の意見を翻した。
    「分かった、このままにしとこう。博士にヘソ曲げられても困る」
    「ごめんね、サンク」
    「いいよいいよ。壊れなきゃ問題ない」
     その後簡単な整備を行い、4人は改めて、帝都に向けて出発した。
    白猫夢・荒野抄 5
    »»  2012.10.28.
    麒麟を巡る話、第124話。
    帝国軍、再統制。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     帝都、カプラスランドでも同様に朝を迎えていたが、城内はそれまでとは明らかに違う雰囲気を漂わせていた。
    「オラ、いつまで寝ぼけてやがるッ!? さっさと起きろ! さっさと来い!」
     まだ居住者の半分も目を覚ましていない兵舎に、アルトの怒声が飛ぶ。
    「なんだ……うるさいな」
    「どこのバカだ……?」
     のろのろとした仕草で窓を開けた兵士に、アルトはなお一層、罵声を浴びせる。
    「今何時だと思ってやがる!? それでもお前ら、兵士のつもりかッ!? ボーっとしてんじゃねえぞ、コラ!」
    「な、……陛下?」
    「じゃないだろ」
    「髪の色は一緒だが……」
    「……あんなに下品な方ではない」
     戸惑う兵士たちに対し、アルトは背後に立っていたアロイスに向き直る。
    「伝えろ」
    「了解した。
     皆の者、昨夜遅く、フィッボ・モダス皇帝陛下が戻られた。隣国、プラティノアール王国の者に拉致されていたがようやく脱出の機会を得て、ここに戻られたのだ。
     しかし不埒者揃いの隣国政府は、もう一度陛下の玉体を奪おうと計画しているとの情報を得ている。即刻態勢を整え、彼奴らを撃退するのだ」
     実質上の首脳、参謀アロイスにこう説かれても、兵士たちは神妙な顔をするばかりだった。
    「……陛下が戻った、って」
    「あれ、どう見ても陛下じゃないし」
    「襲ってくるったって、あんなのを奪還しに? まさか!」
    「おい、何をゴチャゴチャ言ってやがる!?」
     アルトは周りに立っていた手下の一人から小銃を奪い、兵舎に向かって撃ち放った。
    「うわっ!?」
    「危ねえ!」
    「な、何をする!?」
    「皇帝たる俺の命令が聞けないってのか、あぁ!? つべこべ言ってねーで早く出て来い!」
    「……」
     しばらくして、憮然とした顔の兵士たちがぞろぞろと、兵舎から現れる。
     だが誰もがアルトに対し、不審そうな目を向けていた。
    「何だよ? 何か文句があんのか?」
     アルトの問いに、兵士たちは口々に反発の意を示す。
    「お前、誰なんだよ?」
    「どう見ても陛下じゃない」
    「ふざけてると承知せんぞ!」
    「ほーお」
     アルトはそれに対し、つかつかと足音を立て、兵士たちの群れに寄る。
    「文句があるってんだな。俺の言うことなんか聞けるか、さっさと兵舎に戻って寝てたいと、そう言うんだな」
    「ああ、そうだよ。何でお前なんかの」
     兵士の一人が突っかかりかけた、次の瞬間――。
    「じゃあいい。お前は寝てろ」
     兵舎の壁からごつ、と鈍い音が響く。
    「なっ……!?」
    「ひい……っ!」
     つい一瞬前までアルトの前に立ち、反発の姿勢を見せていた兵士が、いつの間にか壁に叩きつけられ、壁の奥へと突き抜けていた。
    「う……ぐ、……うっ」
     穴からもぞもぞと、血まみれの姿で這い出してきた兵士は、そこで力尽き、気を失う。
    「へっへ……、なんなら永久に寝ててもいいんだぜ?
     で、お前らはどうする? 俺はやっさしーいからよ、休みたいってんならゆーっくり部屋の中で休ませてやるぜぇ?
     ま、張り切って働きたいってんなら、それも聞いてやるが、よ?」
    「……一所懸命、任務に当たらせていただきます」
    「がっ、頑張ります」
    「ご命令を」
     兵士たちはそれ以上、何の反発もできなくなった。

     とは言え、アルト一味が持参してきた武器・弾薬、兵器を確認した兵士たちは、一様に驚きの声を挙げた。
    「なんだこりゃ……!?」
    「俺の親指くらいあるぞ、この弾丸」
    「これ、どれも金火狐マークが付いてるが、……あんたらが買って来たのか?」
    「そうとも」
     武器の山を背にしたアルトは、ニヤニヤと笑って説明する。
    「拳銃350丁、小銃150丁、散弾銃150丁、榴弾砲80丁、迫撃砲50丁、それから高射砲5基、対装甲ライフル3丁、……そして、へっへへ、とびっきりの武器もあるぜ。
     ま、見てみな」
     アルトにそう促され、兵士たちはそちらに目をやる。
    「何だあれ。キモっ」
    「車輪に、……銃みたいなのが固定されてるが」
    「主に銃身がキモい」
    「なんであんなに銃身ばっかり付いてるんだ?」
    「あの銃口で一斉に撃つ、……と言う武器なのか?」
     口々に質問する兵士に対し、アルトは手下に撃つよう命じる。
    「あの木でいい。2秒くらいで充分だろ」
    「ういっす」
     手下たち2名が車輪をがっしりとつかんで固定し、もう1名が銃身の後ろに回ってクランクレバーをぐりぐりと回す。
     するとその奇妙な銃はガチャガチャと音を立て――木を一瞬で粉微塵にした。
    「……な、なんだ今の!?」
    「すげえうるせえ」
    「いや、んなことより」
    「木がぐちゃぐちゃだ……」
    「へっへへへ……」
     アルトはにやぁ、と笑い、その恐るべき兵器を紹介した。
    「金火狐商会の、極秘開発の試作品なんだけれっどもよ、……ちょっとばかり人脈使って手に入れた代物だ。
     その名も回転式連射砲――開発コード『ダークレイブン』とか言ってたな」
    「……」
     絶句する兵士たちに、アルトはこう続けた。
    「まさかお前ら、ここまで超兵器が揃ってて、『もう勝てない』『戦えやしない』みてーなことは、言うわけねえよな?」
     アルトの問いに、否定的な意見を返す者は誰もいなかった。



     この日は秋也たちにとって長い長い、壮絶な一日となる。

    白猫夢・荒野抄 終
    白猫夢・荒野抄 6
    »»  2012.10.29.
    麒麟を巡る話、第125話。
    敵地潜入。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     もうすぐ昼を迎えようかと言う頃、秋也たち一行は帝都のすぐ近くまで迫っていた。
     もう1、2分も進めば市街地に入るかと言うその地点で、アルピナが車を停める。
    「ここからは徒歩ね」
     いつもの流れなら、ここでサンデルが「何故だ!?」とわめくところだが、今回の彼は鋭かった。
    「何故、……とは言わんぞ。今度は吾輩にも概ね分かる。
     先発隊を粉微塵にしたあの超兵器を持つ輩が相手だ、このままこのうるさい車で不用意に近付いては容易に発見および破壊され、先発隊の二の舞になる恐れがある。
     ……で、合っておるか?」
    「正解。ご明察だ」
     サンクにうなずかれ、サンデルは「うむ」と満足げにうなずき返した。
     その間に、アルピナは簡単ながらも車の点検を終える。
    「やっぱり後部エンジンがギリギリになってるわね。ほら」
    「うげっ、キャブから油噴いてるぞ!?」
     後部エンジンから滴る黒ずんだ油を指先ですくい取り、サンクは苦い顔をする。
    「本当に研究目的で、一日、二日もの長時間の使用は想定して無かったんでしょうね。帰りが心配だわ」
    「思い切って外す、……にはもう時間も、場所もまずいな」
    「……無事最後まで動いてくれるのを、祈るしかないわね」
     油で汚れた皮手袋を外しつつ、アルピナは突入作戦をまとめた。
    「まず、今マーニュ大尉が言った通り、敵は超威力の兵器を持っていると思われるわ。それも、帝都に残存している兵士たちに、十分に行き渡らせられる程度の数をね」
     今度はいつものように、サンデルが尋ねてくる。
    「何故だ?」
    「もしもトッドレール一味が手ぶらで、ベルちゃんだけ伴ってここに来たとして、相手が皇帝として祀り上げると思う? 余計な政治問題を持ってきた厄介者扱いされて、追い払われるのがオチよ。
     ここに大挙して押しかけて、皇帝になるから敬えと言うのであれば、それなりの『手土産』は必要でしょう?」
    「ふむ、それが即ち、大量の兵器と言うわけか」
    「その推察にもう一つ論拠を加えるとすれば、だ」
     と、サンクが話に加わる。
    「さっきからドッカンドッカン、音がしないか?」
    「そう言えば……」
     秋也は市街地方面に耳を向け、音が響いてくることを確認する。
    「あれは恐らく試射してるんだ、その超兵器をな。ぶっつけ本番でいきなりブッ放すなんて不確実なことは、まともな兵士ならやりたがらない。いざと言う時になって『どう動かすか分からない』なんて、シャレにならないからな。
     俺たち王国軍の大部隊が本格的に攻めて来る前に、できる限り練習しようとしてるんだろう。
     とは言え考えてみれば、逆に好機かも知れないな、これは」
    「何?」
     再度尋ねるサンデルに、アルピナが答える。
    「敵はその兵器を使いこなせてない、と言うことになるわ。
     そもそもトッドレール一味がこちらに到着した時間を考えれば、兵士たちに会って数時間も経っていないはず。その数時間で完全な統制・統率体制を敷き、新兵器を自在に操れるよう完璧に指導・訓練するなんて、例え卿の頭脳や弁舌を以てしても無理よ。
     逆を返せば、敵は今連携が取れ切れず、そして兵器の使い方も把握し切れていない状況にあるわ」
    「つまり隙だらけ、ってコトっスね」
    「そう言うことよ。勿論油断はできないけれど、それでも勝機は決して少ないものではないはず。うまくチャンスを得られれば、戦況は一気にわたしたちの有利に傾くはずよ。
     だからここは慎重に、かつ、大胆に行きましょう」

     地理に明るいサンデルを先頭に、秋也たちは市街地をそっと進んでいく。
    「ここから城への最短距離は、新市街、通称『モダス治世記念通り』を北西へ抜けていくのが一番だ。それに新市街とは言え、この荒れ様では人はまず、おらんだろう」
    「前に来た時はまだ人、いましたけどね……」
     秋也の言葉に、サンデルはしゅんとした表情を浮かべる。
    「致し方無いことだ。陛下が亡命し、高官や将軍らもこぞって去れば、こうなることは自明だったのだ。
     ……シュウヤ。以前お前に向かって吾輩は、偉そうに戦争や兵士の何たるかを説いたことがあるが、今にして思えば、吾輩こそろくに分かりもしない頓珍漢だったのだ。
     以前に経験した戦争は、如何に陛下が無用な殺戮をなさらぬよう、配慮に配慮を重ねたものであったか、今はそれがよく分かる。
     この惨状を見ればそれが、本当に良く分かると言うものだ」
     4ヶ月前までそれなりに舗装された石畳の道は、今は見る影も無く荒れてしまっている。ひび割れた石、固くこびりついた泥、そしてあちこちに残った血の跡――この4ヶ月の間に相当の混乱と狂気、恐怖がこの上を行き交っていたのが、4人には痛いほど察せられた。
    「これは間違いなくあの悪魔、クサーラ卿が行ったことの、その結果であろう。
     敵味方構わず殺して回るあの非道、卑劣な男に国を預けた結果がこれだ。トッドレールの言った通りになったのは甚だ癪だが、確かに一部、うなずかざるを得ん結果となった。
     さらに言えば、吾輩は昨日あの鉄道で見た惨状が現実に起こるなど、まるで考えもしておらなんだ。まさかこの世に、あれほど人を無残に殺す兵器があるとは思いもしなかったのだ。あれは絶対に、人が人に向けて放つべき代物ではない。
     あんなものを滅多やたらに使うような戦争なぞ、まさに地獄の宴ではないか!」
    「……そっスね」
     嘆くサンデルに、秋也は静かにうなずくことしかできなかった。
    白猫夢・崩都抄 1
    »»  2012.10.31.
    麒麟を巡る話、第126話。
    超兵器を目の当たりにして。

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    2.
     秋也たち一行は新市街をこっそりと北西へ進み、カプラス城が見える位置にまで迫った。
    「硝煙の臭いがきつくなってきたな。相当撃ちまくってるな、こりゃ」
    「とは言え市街地で撃ったりなんかはしてないみたいね、流石に」
     と、アルピナがそう言った次の瞬間――。
    「……あら」
    「出てきたっスね」
     城内から兵士3名が、珍妙な形をした巨大な銃を運び出してくるのが見えた。
    「やっぱり城の中じゃまずかったか、これ撃つの」
    「だな。壁がすぐボロボロになっちまう」
    「俺たちが自分の城崩しちゃ意味ないしな」
     口々にそんなことを言いながら、帝国兵らは城の前で一旦、その車輪の付いた銃を停める。
     これを聞き、アルピナは首を傾げる。
    「城壁を簡単に崩せるような銃……? 対装甲ライフルにしては、銃身が短く感じられるけれど」
    「って言うか、何スかアレ。銃身付け過ぎっしょ」
    「確かに、……不格好だな」
     やがて帝国兵たちは銃を廃屋に向け、狙いを定める。
    「固定良し!」
    「弾丸装填良し! 発射!」
     次の瞬間、バババ……、と切れ間無い炸裂音が轟き、その銃は廃屋に大穴を開けた。
    「ヒューッ、あっと言う間だな!」
    「見ろよ、穴から向こうの通りが見えるぜ!」
    「こいつはマジですげえや!」
     横方向から見る形となった秋也たちも、その圧倒的な破壊力を見せ付けられ、呆然とするばかりだった。
    「……」
    「対装甲ライフルで騒いでたが、……白けちまう威力だな」
    「あんなもので撃たれたら、人間の10人や20人、ひとたまりも無く千切られるぞ!?」
    「あんなのアリかよぉー……」
     が、アルピナは一人、冷静に状況を読む。
    「……もう少し様子を見ましょう。もしかしたら、……奪えるかも」
    「え……!?」
     まだショックから抜けきっていないものの、秋也はその根拠を聞こうと、しどろもどろに尋ねる。
    「ど、どうやって奪うんスか? だってアレ、滅茶苦茶って言うか、ええと、とんでもない威力っスよ? 下手に飛び込んだら、蜂の巣って言うか、細切れって言うか」
    「敵がこっちを向けばね」
    「へ?」
    「……なーるほど」
     どうやらサンクは、アルピナの立てた作戦を察したらしい。
    「じゃあ、俺とサンデルは迂回して、向こうに回るとするか」
    「ええ、お願いね。わたしとシュウヤ君はここで待機してるわ」
    「どう言うことだ?」
     この行軍で半ば恒例となったサンデルの問いに、今度もアルピナは丁寧に答えてくれた。
    「確かに正面から向かえばどうしようもない相手でしょうけど、こうやって今、真横から眺めていたわたしたちに、被害はまったく無いわ。多分あの銃は斜め、あるいは横からの攻撃に対しては、非常に脆いんじゃないかと思うの。
     それにあの銃、兵士三人がかりでがっしり固定しないと撃てないらしいわ。多分、反動がものすごく強いんでしょうね。となると、取り回しが非常にしにくいものなんじゃないかなって」
    「ふむ……、ならば両横から挟み撃ちにすれば仕留められるやも、と言うわけか」
    「そう言うこと。ただ、まだ城からそう離れてないから、奪うのに手間取れば、城の中から一斉射撃を食らう恐れもあるわ。
     ここは特に、慎重に行きましょう。そして首尾よく奪えたら、一旦隠れて作戦を練るわよ」

     サンクとサンデルを向かい側に向かわせ、秋也とアルピナは物陰に隠れ、じっと帝国兵の行動を観察していた。
    「ひゃー、腕が痛え」
    「撃ち過ぎたな、流石に」
    「あんだけあった弾が、もう切れちまった」
     その発言に、アルピナが舌打ちしかける。
     しかし次に聞こえてきた言葉に、またニヤリと笑みを見せた。
    「追加分、取ってくるよ。どれくらいいるかな?」
    「そうだな……、今のが2000発だろ? もっと撃ちたいし、倍は欲しいな」
    「分かった」
     その間に、兵士らを挟んで向かい側の通りに、サンクたちの姿を見つける。
     秋也たちの位置から見れば二人をすぐに確認できたが、どうやら帝国兵らの位置からは死角になっているらしい。
     サンクたちに全く気付く様子も無く、城に帰っていた兵士が帯状につながれた銃弾の束を持って戻ってきた。
    「取ってきたよー」
    「おう。じゃ……」
     帝国兵たち3名の注意が、銃に向けられる。
    (今よ!)
     アルピナの合図で、秋也たち4人は物陰から飛び出し、両側から帝国兵たちに襲いかかった。
    白猫夢・崩都抄 2
    »»  2012.11.01.
    麒麟を巡る話、第127話。
    突入計画の検討。

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    3.
    「……えっ」
    「な、何者だ!?」
    「王国兵!?」
     銃に弾を込めていた最中の3人は、慌てて車輪をつかみ、銃を向けようとする。
    「ど、どっち撃つ!?」
    「え、……えー、女の方!」
    「わ、わかっ」
     言い終わらないうちに、サンクが放った小銃の弾が、左車輪をつかんでいた兵士の腕を貫通する。
    「うっ、あ、……ぎああっ」
     腕の肉がえぐられ、兵士は絶叫する。
    「はう、はうっ、……はっ、っ」
     そしてその弾は真ん中、銃の発射レバーをつかんでいた兵士の右肩にも突き刺さる。しかしこれは貫通せず、兵士は血の噴き出す己の肩を抱え込み、その場に倒れる。
    「う、わ、……うわ」
     残る一人は混乱したらしく、立ち尽くしている。
    「悪いな」
     その残り一人を、秋也が峰打ちした。

     負傷した帝国兵3人を介抱した上で、彼らが穴だらけにした廃屋の中に閉じ込めて縛り上げたところで、秋也たちは奪った銃の観察を始めた。
    「コレって、金火狐マークですよね」
    「確か、そうね。良く知ってるわね、シュウヤ君」
    「だってオレ、中央の生まれですし」
    「あ、そっか、そうだったわね。……金火狐製の兵器、か。
     もしかしたら、なんだけど、この兵器の話、聞いたことがあるかも」
    「俺からしたら、そっちの方が『良く知ってるな』だぞ」
     サンクにそう言われ、アルピナは口ごもりつつ、こう返してきた。
    「お義父さん、……スタッガート博士から聞いた話なんだけど、金火狐で働いてた時、当時ライバル視してた人が、大量に銃弾をバラ撒けるような、連装型の銃のアイデアを話してきたことがあるらしいの」
    「銃弾を、大量に?」
     サンクの問いにうなずきつつ、アルピナは話を続ける。
    「リボルバーってあるでしょ? 弾倉が回転して5連発か、6連発撃てるやつ。あれも連続で撃てると言えば撃てるけれど、結局は銃身が一つだから、連発すると熱がこもり過ぎて、変形・腔発の危険性が高まってくるのよ。
     それでそのライバルさん、逆転の発想だって、銃身の方を複数用意すればいくらでも撃てるんじゃないかって言ったそうなんだけど、……お義父さんは一笑に付したらしいわ、その時。『現実的に考えてみろ、一分一秒を争うような事態差し迫る戦場で、一々銃身を変える暇などあるか』って言ってね。
     ……その答えが、これみたいね」
     アルピナは弾を込めず、その奇妙な銃――回転連射砲の発射レバーをくるくると回す。するとその動きに合わせて銃身が、ガチャガチャと音を立てて回転した。
    「これだけ銃身が付いてて、しかも回転していれば多少は放熱効果も期待できるし、2000発撃っても銃身一丁ずつの疲労は軽減されるわけね。実際あれだけ撃ってたのに、手袋越しで触れるくらいには冷えてるし」
    「それで、これからどうする? あまりここでのんびりもしていられんぞ」
     サンデルの問いに、アルピナはこう返した。
    「そうね。いつ城内の兵士が、彼らが戻って来ないことに気付くかも分からないし。できる限り早急に突入して、速やかに脱出しないといけないんだけど、ね」
     その間にサンクが、炭とまな板を持って戻ってくる。
    「サンデル、城内の地図を描いてくれ。それから、どの辺りにベルちゃんとトッドレール氏がいそうか、予想できたらしてみてほしい」
    「承知した」
     サンデルは炭を受け取り、まな板にガリガリと城内の簡略図を書き込んだ。
    「ここが城門だ。貴君らも見た通り、城の周囲には堀が巡らされており、入る道はここと裏門しか無い。
     裏門については、入るのはまず無謀と言っていいだろう。何故なら大兵舎が目の前にあるからだ」
    「なるほど。重武装してる奴らの真ん前に来ちゃ、そりゃまずいな。じゃあ正面からか?」
    「うむ。幸いにして、城門の前は執務院となっている。兵士の大半は恐らく、その執務院を越えて北東にある訓練場で、射撃訓練を行っているだろうからな。正面切って攻撃するならともかく、こっそり入る分にはそうそう気付かれるまい。成功の確率はそう低くはないであろう。
     ベル嬢の居場所についてであるが、恐らく最も守りの堅い、北西の王宮にいるだろう。客間も揃っておるし、軟禁などしておくにはうってつけだ。
     最も危険なのは北東側の大兵舎と軍本営、そして執務院よりさらに西側にある小兵舎だ。城門からまっすぐ北へ向かって進めば、すぐ王宮に侵入できる」
    「予想される兵力は?」
    「恐らくは……、1万か、それ以下と言うところではないかと思う。度重なる混乱で兵の多くは逃げ出しているだろうが、それでも5000や6000を切るようなことは無いだろうな」
     と、拘束していた兵士の一人がぼそ、と応じる。
    「300くらいです。今朝になって、ここ最近で徴兵した民間人のほとんどが解放されました。元々から兵役に就いてる人間は200くらいですが、新しく皇帝になった奴が100人くらい連れて来てます」
    「うん?」
     唐突に会話に入ってきた兵士に驚き、皆は一斉に振り返る。
    「何故それを我々に?」
    「……お忘れですか、マーニュ大尉」
    「うん? ……あっ!?」
     サンデルは慌てて、その兵士に駆け寄った。
    白猫夢・崩都抄 3
    »»  2012.11.02.
    麒麟を巡る話、第128話。
    まさか、の助け。

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    4.
    「お、覚えている! 覚えているぞ! シュウヤ、お前も覚えているだろう!?」
    「え? ……あ、何か見覚えある」
    「昨年の秋口、共に煉瓦運びをした者です」
    「あー、……うん、覚えてる」
     兵士は憔悴した顔で、こう続けた。
    「この4ヶ月がどれだけ地獄であったか……。
     参謀殿は狂ったように皇帝陛下奪還を唱え、内政や外交などは放置するばかりで。我々は勝ち目のない戦いに何度も、何度も投入され、その8割以上が犬死にしました。あの時一緒に煉瓦運びをした同僚は、最早一人もこの世にいません。
     そして生き残った私も、……危うくあなた方に殺されかける始末ですし」
    「す、すまん」
     頭を下げたサンデルに、兵士は小さく首を振って見せる。
    「いえ、肩は撃たれましたけど、……結果として生きてますから、それは、まあ。
     参謀殿はその上に、どこの馬の骨とも分からないならず者を、あろうことか我々の主君、新たな『フィッボ・モダス』皇帝陛下と仰ぐように命じてきました。
     武器を与えられて一時、浮かれてはいたものの……、こうやって拘束されて冷静になってみれば、我々はどんどんおかしな方向へ追いやられているような気がしてきて」
     兵士はここで言葉を切り、そして覇気の無い声で、こう続けた。
    「そこへ現れたのが4ヶ月前、この国を発ったマーニュ大尉殿です。
     話を聞けば、あのならず者らがさらってきた女の子を助け、さらにはあのならず者皇帝を討つおつもりだと言うではないですか。
     私はこれ以上変な道へ流されたくありません。だから協力できることは、協力します。……と言っても、内部の情報を伝えるのでやっとですが」
    「それで十分だ。教えてくれ」

     兵士から聞いた城内の様子は、次の通り。
     まず兵力は、前述した通り約300名。元々の帝国兵200名とアルト一味100名の混成軍となっているが、統率や連携らしきものは皆無であると言う。
    「我々にしてみれば、いきなり城を占拠した奴らですから。共に戦おうなどとは、とても思えません」
    「さもありなん」
     続いて、アルト一味が持ってきた兵器の質と量。
     アルピナが予想していた通り、城内の兵士全員に行き渡る程度の量が持ち込まれており、また、その総量を以てすれば、多少の軍勢は苦も無く蹴散らせるほどだと言う。
    「偽皇帝は金火狐商会から購入したと言っていましたが、私には信じられません」
    「普通に考えれば、いくら武器商人だからって、一般人に対装甲ライフルやら回転連射砲なんて物騒な代物、売るわけが無いからな」
    「アイツのコトだから盗んだんスよ、きっと」
    「どちらにせよ、城内に相当数が存在するのは間違いない。真正面から攻めれば敵う道理は無いだろうな」
    「それについてですが」
     続いて伝えられたのは、城内の兵力分布である。
     サンデルが言っていた通り、城内に兵士が詰める場所は大小の兵舎と軍本営、訓練場の4ヶ所となっている。しかし大量の兵器の扱いに慣れるため、そのほとんどが訓練場に集まっている。
     そして王宮すぐ横にあり、本来なら軍事行動の中枢となる軍本営に関しては、逆に手薄となっている。
    「元々参謀殿が単独で切り盛りしていましたし、現在においては将軍は一人もおらず、士官級の者もほとんどいないため、指揮系統は壊滅しています。
     参謀殿に見つかりさえしなければ、執務院から軍本営を抜け、王宮まで侵入するのは容易なはずです」
    「……となると、採る作戦はこうね」
     アルピナは地図の、王宮の南に印を付けた。
    「我々は正面からこの兵士が言った通りに進み、まず王宮前で陣取る。
     向かってくる敵兵に対しては回転連射砲で牽制し、でき得る限り足止めする。その間にシュウヤ君、身軽なあなたが王宮内を回り、ベルちゃんを助け出してちょうだい」
     続いてアルピナは、拘束していた兵士にもう一度声をかける。
    「服を貸してもらえるかしら? 安全に城内へ入りたいから」
    「え、……そ、その」
     と、これまで情報を提供してくれていた兵士は、困った顔をした。
    「わ、私のは破れてますし、肩。血だらけですし」
    「……ん?」
     と、アルピナが何かに気付いたらしく、相手の兎耳にぼそ、と耳打ちした。
    「……あ、……ええ、……それなら」
    「ありがとう。他の二人は男?」
    「ええ」
     この会話に、サンクもピンと来たらしい。
    「てっきり男3人だと思ってたが、違うのか?」
    「みたいよ。声低いから、わたしも男だと思ってた」
    「うぬ?」「えっ?」
     サンデルと秋也は互いに顔を見合わせ、それからその兵士の顔を確認した。
    「……兎獣人は男女とも背が低いからなぁ。軍帽も深く被っておったし。まったく分からなんだ」
    「オレもですよ……」
    「良く言われるんです。ロガン卿にもそう思われてましたし」
     二人の反応に、兵士はため息を漏らした。
    白猫夢・崩都抄 4
    »»  2012.11.03.
    麒麟を巡る話、第129話。
    アルピナ班、危機一髪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     兵士ら3人から軍服を借り――ちなみに女性であることが判明した1名は、アルピナの軍服を代わりに着せられた――秋也とアルピナ、そしてサンクの3名は帝国兵に擬装した。ちなみにサンデルは元々帝国兵のため、元の格好のままである。
    「これで城内へは侵入できるわね。後は目立たないよう侵入して……」
    「ベルちゃんを救い出して脱出、っスね」
    「できればトッドレール氏も暗殺したいが……、それは難しいだろうな」
    「そうね。もしかしたら訓練場の方にいて、大量の兵士と兵器に守られてることも考えられるし。そんな状況で無理に暗殺しようとすれば、いくら回転連射砲がこっちにあるからと言って、無事では済まないでしょうしね」
    「第一に考えるべきはベル嬢の身柄だ。それを忘れるな、シュウヤ」
    「ええ、分かってます。……任せて下さい」
     誰もいない城門を抜け、一行は玄関口となっている開けた庭に入る。ここも外同様に荒れており、4ヶ月前にはそれなりに磨かれていた石畳も、今は見る影もない。
    「正面が執務院、で間違いなかったわよね」
    「うむ」
     秋也たちは連射砲を四方で抱えて執務院の中に持ち込み、そのまま廊下を転がしていく。
    「まるで廃墟だな。マジで誰もいない」
    「むう……。憂うべきか、幸いと言うべきか」
     そのまま廊下を直進し、一行は執務院を抜ける。
    「右手に訓練場がある。左手奥には小兵舎だ。両側どちらも警戒せねばならん」
    「分かった」
     両側を恐る恐る確認しつつ、一行はさらに奥に控えている王宮へと歩を進める。
    「……く」
     と、サンクがうなる。
    「……まずい。見つかった」
    「えっ、……!」
     兵士が2名、こちらを向いている。しばらく間を置き、彼らは顔を見合わせ、目を凝らす素振りを見せた。
    「……?」「……」「……っ!」
     帝国側の兵士の格好をしても、やはり執務院をわざわざ通って連射砲を持ち込む輩を怪しいと判断したのか――兵士たちは訓練場を向き、何か叫び出した。
     一行もこの間、そのまま硬直していたが――。
    「……走れ、シュウヤ!」
    「えっ?」
    「ボーっとするな! 早く救出に行けッ!」
    「は、……はいっ!」
     こちらを見つめていた兵士たちが銃を手に向かってくるのとほぼ同時に、秋也は王宮へと向かって駆け出した。
     その間に、残った3人は連射砲の安全装置を外す。
    「止まれ! 止まらんと撃つぞッ!」
     サンデルの大声に、兵士たちは怯んだ様子を見せる。
    「11時方向に向けて! 威嚇射撃するわ!」
    「承知!」「了解ッ!」
     アルピナの号令に従い、サンクとサンデルは車輪をぐりっと回す。
    「発射ッ!」
     アルピナが発射レバーを回し、バババ……、と轟音を立てて弾丸を2、30発ほど撒き散らす。
    「ゎ……っ」
     こちらに向かっていた兵士はそれを見て、慌てて引き返した。
     その間に三人は、近くにあった樽や煉瓦で応急的な壁を作り、態勢を整える。
    「サンク、後ろに警戒して! 前はわたしと大尉が引き受けるわ!」
    「分かった!」
     サンクはアルピナたちに背を向け、小銃を構えた。
    「早く戻ってこいよ、シュウヤ……!」
     そうつぶやいているうちに、小兵舎の方角からも兵士が集まってくる。
    「ここは通行止めだ、通すかよッ!」
     サンクは小銃を立て続けに、兵士たちの方へ撃ち込んでいく。
    「サンク、無理な願いとは思うが……」
    「分かってるって、サンデル。あんたの同僚だもんな。……なるべく気を付けてるさ」
     そう返しつつ、サンクは兵士本体ではなく、足元や横の壁を撃っている。
     それでもそれなりの効果はあったらしく、向かって来ていた兵士たちは一様に引き返し、執務院の陰に隠れた。
    「……かたじけない」
    「礼なら無事に帰ってから言ってくれ、……そらよッ」
     20発ほど撃ち込んだところで、小兵舎からの接近がやむ。
    「警戒してくれたかな……?」
    「前からはまだまだ来るわ!」
     細かく威嚇射撃を繰り返し、敵の動きを牽制していたが、奥の方から対装甲ライフルらしき長筒を担いでくる者も見える。
     先んじて駆けつけた者は小銃や散弾銃を構え、絶え間なく撃ち込んできており、アルピナたちの防御は早くも崩れ始めていた。
    「威嚇だけじゃ、そう長くは持たないかも知れないわね……」
    「くそ……! 撃たねばならんのか!?」
     サンデルは苦渋に満ちた顔を見せながら、ギリギリと音を立てて車輪を握りしめた。

     と――その時だった。
    「待てーッ! 撃つなーッ!」
     訓練場の方角から、声が響いてきた。
    白猫夢・崩都抄 5
    »»  2012.11.04.
    麒麟を巡る話、第130話。
    説得、鎮圧、反発。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「あれは……!」
     アルピナたちも、向かってくる兵士たちも、その声に動きを止める。
    「さっきの兵士か!?」
    「う、うむ」
     先程拘束し、軍服を借りた兵士たちが、訓練場の真ん中に立っている。
    「その人たちを撃つんじゃないッ! 武器を下ろせッ!」
     その声を受け、兵士たちの動きが止まる。
    「……なんだ?」
    「一人は向こうの軍服着てるが、……あれってさっき、回転連射砲持って行った奴らじゃないか?」
    「ああ、そうらしいな……?」
     しかし武器は構えたまま、下ろす気配はない。依然、アルピナたちも兵士たちも、互いに銃を向けあったままである。
    「一体どうしたんだ、お前ら? 撃つなとは?」
    「いい加減に目を醒ますんだ! お前ら、盗賊から恵んでもらったような武器で戦う気なのか!?」
     アルピナの軍服を着た兵士の言葉に、何人かが声を漏らす。
    「……言われりゃ、まあ」
    「そりゃ確かに、わだかまりは」
     その声に応じ、女性兵士はこう続ける。
    「あの人たちは、あの偽皇帝がさらってきた女の子を助けに来ただけだ! それをお前らが勝手にドンパチしようと……!
     もっと冷静になれ! 私たちが付き従ってきたのは、誰だった!? あの下卑た盗賊頭じゃないだろう!? 今ここでその銃を使ったら、一生あいつの奴隷になるんだぞ!」
    「……」
     女性兵士の必死の説得に、兵士たちはざわめき出す。
    「力任せで言うこと聞かせられたけど、……確かになぁ」
    「これからずっとあいつの言うこと聞くって考えたら、……うーん」
    「武器は確かにすごいけどなぁ、……あいつが君主じゃなぁ」
     元々から力任せに、モノで釣って懐柔しようとしたからか、兵士たちは口々にアルトへの不満をこぼし始めた。
    「大体、俺たちそこまで戦争したいかって言われたらなぁ」
    「だよなぁ。そりゃ、あの参謀殿は怖いけど」
    「殺されたくないから従っただけで」
     場の空気が微妙なものになり、戦闘の緊張感が緩んでくる。
    (どうする?)
     小声で尋ねてきたサンクに、アルピナはこう返した。
    (もう少し様子を見ましょう。もしかしたら戦わずに済むかも知れないし)
    (うむ。不戦となるに越したことは無い)
     その間にも彼女は説得を続けており、兵士の大半が戦意を捨てたように見えた。
    「まあ……うん」
    「俺たちを狙うんじゃないなら、なぁ」
    「見なかったことにしてもいいよなー、なんて」
     そんな意見も出始め、アルピナたちはほっと、安堵のため息を漏らしかけた。

     その時だった。
    「うあ……っ!」
     説得し続けていた彼女が、突然跳ねる。周りにいた他の二人も突然、弾かれたように倒れ込んだ。
    「……な、何だ?」
    「撃たれた?」
     突然の展開に、兵士たちも、アルピナたちも言葉を失う。
     そこへ武装した、汚い身なりの男たちが現れた。
    「あいつらは……」
    「トッドレール一味か!」
     サンデルの怒声に、男たちはヘラヘラと笑いながら答える。
    「ご名答だ。まったく、折角やる気になってくれてたってのに、このバカが水差してくれちゃって、よぉ?」
    「邪魔すんじゃねえよ、ったく」
     ならず者らは銃を構え、兵士たちに向ける。
    「さっさと訓練に戻れや、兵隊さんよ? 皇帝陛下がおかんむりになるぜ?」
    「朝のこと、忘れたわけじゃあねーよなぁ? あんな風に壁に叩きつけられたいのか、え?」
    「いつまでぼんやりしてんだ、皇帝に頭潰されっぞ、コラ!」
     皇帝となったアルトの威を借りたならず者たちは、口々に兵士たちを罵る。
     が――唖然としていた兵士たちの顔に、次第に険が差し始めた。
    「……よくも同僚を撃ちやがったな」
    「非常時だからお前らのことを、少しでも友軍と思おうとしたが……」
    「できるわけねぇ……! こんなことをされて、そんな風に思えるかッ!」
     兵士たちはつい数分前までアルピナたちに向けていた武器を、ならず者らに向けた。
    「なんだよ、やるってのか?」
    「俺たちに手ぇ出したら、皇帝陛下がどう思うか……」
     アルトを脅しに使うならず者たちに、兵士たちは毅然とこう返した。
    「皇帝陛下? 誰のことを言っている?」
    「まさかあのならず者のことか?」
    「誰があんな奴に付き従ってやるものか!」
    「お前らみたいなカス共を引き連れるような下衆野郎が君主なぞッ!」
     そう叫ぶなり、兵士たちは一斉に銃を撃ち込んだ。
    「げ……っ」
    「や、やべぇ!」
     あっさりと反旗を翻され、ならず者たちは散り散りに逃げつつ、応戦する。
    「う、撃て、撃てっ! ここで反乱されたら、兄貴に大目玉を食うぞ!」
     瞬く間に、その場は戦場と化した。



     恐らく――秋也たちの潜入が無ければ、あるいは潜入のタイミングが一日でも遅ければ、これほど簡単に帝国軍がトッドレール一味に反発することなど、まず無かっただろう。
    白猫夢・崩都抄 6
    »»  2012.11.05.
    麒麟を巡る話、第131話。
    男サンデル、暴れ回る。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     帝国兵らの注意が逸れたところで、アルピナたちは先程の倒れた兵士たちの側に駆け寄った。
    「……ダメだ」
    「こっちも」
     3名中2名は頭と胸を撃ち抜かれており、既にこと切れている。
     しかし、必死に同僚を説得したあの女性兵士は頭や胸ではなく肩を撃たれていたため、まだ息があった。
    「おお、生きておったか! しっかりしろ、今手当てしてやるからな!」
     サンデルは着ていた上着を引き裂き、包帯代わりにして止血を施す。
     しかしその効果もあまり無いらしく、上着はあっと言う間に赤く染まる。
    「肩、俺も同じところ撃ってたからな……。肩甲骨、ぐちゃぐちゃだろうな」
     サンクも上着を脱ぎ、サンデルが施した上からさらに、きつく縛り上げる。
    「何とか血が止まってくれればいいが……、祈るしかないな」
    「……ぐ、ぐぐぐ」
     と、サンデルが唸り出す。
    「どうしたの? あなたもどこか……」
     アルピナが尋ねかけたところで、サンデルは突如、吼えた。
    「なんたる卑劣、なんたる外道か! あの賊共め、許しておけるかーッ!」
     そう叫んだサンデルは、なんと一人で連射砲を担ぎ出し、ならず者目がけて駆け出した。
    「うううおおおおおりゃああああーッ!」
    「……男気だなぁ、サンデル」
    「負けてられないわね。……行きましょう!」
     二人も小銃の弾を込め直し、サンデルに続く。
    「おらおらおらおらあああーッ!」
     サンデルは肩と腕の筋肉をパンパンに膨れ上がらせ、連射砲を振り回す。
    「不肖サンデル・マーニュ、加勢いたすぞ! そらそらそらあああーッ!」
     重たく反動の強い連射砲を、サンデルはまるで小麦袋のように取り回し、アルト一味らを蹴散らしていく。
    「どうだあッ! これがお前たちの運んできた悪魔ぞ! その身を以て、この威力と痛みを知るがいいッ!」
    「なっ……!?」
    「嘘だろ……」
    「バケモノかよ!?」
     まさか連射砲をそんな風に扱える者がいるとは思わず、帝国兵らも、ならず者らも一様に怯んでいる。
     しかし多少は戦闘慣れしている兵士らの方が、状況の把握が早かった。
    「……え、援軍だ! 助けが来たぞ!」
    「お、おうッ!」
     勢いを得た兵士たちは、ならず者たちに攻め込んでいく。
    「う……」
     数の上でも、戦闘経験でも圧倒的に劣るならず者たちに勝ち目は無く、勝負は早々に決着した。
    「……に、逃げっぞ!」
    「死にたくねぇー!」
    「お助けぇ~!」
     ならず者たちは情けない悲鳴を上げ、バタバタと逃げて行った。
    「待て、待たんか貴様らあッ! ……ああ、くそッ! 弾切れか!」
    「じゅ、十分じゃないかしら、サンデルさん?」
    「……うん?」
     アルピナにおずおずと声をかけられ、そこでようやく、サンデルは我に返った。



     まだ騒然としている訓練場から早々に抜け出したアルピナたちは、執務院の壁に寄りかからせていた女性兵士のところに戻る。
    「血は止まったみたいだな。……まあ、流石に目は覚ましてないみたいだが」
    「まさか死んではおらんだろうな?」
     サンデルは心配そうに彼女の脈を取り、生きていることを確認してほっとする。
    「我々の窮地を救ってくれたと言うのに、見殺しになどできんからな。……救護班を呼んでくる」
    「待って、大尉。流石にそこまではする暇が無いわ。シュウヤ君だって、まだ戻って来てないんだし」
     アルピナにそう諭され、サンデルは苦い顔をする。
    「確かに、……何だかんだと言って、もう2時間は経っておるからな。
     場も落ち着いたし、我々が攻撃される心配は最早無し。追ってはどうだ?」
    「そうだな……、そうした方がいいかも知れない」
     三人は女性兵士をふたたび壁にもたれさせ、王宮へ向かおうとした。

     と――王宮の上層から、がしゃん、と音が響いてくる。
    「うん?」
     三人が見上げるとほぼ同時に、何か長い物を抱えた黒い影が城の外――堀からつながっている湖へと落ちて行った。
    「……今のは?」
    「分からない。……まさかとは思うが」
    「急ぎましょう!」
     三人は全速力で、王宮へと駆け出した。

    白猫夢・崩都抄 終
    白猫夢・崩都抄 7
    »»  2012.11.06.
    麒麟を巡る話、第132話。
    秋也とアルトの、最後の対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     一人、王宮内に飛び込んだ秋也は、あちこちでアルト一味に追い回されていた。
    「待てやゴルァ!」
    「生かして帰すかよッ!」
     階段の上から、あるいは柱の陰から、壁の向こうからと、大勢で秋也を追いかけ、銃や短剣で攻撃してくる。
    「うっせぇ! 邪魔すんなッ!」
     しかし相手は腕力も機転もこらえ性も無い、粗雑な盗賊たちである。
     ハーミット邸の時のように、四方八方から不意打ちに次ぐ不意打ちを仕掛けて攻め込んでくるならともかく、気配も消さず、真正面からのこのこと現れ、半ば蛮勇で襲ってくるだけの陣営ならば、少なからず場数を踏んできた秋也の敵ではない。
     峰打ちや拳骨で敵を蹴散らしながら、一階から二階、二階から三階へと強行突破を続けるうち、やがて相手の攻めが途切れる。
    「……もしかして、全員のしちゃったか?」
     そんな風にぽつりとつぶやいてみたが、答える者は誰もいない。
    「もう打ち止めなら、……まあ、ソレでいいか。楽だし」

     秋也は刀を握り締めたまま、障害の無くなった王宮内を回る。
    (ドコにいるんだろう、ベルちゃん?)
     当ても無くうろついているうちに、秋也は広い部屋に入り込んだ。
    「ココは……、玉座があるし、謁見の間? みたいなトコか」
    「みたいな、じゃねえよ。謁見の間だ」
     と、部屋の奥、玉座の背後にあった階段から、ゴツ、ゴツと威圧感のある音を立てて、アルトが現れた。
    「アルト……!」
    「ひひ、誰のことだ? ……ひひひ、もうアルト・トッドレールなんて破落戸は、この世にはいねえんだよ」
     アルトの手には鎖が握られており、それは階段の上部へと延びていた。
    「とっとと来いよ、お嬢ちゃんよぉ?」
    「やめてよ、引っ張らないで……!」
     ジャラジャラと重い音を立てて、階段からもう一人現れる。
    「ベルちゃん!」
    「シュウヤくん!」
     秋也の姿を確認するなり、ベルは階段を駆け下り、秋也の方へと向かおうとする。
    「おおっと」
     が、アルトが彼女の首にかけた鎖を引き、それを止める。
    「うっ、……げほ、げほっ、やめてよ!」
    「俺の許可なく、動くんじゃねえ。……へへへ、お前はこれから、俺の女になるんだからな」
    「女って、どう言うことだ! まさかお前……ッ」
     憤る秋也に、アルトは鎖をがっちりと握ったまま、こう返す。
    「慌てんじゃねえよ、シュウヤ。まだ、何にもしてねえぜ。まだ、な。
     お前をここでズタズタにしてから、死にゆくてめーの前でこの小娘を奪ってやろうって言う、最高の嫌がらせを思い付いたのさ。
     ま、こんな乳臭え小娘なんざ好みでも何でもねーが、お前を絶望のどん底に落っことして惨めにブチ殺す、一番の方法だと思ってよ。
     お前だけは俺の手で、地獄に落としてやりたくってな」
    「オレを……? いや、待てよ」
     秋也は浮かんだ疑問を、率直にぶつける。
    「オレが来るって、何故分かった? 王国にも帝国にもオレたち……、いや、オレがココへ来てるコトなんか、知られてないはずだ。
     それに王宮に侵入するのは、オレじゃない可能性だってあっただろ? なんでオレが来るの前提で、そんなコトを?」
    「……どうだっていいじゃねえか、んなことは」
     言葉を濁したアルトに、秋也は畳み掛けた。
    「白猫か? コレも白猫が、お前に伝えたコトなのか?」
    「……フン、勘の鈍いお前さんでも、いい加減気付いたか。
     ああ、そうだ。俺もお前さんと同じく、あのいけ好かねえ白猫の野郎から預言されてたんだよ。もう、5年も昔からな。
     前にもお前に言った通り、俺は『パスポーター』なんて呼ばれちゃいたが、腕ははっきり言って二流、できる仕事しかコソコソやらねー小物だった。
     ところが、だ。5年前から白猫が俺の夢に度々現れ、『キミを王様にしてあげるよ』っつって、あれこれと命令してきた。最初は確かにうぜえと思ってはいたが、言う通りにすればするほど、まるで筋書きが前もって書いてあったかのように、何もかもがうまく行くようになった。
     いや――奴が筋書きを全部書いてたんだろうな。俺とお前さんのように、白猫はあっちこっち、要所要所で色んな奴に命令して、すべてあいつの思い通りに行くよう、調整してたんだろう。
     とは言え俺にとっちゃ、そんなのは好都合以外の何事でもなかった。結果的に、俺は『どんな仕事でも絶対にしくじらない、凄腕の何でも屋』と思われるようになったんだからな。
     それが『第一段階』だった」
    白猫夢・賊帝抄 1
    »»  2012.11.08.
    麒麟を巡る話、第133話。
    白猫ショーの役者たち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「『第一段階』、……か」
     秋也が繰り返したその言葉に、アルトは引きつったような笑いを返した。
    「ひひ……、そうさ、『第一段階』。あいつが良く使ってる言葉だ。
     俺を有名で実績ある奴に仕立て上げた白猫は、次の段階へ計画を移した。シュウヤ、お前さんが西方に来ると白猫は俺に知らせ、同時にモダス帝亡命計画が長いこと進められてたってことも知らせてきた。
     聞いた途端、俺は激昂したね。俺の人生メッチャメチャにしやがったあのクソ野郎が、その業も責任も全部放り投げて逃げようとしてるってんだからよ。だけれども白猫は、俺のそんな怒りも把握した上で、こう命じてきた。
    『キミはあえてその亡命計画に加担し、しかし途中で誰にも知られないよう皇帝を殺し、その座を奪うんだ』ってな。
     分かるか、シュウヤ? この命令がどれほど俺を、どれほど! 心から幸せに、爽快にしたか! 俺の人生を台無しにした奴をブッ殺し、その上その地位を丸ごと奪えるチャンスを、白猫は俺にくれたんだ。ケチの付いた『アルト・トッドレール』の人生を、『フィッボ・モダス』としてやり直せる、これ以上無いチャンスを、だ。
     だがシュウヤ、白猫の命令をこなす一方で、どうも俺は、白猫がお前さんをひいきしているんじゃねえかと、そう感じていた」
    「ひいき?」
     アルトはつかんでいた鎖を、ぎちぎちと音を立てて握りしめる。
    「国境越える時、お前を見捨てて逃げたことがあったが、あの前日に白猫から、『くれぐれもシュウヤだけは見捨てるなよ』と、わざわざ念押しされてたんだ。
     だがその翌日、俺はお前さんと口論してたろ? あれでイライラっと来ててな、見捨てたところで俺が役目を全うすりゃどうとでもなるさ、そう思って馬車を走らせたんだ。
     しかしそれは、白猫が望んでないシナリオだったらしい。白猫は俺に報復した。白猫は俺に、嘘の預言を教えたんだ。『絶体絶命のピンチに陥るコトがあるけど、フィッボを連れていれば殺されるようなコトは無い。逆に散々彼を罵って、ソレに反論しないような臆病者、助けるような価値もないカスと思わせれば、包囲の手は緩む』ってな。
     で、そのまま実行してみりゃ、あのザマだ。喉に穴は開けられるわ、マチェレ王国のアジトは散々荒らされるわ、ならず者として追い回されるわ、だ!」
     アルトが語気を荒げると同時に、みぢ、と音を立て、鎖の一部が歪んで千切れる。
    「半死半生で逃げ回り、心底疲れ切った俺のところに、白猫はまた現れた。『コレで分かっただろ? もう二度と、ボクの言うコトに逆らうんじゃない。キミなんかボクの機嫌次第で、いつだって殺せるんだからな』って脅した上で、また預言を出してきた。
     俺は従うしか無かった。殺されたくねえからな。で、アジトが潰されたことで俺を恨んでた奴らをなだめすかして懐柔したり、中央に渡って金火狐の戦術兵器を盗んだり、兵隊だらけのとこへ押し入ったりと、白猫は俺を散々いたぶりながら、あれこれと無理難題を命じ続けた。
     その命令の端々に、白猫はお前を英雄に仕立て上げるため、俺を餌、踏み台にさせようって目論見が、ありありと見えていた。俺は散々いいように扱われ、結局ケチな悪役として仕立て上げられ、そして最後はお前を引き立たせる小悪党役で人生、終わらせられるんだろうなって絶望していた。
     ……でも、流れは段々おかしくなってたみたいだな。お前さん、白猫をブン殴ったんだってな?」
    「……ああ。ハーミット卿を殺せとか、無茶なコト言って俺をボロカスにけなしたからな。アタマ来たんだ」
     秋也がそう答えた途端、アルトはゲラゲラと笑い出した。
    「ひひ、ひっひっひ……、お前さん、やっぱり馬鹿だな! 自分の身の安全も考えられねえ、正真正銘の大馬鹿だ!
     白猫は飄々と振る舞ってるように見えて、実際は相当に執念深い性格をしてるんだぜ。『このボクの顔面に拳をブチ当てるなんて! 絶対に許してやるもんか!』っつって、相当キレてた。
     そして俺にこう命じたのさ――『もう金輪際、シュウヤのアホタレなんか世話してやるもんか! アルト、お前が代わりに英雄になれ! 王宮に乗り込んでくるシュウヤをコレ以上無いくらいに無残に、残酷に屠殺して、お前がその役目を継げ!』ってな」
     アルトは握っていた鎖を玉座に巻き付け、その一部に錠前をかけた。
    「これでこのお嬢ちゃんは逃げられない。俺が外すか、シュウヤ、お前さんが俺を倒さない限りな。
     さあ、戦おうぜシュウヤ! お前をこの小娘の前で引き裂き、お前に散々恥と恨みと絶望を目一杯に被せて、地獄の底へ叩き込んでやる!」
     アルトはそう叫び、秋也に向かって飛びかかった。
    白猫夢・賊帝抄 2
    »»  2012.11.09.
    麒麟を巡る話、第134話。
    剣士対超人。

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    3.
     アルトが襲いかかってきた瞬間、秋也は全身の毛がバリバリと逆立つほど、その脳内一杯に危険を感じていた。
    「……ッ」
     その直感を受け、体が勝手に動く。とっさに構えた刀でアルトの初弾をギリギリ止め――たつもりだったが、気が付けば秋也は壁に叩き付けられていた。
    「……げほっ!?」
     何が起こったか分からず、秋也はゲホゲホと咳き込む。
    「おいおい、トロくせえな? そんなにノロマだったか?」
     アルトとの距離はこの時、3、4メートルほど離れていた。
    (見えなかった……! 変だな、ここまで強くなるなんて?)
     どうにか態勢を整え直し、今度は秋也が、アルトへと斬りかかった。
    「りゃああッ!」
     刀に火を灯し、自分が出せるであろう最高速度で振りかぶったが、刀は赤い軌跡を残して空を切るだけだった。
    「ひっひ、どこ狙ってんだ?」「……!」
     ぐい、と襟をつかまれ、引っ張られると同時に足払いをかけられて、秋也の視界が180度縦回転する。
    「何だよ、これでおしまいか?」
     間延びしたアルトの声が聞こえてくる。
     秋也はこれから来る攻撃を察知し、両手を後頭部に回した。
    「そーら、……よぉッ!」
     ボキボキと音を立て、秋也の左手の甲が砕ける。しかしそれでも威力を殺し切れず、首に嫌な痛みが走った。
    「がっ、あ、……あ、っ」
     床を二度、三度跳ね、秋也はまた壁際に飛ばされた。
    「はあっ、……はあっ、はあっ」
     たった二回の攻撃で、既に秋也の視界は赤黒く染まっている。
    (お、おかしい、強すぎる……。ほんの3日前、戦った時は、こんな、強さじゃ)
     どうにか立ち上がろうとしたが、膝の力ががくんと抜け、体勢を大きく崩す。
     秋也とアルトの力量差は、明らかに前回と逆転していた。
    「っかしいな……?」
     だが、それでもアルトにとっては満足いく状態ではないらしかった。
    「今の一撃でお前の脳みそ、半分くらいぶっちゃけるはずだったんだがな。……いや、初弾の時点で、真っ二つにブッ千切るつもりだったんだけどな。
     何で俺の速さに付いて来られる? 何で俺の力を受け止められる? 超人になったはずのこの俺に、お前はどうして対応できるんだ?」
    「ちょ、う、じん……?」
     声もまともに張れないほどダメージを負った秋也に、アルトはニヤニヤと笑って見せる。
    「そうさ。俺は超人になった。だからこそお前と、対等以上に戦えるんだぜ。
     ほれ、もっかい来てみろよ、シュウヤ。俺のやさっしーい情けだ、もう一太刀くらいは相手してやんぜ?」
     アルトは床に落ちていた秋也の刀を蹴り、秋也のところに寄越す。
    「なめ、や、がって……!」
     胃から口の中に上っていた血をビチャビチャと吐き、秋也は刀を拾い、構える。
     だが既に左手を粉砕骨折しているため、構えたその刀は、ガタガタと揺れている。
    「てめー、なんかに、……やられて、たまるか、……ッ」
     それでも全身に力をみなぎらせ、秋也はアルトに向かって駆け出した。
    「『火閃』ッ!」
     振り払った刀から火が撒き散らされ、アルトへ飛んで行く。
     しかし、アルトはひょい、と事も無げにそれを避ける。
    「……ッ」
     秋也はもう一度、薙ぐ。それも避けられる。
    「……ぁッ」
     もう一度。
    「ら……っ」
     もう一度。
    「は……ぁ」
     もう一度。さらにもう一度。立て続けに、振るい続ける。
    「……そ……っ、……くそっ、……くそ、ぉ、っ」
     やがて、秋也の動きが止まる。
    「どうした? もう、来ねえのか?」
    「……くそ、……が……、っ」
     体がぶるぶると震えだし、上段に構えた刀から火が消える。
    「……ごぼ、ぼ、ぼごごっ」
     それと同時に、秋也の口からおびただしい血が、泡になって吐き出された。
    「……限界か? くくく、ザマぁねえな? 剣士が聞いて呆れるぜ!」
     だが、それでも秋也は倒れない。
    「……」 
    ガクガクと足を震わせ、刀を上段に構えたまま、眼だけがギラギラと生気を持って、アルトをにらんでいた。
    「倒れないのは立派だな、……とでも言ってほしいか?」
     アルトはニヤついた顔で、秋也との距離を詰める。
    「俺がそんなクサいセリフ言うわけねえだろーが、バーカ! ただただ惨めで無様でみっともねえだけだぜ、無謀で能無しのお坊ちゃんよぉ?」
     アルトは依然倒れない秋也の前で立ち止まり――その首をギリギリとつかむ。
    「げ、げぼ、げぼっ、ごぼっ」
     秋也の口から、さらに血の泡が流れ出す。顔からはみるみる血の気が引き、血走った眼はぐるんと白目をむいた。
    「持って後5分、か? ならいい、丁度いい。
     俺がお前の目の前で、あの小娘を手籠めにし、お前を絶望させるにゃ、十分な時間だ」
     アルトは秋也の首をつかんだ手を、ぐいぐいと下げる。
    「……ごぼ、がはっ」
     その力に抗えず、秋也の体がついに、地面へと落とされた。
    白猫夢・賊帝抄 3
    »»  2012.11.10.
    麒麟を巡る話、第135話。
    怒と仁の極大点。

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    4.
     血塗れになって倒れた秋也を目にし、ベルは叫んでいた。
    「い……、いやあああっ!」
    「うるっせえなぁ、クソガキが」
     秋也の血を服の裾で拭いながら、アルトがベルへと近づく。
    「いや……! やめて、来ないで!」
    「お断りだ。早めにやんねーと、アイツが死んじまう。それじゃあ、駄目だ。あいつに決定的な一撃を与えられねえ。そうなると俺にとっちゃ、一生の心残りだ。
     俺はあいつを徹底的に叩きのめして殺したいんだよ……! 俺を踏み台にしようとしやがったあいつを、あの世ですら二度と立ち直れないくらいに叩きのめさなきゃ、気が済まねえんだよ。
     それとも何か? お前さんが、そのイライラを治めてくれるってのか? どうやってだ? ひひひ、どうやってくれるんだ、え?」
    「ひぃ……!」
     ベルの口から、最早まともな言葉は出てこない。
     出てくるのは恐怖と嫌悪感に満ちた、嗚咽だけだった。

    (ベル……ちゃん……)
     体中を痛めつけられ、大量に血を吐き、さらには喉をつぶされた秋也はこの時、死の淵にいた。
     ベルの様子をたしかめようと、秋也は鉛のように重いまぶたを無理やりにこじ開ける。
    「いやっ……、いやあっ……!」
    「大人しくしやがれっ、このっ」
     アルトがベルの鎖をつかみ、彼女の首を引っ張るのが見える。
    (なに……してやがる……アルト……ッ)
     叫んだつもりだったが、声どころか、吐息すらその口からは出てこない。
    (おい……やめろ……やめろよ……くそ……)
     砕けた手は動かない。
     震える足は動かない。
     喉奥からは血反吐しか出てこない。
     力も、声も、何も絞り出すこともできない。
    (ちくしょう……ちくしょう……ふざけんな……やめろ……)
     無理矢理に開けていた目が、勝手に閉じる。
     視界が消え、ベルの声だけが秋也の耳に届く。
    「いや……、やめて……」
    (やめろ……やめろって……言ってんだろ……)
    「いい加減にしやがれ!」
     ばし、と乾いた音が響く。
    「うっ、……うえ、……うえええー」
     ベルの泣き声が聞こえる。
    「助けて……たすけて……」
    「諦めろって何べん言わせる!? まだ分からねえかッ!」
     アルトの下卑た声が聞こえる。

     そして、ベルの泣く声が聞こえた。
    「たすけて、シュウヤぁ……」



     その時自分が何をしたのかを、秋也は良く覚えていない。

     まず、自分がいつの間にか立ち上がっていたことは覚えている。
    (やめろって……)
     そして今にもベルにのしかかろうとしていたアルトに向かって、あらん限りの全力で駆け出したことも、これもまたぼんやりとだが、覚えている。
    (やめろって言ってんだろ!)
     そして自分がその間、そう強く思っていたことも覚えている。

     しかし――自分がいつアルトに攻撃を仕掛け、それをどうやって命中させたか、まるで覚えていなかった。



    「……!」
     壁に叩き付けられ、ぐったりとしたアルトを見て、秋也は叫んでいた。
    「このクソ野郎ッ! お前には指一本、触れさせねえぞッ!」
    「な……んだ、と」
     秋也はその返答が、てっきり自分が吐き捨てた言葉に対するものだと思っていた。
    「聞こえねーのか!? お前に、お前なんかにこいつは……ッ!」
    「てめ、っ……、何でピンピン、してやがる、っ」
     一度も攻撃が当たらなかったはずのアルトが、口の端からポタポタと血を流している。
    「まだ、やられ足りねえのかっ」
     アルトが壁を蹴り、秋也の方へ向かって飛び込んでくる。
     ところが――これまでまったく捉えられなかったアルトの動きが、その時の秋也にははっきりと確認することができた。
    「……うおおおああああーッ!」
     秋也は向かってくるアルトに向かって、目一杯の力を込めて刀を投げ付けた。
    「が、……はっ!?」
     刀が腹部へと突き刺さり、アルトの動きが空中で撚(よ)れる。
     どさりと自分の右横へ落ちたアルトに、秋也は追い打ちをかけた。
    「お前に……お前なんかに……っ」
     秋也はアルトの顔面に向かって、渾身の力を込めた拳を叩き付けた。
    「お前なんかに、ベルは渡さねえぞーッ!」
     アルトの体は弧を描き、窓の方へと飛んで行く。
    「ひ、ぎゃ、あああああー……ッ」
     アルトは血しぶきを撒き散らし、断末魔の声を挙げながら窓に叩き付けられ、さらにそのはるか彼方――眼下に広がる美しい湖へと、真っ逆さまに落ちて行った。
    白猫夢・賊帝抄 4
    »»  2012.11.11.
    麒麟を巡る話、第136話。
    絶対渡さない、絶対離さない。

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    5.
    「……ひっく、……ひっく」
     ベルの泣き声で、秋也はようやく我に返る。
    「……ベルちゃん!」
     秋也は慌てて、ベルに駆け寄った。
    「大丈夫か!? な、何も、何にもされてないよな!?」
    「しゅ、……」
     ベルは秋也の顔を見るなり、また、大声を挙げて泣き出した。
    「うああああん、じゅうやぐうううん」
    「お、おい? まさかもう、何かされて……」
    「ごわがっだよおお」
     ベルは大泣きしながら、秋也にぎゅっと抱き着いた。
    「……ああ、うん、もう大丈夫。大丈夫だから、うん。悪いヤツはオレがやっつけてやった。
     もう大丈夫だから。安心してくれ、ベルちゃん」
    「うん……うん……」
     ベルはまだ嗚咽を漏らしながらも、どうにか泣き止む。
    「ありがと、シュウヤくん、ひっく、……ありがと」
    「いいよ、礼なんて。最初っから助けに来たつもりなんだから」
    「でもっ、シュウヤくん、ひっく、死んじゃったかと思って」
    「……あれ?」
     そう言われ、秋也は自分の体を確かめる。
    (おかしいな? オレ、確かに全身ぐちゃぐちゃになったかと思うくらい、ボコボコにされてたはずなんだけどな)
     その間にベルは、自分の首にかかった鎖を外そうとしていたが、やがてふるふると首を振った。
    「外れない。どうしよう、シュウヤくん?」
    「あー……、と。刀、……はアイツと一緒にすっ飛んじまったな。
     ちょっと待っててくれ。上に鍵、あるよな?」
    「鍵、あいつが持ったまんま」
    「うわ、マジか。どうすっかな」
     秋也も鎖をにぎったまま、ベルと並んで座り込む。
     と、ベルがぼそぼそ、と何かをつぶやく。
    「ん? 何か言った?」
    「……あの、ちょっと、聞きたいんだけどさ」
    「何を?」
    「さっき、あいつを殴り飛ばした、ちょっと前。
     シュウヤくん、……えっと、……あたしのこと。『絶対渡すもんか』って言ってくれた、……よね?」
     そう聞かれ、秋也は「えっ」と声を挙げた。
    「あ、うん、まあ、言った、かな。言ったけど、あの、そんな、変な意味じゃなくて」
    「変な意味で、……いいよ?」
     そう言うなり、ベルはもう一度秋也に抱き着き――唇を重ねてきた。
    「もごっ!?」
    「シュウヤくん、……あのね?」
     秋也から離れ、ベルは真っ赤な顔でこう言った。
    「妹じゃなくなっていい?
     あたしシュウヤくんのこと、……とっても、好きになっちゃったみたいなの」
    「え。……えー、あー、うー、……マジで?」
     口ごもる秋也を見て、ベルはまた泣きそうな顔をする。
    「……ダメかな」
    「な、……なワケないだろっ」
     秋也は意を決し、こう返した。
    「オレも何て言うか、その、アイツに襲われそうになってた君を見て、心の底からやめてくれって叫んでたんだ。
     オレ以外の奴と結ばれるようなベルちゃ、……ベルなんて、絶対見たくない」
    「あたしもだよ、……シュウヤ。あたし、君以外と絶対、キスとかなんてしない。絶対だよ」
     二人は手を取り合い――そしてもう一度、互いに口付けした。

     と――。
    「お前らなぁ」
     サンクの呆れた声が飛んでくる。
    「人が心配してここまで来たってのに、のんきにちゅっちゅしてんなよなー」
    「ひゃあっ!?」「おわっ!?」
     二人は慌てて離れ――ようとしたが、いつの間にか絡んでいた鎖に互いが引っ張られ、揃ってこてんと倒れてしまった。



     サンクに錠前を壊してもらい、ベルは秋也に手を引かれながら、王宮一階まで降りてきた。
     アルピナとサンデルの二人と合流したところで、サンクが秋也たちを茶化す。
    「こいつら俺が見付けた時、抱き合ってキスしてたぞ」
    「なんと」
    「あらまぁ」
    「うー……」「もぉー……」
     顔を真っ赤にする二人を見て、アルピナはクスクスと笑う。
    「その様子なら、大丈夫そうね。
     さあ、急いで帰りましょう。ここでじっとしていたら、いつトッドレール一味や、トッドレール本人に……」「あ、ソレなんスけど」
     警戒しかけたアルピナに、秋也が事の顛末を説明した。
    「え、じゃあ、トッドレール氏はあなたが始末しちゃったの?」
    「ええ、そうなります」
    「となると、先程の影はトッドであったか。刀で串刺しにされた上、3階から湖へと真っ逆さま、……となれば恐らく生きてはおらんだろうな」
    「……です、よね」
     サンデルはバン、と秋也の両肩を叩き、褒め称えた。
    「よくやった、シュウヤ! 見事に使命を果たしたな!」
    「ええ、まあ……」
     あいまいに応えた秋也に、アルピナがこう声をかける。
    「殺してしまったと悔やんでいるかも知れないけれど、トッドレール氏はそれこそ殺人をはじめ、相当に汚いことをやり尽くした卑劣漢よ。殺害・死亡はやむを得ない結果だと、わたしは思うわ。
     ……正当化できるような方便は無いけれど、それでもあなたのその行為で、多くの人の命と将来はきっと救われた。わたしも皆も、そう思ってるわ」
    「……ありがとうございます。そう言っていただければ、オレも救われた気がします」
     秋也はそれだけ返し、ベルの手を引いたまま、王宮の外へと出た。

    白猫夢・賊帝抄 終
    白猫夢・賊帝抄 5
    »»  2012.11.12.
    麒麟を巡る話、第137話。
    敵陣、脱出へ。

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    1.
     城内には既に、戦おうと言う気配は無い。
     そして城を後にし、荒れた市街地へ出ても、どこにも危険は感じられない。
     秋也たちは誰にも襲われることなく、帝都を後にする。
    「……帰りは楽に済みそうね」
     アルピナの言葉に、一行は静かにうなずく。
     警戒しつつ動いていた時に比べて3分の1程度の時間で、一行は車を隠した場所に到着した。
    「なあ、アルピナ」
     と、車の状態を見たサンクがこう提案する。
    「やっぱり後ろのエンジンさ、外した方がいいんじゃないか? さっきより油の漏れ方がひどい。もう攻撃される心配も無いし、作業する時間はたっぷりあるぜ」
    「……そうね。このまま動かしたら燃え出しそうだしね。外してリヤカーに載せましょ」
     二人は革手袋をはめ、作業に取り掛かろうとする。
     その間に秋也は、きょろきょろと辺りを見回していた。
    「どうした? 敵らしきものがいるのか?」
     その様子を見たサンデルが、訝しそうに尋ねる。
    「いや、まあ、ソレも警戒してはいるんスけど」
     秋也は腰に佩いた刀の鞘を指差し、こう続けた。
    「刀、アルトの奴に刺しっ放しにしたんで、何か代わりになるもん無いかなーって」
    「ふむ……。しかしこの辺りには木切れくらいしか無いな」
    「ですよねぇ」
     と、話を聞いていたアルピナが応じる。
    「それなら車に備え付けてるレンチとかどうかしら? 斬れはしないけれど、叩くくらいならできるわよ」
    「あー……、そうっスね、お借りします」
    「作業が終わってからね」
    「はーい」
     とりあえずの得物が確保でき、秋也は一安心する。
     と、秋也はここで、ベルがぼんやりとした顔でリヤカーにもたれかかっていることに気が付いた。
    「……」
     その顔には先程、秋也に見せたような安堵・高揚した様子は無く、落ち込んでいるように見える。
    「ベル?」
    「……」
    「おーい、ベル」
    「……あ」
     何度か秋也に呼ばれたところで、ベルは顔を向ける。
    「なに?」
    「大丈夫か? 顔色、悪いぞ」
    「うん、大丈夫。……うん」
    「大丈夫に見えねーよ。どうした?」
     重ねて尋ねられ、ベルはようやく答える。
    「……あたし、……ダメだなぁって」
    「へ?」
    「兵士だって強がってたのに、何もできずにさらわれちゃうし、助けられちゃうし、今だって何もできないし」
    「……」
    「あたしに兵士なんて、向いてなかったのかな」
    「……んなコト」
     秋也は否定しようとしたが、アルピナはこう返してきた。
    「そうね。わたしの目には、あんまり向いてそうには見えないわ」
    「ちょ」
    「えっ……」
     絶句するベルに、アルピナはこう続ける。
    「そんな反応するならベルちゃん、あなたはまだ頑張りたいって、頭のどこかでそう思ってるんじゃないかしら?」
    「……」
    「もし本当にできない、やりたくないって思うなら、あなたはまだ若いんだし。今からでも別の道を探せばいい。
     それともこの失敗を返上したい、名誉挽回したいと言うなら、戻ってからまた頑張ればいい。あなたはまだいくらでもやり直せるし、取り返すこともできる。
     シルバーレイクに戻るまでには十分時間があるんだから、その間にゆっくり、考えてみればいいんじゃないかしら。今、無理に結論を出す必要は無いわ」
    「……はい」
     と、そこでアルピナは秋也とベルを交互に見て、いたずらっぽく笑う。
    「その辺り、彼氏さんと相談し合ってもいいと思うわよ。もしかしたら長い付き合いになるかも知れないんだしね」
    「えっ、……あ、……はい」
    「はは……」
     秋也とベルは互いに顔を見合わせ、顔を真っ赤にして笑った。
     そうこうする間に、黙々と作業していたサンクが顔を挙げる。
    「こっち側のマウント周りは外れたぜ。そっちは?」
    「あ、ごめん。まだ外せて……」
     答えかけたアルピナが、途中で言葉を切る。
    「……みんな!」
    「ん?」
    「乗って! 早く! サンク、すぐマウント付け直して! 無理矢理でいいから!」
    「え? え?」
     突然の命令に、全員が面食らう。
     しかしアルピナの視線を辿ったところで、全員が大慌てでその命令に従った。

     街道の端から、恐るべき速さで何かが迫っていたからである。
    白猫夢・追鉄抄 1
    »»  2012.11.14.
    麒麟を巡る話、第138話。
    最後の逃走。

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    2.
    「動け、動け、動けッ!」
     サンクが顔を真っ赤にしてクランクレバーを回し、エンジンを動かす。
     出発した当初とはまるで違う、ボロボロとくぐもった音を立ててエンジンが動き出すと同時に、アルピナがクラッチとアクセルとを目一杯に踏み込む。
    「飛ばすわよ!」
     サンクがリヤカーにつかまったところで、車は排気管から黒い煙と真っ赤な炎を勢い良く吐き出して発進する。
    「なんだ……ありゃあ!?」
     車後方から、ローブをまとった何かがゴツ、ゴツと石畳を砕きながら、猛スピードで迫ってくる。
    「……クサーラ卿!」
     遠目ながらもその姿を確認し、サンデルが叫ぶ。
    「クサーラ卿って……、帝国参謀の!?」
    「モダス帝が言っていた、『鉄の悪魔』か!」
     どうにかリヤカーに乗り込んだサンクが、備え付けられていた対装甲ライフルに手を伸ばす。
    「一目で分かるぜ――あれは、人間じゃない!」
     サンクは追ってくるアロイスに狙いを定め、叫ぶ。
    「耳を塞げ! 撃つぞ!」
     サンクは引き金を引き、ライフルを発射する。
     ドゴンと言う猛烈な炸裂音と同時に、追っていたアロイスが頭から仰向けに倒れた。
    「命中ッ!」
     サンクは右手を挙げかけ――すぐに青ざめ、構え直す。
    「……ふざけんな、嘘だろ!?」
    「ま、まだ追って来るのか!?」
     後方はるか遠くへ弾き飛ばされたアロイスは、事も無げにむくりと起き上がり、再び猛追し始める。
    「冗談じゃないぞ……! 機関車をブチ抜けるライフルで頭を撃って、何で生きてやがる!?」
    「大尉!」
     と、車を運転しているアルピナがサンデルを呼ぶ。
    「なんだ!?」
    「運転代わって! わたしは後方を援護するわ!」
    「な、何!? 吾輩がか!? 一度も触ったことが……」
     うろたえるサンデルに代わり、秋也が名乗り出る。
    「オレがやります!」
    「……お願い!」
     秋也はリヤカーから車へ飛び移り、アルピナが床まで踏み込んでいたペダルを、横から踏み込む。
     入れ替わりにアルピナがリヤカーへと移り、積んでいた小銃を取り出して構える。
    「ベルちゃんも撃って!」
    「は、はいっ!」
    「わ、吾輩も撃つぞ!」
     運転を秋也に任せ、残りの四人は対装甲ライフルと小銃とを、アロイスに向かって懸命に撃ち込む。
    「撃て、撃て、撃てーッ!」
     四人の放った弾丸は立て続けにアロイスの体中に命中し、アロイスは何度も転がり、倒れる。
     しかしその度に立ち上がり、追跡を止めようとはしない。
    「なんなの、あいつ……!」
    「何故追って来られるのだ!?」
     何度も撃たれ、転がるうちに、着ていたローブはぼろぼろに破け、やがてアロイスの体から離れる。
     そして露わになったアロイスの全身を見て、アルピナたちは息を呑んだ。
    「全身に、甲冑!?」
    「って言うより、あれはまるで……」
    「鉄塊が……走ってるみたい」
    「やはり人間では無い! 悪魔だ! でなければあんな鉄の塊が、あんな速さで迫れるものか!」
     一向に倒すことも振り切ることもできず、その上に、黒光りするアロイスの全身を目にした四人の心は、今まさに折れかけていた。
     そして秋也の方も、「くそッ」と絶望的な声で叫ぶ。
    「速度がガンガン落ちてる……! 目一杯踏み込んでるってのに!」
    「……!」
     アルピナが振り返り、後部エンジンの様子を確かめる。
    「やっぱり、外しておくべきだったか……!」
     とっくの昔にマウントが脱落した後部エンジンはブルブルと震え、接合部と言う接合部からはボタボタと黒い油が垂れ、あちこちで火が明滅していた。
    「エンジンの出力が落ちてる! これ以上は逃げられないわ!
     もう一度全員掃射よ! これが最後のチャンス!」
     四人は各々懸命に己を奮い立たせ、一斉に銃を構える。
    「一点集中よ! 頭を!」
     アルピナの号令に従い、四人はアロイスの頭に狙いを定める。
    「……撃てーッ!」
     一斉に発射された銃弾4発のうち、1発は残念ながら外れ、空を切る。
     しかし残り3発はアロイスの額に、確かに命中した。
    「グオ……ッ」
     アロイスのうめく声が、遠目ながら聞こえる。
     アロイスはもう一度倒れ、そして動かなくなった。
    「やった……!」
     アルピナたちは勝利を確信し、安堵のため息を漏らしかけた。

     しかし――それは次の瞬間、極度の緊張へと変わった。
    「うわあ……ッ!?」
     エンジンがついに限界に達し、爆発したのだ。
    白猫夢・追鉄抄 2
    »»  2012.11.15.
    麒麟を巡る話、第139話。
    悪魔の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     後部エンジン爆発の衝撃により車は大きく後ろに傾き、牽引されていたリヤカーは逆に、前へとつんのめっていく。
    「お、わ、わわ、……だーッ!」
     V字に重なりかけた両車から、秋也は慌てて飛び降りる。
     同時に投げ出されかけた四人を、秋也は空中で何とかつかみ、目の前に迫ったリヤカーを蹴り、その反動で車の間から脱出した。
    「……う、……ぐ、……ぐああっ」
     着地した瞬間、自分を含めた5人分の体重が右脚に乗り、ボキボキと耳障りな音が響く。
    「い、……てぇ」
     それでもどうにか全員、車の衝突から免れることができ、よろよろと立ちあがったサンデルが秋也に肩を貸す。
    「ぶ、無事、か、っ」
    「だ、大丈夫、っス、から」
    「馬鹿を、い、言え、……くっ」
     立ち上がろうとするが、サンデルも秋也も、揃ってがくりと膝を着いてしまう。
    「み、みんな……、無事……?」
     アルピナが皆に呼びかける。その左肩は不自然なほどだらんと垂れ下がり、外れているのは明らかだった。
    「お……おう……」
     サンクは地面に座ったまま答える。どうやら彼も、足を折ったらしい。
    「……」
     ベルは答えない。
    「お、おい、ベル……?」
    「触っちゃ駄目! ……う、く、あう、っ」
     アルピナは肩を自分で入れ直し、倒れたままのベルに近付き、様子を確かめる。
    「気を失ってるだけみたい。擦り傷や打撲はあるけど、折れたり外れたりはしてないわ」
    「……良かった」
     秋也の気が緩み、意識が遠くなりかけた。

     だが――ゴツ、ゴツと言う重い足音が聞こえ、全員が硬直する。
    「……そんな……まさか……!」
    「冗談じゃねえ……!」
    「まだ……生きていると言うのか……!」
    「……くそ……!」
     近付いてきたアロイスはガリガリとした金属質の声を荒げ、こう言い渡す。
    「オ前タチハ……ガガッ、……二度モ私ノ御子……皇帝ヲ……、ガピュ、ガッ……亡キ者ニシタ……!
     ソノ愚行、蛮行……ガ、ガガガ……、万死ニ値スル……! 全員……ココデ……ガガ、ガピュ……死ヌガ良イ」
    「……~ッ!」
     秋也は折れた足を無理矢理に引きずり、落ちていた車のバンパーを構え、アロイスと対峙する。
    「させっかよ……!」
     アロイスは秋也の姿を見て、さらにこう告げる。
    「特ニ貴様……ガガガ……シュウヤ・コウ……コウ……黄……ッ!
     黄……! 貴様ノ血統ニハ……ガッ、ガガッ……心底、怒リト恨ミヲ覚エテイルゾッ! 許サン……ガピ……貴様ハ、貴様ハ微粒子レベルマデ細切レニシテクレルッ……!」
    「……やってみろよ……ッ!」
     秋也はバンパーを上段に構え、アロイスを待ち構えた。

     その時だった。
    「やらせないわよ、そんなこと」
     秋也の前に、とん、と軽い音を立てて、何者かが降り立った。
    「え……?」
     その人物を目にした秋也は唖然とし、思わずバンパーを落としてしまう。
    「……キ、貴様ハ……? ドウ言ウコトダ……?」
    「鉄の悪魔」アロイスもまた、相当に驚いているらしい。
    「何故……貴様ガ今更、ガ、ガッ……、コンナ場所ニ現レル!? アレカラ……ガピュッ……20年モ経ッテマダ、私ニ用ガアルト言ウノカ!?
     答エロ、トモエ・ホウドウ!」
    「アラン。……いいえ、アルだったわね。
     あなたったらまたラッパみたいな声してるのね、あはは……」
     秋也の目の前に現れたその女性は、けらけらとアロイスを嘲笑って見せる。
    「それにしても懐かしいわね、その名前。でももう古いわ。今の私は『克』。克渾沌よ。
     分かるわよね、こう言えば? わたしが何で『こんな場所』にいるのか、その理由が」
    「ガガ、ガガガー……『克』……ダト……!?」
     その名を聞いた途端、アロイスの声に揺らぎが生じる。
    「師匠、克大火からの言伝があるから、ブッ壊す前に伝えてあげる。
    『お前の企みは時代・場所・対象を問わず、発見次第跡形も無く、お前を含めて破壊・消滅させる。俺と俺の弟子による総力を以てして、な』、だそうよ。
     と言うわけで私も、あなたをボコボコにしてあ・げ・る」
    「オ、オオオ、オオ……!」
     秋也はこの時初めて、アロイスの挙動に恐怖じみたものが生じるのを見た。
    「デ、デキルモノカ……オ前ナドニ……!
     20年前、二人ガカリデヨウヤク……ガガッ……私ヲ倒セル程度ノ力量シカ無カッタオ前ガ……ガッ、ガピュッ……ノコノコト一人デヤッテ来テ……ソンナコトヲ……ガ、ガピー……デキルワケガ……」
    「でも、あなたの演算装置はそんな結論を導き出してないんじゃない?
     震えているわよ……うふふふ、ふ」
     渾沌は口元をにやっと歪ませ、剣を抜き払った。
    「『九紋竜』」
    白猫夢・追鉄抄 3
    »»  2012.11.16.
    麒麟を巡る話、第140話。
    「すげえ」しか言えない相手。

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    4.
     居合抜きの如く抜き払われた渾沌の剣から九個の青い光弾が発射され、アロイスに向かって飛んで行く。
    「ウゴ……ッ!?」
     対装甲ライフルの連射でさえ貫けなかったアロイスの体を、光弾は易々と貫通する。
    「馬鹿ナ……! 私ガ……コンナ……簡単ニ……!?」
     大きく穴の開いた箇所から、アロイスの体はゆっくりと後方に折れ、やがて真っ二つに破断した。
    「20年前と同じだと思ってた? お生憎様、私はあれから桁違いに成長したのよ」
    「……ダ、ダガ……」
     上半身だけになったアロイスは、なおも口を開く。
    「忘レタワケデハアルマイ……私ハ何度デモ蘇リ……ソシテマタ……ガー……新タナ御子ヲ立テルノダ……。
     永遠ニ……イタチゴッコヲ……ガ、ガッ……続ケルツモリカ……オ前タチ『克』ハ……?」
    「そのつもりよ」
     渾沌は残っていたアロイスの頭部に、がつっ、と剣を突き立てた。
    「あなたたちが諦めるまで、いくらでも続けるつもりよ。
     私たちにはそれができるだけの力も、意志もあるもの」
     次の瞬間、アロイスの体が爆発し、渾沌を巻き込む。
    「ちょっ!?」
     秋也は驚き、声を挙げるが、渾沌の笑い声が返ってくる。
    「あはは……、何? 私がこの程度で死ぬと思ったの?」
     もうもうと立つ土煙の中から、渾沌は平然と戻ってきた。

    「はい、これで大丈夫」
     渾沌は傷ついた秋也たち一行を、治療術で癒してくれた。
    「すげえな……。本国の最新医療チームでもなかなかこうは……」
     痕も残らず完治した足を撫でながら、サンクが感心した声を挙げる。渾沌はそれを、いつもの含み笑いで応じた。
    「私を誰だと思ってるの? 『克』よ?」
    「いつもながらアンタ、人間離れしてるぜ……」
    「うふふふ」
     と、秋也は彼女の声を聴いて、あることを思い出した。
    「あれ? ……渾沌?」
    「何かしら?」
    「国境にいた?」
    「さあ?」
    「……もしかしてオレがあそこで撃たれた時、助けてくれた?」
    「ええ。助けてあげたわよ」
    「後、……もう一個聞くけどさ」
    「どうぞ」
    「昨日、民家で寝泊まりしてたオレたちの側にいた? その仮面、昨夜も見たような……」
    「ええ。見守ってあげてたわよ」
    「まったく……、呆れるほどアンタ、すげーよなぁ」
    「うふふっ」
     そのやり取りに、同様に治療を受けたベルが頬を膨らませる。
    「シュウヤ、それで結局、この人誰なの?」
    「あ、えーと」
    「そうねぇ。良くお世話してるから、お母さんみたいなもんね」
     こう返され、ベルは目を丸くする。
    「えっ!? じゃあ、この人がセイナさんなの?」
    「違うっつの。変なコト言わないでくれよ、渾沌」
    「あははは……。ごめんなさいね、今のは冗談。
     その晴奈の、古い友達みたいなもんよ。秋也とも、結構古い付き合いなの」
    「ちなみに前に言ってた『悪魔みたいな剣士』ってのはこの人だよ。すげー変だけどすげー強いんだ、マジで」
    「へ、へぇー……」
     目をパチパチとさせたベルを見て、渾沌は口元をにやっとさせる。
    「あなた、もしかして秋也の恋人? 反応がそれっぽいけど」
    「ふえっ!?」
    「……ああもう、一々かっわいいわぁ」
     渾沌はいきなり、ベルにぎゅっと抱き着いてきた。
    「ひゃあ!? ちょ、な、何するのよ!?」
    「んもう、持ち帰りたーい」
    「ちょ、やめろって渾沌!」
     秋也は慌てて引きはがそうとするが、渾沌はその前にベルから離れ、するりと逃れる。
    「冗談よ、冗談。……っと、ところで秋也、あなたたちが乗ってきた車壊れちゃったし、帰る手段が無いでしょ?」
    「……ああ、そうだな」
     憮然としている秋也に、渾沌はピン、と人差し指を立てて見せた。
    「私が『テレポート』使って、シルバーレイクまで送ってあげるわよ」
    「え、いいのか!?」
    「勿論。秋也のためならそれくらい、お安い御用よ」
     そう言うなり渾沌は、ぼそっと呪文らしきものを唱えた。



     秋也たちが瞬きを一回、二回するくらいの間に、一行は見覚えのある場所に戻っていた。
    「……あれ?」
    「ここって……」
    「あたしん家、……の庭、だね」
     一行がきょろきょろとしている間に、屋敷の中から人が現れた。
    「ハーミット卿!」
    「ああ、うん、……おかえり。いきなりだね」
     流石の卿もこんなことは想像していなかったらしく、驚いている。
    「もしかしてこれ、『テレ……』」「じゃ、私はこの辺で、ね」
     そう言って渾沌はそそくさと去ろうとしたが、秋也がそれを止める。
    「もう行くのか、渾沌?」
    「ええ。アル、……じゃないか、アロイスを倒したこと、師匠に報告しないといけないから」
     そう返したところで、卿が渾沌へ声をかけてきた。
    「師匠? アル? ……コントンさんだっけ、ちょっといいかい?」
    「ん?」
     怪訝な声を返した渾沌に、ハーミット卿はこんな質問をぶつけてきた。
    「その師匠と言うのは、タイカかな?」
    白猫夢・追鉄抄 4
    »»  2012.11.17.
    麒麟を巡る話、第141話。
    ハーミット卿の伝言。

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    5.
     ハーミット卿の質問を受け、渾沌は戸惑ったような様子を見せた。
    「え……? そう、だけど?」
    「やっぱりか。いきなり『テレポート』で現れて、アルがどうとか言うような人なら、そうじゃないかと思ったけど、当たりだったね」
    「……あなた、何?」
     警戒する渾沌に対し、卿はこう返した。
    「タイカのことを良く知っている者さ。
     あ、そうだコントンさん。良ければタイカに、こう言っておいてくれないかな」
    「なによ、人の師匠を馴れ馴れしく……」「ま、ま」
     憮然とする渾沌に構わず、卿は渾沌に耳打ちする。
    「……と伝えてくれ。そう言えば分かるから」
    「嫌よ。何それ」
    「おや」
     卿はにっこりと笑い、こう続ける。
    「見たくないかい、彼が驚く顔を?」
    「は?」
    「今の伝言を伝えたら、間違いなくタイカはそんな顔をするよ。しかも大慌てでこっちにやって来る」
    「そんなわけ無いじゃない」
    「するよ。きっとする。ま、どうしても嫌ならいいんだけどね」
    「……」
     渾沌はしばらく黙っていたが、やがて卿にこう返した。
    「いいわ。だまされたと思って言ってみるわ。
     その代わり師匠に怒られたり機嫌損ねられたりしたら、あんた責任取りなさいよ」
    「いいとも。請け負おう」
     卿はトン、と自分の胸を叩く。
    「……んじゃ、ま。帰るわね」
     渾沌は狐につままれたような様子で、その場から消えた。
     残された一同も同様にきょとんとしている中、卿が冷静に提案した。
    「とりあえず皆、中に入って休んでくれ。軍本営には無事に作戦終了したことを、僕が連絡しておくよ」
    「あ、……はい」
    「あの」
     と、秋也が手を挙げる。
    「ハーミットさん、渾沌のコト知ってるんですか?」
    「いや、彼女の師匠のことは知ってるけど、彼女については何にも。
     詳しい話は『彼』が来てからにするよ。さ、入って入って」
     ハーミット卿がそそくさと屋敷に戻ったところで、一同は顔を見合わせる。
    「……彼って、……まさか、『黒い悪魔』カツミが?」
    「来るのか? マジで?」
    「吾輩、もう頭が弾けてしまいそうだ。何が何だか……」
    「あたしも頭ん中、うにゃうにゃ……」
    「……卿の言う通り、中で休んだ方が良さそうだな」



    「克渾沌、ただいま戻りました」
     世界のどこか――渾沌はその場所に、半年ぶりに戻ってきた。
     渾沌に背を向け、ソファに寝そべっていたその黒い男に、渾沌はいつものように飄々とした様子をまったく見せず、淡々と報告した。
    「西方南部にてアルを発見し、破壊しました」
    「そうか」
     ソファからのそ、と身を乗り出し、相手がその細い目を向けてくる。
    「奴の計画については?」
    「今回、アルは西方南部にて御子を仕立て上げ、皇帝と称させて侵略行為を行わせていましたが、御子本人が侵略を拒否し、計画はほぼ破綻状態でした。
     そして御子が隣国へ亡命したことと、築き上げてきた帝国が崩壊したことで、その計画は潰えたものと判断しております。再興の可能性は、まずありません」
    「なるほど。……クク」
     男は細い目をさらに細め、こう返す。
    「よくやった。念のため、後2年か3年は西方で監視を続けてくれ。アルが舞い戻った時は……」
    「ええ、即刻退治します」
    「頼んだ」
     男が再びソファにもたれかかろうとしたところで、渾沌はハーミット卿からの伝言を伝えた。
    「あの、それとですね」
    「まだ何かあるのか?」
    「その、西方南部のプラティノアール王国にて、先生に言伝を頼まれました」
    「俺に?」
    「ええ。……その、『ランド・ファスタがタイカ・カツミに会いたがっている』と」
     伝えたその瞬間、ソファからがたっ、と音が立った。
    「誰からだ?」
     再び振り向いたその顔は確かにハーミット卿が言った通り、驚きに満ちたものだった。
    「え」
     本当にそんな表情が見られるとは思わず、渾沌も面食らう。
    「その伝言は誰からだ、と聞いている」
    「プラティノアール王国の宰相、ネロ・ハーミット、……です」
    「案内しろ。すぐに、だ」
     予想もしていなかった反応を続け様に見せられ、渾沌の方が驚いていた。

    白猫夢・追鉄抄 終
    白猫夢・追鉄抄 5
    »»  2012.11.18.
    麒麟を巡る話、第142話。
    200年ぶりの再会。

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    1.
    「囲碁、……は打てそうにないかな」
     ぼそ、とそうつぶやいたハーミット卿に、秋也は苦い顔を返した。
    「流石にきついっス」
    「ごめんごめん。……遅いな。来てくれると思ったんだけど」
     その言葉に、ベルは怪訝な表情を見せる。
    「ねえ、パパ」
    「うん?」
    「タイカ・カツミに会ったことがあるの?」
    「あるよ。いや、それ以上と言っていい。
     結構長いこと、一緒に仕事をしていたんだ。ジーナとも一緒にね」
     それを聞いて、疲れ切ってソファへもたれ込んでいた一同が顔を挙げる。
    「『黒い悪魔』とですか?」
    「うん」
    「いつです?」
    「ここで大臣やる前」
    「旅してたってパパ、言ってなかった?」
    「うん、そのさらに前」
    「仕事と言うのは、一体?」
    「簡単に言うと、……うーん、簡単には言いにくいかな。『ずっと昔』に、とある大きな国があってね、それを倒したんだ。タイカと一緒に」
    「大きな国?」
    「うん、世界中を支配するくらいの大きな国さ」
    「え……?」
     どんなに質問を重ねても、一向に納得の行く回答が、ハーミット卿の口から出てこない。
    「さっぱり分かんない。パパって一体、何をしてた人なの?」
    「……」
     ハーミット卿は黒眼鏡を外し、青と黒のオッドアイを皆に晒した。
    「これから僕とタイカが話す内容はね、全部本当の話なんだ。それをまず、分かってほしい。
     それから、その話はここにいるみんなだけに伝えるつもりだ。口外は絶対に、しないでほしい。いいかな?」
    「ん、まあ……」
    「卿の願いとあらば、誓って口外なぞいたしません」
    「同じく」
     と、秋也が手を挙げる。
    「言えない話なら、聞かせない方がいいんじゃ……?」
    「そうも行かないんだ。君たちにはいざと言う時の証人になってほしいし」
    「証人?」
    「確かにタイカは嘘はつかない。だけど悪い癖があって、本当のこともしれっと隠そうとする性分があるからね。
     その、彼が隠そうとしてた秘密を今回、僕は詳(つまび)らかにするつもりだ。そしてそれについてタイカが肯定したと言うことを、確認してほしい。いいかな?」
    「なるほど、分かりました」
     全員の承諾を確認し、ハーミット卿は傍らに座っていた妻、ジーナの肩を抱く。
    「僕、ネロ・ハーミットとジーナ・ルーカスと言う人間は、実は存在しない」
    「え?」
    「これは偽名なんだ。何故かって言うと、本名がちょっと、あんまりにも有名過ぎるからなんだ」
    「偽名……?」
    「何か犯罪を犯した、と?」
    「それは『はい』とも『いいえ』とも言えないな。歴史が変わるくらいの大事件だから、正悪の判断は付けようが無い。
     ただ、そう言うのは抜きにして、ね。本名を名乗ってしまうと、『こいつは頭がおかしい』と思われちゃうくらいの、それくらい世界中に広まった名前なんだ」
    「意味が……、分かりかねます」
     率直に述べるアルピナに、ハーミット卿は肩をすくめる。
    「だろうね。ただ、僕の口から言っても信用は絶対にしてもらえないから、『彼』から僕とジーナが何者か、紹介してもらおうと思って。
     ごめんね、回りくどくて……」
     と、ジーナが顔を挙げる。
    「来たようじゃ」
    「そうか。……入ってくれ、タイカ」

     居間の外から、足音が二人分聞こえてくる。
     入って来たのは渾沌と、頭から肌の色、服、爪先まで全身真っ黒な、細い目をした長身の男だった。
    「……!」
     男の姿を見た秋也たちは、一様に絶句する。
    「しばらく、……だったな、ランド」
     その黒い男は、ハーミット卿に対してそう挨拶した。
    「しばらくだね、タイカ」
     ハーミット卿は立ち上がり、その黒い男を紹介した。
    「みんな、彼の名前は知っているみたいだけど、会うのは多分初めてだろう。
     彼が『黒い悪魔』『契約の悪魔』『黒炎教団の現人神』『古今無双の奸雄』『不死身の魔術師』――タイカ・カツミだ」
    「……っ」
     ハーミット卿とジーナを除く全員が、ゴクリと喉を鳴らす。
     しかしただ一人、ベルだけは恐る恐る、口を開いた。
    「……ランド、って誰?」
     それに応えたのは、大火だった。
    「今、俺の前に立っている、黒眼鏡の長耳のことだ」
    「その通り」
     ハーミット卿はにこやかな顔で、大火に向かってこう頼んだ。
    「タイカ、悪いけど僕と、あそこに座っている緑髪の彼女。
     僕ら二人の名前を、フルネームで答えてくれないかい?」
    「ああ」
     大火は静かに、ハーミット卿とジーナをこう呼んだ。
    「ランド・ファスタとイール・サンドラだ」
    白猫夢・黒々抄 1
    »»  2012.11.20.
    麒麟を巡る話、第143話。
    歴史の裏の疑問。

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    2.
     大火がそう答えた瞬間、そこにいた全員が仰天した。
     その驚き様は、大火が現れた時以上だった。
    「ランド? ……ランド・ファスタ!?」
    「え、嘘でしょ、そんな?」
    「き、聞いたことがあるぞ! 確か3、いや4世紀の……」
    「『千里眼鏡』ファスタ卿と『猫姫』サンドラ将軍……!?」
    「……うそ」
     顔を真っ青にし、倒れそうになるベルを、秋也は慌てて支える。
    「嘘ではない。その二人はランドとイールだ。俺が保証する」
    「ほ、保証ったって」
     サンクがうろたえた声で、大火に反論する。
    「第一、あんたがタイカ・カツミだってことも……」
    「そう思うのか?」
    「……いや、……そんだけ威圧感出されたら、……マジなんだろうなとは、はい」
     一同が静まったところで、ハーミット卿が口を開く。
    「聞いての通りだ。僕の本名は、ランド・ファスタ。本来なら6世紀の今、生きているはずの無い男さ。
     しかしこうして今、ネロ・ハーミットと名乗り、この6世紀に生きている。その理由は、……実を言えば僕にも分からない。だもんで、それをタイカに教えてもらいたかったのさ」
     ハーミット卿は大火に向き直り、改めて尋ねる。
    「そう言うわけで、教えてほしいんだ。
     何故、僕とジーナ、……いや、イールはこの時代に蘇ることになったのか? それを説明してほしい。きっちりとね」
    「……こた」「答える義理はあるはずだ」
     大火の言おうとすることを先読みし、ハーミット卿は詰問する。
    「何故なら君は、イールに対して説明責任を果たしてないからだ」
    「説明責任だと?」
    「イールを封じた後、彼女を何に利用したか。それを君は伝えてない。
     イールは『僕に会える』とは聞いたけど、『君に利用される』とは聞いてない。そうだよね、イール」
    「うむ、聞いておらんし、利用されたことについて未だ納得もしておらん。である以上、何らかの『弁償』をしてもらわねば気が済まんのう」
     ジーナにそう言われ、大火は顔をしかめる。
    「……なるほど」
     大火はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
    「では――どこから話すか――そうだな、イールを封じる直前から話した方が、説明もしやすいだろうか」



     双月暦315年3月、北方大陸沿岸部の寒村、ブラックウッド近辺の丘陵地帯。
    「あたしはどうなったって構わないのよ」
     大火に対する反乱軍を結成した「猫姫」イール・サンドラ元准将は、その丘の頂上にて大火に対し、己の激情を吐露していた。
    「ソレでアイツのところに逝けるなら、何だってするわ」
    「……イール。お前は勘違いしている」
     大火は彼女に向かって、こう伝えた。
    「ランドについてだが、あいつは死んでいない。やむを得ない事情で封印はしたが、な」
    「……は?」
     それを聞いたイールは、責めるような視線を大火に向けた。
    「何言ってんの? アンタが殺したって……」
    「あの鉄クズからそう聞いたのか? それはあいつが、実際に見たと言ったのか? そしてお前も、実際に見たと?」
    「……言って、ないけど」
     イールは一瞬、納得しかけるが、なお食い下がる。
    「……じゃあ。……じゃあ! 逆に証拠はあるの!? あいつが……」
    「耐え切れれば、見せてやろう」
     大火は刀を掲げ、呪文を唱える。
     その瞬間、イールの視界は真っ白に染まった。

    「……う……っ」
     イールは目を覚まし、辺りを見回そうとした。
     しかし一杯に目を見開いても、何も見えない。
    「気が付いたか」
     大火の声がする。
    「ええ。……灯り、無いの?」
    「うん?」
     ひた、と左頬に革手袋の感触が伝わる。
    「……ふむ」
    「な……、何?」
     続いて、右頬にも革手袋を当てられた。
    「大きな代償だったな」
    「え?」
    「お前はどうやら、己の限界以上の術を行使したようだ」
     何を言っているか分からず、イールは尋ねる。
    「何言ってんの?」
    「その目、恐らくは治るまい」
    「え? 目? ……え?」
    「術の副作用とでも言おうか。夥(おびただ)しい威力の雷術を行使した影響で、お前の神経は大きく変質している。特に視神経が、な。
     自然治癒や現代の医療、俺の術を以てしても、治すことはできん」
    「そんな……!」
     言葉を失うイールに、大火は本題を切り出してきた。
    「それよりも、だ。見えていないとなると説明が難しいが、ここにランドがいる」
    「え……!」
     イールは暗い視界を懸命に眺め、どうにか前方にある、何か大きな物体を、ぼんやりとではあるが確認することができた。
    白猫夢・黒々抄 2
    »»  2012.11.21.
    麒麟を巡る話、第144話。
    想い人を追って。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「あれが、……ランドなの?」
     ぼんやりと見えるその物体を、イールが指差す。そしてその質問を、大火は肯定した。
    「概ね、そうだ。厳密に言えば、ランドはあの中に封じられている」
    「なんで?」
    「その前に」
     大火はイールに、こう前置きした。
    「これから俺が言うことは、すべて事実だ。嘘やごまかしは無い。信じるな?」
    「ええ、いいわよ。アンタ、嘘は言わないはずだし」
    「まず、ランドの出自について話そう。
     あいつはある人物に――そうだな、魔女とでも言うべきか――よって造られた存在だ。普通の人間とは、少し違う」
    「人間じゃない?」
    「いや、9割9分人間だ。今現在は、な。昔は人形だったのだ」
     これを聞いて、イールは思わず否定する。
    「嘘でしょ!?」
    「事実だ。そして造られた理由だが、『魔女』はランドを世界の王に仕立て上げ、そして傀儡として裏から操るつもりだったのだ。
     イール、お前と同じように、な」
    「……どう言うコト?」
    「あのアルコンとか言う鉄人形に、お前は長い間操られてきたのだ。思い当たる節はあるだろう?」
    「そ、ソレも、……信じられ、……」
    「事実だ」
    「……ううん、信じたくなかったけど、でも、……うん、あるわ、思い当たるトコ。
     確かに薄々、そうじゃないかとは思ってたわ。そうね、アルコンがあたしに付きまとう理由、色々考えたコトもあったけど、アンタの説明が一番納得するわ。……信じたくは無かったけど。
     人形って言ったわよね、アルコンのコト」
    「ああ」
    「じゃあ逆じゃない」
    「うん?」
     イールの目から、ぽろっと涙が流れる。
    「人形のアイツに、あたしが操られてたってコトでしょ? そんなの、……あたしの人生、全部無様じゃない」
    「……」
    「……まあ、……今はアンタの話の続きが聞きたいから、……泣きたいけど後にするわ。
     封じた理由、もっと詳しく教えて? ランドが『魔女』の操り人形で、だからランドが世界を支配する前に封印したって言うのは信じるわ。
     でも、じゃあ、封印して何をするつもりなの?」
    「その支配を解こうとしているのだ」
    「……なんで?」
     イールは大火の行動に不可解なものを感じ、さらに尋ねる。
    「アンタ、そんなタイプじゃないでしょ? そりゃ、世界を支配されたくないって考えるのは分かるけど、ソレが嫌だって言うならランドを殺せば話は済むじゃないの。
     なんでわざわざ封印して、その支配を解こうとするの?」
    「相手がその『魔女』だからだ。
     これは俺の個人的感情に近い憶測だが、恐らく俺がランドを単に殺そうものなら、『魔女』はこれでもかと言うくらいに俺を嘲笑うだろう。
    『弟子の自分が用意したパズルを解けない、愚かな師匠だ』と、な」
    「弟子? その『魔女』、アンタの弟子だったの?」
    「そうだ。そしてこれも俺の感情から来る理由だが、ランドをただ殺すのでは俺に何の得も無い。
     奴の人形を奪い取り、俺の側に置くことができれば、奴の目論見を完膚なきまでに潰すことになるからだ」
    「……結局、アンタのためにランドは封印されたのね」
     忌々しくそう言い捨てたイールに、大火はこう返した。
    「しかし、事実として死んではいない。殺してほしかったわけではあるまい?」
    「そりゃ、そうよ」
    「そしてできることなら、ランドと添い遂げたいと思っている。そうだな?」
    「……そうよ」
    「ならば一つ、提案がある。
     あいつの封印を解くのには、短くとも50年かかると考えている。もっとかかる可能性もある。それだけの時間をただ待つとなれば、お前の寿命では到底、間に合うまい。
     そこでランドと同様にお前を封印し、最低でもランドに仕掛けられた術を解除するまでの期間は、共に眠ってもらう。
     どうする? 封印されるか?」
    「え、……と」
     イールは一瞬迷ったが、うすぼんやりと見える封印されたランドを一瞥し、意を決した。
    「……いいわ。このままダラダラ生きてたって、あたしの想いは実らないもの。ランドの封印が解けるまで、あたしを一緒に封印してちょうだい」
    「承知した」
     次の瞬間、イールの意識は途切れた。
    白猫夢・黒々抄 3
    »»  2012.11.22.
    麒麟を巡る話、第145話。
    2人の復活。

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    4.
     時代は進み――双月暦520年5月。

    「……う……」
     随分長い間眠っていたような感覚を引きずりながらも、ランドは目を覚ました。
    「あれ……ここは……?」
     重い手足を何とか動かし、ランドは辺りの様子を確かめる。
     しかし眼鏡が無く、しかも真っ暗なため、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
    「……思い出してきた……ような。
     確か僕は、タイカと話してて、で、タイカが契約が何とか言って……」
     思い出そうとするが頭痛がひどく、どうしても考えがまとまらない。
    「……く……」
     と、どこかから声が聞こえてくる。
    「……?」
     暗い室内を手探りでうろつき、どうにか声のする場所を探り当てる。
    「……イール?」
     偶然触った猫耳と、彼女のうめく声とで、ランドはそれがイールだと分かる。
    「しっかりして、イール。起きてくれ」
    「……あ……え……?」
     何かをしゃべろうとしたようだが、まったく言葉にならない。
     ランドは彼女の手を触り、異様に冷えていることに気付いた。
    「うわっ、まるで氷じゃないか! ……ここにいたら駄目だ、僕も寒い」
     ランドはイールを引きずりながら、出口が無いか探る。
     やがてそれらしいものを見付け、どうにか坑道のようなところに脱出した。
    「……ん?」
     と、ミシミシと何かが鳴っているのに気付く。
    「え、……これって、……もしかして」
     その恐ろしげな音が周囲のあちこちから聞こえてきたため、ランドは大急ぎでイールを背負い、坑道を走る。
    「はあっ、はあっ、……ひぃ」
     自分でも驚くほどの力が出たが、それでも元々非力なランドである。
     坑道を何とか抜けたところで力尽き、そして倒れ込むと同時に、坑道のはるか奥でずん……、と重い音が聞こえてきた。



     それから1週間――ランドの方は周囲の木の実や水を採ることで、何とか体力を回復させたが、イールは依然として昏睡状態にあった。
    (こんなにやつれて……。一体何があったんだ?)
     着ていた服のポケットに入れられていた黒眼鏡――デザインからすると元々自分がかけていた眼鏡のようだったが、何故かレンズが真っ黒なものに換えられている――をかけ、自分たちが何故この状況に置かれているか考える。
    (多分、……だけどあの部屋はタイカが造ったものなんだろう。で、僕と、何故かイールも、そこに封印みたいなことを、されてたんだろうな。
     ……それだけだ。それ以上は分からない)
     しかし、考えようにも判断材料が乏しく、ランドはぼんやりとイールの蒼ざめた顔を見ていることしかできない。
    (ここら辺の食べ物は粗方採り尽くしちゃったし、水だけじゃ衰弱する一方だ。どうにか近くの街に行って、イールを看てもらわないと)
     そうは思ったものの、自分の力だけでは到底、イールを運ぶことなどできない。打開策が見出せず、ランドは途方に暮れていた。

     と――どこかから、人の声が聞こえてくる。
    「……だ、……か」
    「……な、なぁんだ」
    (人……!?)
     ランドは思わず立ち上がり、そちらに駆け出した。
     元々畑があったらしいところに、男女5名が固まっているのが見える。そのうち2人の女性は、数日前に気紛れでランドが体を洗ってやった狐を、楽しそうに撫でている。
    「この*、*****ですねぇ」
    「そうだな。まったく、****しない」
     彼らが話している言葉を聞き、ランドは戸惑った。
    (あれ……? 何て言ってるんだ? 中央語や北方語に似てる感じだけど、どっちでも無さそうだし)
    「……良く***、体を****があるな?
     ***こんなところに、この*を*****ような**がいるのか?」
     どうやら狐について何か言っているようだが、その語彙の半分以上が何を示し、何を伝えているのかが分からない。
     まるで別世界に来たような感覚を覚え、ランドは逡巡していたが、それでもこの機会を逃がせば、イールの命に関わってくる。
     ランドは意を決して、彼らに話しかけた。
    白猫夢・黒々抄 4
    »»  2012.11.23.
    麒麟を巡る話、第146話。
    「ハーミット」の誕生。

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    5.
     ランドは恐る恐る、たむろしていた彼らに声をかける。
    「この近くの人かい?」
     無人と思っていた場所で突然声をかけられた彼らは当然、警戒する素振りを見せた。
    「***!?」
    「そんなに警戒しないでくれよ……」
    「***、と***いる! ***!」
     央南人風の猫獣人の女性が刀を向け、ランドに何かを叫んでいる。
    「ごめん、もうちょっとゆっくり話してほしいんだけど」
     警戒されないよう、やんわりとそう言ってみたが、相手はきょとんとしている。
    「お、おにーさん、お***ですかぁ? なんか、おじーちゃんみたいな*****ですけどぉ……」
     確かにランドが頼んだ通り、紫髪の短耳はおっとりとした口調で話しかけてくれたが、それでも何を言っているのか分からない。
    「(おじーちゃんみたいな、って? ……僕が?)
     ごめん、何て言ったのかよく分からないんだ」
     こちらも努めてゆっくりと話したつもりだったが、猫獣人にははっきり通じていないようだった。
    「うん……?」

     それでも懸命に、彼らの話を何度か繰り返し聞くうち、元来聡明なランドは彼らの言葉を概ね理解できるようになった。
    「それでお主、名は何と言う?」
     尋ねてきた猫獣人――やはり央南人で、名前は黄晴奈と言う――に、ランドは覚えたての言葉でどうにか応じる。
    「僕はらん、……いや、……その」
     自分の名前を言いかけて、ランドは考え込む。
    (念のため偽名を名乗っておいた方がいいかな。彼らがどんな人なのか分かんないし、用心に越したことは無い。
     とりあえずネール(Nehru)家から名前借りて……)
    「うん?」
     怪訝な顔を向ける晴奈に、ランドはこう答えた。
    「ネロ(Nehro)、と呼んでくれ。ネロ・ハーミットで」
    「……」
     どうやら、すぐに偽名とばれたらしい。晴奈たちは一様に、不審そうな目を向けてきた。
     しかしそれでも問いただしたりはせず、晴奈が続けてこう聞いてきた。
    「……分かった、ネロ。それで、何故こんなところにいるのだ?」
    「その前に、……その、良ければ教えてほしいことなんだけど」
     ランドは彼らの服装を見て、ある仮説に行き着いていた。
    (僕が今着てる官服と、セイナたちが着てる旅装。
     普通なら僕の方が相当、高級品なはずなのに、旅装の彼女たちの方が、どう見ても服の造りがしっかりしてる。それも、全員揃ってだ。つまり彼女たちの着てる服の平均値と言うか、水準があのレベルなんだ。
     僕の着ている官服より段違いに生地や縫製がしっかりしてる、言い換えれば彼女たちの衣服に使われた技術水準が、僕が知る水準よりも恐ろしく跳ね上がってること。そして言葉が――まったくじゃないけど――通じなかったこと。
     そこから導き出される答えは、……にわかには信じられないけど……)
    「今は、……えーと、今の日付を教えてほしいんだ。今は何年の、何月何日かな」
    「520年の、5月29日だ」
    それを聞き、ランドは強いめまいを覚えた。
    「ご、……そうか、520年、5月29日、ね。これ、双月暦だよね」
    「勿論だ」
     ランドは平静を装ってはいたが、内心は絶叫したくなるくらいのショックを受けていた。
    (ごひゃく、……って、6世紀だって!? 10年や20年どころじゃない、200年も経ってるって言うのか!?
     ……ああ、だろうな。それだけ経ってたらそりゃ言葉も通じないし、旅装が官服より豪華になったりするわけだ)
     どうにか心を落ち着かせようと、ランドは周囲を見渡す。
     そこでようやく気付いたが、ここはどうやら、200年後のブラックウッドらしかった。
    (山の形とか、畑の位置とか、何となく見覚えがある)
    「それでその、変なことばかり聞いて申し訳ないんだけど、ここは北方のブラックウッド、で間違いないかい?」
    「恐らく、そうだ。既に廃村になっており、詳しく確認はできぬが」
    「そっか、そうだよね。……えーと、じゃあ、ここはジーン王国領、だよね?」
    「そうだ」
     それを聞き、ランドは内心ほっとした。
    (そっか、ジーン王は僕がいない後も無事に国を治められたらしいな。
     ……他の国はどうなってるのかな?)
     未来の世界に興味を抱き始めたランドは、続けざまに質問する。
    「その、世界情勢とか、聞いておきたいんだけど」
    「んじゃあたしが説明するわね、そーゆーのは詳しいし」
     赤毛の長耳、橘小鈴が手を挙げたところで、ランドはようやくイールのことを思い出した。
    「あ」
    「ん? どしたの?」
    「コスズさん、だっけ。彼女に話を聞いている間に、お願いしたいことがあるんだ」
     ランドはイールを寝かせている場所を伝え、彼女の看病を頼み込んだ。
    「相分かった、向かおう」
    「ありがとう、セイナさん」
    「……おっと。こいつは返しておくぞ」
     晴奈は今まで抱えていた子狐をひょい、とランドに渡す。
    「え?」
    「お主が飼っていたのだろう? すまぬな、ずっと持ちっ放しにして」
    「あ、いえ。まあ、飼ってたと言うか、勝手にやって来たと言うか」
    「うん?」
    「……いや、うん。飼ってたんだ」
    「そうか、やはりな」
     それを聞いた晴奈は微笑み、それからイールのいる場所へと向かって行った。
    「んふふ」
     やり取りを聞いていた小鈴が、ニヤニヤしている。
    「あの子はかーわいいの、大好きだから。
     さ、それじゃ世界情勢について、講義のお時間ね」
    「よろしく、コスズさん」
    白猫夢・黒々抄 5
    »»  2012.11.24.
    麒麟を巡る話、第147話。
    幾星霜を越えて。

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    6.
     晴奈たちと出会ったランドとイールはしばらく、彼女らと同行していた。
     ジーン王国に逗留しイールの回復に努めた後、晴奈の故郷である央南へと共に渡り、さらに同時期に起こった事件――いわゆる「ミッドランド異変」にも同行したところで、ランドとイールは二人旅を決意した。
    「丁度いいよ、ここからなら」
    「そうかのう……?」
     ちなみに、すんなり6世紀の言語を習得できたランドに対し、イールは十分には習得できず、中途半端に古臭い話し方の癖が付いてしまっている。
    「時期と言うか、タイミングも、さ。これ以上僕たちがセイナたちと一緒だと、なんか邪魔になりそうだし」
    「ふむ。確かにあの唐変木のトマスも、ようやくセイナに向かい合うようになったからの」
    「それにエルスさんも、コスズさんと何かいい感じっぽくなったみたいだし」
     そんなことを言ったランドに、イールは顔をぷい、と背けて小声でなじる。
    (人の色恋は目ざとい癖に、自分に向けられとる思慕はちいとも分からんのかっ)
    「どしたの?」
    「何でもない。……まあ、お主の言う通りじゃな。
     そうじゃな、元々いつかは旅をしたいと言うておったし、いい頃合いかも知れん。ここからぶらりと行くかの」
    「うん」



     そこを起点として、ネロとジーナは当ての無い旅を続けた。
     政治的結束を失い荒れ行く央北。西大海洋同盟に加盟し、その恩恵を多少なりとも享受した北方。そんな政変とは無関係に、のんびりと時間が過ぎ行く南海。
     そして2年、3年ほど旅を続け、世界中を渡り歩くうちに――ネロが大火の施術により、難訓の呪縛から逃れたためか、それともいい加減、連れ添った時間が功を奏したのか――二人の関係も変わっていった。

    「のう、ネロや」
    「ん?」
     南海のとある小島。
     夕焼けを並んで見つめていたところで、ジーナが話を切り出した。
    「もう随分になるのう」
    「旅が?」
    「それもあるが、わしの言いたいのは、お主と知り合ってからの時間じゃ」
    「はは、200年だとねぇ」
    「茶化すな」
     ジーナはネロの顔をぐい、と引き寄せる。
    「ん……?」
    「もう随分じゃ。随分長く一緒にいたと言うのに、何故お主はわしの気持ちに気付かん?」
    「気持ちって?」
    「……また、これか」
     ジーナは吐き捨てるように、こうつぶやいた。
    「わしはどれほど、お主を好いてきたか。タイカに頼み、共にこの時代まで眠ってきたと言うのに」
    「ああ、それでなんだ」
     あっけらかんとそう返され、ジーナは声を荒げた。
    「『それでなんだ』? その程度だったのか、お主にとっては!」
    「いや、……うーん、何て言ったらいいかな。どうしてもジーナ、君がこの時代にまでも僕と一緒にいてくれたのか、それが分からなかったからね。
     それがはっきりしたんで、まあ、すっきりしたかなって」
    「……もうええわい」
     ジーナの目から、ぽろっと涙がこぼれる。
    「お主は一生、わしの気持ちに気付かんのじゃ」
    「いや、そうでもないよ?」
    「……は?」
     ネロは困った顔を見せ、こう言った。
    「いや、はっきりさせたかったんだよね、そこを。もしもさ、君が望んでも無いのに僕なんかと一緒にいることになっちゃって、それで他に相手もいないから仕方なく僕を、……とかだったら、なんか申し訳ないかなって」
    「……はあ?」
     これを聞いたジーナはいきなり、ネロの口をぐいぐいと引っ張った。
    「いひゃひゃ、いひゃいっへ(痛た、痛いって)」
    「どこまで朴念仁なんじゃ、お主は~! これだけ長くいて、何故そんな考えに至るか!
     そんなもの、好きで無ければやるわけが無かろうが!」
    「ごへん、いひゃ、ほんほうひ(ごめん、いや、本当に)」
    「……まったく!」
     ジーナはネロから手を放し、ぷい、と顔を背けて、こうつぶやいた。
    「……好きなのはずっとお主だけじゃ。……お主は好いてくれるか、わしを?」
    「あー、と」
     この期に及んで、ネロはまだしどろもどろに理屈を練る。
    「いや、まあ、うん、好意を向けられて悪い気は全然しないよ。確かに僕も君なら不足は無いなとは思うよ、いや、それ以上かな、君以外はちょっと考えられないし、うん。
     でもさ、今の僕は大臣でも何でもない、ただの政治オタクの旅人でしかないし、君に釣り合うかどうかって考えたら……」「やかましい」
     ジーナはくるりと顔を向け、ネロの口を自分の口で塞いだ。
    「むぐぐっ」
     口を放し、ジーナは強い口調でこう言った。
    「単純に言え。一言でじゃ」
    「……じゃあ」
    「じゃあはいらん」
    「うん」
    「うんじゃなくて」
    「はい」
    「もっといい言葉があるじゃろうが」
    「……好きだよ」
    「ようし」

     その日のうちに、ネロとジーナはその小島で結婚した。
    白猫夢・黒々抄 6
    »»  2012.11.25.

    麒麟の話、第3話。
    100年の計画。

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    3.
     ボクには目標がある。
     その目標のためには、どんな苦労も厭わないし、どんな犠牲も払うつもり、……だった。

     ところが残念ながら、その目標を達成しようとした矢先に、タイカさんに邪魔されてしまった。勿論タイカさんだってタイカさんなりの考えがあったんだろうけど、そんなコト、ボクに関係あるか? いや、無いね。あってたまるもんか。
     ともかくボクの試みは一度、ソレで潰されてしまった。流石に犠牲がボク自身じゃ、ソレは御免こうむりたいし。
     ソレにどうも、ボクが自分から出張ると、すぐタイカさんにバレちゃうみたいでね。そうなるとまた、封印だ何だってコトになりかねない。
     だから回りくどく、密かに、そして周到に計画を練り、こっそりと実行していく必要があった。ボクらしくない。めんどくさい。本当にめんどくさい。



     ま、そんなワケで。
     以来はタイカさんにバレないように、こっそりやってきたんだ。主に、夢を使ってね。
     ボクは色んな人の夢に出て、色んな指示を出した。ほとんどの人は夢のコトなんか覚えてないけど、でもデジャヴ(既視感:初見の出来事に対し、以前にそれを体験したように錯覚すること)みたいな感じで「あれっ?」と思ってくれる、ソレだけで随分未来は変わるもんさ。

     実例を挙げよう。とある英雄の話だ。彼は覚えていないようだったけど、夢の中でボクにこう言われたのさ。「明日の朝に訪ねてくる、水色の着物を着た猫獣人の姉妹のお願いに、全部『はい』と答えるんだ」って。
     ソレがどう言う効果を生んだか? なんと彼は、その姉妹のお願いを聞いた結果、世界で最も偉い人物になってしまった。今現在、世界最大の政治組織となっている、「西大海洋同盟」の初代総長にね。
     ヒマがあったら調べてみるといい。それが誰なのか。あと、そのお願いをした姉妹とかも、ね。きっとビックリするんじゃないかな。く、ふふっ。

     万事そうやってこっそりと口出しして、ボクは狙った未来へと、世界をちょこちょこと軌道修正させ続けてきた。
     ソレはとても骨の折れる、面倒極まりない作業の連続だったけど、まだ到底、目標を達成するに至らない。どれほどイライラさせられてきたか!
     ボクが自分でやれば10年で終わるような話を、100年も200年もかけてやって、まだ5%も達成できないなんて! ああ、めんどくさい! 面倒極まりないよ!



     その上、一つの問題が発生した。
     こないだの戦争――タイカさんがまさかの敗北を喫したあの戦争で、ボクの体が封印されてるのとは別の「システム」が、緊急停止したコトだ。
     ボクの時と同様、アイツは「システム」から解き放たれた。しかも最悪なコトに、心も体も、その身全てが解放された状態で。
     さらになお悪いコトに、どうやら「システム」なり何なり、タイカさん関係に深く関わったヤツはみんな、ボクの干渉を受けなくなっている。どうもタイカさんが、何かしらのプロテクトをかけてるみたいだ。まったく、あの人はボクの邪魔ばかりしてくれる!

     とにかく、放っておけばきっとアイツは、ボクの目標実現にとって非常に面倒な存在になるだろう。
     アイツの実力は、黒白戦争の時によく見ている。アイツは無理だ、不可能だと――このボクも含めて――思われてたコトをやってのけた。もしあのまま、タイカさんに封印されずにいたら、アイツは簡単に、世界の王になっていただろう。
     そのまま放っておけばどうなる? ……答えは簡単だ、再びヤツの、ナンクンの操り人形になって、ソレで今の世界は終わる。そしてまた、あの、混沌たる世界に逆戻りだ。そうなればボクの目標達成は、また100年も200年も、あるいは1000年も先に延びることになるだろう。

     アイツは仕留めなければならない。
     だからボクの手先、ボクが育て上げ、導いてきた「天使」を、アイツを狙うように差し向けた。



     さあ――アイツを仕留めるんだ、シュウヤ。

    白猫夢・麒麟抄 3

    2012.10.01.[Edit]
    麒麟の話、第3話。100年の計画。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ボクには目標がある。 その目標のためには、どんな苦労も厭わないし、どんな犠牲も払うつもり、……だった。 ところが残念ながら、その目標を達成しようとした矢先に、タイカさんに邪魔されてしまった。勿論タイカさんだってタイカさんなりの考えがあったんだろうけど、そんなコト、ボクに関係あるか? いや、無いね。あってたまるもんか。 とも...

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    麒麟を巡る話、第99話。
    ならず者一味の捕物と、傾きつつある敵国。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     西方南部を騒がせた、あの皇帝亡命事件から3ヶ月が経ち、厳しかった冬もようやく、寒さが和らぐ頃に差し掛かった。

    「『マチェレ王国、トッドレール一味に懸賞金。総額7千万キュー』、……か」
     西方で最も忙しい男、プラティノアール王国宰相ネロ・ハーミット卿は、ようやく取れた一日だけの休みを、自分の屋敷で紅茶と新聞を楽しみつつ過ごしていた。
    「思ったより対応が遅いように思えるが、卿」
     と、その背後から声がかけられる。声をかけてきたのは、現在ハーミット卿の屋敷にて保護および監視をされている敵国グリスロージュ皇帝、フィッボ・モダスである。
    「仕方のないことです」
     ハーミット卿は新聞を四つに折り畳み、フィッボに顔を向ける。
    「向こうでも国家威信をかけた、相当な大捕物となったようですからね。ここに来てようやく、自分たちの国からも逃亡せしめたことを認めざるを得なくなったのでしょう。
     しかしまあ、向こうの捜査当局も最大限の働きを見せたようです。一味のナンバー2で、仕事の斡旋と管理を担当していたオーガスト・ラピニエル氏をはじめとして、30名近くを拿捕したそうですから。……ははは、これをご覧ください」
    「うん?」
    「そのラピニエル氏ですが、ここ、このコラムにこれまでの行状が載せられてますね。
     なんでも代々大酒飲みの家系で、彼自身もなんと8歳の頃からずっと酒を飲み続け、ワインを切らした日は無かったそうですよ」
    「それはすごいな。相当の酒豪と言うわけか」
     3ヶ月が経ち、元々から柔和で温厚なフィッボと、気さくなハーミット卿との仲は、非常に良好なものとなっていた。
    「今は独房に送られ、そこでようやく30年分の酔いが醒めたとか」
    「ははは……、30年は長いな」
    「そうですね、確かに長い。人が生まれてからようやく、ひとかどの人物になるくらいの時間です。
     そう考えれば――こんな言い方はそのラピニエル氏には失礼でしょうが、その30年はまるで無為なものとなっただろうと、私にはそう思われてなりませんね」
    「ふむ?」
    「今回の事件に至って、彼はすべてを失ったわけですからね。それまでに何を築いていようと、その一件ですべてが無かったことになるわけですから。
     トッドレール氏にしても同様です。今回の事件で、『パスポーター』として集めていた名声をすべて失った。今や彼は、ただのならず者に過ぎません」
    「なるほど」
     ハーミット卿は肩をすくめつつ、紅茶を一口飲み込む。
    「やはり人の道を外れれば、それなりの罰を負うと言うことでしょう。
     あの件に関しても、彼には相応の報いを受けていただきたいところですね」
    「うん? ……それはもしかして、私の国の、参謀のことだろうか」
    「ええ。陛下からのお話や、各地から寄せられた報告を総合するに、今現在に置いても相当の非道を働いているそうですからね。
     先月にも陛下を奪還しようと、ローバーウォード西で武力衝突がありました」
    「そうだったな……」
    「あれはひどいものです。特に、徴兵された者たちの扱いは」
    「と言うと?」
     ハーミット卿は深いため息と共に、その状況をかいつまんで説明した。
    「戦術、戦法は無いに等しく、武器の扱いもままならない。それ以前に半数が、衝突寸前に逃げ出していた。
     これらの事実から帰納的に考えるに、そこに投入された者たちは恐らく数日前まで戦争とはまるで関わりなく暮らしていた一般人、ただの平民でしょうね」
    「なに……!?」
    「どうやらまともな戦力がほとんどない状態にあるようです。
     帝国の政府高官や将軍らも、陛下の身柄がこちらにあると分かって以降の3ヶ月で、大量に亡命して来られましたからね。
     残るは国境を越える手段も資金も有していない、貧困にあえぐ層だけと言うわけです」
    「なんと……」
     フィッボは頭を抱え、ハーミット卿の向かい側の椅子に座る。
    「それほどまでに悪化しているのか」
    「ええ。あまり芳しくない、いや、はっきり言えば最悪に近い、無政府も同然の状態です。
     とは言え、我々もただただ手をこまねいていたわけではありません。この3ヶ月で、ようやくこの状況を打破できる手段を講じることができました」
    「それは一体……?」
    「残念ながら」
     ハーミット卿は新聞を傍らに置き、碁石と碁盤を取りに立ち上がる。
    「本日はたまの休暇でしてね。詳しい話は公務中にさせていただきたいのですが」
    「……そうだな。焦っても解決にはつながらない。努めて冷静に対処するべき件だ。
     だが卿よ、すまないが私は『それ』の相手にはならないよ」
    「おや?」
    「卿は強すぎる。私が相手ではどうにもならない。私の腕は、ようやくシュウヤ君と互角に打てるくらいにしか上達していないのだ」
    「それは残念」
     ハーミット卿は苦笑して返したが、碁盤はそのまま卓上へと持って来る。
    「では今日は、詰碁の研究でもすることにしましょう。もしもお相手していただけるのであれば、すぐにでも応対しますので」
    「……ああ、うん」

    白猫夢・曇春抄 1

    2012.10.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第99話。ならず者一味の捕物と、傾きつつある敵国。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 西方南部を騒がせた、あの皇帝亡命事件から3ヶ月が経ち、厳しかった冬もようやく、寒さが和らぐ頃に差し掛かった。「『マチェレ王国、トッドレール一味に懸賞金。総額7千万キュー』、……か」 西方で最も忙しい男、プラティノアール王国宰相ネロ・ハーミット卿は、ようやく取れた一日だけの休みを、自分の屋敷で紅...

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    麒麟を巡る話、第100話。
    秋也の家庭事情。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「へっくしゅん!」
     一方――王国首都、シルバーレイク市街地。
    「風邪引いた?」
    「ああ、いや、なんかムズっと来ただけ」
     秋也はベルと共に、街へ遊びに出ていた。
    「うわさでもされたかな」
    「うわさ?」
    「オレの故郷じゃ、誰かがうわさしてると、そのうわさされたヤツがくしゃみするって言われてるんだ」
    「へぇー」
     他愛もない話を交わしながら、二人は街を歩いている。この3ヶ月の間、秋也はそんな風に、どこかぼんやりと、そして平和に過ごしていた。
     リスト寄宿舎で訓練がある時は精力的に参加し、無ければ寄宿舎の訓練生たちと遊ぶか、ハーミット邸でフィッボやハーミット卿を相手に囲碁を打ちに行くか、もしくはハーミット邸から離れ、居を移したロガン卿父娘とサンデルのところへ機嫌を伺うか――一言で括れば、極めてのんきな生活を送っていた。
    「オレの故郷って言えば、今くらいだともう春っぽくなってくる頃なんだよな」
    「そなの?」
    「央南は四季が1年の間でほとんど均等、3ヶ月ずつくらいに分かれてる感じなんだよ。大体12月から2月くらいが冬で」
    「いいなぁー。こっち、9月の終わりから4月に入るくらいまで、すっごく寒いもん」
    「あー、だから防寒グッズが一杯あるんだな」
     秋也はチラ、と店に並ぶ商品に目を向ける。そこにはマフラーや手袋、兎獣人用の耳袋、尾袋が整然と並んでいるのが見えた。
    「でも、ほとんど『兎』用だな」
    「そーそー、『猫』用ってあんまりないんだよね。だからこれ、自分で作ってるの」
     そう言ってベルは、自分の耳当てを指差す。
    「へぇ……、可愛いな」
    「でしょ? お気に入りなんだ」
     屈託なく微笑むベルに、秋也も笑顔になる。
    「ああ、似合ってるな」
    「うふふっ。……シュウヤくんのは、なんかボロだね」
     言われて秋也は、自分のマフラーを手に取る。
    「……確かに、結構使い込んでんなぁ」
    「もしかして、お母さんに編んでもらったの?」
    「いや……、母さんはあんまりそう言うの、得意じゃなくって。コレは母さんの友達の、橘って人にもらったんだ」
    「へぇー」
    「その橘さんと母さんと、母さんの師匠――オレにとっては大先生になるんだけど――はずっと昔から仲が良くて、今でも色々連絡したり、一緒にお茶したりしてるんだ。
     もしかしたらその橘さんとこの子と、オレの兄貴が結婚するかもって話もあるんだ、実は」
    「そうなんだ。あれ、って言うかシュウヤくん、お兄さんいたの?」
     目を丸くするベルに、秋也は詳しく答える。
    「ああ、春司って言って、オレと双子なんだ。でもオレとは違って父さん似で、今は政治家秘書みたいなのを、父さんのところでやってる。どっちとも、もう何年も会ってないな」
    「何年も?」
    「父さん、メチャクチャ忙しい人だから。ほとんど家では見たコト無いんだ。兄貴もここ5年か6年くらい、顔見てない」
    「うちのパパみたいだね。他には兄弟、いるの?」
    「ああ、後は月乃って妹が一人。でもこいつとも、あんまり仲良くないんだ」
    「……変なこと聞いちゃった?」
     しょんぼりした顔になったベルに、秋也はぶんぶんと首を横に振る。
    「い、いや、そんなコトないって」
    「あ、だからなんだ」
     と、ベルは急に表情を明るく変える。
    「シュウヤくんの話、お母さんのことばっかりなのって、だからなんだね」
    「え?」
    「お父さんともお兄さんとも、妹さんとも仲良くないから、……だからなのかなって」
    「……そうかもな。言われてみれば、そうだよな」
     今度は秋也の方が気落ちする。それを察したらしく、ベルがぎゅっと、秋也の手を握り締めてきた。
    「あ、じゃあさ、じゃあさ。あたしのこと、妹みたいに思っていいよ?」
    「ぅへ?」
     妙な声がのどから漏れ、またベルは笑い出す。
    「あはは……、変な声」
    「はは、……は」
     秋也は照れくさくなり、慌ててベルから手を放す。
    「そんな風に言われるの、悪くないな」
    「変な声が?」
    「違う違う、妹みたいに、ってヤツ。ホントの妹とすげー仲悪いから、なんか、そんな風に言ってくれるヤツがいると、すごくうれしいなって」
     はにかむ秋也に、ベルはいたずらっぽい笑顔を向けた。
    「じゃ、お兄ちゃん。かわいい妹に、さ。何か美味しいもの、おごって?」
    「ははは……、仕方ねーなー」
     秋也は自分の顔が勝手に緩んでいくのを感じながら、周りに出店や喫茶店などが無いか見渡した。

    「……っ!」
     そして秋也は視界の端に、顔の大部分をマフラーと帽子とで覆い隠した兎獣人らしき背丈の男が、こちらをじっと見ているのを捉えた。
     それは紛れもなく、皇帝亡命事件の首謀者――「パスポーター(何でも屋)」アルト・トッドレールその人だった。

    白猫夢・曇春抄 2

    2012.10.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第100話。秋也の家庭事情。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「へっくしゅん!」 一方――王国首都、シルバーレイク市街地。「風邪引いた?」「ああ、いや、なんかムズっと来ただけ」 秋也はベルと共に、街へ遊びに出ていた。「うわさでもされたかな」「うわさ?」「オレの故郷じゃ、誰かがうわさしてると、そのうわさされたヤツがくしゃみするって言われてるんだ」「へぇー」 他愛もない話を交わしなが...

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    麒麟を巡る話、第101話。
    パスポーター、再び。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「これはこれは、ゼェ、シュウヤのお坊ちゃん、ゼェ」
     3か月ぶりに遭遇したアルトの声色には、怪我と捜査を受け、さらに指名手配されたこととで相当の疲労を負った様子が聞いて取れた。
     そして首に受けた傷は未だ治っていないらしく、その引きつった声の端々に、気味の悪い風音が混じっている。
    「アルト、お前……!」
    「俺が、ゼェ、死ぬ思いで西方中を、ゼェ、逃げ回ってた時に、ゼェ、お前さんは女と楽しくイチャイチャ、ゼェ、やってるってわけか」
    「……そんなんじゃねーよ」
     秋也はそっと、ベルの前に立って彼女を護ろうとする。しかしベルはそれをかわし、秋也の横に立つ。
    「大丈夫だよ、あたしも兵士、……見習いだから」
    「けっ。ゼェ、何が兵士だ、戦争の『せ』の字も知らなさそうな、ゼェ、のんきな顔してやがるくせに。
     まあいい、ゼェ、用があるのはシュウヤ、ゼェ、お前さんの方だ」
     アルトは歩み寄り、秋也のすぐ前にまで迫る。
    「……ッ」
     秋也は腰に佩いた刀を抜こうとしたが、アルトはニヤニヤと笑ってそれを止める。
    「ゼェ、お前さん、相変わらずのアホか? こんな人ごみの中でナガモノ振り回そうなんざ、ゼェ、どっちが悪者になるか、分からないと見えるな」
    「チッ……」
     なじられたものの、確かにアルトの言う通りではある。
     続いてアルトは、ベルにも目を向ける。
    「そっちのお嬢ちゃんも、ゼェ、その可愛らしいコートの下に提げてる銃なんか、ゼェ、取り出そうなんて思うなよ?」
    「……!」
    「恐らく持ってるのは王国制式採用小型拳銃、ゼェ、『エルミットMk.6 ミリタリー』だろうが、その銃に装填されてるだろう、ゼェ、6ミリ真鍮被覆弾の威力なら、ゼェ、俺を貫通して向こう側まですっ飛んじまうぜ?
     まさかお嬢ちゃん、敵兵士と犯罪者と、善良な一般市民との区別が、ゼェ、付かないわけじゃねーよな? それともチンピラ一人片付けるために、『多少の犠牲』はやむを得ないってか?」
    「う……」
     二人を牽制したところで、アルトは目をニヤッと歪ませた。
    「こないだは邪魔されちまったが、ゼェ、もう一度俺たちは、フィッボ・モダス帝を狙うつもりだ」
    「何だと!?」
    「既にどこにいるか、ゼェ、調べも付いてる。お前さんが最近、ゼェ、ハーミット卿の囲碁相手になってるってこともな。
     だから伝えといてくれや、ゼェ、……俺たちがハーミット邸を襲撃するってな」
    「……」
     秋也もベルも、この恐るべき予告に顔を蒼ざめさせる。
    「そ、そんなことさせない!」
     ベルは辛うじて口を開き、吠えかかるが、アルトは意に介していないらしい。
    「てめーに何ができるってんだ、ゼェ、空き缶や人形相手に鉄砲遊びしてるだけの小娘が」
    「……ッ」
     ベルを罵倒され、秋也は憤った。
    「アルト……!」
    「あ?」
    「襲って来てみろよ。返り討ちにしてやる」
     そう言って秋也は、ベルの手を取った。
    「こいつと二人でなッ……!」
    「へっ、笑わせるぜ」
     アルトはくる、と背を向け、そのまま離れていった。



     秋也とベルからの報告を受け、ハーミット卿は苦い顔を返した。
    「僕の家を襲う、か。つくづくマチェレ王国で逮捕されなかったことが悔やまれるな」
    「どうしよう、パパ?」
     不安げな表情を浮かべた娘に尋ねられ、ハーミット卿はこう返す。
    「執るべき対策は3つだ。1つ目は警察庁に連絡し、首都圏内にトッドレール一味が潜伏していることを伝える。
     2つ目は首都・北部方面司令のバーレットさんに連絡し、首都内の警備を最大限に強化してもらう。一味の無法ぶりは西方中でニュースになってるからね、すぐに手配してくれるだろう。
     3つ目はモダス陛下の警護体制の強化だ。バーレットさんと、他の司令のチェスターさんとザウエルさんからも、兵士を貸してもらおう」
    「そんなことできるの?」
     そう尋ねられるが、ハーミット卿はこんな風にうそぶいて見せる。
    「ああ。僕が頼めば、今日中に2分隊ずつは寄越してくれるさ。それだけいれば、野盗の襲撃に不覚を取るようなことは無いだろう。
     それよりベル。君はもう、寄宿舎に戻った方がいい。いつ襲撃されるか分からないからね」
     そう諭されたが、ベルは首を横に振る。
    「ううん、あたしも戦う」
    「それは駄目だ」
    「だって、あたしだって訓練受けてるもん」
    「訓練中だからこそ、だよ。生兵法は怪我の元だ。君をむざむざ危険に晒したくはない」
    「だったら、オレも一緒にいます!」
     思わず、秋也はそう叫んでいた。
     しかし、これを受けてもハーミット卿は、依然として応じない。
    「確かにシュウヤ君、君がいてくれれば心強い。元から君には頼もうと思っていた。
     でも娘を危険に晒したくない。これは分かってもらわなきゃ困るよ」
    「お願い」
     と、ベルが深々と頭を下げ、頼み込む。
    「あいつは家を襲うって言ったのよ。あたしたちの家をよ? あたしが生まれ育った家、絶対、壊されたくないの」
    「……ベル、聞き分けてくれないかい?」
    「無理」
     頑なな態度を執る娘に、ようやく卿は折れた。
    「分かった。じゃあ、君はシュウヤ君と一緒に、モダス陛下の身辺警護に回ってくれ」
    「ありがと、パパ!」
     ベルはぎゅっと卿に抱き着き、頬にキスをする。
    「……」
     その間ずっと、卿は顔をしかめていた。

    白猫夢・曇春抄 3

    2012.10.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第101話。パスポーター、再び。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「これはこれは、ゼェ、シュウヤのお坊ちゃん、ゼェ」 3か月ぶりに遭遇したアルトの声色には、怪我と捜査を受け、さらに指名手配されたこととで相当の疲労を負った様子が聞いて取れた。 そして首に受けた傷は未だ治っていないらしく、その引きつった声の端々に、気味の悪い風音が混じっている。「アルト、お前……!」「俺が、ゼェ、死ぬ...

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    麒麟を巡る話、第102話。
    アルトの過去。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ハーミット卿がうそぶいていた通り、その日のうちに、ハーミット邸は武装した兵士で固められた。
    「これで容易に襲撃されることは無くなった。とは言え油断はできないけどね」
    「そうっスか? コレだけ固めてるのに?」
     あちこちで立番する兵士を三階の窓から見下ろしながら、ハーミット卿は不安点を述べる。
    「トッドレール一味はマチェレ王国での執拗な捜査網をかいくぐり、この国まで侵入してきた事実がある。よって、潜入スキルは非常に高いものと想定できる。
     対するこちらは、確かに攻撃にも防衛にも長けた人材はずらりと揃っている。しかし敵国兵士は今まで何人も相手にしてきた彼らも、今回の相手はそれとは全然違う。一見取るに足らない野盗たちだけど、前述した点での懸念がある。
     彼らの油断と相まって、突破される可能性は決して0とは言えないよ」
    「そんなもんスかね……?」
    「事実、君はトッドレール氏と共に、僕らの警備網を突破したじゃないか」
    「あ、そっか」
     頭をポリポリとかく秋也に、ハーミット卿はクスっと笑って返した。
    「本当に君は純真と言うか、単純と言うか」
    「あはは……」
    「でもそれくらいの方がいいよ。人生を楽しく生きたければ、ね。
     生きていれば嫌なことは多くあるけど、それに囚われてしまうと、途端につまらなく、苦しいものになってしまうものだ。多少は忘れる度量と懐の深さと、割り切り方がないと」
     ハーミット卿は肩をすくめ、こう続ける。
    「今回のトッドレール氏は、相当楽しくない人生を送ってきたようだし、これからもずっと、送り続けることになるだろう。
     この前の事件で彼を目にしたけど、彼は何と言うか、飢えているような雰囲気があった。名声や富や、慕ってくれる人なんかを渇望している感じだった。彼の人生は、彼にとってはものすごく、何もかもが足りないものと、そう感じていたんだろうね」
    「あー……、そっか」
     それを聞いて、秋也の中で一つの合点が行った。
    「うん?」
    「あいつ、フィッボさんにこれでもかってくらい難癖付けてたんです。
     ソレって多分、今ハーミットさんが言ってたみたいに、フィッボさんのコトが妬ましくてたまらなかったんだろうなって」
    「ふむ。確かにその要因は小さいものではないだろう。
     だけど彼にはモダス陛下を憎むべき、もっと大きな要因があるんだ」
    「え?」
     ハーミット卿は黒眼鏡を外し、袖で拭きながらこう話す。
    「皇帝亡命事件の直後、僕は彼の逮捕のため、情報をいくつか集めていたんだ。それで分かったんだが、彼は14年前までロージュマーブル王国に住んでいたらしい」
    「え、じゃあ」
    「そう、故郷を滅ぼされたんだ。帝国の手によってね」
    「……!」
    「当時の彼は12歳。モダス陛下には相当な恨みを抱いただろう。それこそ、その心の奥底に刻み付けられるくらいに」
    「で、でも」
     秋也は複雑な思いを抱えつつ、反論する。
    「その戦争ってフィッボさんの参謀だった、クサーラ卿が主導したんでしょう?」
    「対内的にはその通りだ。しかし対外的には結局『皇帝が起こした戦争』であり、責任を負い、恨みを買うのは参謀ではなく、国家元首たる皇帝になる」
    「……ずるいっスね、ソレ」
     秋也は言いようのない嫌な感情を、アロイスに対して抱く。
    「口と手を勝手に出しといて、責任は他人に被せて、自分だけは平気な顔、ってワケっスか」
     ハーミット卿は黒眼鏡をかけ直し、こう返した。
    「そうだね、まったくその通りだ。僕は彼を許す気には、到底なれない。卑劣漢であるし、非人道的過ぎるし、利己的過ぎる。彼の存在自体が異様に歪んでいると言っていい。
     彼をそのまま放っておくことはこの国、いや、この世界全体にとって大きなマイナスにしかならないだろうね」
     そこでハーミット卿はくる、と扉の方に顔を向けた。
    「ジーナ、今開けるよ。じっとしていて」
     ハーミット卿は扉に歩み寄り、それを開けた。
    「すまんのう、お前様や」
     ひどく古風な言葉遣いと共に、深い緑色の髪の、黒い毛並みの猫獣人の女性が、紅茶の乗ったトレーを持って入ってきた。
    「あ、ども。お邪魔してます」
     秋也はその女性――ハーミット卿の妻、ジーナ・ルーカスにぺこりと頭を下げた。

    白猫夢・曇春抄 4

    2012.10.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第102話。アルトの過去。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ハーミット卿がうそぶいていた通り、その日のうちに、ハーミット邸は武装した兵士で固められた。「これで容易に襲撃されることは無くなった。とは言え油断はできないけどね」「そうっスか? コレだけ固めてるのに?」 あちこちで立番する兵士を三階の窓から見下ろしながら、ハーミット卿は不安点を述べる。「トッドレール一味はマチェレ王国...

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    麒麟を巡る話、第103話。
    ハーミット夫妻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     以前にベルが言っていた通り、確かに彼女は母親、ジーナに良く似ている。
     ベルより髪の緑色が深いことと瞳の色――これもベルが言っていたが、ほとんど失明しているらしい――を除けば、外見上はほとんど見分けが付かない。
    (何て言うか、ベルちゃんが今のまんま歳取ったら、そのままジーナさんになりそうって感じだよな)
     そんなことを何となく考えているところに、ジーナが声をかけてくる。
    「シュウヤ君は、お茶で良かったかの?」
    「はい、いただきます」
     ジーナから紅茶を受け取り、秋也はもう一度ぺこっと頭を下げる。
    「ありがとうございます、ジーナさん」
    「よい、よい」
     ハーミット卿を初めて見た際には――青年期が長いと言われている長耳のせいか、それとも始終飄々と振る舞う人柄のせいか――とても年頃の娘がいるような年齢には見えなかったが、ジーナの方はそれなりに歳を取って見える。
     それを踏まえても、彼女の言葉遣いは桁違いに古臭く感じた。
    「お前様や、この物々しい空気はいつまで続くのかの?」
    「そうだね、早くて5日、長くても1週間ってとこかな」
    「ほう。何故に?」
    「トッドレール氏はいつ襲うか、指定してなかったそうだ。
     彼の性格と行状はシュウヤ君やモダス陛下などから聞いてるけど、彼は変に律儀なところがある。そんな彼が『うちを襲う』とわざわざ宣言しておいて、なのにいつ襲うかは言わなかった。
     それは恐らく、あえて言わなかったものだと思われる」
    「あえて?」
    「いつでも迎え撃てるよう、こうして早々に警備体制を敷いたけど、襲ってこない限りはずっとこの状況が続く。となると緊張感の低下や疲労が、そう時間がかからないうちに――恐らく3日か、4日かくらいで――起こるだろう。
     氏の狙いは恐らくそこにある。緊張が薄れ、本当に襲ってくるのか怪しく感じ始め、ついつい気を抜いてしまいがちになる、そんな瞬間を狙って、強襲するつもりなんだろう。
     とは言え、それが10日にも20日にもなることはない。長引けば長引くほど、首都警備網は堅牢性を増す。のんびりできる状況じゃなくなってくるし、相手も手早く終わらせたいはずだ」
    「なるほどのう。じゃが、気になることが一つある」
    「と言うと?」
     秋也は夫妻の会話をすぐ横で聞いていたが、それは仲睦まじい男女の、と言うよりはむしろ、軍の士官同士が職場で意見交換をしているように感じられた。
    (夫婦って言うより、何て言うか、同僚みたいな感じなんだよな。元々がそうだったのかも知れないな)
    「わざわざ予告した意図が読めぬ。追われる身なのじゃ、密かに乗り込めば良いものを、何故に予告したのか、とな」
    「その疑問は確かにある。しかし残念ながら、まだ納得の行く回答は用意できてないな」
    「陽動とは考えられぬか? ここに兵を集めておいて、別の場所を襲うとか」
    「その線は薄いよ。氏の目的がモダス陛下であることは、昨年末の事件で分かっている。その目的である人物がここにあり、居ると言う調べも付いていると言っていたのに、いたずらに他を襲うような理由は無いさ。
     それにうちには6分隊分の兵士がいるけど、他の重要拠点にはその十数倍から百倍は、兵士ないし官吏が詰めてる。陽動作戦として一ヶ所に兵士を集めさせるって言うなら、もっと他の手段を使うさ」
    「さもなくば、お前様をここに閉じ込めておくのが狙いか」
    「なるほど。でもそうだとした場合、彼が僕を閉じ込めて、彼の利益にどうつながるのかが分からない。いや、それはモダス陛下を拉致しようとするのも同じことか。
     結局、彼が万難を忍んでまで、執拗に陛下を付け狙うに値する理由は、まだ見つかってないんだよね。シュウヤ君、君の意見はどうかな?」
    「え?」
     急に話を振られ、秋也はまごつく。
    「どうって、うーん、例えば?」
    「彼と1ヶ月、共に過ごした君なら、彼の思考なり何なりから逆算して、彼がやりそうなこと、何か思い付くかなって」
    「うーん……、そう言われても、特には……」
    「そっか。まあ、そのうち何かピンと来たら、いつでも教えてくれ」
     彼は一旦言葉を切り、妻が持って来た紅茶を口に運ぶ。
    「話は変わるけど、シュウヤ君」
    「はい?」
    「娘とは仲良くしてくれてるみたいだけど、変なことはしてないよね?」
    「は、はぁ?」
     次の瞬間、ジーナは持っていた銀製のトレーで、ぱこん、とハーミット卿の頭を軽く叩いた。
    「何を聞いておるんじゃ、お前様は!」
    「あいてて」
    「すまぬのう、シュウヤ君。こやつは頭こそ明晰じゃし政治にも長けておる英才じゃが、細かな人間関係の礼儀、礼節を分かっておらん朴念仁でな」
    「いえ、そんな。あの、普通に友達として付き合ってるだけですから」
    「そうか。下衆な勘繰りなどして、大変すまぬことをしたのう」
    「あ、はい、ども」
     秋也はしどろもどろな返答をしつつ、確かにこの二人は夫婦であると納得した。

    白猫夢・曇春抄 5

    2012.10.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第103話。ハーミット夫妻。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 以前にベルが言っていた通り、確かに彼女は母親、ジーナに良く似ている。 ベルより髪の緑色が深いことと瞳の色――これもベルが言っていたが、ほとんど失明しているらしい――を除けば、外見上はほとんど見分けが付かない。(何て言うか、ベルちゃんが今のまんま歳取ったら、そのままジーナさんになりそうって感じだよな) そんなことを何とな...

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    麒麟を巡る話、第104話。
    プレゼンテーションの意義。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「あはは……」
     ハーミット夫妻の様子を秋也から伝え聞いたベルは、ころころと笑って返した。
    「何だかんだでパパ、心配してるんだね」
    「まあ、そりゃそうだろ。屋敷に残るって言った時も、いい顔してなかったし」
    「そだね。でもあんまり、話とかできないから。君がお兄さんとかお父さんとあんまり会えないって言ってた、そんな感じみたいに」
    「あー、そっか。だよな、オレも卿と会ったの、去年の暮れから今までで5回か6回くらいかだし」
     指折り数える秋也を見て、ベルはクスッと笑う。
    「ねえ、もしかしてシュウヤくんって」
    「え?」
    「考えたり計算したりするの、苦手?」
    「ああ、実を言うとあんまり。なんで?」
    「それ」
     ベルは半分開いた秋也の手に、自分の手を乗せる。
    「あ、うん、……だよな、こんなのコドモだよな」
    「結構多いよ? マーニュ大尉も囲碁教えてもらってた時、顔真っ赤にして数えてた」
    「う、うーん……。あの人とソコで比較されてもなぁ」
    「あたしは好きだけどな。そーゆーコドモっぽいの」
     ベルは秋也の手を握ったまま、ニコニコ笑っている。
    「子供の時からさ、パパ関係で大臣さんとか将軍さんとか、アタマいいけどしかめっ面ばっかりしてる人たちに会ってるから、そーゆー人苦手なんだ、あたし。
     それよりもすっきり、さっぱりした分かりやすい人の方がいいし、あたしもそーゆー風に将来なれたらなって思って。だから自分から、リスト司令の寄宿舎に入りたいって、パパたちにお願いしたの」
    「そうなんだ」
    「銃を撃つのも性に合ってたし、体動かすのも好きだし。このまま士官になれたらなって。
     ……ねえ、シュウヤくんは将来、何になりたいの?」
    「オレ? オレは……」
     秋也は腰に佩いている刀をトンと叩き、こう返す。
    「剣士になりたいなって思ってる。でもなぁ……」
    「でも?」
    「この国でもそうだけど、今じゃ戦争って言ったら銃を使うもんだろ? 剣士になっても、その先仕事口も活躍の場も無くなって、どうしようもなくなるんじゃないかって思うと、どうしても何て言うか、二の足踏んじゃうって言うか」
    「ふーん……」
     ベルは一瞬、困った顔を見せたが、すぐにころっと表情を変える。
    「ねえ、知ってる? この国、今シュウヤくんが言ってた通り、戦争にいっぱい銃を使ってるけど、そうなったのってどのくらい前の話だと思う?」
    「え? んー、銃が本格的に使われたのって、確か日上戦争辺りからだって聞いたから……、20年くらい前かな」
    「はずれー」
     ベルはにこっと笑って、答えを述べた。
    「正解は7、8年前くらいから。チェスター司令が招聘(しょうへい)された2、3年後からなんだよ」
    「8年前? じゃあ、帝国と戦争し始めた辺りじゃ、まだ使ってなかったってコトか?」
    「そーゆーこと。
     司令が王国の将軍として招かれた時、実は銃の有用性ってあんまり、この国の人はピンと来てなかったらしいの。接近戦なら剣や槍を、遠くを攻撃するなら弓や魔術を使えばいいんじゃ、って感じで。
     でも司令は『剣も魔術も相当の訓練を積まなきゃ軍用レベルに達しないけど、銃ならその5分の1、10分の1程度の訓練期間で、同等の効果を発揮できる』って説得して、採用させたの。
     この国の兵士が銃を持つようになったのは、司令の説得があったからなんだよ?」
    「そうだったのか……」
    「だからさ、シュウヤくん」
     ベルは秋也から手を放して軽く上半身を屈ませ、上目遣いになってこう続けた。
    「価値や効果があっても、それを知らなきゃただの金属の筒だけど、『使える』って主張して、実際に証拠を見せてくれた人がいたから、あたしたちは銃を使うようになったんだよ。
     それと同じで、シュウヤくんが『自分の剣には価値がある』って主張して、その証拠を見せれば、きっと誰かが認めてくれると、あたしは思う。
     主張もしないで、証拠も見せないうちから『使えない』って自分勝手に諦めちゃうの、良くないと思うんだ」
    「……そうだな」
    「あたしは応援するよ。シュウヤくんがすっごい剣士になって、大活躍できるように」
    「ありがとう、ベルちゃん」
     秋也は顔が赤くなるのを感じつつ、ベルに礼を言った。

    白猫夢・曇春抄 6

    2012.10.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第104話。プレゼンテーションの意義。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「あはは……」 ハーミット夫妻の様子を秋也から伝え聞いたベルは、ころころと笑って返した。「何だかんだでパパ、心配してるんだね」「まあ、そりゃそうだろ。屋敷に残るって言った時も、いい顔してなかったし」「そだね。でもあんまり、話とかできないから。君がお兄さんとかお父さんとあんまり会えないって言ってた、そんな感じみ...

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    麒麟を巡る話、第105話。
    冷酷な白猫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     アルトの襲撃予告から3日、4日と経ち、卿が危惧していた通り、ハーミット邸の警備陣からわずかながらではあるが、緊張の糸が緩む兆候が出始めていた。
    「ふあ、あ……」
    「ヒマですねー」
     小銃を背負い、立番していた兵士たちから、欠伸とダレた声が漏れてくる。
    「本当に来るんですかねー」
    「情報提供元は確かとは聞いてるが……」
    「つっても、卿の娘さんと、……えーと、なんでしたっけ」
    「コウとか言う、央南の剣士だそうだ。『パスポーター』と直に会って話を聞いたそうだ」
    「それなんですけど、例えばウソみたいなもんじゃないのかなって」
    「と言うと?」
    「話の聞き間違いとか、聞いたのは確かだけど『パスポーター』がウソを吹き込んだとか」
    「無くはないが……」
     と、そこへ警備の陣頭指揮を執っていたリスト司令の「一番弟子」、アルピナ・レデル少佐が通りかかる。
    「その点の心配は不要よ。わたしが保証するわ」
    「あ、はい」
    「だから気を抜かず、警備に徹していてちょうだい」
    「失礼しました!」
     慌てて敬礼した兵士たちに軽く敬礼を返してその場を去りつつ、アルピナは彼らに見えないようにため息をついた。
    (卿が言っていた通りね。そろそろ集中力が落ち込んでくる頃。
     これが軍事行動だったら警備陣の入れ替えをして、陣中の気合いを入れ直すところだけど、宰相の屋敷が狙われているとは言え、みんなが言うように確実な情報とは言い切れないし、流石にそこまで本腰を入れ切れないわよね。
     ……いけない、いけない。わたしも気が緩んでるみたいね)

     そしてこの緩んだ空気に、のんきな秋也も勿論、あてられていた。
     フィッボのいる部屋の隣にある談話室にて休憩している最中、秋也は2日前にベルから言われた言葉を思い出していた。
    (『自分の価値を自分で諦めちゃダメ』、かあ~……)
     思い出す度に、秋也の顔はにへらと緩む。その顔に、緊張の色は無い。
    (いいコト言うなぁ、ベルちゃん。そうだよな、まだ誰もオレを否定なんかしてないんだから、オレが諦めちゃおかしいよな。
     よし、ココで一発、いいトコ見せて……)
     と、一人で意気込んでいたところに――。
    《じゃあ、ボクの話を聞いた方がいいんじゃないか?》
    「……!」
     気が付くと秋也は、あの白猫といつも会う、夢の世界の中にいた。
     そして正面には、にやにやと笑う白猫の姿がある。
    《もうそろそろ踏ん切りは付いただろ? さあ、答えを聞こうじゃないか》
    「……っ」
    《この3ヶ月、キミはちゃんと考えてくれてたかな? ボクから指示されたコトを、守るか、守らないかを。
     ずいぶん待たされたんだ、ソレなりにまともな答えは出ただろ?》
     白猫の責めるような目ににらまれ、秋也は口ごもる。
    「ソレ、は、……その」
    《まさかまだ、決めかねてるなんてコトは言わないよな?》
     す、と白猫が一歩近付く。
    「いや、その……」
    《キミは名を世界に轟かせたいんだろ? 称賛を浴びたいんだろ? セイナみたいな英雄、凄腕の剣士になりたいんだろ?
     だったらボクの指示を受けるべきだ。ソレとも陳腐な倫理観や安っぽい常識に邪魔されて、人を殺すなんて大それたコトできないとか、いかにも脳みその薄っぺらな、バカみたいな答えを出すつもりか?
     やれよ、シュウヤ。ボクの指示通りにアイツを殺せば、後は全部うまく行くよう、ボクが便宜してやるんだぜ? アイツを殺したって誰からも恨まれないし、誰からも責められない。ソレどころか、3年後、5年後にはキミは英雄となり、誰もがこの事件のコトを、諸手を挙げて正当化するだろう。
     こんなうまい話なんて、滅多にあるもんじゃない。ちょっと勇気を出せば、ソレで終わりだ。さあ、どうだいシュウヤ? やる気になったかい?
     ソレとも……》
     白猫は秋也のすぐ目の前にまで近寄り、彼の胸倉をぐい、とつかんだ。
    《キミはどうしようもないグズなのか?》
    「なっ……」
     あからさまに罵られ、秋也の頭に血が上る。
    《殺人の一つもできない腰抜けか? 手を汚す度量もないボンクラか? ソレとも違うって言うのか? ちゃんとやれると、そう言えるか?
     言えるって言うなら、証明してみせろよ。ブッ殺すんだ、あの大嘘吐きの長耳野郎をな!》
    「……なんでだよ」
     辛うじて、秋也はその一言をのどから絞り出す。
    《まだ分かんないのか? ボクがなんでキミの質問に一々バカ丁寧に答える必要がある?》
    「……だったら、お前がやれよ」
     秋也は心に湧き上がってきた激情を、白猫からの挑発に乗る形ではなく、白猫に真っ向から反発する形で吐き出した。

    白猫夢・曇春抄 7

    2012.10.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第105話。冷酷な白猫。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. アルトの襲撃予告から3日、4日と経ち、卿が危惧していた通り、ハーミット邸の警備陣からわずかながらではあるが、緊張の糸が緩む兆候が出始めていた。「ふあ、あ……」「ヒマですねー」 小銃を背負い、立番していた兵士たちから、欠伸とダレた声が漏れてくる。「本当に来るんですかねー」「情報提供元は確かとは聞いてるが……」「つっても、卿の...

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    麒麟を巡る話、第106話。
    憤慨する秋也。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    《あ?》
    「お前がやれって、そう言ったんだ! そんな下衆な命令、誰が聞いてやるかッ!」
     秋也は白猫の手を振り払い、叫ぶ。
    「何の恨みがあって、卿を殺せなんて言うんだ!?
     あんないい人が、そしてあんないい政治家が、他にあるか!? あの人がこの国に来て、どれだけの人が幸せになったか知ってるのか!?
     ベルちゃんから、……人から聞いた話だけどさ、卿が大臣になる前は、ココも西の2国と変わらない、戦争ばっかりの荒れた土地だったらしいんだ。
     あの人はソレを根本から変えて、今もより良くしようと頑張ってる! そんなすごい人を、どうしてお前は殺せなんて!?」
    《はっ》
     憤る秋也に対し、白猫は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
    《ソレがどうした? そんな目くらましで、アイツがいい人に見えるのか? とことんまでバカだな、キミは》
    「なに……!?」
    《アイツは結局、自分の立身出世のために動いてるだけさ。分かりやすい実績を挙げて、自分はすごい人間だと周りに認めさせたいだけ。
     そうして万人から認められたら、アイツはきっと図に乗って、その国を乗っ取る。そしてより権力を強めようと、きっと戦争を起こすだろう。
     結局、あのボンクラ皇帝やアルの鉄クズ野郎と一緒さ! ボクはその芽を摘もうとしてるんだ。そんなコトも分からないのか?》
    「分かるワケあるかよ……! 分かりたくもねえッ!」
     秋也はなおも憤り、叫ぶ。
    「ソレも予知だって言うのか? 絶対に起こる未来だと、そう言うのか!?」
    《いいや、コレはまだ予測の域さ。でもきっと起こるだろう。アイツはそう言うヤツなんだ。過去にも世界を一度、手にしかけた。だが幸い、タイカさんがその芽を摘んだ。
     だから今回もボクが摘んでやるのさ。ヤツの薄汚い企みの芽を、ね》
    「んなワケあるかよッ!」
     白猫の言葉に、秋也はさらに怒りを燃え上がらせる。
    「お前の言ってるコトは全部、自分の勝手な思い込みじゃねえかッ! そんなもん、『あの花は枯れて腐って毒を出すかも知れないから』ってつぼみを引きちぎるような話だろうが!?
     お前こそバカなんじゃねーのか!? 自分勝手にぎゃーぎゃーわめきやがって!」
    《わめいてるのはキミだよ、シュウヤ。キミは分かってない、分かってないんだ。アイツの危険性を。
     まあいい。どの道、決断の時はすぐだ》
    「……? どう言う……」
    《キミが目を覚ましてすぐ、アルトたちが侵入する。その時がチャンスだ。
     キミはその直後、アイツと鉢合わせする。騒ぎの最中で、周りには人がいない。アイツと二人っきりになるタイミングが、1分ほどある。そのタイミングなら、殺してもアルトのせいにできる。最大のチャンスなんだ。
     その間に殺せ》



    「……!」
     談話室のソファでうたた寝していた秋也は、目を覚ました。
    「……チッ……」
     ぽた、と床に汗が落ちる。まだ寒さの残るこの時期に、びっしょりと寝汗をかいていた。
    「……すぐ? 今すぐに?」
     白猫に言われたことを反芻し、秋也は立ち上がる。
     その瞬間――破裂音が轟き渡り、秋也の後方に並んでいた窓と言う窓が、一斉にビリビリと震えた。
    「!?」
     秋也は慌てて窓から庭を見下ろし、様子を確かめる。
    「爆発……!?」
     庭から黒い煙が上がり、その周辺には兵士が何名か倒れている。
    「くそっ、マジかよ!?」
     フィッボを護るため、秋也は窓から離れ、談話室を飛び出そうとする。
     と――先程まで秋也がいたその窓を破り、黒いマスクを被った兎獣人が侵入してきた。
    「……ッ!」
     しかし床に着地する寸前、秋也は敵の左頬に拳をめり込ませる。
    「ぐえ……っ」
     兎獣人は床を転がり、ピクリとも動かなくなる。
    「侵入……、上と正面からか!?」
     刀を抜き、警戒するが、窓からは誰も入って来ない。
     と――談話室の扉が開き、誰かが入ってくる。
    「シュウヤ君!」
     入ってきたのは、ハーミット卿だった。
    「きょ、……う」
     彼を目にした瞬間、秋也の脳裏に白猫の言葉がよみがえった。

    ――キミはハーミットと鉢合わせする。その時がチャンスだ。その間に殺せ――

    「とうとう来たらしい! シュウヤ君、すぐ応援に……」
     ハーミット卿の言葉が、とてつもなく遠くに感じられた。

    白猫夢・曇春抄 終

    白猫夢・曇春抄 8

    2012.10.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第106話。憤慨する秋也。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.《あ?》「お前がやれって、そう言ったんだ! そんな下衆な命令、誰が聞いてやるかッ!」 秋也は白猫の手を振り払い、叫ぶ。「何の恨みがあって、卿を殺せなんて言うんだ!? あんないい人が、そしてあんないい政治家が、他にあるか!? あの人がこの国に来て、どれだけの人が幸せになったか知ってるのか!? ベルちゃんから、……人から聞い...

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    麒麟を巡る話、第107話。
    興国の立役者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     これは秋也が、ベルから又聞きした話だが――ハーミット卿が宰相になる前、プラティノアール王国の高官、閣僚たちの多くはやはり、こぞってこの人事に反対したそうだ。
     元より異邦人を毛嫌いする傾向の強い西方人であるし、そうでなくとも、政治家としての必要条件のいくつかを満たしていない――王国に何らかのコネクションや政治基盤、権力を一切持たない人間がいきなり国政のトップに収まるなど、誰も認めたがらないのは当然と言えた。
     しかしそれでも、王国に対し何のコネも権力も持たない、異邦人の卿が宰相として認められたのは、反対派がずらりと並んだ議事堂で、前宰相と国王とを背にした彼が熱心に、雄弁に、そして真摯に皆を説き伏せたからだと言う。
     その際に卿がどんなことを述べたかはベルも詳しくは知らないが、この演説によって卿は反対派を沈黙させ、その半数以上を賛成派に転じさせることに成功したのだと言う。
     そして宰相就任が認められた際にも、卿は皆を前にしてもう一度演説を行い、その結びにこう宣言したそうだ。

    「確約いたします。私の知恵と経験、知識、手腕があれば四半世紀後、この国は山に囲まれ矮小な戦争を重ねるばかりの小国から、世界へ広く門戸を開放し、そして世界の国々と対等に渡り合える、素晴らしい強国になると。
     そして重ねて確約いたします。さらにそこから四半世紀後には、この国は世界を動かすほどの大国に成長していることを」



     卿が宣言した通り、就任してから20年近くが経った現在、王国は驚くほどの成長を遂げた。
     かつて銃の存在も知らず、前世紀からの、古式めいた白兵戦に終始していた軍は今や、世界最高水準とも言える軍備を備えるに至った。
     移動手段においても、世界を置いてけぼりにするほどの進化を見せた。馬車をはるかに凌駕する速度を誇るガソリンエンジン車や蒸気機関車の開発に成功し、それに合わせて近代的な交通網も整備され始めている。
     その他、食糧事情も、経済規模も、20年前とは比べ物にならないほどの、飛躍的発展を遂げた。
     ネロ・ハーミット卿は確かにその宣言通りに、王国を「素晴らしい国」へと変えて見せたのだ。



     偉業を成し遂げ、そしてこれからさらに、王国を飛躍・発展させていく力を確かに持つこの偉人を前に、秋也は硬直していた。
    「シュウヤ君? どうかしたのかい?」
     秋也の挙動を訝しんだらしく、卿が声をかける。
    「……そ、……その、……いや」
    「うん?」
    「……っ」
     この時秋也の心の中は、激しく、目まぐるしく揺れ動いていた。
    (白猫に言われた通り、この人を殺さなきゃいけないのか? それともあんなふざけた預言なんか無視して、さっさと応戦しに行くか?
     ……いや、分かってる。無視すりゃいいんだ。……でも)
     白猫の顔を思い出す度、秋也の体はまるで凍りついたように、小指一本も動かせなくなる。
    (アイツの言う通りにしたら、確かに、アイツの言う通りになった。本当にアイツは、未来が見えるんだろう。なら、アイツの言う通りにし続ければ、オレは本当に、英雄になれる、……かも知れない。
     オレだって、……なりたい。なれるって言うなら、英雄になりたい。でも剣士としての活躍の場がドンドン消えてる今の世の中で、そう簡単に英雄になんて、なれるワケが無い。ソレも、分かってるコトなんだ。
     言う通りにすればきっと、白猫はオレを、英雄にしてくれる)
    「大丈夫かい? 顔色がひどく悪いけど……」
    (でも、だからって人を殺せって言うのか?
     白猫は、この殺人は正当化されると言った。だから卿を殺しても、何の罪も、罰も負わないはずだと。
     でも、そんな理屈じゃないだろっ……!? 人を殺すのが悪いコトじゃないなんて、オレにはどう考えても納得できねーよ!
     そりゃ、場合によっては殺さなきゃ殺されるだとか、殺した方がいいヤツがいるだとか、そんな話もある。あるけど、この場合はそのドレでもないだろ!?
     卿は悪人じゃない。オレにはそう見えない。死んだ方がいい、殺されるべきヤツだなんて白猫は言ってたけど、オレにはそんな風に見えないんだ!)
    「シュウヤ君!」
    「……!」
     きつい口調で呼びかけられ、秋也はようやく反応した。
    「は、はい」
    「どうしたんだ? 顔は真っ青だし、体は震えてるし。まるで何かに怯えているみたいだけど、戦えるかい?」
    「あ、いえ、はい、……!」
     うなずきかけて、秋也はハーミット卿の背後――開け放たれたままのドアから、黒い布で顔を覆った兎獣人がナイフを手に、書斎へ入ってくるのに気付いた。

    白猫夢・賊襲抄 1

    2012.10.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第107話。興国の立役者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. これは秋也が、ベルから又聞きした話だが――ハーミット卿が宰相になる前、プラティノアール王国の高官、閣僚たちの多くはやはり、こぞってこの人事に反対したそうだ。 元より異邦人を毛嫌いする傾向の強い西方人であるし、そうでなくとも、政治家としての必要条件のいくつかを満たしていない――王国に何らかのコネクションや政治基盤、権力を一...

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    麒麟を巡る話、第108話。
    秋也とアルトの対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     その兎獣人はナイフを振り上げ、投げようとする。
    「……危ないッ!」
     秋也はとっさに卿の腕をつかみ、目一杯引っ張った。
    「うわっ!?」
     卿が前のめりに倒れるとほぼ同時に、兎獣人がナイフを投げ付ける。
     しかしナイフは一瞬前まで卿が立っていた場所を飛び、そのまま本棚にがつっ、と音を立てて突き刺さった。
    「な、何やってんだ、シュウヤ!?」
     その兎獣人は驚いた声を出す。その声で、秋也は彼の正体に気が付いた。
    「アルト!? いきなり何を……!」
    「……ゼェ、やかましい! 敵を目にして攻撃しねー、ゼェ、アホがいるかッ!」
     アルトはそう返しつつ、ナイフをもう一本取り出し、ハーミット卿へ襲いかかろうとした。
    「行きがけの駄賃だ、ゼェ、そいつくらいは殺させてもらうぜ!」
    「させるかッ!」
     秋也は――白猫から散々「殺せ」と命じられた――ハーミット卿を護ろうと、アルトの前に立ちはだかった。
    「どけよ、シュウヤ」
    「ざけんな、誰がどくか」
    「どかなきゃ、痛い目見るぜ?」
    「見せてやんのは……」
     秋也は刀を正眼に構え、アルトを牽制する。
    「こっちの方だ!」
     そのまま刀を振り上げ、アルトの頭目がけて振り下ろす。
     しかし間一髪でアルトは後ろへ飛びのき、ナイフを投げ付けてくる。
    「そらよッ」
    「……!」
     刀を振り下ろした直後で、弾くには間に合わない。避けようかと一瞬考えたが、避ければ背後のハーミット卿に直撃する。
    (……や、やるしかねえ!)
     秋也は覚悟を決め、刀から手を放し、飛んでくるナイフに向けて両手を突き出す。
    「だあああッ!」
    「なっ、……ゼッ、ゲホッ、マジかよ!?」
     秋也の両掌の間で、ナイフが止まる。
    「し、白刃取り、せ、せ、成功、っ」
     自分でも成功するとは思わず、秋也はガチガチと歯を鳴らしていた。
    「……チッ」
     アルトは舌打ちし、踵を返す。
    「まっ、待て!」
    「待てって言って、ゼェ、待つアホがどこにいるってんだ!」
     そのままアルトは、書斎を飛び出す。
    「逃がすかッ!」
     秋也は刀を拾い、ハーミット卿を書斎に置いたまま、アルトを追いかけた。

     アルトは廊下を駆け抜け、フィッボがいる部屋の前で立番をしていた兵士たちを投げナイフで軽々と蹴散らし、そのまま彼らの小銃を奪ってドアの錠を撃ち抜く。
     ただの分厚い板と化したドアを蹴破り、アルトは部屋の中へと侵入した。
    「おこんばんは、ゼェ、フィッボ・モダス皇帝陛下殿」
     部屋の中央に佇んでいたフィッボに悪意のふんだんに込もった挨拶をしつつ、アルトは銃のボルトを引く。
    「……」
    「手短に言いますぜ。俺と一緒に来てもらいやしょうか」
    「断ると言ったら?」
    「無理矢理にでも言うことを聞かせるだけでさ」
     アルトはフィッボに小銃を向け、一歩近寄る。
    「さあ、来てもらいやしょうか」
    「できない相談だ」
     フィッボは首を横に振り、アルトの背後を指差した。
    「私の騎士が、それを許すまい」
    「……チッ」
     アルトはぴょんと横に跳び、背後にいた秋也に銃を向ける。
    「アルト、ここまでだ! 大人しく捕まれ!」
    「アホか」
     秋也の呼びかけを、アルトは鼻で笑う。
    「捕まれ、だ? ここで捕まってどうなる? ただのチンピラとして、ゼェ、首をはねられるだけじゃねえか。なんだ、そりゃよ? 俺がそんな死に方で、ゼェ、満足すると思ってんのか?
     俺はまだ死なねえ。まだ誰にも捕まりゃしねえよ。俺の人生は、まだ、ゼェ、……いいとこまで行ってねえんだッ!」
     そう返すなり、アルトは銃の引き金を引く。パン、と乾いた音が部屋に響き渡るが、銃弾の飛んで行った先には既に、秋也の姿は無かった。
    「チッ、すばしっこいな!」
     アルトはもう一度ボルトを引き、次の銃弾を装填する。
    「出てこいや、シュウヤ! こいつを殺しちまってもいいのか!?」
     そう叫び、銃口をフィッボに向けたところで、秋也が背後から現れる。
    「……! いつの間に!?」
     慌てて銃口を秋也へと向け直すが、秋也はそれより早く、刀をアルトではなく、小銃に向けて振り下ろした。
    「……や、べ」
     そう口走ったが、もう遅い。
     引き金を絞るよりわずかに早く、秋也の刀が銃身にめり込み、鉄製の銃身をめき、と潰す。
     わずかではあるが楕円形に曲がったその銃身内を、変形しにくいよう加工された真鍮被覆の硬い銃弾が無理矢理に通過しようとした、その結果――ぼごん、と鈍く重たい破裂音が部屋中に響き渡ると共に小銃は腔発、四散した。
    「ぐはあ……っ」「うわ……っ」
     秋也にも、アルトにも、小銃の破片が襲いかかる。
     しかし間一髪か、秋也は頬や右手、右腕に軽い怪我を負う程度で済んだ。
    「……し、死ぬかと思った」
     一方、アルトはぐったりとしている。
     その右肩にはボルト部分が貫通して突き刺さっており、深手を負ったのは明らかだった。

    白猫夢・賊襲抄 2

    2012.10.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第108話。秋也とアルトの対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. その兎獣人はナイフを振り上げ、投げようとする。「……危ないッ!」 秋也はとっさに卿の腕をつかみ、目一杯引っ張った。「うわっ!?」 卿が前のめりに倒れるとほぼ同時に、兎獣人がナイフを投げ付ける。 しかしナイフは一瞬前まで卿が立っていた場所を飛び、そのまま本棚にがつっ、と音を立てて突き刺さった。「な、何やってんだ、シ...

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    麒麟を巡る話、第109話。
    不可思議な状況。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「大丈夫か、シュウヤ君!?」
    「いてて……、ええ、はい、何とか」
     わずかに刺さった鉄片を抜きながら、秋也は応答する。
    「どうにか、任務成功……、ですかね」
    「そうだな。彼を拿捕すれば、話は終わりだ」
     フィッボはそう言って辺りを見回し、適当な衣類を使ってアルトの手を縛る。
    「手当てもしないと……」
     そうつぶやいた秋也に、フィッボは一瞬きょとんとした顔を見せるが、続いて苦笑する。
    「……優しいな、君は」
    「え?」
    「いや、そうだな。敵とは言え、いたずらに苦しめるようなものでもあるまい。
     しかし……、破片が肩を貫通しているのは、彼にとっては逆に幸いだったな。貫通せず、中途半端に食い込んでいれば、大量に出血していただろう。我々には応急処置しかできないし、そこには極力、触れないようにしておこう」
     そう言いつつ、フィッボはアルトの衣服やマスクを脱がし、他に怪我が無いか確認しようとした。
     ところが――。
    「うん?」「あれ?」
     マスクを脱がせたところで、アルトの髪の色と髪形、そして兎耳の色が、以前とは全く変わっていることに気が付いた。
    「確か以前、彼の耳は茶色だったと記憶していたが……?」
    「ええ、髪も赤かったはずです。ソレにこの色と髪形って、まるで……」
     と、その時だった。
     またも庭の方から、猛烈な炸裂音が轟く。つられて二人は、そちらに顔を向けた。
    「まだ残党が動いているようだな」
    「オレ、行ってきます!」
    「ああ、彼は私に任せて……」
     と、二人がアルトのいた方に視線を戻したところで――アルトが姿を消していることに気付いた。
    「……!」
    「ゼェ、ゼェ……、ここさぁ」
     声のした方を向くと、そこには肩に銃片が突き刺さったまま、額に脂汗を浮かべてニヤニヤと笑う、アルトの姿があった。
    「くそ、まだナイフ持ってたのか?」
    「そう言うこった。まあ、……ゼェ、陛下、あんたを殺せなかったのは残念だが、作戦は概ね成功した。
     これで俺の勝ちだ。すべてがな!」
     そう言ってアルトは窓へと駆け、そのまま破って外へと飛び出した。
    「なっ……」
    「さ、3階だぞココ!?」
     しかし秋也のずれた心配は無用だったらしい。窓枠に鉤爪が引っかかっており、アルトはそれを使って無事に着地していた。
     秋也とフィッボが庭を見下ろしたところで、アルトの声が聞こえる。
    「作戦成功だ! 引き上げるぞ! 集合場所は例の場所だ、急いで向かえッ!」
    「おうっ!」
     アルトが率いてきたならず者たちは、あっと言う間にハーミット邸から逃げ出していった。
    「……どう言うことだ?」
    「作戦成功、……って、何が?」
     秋也とフィッボは互いに顔を見合わせ、呆然としていた。
     と――秋也の耳に、聞きなれた声が届く。
    「嫌っ! やめて、放してっ!」
    「え?」
     その声は庭の方、今まさに逃げ去ろうとする一味らの方から聞こえてくる。
    「ベル!?」
     思わず叫び、秋也は窓から身を乗り出そうとする。
     それと当時に、開け放たれたままのドアから、真っ青な顔をしたハーミット卿と、アルピナが入ってきた。
    「卿! 今、あいつらの方からベルちゃんの声が! まさか……!?」
    「ああ、察しの通りだよ、シュウヤ君。狙いは……、どうやら陛下の身柄や命では無かったようだ。
     ベルが、……さらわれた」
    「何ですって……!?」
     ハーミット卿からそう伝えられ、秋也たちも真っ青になった。

     未だ邸内のあちこちからぶすぶすと黒煙が上がる中、秋也たちは居間に集まり状況の確認を行った。
     そして、依然真っ青な顔色の卿が、それを総括する。
    「モダス陛下については、シュウヤ君が頑張ってくれたおかげで、十分にお守りすることができた。しかし妙なことに、トッドレール氏は陛下を殺害するつもりだったことが判明した。どうやら前回のように、誘拐するつもりではなかったらしい。
     そして今回の騒動を起こした本当の理由は、ベルを誘拐することにあったようだ。今にしてみれば、彼は僕や陛下だけではなく、僕の家族に対しても観察の目を向けていたらしい。でなければ――これはシュウヤ君から聞いたことだけど――彼女がリスト寄宿舎にいたことや、そこでの訓練内容に言及できるはずがないからね。
     誘拐した理由は恐らく、僕の権限を何らかの形で使用しようとしているのだと思う。例えば僕が誘拐され何らかの要求を突き付けたところで、それを融通できる人間がいなきゃ話にならない。
     その点、僕の娘が誘拐され、彼女の身柄の無事を条件に交渉されれば、嫌とは言い切れない。
     もっと早く、気が付くべきだった……!」
     と、ここでフィッボが手を挙げる。
    「しかし気になるのは、アルト君が卿に対し、何を要求するのかだ。
     卿は確かに庶民よりは裕福であるとは言え、金銭が目的であればわざわざ厳重警戒で迎え撃たれるようなところに押し入ったりはしない。
     となればやはり卿が言った通り、何らかの権限を行使させるのが目当てではないかと思うのだが」
    「そうですね、その線が濃厚です。しかし何に対して行使させるつもりなのか、判断材料が無さ過ぎます。
     シュウヤ君、もう一度聞くけど、彼について何か気になった点とか、言動とか、無かったかい?」
     そう問われ、秋也は先程フィッボと確認したことを伝えようとした。
    「えーと……、さっき戦った後にですね、……いや、でも関係ないかな」
    「うん? ……何でもいい、何かの手掛かりになるかも知れない。聞かせてくれ」
    「あのですね、あいつの髪と耳の色が変わってたんです。染めたのかな」
    「色が?」
    「ええ」
     秋也はフィッボの方をチラ、と見て、こう続けた。
    「フィッボさんみたいに、髪は白地にちょっと桃色、耳も同じように、真っ白になってたんです。あ、髪形もそっくりになってました」
    「陛下そっくりに?」
     そう問い返し――直後、ハーミット卿は「あっ!? そうか!」と声を挙げた。

    白猫夢・賊襲抄 3

    2012.10.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第109話。不可思議な状況。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「大丈夫か、シュウヤ君!?」「いてて……、ええ、はい、何とか」 わずかに刺さった鉄片を抜きながら、秋也は応答する。「どうにか、任務成功……、ですかね」「そうだな。彼を拿捕すれば、話は終わりだ」 フィッボはそう言って辺りを見回し、適当な衣類を使ってアルトの手を縛る。「手当てもしないと……」 そうつぶやいた秋也に、フィッボは一...

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    麒麟を巡る話、第110話。
    対帝国用、最大政治戦略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ハーミット卿が何を悟ったのか分からない周囲は、それを尋ねようと口を開きかける。
     だがそれより早く、卿がまくし立てた。
    「チェスター司令下の者は、すぐに一味の行方を追ってくれ! 西部方面に逃げたはずだ!
     バーレット司令下の者、それからシュウヤ君は僕と共に城へ来てくれ! 陛下もお願いします!
     ザウエル司令下の者は閣僚に召集をかけてくれ! 僕が『国家レベルの緊急事態が発生した』と伝えてくれれば動いてくれるはずだ!」
     この言葉に、一同はざわめく。
    「国家レベルの、緊急……?」
    「あんなならず者が?」
     それを受け、卿は短くこう返した。
    「我が国が西方最大の大嘘吐き呼ばわりされ、国際的に孤立するかどうかの瀬戸際なんだ! 可及的速やかに行動してくれ!」
    「は、はいっ!」
     普段目にしないような卿の剣幕に圧され、皆はバタバタと散った。



     一方――アルトたちは強奪した蒸気機関車を駆り、西へと猛進していた。
    「おい、てめえ何しようとしてやがったッ!?」
     その車中で、拘束されて身動きのできないベルの体を触ろうとした手下を、アルトが殴りつけていた。
    「い、いや、その」
     鼻血を流しながら弁解しようとした手下をもう一度殴りつけ、アルトが怒鳴る。
    「何べんも言っただろう、ゼェ、作戦が完璧に成功するまで、こいつにゃ指一本触れんじゃねえッ!」
    「へ、へえ、すいやせん、兄貴」
     すごすごと引き下がった手下を尻目に、アルトはベルの方へ向き直る。
    「そんなわけだ。さらいはしたがよ、ゼェ、当面のあんたの身の安全は、俺が保証するぜ」
    「なら、放しなさいよ!」
     そう怒鳴って返したベルに、アルトはチッチッと舌打ちを返す。
    「そうもいかねーんだ、お嬢ちゃん。あんたの存在は俺たちの計画にとって、ゼェ、かなり重要だからよ。
     お隣の国に到着するまで、黙っててくれると嬉しいんだがねぇ」
    「黙ってろ? いきなり縛られて連れ去られて、黙ってろって言うの!?」
    「無理を承知で言ってるのは十分に分かっちゃいるが、それでもこれは、あんたのためを思って言ってることなんだぜ?
     今は俺が冷静に対処してるからいいが、今のままわめき散らして俺や、ゼェ、俺の手下の機嫌を損ないまくって、その上で俺がもし『うっかり』寝ちまったりしたら、あんたはどうやって自分の身を守る?」
    「う……」
    「そんなわけだからよ、ゼェ、大人しくしててくんな」
    「……」
     ベルが静かになったところで、アルトの方から声をかける。
    「まあ、計画ってのが何なのか、多少は気になってるだろうからよ、ゼェ、ちょっとばかり話してやってもいい。
     あんたもあいつの娘だってんなら、親父さんが今、グリスロージュに対して何をしてるか、ちょっとくらいは聞いてるよな?」
    「ううん、全然。あたしずっと寄宿舎にいたし、家にいてもパパ、囲碁の話しかしないし」
    「ふーん、そうか。まあ、用心深い卿のことだ、うかつに機密をしゃべらねーってことか。
     まあいい、ゼェ、そこから説明してやるか。3ヶ月前、卿は帝国との戦争において最強のカードを手に入れた。何かって言うと、ズバリ帝国のトップ、フィッボ・モダス帝だ。
     そして皇帝を追うようにして、グリスロージュの高官や閣僚、将軍が相次いで亡命してきた。ゼェ、これが両方の国にとってどんな意味を持つか、分かるか?」
    「え? えーと……、王国が困る?」
    「アホ」
     アルトはベルの回答を鼻で笑い、こう続けた。
    「困るどころか、卿にとっちゃこれ以上ない好機だったんだよ。何故なら向こうさんの政治および軍事の中枢にいた奴らが、ゼェ、こぞって王国側に集まってきたわけだからな。
     敵国の大臣も将軍も、さらには主権である皇帝までもが王国に身を寄せてきた。となりゃ、王国内に帝国の亡命政府が樹立できる。言い換えりゃ、ゼェ、現在『グリスロージュ帝国』と名乗ってる隣国には政治的な正当性が無い、王国内に逃げた奴らこそが正当な統治権を持つ政府であると主張できるわけだ。
     つまり、既に空洞化してる帝国に対し、政治的、軍事的にとどめを刺すことができて、ゼェ、さらにそれを全世界から正当視してもらえるチャンスを、卿は得たわけだ」

    白猫夢・賊襲抄 4

    2012.10.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第110話。対帝国用、最大政治戦略。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ハーミット卿が何を悟ったのか分からない周囲は、それを尋ねようと口を開きかける。 だがそれより早く、卿がまくし立てた。「チェスター司令下の者は、すぐに一味の行方を追ってくれ! 西部方面に逃げたはずだ! バーレット司令下の者、それからシュウヤ君は僕と共に城へ来てくれ! 陛下もお願いします! ザウエル司令下の者は...

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    麒麟を巡る話、第111話。
    国を盗む男。

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    5.
    「つまりここで、陛下をはじめとして、現在我が国に亡命している要人の方々を擁立して亡命政府を立て、『グリスロージュはアロイス・クサーラ卿の陰謀によって、その統治権を奪われた』と吹聴すれば、悪者はクサーラ卿ただ一人になる。
     そこで総攻撃を仕掛け、首尾よくクサーラ卿を拿捕なり放逐なりすることができれば、彼はモダス帝を傀儡として操れる立場を、永久に失うことになる。
     例え百回殺しても死なないような悪魔だろうと、『参謀の振りをして王に近付き、その地位を乗っ取ろうとする不埒者』だなんてレッテルを貼られちゃ、今後どこに現れようが、参謀としての活動は到底、できやしないからね。
     ……これが元々、僕が立てた計画だったんだけど」
     プラティノアール王宮、ブローネ城の会議室に集まった秋也とフィッボ、そして司令官3名と閣僚は、依然として顔色の悪いままのハーミット卿から、今回の事件とはまるで関係の無さそうな政治戦略を聞かされ、一様にきょとんとしている。
    「え、と……、卿?」
     手を挙げたリスト司令に、卿は掌を見せて制する。
    「質問は後で。とにかく今回の流れを説明したい。僕自身、今にも叫び出しそうなくらい混乱してるんだ。……いいね?
     それでだ、その計画を実行しようと言う矢先に、この事件だ。この事件におけるトッドレール氏の目的は、モダス陛下の誘拐ではなく、暗殺だった。そしてもう一つ、僕の娘も狙われていて、そしてさらわれた。
     さらにトッドレール氏は、モダス陛下と同じ髪形と毛色になっており、陛下の部屋に押し入ったところで『作戦成功』と言い切り、逃亡した。
     ここから一つの仮説が導き出せる。それは何か?」
     この問いに、王国首都の防衛を任されているバーレット司令が答える。
    「直感的な回答で恐縮だが、モダス陛下に成りすまそうとした、と?」
    「そう。しかしそれは目的ではなく、手段だ。彼がモダス陛下に成りすまし、僕の娘を伴ってどこへ逃亡したか? 恐らくは……」
     と、ここで東部方面の司令官、ザウエルが手を挙げる。
    「マチェレ王国でしょうか? ご令嬢の身柄と引き換えとして卿にマチェレ王国と交渉させ、己の罪を帳消しにしてもらおうとしているのではないでしょうか」
    「それも考えたけど、それだとわざわざ僕の家に押し入って見せたことの説明が付かない。トッドレール氏はリスト寄宿舎や街中で何度も、娘の観察をしていた節がある。たださらおうと言うのなら、そこでさらってしまえば話は早い。
     わざわざモダス陛下と同じ格好をし、わざわざ僕の家に押し入って娘をさらい、そして彼らは西へと逃げた。……だね?」
     この問いに、リスト司令はうなずいた。
    「ええ、仰る通りです。しかも蒸気機関車を使った上に、線路を爆破していました」
    「容易に追えなくしたわけか。やはり向こうも、時間との戦いと考えているのだろうね」
    「と仰ると?」
     尋ねた閣僚に、ハーミット卿はこう答えた。
    「今述べた要素を集約するに、答えは一つだ。
     アルト・トッドレール氏はフィッボ・モダス陛下になるつもりなんだ。皇帝不在の帝国を乗っ取ってね」
    「なっ……!?」
     この答えに一番驚いたのは、他ならぬフィッボだった。
    「馬鹿な! そんな荒唐無稽な話が……!?」
    「ところがある条件を2つ、いや3つか、それを満たすと、事は容易に運ぶのです。
     まず1つ、『皇帝が帝国にいないこと』。暮れに起こった亡命事件は、その布石だったのです」



    「国を逃げ出しがってる王様がいて、しかも側近やら閣僚やらも、逃げ出すような状況だ。
     ここで『俺が代役やってやるよ』と名乗り出りゃ、向こうも歓迎するさ。しかもホンモノの王様が誰なのか、どんな格好してるのか、ゼェ、国民は詳しくまでは知らないし、知ってる側近や閣僚も粗方、国を飛び出しちまってると来た」
     ゲラゲラと笑いながら説明するアルトに、ベルは毒づく。
    「だから皇帝に取って代わろうって言うの? ふざけてる!」
     そう返したベルに、アルトはにやあ、と笑って見せた。
    「時にはおふざけもアリさ。しかも愉快なことに、それで国盗りできちまうんだからな」
    「でも、できるわけないじゃない! 本物のモダス帝は生きてるんでしょ!?」
    「生きてるさ。敵国のど真ん中でな。そしてそれが致命傷になる」
    「え……?」
     合点の行かないベルに、アルトは肩をすくめつつ、説明を続ける。
    「敵が『お前らの王様は俺たちが捕まえた』っつってお前さん、信じるのか? ましてや本国に、王様を名乗るヤツがいるのに?
     数日後に、ゼェ、ハーミット卿は『帝国の亡命政府が王国内に発足した』って声明を出す予定だったのさ。そうすりゃ、帝国に一人残ったクサーラ卿は政治的、国際的に孤立し、ゼェ、帝国でただ一人の悪者になる。
     ところが俺が、それをぶち壊しにする。俺が皇帝に成りすますことでな。となりゃ一転、ハーミット卿は西方一番の大嘘吐きになる。
     お前の親父さんは、ニセ皇帝を仕立て上げててめーの家に囲い込むなんて阿漕な偽装をした、ゼェ、とんでもないゲス野郎として蔑まれるのさ」

    白猫夢・賊襲抄 5

    2012.10.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第111話。国を盗む男。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「つまりここで、陛下をはじめとして、現在我が国に亡命している要人の方々を擁立して亡命政府を立て、『グリスロージュはアロイス・クサーラ卿の陰謀によって、その統治権を奪われた』と吹聴すれば、悪者はクサーラ卿ただ一人になる。 そこで総攻撃を仕掛け、首尾よくクサーラ卿を拿捕なり放逐なりすることができれば、彼はモダス帝を傀儡として...

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    麒麟を巡る話、第112話。
    奪還準備。

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    6.
    「ひどい……!」
     アルトの話に、ベルは蔑んだ目を向ける。
     しかしアルトに、まったく意に介した様子は無い。
    「ひどくて結構。これは子供の道徳授業じゃねえんだ。ど汚い戦争なんだよ。ゼェ、しかもとんでもない利益が絡んでる。
     手ぇ汚すんなら、それくらいは見合うもんがなきゃな」
    「利益って何? お金?」
    「それもある。今度の計画でハーミット卿を撃ち落とせば、これまで経済封鎖でがんじがらめになってた帝国は、その枷から解放される。ゼェ、そうなりゃ10年前みたいに、希少金属の輸出がバンバンできるようになる。売るもんは腐るほど、いや、錆びるほどある。金はたんまり手に入るだろうな。
     だが利益ってのはそれだけじゃない。今のプラティノアールはハーミット卿にべったり依存してると言っても過言じゃない。ゼェ、そこでハーミット卿がガタガタになれば、国は一気に混乱する。そこで皇帝になった俺が、総攻撃を仕掛けて攻め落とすのさ。幻の三国統一、実現させちまえるんだよ。
     権力も金も、国も手に入るんだ。そりゃあ、やるしかないってわけさ」



    「なるほど……、私の不在と、それを喧伝した卿の外交策。確かにこの局面で彼が皇帝に成りすませば、西方の世論は逆転するだろうな。
     しかし、依然として私には荒唐無稽な策としか思えない。アロイスがそんな話に乗るとは、到底思えない」
    「確かにその問題はあります。前例もありませんしね」
    「うん?」
    「いや、なんでも。……しかし、万が一これが成功した場合、我が国は1ヶ月以内に大きく傾くこととなるでしょうね。
     私の命も、あらゆる意味で絶たれるでしょう。それも、もっとも屈辱的な方法で」
    「と言うと?」
     ハーミット卿は首を大きく横に振り、こう答えた。
    「何故、私の娘がさらわれたか? その答えであり、皇帝に取って代わると言う荒唐無稽な作戦の成功要因の、3つ目でもあります。
     トッドレール氏は私に自ら、『皇帝の所在や亡命政府発足はすべて嘘だ』と言わせるつもりなのでしょう。娘の身柄と引き換えにね」
    「汚ねえ……!」
    「卑劣なことを……!」
     フィッボだけでなく、閣僚らも司令たちも、秋也も憤る。
    「確かに卿がそう公言してしまえば、王国の信頼は一挙に損なわれる。西方諸国が一丸となって取り組んできた経済制裁や条約、条項も、すべて破棄されるだろうな。
     それだけの条件が付けば、あのアロイスでもうなずくかも知れん」
    「ええ。故に王国は今、非常に危険な状態にあります。いや、王国だけではない。陛下の御身も、我々の首も。
     そして何より、娘の命もです。仮に彼の要求通りに行動したとして、娘が無事に返ってくる保証はありません。……それを踏まえ冷徹な判断をするならば、娘ごと機関車を襲撃、爆破すれば話は早いのかも知れませんが」
    「そんな……!」
     蒼ざめる秋也に、ハーミット卿も蒼い顔を返す。
    「勿論、そんなことはできない。いくら僕が王国の全責任を負う立場にあるからと言って、そんな非人道的なことはできない。いや、したくない。
     しかし――このままでは王国の破滅です。それを阻止するために採れる策は、2つです。1つは今言ったように、娘を見殺しにして亡命政府発足の声明を先んじて発表し、帝国に牽制をかけるか。
     そしてもう1つは、全力を以てトッドレール氏を追跡し暗殺した後、娘を奪還するか、です」
    「……」
     悲痛な面持ちの卿を前に、一同は静まり返る。
     その沈黙を破ったのは、秋也だった。
    「……オレが助けに行きます」
    「……」
     ところが、この答えに卿は首を横に振った。
    「君は駄目だ」
    「何故です!?」
    「君には疑惑がある。そのためここまで同行してもらった」
     そんな言葉をぶつけられ、秋也は面食らう。
    「疑惑? 疑惑って、一体なんですか?」
    「僕が邸内でトッドレール氏に襲われた際、彼は僕への攻撃を防いだ君に対し、『何やってんだ、シュウヤ!?』と言っていた。この言葉はおかしい。
     何故ならその言葉は、『あらかじめ決められていた筋書きと違う行動をとった人間に対して』かけるようなニュアンスにとれるからだ」
     いつの間にか兵士が2人、秋也の背後に佇んでおり、この瞬間、秋也の両脇をがっしりとつかんで拘束してきた。
    「なっ……!?」
    「そして襲撃のタイミングも、偶然にしてはあまりにも良過ぎる。亡命政府発足案がまとまり、これから声明を出そうと言うこの時期を狙ったかのように、彼らはやって来た。
     僕は話した覚えはないけど、僕の家をしきりに訪ねていた君だ。隙を見て僕の書斎を盗み見るなり何なりして、計画を察知できたんじゃないか?
     そこからこの疑惑が浮かぶ――君はトッドレール氏の一味で、これまでスパイとして潜り込んでいたんじゃないか? とね」

    白猫夢・賊襲抄 6

    2012.10.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第112話。奪還準備。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「ひどい……!」 アルトの話に、ベルは蔑んだ目を向ける。 しかしアルトに、まったく意に介した様子は無い。「ひどくて結構。これは子供の道徳授業じゃねえんだ。ど汚い戦争なんだよ。ゼェ、しかもとんでもない利益が絡んでる。 手ぇ汚すんなら、それくらいは見合うもんがなきゃな」「利益って何? お金?」「それもある。今度の計画でハーミット...

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    麒麟を巡る話、第113話。
    疑われた秋也。

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    7.
    「バカなコト言わないでください! なんでオレが!?」
     思わず、秋也は叫ぶ。
     しかし叫んだ瞬間、両脇の兵士がぎりぎりと肩の関節を極め、秋也を押さえつける。
    「ぐ、あっ」
    「緩めてくれ」
     ハーミット卿がそう命じ、兵士は力を緩める。
    「いてて……」
    「シュウヤ君。この疑惑に対し反論があるのなら、言ってくれ。是非とも君が無実と信じるに足る、合理的な説明をしてくれ」
     そう返されるが、秋也にはまるで見当が付かない。
    「……一つ目の、『何やってんだ』って言うのは分かりません。あいつがオレを見て動転してたのかも知れませんし」
    「ふむ。確かに一理あると言えばある。しかし君が僕の屋敷にいるであろうことは予想できないことではないし、納得はし切れないな。
     じゃあ、彼らの襲撃のタイミングについては?」
    「オレは何も知りません。卿もご存知でしょうけど、オレは卿のお宅へは、囲碁を打ちにしか行ってません。書斎に入ったのも、今日の休憩場所に宛がわれて入った、その一回だけです。重ねて言いますが、オレは何も分からないんです」
    「では、これは偶然であると?」
    「分かりません。そもそもオレは一味でも何でもないんです。あいつには裏切られて殺されかけましたし、今日だって刺されそう、撃たれそうになるし。
     あいつと仲間扱いされるなんて、ソレはオレにとって、大変な侮辱です」
    「……ふむ」
     卿は立ち上がり、背を向ける。
    「確かに仲間と考えれば、それはそれで整合性の合わない点が多く出てくる。
     皇帝亡命事件の際に君は彼と行動したそうだけど、それなら共謀して陛下やロガン卿らを殺害する機会は、いくらでもあったはずだからね。
     今日の件にしても、君はトッドレール氏と二度も対峙し、逃げられはしたが、結果的には怪我を負わせ、撃退した。仮に仲間であるなら、標的と自分たちしかいない状況で、あえて首領を危険に晒すようなことはしないだろう。
     もしかしたらこの一件は君へ余計な嫌疑を負わせ、少しでも時間稼ぎをしようと言うトッドレール氏の策略なのかも知れない。その可能性は確かにある。
     そしてその策に引っかからないようにする最善手は、君をこの件から排除することだ」
     卿は振り返り、秋也を拘束している兵士に命じた。
    「どこでもいい、事件が解決するまで彼を軟禁してくれ」
    「了解しました」
    「待ってください、卿!」
     秋也はなおも弁解しようとしたが、兵士たちは淡々と、彼を会議の場から引きずり出した。

     秋也が退場させられた後、元通り会議が続けられた。
    「線路が破壊されている以上、蒸気機関車を使って追走することは不可能だ。しかし現在軍に配備されているガソリン車では、追いつくのには恐らく3日か4日以上はかかる。
     しかし配備されていないもの、いわゆる試作品に関しては、蒸気機関車に比類する性能を持ったものがあるとは聞いている」
     そこで卿は兵士らに顔を向け、こう命じた。
    「スタッガート博士に連絡を。まだ眠っているとは思うが、緊急事態だからね。何としてでも起こしてくれ」
    「了解しました」
    「それからバーレット司令、リスト司令、ザウエル司令。君たちの管轄の中から、追跡および潜入に長けた精鋭部隊を選抜してくれ。
     本日中にアルト・トッドレール氏の暗殺およびベル・ハーミットの奪還作戦を開始できるよう、今から動いてくれ」
    「了解!」
     司令3人は立ち上がって敬礼し、会議室を後にした。
    「陛下と閣僚諸君は声明発表の準備を。一両日中に済ませてくれ」
    「かしこまりました」
     閣僚も退出し、部屋にはハーミット卿とフィッボだけになる。
    「……卿」
    「なんでしょう」
    「私には、シュウヤ君が怪しいとは思えない」
    「私もそうです」
     卿は机の上で両手を組み、そこに額を付ける。
    「疑わしい点はあります。……ですが確かに、彼の善性は信じて間違い無いとも思っています。
     とは言えこのまま黙認すれば、恐らくここまでの結果は同じでしょうし、かつ、私の手が行き届かなくなってしまいますからね」
    「……どう言う意味だ?」

     秋也は城内の使っていない倉庫へパンと水筒、毛布と共に放り込まれ、そこでじっとうずくまっていた。
    「くそ、なんでだよ」
     まさか卿から疑いをかけられていたとは少しも思っておらず、秋也の受けたショックは相当なものだった。
    (そりゃ、若輩者だし余所者だし、知り合ってからそんなに経ってないしさ、信用されないってのは仕方ないけど、……ソレでもオレは、無実なんだって。
     どうして信じてくれないんだ、卿……!)《だろう?》
     また、頭の中に声が響く。白猫の声だ。
     白猫は秋也を見て、ニヤニヤと嘲笑っていた。

    白猫夢・賊襲抄 7

    2012.10.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第113話。疑われた秋也。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「バカなコト言わないでください! なんでオレが!?」 思わず、秋也は叫ぶ。 しかし叫んだ瞬間、両脇の兵士がぎりぎりと肩の関節を極め、秋也を押さえつける。「ぐ、あっ」「緩めてくれ」 ハーミット卿がそう命じ、兵士は力を緩める。「いてて……」「シュウヤ君。この疑惑に対し反論があるのなら、言ってくれ。是非とも君が無実と信じるに足...

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    麒麟を巡る話、第114話。
    Beat The Oracle!;預言者をブッ飛ばせ!

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     秋也を見下しながら、白猫は耳を塞ぎたくなるような悪口を並べ立てる。
    《言ったじゃないか。アイツは結局、我が身のコトしか考えてない下衆な小物なんだよ。
     見ただろ、アイツのうろたえ様を。自分の権益が損なわれると思って、みっともなくビクついた! その上キミを信じず、しかし処罰する勇気もなく、こうして牢屋じゃなく、小汚い倉庫に放り込んだ!
     コレでもう、ありありと分かったじゃないか! アイツは世のために動いてるんじゃない、自分だけのために動く外道だって!》
     ハーミット卿を口汚く罵る白猫に対し、秋也は何も言わず、じっと構えている。
    「……」
    《ココまでされて、まだアイツを善人だ、聖人君子だなんて思ってるのかい? 思ってたとしたらキミは相当のバカだ! いいやバカどころじゃない、ケモノだ! ご主人サマに散々ブッ叩かれておいて、まだ餌をもらえると期待してハァハァよだれ垂らす、犬や猫と同じだ!
     さあ、ようやく分かっただろ? もうアイツに義理立てなんて、する意味が無い》
    「……」
    《いいかい、コレが最後のチャンスだ。もう少ししたら、兵士がキミの様子を見に来る。そして少ししてから、アイツもやって来る。
     まずは兵士の装備を奪い、そいつを殺せ。それから兵士の格好になってアイツを待ち構え、そして隙を突いて殺すんだ。
     その後のコトは全部、ボクの言う通りにするんだ。そうすればキミは……》「皇帝になれるのか?」《……え?》
     秋也は白猫をキッとにらみ、詰問し返した。
    「おかしいと思ってた。ずっと。アンタの話を聞いてから、ずっとだ。
     今、ピンと来た。アンタ、もしかしたら」《ソレ以上は口を開かない方がいいぜ、シュウヤ》
     白猫は依然ニヤニヤとした笑みを浮かべてはいるが、その左にはまる銀色の目は、ギラギラと悪意に満ちた輝きを放っている。
    《キミはただ、ボクの言うコトに従ってりゃいいんだ。そうすりゃいずれは英雄になる。
     だけど言うコトを聞かなきゃ、大変な目に遭うんだよ》
    「ほーお、そっか。そりゃ、首に穴開けられたりするコトかよ?」
     初めて白猫が動揺するのを察し、秋也は強気に出た。
    《……思ってたほどバカじゃ無かったか。ドコで気付いた?》
    「卿に詰問された時に確信した。確かにオレの聞き間違いじゃなく、アルトは『何やってんだ』って言ってたんだ。
     そりゃ言うよな――アンタから『絶対にシュウヤの助けになるコトだから』とか何とか言われてたんだろうからな」
    《……っ》
    「ところが本人のオレが、その攻撃を阻止した上に、おまけに攻撃まで加えたと来た。そりゃ、『何やってんだ』って言いたくもなるよな。
     となりゃ、アルトが妙にタイミング良く襲撃してきたのもうなずける。いや、それ以前に偶然マチェレ王国を訪れたロガン卿をうまく捕まえて、荷運びの仕事に就くコトができた理由もだ。
     アンタが全部、アルトに吹き込んだんだ。アルトは全部ソレに則って荷運びをし、フィッボさんを連れ出して、そしてオレを置き去りにさせ、皆殺しにしようと……」《ソレは違う! ソレだけはアイツが勝手にやったんだ!》
     白猫は今まで見せたことのない、狼狽した顔になる。
    《アイツはキミのコトを重要視してなかったんだ。むしろ邪魔者の若造と勝手に判断して、あわよくば見殺しにしようとしていた。
     だけどソレに関しては、ボクは止めたんだ。絶対に見捨てたりするなって念を押した。……ソレがあのザマさ。裏切ったアイツは首に穴を開けられて、文字通り息も絶え絶えな状態になった。
     でも、まあ、そのおかげかな。今回は忠実に、ボクの言うコトを聞いてくれた》
    「じゃあ、ベルをさらったのはお前の指示なんだな」
    《さあね、でもどうせあの下衆野郎の娘だし、成長したところで邪魔者になるだけ。なら早めに処分しときゃ……》「ざけんな」
     次の瞬間――秋也は白猫の顔面に、思い切り拳を突き入れていた。
    《ごあ……っ!?》
    「この……ッ、カミサマ気取りのド下衆野郎めッ!
     てめえみたいなクズの言うコトなんか、誰が聞いてやるかああああッ!」



    「……!」
     目を覚ますと、秋也は依然として、あのひなびた倉庫の中にいた。
     がばっと起き上がり、右拳を確認してみると、ジンジンとした痛みと、わずかな血が付いていた。
     それが自分が寝ている間に引っかいたものなのか、それとも夢の中で付いたものかは分からなかったが――秋也は近くにあった毛布でゴシゴシと拳を拭き、そしてこうつぶやいた。
    「……ざまあ見やがれ」
     それと同時に、トントンと扉をノックする音が聞こえてくる。
     白猫が言った通り、兵士は確かにやって来た。

    白猫夢・賊襲抄 終

    白猫夢・賊襲抄 8

    2012.10.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第114話。Beat The Oracle!;預言者をブッ飛ばせ!- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 秋也を見下しながら、白猫は耳を塞ぎたくなるような悪口を並べ立てる。《言ったじゃないか。アイツは結局、我が身のコトしか考えてない下衆な小物なんだよ。 見ただろ、アイツのうろたえ様を。自分の権益が損なわれると思って、みっともなくビクついた! その上キミを信じず、しかし処罰する勇気もなく、こうして牢...

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    麒麟を巡る話、第115話。
    新型車輌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「どう言うわけでこの私を叩き起こしたか、是非とも納得の行く説明をしていただきたいものだな、ハーミット卿」
     現在は夜の3時を回っている。普通の人間であれば、ぐっすり眠っている時間である。
     王立技術研究所、運輸開発局の局長である彼――短耳のカール・スタッガート博士も当然、この時間には夢の中にいたのだが、それを多数の兵士によって無理矢理に、現実の世界に引き戻されたため、あからさまに不機嫌な目をハーミット卿に向けていた。
    「では簡潔に。巷で評判になっているならず者、トッドレール一味が私の屋敷を襲撃し、娘をさらって機関車にて逃亡しました。
     彼は恐らく王国にとって非常に不利益となる内容の要求を送って来るでしょう。そしてそれを拒否できる手段は私にはありません。
     そのため早急に、彼らを追跡できる車が欲しいのですが」
    「なんだ、そんなことでか! 君らも機関車を使えば良かろう!」
    「トッドレール一味が線路を破壊しました。短時間で修復することは不可能です」
    「ふむ、……なるほど」
     依然として不機嫌な顔のまま、スタッガート博士は口ヒゲに手を当て、ぶつぶつとつぶやき始めた。
    「となると君らに貸与しているガソリン車、G50M2では追いつけまい。現在汎用化されている蒸気機関車、S1280T6の25分の1程度の出力しか持たんからな。
     仮に追いつける程度の出力を出そうものなら、即座にエンジンが爆発、炎上するだろう。なら無理だ。諦めるんだな」「何故です?」
     にべもなく追い返そうとした博士に、卿が突っかかる。
    「手段が無ければ諦めますが、あるからこそお願いしているわけです」
    「……2G230E0のことか」
    「それです」
    「君も強情な奴だな」
     博士はさらに苦い顔を返し、こう述べた。
    「確かにあれの性能であれば、S1280T6には2時間、3時間のタイムラグがあろうと、十分に追いつける速度は出せる。
     しかし、あれはまだ実験段階だ。まだ3台しか製造しておらん、研究所の最高機密だぞ」
    「なら走行限界距離の実験をしましょうか。最高速度がどれだけ出るかも併せて見てみましょう」
    「ふざけてもらっては困る、卿。まだそんな段階ではないのだ」
    「ほう」
     と、今度は卿が強気に出る。
    「以前、博士は2G230E0について『最高の発明だ。現時点でも、今すぐに王国を一周できる』と吹聴し、その早期実用化のために、予算増額のお願いをされていたと思いますが」
    「ただ一周するだけなら猿にだってできるわい! 私が言いたいのは、軍の乱暴で粗雑な奴ら共には指一本触れさせたくない、と言うことだ!」
    「その点であれば心配はご無用です。こちらも軍の中で最も優秀な運転ができる者に任せますので」
    「それは誰だ。名を言ってみろ」
     ハーミット卿は手帳をチラ、と見て、名前を挙げる。
    「アルピナ・レデル少佐。ルネ・グレン少佐。パスコ・プロスト中佐。イベル・テリエ中佐。アリゼー・ベルトン中佐。以上の5名を待機させています。
     この5名は研究所にて何度かテスト走行も行っていますから、博士もご存知と思いますが」
    「ふむ、……おい待て、卿。こっちには3台しか無いのだ。5人も来られても困る」
    「おや、貸していただけるのですか?」
    「う、……まあいい、その5人ならよく知っている。しかしだ、3台全部は貸せんぞ。1台だけだ」
    「ありがとうございます」
     ハーミット卿はぺこりと頭を下げ、博士の手をぎゅっと握った。
    「……?」
     ほんの一瞬怪訝な顔をした博士に背を向け、ハーミット卿は周りの兵士らに命じる。
    「運転はテリエ中佐とベルトン中佐にお願いしよう。交代で行うよう伝えてくれ。
     それから精鋭部隊8名と十分な燃料、そして銃器など装備が乗せられるよう、リヤカーを取り付け、および調整しておいてくれ。
     恐らくそろそろ、精鋭部隊の選抜も終わると……」
     言いかけたところで、城からの伝令がやって来るのに気付く。
    「終わったようだ。後は準備の方、よろしく頼む。僕は城に戻って、政治面の準備を進めるから」
     ハーミット卿は急ぎ足で、城の方へと戻っていった。



     研究所の倉庫に向かう途中、スタッガート博士は首を傾げつつ、ハーミット卿から密かに渡されたメモを確認していた。
    (『もう一台 密かに義理の娘君へ貸与されたし 代わりに研究費 前年比12%増を約束する 王室政府総理大臣 N・ハーミット』……、なんだこりゃ)

    白猫夢・追走抄 1

    2012.10.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第115話。新型車輌。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「どう言うわけでこの私を叩き起こしたか、是非とも納得の行く説明をしていただきたいものだな、ハーミット卿」 現在は夜の3時を回っている。普通の人間であれば、ぐっすり眠っている時間である。 王立技術研究所、運輸開発局の局長である彼――短耳のカール・スタッガート博士も当然、この時間には夢の中にいたのだが、それを多数の兵士によって無...

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    麒麟を巡る話、第116話。
    密かな部隊編成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ハーミット卿が城に戻ったところで、司令官3名が揃って敬礼し、出迎えた。
    「精鋭部隊の選抜、完了しました!」
    「ありがとう。こちらも博士に話を付けてきた。まもなくやって来るだろう」
     そう言っている間に、リヤカーを付けた巨大な自動車がドドド……、と重低音を響かせながら向かってきた。
    「車輌準備、完了しました!」
     車に乗ってやって来た士官2名に続き、城内から精鋭部隊も集まってくる。
    「すべて整ったみたいだね。では改めて、今回の作戦について説明する。
     君たち10名はこれより西部方面へ向かい、アルト・トッドレール氏を追ってもらう。トッドレール氏は私の一人娘、ベル・ハーミットを誘拐し、それを元に王室政府に対し、何らかの交渉を行おうとしていると見られる。詳しい内容については言及できないが、この交渉がなされた場合、王国が致命的打撃を受けるのは確実だろう。それを阻止するため、何としてでもトッドレール氏およびその一味を追跡した後暗殺し、そして娘を無事に救出してほしい。
     対象は蒸気機関車を奪って逃走し、かつ、使用した線路を破壊しているため、同型機の機関車で追うことは不可能だ。そのため今回、特別に研究開発中の新型ガソリン車を手配している。博士の計算によれば、この新型機であれば十分追いつけるはずだそうだ。
     なおトッドレール氏は隣国、グリスロージュに向かっていると予想されている。万が一領内に逃げられた場合、追跡は非常に困難になるだろう。しかし現在、状況は非常に切迫しているため、隣国へ入られた場合でも任務を中止せず、引き続き追跡すること。
     以上だ。直ちに任務に就いてくれ」
     説明を受け、兵士たちは車に乗り込む。
     車は闇夜を震わせるような轟音を発し、あっと言う間に走り去って行った。
    「とんでもない爆音ですな。確かに速そうですが……」
    「あのエンジン音じゃ、まともに乗ってられんでしょうな」
    「まだ研究中だしね。あんなの街中で乗ってたらヒンシュクものでしょ」
     のんきなことをつぶやく三司令に、ハーミット卿はぱん、ぱんと手を打って見せる。
    「夜分に済まなかったね、三人とも。とりあえず君たちに現時点でしてもらうことは、全てやってもらった。今日はこれで解散してくれ」
    「はい」
     卿の命令を受け、三人はそれぞれ城から離れ、家路に就こうとする。
     と――卿はリスト司令の腕を静かに取り、小声でこう伝えた。
    「済まないがチェスターさん、もう一仕事頼めるかな」
    「え?」
    「なるべく内密に進めたい件がある。レデル少佐には僕から伝えて、既に動いてもらっている」
    「何をしろ、と?」
    「精鋭部隊を選抜したと思うけど、もう一名追加してほしいんだ」
    「どう言うコトですか?」
    「それは中で話す。来てくれ」

     倉庫内に入ってきた女性を見て、秋也は「あれ」と声を挙げた。
    「アルピナさん?」
    「ええ。ごめんなさいね、こんなところに閉じ込めさせて」
     頭を下げられ、秋也は恐縮する。
    「あ、いや、そんな」
    「卿からの本意を伝えるわ」
    「本意、……って?」
    「あなたに疑いを持っていたことを皆の前で話し、糾弾したのは、他の誰かから疑いをかけられる前に、自分の裁量で処理したかったからだそうよ。今のあなたは誰からもマークされてないわ」
    「はあ……?」
     話の意図がつかめず、秋也はきょとんとするしかない。
    「卿が言うには」
     それを見越して、アルピナが説明を続ける。
    「敵国領内に入り、その地理をある程度は理解している。そして単騎の戦闘力が高く、何よりベルちゃんのために、命を懸けて敵陣へ飛び込んでくれるであろう人材。
     その得難い人材を、他の人間に妙な勘繰りをされて手の届かない場所にやられてしまうよりは、……とのことよ」
    「ソレって、まさかオレのコトっスか?」
    「そうよ?」
    「え、じゃあ、卿はオレのコトを……」
    「敵意があったわけじゃないわ。むしろ、逆ね。
     既に精鋭部隊が向かっているけど、卿としては正規部隊だけではグリスロージュ領内に入られた場合、非常に困難な局面を迎えるだろうと予想したの。
     そこでその万一の場合に備え、敵国領内に侵入するための非正規部隊を編制しようと言うわけ。
     わたしとあなたはそのメンバーに選抜されたのよ。わたしの場合、向こうの地理は分からないけれど、運転手としての腕を買われたのよ」
    「……マジっスか」
    「マジ」
     アルピナはそっと倉庫の扉から周囲を伺い、秋也に手招きする。
    「付いて来て。静かにね」
    「はい」
     秋也はアルピナに案内され、そっと城を抜け、夜道を進む。
     すると間もなく、見覚えのある薬缶刈りの短耳に出くわした。
    「おう、シュウヤ」
    「サンデルさん?」
    「彼も卿に声をかけられたの。さっきの条件に、ほとんど適うから」
    「あ、なるほど。元々向こうの兵士ですし、腕も立ちますもんね」
    「そう言うことだ。それに卿には大恩がある。これくらいの任務を引き受けなくては、恩義が返せんと言うものだ」
    「よろしくお願いします」
    「おう」
     サンデルと合流した秋也たちは、そのまま研究所まで向かった。

    白猫夢・追走抄 2

    2012.10.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第116話。密かな部隊編成。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ハーミット卿が城に戻ったところで、司令官3名が揃って敬礼し、出迎えた。「精鋭部隊の選抜、完了しました!」「ありがとう。こちらも博士に話を付けてきた。まもなくやって来るだろう」 そう言っている間に、リヤカーを付けた巨大な自動車がドドド……、と重低音を響かせながら向かってきた。「車輌準備、完了しました!」 車に乗ってやっ...

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    麒麟を巡る話、第117話。
    アルピナ班、西へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     研究所に着いたところで、秋也たちはむすっとした顔の、中年の短耳――スタッガート博士に出迎えられた。
    「お前らか、図々しい」
    「え?」
    「まったく、研究費12%増では割に合うものか! 15、いや、20%は増やしてもらわんとな! ……まあこんなことをお前らに言ってもどうしようも無かろう。付いてこい」
    「あ、はい」
     博士に案内され、秋也たちは倉庫に向かう。
     そこにはドドド……、と重苦しい音を轟かせる、巨大なガソリン車が納められていた。
    「卿の依頼で貸してはやるが、まだ試作品だ。乱暴に扱うなよ、アルピナ」
    「承知しています。ありがとうございます、博士」
    「ふん。……ああ、それからな」
     博士は車体後方に設置されているリヤカーを指し、こう付け加えた。
    「燃料と弾薬も積んでおいた。それからあれだが」
    「あれ?」
     博士はリヤカーに固定されている、巨大なライフルを指差した。
    「あれも試作品だが、まあそうだな、機関車の車輪をブチ抜くくらいの威力はある。
     ただし反動が並外れてでかいから、いくら固定してるとは言え、無暗やたらに使うとリヤカーが吹っ飛ぶ。気を付けて使え」
    「重ね重ね、ありがとうございます」
    「……内緒だぞ。あれは銃火器開発局のやつで、私の管理物ではないが、お前が来ると聞いたからな。だからこっそり付けてやったんだ。感謝しろよ、アルピナ」
    「うふふ」
     にこりと笑うアルピナに、博士はくる、と背を向けた。
    「私は寝る。後は勝手にやれ。気を付けて向かえよ」
    「はい。……それじゃみんな、乗ってちょうだい」
     車に乗り込み、発進したところで、秋也がそっと尋ねる。
    「博士、アルピナさんを気に入ってるみたいですね」
    「そりゃ、ね。義理の娘だもの」
    「へ?」
     アルピナは左手を挙げ、結婚指輪を秋也に見せる。
    「旦那のお父さんなの」
    「あ……、そうなんスか」
    「そうなの」

     研究所を後にし、三人はもう一度城の方へ向かう。
     と、城門から大分離れた場所で、アルピナが車を停車させる。
    「どしたんスか?」
    「この車、思ったよりうるさいのよね。城まで行ったら、隠密行動にならないわ」
    「確かに。まるで化け物の咆哮だ」
     車には前後にエンジンが搭載されており、一行は絶え間ない爆音に辟易していた。
    「まあ、後一名もすぐ来ると思うけど」
     彼女の言う通り、兵士と思われる黒髪の兎獣人が一名、こちらにやって来る。
    「ここよ。……あら、サンク?」
    「どもー」
     サンクと呼ばれた兵士はにこやかに敬礼し、車に乗り込んだ。
    「うわ、アイドリングしててこの騒々しさ? きっついなぁ」
    「我慢するしかないわね」
    「そうらしい。……おっと、お二人とは初めて会うかな。
     俺はサンク・エール。銃士で、階級は大尉。彼女とは寄宿舎時代からの同期だけど、去年追い越された。と言っても腕は確かだ。よろしく、……えーと」
    「シュウヤ・コウです」
    「サンデル・マーニュだ。階級は貴君と同じである」
    「よろしく、シュウヤ、サンデル」
     サンクはにこにこしながら握手を交わし、背負ってきた小銃を座席に引っかける。
    「じゃあ早速出発だ」
    「リーダーはわたしよ。……コホン、出発するわ」
     アルピナはペダルを踏み込み、車を発進させた。



     一方その頃――アルトたちは機関車を一時停止させていた。
    「なんで止まったの?」
     ベルにそう問われ、アルトは肩をすくめる。
    「理由は2つだ。1つは全速力で機関車を走らせたからな、ゼェ、炉が灼けかけちまってさ。今冷やしてるところだ。
     もう1つは帝国との線路をつなげてる最中だからだ。このまま走らせちまうと、線路からすっぽ抜けちまう」
     そこでアルトはニヤ、と笑う。
    「本来なら今まで走ってきた線路はプラティノアール国内にしか通じてねえんだけれっども、ゼェ、俺たちは密かに線路の資材を奪って、帝国領にまでつなげてたんだ。
     今じゃ向こうの防衛網なんてものは紙みたいなもんでな、ゼェ、ちょっと外れでトントンカンカンやっても気付きやしねえ。
     で、帝国内からこの近くまで引っ張って来たわけだが、ゼェ、流石につなげたままにすると、王国の方に気付かれる恐れがあるからな。
     だから今日までつなげずに置いたわけなんだが……」
     ゼェゼェと引きつった呼吸を置きながら、アルトは饒舌になっている。よほど計画の成功に確信を抱き、歓喜しているらしかった。
    (線路が帝国にまで? じゃあ、向こうまで一気に連れ去られちゃうってこと? そんな……! 嫌だよ、そんなの。
     早く助けに来て、……シュウヤくん)
     ベルは心の中で、秋也に祈った。

    白猫夢・追走抄 3

    2012.10.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第117話。アルピナ班、西へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 研究所に着いたところで、秋也たちはむすっとした顔の、中年の短耳――スタッガート博士に出迎えられた。「お前らか、図々しい」「え?」「まったく、研究費12%増では割に合うものか! 15、いや、20%は増やしてもらわんとな! ……まあこんなことをお前らに言ってもどうしようも無かろう。付いてこい」「あ、はい」 博士に案内され...

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    麒麟を巡る話、第118話。
    先発部隊、追い付くも……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     夜が明ける頃にはグリスロージュ方面への線路の敷設が完了し、アルトは一味に号令をかける。
    「よし、出発だ! グズグズしてんじゃねえぞッ!」
    「おうッ!」
     一味はバタバタと乱暴な足音を立て、機関車に乗り込む。間もなく先頭車両の煙突から煙が上がり、ゆっくりと動き始めた。
    「よし、爆破だ!」
     最後尾の車輌から線路地中へと伸びていた導火線に、一味の一人が火を点ける。
     機関車がその地点から離れて10秒ほど経ったところで、敷設したばかりの線路は爆音と共に、木っ端みじんに吹き飛んだ。
    「これで良し。……ゼェ、後は帝国領までまっしぐらだ」
    「……」
     ニヤニヤと笑っているアルトに対し、ベルは依然として不安げな表情を浮かべていた。

     と――機関車後方から、グオオ……、とまるで怪物の咆哮のような音が近付いてくる。
    「……チッ、意外に早く追い付かれちまったか。手間取ったせいもあるが、……どうやら王国の新型車輌みてーだな。
     まさか機関車に追い付くほどのものがあるとは思ってなかったが、ゼェ、『こんなこともあろうかと』ってやつだな」
     窓の外に身を乗り出し、その音の発生源を確かめたアルトは、手下たちに命じる。
    「後方から敵車輌接近中! 大型のガソリン車だ! あれを持ってこい!」
    「おうッ!」
     ベルはこれから銃撃戦が始まると思い、車輌の壁を確認する。
    「ね、ねえ、ちょっと!?」
    「あ?」
    「客車のこの壁じゃ、弾が貫通するわよ!?」
    「ああ。ま、大丈夫だろ」
    「だ、大丈夫って? どう見ても薄いよ?」
    「相手に撃たせるまでもねー、ってこった」
     話している間に、手下2名が貨物車から何かを担いで戻ってきた。
    「……な、何あれ!?」
    「外国から取り寄せた、『戦術兵器』ってやつさ。
     よーしお前ら、派手にブチかましてやれ!」
    「へへへ……」
     その2名が担いできたのは、まるで馬上槍のような、異様に長く、大口径の銃だった。
    「金火狐の対重装甲用の銃で、なんつったっけな……、確か『アンカースロアー』とか言う名前だったな。
     簡単に言うとだ、ゼェ、鋼板だろうが何だろうが関係無しにブチ抜ける、馬鹿デカい銃だな」
     手下たちは開け放したドアから銃口をだし、そして銃身をがっしりと抱え込んで固定する。
     そして一名がベルの尻尾ほどの太さのある弾を込め、ボルトを引いた。
    「方向良し! 撃てッ!」
     次の瞬間、ドゴンと言う重たい発射音が車内に響き渡り――次いで何かが爆発する音が、機関車のはるか後方から聞こえてくる。
     そして先程まで轟いていたエンジン音は、まったく聞こえなくなった。
    「……ムチャクチャじゃない。あんな……、巨大な銃で」
    「それが戦争って奴さ。下衆、卑劣、汚いは褒め言葉だ」



     それから4時間後――秋也たち一行が、その地点に到達した。
    「こ、……コレは!?」
    「ひどいな……」
     アルピナが車を停め、秋也たちはその現場に近寄る。
    「……アルピナ。これは、間違いないな」
     現場を確認したサンクに、アルピナが同意する。
    「そう、ね。……わたしたちが乗ってきた車と、同じ部品ばかり。後方に積んでいたと思われるエンジンはまだ原型、留めてはいるけど……」
    「もういっこの方は、跡形も無さそうだな。……車体と、乗ってた奴らも」
     現場には車の部品と思われるものが散乱しており、また、乗車していた兵士も、その「欠片」があちこちに飛び散っている。
    「なんと、……なんとむごいことをッ!」
     惨状を目にしたサンデルは、顔を覆って叫ぶ。
    「これが人間の所業か……! 鬼畜としか思えん!」
    「オレも……、同意見です」
     秋也もこのひどい光景を前に、顔を蒼ざめさせることしかできなかった。

     と――誰かが秋也たちの方へ近付いてくる。
    「……生存者か!?」
     サンクが尋ねると、相手はコク、とうなずいた。
    「君たちは、一体……?」
     傷だらけの兵士に尋ねられ、アルピナが答える。
    「救出作戦の後発支援部隊です。……しかし、この様子だと」
    「ああ、部隊は敵の攻撃を受け、全滅した……。
     運転手2名はエンジンの爆発に巻き込まれ、即死だった。リヤカーに乗っていた我々も、猛スピードで車から放り出されて、半分以上が死んだよ……。
     俺と、もう2名は何とか助かったが、足が千切れたり腕が折れたりで、まともに動けるのは俺だけだ」
    「……救援は呼べましたか?」
    「ああ、何とか『頭巾』で呼べた。……だが、作戦続行は不可能だ」
     そこまで答えたところで、兵士はしゃがみ込んだ。
    「何と言うざまだ……! 俺たちがならず者相手に、手も足も出せずにやられるとは!」
    「……後はわたしたちに任せて下さい」
     アルピナは軍帽を脱ぎ、粉々になった車の残骸に向けて敬礼する。
     それを見たサンクも、同じように敬礼する。そしてサンデルと秋也も、彼女らにならって敬礼を向けた。
     10秒か、20秒ほど経ち、アルピナは軍帽を被り直し、全員に声をかける。
    「……行くわよ」
    「はい……!」
     秋也の心にあったアルトに対する怒りの炎は、一層燃え上がっていた。

    白猫夢・追走抄 終

    白猫夢・追走抄 4

    2012.10.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第118話。先発部隊、追い付くも……。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 夜が明ける頃にはグリスロージュ方面への線路の敷設が完了し、アルトは一味に号令をかける。「よし、出発だ! グズグズしてんじゃねえぞッ!」「おうッ!」 一味はバタバタと乱暴な足音を立て、機関車に乗り込む。間もなく先頭車両の煙突から煙が上がり、ゆっくりと動き始めた。「よし、爆破だ!」 最後尾の車輌から線路地中へと...

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    麒麟を巡る話、第119話。
    絶望的状況。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「現場検証の結果、迎撃に使用されたのは特大径のライフル、恐らくジーン王国兵器廠の『R536APX』か、もしくは金火狐商会武器開発部の『アンカースロアーV3』と思われます。
     王立技研より貸与された車輌、2G230E0は正面よりこの大型ライフルに狙撃されたために前部エンジンが破壊され爆発、それにより大破したものと思われます」
    「乗っていた兵士は?」
    「運転席および助手席に乗っていた兵士はエンジンの爆発に巻き込まれ、即死した模様です。
     また、機関車に追い付いていた形跡から推定するに、被弾した時点で少なくとも、時速180キロ以上に達していたと思われます。その速度でリヤカーから投げ出されたため、乗っていた8名中5名が頭や体を強く打つなどして死亡。残る3名も重軽傷を負っており、任務の続行は不可能な状態です」
     報告を聞き、三司令は揃って沈痛な面持ちになる。
    「全滅……、だと」
    「逃走と迎撃の手際の良さ。さらにそんな代物を調達できる人脈と資金」
    「卿の予想通り、単なるならず者などでは無かった、と言うことね」
     三司令のうち、バーレット司令とザウエル司令は顔を見合わせ、今後の対応を相談する。
    「今からもう一度研究所に掛け合って車を調達し、兵士を揃えて再出撃、……は」
    「現実的ではないな。スタッガート博士がこの話を聞けば、恐らく激怒するだろう。よしんばなだめすかして調達できても、今からでは最早、機関車には追い付けまい」
    「……となると敵は既に帝国領にいるものとして対応しなければならなくなるな。実質、敵の陣地に踏み込むことになる」
    「卿は『基本的、原則的に敵陣への進入はするな』と言ってはいたが、……致し方あるまい。あわよくば戦争ではなく、犯罪者追跡として処理されればいいが……」
    「そうは行かんだろうな。帝国は間違いなく侵略行為と見なして逆襲するだろう」
    「何と言うことになったものか……」
     二人が揃って頭を抱えているところに、リスト司令が手を挙げる。
    「卿から極力口外するなと命じられてたんだけど、緊急事態だから打ち明けるわ」
    「何をだ?」
    「既に卿の命令で、後発部隊を送ってるの」
    「何、本当か……!?」
    「と言っても、4人だけど」
    「たった4人!?」
    「4人で何ができるものか!」
     呆れた顔をする二人に、リスト司令も同意する。
    「同感ね。コレだけの悪党が相手だし、期待しない方がいいわ。
     事態はもう、最悪の局面に向かおうとしてる。アタシたちも肚、括らないといけないわね」



     追跡してきた部隊を撃破したアルト一味はそのまますんなりと隣国、グリスロージュ帝国領内に進入し、その勢いのまま帝都まで猛進していた。
    「この辺りはとっくに資源が掘り尽くされてるところばっかりだからな、ゼェ、だーれもいやしねえ。おかげで仕事がスイスイはかどったってもんだ。
     もう、あと2時間か3時間くらいで到着する。そこからが俺の、ゼェ、下克上計画の最終段階突入だ」
     アルトは窓から顔を出し、大声で叫んだ。
    「見ていやがれ、ボンクラどもめッ! ゼェ、俺が、この俺が王者、覇者なんだーッ! ひれ伏せ愚民どもめッ、ぎゃはははははーッ!」
    「ちょ、アルトさん!?」
     流石に手下たちが止めに入ろうとするが、アルトは意に介しない。
    「大丈夫だっつーの、どうせまともに人なんかいやしねーんだし、ゼェ、いたところで機関車の方がよっぽどでかい音出してんだ。何言ったって聞こえやしねーし、そもそも咎められるわけもねえ。
     お前らも好き勝手叫べよ。やりたい放題だぜ、今なら」
    「……なら、ちょっと」
     普段から乱暴なことを好む彼らも、調子に乗り始めた。
    「うおーっ!」
    「俺たちが勝ち組だーっ!」
    「ざまみろ、バーカ!」
    「これで酒も肉も飲み放題、食らいたい放題だー!」
    「金、金、金ー!」
    「……ばっかみたい」
     ベルが呆れ気味につぶやいた言葉も、機関車からの爆音で紛れていた。

    白猫夢・荒野抄 1

    2012.10.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第119話。絶望的状況。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「現場検証の結果、迎撃に使用されたのは特大径のライフル、恐らくジーン王国兵器廠の『R536APX』か、もしくは金火狐商会武器開発部の『アンカースロアーV3』と思われます。 王立技研より貸与された車輌、2G230E0は正面よりこの大型ライフルに狙撃されたために前部エンジンが破壊され爆発、それにより大破したものと思われます」...

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    麒麟を巡る話、第120話。
    皇帝の椅子、引き受け致し候。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     散々好き放題に怒鳴り散らすのにも疲れたところで、アルト一味はようやく帝国首都、カプラスランドに到着した。
    「つくづく思うけれっどもよ、ゼェ、俺たちみてーなならず者がここまで好き勝手に線路敷いといて、だーれも気付かねーんだよな。
     荒れるところまで荒れた、って感じだな」
    「……」
     3ヶ月前まで辛うじて人の往来があったその通りには、今はまったく人影がいない。多少物音はあるため、まだ人がいる様子ではあるが、アルトたちを訝しげに思うだけの余裕は誰にも無さそうだった。
     アルトが言ったように、そこはまさに、荒野も同然の街だった。

    「邪魔するぜぇ」
     城門などで兵士に止められることを想定し、アルトたちは武装していたものの、残っている兵士たちの上層にまともな指揮系統などなく、誰もが棒立ちか座り込むか、あるいは寝転んでいるかと言う有様だった。
     結局ろくなお咎めや制止も無く、アルトたちは玉座まで到着してしまった。
    「お前は?」
     空になった玉座の傍らに佇んでいたアロイスが、アルトに顔を向ける。
    「……確か、アルト・トッドレールだったか?」
     その問いかけに対し、アルトはにやぁ、と笑って見せる。
    「ご明察でございます。しかし10分後には、ゼェ、その名前は捨てておりましょう」
    「何の話だ?」
    「アロイス・クサーラ卿。私めを『フィッボ・モダス』とお呼びになっていただけますでしょうか?」
    「……」
     アロイスはゴツゴツと足音を立て、アルトのすぐ前にまで寄ってきた。
    「何の話をしている? お前がフィッボだと? 違う、お前はトッドレールだ」
    「そうですな。しかし今、そのフィッボ・モダスなる人物はあなたのお側にいらっしゃらない。そうでしょう?」
    「そうだ。それ故現在、帝国の総力を挙げて奪還に……」「おや、あのボンクラに対して総力を、ですか! これはまあ、愚行も甚だしい!」
     アロイスの言葉を遮り、アルトは嘲って見せる。
    「……」
    「あの意気地なし、腰抜けのお飾り皇帝一人奪い返すのに、ゼェ、あなたは『総力を以て』と仰る! 十把一絡げの平民をかき集めて無理矢理に鎧兜を着せてけしかける、あれを、ゼェ、『帝国の総力』ですと!
     いやいやいやいや、まったく、まったくもって! クサーラ卿はご冗談がお好きと見える!」
    「冗談ではない。現時点で投入できる総力を以て攻撃しているのは事実だ」
    「でしょうなあ! しかしクサーラ卿、その総力を以てしての効果・結果は一体、いかほどになるでしょうな?」
     アルトはアロイスに一歩詰めより、馬鹿にした目を向ける。
    「一度でも奪還できると確信が持てたのですか? あの雑兵とも呼べぬ陣営で!」
    「……」
    「お答えいただけませんか。できるなどとは到底、ゼェ、確信できなかったのでしょう? ああ、そうでしょうとも!」
    「……」
    「はっきり申し上げましょう。そんな戦いにかまけるなんてのは、まったくの無為ですぜ。鹿や鴨なんかを射るよりも益体の無い行為だ!」
    「何故そう言える? 奪還のために私は全力を投じて……」「分からんお方ですな!」
     アルトは再度アロイスの返答を遮り、こうまくしたてる。
    「いいですかクサーラ卿、今一度、よくよく、入念に、お考えいただきたい。
     仮に卿の奪還大作戦が成功し、あの臆病者の皇帝を復位させたとして、それでどうなると言うのです? あなたの唱える侵略論に、ゼェ、彼が今更耳を貸すとでも?
     この10年嫌だ嫌だと駄々をこね続けてきて、しかもその念極まり、国を逃げ出しまでしたと言うのに、ここに連れ戻せば大人しく言うことを聞くと、あなたはそう思うのですか?」
    「……」
     ここでアルトは一歩引き、自分の胸板を両掌でバン、と叩いて見せる。
    「そこで私が名乗りを挙げたのですよ、クサーラ卿!
     私めなら、あなたの望むように動いて見せましょう! なぁに、乱暴、揉め事、チャンバラ、荒事、何でもござれ、『パスポーター』と呼ばれたこの私だ! 戦争の10や20、嬉々として進めて見せますぜ! 10年止まっていたあなたの計画は、私を皇帝に立てれば元通り、計画通りに進むんです!
     さらにはここにいる娘、これが何とあの憎き隣国の宰相、ハーミット卿の愛娘! こいつがこちらにいる限り、ハーミット卿は何にも出来ぬ木偶と化す! 今こそ再起、大逆転、西方南部、いやいや西方全土制覇の、未曽有のチャンスなのです!
     さあ、私を『本物のフィッボ・モダス』と認め、それを公布しておくんなさい! そうすりゃ全部、解決しますぜ!? さあ、さあ! さあッ!」
    「戯言をベラベラと並べるな、ならず者風情が。私の目の前から、消えろ」
     余程、アルトの剣呑な振る舞いが癇に障ったのか――アロイスは腕を挙げ、彼に振り下ろそうとした。

    白猫夢・荒野抄 2

    2012.10.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第120話。皇帝の椅子、引き受け致し候。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 散々好き放題に怒鳴り散らすのにも疲れたところで、アルト一味はようやく帝国首都、カプラスランドに到着した。「つくづく思うけれっどもよ、ゼェ、俺たちみてーなならず者がここまで好き勝手に線路敷いといて、だーれも気付かねーんだよな。 荒れるところまで荒れた、って感じだな」「……」 3ヶ月前まで辛うじて人の往来があ...

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    麒麟を巡る話、第121話。
    アルト、御子になる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     と――その振り上げた腕が、途中で止まる。
    「……」
    「……ん、ん? い、如何されました、クサーラ卿?」
     両腕を掲げ、アロイスの攻撃から身を護ろうとしていたアルトは、相手が突然ピクリとも動かなくなったのを確認し、その手を広げる。
    「卿?」
    「……」
     まるで物言わぬ飾り鎧のように静止したアロイスを不気味に感じ、アルトは後ずさる。
    「……了解」
     と、これも突然、アロイスは――何者かに向けるかのように――一言だけ返した。
    「へ?」
     きょとんとするアルトに、アロイスは淡々と返事を返した。
    「こちらの話だ。なるほど、一理ある。確かにフィッボが戻ってきたとて、私の計画はまったく進むことは無いだろう。
     ならばお前の提案に乗ることにしよう。今からお前が、フィッボ・モダスだ」
     そう言ってアロイスは、アルトに詰め寄ってくる。
    「へっへ……、そりゃあどう、……も?」
     喜びかけたアルトだったが、アロイスにすぐ目の前、腕半分の距離にまで歩み寄られ、にやけた顔が当惑の表情に変わる。
    「な、何を?」
    「お前がフィッボだと言うのならば、中身もそうでなければ意味が無い。
     お前の力を開放してやろう、新たなフィッボよ」
    「へ……?」
     問い返す間も無く、アルトの額にアロイスの掌が押し付けられ――そしてばぢっ、と言う鋭い音が、玉座の間に響き渡った。

    「あ、兄貴!?」
     頭から煙を吹き出し、仰向けに倒れたアルトを見て、手下たちは騒然となる。
    「て、てめえ何しやがった!?」
    「まさか兄貴をこ、こ、殺し……」
    「……違う」
     騒ぐ手下たちに答えたのは、倒れたアルトだった。
    「あ、兄貴! 生きてたんですか!?」
    「生きてるどころか、……何だよ、こりゃあ!?」
     次の瞬間、アルトが倒れていた周辺がぼこ、と凹む。
    「……ぅぅうういいイヤッハアアアアアーッ!」
    「え、あ、兄貴!?」
    「な、何だ今の!?」
     アルトはゲラゲラと笑いながら、天井の燭台につかまっていた。
    「おいおい、何だこりゃ、何だこりゃあよぉ!? 全身のあっちこっちから力が噴き出してくるみてーな、このすげえ感覚はよぉ!?」
    「お前の中で眠っていた能力を覚醒させたのだ。今のお前は、覚醒前の5倍強の身体能力を有しているはずだ」
    「ほぉ、5倍と来たか! ……んなら」
     アルトは床に音も無く下り立ち、手下の一人に呼びかける。
    「おい、お前!」
    「へ、へえ?」
    「俺に殴りかかってみろ。全力でだ」
    「い、いや、そう言うのはちょっと」
    「いいから。一発ガツンと、いいのかましてみろ」
    「わ、分かりやした」
     呼ばれた手下は、ぐっと握り拳を作り、アルトに拳骨を繰り出す。
     ところが――アルトは避けもせず、顔面からそれを受け止めた。
    「わ、ちょっ、兄貴!?」
    「……ふ、ふへへ、はは、はははははははっ! 全っ然だ! 痛くもかゆくもねえ!
     オラ、もう一発来いよ!」
    「い、……も、もう一発?」
     言われるがまま、手下はもう一度殴りつける。
    「いっ、……痛ぇー」
     根負けしたのは、手下の方だった。
    「ま、まるででけえ丸太かなんかだ。ビクともしねぇ」
     アルトは鼻血一滴も流すことなく、ヘラヘラ笑っていた。
    「なるほど、なるほど。『前』皇帝の超人伝説は、マジに卿のお力によるわけだ」
    「……」
     アルトはニヤニヤと笑いながら、自分の首を指す。
    「おかげで喉の調子もいいぜ。完全に穴、塞がっちまった」
    「上出来だな」
    「ああ、上出来でさぁ。……それじゃ、ま、約束したことですし。
     これから国の立て直しと行くか。今の軍の状況はどうなっておいでで、クサーラ卿?」
    「アロイスで構わん」
     アロイスにそう返され、アルトは途端に慇懃な態度をやめる。
    「そうか、……ならアロイス。兵力から聞こうか」
    「現在の兵力は2万弱、うち正規の兵士は300程度だ」
    「残りは民間人か?」
    「そうだ」
    「逃がせ。んなもん邪魔なだけだ」
    「承知した。だが不足した兵力はどう補うつもりだ?」
    「てめーの目は節穴か? いるだろーが、ここに、ずらーっとよ」
     アルトは周囲に並ぶ手下たちを指差し、ニヤッと笑った。
    「半端な兵隊よりよっぽど役に立つ荒くれ者共だ。こいつらがいりゃ、どうとでもならぁ。
     まあ、見てな。丁度これから敵が忍び込んでくる。ハーミット卿の娘救出にな。手始めにそいつらを血祭りに上げて、俺の皇帝としての経歴、覇業の第一歩としてやろうじゃねえか」

    白猫夢・荒野抄 3

    2012.10.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第121話。アルト、御子になる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. と――その振り上げた腕が、途中で止まる。「……」「……ん、ん? い、如何されました、クサーラ卿?」 両腕を掲げ、アロイスの攻撃から身を護ろうとしていたアルトは、相手が突然ピクリとも動かなくなったのを確認し、その手を広げる。「卿?」「……」 まるで物言わぬ飾り鎧のように静止したアロイスを不気味に感じ、アルトは後ずさる。「...

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    麒麟を巡る話、第122話。
    戦地の晩餐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     アルトたちが首都に到着して半日後、夕暮れが迫ろうかと言う頃になって、秋也たちもカプラスランド郊外に到着した。
    「ああ、腕が痛い。脚もつりそうだったわ。帰ったらお義父さんに『もっとステアリングとクラッチ軽くして』って言っとこう」
    「尻も痛えよ。やっぱり線路の上を走るってのはきつかったな。事実上ここまでの直通とは言え、枕木乗ってる時のガクガク来る感じはなぁ。
     もうちょっとショックの軽減、どうにかならないもんかな」
    「ええ、それも伝えてみるわ」
     アルピナとサンクが車を降り、手や足をぷらぷらさせてほぐしているところに、サンデルのダミ声が飛ぶ。
    「市街地はまだまだ先であるぞ! 何故ここで止まる!?」
    「もう夜が近いからよ。あなたとシュウヤ君は街や城の地理に明るいかも知れないけれど、わたしたちはそうじゃないもの。見通しの悪い状況で無暗に動くのは、得策とは言えないわ。
     それにお腹も空いたし、半日走り通しだから眠たいし。疲労困憊で敵陣に突入なんて、そこまで侮れるような敵ではなさそうだしね」
    「……なるほど、もっともか。吾輩も腹が鳴っているところだ」
     サンデルが納得したところで、サンクがリヤカーから食材と調理器具を取り出す。
    「そう言うことだ。まずは飯にしよう」
    「ういーっす」

     近代化政策を推し進めている王国らしく、野外での調理にも、相当に高い技術が使われていた。
    「近くに井戸があって良かったわね。パスタゆで放題だわ」
    「同感。……っと、ソースはこんなもんでいいかな」
     組み立て式の簡易コンロを使って調理する二人を見て、サンデルがうめく。
    「まさかこんな場所で、缶詰や野の禽獣以外のものが食えるとは思わなんだ」
    「兵士の精神衛生にも卿は気を配ってくれてるからな。戦場での数少ない楽しみを少しでも増やそうって言う、卿の温情さ。
     それにギリギリの精神状態じゃ弾ひとつ、まともに当たらないってことは最近の研究でも明らかになってるそうだし。こうしてうまいもん食って、緊張を適度にほぐさないとな。
     味見してみるか、サンデル、シュウヤ?」
    「うん?」
     サンクが向けた玉杓子の中のソースに、二人はスプーンをちょん、と付けて味を見る。
    「うめぇー」
    「うむ、うまいな。まるで本職並だ」
    「何故か軍では調理実習も徹底してるのよね。変なもの食べてお腹壊さないようにって配慮なのかしら」
     そんなことを言っているうちに調理が済み、4人は食事に着いた。
    「いただきまーす」
     秋也は手を合わせ、ミートソースのかかったパスタをちゅるる、と音を立ててすすり込む。
    「……うまぁ」
     至福に満ちた言葉が、勝手に口から漏れる。サンデルも口に運んだ途端、岩のような顔面をほころばせた。
    「むむむ、確かにこれは、……うまいと言う他に言葉が無い」
     二人の様子を見て、アルピナたちはにこっと微笑む。
    「一杯作ったから、じゃんじゃん食べてくれ」
    「かたじけない」
    「……ってかシュウヤ君」
    「ずずー。……はい?」
    「君は西方のマナー、あんまり詳しくないみたいだな」
    「そうね。音が……」
     ズルズルと音を立てて麺をすする秋也に、アルピナとサンクが苦笑する。
    「……立てちゃまずかったっスか?」
    「ああ」「あんまりね」
     秋也がチラ、と横のサンデルに目をやると、彼は肩を揺らして笑っていた。

     アルピナたちから西方の礼儀作法を教わっているうちに、辺りに夕闇が迫る。
    「……っと、そろそろ寝るとしよう。車と寝床は……、どうする?」
    「空になった民家と納屋があっちにあるから、そこに隠しましょう。それにここなら、すぐ側で寝られるわ」
    「では、吾輩がまず見張りに付こう」
     手を挙げたサンデルに、アルピナはわずかに首を傾げる。
    「うーん……、あんまり必要はないかもね」
    「何故だ?」
    「相手はわたしたちのこと、知ってるどころか予期すらしてないんじゃないか、って。軍本営の中ですら卿とチェスター司令しか知らない存在、非正規部隊よ?
     相手は確かに我々のことを、それなりに研究して対策を練ってるとは思うけれど、それは正規活動に限ってのことでしょうし」
    「いやしかし、やはり敵陣の真っ只中であるし、そこまで気を抜いてはどうかと」
    「そうね、確かにマーニュ大尉の言う通りかも。気を付け過ぎ、ってことは無いし。
     じゃあ、屋内の目立たない場所でお願いするわね。2時間半ずつの交代で、大尉のあとはわたし、それからシュウヤ君、サンクの順にしましょう」
    「相分かった」

    白猫夢・荒野抄 4

    2012.10.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第122話。戦地の晩餐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. アルトたちが首都に到着して半日後、夕暮れが迫ろうかと言う頃になって、秋也たちもカプラスランド郊外に到着した。「ああ、腕が痛い。脚もつりそうだったわ。帰ったらお義父さんに『もっとステアリングとクラッチ軽くして』って言っとこう」「尻も痛えよ。やっぱり線路の上を走るってのはきつかったな。事実上ここまでの直通とは言え、枕木乗っ...

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    麒麟を巡る話、第123話。
    気になる問題、あれこれ。

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    5.
     アルピナの言う通り、アルトたちは秋也たちのようなイレギュラーな戦力が既に帝国領内に入っていることなど、予想もしていないらしい。サンデルが見張りに付いてから秋也が起こされるまで、何も起こらなかったからだ。
     秋也が見張りに立っている間も、民家の軒先にぶら下がったまますっかり萎びてしまっている干し肉を、山猫が二、三匹、ちょろちょろと食べに来るくらいのことしか起こらず、秋也は欠伸を噛み殺しながら民家の庭を眺めていた。
    「ふあ、……あ~、あ」
     この家からは庭より遠くの様子は分からず、帝都がどうなっているのかなど、さっぱり目視できない。
     とは言えプラティノアール首都、シルバーレイクでの夜間に比べれば、その闇の濃度の違いははっきりと感じられた。
    (向こうじゃ夜でも結構、ポツポツ灯りがあったけど、こっちは真っ暗だな。今日は曇ってるから、月は二つとも見えないし。
     マジ暗い。猫獣人のオレでも何が何だか分かんねーくらい、暗い)
     べっとりとした暗闇に、秋也はぼんやりと視線を泳がせていた。

     と――秋也はその暗闇の向こう、林になっているところに、ほんのり白いものを見たような気がした。
    (……ん? なんだ?)
     目を瞬かせ、もう一度確認しようとしたが、やはり何も無いように見えた。
    (気のせい? ……だよな?)
     秋也は思わずぷるっと身を震わせ、逆立った耳と尻尾の毛を撫でつけた。

     これ以外にはまったく特筆するようなことも起こらないまま、秋也は見張りを2時間こなし、それからサンクを起こして、そのまま眠りに就いた。



     秋也にとっては横になって目を閉じ、開けたくらいの感覚だったが、どうやら2時間半経ったらしい。
    「おい、起きろ! 出発するぞ!」
    「ふ……んにゃ……」
    「起きろと言ってるだろうが、まったく!」
     べちべちとサンデルに頭を叩かれ、秋也はようやく目を覚ます。
    「……ふ、ふあ!? ……あ、おはようございます」
    「やっと目を覚ましたか! ほら、井戸で顔を洗ってこい! すぐ出発だ!」
    「ふあ……、はーい」
     まだぼんやりしている頭で、秋也は井戸の方へ向かう。
    「……あれ?」
     その途中、納屋の方に目を向けると、アルピナとサンクが真剣な顔で何かを話し合っているのが見えた。
    「おはようございます、アルピナさん、サンクさん」
    「あら、おはようシュウヤ君」
    「よう、おはよう」
     爽やかに挨拶を返してきたものの、二人の顔には困ったような色が浮かんでいる。
    「どうしたんスか?」
    「車の調子が悪いのよ。やっぱり研究用車輌だからかしら」
    「え、じゃあ走れないんスか?」
    「いや、そうでもないんだ。
     詳しく言うとだな、後方に付いてたエンジンが半分、灼け付いてるみたいなんだよ。こうなると出力は半分以下になっちまう。熱膨張で中の部品が歪んで、滑らかに動かなくなってくるからな。
     俺としちゃ、外した方がいいんじゃないかと思うんだが……」
    「確かにエンジン一つ分軽くなればもう一方のエンジンの負担が減るし、長持ちするとは思うけれど、それでもまだ動くし、外すとなると手間だし、車のバランスがおかしくなっちゃうから。
     それに勝手に部品外したらお義父さん、怒りそうだし」
    「ですよねぇ」
     と、サンクが車を指差し、こう提案した。
    「決を採らないか? 外すか、このまま行くか」
    「そうね。どちらにもメリットとデメリットはあるし、選ぶ価値はあるわ」
    「あ、じゃあオレ、サンデルさん呼んで、……っと、来た」
     やって来たサンデルに改めて状況を説明し、4人で決を採る。
    「外す方に2。このままに、……2」
    「割れちゃったわね」
    「割れるよな、そりゃ。4人なんだし。……うーん」
     サンクは頭をコリコリとかきながら、自分の意見を翻した。
    「分かった、このままにしとこう。博士にヘソ曲げられても困る」
    「ごめんね、サンク」
    「いいよいいよ。壊れなきゃ問題ない」
     その後簡単な整備を行い、4人は改めて、帝都に向けて出発した。

    白猫夢・荒野抄 5

    2012.10.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第123話。気になる問題、あれこれ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. アルピナの言う通り、アルトたちは秋也たちのようなイレギュラーな戦力が既に帝国領内に入っていることなど、予想もしていないらしい。サンデルが見張りに付いてから秋也が起こされるまで、何も起こらなかったからだ。 秋也が見張りに立っている間も、民家の軒先にぶら下がったまますっかり萎びてしまっている干し肉を、山猫が二、...

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    麒麟を巡る話、第124話。
    帝国軍、再統制。

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    6.
     帝都、カプラスランドでも同様に朝を迎えていたが、城内はそれまでとは明らかに違う雰囲気を漂わせていた。
    「オラ、いつまで寝ぼけてやがるッ!? さっさと起きろ! さっさと来い!」
     まだ居住者の半分も目を覚ましていない兵舎に、アルトの怒声が飛ぶ。
    「なんだ……うるさいな」
    「どこのバカだ……?」
     のろのろとした仕草で窓を開けた兵士に、アルトはなお一層、罵声を浴びせる。
    「今何時だと思ってやがる!? それでもお前ら、兵士のつもりかッ!? ボーっとしてんじゃねえぞ、コラ!」
    「な、……陛下?」
    「じゃないだろ」
    「髪の色は一緒だが……」
    「……あんなに下品な方ではない」
     戸惑う兵士たちに対し、アルトは背後に立っていたアロイスに向き直る。
    「伝えろ」
    「了解した。
     皆の者、昨夜遅く、フィッボ・モダス皇帝陛下が戻られた。隣国、プラティノアール王国の者に拉致されていたがようやく脱出の機会を得て、ここに戻られたのだ。
     しかし不埒者揃いの隣国政府は、もう一度陛下の玉体を奪おうと計画しているとの情報を得ている。即刻態勢を整え、彼奴らを撃退するのだ」
     実質上の首脳、参謀アロイスにこう説かれても、兵士たちは神妙な顔をするばかりだった。
    「……陛下が戻った、って」
    「あれ、どう見ても陛下じゃないし」
    「襲ってくるったって、あんなのを奪還しに? まさか!」
    「おい、何をゴチャゴチャ言ってやがる!?」
     アルトは周りに立っていた手下の一人から小銃を奪い、兵舎に向かって撃ち放った。
    「うわっ!?」
    「危ねえ!」
    「な、何をする!?」
    「皇帝たる俺の命令が聞けないってのか、あぁ!? つべこべ言ってねーで早く出て来い!」
    「……」
     しばらくして、憮然とした顔の兵士たちがぞろぞろと、兵舎から現れる。
     だが誰もがアルトに対し、不審そうな目を向けていた。
    「何だよ? 何か文句があんのか?」
     アルトの問いに、兵士たちは口々に反発の意を示す。
    「お前、誰なんだよ?」
    「どう見ても陛下じゃない」
    「ふざけてると承知せんぞ!」
    「ほーお」
     アルトはそれに対し、つかつかと足音を立て、兵士たちの群れに寄る。
    「文句があるってんだな。俺の言うことなんか聞けるか、さっさと兵舎に戻って寝てたいと、そう言うんだな」
    「ああ、そうだよ。何でお前なんかの」
     兵士の一人が突っかかりかけた、次の瞬間――。
    「じゃあいい。お前は寝てろ」
     兵舎の壁からごつ、と鈍い音が響く。
    「なっ……!?」
    「ひい……っ!」
     つい一瞬前までアルトの前に立ち、反発の姿勢を見せていた兵士が、いつの間にか壁に叩きつけられ、壁の奥へと突き抜けていた。
    「う……ぐ、……うっ」
     穴からもぞもぞと、血まみれの姿で這い出してきた兵士は、そこで力尽き、気を失う。
    「へっへ……、なんなら永久に寝ててもいいんだぜ?
     で、お前らはどうする? 俺はやっさしーいからよ、休みたいってんならゆーっくり部屋の中で休ませてやるぜぇ?
     ま、張り切って働きたいってんなら、それも聞いてやるが、よ?」
    「……一所懸命、任務に当たらせていただきます」
    「がっ、頑張ります」
    「ご命令を」
     兵士たちはそれ以上、何の反発もできなくなった。

     とは言え、アルト一味が持参してきた武器・弾薬、兵器を確認した兵士たちは、一様に驚きの声を挙げた。
    「なんだこりゃ……!?」
    「俺の親指くらいあるぞ、この弾丸」
    「これ、どれも金火狐マークが付いてるが、……あんたらが買って来たのか?」
    「そうとも」
     武器の山を背にしたアルトは、ニヤニヤと笑って説明する。
    「拳銃350丁、小銃150丁、散弾銃150丁、榴弾砲80丁、迫撃砲50丁、それから高射砲5基、対装甲ライフル3丁、……そして、へっへへ、とびっきりの武器もあるぜ。
     ま、見てみな」
     アルトにそう促され、兵士たちはそちらに目をやる。
    「何だあれ。キモっ」
    「車輪に、……銃みたいなのが固定されてるが」
    「主に銃身がキモい」
    「なんであんなに銃身ばっかり付いてるんだ?」
    「あの銃口で一斉に撃つ、……と言う武器なのか?」
     口々に質問する兵士に対し、アルトは手下に撃つよう命じる。
    「あの木でいい。2秒くらいで充分だろ」
    「ういっす」
     手下たち2名が車輪をがっしりとつかんで固定し、もう1名が銃身の後ろに回ってクランクレバーをぐりぐりと回す。
     するとその奇妙な銃はガチャガチャと音を立て――木を一瞬で粉微塵にした。
    「……な、なんだ今の!?」
    「すげえうるせえ」
    「いや、んなことより」
    「木がぐちゃぐちゃだ……」
    「へっへへへ……」
     アルトはにやぁ、と笑い、その恐るべき兵器を紹介した。
    「金火狐商会の、極秘開発の試作品なんだけれっどもよ、……ちょっとばかり人脈使って手に入れた代物だ。
     その名も回転式連射砲――開発コード『ダークレイブン』とか言ってたな」
    「……」
     絶句する兵士たちに、アルトはこう続けた。
    「まさかお前ら、ここまで超兵器が揃ってて、『もう勝てない』『戦えやしない』みてーなことは、言うわけねえよな?」
     アルトの問いに、否定的な意見を返す者は誰もいなかった。



     この日は秋也たちにとって長い長い、壮絶な一日となる。

    白猫夢・荒野抄 終

    白猫夢・荒野抄 6

    2012.10.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第124話。帝国軍、再統制。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 帝都、カプラスランドでも同様に朝を迎えていたが、城内はそれまでとは明らかに違う雰囲気を漂わせていた。「オラ、いつまで寝ぼけてやがるッ!? さっさと起きろ! さっさと来い!」 まだ居住者の半分も目を覚ましていない兵舎に、アルトの怒声が飛ぶ。「なんだ……うるさいな」「どこのバカだ……?」 のろのろとした仕草で窓を開けた兵士...

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    麒麟を巡る話、第125話。
    敵地潜入。

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    1.
     もうすぐ昼を迎えようかと言う頃、秋也たち一行は帝都のすぐ近くまで迫っていた。
     もう1、2分も進めば市街地に入るかと言うその地点で、アルピナが車を停める。
    「ここからは徒歩ね」
     いつもの流れなら、ここでサンデルが「何故だ!?」とわめくところだが、今回の彼は鋭かった。
    「何故、……とは言わんぞ。今度は吾輩にも概ね分かる。
     先発隊を粉微塵にしたあの超兵器を持つ輩が相手だ、このままこのうるさい車で不用意に近付いては容易に発見および破壊され、先発隊の二の舞になる恐れがある。
     ……で、合っておるか?」
    「正解。ご明察だ」
     サンクにうなずかれ、サンデルは「うむ」と満足げにうなずき返した。
     その間に、アルピナは簡単ながらも車の点検を終える。
    「やっぱり後部エンジンがギリギリになってるわね。ほら」
    「うげっ、キャブから油噴いてるぞ!?」
     後部エンジンから滴る黒ずんだ油を指先ですくい取り、サンクは苦い顔をする。
    「本当に研究目的で、一日、二日もの長時間の使用は想定して無かったんでしょうね。帰りが心配だわ」
    「思い切って外す、……にはもう時間も、場所もまずいな」
    「……無事最後まで動いてくれるのを、祈るしかないわね」
     油で汚れた皮手袋を外しつつ、アルピナは突入作戦をまとめた。
    「まず、今マーニュ大尉が言った通り、敵は超威力の兵器を持っていると思われるわ。それも、帝都に残存している兵士たちに、十分に行き渡らせられる程度の数をね」
     今度はいつものように、サンデルが尋ねてくる。
    「何故だ?」
    「もしもトッドレール一味が手ぶらで、ベルちゃんだけ伴ってここに来たとして、相手が皇帝として祀り上げると思う? 余計な政治問題を持ってきた厄介者扱いされて、追い払われるのがオチよ。
     ここに大挙して押しかけて、皇帝になるから敬えと言うのであれば、それなりの『手土産』は必要でしょう?」
    「ふむ、それが即ち、大量の兵器と言うわけか」
    「その推察にもう一つ論拠を加えるとすれば、だ」
     と、サンクが話に加わる。
    「さっきからドッカンドッカン、音がしないか?」
    「そう言えば……」
     秋也は市街地方面に耳を向け、音が響いてくることを確認する。
    「あれは恐らく試射してるんだ、その超兵器をな。ぶっつけ本番でいきなりブッ放すなんて不確実なことは、まともな兵士ならやりたがらない。いざと言う時になって『どう動かすか分からない』なんて、シャレにならないからな。
     俺たち王国軍の大部隊が本格的に攻めて来る前に、できる限り練習しようとしてるんだろう。
     とは言え考えてみれば、逆に好機かも知れないな、これは」
    「何?」
     再度尋ねるサンデルに、アルピナが答える。
    「敵はその兵器を使いこなせてない、と言うことになるわ。
     そもそもトッドレール一味がこちらに到着した時間を考えれば、兵士たちに会って数時間も経っていないはず。その数時間で完全な統制・統率体制を敷き、新兵器を自在に操れるよう完璧に指導・訓練するなんて、例え卿の頭脳や弁舌を以てしても無理よ。
     逆を返せば、敵は今連携が取れ切れず、そして兵器の使い方も把握し切れていない状況にあるわ」
    「つまり隙だらけ、ってコトっスね」
    「そう言うことよ。勿論油断はできないけれど、それでも勝機は決して少ないものではないはず。うまくチャンスを得られれば、戦況は一気にわたしたちの有利に傾くはずよ。
     だからここは慎重に、かつ、大胆に行きましょう」

     地理に明るいサンデルを先頭に、秋也たちは市街地をそっと進んでいく。
    「ここから城への最短距離は、新市街、通称『モダス治世記念通り』を北西へ抜けていくのが一番だ。それに新市街とは言え、この荒れ様では人はまず、おらんだろう」
    「前に来た時はまだ人、いましたけどね……」
     秋也の言葉に、サンデルはしゅんとした表情を浮かべる。
    「致し方無いことだ。陛下が亡命し、高官や将軍らもこぞって去れば、こうなることは自明だったのだ。
     ……シュウヤ。以前お前に向かって吾輩は、偉そうに戦争や兵士の何たるかを説いたことがあるが、今にして思えば、吾輩こそろくに分かりもしない頓珍漢だったのだ。
     以前に経験した戦争は、如何に陛下が無用な殺戮をなさらぬよう、配慮に配慮を重ねたものであったか、今はそれがよく分かる。
     この惨状を見ればそれが、本当に良く分かると言うものだ」
     4ヶ月前までそれなりに舗装された石畳の道は、今は見る影も無く荒れてしまっている。ひび割れた石、固くこびりついた泥、そしてあちこちに残った血の跡――この4ヶ月の間に相当の混乱と狂気、恐怖がこの上を行き交っていたのが、4人には痛いほど察せられた。
    「これは間違いなくあの悪魔、クサーラ卿が行ったことの、その結果であろう。
     敵味方構わず殺して回るあの非道、卑劣な男に国を預けた結果がこれだ。トッドレールの言った通りになったのは甚だ癪だが、確かに一部、うなずかざるを得ん結果となった。
     さらに言えば、吾輩は昨日あの鉄道で見た惨状が現実に起こるなど、まるで考えもしておらなんだ。まさかこの世に、あれほど人を無残に殺す兵器があるとは思いもしなかったのだ。あれは絶対に、人が人に向けて放つべき代物ではない。
     あんなものを滅多やたらに使うような戦争なぞ、まさに地獄の宴ではないか!」
    「……そっスね」
     嘆くサンデルに、秋也は静かにうなずくことしかできなかった。

    白猫夢・崩都抄 1

    2012.10.31.[Edit]
    麒麟を巡る話、第125話。敵地潜入。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. もうすぐ昼を迎えようかと言う頃、秋也たち一行は帝都のすぐ近くまで迫っていた。 もう1、2分も進めば市街地に入るかと言うその地点で、アルピナが車を停める。「ここからは徒歩ね」 いつもの流れなら、ここでサンデルが「何故だ!?」とわめくところだが、今回の彼は鋭かった。「何故、……とは言わんぞ。今度は吾輩にも概ね分かる。 先発隊を...

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    麒麟を巡る話、第126話。
    超兵器を目の当たりにして。

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    2.
     秋也たち一行は新市街をこっそりと北西へ進み、カプラス城が見える位置にまで迫った。
    「硝煙の臭いがきつくなってきたな。相当撃ちまくってるな、こりゃ」
    「とは言え市街地で撃ったりなんかはしてないみたいね、流石に」
     と、アルピナがそう言った次の瞬間――。
    「……あら」
    「出てきたっスね」
     城内から兵士3名が、珍妙な形をした巨大な銃を運び出してくるのが見えた。
    「やっぱり城の中じゃまずかったか、これ撃つの」
    「だな。壁がすぐボロボロになっちまう」
    「俺たちが自分の城崩しちゃ意味ないしな」
     口々にそんなことを言いながら、帝国兵らは城の前で一旦、その車輪の付いた銃を停める。
     これを聞き、アルピナは首を傾げる。
    「城壁を簡単に崩せるような銃……? 対装甲ライフルにしては、銃身が短く感じられるけれど」
    「って言うか、何スかアレ。銃身付け過ぎっしょ」
    「確かに、……不格好だな」
     やがて帝国兵たちは銃を廃屋に向け、狙いを定める。
    「固定良し!」
    「弾丸装填良し! 発射!」
     次の瞬間、バババ……、と切れ間無い炸裂音が轟き、その銃は廃屋に大穴を開けた。
    「ヒューッ、あっと言う間だな!」
    「見ろよ、穴から向こうの通りが見えるぜ!」
    「こいつはマジですげえや!」
     横方向から見る形となった秋也たちも、その圧倒的な破壊力を見せ付けられ、呆然とするばかりだった。
    「……」
    「対装甲ライフルで騒いでたが、……白けちまう威力だな」
    「あんなもので撃たれたら、人間の10人や20人、ひとたまりも無く千切られるぞ!?」
    「あんなのアリかよぉー……」
     が、アルピナは一人、冷静に状況を読む。
    「……もう少し様子を見ましょう。もしかしたら、……奪えるかも」
    「え……!?」
     まだショックから抜けきっていないものの、秋也はその根拠を聞こうと、しどろもどろに尋ねる。
    「ど、どうやって奪うんスか? だってアレ、滅茶苦茶って言うか、ええと、とんでもない威力っスよ? 下手に飛び込んだら、蜂の巣って言うか、細切れって言うか」
    「敵がこっちを向けばね」
    「へ?」
    「……なーるほど」
     どうやらサンクは、アルピナの立てた作戦を察したらしい。
    「じゃあ、俺とサンデルは迂回して、向こうに回るとするか」
    「ええ、お願いね。わたしとシュウヤ君はここで待機してるわ」
    「どう言うことだ?」
     この行軍で半ば恒例となったサンデルの問いに、今度もアルピナは丁寧に答えてくれた。
    「確かに正面から向かえばどうしようもない相手でしょうけど、こうやって今、真横から眺めていたわたしたちに、被害はまったく無いわ。多分あの銃は斜め、あるいは横からの攻撃に対しては、非常に脆いんじゃないかと思うの。
     それにあの銃、兵士三人がかりでがっしり固定しないと撃てないらしいわ。多分、反動がものすごく強いんでしょうね。となると、取り回しが非常にしにくいものなんじゃないかなって」
    「ふむ……、ならば両横から挟み撃ちにすれば仕留められるやも、と言うわけか」
    「そう言うこと。ただ、まだ城からそう離れてないから、奪うのに手間取れば、城の中から一斉射撃を食らう恐れもあるわ。
     ここは特に、慎重に行きましょう。そして首尾よく奪えたら、一旦隠れて作戦を練るわよ」

     サンクとサンデルを向かい側に向かわせ、秋也とアルピナは物陰に隠れ、じっと帝国兵の行動を観察していた。
    「ひゃー、腕が痛え」
    「撃ち過ぎたな、流石に」
    「あんだけあった弾が、もう切れちまった」
     その発言に、アルピナが舌打ちしかける。
     しかし次に聞こえてきた言葉に、またニヤリと笑みを見せた。
    「追加分、取ってくるよ。どれくらいいるかな?」
    「そうだな……、今のが2000発だろ? もっと撃ちたいし、倍は欲しいな」
    「分かった」
     その間に、兵士らを挟んで向かい側の通りに、サンクたちの姿を見つける。
     秋也たちの位置から見れば二人をすぐに確認できたが、どうやら帝国兵らの位置からは死角になっているらしい。
     サンクたちに全く気付く様子も無く、城に帰っていた兵士が帯状につながれた銃弾の束を持って戻ってきた。
    「取ってきたよー」
    「おう。じゃ……」
     帝国兵たち3名の注意が、銃に向けられる。
    (今よ!)
     アルピナの合図で、秋也たち4人は物陰から飛び出し、両側から帝国兵たちに襲いかかった。

    白猫夢・崩都抄 2

    2012.11.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第126話。超兵器を目の当たりにして。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 秋也たち一行は新市街をこっそりと北西へ進み、カプラス城が見える位置にまで迫った。「硝煙の臭いがきつくなってきたな。相当撃ちまくってるな、こりゃ」「とは言え市街地で撃ったりなんかはしてないみたいね、流石に」 と、アルピナがそう言った次の瞬間――。「……あら」「出てきたっスね」 城内から兵士3名が、珍妙な形をした...

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    麒麟を巡る話、第127話。
    突入計画の検討。

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    3.
    「……えっ」
    「な、何者だ!?」
    「王国兵!?」
     銃に弾を込めていた最中の3人は、慌てて車輪をつかみ、銃を向けようとする。
    「ど、どっち撃つ!?」
    「え、……えー、女の方!」
    「わ、わかっ」
     言い終わらないうちに、サンクが放った小銃の弾が、左車輪をつかんでいた兵士の腕を貫通する。
    「うっ、あ、……ぎああっ」
     腕の肉がえぐられ、兵士は絶叫する。
    「はう、はうっ、……はっ、っ」
     そしてその弾は真ん中、銃の発射レバーをつかんでいた兵士の右肩にも突き刺さる。しかしこれは貫通せず、兵士は血の噴き出す己の肩を抱え込み、その場に倒れる。
    「う、わ、……うわ」
     残る一人は混乱したらしく、立ち尽くしている。
    「悪いな」
     その残り一人を、秋也が峰打ちした。

     負傷した帝国兵3人を介抱した上で、彼らが穴だらけにした廃屋の中に閉じ込めて縛り上げたところで、秋也たちは奪った銃の観察を始めた。
    「コレって、金火狐マークですよね」
    「確か、そうね。良く知ってるわね、シュウヤ君」
    「だってオレ、中央の生まれですし」
    「あ、そっか、そうだったわね。……金火狐製の兵器、か。
     もしかしたら、なんだけど、この兵器の話、聞いたことがあるかも」
    「俺からしたら、そっちの方が『良く知ってるな』だぞ」
     サンクにそう言われ、アルピナは口ごもりつつ、こう返してきた。
    「お義父さん、……スタッガート博士から聞いた話なんだけど、金火狐で働いてた時、当時ライバル視してた人が、大量に銃弾をバラ撒けるような、連装型の銃のアイデアを話してきたことがあるらしいの」
    「銃弾を、大量に?」
     サンクの問いにうなずきつつ、アルピナは話を続ける。
    「リボルバーってあるでしょ? 弾倉が回転して5連発か、6連発撃てるやつ。あれも連続で撃てると言えば撃てるけれど、結局は銃身が一つだから、連発すると熱がこもり過ぎて、変形・腔発の危険性が高まってくるのよ。
     それでそのライバルさん、逆転の発想だって、銃身の方を複数用意すればいくらでも撃てるんじゃないかって言ったそうなんだけど、……お義父さんは一笑に付したらしいわ、その時。『現実的に考えてみろ、一分一秒を争うような事態差し迫る戦場で、一々銃身を変える暇などあるか』って言ってね。
     ……その答えが、これみたいね」
     アルピナは弾を込めず、その奇妙な銃――回転連射砲の発射レバーをくるくると回す。するとその動きに合わせて銃身が、ガチャガチャと音を立てて回転した。
    「これだけ銃身が付いてて、しかも回転していれば多少は放熱効果も期待できるし、2000発撃っても銃身一丁ずつの疲労は軽減されるわけね。実際あれだけ撃ってたのに、手袋越しで触れるくらいには冷えてるし」
    「それで、これからどうする? あまりここでのんびりもしていられんぞ」
     サンデルの問いに、アルピナはこう返した。
    「そうね。いつ城内の兵士が、彼らが戻って来ないことに気付くかも分からないし。できる限り早急に突入して、速やかに脱出しないといけないんだけど、ね」
     その間にサンクが、炭とまな板を持って戻ってくる。
    「サンデル、城内の地図を描いてくれ。それから、どの辺りにベルちゃんとトッドレール氏がいそうか、予想できたらしてみてほしい」
    「承知した」
     サンデルは炭を受け取り、まな板にガリガリと城内の簡略図を書き込んだ。
    「ここが城門だ。貴君らも見た通り、城の周囲には堀が巡らされており、入る道はここと裏門しか無い。
     裏門については、入るのはまず無謀と言っていいだろう。何故なら大兵舎が目の前にあるからだ」
    「なるほど。重武装してる奴らの真ん前に来ちゃ、そりゃまずいな。じゃあ正面からか?」
    「うむ。幸いにして、城門の前は執務院となっている。兵士の大半は恐らく、その執務院を越えて北東にある訓練場で、射撃訓練を行っているだろうからな。正面切って攻撃するならともかく、こっそり入る分にはそうそう気付かれるまい。成功の確率はそう低くはないであろう。
     ベル嬢の居場所についてであるが、恐らく最も守りの堅い、北西の王宮にいるだろう。客間も揃っておるし、軟禁などしておくにはうってつけだ。
     最も危険なのは北東側の大兵舎と軍本営、そして執務院よりさらに西側にある小兵舎だ。城門からまっすぐ北へ向かって進めば、すぐ王宮に侵入できる」
    「予想される兵力は?」
    「恐らくは……、1万か、それ以下と言うところではないかと思う。度重なる混乱で兵の多くは逃げ出しているだろうが、それでも5000や6000を切るようなことは無いだろうな」
     と、拘束していた兵士の一人がぼそ、と応じる。
    「300くらいです。今朝になって、ここ最近で徴兵した民間人のほとんどが解放されました。元々から兵役に就いてる人間は200くらいですが、新しく皇帝になった奴が100人くらい連れて来てます」
    「うん?」
     唐突に会話に入ってきた兵士に驚き、皆は一斉に振り返る。
    「何故それを我々に?」
    「……お忘れですか、マーニュ大尉」
    「うん? ……あっ!?」
     サンデルは慌てて、その兵士に駆け寄った。

    白猫夢・崩都抄 3

    2012.11.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第127話。突入計画の検討。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「……えっ」「な、何者だ!?」「王国兵!?」 銃に弾を込めていた最中の3人は、慌てて車輪をつかみ、銃を向けようとする。「ど、どっち撃つ!?」「え、……えー、女の方!」「わ、わかっ」 言い終わらないうちに、サンクが放った小銃の弾が、左車輪をつかんでいた兵士の腕を貫通する。「うっ、あ、……ぎああっ」 腕の肉がえぐられ、兵士は絶...

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    麒麟を巡る話、第128話。
    まさか、の助け。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「お、覚えている! 覚えているぞ! シュウヤ、お前も覚えているだろう!?」
    「え? ……あ、何か見覚えある」
    「昨年の秋口、共に煉瓦運びをした者です」
    「あー、……うん、覚えてる」
     兵士は憔悴した顔で、こう続けた。
    「この4ヶ月がどれだけ地獄であったか……。
     参謀殿は狂ったように皇帝陛下奪還を唱え、内政や外交などは放置するばかりで。我々は勝ち目のない戦いに何度も、何度も投入され、その8割以上が犬死にしました。あの時一緒に煉瓦運びをした同僚は、最早一人もこの世にいません。
     そして生き残った私も、……危うくあなた方に殺されかける始末ですし」
    「す、すまん」
     頭を下げたサンデルに、兵士は小さく首を振って見せる。
    「いえ、肩は撃たれましたけど、……結果として生きてますから、それは、まあ。
     参謀殿はその上に、どこの馬の骨とも分からないならず者を、あろうことか我々の主君、新たな『フィッボ・モダス』皇帝陛下と仰ぐように命じてきました。
     武器を与えられて一時、浮かれてはいたものの……、こうやって拘束されて冷静になってみれば、我々はどんどんおかしな方向へ追いやられているような気がしてきて」
     兵士はここで言葉を切り、そして覇気の無い声で、こう続けた。
    「そこへ現れたのが4ヶ月前、この国を発ったマーニュ大尉殿です。
     話を聞けば、あのならず者らがさらってきた女の子を助け、さらにはあのならず者皇帝を討つおつもりだと言うではないですか。
     私はこれ以上変な道へ流されたくありません。だから協力できることは、協力します。……と言っても、内部の情報を伝えるのでやっとですが」
    「それで十分だ。教えてくれ」

     兵士から聞いた城内の様子は、次の通り。
     まず兵力は、前述した通り約300名。元々の帝国兵200名とアルト一味100名の混成軍となっているが、統率や連携らしきものは皆無であると言う。
    「我々にしてみれば、いきなり城を占拠した奴らですから。共に戦おうなどとは、とても思えません」
    「さもありなん」
     続いて、アルト一味が持ってきた兵器の質と量。
     アルピナが予想していた通り、城内の兵士全員に行き渡る程度の量が持ち込まれており、また、その総量を以てすれば、多少の軍勢は苦も無く蹴散らせるほどだと言う。
    「偽皇帝は金火狐商会から購入したと言っていましたが、私には信じられません」
    「普通に考えれば、いくら武器商人だからって、一般人に対装甲ライフルやら回転連射砲なんて物騒な代物、売るわけが無いからな」
    「アイツのコトだから盗んだんスよ、きっと」
    「どちらにせよ、城内に相当数が存在するのは間違いない。真正面から攻めれば敵う道理は無いだろうな」
    「それについてですが」
     続いて伝えられたのは、城内の兵力分布である。
     サンデルが言っていた通り、城内に兵士が詰める場所は大小の兵舎と軍本営、訓練場の4ヶ所となっている。しかし大量の兵器の扱いに慣れるため、そのほとんどが訓練場に集まっている。
     そして王宮すぐ横にあり、本来なら軍事行動の中枢となる軍本営に関しては、逆に手薄となっている。
    「元々参謀殿が単独で切り盛りしていましたし、現在においては将軍は一人もおらず、士官級の者もほとんどいないため、指揮系統は壊滅しています。
     参謀殿に見つかりさえしなければ、執務院から軍本営を抜け、王宮まで侵入するのは容易なはずです」
    「……となると、採る作戦はこうね」
     アルピナは地図の、王宮の南に印を付けた。
    「我々は正面からこの兵士が言った通りに進み、まず王宮前で陣取る。
     向かってくる敵兵に対しては回転連射砲で牽制し、でき得る限り足止めする。その間にシュウヤ君、身軽なあなたが王宮内を回り、ベルちゃんを助け出してちょうだい」
     続いてアルピナは、拘束していた兵士にもう一度声をかける。
    「服を貸してもらえるかしら? 安全に城内へ入りたいから」
    「え、……そ、その」
     と、これまで情報を提供してくれていた兵士は、困った顔をした。
    「わ、私のは破れてますし、肩。血だらけですし」
    「……ん?」
     と、アルピナが何かに気付いたらしく、相手の兎耳にぼそ、と耳打ちした。
    「……あ、……ええ、……それなら」
    「ありがとう。他の二人は男?」
    「ええ」
     この会話に、サンクもピンと来たらしい。
    「てっきり男3人だと思ってたが、違うのか?」
    「みたいよ。声低いから、わたしも男だと思ってた」
    「うぬ?」「えっ?」
     サンデルと秋也は互いに顔を見合わせ、それからその兵士の顔を確認した。
    「……兎獣人は男女とも背が低いからなぁ。軍帽も深く被っておったし。まったく分からなんだ」
    「オレもですよ……」
    「良く言われるんです。ロガン卿にもそう思われてましたし」
     二人の反応に、兵士はため息を漏らした。

    白猫夢・崩都抄 4

    2012.11.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第128話。まさか、の助け。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「お、覚えている! 覚えているぞ! シュウヤ、お前も覚えているだろう!?」「え? ……あ、何か見覚えある」「昨年の秋口、共に煉瓦運びをした者です」「あー、……うん、覚えてる」 兵士は憔悴した顔で、こう続けた。「この4ヶ月がどれだけ地獄であったか……。 参謀殿は狂ったように皇帝陛下奪還を唱え、内政や外交などは放置するばかりで...

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    麒麟を巡る話、第129話。
    アルピナ班、危機一髪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     兵士ら3人から軍服を借り――ちなみに女性であることが判明した1名は、アルピナの軍服を代わりに着せられた――秋也とアルピナ、そしてサンクの3名は帝国兵に擬装した。ちなみにサンデルは元々帝国兵のため、元の格好のままである。
    「これで城内へは侵入できるわね。後は目立たないよう侵入して……」
    「ベルちゃんを救い出して脱出、っスね」
    「できればトッドレール氏も暗殺したいが……、それは難しいだろうな」
    「そうね。もしかしたら訓練場の方にいて、大量の兵士と兵器に守られてることも考えられるし。そんな状況で無理に暗殺しようとすれば、いくら回転連射砲がこっちにあるからと言って、無事では済まないでしょうしね」
    「第一に考えるべきはベル嬢の身柄だ。それを忘れるな、シュウヤ」
    「ええ、分かってます。……任せて下さい」
     誰もいない城門を抜け、一行は玄関口となっている開けた庭に入る。ここも外同様に荒れており、4ヶ月前にはそれなりに磨かれていた石畳も、今は見る影もない。
    「正面が執務院、で間違いなかったわよね」
    「うむ」
     秋也たちは連射砲を四方で抱えて執務院の中に持ち込み、そのまま廊下を転がしていく。
    「まるで廃墟だな。マジで誰もいない」
    「むう……。憂うべきか、幸いと言うべきか」
     そのまま廊下を直進し、一行は執務院を抜ける。
    「右手に訓練場がある。左手奥には小兵舎だ。両側どちらも警戒せねばならん」
    「分かった」
     両側を恐る恐る確認しつつ、一行はさらに奥に控えている王宮へと歩を進める。
    「……く」
     と、サンクがうなる。
    「……まずい。見つかった」
    「えっ、……!」
     兵士が2名、こちらを向いている。しばらく間を置き、彼らは顔を見合わせ、目を凝らす素振りを見せた。
    「……?」「……」「……っ!」
     帝国側の兵士の格好をしても、やはり執務院をわざわざ通って連射砲を持ち込む輩を怪しいと判断したのか――兵士たちは訓練場を向き、何か叫び出した。
     一行もこの間、そのまま硬直していたが――。
    「……走れ、シュウヤ!」
    「えっ?」
    「ボーっとするな! 早く救出に行けッ!」
    「は、……はいっ!」
     こちらを見つめていた兵士たちが銃を手に向かってくるのとほぼ同時に、秋也は王宮へと向かって駆け出した。
     その間に、残った3人は連射砲の安全装置を外す。
    「止まれ! 止まらんと撃つぞッ!」
     サンデルの大声に、兵士たちは怯んだ様子を見せる。
    「11時方向に向けて! 威嚇射撃するわ!」
    「承知!」「了解ッ!」
     アルピナの号令に従い、サンクとサンデルは車輪をぐりっと回す。
    「発射ッ!」
     アルピナが発射レバーを回し、バババ……、と轟音を立てて弾丸を2、30発ほど撒き散らす。
    「ゎ……っ」
     こちらに向かっていた兵士はそれを見て、慌てて引き返した。
     その間に三人は、近くにあった樽や煉瓦で応急的な壁を作り、態勢を整える。
    「サンク、後ろに警戒して! 前はわたしと大尉が引き受けるわ!」
    「分かった!」
     サンクはアルピナたちに背を向け、小銃を構えた。
    「早く戻ってこいよ、シュウヤ……!」
     そうつぶやいているうちに、小兵舎の方角からも兵士が集まってくる。
    「ここは通行止めだ、通すかよッ!」
     サンクは小銃を立て続けに、兵士たちの方へ撃ち込んでいく。
    「サンク、無理な願いとは思うが……」
    「分かってるって、サンデル。あんたの同僚だもんな。……なるべく気を付けてるさ」
     そう返しつつ、サンクは兵士本体ではなく、足元や横の壁を撃っている。
     それでもそれなりの効果はあったらしく、向かって来ていた兵士たちは一様に引き返し、執務院の陰に隠れた。
    「……かたじけない」
    「礼なら無事に帰ってから言ってくれ、……そらよッ」
     20発ほど撃ち込んだところで、小兵舎からの接近がやむ。
    「警戒してくれたかな……?」
    「前からはまだまだ来るわ!」
     細かく威嚇射撃を繰り返し、敵の動きを牽制していたが、奥の方から対装甲ライフルらしき長筒を担いでくる者も見える。
     先んじて駆けつけた者は小銃や散弾銃を構え、絶え間なく撃ち込んできており、アルピナたちの防御は早くも崩れ始めていた。
    「威嚇だけじゃ、そう長くは持たないかも知れないわね……」
    「くそ……! 撃たねばならんのか!?」
     サンデルは苦渋に満ちた顔を見せながら、ギリギリと音を立てて車輪を握りしめた。

     と――その時だった。
    「待てーッ! 撃つなーッ!」
     訓練場の方角から、声が響いてきた。

    白猫夢・崩都抄 5

    2012.11.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第129話。アルピナ班、危機一髪。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 兵士ら3人から軍服を借り――ちなみに女性であることが判明した1名は、アルピナの軍服を代わりに着せられた――秋也とアルピナ、そしてサンクの3名は帝国兵に擬装した。ちなみにサンデルは元々帝国兵のため、元の格好のままである。「これで城内へは侵入できるわね。後は目立たないよう侵入して……」「ベルちゃんを救い出して脱出、っス...

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    麒麟を巡る話、第130話。
    説得、鎮圧、反発。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「あれは……!」
     アルピナたちも、向かってくる兵士たちも、その声に動きを止める。
    「さっきの兵士か!?」
    「う、うむ」
     先程拘束し、軍服を借りた兵士たちが、訓練場の真ん中に立っている。
    「その人たちを撃つんじゃないッ! 武器を下ろせッ!」
     その声を受け、兵士たちの動きが止まる。
    「……なんだ?」
    「一人は向こうの軍服着てるが、……あれってさっき、回転連射砲持って行った奴らじゃないか?」
    「ああ、そうらしいな……?」
     しかし武器は構えたまま、下ろす気配はない。依然、アルピナたちも兵士たちも、互いに銃を向けあったままである。
    「一体どうしたんだ、お前ら? 撃つなとは?」
    「いい加減に目を醒ますんだ! お前ら、盗賊から恵んでもらったような武器で戦う気なのか!?」
     アルピナの軍服を着た兵士の言葉に、何人かが声を漏らす。
    「……言われりゃ、まあ」
    「そりゃ確かに、わだかまりは」
     その声に応じ、女性兵士はこう続ける。
    「あの人たちは、あの偽皇帝がさらってきた女の子を助けに来ただけだ! それをお前らが勝手にドンパチしようと……!
     もっと冷静になれ! 私たちが付き従ってきたのは、誰だった!? あの下卑た盗賊頭じゃないだろう!? 今ここでその銃を使ったら、一生あいつの奴隷になるんだぞ!」
    「……」
     女性兵士の必死の説得に、兵士たちはざわめき出す。
    「力任せで言うこと聞かせられたけど、……確かになぁ」
    「これからずっとあいつの言うこと聞くって考えたら、……うーん」
    「武器は確かにすごいけどなぁ、……あいつが君主じゃなぁ」
     元々から力任せに、モノで釣って懐柔しようとしたからか、兵士たちは口々にアルトへの不満をこぼし始めた。
    「大体、俺たちそこまで戦争したいかって言われたらなぁ」
    「だよなぁ。そりゃ、あの参謀殿は怖いけど」
    「殺されたくないから従っただけで」
     場の空気が微妙なものになり、戦闘の緊張感が緩んでくる。
    (どうする?)
     小声で尋ねてきたサンクに、アルピナはこう返した。
    (もう少し様子を見ましょう。もしかしたら戦わずに済むかも知れないし)
    (うむ。不戦となるに越したことは無い)
     その間にも彼女は説得を続けており、兵士の大半が戦意を捨てたように見えた。
    「まあ……うん」
    「俺たちを狙うんじゃないなら、なぁ」
    「見なかったことにしてもいいよなー、なんて」
     そんな意見も出始め、アルピナたちはほっと、安堵のため息を漏らしかけた。

     その時だった。
    「うあ……っ!」
     説得し続けていた彼女が、突然跳ねる。周りにいた他の二人も突然、弾かれたように倒れ込んだ。
    「……な、何だ?」
    「撃たれた?」
     突然の展開に、兵士たちも、アルピナたちも言葉を失う。
     そこへ武装した、汚い身なりの男たちが現れた。
    「あいつらは……」
    「トッドレール一味か!」
     サンデルの怒声に、男たちはヘラヘラと笑いながら答える。
    「ご名答だ。まったく、折角やる気になってくれてたってのに、このバカが水差してくれちゃって、よぉ?」
    「邪魔すんじゃねえよ、ったく」
     ならず者らは銃を構え、兵士たちに向ける。
    「さっさと訓練に戻れや、兵隊さんよ? 皇帝陛下がおかんむりになるぜ?」
    「朝のこと、忘れたわけじゃあねーよなぁ? あんな風に壁に叩きつけられたいのか、え?」
    「いつまでぼんやりしてんだ、皇帝に頭潰されっぞ、コラ!」
     皇帝となったアルトの威を借りたならず者たちは、口々に兵士たちを罵る。
     が――唖然としていた兵士たちの顔に、次第に険が差し始めた。
    「……よくも同僚を撃ちやがったな」
    「非常時だからお前らのことを、少しでも友軍と思おうとしたが……」
    「できるわけねぇ……! こんなことをされて、そんな風に思えるかッ!」
     兵士たちはつい数分前までアルピナたちに向けていた武器を、ならず者らに向けた。
    「なんだよ、やるってのか?」
    「俺たちに手ぇ出したら、皇帝陛下がどう思うか……」
     アルトを脅しに使うならず者たちに、兵士たちは毅然とこう返した。
    「皇帝陛下? 誰のことを言っている?」
    「まさかあのならず者のことか?」
    「誰があんな奴に付き従ってやるものか!」
    「お前らみたいなカス共を引き連れるような下衆野郎が君主なぞッ!」
     そう叫ぶなり、兵士たちは一斉に銃を撃ち込んだ。
    「げ……っ」
    「や、やべぇ!」
     あっさりと反旗を翻され、ならず者たちは散り散りに逃げつつ、応戦する。
    「う、撃て、撃てっ! ここで反乱されたら、兄貴に大目玉を食うぞ!」
     瞬く間に、その場は戦場と化した。



     恐らく――秋也たちの潜入が無ければ、あるいは潜入のタイミングが一日でも遅ければ、これほど簡単に帝国軍がトッドレール一味に反発することなど、まず無かっただろう。

    白猫夢・崩都抄 6

    2012.11.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第130話。説得、鎮圧、反発。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「あれは……!」 アルピナたちも、向かってくる兵士たちも、その声に動きを止める。「さっきの兵士か!?」「う、うむ」 先程拘束し、軍服を借りた兵士たちが、訓練場の真ん中に立っている。「その人たちを撃つんじゃないッ! 武器を下ろせッ!」 その声を受け、兵士たちの動きが止まる。「……なんだ?」「一人は向こうの軍服着てるが、……...

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    麒麟を巡る話、第131話。
    男サンデル、暴れ回る。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     帝国兵らの注意が逸れたところで、アルピナたちは先程の倒れた兵士たちの側に駆け寄った。
    「……ダメだ」
    「こっちも」
     3名中2名は頭と胸を撃ち抜かれており、既にこと切れている。
     しかし、必死に同僚を説得したあの女性兵士は頭や胸ではなく肩を撃たれていたため、まだ息があった。
    「おお、生きておったか! しっかりしろ、今手当てしてやるからな!」
     サンデルは着ていた上着を引き裂き、包帯代わりにして止血を施す。
     しかしその効果もあまり無いらしく、上着はあっと言う間に赤く染まる。
    「肩、俺も同じところ撃ってたからな……。肩甲骨、ぐちゃぐちゃだろうな」
     サンクも上着を脱ぎ、サンデルが施した上からさらに、きつく縛り上げる。
    「何とか血が止まってくれればいいが……、祈るしかないな」
    「……ぐ、ぐぐぐ」
     と、サンデルが唸り出す。
    「どうしたの? あなたもどこか……」
     アルピナが尋ねかけたところで、サンデルは突如、吼えた。
    「なんたる卑劣、なんたる外道か! あの賊共め、許しておけるかーッ!」
     そう叫んだサンデルは、なんと一人で連射砲を担ぎ出し、ならず者目がけて駆け出した。
    「うううおおおおおりゃああああーッ!」
    「……男気だなぁ、サンデル」
    「負けてられないわね。……行きましょう!」
     二人も小銃の弾を込め直し、サンデルに続く。
    「おらおらおらおらあああーッ!」
     サンデルは肩と腕の筋肉をパンパンに膨れ上がらせ、連射砲を振り回す。
    「不肖サンデル・マーニュ、加勢いたすぞ! そらそらそらあああーッ!」
     重たく反動の強い連射砲を、サンデルはまるで小麦袋のように取り回し、アルト一味らを蹴散らしていく。
    「どうだあッ! これがお前たちの運んできた悪魔ぞ! その身を以て、この威力と痛みを知るがいいッ!」
    「なっ……!?」
    「嘘だろ……」
    「バケモノかよ!?」
     まさか連射砲をそんな風に扱える者がいるとは思わず、帝国兵らも、ならず者らも一様に怯んでいる。
     しかし多少は戦闘慣れしている兵士らの方が、状況の把握が早かった。
    「……え、援軍だ! 助けが来たぞ!」
    「お、おうッ!」
     勢いを得た兵士たちは、ならず者たちに攻め込んでいく。
    「う……」
     数の上でも、戦闘経験でも圧倒的に劣るならず者たちに勝ち目は無く、勝負は早々に決着した。
    「……に、逃げっぞ!」
    「死にたくねぇー!」
    「お助けぇ~!」
     ならず者たちは情けない悲鳴を上げ、バタバタと逃げて行った。
    「待て、待たんか貴様らあッ! ……ああ、くそッ! 弾切れか!」
    「じゅ、十分じゃないかしら、サンデルさん?」
    「……うん?」
     アルピナにおずおずと声をかけられ、そこでようやく、サンデルは我に返った。



     まだ騒然としている訓練場から早々に抜け出したアルピナたちは、執務院の壁に寄りかからせていた女性兵士のところに戻る。
    「血は止まったみたいだな。……まあ、流石に目は覚ましてないみたいだが」
    「まさか死んではおらんだろうな?」
     サンデルは心配そうに彼女の脈を取り、生きていることを確認してほっとする。
    「我々の窮地を救ってくれたと言うのに、見殺しになどできんからな。……救護班を呼んでくる」
    「待って、大尉。流石にそこまではする暇が無いわ。シュウヤ君だって、まだ戻って来てないんだし」
     アルピナにそう諭され、サンデルは苦い顔をする。
    「確かに、……何だかんだと言って、もう2時間は経っておるからな。
     場も落ち着いたし、我々が攻撃される心配は最早無し。追ってはどうだ?」
    「そうだな……、そうした方がいいかも知れない」
     三人は女性兵士をふたたび壁にもたれさせ、王宮へ向かおうとした。

     と――王宮の上層から、がしゃん、と音が響いてくる。
    「うん?」
     三人が見上げるとほぼ同時に、何か長い物を抱えた黒い影が城の外――堀からつながっている湖へと落ちて行った。
    「……今のは?」
    「分からない。……まさかとは思うが」
    「急ぎましょう!」
     三人は全速力で、王宮へと駆け出した。

    白猫夢・崩都抄 終

    白猫夢・崩都抄 7

    2012.11.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第131話。男サンデル、暴れ回る。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 帝国兵らの注意が逸れたところで、アルピナたちは先程の倒れた兵士たちの側に駆け寄った。「……ダメだ」「こっちも」 3名中2名は頭と胸を撃ち抜かれており、既にこと切れている。 しかし、必死に同僚を説得したあの女性兵士は頭や胸ではなく肩を撃たれていたため、まだ息があった。「おお、生きておったか! しっかりしろ、今手当...

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    麒麟を巡る話、第132話。
    秋也とアルトの、最後の対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     一人、王宮内に飛び込んだ秋也は、あちこちでアルト一味に追い回されていた。
    「待てやゴルァ!」
    「生かして帰すかよッ!」
     階段の上から、あるいは柱の陰から、壁の向こうからと、大勢で秋也を追いかけ、銃や短剣で攻撃してくる。
    「うっせぇ! 邪魔すんなッ!」
     しかし相手は腕力も機転もこらえ性も無い、粗雑な盗賊たちである。
     ハーミット邸の時のように、四方八方から不意打ちに次ぐ不意打ちを仕掛けて攻め込んでくるならともかく、気配も消さず、真正面からのこのこと現れ、半ば蛮勇で襲ってくるだけの陣営ならば、少なからず場数を踏んできた秋也の敵ではない。
     峰打ちや拳骨で敵を蹴散らしながら、一階から二階、二階から三階へと強行突破を続けるうち、やがて相手の攻めが途切れる。
    「……もしかして、全員のしちゃったか?」
     そんな風にぽつりとつぶやいてみたが、答える者は誰もいない。
    「もう打ち止めなら、……まあ、ソレでいいか。楽だし」

     秋也は刀を握り締めたまま、障害の無くなった王宮内を回る。
    (ドコにいるんだろう、ベルちゃん?)
     当ても無くうろついているうちに、秋也は広い部屋に入り込んだ。
    「ココは……、玉座があるし、謁見の間? みたいなトコか」
    「みたいな、じゃねえよ。謁見の間だ」
     と、部屋の奥、玉座の背後にあった階段から、ゴツ、ゴツと威圧感のある音を立てて、アルトが現れた。
    「アルト……!」
    「ひひ、誰のことだ? ……ひひひ、もうアルト・トッドレールなんて破落戸は、この世にはいねえんだよ」
     アルトの手には鎖が握られており、それは階段の上部へと延びていた。
    「とっとと来いよ、お嬢ちゃんよぉ?」
    「やめてよ、引っ張らないで……!」
     ジャラジャラと重い音を立てて、階段からもう一人現れる。
    「ベルちゃん!」
    「シュウヤくん!」
     秋也の姿を確認するなり、ベルは階段を駆け下り、秋也の方へと向かおうとする。
    「おおっと」
     が、アルトが彼女の首にかけた鎖を引き、それを止める。
    「うっ、……げほ、げほっ、やめてよ!」
    「俺の許可なく、動くんじゃねえ。……へへへ、お前はこれから、俺の女になるんだからな」
    「女って、どう言うことだ! まさかお前……ッ」
     憤る秋也に、アルトは鎖をがっちりと握ったまま、こう返す。
    「慌てんじゃねえよ、シュウヤ。まだ、何にもしてねえぜ。まだ、な。
     お前をここでズタズタにしてから、死にゆくてめーの前でこの小娘を奪ってやろうって言う、最高の嫌がらせを思い付いたのさ。
     ま、こんな乳臭え小娘なんざ好みでも何でもねーが、お前を絶望のどん底に落っことして惨めにブチ殺す、一番の方法だと思ってよ。
     お前だけは俺の手で、地獄に落としてやりたくってな」
    「オレを……? いや、待てよ」
     秋也は浮かんだ疑問を、率直にぶつける。
    「オレが来るって、何故分かった? 王国にも帝国にもオレたち……、いや、オレがココへ来てるコトなんか、知られてないはずだ。
     それに王宮に侵入するのは、オレじゃない可能性だってあっただろ? なんでオレが来るの前提で、そんなコトを?」
    「……どうだっていいじゃねえか、んなことは」
     言葉を濁したアルトに、秋也は畳み掛けた。
    「白猫か? コレも白猫が、お前に伝えたコトなのか?」
    「……フン、勘の鈍いお前さんでも、いい加減気付いたか。
     ああ、そうだ。俺もお前さんと同じく、あのいけ好かねえ白猫の野郎から預言されてたんだよ。もう、5年も昔からな。
     前にもお前に言った通り、俺は『パスポーター』なんて呼ばれちゃいたが、腕ははっきり言って二流、できる仕事しかコソコソやらねー小物だった。
     ところが、だ。5年前から白猫が俺の夢に度々現れ、『キミを王様にしてあげるよ』っつって、あれこれと命令してきた。最初は確かにうぜえと思ってはいたが、言う通りにすればするほど、まるで筋書きが前もって書いてあったかのように、何もかもがうまく行くようになった。
     いや――奴が筋書きを全部書いてたんだろうな。俺とお前さんのように、白猫はあっちこっち、要所要所で色んな奴に命令して、すべてあいつの思い通りに行くよう、調整してたんだろう。
     とは言え俺にとっちゃ、そんなのは好都合以外の何事でもなかった。結果的に、俺は『どんな仕事でも絶対にしくじらない、凄腕の何でも屋』と思われるようになったんだからな。
     それが『第一段階』だった」

    白猫夢・賊帝抄 1

    2012.11.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第132話。秋也とアルトの、最後の対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 一人、王宮内に飛び込んだ秋也は、あちこちでアルト一味に追い回されていた。「待てやゴルァ!」「生かして帰すかよッ!」 階段の上から、あるいは柱の陰から、壁の向こうからと、大勢で秋也を追いかけ、銃や短剣で攻撃してくる。「うっせぇ! 邪魔すんなッ!」 しかし相手は腕力も機転もこらえ性も無い、粗雑な盗賊たちであ...

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    麒麟を巡る話、第133話。
    白猫ショーの役者たち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「『第一段階』、……か」
     秋也が繰り返したその言葉に、アルトは引きつったような笑いを返した。
    「ひひ……、そうさ、『第一段階』。あいつが良く使ってる言葉だ。
     俺を有名で実績ある奴に仕立て上げた白猫は、次の段階へ計画を移した。シュウヤ、お前さんが西方に来ると白猫は俺に知らせ、同時にモダス帝亡命計画が長いこと進められてたってことも知らせてきた。
     聞いた途端、俺は激昂したね。俺の人生メッチャメチャにしやがったあのクソ野郎が、その業も責任も全部放り投げて逃げようとしてるってんだからよ。だけれども白猫は、俺のそんな怒りも把握した上で、こう命じてきた。
    『キミはあえてその亡命計画に加担し、しかし途中で誰にも知られないよう皇帝を殺し、その座を奪うんだ』ってな。
     分かるか、シュウヤ? この命令がどれほど俺を、どれほど! 心から幸せに、爽快にしたか! 俺の人生を台無しにした奴をブッ殺し、その上その地位を丸ごと奪えるチャンスを、白猫は俺にくれたんだ。ケチの付いた『アルト・トッドレール』の人生を、『フィッボ・モダス』としてやり直せる、これ以上無いチャンスを、だ。
     だがシュウヤ、白猫の命令をこなす一方で、どうも俺は、白猫がお前さんをひいきしているんじゃねえかと、そう感じていた」
    「ひいき?」
     アルトはつかんでいた鎖を、ぎちぎちと音を立てて握りしめる。
    「国境越える時、お前を見捨てて逃げたことがあったが、あの前日に白猫から、『くれぐれもシュウヤだけは見捨てるなよ』と、わざわざ念押しされてたんだ。
     だがその翌日、俺はお前さんと口論してたろ? あれでイライラっと来ててな、見捨てたところで俺が役目を全うすりゃどうとでもなるさ、そう思って馬車を走らせたんだ。
     しかしそれは、白猫が望んでないシナリオだったらしい。白猫は俺に報復した。白猫は俺に、嘘の預言を教えたんだ。『絶体絶命のピンチに陥るコトがあるけど、フィッボを連れていれば殺されるようなコトは無い。逆に散々彼を罵って、ソレに反論しないような臆病者、助けるような価値もないカスと思わせれば、包囲の手は緩む』ってな。
     で、そのまま実行してみりゃ、あのザマだ。喉に穴は開けられるわ、マチェレ王国のアジトは散々荒らされるわ、ならず者として追い回されるわ、だ!」
     アルトが語気を荒げると同時に、みぢ、と音を立て、鎖の一部が歪んで千切れる。
    「半死半生で逃げ回り、心底疲れ切った俺のところに、白猫はまた現れた。『コレで分かっただろ? もう二度と、ボクの言うコトに逆らうんじゃない。キミなんかボクの機嫌次第で、いつだって殺せるんだからな』って脅した上で、また預言を出してきた。
     俺は従うしか無かった。殺されたくねえからな。で、アジトが潰されたことで俺を恨んでた奴らをなだめすかして懐柔したり、中央に渡って金火狐の戦術兵器を盗んだり、兵隊だらけのとこへ押し入ったりと、白猫は俺を散々いたぶりながら、あれこれと無理難題を命じ続けた。
     その命令の端々に、白猫はお前を英雄に仕立て上げるため、俺を餌、踏み台にさせようって目論見が、ありありと見えていた。俺は散々いいように扱われ、結局ケチな悪役として仕立て上げられ、そして最後はお前を引き立たせる小悪党役で人生、終わらせられるんだろうなって絶望していた。
     ……でも、流れは段々おかしくなってたみたいだな。お前さん、白猫をブン殴ったんだってな?」
    「……ああ。ハーミット卿を殺せとか、無茶なコト言って俺をボロカスにけなしたからな。アタマ来たんだ」
     秋也がそう答えた途端、アルトはゲラゲラと笑い出した。
    「ひひ、ひっひっひ……、お前さん、やっぱり馬鹿だな! 自分の身の安全も考えられねえ、正真正銘の大馬鹿だ!
     白猫は飄々と振る舞ってるように見えて、実際は相当に執念深い性格をしてるんだぜ。『このボクの顔面に拳をブチ当てるなんて! 絶対に許してやるもんか!』っつって、相当キレてた。
     そして俺にこう命じたのさ――『もう金輪際、シュウヤのアホタレなんか世話してやるもんか! アルト、お前が代わりに英雄になれ! 王宮に乗り込んでくるシュウヤをコレ以上無いくらいに無残に、残酷に屠殺して、お前がその役目を継げ!』ってな」
     アルトは握っていた鎖を玉座に巻き付け、その一部に錠前をかけた。
    「これでこのお嬢ちゃんは逃げられない。俺が外すか、シュウヤ、お前さんが俺を倒さない限りな。
     さあ、戦おうぜシュウヤ! お前をこの小娘の前で引き裂き、お前に散々恥と恨みと絶望を目一杯に被せて、地獄の底へ叩き込んでやる!」
     アルトはそう叫び、秋也に向かって飛びかかった。

    白猫夢・賊帝抄 2

    2012.11.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第133話。白猫ショーの役者たち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「『第一段階』、……か」 秋也が繰り返したその言葉に、アルトは引きつったような笑いを返した。「ひひ……、そうさ、『第一段階』。あいつが良く使ってる言葉だ。 俺を有名で実績ある奴に仕立て上げた白猫は、次の段階へ計画を移した。シュウヤ、お前さんが西方に来ると白猫は俺に知らせ、同時にモダス帝亡命計画が長いこと進められてた...

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    麒麟を巡る話、第134話。
    剣士対超人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     アルトが襲いかかってきた瞬間、秋也は全身の毛がバリバリと逆立つほど、その脳内一杯に危険を感じていた。
    「……ッ」
     その直感を受け、体が勝手に動く。とっさに構えた刀でアルトの初弾をギリギリ止め――たつもりだったが、気が付けば秋也は壁に叩き付けられていた。
    「……げほっ!?」
     何が起こったか分からず、秋也はゲホゲホと咳き込む。
    「おいおい、トロくせえな? そんなにノロマだったか?」
     アルトとの距離はこの時、3、4メートルほど離れていた。
    (見えなかった……! 変だな、ここまで強くなるなんて?)
     どうにか態勢を整え直し、今度は秋也が、アルトへと斬りかかった。
    「りゃああッ!」
     刀に火を灯し、自分が出せるであろう最高速度で振りかぶったが、刀は赤い軌跡を残して空を切るだけだった。
    「ひっひ、どこ狙ってんだ?」「……!」
     ぐい、と襟をつかまれ、引っ張られると同時に足払いをかけられて、秋也の視界が180度縦回転する。
    「何だよ、これでおしまいか?」
     間延びしたアルトの声が聞こえてくる。
     秋也はこれから来る攻撃を察知し、両手を後頭部に回した。
    「そーら、……よぉッ!」
     ボキボキと音を立て、秋也の左手の甲が砕ける。しかしそれでも威力を殺し切れず、首に嫌な痛みが走った。
    「がっ、あ、……あ、っ」
     床を二度、三度跳ね、秋也はまた壁際に飛ばされた。
    「はあっ、……はあっ、はあっ」
     たった二回の攻撃で、既に秋也の視界は赤黒く染まっている。
    (お、おかしい、強すぎる……。ほんの3日前、戦った時は、こんな、強さじゃ)
     どうにか立ち上がろうとしたが、膝の力ががくんと抜け、体勢を大きく崩す。
     秋也とアルトの力量差は、明らかに前回と逆転していた。
    「っかしいな……?」
     だが、それでもアルトにとっては満足いく状態ではないらしかった。
    「今の一撃でお前の脳みそ、半分くらいぶっちゃけるはずだったんだがな。……いや、初弾の時点で、真っ二つにブッ千切るつもりだったんだけどな。
     何で俺の速さに付いて来られる? 何で俺の力を受け止められる? 超人になったはずのこの俺に、お前はどうして対応できるんだ?」
    「ちょ、う、じん……?」
     声もまともに張れないほどダメージを負った秋也に、アルトはニヤニヤと笑って見せる。
    「そうさ。俺は超人になった。だからこそお前と、対等以上に戦えるんだぜ。
     ほれ、もっかい来てみろよ、シュウヤ。俺のやさっしーい情けだ、もう一太刀くらいは相手してやんぜ?」
     アルトは床に落ちていた秋也の刀を蹴り、秋也のところに寄越す。
    「なめ、や、がって……!」
     胃から口の中に上っていた血をビチャビチャと吐き、秋也は刀を拾い、構える。
     だが既に左手を粉砕骨折しているため、構えたその刀は、ガタガタと揺れている。
    「てめー、なんかに、……やられて、たまるか、……ッ」
     それでも全身に力をみなぎらせ、秋也はアルトに向かって駆け出した。
    「『火閃』ッ!」
     振り払った刀から火が撒き散らされ、アルトへ飛んで行く。
     しかし、アルトはひょい、と事も無げにそれを避ける。
    「……ッ」
     秋也はもう一度、薙ぐ。それも避けられる。
    「……ぁッ」
     もう一度。
    「ら……っ」
     もう一度。
    「は……ぁ」
     もう一度。さらにもう一度。立て続けに、振るい続ける。
    「……そ……っ、……くそっ、……くそ、ぉ、っ」
     やがて、秋也の動きが止まる。
    「どうした? もう、来ねえのか?」
    「……くそ、……が……、っ」
     体がぶるぶると震えだし、上段に構えた刀から火が消える。
    「……ごぼ、ぼ、ぼごごっ」
     それと同時に、秋也の口からおびただしい血が、泡になって吐き出された。
    「……限界か? くくく、ザマぁねえな? 剣士が聞いて呆れるぜ!」
     だが、それでも秋也は倒れない。
    「……」 
    ガクガクと足を震わせ、刀を上段に構えたまま、眼だけがギラギラと生気を持って、アルトをにらんでいた。
    「倒れないのは立派だな、……とでも言ってほしいか?」
     アルトはニヤついた顔で、秋也との距離を詰める。
    「俺がそんなクサいセリフ言うわけねえだろーが、バーカ! ただただ惨めで無様でみっともねえだけだぜ、無謀で能無しのお坊ちゃんよぉ?」
     アルトは依然倒れない秋也の前で立ち止まり――その首をギリギリとつかむ。
    「げ、げぼ、げぼっ、ごぼっ」
     秋也の口から、さらに血の泡が流れ出す。顔からはみるみる血の気が引き、血走った眼はぐるんと白目をむいた。
    「持って後5分、か? ならいい、丁度いい。
     俺がお前の目の前で、あの小娘を手籠めにし、お前を絶望させるにゃ、十分な時間だ」
     アルトは秋也の首をつかんだ手を、ぐいぐいと下げる。
    「……ごぼ、がはっ」
     その力に抗えず、秋也の体がついに、地面へと落とされた。

    白猫夢・賊帝抄 3

    2012.11.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第134話。剣士対超人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. アルトが襲いかかってきた瞬間、秋也は全身の毛がバリバリと逆立つほど、その脳内一杯に危険を感じていた。「……ッ」 その直感を受け、体が勝手に動く。とっさに構えた刀でアルトの初弾をギリギリ止め――たつもりだったが、気が付けば秋也は壁に叩き付けられていた。「……げほっ!?」 何が起こったか分からず、秋也はゲホゲホと咳き込む。「おい...

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    麒麟を巡る話、第135話。
    怒と仁の極大点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     血塗れになって倒れた秋也を目にし、ベルは叫んでいた。
    「い……、いやあああっ!」
    「うるっせえなぁ、クソガキが」
     秋也の血を服の裾で拭いながら、アルトがベルへと近づく。
    「いや……! やめて、来ないで!」
    「お断りだ。早めにやんねーと、アイツが死んじまう。それじゃあ、駄目だ。あいつに決定的な一撃を与えられねえ。そうなると俺にとっちゃ、一生の心残りだ。
     俺はあいつを徹底的に叩きのめして殺したいんだよ……! 俺を踏み台にしようとしやがったあいつを、あの世ですら二度と立ち直れないくらいに叩きのめさなきゃ、気が済まねえんだよ。
     それとも何か? お前さんが、そのイライラを治めてくれるってのか? どうやってだ? ひひひ、どうやってくれるんだ、え?」
    「ひぃ……!」
     ベルの口から、最早まともな言葉は出てこない。
     出てくるのは恐怖と嫌悪感に満ちた、嗚咽だけだった。

    (ベル……ちゃん……)
     体中を痛めつけられ、大量に血を吐き、さらには喉をつぶされた秋也はこの時、死の淵にいた。
     ベルの様子をたしかめようと、秋也は鉛のように重いまぶたを無理やりにこじ開ける。
    「いやっ……、いやあっ……!」
    「大人しくしやがれっ、このっ」
     アルトがベルの鎖をつかみ、彼女の首を引っ張るのが見える。
    (なに……してやがる……アルト……ッ)
     叫んだつもりだったが、声どころか、吐息すらその口からは出てこない。
    (おい……やめろ……やめろよ……くそ……)
     砕けた手は動かない。
     震える足は動かない。
     喉奥からは血反吐しか出てこない。
     力も、声も、何も絞り出すこともできない。
    (ちくしょう……ちくしょう……ふざけんな……やめろ……)
     無理矢理に開けていた目が、勝手に閉じる。
     視界が消え、ベルの声だけが秋也の耳に届く。
    「いや……、やめて……」
    (やめろ……やめろって……言ってんだろ……)
    「いい加減にしやがれ!」
     ばし、と乾いた音が響く。
    「うっ、……うえ、……うえええー」
     ベルの泣き声が聞こえる。
    「助けて……たすけて……」
    「諦めろって何べん言わせる!? まだ分からねえかッ!」
     アルトの下卑た声が聞こえる。

     そして、ベルの泣く声が聞こえた。
    「たすけて、シュウヤぁ……」



     その時自分が何をしたのかを、秋也は良く覚えていない。

     まず、自分がいつの間にか立ち上がっていたことは覚えている。
    (やめろって……)
     そして今にもベルにのしかかろうとしていたアルトに向かって、あらん限りの全力で駆け出したことも、これもまたぼんやりとだが、覚えている。
    (やめろって言ってんだろ!)
     そして自分がその間、そう強く思っていたことも覚えている。

     しかし――自分がいつアルトに攻撃を仕掛け、それをどうやって命中させたか、まるで覚えていなかった。



    「……!」
     壁に叩き付けられ、ぐったりとしたアルトを見て、秋也は叫んでいた。
    「このクソ野郎ッ! お前には指一本、触れさせねえぞッ!」
    「な……んだ、と」
     秋也はその返答が、てっきり自分が吐き捨てた言葉に対するものだと思っていた。
    「聞こえねーのか!? お前に、お前なんかにこいつは……ッ!」
    「てめ、っ……、何でピンピン、してやがる、っ」
     一度も攻撃が当たらなかったはずのアルトが、口の端からポタポタと血を流している。
    「まだ、やられ足りねえのかっ」
     アルトが壁を蹴り、秋也の方へ向かって飛び込んでくる。
     ところが――これまでまったく捉えられなかったアルトの動きが、その時の秋也にははっきりと確認することができた。
    「……うおおおああああーッ!」
     秋也は向かってくるアルトに向かって、目一杯の力を込めて刀を投げ付けた。
    「が、……はっ!?」
     刀が腹部へと突き刺さり、アルトの動きが空中で撚(よ)れる。
     どさりと自分の右横へ落ちたアルトに、秋也は追い打ちをかけた。
    「お前に……お前なんかに……っ」
     秋也はアルトの顔面に向かって、渾身の力を込めた拳を叩き付けた。
    「お前なんかに、ベルは渡さねえぞーッ!」
     アルトの体は弧を描き、窓の方へと飛んで行く。
    「ひ、ぎゃ、あああああー……ッ」
     アルトは血しぶきを撒き散らし、断末魔の声を挙げながら窓に叩き付けられ、さらにそのはるか彼方――眼下に広がる美しい湖へと、真っ逆さまに落ちて行った。

    白猫夢・賊帝抄 4

    2012.11.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第135話。怒と仁の極大点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 血塗れになって倒れた秋也を目にし、ベルは叫んでいた。「い……、いやあああっ!」「うるっせえなぁ、クソガキが」 秋也の血を服の裾で拭いながら、アルトがベルへと近づく。「いや……! やめて、来ないで!」「お断りだ。早めにやんねーと、アイツが死んじまう。それじゃあ、駄目だ。あいつに決定的な一撃を与えられねえ。そうなると俺にと...

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    麒麟を巡る話、第136話。
    絶対渡さない、絶対離さない。

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    5.
    「……ひっく、……ひっく」
     ベルの泣き声で、秋也はようやく我に返る。
    「……ベルちゃん!」
     秋也は慌てて、ベルに駆け寄った。
    「大丈夫か!? な、何も、何にもされてないよな!?」
    「しゅ、……」
     ベルは秋也の顔を見るなり、また、大声を挙げて泣き出した。
    「うああああん、じゅうやぐうううん」
    「お、おい? まさかもう、何かされて……」
    「ごわがっだよおお」
     ベルは大泣きしながら、秋也にぎゅっと抱き着いた。
    「……ああ、うん、もう大丈夫。大丈夫だから、うん。悪いヤツはオレがやっつけてやった。
     もう大丈夫だから。安心してくれ、ベルちゃん」
    「うん……うん……」
     ベルはまだ嗚咽を漏らしながらも、どうにか泣き止む。
    「ありがと、シュウヤくん、ひっく、……ありがと」
    「いいよ、礼なんて。最初っから助けに来たつもりなんだから」
    「でもっ、シュウヤくん、ひっく、死んじゃったかと思って」
    「……あれ?」
     そう言われ、秋也は自分の体を確かめる。
    (おかしいな? オレ、確かに全身ぐちゃぐちゃになったかと思うくらい、ボコボコにされてたはずなんだけどな)
     その間にベルは、自分の首にかかった鎖を外そうとしていたが、やがてふるふると首を振った。
    「外れない。どうしよう、シュウヤくん?」
    「あー……、と。刀、……はアイツと一緒にすっ飛んじまったな。
     ちょっと待っててくれ。上に鍵、あるよな?」
    「鍵、あいつが持ったまんま」
    「うわ、マジか。どうすっかな」
     秋也も鎖をにぎったまま、ベルと並んで座り込む。
     と、ベルがぼそぼそ、と何かをつぶやく。
    「ん? 何か言った?」
    「……あの、ちょっと、聞きたいんだけどさ」
    「何を?」
    「さっき、あいつを殴り飛ばした、ちょっと前。
     シュウヤくん、……えっと、……あたしのこと。『絶対渡すもんか』って言ってくれた、……よね?」
     そう聞かれ、秋也は「えっ」と声を挙げた。
    「あ、うん、まあ、言った、かな。言ったけど、あの、そんな、変な意味じゃなくて」
    「変な意味で、……いいよ?」
     そう言うなり、ベルはもう一度秋也に抱き着き――唇を重ねてきた。
    「もごっ!?」
    「シュウヤくん、……あのね?」
     秋也から離れ、ベルは真っ赤な顔でこう言った。
    「妹じゃなくなっていい?
     あたしシュウヤくんのこと、……とっても、好きになっちゃったみたいなの」
    「え。……えー、あー、うー、……マジで?」
     口ごもる秋也を見て、ベルはまた泣きそうな顔をする。
    「……ダメかな」
    「な、……なワケないだろっ」
     秋也は意を決し、こう返した。
    「オレも何て言うか、その、アイツに襲われそうになってた君を見て、心の底からやめてくれって叫んでたんだ。
     オレ以外の奴と結ばれるようなベルちゃ、……ベルなんて、絶対見たくない」
    「あたしもだよ、……シュウヤ。あたし、君以外と絶対、キスとかなんてしない。絶対だよ」
     二人は手を取り合い――そしてもう一度、互いに口付けした。

     と――。
    「お前らなぁ」
     サンクの呆れた声が飛んでくる。
    「人が心配してここまで来たってのに、のんきにちゅっちゅしてんなよなー」
    「ひゃあっ!?」「おわっ!?」
     二人は慌てて離れ――ようとしたが、いつの間にか絡んでいた鎖に互いが引っ張られ、揃ってこてんと倒れてしまった。



     サンクに錠前を壊してもらい、ベルは秋也に手を引かれながら、王宮一階まで降りてきた。
     アルピナとサンデルの二人と合流したところで、サンクが秋也たちを茶化す。
    「こいつら俺が見付けた時、抱き合ってキスしてたぞ」
    「なんと」
    「あらまぁ」
    「うー……」「もぉー……」
     顔を真っ赤にする二人を見て、アルピナはクスクスと笑う。
    「その様子なら、大丈夫そうね。
     さあ、急いで帰りましょう。ここでじっとしていたら、いつトッドレール一味や、トッドレール本人に……」「あ、ソレなんスけど」
     警戒しかけたアルピナに、秋也が事の顛末を説明した。
    「え、じゃあ、トッドレール氏はあなたが始末しちゃったの?」
    「ええ、そうなります」
    「となると、先程の影はトッドであったか。刀で串刺しにされた上、3階から湖へと真っ逆さま、……となれば恐らく生きてはおらんだろうな」
    「……です、よね」
     サンデルはバン、と秋也の両肩を叩き、褒め称えた。
    「よくやった、シュウヤ! 見事に使命を果たしたな!」
    「ええ、まあ……」
     あいまいに応えた秋也に、アルピナがこう声をかける。
    「殺してしまったと悔やんでいるかも知れないけれど、トッドレール氏はそれこそ殺人をはじめ、相当に汚いことをやり尽くした卑劣漢よ。殺害・死亡はやむを得ない結果だと、わたしは思うわ。
     ……正当化できるような方便は無いけれど、それでもあなたのその行為で、多くの人の命と将来はきっと救われた。わたしも皆も、そう思ってるわ」
    「……ありがとうございます。そう言っていただければ、オレも救われた気がします」
     秋也はそれだけ返し、ベルの手を引いたまま、王宮の外へと出た。

    白猫夢・賊帝抄 終

    白猫夢・賊帝抄 5

    2012.11.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第136話。絶対渡さない、絶対離さない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……ひっく、……ひっく」 ベルの泣き声で、秋也はようやく我に返る。「……ベルちゃん!」 秋也は慌てて、ベルに駆け寄った。「大丈夫か!? な、何も、何にもされてないよな!?」「しゅ、……」 ベルは秋也の顔を見るなり、また、大声を挙げて泣き出した。「うああああん、じゅうやぐうううん」「お、おい? まさかもう、何かさ...

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    麒麟を巡る話、第137話。
    敵陣、脱出へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     城内には既に、戦おうと言う気配は無い。
     そして城を後にし、荒れた市街地へ出ても、どこにも危険は感じられない。
     秋也たちは誰にも襲われることなく、帝都を後にする。
    「……帰りは楽に済みそうね」
     アルピナの言葉に、一行は静かにうなずく。
     警戒しつつ動いていた時に比べて3分の1程度の時間で、一行は車を隠した場所に到着した。
    「なあ、アルピナ」
     と、車の状態を見たサンクがこう提案する。
    「やっぱり後ろのエンジンさ、外した方がいいんじゃないか? さっきより油の漏れ方がひどい。もう攻撃される心配も無いし、作業する時間はたっぷりあるぜ」
    「……そうね。このまま動かしたら燃え出しそうだしね。外してリヤカーに載せましょ」
     二人は革手袋をはめ、作業に取り掛かろうとする。
     その間に秋也は、きょろきょろと辺りを見回していた。
    「どうした? 敵らしきものがいるのか?」
     その様子を見たサンデルが、訝しそうに尋ねる。
    「いや、まあ、ソレも警戒してはいるんスけど」
     秋也は腰に佩いた刀の鞘を指差し、こう続けた。
    「刀、アルトの奴に刺しっ放しにしたんで、何か代わりになるもん無いかなーって」
    「ふむ……。しかしこの辺りには木切れくらいしか無いな」
    「ですよねぇ」
     と、話を聞いていたアルピナが応じる。
    「それなら車に備え付けてるレンチとかどうかしら? 斬れはしないけれど、叩くくらいならできるわよ」
    「あー……、そうっスね、お借りします」
    「作業が終わってからね」
    「はーい」
     とりあえずの得物が確保でき、秋也は一安心する。
     と、秋也はここで、ベルがぼんやりとした顔でリヤカーにもたれかかっていることに気が付いた。
    「……」
     その顔には先程、秋也に見せたような安堵・高揚した様子は無く、落ち込んでいるように見える。
    「ベル?」
    「……」
    「おーい、ベル」
    「……あ」
     何度か秋也に呼ばれたところで、ベルは顔を向ける。
    「なに?」
    「大丈夫か? 顔色、悪いぞ」
    「うん、大丈夫。……うん」
    「大丈夫に見えねーよ。どうした?」
     重ねて尋ねられ、ベルはようやく答える。
    「……あたし、……ダメだなぁって」
    「へ?」
    「兵士だって強がってたのに、何もできずにさらわれちゃうし、助けられちゃうし、今だって何もできないし」
    「……」
    「あたしに兵士なんて、向いてなかったのかな」
    「……んなコト」
     秋也は否定しようとしたが、アルピナはこう返してきた。
    「そうね。わたしの目には、あんまり向いてそうには見えないわ」
    「ちょ」
    「えっ……」
     絶句するベルに、アルピナはこう続ける。
    「そんな反応するならベルちゃん、あなたはまだ頑張りたいって、頭のどこかでそう思ってるんじゃないかしら?」
    「……」
    「もし本当にできない、やりたくないって思うなら、あなたはまだ若いんだし。今からでも別の道を探せばいい。
     それともこの失敗を返上したい、名誉挽回したいと言うなら、戻ってからまた頑張ればいい。あなたはまだいくらでもやり直せるし、取り返すこともできる。
     シルバーレイクに戻るまでには十分時間があるんだから、その間にゆっくり、考えてみればいいんじゃないかしら。今、無理に結論を出す必要は無いわ」
    「……はい」
     と、そこでアルピナは秋也とベルを交互に見て、いたずらっぽく笑う。
    「その辺り、彼氏さんと相談し合ってもいいと思うわよ。もしかしたら長い付き合いになるかも知れないんだしね」
    「えっ、……あ、……はい」
    「はは……」
     秋也とベルは互いに顔を見合わせ、顔を真っ赤にして笑った。
     そうこうする間に、黙々と作業していたサンクが顔を挙げる。
    「こっち側のマウント周りは外れたぜ。そっちは?」
    「あ、ごめん。まだ外せて……」
     答えかけたアルピナが、途中で言葉を切る。
    「……みんな!」
    「ん?」
    「乗って! 早く! サンク、すぐマウント付け直して! 無理矢理でいいから!」
    「え? え?」
     突然の命令に、全員が面食らう。
     しかしアルピナの視線を辿ったところで、全員が大慌てでその命令に従った。

     街道の端から、恐るべき速さで何かが迫っていたからである。

    白猫夢・追鉄抄 1

    2012.11.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第137話。敵陣、脱出へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 城内には既に、戦おうと言う気配は無い。 そして城を後にし、荒れた市街地へ出ても、どこにも危険は感じられない。 秋也たちは誰にも襲われることなく、帝都を後にする。「……帰りは楽に済みそうね」 アルピナの言葉に、一行は静かにうなずく。 警戒しつつ動いていた時に比べて3分の1程度の時間で、一行は車を隠した場所に到着した。「な...

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    麒麟を巡る話、第138話。
    最後の逃走。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「動け、動け、動けッ!」
     サンクが顔を真っ赤にしてクランクレバーを回し、エンジンを動かす。
     出発した当初とはまるで違う、ボロボロとくぐもった音を立ててエンジンが動き出すと同時に、アルピナがクラッチとアクセルとを目一杯に踏み込む。
    「飛ばすわよ!」
     サンクがリヤカーにつかまったところで、車は排気管から黒い煙と真っ赤な炎を勢い良く吐き出して発進する。
    「なんだ……ありゃあ!?」
     車後方から、ローブをまとった何かがゴツ、ゴツと石畳を砕きながら、猛スピードで迫ってくる。
    「……クサーラ卿!」
     遠目ながらもその姿を確認し、サンデルが叫ぶ。
    「クサーラ卿って……、帝国参謀の!?」
    「モダス帝が言っていた、『鉄の悪魔』か!」
     どうにかリヤカーに乗り込んだサンクが、備え付けられていた対装甲ライフルに手を伸ばす。
    「一目で分かるぜ――あれは、人間じゃない!」
     サンクは追ってくるアロイスに狙いを定め、叫ぶ。
    「耳を塞げ! 撃つぞ!」
     サンクは引き金を引き、ライフルを発射する。
     ドゴンと言う猛烈な炸裂音と同時に、追っていたアロイスが頭から仰向けに倒れた。
    「命中ッ!」
     サンクは右手を挙げかけ――すぐに青ざめ、構え直す。
    「……ふざけんな、嘘だろ!?」
    「ま、まだ追って来るのか!?」
     後方はるか遠くへ弾き飛ばされたアロイスは、事も無げにむくりと起き上がり、再び猛追し始める。
    「冗談じゃないぞ……! 機関車をブチ抜けるライフルで頭を撃って、何で生きてやがる!?」
    「大尉!」
     と、車を運転しているアルピナがサンデルを呼ぶ。
    「なんだ!?」
    「運転代わって! わたしは後方を援護するわ!」
    「な、何!? 吾輩がか!? 一度も触ったことが……」
     うろたえるサンデルに代わり、秋也が名乗り出る。
    「オレがやります!」
    「……お願い!」
     秋也はリヤカーから車へ飛び移り、アルピナが床まで踏み込んでいたペダルを、横から踏み込む。
     入れ替わりにアルピナがリヤカーへと移り、積んでいた小銃を取り出して構える。
    「ベルちゃんも撃って!」
    「は、はいっ!」
    「わ、吾輩も撃つぞ!」
     運転を秋也に任せ、残りの四人は対装甲ライフルと小銃とを、アロイスに向かって懸命に撃ち込む。
    「撃て、撃て、撃てーッ!」
     四人の放った弾丸は立て続けにアロイスの体中に命中し、アロイスは何度も転がり、倒れる。
     しかしその度に立ち上がり、追跡を止めようとはしない。
    「なんなの、あいつ……!」
    「何故追って来られるのだ!?」
     何度も撃たれ、転がるうちに、着ていたローブはぼろぼろに破け、やがてアロイスの体から離れる。
     そして露わになったアロイスの全身を見て、アルピナたちは息を呑んだ。
    「全身に、甲冑!?」
    「って言うより、あれはまるで……」
    「鉄塊が……走ってるみたい」
    「やはり人間では無い! 悪魔だ! でなければあんな鉄の塊が、あんな速さで迫れるものか!」
     一向に倒すことも振り切ることもできず、その上に、黒光りするアロイスの全身を目にした四人の心は、今まさに折れかけていた。
     そして秋也の方も、「くそッ」と絶望的な声で叫ぶ。
    「速度がガンガン落ちてる……! 目一杯踏み込んでるってのに!」
    「……!」
     アルピナが振り返り、後部エンジンの様子を確かめる。
    「やっぱり、外しておくべきだったか……!」
     とっくの昔にマウントが脱落した後部エンジンはブルブルと震え、接合部と言う接合部からはボタボタと黒い油が垂れ、あちこちで火が明滅していた。
    「エンジンの出力が落ちてる! これ以上は逃げられないわ!
     もう一度全員掃射よ! これが最後のチャンス!」
     四人は各々懸命に己を奮い立たせ、一斉に銃を構える。
    「一点集中よ! 頭を!」
     アルピナの号令に従い、四人はアロイスの頭に狙いを定める。
    「……撃てーッ!」
     一斉に発射された銃弾4発のうち、1発は残念ながら外れ、空を切る。
     しかし残り3発はアロイスの額に、確かに命中した。
    「グオ……ッ」
     アロイスのうめく声が、遠目ながら聞こえる。
     アロイスはもう一度倒れ、そして動かなくなった。
    「やった……!」
     アルピナたちは勝利を確信し、安堵のため息を漏らしかけた。

     しかし――それは次の瞬間、極度の緊張へと変わった。
    「うわあ……ッ!?」
     エンジンがついに限界に達し、爆発したのだ。

    白猫夢・追鉄抄 2

    2012.11.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第138話。最後の逃走。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「動け、動け、動けッ!」 サンクが顔を真っ赤にしてクランクレバーを回し、エンジンを動かす。 出発した当初とはまるで違う、ボロボロとくぐもった音を立ててエンジンが動き出すと同時に、アルピナがクラッチとアクセルとを目一杯に踏み込む。「飛ばすわよ!」 サンクがリヤカーにつかまったところで、車は排気管から黒い煙と真っ赤な炎を勢い...

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    麒麟を巡る話、第139話。
    悪魔の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     後部エンジン爆発の衝撃により車は大きく後ろに傾き、牽引されていたリヤカーは逆に、前へとつんのめっていく。
    「お、わ、わわ、……だーッ!」
     V字に重なりかけた両車から、秋也は慌てて飛び降りる。
     同時に投げ出されかけた四人を、秋也は空中で何とかつかみ、目の前に迫ったリヤカーを蹴り、その反動で車の間から脱出した。
    「……う、……ぐ、……ぐああっ」
     着地した瞬間、自分を含めた5人分の体重が右脚に乗り、ボキボキと耳障りな音が響く。
    「い、……てぇ」
     それでもどうにか全員、車の衝突から免れることができ、よろよろと立ちあがったサンデルが秋也に肩を貸す。
    「ぶ、無事、か、っ」
    「だ、大丈夫、っス、から」
    「馬鹿を、い、言え、……くっ」
     立ち上がろうとするが、サンデルも秋也も、揃ってがくりと膝を着いてしまう。
    「み、みんな……、無事……?」
     アルピナが皆に呼びかける。その左肩は不自然なほどだらんと垂れ下がり、外れているのは明らかだった。
    「お……おう……」
     サンクは地面に座ったまま答える。どうやら彼も、足を折ったらしい。
    「……」
     ベルは答えない。
    「お、おい、ベル……?」
    「触っちゃ駄目! ……う、く、あう、っ」
     アルピナは肩を自分で入れ直し、倒れたままのベルに近付き、様子を確かめる。
    「気を失ってるだけみたい。擦り傷や打撲はあるけど、折れたり外れたりはしてないわ」
    「……良かった」
     秋也の気が緩み、意識が遠くなりかけた。

     だが――ゴツ、ゴツと言う重い足音が聞こえ、全員が硬直する。
    「……そんな……まさか……!」
    「冗談じゃねえ……!」
    「まだ……生きていると言うのか……!」
    「……くそ……!」
     近付いてきたアロイスはガリガリとした金属質の声を荒げ、こう言い渡す。
    「オ前タチハ……ガガッ、……二度モ私ノ御子……皇帝ヲ……、ガピュ、ガッ……亡キ者ニシタ……!
     ソノ愚行、蛮行……ガ、ガガガ……、万死ニ値スル……! 全員……ココデ……ガガ、ガピュ……死ヌガ良イ」
    「……~ッ!」
     秋也は折れた足を無理矢理に引きずり、落ちていた車のバンパーを構え、アロイスと対峙する。
    「させっかよ……!」
     アロイスは秋也の姿を見て、さらにこう告げる。
    「特ニ貴様……ガガガ……シュウヤ・コウ……コウ……黄……ッ!
     黄……! 貴様ノ血統ニハ……ガッ、ガガッ……心底、怒リト恨ミヲ覚エテイルゾッ! 許サン……ガピ……貴様ハ、貴様ハ微粒子レベルマデ細切レニシテクレルッ……!」
    「……やってみろよ……ッ!」
     秋也はバンパーを上段に構え、アロイスを待ち構えた。

     その時だった。
    「やらせないわよ、そんなこと」
     秋也の前に、とん、と軽い音を立てて、何者かが降り立った。
    「え……?」
     その人物を目にした秋也は唖然とし、思わずバンパーを落としてしまう。
    「……キ、貴様ハ……? ドウ言ウコトダ……?」
    「鉄の悪魔」アロイスもまた、相当に驚いているらしい。
    「何故……貴様ガ今更、ガ、ガッ……、コンナ場所ニ現レル!? アレカラ……ガピュッ……20年モ経ッテマダ、私ニ用ガアルト言ウノカ!?
     答エロ、トモエ・ホウドウ!」
    「アラン。……いいえ、アルだったわね。
     あなたったらまたラッパみたいな声してるのね、あはは……」
     秋也の目の前に現れたその女性は、けらけらとアロイスを嘲笑って見せる。
    「それにしても懐かしいわね、その名前。でももう古いわ。今の私は『克』。克渾沌よ。
     分かるわよね、こう言えば? わたしが何で『こんな場所』にいるのか、その理由が」
    「ガガ、ガガガー……『克』……ダト……!?」
     その名を聞いた途端、アロイスの声に揺らぎが生じる。
    「師匠、克大火からの言伝があるから、ブッ壊す前に伝えてあげる。
    『お前の企みは時代・場所・対象を問わず、発見次第跡形も無く、お前を含めて破壊・消滅させる。俺と俺の弟子による総力を以てして、な』、だそうよ。
     と言うわけで私も、あなたをボコボコにしてあ・げ・る」
    「オ、オオオ、オオ……!」
     秋也はこの時初めて、アロイスの挙動に恐怖じみたものが生じるのを見た。
    「デ、デキルモノカ……オ前ナドニ……!
     20年前、二人ガカリデヨウヤク……ガガッ……私ヲ倒セル程度ノ力量シカ無カッタオ前ガ……ガッ、ガピュッ……ノコノコト一人デヤッテ来テ……ソンナコトヲ……ガ、ガピー……デキルワケガ……」
    「でも、あなたの演算装置はそんな結論を導き出してないんじゃない?
     震えているわよ……うふふふ、ふ」
     渾沌は口元をにやっと歪ませ、剣を抜き払った。
    「『九紋竜』」

    白猫夢・追鉄抄 3

    2012.11.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第139話。悪魔の降臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 後部エンジン爆発の衝撃により車は大きく後ろに傾き、牽引されていたリヤカーは逆に、前へとつんのめっていく。「お、わ、わわ、……だーッ!」 V字に重なりかけた両車から、秋也は慌てて飛び降りる。 同時に投げ出されかけた四人を、秋也は空中で何とかつかみ、目の前に迫ったリヤカーを蹴り、その反動で車の間から脱出した。「……う、……ぐ、……...

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    麒麟を巡る話、第140話。
    「すげえ」しか言えない相手。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     居合抜きの如く抜き払われた渾沌の剣から九個の青い光弾が発射され、アロイスに向かって飛んで行く。
    「ウゴ……ッ!?」
     対装甲ライフルの連射でさえ貫けなかったアロイスの体を、光弾は易々と貫通する。
    「馬鹿ナ……! 私ガ……コンナ……簡単ニ……!?」
     大きく穴の開いた箇所から、アロイスの体はゆっくりと後方に折れ、やがて真っ二つに破断した。
    「20年前と同じだと思ってた? お生憎様、私はあれから桁違いに成長したのよ」
    「……ダ、ダガ……」
     上半身だけになったアロイスは、なおも口を開く。
    「忘レタワケデハアルマイ……私ハ何度デモ蘇リ……ソシテマタ……ガー……新タナ御子ヲ立テルノダ……。
     永遠ニ……イタチゴッコヲ……ガ、ガッ……続ケルツモリカ……オ前タチ『克』ハ……?」
    「そのつもりよ」
     渾沌は残っていたアロイスの頭部に、がつっ、と剣を突き立てた。
    「あなたたちが諦めるまで、いくらでも続けるつもりよ。
     私たちにはそれができるだけの力も、意志もあるもの」
     次の瞬間、アロイスの体が爆発し、渾沌を巻き込む。
    「ちょっ!?」
     秋也は驚き、声を挙げるが、渾沌の笑い声が返ってくる。
    「あはは……、何? 私がこの程度で死ぬと思ったの?」
     もうもうと立つ土煙の中から、渾沌は平然と戻ってきた。

    「はい、これで大丈夫」
     渾沌は傷ついた秋也たち一行を、治療術で癒してくれた。
    「すげえな……。本国の最新医療チームでもなかなかこうは……」
     痕も残らず完治した足を撫でながら、サンクが感心した声を挙げる。渾沌はそれを、いつもの含み笑いで応じた。
    「私を誰だと思ってるの? 『克』よ?」
    「いつもながらアンタ、人間離れしてるぜ……」
    「うふふふ」
     と、秋也は彼女の声を聴いて、あることを思い出した。
    「あれ? ……渾沌?」
    「何かしら?」
    「国境にいた?」
    「さあ?」
    「……もしかしてオレがあそこで撃たれた時、助けてくれた?」
    「ええ。助けてあげたわよ」
    「後、……もう一個聞くけどさ」
    「どうぞ」
    「昨日、民家で寝泊まりしてたオレたちの側にいた? その仮面、昨夜も見たような……」
    「ええ。見守ってあげてたわよ」
    「まったく……、呆れるほどアンタ、すげーよなぁ」
    「うふふっ」
     そのやり取りに、同様に治療を受けたベルが頬を膨らませる。
    「シュウヤ、それで結局、この人誰なの?」
    「あ、えーと」
    「そうねぇ。良くお世話してるから、お母さんみたいなもんね」
     こう返され、ベルは目を丸くする。
    「えっ!? じゃあ、この人がセイナさんなの?」
    「違うっつの。変なコト言わないでくれよ、渾沌」
    「あははは……。ごめんなさいね、今のは冗談。
     その晴奈の、古い友達みたいなもんよ。秋也とも、結構古い付き合いなの」
    「ちなみに前に言ってた『悪魔みたいな剣士』ってのはこの人だよ。すげー変だけどすげー強いんだ、マジで」
    「へ、へぇー……」
     目をパチパチとさせたベルを見て、渾沌は口元をにやっとさせる。
    「あなた、もしかして秋也の恋人? 反応がそれっぽいけど」
    「ふえっ!?」
    「……ああもう、一々かっわいいわぁ」
     渾沌はいきなり、ベルにぎゅっと抱き着いてきた。
    「ひゃあ!? ちょ、な、何するのよ!?」
    「んもう、持ち帰りたーい」
    「ちょ、やめろって渾沌!」
     秋也は慌てて引きはがそうとするが、渾沌はその前にベルから離れ、するりと逃れる。
    「冗談よ、冗談。……っと、ところで秋也、あなたたちが乗ってきた車壊れちゃったし、帰る手段が無いでしょ?」
    「……ああ、そうだな」
     憮然としている秋也に、渾沌はピン、と人差し指を立てて見せた。
    「私が『テレポート』使って、シルバーレイクまで送ってあげるわよ」
    「え、いいのか!?」
    「勿論。秋也のためならそれくらい、お安い御用よ」
     そう言うなり渾沌は、ぼそっと呪文らしきものを唱えた。



     秋也たちが瞬きを一回、二回するくらいの間に、一行は見覚えのある場所に戻っていた。
    「……あれ?」
    「ここって……」
    「あたしん家、……の庭、だね」
     一行がきょろきょろとしている間に、屋敷の中から人が現れた。
    「ハーミット卿!」
    「ああ、うん、……おかえり。いきなりだね」
     流石の卿もこんなことは想像していなかったらしく、驚いている。
    「もしかしてこれ、『テレ……』」「じゃ、私はこの辺で、ね」
     そう言って渾沌はそそくさと去ろうとしたが、秋也がそれを止める。
    「もう行くのか、渾沌?」
    「ええ。アル、……じゃないか、アロイスを倒したこと、師匠に報告しないといけないから」
     そう返したところで、卿が渾沌へ声をかけてきた。
    「師匠? アル? ……コントンさんだっけ、ちょっといいかい?」
    「ん?」
     怪訝な声を返した渾沌に、ハーミット卿はこんな質問をぶつけてきた。
    「その師匠と言うのは、タイカかな?」

    白猫夢・追鉄抄 4

    2012.11.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第140話。「すげえ」しか言えない相手。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 居合抜きの如く抜き払われた渾沌の剣から九個の青い光弾が発射され、アロイスに向かって飛んで行く。「ウゴ……ッ!?」 対装甲ライフルの連射でさえ貫けなかったアロイスの体を、光弾は易々と貫通する。「馬鹿ナ……! 私ガ……コンナ……簡単ニ……!?」 大きく穴の開いた箇所から、アロイスの体はゆっくりと後方に折れ、やがて真っ...

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    麒麟を巡る話、第141話。
    ハーミット卿の伝言。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ハーミット卿の質問を受け、渾沌は戸惑ったような様子を見せた。
    「え……? そう、だけど?」
    「やっぱりか。いきなり『テレポート』で現れて、アルがどうとか言うような人なら、そうじゃないかと思ったけど、当たりだったね」
    「……あなた、何?」
     警戒する渾沌に対し、卿はこう返した。
    「タイカのことを良く知っている者さ。
     あ、そうだコントンさん。良ければタイカに、こう言っておいてくれないかな」
    「なによ、人の師匠を馴れ馴れしく……」「ま、ま」
     憮然とする渾沌に構わず、卿は渾沌に耳打ちする。
    「……と伝えてくれ。そう言えば分かるから」
    「嫌よ。何それ」
    「おや」
     卿はにっこりと笑い、こう続ける。
    「見たくないかい、彼が驚く顔を?」
    「は?」
    「今の伝言を伝えたら、間違いなくタイカはそんな顔をするよ。しかも大慌てでこっちにやって来る」
    「そんなわけ無いじゃない」
    「するよ。きっとする。ま、どうしても嫌ならいいんだけどね」
    「……」
     渾沌はしばらく黙っていたが、やがて卿にこう返した。
    「いいわ。だまされたと思って言ってみるわ。
     その代わり師匠に怒られたり機嫌損ねられたりしたら、あんた責任取りなさいよ」
    「いいとも。請け負おう」
     卿はトン、と自分の胸を叩く。
    「……んじゃ、ま。帰るわね」
     渾沌は狐につままれたような様子で、その場から消えた。
     残された一同も同様にきょとんとしている中、卿が冷静に提案した。
    「とりあえず皆、中に入って休んでくれ。軍本営には無事に作戦終了したことを、僕が連絡しておくよ」
    「あ、……はい」
    「あの」
     と、秋也が手を挙げる。
    「ハーミットさん、渾沌のコト知ってるんですか?」
    「いや、彼女の師匠のことは知ってるけど、彼女については何にも。
     詳しい話は『彼』が来てからにするよ。さ、入って入って」
     ハーミット卿がそそくさと屋敷に戻ったところで、一同は顔を見合わせる。
    「……彼って、……まさか、『黒い悪魔』カツミが?」
    「来るのか? マジで?」
    「吾輩、もう頭が弾けてしまいそうだ。何が何だか……」
    「あたしも頭ん中、うにゃうにゃ……」
    「……卿の言う通り、中で休んだ方が良さそうだな」



    「克渾沌、ただいま戻りました」
     世界のどこか――渾沌はその場所に、半年ぶりに戻ってきた。
     渾沌に背を向け、ソファに寝そべっていたその黒い男に、渾沌はいつものように飄々とした様子をまったく見せず、淡々と報告した。
    「西方南部にてアルを発見し、破壊しました」
    「そうか」
     ソファからのそ、と身を乗り出し、相手がその細い目を向けてくる。
    「奴の計画については?」
    「今回、アルは西方南部にて御子を仕立て上げ、皇帝と称させて侵略行為を行わせていましたが、御子本人が侵略を拒否し、計画はほぼ破綻状態でした。
     そして御子が隣国へ亡命したことと、築き上げてきた帝国が崩壊したことで、その計画は潰えたものと判断しております。再興の可能性は、まずありません」
    「なるほど。……クク」
     男は細い目をさらに細め、こう返す。
    「よくやった。念のため、後2年か3年は西方で監視を続けてくれ。アルが舞い戻った時は……」
    「ええ、即刻退治します」
    「頼んだ」
     男が再びソファにもたれかかろうとしたところで、渾沌はハーミット卿からの伝言を伝えた。
    「あの、それとですね」
    「まだ何かあるのか?」
    「その、西方南部のプラティノアール王国にて、先生に言伝を頼まれました」
    「俺に?」
    「ええ。……その、『ランド・ファスタがタイカ・カツミに会いたがっている』と」
     伝えたその瞬間、ソファからがたっ、と音が立った。
    「誰からだ?」
     再び振り向いたその顔は確かにハーミット卿が言った通り、驚きに満ちたものだった。
    「え」
     本当にそんな表情が見られるとは思わず、渾沌も面食らう。
    「その伝言は誰からだ、と聞いている」
    「プラティノアール王国の宰相、ネロ・ハーミット、……です」
    「案内しろ。すぐに、だ」
     予想もしていなかった反応を続け様に見せられ、渾沌の方が驚いていた。

    白猫夢・追鉄抄 終

    白猫夢・追鉄抄 5

    2012.11.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第141話。ハーミット卿の伝言。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ハーミット卿の質問を受け、渾沌は戸惑ったような様子を見せた。「え……? そう、だけど?」「やっぱりか。いきなり『テレポート』で現れて、アルがどうとか言うような人なら、そうじゃないかと思ったけど、当たりだったね」「……あなた、何?」 警戒する渾沌に対し、卿はこう返した。「タイカのことを良く知っている者さ。 あ、そうだ...

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    麒麟を巡る話、第142話。
    200年ぶりの再会。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「囲碁、……は打てそうにないかな」
     ぼそ、とそうつぶやいたハーミット卿に、秋也は苦い顔を返した。
    「流石にきついっス」
    「ごめんごめん。……遅いな。来てくれると思ったんだけど」
     その言葉に、ベルは怪訝な表情を見せる。
    「ねえ、パパ」
    「うん?」
    「タイカ・カツミに会ったことがあるの?」
    「あるよ。いや、それ以上と言っていい。
     結構長いこと、一緒に仕事をしていたんだ。ジーナとも一緒にね」
     それを聞いて、疲れ切ってソファへもたれ込んでいた一同が顔を挙げる。
    「『黒い悪魔』とですか?」
    「うん」
    「いつです?」
    「ここで大臣やる前」
    「旅してたってパパ、言ってなかった?」
    「うん、そのさらに前」
    「仕事と言うのは、一体?」
    「簡単に言うと、……うーん、簡単には言いにくいかな。『ずっと昔』に、とある大きな国があってね、それを倒したんだ。タイカと一緒に」
    「大きな国?」
    「うん、世界中を支配するくらいの大きな国さ」
    「え……?」
     どんなに質問を重ねても、一向に納得の行く回答が、ハーミット卿の口から出てこない。
    「さっぱり分かんない。パパって一体、何をしてた人なの?」
    「……」
     ハーミット卿は黒眼鏡を外し、青と黒のオッドアイを皆に晒した。
    「これから僕とタイカが話す内容はね、全部本当の話なんだ。それをまず、分かってほしい。
     それから、その話はここにいるみんなだけに伝えるつもりだ。口外は絶対に、しないでほしい。いいかな?」
    「ん、まあ……」
    「卿の願いとあらば、誓って口外なぞいたしません」
    「同じく」
     と、秋也が手を挙げる。
    「言えない話なら、聞かせない方がいいんじゃ……?」
    「そうも行かないんだ。君たちにはいざと言う時の証人になってほしいし」
    「証人?」
    「確かにタイカは嘘はつかない。だけど悪い癖があって、本当のこともしれっと隠そうとする性分があるからね。
     その、彼が隠そうとしてた秘密を今回、僕は詳(つまび)らかにするつもりだ。そしてそれについてタイカが肯定したと言うことを、確認してほしい。いいかな?」
    「なるほど、分かりました」
     全員の承諾を確認し、ハーミット卿は傍らに座っていた妻、ジーナの肩を抱く。
    「僕、ネロ・ハーミットとジーナ・ルーカスと言う人間は、実は存在しない」
    「え?」
    「これは偽名なんだ。何故かって言うと、本名がちょっと、あんまりにも有名過ぎるからなんだ」
    「偽名……?」
    「何か犯罪を犯した、と?」
    「それは『はい』とも『いいえ』とも言えないな。歴史が変わるくらいの大事件だから、正悪の判断は付けようが無い。
     ただ、そう言うのは抜きにして、ね。本名を名乗ってしまうと、『こいつは頭がおかしい』と思われちゃうくらいの、それくらい世界中に広まった名前なんだ」
    「意味が……、分かりかねます」
     率直に述べるアルピナに、ハーミット卿は肩をすくめる。
    「だろうね。ただ、僕の口から言っても信用は絶対にしてもらえないから、『彼』から僕とジーナが何者か、紹介してもらおうと思って。
     ごめんね、回りくどくて……」
     と、ジーナが顔を挙げる。
    「来たようじゃ」
    「そうか。……入ってくれ、タイカ」

     居間の外から、足音が二人分聞こえてくる。
     入って来たのは渾沌と、頭から肌の色、服、爪先まで全身真っ黒な、細い目をした長身の男だった。
    「……!」
     男の姿を見た秋也たちは、一様に絶句する。
    「しばらく、……だったな、ランド」
     その黒い男は、ハーミット卿に対してそう挨拶した。
    「しばらくだね、タイカ」
     ハーミット卿は立ち上がり、その黒い男を紹介した。
    「みんな、彼の名前は知っているみたいだけど、会うのは多分初めてだろう。
     彼が『黒い悪魔』『契約の悪魔』『黒炎教団の現人神』『古今無双の奸雄』『不死身の魔術師』――タイカ・カツミだ」
    「……っ」
     ハーミット卿とジーナを除く全員が、ゴクリと喉を鳴らす。
     しかしただ一人、ベルだけは恐る恐る、口を開いた。
    「……ランド、って誰?」
     それに応えたのは、大火だった。
    「今、俺の前に立っている、黒眼鏡の長耳のことだ」
    「その通り」
     ハーミット卿はにこやかな顔で、大火に向かってこう頼んだ。
    「タイカ、悪いけど僕と、あそこに座っている緑髪の彼女。
     僕ら二人の名前を、フルネームで答えてくれないかい?」
    「ああ」
     大火は静かに、ハーミット卿とジーナをこう呼んだ。
    「ランド・ファスタとイール・サンドラだ」

    白猫夢・黒々抄 1

    2012.11.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第142話。200年ぶりの再会。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「囲碁、……は打てそうにないかな」 ぼそ、とそうつぶやいたハーミット卿に、秋也は苦い顔を返した。「流石にきついっス」「ごめんごめん。……遅いな。来てくれると思ったんだけど」 その言葉に、ベルは怪訝な表情を見せる。「ねえ、パパ」「うん?」「タイカ・カツミに会ったことがあるの?」「あるよ。いや、それ以上と言っていい。 結構...

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    麒麟を巡る話、第143話。
    歴史の裏の疑問。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     大火がそう答えた瞬間、そこにいた全員が仰天した。
     その驚き様は、大火が現れた時以上だった。
    「ランド? ……ランド・ファスタ!?」
    「え、嘘でしょ、そんな?」
    「き、聞いたことがあるぞ! 確か3、いや4世紀の……」
    「『千里眼鏡』ファスタ卿と『猫姫』サンドラ将軍……!?」
    「……うそ」
     顔を真っ青にし、倒れそうになるベルを、秋也は慌てて支える。
    「嘘ではない。その二人はランドとイールだ。俺が保証する」
    「ほ、保証ったって」
     サンクがうろたえた声で、大火に反論する。
    「第一、あんたがタイカ・カツミだってことも……」
    「そう思うのか?」
    「……いや、……そんだけ威圧感出されたら、……マジなんだろうなとは、はい」
     一同が静まったところで、ハーミット卿が口を開く。
    「聞いての通りだ。僕の本名は、ランド・ファスタ。本来なら6世紀の今、生きているはずの無い男さ。
     しかしこうして今、ネロ・ハーミットと名乗り、この6世紀に生きている。その理由は、……実を言えば僕にも分からない。だもんで、それをタイカに教えてもらいたかったのさ」
     ハーミット卿は大火に向き直り、改めて尋ねる。
    「そう言うわけで、教えてほしいんだ。
     何故、僕とジーナ、……いや、イールはこの時代に蘇ることになったのか? それを説明してほしい。きっちりとね」
    「……こた」「答える義理はあるはずだ」
     大火の言おうとすることを先読みし、ハーミット卿は詰問する。
    「何故なら君は、イールに対して説明責任を果たしてないからだ」
    「説明責任だと?」
    「イールを封じた後、彼女を何に利用したか。それを君は伝えてない。
     イールは『僕に会える』とは聞いたけど、『君に利用される』とは聞いてない。そうだよね、イール」
    「うむ、聞いておらんし、利用されたことについて未だ納得もしておらん。である以上、何らかの『弁償』をしてもらわねば気が済まんのう」
     ジーナにそう言われ、大火は顔をしかめる。
    「……なるほど」
     大火はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
    「では――どこから話すか――そうだな、イールを封じる直前から話した方が、説明もしやすいだろうか」



     双月暦315年3月、北方大陸沿岸部の寒村、ブラックウッド近辺の丘陵地帯。
    「あたしはどうなったって構わないのよ」
     大火に対する反乱軍を結成した「猫姫」イール・サンドラ元准将は、その丘の頂上にて大火に対し、己の激情を吐露していた。
    「ソレでアイツのところに逝けるなら、何だってするわ」
    「……イール。お前は勘違いしている」
     大火は彼女に向かって、こう伝えた。
    「ランドについてだが、あいつは死んでいない。やむを得ない事情で封印はしたが、な」
    「……は?」
     それを聞いたイールは、責めるような視線を大火に向けた。
    「何言ってんの? アンタが殺したって……」
    「あの鉄クズからそう聞いたのか? それはあいつが、実際に見たと言ったのか? そしてお前も、実際に見たと?」
    「……言って、ないけど」
     イールは一瞬、納得しかけるが、なお食い下がる。
    「……じゃあ。……じゃあ! 逆に証拠はあるの!? あいつが……」
    「耐え切れれば、見せてやろう」
     大火は刀を掲げ、呪文を唱える。
     その瞬間、イールの視界は真っ白に染まった。

    「……う……っ」
     イールは目を覚まし、辺りを見回そうとした。
     しかし一杯に目を見開いても、何も見えない。
    「気が付いたか」
     大火の声がする。
    「ええ。……灯り、無いの?」
    「うん?」
     ひた、と左頬に革手袋の感触が伝わる。
    「……ふむ」
    「な……、何?」
     続いて、右頬にも革手袋を当てられた。
    「大きな代償だったな」
    「え?」
    「お前はどうやら、己の限界以上の術を行使したようだ」
     何を言っているか分からず、イールは尋ねる。
    「何言ってんの?」
    「その目、恐らくは治るまい」
    「え? 目? ……え?」
    「術の副作用とでも言おうか。夥(おびただ)しい威力の雷術を行使した影響で、お前の神経は大きく変質している。特に視神経が、な。
     自然治癒や現代の医療、俺の術を以てしても、治すことはできん」
    「そんな……!」
     言葉を失うイールに、大火は本題を切り出してきた。
    「それよりも、だ。見えていないとなると説明が難しいが、ここにランドがいる」
    「え……!」
     イールは暗い視界を懸命に眺め、どうにか前方にある、何か大きな物体を、ぼんやりとではあるが確認することができた。

    白猫夢・黒々抄 2

    2012.11.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第143話。歴史の裏の疑問。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 大火がそう答えた瞬間、そこにいた全員が仰天した。 その驚き様は、大火が現れた時以上だった。「ランド? ……ランド・ファスタ!?」「え、嘘でしょ、そんな?」「き、聞いたことがあるぞ! 確か3、いや4世紀の……」「『千里眼鏡』ファスタ卿と『猫姫』サンドラ将軍……!?」「……うそ」 顔を真っ青にし、倒れそうになるベルを、秋也は慌...

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    麒麟を巡る話、第144話。
    想い人を追って。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「あれが、……ランドなの?」
     ぼんやりと見えるその物体を、イールが指差す。そしてその質問を、大火は肯定した。
    「概ね、そうだ。厳密に言えば、ランドはあの中に封じられている」
    「なんで?」
    「その前に」
     大火はイールに、こう前置きした。
    「これから俺が言うことは、すべて事実だ。嘘やごまかしは無い。信じるな?」
    「ええ、いいわよ。アンタ、嘘は言わないはずだし」
    「まず、ランドの出自について話そう。
     あいつはある人物に――そうだな、魔女とでも言うべきか――よって造られた存在だ。普通の人間とは、少し違う」
    「人間じゃない?」
    「いや、9割9分人間だ。今現在は、な。昔は人形だったのだ」
     これを聞いて、イールは思わず否定する。
    「嘘でしょ!?」
    「事実だ。そして造られた理由だが、『魔女』はランドを世界の王に仕立て上げ、そして傀儡として裏から操るつもりだったのだ。
     イール、お前と同じように、な」
    「……どう言うコト?」
    「あのアルコンとか言う鉄人形に、お前は長い間操られてきたのだ。思い当たる節はあるだろう?」
    「そ、ソレも、……信じられ、……」
    「事実だ」
    「……ううん、信じたくなかったけど、でも、……うん、あるわ、思い当たるトコ。
     確かに薄々、そうじゃないかとは思ってたわ。そうね、アルコンがあたしに付きまとう理由、色々考えたコトもあったけど、アンタの説明が一番納得するわ。……信じたくは無かったけど。
     人形って言ったわよね、アルコンのコト」
    「ああ」
    「じゃあ逆じゃない」
    「うん?」
     イールの目から、ぽろっと涙が流れる。
    「人形のアイツに、あたしが操られてたってコトでしょ? そんなの、……あたしの人生、全部無様じゃない」
    「……」
    「……まあ、……今はアンタの話の続きが聞きたいから、……泣きたいけど後にするわ。
     封じた理由、もっと詳しく教えて? ランドが『魔女』の操り人形で、だからランドが世界を支配する前に封印したって言うのは信じるわ。
     でも、じゃあ、封印して何をするつもりなの?」
    「その支配を解こうとしているのだ」
    「……なんで?」
     イールは大火の行動に不可解なものを感じ、さらに尋ねる。
    「アンタ、そんなタイプじゃないでしょ? そりゃ、世界を支配されたくないって考えるのは分かるけど、ソレが嫌だって言うならランドを殺せば話は済むじゃないの。
     なんでわざわざ封印して、その支配を解こうとするの?」
    「相手がその『魔女』だからだ。
     これは俺の個人的感情に近い憶測だが、恐らく俺がランドを単に殺そうものなら、『魔女』はこれでもかと言うくらいに俺を嘲笑うだろう。
    『弟子の自分が用意したパズルを解けない、愚かな師匠だ』と、な」
    「弟子? その『魔女』、アンタの弟子だったの?」
    「そうだ。そしてこれも俺の感情から来る理由だが、ランドをただ殺すのでは俺に何の得も無い。
     奴の人形を奪い取り、俺の側に置くことができれば、奴の目論見を完膚なきまでに潰すことになるからだ」
    「……結局、アンタのためにランドは封印されたのね」
     忌々しくそう言い捨てたイールに、大火はこう返した。
    「しかし、事実として死んではいない。殺してほしかったわけではあるまい?」
    「そりゃ、そうよ」
    「そしてできることなら、ランドと添い遂げたいと思っている。そうだな?」
    「……そうよ」
    「ならば一つ、提案がある。
     あいつの封印を解くのには、短くとも50年かかると考えている。もっとかかる可能性もある。それだけの時間をただ待つとなれば、お前の寿命では到底、間に合うまい。
     そこでランドと同様にお前を封印し、最低でもランドに仕掛けられた術を解除するまでの期間は、共に眠ってもらう。
     どうする? 封印されるか?」
    「え、……と」
     イールは一瞬迷ったが、うすぼんやりと見える封印されたランドを一瞥し、意を決した。
    「……いいわ。このままダラダラ生きてたって、あたしの想いは実らないもの。ランドの封印が解けるまで、あたしを一緒に封印してちょうだい」
    「承知した」
     次の瞬間、イールの意識は途切れた。

    白猫夢・黒々抄 3

    2012.11.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第144話。想い人を追って。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「あれが、……ランドなの?」 ぼんやりと見えるその物体を、イールが指差す。そしてその質問を、大火は肯定した。「概ね、そうだ。厳密に言えば、ランドはあの中に封じられている」「なんで?」「その前に」 大火はイールに、こう前置きした。「これから俺が言うことは、すべて事実だ。嘘やごまかしは無い。信じるな?」「ええ、いいわよ。ア...

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    麒麟を巡る話、第145話。
    2人の復活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     時代は進み――双月暦520年5月。

    「……う……」
     随分長い間眠っていたような感覚を引きずりながらも、ランドは目を覚ました。
    「あれ……ここは……?」
     重い手足を何とか動かし、ランドは辺りの様子を確かめる。
     しかし眼鏡が無く、しかも真っ暗なため、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
    「……思い出してきた……ような。
     確か僕は、タイカと話してて、で、タイカが契約が何とか言って……」
     思い出そうとするが頭痛がひどく、どうしても考えがまとまらない。
    「……く……」
     と、どこかから声が聞こえてくる。
    「……?」
     暗い室内を手探りでうろつき、どうにか声のする場所を探り当てる。
    「……イール?」
     偶然触った猫耳と、彼女のうめく声とで、ランドはそれがイールだと分かる。
    「しっかりして、イール。起きてくれ」
    「……あ……え……?」
     何かをしゃべろうとしたようだが、まったく言葉にならない。
     ランドは彼女の手を触り、異様に冷えていることに気付いた。
    「うわっ、まるで氷じゃないか! ……ここにいたら駄目だ、僕も寒い」
     ランドはイールを引きずりながら、出口が無いか探る。
     やがてそれらしいものを見付け、どうにか坑道のようなところに脱出した。
    「……ん?」
     と、ミシミシと何かが鳴っているのに気付く。
    「え、……これって、……もしかして」
     その恐ろしげな音が周囲のあちこちから聞こえてきたため、ランドは大急ぎでイールを背負い、坑道を走る。
    「はあっ、はあっ、……ひぃ」
     自分でも驚くほどの力が出たが、それでも元々非力なランドである。
     坑道を何とか抜けたところで力尽き、そして倒れ込むと同時に、坑道のはるか奥でずん……、と重い音が聞こえてきた。



     それから1週間――ランドの方は周囲の木の実や水を採ることで、何とか体力を回復させたが、イールは依然として昏睡状態にあった。
    (こんなにやつれて……。一体何があったんだ?)
     着ていた服のポケットに入れられていた黒眼鏡――デザインからすると元々自分がかけていた眼鏡のようだったが、何故かレンズが真っ黒なものに換えられている――をかけ、自分たちが何故この状況に置かれているか考える。
    (多分、……だけどあの部屋はタイカが造ったものなんだろう。で、僕と、何故かイールも、そこに封印みたいなことを、されてたんだろうな。
     ……それだけだ。それ以上は分からない)
     しかし、考えようにも判断材料が乏しく、ランドはぼんやりとイールの蒼ざめた顔を見ていることしかできない。
    (ここら辺の食べ物は粗方採り尽くしちゃったし、水だけじゃ衰弱する一方だ。どうにか近くの街に行って、イールを看てもらわないと)
     そうは思ったものの、自分の力だけでは到底、イールを運ぶことなどできない。打開策が見出せず、ランドは途方に暮れていた。

     と――どこかから、人の声が聞こえてくる。
    「……だ、……か」
    「……な、なぁんだ」
    (人……!?)
     ランドは思わず立ち上がり、そちらに駆け出した。
     元々畑があったらしいところに、男女5名が固まっているのが見える。そのうち2人の女性は、数日前に気紛れでランドが体を洗ってやった狐を、楽しそうに撫でている。
    「この*、*****ですねぇ」
    「そうだな。まったく、****しない」
     彼らが話している言葉を聞き、ランドは戸惑った。
    (あれ……? 何て言ってるんだ? 中央語や北方語に似てる感じだけど、どっちでも無さそうだし)
    「……良く***、体を****があるな?
     ***こんなところに、この*を*****ような**がいるのか?」
     どうやら狐について何か言っているようだが、その語彙の半分以上が何を示し、何を伝えているのかが分からない。
     まるで別世界に来たような感覚を覚え、ランドは逡巡していたが、それでもこの機会を逃がせば、イールの命に関わってくる。
     ランドは意を決して、彼らに話しかけた。

    白猫夢・黒々抄 4

    2012.11.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第145話。2人の復活。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 時代は進み――双月暦520年5月。「……う……」 随分長い間眠っていたような感覚を引きずりながらも、ランドは目を覚ました。「あれ……ここは……?」 重い手足を何とか動かし、ランドは辺りの様子を確かめる。 しかし眼鏡が無く、しかも真っ暗なため、何がどうなっているのかさっぱり分からない。「……思い出してきた……ような。 確か僕は、タイカ...

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    麒麟を巡る話、第146話。
    「ハーミット」の誕生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ランドは恐る恐る、たむろしていた彼らに声をかける。
    「この近くの人かい?」
     無人と思っていた場所で突然声をかけられた彼らは当然、警戒する素振りを見せた。
    「***!?」
    「そんなに警戒しないでくれよ……」
    「***、と***いる! ***!」
     央南人風の猫獣人の女性が刀を向け、ランドに何かを叫んでいる。
    「ごめん、もうちょっとゆっくり話してほしいんだけど」
     警戒されないよう、やんわりとそう言ってみたが、相手はきょとんとしている。
    「お、おにーさん、お***ですかぁ? なんか、おじーちゃんみたいな*****ですけどぉ……」
     確かにランドが頼んだ通り、紫髪の短耳はおっとりとした口調で話しかけてくれたが、それでも何を言っているのか分からない。
    「(おじーちゃんみたいな、って? ……僕が?)
     ごめん、何て言ったのかよく分からないんだ」
     こちらも努めてゆっくりと話したつもりだったが、猫獣人にははっきり通じていないようだった。
    「うん……?」

     それでも懸命に、彼らの話を何度か繰り返し聞くうち、元来聡明なランドは彼らの言葉を概ね理解できるようになった。
    「それでお主、名は何と言う?」
     尋ねてきた猫獣人――やはり央南人で、名前は黄晴奈と言う――に、ランドは覚えたての言葉でどうにか応じる。
    「僕はらん、……いや、……その」
     自分の名前を言いかけて、ランドは考え込む。
    (念のため偽名を名乗っておいた方がいいかな。彼らがどんな人なのか分かんないし、用心に越したことは無い。
     とりあえずネール(Nehru)家から名前借りて……)
    「うん?」
     怪訝な顔を向ける晴奈に、ランドはこう答えた。
    「ネロ(Nehro)、と呼んでくれ。ネロ・ハーミットで」
    「……」
     どうやら、すぐに偽名とばれたらしい。晴奈たちは一様に、不審そうな目を向けてきた。
     しかしそれでも問いただしたりはせず、晴奈が続けてこう聞いてきた。
    「……分かった、ネロ。それで、何故こんなところにいるのだ?」
    「その前に、……その、良ければ教えてほしいことなんだけど」
     ランドは彼らの服装を見て、ある仮説に行き着いていた。
    (僕が今着てる官服と、セイナたちが着てる旅装。
     普通なら僕の方が相当、高級品なはずなのに、旅装の彼女たちの方が、どう見ても服の造りがしっかりしてる。それも、全員揃ってだ。つまり彼女たちの着てる服の平均値と言うか、水準があのレベルなんだ。
     僕の着ている官服より段違いに生地や縫製がしっかりしてる、言い換えれば彼女たちの衣服に使われた技術水準が、僕が知る水準よりも恐ろしく跳ね上がってること。そして言葉が――まったくじゃないけど――通じなかったこと。
     そこから導き出される答えは、……にわかには信じられないけど……)
    「今は、……えーと、今の日付を教えてほしいんだ。今は何年の、何月何日かな」
    「520年の、5月29日だ」
    それを聞き、ランドは強いめまいを覚えた。
    「ご、……そうか、520年、5月29日、ね。これ、双月暦だよね」
    「勿論だ」
     ランドは平静を装ってはいたが、内心は絶叫したくなるくらいのショックを受けていた。
    (ごひゃく、……って、6世紀だって!? 10年や20年どころじゃない、200年も経ってるって言うのか!?
     ……ああ、だろうな。それだけ経ってたらそりゃ言葉も通じないし、旅装が官服より豪華になったりするわけだ)
     どうにか心を落ち着かせようと、ランドは周囲を見渡す。
     そこでようやく気付いたが、ここはどうやら、200年後のブラックウッドらしかった。
    (山の形とか、畑の位置とか、何となく見覚えがある)
    「それでその、変なことばかり聞いて申し訳ないんだけど、ここは北方のブラックウッド、で間違いないかい?」
    「恐らく、そうだ。既に廃村になっており、詳しく確認はできぬが」
    「そっか、そうだよね。……えーと、じゃあ、ここはジーン王国領、だよね?」
    「そうだ」
     それを聞き、ランドは内心ほっとした。
    (そっか、ジーン王は僕がいない後も無事に国を治められたらしいな。
     ……他の国はどうなってるのかな?)
     未来の世界に興味を抱き始めたランドは、続けざまに質問する。
    「その、世界情勢とか、聞いておきたいんだけど」
    「んじゃあたしが説明するわね、そーゆーのは詳しいし」
     赤毛の長耳、橘小鈴が手を挙げたところで、ランドはようやくイールのことを思い出した。
    「あ」
    「ん? どしたの?」
    「コスズさん、だっけ。彼女に話を聞いている間に、お願いしたいことがあるんだ」
     ランドはイールを寝かせている場所を伝え、彼女の看病を頼み込んだ。
    「相分かった、向かおう」
    「ありがとう、セイナさん」
    「……おっと。こいつは返しておくぞ」
     晴奈は今まで抱えていた子狐をひょい、とランドに渡す。
    「え?」
    「お主が飼っていたのだろう? すまぬな、ずっと持ちっ放しにして」
    「あ、いえ。まあ、飼ってたと言うか、勝手にやって来たと言うか」
    「うん?」
    「……いや、うん。飼ってたんだ」
    「そうか、やはりな」
     それを聞いた晴奈は微笑み、それからイールのいる場所へと向かって行った。
    「んふふ」
     やり取りを聞いていた小鈴が、ニヤニヤしている。
    「あの子はかーわいいの、大好きだから。
     さ、それじゃ世界情勢について、講義のお時間ね」
    「よろしく、コスズさん」

    白猫夢・黒々抄 5

    2012.11.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第146話。「ハーミット」の誕生。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ランドは恐る恐る、たむろしていた彼らに声をかける。「この近くの人かい?」 無人と思っていた場所で突然声をかけられた彼らは当然、警戒する素振りを見せた。「***!?」「そんなに警戒しないでくれよ……」「***、と***いる! ***!」 央南人風の猫獣人の女性が刀を向け、ランドに何かを叫んでいる。「ごめん、もうち...

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    麒麟を巡る話、第147話。
    幾星霜を越えて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     晴奈たちと出会ったランドとイールはしばらく、彼女らと同行していた。
     ジーン王国に逗留しイールの回復に努めた後、晴奈の故郷である央南へと共に渡り、さらに同時期に起こった事件――いわゆる「ミッドランド異変」にも同行したところで、ランドとイールは二人旅を決意した。
    「丁度いいよ、ここからなら」
    「そうかのう……?」
     ちなみに、すんなり6世紀の言語を習得できたランドに対し、イールは十分には習得できず、中途半端に古臭い話し方の癖が付いてしまっている。
    「時期と言うか、タイミングも、さ。これ以上僕たちがセイナたちと一緒だと、なんか邪魔になりそうだし」
    「ふむ。確かにあの唐変木のトマスも、ようやくセイナに向かい合うようになったからの」
    「それにエルスさんも、コスズさんと何かいい感じっぽくなったみたいだし」
     そんなことを言ったランドに、イールは顔をぷい、と背けて小声でなじる。
    (人の色恋は目ざとい癖に、自分に向けられとる思慕はちいとも分からんのかっ)
    「どしたの?」
    「何でもない。……まあ、お主の言う通りじゃな。
     そうじゃな、元々いつかは旅をしたいと言うておったし、いい頃合いかも知れん。ここからぶらりと行くかの」
    「うん」



     そこを起点として、ネロとジーナは当ての無い旅を続けた。
     政治的結束を失い荒れ行く央北。西大海洋同盟に加盟し、その恩恵を多少なりとも享受した北方。そんな政変とは無関係に、のんびりと時間が過ぎ行く南海。
     そして2年、3年ほど旅を続け、世界中を渡り歩くうちに――ネロが大火の施術により、難訓の呪縛から逃れたためか、それともいい加減、連れ添った時間が功を奏したのか――二人の関係も変わっていった。

    「のう、ネロや」
    「ん?」
     南海のとある小島。
     夕焼けを並んで見つめていたところで、ジーナが話を切り出した。
    「もう随分になるのう」
    「旅が?」
    「それもあるが、わしの言いたいのは、お主と知り合ってからの時間じゃ」
    「はは、200年だとねぇ」
    「茶化すな」
     ジーナはネロの顔をぐい、と引き寄せる。
    「ん……?」
    「もう随分じゃ。随分長く一緒にいたと言うのに、何故お主はわしの気持ちに気付かん?」
    「気持ちって?」
    「……また、これか」
     ジーナは吐き捨てるように、こうつぶやいた。
    「わしはどれほど、お主を好いてきたか。タイカに頼み、共にこの時代まで眠ってきたと言うのに」
    「ああ、それでなんだ」
     あっけらかんとそう返され、ジーナは声を荒げた。
    「『それでなんだ』? その程度だったのか、お主にとっては!」
    「いや、……うーん、何て言ったらいいかな。どうしてもジーナ、君がこの時代にまでも僕と一緒にいてくれたのか、それが分からなかったからね。
     それがはっきりしたんで、まあ、すっきりしたかなって」
    「……もうええわい」
     ジーナの目から、ぽろっと涙がこぼれる。
    「お主は一生、わしの気持ちに気付かんのじゃ」
    「いや、そうでもないよ?」
    「……は?」
     ネロは困った顔を見せ、こう言った。
    「いや、はっきりさせたかったんだよね、そこを。もしもさ、君が望んでも無いのに僕なんかと一緒にいることになっちゃって、それで他に相手もいないから仕方なく僕を、……とかだったら、なんか申し訳ないかなって」
    「……はあ?」
     これを聞いたジーナはいきなり、ネロの口をぐいぐいと引っ張った。
    「いひゃひゃ、いひゃいっへ(痛た、痛いって)」
    「どこまで朴念仁なんじゃ、お主は~! これだけ長くいて、何故そんな考えに至るか!
     そんなもの、好きで無ければやるわけが無かろうが!」
    「ごへん、いひゃ、ほんほうひ(ごめん、いや、本当に)」
    「……まったく!」
     ジーナはネロから手を放し、ぷい、と顔を背けて、こうつぶやいた。
    「……好きなのはずっとお主だけじゃ。……お主は好いてくれるか、わしを?」
    「あー、と」
     この期に及んで、ネロはまだしどろもどろに理屈を練る。
    「いや、まあ、うん、好意を向けられて悪い気は全然しないよ。確かに僕も君なら不足は無いなとは思うよ、いや、それ以上かな、君以外はちょっと考えられないし、うん。
     でもさ、今の僕は大臣でも何でもない、ただの政治オタクの旅人でしかないし、君に釣り合うかどうかって考えたら……」「やかましい」
     ジーナはくるりと顔を向け、ネロの口を自分の口で塞いだ。
    「むぐぐっ」
     口を放し、ジーナは強い口調でこう言った。
    「単純に言え。一言でじゃ」
    「……じゃあ」
    「じゃあはいらん」
    「うん」
    「うんじゃなくて」
    「はい」
    「もっといい言葉があるじゃろうが」
    「……好きだよ」
    「ようし」

     その日のうちに、ネロとジーナはその小島で結婚した。

    白猫夢・黒々抄 6

    2012.11.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第147話。幾星霜を越えて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 晴奈たちと出会ったランドとイールはしばらく、彼女らと同行していた。 ジーン王国に逗留しイールの回復に努めた後、晴奈の故郷である央南へと共に渡り、さらに同時期に起こった事件――いわゆる「ミッドランド異変」にも同行したところで、ランドとイールは二人旅を決意した。「丁度いいよ、ここからなら」「そうかのう……?」 ちなみに、す...

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