2025-10-10

発言通貨

最近は、有名人SNS上で誹謗中傷に遭うと、すぐに弁護士経由で警告文を送るようになった。訴訟まではいかなくても、「投稿削除と和解金」を提示するだけで多くの人が引き下がる。つまり法的手段が、名誉を守るだけでなくブランドを維持するための定常的コストになっている。注意を集める力そのもの経済価値になった今、彼らにとってはそれを管理するのも仕事の一部だ。

昔、ハーバーマスが描いた公共圏は「身分地位を超えて、理性的意見を交わす場」だった。ところが現代は、その理想が再び市場に飲み込まれた。「情報豊富になると、注意が希少資源になる」とサイモンが言ったように、SNS公共圏では注意の奪い合いが支配的になった。有名人発言広告金融資産のように扱われ、一般人言葉は軽い反射的な発言であっても、場合によっては法的責任を負う。

言葉がかつての“意見”ではなく“資産”として扱われるようになったことで、発言自由形式的には残っていても、実際には「対等に話す自由」にはコストがつくようになった。昔のサロンのように理性で議論するよりも、今は注目とリスクバランス発言が決まる。合理的だけど、どこか不健康で、言葉自由だった時代を懐かしく思う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん