2025-09-15

戦後保守」と鎮魂と平和

ちょっと前にtwitter(現X)に、民族主義右翼団体一水会を「戦前の亡霊みたい」と揶揄する投稿が流れてきてびっくりした。この投稿によれば、一水会は、大アジア主義などの戦前思想を受け継いでいる「サヨク」と同類であり、戦後保守本流は「親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のだそうだ。いまどき大アジア主義など意識しているのはこの twitter子くらいで、この指摘はかなりトンチンカンだと思ったが、妙に心に残った。

親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のは、国家主義右翼生存のための苦渋の方便だとずっと思っていたが、外面が内面侵食規定してしまったのが現在の(戦後のでは断じてない)「保守本流」なのか。

民族自決放棄した保守本流はあり得ないだろうと、その時は仰天したが、一方で、いろいろ合点もいった。

私は、ある年に靖国神社にご縁ができて以来、毎年数回参拝に行っている。すると祭以外の平日でも、たまに境内オールアメリカンスタイルマーチングバンドに遭遇する。その度に、戦中のアメリカ軍楽隊役割を思い、この人たちはなぜ英霊への敬愛のていで御霊が嫌がることをするのだろうと不可解だったが、そうではなかったのだ。

彼らが敗戦から学んだのは、国力に勝る大国と戦ってはいけないということではなく、固有名詞としてのアメリカと戦ってはいけないということだったのだ。だからアメリカン楽曲靖国神社境内で派手に演奏して御霊に聞かせるというパフォーマンスを行うのだ。それは、こんなにアメリカと仲良くなりましたよ、安心してお眠り下さいという彼らなりの鎮魂なのだ

この英霊への鎮魂は、しかしやはり冒涜ではないか。聖域で禁忌を犯し神を怒らせて雨乞いをするような平和への願いは、無事叶うのだろうか。

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