2025-08-18

チョコスナックを巡るカテゴリー錯誤:或るいは、きのこたけのこ戦争

古来よりインターネットの言説空間を騒がす「きのこたけのこ戦争」なるものがある。

これは、二つの蒙昧なる党派による、きわめて不毛闘争であると断じざるを得ない。

双方の党員は、おのれの支持する食品の優位性を喧伝するが、その論拠は個人の嗜好という主観の沼から一歩も出ておらず、議論としての体をなしていない。

客観的分析信条とする者にとって、この闘争は愚の骨頂である

そもそも、この二つの食品を同一の評価軸上で比較すること自体が、根本的な誤謬、すなわち存在論カテゴリー錯誤を犯しているのだ。

この世界のあらゆる「チョコレートスナック菓子」は、その「口腔とのエンゲージメント様態」によって二つに大別される。すなわち、「歯的エンゲージメント」を本質とするものと、「舌・口蓋的エンゲ ージメント」を本質とするものである

前者は、歯で噛み砕く際の食感、すなわちクラック・アンド・クランチ快楽を追求する菓子群であり、ビスケットクッキー部分がその存在論的中心を担う。

後者は、舌と上顎でチョコレートを溶かす際の融解感、すなわちメルト・アンド・フレーバー快楽を至上とする。チョコレート部分こそがその魂である

この厳然たる分類に基づけば、「たけのこの里」が前者、すなわち「歯的」であることは火を見るより明らかだ。あの食品価値は、サクサクとしたクッキー生地を臼歯が砕く瞬間にこそ発現する。チョコレートは、あくまクッキー生地を彩るための、二次的なコーティングに過ぎない。

対して、「きのこの山」は後者、「舌・口蓋的」食品典型である。あの菓子の主役は、まごうことなチョコレートの塊だ。クラッカー部分は、手を汚さずにチョコを口に運ぶための「柄(え)」、すなわち道具として機能しているに過ぎないのである

しかるに、蒙昧なる両党派党員たちは、この存在論的な断絶を理解していない。きのこ派は、「歯的」菓子であるたけのこを「舌・口蓋的」基準批判し、たけのこ派は、「舌・口蓋的」菓子であるきのこを「歯的」基準で論難する。

これは、絵画音楽文法で語り、建築小説作法批評するに等しい、野蛮な行為である

両者の間に、真の対話が成立するはずもない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん