人種差別だとか障がい者差別だとか、容姿差別だとか。世界にはさまざまな差別がはびこっている。
そういうものをニュースやSNSで目にするたびに思う。差別って良くない。
でも、なぜ差別が良くないのかということについて今まで深く考えたことはなかった。
差別は良くないのはなぜだろうか。
それは誰かを下に見る行為だからだ。誰かを見下して「自分より下の奴だ」とランク付けして、あからさまに接する態度を変える行為だからだ。
私たちは毎日、誰かを下に見て、親しい誰かと親しくない誰かと接し方を分けている。そういう生活をしている。
話したことのない隣の部屋の同僚より、隣の席の山下が大事だ。そこら辺を歩いている女より、今カノや元カノが大事だ。これは当たり前のことだ。
センター街の雑踏より友人が大事だ。そして友人より恋人の方が大事だ。
いつだって私たちは周囲の人間をランク付けして、接し方を変化させながら日常生活を送っている。
私たちは常に誰かを下に見て、下の奴らは不遇な扱いを受ける。
友人や恋人に与えられるものが、「やつら」には与えられない。まさにランク付け。ランク付けこそ差別だ。
ならば「差別をしない」とは何だ?
差別のない世界があるとしたら、そこに友人や恋人は存在するのか?
初対面の人には「友達になれるかな? お、気前いいじゃん」などと思いながら接している。そこで醜悪な一面を見ようものなら、その人は知り合い以下のランクに落ちる。
当たり前のことだ。
友人や恋人を優遇するのは当たり前。 お前は◯◯だから友人にも恋人にも慣れないとするのが差別。