ニューカレドニアの日系移民と第二次世界大戦「マブイの往来」
このところ国際ニュースになっている、ニューカレドニアでの暴動。
(ニュース例)
https://www.bbc.com/japanese/articles/cl44l2x4dljo
フランスによる長年の植民地政策により、不利益を被ってきた現地住民による反乱だが、実はこれは初めてのことではない。1878年にはフランス人による土地の強制接収に反発した大規模な反乱が起きているが、圧倒的な戦力差によってほどなく鎮圧される。首謀者の首は晒し者にされたそうで、その後、しばらく反乱はなりをひそめた。
今回の暴動の切っ掛けは、「移民にも投票権を与える」という政策への反発だとされる。フランスが、本土で邪魔になった移民・難民を遠く離れた植民地に押し付け、しかも参政権まで与えてしまえば地元民はますます肩身が狭くなる。
元々、先住民の土地や権利が片っ端から奪われてきた軋轢が全く解消されないまま21世紀に突入しているのだから、火種はいくらでもある。
そして、この暴動を起こしている側には、実は日本移民の子孫である現地人も混じっている。
戦前、日本からは多くの移民船が各地へ旅立っていった。南米のチリやペルー、ブラジル、あるいはハワイ。ニューカレドニアも、その行き先の一つだった。送り込まれた未婚の若い男性たちは、現地人、あるいは中国やインドネシアから来ていた移民女性などと結婚し、現地で家庭を持ったのだ。
その子孫たちが、今では1万人近くいるのだという。
ここまでは雑学の一つとして知っていたが、具体的にどんな感じでどこから移民したとかの話はよく知らなかったので、図書館いって適当に目についた本を借りてきた。
それが、これ。タイトルとなっている「マブイ」は沖縄語で魂にあたる単語で、沖縄からの移民が多かったことに由来する。
マブイの往来: ニューカレドニア-日本引き裂かれた家族と戦争の記憶 - 津田 睦美
この本の冒頭には、ニューカレドニアがどうやってフランス支配下に入ったのかや、序盤の先住民のひどい扱い、そもそも日本人移民を必要とした理由が「奴隷制が禁止されたので労働者扱いで奴隷待遇のアジア人を必要としたから」という、ハワイなどと同じ理由だということも書かれている。アフリカから人連れて来られなくなったあとは、アジア人がターゲットにされただけ。そして賃金は支払われていても、人としての扱いは一等低いというのも他の地域と同じ。
移民たちは、どうやら第二次世界対戦の勃発とともに敵性外国人として収容所に送られ、財産は没収、家族とも生き別れになってしまったらしい。これは北米のカナダや、南米ペルー、チリなどでも同様の事態が起きていたことを別の本で読んだことがある。
カナダについては、最近になって日本人・日系人の強制収容や財産没収について公式に謝罪している。
日系カナダ人の歴史
https://najc.ca/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
フランスからの謝罪などはない。というのも、声を上げる子孫がいないからだろう。
ニューカレドニアでは、日本人コミュニティは元々小さかったし、混血の二世には日本文化がほぼ受け継がれなかったという。送り込まれた移民たちはニッケル鉱山で働く肉体労働者として送り込まれており、他の地域に比べると、元々の学歴や素養があまり高くない人が多かったからかもしれない。
子供たちも日本語は喋れず、日本語名をつけられた子供もほとんどいなかったようだ。現在残る子孫たちも、アイデンティティとしては、曖昧な「ニッポ・カナック」、つまり日本人と現地カナック人の間の子というようなものになっていたらしい。
また、夫の日本人が収容されたあと、残された現地妻と子供たちは、周囲から白い目で見られながら戦後を迎えることになった。
まだ幼かった子供たちにとっては、父親に「捨てられた」と感じたこともあったようで、日本という国に対する親近感は、あまり育たなかった。
この本を読んでも、残された子孫たちは、かつて遠い日本からやってきた祖先がいたことは知っていても、日本を訪れたり、日本語を勉強したりしている人はあまりいなさそうだった。ルーツの一つ、くらいの認識なのだろう。
それにしても、ニューカレドニアの移民に占める沖縄出身者の割合が多かったことには驚いた。
以前、ペルーをぷらぷらしていた時に日系移民の子孫だというおじいさんに話しかけられたことがあった。その人も、母方が沖縄人だと言っていたのだ。
沖縄から、一体どれだけの人たちが太平洋沿岸の国々に散っていったんだろう。どんな事情があったんだろう。いろんなことを考えてしまう。
というわけで、ニューカレドニアの暴動は、日本人移民も関わった島の歴史を知っていれば、決して「遠い国の他人事」ではない。
そして覚えておいてほしい。フランスは今回も武力によって力づくで現地人を押さえつけるだろうが、その方法を繰り返す限り、火種は何度でも燃え上がるだろうということを。
(ニュース例)
https://www.bbc.com/japanese/articles/cl44l2x4dljo
フランスによる長年の植民地政策により、不利益を被ってきた現地住民による反乱だが、実はこれは初めてのことではない。1878年にはフランス人による土地の強制接収に反発した大規模な反乱が起きているが、圧倒的な戦力差によってほどなく鎮圧される。首謀者の首は晒し者にされたそうで、その後、しばらく反乱はなりをひそめた。
今回の暴動の切っ掛けは、「移民にも投票権を与える」という政策への反発だとされる。フランスが、本土で邪魔になった移民・難民を遠く離れた植民地に押し付け、しかも参政権まで与えてしまえば地元民はますます肩身が狭くなる。
元々、先住民の土地や権利が片っ端から奪われてきた軋轢が全く解消されないまま21世紀に突入しているのだから、火種はいくらでもある。
そして、この暴動を起こしている側には、実は日本移民の子孫である現地人も混じっている。
戦前、日本からは多くの移民船が各地へ旅立っていった。南米のチリやペルー、ブラジル、あるいはハワイ。ニューカレドニアも、その行き先の一つだった。送り込まれた未婚の若い男性たちは、現地人、あるいは中国やインドネシアから来ていた移民女性などと結婚し、現地で家庭を持ったのだ。
その子孫たちが、今では1万人近くいるのだという。
ここまでは雑学の一つとして知っていたが、具体的にどんな感じでどこから移民したとかの話はよく知らなかったので、図書館いって適当に目についた本を借りてきた。
それが、これ。タイトルとなっている「マブイ」は沖縄語で魂にあたる単語で、沖縄からの移民が多かったことに由来する。
マブイの往来: ニューカレドニア-日本引き裂かれた家族と戦争の記憶 - 津田 睦美
この本の冒頭には、ニューカレドニアがどうやってフランス支配下に入ったのかや、序盤の先住民のひどい扱い、そもそも日本人移民を必要とした理由が「奴隷制が禁止されたので労働者扱いで奴隷待遇のアジア人を必要としたから」という、ハワイなどと同じ理由だということも書かれている。アフリカから人連れて来られなくなったあとは、アジア人がターゲットにされただけ。そして賃金は支払われていても、人としての扱いは一等低いというのも他の地域と同じ。
移民たちは、どうやら第二次世界対戦の勃発とともに敵性外国人として収容所に送られ、財産は没収、家族とも生き別れになってしまったらしい。これは北米のカナダや、南米ペルー、チリなどでも同様の事態が起きていたことを別の本で読んだことがある。
カナダについては、最近になって日本人・日系人の強制収容や財産没収について公式に謝罪している。
日系カナダ人の歴史
https://najc.ca/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
フランスからの謝罪などはない。というのも、声を上げる子孫がいないからだろう。
ニューカレドニアでは、日本人コミュニティは元々小さかったし、混血の二世には日本文化がほぼ受け継がれなかったという。送り込まれた移民たちはニッケル鉱山で働く肉体労働者として送り込まれており、他の地域に比べると、元々の学歴や素養があまり高くない人が多かったからかもしれない。
子供たちも日本語は喋れず、日本語名をつけられた子供もほとんどいなかったようだ。現在残る子孫たちも、アイデンティティとしては、曖昧な「ニッポ・カナック」、つまり日本人と現地カナック人の間の子というようなものになっていたらしい。
また、夫の日本人が収容されたあと、残された現地妻と子供たちは、周囲から白い目で見られながら戦後を迎えることになった。
まだ幼かった子供たちにとっては、父親に「捨てられた」と感じたこともあったようで、日本という国に対する親近感は、あまり育たなかった。
この本を読んでも、残された子孫たちは、かつて遠い日本からやってきた祖先がいたことは知っていても、日本を訪れたり、日本語を勉強したりしている人はあまりいなさそうだった。ルーツの一つ、くらいの認識なのだろう。
それにしても、ニューカレドニアの移民に占める沖縄出身者の割合が多かったことには驚いた。
以前、ペルーをぷらぷらしていた時に日系移民の子孫だというおじいさんに話しかけられたことがあった。その人も、母方が沖縄人だと言っていたのだ。
沖縄から、一体どれだけの人たちが太平洋沿岸の国々に散っていったんだろう。どんな事情があったんだろう。いろんなことを考えてしまう。
というわけで、ニューカレドニアの暴動は、日本人移民も関わった島の歴史を知っていれば、決して「遠い国の他人事」ではない。
そして覚えておいてほしい。フランスは今回も武力によって力づくで現地人を押さえつけるだろうが、その方法を繰り返す限り、火種は何度でも燃え上がるだろうということを。