ビー‐エヌ‐エフ【BNF】
読み方:びーえぬえふ
《Backus Naur form》⇒ビーエヌ(BN)記法
BNF
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/18 02:49 UTC 版)
BNF
- フランス国立図書館(Bibliotèque National de France)- BnF
- 英国国民医薬品集(British National Formulary) - 英国国民保健サービス(NHS)発行の書籍
- バッカス・ナウア記法 - 文脈自由文法を示すのに用いられるメタ言語。
- B・N・F - 日本の投資家。ジェイコム男とも。
- Big Name Fan - 名の通った有名なファン。主にSFファンダムで使用される。
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B・N・F
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/16 20:56 UTC 版)
B・N・F(ビー・エヌ・エフ、1978年3月5日[1] - )とは、日本の個人投資家。「B・N・F」の呼称は当人が使用している2ちゃんねるでのハンドルネームから来ている。マスメディアでの通称は「ジェイコム男」と呼ばれる[1]。
来歴
千葉県市川市出身[1]。2000年、それまでの貯金やアルバイトで稼いだ160万円を元手に株式投資を始めた[2]。ネットトレードを始めた時は大学に在学していたが、卒業までの単位を2科目残したまま中退している[1]。
情報収集に、2ちゃんねるの「市況実況板」「ニュース速報板」を使用したり[3]、「投資一般板」の株板相場師列伝スレッドにたまに「名無し」での書き込みをしているという[4]。
2005年の「ジェイコム株大量誤発注事件」により知られるようになった[2]。2008年5月17日には日本経済新聞の1面に顔写真入りで紹介された[5]。
不動産にも投資しており、2008年10月には、秋葉原駅前の地上10階・地下1階の商業ビル「チョムチョム秋葉原」の所有権を90億円程度で取得し[6][7]、2011年には東京都千代田区外神田一丁目(秋葉原)の、敷地面積800平方メートル、地上6階、地下2階建ての商業ビル「AKIBAカルチャーズZONE」を推定170億円で購入している[8]。
地元に高級住宅を購入し、親には高級車を贈った他、タワーマンションを購入したこと[2]以外には、特別に贅沢をしておらず、普段は専用のトレードルームに引きこもって1人で取引している[1]。
エピソード
「B・N・F」というハンドルネームは米国の投資家ヴィクター・ニーダーホッファーをもじったもの[1]。
他人の金の運用はしたくないと言っており、証券会社の雇われトレーダーなどになる予定はなく、ソフトバンクの孫正義社長と会談した際に資産を運用するよう頼まれたが、断っている[1]。
2008年12月30日のラジオNIKKEIによる電話でのインタビューではリーマン株を7億円分ほど購入し2日後に倒産してしまったため、7億円の損失を出した際にはパソコンのモニター2台をリモコンで叩いて壊してしまったと発言している[9]。
発言
- 北畑隆生経済産業事務次官(当時)が2008年1月に経済産業省の関連団体の講演会でデイトレーダーに批判的な内容の話をした件について、「講演で話したことなので、正確な意図は分からない」と前置きした上で、「批判には慣れているので『またか』という印象です。」と述べている[10]。
- 2009年12月4日、みずほ証券が東京証券取引所(東証)に対して損害賠償を求めていた裁判で、東京地方裁判所が東証に107億円1212万8058円の支払いを命じた。この件について、B・N・Fは「とくに感想はありません。私には関係のないことですが、個人が誤発注をしても誰も助けてくれないことに変わりはないので、私自身、これからも誤発注をしないよう気をつけるだけです」と述べている[11]。
ジェイコム株大量誤発注事件
B・N・Fがマスメディアに初めて登場したのは2005年12月8日、新規上場したジェイコム[注釈 1]の株式においてみずほ証券の男性担当者が「61万円で1株売り」とすべき注文を「1円で61万株売り」と誤注文し株式市場を混乱させたジェイコム株大量誤発注事件である[1]。
この事件において7,100株を取得し、同日中に市場で1,100株を売り抜け、残る6,000株(発行済み株式の41.38%)を現金決済(20億3500万円)していたことが大量保有報告書で分かった[12]。
資産の動向
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株式保有銘柄
2009年6月1日、オリックスの「第46回定時株主総会招集通知」に、第9位の大株主(2009年3月末時点)として記載された。持株数は107万株、議決権比率で1.19%を保有する個人筆頭株主にあたる[15]。
フィクションの登場人物
- ワイルドライフ
- 漫画『ワイルドライフ』(単行本第19巻)では、株取引のプロとしてB・N・Fという名前で登場している。『ワイルドライフ』自体は獣医を描いた漫画であるが、作者の興味から取材を行い、作中で登場させている。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 「ぴいぷる B・N・F 190億円の男(2/7)」『zakzak』2008年2月7日
- ^ a b c 「株安なんの! ジェイコム男“190億円”儲けの極意」『zakzak』2008年1月24日
- ^ 『ダイヤモンドZAi』2006年12月号、ダイヤモンド社。
- ^ 『ダイヤモンドZAi』2007年10月号、ダイヤモンド社。
- ^ 日本経済新聞 2008年5月17日1面
- ^ 『日刊スポーツ』2008年10月28日
- ^ 2018年3月に売却。「伝説の投資家BNF氏がビルを売却! 価格は?」楽待新聞、2020年4月5日閲覧。
- ^ ザイ・オンライン編集部 (2013年9月18日). “アベノミクスで資金はさらに増加中!?伝説の投資家「B.N.F.」さんが渋谷センター街のド真ん中にビルを建築中!”. ダイヤモンド社. 2017年11月26日閲覧。
- ^ “BNF 2008/12/30 ラジオ日経”. YouTube (2008年12月30日). 2024年12月3日閲覧。
- ^ 「ジェイコム男「またか」と冷ややか…経産省次官が失言で」『zakzak』2008年2月8日
- ^ 「10分間で20億円を荒稼ぎ!“ジェイコム男”に直撃」『zakzak』2009年12月04日
- ^ 大量保有報告書,ジェイコム株式会社,平成17年12月16日提出 本名による記載。法に基づく公開情報
- ^ a b 2000年から2006年まで「ダイヤモンドZAi 2007年10月号」
- ^ 「ジェイコム男、世界同時株安でも「無傷」」日刊スポーツ 2008年1月23日
- ^ 「あの「ジェイコム男」がオリックス株主9位に」『zakzak』2009年6月3日
関連項目
- cis - 個人投資家。B・N・Fと交流がある。
フランス国立図書館
創設 | 1368年 |
---|---|
所在地 | パリ |
座標 | 北緯48度50分01秒 東経2度22分33秒 / 北緯48.83361度 東経2.37583度座標: 北緯48度50分01秒 東経2度22分33秒 / 北緯48.83361度 東経2.37583度 |
収蔵情報 | |
収蔵数 | 30,000,000品 (14,000,000点の本などの出版物)[1] |
利用情報 | |
貸し出し人数 | 2,101,816人(パリ) |
その他 | |
予算額 | 254,000,000€[1] |
館長 | ロランス・アンジェル |
職員数 | 2,700人 |
ウェブサイト | bnf.fr |
フランス国立図書館(フランスこくりつとしょかん)(仏: Bibliothèque nationale de France[† 1]、略称:BnF)は、フランスのパリを中心とした国立図書館である。1367年にシャルル5世によって創立された王室文庫 (Bibliothèque du Roi) を起源とする。フランス革命により国立図書館 (Bibliothèque Nationale) となり、以後帝政期には帝国図書館 (Bibliothèque Impériale) などとも呼ばれたが、1994年に現在の名称であるフランス国立図書館となった。
1区パレ・ロワイヤル北側至近に位置し、2区リシュリュー通りにあるリシュリュー館(旧館)を母体とし、2014年現在は7つの施設で構成される。その中でも1994年に完成した13区のベルシー地区(トルビアック地区)にあるフランソワ・ミッテラン館が中心的な施設となっている。このほか、世界中から閲覧できる電子図書館「ガリカ」も運営している。現在も有効な1537年の法令により、フランス国内で出版される全ての印刷物は、必ず1部この図書館に保存されることになっている。図書館には1000万を超える書籍と35万束の手稿・写本に加え、地図、コイン、文書、版画、レコードなどが所蔵されている。
歴史
王家の図書館
フランス王室の図書室はルイ9世(聖王)まで遡ることができ、それ以前のカール大帝の息子、ルイ敬虔王所蔵の写本も現存するが、一般にはシャルル5世の収書が国立図書館の起源とされる。しかしフランス革命以前の図書館は王の個人的な蒐集物であり、現在の開かれた図書館ではなく、また相続により蔵書が散逸することもあった[2]。
シャルル8世はイタリア戦争により、アラゴン王家から蔵書を没収し、次代のルイ12世も戦争で没収した書物で図書館を大きくした。フランソワ1世は、さらに1544年ルイ12世が創設したブロワ図書館から1890冊の図書をフォンテンブローに運ばせて、ヨーロッパ随一の図書館を造った。ギリシア学者ギヨーム・ビュデを司書長にE.ロッフェを製本師長に任命したフランソワ1世は、1537年モンペリエの勅令で印刷本の納本制度を作って領土内で印刷された本を集め、現在の図書館における基礎を確立した。納本制度の主要な目的は現在では出版物の保存にあるが、当時は検閲を目的としていた[3]。
フランソワ1世の嗣子アンリ2世も立派な装幀を愛する集書家であった。続くシャルル9世、アンリ3世は集書に関心を示さなかったが、シャルル9世はフォンテンブロー宮殿の図書をパリに移した。アンリ4世はカトリーヌ・ド・メディシスの古写本の収集を王室図書館に加え、サン・ドニ修道院からカール禿頭王所蔵であった聖書を買っている[4]。
ルイ14世とジャン=バティスト・コルベールも集書に努力し東洋の写本、文献も集まるようになった。1667年には12万点もの版画を購入し収めている[5]。『千夜一夜物語』の翻訳で知られるアントワーヌ・ガランらの蔵書も王室図書館に入った。1684年から1718年に死ぬまで図書館を管理したルーボア神父は写本300冊を遺贈し、1719年にはクロード・ソメーズのノートと写本630、エティエンヌ・バリューズの集めた写本957、古文書700、手稿7笥が購入された。コルベールの造った東インド会社は1723年中国から漢籍1800部を7箱に詰めて贈ったという。フランス革命前には刊本の蔵書は15万冊以上となっていた[4]。
フランス革命
フランス革命で修道院や亡命貴族の蔵書が没収され、パリで9か所ほど設けられた場所に集められ、その膨大な写本、図書が王立から国立となった図書館に入ったが、1792年家系図を含む文書はヴァンドーム広場で焼かれ、3500箱のうち残ったのは1500箱であったといわれる。東洋学者シルヴェストル・ド・サシはポアリエ師と協力しサン・ジェルマン・デ・プレ教会の蔵書から東洋語写本880、ギリシア語写本400、ラテン語写本1800を含む9000点とベネディクト会修道士の手稿や使った文献を国立図書館に入れた。
革命後、学士院はベネディクト会のサン・モール会の学僧の仕事を継続しようとして専門家の不足に気づき、集まった膨大な古文書の整理をするためもあり、専門家の養成のため古文書学校を開くことをナポレオン・ボナパルトに願い出た。1807年の勅令がモスクワ遠征途上から出されたが、政治の混乱で実現は1821年の王令を待たねばならなかった。設立された古文書学校からは多くの書誌学者、歴史家、文献学者が育ち、国立図書館の整備も進んだ。
第一次世界大戦後の1926年、不況下で財政難であったことにより、図書館は独立採算制となる。この状況を乗り越えるため当時の館長ロラン・マルセルは、アルスナル図書館やマザラン図書館、サント・ジュヌヴィエーヴ図書館などと「国立図書館連合」を形成した[6]。この連合体はオペラ座図書館、国立高等音楽院(コンセルヴァトワール)図書館などの新規加入や、マザラン図書館の脱退などありながらも1977年まで存続した。
フランス国立図書館
1980年代、フランソワ・ミッテラン大統領はルーヴル美術館大改造、新オペラ座建設(オペラ・バスティーユ)、グランダルシュ建設など、巨大な文化施設を複数建設しパリの面目を一新するパリ改造計画、「グラン・プロジェ(Grands projets)」を立ち上げた。1988年7月14日、フランス革命記念日の演説で、ミッテランはルーヴルやオペラ座など先行する事業に続き、手狭になった国立図書館の問題に対し、新図書館を建造して世界最大の規模に拡大する計画を発表した。1989年10月に新フランス図書館計画を推進する「公施設法人フランス図書館」(Etablissement public de la Bibliotheque de France:EPBF)が創設された。旧国立図書館から新図書館への蔵書の分割・移転には不満の声が上がり、旧国立図書館とEPBNの間で対立が起きた[7]。この問題に対し文化大臣のジャック・ツボンは両者と協議を重ね、両機関統合の合意を得た。1993年12月22日の閣議により、両機関を統合し、名称も「フランス国立図書館」(BnF)とすることを正式決定した[8]。新館の完成は1994年である。
施設
フランス国立図書館は、5つの図書館と2つの保存・修復施設の合計7つの施設で構成される。
リシュリュー館(旧館)
リシュリュー通りの旧館は、アンリ・ラブルーストとジャン=ルイ・パスカルの設計で1854年に着工し1875年に完成した。
連続する丸天井で印象的な現在の印刷本閲覧室は、1868年に公開されたものである。印刷本カタログは1897年から刊行されている。毎年増える蔵書のためヴェルサイユに別館が置かれ、種々の改革が1930年代にJ・カンが作った改革案を基礎に進められている。
現在、旧館には国立図書館のうち版画・貨幣などのデパルトマンと、古文書学校附属図書館、国立美術史研究所の3館が入居している。
フランソワ・ミッテラン館(新館)
新しい図書館建設にあたっては、複数の建築に分散していた部門をすべて入居させあらゆる分野の知識を集めること、あらゆる人々が立ち寄りやすいようにすること、当時の先端の通信技術を使用することで遠隔地からでもデータにアクセスできるようにすること、国内や欧州の他の図書館とも連携することが意図された。1989年7月、244チームが参加した建築設計競技(コンペ)の結果、イギリスのフューチャー・システムズ、イギリスのジェームズ・スターリング、フランスのドミニク・ペロー、フランスのフィリップ・シェとジャン・ピエール・モレルの4案が優秀賞、ジャン・ヌーヴェル案とレム・コールハース案が特別賞となった。英仏対決の様相を呈したコンペは、ミッテラン大統領の採決によりドミニク・ペローの案が採用される結果となった。美術におけるミニマリズムの影響を強く受けたペローの設計案の勝利は、装飾の復活や過去の建築様式の引用などにぎやかな外観を呈したポストモダン建築の流行を終わらせるインパクトがあった。
国立図書館の新館建物は1994年に完成したが、リシュリュー通りの旧館などからの1000万冊を超える書籍や資料の移転作業が続き、一般に公開されたのは1996年12月20日である。この図書館のセーヌ川に面したクールな姿は、さびれたベルシー地区の様相を一変させた。
新しい図書館は長方形の敷地の片側に「本を開いて立てたような」L字型の、高さ100mのガラス張り超高層ビルが4棟向かい合い、4棟の総延長は400mに達する。中央に長方形の中庭が掘り込まれ、周囲を地下閲覧室が囲んでいる。また敷地の残りの部分は大きなエスプラネードとなって来館者を迎え入れている。4棟の高層ビルの内部はほとんど書庫であり、一部は各部門の事務所に使用されている。書籍や資料を日光から守るため、各窓には木製の開閉式のボードが取り付けられている。
ミッテラン大統領の死後、新館はフランソワ・ミッテラン館と称された。
アルセナル図書館
アルスナル図書館はポルミー侯アントワーヌ=ルネ・ド・ヴォワイエ・ダルジャンソンが、パリ兵器廠(Arsenal de Paris)に存在したアンリ4世の重臣、シュリー公マクシミリアンの屋敷跡に造った図書館である。アルセナル図書館は後にアルトワ伯爵(後のシャルル10世)に売却された。1934年からアルセナル図書館は国立図書館に所属している[9]。
オペラ座図書館・博物館
1861年に新オペラ座の図書館として設立。その後1935年に国立図書館所属となる[10]。
ジャン・ヴィラール記念館
ジャン・ヴィラール財団、アヴィニョン市、フランス国立図書館、文化・通信省の4者による運営である[11]。1979年に財団と市、国立図書館の3者により設立された[12]。
ブシー=サン=ジョルジュ技術センター
印刷物と音声・映像に関する所蔵物の保存・修復を行っている。建屋はフランソワ・ミッテラン館をデザインしたドミニク・ペローによるものである[13]。
ジョエル=ル=トゥール技術センター
サブレ=シュル=サルトにある18世紀初頭に建てられた城に存在する。古くは書物の保存に使われていたが、現在はあらゆるものの保存に使用されている[13]。
電子図書館「ガリカ」
ガリカ(Gallica)はフランス国立図書館の電子図書館として1997年10月に設立された。ミッテラン大統領の新図書館構想の柱として、資料のデジタル化とリモートアクセスの実現が存在し、ガリカはその構想の下に設立された[14]。2014年12月の時点で資料数は300万点以上となっている(図書約55万点、地図約7万点、写本約4万点、イラスト約100万点、定期刊行物・雑誌約140万点、楽譜約1万点)。著作権の期限が切れ、パブリックドメインとなっているものはオンラインで全ページが閲覧可能なものも多い[15]。iPhone、iPad、Android用のアプリも無償提供されている[16][17]。
部署
フランス国立図書館には、それぞれ「デパルトマン」と呼ばれる14のセクションが存在する[18]。1720年にジャン=ポール・ビニョンが、刊本、写本、系譜、版画、メダルの5つの部門に分けたのが始まりである[19]。映像作品や音楽作品、ビデオゲームなど所蔵対象の移り変わり、媒体の変化により、セクションも変わってきた。
2014年現在は、演劇、アルスナル図書館、法および政経、ジャン・ヴィラール記念館、古銭・骨董、人文哲学および歴史、科学・技術、音声・映像、地図、写真、文芸、写本、音楽、オペラ座図書館、書誌学、希書保管の14種類のデパルトマンがある。
分類
印刷本と写本のカタログはニコラ・リゴーが中心となって1622年に作ったが、写本カタログは1645年にデュピュイ兄弟が増補改定し、ニコラ・クレマンがその後の基礎となる分類を作った。クレマンは刊本について主題を基に大きく5つに分け、それぞれラテン語のアルファベット23文字の記号をつけた。神学をA-D、法律をE-F、歴史をG-Q、科学(工学)と芸術をR-V、文学をX-Zに割り振った。この分類法は1996年まで利用された[20]。クレマンの番号では1-1636が東洋語写本、1801-3538がギリシア語写本、3561-6700がラテン語写本、6701-10542がフランス語および近代ヨーロッパ語写本で、ポーラン・パリスの『王室図書館写本解題(Les Manuscrits françois de la Bibliothèque du roi)』をはじめ、多くの19世紀の研究書はクレマンの整理番号を使っている。これは19世紀末に新しい番号に再整理された。
交通
- フランソワ・ミッテラン図書館 : メトロ14号線ビブリオテーク・フランソワ・ミッテラン駅下車
脚注
注釈
- ^ フランス語発音: [biblijɔtɛk nasjɔnal də fʁɑ̃ːs]
出典
- ^ a b “La BnF en chiffres”. 2009年10月28日閲覧。
- ^ 和田万吉『図書館史』慧文社、2008年、221-222頁。ISBN 978-4863300088。
- ^ 佃一可 編「8章 ルネッサンスと図書館思想」『図書・図書館史』樹村房、2012年、102-104頁。ISBN 978-4-88367-211-0。
- ^ a b 佃一可 編「8章 ルネッサンスと図書館思想」『図書・図書館史』樹村房、2012年、109頁。ISBN 978-4-88367-211-0。
- ^ 「国立国会図書館月報」(PDF)第600巻、国立国会図書館、2011年3月、2015年1月9日閲覧。
- ^ 佃一可 編「13章 20世紀の図書館」『図書・図書館史』樹村房、2012年、172頁。ISBN 978-4-88367-211-0。
- ^ 門彬「フランス図書館建設の現況 / 門彬」『カレントアウェアネス』第171巻CA908、国立国会図書館、1993年11月20日、2014年12月23日閲覧。
- ^ 門彬「BNFが発足:BNとBDFの統合なる / 門彬」『カレントアウェアネス』第175巻CA929、国立国会図書館、1994年3月20日、2014年12月23日閲覧。
- ^ “BnF - Arsenal Library”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ “BnF - Opera Library”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ “BnF - The Maison Jean Vilar”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ “BnF - Maison Jean Vilar”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ a b “BnF - Preservation services”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ 永野祐子「Gallica−フランス国立図書館による電子図書館の試み−」『カレントアウェアネス』第226巻CA1193、国立国会図書館、1998年6月20日、2015年1月14日閲覧。
- ^ 渋谷由紀. “【世界の図書館から】フランス国立図書館の電子図書館“Gallica(ガリカ)””. 東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門(U-PARL). 2015年1月14日閲覧。
- ^ “Le Blog du LABO BnF: Une application Gallica sur Ipad et Android !”. Le Blog du LABO BnF (2013年1月10日). 2015年1月14日閲覧。
- ^ 「フランス国立図書館、電子図書館GallicaのアプリをiPhoneにも対応」、国立国会図書館、2013年5月16日、2015年1月14日閲覧。
- ^ “BnF - Departments”. 2014年12月23日閲覧。
- ^ Miriam Drake 編『Encyclopedia of Library and Information Science』 1巻(2版)、CRC Press、2003年、329頁 。
- ^ Talas, Sofia、Lourenço, Marta C. 編「295 catalogues of precision makers at the Bibliothèque Nationale de France」『Arranging and Rearranging : planning University Heritage for the Future』Padova University Press、2012年、184-194頁。
関連項目
外部リンク
- BnF Web site (公式サイト)
- Gallica, BnF's digital library(フランス国立図書館の運営する電子図書館『ガリカ』のサイト)
- フランス国立図書館(BnF)へようこそ - YouTube - BnFの案内動画、日本語字幕つき
B・N・F
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:20 UTC 版)
「ジェイコム株大量誤発注事件」の記事における「B・N・F」の解説
投資家B・N・Fは、7,100株を取得、同日中に市場で1,100株を売却、残る6,000株(発行済み株式の41.38%)を現金決済(20億3500万円)していたことが、有価証券報告書の大量保有報告書で分かった。当人は「いつもと変わらず冷静だった」と語った。
※この「B・N・F」の解説は、「ジェイコム株大量誤発注事件」の解説の一部です。
「B・N・F」を含む「ジェイコム株大量誤発注事件」の記事については、「ジェイコム株大量誤発注事件」の概要を参照ください。
- BNFのページへのリンク