コンコルド広場(フランス)
コンコルド広場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 08:03 UTC 版)
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コンコルド広場(コンコルドひろば、フランス語: Place de la Concorde)は、フランス・パリ8区にある大広場。パリのセーヌ川右岸(北岸)の中心部界隈に位置し、テュイルリー庭園と、同広場が起点となるシャンゼリゼ通りとに挟まれた場所にある。同広場から東側に向かうとパリの行政区画上1区にあたる。2024年パリオリンピックではスケートボード、自転車のBMXフリースタイル、バスケットボールの3x3、ブレイキン、同パラリンピックでは開会式の会場として使用される。
沿革
1755年、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた[1]。その後、フランス革命の勃発により騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットへのギロチン刑が行われた場所でもあった。
1795年のヴァンデミエールの反乱において、当時ポール・バラス軍司令官副官であったナポレオン・ボナパルトが王党派を鎮圧後、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始める(公式名になったのは1830年)。
オベリスク
広場の中心部にはエジプトのルクソール神殿のオベリスクが置かれているが、これはムハンマド・アリー朝初代総督 ムハンマド・アリーから贈られ1836年に運ばれたものである。
アクセス
脚注
- ^ 『パリ まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、20頁。ISBN 978-4-398-28129-6。
関連項目
- パリの歴史軸
- 国際自動車連盟
- コンコルド協定
- オベリスク
- ルクソール神殿
- en:Luxor Obelisk(クレオパトラの針)
- ホテル・ド・クリオン - 広場に面した元王宮を使用するホテル
コンコルド広場(1区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:09 UTC 版)
パリの中心部、テュイルリー庭園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。歴史ある広場で、フランス革命の後にはルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた。現在はツール・ド・フランスの終着点としても知られ、最終日には多くの愛好者が集まる。
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