6号御料車
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6号御料車は、明治天皇の御乗用として1910年(明治43年)10月29日に鉄道院新橋工場で製造されたものである。 モニター屋根の木造車で、台車は3軸ボギー台車を装着している。全長は20.728m、最大幅は2.642m、車体幅は2.59m、自重は35.6t(改造後は33.01t)で、当時としては最大級の大きさである。また台枠の側梁は、中央部がふくらんだ魚腹形で、外観上の特徴となっている。 外装は、チーク材を張り深紅色の漆塗りとしており、御座所の中央部には菊の御紋章を配して、その両側に桐の紋章を取り付け、周囲に菊や桐の小紋を描き、御座所の窓の上には、桐の紋を中央に鳳凰が向い合った浮き彫りが取り付けられている。また軒部には歯形の軒飾りが取り付けられ、金粉で飾られている。車体は、魚腹形の台枠部を含めて多数の金線で装飾されている。 車内は、前位側から大膳室、侍従室、御座所、侍従室、寝室、厠となっており、その前後に出入り台、侍従室に天皇が乗降車するための出入口、御座所の背後には侍従室同士を繋ぐ側通路が設けられている。御座所は、長さ5.424m、幅は1.889mで、それまでに製造された御料車中最大の広さである。天井は格天井式で、菊花を亀甲形に配した蜀江錦張りで、妻の櫛形には、菊の御紋章を挟んで両側に鳳凰の飾りを配した七宝の飾りがつけられている。腰部には深紅色のビロードを用い、前後の引戸には黄色、薄臙脂色の漆塗りに桐と鳳凰と蝶の図を螺鈿と高蒔絵で描いており、まさに美術工芸の極致といった感がある。 このように本車は、内装、外装とも御料車中最も壮麗なものとして評価が高く、7号御料車落成後も、同車に大膳室がないこともあって大正天皇が頻繁に御乗用とした。 昭和となってからは使用されず、大井工場の御料車庫に保管された。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)5月24日、空襲により同庫に焼夷弾が命中した際、後部侍従室(側廊下側)外板の一部を少し焦がしたが、内部に被害はなかった。1959年(昭和34年)10月に廃車され、鉄道記念物に指定されたが、1966年、5号御料車とともに博物館明治村で展示することとなり、大井工場で外装の再整備が行われた。このとき、外板は漆塗りからカシウ塗りとなったが、車体の金線は製造時のままに再現されている。本車は同年7月10日夜、大崎駅から臨時列車で明治村に送られた。
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