6号御料車とは? わかりやすく解説

6号御料車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 09:38 UTC 版)

皇室用客車」の記事における「6号御料車」の解説

6号御料車は、明治天皇御乗用として1910年明治43年10月29日鉄道院新橋工場製造されたものであるモニター屋根木造車で台車は3軸ボギー台車装着している。全長は20.728m、最大幅は2.642m、車体幅は2.59m、自重は35.6t(改造後は33.01t)で、当時としては最大級大きさである。また台枠の側は、中央部ふくらんだ魚腹形で、外観上の特徴となっている。 外装は、チーク材張り深紅色漆塗りとしており、御座所中央部には菊の御紋章配して、その両側紋章取り付け周囲菊や小紋描き御座所の窓の上には、の紋を中央鳳凰向い合った浮き彫り取り付けられている。また軒部には歯形の軒飾り取り付けられ金粉飾られている。車体は、魚腹形の台枠部を含めて多数金線装飾されている。 車内は、前位側から大膳室、侍従室、御座所侍従室、寝室、厠となっており、その前後出入り台、侍従室に天皇乗降車するための出入口御座所背後には侍従同士を繋ぐ側通路設けられている。御座所は、長さ5.424m、幅は1.889mで、それまで製造され御料車最大広さである。天井格天井式で、菊花亀甲形配した蜀江錦張りで、妻の櫛形には、菊の御紋章挟んで両側鳳凰飾り配した七宝飾りつけられている。腰部には深紅色ビロード用い前後引戸には黄色、薄臙脂色漆塗り鳳凰の図を螺鈿高蒔絵描いており、まさに美術工芸極致といった感がある。 このように本車は、内装外装とも御料車中最も壮麗なものとして評価高く7号御料車落成後も、同車大膳室がないこともあって大正天皇頻繁に御乗用とした。 昭和となってからは使用されず、大井工場御料車庫に保管された。太平洋戦争中1945年昭和20年5月24日空襲により同庫に焼夷弾命中した際、後部侍従室(側廊下側外板一部を少し焦がしたが、内部被害はなかった。1959年昭和34年10月廃車され、鉄道記念物指定されたが、1966年5号御料車とともに博物館明治村展示することとなり、大井工場外装再整備が行われた。このとき、外板漆塗りからカシウ塗りとなったが、車体金線製造時のままに再現されている。本車同年7月10日夜、大崎駅から臨時列車明治村送られた。

※この「6号御料車」の解説は、「皇室用客車」の解説の一部です。
「6号御料車」を含む「皇室用客車」の記事については、「皇室用客車」の概要を参照ください。

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