2015年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:23 UTC 版)
ジョイフル本社 - 山口県、福岡県、佐賀県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、愛媛県南予地方、高知県 中国ジョイフル(岡山県倉敷市、2002年11月1日合併) - 岡山県、広島県、香川県、愛媛県川之江市(現・四国中央市)、兵庫県姫路市 近畿ジョイフル(滋賀県大津市、2004年6月1日合併) - 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県(姫路市・加古川市を除く)、奈良県、和歌山県 北陸ジョイフル(石川県金沢市、2004年6月1日合併) - 富山県、石川県、福井県 中部ジョイフル(愛知県豊橋市、2004年6月1日合併) - 静岡県、愛知県、岐阜県、三重県 関東ジョイフル(東京都青梅市、2002年6月1日ジョイフル本社に営業譲渡、清算) - 栃木県、群馬県、埼玉県、東京都 東京ジョイフル(千葉県松戸市、2004年6月1日合併) - 茨城県、千葉県 東北ジョイフル(宮城県仙台市泉区、2004年6月1日合併) - 宮城県 1996年から1999年にかけて設立。2002年から2004年にかけて吸収合併した。ジョイフル本社は地域子会社と区別するため「九州ジョイフル」と呼ばれていた。地域子会社の資本金は中部が2億円、東北が1億5000万円、それ以外が1億円だった。ジョイフル本社の地域子会社の出資比率は90%で、残りの10%は当該地域子会社の社長が保有していた。合併直前の2004年2月に株式交換で完全子会社となった。 中国ジョイフルの社長は、後にジョイフルの社長を務めた穴見陽一であった。その関係で合併当初は中国事業部として本社とは切り離された運営がなされていた。中国事業部時代の2003年に加古川市に出店している。しかし、2004年には全国一社体制になることから、権限を縮小され中国管理部と改称した。2005年3月に廃止され、現在倉敷市の旧中国ジョイフル本社ビルは1階にジョイフル倉敷本店、3階に中国エリア事務所がある。 なお、合併後近畿以東の管理部門は一時期大阪府に新設した事務所(詳細な場所は非公表)にて行っていたが、その後、管理統制機能の全てが大分の本社に集約された。
※この「2015年まで」の解説は、「ジョイフル」の解説の一部です。
「2015年まで」を含む「ジョイフル」の記事については、「ジョイフル」の概要を参照ください。
2015年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:30 UTC 版)
「高校生カレー甲子園」の記事における「2015年まで」の解説
『ちちんぷいぷい夏休みスペシャル』を5日間にわたって編成する週に、5日連続で生放送。前述した一騎討ち形式の本選を最初の4日間(月 - 木曜日)に実施したうえで、本選に勝ち残った4校が決勝に進出した。 たむらが司会、アシスタントを前田阿希子(2013年まで)→ 豊崎由里絵(2014年・2015年、いずれも当時『ちちんぷいぷい』の一部曜日でアシスタントを務めていた毎日放送の女性アナウンサー)が担当。たむらが本選に立ち会えない日には、当該曜日レギュラーのロザン、楠雄二朗(くっすん)、銀シャリ(当時)などが司会を務めることがあった。 最終日の金曜日には、本選審査を勝ち抜いた4校の一斉対戦方式で決勝を実施。オーサカキングと連動していた2006年には、決勝進出校の学生が作ったカレーをオーサカキングの会場で販売したうえで、先に100食を完売した学校を優勝校とみなしていた。2007年から2014年までは、本選と同様に調理の模様を生中継。本選と同様の試食・審査を経て、最も多い支持票を得た学校を優勝校と決めていた。2015年の決勝では、試食・審査の方法を前年から踏襲しながらも、当日の調理を割愛。予選で作ったカレーが、審査の対象になった。 本選の投票では、当該校に対応させた色のボールを、「1名につき1球」という条件でシースルー型の投票箱に投入。投票済みボールの高さが投票箱に引かれた「決勝進出ライン」(ボール総数の半分に達したことを示す境界線)を1球でも上回った時点で、「当該校の勝利」とみなす。そのため、コールドゲーム形式で勝敗が決まることもある。また、投票の途中経過を(放送上)見えにくくする目的から、たむらの指示で放送中に投票を一時的に中断させる演出も施していた。2015年の第7回大会では、本選2日目以降の投票で、21票目から50票目までを隠す「ハテナトンネル」を設定。21票目から勝者の学校に51票目が入るまでの投票動向を、放送上分からなくしていた。 決勝の投票では、進出校の前に寸胴を1個ずつ置いたうえで、審査員が寸胴に入れたスプーンの総数を基に玉入れ形式(通称「スプーン投票」)で優勝校を決めていた。
※この「2015年まで」の解説は、「高校生カレー甲子園」の解説の一部です。
「2015年まで」を含む「高校生カレー甲子園」の記事については、「高校生カレー甲子園」の概要を参照ください。
2015年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:14 UTC 版)
「明仁から徳仁への皇位継承」の記事における「2015年まで」の解説
2010年7月22日 - 明仁、参与会議で退位の意向を表明。 2015年秋 - 宮内庁が内閣総理大臣官邸に明仁の意向を伝える。
※この「2015年まで」の解説は、「明仁から徳仁への皇位継承」の解説の一部です。
「2015年まで」を含む「明仁から徳仁への皇位継承」の記事については、「明仁から徳仁への皇位継承」の概要を参照ください。
2015年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 19:47 UTC 版)
教育委員長は地方自治体の議会に同意を得たうえで首長に任免される5名の教育委員から互選によって選出され、委員会の代表者であり、会議における主宰者であった。教育委員長が任命される際には職務代行者が置かれていた。混同されやすい事務執行の責任者である教育長は教育委員の中から教育委員会によって任命される者で、教育委員長とは兼務できなかった。
※この「2015年まで」の解説は、「教育委員長」の解説の一部です。
「2015年まで」を含む「教育委員長」の記事については、「教育委員長」の概要を参照ください。
- 2015年までのページへのリンク