高山立坑
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「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「高山立坑」の解説
高山工区は大林組に対して発注され、1972年(昭和47年)8月に着工した。高山工区は当初計画では大宮起点109 km200 m地点から112 km100 m地点までの2,900 mを担当することになっており、109 km460 m地点の下り列車に対して本線右側20 mの離れの地点に立坑を建設して取りついた。立坑の地表面から施工基面までの深さは260.0 m、施工基面より下にさらに35.0 m掘り、総深度は295.0 mである。立坑の内径は6.0 mである。 高山立坑では、四方木立坑に比べても浅い位置に地下水位があることが分かっていたため、掘削開始前に地上から注入作業を行った。35 mずつ8ステップに分けて、掘削予定の深さのほぼ全体にわたって薬液の注入を行って、湧水の防止を試みた。しかし、坑底での注入では地下水位の下で作業を行うため、注入用のボーリング穴を開けたときに地下水が噴出してこなくなれば十分薬液が注入されて止水されたと判断できるが、地下水位の上で作業を行う地上からの注入ではボーリングをしてももともと地下水の噴出が無く、薬液の注入効果を確認できないという問題があった。 1973年(昭和48年)1月になりようやく立坑の掘削工事を開始した。四方木立坑と同様の手順でショートステップ工法により掘削を推進したが、51.8 m地点で約1.5トン/分の湧水に見舞われて掘削不可能となった。そこで高山立坑でも坑底注入を実施することになり、カバーロックコンクリートを施工してボーリングを行い、薬液注入を行ってから掘削し、再びボーリングと注入を行うという段階的な注入方式を実施した。しかし59.8 m地点で再度約0.8トン/分の湧水に見舞われ、経済的にも工期的にも問題のあった段階的な注入方式の見直しが行われた。 続いて採られた対策はディープウェル(深井戸)の掘削である。立坑の周囲に30 cm径の穴を8本、深さ200 mまで掘削し、ポンプでこの穴から水をくみ上げてしまうことで、地下水位そのものを下げようという対策であった。ディープウェル1本あたり3トン/分のポンプを設置し、8本合計で24トン/分の排水を続けたが、水位は100 m程度までしか下がらなかった。さらに低温の排水が周辺の水田に低温障害を引き起こしていたこともあり、これ以上のポンプ増設は困難であった。ともかく、ディープウェルによる汲み上げと坑底注入の併用で、深さ119 mまで掘削を行った。 その後、深さ200 m付近にあることがわかっている安山岩層まで、残り80 mほどの掘削にあたって、フランスで開発された注入工法であるソレタンシュ式注入工法(ソレタンシュ地盤改良工法)を採用することになった。この工法ではより精密に所定量の薬剤を必要な場所に注入することができるという特徴がある。3回に分けての注入が実施され、1975年(昭和50年)9月に深さ195 m付近で安山岩層に到達し、その後は順調に工事が進められた。1976年(昭和51年)6月4日に坑底に到達した。その後10月15日からバントン工事が行われ、1977年(昭和52年)5月15日に完了した。
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