蛇性の婬
蛇性の婬
蛇性の婬
蛇性の婬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 15:19 UTC 版)
『蛇性の婬』(じゃせいのいん)は、1921年(大正10年)製作・公開、栗原喜三郎監督による日本のサイレント映画、長篇劇映画である。上田秋成の原作を谷崎潤一郎が脚色した作品として知られる。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月8日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇、マツダ映画社、2010年2月8日閲覧。
- ^ 収蔵フィルム目録、玩具映画および映画復元・調査・研究プロジェクト、大阪藝術大学、2010年2月8日閲覧。
- ^ Film Calculator[リンク切れ]換算結果、コダック、2010年2月8日閲覧。
蛇性の婬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「蛇性の婬」は、『雨月物語』中唯一の中篇小説の体をとっている。原話は、『警世通言』第28巻「白娘子永鎮雷峰塔」であるが、途中から終結を道成寺縁起へ結びつける、独自な要素をもっている。原話の許宣が豊雄、白娘子が真女児、青々がまろやにあたる。物語は「いつの時代なりけん」と、物語風にはじまっている。 紀伊国三輪が崎(現在の和歌山県新宮市三輪崎)に大宅の竹助という網元がいた。三男の豊雄は、優しく都風を好む性格で、家業を好まない厄介者だったが、父や長兄も好きに振舞わせていた。ある日、学問の師匠の神官・安倍弓麿の元から帰るとき、東南からの激しい雨になり、傘を畳んで漁師小屋で雨宿りした。すると、侍女を連れた二十歳ばかりの女がやはり雨宿りに入ってきた。この女は県の真女児といい、大層美しく雅やかで、豊雄は惹かれた。そこで豊雄は自分の傘を貸し、後日返して貰いに彼女の家に伺うことになった。 その晩、豊雄は真女児の家で彼女と一緒に戯れる、という夢を見た。そこですぐに侍女のまろやの案内で真女児の家を尋ねた。そこは、夢と様子の違うことのない立派な屋敷で、豊雄は一瞬怪しんだものの、真女児と楽しいひと時を過ごした。真女児は自分の夫を亡くし身寄りのない境遇を打明け、豊雄に求婚した。豊雄は父兄のことを思い迷ったがついに承諾し、その日は宝物の太刀を貰って家に帰った。次の日、豊雄が怪しげな宝刀を持っているのを見た両親と長兄は、どうやってこれを賄ったのかと豊雄を責めた。豊雄は人から貰ったと言うが、信じてもらえない。見かねた兄嫁が仲介することとなり、彼女から詳しい事情が長兄に伝えられた。長兄はこの辺りに県という家のないことからやはり怪しみ、そして、これが近頃盗まれた熊野速玉大社の宝物であることに気づき、豊雄を大宮司につきだした。豊雄は役人にも事情を説明し、県の家に向うこととなった。 行ってみると、あんなにきらびやかだったはずの県の家は廃墟となっていた。近所の人に聞くと、三年も前から人は住んでいないといい、中からは生臭い臭いが漂ってくる。武士の中で大胆なものが先頭に立って、中の様子を見ると、一人の美しい女がいた。これを捕まえようとしたその時、大きな雷が鳴り響き、女の姿は消えた。そしてそこに、盗まれていた宝物が山の様にあった。豊雄の罪は軽くなったが許されず、大宅の家が積んだ金品により、百日後やっと釈放された。 豊雄の姉は大和国石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市三輪付近)の商人、田辺金忠の家に嫁いでいた。豊雄は、そこに住むこととなった。春、近くの長谷寺に詣でる人の多い中を、あの真女児がまろやとやって来た。恐れる豊雄に、真女児は自分が化け物でないことを証明して見せ、安心させた。そして、あれは保身のための謀略であったと弁解し、金忠夫婦の仲介もあって、ついに豊雄は真女児と結婚することとなった。二人は結ばれ、仲良く暮らした。三月、金忠が豊雄夫婦と一緒に、吉野へ旅をすることとなった。真女児は持病を理由に当初は拒んだが、とりなしもあって了解した。旅は楽しいもので、吉野離宮の滝のそばで食事をとっていると、こちらにやって来る人がいる。この人は大倭神社につかえる翁で、たちまち真女児とまろやが人ではないことを見破ると、二人は滝に飛び込み、水が湧き出てどこかへ行ってしまった。翁は、あのまま邪神と交われば豊雄は死んでしまうところだった、豊雄が男らしさを持てばあの邪神を追い払えるから心を静かに保ちなさい、と教えた。 豊雄は紀伊国に帰り、芝の庄司の娘・富子を妻に迎えることになった。富子との二日目の夜、富子は真女児にとりつかれた。そして、つれない豊雄を、姿は富子のままなじった。気を失いかけた豊雄の前にまろやも姿を見せ、豊雄は恐ろしい思いをしてその夜を過ごした。次の日、豊雄は庄司にこのことを訴え、たまたまこの地に来ていた鞍馬寺の僧侶に祈祷を頼むことになった。自信たっぷりだったこの僧も、真女児に負け、毒気にあたって介抱の甲斐なく死んでいった。 豊雄は自分のせいで犠牲が出ることで心を改め、真女児に向かって自分を好きにしていいから富子を助けてくれ、とたのんだ。庄司はこの事態を考え、今度は道成寺の法海和尚に頼むことにした。そして、法海から自分が来るまで真女児を取り押さえておくよう指示された。与えられた袈裟で豊雄が真女児を捕えていると、やがて法海和尚がやって来た。豊雄が袈裟を外してみると、そこには富子と三尺の大蛇が気を失っていた。法海は大蛇と、さらに躍りかかってきた小蛇をとらえ、一緒に鉢に封じて袈裟でくるみ、寺に埋めて蛇塚とした。その後富子は病気で死んだが、豊雄はつつがなく暮らしたという。
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