はっ‐たん【発端】
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発端
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発端(水平社によるリンチ事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/20 09:17 UTC 版)
「世良田村事件」の記事における「発端(水平社によるリンチ事件)」の解説
1924年(大正13年)12月31日、世良田村三ツ木(現・伊勢崎市境三ツ木)の一般民の室田忠五郎が佐波郡境町(現・伊勢崎市境)の材木商田島美一郎方で「俺はボロを着ていてもチョウリンボウ(被差別部落民の賤称)ではない」などと発言し、それを剛志村上武士(現・伊勢崎市境)の剛志水平社同人の松島滝次郎が聞きとがめた。 1925年1月2日午後5時頃、剛志水平社や下原水平社の同人ら数十名は室田を松島滝次郎方に監禁し、取り囲み、糺弾を加えた。その内容は、以下の通りであった。 1月2日午後5時頃から翌1月3日午前4時まで室田を跪坐させる。 剛志水平社の坂本伊勢五郎は「チョウリンボウの着物と貴様たちの着物と消費税に差があるか」「犬猫でも返事をする。耳が遠いか」などと室田を詰問し、胸ぐらをつかんで小突き回し、頬を殴打する。 剛志水平社の関根新太郎は室田の胸ぐらをつかんで小突き回しながら「チョウリンボウの着物と貴様らの着物は違うか」と難詰し、突き飛ばす。 剛志水平社の川田軍蔵は「そんな責め方では駄目だ」と言いながら室田の横鬢を殴り、足で室田の頬を蹴り、板の間に蹴倒し、室田の左前額部に全治14日の傷害を加える。 下原水平社の松島喜三次は、室田が滝次郎方の小縁に座っているのを「そこでは話がわからん」と両手をつかみ、座敷の中央に引きずり上げ、「なぜ差別的言辞を弄したか」と胸ぐらをとって小突き回す。 下原水平社の松島秋芳は他の者の詰問を「まだやり足りない、もっとやれ、もっとやれ」と声援し、室田の尻を蹴飛ばし、かつ顔を殴って転倒させ、他の水平社同人らと呼応して「ぶん殴れ、水をかけろ」「広瀬川に持って行って漬けろ、脳みそを入れ替えるぞ」と怒号する。 この結果、室田は自らの非を認めさせられ、謝罪の講演会を開くこと、講演会の開催費用は自己負担することを約束させられたが、村の交渉委員の栗原丑吉たち下新田の一般民の反対を受けて講演は中止となる。憤慨した下原水平社の松島粂蔵や橋本庄蔵らが「丑吉の野郎をぶっ殺してしまう」と放言したため、栗原丑吉たちは水平社の来襲に備えて竹槍を用意した。なお室田に対する上記のリンチ事件については、のちに脅迫罪・傷害罪・監禁罪で水平社同人ら5名が起訴され、坂本と関根と川田が懲役6月の実刑判決、松島喜三次と松島秋芳はそれぞれ懲役5月、執行猶予3年の有罪判決を受けている。 この室田リンチ事件について、水平社側の立場から報じた『水平月報』1925年2月15日号では「本年一月二日松島君は忠五郎を自宅に招き、淳々と其不心得を諭した、此時、世良田村の同人は六名も立合つた其結果、忠五郎はよく理解し、自己反省を幾度か弁じ」云々と記したのみで、集団暴力の事実に一言も触れていない。 部落解放同盟の立場から書かれた丸山友岐子『解放への飛翔』82頁では、室田へのリンチ事件が一部の新聞のヨタ記事として片付けられており、水平社同人5名への有罪判決については何も書かれていない。
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「発端」の例文・使い方・用例・文例
- 騒ぎの発端は彼の不注意な発言からだった。
- その人気テレビシリーズが発端となって、秋には二つのショー番組が誕生することになっている。
- すべての発端は、1955年12月1日、アラバマ州モントゴメリーで起こった事件であった。
- そのうわさの発端は誤解であった.
- 1860 年代の南北戦争の発端は南部諸州の合衆国からの脱退であった.
- その事件の発端は何ですか.
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- これが事の発端である
- 発端から話さないとわからない
- 事の発端を尋ねる
- 緊張したか格式ばった空気をリラックスさせる発端
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- 彼は民主主義の発端を1850年前後としている
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