生中継コーナー
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「アッコにおまかせ!」の記事における「生中継コーナー」の解説
1998年9月の番組リニューアルに伴い生中継コーナーは廃止となった。 みんな見て来い来い来い(1985年10月6日 - 1991年9月)吉村明宏が各地でロケを行う。番組冒頭に場所を伏せて中継を行い、場所のわずかなヒントとなる近隣の建物などを見せた上で「近所の方はここに(指定の時間までに)頭に「あ」や「い」(日によって違う)の付く物を持って来て下さい。」と呼びかける。番組の後半で再度中継が入り、特にインパクトのある物を持ってきた人に吉村がインタビューを行う。 上記のコーナー時、「た」の付く物の中には自宅からタンスを担いできた人もおり、吉村やスタジオの和田らは驚いていた。 おまかせ!ネットワーク(1986年頃 - 1988年頃)TBSアナウンサーの岡崎潤司が担当。中継はネット各局の協力により全国津々浦々から行った。内容はかつて日本テレビ系列で放送されていた東芝ファミリーホール特ダネ登場!?のように、その地元に在住する変わった特技や曲芸を得意とする人、さまざまな日本一の人などを当てるクイズ(問題は3問。すべて三択で、解答者は和田をはじめスタジオの観客も参加)。 出演者で一番インパクトのあった人を和田が選び、中継先にて岡崎から当時の携帯型テレビが賞品として贈られた(メーカーや型番は不明)。またスタジオの観客にも最終的に残った人数で賞品(主に日本各地の特産品や名店のスイーツが多かった)を山分けしたが、週によっては観客一人のみ全問正解だったり、全問正解者なしということもあった。 アッコジャンボ宝くじ(1993年4月 - 1998年9月27日)「みんな見て来い来い来い」に代わるコーナー。吉村明宏が各地でロケを行う。番組冒頭に具体的な地名を伏せて中継を行い、やはり場所のわずかなヒントとなる近隣の建物などを見せた上で「近所の方はここに(指定の時間 までに)預金通帳を持ってきてください。車では絶対に来ないでください。」と呼びかける。その場所には番組特製のティッシュが置いてある。そして番組の最後(概ね12:45頃)にスタジオの和田が「1の位」「10の位」「100の位」の順に抽選を行い、持ってきた通帳に記載されている最終残高の下3ケタが一致すると賞金10万円がもらえる企画。当選者が複数いる場合は人数で頭割りとする。例えば3人当選の場合は33,333円がもらえ、余った1円はカンガルー募金に寄付。当選者が出ないと翌週(次回)放送回にキャリーオーバーとなる。 毎回わずかなヒントしかないにもかかわらず、近所の人ならすぐに分かるようで、ほとんどの場合100人前後は集まっていた。和田も「近所の人なら分かるもんだねぇ」等と毎週感心していた。 中には、「当選番号の通帳を持っていたにもかかわらず、勘違いで申告が漏れ、番組終了後に名乗り出た」ケースがあったが、当選とは認められず、番組特製ティッシュだけを持ち帰ったケースがある。他にも、最終残高ではない数字を見て当選と勘違いしていたケースもあり、その週は1人占めだったため、念のために吉村が通帳を確認したところ「ちょっと待った」と言ってその事実が発覚し、一転キャリーオーバーになったこともある。 毎年の最終放送には、100万円がもらえる特別大会が行われた。この時は、当選者が出なくても100万円はキャリーオーバーしなかった(次回は元より翌年最終放送でも)。これは当時独占禁止法による「広告においてくじの方法等による経済上の利益の提供を申し出る場合の不公正な取引方法」・通称 オープン懸賞告示によって、100万円を上限とする規制がなされていたためである(懸賞の上限は2006年4月に撤廃)。なおこの時は吉村だけでなく、準レギュラーの中から2名をリポーターに加え、計3か所で行っていた。 このコーナーの後期には、視聴者に和田が引きと思われる番組を予想しFAXで応募、中継で出なかった場合(2桁目で全滅するケース場合は視聴者のみ)は出た番号を当てた視聴者から5万円(キャリーオーバー発生時はこの回の金額の半額)を1名にプレゼントするが、5コール以内に出ない・和田が前に言ったキーワードを言わないと無効となる。キーワードは「アッコに」と言われて「おまかせ!」では番組を見てなくても答えられて意味がないという理由から、必ずその週の時事問題や芸能スポーツの話題を絡めたものにして、見ていないと絶対に分からないようになっていた。 月末には中継で出た場合、賞金とグアム旅行をプレゼント。もし、出なかった場合は視聴者には賞金は出ず、グアム旅行のみの1名にプレゼントとなった。 キャリーオーバーは上記にあるオープン懸賞告示のため最大で100万円までであった。キャリーオーバーでは最大70万円まで膨れていた。また、アッコ芸能生活30周年を記念した回は従来の10万円ではなく30万円をプレゼントになっていたが、この回は30万円が出ず、翌週にやっと30万円が出た。 「みんな見て来い来い来い」「アッコジャンボ宝くじ」は、ともに番組初期 - 1998年の番組リューアルまでの名物企画で、スタジオから和田が中継先を呼びかけた後に吉村が発した「は〜ひふへほ〜!」(番組司会の和田のモノマネ)は人気を博した。なお「ジャンボ宝くじ」特別大会の時は、吉村以外のリポーターも「は〜ひふ〜へほ〜!」と叫んでいた。 「おまかせ!ネットワーク」同様、当選者が出ると、スタジオ観覧者にも何かしらの賞品がプレゼントされるようになっていた。しかし、賞品は果物等の食品が多かったため、保存の問題から、当選者なしであっても「今日は気分が良いから」「来週は別大マラソンで番組が休み」等何か理由をつけてほとんどの場合プレゼントされていた。しかし保存がきく賞品の場合、稀にプレゼントなしにした回もあった。 2015年12月27日放送で、番組30周年(番組スタートの1985年(昭和60年)から30年後の2015年(平成27年))を記念し17年ぶりに特別に復活した。30周年スペシャルを記念し「30」つながりから、賞金は30万円とし、リポーターを先代の吉村明宏から「吉村」つながりで平成ノブシコブシの吉村・徳井が担当した。"元祖"・吉村明宏は先述のとおり、30周年を祝いに東京・赤坂のスタジオのほうにアッコへ花束を届けにきた。 日本全国おじゃましまぁ~す!!(1990年頃 - 1991年3月)0:30頃~0:45頃にアッコジャンボ宝くじを行わない週に放送。リポーターは小林豊アナウンサー。リポーターが全国各地へ出向き、さまざまな人へA・B・C3択のクイズを出題してもらう。スタジオの観客がどれが正解か選んで、観客優勝者に豪華プレゼントをあげる企画。最終出題で正解者が複数人数いた場合は、ジャンケンで決めており、時間がなくやむを得ずCMに入る場合は、CMにジャンケンを行ってCM明けに観客優勝者発表をしていた。 団地でじゃんけん中継(1991年頃 - 1994年頃)リポーターは初代は小林豊・当時TBSアナウンサー、2代目はバカルディ(現:さまぁ〜ず)が担当した。リポーターが全国各地の団地へ出向き、まずベランダに出てもらい手を振る。そのあとに抽選で選ばれた家庭にリポーターがおじゃまし、スタジオの和田にじゃんけんで勝利すると、超豪華料理がプレゼントされるという企画。レギュラー時代の和田の勝率は8割と視聴者プレゼントにもかかわらず、連勝という珍事が続いていた。 2015年12月27日放送の30周年記念スペシャルで21年ぶりに特別復活し、リポーターをハマカーンが担当した。
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「田辺令吉のおはよう!発車オーライ」の記事における「生中継コーナー」の解説
「ポニーの街角スケッチ」;7:08頃・ 8:43~49頃 ・9:32頃ラジオカー「ポニー号」で鹿児島県内各地へ出かけて様々な話題を中継レポート。 (月~金)ポニーメイツ(平山琴実・松林里奈) (月~木)吉田智大アナウンサー その他不定期でポニーメイツOGの藏薗千尋(くらぞの ちひろ)(MBCタレント)
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