曽我梶松とは? わかりやすく解説

曽我梶松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 08:58 UTC 版)

曽我梶松

曽我 梶松(そが かじまつ、1896年明治29年)3月24日[1] - 1968年昭和43年)7月20日[1])は、日本内務官僚。官選県知事

経歴

愛媛県出身。曽我保太郎の四男として生まれる。愛媛師範学校[1]東京高等師範学校を経て、1923年京都帝国大学経済学部独逸経済科を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、内務省に入り、愛知県属となり内務部地方課兼産業部農務課に配属された。

以後、愛知県宝飯郡長、同知多郡長、愛知県事務官京都府事務官、香川県書記官・経済部長、内務省社会局経理課長、同局組合課長、厚生省保険院社会保険局庶務課長、同体力局企画課長、軍事保護院援護局長などを歴任。

1942年10月、三重県知事に就任。宮城県参事官兼東北地方行政協議会参事官を経て、1944年2月、農商省生活物資局長に転じた。同年8月、熊本県知事に就任。戦後1945年10月、福岡県知事に転じ、九州地方行政事務局長官を兼務した。1946年1月に福岡県知事を辞し退官した。その後、公職追放となった。

1966年全国社会保険協会連合会理事長に就任した。1968年7月20日死去。享年72。

栄典

出典

  1. ^ a b c 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』135頁。

参考文献

  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。




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