対局での流儀
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対局中、勝負所で駒を持つ手に力が入り、駒音がひときわ高くなることで知られる。しかし、駒を割ったことは一度もない。ただし、対局中に盤が自然に割れたことがあった。愛知県蒲郡市の「銀波荘」で行われた1967年の第16期王将戦第3局(大山康晴王将に加藤が挑戦。加藤はそれまで王将戦で大山に6連敗していた)での出来事。対局が2日目に入り、加藤が考慮していると、突如として加藤の右側の香車が跳ね上がった。驚いた加藤が盤面に目をやると、将棋盤の乾燥が不十分であったのか、盤に亀裂が入っていた。直ちに将棋盤を交換して対局が続行され、加藤は快勝した。中原誠も同様に対局中に盤が割れる経験をしており(挑戦者に米長邦雄を迎えた第35期名人戦の第4局(1976年5月13・14日)、中原の棋士人生で唯一のできごとであった。 加藤には漆アレルギーがある。そのため、加藤が大棋士となってからは、連盟東京本部では「加藤専用の駒」を用意し、加藤が2017年に引退するまで、少なくとも35年以上にわたって使われていた。逆算すると、1980年ごろには既に用意されていたことになる。 対局に臨む際は、ネクタイを長く結ぶ(立ち上がると、ネクタイの先端がベルトより20㎝ほど下になる程度)。 偶然ネクタイを長く結んで対局に向かった際、普段以上に澄んだ心持ちで集中して臨むことができ、快勝したため、以降、ネクタイを長く結ぶのが対局時の流儀になった。 1978年度の第28期王将戦で中原誠王将に挑戦した際に、3勝1敗で迎えた第5局で、思わしい指し手が見つからず長考に沈んでいた。その間に中原が席を外した時、ふと思いついた加藤は、中原が座っていた場所から盤面を見て、絶妙手を発見して勝利し、通算成績を4勝1敗として、4度目の挑戦で王将位を初めて奪取した。加藤は、反対側から盤面を見なければ、その手は発見できなかったと述べている。それ以来、時には対局相手の側から盤面を見るようになった。ニコニコ生放送(ドワンゴ)では、加藤のこの習慣にちなみ、中継中に天井カメラから映す盤面を上下反対に表示することを「ひふみんアイ」と名づけ、棋戦の生中継で使用している。ドワンゴは、自社が主催する第3期叡王戦・決勝七番勝負の生中継(2018年4月 - 6月)では、スタジオ解説に使う大盤に回転軸を設け、物理的に上下反転できる構造とした。 タイトル戦の番勝負では、対局を行う旅館やホテルで、前日に両対局者と立会人が「検分」を行う。加藤は、検分の際に対局する部屋のそばに人工の滝があるのに気づき、対局中にその音が精神集中の妨げにならないよう、その場で依頼して滝を止めて貰ったことが数回ある。また、加藤はタイトル戦で宿泊する部屋にも気を配っており、国道沿い、あるいは川沿いの部屋に案内され、より静かな部屋に替えてもらったことが三回あり、三回とも勝利した。真夜中に騒音で目が覚めてしまってからでは、仮に部屋を替えて貰えたとしても既に手遅れであり、寝不足の状態で対局することになる。対局中に人工の滝の音で集中を乱されてしまってからでも同様に既に手遅れである。対局室の環境・宿泊室の環境に気を配り、必要なら事前に手を打って後顧の憂いを絶つべし、というのが加藤の考えであった。 1993年度のNHK杯決勝戦で佐藤康光竜王を下して7回目の優勝を飾った際、対局後の打ち上げの席で、日本将棋連盟会長であり、決勝戦の解説者でもあった二上達也が、加藤の対局中の空咳について苦言を呈した。すると、NHKの担当者が即座に「画面の動きが少ない将棋番組において、加藤先生のように様々なパフォーマンスを見せ、視聴者を飽きさせない先生は貴重です」という旨を答えて弁護してくれた。また当時はA級棋士であった加藤は、NHK杯で予選を免除され、毎期出場していた。終局後の感想戦で沈黙を作らないように、加藤は積極的に話すよう心がけていた。NHKに「加藤九段は喋りすぎ。若手棋士が委縮する」という旨の投書があったが、NHKの担当者は意に介さず、加藤を支持してくれた。
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