めいじん‐せん【名人戦】
名人戦(めいじん・せん)
プロ棋士同士で競う順位戦のうち、最も上位に位置するA級の優勝者に名人戦の挑戦権が与えられる。読売新聞社が主催する竜王戦とともに、将棋界のトップを決める目玉の大会として毎日新聞社が主催している。
名人戦は七番勝負として、各9時間の持ち時間で2日間にわたって全国各地の旅館などで行われる。現在は、森内俊之名人に対し、今期のA級順位戦で優勝した谷川浩司九段が挑戦している。
将棋のタイトル戦は、主催する新聞社が独占的に棋譜を掲載できる権利を持っている。現在の名人戦は毎日新聞社が主催しているが、第9期(1950年)から第35期(1976年)までは朝日新聞社が主催していた経緯がある。
日本将棋連盟は、名人戦に関する毎日新聞社との契約を来年度以降更新しないとの方針を示した。同時に、朝日新聞社から新たな契約条件の提示を受けていることを明らかにしている。
(2006.05.01掲載)
名人戦
名人戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 20:23 UTC 版)
「中村茂 (連珠棋士)」の記事における「名人戦」の解説
名人28期 第七世永世名人 A級リーグ(挑戦者決定リーグ)優勝5回 ※出場全回優勝 1975年の第13期名人戦に高校1年生で出場。A級リーグでは西村敏雄に敗れたものの6勝1敗1分で優勝し、挑戦手合いでは不沈戦艦と称された名人8期を誇る磯部泰山を3勝1分で破り、高校1年生・16歳にして名人の座に就いた。将棋では順位戦のシステムがあるためこの年齢での名人就位は不可能に近く、囲碁なども含めても今なお異例の若さである。 次の第14期では西村敏雄に3連敗を喫して名人の座を明け渡すが、第15期に復位し、第16期も西村を返り討ちにした。西村と磯部は同世代のライバルであったが、この両者の対決では磯部が圧倒していたものの、20歳以上若い中村に対しては西村のほうが分が良かった。なお磯部は、第13期以降挑戦手合いに登場していない。 第18期では西山厚に関西初の名人就位を許すが、西村の時と同じように第19期は中村の復位、第20期は中村の返り討ちとなる。 その後は第31期まで実に13連覇を果たす。この間、フルセットの第5局までもつれ込んだのも2回だけ、相手にリードを許す展開も2回だけと、圧倒的な強さを誇った。 しかしついに第32期、河村典彦に2勝3敗で敗れ、連覇が潰える。この時の最終局は、誰もが黒番中村の優勢を疑わなかった局面で河村が白16から絵に描いたような速攻を決め、まさに劇的な名人交代であった。 この後第33・34期と第40~48期は名人戦を欠場している。第35~39期は挑戦手合いで1敗も喫することなく名人位を守った。つまり、いまだかつてA級リーグで優勝を逃したことはなく(第13期の西村戦以外は黒星もない)、名人でない年はほとんどが名人戦を欠場した年なのである。ただし2011年に9年間の欠場期間を経て名人戦予選に出場した際、2次予選最終局で当時初段の中山智晴に敗れ、よもやの敗退を喫している(中山はその年のA級リーグで3位に入った)。 第50期は1次・2次予選を順当に全勝で突破し、史上最高レベルと言われたA級リーグも7勝2分の無敗で優勝。当時の年齢で半分以下、27歳も若い名人・大角友希との挑戦手合いは、初戦を制した大角が終始優勢に進めたものの、1敗2分のカド番から中村が連勝して返り咲きを決めた。このとき中村は53歳、第14期の名人就位で西村敏雄が持っていた最年長記録を、そのとき敗れた中村が自らの手で更新したことになる。同時に、最年少記録と最年長記録を併せ持つことにもなった。
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