士族反乱とは? わかりやすく解説

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士族反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 22:02 UTC 版)

士族反乱(しぞくはんらん)は、日本明治初期に旧武士階級であった士族明治政府に対して起こした一連の反政府活動である。




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士族反乱(自由民権運動)

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明治」の記事における「士族反乱(自由民権運動)」の解説

1873年明治6年)の征韓論政変により下野した板垣退助は翌1874年明治7年後藤象二郎江藤新平副島種臣らと愛国公党結成由利公正らと民撰議院設立建白書明治7年1874年1月政府左院提出し高知立志社設立する。この建白書各地新聞掲載されたことで、政府に不満を持つ士族中心に運動進められるようになった一方民選議院設立すべきか否か議論新聞雑誌紙上盛んに交わされるようになった。翌1875年明治8年)には愛国社結成されるが、大阪会議板垣参議復帰して漸次立憲政体樹立の詔を出すとともに官選元老院設け大審院置いて裁判制度整備し地方官会議開いて地方議会開設について討議した。また一方で政府新聞紙条例讒謗律制定し急進的な反政府言論活動取り締まった。後になり立志社西南戦争乗じて挙兵しようとしたとする立志社の獄発生して幹部逮捕されている。 民撰議院設立建白書名を連ねた江藤新平1874年明治7年郷里佐賀島義勇と共に不平士族首領となって反乱起こした佐賀の乱)。政府はこれを鎮圧したが、廃刀令家禄制度の廃止などによって士族の不満はいっそう高まった1876年明治9年熊本神風連の乱福岡秋月の乱山口萩の乱一連の士族反乱が起こり、翌1877年明治10年)ついに西郷隆盛首領とする鹿児島士族ら約4万人政府に対して兵を挙げた西南戦争)。西南戦争政府にとっても大きな試練で、新し軍隊総動員して約8ヶ月渡って九州各地激し戦闘展開された。戦争のさなか木戸病死西郷自刃し、翌1878年明治11年)には大久保東京不平士族島田一郎ら6名により暗殺された(紀尾井坂の変)。こうして明治政府の「維新三傑体制終わりを告げ薩長元老による官僚藩閥政権確立した自由民権運動の共通の目的国会開設であった次第農民の間にも支持層広がり1880年明治13年全国民権派団体大阪集まって愛国社大会開き国会期成同盟結成し87千名余の署名連ねた私擬憲法草案され始め40編以上が発表された。イギリス流の二院制議会政治交詢社嚶鳴社)、人民主権一院制立志社植木枝盛)、君主義五日市憲法)などのように民権派から発表されたものが多かった1881年明治14年開拓使官有物払下げ事件端を発した明治十四年の政変で、井上毅伊藤博文岩倉具視ドイツ憲法支持者即時国会開設唱えていた急進派官吏政府から追放する一方国会開設の詔勅」を発し1890年明治23年)に議会開設することを国民約束したその結果明治政府から追放されることとなった板垣退助自由党を、福地源一郎立憲帝政党を、大隈重信立憲改進党結成し、来る国会開設準備図ろうとした。 1882年明治15年道路造成事業反対した農民自由党員らが検挙され福島事件)、続いて加波山事件秩父事件など東日本各地自由党員らによる暴発事件起こった。こうして自由民権運動衰退していき、1887年明治20年大同団結運動起こし政府迫ったが、政府保安条例発して多く民権運動家を東京から追放した財政面では、西南戦争後インフレーション整理を図るため、大蔵卿松方正義中心に1882年明治15年)に日本銀行創立し1885年明治18年)から正貨である銀貨引き換えのできる兌換紙幣発行させた(銀本位制)。また官営工場民間払い下げ影響から政商生まれ、のちにこれらは財閥形成していった。 1882年明治15年)、政府内で実権握った伊藤憲法調査のためヨーロッパ訪問帰国1884年明治17年華族令制定し国家功労者にも爵位与えて華族とし、貴族院作るための華族制度整えた1885年明治18年)には太政官制を廃止して内閣制を導入し初代内閣総理大臣には伊藤博文就任1888年明治21年新設され枢密院議長にも就任した1888年明治21年)には市制町村制府県制郡制公布され地方自治制が実施された。1889年明治22年大日本帝国憲法、翌1890年明治23年教育勅語発布された。 伊藤以降初期内閣構成はいずれ薩摩藩黒田清隆松方正義)と長州藩伊藤博文山縣有朋)を中心にして組閣され、1890年明治23年11月25日帝国議会の幕が開いた以後激し選挙干渉にて民党抑えようとしたが、1892年明治25年)に成立した第2次伊藤内閣時には政府自由党次第歩み寄り進め協力して政治運用するようになった伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義

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