よさ‐ぶそん【与謝蕪村】
与謝蕪村
与謝 蕪村 (よさ ぶそん)
1716〜1783 (享保元年〜天明3年) |
【俳人】 日常生活を絵画的な美しさで、五七五の俳句に切り取った。 |
芭蕉・一茶と並び称される俳人。画家。摂津国に生まれ、江戸に出て俳人早野巴人に師事。宇都宮、京都、讃岐など各地を遊歴し、画と俳句を修行。俳諧の編著に『夜半楽』など、画に池大雅との競作『十便十宜画冊』などがある。その絵画的描写は、明治の子規らによる近代俳句運動に影響を与えている。 |
年(和暦) | ||
●1718年 (享保3年) | ■御蔭参り流行 | 2才 |
●1719年 (享保4年) | ■相対済し令 | 3才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸大火 | 4才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸町火消しいろは組を設置 | 4才 |
●1722年 (享保7年) | ■小石川養病所設置 | 6才 |
●1732年 (享保17年) | ■西日本に蝗害 | 16才 |
●1742年 (寛保2年) | ■公事方御定書制定 | 26才 |
●1744年 (延享元年) | ■神田に天文台設置 | 28才 |
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 48才 |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 | 56才 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 | 67才 |
・田沼 意次 | 1720年〜1788年 (享保5年〜天明8年) | -4 |
与謝蕪村
与謝蕪村の俳句 |
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉 |
与謝蕪村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 17:12 UTC 版)
与謝 蕪村(よさ ぶそん、よさの ぶそん、旧字体: 與謝 蕪村、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、文人画(南画)家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」「謝寅(しゃいん)」など複数ある。
- ^ “紙本墨画淡彩鳶鴉図”. 文化遺産オンライン. 2022年8月5日閲覧。
- ^ 門人宛の書状による。同地に大阪市が生誕地の碑を建てている。与謝蕪村と都島大阪市都島区(2019年11月2日閲覧)より。
- ^ a b c d 「与謝野蕪村/遅咲きの文人 丹後の寄り道」『日本経済新聞』朝刊2019年10月6日9-11面(NIKKEI The STYLE)。
- ^ 『別冊太陽 与謝蕪村 画俳ふたつの道の達人』平凡社、p.170、2012年。
- ^ 山形大学名誉教授、杉浦守邦(公衆衛生学)の鑑定による。
- ^ 文庫新版は、『俳人蕪村』は岩波文庫・講談社文芸文庫、『与謝蕪村 郷愁の詩人』は岩波文庫
- ^ 『読売新聞』2015年10月15日 36面掲載。
- ^ 主な著作に、『蕪村』(岩波新書、2000年)、『蕪村余響 そののちいまだ年くれず』(岩波書店、2011年)、『蕪村 日本人のこころの言葉』(創元社、2014年)
- ^ なお「蕪村全集」は大正期に潁原退蔵(尾形の岳父にあたる)が編み、有朋堂書店(全1巻、初版1925年)で出版。
- ^ ワイド版岩波文庫も刊。旧版は潁原退蔵編・校注。復刻版・一穂社
- ^ 朱衛紅、「佐藤春夫「春風馬堤図譜」の模倣とオリジナリティ」『国際日本文学研究集会会議録』 2004年 27号 p.169-184, 国文学研究資料館
与謝蕪村
与謝蕪村と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 与謝蕪村のページへのリンク