【寄稿記事】恐れぬ自治体に学ぼう 大企業や国家に負けず政策実行
北海道新聞「各自核論」2023年12月8日
札幌市の秋元克広市長は先月末、冬季五輪の招致活動から撤退する考えを表明した。国際オリンピック委員会(IOC)による選考から漏れたことを受けたものだ。東京五輪での汚職・談合事件の影響や経費増で、地元の機運が高まらなかったことが背景にある。大阪・関西万博も、膨らみ続ける経費など問題が山積しており反対論は強い。ただこちらは国も大阪府も、あくまで決行する覚悟のようだ。
元オリンピック代表選手でもあった米国のジュールズ・ボイコフ氏は、五輪に反対する世界の市民運動を紹介する著書の中で、「祝賀資本主義」(セレブレーション・キャピタリズム)を批判した。祝賀的なイベントに膨大な公的資金がつぎ込まれ、一部の民間企業が利益を得る一方、そのツケは住民に回る仕組みのことだ。札幌五輪や大阪万博の経緯はまさに祝賀資本主義の失敗の象徴だが、同時に、「これからの都市はどんな姿であるべきか」を私たちに提起する。
これまで長い間、都市へより多くの投資を集め、その力によってインフラやビル群を開発し、産業・雇用を生みだすことが目指されてきた。その恩恵を私たちが受けているのは確かだが、こうした開発モデルはもう通用しない。例えば、すでに気候危機は「地球灼熱化」といわれるほど悪化している。あるいは住宅が投機の対象となった結果、公共住宅は減って家賃は値上がりし、都市に人が住めなくなってきている。ジェントリフィケーション(高級化)と呼ばれる現象だ。
すでに世界ではこうした課題に果敢に取り組む都市がある。例えばパリ市は「2030年までにヨーロッパで最も緑ゆたかな都市」をめざす。総延長約1450㎞の自転車専用道路をつくり、2024年からは街の中でのディーゼル車の通行が禁止される(2030年までにガソリン車にも同様の措置が取られる予定)。さらに、2026年までにパリ全体に17万本以上の木を植え、2030年までに市の50%を植樹地で覆う目標だ。市民が自分の住む地域に木を植えやすくするよう建築基準法も変えた。
気候危機対策が主な理由だが、それだけではない。新型コロナウイルスや物価高騰、エネルギー・食料供給の不安定化、大企業による富の支配・格差の拡大など近年の複合的な危機に直面する中で、多くの都市は自らのあり方を根本的に「再考」しはじめているのだ。
例えばアムステルダムでは、プラットフォーム大企業の民泊サイトが促進するオーバーツーリズムを抑制するために、一部の地区で民泊を禁止する措置に踏み切った。ベルリンでは2021年、企業が買い占める住宅物件を、自治体が買い取り公営住宅にすることの是非を問う住民投票が行われ、56%が賛成し可決した。
人口65万人の米国・ポートランド市は、深刻な公害を乗り越えるため、すでに1970年代から工業や自動車中心の街から「環境先進都市」への転換をめざしてきた。高速道路を引きはがして桜並木の公園をつくり、バスなど公共交通網を充実させ、巨大な駐車場を住民のための公共広場に変えた。驚くのは、同市ではCO2排出量は確実に減少しているが、同時に経済成長を続け雇用も増加している点だ。
多くのケースでトップダウンでなく住民参加型の手法がとられていることも特徴だ。どんな都市であるべきか・ありたいかを、行政と住民が議論し、対立から協働へと合意形成のあり方を変えている。原資は住民からの税金であるのだから、当然の話だ。
こうした都市は、「恐れぬ自治体」(フィアレス・シティ)という共通の理念のもと緩やかなつながりを形成している。都市の資源を食い物にする大資本、あるいは国家権力などの「強大な力」を恐れず、住民や環境にとってより良い政策を実行する。もちろん国や企業からの抵抗や圧力も大きく、簡単ではない。しかし未来の都市はこうあるべきだという確固たるビジョンがある。
残念ながら、日本はこの流れに逆行しているのではないか。五輪も万博も、そして東京・神宮外苑にある1000本以上の樹木伐採を伴う開発計画などもその象徴だろう。世界の住民運動や自治体から学び、祝祭資本主義から脱して持続可能で公正な都市をめざす必要がある。
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