2021年4月上旬、RCEP協定の審議が国会で始まりました。衆議院外務委員会ではわずか8時間のみで4月14日に委員会採決がなされ、その後本会議で可決。翌週から参議院・外交防衛委員会での審議が始まりました。4月22日に行われた参考人質疑にて野党からの参考人として出席いたしました。その際の発言要旨を皆様にも共有いたします。
RCEP協定と世界の貿易体制 ―日本の通商交渉の方針はどこに?
我々の団体(PARC)は、世界の農民団体、労働組合、NGOなど連携し、貿易・投資の課題について調査研究・提言活動を行っています。私自身はこの6年ほど、RCEP交渉会合の現場に数多く参加し、他国の市民社会組織とともに政府に意見を伝え、各国の交渉官とも意見交換をしてきました。残念ながらRCEPについて、日本での関心は高いとは言えず、衆議院でも非常に短時間で可決してしまいました。今日は日本にとってのRCEPの意味や影響だけでなく、米中対立やコロナ、貧困など多くの課題がある中で、RCEPがもたらす影響を、市民社会の立場から指摘したいと思います。
RCEPは、成長するアジア太平洋地域において、「現代的な、包括的な、質の高い、かつ、互恵的な経済連携協定」を目指し始まりました。この「互恵性」また「ASEANの中心性」「衡平な経済発展」というのが重要なキーワードです。カンボジア、ラオス、ミャンマーという後発開発途上国を含み、多様性あるASEANが大国の中でなんとかまとまって経済的・社会的な発展をしていく。つまり経済利益を追求するグローバル化だけでなく、アジア地域の平和で安定的な統合戦略が予め埋め込まれたものであると言えます。
こうした観点からRCEPを検証したいと思います。参加国の人口22.7億人のうち半数以上が農民(特に小規模零細農民)、漁民、先住民族です。また貧困層、インフォーマルセクターの労働者、女性など、グローバル化の中で恩恵が受けられず、逆にますます「底辺への競争」を強いられる脆弱層も多くいます。これらすべての人々を包摂し、有益となる協定なのかという視点が重要です。
★コロナで各国経済は深刻な打撃
その前提としてまず指摘したいのは、RCEP交渉は約8年続きましたが、協定内容のほとんどは2019年の時点で完成していたということです。つまり「コロナ以前」に決まり、そのダメージが考慮されていないということです。
ASEAN経済はコロナで過去20年で最大の打撃を受けており、経済成長率はマイナス1.4%、失業率も増加しています。ワクチンや検査が喫緊の課題です。これまで減少してきた1日1.9ドル以下で暮らす「極度の貧困」層も微減もしくは増加すると予測されています。世界規模ではコロナで最大7億3500万人に増えるということです。
★高まるASEAN経済の中国依存―米中対立の中心地であるASEAN
一方、コロナ禍の1年でASEANは中国との経済関係をさらに深めています。昨年、中国の最大の貿易相手国はEUを抜いてASEANになりました。特にベトナム、タイ、ブルネイで大きく増加しています。「一帯一路」の下での中国からの対外直接投資も、中国からの債務も非常に増加しています。ラオスは債務総額の50%が中国からの貸付で、その返済が大きな課題です。さらに欧米が中国への規制強化をする中、5Gなど通信インフラ整備に関して、ASEANではファーウェイなど中国企業と協調が進んでいます。
こうした流れがRCEPによって一層強まることは明らかです。両者はすでにASEAN+1を締結していますが、RCEPではそれ以上の関税撤廃やルールの構築がなされました。
中国の関係強化は、苦境に立つASEANにとって致し方ない選択でもあります。中国けしからん、出ていけという単純な話ではないわけです。しかし、実際、ASEANにとっては米中対立の中で政治リスクを高めることになります。中国の「一帯一路」と日米などの「自由で開かれたインド太平洋」の中で、ASEANはいわば「競合の中心地」です。昨今の中国経済依存の急速な高まりでバランス外交が非常に困難になっています。国によって対応が違う面もあり、ASEANの結束を阻害する要因にもなりかねません。結果的に、米中対立の中で板挟みになりASEANが分断され、そのことがアジア地域の不安定化を加速させる。その機能をRCEPが果たすことを強く懸念します。
それでもASEANにとって経済的な便益があればまだよいと言えるでしょう。しかし様々な影響試算を見てもASEANにとってRCEPは輸入が増え、輸出が減るというアンバランスな構造が強化されます。その際のメリットの多くは日本が得ます。投資やサービスの自由化で一部の企業は恩恵を受けても、自国規制が緩和され、労働者はさらに不安定な状況に置かれる危険もあります。その意味で、RCEPはASEANにとって「危険なディール」である面が強い。
その時、「日本は経済的なメリットがあるからいいじゃないか」と思う人もいるかもしれません。しかしアジア地域の不安定化は日本にも影響します。茂木大臣は「RCEPは中国、韓国が主導したものではなく、日本とASEANが牽引してきた」と繰り返し述べられました。そうであれば、ASEANそしてアジアを取り巻く状況を日本はどう考えてきたのかが問われています。大国への経済依存を緩和し、バランスのとれた関係をすべての国が確保するためにはどうするのか。特に途上国・新興国にとっては、資金や技術だけでなく、国家像や「開発モデル」を選択するのかが課題となっており、そのオプションを日本はRCEPを通じて提起できているでしょうか。同時にRCEPは、米中対立の中でどうふるまうのかという課題を日本にも突きつけています。援助政策、外交政策も含めた包括的な議論が必要だと思います。
2.RCEPの内容
★RCEPの経済的勝者は日本と中国
さてRCEPの内容と影響についてです。先ほど申し上げたように、物品貿易に関しては日本、中国、そして韓国にメリットがあるとされています。ASEAN内での関税はすでに撤廃されており、FTAを初めて締結する日中韓の3カ国へのメリットが大きいのは当然であります。
ところが日本への影響を詳細に見ると、工業製品の輸出は中国・韓国・ASEANへ拡大する一方、農産物への影響は懸念されます。日本政府は「米、麦、大豆など主要品目は除外したから影響はない」としていますが、本当に大丈夫でしょうか。野菜、果物、加工品についてはASEAN及び中国・韓国に対して広範な関税撤廃がなされます。先週4月14日の衆議院外務委員会での参考人、東京大学の鈴木宣弘教授の試算によれば、RCEPによる日本の農業生産の減少額は、5600億円強に上ることがわかりました。これはTPP11の1.26兆円の半分程度とはいえ、相当な損失額です。かつ、RCEPでは、野菜・果樹の損失が860億円と、農業部門内で最も大きく、TPP11の250億円の損失の3.5倍にもなると見込まれました。政府が試算もしていないというのに私は驚きました。この点は参議院の審議過程で十分な検証を行う必要があります。
また農産物については、協定文の中で「一般的な見直し」規定の他、物品貿易の章でも2年以内に見直しをする規定が盛り込まれていること、さらに中国は停滞している日中韓FTAについて、「RCEP締結後に加速化する」との意向も見せています。ここで中国・韓国に対するさらなる譲歩がなされる可能性も指摘しておきたいと思います。
★ルール分野はWTO水準だが今後の交渉への懸念
ルール分野の結果についてはさまざまな評価があります。TPPと比較すれば「緩やかなものだ」というものが多いと思います。確かに、投資やサービス貿易、知的財産権、電子商取引、政府調達など主要な分野ではTPPと比較すれば多くの条項が緩和あるいは削除されています。しかし細かく見ればWTOプラスになっているものもあります。
こうした中で強調したい点は、この数年で多くの貿易協定交渉で問題となったいくつかの問題条項がいずれもRCEPからは取り除かれたという点です。例えば代表的な例が投資章のISDS条項であり、これは日韓が提案し、マレーシア、インド、インドネシア、ニュージーランドなどが中心に反対しました。また最大の論点となるのが医薬品の特許問題ですが、RCEPではTPPにあるような医薬品特許に関する規定は丸ごと削除されています。その他、多くの条項に経過措置や安全保障の例外など各国の主権に配慮した条項は入っています。
重要なことは、よくこれをもって「高度なルールについていけない国がいるから仕方ない」と評されるのですが、これは間違った見方です。
これらの条項がなぜ問題視されるのかといえば、医療アクセスや国内産業の保護、食料安全保障、国家の主権という重要なものを阻害するからで、これらを犠牲にしても大企業の利益を追求しようとする現在の貿易ルールを根本から見直すべきだという問題提起が多くの協定でなされてきました。
RCEPでも交渉中、市民社会は多くの「有害条項」をRCEPに盛り込まないよう強く働きかけてきました(写真参照)。残念ながら、これら条項を提案してきた中心は日本や韓国で、それにASEANや中国、インドなどが反対するというのが交渉中の構図でした。
RCEPにこうした条項が入らなかったという結果は、重要な点を私たちに示唆しています。つまり、「知財」「デジタル」「投資」「電子商取引」等のメガFTAルールは、経済発展の異なる多数の国では共通で普遍的なルールになり得ないという事実を証明しました。これは大きな転換点であると言えます。
ところが、協定発効後、こうした条項が逆に強化されていく可能性があります。ISDSについては「発効から2年以内に討議を開始し、3年以内に討議を終えること」が規定されました。12年後にはすべての国がネガティブリストに移行することも規定されました。その他さまざまな条項で今後の交渉でこれまでの貿易協定ルールに高めていく可能性が示唆されており、参加国の市民社会は懸念しています。3.RCEPによる多角的貿易交渉への影響・示唆
★メガFTAがもたらすブロック経済化とWTO改革の遅延
WTOが停滞する中、2000代以降は日本含め多くの国がFTA交渉へと舵を切り協定を締結してきました。2020年末までに発効した世界のFTAは325本にもなります。
その結果、「スパゲティ・ボウル」状態が生まれています。複雑に重なるFTAによって、交渉はもちろんその実施も非常に複雑で煩雑になっています。RCEPも既存のASEAN+1,TPP、さらにその前提となるWTOの諸協定があり、解釈・実施は複雑です。
FTA路線が推進される際に言われたのが、「個別のFTAで自由化を高めたルールをつくり、それを将来的にWTOに移植していく」ということです。しかし20年やってみて、そのことは実現していない。先述の通り、多くの条項がWTO164カ国がすべて合意できるものにはなっていないからです。実際、この20年、FTAの締結に多くの国が政治的・経済的なコストをかけてきたため、肝心のWTO改革は停滞したままです。FTA拡大は世界共通のルールづくりに逆行していると言わざるを得ません。
併せて重要なことは、FTAの締結は、参加国にとっては経済連携の強化となるが、同時に非参加国を排除するものです。つまりFTAは本質的に、経済のブロック化を進めるものとなる。前述の通り、貿易が安全保障と強く関連づけられている現在、そのことの問題を指摘したいと思います。
さらに、2010年以降、世界の財貿易は、GDP成長率を下回るいわゆる「スロートレード」状態が続いています。多くのFTAを生み出したものの、貿易の成長はGDP成長を牽引していないということです。逆に2010年以降、世界では自由貿易に逆行する国内規制措置も増加しており、自由貿易一辺倒の流れはこの面からも問い直される必要があります。
★貿易の意味と役割が問い直されている―日本の通商政策の検証を
各国ではこうした経験をふまえ、またコロナ禍の中で、さまざまな面から貿易のあり方を問い、そして軌道修正がなされています。実際、米国はTPPから離脱、インドもRCEPから離脱、米国とEUの協定は中断と、メガ協定自身も予定通り締結されてきているわけではありません。
米国でも、トランプ政権下でも労働者の賃金を確保するルールが強化され、ISDSがほぼ無効化された。バイデン政権では新たな貿易協定は当面結ばないとされ、交渉されるとしても労働、環境、補助金、格差是正などこれまでの協定とは逆の価値が強く埋め込まれることになります。外資規制や大企業への規制も必要とされています。
現在、WTOでは途上国の呼びかけによってワクチンや医療用品にかかる特許の一時停止が議論されていますが、100カ国以上がそれに賛同しています。これに米国民主党内でも賛同の動きが出ています。つまりWTOのルールでさえも、公衆衛生の危機の中では有害となっており、ルールの停止・変更を求める声が高まっているのです。
その他各国でいろいろな動きがありますが、これらは単に「反グローバル化」だとか「保護主義」と括れない、多面的で多様な意味を含んでいます。グローバル化と自由貿易が進む中、約束された「トリクルダウン」は実現していません。逆に国家の主権や公共政策のスペースは縮小してきました。また気候危機や公衆衛生の危機など新たな課題も顕在化しています。そうした中で、多くの国が持続可能な経済発展を目指しており、このかんの貿易協定における遅延や混乱、変更も、その表れだと見るべきです。まさに自由貿易の40年でつくられた体制が根本から問われています。
★日本の通商政策の検証を
こうした文脈の中で、日本の過去20年のFTA推進の政策も検証されるべきでしょう。日本はこの20年で多くの二国間FTA・EPAを締結してきました。さらに今回のRCEPが批准されれば、日本の「FTA・メガ協定」フェーズは一つの大きな区切りを迎えます。これまでの協定の影響を改めて振り返り、今後の方向性を考える必要があります。つまりこの20年、自由貿易協定によって、農業や製造業、サービス業、それぞれ発展したのか。人々の雇用、賃金や生活は向上したのか。日本の産業競争力はついたのか。
そもそも、貿易とは何のためにするのか。GATT前文からの引用ですが、「貿易の本来の目的は、「すべての人の生活水準を高め、完全雇用と高度で着実に増加する実質所得および有効需要を確保することにある」ということです。さらにこの40年で、地域の安定と平和、食料主権、気候危機への対応、生物多様性保護、人権、そして公衆衛生の確保です。いずれも貿易と大きく関係し、かつ各国が協力して取り組むべき、逃げることのできない絶対的なグローバルな課題です。これからの貿易は、こうした課題に対応できるものでなければなりません。これが今すべての貿易協定に問われていることだと思います。
★当日配布資料:「RCEP協定と世界の貿易体制―問われる日本の通商方針」
★当日の質疑の報道:
「互恵的協定といえず RCEP承認案 井上氏に参考人」(しんぶん赤旗、2021年4月23日)
「RCEP承認案の参考人質疑」(内田の意見要旨)(しんぶん赤旗、2021年4月24日)