ザリガニワークスの〈コレ〉×〈コレ〉が生み出す“コレジャナイ”の魅力
2013.06.20 01:15|雑記|
「コレジャナイロボ」「土下座ストラップ」など、絶妙なゆるさを武器にヒット作を生み出す、ザリガニワークス。先日、そんな彼らの初の書籍となる『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』が発売されたので、書評的なサムシングをまとめてみたい。
本書は、コレジャナイロボの〈コレ〉、ザリガニワークスの〈コレ〉、モノ作りに宿る〈コレ〉、「遊んで暮らす」ための〈コレ〉と4つの章に分かれており、「根源的な欲求」と定義された〈コレ〉をキーワードにして、武笠太郎と坂本嘉種がどのようにして自らの〈コレ〉を見出し、ザリガニワークスと立ち上げ、数々のヒット作を生み出してきたのか。そして、彼らはどのような仕事観、人生観を持っているのかという部分がわかりやすく語られている。その意味では、巷のビジネス本というよりは、二人の半生を紐解く自叙伝に近いと言えるだろう。
まず、私はザリガニワークスのいちファンであり、彼らをよく知る人間だ。むしろ、武笠氏とは血縁関係でさえある。つまり、贔屓目になってしまうのも無理はない。その上で、『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』を読んだ感想を言うと、こうなる。
「え、思ったより全然しっかり書かれてて普通に面白いんだけど」
(太郎さん、種さん、ごめんなさい。もっとふざけているのかと思ってました)
…気を取り直して、4つの章それぞれのテーマに沿って書いていくとしよう。
■ コレジャナイロボの〈コレ〉について
第一章の「コレジャナイロボの〈コレ〉」では、出世作である「コレジャナイロボ」の誕生秘話やその後の展開が余すことなく書かれているのだが、「なぜ、コレジャナイロボ」はヒットしたの?」と不思議に思う方のために、私なりの解釈でその理由を解説したいと思う。
ご存知の通り、そもそもコレジャナイロボは、ヘタしたら「パクりやがって」「冒涜だ」とガン◯ムファンから総スカンを食うリスクを負った外観をしている。しかし、かの有名なクリエイターの佐藤可士和氏や佐藤卓氏から賞賛され、見事グッドデザイン賞を受賞した。それどころか、「ジャスティス・リーグ」や「マジンガーZ」といった本家本元とコラボレーションしている。完全なるキャズム超えである。
絶妙なゆるさを携えたニセモノ感? マジックで書かれた顔がかわいい? 手作り&木製だから温かみがある? もちろん、それもあると思うが、コレジャナイロボの一番の魅力は、そのネーミングのもとになっている「ストーリー」である。「あーわかるわかる」「なるほどそういうことね」という共感や腹落ち感が、ニセモノへの拒否反応や「え、なにこれ。売り物なの?」というある種ごく真っ当な感覚を超える普遍性を生み出すのだ。
ファーストインプレッションの「何だコレ!?」を「何コレ面白い!」に変えることができる、「コレジャナイロボ」。では、なぜザリガニワークスはそんなプロダクトを生み出すことができたのか、そのヒントが次章に書かれている。
■ ザリガニワークスの〈コレ〉について
出典:『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』P78
二人の個性と役割を端的に示した表現で、まさに言い得て妙である。コレジャナイロボはその最たるものだが、二人の〈コレ〉が見事にマッチするとき、そのアウトプットは「コレ!」として具現化される。“コレジャナイ”のに「コレしかない」と思わせることができるのだ。
これは言葉遊びでもなんでもない。彼らは、アイデアだけ、デザインだけでモノづくりすることはせず、互いの特長を活かし合うことで、アイデアを“伝わるもの”として形にしている。映画好きの方ならご理解いただけると思うが、二人の関係性は、アントニオ・バンデラスとジョニー・デップのように両者がつぶしあい残念な感じになってしまった『レジェンド・オブ・メキシコ』ではなく、ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタのようにお互いを活かし合い作品を昇華させた『フェイスオフ』のそれに近い。
カッコイイ、可愛い、おしゃれ、先鋭的、様々な言葉でプロダクトを表現することはできるが、デザインそのものがカッコよかったり、可愛かったりするわけではない。そして、カッコイイから、可愛いからという理由だけで売れるわけでもない。坂本氏はグラフィックデザイナーでありイラストレーターであるから、もちろんカッコイイものも作れる。でも、実際はそうしなかった。理由は単純で、「コレジャナイロボにカッコよさは必要ないから」だ。
コレジャナイロボがかっこよかったら、それこそガンダムと競合することとなり、そうなれば売れるわけがないし、そもそものコンセプトから外れてしまう。あくまでデザインは機能であり、コンセプトをしっかりと体現させユーザーのもとに届けるためにある。彼らはその考えを前提として、プロダクトを生み出している。だからこそ、“おバカ”であっても多くの人に受け入れられるのだ。
■ モノ作りに宿る〈コレ〉について
コレジャナイロボの他にも、「自爆ボタン」「土下座ストラップ」「ごはんかいじゅうパップ」などのヒット作があるが、中でも「土下座シリーズ」は正真正銘のメガヒット商品である。本書では触れられていないが、このシリーズはなんと「キン肉マン」に土下座させてしまうという奇跡を起こした。
武笠氏や兄の影響もあり、クリスマスに「キン消しが欲しい」と意思表示するくらい幼少期からキン肉マンに親しんできた私にとって、驚き、嬉しく、誇らしい出来事だった。武笠氏も未だにキン肉マンが大好きなはずなので、心から幸せなことだと感じたに違いない。
出典:『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』P124
子どもの頃に憧れ、ワクワクしたものとコラボレートし、「根っこにある思いやコンセプト」を形にする。当然ながら、それは「やりたいこと」であり、「幸せに働く」ことを意味する。クリエイター冥利に尽きるとはこのことだ。
余談だが、私の人生においてのトラウマランキングで上位に入るコレジャナイ体験を紹介しよう。何を血迷ったのか、兄とふたりで近所の古本屋に行き、大好きだったはずの『キン肉マン』全巻を二束三文で売り飛ばしてしまったのだ。ちなみに、兄はこの間会ったとき『キン肉マン』の39巻を手に取って、嬉しそうに「続編おもしろいぞ」と言っていた。「…なら何故売った?」と過去を蒸し返したい気持ちを飲み込み、静かに大人買いすることを胸に誓ったことは言うまでもない。
■ 「遊んで暮らす」ための〈コレ〉について
最後に、本書のテーマになっている「遊んで暮らす」という言葉の真意に触れよう。他のビジネスノウハウ本と同様に、本を読んだだけで何かがわかったり、何かをできる気になってしまいがちだが、本書はむしろ〈コレ〉=「根源的な欲求を叶えること」は個人個人が違う形で持つべきものであると言っている。そこに法則のようなものがあるからヒットが生まれたのではなく、補完関係にある二人の〈コレ〉と〈コレ〉が化学反応を起こした結果に過ぎないのである。
ここまで紐解いていくと、こんな言葉が頭に浮かぶのではないだろうか。「全然ゆるくないじゃん、ザリガニワークス」「言うほど遊んでないよね?」と。まさに、その通りだ。言うまでもなく、好きなことをやって生きていくのは簡単なことではない。彼らにとっての「ゆるさ」は絶妙なバランス感覚であり、「遊んで暮らす」とはつまり、コレジャナイものをそぎ落として見出した〈コレ〉を叶える仕事の形を追求することである。
ザリガニワークスは、2014年4月22日に設立10年を迎える。一般に起業して10年生き残る会社は5~10%ほどと言われる時代において、10年間「遊んで暮らす」ということは並大抵のことではない。彼らは本書の中で「とりあえず独立」したと言っているし、「たった二人でよくできるね」と聞かれても「人雇う余裕がないだけだよ」と答えそうだが、私は10年も志を変えず名コンビでいられるだけで、十二分に特別な存在だと思っている。
そんな彼らのことだから、きっと設立10年を記念してとんでもなく面白い企画なりイベントなりを用意してくることだろう。今から楽しみで仕方がない。…と、ハードルを上げるだけ上げて締めくくろうと思う。
『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』(パルコ出版)ザリガニワークス著
※「Yahoo!ニュース 個人」の記事を転載しています
本書は、コレジャナイロボの〈コレ〉、ザリガニワークスの〈コレ〉、モノ作りに宿る〈コレ〉、「遊んで暮らす」ための〈コレ〉と4つの章に分かれており、「根源的な欲求」と定義された〈コレ〉をキーワードにして、武笠太郎と坂本嘉種がどのようにして自らの〈コレ〉を見出し、ザリガニワークスと立ち上げ、数々のヒット作を生み出してきたのか。そして、彼らはどのような仕事観、人生観を持っているのかという部分がわかりやすく語られている。その意味では、巷のビジネス本というよりは、二人の半生を紐解く自叙伝に近いと言えるだろう。
まず、私はザリガニワークスのいちファンであり、彼らをよく知る人間だ。むしろ、武笠氏とは血縁関係でさえある。つまり、贔屓目になってしまうのも無理はない。その上で、『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』を読んだ感想を言うと、こうなる。
「え、思ったより全然しっかり書かれてて普通に面白いんだけど」
(太郎さん、種さん、ごめんなさい。もっとふざけているのかと思ってました)
…気を取り直して、4つの章それぞれのテーマに沿って書いていくとしよう。
■ コレジャナイロボの〈コレ〉について
第一章の「コレジャナイロボの〈コレ〉」では、出世作である「コレジャナイロボ」の誕生秘話やその後の展開が余すことなく書かれているのだが、「なぜ、コレジャナイロボ」はヒットしたの?」と不思議に思う方のために、私なりの解釈でその理由を解説したいと思う。
ご存知の通り、そもそもコレジャナイロボは、ヘタしたら「パクりやがって」「冒涜だ」とガン◯ムファンから総スカンを食うリスクを負った外観をしている。しかし、かの有名なクリエイターの佐藤可士和氏や佐藤卓氏から賞賛され、見事グッドデザイン賞を受賞した。それどころか、「ジャスティス・リーグ」や「マジンガーZ」といった本家本元とコラボレーションしている。完全なるキャズム超えである。
絶妙なゆるさを携えたニセモノ感? マジックで書かれた顔がかわいい? 手作り&木製だから温かみがある? もちろん、それもあると思うが、コレジャナイロボの一番の魅力は、そのネーミングのもとになっている「ストーリー」である。「あーわかるわかる」「なるほどそういうことね」という共感や腹落ち感が、ニセモノへの拒否反応や「え、なにこれ。売り物なの?」というある種ごく真っ当な感覚を超える普遍性を生み出すのだ。
ファーストインプレッションの「何だコレ!?」を「何コレ面白い!」に変えることができる、「コレジャナイロボ」。では、なぜザリガニワークスはそんなプロダクトを生み出すことができたのか、そのヒントが次章に書かれている。
■ ザリガニワークスの〈コレ〉について
発想のソースを求めないアイデアマンと、アウトプットにとらわれないデザイナー
出典:『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』P78
二人の個性と役割を端的に示した表現で、まさに言い得て妙である。コレジャナイロボはその最たるものだが、二人の〈コレ〉が見事にマッチするとき、そのアウトプットは「コレ!」として具現化される。“コレジャナイ”のに「コレしかない」と思わせることができるのだ。
これは言葉遊びでもなんでもない。彼らは、アイデアだけ、デザインだけでモノづくりすることはせず、互いの特長を活かし合うことで、アイデアを“伝わるもの”として形にしている。映画好きの方ならご理解いただけると思うが、二人の関係性は、アントニオ・バンデラスとジョニー・デップのように両者がつぶしあい残念な感じになってしまった『レジェンド・オブ・メキシコ』ではなく、ニコラス・ケイジとジョン・トラボルタのようにお互いを活かし合い作品を昇華させた『フェイスオフ』のそれに近い。
カッコイイ、可愛い、おしゃれ、先鋭的、様々な言葉でプロダクトを表現することはできるが、デザインそのものがカッコよかったり、可愛かったりするわけではない。そして、カッコイイから、可愛いからという理由だけで売れるわけでもない。坂本氏はグラフィックデザイナーでありイラストレーターであるから、もちろんカッコイイものも作れる。でも、実際はそうしなかった。理由は単純で、「コレジャナイロボにカッコよさは必要ないから」だ。
コレジャナイロボがかっこよかったら、それこそガンダムと競合することとなり、そうなれば売れるわけがないし、そもそものコンセプトから外れてしまう。あくまでデザインは機能であり、コンセプトをしっかりと体現させユーザーのもとに届けるためにある。彼らはその考えを前提として、プロダクトを生み出している。だからこそ、“おバカ”であっても多くの人に受け入れられるのだ。
■ モノ作りに宿る〈コレ〉について
コレジャナイロボの他にも、「自爆ボタン」「土下座ストラップ」「ごはんかいじゅうパップ」などのヒット作があるが、中でも「土下座シリーズ」は正真正銘のメガヒット商品である。本書では触れられていないが、このシリーズはなんと「キン肉マン」に土下座させてしまうという奇跡を起こした。
武笠氏や兄の影響もあり、クリスマスに「キン消しが欲しい」と意思表示するくらい幼少期からキン肉マンに親しんできた私にとって、驚き、嬉しく、誇らしい出来事だった。武笠氏も未だにキン肉マンが大好きなはずなので、心から幸せなことだと感じたに違いない。
自分の〈コレ〉を叶えてくれる仕事がつまり「やりたいこと」であり、そこに「幸せに働く」カギがある。
出典:『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』P124
子どもの頃に憧れ、ワクワクしたものとコラボレートし、「根っこにある思いやコンセプト」を形にする。当然ながら、それは「やりたいこと」であり、「幸せに働く」ことを意味する。クリエイター冥利に尽きるとはこのことだ。
余談だが、私の人生においてのトラウマランキングで上位に入るコレジャナイ体験を紹介しよう。何を血迷ったのか、兄とふたりで近所の古本屋に行き、大好きだったはずの『キン肉マン』全巻を二束三文で売り飛ばしてしまったのだ。ちなみに、兄はこの間会ったとき『キン肉マン』の39巻を手に取って、嬉しそうに「続編おもしろいぞ」と言っていた。「…なら何故売った?」と過去を蒸し返したい気持ちを飲み込み、静かに大人買いすることを胸に誓ったことは言うまでもない。
■ 「遊んで暮らす」ための〈コレ〉について
最後に、本書のテーマになっている「遊んで暮らす」という言葉の真意に触れよう。他のビジネスノウハウ本と同様に、本を読んだだけで何かがわかったり、何かをできる気になってしまいがちだが、本書はむしろ〈コレ〉=「根源的な欲求を叶えること」は個人個人が違う形で持つべきものであると言っている。そこに法則のようなものがあるからヒットが生まれたのではなく、補完関係にある二人の〈コレ〉と〈コレ〉が化学反応を起こした結果に過ぎないのである。
ここまで紐解いていくと、こんな言葉が頭に浮かぶのではないだろうか。「全然ゆるくないじゃん、ザリガニワークス」「言うほど遊んでないよね?」と。まさに、その通りだ。言うまでもなく、好きなことをやって生きていくのは簡単なことではない。彼らにとっての「ゆるさ」は絶妙なバランス感覚であり、「遊んで暮らす」とはつまり、コレジャナイものをそぎ落として見出した〈コレ〉を叶える仕事の形を追求することである。
ザリガニワークスは、2014年4月22日に設立10年を迎える。一般に起業して10年生き残る会社は5~10%ほどと言われる時代において、10年間「遊んで暮らす」ということは並大抵のことではない。彼らは本書の中で「とりあえず独立」したと言っているし、「たった二人でよくできるね」と聞かれても「人雇う余裕がないだけだよ」と答えそうだが、私は10年も志を変えず名コンビでいられるだけで、十二分に特別な存在だと思っている。
そんな彼らのことだから、きっと設立10年を記念してとんでもなく面白い企画なりイベントなりを用意してくることだろう。今から楽しみで仕方がない。…と、ハードルを上げるだけ上げて締めくくろうと思う。
『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』(パルコ出版)ザリガニワークス著
※「Yahoo!ニュース 個人」の記事を転載しています
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