2017-12-13(Wed)
絶望寸前の怒り
とくにテーマを決めずに書いてみる。
このところ、怒りが陰にこもって外に出てこない。ので、文章が書けない。
リハビリのつもりで、漫然と指を動かす。
何が苛つくかといって、言葉が通じないということほど苛つくことはない。
政治がきれいことじゃないとか、政治家がウソをつくとか詭弁を弄するとか、そんなことは今更驚きもしないし、絶望なんてしない。
しかし、まったく会話が成り立たない。
平然と無視する。
言語として成り立たない受け応えに終始する。
日本の政治がこの領域に踏み込んでしまった始まりは、小泉純一郎の
「人生いろいろ 会社もいろいろ 社員もいろいろ」 からだろう。
自身が厚生年金に不正加入していた問題を追及されて、こう答弁したのである。
私が2005年からブログを書き始めたのは、前年のこの答弁がキッカケの1つだったように思う。
戦後日本という枠が、ボキッと折れたような気がした。
いかな自民党でも、不正がバレた時はそれなりに責任は取ってきた。
ところが、小泉からの自民党は、不正がばれたら「何やってもいいじゃん」と開き直るようになった。
それでも、今読み返してみると、小泉の答弁も一応形の上では、質問に答える形にはなっている。
まったく木で鼻をくくったような内容だが、それでも形式だけは答弁をしていた。
しかし、現在の安倍晋三とその内閣は、答弁の形すら取らない。
関係のない話しを延々と続けて野党の質疑時間を潰すということを基本にしている。
証拠資料は「捨てた」と言い放ち、捨てた張本人があろうことか国税庁のトップに君臨する。
言論というのは、形だけでも言葉が通じるから意味がある。
ほんのわずかでも力を持つ。
今の安倍政権に対するとき、ボディランゲージすら通じない宇宙人の侵略に直面しているような錯覚をおぼえる。
■
だが、絶望寸前なのは、安倍晋三が宇宙人だからではない。
対峙する野党が、科学特捜隊ほどにも役に立たない、ということのほうが脱力に寄与してくれている。
科学特捜隊は、ウルトラQの時代にはそれなりに怪獣を撃退していたけれども、野党の追及は怪獣にはかゆくもないスーパーガンのように跳ね返される。
問題はその後だ。
跳ね返されても 平然としている野党の姿。
本気で安倍晋三から権力を奪い取る気のない野党の姿。
安倍官邸の情報操作に いとも簡単にひっかかって分裂、分立し、たしかな野党の安楽椅子に納まってしまう野党の姿。
元祖「たしかな野党」の共産党が、いよいよ「政権をとらなければ どないもならん」 という決断をしたとたん、他の野党がイヤイヤをはじめ、それなら第2自民党でもいいから政権交代という流れになったら、それはそれでイヤだという。
怪獣が目の前に迫っているというのに、まったく危機感のない野党の姿。。。。
政治家の矜恃は大事かもしれないが、矜恃をそびやかしている間に、刻々と犠牲になっている国民の生活はどうなるんだ?
こんな最近の情勢を見ていると、19世紀後半のロシアのようなテロリズムの台頭を危惧してしまう。
いまは、見せかけだけでも経済が成り立っているし、若い層は就職しやすくなっているので、暴発する恐れはない。
しかし、オリンピックが終わり、アベノバブルが破裂したとき、着々とセーフティーネットをはずされている国民の生活は、悲惨な状態に立ち至るだろう。
我慢の限界を超えていながら、言論がまったく意味を持たないとき、そこに現れるのは一方でヒーロー願望であり、もう一方ではテロリズムである。
最悪なのは、その両方が実現し、ヒトラーのような独裁者が君臨しつつ、爆弾テロが頻発する社会だ。
まだ数年の猶予はありそうだが、かなり現実的にこうした事態を憂慮する段階になってしまった。
■
こうした流れの元には、日本経済の低迷がある。
1980年代に新自由主義に侵略されて以降、日本の富はベルトコンベアに載って米国経由で無国籍巨大資本に吸い取られるようになってしまった。
働けど働けど、徐々に貧困になっていく。
金の余裕のある時代は、政治も妥協の余地がある。
しかし、限られたパイを奪い合う現在の日本は、金持ちを優遇したら貧乏人に配る余裕はない。
安倍晋三のような独裁的で非妥協的な政治家が力を持つ背景はここにある。
その観点をもっているならば、トランプの登場は日本にとってチャンスだ、ということが理解できるはずだった。
トランプは アメリカファースト つまり 世界への干渉をやめたいと公言していたのだから、日本も米国の軛(くびき)から一定の自由を得るチャンスだったのだ。
ところが、日本の野党やらリベラルやらは、トランプ批判に終始して、「チャンス」ととらえることはまったくできなかった。
これは脊髄反射で「保守」に反発する思想の問題、情勢を判断できない能力の問題ともに、実は野党も「日米安保」に依存していると言う実態が明らかになってしまったということでもある。
トランプの路線に乗っかるためには、ポスト日米安保を構想しなければならない。
しかし、日本の独立=独自核武装 と思い込んでいる人たちにとっては、ポスト日米安保なんて想像することすらできない。
対米従属はけしからん とか良いながら、じゃあ米軍を引き上げるぞと言われると震え上がる。
残念ながら、これが日本の野党の実態だ。
対米従属がけしからんのであれば、在日米軍がいない日本の姿を、それでも戦争をしない日本の姿を、正面から考えるべきではないのか。
独立なき国に、民主主義など存在し得ない。
そして、真っ先にトランプに飛びついたのは、野党ではなく安倍晋三その人だった。
実にリスキーな選択だったとは思う。
しかし、直近の情勢を見ていると、安倍官邸の選択は図に当たったようだ。
トランプが権力基盤を固めるにつれて、一度は揺らいだ安倍晋三の権力も盛り返している。
トランプショックを利用するという途も閉ざされ、八方ふさがりである。
■
そんなわけで、カラ元気すら出ずに、とりあえず目の前の生業に集中する日々である。
木の家を設計する仕事は面白い。
下請でやっている構造計算も、単価は「活かさぬよう殺さぬよう」レベルだけど、仕事としては嫌いじゃない。
でも、沈黙は徐々に心を蝕んでいく。
何の足しにもならないけれども、自分のために語ること。
ブログを書き始めた原点に戻ってみよう。
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このところ、怒りが陰にこもって外に出てこない。ので、文章が書けない。
リハビリのつもりで、漫然と指を動かす。
何が苛つくかといって、言葉が通じないということほど苛つくことはない。
政治がきれいことじゃないとか、政治家がウソをつくとか詭弁を弄するとか、そんなことは今更驚きもしないし、絶望なんてしない。
しかし、まったく会話が成り立たない。
平然と無視する。
言語として成り立たない受け応えに終始する。
日本の政治がこの領域に踏み込んでしまった始まりは、小泉純一郎の
「人生いろいろ 会社もいろいろ 社員もいろいろ」 からだろう。
自身が厚生年金に不正加入していた問題を追及されて、こう答弁したのである。
私が2005年からブログを書き始めたのは、前年のこの答弁がキッカケの1つだったように思う。
戦後日本という枠が、ボキッと折れたような気がした。
いかな自民党でも、不正がバレた時はそれなりに責任は取ってきた。
ところが、小泉からの自民党は、不正がばれたら「何やってもいいじゃん」と開き直るようになった。
それでも、今読み返してみると、小泉の答弁も一応形の上では、質問に答える形にはなっている。
まったく木で鼻をくくったような内容だが、それでも形式だけは答弁をしていた。
しかし、現在の安倍晋三とその内閣は、答弁の形すら取らない。
関係のない話しを延々と続けて野党の質疑時間を潰すということを基本にしている。
証拠資料は「捨てた」と言い放ち、捨てた張本人があろうことか国税庁のトップに君臨する。
言論というのは、形だけでも言葉が通じるから意味がある。
ほんのわずかでも力を持つ。
今の安倍政権に対するとき、ボディランゲージすら通じない宇宙人の侵略に直面しているような錯覚をおぼえる。
■
だが、絶望寸前なのは、安倍晋三が宇宙人だからではない。
対峙する野党が、科学特捜隊ほどにも役に立たない、ということのほうが脱力に寄与してくれている。
科学特捜隊は、ウルトラQの時代にはそれなりに怪獣を撃退していたけれども、野党の追及は怪獣にはかゆくもないスーパーガンのように跳ね返される。
問題はその後だ。
跳ね返されても 平然としている野党の姿。
本気で安倍晋三から権力を奪い取る気のない野党の姿。
安倍官邸の情報操作に いとも簡単にひっかかって分裂、分立し、たしかな野党の安楽椅子に納まってしまう野党の姿。
元祖「たしかな野党」の共産党が、いよいよ「政権をとらなければ どないもならん」 という決断をしたとたん、他の野党がイヤイヤをはじめ、それなら第2自民党でもいいから政権交代という流れになったら、それはそれでイヤだという。
怪獣が目の前に迫っているというのに、まったく危機感のない野党の姿。。。。
政治家の矜恃は大事かもしれないが、矜恃をそびやかしている間に、刻々と犠牲になっている国民の生活はどうなるんだ?
こんな最近の情勢を見ていると、19世紀後半のロシアのようなテロリズムの台頭を危惧してしまう。
いまは、見せかけだけでも経済が成り立っているし、若い層は就職しやすくなっているので、暴発する恐れはない。
しかし、オリンピックが終わり、アベノバブルが破裂したとき、着々とセーフティーネットをはずされている国民の生活は、悲惨な状態に立ち至るだろう。
我慢の限界を超えていながら、言論がまったく意味を持たないとき、そこに現れるのは一方でヒーロー願望であり、もう一方ではテロリズムである。
最悪なのは、その両方が実現し、ヒトラーのような独裁者が君臨しつつ、爆弾テロが頻発する社会だ。
まだ数年の猶予はありそうだが、かなり現実的にこうした事態を憂慮する段階になってしまった。
■
こうした流れの元には、日本経済の低迷がある。
1980年代に新自由主義に侵略されて以降、日本の富はベルトコンベアに載って米国経由で無国籍巨大資本に吸い取られるようになってしまった。
働けど働けど、徐々に貧困になっていく。
金の余裕のある時代は、政治も妥協の余地がある。
しかし、限られたパイを奪い合う現在の日本は、金持ちを優遇したら貧乏人に配る余裕はない。
安倍晋三のような独裁的で非妥協的な政治家が力を持つ背景はここにある。
その観点をもっているならば、トランプの登場は日本にとってチャンスだ、ということが理解できるはずだった。
トランプは アメリカファースト つまり 世界への干渉をやめたいと公言していたのだから、日本も米国の軛(くびき)から一定の自由を得るチャンスだったのだ。
ところが、日本の野党やらリベラルやらは、トランプ批判に終始して、「チャンス」ととらえることはまったくできなかった。
これは脊髄反射で「保守」に反発する思想の問題、情勢を判断できない能力の問題ともに、実は野党も「日米安保」に依存していると言う実態が明らかになってしまったということでもある。
トランプの路線に乗っかるためには、ポスト日米安保を構想しなければならない。
しかし、日本の独立=独自核武装 と思い込んでいる人たちにとっては、ポスト日米安保なんて想像することすらできない。
対米従属はけしからん とか良いながら、じゃあ米軍を引き上げるぞと言われると震え上がる。
残念ながら、これが日本の野党の実態だ。
対米従属がけしからんのであれば、在日米軍がいない日本の姿を、それでも戦争をしない日本の姿を、正面から考えるべきではないのか。
独立なき国に、民主主義など存在し得ない。
そして、真っ先にトランプに飛びついたのは、野党ではなく安倍晋三その人だった。
実にリスキーな選択だったとは思う。
しかし、直近の情勢を見ていると、安倍官邸の選択は図に当たったようだ。
トランプが権力基盤を固めるにつれて、一度は揺らいだ安倍晋三の権力も盛り返している。
トランプショックを利用するという途も閉ざされ、八方ふさがりである。
■
そんなわけで、カラ元気すら出ずに、とりあえず目の前の生業に集中する日々である。
木の家を設計する仕事は面白い。
下請でやっている構造計算も、単価は「活かさぬよう殺さぬよう」レベルだけど、仕事としては嫌いじゃない。
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