2017-08-18(Fri)
フツウからの脱出
フツウであることの大切さを、じわりじわりと噛みしめてきた10年だったように思う。
仕事の上でも、政治的な考えも、生活態度そのものも、私はマイナーの極みだった。
それは子どもの頃から、ほぼ物心ついた頃からだ。
最初の記憶は、いくつの頃かは憶えていないが、テレビを見ていて違和感を感じたことだ。
「ひろのみやさま」とアナウンサーは言っていた。
私といくつも違わない男の子が、なんで「さま」なんだ?
小学5年生のときには、本当に自分がはぐれ者なのか知りたくて、生徒会の役員に立候補した。
演説では、校庭の周りに貼ってある鉄条網は生徒を閉じ込めるものだ とか話したと思う。
忘れもしないが、全校生徒が千数百人いるなかで、得票数は26だった。
毎週の学級会も大嫌いだった。
だいたいどうでもいいことを「規則」にするのが学級会で、晴れた日は校庭で遊びましょう なんてことをわざわざ多数決で決めて規則にした。
私だって晴れた日は校庭で遊んでいたが、そんなことを強制されるのが嫌でただ一人反対し、休み時間になるとわざと教室に残った。子どもは残酷だから、小突きながら大勢で校庭に引きずり出された。
先生も同じようなもので、私が出した算数の別解を理解できず、どうして○じゃないのかと執拗に食い下がる私を、2時間も床に正座させた。
教師なんてこんなものか と体で理解した。
とにかく、私の思うこと、考えることは、ことごとく少数派。少数どころか、ほぼ全員対一人だった。
だから、多数決なんて死ぬほど嫌いだったし、少し年を食って民主主義なんて言葉を知ったときも、クソ食らえと思った。
まあ、中学も高校も、だいたいこんな調子だった。
高校のときは、キレイゴト言う割にやることが姑息な教師が大嫌いで、何度か授業の途中で荷物をまとめて帰宅したこともある。
むしろ、体育会系の右翼教師のほうが、正面から対決してくれるので、まだよかった。
これって、今の民進党のキレイゴト議員が、反吐が出るほど嫌いなのとつながっているんだなあ。
そんなこんなで、形成された人格は、並大抵ではなかった。
まず、他人に「はい」と言うことができなかった。
20代のころは病院の事務屋さんだったのだが、総婦長の小間使いみたいなこともやらされて、はじめて「はい」という返事をしなくてはならず、煩悶した。
でも 病院で働いたおかげで、最低限人間社会で生きていけるようにリハビリしてもらったような気はしている。
こんな感じで、およそフツウとは無縁の私が、フツウを意識し始めたのは、12年前に独立して設計事務所をはじめたことと、選挙に関心を持つようになったことが大きい。
家づくりの面では、フツウじゃ無いものを作りたいという欲求と、フツウに生活できるものを作らなくてはならない という縛りというか倫理観のようなものが いつも拮抗する。
自分がフツウではないということを、さすがにこの頃は自覚していたので、逆に自分で縛りをかけていたところがある。有名建築家が設計した数々の「住めない家」を見て 「こんなことはするまい」と自分の仕事のルールとして決めたのだった。
ひとり一人の暮らしは千差万別だから、住み手のイメージをちゃんと具体化できれば、自ずとオリジナリティになるだろう、と思って仕事をしてきた。
たしかにそれはウソではないのだが、むしろ10年以上経って思うのは、人の暮らしは意外と共通しているんだな、ということだった。
もちろん、人も好みも生活パターンも千差万別なんだけど、「住む」という行為に丁寧に寄り添って設計していくと、結果的にすごく共通点が多い。意外と、フツウにおさまってしまうのである。
政治については、やはり何と言っても2009年の政権交代が大きい。
生まれてはじめて、多数決で自分が多数派に属したのだから、そりゃあもう驚いた。
民主党政権に過大な期待はしていなかったが、それよりも自分史的に大興奮だった。
それまで大嫌いだった民主主義が、ひょっとして役に立つのかも と思ったのがウンの尽き。
以来、どっぷりと政治の世界にハマってしまった。
2012年総選挙の大敗北、焼け野原状態にどう向き合うのか。このときほど、フツウということを意識したことはない。
なにせ、原発が爆発したのに、最大多数は無投票、その次が自民党に投票したという現実を目の前に突きつけられて、そのフツウな選択を見ないふりすることはできなかったし、昔のように「やっぱ民主主義なんてクソだわ」と開き直ることもできなかった。
俺はこう思う 俺はこう感じるんだ と言うことよりも、「フツウどう思うかな」「フツウどう感じるかな」と頭の中でシミュレーションすることばかりが多くなった。
選挙で勝つためには、もういちど政権交代するためには、フツウに「いいね」と思ってもらわなくてはならないわけだから。
いや、そればかりではなくて、本気でフツウであることの大切さとか感じるようになっていった。
で、ふと気が付くと、あれほど、異常ともいえるほどフツウとかけ離れていた私が、なかなかどうしてフツウに暮らしているのである。
フツウに家を設計し、フツウに政治のことを考えている。
めでたしめでたし
じゃなくて、なんか違うような気がしている。
このまま丸くなって好々爺へまっしぐら は自分にはやっぱ無理。
そろそろフツウから逃げ出してもいいんじゃないか と思い始めた。
フツウじゃないことを自覚していないのは人迷惑かもしれないが、さすがに自分を相対化できる程度には年をとったから、もう自由にしてやってもいいんじゃないか。
と、最近こんなことばかり考えている。
追記
これを書きながら画面の端でamazonビデオをかけていた。
何気なしに選んだのが「イミテーション・ゲーム」。ナチスの暗号記エニグマを解読したアラン・チューリングの話だ。
「普通じゃない」ということが、大きなテーマになっていた。奇遇。
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仕事の上でも、政治的な考えも、生活態度そのものも、私はマイナーの極みだった。
それは子どもの頃から、ほぼ物心ついた頃からだ。
最初の記憶は、いくつの頃かは憶えていないが、テレビを見ていて違和感を感じたことだ。
「ひろのみやさま」とアナウンサーは言っていた。
私といくつも違わない男の子が、なんで「さま」なんだ?
小学5年生のときには、本当に自分がはぐれ者なのか知りたくて、生徒会の役員に立候補した。
演説では、校庭の周りに貼ってある鉄条網は生徒を閉じ込めるものだ とか話したと思う。
忘れもしないが、全校生徒が千数百人いるなかで、得票数は26だった。
毎週の学級会も大嫌いだった。
だいたいどうでもいいことを「規則」にするのが学級会で、晴れた日は校庭で遊びましょう なんてことをわざわざ多数決で決めて規則にした。
私だって晴れた日は校庭で遊んでいたが、そんなことを強制されるのが嫌でただ一人反対し、休み時間になるとわざと教室に残った。子どもは残酷だから、小突きながら大勢で校庭に引きずり出された。
先生も同じようなもので、私が出した算数の別解を理解できず、どうして○じゃないのかと執拗に食い下がる私を、2時間も床に正座させた。
教師なんてこんなものか と体で理解した。
とにかく、私の思うこと、考えることは、ことごとく少数派。少数どころか、ほぼ全員対一人だった。
だから、多数決なんて死ぬほど嫌いだったし、少し年を食って民主主義なんて言葉を知ったときも、クソ食らえと思った。
まあ、中学も高校も、だいたいこんな調子だった。
高校のときは、キレイゴト言う割にやることが姑息な教師が大嫌いで、何度か授業の途中で荷物をまとめて帰宅したこともある。
むしろ、体育会系の右翼教師のほうが、正面から対決してくれるので、まだよかった。
これって、今の民進党のキレイゴト議員が、反吐が出るほど嫌いなのとつながっているんだなあ。
そんなこんなで、形成された人格は、並大抵ではなかった。
まず、他人に「はい」と言うことができなかった。
20代のころは病院の事務屋さんだったのだが、総婦長の小間使いみたいなこともやらされて、はじめて「はい」という返事をしなくてはならず、煩悶した。
でも 病院で働いたおかげで、最低限人間社会で生きていけるようにリハビリしてもらったような気はしている。
こんな感じで、およそフツウとは無縁の私が、フツウを意識し始めたのは、12年前に独立して設計事務所をはじめたことと、選挙に関心を持つようになったことが大きい。
家づくりの面では、フツウじゃ無いものを作りたいという欲求と、フツウに生活できるものを作らなくてはならない という縛りというか倫理観のようなものが いつも拮抗する。
自分がフツウではないということを、さすがにこの頃は自覚していたので、逆に自分で縛りをかけていたところがある。有名建築家が設計した数々の「住めない家」を見て 「こんなことはするまい」と自分の仕事のルールとして決めたのだった。
ひとり一人の暮らしは千差万別だから、住み手のイメージをちゃんと具体化できれば、自ずとオリジナリティになるだろう、と思って仕事をしてきた。
たしかにそれはウソではないのだが、むしろ10年以上経って思うのは、人の暮らしは意外と共通しているんだな、ということだった。
もちろん、人も好みも生活パターンも千差万別なんだけど、「住む」という行為に丁寧に寄り添って設計していくと、結果的にすごく共通点が多い。意外と、フツウにおさまってしまうのである。
政治については、やはり何と言っても2009年の政権交代が大きい。
生まれてはじめて、多数決で自分が多数派に属したのだから、そりゃあもう驚いた。
民主党政権に過大な期待はしていなかったが、それよりも自分史的に大興奮だった。
それまで大嫌いだった民主主義が、ひょっとして役に立つのかも と思ったのがウンの尽き。
以来、どっぷりと政治の世界にハマってしまった。
2012年総選挙の大敗北、焼け野原状態にどう向き合うのか。このときほど、フツウということを意識したことはない。
なにせ、原発が爆発したのに、最大多数は無投票、その次が自民党に投票したという現実を目の前に突きつけられて、そのフツウな選択を見ないふりすることはできなかったし、昔のように「やっぱ民主主義なんてクソだわ」と開き直ることもできなかった。
俺はこう思う 俺はこう感じるんだ と言うことよりも、「フツウどう思うかな」「フツウどう感じるかな」と頭の中でシミュレーションすることばかりが多くなった。
選挙で勝つためには、もういちど政権交代するためには、フツウに「いいね」と思ってもらわなくてはならないわけだから。
いや、そればかりではなくて、本気でフツウであることの大切さとか感じるようになっていった。
で、ふと気が付くと、あれほど、異常ともいえるほどフツウとかけ離れていた私が、なかなかどうしてフツウに暮らしているのである。
フツウに家を設計し、フツウに政治のことを考えている。
めでたしめでたし
じゃなくて、なんか違うような気がしている。
このまま丸くなって好々爺へまっしぐら は自分にはやっぱ無理。
そろそろフツウから逃げ出してもいいんじゃないか と思い始めた。
フツウじゃないことを自覚していないのは人迷惑かもしれないが、さすがに自分を相対化できる程度には年をとったから、もう自由にしてやってもいいんじゃないか。
と、最近こんなことばかり考えている。
追記
これを書きながら画面の端でamazonビデオをかけていた。
何気なしに選んだのが「イミテーション・ゲーム」。ナチスの暗号記エニグマを解読したアラン・チューリングの話だ。
「普通じゃない」ということが、大きなテーマになっていた。奇遇。
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