2017-06-16(Fri)
共謀時代を生きる ~驚愕の事態にも慌てない胆力を~
共謀罪の凶暴採決から半日が過ぎた。
安倍官邸の暴走と、それに追いすがる自民公明維新の米つきバッタの群が、目の前を走り去っていった。
そして、暴走車にブレーキをかけるフリをしながら、決してタイヤに触ろうとしない、寸止め野党=民進党の姿も明らかになった。
もうこれで、日本は終わったのか。
絶望しか残っていないのか。
もちろん、そんなことはない。
これから始まる共謀罪時代を、私たちはしぶとくイヤラシク生き延びていくのだ。
そして、時間はかかるかもしれないが、いつの日か自分たちの手でこの悪法を葬り去るのである。
そのためには、何をすればいいのか。
何からはじめればいいのか。
■
共謀罪の本当の怖さは、フリーハンドでえん罪を作れるという機能にある。
細かい構成要件を云々しても意味は無いのであって、「物証のない密告だけでえん罪いっちょ上がり」ということが、共謀罪のすべてである。
つまり、スパイを使って「会話」を行わせ、その後ただちに密告すれば、ほぼ誰でも自由に逮捕することができる。
「会話」すらなくとも、密告だけでも3泊4日の留置所旅行くらいはご案内できる。4日目には無罪放免だったとしても、フツウのサラリーマンにとっては致命的な打撃になる。
満員電車の恐怖=痴漢えん罪のようなことが、日常生活のあらゆるシーンで起こりうるということだ。
たとえば、会社の上司ともめたら、アリもしない密告をされるかもしれない。
日照を奪うマンション建設に反対したら、密告されるかもしれない。
恋の競争に勝って彼女を射止めたら、元彼に密告されるかもしれない。
ありとあらゆるトラブルで、密告されれば逮捕されるのが、共謀罪なのだ。
政治に全く無関心な人でも、近隣トラブルや会社でのもめ事や恋のさや当ては日常茶飯事だ。
そんな場面でも、「上司を脅迫しようと○○さんと相談して、包丁を購入したんです」と密告すれば、あなたの敵は見事ブタ箱行きである。
これまでは、実行犯でなければ罪にならないから、なんの根拠も無い密告では逮捕状はとれなかった。
しかし、共謀罪は違う。密告が最上の証拠として、いきなり逮捕されてしまう。
法律の細かい規定はともかくも、そのように最大限拡大して運用されていく。
■
もうここに至っては、共謀罪はそういう法律だと思ってかかるしかない。
あきらめと開き直りしかない。
スパイをあぶり出せるほどの信頼関係を普段から作っておくことは確かに重要だが、運動が広がる局面でプロのスパイが入ってきたならば、まず判断することはできないだろう。
そのために疑心暗鬼になるよりも、やられるときは何をやっても言ってもやられるんだ と開き直るしかない。
最悪なのは、共謀罪を怖がって萎縮してしまうことだ。
敵は刀を抜くことなく目的を達成してしまう。
治安維持法から柳条湖事件まで6年。
共謀罪の6年後は、2023年。オリンピック景気が去って最悪の不景気に呻吟しているころだ。
その怨嗟の声を外に向けるためには、90年前と同じことをするのではないか。
今国会でこれほどに無理矢理に共謀罪を成立させたのは、その近未来を予測してのことだろう。
何をされても怒ることのない日本人をコントロールするために、共謀罪は必要ない。あまりにもオーバースペック。鉈で鉛筆を削り、日本刀で髭を剃るようなものである。
にもかかわらず、あえて暴挙の中で共謀罪を成立させたと言うことは、さすがの日本人でも現行法では抑えきれないほどの耐え難い事態に立ち至る、という予想があるからに他ならない。
今を生きる私たちが刮目すべきは、共謀罪そのものよりも、それを必要とする近未来である。
■
そうした敵の大きな戦略を考えると、場合によっては16日の国会最終日には、驚きの事態が生じる可能性もある。
すなわち、安倍内閣の総辞職である。
戦争法と共謀罪を作り上げるところまでが安倍晋三の役割だった、という可能性だ。
森友と加計の報道を解禁したのは、共謀罪で日和ることを許さないという中枢の意思であり、共謀罪が通ったところで、そのすべての汚れ物を抱えて安倍晋三を退場させる、というシナリオがあるのではないか。
安倍総理を辞任させたい麻生太郎 「森友」「加計」黒幕説が浮上
2017.6.15 デイリー新潮
麻生個人の欲望という意味ではなく、あまりにも汚れすぎた安倍晋三をすげ替えて、オリンピックに向けて盤石を体制を構築したいと思うのは、権力の常道ではないだろうか。
麻生が後ろ盾で岸田を立てる、などの策に出た場合、日本国民諸氏は、ころっと騙されるだろう。
顔は変わっても、問題は首相官邸のゲシュタポが健在である限り、権力構造は変化しない。
安倍・管がその極悪キャラを生かして汚れ役を務めたように、次の首相は任務としてお掃除役をやるだけのことだ。
そうした権力内部の煙幕に目をくらまされず、大局観をもって、しぶとく、イヤッタラシクたたかいつづけること。
自らのちからで政権交代を果たすまでは、何がおきても、その途を進むしかない。
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安倍官邸の暴走と、それに追いすがる自民公明維新の米つきバッタの群が、目の前を走り去っていった。
そして、暴走車にブレーキをかけるフリをしながら、決してタイヤに触ろうとしない、寸止め野党=民進党の姿も明らかになった。
もうこれで、日本は終わったのか。
絶望しか残っていないのか。
もちろん、そんなことはない。
これから始まる共謀罪時代を、私たちはしぶとくイヤラシク生き延びていくのだ。
そして、時間はかかるかもしれないが、いつの日か自分たちの手でこの悪法を葬り去るのである。
そのためには、何をすればいいのか。
何からはじめればいいのか。
■
共謀罪の本当の怖さは、フリーハンドでえん罪を作れるという機能にある。
細かい構成要件を云々しても意味は無いのであって、「物証のない密告だけでえん罪いっちょ上がり」ということが、共謀罪のすべてである。
つまり、スパイを使って「会話」を行わせ、その後ただちに密告すれば、ほぼ誰でも自由に逮捕することができる。
「会話」すらなくとも、密告だけでも3泊4日の留置所旅行くらいはご案内できる。4日目には無罪放免だったとしても、フツウのサラリーマンにとっては致命的な打撃になる。
満員電車の恐怖=痴漢えん罪のようなことが、日常生活のあらゆるシーンで起こりうるということだ。
たとえば、会社の上司ともめたら、アリもしない密告をされるかもしれない。
日照を奪うマンション建設に反対したら、密告されるかもしれない。
恋の競争に勝って彼女を射止めたら、元彼に密告されるかもしれない。
ありとあらゆるトラブルで、密告されれば逮捕されるのが、共謀罪なのだ。
政治に全く無関心な人でも、近隣トラブルや会社でのもめ事や恋のさや当ては日常茶飯事だ。
そんな場面でも、「上司を脅迫しようと○○さんと相談して、包丁を購入したんです」と密告すれば、あなたの敵は見事ブタ箱行きである。
これまでは、実行犯でなければ罪にならないから、なんの根拠も無い密告では逮捕状はとれなかった。
しかし、共謀罪は違う。密告が最上の証拠として、いきなり逮捕されてしまう。
法律の細かい規定はともかくも、そのように最大限拡大して運用されていく。
■
もうここに至っては、共謀罪はそういう法律だと思ってかかるしかない。
あきらめと開き直りしかない。
スパイをあぶり出せるほどの信頼関係を普段から作っておくことは確かに重要だが、運動が広がる局面でプロのスパイが入ってきたならば、まず判断することはできないだろう。
そのために疑心暗鬼になるよりも、やられるときは何をやっても言ってもやられるんだ と開き直るしかない。
最悪なのは、共謀罪を怖がって萎縮してしまうことだ。
敵は刀を抜くことなく目的を達成してしまう。
治安維持法から柳条湖事件まで6年。
共謀罪の6年後は、2023年。オリンピック景気が去って最悪の不景気に呻吟しているころだ。
その怨嗟の声を外に向けるためには、90年前と同じことをするのではないか。
今国会でこれほどに無理矢理に共謀罪を成立させたのは、その近未来を予測してのことだろう。
何をされても怒ることのない日本人をコントロールするために、共謀罪は必要ない。あまりにもオーバースペック。鉈で鉛筆を削り、日本刀で髭を剃るようなものである。
にもかかわらず、あえて暴挙の中で共謀罪を成立させたと言うことは、さすがの日本人でも現行法では抑えきれないほどの耐え難い事態に立ち至る、という予想があるからに他ならない。
今を生きる私たちが刮目すべきは、共謀罪そのものよりも、それを必要とする近未来である。
■
そうした敵の大きな戦略を考えると、場合によっては16日の国会最終日には、驚きの事態が生じる可能性もある。
すなわち、安倍内閣の総辞職である。
戦争法と共謀罪を作り上げるところまでが安倍晋三の役割だった、という可能性だ。
森友と加計の報道を解禁したのは、共謀罪で日和ることを許さないという中枢の意思であり、共謀罪が通ったところで、そのすべての汚れ物を抱えて安倍晋三を退場させる、というシナリオがあるのではないか。
安倍総理を辞任させたい麻生太郎 「森友」「加計」黒幕説が浮上
2017.6.15 デイリー新潮
麻生個人の欲望という意味ではなく、あまりにも汚れすぎた安倍晋三をすげ替えて、オリンピックに向けて盤石を体制を構築したいと思うのは、権力の常道ではないだろうか。
麻生が後ろ盾で岸田を立てる、などの策に出た場合、日本国民諸氏は、ころっと騙されるだろう。
顔は変わっても、問題は首相官邸のゲシュタポが健在である限り、権力構造は変化しない。
安倍・管がその極悪キャラを生かして汚れ役を務めたように、次の首相は任務としてお掃除役をやるだけのことだ。
そうした権力内部の煙幕に目をくらまされず、大局観をもって、しぶとく、イヤッタラシクたたかいつづけること。
自らのちからで政権交代を果たすまでは、何がおきても、その途を進むしかない。
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