2017-12-18(Mon)
腐敗した権力は必ずたおされる
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。」という警句は、一人歩きして多くの人が知っている。
しかし、それを言ったアクトン卿という人物についてはあまり知られていない。
19世紀後半に生きた英国の男爵だそうだが、私も知らなかった。
アクトン卿の意図がなんであったのかは知らずとも、近年これを口にする人々は一定のイメージを持っている。
ナチスや大日本帝国、スターリンや金正恩、どんな政治権力もブレーキのきかない独裁は必ず間違った方向に突き進む。そんな感じだろう。
その文脈で、そもそも「政治権力を握ること=腐敗の始まり」 として批判するむきも多い。
私のように二言目には「政権交代」とか言っているだけでも、批判されたりする。
わからなくはない。
アナーキーというロックバンドは私とほぼ同世代(少しだけ上)で、1970年代の終わりから80年代にかけての時代の空気をよくあらわしていたと思う。
私は音楽とは無縁だったけれども、あらゆる権力とか権威とかに屈服したくないという空気感は過剰なくらい共有していた。
ただ、今の時点からあの時代を振り返ると、本当に平和な時代だったなあ と思わざるを得ない。
高度経済成長を過ぎてジャパンアズナンバーワンと言い出し始めるころ。
新自由主義の経済侵略が始まる前夜。
戦後日本の、実質的なピークだった。
軍国主義の記憶はまだ生々しく、一方で社会主義国の惨状もあらわになり、学生運動はすでに粉々になっていた時代。
政治的な閉塞と経済的な充足、私のアナーキーな気分の土台はそうした状況だった。
「政治権力を握ること=腐敗の始まり」と言っている 余裕のある時代だった ということだ。
この言葉じたいは、今でも正しいと思っている。
歴史を見ても、身近な現場を見ても、大なり小なり権力を持った人間は、ほぼ例外なく腐敗し始める。
あるのは、程度の差と、ブレーキが存在しているかどうかということ。
それをわかっていても、それでもやはり 「政権交代」と言わなければならないのが、今の時代の悲しさだ。
自民党が一手に腐敗を引き受けて、社共がそれを弾劾することで生きていけた時代は、すでに過去の思い出になってしまった。
自民党が妥協して、それなりのところで手をうつことができたのは、日本の経済力に余裕があったことと、自民党の腐敗がまだ極限に達していなかったからだ。
今は、そのどちらの条件もすでにない。
自らが腐敗をはじめることを自覚して、つまり近い将来自分が弾劾されることを覚悟して あえて政権を取りに行く。
そこまでしないと、救われない人があまりにも多くなってしまったのだ。
■
腐敗=不正 と思っている人が多いようだが、私はこれは別の価値観だと思っている。
正しい腐敗もあれば、清廉な不正もある。
正義と不正という価値観じたいが定義しがたいものだから、当然と言えば当然だ。
正義は定義できないが、腐敗は定義できるのではないか。
腐敗とは 「価値観が一貫しないこと」である。
同じことを別の言い方をすれば「責任を取らないこと」である。
例えば、特攻隊を指揮して「俺も後から行く」と言っておきながら、のうのうと老後を楽しんだ奴らは、究極の腐敗である。
言った通り自決した人は、正しくはないが腐敗はしていない。
「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」と子どもたちを戦場に送っておきながら、負けた途端に民主主義教育をはじめた教師は、正しいけれども腐敗している。
180度転換できずに教師を辞めてしまった人は、正しくはないが腐敗はしていない。
天皇から庶民まで、ほとんどの日本人は1945年に、程度の差こそあれ深刻な腐敗を経験している。
自らの罪を自らで決着することをしなかったために、こころに腐れを宿したまま、戦後社会に進んでいった。
戦後民主主義は、この腐敗を負い目と感じることを強い動機として、維持されていった。
このように、腐敗が一定のブレーキとして機能することもある。
しかし、それゆえに日本は米国の実質的な植民地であることを自ら受け入れ、それに対して反抗することにもブレーキをかけてきたのである。
■
正か正しくないかは、明確な線を引くことは難しい。
「正義」という概念を 政治システムのスイッチにすることは、それ自体が腐敗の温床になる可能性が高い。
だから、政治システムの切り替えスイッチは、「腐敗したら退場」が相応しい。
もうしばらく続けてほしい政策をもっていても、腐敗したら退場。
「ウソつき」と「無責任」は、善悪を問わずに交代させる。
「ウソをついたら政権を追われる」 というシステムは、最近まではある程度機能していた。
自民党内政権交代だった派閥の時代も、2009年も、そして2012年も。
国民の生活が第一と言って政権をとっておきながら、消費税を上げ、放射能拡散に「ただちに影響は無い」と言い、挙げ句の果てに原発を再稼働させた民主党政権が、2012年に政権を追われたことは、その意味ではまったく健全な結果だった。
民主党のウソを最もつよく弾劾した小沢グループが、割を食って最もひどく負けてしまったのは理不尽だったが、大きな見地から当然の結果だったということになる。
問題は、その後だ。
健全なシステムで政権交代を果たした安倍政権が、自らを権力につけたそのシステムに恐怖し、着々とシステムを破壊しはじめた。
メディアを支配し、政権内部をひどく腐敗した政治家で固めることで異論を封じ、官邸をゲシュタポ化することで政敵を事前に追い落とし、政権交代の芽をあらかじめ摘んでしまう。
その一方で、巨額の国の補助金を自らに環流させるルートをいくつも築き、税金を自らの私的な資金源としてきた。
言うまでもなく、その一例が加計学園であり、スパコン詐欺である。これらは氷山の一角に違いない。
残念ながら、この安倍戦略は今のところかなり有効に機能している。
トランプにすり寄ったことによってジャパンハンドラーズと対立した安倍晋三は、一時はモリカケ問題の暴露など窮地に立たされたように見えたが、米国でトランプが権力基盤を固めるに従って、メディアはすっかりモリカケを言わなくなってしまった。
このまま支持率40%台くらいで権力を維持し続けていくように見える。
しかし、実は盤石に見える安倍政権も、きわめて細い綱渡りをしているのだ。
これだけ腐敗した権力を維持するために、数人の「毒を食らわば皿まで」という安倍晋三と腐敗を完全に共有している人間が、金と情報をフル活用して、不満を抑え込んでいる。
ゲシュタポ化した安倍官邸の、数人の能力に安倍政権は辛くも支えられているのである。
つまり、この数人に綻びが生じたとき、安倍政権はかなり脆く崩れる。
そうなったら、パンドラの箱が開く前に、またしても突如として辞任するかもしれない。
腐敗した権力は必ずたおされる。
その直前は、きわめて強引で独裁的な手法で、生き残るためにあがく。
安倍政権は、今まさにその段階にある。
いかに官邸の結束を乱すか、内紛をおこさせるか、ストレスに耐えられなくさせるか。
敵のアキレス腱を攻めなければ、盾の上からいくらぶったたいても、こちらが先に疲れてしまう。
■
敵のアキレス腱を攻めるためには、当然ながら反撃のターゲットになって自ら傷つく可能性が大きい。
野党議員として平穏に余生をまっとうしたいような議員にとっては、とんでもなくリスクが高い。
当たり障りのない、通り一遍の政府批判を繰り広げて、リベラル票を確保しておくことのほうが安心安全だ。
「権力は腐敗する」が真実なのであれば、まずは究極に腐敗した安倍政権を倒すこと。
そのためには、安倍官邸のアキレス腱を見極めて、徹底的にそこを攻めること。
スパコン詐欺で補助金環流のキーマンになっていた山口敬之。
その山口がやらかしたレイプ事件をもみ消した警察官僚・中村格。
あきらかに、敵の綻びの発端である。
どこも報じない、山口敬之氏「疑惑」の背後でうごめく権力の闇
2017.12.16 MAG2ニュース
モリカケではあれだけ報道したマスコミが、これだけのスキャンダルに沈黙だ。
国会での追及も、希望の柚木議員が山口や中村の実名を出して追及したが、福島瑞穂議員などは名前を出さなかったりで迫力がない。
安倍官邸のとんでもない腐敗ぶりを明らかにし、「それに替わる勢力がここにいるよ」ということを明確に示すならば、敵の綻びはボロボロと広がっていく。
いったん糸が切れたならば、加計学園問題も、その他の補助金詐欺と安倍への環流システムも、次々と掘り起こされていくだろう。
もちろん、それだけに敵も必死だ。
どんなに有ること無いことスキャンダルを流されようと、でっち上げで逮捕されようと、追及する根性があるかどうか。
そして、その「結果」を政権交代につなげる覚悟があるかどうか。
腐敗しているものを、徹底して追い落とし、とって替わること。
私は野党の価値は、そこにあると思っている。
リベラルか保守か なんてどうでもいい。
そして、自らがひどく腐敗したら、潔く追い落とされたらいいのだ。
腐敗したら交代する。
腐敗したら倒される。
そのような政治文化を創り、善悪とは別に政権交代を繰り返していくことができれば、致命的に悪い、つまり多くの人が生きていけないような政権を作り出さずにすむのではないだろうか。
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しかし、それを言ったアクトン卿という人物についてはあまり知られていない。
19世紀後半に生きた英国の男爵だそうだが、私も知らなかった。
アクトン卿の意図がなんであったのかは知らずとも、近年これを口にする人々は一定のイメージを持っている。
ナチスや大日本帝国、スターリンや金正恩、どんな政治権力もブレーキのきかない独裁は必ず間違った方向に突き進む。そんな感じだろう。
その文脈で、そもそも「政治権力を握ること=腐敗の始まり」 として批判するむきも多い。
私のように二言目には「政権交代」とか言っているだけでも、批判されたりする。
わからなくはない。
アナーキーというロックバンドは私とほぼ同世代(少しだけ上)で、1970年代の終わりから80年代にかけての時代の空気をよくあらわしていたと思う。
私は音楽とは無縁だったけれども、あらゆる権力とか権威とかに屈服したくないという空気感は過剰なくらい共有していた。
ただ、今の時点からあの時代を振り返ると、本当に平和な時代だったなあ と思わざるを得ない。
高度経済成長を過ぎてジャパンアズナンバーワンと言い出し始めるころ。
新自由主義の経済侵略が始まる前夜。
戦後日本の、実質的なピークだった。
軍国主義の記憶はまだ生々しく、一方で社会主義国の惨状もあらわになり、学生運動はすでに粉々になっていた時代。
政治的な閉塞と経済的な充足、私のアナーキーな気分の土台はそうした状況だった。
「政治権力を握ること=腐敗の始まり」と言っている 余裕のある時代だった ということだ。
この言葉じたいは、今でも正しいと思っている。
歴史を見ても、身近な現場を見ても、大なり小なり権力を持った人間は、ほぼ例外なく腐敗し始める。
あるのは、程度の差と、ブレーキが存在しているかどうかということ。
それをわかっていても、それでもやはり 「政権交代」と言わなければならないのが、今の時代の悲しさだ。
自民党が一手に腐敗を引き受けて、社共がそれを弾劾することで生きていけた時代は、すでに過去の思い出になってしまった。
自民党が妥協して、それなりのところで手をうつことができたのは、日本の経済力に余裕があったことと、自民党の腐敗がまだ極限に達していなかったからだ。
今は、そのどちらの条件もすでにない。
自らが腐敗をはじめることを自覚して、つまり近い将来自分が弾劾されることを覚悟して あえて政権を取りに行く。
そこまでしないと、救われない人があまりにも多くなってしまったのだ。
■
腐敗=不正 と思っている人が多いようだが、私はこれは別の価値観だと思っている。
正しい腐敗もあれば、清廉な不正もある。
正義と不正という価値観じたいが定義しがたいものだから、当然と言えば当然だ。
正義は定義できないが、腐敗は定義できるのではないか。
腐敗とは 「価値観が一貫しないこと」である。
同じことを別の言い方をすれば「責任を取らないこと」である。
例えば、特攻隊を指揮して「俺も後から行く」と言っておきながら、のうのうと老後を楽しんだ奴らは、究極の腐敗である。
言った通り自決した人は、正しくはないが腐敗はしていない。
「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」と子どもたちを戦場に送っておきながら、負けた途端に民主主義教育をはじめた教師は、正しいけれども腐敗している。
180度転換できずに教師を辞めてしまった人は、正しくはないが腐敗はしていない。
天皇から庶民まで、ほとんどの日本人は1945年に、程度の差こそあれ深刻な腐敗を経験している。
自らの罪を自らで決着することをしなかったために、こころに腐れを宿したまま、戦後社会に進んでいった。
戦後民主主義は、この腐敗を負い目と感じることを強い動機として、維持されていった。
このように、腐敗が一定のブレーキとして機能することもある。
しかし、それゆえに日本は米国の実質的な植民地であることを自ら受け入れ、それに対して反抗することにもブレーキをかけてきたのである。
■
正か正しくないかは、明確な線を引くことは難しい。
「正義」という概念を 政治システムのスイッチにすることは、それ自体が腐敗の温床になる可能性が高い。
だから、政治システムの切り替えスイッチは、「腐敗したら退場」が相応しい。
もうしばらく続けてほしい政策をもっていても、腐敗したら退場。
「ウソつき」と「無責任」は、善悪を問わずに交代させる。
「ウソをついたら政権を追われる」 というシステムは、最近まではある程度機能していた。
自民党内政権交代だった派閥の時代も、2009年も、そして2012年も。
国民の生活が第一と言って政権をとっておきながら、消費税を上げ、放射能拡散に「ただちに影響は無い」と言い、挙げ句の果てに原発を再稼働させた民主党政権が、2012年に政権を追われたことは、その意味ではまったく健全な結果だった。
民主党のウソを最もつよく弾劾した小沢グループが、割を食って最もひどく負けてしまったのは理不尽だったが、大きな見地から当然の結果だったということになる。
問題は、その後だ。
健全なシステムで政権交代を果たした安倍政権が、自らを権力につけたそのシステムに恐怖し、着々とシステムを破壊しはじめた。
メディアを支配し、政権内部をひどく腐敗した政治家で固めることで異論を封じ、官邸をゲシュタポ化することで政敵を事前に追い落とし、政権交代の芽をあらかじめ摘んでしまう。
その一方で、巨額の国の補助金を自らに環流させるルートをいくつも築き、税金を自らの私的な資金源としてきた。
言うまでもなく、その一例が加計学園であり、スパコン詐欺である。これらは氷山の一角に違いない。
残念ながら、この安倍戦略は今のところかなり有効に機能している。
トランプにすり寄ったことによってジャパンハンドラーズと対立した安倍晋三は、一時はモリカケ問題の暴露など窮地に立たされたように見えたが、米国でトランプが権力基盤を固めるに従って、メディアはすっかりモリカケを言わなくなってしまった。
このまま支持率40%台くらいで権力を維持し続けていくように見える。
しかし、実は盤石に見える安倍政権も、きわめて細い綱渡りをしているのだ。
これだけ腐敗した権力を維持するために、数人の「毒を食らわば皿まで」という安倍晋三と腐敗を完全に共有している人間が、金と情報をフル活用して、不満を抑え込んでいる。
ゲシュタポ化した安倍官邸の、数人の能力に安倍政権は辛くも支えられているのである。
つまり、この数人に綻びが生じたとき、安倍政権はかなり脆く崩れる。
そうなったら、パンドラの箱が開く前に、またしても突如として辞任するかもしれない。
腐敗した権力は必ずたおされる。
その直前は、きわめて強引で独裁的な手法で、生き残るためにあがく。
安倍政権は、今まさにその段階にある。
いかに官邸の結束を乱すか、内紛をおこさせるか、ストレスに耐えられなくさせるか。
敵のアキレス腱を攻めなければ、盾の上からいくらぶったたいても、こちらが先に疲れてしまう。
■
敵のアキレス腱を攻めるためには、当然ながら反撃のターゲットになって自ら傷つく可能性が大きい。
野党議員として平穏に余生をまっとうしたいような議員にとっては、とんでもなくリスクが高い。
当たり障りのない、通り一遍の政府批判を繰り広げて、リベラル票を確保しておくことのほうが安心安全だ。
「権力は腐敗する」が真実なのであれば、まずは究極に腐敗した安倍政権を倒すこと。
そのためには、安倍官邸のアキレス腱を見極めて、徹底的にそこを攻めること。
スパコン詐欺で補助金環流のキーマンになっていた山口敬之。
その山口がやらかしたレイプ事件をもみ消した警察官僚・中村格。
あきらかに、敵の綻びの発端である。
どこも報じない、山口敬之氏「疑惑」の背後でうごめく権力の闇
2017.12.16 MAG2ニュース
モリカケではあれだけ報道したマスコミが、これだけのスキャンダルに沈黙だ。
国会での追及も、希望の柚木議員が山口や中村の実名を出して追及したが、福島瑞穂議員などは名前を出さなかったりで迫力がない。
安倍官邸のとんでもない腐敗ぶりを明らかにし、「それに替わる勢力がここにいるよ」ということを明確に示すならば、敵の綻びはボロボロと広がっていく。
いったん糸が切れたならば、加計学園問題も、その他の補助金詐欺と安倍への環流システムも、次々と掘り起こされていくだろう。
もちろん、それだけに敵も必死だ。
どんなに有ること無いことスキャンダルを流されようと、でっち上げで逮捕されようと、追及する根性があるかどうか。
そして、その「結果」を政権交代につなげる覚悟があるかどうか。
腐敗しているものを、徹底して追い落とし、とって替わること。
私は野党の価値は、そこにあると思っている。
リベラルか保守か なんてどうでもいい。
そして、自らがひどく腐敗したら、潔く追い落とされたらいいのだ。
腐敗したら交代する。
腐敗したら倒される。
そのような政治文化を創り、善悪とは別に政権交代を繰り返していくことができれば、致命的に悪い、つまり多くの人が生きていけないような政権を作り出さずにすむのではないだろうか。
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