2017-11-26(Sun)
なぜ選挙で勝てないのか
2007年と2009年の2回を除いて、ず~~~~と選挙には負け続けている。自公は圧倒的に勝っている。
森友&加計問題という首相の超弩級疑獄がありながら、並み居る閣僚の不祥事がありながら、それでも自公は2/3をとってしまった。
何でなんだろう。
とっっても多くの人たちが、何でなんだろうと考えた。
ボクも必死に考えた。
いろんな意見を見聞きしても、自分でもあれこれ考えても、どこかしっくりしなかった。
何が違うのか、なかなかわからなかった。
不完全燃焼のイライラの中で、たまたま古本屋で買った塩野七生の「ローマは一日にして成らず」を読んでいた。
今までなんとなく敬遠していた塩野七生、なんとなんとめちゃくちゃ面白い。
読み進める中で、ふと気がついた。
時代の主導権を握るのは、経済の主役になった階層だと言うこと。
もはや社会の主役では無くなった階層が握りしめている政治権力を、新たに主役になった階層が取って代わる。
もちろん こんなことはマルクスの時代から指摘されてきたことで、目新しいことではない。
しかし、こんな当たり前のことに、政権交代を目指しながら敗れ続けてきた人たちが(私も含めて)誰も注目していなかったのだ。
なぜかと思うに、これもやはりマルクスの影響なのだろう。
マルクスは、最後の最後に、労働者階級だけは、経済の主役になる前に革命で政治権力を握るとしている。
負けても負けでも、なぜか平気でいられるのは、たぶんこのマルクスの呪文が頭のどこかにあるからなのではないか。
■
ふりかえってまず気がつくのは、政権交代を目指しているといいながら、その主体がはっきりしていない。
逆に言えば、引きずり下ろす相手も正確に把握していない。
マルクスの時代ならば、絶対王制や貴族階級に対してブルジョアジー(資本家)が取って代わり、そのブルジョアジーに対して労働者が取って代わる、と言う図式である。
50年くらい前までは、日本でもそれが当たり前の階級史観として通用していた。
ところが、待てど暮らせど労働者階級が取って代わる兆しはなく、そうこうしているうちに本家ソ連が無くなってしまった。
もはや「階級史観」なんて言うだけでアナクロニズムか博物館の展示かのように思われてしまう。
しかし、外れたのは最後の、プロレタリアート(労働者)がブルジョアジーに取って代わる、と言う部分だけであって、それ以前は経済的に主役になった階級が旧階級から政治権力を奪ってきたことは間違いない。
労働者階級は未だに経済的な主役ではなく、主役にならない階級は政治権力を奪うことができない、という現実があるだけだ。
政権交代とは、選挙という手段をつかった政治権力の奪取である。
政治権力を奪え、と言う以上は、その主体がはっきりしていなければならない。
漠然と、なんとなく安倍ちゃんイヤだから政権交代、と言っても通用しないのである。
マルクスは「バンコクの労働者 団結せよ」と訴えたが、残念ながら通用しなかった。
では、今現在の日本で、政権交代を目指すのは、その力を持っているのは、いったいどの階層なのか。
■
よく使われる言葉に、「市民」というのがある。リベラルが好む用語だ。
このへんの用語のことは、5年前に書いたのでリンクを張っておく。
国民、人民、市民、大衆、民衆 なんでもいいけど、生きてる人間の生活が第一
日本で生きている人びとにとって、自分たちを集合的に言い表す言葉が、実は無いということをご存じだろうか。
英語ならば、さしずめ PEOPLE にあたる言葉が、日本にはない。
市民というのもよく聞く。誤解を恐れず有り体に言えば、お行儀のいい都会のホワイトカラーやインテリ層を想定しているようで、これまたとっても使いにくい。言葉のそもそもの意味からして、市は都市の市であり、第一次産業とはなじみがよくない。
もっと言うと、 PEOPLE は例えば受刑者だって除外されないが、市民はどうだろうか。
(引用以上)
政権交代を目指す陣営の中にも、私に限らず「市民」という言葉に良いイメージを持っていない人は結構いる。
そもそもは、貴族に対して平民であるブルジョアジーを市民といったのである。ギリシャやローマの市民もしかりで、そもそも政治権力から阻害されている奴隷や労働者の系譜に属する人々は、市民には含まれない。
このような、結局誰のことを指しているのか、誰が排除されているのか、曖昧な用語は、政権を目指す階層を規定するのには適さない。
■
では先に、今の政治権力を握っているのは、どの階層なのか、を考えてみよう。
日本の大資本家だろうか。
江戸時代から続く三井、三菱など、後発の鮎川(日産・日立)やトヨタ、ごく最近のソフトバンクなど、大資本家もけっこう様々だが、たしかに、大資本家の力は大きい。
しかし、神戸製鋼に始まる一連の日本を代表する企業の不祥事が明らかになるなど、大資本も万能では無い。
とくに、さまざまな優遇をうけている彼らにとって、頭の上がらない存在がある。それは、巨大な官僚機構だ。
大資本が大資本でいられるのは、金の力ももちろんだが、官僚機構による巧妙な優遇が隅々まで行き届いているからだ。
官僚は護送船団の船長なのである。
その官僚も、絶対に逆らえない権力が、戦後の日本には厳然と存在する。
それは、言うまでも無く米国の存在だ。
正規の米国政府のルートのみならず、ジャパンハンドラーズと言われる米国の権威をまとったロビイストが、日本の官僚機構の上位に君臨してきた。
それは、役所だけでなく、自衛隊から、司法から最高裁判所まで、徹底されていたことは、すでに孫崎享さんや矢部宏治さんの著書で明らかになっている。
では、米国ロビイストの後ろ盾は米国政府なのかというと、そうではない。
米国政府をすら使嗾(しそう=悪事を指図)する存在がある。
それこそが、ウォールストリートを発信源とする巨大金融資本である。
その巨体は世界中のタックスヘイブンに安住し、頭脳はウォールストリートや英国のシティで働いているウルトラ金融資本。
何も生産せず、資本主義的な投資すらせず、襲いかかっては奪い取ることだけを生業とするハゲタカ金融資本。
その悪魔の所行を正当化するために、フリードマンの学説をネジクリ回して新自由主義なるものを世界中に押しつけた。
ウルトラ金融資本と、その行動原理である新自由主義は、資本主義では無い。
資本を投下して、生産し、搾取するのが資本主義であるならば、生産すらしない新自由主義は資本主義では、断じてない。
ちなみに、軍需産業でも何でも良いから 資本主義に戻そうとしてあがいているのがトランプなのだが、この話はまた別にしよう。
この巨大な、国籍すら無いマネーと、それを操る新自由主義の使い手たちこそが、米国政府も日本に対する米国ロビイストも日本の官僚機構をも動かしている。
米国政府もまた、巨大資本の被害者だ。やりたい放題のあげくリーマンショックを引き起こし、その尻拭きをすべて米国政府に押しつけ、あまりの負担の大きさにその下請けを日本政府に押しつけた。
アベノミクスと異次元緩和も、集団的自衛権や安保法制も、働き方改革も、公費の負担増も、外国へのバラマキも、すべてこの構図によって行われている。
安倍晋三の考えとか判断など、そこには存在しない。彼は言われたとおり、ハイハイと言っているだけだ。
こうして見ると、巨大金融資本と、その意を受けた官僚機構が、どうやら日本の支配階層なのではないかという実態が見えてくる。
■
新自由主義が日本を襲来し始めてから30年間、日本はどんどん衰退していった。
株価と配当だけが跳ね上がりながら、足下では貧困が口を開けて待っている国になってしまった。
この国で、巨大資本に対抗し、力を持ちうる階層、勢力なんてあるのだろうか。
可能性はいくつかある と私は思っている。
ひとつは、Re労働組合 である。
もう一度労働組合。これまでと観点の違う労働組合。
今の日本がかろうじてやっていけるのは、労働者(被雇用者でもサラリーマンでもいい)が、だんだん悪化していく環境を我慢して働いているからだ。日本企業の好況は、労働者の相対的低賃金労働のおかげだ。
労働者が低賃金で、金持ちを養ってやっているのである。
ところが、頭の中は半分江戸時代のままの日本では、金持ち=偉い人だと勘違いして、ついつい遜(へりくだ)ってしまう。
安月給→会社の増益→株価アップ→配当アップ→金持ちウハウハ という仕組みを自覚して、実は俺たちが支えているんだという層としての意識を厚く作り上げる必要がある。
それは、一人一人がバラバラではできない。目先の浮き沈みに目を奪われて、大きな観点を持つことはとても困難だ。
集団としての意識をもつこと、そのための集団として、労働組合をもう一度復活させることが重要だ。
いままでのような会社別とか産別ではなく、地域ごとの主体としての労働組合を作り上げていくことは、新しい主役を生み出していくことになるだろう。
これは、逆側からも証明されている。80年代に新自由主義が乗り込んできたときに、真っ先にやったのが国鉄分割民営化であり、それによる労働組合の解体や無力化だったのだから。
もうひとつは、中小企業だ。
日本の産業の7割を支える中小企業。
足下という意味では、ほぼ全体を支える中小企業。
中小企業が見捨てたら、大企業は一日として保たない。
そのことは図らずしも震災のときに明らかになった。下請け会社が被災すると、大企業はもろくも停止する。
普段は偉そうに振る舞っている大企業は、実は中小企業の献身に支えられているのである。
しかし、元請けの発注が止まれば倒産の危機に陥る中小企業は、元請けに逆らうことができない。
要するに、どちらも止められたら困るのだが、資金力に勝る大企業が、常に優位にあるということだ。
実は私自身が日々実感していることでもある。
私は個人事業主という最小の事業体として、木の家の設計や構造計算をしている。構造計算は下請けで、知人の設計事務所や中堅のディベロッパーから仕事を請けている。
首都圏だけは好景気だから、構造計算の技術者は不足していて、声をかければ仕事の量はかなりある。
しかし、安い。
あの「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」という家康の言葉を思い出す。どうしても無理というわけではないが、「もうギリギリや」というピンポイントを突いてくる。
それでも仕事が無いと困るから、やらざるを得ない。
下請け事務所が手を組んで、一斉に設計料のアップを申し入れれば効果はあるだろうが、なにせお互いに存在すら知らない。
下請けがバラバラであること、ここが大企業の作戦である。
つまり、産別に組織すべきは、労働組合よりはむしろ下請けの中小企業だ。
三つ目は、心ある国内資本家の受け皿をつくること。
ここまでは、直接は日本の資本家と労働者や中小企業との対決の話だった。前段で話した巨大金融資本と対決するためには、ここで内紛をしていていいのか、と言う話もある。
資本家の団体と言えば経団連とか関経連とか、まんま自民党の応援団しかない。
が、これだけ金融資本の言いなりになっているからには、大資本のなかにも不満をもつものが出てくるはずだ。
どちらかといえばリベラルではなく国粋派のなかから出てくる可能性も高い。
そうした人たちが集う場が必要だ。
米国の下請けはもうゴメンだ。
何も作らない不健全なマネーゲームはいらない。
そいういう本来の資本家の精神をもった人たちは、潜在的にはかなり居るはずだと思う。
糾合する主体の無い今は、嫌韓嫌中に近づいたり、日本会議に寄り道したりしているけれども、本来の敵が明確になれば、かなりの力になるだろう。
■
以上、地域の労働組合、産別の中小企業組合、健全な資本家の団体。この三つの連合体が、これから日本の政権を狙っていく主体であると思っている。
残念ながら、今はどれも存在しない。存在しないから、選挙では負ける。負けるように、組織を壊されてきたということでもある。
まずは、このような中長期の戦略を練りながら実践にとりくんでいく組織からだ。
それは党という名前なのか何なのかわからないが、狭小な視野を捨て、目先の戦術論にとらわれず、口だけで無く体を動かす集団。
その主体を構想することから始めなければならないだろう。
歴史には、100年が1年で過ぎる瞬間がある。
あまりにも遠い道に見えたとしても、あきらめないことだ。
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森友&加計問題という首相の超弩級疑獄がありながら、並み居る閣僚の不祥事がありながら、それでも自公は2/3をとってしまった。
何でなんだろう。
とっっても多くの人たちが、何でなんだろうと考えた。
ボクも必死に考えた。
いろんな意見を見聞きしても、自分でもあれこれ考えても、どこかしっくりしなかった。
何が違うのか、なかなかわからなかった。
不完全燃焼のイライラの中で、たまたま古本屋で買った塩野七生の「ローマは一日にして成らず」を読んでいた。
今までなんとなく敬遠していた塩野七生、なんとなんとめちゃくちゃ面白い。
読み進める中で、ふと気がついた。
時代の主導権を握るのは、経済の主役になった階層だと言うこと。
もはや社会の主役では無くなった階層が握りしめている政治権力を、新たに主役になった階層が取って代わる。
もちろん こんなことはマルクスの時代から指摘されてきたことで、目新しいことではない。
しかし、こんな当たり前のことに、政権交代を目指しながら敗れ続けてきた人たちが(私も含めて)誰も注目していなかったのだ。
なぜかと思うに、これもやはりマルクスの影響なのだろう。
マルクスは、最後の最後に、労働者階級だけは、経済の主役になる前に革命で政治権力を握るとしている。
負けても負けでも、なぜか平気でいられるのは、たぶんこのマルクスの呪文が頭のどこかにあるからなのではないか。
■
ふりかえってまず気がつくのは、政権交代を目指しているといいながら、その主体がはっきりしていない。
逆に言えば、引きずり下ろす相手も正確に把握していない。
マルクスの時代ならば、絶対王制や貴族階級に対してブルジョアジー(資本家)が取って代わり、そのブルジョアジーに対して労働者が取って代わる、と言う図式である。
50年くらい前までは、日本でもそれが当たり前の階級史観として通用していた。
ところが、待てど暮らせど労働者階級が取って代わる兆しはなく、そうこうしているうちに本家ソ連が無くなってしまった。
もはや「階級史観」なんて言うだけでアナクロニズムか博物館の展示かのように思われてしまう。
しかし、外れたのは最後の、プロレタリアート(労働者)がブルジョアジーに取って代わる、と言う部分だけであって、それ以前は経済的に主役になった階級が旧階級から政治権力を奪ってきたことは間違いない。
労働者階級は未だに経済的な主役ではなく、主役にならない階級は政治権力を奪うことができない、という現実があるだけだ。
政権交代とは、選挙という手段をつかった政治権力の奪取である。
政治権力を奪え、と言う以上は、その主体がはっきりしていなければならない。
漠然と、なんとなく安倍ちゃんイヤだから政権交代、と言っても通用しないのである。
マルクスは「バンコクの労働者 団結せよ」と訴えたが、残念ながら通用しなかった。
では、今現在の日本で、政権交代を目指すのは、その力を持っているのは、いったいどの階層なのか。
■
よく使われる言葉に、「市民」というのがある。リベラルが好む用語だ。
このへんの用語のことは、5年前に書いたのでリンクを張っておく。
国民、人民、市民、大衆、民衆 なんでもいいけど、生きてる人間の生活が第一
日本で生きている人びとにとって、自分たちを集合的に言い表す言葉が、実は無いということをご存じだろうか。
英語ならば、さしずめ PEOPLE にあたる言葉が、日本にはない。
市民というのもよく聞く。誤解を恐れず有り体に言えば、お行儀のいい都会のホワイトカラーやインテリ層を想定しているようで、これまたとっても使いにくい。言葉のそもそもの意味からして、市は都市の市であり、第一次産業とはなじみがよくない。
もっと言うと、 PEOPLE は例えば受刑者だって除外されないが、市民はどうだろうか。
(引用以上)
政権交代を目指す陣営の中にも、私に限らず「市民」という言葉に良いイメージを持っていない人は結構いる。
そもそもは、貴族に対して平民であるブルジョアジーを市民といったのである。ギリシャやローマの市民もしかりで、そもそも政治権力から阻害されている奴隷や労働者の系譜に属する人々は、市民には含まれない。
このような、結局誰のことを指しているのか、誰が排除されているのか、曖昧な用語は、政権を目指す階層を規定するのには適さない。
■
では先に、今の政治権力を握っているのは、どの階層なのか、を考えてみよう。
日本の大資本家だろうか。
江戸時代から続く三井、三菱など、後発の鮎川(日産・日立)やトヨタ、ごく最近のソフトバンクなど、大資本家もけっこう様々だが、たしかに、大資本家の力は大きい。
しかし、神戸製鋼に始まる一連の日本を代表する企業の不祥事が明らかになるなど、大資本も万能では無い。
とくに、さまざまな優遇をうけている彼らにとって、頭の上がらない存在がある。それは、巨大な官僚機構だ。
大資本が大資本でいられるのは、金の力ももちろんだが、官僚機構による巧妙な優遇が隅々まで行き届いているからだ。
官僚は護送船団の船長なのである。
その官僚も、絶対に逆らえない権力が、戦後の日本には厳然と存在する。
それは、言うまでも無く米国の存在だ。
正規の米国政府のルートのみならず、ジャパンハンドラーズと言われる米国の権威をまとったロビイストが、日本の官僚機構の上位に君臨してきた。
それは、役所だけでなく、自衛隊から、司法から最高裁判所まで、徹底されていたことは、すでに孫崎享さんや矢部宏治さんの著書で明らかになっている。
では、米国ロビイストの後ろ盾は米国政府なのかというと、そうではない。
米国政府をすら使嗾(しそう=悪事を指図)する存在がある。
それこそが、ウォールストリートを発信源とする巨大金融資本である。
その巨体は世界中のタックスヘイブンに安住し、頭脳はウォールストリートや英国のシティで働いているウルトラ金融資本。
何も生産せず、資本主義的な投資すらせず、襲いかかっては奪い取ることだけを生業とするハゲタカ金融資本。
その悪魔の所行を正当化するために、フリードマンの学説をネジクリ回して新自由主義なるものを世界中に押しつけた。
ウルトラ金融資本と、その行動原理である新自由主義は、資本主義では無い。
資本を投下して、生産し、搾取するのが資本主義であるならば、生産すらしない新自由主義は資本主義では、断じてない。
ちなみに、軍需産業でも何でも良いから 資本主義に戻そうとしてあがいているのがトランプなのだが、この話はまた別にしよう。
この巨大な、国籍すら無いマネーと、それを操る新自由主義の使い手たちこそが、米国政府も日本に対する米国ロビイストも日本の官僚機構をも動かしている。
米国政府もまた、巨大資本の被害者だ。やりたい放題のあげくリーマンショックを引き起こし、その尻拭きをすべて米国政府に押しつけ、あまりの負担の大きさにその下請けを日本政府に押しつけた。
アベノミクスと異次元緩和も、集団的自衛権や安保法制も、働き方改革も、公費の負担増も、外国へのバラマキも、すべてこの構図によって行われている。
安倍晋三の考えとか判断など、そこには存在しない。彼は言われたとおり、ハイハイと言っているだけだ。
こうして見ると、巨大金融資本と、その意を受けた官僚機構が、どうやら日本の支配階層なのではないかという実態が見えてくる。
■
新自由主義が日本を襲来し始めてから30年間、日本はどんどん衰退していった。
株価と配当だけが跳ね上がりながら、足下では貧困が口を開けて待っている国になってしまった。
この国で、巨大資本に対抗し、力を持ちうる階層、勢力なんてあるのだろうか。
可能性はいくつかある と私は思っている。
ひとつは、Re労働組合 である。
もう一度労働組合。これまでと観点の違う労働組合。
今の日本がかろうじてやっていけるのは、労働者(被雇用者でもサラリーマンでもいい)が、だんだん悪化していく環境を我慢して働いているからだ。日本企業の好況は、労働者の相対的低賃金労働のおかげだ。
労働者が低賃金で、金持ちを養ってやっているのである。
ところが、頭の中は半分江戸時代のままの日本では、金持ち=偉い人だと勘違いして、ついつい遜(へりくだ)ってしまう。
安月給→会社の増益→株価アップ→配当アップ→金持ちウハウハ という仕組みを自覚して、実は俺たちが支えているんだという層としての意識を厚く作り上げる必要がある。
それは、一人一人がバラバラではできない。目先の浮き沈みに目を奪われて、大きな観点を持つことはとても困難だ。
集団としての意識をもつこと、そのための集団として、労働組合をもう一度復活させることが重要だ。
いままでのような会社別とか産別ではなく、地域ごとの主体としての労働組合を作り上げていくことは、新しい主役を生み出していくことになるだろう。
これは、逆側からも証明されている。80年代に新自由主義が乗り込んできたときに、真っ先にやったのが国鉄分割民営化であり、それによる労働組合の解体や無力化だったのだから。
もうひとつは、中小企業だ。
日本の産業の7割を支える中小企業。
足下という意味では、ほぼ全体を支える中小企業。
中小企業が見捨てたら、大企業は一日として保たない。
そのことは図らずしも震災のときに明らかになった。下請け会社が被災すると、大企業はもろくも停止する。
普段は偉そうに振る舞っている大企業は、実は中小企業の献身に支えられているのである。
しかし、元請けの発注が止まれば倒産の危機に陥る中小企業は、元請けに逆らうことができない。
要するに、どちらも止められたら困るのだが、資金力に勝る大企業が、常に優位にあるということだ。
実は私自身が日々実感していることでもある。
私は個人事業主という最小の事業体として、木の家の設計や構造計算をしている。構造計算は下請けで、知人の設計事務所や中堅のディベロッパーから仕事を請けている。
首都圏だけは好景気だから、構造計算の技術者は不足していて、声をかければ仕事の量はかなりある。
しかし、安い。
あの「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」という家康の言葉を思い出す。どうしても無理というわけではないが、「もうギリギリや」というピンポイントを突いてくる。
それでも仕事が無いと困るから、やらざるを得ない。
下請け事務所が手を組んで、一斉に設計料のアップを申し入れれば効果はあるだろうが、なにせお互いに存在すら知らない。
下請けがバラバラであること、ここが大企業の作戦である。
つまり、産別に組織すべきは、労働組合よりはむしろ下請けの中小企業だ。
三つ目は、心ある国内資本家の受け皿をつくること。
ここまでは、直接は日本の資本家と労働者や中小企業との対決の話だった。前段で話した巨大金融資本と対決するためには、ここで内紛をしていていいのか、と言う話もある。
資本家の団体と言えば経団連とか関経連とか、まんま自民党の応援団しかない。
が、これだけ金融資本の言いなりになっているからには、大資本のなかにも不満をもつものが出てくるはずだ。
どちらかといえばリベラルではなく国粋派のなかから出てくる可能性も高い。
そうした人たちが集う場が必要だ。
米国の下請けはもうゴメンだ。
何も作らない不健全なマネーゲームはいらない。
そいういう本来の資本家の精神をもった人たちは、潜在的にはかなり居るはずだと思う。
糾合する主体の無い今は、嫌韓嫌中に近づいたり、日本会議に寄り道したりしているけれども、本来の敵が明確になれば、かなりの力になるだろう。
■
以上、地域の労働組合、産別の中小企業組合、健全な資本家の団体。この三つの連合体が、これから日本の政権を狙っていく主体であると思っている。
残念ながら、今はどれも存在しない。存在しないから、選挙では負ける。負けるように、組織を壊されてきたということでもある。
まずは、このような中長期の戦略を練りながら実践にとりくんでいく組織からだ。
それは党という名前なのか何なのかわからないが、狭小な視野を捨て、目先の戦術論にとらわれず、口だけで無く体を動かす集団。
その主体を構想することから始めなければならないだろう。
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