1995年1月17日火曜日の早朝、ニュース映像を見た時の衝撃は鮮烈に覚えています。大きな自然災害を経験したことがない私にとって、日本は災害大国なのだとあらためて思い知るきっかけとなりました。この震災を心に刻もうと、その後、神戸の震災モニュメントや、神戸港震災メモリアルパークや、神戸の慰霊と復興のモニュメントや淡路島の野島断層保存館などを訪れて感想を拙ブログに上梓しました。よろしければご照覧ください。 そして亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災地の復興を心より祈念いたします。 さて私たちにできること、すべきことは何か。これほど大きな犠牲と被害があったのは何故か、政治・経済・社会のシステムに瑕疵はなかったのかについてしっかりと調査や分析をすることです。そしてそれを教訓としてシステムを改善して対策をたてること。また被災者や被災地に対する復興の支援等は十全であったのか。以上の諸点を東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)や能登半島地震(2024)について検証し、対策や改善にフィードバックしていく。この永遠の繰り返しが、災害大国・日本の宿命だと考えます。 そういう視点で阪神・淡路大震災をふりかえると、政府や自治体の対応や対策はきわめて不十分であると言わざるを得ません。残念なことにこうしたポイントについてきちんと取り上げるメディアはたいへん少ないのですが、『しんぶん赤旗』(25.1.17)が二つの記事でまとめてくれています。ぜひ紹介します。 【きょうの潮流】 「スフィア基準」の"ス"の字もない避難所の劣悪さは、能登半島地震に至るまでほとんど変わっていないようです。ようやく石破首相がこの基準に言及するようになり、防災庁設置構想を打ち出していますが予断は許せません。前者については未知数ですし、後者については初期対応の改善だけで生活再建へのサポートがないとの指摘もあります(「新婦人しんぶん」[25.1.18]・岡田知弘氏)。 住民の意向を無視しての再開発の強行は、ナオミ・クライン氏言うところの「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」そのものです。そう、「ショック・ドクトリン」とは、戦争やクーデター、テロ攻撃、市場の暴落あるいは自然災害といった大惨事に襲われた後、人々がショック状態に陥ったことにつけ込んで、大企業に有利な過激な経済改革を強行する手法のことです。明け透けに言えば、被災者の生活再建よりも金儲けが大事だということですね。 その根幹には、「国益やお金や権力のために住民が犠牲になってもかまわない」という棄民政策があると思います。そして少数与党となった自民党政権がその姿勢を改める気配はありません。よって今後予想される南海トラフ地震でも首都直下型地震でも同じことが繰り返されるでしょう。劣悪な避難所と仮設住宅、被災者を犠牲にしての再開発、生活再建に対する無関心。またにわかに可能性が高まった戦争勃発に際しても、同じような棄民政策がとられることでしょう。 なぜこんなことが続くのか。結局、自然災害や戦争や公害やコロナ禍といった危機的事態をきちんと検証せず、教訓にもせず、それに対する政治家・官僚の責任を多くの方々が見逃してきたからでしょう。 アメリカのジャーナリスト・アンカーマン、エドワード・R・マローに「羊の国家は狼の政府を生む」という言葉がありますが、多くの方々がこれからも羊のように唯々諾々と自民党政権を支持すれば、狼は何度でも牙を剥きます。 みんなで狼になりませんか。 #
by sabasaba13
| 2025-01-17 16:23
| 鶏肋
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「歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会」、前半の石田正人氏に続いて、後半は『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)の著者である安田浩一氏の講演です。まずレジュメの項立ては下記の通りです。 社会を壊す「歴史否定とヘイトスピーチ」を許さない 以下、私の文責で講演の内容をまとめてみます。 はじめに~ 坑口を開けろ!-「長生炭鉱」をめぐる市民団体の闘い 海から突き出す二本のピーヤ(排気口)が印象的な海底炭鉱の長生(ちょうせい)炭鉱。 【筆者注】「ヒロシマ平和メディアセンター」というサイトにピーヤの写真が掲載されています。 当時の保安法では、安全のために海底から40m以上深いところで石炭を掘らないといけない。しかし長生炭鉱は30m、安全性を無視して安上がりにつくられていた。そして安上がりの労働力である朝鮮人を酷使した。安全性を無視して生産をあげ、コストのために坑夫に死を強いたのである。危険なので炭坑夫は朝鮮人が中心で「朝鮮炭鉱」と呼ばれた。1942年2月3日、天井部分が落盤、浸水。これを「水非常」と言う。183人が犠牲となるが、そのうち朝鮮人・中国人が136人。戦時中、日本のインフラ建設を担わされたのは朝鮮人・中国人であった。戦後、殉難碑がつくられたが、「朝鮮人」「強制連行」の文言はなかった。それでは不十分だと、市民有志が「強制連行」と刻んだ慰霊碑を建立。皆で大喜びし、祝賀会に韓国から遺族を招いた。感謝の言葉を期待していたが、「骨はないのですか」と言われて冷水を浴びたような衝撃を受ける。そして遺骨を回収する決意を固めたのである。採炭は国策事業であり、遺骨の回収は当然国の責務である。しかし国にかけあうが動かない。「骨があるかどうかわからない、見えないものに金は出せない」というのがその理由であった。井上洋子代表は切れ、「自分たちでやる」決意。寄付を募って遺骨回収に取り組むが難行した。重機を使って坑口を探し、なんと昨日(※9月26日)発見できた。骨を見つけて国を動かしたい。 「なぜ30年間も活動を続けてきたのか」と井上氏に問うと、「責任だから。日本社会に生きている者としての責任があるから」という答え。この国や政府にもっとも欠けているのが「責任」。責任をとろうとする市民は、国の誇り。無責任がデマやヘイトスピーチや歴史の否定を生む。 はじめに~ デマが招いたクルド人ヘイト 埼玉県川口市におけるクルド人へのヘイトが激化している。社会の体温とも言うべきSNSには下記のような書き込みがある。 都心から北に遊びに行くときは、かならず刃先ギザギザにしたシークレットナイフ持ち歩いてる。いつでもクルド人や中国人と喧嘩出きるように。 一番最後の事例は、幼い少女を盗撮して万引きをでっち上げた悪質なものである。このSNSは600万回以上閲覧されている。見つけたのはこの少女の中学生の姉。毎日SNSを見て、クルド人へのデマ等をチェックしている。楽しいはずの中学校生活なのに、こうしたところまで追い込むのは許し難い。その後、クルド人へのヘイトデモが、彼女の通う中学校前に押し寄せて彼女の名前を怒号した。絶対に許せない。 なぜ「クルド人排斥」なのか。90年代末からクルド人住民が増加した。現在、日本にいるクルド人は約3000人。そのうち約2000人が関東地方南部で暮らす。難民に対する無理解、差別、偏見がその原因である。しかし、クルド人ヘイトが流布されたのは1年前から。それまでクルド人はまったく関心を持たれなかった。 【筆者注】 2022年に、埼玉県に住むクルド人一家を描いた『マイスモールランド』という映画を観ましたが、激しいヘイトのシーンはありませんでした。 1年前、入管法改悪に対して取材に応じたクルド人が苦難の声をあげた。それをきっかけにクルド人への反発や非難が急増した。もともとは西川口一帯は県内有数の歓楽街、「NH(西川口)流」と呼ばれ数千円で性交が行われていた。市が歓楽街を整理すると中国人が移り住むようになり、中国人ヘイトがはじまった。しかしクルド人ヘイトが始まると中国人ヘイトはなくなった。 おとなしく従順な社会的弱者は許容する。しかし自己や権利を主張する、物を言う社会的弱者はヘイトの対象となる。「マイノリティはマイノリティらしくふるまえ」という差別意識。 1、「地震と虐殺」-なぜ殺したのか。殺されたのか。殺させたのか。 震災直後、政府が自らデマを飛ばしていた。 1923年9月3日、海軍東京無線電信所船橋送信所を通して、内務所(ママ)警保局長(当時の治安トップ)は各地方長官宛に電文を送付。 埼玉県内務部による通牒文(1923.9.2) 四ツ木橋での虐殺を証言した伴淳三郎。 「阿鼻叫喚の地獄絵図だった」 「朝鮮人を殺す」ではなく「朝鮮人を壊す」という表現に注目したい。襲撃に使われた鳶口は、破壊消防のための道具。それを使って朝鮮人を、さらには社会を壊した。今は、言葉とSNSを使って社会を壊している。 「地震の混乱」が虐殺を招いたのか? ちがう。震災の前年の1922年にすでに朝鮮人虐殺事件が起きていた。新潟県中津川の信越電力工事現場で、大倉組(事件当時は日本土木、大成建設の前身)による朝鮮人労働者虐殺が起こされていた。朝鮮人を殺す準備はできていた。 中には、こうした虐殺に対して深甚なる反省をした人物もいた。 東京市社会教育課長 大迫元繁 しかし日本人は、"根本的に生れ代つて出直"すことができなかった。 いまだに、こうした事実を否定する人たち。 ・「虐殺は嘘であります。まったく根拠がない。不逞鮮人が略奪、強姦などをした」 朝鮮人に対して害を加える人たち。 ウトロ地区「放火犯」の裁判における証言 【Q&A】 Q.「強制連行」と記された長生炭鉱碑への攻撃はないのか? A.今のところない。私有地なので非難のしようがない。 Q.「③右往左往する松代大本営案内板」とはどういうことか? A.当初は「強制的に動員され」という文言だったが、批判を受けて「強制的に」の上に白いガムテープを貼って隠した。それに対して逆批判があったので「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります」という曖昧な表現に改変した。 Q.ヘイトスピーチをするのは、どういう人たちか? A.わからない。老若男女さまざまな人がおり、共通点はない。ただ社会的弱者すべてを差別するようだ。その際に、ものを言うマイノリティ、自己や権利を主張するマイノリティへの攻撃が激しい。逆に、おとなしく従順なマイノリティであれば許容する。「マイノリティなら、マイノリティらしく振る舞え」と強要する。 A.ヘイトスピーチを禁止する法律はないのか? Q.「ヘイトスピーチ解消法」があるが、理念法なので罰則がなく、効果はほとんどない。川崎市のように、罰則をつけた条例で規制しようとする自治体が増えている。罰則をともなった法律を制定すべきである。なおヘイトスピーチは表現の自由であるとする主張もあるが、そうではない。最も表現の自由を奪われているのは差別されている側なのだということを、忘れてはいけない。 A.カウンターについてどう思うか? Q.差別を許さず過去の歴史を忘れないということさえ押さえれば、それぞれの仕方で行ういろいろなカウンターがあっていいと思う。 最後に一言。過去の歴史を否定すれば差別と偏見がはびこり、その差別と偏見が殺戮につながる。『地震と虐殺 1923-2024』執筆のための取材をしている間、私はずっと心の中で「殺すな、殺されるな、殺させるな」と唱え続けた。 以上、拙い要約でした。過誤等は全て私の責任です。時間の関係で後半についてのお話を聞けなかったのが残念でしたが、安田氏の思いは十二分に伝わってくるものでした。 一番心に残ったのは、差別の醜悪さです。関東大震災時における虐殺、クルド人に対する言葉の暴力。なぜこうした醜悪な行為を平然と行えるのでしょうか。思うに、当時も今も、生活や将来に対する不安やストレスを解消するためではないでしょうか。朝鮮人と劣った存在として、日本人を優れた存在として位置づけ、根拠のない優越感を得る。そして劣ったと見なした人びとを攻撃し、痛めつけ、最悪のケースでは殺すことによって、不安やストレスを解消する。そう考えました。その不安やストレスは朝鮮人やクルド人のせいではなく、政界・財界がつくったシステムが原因であることに気づかないのですね。 もう一つ考えたのは、日本政府の無責任さです。長生炭鉱内の遺骨収集に消極的で、クルド人へのヘイトスピーチを規制せず、関東大震災時の虐殺にも無関心な日本政府。まるで過ちを繰り返しても仕方がないと開き直っているようです。同時に、差別を黙認する態度にも疑問を持ちます。なぜ包括的な差別禁止法を制定せず、独立した人権救済機関を設立しないのか。推測するに、差別を禁止した結果、私たちが連帯して政府に抗うことを恐れているのだと思います。差別を黙認することによって私たちを分断し、無力で従順な存在として支配する。 これに対して、過ちに対して責任をとろうとする市民たちの動きには感銘を受けました。長生炭鉱内の遺骨収集のために尽力し、寄付を募り、政府を動かそうとする井上洋子代表の言葉が耳朶に残ります。 日本社会に生きている者としての責任があるから。 #
by sabasaba13
| 2025-01-16 07:30
| 講演会
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講演会の嬉しいところは、いろいろな講演会のチラシが手に入ることです。『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)の著者、安田浩一氏の講演会が開かれることもある講演会でいただいたチラシで知りました。また先日撤去されてしまった、群馬県における強制連行による朝鮮人犠牲者を追悼する碑を守る会の石田正人の報告もあるとのことです。これはぜひお話を伺ってみたい。 というわけで先日、石神井区民交流センターに行き、「歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会」に参加してきました。主催は、「ヘイトスピーチを許さない・練馬/練馬教育問題交流会」、チラシの紹介文を転記します。 いま、加害の歴史を否定する動きが強まっています。各地にある加害の歴史を刻んだ追悼碑や案内文、教科書などがターゲットになっています。群馬県による「群馬の森」朝鮮人追悼碑の撤去、小池東京都知事による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文送付取りやめなどの官製ヘイト、レイシストグループが煽るクルド人などマイノリティへのヘイトなど、官民あげての差別煽動は、100年前の朝鮮人虐殺がたんなる過去の出来事ではないことを示しています。このような状況にどう抗していくのか。安田浩一さんの講演から考えていきます。群馬の森・追悼碑撤去について「守る会」のさんも報告に来てくださいます。ぜひご参加ください。 まず登壇されたのが「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会の石田正人氏で、「群馬の森朝鮮人追悼碑撤去とその後」についての報告です。 拙ブログに以前掲載したのですが、『週刊金曜日』でこの追悼碑の存在を知り、高崎・川越旅行のときに立ち寄ろうとしたのですが、肝心の「群馬の森」に辿り着けずに断念しました。ところが再訪を期してまごまごしている間に、山本一太群馬県知事によって撤去されてしまった次第です。 それでは私の文責でお話をまとめてみます。 2024年1月29日~2月11日、群馬県は群馬の森を閉鎖して、行政代執行により追悼碑を撤去した。本来は「移動」でいいはずなのだが、あえて「破壊」したのである。 そもそも「記憶 反省 そして友好」朝鮮人追悼碑とはどういうものか。それは、戦時中の朝鮮人強制連行・強制労働犠牲者を追悼する碑である。「群馬県立群馬の森」の東の端に位置しており、通行の邪魔になるところではなかった。 ここにはかつて陸軍の岩鼻火薬製造所があった。板橋とならぶ代表的な火薬製造所だった。事故を最小限にするために、小さな工場を分散して配置し、随所に小山を築造した。なお火薬の爆発事故によって日本人労働者も犠牲になったことも忘れてはならない。戦争はかならず犠牲を生む。 1995年、群馬県内で平和運動に携わっていた市民有志らによって「戦後50年を問う群馬の市民行動委員会」が結成された。県内6都市で「侵略戦争写真展」を開催し、以後各地で「平和展」を開催した。 そして群馬県内における朝鮮人強制連行・強制労働の調査に取り組んだのである。委員会として、朝鮮人追悼碑の建立を決意し、2001年6月、群馬県議会に対して「戦時中における労務動員朝鮮人犠牲者の追悼碑建立に関する請願」を提出し、これが全会一致で採択された。そして「記憶 反省 そして友好」朝鮮人追悼碑がつくられ、2004年4月に除幕式が行われた。県知事から「追悼の言葉」が届けられ、沼田市長など自治体代表、南北の民族団体、市民らが参加した。韓国から遺族会も招いた。 碑文は下記の通り。 追悼碑建立にあたって 【筆者注】「TOKYO ART BEAT」というサイトに、碑の写真が掲載されています。なお二つの碑にそれぞれスリットがあり、これらを通すと朝鮮半島の方角となるというお話がありました。「犠牲者に故国の方角を教えてあげたかった」ということです。 以後、毎年追悼集会が行われるが、「強制連行」という発言が政治活動にあたるという指摘は、県側からは全く無かった。 しかし2012年以降、「碑文の内容は事実ではなく、碑は撤去すべきだ」と主張するグループが抗議活動を展開。群馬県(山本一太知事)は、追悼式の集会で「強制連行」への言及があったことを県は問題視し、追悼碑の撤去を決定した。撤去の根拠は、「強制連行」という発言が政治活動にあたるという一事のみである。県有地なので政治活動はしないと約束していた。会としては、撤去を食い止めようと様々な運動や裁判闘争を行ったが、守りきれなかった。 月夜野の地下工場は、朝鮮人によって掘られた。 間組による岩本水力発電所の建設における難工事に強制連行された朝鮮人は約1000人、中国人は606人であった。固い岩盤に朝鮮人がつくらされた長さ15kmの水路橋が今も残る。その過酷な労働環境の様子は、社史「間組百年史」にも記録されている。 「…当時食料は非常に粗悪で、カボチャ、トウモロコシ、サツマイモなどが主食であったが、それすら満足に食べられない慢性的な飢餓状態」 かつて日本が朝鮮人に対して与えた多大の損害と苦痛を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明すること。そして過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていくこと。そのためにも追悼碑は絶対に必要なものである。 【Q&A】 Q.撤去費用はどうなったのか? A.はじめは、嫌がらせのためか2000万円を請求された。その後音沙汰はない。 Q.「守る会」はどうなったのか、また今後の活動予定は? A.追悼碑が撤去されたので「守る会」は解散。しかし寄付を募って同じデザインの追悼碑を再建したい。できるだけ群馬県庁の近くで、さらに碑文には撤去を決めた山本一太群馬県知事の名前を明記したい。 Q.現在、追悼碑のあったところはどうなっているのか? A.更地になっている。そこへ行けばバーチャルで追悼碑を見られるアプリを製作中。 最後にどうしても一言つけくわえたい。「朝鮮人労働者がすべて強制連行ではなかった」という見解もあるし、それは事実だ。ただ当時日本は朝鮮を植民地としており、土地調査事業・漁業令・会社法などで朝鮮人の生業を奪っていった。その結果、朝鮮人は日本に行って低賃金で働かざるを得なかった。巨視的に見ると、これは事実上の「強制連行」である。 以上、拙い要約ですが、私なりにまとめました。過誤等がありましたら全て私の責任です。 お話を聞いて、日本が犯した過ちを真摯に反省し、二度と過ちを繰り返すまいと決意し、アジア諸国と相互の友好と理解を深めていこうとする群馬市民の方々に心から敬意を表します。そして過去の過ちをなかったことにしようとする歴史修正主義者の方々、およびそれに同調する地方行政の方々には、もっと深く考えてほしいと思います。過ちを認めて反省しない国が、周囲から信頼を得られるわけがありません。日本の安全保障にとって最も重要なのは、軍事費を激増することでも、アメリカの*を舐めることでもなく、アジア諸国との友好と信頼関係を築くことにあると確認します。負の歴史から目を逸らす自慰史観は、著しく"国益"に反する考えではないでしょうか。 そして目から鱗が落ちてコンタクトレンズをはめたように視界がクリアになったのが、朝鮮人は、日本による植民地化によって日本に行き低賃金で働かざるを得なかったという指摘です。使い捨てのできる低賃金労働力を確保するために、琉球やアイヌなど国内の植民地化、次にアジアの植民地化を推し進めたという言い方もできますね。近代日本の経済発展を支えた最も大きな要素が、この「使い捨てられる安上がりの労働力」だと気づきました。さらに考えると、労働者を犠牲にして経済を発展させるというこの構造は、高度経済成長期には不可視化されていましたが、バブル崩壊後の経済低迷のなかで再び露呈しているのが現在だと考えます。非正規雇用や外国人技能実習生が典型的な例ですね。もちろん、安価な労働力を使い捨てて経済を発展させるという構造は、かつてはある程度世界共通のものだったのでしょうが徐々に改善されつつあると思います。しかしなぜいまだに日本ではあまり変わらないのか、考えて生きましょう。
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by sabasaba13
| 2025-01-15 07:14
| 講演会
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何かをなすことによって学ぶ。(ジョン・デューイ)
自分自身のアーティストであれ、そして自分のやっていることに常に自信を持て。(アレサ・フランクリン) 最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です。心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているからです。(スティーブ・ジョブズ) ここに放射性廃棄物を埋める。未来の君たちにこのような負の遺産を残すことを本当に申し訳なく思う。我々の科学技術では放射性廃棄物を無害化することはついにできなかった。以下の期間、慎重に管理し続けることを願う。安全レベルの目安、放射性セシウム三〇年、プルトニウム二万四千年、ウラン235七億三八〇〇万年。(『明日のハナコ』 玉村徹) 演劇は言葉やもがきを使って客につかみかかる身体表現です。(鈴江俊郎) 民衆のスポーツへの熱狂、効率よく働く労働者の身体、船倉でしっかり戦う兵士という3側面で、スポーツは権力に都合が良い。(井谷聡子) 「過つは人間の性」こそ、われわれがもっとも熟知している真理である。(チャールズ・サンダース・パース) 議会政治は総ての場合に「総てか、然らずんば無か」の態度を許さぬ。常に妥協であり、譲歩であり、漸進である。(石橋湛山) 日本の学界には禁欲主義みたいなものがあって、学問とはつらいこととみつけたり、ということでないといけないような空気がありますが、私はいやいややる学問にろくなものなしと考えております。(桑原武夫) 戦争は嫌でございます。散らかりますから。(岡本文弥) 一つ、月謝、自由気ままなるべし。 二つ、ともに師、ともに弟子たるべし。 三つ、出欠各自勝手なるべし。(松下村塾の誓い) やらかしても怒る人なんていませんよ、みんなやらかすから。(吉田知那美) #
by sabasaba13
| 2025-01-14 08:02
| 言葉の花綵
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その由緒についての解説を転記します。 この古びた門柱は、大正後期に造成された「新湯ガーデン」という外国人避暑客向けの庭園の入口の門柱でした。 元商店だったような家には、写真とともに、下記の悲しい説明文がありました。今はどうなっているのでしょうか。再建ができるよう祈念します。 当店は7月21日未明に雲仙市水道排水管の爆発的な破裂100トンもの水吹き出し泥とともに店に流入しました 復旧予定が未完で胸を痛めている次第です 皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが只今再建に向けて努力しておりますので何卒よろしくお願いします 以上で散歩は終わり。前述の『ナガサキの郵便配達』(ピーター・タウンゼント SUPER EDITION)に次のような一文がありました。 衝撃的な秘密開示を行い、できれば、自分がその後で花嫁との間に成立させなければならない難しい和解を結ぶために、スミテルが選択できる場所として、これ以上の所はなかった。この小規模な雲仙の観光地は、スコットランドやサセックス、オーストリアやアルプスの湖水地方などのヨーロッパの小さな町に匹敵する場所だった。(※緑屋旅館) (p.209) 過分な称賛にも思えますが、落ち着いた雰囲気の観光地であることには違いありません。近くにあった土産屋で、ナイト・キャップ用の地酒を購入。それにしても風が強い、明日の軍艦島クルーズが欠航になったらどうしよう。
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by sabasaba13
| 2025-01-13 08:12
| 九州
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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