ルパンの涙(その7) - おわりに
※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
エギーユ・クルーズは冒険、波乱の生き方の象徴です。その反対の平穏な生き方の象徴がヒロインといえるでしょう。ルパンはヒロインを選択したものの、波乱の日々との別れを先送りにした結果、おそろしい代償を払うことになります。愛のために涙を流すほどの良心があるなら何故もっと早く行動しなかったのかと言いたくもなるけれど、そんなことを言っても仕方がない。すんなり家庭に収まるにはまだ若すぎるのです。
「(略)わたしがこれまでの冒険生活で味わった、どんな自由気ままなたのしみのどこをさがしたって、わたしに満足しているときの彼女のまなざしがわたしにあたえてくれる喜びに匹敵するものがないんだよ……彼女に見つめられると、わたしは全身から力がぬけるのを感じ……思わず泣きたくなるのだよ……」
ルパンは泣くのだろうか? 涙が彼の目をぬらすのを、ボートルレは直観的に感じた。ルパンの目に涙が、愛の涙が!(岩波P375)
ルパンと出会ったときからヒロインの目が悲しみの色を帯びているのはルパンのせいです。だからこそ、嬉しさをたたえた眼差しにであったときの喜びがいっそう大きいのでしょう。
ところで引用部の後半の原文はこうなっています。
Je me sens tout faible alors... et j'ai envie de pleurer...
Pleurait-il? Beautrelet eut l'intuition que des larmes mouillaient ses yeux. Des larmes dans le yeux de Lupin! des larmes d'amour!
pleurer、Pleuraitと、「泣く」と言う言葉(動詞pleurerの活用形)が連続して使われています。この単語は即ち泣く(pleure)です。暗号解読のときに挙げられた4つの単語は、いずれも並列して使っわれたり、連続して使われたりして強調されている箇所があります。ここも意識して使っていると考えます。
→川、証拠、泣く、空洞の - 奇岩城(4)
"..eu.e"をキーワードと捉えるのは遊びが過ぎると考えるかもしれませんが、私はこれにより出発点は間違ってなかったと思いました。皮肉や嘘で固められたルパンが、最も裸に近い心情を見せるのはやはりここボートルレと二人のシーンだからです。"..eu.e"型の単語は次の箇所が最後だと思います。
「(略)エギーユ・クルーズの冒険は終わったのではないのか?(略)」(岩波P375)
Est-ce que l'aventure de l'Aiguille creuse n'est pas finie?
エギーユ・クルーズの物語はこのセリフとともに終わったと言えます。エギーユ・クルーズの放棄は終わりました。しかし、放棄したからといって、過去が清算されるわけではありません。その先に待ち構えているのは、エギーユ・クルーズに関わらなかった男、ルパンの顔を知り過去を知る人物です(ルパンさえも奪った名前というのは私はありうると思います)。
○その後
「奇岩城(4)」より先の話のネタバレになります。まっとうな人間になろうとしてなれなかったルパンは、その後も変われませんでした。ヴィクトワールにもこう言われています。
「あなたのほうは、まともな人間ではない……」(偕成社文庫「813」P152/813(5))
やはりまともな、まっとうな(honnete)人間ではないのです。それなのに自分では一歩前進したと思っているところがまた悩ましい(紳士強盗は捨てたけれどやっぱりまっとうじゃない)。それでもルパンは「813(5)」を経験して、生き方が変わったと思います。さすがに生き方を変えざるを得なかったというべきかもしれません。たとえば、次に引用する箇所は明確に「813」を意識しています。
《親分、まともな人間になって、朝はきょうも一日働くぞと思いながら起き、晩はくたびれて寝るということが、どんなに楽しいか知ってもらいたいんですよ。でも、あなたはそれをご存じでしょう? アルセーヌ・リュパンも、独特な仕方で、まともな人間なんですよ。ただ、少し特別で、あまりカトリック的ではありませんがね。しかし、なあに! 最後の審判のときには、彼の善行書は、びっしり記入されていて、ほかのことは帳消しになりますよ。(略)》(創元推理文庫「水晶の栓」P307-308/水晶の栓(7))
「それで、コスモ・モーニントンの
讐 をうち、正当な相続人を見つけて守ってやり、当然、そのひとたちのものである二億の金を仲よく分け合うようにするのが、おれの任務なのだ。目的はそれがただひとつ、それで全部だ。これは正直ものの任務じゃないかね、どうだ」
「そうです、しかし……」
(略)
「よろしい、おまえがおれの行動を虫眼鏡でのぞいてみて、ほんの少しでも気にくわんんことがあったら、(略)そのときは、おまえの両手で、おれの首をしめあげるがいい。(略)」(創元推理文庫「虎の牙」P63/虎の牙(11))
「虎の牙(11)」は「813(5)」の後の作品で、ルパンが正直者つまりまっとうな人間として全うできるかが課題として示されています。「水晶の栓(7)」の事件は「奇岩城(4)」「813(5)」より前ですが、この箇所は「813(5)」を踏まえたものでしょう。その意味で「水晶の栓(7)」は「813(5)」の前でもあり、後でもあります。
※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※
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