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     人生にリハーサルはない。
     
     十分な準備が整うことは、実は少ない。
     自ら選んだ問題についてなら、長い時間をかけて〈専門家〉の域に達することもできよう。
     だが、問題と呼ぶべきものは、不意をうってやって来る。
     向こうからやって来るほとんど問題に対して、誰もが〈素人〉として向かい合うしかない。
     
     例えば、すべての人が病気になるが、ほとんどの人は医者ではない。


     米インテル(INTC)社のCEOだったアンディ・グローブ氏は1994年秋、家庭医がかわった際に健康診断を受けた。検査項目の一つであった血清前立腺特異抗原(PSA)値が高かったので、泌尿器科の受診を勧められた。
     PSA値について調べてみると、前立腺がんの有無や大きさを示す腫瘍マーカーであり、この検査をすることで前立腺がんの早期治療が可能になったらしいことがわかった。

     前立腺は、精液をつくる器官で男性のみにある。クルミほどの大きさで、膀胱の真下にあり、尿道を取り囲むかたちで存在する。
     前立腺がんは、米国においては50歳以上の男性における最も一般的な非皮膚癌であり、米国では約230,100例の新規症例と約29,900例の死亡(2004年)が毎年発生する(『メルクマニュアル18版』)。
     
     自分ががんかもしれないと知り、グローブ氏は衝撃を受けた。
     グローブ氏は化学工学の学位を持ち、世界トップの半導体メーカーに創立期から関わり、1979年に社長、1987年からは社長兼CEOをつとめていた。DRAM事業から撤退しCPUの開発・生産に経営資源を集中した1985年以降、目まぐるしく変わる情報産業で難しい舵を取り続けていた。そして医学の専門知識については皆無の、普通の患者でもあった。
     インテル社は、1993年にはPentiumプロセッサを発表。翌1994年11月にPentiumにバグが発見され、12月末には回収するという事態に陥る。グローブ氏の前立腺がんとの戦いは、ちょうど同じ頃始まった。

     グローブ氏の伝記を書いたリチャード・S.テドローは、この前立腺がんのエピソードが「グローブの問題との取り組み方を知る貴重な手がかり」になるという。
     事実、グローブ氏は、技術やビジネスの問題を解決するいつものやり方で、自分の病気に向かいあった。
     つまり、情報を集め事実を知るために、あらゆる手段を尽くしたのだ。

     グローブ氏にはまず、当時最大のパソコン通信サービスであったコンピュサーブ(CompuServe)にアクセスして、「前立腺ガン」(Prostate Cancer)を検索した。そして分野ごとに設けられたフォーラムと呼ばれる電子会議室の中に〈前立腺がんフォーラム〉を見つけた。
     〈前立腺がんフォーラム〉には、摘出手術や放射線治療、凍結治療などの様々な治療法が紹介され、尿失禁や性的不能などの副作用を伴うことが書かれていた。
     また患者や家族が情報交換や体験談を書き付ける〈会議室〉では、前立腺がんのせいで健康も仕事も家族もすべてを失った元パイロットの手記があり、気を滅入らせた。
     他にも、前立腺がんについて書かれた本や論文が紹介してあった。グローブ氏は、その中で患者と医者が共同で書いた本を購入することにした。

     こうした一通りの探しものに平行して、グローブ氏は次の行動をとった。
     自分が受けたテスト(PSA検査)自体をテストすべく、再度PSA検査を受け、自分の血液サンプルを別会社の検査キットで検査するよう別々の検査機関に送った。
     これは〈事実を呼ばれているもの〉についても確かめずにはおれない、グローブ氏のいつものやり方でもあった。
     複数の検査機関からの結果は一致していた。
     泌尿器科も前立腺がんとの診断を下し、4つの選択肢:摘出手術、放射線治療、凍結治療、経過観察を示した。
     骨と内蔵への転移を調べるため、骨スキャンとMRIを行い、どちらの転移も発見されなかった。

     がんの告知を受けた後も、グローブ氏は休まず探しつづけた。
     最初に購入した本を読み、そこで引用文献としてあげられていた論文を集めた。
     最初はチンプンカンプンだったが前に進んだ。
     学生時代、半導体デバイスの研究をしていた頃も同じだった。
     同じ分野の論文を読み続けていくうちに、次第に見えるようになっていくのだ。
     それと同時に、すべての論文から治療データを拾い出して、自分でグラフにプロットしていった。
     昼間はインテルの激務があったが、これはがんのことを忘れていられるので救いとなった。
     眠りにつく時が、一番つらかった。

     グローブ氏が前立腺がんであり、そして自分のがんについて猛烈に調べていることは、すぐに周囲に伝わった。
     妻は、近くのスタンフォード大学の図書館に何度も足を運び、論文のコピーを取ってきてくれた。
     友人の医師は、自分が検索でみつけた論文を論文を送ってくれた。
     前立腺がん治療についての講演の録音を入手し、それも聞いた。

     文献が集まり、自分の理解が進んで行くと、前立腺がんを巡る状況について次第に次のようなことが明らかになっていった。
     この分野では近年活発に研究が行われ、新発見や新しい治療法が続々と登場していること。
     それらの研究の中には相互に矛盾するものも少なくなく、専門家の間でも議論が分かれている部分が相当にあること。
     そして外科医は外科手術、放射線医は放射線治療だけに詳しい。医師は自分の専門領域の治療法だけしかあまり知らないのではないか、ということにグローブ氏は気付き始めた。

     前立腺がん治療が、今ホットな領域であることは、多くの新知見が登場し、治療技術の進歩が著しいと見ることもできる。
     しかしこうした時期には、新しい治療法の確立のために、「新治療法には確かに効果がある」ことを示すデータや研究を出すことに急で、様々な治療法を同じ条件で比較する研究はそれより遅れて登場する。
     複数の治療法の選択を行わなければならないグローブ氏にとって必要なのは前者の新治療法についての研究ではなく、後者の治療法同士を比較する研究であることは明らかだった。

     グローブ氏は論文から治療成績のデータを拾い上げ整理し突き合せた。
     若く腫瘍の小さい患者は摘出手術を受けることが多く、高齢でがんが進行した患者は放射線治療を受けることが多いため、そのまま比較すれば摘出手術の方が結果がよいという結論になる。
     公平な比較には、条件を揃える必要があった。
     グローブ氏は、がんの重症度の指標としてPSA値を使い、治療法の成果として治療5年後の再発率を用いて、複数の治療法を比較できるよう、拾い上げたデータをプロットしていった。

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     専門家や患者にも会って話を聞き、新しい情報が得られなくなった。
     グローブ氏はすべてのデータを、あのプロットにまとめ直した。そして、
     "I decided to bet on my own charts".(自分のグラフに賭けることに決めた)。


     グローブ氏は自分で探した専門家のところへ行き、シアトルで自分が決めた治療法を受けた。
     3日後には職場復帰した。



    (参考文献)

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    TAKING ON PROSTATE CANCER
    FORTUNE
    Monday, May 13, 1996
    By Andy Grove


    ……グローブ氏自身による前立腺がん闘病記。


    アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイアアンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア
    (2008/06/27)
    リチャード・S.テドロー

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    ……下巻第20章「人生とは思いどおりにいかないもの」に前立腺がんのエピソードが登場する。


    情報検索のスキル―未知の問題をどう解くか (中公新書)情報検索のスキル―未知の問題をどう解くか (中公新書)
    (2003/09)
    三輪 真木子

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    ……5.1「情報スキルを身に付けた人には」にグローブ氏のこのエピソードの紹介がある。





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