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昨年 保護した 北本一派の猫たちも

幸せそうにしている。




さて、以前から

思っているのですが

人間はいつまでたっても

真の動物愛護に至ることは

不可能であるということ。



動物愛護に携わっている人

全員がビーガンではない。

私も普通に肉は食べる。

罪なことに

うまい 不味いいってさ。

では ビーガンなら

それで完全な動物愛護となるかといったら

それも疑問で

私達が食べている野菜だって

元は動物が住んでいた土地を開拓して

動物を追いやり 入ってくる動物を駆逐したり 処分したり

私たちの食べる 野菜とて動物の犠牲がある。

人間が恩恵にあずかる

全ての薬品関係 食品関係の添加物だって、

動物実験による

多くの動物の犠牲が基になっている。

だからビーガンの方とて

やはり動物の犠牲の恩恵から

100%逃れるのは不可能な状態だと思う。



私は 動物愛護に関しては

基本というか

主流として

犬 猫 限定だと思う。

それは

人間にとって

都合が良いからである。




犬 → 人間に忠実 歯向かわない 可愛い
     心が通じ合う 家族のよう

ねこ → とにかく可愛い 手頃なサイズ感(これがピューマやライオンのサイズなら殺される)
      散歩がいらない


で 人間と共存するにおいて
極めて好都合なのだ。


牛は極めて感情的な知能が高いと言われていますが
人間にとっては ペットでなく
乳を搾ったり  肉に加工して食べるのに
適した 「家畜」として

都合よく分類していますし

順じて

豚や鶏も同様であります。


アライグマ

最初 アライグマらすかる等のアニメの影響もあり

可愛い → 実は狂暴だと分かる →捨てる →増える →困る

→害獣→殺処分対象


鹿 可愛い→増える→農作物荒らす→邪魔→殺処分

(今 千葉県では 鹿に似たキョンという動物が増えていて問題になっているらしい)



私は

犬や猫だけを可愛がり

増えたり作物を荒らすことによって

邪魔になった動物を処分することの

善悪を問いたいのではない。


人間は 極めて、

人間のその時 その時の

都合で

動物を可愛がったり

食べたり

殺処分 しているだけということです。

ま人間とて生きていかねばならないし

それも仕方のないことなのだと思います。


自身、

肉も魚も食べますし

相変わらず、

犬も猫も可愛いし

今後 どういう時代になるか分かりませんが

私の目が白いうちは

ねこ組の猫を守ることに

エネルギーを集中させることにはかわりありません。


ただ、

アライグマも

たぬきも

きつねも

鹿も

キョンも

蟻も

ゴキブリも

蛇も

コバエも

天から見れば

「等価」の命の可能性がありますし

自分の使命を全うするために

ただ全力で生きているだけなのだ。

(ま コバエだけは今年も躊躇なく殺すと思いますが、、、)


そういったことを

踏まえて

以前は

私は自身が

動物愛護家的なことをしているとか

動物愛護的なことをしているように

思ったり 考えたりしていましたが

最近は そういうの意識ってのは

ほぼほぼないですね。

自分が切り取った

狭い世界で見えてる「感覚」の中で

猫限定で やっている感じですね。


そうそう。

一度 中国映画の

「ココシリ」について

書きたかったんです。

下手な ふわっと感動系の ねこ映画

観るより

五臓六腑にドスンと落ちてくるような

衝撃を受けるのが この映画です。


この映画は 

チベットカモシカを密猟から無償の

ボランティアで守る私設警備隊の奮闘が

描かれた実話ベースの映画です。


ま~ 凄まじいですよ。

だって マジで

文字通りの命懸けですから。。。。。。

ちょっと 観るに

「覚悟」が必要な映画ですが

観る機会がございましたら

(有料でアマゾン等でご覧いただけます)


是非!!!



で ここからネタばれ。。。

この ココシリを観たい方は

ネタばれみないでね!!!


チベットカモシカを守る為に
山岳パトロールをしている
私設警備隊は

国からお金がでないので
基本 自費で

人員 車 ガソリン 銃 食料を

手配します。

資金もいずれ尽きます。


そして
密猟者から没収した 
チベットカモシカの皮を
密売して それを資金にして


またパトロールします。


う~ん。。。。

こういうのって

私たちの 現実社会にもありそうなこと。。。



綺麗ごとでは済まされないことはたくさんあります。

綺麗ごとでは収まらないからって

目的の為に 手段を正当化すると

最初の理想や前提が どんどんと

曖昧となっていくし。。

猫の保護活動も

「猫の幸せの為」という

個々の思いが強すぎることによって

その過程の手段が 「猫の幸せ」という目的の

前に正当化され、

なんか色々なトラブルの元になったり、、、

または 猫自体がそれを望まず

実は何もしない 「放置」が

猫にとっても人間にとっても実は

ベストな選択であったかもしれない可能性もあるわけでして。


「答え」がないだけに

色々と難しいですね。



、、、、

ということで

私は、

自分が動物愛護的なことをしていて

偉いとか 良いことをしているとか

余り思わないし

肉も魚も 普通に食べますし

ビーガンを目指すこともないと思いますが、

とりあえず、

困った猫がいたら 

そこは躊躇なく助けていこうと思っています。




























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