Flower isn't God, Money isn't God. #02
2015/06/28/Sun
「どうして光る棒を振るんでしょうね?」
「え?」
「サイリウムです。アイドルのライブで。なぜでしょうか?」
「梨子さん、アイドルのプロデューサーだったんですよね……? 今さらな疑問なんじゃ」
「一体感が生まれるとかリズムに乗れるとか、ステージ上にいるアイドルに何かを伝えられる、少なくともそういった気持ちを抱くことができるから、でしょうか?」
「アイドルに限定する必要ってないんじゃないですか? 普通の……ロックとかメタルとか、なんでもいいですけど、そういうライブでも、サイリウムはないかもしれませんが、みんなリズムに乗ったり、踊ったり……ときには暴れたりして、楽しむじゃないですか」
「ですね。でもそういうの全般よくわからないんです」
「どうしてです?」
「疲れるじゃないですか」
「え?」
「サイリウムって、腕、疲れません?」
そんなことを話しながら、私と梨子さんはとあるアイドルのライブの開催される会場に続く列に並んでいる。そもそもこのライブに私を誘ってくれたのは梨子さんだ。「勉強になるんじゃないかと思いまして」と彼女はいった。……そう、私はまだアイドルになるのをあきらめたわけじゃない。たとえ枕営業が失敗に終わろうとも!
「疲れるから椅子にずっと座っていたいです。コンサートなら座っていられるんですけどね。ライブでは座っているとなかなかこうステージが見えませんからね」
「今日の私たちの席じゃどちらにせよあんまりステージは見えないかもしれないです……」
「それは残念。私は目が悪いからスクリーンもあんまり見えないんですよね」
「双眼鏡でもあれば便利かもです」
「持っています?」
「いや、持ってないですけど……」
私と梨子さんはまっすぐ自分たちの席へ向かった。物販の類に梨子さんは興味がないようだ。……私は少し気にかかることがあった。それは今日ステージに立つアイドルたちは、ほかならない梨子さんがプロデュースしていたアイドルだということ。
「控え室とか、行かなくていいんですか?」
「なぜ?」
「だって、梨子さんが担当していた女の子たちがステージに出るんですよね?」
「まあ、はい、そうです」
「だったら……」
「私はもう部外者です」
肩をすくめて、梨子さんはそういった。
「ほら、佐野さん、高校の部活なんかでOBやOGが指導に来たりするじゃないですか。卒業した先輩がやって来て云々というものが」
「ありますね、そういうの」
「私、その種のものが嫌なんです。終わったもの、離れたものにはあまり近づきたくないんです」
「後悔するから、ですか?」
私がそう尋ねると、梨子さんは少し驚いた顔をして、それから微笑んで、「そこまで私は純粋じゃありませんよ」といった。……私には梨子さんのその言葉の意味がよくわからなかった。
――ライブはすごかった。華やかな衣装に身を包んだ少女たちがきらびやかなステージの上で歌をうたい、舞い、そして私たちに語りかける。ライブというものは、ほかのあらゆる芸事と同様、一回限りのものだ。ステージの上に展開される世界はその場限りのもの、一夜限りの物語で、すべてはまるで夢幻のように思えてくる。アイドルは儚い。ステージという一瞬にすべてを賭ける。だから、きっと、ファンはアイドルのその瞬間的な熱に魅せられる。
(私もステージに立ちたい、アイドルになりたいな……)
私がそんなことを思って目を輝かせているというのに、梨子さんは私の隣で、やる気のなさそうにサイリウムを弱々しく振っていた。
「……疲れました。いつもいつも思うことですが、ファンの皆さんのあのパワーってどこから来るんでしょうね?」
「……アイドルの魅力からじゃないですか?」
「そうかもしれません。……佐野さん、ラーメンでも食べてから帰りましょうか? ラーメンかスシかソバって気分ですね。しかし、この時間ではもうスシとソバはやってないでしょうから、必然的にラーメンになります。……いや、立ち食いならソバもいけるかもしれませんが」
「梨子さん」
「はい? ラーメンは嫌ですか?」
「そうじゃなくて! ……その、本当に梨子さんがプロデュースしていた子たちに会っておかなくていいんですか?」
「……」
「きっと、梨子さんに会いたいと思いますし、励ましになると思います」
「……さて、それはどうでしょう」
梨子さんは私の言葉に曖昧な微笑で答え、スタスタと歩き出す。私はそんな梨子さんの早足に駆け足で追いつく。
「梨子さんって、曖昧に笑って、ごまかしますよね?」
「はてさて」
「だんだん梨子さんの人となりがわかってきました。そういうふうに曖昧にごまかすのは、梨子さんの悪いところなんじゃないですか?」
「……佐野さん」
「はい」
「私はアイドルというものを肯定する気にはなれなくなってしまったんですよ。だから、プロデューサーって仕事を辞めたんです」
私に振り向き、そう答えたときの梨子さんの表情は、私がびっくりするくらいに冷めていた。
「これは私の個人的な意見に過ぎませんから、一般化する気はありません。……アイドルのステージ、アイドルが紡ぐ物語、すばらしいと思います。人を動かす、感動させる力がある。しかし、感動というのは一種の麻薬のようなものです。人は感動するためなら、ときにひどく残酷なことまでしてしまう。……佐野さん、人が最も感動する瞬間ってなんだと思います?」
「……わかりません」
「人が何かを犠牲にして何かを為すとき、ですよ。……少女たちが己の命と可能性を削りながら築き上げるのがあのアイドルのステージの熱の正体です。私はそれが嫌になったんで、逃げたんです。私は、そう、卑怯なんですよ」
そういって、梨子さんは深いため息をつき、頭をかいて、「こんなことをいうなんて、私も今日はどこかちょっとおかしいみたいです……」と呟いた。私はそんな梨子さんに近づき、彼女の手を握って、「梨子さん」とささやいていた。それは衝動的な行為だった。
「私のこと、名前で呼んでください」
「……比奈さん」
「そう、そう呼んでください。これで私と梨子さんは友だち同士です」
私はそういって、精一杯の勇気を振り絞って、微笑んだ。梨子さんはそんな私に苦笑し、「ラーメン食べに行きますか」といった。私は梨子さんの提案に、何もいわず、笑顔で頷くのだった。
「え?」
「サイリウムです。アイドルのライブで。なぜでしょうか?」
「梨子さん、アイドルのプロデューサーだったんですよね……? 今さらな疑問なんじゃ」
「一体感が生まれるとかリズムに乗れるとか、ステージ上にいるアイドルに何かを伝えられる、少なくともそういった気持ちを抱くことができるから、でしょうか?」
「アイドルに限定する必要ってないんじゃないですか? 普通の……ロックとかメタルとか、なんでもいいですけど、そういうライブでも、サイリウムはないかもしれませんが、みんなリズムに乗ったり、踊ったり……ときには暴れたりして、楽しむじゃないですか」
「ですね。でもそういうの全般よくわからないんです」
「どうしてです?」
「疲れるじゃないですか」
「え?」
「サイリウムって、腕、疲れません?」
そんなことを話しながら、私と梨子さんはとあるアイドルのライブの開催される会場に続く列に並んでいる。そもそもこのライブに私を誘ってくれたのは梨子さんだ。「勉強になるんじゃないかと思いまして」と彼女はいった。……そう、私はまだアイドルになるのをあきらめたわけじゃない。たとえ枕営業が失敗に終わろうとも!
「疲れるから椅子にずっと座っていたいです。コンサートなら座っていられるんですけどね。ライブでは座っているとなかなかこうステージが見えませんからね」
「今日の私たちの席じゃどちらにせよあんまりステージは見えないかもしれないです……」
「それは残念。私は目が悪いからスクリーンもあんまり見えないんですよね」
「双眼鏡でもあれば便利かもです」
「持っています?」
「いや、持ってないですけど……」
私と梨子さんはまっすぐ自分たちの席へ向かった。物販の類に梨子さんは興味がないようだ。……私は少し気にかかることがあった。それは今日ステージに立つアイドルたちは、ほかならない梨子さんがプロデュースしていたアイドルだということ。
「控え室とか、行かなくていいんですか?」
「なぜ?」
「だって、梨子さんが担当していた女の子たちがステージに出るんですよね?」
「まあ、はい、そうです」
「だったら……」
「私はもう部外者です」
肩をすくめて、梨子さんはそういった。
「ほら、佐野さん、高校の部活なんかでOBやOGが指導に来たりするじゃないですか。卒業した先輩がやって来て云々というものが」
「ありますね、そういうの」
「私、その種のものが嫌なんです。終わったもの、離れたものにはあまり近づきたくないんです」
「後悔するから、ですか?」
私がそう尋ねると、梨子さんは少し驚いた顔をして、それから微笑んで、「そこまで私は純粋じゃありませんよ」といった。……私には梨子さんのその言葉の意味がよくわからなかった。
――ライブはすごかった。華やかな衣装に身を包んだ少女たちがきらびやかなステージの上で歌をうたい、舞い、そして私たちに語りかける。ライブというものは、ほかのあらゆる芸事と同様、一回限りのものだ。ステージの上に展開される世界はその場限りのもの、一夜限りの物語で、すべてはまるで夢幻のように思えてくる。アイドルは儚い。ステージという一瞬にすべてを賭ける。だから、きっと、ファンはアイドルのその瞬間的な熱に魅せられる。
(私もステージに立ちたい、アイドルになりたいな……)
私がそんなことを思って目を輝かせているというのに、梨子さんは私の隣で、やる気のなさそうにサイリウムを弱々しく振っていた。
「……疲れました。いつもいつも思うことですが、ファンの皆さんのあのパワーってどこから来るんでしょうね?」
「……アイドルの魅力からじゃないですか?」
「そうかもしれません。……佐野さん、ラーメンでも食べてから帰りましょうか? ラーメンかスシかソバって気分ですね。しかし、この時間ではもうスシとソバはやってないでしょうから、必然的にラーメンになります。……いや、立ち食いならソバもいけるかもしれませんが」
「梨子さん」
「はい? ラーメンは嫌ですか?」
「そうじゃなくて! ……その、本当に梨子さんがプロデュースしていた子たちに会っておかなくていいんですか?」
「……」
「きっと、梨子さんに会いたいと思いますし、励ましになると思います」
「……さて、それはどうでしょう」
梨子さんは私の言葉に曖昧な微笑で答え、スタスタと歩き出す。私はそんな梨子さんの早足に駆け足で追いつく。
「梨子さんって、曖昧に笑って、ごまかしますよね?」
「はてさて」
「だんだん梨子さんの人となりがわかってきました。そういうふうに曖昧にごまかすのは、梨子さんの悪いところなんじゃないですか?」
「……佐野さん」
「はい」
「私はアイドルというものを肯定する気にはなれなくなってしまったんですよ。だから、プロデューサーって仕事を辞めたんです」
私に振り向き、そう答えたときの梨子さんの表情は、私がびっくりするくらいに冷めていた。
「これは私の個人的な意見に過ぎませんから、一般化する気はありません。……アイドルのステージ、アイドルが紡ぐ物語、すばらしいと思います。人を動かす、感動させる力がある。しかし、感動というのは一種の麻薬のようなものです。人は感動するためなら、ときにひどく残酷なことまでしてしまう。……佐野さん、人が最も感動する瞬間ってなんだと思います?」
「……わかりません」
「人が何かを犠牲にして何かを為すとき、ですよ。……少女たちが己の命と可能性を削りながら築き上げるのがあのアイドルのステージの熱の正体です。私はそれが嫌になったんで、逃げたんです。私は、そう、卑怯なんですよ」
そういって、梨子さんは深いため息をつき、頭をかいて、「こんなことをいうなんて、私も今日はどこかちょっとおかしいみたいです……」と呟いた。私はそんな梨子さんに近づき、彼女の手を握って、「梨子さん」とささやいていた。それは衝動的な行為だった。
「私のこと、名前で呼んでください」
「……比奈さん」
「そう、そう呼んでください。これで私と梨子さんは友だち同士です」
私はそういって、精一杯の勇気を振り絞って、微笑んだ。梨子さんはそんな私に苦笑し、「ラーメン食べに行きますか」といった。私は梨子さんの提案に、何もいわず、笑顔で頷くのだった。