2014/11/30/Sun
昨日は電子書籍のメリットを書こうと思っていたのだが、エントリを見ると、見事に忘れていた。話が脱線に逸れている。なんてことだ。いつものことかもしれないが。思えば、昔、毎日ブログを書くことにこだわっていたころ(執着していた一時期があったかもしれない。悲劇!)、どうしても何を書いていいかわからないときは、よく脱線というか与太話をしてごまかしていた。まあそんなことはどうでもよろしい。電子書籍のメリットだ。いや、そんな大げさな話ではないのだが。
単純にいうと、私は漫画を買うのが趣味なのでよく購入していたのだが、引っ越しや掃除のとき、量があってすごく大変、でも電子書籍だとそういうことはない、それはよろしい、という話だ。とても単純。物事をこうも単純化していいものかと少し不安になるが。
古い文献を見ることが多い私にとって、過去の文献をガンガン電子化してくれるのは非常に助かる。でもこれは電子書籍の話題ではないね。
閑話休題。「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」を結局全部購入して読んでしまった。けっこう感動している。思えば、この作品はアニメ化していたころは見ないでおいたのだが、見ておけばよかったとちょっとだけ後悔しているくらい。でも見ていたらこうしてフランスで電子書籍で買うことはなかったんだろうなと思うと、まあどちらでもいい話か。時機を逸するのは私にはよくある話だ。
この作品の何がおもしろいかというと、それはいろいろあるのだが、寂しいのはつらいということを素直に描いているのがまずすばらしいと思う。寂しさや孤独というのはやりきれない。人は皆孤独であり、孤独というものは大切なものでもあり、また慰めですらあるのかもしれないが、しかし寂しいのは切ないし、苦しい。ある意味、こんなに普遍的なこともないかもしれない。寂しさというものは人間を定義する一つの要素かもしれない。ある作家の老年期、それも悲惨な境遇で書かれた作品を読むと、孤独という苦しみに対するあがき、絶叫、そこから生まれるこの世に対する怨念と、幸福をなお渇望する妄念にあふれていることがある。
もこっちが納豆を食べているのを見ると、私も食べたくなってくるが(私は吐かない)、はてさて、フランスで、今いる地方で、売っているところを知らない。豆腐やうどんは安く手に入るのだけれども。
2014/11/29/Sat
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」をずっと読んでいた。すばらしい。本当は図書館から借りてきた本に目を通さなければいけなかったんだけれど、この数日はシンポジウムがあって時間が取れず、また朝も多少早くつらくて、気晴らしがしたかったので、漫画を読むのは悪い選択ではなかっただろう。実はこの作品は電子書籍で読んだのだが、電子書籍を使うのはこれが初めてだ。私の電子書籍の初体験はワタモテだったということだ。以前からこの作品のことは知っていたけれど、なぜか手に取る機会がなかった。もし日本でコミックスを買っていたら、こうして電子書籍で購入することはなかっただろう。この作品についてはそのうち感想を書いてみてもいいかもしれない。
ところで、本というものはかさばるし重いし場所を取る。私はそこそこ引っ越しをしているほうだが、引っ越し自体は嫌いだ。面倒くさいから。吉行淳之介が、引っ越しをするというのは、張っていた根を移し替えるようなものだということをいっていたと思うが(正確な引用ではない。記憶があいまい)、その意味するところは、生活をしていると生活をしている場所に目に見えない根のようなものが染みついていく、で、引っ越しをするとその根がなくなってしまうから、居心地の悪さを感じる。引越しはかったるいという話だろう、要するに。
小林秀雄だったか、若いときに二つの部屋を下宿で借りていて、一方の部屋で生活し、もう一方の部屋をゴミ箱にしてしまう、で、ゴミがあふれ返ったら、部屋を引き払い、引っ越しする、というようなことをいっていたように思う。たぶん、これは小林秀雄だったろう。自信がない。だが、なんともぜいたくな話だ。真似したいとは思わないけれど。
ミリオンライブは時折、家族家族うるせーというようなことをtwitterで書いた。もっと正確にいうべきなのかもしれない。これはアニマスの延長でもあるのだろうが、私は基本的にアニメのアイマスの家族の描き方は好きじゃない。そこらへんは私が抱いた劇場版への文句にもつながっていくものかもしれない。だが、ともかく、家族というのは大きな問題だ。しかし、私自身は、家族の問題を考えることがどうも近頃は億劫に感じてしまう。そういえば、押井守が宮崎駿と自身の作風を比較して、宮崎駿は大人数まとめて家族、つまり疑似的な家族にしてしまう、一方、押井自身は孤独でもいいじゃないか、犬と一緒なだけで十分じゃないか、と、そういったことをいっていた。しかし、この家族観の話は、世代的なものも当然あるだろうし、また日本の文化・歴史に直結するものがあるだろう。だから、容易にはものがいえない。オタク文化のなかの家族観も、かなり特殊な面があるだろう。そこらを十分に考えれば、きっとおもしろいことがいえるだろうとは思うが、はてさて、今の私にはそれをするだけの熱意と興味はない。
2014/11/27/Thu
チェリーコークという言葉で正しいだろうか、Coca-Cola Cheryのことだ、スーパーに売っていたので買ってみたが、これがなかなかよろしい。おいしい。日本語のWikipediaを見てみると、2013年冬に日本でも期間限定で売っていたらしい。そういえば、飲んだような記憶がある。たまにはこういうコーラもいいものだ。日本の歯医者にコーラをあまり飲まないようにと忠告されていたが、ここはフランスだから別に問題なかろう。ところでこの前健康診断で病院に行って、「どこか具合が悪いところがない?」と聞かれたのだが、「歯医者によく通った」と答え、「なんで?」と問われ、「甘いものが大好きだから」と返事し、「まあフランス人もそうだしね」と、実に他愛無い会話を交わした。フランス人は甘いものが好きだ。なんでだろう? 食事のあとにはかならずデザートを食べるし。知り合いのパリジャンは、甘いものがなかったらこの世は悲惨だ、というようなことをいっていた。だが反対に辛いものは苦手なようだ。日本食でもカレーはあまり人気がないらしい。
食生活だけは海外のものに馴染むのが難しいな、と感じている。こればかりはしかたないのかしら。今もうどんやソバを食べることが多い。イタリアやスペインの料理は日本人好みらしいが、フランス料理はそうでもないとも聞く。しかし、フランス料理といわれても、どうもピンと来ない。これは私が不勉強だからだろう。だから、レストランに行くといつも苦労する。メニューに何が書いてあるかよくわからないんだ。今日、友人に、「フランスの食事に慣れたか?」と聞かれたので、「日本食を食べることのほうが多い」と答えておいた。しかし、私の知っている先生の一人は、フランスでも毎日米を炊いていた。私はそこまでじゃない。というか、面倒くさいので、米なんか炊かない。でも、そのうち、いよいよとなったら、鍋で米を炊くことに挑戦してみてもいいかもしれない。
2014/11/26/Wed
先日、ミリオンライブの二次創作で「
うどん」という話を書いたが、これがそこそこ気に入っている。最上静香は苦手だと思っていたけれど、この話を書いたら、そうでもなくなった。自分で書いたものに自分で驚くという、端から見ればおかしな話というか経済的な話というか、しかしそういうことがときたまある。でも、しずしほは苦手だな。この苦手な感覚は、はるちはとか、律澪とかと同種かもしれない。つまり、私が不得手とする何かがそこにあるんだろう。それが何かはわからない。あまり考える気も起きない。
はるみきの、「
嘘つきと正直者」は、実のところ、以前書いた話のコピーでしかない。はるみきでは、似たような話をいくつも書いてきた。ただ、美希の一人称の話はおそらくこれが初めてだろう。
「うどん」を書いたからか、どうも二次創作のやる気がなくなってきている今日このごろ。今年も二次創作をたくさん書いたからしばらく書かなくてもいいかもしれないと思いつつある。だが、といって、また書くのが私かもしれない。まあ、フランスにいると娯楽が少ないし。日本が情報とその他いろんなものがあふれているだけかもしれないが。雑音の多さは楽しくもあり賑やかでもあるが、ときに鬱陶しい。
考えてみると、2010年から延々と二次創作を書いてきた計算になる。だがどれも気晴らしでやったに過ぎない。気晴らしなので、特に読む人のことを考えたことはあまりない。ブログを毎日書いていたときも、自分のブログを読む人がこの世界にいるとは思わないで書いていた。なので、私の書いたものを読んだという人に会うと、少なからず驚いた。いるに決まってはいるのだけれど。