アイドル論の補足
2013/05/21/Tue
昨日のアイドル論の補足です。twitterで議論する機会に恵まれましたので、いろいろおもしろいことがわかってきました。皆さん、どうもありがとうございました。
昨日と同じくtwitterの発言をまとめて、簡単なコメントを付しただけです。私的な覚書ですので、ご了承ください。
では以下から。
またおもしろそうな日本文化に関する記事を見つけたけど、ちょっと長い、これは。軽く目を通すだけにしようか。
※これです。ちょっと長いので、紹介するのはまた今度。
昨日話した論文ですけど、私の説明不足がいろいろあって、たぶん誤解されている節もあるんじゃないかしらと思うんだけれど、ええとね、
※論文を適宜訳せばいいんですけど、ちょっとそれは大変すぎる。
これ、イントロダクションを読めばわかるんだけれど、この論文の大きな目的は、欧米を対象とした社会学の手法が日本文化の研究においても有効であることを示す、というものなんです。これまで欧米ばかり注目してきたから、他の国にも目を向けてみようぜ、って感じ。
※これが意外と重要なところだと思うんですけど、欧米は日本にあまり関心ないんですね。基本的に。
で、「アーティスト」や「歌手」って言葉は適当に使っているんでないって断ってあるから、私がブログやtwitterで書いた「アート」や「産業」って言葉も単純に受け取るわけにはいかない。語のニュアンスのちがいがある。
※「アイドル」には「アート」は必要ないというのが前提にあって、その「アイドル」から「アート」で傑出したのが浜崎あゆみ、そして「アート」なしで「アイドル」とは異なる立場に至ったきゃりーぱみゅぱみゅという構図です。「アイドル」は「インダストリー」で管理されるということです。
ああなるほど、そうか。アイドル文化、浜崎あゆみ、きゃりーぱみゅぱみゅという三つを結ぶ文化産業の仲介機能っていうのが鍵なんだ。
※この三者はどれも「文化産業」に属しています。しかし、それぞれの性質と果たす役割が異なっています。
いや、ちょっと射程が大きすぎないかと思ったけど、この論文はおもしろい。
※専門外の論文ですので、私の見落し、読み違いはきっとあると思います。申し訳ない。
私的な覚書のつもりだったから、ざっと書いちゃったけど、昨日は。しかしもうちょっと丁寧にやるべきだったかも。
※精読が肝心ですね、やっぱり。焦ることに意味はない。
「才能は関係がない。それより等身大の少女を選ぶことが肝心だ。なぜならスターになれるという可能性を提示しなければならないからだ」云々
※アイドルは手の届く存在でなければならない、ということです。その点がアーティストとちょっと異なります。
アイドルは何の役に立つのか? 「彼女たちは消費者へ企業(インダストリー)が提供すべきすべてのものの伝達手段として有用である。」云々。彼女たちは注目されるためにあらゆることをする。が少女たちはプロデューサーに対し、いかなる権力もほとんど持ち得ない。...
※アイドルはコントロールされる存在であるという指摘が肝心です。この論文には、「コントロール」、「ヒエラルキー」、「権力」といった用語がアイドル文化を説明する際に特に用いられます。
「手工業産業」って言葉が出てくる前段では、あるアイドルの実例が紹介されていて、で、自分のアイドルとしての姿はすべて作られたものだったっていう。「子どもっぽく歌えるように」「女性らしく、また従順さを示すように、踊れるように」「偽の人格を作って」云々とある。
※アイドルは作られるもの、という点です。この論文にはAvexやその他有名プロデューサーの固有名など、よく調べられてあります。というか、私がそういう方面ぜんぜん知らないから片手落ちなわけです。
「これほど厳格でまた下劣な例はない」とまで書いてあるんだよね。いやちょっと昨日はここまで紹介するのはためらったんだけれど。
※非難の調子ですね。
で、この文脈で「手工業産業」って言葉で出てくるわけで、さらに、欧米を対象としてきた社会学の手法を日本文化研究にも応用できるって、イントロダクションでいっているわけでしょ。どんなニュアンスかわかるんじゃないかな、ここらへん。
※manufactureのニュアンスですね。
昨日は触れなかったけど、アイドルのコントロールと権力、そしてヒエラルキーについて言及があって、そしてその権力構造を破った例として、浜崎あゆみときゃりーぱみゅぱみゅが紹介される、という構図かな。
※浜崎あゆみときゃりーぱみゅぱみゅの評価については意見が分かれるところでしょうが。
うわ、ひどい。すごいこと書いてある、これ。見落していたな。
※ちょっと驚き。
「プロデューサーとは「かわいい」(という属性に支配される)文化の諸要素すべてを独占するアーレントいうところの俗物のようなものである」ってなんだそりゃ。笑っちゃったじゃないか。
※「俗物」と訳したのは、les philistinsです。直訳すると、「ペリシテ人」ですね。「俗物」という意味もあるそうです。アーレントがどう使っているのかはちょっと調べないとわかりません。アーレントはぜんぜん勉強してない私。不勉強。
「劇場、雑誌を自前で持つことで、音楽会社は宣伝・仲介のコントロールを握る」で、プロモーションもリファレンスも経営も全部自前でできるようにしちゃって、そのことによってアーティストの存在は見えなくなるってわけだ。
※すべて自前でやっちゃうわけですね。独立している。オートメーション。固有の市場をみずから作り上げちゃうという理解でいいのかな。
やめやめ、もうやめだ。こんなこと考えるのに疲れてきた。もうちょっと浮世離れたことやろう。
※社会学は専門外。ぜんぜん知らないです。
アリストテレスを読もう。
※実は読んでなかったです。twitterでさらに遊んじゃった。
(ノ≧∇≦)ノ Aristote ! Yeah !!
※ヽ(〃^▽^〃)ノ On est content !
私、ボーカロイドはぜんぜん知らないです。「近くて遠いバックグラウンド、構造」なのかどうかもわかりません。いってよければ、ボーカロイドがアイドルといわれると、私や、そして何も知らない人は違和感を覚えます。ボーカロイドは単なるソフトなんじゃないか、と
※ボーカロイドはアイドルなのか?という問いに対して。
でも非常におもしろい問いです。ボーカロイドってアイドル扱いなのでしょうか。単なるソフト、製品だと思っていましたし、たぶんこの論文の著者も、アイドルにボーカロイドを含めるって発想はないのでは。
※私はボーカロイドにも疎いです。
いや、ちがうかな。ボーカロイドがアイドルか。いや、たぶん文脈がちがいますね。
※観点がちがうでしょう。
いや、そうなんですよ、人形なんですよ。この論文でもそこにはしっかり言及してある。アイドルはときにドルと呼ばれる。人形を意味する、って。
※アイドルはときに「ドル」と略される。「ドル」は「人形」を意味する。
いえ、アイドルを「偶像」の意味では考えていません。この論文はあくまで社会学的なもので、そういった文化論的な視点はありません。「偶像崇拝」を問題とすると、領域が広くなりすぎます。
※アイドルの起源、成立を考えるのはおもしろい問題ですが、すごく大変な仕事になりますね。
そこなんですね。つまり、寿命の短いアイドルを永続化させる方法がアイドルのグループ化だとすると、そもそも寿命のないアイドルを考えるどうなるかっていうと、たぶんそういった方向へ行く。というか向かっている。
※ボーカロイドがアイドルだと仮定すると…
でもそうなっちゃうと、アイドルのそもそもの要素だった、「等身大」とか「私もアイドルになれるかもしれないと少女に思わせる可能性」というものが、たぶん失われる。だって、ボーカロイドになりたいとは思わないわけでしょ。
※実はここがアイドルの核心だと思うんです。つまり、受容者(ファン)やアイドル志望者、またアイドル自身、そして生産者(プロデューサー)の考えるアイドル像というものはそれぞれ異なっていて、そしてそれが現状、上手くはまっているのではないか。アイドルというサイクルをよく回しているのではないか。
だから、ボーカロイドがある一面においてだけ寿命のないアイドル(飽きられることはある)で、アイマスとかが声優の存在を入れて寿命のそこそこ長いアイドルで、グループ化したアイドル、という三つがある。
※あとは個人アイドルという区分があるかもしれません。しかし寿命の問題が致命的です。
ただボーカロイドは神格化すぎるっていうか、ファンのためだけのアイドルっていうか、目指す対象にはなりえない気がする。(いや、ミクになりたいという欲求はあるかしら?
※受け手と送り手の関係が、ボーカロイドはまた特殊な気がします。
結局、ピグマリオンコンプレックスってことかな、と思います。
※まあ身も蓋もない。
でも、たぶん見落しがあって、それは、アイドルになりたいって思う子の気持ちと、それを産業化した構造、そしてアイドルの寿命の短さって根本的な問題なんだよ。
※この問題に答えるのは、たぶん社会学とはちがうんでしょうね。
ここがなんともいいにくい
※いいにくい。
自分のアートが優先されない、評価の対象ではないってことかな。アイドルが手工業産業って意味がここにあって、アイドルはプロデューサーの作品って感じ。ニコニコの歌い手の歌というものは、その歌い手に帰属するわけだけれど、アイドルはそうじゃない。歌が問題じゃない。
※「アイドル」「アーティスト」の分類は、この論文に従ってのことです。私の意見はまたちょっと留保です。
ほんと、私アイドルなんてぜんぜん知らないのに、ちょっと突っ込みすぎた感じ。あとは専門家にお任せ。
※まあここらへんが限界です。
でも非常におもしろい論文でした。興味深い対象であることはよくわかった。しかし私の範囲外。あとはまたおもしろい論文や記事があったらそれを読むだけにしましょう。
※これは本当です。新たな知見を得ることができました。意義深い。
昨日と同じくtwitterの発言をまとめて、簡単なコメントを付しただけです。私的な覚書ですので、ご了承ください。
では以下から。
またおもしろそうな日本文化に関する記事を見つけたけど、ちょっと長い、これは。軽く目を通すだけにしようか。
※これです。ちょっと長いので、紹介するのはまた今度。
昨日話した論文ですけど、私の説明不足がいろいろあって、たぶん誤解されている節もあるんじゃないかしらと思うんだけれど、ええとね、
※論文を適宜訳せばいいんですけど、ちょっとそれは大変すぎる。
これ、イントロダクションを読めばわかるんだけれど、この論文の大きな目的は、欧米を対象とした社会学の手法が日本文化の研究においても有効であることを示す、というものなんです。これまで欧米ばかり注目してきたから、他の国にも目を向けてみようぜ、って感じ。
※これが意外と重要なところだと思うんですけど、欧米は日本にあまり関心ないんですね。基本的に。
で、「アーティスト」や「歌手」って言葉は適当に使っているんでないって断ってあるから、私がブログやtwitterで書いた「アート」や「産業」って言葉も単純に受け取るわけにはいかない。語のニュアンスのちがいがある。
※「アイドル」には「アート」は必要ないというのが前提にあって、その「アイドル」から「アート」で傑出したのが浜崎あゆみ、そして「アート」なしで「アイドル」とは異なる立場に至ったきゃりーぱみゅぱみゅという構図です。「アイドル」は「インダストリー」で管理されるということです。
ああなるほど、そうか。アイドル文化、浜崎あゆみ、きゃりーぱみゅぱみゅという三つを結ぶ文化産業の仲介機能っていうのが鍵なんだ。
※この三者はどれも「文化産業」に属しています。しかし、それぞれの性質と果たす役割が異なっています。
いや、ちょっと射程が大きすぎないかと思ったけど、この論文はおもしろい。
※専門外の論文ですので、私の見落し、読み違いはきっとあると思います。申し訳ない。
私的な覚書のつもりだったから、ざっと書いちゃったけど、昨日は。しかしもうちょっと丁寧にやるべきだったかも。
※精読が肝心ですね、やっぱり。焦ることに意味はない。
「才能は関係がない。それより等身大の少女を選ぶことが肝心だ。なぜならスターになれるという可能性を提示しなければならないからだ」云々
※アイドルは手の届く存在でなければならない、ということです。その点がアーティストとちょっと異なります。
アイドルは何の役に立つのか? 「彼女たちは消費者へ企業(インダストリー)が提供すべきすべてのものの伝達手段として有用である。」云々。彼女たちは注目されるためにあらゆることをする。が少女たちはプロデューサーに対し、いかなる権力もほとんど持ち得ない。...
※アイドルはコントロールされる存在であるという指摘が肝心です。この論文には、「コントロール」、「ヒエラルキー」、「権力」といった用語がアイドル文化を説明する際に特に用いられます。
「手工業産業」って言葉が出てくる前段では、あるアイドルの実例が紹介されていて、で、自分のアイドルとしての姿はすべて作られたものだったっていう。「子どもっぽく歌えるように」「女性らしく、また従順さを示すように、踊れるように」「偽の人格を作って」云々とある。
※アイドルは作られるもの、という点です。この論文にはAvexやその他有名プロデューサーの固有名など、よく調べられてあります。というか、私がそういう方面ぜんぜん知らないから片手落ちなわけです。
「これほど厳格でまた下劣な例はない」とまで書いてあるんだよね。いやちょっと昨日はここまで紹介するのはためらったんだけれど。
※非難の調子ですね。
で、この文脈で「手工業産業」って言葉で出てくるわけで、さらに、欧米を対象としてきた社会学の手法を日本文化研究にも応用できるって、イントロダクションでいっているわけでしょ。どんなニュアンスかわかるんじゃないかな、ここらへん。
※manufactureのニュアンスですね。
昨日は触れなかったけど、アイドルのコントロールと権力、そしてヒエラルキーについて言及があって、そしてその権力構造を破った例として、浜崎あゆみときゃりーぱみゅぱみゅが紹介される、という構図かな。
※浜崎あゆみときゃりーぱみゅぱみゅの評価については意見が分かれるところでしょうが。
うわ、ひどい。すごいこと書いてある、これ。見落していたな。
※ちょっと驚き。
「プロデューサーとは「かわいい」(という属性に支配される)文化の諸要素すべてを独占するアーレントいうところの俗物のようなものである」ってなんだそりゃ。笑っちゃったじゃないか。
※「俗物」と訳したのは、les philistinsです。直訳すると、「ペリシテ人」ですね。「俗物」という意味もあるそうです。アーレントがどう使っているのかはちょっと調べないとわかりません。アーレントはぜんぜん勉強してない私。不勉強。
「劇場、雑誌を自前で持つことで、音楽会社は宣伝・仲介のコントロールを握る」で、プロモーションもリファレンスも経営も全部自前でできるようにしちゃって、そのことによってアーティストの存在は見えなくなるってわけだ。
※すべて自前でやっちゃうわけですね。独立している。オートメーション。固有の市場をみずから作り上げちゃうという理解でいいのかな。
やめやめ、もうやめだ。こんなこと考えるのに疲れてきた。もうちょっと浮世離れたことやろう。
※社会学は専門外。ぜんぜん知らないです。
アリストテレスを読もう。
※実は読んでなかったです。twitterでさらに遊んじゃった。
(ノ≧∇≦)ノ Aristote ! Yeah !!
※ヽ(〃^▽^〃)ノ On est content !
私、ボーカロイドはぜんぜん知らないです。「近くて遠いバックグラウンド、構造」なのかどうかもわかりません。いってよければ、ボーカロイドがアイドルといわれると、私や、そして何も知らない人は違和感を覚えます。ボーカロイドは単なるソフトなんじゃないか、と
※ボーカロイドはアイドルなのか?という問いに対して。
でも非常におもしろい問いです。ボーカロイドってアイドル扱いなのでしょうか。単なるソフト、製品だと思っていましたし、たぶんこの論文の著者も、アイドルにボーカロイドを含めるって発想はないのでは。
※私はボーカロイドにも疎いです。
いや、ちがうかな。ボーカロイドがアイドルか。いや、たぶん文脈がちがいますね。
※観点がちがうでしょう。
いや、そうなんですよ、人形なんですよ。この論文でもそこにはしっかり言及してある。アイドルはときにドルと呼ばれる。人形を意味する、って。
※アイドルはときに「ドル」と略される。「ドル」は「人形」を意味する。
いえ、アイドルを「偶像」の意味では考えていません。この論文はあくまで社会学的なもので、そういった文化論的な視点はありません。「偶像崇拝」を問題とすると、領域が広くなりすぎます。
※アイドルの起源、成立を考えるのはおもしろい問題ですが、すごく大変な仕事になりますね。
そこなんですね。つまり、寿命の短いアイドルを永続化させる方法がアイドルのグループ化だとすると、そもそも寿命のないアイドルを考えるどうなるかっていうと、たぶんそういった方向へ行く。というか向かっている。
※ボーカロイドがアイドルだと仮定すると…
でもそうなっちゃうと、アイドルのそもそもの要素だった、「等身大」とか「私もアイドルになれるかもしれないと少女に思わせる可能性」というものが、たぶん失われる。だって、ボーカロイドになりたいとは思わないわけでしょ。
※実はここがアイドルの核心だと思うんです。つまり、受容者(ファン)やアイドル志望者、またアイドル自身、そして生産者(プロデューサー)の考えるアイドル像というものはそれぞれ異なっていて、そしてそれが現状、上手くはまっているのではないか。アイドルというサイクルをよく回しているのではないか。
だから、ボーカロイドがある一面においてだけ寿命のないアイドル(飽きられることはある)で、アイマスとかが声優の存在を入れて寿命のそこそこ長いアイドルで、グループ化したアイドル、という三つがある。
※あとは個人アイドルという区分があるかもしれません。しかし寿命の問題が致命的です。
ただボーカロイドは神格化すぎるっていうか、ファンのためだけのアイドルっていうか、目指す対象にはなりえない気がする。(いや、ミクになりたいという欲求はあるかしら?
※受け手と送り手の関係が、ボーカロイドはまた特殊な気がします。
結局、ピグマリオンコンプレックスってことかな、と思います。
※まあ身も蓋もない。
でも、たぶん見落しがあって、それは、アイドルになりたいって思う子の気持ちと、それを産業化した構造、そしてアイドルの寿命の短さって根本的な問題なんだよ。
※この問題に答えるのは、たぶん社会学とはちがうんでしょうね。
ここがなんともいいにくい
※いいにくい。
自分のアートが優先されない、評価の対象ではないってことかな。アイドルが手工業産業って意味がここにあって、アイドルはプロデューサーの作品って感じ。ニコニコの歌い手の歌というものは、その歌い手に帰属するわけだけれど、アイドルはそうじゃない。歌が問題じゃない。
※「アイドル」「アーティスト」の分類は、この論文に従ってのことです。私の意見はまたちょっと留保です。
ほんと、私アイドルなんてぜんぜん知らないのに、ちょっと突っ込みすぎた感じ。あとは専門家にお任せ。
※まあここらへんが限界です。
でも非常におもしろい論文でした。興味深い対象であることはよくわかった。しかし私の範囲外。あとはまたおもしろい論文や記事があったらそれを読むだけにしましょう。
※これは本当です。新たな知見を得ることができました。意義深い。