2007/09/30/Sun
「おもしろかった。ほんとにおもしろかった。進化と生命の象徴たる螺旋と、その螺旋の権化たる生命と、その螺旋の矛盾に絶望した生命の、銀河を縦横無尽に活劇する物語。‥螺旋の本能に迷いなく突き進む人間と、本能と理性の葛藤に宇宙の深淵に隠れつづけなければならなくなった人間‥アンチスパイラル。進化っていうの、けっこうふしぎ。進化するのはわかる‥よな気がするけど、進化して進化して、生命体を介して伝えつづけられる遺伝情報は、いったい、最終的に何を目指してるのだろなって、ちょっと考えたことあります。生物が環境に適応するために、亡びないようにあの手この手で進化しようとする、生き残ろうとするって事実は、それは生きてるのだからって私も生命の端くれだからなんとなくわかるかな。死にたくないっていうの、共感できる。‥でも、その死にたくないって気持を起こさせて、延々と無機的に遺伝子のうえにおかれた情報を伝えつづけさせようとする、グレンラガン的にいえば螺旋の本能は、どこか無機質で、そして非情で、なんだかわけがわからなくなる。私たちが滅びないようにして、次々と次代の生命体をつくって、さいごはどこに行きたいの? ‥生命とは利己的な遺伝子に盲目的にプログラムされた生存機械であるといったのは、リチャード・ドーキンスでした。でもこの手の問題は、生命と情報の問題は、なんで私たちは生きてるのかな‥という命題にまで行き当たります。私たちは、広い宇宙の一隅で、どうして生きているのかな、って。だからアンチスパイラルは、その問いを考えつづけた結果、螺旋の終局を死と結論して、利己的な遺伝子に反逆することを決意する。」
「本能の赴くまま、理性の命ずるがまま‥とはいうけれど、それらさえも生命の根本にインプットされた利己的な情報の意図するところかもしれない。そう考えていくと、生命に自由意志なんてないようにさえ思えるから、おかしいものよね。」
「生存機械、ただ情報を効率的に伝えるためだから、かな。だからアンチスパイラルは無敵だった。銀河のあらゆる生命を駆逐できたし、中途半端な螺旋の戦士じゃ、戦士の本能で螺旋の恐怖を直感してしまうから、アンチスパイラルを倒すまでには至らなかった。アンチスパイラルはシモンにいう。母星を捨て、知性体としての可能性も捨て、誇りも美も失って、この銀河を守ろうとする、われらの覚悟に敵うかって。‥覚悟。アンチスパイラルは覚悟といった。それは、螺旋力じゃないのかな。星も同胞も捨て去って、それでも銀河の崩壊を防ごうとする彼らの覚悟は、カミナが見せた気合、キタンが散った情熱と、同じものじゃなかったのかな。アンチスパイラルも元は螺旋の生命体だった。そして螺旋に叛旗を翻しても、彼らが頼ったのは、彼らに宿ったのは、覚悟と信念という、けっきょく螺旋力だった。だからシモンは勝つ。グレンラガンは勝つ。螺旋力と螺旋力との勝負なら、前に前に進もうとするシモンの螺旋力と、「螺旋の先」をおそれたアンチスパイラルの「貫通しない螺旋力」なら、矛盾あるだけ、アンチスパイラルには勝ち目ない。だからアンチスパイラルは敗れた。シモンは勝った。グレンラガンは勝った。行き着く先に滅びがあろうとも、先に進めばいいじゃないかって。大切な何かを失っても、先に進むのが、楽しいのじゃないかって。だからシモンは螺旋の運命のために、ニアを失う。愛するニアを、愛したニアを、螺旋のために失わなきゃならなかった。カミナもそして。ニアもそして。‥でも、シモンは止まらない。彼は前を向く。先に進む。螺旋の果てのそのまた先へ。シモンはいう。天の光はすべて星だって。そう、地に降り注ぐ光の先には、かならず星があるのだって。‥私は感動した。アンチスパイラルの矛盾を解く鍵は、こんなとこにあったんだ。銀河はスパイラルネメシスを乗り越える。なぜならそれが螺旋の意志だから。」
「生きねばならない。生きてるかぎり、生きねばならない。これはまったく、むずかしいこと。しかしそれだけの単純な事実ではあるのよね。銀河はどうあっても、螺旋の内に回転する。その先を阻むのは何ものにもできはしない、か。」
「永遠の回転。円は宇宙だから。‥グレンラガン、大好きでした。とてもおもしろく、とても素敵だった。とてもとても素敵な作品だった。ありがとう。」
「螺旋に終りはない、か。無量大数の絶望と、無量大数の生命が、この銀河には渦まいている。それに風穴を空けたのがカミナでありシモンであって、その穴から未来が拡がって行く。その未来は後のものが通って行く。だから天元突破、ね。本当に、かっこいいこと、してくれること。粋のあるとは、このことね。」
2007/09/29/Sat
「死ぬのがこわいというとき、それは無になるのがこわいっていっていいのかな。無になるというのは私がなくなるということで、それはけっこう、恐怖かな。つまり私は私という一貫性が失われちゃうことがこわくて、私という個性と自意識が無化されるのがこわいといってることと同義かも。‥そう考えてくと、私は私が失われることがこわいのであって、私が私でなくなるのがこわい。変化、というのよりももっと急激で異質な感じ。私が無になるこわさと、私が私でないだれかになるこわさは、似通ったものなのかも。」
「それってつまり私という意識が失われて、私が私の認知できない異質な存在になる可能性への恐怖ってことでしょ? ま、独我論的に考えれば死とは目覚めない眠りのことなのでしょうけど。」
「目覚めない眠りっていうのは、私が失われた、っていえるのかな。それって私が変質したわけじゃないけど、でも私としての一貫性は断たれてる。永遠に再開しない状態は、けっきょく私が失われたといっていいのじゃないかな。」
「なんともいえないことね。それを私が死んだイコール無になったと表現できないことはないでしょうけど、しかし言葉尻をとらえるわけじゃないけど、無になってみなければ、それはわからないことよ。」
「死んでみなきゃ、厳密にはわかんない。死んで厳密も何もないかなだけど、でもそれはほんとのようかも‥。すると考えてもわからないのでなくて、考えるからだめなのかも‥。でも目覚めぬ無意識が、私の意識にぜったいに把握できないものだって、決ったものじゃないよね。死は認識できないけど、観測はできるから。」
「死の問題は決着がどうもつかないかしらね。生きてる限り決着することはないのでしょうけど。」
「死んでから考えたらよろし、かな。澁澤はそんなこといってたっけ。」
「神とは虫のようだ‥だったかしらね。少しの孤独ね、それ。」
2007/09/29/Sat
「なんだかずいぶん寒くなってきた。もう十月だもの。それも当然かなって思う。ここ数日は、いろいろな人の意見がきけて、そのことでぼんやり考えたり物思いに耽ったりしたけど‥他者の言説、を否定する言説というのはかならず存在するものだなって思った。私がこう思うよーってのがあって、私はそう思わないよーってのがある。ある意味そういうのはあって当然で、そういうのがあるから楽しいのかなって思う。けれどそういった価値観の相違というのは、けっこうぶつかりあっちゃうもの、なのかもかな。コメントに悪意、なんてこともたまにはあるかなだけど、ネットというのはその悪意を看過することがシステム的にむずかしいよな気がする。ネットはあらゆるものを受け入れるから、そこには当然善悪も生じる。でも善悪というのは関係性のなかでしか語れないものだから、その言説を離れたならそれに拠る善悪からも離れなくちゃいけない。言説と人格は、ちがうものだと思うから。」
「言葉はあくまで言葉にすぎない、というのかしらね。ただネットというのは言葉の形でしか個人を把握することができない。だとするとその言葉の表層にとらわれるのも致し方ないことといえるかしらね。」
「でも私はどんなコメントがあってもべつにいいかなって思う。‥サドは否定された。サドは弱々だった。サドは負けた。私はサドを否定しない。サドを否定しない私は、だから負けない。そしてサドは負けたことがなかった。それが私の文学趣味の、矜持かも。」
「けっこう放言ね。サドは負けなかった。勝ち負け云々する時点で、ま、弱々であることには変わりないのでしょうけど。」
『落下する小林は地獄を見たかもしれぬ。しかし落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かもしれぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のような地獄であった。彼はもう何をしでかすかわからない人間という奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。しかし地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。』
坂口安吾「教祖の文学」
2007/09/28/Fri
「原稿は燃えないものだ、といった革命後のロシアを代表する作家ブルガーコフの中篇小説「運命の卵」は、世界的学者ペルシコフ教授が謎の赤色光線を発見することからはじまります。動物学者であるペルシコフはある実験の最中に、生物を飛躍的に成長させる光線に気づく。その光線に当てられると、生物は異常な繁殖力と生命力を得ちゃって、その強靭さはおどろくばかり。さっそくこの研究にとりかかる教授ですが、折りしも起こった国内の鶏が次々と死んでくって事件が教授の研究を思わぬ方向に導きます。鶏の突如の大量死亡は伝染病かそれともほかの何かが原因か‥。しかし大量の鶏を失った政府は、ペルシコフの研究していた赤色光線に注目します。これを用いれば失った鶏を手早く回復させることができるのでないかって。まだ研究中の光線をそんなあやふやなことに使うわけにはいかないって教授はいうけれど、役人の横暴さは赤色光線の実験を敢行します。しかしどんな手違いか、赤色光線は鶏でなくて予想もしない生物に照射されてしまう。南米の凶暴な動物たちが、強靭な固体と繁殖力を得て、未曾有のバイオハザードがロシアを襲う。‥というのが、「運命の卵」のお話です。」
「なんともSFの王道ともいえる展開ね。これが1924年の作品でしょ。その発想の新鮮さは百年ほど経ってもまったく色褪せないことね。」
「でも当時は役人がたいへんなことしちゃうから、ソヴィエト批判とかともいわれたみたい。非文学的な圧力のために長いあいだブルガーコフの名前は埋れてて、彼の名誉回復が行なわれたのはスターリン批判後なんだよね。」
「ままならぬことね。ソ連というと、そこらは仕方ないことなのでしょうけど。」
「でもブルガーコフおもしろかったー。文章がシンプルで展開がダイナミックで、そしてすごい幻想的な描写。ユーモアもあって、ペルシコフ教授の人間味はとても魅力的でした。おもしろかった。」
「ペルシコフの末路は、なんとも悲劇よね。マッドサイエンティストの行く末は、どこも同じなのかしらね。」
ブルガーコフ「悪魔物語・運命の卵」
2007/09/27/Thu
「今回はちとせが麦ちゃんのライバルだってひとりで盛り上がって、オーディションで対決することになっちゃうお話。ちとせはー麦ちゃんにーこだわるのだー。」
「ライバル視してるって話は前からあったものだけど。具体的に進展することはなかったのよね。奮起される場面はあったけど‥」
「麦ちゃんは声が魅力的だって長所が描写されてるけど、ちとせのすごいとこってまだあんまり具体的じゃないのだよね。隠されしオリナルの力が発揮されそな予感。」
「ちとせのすごいところねー。アドリブやってポカやった印象が強いけど。‥強いていうなら、気合?」
「気合かな。」
「麦ちゃんは気合というのとはギャップがあるのよね。威嚇されたら尻込みするでしょうし。」
「麦ちゃんのパジャマ姿、かわいかったねっ。」
「いきなり話題逸らすな。」
「オリナルもおもしろいけど、きょーちゃんもなんだかいろいろありそで楽しみです。彼の孤独はだれが埋めるのかなー。」
「あら。きょーちゃんって孤独?」
「そんな気がするよかん。ときおり見せる表情は野乃先輩を思い出させるような、そうでないような。」
「妄想ねー。べつに構わないけど。」
「麦ちゃんとちとせの初対決。どうなるかな。オリナルが挑むなんて百年早いのだっ。」
「はてさて。ちとせのほうが経験はありそうだけれど。どうなるかしら。これ。」
2007/09/26/Wed
「これでおしまい。今まで散々いってきたし、今さらとくにいうことないかな。最終回はさいしょからさいごまであっさりしてて、べつに可もなく不可もなく。感情に残るようなのありませんでした。だから気になるとこは少しだけ。‥ナンバーズ一味が逮捕されたーはそれでいいけど、でもそれでこの事件が解決したわけじゃないよね。黒幕は管理局の歪な組織構造にこそあって、そこにふれない‥それがメインでないこの作品は、やっぱりさいしょから無理があったんだろうなって思う。組織とか、やんなくてよかったのですよ。意味ないし、それが主軸じゃないもん。なのはが暴れたらそれでよろしであって、そうじゃない部分に割かし踏みこんじゃったのが失敗。階級や分隊をファッション感覚でやりすぎでした。」
「ナンバーズの処分もけっこうすごいものね。」
「捜査に協力的な人たちは再教育って穏当な処置で、非協力的な人たちは隔離って、すごいよねー。おどろいた。それってつまり警察検察に従順なら減刑で、反抗的なら恩赦無用ってことだよね。ミッドチルダって、国家主義的すぎ。こんな組織が最高権力なのだから、次元犯罪者が後を絶たないのもなんだか納得です。大本が腐敗してるのだー。」
「ルーテシアも無人世界に隔離なのよね。彼女のしたことはヴォルケンに比べればそれほど重いものとも思えないけど。」
「魔力封印というのがあるならば、エリオキャロにも施してあげて、それで学校なり施設なり行かせてあげればよかったのじゃないかな。魔力封印なんてできるのかとおどろきでしたが、それが可能なら子どもの被害者の処置はけっこう穏当にできるよね。でもエリオキャロは囲って戦力にしちゃう管理局すごく外道。はやても、内部から変えるのなんて無理だなって思ったほうがいいよ。評議会死んでもこれだもの。何も変わらないよ。」
「けっきょくミッドチルダはディストピアということね。管理世界なんて言葉を使ってるところから、それは窺えたものだけど。」
「何かな。理想世界として描かれたミッドチルダが、実はすばらしい新世界だったのは、皮肉。善悪をどう認識してるかが透けて見えるよな気がする。なのは万歳な演出も、きっと無邪気さから出てたよな気がする。背筋が少し、冷えるかな。」
「ま、そう考えすぎる作品でもないのでしょうね。頭を空にして、魔法少女の活躍を楽しむというのが本旨だったのでしょうけど、その活躍シーンもよく描けていたとは言い難いし。」
「けっきょく失敗、かな。今思うと、8話のティアナ撃墜で私があんな怒ったのはなんでだったのかな。今でもぼんやり考えるけど、あれが、私がこの作品に真摯に向ったいちばんの瞬間だった気がする。私は、他者に対し、暴力的でありたくない。‥なんて、冗談もほどほどにしなさいよ、だけど。」
「笑うところね、それ。」
「あはは。漫画版から一年かー。すごく長く関わってきました。心から楽しめたとはいえないけれど、それでもいろいろ考えさせられて、それは有意義な時間だったと思いたいな。さよなら、なのは。」
「はてさてね。この作品の評価は、それこそ一年後、二年後、時間をおいて始めて見えてくる部分があるでしょうね。願わくは、偏見のない評価がされるように、かしら。それこそ冗談ではないでしょうけど。ま、これで終り、ね。」
2007/09/25/Tue
お前らの人生を変えた読書「へー。そんなかな、とけっこう興味ふかいです。ということで、私のおすすめ(→
デカルト「方法序説」)。」
「そこでデカルト出すの。ま、非常に読みやすい作品ではあるし。」
「うん。デカルトの方法序説はすごく読みやすいよ。なんていうのかな、方法序説に書いてあることはベタに哲学‥みたいなのじゃなくて、デカルトが私はこんなふうに考えてきたんだよーみたいに自分のこと紹介文みたいな、これまでの遍歴を徒然語ったり、そういった意味では青春エッセイなんてもいえたりするかもです。そんなに長くないし、読むの早い人ならすぐ読めちゃいますよ。おすすめ。」
「Le Discours de la methode. 直訳して方法論、意訳したら「デカルト流考え方とはこれだ!」かしら。‥いや、今のなし。」
「あはは。お姉ちゃん可愛いー。」
「‥うっさい。」
「でもほんとそんな感じ。歴史と文化はちがうけど、デカルトも私たちと同じ人間で、だからデカルトはおもしろくそして偉大なのだよね。‥哲学って、自分の趣味であーだこーだするためにあるもので、それを頭いいふうにする材料にしちゃうとまったくあれれ。読書も同じ。だから気楽に。哲学書はけっこうかんたんに読めるの多いですよ。少なくともプラトンやデカルトは、灼眼のシャナよりはずっと読みやすい。私はそれは保証していいかも。」
「ま、ギリシア哲学は訳次第でそうとうおもしろいものよね。ニーチェやバタイユまで行くと、読みやすいとは断じていえないけれど。ここらは先入観なくせば、そうとう踏み込みやすいでしょうね。」
→
デカルト「方法序説」について
2007/09/25/Tue
「ぼんやりと、ヴェイユのこと考える。ヴェイユって人はいったい何を見てたのかな。ヴェイユの生涯のさいごは、ほとんど自殺のようなもので、その有様はほかの人からみればほとんどきちがいだったのだろうなって思う。それはたぶんそのとおりで、でもヴェイユの気が違ってるって感覚は、生涯を通じて一貫したものだった。一時の気の迷いでなくて、彼女のなかのある核心が、結果的にヴェイユのさいごまでを導いたような、へんな印象がある、かな。ヴェイユは我意というもの‥悪に敏感で、そしてそれに対する姿勢、思想と実戦が、どうしようもないほど一貫してた。そこが、たぶん彼女の滅びを招きよせた。」
「シモーヌ・ヴェイユ、ね。彼女は哲学者かしら。それとも、神秘家かしら。」
「何を見てたのかな。ヴェイユのいう重力って、なんだろ。ヴェイユは世界を重力の支配するあり方として、高さと低さ、善と悪を語った。そして真空こそが恩寵だとした。恵み、神の恵み、恩寵、恩恵、与えられるもの。望むもの。希うもの。‥でも、それらを欲するところに低さがある。嘆願するところに我意がある。だから真空をこそ引き受けなくちゃいけない。真空を招かなきゃいけない。そして結果として、真空を引き寄せた彼女は死んだ。‥その、ヴェイユが実践した情熱のようなものって、いったいなんなんだろ。ヴェイユの語った言葉の、振り来るところはどこだったんだろ。私は、それが、わからない。そしてそれが何かなって考えることは、少し、こわい。」
「佳代には、信仰、ないものね。」
「そう、なのかな。そうで、あるのかな。」
「笑うところ? はてさてね。」
2007/09/25/Tue
「今日は中秋の名月。なので白玉買ってきた。今夜はよい月が見れそな感じ。風も涼やか、辺りもしずか。まっさらな月に、まっしろな光。よい月が見えるといいな。素敵な夜になるといいな。」
「さて。雨雲なしで、快晴ね。どんな月が拝めるかしら‥」
『九たび起ても月の七ツ哉』
芭蕉
2007/09/24/Mon
情報格差──これから始まろうとしている本当の格差社会「後半のネットがあれば学校要らないは笑っちゃうかな。情報格差というのはなかなかぴんとこないです。テレビや新聞ばかり見てるとばかになるなんてあるけれど、そんなものなのかなー。有効な情報を取捨選択すればよろし、なのだろうけど、でもそれはネットもそんな変わんないよね。有効な情報だけを選別できればよさげだけど、ネットでは有効でない情報の群がシステム的に不可欠みたいな。そこらがネットの柔軟さみたいな感じも、しないでない、かな。」
「ま、必要な情報といっても、ふつうの人がふつうに必要とする情報となると、相当制限できるでしょうね。どのみち一般人が一時情報を確保できるわけがないのだし、となると報道やネットを介して得た情報をどう扱うか‥が肝心になるのでしょうね。」
「そだよね。情報の入手法があれれなのでなくて、その情報の自分なりの位置づけ、そしてほかの情報との関連性とか考えればよいのじゃないかな。なんて偉そうなこといっちゃった。でもこの記事はネットの情報の信頼性についてあんまりふれてなくて、そこがちょっと気になった。どかな。」
「はてね。例に挙げてあるものちょっとした偏向はあるかしらね。そう突っ込むところでもないでしょうけど。」
『どれだけ経験を積んでも、人間の時間には限りがあります。その限りある時間をインターネットという高速道路を活用して効率的に学習してきた世代と、インターネットが無かった時代に学習して来た世代。その両者には深い溝が生まれています。』
「あはは。そうそう。そんなです。ネットなしで己ひとつで学習してきた人というのは、ほんとすごい。南方熊楠とか。私たちじゃ適わないですよ。」
「あら、皮肉だこと。南方熊楠は超人すぎるけど、たしかにネットなんて小細工は通用しないでしょうね。」
「ネットの情報もなんだろな、だもんね。ささやかな気持をエントリにこめて、今日もネットのエントロピーをふやすのだ。エレーヌ・ジェガード事件なんて、ググる人いるのかなー。」
「マニアックにすぎることね。しかしこれもネットのエントロピーの一例といえるかしら? 有効な情報とそうでない情報なんて、だれが区別するのかしらね。ちょっと傲慢よ。」
2007/09/24/Mon
「ヴィヴィオの母親なのはママのやりとりは苦手。‥ってけっこう書いてるけど、実はほんとに苦手だったり。なのはママとかフェイトママとか、心情的にはすごくやっちゃったなーで、もうこれでやめちゃおかなって思ったくらいに実はどん引き。なんであんなふうになっちゃうのかなーで、うーんと唸る。」
「はてね。少女がそのまま母親に移行した違和感がとかいってたのじゃないの?」
「なんかすごく歪なふうにみえちゃうのかな。つまりあれって‥少女に母親になってほしいって、感覚なのだよね。無垢な少女がそのままお母さんになってほしいって、少女から母親に至るあいだの、こういう言い方はへんだけど、汚れ‥をなくした無垢なままの母親を。‥それで、無垢である面完全な母性、私だけのママ‥みたいな観念を具象したのがなのはママ、っていえるのかな‥。強くてやさしくて、完全な存在。だからそんな存在たるなのはへの思慕も、なんだかカルト的になっちゃうのかも。」
「はてさて。つまりそれは母親を求める、というか、ま、単純なマザーコンプレックスよね。処女願望もふくまれてるけど。」
「処女と母性。相反する二つの観念を統合した存在がなのはママってなるのかな。なんかすごいけど。」
「三期のなのはが無敵なのも、母としての相貌が色濃いからかしらね。母は負けない、母は強し、ってのかしらね。」
「うーん‥だから苦手。そういえばボードレールもマザーコンプレックスなとこあったっけ‥」
「ある意味、原初的な欲求なのでしょうね。だからなのはが奉られるのも、道理がないわけではないのでしょうね。」
「なのはママ云々で子育て描いた作品で素敵なのって何かなって考えたのだけど、よつばとって素敵じゃない? あれってすごくいいよねー。小岩井さん、素敵っ。」
「ここでよつばと出す? ま、あれはよさげね。子どもは遊ばないと。そして他人と関わらないと。それでなくては、おもしろくないものね。」
2007/09/24/Mon
「倫理というのがどういうものかけっこう言葉でうまくいえない。倫理的であることというか、そういった倫理観みたいなのと自分はどうやって向き合ったらいいのかな、とか思う。自分自身がしっかりしてればいいのだろうけど、でもひとりよがりの倫理‥なんてのは言葉の矛盾で、倫理はいくらか普遍性をもってなきゃ倫理とよばれるわけにはいかない。でもかといって、倫理は大切だーみたいな感じで、他者にモラルを極端に求めるのも、それはなんだかちがうのじゃないのかなって気がする。心の宗教みたいになるの。あなたの行いはアンモラルだからここをこうすればよくなるざますみたいな。学校の生活指導‥とはちがうけど、うーん、教育勅語みたいなノリ?といえばいえるかな。」
「つまり倫理は大切なものというのはまちがいない。しかしそれを一般化することと、自己の規範として引き受けることは、どうもちがうようだ、‥ということよね。」
「うん。そんなみたい。倫理って何かな。常識‥ある面では常識なのだよね。心に対する違和感‥みたいなのが、倫理を大切にしようって気持の生まれ出る源泉なのかも。反倫理の行いは、見る個人に直感的な違和感を感じさせるものっていえるのじゃないかな。」
「それはそうかもしれないかしらね。すると倫理というのは大多数の人の感じる違和感をなくすためのもの? ‥どうもいささか煩雑ね。」
「むしろ美的感覚なのじゃないかな。ある行為を醜いって表するのは、倫理が美の基準から云々されるものだってことを示してる証左なのかも。だとすると、倫理を蔑ろにすることは、自分の醜さを曝け出すこととなって、それは自己嫌悪に至る。そしてその自己嫌悪こそが、孤独のことなのかも。」
「ひとりきりでいるから、見たくもない自分が反省される、か。しかしそれに至らないことも多々あるのじゃない?」
「うーん‥それはなんだろ。そこは、けっこう本質的な問いのよな気がする。お姉ちゃん、わかる?」
「はてさてね。適当な理由を当てはめるのはすぐできるでしょうけれど、そうしても続かないもの。ま、こんなところかしらね。」
2007/09/23/Sun
「スクイズのさいごが当分見れそうにないから、思うところをちょっと書いとこうかな。‥誠死ね、というのがひとつの決り文句になってて、それはけっこうわかるかなって思う。でも私自身は誠死ねとはぜんぜん思わなくて、見ててもとくに気分がわーとかはべつにない。それで、もしスクイズのあの修羅場の関係性に自分がなんらかの形で少しでも関われる位置にいたなら、誠を止める? 私は止めないだろうな、って思う。私の友だちが誠と何かなったとしたら、そのときは二言三言おせっかいみたいなことするかもかなだけど、そのあと私は黙って離れてく。理由は単純で、私には関係ないから。誠のような人とは関わりたくない。そういった環境からは逃げていたい。そういった意味で、私は知り合いとも離れるし、ある側面からは情を切り捨てた、っていえるかもしれない。でも私は誠のような人とは離れたとこにいたい。そしてその態度は、他人と真剣に向き合うことをめんどがった‥怠惰と怯惰の結果だって、いえるかもしれない。誠のしてることはある種の類型で、だから誠を襲う絶望も救いも凡庸なものになる。そのことはわかりきってるから、私は彼から離れた位置で、彼の傷つけた人たちから離れた位置で、傷つかない私を、しずかに認識してる。」
「ありふれた、というのは問題かしらね。しかし誠の行動は、やはりありふれたものよ。」
「その拠る心情は、かな。誠のいる環境はちょっと誇張されてるけど‥学校の風紀とか‥誠自体は空虚な人。それを埋めるための抗いが、すべてだったのかな。」
「そういってしまえば、それはすべての人に当てはまることよ。一種の逃避よ。認めたくないのなら、目を逸らせばいいだけよ。ちがうかしら?」
2007/09/22/Sat
彼氏にするなら『理系の人は、案外感情的になる人が多い(自分自身は感情的になっているとは露ほども思っていないようだが…)。対話も出来ない。ただ自分の主張を繰り返し押し付けるばかりで、相手の話を聞こうとはしない。
文系の人は、その時その時で話している、といった感じで、主張が一貫していない。中身がなく、ほとんどノリで話している。ノリで話しているため話が浅く、そのため少しでも突っ込まれると答えられず不機嫌になる。』
「そだよねー。けっこうそうそう、そんな感じ。おじさんが理系の権化のような人なのですけど、その人とお話するといつもたいへん。なんでかーというと、あれって手段としての数学が完璧だから、目的まで完璧だって思っちゃってるのじゃないかな。でもその信頼はけっこう盲目的。おじさんに対し、暴言な私。」
「ま、暴言はどうしようもないけど。しかし文系が少し突っ込まれると不機嫌になるとあるけれど、これはけっこう、だれでもそうね。」
「私もそう。」
「いばるな。」
「でも文系理系の区別はおいといても、議論のできる人って少ない気がする。相手と向いあって、何かを臆面なくいいあえること。日本だと、議論の場でも相手の主張を一方的に挫いちゃいけないって情がある気がする。後腐れなしですっきりというのがむずかしいかもかなって思う。感情的にならずにきちんと対話、感情的になってもいいのだけど、そのあとで落ちつけることってそんなない気がする。ネットとかリアルとかあんまり関係なくて、相手と向きあっての堂々とした対話、みたいなの。けっこう苦手な人多いかも。」
「情が介在する、というのはあるかしらね。空気を読む、という言葉が端的に象徴してるけど、空気を読まないのは嫌われるのよ。いいことかどうかはべつにしても、それが日本の風土としてはあるかしらね。」
「お姉ちゃんも空気読めないよね。」
「あんたもよ。」
2007/09/22/Sat
春秋(9/22)『量販店のビックカメラとベスト電器も手を携えるというから、業界の様相が一変するかもしれない。ただ忘れてもらいたくないのは、「三種の神器」のように輝ける製品を生み出す情熱だ。かつてテレビが初めて家に届いたとき、大人も子供も大いに興奮したものだ。今ふたたび、魔法も奇蹟も味わわせてほしい。』
「ただその情熱は長続きしなかった、かな? 私はほとんどテレビ見ないです。何時間もテレビの前にいるーということぜんぜんないです。でもおばあちゃんとか、ずっと日がな一日テレビの前にいる人っていて、あれってなんなのかなって思う。ほかにやることない、というのがあるのだろけど。」
「趣味の有無といってしまえばそれまででしょうけど。テレビ自体長時間見ていてもしかたないでしょうね。」
「そういえばこんな話あった。ロンドンの老人がねー、一日中、テレビつけてたの。アパートの部屋で、テレビの音が延々として一日中。老人はずっと部屋にいた。そのうち真夜中になって、テレビのさいごの番組も終っちゃった。途端に無音になる室内。老人は青ざめて、震える手で受話器を取った。助けてくれ、って。駆けつけたのは警察官。老人は彼らにすりより、こういった。ああ助かった。さみしくてさみしくてたまらなかったんだ。」
「‥それはなんとも、いいがたい話ね。」
「テレビといっしょのほうが孤独を感じるよな気がするけど。テレビって、あまり、おもしろくない。私が何もできないもん。」
「能動的に取り組めないということ? ま、受動的なメディアだし。ラジオはこれとはちょっとちがうのよね。なぜかしら。」
2007/09/22/Sat
「怖いのかな、って思う。アニメがスケープゴートにされるのは、それが体のいいものだからだとしても、スケープゴートにしなきゃならない理由、何かからの影響だって信じたい部分は、けっこう切実な気がする。信じられない事件があって、認めがたい行状が伝えられて、それは何か異常なものだ、影響を受けたものだ、ふつうに暮らしてればそんなこととは無縁でいられる‥そうだって思いたい、その心情は、けっこう深刻な気がする。」
「おそろしい事件、というか、それらが身近に起こるかもしれない恐怖かしらね。社会にそんな異常事を起こさせる何かがあると思うのは、ぞっとすること、なのでしょうね。」
「でも、そのことは実際に社会に起こった。だから、いくらアニメやゲームのせいにしても、そのことは、社会が行なった、ということにもいえるのじゃないかな。私たちの社会は、そういった事件を起こさせる何かがあって、その事実から、目を逸らしちゃいけない。社会はその事件を引き受けなきゃいけないのじゃないかな。きっと、それはアニメの影響のせいなんかじゃないですよ。でも、だから私たち全員の社会にそれを帰するのは、きっとこわいこと。とてもとても、やなことって、なるのだろな。それは、そうだろなって、思う。」
「社会が責任として引き受ける、か。その倫理観は、またおそろしく強靭なものが求められることね。」
「でも、そうしなきゃいけないのじゃないかな。‥でも、私にそれができるかときかれると、私は答えられないのじゃないかって気がする。私にそれができるのか? ‥わかんないな、それは。私には答える言葉がない。」
「一種の理想論だから? それとも、この問題は悪魔的な相貌が、覗けてるということかしらね。わからないこと。」
2007/09/21/Fri
「ひぐらしのなく頃に解」 放送中止のお知らせ「あのですね、それをいったらなんでもありになっちゃうじゃないかって話です。影響なんてほんとになんとでもいえるもので、私が暴力事件を起こしたら、それはサドを読んだせいだといえばサドを発禁にし、ドストエフスキーの罪と罰に感化されたためだといえば今さらドストエフスキーを問題にし、ジュネの華麗なる犯罪行為に焦がれたためだといえばジュネを取り上げて、クトゥルフの深淵な声が私を導いたのだといえばラヴクラフトの電波まともにあびちゃってるぜーってなるのですか。そんなことないよね。それは、論理的に、おかしい。影響があることは否定しない。でもそれによって起こった事実は、作品とはなんの関係もない。それをめちゃくちゃにするのは、単なる思想の統制にほかならない。それは自由の侵害。というか、こんなとこまでくだらない放送倫理を持ちこむのでないよ。頭くる。」
「さてね。いくらなんでも意識過剰よね。こういった理屈を極端まで進めれば、あらゆる個性ある思想が弾圧されることになるし。‥全体主義ね、それ。」
「あらゆる個性的なものに対する恐怖の底意が見える、かな。人間の主体的な自由と係りのある本質的な価値は、実利的なものばかりじゃないです。それは想像の、日常的価値を逆転させた、消費のための消費の価値。つまり芸術、作品。それらの価値を社会的影響云々って空言の実利的価値感覚で否定することは、私には許容しがたいことだけど、でもどうなのかな。私はスクイズもひぐらしも放映すべきだと思う。ここで逃げちゃ、だめですよ。」
「反社会的、危険なものはすべからく排除すべし、か。そんなことはできるわけないのよね。その教訓は歴史にこそあるのだけど、まったく、どうかしらね。はてさてよ。」
2007/09/20/Thu
School Days:京都の父殺害事件で最終回の放送見送る 女子高生の暴力シーンを考慮「あはは。なんだかへんなことになっちゃった。単純な話ですけど、作品と現実をごっちゃにしちゃいけないし、影響云々にしても統計的なものというより感情的なものなのだろな。でもこれでますます最終回に期待する私。すごく魅力的な最終回になったみたい。」
「しかし作品の独立性という観点からみると、あれよね。実際問題影響があるからといえば、どんな作品でも禁制にできるだろうし、不道徳的非倫理的な基準だなんて恣意的なものにしかならないし。だとするとけっきょくは言論の否定よね。ま、かんたんにはいえないことだけど。」
「こんなもの流すの不謹慎じゃないかーって論理だね。でもいちばん影響力があるのはニュースの事件報道だったり。そこらの倫理はどうなってるのかな。きな臭くてあれれな話題だけど。」
「最終的には個人責任に帰着するのでしょうけど。報道倫理というのはしようもないものだこと。」
2007/09/20/Thu
「を挙げていこー! お姉ちゃん、何かある?」
「ラヴクラフト。」
「いきなり本命が出ちゃった。ほかにはエヴァとかかな。」
「エヴァもねー。あれも解決されない設定が多かったものね。それが売りのひとつであったけど。」
「ラヴクラフトって何か起こるぞ起こるぞーっていっていて、何か起こったかなどうかな、恐怖だーで終るんだよね。ひとつのお話でみると何がなんだかわかんないだけど、それらが綜合するとクトゥルフになってるみたいな。世界観を広げる‥というより、世界観を構築するそのものの伏線ってのかな。」
「そうね。物語には主体的には絡まないけど、それなしでは物語はそもそも起こりえなかったというか。後々でクトゥルフという巨大な舞台装置に絡め取られていたことがわかって、ぞっとするというか、そういうのかしらね。」
「うーん‥士郎正宗なんてどうだろ。あれも世界観のための設定みたいなのは多い気がする。」
「というより、世界観そのものが作品なのよね。だから世界観のためだけの設定も価値あるというか。トールキンなんかもそれに含んでいいかしらね。」
2007/09/20/Thu
「友だちをつくること、について考えたことがあった。今はそんなことあんまり考えないけど、他者との付き合い方‥みたいなのに思いこんだことがあった。」
「へー。ふだん友だちなんてべつにとかいってるくせに。珍しいことね。」
「プラトンパンチをくらへー!」
「ぐがっ‥!?」
「そんなこといってないもん! 因果地平まで吹っ飛べー!」
「がっ‥!? って! けっこういってるでしょ!? そういう雰囲気のこと!」
「デリカシーないのきらい。お姉ちゃん、空気読んでよ。」
「あんたがいうか!? ‥で、なんの話なの?」
「共有できる気分、なのじゃないかなって私は思った。私が感じてる気分と、あなたが感じてる気分。これがいっしょになれるかな。同じ気持を共有できるかな。それができたらいい雰囲気ということなのだろうけど、でもどこか、私には私しか感じてない気分というのがある。私には私にのみ閉ざされた感覚、というのがあるのじゃないかって、私はそんなこと考えた。ある種の自閉かな。私の考えは、私以外の、だれにも共有することはできない。」
「ふーん。でもそれはある意味当然ともいえるでしょ。感情というのを真に理解するのは、自分にも不可能な領域よ。」
「そだね。でもそういうこといってたら、人付き合いはできない。他人と、向き合うことはむずかしい。私は一時、そういったなんだか他人とちがってどうすればいいのかなあれれみたいな感覚で、むかしの私は、どうやって友だちつくったんだっけとか、思い出そうとしてがんばったことがあった。でも思い出せなくて、よけい泥沼。あはは。」
「‥ま、そういうこともあるかしらね。それで、その自閉的感覚は解決したのかしら?」
「解決しないよ。どうやって友だちつくってたのかなーって、今も思い出せないもん。」
「‥そう。」
「思い出せなくて、でも、べつにいいかな。惰性でいい加減で、そんな気分。この気分は、私にいつまでついて回るのかな。わかんないや。」
「死ぬまで、かしらね。死とともに、その感覚と、その感覚によっての経験と、その経験によっての世界は、崩壊するのでしょうね。気分の問題、ね。」
2007/09/19/Wed
「さてと、なのは感想かなっと。‥っていっても、やっぱりあれれ。うーんと、つまんなかったね。あはは。何がつまらないのかというと、単純、物語がおもしろくない。ほんとによくわからないストーリーでした。新人育成なんて形だけだし、レジアスのアインへリアルなんてなんのためにあったのかーだし、ゼストは基本何がしたかったのかとか、スカリエッティはけっきょく目的なんだったの実験めいっぱいしたいぜって理由で戦艦浮上させて地上の民衆を人質にとったの、何いってるのかわからないけどスカリエッティのしたことってそういうことだから、つまりあれれれれ。ヴィヴィオもなんでいきなりほんとのママはだれだーとかって暴れてるの。下水道うろついてたのはけっきょくなんだったのかな。どこから逃げ出してきたのかな。ホテルの回で密輸されたのっていったいなんだったのかな。スバルがサイボーグって意味あったのかな。はやてが思いつめてたのも、けっきょくブラフ? それでラストバトルがよくわからない自信に満ちてたクアットロで、よくわからないけど洗脳されてたみたいなそうじゃないみたいな、でも制御がきかなくてスターライトブレイカー! ‥物語じゃ、ないのじゃないかなー。」
「はてさて。起承転結ときれいにまとまらなかっただけ、というわけでもないでしょうね。整合性というかなんというか‥」
「なんでかな。終ってみたら、酷評ばかりだった気がする。ちょうど一年前だよね、メガマガでなのは漫画版の連載がはじまったのって。私それから感想してるけど、さいごがこんななるなんて思わなかったな。こんなじゃ評価はできないです。おもしろくなかったもん。」
「しかし一年ね。この作品には長く関わっていたこと。風呂敷広げすぎたのかしらね。予言もまったく本編に絡まないし。」
「さいごはどうなるか、なんていわない。もう期待してないもん。私はむかしのなのはは好きでした。おしまい。」
「次回で最終回、ね。すんなり溜飲が下がるとはいかないでしょうけど。どうラストになるのかしら‥」
2007/09/19/Wed
<環境危機時計>世界平均14分進む 日本は9時34分 (毎日新聞)『97年、先進国間で温室効果ガスの削減義務を課した京都議定書が採択された。すると、針は9時前後を推移するようになり、将来を不安視しながらも落ち着きを見せた。
だが、01年に世界最大の温室効果ガス排出国の米国が議定書からの離脱を表明した。議定書は05年に発効したが米国は参加せず、削減義務の対象国には排出量が急増中の中国やインドは入っていない。温暖化防止の実効性に暗雲が垂れこめ、この2年間は急激に針が進んだ。』
「ここらへんはちょっと安直にすぎるのじゃない。うーん、でもなんかいたずらに危機感煽ってるだけのよな気がしないでもないかな。」
「はてね。もちろん環境問題は大切だけれど、どうもこういう危機意識の持ち方は、オクターブが外れてるような印象はあるのよね。」
「みんなカタストロフィーが好きなのかな。地球が最終的にどかーんって、人類破滅のようなヴィジョンでもみえちゃってるとかかな。温暖化すれば、生態系も変わる。人類がその過程で滅亡するかはわかんないけど‥滅亡するほど変わるとも思えないけど‥それも地球の歴史の一幕。人間は地球のうえにいるだけの生物。その意味で、人類も選別されてきたのだし、これからも選別されるだけのこと。カタストロフィーなんて、ないのじゃない?」
「ま、氷河期もあったことだしね。針はもう戻らないまま破綻するのかなんて記事にあるけど、何を指して破綻とするかは、はてさてね。」
2007/09/19/Wed
春秋(9/19)「自殺を強いられた、っていうのかな。ほんとは自殺したくなかったのかな。なんていうと、ちょっと詰まるけど。」
「はてさてね。追い込まれる前に逃げる‥のがいいとは思うけれど、ま、逃げられないものね。」
「それって、なんでかな。」
「自分にも責任の一端があると思うからじゃない?」
「責任、か‥。自分が失敗したりまちがったりする。それで、その失敗の原因は何かなとか考えるけど、実は原因なんてなかったりすることがある。まちがいや、過失があって、でも自分がわるいわけじゃないって場合がけっこうある。けれどそういう状況はなかなか見えにくいもの、なのかな。うまくいかない、ね。」
「うそをついたらお金を払え、というのもおもしろいことよね。嘘をついたら、何か理由があるのかしら。」
『幼いときは「みんな仲良く、けんかはだめ」。思春期には「摩擦を起こさず上手に生きろ」。もっともらしい建前と小ざかしい方便に絡み取られた子供たちは、攻撃と抑制のルールを持たぬまま暴走する。』
「かといって、真実教えるのもどうかなだけど。それに真実教えるのはたぶん教師の仕事じゃない。ならだれ?となるのだけれど。」
「そのうちわかること。‥いや、あんがい子どもこそ最も真実に近いかしらね。ただそれを大人に否定されるだけよ。」
2007/09/18/Tue
「暴力をふるう同級生ってこわいものだよね。なんて、いきなり何かなだけど、ぼんやり回顧すると、小学校のときのクラスの雰囲気とか、実質ヒエラルキーみたいなのがあったなーって。一部の目立つ子ども、何で目立つかはいろいろだけど、そういう人たちにクラスって支配されちゃうものだよね。小学校、中学校、高校‥はどうだったかな。けっこう希薄になるのかな。でも他者に対し、暴力的にふるまう、というのは実質的には関わりのない子にも、支配の影響を与えてしまうもの。それもひとつの社会の縮図かなだけど、本来の社会はもっと大きいし、学校のクラスよりずっと構わないでいてくれるし、逃げることもだいぶかんたんになる。かんたんに逃げられない環境はやだな。いやなことがあったら、すぐ逃げて、それでずるずる歩いてくことができるのが、いいことな気がする。」
「恐怖支配はあってはならないことだけれど、実際はそれなりあるのよね。子どものうちだと、とくに見える子には、見えるものかしら。」
「大人になると、けっこうぐだぐだ。環境は離れれば消えるけど、離れるまでに一撃を食らっちゃうとあれれかも。‥なんか、もっと逃げちゃえばよかったのにとか、学校のこと思いだすとあるかもかな。立ち向かうことが、よいことって、わけでもないのに。」
「今さらな話ね。」
「今さらな話だもん。」
「逃げられずに、一撃を食らう、か。ま、そんなものよね。回顧できるだけましよ。」
2007/09/18/Tue
「なんとなくわかってきたかな。私は物語とテーマをそれぞれべつに考えてたけど、それがまちがいとしたら、どうだろ。物語からテーマをとったら、物語は存在しえない。なぜならテーマとは作者がその物語を想像する動機‥要因だっていえるから。テーマのない物語はない。かっこいいロボットを描きたいとか、かわいい女の子がビームで戦ったら素敵だよねーとか、そういうのでもテーマ足りえるから。逆に物語なくしてテーマもない。物語のないテーマは、それはただの主張だよね。ブログにでも書けばよろし。‥となると、こんな結論。テーマは物語に従属する。そして、物語がテーマを選択する。製作者の意図というものがあるなら、それは物語が製作者任意のテーマを選ぶように誘導すること。それはうまくいかないこともままある。それは製作者の誘導の手腕より、物語の選択性の偶発性が高いから。これで、私なりの、結論。」
「物語とテーマを別個に考えていたけれど、どちらも片方なくしてはありえないということ? そして物語こそがみずからのテーマを定める最大要因ってこと?」
「そんな気がする。おもしろい物語は、創造主を超える。素敵な物語は、製作者の意図を振り切り、テーマを掴みとる。‥神さまを殺したのは、神さまがつくった人間なんだよね。そんなアレゴリーでもあって、物語に強引にテーマを付与しようとしちゃうと、物語が反発しちゃうことがけっこうある気がする。halogenさんがいってる、キャラの行動が意図されたものだとしたら嫌だっていうのは、そういうことかなって。」
「テーマの有無ね。なんとも両義的で多様性のある問題だけど。製作者さえ意識しない部分というのはまちがいなくあるだろうし。」
「そこで、意識されてない部分からテーマ性が出るというのが、物語がテーマを選択した証拠じゃないのかな。見る人がそこに何か主張を感じるとしたら、それは物語の自立性を示すものだもん。‥キャラが駒にみえたら、物語がつまらなくなるというのは、ほんとにそだなって思う。でも駒であることがありありとわかっちゃうのは、作劇の失敗かなってなるし、ふつうの人も、人格ある個人で現実にいる人も、日々を定められたルーチンに従って、淡々と駒以上に駒のように生きてる人もいるし‥駒であるというのはなかなかめんどくさい問題、かな。キャラは駒でもありえるし、でもそれは何か認めていいのかな‥って、ちょっと逡巡。キャラを駒として操ろうとした創造主は、反発にあって、駒に倒される。なんて話があったかな。物語のアーキタイプ。」
「作者の主張、というか物語が主張していることこそ視聴者の見出すテーマである、か。それで一応結論ね。駒がどうだかは、現実の人間もロボット以上にロボットらしい人もいるし、適当にいえない部分かしら。はてさてね。」
2007/09/17/Mon
「漱石の短篇のなかではそんな有名でないかな。主人公は病気で死んでしまったある女性が、出兵した夫のもとに幽霊の姿にまでなってまで最期のお別れを告げに行くというお話を、友だちの心理学者からきいて妙な気分になります。主人公のこれから奥さんになる女性‥露子は今インフルエンザで寝こんでて、妙にその病状が気にかかる。虫の知らせというの。心理学者に冷やかされて、慌てて帰路につく主人公だけど、空は暗転、雨が降り出して、家にいる迷信ふかいお婆さんのふだんは気にも留めない数々の戯言が、急に気にしだしてくる。犬の遠吠が不吉だーこの家の向きが風水的にわるいーお坊さんが占いで脅すのだー。ふつうはばかばかしくて笑ってたけど、露子が病気を患ってるのはほんとだ。インフルエンザは悪化するとたいへんだって、友だちもいってた。びしょ濡れになって帰ってきた旦那さん。迎えたお婆さんはその顔色のわるさにおどろきます。布団に入ったはいいけれど、外の雨音が気にかかる。わるい予感がどんどん積って、朝になったら駆け出した。奥さんは無事かって駆け出した。血相を変えて、露子の家に着いたら、そののんきなこと、笑っちゃうくらい。奥さんはもうすっかり元気になってた。拍子抜けの主人公、こんな朝早くにどうしたのときかれて、さて困った。かっこわるくて仕方なくて、ばつわるくしょんぼり帰ってく。床屋で暇つぶして、ため息ついて帰ったら、そこには露子がお婆さんと笑ってた。今朝のあなたの様子はおかしかった。だから来てみて話をきいたら‥って。天下の春を集めたような笑い声。それから、露子は主人公を以前よりも愛するようになった。気のせいかもしれないけど、そんなふうな気がした。そんな、お話。」
「素朴ね。素朴で単純で、それだけの話ね。」
「相手を心配して、どうでもいいことで不安になって、それで空回り。素敵。ほんと素敵。こんな話あったんだ。こういうのいいな。すごく、いいな。」
「相手を思いやること、か。どことなく滑稽で、でも真摯よね。」
「素敵だよね。相手が好きなら、たったそれだけのこと。むずかしくする必要なんてない。気持は、言葉は、何も思わなくても、自然にあるがままにあなたを動かす。そうあれかしって、私を正す。素敵。漱石の、こういうとこ大好き。愛は無敵なのだ。」
「小話で、ほんとうに笑ってしまうような小話ね。でも、いいことじゃない。清々しい春の物語よ。」
夏目漱石「倫敦塔・幻影の盾」(「琴のそら音」所収)
2007/09/17/Mon
「作品があるとして、テーマがあるとする。テーマというのは、製作者の伝えんとするところの言説、みたいな認識でいいかな。テーマのために作品があるのかとか、テーマから乖離して作品が存するのかとかな問題はけっこう言葉にしにくいところ、かもかな。タイタニックって映画がありますけど‥私はそんな好きじゃないけど‥あの映画でキャメロンはまず海に沈みゆく豪華客船って絵を見たかった。あの壮大な景色の実現があって、恋愛物語はそれに至るために駆動装置‥みたいな。恋愛物語はそれはそれだけでひとつのテーマをもちうるけれど、それが製作者の意図したところかーというと、どうかな。でもそこからテーマを見出すことは可能だし、海に崩れるタイタニックっていうそれだけでは単なる事故の場景も、強烈な意味ある言説を見る人に与えることができる。なんかうまくまとまらないけど、うーん‥」
「キャラクターが生き生きと動いて自然な世界観を作り上げることができることと、そこにテーマの有無、製作者の主張が問題なく融和することは可能かしら、という問題?」
「けっこう偶然な気もするけど。単純に語れないかな。あんがい自分で小説書いてみたりすると、わかるかもって気がする。自分で物語考えて、テーマとか決めて作ろうとしたら、物語とテーマの偶然で奇妙な関係がなんとなくわかるかもって思う。ミューズが降りてくる、なんていうものね。」
「むかしの詩人は創作することは霊妙な自然に助けられてのことと考えたのかしらね。ある意味、それが自然な感覚なのかしら。どうも、むずかしいこと。」
2007/09/16/Sun
種村有菜「紳士同盟」8巻「潮の話は、あー‥こんなものかな。エゴイスティックな愛、頑なな独占欲から解放された、か。なんかきれいだけど、でも‥」
「お互いを尊重してこその恋愛ということでしょ? ま、こんな形もいいのじゃないかしら。依存するよりか健康的よ。」
「でも愛情と友情のちがいって何かなっ。キスしたりなんだりくらいはいいよねー。友情だよねー。」
「何いいたいのよ、それ。」
「身体の関係がないのが友情というのなら、それは結果論でしか語れないのかも‥」
「帰れ! ‥ってかそれものすごく不純に満ちた考えね。露骨な言い方にすぎるし。」
「えー。愛があればそれでいいのだよー。」
「ならそれでいいじゃない。潮も固さがとれてきて、余裕ある表情をみせてくれていいことよ。」
「ぎこちないまおらとのやりとり素敵かも。」
「‥ま、べつにいいけど。」
「でも凄絶な話になってきたよねー。紳士同盟、なんかすごいです。無茶苦茶で強引で予想だにしない展開になってく。こんなお話をりぼんで連載してる、さすがは種村先生。その豪腕ぶりはただものでないかもです。」
「潮の秘密だの灰音の出生の謎だの、すごいものよね。くらくらしてくるくらいよ。校長がだれとかはべつにいいけど。」
「なんだかすごくなっちゃった。話の先を想像なんて、私しない。もうぜったいできないもん。」
「はてさて、どうなるかしらね。この確執は決着つくのかしら?」
「ちなみに今回は小牧が表紙。正直これだけで買う価値あるかも。小牧、素敵!」
「人気あることね。ある意味、いちばん裏表ないキャラだからかしら。度肝抜かれる過去がありすぎよね、だれとはいわず。」
2007/09/15/Sat
「ほんというと、感動した。ここまでの作品を描けるんだーってけっこう素直におどろいた。今回は誠が次々と女の子に手を出して、世界を妊娠させたことが露見して、すべての人に見放されて、さいごに自分が裏切り傷つけた言葉に抱きしめられる‥というお話。あー‥すごい。これが、末路なのかな。」
「自業自得というも愚かね。考えなしというか、ほんとうに、ただめんどくさかっただけなのでしょうね、彼は。」
「愛は欲求と結ばれてる。プラトニックな愛なんてない、とはいわない。でも愛と欲求は分かちがたい二つの側面で、相手に好かれたいって欲があるからこそ、そこには拭いがたいエゴイズムがまとわりつく。二人きりのカップルで、お互いを愛し切ってるなら、二つのエゴは二人の愛で溶け合うけれど、それが消えると、どうなるのかな。愛とエゴイズムを分けて考えるのは、たぶん卑怯なことだし、でもそこに何かがなきゃ、恋愛は救われない。その何かは、言葉がしたような、もしかしたら自己犠牲、なのかな。」
「意図せずに、でしょうけど。さいごのシーンで言葉が誠を抱き上げたのは、言葉の犠牲があったから、というのはあるかしらね。」
「もちろん、誠は死んじゃえ、です。でも、もしさいしょ、誠が言葉と辛抱強く付き合いつづけたら、どうなってたかな。誠がほんの少し、考えてたら、この物語はどう変わってたかな。私は、少し、考えます。」
「あんがい、それで変われたのは言葉かもしれないかしらね。忍耐強い人付き合いを、言葉は体験してこなかったのでしょうから。」
「ほかの人物にもいえるけど、だね。‥あなたがいなくなると、私は悲しいよ。そんな言葉が、愛の単純な事実なのかも。シンプルなそんな言葉。スクイズの登場人物たちは、それだけの言葉を聞いたことがなかった。それしか、なかったのに。」
「単純に生きられない愚かしさ、か。はてさてね。ほんとう、はてさてよ。」
2007/09/15/Sat
「誠みたいな人間に近づくからそんなことになるんだよ、みたいな言葉はすごく単純だけど、真理だったりする。誠と付き合わなかったらよかったのに、とか、誠と恋人してもよろしだけど、だめだなって思えばすぐ別れちゃえばよかったのに、とか。そんなだれもが気づいてて、でも実行に移せない。律儀に可能性なんか考えたりして、もしかしたらなんとかなるかもとか心をいれかえてくれるかもとか、いろいろ想定しちゃうけど、そんな想定がくびきになっていつのまにかあれれな状況。そんな泥沼、けっこう、あるかも。」
「修羅場なんて、あんがい逃げてしまえばそれで終了なことって多いのよね。ただそう上手く立ち回れなくて、ま、人生の一幕ね。」
「賢い人なら、ばかみたいで終っちゃうこと。でも、そういう賢い人は、賢い恋愛しかできないよね。恋愛に賢いのなんてあるのかなていうと、ごにょごにょ。‥ただばかみたいな恋愛が何かもたらすかもしれないし、けっきょく何ももたらさなかったり、それでも時間はすぎていったり、朝の電車に乗り遅れたりするのが人間だったりする。誠も、殺される前に逃げたがよろし。でも、そう上手く立ち回れないかな。端であははって笑ってる。」
「諦めきれないのが諸々の原因、ね。ま、向き合うことも大切だけど、そればかりが能ではないし。かというのも、ま、どうしようもないことね。因果なこと。」