2008年01月27日

古本屋は海を超えた~日経新聞 2008年1月21日より

【日経新聞 2008年1月21日の記事より】
古本屋は海を超えた~戦前植民地に数多くの店舗、独自の市場で存在感~

一九三〇-四〇年代、朝鮮の京城(現ソウル) には現在の東京・神保町のような日本人による古書店街があったことをご存じだろうか。京城だけでなく旧満州(現中国東北部)や台湾、樺太など、戦前に植民地だった各地に日本古書店が数多く存在した。私は千葉県船橋市で古書店を営むかたわら十年前から、これまでほとんど知られていなかった戦前植民地の同業者について調べてきた。

きっかけは九六年、千葉県内で古書店を営業していた先達の歴史を本にまとめたことだった。その際、「旧満州で営業していた先輩がいる」という話が耳に入ってきた。 意外な事実に心動かされ、旧満州を手始めに資料を集め始めた。

頼みは古書店の全国団体が戦前から発行している会報や組合員の名簿、愛好家が作成した各地の古書店分布図など。それらでまずどんな店がどこにあったかを把握し、植民地の市
民地の市街図と照らし合ゎせて、一軒一軒、地図上に落とし込んでいった。戦後に引き揚げてきた店主の家族から話を聞いたり、貴重な写真をいただいたりもした。


口口口
日本と相場変わらず

三〇年代後半の京城には、六十店以上もの日本古書店があったょうだ。 繁華街の鐘路通りには文明堂、広文堂、明文堂といった二十店程度が集まっていた。学生相手の教科書や廉価本の販売が中心だった。朝鮮では、京城以外にも平壌や釜山に各十店前後、大邱ゃ新義州には数店があった。

当時の朝鮮の古書店事情を群書堂店主だった柳田文治郎が東京古書籍商組合の三一年十二月の月報で語っており、興味深い。柳田によると、東京から遠く離れていても、本の相場はあまり変わらない。日本国内の流行や相場変動が三-六カ月もすると、朝鮮でも同様に
起こっていた。

二七年ごろから、日本では「円本」と呼ばれる定価一円の全集本が盛んに出版されていた。それまで四円以上していた本が安価で手に入るとして広まったが、古書市場には円本があふれ、供給過剰が問題になっていた。 円本の在庫過剰は朝鮮でも同様で、各店は大きな打撃を受けたようだ。

旧満州には約二十店、台湾にも同程度の古書店が存在した。樺太などを合わせると、日本古書店は数百にのぼったのではないだろうか。もっとも売れ筋は各植民地間で微妙に異なっていた。朝鮮は教科書ゃ思想書などが多かったが、台湾では児童書ゃ女性向けの実用書が売れた。


口口口
旧満州では知識人向け

旧満州は岩波文庫など、知識人向けの本が人気を集めていた。満鉄社員らが多く住んでいたことが要因だと思われる。 戦火が激しくなると新刊の発行はできず、古本の仕入れも難しくなった。

四四年、新京の巌松堂がほぼ全巻そろった岩波文庫を販売すると張り紙を出したところ、開店前から長蛇の列ができた。 同店は毎週、岩波文庫を十点だけ展示して一人一 点という限定で抽選販売した。その後は、代わりの本を持って行かないと商品を買えない「交換本」と呼ばれる商法になっていく。

終戦直後、多くの店は廃業に追い込まれたが、素人のにわか書店が現れ、中国人を相手に売買していた。引き揚げ後、広島ゃ兵庫で営業する黒木書店の黒木正男もその一人。四五年八月十八日、ソ連軍が進駐する旧満州の新京で蔵書の岩波文庫を売り出すとすぐに完売したと、五〇年の古書組合機関誌の中で振り返っている。

中国人の間でも、夏目漱石や森鴎外といった文学全集が人気を集めた。 面自いのは、たばこの巻紙に使うためライスぺー パーでできていた辞書類が良く売れたことだ。


口口口
現地から″逆輸入〟も

戦火の中、危険を賭して植民地に渡り、値段の手ごろな良書を仕入れる東京の古書店主もいた。 新宿に店舗があった一草堂書店の宮田四郎は四三年二月、東京から船で樺太に向かった。樺太の中心、豊原で医学雑誌ゃ理工学専門書などを買い入れ、日本で販売してかなりの利益を上げたという。

これまでの研究は私が加盟する古書組合の会報で発表してきたが、このほど「植民地時代の古本屋たち」(寿郎社)として一冊の本にまとめた。 改めて知ったのは、当時の日本と植民地の間ではかなりの書物が往来しており一種の古書ネットワークが形成されていたことだ。物資不足で新刊書があまり出回らない中、植民地の読書好きにとって古書店の存在は大きかっただろう。(おきた・ しんえつ=鷹山堂店主)
個人的なメモとして、ネット上にもメモ。

非常に興味深いテーマです。今度、この本を買って読もうっと♪

植民地にも日本の古書店があったんですね。へえ~。満州は満鉄の社員がいるから知識人向けの本が売れたというのは、さもありなんって感じです。

しばしば言われ、私も実感をもって感じますが、昔から続く都市で地元で知られた名門の学校(高校や大学)がある土地には、必ずいい古書店があるものです。また、同時に図書館に蔵書されている内容の質が高いんですよ~。

残念ながら、歴史の無い新興住宅地にある古本屋さんでは、掘り出し物の本ってないですね。漫画本とエロ本とゲームしかありません。

需要が供給を創出するのであって、供給が需要を生み出すサプライサイドの経済学ではないような気がしますネ。まあ、私の主観でしかありませんけど。

先日読んだ「世界の古書店Ⅱ」の中で、「アジア、日本の資料の宝庫―イギリス、ロンドン」だったかな? 戦中、日本の軍や満鉄の書籍が接収され、戦後は財産放棄させられてイギリスの研究室の資料となった話などがあったけど、その背景として海外での日本の古書店などの存在もそれを支えていたんだなあ~っと思いました。

面白いよね、こういった感じである本で得た知識が別な本や活字で得た知識と突然むすびつく瞬間があり、その時の知識や情報の広がり感がたまらなく好きだったりします。まさに、その為に本読んでるようなもんだもんなあ~。しかし、金にならない読書だな、私の場合は(苦笑)。 

ブログ内関連記事
「世界の古書店Ⅱ」川成 洋 丸善
ラベル:満州 古書店 記事
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2008年01月17日

ガリレオ異端審問「容認」発言で抗議運動、ローマ法王が演説中止

ガリレオ異端審問「容認」発言で抗議運動、ローマ法王が演説中止
ローマ法王庁は15日、ローマ法王ベネディクト16世(Pope Benedict XVI)がローマ大学サピエンツァ校(La Sapienza)で17日に予定していた演説を中止すると発表した。法王がガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)弾圧を容認する発言をしたことをきっかけに、学生らが法王の演説に反対して大学を占拠するなどの行動をとっているためで、法王が抗議行動を理由にイベント出席を見合わせるのは2005年4月の就任以来初めて。

 一部教官や学生は、天文学の父ガリレオ・ガリレイが自身の唱えた地動説により1633年に宗教裁判にかけられ、有罪判決が下された史実について、1990年にローマ法王(当時ヨーゼフ・ラッツィンガー(Joseph Ratzinger)枢機卿)が「妥当で正当な判決だった」と発言したとの理由を挙げ、「反法王週間」と銘打って14日から反対運動を展開していた。

 ちなみに、このとき法王は「信仰は敵意や合理性の否定からは生まれない。原理を理解したり深い理性に根付くことから生まれる」と発言している。 

 ロマーノ・プローディ(Romano Prodi)首相は、教官や学生の「不寛容」を非難し、ローマ法王の訪問を再度要請していた。
ああ~だからなんですね! 法王の訪問反対とかというタイトルのニュースがあちこちの新聞に挙がってたけど、英文なんで読まないでいたのですが、この記事読んで納得です。

(過去の発言内容や著作を見る限りでは)この方は神学的な論理性を非常に大切にされる方だと思うのですが・・・、こうしてニュースになった記事で一面的に見ると、いささかアナクロニズムかと誤解されそうですね。

 私も予備知識が無かったら、すぐに新聞の記事見て困った人だなあ~などと不遜なことを考えてしまいそうですが、とにかくもっと詳しい内容が知りたいですね。ラテン語によるミサの件や後ろ向きでのミサの件など、詳しいことを知るとそうなんだ~そういう意味があるなら、一概に時代を逆行しているわけではないんだあ、と分かるのですが・・・。

原理原則で正しくても、仮に誤解であっても・・・あまりにも周囲に波風を立たせすぎてしまっている感じがします。情報操作なんて、バチカンが得意な十八番だと思っていたのですが、どうも最近おかしな感じを覚えますね。

まあ、キリスト教徒でもない私がいうのはおこがましいことなのでしょうけど・・・。
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2008年01月15日

「モナリザ」のモデル示す証拠?ドイツの大学図書館で発見

「モナリザ」のモデル示す証拠?ドイツの大学図書館で発見
【YOMIURI ONLINEより、以下転載】
ドイツのハイデルベルク大学図書館は14日、パリ・ルーブル美術館にあるレオナルド・ダ・ビンチの世界的名画「モナリザ」のモデルが、フィレンツェの富裕な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であることを示す証拠が、同図書館の蔵書で発見されたと明らかにした。

 同図書館の発表などによると、ダ・ビンチの知人でもあったフィレンツェ市の役人が1503年10月に蔵書に、「ダ・ビンチが3枚の絵の制作をしている」と書き込んであった。書き込みによると、そのうちの1枚がデル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドの肖像だと明記していた。モナリザは、ちょうどこの時期に描かれたとされる。

 モナリザのモデルは、1550年に出版された芸術家列伝の記述を元に、デル・ジョコンドの妻とされてきたが、疑問視する意見も強く、他の女性の肖像や、ダ・ビンチの自画像との説まであった。同図書館は、今回の発見で、モナリザのモデルをめぐる疑問は解消された、としている。
なんかさらっと書かれてますが、本当ならもっと大騒ぎしてもいいニュースだと思うんですが・・・。

だって、過去にあれだけ話題になってきているのになあ~。日本って、あまりこういう話題に関心が無いのでしょうか? 面白いし、興味津々なんですけど、私。
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2008年01月14日

OLPCの元CTO、75ドルノートPCを目指したベンチャー企業を立ち上げ

OLPCの元CTO、75ドルノートPCを目指したベンチャー企業を立ち上げ
【CNET JAPANより転載】
非営利団体が製造および販売する貧しい子ども向けのノートPCを設計した科学者が、自分の技術を商用化する目的で会社を立ち上げ、75ドルのノートPC実現を目標に掲げている。

 One Laptop per Child(OLPC) Foundationで最高技術責任者(CTO)を務めていたMary Lou Jepsen氏は、2007年末に同職を退いた。Jepsen氏は、Pixel Qiという新会社のウェブサイトで、OLPC Foundationの「スピンアウト」として同社を立ち上げたと述べている。

 2005年から2007年まで勤務したOLPC Foundationでは、Jespen氏は低コストで消費電力が低く、直射日光の下でも見やすいディスプレイを開発した。Jespen氏はまた、ノートPCの電源管理システムも共同開発した。

 Jepsen氏によると、Pixel Qiはこのディスプレイ技術を商用化し、ノートPC、デジタルカメラ、携帯電話などの携帯端末メーカーに提供するという。

 Jepsen氏が開発した高解像度ディスプレイでは、ユーザーは直射日光下でカラー画面から白黒画面に切り替えることができる。

  Pixel Qiのウェブサイトのよると、同社はOLPCと密接に協業し、開発した製品をOLPC Foundationに有料で提供するという。

 OLPC Foundationに加わる前は、Jepsen氏はチップメーカーIntelのディスプレイ部門でCTOを務めていた。
実は去年辺りからかな? ずっと関心を持ってきましたこの話題。当初は『100ドルPC』としてだいぶ話題になっていました。一台買うともう一台が発展途上国に無償提供されるという素晴らしいプロジェクトだもんね。

ただ、その後の動向をウォッチしていると実際は199ドルになり、OSがLINUXベースであったこともあり、思ったより売れていないという続報がありました。 

それでも2万円だったら買ってもいいかなあ~って思ってたんだけど・・・日本にはwindows載せて5万円で売るらしい。いらないよ、それじゃあ。だってHPやDELLで普通のノート買えんじゃん!同じ程度の価格でさあ。

そんなこんなでうちのブログでは採り上げていなかったんですが・・・。二日前ぐらいかな?NHKのニュースで初めて見ましたグリーンの実物。勿論、映像でしたが感動しちゃいましたよ!! 

発展途上国での使用に耐え得るように相当タフな造りに、省電力設計。手動発電機までアリっすか、すご~い!おまけに軽いし、私が欲しいのはまさにああいうのなんだけどなあ~。安っぽいグリーンのプラスチックみたいなのも逆にチープ感覚が溢れていてスキだなあ~。

メインは別にあるんだから、外に持ち出して普通にキーボード打ててネットが見れればもう十分ですよ(PDAは視認性や操作性で×)。個人的には30万画素のカメラもいらない。

それで重さももうちょっと削って500gぐらいになったら最高なんですけど~。2万円なら速攻で買うのになあ~。台湾で売ってるのは、いくらだろう? 日本政府もできるなら、こういったものにODAの一部を当てれば感謝されると思うんだけどなあ~。無理? 

とにかく75ドルPC、大いに期待してます。一万円で買えるPCなら、複数台所有してもいいもんね。gmailにみんな送っておけば、どこでも問題ないしね。期待しちゃいます。intelやマイクロソフトはもういいです。ホント。

100ドルPCのOLPCが,IntelおよびMicrosoftと仲たがいしている理由
【ITPROより転載】
設定価格からよく100ドル・ノート・パソコンと呼ばれるNicholas Negroponte氏の「XO」は,この10年間で大成功を収めるはずだった。発展途上国の子供を支援する目的で設計されたXOは,基本的に原価で販売され,商業的な活動より人道主義に従って計画が進められている。ところが,予想よりも高くなった価格だけでなく,企業競争という障壁がNegroponte氏の夢の前に立ちふさがった。

 問題の一部は,XOを作っている非営利団体One Laptop per Child(OLPC)のハードウエア/ソフトウエア設計が,大手コンピュータ企業の採用しているものと異なることだ。XO開発の早い段階で,半導体大手の米Intel製プロセサと米MicrosoftのWindowsの搭載が見送られ,米AMD製プロセサとオープンソースのLinuxが選ばれた。そのため,当初のXOは,本来の性能を発揮できず,全世界の約10億人が慣れ親しんでいるソフトウエアを動かせない(筆者の個人的な印象では,XOはユーザー・インタフェースが特に混乱を招いていると感じた)。

 その後,XOの販売は振るわず,いまだに大した台数が売れていない。自らも発展途上国向け教育用パソコン「Classmate」の提供を開始したIntelは,短い期間だがOLPCの活動に協力し,同社製プロセサ・ベースのXOの試作まで行った。ところが,IntelとOLPCの協力関係は,この数週間で壊れた。Negroponte氏は「Intelは約束を一つも果たせず,ソフトウエア開発でOLPCと協力する気がなかった。『Intel Inside』XOノート・パソコンについて,Intelは価格を上げ,消費電力を増やすことしかできず,われわれの指示や目標と正反対を向いていた」と述べ,決裂の責任がIntelにあるとした(関連記事:Intel,100ドル・ノートPCプロジェクトのOLPCと決別)。

 内部関係者によると,不和の原因はIntelのClassmateであるという。明らかにOLPCは,XOを尊重してClassmateの販売をやめてほしかったのだ。ただし,ClassmateとXOは全く別のデバイスであるので,共存できただろう。Intelが必ずしも直接競合しないパートナの計画を支援するというだけの理由で,すでに存在している製品を取り下げるとは考えにくい。

 コンピュータ業界でOLPCと反目している大手企業はIntel以外にもある。価格を理由にXO用OSベンダーとして不採用となったMicrosoftは,リソースの限られた小型デバイスでも起動し,効率よく動く「Windows XP」および「Microsoft Office」を提供するために,2007年にOLPCとの共同作業を始めた。Microsoftは,XOがSDカードで拡張できることから,Windows XP/Microsoft OfficeをSDカードで提供するやり方にたどり着いた。この方式の社外テストは,2008年1月に始まる予定だ(関連記事:Microsoft,発展途上国向け教育用ノートPC「XO」に軽量版Windows XPを提供へ)。

 Negroponte氏は1月第2週にネバダ州ラスベガスで開催された家電展示会2008 International Consumer Electronics Show(CES)の場で,Microsoftの供給するSDカードOSによって,XOは起動時にLinuxとWindowsのデュアル・ブートができるようになる,と発表した。この発言には一つだけ問題がある。Microsoftが「デュアル・ブートに対応するつもりなどない」としているのだ。デュアル・ブートどころか,システムが完成した時点でXOはWindowsしか選べなくなるだろう。そしてMicrosoftは,なぜNegroponte氏がこのようなことを述べるのかについて,不明瞭な態度を取っている。

 Microsoftの出した声明には,「(XOのデュアル・ブート化の)可能性は検討したが,OLPCのXOに対応するデュアル・ブート版Windows XPの開発は行っていない」とある。「2007年12月に発表した計画に従い,正式な設計ガイドラインを2008年の早い時期に公開し,フラッシュ・メモリー搭載デバイスのメーカーがWindowsのうまく動く機器を設計できるよう支援する。現在も,XOデバイスでうまくWindowsを動かすという目標は変わっていない」(同社の声明)。

 筆者は,恵まれない人々にコンピュータを提供するというNegroponte氏の計画を支援しており,XOは正しい方向への素晴らしい一歩であると考える。しかし,同氏がコンピュータ業界の大手企業と協調関係を築けないため,XOを成功に導く機会が台無しにされつつあるようだ。なぜ,同氏はOLPCと業界の関係――すなわちXOそのもの――をこのように破壊し続けるのだろう。IntelとMicrosoftはいずれもコンピュータ業界で最強のいじめっ子であり,OLPCとの争いでブランド・イメージを傷つけていることはほぼ間違いない。ここでは,関係者全員がそれぞれ多少妥協したほうがよい結果につながるだろう。
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2008年01月07日

国会図書館の本、全国で閲覧可能に・3000万冊をデジタル化

国会図書館の本、全国で閲覧可能に・3000万冊をデジタル化
【NIKKEI NETより以下転載】もどこでも読めるように――。3000万冊を超える国会図書館の蔵書をデジタル化して全国で閲覧可能にするための法改正に政府が着手する。まずは都道府県立図書館の専用端末と接続。将来はインターネットを通じて自宅やオフィスで簡単に読めるようにする方針だ。

 政府は5月ごろまとめる知的財産推進計画2008にこの方針を盛り込み、2009年の通常国会での法改正を目指す。
ようやく日本も本腰入れてくれるんだ。めちゃくちゃ遅いけど、とっても嬉しい♪

誰も使わない道路や赤字になる新幹線なんかに回す予算があるなら、是非&是非、こちらに回して欲しいです。じゃないと、本代で私は産しちゃうし、部屋の床がぬけちゃいますよ~(号泣)。

ネットの恩恵の最たるものの一つになるでしょうから、是非とも早急な対応を期待したいものです!!
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オンライン図書館の蔵書が100万冊を突破

オンライン図書館の蔵書が100万冊を突破
【ITmediaより、以下転載】
Universal Library Projectの最終目標は、Google Book Searchとは何が違うのか。著作権の対象は情報を提供する作品は対象外にすべきかのだろうか。

すべての出版物のデジタル化、地理的および社会経済的な境界に縛られない情報参照の実現、技術的な発展基盤の提供、出版物の時流を超えた保存にある。

 Universal Library Projectという国境を越えた壮大な取り組みによって、100万冊を超える書籍がデジタル化された形で無償提供されている。中国、インド、エジプト、米国の各研究者によるこの共同プロジェクトの最終目標は、すべての出版物のデジタル化、地理的および社会経済的な境界に縛られない情報参照の実現、技術的な発展基盤の提供、出版物の時流を超えた保存にある。

 現在、中国語、英語、アラビア語、インドの各種言語など、20以上の言語にわたる150万冊の書籍が1つのWebポータルから参照できる。このオンライン図書館には、世界中の私有および公的なコレクションの希少書や絶版書も含まれる。

 「著作権が切れて忘れられている書籍はたくさんあるが、研究者や学生にとっては有益なものであり、一般の人々にとっても役立つはずだ」と語るのは、著作権の専門家であり、米国カーネギーメロン大学でコンピュータサイエンスの教授とUniversal Library Projectの共同ディレクターを務めるマイケル・シェーモス氏である。

 「デジタル化に着手しなかったら、人類は膨大な量の知識を失っていただろう」(シェーモス氏)

 Universal Library Projectでは、インターネット上のデジタル書籍は無料ですぐに閲覧でき、利用方法が簡単で、オンデマンドでの印刷と任意の言語への翻訳ができて、人間と機械の双方が読めるものにすべきだと考えている。また、One Laptop Per ChildプロジェクトのXOラップトップとebookリーダのような低コストのテクノロジーの出現により、デジタル化された書籍では、必要な本が現われるたびにお金を出して買うという方法を、一度コンピュータを購入すれば後は無料で情報をダウンロードするという方法に置き換えることによるコスト削減も期待される。

 プロジェクトの研究者の見積りによれば、Universal Libraryの蔵書数はこれまでに出版されてきた約1億冊の書籍のわずか1%にすぎない。世界中にある従来の図書館にはそうした刊行物の半分しか存在しないため、希少書のありかたを特定するのは非常に面倒な作業になるだろう、とシェーモス氏は予測する。

 「絶版書を手に入れるには、蔵書のある図書館を探し出した上で、そこに出向くか図書館同士の相互貸し出し制度を利用するかしかない。どちらにしても相当な時間が掛かる。実際にその本を見てみないと自分の役に立つかどうかが分からないような場合は特にそうだ」

 2002年のプロジェクト開始の時点でメンバーたちは、ほかの研究および商用のプロジェクトによってデジタル化の完了した書籍は5万冊ほどしかないだろう、と予測していた。それ以降に設立された類似プロジェクトの1つにGoogle Book Searchがあるが、近年になって著作権違反に当たるとして非難を受けている。Googleによる取り組みと書籍のデジタル化を広く知らしめた宣伝活動を尊重しながらも、シェーモス氏はUniversal Library Projectの目標は「似て非なるもの」という。

 「われわれは人類のあらゆる出版物をデジタル化したいと考えている。だが、Googleの関係者がそうした目的を口にすることはないだろう。彼らの目的は広告販売であり、その方法の1つとしているのが、絶えず人々が訪れたくなるようなそうした豊富なコンテンツを持つWebサイトの作成だ。サンスクリット語の作品をWebサイトにアップすることには何の興味もないはずだ」

 Googleと同様、Universal Library Projectも著作権のある書籍のオンライン公開に当たっては問題に直面している。当然、現時点で著作権下にある書籍はその一部しかプロジェクトのWebポータルで参照できないが、著作権の制約がない書籍はすべての部分が無料で公開されている。

 情報の無償提供の必要性に言及するシェーモス氏は、こうした著作権による制約の問題は、出版社がデジタル書籍のもたらす低コストのビジネスモデルを採用するにつれ、そのうち縮小していくだろう、と期待を寄せている。

 「著作権の意義は少しずつ薄れてきている。デジタル化によって、出版のコストが無視できるほどに小さくなっているからだ。また、コピーにかかるコストが下がるにつれて書籍の貴重さも失われ、出版による収益力は低下している」(シェーモス氏)

 「娯楽のための読書と情報を得るための読書は違う。著作権の対象は最終的に娯楽作品に絞られ、情報を提供する作品は対象外になる、とわたしは考えている」

膨大な数への挑戦
 カーネギーメロン大学の研究者たちのアイデアから生まれたUniversal Library Projectは、設立資金として全米科学財団(NSF:National Science Foundation)から350万ドルの提供を受けている。また、中国の浙江大学とインドのインド科学大学からそれぞれ1000万ドル相当の現物での寄付を受けたほか、最近はエジプトのアレキサンドリア図書館とも提携関係を結んだ。

 世界中に50ほどあるスキャニングおよびデジタル化拠点にいる1000名以上の職員によって、Universal Libraryの蔵書は1日におよそ7000冊ずつ増え続けている。Universal Library Projectが全書籍のデジタル化という壮大な目標を達成するまでの道のりは長い。にもかかわらず、同プロジェクトの研究者たちは楽曲、アートワーク、講演、新聞のようなコンテンツまでもライブラリに含めようと考えている。

 「人類のあらゆる刊行物をそろえた全世界共通のライブラリを作り、そのコンテンツ全体を収録したサイトを世界中のあちこちで立ち上げることで、そうした作品の喪失を防ぐことができる、とわれわれは考えている」とシェーモス氏は語る。

 「そうすれば、アレキサンドリア図書館での蔵書焼失のようなことは二度と起こらない。建物が損壊しても著作品が破壊されることはないので、人類による著作物が政治体制や文化、そして運命のいたずらによって失われることはなくなるわけだ」(シェーモス氏)
この手のニュースはうちのブログでも何度も採り上げているものの、やっぱり気になります。今までだったら、英語の資料を探そうとしたらえらい苦労したはずですが、世界が確実に変わりつつあることを実感します。

ふと思ったんですが、英語以外でもその手の試み進んでるでしょ。フランス語の文献とかもネットで見れるんだろうね、きっと。少し調べてみたいけど、ますます語学の勉強の必要性を感じる今日この頃です。

でも、こういうのはいつもながら実に嬉しい♪

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2008年01月06日

「良書選び 速読のススメ」日経新聞2007年12月15日

効率の良いビジネス書の読み方として、載っていた記事「良書選び 速読のススメ」よりメモ。
・本の上半分しかよまない
 ←ビジネス書は内容が重複している場合が多いので新しい箇所を探す為だけなら、それで十分だから
・読書によって何をするのか、アウトプットや目的を明確化しておく
・本の選び方―著者の経歴から、得意分野を理解し、そこの章から読む。その章に価値を見出せない場合、他の部分は更に内容がないので読まない
・ビジネスで他人に勝つ為には希少性が大切。他人と差別化する為にあえて以下の本を読む
1)高価な本
2)分厚い本
・読んでいる本に引用されている文献を全て読む
正直、ビジネス書の読み方としてはかなりワンパターンな部類だが、改めて確認の為にメモしてみた。

ビジネス書は実用書であり、原理原則が多いので自然と幾つかの事柄に収束する。故に、重複するのは同意。但し、上半分だけ読むというのは、私的にはバカバカしいと思う。読むのなら、斜め読み&飛ばし読みで全文をさらうか、目次で絞った部分を流し読みして読む価値があるかないかを判断し、無ければそもそも本全体を読むのを止めた方がいいように思うのだが・・・。

その意味で、著者の経歴から判断する読書法は、基本中の基本。有用だし、学生時代からやっていて当然の方法でしょう。じゃなければ、大学の授業で文献読む時間ないだろうに・・・???疑問だ?

差別化の為に本を読むのか・・・・。私には理解できない考え。読みたいし、必要があれば高価でも厚くても、外国語でも読む気になるが、漠然と差別化の為だけに、そんな本を読む暇など私にはないなあ~。

仕事に使う範囲で雑誌やネットの記事読んだりはするが、必要性を痛感しない限り、余計な本など読みたくないな。娯楽の読書でも読みたい気持ちがないのに、読むなんて人生の浪費だと思うのだが・・・。

なんかさもしい感じがしてしまう。そんな方には、日経新聞の私の履歴書を読むことをお薦めしたい。あのグリーンスパン氏はかつてサックス奏者だったんですねぇ~。今の日銀委員の中にそういう異色の経歴の人が一人でもいるのだろうか??? 

人間は、役立つからとかそんなさもしいレベルで物事を判断していて優れた人になるとは思えないのだけれど・・・。まあ、庶民の私が言っても説得力ないかなあ~。ふと、そんなことを感じました。

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2008年01月05日

「ローゼン」真紅が思い通りにしゃべります NECの音声合成実験サイト

「ローゼン」真紅が思い通りにしゃべります NECの音声合成実験サイト
【ITmediaより以下転載】
入力したテキストを、「ローゼンメイデン」の真紅がそのまま話してくれる――NECの音声合成技術を使ったこんなサイトがオープンした。真紅の顔アニメでオリジナルストーリーも作成できる。


NECビッグローブ、東京放送(TBS)、マウスプロモーションは12月17日、テキストを入力すると、アニメ「ローゼンメイデン」のヒロイン・真紅が読み上げるアニメを作成できる「Alice Project」を開設した。音声合成エンジンの精度向上が目的で、2~3カ月の期間限定。ユーザー登録すれば誰でも利用できる。

 100文字までのせりふを入力すると1秒ほどで音声合成し、せりふに合わせて口を動かす真紅の動画を作成・公開できる。真紅の声を担当する声優の沢城みゆきさんの声のデータベースをもとに、NEC共通基盤ソフトウェア研究所が開発した音声合成エンジンで合成する。

再生ページ 発音は自然で、真紅のツンとした感じも伝わってくる。ただ文章によっては、アクセントの位置がおかしかったり、言葉を区切る位置が不自然な場合もあり、修正ページで調整できる。

 アクセントの位置や音の高さ、話すスピードなどを調整し、より自然な声に近づけられる。「音声合成エンジンはまだ、完璧ではないので」と、NECビッグローブパーソナル事業部の杉浦淳マネージャーは話すが、彼が修正すると、実際に声優が話しているかのように自然になった。

真紅でショートストーリーを
 ローゼンメイデンのストーリーに合わせ、ユーザーは見習い人形師という設定。他ユーザーの動画を5段階で評価する仕組みもあり、評価が高かったり、再生回数が多ければ人形師としてのランクが上がっていく仕組みだ。レベルが上がれば、動画に使う真紅のイラストや口調の種類が増えていく。

 「真紅はツンデレキャラなので」、最初はツンな口調しか選べないが、ユーザーのレベルが上がればデレっぽい?優しい口調も選べるようになるという。

 真紅で作った複数の動画をつなげてプレイリストを作成できる。動画は99個までつなげることができ、ショートストーリーを作って楽しめる。動画の間に、ローゼンメイデンの他キャラクターの静止画を表示させ、1つのプレイリストにすることも可能だ。

 サイトには“真紅っぽい”説明文が並ぶ。例えば動画の作成ページには「私に何をしゃべらせたいのかしら?」、プレイリストの作成画面には「タイトルを入力しなさい」「ジャンクなコマは捨てなさい」――などだ。

合成エンジンを「完璧」にしたい

修正ページ 「ローゼンメイデンは、人形が完璧な少女『アリス』になることを目指すというストーリー。まだ不完全な音声合成エンジンの性能を完全なものに近づけたいという思いとマッチしている」――ユーザーが合成音声をどのように修正したか調べ、エンジンの精度向上につなげる。「数千の修正データが集まれば、実験データとして使えるのでは」

 目標は、真紅の話し方を修正不要で完璧に再現できるような音声合成エンジンを完成させこと。そんなエンジンができれば、好きなせりふでアニメキャラの着ボイスやアバターの音声アイテムを作る――といったサービスに応用できると考えており、アニメビジネスでの活用の可能性も検証していく。
去年、この記事を読んだ時、速攻でやりたくなったのですが、ちょっと忙しくて放置していました。

すると、これを利用した動画が年末にかけてニコニコ動画で出ていて、再度食指をそそられた・・・というわけです。

日本、凄いなあ~。麻生さん、お仕事の合間にやってたりして・・・有り得るかも~(笑)。

以下、つい私が作ってしまったもの。何やってんだか・・・?
ローゼンメイデン アリスプロジェクト ローゼンメイデン アリスプロジェクト

公式サイト:Alice Project

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2007年12月26日

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画
【YOMIURI ONLINEより以下転載】
ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36)。制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。

 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月からインターネットなどで販売されている。
実際のこの映画のサイト

う~ん、本当にそうなんでしょうか?日本人しか感動しないとしても、あの死を肯定的に受け入れる気は全くありませんけど・・・。

私は今でもこのアニメや映画を見ると、涙が止まりませんし、忘れられませんが、その基本は決して崇高さではなく、正義が必ずしも報いられない現世での理不尽さや限界であり、むしろ現実社会への冷ややかな無常観(いささかの諦観入り)だったような・・・。それと強く激しい憤り。

個人的には逆・ランボーみたいな感じでしたけど・・・? みんなと違うんだろうなあ~。まあ、いいけど。

今度、普通の「フランダースの犬」の映画借りてきてみよっと。

ブログ内関連記事
「フランダースの犬」ウィーダ 著 新潮社
NHK世界美術館紀行「ルーベンス・故郷に捧(ささ)げた祈り~アントワープ王立美術館」
posted by alice-room at 23:12| Comment(5) | TrackBack(1) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

「インターネットマガジン」のバックナンバーがPDFで無償公開

「インターネットマガジン」のバックナンバーがPDFで無償公開
【INTERNET Watchより以下転載】
インプレスR&Dは25日、1994年から2006年まで発行した月刊誌「インターネットマガジン」のバックナンバーを、PDFファイルで広く無償公開した。これまでも、雑誌の定期購読者や登録ユーザーに対してはバックナンバーのPDFファイルを公開してきたが、これらの制限を無くし、誰でも閲覧できるようになった。

 インターネットマガジンは、1994年に創刊した日本で最初のインターネット総合雑誌。1994年10月号から2006年5月号まで136号を発刊し、月刊誌としては休刊。2007年7月から媒体をWebに移し、情報メディアサイト「All-in-One INTERNET magazine 2.0」としてスタートした。

 All-in-One INTERNET magazine 2.0では、インターネットマガジンの12年136号分の誌面をPDF化し、「インターネットマガジン バックナンバーアーカイブ」として無償公開を開始。公開許諾が得られなかった記事やデータページなどを除く、インターネットマガジンのバックナンバー記事をほぼすべて閲覧できるようになった。

 インプレスR&Dでは、PDFファイルの公開に続いて、今後はさらにWeb上での利便性向上のためにHTML形式での公開も予定。また、過去の記事を現在の視点から読み直すような企画なども予定している。
内容的にはちょっと古いかもしれないけど、こんなふうに情報がどんどん提供されていくのは、嬉しい限りです。

勿論、何でも無料化すればいいものではないかもしれませんが、利用者と提供者の双方に利益のある形でこの手の流れが進んでいくなら、最高に素敵ですね!

実際のアーカイブはこちら
ラベル:ニュース
posted by alice-room at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

Google、“実名版Wikipedia”を実験中であることを明らかに

Google、“実名版Wikipedia”を実験中であることを明らかに
【INTERNETWATCHより以下転載】
米Googleは13日、“実名版Wikipedia”とでも言うべきプロジェクトを社内で実験中であることを明らかにした。このプロジェクトは、知識を意味する英単語「Knowledge」から文字を取って「knol」と呼ばれている。knolでは、知識の1単位を意味するようにこの言葉を使用する。このプロジェクト名は、Google公式ブログで明らかにされた。

 knolプロジェクトの最も大きな特徴は、著者を明確にするということだ。サーチエンジンの専門家で、米Googleのエンジニアリング担当バイスプレジデントであるUdi Manber氏は、「我々は、誰が何を書いたかを知ることは、Webコンテンツを著しく使いやすくすると考えている」とコメントしている。

 knolは百科事典にあるような科学的知識や医学的情報、地理や歴史に関する情報にとどまらず、エンターテイメントや商品情報、機械の修理の仕方に関するノウハウなど、テーマは基本的に多岐にわたっている。誰もが自由にknolを書くことができ、Googleは編集作業に関与せず、記述に関する全責任は著者が負うことになる。そのことから当然、同じトピックに関して複数のknolが書かれることが予想される。これについてManber氏は、「アイディアの競争は良いことだ」とコメントしている。

 Google公式ブログに掲載されたknolのサンプルページを見ると、knolには、閲覧者がコメントや質問を書き込んだり、そのknolについてレーティングしたり、レビューを書き込むことができるようになっている。画面右側には広告が表示されているが、公式ブログの説明によれば、著者が了承した場合には広告を表示できると説明する。著者が広告を載せることを選ぶ場合、Googleは「相当量」の売上を著者に還元するとしている。

 knolは現在、招待制による限定された人々によるベータテストが行なわれている段階だ。Googleではknolをコンテンツの囲い込みに使用する考えはなく、むしろ、できるだけ広く流布したいと説明する。しかしGoogleによるプロジェクトから発生したコンテンツが、検索結果として不必要に高い順位で表示されるようになれば、非難の声が集まることは容易に予想される。今後、Googleはknolをインデックスする際に、knolをいかに適切にインデックスして順位付けするかという難問を解決しなくてはならないだろう。
ちょっと前の記事だけど・・・、検索順位を提示するgoogleがコンテンツ自体を提供するサービスを始めるというのは、なかなか難しいところがありそうですね。この記事にもあるように。

その一方で、wikipediaの問題点を解消しつつ、より優れた『知』の集積DBを作りあげていく仕組みとしては、面白そう・・・。広告料というインセンティブを付けるというのも、なかなか巧妙な仕掛けです。

さてさて、どうなるだろう? とりあえず楽しみです♪
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ヨセフ・ルーカスが「神のスパイ」に主演する

Josh Lucas to star in 'God's Spy'
【VARIETYより、以下転載】
Josh Lucas will star in “God’s Spy,” a U.K.-Canadian thriller to be directed by Andy Morahan. Brian Phelan script is based on the events that culminated in the discovery of Italian banker Roberto Calvi hanging under London’s Blackfriars Bridge in 1982.
The $15 million pic, which shoots next year in Montreal, will also feature Jordi Molla, Giancarlo Giannini and Peter O’Toole.

Lovett Bickford of Cardinal Pictures is producing the pic; Kim Leggatt of Local Films exec produces. CAA is handling U.S. rights.

Story follows a young Wall Street trader, played by Lucas, who is really a Jesuit priest working undercover to gain experience of the financial markets. He becomes caught up in a shady political and financial conspiracy involving the Vatican Bank, the CIA, the Mafia and Masonic Lodge P2.
私、映画スターのこと詳しくなくて、あまり知らないんですが、この記事について関心を持ったのは、あのロベルト・カルビを題材に採った映画である点です。

粗筋が書いてありますが、ルーカス演じる若いウォール・ストリートのトレーダーは金融市場の経験を積む為に身分を隠して働いているが、本当はイエズス会の神父であり、彼は、バチカン銀行やCIA、マフィアとメイソニック・ロッジであるP2を含んだいかがわしい政治的・金融的陰謀に巻き込まれていく。

ブログ内関連記事
法王の銀行家 2002年の映画
「法王の銀行家」殺害で4人起訴 CNN
「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店
「法王暗殺」デイヴィッド・ヤロップ 文芸春秋
P・マルチンクス氏死去/元バチカン銀行総裁
「神の銀行家」変死、マフィアら無罪 謎解けぬまま…
マフィアが「神の銀行家」を殺害するよう命じた:イタリアの法廷
上記他、多数有り。
posted by alice-room at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

広告料が本代の支払いにあてられるかも。(フランクフルト・ブックフェア)

世界中の本・出版社が集まるフランクフルト・ブックフェアに関するニュース記事です。

日本でもフリー・マガジンや青空文庫等が盛んになってきてますが、それらを一歩進めてオンラインで無料の新刊書籍が読めるようになるかもしれない?という記事です。

種明かしは、広告料。最近、猫も杓子も広告料ですが、本の執筆者への原稿料が広告代で賄われるというビジネスモデルです。

私のような庶民には、無料で検索ができたり、ニュースが読めたり、本まで読めるなんていうのは、本当に嬉しい限りですが、少しだけひっかかる点もあったり・・・。

ネットでサービスを提供して金銭を得る為、ネットで人を集める為の広告料を出す。その広告料で無料のサービスが提供されるわけだが、そもそもの金銭を得る為のサービスそのものがドンドン無料化していったら、儲けられなくなってしまうわけでしょ。

勿論、あくまでも儲けが出る範囲内での広告料という制限はあるわけだし、企業が自ら提供して儲けているサービス以外のものを提供するのだろうけど、巡り巡って自らの首を絞めているような・・・?

在庫を抱えて苦しんで、固定費を無視した材料費のみで100円ショップに商品を卸した結果、短期的には金銭を得られたものの、長期的に自社製品が売れなくなった企業もあったようだが・・・はてさて?

Frankfurt Book Fair: Ads may pay for books
【EXPATICAより、以下転載】
9 October 2007

Frankfurt (dpa) - As publishers gathered Tuesday for the October 10-14 Frankfurt Book Fair, they heard that free online books funded by advertising are one of the up-and-coming ways to earn a living from literature.

Evan Schnittman, a New York-based Oxford University Press executive giving a briefing on digital books, said US website Wowio was already in the free e-book business, with the publisher being paid 50 cents to 1 dollar per download.

"Wowio will make a lot of news in the future," he said. "The income stream does not come from the end user but from the advertiser." Schnittman was lecturing on ways that publishers can top up income with new book-vending ideas.

Publishers have been saying in the past year that worldwide sales in shops of printed books are steady overall, but some traditional book marketing methods, such as book clubs, are in decline.

Schnittman told the book fair's International Rights Directors meeting that combining "sponsorship-driven commerce" with "online user communities" who share their enthusiasm and comments about new books might be "the future of book clubs in the digital space."

Other methods of selling digital books include charging subscriptions, which can expire, or selling e-books, a term for computer files that the user downloads and then owns permanently.
なお、日本語で訳されていたものがありましたのでご紹介します。「世界のメディア・ニュース」様に記事がありました。

フリー・ペーパーの次に、フリー・ブック(無料書籍)時代到来!
posted by alice-room at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年12月09日

レオナルド・ダ・ヴィンチはアラブ人だったかもしれない

leonardo1209.jpg

Leonardo Da Vinci may have been an Arab
【Telegraph.co.ukより、以下転載】
Leonardo Da Vinci may have been an Arab, according to scientists who have studied a single, complete fingerprint found on one of his paintings.

The print, taken from the artist's left index finger, was discovered after an exhaustive three-year trawl through his works by researchers at the University of Chieti.

Professor Luigi Capasso, an anthropologist who led the team, said the central whorl of the fingerprint was a common pattern in the Middle East.

"Around 60 per cent of the Middle Eastern population have the same structure," he said.

The revelation will give weight to the increasingly popular academic theory that Da Vinci's mother, Caterina, was a slave who came to Tuscany from Istanbul.

Alessandro Vezzosi, an expert on the Renaissance genius and the director of the museum in his hometown of Vinci, said: "We have documents that suggest she was Oriental, at least from the Mediterranean area.

"She was not a peasant of Vinci. Furthermore, her name was Caterina, which was very common among slaves in Tuscany at the time."

Almost nothing is left of Da Vinci, or his family.

After his death in 1519, his remains were dispersed in a series of religious wars.

The discovery of the fingerprint came after three years of scrutinising 52 manuscripts and paintings attributed to the artist.

Using the latest spectral scanning technology, the team found more than 200 prints, but only one perfect specimen, on a painting called "Portrait of a Lady with an Ermine".

Da Vinci used his finger to smudge the necklace's shadow in the painting, which is from the Czartoryski museum in the Polish city of Krakow.

Not all the traces in the various documents were left by Da Vinci.

Many of them belonged to his apprentices, or to people who handled the manuscripts, said Prof Capasso.

The left-handed Da Vinci often ate while he worked, so some of the grubby marks are food-based, and research is currently being carried out into what sort of diet the artist had.

The fingerprint is also being used to identify two paintings, which may rocket in value to up to £70 million each if they are found to be genuine.

"We are pleased that the fingerprint can be used to authenticate unknown works, or those we are unsure were carried out by the great genius," said Prof Capasso.

A team of forensic policemen from Rome has examined La Madone de Laroque and Saint Catherine of Alexandria for fingerprints that may match the new Da Vinci print.

The paintings are on show at the History of Biomedicine Museum at Chieti University.

The picture of the madonna was bought in a French street market for £142 and has been thought until now, together with the St Catherine, to be the work of Giampietrino, one of Da Vinci's pupils.

However, studies on the paintings show that the tip of the artist's fingers were used to smudge a soft-focus effect, one of Da Vinci's trademark techniques.

Colonel Gianfranco de Fulvio, an Italian police forensic expert, said his team had taken several photographs of the surface of the two paintings and were busy checking to find a match.

"I'm used to working on fingerprints left by the Mafia, but the skill is similar. We are pretty confident about settling the matter," he said.
ざっと、訳してみると
【日本語訳】
左の人さし指から採った指紋が、Chieti大学の研究者による、3年にわたる徹底的な作品調査で発見された。

チームを率いる人類学者ルイージ・カパーソ教授は、指紋の中心にある渦巻が中東の一般的な模様であると語った。

「中東の人口のおよそ60パーセントには、同じ構造がある」と、彼は言った。

意外な事実は、ダヴィンチの母、カテリーナがイスタンブールからトスカーナに来た奴隷であったという、支持者がどんどん増えている学術理論に、重きを与えるだろう。

ルネッサンスの天才の専門家であり、ビンチのレオナルドの故郷の博物館の責任者であるアレッサンドロ・ヴェッツォシは、以下のように述べた:「彼女が東洋人で少なくとも地中海地域の出身であったことを示唆する文書を持っています。

「彼女は、ビンチ村の農民ではなかった。さらに、彼女の名前カテリーナはその当時トスカーナの奴隷の間で非常に一般的な名前だった。」

ダヴィンチや彼の家族については、ほとんど何も残されていない。

1519年の彼の死後、彼の遺骨は、一連の宗教戦争において消散した。

指紋の発見は、アーティストに起因している52の原稿と絵を精細に調べる3年後に来た。

最新のスペクトル・スキャン・テクノロジーを使用して、チームは200以上の指紋を発見した。しかし、完全な標本はたった一つで「シロテンと一緒の婦人の肖像」と呼ばれている絵画のものしかなかった。

ダヴィンチは絵画の中でネックレスの影をぼかす為に指を使った。そして、それはポーランドのクラクフ市のチャルトリスキ美術館からのものだった。

さまざまな文書のすべての痕跡が、ダヴィンチによって残されているわけではなかった。

それらの多くは、彼の見習い達のものや写本を取り扱った人々のものだったとカパーソ教授は言った。

左利きのダヴィンチは作業中にしばしば食事をしたが、汚れた跡のいくつかは食物によるものだった。そして、研究は現在、画家が食べた食物がどんな種類のものだったを行っている。

指紋は2つの絵を同定するのにも用いられている。指紋が本物だったなら、それぞれが7000万パウンドまでの価値まで急騰するかもしれない。

「指紋により、未知の作品または不確かな作品が偉大な天才によるものと立証するのに用いられることができることを私達は喜んでいます。と、カパーソ教授は言った。

ローマからの科学捜査警官のチームは、ラロックの聖母とアレキサンドリアの聖カタリナを、新しいダヴィンチの指紋に一致するかもしれない指紋がないか調べた。

絵画は、Chieti大学の生物医学歴史博物館で陳列されている。

聖母の絵画は、フランスの路上市場で142パウンドで買われて、これまで、聖カタリナと共に、ダヴィンチの弟子の1人であるGiampietrinoの仕事であると考えられた。

しかし、絵画の研究は、画家の指の先端がダヴィンチのトレードマーク技術のうちの1つであった、ソフトフォーカス効果をぼかすのに用いられたことを示す。

ギアンフランコ・デ・フルビオ大佐は、彼のチームが2つの絵の表面のいくつかの写真を撮り、一致するものを見つける為に確認するので忙しいと言った。

「私はマフィアが残し指紋を調べることに慣れているが、技術は類似している。その問題を解決することについてはかなり自信を持っている」と、彼は言った。
いつも思うんですが、レオナルド・ダ・ヴィンチって、本当に人気があるんですね。こうしてニュースを追っているだけでも、実にたくさんの関連記事が次々と出てきて驚くばかりです。

勿論、新聞に出たからと言って、どこまでが真実なのか、怪しい部分も多々ありますが、複数のメディアでも採り上げているようです。どちらかというと大衆紙系ですけど・・・ネ。

それはともかく、指紋よりも私の場合は、ダ・ヴィンチの母が中東方面から来た奴隷だったという説は初めて知りました。そんなにポピュラーになりつつある説なんだでしょうか?

だから、ダ・ヴィンチって暗かったのかな? いろいろと複雑な幼少時代を過ごしてたそうですが、興味が湧きますね。そして、その生い立ちから、熱烈なカトリック信者とはとても言えないような後年の姿が生まれたのでしょうか? 今後の展開が楽しみです(笑顔)。

ダ・ヴィンチ関連の記事は、うちのブログでもたくさん採り上げていてキリがないのでご興味のある方は、左上から検索してみて下さい。
posted by alice-room at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年12月07日

ダ・ヴィンチは神の顔を絵画に隠したか?

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Did Da Vinci hide God's face in painting?
【Telegraph.co.ukより、以下転載】
A new storm is brewing in the world of Da Vinci theorists after a mysterious group claimed it has used mirrors to uncover hidden biblical images in some of the great master’s most famous works.

・The Mirror of the Sacred Scriptures and Paintings

In recent years, art history scholars have unveiled Templar knights, Mary Magdalene, a child and a musical script hidden in the Italian’s paintings.

It is well-documented that Da Vinci, who lived between 1452 and 1519, often wrote in mirror writing, either in an attempt to stop his rivals stealing his ideas or in a bid to hide his scientific theories, often deemed as subversive, from the powerful Roman Catholic Church.

But now a group known as The Mirror of the Sacred Scriptures and Paintings World Foundation believes that he applied the same technique to some of his best-known creations, including the Mona Lisa and the Last Supper, to conceal mysterious faces and religious symbols.

When applied to the sketch The Virgin and Child with Saint Anne and Saint John the Baptist, which hangs in London’s National Gallery, the authors say the mirror image reveals the ancient Old Testament god Jahveh, who "protects the soul of the body’s vices" and wears the Vatican’s crown.

Their theory would explain why many of Da Vinci’s characters seem to be pointing or staring into space, as if searching for the Divine.

The group claims they are indicating where the mirror should be placed to reveal the painting’s secrets.

In the Virgin and Child sketch, they say, it explains why John the Baptist appears to be staring past Jesus into the distance.

A similar face appears when a mirror is applied to the right hand shoulder of Mona Lisa, and the experts also claim to have found an upturned holy grail on the table in front of Christ in the celebrated Last Supper fresco.

The mirror-technique is applied to another painting of John the Baptist to reveal the four-legged image of creation and the Tree of Life in Adam and Eve’s Garden of Eden.

Again, John is pointing with both hands to the place where the mirror needs to be placed to reveal the "hidden" image.

According to the group, the same technique was used by Michelangelo and Raphael, in artwork exhibited in the Vatican, and Renaissance artists including the neoclassicist Jacques Louis David. Similar images have also been found in famous paintings and sculptures of Buddha.

The study’s authors wrote to the Vatican last year to explain their discovery, but received a lofty reply saying that while their findings would no doubt be the object of much discussion in the art history world, their ideas required "solid proof" and needed to be supported by a general consensus among art critics before they could be taken seriously.

Critics of the project will claim the authors want to cash in on the worldwide fascination with Da Vinci conspiracy theories, brought to a head by the publication of Dan Brown’s Da Vinci Code and the subsequent Tom Hanks film.

These featured the theory that the male figure on Christ’s immediate right is actually Mary Magdalene and the couple had descendants living in the modern world, and multiplied visits to sites all over the world to which Da Vinci was linked.

The latest theory, expounded by The Mirror of the Sacred Scriptures and Paintings group, whose website www.mirrorandart.com, is owned by the Sacred and Divine Reason and Foundation Corp, follows the revelation in July by an Italian amateur scholar that the Last Supper contained a hidden image of a woman holding a child.

The figure, he said, appeared when the fresco was superimposed with its mirror image and both were made partially transparent.
これって、どこまでがまともなお話なんでしょう? 

未だにダ・ヴィンチの絵には、暗号めいたものが隠されていると主張する怪しげな(?)団体(名称「聖なる彫刻と海外の鏡」)があるそうです。

面倒で訳す気力ありませんが、読んでみると分かりますが、実に胡散臭いような・・・。記事載せてるとこが telegraph だし・・・。

まあ、こういうのが好きな人達は世界中にいるんでしょうね。
posted by alice-room at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

大聖堂のスケッチ見つかる ミケランジェロ描く

大聖堂のスケッチ見つかる ミケランジェロ描く
【中日スポーツより、以下転載】
カトリックの総本山に当たるバチカンのサンピエトロ大聖堂の円屋根(ドーム)建設のため、ルネサンスの芸術家ミケランジェロが描いたスケッチが大聖堂内で見つかった。

 6日付のバチカンの日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノが伝えた。同紙は、これまで見つかったものの中では、ミケランジェロ死去前の最後のスケッチとみられるとしている。

 ローマ法王庁は10日、記者会見しスケッチを公開する予定。

 スケッチは、大聖堂の設計・建設に携わったミケランジェロが死去前年の1563年に円屋根の一部分を描いたもので、職人に石材をどのように切り出すか指示するため描かれた。
しかし、バチカンのどこにあったのでしょうか? バチカンの図書館の中なんだろうと思いますが、先日もテンプル騎士団の資料が出たり、貴重なものがゴロゴロ転がっていそうですね。あそこは・・・。

やっぱり「薔薇の名前」の世界を想像してしまいます。内容を吟味する事ではなく、ひたすら存続させる、ただそれだけに価値を見出し、盲目の図書館長とかいたりして・・・(ニヤニヤ)。

先日、ラテン語学習の本を借りてきたのですが、全然やってないなあ~。改めて今週末、勉強してみようか? 少しでもラテン語読めたら、楽しそう・・・(ウットリ)。

そうそう、海外での記事では・・・。

Michelangelo drawing discovered in Vatican archives
【AFPより、以下転載】
VATICAN CITY (AFP) — An original drawing by Michelangelo has been discovered in the Vatican archives, the Holy See's mouthpiece Osservatore Romano reported Thursday.

The red chalk drawing is a "partial plan for one of the radial columns of the cupola drum of Saint Peter's" basilica, the paper said.

Michelangelo was named chief architect of the basilica in 1546 aged 72.

The sketch, made in 1563, was found in the Vatican's archives on the construction of the basilica.

Pope Julius II laid the first stone on April 18, 1506, but it was another 120 years before the giant sanctuary was consecrated.

The drum for the massive dome was practically complete when Michelangelo died in 1564.
あっ、スケッチのあったのは、バチカンの公文書保管所ですか。バシリカの建設中に見つかったそうです。赤いチョークで書かれていたんだね、ふむふむ。

Vatican finds lost Michelangelo drawing, his last
【REUTERSより、以下転載】
The Vatican said on Thursday it had discovered a lost drawing by Renaissance master Michelangelo of a design for the dome of St. Peter's Basilica.

The Vatican newspaper l'Osservatore Romano said the small drawing, done in the spring of 1563 when Michelangelo was 88, was believed to be his last known sketch before he died the next year.

The drawing, a section of the dome, contains some measurements and is thus believed to have been done to give stone cutters guidance after the master deemed work on an earlier batch of stone inadequate.

Michelangelo worked as the architect of the basilica from 1547 until shortly before his death in 1564.

The newspaper said Michelangelo, who destroyed many of his sketches for the basilica, probably drew it on the construction site, giving it directly to workmen with his instructions.

Drawn with blood-colored chalk on paper, it apparently survived because part of the paper had been used again for calculations, perhaps by workmen. It wound up by accident in files concerning the costs of the basilica's construction.

The newspaper said the drawing would be presented to the media on Monday.
紙に赤色で書かれたスケッチですが、紙の一部は作業者の計算ように再利用されてたそうです。へえ~、なんかこういうのって面白くって好きなんですよねぇ~(笑顔)。

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バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
posted by alice-room at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

大学主導のデジタル図書館、150万冊をオンライン公開

大学主導のデジタル図書館、150万冊をオンライン公開
【ITmedia newsより、以下転載】
米カーネギー・メロン大学などによる書籍デジタル化プロジェクト「Million Book Project」が11月27日、150万冊の書籍のデジタル化を完了、「Universal Library」サイトでの無料公開を開始した。

Million Book Projectには、中国の浙江大学、インド理科大学院、エジプトのアレクサンドリア図書館などが参加。2002年のプロジェクト開始以来、米国立科学財団からの350万ドルの資金援助のほか、ハードウェアおよびソフトウェアメーカー各社からの現物出資を得ながら、書籍のスキャンやデジタル化などを進めてきた。

 米Googleや米Microsoft、Internet Archiveなどがデジタル蔵書プロジェクトを進めているが、Million Book Projectは「テキストの保護と保存が主な目的」で、大学の蔵書を基に、誰もが自由にアクセスできる「世界最大のデジタル図書館」だという。150万冊の書籍は20言語をカバーし、多くの希少書籍を含むという。半数以上が著作権保護期間を過ぎているか、著作権所有者の許可を得てデジタル化されており、無料で全文を閲覧できるようになる。著作権で保護された書籍については各国の法律に従うとしており、そうした書籍については、表紙および全体の10%以下を表示できるようになっている。

プロジェクトでは、今後も「Universal Library」の蔵書を増やすべく作業を継続中。中国やインドのセンターを中心に、毎日7000冊の書籍をデジタル化しているという。

 書籍の内容を閲覧するにはプラグインのAlternaTIFF(Windows専用)またはDjVu Browser Pluginのインストールが必要。DjVu Browser PluginプラグインはWindows、Mac OS X、Linuxに対応している。
これはまたまた期待大の試みですね。google booksearch がこの手の企画は先行してるようですが、あちらは英語だけだったはず。多国籍言語でこの手の企画が推進されていくのは、本当に嬉しいですね。

やっぱりこの手のものって日本は後手後手になってしまうんだろうなあ~。悪い意味で『既得権益』としての著作権に束縛されてしまい、管掌する官庁の腰も重い・・・とかいうパターンが眼に浮かびそう。

日本でもこの手の試みはあるようですが、いかんせん遅い! 国会図書館とかもいろいろな試みをしようとはしているようですが・・・とにかく日本にも期待しています!!

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羊皮紙からデジタルバンクへ(インド)
貴重書をネットでどうぞ 国会図書館の電子化事業、著作権処理に課題も
「御伽草子」も全文検索――Googleブック検索に慶大が参加
「見えなかった情報」を可視化――NII、論文300万件をGoogle検索対象に
Google Book Search、「デジタル化まだ」の本も検索可能に
米Google,著作権を問われない書籍を「Google Print」で全文検索・閲覧可能に
Googleで過去200年間のニュース検索が可能に
大英図書館、アマゾンの書籍リストに希少本を掲載
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2007年11月30日

『ダ・ヴィンチ・コード』続編、日本公開時期が決定

『ダ・ヴィンチ・コード』続編、日本公開時期が決定
【VARIETY JAPANより、以下転載】
『ダ・ヴィンチ・コード』の続編『天使と悪魔』が、日本においては当初の予定であった2008年12月から、09年5月に公開が変更されることが決まった。11月27日(火)に都内のホテルで開催されたソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(日本)のラインナップ発表の場で明らかにされた。

 米映画界で現在行われている全米脚本家組合(WGA)のストライキの余波で、同作品の撮影が延期され、米国での公開が09年の5月に伸びたため、それに伴い日本での公開も延期になったもの。

 同作品は、2006年に公開されて大ヒットした『ダ・ヴィンチ・コード』の作者であるダン・ブラウンが、『ダ・ヴィンチ~』の3年前に出版した『天使と悪魔』が原作。本作でもトム・ハンクス演じるラングドン教授が活躍し、ヴァチカンを揺るがす秘密結社の秘密を暴いていく。

 公開が延期になるのは、配給会社にすれば大変な問題である。ましてや同社がもっとも頼みとする大作だけに、年間の売上見込みの大幅修正さえ余儀なくされる。ただソニー・ピクチャーズ(日本)にすると、5月公開というのは、実は非常に縁起がいいのだという。
 06年の『ダ・ヴィンチ~』、07年の『スパイダーマン3』とも5月公開で、前者が90億円、後者が71億円の興行収入をそれぞれ記録。もちろんこれは、同社の歴代成績のトップクラス。このジンクスが生きれば、『天使と悪魔』も好成績が見込めるというわけだ。

 そもそも同社の話題作、大作の5月公開は、従来あまり芳しい成績が期待できないこの時期の興行を、底上げする意味から始められたもの。他社の大作もこの時期に公開されるようになり、当初の狙いは見事に実現されつつある。今回のケースはストの影響とはいえ、日本においては興味深い展開になるかもしれない。災い転じて福となす、となるかどうか、同社の配給手腕のお手並み拝見といったところだろう。
やっぱり来年中ではなくて、さ来年になりました。おそらくその頃では、もう誰も覚えてないし、ブームに乗り遅れ過ぎではないかと・・・? そういやあ~ラングドン、シリーズの続編はどうなったんだろう? まさか映画公開にあわせる為に引っ張る気かな?

最近、正直言うと、もうでもいいような気がしたりするんですが・・・(オイオイ)。
ラベル:映画 ニュース
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2007年11月26日

「羅州の“血の涙を流すマリア像”とは無関係」

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「羅州の“血の涙を流すマリア像”とは無関係」
【朝鮮日報より、以下転載】
天主教(韓国カトリック教会)光州大教区(教区長:崔昌武〈チェ・チャンム〉大主教)は21日、全羅南道羅州市の「血の涙を流すマリア像」(聖母の丘)と関連し、「荒唐無稽な盲信による信仰の逸脱行為だ」という公式的な立場を発表した。「羅州聖母の丘」に関して光州大教区が公式に立場を発表するのは、1998年、01年、05年に続いて今回が4回目となる。光州大教区は今回の発表文を通じ、天主教聖職者・修道者・信者の「聖母の丘」訪問と儀式行為を禁止すると発表した。

 「羅州聖母の丘」は、天主教信者だったユン・ユルリアという女性が85年6月に自分が所有するマリア像が涙を流したと主張、以後約20年間にわたり韓国国内外から巡礼客が訪れる場所となった。これと関連し、MBC放送の報道番組『PD手帳』は今月13日に「奇跡か、詐欺か-羅州聖母の丘の真実」と題した特集番組を放映、「聖母の丘」にまつわるさまざまな「奇跡」についてでっち上げの可能性など疑惑を提起した。

 光州大教区は「ユン・ユルリアとその周辺人物たちは、教皇庁と教区の公式的な立場と指示が確かに存在するにもかかわらず、これをわい曲したり拒否した。『PD手帳』の番組を通じて、一部分ではあるがその荒唐無稽な実態が明らかになったという点で意味がある」と語った。また、光州大教区は「自称“聖母の丘”でユン・ユルリアとその周辺人物らが任意的に行っている集会や儀式は、カトリックの信仰と無関係であることを再度確認する」と発表した。そして「“奇跡”や“私的な啓示”という主張や宣伝は、カトリック教会とはまったく無関係。所属教区を問わず、聖職者・修道者・信者たちの訪問と儀式行為は、教会法と宗教界の秩序を破壊する行為である」と強調した。さらに「番組の中で、“奇跡の水”や“ユル腎液(ユン・ユルリアの小便)”、“ユン・ユルリアに関連する出来事”を信奉していると証言した教区所属の司祭に対しても、適切な形で責任を問う方針だ」と語った。
さてさて、いつの時代でもこういったものは無くなりませんが、20年間に渡っているとは、結構続いていますね。

最も既にカトリック教会からは、完全否定されてるようですが・・・。そういえば日本にもありましたね。秋田の聖母とか。あちらは今の法王であるラッツィンガーさんが教理聖省にいた時に出した文書があったはず。否定も肯定もしてなかったと思うけど・・・? ちょっと記憶が怪しい。以前に本は読んだんだけど・・・???

関連ブログ
「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店
米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像
動く聖母像の奇跡を録画しようと信者が集結
巡礼者がネイプルの動く聖母像を見に集まっている
インドで「血を流す」キリストの絵が話題に
バイエルンの聖母マリアが泣き始める。
ラベル:聖母 ニュース
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2007年11月25日

マフィアが「神の銀行家」を殺害するよう命じた:イタリアの法廷

Mafia ordered "God's banker" murder: Italy court
【REUTERSより、以下転載】
ROME (Reuters) - The mafia was probably behind the infamous 1982 murder of Roberto Calvi, who was found hanging from a London bridge and was known as "God's banker" because of his Vatican links, an Italian court said on Wednesday.

Calvi, the head of the collapsed Banco Ambrosiano, was found dangling from a noose with $15,000 in his pockets and weighed down with bricks under Blackfriars Bridge in central London in what prosecutors argued was a 'suicide' staged by his killers.

A Rome court acquitted two Italian mobsters, a bodyguard, a financier and his girlfriend in June of carrying out the killing.

It did not release the reasons for the acquittal until Wednesday, when it cited a lack of evidence against the accused.

More interestingly, the court appeared to support, at least in part, the prosecution's argument that Calvi was a victim of a Mafia revenge killing.

It speculated that a likely scenario was that Calvi had lost Cosa Nostra money he was meant to launder, and mobsters wanted to cover their tracks.

"It's more credible that the killing of Roberto Calvi was decided as a punishment and to prevent him from revealing his relations with people who acted as a link to the criminal organization," the court wrote.

Prosecutors had presented forensic evidence that Calvi was strangled and his suicide staged in a manner suggesting Mafia or Masonic ritual.

The court agreed that Calvi's murder seemed to fit the profile of a mob killing.

"Similar operations can be considered compatible with the mentality of mafiosi and have similar precedents in the criminal history of the Cosa Nostra," it said.

The court acquitted Mafia "treasurer" Pippo Calo, serving life for another murder; Sardinian financier Flavio Carboni; Rome crime boss Ernesto Diotallevi; and Calvi's bodyguard Silvano Vittor. Carboni's Austrian girlfriend Manuela Kleinszig was cleared of all suspicion, as the prosecution had requested.

In its explanation, the court said prosecutors had relied on circumstantial evidence from witnesses who were now dead, some of them killed.

Calvi's death cast a long shadow over the Vatican, which was implicated financially in the collapse of Banco Ambrosiano.

The Vatican Bank owned a small part of Ambrosiano and was found partly responsible for the $1.3 billion in bad debts left by Ambrosiano's failure. Calvi was appealing against a four-year sentence when he secretly flew to London in 1982 with a case of papers.

The private detective hired by Calvi's son, Jeff Katz, said in June he believed Calvi was lured onto a boat on the Thames by the promise of meeting shadowy financiers who could help him save Ambrosiano, when he was murdered and his suicide staged.

The motive, Katz believes, was that Calvi had threatened to squeal on his powerful clients if they let him go to jail.
バチカンとの強力な結びつきから『神の銀行家』と呼ばれたロベルト・カルビ(元アンブロシアーノ銀行の頭取)の殺人事件について、ローマでの裁判内容の記事です。

二人のイタリア人ギャング、ボディーガード、出資者、女友達、みんな無罪の判決が出たそうです。無罪の理由は水曜日まで公表されていないが、告発するだけの証拠がないとか。本当かなあ~、司法関係者や政府の要人が平気でマフィアに脅されて逆らうと殺される国だからなあ~。

カルビがコーザ・ノストラの資金洗浄をしていたが、金を返せなくなって責任を取らされたということは、これまでと同じですね。それと余計なことを言わないように口止めという古典的だが、非常に有効な方法です。

ただ、カルビの死因は自殺ではなくて、マフィアの儀式的なやり方でやられていて過去にも例があるようです。マフィアがやったと言っても何もできないんですね。検察側は状況証拠に頼っていたようですが、肝心の証人が今は死んでいたり、殺されてしまっているようで結局、みんな無罪とは・・・。

最もカルビ自身も刑務所に入れられたら、暴露すると脅していたらしいのでかえって口封じを促して自らの命を縮めてしまったのかも?

やりきれないお話ですね。一方で、カルビと結託してバチカンの資金を大量にカルビの銀行に回していたマルチンスク司教はこないだ亡くなったとニュースでやってたし。全ては闇の中に葬り去られるんでしょう。どこの国も同じですか・・・。う~む。

関連ブログ
カルビ殺人:神の銀行の謎
「神の銀行家」変死、マフィアら無罪 謎解けぬまま…
「法王の銀行家」殺害で4人起訴 CNN
「教皇の銀行家」殺害で4人を起訴
P・マルチンクス氏死去/元バチカン銀行総裁
「法王暗殺」デイヴィッド・ヤロップ 文芸春秋
「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店
「世界を支配する秘密結社 謎と真相」 新人物往来社
法王の銀行家 2002年の映画
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ハリウッドがアクションヒーローのイエスをインドへ連れて行く

Hollywood takes action hero Jesus to India
【Guardian Unlimitedより、以下転載】
Film based on Aquarian Gospel to cover years left out of New Testament

Hollywood is to fill in the Bible's "missing years" with a story about Jesus as a wandering mystic who travelled across India, living in Buddhist monasteries and speaking out against the iniquities of the country's caste system.
Film producers have delved deep into revisionist scholarship to piece together what they say was Jesus's life between the ages of 13 and 30, a period untouched by the recognised gospels.

The result is the Aquarian Gospel, a $20m movie, which portrays Jesus as a holy man and teacher inspired by a myriad of eastern religions in India. The Aquarian Gospel takes its name from a century-old book that examined Christianity's eastern roots and is in its 53rd reprint.

The film's producers say the movie will be shot using actors and computer animation like 300, the retelling of the Battle of Thermopylae, and will follow the travels of Yeshua, believed to be the name for Jesus in Aramaic, from the Middle East to India. Casting for suitable Bollywood and Hollywood actors has begun.
"The Bible devotes just seven words to the most formative years of Yeshua's life saying: 'The boy grew in wisdom and stature'. The [film] will follow Christ's journey to the east where he encounters other traditions, and discovers the principles that are the bedrock of all the world's great religions," said Drew Heriot, the film's director, whose credits include the cult hit The Secret.

The film, which is due for release in 2009, sets out to be a fantasy action adventure account of Jesus's life with the three wise men as his mentors. Although the producers say the film will feature a "young and beautiful" princess, it is not clear whether Jesus is to have a love interest.

The producers say they are hoping for commercial and spiritual gains. "We think that Indian religions and Buddhism, especially with the idea of meditation, played a big part in Christ's thinking. In the film we are looking beyond the canonised gospels to the 'lost' gospels," said William Sees Keenan, the producer, who is currently making Lindsay Lohan's Poor Things.

"We are looking at new themes. In our story Jesus was loyal to the untouchables [in India] and he defended them with his life by saying that everyone could read the Vedas [Hindu holy books]," said Mr Keenan, a "lapsed Catholic".

The theory that Jesus's teachings had roots in Indian traditions has been around for more than a century. In 1894 a Russian doctor, Nicholas Notovitch, published a book called The Unknown Life of Christ, in which he claimed that while recovering from a broken leg in a Tibetan monastery in the Ladakh region, close to Kashmir, he had been shown evidence of Christ's Indian wanderings. He said he was shown a scroll recording a visit by Jesus to India and Tibet as a young man. Indian experts claim that documentary proof remains of this Himalayan visit.

"I have seen the scrolls which show Buddhist monks talking about Jesus's visits. There are also coins from that period which show Yuzu or have the legend Issa on them, referring to Jesus from that period," said Fida Hassnain, former director of archaeology at the University of Srinagar.

Hassnain, who has written books on the legend of Jesus in India, points out that there was extensive traffic between the Mediterranean and India around the time of Jesus's life. The academic pointed out that in Srinagar a tomb of Issa is still venerated. "It is the Catholic church which has closed its mind on the subject. Historians have not."

More dramatic are the claims that Buddhism had prompted the move from the "eye for an eye" ideology of the Old Testament to "love thy neighbour" in the New Testament.

In 1995 a German religious expert, Holger Kersten, claimed that Jesus had been schooled by Buddhist monks to believe in non-violence and to challenge the priesthood. Kersten's book remains a bestseller in India.

The Catholic church in India dismisses the film as just "Hollywood filmmakers in search of a new audience rather than the truth". Aware that religious passions are easily inflamed, after the Da Vinci Code film sparked protests among Indian Christians, its spokesman said that a movie about Jesus in India was plainly "fantasy and fiction".

"I have personally investigated many of these claims and they remain what they first seem: fiction," said John Dayal, president of the All India Catholic Union which represents 16 million churchgoers. "I am sure it will make money but I do not think it will displace thousands of years of biblical thought."

Alternative theories

In 1935 a Shinto priest claimed that instead of being crucified, Jesus had fled to Japan where he lived to be 112. He married a Japanese woman, had three daughters and became a respected teacher and prophet

Dan Brown's Da Vinci Code, which has sold more than 80m copies, suggests that the church suppressed Jesus's real story and that he had a family of his own. A central character in modern times discovers she is a direct descendant of Jesus and Mary Magdalene, who fled to what is now France after the crucifixion

The Lost Gospel of Judas is based on a manuscript found in the Egyptian desert in 1970 and claims Jesus enlisted a beloved and heroic Judas to betray him as part of a divine plan

Titanic director James Cameron's film about the lost tomb of Jesus in Jerusalem suggests that graves containing the remains of Jesus and Mary Magdalene were discovered in 1980


またまたハリウッドでイエスを主人公にした、『胡散臭い』お話を映画にするんだそうです。福音書では書かれていない13歳から30歳までの間、イエスがインドへ旅して仏教寺院で生活し、カースト制度の不正について語ったって・・・ハイハイ。

イエス様はインドで東洋の多数の宗教にインスパイアーされたって・・・、しかし相変わらず映画のプロデューサーって好きだね、こういうの。ソースの出所は、『水瓶座の福音書(The Aquarian Gospel)』。これwikiとかで調べると分かるけど、最近出てきたものでちゃんとした歴史的背景を持った外典とかとは全然違う、かなり怪しいものらしい。

2009年公開予定らしいが、ファンタジーアクションアドベンチャーだって。俳優とコンピュータアニメーションを使うとのこと。どんな映画なんだ?(笑)

この記事には、他にもよく分からない怪しげなことがたくさん紹介されています。「仏僧がイエスの訪問について語っている巻物を見たことがある」とか、ドイツの宗教の専門家が「イエスは仏教の僧侶によって非暴力の存在を教わった」と主張したとか・・・ハイハイ全くもってキリがありません。

インドのカトリック教会は、「ハリウッドの映画製作会社は真実よりも新しい観客を探している」と退けているそうです。そりゃそうですね、その通りでしょうし。

まあ、大変胡散臭いのですが、ダ・ヴィンチ・コード以来のキリスト教ネタはまだまだ稼げる話題みたいです。何匹目のドジョウだろうね?
もっとも映画のスポークスマンも「ファンタジーとアクション」の映画と言っているから確信犯なんでしょうけどね。

映画公開したら、DVDになってから見ようっと。わざわざ映画館行く気にはならないもん。

先日のインドのカシミールにイエスの墓があるという話題(The Rozabal Line)もありましたが、あちらは十字架後のイエス様でこちらは十字架前のイエス様のお話でした。 そうそう、赤字の部分参照。これって『日本のイエスの墓』のことでしょう。いちいちあんなネタまで挙げてるなって! 何でもあり、ってことが分かりますね。

関連ブログ
これから読んでみたい本―「The Rozabal Line」
日本のイエスの足跡(BBCのイエスの墓の記事による)
ラベル:イエス ニュース
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「愛知教育大が図書館の「古書」を100円で販売」

愛知教育大が図書館の「古書」を100円で販売
【J-CASTニュースより、以下転載】
愛知教育大学は、不用になった同大学図書館の約1万4000点の図書を「古書」として1冊100円(消費税込み)で販売する。受け付け期間は07年11月15日から同11月30日までで、受け取りに来館できる人に限定している。これまで不用図書は古紙回収業者に出していたが、04年度の国立大学の法人化後、各大学の判断で資産が処分できるようになった。販売図書リストは同大学のホームページの付属図書館サイトで見られる。
うわあ~、是非他大学でもやって欲しい♪ 時々古書店巡りをしていると、学校の図書館から払い下げられた除籍図書があるんだよね。日本国内ものや海外の除籍図書もあるんだけど、なによりも安いのが魅力。

絶版物等のレアものがある場合も。但し、概してこの手の本は状態が良くないし、「除籍図書」のスタンプがあちこち押されていて古書としての価値は低いんだけど、とりあえず読みたい時には重宝します。

う~ん、近場だったら絶対に買いに行くんだけどなあ~。残念!

そうそう、下の図書館サイトに売買の注意事項が直接書かれているのでご注意を! 現金引換えで直接大学図書館まで行かなきゃ駄目だって! でも洋書なども結構あるし、全部14000冊だって。買いに行きたいな~。

愛知教育大学付属図書館
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2007年11月22日

「オオカミが双子育てた」ローマ建国神話の洞窟発見

「オオカミが双子育てた」ローマ建国神話の洞窟発見
【asahi.comより、以下転載】
イタリアのルテッリ副首相兼文化相は20日、ローマ中心部の初代ローマ皇帝アウグストゥス帝(前63~後14年)の宮廷跡近くの地下で、古代ローマの人々が建国神話の場として崇拝したとされる洞窟(どうくつ)跡が発見された、と発表した。外部からカメラを入れた調査で、この洞窟の天井に描かせたと伝えられるワシの絵も見つかった。

 洞窟が見つかったのは、円形競技場コロッセオに近く古代ローマの遺跡群で知られるパラティーノの丘。ローマ建国神話では、軍神マルスの子で生後まもなくテベレ川に捨てられたロムルスとレムスの双子の兄弟がオオカミに救われて授乳され、後にその場所に都を定めたとされている。神話上のローマ建国は紀元前753年4月21日。

 洞窟では共和政時代から、この神話を信じる人々により女性の多産などを祈る祭事が行われていたとされる。初代ローマ皇帝として建国神話を重視したアウグストゥスが修復させたとされる。

 今回見つかったのは地下16メートルの深さで、高さ8メートル、幅7メートルほど。一部が崩れ、土などで埋まっていた。外からカメラを入れたところ、貝殻や彩色された大理石が見つかった。安易に発掘すると崩れる恐れがあるという。
まさに、古代ローマの中心地だったところじゃないですか・・・。あんな所にこんなものがあったとは・・・・絶句!

さすがはローマ侮れないなあ~って思うけど、その前に何故今まで分からないままだったんだろう??? あのローマ帝国のまさに起源を示す建国神話の地なんだから、当時は相当立派な神殿なり、なんなりがあったでしょうに。

今後の調査・発掘が楽しみですね♪ しかし、学生時代教科書で読んだロムレスとレムスの伝承に関わる場所が今頃に発見されるとは・・・。歴史って楽しいですね(ニコニコ)。
ラベル:ローマ ニュース
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2007年11月20日

半歩遅れの読書術 松岡正剛

【日経新聞2007年11月18日より、以下転載】
半歩遅れの読書術~感想記の公表 好きな本にケチをつけず~

 ウェプ上でサイト「千夜千冊」を書きはじめてこのかた、千二百冊ほどの読書感想記を公表してきた。そのうちほぽ千冊を『千夜千冊』(求龍堂)という全八巻の全集にした。

 この作業を通して感じたことは、いろいろあるが、なかで自分が決めたルールで「あたり!」だと思えたのは、「本にケチをつけない」ということだった。

 ぽくもよく頼まれて書評を書くけれど、指定された本によっては、その内容や運び方や表現力に文句をつけたくなるときがある。これは書評というものの性質上しかたのないことで、むしろクリティックがあることのほうがメディアの書評欄としての役割をはたして
いると言える。

 しかし、自分が好きに選つづんだ本の感想を綴っていくときに、ケチをつけるのはつまらない。そういう本はとりあげなくていい。やはりどのように没頭したか、どこで脱帽したか、どんなふうにその読後感を人に伝えられるか、そこをのみ書きたい。

 先だって、久々に加地伸行の『儒教とは何か』(中公新書)を読んで、それを「千夜千冊」にのせた。実はこの本は、十年以上前に読んだときは物足りなかった。儒教の礼教性と宗教性の峻別はともかくも、なにもかもを「死の宗教」扱いしていることに限界も感じた。

 ところが、「千夜千冊」で“儒教もの”をとりあげようと思って十数冊を流し読みしていたら、この本がどうしても必要な本であることに気がついたのだ。なかでも、儒教が「死をめぐる宗教」であることは、とくに重要な見方の分かれ道となったのだ。

 世の中には、先駆的な本というものが必ずあるものだ。たいてい仮説に満ちている。たとえばフレイザーの『金枝篇』(岩波文庫)、バハオーフェンの『母権制』(白水社・みすず書房)などはそういう本だろう。科学書にはとくに多い。脳や宇宙に関する本はそういうものばかりと言っていいだろう。

 このような仮説に富んだ本は、いくらでもケチをつけられる。まして時代を先んじて挑んだ著作は、まちがいも多い。その後、その分野が切り開かれ、次々に後続バッターが業績を積み上げていくのだから、そこから見ればなんとでも文句が言える。しかし、フーテのンの寅ではないが、「それを言ったらおしまい」なのである。そういうことは学問のなかでやればよろしいわけで、それを堅気さんの前でひけらかしてはいけないのだ。

 たまにケチをつけないで読むこと。世の中、だんだん勇気に満ちてくる。(編集工学者)
これも日経の記事を見て思ったのだが、書評『千夜千冊』は大変有名であり、私もこのブログを書き始めた時は、勝手にこれを追い抜くことを目標にしていた時がある(おっ、生意気~とか、身の程知らずとかいじわる言わないように・・・)のでこの記事には思う事があった。

読書数は、いくらなんでも千冊なんて少ない事は有り得ないが、感想をそれだけ書くという経験は無かったし、『数は力なり』ではないが、やっぱりある種圧倒するものがあると思う。『千夜千冊』で数はそれだけで一つの力であることを実感したのが私にはいい契機だった。

しかし、最初は目標にしていたこともあり、「千夜千冊」のサイトは時々読んでいたのだが、段々違和感を覚えると共にこれは私の求める書評というか読書履歴とは違うことに気付いた。

結局、私の読書の参考にはならないし、読んでても感性も着眼点も含めて書評の視点が全く異なるので私にはどうしても面白くないことが分かった。

それ以来だろうか、ほとんどサイトを覗いてみたことがない。本になって書店の店頭に並んでいるのも見たが、やっぱり全然面白くないんですよ~。読む本のジャンルも違うけど、お金をもらって本を読み、物を書く視点なのかなあ~と思う。

前置きがダラダラと冗長になってしまったが、その視点の違いをこの記事を読んでいて改めて感じた。

他人の目に触れるというのが最優先事項で書かれている為に、尚更私には使えないし、マネできないし、したくもないのは当然だと分かった。自分自身に役立たせることが最優先の書評と異なるのは、至極当然だろう。

逆にこの記事で自分の書評の観点が明確になって興味深かった。あくまでも『私』というバイアスがかかった、読書時点での評価であり、しばしばあるが読み返しや他の本を読んで知識を得たうえで再読した時の感想が全然異なるのは、私の成長(理解力の拡大)そのものなのだろう。

私的には、その成長過程が自分で後から分かるように記録する点だけ注意すれば、より一層この書評(ブログ)は有用になると感じた。また、最近は、別なノートに記していたアイデアや気付きもこちらのブログに少しづつ移行させているので、ブログの体裁としては混沌とするが、私的には大変使えるツールとなりつつある。

現在は、ブログという形で記録しているが、今後は別途データベース形式でダブルに情報を持って相互利用できるようにしてみたいが、さてどうしようかと考えている。その為にperlを使おうかと思ったが、それよりもアクセスの方がいいかな? VBAで何か組めるか、考え中。

以上、独り言でした。

せっかくだから、引用記事について一言。もっと『私』にとって面白くて有用な書評が読みたいなあ~。

関連ブログ
活字の海で~読書術は普遍的テーマ 相次ぐ指南本が好調~
「ぼくはこんな本を読んできた」立花 隆 文藝春秋
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2007年11月19日

活字の海で~読書術は普遍的テーマ 相次ぐ指南本が好調~

【日経新聞2007年11月18日より、以下転載】
「読書術」を指南する本の出版が盛んだ。本田直之著『レバレッジ・リーディング』(東洋経済新報社)などべストセラー」も少なくない。本という比較的安価な投資で、大きなリ夕ーンを得ることを説く同書と同様、内容は極めて実用的だ。

中島孝志著『キラー・リーディング』(実業之日本社)のニュアンスは「究極の読書法」。業務上の資料などで、年間三千冊を読むコンサルタントが、ビジネスマン向けに、読書を仕事に活用して成果を生みだす手法を著した。

 要点は、いかに有用な情報を見いだし、消化した上で知的生産に結びつけるかということ。「方法論とは(中略)、読んだからといって、それで発想力がつくわけでもアイデアがひらめくわけでもない」との指摘は、「とにかく読め」というメッセージだろうか。

 十二万部以上売れた勝間和代著『年収10倍アップ勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティ一ワン)は、問題意識を持った乱読を勧めた上で、「乱読というのは、質のよい情報の中から自分の問題意識にあったものをスキャンする能力」と指摘する。『キラー・リーディング』にも通底する読み方といっていい。

 『本200%活用ブック』(日本能率協会マネジメントセン夕-編、発行)は、様々な「成功者」の読書術の要点をまとめた。『レバレッジ・リーディング』では、同じジャンルの本を徹底的に読むことを推奨する。「同じことが書いてあれば、それは誰もが認める重要なポイント」だからで、それを実践した一冊といえる。

 読書術の古典、M・J・アドラー、C・V・ドーレン著『本を読む本』(外山滋比古・槇未知子訳、講談社学術文庫)にも、目次を読む、拾い読み、その上での著者の議論の検討という各書と同じことが書かれている。訳者あとがきでの「求道的、人生的」な読書から、「実際的、知的」な読書への転換という指摘が、三十年経た今も有効だ。

 即効的な読書と一見反対の「スロー・リーディング」を説く平野啓一郎著『本の読み方』(PHP新書)も、読書術について「それを誰からも教わってはこなかった」というように読書術への渇望はつきない。意匠、立場は異なっても、「どう読むか」は、普遍的なテーマであり、読者もなかなか確信が持てない。それこそが読書の面白さの由縁だ。
こないだの日曜日に日経に載ってた記事である。最近、私もこの手の即物的な『読書術』の本を嫌いながらも、ある種の有用性・効率性を求めて目を通したりしているので、ちょっとメモしておく。

確かに流行りとして、実用的な読み方に関心が集まっているかもしれないが、それはあくまでも読書の利用方法の一つでしかない。むしろ、即物的な読書しかできないのって、教養レベルが低過ぎないだろうか???

短時間で容易に得られることは、なんだかんだ言っても所詮は表面的な知識でしかないのは自明だろう。私が読んだ実用書(ビジネス書)でさすがと思った点は、ノウハウとして得たことをいかに実践して洗練し、カスタマイズしたうえで自らの血肉と化すか、そこまで行って初めて価値があるし、使える知識だと思うのが、この書評というか記事は極めて薄っぺらな事しか触れていない。

失礼ながら、記者さんはここに挙げてる本を全部読んでないと思う。どっかの書籍の取次店から得た販売データと聞きかじりのネタだけで書いてる感じがしてならない。先日の立花氏の本でいうところのまさに「半可通」の匂いがプンプンするのだが・・・これって私の偏見だろうか?

この記事で取り上げられている『本200%活用ブック』はたまたま私も読んでいるけど、こんな説明のされ方では涙が出るのではないだろうか?
実用書、ビジネス書、ノウハウ本、呼称はさまざまだが、使える本は確かにあるし、もっと奥深い本質的な点まで踏み込んでいるものも多数ある。

最後にいかにも良識がありそう(に見せかける、逃げの)文章のまとめ方に反発を覚えてならない。署名記事って文責を負うんだから、もっと自らの主張があってもいいと思うだが・・・残念だ。そういうのも求める私がおかしいのか?

本の読み方を知らない・・・その時点でその人は、勉強をしたことがない人に違いない。勉強をする以上、どんなやり方であれ、本の読み方は身に付けているはずだからだ。勿論、それをより効率化・洗練したものに改善する余地はあるにせよ。

う~ん、ずいぶんえらそうな事書いてる気がするな、私自身も。ただ、率直な感想として、やっぱりこの記事おかしい気がする。なんか本の内容の捉え方のズレが強く感じられてならない。

この違和感を元にして、改めて私もここに出てくるような本をまた読んでみよう。そのうえでこの記事の当否を自分なりに考え直してみたい。

さて、何読むかな? 

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2007年11月18日

ダビンチが絵に音楽隠す? イタリアの音楽家が新説

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ダビンチが絵に音楽隠す? イタリアの音楽家が新説
【産経ニュースより、以下転載】
レオナルド・ダビンチの傑作「最後の晩餐(ばんさん)」には音符が隠されていた-。イタリアの音楽家が大胆な説をこのほど著書で発表。この絵を基にキリスト教の秘密に迫るミステリー小説「ダ・ヴィンチ・コード」の音楽版として注目が集まっている。

 ジャズ奏者のジョバンニ・マリア・パーラ氏の新著「隠された音楽」によると、食卓に横に並んだパンを線で結び、これを1番下の線として絵に5線を引く。次に弟子らの手と5線の交わる点、パンの位置に音符を置いて楽譜に見立て、普通の楽譜とは逆に右から弾くと、40秒間ほどの荘厳なレクイエムに聞こえるという。

 パーラ氏は4年前、ニュースで「絵に音楽が隠されているはず」との説を聞き、独自に研究を始めた。宗教的に重要な意味を持つパンと手に注目し、ダビンチの癖だった文字の右から左への逆書きを「音符」に当てはめたところ、曲が現れたという。

 「ダビンチが当代きってのたて琴の名手だったことからも、音楽が隠されていると確信していた」とパーラ氏。

 AP通信によると、ダビンチ研究の大家であるレオナルド理想博物館館長のアレッサンドロ・ベッツォージ博士は「存在しないもの(音符)を見るのは危険なことだ」と、新説に距離を置きながらも「この絵には、調和のある空間分割がある。そして調和のあるところには音楽がある」と好意的な見方を寄せている。(共同)
あっ、ようやく日本語の記事が出回り始めたようですね。海外では、数日前からたくさんの記事で読みましたが、日本の海外ニュースのソースって同じとこばかりだから、内容も違いが無くてイマイチですね。

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ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に真のダ・ヴィンチの暗号が隠されている
一週間前に、同じネタのニュースを読んだ時のもの。ディスカバリーチャンネルが早かったが、日本遅過ぎじゃないかな?このインターネットの時代に?
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2007年11月17日

黄金年鑑

A Golden Almanac
【TIMEより、以下転載】
Some of the medieval age's greatest treasures are its books of hours, virtually museums within hard covers. These Christian almanacs are crammed with prayers, psalms, and calendars of saints' days. They summarize all that medieval man worshiped and feared, depicted in miniatures wondrous with wildflowers and lavish with gilding. They are the unintentional encyclopedias of their era, and because each is unique, they are almost beyond acquisition.

When such a book does come along, its history is often shrouded in intrigue. Back in 1856, a Paris dealer sold a 193-page manuscript. Dated around 1435, it was recognized by its heraldic symbols as a Book of Hours for Catherine of Cleves, noble daughter of a powerful Dutch duke. For more than a century, no one questioned its completeness. It wound up in 1958 in the Guennol collection, owned by Long Island Investor Alastair B. Martin.

But in early 1963, Frederick B. Adams Jr., 54, director of Manhattan's Pierpont Morgan Library, chanced to find a manuscript from Europe with a title referring to Catherine. It was unmistakably by the same hand as the Guennol version. The library purchased it, and by matching sentence breaks, even stains on the pages, proved conclusively that the two were once one, an uncommonly long Book of Hours illumined with 157 dazzling miniatures. Joined for an exhibit at the Morgan, the reunited book was clearly the finest Dutch manuscript in existence (see color pages). Now the halves are separate again.

The master who painted the book is unknown, but he had the sharp eye of a jeweler. Details only 1/32 of an inch are revealed by a magnifying glass as ducks floating on a pond. He portrays hell's horrors with shrieking, Bosch-like surrealism, but more divine images receive less than medieval veneration. Christ's birth and infancy are treated with the tenderness of an uncle. The artist took his greatest liberties in the borders of his illuminations. There he imitates a grape arbor's lattice in textiles and lacework, borders a saint with pretzels that were originally baked to imitate hands clasped in prayer, in a secular study of commonplace reality.

This labor was a wedding present for the duchess. At the age of 13, Catherine was married to the neighboring Arnold, Duke of Guelders. In time, she became vain, violent and overweening. Eventually, with her son, she conspired against her husband. But though the manuscript illuminations speak toward a more secular age, they apply medieval alchemy to make gentle nature glitter with lasting fire. The Cleves master was shrewd but also sensitive, and his work can stir souls. Perhaps Catherine herself was the only one not mindful enough of her Book of Hours.
これは1964年のニュース記事。さっきのより更に古いです。

モーガン・ライブラリーが『カトリーヌ・ド・クレーブの時祷書』をまさに入手したぐらいの頃の話です。

二つに分かれていた写本が実は、一つのものだったという発見があったと書かれています。実は、この話は先日購入した本『The Golden Age of dutch Manuscript Painting』の中にも更に詳細な話が書かれていてそれを読んでいたので、特に驚かなかったのですが、ニュース記事になっているとは思わなかったので、とりあえずメモ。

いろいろな意味で興味深い話がたくさんあって本当に楽しい♪

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モーガン・ライブラリーで稀稿本の滅多にない楽しみ

ART: RARE TREAT IN RARE BOOK AT MORGAN
【New York Timesより、以下転載】
IT is difficult for a museum to know what to do about the Books of Hours, some of the greatest achievements of medieval art. These books - most of them quite small, and some of them very small indeed - brought both a rare intensity and a command of microscopic detail to the task of marking the hours of the day and night at which the devout went to their devotions. Matins, lauds, prime, tierce, sext, nones, vespers and compline formed an unvarying sequence, and it was to the illuminator to match the gravity of the moment.

To get hold of a Book of Hours that is in decent condition is already a triumph. We are speaking, after all, of something that is likely to be 500 or more years old and is delicate by its very nature. But how to make it available to the public? That is almost more of a problem. If the Book of Hours is locked away in a safe and no one sees it, that in a way negates the whole purpose of a museum.

But if it is handled freely, exposed to a harmful level of light and in general is treated as, for instance, J.M.W. Turner's sketchbooks were treated until lately in the British Museum, the book will fade, get soiled and eventually disintegrate. And when it disintegrates, there are very few more where it came from.

At the Pierpont Morgan Library this problem comes up all the time, and rarely more so than in the current exhibition of ''15th-Century Art From the Netherlands.'' There are some fine drawings in the show, and the early printed books make a characteristically sturdy impression. Black ink and white paper have not often been more strongly mated than in the herbal treatise that was published in Louvain in the 1480's by Johann Veldener. But for most visitors the Books of Hours will be the point of maximum interest, and spectacular they are.

There would even be a case for saying that the Books of Hours - or at any rate the illuminated manuscripts in general - are the heart of the Morgan Library. Pierpont Morgan himself clearly thought so. And one of the first and most conspicuous coups of the present director, Charles Ryskamp, came about in 1970, when he went all out for the ''Book of Hours of Catherine of Cleves,'' which was made in about 1440 for Catherine of Cleves, Duchess of Guelders.

The Cleves Book of Hours may well rank with the ''Tres Riches Heures du Duc de Berry'' as the most famous thing of its kind ever made. It is our good luck that the Morgan Library is in the process of rebinding it, with the result that we can see more than two pages of it at a time.

We can also see color transparencies of several more of its pages. These are lighted from behind in specially made boxes, and it is fair to say that the result is almost as impressive as if we were seeing the originals -and in some cases more so, in that the transparencies can stand an intensity of light that the originals cannot. (I should add that, in obedience with the latest scientific assessments in such matters, the level of light in this exhibition is distinctly penumbral).

With the help of the light boxes, we can see exactly how luxuriant was the fancy that went into the decorated margins in the Cleves Book of Hours. Sometimes those decorations bear a specific meaning, open or covert. The margins of the page devoted to St. Ambrose are lined with mussels in their shells, for example. The shells are all open, the meat of the mussel looks perfectly fresh, and the craftsmanship is as fine as can be.

What the mussel has to do with St. Ambrose is at first sight mysterious. But then we see a gigantic crab, with its pincers at the ready. We remember that the crab is the traditional enemy of the mussel and likes nothing better than to pry open the shell and gobble up the living meat. If we also remember that St. Ambrose was a champion peacemaker who could persuade even the most recalcitrant of enemies to live in harmony, the page makes perfect sense.

There are many such pages in the show, and many remarkable books, even if none of them has quite the cachet of the Cleves Book of Hours. Not all of them are devotional, either. One of the grandest books on view was published in Bruges about 1470 and is in effect an illustrated treatise on just about everything that has to do with country life. The subjects include hunting, wine making, botany, gardening and horse breeding, and they have rarely been looked over in a more stately way.

Those who felt the need to find out what was going on in the world they lived in could reach out in the late 1470's for the ''World Chronicle'' -the work, as it happened, of a Carthusian monk who lived in Cologne - that was brought out by Johann Valdener, the pioneer printer in Louvain. On the level of a fabulation there was a large public for another early printed book, the ''Dialogues of the Creatures,'' which came out in Gouda in 1480 and offered a great deal of information in fable form.

Given that more than 25 million people are believed to have died of the plague in 14th-century Europe, it should not be a surprise that death and how to deal with it were omnipresent in people's minds. ''The Art of Dying'' was an ever-popular title, and even in the early 16th century there was, as we see at the Morgan Library, a hideous actuality about the image of death and a man struggling over a bone.

In these and other contexts, the show is remarkably comprehensive in a field in which acquisitions are harder and harder to come by. More than one of the items in the exhibition has come to the Morgan Library quite recently as a result of an intelligent exchange program with the Royal Library at The Hague. The exchanges in question were of duplicate copies. The Hague got some early English printed material that it could not otherwise acquire, and the Morgan got some remarkable Dutch material. Not every institution favors exchanges of this kind, but in this case the benefits are surely plain for all to see.

Among the drawings in the show, a cryptic sheet called ''10 Spectators'' stands out. Whether or not it is one of the dozen or so drawings that can be attributed to Hieronymus Bosch, and whatever it may be that the spectators in it are looking at, it has an undeniably sinister power. These are people who would carve us up and not think twice about it.

The show can be seen through Nov. 7, and will be joined on Sept. 16 by an exhibition called ''Icelandic Sagas, Eddas and Art.''
1982年の記事だから、ずいぶんと古い話になります。『カトリーヌ・ド・クレーブの時祷書』絡みだったのでメモしておきます。

油絵などと違い素描画なども展示すると確実に劣化していくので、保存を考えれば、一切公開しないのが一番ですが、それだと何の為に博物館にあるの?ということになってしまうし、実に難しい問題ですね。

写本もやっぱり、大切に扱う必要があるでしょうし・・・。

そういうことを考えると、大金持ちになって写本の所有者になるか、研究者になるかしないと、一般人では見れない訳で悲しいかも・・・? と言っても、保存もしっかりして欲しいが、見れないのは嫌だなあ~。

そうそう、『カトリーヌ・ド・クレーブの時祷書』は、あの有名な『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』と同ランクに位置づけられる・・・みたいなことも書かれてますね。実際、私の持っている本にも相当評価が高いことが書かれてました。後で読み直さないと!

後半の欄外の絵と意味については、直接時祷書の解説に詳しく説明があったから、私的にはどうでも良しっと。

ニューヨークには、ミュージカルを観にいく以外では二度と行かないつもりだったけど、モーガン・ライブラリーには絶対に行かなければと心に誓う私なのでした。こういう記事を読むと、どうしても心惹かれますね!

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2007年11月13日

羊皮紙からデジタルバンクへ(インド)

羊皮紙からデジタルバンクへ
【VOICE OF INDIAより以下、転載】
インドの知恵の大部分は、家や寺院、学校、文化機関などに所蔵される古い写本に詰め込まれている。インドで印刷技術が普及する前に書かれたものも少なくなく、それらはヤシの葉、羊皮紙、木などに書かれている。美しいイラストやカリグラフィーと共に書かれたものもあるし、古い寺院や僧院などの記録に過ぎないものもある。
二大叙事詩「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」には数え切れないほどの異伝があり、真言、賛歌、聖典は、インドの宗教的、文化的、社会的伝統を記録している。南インドの歴史的市街地や学問の中心地、またガンガー河沿岸の都市などには今でも、知られざる宝が埃をかぶり、朽ち果てながらも残っている。

インド政府は数年前、それらの貴重な文化財を収集・保護するための国家写本ミッション(NAMAMI)を始動させた。この事業のユニークな点は、現代技術と古代文化の融合にある。写本はそのまま集められて一ヶ所に所蔵されるわけではない。それらはスキャンされ、デジタル形式で保存される。最新技術を使い、それらを後世に残すのである。

まずは、ボランティアのソフトウェア・エンジニアたちが、多国籍企業向けの仕事の合間に写本保存のためのソフトウェア開発を行った。その統括はバンガロールを拠点とするマハーバーラタ研究基金が行った。写本収集家、碑文研究家、さらにインド科学大学バンガロール校やインド遺産グループといった有名な機関の協力も受けた。このような過程を経て、各種素材や媒体に、さまざまな言語や文字で記された写本を記録するソフトウェアが完成した。

このミッションは昨年までに、インドの膨大な写本を収集・保存するため、何百もの寺院、文書局、機関などに働きかける段階まで来た。NAMAMIは1年を通してインド全国の15万の写本を特定し、2007年にさらに40万を獲得することを発表した。
ミッションを先導するスダー・ゴーパーラクリシュナン計画部長は、科学的、美学的、精神的価値のある古い写本をすべて収集することを決定した。特に、劣悪な状態にある消滅の危機に瀕する文書の保存に重点が置かれた。

南インドのスィッダ医学派、オリッサ州の宗教文書、カシミール峡谷の美しい美術コレクションなど、失われつつある古代の知恵の保存もプロジェクトの一部である。インディラー・ガーンディー国家芸術センターもNAMAMIの支援を行っている。

科学者でもあるAPJアブドゥル・カラム大統領もプロジェクトを注意深く見守っており、インドの古代遺産を保存するためにナノテクノロジーの活用を主張した。2007年には、文化省の支援により移動バンが導入され、ミッションのさらなる進展が期待されている。このバンにはハイテクスキャン装置が積み込まれており、山の中にいても衛星を通じて結果を送ることができる。このように、NAMAMIはインドの至る所に存在する写本を見つけ出し、子孫のために残そうとしている。

バンは、この途方もないミッションを遂行するため、南インドの歴史的都市マイソールを出発した。ミッションの発案人であり、責任者でもあるラーマチャンドラ・ブディラールは、これまで記録されたインドの写本はまだ全体の0.1%ほどに過ぎないと推定している。
人間の想像力にとって、何世紀も前に書かれた知恵の海を思い浮かべることは大変なことである。ブディラール氏はバンガロールにいながら、遠隔操作によってバンにアクセスすることができる。NAMAMIのセンターはバンガロール、デリー、チェンナイに置かれており、スキャンされた文書の衛星画像を受信することができる。その後、画像は美化処理され、システマティックに保存される。バンに積み込まれたソフトウェアの価格は約1,000万ルピーであり、セキュリティーシステムも搭載されている。すべてのデジタルファイルは国家デジタル写本図書館に保存される。

ミッションはインド国内に留まらない。古代インドの医療写本が多数発見されているインドネシアやカンボジアでも同様の作業が行われる予定である。パキスタン、バングラデシュ、ネパール、ミャンマーなどでも写本捜索が行われる。これらの国々は、古代にはインドの一部であり、同じ遺産を共有している。よって、インドの古代遺産に興味があるなら、寺院やグルドワーラーの埃っぽい棚を引っ掻き回す必要はない。今や、ナノテクノロジーを活用したスクリーン上で見ることができるのだ。
凄いねぇ~、確かに四大文明発祥の地だし、仏教が興った土地だもん、たくさんの古写本があっても当然ですね!

現物の保存も進めて欲しいところですが、まずはデジタル画像であっても残せるものなら是非&是非、保存して欲しいと切に思いますね。インドだけの財産ではなく、まさに人類の財産でしょう!

おそらく誰にも知られずに眠っている大いなる叡智の書とか、本当にありそう。ソフト開発がボランティアで行われている辺りも、インドのスソフト産業の興隆を想起させてなかなかタイムリーな感じがします。

そのうちにネットでその写本を見たりすることができる日が来そうですね。本当に楽しみです♪(笑顔)
ラベル:インド 写本
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2007年11月10日

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に真のダ・ヴィンチの暗号が隠されている

ディスカバリーチャンネルのニュース記事です。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に、暗号ならぬ「楽譜」が隠されているといった内容の本が来週イタリアで発売されるそうです。

但し、今回は陰謀論ではなくて新しい暗号のポイントは、楽譜と三次元の聖杯とのことです。

実際にその楽譜の通り演奏すると、荘厳でほとんどレクイエムのようだったとか。

はいはい、なんかこの手の話ってキリないですね。こないだまで「イエスの墓」とか騒いで話題を提供していたディスカバリーチャンネルは、今度はこの手でくるのでしょうか? どの程度まで関与しているか分かりませんが、さすがは立派なプロモーター(興行主)さん、とか思ってしまう私はひぬくれ過ぎ?

まあ、その後の他紙の記事を期待して待ちましょうか(笑)。

lastsupperdis.jpg

Leonardo's 'Last Supper' Hides True Da Vinci Code
【ディスカバリーニュースより転載】
Nov. 9, 2007 -- A real da Vinci code is indeed hidden within Leonardo's "The Last Supper," according to a book to be published in Italy next week.

But rather than conspiracy theories, the new code points to a hidden musical score, a sacred text and a three-dimensional chalice.

"This is not another spin-off of Dan Brown's novel. It's real," musician Giovanni Maria Pala told Discovery News in an exclusive interview. "I've always been intrigued by the possibility of finding a (piece of) music in the Last Supper, but I would have never imagined to find myself decoding a secret message by Leonardo."

Indeed, Leonardo was an accomplished lyre player who also enjoyed hiding puzzles in his work.

Pala, who will publish his findings next week in the book "La Musica Celata" (which translates to "The Hidden Music") claims to have discovered nothing less than a sacred hymn and text, along with mystic symbols in da Vinci's degraded masterpiece.

"I was first struck by the tablecloth, which features horizontal lines but also vertical lines in correspondence with the pieces of bread. This made me think immediately of music notes on a pentagram. I tried to play the notes, but it did not work. Looking at single details wasn't the correct approach," Pala said.

Finding the Hidden Score

According to Pala, "The Last Supper" must be seen "as a harmonic whole, in which each detail has a precise meaning."

The Apostles, represented in groups of three, gave him a hint that the piece should be played in 3/4-time, like much 15th-century music. But it was their hands, always in relation to the breads on the table, that provided the real score -- to be read from right to left, in line with Leonardo's writing.

"I marked the pieces of bread on the table and the Apostle's hands as music notes. Then I drew a pentagram over the scene between the tablecloth and Jesus' face. I couldn't believe my ears when I played the music. It sounded really solemn, almost like a requiem," Pala said.

But there was much more. Pala noticed that the notes, in their position, produced strange symbols -- similar to ancient cuneiform script -- when united to each other by lines.

Examined by Father Luigi Orlando, a biblical scholar at the Antonianum Pontifical University in Rome, the cuneiform writing turned out to be a sentence written in ancient Hebrew: "bo nezer usbi," which means "with Him consecration and glory."

Seeing the Chalice

"At this point I was totally into this puzzle," Pala said. "I placed the nine letters of the ancient Hebrew text one on top of the other, following an ascending path, which is the direction of the hands of the first six Apostles. The result was a strange image."

He noticed that on the table, to the right, Leonardo painted a piece of bread split in half.

"I thought of this as a hint to duplicate that image," Pala said. The resulting image -- nine letters stacked on top of each other and duplicated -- was the chalice.

When Pala rotated the image of the chalice further, he found a motif very similar to the decorations in Santa Maria delle Grazie, the church where Leonardo painted "The Last Supper" in 1497.

"I think there are too many things fitting together, and cannot just be coincidences," Pala said.

His discovery is sure to raise controversy.

Preserving the Masterpiece

Indeed, perhaps no other artwork is the subject of as much imagination as "The Last Supper." The mural has already been the subject of some extraordinary theories -- its characters scrutinized, mirrored, and superimposed on top of one another.

The mural, painted to provide monks at the church of Santa Maria delle Grazie in Milan something to contemplate during meals, is considered one of Leonardo's greatest works.

Because of its decaying surface -- the experimental finish used by the artist was extremely fragile -- the work has been repainted many times over the centuries.

A controversial restoration in 1999 attempted to remove all traces of previous over-painting -- but critics said it went too far and little is left of the original work.

Unlike conventional fresco murals, in which water-based paint is applied on wet plaster to adhere to the surface as the wall dries, Leonardo's piece was executed with multiple layers of oil and plaster.

While allowing greater precision of detail, this technique was particularly susceptible to dampness. Within a few years, paint began flaking off.

In 1556 the art historian Giorgio Vasari called the work a "muddle of blots;" by 1796, Napoleonic troops occupying Milan were so unimpressed that they converted the refectory into a stable and amused themselves by throwing bricks at the Apostles' heads.

And "The Last Supper" narrowly missed complete destruction in World War II when a bomb fell on the roof of the church: protected by sandbags, it went largely unscathed.

As the mural deteriorated over time, sections were touched up using various chemicals and techniques -- some of which may have produced more damage than the French cavalry or the aerial bombardment.

The End. Or the Beginning?

The latest cleaning, which began in 1979 and lasted 20 years, made great gains in revealing color and detail, but a more thorough cleaning could destroy the work beyond recognition.

The gains and losses are now visible on an Internet close-up, following the posting of a 16-billion-pixel image of the work. The image, 1,600 times more detailed than those taken with a 10-mega-pixel digital camera, is the world's highest definition photograph, says Mauro Gavinelli, the project's technical supervisor.

The image is visible at www.haltadefinizione.com and allows art lovers to view details of the 15th-century painting as though they were inches away from the work.

Gavinelli and his team at HAL9000, a company specializing in art photography, put together 1,677 panoramic images of the 15-by-29-foot depiction of the moment when Jesus tells his Apostles that one of them will betray him.

The resulting images will be used to monitor the state of the painting's degradation. Meanwhile, they have already revealed unknown details, said Gavinelli.

"For example...a close-up reveals the gold flake Leonardo applied, despite believing that artists should be able to make paint glitter like gold," Gavinelli told Discovery News.

Other close-ups show how Leonardo made the transparent cups, the church bell tower and shrubs outside the windows, and the patterns and wrinkles in the tablecloth -- including a tiny peacock "embroidered" into it.

For those who can't get enough of the enigmas surrounding da Vinci and his work, there couldn't be a better tool.
しかし、本の著者である音楽家はダ・ヴィンチ・コードのマネではないと言ってるけど、どうしたってそう思われるだろうけどなあ~。

動画はこちら。
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2007年10月27日

中世キリスト教史上の謎「テンプル騎士団」の異端審問記録、700年を経て公開

中世キリスト教史上の謎「テンプル騎士団」の異端審問記録、700年を経て公開
【AFPより、以下転載】
ローマ法王庁は25日、14世紀に行われたテンプル騎士団(Knights Templar)の異端性を問う宗教裁判の史料を公開した。

「Processus contro Templarios(Hearing Against the Knights Templar、テンプル騎士団の異端審問記録)」と題されたこの史料は、当時のフランス国王フィリップ4世(King Philip IV)の命により1308年に南東部ポワチエ(Poitiers)で開かれた宗教裁判の議事録をまとめたもの。公開された文書は300ページで、中世ラテン語で書かれている。ローマ法王庁は複製版を799部限定、1部5900ユーロ(約97万円)で販売する予定だ。

 史料は、司教や枢機卿の会合用に使われているホールで報道陣や一般市民を対象に公開された。同庁の枢密文書館のSergio Pagano館長は、史料にはすべての裁判記録の複製が網羅されているが「特に目新しい情報はない」とする一方で、円筒形の巻物入れの「美術的価値」の高さを指摘した。史料には、法王クレメンス5世がテンプル騎士団の異端を「無罪」としたことで知られる文書「Chinon Parchment」も含まれる。

 テンプル騎士団は1119年、聖地保護と異教徒撃退のために創設された。聖地エルサレム(Jerusalem)が13世紀にイスラム教徒の統治下に置かれた後、騎士団はヨーロッパに逃れ、その拠点をフランスに置くようになった。

 1308年、テンプル騎士団の財産没収を狙ったフィリップ4世がアビニョン(Avignon)法王クレメンス5世(Clement V)に働きかけたことにより、騎士団の異端性を問う裁判が開始。法王クレメンス5世が「無罪」の判断を下していたにもかかわらず、39人の指導者が1314年に火刑に処せられた。騎士団は1312年に解散している。

 テンプル騎士団は、キリストが最後の晩餐で用いた「聖杯」の守り主として知られるほか、入会に際しての秘儀や、解散によって行方不明になった財宝を巡る謎に包まれ、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つとされる。
このニュースは既に採り上げたものとあまり違いはないが、テンプル騎士団の宗教裁判史料の複製版の写真が豊富にあるので紹介しておく。

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限定出版される複製版の表紙。

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封印の複製。

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封印の複製。

関連ブログ
バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
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ダ・ビンチの「最後の晩餐」、デジタル版がネットに

ダ・ビンチの「最後の晩餐」、デジタル版がネットに
【Reutersより、以下転載】
レオナルド・ダ・ビンチ作「最後の晩餐」の高精細画像が、インターネット上にお目見えすることになった。

 イタリアのデジタル画像処理会社HAL9000が27日、同社のウェブサイト(www.haltadefinizione.com)に160─170億画素の画像を掲載する。

 本物の「最後の晩餐」は、ミラノにある教会に隣接する部屋の壁面に描かれているが、小説「ダ・ヴィンチ・コード」が世界中で大ヒットしたことなどをきっかけに、この絵の本当に意味についてはさまざまな解釈が語られている。

 ネット上に掲載されることで「最後の晩餐」は自宅のパソコンから見られるようになり、芸術愛好家だけでなく、いろいろな解釈を唱える人たちの注目も集めることになりそうだ。
早速、行ってみましたが、まだみたい。朝9時半からだって!

ちょっと楽しみですね。こういうのって、なんか嬉しい♪

【追記】
アクセスが集中しているせいかかなり重いけど、本当の高精細で驚くほど細かいところが見れます! それと英語・イタリア語以外に何故か日本語でもOKらしい。

スポンサーに日本企業がいるのかなあ~?

http://www.haltadefinizione.com/jp/

関連ブログ
「よみがえる最後の晩餐」片桐頼継 著 日本放送出版協会
posted by alice-room at 00:17| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

13世紀のコーランが2.7億円で落札、世界記録更新

13世紀のコーランが2.7億円で落札、世界記録更新
【Reuitersより、以下転載】
13世紀のコーラン(イスラム教の聖典)が23日、オークションで114万ポンド(約2億6800万円)で落札されたと競売大手のクリスティーズが発表した。落札額は事前予想の25万ポンドの4倍以上だった。

 同社のイスラム芸術担当の責任者は、声明で、今回の落札価格がクリスティーズが扱ったイスラム芸術の中で過去最高水準だったと説明。

 「西暦1203年に作られた、金で文字が書かれた同書は、完全な形で残る最も古いコーラン」とした上で、コーランとしての世界の競売記録だけでなく、イスラム教関連の手書き本全体でも世界の競売記録を更新したと述べた。
BBCには写真までありました。

koran.jpg

Gold Koran sells for record £1.1m
【BBCより、以下転載】
An 800-year-old copy of the Muslim holy book, the Koran, has sold for a world record price of £1,140,500 at an auction in London.

The Koran, which has been dated to 1203, is believed to be the oldest known complete copy written in gold.

The calligraphy has marginal notes written in silver.

Auction house Christie's said it was a world record for both a Koran and an Islamic manuscript. It was expected to sell for between £500,000 and £750,000.

A second Koran, a nearly-complete text from the 10th century, was sold for almost £916,500.

Both were sold on behalf of the Hispanic Society of America, and were bought by British trade buyers.
売り手はアメリカのヒスパニック協会の代理で、買い手はイギリスの貿易商みたいですね。

まあ、金で書かれた最古の写本で、余白には銀のカリグラフィーのコーランだもんね。写真が小さくてイマイチわかりにくいけど、相当美しいんでしょうね。凄い値段も納得かな。

でも、あれってイスラム教徒以外でも所有していいの?コーランは、信者じゃないと駄目かと思ってた。なんかの本にそんなこと書いてあったような気がしたけど、私の誤解かな?

関連ブログ
「図説 コーランの世界 写本の歴史と美のすべて」大川玲子 河出書房新社
「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書
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2007年10月23日

放射性炭素年代測定法がアッシジの聖フランチェスコの礼服の年代に疑問を投げかける

いつもお邪魔しているMegurigami Nikkiさんの記事を拝見して、大変興味深いニュースを知ったので私も探してみました。

robe_relics.jpg

Carbon dating casts doubt on age of St Francis robe
【REUTERS UKより、以下転載】
ROME (Reuters) - Carbon dating has cast doubt on the authenticity of one of four robes kept by Italian churches as relics of the medieval Saint Francis of Assisi, though another tunic, a belt and a cushion were found to be the right vintage.

Friars from two churches of the Franciscan order founded by the saint asked a laboratory specialising in dating artwork to examine two simple brown tunics said to have been worn by the champion of the poor, as well as a mortuary cushion.

Francis who gave up the life of a playboy and soldier and all his worldly goods to dedicate himself to the poor and preach the way of peace, died in 1226. His hometown, Assisi, attracts millions of Christian pilgrims every year.

Artistic depictions of the saint show him dressed in a brown robe with a rope belt -- the habit still worn by his order.

Four Franciscan churches have claimed to house relics. The tests showed that one, in the Basilica of Cortona in Tuscany, did date from his lifetime, as did an embroidered cushion said to have come from his deathbed.

A second robe from Florence's Basilica of the Holy Cross did not match the dates, though the belt around it did.

"The tunic and cushion from Cortona were found compatible with the period in which Saint Francis lived but the one from Florence wasn't," said Pier Andrea Mando of the Nuclear Physics Laboratory in Florence, in a statement released on Wednesday.

The other two robes are kept in churches in Assisi and Arezzo belonging to a different branch of the order and were not included in the tests, which used accelerator mass spectrometry to measure the amount of carbon-14 present in samples of cloth.

Francis, the son of a wealthy merchant, is said to have found his vocation while praying in a ruined wayside chapel. He heard a voice saying: "Go, Francis, and repair my house."

Pope Benedict visited Assisi in June for the 800th anniversary of St Francis' conversion.

Carbon dating of St Francis' robes has none of the controversy surrounding tests in 1988 on the Shroud of Turin, which bears an imprint many Catholics believe to be Jesus and has been venerated for centuries as Christ's burial cloth.

Findings dating it from at least 1260 AD were bitterly contested by some in the Church.
鑑定した四つのうち、一つが聖フランチェスコの生きていた年代と一致しないということらしいのです。

逆にいろいろな聖遺物関係の本を読んでいると、あれほど偽物が横行する聖遺物にあって、この確率で本物だったならば、かえって凄いと思うのですが、みんなそんなふうに考えないんでしょうね。

これらの聖遺物を所持する当事者の教会は、相当大変なことになるのでは・・・などと他人事ながら、余計な心配をしないでいられません。

でも、聖骸布といい、ジャンヌ・ダルクの骨といい、興味深い時代になったものです。

他にも、同様の内容で次のような記事がありました。

robe_relics1.jpg

Physics Reveals The Secrets Of Saint Francis
【ScienceDailyより、以下転載】
The tunic believed to have been worn by Saint Francis of Assisi preserved in the Church of Saint Francis in Cortona (Province of Arezzo) dates back to the period in which the saint lived, whereas the tunic preserved in the Church of Santa Croce in Florence was made after his death.

Carbon 14 measurements, which allow a relic to be dated, show that the tunic in Santa Croce dates back to some time between the late 13th century and late 14th century and thus could not have belonged to the “Poor Man of Assisi”, who died in 1226. These and other discovers were made possible through the analysis of the relics with a tandem particle accelerator, which was performed by the Laboratory of Nuclear Techniques for Cultural Heritage (LABEC) of the INFN of Florence.

The results of the study were presented in Florence at the European Conference on Accelerators in Applied Research and Technology (ECAART) and will be published in the volume “L’eredità del Padre: le reliquie di San Francesco a Cortona” (which will be released in a few weeks by Edizioni Messaggero di Sant’Antonio). The volume will include the complete results of an interdisciplinary investigation which included both scientific and humanist research and which was promoted by the Tuscany Province Chapter of the Franciscan Order “Friars Minor Conventual”.

The analyses were conducted with a radiocarbon method, measuring the radiocarbon using Accelerator Mass Spectrometry (AMS). From each tunic, researchers took from 5 to 7 samples of fabric, each of which was smaller than one square centimetre and weighed around 10 milligrams. Multiple samples were taken to avoid doubts or ambiguities (due to, for example, the presence of patches that were added to the tunic at a later time), thus increasing the analysis’ validity.

Each sample of wool was then treated so as to extract only the carbon, obtaining a small graphite pellet weighing about 0.8 milligrams. The pellet was then placed in the accelerator’s chamber, where it was exposed to a beam of cesium ions, “scratching” the pellet’s surface and extracting carbon isotopes 12, 13, and 14. The accelerator used by the INFN separately measured the quantity of the three isotopes. Relics are dated by calculating the ratio of carbon 14 to carbon 12, the quantities of which are “counted” in the accelerator’s detectors. Both great delicacy and exceptional sensitivity are required for taking these measurements; in fact, the ratio of carbon 14 to carbon 12 is only around one to one trillion, or even lower.

The analysis of the tunic preserved in the Basilica of Santa Croce in Florence showed that it dates back to a period between the end of the 1200s and the end of the 1300s, revealing that it was made at least 80 years after Saint Francis’ death and thus could not have belonged to him.

By contrast, the dates of all of the fragments taken from the tunic in the church in Cortona coincide with the period of Saint Francis’ life (the average results show that the tunic was made between 1155 and 1225). The tunic is one of three Franciscan relics, which also include a finely embroidered cushion and a book of gospels believed to have been brought to Cortona by Friar Elia, Saint Francis’ first successor as leader of the order.

LABEC researchers also analysed the composition of the precious metal thread used to embroider the cover of the cushion on which the Saint’s head was placed upon his death, and they used the carbon 14 method to date the fabric of the cushion itself. Moreover, the book of gospels was subjected to in-depth codicological and paleographic investigations by researchers at the University of Siena. Based on both the scientific evidence and humanistic research, the cushion and the book of gospels were also found to date back to the period in which Saint Francis lived.
こちらの方が、テスト方法など詳しいですね。調査結果は、“L’eredità del Padre: le reliquie di San Francesco a Cortona”という名称で出版されるようです。英語じゃないんだ、読めない・・・残念です。

関連ブログ
ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、エジプトのミイラ=研究者が発表
『トリノの聖骸布』の印影は復活の時のものか
「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
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2007年10月19日

バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開

バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
【Technobahnより、以下転載】
バチカン法王庁は12日、1307年のフランス王フィリップ4世によるテンプル騎士団迫害に関連して1312年に行われたヴィエンヌ公会議におけるテンプル騎士団禁止を命じた宗教裁判の資料「Processus Contra Templarios」を700年ぶりに公開することを決定した。

 テンプル騎士団は中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。起源は11世紀の第一回十字軍遠征にまで遡ることができ、十字軍遠征では聖地エルサレム奪還に貢献をしたことで知られている。

 しかし、12世紀後半になってからエルサレムがイスラム教徒の支配下に落ちた以降は、影響力を失い、14世紀に入ってからはフランス王フィリップ4世の陰謀によって壊滅された。

 今回、バチカン法王庁が公開した文書はヴィエンヌ公会議の公文書で、1628年にバチカン法王庁の書庫目録に記載されたことを最後に、歴史上から存在が消されていた文書となる。

 公開された文書は300ページで、799部の限定で、バチカン法王庁の御用達のScrinium出版社から1部、8377ドル(約96万円)で販売の予定。

 テンプル騎士団は聖杯伝説とも密接な関係を持つなど中世キリスト教史上、最大の謎ともされてきただけに、今回の公開された文書は中世キリスト教史を解きほぐす上で、重要な史料となりそうだ。
ようやく日本語になってるニュースを見つけました。海外で流れてるニュースそのままですね。特に目新しい内容はないようです。

あわせて海外での報道はこんな感じでした。
Knights Templar win heresy reprieve after 700 years
【Reutersより、以下転載】
VATICAN CITY (Reuters) - The Knights Templar, the medieval Christian military order accused of heresy and sexual misconduct, will soon be partly rehabilitated when the Vatican publishes trial documents it had closely guarded for 700 years.

A reproduction of the minutes of trials against the Templars, "'Processus Contra Templarios -- Papal Inquiry into the Trial of the Templars'" is a massive work and much more than a book -- with a 5,900 euros ($8,333) price tag.

"This is a milestone because it is the first time that these documents are being released by the Vatican, which gives a stamp of authority to the entire project," said Professor Barbara Frale, a medievalist at the Vatican's Secret Archives.

"Nothing before this offered scholars original documents of the trials of the Templars," she told Reuters in a telephone interview ahead of the official presentation of the work on October 25.

The epic comes in a soft leather case that includes a large-format book including scholarly commentary, reproductions of original parchments in Latin, and -- to tantalize Templar buffs -- replicas of the wax seals used by 14th-century inquisitors.

Reuters was given an advance preview of the work, of which only 799 numbered copies have been made.

One parchment measuring about half a meter wide by some two meters long is so detailed that it includes reproductions of stains and imperfections seen on the originals.

Pope Benedict will be given the first set of the work, published by the Vatican Secret Archives in collaboration with Italy's Scrinium cultural foundation, which acted as curator and will have exclusive world distribution rights.

The Templars, whose full name was "Poor Fellow-Soldiers of Christ and of the Temple of Solomon", were founded in 1119 by knights sworn to protecting Christian pilgrims visiting the Holy Land after the Crusaders captured Jerusalem in 1099.

They amassed enormous wealth and helped finance wars of some European monarchs. Legends of their hidden treasures, secret rituals and power have figured over the years in films and bestsellers such as "The Da Vinci Code".

The Knights have also been portrayed as guardians of the legendary Holy Grail, the cup used by Christ at the Last Supper before his crucifixion.

The Vatican expects most copies of the work to be bought up by specialized libraries at top universities and by leading medieval scholars.

BURNED AT THE STAKE

The Templars went into decline after Muslims re-conquered the Holy Land at the end of the 13th century and were accused of heresy by King Philip IV of France, their foremost persecutor. Their alleged offences included denying Christ and secretly worshipping idols.

The most titillating part of the documents is the so-called Chinon Parchment, which contains phrases in which Pope Clement V absolves the Templars of charges of heresy, which had been the backbone of King Philip's attempts to eliminate them.

Templars were burned at the stake for heresy by King Philip's agents after they made confessions that most historians believe were given under duress.

The parchment, also known as the Chinon Chart, was "misplaced" in the Vatican archives until 2001, when Frale stumbled across it.

"The parchment was catalogued incorrectly at some point in history. At first I couldn't believe my eyes. I was incredulous," she said.

"This was the document that a lot of historians were looking for," the 37-year-old scholar said.

Philip was heavily indebted to the Templars, who had helped him finance his wars, and getting rid of them was a convenient way of cancelling his debts, some historians say.

Frale said Pope Clement was convinced that while the Templars had committed some grave sins, they were not heretics.

SPITTING ON THE CROSS

Their initiation ceremony is believed to have included spitting on the cross, but Frale said they justified this as a ritual of obedience in preparation for possible capture by Muslims. They were also said to have practiced sodomy.

"Simply put, the pope recognized that they were not heretics but guilty of many other minor crimes -- such as abuses, violence and sinful acts within the order," she said. "But that is not the same as heresy."

Despite his conviction that the Templars were not guilty of heresy, in 1312 Pope Clement ordered the Templars disbanded for what Frale called "the good of the Church" following his repeated clashes with the French king.

Frale depicted the trials against the Templars between 1307 and 1312 as a battle of political wills between Clement and Philip, and said the document means Clement's position has to be reappraised by historians.

"This will allow anyone to see what is actually in documents like these and deflate legends that are in vogue these days," she said.

Rosi Fontana, who has helped the Vatican coordinate the project, said: "The most incredible thing is that 700 years have passed and people are still fascinated by all of this."

"The precise reproduction of the parchments will allow scholars to study them, touch them, admire them as if they were dealing with the real thing," Fontana said.

"But even better, it means the originals will not deteriorate as fast as they would if they were constantly being viewed," she said.
赤い部分は私がつけたもの。書名と値段です。

Knights Templar secrets revealed
【CNNより、以下転載】
The Vatican has published secret archive documents about the trial of the Knights Templar, including a long-lost parchment that shows that Pope Clement V initially absolved the medieval Christian order from accusations of heresy, officials said Friday.

The 300-page volume recently came out in a limited edition -- 799 copies -- each priced at $8,377, said Scrinium publishing house, which prints documents from the Vatican's secret archives.

The order of knights, which ultimately disappeared as a result of the heresy scandal, recently captivated the imagination of readers of the best-seller "The Da Vinci Code," in which the author Dan Brown linked the Templars to the story of the Holy Grail.

The work reproduces the entire documentation on the papal hearings convened after King Philip IV of France arrested and tortured Templar leaders in 1307 under charges of heresy and immorality.

The military order of the Poor Knights of Christ and of the Temple of Solomon was founded in 1118 in Jerusalem to protect pilgrims in the Holy Land following the First Crusade.

As their military might increased, the Templars also grew in wealth, acquiring property throughout Europe and running a primitive banking system. After the Templars left the Middle East with the collapse of the Crusader kingdoms, their power and secretive ways aroused the fear of European rulers and sparked accusations of corruption and blasphemy.

Historians believe that Philip owed debts to the Templars and seized on the accusations to arrest their leaders and extort confessions of heresy under torture as a way to seize the order's riches.

The publishing house said the new book includes the "Parchment of Chinon," a 1308 decision by Clement to save the Templars and their order. The document was misplaced for centuries in the archives and found again by researchers in 2001.

According to the Vatican archives Web site, the parchment shows that Clement absolved the Templar leaders of the heresy charge, though he did recognize they were guilty of immorality, and he planned to reform the order.

However, pressured by Philip, Clement later reversed his decision and suppressed the order in 1312.

Jacques de Molay, Grand Master of the Templars, was burned at the stake in 1314 along with his aides.

Surviving monks fled, with some absorbed by other orders, and over the centuries, some groups have claimed to have descended from the Templars.
赤い部分は、限定部数、販売価格、出版社の情報。

Vatican archive yields Templar secrets
【BBCより、以下転載】
The Knights Templar, a military order of the Roman Catholic Church, are back in the news again, almost 700 years after they were suppressed by papal edict.

They were originally formed to protect Christians in the Holy Land during the early Crusades.

The Templars are the stuff of legend, and their exploits have provided the plots for many films and popular novels.

The Knights, who wore a distinctive white mantle decorated with a red cross, became very wealthy, owned property all over Europe and the Middle East, and started up a primitive international banking system.

They caused deep controversy, even in their own time. They helped to finance wars waged by several European monarchs.

Some believe the Templars were the custodians of the fabled Holy Grail.

Disentangling fact and fiction about them is difficult.

In France, a Grand Master of the Order and other knights were burned alive by order of King Philip IV, after the Order was accused of heresy, blasphemy and sexual misconduct.

Faithful reproduction

Now the Vatican has decided to shed some new light on this often obscure period of late medieval history.

To the delight not only of scholars but also of Templar buffs around the world, who have been captivated by Dan Brown's stories, they are publishing facsimile reproductions of the original account in Latin of the investigation and trial into the alleged misdeeds of the Knights Templar. It took place in Rome between 1307 and 1312.

The document, known as the Chinon parchment, shows that Pope Clement V found the Templars not guilty of heresy, but guilty of other lesser infractions of Church law. Nonetheless he ordered the disbandment of the order.

The Vatican's Secret Archives, one of the world's great repositories of historical documents, is selling a limited edition of 800 numbered copies of the Chinon parchment.

It is printed on synthetic parchment, comes complete with a reproduction of the original papal wax seal, and is packaged in a soft leather case together with a scholarly commentary.

Each copy will cost just over 5,900 euros ($8,000; £3,925).

Lucky find

Rosy Fontana, spokesperson for Scrinium, the publishing and merchandising company handling the sale, says one copy will go to Pope Benedict XVI while most of the remaining 799 copies of this luxury limited edition have already been reserved by libraries and collectors around the world.

Scrinium has already published two other digitally mastered and hand-finished collections of colour reproductions of precious documents from the Secret Archives.

The Chinon parchment was recently rediscovered by Barbara Frale, a Vatican historian who works in the Secret Archives.

She says she stumbled across the document in a box containing other papers five years ago, having been lost for centuries after it was wrongly catalogued.

The document is half a metre (20 inches) wide by two metres long - the size of a small dining table.

According to Ms Frale, one of the accusations against the Templars was that they practised blasphemous initiation rites such as spitting upon the cross.

They justified this, according to the document, by claiming this was part of a ritual of obedience in preparation for possible capture by Muslim armies.

King's secrets

Both the Vatican's Secret Archives, and its adjoining Library (at present closed to scholars while it undergoes restoration) are housed in Renaissance buildings not far from the Sistine Chapel.

Together, the two collections of books, manuscripts, and letters cover tens of kilometres of shelf space, much of it underground for security reasons and to protect the archive against fire.

The official archives of the Holy See were systematically organised for the first time only in the 17th Century.

In the early days of the Church, popes did preserve manuscripts concerning their reign. But the fragility of papyrus documents used before the invention of paper, and the frequent changes of residence of popes before the 11th Century, means that most of the earliest Church archives have been lost.

Among other treasures from the Archive, sometimes shown to VIP visitors, are letters from King Henry VIII of England to Anne Boleyn, his future wife, stolen from London by a Vatican spy to provide evidence of the King's disloyalty to Rome. There is also correspondence between Lucrezia Borgia and her father Pope Alexander VI.

There are no immediate plans for the publication of any of these unique documents.
赤い部分は、異端ではなかったのに解散を命じられたことと、配布予定の限定版のほとんどは、世界中の図書館とコレクターによって既に予約されていること。

私も欲しいなあ~。

関連ブログ
テンプル騎士団員の消滅に関するローマ教皇庁の本
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2007年10月12日

テンプル騎士団員の消滅に関するローマ教皇庁の本

世界中で大騒ぎになると思うんだけど・・・あの『テンプル騎士団』に関する新しい事実が発表されると言うのに・・・。

日本ではちっとも報道されてませんね。まともに考えれば、大変なニュースなんですけどね。まあ、「イエスの墓」でも騒がない国だから、しかたないか。とりあえず、邦訳すると。

templars.bmp
【BBCのニュースの日本語訳】
テンプル騎士団員の消滅に関するローマ教皇庁の本

ローマ教皇庁は、テンプル騎士団(中世以来のキリスト教の軍事修道会)の消滅を解明することを期待されている本を出版しようとしている。

その本は、誤ってファイルされた長い年月の後、6年前バチカンの機密公文書館で発見された『シノン羊皮紙』として知られている文書に基づいている。

その文書は、14世紀の法王クレメント5世の前で、テンプル騎士団員の異教審問の記録である。

書類を見つけた当局者は、それが完全に騎士団員達の身の証を立てると言う。

誤って偶然羊皮紙を見つけたバーバラ・フラーレ教授は、それがテンプル騎士団員が異教の罪で告発された儀礼と式典を赤裸々にすると言う。

クレメント5世の前で行われた審理では、テンプル騎士団員達は、十字架につばを吐いてイエスを否定し、入会式の間にそれらを提案している男のおしりにキスすることを認めた、と伝えられている。
しかし、供述書の多くは拷問をうけて得られ、、そして、騎士団員達は後に取り消したか、彼らの入会式が単に彼らがイスラム教指導者、サラディンの手に落ちるならば、騎士が蒙るであろう屈辱を模倣しただけだと主張しようとした。

修道会の指導者であるジャック・ド・モレーは、異教を認めた人々の1人であったが、後に取り消した。

ローマ法王が修道会を解散させた同年、1314年に彼はパリで杭に縛られて焼かれた。

しかし、フラーレ教授によれば、その文書の研究で700年間信じられていたように、騎士団員達が異教徒ではなかったことが示されている。

実際、彼女は次のように言っている。「ローマ法王が騎士から許しを求めなければならない...私達が見つけた文書は、彼らを放免している。」

羊皮紙の詳細は、10月25日にバチカンの機密公文書館によって公開される本「Processus contra Templarios」の一部として出版される予定である。
やっぱり、あのバチカンの書庫には、歴史的に公にされていない数々の真実が眠っていそうですね! ワクワクしちゃいます。ラングドン教授(ダ・ヴィンチ・コードの主人公)にでも、是非&是非、また忍び込んでもらいたいもんです。

しかし、是非読みたいですね、この本。英語版で出ないのかな?出たら、速攻で買って読みたいところなんだけど・・・。うっ、心の底から読んでみた~い!!(絶叫)

ちなみに、ニュース・ソースは以下の通りBBCです。

Vatican book on Templars' demise
【BBCより以下、転載】
The Vatican is to publish a book which is expected to shed light on the demise of the Knights Templar, a Christian military order from the Middle Ages.

The book is based on a document known as the Chinon parchment, found in the Vatican Secret Archives six years ago after years of being incorrectly filed.

The document is a record of the heresy hearings of the Templars before Pope Clement V in the 14th Century.

The official who found the paper says it exonerates the knights entirely.

Prof Barbara Frale, who stumbled across the parchment by mistake, says that it lays bare the rituals and ceremonies over which the Templars were accused of heresy.

In the hearings before Clement V, the knights reportedly admitted spitting on the cross, denying Jesus and kissing the lower back of the man proposing them during initiation ceremonies.

However, many of the confessions were obtained under torture and knights later recanted or tried to claim that their initiation ceremony merely mimicked the humiliation the knights would suffer if they fell into the hands of the Muslim leader Saladin.

The leader of the order, Jacques de Molay, was one of those who confessed to heresy, but later recanted.

He was burned at the stake in Paris in 1314, the same year that the Pope dissolved the order.

However, according to Prof Frale, study of the document shows that the knights were not heretics as had been believed for 700 years.

In fact she says "the Pope was obliged to ask for pardons from the knights... the document we have found absolves them".

Details of the parchment will be published as part of Processus contra Templarios, a book that will be released by the Vatican's Secret Archive on 25 October.
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「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1
「テンプル騎士団 」レジーヌ・ペルヌー 白水社
「十字軍」橋口 倫介  教育社
「テンプル騎士団の謎」レジーヌ ペルヌー創元社
『禁断の聖書:テンプル騎士団』
「イエスの血統」ティム ウォレス=マーフィー, マリリン ホプキンス 青土社
「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋
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2007年10月10日

バチカンが教皇の聖遺物について警告

pope2.bmp

Vatican warning over pope 'relic'
【BBCより以下、転載】
The Vatican has warned Roman Catholics that buying relics is sacrilege, after reports that pieces of former Pope John Paul II's clothes were for sale online.

The website of the Holy Diocese of Rome has been offering small pieces of John Paul II's white cassock as part of the campaign to beatify him.

But the site was inundated with requests after reports suggested pieces of the robe were available to buy.

John Paul II died in April 2005. He was the third-longest serving pope.

Unlimited edition

The website has been offering a relic featuring a prayer on one side and a "ex indumentis" - a piece from the clothing - of the former pope since early 2006.

But it has recently been swamped with requests for the tiny relics after it was reported in Italian media that they were for sale.

Anyone who clicks on the link to request the relic is now sent to an article in which diocese spokesman Monsignor Marco Frisina warns that it is sacrilegious to buy or sell relics.

The Italian version of the website also specifies that the relic is free, and requests only an optional small donation to cover postage costs.

The diocese would be able to send a relic to anyone who asked for one, director of social communications Monsignor Marco Fibbi told the BBC News website.

"We don't intend to let these objects have a collectors' value," he said.

"It's only a devotional object. It's useless to try to collect it or sell it on the internet because we will satisfy any request for this object."

John Paul II - born in Poland as Karol Jozef Wojtyla - is being considered for beatification, the first step to sainthood.

The much-loved late pontiff travelled the world extensively and was internationally renowned.

And he is on track to become a saint in record time, after Pope Benedict XVI waived the traditional five-year waiting period before the beatification campaign could begin.
ざっと要約すると、
前教皇のヨハネ・パウロ2世の列聖キャンペーンとして、ローマ管区のウェブサイト上で前教皇の白いカソック(司祭平服)の一部が提供されていたそうです。

聖遺物が金で買えるという報道後、それを求める人が殺到しているらしい。聖遺物そのものは無料で郵便代と若干の寄付でいいんだって。

勿論、それらはコレクターの価値を与えるのではなく、あくまでも信仰目的であるとローマ管区の人は言っており。それらを買うというのは神聖を冒涜することだとバチカンが警告しているんだそうです。
pope2a.bmp

でも、前教皇は聖人に列聖されるのが確実視されてる訳だしねぇ~。その遺品であったら、まさに『聖遺物』以外の何物でもない!

中世だったら、たとえ盗んでもそれはOKだったぐらいだし、むしろそれは光栄溢れる行為として称賛されてたもんねぇ~。勿論、時代は違うにしたってね。現在のベニスだって、私の好きなシャルトルだって聖遺物が無かったら、存在していなかったかもしれない。

そりゃ、速攻でお金送るでしょう。今だったらWEB上でカード決済できるだろうから、VISAで即時決済。EMSで送ってもらったりできそう・・・。うわあ~、凄い!

でも、未だにパンにイエス様の顔が浮かび上がったとか言って胡散臭いモノが e-bay とかで高値で売買されてるんだから、それに比べれば本物であることが確実なんだし、絶対欲しいかも・・・。

いくらバチカンが警告してもこればっかりは、抑制効かないだろうなあ~。信仰心が篤ければ、篤いほど、欲しくてたまらない必須アイテムでしょう♪

もっとも日本でも菊の紋章の入った恩賜のタバコとかが、有り難られるのと一緒かな? それはともかく、私も是非とも欲しい!! 奇蹟が足りないんですよ~私も。

【追記】
ここで書かれているのは以下のサイトのことだと思う。
Cause for Beatification and Canonization of the Servant of God
うちのブログの記事だとこちら
神の僕の列福・列聖の根拠:サイト名

関連ブログ
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「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
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「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
牡蠣の殻にキリストが!?
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2007年09月14日

異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野

異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野
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【ITmediaより以下転載】

自作曲を萌えボイスで歌ってくれるソフト「初音ミク」が、開発元も「ありえない」と驚くほど売れている。「ニコニコ動画」が火付け役。萌えるキャラ設定と高度な技術が絶妙に組み合わさり「歌を作ってみんなに公開する」という行為のハードルを下げている。

 「かわいい」「うまい」「まるで違和感がない」――バーチャルアイドル「初音ミク」が歌った楽曲が、「ニコニコ動画」で人気だ。初音ミクはメロディと歌詞を入力すると、合成音声で歌う楽曲制作ソフト。うまく設定してやると、合成とはにわかに信じられないほどなめらかで自然に歌い上げる。

 人間の声を元にリアルな歌声の合成音を作ることができるヤマハの技術「VOCALOID 2」を活用し、クリプトン・フューチャー・メディア(札幌市)が企画、制作して8月31日に発売した。Amazon.co.jpでは1万5750円で販売しており、ソフトウェアランキングで9月12日現在1位をキープ。異例の売れ行きで、生産が追いつかない状態だ。

 12日までの販売数は、予約を含めて3000本近い。1本当たりの平均200~300本程度、1000本売れれば大ヒットと言われる音楽制作ソフト市場で「ありえない本数」と、企画・制作を担当した同社の佐々木渉さん(27)も驚く。

「ニコニコ」「YouTube」が音楽制作ソフト市場を活性化 

 初音ミクは8月31日の発表以来、試聴コンテンツのクオリティーの高さがネットで話題になった。さっそく購入したユーザーは、楽曲を制作して「ニコニコ動画」「YouTube」に次々にアップ。そのクオリティーの高さに驚いたユーザーがまたソフトを購入するといったサイクルで、人気がふくらんできた。

 ニコニコ動画では従来から、バーチャルアイドルを育てて歌を歌わせるXbox 360用ゲーム「THE IDOLM@STER」(アイマス)の動画が人気。ユーザーがカラオケを歌ってアップする「歌ってみた」と呼ばれるコンテンツも流行中で、バーチャルアイドルに自由に曲を歌わせられる初音ミクが歓迎される土壌は整っていた。

 佐々木さんによると、自作楽曲を手軽に共有できる環境がネット上に整ったことで、音楽制作ソフト市場がここ最近拡大を続けているという。初音ミクは音楽だけでなく、歌詞も一緒に制作・公開できる。「日記のように気軽に歌を公開してもらえれば」

音の“未来”のイメージ、アイドルに託す

 ヤマハの「VOCALOID 2」を活用した初音ミクは、前バージョン「VOCALOID」を利用したクリプトン製ソフト「MEIKO」よりも肉声に近い音声を再現できるのが特徴だ。

 「声は体の一部。キャラクターを設定して“体”を明確にすることで、声のリアリティも増す」。ソフトにキャラクターを設定したのは、そんな思いがあったから。コンセプトは「未来的なアイドル」。VOCALOIDという未来を感じさせる技術のイメージを重ねた。

 まだ見ぬ未来から、初めての音がやって来る――そんな思いを込めて「初音ミク」と名付けた。身長158センチ、体重42キロという設定にはあまり“色付け”していないという。「ユーザー1人1人が声の印象からイメージをふくらませてもらいたかった」

 キャラクターデザインは「SFにあるような、人間と電子パーツのハイブリッド生命体」をイメージ。衣装の一部に、ヤマハが1980年代に発売し、世界でブレイクしたFM音源方式のデジタルシンセサイザー「DXシリーズ」のパーツデザインを採用した。「最新技術による最先端のサウンドとして広く認知されて欲しいとの願いを込め、ヤマハの担当者を説得して使わせてもらった」

 本格派シンガーなどではなく、まずアイドルを選んだのは「VOCALOID 2」の特徴を考えてのことだ。「初代VOCALOIDよりも人間的な声な要素が強いので、本格派シンガーではあまりに生々しく“ある種のホラー的要素”が加わってしまうのでは、と考えた」。アイドルの発想は「ハロー!プロジェクト」「AKB48」「東京パフォーマンスドール」などから影響を受けたが、アイマスは「企画当初は知らず、後で知って勉強し始めた」という。

ミクの声、シンガーからは「NG」 声優500人から選ぶ

 初音ミクの音声を担当したのは、「ときめきメモリアルONLINE」の弥生水奈役や「つよきすCool×Sweet」の蟹沢きぬ役などで知られる声優の藤田咲さん。当初は声優ではなく、かわいらしい声の歌手10人ほどにオファーしていたが、「自分のクローンが作られる」「オリジナル作品のカバー曲がはんらんしてしまう」などと敬遠されるケースが多く、なかなか折り合いが付かなかった。

 そこで「かわいらしい声のエキスパートであるプロの声優さんの方がいい結果を得られるのでは」と発想を転換。大手プロダクションに飛び込み営業をかけて男声・女声合計約500人分の声優の声を何度も聞き込み、コンセプトに合う声を絞り込んでいった。「声優さんはアニメのキャラクターを演じる感覚を持っているため、理解してもらいやすかった」

 藤田さんに決めたのは、声質がVOCALOIDにぴったりと感じたから。「高音域には竪琴のような、女性的でりんとしたインパクトがあり、VOCALOIDとの相性が抜群。アカペラで声が聞き取りやすい上、エレクトリック・サウンドとの相性は格別」

ニコニコ動画という「聖域」で愛されてほしい

 ニコニコ動画では、初代VOCALOID「MEIKO」を使った動画がすでに人気だった。佐々木さんは「初音ミクもニコニコの視聴者の方々に愛されてほしいと淡い期待を寄せていた」としながらも「ニコニコは私のような制作・販売サイドの社員が邪念をもって接してはいけない『聖域』のように感じている」と謙虚だ。

 販売目標は「見失った」という。「現時点で、音楽制作ソフトとしてはありえない記録的な本数なので……。むしろ今回の販売本数に気をとられず、新しいシンガーや、操作を分かりやすく解説した本などを充実させて、末永く愛用していただける楽しいVOCALOIDを作っていきたい」

 バーチャルアイドルはあと2作展開する予定だ。第2弾はかわいらしくパワーのある声質で、リスナーが元気になるようなアイドル、第3弾はクールなアイドルになる可能性が高いといい、「ニコニコ動画で人気の声優」を起用する可能性もあるという。並行してアイドル以外の企画も展開したいという。

 「個人的には、正統派の女声ソプラノ歌手や癒し系歌手、リアルタイム・キーボード演奏にも最適化したソフトなども作っていきたい。最終局面として目指したいのは、カルカヤマコトさんのような、日本人離れした超個性的なシンガーを起用して、音声合成のイメージの限界を超えること。実現には何十年もかかってしまうかもしれないが……」
いやあ~、こんなソフトが売られていたんですね。先週辺りから、今更ながらニコニコ(動画)や youtube にはまってだいぶ落としまくってたんですが・・・(らき☆すたのMAD目当て)、そこでまさにこの初音ミク見てたんですよ~。

最初、よく分からなかったんでググっててこの記事を発見! 思わず、納得しちゃいました。そういうことだったんですねぇ~。サーバーやセキュリティ情報の記事は見ててもこっち方面は全然関心が無かったので完全に時代に取り残されてましたネ。動画は時間を食われるのであえて避けていたんですが、結局はまっちゃいましたし・・・トホホ(泣)。

バーチャルアイドルがどうとかって以前話題になってましたが、こっちの方がずっと面白そう。もう少しソフトの性能が上がった頃を見計らって試してみたいかも~。

話は変わりますが、ニコニコにコメントとか書いてて気付いたのですが、ネットの世界って国際化が進んでるんですねぇ~。だって、コメントにハングルとかタイ語が書き込まれていて、どこの国のサービスかと思いました。マジに。

今時、英語や中国語ぐらいなら、驚きはしないけど、タイ語とかはちょっとインパクトあるよねぇ~。

まあ、カスタマサポートに電話してたどたどしい日本語で対応される時代だもんね。資本だけでなく、雇用も海外に流出していく日本を感じますねぇ~。ただ、中国や韓国の人と一緒に仕事をしていくのは、洒落ではなく日本人の3倍くらい疲れるんだよなあ~。異文化の違い+αも含めて難しいものです。
ラベル:ニュース ソフト
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2007年09月13日

貴重書をネットでどうぞ 国会図書館の電子化事業、著作権処理に課題も

貴重書をネットでどうぞ 国会図書館の電子化事業、著作権処理に課題も
【ITmedeiaより転載】
国立国会図書館が運営するサイト「近代デジタルライブラリー」では、明治・大正時代の図書を画像で公開している。国会図書館は貴重な図書を保存する役目を担っている。ネットを活用することで、こうした図書を誰でもどこからでも閲覧できるようにするのがサイトの狙いだ。

 しかし運営には手間もかかる。公開図書は著作権を処理できたものに限られるが、古い図書には著作者が不明のものも多く、公開した明治時代の図書のうち約75%は「裁定制度」を利用して許諾を得ており、公開までのハードルが高いのが現状という。

貴重な資料をどう活用してもらうか
 近代デジタルライブラリーは2002年に開設した。国会図書館が所蔵している明治時代の図書約17万冊のうち、著作権処理を行った約12万7000冊を公開。今年7月には、大正時代の図書約9万冊のうち著作権を処理できた約1万5700冊を追加した。

 サイトでは、タイトルや目次で検索し、図書の表紙や中身をJPEG画像で閲覧したり、PDFファイルでダウンロードできる。例えば1909年(明治42年)に発行された夏目漱石の「三四郎」、1923年(大正12年)の芥川龍之介の「羅生門」など、文豪の作品の貴重な初版を閲覧できる。南満州鉄道が中国の産業を調査した「満鉄調査資料」、大正時代の京都のガイドブック「京都遊覧案内」など、資料的価値が高いものも多数ある。

 同サイトのほか、日本の歴史や文化に関する所蔵資料をさまざまなテーマで公開する「電子展示会」もある。福沢諭吉などの肖像写真や略歴を公開した「近代日本人の肖像」、日本国憲法の制定過程に関する資料を集めた「日本国憲法誕生」に加え、8月には明治・大正期の写真500点を閲覧できる「写真の中の明治・大正 東京編」をオープンした。

 図書館へ行っても、損傷の激しい古書は閲覧できなかったり、閲覧できても貴重なため貸し出せないというケースが多い。また国会図書館は東京本館(千代田区永田町)と関西館(京都府精華町)の2カ所にしかなく、地方から訪れるのは大変だが、ネットで公開すれば誰でも自宅や大学研究室などから閲覧できる。

 「これほどたくさんの貴重な図書を持っている図書館はほかにあまりない。あとはどのように使ってもらえるかが課題」と国会図書館広報係長の松井一子さんは話す。
公開した明治時代の図書の約75%は裁定制度を利用
 現行の著作権法では、著作権の保護期間は著作者の死後50年。このため近代デジタルライブラリーのように、著作者が亡くなった後で著作物を利用する場合は、保護期間を経て権利が切れるのを待つか、相続人全員から許諾を得なければならない。

 例えば「吾輩は猫である」は、本文を書いた夏目漱石のほかに、序文を正岡子規が書いている。国会図書館では2人の没年を調べ、著作権の保護期間が満了していることが確認したため、近代デジタルライブラリーで公開した。

 著作権者が不明の場合は、裁定制度を使って供託金を支払うことで許諾を得ることができるが、裁定制度で著作物の利用が認められるためには、例えば雑誌、新聞、Webサイトに広告を出すなど、著作権者を探す「相当の努力」が必要とされている。

 同図書館電子情報企画室長の田中久徳さんによると、近代デジタルライブラリーで公開している明治時代の図書のうち約75%は裁定制度を利用しており、その場合の費用は1件につき数千円だという。

 07年度、近代ライブラリーで公開する図書の著作権者の調査と電子化費用として割り当てられた「電子図書館コンテンツ構築」予算は8100万円。「大正時代の図書に関しては、来年は今年の3倍ペースで公開したいが。この予算では1万冊ちょっとしか公開できない」(田中さん)

 また「今後、古い新聞や雑誌なども公開したいと考えているが、複数の著作者が原稿を書いている新聞や雑誌の著作権処理は難しい上、予算が増えるかどうかもわからない」という。

 著作権保護期間を著作者の死後70年に延長するべきという議論も盛んだ。だが電子公開の担当者としては「何かしらの手当てもなく、ただ保護期間だけが延長されると、近代デジタルライブラリーの取り組みが進まなくなる」(田中さん)と不安もある。

Webサイトのアーカイブも
 国会図書館は、Webサイトを収集するアーカイブ事業「WARP」(Web ARchiving Project)も展開している。

 国会図書館では、国内で発行された出版物を発行日から30日以内に納入させる「納本制度」を軸に、出版物を収集している。だがWebサイトの情報は対象外。日々生産されるテキスト情報はネット上でも爆発的に増えており、こうしたデータを将来世代に向けて蓄積していく必要性が指摘されてきた。

 WARPが本格化したのは昨年度から。名称は「インターネット情報選択的蓄積事業」という。無差別に蓄積するのではなく、国会図書館が選んだサイトについて収集しているためだ。対象は国や自治体の公式サイト、合併前の市町村、旧国立大学、国際イベントのサイト、ネットで無料公開されている電子雑誌など。収集したデータはWARPサイトで検索・閲覧が可能だ。

 まずは「失われつつあるものに重点をおいて選んでいる」(田中さん)。02年のサッカー・ワールドカップのサイト、05年に奈良市と合併した月ヶ瀬村のサイト、廃刊になった学会誌の電子雑誌など、これまで3393のサイトを収集した。

 収集の際はサイトごとに許諾を依頼する文書を送付。許可が得られたサイトは収集ロボットを使って集め、保存・公開している。手続きには数カ月かかることもあるという。

 今後は国会図書館が選んだ一部のサイトだけではなく、広く個人のサイトも収集していきたい考えだ。このため、許諾を得なくてもサイトのデータを収集・蓄積できるよう、国会図書館法の改正を望んでいる。

 また今後は出版社とも話し合い、納本制度のように、ネット版に移行した書籍のサイトなどを納めてもらえるよう取り組んでいく考えだ。「ケータイ小説など新しいジャンルのものも生まれており、それがどこにも残らないというような状況にはしない」と田中さんは話す。

 09年までに、収集したサイト、電子雑誌、近代デジタルライブラリーなどのデジタルコンテンツをまとめたポータルサイトをオープンする計画だ。
なんとも嬉しい話ですね。最近、国会図書館によく行くようになりましたが、実際にマイクロフィルムで保存されているのを読む機会があったのですが、実はかなり読みにくいことを初めて知りました。

透明テキスト付きのPDFとかにしてくれると最高なんですけどねぇ~。是非&是非、お願いしたいものです。

おっ、満州関係の資料もあるんだあ~。面白そう! 今度検索してみようっと。
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2007年09月12日

Google Book Searchに「個人蔵書」機能

Google Book Searchに「個人蔵書」機能
【以下、ITmedeiaより転載】
米Googleは9月6日、書籍検索の「Google Book Search」に新機能を追加したと発表した。

 「My Library」機能では、自分の選んだ書籍だけをまとめて保存することができる。テーマ別に分けて整理したり、注釈の追加やライブラリ内検索も可能で、ライブラリへのリンクを友人に送って内容を共有したり、書籍追加などのアップデートをRSSで知らせることもできる。

 また、各書籍の説明ページには、「Popular Passages」を追加。書籍の内容のうち、ほかの書籍で多く引用されている文章を、引用先へのリンクとともに表示する。

 このほか、著作権切れの書籍については、内容の一部を選択し、テキストか画像として同社のブログサービス「Blogger」、Webメモ帳「Google Notebook」のほか、URLで指定したページに張り付ける機能も追加された。
益々、便利になっていきますね。今、私自身がやっている本からの「抜き書きメモ」とか、不要になりますね。そのうちに。

igoogleとかgoogle系のサービスは結構、ドンドン使ってる方なんでそのうち使いそうですね。プライバシーを気にする人も多いようですが、個人的には利便性を重視したいところですね。もっともカード情報とか絶対に登録しませんけどね。

日本でもまもなく対応するのかな? それとももう、対応してる?
ラベル:ニュース google
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2007年08月29日

世界初、カトリック信者向けのバチカン航空が就航

世界初、カトリック信者向けのバチカン航空が就航
【CNN.COMより以下転載】
ローマ──ローマ・カトリック総本山のバチカンによる、カトリック信者向けのバチカン航空が27日、就航した。ローマと各国の聖地を結ぶチャーター便で、年間15万人の利用者を見込んでいる。

イタリアの貨物航空会社ミストラル・エアーが機材を提供し、使用機体はボーイング737型機。機内の備品や客室乗務員の制服には、バチカンのロゴが描かれている。

就航初日の27日には、ローマのフィウミチーノ空港から、ルルドの泉の奇跡で知られるフランスのルルドへ、信者を乗せて飛び立った。

今後は、低価格路線を続けながら、ポルトガルのファティマやスペインのコンポステーラ、モーゼが十戒を授かったエジプトのシナイ山など各聖地へ、安全に格安で信者を運びたいとしている。
いやあ~、これ絶対に乗ってみたい♪ 信者以外の一般人って駄目なのかな? 機内食とか、ナプキンとかにバチカンのロゴとか入っていたら、是非お持ち帰りしてみたいなあ~。

マイレージ溜まると、教皇に聖別された十字架と交換してもらったり・・・とかのサービスはないのかなあ~? すみません、俗物根性丸出しで(アセアセ)。

Israel joins in Vatican charter service for pilgrims
 【Catholic World Newsより、以下転載】
Jerusalem, Aug. 28, 2007 (CWNews.com) - The Israeli government's tourism ministry has reached an agreement to cooperate with the Vatican's new charter-flight service for pilgrimages to the Holy Land, the Ynetnews agency has reported.

The partnership will include charter flights specifically for Catholic pilgrims, with trips planned to focus on the Christian shrines of the Holy Land. The pilgrimages will be marketed primarily to young Italians, with flights traveling from Rome to Israel.
イスラエル政府の観光省もバチカンの巡礼者用チャーター便サービスに加わるそうです。合意に達したそうです。

いいねぇ~、ローマ経由でエルサレムまで巡礼して、その帰りにルルドとか寄って来たりできるようになるのかな? イスラム教じゃないから、アルコールは出るよね、たぶん(コレ重要!)。

信者以外にも解放してくれると嬉しいんだけど・・・。難しいかな? しかし、興味深々ですよね♪
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2007年08月15日

『ハリー・ポッター』に神を探す…

【世界キリスト教情報 第864信より、以下転載】
【CJC=東京】J・K・ローリングの最新刊『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』が評判を呼び、騒ぎに巻き込まれないキリスト者の家庭はまずないほどになっている、と米福音派のANS通信(ジェレミー・レイナード記者)が報じた。子どもたちが読みたい、と声を上げることは必至だからだ、という。
 ポッターという言葉を口にするだけで、福音派では賛否両論がぶつかり合う事態にもなっている。ポッターに関しては誰一人、中立ではいられない。その本を好ましく思うか、嫌いかのいずれかに分けられてしまう。
 ニューメキシコ州アラモゴードで牧師が「禁書式」を行ったが、本自体を読んでいなかったことから、文字通り攻撃の火の手に自らさらされることになった。
 レイナード記者は「ハリー・ポッターに神を探す」の著者ジョン・グレンジャー氏に、最近作の評判についてインタビューした。
 彼は強い信仰の持ち主で、古典文学の研究者であり、子どもが読む本について両親は非常に慎重であるべきだと堅く信じていることがわかり驚かされた、とレイナード記者は言う。グレンジャー氏とメアリ夫人には子どもが7人いるが、子どもたちの見聞きすることで受ける影響を重視しており、家にテレビを置かないほどだ。
 11歳の娘に、最初にハリー・ポッターの本を与えた時、グレンジャー氏は、この本が良くないということを説明するために、まず彼が読んだと語った。
 グレンジャー氏は「私は娘に、評判が良いからといって、馬鹿げたそのような本は読まないのだということを分からせる個所を見つけられると思った」と言う。しかし、一読した後で文学通り変化してしまった。
 ポッターを読んでみて、最初の『ハリー・ポッターと賢者の石』をC・S・ルイスやJ・R・トールキンのような方向性で書かれた小説だと感じたと評している。「私たちが読むべき偉大な物語に共鳴する話なのだ。ハリーは、家族皆で共有出来るキリスト教の英雄だ」と、グレンジャー氏は力説する。「ローリングの本は、キリスト教的なテーマ、イメージ、美徳、意味で満ちており、不思議ではあるが、本書が広く読まれる理由でもある。人間の心はキリスト教のメッセージを求めている。想像的な経験であっても、ということで、そしてハリー・ポッターは最も“福音書を利用している”」のだ。
 とは言え、版元のティンダル・ハウス社ソルトリバー出版部はキリスト教書専門であるだけに、世間の評判を読みきれないことを意識して、ベストセラー必至でも、キリスト教界に批判も多いグレンジャー氏の著書出版の理由を説明する短い序文を入れることにした。
 「答えは本当に単純だ。キリスト教的思想や価値観について話し合うため子どもたちが読みたくなる物語を、本の様々な所に埋め込まれた世界観を評価出来るものとして、何百万もの人がハリー・ポッターの本を読んでいる。私たちは『ハリー・ポッターに神を探す』が、そのような話し合いのきっかけとして、また信仰と精神的な理解の成長に役立つことを期待している」。
 グレンジャー氏に、キリスト者の両親の多く親がなぜ熱烈に反対するのか尋ねてみた。
 同氏は、ハリー・ポッター物語は魔法やオカルトなど、聖書が明確に禁じているものを扱っており、それが子どもたちにひどく危険だと親たちが信じているからだ、と答えた。「メディアや大学をめぐる、信仰深い大多数と世俗的な少数派の間の対立の中で、ハリーは、避雷針、リトマス試験紙、戦場を全部足したようなものになっている」と言う。
 さらに「実際の所、ハリー・ポッターに出て来る魔法は、聖書によって禁じられたものではない。その本を読んだから、怪しげな振る舞いをするようにはならない。実際にそのような事は起きていない」とグレンジャー氏は答えた。
C・S・ルイスがあまりにもカトリック的な宗教観に拠ってたつ作品世界である点について、いろいろなメディアで論争されているのは知っていましたが、ハリポタがこんなふうに話題になっているのは知りませんでした。

なんだかんだ言っても魔法だもんね!ハリポタの中にマンドレークの名前が出てきたのを見て、怪しい?と思いましたもん。原作を読んでないくせに何故か、そういうことだけは知ってる私(笑)。

私は第一作目の映画を見ただけなので、コメントするほどハリポタの世界観を知らないのですが、正統派のカトリック神学者だったら、絶対に容認できない世界観のような気がしますね。カトリックが歴史を通じて攻撃し、排斥してきた異教の魔術に他ならないでしょう。やっぱり!

ただ、子供の読むファンタジーだから、いちいち信仰上の問題があるとかないとかの対象には、前提条件からしてならないと思っていたのですが、それは私の勝手な思い込みだったようです。そんな生易しいものではないんですね。

ダ・ヴィンチ・コードの時もそうでしたが、思慮分別があれば、作り話や小説などはまともに相手にすべきではないような気がするのは、不信人者である私の考え方なのだからかなあ~?
posted by alice-room at 23:30| 埼玉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

日本のイエスの足跡(BBCのイエスの墓の記事による)

キリストの墓 生きているイエスの子孫

海外では、キャメロン監督による『イエスの墓』のドキュメンタリーが話題になっていましたが、日本にある「キリストの墓」がな・なんと!2006年にBBCの記事として報道されていたとは知りませんでした。(ダ・ヴィンチ・コード絡みなんでしょうけどね・・・ひねくれた考え方をする私です)

左側の写真が『キリストの墓』で、手前の女性はそこで「ナニャドヤラ」という踊りを奉納しているらしいです。右側は生きているイエスの子孫と伝説で言われている人物と紹介されてます(す、凄すぎる!)

いやあ~、ホントびっくりしますね! 青森県戸来村にある通称「キリストの墓」は、以前から知ってはいましたが、あまりにもアレ(!)なんで、ちょっとうちのブログでは採り上げるのさえ、躊躇していたんですが・・・。

まさかBBCで世界に流しているとまでは知りませんでした。先週末も日本のテレビ局で「キリストの墓」とか言って番組内で紹介してたんですが、またいい加減なことやってるよ~とか思ってましたもん。

でも、あのBBCでも採り上げてるぐらいですもんね。うちのブログでも速攻、記事にしよっと(この辺り、権威主義的でプライドの私の性格が出てる・・・苦笑)。

とりあえず、BBCの記事訳出してみましたので、参考までにどうぞ!
【以下、日本語訳】
日本のイエスの足跡

日本の伝説では、イエスはエルサレムを逃れて日本の青森へたどり着き、そこで稲作農家になったと伝えている。キリスト教徒は、物語がナンセンスであると言う。しかしながら、キリストの墓として知られている記念碑は、世界中への好奇心旺盛な観光客を引きつけている。

地元で知られているように「キリストの墓」へくには、日本の北方の田園地方、水田とリンゴ園土地、奥深くへ向かわなかればなりません。
竹薮によって囲まれた遠くの山の幾分上の方に、剥き出しの土の小山が大きな木製の十字架で印をつけられている。

ほとんどの訪問客は不思議そうに墓を凝視し、近くの喫茶店でのリンゴ・アイスクリームに向かう前に、十字架の前で写真のポーズをとっている。

しかし、巡礼者の何人かは、かなえられた祈りに対する感謝して墓の前にコインを置いていく人もいる。

十字架は混乱させるシンボルである、というのはその土地の伝説よれば、イエスはカルヴァリで死ななかった。

彼の地位は彼の兄弟のうちの1人によって引き継がれた。そして、何かの理由でその人は現在日本に彼の側で葬られている。

伝説では次のように言われている。エルサレムを逃れた後、イエスはロシアやシベリアを通って日本のはるか北にある青森へやってきた。そしてそこで彼は稲作農家になり、結婚して家庭を持ち、114才で平和のうちに亡くなった。

村人は、私がイエスの子孫の一人である、今80代のサワグチ・サジロウ氏 に会うことができるかもしれないとほのめかした。

彼の家族は、墓が立っている土地と山のふもとに彼の家がある土地を所有している。

私は彼を見つけるために出発したが、彼は病気で私と話す事はできなかった。

イエスの子孫?

しかし、彼の孫サワグチ・ジュンイチロウ氏は、話すことに同意した。私は、神聖な人々と本当に触れてまさに会おうとしているのだろうか?

私と話した眼鏡をかけた太った中年の紳士は、特別救世主のようには見えなかった。

「実際、私の家族は仏教徒であってキリスト教徒ではない」とサワグチ氏は言った。
「私の祖父が伝説に結び付くと言っている人々がいることは知っているが、私はイエスの子孫であると言うつもりはありません。しかし、私が幼児であったとき、幸運の象徴として額の上に十字の印を母が描いたことがあった」と、彼は私に話した。

確かに、十字は村人達に幸運をもたらしている。墓を求めてくる観光客とメディアから儲けているのだ。

それは、その地域で唯一の国際的に認められた観光名所になったからだった。

しかし、稲作農家であるイエスの伝説はそれほど古くまで遡れる話ではない。日本でイエスの生死を詳述している古代のヘブライ語の文書と主張されていた物の発見は、1930年代に始まったに過ぎない。

それらの文書は不思議なことに今は消失し、墓はこれまで発掘されたことはなかった。私は、彼が墓がイエスの磔刑と復活を信じるキリスト教徒の感情を損ねるかもしれないと認識しているかを村役場のサトウ・マサオキ氏に尋ねた。

「我々はその伝説が真実であるとか、あるいは、聖書に書かれていることが間違っている、と言っているのではありません。」と、彼は丁寧に説明した。「我々が言っていることは、これが非常に面白くて、古い伝説であるということだけなのです。人々がどのようにそれを解釈するか決める事は、ここに来た人々次第なのです。」

儀式と伝統

多くの日本人は、キリスト教を理解することは難しいと思っている。学校はどんな宗教でも教えるのを禁止されるて、人々は一般的に、神学よりも儀礼や伝統に関心を持っている。

しかし、クリスチャン・スタイルの結婚式は、非常に人気がある。それらの結婚式は、十字架とステンドグラス窓を持った特殊な礼拝堂のあるホテルで開かれる。

留学生は時々、司祭を演じるために雇われるが、全ての行事はいかなる教会からも公式認可をされていない。

教会の教えに忠実な様子の建物が、他のエンターテイメント目的と持っていたりする。

名古屋市では、私はテーマ・レストランへ行った。そこでは食事客が礼拝堂で信徒席に座って、イエスと聖者の絵によって囲まれつつ食事をするか、各々のテーブルの周囲を鉄格子になっていて刑務所のように装飾された、下の床で食事をとるか選ぶことができた。


日本のわずか1%が、公式なキリスト教徒である。しかし、東京のニュー・ライフ・ミニストリのように、活発な教会もいくつかある。
私が日曜日の午後に到達したとき、それは若い礼拝者でいっぱいだった、賛美の歌に合わせてずっと拍手しながら、喜びに手を上げていた。

私は司祭であるワタナベ・シンタロウ氏に会った。そして、その人は花柄のハワイアンシャツを着ていて、ほとんど絶えることのない微笑を浮かべていた。

彼は、イエスの墓の伝説に衝撃を受けなかったか?彼は笑って、それが特別な不快をもたらすことのない単なる愚かな話だと言った。

「私は、多くの日本人がイエスと聖書に対する敬意を感じていると思う」と言った。「伝説は、そのこととと結びついている。おそらく、それは人々がなんらかの方法でイエスと結びつくことを見ようとしていることを示しています。」

かつて日本への無数の宣教師達が試みたように、彼の教会はその精神的な好奇心を満たそうとしている。

それでも、多くのキリスト教徒は、日本人の宗教観がかなり不可解である― 稲作農民であるキリストの墓が示しているように ― ということを見つけている。
ソース元のBBCの記事はこちらです。The Japanese Jesus trail
【BBCより、以下転載】
A Japanese legend claims that Jesus escaped Jerusalem and made his way to Aomori in Japan where he became a rice farmer. Christians say the story is nonsense. However, a monument there known as the Grave of Christ attracts curious visitors from all over the world.

To reach the Grave of Christ or Kristo no Hakka as it is known locally, you need to head deep into the northern countryside of Japan, a place of paddy fields and apple orchards.

Halfway up a remote mountain surrounded by a thicket of bamboo lies a mound of bare earth marked with a large wooden cross.

Most visitors peer at the grave curiously and pose in front of the cross for a photograph before heading off for apple ice cream at the nearby cafe.

But some pilgrims leave coins in front of the grave in thanks for answered prayers.

The cross is a confusing symbol because according to the local legend, Jesus did not die at Calvary.

His place was taken by one of his brothers, who for some reason is now buried by his side in Japan.

The story goes that after escaping Jerusalem, Jesus made his way across Russia and Siberia to Aomori in the far north of Japan where he became a rice farmer, married, had a family and died peacefully at the age of 114.

A villager hinted that I might be able to meet one of Jesus' descendents - a Mr Sajiro Sawaguchi, who is now in his 80s.

His family owns the land on which the grave stands and his house is at the foot of the mountain.

I set off to find him but was told he was too ill to speak to me.

Jesus' descendant?

However, his grandson Junichiro Sawaguchi did agree to talk. Was I about to meet someone with a true touch of the divine?

The tubby middle-aged gentleman in glasses who spoke to me did not seem particularly Messianic.

"Actually, my family are Buddhists not Christians," said Mr Sawaguchi.

"And I don't claim to be a descendent of Jesus although I know some people have said my grandfather is connected to the legend. However, when I was a young child, my mother drew the sign of a cross upon my forehead as a symbol of good fortune," he told me.

Certainly the cross has brought good fortune to the villagers, who make money from the visitors and the media who seek out the grave.

It has become the region's only internationally recognised tourist attraction.

However the legend of Jesus the rice farmer does not stretch back very far. It only began in the 1930s with the discovery of what were claimed to be ancient Hebrew documents detailing Jesus' life and death in Japan.

Those documents have now mysteriously disappeared and the grave has never been excavated. I asked a village official, Masaoki Sato, if he realised that the grave might cause offence to Christians who believe in Jesus' crucifixion and resurrection.

"We're not saying that the story is true or what is written in the Bible is wrong," he politely explained. "All we are saying is that this is a very interesting old legend. It's up to the people who come here to decide how they interpret it."

Ritual and tradition

Many Japanese find it hard to make sense of Christianity. Schools are banned from teaching any religion and people are generally more interested in ritual and tradition than theology.

However, Christian-style weddings are enormously popular. They are often held in hotels which have special chapels, complete with crosses and stained glass windows.

Foreign students are sometimes hired to play the part of the priest, although the whole event has no official sanction from any church.

Churchy-looking buildings have other entertainment purposes too.

In the city of Nagoya, I went to a theme restaurant where diners could choose either to have dinner in the chapel, seated on pews and surrounded by paintings of Jesus and the saints, or on the floor below, which is decorated like a prison, complete with metal bars around each table.


Only 1% of Japan is officially Christian. However, there are some lively churches, such as the New Life Ministry in Tokyo.

When I arrived on Sunday afternoon it was packed with young worshippers, clapping along to songs of praise and raising their hands in joy.

I met Pastor Shintaro Watanabe, who was dressed in a floral Hawaiian shirt and had an almost permanent smile on his face.

Wasn't he shocked by the legend of Jesus' grave? He laughed and said it was just a silly story which caused him no particular offence.

"I suppose that many Japanese people feel respect for Jesus and the Bible," said the pastor. "The legend ties in with that. Perhaps it shows that people are looking to make a connection with Jesus in some way."

His church is trying to satisfy that spiritual curiosity, just as countless missionaries to Japan have attempted before.

Yet many Christians have discovered that the Japanese view of religion can be rather baffling - as the grave of Christ the rice farmer reveals.


関連サイト
キリストの墓 Wikipedia
キリストの里伝承館
日本のキリスト伝説!「キリストの里伝承館」バ、バスツアーやってるんだそうです。うわあ~、胡散臭いうえに安易だあ~。でも、機会があれば、参加しちゃおうっと!
キリストの墓でナニャドヤラ「キリスト祭り」【青森】
好奇心旺盛な方は、どこにもでいらっしゃいますね。是非、行ってみたくなります。
日本にあった!キリストの墓
道路の標識にあるってことは、国土交通省も認めてるのかなあ~? おいおい、大丈夫ですか? 動画もあって興味深いですが、レポータの女性がちょっと邪魔。

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2007年07月24日

教皇のラテン語ミサ許容に反応さまざま

【世界キリスト教情報第862信より、以下転載】
【ローマ=ENI・CJC】教皇ベネディクト十六世が、ラテン語ミサをより広く使用することを認めるとの決定を7月7日公表した。伝統主義者との分裂を修復する可能性を開くものとして歓迎される一方で、教会内に新たな分裂を生じかねない、との批判も招いている。
 「教皇は教会の中の痛みを伴う傷を癒そうとした」と、バチカン(ローマ教皇庁)文化評議会議長のポール・プーパール枢機卿は言う。教皇の決定が、破門された故マルセル・ルフェーブル大司教の支持者との和解を促進するの役立つよう望む、と7日語った。
 ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議(1962~65)が採択した変革、特に現地語によるミサ執行に反発、独自組織『聖ピオ十世会』を結成して破門された。「教皇の態度がルフェーヴル師の追随者に受け入れられることを願う」とプーパール氏が語った、とローマ紙『レプブリカ』が報じている。
 教皇は、司教に宛てた書簡で「教会の核心部分での内的な和解」を期待する、と述べた。
 『聖ピオ十世会』の第3代総長ベルナール・フレー司教は、ミラノの新聞『コリエーレ・デラセーラ』で、「正しい方向への一歩。歴史的な日だ。ベネディクト十六世に感謝する」と教皇の発表を評価した。
 一方、典礼の専門家ルカ・ブランドリーニ司教は、教皇の指示に涙をこらえたとして、「今日は私には嘆きの日だ。司教であるから教皇に従うが、第二バチカン公会議の最も重要な改革の一つが棚上げされることに悲しみを隠すことができない」と述べた、と同紙は報じている。
 司教への書簡で、教皇は、ラテン語ミサが広く行われることは第二バチカン公会議の権威を損なうという指摘を「根拠がない」と否定した。
 今後、信仰団体は、ラテン語ミサの執行を教区司祭に要求出来る。これまでは司教の承認が必要だった。
 20カ国以上で活動している『私たちが教会』運動は、カトリック教会改革を推進してきたが、今回の決定を「教皇は、第二バチカン公会議と相容れると言ったが、事実上、それに反対している」と声明で指摘した
先日、引用した記事と重複する内容ですが、ちょっと違うことも書かれているので。やっぱり諸刃の刃だったようですね。バチカン内部での対立もかなりの大きな亀裂として表面化しそうです。

まあ、「3人いれば、派閥ができる」というくらいですし、それぞれの方の信念というか生き方自体、全存在に関わることでしょうから、生易しいものではないのでしょう。

でも、生の歴史も実に興味深いですねぇ~。心からそう思います。
posted by alice-room at 00:40| 埼玉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

3500年前の古代エジプト最大要塞跡発見

【世界キリスト教情報第862信より、以下転載】
エジプト考古最高評議会の調査隊は7月22日、スエズ運河かの東約3キロのシナイ半島北部で約3500年前の要塞の遺跡を発見したと発表した。古代エジプトの要塞としては最大という。
 調査隊を率いるモハメド・アブデルマクスード博士によると、要塞は古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(王)、トトメス三世(在位推定紀元前1479~1425年)の時代に造られたとみられ、エジプトとパレスチナを結ぶ古代の軍事道路、ホルスロード上で見つかった。博士は、エジプトの東端部を守るための軍事拠点とみている。
 トトメス三世はシリアやナイル川上流のヌビアを征服するなど高い軍事能力で知られ、帝国的な支配を行い「エジプト最大の王」と呼ばれている。義母のハトシェプスト女王は、聖書「出エジプト記」でモーセをナイル川で拾って育てたとされており、トトメス三世がイスラエル民族を圧迫した可能性もある。
トトメス三世とか、モーゼとかが普通に語られるのって、なんか感無量のような気がします・・・。ただ、俗物の私としては古代エジプトってグノーシス絡みのこと、すぐ連想しちゃうんだよねぇ~。困ったもんです(苦笑)。

ところで、アレキサンドリア図書館とかって出土しないのかなあ~。時代的にいうと、もっと&もっと下ってからのことだから、あっても良さそうな気もするんだけど? 無理か。

同じ記事、中日新聞だと以下の通り。「ハムナプトラ」の世界かな?
3500年前の要塞跡発見 古代エジプトで最大
【中日新聞より、以下転載】
【カイロ23日共同】エジプト考古最高評議会の調査隊は22日、スエズ運河から東約3キロのシナイ半島北部で約3500年前の軍事要塞の遺跡を発見したと発表した。古代エジプトの要塞としては最大という。中東通信が伝えた。

 調査隊を率いるモハメド・アブデルマクスード博士によると、要塞は古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(王)トトメス3世(在位推定紀元前1479年-1425年)の時代に造られたとみられ、エジプトとパレスチナを結ぶ古代の軍事道路、ホルスロード上で見つかった。博士は、エジプトの東端部を守るための軍事拠点とみている。

 要塞の面積は縦500メートル、横250メートルで、壁の厚さは13メートルあった。周囲には高さ20メートルほどの塔が24本建っていたとみられる。

 トトメス3世はシリアやナイル川上流のヌビアを征服するなど高い軍事能力で知られ、帝国的な支配を行い「エジプト最大の王」と呼ばれている。
ラベル:エジプト
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2007年07月19日

ラテン語ミサ典書が復活 保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世

ラテン語ミサ典書が復活 
保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世
【世界日報より以下、転載】
世界に十一億人の信者を誇る世界最大宗派、ローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王ベネディクト十六世は教会の刷新、近代化を決定した第二バチカン公会議(一九六二-六五年)のラテン語ミサの廃止、他宗派との対話路線(エキュメニズム)などの修正に乗り出してきている。同十六世はここにきてラテン語ミサの復活を承認する一方、カトリック教会が「イエスの教えを継承した唯一、普遍のキリスト教会」と宣布した教理省の文書を発表させたばかりだ。ベネディクト十六世時代に入り、カトリック教会はますます保守的傾向を深めようとしている。
他宗派との対話に支障も
カトリック教会の唯一、普遍性を主張

【世界日報より以下、転載】バチカン法王庁教理長官を長く務めたベネディクト十六世は当時から「教理の番人」と呼ばれ、その信仰姿勢は保守的、根本主義的といわれてきた。ドイツ出身の同十六世は法王就任二年目が過ぎた今日、カリスマ性のあった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の影からもようやく解放され、次第に独自色を強めてきている。
 ベネディクト十六世は今月七日、使徒的書簡「一九七〇年の改革以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令」を発表した。簡単にいえば、第二バチカン公会議で廃止されたラテン語ミサ典書の復活だ。

 カトリック教会では、第二バチカン公会議前はラテン語礼拝が通常だった。しかし、教会の近代化を決定した第二バチカン公会議でラテン語礼拝が廃止されて以来、ラテン語礼拝は一般には見られなくなった。ところが、ローマ法王に選出されたベネディクト十六世は「カトリック教会の精神的糧となってきたラテン語ミサの素晴らしさを生かしたい」という希望を機会あるたびに吐露してきた。

 ラテン語礼拝の復活は同時に、カトリック教会根本主義勢力「兄弟ピウス十世会」との和解をも意味する。同十六世は法王就任直後、ルフェーブル派の「兄弟ピウス十世会」の現リーダー、ベルナール・フェレイ司教と会談するなど、ラテン語ミサの復活に向け水面下で交渉を進めてきた経緯がある。

 フランスのマルセル・ルフェーブル枢機卿が創設した聖職者グループ「兄弟ピウス十世会」はラテン語の礼拝を主張し、第二バチカン公会議の決定事項への署名を拒否する一方、教会の改革を主張する聖職者を「裏切り者」「教会を売る者」として激しく糾弾してきた。ルフェーブル枢機卿は当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の強い説得を無視し四人の聖職者を法王庁の許可なく任命したため破門を受けている。ルフェーブル派の復帰が実現するならば、イスラム教との対話や教会内の改革派グループとの関係が一層悪化することは避けられないだろう。

 バチカン法王庁教理省は十日、「教会についての教義をめぐる質問への回答」と題された文書を発表した。同文書については、教理省(前身・異端裁判所)は「教会に関するカトリック教会の教義を明確にし、承認できない解釈を拒否し、超教派の対話を継続していくための価値ある指示」と説明している。通称、「教会論」と呼ばれる内容だ。第二バチカン公会議ではカトリック教会以外の教会にも「真理が含まれている」と認めるとともに、カトリック教以外の他宗教も神と一体化できる、などの内容が記述されている。だから、今回の教理省文書はカトリック教会の「教会論」を明確にする狙いがあるわけだ。

 簡単にいうと、イエスの教えを直接継続した弟子ペテロを継承するカトリック教会こそが唯一、普遍の「イエスの教会」という教義は不変であり、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世時代の「ドミヌス・イエズス」(二〇〇〇年)でも再確認されてきた内容だ。カトリック教会から見るならば、プロテスタント教会は「イエスの教会」ではなく、「教会的団体」ということになる。

 同文書が公表されると、予想されたように、プロテスタント教会から激しい反発がわき上がってきた。簡単にいうと、「お前の教会は本当のキリスト教会ではない。だから、イエスから継承されていない教会は聖職者を叙階する資格はない」と罵倒(ばとう)されているのに等しいからだ。

 それに対し、バチカンの「キリスト教一致推進評議会」議長のヴァルター・カスパー枢機卿は十一日、「教理省の文書は何も新しいことを述べていない。カトリック教会の教会に関する教義に何も変化はない」と説明する一方、「われわれはプロテスタント教会が教会でないとは主張していない。イエスの教えを継承するカトリック教会のような唯一性、普遍性を持った教会ではない、という意味だけにすぎない。もちろん、プロテスタント教会も教会である点で変わりない」と弁明している。

 問題は、カトリック教会の「教会論」に立脚して、他宗派との対話、キリスト教会の再統一は可能かという点だ。

 教理省のジョゼフ・アウグスティン・P・ディ・ノイア次長は「対話は相手の見解に歩み寄ったり、間違った譲歩をすることではない。それぞれが自身のアイデンティティーを明確にしてから対話を始めるべきだ」と述べ、教理省の今回の文書を「カトリック教会のアイデンティティー宣言だ」と述べている。

 ラテン語ミサの復活には教会内でも懸念を表明する改革派聖職者が少なくない一方、教理省の教会論については「分裂したキリスト教会の再統一を妨げる最大の障害は真理の独占を主張する頑迷なバチカンにある」といった反発の声が他宗派から既に出ている。しかし、信仰の絶対主義を標榜(ひょうぼう)するベネディクト十六世にとって、それらの反発は既に織り込み済みだろう。ローマ・カトリック教会はベネディクト十六世時代に入り、確実に保守的傾向を深めようとしている。
いやあ~、ラテン語のミサ復活なんてところまで行っていたんですね。全然知りませんでした。

これって、かなり凄いことだと思うんですが・・・。

今後、この傾向が強まっていくことは必至でしょうから、少なくとも何かしら大きな変化が起きてきそうですね。世界は変わりつつあるんだなあ~と実感しました。
posted by alice-room at 00:53| 埼玉 ☁| Comment(13) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

バチカン「カトリック教会は唯一真の教会」

バチカン「カトリック教会は唯一真の教会」
【クリスチャン・トゥディより以下、転載】
 ローマ教皇庁(バチカン)が10日、「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」とする声明を発表した。プロテスタント教会について「カトリックの教義によれば、その語の本来の意味において『教会』ではない」としている。

 声明は「教会論のある部分に関する質問に対する応答(Responses to Some Questions Regarding Certain Aspects of the Doctrine on the Church)」と題し、教理省長官、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ枢機卿が署名している。バチカン・ニュース・サービスによると、声明はベネディクト16世の承認を得ている。

 声明で、レヴェイダ枢機卿は、使徒ペテロに始まる使徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡を損なったために、「教会」と呼ぶことはできないとした。

 正教会については、使徒的伝承を守っていると評価する一方、教皇に対する認識の面で「まったき教会としては欠点がある」とした。

リンク:「RESPONSES TO SOME QUESTIONS REGARDING CERTAIN ASPECTS OF THE DOCTRINE ON THE CHURCH」
実は、このニュース、日本ではほとんど聞かないが海外のメディアでは、かなり大きく採り上げられている。私も最初、このニュースを見たのは友人から送られてきたオーストラリの新聞の記事だった。

まあ、そりゃそうでしょうね。せっかく各宗派間の対話が進んできている風潮からすると、時代に逆行するかの印象ですから。正直がっかりした、というのが大方の反応である一方、どっかの記事には、お互いの採る立場が明確になって良かったという意見を述べてる人もいたようです。

私のような全然知らない部外者が適当な意見を述べるのもアレなんですけど、そうそう自らの姿勢を崩すわけにはいかないんでしょうね。二千年にも渡って築き上げてきた歴史的構築物であるアイデンティーを失えば、逆の意味で自己崩壊しかねないでしょうし・・・。

ただでさえ、近年カトリックを支えてきた第三世界やブラジルなどで一気にプロテスタントへの改宗が進んでいる危機的状況下、もう一度、足下を見つめ直す必要があるのかもしれません。

ただ、先日のトルコでの十字軍の発言やら何やら、新しい教皇様は世界中から厳しい視線でみられているようです。大変ですねぇ~。

そういえば、ラッツィンガーさんってドミニコ会出身で教理省の長官だった人でしょう。バチカンの中でもまさにカトリック信仰の教義を守る事がどんなことよりも大事だと考えられる部署でしょうから・・・その意味で真摯な人なのかもしれませんが・・・。

混迷する時代だけに、今後が気になりますねぇ~。

下に、オーストラリア新聞の記事を引用しておきます。こちらの内容はかなり手厳しいものになってますが、大変興味深いです。
Protestant faith 'not a proper Church'
【THE AUSTRALIANより、以下転載】
THE VATICAN has described the Protestant and Orthodox faiths as "not proper Churches" in a document issued with the full authority of the Pope.

Anglican leaders reacted with dismay, accusing the Roman Catholic Church of paradoxical behaviour. They said that the new 16-page document outling the “defects” of non-Catholic churches constituted a major obstacle to ecumenism.

The document said that the Orthodox church suffered from a “wound” because it did not recognise the primacy of the Pope. The wound was “still more profound” in Protestant denominations, it added.

It was “difficult to see how the title of ‘Church’ could possibly be attributed to them”, said the statement from the Congregation for the Doctrine of the Faith. Roman Catholicism was “the one true Church of Christ”.

The language echoes earlier statements by the same body, headed by Cardinal Joseph Ratzinger until he became Pope. The statement appears to be at odds with attempts to soften Pope Benedict’s image as a doctrinal hardliner and to present him as a more human figure reaching out to other faiths. And it risks undermining his own efforts for Christian unity.

Protestants at the extreme evangelical end of the Anglican spectrum accused Rome of a “lust for power”, while welcoming the honesty of the document.

Lambeth Palace, the office of the Archbishop of Canterbury, Dr Rowan Williams, was more diplomatic. A spokesman issued a statement that lacked any formal welcome, describing the document as “significant”.

Vatican sources said that the document was an attempt to resolve “confusion” caused by the apparent conflict between the Pope’s assertion on his election two years ago that Christian unity was a priority and his insistence in “Dominus Iesus”, issued in 2000 when he was Cardinal Joseph Ratzinger – that Anglican, Protestant and Orthodox Christians did not belong to “proper” churches.

Father Augustine Di Noia, a senior doctrinal official at the Vatican, insisted that the Catholic Church was not “backtracking on ecumenical commitment. But it is fundamental to any kind of dialogue that the participants are clear about their own identity. That is, dialogue cannot be an occasion to accommodate or soften what you understand yourself to be.”

Vatican officials insist that the Pope’s attachment to bedrock traditional values is compatible with dialogue with other Christians. Yesterday’s document said that such dialogue remained “one of the priorities of the Catholic Church”.

The document said that the Second Vatican Council’s opening to other faiths – including “ecclesial communities originating with the Reformation” – had recognised there were “many elements of sanctification and truth” in other Christian denominations, but had also emphasised that only Catholicism was fully Christ’s Church.

The document said that other Christian faiths “lack elements considered essential to the Catholic Church”.

The disappointment of the Anglicans was evident in the response of Canon Gregory Cameron, Dr Williams’s former chaplain in Wales and a leading canonical lawyer and scholar who is now ecumenical officer of the Anglican Communion.

Canon Cameron said: “In the commentary of this document we are told that ‘Catholic ecumenism’ appears ‘somewhat paradoxical’. It is paradoxical for leaders of the Roman Catholic Church to indicate to its ecumenical partners that it no longer expects all other Christians merely to return to the true (Roman Catholic) Church, but then for Rome to say that it alone has ‘full identity’ with the Church of Christ, and that all others of us are lacking.”

He said Anglican bishops had indicated in 1997 that such a position constituted “a major ecumenical obstacle”.

The Rev David Phillips, General Secretary of the Church Society, said: “Nothing new is said, but it does clarify the way in which the Vatican has torn apart Christianity because of its lust for power. They remind us that in their view that to be a true church one has to accept the ludicrous idea that the Pope is in some special way the successor of the apostle Peter and the supreme earthly leader of the Church.

“These claims cannot be justified, biblically, or historically, yet they have been used not only to divide Christians but to persecute them and put them to death.

“We are grateful that the Vatican has once again been honest in declaring their view that the Church of England is not a proper Church. Too much dialogue proceeds without such honesty. Therefore, we would wish to be equally open; unity will only be possible when the papacy renounces its errors and pretensions.”
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2007年07月08日

「御伽草子」も全文検索――Googleブック検索に慶大が参加

「御伽草子」も全文検索――Googleブック検索に慶大が参加
【ITmedia Newsより、以下転載】
 グーグルと慶応義塾大学は7月6日、書籍検索サービス「Googleブック検索」に、慶応義塾図書館の蔵書のうち、著作権の保護期間が終了している書籍を加えると発表した。昭和初期までに発行された約12万冊を全文検索・閲覧できるようにする。

 夏からプロジェクトを立ち上げ、書籍のスキャニング実験を行う。その後12万冊のスキャンに取り組み、順次データベースに追加していく。まずは、福沢諭吉の著書など慶応に関連する書籍のデジタル化に取り組むが、12万冊すべてが検索できるようになる時期は未定。


左から杉山伸也慶応義塾図書館長、安西祐一郎慶応義塾長、Googleのアダム・スミスプロダクトマネージャー、グーグルの村上憲郎社長
 Googleブック検索には現在、世界で約1万の出版社と、25の図書館が参加しており、アジアの図書館の参加は初。まず6年間の契約を結び、その後は1年ごとに契約を更新する予定だ。Googleのアダム・スミスプロダクトマネージャーは「現時点では慶応以外の日本の大学と連携する予定はない」としている。

 検索対象となるのは、「御伽草子」などの明治初期までに発行された和装本約9万冊と、明治・大正・昭和前期の日本語書籍約3万冊。「旧字体など古い書籍の文字も確実にスキャンできるよう頑張る」(スミス氏)

 同大はこれまで、福沢諭吉の書籍の原本119冊や高橋誠一郎の浮世絵コレクションをデジタル化して図書館のサイトで公開したり、ネットで授業を公開するなどしてきた。

 安西祐一郎慶応義塾長は「慶応は従来から、学術コンテンツを社会に開放してきた。世界に先駆けて知を広めてきたGoogleと連携し、グローバルな大学として発展していきたい。福沢諭吉の書いたものを世界に広めたいという思いもある」と参加の理由を説明した。

 杉山伸也慶応義塾図書館長は「大学の図書館は転換期を迎えていると思う。これまでの図書館は『来館型』。利用者は図書館に行かないと情報を得ることができなかった。これからはネットを通じて図書館のサービスを受けることもできる『ハイブリッド型図書館』になる」と展望を語る。

 「Googleのミッションは、あらゆる情報を簡便かつ的確にユーザーに届けること。慶応大学とのプロジェクトの成功に向けて全社を挙げて取り組む」――グーグルの村上憲郎社長は意気込みを述べた。
本当に素晴らしい夢のような話が、ドンドン現実になっていきますね。なんとも嬉しい限りです。

慶応大学って、こういう試みに非常に積極的ですね。グーテンベルクの42行聖書も公開してるし、他の大学も見習って欲しいですねぇ~。情報はみんなに使われてこそ、その価値を幾何級数的に増していく名実共に共有財産なんですから、何故税金を使用している国公立大学や公共図書館でこういうことを進めていってくれないんでしょうか?

年金問題等、収めている一個人としては勿論腹立たしい限りですが、年金のデータ照合や調査に千何百億円だっけ? それらへ投入する分がもし(!)こういったプロジェクトに投資されれば、日本の『知』や『技術』は確実に向上し、国民総生産は長期的トレンドで上昇すると思うんだけどなあ~。

国立国会図書館で、このプロジェクトやったら、ある意味世界が変わるくらいのインパクトあるんでしょうが、出版業界や各種関係者から、強烈且つ徹底的な抵抗や圧力にあうんだろうなあ~。あの青空文庫でさえ、様々な困難に直面しながら、頑張っていらっしゃるようだし。古典を本で購入するという行動パターン自体がなくなってしまいそうだもんなあ~。

現在も進行形ではあるが、本を買うというのは、宝石品を買うような嗜好の問題になっていくのかもしれませんね。単純な情報としてだけでは、かさばらずに検索できる電子データの方がやっぱり便利だもんなあ~。巷で人気のナレッジ・ベースもしかり。

以前、検索していて著作権がとっくに切れた英語版「黄金伝説」のデータがネット上で公開されていることを知った時は、ショックで頭くらくらしてもん。嬉しいけど、ショックという複雑な気持ちでしたよ。すっごく苦労して洋書を購入したからね。

でも、素直に今の時代とこれからの時代を喜びたいです♪ 知りたいことがいっぱい知れる嬉しい『時代』が楽しみです!!

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2007年07月06日

「本の中身」検索に日本語版 グーグル開設全文閲覧も

「本の中身」検索に日本語版 グーグル開設 全文閲覧も
【asahi.comより、以下転載】
インターネット検索の世界最大手、米グーグルは5日、書籍の中身を日本語で検索できるサイトを開設した。出版社から提供を受けた書籍を電子データ化して登録し、利用者がキーワードを入力すれば、その言葉を含む書籍の全文、または一部が閲覧できる。図書館蔵書の検索も始める予定で、まず有力大学1校と提携する。すでにこのサービスを始めている米国では著作権問題を巡る議論も呼んでおり、日本でも同様の問題が浮上する可能性がある。

 新サービスは「グーグルブック検索」(http://books.google.co.jp/)。世界70カ国で約100万冊の検索が可能だが、日本語で当初利用できるのは数万冊という。

 著作権保護期間が切れた書籍は全文が表示され、文章をダウンロードしてパソコンに取り込むこともできる。保護期間中の書籍は、全分量の最低2割が検索対象となる。検索した単語を含むページやその前後のページが見られるが、コピーや印刷はできない仕組みになっている。検索した書籍を、そのままネット通販サイトにつなげて購入することもできる。

 ネット通販大手のアマゾンジャパンが05年11月から、1回の検索でその単語を含む計5ページが見られるサービスを提供している。

 グーグルは従来、サイト内のデータを収集し検索可能な情報に整理してきたが、書籍のようなネットにつながらない情報のデータベース化も強化する。
やっと日本語版出てきたね。もうアメリカでのサービス開始を聞いてからずっと&ずっと待ってました!

うっ、なんともありがたい話だあ~。とにかく本に関する情報が充実するのは嬉しい話です。後で早速、試してみよっと。
posted by alice-room at 00:46| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

外典、儀典を通して聖書の「正典性」を再確認 国際聖書フォーラム2007

外典、儀典を通して聖書の「正典性」を再確認 国際聖書フォーラム2007
【クリスチャントゥデイより、以下転載】
 国際聖書フォーラム2007「聖書は語る」(日本聖書協会主催)が27〜28日、東京国際フォーラム(東京都千代田区)で開催された。今年のフォーラムは外典、偽典がテーマ。外典・儀典に対する正しい知識を学び聖書の正典性や特徴をより深く知ってもらおうと、海外から著名な5人の教授を講師に招いて5つのセミナーを行った。各セミナーの定員は400人で、全てのセミナーでほぼ満員。2日間で延べ約2千人を動員した。

 開会式で大宮溥・同協会理事長が挨拶。外典・偽典を読み、「聖書正典の深さと力を再認識しました」と自身の感想を語り、あくまでも聖書を正典とする同協会の立場を示したうえで、「(外典、儀典を扱う今回のフォーラムを通して)あらためて聖書信仰の信仰と思想とがどのような特徴を持っているかを知り、それによって聖書自体を深く学びたいと願っております」と述べた。また、渡部信・同協会総主事は、「今年は、聖書の正典性に焦点を当て、そのプロセスと同時に、新約改編に対する正しい知識の取得と情報提供の場を設けるために、海外から専門の先生方を5名お招き致しました」とフォーラムの趣旨を説明した。

 講師として招かれたのは、リチャード・ボーカム氏(セント・アンドリューズ大学新約学教授)、フランソワ・ボヴァン氏(ハーバード大学神学部宗教史学教授)、キャロル・L・マイヤーズ氏(デューク大学宗教部教授)、マーヴィン・マイヤー氏(チャップマン大学聖書キリスト教学教授)、ウィリアム・L・ホラデイ氏(元アンドーバー・ニュートン神学校教授)。5人とも、世界的に著名な神学者、聖書研究者だ。

 黙示録などヨハネ文書研究と終末論の専門家として知られるリチャード・ボーカム氏は「福音書の正典性」と題して講演。「外典福音書が有益である点をひとつ挙げるなら、それは四福音書をより良く理解するための助けとなることです」と述べ、四福音書の正典化への過程を「使徒の権威」に基づいて説明。四福音書がグノーシス福音書よりも時代的、思想的に先行しているものであるという考えを示した。その上で、グノーシス福音書が四福音書を前提としたものであり、四福音書に「付け加える」ことを目的としているものだと指摘した。

 フィリポ伝、ステファノ伝説など使徒に関する新約外典研究に携わるフランソワ・ボヴァン氏は「使徒たちの記憶―新約聖書外典の役割とその教え―」と題し、過去に正典として認めなかった教会の価値感覚を尊重すべきとしながらも、外典行伝からも学ぶべき点が多いことを伝えた。また、聖書世界の女性研究における第一人者であるキャロル・L・マイヤーズ氏は、考古学、民族誌の研究からアプローチする形で、聖書ではほとんど記録されていない古代イスラエルの女性の生活、役割について講演。さらに、新改訂標準訳(NRSV)翻訳委員の1人であるウィリアム・L・ホラデイ氏は、歴史家、また信仰者としての2つの視点をもって、2700年以上前のイザヤによる言葉と現代のキリスト者の信仰の関係を伝えた。

 また様々な反響を呼んだ『原典ユダの福音書』、『イエスが愛した聖女』(日経ナショナルジオグラフィック社)の著者の一人であるマーヴィン・マイヤー氏は、「初期キリスト教文献で隅に追いやられた弟子たちの復権―疑り深いトマス、マグダラのマリア、イスカリオテのユダ」と題して講演。キリスト教の伝統の仲では隅に追いやられてきたとされるトマス、マリア、ユダが、「グノーシス主義的な」福音書でどのように名誉回復されているかを解説した。

 最後は、「神の言葉はみな真実である。神は彼により頼む者の盾である。その言葉に付け加えてはならない。彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ」(箴言30:5〜6)と渡部総主事が聖句を拝読し、第2回目の国際聖書フォーラムの幕を閉じた。

 渡部総主事は集会後、本紙の取材に応じ、「みなさん、聖書に関する知識に対して要望が強いということを感じました」とフォーラムを終えての感想を述べた。また、世界各地から著名な講師を招いてのセミナーは教会、教派単位では難しいことを挙げ、「日本聖書協会の使命として理にかなったセミナーだったのでは」と語った。

 来年の国際聖書フォーラムでは、聖書翻訳がテーマとなる予定。また、今回の各セミナーの内容は「聖書は語る。国際聖書フォーラム2007講義録」(A5版、税込1800円、9月発行予定)として販売される。
あっ、なんか面白そう。聞きに行きたかったかも~。ここにも書いてありますが、「四福音書がグノーシス福音書よりも時代的、思想的に先行しているものである」という考え方って、実際、多数説なのでしょうか? それともこの方がそう主張してるだけ? それによっては、全然意義が変わってくると思うのですが、実に興味深いです。

出版物で出るのかあ~、読んでみたいけど、買うほどでもないような・・・? どっかで見れないのかな? 
ラベル:ニュース 聖書
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2007年07月01日

前法王が「奇跡」起こす?=F1ドライバー、大事故から生還

前法王が「奇跡」起こす?=F1ドライバー、大事故から生還
【Yahoo!ニュースより、以下転載】
【ベルリン28日時事】大クラッシュからの生還は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世による「奇跡」だった?-。DPA通信は28日、先に行われた自動車レースのF1世界選手権カナダ・グランプリ(GP)決勝で、激しい事故を起こしたものの、奇跡的に右足首のねんざだけで済んだロベルト・クビツァ選手が「奇跡」に関連してローマ法王庁で証言する可能性があると報じた。
 ポーランド人初のF1ドライバーである同選手は、母国出身の前法王の名前が書かれたヘルメットを愛用。時速230キロで走行中の事故で、マシンが大破したレースでも着用していた。このため、前法王による奇跡を証明する一環として、証言を求められる可能性があるという。
う~ん、ここまでいくと少々胡散臭さを感じないでもありません。単なる偶然というのは、俗物の私の考え方でしょうか?

中世の聖人の奇蹟譚として書き連ねられた現代版・黄金伝説があれば、この話も入るのでしょうけどね。いっそのこと、現代版黄金伝説、誰か書いてくれればいいのに。ファティマの聖母とか、ルルドとか秋田の聖母とか、いくらでもネタはあるでしょうに。などと思ってしまう私でした。他にも、この手の前法王の奇蹟に関するニュースが確かあったなあ~。

関連ブログ
洗濯屋で起きた「奇跡」=ローマ法王の服がよみがえる=シミ抜き成し遂げ=バチカンに申請へ=聖市の追田さん
バチカン:前ローマ法王が「聖人」 列福調査を正式開始へ
ラベル:奇蹟 ニュース
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英機密文書が明かす裏面史 バチカンに接近した昭和天皇

英機密文書が明かす裏面史 バチカンに接近した昭和天皇
【SankeiWebより、以下転載】
《東条を首相に任命する際、天皇は日米交渉を継続し、全力で戦争回避を図る事を条件にした。(中略)天皇がそんな形で(組閣に)介入したにせよ、これは前例のない出来事である(1941年11月14日)》

 時の英国駐日大使クレーギーが本国にあてた報告である。その2年後、英国のチャーチル首相はこんなメモを残す。

 《日本の攻撃で、米国が一丸となり参戦したのは天佑だった。大英帝国にとって、これに勝る幸運は滅多になく、真の敵と味方が明白となった。日本が無慈悲に壊滅される事で、英語圏と世界に大きな恩恵を与える(43年9月19日)》

 インテリジェンスの本家である英国の公文書館には、日本についても幕末から現代にいたるまで諜報(ちょうほう)記録を含む膨大な報告書が眠っている。英国の通信社ロイターの記者を経てフリーで活動する徳本栄一郎さんは、これまでほとんど注目されていなかった英国の機密ファイルを発掘、大東亜戦争前後の昭和天皇の動向と英国の思惑を描いた『英国機密ファイルの昭和天皇』(新潮社)を刊行した。

 その内容は冒頭に掲げたように、日米の資料によって明らかにされていた“事実”を裏付けるだけでなく、昭和天皇の知られざる側面に光を当て、同時に冷徹な英国外交のありようをも浮き彫りにする。

                  ◇

 本書の内容を見てゆこう。戦後、駐日英国代表となりマッカーサーと面会したガスコインは、昭和天皇とマッカーサーのやりとりについて、次のように記す。

 《「そこまであなたが戦争に反対していたなら、なぜマイクの前に立ち、その旨を宣言しなかったのか」(というマッカーサーの問いに昭和天皇はこう答えた)「歴代の天皇で、側近の意見に反して行動した者はいません。一九四一年の時点で、もし私がそんな行動を取れば、間違いなく首をかき切られていました」(47年1月22日)》

 さらに、昭和天皇が退位したならば、肺結核を患っている秩父宮の代わりに高松宮が摂政となる可能性が高いという認識のもと、ガスコインはこう報告する。

 《他の皇族と比べた場合、降伏以来の高松宮は、公式の場で不用意な発言が目立ち、一貫性がない。占領初期、高松宮は意図的に米国人を歓迎したが、その後は、占領政策の不満分子の影響を受けている(48年6月21日)》

 また、昭和天皇がローマ教皇ピウス12世に親書を送った、という情報をキャッチした駐バチカン英国公使館の報告は警戒感にあふれている。

 《ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、日本にイデオロギー上の空白地帯が生まれたと見ている。共産主義に対抗して、教皇庁は、それを埋めたい考えだ。(中略)天皇裕仁がカトリックに改宗する可能性が出た事も、教皇庁の動きに拍車をかけた(52年4月18日)》

                  ◇
 徳本さんは言う。

 「英国の機密ファイルによって皇太子時代から戦後に至るまでの昭和天皇を追って一番強く感じるのは、昭和天皇は冷静な現実主義者であった、ということです。ローマ教皇への親書にしても、GHQの支配状況を何とか打破したいという思いからではないでしょうか。戦前は軍部、戦後はGHQに与えられた枠の中で昭和天皇は全力を尽くしたと思います」

 本書に掲載された機密ファイルは、大英帝国時代から培った英国の情報収集能力の高さ、さらに情報をもとにあらゆるケースを想定して万全の態勢をとる英国のしたたかさを浮き彫りにする。近年、日本ではインテリジェンス論が盛んだが、徳本さんはその議論が「少々的はずれ」であると指摘する。

 「インテリジェンスというと、システムや法の整備が話題になりますが、つまるところ人材なのです。能力として求められるのは、ひとつは語学力、もうひとつは現地に入って人脈を作ってゆける人間力、このふたつが基本でしょう」
なかなか面白い文書があるもんですね。しかし、人間というのは、どんな人物であっても限られた枠の中で最大限の努力をしてその枠を広げていくことでしか、自由の枠を広げられないのだなあ~と感じます。私もがんばらねばってネ♪

この本、探してみようっと! 読んでみたいですね。
英国機密ファイルの昭和天皇(amazonリンク)
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2007年06月27日

丸善、アマゾンと業務提携--通販から撤退し情報発信による手数料モデルに切り替え

CNET JAPANより以下、転載
丸善、アマゾンと業務提携--通販から撤退し情報発信による手数料モデルに切り替え
丸善は6月26日、大手ECサイト運営のアマゾンジャパンと業務提携すると発表した。事実上、丸善はネット通販事業から撤退し、アマゾンジャパン運営サイトへの送客によるマージン収入にビジネスモデルを切り替える。

 書籍販売を軸にしたネット通販では、アマゾンジャパンの存在感が高まっている。今回の事業提携により、丸善は現実的な収益面に重きを置く戦略に大きく舵を切った格好だ。

 丸善は8月下旬にECサイトを刷新。丸善とアマゾンジャパンによる共同ブランドのECサイトを立ち上げる。アマゾンジャパンが国内書店と共同ブランドを展開するのは初めて。

ECサイトの運営・管理におけるシステムおよび物流機能は、そのほぼすべてでアマゾンジャパンの既存システムを活用し、一部丸善が独自で仕入れているオリジナル商品も取り扱う。丸善は書店の店舗で培った売り場ノウハウをもとにして選書を行うなど、情報発信に注力する。

 別システムで運営していた携帯電話サイトについては、KDDIの携帯電話向け公式ECサイト「au Books」の運営は続けるが、ドコモおよびソフトバンク向けに提供しているサイトについては閉鎖する。

 ビジネスモデルが通販から販売代行によるマージン収入へ変わることに伴い、丸善では「ネット事業の売上高は下がる」(丸善広報担当)と見込んでいる。ただし、これまで自社で通販事業を行っていたのに比べて数億円のコスト削減となり、収益率は向上するという。

 今回の提携のメリットについて、丸善の取締役社長の小城武彦氏は「1社が独自で国内市場向けのみで行うシステム投資レベルと、アマゾンのようにグローバルな展開に向けたシステム投資のレベルでは、顧客満足度に開きがあると感じている。アマゾンの力を借りながら丸善ブランドを生かすような方法をとれないかと考えた」と語る。

 丸善のネット通販事業は、もともと一般顧客向けのネット通販事業のほか、大学の研究者向けに専門書の販売などを行っており、専門書の販売が売上高の半分以上を占めていた。

 今回、一般顧客向けの業務でアマゾンジャパンと提携したのを第一弾として、大学向けのサービスや、自社のコーポレートサービスも刷新していくという。
やっぱ、こういうことになるんでしょうね。それこそ雨後の竹の子の如く、書籍のECサイトはあるものの、検索しても使えないサイトが多過ぎだもん。かくいう私もいろんな書籍関係のECサイト回ってみた経験があり、使う価値を覚えるのはやっぱりamazonになってしまうなあ~。

他社でもamazon以上に付加価値のあるサービスを提供してくれれば、本当はその方が嬉しいんだけどね。私的には洋書の丸善さんだと思っていたけど、現在の丸善って実はあまり洋書揃ってなかったりする。

アメリカのamazonの方が送料入れてもはるかに安いし、手元に届くのが早いんだもん。別に書誌データも何も無いし、全然使えない。

でもね、今日もアメリカのamazonから洋書が三冊ほど届いたんだけど・・・う~ん、イマイチ。誉めてばかりもいられない。だって新品の本なのに、表紙カバーに細かい傷や汚れ有り、小口が少しへコンんでいるような・・・? 私がへこむって!(泣)

これって輸送中の事故。それとももともと出荷時点でこの状態だったのか?(アメリカって雑だから) 今回は、amazonの箱だけでなくそれを覆う特殊な袋に入って届いたんだけど(特別な郵便局のタグ付きで)・・・怪しいものが入ってないか、検査された感じがします。テロとかで特別警戒してるからかな。大きな箱だし、私って潜在的テロ因子とか思われてるのかなあ~?

でも古書でなくても新品なんだけどなあ~、ちぇっ。いささかショック! これだったら、送料が割高になるけど、信頼できる書店の古書の方がいいな。梱包がはるかに丁寧だったような気がします。以前買った時祷書の方がイイもん♪

まあ、しばらくはのんびりと洋書の写本画でも眺めてますかね。
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2007年06月23日

カルビ殺人:神の銀行の謎

Calvi murder: The mystery of God's banker
【THE Independentより以下、転載】
It was a trial which promised to solve the 25-year old case of Roberto Calvi, who was found hanged under Blackfriars Bridge. But yesterday a judge acquitted all five defendants
By Peter Popham and Philip Willan in Rome and Robert Verkaik
Published: 07 June 2007

Twenty-five years after the event, the trial of the alleged killers of Roberto Calvi has ended with the sensational acquittal of all five defendants: a Sardinian property dealer and his mistress, a Mafia accountant already serving life for other offences, a Roman loan shark and the banker's one-time bodyguard, all are absolved.

Yet it would be a mistake to say we are back at square one. In the snail-like progress of this case since that day in June 1982 when the Italian banker was found at the end of a rope under Blackfriars Bridge, there has been a major step forward. Evidence strong enough to convict the five was missing, decided Judge Mario Lucio d'Andria. But there is no longer much room for doubt that Roberto Calvi was murdered.

It was a Daily Express postal clerk on his way to work on 21 June 1982 who, glancing over the parapet of the embankment, noticed the length of orange nylon rope lashed to a scaffolding pole under the bridge; and then in horror and disbelief the head and besuited body of the banker, hanged by the neck from the scaffolding, his feet just trailing in the filthy water.

Calvi was wearing an expensive grey suit and handmade shoes and had more than £7,000 in various currencies in his pockets. Yet the City of London police rushed through the investigation of a death they seemed determined to record as the sad but unimportant suicide of a foreign tramp. For all his astronomical debts and legal nightmares, Roberto Calvi was no tramp. Nor, we can now be sure, was he a suicide.

A cold, shy, stubborn man from the mountains north of Milan, Calvi in his prime was one of the most brilliant bankers in Italy, rising rapidly through the ranks of the private Banco Ambrosiano, which had been founded by a priest and had long had close relations with the Vatican's bank, the Istituto per le Opere di Religione or IOR. Despite the murder trial that finished yesterday, the true nature and extent of those relations has never been clearly explained; the man who could have spilt the beans if he had wished to, the American archbishop, Paul Marcinkus, who ran it during the crucial years, died aged 85 shortly before he could give evidence. Yet there are many close observers of the hermetic worlds of Italian politics, business and organised crime who believe his secret dealings with the IOR - an offshore bank conveniently located in Vatican City, in the heart of Rome - were one of the key factors that led Calvi to his grotesque death.

For all his brilliance, Calvi landed in desperate trouble. As well as co-operating closely with the Vatican's bankers, he also got into bed with the Sicilian Mafia, setting up a network of offshore shell companies which enabled them to launder the proceeds of the heroin trade. Additionally he became a member of P2, the secret Masonic lodge to which hundreds of Italian politicians, businessmen, secret service agents, policemen, civil servants and others belonged, and which became a sort of state within the Italian state, manipulating the direction of the country from a strong right-wing position, exerting a profound but long undetected influence on government decision-making.

The Vatican, the Mafia, P2; three drastically diverse worlds, linked by the fact that Italy was, throughout the Cold War, a key frontline player in East-West relations; possessor of the biggest Communist Party in western Europe (which, thanks to the efforts of the United States, was kept out of power until a decade ago). According to one of the more persuasive theories swirling around the Calvi case, the Milanese banker became a pivotal player not only in the laundering of Mafia money, but in the secret channelling of large sums from the Vatican to the the struggle of the trade union Solidarity against Poland's communist government. It was a struggle which, since the accession to the papacy of the Polish cardinal Karol Wojtyla in 1978, had become a matter of vital importance for the Vatican; it was also close to the heart of the Reagan administration in Washington. That other switch of funds in the Cold War, from illicit sales of arms to Iran to funding the Contras in Nicaragua, which became public in 1987, revealed to the world at large the vital importance to the secret services of untraceable funds - hence the temptation to cultivate close relations with organised crime. Calvi, it is claimed, was a central figure in this other, more obscure finance campaign, which unlike the Iran-Contras affair was successfully kept under wraps.

Calvi was one of the men who knew a lot about a lot. For years he handled the affairs of his highly disparate clients with flair, rewarding them with fat rates of interest, managing the illegal funding of political parties, playing midwife to secret arms deals, laundering Mafia profits. But the key to the high-rolling success of such deals - his network of offshore shell companies - was also the cause of his downfall.

The man who later boasted that he taught Calvi all he knew about tax havens, the Sicilian financier Michele Sindona, was reckless in a way that Calvi had never been. The two became ever more closely tied by secret financial favours - but when an American bank Sindona controlled, the Franklin National Bank of New York, collapsed in 1974, Calvi refused to bail him out to the extent Sindona believed he deserved. He began putting pressure on Calvi to give more, pressure that yielded a poisonous publicity campaign against Calvi, prompting the Bank of Italy to send in its inspectors.

In 1978 the Bank of Italy concluded that Calvi's Banco Ambrosiano had exported several billion lira illegally, prompting a criminal investigation. The Banco Ambrosiano was suddenly in meltdown, and Roberto Calvi's nightmare was under way. On 20 May 1981, finance police officers rang Calvi's doorbell at dawn, with the news that the banker was under arrest and would be taken to prison for interrogation. Inside, he attempted suicide.

He was convicted of currency law violation and given a suspended four-year sentence. But his troubles were only beginning. The bank, it was revealed, was hundreds of millions of dollars in debt. In terror of being imprisoned again, fearful also that mafiosi to whom he owed hundreds of millions would now take their revenge, in June 1982 Calvi went on the run.

Why he ended up in London remains obscure to this day. Escorted by two of the men yesterday acquitted of his murder, Flavio Carboni, a playboy and property developer, and Silvano Vittor, a smuggler based in Trieste who acted as his bodyguard, he left Italy under a false identity, travelling by speedboat to Yugoslavia, from there to Austria and by private plane to Britain. In London, he checked into a cheap residential hotel, the Chelsea Cloisters, and remained incommunicado.

Evidence that has emerged since Calvi's death indicates he was trying to stave off ruin by threatening to reveal awkward secrets of the Vatican and other big Ambrosiano clients if they did not bail him out.

For six years after he died, the official view was that he had killed himself. He certainly had good reason to - the day before his death he had been stripped of his chairmanship in the bank, and his private secretary had jumped to her death. But his son Carlo began his campaign to prove that his father had been murdered, and at a trial for insurance purposes in 1988 the judge agreed with him. In the late 1990s new forensic methods were applied to the now ageing evidence and the results reinforced the murder theory. In October 2005 the murder trial got under way.

Held in a fortified courtroom next to a jail on the outskirts of Rome, the proceedings dragged on for a year and a half. The chief prosecutor, Luca Tescaroli, claimed that the four men accused had lured Calvi to London, where he had been handed over to his assassins - members of Italian organised crime. Carboni, a Sardinian businessman with links to former prime minister Silvio Berlusconi, now imprisoned Mafia boss Pippo Calo, former contraband smuggler Vittor, and Roman loan-shark Ernesto Diotallevi, conspired together to murder Calvi, the prosecutor claimed. The group wanted to punish the banker for losing money belonging to the Cosa Nostra and to prevent him from blackmailing former accomplices in the Vatican, the P2 masonic lodge and Italian political parties.

According to a Mafia supergrass, Calo engaged an assassin called Francesco di Carlo to carry out the murder. But the allegation may have been an attempt to divert attention away from the true culprits.

Some of the most powerful prosecution evidence came from the Mafia turncoat Antonino Giuffre. He accused Carboni of playing the traitor's role in a classic Mafia murder conspiracy: first gaining the victim's confidence and then delivering him for execution. Members of his own Mafia family had participated in the plot, Giuffre claimed.

The Mafia accountant, Calo, accused of ordering the killing to punish Calvi for embezzling Cosa Nostra's funds, and who had followed the trial by video link from the maximum security prison where he is serving life for other Mafia crimes, told the court that he would never have turned to the criminals allegedly responsible for strangling Calvi because they were in rival organisations or banned in disgrace from Cosa Nostra. And in any case, he told the court, there were plenty of hitman at his disposal.

The judged ordered the acquittal of four defendants for lack of proof; the fifth, Carboni's girlfriend, was given a full acquittal. Only one of the defendants was in court to hear the verdict, Ernesto Diotallevi, the loan shark. Luca Tescaroli, the prosecutor, said he would have to read the written explanation of the verdict that the judges must produce over the next three months before deciding whether or not to appeal. He said it was important that the court had confirmed that Calvi had been murdered. "The very fact of holding a trial at all after 25 years is a success," he claimed. But for those who have been following the Calvi case the unanswered questions continue to tantalise.
全訳を書こうと思ったが、断念したのでポイントだけ列挙すると。

バチカン銀行に多額の融資をしていたイタリア一の大銀行であるアンブロシアーノ銀行の頭取ロベルト・カルビの死について、殺人罪を問われていた5人に無罪判決が出た。

当初は自殺とは思えないような証拠がたくさんあったのに、何故か自殺として処理されていて誰もその事件に触れたがらなかった点や、カルビ氏があの悪名高き秘密結社P2の構成員であったこと、マフィアのマネーロンダリングにも関わったいたこととか、不合理な判決に至るまでの詳しい事情が分かっている範囲でだが、実に詳しく書かれている。

コーザ・ノストラやニカラグアのコントラとか普通に出てくるし、バチカンのポーランドの共産政権に対する闘争資金の秘密チャンネルになっていたことなどなど、何でもありの世界であったことが書かれています。カルビさん、そりゃ畳の上で死ねないでしょう。

いやあ~、凄いです。ここまで書くか、さすがインディペンダント(どこまで裏付けとってあるか疑問だけどね)。BBCとかではそこまでよう書かんって! 

実に貴重な情報が詰まっていますので、興味がある方は頑張って読んでみる価値ありです。実に、面白いです。なんとも生臭い話ですけど。

同じニュースについて、BBCの記事では以下のように淡々と書かれています。

カルビ氏の写真

Five acquitted over Calvi death
【BBCより以下、転載】
Five acquitted over Calvi death

Calvi's body was found hanging from a London bridge in 1982
A court in Rome has acquitted all five defendants of murder charges in the 1982 death of Roberto Calvi, known as "God's Banker" for his Vatican ties.

Mr Calvi, the chairman of a private Italian bank, Banco Ambrosiano, was found hanging from scaffolding under London's Blackfriars Bridge in 1982.

A British inquest ruled the death suicide, but the case was reopened at the insistence of Mr Calvi's family.

Mr Calvi died as his bank collapsed in one of Italy's largest fraud scandals.

City of London Police, who initially investigated Mr Calvi's death, said it was "disappointing for Roberto Calvi's family in particular that those responsible for his murder have still not faced justice".

In a statement, the City of London Police said they had "worked closely with the Italian authorities since 2003 to bring this case to a successful conclusion."

Cleared of murder charges are Giuseppe Calo, alleged to be a cashier for the Sicilian Mafia; Mr Calvi's close associate, businessman Flavio Carboni; businessman Ernesto Diotallevi; Mr Calvi's bodyguard and driver Silvano Vittor; and Mr Carboni's ex-girlfriend Manuela Kleinszig.

Calo has been in prison since the 1980s on Mafia charges unrelated to Mr Calvi's death.

Prosecutors had said Ms Kleinszig should be acquitted due lack of evidence but had asked for life sentences for the other four.

The prosecution alleged that they lured Mr Calvi to London and into the hands of his murderers.

Unanswered questions

Mr Calvi was linked to the Vatican bank, and prosecutors also said he was laundering money for the Mafia.

Mob bosses feared he knew where their money was going and where it was hidden and was preparing to tell all, prosecutors said.

In June 1982, his private bank collapsed with debts of $1.5bn (£750m).

An investigation began in Italy but, a few days later, Calvi's body was hanging from Blackfriars Bridge in London.

Cash and stones were stuffed into his pockets.

The first inquest ruled it was suicide but years later his body was exhumed, revealing clues suggesting he had been murdered.

Forensic tests conducted in 2003 concluded there was no evidence on Mr Calvi's shoes and clothing that he had climbed the scaffolding, indicating he had been killed elsewhere.

The two-year trial leaves more questions than answers, says the BBC's Christian Fraser in Rome.

The defence suggested more than once that there were plenty of others who had a motive for murder - some of them within the Vatican - and they said any number of these parties could have collaborated and silenced Roberto Calvi.
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2007年06月10日

「神の銀行家」変死、マフィアら無罪 謎解けぬまま…

「神の銀行家」変死、マフィアら無罪 謎解けぬまま…
【asahi.comより転載】
ローマ地裁は6日、バチカンとの深い関係から「神の銀行家」と呼ばれたイタリア最大銀行の頭取が25年前、銀行倒産後にロンドンの橋で死体で発見された事件をめぐり、殺人罪などに問われていたマフィア幹部など5人の被告全員に無罪判決を言い渡した。

 事件では、背景となった銀行倒産の原因にバチカンの宗教事業協会(通称・バチカン銀行)関連の多額の融資焦げ付きが指摘され、波紋を呼んだ。当初自殺とされながら、遺族らの訴えを機に05年に公判が始まった。検察側は動機として頭取が過去のマネーロンダリングを暴露するのをマフィアが恐れたことなどをあげたが、判決は4人について証拠不十分、1人について「証拠なし」とした。

 変死したのはアンブロシアーノ銀行頭取ロベルト・カルビ氏。82年夏、13億ドル(約1600億円)の不正融資による焦げ付きが発覚、その数カ月後にロンドン中心部セントポール大寺院近くのテムズ川の橋の下で首をつった状態で発見された。ポケットに多額の現金やれんがが入っていたが、英当局は自殺と判断。遺族は納得せず、専門家を雇って調査し、カルビ氏の靴に付近の土を踏んだ痕跡がなかったことなどを突き止めた。

 カルビ氏の死後、イタリアの司法当局は87年、バチカン銀行の総裁に対し、「アンブロシアーノ銀行を倒産に追い込んだ」などとして逮捕状を出したが、バチカン市国は引き渡しを拒否した。
結局、うやむやのまま、黒い霧の彼方に真相は隠されたままなんですね。マフィアの誰も罪を問われないままとは・・・。

バチカンも何か隠しているようですし・・・。どう考えても、怪しいなあ??? P2にも属していたのがこの殺されたカルビ氏なんですから、まさに墓場にまで秘密を持って行ったということでしょうか。

後で海外のニュースを探してみようっと。

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2007年06月06日

坂上田村麻呂の墓特定 京都・山科「西野山古墓」

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坂上田村麻呂の墓特定 京都・山科「西野山古墓」
【asahi.comより転載】
平安初期の武人で上級貴族だった坂上(さかのうえの)田村麻呂(たむらまろ)の墓を、京都大大学院文学研究科の吉川真司・准教授(日本古代史)が文献調査で特定した。1919(大正8)年に京都市山科区で発掘された「西野山古墓(こぼ)」の可能性が極めて高いという。田村麻呂が創建したという清水寺(京都市東山区)に残る平安後期編纂(へんさん)の「清水寺縁起」に墓の位置が記されていた。

 墓の場所は「縁起」にある弘仁2(811)年10月17日付の朝廷の命令書「太政官符(だじょうかんぷ)」の表題に記されていた。行政の最高機関が土地を管理する民部省に送った文書で、田村麻呂の墓地に「山城国宇治郡七条咋田西里栗栖村の水田、畑、山を与える」という文言があった。この場所は平安時代の図を基にした「山城国宇治郡山科地方図」と照合すると、今の山科区西野山岩ケ谷町にあたり、西野山古墓の場所と一致するという。「太政官符」はこれまでも研究されてきたが、表題の記述は注目されていなかったという。

 西野山古墓は清水寺から南東約2キロの山科盆地西部にある。8世紀後期から9世紀前期と見られ、田村麻呂の時代と一致する。大正8年に墓穴が見つかり、内部から、武人の墓にふさわしい純金の装飾を施した大刀や金銀の鏡、鉄の鏃(やじり)などの副葬品が出土している。

 こうした研究から時代と位置と身分が一致し、田村麻呂の墓と特定した。古墓の南東約1.5キロには、地元で「坂上田村麻呂の墓」と伝えられる史跡があり、坂上田村麻呂公園になっている。

 吉川准教授は「当時の名前が明らかな上級貴族の墓は特定されておらず、他の遺跡を考える物差しが一つ決まる。この場所は平安京の東の玄関口で、そこを守る所に田村麻呂を葬ったことから、死んでも平安京を守ってくれる武将という考えを当時持っていたのかもしれない」と話す。

 遺物は1953年に「山科西野山古墳出土品」として国宝に指定され、現在、京都大総合博物館(京都市左京区)が所蔵している。6日から7月8日までの「京大の至宝」展で初公開する。
新聞でこのニュースを聞いて、だいぶ関心を持っていたりする。

教科書に出てくる最初の征夷大将軍というだけでなく、征服した蝦夷のリーダー「アテルイ」取り扱いのことや、うちの近所に残る「将軍沢」の地名や坂上田村麻呂が後を追ってきた妻を戦の邪魔だからと縁を切って帰した「縁切り橋」が普通に今もあるからだ。

とてもではないが、京都から歩いて来る気にならないなあ~。そういえば、上野の清水寺も京都の清水寺勧請したものだったなあ~。なんか特別な謂れとかあるのかなあ?

まあ、それは置いといて。遺跡を発掘したら、もっと何か出て来ないのかな。怪しげな呪符とか呪的仕掛けとか期待してしまうのは「帝都物語」の影響だろうか?(笑) う~、今度京都行ったら、行ってみたいな。普通に行けそうだけど、なんかあるかな?

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2007年05月28日

「見えなかった情報」を可視化――NII、論文300万件をGoogle検索対象に

「見えなかった情報」を可視化――NII、論文300万件をGoogle検索対象に
【ITmediaニュースより以下転載】
国内論文約300万件が、Googleから検索できるようになった。Web検索だけで情報収集を完結してしまう人にとって検索にひっかからない情報は存在しなかったも同然。検索対象に加えることで、論文をWeb上でも“可視化”する。

 国立情報学研究所(NII)が4月から、国内の学術論文情報300万件のデータベース「CiNii」(サイニイ)をGoogle検索対象にした。同時に、データベースも検索エンジンが見つけやすい形に変更。一般ユーザーが論文情報にアクセスしやすくした(関連記事参照)。

 論文検索エンジン「Google Scholar」のコンテンツを整備・充実させたいGoogleの思惑と、論文情報へのアクセスを増やしたいNIIの思惑が一致して実現した。「Googleにすべてを持っていかれるのでは」――CiNiiに論文を提供している学会の一部にはこう心配する声もあったというが、NIIが説得を重ね、構想から約1年後に公開にこぎつけた。

 「『今すぐ無料で情報が欲しい』というWebを中心にした生活スタイルと、書籍や論文という“知識の体系”とのすき間を埋めてきたい」と、NII助教の大向一輝氏は狙いを語る。

「なかったこと」になっていた情報を可視化
 何かを調べる際、Web上だけで情報収集を済ませてしまう人は今や少なくない。そういう人にとっては、論文にちょうどいい情報があったとしても、Web検索に引っかからない限りその情報は「なかったこと」になってしまう。


CiNiiのトップページ NIIは、論文を検索しようと考えもしなかった人に、まずは論文の存在を知ってもらいたい、と公開に踏み切った。「普通の人がものを探す中で、いきなりCiNIIに来ることはないだろうが、Google検索でこのページにたどりつくことはあるだろう」と、NIIコンテンツチーム係長の阿蘇品(あそしな)治夫さんは語る。

 CiNiiに収録されているのは、全国271の学会・協会から提供を受けた論文と、大学の研究紀要に収録された論文計約300万件。加えて一部雑誌の情報も検索できる。ある論文が別の論文からどれぐらい引用されたかを参照できる「被引用数」データも収録している。

 今回、GoogleとGoogle Scholarで検索できるようになったのは、従来のCiNiiでも無料で検索できた著者名や論文名、被引用数データなど、論文の冒頭に付けている概要紹介(アブストラクト)だ。“Googleフレンドリー”にするため、HTMLやURLをGoogleが検索しやすいよう書き換えたり、パーマネントリンクのURLをページ上に掲載したりするするなどといった地道な作業も行った。

 論文本文PDFの閲覧は従来通り、一部を除いて有料だ。「論文データベースを作るのは手作業で、膨大な手間ひまがかかっている。論文の形式や料金体系も学会によってさまざま。一括して無料にはできない」と大向氏は事情を説明する。

 学会によってWebへの態度も異なる。「Googleにすべてを持っていかれるのでは」と心配する学会もあり、全学会でOKを取り付けるまでは苦労もあった。ただ最終的には「一般の人に論文の存在を伝え、学会を知ってもらえるのはメリットになる」という意識が広まり、全学会から理解を得ることができたという。

 公開した効果はすでに現れ始めた。Google経由で閲覧されたCiNiiのページビューは、5月初めに10万を超え、直接CiNiiを訪れたユーザーの総PVを超えた。「今後もGoogle経由のアクセスが増えていくだろう」(阿蘇品さん)

Googleのロボット×手作業=知識へのアクセス
 NIIは、その前身である「学術情報センター」時代から、国内の情報をまとめて発信するという役割を担ってきた。図書館の蔵書情報検索サービス「Webcat」「Webcat Plus」や、学術情報データベース「NII DBR」などを展開。書籍や論文の情報へのアクセス経路を整備してきた。


阿蘇品さん(左)と大向さん 2005年にスタートしたCiNiiも、そんな取り組みの1つだ。CiNiiのデータは、マシンで情報を収集・整理するGoogleとは対照的。学者が手で書き、査読し、学会で精読し、学会誌に掲載した論文に、被引用数を手作業で確認して作っており、何人もの人が膨大な手間ひまをかけている。

 人の手で整理した情報にはロボット検索にはない価値がある。「キーワード検索では、周辺の分野や、他の情報との関連性が見えづらい。手作業で整理した論文情報のページには、著者や掲載誌、引用情報などが書かれているから、ここを起点にして周辺情報に触れることができる」(大向氏)。各論文情報ページにはパーマネントリンクが付いており、それぞれのページが情報ポータルになる。

 大向氏は、私見と断った上でこう語る。「例えば、検索結果にAmazonの本を見つけて実際に購入したり、検索で評判のいい店を見つけて行ってみたりと、Web検索が徐々に、Webの中だけで完結しなくなってきている」。Webの中で存在を知り、実際に手に入れるために足を動かすという動きは、今後も進んでいくとの見方だ。

 「ロボット検索はすばらしいが、コンテンツを作っているのは個々の人。ものを作っている人が報われるようにしたい」(大向氏)。NIIは今後も情報公開を進め、Google以外のネット企業との連携にも積極的に取り組んでいきたいという。
やっと日本でも、学界で発表された論文の検索がgoogleできるようになるんですね。あまりにも遅くて、頭の固い閉鎖的な性格がよく出ていますが、何はともあれ嬉しい限りですね。

勿論、人手や手間がかかっているので正当な対価が必要というのは、分かりますが、悪意のある引用・剽窃等でない限り、可能な限り、無料でオープンにしてこそ、意味があると思うですが・・・?

海外では無料で閲覧できるのも数多いですよ! みんながみんな、閉鎖的であるとは言いませんが、私が知っている範囲では小さな既得権益にしがみつくような閉鎖性を未だに持っている人、いるからなあ~。もっともこれはアカデミックな世界だけではなく、ビジネスの世界でも山ほどいますけどね。

批判さえもできないように、材料となる情報一切を秘匿し、公開しない輩って官僚だけではありません。私個人は大嫌いですが、そういうの。実際に仕事だったら、やらざるを得なかったり・・・人間ってホントただ自分の意思だけで自由に生きるのって難しいですね。う~む。

まあ、何はともあれ、日本でもやっと一歩進んだってことでヨシとすべきでしょうね。実際に、私もネットで知りたいことを検索しているとこの「CiNii」というサイトによく辿りつくので知ってはいましたが、こういう事情があったとは初めて知りました。

今後は、論文自体も無料で公開して欲しいなあ~。いちいち国会図書館まで行って調べるなんて面倒なことしたくないもんね! 期待してます。

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2007年05月27日

米Googleが検索結果表示の統合を発表、画像やニュースなど一覧可能に

米Googleが検索結果表示の統合を発表、画像やニュースなど一覧可能に
【INTERNET Watchより以下転載】
米Googleは16日、画像やニュースなど、これまで別々に分かれていた検索結果をまとめて表示することなど、同社の基幹ビジネスである検索エンジンにかかわる重要な発表を行なった。

 それ以外にも、Googleの検索結果順位を定める検索アルゴリズムのアップグレードの準備をしていることや新しいユーザーインターフェイスを発表したほか、実験的ユーザーインターフェイスも公開した。

● 検索結果を統合した「ユニバーサルサーチ」

 今回、Googleが発表したのは、動画、画像、ニュース、地図、書籍、Webに分かれていたサーチエンジンの検索結果を1つに統合し、表示することだ。これは同日付で、英語版のGoogleで開始されている。同社ではこのサーチエンジンの方向性を「ユニバーサルサーチ」と呼んでいる。

 例えば、スター・ウォーズの登場人物である「ダース・ベイダー(Darth Vader)」について検索するとしよう。ダース・ベイダーに関心を持つ人は、スター・ウォーズについて述べたWebページだけに関心があるわけではないのは明白だ。しかし、これまでは画像や動画を見つけたい場合、別々の検索行動をする必要があった。新たに導入されたユニバーサルサーチによって、一度検索するだけですべての情報が入手できる。

 実際、ダース・ベイダーを検索してみると、ダース・ベイダーのパロディ動画、画像、スター・ウォーズ製作元のルーカスフィルムに関するニュース、ダース・ベイダーを演じた俳優に関するWebサイトなどがそれぞれ重要な順番にランキングされ、まとめて表示される。一度検索するだけですべての情報が手に入ることは、ユーザーの利便性を大幅に高めると言える。

 このユニバーサルサーチでは、まだすべてのデータが反映されているわけではないという。反映されるデータの量は、時間とともに徐々に増えていく。Googleでは、このユニバーサルサーチの検索結果を取り扱うために必要な計算パワーを確保するために新しいインフラを構築し、配備するプロセスにあるという。そして、これに合わせて、検索順位を決定するためのランキングメカニズムをアップグレードする予定だ。

 アップグレードされたランキングメカニズムの詳細は明らかになっていないが、動画、画像、Webなどさまざまなタイプの情報を比較できるという。これまでと同様、Googleの検索結果はアルゴリズムによって自動的に決定されるとしている。これについて、Googleのエンジニアリング担当バイスプレジデントであるUdi Manber氏は「Googleにおける検索イノベーションのレベルとスピードは増加した。ほとんどのイノベーションは基本的なランキングアルゴリズムの問題を修正しており、ユーザーが気付くことはほとんどない。ユーザーはただ、より正確な結果をより頻繁に、より多くの言語で見ることになる。それが我々の主要な目標だ」とコメントするにとどまった。

 ユーザーインターフェイスにも変更が加えられた。検索結果のすぐ上に、関係のある情報へのリンクが表示されるようになったことはその1つだ。例えばプログラミング言語の1つである「python」と入力すると、Google Blog Search、Google Book Search、Google Groups、Google Codeを検索できるリンクが表示される。これにより、別の検索を行なえばさらに詳しい情報が得られることをユーザーに通知する。

 また、「Google.com」トップページのユーザーインターフェイスも変更された。これまでは、検索フォームの上にGoogleのさまざまなサービスへのリンクが表示されていたが、これからは左欄上部にGmail、Google Calendar、Google Docs & Spreadsheets、Picasa Web AlbumなどのGoogleサービスや製品へのリンクが表示される。

● キーワードの出現頻度の時系列表示や地図表示の実験も

 これら正式サービスとして発表されたものに加えて、Googleでは新たにサーチエンジンにかかわる実験的なサービスも公開した。これは、Google Labsの中で公開された「Google Experimental Search」である。このサイトでは、サーチエンジンに関係するさまざまな実験的技術が公開され、ユーザーからのフィードバックに基づいて改良されていくことになっている。

 今日の時点で公開されているのは4種類のサーチエンジンとユーザーインターフェイスだ。興味深いのは検索語句の出現頻度を時系列、地図上に表示する機能だ。例えば「Albert Einstein」や「George Washington」などと入力すると、出現頻度とともにその人物の人生を概観できるような検索結果が表示される。また地図上に出現頻度を表示させることもできる。

 別の実験では、サーチエンジン検索結果画面でのキーボードショートカット機能が用意された。ユーザーインターフェイスの実験として、左欄や右欄に表示されるリンクから、徐々に検索結果を絞り込んでいくインターフェイスが公開されている。
これって、確か中国の検索大手である百度(バイドゥ)の表示のさせ方だよね。

中国で違法なmp3ファイルとか画像ファイルを一度にまとめて検索できるので、googleよりよく使われていてシェアが高いというアレです。

確かにこの表示方法の方が便利なことは便利だけど、また不要なサイトが多く紛れ込まないのかな? 必要なファイルを探すのに手間取らないかが心配なのだけれど・・・。

そういえば、中国の検索会社 百度だけど、スクロール頻度が高過ぎてサーバーに負荷をかけ過ぎ、あちこちからスクロール拒否されていたよね。なんか強引なところがいかにも中国的で笑えたけど、最近はどうなんだろう? こないだ検索に使ってみたら、全く使えてなかったけど、少しは改善しているのかなあ~?
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Google Book Search、「デジタル化まだ」の本も検索可能に

Google Book Search、「デジタル化まだ」の本も検索可能に
【ITmediaニュースより以下転載】
米Googleは5月17日、書籍検索サービス「Google Book Search」のアップデートを公式ブログで発表した。Google Book Searchでは、世界の図書館と提携、書籍本文の全文検索ができるよう蔵書のデジタル化を進めているが、今回のアップデートは、まだデジタル化されていない書籍が対象。

 こうした「アナログ」書籍の検索では、本文の閲覧はできないが、あらすじやその書籍に関するレビュー、関連Webサイトなどの情報が入手できるようになった。また、その本がどの図書館に所蔵されているかを探したり、オンラインで購入するためのリンクも表示される。

 Googleでは、書籍のデジタル化を進めると同時に、デジタル化されていない多くの書籍も検索可能とすることで、Google Book Searchを最も包括的な書籍検索サービスにしたいとしている。
へえ~、どんどん便利になっていきますね。日本では、この手の取り組みが遅れていて、なかなか恩恵を蒙ることができない状況ですが、早く日本でもこの手のサービスが使えるといいな。

とりあえず、洋書を買うときに参考にするのに使えそうですね。嬉しいな♪

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2007年05月14日

古代ユダヤ王国・ヘロデ王の墓を発見

古代ユダヤ王国・ヘロデ王の墓を発見
【読売新聞より転載】
イスラエルにあるヘブライ大学のエフド・ネツェル教授を中心とする考古学チームは8日、新約聖書に登場する古代ユダヤ王国のヘロデ王の墓を発見したと発表した。

 発表によると、発見場所は、エルサレムの南方約10キロ・メートルにあるヘロデ王宮跡の近く。棺は石灰岩でできており、銅製の装飾が施されていた。棺は損傷が激しく、人骨も見つかっていないが、ネツェル教授は発見場所や装飾などからヘロデ王のものと判断したという。王宮跡は1970年代に発見され、同チームが周辺の発掘を進めていた。

 ヘロデ王は紀元前1世紀の王で、古代ローマの支持を受けて王位につき、専制政治を行った。聖書では、ベツレヘムで誕生したイエス・キリストに王位を奪われるのを恐れ、2歳以下の男児を皆殺しにするよう命じた人物として描かれている。
同様の内容の記事
【世界キリスト教情報 第852信より転載】
イスラエルのヘブライ大学考古学研究所のエフド・ネツェル教授を中心とする考古学チームは5月8日、新約聖書で伝えられる古代ユダヤのヘロデ王(在位紀元前37~同4年)の墓を発見したと発表した。エルサレムの南約15キロのヨルダン川西岸にあるヘロデ王の宮殿遺跡『ヘロディウム』の丘陵内の海抜約750mの小高い絶壁の上で発見したと言う。

 発表によると、見つかったのは花の模様の装飾を施した石灰岩の棺、骨つぼ、墓室の土台の破片など。棺は全長約2・5メートルで、銅製の装飾が施されていた。棺は損傷が激しく、数百の破片に激しく破壊されていた。人骨も見つかっていない。墓を明示する文字も刻まれていなかったが、ネツェル教授は発見場所や入念な装飾などからヘロデ王のものと判断した。宮殿遺跡は1970年代に発見され、同チームが周辺の発掘を進めていた。

 ヘロデ王は紀元前1世紀の王で、ローマ帝国の支持を受けて王位につき、専制政治を行った。新約聖書では、ベツレヘムで誕生したイエス・キリストに王位を奪われるのを恐れ、2歳以下の男児を皆殺しにするよう命じた人物として描かれている。 ヘロデ王の埋葬場所は、ローマ時代の記録などからヘロディオンとの見方は強かったが、墓が見つからず、ユダヤ史の謎の一つとされていた。
なんか半分伝説のように思っていた聖書の内容に関連する事実が、どんどん出てくるのってなんか凄いよねぇ~。

聖書の全てが真実だとは、勿論思っておりませんが、こういう歴史的発見ってすっごくワクワクしちゃいます。そのうち、バラバの墓とかヨハネの墓とか出てこないかな? 今度近場で行ける青森のイエスの墓とか行ってみようかな?

そういえば、さんざん物議をかもし出していたハリウッドの「イエスの墓」は結局、どうなったんだろう? 英文での記事はたくさんあるので読みのが面倒になってしまったんだけれど。

関連ブログ
「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
キリストの「本当の墓」発見? 米で映画化へ 教会反発
「イエスの王朝」ジェイムズ・D・テイバー  ソフトバンククリエイティブ
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2007年04月05日

偽物と暴かれたジャンヌ・ダルク~ネイチャーの記事

nature0405.jpg

Joan of Arc's relics exposed as forgery
Perfume experts help unmask remains as Egyptian mummy.
【nature.comより以下転載】
Paris - The relics of St Joan of Arc are not the remains of the fifteenth-century French heroine after all, according to European experts who have analysed the sacred scraps. Instead, they say the relics are a forgery, made from the remains of an Egyptian mummy.

Joan was burned at the stake in 1431 in Rouen, Normandy. The relics were discovered in 1867 in a jar in the attic of a Paris pharmacy, with the inscription "Remains found under the stake of Joan of Arc, virgin of Orleans". They were recognized by the Church, and are now housed in a museum in Chinon that belongs to the Archdiocese of Tours.

Philippe Charlier, a forensic scientist at Raymond Poincaré Hospital in Garches, near Paris, obtained permission to study the relics from the French church last year. He says he was "astonished" by the results. "I'd never have thought that it could be from a mummy."

Charlier and his colleagues didn't have much to work with: the relics comprise a charred-looking human rib, chunks of what seem to be carbonized wood, a 15-centimetre fragment of linen and a cat femur — consistent with the medieval practice of throwing black cats onto the pyre of supposed witches.

Sniff tests

The researchers used a battery of techniques to investigate the remains, including mass, infrared and atomic-emission spectrometry, electron microscopy, pollen analysis and, unusually, the help of the leading 'noses' of the perfume industry: Sylvaine Delacourte from Guerlain, and Jean-Michel Duriez from Jean Patou.

Odour analysis is a new technique for palaeopathology, but Charlier says that he hit on the idea after being struck by the variety of odours of other historical corpses. Delacourte and Duriez sniffed the relics and nine other samples of bone and hair from Charlier's lab without being told what the samples were. They were also not allowed to confer. Both smelled hints of 'burnt plaster' and 'vanilla' in the samples from the relics.

The plaster smell was consistent with the fact that Joan of Arc was burnt on a plaster stake, not a wooden one, to make the whole macabre spectacle last longer. But vanilla is inconsistent with cremation. "Vanillin is produced during decomposition of a body," says Charlier. "You would find it in a mummy, but not in someone who was burnt."

I'd never have thought that it could be from a mummy.



Other, more conventional, evidence pointing to a mummy origin quickly accumulated. Microscopic and chemical analysis of the black crust on the rib and on the cat femur showed that they were not in fact burnt, but were impregnated with a vegetal and mineral matrix, with no trace of muscle, skin, fat or hair. "I see burnt remains all the time in my job," says Charlier. "It was obviously not burnt tissue."

The black material was, however, consistent with an embalming mix of wood resins, bitumen and chemicals such as malachite. It was also consistent with gypsum, which gives the mix its plaster smell. The linen cloth had a coating characteristic of mummy wrappings. And large amounts of pine pollen were present. Pine trees did not grow in Normandy at the time that Joan of Arc was killed, but pine resin was used widely in Egypt during embalming.

Two other lines of evidence seem to clinch the mummy origin. Carbon-14 analysis dated the remains to between the third and sixth centuries BC. And the spectrometry profiles of the rib, femur and black chunks matched those from Egyptian mummies from the period, and not those of burnt bones.

Charlier points out that mummies were used in Europe during the Middle Ages in pharmaceutical remedies. The 1867 discovery date also fits the period when Joan of Arc, who had been forgotten for centuries, was rediscovered by historians and created as a national myth. Someone might have forged the relics at this time in an attempt to reinforce her importance.

"It is a fascinating project," says Anastasia Tsaliki, a palaeopathologist at the University of Durham, UK. Palaeopathology is a small but emerging field that attempts to use forensic science to inform history, traditionally a social science. "Philippe's work goes a step further by showing how forensic methods can be combined with tools used in archaeometry, archaeobotany and osteology," says Tsaliki.

Fire-proof organs

Part of the legend of Joan of Arc springs from the observation, documented in historical records, that some of her organs resisted the fire. Hundreds of pages of surviving manuscripts describe in vivid detail how she was burnt three times over to try to ensure that nothing but ash remained, and so prevent her remains being worshipped. The observation of remaining organs was interpreted as a miracle.

But science has another explanation. "In fact, it is very difficult to totally cremate a body; organs such as the heart and intestines, which have a high water content, are very resistant to fire," says Charlier. "We see it all the time in forensics."

Debunking the relics of Joan of Arc will be less controversial than doing the same for the Shroud of Turin, but is still likely to generate large public interest, especially in France. The Church is ready to accept the results, according to Charlier.
時事通信社の日本語の記事とほとんど一緒ですが、そこで触れられていないネイチャー特有の内容というと・・・。

見つかったものはエジプトのミイラとともに猫が見つかったことかな。ネイチャーの記事では、ジャンヌ・ダルクが魔女とされていた点を述べてます。

あと、松の花粉とかも見つかっていますが、当時のノルマンディーでは松は無かったんだそうです。

そしてミイラを薬としていた時代があり、何世紀も忘れられていたジャンヌ・ダルクが歴史家に再発見され、国家的神話として創る為に、重要性を増すことを狙ってこの遺骨が偽造されたのかもしれないと書かれています。

なお、教会はこの結果を進んで受け入れるそうです。聖遺物が一つ減っちゃいましたねぇ~。なんかもったいないような???

しかし、面倒でもできるだけ一次ソースを探してみると、面白いですね。科学雑誌のネイチャーの記事もネットで見れるとは(まあ、雑誌そのままではないのだろうけど)実に幸せな時代だ。感謝&感謝ってね!

英語がお得意の方は、直接読まれると面白いですよ~。

そうそう、ついでにBBCの記事も。
Joan of Arc remains 'are fakes'
【BBCより以下転載】
Joan of Arc remains 'are fakes'

Bones thought to be the holy remains of 15th Century French heroine Joan of Arc were in fact made from an Egyptian mummy and a cat, research has revealed.

In 1867, a jar was found in a Paris pharmacy attic, along with a label claiming it held relics of Joan's body.

But new forensic tests suggest that the remains date from between the third and sixth centuries BC - hundreds of years before Joan was even born.

The study has been reported in the news pages of the Nature journal.

Forensic scientist Dr Philippe Charlier, who led the investigation, told Nature: "I'd never have thought that it could be from a mummy."

Rouen relics

France's national heroine - canonised in 1920 - was convicted of heresy and witchcraft and burned alive in 1431, aged just 19.

The "relics" were said to have been found at the stake in the Normandy town of Rouen where Joan was burned.

The remains consisted of a charred-looking human rib, chunks of what appeared to be blackened wood, a 15-centimetre fragment of linen, and a cat thigh bone.

In medieval Europe it was common practice to throw black cats into the pyres of supposed witches.

Recognised as genuine and sacred by the Church, the "remains" are now housed in a museum in Chinon belonging to the Archdiocese of Tours.

Stink bombshell

Dr Charlier, from the Raymond Poincare Hospital in Garches, near Paris, obtained permission to study the relics from the France's Catholic Church last year.

He used a range of scientific tests such as spectrometry, electron microscopy, and pollen analysis.

Those tests dated the bone to between the seventh and third centuries BC, Dr Charlier said. The cat bone dated from the same period and also was mummified.

The researchers also found pollen from pine trees, probably from resin used in ancient Egyptian embalming. Pines did not grow in Normandy during the 15th Century.

Dr Charlier also recruited two smell experts, Sylvaine Delacourte and Jean-Michel Duriez, from the perfume industry.

They were independently asked to sniff the relics as well as nine other samples of bone and hair from Dr Charlier's lab without being told what they were.

Both smelled hints of "burnt plaster" and "vanilla" in the samples. The plaster smell backs up claims that Joan was burnt on a plaster stake, to make the spectacle last longer.

But a vanilla smell is inconsistent with cremation. It comes from the compound vanillin, which is released during the decomposition of a body.

Medicinal purpose

Analysis of the black crust covering the rib and the cat bone showed that it was not caused by fire, but an embalming mix of wood resins, bitumen and chemicals such as malachite.

In medieval times and later, powdered mummy remains were used for medicinal purposes, "to treat stomach ailments, long or painful periods, all blood problems," Philippe Charlier told the Associated Press.

The researchers' assumption is that a 19th Century apothecary was behind the fake, and transformed the remains of an Egyptian mummy into a fake relic, Dr Charlier said.

Why it was done remains a mystery.

According to Philippe Charlier it was probably not for money: "Perhaps it was for religious reasons.

"Perhaps it was created to increase the importance of the process of beatification in 1909."
関連ブログ
ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、エジプトのミイラ=研究者が発表
ジャンヌ・ダルクの遺骨がテストされる
ラベル:歴史 ニュース
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ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、エジプトのミイラ=研究者が発表

ジャンヌ・ダルク像

ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、エジプトのミイラ=研究者が発表
【時事ドットコムより、以下転載】
フランスの法医学者が4日、「オルレアンの少女」と呼ばれる同国の国民的英雄、ジャンヌ・ダルクのものとして保管されている遺骨や遺物は偽物で、古代エジプトのミイラのものだと発表した。(写真は、ピラミッド広場に立つ金色のジャンヌ・ダルク像)
 ジャンヌ・ダルクは、英国との100年戦争の際にオルレアンを解放するなど活躍したが、後に捕虜となり、1431年5月30日に19歳で異端者としてルーアンで火あぶりの刑に処された。1867年にパリの薬局の屋根裏部屋で、つぼに入った遺骨や遺物が発見され、シノンの博物館に保管されている。つぼには「オルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクの火刑柱の下から発見された遺物」と記されていた。
 しかし、英軍は後日に崇拝の対象になるのを恐れ、灰になるまで焼いて、その灰をセーヌ川にまくよう命じたといわれ、疑問を抱いたレイモン・ポワンカレ大学病院の法医学者フィリップ・シャリエ氏は、焦げたような茶色っぽい肋骨や遺物とされる焼けたような木片、布切れなどを電子顕微鏡、花粉検査などさまざまな方法で調査した。また、香水のにおいをかぎ分ける専門家2人の助けも借りた。
 その結果、1979年以来、つぼを開けたことのない遺物に、ほのかな焼けたしっくいのにおいとバニラ臭があることが判明した。バニラ臭は遺体が腐敗する時に発生し、ミイラの場合は発生するが、火葬の場合は生じない。また、炭素検査で遺物が紀元前6-3世紀のものであることが分かった。松の花粉や樹脂も見つかった。松の樹脂はミイラの防腐保存に使われた。
 これらのことから、同氏は遺骨や遺物はエジプトのミイラのものとみられると結論付けた。この研究は英科学誌ネイチャーに掲載される。 〔AFP=時事〕
あ~あ、なんか残念ですね! ジャンヌ・ダルクの骨の調査をすると聞いた時にはすっごく期待していただけに悲しい・・・。やっぱり聖遺物とかと一緒で偽物だったようです。ちぇっ!

お釈迦様の仏舎利だったら、インドのストゥーパとかに残ってるんじゃなかったっけ? なんか他のも気になってきてしまいますね。

ところで、ネイチャーの論文って無料で読めないのかな? 英文だったら是非読んでみたいところですけど。

これも上記の同じニュースです。ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物 鑑定はエジプトのミイラ。参考までに。
【asahi.comより転載】
英仏百年戦争で15世紀に活躍したフランスの女性戦士ジャンヌ・ダルクの「遺骨」が、実はエジプトのミイラのものであると考えられることがわかった。英科学誌ネイチャー(電子版)が4日、欧州の研究チームによる鑑定結果をニュースとして報じた。

 英国側に捕らえられたジャンヌは1431年、火あぶりの刑に処せられた。同誌によると、「遺骨」は1867年にパリの薬局の屋根裏で見つかり、これまでトゥール大司教区の博物館に保管されてきたものだという。

 フランスやスイスなどの研究者が昨年から調べたところ、においの特徴から「遺骨」は燃やされたものではないことがわかった。さらに放射性炭素による年代測定などの結果から、紀元前3~6世紀ごろにできたエジプトのミイラの一部だと判断されたという。

 ジャンヌは1920年に聖人に列せられた。AP通信によると、研究チームの責任者は、ジャンヌを神格化する宗教的な目的で「遺骨」が持ち出されたと推測している。
関連ブログ
偽物と暴かれたジャンヌ・ダルク~ネイチャーの記事
一番の大元であるニュースソースのネイチャーの記事はこちらです!!
ジャンヌ・ダルクの遺骨がテストされる
「ジャンヌ・ダルク」村松 剛 中央公論新社
ラベル:ニュース 歴史
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2007年04月02日

前教皇の「奇跡」で難病治癒と仏修道女が証言

【世界キリスト教情報 第847信より転載】
【CJC=東京】難病のパーキンソン病にかかった修道女が前教皇ヨハネ・パウロ二世(2005年4月死去)に祈ったことをきっかけに治癒した。仏南部エクサンプロバンスに住む修道女マリー・シモンピエールさん(46)が3月30日に同地で記者会見、自ら体験した「奇跡」を明らかにした。前教皇もパーキンソン病だったことで知られる。

 エクサルルエンブラウン教区のクロード・フェイト大司教に伴われた修道女は「私に言えることは、自分が病んでいたが、今は治癒しているということ。これが奇跡だと認めるのは教会だ」と語った。「私は癒された。そしてこれは前教皇の執り成しによる神の働きだ」と言う。

 列福調査が進められている中での発言に注目が集まっている。
う~ん、聖人になる前にまずは列聖されなければいけなくて前法王は現在、列聖の為の審査中なんですよね。そして列聖される条件の一つに確か『奇跡』が必要だったと思うのですが、他にも奇跡の事例ってあるのかな? 

そういえば、前法王が暗殺未遂にあった事件では、聖母マリアが弾道の軌跡を歪めて救ったので奇跡といわれていたような・・・? こういうのってなんか興味がありますね。

関連ブログ
バチカン:前ローマ法王が「聖人」 列福調査を正式開始へ
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2007年03月23日

インドで「血を流す」キリストの絵が話題に

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インドで「血を流す」キリストの絵が話題に
【以下、ロイターより転載】
[ポートブレア(インド) 21日 ロイター] インドのアンダマン諸島では、2枚のイエス・キリストの肖像画が2週間前から「血を流している」と話題になり、その前で多くの人々が祈りを捧げている。警察や実際に絵を目にした人たちが語った。

 警察の無線通信士エリック・ナサニエルさんは、2週間前、自宅にあるキリストの肖像画から赤い液体が流れ出ているのを発見したという。

 ナサニエルさんは21日にロイターに対し「ろうそくをともして夜通しお祈りしました。まもなく『血』は乾きましたが、またすぐに別の絵の手や胸の部分から滴り始めたのです」と語った。

 当局者らは、極めて高湿度な環境により、肖像画に使われている赤い絵の具が溶け出した可能性があるとの見方を示している。ただ周辺の島からは、住民や聖職者らが「血を流す」キリストの絵を目指して押し寄せている。

 アンダマン・ニコバル諸島の主都ポートブレアにある英国国教会の司祭は「これは奇跡であり、主が私たちの罪によって苦しんだことの表れです」と話した。

 現地では警察による群集の統制が困難になったため、2枚の肖像画のうち1枚は、一般公開用に地元司教の家に一時的に移された。
しかし、現代になってもこういった『奇跡(?)』のようなものは無くなるどころか増えているような気さえするのは、私の気のせいでしょうか?

全てが偽物だとは思いませんが、一方でこんなに頻繁に起こるのも胡散臭く感じるのも事実。本物の奇跡なら、是非、見てみたいのですけど・・・。今のところ、ルルドの泉も聖母マリアの聖遺物も私には奇跡をもたらしてくれないんだよねぇ~。う~ん、仏様や観音様でもいいから、『奇跡』が欲しいもんです・・・。

関連ブログ
バイエルンの聖母マリアが泣き始める。
植木鉢にキリストの顔が浮かび上がる
牡蠣の殻にキリストが!?
米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像
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2007年03月21日

バイエルンの聖母マリアが泣き始める。

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いつもお世話になっているseedsbookさんのブログで興味深い記事があったので、ニュースで調べてみた。
【訳】
バイエルンの聖母マリアが泣き始める。

信者達は、自らの目をほとんど信じていることができなかった。
Heroldsbachのバイエルン村の巡礼者用宿泊所の聖母像が最近になって突然泣き始めた。しかし、それは本当だろうか? 地元の聖職者は、涙を真正テストのために研究室に送りたいと思っている。

何十人もの目撃者が奇跡に居合わせた。Heroldsbachの小さなバイエルンの町の巡礼者用宿泊所聖母像は2週前涙を流し始めた-彼女の頬を大粒の水滴がつたって、彼女のあごからしたたり落ちている。疑い深い人達でも、写真を無視するのは難しい。一人の崇拝者は、聖母の頬をつたい、彼女の手の上にポチャンと落ちた涙にキスさえした。

「それらは、塩辛かった」と、Annegret Mewisがドイツの通信社ddpに話した。「それらは、本当の涙であったにちがいない。」と、60人ものほとんど誰もが奇跡を目撃したと確信していた。

しかし、全員ではない。本当に、Heroldsbach宿泊所で起こっていたことを確認するために急いで行った後にさえ、地元の聖職者(シュトックハウゼンのディートリッヒ師)は、未だに彼が見ていたものを信じる準備ができていなかった。「天国が我々に印を示したいとき、それは我々が理解できるものであるだろう。」と彼が言った。それは、そのような漠然としたごまかし易いものではないだろう。」

聖職者が懐疑的であるには理由がある。2001年に、同じようなイエスの赤子像が涙を流し始めたが、フォン・シュトックハウゼンが小さい男を彼のクロゼットに閉じ込めたとき、涙は止まった。それだけでなく、なんらかの疑わしいピペットをゴミ箱で発見した。

巡礼地が同様にその神聖さを疑った人々によって包囲されたとき、Heroldsbachは出現している。1949年に11才の女の子達の集団は、Heroldsbach Mountainの上でで聖母マリア、赤子のイエス、天使と聖者のヴィジョンを見たと主張した。小さなチャペルはそこで建設されたが、バンベルクの大司教管区が公式にサイトを認めたのはようやく1998年にであった。

現在、フォン・シュトックハウゼンは、ごく最近の奇跡が本物だと確信したい。彼はティッシュで涙のいくらかを拭いて、それらが本物であるかのテストしてもらうため、エルランゲンの法医学機関大学に送ろうとしている。実際、金曜日にバンベルクの大司教の管区は、奇跡を検証するためにどんな手段がとられなければならないかについて決める会議を開いている。

ティッシュで十分かどうかは、疑わしい。「我々が奇跡について話しているならば、科学的証拠を提供することは難しい」と、エルケPilkenroth(バンベルクの大司教管区のプレス・スポークスマン)がddpに話した。
どうも「狼が来た」という前科があり、怪しい感じがしていてうかつに信じ難いところがあるが、その後の経過を是非知りたいものだと思う。

しばしば、涙を流す聖母マリア像というのはニュースになるが、その後の調査結果まで報道されることは、少ないように感じる。ただ、実際に『奇跡』と認定され、聖地になっているところがある以上、単純な好奇心として情報を知りたいと思ってしまう。こんな私は、やはり俗物なのだろうなあ~(自爆)。

Virgin Mary in Bavaria Starts to Cry
【SPIEGEL ONLINEより原文転載】
Dozens of witnesses were on hand for the miracle. A Madonna statue in a hostel for pilgrims in the small Bavarian town of Heroldsbach suddenly began shedding tears two weeks ago -- fat drops of water running down her cheek and dripping off her chin. For skeptics, the photos are difficult to ignore. One worshipper even kissed one of the tears which had run down Mother Mary's cheek and plopped onto her hand.

"They tasted salty," Annegret Mewis told the German news agency ddp. "They must have been real tears." Indeed, virtually every one of the 60 or so faithful present were likewise convinced that they had just witnessed a miracle.

But not all. Indeed, even after hurrying over to check out what was happening at the Heroldsbach hostel, the local priest, Rev. Dietrich von Stockhausen, still wasn't prepared to immediately believe what he was seeing. "When heaven wants to give us a sign," he said, "then it will be one that we can understand. It won't be such a vague one, and one that is so easy to manipulate."

The cleric has his reasons for being skeptical. In 2001, a statue of the baby Jesus likewise started to tear up, but when von Stockhausen locked the little guy in his closet, the tears stopped. Not only that, but he also found some suspicious pipettes in the trash can.

Heroldsbach's coming out as a pilgrimage site was likewise surrounded by those who doubted its holiness. In 1949, a group of 11-year-old girls claimed to have seen visions of the Virgin Mary, the baby Jesus, angels and saints up on the Heroldsbach Mountain. A small chapel was built there, but it was only in 1998 that the Archdiocese of Bamberg officially recognized the site.

Now, von Stockhausen wants to be sure that the most recent miracle is real. He wiped up some of the tears with a tissue and wants to send them to the University of Erlangen's forensic medicine institute to have them tested for authenticity. Indeed, on Friday, the Archdiocese of Bamberg will be holding a meeting to decide what steps should be taken to verify the miracle.

Whether a tissue will be enough is doubtful. "If we are talking about a miracle, then it will be difficult to provide scientific proof," Elke Pilkenroth, press spokeswoman of the Archdiocese of Bamberg, told ddp.
関連ブログ
米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像
動く聖母像の奇跡を録画しようと信者が集結
巡礼者がネイプルの動く聖母像を見に集まっている
「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
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2007年03月01日

「キリスト一家の棺」公開 専門家は疑問視

「キリスト一家の棺」公開 専門家は疑問視
【CNN.co.jpより以下、転載】
エルサレム──米映画監督ジェームズ・キャメロン氏は26日、キリストとその復活に立ち会ったマグダラのマリアの骨が納められていたとみられる棺2基を公開したが、考古学者や宗教学者らはただちに疑問を表明した。

キャメロン氏が製作を手がけたドキュメンタリー番組「The Lost Tomb of Jesus」(失われたキリストの墓)は来月4日、米ディスカバリー・チャンネルで放送される。同氏はこれに先駆けて記者会見を開き、1980年にエルサレム南方郊外にある墓所で発見された棺10基の中に、キリスト一家の骨を納めたものがあった可能性を指摘した。

同番組は、「キリストの息子」と称する棺も発見されていることから、キリストに子どもがいた可能性があるとしている。また、同番組のディレクターは、棺の1つにマグダラのマリアを意味する古代語が刻まれていたと述べた。キャメロン氏は米NBC「トゥデイ」で、棺をめぐる同番組の結論を統計学者の大半が支持したと述べた。

キリスト教はエルサレム旧市街の聖墳墓教会を復活前のキリストの墓所跡としており、棺が発見されたエルサレム南方からは離れている。英BBCは1996年、同じ題材でドキュメンタリー番組を製作したが、最初に現場を調査した考古学者は「考古学の基準に裏付けられていない、金もうけ目的の番組」と批判した。考古学者はキャメロン氏らの主張についても、棺に刻まれた名前が当時ユダヤ人の間で一般的だったと反論した。

墓所を発見した考古学者3人の1人は26日、キャメロン氏らの番組内容に疑問を表明する一方、「可能性は受け入れる」とコメントした。しかし、エルサレムのキリスト教指導者らは反発を表明。番組で取材を受けた聖書研究家の大学教授は、結論に重要性がないと述べた。教授は「キリスト教徒がこれを受け入れるとは思わない。ただ、懐疑的な人々は一般的に、多くの人々が信じる話にけちをつけてみたいもの。可能性を1から10までの基準で評価するなら(番組内容は)おそらく1─1.5だろう」と語り、棺の古代語が正しく解読されたか不明だと指摘した。

50年近くイスラエル人と研究活動に携わってきたウィリアム・デンバー米アリゾナ大学名誉教授は、棺の存在が専門家の間で以前から知られていたことを明らかにしたうえで、「無視され続けてきた事実は何かを語る。これが多くの人々を誤り導かなければ面白いのだが」とコメントした。

米ニューヨークへの棺移送で責任者となったイスラエル当局者は、発送当時に人骨が入っていなかったと述べるとともに、「棺の発送で合意したからと言って、キャメロン氏の主張に賛成しているわけではない」と明言した。
あちこちのニュースでこれも報道されていますね。まあ、私が以前に本でその内容を読んだくらいだから、だいぶ以前から知られてきた内容だったのは事実でしょう。

それを何故このタイミングで発表したのかは、不明ですけど? てっきり、本で読んだ内容と別なのかと思ってしまいましたよ~。

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キリストの「本当の墓」発見? 米で映画化へ 教会反発
「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
エルサレムで発見された「イエスの墓」
「イエスの王朝」ジェイムズ・D・テイバー  ソフトバンククリエイティブ
ここの冒頭で、まさにこの石棺について触れられています。
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2007年02月27日

キリストの「本当の墓」発見? 米で映画化へ 教会反発

キリストの「本当の墓」発見? 米で映画化へ 教会反発
【以下、asahi.comより転載】
イエス・キリストは通説と異なる場所で家族と共に永眠した?-。イスラエル紙イディオト・アハロノトによると、大ヒット映画「タイタニック」などで知られる米国のジェームズ・キャメロン監督らは26日、ニューヨークで記者会見し、キリストの墓をめぐる新たなドキュメンタリー映画について発表する。聖地エルサレムの教会関係者からは会見を前に、反発の声が上がっている。

 映画は、エルサレム旧市街から南に数キロ離れた地区で約2000年前のひつぎ10基が見つかったとする発掘調査を根拠として制作。ひつぎにはそれぞれ、キリスト、聖母マリア、キリストの死と復活に立ち会ったマグダラのマリア、キリストの子供などと解釈できる名前が記されていたという。カトリックや東方正教会の通説では、旧市街にある聖墳墓教会がキリストの墓の所在地とされている。(時事)
昨日、BBCとかディスカバリー・チャンネルのニュースを紹介しましたが、日本語の記事も増えてきたようです。

他にも日本語のニュースがあったのであわせて紹介しておきます。

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キリストの「本当の墓」発見?=米監督が映画化計画、教会は反発
【エルサレム25日時事】イエス・キリストは通説と異なる場所で家族と共に永眠した?-。イスラエル紙イディオト・アハロノトによると、大ヒット映画「タイタニック」などで知られる米国のジェームズ・キャメロン監督らは26日、ニューヨークで記者会見し、キリストの墓をめぐる新たなドキュメンタリー映画について発表する。聖地エルサレムの教会関係者からは会見を前に、反発の声が上がっている。
 映画は、エルサレム旧市街から南に数キロ離れた地区で約2000年前のひつぎ10基が見つかったとする発掘調査を根拠として制作。ひつぎにはそれぞれ、キリスト、聖母マリア、キリストの死と復活に立ち会ったマグダラのマリア、キリストの子供などと解釈できる名前が記されていたという。カトリックや東方正教会の通説では、旧市街にある聖墳墓教会がキリストの墓の所在地とされている。
「キリストのひつぎ」公開=結婚し息子がいた?-NY
米国の映画監督、ジェームズ・キャメロン氏は26日、ニューヨークで記者会見し、イエス・キリストと、キリストの復活に立ち会ったとされるマグダラのマリアの骨が納められていた可能性があるというひつぎ2基を公開した。同氏らは、ひつぎが発見されたエルサレム南郊の墓所が、キリストとその家族のものだと推定したドキュメンタリー番組を制作。番組は3月4日に放映される。
 ひつぎは1980年、エルサレム旧市街南郊タルピオットにある約2000年前の墓所で見つかった。計10基あり、うち6基にはキリスト、マグダラのマリア、キリストの息子などと解釈できる名前がそれぞれ刻まれていた。公開されたのはこのうちの2基。
 キャメロン氏らは墓所が「キリスト一家」のものだと主張。事実ならキリストはマグダラのマリアと結婚し、息子をもうけていた可能性がある。
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J・キャメロン監督“キリストの墓”通説を覆す作品
【以下、ZAKZAKより転載】
イエス・キリストが家族とともに眠る墓を発見か―。イスラエル紙イディオト・アハロノトによると、映画「タイタニック」で米アカデミー賞監督賞を受賞した米国のジェームズ・キャメロン監督らが、キリスト教の通説を覆すドキュメンタリー映画を製作、27日から米英などでテレビ放送される。

 映画がキリストらの墓としているのは、キリストの埋葬地に建てられたとされるエルサレム旧市街の聖墳墓教会から数キロ南で1980年に見つかった墓所。洞穴の中に10の骨つぼがあり、このうち6つにイエス、聖母マリア、弟子だったマグダラのマリアや子供とみられる名前が刻まれていた。

 映画の製作者らは5年がかりで各分野の専門家にインタビューを重ね、調査を尽くしたという。しかし、イスラエル英字紙エルサレム・ポストによると、墓所の調査を担当したイスラエル考古学庁の専門家は、イエスや家族らの名前は当時ありふれており、一緒に見つかっても根拠とはならないとして、キリストの墓とする主張は「あり得ない話でナンセンス」とコメントした。

 キリスト教をめぐっては、キリストがマグダラのマリアと結婚して子供をもうけたとの設定のベストセラー小説、ダ・ヴィンチ・コードが保守派の猛反発を招いた。(共同)
そうそう、問題の骨箱公開したみたいですね。さてさて、どうなるのか楽しみです。

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エルサレムで発見された「イエスの墓」
「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
posted by alice-room at 19:05| 埼玉 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

エルサレムで発見された「イエスの墓」

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先ほどのディスカバリーチャンネルの件をBBCニュースで採り上げたものです。ネット上で調べたら、全世界中で大騒ぎになっています。どこのニュースでも採り上げていますね。

勿論、日本の新聞やTVは相変わらず、ぼお~っと世界から取り残されているようですが・・・。わんちゃんなどの動物のニュースとかを採り上げるので忙しいようです(笑)。

ざっと訳してみました。こんな内容の記事です。
【以下、日本語訳】
ハリウッド映画監督ジェームズ・キャメロンの新しいドキュメンタリーによれば、イエスにはユダという名の息子がいて、マグダラのマリヤと並んで葬られた。

墓がイエスと彼の家族に属しているか、1980年にエルサレムで見つかったものを調査していると述べている。

タイタニックでオスカー賞を獲得した監督は、統計分析とDNAから墓がイエスのものであると言う。

考古学者は、埋葬横穴が多分イエスの家族に似た名前のユダヤ人家族のものであるだろうと言う。

最初にエルサレムのTalpiot東部でアパート総合ビルを建設していた建設労働者が1980年3月に墓で2,000年を経た骨壷 ― または石灰岩の棺 ― を10個見つけた。

イスラエル考古局によると、それらの棺のうちの6つは次のような名前を刻まれていた;
マリア、マタイ、ヨセフの息子Jesua、マリア、Jofa(ヨセフ、イエスの兄弟);
そして、Jesuaの息子ユダ。

キャメロン氏によって製作されたドキュメンタリー「イエスの失われた墓」では、棺のうちの2つから取ったサンプル上でのテストがイエスとマグダラのマリヤがそれらの中に埋葬され、カップルであったであろうと主張している。

映画製作者は、「Jesuaの息子ユダ」と記された棺にイエスとマリアの息子が含まれたと主張するためにこの発見を使った。

しかし、彼らは墓の発見が、イエスが死の3日後に復活―重要なキリスト教の信念―しなかったことを意味しないと言う。

イスラエルの考古学者エイモス・クロネールは、棺に刻まれた名前がその時代、非常に一般的だったと言う。

「私は、その棺がイエスまたは彼の家族によって使われたというニュースを受け入れられない」と、彼はBBC Newsのウェブサイトで話した。

「ドキュメンタリーに製作者は、彼らのフィルムを売るためにそれを使っている。」

キャメロン氏は、火曜日にニューヨークでの記者会見で棺のうちの2つを示す。

「これ以上、大事にはならない」と、彼はプレス・リリースで言った。

「我々は、我々の宿題をした;我々は、訴訟をした;そして、現在、議論が始まる時である。」

地元の居住者は、墓によって注意がひかれていることを喜んでいると言った。

「それは我々の住宅価格が上がるということだし、何故なら、キリスト教徒達がここに住みたいでしょう。」と、ある女性は言っていた。
'Jesus tomb found' in Jerusalem
【BBCより以下、原文転載】
Jesus had a son named Judah and was buried alongside Mary Magdalene, according to a new documentary by Hollywood film director James Cameron.

It examines a tomb that, it is claimed, belonged to Jesus and his family, and was found in Jerusalem in 1980.

The Oscar-winning director of Titanic says statistical analysis and DNA show the tomb is that of Jesus.

Archaeologists say that the burial cave is probably that of a Jewish family with similar names to Jesus's family.

Out of the box

Construction workers building an apartment complex in east Talpiot, Jerusalem, first uncovered 10 2,000-year-old ossuaries - or limestone coffins - in a tomb in March 1980.

According to the Israel Antiquities Authority, six of those coffins were marked with the names Mary; Matthew; Jesua son of Joseph; Mary; Jofa (Joseph, Jesus' brother); and Judah son of Jesua.

The documentary The Lost Tomb of Jesus, produced by Mr Cameron, claims tests on samples from two of the coffins show Jesus and Mary Magdalene were likely to have been buried in them and were a couple.

The filmmakers used this finding to claim that the coffin marked "Judah son of Jesua" contains the son of Jesus and Mary.

But they say the discovery of the tomb does not mean that Jesus was not resurrected three days after his death - a key Christian belief.

Israeli archaeologist Amos Kloner says the names marked on the coffins were very common at the time.

"I don't accept the news that it was used by Jesus or his family," he told the BBC News website.

"The documentary filmmakers are using it to sell their film."

Mr Cameron will show two of the coffins at a press conference in New York on Tuesday.

"It doesn't get bigger than this," he said in a press release.

"We've done our homework; we've made the case; and now it's time for the debate to begin."

Local residents said they were pleased with the attention the tomb has drawn.

"It will mean our house prices will go up because Christians will want to live here," one woman said.
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「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
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2007年02月26日

「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?

イエスの墓

「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
【ITmedia Newsより以下、転載】
2000年前のエルサレムの墓が、ナザレのイエスとその家族のものである可能性がある――最新のDNA分析や統計的解析などの調査結果が映像化され、米Discovery Channelにより特別番組として放映される。

この調査では、イエスとマグダラのマリアの間に、ユダという息子が生まれたという可能性も示唆している。

 この墓は1980年にイスラエルのタルピオットで発見されたもので、、そこには10体分の石灰岩の骨壷が見つかった。そこにはイエス、マリア、マタイ、ヨゼフ、マグダラのマリアという名前がアラム語で書かれていた。そして、6番目の名前として、「イエスの息子、ユダ」が刻まれていたという。

 これだけの名前が1カ所に集まっており、さらにイエス、マグダラのマリア、ユダと名付けられた遺体の親子関係がDNA検査で裏付けられたことを考えると、これがイエスとその家族のものである可能性は非常に高いと調査チームは述べている。

 「The Lost Tomb of Jesus」(失われたイエスの墓)という番組は3月4日にDiscovery Channelで放映予定。「タイタニック」「ターミネーター」のジェームズ・キャメロンがプロデュサーを担当する。

 この番組と「キリストの墓」に関する詳細情報は、特設Webサイトに掲載されており、視聴者は自分でその判断を下してほしいとしている。このWebサイトにはBBSが設けられており、専門家とのディスカッションが可能となっている。
ええっ~、あのこれってマジっすか? 冗談抜きに信じられませんって!

うわあ~、どんな番組なんでしょうか? ここでリンクを貼られている特設サイトのところを読むと、私が以前読んだ本「イエスの王朝」で触れられていたイエスの弟の骨箱と絡んで述べられていた内容もそういうのだったんですけど・・・。

あの本では、イエスの家族のものと思われる骨箱が見つかったが、紛失したという内容なのですが、さてこのDiscovery Channelの番組内容は如何に? 私は視聴できませんが、ご覧になられた方、是非内容や感想を教えて下さいませ(お辞儀)。

しかし、ユダの福音書の次はこれですか。すごいですね、世界って!

文中の特設サイト
The Lost Tomb of Jesus~Discovery Channel

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2007年02月24日

今ではレーニン廟ではなく聖遺物にロシア人行列

今ではレーニン廟ではなく聖遺物にロシア人行列
【世界キリスト教情報 第814信より転載】 
【モスクワ=ENI・CJC】(ソフィア・キシュコフスキー記)かつては市民が共産党の指導者ウラジミル・レーニンの遺体を安置したモスクワの赤の広場のレーニン廟の前で長い行列を作っていたが、今日ではロシア正教会の信徒が聖遺物を目当てに行列している。
 洗礼者ヨハネの手と信じられている聖遺物がモンテネグロから到来し、7月18日までの約40日間、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどを巡回した際には信徒250万人近くが崇敬に集まった。
 伝承では使徒ルカが洗礼者ヨハネの手をアンテオケに持ち込み、10世紀半ばにコンスタンチノーブルに移されたが、オスマントルコ軍の攻略で陥落した際に押収された。その後、十字軍の騎士団が入手、以来何世紀にもにわたってロードス島やマルタ島などを転々、サンクト・ペテルスブルクの冬宮内の教会に落ち着いた。
 1917年のボルシェビキ革命の後に、ユーゴスラビア国王の手に渡るまで、また日の目を浴びながらヨーロッパを転々とした。同国で共産主義政権が成立するとまた所在が分からなくなったが、1993年にモンテネグロのツェチニエ修道院にあることが分かった。
 6月7日、聖遺物はモンテネグロからモスクワの救世主キリスト教会に到着した。ロシア正教会のアレキシー二世総主教は、信者が「偽りのない悔い改めとキリストにある生命を私たちに教える悔悟の伝道者」としての洗礼者ヨハネに懇願するよう呼びかけた。
 聖遺物の力で罪と病気が克服されることを祈って、17時間も並んだ信者もいたという。これまでにも治癒の力があるとされている聖パンテレイモンの遺物や使徒アンデレの遺物には同様の熱意が引き出されている。
 聖遺物が巡回中には政府高官まで敬意を表しに姿を見せた。巡回先にはロマノフ王家最後の地エカテリンブルグ、自動車製造の中心トリアッチ、北オセチアでは2004年9月に悲惨な学校人質事件があったベスランなどもあった。首都ウラジカフカスでは、イスラム教徒も姿を見せた、とインターファクス通信は報じている。
 (注=イスラム教ではヨハネをイエス同様に預言者として認めている)。
去年のニュースみたいですが、聖遺物や光の形而上学についてネットで調べていたら、たまたま見つけたニュースに、驚いたので早速メモ。

『洗礼者ヨハネの手』の聖遺物ですよ! これって物凄いことだと思うんですけど・・・。ヨハネとイエスとの関係を考えてみてもそうですが、水の洗礼をこの手でイエスに施したわけで、どんな状態の手なのかは不明ですが、確かに奇跡もおこりそう。

以前、マリア様の肌着の聖遺物を見た時や「ルルドの水」を入手した時には、奇跡がおきなかったけど、どうしても何か起こりそうで期待してしまうなあ~。

聖遺物を巡る『巡礼の旅』っていうのは、やっぱり憧れだったりする。今年は、どこか一箇所ぐらい行けるかな???

関連ブログ
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
ローマ法王が聖遺物「ヴェロニカのベール」視察
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
シャルトル大聖堂 ~パリ(7月5日)~
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2007年02月23日

ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止

ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止
【gooニュースより転載】
米バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637~38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。

 日本史を教えるニール・ウオーターズ教授(61)は昨年12月の学期末テストで、二十数人のクラスで数人が島原の乱について「イエズス会が反乱勢力を支援した」と記述したことに気づいた。「イエズス会が九州でおおっぴらに活動できる状態になかった」と不思議に思って間違いのもとをたどったところ、ウィキペディアの「島原の乱」の項目に行き着いた。

 ウィキペディアに基づいて答案を書いたと思われる例は以前からあったという。「大変便利で、調べごとの導入に使うことに全く異存はないが、一部の学生は書いてあることをそのまま信じてしまう」と教授は言う。

 同大史学部では1月、「学生は自らの提供する情報の正確さに責任をもつべきで、ウィキペディアや同様の情報源を誤りの言い逃れにできない」として引用禁止を通知した。ドン・ワイアット学部長によると、「同様の情報源」とはウェブ上にあって多数の人間が編集することができ、記述の正確さが担保できない情報源を指すという。

 学生の多くは納得したが、「教員が知識を限定しようとしている」との不満も出た。他学部には広まっていないという。

 島原の乱をめぐる記述はニューヨーク・タイムズ紙がこの問題を取り上げた21日、修正された。

 ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズさん(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。
以前、どっかの記事でwikipediaとブリタニカ百科事典との内容の正確さを比較したものがあったが、普通に出版されているものでも間違っていることは多々あるし、新聞やTVでもそれこそ何個でも間違いに気付くことがある。

大学生にもなってネット上にあるwikipedeiaの内容をそのまんま引用するなんて、既に論外のような気がするのは私だけでしょうか?子供じゃないんだから、自分で確認しろよ~と心底思う。それともみんな人が良くて疑うことを知らない善人なのだろうか???

うちのブログも、本やネット上の記事からの引用は多いが、可能な限り、後で内容の検証可能なように引用先を明示し、ネット上のものなら参照リンクも張っていたりする。

また、私個人の考えと引用したものとを識別しやすく意識して書いているつもりですが、このテストでネット上の内容をそのまま引用する学生には、どれも同じに見えるんでしょうね。

ネットは確かに便利だけど、所詮は道具でしかない。先日、読んだ本の「十二世紀ルネサンス」を書かれた歴史学者さんの真摯な姿勢の爪の垢でも飲んでもらいたい気がしてならない。

もっともそういう硬い話は抜きにして、島原の乱をイエスズ会が支援したっていうのは、思わず爆笑しちゃったんですけど・・・(オイオイ、それが『真相』?)

関連ブログ
ブリタニカ、「ウィキペディア過大評価」とネイチャー誌に抗議

ついでにNYtimesの原典は以下の通り
A History Department Bans Citing Wikipedia as a Research Source
When half a dozen students in Neil Waters’s Japanese history class at Middlebury College asserted on exams that the Jesuits supported the Shimabara Rebellion in 17th-century Japan, he knew something was wrong. The Jesuits were in “no position to aid a revolution,” he said; the few of them in Japan were in hiding.

He figured out the problem soon enough. The obscure, though incorrect, information was from Wikipedia, the collaborative online encyclopedia, and the students had picked it up cramming for his exam.

Dr. Waters and other professors in the history department had begun noticing about a year ago that students were citing Wikipedia as a source in their papers. When confronted, many would say that their high school teachers had allowed the practice.

But the errors on the Japanese history test last semester were the last straw. At Dr. Waters’s urging, the Middlebury history department notified its students this month that Wikipedia could not be cited in papers or exams, and that students could not “point to Wikipedia or any similar source that may appear in the future to escape the consequences of errors.”

With the move, Middlebury, in Vermont, jumped into a growing debate within journalism, the law and academia over what respect, if any, to give Wikipedia articles, written by hundreds of volunteers and subject to mistakes and sometimes deliberate falsehoods. Wikipedia itself has restricted the editing of some subjects, mostly because of repeated vandalism or disputes over what should be said.

Although Middlebury’s history department has banned Wikipedia in citations, it has not banned its use. Don Wyatt, the chairman of the department, said a total ban on Wikipedia would have been impractical, not to mention close-minded, because Wikipedia is simply too handy to expect students never to consult it.

At Middlebury, a discussion about the new policy is scheduled on campus on Monday, with speakers poised to defend and criticize using the site in research.

Jimmy Wales, the co-founder of Wikipedia and chairman emeritus of its foundation, said of the Middlebury policy, “I don’t consider it as a negative thing at all.”

He continued: “Basically, they are recommending exactly what we suggested — students shouldn’t be citing encyclopedias. I would hope they wouldn’t be citing Encyclopaedia Britannica, either.

“If they had put out a statement not to read Wikipedia at all, I would be laughing. They might as well say don’t listen to rock ’n’ roll either.”

Indeed, the English-language version of the site had an estimated 38 million users in the United States in December, and can be hard to avoid while on the Internet. Google searches on such diverse subjects as historical figures like Confucius and concepts like torture give the Wikipedia entry the first listing.

In some colleges, it has become common for professors to assign students to create work that appears on Wikipedia. According to Wikipedia’s list of school and university projects, this spring the University of East Anglia in England and Oberlin College in Ohio will have students edit articles on topics being taught in courses on the Middle East and ancient Rome.

In December 2005, a Columbia professor, Henry Smith, had the graduate students in his seminar create a Japanese bibliography project, posted on Wikipedia, to describe and analyze resources like libraries, reference books and newspapers. With 16 contributors, including the professor, the project comprises dozens of articles, including 13 on different Japanese dictionaries and encyclopedias.

In evaluations after the class, the students said that creating an encyclopedia taught them discipline in writing and put them in contact with experts who improved their work and whom, in some cases, they were later able to interview.

“Most were positive about the experience, especially the training in writing encyclopedia articles, which all of them came to realize is not an easy matter,” Professor Smith wrote in an e-mail message. “Many also retained their initial ambivalence about Wikipedia itself.”

The discussion raised by the Middlebury policy has been covered by student newspapers at the University of Pennsylvania and Tufts, among others. The Middlebury Campus, the student weekly, included an opinion article last week by Chandler Koglmeier that accused the history department of introducing “the beginnings of censorship.”

Other students call the move unnecessary. Keith Williams, a senior majoring in economics, said students “understand that Wikipedia is not a responsible source, that it hasn’t been thoroughly vetted.” Yet he said, “I personally use it all the time.”

Jason Mittell, an assistant professor of American studies and film and media culture at Middlebury, said he planned to take the pro-Wikipedia side in the campus debate. “The message that is being sent is that ultimately they see it as a threat to traditional knowledge,” he said. “I see it as an opportunity. What does that mean for traditional scholarship? Does traditional scholarship lose value?”

For his course “Media Technology and Cultural Change,” which began this month, Professor Mittell said he would require his students to create a Wikipedia entry as well as post a video on YouTube, create a podcast and produce a blog for the course.

Another Middlebury professor, Thomas Beyer, of the Russian department, said, “I guess I am not terribly impressed by anyone citing an encyclopedia as a reference point, but I am not against using it as a starting point.”

And yes, back at Wikipedia, the Jesuits are still credited as supporting the Shimabara Rebellion.
posted by alice-room at 20:11| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

「Googleよりユーザー視点」な検索ができる新発想検索エンジン、正式公開

「Googleよりユーザー視点」な検索ができる新発想検索エンジン、正式公開
【以下、CNET JAPANから転載】
国立福島工業高等専門学校の電気工学科4年生である大澤昇平氏は2月6日、FireFox用のブックマーク共有プラグイン「swimmie」を利用した検索エンジン「netPlant」を正式公開した。

 swimmieは大澤氏が1月23日に発表したFireFox用のブックマーク共有プラグインだ。これは、不特定多数のユーザーとブックマークを共有できるというもの。netPlantではswimmieのユーザーからブックマークのデータを収集し、検索インデックスとして利用する。netPlantのサービスはInternet ExplorerなどFireFox以外のウェブブラウザからも利用できる。

 「ブックマークという、ユーザーの趣向を純粋に反映した物で、Googleのページランクでは実現されていない、ユーザー視点による検索結果が得られると考えている」(大澤氏)

 netPlantでは、任意のキーワードを入力して検索を実行すると、関連する別のキーワードを自動表示する。それらのキーワードのリンクを辿っていくことで、目的のサイトを探せる。また、検索結果はディレクトリ形式で表示されるが、手動で登録するのではなく、ユーザーが持つブックマークをインデックス情報にしているため、偏りのない検索結果が得られるとしている。

 netPlantのプロジェクトは情報処理推進機構(IPA)の「2006年度未踏ソフトウェア創造事業」の一環となる。採択金額は300万円。IPAによると、プロジェクトでは次段階としてウェブサービス用APIの公開を予定している。
SEO対策とか、そういうこと抜きにこの手の仕組みって非常に面白い! googleは公的サイトや評価が高いサイトからのリンクがあるものに対して、高い評価を与え、具体的にはパラメーターの数値を大きくして加重平均をした数値の一番高いものから、検索上位で表示するのが基本だと思うが、機械的に一律に判断するのも種々の問題があるのはご存知の通りだ。

かと言ってyahooのように人が評価するというのも、その評価基準が結局、恣意的にならざるを得ない以上、それもまたアドホックなものでしかない。

ブックマークに選択される時点で個々の人の主観的評価がされているうえで、それを元にして機械的に処理していくというアイデアって、非常に関心をそそられますね! 今のgoogle以上に有用な検索エンジンが生まれるとしたら、それは画期的なことだと思うんですが、さて?どこまで実現できるのか? 今後が楽しみです♪
posted by alice-room at 22:36| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

グーグル、書籍のダウンロードサービスを計画か--ブログ界の反応

グーグル、書籍のダウンロードサービスを計画か--ブログ界の反応
【CNET JAPANより転載】
報道によると、Googleでは、コンピュータに書籍をダウンロードし、BlackBerryのようなモバイル端末で読めるようにする計画だという。

 英The Times Onlineの報道によると、この取り組みは、世界の図書館にある蔵書をスキャンしてデジタル化する「Google Book Search」プロジェクトの下で進められるという。Google Book Searchプロジェクトは、出版社や作家らが著作権の侵害を訴えるなど、これまで物議をかもしてきた。

 欧州でGoogle Book Searchに取り組むディレクターのJens Redmer氏は(The Times Onlineの記事の中で)「休暇に出かける旅先の情報を借りたり、書籍の中のある章だけを買ったりしたいというニーズもあるかもしれない。本の読まれ方を決めるのは、読者だ」とコメントしている。

 電子書籍の分野ではまだ、これといって大きく成功している企業はない。Googleの取り組みが、電子書籍の分野を切り開くことになるのだろうか。

 以下がこのニュースに対するブログコミュニティーの反応である。

 「Googleが書籍のダウンロードビジネスに参入すれば、電子書籍は注目を浴びることになるだろう。しかし、だからといって電子書籍が突然ブームになるとも考えられない。Googleは検索には長けているが、電子書籍の分野ではとても苦労するだろう」--Mark Evans

 「大きな枠組みで捉えると、Googleによる電子書籍の小売り業参入はE Inkの技術を採用した電子書籍リーダーの登場よりも、はるかに重要な意味を持つかもしれない。PDAや携帯電話、デスクトップを表示装置とする市場が今も残っているのだから」----TeleRead

 「Googleは、印刷された全ての書籍を検索可能にしたがっているとして、多くの人々から非難を浴びている。懸念を表明しているのは、著作権の問題や盗作を気にする人たちだ。ここで興味深いのは、Googleのシステムのおかげで、売り上げが向上したと発表している出版社がいくつか存在することだ。もう1つ言わせてもらうと、現在の電子書籍に採用されている役立たずなDRMの仕組みより良いものが出来上がるに決まっているのだから、やはり自分はGoogleを応援したい」--GottaBeMobile
Google Book Searchも凄いなあ~と思っていましたが、いよいよダウンロード販売ですか!
実用化されたら、速攻で利用しそうな気がします私。だって昔に比べれば洋書ははるかに安く、迅速に入手できるようになりましたが、ダウンロード販売なら、情報を知りたい時に『すぐ』手に入るんだもん。

去年、AMAZONで頼んだ洋書は在庫が無かったようで届くまで約1ヶ月近くかかったんですよ~。待てな~い!!

音楽で既にこれだけダウンロード販売が進んでいるんですから、是非なんとかして欲しいなあ~。著作権やいろいろな問題があるんでしょうが、知識は活用してなんぼのもんですし、日本も後手後手に回るだけでなく、積極的に進めて欲しいなあ~。まだまだ便利にできるはず!!
posted by alice-room at 23:46| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2007年01月23日

あなたは「本当の」イングランド王の末裔ではありませんか?

あなたは「本当の」イングランド王の末裔ではありませんか?
【EXCITEニュースより以下、転載】
[ロンドン 10日 ロイター] イングランド王室の“正統な”後継者を捜し出すキャンペーンが始まっている。

英国、米国、オーストラリア、ドイツ、ノルウェーの各紙にこんな広告が載った。「あなたの家系を1066年までたどれませんか? あなたの先祖がイングランドの王になった可能性はありませんか?」

エドガー王子は大叔父であるエドワード懺悔王の後継者に指名されていたが、エドワードが1066年に亡くなった後、戴冠することはなかった。代わりに王位についたのはハロルド2世だった。

ウィリアム征服王はノルマンディから海を渡りイングランドに侵入、「ヘイスティングズの戦い」でハロルド軍を撃破した。10代だったエドガー王子はウィリアムに服従した。

イングランドの歴史的環境を保全することを目的としているイングリッシュ・ヘリテージは広告で次のように質問している。「あなたはエドガー王子の末裔ではありませんか?」

歴史のイフを研究するために、系統学者たちはウェブサイト(http://www.english-heritage.org.uk/hastings)で、エドガー王子に最も近い祖先の名前と証拠書類を提供するよう呼びかけている。

系統学者のニック・バラット氏は「もし、ウィリアムが1066年に王位を簒奪しなければ、英国史は大きく変わっていたでしょう。今とは異なる言語を話し、最も近い同盟国はスカンジナビア諸国だと考え、全く異なる統治機構を持っていたに違いありません」と語った。
何故、今頃になってこの話題なのか?は置いていて非常に興味深い話ではある。大英帝国で印象的な英国王室だが征服者による簒奪王室であり、歴史などは千年にも満たない。

それこそ以前植民地にしていたインドのマハラジャの方が歴史的にははるかに古いものがあり、どちらが正統派かと言えば、断然マハラジャでしょう。同じように古さで言えば日本の皇室も世界有数として挙げられる(まあ、いろいろあるけど・・・)。

そんな英国王室の歴史が書き換えられる可能性があるというのは、なんかワクワクしますね。失われた王位。今、読んでる本がそれと類似していて本来あるべき正当なユダヤの王位を主張する話なのでかなりオーバーラップしていて興奮しちゃいますね!(満面の笑み)

日本でも南北朝時にうやむやにされた皇位継承権の話や御落胤ネタなどがよくありますが、英国の歴史に何か新しい史実が出てくると面白いですよね。本当に期待しちゃいます!!

BBCの同じ内容の記事です。もっとも今回の狙いは、客寄せパンダ的なイベントとしてやっているようですけどね。
Search for 'claimants' to throne
【BBCより転載】
A global search is under way for people whose ancestors might have had a claim to the throne of England.
English Heritage is advertising in newspapers round the world for people whose family tree may be traced as far back as the Battle of Hastings.

Some may be descendants of Edgar Aetheling, who arguably had a better claim to the throne than King Harold II, defeated at the battle in 1066.

"We have had a considerable response already," said Dr Tracy Borman.

"I suspect this is going to be quite big and we are going to have a lot of post coming to our office," she said.

Edgar was a relative of King Edward the Confessor but was only 10 when Edward died.

King Harold was crowned after claiming Edward had passed the throne to him on his deathbed.

"William the Conqueror also claimed Edward said he could have it, so there was a free-for-all really," said Dr Borman, English Heritage's learning director.

William crossed the English Channel from Normandy to defeat Harold at the Battle of Hastings, which was actually fought nearby at a spot in East Sussex now called Battle.

Dr Borman said descendants of other noblemen might also have had a claim to the throne.

"At that time, monarchy wasn't hereditary so if you were a great lord you could quite justifiably have had a claim," she said.

The search is linked to the opening of a new visitor centre at Battle Abbey next month.

"We are aiming to draw attention to what we think is the most important event in English history - the Battle of Hastings," said Dr Borman.

"Visitors will be able to go to the new visitor centre and actually trace their own ancestors, learn more about the battle and even try on some chain mail."

A team of genealogists will scrutinise claims from people who believe they can trace their family trees back to 1066.

"Family history is getting easier and easier to trace," said Dr Borman.

"The real revolution has been online - there are a huge number of websites, although not everyone will be able to go back 1,000 years."

The results of the search will be published on the English Heritage website.

"We would stress that we are not trying to put somebody else on the throne, but we will give them all credit on our website which I am sure is just as good," said Dr Borman.
posted by alice-room at 00:02| 埼玉 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

パウロの石棺、451年ぶりに公開 ローマ

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パウロの石棺、451年ぶりに公開 ローマ
【クリスチャン・トゥディから以下転載】
キリスト教をローマ帝国に広めた使徒パウロの墓が11日からローマのサン・パウロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂で451年ぶりに一般公開されている。

長年非公開だっただけに、巡礼者や観光客が訪れる新名所になりそうだ。

 パウロの石棺が安置された地下の墓地は、1545年に閉鎖された。この石棺にパウロの遺体が入っているかどうかは確認されていない。パウロの頭がい骨はローマ・聖ヨハンラテラン聖堂にあるとされている。

 パウロはローマなど地中海一帯を旅してイエス・キリストの福音をのべ伝えた。西暦65年にローマ皇帝ネロによって斬首されたとされている。ローマ法王庁(バチカン)によると、棺の石は厚くX線検査では内部を透視できなかった。今後、石棺を開けて遺骨や埋葬品を発掘する可能性もあるという。
うわあ~、これって絶対に見てみたい。バチカンは二回ほど行ったことがあるけど、これは見逃せないでしょう。来年はダン・ブラウン原作の映画「天使と悪魔」もあるだろうから、すごい人気スポットになりそうですね。来年はローマに行くかな? 来週から京都だけど、やっぱ海外も好きなんだよねぇ~。
posted by alice-room at 22:21| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

教皇、一般接見でイスカリオテのユダに言及

【世界キリスト教情報 第825信より転載】
【CJC=東京】教皇ベネディクト十六世はバチカン(ローマ教皇庁)のサンピエトロ広場で行われる水曜恒例の一般接見の際、10月18日に十二使徒のリストの最後に記述されるイスカリオテのユダに言及した。
 バチカン放送(日本語電子版)によると教皇は、イエスを裏切った者でありながら12使徒の1人として福音書に記されているユダについて、なぜイエスは彼を選び、グループの会計係とされながら中身をごまかしていたとさえ記されるユダに、なぜ信頼を与えていたのか、という疑問を提示した。
 「人の子を裏切るその者は不幸だ」(マタイ26・24)というイエス自身の言葉を前に、イエスの選択は神秘の中に残されたままであるとした教皇は、のち後悔したユダが、裏切りの報酬として受け取った銀30枚を祭司長や長老たちに返そうとし、「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言い、首をつって死んだことは、さらなる神秘であり、その行為についての判断は神にゆだねるべきだと述べた。
 また教皇は、ユダの裏切りの理由を問い、ユダが金銭に貪欲であったためという説や、イエスの意図がユダのメシア観と相容れなかったためという説を紹介した。
 ただ教皇は、福音書中の「悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダにイエスを裏切る考えを抱かせていた」(ヨハネ13・2)、「十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」(ルカ22・3)という記述に注目、悪の誘惑に屈したユダの心を指摘した。
 ユダの裏切りは一つの神秘であると教皇は述べ、ここに自分の道に従う者を強制せず、人間の自由を尊重されるイエスの姿を描き出した。人間の心が邪悪に傾く可能性は大いにあるが、常にイエスのもとに立ち返り、イエスの視点を持ち、イエスと完全に一致することが、それを防ぐ唯一の方法である、と教皇は説き、罪を悔やみながらも絶望し自滅してしまったユダの中に、聖ベネディクトの「神の憐れみに決して望みを失ってはならない」という教えを思い出すべきだとも語った。
 そして、ユダのエピソードに、「イエスは私たちの自由を尊重される」、また「イエスは私たちの悔悛と回心を待っておられる。イエスは憐れみと赦しに満ちた方である」と指摘した
う~ん、今なぜこのタイミングでユダなのだろう???
ユダの福音書について、この時期に言わなければならない必然性って???

何はともあれ、興味深い発言であることには間違いないわけで教皇の発言というのは、絶対的な影響力があるし、今後どういうふうになるのか益々関心が増してしまいますね(笑顔)。

でも、この話のポイントって人間が自由意志を持っていること or 神は憐みをもって慈悲深いこと? ついこないだの物議をかもした十字軍発言とも関係あるのかな・・・。よく分かんない。

関連ブログ
ナショナル ジオグラフィックセミナー『ユダの福音書』の謎を追う
「原典 ユダの福音書」日経ナショナルジオグラフィック社
ユダの福音書(試訳)
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年 05月号&「ユダの福音書を追え」
ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する
『ユダの福音書』4月末に公刊
イスカリオテのユダ、名誉回復進む!
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2006年09月28日

ローマ法王が聖遺物「ヴェロニカのベール」視察

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ローマ法王が聖遺物「ヴェロニカのベール」視察
【exciteニュースより以下、転載】
[ローマ 1日 ロイター] ローマ法王ベネディクト16世は1日、歴代の法王で初めて「ヴェロニカのベール」の視察を行った。言い伝えによれば、「ヴェロニカのベール」は、十字架にかけられようとするキリストの眉から出る汗を拭くのに使用された布で、キリストの顔が奇跡的に写されているという。

「ヴェロニカのベール」は「聖なる顔」の別名でも知られている。法王はアペニノ山脈のマノペロにある人里離れた僧院で何世紀ものあいだカプチン会修道士たちに守られてきた聖遺物を前にして、ひざまずいて祈りを捧げた。

しかし法王は、中世以来、キリストの本当の顔だとしてあがめられているベールを、本物であると公認するには至らなかった。

ドイツ生まれの法王は、金銀の重厚な額に入って祭壇の上にまつられた布を見たあと、「私たちは共に主の顔を探し求め、そのうちに人生の道を見いだす」と、集まった聖職者や巡礼者たちに語った。

この古い布には、血の赤の色で髭を生やした男の顔が非常にはっきりと写されている。さらに有名な聖遺物である、キリストの遺体をくるむのに使われたという「トリノの聖骸布」に残された顔にも非常によく似ている。

布の大きさは17×24センチメートル。伝説によれば、ローマ人たちによってキリストが重い十字架を背負わされ、エルサレムを通って処刑地ゴルゴダの丘に連れて行かれる際に、ヴェロニカという女性がキリストの顔を拭くのに使ったものだという。

この布には治癒力があると言われてきた。そして中世には、ある一定の角度からのみキリストの顔が見えることが奇跡的だと考えられていた。

「ヴェロニカのベール」の出どころは確かではないが、遅くとも12世紀からこのかた、イタリアの巡礼者たちから崇められている。ヴェロニカは聖書では言及されていないが、「ピラト行伝」と呼ばれるキリストの人生を書いた外典に登場する。

1608年まではバチカンに保管されており、ダンテの『神曲』でも言及されているが、建設工事のあいだに行方がわからなくなった。 一説では、ある兵士の妻が夫を刑務所から出所させるために布を貴族に売り、その貴族がカプチン会修道院に寄付したといわれている。

ドイツ人のイエズス会修道士ハインリヒ・ファイファーは、13年にわたる研究の末、それが本物であると結論を出した。 別の学者は紫外線による研究を行い、繊維が塗装されていないことをつきとめた。しかし評論家たちは、「ヴェロニカ」が「真のイメージ」を意味するギリシャ語とラテン語の変形なのは、偶然にすぎると言う。

すでに毎週何百人もの巡礼者たちがヴェロニカのベールをひと目見ようと訪れているが、カトリック教会のトップである法王がはじめて視察を行ったことによって、その人気はさらに高まることが予想される。

昨年、ヨハネ・パウロの後任となったベネディクトがヘリコプターで到着したとき、何千人もの巡礼者たちから「ベネディクト!」「法王万歳!」といった叫び声があがった。

カプチン会修道士のひとりが、宝石の装飾付きの金の額に収められたベールの複製品を法王に与え、彼の指輪にキスするためにひざまずいた。

エミリアーノ修道士はロイターTVの取材で、法王の訪問を「歴史的な出来事」だと語った。「多くの巡礼者と同じく、ヴェロニカのベールのキリストの顔を見に来るというより、むしろそれに見られ、神の目に愛されるためにいらっしゃるのです」

修道院を訪れる巡礼者たちは、2000年以上前のものとされている図像がはっきりしていることに驚かされる。

イタリア人の巡礼者シルヴァーナ・フィオレッリさんは、「いかにしてキリストの顔がこんなに長い時を経て残っているのか、私には説明できません」と言う。彼女はさらに、自分は「驚異」の感覚で満たされた、とつけ加えた。
ほお~やっぱり本当にあるんですね、ヴェロニカのベールって!カトリックって、奇跡とか聖遺物とかがマジにあるから、凄いなあ~。

元々はバチカンにあったんですね。勉強になります。トリノの聖骸布みたいに化学的な鑑定とかを行うとまた、喧々諤々(けんけんがくがく)で揉めちゃうのかな?

さすがに、これをいきなり本物ですとは言わないでしょう・・・。逆に言ったら、それはそれで世界を騒がすニュースになったでしょうが。

関連ブログ
「聖ヴェロニカの陰謀」ルイス・パーデュー 集英社
『トリノの聖骸布』の印影は復活の時のものか
「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋
「聖骸布血盟」フリア・ナバロ ランダムハウス講談社
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2006年09月12日

Googleで過去200年間のニュース検索が可能に

Googleで過去200年間のニュース検索が可能に
【日経BPより転載】
米グーグルは2006年9月6日(米国時間)、過去のニュース記事の検索ができる「Google News Archive Search」を開始した。「Google News」で検索できるのは過去30日間のニュースに限られるのに対して、News Archive Searchでは、最も古いもので200年前の記事が検索できるという。日本語でのサービス提供時期は未定だ。

 News Archive Searchでは、英ガーディアン紙、米ニューヨークタイムズ紙、米タイム誌、米ウォールストリートジャーナル紙、米ワシントンポスト紙といった有名メディアのニュース検索サービスでの検索結果のほか、米ファクティバ、米レクシスネクシス、米トムソン・ゲール、米ハイビームリサーチなどが提供するデータベースでの検索結果も表示される。具体的には、キーワードを入力して検索を実行すると、上に挙げたような複数のサービスで同時に検索が実行され、検索結果が同一ページにまとめて表示される。記事を読む際には、各サービスの提供するWebページにアクセスすることになる。アクセス先が会員制あるいは有料のサービスの場合は、個別に会員登録や料金の支払いが必要だ。
いやあ~、嬉しいですね。まさにこういう使い方こそ、IT技術の恩恵っていう感じですね。あとは、情報をどう利用するか、そこが大切になってくるでしょう。

大学院の入試で英語の試験に辞書持ち込み不可の学校があったけど、あれは馬鹿じゃないかと思った。辞書をひこうが何しようが、制限時間内に英文を理解できる能力が大切なのであって、単語を覚える能力が重要なの?って疑問に思ったことがあったなあ~。

もっとも、辞書持ち込み可でもいちいち辞書なんて引いてたら絶対に時間的に間に合わないだけの分量なんで、単語は2,3個ひいた覚えしかなかったけどね。使えない学校だと思ったものです、某有名私立大学大学院。

これからの時代は、情報をいかに検索してそれを組み合わせるか? そういった素材から新しい発想で新しいものを生み出せるかが大切になってくるのかもしれませんね。と同時に、丹念に素材となる正確な資料を提供する存在の重要性も増していくのかも? 一度、不正確な情報が広まると誰もその一次資料を確認せずに、引用に次ぐ引用で孫引きなんて程度に済まないもんね。既に、そういった弊害は散見されるし・・・。

まあ、なんにせよ個人的には嬉しい時代になりつつあるかも・・・。
ラベル:ニュース google
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2006年09月11日

<訃報>阿部謹也さん71歳=一橋大元学長

<訃報>阿部謹也さん71歳=一橋大元学長
【Yahooニュースより転載】
ドイツ中世史、西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した一橋大元学長の阿部謹也(あべ・きんや)さんが4日、急性心不全のため東京都新宿区の病院で亡くなった。71歳。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。自宅は非公表。喪主は妻晨子(あさこ)さん。
 東京都生まれ。一橋大大学院博士課程修了。小樽商科大教授、東京経済大教授を経て、79年、一橋大教授に。92~98年に同大学長。99~02年、共立女子大学長を務めた。一橋大名誉教授。
 中学時代のカトリック修道院での生活をきっかけに西欧中世社会史に関心を持ち、69年から2年間ドイツに留学。グリム童話で有名なハーメルンの笛吹き男の伝承の研究を通じて下層市民の生活と社会的差別に視野を広げ、西洋市民社会の深奥に迫った74年の「ハーメルンの笛吹き男」は大きな反響を呼んだ。
 主な著書に「中世を旅する人びと」(サントリー学芸賞)「中世の窓から」(大佛次郎賞)「『世間』とは何か」など。
 97~98年国立大学協会会長。97年に紫綬褒章を受章した。
 ▽共著のある日高敏隆京大名誉教授(動物行動学)の話 急な話で驚いている。私の本が文庫になったとき、解説を書いて頂いたのが出会い。まじめな人柄で、阿部先生が一橋大、私が滋賀県立大の学長だったころ、学生論を戦わせたことも思い出される。まだまだ、いろいろなことをうかがいたかった。大変残念だ。
(毎日新聞) - 9月9日15時9分更新
うわあ~全然知りませんでした。一橋大の元学長だったんですね。いかにも真摯で学究的な姿勢の見える本が多かったので、とっても残念です。

著書の中にも、修道院で過ごされたことがあることに触れられていましたが、そうだったんですか、へえ~。しかし、まだまだ素敵な本を書いて欲しかったですね。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。

少し前に急に検索キーワードで「阿部謹也」が増えたと思ったら、そういうわけだったんですね。納得。

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「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
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2006年04月07日

ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する

ユダの福音書

【日本語訳】(訳すのに、疲れ果てた・・・涙)

罵られたり、軽蔑されて歴史上もっとも嫌われてきたユダの評価がまさに様変わりしようとしている。ユダの福音書の英語訳が出版者(米国地理学協会)からまもなく発表になります。テレビ番組でも4月9日に公開されるドキュメンタリーの宣伝材料を放映しています。

最終的にはエジプトに返却されるパピルス文書ですが、1980年頃にそこで発見されたもので、西暦150年頃にギリシア語で書かれた福音書を3世紀か4世紀にコプト語で写したものです。この変わった福音書の中身はイエスがユダを許し、砂漠で懺悔するように彼を見送ったというものです。

ユダはイエスのお気に入りの弟子でした:聖書古代言語学の権威であるロビンソン氏によると、ユダはイエスを裏切った時に神学上の天意を果たしていました。そうすることで、イエスが世界の罪の為に、また人類を救う為に死ぬことを可能にしました。

その文書を所有するスイスに本拠地のある財団とナショナル・ジオグラフィックは、選ばれたごく一部の人にだけ、それを何年もの間、調査させていて、ロビンソン氏はそこから閉め出されていたそうです。

このロビンソン氏が書いたユダの福音書に関するものが『ユダの秘密』で、誤解された弟子と彼の失われた福音書の物語です。彼は新約聖書が語っていることを調査し、1983年にジュネーブで300万ドルの売り物として国際的な古代遺物市場で出て以来、できる限りあとを追ってきました。

そのような遺物がすべての研究者に利用できるようにし、ある者達に独占されるべきでないという原則がしっかりと公約されていたので、ロビンソン氏はこの場合に公開されたものがあまりに足りないのに明らかに失望していた。その一部の者達が出版に取りかかるまでは、彼ら以外の研究者はコプト語のテキストに基づいた研究はできないだろうと筋書きを見ている。

しかし、彼はインターネット上にある文書の写しに基づいて自信に満ちた予測をしている。「その文書はイエスやユダについてそれほど多くのことを語らないし、歴史的なイエスやユダについても新しい事は何も語りません。それらは2世紀中頃のグノーシス派(セクト)について語ります。」

グノーシス主義は、正統な見解になったことによって初期の教会で抑圧されたキリスト教の対抗馬でした。

ロビンソン氏が言及するセクトはカイニティーズで、嫉妬からアダムとイブの息子であり、兄弟であるアベルを殺害した聖書上の悪役にちなんだものです。

重要なことは、それがゲッセマネの庭でローマの兵士にイエス・キリストを裏切って、自殺したイスカリオテのユダによるものではなく、彼の死後一世紀以上後に書かれたものであり、異教を追い詰めることを専門に扱った初期の教父によって、古代の文書の中でで言及されていることです。リヨンのエイレナイオスは西暦180年の文書で、4世紀中頃のキプロスではエピファニウスによる文章で。

私達が知っている福音書ではないぼろぼろの遺稿に大騒ぎするのは何故なんでしょう?それはイエスの話でもなく、本来はは異端の長く廃れたセクトの宣伝文書でしかない。

研究者はいつもそういったことに関心を持ち、それの訴えるものが何故、そんなにまでも広がりうるのかについての仮説をロビンソン氏は持っている。例えば、死海文書やナグ・ハマディ文書とかこれは、聖書内部のことについて聖書の外側にいる私達に大いに語ってくれるものだから。

グノーシス派であるカイニティーズによりギリシャ語で書かれたユダの福音書については、キプロスの司教が、教会によって抑圧されている福音書として言及している。

ニューヨークのロングアイランドにあるシティバンクに保管されてると信じられています。

裁判で盗作容疑が晴れれば5月に世界中で公開される映画「ダ・ヴィンチ・コード」とも避けがたい結び付きがあるそうです。

ダ・ヴィンチ・コードの成功が世界中に広まり、人々が次のものを渇望している、とロビンソン氏は言う。ダン・ブラウン氏は伝統的なキリスト教に対して疑念の目を向ける人々の風潮に乗ったのであり、ユダの福音書が登場するにはまさにうってつけの機会だと。

300万ドルの提示価格は、参加者にとってあまりにも高かったが、1980年代後半と90年代初期に売主と接触を取ろうとしたけれど、成功しなかったそうです。2000年には、イエール大学に提供する話があったけど、イエールでは拒絶したそうです。その代わりにマイケナス財団が所有することになりました。

翻訳は2000年ぐらいには始まっていたかもしれません。2004年7月に、優れたコプト語の専門家のルドルフ・カーサーは、作品を編集していると発表しました。その後、ある報告によれば、100万ドルの価値のある出版権の取引が財団とナショナル・ジオグラフィックの間で合意されました。

狙いは、今年、復活祭以後ちょうど秋までに出版する為でした。これはまだ目標で、更なる断片が得られたので、福音書の完全な出版は遅れるかもしれないと2月に発表されました。

「私はこの新しいパピルス写本が、ユダについて私達が思っていることを変えるとは思いません。しかし、啓蒙以来、伝統的にユダに与えていたイメージがより良いものになった人達もたくさんいます。」

ユダを弁護する最も学問的な試みは、通常裏切りと解釈されるギリシアのフレーズの意味にかかってきます。このもっとも良い翻訳が引き渡すことであるという議論がある。それは、イエスが殺されるのを知りながらイエスを裏切ったというよりも、彼らの考えを公に審査してもらうように誰かに示す古くからのやりかたで、ユダがイエスを当局に引き渡したということである。

ロビンソン氏は、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカとヨハネによる福音書の慎重な考慮の後、弁護を拒否します。

「私は彼新約聖書の著者がマタイによる福音書やルカの使徒行伝でユダの後悔と自殺に触れているので、彼らがユダの潔白を証明しようとしていると本当に思えません。彼らは聖書の遂行としてそれを示しています。」

「これらはすべてが神やイエスの計画通りになされたと言うために福音の神学には、ある意味で必要であり、マルコによる福音書はこれの全てがイエスに知られていて、聖なる救済計画であることを明らかする為に多くの時間を費やします。」

しかし、たとえ私達がユダを裏切り者としておくにせよ、以前ほど過酷にする必要はないとロビンソン氏は信じています。彼は弟子の誰もイエスの神の使命についてすぐ理解できなかったと主張し、イエスを裏切ったことで有名なペトロがやや多く崇拝されていることに気付きました。

「我々は、雄鶏が鳴いて、命のために走って逃げる前に、3度裏切ったペテロの為に、世界最大の大聖堂を建設しました。」

「キリスト教史におけるユダの扱いは、マルコによる福音書に書きとめられた反ユダヤ的な含みを持つような人々以上にひどいものだった。」

ロビンソン氏の一番の懸念は、学術的なものであり、むしろ神学的なものです。出版が、復活祭とダ・ヴィンチ・コードの映画のプレミアの期間に間に合うように急いだ結果、出てくるのがすべての福音書でなくなるのではないかということです。

「いくつかの断片が適切でなかったり、推測による読解が正確でなかったりということは、一般読者には分からないだろう」と言う。「それは私達研究者が来るべき年に心配する問題になるでしょう」

この記事に出ている本:『ユダの秘密』 
The Secrets of Judas: The Story of the Misunderstood Disciple and His Lost Gospel(amazonリンク)

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時間があれば、こちらも訳すけど・・・。時間が・・・。

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こちらが元ネタのオーストラリアのニュース記事
Revelations and betrayal
【THE AUSTRALLIANより、原文転載】
REVILED and despised Judas - history's least favourite disciple - could be on the verge of a moral makeover. Far-fetched? Sure, but with the release of the English version of an antique document called the Gospel of Judas imminent, its publisher, the National Geographic Society, is tantalisingly tight-lipped, so anything is possible.
All that secrecy will end next week when there will be a press conference in Washington to reveal all. Not about the gospel but about the society's plans for its roll-out. Only one thing is clear already: the society's television channel is airing promotional material about a documentary to be shown across the world on April 9.

It is a fair bet the society's magazine will be full of it and there will be at least one book, given the only profit out of the deal will be from those sources: the papyrus document will eventually be returned to Egypt, where it was discovered in about 1980. It is a third or fourth century Coptic-language copy of the Greek original version of the gospel written about AD 150.

Scuttlebutt about the contents of this unusual gospel has it that Jesus forgave Judas and sent him off to repent in the desert; that Judas was Jesus' favourite disciple; and, likelier, according to biblical and ancient languages authority James M. Robinson, that Judas was fulfilling his theological destiny when he betrayed Jesus, thus enabling Christ to die for the sins of the world and save mankind.

To the chagrin of some in scholarly circles, National Geographic and the Swiss-based Maecenas Foundation for Ancient Art, which owns it, have had a few chosen experts beavering away for years, quietly deciphering it. Robinson, now retired, is among those excluded from this team. He was permanent secretary of the UNESCO committee that translated the Nag Hammadi codices, a collection of early Christian writings named for the place of their discovery in 1945 in Egypt. Robinson has written a book about the Judas material, which is also due for release in the US next week by HarperSanFrancisco.

Called The Secrets of Judas: The Story of the Misunderstood Disciple and His Lost Gospel, Robinson has examined what the New Testament says about Judas and tracked, as far as possible, the long journey of the gospel since it emerged on the international antiquities market in 1983 for inspection and sale for $US3 million in Geneva.

Firmly committed to the principle that such antiquities should be available to all scholars and not hogged by some, Robinson is clearly disappointment by the lack of openness that has applied in this case.

"I see a rather cynical scenario in which those of us outside the inner circle will still not be able to study it as scholars on the basis of the Coptic text until they get around to publishing it," he complains during a telephone interview from his home in Canada.

But he knows enough to make a confident prediction based on copies of the leaves of the document that have been on the internet: "They do not tell us much about Jesus or Judas and do not tell us anything new about the historical Jesus or Judas. They do tell us about a mid-second century Gnostic sect."

Gnosticism was a rival version of Christianity that was suppressed in the early church by what came to be the orthodox view. The sect to which Robinson refers is the Cainites, named for another biblical villain, the son of Adam and Eve who killed his brother, Abel, out of jealousy. So it is important to understand this document is not the work of Judas Iscariot, who betrayed Jesus Christ to Roman soldiers in the garden of Gethsemane and killed himself.

It was written a century or more after his death and, indeed, is mentioned in ancient writings by early church fathers who specialised in hunting down heresy: Irenaeus of Lyons, writing in about AD180, and Epiphanius in Cyprus in the mid-fourth century.

So why the fuss over tattered remains of something that is not a gospel as we understand the word - that is, not a story about Jesus - that is not by the person for whom it is named and is essentially a propaganda document for a heretical, long-dead sect?

Such things are always of interest to scholars and Robinson has a theory about why their appeal could be much broader.

"We are in a time when non-canonical things have had their recognition," Robinson says. "For example, the Dead Sea Scrolls and Nag Hammadi, and this is another appeal to what's outside the Bible telling us about what is inside the Bible."

There is the inevitable connection to Dan Brown's novel The Da Vinci Code, the movie of which will hit the world's cinemas in May if it clears a plagiarism charge in a London court in time. The judge has promised a verdict before Easter.

"The Da Vinci Code's success is because these things are floating in the air and people are eager for the next one," Robinson says. Brown has, he says, "played on the vibes that turn people on today regarding suspicions about traditional Christianity".

What a perfect time for Judas's gospel to emerge. Robinson was invited to join a small group of scholars who inspected it in 1983 but was unable to make the trip and designated a student of his to make an assessment. The $US3 million asking price was too high for any of the participants, but in the late 1980s and early '90s Robinson made further, unsuccessful attempts to contact the vendors.

It is thought by then the document was in a Citibank safety deposit box in Long Island, New York. In 2000, Yale University was offered the document but rejected it. Instead, it came into the possession of the Maecenas Foundation. Translation may have begun as early as 2000. In July 2004, eminent Coptic-language expert Rodolphe Kasser announced he was editing the work.

Thereafter, according to one report, a deal for publication rights worth the best part of $US1 million was struck between the foundation and National Geographic.

The aim was for publication to fall just after Easter this year. This is still the goal, but in February it was announced that there could be a delay in full publication of the gospel because further fragments had been acquired. National Geographic can safely bet on making a big splash with its publications, but Judas may well be stuck with his ghastly reputation.

"I do not think this new papyrus manuscript is going to change anything about what we think about Judas," Robinson says. "But on the other hand there have been - especially since the Enlightenment - a rather large number of people who tried to give Judas a better image than he has traditionally had."

The most erudite attempt to defend Judas rests on the meaning of the Greek phrase usually interpreted as betrayal. There is an argument that a better translation of this is giving over, so that Judas gave over Jesus to the authorities in the time-honoured way of presenting someone so their ideas could be officially tested, rather than betraying Jesus knowing he would be killed.

Robinson rejects the defence after careful consideration of the biblical gospels by Matthew, Mark, Luke and John.

"I cannot really think that the New Testament authors are trying to vindicate Judas because they do have his remorse and his suicide in Matthew and in Luke's Acts and they are presenting it as a fulfilment of scripture," he says.

"These are in a sense necessary for the theology of the gospels to argue that everything has gone according to God's and Jesus's plan and Mark spends a lot of time making clear that all of this is known by Jesus and his divine plan of salvation."

But even if we are content to leave Judas as a betrayer, Robinson believes there is no need to be as harsh on him as in times past. He argues none of the disciples were quick on the uptake regarding Jesus' divine mission and finds it a bit rich that Peter, who famously betrayed Jesus, is venerated.

"We built the biggest cathedral in the world in honour of Peter who betrayed him three times before the cock crowed and ran for his life," he says. "The treatment of Judas in the history of Christianity has been so much worse than the treatment of the other people who are put down by Mark that it does have anti-Semitic overtones."

But his immediate concerns are scholarly, rather then theological: that publication has been rushed to accommodate the window between Easter and the premiere of the film of The Da Vinci Code and that it may not be the whole gospel that appears.

"A lay reader will not know some fragments are not yet in place or that some conjectural readings are not accurate," Robinson says. "That will be a problem for us scholars to worry about in the coming years."
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2006年04月06日

バチカン秘蔵資料がインターネット上に公開

バチカン秘蔵資料がインターネット上に公開
【世界キリスト教情報 第785信より転載】
【バチカン市=ZENIT・CJC】バチカン(ローマ教皇庁)文書館秘蔵の資料をインターネットで調べられるようになった(http://www.vatican.va/ )。
 見ることの出来る収蔵品の中には、教皇クレメンス五世がテンプル騎士団員を赦免したことを記した十四世紀のシノンの羊皮紙やガリレオ・ガリレイ審判の記録もある。
 文書館には一国の歴史に関する重要な記録も含まれている。「いくつかの国に関しては、バチカン記録が国史としては最古のものである」という説明も付けられている。
 資料棚の総延長は85キロに達する。最古のものは8世紀になるが、継続的には1198年から集められている。
 資料はこれまで教皇とバチカン当局が主に使用してきた。1881年には、教皇レオ十三世の決定により、収蔵資料の一部が学究調査のために公開されたことがある。

いやあ、こんな記事があったこと忘れていました。たまたま前のものを見ていたら、発見! さすがはバチカン、やっぱりバチカン図書館の中には、いろんなものがありそうですね。ダ・ヴィンチ・コードのラングドンならずとも是非、入って見学してみたいものです(笑顔)。

いくつかの中世以来続く修道院付属の図書館とかを見学したことがありますが、本当にすごいんですよねぇ~。うちのブログの左上にある写真もその一つプラハのストラホフ修道院のものです。これぞ、まさに『叡智』でしょう。もし入れるのだったら、ラテン語の勉強したっていいくらいですよ、ホント。どうせ入れないと思って気楽なことを言ってます(笑)。

そうそう、図書館で思い出した!「ヨーロッパの歴史的図書館」。この本を去年から、買うべきか買うまいか、ずっと悩んでいる。高過ぎだって値段。でもなあ~、今年中には買うつもり。きっと我慢できないような気がしています。手が震えるって(オイオイ)。

ヨーロッパの歴史的図書館(amazonリンク)

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2006年03月29日

ブリタニカ、「ウィキペディア過大評価」とネイチャー誌に抗議

ブリタニカ、「ウィキペディア過大評価」とネイチャー誌に抗議
【WIRED NEWSより転載】
百科事典の米エンサイクロペディア・ブリタニカ社は24日(米国時間)、英科学誌『ネイチャー』が「オンライン百科事典のウィキペディアとブリタニカは、正確性で互角」と報じた(日本語版記事)ことについて抗議し、撤回を要求した(PDFファイル)。20ページにわたる書面で、調査方法に問題があると批判。ネイチャー側も反論(PDFファイル)し、名門同士が激しく対立している。

 問題になったのは、2005年12月15日号の記事。科学分野の42項目について、正確性を調べたところ、両者とも重大な誤りが4件見つかったが、小さな誤りや漏れ、誤解を招く表現は、ブリタニカが123件、ウィキペディアが162件で、「大差はない」と伝えていた。権威ある雑誌がウィキペディアにお墨付きを与えた形になり、反響を呼んでいた。

 しかし、ブリタニカ社によると、調査はウィキペディアとブリタニカの説明文を、外部の専門家に分析させる形で行なわれたが、全文をそのまま渡すのではなく、一部を削っていた例があったという。その手法で「説明に漏れがあった」と指摘されるのは不当と訴えている。ネイチャー側は、説明文の長さが公平になるようにブリタニカ側を削った事実は認めたが、逆にウィキペディア側を削った例もあると反論した。

 また、調査対象がブリタニカ百科事典の説明文ではなく、簡易版の『スチューデント・エンサイクロペディア』の説明文だったり、ブリタニカとは関係ない文章が紛れ込んでいた例があった。これに対しネイチャーは、ブリタニカのウェブサイトで検索した結果、表示された説明文を調査対象としたためで、あくまでブリタニカのオンライン版とウィキペディアの比較調査だと強調。無関係の文章が混ざった事実はないと確信しているという。

 ウィキペディアは、ボランティアでつくられており、限界もある。信頼性を疑う声もあるため、ネイチャーが調査を試みたというのが実情だ。そんな調査に、ブリタニカが真剣に抗議したことは、ウィキペディア人気に対する焦りもうかがえる。
まあ、有料でコンテンツを提供している以上、ブリタニカが必至になるのも分かるけど、どうなんでしょうか? ネイチャーが間違っているなら、そのうち訂正するでしょうが、本質的な問題は、どっちが正確かということではないでしょう。

ちょっと前に流行ったナレッジ・マネジメントではないが、一人一人の知恵を集めて有効に機能する仕組みさえ、できれば少数によるものよりもはるかに素晴らしいものを作り出せるというのが、その本質だと思う。

これをある面で捉えるならば、しばしばネット上のマーケティング用語でいわれるWEB2.0にもつながるものを強く感じる。言語の獲得、文字の獲得、印刷術の発明、そしてインターネットの発明。大きなパラダイムシフトが起こっているこの時代は、とても面白くて刺激のある時代だと思わずにはいられない。

そうそう、ブリタニカが怒った元の記事はこちら。私もよく利用するし、利用者の実感としても結構、詳しくよく書かれているなあ~と思っていたので、納得しちゃうけど。
『ネイチャー』誌、ウィキペディアの正確さを評価
【WIRED NEWSより転載】
ボランティアによって書かれた400万近い項目を擁するオンライン百科事典『ウィキペディア』は、科学分野の話題を扱った項目の正確性では『ブリタニカ百科事典』に匹敵する――このような趣旨の記事が、12月15日付で『ネイチャー』誌のオンライン版に掲載された。

 この記事は、両事典の広範囲にわたる科学分野の記載を突き合わせ、比較した調査を基にしている。ウィキペディアが一部の項目で不正確だと批判されている中での掲載となった。

 2週間前、著名なジャーナリストのジョン・サイゲンセラー氏は、同氏がジョン・F・ケネディー元米大統領と弟のロバート・ケネディー氏の暗殺に関与した容疑を長い間かけられてきたとの虚偽の情報を含む記述が、ウィキペディアに約4ヵ月前から掲載されていることを明らかにした(日本語版記事)。サイゲンセラー氏はテネシー州の『テネシーアン』紙の発行人、『USAトゥデイ』紙の初代エディトリアル・ディレクターなどを務めた。

 ネイチャー誌は今回の記事の中で、このような誤った記述はどちらかといえば例外のようだとしている。この記事は、ウィキペディアと『ブリタニカ百科事典』の比較に、その分野の専門家による審査(ピアレビュー)を初めて用いたものだという。ネイチャー誌によると、複数の専門家で42項目を検討したところ、ウィキペディアは間違いや抜け落ちが科学分野の1項目あたり平均4つあったが、これに対し『ブリタニカ百科事典』は3つだった。

 専門家の調査員が発見した8つの「深刻な間違い」――重要な概念の誤った解釈など――のうち、4つは両事典に共通していたとネイチャー誌は報じている。

 これを受け、現在ウィキメディア財団(フロリダ州セントピーターズバーグ)が運営するウィキペディアを2001年に創設したジミー・ウェールズ会長は、「今回の調査結果をとても喜んでいる。これをきっかけとして、ウィキペディアの全体的なレベルは非常に高いという点に、人々が目を向けてくれることを希望している」と語った。

 ウェールズ氏によると、ウィキペディアの記述の正確さは分野によって異なり、主にポップカルチャーや最新技術の分野を得意にしているという。その理由として、ウィキペディアを支えるボランティアが、全体的にこうした分野に詳しい傾向があるという点をウェールズ氏は挙げる。

 逆に、年度別のノーベル文学賞受賞者といった人文系の分野では、ウィキペディアは遅れを取りがちだとウェールズ氏は話している。

 ウィキペディアでは記事の正確さを審査する新しい仕組みを、来月から試験運用する予定だ。また、コンピューターやインターネットにそれほど詳しくない人が審査プロセスに加わりやすくする方策にも取り組んでいる。

 米エンサイクロペディア・ブリタニカ社(本社イリノイ州シカゴ)の関係者は、データを見ていないとの理由でネイチャー誌の調査に関するコメントを控えた。しかし、このような比較は「他ではわからないことを教えてくれる」ため、正確に行なわれているのなら有益だと答えた。

 一部のブリタニカ社の関係者は、過去にウィキペディアの記事の質を公に批判したことがある。しかしブリタニカ社は今回、無料サービスであるウィキペディアは「エクストリーム・アイロン掛け」といった話題にもついていけるような、フットワークの軽さと幅広さを持っていると称賛した。普通ならあり得ないような場所でアイロン掛けを競うこのスポーツは『ブリタニカ百科事典』に記載されていない。

 ブリタニカ社では、社内の調査員がネイチャー誌の記事を検討し、発見された間違いはすべて訂正する予定だと語っている。

 専門家からなるスタッフの調査・執筆に対し報酬を支払い、記載内容を有料で提供している『ブリタニカ百科事典』と違い、ウィキペディアはコンテンツを無料で開放しており、だれもが――プロとアマチュア、専門家と初心者を問わず――項目の投稿と編集を行なえる。

 トラフィック・ランキングで有名な米アレクサ・インターネット社によると、200の言語で約370万の総項目数を誇るウィキペディアは、インターネット上で最も訪問者の多いサイトのランキングで37位に入っている。
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2006年01月23日

イスカリオテのユダ、名誉回復進む!

ユダの行為も全て神の計画のうちである、という話は小説などではしばしば読んだことがあるのですが、本当にそういう動きがあるんですね。ちょっとビックリ!

それ以上に私的に関心があるのは「ユダによる福音書」。そういうのってあるんですね。うわあ~読みた~い!! 神の命で、イエス様を売ったという主張もどこまで信憑性があるのかは分かりませんが、興味深いことは事実ですね。英語で出たら、買って読むんだけどなあ…。
【以下、世界キリスト教情報 第786信より転載】 
【カンタベリー(英)=ENI・CJC】銀貨30枚を得る約束で祭司長たちにイエスを引き渡しを持ちかけ、イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダ。裏切りの象徴のようにキリスト教社会では扱われて来たが、カトリック教会の学者の間に名誉回復への動きがある、と欧州メディアが報じている。
 「ユダは神の業を行ったのであり、最高の罪人とされるユダだが、聖人でさえあり得る」と、英紙『デイリー・メール』に寄稿したのはピーター・スタンフォード氏(『カトリック・ヘラルド』前編集長)。裏切りの象徴とされてきたユダの行為について『タイムズ』紙の寄稿家ベン・マッキンタイア氏は「ユダに関する説話が2000年にわたり反ユダヤ主義を形成するのに貢献した。今日でもドイツでは子どもにユダと名付けることは違法とされている」と言う。
 『タイムズ』紙は、バチカン(ローマ教皇庁)歴史学研究委員会のワルター・ブランドミューラー委員長が主導して、「イエスを十字架に付けた弟子」ユダについてもっと好意的に見るよう信徒を説得することを模索している、と報じた。
確かに「サタンがユダに入った」のではある。
 教皇ベネディクト十六世に近く、また故教皇ヨハネ・パウロ二世とも親しかったカトリック作家ヴィットリオ・メッソーリ氏は、ユダの再評価が「イエスが最も密接な協力者の1人に対し寛容でなかったという問題」を解決するかもしれない、と伊紙『ラ・スタンパ』に語った。キリスト教の伝統の中には、ユダがイエスによって許され、自身が清くなるように砂漠で霊的修行することを命じられたとするものもある、と言う。
 スイスのバーゼルに本拠を置く『マエケナス財団』は復活祭に、エジプトで60年近く前に発見された「ユダによる福音書」の複製を発行すると言う。パピルスに記されたもので62ページある。英紙『デイリー・テレグラフ』は、これまで「ユダによる福音書」は公刊されなかったが、学界での議論では、ユダが銀貨30枚でイエスを裏切った時、ユダは神の命令で行動したことを主張している、との指摘もあると報じている。
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2005年12月16日

日本最古の建設会社、1400年の歴史を持つ金剛組

実は、この会社のこと知ってはいたんです。記事にも書かれていますが、聖徳太子が四天王寺を建てる為に招いた百済からの宮大工による建設会社だって聞いて、ずいぶん昔に驚いたことがあります。日本ってすごいよね、そういう会社が何気にあるんだもん。

そういえば、私が以前バイヤーやっていた時も京都の念数屋さんで400年ぐらい前から続いているところがあったなあ~。別の会社は霞ヶ関の土地を三菱に売ったというかつての大地主さんがオーナーだったり・・・。日本って、本当に凄い!!

でも、そんな歴史のある会社がたかだか少し前のバブルごときで経営が行き詰まり、身売りしちゃうなんて・・・なんとも残念。伝統に裏打ちされた技術力やノウハウなんかはたくさんあるんだろうし、なんとか再生して欲しいもんです。営業譲渡先が高松建設って・・・。う~ん、こちら自体も財務力が怪しそうだが??? 

とにかく、記事を読んでて大変気になったのでメモ。

高松建設、日本最古の建設会社・金剛組から営業譲渡
【以下、転載】
中堅ゼネコン(総合建設会社)の高松建設は14日、寺社建築の金剛組(大阪市)から来年1月に営業譲渡を受けると発表した。譲渡額は未定。創業1400年余で日本最古の企業とされる金剛組は特別清算する見通し。高松建設は11月に設立した同名の新会社を受け皿に、1月16日付で社員や受注済み工事、負債の一部を引き継ぐ。

 新会社の社長には高松建設の小川完二副社長が就いた。金剛正和社長は旧金剛組の清算とともに退く見通し。高松建設は老舗企業からの営業譲渡でブランド力の向上につなげたい考えだ。

 金剛組は聖徳太子が四天王寺(大阪市)を建設するため百済から招いた宮大工が578年におこしたとされる企業。バブル期の土地購入で借入金が膨らみ、自力再建が困難な状況に陥っていた。2005年4月期の売上高は約75億円。 (23:34)

関連サイト
株式会社 金剛組
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2005年12月04日

米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像

bloodmary.jpg米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像
【以下、ロイターより転載】
[サクラメント(米カリフォルニア州) 1日 ロイター] 米カリフォルニア州サクラメント市内のベトナム系カトリック教会にある聖母マリア像の目から黒っぽい筋が出ているのがこのほど発見され、「血の涙を流す」マリア像として話題を呼んでいる。

 ここ数週間、この聖母マリア像を一目見ようと同教会には大勢のカトリック教徒が訪れている。

 1993年にベトナムから米国に移住してきたバン・リーさんは、「聖母マリアはわれわれ皆の罪業のために泣いているのだ」と語った。

 今回のような聖母マリアの現象は、2000年前のマリアの死後まもなくから現在に至るまで、世界各地で信者により報告されている。

うう~ん、昨日聖母マリア様の像を見てきたばっかりだし、ルルドの洞窟も見てきたけど、血を流すマリア像ですか。本当に多いね、ここんとこしばらくのところ。どうしても、実際の所、どうなんだろう?と思ってしまう。奇跡の存在を期待しつつも・・・。

そういえば日本でもあったしなあ~。

「涙の聖母」に信者集まる 米カリフォルニア州
【以下、産経新聞より転載】
米カリフォルニア州中部サクラメント郊外のキリスト教会で、聖母マリア像の顔に赤い液体が付いているのが見つかり、「血の涙」と信じ込んだ多くの信者を集めている。

 液体が最初に見つかったのは11月下旬。いたずらと考えた教会関係者が消したが、その後再び赤い色の液体が目から流れるように付着しているのが見つかった。

 「涙を流すマリア像」は世界各地で報告され、ほとんどが人為的なものか結露など自然現象とみられている。超常現象を調べている米国の団体関係者は今回のケースも「十中八九、偽物だ」と主張するが、マリア像を一目見ようと連日数十人が教会を訪れ「地震や洪水が起きるのでは」とささやき合っている。

関連ブログ
動く聖母像の奇跡を録画しようと信者が集結
「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
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2005年11月21日

植木鉢にキリストの顔が浮かび上がる

植木鉢にキリストの顔が浮かび上がる
【以下、exciteニュースより転載】
[コズメル・メキシコ 20日 ロイター] カリブ海に浮かぶコズメル島で、植木鉢にキリストの顔が浮かび上がっているのが発見された。ハリケーン「ウィルマ」が通過した直後に発見されたもので、この植木鉢があった場所に聖堂が建設された。

ハリケーンが猛威を振るった3日間、ほとんどの人々は避難所で生活を共にしたが、コズメル島にある「オクシデンタル・グランド(ホテル)」に滞在していた客は避難所には行かず、ホテルに留まった。

「ウィルマ」が去った後、植木鉢にキリストの顔が浮かび上がっているのを発見したのは、このホテルの受付係だった。

地元メディアはこの現象を奇跡だと報じ、「ウィルマ」により甚大な被害を受けたコズメル島で、同ホテルに滞在していた200人の宿泊客が全員無傷で済んだことと何か関係があるのでは、としている。

エナメル加工されたテラコッタ製(赤土素焼き)の植木鉢で、側面にはっきりとキリストの顔に似た模様があるとされている。ハリケーンの通過中、鉢は屋外に放置されていたが、植えられていた花も含め無事だったという。

聖堂内に置かれた植木鉢の周囲には真鍮性のポールが数本置かれ、その間に真紅のロープが張られた。さらに警備員も配置されている。

「最初に発見したのはホテルの受付係でした。それからたくさんの人々が見物に訪れ、鉢の前で祈りを捧げ、ロウソクに炎を灯すようになりました」と、警備員は語る。

「植木鉢を見て泣き出す人が大勢いらっしゃいます。三日間私たちは避難所でハリケーンが過ぎ去るのを待っていたのです……皆さん、いろんな感情が溢れて出てきたのです」

「オクシデンタル・グランド」はハリケーン来襲前に宿泊客を本土に避難させなかった唯一のホテルで、現在は小規模修理を行っているため営業を一時中断している。また、この警備員によると、同ホテルには頑丈なシェルターが備え付けられており、300人が3ヶ月間生活できる水と食料をストックしてあったという。

トーストやら、壁やらにイエス様やマリア様の絵が浮かぶ話はよく聞きますが、植木鉢ですか今度は。しかもそこに聖堂を作ったんですね。現代でも人々の奇跡を尊ぶ気持ちは健在なんですから、これが中世だったら、それこそ巡礼地になっていたかもしれませんね。う~む。

こういうのは理屈ではなく、信じる人の気持ちが大切だからなあ~。でも、本当のところどうなんだろう? 気になります。
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イスラエル考古学者がゴリアテ関連遺物を発見

イスラエル考古学者がゴリアテ関連遺物を発見 
【■世界キリスト教情報■第777信より以下、転載】
【エルサレム=ENI・CJC】聖地で約3000年前の聖書にも関係があると見られるものが相次ぎ発見されたことから、イスラエルの考古学者の関心が高まっている。

 聖書サムエル記上にある、青年ダビデが打ち勝ったペリシテの巨人戦士ゴリアト(ゴリアテ)の名前が刻まれた陶器の破片が古代ペリシテの都市ガトの遺跡で発掘された。ゴリアテの存在を、聖書以外で初めて裏付けるもの。

 「ゴリアテ」の文字を発見した考古学者アラン・マイア教授(バルイラン大学)は、それがあの戦士ゴリアテについて言及したものである可能性は「ほとんどない」が、「ゴリアテ」が当時のペリシテでは普通にある名前だったことを示していると言う。陶器破片は紀元前950年ごろのものと見られる。ダビデとゴリアテの物語について聖書から推定される時期からは約100年後のこととなる。

 ゴリアテが住んでいたガトは、地中海沿岸の都市アシュケロンとエルサレムの中間に位置する。「これはゴリアテの聖書物語が事実上、当時の地域文化に基づいている証拠を提示したものであろう」とマイア氏は言う。

 また米ピッツバーグ神学校の考古学者ロン・E・タピー氏は、エルサレム近郊テルザイトの発掘で発した石片に古代イスラエル文字が書き入れられている、と発表した。紀元前10世紀ごろのものと見られる。この文字はテルザイトが、ダビデ王とその息子ソロモンによって統治、拡張された王国で繁栄した国境の町であったことを示すものと見られる。

 これまで多くの考古学者が、ダビデとソロモンは聖書に描かれているような王国建設者ではなく族長に過ぎなかったと主張していた。タピー氏は、国境の町が大規模で繁栄していたとすれば、ダビデとソロモンの下でイスラエルの歴史上、最盛期であったという聖書の説明を支持することになる、と語った

えっ、伝説の話でなくて本当だったの? ダビデやソロモンまで絡む壮大なスケールの話でなんか期待してしまいますね。でも、どこまでが本当なんだろう? 以前に「イエスの弟の石棺」というのが見つかって大騒ぎしたけど、あれも贋物だったしなあ・・・? 最近、いささか疑り深くなっている私。

【追記】exciteのニュース記事にもありました。
本当に起こった聖書物語? イスラエルで考古学発見
【以下、転載】
[ラマトガン(イスラエル) 13日 ロイター] 聖書にある、ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテを倒したエピソードが本当に起こった事件だということを示す考古学的証拠がはじめて見つかったという。イスラエルの研究者が発表した。

十年にわたって発掘が行われている南イスラエルの遺跡から出てきた陶器の破片に、初期セム語の文字で、"Alwat""Wlt"と記されているのが発見された。発掘活動を監督するアレン・マイヤーによれば、これは「ゴリアテ」をペリシテ式に訳したものとみられるという。

「これは画期的な発見です」彼は錆色をした陶器の破片を指して言う。「私たちはいま、聖書に登場するゴリアテが後世の文学的産物ではないことを示す素晴らしい証拠を手にしています」

テルアビブ近郊にあるバーイラン大学の考古学部長であるマイヤーがロイターに語ったところによると、ボウルの一部であるとみられているかけらは、テル・ツァフィート の地下およそ2メートルあたりに発見されたそうだ。

発掘現場は、聖書にゴリアテの故郷であると記されている古代都市があった場所だと信じられている。

後にイスラエルの王となるダビデが、自分よりもずっと大きい巨人ゴリアテを倒す物語は、困難を越えた善の悪に対する勝利のメタファーとして人気が高い。

マイヤー曰く、発見された陶器は紀元前900年前後のもので、紀元前1000年あたりの人物とみられるゴリアテ自身のものだったとするには新しすぎる。

しかし彼は続ける。「私たちがイスラエルでゴリアテ、またはゴリアテのような名前を発見したのは、これがはじめてです」

「額に穴のあいたゴリアテの頭蓋骨を見つけたというわけではありませんが、しかしこれはペリシテの土地で発見された、物語に強い信憑性を与える初の考古学的証拠なのです」アメリカ出身の研究者は言う。

サムエル記上17:4-10によれば、重装備の巨人ゴリアテは、イスラエル人の兵士に決闘を申し出た。そのとき羊飼いだったダビデは挑戦を受け、投石機と石で巨人を倒した。

また、この陶器の破片はイスラエルで発見された最古のペリシテ語の記述だという。

「これまでに私たちがペリシテ人について知っていることのほとんどは、聖書の視点によるもので、それは非常に主観的です。彼らは悪者で野蛮であり、私たちは彼らの良い点を知り得ていないのです」マイヤーは言う。

「考古学的な観点からペリシテ人を見ると、非常に豊かで、ダイナミックで、魅惑的かつ高度な文化があった証拠が残っているのです」

マイヤー曰く、発見の検証には他の研究者たちと協力して数ヶ月が費やされたという。 また今月中に、アメリカで行われる学会で議論がなされる予定とのこと。
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2005年11月20日

赤い火星と明るい月…何かが起こる?

丸くて明るい月

実は先週、知人から教えてもらって初めて知ったのだが、今は火星がはっきりと見えるらしい。満月とは言えないまでもそれなりに丸い月は明るいし、帰宅途中にじょうがや兎のことを想像しつつ、眺めていたのだが・・・。

月を観ながら無粋にも電話していたら、こう言われた。
「月が見えるなら、火星も見えてるんじゃない? 赤い光が見えない?」
実は、この明るい光には何日か前から気付いていたのだが、余りにも真っ赤なので遠くの何かの照明が星のように見えているのだと勝手に判断していたのだ。だって、赤い火星が肉眼ではっきり見えるなんて、知らなかったもの。金星や北極星なら、明るく見えることは知っていたけどね。

火星なんて、私にとっては火星人が住む星という以上の知識はないし(どんな知識だ?)、本当にビックリ!? 赤々と輝く様は、ちょっと異様な感じがする。どうみても、なんかのビルか塔の照明という感じなのだが、よく考えてみればうちのような田舎にそんな高い建物など無いわけで私的にはちょっとした刺激にだったりする。

肉眼では綺麗なのでいつか写真に撮ろうと思いつつ、今週も終わってしまったので先ほど慌てて夜中の12時でデジカメを持って玄関からパチリ。

さてさて、写っているだろうか? さすがに肉眼ほど、綺麗には写らなかったが、これもまた一興。お粗末ながら、深夜の星空を公開してみよう。(上の写真が月で、下の写真が火星)

赤い火星

一番上の月の写真だが、夜の8時に見た時はもっと丸かったのに・・・。と思っていたら、どうやら一部が雲に隠れてしまい、いびつな丸さの月になってしまった。この月光では、狼男に変身することは難しそうである。

肉眼では、もっと&もっと赤い月。火星人が来るのはいつのことだろう?年末は忙しいので年明けにして欲しいなあ(笑顔)。

関連サイト
接近中の火星の砂嵐、ハッブル宇宙望遠鏡がとらえた

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2005年11月14日

イスラエルの「アルマゲドン」近くに教会跡、聖地最古か

イスラエルの「アルマゲドン」近くに教会跡、聖地最古か、の記事
イスラエル・メギッド刑務所――新約聖書に善と悪の最終決戦の場所として言及されるイスラエル北部ハルマゲドン(アルマゲドン)近郊のメギド刑務所で、紀元3世紀のものと思われる教会跡が見つかった。イスラエルの考古学者たちによると、同国最古の教会かもしれないという。

AP通信によると、新棟建設のための拡張工事を控え、現場の発掘作業中だった受刑者が6日、土中から教会の床部分だったと見られるモザイク画2枚を発見した。

1枚は初期キリスト教の象徴だった魚がモザイクで描かれている。もう1枚には「神である主イエス・キリスト」を称える教会建設のために寄付をした「アケトウス」という名の女性と、ローマ士官について記されていた。

この地域は3~4世紀当時、古代ローマ帝国の支配下にあり、キリスト教は認められていなかった。

発掘を指揮する考古学者ヨタム・テッパー氏によると、教会跡の年代特定には、発掘された陶器やモザイク画の幾何学模様、ギリシャ文字の様式などが手がかりになる。さらに、4世紀以降の教会では「十字架」がキリストの象徴として使われるが、ここではそれ以前に主流だった「魚」が使われているため、教会跡は3世紀ごろのものだと判断できるという。

「アケトウス」という名の女性が、教会にテーブルを寄贈したことも書かれており、モザイク画と一緒にテーブルの断片も見つかった。

テッパー氏によると、4世紀末のローマ帝国分裂とキリスト教の国教化より前は、キリスト教のミサは祭壇ではなくテーブルを使っていた。このことも、教会の年代特定の資料となる。

テッパー氏は今後も発掘調査を続行するとしている。建設予定の刑務所新棟には、パレスチナ人の受刑者約1200人が収容される見込み。

ローマ法王庁も今回の発見を喜び、在イスラエルのバチカン大使ピエトロ・サンビ大司教は、「こういった発見によって、イスラエルが全世界のキリスト教徒にとってこれまで以上に興味深い場所となる。教会と美しいモザイク画が本当に3世紀当時のものだとすれば、中東地域でも最も古い教会のひとつだろう」と話している。

以前、ローマのカタコンベに入った時も、古いキリスト教徒のシルシとしてギリシア語で書かれた文字と魚の絵を見たことがあるが、こういう記事ってなんかワクワクして大好き!!
友人が先週教えてくれたのですが、今頃慌ててUP!
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2005年11月08日

読みたいページだけを購入、Amazon.comが新サービスを計画

読みたいページだけを購入、Amazon.comが新サービスを計画
【以下、転載】
オンライン音楽ストアの登場で、音楽はCD単位ではなく、1曲単位で購入できるようになった。書籍でも同様に、消費者が必要なページやチャプターだけを購入できるようにするサービスを米Amazon.comが計画している。

このサービスは「Amazon Pages」と呼ばれており、Amazon.comは「"本を購入して、読む"という体験を解体する」と説明している。ユーザーは、必要なページやセクション、またはチャプターだけを購入して、オンラインで読む。同社の説明では、マーケティングについて調べているビジネスマンが、ビジネス書から関連するチャプターだけを購入するという例が挙げられている。米国では11月末の感謝祭に七面鳥を食べる慣習があるが、この時期に料理本から七面鳥料理のページだけを購入するというケースも考えられる。

同社はまた、「Amazon Upgrade」というサービスも計画している。これは本を購入したユーザーが同時にオンライン版にもアクセスできるようになる。たとえばプログラミングの本を購入した人が、会社などでその内容を参考にしたい時に、Webブラウザを使える環境ならば、どこからでも本の内容にアクセスできる。友達の家で「あの本のあのレシピを作りたい!」という時でも、すぐに呼び出せる。

どちらのサービスも同社が2年前から提供している書籍の本文検索サービス「Search Inside the Book」が土台になっている。「Amazon PagesとAmazon Upgradeは、Search Inside the Bookの技術を使って、本の購入や読書に、これまでにない柔軟性をもたらそうとしている」とAmazon.comの創設者であるJeff Bezos氏。またHoltzbrinck PublishersのJohn Sargent、CEOは「出版社や著作者が正当な利益を得られる形で、デジタル配信を活用した新しいビジネスモデルを探求することが、これからの出版コミュニティでは重要になる」とコメントしている。

ついにここまで来たのか・・・非常に感慨深いです。図書館で資料本を探し、必要な一部分だけを選んでコピーを取る。それが全てネットで出来てしまうわけですね。学術書とか、特殊且つ高価な本で需要がありそう。便利で素晴らしい反面、出版社とか著者にもきちんと利益が分配される仕組みになっているといいんですけどね。

やっぱりこれからの10年ぐらいはamazonとgoogle無しには過ごせない時代なのかなあ~?いいような悪いような???微妙な気持ちです。
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2005年11月01日

事前に本の中身をチェック Amazon.co.jp、書籍全文検索を開始

事前に本の中身をチェック Amazon.co.jp、書籍全文検索を開始、の記事
【以下、転載】
Amazonで書籍全文検索の国内サービス「なか見!検索」がスタート。合計13万冊以上が対象で、書籍の中身をそのまま、購入前に閲覧できる。

 「Amazon.co.jp」を運営するアマゾンジャパンは11月1日、書籍を購入前に全文検索・閲覧が可能な「なか見!検索」を始めた。米国などで開始済みの「Search Inside!」の日本語版で、和書と洋書合計13万冊以上が対象。必要な書籍を見つけやすくなる上、事前に書籍の中身を確認してから購入できるようになり、ユーザーの利便性が高まるとしている。


 現在の書籍検索機能から統合的に利用できる。検索窓に探したい単語などを入力して検索すると、書名のヒット分に加えて、書籍内の全文検索結果も別タブで選んで表示できる。

 検索結果ページには、全文検索にヒットした箇所の引用が表示され、クリックすると実際の書籍の該当ページが表示される。デザインやレイアウト、写真、挿絵などは実際の書籍と同じ状態で閲覧可能だ。

書籍表示画面では、目次・索引へのジャンプや拡大表示なども可能になっている

 ただ、閲覧できるのは、検索でヒットしたページから前後2ページ分に限られ、別の検索語で閲覧を繰り返しても全ページの閲覧はできない仕組みになっているという。書籍内を閲覧するには過去に同社で商品を購入したことがあるのが条件で、サインインしておく必要もある。「著作権保護のため制限をかけながら、利便性とのバランスをとった」(同社)

 対象となるのは講談社やソフトバンククリエイティブ、日経BP出版センターなど国内外の合計約280社の13万冊以上。国内出版社と和書の割合は非公開だとしている。書籍のデータ化はアマゾンが行い、現時点では出版者側に費用は発生していないという。

 新サービスは、米Amazon.comが2003年10月に始めた「Search Inside!」の日本語版。英国では今年7月、ドイツとカナダでは8月に始めた。

またまた、アマゾンの優位が増しますね。amazon VS googleの熾烈な争いが続きますが、確かに便利。書名だけでは、よく分かんないもんね。実際に先ほど使ってみましたが、なかなかいいカンジかも。
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2005年09月25日

洗濯屋で起きた「奇跡」=ローマ法王の服がよみがえる=シミ抜き成し遂げ=バチカンに申請へ=聖市の追田さん

洗濯屋で起きた「奇跡」=ローマ法王の服がよみがえる=シミ抜き成し遂げ=バチカンに申請へ=聖市の追田さん、の記事
【以下、転載】
ローマ法王の服を洗濯した日本人がいる。聖市でクリーニング店「SAN・TAIO」を営む追田空海雄さん(60、北海道出身)だ。教皇ヨハネス二十三世の法服のクリーニングを引受けた追田さんは研究の末、他店がさじを投げた汚れを落とし、法服を復活させた。洗濯屋で起こった「奇跡」とは―。
 本紙連載「日系洗濯屋の歴史」でも紹介した「SAN・TAIO」。全国から依頼の品が届けられる、国内有数の店だ。アルマーニやクリスチャン・ディオールといった有名ブランドがブラジル国内の指定業者として追田さんの店を挙げていることからも、その技術の高さがうかがえる。
 追田さんのもとにパラナ州パラナグア市のカトリック教団「INSTITUTO PALAZZOLO」から仕事の依頼があったのは七月のこと。
 依頼されたのはカトリックの白い法服。木綿と絹からできており、表面には金の刺繍が一面にほどこされていた。
 「持って来た時『これは駄目だ』と思いました」と追田さんは振り返る。赤の裏地から染み出した色が白い表面を染め、金の刺繍は化学反応を起こして青味がかった状態になっていた。
 「死んだ人を生かすようなもの。これはなおらない」。訪れた教団関係者に告げると、その女性が口を開いた。件の法服は二百六十一代教皇・福者ヨハネス二十三世(在位一九五八―六三)の法服で、〇四年にバチカンを訪れた際に受け取ったものなのだという。
 サンパウロの別のクリーニング店に出したが失敗してしまった。あちこち訪ね歩くうちに追田さんの店の噂を聞き、持ち込まれたのだった。
 その法服のある場所を聞いて追田さんは驚いた。パラナ州ウニオン・ダ・ヴィトリア。天理教会に携わっていた父の春雄さんが三十五年前、神殿建築の材料を得たのも同じところだったからだ。
 「言葉もよく分からない頃でしたが当時の市長が尽力してくれました。『三十五年前のことが今ここに来ている』と思いました」。追田さんは依頼を受けようと決断する。七月七日、七夕の日のことだった。
 既に薬品を使った古い布。作業の途中で水に溶けてしまうか、穴が開いて使い物にならなくなる恐れがあった。繊維関係の技術者に相談しテストを繰り返したが赤色は抜けない。全員の答えが「ノー」だった。
 そんなある夜、追田さんの夢枕に白い服を着た男性が現れた。男性はポルトガル語で「どうしてそんなに心配する。Voce sabe fazer.いつもやっているようにやればできる」と追田さんに語りかけたという。そして二十三日、作業は朝から始まった。
 法服の上にかける「エストーラ」と呼ばれる、六十四グラムの細長い布。湯に薬品を入れ、通常なら三十分程度で終わる作業だ。しかし色は落ちない。再び薬品を足すがやはり駄目。作業を繰り返すうちに四時間が過ぎていた。
 「もう少しやってみよう」。再び薬品を入れ、他のシミ抜きの作業を終え戻ってきた時だった。器のふたを開けると「朝日が上るように」エストーラから赤い色が細い糸のように出てきたという。「その時の感激といったら」と追田さんは声を高める。
 「すごい声で怒鳴ったらしいです」。事務所にいた夫人と長男が何事かと飛び出してきた。汗だくの追田さん。涙が出ているのかもわからない。
 染み込んだ赤色はきれいに抜けてきた。仕上げが終わった時、四時間二十三分が過ぎていた。乾いたエストーラは、白は白色に、金の刺繍は元の金色に戻っていた。翌日、追田さんは墓参に出かけたそうだ。
 元に戻ったエストーラを見て教団関係者は法服本体(カズーラ)のクリーニングも依頼してきた。六十四グラムの布で四時間以上。服全体では何日かかるか想像もできない。「これから一大仕事だ」、家族四人で取り掛かった。
 ところが、今度は作業をはじめるとすぐに色が抜けはじめ、一時間で仕上がってしまった。薬品も前回の半分以下しか使わなかったという。
 八月二十四日、シスターと教団関係者が追田さんを訪ね、感謝状を贈った。感謝状には法服の写真とともに、教団からの感謝の言葉とヨハネス二十三世が残した十か条の教えの言葉が記されている。
 追田さんは結局、クリーニング代を受け取らなかった。その代わり、来月に行われる娘さんの結婚式で、司祭がその法服を着て式を執り行なうことが決まった。「光栄ですね」、追田さんは嬉しそうに語る。
 同教団では、今回の一連の出来事を「奇跡」としてバチカンに申請することにした。追田さんだけでなく、法服に関わった人たちの手紙や身の回りに起こったことの記録がバチカンに収められるという。
とっても素晴らしい出来事だし、立派な技術を持っている職人さんはすごいと思うのですが、これって奇蹟なんでしょうか? 本当に申請したのかな? 技術の素晴らしさと奇蹟とは別なように感じるのですが…。私が大好きなブラジルの記事らしいので一応、ここで採り上げてみました。ああ~、また行ってみたいなブラジル。知り合いにサンパウロ新聞の記者さんがいますが、そちらの新聞では採り上げているのでしょうか???
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2005年06月23日

ハイテクカメラがシナイ写本の謎を解く

ハイテクカメラがシナイ写本の謎を解く、の記事

なんかいいね、世界最古の修道院で古代キリスト教の写本をデジタル技術で解析し、WEBで公開することを目指しているんだって。こういう技術の使われ方って、いいよね。まさに技術革新の恩恵って感じ。ハッカーになってクレカの情報をハッキングしてリークするような社会って、うんざりするもん。

【大元はロイターらしいです。以下、転載】
○ハイテクカメラがシナイ写本の謎を解く
72メガピクセルのカメラとハイパースペクトラルイメージング技術を駆使し、修道士と学者たちは現存する世界最古の聖書をデジタルでよみがえらせようとしている。(ロイター)

 世界最古の修道院が、シナイ砂漠の砦の中で何世紀も保存されていた古代キリスト教の教本に、ハイテクカメラで新たな光をあてようとしている。

 聖カタリナ修道院はこの技術を使って、シナイ写本――現存する世界最古の聖書――のページなど、世界最初のキリスト教本の一部をより完全に理解できるようになると期待している。

 ハイパースペクトラルイメージングと呼ばれるこの技術は、カメラを使ってさまざまな波長の光で羊皮紙の写真を撮り、時間の経過や後の重ね書きによって不明瞭になった文字を際だたせる。

 この技術により、学者らはギリシャ語のシナイ写本に加えられた修正を理解できるはずだ。シナイ写本は330~350年に書かれ、ローマのコンスタンティヌス帝が編集させた50部の聖典のうちの1つと考えられている。

 「それぞれの筆写者による修正をすべて見れば、その筆写者が修正にあたって則った原則が明らかになる」と修道院の司書ジャスティン神父は語る。

 聖カタリナ修道院との合同プロジェクトとして、シナイ写本の大半を持つ英独露の図書館も写本のページや断片をスキャンし、デジタルでそれを復元する。

○失われた写本
 聖カタリナ修道院は19世紀半ばまでシナイ写本を保存していたが、その後写本の大半はドイツの学者がロシアに持ち去り、返還されなかった。ロシアは1993年に写本のページを英国図書館に売却、同図書館は今でもこれらのページを保存している。

 同院の修道僧らは1975年まで、シナイ写本は丸ごと欧州に持ち去られたと考えていたが、同年に12のページと15の断片が、数千のほかの羊皮紙や断片とともに、崩壊した天井の下に埋もれていた忘れ去られた部屋で発見された。

 シナイ写本返還の望みを失っていなかった同院は、写本の近代史を含めることを条件にプロジェクトへの参加に同意した。

 同院の修道僧は、ドイツの学者が残した写本の返還を約束する覚え書きのコピーを額に入れて保存している。ロシア公文書保管所にある非公開の書類により、これが聖カタリナ修道院に残された状況が解明されるかもしれない。

 ロシアには、同院の修道僧がシナイ写本を売却あるいは寄贈したことを示す文書があるかもしれない。しかし、それら文書の入手が強引に行われたのではないかという疑問は依然として残っているとジャスティン神父。

 「彼らの保管所にそうした書類が見つかれば、われわれはそれを受け入れなくてはならない。そうでないなら、われわれには権利がある。しかし、たとえそのような書類があったとしても、どのような方法でシナイ写本を入手したのかが問題だ」と聖カタリナ修道院のダミアノス大司教は語る。

 英国とドイツにあるシナイ写本のページは保存状態が良いためそのまま写真を撮れるが、聖カタリナ修道院にあったページはそのプロセスを行えるよう復元する必要がある。

 「ページの一部は発見されたときくしゃくしゃになっていたため、広げなくてはならない」と聖カタリナ修道院のプロジェクトにアドバイザーとして参加している書籍史学者のニコラス・ピックウード氏は語る。

 同院は、3304冊の写本と1700本の巻物のコレクション――バチカン以外で初期のキリスト教本のコレクションとしては最大のものだ――の中のシナイ写本やその他の資料を取り扱うための保全作業所を設置する計画だ。

 さらに、このコレクションを収めるための新しい図書館も建てる予定だ。このコレクションは同院から離れた場所で、乾燥した砂漠の気候の中、修道僧の手により保存されていた。「これだけのコレクションはほかにない。並ぶものはない」とピックウード氏。

○シリア写本の謎も
 ハイパースペクトラルイメージングは、聖カタリナ修道院のもう1つの重要な写本――シリア写本の読解にも利用される。

 この技術を使えば、5世紀の色あせた写本の、目に見える8世紀の文字の下にあるかすかな跡も読み取れるはずだ。下にあるのは、2世紀に書かれた新約聖書の翻訳だ。

 19世紀に、学者らは化学物質を使ってこの写本の下に書かれている文字を一時的に見えるようにしたが、そのせいで羊皮紙が余計にもろくなってしまった。「まだこの写本のすべての内容が解明されていないのはほぼ確実だ」とピックウード氏。

 波打った羊皮紙を写真に撮るには、最大「4台のカメラで異なる角度から撮影し、その画像をつなぎ合わせて、電子的に引っ張って平らにしなくてはならないかもしれない。物理的に引っ張って平らにすることはできない可能性があるからだ」という。

 この技術は、2~3の石碑に刻まれたものしか残っていない言語のかすかな手書きの筆跡を読むのにも応用できるかもしれない。8~9世紀のグルジア後の写本のページにそうした跡が見られる。

 テキサス出身のジャスティン神父は、最大72メガピクセルの解像度で撮影できるカメラを使って、聖カタリナ修道院の比較的保存状態の良い写本の一部をデジタル化する作業を開始している。

 「わたしがシナイに来たとき、砂漠で暮らすことになった。コンピュータを使って写真を撮って、年に4回ロンドンに行くことになるとは思わなかった」(ジャスティン神父)

 聖カタリナ修道院は、2006年半ばまでに100の写本を撮影して、Webサイトからアクセスできるようにすることを目指している。「3000のうちわずか100でも、重要な学術リソースになるだろう」と同氏。

 書籍史学者は現在、写本の状態とそのバインディングの物理的な特徴を目録化しているところだ。これらのうち50%が原本だという。

 「写本がどこにあったのか、どこから来たのかを示す証拠はバインディングの方法にあることが多い」(ピックウード氏)

 修復士は写本から払ったちりまで保存している。その中に含まれる花粉や種が、ペルシャ語、アムハラ語、ヘブライ語で書かれた教本が、どのようにしてシナイ砂漠の真ん中にたどり着いたのかを示す証拠になるかもしれないからだ。
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バチカン:前ローマ法王が「聖人」 列福調査を正式開始へ

バチカン:前ローマ法王が「聖人」列福調査を正式開始へ、の記事
【毎日新聞より転載】
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84歳で死去)を「聖人」とするため、法王庁(バチカン)は28日から、その前段となる列福調査を正式に開始する。前法王の死を惜しむカトリック教徒の要望に応えたもので、過去の法王に比べ異例に早い手続きのスタートとなる。

 聖人とはキリストの教えに忠実に生き、信徒の模範となった故人に与えられる位。殉教者のほか英雄的教徒が対象となる。列聖調査を経て決まるが、まず「福者」に列(つら)ねられねばならない。列福調査は原則として死後5年経過しないと始められないとされてきたが、4月2日の前法王死去後、「早く聖人に」という声が沸き起こり、法王ベネディクト16世は規定を免じ、速やかな列福調査開始を許可した。

 調査開始の式典は28日夜、ローマのサンジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂で営まれる。以後、前法王の残した書簡や資料、周囲の証言が精査され、法王庁列福列聖省などでの審議を経て、福者に認証される。列聖調査はその後行われるが、いずれも「祈りにより不治の病を治した」など「奇跡」を起こした記録が必要となる。

 列聖された最後の法王はピオ10世(在位1903~14年)で、ピオ9世(同1846~78年)とヨハネ23世(同1958~63年)は00年9月の列福後、現在、列聖調査中。列福、列聖までには相当の歳月がかかるが、聖人となった場合「聖」の称号がつくほか、カトリック教会での祝日ができ、記念する聖堂や祭壇が作られるという。

 ヨハネ・パウロ2世は在位中、1997年9月に死去したマザー・テレサの列福調査を早め、03年10月にスピード列福させた例がある。
お亡くなりになられた当初から、この手の記事は時々、目にしていましたがいよいよ正式に始まったようですので、一応採り上げておきます。

この場合の奇跡って、どれなんだろう?銃で撃たれたけど、マリア様のおかげで弾がそれたのも奇跡の一つ? この記事だと「聖人」へ向けてとあるけど、福者だけでなく聖人となると奇跡も複数必要だったような? ちょっと詳しいこと知らないんですが、奇跡の内容が気になりますね。あと、聖人になられたら、当然ご利益あるんですよね。いろんなものが聖遺物として祀られるのでしょうか?その辺りも興味深いです。最近、聖遺物の出てくる本ばかり読んでるな私。
posted by alice-room at 01:41| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

バチカンと聖公会が『シアトル声明』

バチカンと聖公会が『シアトル声明』(世界キリスト教情報より転載)
【ロンドン=CJC】バチカン(ローマ教皇庁)と聖公会共同体(アングリカ・コミュニオン)の代表が米シアトルで会合、5月16日に共同で『シアトル声明』を発表する。教義と教会の実際の場においてマリアの地位をどう定めるか共通理解に達したものをまとめる。

 声明の主題『マリア=キリストにおける恩寵(おんちょう)と希望』は、キリスト教信仰と献身という重要な課題に関して、両派が行って来た対話の結実として最初のもの。

 両派は『アングリカン=ローマ・カトリック国際委員会』(ARCIC)を設け、対話を重ねて来た。正式には教皇庁キリスト教一致評議会とアングリカン評議会(ACC)の共催とされている。
これって、前法王のヨハネ・パウロ2世の時に、ファティマの奇跡とかがあって、相当マリア崇拝に傾いたのを揺り戻すということなのかな? この記事では内容がイマイチ分からないんですが…。まあ、それ以上に私がものを知らないので誤解している可能性が多分にあるんですけどね。

でも大変ですね。既にキリスト教も2000年を経て、聖母マリアをどう捉えるかということを決めていかなければならないというのは。そうすると、やはりマグダラのマリアの位置付けとかは、更に時間がかかるのでしょうか??? 最近、すっごく関心があるんですけど。今後も時代と共に変わっていきそうですね。もっとも未だに成長し、時代に適応するというのは生きている宗教故の課題で必然的に生じるものかもしれません。
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2005年04月21日

法王ケーキに、「パパ・ラッツィ」の文字入りTシャツ

「法王ケーキ」も登場 母国ドイツで便乗商売、の記事(以下、転載)
 ドイツ人枢機卿ヨゼフ・ラツィンガー氏がローマ法王に選出されてから一夜明けた20日、母国ドイツでは新法王に便乗したビジネスが本格的に始まった。

 人口約2500人の出身地、南部マルクトルでは、2つのパン屋が選出前から「バチカン・パン」や「ラツィンガー・ケーキ」を売り出したが、20日には客をさばききれないほどの盛況となった。

 インターネット競売大手イーベイによると、20日午後までに新法王にちなんだ商品が550点以上出品され、自筆サイン入りの写真は200ユーロ(約2万8000円)の値段をつけた。「パパ」(法王)と「ラツィンガー」を組み合わせ、有名人を追っ掛けるカメラマン「パパラッチ」に引っかけた「パパ・ラッツィ」の文字入りTシャツも出品された。

 書籍などのネット販売大手アマゾンのドイツ法人によると、20日には売り上げベストテンにラツィンガー氏の著書が7冊入り、バチカンが「キリスト教を侮辱している」と批判した世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)の売り上げを追い抜いた。
便乗商法は世界どこにいっても花盛りってことですが。でも、pope&ラッツィンガーでパパ・ラッツィーってすごくない?最強ですね(大爆笑)。少なくとも小泉首相まで言ってしまった「根競べ」よりはマシでしょう。うちのブログでも以前書いてしまったような気がしますが・・・忘れたことにして。

日本でも売り出さないかな? こういうユーモアは大切だもんね。オヤジギャグにならなければ・・・(ギリかな)。
posted by alice-room at 19:53| 埼玉 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

新教皇ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)略歴

新教皇ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)略歴
(カトリック中央協議会より転載)
前教皇庁教理省長官、教皇庁聖書委員会委員長、教皇庁国際神学委員会委員長、首席枢機卿

1927年4月16日 ドイツ・バイエルンのマルクトル・アム・インに生れる
(78歳)
1951年6月29日 司祭叙階
父親は下バイエルンの伝統的な農家出身で、警察官であった。トラウンシュタインで青年時代を過ごし、第二次世界大戦の最後の数ヶ月間、対空防衛補助活動に従事。1946年から、1951年に司祭に叙階され、教え始めるまでの間、ミュンヘン大学とフライジング大学で哲学と神学を学ぶ。1953年に「聖アウグスチヌスの教会論における神の民と神の家」のテーマで神学博士号取得。4年後、大学教授資格を得る。フライジング大学で教義と基礎神学を、次いで1959~1969年までボンで、1963~1966年までミュンスターで、1966~1969年までチュービンゲンで神学を教えた。1969年からレゲンスブルク大学教義神学・教義史教授、また同大学副学長。

1962年、35歳でケルン大司教ヨセフ・フリングスに同行して第2バチカン公会議顧問になる。著書『キリスト教入門』を1968年に、『教義と啓示』を1973年に刊行。

1977年3月25日 パウロ六世によりミュンヘン・フライジング大司教に任命される
1977年5月28日 司教叙階
教区司祭がバヴァリア教区の司教となったのは80年ぶりであった。
1977年6月27日 パウロ六世により枢機卿親任
1980年 第5回シノドス報告者
1981年11月25日 教皇ヨハネ・パウロ二世により教皇庁教理省長官、聖書委員会・国際神学委員会委員長に任命される
1982年2月15日 ミュンヘン・フライジング名誉大司教
1983年 第6回シノドス議長代理
1986~92年 『カトリック教会のカテキズム』編纂委員会委員長
1998年11月6日 枢機卿団首席枢機卿代理に選出される
1999年11月10日 マリア・サンティッシマ・アスンタ自由大学名誉法学博士
2000年11月13日 教皇庁科学アカデミー名誉会員
2002年11月30日 首席枢機卿となる
2005年4月19日 第265代教皇に選出され、ベネディクト16世を名乗る
ドイツ人の教皇の選出は、ヴィクトル二世(在位1055~1057年)以来950年ぶり。

教皇庁国務省外務局委員
教皇庁東方教会省、典礼秘跡省、司教省、福音宣教省、教育省委員
教皇庁キリスト教一致推進評議会、文化評議会委員
ラテン・アメリカ委員会、エクレジア・デイ委員会委員
正統派中の正統派で、前法王の側近。しかも教理聖省の長官で正当信仰の守護者であり、様々な奇跡の認定(ファティマの予言等)や聖人の列聖(オプス・デイの創始者等々)を司ってこられた方です。とりあえず、メモ&メモ。
posted by alice-room at 14:29| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

コンクラーベはダラダラ会議と買収スキャンダルへの反省に起源

コンクラーベはダラダラ会議と買収スキャンダルへの反省に起源、の記事(以下、転載)
 【バチカン市19日】故ヨハネ・パウロ2世の後継ローマ法王を選ぶ選挙会議(コンクラーベ)は枢機卿たちが缶詰になった形で2日目の19日、ようやく新法王ベネディクト16世を選出した。ところでコンクラーベの語源はラテン語の「カギをかけて」(conclave)。新法王選出までに何年もかかったり、買収工作が横行した反省から、枢機卿たちに食べ物を与えず、外部との接触も断って早期かつ公正に選挙を行うため13世紀に缶詰会議が生まれた。(写真はコンクラーベ会議場のシスティナ礼拝堂につながるバチカン美術館の正門)

 1268年11月29日に死去した法王クレメント4世の後継選挙は各種の政治勢力の圧力のおかげで決着しなかった。怒った群衆が選挙会議の建物を包囲、屋根を引き剥がし、枢機卿たちにパンと水しか与えなかった結果、2年9カ月後の1271年9月1日にようやく新法王が決定した。新法王のグレゴリオ10世は1274年、法王選挙のガイドラインを発布した。その内容は、法王の死去後10日以内に選挙会議を開始し、新法王決定までは枢機卿たちをスパルタ的な監禁状態に置くというものだった。

 ただし、コンクラーベが長引いた場合は枢機卿たちの食べ物を減らしていくというグレゴリオ10世のお触れはその後、撤廃された。だが、13世紀のイノケント4世の選出以来、新法王決定に1カ月以上かかったコンクラーベは29回に及ぶ。法王が決まらない空位期間に権力欲と金銭欲に動かされた枢機卿が多かったと英大学の歴史家たちは指摘している。〔AFP=時事〕
このことは以前から知っていたのですが、その理由は小説「薔薇の名前」にその辺の説明がされていたりします。うちのブログでも何度か書いていたけど、記事になっているのは初めてみたので、メモ&メモ。

関連ブログ
法王を選出するコンクラーベ2
薔薇の名前(ウンベルト・エーコ 東京創元社) 抜き書き
薔薇の名前(映画)
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新法王、ナチス青年組織メンバーの経歴

新法王、ナチス青年組織メンバーの経歴、の記事(以下、転載)
【ローマ=藤原善晴】新法王ベネディクト16世が、1940年代にナチスの青年組織「ヒトラー・ユーゲント」のメンバーだったことが19日から20日にかけて、欧州各国のメディアで一斉に報じられた。
 バチカン発のロイター電によると、新法王は自伝で、加入が強制されていた時期に自身と兄がメンバーだったと記述している。

 バチカンのある神父は「新法王の父はナチスに批判的な警官で、自分の息子たちをナチス関係の活動に参加させまいと苦心していたと聞いている」と話している。
別に隠していた訳でもないんだろうし、当時の社会情勢的には止むを得なかったんでしょうけど…。あまり変に過去を採り上げて過剰な反応をしなければいいのですけど。

人にはみんないろんな過去があるんでしょうし、今どういうふうに生きているかが大切だと思うんですが…。
posted by alice-room at 14:02| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする

新法王にドイツのラッツィンガー枢機卿を選出=コンクラーベ

写真はAP通信による
新法王にドイツのラッツィンガー枢機卿を選出=コンクラーベ、の記事
(以下、転載。写真はAP通信による)
【ライブドア・ニュース 04月20日】- AP通信によると、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の後継法王を選出するコンクラーベ(法王選出会議)は2日目の19日午後の投票で、全世界11億人の信者を持つローマ・カトリック教会を率いる新法王にドイツ出身のヨゼフ・ラッツィンンガー枢機卿(78)を選出した。新法王は、今後、ベネディクト16世の法王名を名乗ることになった。

  ドイツ出身の法王が選ばれたのは、11世紀以来となる。新法王に選出後、ラッツィンガー枢機卿は、サンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を現し、広場に集まっていた数万人の信者に向かって手を振ると、人々から歓声が一斉に上がった。新法王は、「親愛なる兄弟姉妹、偉大なローマ法王ヨハネ・パウロ2世の後継者として、枢機卿団は主の園の純朴な働き手である私を選びました」と第一声を発すると、群衆は、「ベネディクト! ベネディクト!」との声援で応えた。

  ラッツィンガー枢機卿は、1981年以来、教理省長官を務め、前法王ヨハネ・パウロ2世を支えた。リベラル派のバチカン改革に抵抗する保守派の中心人物で、16日に78歳になったばかり。
順当に、最有力候補に決まったようです。新法王。ご存知のように教理聖省(大昔の異端審問所に当たります。代々ドミニコ派だったと思いますが、現在はよく分かりません)のトップを務められていた枢機卿の方です。正しいカトリック教義を守る為に尽力されてきた方ですから、保守派が今回のコンクラーベを制したというところでしょうか? 

急進派はやはり抑えられた形になりますから、今後の舵取りは基本的に亡きヨハネ・パウロ2世路線の継承ということなのかな。そのうち、詳しい経歴などもメディアがたくさん流すでしょうから、注意してみていきたいですね。

とにかく、世界に平和をもたらしてくれる人だといいですね。難問山積でしょうけど・・・。そうそう、法王名はベネディクト十六世とのことです。

【追記】
他にも関連する記事探してたら、なんかすごい表現の記事を発見!
ラッツィンガー枢機卿。バチカン教理省の長官を務め、「教義の番犬」の異名を取る

信仰について―ラッツィンガー枢機卿との対話(amazonリンク)こんな本があるんですね。読んでみようかな・・・思案中?
典礼の精神現代カトリック思想叢書 (21)(amazonリンク)おっと、さすが教理聖省の長官ですね。著作がありました。難しそうですね。
posted by alice-room at 03:07| 埼玉 ☁| Comment(6) | TrackBack(9) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする