2008年08月03日

「解読! アルキメデス写本」ウィリアム・ノエル、リヴィエル・ネッツ 光文社

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うちのブログの常連さんならお馴染みになってるかもしれませんが、羊皮紙は丈夫で軽くて長持ちし、非常に高価な為、古代からずっと通常は使い回しをされてきました。羊皮紙に描かれた写本は不要になると、表面を削られて新しい文字や絵が描かれます。

しかし、科学技術の進歩した現代では、な、なんと消されたはずの文字を復元することができたりするんだそうです!!

昨今では、長い歴史の中で失われた(とされた)貴重な文献が、その技術によって再発見され、目覚しい成果を挙げ、注目を浴びる技術だったりします。

現在でもバチカンでその為のプジェクトが推進されており、日本では 凸版印刷がバチカンに協力してそれを進めているのは非常に有名ですね。そういやあ~バチカン図書館は一時的に調査の為に、閉鎖が決まっていて世界中の研究者が慌てて閲覧申請出してる、な~んてのも海外のニュースでは出てますね(日本のマス・メディアでは流れませんけど)。

まあ、そういったことは楽しくて、話が飛びまくるので置いといて。
(うちのブログでも時々採り上げてるアレです!)

本書はまさに、その失われたはずのアルキメデスの知られざる『知識(発見)』が中世の祈祷書であったものから見つかったというノンフィクションのお話です。ニュートンでさえ、あのアルキメデスの創造した思考法路線の継承者であり、アルキメデスの延長線上に出るべくして出たというのは、本書を読んで初めて知りました。

また、それこそ本書の内容は、世紀の発見として世界中を騒然とさせたニュースであり、つい最近世界中で騒がれていた話題だったそうです。調べてみたら、すぐにBBCとか大手のメディアで見つかりました。日本で新聞読んでるだけで何にも知らないままでした私(恥ずかしい、というよりも悲しいな、うん)。

う~ん、もう少しそういうの頑張って欲しいですよね、日本のマス・メディア。海外のニュースがパリス・ヒルトンがどうとか、ネバーランドがどうしたとか個人的にはゴミのようなニュースばかりではなくてネ。

さて、本書の内容です。
ササビーズのオークションに出品された中世の祈祷書の写本。既に先達者がいて、祈祷書以前に書かれて写本の内容は発表されており、もうほとんど新しいものは見つからないと思われていたそうです。

しかもその写本には、権利関係を巡る紛争がおまけ付き。誰もがためらうような状況でのオークションでした。それを最後まで名前が明かされないパトロンが、かなりの高額で落札後、とある研究者に写本の調査を依頼してきたところから物語りは始まります。

多くの研究者が自らの時間を割いて、自主的に調査に参加すると共に、必要な調査の為の資金については、覆面のパトロンが適宜、惜しみなく援助する事で今回の世紀の大発見はなされたそうです。

今までは全く知られていなかったアルキメデスの真の『天才』の名にふさわしい科学史に燦然たる業績を、新たに確定した共に、本書はアルキメデスだけに限らず、他にも長い歴史で失われた貴重な古代の文献資料が多々見つかったそうです。そして、それは現在も進展中とのこと! いやあ~読んでいてワクワクしてしまいますね。

そして本書の中では、それらの調査の経緯や意義の他、アルキメデスの考え出した業績についてもたくさんの図形を使用して説明をしています。これはこれで面白そうなのですが、白状しちゃいますと、私は読みながら考える時間は無くて、ざっと流し読みしてましたこの部分。人によってはここがもっとも面白いかも? あるいは、幾何学系苦手の人なら、無理して読まない方がいい箇所かも? でも、論理的な思考できる方なら問題なさそうです。

アルキメデスが行っていたのは、何もないあの当時ですから、純粋な思考実験であり、古代であっても人間の思考能力は変わらないと思う以上に、よくぞそこまで思考を極めていったものだと驚愕することしきりです。確かに、非凡というのはこういうことを指すのでしょうね。昨今、論理的思考などと言われているものと比較すると、現代の水準の低さにアルキメデスは失望するかもしれません。それとも自分の思考を理解できる人がいることに素直に喜ばれるかな?

本書は、読む人の関心や能力によって、いくらでも読み方・楽しみ方が変わっていくタイプの本だと思います。実に興味深いです。私の関心があるゴシック建築には、当然、数学的知識「比」の概念なども必須なわけですが、まさに建築家達が持っていた知識は、アルキメデス譲りであったわけなんですね! うっ、うっ、人間ってやつあ~実に凄いし、素晴らしいです。同じ人間なのに、これほど違いがあるってのも、また別な意味で不思議ですが・・・・。

とにかく、エセインテリさんは是非読んどきましょう。知らないとそいつは無知ですぞ! 新しい発想には、こうしたスケールの大きいお話が大切です。一見、面白くて為になりそうな安直なビジネス書ばかりではなくて、こういう本こそ、ブレイクスルーを生み出すものでな・・・な~んて思っちゃいます!!


あとさ、本書内でもビル・ゲイツが買ったんではなくて良かったと書かれていたが、古文書漁りで名を馳せてますが、教養の無い人は駄目なんですかねぇ~。今回のプロジェクトが成功したのもいちいち審査を通さないと予算が下りないような公的資金などの学術予算ではなく、真に理解あるパトロンがいたおかげだと述べてますが、一方でこの本当に貴重な写本を台無しにしてのも、つい最近の個人であることも書かれていて、現代の抱える問題を考えさせられます。
【目次】
アメリカのアルキメデス;
シラクサのアルキメデス;
大レースに挑む第1部 破壊から生き残れるか;
視覚の科学;
大レースに挑む第2部 写本がたどった数奇な運命;
一九九九年に解読された『方法』―科学の素材;
プロジェクト最大の危機;
二〇〇一年に解き明かされた『方法』―ベールを脱いだ無限;
デジタル化されたパリンプセスト;
遊ぶアルキメデス―二〇〇三年の『ストマキオン』;
古きものに新しき光を

解読! アルキメデス写本(amazonリンク)

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2008年07月12日

「中世のアウトサイダー」フランツ イルジーグラー、アルノルト ラゾッタ 白水社

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タイトル通り、都市などの一定のまとまりを有する多数派(社会集団)に対して、その周辺に存在する少数派に注目して採り上げたもの。いつの時代にもこの手のアウトサイダーは存在し、現代でもホームレスや外国人の不法滞在者など、都市が抱える社会の構図は変わらないんだなあ~と痛感した。

豊富な古文書が残るドイツの資料を元に、そうした人々の生活の有様や彼らに対する人々の態度や扱われ方などを紹介している。

私は以前からそうなのだが、こうした小集団とかどちらかというと社会から疎外された人々に対しての関心が高く、体制からうさんくさく見られながらも真に『自由』な態度(しばしば「死への自由」に過ぎないかもしれないが)で生きていく姿に憧れる。

もっとも自分はアウトサイダーにまでなる度胸はないものの、そこそこそういった人と知り合いになってしまうのもその故か・・・・?

まあ、それはおいといて。
時々図版なども入っていて、飽きないし、読んでいて単純に面白いです。

例えば、中世において、乞食は立派な職業であり、貧者の生計の糧として社会的に承認されていた。病人や不具者、子供、老人などそれしかできない人々は、積極的にそれを職業として肯定され、キリスト教的精神から、食事や宿泊施設が提供されていたそうです。

一方でいつの時代にもいる、怠けてるだけで働けるのに乞食として生活しようとする者には、社会から種々の規制や罰則が課されていたのも頷けます。特に都市外部からの流入者に対しては、ひときわ厳しい目で見られていたようです。

他にも今に至るまで、西欧の都市で扱いが微妙なジプシーなど、自分たちと価値観も生活習慣も異なるまさに異分子で偏見に満ちた目で捉えながらも、彼らの占いなどには積極的に頼ったり、複雑に交差する交流があったりする。

あと娼婦なんかも必要悪として、消極的肯定とでもいうべき態度で都市からも認められていたものの、明確に差別はあり、それでいながら都市の上層部市民も頻繁に利用していたりとこれまた現代と変わらない姿が描かれています。

そしてその娼婦の市内での管理をしていたのが実は刑吏で、娼婦達から納められるお金も相当なものだったらしい。その刑吏自体が、同時にまたアウトサイダーであるのも道理である。ふむふむ。

まあ、思いつくままに書き記したが、こういうのがお好きな方には宜しいかと。時代は変わっても、国は変わっても、人々の心だけは変わりがないことを感じます。

アウトサイダーに対して、優しさをもって接する人もいれば、拒絶をもって接する人もいるのも変わりません。ただ、口先でいう以上に実際にどう接する事ができるかは、その人の度量や人生観によるんでしょうけどね。

本書は、読んで悪くない感じです。阿部謹也氏の本等と比べると、魅力は落ちますけどね。
【目次】
第1章 周辺集団とアウトサイダー
第2章 乞食とならず者、浮浪者とのらくら者
第3章 ハンセン病患者
第4章 心と頭を病む人びと
第5章 風呂屋と床屋、医者といかさま医者
第6章 大道芸人と楽士
第7章 魔法使い、占い女、狼男
第8章 ジプシー
第9章 娼婦
第10章 刑吏とその仲間
第11章 結論でなく、いかがわしい人びととまともな人びと
中世のアウトサイダー(amazonリンク)

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「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 講談社
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」藤代 幸一 法政大学出版局
「お風呂の歴史」ドミニック・ラティ 白水社
「狼男伝説」池上俊一 朝日新聞
「訴えられた遊女ネアイラ」デブラ ハメル 草思社
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2008年06月25日

「サンチャゴ巡礼の道」イーヴ ボティノー 河出書房新社

サンチャゴの巡礼を描いた本は、紀行文的なものになるか、歴史的なものになるか、どちらかに分類されるタイプが多いが本書はより包括的な視点で描こうとしている。

実際、本書で説明される「黄金伝説」からの聖ヤコブ伝説や「巡礼所案内」など、本書が出た当時には、日本語訳がなかったり、絶版になったりで大変貴重な情報源となる本だったと思う。

今でも情報的には盛りだくさんだと思うが、それぞれ本が再販されたり、日本語訳の本が出たりするに及んで、相対的な価値はだいぶ減少している。それぞれの部分を見る限りでは、より詳細に説明された本を読むほうが有用なのも事実だろう。

しかし、本書は類書にはない多角的な視点がある。読んでいてうざくなるのも事実だが、その視点の多様性だけでも読む価値のある本だと思う。

そうそう、本書を読んでいて驚いたのは、非常にしばしばエミール・マールの言が引用されていること。今まで読んだ本の中で、一番の引用度かもしれません。何気にエミール・マールのファンである私としては、嫌な気がするわけもありません。著者に共感を覚えます。

ただねぇ~、Ⅲの「旅の覚書」にはほとんど読む価値を認められないなあ~。時間がなければ、そこは飛ばしてもOKだと思います。
【目次】
Ⅰ巡礼の歴史
聖ヤコブの2回の発見
中世聖ヤコブ伝説
巡礼の繁栄と衰退
さまざまなルート
巡礼者・旅・歓待
フランス人と「道」への入植

Ⅱ巡礼の文化的諸問題
大司教テュルパンからジョゼフ・ベディエまで
大勢の聖者のなかでの使徒サンチャゴの図像学
サンチャゴへの道とロマネスク建築
サンチャゴへの道とロマネスク彫刻の誕生
生地彫り七宝の発端について

Ⅲ旅の覚書
サン・ブノア・シュル・ロアール
ヴェズレー
ル・ピュイ
コンクのサント・フォア
トゥールーズとピレネー山脈のほうへ
ル・ソンポールからプエンテ・ラ・レイナへ
ロンスヴォーからプエンテ・ラ・レイナまで
プエンテ・ラ・レイナからブルゴス、レオンへ
ガリシア、そしてサンチャゴ・デ・コンポステーラへ
サンチャゴ巡礼の道(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「サンティヤーゴの巡礼路」柳宗玄 八坂書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社
「スペインの光と影」馬杉 宗夫 日本経済新聞社
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
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2008年06月18日

「お風呂の歴史」ドミニック・ラティ 白水社

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古代においてあれほど盛んであった入浴が、中世になると全くその価値と楽しみを忘れ去られ、その素晴らしい価値が再認識され、近代以降の衛生観念の浸透と共に復権するまで、いやはやなんとも時間がかかってきたことに驚かされる。

どこに行ってもその支配地域には、道路と共にローマ的な公共浴場が存在した古代ローマ帝国。古(いにしえ)のロマンを愛し、チュニジアまでローマ遺跡を観に行った私としては、あの時代にあれほど一般化・大衆化したはずの入浴の習慣が廃れていくとは、本当に不思議でならなかったが、本書を読む事でその経緯を改めて理解できた。

中世において、キリスト教的世界観の下、肉体を仮初めのモノとして捉えて精神を尊重するあまり、肉体が軽視されると共に、入浴自体の快楽やそれと密接に結び付く性的誘惑を遠ざける為に、入浴の習慣は好ましくないものとして位置づけられるに至ったらしい。

なお、中世末期に人々は肉体と和解し、入浴の習慣がまた復権してくると書かれてあるのだが、以前読んだエミール・マール氏の図像学の中では、人々がキリスト教の原則的な理念をもはや理解できず、感情のおもむくままに振る舞い、それらが図像的にも表現されるのがまさにこの中世末期だったと思う。

つまり、キリスト教の高度に抽象化された理念が理解できなくなってはじめて、人々は入浴を楽しめるようになったわけであり、中世初期のゴシック大聖堂を生み出したあの宗教的な情熱の衰退と表裏一体であるとも言えるのかもしれない・・・・私見。

なんとも複雑な気持ちになりますね。肉体の清潔さ・美しさと精神の気高さ・純粋さとが相反することになってしまいます。う~ん・・・?

もっとも、ようやく入浴が戻ってきたのもつかのま、ペストの流行が、入浴による感染を疑われ、またまた抑圧され、衰退していくのです。なんとも目まぐるしい限りです。

個人的には19世紀以降の部分は、あまり興味がなかったけど、全般的にちょっと楽しい本かもしれません。但し、一般向けではないなあ~。難しくはありませんが、読み手側にいろいろと思うものがないとつまんない本かもしれません。

知っていても生きていくうえで役に立ちませんが、読んで悪くない本です。ただ、日本の温泉の方がはるかにいいなあ~と思えてきますネ。
【目次】
第1章 古代
ギリシア世界における入浴とマッサージ
ローマ世界における入浴の大発展

第2章 中世
中世初期、西欧では水浴が減っていった
十三世紀と十四世紀、人びとの生活になじんだ湯浴場

第3章 ルネサンス―入浴の衰頽
イタリア・ルネサンスと古代の衛生習慣
十五世紀以降、人びとは水に無関心になってゆく
十六世紀の医学論

第4章 十七世紀と十八世紀
十七世紀、水に対する警戒心
十八世紀後半、水は見直される
個人の入浴と集団の入浴

第5章 十九世紀
十九世紀の衛生法と羞恥心
衛生の個人化と大衆化
大衆的な入浴と海水浴
お風呂の歴史 (文庫クセジュ)(amazonリンク)

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「江戸入浴百姿」花咲 一男 三樹書房
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「中世末期の図像学〈上〉」エミール マール 国書刊行会
いざドゥッガへ 其の二~チュニジア(7月1日)~
カルタゴ、其の二 ~チュニジア(6月29日)~
ラベル:歴史 入浴 お風呂
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2008年06月07日

「古代農民忍羽を訪ねて」関 和彦 中央公論社

これは完全に駄目な本の部類だと思います。正味10分ぐらい眺めて、拾い読みしてみましたが、主題が不明。まさにイミフ以外のなにものでもない。

著者が勝手に脳内で妄想してイッチャッてるだけ。別に個人がそれをやること自体は問題ないが、そんな脳内補完しなきゃ分からんもの本にするなよ~と言いたい!

そもそも、どこの誰ともしらない昔の農民の記録をネタに適当に話しを作って、全然関係の無い文献を持ち出して説得力をもたせようとするのはどんな意味があるんでしょう???

せいぜい【MAD】ヒストリーとでもいうべきもの。ニコ動のように笑えるMADなら良いが、つまんないうえに無名でパロにもならんし、まさに時間の無駄。どうせ読むなら、読む価値のある本読みましょうネ。
【目次】
第1章 孔王部忍羽の古里
第2章 子供の頃の記憶―遊びと労働
第3章 忍羽、生きていく
終章 忍羽、信仰世界に入る
古代農民忍羽を訪ねて―奈良時代東国人の暮らしと社会 (中公新書)(amazonリンク)
ラベル:歴史 書評
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2008年05月21日

「訴えられた遊女ネアイラ」デブラ ハメル 草思社

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古代ギリシャ社会で起こった裁判の記録がこうして残っていることを本書で初めて知った。高級娼婦の市民権を巡る古代ギリシャの現実の裁判が題材。改めて人の判断能力とは、こうもあやふやであり、冷静な判断などほとんど困難に近いことを実感した。

それがあれだけ理知的な古代ギリシャであり、比較的『民主的』とさえいえる多数決的な意思決定の裁判であっても、人としての『愚』は避けがたかったことを示している。

昨今、日本で陪審員制が取り沙汰されても同じことを想起せざるを得ないのが悲しい。人を裁くのに自信がないといって、何でもお上に任せておいて、政府批判や官僚批判を臆面もなくする輩が多いのには、日本に国民主権、民主主義など100年経っても無理なのだろうなあ~とつくづく思う。

少なくとも義務として負担すべきことをしないで、また自分が責任をとりたくないから、誰かに死刑判決を出して欲しいなんて、言う人には選挙権なんて無用の長物でしかない。

人は恐ろしいほど、昔も今も変わらないのだろう。多数決を民主主義と誤解している人が100人中99人以上いるこの国では。

多数決が最高の決定方法だと思っている人は、歴史上、独裁者がしばしば国民からの圧倒的多数の支持を受けて登場したことを知らない人達なのだろう。無知は無邪気や無垢ではなく、怠惰と無気力でしかないはずなのに・・・。

いきなり、独り言ばかりで恐縮ですが、本書を読むとそんなことを考えてばかりいました。

純粋に歴史的な観点から古代ギリシャ社会や制度を知る楽しみもあるのですが、頁の半分を過ぎるといい加減飽きてきます。読む前は、裁判制度と高級娼婦への関心から読み始めたのですが、いまいち面白みに欠けます。

正直どうでもいいことがダラダラと描写されていて、なんか文章にメリハリがない。知らなかったことがたくさんあるのですが、なんか私の興味の対象外ですね。私は時間が惜しいし、もっと面白い本「まぐれ」を読みかけなんでそちらに完全にスィッチしました。

残り三分の一は読まずに放置。特別関心のある方を除いて、まず、お勧めしません。古代の売春制度(ヘタイラ)とかに興味あるなら、類書でもっと好奇心を刺激する本が多々有りますのでそちらがいいです。
【目次】
第1部 遊女として生きる
 女将ニカレテの遊女屋
 女奴隷ネアイラの所有者とそのほかの愛人たち

第2部 ステパノスと子供たち
 古代アテナイにおける男児と市民権
 ステパノス、一家の養い手にして闘う男
 パノの最初の結婚
 一家の客と既婚の男たち

第3部 裁判とその前史
 私闘
 脇役たち
 ネアイラの裁判
訴えられた遊女ネアイラ―古代ギリシャのスキャンダラスな裁判騒動(amazonリンク)
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2008年05月10日

「中世ヨーロッパの社会観」甚野 尚志 講談社

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序章で述べられているが、近代以降の私達の思考様式・視点から、中世という時代を評価し、理解してきた従来の捉え方ではなく、中世の同時代人が有していた思考様式・視点から捉えようとする試みが、即ち本書であるそうです。

この着眼点は、昨今の本では結構みられるようになりつつあると思いますが、著者自身が述べているように本書を書かれた当時においては、非常に珍しかったでしょうし、今なお、ここに書かれた内容(蜜蜂等の暗喩)は示唆に富み、読む価値のあるものだと思います。

ただ、予備知識無しに本書を読んでどれだけ楽しめるか? あるいは理解できるかと言うと、結構、読者を選ぶ本だとも思います。

端的に言えば、十二世紀ルネサンスやゴシック建築やロマネスク建築、光の形而上学、キリスト教神学等、基本的なことは知っていないと、本書で書かれている説明はすべて上滑りしてしまいます。勿論、本書内でもそれらの解説はされているものの、知っている人前提のものであり、そうでないと全然説明不足です(たぶん)。

逆に、それらを知っていると、本書で述べられている指摘は大変示唆に富み、格段に面白さを増します。中世の写本やステンドグラスなどに描かれた図像が示す意図を、表面的な形象の把握に留まらず、まさに世界を現したものとして当時の人々の価値観で理解し、共感できるように近づきます。

単なるデザイン(図像)ではなく、世界の縮図、ある種世界そのものを感じられるような気がします。エミール・マールが示した図像理解の精緻さまではいきませんが、これはこれで微妙に重なり、一読の価値はあります。

また、中世の社会そのものへポイントがあるならが、阿部謹也氏の作品などと合わせて読むと、理解がより深く具体的になるような気がします。「ハーメルンの笛吹き男」にも共通しますが、都市の誕生がもたらした影響、新しい社会集団の登場は、社会全体を大きく変化させていったことを感じます。

そういった事柄が結び付いて、私が大いに関心を持つゴシック大聖堂などにつながっていく、実に楽しいです♪ 実は、このブログで書評を書く為に読み返していたら、改めて気付く事が多々ありました。一読ではなく、熟読すべき価値があります。お薦め~!

以下、抜き書きメモ。
中世ヨーロッパにおける階層秩序的な社会観の根幹を、神学的にはっきりと定式化したのはアウグスティヌスである。彼は、その著作「秩序について」で、宇宙が上下に段階づけられた諸階層からなり、また宇宙においては個々の構成要素が、それぞれ全体にとり不可欠なものとして存在することを述べ、そのような宇宙の秩序が、神自身の創造の意図に従ったものであると語る。

アウグスティヌスによれば、現世に存在する悪しき構成要素も、神の創造した世界の秩序の中では一定の意味を持つ。
・・・・
アウグスティヌスに従えば、あらゆる秩序は、その構成要素のあいだでの不等性を前提としながら、全体としての調和をめざすものである。彼はそうした秩序の観念を、「秩序とは等しいものと不等なものに、それぞれの場所を与える配置のことである」と語ることによって集約的に提示している。

・・・・
こうしたアウグスティヌスの神学的世界像は、のちの中世の知識人に決定的な影響を与えることになった。
不平等社会の固定化というマイナス面を近代的な価値観からだと批判されそうですが、すべての存在を現状のまま、強烈に肯定している点は、自らの存在意義を見出せず、自殺者などを多数生み出す現代と比べて、大いに考えさせられるものがあります。人間にとっての幸福の概念は、決して絶対的なものではないことを痛感します。
同じく神学的な議論によって、中世ヨーロッパの社会観に大きな影響を与えた者として偽ディオニシオス・アレオパギテスの名をあげておこう。
・・・・
彼は新プタトン主義的な宇宙論を、キリスト教における天地創造の教えに包括的に適用し、両者を融合させた議論を展開しているが、彼の著作は九世紀にギリシア語からラテン語に訳されると、西欧における神学や社会論に大きな影響を与えることになった。

とくにその「天上位階論」が中世社会における身分秩序の思想に与えた影響は計り知れない。その核となる教えは、創造された宇宙の秩序の中で、個々の者がその身分にふさわしい位置を占め、自身に与えられた職分を果たすことを、神が望んでいるというものである。彼によれば、世界に存在する個々の者は、その固有の身分に満足しなければならず、そうでなければ、神の法が損なわれるとされる。
暗喩を用いた社会像とは、身近にあって調和的な統一性をもつものとの比較で社会にあるべき姿を提示することであるが、中世の社会論で暗喩として使用されたものには、人体、蜜蜂、建築物、チェス、都市や城といったものがある。こうした暗喩による社会の理解は古代以来の伝統を持つが、中世の政治社会論の中で神学的世界像を背景としながら、それらが活発に論じられるようになるのは、中世盛期とくに十二、十三世紀の現象である。それは中世都市の成立とともに商人や手工業者といった新しい社会集団が社会的な影響力をもつようになる時代と対応する。

 こうした新たに重要性を増した社会集団を、どのように中世の身分秩序の体系に位置づけるていくかが、十二世紀以降の社会論における大きなテーマとなる。そのさい、複雑化した社会のありようを、異なる価値と役割をもったさまざまな構成員の調和として表現するために、暗喩による社会の把握が好んで用いられるようになる。
まさに、都市の誕生が新秩序の合理的肯定を必要としたのですね。ふむふむ。
中世における暗喩を使った社会像は、すべての秩序だった調和物が、神によって作られた宇宙と同じ原理によって構成されるという、大宇宙と小宇宙の相似性の観念を背景としてもっているといえる。
これが、天球と対応した人体図、「ベリー公のいつも豪華なる時祷書」などの図像につながるんですよねぇ~。
十二世紀の知識人達に共通する新しい自然観がある。つまりそれは、神が創造した自然の調和物の中に、人間が模倣すべき範例を求めようとする立場であり、そしてそうした観念は、自然の神秘を積極的に探究しようとする知的態度を生み出すことになった。
シャルトル学派も改めて、一通り著作集を読んでおく必要を感じます。面白いけど、大変なんだよなあ~ふう~。
蜜蜂は性交を行わず、処女でありながら、生殖を行う・・・・処女マリア
蜜蜂は天の露によって養われる・・・神の言葉によって霊的に自身を高めること
蜜を産出する・・・・永遠の生命、神による救済
ロウソク・・・・キリストの神秘な体、すなわり教会であろ、それを蜜蜂である信徒たちが、敬虔な作業で作り出すという象徴的解釈がなされる
だから、教会にはロウソクを灯すんですねぇ~。単なる照明以上の意義があるわけです。
教会建築における個々の部分の解釈で、信徒を教会建築を形作る石とみなす観念は、とくに中世の神学者によって好まれた暗喩であった。

十二世紀の神学者サン=ヴィクトルのフーゴーは、「人々が神を称えるために集まる教会は、聖なるカトリック教会を意味し、それはその生きた石によって作られる」という。また、デュランドゥスも「物質的なもの【教会】が集められた石からなるように、霊的なそれはさまざまな人間から構成される」と語る。
ロマネスク建築しかり、ゴシック建築しかり。教会という建物こそが、物質的にも霊的にも教会そのものだったりする。映画「スティグマータ」で教会の建物にこそ、カトリックとしての価値を見出す発言を司教がするが、私はずっと誤解してました。あれは神学的に正しい、意義ある台詞だったようです。う~ん、何も知らない私が見ていて面白く感じたのは、うわべだけしか理解できなかったんですね。

プロテスタントが聖書を拠り所として、教会等の建物をあくまでも集会所的な単なる建物とみなす考え方が、カトリックにとっては神学的に受け入れられないのは、なるほどと思いました。
【目次】
序章 隠喩による社会認識
第1章 蜜蜂と人間の社会
第2章 建造物としてのキリスト教会
第3章 人体としての国家
第4章 チェス盤上の諸身分
終章 コスモスの崩壊
中世ヨーロッパの社会観 (講談社学術文庫 1821)(amazonリンク)

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「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
「ロマネスクの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ゴシックの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ゴシックの図像学」(下)エミール マール 国書刊行会
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「The Hours of Catherine of Cleves」John Plummer George Braziller
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
ラベル:書評 歴史 中世
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2008年04月27日

「中世の迷信」ジャン=クロード シュミット 白水社

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元々の本の一部分だけ翻訳し、独立して新たに本としたもの。原本は相当な分量があるようです。

もっとも本書だけでもそれなりの量があり、明確なテーマが最初から設定されているので本として問題はないでしょう。歴史学でいうところのアナール派の本です。

本書はとにかく豊富な図版が入っているのが特徴。非常に数が多く、それだけでも読む、というより眺める価値はありそう。

ただ、中世における「迷信」の概念の説明については、あちこちで既に相当何度も聞いてきた説明とさほどの相違は感じられなかった。格別、目新しい概念が提示されているわけではなさそう。

民衆の中に深く根を下ろした俗信や異教の残滓、カニバル的な祝祭の概念など、キリスト教が警戒しつつも巧みに操作し、自らの管理下へ置こうとした経緯も解説されています。

ただ、個々の具体的な迷信の説明には、面白いのも幾つかありました。個人的には泉に関するものとか。私は、シャルトル大聖堂の地下にあった”聖なる泉”に大変関心があるのですが、ケルト的な宗教観以外にもそれがいかにして民衆の心を捉えていたのか。また、いかにして教会側が危険視し、それを抑圧しようとしたのかが面白かったです。

ただねぇ~、一度読めば十分なような気がします。わざわざ高い金を出して手元に置くほどの価値を私には見出せないなあ~。
【目次】
第1章 ローマとラテン教父における「迷信」概念の基礎
第2章 異教から「迷信」へ
第3章 中世初期の魔術師と占い師
第4章 村の「迷信」
第5章 中世末期の魔女のサバトとシャリヴァリ
中世の迷信(amazonリンク)

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「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
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ラベル:歴史 中世 書評
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2008年03月15日

「シエナ」池上俊一 中央公論新社

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最近読んだ都市に関する文章としては、実に興味深いものでした。
イタリア有数の観光都市で、TVの映像などで何度か見たことはあるものの、まだ行ったことがなく、今後行ってみたい場所の一つでした。本書を読んでその思いを益々強くしました。

歴史や風土、宗教や習俗など実に多面的な側面から、この都市を採り上げています。都市の地下を25キロにも渡って流れている地下水路の話など、ちょっと普通じゃ知らないままで終わってしまう話などが実に楽しい♪

また日本でいうなら、お祭りなどで班を作る隣組みたいなものでしょうか?「コントラーダ」という組織を中心に人々が生活全般を過ごしており、イタリア人としてよりも、またシエナ市民としてよりもまず最初に自分が生まれ育ったコントラーダの出身としての自負が人々の人生を大きく規定している点が興味深いです。以前、NHKの世界遺産の番組でそういえば芋虫のコントラーダやってたっけ。

中世以来の手厚い福祉施設には、驚くばかりです。今頃日本で話題になっている「赤ちゃんポスト」とかは、既に中世のシエナでは捨て子入れ盤があったんだそうです。巡礼者へ旅の宿と食事を提供するのは、当時一般的ではあったものの、施療院や孤児院などの充実ぶりには目を見張るものがあります。

勿論、他のイタリア都市の例に漏れず、美術を初めとした芸術の都でもあるのですが、本書ではそれらだけでなく、食の文化としてお菓子などの説明まで書いてます。

もし、貴方がシエナに観光で行かれるなら、是非目を通しておくべき本の一つでしょう。私も行く時には、本書を必ず持っていこうと思いました! そこそこお薦めです。

ただ、著者がイタリア、特にシエナに対して熱い思いを抱かれているせいか、その想い故に都市の魅力が増す反面、そりゃエミール・マール先生が聞いたら、一笑に付されるような記述もままあります。イタリアでいくらゴシックと言ってもねぇ~、フランスのゴシックには絶対にかなわないでしょう。シャルトル以上のゴシック建築をイタリアで見た記憶がありませんもの、私。

マリア崇拝もどちらが上とか優劣の比較をできるものではないでしょうが、少なくともシエナがそれほど抜き出ているとは思えないんですが・・・まあ、これは実際に行って見た時のお楽しみにとっておきたいと思います。

こういう感じの本が、いろいろな都市毎にあったら素敵なのになあ~って思いました。
【目次】
第1章 自然の力と人間の匠
第2章 都市の宇宙空間
第3章 コントラーダ
第4章 芸術のリリシズムと誇大妄想
第5章 神秘か邪教か
第6章 快楽のトポス
シエナ―夢見るゴシック都市(amazonリンク)

ブログ内関連目次
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「魔女と聖女」池上 俊一 講談社
「狼男伝説」池上俊一 朝日新聞
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2008年03月02日

「アルハンブラ散策」Edilux

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イスラム建築の精華ともいわれる世界遺産「アルハンブル宮殿」を扱った本です。出版企画はスペインですが、日本語で印刷されたものがあります。

嬉しいことに日本語版の為、おそらく対象読者は、観光客としてくる日本人でしょうが、およそそこいらにある観光ガイドの水準をはるかにしのぐ立派な歴史・文化の解説書になっています。

私がアルハンブラに行った時には、お土産屋さんや普通の本屋にも行ったけど、本書を見かけたことはありませんでした。だいぶ、アルハンブラ宮殿関係の資料は探したんだけどね。英語でもたいしたもの見つからなかったもん!

帰国後も折りに触れてアルハンブラ宮殿の書籍や雑誌は探していましたが、美しい豊富な写真、詳しい解説共に本書以上のものをありませんでした。本書は、最高だと思います!!

TBS「世界遺産」のアルハンブラも良かったし、DVDも買ったけど、本書の方が上でしょう。何よりもイスラム建築の解説が実に詳しく、分かり易い。本書はEU内かスペイン国内で賞をとっているそうですが、さもありなん、って感じです。スペインの誇りにかけてきちんと書かれていると思います。

例えば、ライオンの中庭とベネディクト派修道院の回廊との類似性の指摘と、当時イスラムとカトリック間の文化交流の時代的背景の説明など、実に勉強になるし、興味深いです。

また、現在の建物のどこが元々の姿を保った部分で、どこが修復された部分かなど、ただ観ているだけでは分からない部分への言及が実に頼もしい。

鍾乳石飾りについても、構造としてのパーツの組み合わせの話だけでなく、イスラム教において預言者ムハンマドがコーランのインスピレーションを授かった、非常に重要な場所としての意義からイスラム教文化の中でどのように位置づけられてきたかなど、知れば知るほど、興味深いのです。こういうのが欲しかった。

久しぶりに大満足の一冊です。もし、現地で本書を見つけた方、是非&是非、ご購入をお薦めします。たったの8ユーロですから。

日本国内にもないか調べてみたのですが、どうやら取り扱っていないようです。参考までにISBNコードは、8487282008。これでググってみましたが、スペイン語版を見つけただけでした。 

こんな素敵な本は、日本国内でも売って欲しいですね。実に素晴らしい本でした。

ブログ内関連記事
アルハンブラ宮殿の思い出(2002年8月)
NHK世界遺産 光と影の王宮伝説 ~スペイン・アルハンブラ宮殿~
「アルハンブラ」佐伯泰英 徳間書店
「庭園の世界史」ジャック・ブノア=メシャン 講談社
「サファイアの書」ジルベール シヌエ 日本放送出版協会
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2008年02月14日

「ルネサンスの活字本」E.P.ゴールドシュミット 国文社

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印刷の文化史的なものや写本などの装飾に興味があり、そういったものを期待して読んだ本です。本の装丁や口絵、図版などがいかにも私の関心をそそりそうだったので読んでみたのですが・・・結果的に外れでした。

特に第1章は、非常に細かい事項を巡る話であり、印刷関係者でもない私には、退屈以外の何物でもありませんでした。う~ん、うまくいえないのですが、本書で言及している細かい点が印刷文化史の中でどういった意義があるから、問題とする価値があるとか、その辺の基本的な説明がないまま、いきなり最初から最後まで知っている人向けの内輪の議論に終止していて、どうにも話題に入っていけません。

何が言いたいのか、ポイントが全然分かりません。私の知識不足のせいでしょうが、他の一般の方が読んでも恐らく同様な感想を抱くのではないでしょうか? 

また、第二章に入り、ようやく図版が出てくるかと期待したのですが、ここでも図版の解説のポイントが私の期待していたものと全く違いました。図版自体の何が描かれているいるかという視点は、ほとんど無いので解説がつまらないし、私的にはどうでもいいことばかり解説されていて、耐えられなくなりました。

結局、二章の半ば以降は、流し読みに変えましたが、やはりあえて読むに値する部分は見つけられませんでした。

専門家には、意義があるのかもしれませんが、まあ私のような一般読者には、退屈極まりない本です。お薦めしません。読んでても登場する本に、全然、興味が湧かないんだもん。個人的には図像学的な説明を期待したかった! 書誌的な視点ともまた違うような気がしました。

とにかく私的には、時間の無駄でした。
【目次】
序文

第一章 活字体
 書物の伝播
 「人文主義書体」と「ゴシック書体」
 「能書術」と「人文主義写本」
 「ゴシック体活字」対「ローマン体活字」
 印刷技術による古典的著作の普及
 刊本の普及と書籍販売業者のネットワーク
 書物の戦い」
 人文主義サークルと印刷技術
 ローマン体活字と「碑銘研究」
 「アルファベット論考」
 「ゴシック体活字」から「ローマン体活字」へ

第二章 挿 絵
 中世写本とギリシア・ローマ神話
 ブルゴーニュ公の宮廷と中世写本
 木版画挿絵と中世ロマンス
 「トロイア伝説群」
 古典古代神話の図像と『アルブリクス』
 ボッカッチョ『名士の没落』『名婦伝』等の挿絵
 古典的著作の刊本と挿絵
 木版画挿絵の伝播
 古典テクストと「記憶術」
 古代遺跡・遺物と『ポリフィロの夢』
 ダンテ、ペトラルカの挿絵本とフィレンツェの木版画
 デューラーとホルバインの挿絵本

第三章 装 飾
 ルネサンスと挿絵本・装飾芸術
 愛書家と「個人的標章」
 「タイトルページの縁飾り」と「印刷技術者の商標」
 タイトルページとローマ建築様式の「拱門」等の装飾
 古代ローマの建築と「建築理論書」
 古代ローマの「メダル」「コイン」
 「ローマのメダル集成」と「装飾デザイン規範集」
 「印刷技術者=出版業者の商標」と「寓意画」
 ホラポロン『象形文字』とアルチャーティ『エンブレム集』
ルネサンスの活字本―活字、挿絵、装飾についての三講演(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「キャクストン印刷の謎」ロッテ ヘリンガ 雄松堂出版
印刷革命がはじまった:印刷博物館企画展
「グーテンベルクの謎」高宮利行 岩波書店
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
「印刷に恋して」松田哲夫 晶文社
「美しい書物の話」アラン・G. トマス 晶文社
「中世ヨーロッパの書物」箕輪 成男 出版ニュース社
「本の歴史」ブリュノ ブラセル 創元社
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2008年02月04日

「物語チェコの歴史」薩摩秀登 中央公論新社

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プラハに行ったことはあるものの、私はチェコの事を何にも知らなかったんだなあ~と改めて思い知らされた一冊です。歴史を無味乾燥な事件の羅列で説明するのではなく、その時代時代で活躍(それなりに時代的評価を得た人物?)した人物を中心にして、チェコの辿ってきた複雑怪奇な歴史を紹介しています。

普通、こういうのって読んでるとかなりだるく(眠く)なる場面が多いのですが、珍しいことには本書ではそういうことがほとんどありませんでした。

古くからの名門大学プラハ大学を持ち、神聖ローマ帝国の首都であったり、フス派の本拠地だったり、怪しげな錬金術やゴーレムの街といった断片的な知識(?)はあるものの、本書を読んで初めて私の中でチェコという国が一つの線で結ばれたような気がします。

私のような初心者には、まさにうってつけの本でした。チェコに関心のある人、これからチェコ(プラハ)に行く人、是非&是非、目を通しておいて欲しい本だと思います。

本書を読むことで、観光名所を何十倍にも楽しむ事がきっとできると思います。プラハ市内にあるシナゴーグ、種々の迫害を受けつつ、ああして残っている歴史的な意義をようやく初めて知ることができました。
ゴーレムの土塊があるだけではないんですね。ふむふむ。

そして、クレメンティウム。悔やんでも悔やみ切れないけど、やっぱり行っとくべきでした。あそこって決まった時間に案内する人がいて、その案内でないと見学できないようだったので、とにかく拘束されるのを嫌う私は、もういいや!って感じで見るの止めちゃったんだけど・・・本書を読んで益々見たくなりました。

あれってイエズス会の学校だったんですね。プラハ大学関係で教育監督の覇を争っていたとか、全然知らなかったので本書を読んで実に惜しい事をしたのに気付きましたよ~。今度行く機会があれば、忘れずに見なければ!!

とにかくいろんな意味で面白いです。出版業者なんかの話も私には、とっても面白かった。

そうそう、本書でさらっと出てくるのですが、スウェーデン軍がプラハ侵略の為、戦闘を行い、講和後、撤退する時にルドルフ2世が集めた文化財や芸術作品の数々が略奪されたらしい。こ、これなんですよ! うちのブログでも以前に採り上げた「悪魔の聖書」が略奪されたのは。

で、去年数百年ぶりに里帰りしてプラハで公開され、大いに話題になってのって!

いやあ~、こういうふうにいろんな出来事が結び付くのは、本当に楽しいです♪(満面の笑み) 

「悪魔の聖書」絡みで調べていても、スウェーデン軍が略奪とか言っても前後関係が分からず、???だったのですが、歴史的な経緯が分かるとまた捉え方が全く変わってきますね。チェコの人々が大いに話題にするのは、この歴史的経緯を理解して初めて納得がいきます。ただ、悪魔の絵があって珍しいから・・・な~んて考える私のような理解ではダメなんですね。反省。

私のような誤解をしない為にも、チェコに関心があるなら、読んでおくべき本でしょう。他にもいい本があるかもしれませんが、私は知らないので入門書としてお薦めします。
【目次】
第1章 幻のキリスト教国モラヴィア―キュリロスとメトディオスの遠大な計画
第2章 王家のために生きた聖女―聖人アネシュカとその時代
第3章 皇帝の住む都として―カレル四世とプラハ
第4章 「異端者」から「民族の英雄」へ―教会改革者フスの業績と遺産
第5章 貴族たちの栄華―ペルンシュテイン一族の盛衰
第6章 書籍づくりに捧げた生涯―プラハの出版業者イジー・メラントリフ
第7章 大学は誰のものか―プラハ大学管轄権をめぐる大騒動
第8章 大作曲家を迎えて―モーツァルトとプラハの幸福な出会い
第9章 博覧会に賭けた人たち―チェコの内国博覧会
第10章 「同居」した人々、そしていなくなった人々―スロヴァキア人、ドイツ人、ユダヤ人
物語チェコの歴史―森と高原と古城の国(amazonリンク)

ブログ内関連記事
NHK世界美術館紀行 プラハ国立美術館
魔女と錬金術師の街、プラハ
「THE GOLD 2004年3月号」JCB会員誌~プラハ迷宮都市伝説~
「悪魔のバイブル」、350年ぶりにチェコに里帰り
悪魔のバイブル(Codex Gigas)に関するメモ
「ヨーロッパの歴史的図書館」ヴィンフリート レーシュブルク 国文社
「異端審問」 講談社現代新書
「謎の蔵書票」ロス キング 早川書房
「変身 他一篇」カフカ 岩波書店
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2008年01月26日

「富士講と富士詣 特別展図録」豊島区立郷土資料館

豊島区立郷土資料館で行った企画展の図録らしい。だから、厳密に言うと本ではないが、とりあえず書評してみた。

かなり薄くて写真はあるけど、正直めぼしいものはない。ただ、普段あちこちの神社や庭園を歩いていて富士塚をしばしば目にするので、その由来とかに関心があったので読んでみました。

私が読んで価値があったのは1章の歴史と教義のみ。5、6分で読み終わる程度。

でも、面白かったので抜き書きメモ。
富士講の基礎を築いた藤原角行。

 1541年、肥前国の長崎で生まれ、幼名を竹松、成人して長谷川左近藤原武邦となりました。十八歳の時に治国斉民祈願の修行のため諸国霊場巡拝の旅に出て、この修行中に富士に行けとお告げを受けます。

 角行は富士西麓の人穴に籠もり、四寸五分角(14センチ角)材木の切り口の上に立って、一千日の立行をおこないました。それ以後も各地を巡り、水行をおこないました。1620年江戸に”つきたをし”という奇病が流行しました。

 角行は人穴を出て江戸に行き、”おふせぎ”(呪符)人に授けて多くの病人を助けました。これによって角行は信者を大幅に拡大し、関東から東海の農村にかけて富士の登拝組織を編成し、富士講の基礎をつくっていきました。

 角行の布教は”おふせぎ”(除災)による治病という効験によるもので、その教義は富士の仙元大日が万物の根元であって、これを信仰することで天下の太平や無病息災が得られるというものでした。これは”お身抜”、”お伝え”として伝えられました。

 角業の教えは弟子に代々伝えられました。そして三代目の弟子の弟子である食行身禄によって富士講は教義・組織共に大きく発展をし、確立します。
ここで書かれている修行方法としての立行のこと、もっと詳しく知りたいですね。キリスト教などでもあったという柱頭行者と同様のものだと思いますが、それらの東西宗教文化の関連とかってどうなんでしょう?
食行身禄は伊勢国に1671年に生まれ、本名を伊勢伊兵衛といい、13歳の時江戸に出て油商を営んだと伝えられています。そして商人としてかなりの資産をつくったにもかかわらず、これを人にゆずり、自身は膏の行商と信心にはげみました。

 身禄によって確立された教義は角行とは大きく異なります。身禄はそれまでの富士講の行っていた修験的な呪術・祈祷を否定し、信仰を信者の主体的・内面的なものとしました。

 身禄によれば仙元大菩薩は米と農業を助ける万物の祖神で、人々はこれを信仰し、生業にはげむことによって幸福が得られるというのです。また、商業を積極的に肯定し、勤労を尊重し、職業倫理を展開しています。これは結局、富士講の中に通俗道徳を取り入れたことに他なりません。それだけに民衆の間に広く浸透していきました。

 また、身禄は禁制されていた女性の登山も認め、男も女も人間にとって大切なのは心の問題であるとして、事実上の男女平等を説きました。
本書では、道徳がどうとか書いてますが、そちらがポイントなのでしょうか? 専門家でないど素人の私の目には、どうみても違うように感じてなりません。これこそ、「プロテスタンティズムと資本主義の精神」の日本版じゃないの? 江戸の武家社会では、制度的に武士より一段劣るものとされた商人階級や農民階級に対して、自らの職業(特に商業)の正当性を担保したからこそ、支持されたと思いますが・・・。

この文章を書いている人に、直接尋ねたいところですね。最低限、マックス・ヴェーバーぐらい読んでるのかと。専門外で読んでない、とか言ったら、この無教養め、って叱っちゃいます(笑顔)。たまたま自分が読んだ事あると、こういう生意気なことを言う私です。

勿論、実際はどうなのか不明なのですけどね。

この記述を読んだら、普通そう思うけどなあ~。男女平等は当然、中心となるポイントではないでしょうし。

御師とは、富士信仰の神職であり、現地での案内者でもあった。
これは、どっかで聞いたことある単語でした。意味分からないままだったんで。
【目次】
1富士講の歴史と教義
2講の組織と祭具
3富士詣道中
4富士登山
5富士山御縁年と女人登山
6吉田御師
7富士塚
8区内先達の遺品
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2008年01月24日

「パンとぶどう酒の中世」堀越 孝一 筑摩書房

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しかし、本当にこの著者が書いた本で読む価値があると感じられるものってないなあ~。あの有名なホイジンガの「中世の秋」の翻訳者でもある著者ですが、この方の書いた本は確か他にも読んでいて、どれもつまらなかったことだけは覚えています。

失礼ながら、だからかな? 今更ながらに「中世の秋」読んでも面白くなかったのは翻訳に問題があったせいかもしれません。翻訳者が下手だとどんな素晴らしい本も台無しになるのは、良くある事ですし、別な方の翻訳した「中世の秋」読んだ方がいいかも? 何故か、本書を読んでいてそんなことを思わずにはいれらませんでした。

とにかく、そんなことを思わずにいられないくらいつまらないし、時間の浪費以外の何物でもない本です。

著者個人に留めておくべき思いをだらだらと文章にし、あまつさえそれを本として出版する気持ちが分かりません? タイトルに沿った最低限必要な内容を満たさずに(=本来、本書で対象としている写本を素直に訳すこと)、ここはどう解釈すべきかとか、ああだこうだとグダグダ書いて、読者には全く無意味以外の何物でもない! 

まずは、素直に翻訳したうえで解説として、著者の専門家としての見解を述べるなら、まだ分かるが、非常に細かな事柄(例えば、当時の貨幣価値や交換レート)にばかり着目し、中世の社会というものを定性的に捉える視点が全然感じられません。

おまけに非常にくだけた調子で、読んでいて単純にイラつきます! 私が若者なら、間違いなくキレますよ、ホント。それっくらい、軽薄で内容の無い文章に思えてなりません。

心の底からつまらないと思いました。全体のほぼ半分140頁まできちんと読みましたが、思わず本を破りたくなってきたのでもうこれ以上は読みません。しっかし、ひどい本だなあ~。

驚く事に、この著者はNHKのTV講座を今やってるはず。確か「中世」をテーマにした奴でテキストも見たけど、内容が無かったなあ~。

久しぶりに、かなり最低レベルの本でした。とっても残念&無念の本です。

【追記】
怒りの余り、目次を書くのを忘れていました。改めてみると、目次もなんだかなあ・・・。でも、どなたかの判断の役に立つかもしれませんし、書いておきますね。
【目次】
一冊の本
その後、十日か十二日ほどして
雪と氷、そうして薪
かねがないなら、くるみパンを喰えばよいのよ
いちじくもなつめ椰子の実も喰わぬ
だいたいが、一個二ドニエもしないパンなんて
雨のサンマルタン門外
むかつく麦酒は新酒のぶどう酒
まっとうの飲料
日記の筆者を狩り出す
パンとぶどう酒の中世―十五世紀パリの生活(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「世界の名著 67 ホイジンガ」中央公論新~中世の秋
「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社
ラベル:中世 書評 歴史
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2008年01月13日

「アレクサンドロス大王東征記 上」フラウィオス アッリアノス

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世界史に残る英雄として、カエサルや始皇帝、チンギス・ハーンなどいろいろな名前が挙がると思いますが、このアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)が抜けることはないでしょう。

私も歴史の教科書などでよく名前を見ましたが、直接この英雄に関する本を読んだのは初めてです。その点では、どうしてこんなにも広大な領土を獲得するに至ったのか? いかにしてそれが可能になったのか? 大変興味深いです。

逃げる敵をどこまでもどこまでも執拗なくらい追い詰める性格や気性。それを部下に対して率先して実行に移す行動力と人心をまとめあげるカリスマや魅力。何にもまして強力な自制心などなど、本当に魅力的な人物であったことが分かります。

単なる歴史上の偉人としてより、この人の処し方、生き方は今にも通じる普遍性があるなあ~と感じました。なかなか面白いです。ただ、カエサルの「ガリア戦記」には負けてますけどね。

以下、上巻内での記述を元に感じたことをメモ
アレクサンドロス大王は確かに偉大であったが、彼がその力を振るう基盤を作り上げたピリッポス二世の存在なども初めて知った。

ピリッポス二世の国家改造:
・国内各地への都市の建設 → 新たな生活基盤の確立(法や慣習の下での安定した生活)
・市民的共同体に基づく国民軍=王の軍隊
・伝統的な地域支配から中央集権的な統合へ
=従来の部族王、貴族の特権の縮小・廃止
→不満はピリッポス二世の暗殺へ

アレクサンドロス大王の飛躍を支える背景であるこれらの重要点について、私は歴史で習った覚えがない。結果の羅列に過ぎない歴史に意味があるとは思えない。むしろ、その結果を生み出した背景・過程・手法等にこそ、歴史を学ぶ価値があると考える。
・・・現代でもちやほやされる『改革』は常に後ろ向きの抵抗勢力がそれを阻み、実効を挙げ得ないのは周知の通りである。時代は変わっても、それは普遍的な真理だろう。

個別具体的な戦闘における布陣や戦術等が詳しく書かれている。

ロジステクス(兵站)にも十分な意を汲んでいることが分かる
征服地であっても要所要所に守備兵を残し、後続部隊の安全を確保したり、物資の補給にも留意している。湾岸戦争の「山が動く」だったかな?あの本に書かれている本質をアレクサンドロス大王は理解していたのだろう。ナポレオンのロシアでの失敗とは違うようだ。

降伏者には寛大な処置を与え、敵対勢力には断固徹底した武力鎮圧&殺戮をした一方で人質となったものであっても、決して恣意的な扱いはせず、王族等であればそれに応じた扱いをした(征服者としての虐殺や暴行などは極力自制)。
→ 信義ある人物として味方・敵方を問わず、高い評価を受ける

最高司令官自身が常に前線にあり、戦闘していたと同時に何度も負傷しながらもそのまま戦闘を続けた点など、まさにリーダーとしてあるべき姿を示している。

同僚や部下を仲間として扱い、褒章だけではなく、個々の人間の誇りを尊重する一方で必要に応じて果断なる処罰も行い、まさに強く指導者そのものだった。

敗走するダレイオス王の追跡劇がまた凄まじいの一言に尽きる!
どれほどの馬を乗りつぶし、馬の乗り換えて一心不乱に追って&追って&追いまくる。夜を次いでの追跡の描写は圧巻です。次々に脱落していく配下の部隊達。戦闘無しでも崩壊しかけていく自軍を尻目に、徐々に精鋭を絞りながら、その都度その都度、適切な指示を与えて所期の目的達成を果たします。

昔読んだ本に書かれていたアレクサンドロス大王関係のエピソードを思い出しました。本書内でも後で出てくるかもしれませんが、インドに達した時に王があれほど信頼していた仲間である部下達がもうこれ以上は進みたくない、故郷に戻りたいと訴えた気持ちが切々と思い浮かびます。「一将校成って万骨枯る」とは、まさにこういうことなのかもしれないと思いました。そういえば、ダイエーの創業者中内功氏を描いた「カリスマ」にもこういうのあったなあ~。ダイエーの飛躍的発展を支えた幹部たちは次々と倒れ、ダイエーを去っていったそうですが、ここが歴史上の偉人と一般人の超えられない溝なのかもしれません。かの聖人マザー・テレサもそうだったらしいですよ~。彼女と一緒に働いていた人は熱があって仕事を休みたいというと、激怒されたそうですし、過労か否か、ばたばた亡くなったいう話です。皆さんも出来る人の側にいる時は、ご注意を!!

酒に酔って大切な人を殺してしまった自らの過ちから逃げる事もせず、かといって更に進んで悪徳に身を投げることもなく、人である以上、過ちを犯すことがあることを認めることで人間としての度量の大きさが現れた。

軍団中でも最有力且つ中心である騎兵部隊だったかな? ずっと共に闘ってきた親友に指揮を委ねるのだが、あまりにも精強であった為、信頼はしていても反乱や独立の可能性をなくす為、わざわざ組織を二分し、異なる人物に指揮させる手法など、銀英伝のNO.2不要論ではないが、まさに組織論としても興味深い。組織自体の永続性を考慮すると、常に上の代わりがいることが望ましいが、代替可能性は一面で組織トップのカリスマ性を減少させ、求心力、ひいては強烈な組織自体の活力の減退にもつながりかねないだろう。
以下、アレクサンドロス大王の有名な伝説の一つを本文中より抜粋
ところでゴルディオンに到着したアレクサンドロスは、ゴルディオスおよびその子ミダスの王宮がある城砦へ登って、ゴルディオスの荷車とその荷車の轅(くびき)の結び目を見たいという願望にとりつかれた。かの荷車については、近在の住民たちのあいだに広く流布したひとつの話があった。

伝えによるとゴルディオスは、プリュギアの老人連中の中でも貧乏な男で、彼の財産といってはほんのわずかな耕地と二対の牛しかなかった。ゴルディオスはそのうちの一対を使って畑を耕し、もう一対には荷車を曳かせていたという。

あるとき、彼が畑を耕していると、一羽の鷲が舞い降りてきて轅の上にとまり、牛を解き放つ夕暮れに時になるまでずっとそこにとまったままだった。ゴルディオスはその様子に肝をつぶし、この異象についてテルミッソス人の占師たちのところへ相談に行った。テルミッソス人たちは異象を解き明かす術に長じていて、彼らのあいだいには代々、女子供にいたるまで予言の能力が伝えられていたからだ。

彼がテルミッソス人の住むとある村に近づくと、たまたま水汲みにゆく少女に出会ったので、鷲の一件が自分の眼にどんな風に映ったかをその少女に語って聞かせた。すると少女は、彼女もまた占師の家筋だったので、異象が起こったその場所に立ち戻って、王なるゼウスに犠牲を捧げるようにと勧めた。そこでゴルディオスは彼女に、自分と同行して、供犠の仕方を指図してくれるよう頼んだ。ゴルディオスは彼女に教えられるままに犠牲を捧げると、この少女と結婚して、ニ人のあいだにミダスという名前の男の子をもうけた。

 ミダスが成人してすでに立派な若者となったそのころ、プリュギア人たちはたまたまお互いのあいだの内戦で苦しんでいた。そこで彼らに下された神の託宣は、一台の荷車が彼らのために王を連れてくることになろう、そしてその男が彼らの内戦をとり鎮めてくれよう、というのであった。人びとがまだそのことについてとかく評議している折りも折り、ミダスが父親母親といっしょに町にやってきて、荷車ごとその寄り合いのそばに立ち停まった。人びとは神のお告げをこの男の様子と考え合わせて、神が自分たちに、荷車が連れてこようと言われたのはまさにこの男のことだと衆議一致し、ミダスを王位につけたのだった。ミダスは彼らのために内戦をとり鎮め、父親の荷車は鷲を遣わされた王なるゼウスへの謝恩の捧げ物として、これを城砦に奉納したというのである。これに加えてこの荷車には、さらに次のような話も語り伝えられていた。

つまり、誰であれ、この荷車の轅の結び目を解いた者こそは、アジアを支配する定めにある、というのだ。

轅(ながえ)を結わえた紐はミズキの樹皮でできており、その先端は元も末も結び目のうわべには見えなかった。アレクサンドロスはその結び目を解きほぐすすべを見つけ出すことができず、さりとてほどけないままでこれを放置するのも、その結末が民衆のあいだに何らか不穏な動きをひき起こしはしないかと思われて不本意だったので、一説によれば、彼は剣で斬りつけて結び目をばらばらにし、これで解いた、と言ったと伝えられている。

しかし、アリストブロスが語るところでは、アレクサンドロスは轅を貫通して結び目を固定している留め釘の木片を引き抜いて、轅からから軛(くびき)をはずしたことになっている。この結び目をめぐってアレクサンドロスがいったいどんな風にやってのけたものか、実際のところは私にも確信できない。しかしいずれにせよ彼自身も側近たちも、結び目を解くことについて託宣が求めるところは達せられたとして、荷車から立ち去ったのであった。事実その日の夜に起こった雷鳴と稲妻こそは、それを諾(うべな)う天来のしるしであった。翌日、アレクサンドロスはこれにこたえて、その兆(きざ)しと結び目を解くすべとを、神威によって顕わし給うた神々のために、[謝恩の]犠牲を捧げたのである。
そうそう、最後にあの稀代の戦略家『石原莞爾』が戦史研究の対象として、カエサルの「ガリア戦記」並びにアレクサンドロス大王の戦記を選んでいることを付言しておく。その価値はあると私には思われた。

アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「ゲルマーニア」コルネーリウス・タキトゥス 岩波書店
「蝦夷(えみし) 」高橋 崇 中央公論社
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
「知識の灯台―古代アレクサンドリア図書館の物語」デレク フラワー 柏書房
アレキサンダー (2004年)オリバー・ストーン監督
「アラビアの医術」前嶋 信次 中央公論社
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2007年12月26日

「徐福伝説の謎」三谷茉沙夫 三一書房

確か三一書房って、つぶれたんだっけ? 何かの記事で読んだような気がするなあ~って思っていたら、神田の特価書籍の店に三一書房の本が大量に売られてた。

そこで見つけた一冊。徐福に関する話は、いろんな本でよく聞くもののまとめてきちんと読んだことが無かったので本書はその点で正解でした。

著者は刑事コロンボなどの翻訳や小説を書いたりしている人でご自身も書かれているが、史実としてどうかとかそういった点には関わらず、あくまでも歴史ロマンとして、各種の文献・書物にこういった記述があると引用・紹介している。

従ってたぶんに眉唾ものらしい伝承や記述が出てくるものの、それはそれとして受け取り側が後で取捨選択し、史実か否かを選り分ければいいことであり、本書は何よりもたくさんの文献から、関連する部分をまとめてくれているのが大変有用です。

本書を読むことで徐福に関する雑多な情報(虚実含めて)の概観をおさえられるし、その幾つかはそのまま引用されている。また、引用先の書名も分かるので、本書をきっかけにしてどんどん調べることもできる。

私のような、何でも知りたい&調べたい派には嬉しい本です。

具体的に興味深い文章も多数あり、それらは別途メモとしてまとめますが、楊貴妃が日本に来たという楊貴妃伝承まで紹介されていて実に楽しいです。

著者が本職のもの書きなので、文章も大変読み易いですし、この手のものに関心のある方にはお薦めです。私もそうしたいですが、本書を読んで更にその原典をあたるとより楽しくなれそうな気がします。

但し、歴史的な正確さ等を求めると本書は対象外になりますのでご注意を。
【目次】
第1章 徐福は神武天皇か
第2章 始皇帝とその時代
第3章 始皇帝の不死願望と神仙思想
第4章 不老不死の仙薬とは何か
第5章 徐福は何をめざして渡来したか
第6章 蓬莱伝説と始皇帝の真人願望
第7章 『宮下文書』にみる徐福の富士渡来説
第8章 日本各地に伝わる徐福伝承
第9章 徐福は弥生文化に何をもたらしたか

徐福伝説の謎(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「楊貴妃後伝」渡辺龍策 秀英書房(1980年)
「危険な歴史書「古史古伝」」新人物往来社
「秦の始皇帝」吉川忠夫 講談社
ラベル:徐福 歴史
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2007年11月15日

「イギリス大聖堂・歴史の旅」石原孝哉、内田武彦、市川仁 丸善

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率直に言って想像以上に良い本でした。私の思い込みでは、どうしてもゴシック大聖堂というとフランスが筆頭に挙がり、イギリスの大聖堂というといささか亜流的なイメージがあったのですが(エミール・マールの影響かな?)、そのイメージを修正すべきかも?っていう気持ちになってきました。

本書は、イギリス国内に散らばっている大聖堂の中から幾つかをピックアップし、その発祥から現代に至るまでの歴史を概観しながら、数々のエピソードを語る形式で話が進んでいきます。

三人の共著ですが、それぞれ英文学を専門にしている方のようで、歴代の王の名前に負けず劣らず、文学者や作家などの著名人が頻出します。大聖堂に国王や数多くの著名人の墓があるからですが、国王や聖人はともかく著名人が出てくるのは、彼らの職業柄でしょう♪ 

個人的にはその辺りにあまり関心はありませんが、何よりも全体として著述のバランスが良くて読んでいて違和感ないし、興味深いです。

建築関係の話は全く物足りないものの、英国の聖人や聖堂にまつわるエピソードはほとんど知らなかったので本書で初めて知る内容が多くて実に楽しい♪

英国で大聖堂を見てまわる入門書としては、最適かもしれません。本文全体にも幽霊とか古いもの好きの英国趣味が溢れていて、やっぱりイギリスってこういう国なんだと改めて思わされます。

また、著者達は実際に訪れた際に現地でのガイドなどに質問していろいろと生の伝承を聴きだしているのがポイント高い。いかにも噂話的な眉唾ものもあるが、だからこそ面白い。

逆に言うと、その辺はご専門ではないせいか、あまり事前に調べたり予備知識はないままで取材しているように感じられる部分がある(文章からだとね)。ただ、それがいい方向で出ていてあまり知らない人が読んでも分かり易く軽く読める長所として仕上がっている。

観光ガイドでは、内容が無さ過ぎだし、かと言って詳し過ぎる個別テーマの本(ゴシック建築、英国史、聖人伝等)を読むのが大変という人には、うってつけの本です。

参考文献も書かれているので、これを出発点にして更にいろいろ調べていってもいいかもしれません。実に面白い本でした(笑顔)。

以下、幾つか本文から引用。
身廊はラテン語で「舟」の意味を表す言葉である。キリスト教の初期の頃は、教会はノアの箱舟を象徴する舟と考えられていた。キリストは舵取り役で人々はキリストが操る船に乗り込んで人生という大海を渡ってゆくと考えられていた。
身廊を『舟』というのは、しばしば聞きますが、キリストが舵取り役という説明は、私初めて聞きました。そこまで言い切った文章は初めてです。ちょっと何か他の本で確認したいなあ~。ゴシック建築やキリスト教絡みの本でも、私が目を通した限りではそういった表現は無かったんだけどね・・・。舵の無い舟に乗って、神に委ねるというのはよくあるけど、微妙にニュアンス違うような気がするんだけど・・・。疑問?
旧セント・ポール大聖堂所有の聖遺物:
初代ロンドン司教聖メリトゥスの腕、聖母マリアの乳の入った水晶の小瓶、巡礼者ヨハネの手、聖トマス・ア・ベケットの頭蓋骨の破片、イエスの小刀、マグダラのマリアの頭髪、聖エセルバートの頭、聖パウロの血液
『英国民教会史』を書いた修道士ビードによれば、エセルバートはキリスト教徒に会うときは必ず広々とした屋外で会見したが、これは彼がキリスト教徒は恐ろしい魔法を使う超人的な能力の持ち主と信じていた為と言われている。

 布教の方法も、現代人から見ればかなり強引で、たとえば異教徒を武力で脅して川に追い込み、上流から聖水を注いで「洗礼」と称した。やるほうもやるほうだが、このような暴力的な洗礼を受けた者が、これで自分はキリスト教徒にされてしまったと信じたという。
こんな布教方法は初めて聞きました。さすがはカトリックですね。こうでもしないと信者にならないんでょうが、やっぱり『力』なんですね。神秘の力、って♪
ノリッジの聖ウィリアム:
聖ウィリアムはイギリス各地で行われたユダヤ人による儀式殺人の最初の犠牲者である。当時のイギリスには「ユダヤ人は宗教的儀式にキリスト教徒の犠牲を捧げる」という俗説があり、各地に「ユダヤ人に殺された」とされる犠牲者が現れた。

 伝説によれば、1144年のこと、ノリッジのユダヤ人はイースターの前にひとりのキリスト教徒の少年を買い求めた。皮革業者の徒弟であったという。ユダヤ人はイエス・キリストが受けたのとまったく同じように彼を拷問した後、キリストの礫を記念する聖金曜日に十字架にかけて殺害し、その後、土に埋めた。だが、彼は死後、数々の奇蹟を起こし、やがてノリッジの聖ウィリアムとして知れ渡ることになる。
ユダヤ人の儀式殺人の噂は有名ですね。十字軍に向かう途中で、ユダヤ人達を襲った理由としてもよく挙がられています。
ここで興味深いのは、このペリカンの書見台です。朝な夕なの祈りの折に、この上に聖書を広げて、朗読するのです。この鳥はペリカンでこのように自分の胸をつついて血を出し、それをわが子に与えるのです。これは私たちの為に死んだイエス・キリストの象徴でもあるのです。
本書では、あまり馴染みがないような書き方だったが、この象徴的解釈は、非常に有名で基本のはずだから、やはりその分野はあまりお得意ではないようだ。
リンカン・インプ:
地元の宝石商ジェイムズ・アッシャーはインプの独占使用権を得たが、王室びいきの彼は、このインプをかたどったタイピンを皇太子時代のエドワード八世に献上した。皇太子はこれを気に入り、よく身に付けたがあるときこれをつけた皇太子が競馬で大勝した。以来、これは幸運のインプとして人気を集め、インプは飛ぶように売れた。もちろんアッシャーは大金持ちになった。美術品のコレクターとしても名高い彼が、遺品を社会に還元しようとして建てたのが有名なアッシャー・ギャラリーである。
確か、このインプの話は大変有名でBBCか何かで英文の記事を読んだ覚えがあります。うちのブログでも取り上げた気がするのですが、見つかりません?
【目次】
第1章 大聖堂ことはじめ
大聖堂の歴史

第2章 ロンドン・イングランド南東部
セント・ポール大聖堂
サザック大聖堂
ロチェスター大聖堂
カンタベリー大聖堂
ウィンチェスター大聖堂

第3章 イングランド東部
ベリー・セント・エドマンズ大聖堂
イーリー大聖堂
ピーターバラ大聖堂
ノリッジ大聖堂

第4章 イングランド西部・南西部
ソールズベリ大聖堂
ウェルズ大聖堂
グロスター大聖堂
ヘリフォード大聖堂
ウエスター大聖堂
エクセター大聖堂

第5章 イングランド中部
サウスウエル・ミンスター
リンカン大聖堂
リッチフィールド大聖堂

第6章 イングランド北部
ヨーク・ミンスター
リポン大聖堂
ダラム大聖堂
そうそう本書で挙がっていた参考文献で私が今度読んでみようと思ったもの。
・「中世イングランドと神秘思想」内田武彦 山口書店
・「イングランド文化と宗教伝説」ノーマン・サイクス 開文社出版
・「イギリスの大聖堂」志子田光雄 晶文社
・「イギリス中世文化史」富沢霊岸 ミネルヴァ書店イギリス大聖堂・歴史の旅(amazonリンク)

関連ブログ
「芸術新潮 2007年04月号 イギリス古寺巡礼」
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
リンカーン大聖堂がダ・ヴィンチ映画で10万ドルもらう
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2007年10月16日

「コンスタンチノープル征服記」ジョフロワ・ド ヴィルアルドゥワン 講談社

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キリスト教の聖地回復に向かう十字軍のはずなのに、同じキリスト教徒の国を侵略し、蹂躙し、略奪した第四回十字軍の参加者による体験記。著者はシャンパーニュ藩の家令職ジョフロワで、この十字軍遠征の中枢に最初から最後まであって、どのような思惑や経緯から今回の悪名高き行為が行われたかを自らの立場を踏まえて書いている。

ヴェネツィア商人に操られて犯した『類い稀なる愚行』として有名な本十字軍であるが、当事者が置かれていた政治・経済諸々の諸条件の元では、どうしてあんなことになっていったのか、本書を読むことでその一端が垣間見えてくる。あくまでも当事者の一方的な見方ではあることを割り引いても、世界史の教科書を読んでも絶対に分からない事情を知ることができ、大変興味深い。

まず、十字軍陣営は決して崇高な使命感に燃えた指揮系統の明確な一枚岩ではなかった。地域に群雄割拠している諸侯の緩やかな一時的な連合軍の域を出ず、それぞれが独自の判断をして行動する烏合の群れに限りなく近かったようだ。名目的なトップはいても基本は合議制であり、教皇の威令さえ、十分に機能したとは言い難い状況であった。

最初のヴェネツィア経由で舟で向かう段階から、独自にヴェネツィア以外の場所から海を渡る者達が多数おり、当初の計画が大幅に狂っている。その結果、十字軍陣営はヴェネツィアに舟の準備や渡し賃として約束した金額を払えず、大いに貸しを作ることになり、実質的な主導権もヴェネツィア商人の意向に沿う形でしか行使できない状況下に置かれる。

信義を重んじようとすればするほど、借金返済の為に聖地回復とは関係の無い場所への戦争へと向かっていったのが分かる。と同時に、コンスタンティノープル(現イスタンブール)内部の政権争いに便乗する形で正当な権利も無しに、侵略していく姿はまさに経済戦争以外の何物でもない。本書ではあくまでも『正義』の為にと強弁しているが、「大量破壊兵器」を所持しているからと言いがかりをつけて石油利権の為に侵略したアメリカ軍中心の多国籍軍と大差ない話だ。

その間にも不毛な経済戦争(侵略戦争)であることに気付き、この十字軍から脱落して帰国したりする諸侯が多数出る一方で、もっと欲深く勝手に別行動する為に十字軍から進んで逸脱する者など、およそ統一軍になりえていない姿が浮かび上がる。

著者自身は、それなりに真面目に聖地回復を願っていた思いが伺われるが、あくまでもそれは少数派であり、自らの利権確保が何よりも重要視されていたようだ。ローマ教会からの破門をちらつかせても一向に気にすることなく、諸侯は自由に参加・不参加を決めていて福音書の上で誓約した誓いさえ全く守られていなかったことが分かる。なんとも天晴れなキリスト教徒の軍隊なのである。

同時に洗練されたギリシア人(コンスタンティノープルの住人)と比べて、フランク人は野蛮人以外の何物でもなく、彼らの目にした「コンスタンティノープル」という都市は、世界有数の豊かで洗練された都であり、金銀財宝の塊であった。まさにそれ故に、それだけで略奪の対象になったらしいことが伺われる。

征服後も十字軍内部では利権や主導権を巡って内部抗争が激化し、自ら弱体化していく一方で、非征服者達や近隣諸国から反乱が起るのは当然の帰結だった。何しろ野蛮人のフランク人は略奪の限りを尽くし、禁止されていた教会内部においてさえ、聖画を引きずり落とし、十字架を破壊した。更に連れてきた娼婦を司教の椅子に座らせるなど非道の限りを尽くし、女子供は乱暴され、殺され、最後に都市に火を放った。貴重で壮麗な建築物、たくさんの人命がそうして失われた。

ヴェネツィア人達は貴重な聖遺物などをせっせと運び出していたそうだが、フランク人は持ち運べないものは全て叩き壊して火を放った。文化的な劣等国の住民に散々の仕打ちを受け、虐殺されておとなしくその支配に甘んじる住人はいない。後に反乱が起きるのは、誰であっても予想できるくらいだが、指揮系統がめちゃくちゃで私利私欲からなる軍にそれらを抑制する力は無かったようだ。むしろ進んでそれを餌にして、かろうじて軍らしきものを維持していた姿が真実のようだ。

本書には少し形勢が悪くなれば、脱落して帰国する者、逃げる者、敵に寝返る者などを批判した言辞が頻繁に出てくるが、よくもまあこんな軍で戦いができたとむしろその事実に驚愕を覚えるほどだ。

外部の敵よりも、内部の仲間割れに苦慮していた姿が本当に痛ましい。信義を重んじる者が一番馬鹿を見て、適当に要領よく立ち回っている者が一番の利益を挙げている姿が描かれており、いつの時代にも普遍であることを読んでいて痛感する。『正義』は建前でしか有り得ないようだ。

他にも感じたり、学んだことは大変多い。時代は古くとも人のすることに変わりはない。今の国連軍や多国籍軍と同様、表面的な物の見方ではなく、本質的な側面を見る必要性を痛感した。勝ってこその正義であり、自らの利権に基づく建前の「正義」しか有り得ないことは時代を超えた普遍性を有するらしい。

個人的には世界史としてではなく、政経の内容だと思うんだけどね。歴史としてよりも政治史として読むと、より面白いです。かなりお薦め!

ちなみに、こうして奪われた膨大な量の聖遺物がヨーロッパに流入し、各種大聖堂などで宝物として珍重された訳である。

また、あの神の聖域たる『シャルトル大聖堂』などのゴシック建築を作り上げた信心深いはずのフランク人は、そのすぐ後に、神をないがしろにしたこういう大虐殺をしているのも歴史的真実である。

人とは、つくづく不可解な生き物だと思わざるを得ない・・・。

本書からの抜き書きメモはこちら
【目次】
序文
第1章~第116章

解題
詳細目次
関係年表
文献案内
地名索引
人名索引
コンスタンチノープル征服記―第四回十字軍(amazonリンク)

関連ブログ
「コンスタンチノープル征服記」~メモ
「十字軍の精神」ジャン リシャール 法政大学出版局
「十字軍」橋口 倫介  教育社
NHKスペシャル 千年の帝国 ビザンチン~砂漠の十字架に秘められた謎~
エスクァイア(Esquire)VOL.19
「コンスタンティノープルの陥落」塩野 七生 新潮社
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2007年10月14日

「聖徳太子はいなかった」谷沢永一 新潮社

久々にどうしょうもないゴミの本を掘り当ててしまった感じがする。甘く見ても老人のたわ言レベルの文章で読むに値しない。改めてみると、出版社は新潮か。新潮文庫はいいが、新潮新書は本当にまともな本無いね。確か以前読んだ「関西赤貧古本道」なる本もこの一連の新書だったはず、本当に駄目ですね。率直に言って悲しいです。

書誌学の専門家ということで、それらしい片鱗はあるものの、論旨は不明確で適当に書き連ねているだけだし、説明が酷過ぎる。何がいいたいのか、一番大切なものが理解できない。

他の学者の批判がしたいだけなのか? 愚痴が言いたいだけなのか? 文章が稚拙過ぎる。本文に関係の無い引用や比喩ばかりに力が入って肝心な部分がスカスカ。更にもっともらしい定義をしたりする場面があるが(例えば、『憲法』とか)、語源的にどうかは知らないが、法律学の定義としては完全に間違っているはず。 この人、こんなんで賞をとっているのが理解できない。自分の専門の視野でしか物事の見えてない(本質的に)『頭の悪い』人にしか思えません。

二流の売文家にいそうなタイプだと思いつつ、読んだ。この人が書いた論文は、死んでも読みたいと思わないなあ~。本書だけで判断して申し訳ないが、二度とこの人の文章は読みたくないです。

勿論、聖徳太子についての説明は、もうどうでもいいです。こんな説明で本書をいくら読んでも関係無いです。時間の無駄。別なまともな本を読み直しますから。従って、いつもは可能な限りメモする目次も書きません。

私だけかと思ったら、やっぱり心ある人はみんな思ってるんだね。amazonのレビューで酷評されてますが、イチイチ同感です。これでお金をとったら詐欺ですよ。

宣伝文句に
「~実在論を完膚なきまでに粉砕した衝撃の一冊。」とコピーが書かれているが、「自らの手で学者としての存在意義を完膚なきまでに粉砕した衝撃の一冊。」ではないだろうか?

本書だけは絶対に手にしてはいけない一冊です!!

勿論、編集者の良識を疑う。タレント本やトンデモ本の方が(エンターテイメントに徹している分)はるかに良心的でしょう。

聖徳太子はいなかった(amazonリンク)

関連ブログ
「聖徳太子信仰への旅」日本放送出版協会
「聖徳太子信仰への旅」~メモ
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2007年10月11日

「聖徳太子信仰への旅」日本放送出版協会

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NHKが番組制作したついでに、取材した材料をまとめて本にしたというよくあるパターンの本です。

歴史的な意義における『聖徳太子』像ではなく、現代に至るまで民衆から信仰の対象として崇敬されてきた『聖徳太子』像を採り上げています。

具体的に人々がどのようにして聖徳太子を崇敬を行っているかをレポートする体裁をとるのですが、都会の宗教心が薄れた人々と対比して、田舎の地域共同体に残る素朴で篤い崇敬心をことさら美化したり、スピード化、競争化した現代社会を卑下したり、いささか陳腐でステレオタイプの文明批判的なノリには、苦笑を通り越して、安易さの謗りを免れないだろう。

たぶん映像で見ると、郷愁を誘う感じでそれなりにまとまったイイ感じ系の番組だったのではと思うが、個人的には編集サイドの作為が強過ぎて嫌悪感を覚える。本でもそれが端々に出ていてイヤ!

何故、そんなに地方を特別視するんでしょうね? 旅行していれば、いくらでもそういう民衆信仰が息づいているのに気付きますし、自分の近所でさえ、たくさんあったりする。都内だって古くからいる人なら、思い当たるはずなんですが、地方から都内に根無し草で出てきて、地元をしっかりと見てないから、こんな安っぽい言動が出るのでは・・・?と下種の勘繰りをしたくなります。まあ、視聴率とる為でしょうけど。

まあ、嫌な部分もあるのですが、実際にそれらに目をつむれば、人々の普通の生活の一部(普通に聖徳太子を崇敬する日常)を紹介していて、興味深いです。

そもそも太子信仰が日本全国に広がっているのは知っていたし、地方を旅行する度に寺社の片隅に太子像や太子講の碑文があるのを目にしてきたのですが、その内容って知りませんでした。近所の寺にも太子の像とかいっぱいあるんだけどね。

本書では、実際にどのようにして信仰されているかの姿を通して、諸宗派から信仰され、宗派の祖とされていることや、浄土真宗との結び付き、太子伝会、職人に崇められる太子といったものを描き出していく。

その過程で紹介される寺に伝わる縁起や、『聖徳太子伝暦』『御手印縁起』などの内容が大変面白くて好奇心をそそられる。

本書自体は、軽く読み飛ばすタイプの本でしかないが、次にどういった観点から、聖徳太子の資料を探せば良いか、私には大変良いヒントになった。今度、関連書を読んでみよっと!

こうして、読書の連鎖はいつまでも&どこまでも無限に続いていくのでした。少なくとも聖徳太子について、全然知らない私には、いいきっかけになりました。悪い本ではないかと思います。
【目次】
1 太子道をたどって―飛鳥から斑鳩へ
2 王陵の谷―太子町・叡福寺
3 極楽浄土の入り口―大阪・四天王寺
4 六角堂の夢―京都・頂法寺
5 絵解きの法要―富山・瑞泉寺
6 まいりの仏―岩手・東和町
7 技術の神様―静岡・三島
8 北辺の太子堂―北海道・知床

付表―現代に伝わる聖徳太子信仰
聖徳太子信仰への旅(amazonリンク)
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2007年10月07日

「危険な歴史書「古史古伝」」新人物往来社

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いくら胡散臭いことが好きな私でも、さすがに本書に出てくるような古文書等に書かれた内容を史実とは思っていないし、そもそも冷静に検討すべきとも思ってはいない。

どっからどうみてもやらせの『偽書』っていうのは、本書内でも述べられているが、まさにトンデモ本の宝庫であり、ファンタジーとしては大いに楽しめる本達だと思ってます。

直接的には以前知った「青森にあるイエスの墓」が大爆笑で仲間内で受けてたのですが、それが書かれていたという「竹内文書」の具体的な内容が知りたくて本書を読んでみました。

もっとも残念ながら、本書ではたくさんのトンデモ系の古文書の概説がメインで、詳細は書かれていませんでした。その代わり、名前だけは聞いたことがあるもののどんなことが書かれた本だろうと思っていた、たくさんの古史古伝を知る事ができました。概要だけでもかなり笑えて楽しかったりする(笑顔)。

ただ、第1章や第2章ぐらいまでは読んでもいいものの、3章以降は私には不要でした。そもそもこうった本をどう読むのかとか、わざわざもっともらしく意義付けを求める姿勢がいやらしくありませんか?

実際にインタビューで答えられている方も、私的には古史古伝と同等の胡散臭さを感じずにはおれません。高橋克彦氏なんかいい例で、小説は面白いので好きですが、SF系のものは、かなりあちらの世界へいってしまっているものが多くてなんだかなあ~???と思ってしまう作品が異様に多い。作品の中で、本書に出てくる古史古伝を扱ったのを読んだこともありますが、いささか呆れてしまって興醒めだったことを覚えています。

そもそも発行元の新人物往来社自体が、なんでも面白ければあり、って姿勢で部数を伸ばしてる会社だから、期待してはいけませんね。割り切って読む分には、楽しいからいいんですけど・・・。

まともに良識を持って、ファンタジーを楽しめる方は第1章をお薦めします。嘘だと分かっていても、やっぱりそそられる面白さはありますよ~。

例えば、竹内文書については、モーゼが日本に来て「表十誡」「裏十誡」「真十誡」を天皇に捧げたそうです。そして、モーゼは富山県に住み、皇室の女性を娶り二人の子供まで設けたそうです。そして「十誡石」といわれる石が日本で発見されたことになってるらしい。

他にも同じ竹内文書には伝説の「ムー大陸」と「アトランティス大陸」に相当するような「ミヨイ」「タミアラ」という大陸の記述があって、海底に沈んだことになっているんだそうです。

まあ、ファンタジーですね。そんなすごい文書に書かれていたのが、以前うちのブログでも取り上げた青森の「イエスの墓」伝承ですから、あとは推して知るべし、ってところでしょう。

他にも不老不死の薬を求めた徐福が書いたとされ、富士山麓に栄えた古代王朝を述べた宮下文書だって! 

いやはや、凄まじいというか凄いというか・・・。ハリーポッターよりも夢のある世界かもしれません(笑)。
【目次】
第1章 「古史古伝」カタログ
 上記(ウエツフミ)/竹内文書/秀真伝(ホツマツタエ)/宮下文書(富士文献)/九鬼(クカミ)文書/東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ)/先代旧事本紀大成経/物部(モノノベ)文書/契丹(キッタン)古伝/揆園史話/桓檀古記/天書記(アマツフミ)/日本総国風土記/前々太平記/伊未自由来記/但馬国司文書/安部文献/カタカムナノウタヒ
 
第2章 「古史古伝」・超古代史MAP

第3章 「古史古伝」わたしはこう読む!
 インタビュー 高橋克彦(作家)
 インタビュー 伊沢元彦(作家)
 インタビュー 鎌田東二(宗教哲学者)
 インタビュー 西垣内堅佑(弁護士・縄文ネットワーク代表)
 北山耕平(口頭伝承研究家) 歴史にとってヴィジョンとはなにか
 
第4章 現代を動かす「古史古伝」
 「古史古伝」は新興宗教にどのように取り込まれたか ~オウム事件まで~ 日高恒太朗
 戦後「古史古伝」研究の展開と波紋 原田実
 「古史古伝」とUFO 岡田光興

第5章 「古史古伝」論争最新改訂版

第6章 「古史古伝」と偽書研究の最前線
 「古史古伝」研究の現状と展望 原田実
 『先代旧事本紀』と神々の原像 大野七三
 神字と新字 府川充男
 偽書『神道五部書』で解明される伊勢神宮の謎 菅田正昭
 「古史古伝」各文書の位相 原田実
 「古史古伝」関連インターネット・サイト
 対談 「古史古伝」可能性とその限界 原田実・田中勝也
危険な歴史書「古史古伝」―"偽書"と"超古代史"の妖しい魔力に迫る!(amazonリンク)

関連ブログ
日本のイエスの足跡(BBCのイエスの墓の記事による)
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2007年10月04日

「大満洲国建設録」駒井徳三 中央公論社

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満州国建国の立役者にして、建国後は経済関係の最高の地位を占め、その仕組みをまさに一から作り上げた稀有な『文官』であった人物の手になる歴史的記録です。

現代の歴史的評価から見たら、納得できない部分(柳条湖事件の首謀者の件や、満州国の主要財源等々)が多々あるものの、教科書で安易に軍部の暴走でとか、日本の権益確保の為に戦争を起こしたとか『無知』としか言いようがない記述がいかに誤っているかを痛感させられる。

満州国は戦争に関わっている。戦争は良くない。だから、満州国は良くない。こういった幼児的三段論法レベルで議論をしている方々には是非一読をお薦めしたい!つ~か、これ読んでからでしょう!

まさに昭和8年という時代に、歴史的出来事の当事者が自らの行動の意義を世論に訴えんと欲して書かれた本書には、自らを捨石にして日本と中国の永続的協力関係を築こうとした人々の情熱と苦悩の姿が描かれています。

実際、著者は内地に隠居していたのを陸軍大臣から「明日の日本と中国の為に」と再三の要請を受けて中国に向かいます。その際は二度と日本に戻らない覚悟で、自分の財産を処分し、それらは全て妻子に分け与えると共に、仕事の支障になってはいけないと妻とは別れて単身で中国に向かったそうです。

著者自身が勿論、有能な人物であった共に幼少の学生時代から中国の重要性を鑑み、大学の卒業論文では農業による中国の発展を企図して「満洲大豆論」を書いています。その後、満鉄に入り、自らの信ずるところを為さんとして中国全土をくまなく歩いて回ったそうです。

それほどまでに深く、中国と人民を熟知したうえで両国の架け橋たらんとした人物ですので、行動には真摯な情熱と深謀遠慮が交錯します。

治安が悪化した危険の真っ只中で護衛もつけずに大陸を車で疾走し、兵士に銃を向けられて監視される中、中国の実力者と会見して日本にとって必須であった交渉をまとめるなど、まさに命がけで行動しています。

そうかと思うと、あの国連のリットン調査団に対しても満州国が堂々と対応し、外交下手な日本人とは思えないしたたかさを見せてますが、著者自身が書かれているように、その間の日本政府の対応のまずさ(外務省の事なかれ主義と偏狭な島国根性を酷評してます)も致命的なミスであったことが分かります。

諸外国の対応も教科書に書かれているような、決して一方的な日本批判だけではなく、その背後にあった国際情勢や各国の思惑なども書かれていて実に興味深いです。勿論、あくまでも著者の立場からという限定がついてはいるのですが、教科書やそれを教える教師がこれらの事情をどこまで分かったうえで記述しているのか、私にははなはだ疑問に思えてなりません。

本書を読んでいて、そこに指摘された中国民衆の特徴(小さな集団や家族を統治するに非凡な才能を有するが、極端に個人的利益に走る為、天下国家的大集団を統治することが甚だ困難)は、まさに今の中国的資本主義の弊害そのものに一致するのみならず、日本国内の諸問題についての指摘が、今も変わらず妥当しているのに驚かされます。

満鉄の理事に内地から現場を知らない者が送り込まれ、数年おきに交代してしまう。対応する中国側は同じ人物でその間変わることがない。とてもではないが、交渉する以前の問題で話にならない。

あるいは、国連で全権大使として交渉に当たっている人物に対してでさえ、外務省寄りの人物でないというだけで必要な情報の提供を怠り、十分な資料が無い為に、外交交渉が不首尾に終わる。それもこれも、些細な縄張り意識に凝り固まった島国根性と歯に衣着せずに語っている。

また、平時にいかに優秀且つ事務処理能力に長けていても、火急の緊急時に即座に対応できるか否かは、別問題であり、それなりの修羅場や場数を踏んでいない人間は使えないと手厳しい。

著者は高邁なる理想を追い求める理想主義者であると共に、冷徹な政治を遂行してきた極めつけの現実主義者でもあって、相反するような両者を統合していくその考え方や行動原理は大変勉強になります。と同時に、非常に感銘を受けずにいられません。

まさに『大志』を抱く人物だったのだと信じて疑いません、私。

満州国成立後は速やかに日本人が特権的に有していた治外法権を撤廃し、日本の属国ではないことを明確にする必要を述べているし、満州国と日本国の経済関係もあくまでも互恵的な立場にたって、日本側の利益だけを追い求めるような形ではいけない、などと主張されている。ラスト・エンペラーの日本人像は、あくまでも映画の世界に過ぎない。

全く本書を読むと、NHKのプロジェクトXなんて、まるで児戯にしか思えません。たかだか新技術の一つや二つ、あるいは一企業の成功なんてどうでもいいし、それに関係した人の情熱も申し訳ないが、たいしたことないように思えてなりません。

本書を読んでいて痛感したのですが、責任を回避することに終始する姿勢は、今に始まったことではなく、まさに日本の有する伝統的病(やまい)なんだあ~とつくづく思い知らされました。戦後何十年経とうが、日本って変わっていない。

誰も彼もが勝手に意見を述べ、誰も責任を取らず、マスコミはその無責任さを助長し、お祭り騒ぎにしてしまう。戦争が何故いけないか、何故それを起こしたのかを掘り下げない議論は、無意味なんだけど、日本の学校で議論なんて経験したことないもんなあ~。大学に入っても、あまりそういう機会無かったし・・・。

まあ、現代の憲法9条問題もいいのですが、過去を冷静に見つめ直すこともできずに表面だけ騒いでもしかたないような・・・。とにかく、本気で議論するなら、こういった本も是非復刻して誰もが読めるようにして欲しいなあ~。

とりあえず国会図書館に入ってるようですし、ご興味ある方は是非読んでみて下さい。得るものが必ずあると思います!!
【目次】
満州事変の渦中に投じて

事変直後の満州四頭政治
 人材に富める関東軍
 満鉄幹部の周章狼狽
 関東庁及び在満各領事の無力

馬占山説得記
 チチハル攻略前後
 軍使となって

建国工作の概要

建国直後の満州国
 新政府の経綸
 中央政府部内の雰囲気

満州国と連盟調査団
 国際連盟より見たる満州事変
 リットン卿会見顛末記
 国際連盟会議対策私見

新国家に対するデマの横行
 対満認識不足の悲哀
 国都建設を繞りて

満州国承認裏面史

満州産業開発管見

日本の経済政策並に政治政策より見たる満州国
 満蒙独立国家の建設と其経済的経営
 満州国経営上の政治問題

在満人問題に就いて

満州国要人列伝
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<付録>
新支那建設の一駒
満州国全法令便覧(満州国国務院法制局編纂による)
新満州国地図(満州国民政部地方司版に拠れる最新版)
大満洲国建設録 (1933年)(amazonリンク)
[駒井徳三氏の著作リスト(私が見つけた範囲)]
麦秋駒井徳三 (1964年) 蘭交会

大陸への悲願 (1952年) 大日本雄弁会講談社

大陸小志 (1944年)講談社

満洲大豆論(1912年)東北帝国大学農科大学内カメラ会 経済学農政学研究叢書;第2冊

南満洲農村土地及農家経済ノ研究(大正5年)南満洲鉄道地方部地方課 産業資料;其7

支那棉花改良ノ研究(大正8 )支那産業研究叢書発行所 支那産業研究叢書;第1冊

満洲国の今後 (1933年)大阪図書販売 時局問題叢書;第5編
今度、探して読んでみよっかな?

関連ブログ
「満洲帝国」学研
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
古本まつり(西武百貨店)満州国の絵葉書
ラベル:満州 満鉄 書評 歴史
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2007年10月03日

「中世シチリア王国」高山博 講談社

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以前読んだ「十二世紀ルネサンス」の中にスペインのトレドと並んで、シチリアが古典の復興に多大なる貢献をしていたことを知り、もう少し知りたいなあ~と思って読んだ本です。

あとここのシチリア王が、閉塞感いっぱいで成果の上がらない十字軍を尻目に外交交渉だけでエルサレムの支配権を獲得した話も他の本で聞いていたので、私の中に漠然とシチリア王国に対する関心を抱いていました。

上記の関心を本書が満たすかというと・・・。
十二世紀ルネサンスとの絡みでいうと、ほんの少ししか本書では言及されていません。著者の関心が中世の西欧世界に対するシチリア王国の影響という『従属した』視点ではなく、あくまでもシチリア王国を『主体にした』視点で捉えようとしており、古典の翻訳等は異文化が接触した際に生じる通常の『文化移転』の範疇であると看做していることによる。
(←学者は自らの専門的立場から、物事を見るのでそうなるのでしょうが、中世史的にみてシチリア王国の重要性がそれほどとは思えないんだけどなあ~私には)

一方で、イスラム勢力の内情を熟知し、どうすれば、自らの欲する所を得られるかを既に知っていたであろうシチリア王が「外交交渉」という手段を戦略の一つとして採用したのは当然であったことが本書を読むと自明となります。

支配地域の住民に多数のイスラム教徒を抱え、統治機構の運用者としてイスラム教徒を官僚に積極的に登用していたシチリア王にとって、イスラム世界を熟知していなければ、そもそもその存在基盤さえも揺るがしかねない状況であったでしょう。また、敵対する諸侯や都市勢力の抑止力としてもイスラム教徒の懐柔と利用は必須だったようです。

結論として、直接的な『十二世紀ルネサンス』を本書で求めても期待外れとなりますが、それを成し遂げることができた背景を知るには、好適書かと思います。

また、中世の西欧においてもっとも早く高度化した官僚制を採用したのもこのシチリアであったそうで特殊な政治的状況からそうなった背景も含めてその点でも興味深いです。

と同時に、シチリア王国の宗教的寛容も政治的要請によるものであり、トレドでレコンキスタ後にユダヤ人への迫害が強まったように、イスラム教徒を利用する価値が相対的に減少するにつれ、種々の制約が課せられていったことが述べられています。実に考えさせられる話ですね。『正義』が勝つのではなく、勝ったのが『正義』であり、何をしても許されるというのは、まるで現代に通じる国際政治のようです。

個人的にはシチリア王国のみは全然関心がありませんが、中世史に関しての独特の役割と、イスラム教文化圏とギリシア文化圏(ビザンチン)とキリスト教文化圏のそれぞれが交差する特殊的事情は大変面白かったです。そういう観点で興味のある方にはお薦めします。

もっとも、本書では、こまごまとした人名がたくさん出てきてしまい、眠くなる典型的な歴史の本となっているマイナス面があります。できれば人名は大胆に削って、本質的な説明部分をもっと明確にしてくれた方が理解しやすいし、役立つんだけどね。個人的には、王や諸侯の名前なんてどうでもよくて、その人が果たした歴史的意義が知りたいだけなんだけど・・・。その点は残念でした。

歴史に興味がない人には、最後まで読み通すのも難しいかもしれません。
【目次】
プロローグ もう一つの中世ヨーロッパ
1章 地中海の万華鏡シチリア―錯綜する歴史
2章 ノルマン人の到来―地中海とノルマン人
3章 王国への道―シチリア伯領からシチリア王国へ
4章 地中海帝国の夢―ロゲリウス二世の新王国
5章 強大な官僚帝国へ―ウィレルムス一世悪王と宰相マイオ
6章 動乱から安寧へ―ウィレルムス二世善王の時代
7章 南国の楽園―めずらしい果物の島、美しい建物の町
8章 異文化接触の果実―イスラム、ギリシャ、ラテン文化の出会い
エピローグ 混迷の時代へ
中世シチリア王国(amazonリンク)

関連ブログ
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「十二世紀ルネサンス」チャールズ・H. ハスキンズ(著)、別宮貞徳(訳)、朝倉文市(訳)みすず書房
ラベル:中世 西欧 歴史 書評
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2007年09月30日

「日本の下層社会」横山 源之助 岩波書店

以前に読んだ「東京の下層社会」で先駆的な細民研究の資料として挙げられていた本の一冊が本書。

早速、読んでみたものの、正直肩すかしをくらったような感じ。それぞれの地区の細民の居住状況や生活状況などをレポートしているものの、それほど突っ込んで仔細に調査しているようでもない。

前掲の紀田氏の本で、エッセンスたる興味深い点が要約・引用されていていささか出がらし状態になっているようにも思える。逆に言えば、「東京の下層社会」を読めば事足りるし、あちらの方が他の本からまとめた詳しい記述が多くて読んでいても面白い。

あえて本書を読む価値としては、引用元に当たって確認する点と共同長屋について説明している点の二点だと思う。後者の共同長屋は、紀田氏の本で見なかったような気がする。あったとしても記述はこちらの方がはるかに詳しく、成立の歴史から説明されていたのでその点では意義がある。

もっとも社会生活史とかに格別関心のある一部の人を除いて、一般読者としてなら、本書ではなく、紀田氏の本がずっといいと思います。私、読んでて全然面白くなかったし。

日本の下層社会(amazonリンク)

関連ブログ
「東京の下層社会」紀田順一郎 筑摩書房
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2007年09月21日

「十二世紀ルネサンス」チャールズ・H. ハスキンズ(著)、別宮貞徳(訳)、 朝倉文市 (訳)みすず書房

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伊藤氏の書かれた「十二世紀ルネサンス」を読んで大変感銘を受けまして、その本の原点たる本書を是非読もうと考えていました。

で、読んでみたんですが・・・。

う~ん、事前に伊東氏の本を読んでいたからこそ、本書で言われている『十二世紀ルネサンス』の意味が分かりますが、いきなり本書だけ読んでも本質的な部分がなかなか理解できなかったと思います。

本書では概論的な部分が少なくて、個別具体的な事例を挙げつつ、この分野ではこうだった・・・的な説明が延々とされていきます。まさに各章毎に。

逆にそういった個別の事例から演繹的に十二世紀ルネサンスの姿を浮かび上がらそうとしていると思うのですが、私のように薄っぺらな予備知識しか持たない者には、正直かなり苦痛です。

ラテン語の著名な作家の作品とか、その内容に関連した話をされても・・・内容が分からないままでは、何が何やら???

法学の復活は、学部時代の法律を学んでいたし、ローマ法の西欧における影響に関する本とか読んでいたから理解できたけど、普通の人には辛いじゃないかなあ~?

歴史の著述は、本書でもエミール・マールの本に触れていますが、その中で読んだ『鏡』とかのことなんで分かったけど、それ読んでなかったら理解できなかった。たぶん。

大学の起源も、中世の大学に関する本を読んでいたので、見当がついたけど、本書の記述だけで理解するのは至難の技かと。

全般的に、事前の予備知識を十分に持ったそれなりの人を読者に想定した本かと思います。端的に言うと、読者に求められる水準が高過ぎてめちゃくちゃキツイです。

本書全体をいっぺんに理解する事は無理でも、章で取り上げられている分野の本を読むときに、本書を絡めて読むことで両方共に理解が深まるような気がします。(じゃないと、事項の羅列とか思えなくなってしまいます。私レベルの知識では)

私と同じぐらいの一般レベルの読者諸氏には、およそ薦められない本ですね。でもね、ある程度、知っている部分だと、ああっ、このことを言っているんだなあ~となります。

決して面白いとは言えません。でも、知識があるともっと楽しめそうな予感がする本でした。ただ、個人的には、伊東氏の本をお薦めします。個別論は置いといて、十二世紀ルネサンスの意義を理解するには、あちらが絶対にお薦めです!!
【目次】第1章 歴史的背景
第2章 知的中心地
第3章 書物と書庫
第4章 ラテン語古典の復活
第5章 ラテン語
第6章 ラテン語の詩
第7章 法学の復活
第8章 歴史の著述
第9章 ギリシア語・アラビア語からの翻訳
第10章 科学の復興
第11章 哲学の復興
第12章 大学の起源
特別に重要な訳ではないのですが、ちょこっとだけメモ
12世紀と15世紀は、学問的な資料にもある程度連続性があって、古い時代の個人の写本がヴェネツィアやパリの図書館に集められ、シチリアの国王蔵書がバチカンのギリシア語蔵書中核になっているらしい。
科学の面では、十二世紀ルネサンスはかくのごとく、アラビアのルネサンスである同時に、ギリシアのルネサンスであった。
12世紀のプラトン的イデア論は、主としてシャルトル学派に代表される。
関連ブログ
「十二世紀ルネサンス」伊東俊太郎 講談社
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
NHK世界遺産~中世の輝き 永久の古都 スペイン・トレド~
「世界大百科事典」平凡社(1998年)~メモ
「ゴシックの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「西洋古代・中世哲学史」クラウス リーゼンフーバー 平凡社
「アラビアの医術」前嶋 信次 中央公論社
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2007年09月09日

「佐渡の順徳院と日蓮」山本修之助 佐渡郷土文化の会

【目次】
順徳天皇 佐渡の御遺跡
佐渡伝説 順徳院物語
日蓮聖人と佐渡
佐渡の日蓮伝承
本書は目次にある通り、4冊のそれぞれ別の小冊子で出ていたものをまとめて一冊にまとめたものらしいです。

購入時にも書きましたが、ISBNコードもないから、全国配本されない地方出版物みたいです。国会図書館には蔵書ありましたし、値段も書かれてるから一般販売はされていたようです。

著者は、旧家の出で天皇陵の管理をしていた公務員だそうで、本の冒頭に宮内庁の人間の推薦まで入っているから、それなりに信頼が置ける人と考えられているようですね。

さて、本書の内容はあの有名な承久の乱で佐渡へ配流になった順徳院のその後について詳しく書かれています。現存する文献からだけでなく、佐渡に現在も伝わる伝承などもフィールドワークで広く採取していて、普通では知ることのできない情報が満載されていて実に興味深い本です。

順徳院が佐渡に来た当初は、土地の人は都の徳の高い僧侶としか思っていなかったそうですが、その順徳院が次々と不思議な現象を起こすので『只者』ではないVIPという認識を持った・・・云々と記述されています。この奇蹟譚のたぐいがまさに聖人伝説であって、実に楽しい♪

と同時に、ひたすら都へ戻る事を夢見て、配所で耐え忍ぶ姿は、どうしても崇徳上皇の姿がオーバーラップしてしまいます。なかば絶食して死に至った経緯も怨念の表現としては、崇徳上皇に負けるものの、どうして&どうして、荒俣氏の小説のモデルになってもいいくらいでしょう。

鎌倉幕府を祟りたくってしかたなかったはずですしね!

この手の話や歴史に興味のある方、是非どっかから入手して読んでみて下さい。実に面白い!! 参考までに本書の中に載っている話を以下に紹介してみましょう。
[竜神御剣を奉る」

 恋が浦へお着きになった順徳さんは、お船から御上陸になる時、おさすが(御剣)を海の中へ落とされた。お困りになった順徳さんは、すぐ

  束の間も身に放たじと契りしに
    浪の底にもさや思ふらむ

 と、お歌をおよみになると、竜神も御威徳に感じたのであろう。波の上におさすがはしづかに浮かび上がり、こともなくお手に入ることが出来た。
これって、安徳天皇が壇ノ浦の合戦の時に入水し、紛失した三種の神器の一つ(鏡だっけ?)が海上にぷかぷか浮いていたのと重なるような奇蹟ですね。こちらは竜神が明示的に示されている分だけ、強調されているようですが。
[狐憑き]

 佐渡には、昔から狐がいなくて狢がいることで有名である。そして狢に憑かれたのは落ち易いが、狐に憑かれたのは容易に落ちないといわれている。

 昔、他国に出ていて、狐憑きになって帰ってきた男があった。家族の者たちは大変心配してあちこちに行って祈祷などしてもらったが少しも効き目がなかった。

 そのうち、狐に憑かれたのには、天子様から睨んで頂くと、必ず落ちると教えてくれるものがあった。その頃、佐渡の島には順徳さんと申す天子様がおいでになったので、早速御殿にあがり、恐る恐るお願い申し上げたところ、「わしも位にあるときならば、請け合って落として遣わすが、今の境遇ではどうかわからぬ、それでもよければ」とのお言葉で、御聞きとどけ下された。

 家の者達は、早速その狐憑きの男を、御前に連れて出るや、たちまちブルブルふるえて、トツトツと十歩ばかり走って倒れた。睨むまでもなく、ただ御前へ出ただけでその御威光に打たれ、憑いていた狐は落ちて元の人間に立ち返った。
天子様の御威光、ここに至れり! 逆に言うと、未だに天子としての力を失っていないことを暗示sしている訳で、いつか中央に返り咲こうという意図の現れでしょうか? それとも単に田舎では、貴人として尊ばれていたということでしょうか?
[せきぞろう]

 まことに恐れ多いことであるが、その頃の順徳さんには、ともすると毎日の御食事にすら事欠くという有様であった。

 これを見かねたほいとうが節季(年の暮)になると、「節季に候」、「節季に候」と唱え廻って米などを貰い集めて奉った。
 
 それから毎年行われたが、一年に一人だけがしかも一度しか廻る事の出来ない慣例であった。

 「節季に候」が「せぎぞろう」に転訛した。明治初年頃までは、年の暮になるとほうとうの頭(かしら)が「せぎぞろう」と呼びながら物貰いに門に立ったのは、この風習の残りだといわれている。

 それから佐渡で乞食のことをほうとうと呼ぶのは、順徳さんのお供のみこしかきに布衣(ほい)の位を与えて「布衣等」と呼んでからである。その布衣等は、位はあったけれども暮しが楽でなかったので、村人に衣食を乞うことが多かった。そのため「布衣等」は乞食のように呼ばれた。
やっぱりそこまで苦境にあったということなんでしょうね。こういった話が残っている自体、当時の様子がありありと目に浮かびます。
[中川の御製]

 今の石田川は、昔中川といって鍛治町から八幡部落を横に流れて海に注いでいた。川幅が広く、石原が多かったが、所々にクリがあって、そこには大蛇が棲んでいた。少しの雨にも大水となり溺死する人もある位で大変困っていた。

 ある時、順徳さんはこのことを御聞きになり、川岸にお立ちなされ、

  見下ろせば佐渡の中川しろたへの
    己が棲家は海にこそあれ

 とお詠みになった。

 この御製はヌイゴのお筆で、麻布にお書きになって、中川へお流しになった。その為大蛇もいなくなり、また川の流れも現在の川原田町との境へ変わってしまった。

 この時お流しになった麻布は、万法院の修験者が石田川の川口で拾って家宝としている。また、現在八幡諏訪神社の東側を流れている小川は、その頃の中川のあとである。
ブリテン島から、蛇を追い払った聖ゲオルギウスのようですね。超人的な力を有する聖人以外の何者でもない。こういう話は大好きです♪ 弘法大師様の話しなんかも面白いんだよねぇ~。

本書には日蓮聖人に関するものも載っています。読むのが難しいのもありますが、資料として十分価値あるんじゃないでしょうか? しかし、本書を読むまで日蓮聖人が佐渡にいたことがあるなんて全然知りませんでした。いやあ~佐渡っていろいろあるんですね。以前、行った時には全然気付かなくて惜しい事をしました。

今度、改めて行ってみようかな?

関連ブログ
蒲田温泉・池上本門寺・川崎大師
ラベル:佐渡 歴史 書評
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2007年09月02日

「埼玉県の歴史散歩」埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 山川出版社

普段、都内や埼玉を中心にデジカメ片手にうろうろと散策している私としては、何も知らないまま、神社仏閣や史跡の写真を撮っていたりするのですが、こういうので知識を事前に持っているのも良いかなあ~って思ったりします。

地域限定で史跡旧跡を紹介してくれているのですが、地元高校の歴史の先生方が書いていますので、普通の本では通り一編しか触れられない内容を格段に詳しく網羅的に書かれています。

私が買ったのは30年前の文庫本なので、持ち運びも手軽なうえに今ではなくて30年前の今について書かれているのが、結構おいしかったりする。つまり、今では失われたことが書かれていたりする。地名なんかもだいぶ変わっているし、お祭り関係の話などもずいぶんと変わったんだなあ~と気付かされる記述があったりします。

もっとも歴史的な記述に関しては、調べればもっと詳しいことも分かるでしょうが、一つや二つではない以上、自分で調べる手間を考えたら、本書は非常に重宝します。いい感じの記述レベルなんですよ~。

散策する際に持ち歩いてもOKな携帯さも捨て難いし、本書を読んでそんなに寺格の高い寺であることに気付かされる事も何度かありました。

う~ん、ちょっと見では分からないものの、そういう言われてみると、山門や建物の建築が凝っていてお金かかっていそう・・・なんて思えてくるのが不思議(笑)。なんとも現金な私です。

例えば、うちのブログでも取り上げてる場所が多数出てきますが、寄居の正竜寺。鉢形城主の菩提寺で墓もここにあるのは知っていましたが、鉢形城は小田原城の支城でありながら、鉢形領は70万石もの石高があったとは全然知りませんでした。

でも、ここのお寺って確かに立派なんですよねぇ~。ブログにもなんでこんなとこにこんな立派な建物が・・・な~んて失礼なこと書いてたような気がしますが、立派で当然なんですね。いやあ~無知でお恥ずかしい。

しかし、それ以外にも何気に表面的にしか知らなかったことを教えてもらえて大変為になります。郷土史好きの方なんかにはお薦めですね! 何も知らないで散策するよりは、知って観光した方が面白いですしね。

逆に自分が知っているところについては、物足りない点もたまにあったりしますが、とにかくバランスがいいのが嬉しいですね。散策には必携のお供でしょう♪ 

こんなことを言うと、地元のひいきめに思えるかもしれませんが、鎌倉とかよりも古いのいっぱいあるし、埼玉のこの辺を散策した方が実は興味深い寺とか多かったりするかもしれない。 ガイドブックなどではまず出てこない古刹名刹もまだまだいっぱいあったりするしね。実に面白いでです♪
【目次】
変わりゆく首都圏
一首都隣接のまち
二県都浦和
三武蔵国一宮
四中山道宿場町とその周辺

穀倉と水運の東部
一日光街道にそって
二城下町岩槻と日光御成街道
三利根川流域の町々

比企・入間路
一都市化する武蔵野
二城下町川越
三狭山路から加治丘陵へ
四高麗郡
五越生から坂戸へ
六比企丘陵から外秩父へ

北武蔵野をたずねて
一さきたま
二中山道にそって
三児玉丘陵
四鉢形領

山国秩父
一秩父往還
二旧秩父往還
三吾野・正丸通り
四上州街道
埼玉県の歴史散歩(amazonリンク)これは2005年版で私の持っている1978年のものとは違うのですが、一応参考までに。

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埼玉散策シリーズ~高麗山聖天院と野々宮神社
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武州寄居十二支守り本尊参り(埼玉)
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埼玉散策シリーズ~輪禅寺・普光寺コース1 (小川町)
ラベル:書評 歴史 埼玉県
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2007年08月16日

「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」マーティン・ラン 集英社

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久しぶりにダ・ヴィンチ・コード関連の本です。どっかどうみてもまごうことなき便乗本です。しかも、この手のおおかたの本と同様に、他の本に書かれた内容を、客観的に比較したり、評価することなく、自分の好みとセンスだけで勝手に切り貼りしてもっともらしく解説してる俗悪本です。

というのは、冷静に関連本を読めば絶対に分かりそうな誤り(シオン修道会の存在や秘密文書等)を平然と前提条件としているので議論も説明も空回りしています。

オプス・デイの説明も不正確極まりないし、あまりにも恣意的な説明が多くて何の役にも立たない。P2とかの説明もなっていない。

本書で解説されている全ての項目に、いちゃもんつけようと思ったらできてしまいそうなレベルです。これで『デコーデッド』なんて言ったら、腹抱えて笑い飛ばすしかないでしょう。知らない人が読んだら、ダ・ヴィンチ・コードを更に誤解して、どうしょうもないことになるんじゃないでしょうか?

とにかく単なる小説内の記述をいちいち一部だけ取り出して、批評するなって(笑)! しかもその批評や解説が間違っているから、困ったもんです。正確なら、意味がありますけどね・・・。

同名のDVDがあり、本書と関連があるようなのですが、内容は全然異なっています。

少なくともDVD内で語られている内容は、それぞれの著者の見解だから、まだ良いのですが、本書ではマイケル・ページェントの著作を元に説明しているくせに、その著者が疑問になっている事柄を「そんなことはない真実だ」と本書の作者が主張するのには、イタ過ぎて目もあてられません。その時点で、論理的に考えてこの本終わってるって。

本書でなされている解説は、確かにどこかで誰かが書いていたものを引用してきているのですが、そもそも引用元の記述が間違っているのも知っているので、実に悲しいものがあります。率直に言うと、この本嘘ばっかりです。

何を今更のダ・ヴィンチ・コードですが、私が知っている限り、決定版的な解説本はないままですね。本当に関心があるなら、面倒でも自分で調べた方が良さそうです。効率悪いですが、必ず得るものがありますよ~。(もっとも私の場合は、寄り道し過ぎているきらいがありますけど)
【目次】
レオナルド・ダ・ヴィンチ―その生涯と芸術作品
シオン修道会、歴代総長とプランタール家
ダヴィデ家とメロヴィング家の血脈
実在したソニエールとレンヌ=ル=シャトー
コンスタンティヌス大帝
ヨーロッパにおける聖杯
イエス・キリストにまつわる事実と創作
キリストは結婚していたのか
オプス・デイ
『ダ・ヴィンチ・コード』で取り上げられたその他のテーマ
『ダ・ヴィンチ・コード』に登場するパリの名所
ロスリン礼拝堂
ロンドン
ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド(amazonリンク)

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ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド(2004年)リチャード・メッツガー監督
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2007年08月11日

「芸術空間の系譜」高階秀爾 鹿島出版会

ご存知、高階氏によるアート空間への解説本が、あのSD選書の一冊として出てるなら、とりあえず読んでおいて間違いはなかろう・・・という安易な選択でしたが、やっぱり間違いはありませんでした。

いろんな美術館や展示会で観る古代から近代の芸術作品ですが、やはりそれが描かれていた時代の空間意識を知らずに、その作品を理解するのは難しいんだろうなあ~と痛感させられました。

勿論、作品はただ作品それ自体における魅力・芸術性で時代や価値観を超越して見る人に影響を及ぼす永続的存在であるのですが、同時にそれはその作品を生み出したありとあらゆる時代的・社会的要因の下で、初めて成立しうる一時的なかりそめの存在でもあることにも気付かされます。

逆に言うならば、どうやって見られるかを踏まえてどう見せるか、という視点は芸術を存在させる空間全体を通して意識しなければ、その作品は真実の姿を現さないのかもしれません。
言い換えるなら、描いた人、建築を作った人は、自らが見えたものを見えたようにそのまま描いたに過ぎないとさえ言えるのかもしれません。

決して技巧に走ったわけではなく、自らがそう見えたと社会的規定からその人が認識しえた美を表現した、この視点は実に有用でしょう。

昨今では、この手の議論はよく聞くところではありますが、建築関係の雑誌に1960年代に描かれた内容にしては、全く古びたところを感じさせないものとなっています。

私自身は、既に何冊かこの手の本を読んで自分の中でもそういう意識が芽生え初めていたので、決して新鮮な驚きを覚えたわけではないのですが、本の内容は、著者の意見でありながら、実にバランス良くそうした視点での空間認識の説明がなされています。

個人的にはゴシック空間のとこがやっぱり面白かったかな? 逆に最後の抽象的空間までいってしまうと、正直興醒めでした。あそこまでいくと、何を意図して書かれていようが、それが見た人にどう思われるかが大切なんじゃないの?とか私などは思ってしまいます。何も伝わってこないんだもん、私にはね。

あとモリスのアーツアンドクラフト運動に対する著者の評価も、個人的には賛同しかねる内容でした。個々の部分には、当然違うことを感じるものがありますが、まとまってこういう視点を意識できる事は少ないので、それだけでも意味がある本かもしれません。

演劇なんかは特にそうですが、建築や彫刻などの芸術にはやはり『場』というものが大切なんだと心の底から感じずにいられません!

【補足】
調べてみたら、雑誌に書かれた記事でも読んでいました。道理で聞いたような話だと思いました。記憶力のない私って・・・なんだかなあ~(悲しい)。
【目次】
原始空間の特質
ギシシャ人の空間意識
イタリア美術の空間意識
ゴシック空間の象徴性
ルネッサンスの理想都市
新しい技術と空間的可能性
世紀末芸術の空間意識
キュビズムの空間意識
抽象的空間の成立―抒情と幾何学―
あとがき
芸術空間の系譜(amazonリンク)

関連ブログ
ゴシック空間の象徴性/高階秀爾~「SD4」1965年4月より抜粋
「ゴシックとは何か」酒井健 著 講談社現代新書
「ゴシックということ」前川 道郎 学芸出版社
「図説 西洋建築の歴史」佐藤 達生 河出書房新社
ラベル:アート 書評 建築
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2007年07月29日

「中国の禁書」章培恒、安平秋 新潮社

うちのブログもタイトルに「禁書図書館」などとうたっておきながら、禁書というシステムを扱った本はほとんど採り上げていなかったので、興味津々で読んでみた本です。

訳者の前書きより抜粋
本書は焚書坑儒に始まって最後の王朝清に至る中国史二千百年余年の禁書政策を見渡した異色の労作「中国禁書大観」(上海文化出版社、1990年3月)の日本語版である。
・・・
原著は本文七百十五ページの大著であり、一、「中国禁書簡史」、二、主な禁書について概要を紹介した「中国禁書解題」、三、約七千種の禁書の総リストの「中国歴代禁書目録」の三部からなっており、原著者らが中国禁書メカニズムの解明にかけた情熱をうかがい知る事ができる。
・・・
日本の一般読者向けの訳書では、全文は収録できず、エッセンスである「禁書簡史」の訳出、紹介にとどめた。
残念ながら、本書は原著の抄訳らしいのですが、それでも中国という古代以来の文字先進国家が国家・政治的配慮から行ってきた過酷、且つ徹底した文化統制政策の凄まじさを実感できます。

西洋の魔女裁判で行われた禁書目録とか、ああいった生易しいものではありません。事前に書名が列挙されてなんかあるはずもありません。皇帝による完全な個人的見解に基づく恣意的運用の下、国家政府に対する不平不満は言うに及ばず、牽強付会だろうが、無理矢理だろうが、皇帝が危険性ありと思えば、それは即、有罪以外の何物でもないのでした。

当時の最先端の文明国である中国と西欧一般を比べるのが間違いかもしれませんが、今も昔も明確な為政者による知識人層への絶対的圧力の手段として「禁書」が採用されてきたこのシステムの怖さは、想像を絶するものがあります。

中国では、異民族による漢民族支配の歴史が長く、新しい王朝が生まれると前王朝の血筋が絶えるまで徹底的な血の粛清をやらないではいられないことは有名ですが、それと同時に前王朝を追慕し、現政権を批判するような士大夫などの知識層は、潜在的な危険要素として常に現政権から、監視の目で見られていたことが分かります。

中国的な伝統として、書によって皇帝に上奏するなどの他、現体制への不満を書の中で表明することが一般的あり、また、それによって民心がしばしば影響を受け、実際の抵抗運動につながることも多々あった為、為政者からの文化統制政策には、他の国家では見られないような並々ならぬ熱意と果断さがついてまわります。

本書では歴史を追って、その具体的な禁書内容、事件例などを紹介しつつ、時代時代の禁書の取り扱い、歴史的・政治的背景についても説明を加えています。

中でも私には、ある種のショックであったのが、清の乾隆帝の時代に作られた「四庫全書」。中国に存在するありとあらゆる本を集め、網羅し、歴史的にも名高い百科全書的な存在ですが、これほどアイロニカルな存在もなかったりする。

私が習った世界史などでは、素晴らしい文化事業の成果のように紹介されているがとんでもない! 

異民族支配である清王朝への体制不満などが書かれている書物はないか、中国中の書物を集めて調べ、弾圧することがその本来の目的であり、その為に書物を集める手段としての口実が四庫全書に他ならない。集められた書物は、問題があれば焼却され、それほど重大でない問題があれば、一部削除とされた。

おおまかな数字が挙げられているが、焼却になった書物は二千四百五十三種で、一部焼却になったのが四百二十三種で、四庫全書全体に納められている書物は三千四百七十種。つまり、四庫全書の四分の三が焼却処分になり、八分の一が一部焼却に相当しているんだそうです。

中国にある知識を集結するどころか、多くの知識を失わせた点からは、歴史的な功罪として大いなる咎を負うべき事業であったらしい。まさに歴史的愚行と言っても良いのかもしれない。

でも、学校でそんなこと一言も教えてくれなかったもんなあ~。いらんなそういう教師は。もっとも教科書にも問題があるのだろうけど・・・。

本書の内容がどれぐらい正確であり、他にはどんな見方があるのか知りたくなりました。今度関連書があったら、読んでみよっと。実に勉強になる本でした。

一部の抄訳というのが大変残念でなりませんが、禁書に関心がある方、一読の価値ありますよ。でも、ふと思ったのですが、今現在もリアルタイムで、中国政府はgoogle等の検索結果に特定の単語によるものは、表示できなくさせているでしょ。圧力をかけて。あれって、まさに中国の伝統的政策の一環に他ならないんですね。これだけ世界中の情報が自由にネットで入手できる、こんな時代にコレですもの。

『寝た子を起こすな!』ってことですもんね。う~ん、うちのブログなんてきっと検索結果で表示されないように、ブロックかけられるんだろうなあ~。(いや、マジに)
【目次】
第1章 稚拙な残酷さ―中国史上初、二回の禁書事件
第2章 北方の暴風―漢から唐、五代の禁書
第3章 文治の陰影―南北宋朝の禁書
第4章 意外に鷹揚だった元朝―異民族支配が幸い?
第5章 専制ますます強まる―漢民族復権の明朝
第6章 残酷なる報酬―満州民族の清王朝

現代の禁書
中国の禁書(amazonリンク)

関連ブログ
「グーテンベルクの謎」高宮利行 岩波書店
ラベル:禁書 書評
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2007年06月24日

「ライフ人間世界史〈4〉信仰の時代」タイムライフインターナショナル出版事業部

表紙がシャルトル大聖堂の「青き聖母」のステンドグラスの絵だったので速攻で購入した本。読もう、読もうと思いつつ、後回しになっていました。

う~ん、それなりに文章の分量もあり、内容も一冊の本としては、それなりの範囲をそこそこ詳しく書かれています。中世について他の本を読んだことがなければ、十分過ぎるくらいの内容かもしれません。

ただ、読んでいて決して面白くてわくわくするほどの文章ではないなあ~。眠くなってしまう。それなりに中世世界についての本を読んでいるとここで知る知識は、基本的には既知の範囲内です。

写真なんですけど・・・、う~んあまり綺麗ではない。印刷技術の問題かもしれませんが、モノクロの版画とかならいいけど、写真はあまり良くない。そして、ステンドグラスの写真について言うならば、完全に駄目。その点では全く価値がありません。写真で定評のあるライフなんだけどなあ~。

私個人としては、すぐにでも手放したい蔵書ですね。大判だけに部屋が狭くなるし・・・。この手の全集物って本当に当たり外れが大きくて参りますね。

そういえば、このシリーズで読んだ宗教改革も外れだったし・・・。ライフの本は手を出すのを控えようっと。さて、スキャナで必要な画像だけ押さえて処分してしまうか。

amazonのマーケットプレイスのあの価格はぼったくりだろう。内容に価格が見合ってないし・・・。
【目次】
1封建制度の勃興
 苦労に満ちた農民の日々
2教会の光
 敬虔な修道士の生活
3十字軍の遠征
 魂の危険な旅路
4反映する中世都市
 活気あふれる商人の町
5中世文化の興隆
 騎士道花やかなりしころ
6信仰から生まれた芸術
 大聖堂の女王
7国民国家の誕生
 中世の戦争
8吹きすさぶ変化の風
 時代の息吹を伝える中世建築
ライフ人間世界史〈第4〉信仰の時代(amazonリンク)

関連ブログ
「ライフ人間世界史(7)宗教改革」タイムライフインターナショナル出版事業部
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2007年06月21日

「奈良」直木孝次郎 岩波書店

一応、基本スタンスとしては奈良の名所旧跡案内であるが、単なる観光ガイドとは全く異なる本です。

古代史の専門家が『奈良』という場所で起った歴史的出来事や古代の政治情勢などを分かり易く解説しながら、あくまでもそれらが実際に起った舞台としての場所(建物)を紹介し、更にそれが現代の史跡としてはどのように残っているのか、具体的にどうやったらそこに行けるのか(アクセス)などまで説明してくれます。もっとも、1971年当時の交通事情なのでそれ自体は役に立ちませんけど、何度か行って知っている人なら、おおよその感覚が掴めると思います。

本書では、古事記や日本書紀などの文献や各種の考古学的知見に基づき解説される奈良時代が具体的な史跡と対応しているので、例えば「山ノ辺の道」や三輪山、橿原神宮、飛鳥寺など実際に行った経験があれば、日本の古代史が非常に近しい存在に感じられます。

しかもそこで説明される内容が実に面白い!
一番最初のトピックとして、三輪山の神と天皇家の関係が挙げられている。三輪山の神は皇族を妻としたとされるほど関係は深いが、その一方で三輪山の神は祟って災害を及ぼす神であり、天皇家とは対立関係にもあった。

その理由として、著者は三輪山の神は、元来大和の他の有力豪族に祀られていた神であり、天皇家は後に征服者として大和に入ってきた存在で、有力豪族を倒した後、三輪山の神の祭祀権と大和の支配権を獲得したからだという。それゆえ、天皇家は三輪山の神を大いに敬する一方で、よそ者の神としての緊張感を抱いていたらしい。

本書の中では、上記の結論に至る論拠や過程も書かれていて、説得力があり、非常に魅力的である。

他にも同じ事件(雄略天皇が葛城山中で一言主神にあった話)であっても古事記や日本書紀で若干書かれている内容に差異があり、それはそれぞれの書が書かれた時代の政治状況の違いが反映している、といった説明が実に関心を惹く。

古事記や日本書紀は、ずいぶん昔に読んだきりで記憶には自信がないものの、引用されている内容はなじみのものも多く、自分の旅の記憶や読書経験などバラバラだった知識が関連付けられていくのも実に愉快です。

これから奈良を旅する人や、もう何度も旅したことのある人が、自分の経験をより深く味わい深いものにする為にも、本書はきっと役立つと思います。これを読んでから、奈良に行けば、同じ観光でも密度は100倍以上濃厚なものになること掛け値なしです!!

読む価値のある歴史の本だと思います。何よりも面白い。
【目次】
序章
第一章 国つ神の里―三輪と磯城―
第二章 古墳と豪族―葛城―
第三章 后たちの墓―佐紀楯列と和爾・石上―
第四章 神武伝説とその背景―初瀬・磐余・畝傍―
第五章 花ひらく―飛鳥・藤原―
第六章 国家興隆のかげに―斑鳩・平群・二上山―
第七章 都の明暗―平城京―
あとがき
奈良―古代史への旅(amazonリンク)

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奈良散策シリーズ~東大寺(8月23日)
奈良散策シリーズ~元興寺 地蔵会万燈供養(8月23日)
奈良散策シリーズ~興福寺(8月23日)
祟徳上皇(or 祟神天皇陵)にまつわる不思議な話
「魔障ヶ岳」諸星大二郎 講談社
NHKスペシャル「大化改新 隠された真相~飛鳥発掘調査報告~」
日本最古の建設会社、1400年の歴史を持つ金剛組
ラベル:書評 奈良 歴史
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2007年06月17日

「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 講談社

cyuseitosi.jpg

フランスの中世都市トロワを舞台に、そこで生きた人々の生活を各種の資料を元にしてより生き生きと具体的且つ明瞭に紹介していく本です。

大変分かり易い表現と具体的な描写で、当時の生活習慣などが実によく理解できます。無味乾燥になりがちな歴史の本と異なり、面白いんですけど、おそらく資料からでは明確に分からない点についてはかなりの推測と想像を加えて書かれています。

著者は歴史家ではなく、作家だそうですから、うっかり本書の記述を鵜呑みにするのは早計ですが、まあ歴史家の書いた文章でも全てが正しい訳ではないので、その辺を読者側で十分に理解して、その分を割り引いて受け取る限りでは、面白いし、大変勉強になります(笑顔)。

都市生活の種々の一場面を切り取って、その場面毎に説明をしている感じでしょうか。水平的な(=同時代的な)視点での切り口で、垂直的な(=歴史的な)切り口による解説は、少ないように思いました。本書で関心を持ったら、他の具体的なテーマで書かれた本へ向かっていく為のきっかけになるかと思います。

逆に言うと、この手の本をあまり読んだことがない人でも抵抗感なく読めるかも。中世の生活を知るには、良い入門書かもしれません。

そうそう個人的に面白かったのは12章の写本の話。手書きで写して本を作成しなかればならない時代ですが、書き写しの途中で一文が抜けてしまった場合。欄外にその文を書き、綺麗な挿絵の人物がどこにその文が入るのかを示す、とかちょっと洒落た処理をするのは、初めて知りました。なかなか楽しいです。

他にも写本が非常に大変なので、最後の頁に以下のような言葉が書かれていたそうです。
「筆写した者が作業を続けられ、よいブドウ酒の飲めますように」
「これでおしまい。先生が太ったがちょうをくれますように」
「筆写した者にいい牛と馬が与えられますように」
「ここまでの苦労にこたえ、筆写した者に美しい女性が与えられますように」
「筆写した者に牛と美しい女性が与えられますように」

最後のは、どう考えても強欲過ぎる気がしますが・・・。いろんなものがもらえるんですね。羨ましいなあ~(笑顔)。
【目次】
プロローグ

第一章 トロワ 一二五〇年
第二章 ある裕福な市民の家にて
第三章 主婦の生活
第四章 出産そして子供
第五章 結婚そして葬儀
第六章 職人たち
第七章 豪商たち
第八章 医師たち
第九章 教会
第十章 大聖堂
第十一章 学校そして生徒たち
第十二章 本そして作家たち
第十三章 中世演劇の誕生
第十四章 災厄
第十五章 市政
第十六章 シャンパーニュ大市

エピローグ 一二五〇年以降
中世ヨーロッパの都市の生活(amazonリンク)

関連ブログ
「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社
「世界の名著 67 ホイジンガ」中央公論新~中世の秋
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂
「中世の女たち」アイリーン・パウア 新思索社
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世ヨーロッパの書物」箕輪 成男 出版ニュース社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「絵解き中世のヨーロッパ」フランソワ イシェ 原書房
ラベル:書評 中世 歴史
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2007年05月27日

「埼玉の伝説」早船ちよ、諸田森二 角川書店

前半の伝説散歩の部分は、非常に有用です。おおまかな交通アクセスは、だいたいの目安になりますし、それ以上に完結にまとめられた個々の寺社仏閣にまつわる伝説・伝承の類は、大変面白い。

如何せん、伝承の量が圧倒的に多いために、メモ書きレベルではあるものの、どんな由来や由緒があるのか分かれば、後は興味を持ったものを実際に自ら訪れたり、地元の図書館とかに行って調べれば、更に先に進むことができる。本書だけでは完結しないが、実際に散策する為のきっかけになるし、大変参考になると思います。

実際に、面白い伝承のある寺や神社あちこち見て廻ってみたいと考える私としては、この手の本が一番役に立ちます。不老長寿の八百比丘尼伝説や、龍退治、河童の話などなど、思っていた以上に地元の埼玉の地には伝承があるんだなあ~と再認識させられた本です。

私が埼玉散策シリーズとして、このブログ内で採り上げている岩殿観音や鬼鎮神社、寄居の12干支巡り、秩父神社等々に関する伝承もバッチリ載っています。ただね、自分が実際に行った場所や、自分で郷土資料を調べたことのあるものについて言うと、だいぶ省略されていることが分かります。紙面の関係で仕方ないですが、そういう意味では本書はあくまでもきっかけや契機になる本です。詳しくきちんと知りたいと思うと全然足りませんので、一層詳しく調べる目安とするべき本です。

そういう意味では、実によくまとまっており、カバーする範囲が広いので初心者用に使える本だと思いました。

その反面、後半以降の幾つか選んで伝説の全文を載せている部分は、逆にイマイチ。選ばれている話自体がそれほど面白くないのと、どこのどの神社・仏閣に関するものなのかが明示されていないので、端的に言うと使えない話ばかり。

遠野物語とかと比べると、意味がほとんどない伝説採集となっている。こんな中途半端な編集方針を採らず、最初から最後までを前半と同じ内容で伝説の量を集めた方が、本全体としての価値が上がったと思う。残念だ。

ただ、これだけポイントを押さえてまとまっている本は少ないと思うので、伝承・伝説好きなら、手元においといて良い本でしょう。本書を読みながら、私はまた、幾つかの場所を散策したいと考えています。
【目次】
埼玉伝説散歩/諸田森二

首都隣接の街
キューポラのある街
別所沼と見沼田圃
かえるまた苦心談
大いなる宮居
葛飾早稲の里

日光街道・中山道周辺
人形づくりの町
女郎買い地蔵さん
鴻巣のいわれ
漂流して来た獅子頭

入間・比企丘陵
鎌倉武士の古戦場
狭山茶処
高麗の里から奥武蔵へ
雑木林の平林寺
小江戸の賑い・川越
比企丘陵の寺々

北武蔵
忍城下の不思議
関東武者の故郷
深谷宿みかえりの松
坂東太郎の上流

秩父路
姿の池と武甲山
三峰神社周辺
両神山から小鹿野へ
岩畳の長瀞

埼玉伝説十三選/早船ちよ

民話採集手帳

付・埼玉伝説地図
埼玉の伝説 (1977年)(amazonリンク)

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埼玉散策シリーズ~輪禅寺・普光寺コース1 (小川町)
埼玉散策シリーズ~弁天沼、岩殿観音1(4月29日)
埼玉散策シリーズ~秩父、宝登山神社
埼玉散策シリーズ~箭弓稲荷神社(10月3日)
武州寄居十二支守り本尊参り(埼玉)
節分にちなんで鬼鎮神社のメモ 
本書の中では「オニシズメ」神社と言っているが、実際はそんな言い方はしない。地元では「キジンサマ」という。こういった著者の調査不足が、他にも幾つか見られるがそれでも一定以上の価値はあると思う。
旅行・散策A 左側のカテゴリより
旅行・散策B 左側のカテゴリより
ラベル:伝説 埼玉 書評
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2007年05月20日

「色で読む中世ヨーロッパ」徳井淑子 講談社

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冒頭にアニメの「シュレック」を例にとって、中世以来の色のイメージの伝統を説明しているが、まず、これは本として大失敗だと思う。中世に関心を持つ人がこのアニメを最初に出された率直な感想は、「この本使えない」だろう。私はそう思ったし、残念ながら、この思いは最初から最後まで尾をひくことになった。読者層を的確に捉えられていないようだ、この著者は。

中世世界における服飾に顕著な色彩の有する意味を、当時の資料から読み解くことで、中世の多面的な理解を進めたい、という著者の意図は明確だし、その試み自体も興味深いと思ってつい買ってしまったのだが、もったいない買い物だった。確かに、今まで意識していなかった観点であり、写本やステンドグラスを見る際に参考にしたい視点ではあるので完全に無駄とは思わないものの、あえて手元に置いておくだけの価値はない。

何故なら、本書は15世紀にシルルという人物に書かれた「色彩の紋章」
という本に基礎を置き、それをおおいに引用しながら、色彩の意味が生成される経緯に焦点を当てようとしているのだが、引用以外の部分があまり役立っていないように感じてならない。

その本の引用部分は十分に価値があるのですが、それ以外の著者が選んだあちらこちらから引用してる資料と、それを見ながらの考察部分は、何を言いたいのか理解しにくく、冗長で散漫な文章で嫌い。

大変失礼かもしれないが、余計な著者の説明はなしにして、「色彩の紋章」という本を素直に翻訳してくれた方がはるかに価値の高い本になっただろう。資料的に価値がありそうなので、大変残念である。仮に著者が解説するにしても、あくまでも翻訳内容の注やコメントとして、翻訳文とは別に付ければ十分なのにね。あ~、いろんな意味でもったいない本です。

なお、どうでもいい文章が入っているので一見すると読み易いのだけれど、それは大切な部分が削られている代わりに入っているのであって、本質的な意味で、価値を落としている感じがしてならない。

わざわざ中世の色彩に関心を持つのは、どんな読者なのか、もう一度考え直して欲しいです。せっかくの素晴らしい視点が十分に生かされていないように感じる。

単純に読み物としても、面白いとは思えなかったことも付け加えておきます。読んでて面白ければ、それはそれだけで価値がありますからね。
【目次】
序章 色彩文明の中世
第1章 中世の色彩体系
第2章 権威と護符の赤
第3章 王から庶民までの青
第4章 自然感情と緑
第5章 忌み嫌われた黄
第6章 子どもと芸人のミ・パルティと縞
第7章 紋章とミ・パルティの政治性
第8章 色の価値の転換
終章 中世人の心性
色で読む中世ヨーロッパ(amazonリンク)

関連ブログ
ゴシックのガラス絵 柳宗玄~「SD4」1965年4月より抜粋
ラベル:中世 書評
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2007年05月13日

「西ゴート王国の遺産」鈴木康久 

しかし、かなり久々に完全に外れの本である。中公新書にしては、これだけ駄目な本というのも珍しいのではないだろうか? まあ、たまには他にもあったけど。

外務省の元役人が書いた本である。私が経済学を教わっていた先生には経済企画庁からの出向者等もいたので別に経歴はどうでもいいのだが、内容はお粗末の一言。歴史的な出来事をただ単に年代順に箇条書きにしてだけのものでしかない。

スペインという国が、地域が、統一国家を築いていくうえでイメージとし、それを支えた「西ゴート王国」の歴史的存在を描こうとしたようだが、本書において全くその意図は達成されていない。少なくともその視点から、歴史的事実を再構成するとか、評価するといって記述がほとんどない。スペインに関心のある人に、スペイン理解の一助となれば・・・などと月並みな事を書いているが、この本を読むなら、アービングの「アルハンブラ物語」でも読んだ方がなんぼかマシ。NHKスペシャルのトレド関係の番組みるか、フラメンコの舞台でも見に行った方が良い。

また、イスラム教徒とキリスト教徒間の争い調停や、権力者による政権安定化の手段として制定された『法律』を採り上げてるのは良いだが、その内容をいくつか紹介しているだけではなんの意味もない。もう少し踏み込んでその法律の有する意義とその影響・効果についてもコメントできなかったのだろうか? 学部生の卒論に毛が生えた程度にも見えてしまう。

知り合いが本書を手にとっていたら、一言言いたい。読むのは時間とお金の無駄だよと。
【目次】
1 スペインの形成
2 古代のイベリア半島
3 イベリア半島でのカルタゴとローマの戦い
4 ローマ帝国の支配
5 西ゴート王国の成立
6 西ゴート王国の宗教会議
7 西ゴート王国の法律
8 イスラム勢力のイベリア半島侵入
9 キリスト教徒による国家統一
10 キリスト教王国における法律
11 カスティーリャにおける一般法の制定
西ゴート王国の遺産―近代スペイン成立への歴史(amazonリンク)

関連ブログ
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
NHK世界遺産~中世の輝き 永久の古都 スペイン・トレド~
「アルハンブラ」佐伯泰英 徳間書店
NHK世界遺産 光と影の王宮伝説 ~スペイン・アルハンブラ宮殿~
アルハンブラ宮殿の思い出(2002年8月)
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2007年05月11日

「ライフ人間世界史(7)宗教改革」タイムライフインターナショナル出版事業部

大判シリーズ物の中の一冊。大変大きくて色鮮やかな図版が豊富に入っているのが特徴。ビジュアル面に重点が置かれている。解説は、当時の学問水準に応じて標準的なものだと思う。

但し、現在の宗教改革に関する本で知り得た知識から言うと、いくつかの間違いがあるし、歴史的な結果に対する原因の重要度評価もずいぶんと異なる。もっともこれは40年前であることを考えれば、止むを得ないところだろう。印刷術の宗教改革に果たした役割の評価が低いのも同様だ。同時に、印刷術自体への言及も表面的に過ぎてポイントが押さえきれていない。

しかしながら、たくさんの図版の価値はそれらを補ってあまりある。木版画などもたくさん取り込まれているので私などは、この本から切り抜いてしまおうかと頭を悩ませている。愛書家の敵対的行為ではあるが、あまりにもたいぶな本で重いし、邪魔だし困っている。

だってブックオフで100円で買ったけど、買わなきゃつぶされていただろうしなあ~。もったいない。せめて使える図版だけでも切り取ってファイリングすべきか、考え中。

文章には、ほとんど価値無いからなあ~。本が立派で状態も良いだけに、切り刻んで処分するのも抵抗があるが、新しく買った本が置けないし、輸入してまで買った本が増えていくのにどうするんだか???

はあ~気が重い日々です。
【目次】
1苦しみ多き時代 
  農民の生活
2改革者ルターの登場 
  精神の画家デューラー
3抗議する者たち
  新興成金階級
4目ざめたヨーロッパ
  華やかなエリザベス時代
5”反宗教改革”
  カトリックの反撃
6文学における革命
  印刷術の登場
7不毛の美術界
  過渡期の建築様式
8宗教改革の成果
  ルターの遺産
ライフ人間世界史〈第7〉宗教改革(amazonリンク)

関連ブログ
「宗教改革の真実」永田 諒一 講談社
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
「世界の名著23 ルター」松田智雄編 中央公論社
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ~メモ
「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社
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2007年04月29日

「秦の始皇帝」吉川忠夫 講談社

講談社学術文庫の一冊。基本的にひどい外れはないとの想像通り、悪くは無い。きちんとした資料的な裏付けのもとで、不明な点は、明確にそれを指摘しつつ、より蓋然性の高い仮説を基にして、まさに世界史史上の偉人である始皇帝を生き生きとした実在の人物として描きだしている。

読んでいてそれなりに面白く、史家としての著者の真面目な研究姿勢がにじみ出るような本であるが、う~ん、実はこの手の本は何冊か読んでいて、改めて新鮮な感動を覚えなかったりする。決して本書が良くないわけではないのですが、私にはちょっと何かが物足りないカンジがしてなりません。

ほらっ、私ってどちらかというと「聊斎志異」とか、そういう怪異を好む性情なんで、あまりに史実、史実してるとイマイチねぇ~。中途半端に歴史の本読んで知ってるだけに、知的好奇心がそそられなかったりする。残念! 別なテーマで著者の本だったら、もっと楽しく読めたかもしれない。
【目次】
第1章 奇貨居くべし―始皇帝は呂不韋の子か
第2章 逐客令―秦国の発展
第3章 統一への道―六国併合
第4章 天下統一―皇帝の誕生
第5章 咸陽―阿房宮と驪山陵
第6章 天下巡遊―刻石と『雲夢秦簡』
第7章 方士と儒生―封禅と焚書坑儒
第8章 祖竜死す―秦帝国の崩壊
終章 秦時の〓轢鑽―後世の始皇帝評価
秦の始皇帝(amazonリンク)
ラベル:歴史 書評 始皇帝
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「シバの女王」ニコラス クラップ 紀伊國屋書店

TV番組とかによく出てくる、研究よりも商売人としての才能豊かな著者が趣味と実益を兼ねて行った「シバの女王」調査(もどき)に関するレポート。

調査と称して、かなり適当に取材している様が書かれています。グラハム・ハンコックの「神の刻印」のノリですが、あちらは読んでいて面白いうえに、そんな話が実在するの~と思うような事実としての知識も紹介してくれて知的好奇心をそそる面があるのに対し、本書には、しょうもない旅の話以外に面白いと思う知識が全然紹介されない。私には読んでいて苦痛としか思えなくなりました。悲しい。

キリスト教徒なら、誰でもが知っていて、少なからず関心を覚えるであろうテーマを選びつつ、ここまで何にも意味がないのも失笑を禁じえない。黄金伝説でも読んでたほうがはるかにマシ。エチオピアに伝わる「ケブラ・ナガスト」もお約束として出てくるものも、もっと掘り下げないの~?としか言いようがない。東方の三博士、しかり。

私的には時間の無駄でしかない本でした。半分くらいは、まともに読んで残りは、飛ばし読みでチェックしたが、やはり読むに値するものを見出せませんでした。あ~あ、もっとシバの女王について知りたいなあ~。
【目次】
1 シバの女王とその伝説
2 ソロモンとシバを聖地に求めて
3 砂漠のオアシスに意外なシバ
4 香と香辛料の地への冒険の旅
5 シバの女王の権力と支配を明らかにする旅
エピローグ シバの墓
シバの女王―砂に埋もれた古代王国の謎(amazonリンク)

関連ブログ
「神の刻印」グラハム・ハンコック著 凱風社
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書
「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院
ラベル:書評 シバの女王
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2007年04月18日

「グーテンベルクの謎」高宮利行 岩波書店

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先日、グーテンベルクに関する本を読んで以来、活版印刷術やその発明による影響など大変関心を持っているのだが、その延長線上で読んだ一冊。書誌学の専門家として至るところで名前を目にする有名な高宮氏による本です。

岩波の「図書」に連載されたもの。非常に読み易く、初めてこの手の内容を読むには手頃な感じです。その反面、私は別な本でもっと詳しい話を読んでいたので正直かなり物足りなさを覚えた。本書の大部分は、巷に出ているグーテンベルクを扱った本に必ず出てくる当たり前のことばかり(発明者争い、写本と印刷の関係、グーテンベルクその人にまつわるエピソード等)で類書を読んでいるとあえて読む必要を覚えない。

唯一といってもいい本書独自の価値は、本書が慶応大学が丸善からグーテンベルク聖書を購入し、それをきっかけに行われたHUMIプロジェクトに携わった人物により書かれている為に可能だった、そのプロジェクトの一環として行われた他のグーテンベルク聖書との比較などで判明した書誌的知識。これが実に興味深くて面白い!

印刷の出来が良くて追加注文を受けたらしく、同じ頁でも版が異なることや一冊の本の中で初刷りの頁とその後の刷りのものが混在するなど、思わず「へえ~」を思うような情報がたくさんあります。
どうせなら、この部分だけに絞ってもう少し深い内容だったら、良かったんですけど・・・残念!! もっともそれでは、読者のパイが狭くて売れないか、この本。難しいもんですね。

あと、福沢諭吉がグーテンベルク聖書を見たと思われる証拠が実際に残されているというのもインパクトあったかも。「禁書目録」や「ポリフィーロの酔夢譚」についての言及もあって、少し売れしかったりもする(笑顔)。

総括すると、グーテンベルクや印刷革命についての入門者用。慶応大学のグーテンベルク聖書そのものについての書誌学的な話は面白いが、本書のタイトルであるグーテンベルク関係の本としては、内容が広く浅くで不足気味。図版等もほとんどない。

以上。
【目次】
序章 福沢諭吉と「グーテンベルク聖書」
第1章 中世の手書き写本
第2章 木版・銅版・活版
第3章 グーテンベルク神話
第4章 鏡職人グーテンベルクの妖術
第5章 発明者をめぐる論争
第6章 「四二行聖書」の前評判
第7章 「四二行聖書」を分析してみれば
第8章 「四二行聖書」の印刷インク
第9章 「カトリコン」の印刷方法
第10章 修道院にも印刷所
第11章 印刷術、ヨーロッパ各地へ
第12章 イギリスではキャクストンが・・
第13章 カリグラフィーの盛衰
第14章 聖書出版の自由と統制
第15章 マルチメディアの時代へ
グーテンベルクの謎―活字メディアの誕生とその後(amazonリンク)

関連ブログ
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房これ一押し!
印刷革命がはじまった:印刷博物館企画展
「本の歴史」ブリュノ ブラセル 創元社
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ~メモ
「美しい書物の話」アラン・G. トマス 晶文社
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2007年04月12日

「狼男伝説」池上俊一 朝日新聞

この本ね、タイトルが非常に悪い。絶対誤解しちゃうと思います。狼男伝説について勿論触れられているのだけれど、全体の2割にも満たないし、それ以上に面白い内容の話が盛り沢山なんです。

逆に言えば、狼男なんてほんのとっかかりに過ぎないのに、それがタイトル故になんかとっても安っぽいB級映画を思い浮かべてしまいます。実際、そのせいで私も購入してから一年以上も放置してしまったりする。危うく読まないで忘れてしまうとこでしたもん。実にもったいない。

本書で扱われている題材は、中世の人々が心の中(心的世界)で描いていたイメージであり、図像とは異なります。それを伝承などから引用したうえで考察を加えている。考察自体も興味深いですが、私的には何よりも引用文それ自体だけで十分に楽しいし、有用だと思います。きっと中世好きには目を通すだけの価値があると思いますよ~。

具体的にいうと、「聖体の奇蹟」がなかなか優れもの。カトリックがミサでワインがイエス様の血で、パンがイエス様の肉だとかなんとかってあるでしょう。あれが聖体ですが、司祭が聖別すると同時にイエス様の肉と血に変化するという理解をするんですよ、キリスト教って。

で、その神学上の解釈が時代によって変遷していて本当に面白いんです。外形的に見える姿は別としてシンボルとしての変化と捉える人がいる一方で、物質的に名実共にイエスの血と肉に変化するという人など、いわゆる部外者にはおよそ理解不能な議論ですが、なかなかに興味深かったりする。

特にこれが重要なのは、カトリックにおいては聖体拝領の度に聖変化という奇蹟が起こっているわけで、聖人の聖遺物によらずとも奇蹟は『聖体』で事足れり、ということになるわけです。それ故にこの聖体を先頭に掲げて行列することで病気除けや豊作祈願などが可能にさえなるんです。

これは聖遺物による奇蹟を待たずに、全ての教会が等しく奇蹟を有するという素晴らしい論理でありながら、実際はそうもいかなかったそうです。本来はどれも等しいはずの聖体が、奇蹟をもたらし易いものと、そうでないものとに分かれ、民衆はより奇蹟をもたらす聖体のある教会に殺到したそうです。聖遺物の有無による教会の不均衡是正の目論見はこうして失敗したそうですが、いやあ~面白くて勉強になります。

本書では触れられていませんでしたが、私はこれを読んでようやく黒魔術の儀式の意味が分かった気がします。聖体拝領の代わりに、冒涜した儀式を行い、あまつさえ、教会から盗んできた聖体(=イエスの実体)を汚すという行為は、単純に象徴的にイエスを侮辱する形式にとどまらず、イエスそのものを実際に辱める行為なのですね。今の今まで理解できなかったのですが、初めて納得できました。

さて、上記のことを踏まえて奇蹟が教会で常に起こっているならば、それを信じる人々が聖体にイエスそのものを見るという奇蹟はあっという間に現れます。なんせ、物資的にも変化していると強烈な暗示(語弊があるかもしれませんが?)が潜在意識の髄まで浸透している民衆には、心のイメージ通りに実際にそれを見たのでしょう。それ故、中世に奇蹟が頻発するといった説明は実に説得力があり、なるほど~っと思ってしまいました。

更に更に、本書では「大祭司ヨハネ」にも一章丸々使って説明しています。最初はよく分からなかったけど、これってずいぶん前にうちのブログでも採り上げた「プレスター・ジョン」のことだったりする(ちなみに英語名John(ジョン)ってヨハネのことね)。いるはずもないキリスト教を信奉する巨大な国家が存在するという「都市伝説」みたいなもんなんですが、当時のヨーロッパ諸国はその実在を信じ、盛んに使者を送って同盟を結ぼうとしていたんです。これも実に(!)面白いですよ~。その話が説明されています。

数はもうちょっと欲しいところだけど、興味深い図版もあるし、伝承の引用・紹介もあって勉強になります。ただ、う~ん残念な点は、いまいち説明がすっきりしていなくて分かりにくい感じがします。でも、それを補ってあまりある情報があるのでそれ目当てならお薦めです。
【目次】
序章 ヨーロッパ中世の想像界
第1章 狼男伝説
第2章 聖体の奇蹟
第3章 不思議の泉
第4章 他者の幻像
第5章 彼岸への旅
終章 イメージの歴史的変遷
狼男伝説(amazonリンク)

関連ブログ
「大モンゴル 幻の王 プレスター・ジョン 世界征服への道」 角川書店
「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
ラベル:中世 書評
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2007年04月10日

「ヨーロッパの祭と伝承」植田重雄 講談社

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タイトル通りヨーロッパに伝わる祭りを著者自身がフィールドワーク的に捉え、その歴史と祭りに関わる伝承を集めて紹介した本です。

文献資料にとどまらず、可能な限り、実際に祭りをみたうえで書かれているようでその点では、十分に意義があるとは思うのですが、個人的にはもっと深い洞察や考察に基づくものを期待していたのであまり面白くなかったです。

もともとの土着的な信仰にキリスト教的な解釈が加えられたうえで、変質させられながら、守護聖者などを祀ったりするようになる姿が説明されています。と同時に、いくらキリスト教的にしても消しきれないケルト的な要素なども紹介されています。

一年を通じての祭りを採り上げているので、数や種類がそこそこあるものの、個々の内容への掘り下げはごくわずかでせいぜい試論とでもいうべき感じでしょうか。このぐらいなら、わざわざチェックをしなくてもいいような気がします。

ただ、いくつか気になった点があったので少しだけ引用。
中世キリスト教では神を讃美する為に、朗詠、讃歌以外に舞踏を行っていた。
イスラムのスーフィズムなどだと踊りの要素が重要ですが、そういった点で舞踊を除外しているキリスト教って宗教としては、少し珍しいと思っていたので、ふむふむと頷いてしまいました。
三王礼拝は遠くマタイ福音書の三人の東方の賢者(博士)の叙述に基づく伝説であるが、異説では三人の魔術者とも言われている。山王の遺骨は、女帝ヘレナの時、発掘され、四世紀にミラノへ移され、今日でもサン・エウストルジオの巨大なローマ石棺の中に祀られている。1164年7月23日、ミラノを攻め落としたドイツ国王バルバロッサは聖遺物を持ち帰り、ケルンに祀った。しかし、1904年その一部をミラノに返還した。
あるんだあ~、三博士の聖遺物って。ホントに何でもあるなあ~、ちょっとビックリ!
マタイ福音書における東方の三博士がどうして三王になったかは明らかでない。この三王のカスパールはトルシスであり、メルキオ-ルはヌビアであり、バルタザールはゴドリーエンであると8世紀の英国の司教ベダ・ヴェネラビリスは述べている。彼らは星の導きで13日旅をしてベツレヘムに訪ねてきた。しかし、三王はクリスマス後54日にヘロデ大王によって殺されたと言い伝えられている。

 祝福の字母 C+M+B の本来の意味は「クリストゥス マンシオネム ベネディカート(Christus Mansionneom Benedicat)キリスト この家に 祝福を賜え」というラテン語の頭文字をとったものではないかと推定されている。このラテン語の意味が忘れられたか、あるいは民衆の間では頭文字だけで済ませた為に、新たに山王の名をつけて覚えやすくしてそこから発展を遂げたらしい。
へえ~、そうなんだ。これは初めて聞きました。略語から、いつのまにか三人の賢者になっていったんですね。それにヘロデ王に教えずに姿を消した三博士がその後、殺されていたのも初耳。正典には、そういう話無かったと思ったけど??? 出展は何だろう。興味が湧きますね。
【目次】
冬の光と闇
冬と夏の争い
夏の歌と踊り
秋の収穫の喜び
冬と眠りと安らぎ
ヨーロッパの祭と伝承(amazonリンク)

関連ブログ
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
ラベル:中世 書評 歴史
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2007年03月30日

「ピンク映画館の灯」高瀬進 自由國民社

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いわゆる成人映画(ピンク映画)を上映する映画館に着目し、歴史の流れの中で静かに過ぎ去り行く過去を回想するエッセイ物。

オマージュといえば、確かにそうなのだけど、私的には思い入れの淡白さがいささか興醒めでもある。どうせと言ったら、失礼かもしれないが、元々がサブカルチャー的で「濃ゆい」系であるのならば、もっと突っ込んだ思い込みで語ってくれた方が面白いと思った。

今は無くなりつつあり、どことはなく郷愁と哀愁と独特のいかがわしさと猥雑さがミックスしたようなピンク映画の映画館を語るにしては、施設としての年代物の映画館そのものや、くせのある(=社会的に問題のある?)映画監督達や作品そのものをもっとピックアップして語っても良かったように思う。あまりにも健全過ぎて、NHK新日本紀行かいって、つっこみたくなる。そんなもんじゃないでしょうに・・・。

ただ、味わいのある映画館の写真自体はとっても良い!! こういうの好き。ちょっと前にも今は無き遊郭跡を巡った本を読んだけど、そういう独特の寂れた感覚が堪らなくスキ!! 今度、自分でもやろうかな? 元遊郭跡巡りとか。建物自体が独特で、飾りの意匠などもずいぶんと凝っているから、面白そう。

本書の場合は、文章はつまらないが、写真だけを目当てに読んでも良いかと思う。そういえば、私が初めてこの手の映画館に入ったのは、高一の時だったなあ~。学校さぼって雨の日にふと思いついて入った時は、ずいぶんとドキドキしたものだが観客が2,3
人しかいなかったのにも驚いたものだった。更に、そこで見た映画は確かに女性の裸が出ていたのだが、そのストーリーが異様に重いうえに屈折していて、裸よりもストーリーに圧倒され、なんとも言えない戦慄を感じた覚えがある。

後になって知るのだが、当時のピンク映画の監督や助監督には、学生運動で失敗した左翼崩れなどの精神的に屈折した方達がかなりいたそうで、人間の精神をえぐるような作品が結構あったそうです。

まあ、そんなことなど本書では触れられることもなく、俗にいう『ハッテンバ』のこともあまり語られていない。まあ、いいんだけどさ。俗なものは、もっと徹底して俗であって欲しい、などと夢見てしまう私なのでした。

さて、別なサブカル系の本を読もうかな? これ読んだらいささか欲求不満になったりする。

ちなみに本書で紹介されている映画館のうち、4つくらいは私も外観を見たことがある。それらで実際に入ったことはないのだけれどね。

【目次】
はじめに
首里劇場(沖縄県那覇市)
飯田橋くらら劇場(東京都新宿区)
上野オークラ(東京都台東区)
神田アカデミー(東京都千代田区)
新宿昭和館地下(東京都新宿区)
横須賀金星劇場(神奈川県横須賀市)
シネロマン池袋(東京都豊島区)
新橋ロマン(東京都港区)
中村映劇(愛知県名古屋市)
千日前国際地下劇場(大阪市南区)
小阪座(大阪府東大阪市)
福原国際東映(兵庫県神戸市)
十三ロマン(大阪市淀川区)
尼崎パレス(兵庫県尼崎市)
新世界日活劇場(大阪市浪速区)
京橋アカデミー劇場(大阪市都島区)
千本日活(京都市上京区)
シネフレンズ西陣(京都市上京区)
[グラフ]ある日の成人映画館
金沢駅前シネマ(石川県金沢市)
福岡オークラ(福岡市博多区)
東北映画館事情
浅草世界館(東京都台東区)
〔想い出の映画館〕地球座地下、新宿名画座(東京都新宿区)
〔想い出の映画館〕観光文化ホール(東京都中央区)
〔想い出の映画館〕亀有名画座(東京都葛飾区)
シネマハウス新映(静岡県浜松市)
<女優インタビュー>佐々木麻由子
<女優インタビュー>さとう樹菜子
オンナから見た『ピンク映画』とその周辺(山瀬よいこ・文)
あとがき・資料

ピンク映画館の灯―暗闇が恋しい都市の隠れ家(amazonリンク)
ラベル:書評
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2007年03月22日

「フランス歴史の旅」田辺保 朝日新聞社

フランスを舞台にその土地に根ざした歴史を豊富な資料を基に描き出し、実際に旅した感想と共にエッセイ風に書いたもの。ちょっと変わった旅行案内風に読むことも可能だが、フランスという土地と人の歴史に対して、深い愛情と愛着を持って書かれているのでこれを読むとどうしても、その場所に旅してみたくなる。そんな本です。

ただ、エッセイというと誤解を招くかもしれないが、多数の資料から描き出される過去から連綿と継続して今に至る姿は、本当に面白くて実に魅力的! 私、モンマルトルの丘、実際に行ったときも全然いいと思わなかったんだけど(見晴らしはいいけどね)、本書を読んだら、全く別な場所のように思えています。それぐらい、この本の記述は、力があります。

と同時に、サン・ドニ修道院の歴史とゴシックにつながる話も他のゴシックだけにテーマを絞って書いた本よりも、しっかり描かれていたりする。「サン・ドニの旗」も本書で初めて知りました。王家が率先してサン・ドニ経由して神の臣下になることで、既に神の臣下である有力諸侯や貴族を神の名の下に、自分の下に集うことができるというのは、なかなかに政治的ですよね。それが「サン・ドニの旗」の象徴的な意味らしいです。

勿論、偽ディオニシオス・アレオパギテスのことも結構詳しく書かれていたりするし、ランスの大聖堂で国王が戴冠する真の意味、聖なる油を塗られ、ユダヤ教以来の聖なる存在として聖別されることなどの解説まであって至れり尽くせり。ある程度は知っている事柄でも本書程度の分量でこれだけの内容の密度があるのは珍しいと思います。

知っている人なら、すぐピンとくるでしょうが、ヴェズレーはマグダラのマリアの聖遺物があるところですし、サント・ボームはマリアが隠棲していた洞窟のあったところです。黄金伝説を踏まえて、その辺りの解説もなかなかの充実度です。

更に&更に第7章に至っては、マグダラのマリアやマルタ、更に黒人で召し使いであったされる「サラ」の話やそれらを祀ったお祭りの話まであって、これは是非目を通しておきたい本でしょう♪

マグダラのマリア好きだったら、チェックしておくべき本かと思います。お好きな方、どうぞ!!
【目次】
第1章 モンマルトルの丘
第2章 サン・ドニとゴチックの光
第3章 フランク王の受洗―ランスにて
第4章 パリを救った聖女ジュヌヴィエーヴ
第5章 ブルゴーニュの風―ヴェズレーにて
第6章 プロヴァンスの岩山―サン・マクシマン・サント・ボームにて
第7章 「海の聖マリヤたち」
フランス歴史の旅―モンマルトルからサント・マリーへ(amazonリンク)

関連ブログ
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
ゴシックということ~資料メモ
ラベル:書評 歴史
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2007年03月15日

「十字軍の精神」ジャン リシャール 法政大学出版局

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十字軍を扱った歴史の本は、数あれども本書の主張はちょっと珍しいのではないかと思う。十字軍という存在を当時の人々の精神的な理解から再構築するのは良いとしても、当時の人々がイスラム教徒に対して十分な尊敬の念を持ち、世俗的な物欲などを有する者はごく一部の者でむしろ積極的に宗教的理想の実現の為に行ったという捉え方には、甚だ違和感を覚える。

確かに「十字軍=無知で強欲な人々による大虐殺」という図式はあまりにステレオタイプに過ぎるにしても、著者のいくら精神だけに限定しても綺麗事過ぎる理解には、単なる『反動』的な自己欺瞞(自らの祖先に対する本能的な弁護によるものか?)を感じてしまう。まるで日本の政治家が第二次大戦の植民地主義に基づく侵略戦争を否定するかのようだと言うのは、言い過ぎだろうか?

著者が言うように、世俗的な幸せ(=物質的欲望)を捨ててあえて宗教的な幸せを求めるような、当時の人々の行動原理には、確かにある種の崇高な動機がうかがえるものの、決してそれが主要な要因には思えない。最近、しばしば言われるように十字軍を生み出した背景には、商業の復活以後の都市の勃興や人口増、社会制度全般にわたる急激な変化等々の歴史的・社会的背景の存在の方がより重要であったように私には思われる。

第二次大戦中に食っていけない農家の次男・三男が満州に移民したように、膨れ上がる人口増のはけ口として、また「神の平和」(=貴族同士による所領・勢力争いの休戦)の一つの形として、同胞で争うよりも対外的な敵に対しての戦闘による不満の解消を図るというのは、実際、私には理解しやすい。

勿論、罪深い存在として常に精神的な後ろめたさを持っていた人々には、十字軍参加によって得られる、全ての罪が許される贖宥状が何よりも嬉しかったのも事実であろう。要は人生におけるやり直しがきくわけだし、うまくいけば戦勝品による一攫千金の夢まであるのだから、当時の人々があれほど熱狂的になるのも納得できる。

ただ、本書は当初あれだけ熱狂的に支持された十字軍熱が衰退し、人が集まらなくなった理由などへの考察にまでは至っていない。(個人的には、大聖堂建設を手伝うことでも十字軍同様の贖宥状が得られるのであれば、わざわざ見知らぬ異国に行くよりも近場で家族と共にいられる大聖堂建設を選ぶ人の方が多いのは当然だと思うし、それも十字軍衰退の原因の一つにはなったのでは?と思う)いろいろな意味で私には本書の主張には納得できないし、不十分だとしか思えない。

その一方で、第二部では具体的な十字軍資料がたくさん引用されている。普通の本では、そういった資料名の紹介はあっても具体的な引用があまりないのでその点で、研究者でない人には大変役立つと思う。私も実際、どのような記述がされているのか、関心があるもののいちいち個々の文献まで目を通していないので大変面白かった。

本書の意義は、まさに引用している文献の具体的記述、それに尽きると思う。後は、どこにでもあるような話しだし、いささかバランスを欠く特殊な主張(?)ではないかとさえ思うのでお薦めしない。

でも、引用が占める割合が圧倒的に多く、それがいいので興味ある人には使える資料かもしれません。第二部は丸々引用だけです。ご参考までに。
【目次】
第一部 叙述
 第一章 十字軍の歴史
 第二章 十字軍の精神
 第三章 テクスト案内

第二部 テクスト
 第一章 呼びかけ
 第二章 応答
 第三章 十字軍のキリスト教徒
十字軍の精神(amazonリンク)

関連ブログ
「十字軍」橋口 倫介  教育社
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2007年03月11日

「世界の名著 67 ホイジンガ」中央公論新~中世の秋

その筋では知らぬ者もない(?)という古典になりつつあるホイジンガの「中世の秋」です。中世に関する資料を読むと、しばしばその書名を見ながらも未読のままでした。

しばしば言われるように、本当に素晴らしい名著なのか期待といささかの懐疑を持って読んでみました。が・・・、かなりの分量にも関わらず扱っているテーマが広範な為に、それぞれの項目での解説が私的には全く物足りません。どうしても記述に細切れ感があって大変不満を覚えます。

また、著者自身が記しているように文献資料だけによる歴史再構築の限界は納得するものの、足りない部分を埋めて著書が追加して描く中世の世界観も、当然資料的な背景があるのでしょうが、いまいちその部分が本書の中では分かりづらいです。

また、あくまでも中世末として描かれている舞台がネーデルラント及びブルゴーニュという地域的束縛もあり、それが個人的にはかえって不満になっています。できれば、地域的限定からもっと自由になり、中世末期全般を題材としてもらえれば、良かったのにと思わずにいられません。

結果的に、私的には読書する価値を見出せず、150頁を過ぎた辺りから飛ばし読みに変えました。全ての項目及び頁に目を通しましたが、後は関心のある項目だけきちんと読むという形にしました。

項目の11~13ぐらいかな?きちんと読んだのは。後はあまり興味持てなかった。最近は、西欧中世に関する本がたくさん出ています。関心のあるテーマのそちらの本を読んだ方が、より詳しく面白い事が学べると思います。

ただ、一部に面白そうな記述があったので、そこだけ別途メモしておきました。

「モンタイユー」 とかの方がはるかにお薦めです。

今後もこの本、古典になれるのかなあ~と私的には疑いの思いですね。そもそも数百年ぐらい経ってからでないと、真の古典とは言い難いですしね。この本は無理かも??? 大変有名な本ですが、私はお薦めしません。
【目次】
ホイジンガの人と作品

中世の秋
1 はげしい生活の基調
2 美しい生活を求める願い
3 身分社会という考えかた
4 騎士の理念
5 恋する英雄の夢
6 騎士団と騎士誓約
7 戦争と政治における騎士道理想の意義
8 愛の様式化
9 愛の作法
10 牧歌ふうの生のイメージ
11 死のイメージ
12 すべて聖なるものをイメージにあらわすこと
13 信仰生活のさまざま
14 信仰の感受性と想像力
15 盛りを過ぎた象徴主義
16 神秘主義における想像力の敗退と実念論
17 日常生活における思考の形態
18 生活のなかの芸術
19 美の感覚
20 絵と言葉
21 言葉と絵
22 新しい形式の到来
世界の名著 67 ホイジンガ(amazonリンク)

関連ブログ
「モンタイユー 1294~1324〈上〉」エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社
「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「世界の名著 67 ホイジンガ」中央公論新~メモ
ラベル:中世 歴史
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2007年03月07日

「西洋の書物工房」貴田庄 芳賀書店

羊皮紙とヴェラムの違い(一般的な百科事典等による)
 羊皮紙は山羊や羊の皮から作られ、ヴェラムは仔牛の皮から作られる。
ロナルド・リードの「羊皮紙の性質と製法」より

 ヴェラムは羊皮紙の一部であり、ヴェラムは同時に羊皮紙でもある。

 かつて羊皮紙は山羊や羊だけでなく、仔牛や豚、うさぎ、牛など様々な動物から作られていたという。羊皮紙が山羊や羊から多く作られたわかは、これらの動物がもっともありふれていて利用しやすかったこと、さらには皮の大きさがちょうど手ごろだったことが考えられる。

 しかし、実際には僧院で彩飾写本を製作していた写字生には仔牛の羊皮紙(ヴェラム)が好まれた。仔牛皮から作った羊皮紙は丈夫で且つ表面が滑らかだった。このようなことから、写字室では仔牛の羊皮紙が用いられるようになった。

 語源的にみれば、まずヴェラムVellumはフランス語のヴェランVelinから、そのヴェランは仔牛を意味するラテン語のVitellusやVitulusから生まれたと考えられる。リードはしかし、ヴェランはそれらの言葉だけでから由来するのではなく、皮膚を意味するラテン語Pelisが変化したとも考えている。この言葉が転訛してドイツ語や古代英語で皮膚や毛皮を意味するFellになったことは知られている。ラテン語のVitellusやVitulusが変化して中世フランス語ではVell、フランドル語ではVelなどと転訛していった。このような結果、英語ではヴェラムという言葉が登場したと考えられる。

 羊皮紙作りには仔牛が使われるようになって、写字生達にその仔牛の羊皮紙が好まれたため、仔牛による羊皮紙が独立し、ヴェラムやヴェランという言葉が誕生したと思える。
実は・・・先日時祷書を購入したのですが(まだ手元に届いていないのだけれど)、その際に装丁の部分でヴェラムやらレザレットやら、いろいろありまして・・・。だいぶ苦労して調べたりしたので、この点について大変興味がありました。本書を読んでやっと理解できました(満面の笑み)。

でも、実際の使われ方としては、やはり羊皮紙とヴェラムを混同しているのが多い感じです。通販で古書を購入するときには、販売者がモノを知らないで(悪意ではなく)書いていることがあり、余計大変だったりします。海外から買うのは大変だなあ。
ケルムスコット・プレスの活字の基本となったゴールデン・タイプという名は7作目の「黄金伝説」に由来する。というのは、ウィルアム・モリスは、ジャンソンたちの文字を手本にして作った活字を組み、ケルムスコット・プレス最初の刊行本として、この「黄金伝説」を予定していた。しかし、漉かせていた紙が小さかったため、その紙の倍判のものができるまで「燦然たる平原物語、あるいは永世不死の国物語」などを刊行した。
ああっ、私って無知なんだなあ~と思い知らされました。知り合いと話していたら、ウィリアム・モリスぐらい知っているよと言われてしまいました。私は名前ぐらいしか知らなかったのですが・・・(赤面)。

凝りに凝った本を作られていたようですが、その活字があの「黄金伝説」由来の名前だったとは。う~ん、だからゴールデン・タイプか。是非、その活字で印字した黄金伝説を入手したいもんです。一般向けに安く売ってないのかなあ~。手元にあるのは、ハードカバーで普通だったりする。でも、キャクストン版だと思ったけど?
日本の製本業界でも山羊の革は装丁に使う革としては、高級なものといわれているが、その中でもモロッコ革は最高級の革と看做されている。
モロッコ革:
 植物タンニン鞣しを行い、銀面模様を粒状に硬く際立たせた革。モロッコのムーア人によって始められた言われる。用途は古くから、本の表紙、小物、高級靴の甲革など多方面に渡っている。
アランデル・エズデイルの「西洋の書物」より

 山羊革 Goatskin 16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに輸出した国の名にちなんで俗にモロッコ革と呼ばれている。適切な処理が施されていると、蔵書室で使用する革として最適であり、それにその信用に十分答えるものある。 この革の表面には網状のしぼがかなりはっきり見えている。これを加工して同一方向に伸ばすと「平行しぼ」(幾重にも平行してうねっているしぼ)と呼ばれ、これを二つの別方向に伸ばすと「交叉しぼ」や「ピン・ヘッド」と呼ばれるものになる。

 いわゆるモロッコ革と呼ばれるものの中に羊革製のものがあるが、質ははるかに劣り、そのほとんどが製本材料として使えないものばかりである。きわめて粗悪なものの一つに数えられている「ペルシャ・モロッコ革」となると、真のモロッコ革の良い持ち味は全然備えておらず、これなどは絶対に製本材料として使ってはならない代物といえる。このペルシャ・モロッコ革はインド山羊とかインド羊から作られたものであり、鞣し方は粗雑である。
これもお恥ずかしいことに誤解してた。しばしばモロッコ革という名称は聞いていたものの、goatskinだとは思いませんでした。ああ~本当に恥ずかしい。革製品のバイヤーをしてた時に普通に扱っていたし、個人的にも好きで山羊革や鹿革、象革などいろんな素材のセカンドバックを持っていたのに、知らなかったなんて!

そうそう、確かにゴートスキンではしぼがしっかりついていて、落ち着いた触感あったなあ~。もっとも今でも私は、最高に軽くて味わい深い鹿革が一番好きだけどね。それなのに、今あるのはフィレンツェで買い叩いたバックしかないなあ~。チュニジアで買ったキャメル革のバックは、友人にあげちゃったし、他のは全部中古なのにかなりの値段で売ってしまったから。

おっと、話がそれましたが本書ではよほど革について詳しくないとしらない銀面の話とかまで出てきます。店の売り子さん(専門店で!)とかでは、質問しても答えられる人はいません。勉強になりますよ~。いろいろな面で。ただ、なめし方についてももっと説明が欲しかったなあ~。と言っても本書は革製品の解説書ではなく、本の話だから仕方ないか。

それはおいとくにしても、本書の懇切丁寧な説明は素晴らしいです。装丁などの知識も含めて、愛書家を自認(自称?)する人ならば絶対に押さえておくべき基本事項でしょう。これは使える本だと思います。勿論、これぐらい常識という方もいらっしゃるでしょうが、私にはとっても有益な本でした。為になる本です。あと、問題は値段だけですね。これも半端じゃなく高い(涙)。
【目次】
第1章 書物の考古学
第2章 西洋の紙「羊皮紙」
第3章 本の誕生と製本術
第4章 ケルムスコット・プレス
第5章 モロッコ革を求めて
第6章 フランスの革装本
第7章 天金と小口装飾
第8章 花切れ
第9章 マーブル紙と見返し
西洋の書物工房―ロゼッタ・ストーンからモロッコ革の本まで(amazonリンク)

関連ブログ
「美しい書物の話」アラン・G. トマス 晶文社
ラベル:書評
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2007年03月03日

「美しい書物の話」アラン・G. トマス 晶文社

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中世に遡る鮮やかで美しい手写本から、初期印刷本(インキュナブラ)以降の印刷本まで、世界中の美しい本が紹介されています。

ラトレル詩篇

美しさを一つの観点にして本を捉えている点からも図版が多いのが長所なのだが、カラーが少なく、モノクロが圧倒的多数。残念ながら本書自体は美しい本の部類には入らないかと思う。カラーの図版もできれば、紙を変えるべきだったと思われる。

楽園を追われるアダムとイブ

値段もそこそこするので、あえて購入して手元に置かなくても図書館か本屋でさっと見れれば、それで十分だと思う。同じお金出すなら「ケルズの書」でも買いましょう。満足度ははるかに高いよ!

ノアが箱舟の建造を指示している図

著者は英国の古書籍業者で非常に有名な方らしいです。仕事柄、稀稿本に接する機会も多く、書誌的知識も豊富な自らの店のカタログは大英博物館にも納められるほど・・・という宣伝文句が書かれていますが、本書に関する限り、そんなたいしたものではないように感じてしまいます。

時祷書

まあ、稀稿本などおよそ手を出せない庶民の私が言うのもおこがましいのですが、他にも類書を読んだ限りではよくあるような内容です。悪くはないですが、決して飛び抜けて素晴らしい内容には思えません。詳しくきちんと知識を得たいなら、下に紹介している本で使えるものを読みましょう♪
神の国
【目次】第1章 中世の彩飾写本
第2章 初期印刷術
第3章 彩色図版のあるイギリスの書物―1790‐1837
第4章 プライヴェート・プレスの時代
あとね、著者がイギリスのロンドンだから、仕方ないのかもしれませんが、第3章は不要だと思います。全然、綺麗だと思わないし、歴史的にも古くもないしね。どうせなら、第1章と第2章だけでもっと充実したものだと個人的には嬉しかったです。

本書に載っているいくつかの図版を紹介しておきます。
・ラトレル詩篇
・楽園を追われるアダムとイブ
・ノアが箱舟の建造を指示している図
・時祷書
・神の国

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美しい書物の話―中世の彩飾写本からウィリアム・モリスまで(amazonリンク)

関連ブログ
「ケルズの書」バーナード ミーハン 創元社
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「中世ヨーロッパの書物」箕輪 成男 出版ニュース社
「美しき時祷書の世界」木島 俊介 中央公論社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
印刷革命がはじまった:印刷博物館企画展
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
ラベル:書評 写本 アート
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2007年02月21日

「満洲帝国」学研

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この値段からすると、資料として入っているポスターや絵葉書、切手などだけでも購入する価値があるように思います。それぞれについて明確な政策的な意図があり、その為の手段としてありとあらゆるものが総動員された当時の状況が目に浮かぶようです。

満州鉄道 あじあ号

個々の項目についての説明は、どうしても総括的で要約されたものとなっているし、記事の執筆者によって内容のレベルにバラつきがあり、しょうもないのもありますが、歴史としての満州国について最低限度の基礎知識があれば、本書の一冊でかなりの部分を概観できます。

いきなりの入門書としては辛いかもしれませんが、少しは分かっている人が見ると逆にとっても楽しめる本だと思います。ここで採り上げられているテーマは、それぞれ更に詳しい本が無数にありますのでこれをきっかけに読んで理解を深める為の準備としても十分に使えると思います。

満鉄の調査部等については、日本初のシンクタンクであり、そこに集められた頭脳は、今の銀行系のシンクタンクよりははるかに上なのは間違いないです。それに私も以前から関心のあったかつての革新官僚で、『昭和の怪物』と呼ばれた岸信介氏のことなど、実に興味深いです。現在の自民党を考えるうえで、その影響を無視し得ないのは事実でしょう。

大連の都市計画や、満州国の金融制度など、本当にいろいろな面で興味が尽きません。それと満州映画協会とかね! 季香蘭だけではなく、怪し過ぎますね。アヘンを資金源する経済運営など、実に&実に面白いです。

満州帝国ポスター

満州帝国ポスター

斬新なデザインで非常に訴求力の強いポスターなど、今、街中で見るポスターよりはるかにセンスが良いのは何故なのかなあ~???

満洲帝国―北辺に消えた“王道楽土”の全貌(amazonリンク)
【目次】
<特別折込>夢の超特急・満鉄「あじあ号」/復刻・満洲帝国地図
<巻頭カラー>満洲 国ポスター/ラストエンペラー・溥儀の生涯/満洲国の切手
<分析>満洲の馬賊/満 蒙独立運動/関東軍/満鉄/「五族協和」の実像/満洲とアヘン ほか
関連ブログ
古本まつり(西武百貨店)
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
ラベル:歴史 書評
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2007年02月20日

「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社

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ルネサンスというと、私などは15世紀以降のイタリアのダ・ヴィンチやラファエロ、ボッティチェリなどの絵画を中心にしたものをイメージするが、本書で採り上げているのはそれに先立つ12世紀のものであり、従来であるならば、『暗黒の中世』に含まれる時代に焦点を当てています。

一般的な「ルネサンス」というと「文芸復興」ということで、ギリシアやローマの古典の復興とキリスト教からの自由な発想による人間中心的な活動全般を指し、同時に「古典時代以来、連綿と続く西欧文化」といったフレーズが浮かぶが本書では、そういった固定概念になっている知識を最新の研究成果を踏まえて、グローバルな比較文化史的な側面から見直そうとしています。

そもそも本書は岩波市民講座で著者が7回シリーズで講義されたものを岩波セミナーブックスにまとめ、それを講談社学術文庫に改めて入れたものになっています。

いわゆる「ルネサンス」は、暗黒の中世からいきなり突発的に登場してきたものではなく、既に一度文化的連続性としては、断絶し、失われた『古典』がルネサンスに遡った12世紀の段階でイスラム世界のアラビア語文献経由やビザンチン経由でラテン語に再翻訳されて既に中世末期に古典の準備が出来ていたことを指摘しています。

スペインのトレドなど、当時の最先端文化地域がイスラム帝国領域とキリスト教圏のまさに交流点であったことは、必然であり、そこでモサラベ(=イスラム世界に残って文化の交流に貢献したキリスト教徒)やムデーハル(=スペインキリスト教圏に残って文化の発展に寄与したイスラム教徒)によって、ほとんど無知蒙昧に戻っていた西欧文化に『古典』の光を再度差し込ませた功績を正面から評価しています。そして、その解説に当たって原典(アラビア語やギリシア語の第1次文献資料)に直接基づいて説明していくので、実に学問的価値の高い内容だと思います。

著者自身が述べられていますが、西欧の研究者がアラブ圏からの文化的流入を無意識的に軽視し、西欧文化の連続性を所与のものとしてしまっている陥穽について、自分は非西欧文化圏に属するが故にそれらから自由で、むしろ積極的な比較文化史的観点から、明らかに西欧文化における断絶性を認識しているという著者独自の主張は、非常に説得力があるように思います。

その辺は、個々の読者の判断に委ねられると思いますが、決して一人よがりにならず、可能な限り客観的に論証していく姿勢は、ある種、感動ものですね! 歴史に感心を持つ人や文芸芸術全般に感心を持つ人にも是非、読んでもらいたい本です。この手の本を読んで久しぶりに感動しました!! (これって、阿部謹也氏の本以来です)

解説に著者の教え子で大学院で講義を受けた方が書かれていますが、著者の講義では、当たり前ではあるのでしょうが、常に第1次資料である原典に直接当たる為、講義を受ける者はラテン語、ギリシア語は勿論のこと、アラビア語、ヒエログリフ、アッカド語に至るまで語学の勉強を準備としてする必要があったそうです。これってすごくないですか? 私も院生の時はテキストの大半は英語で微積分や統計学なども全て英語で勉強しましたが、英語だけなのにそれでも大変だった覚えがあります。

本書の中でもアラビア語やラテン語などが説明上、必要があって出てきます。その部分は勿論、分からなくても内容は分かるのですが、その真摯な学究的姿勢には心から頭が下がる思いがします。

時代的に考えるとだいぶ古いものですが、私には非常に大きい衝撃(同時に感動)でしたので、今年一番のお薦めです!!

目次を見ると内容のおおよそは分かると思いますが、本書では12世紀ルネサンス自体の説明とそれを実際に行った人々、さらにそれを同時代的に推進したシャルトル学派の説明があります。そして、アラビア語文献に西欧の古典知識が蓄えられた状況と、さらにそれを可能にしたシリア・ヘレニズム文化の解説があります。

歴史というものが、前後になんらの繋がりを持たず、孤立して存在するものではなく、きちんとした結びつきの中で人間の連続的な活動の所産としてあることを改めて気付かされます。

勿論、しっかりした本として備えるべき参考書目や人名・書名索引も充実していますので、きっと役立つ一冊だと思います。

以下、個人的にメモ。
シャルトル学派:
 自然を対象にして合理的に追求していく。それ以前の考え方では、自然は神学的に、道徳的シンボルとしてしか解釈されなかった。その為、同時代的には、ややもすると異端的に思われ、非難されることも多かった。

シャルトル学派の思想:
 目に見えるこの世界を合理的に探求することによって、神に至る、いっそう確かな道が開かれる、したがって宇宙論というものは、神学的研究と反対のものではなくて、むしろ神学的な単なる思弁を超えた、正しい合理的根拠のある神への接近の手段なのだという、西欧キリスト教世界でのはじめての考え方。

後世への影響:
 ティエリを中心とするシャルトル学派における新たな自然研究は同時代の保守的神学者の反対や誹謗を受けたが、やがてひとつの伝統をつくり、直接にはヴァンサン・ド・ボーヴェの「自然の鑑」のような書物に受け継がれますが、自然の合理的探求というこの派の根本的な態度は、むしろアルベルトゥス・マグナスやロジャー・ベイコンに継承され、これは15世紀のニコラウス・クサーヌスにまで続いていると言ってよいだろう。
私がここしばらくの間、関心を持ち、関連書を読んできたシャルトル大聖堂であるが、まったくの偶然ながら、本書でもシャルトル大聖堂が取り上げられていた。それはリベラル・アーツ(自由七芸)の彫刻に関しての記述だが、私個人としてはそれ以上にシャルトル学派の大聖堂に与えた影響を考えたい。西欧において最も先進的な学問がなされていたのが、シャルトル大聖堂付属の学校であり、1194年の火災で民衆を中心にした熱狂的な宗教熱から、シャルトル大聖堂の再建を果たすことはよく物の本に書かれているが、それとは別にこのシャルトル学派の存在も絶対に大きな影響を与えていると思う。

エミール・マールの本などでは、ここにも引用した「自然の鑑」などの影響を指摘しているが、大聖堂建築に当り、もっと大きな影響がありそうな気がするのであるが・・・私が今まで調べて本では見かけていない。私個人の関心のある点として、この辺について今後も調べて見たいなあ~と強く思う。
【目次】
第一講 十二世紀ルネサンスとは何か
 1、はじめに
 2、十二世紀研究の動機
 3、十二世紀ルネサンスへの視角

第二講 十二世紀ルネサンスのルートと担い手
 1、十二世紀ルネサンスのルート
 2、先駆者(一)尊者ピエール
 3、先駆者(二)バースのアデラーデ

第三講 シャルトル学派の自然学
 1、自然の合理的探求
 2、シャルトル学派
 3、シャルトルのティエリ

第四講 シリア・ヘレニズムとアラビア・ルネサンス
 1、ヘレニズム文化の東漸
 2、シリア・ヘレニズム
 3、アラビア・ルネサンス

第五講 アラビアから西欧へ
 1、西欧におけるアラビア学術の移入
 2、十二世紀ルネサンスの開花
 3、十三世紀ルネサンス翻訳活動

第六講 シチリアにおける科学ルネサンス
 1、十二世紀シチリア研究の歩み
 2、ユークリッド「与件」の伝承
 3、「与件」の訳者と「原論」の訳者

第七講 ロマティック・ラブの成立
 1、トゥルバドゥールの登場
 2、ロマンスの淵源
 3、イスラム・スペインからヨーロッパへ

参考書目
あとがき(原本)
解説
人名書名索引
十二世紀ルネサンス(amazonリンク)

関連ブログ
NHK世界遺産~中世の輝き 永久の古都 スペイン・トレド~
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2007年02月09日

「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房

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活版印刷技術の発明者として有名なグーテンベルク、彼が生きた時代の歴史的背景、社会的状況を丁寧に説明しながら、いかにしてグーテンベルクが画期的な発明を行ったのかを現存する資料を基にして丹念に推定していきながら、明らかにしていきます。

私はこの本を読むまで全然知らなかったのですが、活版印刷術っていうのは、全く新しい技術を突如として生み出したものではなく、既存の技術を組み合わせてその利用法にコペルニクス的な発想の転換を加えたものだったらしいです。条件的には、世界の他の地域で発明されてもおかしくない所がいくつもあるそうですが、そのアイデアを実際に実行に移し、その過程で生じた数々の技術的・生産的問題をクリアしたのは、他ならぬグーテンベルクその人だったそうです。

単純に印刷しただけでは、左端は揃っていても右端はそのままでは揃わないものですが、それを文字間隔などの調整を行って左右の端を揃えたりするのも彼の発明なんだそうです。
(今でもフォントの名称にある『P』というのもportionという意味ですが、まさにこれに関わることだったりします)

ただ印刷さえしてあれば、売れるものではないんですね。当たり前ですが、値段が安いだけではなく、美しくて内容が正確だからこそ、初めて製品は売れるわけです。

グーテンベルクは腕のいい職人でもあったのですが、同時にベンチャービジネスの創業者でもあったことが本書を読むと分かります。新しい技術を研究し、種々の技術的問題を解決するには、設備費や部下の職人達の人件費、紙代などたくさんの資金が必要です。

彼は、銀行や投資ファンド、エンジェルなどがない時代に資産家から融資をとりつけ、その資金を次々に投資に振り向けていきます。同時に、当時の社会状況でもっとも売れて儲かる贖宥状(=免罪符)なども手掛け、稼いだ儲けも全てを印刷技術の向上に注いでいきます。この辺りの資金の自転車操業的なところもまさにベンチャー企業そのものでしょう。

但し、どこぞの実績もなく、ビジネスモデルだけのIT企業とは異なり、グーテンベルクのビジネスは地に足がついています。グーテンベルクの印刷物としては聖書が非常に有名ですが、それ以前にもしっかりと需要があり、利益が見込めるラテン語の文法書や多言語のビジネス会話集なども手掛けており、実にしっかりしたマーケティングを行っていることも分かります。

新しい技術に対するあくなき挑戦心と共に、強い情熱に裏打ちされたベンチャーの創業者としての姿が印象に残ります。

ただ、人生は平坦ではありません。技術的に成功したのにも関わらず、彼は融資を受けた資金を返済することができず、投資者から裁判を起こされます。それが後に印刷機の差し押さえにつながり、その印刷機を使い、自分が教えた弟子までも引っこ抜かれて競合企業が生まれます。

彼らの存在は、ライバル企業の誕生という金銭的な損失以上に、あろうことか、グーテンベルクは活版印刷の発明家という名誉までも奪おうとし、一時は大いに誤解されていたりもしたそうです。

そういった紆余曲折を経つつ、グーテンベルクの発明した活版印刷技術は、宗教改革の時代を向かえると、カトリックVSプロテスタントの双方の自己宣伝用のパンフとして爆発的に活用され、従来では想像もできなかった急速な社会変革を大いに促進する材料となりました。現在のインターネット以上の情報革命であり、インパクトだったようです。

こういった実に様々なことを知ることができ、私には大変役に立ちました(笑顔)。

などと友人に話していたら、この内容のほとんどって去年の印刷博物館での展示で私、聞いていたらしい。確かに、特別展でグーテンベルクの聖書やラテン語の文法書も見ていたし、説明も読んだんだけど・・・・??? 完全に忘れていた!(赤面)

友人からは呆れられましたが、その辺のことをご存知でない方は、本書を読むといいかもしれません。量があるので、読んでいるとだれるところもありますが、読む価値がある本でした。

どんな技術もそうなんでしょうが、やはり一人の情熱が世界を変えていくことを強く実感しました!!

【補足】
コメントにも書いたのですが、実に面白いのでここにも書いておきます。

ルターが宗教改革のきっかけして書いた「95か条の論題」ですが、あれを書こうと思った原因に教会の堕落と免罪符の乱売が言われていますが、その内容は以下のようだったそうです。

堕落の象徴たる免罪符販売ですが、ほとんど霊感商法の壷売りと同レベルのえげつなさです。ドイツ国内を中心に行商して売り歩いていた免罪符売りのセールストークが実に凄いんです。「イエス様の御母マリア様と同衾してもこれさえ買えば救われる」とか、「終油の秘跡をしないで無くなった人でもこの免罪符を買って、箱の底に代金が届く音が聞こえた瞬間に救われる」、「これから犯す罪もこれさえ買っておけば救われる」なんて酷過ぎです。

これを見ていたルターがローマでの教皇の腐敗をも実見し、憤慨して書いたのがあの「95か条の論題」だったりするそうです。学校でもこういうことまで教えてくれれば、納得して宗教改革を理解できるのだけど、教科書の記述ではくだらなくて記憶に残りません!

歴史をつまらない教え方しかできない先生は、存在自体が『悪』だなあ~とふと思ってしまいました。私の生涯で面白い歴史の授業をしてくれたのは、たった二人しかいなかったですね。逆にその先生方のおかげで今の私はあるわけですけど。毎回授業が終わるごとに職員室や教室で質問をしていた頃が懐かしい。
【目次】ISBN 978-4562040377
第1章 色あせた黄金の都市マインツ
第2章 シュトラスブルクでの冒険
第3章 クザーヌスとキリスト教世界の統一
第4章 印刷術発明への歩み
第5章 なぜグーテンベルクだったのか
第6章 聖書への道のり
第7章 金字塔グーテンベルク聖書の完成
第8章 グーテンベルクの名誉回復
第9章 国際的に広がる印刷術
第10章 ルターと宗教改革
グーテンベルクの時代―印刷術が変えた世界(amazonリンク)

関連サイト
印刷博物館
グーテンベルク聖書~慶応大学

関連ブログ
印刷革命がはじまった:印刷博物館企画展
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2007年01月21日

「アレクサンドリア図書館の謎」ルチャーノ・カンフォラ 工作舎

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第一部は、著者が数々の文献から推測して作り上げた自説(=仮説)を元にして描いた小説(もどき)になっていて、第二部はその仮説の背景たる文献や文献から比較考証した内容の解説になっています。

アレクサンドリア図書館と言えば、現代では失われたまさに「古代の叡智の宝庫」であり、本好き(或いは研究者)なら誰もが垂涎の的とする存在ですが、それについての資料的なものを想像して読んだのですが、なんか違う感じです。

最初の小説もどきが実につまらないし、正直何が書いてあるのか意味が分からない。私には、そっくり第一部全体が不要なように感じた。文章自体も全くいけていない。

更に第二部ですが、相変わらずダラダラと文字が書かれているだけで全然私には関心が持てず、資料を生かしているように思えなかった。最初に結論部分を示して、その後に資料相互の比較や考察ならまだ意図も分かるのだが、そうではないようで実に冗長な文章のように感じた。

アレクサンドリア図書館がいかにして失われたかが主題のようなのだが、個人的にはそんなことよりもそこに納められた文章の内容の方がはるかに関心の対象である為、余計に不満が溜まった。

私的には時間の無駄以外の何物でもなかった一冊。歴史的なミステリーというのはなんともおこがましい感じがする。つまらなかった。

アレクサンドリア図書館の謎―古代の知の宝庫を読み解く(amazonリンク)
ラベル:図書館 書評 歴史
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2007年01月13日

「ハンニバル」長谷川 博隆 講談社

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「ガリア戦記」とかローマ帝国ものを読むたびに、最後の最後まであのローマ帝国を追い詰めたハンニバルという人物への関心を抱かずにはいられませんでした。ただ、日本語でハンニバルについて描かれた本って本当に少ないように思えます。その中では、読むべき本の一冊だと思います。

著者の書かれたカエサル本の時にも思いましたが、歴史上の偉大な人物といっても決してスーパーマンや特殊な人ではなく、様々な欠点や問題を抱え、また彼らを取り巻く環境も想像以上に不利で絶体絶命的な状況を何度も経験しているのに驚きます。但し、彼ら偉人が非凡なのはそれらの負の環境を自らの才幹と並外れた努力と、何よりも不屈の意思で克服しようと挑戦すること、これが素晴らしいです。

ハンニバルの戦争についても常に兵力が不足し、しかも部隊は新参者や異民族の混成軍。周囲の味方はいつ敵に寝返るか分からない一方で、本国でさえ自らを蹴落とそうとする対抗勢力があり、わずかなミスは政敵への恰好の非難材料を提供する形で常に猛烈なプレッシャーを受ける中で『勝利』という成果を出し続けなければならない困難さ。複雑で絶えず流動的に勢力図が入れ替わる国際情勢などなど。

舞台は違っても現代の複雑な国際状況以上に混沌として変幻自在な社会を生き抜いた人物は超一流の政治家であることが分かります。特に本書で描かれた戦争に敗れた後も隠遁せず、亡命しながら国際政治に主体的にコミットしていくその生き様には本当に頭が下がります。

優れた『将』とは、やはり個々の戦闘に勝つことを求める戦術家ではなく、その勝利をいかに政治的な交渉で有利な材料とするかに注意を払う戦略家であることを痛感しました。本書では明確にその視野の広さを指摘しながら、描かれています。

本書は歴史として読んでも面白いですが、くだらないビジネス誌のリーダー論よりも普遍的で本質的な帝王学の一部として読むと更に面白いかもしれません。もっとも本書以上に「ガリア戦記」の方がお薦めですけどね。そちらを読んでから読むといいかも。

本書は基本的な資料を丹念に読み込まれたうえでその資料から想定される人物像を基にして描かれています。ただ、資料自体の真贋とさらにそこから読み取られる人物評価については歴史特有の避けられない曖昧さがあり、著者もあくまでもその存在を意識して書かれています。それを踏まえても本書は資料としても価値があるのではないかと思います。歴史好きなら十分に楽しめると思いますよ~。

巻末にある参考文献、研究史なども有用かと。
【目次】
1 カルタゴの栄光
2 獅子の子として
3 地中海世界の覇権をめざし
4 戦局の転換
5 敗戦に逆落とし
6 国家再建と再起への道
ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて(amazonリンク)

関連ブログ
「カルタゴ人の世界」長谷川 博隆 講談社
「カルタゴの興亡」アズディンヌ ベシャウシュ 創元社
カルタゴ、其の一 ~チュニジア(6月29日)~
カルタゴ、其の二 ~チュニジア(6月29日)~
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2006年12月17日

「中国四〇〇〇年皇帝怪奇事件帳」新人物往来社

聊斎志異みたいな志怪小説を期待していたのですが、全然お話になりません。

しばしば聞くような中国のメジャーな怪奇話をあまりにもセンスのない口語訳で雰囲気を台無しにしつつ、乱暴に抄訳して紹介しています。これではあの志怪小説独特の素晴らしい文体や情緒などの要素がごっそり抜け落ちています。

まるで文字がやめずに感覚だけで書かれた「学校の階段」のようなものでしょう?そちらは本屋でパラパラ頁をめくった経験があるだけですが、なんか似てる~。

まあ、そんなレベルです。本書を読んで志怪物を読む気にはならないでしょう。こんな本は即刻ブックオフに売って、高くても平凡社の「聊斎志異」を購入しましょう。図書館で読んでもいいですが、こっちを読んだら絶対に手に取る気にさえなりません。

漫画でもOK。はるかに志怪小説の雰囲気を伝えています。

中国四〇〇〇年皇帝怪奇事件帳(amazonリンク)
ラベル:中国 怪奇 書評
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2006年12月13日

「絵解き中世のヨーロッパ」フランソワ イシェ 原書房

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う~ん、一見すると絵が綺麗に見えるのですが、冷静になってみると印刷自体はそれほど良い印刷とは思えないのですが・・・。値段からすると、もっとカラー印刷の品質を高めてくれてもいいように思う点がまず不満でした。

そして、個々の絵を用いながらの解説。アイデア自体は非常にいいと思ったのですが、説明があまりにも簡潔に過ぎて私的には全く不要。というか、個人的には無い方がはるかに嬉しかった。予め、一般読者を対象とうたっているので簡潔にした意図は分かるのだが、それにしてもあまりにも簡単にし過ぎ。読んでいると、ものすごくストレスが溜まってしまった。

単なる綺麗な絵本にしては、あまりにも高価だし、デザインブックとしては紙質や印刷の質に不満あり。また、中世に関する本として見るならば、本当に何にも知らない人以外には役不足。かなり中途半端な出来になっているように感じた。

アイデアはいいのでもっとなんとか出来なかったのかなあ~という思いで悔やまれる。この本もコストパフォーマンスから言うと、買えない本かと。なんか絵がついて綺麗な本だと最近やたら高い本が多いが、それに見合うだけの質がついてくるのか疑問に感じる本が多い。

たま~に死ぬほど高い本(一万円以上)でも、内容を考えれば速攻で買うべきものもあるが、滅多にないもんなあ~。面白い本が読みたいです(心からの叫び!!)。
【目次】
第1章 図像制作者たち
第2章 祈る人々
第3章 戦う人々
第4章 働く人々
第5章 象徴的な場
第6章 中世の大いなる恐怖
絵解き中世のヨーロッパ(amazonリンク)
ラベル:アート 中世 書評
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2006年11月03日

「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社

bread.jpg中世絡みの本を読もうと思って手にした本です。日本において米が全ての基本であり、江戸時代のように米の生産高(石高)で全てが評価されたように中性のヨーロッパではいかにパンが重要であったかを改めて知りました。

シャルトル大聖堂のステンドグラスにパン職人組合の手によるものがありましたが、当時の社会的地位が高かったことにも納得がいきました。

でもね、でもね。つまんない。「パン」という切り口で中世の社会を把握しようという本かと思ったら、良くも悪くもパンの話だけで終わってしまい、それ以上話が広がらないんだもん。パンは食べるの好きだけど、パンのお話だけでは飽きてしまいます。

中世の社会を知るために読むんだったら、本書は読む必要ないと思います。もっと&もっと、いろんな本があるのでそちらをお薦めします。

阿部先生の本を読んだ方がはるかにお勉強になるかと・・・。

中世のパン(amazonリンク)
【目次】
第1章 麦畑から粉挽き場へ
第2章 パンづくり
第3章 パン屋の共同体と同職組合
第4章 フランス、パン巡り
第5章 パンの販売場所
第6章 なくてはならない市外からのパン
第7章 自家製パン
第8章 パンの価格 原則と実際
第9章 都市のなかのパン屋
第10章 パン消費の数量的評価の困難
ラベル:書評 中世
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2006年10月24日

「十字軍」橋口 倫介 岩波書店

『十字軍』というある意味輝かしい歴史的出来事、あるいは歴史に名を残した人類の愚行とも言える集団的暴力行動を真正面から取り上げた本です。

いかにしてそれは企図され、いかにして民衆に、そして王侯に支持されたのか? その動きを生じさせた社会情勢や当時の人々の思いを資料から丹念に再構築していこうとする姿勢が大変イイ。

なかでも私が強く関心を持ったのは、ゴシック大聖堂を競って建築したのと同一のメンタリティで人々は巡礼を熱望し、エルサレムへの入城を夢見たのであり、あの情熱のほとばしりに他ならぬ大聖堂建築は、死と隣り合わせの十字軍への参加と同一の心情から生じているとは、この本を読むまで考えてみたこともありませんでした。

シャルトル大聖堂の前で十字軍参加を呼びかけがなされたことを知っていたのに、この当たり前とも言える中世人の思いを全く考えたことがなかったとは、我ながら赤面ものです(苦笑)。

しかし、この見方に気がつくことで私の中でひときわ大きな好奇心を刺激するゴシック大聖堂は、更に有機的に他の事象と結びつき、益々興味深くなりました。やっぱり面白いなあ~♪

後半になると、何回にも渡る個々の十字軍の話になり、それはそれで面白いのですが、やっぱりそもそもの十字軍を起こすきっかけになった人の思いと社会情勢に対する説明が秀逸です。

ありきたりのパターンにはまったつまらない十字軍ではなく、人が生きた証(あかし)としての歴史が描かれています。ゴシック建築を生み出した当時の人々の心情を理解するうえでも読んでおくべき本でしょう♪

プレスター・ジョンの話や聖遺物の話も勿論、触れられていますよ~。
【目次】
はじめに
Ⅰ前兆と胎動
 1大変動の世紀
 2十字軍運動の精神的風土
Ⅱ勧説とその影響
 1まぼろしの十字軍宣言
 2民衆十字軍
Ⅲ東方遠征
 1踏みかためられた巡礼路
 2敵地へ
Ⅳ聖地の解放
1各宗派共通の聖地
 2解放がもたらしたもの
Ⅴ十字軍の理想と現実
 1十二世紀ルネサンスと十字軍
 2聖地のレアリズム
Ⅵ凋落と破局
 1色あせた錦の旗
 2破門皇帝の寛容と聖王の不寛容
むすび

十字軍―その非神話化(amazonリンク)

関連ブログ
「十字軍」橋口 倫介  教育社
NHKスペシャル 千年の帝国 ビザンチン~砂漠の十字架に秘められた謎~
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2006年10月19日

「鬼の風土記」服部 邦夫 青弓社

目次を見ると分かるのだが鬼に限定しているわけではなく、うがった見方をすると、タイトルは売れ易いように『鬼』の文字を付けられた感じがする。

民俗学っぽい体裁ではあるが、その水準には到達していない。あちこちの文献から、関連する事項を探して引用している点にのみ価値を有する本。これはこれで物事を探す時に重宝するので悪くはないが、いくつもの文献にまたがって調べている以上に新しい付加価値を生み出す本ではない。

著者がマスコミの人であるからというのは、完全に私の偏見でしかないが、やっぱりジャーナリスティックであまり好きではない。主観的に過ぎないものの見方を、ある種の客観性に置き換えるような書き方を無意識に感じてしまう。私の下衆の勘繰りに近いのだけど・・・。もっとも本書はそこまでのいやらしさはなく、淡々と書かれていたりする。

ただ、基本的にみんなどっかで聞いたような内容の話で終わっているのが残念。酒呑童子等の鬼の話は、いまや本屋に行けば山ほど積まれている中で本書で触れられているのは相対的に薄っぺらい。

田村麻呂についてもアテルイについても、本気で丹念に探せば、もっと数々の地名や関連する神社などがあるはずだが、それも表面的過ぎてかなり不満を覚えた。いったん蝦夷が服属後もたびたび反抗があり、俘囚となったり、まさにまつろわぬ民であったことなどへの言及も含めて重点の置き方がよく分からない。

これは桃太郎、羽衣伝説等のトピックなど本書に一貫している問題意識の欠如の表れかもしれない。中途半端で個人的にいらいら感を増す手書きの地図がそれを倍加させてくるのがなんとも嫌だ。

ただただ伝承の地を観光してきました。どこに行ったかを説明すると、こんな由来と伝承のあるとこでした。という旅行記に近いノリでしかない。もっときちんとした事を知りたいなあ~と強く感じました。失敗でしたね。あ~あ。
【目次】
1 鬼の風土記
酒呑童子―老ノ坂、大江山、国上山、伊吹山
渡辺綱と鬼―羅城門、神泉苑、戻橋
田村麻呂と悪路王―鈴鹿峠、胆沢、黒石寺、達谷窟
桃太郎と鬼―栗栖、吉備、女木島、日野
2 おとぎ話の原像
浦島太郎と竜宮―丹後半島、荘内半島、寝覚、浦島丘、八重山
金太郎と山姥―足柄山、姥子、上路
羽衣伝説―三保の松原、余呉湖、比治山
3 漂泊・鎮魂の譜
ヤマトタケル―隼人、草薙、走水、熱田、伊吹山、能煩野
義経・静・弁慶―吉野山、清水道、平泉寺、如意の渡、安宅
曽我兄弟と虎御前―曽我、箱根、大磯、富士の裾野、善光寺
鬼の風土記(amazonリンク)
ラベル:民俗学 伝承 書評
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2006年09月24日

「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部

阿部 謹也のサイン先日、お亡くなりになった阿部氏の本。NHK市民大学の講座なんてやっていたんですね、知らなかった~。是非見たかったなあ。本書は、その時の講座で用いられたテキストに200以上もの膨大な図版を入れて、内容を充実させた保存版です。

たまたま古書店で著者が謹呈してサインが入ったいてのを見つけたので購入しました。ちょうど、阿部氏が亡くなられたニュースを知って数日後のことでしたし、何かの縁かと思いまして。

実際、購入して正解でした。モノクロの図版も多いですが、カラーもそこそこ入っているし、とにかくビジュアルがあると説明が理解しやすくていいですね。元々阿部氏の著作には好きなものが多いのですが、本書は阿部氏がこれまで書かれてきた本からの出来のいい要約にもなっているかと思います。他の本でも見かけた図版も本書の中には、たびたび見かけます。

阿部氏の中世に関する見解などが、エッセンス的に凝縮している感じが多分にあります。また、NHKの番組とはいえ、講座形式をとっていて回を追って(本書の中では各章が1回分に相当する)、解説をしていくので知識を効率良く得る、という目的には最適かと思います。

勿論、難をいえば要領よくまとめられているが故に、省略されているその背景的な膨大な知識・説明がないのは残念ですが、それは本書を読んで関心を持った段階で、著者の他の著作にあたるという事で解消できるかと思いました。

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内容については、目次だけでは分からないと思うのでざっと書いてみます。まずヨーロッパの時間感覚について。従来は四季が巡り一年が繰り返される円環的なサイクルとみなされていたものが、キリスト教の最後の審判が最後にあり、現世はそれへと向かう過程であるとする直線的なものとして捉えらるようになったと述べています。

そしてこのキリスト教的なものの見方が持ち込まれた影響は、他にも多数あり、かつての宇宙観や古の宗教や風習で崇敬された神々等がキリスト教的価値観の下で、怪物などに転化し、大聖堂の入り口や柱頭を飾る異形のデザインへとつながっていくことが話されます。

また、本来は聖なる職業・聖なる存在であった死刑執行人や収税吏や粉挽きなどが、いつのまにか蔑視させる存在に貶められ、差別という概念が生じてくることなども説明されます。

それ以外にも中世という世界を表面的な事柄ではなく心的構造から見ることで潜在的な存在で普段目にできないことが表面に出てきます。それが実に興味深いです。

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私は以前から中世の巡礼などにも興味があり、いくつかの本では巡礼を可能にした社会的背景などを知りましたが、そこで各種の教会・修道院が巡礼者の為の宿や病院を設置し、それを経済的に支えられた理由を本書を読んでより深く納得できました。

巡礼者の保護の為に、喜捨をすることは富のある人(そのままではらくだが針の穴を通るより難しい、というアレです)が天国に行く為の必須事項であり、また、盛大な喜捨をすることで初めてあの人は富と力を持ち、それにふさわしい人物として社会的に認められる仕組みを理解しました。

他の本でも同様の説明はあるのですが、本書の方がより掘り下げて説明されていて逆に施しをしなければ、彼は社会的に疎まれてしまい、社会的にも経済的にもマイナスになってしまうことを大変良く理解できました。

これは、非常に面白い点ですね。本書ではそこまで遡って触れていませんが、ローマ帝国時代のクリエンテスを引きずっているのかもしれません。あの英雄カエサルが借金につぐ借金をして、自分の慕う人々に資金をばらまき、支持者を増やす一方で着実に権力を握っていったのは表裏一体の関係でもあります。

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翻って、日本の選挙で代議士先生の後援者が、選挙事務所にたむろして、ただ酒・ただ飯にありつき、子供の進学・就職をなにくれとなく面倒みるのもこの流れなんですね。う~ん、個人的にはそういうのは大っ嫌いでし、違法でしょうが、社会的な現実としても、また個々人レベルの合理的判断に基づく行動でも、そちらの方が理にかなっているんだからなあ~。困ったもんです。ああ、嫌だ。

なんだかんだいっても島国日本。自分より出来る人を見ると、本当に足を引っ張りますからね! 優秀な人ほど、目立たないようにこっそり悪さをたくらむざるを得なくなるように環境が追い込んでいることさえ自覚していない人がなんと、多いことか・・・。

格差を容認しないというのは、現実を直視しない甘えであって、問題は努力していても成果があがらなかった時に、それをどう社会的にバックアップするかセーフティ・ネットをいかにうまく運営していくかだと思うんだけど?
努力しない人が悲惨な目にあってもそれは救済に値しないと思うんだけどなあ~。

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本書の中では、ここで私が言ったようなセーフティ・ネットの制度が中世に初めて生まれたことも述べられています。都市において、さまざまな格差が生まれ、それに対応する形で既にこの時代からそれらの制度が生まれていたのはちょっと驚きですね。

それ以外にも大学の誕生とその背景や特権など、ポイント良くまとめられています。先日読んだ大学の本のおいしいところはみんな書かれてるし・・・。

とにかく、内容が充実しているので中世好きの人なら、読んでおくべき基本書かと。「ハーメルンの笛吹き男」の次に阿部氏の本としては、お奨めします(笑顔)。

yomigaeru5.jpg
【目次】
1 謎にみちた中世
2 二つの宇宙
3 中世建築の怪物たち
4 中世都市の時間と空間
5 死生観の転換
6 富める者と貧しき者
7 若き騎士の遍歴
8 手仕事と学問
9 子どもの発見
10 二つの宇宙の狭間で
11 中世の音の世界
12 絵画に見る中世社会
甦える中世ヨーロッパ(amazonリンク)

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<訃報>阿部謹也さん71歳=一橋大元学長
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
「中世の女たち」アイリーン・パウア 新思索社
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
ラベル:NHK 中世 歴史
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2006年09月09日

「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房

本書は、ヨーロッパに初めて生まれた『大学』という制度、存在をその思想的な役割とは別に、教育的な役割から社会的存在として捉えて研究したものです。

現在、分かっている資料の量的・質的限界及びそれに伴う研究の不完全さを明確に認識し、それを直視したうえであえて過渡的な考察として現状の研究成果を説明しています。

翻訳者ご本人も自らの専門ではないことを意識しつつも、本書を読む人にとって有意義になるように真摯且つ良心的な翻訳を心がけられている感じが伝わり、資料としての価値は十分にあるのではないでしょうか? もっとも私個人としての関心は、このテーマにはあんまりないんですが、大学の講義とかなら、きっと聞く価値のある講義をして頂けるような・・・そんな感じを強く受けました。

本書を読んでいくつか勉強になったこともあったんで個人的にもメモ。

・大学は自然発生的に存在した場合もあるが、多くは教皇権の範疇で教会付属の学校として神学部ありき、で始まっている。当時、異端との争いの中でカトリックの理論的な根拠の弱さを痛感し、早急に理論武装(=カトリックとしての正当性の樹立)をする為にも教皇は、キリスト教神学の研究を進める必要があり、大学は目下の急務であった。

・教皇権の傘の下で、世俗の封建領主権からもまた地域的な司教からも自由に活動できた大学は、大学固有の特殊な権利(=内部的に自立した存在で独自に内規を制定したり、固有の裁判権を有して外部の裁判権からも独立した存在であったりする)を持ち、大学の構成員は納税や各種義務の免除などの特権も有する社会的に一定の団体たり得た。

・その後の大学の発展を見た場合も教皇が大学の後ろ盾になっていった。カトリックの理論的バックボーン足る神学者や法王庁における実務を取り仕切る行政官などを供給する教育機関としても大学は価値があったのだ。それ故、大学が広く教皇に直属する組織とされ、教皇が積極的に支援した一方で大学側も自らに有利な立場と権益を欲し、教皇に接近していった。

・しかしながら、両者の蜜月も永遠に続くものではなかった。13世紀において大学人は自らの権益(主張を含む)要求を実現するために、集団でその地を離れたり、ストライキなどの行動さえ行い、またそのように行動する自由もあった。しかし、宗教世界の代表たる教皇権と世俗権の代表たる皇帝権との間には、当然のことながら確執が生まれるべくして生まれていく。15世紀以降になり、中央集権化が進み、国家主義が台頭していく過程で大学は教皇権の下から、皇帝権(あるいは国家権力)の傘下へと移行を余儀なくされる。それは、国家における行政官僚の登用であると共に、大学から学問的な自由は奪われ、国家政策の下に沿った教育機関としての役割が鮮明化していく。

・それらと同時に大学内部でも変化が生じていく。13世紀において大学は、貧しい者でも能力のある者を進んで受け入れ、キリスト教精神に基づいて平等な教育を受ける権利を保障していた。それは当時の社会的階層の変動(貧民から、特権階級へ)を可能にしたが、国家主義的な要素が高まる15世紀以後は、むしろ特権階級が自らの地位と権力を可能な限り、独占し、成り上がりを排除する為の装置として機能する。学習の為の学費や資格を取るための試験料は高額化し、貧しい者から受験する機会自体を困難にさせた。また本来は多様な費用の免除既定もどんどん削除され、教育はまさに特権階級維持の為のシステムへと変質した。

こういう視点で中世を見るととっても楽しい♪ 中世の庶民に関する本や彼らが生み出したゴシック建築など、みんなが相互に関連し合っていることが本当によく分かりますね。錬金術とかもこういった当時の知的エリート達が置かれた状況を知らないでは、きっと机上の空論で実体を欠いたものになってしまうかもしれませんね。

ちょっとだけ中世の歴史を深く捉えられるようになった(気がする?)私でした(笑顔)。

中世の大学(amazonリンク)

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モンタイユー 1294~1324〈上〉エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房
ラベル:大学 中世 神学
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2006年08月12日

「三大陸周遊記」イブン・バットゥータ 角川書店

元々は昭和29年に出た訳だそうでその後絶版になり、復刻され、再び角川からリバイバル文庫として出たもの。文庫にしてはそこそこボリュームがあるが、これでも全編の約三分の一の抄訳に過ぎぬというのがなんとも残念である。

旅行記である以上、小説のように面白いことばかりがあるわけでもなく、水もなく、ひたすら砂漠を彷徨うことでさえ、文章にしたら短くて何でもないように思えてしまうかもしれない。しかし、どこをつまらないから、どこが重要でないからという判断はしょせん訳者のものであり、いつか最終的には全訳で目を通しておくべき本でしょう。千夜一夜のように面白くてしかたがない!とはお世辞にもいえませんが、名著であり、古典であることは確かです。ただ、いきなり全訳は大変そうなんで、まずはこれからスタートしても十分な入門書だと思います。中だるみはあるけど、面白い記述がパラパラと見つかります。

まあ、名前だけは聞いたことがあると思いますが、著者はまさに歴史上の人物として有名な旅行家イブン・バットゥータです。しかし、徒歩や船でよくもまあ、これだけの距離を旅したものです。生まれは地中海付近のアフリカ大陸ですが、聖地メッカを初め、インドを経由し、中国まで行くの~?アレキサンダー大王の遠征じゃないんですから・・・。

アフリカにおいては、サハラ砂漠をわけ入り、黒人王国まで行くし、私も行ったスペインのあのグラナダ(アルハンブラ宮殿がある)まで足を伸ばしている。しかも、何度も遭難や盗賊の強襲にあってもそれに闘って生き残り、世界中のあちこちでそれこそ無数の病気にかかっても死なず、70才以上まで長生きするとは、本当に神に選ばれし者なのだなあ~って思います。

でもね、旅人としては『神』として崇めなきゃならないくらいスゴイです。それと同時に私には知ることができないイスラム世界の奥深さなど、勉強になることしきりです。イブン・バットゥータは商人ではなく、法学者であり、神学者でもあってコーランに非常に通じた教養人であり、どこのイスラム世界でも非常に丁重に扱われ、至れりつくせりのもてなしにたくさんの贈り物を受け、全然お金を使わずに宿や食事、奴隷や家畜、財宝までもが旅をしている間にドンドン増えていくというのだから、驚きです。

あちこちの国王や土地の権力者の庇護を受け、偉大な客人として尊重されるだけにとどまらず、実際に官職を受けて法官としても働いたりするんですから、普通の旅人とはちょっと違う。あちこちで女の奴隷も買うし、王様からもプレゼントとして貴金属や食料の他に少女の奴隷や小人の奴隷などまでもらってしまう。う~ん、どこぞの小市民が幅をきかす国とは違い、リアルなメイドやご主人様の世界だもんなあ。

でもね、お金持ちになってもその地位や財産に執着しないところがこの人の偉大なる所以(ゆえん)。それだけのものがありながら、なお、彼を旅へと衝き動かす衝動のままに、彼は旅を続ける。ある時には、衣服の一部を除いて全てを強盗に奪われ、無一文になり、あやうく命を落としかねるがそれでもなおもくじけずに生き続け、旅を続けていくんだもん。本物の英雄ですねぇ~。

その後も彼はあちこちで旅をし、権力者達から高い尊敬ともてなしを受けていく。何人もの女奴隷の中には、彼の子供を産むものも数人いたようだが、子供は早く亡くなる者が多かったようだ。また、あちこちの権力者から婚姻の話もあり、彼らの娘と結婚することも何度かあったようです。政略結婚ですね。ふむふむ。結婚は、歴史的に見れば「愛」による結び付きではなく「権力(勢力)」による結びつきだしね。

残虐な国王は、毎日のように気に入らない人を殺害し、皮に詰め物をして見せしめに外に飾っておくかと思うと、同じ人物が貧者に気前良く食事や高価な衣服に金銭まで与えてコーランを正しく唱えたりするんだから、薄っぺらな人道主義者や博愛主義者などは、即、拷問で言葉どおりに生皮剥がれて塩でも刷りこまれそう・・・。

あとね、その国々の独自の習俗や世界観なども興味深いです。王に対する忠誠の証として、自分で国王の眼の前でいきなり自らの首を切り落とすって・・・何、それって? しかもその人の父も祖父もそうやって忠誠を表現してきたそうです。当然、遺族には国王から、多大なる金品が贈られるのではあるが・・・。

インドや中国で見られた奇術。するすると天に伸びたひもを登り、天から血しぶきと肉の塊が落ちてくる。それがあっという間に元の人の身体に戻る。今でもよく聞くこの手の奇術は、こんな昔から世の東西を問わず、広く伝わっていたことにも驚きました。

こんな感じで、不思議な話や奇妙な話が出てきます。世界は驚異に満ちている、そんな言葉を実感できます♪

私が行ったことのあるチュニスやグラナダ、アジア諸国の話などもなんか親近感をもって読みました。そうそう、インドで夫を亡くした妻が夫の後を追って殉死する風俗の話も載っていました。未だにインド社会で問題になっていることですが、それはこんな昔から続いているわけで昨日や今日、すぐに止めるのが難しいというのがなんか分かりますね。

とっても興味深い本物の旅行記ですが、残念なのは著者が実際の旅行中に記したことは、旅中のトラブルですっかり失われてしまい、ほとんど全てが過去の記憶によっていることです。だから、昔のものほど、記憶が曖昧になっているのは仕方ないことでもあります。

しかし、教科書で名前を聞いたときには、たくさんのとこ旅行したぐらいでなんで歴史上に名を残したのか、疑問に思いましたが、本を読んで納得しました。こりゃ、十分にその価値があります。ただ、それを教える先生は、その偉大さを知らないまま薄っぺらな知識で授業するから、つまんないだよなあ~。

ちょっと根性ないと読破できない本ですが、読むだけの価値はあるかなって思います。私も旅すると必ず、日記書くのですが、こんなふうに付加価値があると素晴らしいんですけどね。
【目次】
前篇
 ナイルの水は甘し
 イエスのふるさと
 アラビヤの聖都
 シーラーズの緑園
 バグダードは荒れたり
 真珠わくペルシャの王者ら
 キプチャック大草原
 サマルカンドの星のもと
後編
 黄金と死の都
 功名は浮雲のごとく
 危難をかさねて
 わたつみの女王国
 南海より黄河の国
 柘榴のみのるアンダルシア
 サハラの奥地へ
 むすび
三大陸周遊記(amazonリンク)
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2006年06月24日

「ゲルマーニア」コルネーリウス・タキトゥス 岩波書店

そういえば、amazonの書評にもあったが「ガリア戦記」とか読んでいくといつかは辿り着くであろう本の一つであることに間違いない。私も「ガリア戦記」を読んで以来、いつかは読もうと思っていた本でもある。

ただ、簡潔な表現の中に多くの含意があり、素晴らしいと言えばそうなのかも?と思えるのだが、期待していたほどではなかったというのも正直な感想である。

ガリア戦記に描かれる普遍の法則、人対人との関係で生じる『政治』や『組織管理』といった社会の縮図的なものや、それがやがて皇帝カエサルにつながる予兆など非常に多面的な楽しみがあるのと比べると、私的には本書にももうちょい何か欲しかった。

別につまらない本などではない。未だにゲルマニアに関しての基本書として、必ず挙がる本だけにあの当時の状況を考慮しても一級の資料であることは間違いない。ローマから見れば遠く離れた辺境にしては、水準以上の正確さも担保していると思うし、あまり知ることのできないゲルマン人の社会体制・風俗も興味深い。

男は戦時以外は、無為無職でふらふらしているだけなのに戦時における勇猛果敢さは、その対比において驚愕すべきものとして描かれている。また、彼らは金銀に対して、格別の価値を見出すことがないこと。普通に働いて農作別を収穫するよりも、既にあるならそれを他から奪うことの方が大切だと考えていたり、根本的な考え方の違いが記されている。

賭け事においては平気で自分自身をも対象にするほど熱中し、賭けに負ければ、闘えば勝てる相手でも約束を守って奴隷にさえなるなど、彼らの名誉やプライドなどはローマ人とは(現代人の我々とも)違うことを強く感じる。

その他諸々のことも書かれているが、あまりに異質過ぎて一時的に武力で制圧することができても継続的にその支配を維持することが、本質的にできない存在と認識している点は、やはり鋭い指摘と言わざるを得ない。

事実、傭兵や服属民として徐々にローマ帝国との関わりを深めつつも最後まで彼らは(本質的な点で)ローマ化せずにいた特異な存在であり、ローマ帝国崩壊に導く恐れが漠然と予見されている本書は、その意味では警世の書でもある。

まあ、そんな堅いことを言わずとも、短文で読み易く一見しただけでも理解し易いので読んどいてもいいかもしれない。おそらく本当はもっと深い味わいのある本みたいなのですが、私にはそこまで理解できませんでした。

そうそう、訳注が非常に多いのも本書の特徴。これは日本人の訳者が入れたもの。研究やより良い理解には、素晴らしいのかもしれないが、結構読み難いのも事実。どうせなら、巻末にまとめて欲しかった。

こういう本を題材に、熱意のある先生に講義で解釈してもらうと楽しいかも。放送大学とかもやってみたい気がする。そういえば、e-learningってどこまで実用化されてるのかな? ふとそんなことを思ってしまいました。ゲルマーニア(amazonリンク)

ガリア戦記(amazonリンク)
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2006年06月22日

「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局

本書は「中世の開花」という大部の分厚い本を、分冊化し、翻訳したものである。想像していた以上に読み易い。だからと言って、いい本というわけでもない。だけど、本書によって初めて知り得た知識もあるのでなんとも評価に困るというのが本音だろうか?

メモ代わりに私が興味深いと思ったことをメモ的に書き出しておこう。売り飛ばそうかと思ったが、とりあえずキープしておこうか。

中世において、まさにこの世の物とも思えないほど美しく飾りたてた教会に住み、宝石や金銀で覆われた聖遺物箱を備え、王侯貴族のよう生活をしていた修道院長。まさにあの成り上がり者(確か・・・普通の農民か何かの子供で教会に幼くして入って、本人の努力と才覚のみで出世したんですよ~)と同時に、有能で天才的手腕を有する政治家でもあるシュジェール大修道院長は、明らかに自らが強欲であることを自覚した俗物と思い込んでいたのですが・・・。

本書を読む限りでは、当時の価値観から言うと、それは個人的な欲望によるものとは一概に言えないようです。きらびやかに飾ることは本当に神の世界をイメージさせる聖なる仕事と心底信じていた人々が本当にいたそうです。まあ、確かにシュジェール大修道院長が語った言葉は有名ですし、私もあちこちで目にした覚えもあるのですが、あくまでもあれは世間向けのポーズだと思っていたのですが・・・。


清貧こそ神への道と信じる人々(シトー会等)と現世において美しいものばかりを集めて少しでも栄光の神の世界への憧れを強めることで神へ近づこうという、一見すると相反する価値観が並存していた。それが西欧中世だったというのは、新しい発見でしたね、私的には。

文盲の世襲諸侯などではなく、まさに当代きってのインテリが有していた価値観というのがさらにインパクト強かったりする(本当なら・・・?)。

そうそうコンクラーベについても興味深い記述がある。国王側が自分の意のままになる人物を教皇に選ばさせる為に、鍵をかけて閉じ込めたというのは知っていたが、その間に枢機卿が死んだりまでしていたそうで食事を減らすとか以上に陰惨な圧力がかかったことが描かれている。これもどこまでが事実なのか、よく分からないがとても面白い内容である。

他にも面白い記述が散見されるものの、そこで展開される考察や説明が物足りない。一応論旨は通っているのだが、どうして何故といった私の疑問には答えてくれない。

もっと&もっと知りたいという好奇心は湧くものの、う~ん本書だけ読むのでは意味が分からないだろうし、ある程度中世史に興味持っている人じゃないと、全く意味不明で終わるかもしれない。まあ、サブテキストとして持っていてもいいかもしれない、それぐらいの内容です。

そうそう、社会構造というものの特に目新しい切り口とかではないので期待しないように。普通によくある中世社会史みたいなもんです。
【目次】
教皇と乞食
国王と王権
教皇と司教
教皇と国王の選出
農民、都市民、領主
乞食と教皇
中世社会の構造(amazonリンク)

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「カテドラルを建てた人びと」ジャン・ジェンペル 鹿島出版会
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「中世の女たち」アイリーン・パウア 新思索社
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
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2006年06月12日

「カルタゴ人の世界」長谷川 博隆 講談社

carutago.jpg私が買ったのは筑摩書房のハードカバーだったけど、学術文庫で出ているんですね。そちらの方が入手しやすそう。

去年、実際に行ってからもカルタゴへの興味は未だ尽きず、関連する本が目に入れば、折に触れて読んでいきたいと思っていたのでローマ史学で有名な長谷川氏の本だけにかなり期待をして読みました。

う~ん、きちんとした本であることは間違いないが、カルタゴの国政、政体を論じるばかりで歴史ファンが好きなカルタゴの英雄のエピソードとか、経済、社会、文化関係の話は非常に少ない。

もっともこれには理由があり、ローマによって徹底的に破壊され尽くしたと同時にあの異文化を吸収することに長けたローマがほとんどその文化等を採り込まなかったらしい。ローマの文献に残っているものもごく一部しか資料がなく、それゆえ学問的な研究も進まず、謎が解明されていないそうだ。

単なる歴史好きとしては、正直つまらない。確かにカルタゴとローマが地中海で派遣を争い、やがてそれが衝突してポエニ戦争になった。などというなんの意味もない説明ではなく、実はローマとカルタゴが争う以前は互いに相互の権益を冒さないように何度も条約を結び、共存共栄を一時は計っていたことなど、初めて知る事も多く、その意味ではなかなか面白い。

しかもあのローマより、カルタゴの方が以前は巨大な国家であり、カルタゴ主導でそれらの条約が結ばれていたなど、意外な感じさえ覚える。また、類い稀な経済力から傭兵を用いたカルタゴと国民皆兵のローマとの違いも興味深い。

でもでも・・・、やっぱり読んでいくとかなり辛い本。一般向きの本なのだが、一般人がこれで満足できるとは思わない。私には、つまんないところが7割以上だった。

やっぱりありきたりでもハンニバルの戦闘とかの方が面白いかも?俗物な私にはちょっと、苦行の本でした。
【目次】
1 カルタゴとローマとヌミディア(カルタゴ小史―政治の流れと社会
カルタゴ・ローマ条約(講座「歴史のなかの地中海」から) ほか)
2 カルタゴの国制(カルタゴの国制と支配構造(講座「ハンニバル、一」から)
カルタゴの民主政―古代人の目と新説)
3 ハンニバルをめぐって(カルタゴの民主化とハンニバル
地中海的な視野をもった政治家ハンニバル―カルタゴ・マケドニア条約(講座「ハンニバル、二(A)」から) ほか)
4 カルタゴ寸描(神と人と人身御供、とくに幼児の犠牲をめぐって ほか)


カルタゴ人の世界(amazonリンク)

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カルタゴ、其の一 ~チュニジア(6月29日)~
カルタゴ、其の二 ~チュニジア(6月29日)~
「カルタゴの興亡」アズディンヌ ベシャウシュ 創元社
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2006年06月07日

「テンプル騎士団の謎」レジーヌ ペルヌー創元社

templekisi.jpgご存知のように図版やイラストが豊富でビィジュアルが充実しており、非常に読み易いシリーズの一冊。とりあえずテンプル騎士団の本がさらに読みたくなって購入したものです。

説明は一通り全般に渡っており、バランスはいい。ざっと眺めてちょっと知りたいなら、悪くはないと思う。でもね・・・、読書を飽きさせないつくりは素晴らしいんだけど、個人的にはちょこちょこと不満が残ったりする。

現代では、もっと多面的な見方がされている歴史的事実をある一面からしか判断していない点があったりして、完全な意味での正統派で初心者向きの本かというと、それも違う感じがします。

(例:フリードリヒ2世のスルタンとの外交交渉による平和の獲得も、著者によると俗物故の成果になるが、近年では宗教的寛容の見本と類い稀な国際的な外交戦略の賜物という評価もあり、著者の説明はバランスを欠いている感じがする)

他にもいくつかあるんですが、う~ん本書の評価は微妙?

同じ著者が書いた「テンプル騎士団 」の方が、ずっとバランス良く感じるんですが・・・。但し、こちらは文字ばかりで眠くなる欠点があるので一長一短ですね。

あと、テンプル騎士団の採り上げ方も私的にはあまり好きじゃないかも? 個々の会則の内容よりも、テンプル騎士団が歴史の中で果たした役割やその滅亡の経緯。彼らが西欧中世に残したものなどの方がずっと面白いような気がする。そういった面白い部分への言及がほとんどない。本好きなら、こちらではなくて白水社の方をお薦めします。 

でも、これじゃあ物足りないんだよね、やはり。

もうちょっと、正統派でお勉強したら、最近読んだ「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1、これもその後のテンプル騎士団で面白いんだけどね。まあ、どこまでが真実か、仮説が多いのでこれも正統派ではないんだけど、なんか面白いんだよなあ~。フリーメイソン以外の部分は。

知れば知るほど、謎と興味が湧くのがこのテンプル騎士団っていう奴ですね!納得。
【目次】
第1章 騎士団の成立
第2章 剣の人教会の人―騎士団の発展
第3章 聖地の防衛
第4章 破滅への道
第5章 テンプル騎士団の最期

テンプル騎士団の謎(amazonリンク)

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「テンプル騎士団 」レジーヌ・ペルヌー 白水社
「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1
「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想2
「十字軍」橋口 倫介  教育社
神秘的なテンプルマウントの人工物がダ・ヴィンチ・コードを惹起させる
「聖骸布血盟」フリア・ナバロ ランダムハウス講談社
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2006年06月04日

「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想2

「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1

本書の前半部分の感想は上記に書いてあります。以下、続き。

やっと読了しました。先週は珍しく忙しくて深夜の読書ができなかったので余計読み終わるまで時間がかかったかも?

で、いよいよフリーメイソンがアメリカ建国に果たした役割なんですが・・・。正直分かりづらい。フリーメイソンと一口に言っても、スコットランド系やらジャコバイト系やら、たくさん有り過ぎ。しかも、それぞれがローカルでどんどん支部を増やしていったり、それぞれのロッジの会員が相互に出入りしていたりと錯綜してよく分かりません。

それ以上にアメリカの独立戦争に至る過程に、個人的に興味のない私には何がなんだか??? もっとも日本の戦国時代も面倒でよく分からない私が、海外のことなんて分からないのは当然かも。

本書で出てくる個々の戦争についての説明も知らないし、興味がイマイチ持てないのであまり面白くないんですよ~。さすがにボストン茶会事件とかなら、なんとか分かるけど。著者達の説明もこの辺りになると、段々資料的な裏付けが曖昧になってくるように感じるのは私の思い込みでしょうか。勿論、テンプル騎士団が存続しているという始めの部分から仮説の説明なんですが、ここいらに入ってから、なんかパワーが落ちているような気も・・・。

テンプル騎士団とフリーメイソンの繋がりまでは、面白かったけど、フリーメイソン自体の話になると、やっぱり良く分からないというのを感じますね。個人的には後半の五分の一(約100頁ちょっと)はあまり楽しめませんでした。いささかよくある話になってきたような・・・?

逆にフリーメイソンのこの部分の話が好きな人には、どういう評価なんだろう?ちょっと聞いてみたいような気がします。私が知らないだけで面白かったりしてね。

個人的にはテンプル騎士団好きは、読んでおいていい本だと思います。本書で触れている話は、他の本で説明されているよりはずっと詳しいし、面白かったですから。他の本も改めて読んでみたくなりました。比較すると、面白いかもしれない。

テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜(amazonリンク)

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「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1
「フリーメーソンの秘密」赤間 剛 三一書房
「世界を支配する秘密結社 謎と真相」 新人物往来社
「ダ・ヴィンチ・コード」イン・アメリカ グレッグ・テイラー 白夜書房
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2006年06月03日

「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1

「レンヌ=ル=シャトーの謎」で有名なマイケル ベイジェント、リチャード リー。まさにゴールデン・コンビのこの二人による本です(笑顔)。
【目次】
第1部 ロバート・ブルース―ケルト精神の継承者
(戦闘修道士―テンプル騎士団逮捕と拷問 ほか)

第2部 スコットランドと隠された伝統
(スコットランドにおけるテンプル騎士団の遺産スコッツ・ガード ほか)

第3部 フリーメーソン団の起源
(最初のフリーメーソン ダンディー子爵をめぐる謎 ほか)

第4部 フリーメーソンとアメリカの独立
(アメリカ最初のフリーメーソン フリーメーソン指導者たちの登場 ほか)
この本は翻訳者の林 和彦様から、ご好意で頂きました(物欲しそう姿がばれたのでしょうか・・・苦笑)。どうも有り難うございます。

テンプル騎士団とフリーメイソン、両方とも実体と全体を把握しにくい共通点があるものの、テンプル騎士団は結構というかかなり大好きなのですが、フリーメイソンの方はいまいちの関心だったりします。少なくとも私が読んだフリーメイソンに関する本ってどうにも怪しいものが多く、結局何の団体なの?っていう疑念が頭から消えないんですよ~。

外国に長年行っていた知り会いの人いわく、「普通に友人の家族がフリーメイソンに入ってたよ~」と聞いても「う~ん」とうなることしかできませんでした。それにアメリカ建国関連でフリーメイソンというと、安易な私は映画で見た「ナショナル・トレジャー」の安っぽい謎解きしか浮ばず、ますます及び腰になってしまいます(オイオイ)。

漠然とした不安の中、「レンヌ=ル=シャトーの謎」で面白かった著者達への期待を頼りに読み出しました。相変わらず、厚い・・・。この分厚さが読破の壁でありつつ、面白い時はまさにいつまでも読んでいたい厚さなんですが・・・。

実は、まだ読了してません。残り150頁ぐらいですが、内容が多くて忘れてしまいそうなんで・・・とりあえず、現段階の感想メモを。

テンプル騎士団に関して、これまで私が読んできた本とは明らかに採り上げ方が違います。別にトンデモ系の扱いをしているとかではなく、歴史的に知られた事実と著者達が調べて見つけ出した(!)と思われる事柄を元に、テンプル騎士団に関して資料が示す行動を再構成していくのですが、それが非常に面白い♪

テンプル騎士団の活動中及び弾圧の過程についての本は何冊か読んだことがあるし、バラバラにされてヨハネ騎士団などに吸収合併されて跡形も無く消えた。そういう記述を何度も目にしています。

しかし、本書では軽く片付けられてしまうテンプル騎士団の最後を実に丹念に調べていきます。ヨーロッパ中からありとあらゆる支持と寄進を受け、十字軍においてあれだけの活躍をし、ラテン王国を建設した後、ありとあらゆる貿易や事業に関わり、世界初の金融システムなどを築いたまさに国際的な巨大組織。それがいかにフランス王とそれに影響された教皇の陰謀があったにせよ、社会から本当に消えてしまったのか?実際はどうだったのか?

この部分が実に面白い。著者達の資料に基づく見解では、実質的な意味でテンプル騎士団は、存続していたと主張します。そして、彼らがいかにしてその命脈を保ち、またそれを可能にする環境が時代的に有り得たのは・・・。


【以下、具体的に内容を書きます。小説ではないのでネタバレとか関係ありませんが、読む前に詳しい内容を知りたくない方は読まないように!!】 









あの、そうあのケルト由来のいにしえの地、『スコットランド』がキーになってきます。当時のスコットランドは教皇と間が険悪で国王が破門されていることまで知りませんでした。

教皇のテンプル騎士団への弾圧の命令が、これほどまでに届かない環境は確かに無かった思います。また、スコットランド側にも、豊富な軍事ノウハウトと武力を兼ね備えた存在を必要とする事情(当時は、スコットランド自体が内乱状態でイングランドからの侵略も受けていた)などの説明が実にうまい、いちいち頷けてしまうんだなあ~これが。

このへんは論より証拠でとにかく読んでみて欲しい。私もいろんな本で断片的に知っていることがちらほらと本書で出てくるのだが、それをジグソーパズルにはめ込むようにして綺麗に揃えられていくその過程だけでも、十分に面白いこと間違いなしです。いやあ、本当に職人技の素晴らしさです。

そして、著者達の主張するスコットランドに渡ったテンプル騎士団(の残党?)が、いかにして政治色がなく、あくまでも会員相互の友愛と相互扶助を唱えるようなフリーメイソンへと連なるのか? 

ここの説明もなんとも楽しい。フリーメイソンの元々の始まりと一般的に説明される石工の協同組合であるが、そもそも職業協同組合としての発生や性格については、中世以降の一般的な職業組合と似た側面を持つのも認めている(これについては、最近よく読む阿部 謹也氏の説明が実にぴったりとはまってきて感慨深い)。

その石工組合とは何をする人達のものか、彼らがいかにしてテンプル騎士団の流れを汲む人々と結び付いていくのか? 著者達の説明には、なかなか説得力あったりする。もっとも問題はそれを裏付ける文献資料がもっと必要なのは、言うまでもない。また、そこが一番難しいのではあるが・・・。

でもね、私にはとっても&とっても面白い♪

テンプル騎士団好きでこれまでの本の限界を感じていた人には、違った観点から考察している本書は、絶対にお薦め!! でも、本書の前にオーソドックスなテンプル騎士団の本とか読んでおいた方がいいだろうなあ~。ケルト的なことも知っていると更にいいし、カトリック教会の置かれていたシビアな歴史的情勢などもそう。とにかく知識があればあるほど、楽しめそう。

まあ、そんな知識がなくても著者達が説明してくれるので本書だけで十分に理解できるんだけど、それがどこまで真実なの?っていう点では、辛い。後で関心を持ったら他の本とかに当たるのもいいかも?

本当によく調べてあるし、冒頭の問題提起というか導入部分もなかなかうまい。さすがはBBC御用達のTV屋さんだなあ~と思わずにはいられません。日本のTV局にも是非見習って欲しいほどの企画力です(脱帽)。

まだまだ読んでる途中の段階だから、本当はレビューを書くべきではないかもしれないが、内容盛りだくさんでね。読んでいる間にもドンドン忘れていきそうなんで・・・。書いちゃいました(笑)。

さあ~て、続き&続きっと。

【補足】
読了しました。続きはこちらへ。

テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜(amazonリンク)

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ナショナル・トレジャー(2005年)
「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想1
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2006年06月01日

「ジャンヌ・ダルク」村松 剛 中央公論新社

ジャンヌ・ダルクについて書かれた本は、日本語に限っても思ったより多い。その中で本書はどんな位置を占めるだろうか・・・?

先日、ジャンヌ・ダルクのDNAを復元するというニュースで関心を持ったが、断片的な知識しかないことに気付きとりあえず読んでみた。というのが実情であったりする。

これ以上ないっていうくらい教科書的な書き方。歴史の順を追ってただひたすら、記述している。それ以上でも以下でもない。

あまりにも淡々とした記述に、正直何について書かれているのか分からなくなることも多々あるのだが・・・まあ、それは良くとれば、思い込みや偏向が少なく、客観性がありそうな記述ともいえよう。

但し、読んでて面白い話はない。また、可能な限り客観的な事実を中心に記述しているのはいいが、それぞれの事実や行動の動機ともいうべき背景の説明があまりにも無さ過ぎるがイタイ!

歴史は偶然の要素もあるが、より大きな時代や世相といった視点からみると、単なる偶然の積み重ねだけでなく、それなりの必然性が浮かび上がることもあるのだが、そういって高次元の視野からの解釈はほとんどない。

また、いささか怪しげなエピソードなどであらぬ妄想や陰謀論を楽しませることも本書は許してくれないのである・・・ああ、無情ってレミゼじゃないんだけれど。

他のジャンヌ・ダルクの本を読んでいくうえでの基礎知識を得るには、いいかも?ただ、それ以上の価値はないと思う。

ジャンヌがいかにして、当時の社会で受け入れられ、英雄となり、また最終的に見放されてしまうのか・・・。あまりにも通り一遍の説明で、私には納得がいかない。時代を通して本質的な側面にまで迫ることを新書の形態で求めるのも筋違いかもしれないが、その片鱗さえも見えない。

まあ、安っぽい新聞記事程度か、イエロ-ペーパーでないのが唯一の救いだが、往々にして読んでいて面白いのはイエローペーパーであったりするのがこれまた辛いところだったりする。

結論、あえて読む価値を見出せない。実は、他にもジャンヌの裁判記録を翻訳した本を持っているので、これを読みたくて下準備としてこちらを読んでいました。さあ~、メンンを本を楽しく読みたいものです(ウキウキ)。

でも、その前に今読んでる「テンプル騎士団とフーメーソン」を読了しないと! もう半分以上読んだけど、厚くてなかなか終わらないなあ~。面白いんだけど・・・ね。

ジャンヌ・ダルク―愛国心と信仰(amazonリンク)

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ウィッチ・コード(2004年)ニコラス・ラフランド監督
ジャンヌ・ダルクの遺骨がテストされる
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2006年04月29日

「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社

やっぱり阿部先生、尊敬しちゃいますね。この先生の講義を受けられたらかなり幸せかもしんない。(もっともたまに、本はいいけど、講義すると駄目な先生もいますが・・・。きっと、そんなことないと信じてます!)

社会システムにとって必要不可欠な公職でありながら、ことさらに嫌悪され、賎民として扱われた刑吏。人を拷問したり、死刑を執行したりする為に、自然な嫌悪感から嫌われたとか表層的な捉え方ではなく、中世ヨーロッパという社会において、種々の歪みの間でしわ寄せとして噴出した特異な「存在」であったことを教えてくれます。いやあ~、実に奥深い話です。

いつも思うのですが阿部氏の話は、常に対象を正面から捉えて、資料を踏まえつつ、通り一遍の歴史の枠を超えて社会を多面的且つ、立体的に(=現実的に)捉えようとしているなあ~と感じます。

そのいい例が、そもそも『刑』の捉え方が実に的確です。当時のもともとの意味としては、違法な行為の結果を秩序を壊したことと認め、刑は神に対しての供儀を為すことであり、神の怒りをなだめる点にありました。従って、刑を受ける人物が生きていようといまいと、それは問題ではないのです。神に対して一定の供儀たる儀式を行いさえすれば、斧で切りつけて失敗し死ななければ、そのまま釈放される場合もある偶然刑だったそうです。

何故なら、村社会の法は伝統的に古ゲルマンの慣習法に則っていたからなのですが、これが都市においてキリスト教論理が広がってくると、必然的に法が変質してきます。古ゲルマン的な要素を異教のものとして排除する中で、刑もまた変質し、都市という共同体自体の秩序を維持する為の威嚇としての意味ができてきます。民衆による刑が、社会的上層部たる国家や領主といった世俗権力による刑になるのです。

この辺の説明が実に面白いです。だけど、それでいて時々話がだれてくるのも事実。まあ、総体としては並レベルかな?と思ったんですが、最後にしっかりと追い込みをかけてきます。

忌み嫌われ、賎民として蔑視されていたはずの刑吏が実は、教養あふれる人物であり、周囲からのいわれなき圧力の中で孤独に耐えながらも、自らの為すべきところを社会的に必要な仕事として熱心に打ち込む姿を紹介しています。この辺の文章には、読む人の心を打つものがあります。誰にも理解されなくても淡々と自らが誇りを持って仕事に向かう姿勢には、ぐっときますね!

最後の文章があって、私的にはいい本に入れますが、そういうのに興味がなければつまんない本かもしれません。そうそう、刑法で行為無価値や結果無価値について学んだことがある人なら、ピンとくるはずです。どういう歴史的な経緯があって、現在の日本の刑法理論にまで影響が及んでいるのか、それを実感できるだけでもこの本価値あると思いますよ。真面目に法律を学んだ人ならば・・・の話。法哲学とか好きな人にもいいかもしれません。

但し、普通の方にはそれほど面白くないので止めた方がいいでしょう。久しぶりに大塚先生の刑法総論とか読みたくなりました(笑顔)。もう古いのかな?今では。

刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活(amazonリンク)

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2006年04月09日

「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房

hosinosita.jpgう~んと、いつもながらの安部氏の本で面白いんだけど、この本にはちょっと問題あるかなあ~。
これまで読んできた本のように、ヨーロッパ中世の文化・社会史について説明してくれているのは文句なく面白いし、興味深いんだけど、本書っていくつもの雑誌に寄稿したものを寄せ集めています。従って、統一的なテーマの元で書かれた訳ではなく、テーマもバラバラです。

テーマはバラバラでも中世史に関する事柄なら、まだ話は分かるんですが、それ以外のことが非常に多いんです。例えば、一般論としての研究者(学者)のあるべき姿や歴史学における国別の取り組み、中世史としての研究態度等々。学者としての真摯な研究姿勢と幅広い視野には、共感と尊敬の念を禁じ得ませんが、同じ本として編まれるのはいかがなもんでしょう。端的に言うと、寄せ集めの印象もなきにしもあらず。

学問としての歴史学や、研究者の心構え等、できればそれらだけで別な本にした方がはるかに良かったのではと思わずにはいられません。著者よりも出版社の編集者がもっと考えてくれればいいのに・・・。そんな思いを強くしました。普通に中世史について関心をもっと読む人には、不要なものが多過ぎです。後半3分の1は、中世史の枠を超えた内容でした。本としての作りは、はっきり言って問題有りでは?と思います。個々の内容自体は、悪くないだけに残念ですね。

そういうわけで、この本はお薦めはしないなあ~。内容毎に分冊すれば、評価が変わるはずですけどね。私も他の安部氏の本を読もうっと。

そうそう、それでも本書の中でなるほどと思ったこともありました。「カテドラルの世界」。何故に商業革命以後の時代に大聖堂(カテドラル)が軒並み建設されたかについて、いくつもの説明を読んできましたが、中世における『贈与』の観念から見た説明が興味深かったです。

人から何を受け取ることは、同等なお返しをしなければならず、それができないということは、相手に貸しを作ることになるそうです。王と騎士の間の関係には、保護や俸給に対して、軍事的奉仕の対等関係があり、農民同士の間柄にもそれは妥当します。商売によって成功した商人は、自分が余剰を持っていることに対して負い目があり、教会や貧者に寄付・施しをすることで、その精算を行っていたわけです。また、教会や貧者への寄付は、同時にキリスト教(カトリック)的に天国に入るための徳を積むことになり、本質的には商人自身の為であるという側面があった訳です。

それ故、ルター以後プロテスタントが広まるにつれ、教会へ寄付がキリスト教信仰において全く価値がないことになると、誰も寄付する者がいなくなり、資金の集まらない教会が大聖堂を建設することなど不可能になってしまうのでした。思わず納得ですね! 勿論、これだけが理由ではありませんが、宗教改革以後、大聖堂建設が見られなくなっていく理由の一つであることは、確かでしょう。私が高校生で世界史を勉強した時に、こういった視点を与えてくれる先生や教科書、参考書はなかった~。だからこそ、授業なんて聞かずに一人で本読んでいたんだけど・・・。

以前に何かの本で読んだ古代ローマ帝国社会のクリエンテラだっけ(?)。これも中世の『贈与』概念に匹敵するかな。
ローマ社会では、常に保護者たるべき人物と被保護者たるべき人物がいて、保護者は経済的にも・法律的にも、被保護者を擁護するが、逆に被保護者は何かにつけて保護者の為に有償・無償を問わず、尽くすことを要求されるそうです。その関係は、地縁的・血縁的なものに限られず、その人の所属する社会環境から幅広く結び付く関係だったそうです。選挙の時に、金品をばらまいたり、支持者を優遇するのは当たり前のことだったみたい。

日本における田舎の選挙にも似たものがありますね。支持者に寿司や酒をふるまい、地元市役所にコネで就職を斡旋したり、時代を越えても変わらないんだ、人って・・・。ちなみに民衆の人気の高かったカエサル(シーザー)はこのクリエンテラを巧みに張り巡らせたことでも有名で、あちこちから借金をしては自分の支持者達にばらまいていたそうです。いくら能力があっても、民衆の支持がなければ駄目なのは、現代の政治家にも当てはまっているのかもしれません。
【目次】1 中世のくらし(石をめぐる中世の人々
中世のパロディー
オイレンシュピーゲルと驢馬
中世における死)
2 人と人を結ぶ絆(現代に生きる中世市民意識
中世賎民身分の成立について
病者看護の兄弟団
中世ヨーロッパのビールづくり
オーケストリオンを聴きながら)
3 歴史学を支えるもの(文化の底流にあるもの
西ドイツの地域史研究と文書館
アジールの思想
私にとっての柳田国男)
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2006年03月25日

「ヨーロッパの庶民生活と伝承」A.ヴァラニャック 白水社

これは完全に外れでした。中世の庶民生活における各種の習俗や禁忌、民間伝承とかについての解説だと思って買ったんですが、全然違う。文化人類学系の本で、非常に無味乾燥でつまらない本があるでしょ、まさにあのパターンの本です。

しかもよせばいいのに、わざわざこの本が書かれた(当時の)現代に引き寄せて物事にコメントするんだもん。何故、中世の価値観を現代の価値観で図ろうとするのか、その考え方自体に非常に違和感を覚える。

具体的に言うと、中世において女性は性別に基づく役割分担として家庭を守り、良き自らの居場所を確保し、尊敬されていたのに、最近の女性は古き良き伝統を忘れ去り、ひたすら外へ外へと居場所を求め、古来有していた素晴らしき妻としての価値をなくしてしまっている・・・云々とか書いてるんだもん、ちょっとお馬鹿な人(?)とか思ってしまった。

別に私はフェミニストでもないが、社会や時代が変われば、女性の存在意義や存在場所が変わるのも当然でしょう。まして個人単位で勝手にすればいいことを、現在の風潮は・・・とかいう捉え方は単なるひがみっぽい偏屈なお年寄りみたい。

それを本来、余計なバイアスなどかけずにありのままに見つめるべき学者が言ってるのって、どうなんでしょう? 私はそういう人の講義は、耐えられないな。私個人の偏見ですが、学者なんて象牙の塔にこもっていて結構!社会や世俗の風潮に影響を受けているような学者なんて、所詮は二流のTVのお雇い批評家だけで十分ですよ。

ひたすら本読んでるか、研究していて下さいな。昔の中国の学者は、小さな漢字を何十年も読み続けて目が見えなくなったというのが、普通にあったそうですが、それぐらいじゃないとなあ~。

いつもながら、話がそれますが、実際に大学でやっていたしょうもない講義録を元にした本らしいです。絶対に単位なんて欲しくないな、その講義。当然、この本も読む価値を見出せませんでした、私には。

具体的な習俗の説明が少な過ぎるうえに、すぐに一般化して一見するともっともらしいこと言ってるけど、「だから何?」というレベル。まあ、絶版で正解の本です。白水社さんにしては、珍しくダメダメな本でした。

ヨーロッパの庶民生活と伝承(amazonリンク)

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2006年03月14日

「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂

阿部 謹也氏の「ハーメルンの笛吹き男」を読んで以来、なんか中世のそれ系の本に関心がいってしまい、だいぶ前(半年)に買ったまんま未読の山に埋もれていたのを掘り起こした一冊です。

1章と2章が安部氏に近いものがあってなかなか面白いんですが、3章、4章とつまらなくなってきます。せいぜい3章まで終わっていたら、素直に面白い本でした~と感想を書けたんですけど・・・ね。

ある種の抑圧された中世社会における大いなる祝祭として、教会内部の彫刻に刻まれたスカトロジー的図像や性的図像、道化の姿などが非常に興味深く語られています。聖なるものをあえて逆転して茶化す、といった心理が当時の社会をよりリアルにイメージさせてくれます。日本でも有りますが、神社にある大きな陽物(男性器)の置物やお祭りなどで練り歩くハリボテなど、そういったたぐいのものと相通ずるものが紹介されています。

聖なる教会の中にそういったものが刻まれ、聖人のお祭りに破廉恥きわまる無礼講が繰り広げられさまは、他の本で読んで知ってはいましたが、結構詳しく描かれています。また道化やら楽師やらという特殊な存在が社会に果たした役割や社会での受け入れられ方などは、普通の中世史にはあまり採り上げられないトピックだけにちょっと珍しいかも。その辺はそこそこ面白かったです。

他にも聖人崇拝を通じて拡大していく都市と経済。同時に経済の発展に伴い、盛んになっていく聖人崇拝など、相互補完的な関係などもちょっと面白いと思いました。

でもねぇ~、本書全体を通していえると思うんだけど、イマイチ文章がうまくない。用語が無意味に分かりづらいものを使っていて(たぶん著者は自分にとって分かり易いことしか考えないみたい?)、私のような普通の人が読んでもあれれっ、何小難しいこと言ってんの?と思ってしまうことがたびたびあった。もっと分かり易く説明できるのに・・・失礼ながら、いかにも頭の柔軟性を欠いた学者さんが一般向けに書いた本という感じがする。この人の講義は受けたくないなあ~、つまらなそうな感じ。

どうせだったら、分かる人だけ分かればいいよ、的なスタンスでもっと突っ込んでしっかりしたものを書いてくれれば、それはそれで私はすっごく評価するんだけど・・・。大変だけど、内容されあれば頑張って読むんだけどね。これは中途半端な本だし、素材がいいものなのに料理の腕がいまひとつかも。

お薦めはしないけど、扱ってるテーマが珍しいから目を通すくらいはしてもいいかな。でも、なんか消化不良な感じです。著者の情熱を感じる本が読みたいなあ~。
【目次】
序章 シドッチの風景
第1章 祝祭としての教会―笑いの図像学
第2章 救いとしての教会―聖母信仰の社会史
第3章 歴史としての教会―伝承の背景
第4章 教会の力学―ペストを巡って
終章 民衆文化とキリスト教の位相

異貌の中世―ヨーロッパの聖と俗(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「ペスト大流行」村上 陽一郎 岩波書店
「中世の女たち」アイリーン・パウア 新思索社
「カンタベリー物語」チョーサー 角川書店
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
モンタイユー 1294~1324〈上〉エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社

中世に関する本、まだまだたくさん読んでるなあ~。ここに書き切れないけど、我ながらちょっと驚いたかも?
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2006年03月08日

「風俗の歴史 6」フックス 光文社

ご存知フックスの風俗の歴史。何度もこのタイトルがずらずら~っと並んでいるのを見たことあるけど、実は読んだことなかったりする。本屋で何度も手に取ったもののいまいち面白そうに思えず、買うまでにいたらなかった。

先日、古書店で全集をバラにして売っていたので面白そうなのだけ、数冊選んで購入してみたもの。6巻は副題に「18世紀の女」とあり、娼婦や遊郭に関する章がある。

そうだねぇ~、まずは想像以上に読み易い本でした。18世紀における貴族から庶民に至るまでの、生活の中における性風俗を紹介してくれます。貴族にとって自分の妻や娘を領主に差し出すことがいかに自慢になる名誉であり、金銭的な利益や役職によって報われる投資であったかなどを説明してくれます。

また、生きるだけで精一杯であった庶民がかりそめの憂さ晴らしに野獣の本能の赴くままに性欲の発散を行い、お祭りなどの祝日には処女があらかたいなくなった。などという記述も少しは関心を惹くものの、いかんせん、小市民的な枠を出ず、どうもイマイチ。

個人的には古代ローマ帝国のような奴隷制に支えられた爛熟且つ退廃した性風俗の方が興味深かったりする。どうにも本書の視点は、薄っぺらい感じがしてならない。庶民の乱れた(というよりも止むを得ない点も多々ある、混沌とした)風俗は、目新しいものでもなく、以前読んだ紀田順一郎氏の「東京の下層社会」においても夏に戸を開けて寝ていると、誰だか分からない者が侵入してくるので妊娠しても父親が分からない、などといった記述があったのと実質的に差がない。

現在を中心に考えると、特別なものに思えるが歴史的にみるとなんでもなく、それ以上の深い考察もないので、どうも私などには「だからなに?」としか思えなかったりする。本書で描かれる風俗は、今でも幾つかの外国に行けば、普通に見られる光景であり、むしろ裏観光案内的な俗っぽいアングラ情報誌の方が、庶民的な風俗資料としてははなはだ興味深いと思う。

そんなわけで、私が発禁になった雑誌などを大切に保管(?)しているのも貴重な資料というわけなのである…誰に対するいい訳なのだろうか???

まあ、そういった方面の禁書図書館も面白いのだが、このブログからは路線がそれてしまうのでここでは触れないでおこう。変なサイトからのTBばかり増えるのも困るしね(苦笑)。そのうちに「叡智の禁書図書館 別館」とかいった名称で別ブログを作ってみたいかも。

と、いつものように話がそれているが、本書は図書館で読めば十分。図版が多いのが救いだが、それほどいい絵でもない。かさばるのが何よりも怖い私には、全巻購入しなくて良かったと胸をなでおろしている。

風俗の歴史 6―完訳(amazonリンク)

東京の下層社会(amazonリンク)
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2006年03月06日

「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社

先日「ハーメルンの笛吹き男」を読んでえらく面白かったので同じ阿部氏の本を手に取ったみた。さすがにハーメルンほど最高に面白い!とは言えないが、これはこれで十分に読み応えがあり、満足できる本でした。そもそも朝日新聞の夕刊に連載してたそうですが、こんな面白いの載ってたんですね。知らなかったなあ~。

中世の都市とそこに生きる職人、貧困層といった人々の生活を実に分かり易く紹介してくれています。彼らの生活と職業別の組合(ツンフト)との関係など、普通の本ではあまり知ることの出来ない知識も豊富でなんていうか今につながるヨーロッパの人々の生活の根本を実感できるかも?

ヨーロッパにおける都市の成立がいかにして起ったか、また名称だけはよく聞くもののあまり意味を分かっていなかった”アジール”(聖なる領域)の用語の意味がようやく理解できました。ある種の社会的な避難所であり、通常の秩序から隔離された聖域が都市であったようです。

それとそれと、何よりも私的に勉強になったのは都市に大聖堂が作られるようになった社会的背景ですね。ゴシック大聖堂の中に、森や自然から疎外された根無し草の民衆が人工的な自然を求めたからとか、従来の農村的な社会秩序や結び付きから切り離された人々がマリア信仰の名の下に新たに都市的結び付きを求めたからとか、幾つかの理由は他の本で読んで知ってはいました。しかし、本書の中で11世紀以後の商業革命の結果、都市に貨幣経済が浸透し、種々の寄進が貨幣という形態をとって富を集積し、移動することができるようになったからという視点は、非常に新鮮に感じました。

また、貨幣の所有量に基づく社会的地位の評価は、従来の社会的な役割や結び付きによる序列を切り崩し、下の者に贈与することで上位者の威厳を示す代わりに、教会へ寄進し、大聖堂を建てたりすることで神への貢献度の裏返しとして、現世における社会的地位の高さを示すというのは、なるほどなあ~と肯けます。

社会における大きな変革期にあたり、富の蓄積とそれに基づく社会階級の変動が生じている都市、農業革命により増大した人口の都市への流入。高度な建築技術を有する専門職としての石工の存在や現場の力仕事を担う未熟練労働者(都市に流入した人々)。それらの各種要因の相互作用により、まさにあのシャルトル大聖堂のようなゴシック建築が可能になるわけです。この本にも何度かシャルトル大聖堂の例が挙げられていました。

中世という時代は私が大好きでバラバラに調べたりしていたもの―――ゴシック建築や聖遺物崇拝、都市の成立、職人組合の成立、贖宥状―――が一つに融合していることを改めて気付かせてくれた本でした。

是非、中世という時代に関心を持つ方には読んで欲しいと思いました。ゴシック建築やステンドグラス好きなら、やっぱりそれが生まれてくる背景知らないとね! ただ、綺麗だあ~っていうのも勿論いいんですが(私も最初それだったから)、知れば知るほど本当に楽しくなってきてしまいますね♪ 聖遺物崇拝(聖人崇拝も同じ)熱が高まり、あちこちに巡礼者が生まれてくるのもまさにこの社会的背景があったからこそであり、根本的な根っこの部分には、共通するものがあることが分かります。「黄金伝説(聖人伝)」もその文脈でみると、また理解の際に深みが出てくると思います。

こういったことを世界史とっても教えないからなあ~。昔のことだけど、大学入試で事件や戦争の起った年号を聞く馬鹿げた問題を出す大学は、受けなかったことを思い出しました。あんなもん資料を調べればいいし、西暦で聞いても意味無いって。世界にはイスラム歴もあるし、日本は和暦だろって元号を聞きなさいよ(それもどうかと思うが?)。

基本的に論文とかだと面白いんだよね。世界史や日本史の場合、本書のように歴史的な意義や流れさえ分かっていれば、文章なんてその場で適当に書けるから、暗記なんてしなくてもいいしね。ふとそんなことを思い出しました。

そうそう、試験問題で感動したものがあったな。司法試験の一次試験なんだけど、大学を卒業すれば免除されるやつ。これの問題が素晴らしかった。
「水の物理的性質、化学的性質、生物学的性質について述べよ」
「法の支配と法治主義について述べよ」
こんな感じだったかな?それぞれ3時間ぐらいづつの持ち時間で計6時間でひたすら論述するんだ(昔のことで時間とかはあやしいけど)。

いやあ、何を書いても良さそうだけど、逆にその人の思考能力を問われるいい問題だと思う。これらは知識というよりも物事の本質をしっかり掴んでいるか否かを問う姿勢が出ていて、感動した覚えがあるなあ~。

とまあ、ずいぶん話が脱線していますが、物事の本質を学べるいい本だと思います。ヨーロッパに遊びに行く前には、こういうのも知っているといいかも?

中世の窓から(amazonリンク)

関連ブログ
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
「ゴシックとは何か」酒井健 著 講談社現代新書
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
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2006年03月04日

「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫

この本を読まずして第二次世界大戦がどうだった、こうだったという人の言う事は、あまりあてにならない。普通の人が言うならばまだしも、そういったことに関心があり、それなりのことを主張するならば、絶対に目を通しておかなかればならない必須の参考文献でしょう。

実はこの本を読むのはもう2回目、3回目かな?最初に読んだ時には、私もあまりにもモノを知らない頃だったので本当に目からウロコとでも言うべき衝撃を受けた本です。ただ、さすがに今回は、淡々と読めてしまった。最初に読んだ時に受けた強烈な感動は一切無かった。

それであっても本書は、日本が経験した第二次世界大戦を当時の指導者層がいかに考え、何故にあのような行動を採ったのか?それらを知る貴重な資料である。まして著者は、あの満州事変の立案・実行者なのであるから…。彼がいたからこその満州国成立であったのだから。

時代により人の評価は豹変する。歴史それ自体が、常に同時代や未来からの批判にさらされているのであり、一定した評価を永続したことなどない。まして本人の意図は別にして、結果として日本が泥沼の長期総力戦にはまり、敗戦国日本につながった直接原因の一つであることは明白な事実である。アジア諸国に不幸と禍根を残し、今現在においても民族的誇りや自信を失った日本人、その姿を作り出した責任を負わないではいられないだろう。

しかし、今の私達が何にも知らずに無批判で当時の戦争を起こした指導者層、中でも軍部を貶める事は果たして正しいことなのだろうか? 適当でその場限りのマス・メディアからの常識論などで戦争反対を叫ぶ輩は、世間の風潮が変わると真っ先に宣戦布告を叫ぶ輩である。周囲に迎合せず、常に自分で調べて価値判断を下せる人がどれだけ今の世の中にいるのだろうか?戦争反対を叫ぶ人にこそ、まず読むべき本であり、また、現代の日本で中国脅威論から、軍備を増強すべしという人ももう一度立ち止まって、何の為に軍備を増やすのか、その先にあるものは何なのかをしっかりと見極める必要を痛感させる本だと思う。

第二次大戦における空軍の重要性をいち早く見抜いた先見性と世界におけるミリタリーバランスの最終均衡点を見越したうえで日本が何をすべきかを確定させていく戦略性、それを完遂させる強靭な意思力。これこそまさに真の作戦参謀であろう。(私が会社で経営企画をやっていた時は、意思力が欠けていて経営戦略を完遂できなかった記憶が多々ある。特に石原氏の意思力、これに私は称賛の声をあげたい)

彼が戦史研究から進んで、戦争の最終形態やその軍事的均衡についての予測を打ち出し、その瞬間において日本が真に世界平和の役に立つと信じている点がまず何よりも思想の根幹にある。その為の軍備であり、その為の満州国であり、王道楽土や五族協和なのである。石原氏が当初から中国や満州国での現地の人々との間にいかに信頼関係を気付くか、心配していたのは当然のことである。人々から支持されない大東亜共栄圏など意味がなく、あくまでも欧米の力による支配「覇道」に対して徳による支配「王道」こそが日本の採るべき道である。それがまさに彼の思想なのである。

しかし歴史は冷笑家だ。彼があってはならないこととして恐れていた日本人の傲慢さ、尊大さがアジア諸国民から離反を招き、ひいては日本による「覇道」が行われてしまうのである。なんとも残酷な皮肉であろう。まるでイラクにおける多国籍軍(捕虜を虐待し、コーランを侮辱するアメリカ軍の姿が奇妙にだぶってしまう…)のようだ。

石原氏のこの戦争論は、軍事専門家としての識見とともに、彼が熱烈に信奉した法華経の価値観が不思議なことに渾然一体として成立しているが、そこに見出される判断の確かさや結論に至るまでの論理性は十分に注目に値する。論より証拠、本を読めば彼の非凡さが首肯されるだろう。

勿論、未来の事を予測している以上、今からみると明らかに異なっていたりするものもある。ただ、どんなに論理的思考を進め、合理的な判断を下しても蓋然性に左右される未来を100%予測することはそもそもありえない以上、予測を誤った点を考慮してもやはり天才だろう。

戦後、東京裁判で国際法上、戦勝国が敗戦国を裁く法的根拠の有無を問い、この裁判の法的無効性を明確にした逸話など枚挙に暇がない。もっとも彼がいたからこそという逆説的な面もあり、一概に言えない。少なくとも、石原氏本人は素晴らしい軍人であり、誇って良い日本人だと考える。それであっても、彼がした行動が正しかったとは言えない。同時に、その行動の背景を知らぬ者の批評など、戯言以外の何物でもない。

自分で判断し、自分で物事を考える人が、第二次大戦を採り上げる時に是非、読むべき本であると思う。つまらない歴史の教科書を一冊読むくらいなら、この本を読むだけで、はるかに重要な事に気付くことは間違いない。

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関連リンク
石原莞爾 Wikipedia
石原莞爾 大湊書房
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2006年02月12日

「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房

fuefuki.jpgハーメルンの笛吹き男―――この伝説を知らない人はいないのではないでしょうか?鼠を退治した笛吹き男に、約束した報酬を支払わなかった為に子供達が連れさられてしまう神隠しのようなお話ですが、私は漠然とグリム童話かその類いと思っていました。青髭伝説みたいにその由来にはきちんとした歴史的事実があるとは思っていなかったので、よくあるようなおとぎ話にまさかこれほどまでの学問的な関心が寄せられ、多数の論文が書かれ、しかも種々の仮説があってこれがまた面白い!!

マルクト教会のガラス絵の模写による最古の「ハーメルンの笛吹き男」

当時のハーメルシ市の置かれた歴史的・経済的・地理的状況を丹念に分析し、耕地が増えないのに人口増の圧力から東方への植民が多数あったこと。130人もの子供がいきなり消えたというのは、この東方植民ではないかとの説(発展系は植民途上での遭難説もあり)も書かれています。もっとも断片的に残る史的資料から著者はそれを否定し、また、他の多数の説(子供十字軍や戦士としての徴用等々)も紹介しながら、それらに対しても断定はしないながらもあくまでも残された文書資料や当時の社会的歴史的環境における庶民・市当局(富裕な市民層)・教会・周辺諸侯等の置かれた地位を考慮しながら多角的に、それらの説の可能性を論じていく姿勢が実にイイ! 各種の資料の説明自体が楽しいし、そこから作り上げられていく論理の過程も楽しめるのでヘンなミステリーよりもよっぽど魅力的な推理ものになっています。やっぱ、学問はこういうものでないとネ。

遍歴芸人

そもそも庶民の間に口伝で伝わっていた笛吹き男が130人の子供を連れ去る話が、時代を経るに従って市当局がそれをわざわざラテン語の銘文になったのも理由があるそうです。当時の市がカトリック支配から脱し、宗教改革を経て新しい宗教や世俗権力の権威確立の手段として、この笛吹き男の伝説を利用する為にわざわざ伝承されてきたものに改変を加えて、上からの枠組みをはめるべく銘文化に至ったのではないかと解説されています。いやあ~なんか分かりますね。明治政府が勤勉な国民を育成すべく黙々と働き、出世しても幕府の下級小役人になったに過ぎない二宮尊徳を教科書に載せて銅像を学校に建てていたのと同じ論理です。お上のやることは、国や時代を超えても変わりません(ニヤリ)。

最初は、怪しくはあっても普通の人に過ぎなかった笛吹き男もキリスト教の教訓話になるに至っては、いつしか悪魔として位置づけられ、堕落した生活を送る人々へ神に仕打ちとして捉えられるようにもなります。

天幕の前で踊る乞食たち(ブリューゲル)

さらに、鼠捕りの話は元来全く別物であったようですが、笛吹き男や鼠捕りという職業が、土地を持たずに放浪するという中世における秩序から逸脱した存在であり、区別されなかった所からいつしか混同され、話が混ざっていってようです。と、同時に歴史的状況が代わり、うち続く天災に宗教改革による社会的混乱、戦争、物価騰貴の他、貧困層の更なる困窮が庶民の市当局へ対する批判が高まってきます。

怒って子供を悪魔に引き渡す両親(デューラー)

そんな中で、市当局が鼠捕りの代金をきちんと金を払わなかったので子供が連れ去られた、即ち市当局に対する市民の鬱憤がこの伝説に取り込まれていったんだそうです。その辺りの説明が各種資料と相俟って実に理路整然と展開されていてふむふむと唸ってしまうことうけあいです。もっとも市当局が代金を値切ったり、約束通り全額払わなかったのにも当時故の理由があったと説明までしてくれています。社会が中世的な世襲の固定的な社会から、資産による実力主義的な社会への移行期であり、鼠を捕るという仕事に対して払われるべきはその労働量に比例した代金であるべきなのに、笛をふいただけなら、作業量自体が少ないのだから、支払う代金も(結果に応じたものではなく)それに応じたもので十分だろうというのが、当時の社会的な価値観だったからというのです。えっ、ここまで合理的なのと驚きません? まさに時代が変わりつつあった社会なんですね。う~ん。

こういった感じで、非常に多角的且つ論理的に、可能な限り一次的資料をベースにしながら仮説や論理が組み立てられていくので久々に大満足の一冊です。歴史関係や文化人類学的なものがお好きな方だったら、まず外れではないでしょう(自信有り)。

巻末には参照文献もあります。でも、ドイツ語が圧倒的に多く、私には読めません(涙)。これらの資料も読んだら面白そうですよ~。図版が多いのも嬉しいです。

最も古いタイプの一次資料で1430~50年頃のものだそうです。
【以下、引用】
まったく不思議な奇跡を伝えよう。それはミンデン司教区内のハーメルン市で主の年1284年の、まさに「ヨハネトパウロの日」に起こった出来事である。30歳くらいとみられる若い男が橋を渡り、ヴェーゼルフォルテから町に入って来た。この男は極めて上等な服を着、美しかったので皆感嘆したものである。

男は奇妙な形の銀の笛をもっていて町中に吹き鳴らした。するとその笛の音を聞いた子供達はその数およそ130人はすべて男に従って、東門を通ってカルワリオあるいは処刑場のあたりまで行き、そこで姿を消してしまった。子供らがどこへ行ったのか、一人でも残っているのか誰も知るすべがなかった。子供らの親達は町から町へと走って(子供達を捜し求めたが)何も見つからなかった。

そしてひとつの声がラマで聞こえ(マタイ伝2―18)、母親達は皆息子を思って泣いた。主の年から一年、二年、またある記念ののちの一年、二年という風に年月が数えられる、ハーメルンでは子供達が失踪した時から一年、二年というように年月を数えている。私はこのことを一冊の古い書物でみた。院長ヨハンネス・デ・リューデ氏の母は子供達が出ていくのを目撃した。
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関連サイト
Wikipediaのハーメルンの笛吹き男
ラベル:中世 書評 歴史
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2006年01月30日

「黒田如水」吉川 英治 講談社

kuroda.jpg元々歴史物も好きで、結構いろいろと思い付くままに読んではいるのだが、たまたま目に止まって購入したもの。秀吉の参謀として、前半は竹中半兵衛で後半はこの黒田官兵衛が陰にひなたに支えたことは有名ですが、参謀役って目立つものではないし、直接の話としてはほとんど知らなかったので新鮮でした。

久しぶりにこういう読み物を読むといいね。いつ死ぬとも知れぬ人生故に、常に緊迫感と共に必至に生きていくという切実な真剣さ、一途さが結構グッときたりします。人は本当に追い込まれてみないと、分からないもんだと思うんですよね。自分の命も惜しいし、家族や身内の者達も守りたい。と同時に、成功して名を成したいという様々な欲求や生存本能に駆られつつも、人がとる行動はあまりにも違い過ぎる。

動機は一緒であったとしても、主君や同士を裏切って一族の生存を願った行動の結果、かえって裏切り者として一族郎党までもが全滅するかと思えば、その裏切りによって出世への糸口をつかむ者もいる。一瞬の判断で、天国にも地獄に変転する不確定性の世界。

誰もが己の信ずるところを貫き通したいと思いつつ、ほとんどのものがそれを為し遂げられずに消えていく戦国時代。その時代においてちっぽけな自分であることを受け入れつつも一個人にとらわれない広い視野から、人生を行き抜く姿には共感とともに憧れを禁じ得ない。

あくまでも主人に忠誠を尽くしつつ、最善の努力をしてもうまくいかない時も多々あるわけでそれでも腐らず、自棄にもならず、世のせい・人のせいにすることもなく、ただ淡々と受け入れていく。あるがままでの自然体でありながらも、なすべきところを為していく。安っぽい人生相談や占い、流行のスピリチュアルなんとかよりもはるかに学ぶところも多いし、人生を生きていくうえでも参考になるように思う。

経営者が歴史物を好きな理由に、そこに描かれる人間性や人間関係が実は普遍のものであり、人の心を知り、部下を使い、組織を動かし、目標を達成すべく決断をしていく。その姿は、まさに歴史による教科書だったりする。人を使って何事かをした経験のある人ならば、すぐにピンとくることが随所にあふれています。

物語としても面白いし、ちょっとした息抜きに読んでもいい本でした。但し、本書では如水の全生涯を扱っているわけではありません。晩年、秀吉による天下統一後、戦時においては貴重な智謀・策略も平時においては、むしろ危険な存在となりかねず、やがて秀吉から敬して遠ざけられていくような場面までは扱っていません。個人的にはその辺りの経緯も興味あるんですけどね。ベンチャーの創業時において型破りの社員が業績を伸ばし、役員になっても企業規模が大きくなるにつれ、社内秩序を乱し、むしろ組織的にはマイナス要因になってしまう、いかにもよくある話だったりします。身近にも見てきたしね…。

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2006年01月28日

「十字軍」橋口 倫介  教育社

この著者ってよっぽど十字軍が好きなんですね。書く本、書く本全て十字軍絡みとは。だったら、もう一声、普通とは違った深みのある内容だと言うこと無しなんですが…。

あっ、決してつまらない訳では無いです。想像していた以上に、ずっと面白い。だって十字軍の本だと思って買ったら、実は最初から最後までひたすらテンプル騎士団の話だったりする。タイトルと全然違う!って苦情の一つも言いたくなりそうだけど、聖地エルサレムへの巡礼者を守るという意図で始まった騎士兼修道士という存在であるテンプル騎士団を通じて、十字軍を描いている…つ~か、やっぱりテンプル騎士団のことばかり。

普通は十字軍というと、それを生み出す中世的社会背景、宗教権威の確立、民衆の宗教熱や諸侯の世俗的な物質欲、商人達の富への欲求等々から、説明していくものですが、それらの説明は本書ではむしろ補足的であり、いかにしてテンプル騎士団が世俗の王侯・諸侯から支持され、寄進を集めてあれだけの巨大な勢力に成り得たのか? そういった側面から、採り上げている視点が楽しかったりする。基本線は、歴史的に知られている事実を中心に妥当な線から説明しているので、一個人の思い込みによる論理の飛躍はあまりなく、そういう意味では安心して読んで知識が得られるかもしれない。

テンプル騎士団がエルサレム王国において果たした役割や、最後にこの偉大な聖地を最後まで死守しようとするのが本来の使命(であり、設立意図)なのに何故か、その地に貯えられた資産を持って争うこともないままに放棄していったのか? その辺りの状況の記述も詳しく、後世にまで異端の嫌疑をかけられるほど、不信感を持たれた遠因が見え隠れするのも面白い。

血気盛んで猪突猛進の一方で、目的達成の為なら陰謀や奸計もいとわず、イスラム教徒とも平気で同盟を結び、現実感覚に秀でたテンプル騎士団が、その時代をいかに生きてきたかが生々しくて堪らないかも。場合によっては、平気で嘘をついて降伏した者を虐殺さえ厭わないくせいに金融に関してだけは絶対に約束を守り、嘘をつかないと広く信じられていたというエピソードも凄いと思った。まさに、国際金融事業に長けていたのも道理ですね!! 現代の金融機関や制度をみてもまさに信用経済で成り立っていますが、あの当時でさえ何よりも信頼を大事にして、利子や手数料で莫大な儲けを得ていたとは…。

十字軍がその第一回目から、食い詰めて先の見えない流浪の農民や、領土獲得を目指す中小諸侯らの経済的欲求と贖宥状を求める宗教心の複雑なカクテルによって生まれており、これまで言われているような最初は宗教心で始まったものが、後に商人に牛耳られて経済目的に変わったというわけではないんだそうです。ほお~って思いましたね。人を動かすのは常に何らかの欲求であり、金と名誉と精神的安定の全てが十字軍にはあったわけですね。いろんな見方があるんだなあ~とすっごく思いました。

そうそう、ダ・ヴィンチ・コードなんかでも触れられていましたが、テンプル騎士団がマホメット(バフォメット)の像を大切に祭っていたとかいう異端の嫌疑やキリストの十字架に唾を吐いたりといった瀆神的な行為をしていたとかいうもの関する説明も為になるかも? 当時、アラビア語を普通に話し、イスラム教を理解したうえで対等に且つ自由に交渉できた能力と精神的寛容さを併せ持ったテンプル騎士団が、イスラム教の影響を受けたというのは事実でしょうがそこからマホメット信仰まで直結するかは、難しいでしょう。

また、十字架へ唾吐きは、当時キリスト教徒がイスラム教徒に捕まって捕虜になっても身代金を払えば釈放されるのが普通であった時代、仮に捕まってもイスラム教徒を装うか信仰を捨てる振りをして、生き延びる為に練習していた行為という証言もあるそうです。どこまでが真実かは、それも闇の中ですが、なんか納得してしまいそうなお話ですね。

十字軍よりも、テンプル騎士団について知りたい人にはお薦めです。テンプル騎士団の設立までの経緯や当初の状況については、「テンプル騎士団」の方が詳しく採り上げていて、実際にエルサレム王国成立後に関しては、本書の方が詳しいです。両方読むと、一通りの基本事項は押さえられると思います。いい意味で補完しあうような関係ですのでお好きな方は、目を通しておくべきでしょう。

十字軍(amazonリンク)

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2006年01月26日

「魔女狩りの社会史」ノーマン・コーン 岩波書店

これはいわゆる魔女狩りのおどろおどろしい事例や特異な時代の生んだ集団狂気みたいなものを想像すると、あれれっと思うかもしれません。この手の本にありがちな単なる裁判例の紹介でもなく、また安易な歴史解説や社会現象の解説とも確実に一線を画す本だと思います。ある程度中身を読んだから購入しましたが、ここまで硬派だとは思いませんでした。

別に読み難いというわけではありません。淡々と魔女狩りという歴史的事象を社会学的に取り上げているのですが、それがなかなか通常とは一味も二味も違っていたりします。しばしば、『魔女狩り』という社会現象は、当時の社会情勢から民衆が慣れ親しんでいた異教崇拝や土着の信仰などをキリスト教的論理から、批判しつつ、力ずくで取り込んでいく過程で同時に宗教権力と王権との癒着作用などを背景にして極端な形で現われたもの、とか一見するといかにも合理的な説明が各種の学説などで展開され、それが広く一般に認知されていたりするが、著者はそれが間違っていると指摘します。

歴史学の基本であり、またどんな科学的な研究であっても同じですが、一次的な基本資料に立ち返ってそこから、各種の主張を批判的に検討すべきなのに、その分野の著名人が述べた学説だからといって誰も一次資料の確認を怠った結果、実際は魔女狩りや異端審問が行われていないのに、あたかもそれが事実であったかのように誰もが信じ、あまつさえ虚偽の資料として出版・公表されたものを元にして、更にその学説を発展させていくが如き学者が多数いることを著者は一つづつ、証拠となる資料を出しつつ、その誤りを丹念に指摘していく。

いやあ~まさに頭が下がる思いです。新聞やTVで報道されるとそれをすぐ真実と勘違いする人が多い今の時代には、反面教師かもしれません。個人的経験からでも、教科書でさえ誤っていたことがあったし(教科書出版社から礼状が来たもん)、政府の諮問委員をやられていて先生が年金が破綻することが分かっていながら、答申では嘘を言っていたことも知っているし、某公共放送が取材に際して、騙されてさくらの消費者から感想を集めて報道していたのも知ってますが、本当に調べもしないで信じるのは危険ですね!! 

ダ・ヴィンチ・コードの本は面白くて知らない事も多く、ある種の感動も覚えましたが、小説をそのまま信じる気にはなれなくて自分で調べてみようと始めたのがこのブログのきっかけでもあったので個人的にはいろいろと感慨深いです。ほんと。

感想が脱線していますが、著者はどんな権威もものともせず、ひたすら資料から妥当と思える結論を引き出し、それと矛盾するこれまでのいかなる説をも誤りと切って捨てていきます。いやあ~、私なんかもその捨てられた説を常識だと勝手に思っていたので、すごい新鮮です。いきなりこの本を読むより、ある程度、魔女狩りや異端審問に関する本を読んだうえで読むことをお薦めします。今までのイメージがきっと変わります。

他の本で主張される一見合理的な説明ほど、実はかえって怪しかったりするのも笑えてしまうくらいです。勿論、この本だって全てが正しいとは思いませんが、これまでの考えを一変させるだけの衝撃はありますので俗っぽい『魔女狩り』ではなく、真実の『魔女狩り』に関心を持つ真の理性のある方には、読んどいて損はないです。

テンプル騎士団が壊滅する話も出てきますが、かなりの部分は他の本で知っていた話ですが、それでもこういう理解もあるのかあ~と気付かされる点もあります。資料としては、本を集めるならこれは持っておくべきです。きっと。

でも、読み通すのは分量もあり、退屈なところもあって大変です。先週から1週間以上かかってるけど、読破できてません。同じ本ばかりだと辛くて、合間に他の本に浮気したりしてるせいもあるんですけどね(笑)。

そうそう、この本には同じ著者による「千年王国の追求」が対の存在としてあるそうです。本書がエリート(指導者層)の妄想であるのに対し、千年王国の方は社会的落ちこぼれ(根無し草な農民、知識人くずれ)の妄想がテーマなんだそうです。なんだか、そちらも読みたくなってきますね。でも、高いんだよねぇ~値段が。
(今、売っているのは83年に出たものの再刊だそうです。私のは古い83年のですね)

魔女狩りの社会史―ヨーロッパの内なる悪霊(amazonリンク)

関連ブログ
「黒魔術の手帖」澁澤 龍彦 河出書房新社
「悪魔学大全」酒井潔 桃源社
「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社
「異端審問」 講談社現代新書
薔薇の名前(映画)
「異端カタリ派」フェルナン・ニール 白水社
「悪魔の話」 講談社現代新書
「魔女と聖女」池上 俊一 講談社
「迷宮魔術団1」巻来功士 集英社
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2006年01月16日

「アラビアの医術」前嶋 信次 中央公論社

中世ヨーロッパでもっとも進んだ医学は、ギリシア語の古典をアラビア語に翻訳し、更にそれを当時の修道僧がラテン語に翻訳したものであることを薔薇の名前で知り、その後もずっと気にはかかっていたのですが、たまたま目に止まって購入した一冊です。

岩波文庫のアラビアン・ナイト全13巻を読破した(ちょっと自慢♪)私としては、正直予想していた範囲内でしたが、サラっと読めて悪くはなかったです。ちょっとした時に軽く目を通すにはいいかなあ~。

当時の治療法が現代においても通用する高度な医療知識によって支えられていたのは面白かったです。番外編ではないですが、恋わずらいは、脈をとって意中の人とおぼしき女性の名前を他の女性の名前と混ぜて、呼んだりすると脈が早まり、すぐにその相手が分かるとかは今の嘘発見器みたいですね。それ以外にも長寿を保つ健康法に、食事を粗食にして夜の生活を控えることというのは、現代でも良く言われてますもんね! 私は贅沢三昧に快楽三昧で寿命は短くてもいいけど(笑)。

そうそう、ありがちですがちょっと興味深い話がありました。イランの地理学者アブー・ヤフヤー・ザカリーヤー・カズウィニーの本「諸国の名所と人間の物語」よりその部分だけ引用。
珍しいものの一つに『ピーシュ』がある。これはインドにしか産しない植物で。致死の毒物であり、これを食べたものはたちまちに死んでしまう。ただし、ピーシュ鼠という動物だけは、その下で生まれ、この植物を食べているがなんの害も受けない。聞くところによると、インドの王たちはなにびとかを裏切ろうと思ったときは、生まれたばかりの女の子を探し、その揺り籠の下に、ある期間だけこの毒草をまいておく。それからまたある期間、その子の蒲団の下に毒草を敷いておく。さらにまたある期間、その子の衣服の中に毒草を入れておく。次に乳の中にまぜて、その子に飲ますのである。こうしているうちにその子は成長し、かの毒草食べるようになるが、もはや何の害も受けはしない。そうなったとき、この娘に贈り物を付けて裏切ろうと思っている相手の王のもとに送り届ける。相手がその娘と共に眠ったら最後、すぐに死んでしまう。

これに類する話は、あちこちの本で読んだことがあり、先日読んだ聖骸布血盟にも出てきたが(まあネタバレでもないのでここで触れてもいいでしょう)、古来より頻繁に使われてきた手ではあるもののそれ故に効果が大きいのでしょう。かの英雄アレキサンダー大王が若くして急死した理由に、このいと美しき贈り物が原因であったと噂されるのは故無きことではなさそうです。

絶世の美女となるべきあどけなき幼児に毒と慣れさせ、毒への耐性を持たせたうえで音曲や舞踊や教養を身に付けさせ、生娘のまま貢物とする。男である以上、これに溺れぬ者などいないでしょう…英雄が色を好むかどうかはさておいても。なんとも恐ろしい贈り物でしょう。まあ、私はただでくれるものは何でも頂きますけどね(笑)。18日は誕生日ですし、誰か誕生日プレゼントくれないのだろうか? こういう恐ろしいものではなくても…。

とまあ、冗談はさておき、この毒物『ピーシュ』というのは実はとりかぶとのことだそうです。最近の日本ではカレーに入れるのが流行りみたいですが、ちょっと芸がないような?軽く読むには、悪くない本でした。

アラビアの医術(amazonリンク)
私が読んだのは中公文庫なのですが、見つからずに代わりに平凡社で出ているみたいです。
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2006年01月14日

「ローマ・愛の技法」マイケル グラント,マリア・テレサ メレッラ 書籍情報社

これもamazonに書いたレビューより転載。

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古代ローマ遺跡から発掘されたエロティック・アートで図解入れつつ、この本の主題は、愛は相手を「愛しい」と思う気持ちよりも、それを表現する方法がなければ、意味がないことを立証することなのか?(笑)

古代ローマの大詩人オウィディスの著書から、引用しつつもその内容が今現在の若者の雑誌に出てくるSEXハウツーものと殆ど変わらず、そのまま使えそうなのが非常に面白い。時代にかかわらず、男女の恋愛間には打算と演技の重要性を認識せずにはいられなくなる。

それが故に、逆に真実をするどく突いている事は疑いがない。妻帯者以上に、無聊をかこつ独身者には欠かせない一冊(!)。もっともこの書に基づいた結果は一勝一敗であるので個人的に効果は保証しかねるが・・・。 ローマ文学や芸術を愛するなら、こういった方面も含めて真のローマ文化を理解するのに役立てるのも粋ではないだろうか??? 

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う~ん、一勝一敗とは覚えがないんだけど…???(苦笑) 一笑一杯(笑って酒を一杯飲む)の間違いだろうか…と逃げておこう。でも、この本は古来の恋愛のハウツー本として非常に有名であちこちに引用されているのも事実。とりあえず、押さえておくと他の本を読む時にもああ、あれね!と知ったかぶりができるかもしれません。教養のある人に見られたいエセ教養人には向いているかも(皮肉か~い? 笑)

でも、誠実さだけで愛を勝ち取れると誤解している現代のAボーイ(秋葉ボーイ)達には、こういう本を読ませた方が良かったりして。電車男は、どちらかというと消極的な棚ボタを待っているような気もするしなあ~。誠意や好意は行為で示さなければいけないというのは、時代を問わず、普遍の真理であることが分かりました。さてさて、成果はいかに?

ローマ・愛の技法(amazonリンク)
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2006年01月10日

「ローマと長安」若山 滋  講談社

まず著者は、世界都市としての条件として
 1)国家を超える力
 2)文化的な中心性
 3)異民族異文化の許容力
 4)普遍的な価値観
以上の4つを定義し、それに当てはまる都市としてローマ、長安、パリ、ニューヨークは少なくてもその条件を満たしているとする。本書では、その世界都市のプロトタイプとして特にローマと長安に着目して、比較しながら都市文明について論じている。

とまあ、前置きはそんなところでしょうか。狭い範囲で高層化して建築に住むローマに対して、広い範囲で平屋や低層階建築に住む長安。貴族・平民・奴隷といった階級社会の中で議論によって物事を決していく社会に対し、皇帝以外は、すべて同じで科挙さえ通れば、誰でも出世できる平等社会の中で文章によって物事を決めていく社会。そういった感じでいろいろな面から比較をしており、その内容自体は素直に首肯できるものでつまらなくはないが、いかんせん議論が表面的。言い変えると、全部既知の事柄を並べ替えているレベルであり、そこになんらの独創性や斬新さはない。知識のおさらいと整理にはいいかも?

読んでいてそれなりに暇つぶしにはなるが、二度読む必要はなく、流し読み以上の価値はないと思う。文化論としてもありがちな東西比較であり、建築的にはさらになんらの価値も無い。せいぜいがエッセイと言えるかどうか? そういったレベルの本でした。もっとしっかりした本が読みたいです。でも、そういうのって読むの疲れるし、本が高いからなあ~。と言いつつ、今日も古書店で本を買い、昨日もamazonで買ってしまった。どうして・・・???

ローマと長安―古代世界帝国の都(amazonリンク)
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2006年01月09日

「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社

keruto.jpgこれは私がいままで読んだ本の中で一番バランス良く、且つ網羅的に書かれたケルトの本でした。もっとも私の場合は、ケルト自体をメインにした本ってあまり読んだことがなく、他の本を読んでいてその解説の過程でケルト神話にも触れられているという場合がほとんどだったという理由もあるんですけどね。とにかくこの本を読んで表面的であるにせよ、ケルトの事(ケルトの魅力)が少し分かったような気がします。漠然と妖精とか聖杯、アーサー王、ドルイド教などに関心がある方、まずはこの本を読む事をお薦めします。ケルト十字やケルズの書、ブランの航海とかの名称にピンと来た方にも読んでおいて無駄にならない本です。

ケルト独特のケルト十字やケルズの書にみられるケルト独自の装飾紋様などは、それだけでも一見に値しますし、図説というだけあって写真も多いうえに、紙面数からすると簡潔ながらも分かり易い説明も僕は好きでした。だってこの本見てたら、今まではアイルランドとか全くと言っていいほど興味無かったのに、実際に行ってこの目で見たくなってしまいました。ケルズの書も話には何度も聞いていたけど、こういうものなんだって写真を見ているうちにトリニティカレッジ(ダブリン大学の図書館蔵)行くべし!と安易に思ってしまっている自分がいたりする(単純過ぎだって!)。行けばすぐ見られるのか分からないけど・・・?

ケルズの書

この本の中でも紹介されてますが、ケルトの影響を受けているものとしてアーサー王の話(アヴァロン島)やカエサルの書いたガリア戦記など、その手の本は既に何冊か読んでいて断片的なケルトの予備知識はあったんですが、この本を読んで初めてそのジグゾーパズルの断片が有機的に結びついてきたような気がします。以前、他の本を読んでへえ~って思っていたケルトにおける3人1組の女神がキリスト教の三位一体と意図的に混交して次第に、すり代わっていく話などケルトのことを知っている人にはすぐに思い付く当たり前の話であることも納得できました。と、同時にちょっと前から私がはまっているシャルトルにあった地下の泉と黒い聖母がケルト以来の異教の女神(ドルイド教由来)というのも、なるほど~っと思いっきり頷いてしまうくらい違和感無く受け入れられてしまいます。逆に自分がいかにケルト文化を知らないできたのかを痛感させられてしまいます。そういうことを知らないと、ロマネスク建築やゴシック建築の教会のガーゴイルに彫られた怪しい怪物や悪魔の姿の意味が理解できないということを再認識しました。

ケルズの書 

前から漠然と読まなければいけないなあ~と思っていた「聖ブレンダンの航海」。この本を読んでいて必読の書だと感じました。
~以下、引用~
物語は修道院の院長を勤めていた聖ブレンダンのもとに一人の修道士が訪ねてきて西の海中にある聖人の「約束の地」に行くように勧める。聖ブレンダンと選ばれた修道僧たちは船を作って漕ぎ出す。彼らの航海は風任せ幾度と無く、漂流も体験するが、その途中で不思議な光景を目にする。島だと思っていたが実は巨大な魚だった「ヤコニウス」、人の霊魂が白い鳥の姿で集まっている「鳥の楽園」、怪物達、グリフォンなどの怪鳥たち、巨大な果物でおおわれた「ブドウの島」、地獄の淵にある「鍛治の島」、悪魔のいる「炎の山」などの遍歴ののち、一行はとうとう「約束の地」に到着する。しばらくはそこに滞在してから無事にアイルランドの修道院に戻り、この不思議な船旅の体験を語ったという。
 
うわあ~こんな粗筋読んだら読まずにいられません。思いっきりケルトの要素満載だし、アーサー王のアヴァロンにつながるケルト的な異界(海上や地下)への憧れがそのまま重なりますね。こういうのを知ってないと楽しく中世美術や建築を楽しめませんね。う~ん、知れば知るほど興味が深まり、情報や歴史を知りたいという欲求が高まって困ります(笑)。

ケルト十字

こういったもの以外にも文字を持たず、自らの記録を残さなかったケルト人達についてローマ人やキリスト教神父らの残した彼らの目から見たケルト人の習俗もなかなか面白いです。それらからの引用でちょっと気になったのがアイルランド王の即位式での馬に関する奇妙な風習について。
~以下、引用~
人々が一ヶ所に集まると白い馬が連れてこられる。即位する者…君主よりも獣、王よりも無法者…は皆の前で馬と獣のように性交する。それから馬は殺され、解体され煮られる。そして同じ汁でかの男の風呂が準備される。彼は風呂に入ると周りを取り巻いている人々とともに馬の肉を食べ、また風呂の肉汁を器も手も使わずに口をつけて飲む。このような邪悪だが慣習的な儀式が完了すると、彼の支配と王権は神聖化されるのである。
 
王の即位式に関して馬が殺され、性交の真似事が行われるのは古代インドの王即位儀式にも見られるそうです。ちょっとショッキングな話ですが、これを読んでて思い出したのがイマイチ期待外れであまり面白くなかった本、「河童駒引考」。河童が馬を川に引きずり込む話の原型・類型を世界中から探す過程で、世界中に存在した牛を神聖視する文化(これが後に馬の神聖化にとって代わられる)の話です。ここで出てくる馬の神聖化、それと性交や食することで同一化するというのは、まさに王権の神聖化と確立そのものの儀礼だなあ~と。あの本は読んでる時は面白くなかったけど、どこでどう結びついてくるか分かりませんね。神聖な馬の話を知らなければ、古代の猥俗な風習で終わってしまうところですが、背景を知っているとまた異なった解釈ができるんですから! 何でも知識は無駄になりませんね。ヨシ、これからも頑張って読書するぞ~!!(と威勢だけは良い私)

ケルト十字

話はだいぶ飛びましたが、ケルト初心者にはきっといい本だと思います。写真が多いし、飽きずに読み進められますしね。これをきっかけにして著者の鶴岡氏の本をいろいろ読んでみるといいかも? 今まで全然知らなかったのですが、この鶴岡氏本当にケルト関係の本ばかり書いてますね。どれも面白そうなのが多いのでおいおい何冊かは読んでいこうかと計画中です。いやあ~楽しみです♪

図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ(amazonリンク)


関連ブログ
「ケルト神話と中世騎士物語」田中 仁彦 中央公論社
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「アーサー王の死」トマス・マロリー 厨川文夫・圭子訳
「トリスタン・イズー物語」ベディエ 岩波書店
「河童駒引考」石田 英一郎 岩波書店
聖ブレンダンの航海譚 抜粋
ラベル:書評 ケルト 歴史
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2006年01月05日

「動物裁判」池上 俊一 講談社

doubutu.jpg善悪を判断する理性を有しない動物に対して、その行動をいかにして裁くのか? 現代の私達からすると奇異なことことうえないですね。もっとも魔女狩りで有名な無知蒙昧の輩による暗黒の中世だから、何でもありなのか?そういうふうにも安易に考えてしまいそうですが、実は中世もそれなりに合理的な精神が働いていた時代であったことが明らかになっている今、非常に興味あるテーマだと思いました。

まだ荒々しい豚が人を襲って、人を圧死させるだけではなく、人の顔などを食い散らかすとは正直この本を読むまでイメージできませんでした。まだまだ家畜も凶暴だったんですね!あな、おそろしや・・・。

著者はなかなかキャッチーなこのテーマを偶然に知り、法学的側面からよりも社会的・歴史的側面から、理性の無い動物をあえて人と同じ裁判にかけて判決を下していた時代特有の現象を説明しようとされています。このアイデアは、悪くないし、むしろとっても興味深いものの私が読んだ範囲では、内容的に失敗していると思いました。

端的に言うと、中世の西欧において自然を人間の支配領域に組み入れようとする馴致・訓化する過程の一環として、動物を擬似的に人間の制度に服さしめたものとして動物裁判を捉える一方、異教崇拝から民衆をキリスト教へと改宗させていく過程で動物の破門という形式をとることでそれらをもキリスト教的論理に採り込んでいくものが動物裁判という形をとったという解釈をされています。

まあ、それらは著者に限らず、中世理解の一般的な捉え方であり、その枠組みに動物裁判という個性的な事例を解釈していくのは悪くはないと思うですが、率直に言って「だから何?」としか言えないぐらい内容が薄っぺらいです。

著者も若干は触れていますが、少なくとも裁判という形から捉える以上、まずは法体系の位置付けから捉えるべきでしょう。中世の法制度上、ビザンティン帝国で集大成を見たローマ法とゲルマン独自の慣習法とが、混交していたであろうことは想像に難くないですし、そこにおける動物裁判の法源がしっかり説明されていないのは、そもそも間違っていませんか???

法律は空虚な存在ではなく、あくまでもその時代・その地域において社会的正当性と妥当性を合わせ持ち、社会の安定に寄与するものであり、社会(民衆)から支持されないものではありえないのですから。その観点から、逆に当時の社会が何を妥当なものとして捉えていたのか?社会規範を理解していく手法の方が適切だと思うのですけどね。

著者は逆に、法的な側面を最初からできるだけ触れずに社会的側面・歴史的側面から捉えると言っている時点で、私的には大いに不満を覚えました。方法論からして著者の個人的な嗜好の産物であり、その結果、本書自体があれこれ触れてはいるのですが、結局、動物裁判が何故に中世に行われたのか?その説明に収束せず、関連することを書き散らかすだけで発散してしまっているように思われます。かなり期待外れで残念でした。

目のつけどころは、非常に面白いのになあ~。具体的な資料もたくさん調べられているようなので、なんかもったいないです。作物を食い荒らすバッタなどの昆虫を司祭が破門したりするのは面白いのにね。いっそのこと変な説明をせず、判例だけを省略せずに日本語で紹介してくれた方が、ずっと意義ある本になったと思うんですが・・・。著者の解説部分については価値を見出せません。なんだかあ~、読んでいて悲しかったです。個人的には、裁判事例以外のところはお薦めしません。

動物裁判―西欧中世・正義のコスモス(amazonリンク)
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2005年12月23日

「河童駒引考」石田 英一郎 岩波書店

河童に関する本を読んでみたくなり購入した一冊です。川べりで馬に水を飲ませていたら、河童が馬の尻に飛びついて川に引き込ずりんでしまった、とかしばしば民間伝承では聞く話ではありますが、まさにそれが本書のタイトルです。既にご存知かも知れませんが、「駒」とは馬のことで馬を川に引きずり込むので駒引きという訳です。

さて、題名から想像すると河童そのものの由来や河童にまつわる伝承の類いがたくさん採集された「遠野物語」的なものなどを予想してしまうのですが、この本ちょっと違うんだよねぇ~。日本各地にとどまらず、中国やインドを越えてアジア全域や西欧までも視野に入れた広い視点から、河童の象徴する水神と馬の関係を解き明かそうと比較文化論的なお話をしてくれます。また、馬が占める文化的役割がはるか昔には、牛がその地位を占めていたことなど、興味深いと言えば興味深いのですが、残念ながら無知な私にはあまり面白くなかったりする。

あるケースに相当する物として、世界のあちこちに類似したものを挙げ、その文化的なつながりや伝播の様子を解説するのですが、そのケース(伝承や儀礼)自体が詳しく述べられておらず、すっごく薄っぺらく感じられてつまんないだよねぇ~。著者は学者さんとして非常に真面目な方だろうとは思うのですが、馬を神としてどう祀ったとか、2行ぐらいで儀式を書かれたんじゃ、内容に関心の持ちようがない。馬を祀ろうが、牛を祀ろうがこちらには関係が無く、その具体的な儀式自体がエキゾチックである意味ファンタジーであり、ノスタルジック且つエキセントリック(?)かもしれない関心の対象なのですが、ほとんどそういった点には触れられておらず、あくまでも文化史的な比較から、類似性と相違だけが問題とされている。

ああ~、退屈でつまんない。せっかくなんで全部読んでみたけど、資料としてもう~ん私には不要だな。もっと楽しい知識が欲しい!  ありきたりな河童論を読まされるのも抵抗を覚えるが、この本も関心の対象外。なんか、面白い本ないかなあ~???

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2005年12月14日

「ノアの大洪水」金子 史朗  講談社

少しは面白いことがあるかなあ~と漠然と読んだのですが、これも個人的には失敗でした。ギルガメッシュ叙事詩をはじめ、世界中の各所に残る大洪水伝説は、実際に古代に起こった事実に基づいているいうお話です。当時の世界の気候や考古学により、科学的に実証された証拠も提示しながら、解説してくれてるんですが、知ってることばかりで・・・。現在では、珍しくもなんともなく、広く知られている以上のものはありません。

ちょっとだけ関心を惹かれたのは、浦島太郎伝説を、日本の古代遺跡が海中に沈んでいることからの郷愁といった観点で見る可能性を提示したことかな? でも、それ以上の深い考察もなく、思い付き以上のものではなかったです。残念ですね。

最近、つまんない本ばかりだったので今日は少しだけ奮発してもっとしっかりした本買ってきました。「魔女狩りの社会史」。これはなかなか読み応えもあるし、内容も充実しててとっても楽しい♪ やっぱり読んでて知的好奇心を刺激されないものは駄目だなあ~。うっ、楽しいです(満面の笑み)。

ノアの大洪水―伝説の謎を解く(amazonリンク)
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2005年11月24日

「ペスト大流行」村上 陽一郎 岩波書店

う~ん、あまり面白いとは言えない本である。ペストというものが、古代以来人間との関わりの中でどのように、捉えられ、それがどのような影響を及ぼしてきたのか?そんなことが書かれている。

原因不明の病いとして、歴史的にどのように扱われてきたか、それがどこから発生してどのように広まっていったか? 私にはあまり興味が湧かず、ちっとも面白くなかった。

読む前に期待していたのは、中世に猛威をふるったというあの「黒死病」のイメージがあったものですから・・・、う~ん?

でも、ちょっとだけこの本を読んで分かった事は、私が想像していた以上にこのペストの被害は凄かったこと! よく中世の人口がこれによって激減したと書かれていたけど、村や町が全滅したり、人口の10分の9が死んだしまい、中世半ばまでの文献に出てくる町の名称や地名が、ペスト以後の中世後期には歴史上から存在しなくなっているのがしばしば見受けられるというのには、驚いた! これって、凄いことだと思う。

そしてこれだけ人が死んでしまうと、伝統的な社会制度や組織が維持できず、社会構造が人口減を理由に大きく変化したというのは新しい発見でした。農業労働者が激減した結果、土地にいついた農民が減り、賃金労働者が増えていく。需要に対して供給が硬直化しているので賃金水準は上がる一方、おおっとまさに需要供給曲線ですな。賃金労働者の増加は、まさに中世社会の崩壊にほかならなかったそうです。

社会的上層階級が占めていた閉鎖的なギルドや市政の運営のような組織にも、欠員により、本来なら入れるはずのない下層階級からの成り上がりが参画したりするようになったのも大きな変化だったことでしょう。この辺は、ちょっと面白いです。今まで、ペストによる人口減からそんな余波が生じていたとは全く考えたこともありませんでした。この視点は、中世後期を見るには、なかなか有用な視点かも? 

これを知れただけ、読んだ価値はあったかな? でも、よほど特殊な興味がない限り、この本読まなくてもいいでしょう。お薦めできない本でした。悪い本ではないんですけどね。著者は真面目な感じだし。でも、つまんない。

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2005年11月15日

「遊女の文化史」佐伯 順子 中央公論社

率直に言って、内容は無いかと。文化史と言いつつも、単なるエッセイ以上のものは感じられなかった。少なくとも何かについて主張するものではない。ただ、よく分からないのですが、これが修士論文を元にして書かれたものなの? たくさんの本を読んでいるのは分かりますし、それ自体は評価しますが、本書に学問的な意義を一切感じません。まあ、うちの大学院も書きゃ卒業させてあげると言われたし、お粗末なのはどこの大学院も変わらないか?(笑) 正直、暇潰し以上の価値を見出せませんでした。

普通にエッセイとして書かれれば、もう少し面白かったかもしれませんが、時々出てくる学究的な態度(態度だけ?)がかえって鼻について違和感を覚えました。うちの指導教官だったら、もっと厳しいと思うなあ~。余計なお世話ですけど。

ただね、全然使えない本かというとそうでもないです。遊女論や娼婦論に関するものなら、これよりもはるかにいい本がたくさんありますし、何冊か私も読んでますが、引用されているもので面白い内容が幾つかありました。それを知ることができただけでも、読んで良かったかも? 但し、それだけですが。
「春日権現記」
明恵上人の渡唐をとどめようとして春日明神が橘氏女に憑いて託宣を下す奇譚。橘氏女は懐妊の身であったにもかかわらず、「高き所にのぼりたければ天井へのぼるべし」と、するすると天井に上がってしまった。やがて天井から降りた時も、「鴻毛のちるが如く音もせず」、しかも彼女の身体から薫っていた「異香」はいよいよ芳しくなった。

その香沈麝などのたぐひにはあらで、こく深きにほひすべて人間の香にあらず。諸人感悦にたえず。御手足をねぶりたてまつれば、あまきこと甘葛などのごとし。その中に数日口のうちをいたむ人ありける。ねぶりたてまつりてたちまちにいえてけり。

この「異香」ってのがなかなかの曲者。手足までねぶるって凄いですよね!こんなお話があるなんて知りませんでした。もっと詳しく知りたいですね。いろんな資料を探すきっかけにはなるかもしれません。

遊女の文化史―ハレの女たち(amazonリンク)
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2005年11月13日

「中世の女たち」アイリーン・パウア 新思索社

中世における女性観、貴婦人、働く女性、女子教育、女子修道院と章ごとに分けて当時の女性が置かれていた社会的状況や存在について説明している。当然、ある程度詳しくて勉強になるものを期待していたのですが・・・。

一般向きを意図しているにしても、あえて読むだけの価値はないと思います。他の中世史関係の本で説明される範囲内でしか、記述がされておらず、知的好奇心を満足させるものは無かった。中世において、結婚はあくまでも土地の所有と結びついており、独身の女性(未婚・未亡人)は一人の法的主体として所有権や相続権を有し、訴訟等の主体にもなりえたが、婚姻により女性はほぼ一切のものを失い、配偶者たる男性に従属し、自らの権利もそこに吸収されるというのだけは面白かったかな?

あと、女子修道院では規模の小ささや種々の理由により教育水準が低く、若干の例外はあるものの時代を経るに従って、その教育水準へ低下が著しかったこと。当初はラテン語で出された上部組織からの指示・命令も、やがてフランス語、ついには英語(英国での場合)まで水準を落として、初めて理解された、なんていうのは正直意外でした。いくらなんでも、中世だったらどこの修道院もラテン語くらいはできると思っていました。全員ではないにしろ、修道院長ぐらいなら。でも、現実はこんなもんだったそうです。

それぐらいかな? ちょっと興味を覚えたことは。後は、ほとんど内容は無いです。時々、モノクロで「ベリー公の時祷書」の挿絵なども入るのですが、印刷がイマイチでちっとも綺麗でないですし、残念な内容。ページ数もなくてとっても薄っぺらなものでした。よほどの事がない限り、購入する必要を見出せない本でした。以上。

中世の女たち(amazonリンク)
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2005年10月02日

「モンタイユー 1294~1324〈上〉」エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房

こ、こいつは期待以上に面白い本でした。異端カタリ派に関する資料的な本を読みたいなって思っていて、翻訳者の渡邊昌美氏に関係する本を探していて見つけた本です。しかしながら当初、予想していた異端に関する本とは異なり、14世紀におけるピレネーふもとの小さな村落を舞台にした中世社会をこれ以上無いってくらい、具体的に描き出しています。人口わずか200人ぐらいで戸数50戸程度の、ごくごく小さな村なのにそこの人びとの生活から浮かび上がるリアルな中世は、衝撃的ですらあります。

宝島や三才ムックあたりによくあるアンダーグラウンド社会を暴いたような本よりもはるかに面白い!! あんなの目じゃないっす!(っていうことは、私あの手の読んでるってことだけど…不問にして下さい)

何故、この本がそんなにも面白いかと言うと、何よりも書き手がタダ者ではない。その人物とはジャック・フルニエ。普通の庶民レベルから一つ一つ階段を登り詰め、最後には教皇ベネディクト12世(在位1334-42年)にまでなった人物で非常に有能であり、異端審問官として多大な功績を為し遂げた人物でした。

この人物が異端が大多数を占める異端の巣窟のようなこの地において、類い稀なる訊問技術と執拗に過ぎる異様な情熱を持って異端審問の任に当り、拷問によることはほとんどないままに村人達の口から集めた供述調書がまさにこの本であったりします。彼の非凡なる点は、通常であるなら異端の判断に留めるべき調書にありとあらゆる証言を削除することなく、詳述に記載し、当時の社会風俗その他を知る為の超一級の歴史風俗資料ともなっている点にも現われています。また、彼にとってもこのモンタイユーでの仕事は輝かしい実績であり、教皇になるとその調書を清書したものをバチカン図書館に大切に収めたので今日までもそのほとんどが残っており、現在に至ってこうして出版されているのだそうです。

しかもこのフルニエという人物は、シトー会から成り上がっていった人物だけあり、きわめて真面目で情熱的。当時、この地にいた司祭やさらに上級の司教が堕落し、情婦を抱えるわ、金がらみで情実裁判をするわで、清廉潔白なカタリ派に人心がなびいているのも当然な状況下、徹底した異端審問を行い、地元の有力者で司祭(実は二重スパイみたいな奴で裏ではカタリ派信者を勧誘してた)であったものさえ、厳に有罪するのだから、ある意味ご立派。その司祭の身内が様々な人脈と金を使い、審問官たるフルニエに圧力を加えるもののことごとく跳ね除けて、処罰するんだからねぇ~。すごい&すごい。

もっとも、有能な官僚さんとかにありがちなように、その職務に熱心な余り、彼はこれまで税金(教会の10分の1税)の対象外であった牧羊やチーズ等にまで課税対象にして、人々を苦しめてしまうのだから困ったものです。従って、その熱心な職務ながらも彼を向かい入れる地元の村での評判は悪い。今までは、地元の有力者(代官や司祭)が彼ら自身もカタリ派であり、なにかあってもなあなあで誤魔化してきたのですが、それが通用しなくなって大騒ぎになったりします。まるで日本の行政改革みたいなもんです。どことは申しませんが、道路公団の副総裁が汚職で捕まったのと大差無いですね。

前置きが長過ぎたかもしれませんが、本の内容に少し入ってみると。
当時のこの地の人々がいかに、『家』(この場合、家屋=家族の意味である)に縛り付けられていたかが分かる。すべては『家』の存続が基準であり、その思考がよく現われている例に婚姻が挙げられている。家がギリギリの経済状態で余裕がない場合、長男にほとんどすべてが譲られ、次男以下の男子は羊飼いになったり、雇われ労働者になったりすることで家の資産の保全が図られた。女子の場合は、婚姻に際して婚資(一定の財産)が必要になる為、外に嫁に行かず、うちわの近親相姦によって婚姻の代わりにしたことが述べられている。これは資産が多い場合にも見られ、より積極的に資産保持に利用されたりもした。

現代的な感覚からいうと、異常とも思えるが、実はこの手の話はそれほど奇異なものでもない。卑近な例だと、日本の農村部でも資産家が財産保持の為に、親戚縁者の中で限りなく近親相姦に近い婚姻を繰り返す例が知られており、私個人もその実例をいくつか知っている。そもそも近親婚自体は古来より知られており、神聖な血筋の為、兄と妹が結婚するエジプト王家が有名であり、世界中においてもしばしば見られることである。

やや話がそれたが、その辺りの『家』を巡る人々の考え方・行動も興味深いです。たった200人足らずの村なのに、しっかりと豊かなものとそうでないものがおり、また貴族と庶民がいるのだが、その間に断絶がなく、複雑に交流しているのも面白いです。

村一番豊かな家からは一人が代官になり、もう一人が司祭になって協力しながら、自らの地歩を固めていく姿は、まさに田舎の社会であり、どこの国に行っても、いつの時代でも変わらない人間という業の深い生き物がよく現われています。また、権力をカサにきて手当たり次第に下女や村の女性達に関係を迫る姿も普遍だなあ~と感心してしまいますね。他にも夜這いや同性愛など、どこも一緒としか思えません。こういった村の生活は映画「楢山節考」と全く変わりがないです。『個人』という考えが実に、近代以降の発想であるか実感しますね。

それでいて、この村の人びとは農奴状態ではなく、職業や移転の自由があり、必ずしもそれ以降の時代の人々よりも不自由であったわけではないというのもまた、不思議です。彼らには、中世から私達が想像する以上の自由を持っていたのも事実です。

その例で一番際立っているのが貧しき羊飼いです。放牧地から放牧地への場所を転々としながら、大した財産も有せずにわずかな賃金で働く賃金労働者ですが、意外や意外。彼らは土地にも縛られず、嫌になると自ら牧羊契約を破棄して自由に雇い主を選べる選択権を有した自由人だったりするんです。極論すると、労働条件が悪かったり、自分がしばらく休みたいなあ~と思えば自由に、契約を変更したり、止めたりできたんです。

現代のサラリーマンよりもよほど自由かもしれません。いうなれば、派遣社員みたいなもんでしょうか?勿論、ある程度腕のいい羊飼いという評判・実績を持っていればこそできたのでしょうが、まるでフリーランスで働いている報道カメラマンみたいです。それともネットワーク系のエンジニアみたいなもんかな? 腕がいいから、いつでも雇い主見つかるんだそうです(羨ましい)。

彼らは移動するという職業特性上、かさばる財産をもつことはできませんでしたが、衣食住には困らず、また自由に各地を放浪できた為に、その発想がきわめて自由主義的です。現世の欲に囚われて身動きの出来ない俗物を冷ややかな目で見つめていると同時に、人と人との結びつきを大切にし、なによりも人生を楽しむ楽天主義者。彼らに関する調書を通して描かれる姿は、現代人の一つの憧れかもしれません。もっとも、それには種々の危険と貧困等のマイナス面も付き纏うのですけど。

とにかく、これだけ楽しい本には久しぶりに出会いました。個人的には大・大・大好きな本です。しかし、普通の人にはどうでしょうか? 歴史や民俗学っぽいことが好きな人には十分お薦めできますね。そうじゃない方には、特殊過ぎるかも? 分量も多いしね。とあるフランス一地方の中世の村がぎゅっと凝縮している本です。そこいらの小説に太刀打ちできない本物故の素晴らしさ・面白さですが、高いねぇ~。下巻も高かったし。買うならば一冊づつ買った方がいいでしょう。

という私は、まだ上巻だけです。下巻はこれからゆるゆると読む予定。そうそう、異端カタリについての資料としては、どうなんでしょう。実際にどういった状況で村に広がり、村人達に信仰されていたのか、そういったものを知りたければ参考になるでしょうが、「カタリ派とはなんぞや?」とかそういう事を知りたいなら、参考になりません。別な本を読まれて方がいいでしょう。じゃないと泣きます。私は予想が外れて、別な意味でとっても評価してますけどね、この本。満足&満足!
【 目次 】
序章 異端審問から民俗誌へ
第1部 モンタイユーの生態学―家と羊飼い(環境と権力
家ないし家族―ドムスとオスタル
クレルグ一族―支配者の家
貧しい羊飼い
大規模移動放牧
ピレネー牧羊の民俗
羊飼いの気質)
第2部 モンタイユーの考古学―身振りから神話へ(身振りと性
クレルグ家の愛欲
かりそめの縁
結婚と愛情の役割
結婚と女性の立場)
付録 モンタイユーのおもな家族一覧・系図

モンタイユー―ピレネーの村 1294~1324〈上〉(amazonリンク)
モンタイユー―ピレネーの村 1294~1324〈下〉(amazonリンク)
楢山節考(amazonリンク)

関連ブログ
「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社
「異端審問」 講談社現代新書
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2005年09月05日

「テンプル騎士団 」レジーヌ・ペルヌー 白水社

著者は国立文書館の古文書学者さんで、きちんとした資料に裏付けられた実証的な立場から、歴史上におけるテンプル騎士団という存在を捉えようとした本です。良くも悪くも、やれ悪魔崇拝にふけっていたとか、流行りの本(=ダ・ヴィンチ・コード)みたいに聖なる血脈を守る為の組織だとかという、根拠の無い愉快な陰謀説など全く出てきません。

それよりも、如何にしてこの組織が生まれ、発展し、当時の政治・社会情勢において大きな影響力を有する組織であったか、そしてその組織が如何にして廃止されたかまでを、数々の資料をもとにして説明していってくれます。これ以上は無いっていうくらいの正統派の歴史の本です。

本書の中でも、軽く触れていますが、歴史学的なものを装って適当な憶測や噂だけを助長した本や雑誌がいかにあてならないか。また本書は、それとは対極にあるものです。まあ、正直興味がないようなことにも非常に詳しく説明されているんですが、それはしょうがないでしょう。事実とは、個々の何の変哲もない事柄の積み重ねであり、それが歴史の土台ですしね。でもこれを読むとの当時の政治情勢や駆け引き、人びとの物の考え方など、しっかりと納得がいきますね。人がいるところ、常に『政治』があり、なんとしても勝たねばならぬ!そういうことを痛感させられますね。

正義が勝つのは、童話の世界だけであり、「勝てば官軍」は皮肉でも揶揄でもなく、単なる事実なのかなあ~とも思いました。勿論、勝利に正義があれば、それはより強力ですが、必ずしも正義が勝てると限らないのも普遍ですね。これは現代でも変わらないのか???

あまり悲観的な歴史観も気持ちのいいものではありませんが、たまにはこういうきちんとしてものを読んでおかないと、オカルト本に影響されちゃうからなあ~。話としては夢があって、オカルト本やトンデモ本もいいですが、そればかりだと正常な判断力が失われるので、時々こういうのも読まないとね。きちんとバランスをとって、土台はしっかり押さえたうえで、いろいろな仮説を楽しみたいですね!

そういう意味では、読んでおいて良い本かも? ちなみにテンプル騎士団は、捉え方によって幾通りにも多面的に捉えられる複合的な機能を有する組織ですので、商業面や軍事面、宗教面とか、他の切り口の歴史の本も読んでみたいですね。

それからだよね、錬金術うんぬんとかは…。

テンプル騎士団(amazonリンク)

関連サイト
松岡正剛の千夜千冊「テンプル騎士団」
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2005年08月29日

「ローマ」弓削 達 文芸春秋

roma.jpg弓削氏がご専門の立場から書かれた古代ローマについて著作は、だいたいが読む価値があり、興味深いものが多いし、実際に読んでも楽しいのだが、この本に限っていうならば、しょうもない本というのが私の感想である。

そもそもタイトルでローマと言いつつ、全7章中の3章分がマグダラのマリア関係であり、タイトルは出版社が決めて、著者は実質、自由テーマで好きなことをエッセイのようにして書いている。アマゾンのレビューにもあるが、タイトルとの齟齬が甚だしくそれだけでもヒドイと思う。

また第一章のプロローグは、骸骨寺のことを述べているが、私も行ったことがあるので知っているが、この人の勝手な印象や感想を述べているだけで、歴史家がこんなもの書いて意味あるのか真顔で問い詰めたくなる。正直、一人よがり以外のなにものでもない。また、そのノリは本著を通して一貫しており、ネロやミケランジェロについても愚にもつかない事を書かれているが、まともに古代ローマに関心のある人なら、当然誰でもが知っているレベルの話であり、読んでいて読者をなめているのかと、不快感を覚えた。

いつもなら、途中で投げ出すのだが、今回はマグダラのマリアに関する情報が無いか、あくまでも資料探しとして読んでいたのでイヤイヤながら全部を読み通した。そもそもこれを購入したのもマグダラのマリアについて、相当数の紙面を割いていたから、あえて買ったんだけどね。

で、結論からいうと、内容として私が価値を見出し得たのは、著者が他の文献から引用している文章だけだった。いささか皮肉ではあるが、どんな(使える)文献があるのかを探すのが資料読み込みよりも大変な門外漢としては、この点だけは嬉しかった。この本を買って無駄な投資にならなかったと言えるかもしれない。
○カール五世と教皇クレメンス七世の対立で生じた『サッコ=ディ=ローマ』の資料としてクリストファー=ヒバート「ローマ―――ある都市の伝記」(横山徳爾訳、朝日新聞社、231頁)。

とにかく教会側への暴虐、略奪は凄まじかったらしい。病院では看護されていた病人のほとんどが全員虐殺されるか、テヴェレ川に投げ込まれた。孤児院の孤児は殺され、監獄からは囚人が解放されて略奪・虐殺に加わった。ユリウス2世墓廟も暴かれて、死体から宝石や衣服が剥がされた。聖遺物やキリスト磔刑像が火縄銃の標的にされた。聖ヨハネの頭部聖骨は街路で蹴り回された。修道女も他の女性同様に陵辱され、街路でせりに出された、父母が自分の娘の輪姦されるのを手伝わされたりした。内蔵を抜き取られた聖職者達。ロバに聖餐式を執り行うことを拒否してルター派兵士に殺された聖職者等々。凄まじい事例が挙げられています。

○荒井献「新約聖書の女性観」岩波書店。
この荒井氏は、グノーシス関係の著作でも有名で、アマゾンからのお薦めでいつも買え&買えと勧められている著者だったりする。この本でも荒井氏の見解によっているところが書かれている。改めて、グノーシス関係本をこの人ので買ってみようかな。と思った。

○ビザンツ系東部のマグダラのマリア伝説:
マグダラのマリアは聖母マリア及び聖ヨハネと共にエフェソに移り住み、そこで死んだ。そしてマグダラのマリアの遺骨は後にビザンツ皇帝レオ六世(在位886-913年)の命令によってコンスタンティノープルに運ばれたという。
これとは別にマルセイユに流れついた伝説にも触れているが、黄金伝説の核心部分を抜いた紹介であまり意味無いかも?
この辺のことだけ、分かっただけでもヨシとしますか。どっかでビザンツ帝国の話は、聞いたことがあるし、これが二度目だから、きっとそういう伝承があるんだと思います。もっと詳しい内容や文献知りたいなあ~。

でも、あとは要らなかった。最終章でローマで宣教した宣教師マグダラのマリアが述べられているが、この人が勝手にそう言ってるだけみたいだし、誰からも相手にされてないんじゃないかな? この部分だけだったらよくいる妄想家や脳内作家レベル。う~、時間の無駄だった(涙)。小説だったら、笑ってすませれるんだけどね。ちょっとヒドイなあ~。
【目次】
1「私のローマ」を求めて
2ネロとローマ
3ローマのユダヤ人
4ミケランジェロとその時代
5マグダラのマリアとイエス
6マグダレーナ伝説と美術
7ローマのマリア

ローマ(amazonリンク)
ローマ―ある都市の伝記(amazonリンク)
新約聖書の女性観(amazonリンク)

関連ブログ
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
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2005年08月27日

「楊貴妃後伝」渡辺龍策 秀英書房(1980年)

最初におことわりさせて頂きますと、この本は(も?)絶版です。読めない本ばかり、紹介して恐縮ですが、何かの資料としてお探しの人とかもいらっしゃるかもしれないですし、古書市場で出回ってますので、もし購入しようかどうか迷われた際の参考になるかもしれないので、拙いながらも感想を書きますね。(ちなみにamazonにはデータ無いです)

と、誰に対する言い訳かはしりませんが、これで安心して書けますね(笑顔)。もっとも、何故ここしばらく絶版ばかりかというと、7月・8月と勢力的に古書市を回り、相当安い本ばかりをある程度買い込んだ結果が絶版ばかり、だったりします。以上、裏方の事情より。

さて、いよいよ本書の紹介。
先日、知人(前に戸来にあるキリストの墓を教えてくれた)から楊貴妃の墓が日本にあるんだって。という情報を受けて、「また出たよ~」と思っていた矢先に古書市で見つけた一冊。

正直、トンデモ本だろうなあ~と思ったんですが、どうしてどうして著者はなかなか理性的な先生。諸説ある中で、ある程度分かっている事実から可能性としてこの伝説はありえるとか、これは無理だろうとかを考慮したうえで、こういった伝説がありますよ。こういった説がありますよと紹介してくれている。

まえがきでは、楊貴妃が玄宗と逃げる途中で泣く泣く殺さざるを得なかったが、墓の改葬時には香袋しか無かった。それ以後の事をこの本で書きたいと書かれているが、私的には日本に渡ってきた以後の事をもっと知りたかったが、さすがにその辺は資料がない為かあまり記述されておらず、ちょっと残念。逆に言うと、結構良心的に書かれていると感じた。

何よりも、楊貴妃が田舎から出てきてまずは皇子の妃になり、やがて玄宗皇帝に見初められて紆余曲折を経ながら、熱々の仲睦まじい生活を送っていたことや、結果として反乱を生ぜしめ、傾国の美女となった過程なども詳しく書かれていて非常に勉強になりました。

以前に、中公新書で「楊貴妃」読んだことあるんだけど、こっちの方が分かり易い。しかも本書は殺害された後に蘇生し、日本に渡った伝説などもいろいろ紹介してあり、とっても興味深いです。実際に、その伝説が残る土地や楊貴妃の墓にも著者は行って資料集めも頑張っていたようで、ただ本を読むだけで楊貴妃について、詳しくなれるのもイイ。トリビアよりも面白いですよ(笑顔)。

本から、楊貴妃について分かっていることのおさらい。
唐の玄宗の妃。名は玉環。蜀州司戸参事(地方の会計事務官)を勤めていた父の四女として生まれた(719年)が、父は早く亡くなり、叔父の養女となった。17歳で玄宗の第18皇子寿王瑁の妃となる。玄宗の寵愛していた武恵妃が亡くなると、玄宗は亡き妃にそっくりだった貴妃のとりこになるが、父が息子の妃を奪うという世間の批判を避ける為、一度、彼女を道士として太真の号を授け、後日、環俗して後宮に入れた。

宮中では、流行の胡服(胡はイラン辺りを指す)を身に付け、舞も上手だったらしい。玄宗の寵を一身に集め、皇后と同じ扱いを受けた。3人の姉もそれぞれ夫人号を授かって重要人物となり、一族は高位高官を占めた。なかでも楊国忠は財務で才能を発揮し、玄宗の意を迎えつつ、敵対勢力の李林甫を排除すると宰相として実権を握った。しかしその横暴さ故に、安禄山の乱を招く。

安史の乱が起こり、玄宗に従い成都へ逃れる途中で楊一族は相次いで責任を求める兵士達に殺害された。楊貴妃もこの時に絞め殺された。時に756年6月38歳であった。翌年、長安に戻った玄宗は隠密裏に改葬させたというが、その際には香袋しか無かったとされる。
以上が一般に言われている事実らしい(平凡社百科事典もほぼこの記述と同じだった)が、亡くなった一年後の改葬で骨が無く、香袋しかないと言うのがいかにも不可解だというのが世間での評価だったらしい。ただでさえ、その容姿・人柄が優れて、皇帝があれほど寵愛した楊貴妃は民衆や貴族達にも絶大な人気があったうえに、さきほどの不自然さから、楊貴妃生存説が生まれる土壌となっていったそうだ。

そもそも殺害方法は、絹の布による絞殺だったらしい(推測か?)のだが、その後に蘇生した可能性があるのでは、というのが小説になっているようだ。その後は、もう仮説というか、かなり可能性を積み重ねた小説なのだが、当時の外国人接待機関も楊氏の一族のものが担当しており、日本から来た遣唐使とも懇意な仲であった。そしてその手づるを辿って貴妃を日本に逃がした。というのがいわゆる楊貴妃日本渡来説になるそうだ。う~む、確かに可能性としてはありそうだし、面白いけど、どうなんでしょう。勿論、一切の証拠は無いそうです。あったら、学会がもめるって!

でね、日本に来てからの話というと、もう完全に伝説・風説のおとぎ話の世界だって。著者もその辺は、分かっているのでただ紹介するに留めていますが、個人的にはマグダラのマリアがマルセイユに辿り着いた話を彷彿とさせるようで、とっても楽しいです。

せっかくなので、その伝承を抜書きすると
楊貴妃が日本に到着したの時は、日本宮廷の変乱の時であった。そのため彼女は日本の女帝となった。

五輪塔の上部 東への航海中、貴妃は病を得、日本に漂着後、まもなく死亡した。
これとは別に、山口県久津(現在、山口県大津郡湯谷町久津)というところに「楊貴妃の墓」といわれる五輪塔が現存しているそうです。

また、久津港の一角にある二尊院は平安初期の大同三年(808年)、伝教大師の創建とされるが、ここの本尊である釈迦、阿弥陀の二尊仏については、楊貴妃がこの地に漂着したというので、玄宗皇帝は貴妃を忘れかね、方士を蓬莱の国に派遣して仏像二体を妃に賜ったものという。妃もまた髪飾りを形身に託したが、やがてこの地で死去した。そのため、二尊院境内の右手に楊貴妃の墓と伝えられる五輪塔が建てられたといわれているそうです。二仏

また、京都の嵯峨に天台宗の二尊院があり、ここの釈迦、阿弥陀の二仏も国宝になっているそうだが、面白い言い伝えがあるそうだ。
唐の国で安禄山の乱が鎮圧されたあと、楊貴妃が日本の長門国向津具に住んでいると伝え聞いた玄宗皇帝は、早速、彼女の菩提を弔う為、釈迦と阿弥陀の二仏を向津具に送った。ところが、それが間違って京都の二尊院の方へ届けられたため、向津具側は引渡しを要求したが、京都側は応じない。そこで朝廷に訴え出て、もめたあげく、結局、当為の名仏師天照春日をして本物そっくりの二仏を作らせ、本物と贋物とを両二尊院で一つづつ分け合って一件落着した。
そんな話もあるそうです。著者も作り話だと言ってますが、なんか楽しいですよね。こういう話スキ。西欧の聖遺物を巡る争いと同じだもん。

まだまだ楽しい話は続く。
有名な白村江の闘いで、大敗を喫した日本であるが、その時の唐は日本まで攻めてこなかったが、玄宗の時代になると、彼は版図の拡大を図り、高宗の時代に実現しなかった日本侵略を思い立った。この噂が日本に伝わってきたので日本の神々が集まって危難を救う方法を協議した。

その結果、尾張の熱田大明神を選び、唐に送り込むことになった。唐に赴いた熱田大明神は、絶世の美女・楊貴妃に変身して玄宗の後宮に入り、その色香をもってまんまと皇帝をたらしこんだから、玄宗は日本侵略などさっぱり忘れてしまった。
なんかすごくないですか、この話。神風ではなくて、女に化けてたらしこむとは…。一番効率的且つ効果的な気がしますが…。しかし、日本の神様ってこういうのお得意?ヤマトタケルでも熊襲をうつのに似た様なことしてるし…と思ったら。

やっぱり日本武尊と関連するんだって!楊貴妃が日本武尊の転生であったという伝承まであるそうな。そこまでいくと、SFか巷によくある○○ノベルズとかと一緒じゃん(笑)。

なお、熱田神宮の近くにも楊貴妃の墳墓地があったという話もあるが、貞享三年(1686年)に破棄されてしまったそうです。熱田社伝にも記されてるんだって。う~ん、これだから神社仏閣の縁起ってのは楽しいんだよね。あちこち旅してて、この手の古い社寺の縁起を読んだり、奥院の祭神を知ると、非常に興味深かったりする。

とまあ、ざっといろいろ抜き書きしてみたが、なかなか楽しめる本でしょ。暇があって、この手のものが好きな人は、古書店で探してみて下さい。きっと半額以下だし。暇つぶしには、いいと思いますよ~。

楊貴妃は茘枝(れいし)が大好物で、美容に良かったとか。長安から遠く離れた四川から運ぶ為に官吏や公文書の往来用の駅伝制を使って、超特急で運ばせていたとか…、役に立たない知識がたくさん増えます(笑)。

最後に、なんでこんなに私が大喜びでこの本を読んだかと言うと、私が大好きな澁澤氏にもまして一番崇め奉ってる夢野久作の「ドグラマグラ」がまさにここに着想を得てるのに改めて気付いたからです。勿論、小説中にいろいろと書かれていましたが、勝手にそれらの伝承も全て創作と勘違いしていました。まさか、本当に楊貴妃の墓とかそれに関する伝承が、こうして残っているとは…。ああっ、なんて迂闊な私。これ読まなければ、ドグラマグラの事を表面的にしか理解してなかったんだあ、とも自責の念に捉われてしまいそう。

だって、学生の時には「ドグラマグラ」に匹敵する小説が書ければ、世の中に生きた証が残せるから、満足してそのまんま死んでもいいとずっと思っていたのにね。死ぬ死なないは別にしても、やっぱり初心忘るるべからず。本当に見習いたいし、ああいった素晴らしい小説書けたら、後悔ない人生ですね。って、いうかその前に書けって!(自爆)

今、人生の中でも時間があるのに…。もう一度、ドグラマグラも読み返すか?初版、復刻版でも。もう3,4回は読み返してるけど、これ最高!! 映画もなかなかそそるしね(ニヤリ)。速攻でDVD買ったもん。

ドグラマグラ(amazonリンク)
ドグラ・マグラDVD(amazonリンク)

関連サイト
湯谷観光情報
楊貴妃伝説 ロマン膨らむ/油谷町
長門市の観光文化 千年のロマン甦る「楊貴妃の里」
油谷町 楊貴妃の里

関連サイト
「色道禁秘抄」福田和彦 ベストセラーズ
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2005年08月21日

「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房

namonaki.jpg本書はドイツでのラジオ放送との共同企画で書かれた1冊の本を分訳したものの一つであり、「中世人の権力」「中世の聖と俗」の残り2冊を合わせた3冊で一つのものとなる。

本書で扱っているテーマとして、一つに中世における教会の実情と都市おける下層市民以下の人々の関わりが描かれる。中世キリスト教会のイメージは、判を押したような王侯貴族のような豪奢な上層部のみではなく、世俗の職業をかけ持ちしながら、細々と食いつなぐ現場での下級司祭など、いささか興味深いものが紹介されている。

私のイメージだと当時絶頂だったキリスト教的権威の下、まさか有り得ないと思ってしまう教会荒らしが普通に且つ頻繁に起こっていたというのも新鮮な驚きだった。いつの世でもそういう奴はいるってことですね。最近になって狛犬を盗んで売ったり、賽銭泥棒が生まれたわけではないのが分かります。

また、都市の市政に参画する権利の無い下層市民達も、領主様の命令に必ずしも無条件で従っているわけではなく、領主であっても相互に納得のいく形でなければその特権的な権利も行使することができなかったなど、市民側の抵抗権とでもいうようなものの存在も例証してます。ステレオタイプな中世民衆観は、物事の一面の強調に過ぎず、我々の知らない事柄も多くて楽しい。

犯罪とその処罰方法なども詳しく書かれており、「衣食足りて礼節を知る」の諺のように満足の給金の支払いのない雇われ司祭が、村の教会の乏しい財産を一切合財持ってドロンしたりとか、その犯罪の背景にも考察を加えている。また、都市の発展に伴う、首きり役人の収入の高騰と特権的地位への移行など、興味深い。

都市という構造自体が有する糞尿やゴミの処理なども、どうしてどうして詳しく述べられており、明らかに「環境」というものが認識されるのもそういった問題であることが分かる。娼婦に関する名称や市の公式行事に公費で呼ばれているのが面白かった。何の役に立つかは知らないが、その名称も下にメモしておこう。

さて内容はしっかりあるんだが、この本は値段が値段だし、それに見合っただけの内容があるかというと…さあ、どうでしょう?専門書ではなく、あくまでも一般書だけど、これを読んでどれほど多くの人が面白いと思うかな? 図版がパラパラと入っているのはいいけど、よほど興味のある人以外は面白いと思わないだろうなあ~。かと言って、研究者がこの本を読んでたら、ちょっと…って感じがするレベル。

失礼ないい方をすると、ネタはいいのに料理の仕方が下手。つまんないってとこでしょうか。これで高い金をとるのは、いかがなものか? 普通の人は、買ったら後悔するでしょう。図書館で借りて正解でした。残りの2冊もあまり読みたいと思わないな。

【メモ】
娼婦の呼び名:さすらいにヴィーナス、楽師の妻(楽師としばしば行動を共にしたため)、公の女(公の館が市営の娼家を表すため)、麗しの君

女教皇ヨハンナの伝説:
ローマで一女性が教皇に選ばれ、行列中に子供を産むに至ってようやく女性のであることが露見したというもの

中世ヨーロッパ万華鏡 (3)(amazonリンク)
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2005年08月12日

「蝦夷(えみし) 」高橋 崇 中央公論社

以前うちのブログでもちょっと触れたことがあるが、うちの近所に将軍沢という地名がある。征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐にこの地を通ったので、将軍にあやかって名付けられたという。正直それを知った時に、ただ道を通っただけでこんなに大騒ぎされ、地名にまでなるとは、当時どれほどの英雄として名が通っていたんだろうと不思議に思ったものだ。本当に今でも山の中にあるような土地だけに、歴史というものの奥深さを思わずにいられない。

それと、これはどっかの青年誌に出ていた漫画で征服された蝦夷の民が、遠く故郷を離れて日本全国に強制移住させられて同化政策を押し進まれていたことなどを知った。少なくとも私が読んだ教科書では、そんなことは書かれたいなかった。ただ、東北の蝦夷の反乱やそれを征伐する為の征夷大将軍派遣ぐらいのものである。日本人でありながら、日本のことなんて誰も知らないのが普通なのだろう。

その征夷大将軍坂上田村麻呂が京都の清水寺で戦勝祈願したことや、つい最近、征服された蝦夷のリーダーアテルイの記念碑がそこに建てられたことも誰も気に止めはしない。毎年あれだけ多くの人が清水寺に詣で、花見で賑わうがそんなもんだろう。まあ、私もそれと大差ないのですが、歴史は知れば知るほど面白く、そこに出てくる人身掌握のハウツーや国家運営、対外折衝テクなんて、下手な経営セミナーよりも役立ちますね。使えない大学のマネジメント論とかMBA講座を受けるよりは、リアルな歴史書を一冊読んだ本が役立つ! そういった実用性に加えて、私個人の興味から、蝦夷関係の本を読んでみたいと思っていた時、偶然見つけた本がこれでした。

通常の通史的な本では、1ページも割かれていない蝦夷のことが実に詳しく書かれています。勿論、専門書もあるのですが、いきなり読んでも大変だし、専門書と一般書の中間ぐらいを探していたので良かったです。薄いし。但し、書かれている内容って濃いなあ~。

東北の蛮人、中央王政府にまつろわぬ民、夷荻(いてき)等々、いろんな呼び名がありますが、当時の感覚的には、まさに異国の外国人であり、習俗・価値観とも共有しがたい脅威そのものであったようです。この本のすごいのは、まずきちんと蝦夷(えみし)を指す、単語の特定(複数の単語の使用例がある)からスタートし、その単語(用語)の示す内容の定義や、実際にそれが使われた様子を文献や発掘された資料から、きわめて慎重に推測していきます。常にしっかりと根拠を挙げ、ここまでは資料から推測が裏付けられるけど、ここから先はあくまでも仮定であるとかを、きちんと意識して述べているのが素晴らしい。論文ではないので、紙面の制約から個々に典拠は挙げられていなくとも、その姿勢が好感が持てるし、信頼が持てる。

小説と歴史はそこが違うので、それを認識していない方の書かれた本は小説としては面白いかもしれないが、事実を歴史を知りたい場合には役に立たない。今回は歴史を知りたかったので私の意図には合致していた。

想像以上に詳しいことが書かれていて私などの理解力を超えるところも多いのだが、今回読書して得た新たな知識としては、蝦夷征服後、蝦夷の有力者には位階を与えて律令制下の体制にしっかり組み入れていた例があること。全国のあちこちに移住させたものの、従来から農耕民ではない為、なかなか定着せず、しばしば良民(律令制下の一般人、租調庸の租税負担有り)に暴行を加えたり、暴動をおこす他、税を課そうとすると逃げてしまい、はなはだ処置に困る存在であったこと。彼らを手なづける為に租調庸を免除するばかりか、禄を与えて衣食の面倒までみていた例が多数あり。位階を与えすぎて、国家財政に悪影響を与える問題まで生じせしめたいた等、なかなか簡単な存在ではなかったらしい。

当然、それ以前に蝦夷の反乱を鎮圧する際にも莫大な戦費がかかり、同時にたくさんの労働力が失われ、国家的な損失も大きかったので、じわじわと律令制国家の衰退への遠因にもなっていたようで、非常に興味深い。その辺りがある意味一番面白いのに、歴史の教科書では出てこないからなあ~。そもそも歴史の先生の理解が浅かったりするので困ってしまう。歴史が好きでない先生に物事を教わる苦痛はなかなか絶えがたい。まあ、私は尊敬できない先生の授業は、無視して一人別な読書などをしていたけど。

ちょっと話がそれたが、如何にしてまつろわぬ民を教化、訓化していくか、多国籍企業のローカリゼーションの問題と実情はかなり近いと思う。如何にして現地従業員のやる気を出させるのか、現地の人の幹部登用問題など、まさに位階を与えて懐柔する中央政府と同一である。アメとムチは、言葉としては正しいが問題なのは微妙なサジ加減であり、何をどの程度実施するか、時代や地域を越えて普遍のテーマでもある。

まあ、そんなふうに大層に考えなくても、関心があれば面白いかも? 但し、ちょっと厳密過ぎるというか細か過ぎて、人によっては興醒めかも? コアな歴史好きにはいいかもしれません。

そうそう、そう意味ではカエサルの「ガリア戦記」。面白いです。これなんか如何にして、敵を手なづけるか? 如何にして敵を自分の支配下におくか? 学ぶところが大です。やっぱりカエサルは有能な人であり、英雄なんだと実感するとともに、超一級の政治家であることを納得させられます。くだらない経営戦略論や組織論より、よっぽど実践的ですよ~。

蝦夷(えみし)(amazonリンク)
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2005年07月28日

「稲生物怪録」荒俣 宏 角川書店

ine.jpg自宅から3駅離れた図書館に、寄った時に見つけた一冊。ちゃんとした怪談ないかなあ~って思って探してたら、あった&あった! こいつはなかなか本格派でいけますよ、こりゃあ。珍しく荒俣氏が硬派のお仕事されてる(最近、トリビアとか軽めが多かったので)。荒俣氏の面目躍如たる、資料も充実。奥が深いものをじっくり味わえて楽しめる怪談です。

あの江戸の大学者、平田篤胤がこういうものの研究に精力を注いでおり、しっかりした資料調査を行っているなんて夢に思わなかったので、そういったことを知ったのも素直に驚きましたし、この本の中にもたくさんの資料が満載でこいつは是非、一冊持っておきたい本かも。購入予定リストの本が山ほどあるけど、そのうちの一冊に入れておこうと思いました。

とくにこの怪談の特徴は、巷に流布する噂や伝承の聞き取ったものではなく、あくまでも実際に見た見聞録として、信用に値する実在の人物から、本人確認の下で記録された内容っていうのが、これまたポイント高し! しかもその内容が、他にもよくある系の話じゃなく、よくよく読んで見ると独創性豊かで(ふさわしくない表現か?創造してる訳じゃないし)、とにかく他の怪談に出てくるあやかしとは一味違っていて変わっている。これは是非とも読んでおきたい一冊でしょう。怪談好きには。

絵巻物みたいになっており、挿絵も豊富なのでそういう点でもお薦めです。この絵がちょっと違うんだよなあ~、他のと。

とりあえず、粗筋を。若干16歳の若者がとあることがきっかけで百物語(お化けが出るというアレ)をする。話し終わった時には何にも怪異がないのですが、その後、7月の丸々1ヶ月間に渡って毎日、怪異が現われるというお話です。どんな怪異か、誰もが興味を持つでしょうから、幾つかを選んでご紹介。

○女の生首が逆さになって髪の毛を足のように立て、笑いながら飛び回ってくる
○天井から青い色をした瓢箪がぶら下がって降りてきた
○親戚が二人来て、話をしている最中に、塩俵が空をただよってきて頭上を飛び回りつつ、塩を撒き散らした
○知り合いに化けた妖怪が来て、話しをしていると、頭が少しづつふくれてきて大きくなり、丸い穴があいて赤ん坊が二人、三人と這い出してきた。それらが一緒になり、一人の大童子となってつかみかかってきた
○目の丸い不気味な首が十一、二も串刺しになって飛び出した。串を足代わりに枕元を跳ね回る
○縁側から降りると、足がひやりとした。死人でも踏んだようで見ると青い大入道が横たわっていた。すぐに縁側に戻ろうとしたが、泥田にはまったように足が動かない。やっとの思いで縁側に上がったものの、足の裏に肉が粘りつき、気味悪かった
○台所のほうがもやもやしているので、見ると網の目のごとく並んだ人間の顔がった。菱形をし、口を開けたり、閉じたりしている

う~ん、なんかよくあるようなんだけど、微妙にレア物の怪異なんだよね。どこが変わっているか分かります~? なんか怪談の落語が聞きたくなってきた。確か、CDをどっかにしまってあるはずなんでもう一度探して聞いてみよっと。

前半分は絵と博物学的な記述が多いですが、後半分はその怪談の文章なんで一つぶで二度美味しいかも? 結構、こういうの好きです。ネックは値段だけですね。4千円はちょっと高い。これだけじゃないもんね。こんな感じの本毎月何冊も買ってたら、えらいことになるって…。でも、いい本だよ~。

稲生物怪録―平田篤胤が解く(amazonリンク)

関連サイト
町おこしとして稲生物怪録のお祭りもやってるみたい(公式サイト)
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2005年06月20日

「カルタゴの興亡」アズディンヌ ベシャウシュ 創元社

カルタゴに行く前に予習をする為に読んだ本です。いささか散文的過ぎて、読んでてとっても面白かった!というタイプの本ではないですが、知っておいて損の無い情報や知識が入っています。あと、図版が多い。絵画やモザイク画の写真もそれなりに入っており、現地に行ってモザイク画の美術館を見まくるぞ~という気持ちにさせてくれます。

それ以外だと…、普通のカルタゴの話かな?幼児の焼けた骨が多数出土し、幼児を犠牲に捧げた残酷な宗教儀式が行われていた。という話については、事実として骨は発見されているが、その生贄の話は想像の世界に過ぎず、事実とは考えられないと慎重な発言をされています。他の本でもよく出てくるテーマですが、これは今後の研究に期待するしかないですね。ローマに支配される以前の話も現在分かる範囲で触れられていますし、きちんとして歴史を知るには、目を通しておいて悪くないかも?という感じです。

カルタゴがそもそも植民地とされていったエリッサ伝説もなかなか面白いですしね。伝説によると・・・
昔、美しいフェニキア人の王女様(名をエリッサといいます)がいました。父はテュロス王でしたが、ある日、王位を狙う兄のピグマリオンに夫を暗殺され、エリッサ自身の命も狙われる身となりました。エリッサは財宝を船に積み、従者とともに海に逃れました。船は一路西を目指します。キプロスに寄航した折には、アシュタルテに仕える高位の神官を一行に迎え入れ、いずれどこかの土地に落ち着いて子孫を増やす考えから、沿岸の若い娘80人をさらって航海を続けました。やげてチュニス湾にたどり着き、そこに上陸して町を作り始めたのがカルタゴの始まりとされています。

あと、完全に忘れていたのですが、聖アウグスティヌスがまさにここカルタゴ出身で、当時はこの地自体がかなり学術的に進んだ地域であり、キリスト教にとってもある意味で相当重要であったそうです。中世には、当然であったキリスト教のラテン語使用ですが、それもこのカルタゴが最初であったそうです。知らなかったなあ~。ちょっと賢くなったかな(笑顔)。

この本を読んでますます行くのが楽しみになりました。私も瞑想にふけって、素晴らしい思索ができるでしょうか…煩悩の塊には無理なような気もしますが…。まあ、少しは刺激を受けられるでしょう(ニコニコ)。

カルタゴの興亡―甦る地中海国家(amazonリンク)
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2005年04月28日

「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店

神田の古書店で中をパラパラとめくっていたら、「プレステ・ジョアン(=プレスター・ジョン)」 なる単語がチラホラ!? どっかで聞いたような単語だなあ~と思って、表紙のタイトル見ると「エチオピア」の文字が。ようやく私の中でこれは読まなければならない本であることがピンときました!高いし、思いっきり分厚いんだけどね。

グラハム・ハンコックが「神の刻印」で触れていた「ケブラ・ナガスト(王たちの栄光)」の中の話で、シバの女王があのソロモン王と間に作った子供が王となったのが、現在のエチオピアと言われ、実際にエチオピアの人々が信じていること。まさにそれに関する話がところどころに出てきます。

また、本書の書かれた16世紀。テンプル騎士団が守っていたエルサレムが奪われ、聖地エルサレムを奪回すべく十字軍を繰り出すキリスト教各国の王達に広まった噂として、東方にあるキリスト教国の王プレスター・ジョンが援軍となり、苦境に陥った聖戦を勝利に導くという伝説がありました。実際に各国の王達が謎のキリスト教国を捜し求めて、世界中に使いを派遣していたのが当時の状況で。まさにこの旅行記を記したキリスト教神父アルヴァレスの事例であり、ここではエチオピア王をプレスター・ジョンと勝手に同一人物視しているのがポイント!(もっとも、それは実在しない伝説上の人物であったが、このエチオピア以外にも当時の新興国モンゴル帝国にまで至った神父もおり、歴史上には数々の冒険談が記録に残ってるみたい。下の関連ブログ参照のこと)

上記の事を前提知識として知ったうえで読むと、これはかなり面白い。先日読んだ小説「ソロモン王の洞窟」とは違い、なんせ史実ですから。本当に半端じゃなくて現実に苦労した冒険談であり、一緒に行った人間が何人も死んだり、モーロ人(イスラム教徒のこと)から石を投げつけられたり、熱病に冒されたり、凍えたり、泥棒に襲われたり、エチオピアで賓客扱いされたりと話題に事欠かない。もっとも史実故に、単調で興味の無いような事柄も延々と書き連ねてあるが、それが現実の旅なんでしょう。現地に行っても、散々焦らされて、なかなか国王に会ってもらえず、諦めかけたりね。帰国に際しては、なんだかんだと足を引っ張られ、季節風を利用した期間内ではないと駄目なのに、船に何度も乗り損ねたりとかなり悲惨です。

ソロモン王しかし、シバの女王とソロモン王(左のステンドグラスの絵)のロマンスや、国王以外の王族は謀反やクーデターを恐れて山に幽閉する話、女が戦死となって戦うアマゾネスの国の話、王国内ではが貨幣代わりで物々交換主流であり、定番の金がうなるほど豊富にある話とかは、興味をそそりますねぇ~。あと、エチオピア王への贈り物として、同時に使いの者達の旅費として胡椒が珍重され、用いられていたことなんかも興味深いです。胡椒一粒と金が同じ重さの価値があったというのが、まさに事実なんだなあ~っと実感できます。無味乾燥な歴史の教科書では感動も何もないんだけど、やっぱり体験談は違いますね!

楽しい箇所はたくさんあるんですが、いくつか抜き出すと

サラマン(ソロモン)がジェルザレン(エルサレム)において壮大にして豪華なる神殿に着手したことを聞いたサバ(シバ)の女王は、それを見に行こうと決心された。そこで女王は金を寄進しようと、数頭の駱駝に金をつまれた。ジェルザレンの近くまで来て、人々の使っている浮橋を通って湖を渡ろうとされたが、地上に降り立ち、橋げたを拝してこう言われた。「神よ、願わくは、世界の救い主が必ずはりつけにされることになるこの木に、わが足の触れざらんことを」と。そして湖を巡ってサラマン(ソロモン)に会いに行かれ、あの橋げたを取り除けて頂きたいと言われた。そして造営中の神殿のところへ行き、贈り物を寄進してからこう申された。「この建物は豪華さといい、美しさといい、私の聞いていたところとはだいぶ違っております。これほど美しく立派な建物はほかにありません。大きさもこれほどとは聞いておりませんでした。この気高さと美しさはどんな人も言葉に言い表す事はできますまい。持って参りました贈り物があまりに貧弱であったのが悔やまれます。これから自分の国へ戻り、この神殿の造営に必要な金を十二分に送り届けましょう。そうれから黒木(黒檀)も届けますから、装飾用におつかいください。」
ここで述べている橋げたは、かつて楽園にあった知恵の樹であり、後にイエスが架けられる十字架となる木であることが知られている(関連ブログ参照)。また、ソロモンが女王を計略によって一夜を共にし、子供が産まれたのがエチオピア国王であり、エルサレムから契約の櫃(アーク)を持ち出すことになるのも伝説に残されている(関連ブログ参照)。

アマゾネス王国では、女たちはパゴディニスと呼ばれ、大変強かった。性交を望むときは女王の許しを得て、特定の日数を決めて男を迎えた。その男性はその期間が終わるまで女性の家に滞在し、その後は自分の所へ戻った。許可なしに女性を訪れたり、期間内に立ち去ろうとした男性は殺された。妊娠すると女性は雌山羊・雌羊など雌の動物を飼い、男子が生まれるとその乳で育て、離乳期になると隣国へ連れて行って置き去りにした。アマゾナ(女性)たちは正直さを誇り、一度でも嘘をつくと、生きたまま火焙りの刑に処された。彼らは黒人から金を得、代わりに布を与えるという物々交換を行っていた。金はその国を流れる大河を通じて西アフリカから来た。コヴィリャンが語ったところによるとこの大河には男の人魚が住んでおり、かつて一人の人魚がプレステの宮廷に連れてこられたことがあり、使節団一行がエチオピアにいたときにも別の一人が連れたこられ、ポルトガル人たちもこれを見た、その人魚は話す事はできず、草を食べ、何も飲まず、粗い革のような皮膚に覆われ、人間より大きい手足をもち、毛髪は粗く短く、決して目蓋を閉ざすことのなに目は射るような光を放っていた。王はその人魚を川へ帰すよう命じた。
もっとも、著者のアルヴァレス神父自身は、これらの聞いた話の信憑性は疑っている。こういった旅行記の場合、実際に見聞した事実と伝聞により知り得た事が混同され、誇張されて書かれる場合が多いが、この著者の場合は可能な限り、事実は客観的に、伝聞は自ら知り得た知識を元に距離を置いて記述していて、すご~く信頼性があるように思った。勿論、情報が不十分な当時、著者のそうした態度にもかかわらず、今からみると誤解や誤りもあるようだが、それなりに重要な資料文献なのだろうと感じた。まっ、何よりも俗人の私が読んでも面白いしね(笑顔)。

そうそう、この本を読んで思った感想が、やはり昔の旅は命懸けってこと。誰も行ったことのない土地でしょ、マゼランがフィリピンの原住民に殺されたのもむベなるかな(納得!)。ピサロのインカ帝国征服やコロンブスの大陸発見もそうだけど、大物狙いの一発屋か、まさに神によるミッションで崇高な使命の元でなければ、怖くて行けませんね。私も食い詰めたら、黄金探しにアマゾンでも行こうか…?

それと、以前はかなり胡散臭く見てたハンコックの本も彼の仮説は、やはり眉唾であることには変わりませんが、事実は事実としてやっぱりよく調査してるんですね。ちょっと尊敬。もっとも彼が書いている内容のかなりの部分はこの本読めば、調査しなくても分かるんですが・・・(ヒドイ言い方)。

逆に岩波さんの凄さを感じますね。これだけのものを翻訳して出版する気概には頭が下がります。だって売れないでしょうに・・・。こんな本誰が買うんでしょう。一冊8千円近くだし、全巻揃えたら・・・。学者さんが科研費で買うか、図書館以外にはちょっと手が出ませんよ~。もっとも値段下げても買う人は限られてるし、難しいもんですね、価格設定。他のこの大航海時代叢書も読みたくなってきたけど、高いし、それ以上に頁数が多くて大変。全部で700頁超えてます。補注や解説が100ページそこに含まれているけど、読破するまでに何十時間かかったかな? 相当きつかった、ふう~。もっとも面白かったから読み通せたけどね。腹をくくらないと読めないですね、このシリーズ。誰か、出版社の人以外で全巻読破した人いるのかな?いたら、是非感想を聞きた~い。迷わず、師匠と呼んでしまうかも(笑)。

エチオピア王国誌(amazonリンク)

関連ブログ
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書
「大モンゴル 幻の王 プレスター・ジョン 世界征服への道」 角川書店
「神の刻印」グラハム・ハンコック著 凱風社
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2005年03月12日

「図説 世界の歴史3 ヨーロッパの形成」 学習研究社

万遍なく広範囲にわたって歴史を述べている。エフェソス公会議やアーサー王のこととかも、ほんの少し何の役にも立たない程度に触れていたりする。逆に言うと、ただ項目を羅列しているだけに過ぎず、つまらない。こんな歴史の本など読みたくないというのが感想。死んだ歴史ですね。こんな本を世界史で読まされて暗記させられたら、二度と歴史には興味なんかもたないな、私は。

但し、この本にも長所がある。鮮明さには欠くが、カラー図版が非常に多い。特にこの巻は中世ということもあり、手彩色写本もいっぱい出てくる。それだけは嬉しい誤算。目を楽しませてくれる。ひたすら頁をめくって絵だけを眺めていました。文章は不要。これは作っている学研のセンスのなさか、悲しい。または、頁数の制約に比して項目を詰め込もうとした為にしてもちょっとこれは・・・・駄目でしょう。図版だけで本を作ってくれれば、購入する可能性もないではない・・・・・。そこだけは評価してもいいか。後はゴミだけどね、私には。

久しぶりに大好きな歴史が、ヒドイ扱い受けていていささか感情的になってしまったかも?でも、歴史って、もっと面白いもののはずなんですけどね。
ラベル:歴史
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「大モンゴル 幻の王 プレスター・ジョン 世界征服への道」 角川書店

NHKスペシャルでやっていたのも見ていました。だって、ユーラシア大陸にまたがる大帝国というとアレキサンダー大王以来でしょう。チンギス・ハンがどん底にまで落ち込みながら、徹底した合理主義と果敢な挑戦心で勢力を拡大し、色目人(アラブ人)を初め、征服部族を登用しながら適材適所を行い、世界帝国にまで進展していく。ベンチャー企業が世界的なコングロマリットに成長していかのよう。まさに、帝国主義版『大戦略』以外の何物でもないです。究極のgameですねぇ~。(そういう見方しちゃ駄目?)

モンゴルだけでも非常にそそられるテーマなのですが、今回この本を読んだのは、他ならぬ”プレスター・ジョン”がタイトルについていたからだったりします。世界史を学んだ時に、教科書以外の歴史の本も結構、読み漁っていましたが、この名称を聞いた覚えがないんです。その一方で、胡散臭いハンコックの「神の刻印」 とかにも出てきてて、あの中では聖杯伝説と関連付けて、勝手な妄想(仮説もどき)を主張してましたね。それはそれで面白いから話半分に読んでましたが、歴史的事実の部分はとっても関心がありました。でも、関連する資料に巡り会わず、ずっとそのままになっていました。そんな時、図書館でたまたま目に入ったのがこのタイトル。即、借り出して現在、読書中というわけです。で、以下いつものように抜粋&感想。

プレスター・ジョン伝説
東方にキリスト教徒の王プレスター・ジョンが現われ、敵をなぎ倒し、危機に瀕した十字軍及び西欧キリスト教国を救ってくれるという伝説。時代が生んだ共同幻想とも言える。

東の果てに住む王にして司祭、その民ともどもキリスト教徒でネストリウス派信徒である者が、イスラム教徒のペルシアと戦を交えて首都を攻略。そしてエルサレムの教会を助けようと軍を動かしたが、厳しい気候のため故国へ軍を戻す事を余儀なくされた。彼はプレスター・ジョンとよびならわされている。   
~オットーの年代記~

幻の王プレスター・ジョン 大モンゴル(amazonリンク)
posted by alice-room at 01:03| Comment(0) | TrackBack(1) | 【書評 歴史A】 | 更新情報をチェックする