クリントン家を吹き飛ばす「イスラエル・パイプライン」の闇 ヒラリーはイラン、南ア、キューバから莫大な資金を得ていた?マーク・リッチ恩赦事件
拙書『報道詐欺 プロパガンダの百年』引用を続けます。
もちろん、イランはイスラエルという国自体を認めていない。イランはOPEC(石油輸出国機構)の強硬派だった。国内の石油施設の国有化を誰よりも強く望んでいた指導者がパーレビ国王だった(エチオピア、リビアに続き3番目に早く国有化に成功)。イランはセブン・シスターズに対し最も高額の値上げを要求した。
1973年11月。イランは、アメリカ、オランダなど「イスラエル友好国」に対し、こう宣言したのである。
「今後、一滴の石油も輸出しない」
“アラブの石油禁輸”と呼ばれた出来事に、唯一加わった非アラブ国がイランだった。親米国とみなされていたイランとサウジアラビアの禁輸は世界に衝撃を与えた。
これが「表向き」の物語。
マーク・リッチはパーレビ国王に取り入り、石油の「売り手」をつかまえた。
リッチはイスラエルのために働いたのではない。最大の「買い手」はイスラエルではなくフランシスコ・フランコ独裁末期のスペインだった。フランコは「表向き」イスラエルとシオニズムを嫌悪していた。もちろん、イスラエルとスペインに外交関係などなかった。
<このパイプライン・ビジネスについて尋ねたとき、リッチはしばらく何も言わずにわたしを見つめていた。秘密を打ち明けるべきかどうか考えているようだった。結局リッチは、このパイプラインがキャリアを築くうえでの画期的な出来事――彼自身の言葉を借りれば「とてもとても重要なビジネス」――であったことを認めた>(『キング オブ オイル』)
世界史の常識を根底から覆す衝撃の書『キング オブ オイル』
「オイルショック」など存在しなかったのだ。
マーク・リッチは石油の積み出し港を隠すためにタンカーをいったんルーマニアの港に停泊させたりもした。
なぜ、「オイルショック」時も世界の石油供給は減らなかったのか?
謎の答えは簡単。完全な「密輸」である。
マーク・リッチはそんなこと、へとも思わなかった。「倫理」の問題はこんな言葉であっさりと片づけられた。
「我々は大変に有利な値段で石油を売った」
「我々にはいい状況だった」
「石油不足のときに、わが社は石油を持っていた」
マーク・リッチはただ、「売り手がいたら誰よりも速く買い手を見つけ、両者に最高のサービスを提供する」トレーダーの使命に忠実だっただけだ、と主張する。
商売の相手は誰でもいい。リッチは、アメリカの中堅石油会社にも石油を売った。
アル・ゴア家のスポンサーで、リビアでひどい目にあったオクシデンタル石油にリッチの石油が流れなかった、と考える方が不自然だろう。
「怪人ドクター・ハマー、エネミー・オブ・アメリカ」組――アーマンド・ハマーとマーク・リッチは、セブン・シスターズに闘いを挑み、勝利した「最強タッグ」だった。
| 固定リンク
« ヒラリー・クリントンは落選する 大統領になったら不正選挙が行われた、ということ マーク・リッチ恩赦事件の衝撃! | トップページ | マーク・リッチの元妻がクリントン家の財団にに20万ドルの献金 リッチが「米国の敵№1」と呼ばれる理由 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント