WHのために働いていた「ミセス・アトミック」ヒラリー・クリントン大統領は東芝を救えるか!?
ビル・クリントンが、アーカンソー州知事になったは1978年。32歳の若さだった。
妻のヒラリー・クリントンは翌年、ローズ法律事務所の女性初のパートナーになっている。
ヒラリー・クリントン弁護士の最大の顧客は、地元の電力会社「エンタジー・インターナショナル」社だった。エンタジーは出来の悪い原発を抱え、破産寸前だった。
1979年3月28日。スリーマイル島原発事故。
エンタジーが所有するニューヨーク州のインディアン・ポイント原発は、マンハッタンからわずか65キロの地点にあるウェスチングハウス社製加圧水型。
ヒラリーはウェスチングハウスのために働いていた。
住民による激しい反原発運動が起きたバーモント・ヤンキー原発の原子炉はゼネラル・エレクトリック(GE)の退職技術者から「欠陥原発」と議会で告発されていた「マーク1」である。
ヒラリーの仕事は当然、
「原発は安全です」
ウソをつき続けることだった。
1993年1月。夫のビルが大統領に就任すると、エンタジーは全米有数の電力会社になった。
なぜか?
米国の電力会社は厳しく規制されていた。
電気料金の上限は国が決める。
他州の電力会社の買収を禁止する。
子会社を持つことを禁止する。
株、債権の発行には政府の認可が必要。
1930年代にフランクリン・ルーズベルト大統領が定めたルールは、「公益企業が原発を持つと破産する」ことを意味していた。
1980年代以降、格付け会社により、米国ではずうっと「原発は投資不適格」とされてきた。
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インディアン・ポイント原発で起きた火災
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