また会いましょう どこで? いつ? それはわからないけど 約束よ 晴れた日にまた会いましょう ヴェラ・リン『また会いましょう』http://www.mag2.com/m/0001577514.html
知っている人に会ったら「ハロー」って言ってね
もうじき私に会えると伝えてほしいの
私がこの歌を歌っていることを知ったら
きっとみんな幸せになるわ
また会いましょう
どこで? いつ? それはわからないけれど
約束よ
晴れた日にまた会いましょう
ヴェラ・リン『また会いましょう』
(映画『博士の異常な愛情』のラストに流れる歌)
「心の闇」って言葉を持ち出してくる人がいる。
私が「差別はダメ」「ヘイトスピーチはダメ」という当たり前のことを書くと、
「ヘイトスピーチを生みだす人々の心の闇を描いてほしい」
みたいな注文が来る。困る。こう言い返したくなる。
「だって他者であるあなたが“闇”って言っているんだから、私にその奥が見えるわけがない。見えないものは描けない」
つまり、「心の闇があるんだなあ」というつぶやきは、つぶやいた人に命令している。
「だから、それ以上考えても無駄」
思考停止のサイン。
桜井誠らの聞くにたえない言葉ばっかり聞いていてうんざり、ってこともあって、今日の私は単純に考えることにした。
たとえば、在特会と「カウンター」との会話を考えれば、わかりやすい。
「ゴキブリ朝鮮人を東京湾に叩き出せー!!」
「半島に帰れ!」
レイシストは敵に対して「消えろ」と言う。
「帰れ! 帰れ! 在特、帰れ!」
「お前らに居場所はねえんだよ! レイシストはうせろ!」
「カウンター」も敵に対して「消えろ」と言う。
それがいつの間にかこうなる。
「コラ! 朝鮮人、こっち来い!」
「ボケ! お前こそ、来てみろや!」
……どっちやねん?
帰ってほしいの? 来てほしいの?
なぜ、真逆の主張になってしまうのか?
敵に近づく。暴力の匂いに包まれる。血流が増す。アドレナリン放出……こうなると、人間はなぜか楽しい。
ある文芸誌編集長はこう言った。
「怒る、泣く、性的に興奮する……。読む人の『体を変化させる』文章が、つまりは売れる小説なんだよ」
少なくとも一面の現実として、レイシストの暴走と「カウンター」運動の盛り上がりの動力は、ともに単なる「肉体の反応」とその連鎖なのだ。
献身的に脱原発運動を続けている「いい人」が、在特会を前に豹変するシーンを何度も見てきた。
そんなありさまを見て「客観報道」とか「知性」とやらは、こう言って考えることをやめるのだ。
「心の闇があるんだなあ」
もうひとつ。こんな注文もあるよね。
「ヘイトスピーチを生みだす社会とは何か、ということを描いてほしい」
これもまた一面の現実としてこう答えてしまおう。
「特に若い人は目先の生活費を稼ぐことに追われている。体を変化させて楽しむ時間があまりにも少ない」
で、今、この国のむちゃくちゃな状況である。
「子どもたちの健康被害が広がる一方なのに、なぜ?」
「いまだに家に帰れない人がたくさんいるのに、なぜ?」
「史上最悪の原子力災害を起こした国なのに、なぜ?」
なぜ、川内原発再稼働なのか?
シンプルに考えよう。
お金の流れを見れば一目瞭然!
小学生にだってわかる!
この国の「1%」、日本の支配層の中で「一番、お金に困っている人」は誰なのか?
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