菅直人と東京中央線市民運動
史上最大の市民運動とは何か?
1954年、アメリカの水爆実験、第五福竜丸の被曝に抗議した、原水爆禁止署名運動である。
署名はいくつ集まったと思う?
3000万人!
当時の有権者の半分が、アメリカに怒り、筆記用具を動かしたのである。
右翼の人も、もちろん署名した。
今の福島よりも、もっと度し難い隠蔽が行われたからだ。
アメリカ政府はこう言い放った。
「第五福竜丸の乗組員の被害は、放射能によるものではなく、サンゴの毒によるものだ」
与党、自由党が多数派だった地方議会で、次々に核実験に反対する決議が可決された。
この運動の発祥の地は、東京杉並だと言われている。
水爆実験で魚が全く売れなくなった鮮魚店の女将が、婦人団体の会議で声を上げた。
「中央線デモクラシー」の誕生である。
菅直人は、その土壌で政治デビューする。
菅直人の師である市川房江は、老体に鞭打ち、1979年、共産党系の原水協、社会党系の原水禁に分裂した「反核運動」の統一のために動いた。
原水爆禁止世界大会は、1979年8月6日。
スリーマイル島原発事故は、1979年3月28日に起きたのである。
菅直人は、40歳前の血気盛んな頃だった。
今、日本の最高権力者のもとには、
「1979年を忘れるな!」
激烈な「同士」からのメッセージが届いているのだ。
一方で、
「ロックフェラー、ロスチャイルドに逆らった政治家はどうなった!?」
こんな脅しも来ているはず。
閣内不一致は当然なのである。
ロナルド・レーガン、田中角栄が言語障害になった歴史を見ろ!
菅直人もまた、しゃべることができなくされるぞ!
まあ、普通に考えると、菅直人が国際銀行団に逆らえるはずはない。
潰される。
さて、その後に何が来るか?
絶望しますか?
生きますか?
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