『競馬コンシェルジュ』などテレビの競馬予想について
力が入らん。
人間のパワーにならん。
要するに、マスコミ業界で生きていきたい人が「番組的」に、あるいは「大衆的」に、ふるまおうとしているだけでしょ?
これから、ゼニカネを賭ける人間とっては、無関係。
博奕は博奕なんじゃけん。
テレビの予想家は「ゲーム感覚」で「簡単な法則」で競馬に参加できますよ、と言い募るばかりで、負けたときの「痛さ」をフォローしない。
そりゃ、みんないなくなるよ。みんな、お金がないんだから。
わしにとっての予想家は、本人も熱くなって負けて、「負けたときこそ」って、作法を教えてくれる先輩だった。
「性」とか「業」とかが、今のテレビの予想家に感じられますか?
賭ける、ってことは、まさに「性」であり、「業」なのに。
だから、馬について語る時間は豊かなのに。
負けた悔しさ、悲しさ、切なさを含めてね。
つるつるのはらわたのない顔が、番組を盛り上げようとするな、とわしは言いたい。
盛り上げようとしても、盛り上がらないんだから。
競馬場に行く気分とは、なんの関係もないよね。
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